砂隠れは繁栄しました   作:布団玉
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10. 風かげる

 ここ最近は眠らない日が続いている。
 鏡を見れば、濃い青色の()()をこしらえた、いかにも不健康そうな面が映った。片手で目頭を押さえてみたり、こめかみを押してみたりするものの、連日の徹夜が祟ったのか()()はどうにも消えそうにない。

 ――焦っていた。
 部隊存続の期限が設けられていることに関してではなく、自身の能力の限界に関してだ。

 妥協することなどできない。
 セッカの頼み事を承諾したことも要因だが、人柱力の運命を変えるこの重大な局面であるという事実が、一層の焦燥を生む。
 本当に、術を改造することができるだろうか?
 術の発動時に、致命的な不具合を残したまま、加瑠羅も我愛羅もそのまま帰らぬ人になってしまうのではないだろうか?
 そんな風に、休息をとっていない頭では、ついつい無用なことを浮かべてしまう。適度な焦燥感は刺激になるのだが、寝不足のおかげで、つのるのはけじめのつかない焦りだけだ。
 研究室で寝泊りすることも当たり前になってきた。セッカの献身的なフォローがなければぶっ倒れていただろう。

 そうして、一週間ぶりになるだろうか。深夜、寝るためだけに家へ帰宅する途中のことだった。

 ――また尾行されている。
 やられっぱなしというわけにもいかず、2、3度、尾行犯を捕らえようと気配を辿ったこともあった。だが、奇妙なことに――強い気配をピンポイントで感じたはずの場所には、人ひとりすらいなかったのだ。罠であるとも考えたが、罠らしきものも一切見あたらない。
 気配は時折、屋内でも感じることがあった。しかし屋外にいる場合ほど顕著ではなく、セッカに気配のことを話してみても「なにも感じませんよ」との一言だった。

 気配の発現場所は、里中と言えるほど広域だ。日が経つにつれて、昼夜も関係なくなっていった。ならば羅砂も気づいているのではないかと、尾行について報告をしに執務室へと向かった。

「尾行? ありえなくはないが……」

 執務室へ入り報告すると、羅砂がそう言った。

「気配はひとつなのですが、いたるところに現れているんです。スパイだったらマズいし、一応、報告しておこうと思いまして。俺の気のせい、というか疲れのせいならそれに越したことはありませんが……」

 羅砂が「どういった状況時に気配がするんだ?」と投げかけてきた。

「最初は帰宅のときでした。ですがその次には、状況関係なく外のそこかしこに。そうして最終的には、屋内でも気配がするようになりました。セッカがいるときも気配がしたので彼に聞いてみましたが、気配はしないと……」
「屋内でも、か。たしかに、セッカからはなんの報告も受けていない。気づいていないか、本当にお前の気のせいなのか……」

 羅砂は伏し目がちに、口へ軽く手を当てて考えこんだ後、こちらに視線を戻してこう言った。

「どちらにせよ警戒に越したことはない。十二分気をつけろ」

 俺は短く返答したのち、研究室へと戻った。



 同日。
 困憊しきっていたが、無事に帰宅することができた。
 すでに疲れと眠気は限界だったが、今日も尾行の気配がある。しかしいまはそんなことを気にしている余裕はない。睡眠をとることのほうが先決なのだ。
 ――ぐっすり眠れば気配も消えるだろう。
 そう考えてから布団へ倒れこみ、意識を失うように眠りについた。
 直前。

 手で背中を押されて崖から落ちていくかのような衝撃が、からだ全体に走りぬけていった。






「よォ」

 その声で目が覚めた。
 延々と起きていたかのような、妙な――。

 あれ。と、既視感を覚えて一瞬、思考が止まる。
 目の前にあるものを視界におさめて、また頭が働きだした次には大声を上げていた。

「……はアァッ!?」

 ――俺がいる。
 正確には()()()が目の前にある。

 いったいなにが起こったというのだろう。混乱しつつも、さておきまずは状況の把握だろうと、とりあえず暗く光のないこの場所を見まわす。

 時刻は恐らく夜中で、ここは間違いなく俺の家だ。そして、俺がいる。
 ここまではなにもおかしくはない。おかしいのは、目の前にもうひとり俺がいるということ、そして寝ていたはずなのに、家の外、玄関前にいるということだ。しかもそいつは、あろうことか、俺に向かってしゃべりかけている。
 分身を出した覚えはない。寝ぼけて出せるものでもないので、考えられるのは、他者が変化の術を使って俺に化けている可能性だろう。
 しかし、目の前の男の言葉でその可能性は打ち砕かれた。

「オレが言うのもなんだけどよ、睡眠はしっかり取ったほうがいいぜ。……さておき、魂ぶっこ抜かれた気分はどうよ」

 魂ってなんだよ。そう言うよりもまず先に視線を下へと動かした。

 ――四肢が背景に透けている。
 内臓とまではいかずとも、自分の体は確実に薄れていた。まるで『この世のものではない』との宣告を受けているようだ。

「なんだコレ……。お前、俺になにをした!?」

 思わず声が力む。寝ている間に得体の知れない術を掛けられるなどと、とんだ失態だ。尾行の犯人は――気配の正体は、コイツだったのだろうか。

「なにをしたんだろうな。ともかく、お前の姿は誰にも見えない。叫んだところでオレ以外には声すら届かん」

 俺の姿をした()()は、問いに明確な答えを出すことなく、あっさりとした返しだけで終わらせた。

「お前は誰だ」
「オレは『サボテン』だぜ」
「ふざけてんのか」
「ふざけてねェよ」

 俺の姿をしている故に『サボテン』と名乗ったのだと思った。しかし男の真剣なまなざしと、言葉を聞く限り、そういうわけではないらしい。

「お前がどれだけ疑おうと――オレは『サボテン』っつー名前だ。いくら名前を偽ったとしても、生まれた時につけられた名前は『サボテン』なんだよ」

 砂埃のにおいが嗅覚を燻る。
 瞬間、盛夏のようなじっとりとした風が、なつかしさを纏い、ひゅうっと吹き抜けて総身を貫いた。

「本当に俺と同じ名前なのか?」
「そうだ」

 忘れてしまったことを思い出せそうな、妙な胸騒ぎを感じる。

「……なんの目的があってこんなことをしたんだ?」
「復讐」

 男はすぐに「いや」と否定の言葉を発して、「もはや悪あがきだけどな」と付け加えた。

「里に対して、か?」
「里なんぞどうでもいい」

 内にどれほどの憎しみをこめているのか、その声色には、俺では計り知れないなにかが渦巻いていた。

「オレは……アイツに復讐できればそれで――」

 男は、言いかけてやめた。

「アイツ?」

 聞き返したが、また答えが返ってくることはなかった。かわりに男は「そうだな」と前置いて、こう言った。

「お前のすべてがここにある」

 男が、頭を人差し指で2回突っついた。

「もしもこの体を取り戻すことができたら、答えてやるよ。……〈約束〉だ」

 半透明の体はさらに薄れてゆき、体のみならず、視界までもがぼやけていく。

「その前にお前は消えるけどな」

 どういうことだ。
 たしかにそう口にしたはずが、声は聞こえなかった。声すら発せないほどになっていたのだ。男の声すらも遠くに聞こえる。

「なあ、お前は――」

 男が言う。

「――どうやって自分が死んだのかを、覚えているか?」

 最後の言葉が、いやに耳へはりついた。






 いつのまにやら知らない空間に佇んでいた。一切の光はなく、果てしない闇の中をひたすらに歩く。
 ふと、仄明るく照らされた場所を見つけた。包みこむような、やわらかい光だ。
 光に吸い寄せられる虫のように、するするとそこへ近づいていく。

「また会ったのォ」

 諭すようなやわらかい口調、低くしゃがれた声。
 いつかに会った老人がそこにいた。

「今回はずいぶんと身軽になってしもうたようじゃが」

 老人は俺の姿を見て、冗談交じりに言うのだった。

「身ぐるみ……というか体ごとはがされてしまったんです」
「それで透けておるのか」

 どうりで。と、老人は納得したらしい、皺が寄り弛んだ目をさらに細めて、いちどだけうなずいた。

「俺は、まだ生きているんでしょうか」
「なにがあったかは知らんが、いまのところはそのようじゃ」
「いまのところ?」

 老人は――体から離脱した魂は、そのままであればいずれ本体に戻れなくなり、死を向かえる――と教えてくれた。

「そうなれば、ここへ永遠に囚われることになるのでしょうか」
「さあな、そこまではわからぬよ。なにせ生きた人間が2度もこの場所へ訪れたのは、はじめてのことじゃからのォ……」

 なにか方法はないだろうか。老人にそう聞けば、知恵を出してくれた。

「人でなくてもいい、なにかしら身動きが取れる『体』を手に入れることじゃな」

 老人は「例えば」と、隣に横たわる“傀儡”に目をやる。

「これでもいい。……入ってみるか?」

 老人が言う。

「ですが……」

 ためらった。
 前に、この“傀儡”は老人にとってかけがえのない相棒だと聞いたからだ。知っていれば、入ってみろと言われたところで、はばかられるのも無理はないだろう。
 そんな俺に対して、老人は諦めにも似た声つきで「いいのじゃよ」と促すのだった。

「お主と同じ名であることも、なにかのめぐり合わせじゃろうて」

 ――同じ名?
 俺の体を奪い去った男といい、なにかが引っかかるが、その正体がなにかまでわからない。さざなみのように、言い知れぬ不安が広がりはじめる。

「ここに風は吹かない。相棒とて、こんなところにいるよりも……空の下で風に撫でられるほうがよかろう」

 ぴしぴしという音が聞こえてすぐに、足元へ亀裂が生じはじめていた。

「はじまったようだのォ。さて、いいのか? 入らねば間に合わなくなるぞ」

 言われて、はっとした。慌てて傀儡に入りこむ。
 あちこちにガタがきていて思うようには動かせないが、不思議なことに居心地は悪くなく、まるで元から自分の体だったかのように、妙にしっくりする。

「もうここには来ないほうがよい」

 老人が言うと、ひび割れた部分から白い光が差しこんだ。

「ここは墓場じゃ。生きているモノは、ここへ留まることなどできぬ」

 その言葉を最後に意識は薄れてゆき、黒い空間はあっというまに白へと姿を変えた。






 ざりざりと、硬いものが砂と擦れたような、耳障りの悪い、粗い音で目が覚めた。音は離れることもなく近づくこともなく、つねに同じ音量で聞こえている。はたと、その音の出所が自分であることに気がついた。
 どうやら俺の体は引きずられているらしい。
 視界は暗闇に閉ざされている。動くこともしゃべることも叶わずに、ぼんやりとした頭で、これからなにが起こるのかを考えていた。
 そうして目的地に着いたのか、音がぴたりと止まる。
 今度は、ガチャリと音がした。

「あら、こんにちは」

 この声は女の声だろうか。
 いまは音だけが頼りなので、耳に届いた声を、ぼやける思考で必死に解析する。

「こんにちは」

 こちらは子供の声だろう。

「その傀儡は……?」

 女が、子供に対してそう聞いた。

「ボクの家の前に、誰かが捨てていったみたいなんです。チヨ様はいらっしゃいますか?」
「ええ。いま薬を作っているところなの。ヤマト君、入ってお茶でも飲んでいく?」
「お言葉にあまえさせていただきます」
「お義母様を呼んでくるから、そこの部屋で待っててね。――お義母様、ヤマト君が……」

 女性の声が遠のいていくのを感じながら、俺は確かに『ヤマト』と『チヨ』の名前を認識した。
 どうやら、俺を引きずっていたのはヤマトのようだ。そしてヤマトが向かった先は、サソリ宅だということだろう。
 今度はさきほどと違う、しゃがれた女の声が近づいてきた。

「何用じゃ小童。弟子は受けつけておらんと何度も言うておろう!」
「チヨ様、今回はその件ではなくて……」

 ヤマトが事のいきさつを話すと、チヨバアが怒りを声にのせて「傀儡を道端へ捨てるなどと嘆かわしい!」と大声をあげた。

「まったく、傀儡師にあってはならんことじゃ! 犯人は見つけ次第こらしめてやらんといかんわい!!」

 声を荒げていくチヨバアに対し、ヤマトは慣れきった様子で「コレ、直りますかね?」と聞いた。
 長い溜息を吐いてから、低く冷静な声色で「直してどうするつもりじゃ」とチヨバアが言う。

「持ち主がうっかり落として、いまごろ探しているのかもしれないし、直ったら持ち主を探します。捨てられたものならボクが使います」

 ヤマトが返せば、チヨバアは少しのあいだ黙りこんだ。

「傀儡をうっかり落とすバカがどこにおる……。いたとして、そやつは傀儡師失格じゃわい」

 そうやって呆れたあと、チヨバアは再度ため息を吐き、一呼吸おいてからこう言った。

「来い」

 今度はヤマトに間があいた。そうして言葉の意味を理解したらしい、「それって――」と言いかける。

「傀儡を重んじる心意気は買ってやろう。だが弟子にしてやるとは言っとらん。突っ立っとるだけならかまわんと言うとるのじゃ」
「は、はい!」
「なにを嬉しそうにしておる。弟子は受けつけとらんと言っとろうが! またボロの傀儡を持ちこまれてはたまらんからの。それだけじゃ!」

 自分の体に別の人間が入っていて、そいつはいつどんなときに、なにをしでかすかわからない。その事実を早く伝えなければならないというのに。
 なにもできないもどかしさに苛立ちだけが募るも、かき消すように、俺の体はまたどこかへと引きずられはじめた。
 引きずる音が止んだところで、意識が断線した。






 夢を見ているのだろうか。

  ――『約束』をしよう。
  『約束、ねェ』

 声が降り注いでいる。

  ――オレは“約束”のために、お前は『目的』のために。
  『本当に戻ることができるのか?』

 誰かが会話をしているようだ。

  ――相応のエネルギーを手に入れることができれば、あるいは。
  『戻れるなら、100年でも、200年でも、1000年先だって待ってやるよ』

 一言一句がこの身にすうっと溶けていく。

  ――しかし、戻れたとしても……。
  『なんだ?』



  ――それが『お前』という存在であるかは定かでない。



 そして、空間ごと弾けた。






 光。
 次は色、そして物体。視覚が回復したのか、景色はだんだんと明瞭なものになっていく。どうやら、やっとのことで体の自由がきくようになったらしい。

「これでよかろう」

 核部分を直すのにずいぶんと手間取ったわい。言いながら、チヨバアが俺の体をぽんとひと叩きした。完了、との意味をこめたのだろう。
 目だけで辺りを確認すると、ヤマトと目が合ってしまった。

「チヨ様、いま動かしましたか?」
「なにを言うておる。いまは動かしておらん。これから動作の確認じゃ」
「え? でも……」

 目が動きましたけど。ヤマトがそう言えば、チヨバアも「そんなバカな」としゃがんで、俺の体、正確には傀儡の体をなめまわすように点検する。
 今度はチヨバアと目が合った。

「あの」

 言い逃れできそうにないので、とりあえず話しかけてみる。

「……傀儡が喋りおった」

 ぽつりと、一言。こぼしたあと、チヨバアはすっくと立ちあがり、部屋の隅にあったものを手にした。
 それは、(のみ)を打つためであろう、金槌だった。
 チヨバアがこちらへ近づきながら、金槌をゆっくりと振り上げる。金槌の頭が、ギラリと光を反射した。まるで、俺に狙いを定めているかのように。

「怨霊めエエエエェェェェッ!!」

 そう叫んだチヨバアは、まごうことなく俺を狙っていた。
 金槌を持ったチヨバアの動きは、大麻(おおぬさ)を振る神主のそれ。足や手、胴などには目もくれず、真っ先に頭を砕きにきている。

「逃げるでない、さっさと成仏せんかアアァァッ!!」
「チヨ様、落ち着いて、落ち着いて! 怨霊なんかじゃないですってば!」

 たしなめるも、チヨバアは聞く耳を持たない。

「嘘じゃ! おおかた、捨てられた怨みと憎しみでワシら傀儡師を葬るつもりじゃろうが!!」

 憤怒の形相と乱れた髪は、さながら山姥のよう。金槌を振るう動作はますます激しくなるばかり。必死に逃げるも、その年齢のどこから力がわいてくるのか、殺るまで離れんとばかりに食らいつく。
 地獄の底まで食らいつかれてはたまらない。チヨバアの攻撃を避けながら、怨霊でないことを証明するために、ようやっと自分の名を叫んだ。

「俺です、サボテンです!」
「サボテン……?」

 チヨバアの動きが鈍った。ヤマトも、信じられないというような眼差しで「本当に兄さん?」とつぶやいている。

「だって兄さんはいま、3代目様と一緒に修行してるはず……」

 ヤマトは誰に向けるでもなく、そう言った。
 ――アイツが3代目と修行をしている、だと。いったい、なにをしでかすつもりだ?

「やはり嘘か!!」

 目的を探ろうとしたが、チヨバアの叫びで一時中断せざるを得なかった。
 鈍っていたチヨバアの動きが活発になりはじめている。ヤマトの発言を追及したいところだが、まずは本物のサボテンであると証明することのほうが先決だ。

 マジロウとバッシーを口寄せして証明できればいいのだが、血液がなければ口寄せできない。
 残された方法は、これしかないだろう。

「――890(ハチキュウマル)班!」

 チヨバアの目が見開かれた。

「技術の890班! ()()()しか知り得ないはずです!」
「お主、なぜそれを……」

 チヨバアが揺らいでいる。ここで畳みかけなければあとはない。

「いま3代目と修行しているというサボテンは、俺のガワを被った偽物で、本物は俺! 正真正銘、俺が本物のサボテンです!」

 チヨバアが沈黙した。しばらくして、渋々といった様子で「信じよう。3分の1ほどな」と吐き捨てたのだった。



「3代目が危険じゃと?」

 さしあたり落ち着きを取り戻したチヨバアに、いきさつを話した。
 はじめは、男が復讐を目論む対象が里でないとすると、『俺自身』なのかと考えていた。しかしヤマトの言葉で、3代目風影の線が現れたのだ。確たる証拠はまだ見つかっていないが、そうであれば、わざわざ俺の体を奪ったのもいくらか納得できる。『弟子』の立場を利用すれば、つけ入ることもたやすいだろう。

「アイツは復讐することが目的だと言っていました。もし復讐対象が3代目なら、あの人の身が危ない」

 歴史に忠実であれば、3代目風影は行方不明となっている。そして発見されたときには、すでにサソリの傀儡と化していたのだ。
 ――サソリは里抜けしていないからと、どこかで気を緩めていた。
 もう、3代目が行方不明になる理由はないのだと。3代目は片隅へ追いやり、ほかの人間のことで頭が埋まりきっていた。

「たかだか弟子の小童に負けるわけがなかろう」

 チヨバアの言うことはもっともである。3代目が俺に負けるはずもない。
 だが実際にはサソリに敗北し、人傀儡になっている。しかもいまの俺はただの傀儡で、本体には別の人間が入っているのだ。あの男が、頭が切れ、かつ俺よりも術の扱いに長けた人物だとしたら――。考えるだけでも最悪の事態だ。

「俺を拾ってから修理が終わるまで、どれくらいの時間が経ったんだ?」

 思考をはらうように、ヤマトへそう聞いた。すぐさま「4日ほどです」と返ってきた。
 ――4日も経っていたとは。

「チヨ様。3代目が行方不明になったとして、緊急に忍を招集すべきです」

 するとチヨバアが眉をひそめた。

「忍が残っておると思うか。それに、まだ行方不明であるとは決まっておらん。いまの状況で、3代目風影が行方不明になったと公表するのは不得策じゃ」
「里内の士気の問題ですか」

 チヨバアは「それもあるが」と前置いた。

「――党派よ。羅砂の風影就任を快く思わぬ者もおるのじゃ。お主は3代目の弟子であると同時に、羅砂の教え子でもある。もしも『3代目の弟子であるサボテンが、3代目と共に行方知れずになった』との噂がたちまち広まってみろ」

 そこまで言われて、はっと気がついた。

「3代目を狂信し、3代目の風影復帰を望む人間は、俺を、4代目風影失脚のための材料にする……」
「そういうことだの。まァ、失脚で終われば良いほうじゃろう。いつの世も流行りは暗殺じゃな」

 どうしたものだろう。
 頭を悩ませていると、チヨバアが、「それに、3代目は――」となにかを言いかけた。

「――いや。このことは、あやつを生還させて、あやつの口から直接聞くといい。あやつがついぞ見つからなければ……そのときはワシから話そう」

 なにを言いかけたのだろうか。問い詰めたい気持ちを抑えて、「わかりました」とだけ返答した。



 チヨバアがヤマトへ、このことは他言無用であると、脅しに近い形で念をおした後。ヤマトを家に帰してから、俺とチヨバアは4代目風影――羅砂の執務室へと向かうことになった。
 その前に、これを着ろ。と、チヨバアからフードのついた黒いローブを渡された。

「ワシのいるあいだは、ワシがお主を動かしておることにできるが、いつまでもそういうわけにもいかんじゃろう。ひとりでに動く傀儡なぞ、大衆の目には憑き物としか映らんぞ。それで傀儡の体を見えにくくしておけ」

 もう2度と、チヨバアのような形相で追いかけ回されるのは御免だった。なのでさっさとローブを着てから、フードを被り、慣れない体で執務室へと急いだ。



 いまの状態を思いながら、なんとなしに、生まれたばかりのころまで記憶をさかのぼらせる。
 ――急いだはいいものの、足がもつれてうまく走れないなどと誰が想像するだろうか。
 いわゆる『忍者走り』を繰り出そうとして、身軽になるはずの体は重力に逆らえず、そのまま転倒してしまったのだ。勢いよく地面へ顔をぶつけて、蛙が壁へべったりと張りついたような、だらしない恰好をさらしてしまう。
 このままでは不審がられるので、見かねたチヨバアがとっさにチャクラ糸で俺を操作してくれた。

「マヌケじゃのォ」

 その言葉に返すこともできず、チヨバアの操縦に身を任せて走った。

 そして、風影の執務室。
 さっそくチヨバアが「3代目が行方不明かもしれぬ」と羅砂へ告げたのだった。

「行方不明? あの人が? まさかそんなはずは……」

 疑わしげに羅砂が言う。

「サボテンと3代目は修行中じゃと聞いたが、セッカからはなにか報告を受けておるか」
「同じくセッカからも、2人は修行中であると口頭で受け取りましたが……」

 なるほど。と、チヨバアが言った。

「一週間後の会談までに、サボテン、3代目と接触した可能性のある者を見つけ、質すのじゃ。それと、信頼できる暗部を寄越せるだけ寄越せ」

 羅砂は「わかりました」と返答してから、続けて「それと、チヨ様……」となにかを言いたげにした。

「なぜ、傀儡を動かしていらっしゃるんですか?」

 羅砂の視線は、俺に向かっている。傀儡がひとりでに立っているのが不可思議だったのだろう。しかし、チヨバアとの対面を思えば数割マシだった。

「教え子じゃ」
「――――?」

 羅砂が、怪訝そうな顔つきでチヨバアを見る。

「こやつはお前の教え子の、サボテンじゃ」

 羅砂は、チヨバアと俺の顔を交互に見てから、目頭を強く押さえた。
 また交互に見て、「それこそ考えられません」と告げる。

「ワシもまだ疑っておる」

 結局、羅砂の疑いも第890(ハチキュウマル)班の名称を出すことで、ほとんど解決したのだった。それでも、羅砂側もすべてを信じるわけにはいかず半信半疑のようだったが、半分でも信じてもらえるだけで十分だ。

「まァ、3代目が行方不明にしろ、早とちりで修行だったにしろ、ワシは3代目の家へ行かねばならん。手掛かりがあるやもしれん、お主も来い」

 まだ疑う余地がある限り、俺を監視しておきたいのだろう。チヨバアは俺をチャクラ糸で操り、3代目の家まで引きずっていった。



 3代目宅。チャクラ糸をつけられたまま、人柱とばかりに玄関を開けさせられ、いいように操られた。
 ――中に入れども、争った形跡はない。
 やはり修行なのだろうか。そうであってほしいと願いながら、操られつつ居間に足を踏み入れた。
 半開きの扉、椅子に掛けられた普段着、台所に洗い残された食器。たった今までここにいたかのような、不気味なほどの生活感が残っている。

 ふと、居間に置かれた机を見たチヨバアが、ぴたりと糸の動きを止めた。そうして俺よりも前に出て、机の上の物をひとつ手にとった。

「……チヨ様?」

 声をかけてから、しばらくの間があいた。そうしてチヨバアは、「あのバカ者めが……」とこぼしたあと、続けてこう言った。

「3代目風影ともあろう者が、弟子の小童ひとりに負けるはずもない」

 なんの感情もこめられていないような、あまりにも淡泊な声色だった。

「修行であればそれでいい。しかし復讐であれ、小童のたわごとで終わるはずじゃろう。だが……」

 チヨバアが僅かにこちらを向く。

「――――もう、生きてはおらぬやもしれん」

 その手には、まだ中身の入った細長くて透明な薬瓶が、今にも滑り落してしまいそうなほど力なく握られていた。