【完結】桜な日々   作:冬月之雪猫

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第十四話「失楽園」

 人は決して平等じゃない。幸福になれる者は初めから決まっている。不幸な者はその境遇を甘受するしかない。それが人に定められた運命であり、現実だ。

 それを否定したければ、奪うしかない。

「……なに、これ?」

 雨生龍之介は体内を駆け巡る激痛に困惑している。袖を捲ると、あちこちの肉が不自然にヘコんでいる。何かが蠢いている。

 気付けば立っている事が出来なくなった。足の感覚が消えていく。

 服の隙間から奇妙な蟲が這い出てくる。

「あっ……ぁぁ」

 内側から食べられている。きっと、これは魔術だ。それ以外に考えられない。

「ひひゃだ……」

 死にたくない。もっと、知りたい。臓物の美しさ、血液の鮮やかさ、それが意味するもの。まだ、探求は終わっていない。

 殺したい。死にたくない。殺さないで。死んでくれ。

「たひゅけて……」

 奥の部屋にいる筈の男に助けを求める。だけど、返事はない。

 意識が遠のく。命が終わる。

 

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ終わりたくない嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だもっと知りたい嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ殺さないで嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ助けて下さい嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……。

 

 血を一滴も垂らす事なく、雨生龍之介という殺人鬼は骨や皮すら残さずこの世から消滅した。彼の肉より生まれた蟲は壊れた人形の下へ集まっていく。

 足りない。少女は思った。欠損した箇所を埋める為にはもっと血肉が必要だ。

 その意思に呼応するように、数匹の蟲が向きを変える。そこから先は阿鼻叫喚の地獄絵図だ。

 蟲に触れられた者は体内から蟲が溢れ出し、死に至る。

 逃げ惑う子供達。だけど、逃げ場など存在しない。ここは拷問部屋にして、処刑場。入れば二度と出られぬ終わりの部屋。

 一人、また一人と蟲を産み消えていく。

「……ぁ、ぁぁ」

 いつしか、生き残っている子供は二人だけになっていた。

 地面を覆う蟲が間桐桜の肉体を覆っていく。その光景を目にしながら、遠坂凛は動く事が出来なかった。

 子供が子供を殺す異常な状況。拷問される妹の姿。人体から蟲が這い出てくる光景。それらの恐怖が彼女の心を完全に折ってしまった。

 蟲の姿が徐々に減っていく。

「さく、ら……?」

 あれほどの質量がどこに行ったのか、蟲は一匹残らず消えてなくなった。

 代わりに五体満足になった間桐桜がゆっくりと立ち上がり、凛を見つめた。

 拷問の影響か、髪はイリヤのように白くなっている。眼孔には黒い球体が嵌めこまれ、その手足もまた黒い。

 掌を掲げる。そこに昏い光が集まり、一匹の蟲が現れた。禍々しいフォルムの羽を持った蟲が真っ直ぐに飛んでくる。

 咄嗟に彼女は目を瞑った。殺されると思った。

 だが、死はいつまで経っても訪れず、代わりに背後でグシャリという奇妙な音がした。振り向くと、蟲がナイフを腹に突き立てられていた。

「……お、ねえちゃん。こっちに……」

 苦しそうな妹の声。殺されそうになったわけじゃない。あの蟲で桜はナイフから守ってくれたのだ。

「さくら……」

「ごめん……。うまく体を動かせないの……。はやく、こっちに……」

 桜の視線の先には赤い服の男が立っていた。男は子供を三人残して空っぽになった部屋を不思議そうに見回している。

「驚いたな。お前がやったのか?」

「あなたは……、誰?」

 顔を苦痛で歪めながら、桜が問う。

「カイン。さっきまでここに居た筈の男の協力者だよ。まったく、なんて事をしてくれたんだ。彼ならば、俺に答えを示してくれるかもと期待していたのに」

「答え……?」

「そうだ。人殺しが悪なのかどうか、その答えを彼は示そうとしていた」

「人殺しは悪に決まってます」

「そう思うか? ならば、貴様も悪になるぞ。ここに居た者達を皆殺しにしたお前は悪逆無道の大罪人という事になる」

「そうですよ? 私は大悪党です」

 桜は言った。

「《幸福の席は一定であり、座る資格を持つ者は初めから決まっている。それに異議を唱えたければ、席を奪う他ない》。幸福を願う者は幸福な者からその幸福を《略奪》するしかない。それが金銭であれ、命であれ、人からモノを奪う者は盗人で、悪党ですよ。あの男の人を殺して、他の子供達も皆殺しにした私は悪党以外の何者でもない」

 その言葉にカインは苛立つ。

「ならば、聞こう。多くの人を苦しめる者が居たとして、それを殺した英雄は悪か? 病魔に苦しめられ、完治する望みの無い者を安楽死させる医師は悪か? 国を守る為、戦争によって多くの流血を許容する王や政治家は悪か?」

「悪党に決まってるでしょ? 結局、自分の幸福の為に他者の幸福を簒奪する悪党。人殺しはいかなる理由があっても悪の所業ですよ。どんな崇高な目的の為でも、どんな清らかな願いの為でも、どんな悲しい理由があっても」

「ならば、何故殺した? 悪と分かっているのなら、どうして……」

「だって、私は幸せになりたいもの」

 歪んだ笑顔。昏い光を灯す瞳がカインを見つめる。

「例え、他人を蹴落としてでも、幸せになりたいの」

「なんと、自分本位な思考だ」

「私は死にたくないの。傷つけられたくないの。優しくされたいの。愛されたいの。許されたいの。だから、奪うの」

「……それは獣の論理だ。自らの生存の為に他者を殺し、喰らうなど、知恵の実を口にした《人》がしていい考え方ではない」

 カインは銃口を桜に向ける。

「貴様は獣だ。獣に俺の求める答えなど出せる筈がない。失せろ」

 引き金に指が掛かる。

 そしてーーーー、

「失せるのはお前の方だ」

 その体を一本の剣が刺し貫いた。いつの間にか、彼の眼前に現れた黄金の輝きを纏う騎士がその宝剣の真名を口にする。

「待て、俺を殺せば貴様もーーーー」

「死ぬのはテメェ一人だ!! 我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)!!」

 

 ◇◆◇

 

ーーーー数分前の事。

「後は聖杯を起動させるだけ……」

 ファニーヴァンプはその指先をキャスターに向けた。

「安心して、かわいい子。あなたの事も必ず楽園に導いてあげる」

 優しく、慈愛に満ちた微笑みだ。今から相手を殺そうとしている人間の浮かべる顔ではない。

 そこには怒りも憎しみも無く、ただただ相手を思う気持ちだけがある。

「……駄目だな、お前。あまりにも不快過ぎる」

 動けない筈のキャスターが、当たり前の顔をして口を動かした。

 ファニーヴァンプは大きく目を見開く。

「何故……」

「お前に他の者達を掃除させるつもりだったが、お前がこれ以上生きている事が我慢ならなくなった」

 答えになっていない。この世界はファニーヴァンプの意思こそがルールであり、彼女の許しなく行動する事は出来ない。

 その筈なのに、黄金の輝きを纏い、キャスターは自在に手足を動かしている。

「ダメよ……。イケないわ。ここは楽園なのよ。勝手な事をしないで!!」

 その叫びにキャスターは笑みを浮かべる。

「ああ、やっと人間味を見せたな。その顔だけは悪くない。自分の思い通りにならない外世界を拒絶し、思い通りになる匣庭を楽園と謳う引き篭もりには似合いの顔だ」

 ファニーヴァンプの顔が歪んでいく。

「……私の愛しき息子達。あの女を殺しなさい。アレはイケないものだわ」

 その命令によって、セイバーとアーチャーが動き出す。無数の刀剣が天を覆い、セイバーが聖剣を振りかぶる。

全投影連続層写(ソード バレル フルオープン)!!」

約束された勝利の剣(エクスカリバー)!!」

 如何なる英霊であろうと死を免れないセイバーとアーチャーの全霊の一撃。

 それをキャスターは涼しい表情を浮かべながら乗り越えた。

 その身に傷一つ負わず、ファニーヴァンプに歩み寄る。

「来ないで……」

 ファニーヴァンプは怯えた。キャスターの行動は彼女の理解を超えている。逆らえない筈の命令に逆らい、死ぬ筈の状況で生還し、殺意を向けてくる魔女に彼女は心底恐怖した。

「助けて……、誰か、助けて!!」

 その姿はまるで子供だった。うずくまり、泣きじゃくり、必死に助けを求める。

 その声にセイバーとアーチャーが応じるが、彼等の剣はキャスターを止めるどころか、傷つける事さえ出来ない。

 まるで、霞を斬るかのように、剣は彼女を素通りする。

「母さん!!」

 後数歩という所で赤い服を身に纏う男が姿を現した。

 キャスターは嗤う。

「貴様がカインか?」

「……母さん。ここは退くぞ」

「わ、分かったわ。あなた達、私を守って!!」

 固有結界が解ける。だが、彼女に魅了されたセイバーとアーチャーはキャスターと彼女のマスターに扮していた赤い礼装の騎士の追跡を阻む。

「邪魔をするな、アコロン!!」

 聖剣を握る間抜けに赤き騎士が吠える。

「……無駄だ、《我が謀略の子(モードレッド)》。あの女の魅了に絆され切っておるからな。言葉など幾ら重ねても届かぬよ」

「なら、どうすんだ?」

「こうするのだ」

 そう言って、キャスターは拳を握る。

 効かぬと知りながら双剣を振り続けるアーチャーの頬を殴り飛ばした。

「さて、アコロン」

 キャスターは仮面を取り払う。そこに現れた美貌にセイバーの動きが一瞬止まった。

「感心だ。これで無反応だったらさすがに怒る所だったぞ」

「いいから、さっさと殴れよ!! 母上!!」

 キャスターは止まった隙にモードレッドが拘束したアコロンを殴りつけた。

 すると、セイバーの瞳に理性の光が戻った。

「……貴女は」

 その瞳が大きく見開かれる。

「モル、ガン……」

「後にしろ」

 口をわなわなと震わせるセイバーの顔面に再び拳を叩き込み、モルガンは新都の方角を見つめた。

 既にファニーヴァンプとカインの姿はない。だが、その行き先には見当がついた。

「……おのれ」

 キャスターの表情が憎悪と憤怒に歪んでいく。

 ラインを通じて、己が主の身に起きた危機を悟った。

「モードレッド!! 道を拓く、奴を殺せ!!」

 キャスターはモードレッドの目の前に光の扉を作り出し、どこからか取り出した剣の鞘をモードレッドに投げ渡した。

「それを使え」

 黄金に輝く鞘。その正体は《全て遠き理想郷(アヴァロン)》。かの騎士王が手にしていた聖剣の鞘。

 あらゆる災いから担い手を守る究極の結界宝具。ファニーヴァンプの固有結界《いつか還るべき楽園(エデン)》の中でも彼女が自由に動けた理由がそれだ。

「急げ!! 桜の身に危機が迫っている!!」

「承知した!!」

 鞘を手に、モードレッドが光に飛び込んでいく。その光景を見送っているキャスター。

 その背後でアーチャーのサーヴァントは愕然とした表情を浮かべた。

「さくら……、だと?」

 

 ◇◆◇

 

 赤雷が迸る。

「バカな……。俺は……、まだ……」

 雷光に呑み込まれ、カインの肉体が消滅する。その直後、赤雷に暗黒の光が絡みつき、その矛先を歪めた。

 襲い来る増幅された《死の結晶(クラレント・ブラッドアーサー)》を前にモードレッドは笑う。

 如何なる呪詛も所詮は三次元上のもの。七次元上に存在する妖精郷には決して届かない。取り囲む死はアヴァロンの輝きによって減衰され、やがて霧散した。

「さてさてさーて、初めましてだな」

 白い髪、膨大な魔力を架空元素に変換し作り出した黒い眼球と黒い手足。

 前とは全くの別人と化してしまった少女をモードレッドは抱き上げた。

「帰るぞ。母上に治してもらわないとな」

「あなたは……?」

「オレはモードレッド。母上(キャスター)の宝具って言えば、分り易いか?」

「モードレッド……。じゃあ、キャスターは……」

「そういう事だ」

「……そっかー。あ、お姉ちゃん達も連れて行っていい?」

「お姉ちゃん?」

 モードレッドの視線が蹲り意識を失っている少女達に向けられる。

 彼女の宝具の余波で気を失ってしまったようだ。

「はいよ」

 モードレッドは子供二人を抱え込み、未だ存在している光の扉に飛び込んだ。


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