吸血鬼は紅い血を吐いた   作:個人宇宙

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【11】第三章

 

 

 卓郎が正式な使用人となって、一ヶ月が経った。

 彼が作ったお菓子の制度などは、若干の変更や悶着がありながらも、順調に機能していた。そしてこの一ヶ月で特に変わったと思うのは、彼に対するメイドの態度だった。

 

 朝、いつものように身だしなみを整えた卓郎は食堂の扉を開けた。

「おはようございます」

 中に入った瞬間、その場にいた妖精が一斉に立ち上がって頭を下げた。

「おはよう」

 卓郎も挨拶を返すと、今日の料理担当のメイドがやってきた。

「おはようございます。今日は紅茶だけでなく、珈琲もありますよ。昨日、人里でユキちゃんが偶然豆を見つけてきたらしいんです。卓郎さんもいかがですか?」

「へえ、すごいな。じゃあ、お願いしようかな」

「了解しました」

 小さく頭を下げて、その妖精は調理場まで飛んでいった。

 

「卓郎さーん。こっちの席が空いてますので、来てくださーい」

 テーブルでアキが大きく手を振って招いてきたので、卓郎は彼女の隣の席に座った。

 すでに周囲の席は妖精メイドで埋まっており、それぞれ朝食を摂っている。おそらく、彼のためにアキがこの席を残しておいてくれたのだろう。

 

 食堂の数少ない窓を眺めながら、アキは機嫌良さそうに笑った。

「今日もいい天気ですね。日なたぼっこをするには絶好の日ですよ」

「アキは年中、日なたぼっこしてるような顔をしているよな」

「むっ。それはどういうことですか」

「いつも、眠たそうな顔をしてると言い換えた方がいいかな?」

「あーっ! それ、馬鹿にしているんですか?」

「そうそう。油断したらすぐ眠っちゃいそうですよね」左隣のメイドが言う。

「飛びながら眠ったりしてねー」前方のメイドも口を挟む。

「もおーっ! 卓郎さんもみんなもひどいですよ!」

 そんな会話をして笑っているうちに、朝食が運ばれてきた。

 

 卓郎が食べている間も、メイドたちは他愛のない雑談を繰り広げた。

 基本的に、この館のメイドはよくしゃべるので、卓郎が自分から話をすることはあまり無い。どちらかというと、たまに笑ったり口を挟んだりする程度のことが多い。

 それでも一ヶ月前に比べたら、だいぶ進歩したと思う。

 始めの頃は、メイドとの会話に参加できなかっただけでなく、挨拶すら交わせなかったのだ。その時期に比べたら、だいぶメイドたちの態度も良くなった。一ヶ月前は平気でいたずらをしてきた妖精たちと、今は一緒に笑いながら会話をしているのだ。

 単純な性格の妖精だからこその、手のひらの返し様であった。

 

 ただ、その全てが順調というわけでもなかった。

 ほとんどのメイドは、卓郎の作った制度や環境を受け入れてくれたようだったが、一部のメイドはなかなか受け入れられずにいた。

 その代表格がハルだった。

 

 ※

 

 この日の夜、仕事を終えた卓郎とメイドたちは食堂に集まった。

 今日は一週間に一度の、お菓子を配る日である。

 ただ、最近はどちらかと言うと『お茶会の日』になりつつあった。ほとんどの妖精がサボらずに仕事をしてくれることに加え、配り終えた後は、そのまま食堂で配ったお菓子を食べるという流れが定番になってきたからである。

 

 ユキは、手帳をぱらぱらとめくっていく。

「ええと、それじゃあ名前を言っていくから受け取ってね」

 名前を呼ばれたメイドたちは、嬉しそうな顔でお菓子を受け取っていく。今日はいつもの金平糖に加え、ユキ手作りのケーキも配られた。

 配っている間、卓郎は横で自分の手帳を確認する。現在はどちらかが手帳を紛失しても大丈夫なように、ユキと同じ内容のものを卓郎も記入しているのだ。

 

 今週は一人のメイドを除き、みんな仕事をサボらずにやってくれた。

「ユキちゃん。早くこっちに座ってー」

「今日のケーキもすごくおいしかったわよ。ねえねえ、作り方教えてちょうだい」

 先に席に座ったメイドたちが、口々にユキを呼んでいる。

「ちょっと待ってて。すぐ向かうから」

 慌てた口調で返しながら、ユキは残りのお菓子を配っていく。

 卓郎に対するいたずらが無くなったと同時に、ユキに対するいじめも無くなった。おいしいお菓子を作れることが再評価に繋がったことも一つあるが、最も考えられる理由としては、ユキをよくいじめていた妖精がほとんど館を去ったことにあるだろう。

 

「卓郎さんも早く座りましょう」

 その時、先に席に座っていたナツが彼に手招きをしてきた。

「ああ、いくよ」

 ケーキの皿を持って、卓郎はナツの隣に行こうとした時だった。

 視界の隅で、一人のメイドがひっそりと食堂から出ていくところを捉えた。

 ハルだった。

 彼女は今週は二回仕事をサボったので、お菓子をもらえなかったのだ。

 

 何となく心配になった卓郎は、テーブルに皿を置く。

「悪い。すぐ戻ってくるから」

 ナツにそう言って、卓郎は急いでハルの後を追って廊下に出た。

 幸い、廊下の途中でハルに追いつくことができた。妖精なのに羽根を使おうとせず、ゆっくりと歩いている彼女の後ろ姿に、卓郎は何とも言えない寂しさを感じた。

「ハル」

 卓郎の声に気付き、彼女が振り向いた。

 

「……ああ、なに? わざわざ叱りにでも来たの?」

「そうじゃない。ただ、お前の様子がおかしいと思ってさ」

「別にたいしたことじゃないわよ」

「やっぱり、仲間の妖精が辞めたのが原因なのか?」

 その問いに、ハルはわずかに反応する。

 彼が正式に使用人になった後、紅魔館の妖精メイドの数にも大きな変動が起こった。

 風の噂を聞きつけてやってきたメイドが八人増えた代わりに、卓郎の考え方が嫌になって辞めた妖精メイドが七人も出てきたのだ。

 辞めたメイドのほとんどは、以前から仕事をサボりがちにしていた者だった。卓郎は粘り強く残ってくれないかと説得したが、メイドたちの決意は揺らぐことはなかった。

 

 彼女らが辞めると表明した時、レミリアは特に驚きもせず、そのまま了承した。紅魔館の掟にある『来る者は拒まず、去る者は追わず』という内容に従ったからである。

 それから程なくして、メイドの中でハルの立ち位置が急速に悪くなっていった。

 食堂で飯を食べる時も、仕事をしている時も一人でいることが多くなってきたのだ。

 メイドたちの会話にも、ハルに対する悪口が次第に増えていった。卓郎がその場にいる時は注意をしているが、あまり効果は感じられない。今のところハルに直接的な被害はないようだが、下手すると集団的ないじめに発展する恐れも出てきている。

 

 しばらく黙っていたハルだが、ようやくぽつりとつぶやいた。

「まあ、そうかもしれないわね。最近、仕事もつまらなくなったし」

「お前らしくないな。いつものお前はどこに行ったんだ?」

 心配そうにつぶやく卓郎に対し、ハルは鼻で笑った。

「はっ。あたしが何も言わなくなって、せいせいしてるくせに」

「それは、その……」卓郎は口ごもる。

 情けないことに、きっぱりと否定することができなかった。

 

「他のやつらもそうでしょ。あたしが何も言わなくなった瞬間、急に手のひらを返したようにあたしの悪口を言ってくるようになってさ。ほんと、馬鹿みたい」

 渇いた笑いをするハルに、卓郎は何も言い返せなかった。

 彼女の言う通りである。

 卓郎が使用人となった瞬間、妖精メイドは彼に対して全くいたずらをしなくなったし、命令にも忠実に従うようになった。その反面、ハルに対しては、以前の卓郎と似たような冷たい扱いをするようになった。

 最近、ユキに勧められて知ったオセロゲームの駒のように、いとも簡単に白と黒がはっきり入れ替わってしまったのだ。

 

「それじゃ、あたしは部屋に戻るから」

 そう言って、ハルが卓郎に背中を向けた時だった。

「ちょっと待って!」

 突然、卓郎の背後から声が聞こえてきた。

 振り向くと、ナツがこちらに向かって飛んでくるのが見えた。

 

 ナツはハルの前に着地すると、小さく息を切らしながら言った。

「卓郎さんとハルがいなかったので、もしかしたらと思って追いかけてきました」

 ハルは頭を掻く。

「今度はナツのお出ましか。で、あたしに何か用?」

「最近、あなたの様子がおかしいと思ってね」

「別に、おかしいことなんてないわ。じゃあ、あたしは部屋に戻るから」

「ちょっと待ってよ!」

 ナツはハルの腕に掴みかかろうとする。

「触るんじゃないよ!」

 だが、その腕をハルは勢いよく叩き返した。

 

 呆然とする卓郎たちに、ハルは険しい表情で叫んだ。

「もういい加減にして! あんたたちに同情されたって、ちっとも嬉しくも何ともないのよ! どうせ、あたしは迷惑なだけのメイドよ。仕事はよくサボってきたし、周りに対して言いたい放題してきた。あんたたちだって、あたしがこんな扱いされて『ざまあみろ』って思ってんでしょ!」

「そ、そんなこと思ってるわけないじゃない!」ナツが返す。

「はあっ? 自分だけ分かったような口ぶりをするんじゃないわよ」

「ハル、私はあなたのことが心配で……」

「はいはい。もういいから」

 しっしっと手を振って、ハルは強引にナツの言葉を遮った。

 

「これ以上、あたしに構わないでちょうだい。どうせ、明日になったら、ここから消えるつもりだしね」

 ナツは目を瞬かせる。

「消えるって、どういうことよ」

「あたし、近いうちにここやめるから」

「えっ……」

 突然のことに驚愕するナツに、ハルは投げやりに言った。

 

「何か文句でもある? 館の掟に従うんだったら、あたしにも辞める権利だってあるでしょ。だったらなおさらだわ。こんなつまんないところ、さっさと辞めてやるわよ」

 そう言い残して、ハルはそそくさと飛び去っていった。

 彼女の後ろ姿を見送りながら、卓郎は拳を握りしめた。

 

 確かに、ハルの発言はわがままな所が多かった。

 しかし、だからといって必ずしも役に立たなかったわけではなく、少しは参考になった意見もあった。彼女がいろいろ言ってくれたおかげで、細かい欠点が改善できたし、その結果として、『お菓子の制度』という着想を生むことに繋がったのである。

 そのハルが、今まさに館を去ろうとしている。

 卓郎としては、できるなら彼女には館に残ってほしい。

 でも、どうすれば残ってくれるのか、今の彼にはさっぱり分からなかった。

 

 ※

 

 暗い気分のままお茶会を済ませた卓郎は、そのまま自室に戻った。

 今日はなかなか勉強できる気持ちではなかった。たが、貴重な自由時間を無駄にしたくなかったので、ひとまず鉛筆を握って勉強を始めようとした時だった。

「入るわよ」

 何度か扉が叩かれた後、レミリアが部屋に入ってきたのだ。

 

 慌てて卓郎は椅子から立ち上がる。

「お嬢様。こんな遅い時間にどうかしましたか」

「あなたに重大な頼みがあって、やってきたのよ」

「重大な頼み、ですか?」卓郎は身を引き締める。

 すると、レミリアは微笑みながら卓郎のところに歩んできて、至近距離まで顔を近づけてきた。その紅い目は、妙に興奮しているように見えた。

「あなたの血を吸いたいの。今すぐに」

 

 ※

 

 レミリアに連れられて、卓郎は彼女の部屋にやってきた。

 館の主人らしく、卓郎の部屋の何倍もの大きさがある。衣類を入れる戸棚や奥にあるベッドなど、身のまわりの備品も彼の部屋より一回り大きい。部屋の照明はほとんど消されており、ベッド付近にある発光草だけがほのかに紅く光っていた。

 

 吸血はこの部屋で行われることになった。

 彼にとって、レミリアから吸血を受けるのは湖の前に倒れていた時以来だ。

 その時の恐怖を思い出して、吸血を頼まれた時、卓郎はいったんは断ろうかと考えた。しかし、主人の命令に逆らうことはできない。

 レミリアは卓郎の方を振り向き、小さく呟いた。

「すごく顔が強張ってるわよ」

 その指摘に、卓郎はびくっと体を跳ねらせる。

 

「い、いえ……そんなことはないです」

「別に致死量まで吸うつもりじゃないわ。私は吸血鬼よ。どれくらいの量までなら飲めるのか、何となく感覚で分かるから安心しなさい」

「何となくですか……」

「まずいと思ったら、口でいいなさい。気分次第で止めるわ」

 ますます不安になる卓郎に対し、レミリアは自分の服に手を掛けていった。

 

「さて、卓郎。あなたも脱ぎなさい」

「えっ。僕も脱ぐんですか?」

「当たり前じゃない。まさか服の上から噛みつくわけにもいかないでしょ」

 そのままレミリアは帽子とドレスを脱ぎ捨てて、下着姿になった。

 あられもない姿を見て、思わず卓郎は尋ねた。

「どうしてお嬢様も脱いだんですか」

「血でせっかくのドレスを汚したくないからよ。外に出るときは仕方なく着ているだけ。まさか、こんな姿で外に出るわけにはいかないでしょ」

「それはそうですね……」

 納得しながら、自分の衣服を脱いでいく。

 

 そして、レミリアと同じ下着姿となった。紅魔館に来るまではふんどしを着用していたが、今はトランクスという以前より開放感のある下着を着ている。

 しばらく、二人はお互いの姿を眺めた。

 家族を除いて、他人に自分の半裸姿を見せるのは初めてのことだった。相手も同じような姿になっているが、やはり恥ずかしいことに変わりはない。

 レミリアは、白のベビードールにショーツという名前の下着を着ていた。

 見た目は幼い女の子だが、その姿になぜか扇情的なものを感じてしまった。

 

「心の準備は整ったかしら?」

 レミリアの問いに、卓郎はうなずく。

「じゃあ、ベッドに行きましょ」

 二人は巨大なベッドの上に座り、今度は至近距離でお互いの姿を見つめた。

 彼女の肌は陶器のように白く、体の肉つきも全くもって無駄がなかった。

 彼女の着ているベビードールは大人向けのようだが、肝心の彼女の胸が発達していないので、わずかに隙間ができている状態になっていた。

 下手したら中が見えてしまう。わざとそうしているのかは分からないが、その部分に関しては卓郎もなるべく見ないように努めた。

 

 幼い姿であるからここまで来られたが、もし目の前の彼女が適度に成長した体をしていたら、おそらく彼の理性はまともな状態ではいられなかっただろう。

 それくらい、彼女は将来の可能性に満ちあふれた吸血鬼だった。成長して絶大な力と類まれなる容姿を併せ持った瞬間、いったいどれくらいの人間が彼女の虜になるのだろうか。

 その発展途上の吸血鬼は今、獲物を見るような目つきで卓郎を捉えていた。

「いくわよ」

 レミリアは小さくつぶやくと、そのまま卓郎の体に寄りかかってきた。

 

 二人を隔てているのは彼女のベビードールしかないので、嫌でも体温は伝わってくる。彼女の体は風邪でもひいているのかと思うくらい、非常に熱を帯びていた。

「寒くないかしら」レミリアが問う。

「僕は大丈夫ですけど、逆にお嬢様が熱すぎて心配です」

「心配しなくてもいいわ。ある意味、これは当然の現象なのよ」

 レミリアはゆっくりと卓郎を押し倒す。

 

 仰向けになった卓郎の体に、レミリアが上から抱きつく姿勢になった。

「この前も言ったと思うけど――」

 卓郎の耳元で彼女がささやくように言った。

「私の吸血欲は、人間の食欲や性欲と同じようなものなのよ」

 その直後、レミリアは大きく口を開き、卓郎の左肩にかぶりついた。

 

 激痛が走り、卓郎は顔を歪める。痛みで思わず彼女を抱きしめる力を強くさせるが、それに構うことなく、レミリアは貪るように血を吸い続けた。口から漏れる息と鼻息が首筋に当たり、少しくすっぐたく感じてしまう。

 彼女の羽根は血を吸うたびにどんどん広がっていき、最終的にはベッドと同じくらいの長さまで到達した。間近で見るその大きさに、卓郎は圧倒されてしまう。

 痛みも鈍くなってきた頃、ようやくレミリアは卓郎の左肩を解放した。唾液と血の混じった液体が、糸のように彼女の口と彼の肩に繋がっていた。

 その液を指で絡めてすくい取り、レミリアは名残惜しそうに口に放り込む。

 

 最後の一滴まで飲み込むと、彼女は満足気に息を吐いた。

「久しぶりにいい血が飲めたわ。薬と違って生臭さがあるのが弱点だけど、やっぱり直飲みはやめられないわね。肉の噛み心地も良かったし、何より血に新鮮さがあって飲み応えもばっちりだったわ」

「ありがとうございます」

 用意していた布で止血をしながら、卓郎は礼を言った。

 レミリアのことなので、冷や汗が出るくらいに吸われると覚悟していたが、意外と体は平気そうだった。これなら明日の仕事にもあまり影響はなさそうだ。

 

「湖で吸った時もそうだったけど、あなたの体って見た目は非力そうな感じなんだけど、間近で見るとけっこう筋肉質なのよね。不思議だわ」

「これでも農作業をやってましたから」

「なるほど。だから、噛み心地もちょうど良かったのかしら」

「やけに噛み心地にこだわってますね」

 レミリアはふっ、と微笑んだ。

「私のこだわりみたいなものよ。やっぱり血を吸うんだったら、それなりに噛み応えのある人間から吸いたいのよね。噛み応えなら、あなたのような若い男性が一番ね。女性はちょっと肉が柔らかすぎるのよね。その代わり、血の鮮度は男性より良いんだけど」

「女の人の方が新鮮な血になりやすいんですか?」

「何言ってるの。女性は生理的な現象で、定期的に血が入れ替わるじゃない。逆に男性はそういった現象がないから、たいがい古めの血を吸うことになるのよ。ただ、今日のあなたは二ヶ月前に盛大に出血してくれたおかげで、新鮮な血が飲めたけどね」

「そ、そうですか……」

 嬉しいことなのかさっぱり分からないが、ひとまず卓郎は頷いておいた。

 

 レミリアはテーブルに置いてあった紅茶で口直しをして、再びベッドに戻ってきた。下着姿のままなのは、単に着るのが面倒だからだろう。

「さて、満足に血も吸えたし、そろそろあなたに打ち明けようかしら」

「何をですか」

「実はこの紅魔館にはもう一人、住人が住んでいるのよ」

 唐突なことに卓郎は度肝を抜いた。

「えっ。住人って、妖精メイド以外の住人がですか?」

「当たり前じゃない。しかも、それは私の妹よ」

 さらに度肝を抜いた。

「お、お嬢様の妹ですか?」

「そうよ。名はフランドール・スカーレット。この館の地下に住んでいるわ」

「地下……」

 それを聞いて、卓郎はあることを思い出した。

 

 まだここにやってきたばかりの時、ユキから「館を歩くのは自由ですが、館の地下には絶対に行ってはいけません」と、しつこく念を押されたことがあった。

 その翌日、ユキの言う通り、図書館の近くにそれらしき階段を見つけた。

 だが、階段の奥にある暗闇を眺めているうちに、猛烈が寒気を感じて、卓郎はすぐに引き返してしまった。見えない何かに首の根っこを掴まれたような、そんな得体の知れない恐怖を感じたからである。

 

 それ以来、館の地下の話題はなるべくしないようにしてきた。仕事を始めた時も、ユキから「あの地下のことは気にしないでください」と言われたので、卓郎もそれに従い、掃除の振り分けの時も地下のことは考えずに表を作成したのだ。

 だが、まさかそこにレミリアの妹が住んでいたとは……。

 

「どうして、地下に妹様が住んでいるんですか?」

「フランは精神的に不安定なところがあるからよ」

「でも、精神的に不安定なだけでしたら、わざわざ地下に住まわせるのも……」

「理由はそれだけじゃないわ。フランは非常に強い力を持った吸血鬼なのよ。実力だけなら、そこらの妖怪とは比べものにならないくらい強いわ。下手したら、私以上の実力を持っているかもしれないわね」

 自尊心の強いレミリアがそこまで言うからには、妹の強さは相当のものだろう。

 

 ここで彼女は目を合わせてきた。

「もし、精神状態が不安定な時に、その力が暴走してしまったらどうなると思う? おそらく、それを止めるだけで館の半分は崩壊してしまうでしょうね」

「……お嬢様。まさか、それは本当にあったことなんですか?」

 その問いに、レミリアは小さく笑って受け流した。

 

「だから、彼女を地下に置くことにしたのよ。パチュリーの結界魔法を使って勝手に外に出られないようにして、さらに外部に彼女がいることを分からせないために、音と振動を消す魔法も使ってるのよ。私が言うまで卓郎も全く分からなかったでしょ?」

「はい……。そうなりますと、妖精メイドの中でも知らない者がいるんですか?」

「そうね。フランのことは、ある程度、館に貢献したメイドにか話さないと決めているのよ。知っているのは全体の六割くらいかしらね。普段の世話については、ユキとナツに全て任せてるわ。二人は妖精メイドの中で最も長くここで働いているから、フランともけっこう顔なじみでね。ごくたまに力が暴走して『一回休み』になる時もあるけど、ほとんどは二人の言うことを聞いてくれるわ」

「じゃあ、僕が妹様の世話をすることはないんですね」

「当たり前じゃない。死なない妖精だからこそ、まともに世話ができるのよ。さっきも言ったけど、フランは精神的に不安定な所があるから、ほんの気まぐれでそばにいる相手を殺してしまうことだってあるのよ。あなただったら即死でしょうね」

「そうかもしれませんね……」卓郎は空笑いをする。

 

 飛行能力だけでなく、死なないところも妖精の大きな特徴である。

 先ほどレミリアが言った『一回休み』とは妖精特有の概念で、人間で言う『死亡』のことを意味する。

 妖精という種族は基本的には不死である。もし、何らかの理由で死亡してしまっても、すぐに復活することができる。これを妖精たちは『一回休み』と呼んでいるのだ。

 ただ、死なないからといって、普段から無茶な行動をするわけでもない。

 いったん『一回休み』になると、復活しても一定時間は虚脱状態に陥ってしまうらしく、それを嫌って、あまり妖精たちは『一回休み』にはなりたくないらしい。もしくは、単純に痛いのが嫌で『一回休み』になりたくないと言う妖精もいる。

 

 何となく理解はできても、人間の卓郎には全く想像できない話だった。

「ユキとナツが妹様の世話をしているんですね」

 卓郎は感心するように言う。

「そうよ。最初の頃はよく『一回休み』にされて、けっこう苦労したらしいけど、今はそれなりにうまくやってるみたいね。ここ何年かはフランの精神状態も安定期に入っているし、よくやってくれてると思うわ」

「そうですね」

「近いうちにあなたにもフランを紹介するわ。期待しなさい」

「……はい。ありがとうございます」

 本当に大丈夫なのかと思いながらも一応、形だけ感謝しておくことにした。

 

「さて、そろそろ歩けるようになったでしょ」

 レミリアはベッドから立ち上がる。

 その言葉で察した卓郎もベッドから出て、脱ぎ捨てていた服を着始めた。その最中、不意にあることを彼女に相談してみたくなった。

 ハルのことである。ぜひ、主人からの助言を乞いでみたくなったのだ。

「今日のところは感謝するわ」

 だが、レミリアが先に口を開いてしまったため、相談する瞬間を逃してしまった。

 

「これからも定期的にあなたの血を吸わせてもらうわ。これで少しは外に出る手間が省けるしね。ただ、あまりやりすぎるとあなたの体に悪影響が出ちゃうし、やるとしても二、三ヶ月に一回くらいになりそうね。お互い損な結果にはなりたくしないしね」

「二、三ヶ月に一回ですか」

「残念だわ。あなたの血は本当においしいのに」

 名残惜しそうに見つめるレミリアに、卓郎は頭を掻いた。

 

 結局、ハルのことは相談できず仕舞いになってしまった。

 ただ、これで良かったのかもしれないという思いも一方ではあった。

 掟を重視するレミリアのことである。『それは彼女の決めたことだから、私たちがとやかく言うことではないわ』と、澄ました顔で返す可能性が高かっただろう。

 着替え終えた卓郎は、そのまま扉に手をかけた。

「おやすみなさいませ。お嬢様」

「おやすみ。卓郎」

 こうなったら自分で何とか説得するしかないと思い、卓郎は扉を閉めた。

 

 


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