《完》[ToV]愛する貴方に   作:つきしろ

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第32話

 

『おはよう』

 

 聞いたことのない声で目が覚めた。

 

 傷を負ったはずの背中に痛みはなく、今までの記憶もかなりぼんやりとしている。イチトシはぼんやりと浮いたような意識の中でコレが「夢」であることに気づいた。傷を負ったことは覚えているが、なぜ傷を負ったのか。

 

 背中側に両手をついてゆっくりと上体を起こす。涼風が彼女の頬と、草原の草を揺らす。

 

 さらさらと草同士の擦れ合う音。

 

 イチトシは視線を目の前に向けた。自分が居た。

 

 草原に足をつけ、しっかりと立っている彼女はイチトシに笑いかける。おはよう、と。とても優しい笑顔。自分ではない。イチトシは無表情におはよう、と同じ言葉を返した。

 

『とても無表情。少し前までは幸せそうだったのに』

 

 彼女の言葉にもイチトシは反応せず、ただここはどこと問いかけた。

 

『あなたの夢。本来なら目覚めないような傷だから、死後の世界と言っても過言ではないけれどあなたは生きようとして、力を使ってでも傷を治そうとしている』

 

 意味のわからないことばかり言っている。

 

 意味がわからないのはきっとイチトシがぼんやりとしているからではなく。彼女が話していることを『知らない』からなのだろう。ただ、夢だというのは本当だった。他の話も本当なのだとしたら、自分は本当に深い傷を負った。

 

 不意に、思い出す。剣を打ち合わせていた、銀髪の彼。

 

 ああ、アレクセイに斬られたのか。

 

 背中の痛みを思い出すように片手を肩に置いた。痛くない。夢なのだから当然か。

 

『アレクセイのしようとしていることを止めて』

 

 彼女は一歩、イチトシに近づいた。

 

『あの子ほどではないけれど、彼も大事な人でしょう? 止めなければ、彼は死ぬ』

 

 草原に映る半透明の景色。

 

 なにかの施設の屋上だろうか。白い足場の上でアレクセイが大規模な陣を展開し何かを解析している。知っている景色だ。アレクセイの頭上には見たことないほど大きな魔核が浮いている。アレクセイは魔核の利用方法を解析しているのだろう。

 

 止めなければ。

 

『あなたが力を使って生き返り、アレクセイがあの封印を解いてしまうとそれは最悪。だから今ここで選んでほしい。私の手を取り……いくらかの記憶と力を持ってあちらへ戻るか。このまま楽になって最悪の事態を避けるか』

 

 そう提案され、イチトシは考えることもなく首を振った。

 

 違う。

 

「私なら私の目的を知っているはず。私は生き返る。アレクセイを止めるのも構わない。けれど私の目的はあなたの言う最悪の事態をどうにかするためじゃない」

 

 首を傾げた彼女の手を取り、イチトシは立ち上がった。

 

『あの子を助けるためだ』

 

 彼女は一度驚いたようにイチトシを見やり、そして困ったように。けれど嬉しそうに笑った。変わったね。良い方向に。

 

 やり遂げて。

 

 それはどちらの目的に向けて言ったのかわからない。

 

 イチトシは消えていく草原に、見えていた半透明の景色に目を向けた。

 

 アレクセイと戦う何人かのグループ。黒い髪の青年を筆頭に、年若い少年少女と、女性とーー男の人。

 

 ふと、消えていく草原に別の景色が映りだす。空を覆う気持ち悪いタコのようなナニカ。タコのようなナニカは世界を覆い尽くそうと空に足を伸ばしていく。空を覆い尽くすかと思われたとき、それはとてつもなく大きな魔核から放たれる光で遠ざけられた。

 

 薄い光の壁の向こうに、ナニカは佇み続ける。

 

 『彼女』はそれをぼんやりと見上げていた。

 


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