古代スタートで頑張ろう   作:ぼっち野郎

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これからは月一ペースになると思います。半年後には復帰してる筈



スキマ妖怪

「んんっ! ふぁーあっはははぁ」

「あら、ようやくお目覚めかしら?」

 

 眩い溢れ日が降り注ぐ森の中、その一角で杠は目を覚ました。

 生前の杠であればこの地点で頭を抱えるだろうが、何せこれは二度目の数奇な人生、寝た場所と起きた場所が一致しないというのは別段珍しい事ではない。

 そして、今は何よりも眠い。二徹というのはまぁキツイのだ。

 

 と、言うわけで。

 

 

「んんっ。んー..................」

「......?」

「zzzzzz......」

「えぇっ⁉︎ ち、ちょっと!」

 

 再び眠りについた。眩い溢れ日も慣れてしまえばポカポカしていて安眠に最適だった。

 身体を揺らされているにも拘らず死んだように深い眠りへと堕ちる。

 

「ほ、ほんとに寝ちゃったわ。なんて奴なの......」

 

 この問いかけに応えるものはいない。杠は既にグッスリだからだ。

 

 そう、グッスリだったのだ。その筈だったのだ。

 

「............は?」

 

 一瞬だ。体内時計、太陽の位置からしても本当に一瞬の時、その僅かな間で杠が目を醒ましていた。

 それも覚めたのではなく醒めている、完全に眠気が吹っ飛んでいたのだから驚く他にない。

 

「オホン! さて、どうかしら? 快適な目覚めではなくて?」

 

 声の方向に首を回す。そこに居たのは一人の女性だった。

 金髪ロングの髪を赤のリボン複数で結び、頭の上には特徴的な帽子を被っている。服装は八卦の萃が描かれた中華風の衣服、そしてそんな服装に見合うだけの風貌を持ち合わせていた。

 

「八雲、紫.........」

「......あら」

 

 杠の台詞に対し僅かに、いや、かなり露骨に顔を歪める女妖怪。

 

 本来なら知り得ない相手の名前を呼ぶなど悪手でしかない。それも彼女のような人物なら尚更だ。

 しかし、何故か杠は呼んでしまった。その美しさに思わず声が出てしまったのかも知れないし、何らかの暗示をかけられていたのかも知れない。どちらなのかは杠には判断出来ない。

 

「まぁいいわ、後々聞けば良いもの......ん? どうされたんですか?」

 

 ふふ、と口元を扇子で隠して笑った八雲紫らしき人物。杠はそんな彼女に少しばかりの違和感を覚える。

 何というか、胡散臭さもあるのだが、杠の知識としての彼女よりも一挙手一投足が若々しい。

 此方の顔色を疑問に思い質問したのもそうだ。大人ぶるにしても些か詰めが甘過ぎる、もっと端的に言ってしまえば......そう、素直なのだ。

 

「...? なんで笑ってるの?」

「いえね、どんなに熟れた果実でも、初めは小さな青い実だったんだなー。って」

 

 杠の中の八雲紫、実在している訳ではなかった為、想像という形になってしまうが、ともかくそんな彼女の印象は"大人"であった。

 

 幻想郷の創設者にして結界を維持するという大役を担い続ける彼女、幻想郷を第一に考えるが故に多くのものを犠牲にしてきた筈だ。

 それが自身のことなのか、情のない赤の他人なのかは別として、多くの選択を迫られた筈だ。時には掬いたくても掬えずに零れ落ちた、救えなかった存在だっていた筈だ。

 そんな非情なことでもやってのけた彼女の精神は大したものである。精神が弱いと謂れ続けた妖怪では決して出来なかったことであろう。

 

 しかし、遠い未来で幻想郷の賢者と呼ばれる彼女にしても、幼く青らしい、見た目相応の女の子らしい時期があった。

 人間ではなく妖怪だったとしても、着飾る訳でもなく、柵にとらわれる訳でもなく素直に感情表現が出来ている。そう思うと、何故だか自分ごとのように嬉しくなったのだ。

 

「それってどういう...」

「いやいや、お気になさらずに。単なる戯言ですよ」

「...まぁ、貴方がそう言うなら」

 

 年相応の、気遣う事を知らない若者の腫れ物を見るような目で杠を見つめるスキマ妖怪。年相応の反応に嬉しくはあるものの、変な目で見られて若干傷ついたのは内緒だ。

 

「さて、話を戻しましょうか。さしも鈍い貴方でも現状は理解出来るわよね?」

「ええ、今さっき確認しました。酷いですねこれ」

 

 寝ぼけていた時は気づかなかったが、杠の身体にはロープが巻かれていた。脱出しようにも背中の木と結びつけられている為、間違っても逃げる事が叶わない状態である。

 

「随分と古風な手法を使うんですね。趣がないですよ」

「自覚してますわ」

「そりゃタチの悪いこって」

「話を聞いてくれれば乱暴はしません。勿論それ以外の事も」

「それじゃあ、聞こうじゃありませんか。その話ってのを」

 

 杠の言葉に彼女は待ってましたと言わんばかりの表情を笑みを作る。次の台詞を言いたくてウズウズしているようだ。

 

「貴方、私の式になってみない?」

「式、ですか?」

「そうよ、ふふっ」

 

 ドヤ顔をかますスキマ妖怪は話を続ける。

 

「知らないのも無理ないですわね。なんせこれは向こうの大陸の術式ですもの。この術式は対象の生物の筋力増加、知覚機能上昇、知能を向上させますの。それも並みの術の比ではない、軽く見積もって三倍ですわ」

「それはまた夢のような強化術式ですね、代償が酷そうですけど」

「大したことありません。この術は言わば契約、対象者は恩恵を受ける代わりに術者の命令に逆らえなくなる。逆に術者は力を使い続けなければなりませんが、その分対象者の忠誠を得られるのです。互いに利のある素晴らしい術式ですわ」

「成る程、契約ですか」

 

 契約とは双方の同意の上で成り立つものでなくてはならない。

 相手の口から自身の意思でイエスと答えさせる、つまり、寝ている間や抵抗する相手に無理やり等の荒事は使えないという事である。

 ...まぁ尤も、逃げないように縄で括るという行為自体が荒事以外の何物でもないと思う訳なのだが。

 

「因みに断るとどうなりますかね?」

「何もしませんわ」

「...本当に?」

「ええ、神に誓って」

「まさかとは思いますけど、縄を解く事すらしないって訳じゃないですよね?」

「そ、そんなまさか〜、そんな酷い事しませんわ〜。そんな女じゃなくってよ。おほほ〜」

 

 この上なく動揺している。なくってよだなんて言葉を実際に聞く時が来るとは考えてもいなかった。

 

「はぁ...交渉決裂ですね。そんな事する人に従えなんてちゃんちゃらおかしいです」

「貴方、何を......」

「よっ、と」

 

 サクッ

 

「あっ。」

「持ち物検査をしておくべきでしたね」

 

 杠という人間はどうも幸が薄いらしい。縄に縛られたりする事なんてのはしょっちゅうだ。

 だからこそ、いざという時の為に常に一本のナイフを懐に入れて持ち歩いているのだ。手捌きの程は経験数に応じた腕前とだけ言っておこう。

 

「眠気、有難うございました。それじゃあ」

 

 杠はその場を去っていく。スキマ妖怪は1分程、その場に留まる事しか出来なかったそうだ。

 

 

◇◇◇◇◇

 

「悪かったわ」

「.............」スタスタスタ

「強引で不適切な行為だった」

「.............」スタスタスタ

「ねぇ、お願いだからもう一度話を...」「しつこい!」

 

 遂に我慢できなくなった杠が声を荒げる。

 無視して歩けば進行方向にスキマを使って現れ、考え直してくれと懇願する。

 無視をやめて丁重にお断りしたとしても、また次の瞬間には同じ行動を繰り返す。

 こんな事が20回近く続いたのだ。むしろここまで我慢したのは褒めて然るべきだと思う。

 

「いいですか? 断る理由は四つ、一つは貴方を信用出来ないから。そりゃああんな事するんですから、式になったらもっと酷い待遇が待ってるかもしれない」

 

 もう一度だけ、今迄の内容を纏めて話すことにする。コレで納得して貰えなければもう無理だ。能力を使って逃げることにしよう。

 

「そんなこと......」

「しないですか? 口では何とも言えるでしょう。ただ、俺はそうは思えない。初対面で拉致されて、あんな事をされたんですからね」

「............」

「二つ目、俺には式になるメリットがない。術式による知能身体能力の効果は有れば便利ですが、喉から手が出る程という訳ではありません」

「ぐぅ......」

「三つ目、俺には既に契約相手がいます。今現在で主人と仰ぐのはあの方だけです。手を貸すだけならやぶさかでは有りませんが、契約しろと言うのは無理です」

「......それでも」

「そして最後、四つ目、貴女の心の内が分からない。信用出来ない以上に貴女が何をしたいのか、私と契約してどんな事を成すつもりなのか、それが分からないと話になりません。どうやら話す気もないようですし」

 

 杠は良心的な部類に入る人間、謂わばお人好しである。しかし、お人好し故に杠も暇ではない。

 一時的に困っている人に手を貸すのを厭わないが、目の前の妖怪の願いは期限未定仕事内容未定の些か強引なものであった。

 故に、内容さえ把握出来れば、軽い内容であれば引き受けるのだが......

 

 

「それは...」

 

 彼女は杠の言葉に渋るような顔を見せる。

 先程から内容をどうしても言いたがらない、否、もしかすると何をするのか決めていなかったのかも知れない。

 

「はぁ......もう行きますね。別の人を探して下さい」

「ま、待って‼︎ 他の人じゃダメなのっ‼︎」

「...? 俺じゃないと駄目なんですか?」

「あっ...」

 

 ハッとした表情で慌てて口を押さえるスキマ妖怪、杠でないという発言を聞くに目的がないという訳では無さそうだ。

 

「そういや何で俺なんですか? こんな人間幾らでもいますし、そこいらの妖怪の方が強いんじゃ?」

「.......」

「...そういえば互いに面識がない状態でスカウトってのもおかしな話だな」

 

 先程まで自身のメリットデメリットでしか考えていなかったが、彼女自身のメリットを考えても不明瞭な点が幾つか挙げられる。

 

 先ず、こんな人間を式にしたところで普通なら(・・・・)役に立たない。霊力も薄く、体を鍛えている訳でもない、先日村で襲ってきた男性達の方が普通に強いのだ。

 第二に、彼女との接点は全くと言っていいほど杠には存在しない。浮いた存在である等の共通点なら挙げられるものの、接点となるとからっきしである。何しろ初対面、此方が幾らスキマ妖怪を知っていようが、向こうは普通なら自分を知り得ない。

 

 にも拘らず、だ。彼女は杠でないと駄目だと言った。他の妖怪ではいけないと、こんな人間でなければ駄目だと。

 なれば、ある程度は相手の心中を探ることが出来る。いや、何を考えているかは判らぬが、杠が聞くべきことはただ一つに絞られる。

 

「八雲さん、一体俺の何を見た(・・・・・・・・)んですか(・・・・)?」

「それは...」

 

 これ以上は言葉が続かなかった。

 彼女が口を噤んだ訳ではない。杠が彼女を押し倒したからだ。

 

 

 瞬間、烈風が周囲を切り裂く。

 

「あ...え? なに、が?」

「クッ、そ。遅かったか......」

「...!? 貴方、血がっ!?」

 

 スキマ妖怪の衣服、ひいては顔に水滴が落ちてくる。紅くて鉄臭いあの水滴が杠の背中から止め忘れた蛇口の如く溢れかえっている。

 

「おーおー、まさか躱すとはな。へへっ」

「コイツら......」

 

 彼女が忌々しく見つめる視線の先、そこには鬼の集団が佇んでいた。

 ただの鬼ではない、劣悪で、残忍で、下品で、絵に書いたような悪鬼、あのスキマ妖怪がコイツと称している、といえば酷さが伝わるだろうか。

 そんな十数匹の鬼の集団が、ケタケタとこちらを見ながら笑っている。

 

「何しに来たのよ、それと何のつもり?」

「おいおい、そりゃねぇだろ? こっちはお前をやっと見つけたってのによ。ゲハハハハッ!」

 

 リーダー格の男鬼が一歩前に出て返事を返す。顔もそうだが品が悪い笑い方、腰には何も巻かず逸物が露わになっており下品極まりない。同じ鬼でもかつての鬼子母神とは大違いであった。

 

「...あの小汚い鬼とお知り合いで?」

「...⁉︎ 無理して身体動かしたらっ!」

「大丈夫ですから、それより彼奴らの情報を」

「...前から私の能力を、いいえ、私を狙ってる最低の妖怪達よ」

 

 認めたくはないが、といった様子で杠に告げる。

 

「人聞きの悪いこと言うなよ。ちょーっとアンタの能力を借りるだけだって」

「よく言うわ。夜半に襲って来たの、まさか忘れた訳じゃないでしょうね?」

「アレは仲間が勝手にやったんだ。俺に言われても困るんだよ。ただまぁ、アイツらの気持ちが分からんでもねぇがな。何しろ稀に見る上モノ! さぞかしイイんだろうよぉ!」

「チッ、下衆が......」

「おお、怖い怖い。綺麗な顔が台無しだぜ」

 

 舌打ちしながらも鬼の集団も睨むスキマ妖怪、その視線には憎悪と共に侮蔑の感情が込められている。

 しかし、それに怯むことなく鬼達はケラケラと笑い続ける。

 

 鬼達は確かに強い。種族的にもそうであるが、単体として、個体値という意味でも彼等は間違いなく戦闘能力が高い。

 先の術、妖力、筋肉の付き方、そして己の直感を鑑みると強さは大神達とほぼほぼ同等、隣の女妖怪が実践で動けるか判らぬが、普通に戦えば苦戦は免れないだろう。

 

 だが、それだけではない。鬼達は何かを持っている。

 そもそも、スキマ妖怪にとって逃走なぞ赤子の手を捻るより楽な筈なのだ。

 敵は未だ臨戦態勢に入っていない、ならば足元にスキマを開くだけで解決する。鬼達も彼女をスキマ妖怪と呼応するのだから知らない筈がない。

 しかし彼女は逃げないし、鬼は逃げる事を視野にも入れていない。鬼達が余程の頓珍漢だとしても、それでは紫の逃げない理由が分からない。

 

 彼女の焦燥と鬼達の余裕、本来逆になる筈のその感情。その正体を考える杠であったが、答え合わせの時は意外にも早く訪れた。

 

「にしても、クククッ、あんだけ手を焼かされた女がっ、まさか人間で釣れるたぁ思ってもみなかったな! ゲハハハハッ!」

「......紫さん、どんな事情だか分かりませんが、俺の事は結構です。ですから一人だけでも逃げてください」

「......違うのよ」

「...?」

「貴方を運ぶのなんて造作もない。けど、違うのよ。それじゃあ......」

「おーおー泣けるねぇ、でも残念だな人間クン、俺が釣った人間ってのはな。こういう事なんだよ」

 

 鬼のとった行動は簡単、先程の烈風の術を杠の左(・・・)に向けて放っただけ。

 

 その烈風は突如現れたスキマによって吸い込まれていく。

 

「そうかそうか、やっぱ庇うよなぁ! そんなに人間が、そこまで村が大事かよぉ!」

「...次やったら殺すわよ」

「はっは、無理だね! そんな事をしたら俺の部下達が一斉に村を襲いに行く。この数を一気に制圧するのは無理なんだろう?」

「ッツ! どこまでも...!」

 

 杠は全て理解した。

 彼女がここまで粘る理由も、何故自分でなければ駄目なのかも、何故進路を塞ぐように、誘導するかのようにスキマで勧誘してきたのかも

 

 彼女が何を庇ったのかも

 

「しっかしアレだな、どうも上下関係ってのを分かってないらしい。んー......仕方ない。お前が良い子ちゃんなら無事で済ますつもりだったんだがな。おい、連れてこい」

「へぃ!」

 

 そんな優しく、どこまでも人間想いな妖怪の弱みに付け込むよう、鬼達は更なる下衆な手段に出る。

 

 現れたのは少年だった。どこまでも普通な10歳くらいの少年だった。

 彼女はそれを見て血相を変えた。

 

「颯太ッ!? どうしてっ!」

「お、お姉ちゃ...‼︎ んぐっ‼︎」

「おっと、こいつは偶然にも知り合いだったか。ハッハー、運が良いぜ」

 

 颯太と呼ばれた少年の口を覆うように鷲掴みにし、それを持ち上げる。鬼と人間の子供では力の差は歴然、幾ら手足をバタつかせようが鬼はビクともしない。

 

「止めてっ‼︎ その子は関係ないでしょう!?」

「関係あるんだよ。スキマ妖怪が気に入ってる村、そこの子供ってだけでじゅーぶんな」

「アンタ達、ホント良い加減にっ‼︎」

「おいおい、さっきの話聞いてなかったのか?」

「か、ぐぁ、ああぁ」

 

 顔の次は首だった。少年の顔面は一瞬真っ赤になったが、その直後には真っ青なものへと変わっていく。口からは泡がブクブクと溢れていた。

 相変わらず鬼はヘラヘラしている。

 

「いいか、お前が逆らうってのはこういう事、そしてその見せしめがこれだ」

「......分かった」

「ん?」

「手を貸すって言ったのよ。何でもする。身体だって、能力だって、どんな事だってしてみせる。だから、だからっ!」

 

 縋るように涙ぐんだ声で、深く深く頭を下げて鬼に頼み込むスキマ妖怪、それを見た鬼は優越感に浸った表情でニヤニヤと目線を送る。

 この上なく吐き気を催す光景だ。癪に触る。

 

「そうか、分かった」

「じゃあ......」

「ああ、お前の意を汲んで......ガキだけで勘弁してやるよ」

 

 そして、拍車をかけるように衝突音が響く。

 

「...は?」

「...え? そん、な。どうして...?」

 

 二人とも目の前の現象を理解出来なかった。いや、理解はしているが、それを受け入れるのに幾らか時間が必要だった。

 

 叩きつけたのだ。無抵抗の子供を、もはや無意味な人質を使い捨ての如く地面に叩きつけ、それを足蹴にし始めたのだ。

 気絶させられた状態で地面への衝突、当然受け身など取れるわけがない。腕はおかしな方向へ、口から溢れる泡には血が混じっていた。

「まーた勘違いしてやがるな? 見せしめ、っつってんだろ。このガキだけで今までの無礼を許すって事、分かる?」

「テメェ...」

 

 かつてない程の殺意が全身を駆け巡るのを実感した。

 少年が一体何をした?彼女が何をした?仲を持つのが駄目だったのか?お姉ちゃんと、颯太と、そう呼び合うだけで半殺しにされなければならないのか?

 

 否だ、違う、悪いのは鬼だ、殺すべき悪はあの下衆共だ。

 

 杠の身体に力が入る。出来るとか出来ないとかでは無い。このクズ共には制裁を入れなければならない。

 だが......

 

「...あ? え?」

「...!? おいっ!! しっかりしろ!!」

 

 隣のスキマを見た瞬間、身体の力が抜けていくのが分かった。

 明らかに混乱していた。目も虚ろ、思考は濁り返答は曖昧だ。かなりの精神状態である事は間違いない。

 

(落ち着け、焦るな)

 

 スキマという保険が使えない。その事実が杠からあらゆる熱を奪っていった。

 此処で失敗すれば少年は死ぬだろう、スキマ妖怪は下衆共に嬲られるだろう。それは駄目だ。死んでも許さない。

 だからこそ、己の身勝手な感情に任せてはならない。準備をし、確実な手を使って少年を助けなければならない。

 

(何を作ればいいのか、どうすればいいのか、考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ......)

 

 自らを落ち着かせる暗示のように何回も何回もボソボソと呟く杠、だが.......

 

「さて、お別れだ」

 

(嘘だろ...⁉︎)

 

 現実は何も杠優斗を中心に回る訳ではない。

 準備を万全に行おうとする杠に構うことなくタイムリミットは迫る。頭を潰さんと鬼が足を大きく上げたのだ。

 

 憑依能力は間に合わなかった。スキマを創る妖怪もほぼ使い物にならない。

 

(......もはや賭けだな)

 

 確実な手段を考えた手前でこんな手段を取る事に罪悪感を感じるが、幾分か冷静になっただけ儲け物だと嘲笑する。

 即興も即興、杠は1秒であるモノを創り出す。見た事がない、聞いていたとしても大雑把にしか知らない、その程度のモノを。

 経験上では成功確率が3割、チップは自分の命、部の悪い賭けだが乗るしかない。

 

 自分のものならいざ知らず、他人の命を捨てるなど、絶対に許さない。

 

 

 曰く、動物が最も油断する瞬間は獲物を狩る瞬間らしい。

 

 この台詞を発したのは誰だったろうか。偉人だっただろうか、漫画の中の話だったろうか、少なくとも狩りの鉄則に関して述べた言葉だったのは覚えている。

 蹂躙であろうと生死のやり取り、どんな相手だろうと精神はそこに集中し、他の確認をおろそかになる。そう考えれば成程理に適っている。

 つまり、幸か不幸かこの瞬間こそが相手を出し抜くのに最良なのだ。

 

「じゃあ、あの世で元気に......なんだ?」

 

 コツンと、何とも可愛らしい音が響く。

 投擲とは程遠い、ただただ相手に投げてぶつけるだけの行為。

 肩の肉が抉れてなければ少しばかり上手くいっただろうが、こんな状態ではキャッチボールの速度以下だ。

 

 だがそれでいい。暴発を防ぎ、何より鬼達をM84へと、スタン(・・・)グレネード(・・・・・)へと釘付けに出来たのだ。

 

 

 割れんばかりの光と音が放たれる。

 

「ギャァァァァァ⁉︎」

(よっし伸った!)

 

 効果覿面、鬼達は等しく目元耳元を抑え転げ回る。

 杠は走り出すと同時に催涙グレネードも投げ込む。こちらも無事作動、そうとも知らずに息を吸い込んだ鬼達は先程よりもさらに悲惨な状態だ。

 

 杠が取るべき行動は単純、敵への攻撃を度外視して少年へと走る事だ。

 拳銃やナイフなどでは鬼達に傷付かない。理由は鬼子母神の前例があるからと曖昧であるが、少なくとも杠には鬼達の皮膚を貫く鋼や鉛の姿は想像出来なかった。ならば其方に構う必要などない。

 

 少年の元へと辿り着く。五体満足とは言えないが、呼吸もしており命に別条はない。死ななければ安いのだ。何とでもなる。ならば、それより先にやる事がある。

 

「紫さん‼︎ 颯太くんよろしくっ‼︎」

 

 少年を何とかして抱え、遠心力による反動をつけてスキマ妖怪へと放り投げた。

 何もスキマでキャッチと都合のいいことを考えていた訳ではない。彼女は混乱中、キャッチですらままならない状態なのだ。

 だから投げた。少々手荒だがスキマ妖怪をクッションとすべく大きく放り投げた。

 

「あ、え!? ちょっ!?」

 

 小さな悲鳴、ボスッ、といった優しい音が杠の耳に届き杠は安堵する。

 混乱状態だった上にいきなり煙から少年が飛び出したのだ。それを案の定キャッチ出来たのだから大したものである。

 

(あ、こりゃダメだ。)

 

 その場にへたり込んだのと同時に、蔓延っていたガスがリーダー格の使った妖術で霧散した。霧払いは鳥の専売特許ではないらしい。

 

(あぁ...いってーな......)

 

 身体も限界を迎えていた。

 出血多量による貧血、重ねて傷口を剥き出しで催涙ガスに飛び込んだ事による膿み、さぞグロテスクな事になっているのだろう。お陰で立ち上がる事すらままならない。

 

「やってくれたなテメェ...‼︎ クッソがぁ‼︎」

「ゴフッ...!?」

 

 青筋を立てたリーダー格の蹴りが炸裂する。高校生の平均体重ほどある杠の身体が軽々と吹き飛ばされ、背後の木に激突した。

 

「ああ、気が収まらねぇ。テメェは細切れにして炒めてから喰ってやる‼︎」

 

 どんな喩えだよ、と笑いたくなるが、どうも相手は本気らしい。腕に溜め込んだ異常な妖力を鑑みれば可能であろう。

 身体は最悪、貧血と背中の怪我に加え、腹の骨が今のでダメになった。逃げるにしても匍匐前進すら出来そうにない。

 

(まぁ、コレはいいかな)

 

 しかし杠は笑った。嘲笑した。

 

(ザマァみろ、人間に一杯食わされるのはどうだ下衆野郎)

 

 何とか身体を起こし、死にやすい体型を探る。細切れになるなら体育座りでいいだろうか、そんな適当な調子のまま自分の死を他人事のような待つ。

 

「っざっけんじゃねぇぞぉ‼︎」

 

 杠の無気力な態度に鬼が激怒する。

 彼も身勝手なものだ。自分が望んだ反応以外をされると癇癪を起こすなど、余程伸び伸びと生きてきたのだろう。或いは育ての親が甘かったのかも知れない。

 

「死に晒せぇ‼︎」

 

 遂には烈風が発せられる。

 妖力は充分、間違いなく致死量を満たしている。恐れる事はない、痛いのは一瞬、それだけで復活出来る、そして、それが奴らの最期となるだろう。

 杠は目を瞑りその時を待つ。自分のスプラッタな光景は勘弁願いたいのだ。

 

 しかし......

 

ドゴォ!!!!

 

「………うん?」

 

 聞き覚えのある爆音が辺りに響き渡る。コレは...そう、この世界に来て間もない頃、地面から家が生えてきたときの音だ。

 

 目を開けると視界一面に広がるのは白、純白で穢れを知らない神々しい色、それが地面から天に伸びていた。

 そして、そんな特徴に当てはまるモノを杠は知っていた。

 

「おいおい鬼風情が、私の恩人に何してくれるんだよ」

 

 幼女の白けたような、つまらなさそうな声が虚しく響く。そして......

 

「おい、ちょっま...‼︎」

 

 断末魔など叫ばせる間もなく、鬼達は白蛇の腹に消えていった。

 

「...........」

 

 呆気ない、今のはその一言に尽きる。

 十数匹の鬼達、杠が出し抜くのに手一杯だった彼らを有無を言わさず一瞬の間に殺してしまう。

 神という存在が身近過ぎて失念していたが、神とはやはり恐ろしく圧倒的な存在であったのだ。

 

「いよっ、と」

 

 余りの出来事にその場で呆けていると、白蛇の上から幼女が飛び降りてきた。言うまでもないがカエル帽子を被った幼女が、だ。

 

「さて我が恩人よ、無事かい?」

「こんな傷なんですけど無事に見えます?」

「そんな態度だと無事に見えるね」

「痛くて泣きたいけど我慢してるんですよ、察してください」

「まっ、そんだけペラペラ喋れりゃ大丈夫だ」

 

 ハハッ、と諏訪子は軽く笑う。

 拍子抜けというか何というか、こんな適当な会話をしていると先程まで死に掛けてたのが嘘のようである。

 まぁ尤も、現在進行形で杠も多少は死に掛けているのだが。

 

「立てるかい?」

「無理です、肩を貸して......ああ、失礼」

「んなっ!?」

「だって......ねぇ?」

「神様舐めるなよガキンチョ、私が本気を出せば...こうだっ!」

「おお? おおー」

 

 パチンッ! と指を弾くと煙が発生、その中から出て来たのはカエル帽を被った女性、ボンッ、キュッ、ポンのナイスバディなお姉さんだ。

 

「んん? なんか反応薄くないかい?」

「いやー、既視感が拭えないというか、大人諏訪子はテンプレというか」

「...? まぁいいや、ほれ、肩貸してやる」

「あざ...イダッ!? もすこし優しくっ!」

 

 背中の激痛に我慢しつつ身体を起こす。立ち眩みが酷いが気絶するような状態でもない。諏訪子に頼みスキマ妖怪のいる場所へと案内してもらう。

 

「あちゃー...」

「この小娘とは知り合いかい?」

「当たらずとも遠からずですね。しっかし、こうも見事に......」

 

 杠と諏訪子、そしてミシャクジの見つめる先には泡を吹いたまま三点倒立をするスキマ妖怪の姿があった。

 そのポーズで出来た背中と地面の隙間、そこ少年が挟まってる事から "少年を守ろうと思ったものの、巨大な蛇にビビって気絶してしまった" という背景がありありと想像できる。ある意味この時代の彼女らしい有り様だ。

 

「......っよし全快!」

「傷が治る神具なんて中々貴重なモノを持ってるじゃないか。ホントなにもんだい?」

「出雲の遣い。ずっといってるじゃないすか」

「あー、はいはい。そうでしたそうでした」

「やっぱり信じてませんね!?」

「ほら、無駄口叩いてないで神社に運ぶんだろう? さっさとしなよ」

「ぐぬぬ...」

 

 意欲の慈愛で治療で杠は全快、スキマ妖怪と少年は目覚める事がなかったが怪我は完治している。

 諏訪子が少年を、杠はスキマ妖怪を抱え込みながら無駄話と共に諏訪神社へと戻ったのだった。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

.......................

 

 

"ねぇ■■■、そろそろ時間みたいよ"

 

"結局今日もロクな事をしなかったわね。こんなんでいいのかしら?"

 

"まぁまぁ、たまにはこういう日があってもいいじゃない"

 

"偶にじゃないから不安なのだけれど......というか、博物誌このままだと間に合わないわよ?"

 

"ええ!? ちょっと■■■! 何とかしてよ!"

 

"その為に今日集まったって説明したでしょ? それなのに■■ときたら....."

 

"え、ええと......"

 

"まぁいいわ、次までにもう少し努力してみる"

 

"■、■■■...! 流石私の大親友!"

 

"ただし! ■■も少しはネタ考えとくこと。真面目にお願いね!"

 

"分かってるって! 任せてよ!"

 

"もう......まぁいいわ。時間も無いみたいだから今回は帰るわね。次はいつになる事やら"

 

"あ、身体には気をつけてね。怪我もそうだけど、変な奴に捕まらないように!"

 

"はいはい"

 

"......無事に、逢えるよね? また夢の話、聞かせてくれるよね?"

 

"心配しすぎ、大丈夫よ。約束する......それじゃあ■■、またね"

 

"......うん。■■■のこと待ってるから。またね"

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

「......また、この夢を」

 

 別段これといった特徴のない、この時代の神様が好みそうな和室、そんな部屋でスキマ妖怪は目を覚ました。

 

 夢を見る。私ではない、向こうの世界の彼女のお話。

 いいや、親友と馬鹿みたいに騒ぐのが本当の私で、妖怪に追われる妖怪が仮初めの彼女なのかもしれない。何方が現実で何方が虚構なのか、彼女は未だにその答えを出せずにいる。

 

(ここ、どこだろ?)

 

 物思いに耽るのも良いが、まずは現状の確認を優先する。未だに混濁している頭をフルで使い記憶を呼び起こす。

 杠優斗を勧誘し、断られながらも村へと誘導し、そこで鬼達に見つかり、優斗が怪我を負い、颯太が人質に取られて、それを優斗が解放し、白の蟒蛇が......

 

ゾワリ

 

 あの赤い眼、絶対に敵わない強者のいつでも殺せるという意思を秘めた深い瞳孔、それを思い出した瞬間、悍ましいような寒気が身体中に広がる。

 冗談抜きにアレはヤバかった。鬼なんかどうでも良くなる程で.......死を覚悟した。あそこで気絶したのは一種の防衛本能だと言われても納得が出来る。

 

「............颯太」

 

 あまりの恐怖ゆえ再び気が動転しそうになる。そんなスキマ妖怪を冷静にさせたのは、右隣で寝ている少年の姿だった。

 明後日の方向に折れていた腕も、肋骨辺りの骨折も綺麗に治っている。横に置かれた水桶、紫の額に置かれていたお絞りから察するに少年が看病をしてくれていたのだろう。

 

「......ありがとうね」

 

 乙女のような、母親のような、少なくとも妖怪に似つかわしくない笑顔でそう呟き、優しく少年の頭を撫でる。

 

「お、目が覚めたかい」

 

 少年の頭を優しく撫でていると、襖の開く音と同時にカエル帽の幼女が入ってきた。

 

 勿論覚えている。杠優斗と共に畑にいた神、蟒蛇達の長だ。

 蛇達の赤目も鮮明に憶えているが、あの時彼女が発した冷たい声も忘れられそうにない。この刺激は少々早過ぎたらしい。

 ただ、意外な事に恐怖はない。幾ら怖かろうと見た目は幼女、畏怖を抱くのが馬鹿馬鹿しくなったのだと、そう自己完結する事にした。

 

「ええ、お陰様で。ご迷惑を掛けて申し訳ありませんわ」

「なに、私がやったのは場所貸しと君達の運搬だけさ。礼ならそこの子と優斗に言うんだね」

「そうですか...いえ、それでも貴女に助けられたのは事実です」

「律儀だねぇ、妖怪らしくもない」

「よく言われますわ」

 

 洩矢諏訪子の話によれば、颯太は1日ほど、スキマ妖怪は3日ほど目を醒ますのに要している。どうにも彼女だけは魂が抜けたように目を覚まさなかったらしい。

 諏訪子は生きていると分かっていたものの、少年二人はこの上なく動揺してオロオロしていたようだ。特に杠は見知らぬ薬品を沢山持ってきて無理矢理口に詰め込もうとしたとか。

 

「それで、優斗は?」

「この子の村に行ってるよ。農業やってる」

「何か仰ってました?」

「えっとね、"しょうがないとはいえ、契約で縛らないと裏切られるって思われたのは正直傷ついた" だっけかな?」

「......騙し騙され利用し利用される。人間と妖怪なんてそんなものでしょうに」

 

 彼は変わっている。

 自分で言うのも何だが監禁まがいの事案を起こし、そのしつこく追い回した妖怪だ。

 そんな相手に傷付いた、と彼は言うらしい。恨み辛みでもなく傷付いた、と。仲が良いのが前提と言っている様にも聞こえて、それが非常に滑稽に思えた。

 

「それを私に言われてもねぇ......あ、そうだもう一つ伝言」

「???」

「"いきなり契約は重いので、まずはお友達から始めましょう"  だとさ」

「......そうですか。優しいんですのね、彼は」

 

 前言撤回だ、彼はとことん変わっている。どこまでも滑稽なのは変わりないが、やはり変人の類である。

 

「本人は仕事だからって言ってたけど、やっぱりそこがあの子の美徳なんだろうね.......でもまぁ」

「ええ」

「「友達はないよね(ですわね)」」

「......ぷっ」

「「あはははっ!!!」」

 

 あまりの可笑しさに二人で声を揃えて笑う。

 こんなに笑えたのは何年振りだろうか。遠い世界でしか久しく味わえていなかったこの感覚、何処か空虚だった中身を満たすのが分かる。

 

「ううん、おねぇ、ちゃん?」

 

 二人で笑いあっていると、隣で寝ていた少年が目を擦りながら身体を起こす。

 

「ああ、起こしちゃったな」

「ん......もういいの?」

「ええ、貴方の看病のお陰よ。ありがとうね」

「......よかった」

「おっと、もう......ん?」

「Zzzzzz......」

「まぁ」

 

 颯太が妖怪に抱きついて5秒、再び颯太は寝息を立て始めた。

 寝ていても手の力は強く、がっしりとしがみ付いて離れそうにない。二度と離さないという意思の表れなのだろう。

 

「さて、そろそろお暇致しますわ」

 

 少年を抱っこする様に抱え立ち上がる。

 衣服もいつの間にか綺麗になっているのは妖怪の特権だろう。便利なものだ。

 

「なんだい、別に遠慮しなくてもいいんだよ? せめてこの子が起きてからにすれば?」

「いえ、この子の親も心配してるでしょうし......何より神社に妖怪がいたらマズイでしょう?」

「誰もこんな山の上に来たりしないよ。それに、私は妖怪が嫌いだけど人間らしい妖怪は大好きなのさ」

「変わった趣向をお持ちで」

「人間好きのアンタが言えた事じゃないだろうに」

「ふふ、違いないですわ」

 

 指先で虚空をなぞりスキマを展開、歩けば少々骨の折れる距離だがスキマの中なら一瞬だ。

 

「ああ、最後に」

「?」

「名前くらい教えてくれても良いだろう? 因みに私は洩矢諏訪子、アンタは?」

「うーん.......そうですわね.......」

 

 実を言うと彼女に名前はない。

 気付いたら草原に一人、名乗る必要もなれけば名前も必要なかったのだ。他には真似出来ない珍妙な能力の為に"スキマ妖怪"と呼応されてはいるが、名前とは違うジャンルなのだろう。

 因みにあの村の住民は揃ってお姉さんや姐さんと呼ぶ。何故だろうか。

 

(思えば奇妙な縁ですわね.......)

 

 思い浮かぶのは件の少年、そして彼が私に告げた名前。

 アレは彼女の偽名(ペンネーム)、こんなちっぽけな島国で横文字を使って名乗るのは馬鹿馬鹿しいと、そんな皮肉で考えた名前だった。

 そして皮肉な事に、今の自分にこれでもかと言うほど当てはまっていた。

 

 本当に運命というのは奇妙なモノだと、そう思う。

 自分が少年に出会うのも、彼があの名を名乗るのも、そもそもこの地に降り立ったのも運命なれば、ここで名乗るのも必然だったのかもしれない。

 

「八雲紫、と名乗らせて頂きましょう。お気に入りのペンネームですわ」

「そうかい。んじゃ、優斗に宜しくね、紫」

「ええ、では」

 

 八雲紫は消えた。現と夢の境界が初めから曖昧だったかの様に、初めからその場には何も存在しなかったかのように。

 

「......ペンネームってなんだろ?」

 

 そんな問いに答える者は神社の何処にも居なかった。

 

 

 所変わって後背湿地の集落である瀬敷(せじけ)村、金髪の幸運を齎す妖怪が訪れると噂されるこの村の畑には、一人の少年がトラクターに乗りこなしていた。人払は済ませてある。

 

「…………ふぁああぁ」

「お疲れ様です」

「ああ、疲れてますよ...ってうぉ!?」

 

 背後からの声に驚いた少年が振り向くと、そこには噂の金髪の妖怪が顔を、顔だけを出していた。生首である。

 

「その、お世話になりましたわ。あんな無理強いして、庇っていただいて、更には畑まで手入れしてくださるとは.....」

「そんなお気になさらず、これが生きがい兼仕事みたいなもんですから。それで、もういいんですか?」

「ええ、貴方のおかげで二人共全快です」

 

 ほらこの通り、と言いながら胴体に引っ付いた颯太少年をスキマから出す。見たところ健康状態は問題なさそうだ。

 

「実は......貴方にお願いがあって来ましたの」

「式神はお断りですよ?」

「それは勿論、アレに関しては海よりも深く、山よりも高く反省しております。そもそも、私としては村さえ救えれば良かったですから」

 

 契約で縛らなければお願いも聞いてもらえない。

 最初は何を馬鹿なと思っていたが、あの鬼集団を目にした後では考えも変わってくる。あんなのに追い回され続けてたのだ。ある意味当然とも言えよう。

 

「それで? お願いってなんです?」

「ええっと、その、ですね......」

 

 どうも言い辛い事柄であるらしい。首だけだがモゾモゾしているのがよく分かる。

 中々言い出さず、覚悟を決めた表情を浮かべたのは1分程経過してからだった。

 

「お友達に、なって頂けないかなと......えへへ」

 

 茹でタコのように顔を真っ赤にしてはにかむ紫、友人関係は成立していると思い込んでいた杠はまさかの告白に一瞬戸惑うが、紫の返事を待つ不安げな表情で我に返る。

 ここまで来れば後は簡単だ、悩むまでも無く答えは決まっているのだから。

 

「ああ、これから宜しくね、紫」

「...‼︎ ええ、お願いしますわっ‼︎」

 

 スキマ妖怪八雲紫は、純粋無垢な笑顔で返事をしたのだった。




文章の隙間を弄ってみました。どっちの方が見やすい等の意見があれば是非是非お願い致します。

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