正道ではなく。アストレイ物語   作:ファーファ

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逸れる正道。入るは邪道

 C.E.55年。第三次世界大戦―再構築戦争終結46年後。

 誰もが戦争を嫌悪し、そして誰もがされど戦争は起こるだろうと予感するなかで始まった新暦は、不穏を孕み乍らも未だ平穏を保っていた。

 11カ国に分裂した世界は、『最後の核』の反省からか未だ大規模な衝突は起きていない。

 飢餓も、貧困も、紛争も。決してこの世から無くならなかったが、世界を薄氷のような平和が覆っていた。

 

 しかしその薄っぺらい平和には破綻が迫っている。

 正確に言うなれば破綻が顕在化し始めた。

 

 C.E.55年10月29日。

 11カ国のどこでもない、宇宙のフラスコの中の一室フェブラリウス市で。多くの人類を苦しめたS2型インフルエンザウイルスに対するワクチンが開発された。本当ならば人類は歓喜の声を上げただろう。いや確かにそれに対し喜び救われた人々は多くいた。それこそ何百万人もだ。

 だがそれ以上に何億もの人々が猜疑と怨嗟の念を零した。そして声高に叫んだのだ。

 

 彼らがワクチンを開発できたのは当然だ。何故ならばウイルスを開発したのも又彼らなのだから。見てみろ、ナチュラルだけが死に。コーディネーターだけはこの病では死なぬ。これが動かぬ証拠ではないか!

 

 

 今や元々燻っていた反感が野火の如く世論に広がる様相を見せている。

 C,E15年のジョージグレン氏の告白以来続く遺伝子論争。それが倫理論争の枠組みを飛び越えようとしているのだ。ナチュラルとコーディネーター。この今まで存在しなかった垣根を両者が明確に認識し始めた今。遺伝子問題は人種問題へと発展する兆しを見せていた。

 

 

 

 物語はそんな不穏な時代から始まる。

 舞台は混迷の世界の中比較的平穏を保つ島国。

 主役はそこを統治する一族の者の一人。

 悲劇か喜劇かは未だ分からず。分かることは最高の劇には激動が求められていることだけだ。

 

 

 

 

 

 

 島国の一室。広々とした部屋の中で一人の少年が黙々と、この時代には珍しい新聞を読んでいた。そんな時代遅れの新聞の一面には、大きな活字と共に昨日の事件をセンセーショナルに書きたてている。

 

『「遂に加盟国間の全てにおいて子に対する遺伝子調整が禁止に」

 正式名称「遺伝子改変禁止に関する協定」通称トリノ議定書が採択され各国の法整備が進んでいた中、先日大西洋連邦最高議会が禁止法案を成立させたことで、加盟国の全てにおいて子に対する遺伝子操作が違法化された。

 これにより非加盟国やプラントの一部を除いて全世界で遺伝子操作が禁止される形になる。人権配慮を理由に議論が紛糾していた大西洋連邦議会が同法案を通過させた背景には、昨今のコーディネーターに対する世論の硬直化が理由として挙げられている。

 しかしながら最高議会議長E、ターナー氏は議会の中で『これは未だ謎が多い遺伝子操作分野が、安易に人々に施されないことを目的にする議決であり、既に今社会で生きる彼ら、通称コーディネーターを迫害する目的ではない。これは国連協定も又同様に同じである』と述べ、同疑惑を否定した。だがこれからの彼らコーディネーターに対する……』

 

 以降も読者の興味がそそられる様な文面が続いている。

 少年は途中から嫌気が刺したのか、溜息を一つ漏らすと眼の前のテーブルに新聞をぽいと投げた。

 うーんと伸びをしていると部屋に一つしかない扉が開けられる。

 すると一人の女性、二十代のスーツ姿の出で立ちをする人物が入ってきた。

 金髪碧眼の、この国には珍しい典型的なゲルマン系の特徴を擁している人物であった。背も高く、隙の無い顔つきは切れ者を思わせる。

 そんな彼女は投げられた新聞を見ると眉を潜める。

 

「また態々紙媒体でお読みになっているのですか。いい加減タブレットを使ったらどうです。片付けるのも又、面倒なのですよ?」

 

 呆れ乍ら少年が放った新聞を見やる。神経質な性格なのだろう。細い眉がすぐさま顰められた。

 それに苦笑いしながら少年は返した。

 

「タブレットじゃあ読んだ気がしないのさ。活字だとダイレクトに頭の中に入ってくる気がする」

「人が宇宙に行っている時代に西暦の老人の様なことは言わないでいただきたいです」

「宇宙に行ったって人の心理は変わらない」

 

 悪びれずに言い切られると、女性は先程の少年の様に溜息を零した。

 そんな彼女を他所に彼は入室してきた理由を尋ねる。女性も気を取り直し、顔を強張らせ、そして興奮に幾分か顔を紅潮させて報告した。

 

「研究所関連の株は粗方売り切りました。原価の100倍時点での売りですから、当然つぎ込んだ資産も同様に」

 

 脇に持っていた資料は、フェブラリウス関連の株が捌けおわったことを示していた。

 記されている数字は太平洋連邦が旧世より使っている単位で50万$。今は亡き東洋の島国の通貨に無理矢理均すなら5000億相当。一介の児童が抱える額とすれば破格だ。

 そんな天文学的数字を知らされた本人は驚くわけではなく、安堵の息を漏らした。

 

「これでまだ事業が続けられる…」

「驚愕するでもなく自身の道楽の心配ですか。少しは驚いたらどうです」

「残念ながらこれより一桁大きい数を父から帳簿上とはいえ見せられてるからね。今更さ。それにあれは道楽じゃない。いつかあれがこの国のヒーローになる」

「光の巨人になって守ってくれるとでも?」

「そこまで有能にはなれない。まあ僕の頼りになる秘書ぐらいには役立つね」

 

 ちらりと彼が女性に視線を流してみれば、興味なさげに返される。事実大して興味がないのであろう。報告が終わると別の案件をすぐさま持ち出す。

 

「報告は以上です。後、そろそろお時間かと」

「うんっと、確かに」

 

 ポケットから端末を取り出し彼も確認した。女性にとっては非常に不思議なことに、この少年は時々古風な趣味を持ち出す癖にこうやって先進機器を取り扱ったりもする。更にそれが興じてあの訳の分からない事業に投資もしているのだから、二枚舌と評するに他ない。

 まあ嘘つきというよりも、古風な趣味はただの格好つけだろう。事実密かに新聞を読む自身の姿を鏡で確認しているのを彼女は眼にしたことがある。

 

「それじゃあ行くかな」

「お気をつけて」

 

 少年は立ち上がると部屋を出ていこうとする。

 そんな主人に軽く礼をすると、彼が散らかした新聞を手に取ろうとし、彼女は思わず手が止まった。紙面に躍る文字が眼に入ったのだ。

 

「気になる?」

 

 年齢に見合わない目ざとさを持って、いつの間にか立ち止まっていた少年が語り掛けてきていた。

 

「自分にも関係があることですので。興味が無いかと言われれば嘘になりますよ」

「……無粋な質問だった」

「いえ、ですがこれからどうなるのでしょうね?」

 

 何気なく聞いた。十代前半の児童に尋ねる内容ではない。だが長いとは言えないがそれなりの期間付き合ってきて、少年がそれに答える能力が有ることも、悪意を込めようとする偏見が無いことも理解していた彼女は聞いた。

 

「間違いなく荒れる。30年代の寛容論なんて今やどこ吹く風だ。人権保護を謳う大西洋連邦さえ規制に踏み出した。一歩踏み出してしまえば後は直ぐだ。転がるようにコーディネーターは西暦における太平洋の黄色人種か、南アフリカの黒人になるだろう」

 

 苦みばしった顔で少年は断言した。希望で慰めず予測される現実を突きつける。

 予言は厳しい物で、そして正しい物だろう。彼女もその未来がありありと見える。

 そんな暗い未来を語る中でも少年の瞳は輝いていた。その眼でじっと女性を見つめる。今度は彼女も見返した。視線が交錯する中、先程よりも強い口調で彼はまた断言する。

 

「それでもここは違う。ここは最後まで何者も受け入れる。ナチュラルもコーディネーターも。穏健派も過激派も。排斥主義者も博愛主義者も。ここではその人が『オーブ』と名乗る限り受け入れられる」

「本当に?」

 

 輝かしい思想を前にしながらも、女性は安心することなく問いかける。眩い思想。それが唯の少年が造りだした砂糖細工なのではないかと投げかける。

 

「この島は箱庭だ。思想信条人種で中の住人が争える程広くない。箱庭の管理者の一員としては、そんなことで箱庭が荒らされるなんて容認できないさ。それこそ欲と責任に塗れた大人達なら尚更だ。だから安心して信じてほしい。僕らの利己心と、要らぬ責任を持ちたがる虚栄心をね。セシリア」

 

 にやりとした笑い。

 最後の最後に茶目っ気さを含ました回答をする彼に、セシリアは不安を籠めて息を吐いた。

 嬉しさに頬がこぼれない様に気を付けて。

 

 

 

 

 

 

 

 日暮れ。オノゴロ島の山々に夕陽が吸い込まれようとする中、一棟の建物の前に少年はいた。

 この建物は中心街からは随分と離れた場所にある。設備と広さの確保を最優先にした結果、地価が安い離れに落ち着いたのだ。

 そんな場所に居る彼の姿は、くたくたで疲れからか片眉が下がっている。背中に漂う哀愁に、世の勤め人が見ればきっと自身を重ねてしまうだろう。

 

「若年だからと夕方には解放されるけど、きついものはきついなあ」

 

 呟きながらビル入り口に立つと懐からカードキーを取り出す。

 ここは普通と違い自動ドアではない。彼が横の端末にカードを通して漸く訪問者を迎えるようにドアがスライドする。

 開かれると一本の廊下が伸びており、奥に、ぽつりとエレベーターが配置されている。

 わが物顔で進む少年。それも当然の話だろう。ここの家賃は全て彼の懐から出ているのだから。

 一族の金はここには1$たりとも使われていない。他国から専制政治染みていると批判されるこの国でも、一介の少年の『道楽』に税金が注ぎ込まれない程度にはコンプライアンスは守られていた。

 

 鳴れた様子でエレベーターに乗り目的の階へ。先は彼の雇われ人達の元。

 到着を知らせる音と共にドアが開かれると、漸く人の喧騒が彼の耳に入る。

 建物の一階半分ほどでその部屋は構成されており、百人を超える人がそこで忙しなく動いている。

 部屋にはオフィスには普通のパソコンと机もあるが、何やら一般人には見慣れない工作機械も置かれている。オフィスと町工場を合体させたかのような混沌さがそこにあった。

 

 エレベーターから少年が入ると彼を眼にした人物たちは軽く一礼する。

 が多くの人物たちはそうするだけで仕事の手を休めようとしない。そんな彼らを掻き分けるように奥から一人の人物が出てくる。

 三十代の女性だ。容姿は、悪くないかもしれない。というのは黄ばんだ白衣に、ぼさぼさの無造作な髪と、凡そ身だしなみに気が使われておらず、更には軽く汗臭ささえ放っている。

 そんな状態でさせ、見る人の中には可愛いとさえ思う人がでてくる外見なのだから、元の容姿が良いことを周りに思わせた。

 

 

「どうです!? 金は! 金は確保できましたか!」

 

 挨拶もせずあまりといえばあまりの発言を女性はする。それを少年は苦笑して受け入れた。

 ぐっと親指を挙げて肯定すれば先程までの緊迫した顔はどこへやら、彼女は狂ったように喜ぶ。

 

「やった! これでまだ続けられるんだ! 万歳! フェブラリウス市様万々歳だ!」

 

 聞く者が聞けばただで済まない発言をオフィス内で高らかに叫ぶ。能力があればある程度のことには眼をつむられるのがオーブの国風であるが、ここまで突き抜けている人物は珍しい。

 これでは幾ら能力があっても他国ではまともに生きていけるか怪しいくらいだ。

 

 叫び声が収まった所で彼は再度話しかけた。

 

「アナイス。これで『彼』は地上に立てるかな?」

 

 彼の声が耳に届くと呼ばれた女性、アナイスは落ち着きを取り戻しにんまりと笑った。

 少年を促し奥へと導く。行く先は彼女のデスクだ。

 

 彼女の机は恐ろしい程散らかっていた。書類の上にはパン屑がこぼれていたり、終いには何らかの液体が机にこびり付いてさえいた。しかしそんな中で一部の分厚い資料だけは、まるで神の供物の様に丁寧に隔離されて置かれていた。

 机にたどり着くと、顔を真っ赤に上気させて彼女は言う。

 資料を手に取り、うっとりとそれに頬ずりをしながらだ。

 

「ええ、ええ! できましたとも。彼は漸く産声を上げようとしています。生まれてからよちよち歩きで、物も掴めなかった彼が、漸く立ち上がろうとしているんです。ああ! 子を持つ気持ちとはこんなかんじなのでしょうか。それでしたらそれのなんと神聖なことか! しかし可愛らしい彼も随分と手を焼かされました。脚部、関節、マニピュレーター。その部品のどれもが、まるで一つの作品の如く労力を必要としました具体的には……」

 

 また朗々と喋りに入ろうとした彼女を彼は手で制す。

 

「分かった。理解したよ、アナイス。その調子でやって貰いたい。金なら幾らでもとは言えないけど、できるだけ工面する」

 

 その言葉に再び彼女は世界へと帰ってきた。彼女にしては幾分かお早いお帰りである。

 いつもの様に思考に耽るよりも、長年我慢していた問をしたかったのだ。もじもじしながら彼の顔を覗ってきた。

 

「それは、その。実に嬉しいです。でも、前々からちょっと聞きたいことがありまして。そのですね。どうしてこんなにこの事業に力を入れるのです? 私にとっては愛しい息子ですけど、はっきり言ってですよ。かれは商業的にも軍事的にもゴミです」

 

 この問いは彼女がこの事業の立ち上げの時から聞きたかった問だ。

 彼女にとって、この事業は非常に意義がある。それこそ自身の人生を全て掛けたとしてもだ。

 それでもそれが世の中に全く必要とされていないことは、悔しいながらもまた理解していた。ここにたどり着くまでに、色々な会社に彼女なりの誠意を籠めて頭を下げ、そして無下にされてきた経験から。

 そんな計画が彼に拾われた時には、上手く金持ちの道楽を利用できたと悪く笑ったものだ。

 

 しかしこの事業に彼が資金を供給し続け、その額が100万$を越え、1000万$を越え始めると彼女の悪い顔も青ざめた。道楽などではない。彼は本気で、本腰でこの事業を成功させようとしているのだと分かった。

 

 彼女にとって上手く行き過ぎた事態を前にし喜ぶよりも先に、何故という疑問が浮かび上がった。

 何を考えて彼はこの事業に投資しようとしているのか。

 それをずっと理解できなかったことが喉に刺さる小骨の様に彼女を悩ませた。

 わからなければ、この幸福のような現実が夢幻と化して消えてしまう。そのような不安を覚えたのだ。

 

 

 そんな漸く聞けた長年の問いに、少年は笑った。

 自信を籠めて、何の疑いも無く力強く。

 

「いや、彼は役に立つ。絶対に。こんなずるの様な。それこそ物語における邪道のような方法で生み出された彼でも将来はきっとこの国の希望になれる」

「それはどういう意味、です?」

 

 彼女の疑問に答えず少年はデスクの向こう側の、ガラス張りとなっている壁に近づく。この建物はこの階以外は全て吹き抜けになっており、下は巨大な空間を形成している。このガラスからはそんな下の階が覗き見えるのだ。

 

 その巨大な空間の中、一体の巨人が横たわっていた。

 『彼』は未だ眠っている。胴体には足も手も繋がれていなかった。

 近く遠い未来、施される装甲も武装もそこにはない。だが無造作に掛けられる保護シートの間から見える彼の顔は、遠き日の未来と同じ姿をしていた。

 

 手をガラスに貼り付け、彼は言う。

 

「彼の名は、『アストレイ』にしよう」

「アストレイ?……邪道ですか? なんでそんな名前に」

 

 もう彼女の声は彼に聞こえない。じっと少年は巨人を見つめ続ける。

 本来まだここにはいないはずの彼を眺め続ける。薄い紫の髪の隙間から見える瞳を開きながら、少年は呟いた。

 

「君も僕もここでは邪道だ。本道の道からはとっくに外れてしまった。それでもだ。正道では僕も君も国を守れない。守れなかった。それなら邪道を進むしかない。そうだろう、アストレイ?」

 

 そう少年、ユウナ・ロマ・セイランは独白した。

 

 

 

 




彼はちょっとヘタレで、ナルシストで、調子乗りなだけだったんです。

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