吸血鬼は紅い血を吐いた   作:個人宇宙

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【26】

 

 

 慧音はやや心配そうな表情で、卓郎を迎えてくれた。

「顔色が三日前よりだいぶ悪くなっているが、大丈夫なのか」

「ええ、ご心配なさらず。平気です」

 三日前の夜に眠った座布団の上に腰掛けて、卓郎は机越しの彼女と向かい合う。

 

 早速、先ほど買ってきた酒を机に置いた。

「酒は苦手じゃなかったのか」

「今日は特別です。まだ空は明るいですけど、少し飲んでいきましょうよ」

 彼の提案に、慧音はわずかに口元を吊り上げた。

「いいだろう。今日は特別だ」

 慧音が持ってきた盃に交互に酒を入れて、お互い口に含む。かなりきつい酒だったようで、自分で選んだくせに卓郎は顔をしかめてしまった。

 

 盃を机に置いて、慧音は先に話を切り出した。

「で、わざわざ酒を持ってきてまで、私の家にやってきたのは何故だ」

「言うまでもないでしょう。まだ、先生とは話を保留にしていたことがいっぱいあるじゃないですか。今日はそれをうかがいに来たんです」

「そういえばそうだな。でも、いったい何から話せばいいのやら」

「まずは、おとといに優花が襲われた事件のことについてです」

 酒も回ってきたようで、少し頭がふらふらとする。

 一口飲んだだけでこうなるくらい、卓郎は酒に弱い体質だ。

 だが、そのおかげで今なら良い具合に躊躇なく話が出来そうな気がした。

 

「先生。おとといの夜、先生が提案してきた取引は覚えていますか」

「ああ。忘れるわけないだろ。お前が抱えている秘密を打ち明けてくれたら、私も抱えている秘密を打ち明けると」

「それなら、話は早いですね」

 もう、細かいことは気にしていなかった。

 彼の中ではとっくに優花との結婚を諦めているので、ためらう必要など無かった。

 

 卓郎は胸に手を置いて断言した。

「先に僕から言わせてもらいます。僕は人里から離れた、吸血鬼の館で使用人として働いております。優花さんの事件の犯人は、その館に住んでいる僕の主です」

 慧音の体が氷のように固まる。

「だから、事件の細かいことを聞いたときから犯人の目星がついていました。僕の主は定期的に外に出ていまして、人間の血を吸っていましたから」

「……そうか。お前は吸血鬼の館にいる人間だったのか」

 彼女は卓郎をじっと見つめる。

 

「お前の様子を見る限りだと、奴隷のような扱いは受けてなさそうだな」

「主は多少ながら、僕のことを認めてくれています」

「へえ。それは素晴らしいと言っておいた方が良いのかな」

 困惑と喜びの入り混じったような顔で、慧音が答える。

「僕が秘密を知った上で、先生に質問したいことがあります」

「なんだ」

「どうして、人里は吸血鬼に対して消極的な態度をとっているんですか」

 いつも冷静な彼女がこの瞬間、わずかに体を震わせた。

 

 その様子をうかがって、卓郎は疑問を抱いた経緯を説明した。一度、このことはユキに打ち明けていたので、説明自体は滞りなく行うことができた。

 説明が終わってすぐに、慧音は盃の酒を飲んだ。

「なるほど。お前は疑問を抱くのも無理ないな。確かに八年前の事件と、おとといの事件の対応には明らかな差があったな」

 慧音は視線を下げる。

 

「お前は秘密を打ち明けた。約束通り、私も答えることにしよう――と、言いたいところだが、実はその質問に関しては私も答えられないところが多くてな」

「どういうことですか」

「私が人里に住み始める前から、ある約束が人里と吸血鬼の間に取り交わされていた。だから、約束が交わされた当時のことについては、私もよく分からないんだ」

「人里と吸血鬼の約束? どのような約束ですか」

「吸血鬼はこの世界の人間を襲ってもいい代わりに、絶対に殺害をしない。その代わり、人間は吸血鬼が起こした事件に関しては、深く干渉はしないという約束だ」

 あまりのことに、今度は卓郎が動揺する番だった。

 

 人間が吸血鬼の起こした事件に深く干渉しない。

 つまり、それは人間が襲われるのを見過ごすという意味である。しかも、それをこの瞬間に打ち明けたということは――。

「もしかして、先生は最初から事件の犯人は吸血鬼だと知っていたんですか?」

「完全にではないが、可能性は高いと思っていた。だから、人里の長たちにもこのことを報告した。長たちも私の意見に賛同して、今回の事件に関しては深く追求をしないと判断を下した。優花たちにも、いずれは犯人を特定できなかったと伝えるつもりだ」

「そ、そんな馬鹿な……」

 一瞬、頭がふらふらとしたが、何とか持ちこたえて続けた。

 

「その、吸血鬼との約束について、もう少し詳しく教えてください」

「私が聞いた話によると、吸血鬼がこの世界にやってきた時、人里もかなり慌てたらしい。吸血鬼の力は強大だ。下手したら一人の吸血鬼によって、人里の人間が全滅する可能性もあった。だから、昔の支配者たちは命がけで吸血鬼と約束を交わしたんだ」

「……それは何年前に交わしたのですか?」

「だから、詳しいことは私も分からない。このことを知っている者は人里でもかなり少ないんだ。私は先代の人里の長から、今の約束を簡略的にだが聞いた程度なんだ」

「先生でも分からないことがあるんですね」

「当たり前だ。いくら私でも全てを知ることには限界がある」

 盃の酒を眺めながら、卓郎は話を整理する。

 

 レミリアが血を吐くという症状が起きたのは、パチュリーによると両親が不在になってからである。

 彼女はもうすぐで五百歳を迎える吸血鬼だ。

 人間の感覚に勘算すると、血を吐いてしまう症状が起きてから、かなりの年月が経ったと考えていいだろう。しかも、パチュリーの話によると、塞ぎこんでいる時期もそれなりに長かったという。

 おそらく、その時期にレミリアは人間と約束を交わしたのではないかと推測した。

 あの自尊心の高いレミリアのことだ。通常の精神状態では、人を殺さない約束など絶対に交わさないと思ったのだ。

 

「今の約束が本当でしたら、昔から吸血鬼は人間を襲っていたんでしょうか」

「多分、そうかもな。ただ、ここしばらく吸血鬼に関する事件は、私の知る限りでは起きていない。優花の事件は本当に久しぶりのことだったんだ」

 この八年間、レミリアは数え切れないくらい人間の血を吸い続けた。だが、これまでは人里から離れた場所にいる人間を標的にしていたとユキから聞いていた。

 幻想郷の人間のほとんどは人里に住んでいるが、一部の人間はまだ人里から離れた所に住んでいる。それに村人に限らず、盗賊の類だって人里の外に潜伏している。つまり、優花の事件が起こるまで、レミリアは上手に吸血を行っていたことになるのだ。

 

 卓郎はひざに置いていた拳を握った。

「昨日、優花さんと話す機会がありました。その時、彼女は一人で外を歩くのが怖いと言っていました。見た目は平気そうにしていましたけど、かなり落ち込んでいる様子でした」

「殺されかけたんだ。落ち込まない方がおかしいだろう」

 淡々と返す慧音に、思わず卓郎は口が出てしまった。

「どうして、優花さんが襲われないといけないんですか。それに先生や人里の人間たちは、これからも人間が襲われても見過ごすつもりなんですか?」

「それを私に訊いてどうする。お前は吸血鬼の館に属しているのだろ? だったら、その疑問は実際に襲った本人に問い質すべきじゃないのか」

 ごもっともな意見に、卓郎は唇を噛む。

 

 慧音は小さく息を吐いた。

「吸血鬼の館で働いている使用人が、そのような質問をしてくるとは意外だな。まあ、襲われたのが仲の良い優花だから、動揺するのも無理ないと思うが――。結局、お前は人間と吸血鬼、どちらの味方なんだ?」

 その問いに、卓郎は答えることができなかった。

 慧音は首を横に振る。

「いや、今の問いは聞かなかったことにしてくれ。吸血鬼と人間の狭間の立ち位置にいるお前にとっては、答えにくい質問だろうしな」

 ここで彼女は畳から立ち上がる。

「ただ、これだけは覚えていてくれ。私はどんなことがあろうと人間の味方だ。多くの人間を守るためならば、泥を塗るくらいの覚悟は持っている。たとえ、私の行為が人間から非難されようと、それが多くの人間を守るためならば問答無用で実行するつもりだ。そして、お前は人間だ。どんなに吸血鬼に忠誠を誓っていようと私はお前の味方であり、大事な一人の生徒だ。どうか、それだけは忘れないでくれ」

 水を持ってくる、と言い残して、慧音は奥の部屋へと行った。

 

 狭間の立ち位置にいる者――。

 不思議なことだが、先ほどの彼女の言葉には奇妙な説得力を感じた。

 一人になった卓郎はうつむきながら、ため息を吐く。

 いったい、自分は何のためにここに来たのだろうか。

 慧音から全てを知るという意気込みで来たものの、いざ聞いてみると、残ったものは自分の力ではどうしようもないという無力感だけだった。

 結局、いくら卓郎がこの現状を嘆いても何も変わることはないのだ。目の前に存在している問題は、一人の人間ではどうしようもないくらいに大きく、そして重たいものだった。

 

 その時、卓郎は何度か咳をしていまう。

 しかし、最後の一回だけは大きな咳になってしまった。

 ようやく収まった後、口の中で生温かい水の感触と鉄の味がした。何とか外には吐き出さなかったが、喀血してしまったようだ。慌てて酒を飲んで、その味をかき消す。

 ぜえぜえ、と息を吐きながら、左手で自分の首に触れる。

 喉の奥に残る生臭い匂いを感じていくうちに、彼の中で徐々に先ほどの暗い気分が無くなっていった。

 体の中を蝕んでいる何かは、着実に進行している。

 もう、まともに動ける時間すらあまり残されていないのかもしれない。

 

 では、このまま何をせずに終わらせてしまうのか?

 自分自身への質問に対し、卓郎はすぐに「否」と答えた。

 水の入った容器を持った慧音が戻ってきた。

「だいぶ顔が赤くなっているな。私が席を外している間に、また飲んだのか?」

「ええ、まあ……」

「無理するな。ただでさえ、最近のお前顔色が悪いんだからな」

 湯飲みに水を入れて、彼の前に差し出す。

 

 それを一口飲んでから、卓郎は言った。

「先生。まだ、訊いていなかったことが一つあります」

「なんだ」

「久しぶりに先生と再会した日のことを覚えていますか? あの時、八年前の事件について、また後日に詳しい話をしようと約束したじゃないですか」

 慧音はしまった、と言うように顔をしかめた。

 

「そういえばそうだったな。それで何が訊きたいんだ」

「例の妖怪を制裁したのは、慧音先生ですよね」

「ああ。そうだ」

「もし、八年前の事件に関する資料がまだ残っていましたら、それを少しの間だけでいいですので、僕に読ませてもらえないでしょうか」

 彼女は目を見開く。

「資料だと?」

「はい。先生も八年前の事件の調査に大きく関わっていたんですよね。それでしたら、事件に関しての資料も持っているはずです。もし、別の場所にあるのでしたら、その場所がどこにあるのかも教えていただけませんか」

「資料はあるにはあるが、それくらい私が直接、話してもいいんだぞ」

「いえ、これ以上、先生に迷惑を掛けるわけにはいきませんので」

「もう、お前の中では解決したんじゃなかったのか?」

「そうですけど、やっぱり詳しいことは確認しておきたいのです」

 慧音は腕を組む。なぜか、その表情はとても苦しそうに見えた。

 

 彼女は犯人の妖怪に制裁を加えただけで、事件に直接的な関係はない。

 だから、余計な迷惑は掛けたくなかったのだ。

「……卓郎。今さら八年前のことを知って、どうするつもりなんだ」

「どうするつもりだ、とは?」

「八年前のことを詳しく知ったからといって、母親たちが戻ってくるわけではない。もしかしたら、詳しいことを知ったせいで、さらに心が傷が広がることだってあるのかもしれないんだぞ。全てを知ることが、正しいことではない。お前はそれも覚悟して、ここまで来ているんだろうな」

「はい。しています」即答だった。

 

 今の自分にできることは、八年前の事件に決着をつけることだった。

 吸血鬼と人里との約束は、自分の力ではどうしようもない領域の問題だ。館に復帰できるかどうかの問題も、全てパチュリーに任せている始末である。

 ならば、自分は八年前の事件の真相に力を入れるしかなかった。一度は決着がついたと思った事件が、この数日間の出来事で一気に内容が変わってしまったのだ。

 もう、この身が限界を訪れるまで突き進むしかなかった。

 

 慧音は頭を抱えて、ついに観念した。

「……そうか。その覚悟があるのなら、資料を見せてやってもいい。幸い、資料は私の家の中にある。持ち出しは禁止だから、この場所で気が済むまで読んでくれ」

「恩に着ます。先生」

「だが、いったいどうしたんだ。どうしていきなり、とっくに解決したはずの八年前の事件のことを知りたくなった。何か事情でもあるのか」

「……もう、僕には時間が残されていないからです」

 卓郎は自分の胸に手を当てて、険しい表情で答えた。

「何も知らないまま死んでしまうのは、まっぴらごめんだからです」

 

 ※

 

 資料の内容を頭に叩き込んでから、卓郎は慧音の家を出た。資料には事件の現場に関する詳細や犯人の妖怪のことなど、知らない情報も多く書かれてあった。

 まず、妖怪は凛音という名前らしい。

 昔からこの世界に居座っている妖怪らしく、卓郎の家の近くにある廃墟と化した神社に住んでいるとのことだった。

 家の近くといっても、裏山の奥深くにぽつんと存在している神社である。

 この資料を読んで、卓郎も初めてそんなところに神社があったのだと知ったくらいだ。資料によると、神社が廃墟と化したのはかなり昔のことらしい。

 

 事件現場に関しても、詳細がしっかりと記入されてあった。

 まず、母親と兄の左手首から上は完全に切り取られていたとのことである。

 これは卓郎の記憶通りである。そして、二人とも腹に刺し傷があったとも書かれてあった。母は一ヶ所。兄は二ヶ所で、そのうち一つは非常に浅い傷とのことだった。

 他にも現場はひどく荒らされていたり、いくら探しても調理用の包丁や水入れ用の壺が見つからなかったことなど、細かい情報が書かれてあった。

 

 全ての内容に目を通して、卓郎の中で一つの結論が固まろうとしていた。

 それは、自身が数日前に考えたことは、決して間違いではなかったことである。だが、遺族である卓郎にとって、それはあまりに残酷な真実でもあった。

 とにかく、考えはまとまった。

 あとは凛音に直接、話を聞くだけである。

 

 一応、彼女と会う方法は目処がついていた。

 とはいえ、二日前は実際に襲われてしまったので、下手な行動はできない。念のため、護衛役を連れていく必要がありそうだった。

 里の通りを歩いていると、何者かが近づいてきた。

 横を向くと、美鈴が卓郎と並行して歩いていた。

「恩師のところに行ったんですよね。何を話していたんですか」

「八年前の事件の真実です」歩きながら答える。

 

「ああ、あの手首のことに関係したことですね。で、結果はどうでしたか」

「大当たりでした。あとは、例の妖怪に会うだけです」

「えっ。直接、会うつもりなんですか」

「会う方法は目処がついています。でも、それは美鈴さんの協力が不可欠なんです。どうか、僕の頼みを聞いてくれませんか」

 美鈴の目がやや真剣になった。

「会わない、という選択肢はないんですね」

「はい。決行は九日後に予定しています。必ず妖怪は九日後にあの場所に現れます」

「どうして九日後なんですか」

「その日は、母さんと兄さんの命日だからです」

 あっ、と思いだしたように美鈴は言葉を漏らした。

 

「そういえばそうでしたね。それで、私に頼みごととは?」

「護衛です。相手は妖怪ですので、念のためお願いします」

「了解しました。頼みごとはそれだけですか」

「いえ、あと一つだけ……。決行日までにパチュリー様に会いたいのですが、それはできないでしょうか」

「人里へ買い出しにやって来る妖精を介して、小悪魔に頼めば会えると思いますよ」

「なるほど。その方法なら、美鈴さんに負担をかけずに済みますね」

 会話をしながら、卓郎はこれからの計画を練っていく。

 期限まであと九日間もある。頭に溢れている情報を整理するには、充分すぎる時間だろう。むしろ、気になるのはそれまで体が持ってくれるかどうかだった。

 今日も空は元気が良さそうに青く輝いている。

 それを見上げながら、卓郎は無駄だと分かっているのに眉をひそめた。

 

 ※

 

 決行の日。昼過ぎに荷物をまとめ終えた卓郎は、ついに行動を開始した。

 部屋に出る前、まずはパチュリーからもらった薬を一口飲む。

 五日前、パチュリーに自分の体のことを打ち明けると、彼女は困惑しながらも進行を抑える薬を作ると約束してくれたのだ。

 そして、その薬が小悪魔を通じて手渡されたのが、一昨日のことである。おかげでこの一週間、悩まされ続けた咳や胸の痛みもだいぶ改善することができた。このことは全ての決着がつくまで誰にも口外しないでくれ、とパチュリーには念を押していた。

 

 荷物を持って外に出ると、すでに入口には美鈴が待っていた。

「卓郎さん。いよいよですね」

「はい。準備は全て整いました。それじゃあ、行きましょう」

 この場所でおぶられるには人目につくので、いったん人里から離れた場所まで歩くことにした。そして、里から充分に離れた位置で卓郎は美鈴におぶってもらい、上空を飛んで移動を開始する。彼女におぶってもらうのは久しぶりのことだった。

 

 上からの景色を眺めながら、卓郎はこれからのことを考える。

 故郷の村に向かう目的はただ一つ――。凛音と会うためである。

 そして、母と兄の命日である今日、必ず夕方に凛音は墓にやってくると卓郎は確信していた。先日、凛音と墓の前で鉢会った時も、ちょうど夕方の時間帯だった。

 日も橙色になりつつある頃、卓郎と美鈴は故郷へ到着した。

 

 だが、すぐに母と兄の墓には行かなかった。

「美鈴さん。例の待機場所までお願いします」

「分かりました」

 卓郎の家の跡地を通過して、美鈴はばあちゃんの家の前に降りた。

 卓郎の提案で、このまま墓の前で待っていても、先に凛音に気付かれてしまう恐れがあったので、いったん別の場所で待機することにしたのだ。

 中に入る前、卓郎は家の横にある墓石の前に立ち、そのまま両手を合わせた。

 

 この場所には、半年前まで家の主だった『ばあちゃん』が眠っている。

 彼女の死体を発見したのは、他でもない卓郎だった。

 八年前に再会して以来、卓郎は月に一回の頻度でばあちゃん家に行っていた。

 周りに誰も人が住んでいないこともあり、高齢の彼女は非常に厳しい生活を余儀なくされていた。たまに人里から食べ物などの援助が来るが、その量は微々たるものだったので、ほとんどの食べ物や日用品は、卓郎が持って来ていたのだ。

 

 ただ、ばあちゃん自身も、一方的な援助では申し訳ないと思ったのだろう。

 食べ物を受け取る代わりに、彼女は一ヶ月のうちに考えた怪談話を卓郎に披露してくれた。意外とばあちゃんの怪談話は面白かったので、卓郎も密かな楽しみとして遊びに来ていた。途中から知り合いと称して、ユキやアキも一緒に来るようになり、いつの間にか、ばあちゃんは紅魔館のメイドの中で密かな有名人となった。

 

 そんな、ある日のことだった。

 遊びに来た卓郎が家に入ると、彼女はまだ布団で横になっていた。

 珍しくこんな時間まで寝ているな、と最初は思った。時間は午後である。夜遅くまで怪談話でも考えていたのかな、と呑気に思ったりもした。

 とりあえず起こそうと、卓郎は彼女の左肩に触れてみたところ、その異様な冷たさに愕然とした。ある意味、怪談話を聞いた時以上に衝撃を受けてしまった。

 

 祈りを終えて、卓郎は眼前の墓石を見下ろす。

 ばあちゃんの死の確認後、同行していたユキに伝言を頼んで何人かの妖精メイドを呼び寄せて、亡骸と家の後処理を行った。家にあった備品は全て処分して、使えそうなものは館で再利用することにした。亡骸は家の横に埋めて、簡素にだが墓を作った。

 ――せめて、天国にいる最愛の人と再会をしていますように。

 そう祈りながら、卓郎はばあちゃんの最後を見届けた。

 不思議なことにばあちゃんの死に顔は、とても穏やかそうに見えた。卓郎は泣かなかったが、ユキとアキはまるで大切な人が死んだかのように号泣していた。

 

 ふうっ、と小さく息を吐いて、卓郎は家の中に入ろうとする。

「あっ、卓郎さん。待ってください」

 だが、それを美鈴が止める。

「どうかしたんですか」

「私の役目はこれで終わりです。私はいったん館に戻ります」

 予想外の発言に、卓郎は目を瞬かせる。

「えっ。でも、護衛の仕事はこれからですよ」

「安心してください。ある意味、私より信頼できる護衛が中にいますので」

 そう微笑んで、美鈴は空を飛び始める。

「それでは、良い結果になるよう祈っています」

 問い質す暇もなく、美鈴はそのまま飛び去ってしまった。

 

 ぽかんと口を開けたまま、卓郎は後ろ姿の美鈴を見届ける。だが、すぐに気を取り直して、彼女の言葉がどういうことなのかを確かめるため、家の扉を引く。

 中には、レミリアとユキが待っていた。

 予想外の先客に、卓郎はその場で体を固めてしまった。

 

「久しぶりね、卓郎。なんか、見ない間にだいぶ顔色が悪くなったわね」

 レミリアは余裕のありそうな表情で言う。

 彼女はわざわざ家の中に外用の組み立て式テーブルを置いてまで、優雅に紅茶を飲んでいた。横にはユキが立っており、卓郎に「心配かけてすいません。すっかり元気になりました」と微笑みながら、カップに紅茶を注いだ。

「お嬢様。ど、どうしてこちらに……」卓郎がちぐはぐな声で問う。

 

「門番から話を聞いたのよ。なかなか刺激的なことをするらしいと聞いてね」

「美鈴さんから?」

「そう。具体的に何をするのかは、あんまり聞いていないけどね」

 それはそうだ、と卓郎は思った。

 美鈴にも八年前の真実を知りたい、としか話していないはずだ。

「とりあえず、門番から墓を見張っておいてくださいと言われたから、見張り役にナツを外に出しておいたわ。彼女の能力を使えば、まず問題ないでしょ」

「ああ、それなら大丈夫ですね」卓郎は同意する。

 

 ナツは『物の色を変える程度の能力』を持っている。

 この力を応用すれば、自分の姿を隠すことができるのだ。

 方法はあらかじめ大きめの布を用意しておき、その布を周囲の色に合わせて体に纏うと、まるで生物の保護色のように自分の姿を覆い隠すことができるのだ。ハルやアキに比べるとナツの能力は非常に地味だが、使い方によっては大きく化ける可能性を秘めている。

 

 レミリアがもう一方の空いた椅子を指で示してきたので、卓郎はそれに座る。

 家財道具など全くない家なので、背の高いテーブルは微妙に違和感があった。

「お嬢様……」

 何か言わないといけないと卓郎は思ったが、うまく口に出せない。解雇を命じられて以来、初めての再会となるので、どうしても緊張してしまった。

 

「この前は悪かったわね。あれは私らしくなかった気がするわ」

 すると、先にレミリアが口を開いてきた。

「あの後、パチェから散々言われたのよ。――レミィらしくない。彼の方も確かに強引なところがあったかもしれないけど、それだけで解雇は酷すぎるとかね」

「パチュリー様が?」とりあえず、驚いたように返す。

「とりあえず冷静になってみて、私もちょっとやりすぎたかなって思うようになったのよ。でも、肝心のあなたの行方が分からないままだし、どうすればいいかなって思っていた矢先に、門番から今回の話を聞いたの。しかも、かなり面白そうな感じだったしね。ちょうど良い機会だと思って、私がここに来ることにしたの」

 五日前、こっそり館に戻ってパチュリーに会った時、手応えはあると彼女は話してくれた。どうやら、約束通りにレミリアを説得してくれたようだった。

 

 これで館に戻れるかもしれない、と思った瞬間だった。

「でも、謝罪はするけど、解雇を取り消すとは一言も言っていないわ」

 意外な発言に、卓郎の背筋がぴんと張る。

「どういうことですか?」

「あらあら。そんな怖い顔しないでちょうだい。今から私がする質問に対して、私が納得する回答をしてくれたら解雇を取り消してもいいのよ」

 挑発的な物言いだったが、レミリアの表情はどこか冴えない。

 

「ねえ、卓郎……」

 そして、虚ろな感じでつぶやいた。

「私は、吸血鬼らしくない吸血鬼なのかもしれないわ」

 この八年間で初めて聞く、主の弱気な発言だった。

「私は人間を殺めることも血を満足に吸うこともできない、出来損ないの吸血鬼よ。今まであなたや大半のメイドたちには、いかにも人を殺しているような感じを出してきたけど、残念ながらあなたには見破られてしまったようね」

「昔から、本当に人を殺しているのかと疑問には思っていました」

「鋭いのね。で、こんな私に失望した?」

「そんなことありません。むしろ大きな疑問が晴れて、すっきりしました」

「曖昧な答えにも聞こえるけど、まあいいわ」

 ここでレミリアは小さく息を吐いた。

 

「じゃあ、ここで本題に入るけど、私はこのままの態度を続けた方がいいのかしら。表では、いかにも立派な吸血鬼を演じているけど、本当は出来損ないの吸血鬼でしかないわ」

 レミリアは爪を立てる。

「ねえ、卓郎はどう思う? こんな私がスカーレット家の吸血鬼としていられるのかしら。スカーレット家は代々、あらゆる種族の頂点として君臨し続けてきた誇り高き一族よ。今は私とフランしか血族がいないから、私がこの家の主人になっているけど、たまに自分がこの家の主人にふさわしくないんじゃないかって思ってしまうのよ」

「今の自分では、誇り高き吸血鬼と呼べないということでしょうか」

「当たり前じゃない。周囲から出来損ないの吸血鬼と見られたら、それでスカーレット家は終わりよ。今はまだ大丈夫だけど、いつかばれてしまうかもしれないわ。あなたにだって、八年目でついにばれてしまったんだし」

「じゃあ、逆に問いますけど――」

 人間の卓郎にとって、これから言う質問はやや苦しい内容であった。

 

「出来損ないの吸血鬼と呼ばれたくないなら、どうして人間を殺さないんでしょうか。正直に言いまして、お嬢様の力でしたら人間を殺したり血を吸ったりするのは、決して難しいことではないと思いますけど」

「そうね。昔は平気で殺せたんだけどね……」

 レミリアはつぶやきながら、紅茶の表面を眺める。先ほどまでの高慢的な態度はどこへいったのか、何かに怯えているような表情を浮かべていた。

 

 失うことの怖さを知ってから、レミリアは何もできなくなってしまった。

 パチュリーは、そう彼女を分析していた。

「人間に優しいんですね。お嬢様」

「人間に甘い、と言ったほうがいいかしら」

「でも、その甘さのおかげで八年前、僕はお嬢様に命を救われたんです」

「最初は追い出す気でいたわ。それからは全て、あなたの努力の結果よ」

「でも、お嬢様が僕の命を救ってくれたことは事実なんです」

 ここで卓郎は声を張った。

 

「もし、お嬢様が本当に人間を平気で殺してしまうような吸血鬼でしたら、僕はすぐに館から逃げていたと思います。館で働きたいと決意しましたのも、もちろん生活のためでもありましたけど、お嬢様の優しさを漠然とですが感じたからなんです。パチュリー様や美鈴さんだって、お嬢様のその優しさに魅かれて、ここまでついてきたと言ってました」

「ふん。優しさだけで生きられるほど、この世界は甘くないわよ」

「そうですね。甘くないですね。でも、せめて信頼している人に対しては、本当の姿を出してもいいんじゃないでしょうか」

 その言葉に、レミリアのカップを持つ手が止まる。

 

「スカーレット家の主人として、威厳のある態度は崩したくない。でも、お嬢様は、それだけでは我慢できないんですよね。自分の今の現状では、威厳のある態度を出し続けるのは苦しいということですよね」

 レミリアは黙ったまま聞いている。

「でしたら、自分の悩みを共有してくれる人を、もう少し増やしたらいいんじゃないでしょうか。館には僕やパチュリー様や美鈴さん、ユキやナツだっています。誰に対しても本音を言えないというのは、とても辛いことだと思います」

「口では簡単に言えるけどね。そう簡単にうまくいかないのよ」

「では、お嬢様はこのままの状態を続けるつもりなのでしょうか?」

「それは……」レミリアは口ごもる。

「でしたら、今から証明してみせましょうか。本当のことをいつまでも隠し続けるのは、いかに苦しいかということをですね」

 レミリアは「はっ?」と首をかしげた直後、扉が開かれた。

 

 入って来たのは、大きな布を持ったナツだった。

 布は緑色に染まっており、どうやら草むらの中に潜んでいたのかもしれない。

「お嬢様。例の墓の前に、何者かがやってきました」

「ちょうどいいですね。お嬢様。行きましょう」

 卓郎はさっそうと立ち上がる。

 呆然と座ったまま彼を見る主人に、卓郎は挑発的に言った。

 

「お嬢様。どうかしましたか? 僕は今から八年前の真実を全て明かそうと思っています。まさか、怖気づいたわけじゃありませんよね」

 すると、レミリアの瞳に生気が蘇ってきた。

「あなた今、『本当のことをいつまでも隠し続けるのは、いかに苦しいことかを証明する』と言ったわね。私にそんなことを言ったからには、覚悟はできているんでしょうね」

 彼女もテーブルから立ち上がり、鋭い爪を掲げる。

 

「私にはさっぱり事情が把握できてないけど、今はとりあえず、あなたの後ろに立って状況を見守ることにするわ。もし、そこで私の納得できない結末を迎えたのなら、今日からあなたを赤の他人として扱うことにするわ」

「ええ。どうぞ。構いませんよ」

「面白いわ。ほんの少しだけ面白くなってきたわ」

 ユキから日傘を受け取ったレミリアは、卓郎たちに向けて言い放った。

「じゃあ、行こうじゃないの。八年前の真実とやらを知りにね」

 

 


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