《完》[ToV]愛する貴方に   作:つきしろ

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第30話

 

 目の前で倒れていく『大きな』姿をレイヴンは見ていることしか出来ない。首を無くした人はそれでも大きく、見ているのも精一杯だったレイヴンは掠れた息が自分から抜けていくのを感じていた。

 

 不意に灰色の影が人の中を縫って現れ、大きな姿を抱きとめる。ばさっ、と音がしたかと思えば赤い液体を流すその場所と、地面に落ちたそれの上に白い布がかかっている。

 

「イチトシ、ちゃん……?」

 

「君は倒れちゃ駄目だよ、ドン。眠るならまだしも、ね」

 

 血に濡れながら、イチトシはドン・ホワイトホースの体をしっかりと抱きとめる。服が赤く染まっていくのも気にせず、彼女はいつもの笑みを浮かべている。

 

 本当に、いつものイチトシなのか。レイヴンにはそれすらわからない。ただし視界は狭まるようにチラつき、頭は締め付けられているように痛い。

 

 時間が、止まったかのよう。

 

 ゆっくりと大きな体を床に横たえたイチトシの元に何人かの男たちが駆け寄る。皆が呼ぶのはドン・ホワイトホースの名前。男たちの中には綺麗な金色の髪の毛を持つ『少年』が居る。

 

 もう大人だと叫んでいた少年は遠く、彼は少年のままにドン・ホワイトホースの体に泣き縋り謝っていた。

 

 ぽつりぽつり。降り始めた雨がイチトシの体についた血を洗い落としていく。

 

 気付けばその場にレイヴンの姿は無く、代わりに建物の影に見知った姿を見つける。

 

 イチトシが近づいても彼は逃げること無く、立ち尽くしていた。体は傷つきながらもそれ以上につらそうな表情をしているのが見て分かる。

 

「イエガー」

 

 今回の首謀者とも言える名前を呼んでようやく彼の視線はイチトシと交わる。酷い顔だった。少年よりもつらそうに、けれど決して涙は出さないようにしていた。耐えている様子が本当につらそうだ。

 

 伸ばしかけた手を握る。

 

「すべて、知っているのでしょう。私が何をしたか」

 

 いつもの口調も忘れ、イエガーは責め立てるような口調でイチトシへ詰め寄る。

 

「君が? 知らないよ。そもそも君は誰で、いつ、誰であったのかなんて君にしか分からない」

 

「っ、私は!! ……私は」

 

「ああ、君に渡さないといけない物があるんだ」

 

 懐から取り出したのはコンパクト。

 

 かつてキャナリという騎士が持っていた数少ない女性らしさの象徴。イエガーは震える手でコンパクトを受け取り、開く。

 

 汚れた鏡には何も映らない。化粧品の収まるべき場所には傷ばかりがある。

 

 けれど確かにコンパクトは今、イエガーの手の中にある。

 

 ぱたり。

 

 暖かい雨が落ちた。

 

「イエガー。仮に君がイエガーでないとしても、この事態を引き起こしたのだとしても、私は君にこそ頼みたいことがある」

 

 ふらつくように揺れる彼の手を掴む。

 

 コンパクトから上げた歪んだ視界に真剣な表情のイチトシが映る。

 

「君の経験、知識、そして命を少し分けて欲しい」

 

 抵抗されないままに自分より高い位置にある頭を引き寄せる。

 

 大きな子供をあやすように抱き寄せ、背中を撫でてやれば肩に埋めた頭からぐずる音が聞こえてくる。

 

 全てが重なって、ようやく泣けたのだろう。

 

 自分のやってしまったこと、そして、起きてしまった真実、目を背けていた現実。

 

 暖かい両手がイチトシを強く引き寄せる。

 

 自分もこうして泣ける日が来るのだろうか。呆然と前を見ると赤い髪の少女と緑の髪の少女が不安げにイエガーを見ている。

 

 人差し指を口に当ててこのままにしておいてやって欲しい意思を伝えると彼女たちはしばらく迷ったのち、街の中へと姿を消した。

 

「情けないところを見せてしまいました」

 

「かまわないよ。答えを、聞こうか。今のその場所を捨てて、私のもとに来る気はあるかい?」

 

「もちろん。……ただし、人質が居るのです。ご協力いただけませんか、イチトシ様」

 

 くす、と口元を隠して笑いイチトシは頷く。元よりそのつもりだった。それに。

 

 イチトシの言葉を遮り近くに青年が歩み寄る。カイ、と名乗るイチトシの部下だった。

 

「お話中失礼、頼まれてた件。終わったんで」

 

「ありがとう。さあこれで君の杞憂は無くなった。君の命、少し貸してもらうよ」

 

 

 館へ戻ったルディアースはまず妻の無事を確認した。館の主が誘拐されたままだと慌てている以外に館に変化はなかった。強いて言うなら傷付いた執事が治療中である程度。

 

 そしてルディアース当主は早々に行動を起こした。

 

 館の使用人たちに相応の報酬と次の就職先を提案し、全員解雇とする。状況を飲み込まないままに、だが皆満足できる程に報酬をもらい、次の就職先へと足を運んだ。

 

「何かあったのですか?」

 

 妻の言葉に、なんとか笑みを返す。

 

「反撃に出る。夜駆け鼠に連絡を取ろう。しばらく公には動けないが……」

 

「報告が。アナタが居ない間にユニオンの頭首、ドン・ホワイトホースが亡くなりました」

 

「ギルド側も手薄になるな。逆にユニオンへ入り込みやすいか」

 

「そのお年で何をするつもりですか?」

 

 妻の容赦ない言葉に思わず苦笑する。

 

「さあね。ただ、イチトシに『返して』やれればとは思う。この年だからこそ、賭けられるものもある」

 

「それは、そうですね」

 

 だから。

 

 館は一旦捨てる。だが、いずれ戻るために形だけは残そう。

 

 貴族らしからぬ財産を捨てる発言にも妻は柔和に笑い返す。貴方が決めたことなのであれば従います。従順な良妻とも見える姿に笑い返す。お互いに頑固なのは変わらないだろうに。

 

 だが、こういった時に抵抗せず後ろをついてきてくれるのは嬉しいことだ。

 

「それでは私が持つ友人のギルドに行きましょうか」

 

 ん?

 

 聞き間違いかと、ルディアースは自分の妻を見やる。彼女は優しげに笑ったままだ。嘘を言っているようには見えない。いや、そもそも彼女は嘘をつかない。少なくともルディアースは彼女の嘘を知らない。

 

 片手を差し出し、誘う彼女の手を取った。何時になくたくましく見える。

 

 たくましいな。思わずそう言ったらおよそ女性に言う言葉ではありませんね。と怒られてしまう。

 

 そうして連れられた先のギルドで、ルディアースはまたも言葉を失った。

 

(2017/11/05 00:34:26)


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