【完結】桜な日々   作:冬月之雪猫

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第十五話「交差路」

 女は暗闇に身を寄せて泣いている。

「どうして……?」

 彼女の頭は疑問で埋め尽くされている。

 ただ、あまねく人々の幸福を願っただけだ。誰一人零れ落とす事無く、楽園に導く為に頑張った。なのに、どうして邪魔をする者が現れるのか、彼女には理解が出来なかった。

 人は誰しも幸福になる事を望んでいる。進んで不幸になりたいと思う者など居る筈がない。

「私の祈りは皆を幸福に導く……。なのに、どうして……」

 愛する子を失った。神の寵愛を受けたい一心で罪を犯してしまった哀しい子。苦悩に満ちた人生を送り、死後も悩み続けていた。

 全て、あの魔女のせいだ。あれは良くないものだ。人を不幸に導く悪魔だ。

 考えてみれば、初めからおかしかった。(わたし)に反抗する子など、あってはならない。

「あの魔女は人間じゃない……。あれは化け物だわ」

 野放しにしてはいけない。母として、子供達を守らなければいけない。

「……母さん」

 決意を固める彼女に声を掛ける者がいた。

 カソックに身を包む青年だ。

「ああ、愛しい子。私を迎えに来てくれたのね」

「はい、母さん」

 言峰綺礼は彼女を抱き締める。彼は彼女の苦悩を感じ取り、哀しい気持ちになった。

 破綻者である筈の己がそのような感傷を覚える事に驚きを覚えながら、その感情を与えてくれた彼女に感謝し、彼女の苦悩を取り払いたいと心の底から思った。

 イヴ・カドモン。始まりの女と呼ばれる、全ての人類の母。如何なる者も彼女を愛さずにはいられない。それは根源に刻まれた全人類共通の愛情を喚起するからだ。

 産まれ落ちた瞬間。人はその後の人生でどのように歪もうと、その瞬間だけは生を得た事に感謝する。己を産み落とした母胎を愛する。彼女の身に宿る《全ての人の母(スキル)》はその瞬間の愛情を喚び起こす。

 彼等は自らの意思を失いなどしない。記憶と人格はそのまま継続している。それでも尚、彼女を優先してしまう。他に愛する女がいても、感情が希薄な者でも、破綻者でも、その圧倒的な愛情に抗う事など出来ない。

 綺礼にとって、彼女はまさに救世主だ。万人が《美しい》と感じるものを美しいと思えず、善よりも悪を愛し、他者の苦痛に愉悦を覚える己の悪しき性に彼は苦しめられてきた。晴れる事無き懊悩から解き放たれる為に多くのあらゆる努力を重ねて来た。だが、どれも実を結ばず、終わりなき茨道を歩き続けた。

 その苦しみを彼女は解き放ってくれた。例え、キャスターによって彼女の《魅了》から解き放たれたとしても、彼は彼女の為に生きる道を選ぶだろう。それほどまでの感謝と愛情を感じている。

「告げる」

 綺礼は言霊を口にした。このままでは依り代を失った彼女が消滅してしまう。それはいけない。

「汝の身は我の下に、我が命運は汝の為に。聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら我と共に。ならばこの命運、汝に捧げよう」

「嬉しいわ。愛しい子。可愛い子」

 新たなる刻印が綺礼の身に刻まれていく。二騎のサーヴァントを従える事は生粋の魔術師ではない綺礼にとって負担の大きい事。それでも、彼は未だにアサシンとの契約を結び続けている。

 何の因果か、生き残ったアサシンの分霊がライダーの下に身を寄せているからだ。これを利用しない手はない。

「ところで、母さん。その女は?」

 綺礼はイヴの傍で寝息を立てている銀髪の女性を指差した。

 アインツベルン謹製のホムンクルスである事は分かる。

彼女(これ)が聖杯みたい」

「……どういう事ですか? 私の記憶が正しければ、教会であなたはアーチャーのマスターを名乗るホムンクルスを聖杯に変えていた筈ですが」

あの子(カイン)に言われたの」

 彼女は教会に現れたホムンクルスを聖杯に変えるよう、カインに進言された。聖杯の在り処は分からなくても、聖杯を創り出す事は可能だと。

「これも聖杯よ。あの人形(ホムンクルス)を通じて、《いつか還るべき楽園(エデン)》が創造した本物の聖杯。私の知らないモノはエデンの力でも創造する事は出来ないけれど、設計図があれば可能になるの」

 だが、教会から逃げた先で置き去りにされた後、彼の痕跡を追って辿り着いた場所に本物の聖杯(この女)がいたらしい。

 イヴはカインに何か考えがあったのだろうと言うが、綺礼は直ぐにカインの抱いた叛意を悟った。

「なるほど……。では、この聖杯も本物として機能するわけですね」

 カインは既にいない。いなくなった者の叛意をわざわざ教えて、彼女に心労を与える必要はない。

「そうよ。だから、これはもう要らないのだけど、カインには何か考えがあったのかもしれないと思うと……」

「……ええ、これは使える」

 綺礼は微笑んだ。カインの思惑がどうあれ、これは切り札(ジョーカー)になり得る存在だ。

 

 ◇◆◇

 

 空気が冷え切っている。私の変わり果てた姿におじさん達はおろか、アーチャーや他の人達まで絶句している。

 ここはいっちょ、空気を和ませてあげよう。

「じゃじゃーん!! 桜ちゃん、ふっかーつ!!」

「…………」

 視線が痛い。どうやら、和ませ作戦は失敗に終わったらしい。

「さくら……、ちゃん」

 よろよろとおじさんがゾンビみたいに近づいてくる。

「えーっと。やっほー、おじさん!」

 元気に振る舞うと、おじさんは顔をくしゃくしゃに歪めた。

「なんで、髪が白いんだ? その目はどうしたんだ? その手足は?」

「えっと……、これはちょっとした事故的なあれで……」

 この上更に罪悪感とか、余計な感情を抱かれたくない。

 慌てて話を変えた。

「それより! キャスターにお願いがあるの!」

「……なんだ?」

 何故か仮面を外しているキャスターは今にも泣きそうな顔だった。声も震えている。

「この子達から記憶を消してあげて」

 虚数空間を展開する。お爺ちゃんの持っていた莫大な魔術知識は私の本来の属性である《虚数》を操る術もカバーしてくれた。

 そこから十人以上の子供を浮上させる。あの場で雨生龍之介を殺した直後に生きていた者達だ。他の子供達は彼が死亡したと同時に延命魔術が解かれ、死亡した。私が生きる為に、あの男を殺したから彼等は死んだ。その肉体を蟲に変え、魔力に換え、取り込んだ。

 目眩がしてくる。そろそろ、限界が近いみたい。虚数空間に大勢の子供を格納していた上、モードレッドの宝剣にも魔力を持って行かれたから、そろそろ意識を保つ事さえ難しくなってきた。

「あと、そろそろ意識を失うから、私の事もお願い。私、まだ死にたくないの。生きて、幸せになりたいの。だから……、助け……て」

 捲し立てるように早口でそれだけを告げると、視界が暗転した。同時に全身を激痛が駆け巡り私の意識は闇の中に溶けていった。

 

 ◇

 

「なんだよ……、これ」

 雁夜は地面に転がる桜の体を見て、立っていられなくなった。

 手足が無い。眼球が無い。歯が無い。髪は真っ白。全身に火傷と切り傷と他にも色々。

「……桜は拷問を受けた。どうやら、そこで眠る姉を守る為に身を捧げたようだな」

 キャスターはモードレッドから聖剣の鞘を受け取り、それを桜の肉体に沈めた。その後も様々な魔術を重ねていく。

「手足を釘で台座に打ち付けられ、骨を折られ、切断され、眼球を抉られ、歯を抜かれ、腹部を切開され、その内臓を弄ばれ……、その上で罪悪感を抱いておる」

「ざい、あく……、え?」

「どうやら、拷問を行った男を殺した事で、他の子供達が死んだようだ。男に拷問を受け、死なぬように延命させられていた哀れな子供達だ」

 キャスターの手で桜の体が徐々に元の姿を取り戻していく。

 全て遠き理想郷(アヴァロン)は損傷した所有者の肉体を復元する力を持っている。その恩恵を最大限活かす為にキャスターは懸命に手を動かし続けている。

「なんでだよ……。なんで、桜ちゃんばっかり……」

 雁夜は地面を叩いた。

「なんで……。なんでなんだ……? 幸せになりたい? なるべきだ。今までがおかしかったんだぞ!! どうして、この上拷問なんてされる!? その上、子供を助けたのに罪悪感!?」

 頭を掻き毟る。怒りで頭がどうにかなりそうだ。

 彼女はもう散々悲惨な目にあってきた。もう、十分過ぎる筈だ。後の人生は他人の何万倍も幸福であるべきだ。

「なんで……。なんでなんだ? なんで……」

 雁夜の声だけが夜の教会に響き続けた。

 

 ◇

 

「なんで……、か」

 衛宮切嗣はその光景を何度も見て来た。苦しまなくてもいい筈の人間が苦しむ姿。答えを求めて、必死に走り続けた挙句、出した答えは……、

「世界はそういう風に出来ているんだよ、間桐雁夜」

 正義など、この世のどこにも存在しなかった。悪意を持つ者が力無き者を平然と踏み躙る。それを当然の事のように受け入れる人間社会。

 誰もが笑顔で過ごせる理想郷など、夢物語だ。

「だから、聖杯が必要なんだ」

 この戦いを人類最後の流血にしてみせる。彼女のような何の罪も無い人間が不幸になる事など無い世界を作ってみせる。

「アーチャー。イリヤを保護して、地点B-4に来てくれ」

 あのキャスターは危険だ。本来なら、隙だらけの状態である今この瞬間を狙うのがベスト。だが、傍にイリヤがいる。

 キャスターがモードレッドを送り込んだ先はファニーヴァンプのアジトである筈。そこにあの子が居た理由を考えると、最悪の事態が脳裏を過る。

 余計な感傷に流されたわけじゃない。今はあの子から話を聞く事を優先するべきだ。

「……クソッ」

 そう、頭の中で言い訳をして、理性的になろうとして失敗した。

 間桐桜があれほどの拷問を受けた以上、イリヤにもなにかをされた可能性が高い。そう思うと、腸が煮えくり返る。

 認めるほかない。今、切嗣は娘を心配し、勝利よりも彼女を優先してしまっている。一緒に居た筈の妻の安否を気にしている。

 弱くなっている。あのホテルの爆破の際、わざわざ客や従業員を追い出した時にも感じた。昔のような冷徹さを欠いている……。

「このままじゃ、駄目だ……」

 眠る度に見る光景が心を蝕んでいる。

 英霊・エミヤという存在が辿った凄惨な歴史。その中で視た、禍々しい光を帯びた大聖杯。娘の最期。己が呪いを課した少年の末路。

 見たくない。そう思っても、眠る度にラインを切れない。その罪から目を逸らす事が出来ない。この戦いが全くの無意味である可能性を捨てきれない。

 赤々と燃え上がる冬木の街。そこで被害者の少年を引き取り、自己満足に耽る己の姿に吐き気がする。

「馬鹿野郎……。馬鹿野郎……ッ!!」

 何をしているんだ、貴様は!! そう罵倒し、殺してやりたくなる。

 今まで、何の為に多くの犠牲を払って来たのか分からなくなる程、愚かな終生を送る自分の姿に耐えられなくなる。

 (奇跡)は無く、(希望)も無く、(理想)さえ闇に溶け、それでも()が残っているなら、やれる事があった筈だ。

 

 嘗て、育った島に住む少女が彼に問いかけた。

『ケリィはさ、どんな大人になりたいの?』

 決まっている。今も昔も変わらない。

「……僕は必ず」

「ええい、酒樽泥棒はどこだー!? って、どわっ!?」

 決意を新たにしようとしていた切嗣の前に突然少女が飛び込んできた。

 どうやら、物思いに耽っていて注意が散漫になっていたようだ。

 なんという事だろう。ここまで耄碌していたのか……。

「すまない。少し考え事をしていたんだ」

 ぶつかってしまい、倒れこんだ少女に手を伸ばす。

 そこで、切嗣は言葉を失った。

「シャー……、レイ?」

「ほえ?」

 直ぐに違うと気づいた。だけど、少女の面影は嘗て愛した故郷の島の少女とよく似ていて、目を離す事が出来なかった。

「えっと……、大丈夫ッスか?」

 手を目の前で振られて、漸く正気に戻る。

「す、すまない。少し、知り合いに似ていたもので……」

「そうなの? ふふ、さては相当な美少女ッスね?」

 目をキラリと輝かせ、ふてぶてしい笑顔を浮かべる少女。

「……ああ、君みたいにとても可愛らしい女の子なんだ。ところで、こんな夜更けにどうしたんだい? 危ないから、早く家に帰った方がいい」

「か、可愛いッスか……。え、えっと、ちょっとばかり酒樽泥棒を探しておりまして……」

 可愛いと面と向かって言われた少女はしどろもどろになりながら事情を説明する。

 どうやら、知り合いの酒屋から酒樽が盗み出されたようだ。

「それなら、警察に伝えて、君は帰りなさい。君みたいな可憐な女の子がこんな夜更けに出歩くなんて……」

「か、可憐!? あ、え、うへへ。そ、そこまで言うなら……、デヘヘ。か、帰るッスね」

「ああ、それがいい」

「あ、あの!」

「なんだい?」

「お名前をお聞きしても?」

「……名乗る程の者じゃないよ」

 少女の頭に手を乗せ、切嗣は背中を向けた。その背中を少女は陶然となりながら見つめた。

「……あの!!」

「ん? なんだい?」

「なんていうか、その……」

 少女にとって、切嗣は初対面の相手だ。だから、今考えている事が正しい保証などない。

 それでも、その辛そうな背中を見て、言わずにはいられなかった。

「げ、元気出して下さい!!」

「え……?」

 戸惑う切嗣に少女は顔を真っ赤にしながら言った。

「そ、その、嫌な事とかあっても、大抵何とかなるもんッスよ! ネバーギブアップ!!」

 自分でも何を言っているのか分からないのだろう。

 恥ずかしそうに頭を抱える少女を見て、切嗣は口元を綻ばせた。

「ありがとう。うん。ネバーギブアップだね」

 切嗣は再び歩き出した。不思議とさっきまでよりも足取りが軽くなっている。

「夜は出歩かないようにね。君みたいな可愛い女の子は悪い男に狙われやすいから」

 そう言い残すと、闇に消えていった。その後ろ姿を少女はいつまでも見つめていた。


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