【完結】桜な日々   作:冬月之雪猫

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第三話「正義の味方」

「サーヴァント・アーチャー。召喚に応じ、参上した」

 

 召喚陣から姿を表した男に衛宮切嗣は戸惑いを覚えた。彼が召喚の際に使用した聖遺物は彼の後援者であるアインツベルンがイギリスで発掘した"とある騎士の剣の鞘”だった。当然、現れるのはその鞘の持ち主だと信じて疑わなかった。

 目の前の男は自身をアーチャーと名乗った。もし、彼が切嗣の狙い通りの英霊であったなら、そのクラスで召喚される事はあり得ない。それに、目の前の男からは血生臭さこそ感じるものの、王の威光とやらが全く感じられない。

 何より、肌色や瞳色、髪色から誤認しそうになるが、その顔立ちは東洋人のもの。

 

「……お前の名はアーサーで間違いないか?」

 

 一応、確認の為に問い掛ける。すると、アーチャーはクスリと笑った。

 

「かの騎士王と間違われるとは、実に光栄だな。だが、残念ながら私はアーサーじゃない」

 

 予想通りの返答。切嗣は召喚陣の傍らに置かれている祭壇の上に寝かせている聖遺物に視線を向ける。それは嘗て、ブリテンの地を治めた伝説の騎士王、アーサー・ペンドラゴンが保有していた聖剣の鞘だ。

 この鞘で召喚される可能性が最も高いのは当然、持ち主であったアーサーだ。次点でアーサーに鞘を与えた魔術師・マーリンやアーサーから鞘を奪い取った妖姫・モルガン、そして一時的に担い手となった騎士・アコロンなどが該当する。だが、アーチャーのクラスに割り当てられる者は居ない。

 そもそも、アーサー王の伝説に東洋人など登場しない。

 

「なら、お前は何者だ?」

「……さて、どう答えようかな」

 

 面白がっているような口振り。アーチャーは視線を滑らせ、切嗣の背後で成り行きを見守っている銀髪の女性を見た。すると、一瞬だけ笑顔が崩れた。怪訝な表情を浮かべる切嗣にアーチャーは咳払いをしながら言った。

 

「敢えて名乗るなら、正義の味方と言ったところかな」

「……正義の味方だと?」

 

 呆気に取られる切嗣を尻目にアーチャーは辺りを見回している。

 

「しかし、面白いな。こういう事もあるのか……」

「何の話だ……?」

 

 突然、訳の分からない事を口走り始めたアーチャーに切嗣は眉を顰める。

 

「気にするな。運命というものの皮肉さについて考えていただけだ」

 

 要領を得ないアーチャーの言葉に切嗣は苛立ちを覚え、眉間に皺を寄せた。

 

「……お前の真名を教えろ」

「教えただろう?」

「戯言に付き合う気は無い」

 

 声を荒らげる切嗣に対し、アーチャーは実に楽しそうな笑みを浮かべる。

 

「戯言では無いさ。私はそういう存在なんだ。大衆が望む"正義の味方”という概念がヒトの形を得た存在、と言えば分かり易いかな」

「まさか……、そんな……」

 

 切嗣は無意識の内に後退った。目の前の男の言葉が真実だとすれば、それ即ち、目の前の男こそが己の理想の体現者という事になる。

 

 第三話「正義の味方」

 

 幼い頃からの夢。切嗣は常々、正義の味方になりたいと願っていた。まだ、南海の孤島にある小さな村に住んでいた頃は理想を信じる事が出来た。全ての人を幸福に導く救済者に、飢餓も闘争も無い世界を作り上げる革命家に成れると本気で信じていた。

 けれど、いつまでも無垢な子供のままではいられない。

 村で一つの事件が起きた。原因を作ったのは切嗣の父親で、引き金を引いたのは幼馴染の少女だった。村は阿鼻叫喚の惨劇を繰り広げ、事態の鎮圧と切嗣の父の捕縛の為にやって来た者達によって焼き尽くされた。切嗣はその時何も出来なかった。

 その後、事件を通じて知り合ったフリーランスの魔術師、ナタリア・カミンスキーと行動を共にする中で切嗣は人殺しの技術を身に付けた。"正義の味方”として、人を殺す為の技術を磨く、その矛盾に本人も気付いていたし、彼に技術を与えたナタリアも幾度と無く忠告した。

 少年の心はその時既に完成されてしまっていたのだ。幼馴染の少女を救えなかったあの日、実の父親を射殺したあの日、既に少年の心は冷え固まってしまっていたのだ。

 終には自らを育ててくれたナタリアを航空機ごと爆破し、殺害した。多数の人間を救う為に少数を殺す。それが正義なのだと自らに言い聞かせながら、機械のように人を殺し続けた。

 気づけば、幼い頃に憧れていた正義の味方とはかけ離れた存在に成り果てていた。正義の味方どころか、他者からは邪悪の化身と恐れられる始末。心が摩耗し、膝を屈しそうになっていた彼を拾い上げたのがアインツベルンだった。アインツベルンは彼に希望を与えた。聖杯と呼ばれる万能機。それを使えば、今度こそ理想を実現出来ると思った。

 聖杯を使い、この世から争いを無くす。飢餓や貧困で困る事の無い、誰もが幸福な世界を作る。それこそ、切嗣が最後に手にした希望だった。

 

「正義の味方……だと?」

 

 なのに、これは何の皮肉だろう。今になって、本物の正義の味方が姿を現すなんて……。

 

「嘘だ……」

 

 信じられない。そんなものは存在しないのだ。だから、聖杯に縋ったのだ。

 人の手で人類を救済する事は出来ない。正義の味方なんて、存在しないのだ。

 

「そう言われても、事実だ」

「なら、今直ぐに人類を救済してみせろ!」

 

 声を荒げる切嗣にアーチャーは哀れみの眼差しを向ける。

 

「お前が正義の味方だと言うなら、出来る筈だろ! この世から全ての争いを無くせ! 今直ぐに!」

 

 まるで、癇癪を起こした子供だった。彼の背後では彼の妻、アイリスフィールが悲しそうに顔を伏せている。あまりにも痛々しい夫の姿に見ていられなくなったのだ。

 彼がどれほどの思いで聖杯戦争への参加を決意したのかを誰よりも知るが故に……。

 

「飢餓を無くせ! 今直ぐに! 貧困を無くせ! 今直ぐに! 正義の味方なら、今直ぐ、誰もが幸福に生きられる世界を作ってみせろ! 今直ぐに!」

 

 肩で息をしながら切嗣はアーチャーを睨みつける。アーチャーは言った。

 

「それは無理だ」

「……ッハ! やはり、嘘だったか……。戯言ばかり弄して――――」

「俺は正義の味方だ。だが、英雄じゃない」

 

 その一言に切嗣は言葉を失った。聞きたくなかった言葉だった。

 

「お前の言う、人を救うという行為は英雄の領分だ。私はあくまで、"正義の味方”という理想に執着し、"より多くの人々を救う"という、偏った正義を体現し続けた……、言ってみれば、"正義の味方”という独善を執行し続けるだけの機械だ」

 

 やめろ……。

 切嗣は耳を塞ぎたかった。彼が語っているのは切嗣の在り方そのものだった。

 

「私みたいな者が代表者に選ばれるくらいだからな。案外、正義の味方というのは元々、こういう性質のものなのかもしれないな」

「……やめろ」

「お前なら分かっている筈だ。なあ、切嗣。正義の味方を志し、こんな所まで来てしまったお前なら、正義の味方が行き着く先がどんなものか――――」

「やめろと言っている!」

 

 足元がグラつく。今まで、コツコツと築いてきたものが一変に崩れ去ったかのような錯覚を覚える。

 

「戯言ばかり……、ウンザリだ! さっさと、貴様の正体を言え! これ以上、無駄口を叩くようなら令呪を使う!」

 

 それは信じていたものに裏切られた子供の顔だった。今にも泣きそうなのに、必死に涙を堪えている。そんな彼を気遣ったのか、アイリスフィールは彼の隣に寄り添った。

 

「ねえ、アーチャー」

「なんだね?」

 

 アイリスフィールは真っ直ぐにアーチャーの瞳を見据えて問う。

 

「どうして、貴方はそんなに切嗣の事に詳しいの?」

 

 切嗣はハッとした表情を浮かべる。確かに妙な話だ。召喚したばかりで、まだ名乗ってすらいなかった筈だ。なのに、目の前の男は切嗣の名を呼び、まるで彼の事をよく知るかのように語った。

 

「お前は一体……」

 

 探るような視線を送る切嗣にアーチャーは微笑んだ。

 嫌な予感がした。とても、嫌な予感だ。何か、とんでもない事を言い出す。そんな気がした。

 

「そうだな……。英霊となった時点で私の存在は人々の記憶や歴史から抹消されている。故に、"無銘”と名乗るのが正しいのだろうが、ここは敢えて、生前の名を名乗るとしよう」

 

 アーチャーは言った。

 

「私の名は衛宮士郎。君の息子だよ、衛宮切嗣」

 

 切嗣は肩に置かれていた妻の手に力が篭もるのを感じた。

 

「……アーチャー。戯言はもう――――」

「ちなみに、私には姉が居る。名前は――――」

 

 額から冷たい汗が流れた。

 

「イリヤスフィールと言うんだ」

「……どういう事かしら?」

 

 顔を引き攣らせながら、アイリスフィールがアーチャーに……、ではなく、切嗣に問う。

 

「いや、僕は知らないぞ。……というか、真に受けないでくれ、こんな男の戯言を――――」

「戯言ではなく、真実だ。俺は確かにお前の息子だ。そして、イリヤの弟だ。ただ、母は……」

 

 そこでアイリスフィールを見て黙るアーチャー。アイリスフィールは頬を膨らませて切嗣を睨んでいる。

 

「どういう事なの!? ま、まさか、貴方……」

「待て! 違うぞ! 僕は浮気なんかしてない!」

「じゃあ、これはどういう事なのよ!?」

 

 切嗣は今直ぐ撤回するようアーチャーに告げる為に彼を見た。すると、アーチャーは実に楽しそうに微笑んでいた。軽く拳を握りしめている。ガッツポーズのつもりだろうか……。

 

「き、切嗣にも色々と事情があるのは分かるわ……。でも、隠すのだけは止めて! お願いよ……」

 

 徐々に瞳が潤んできている。切嗣は困り果てていた。そんな風に言われても、本当に見に覚えが無い。だが、今はどんな否定の言葉も意味を為さないだろう。まったく、厄介な事をしてくれた。切嗣は忌々しげにアーチャーを睨んだ。

 すると、アーチャーがおもむろに口を開いた。

 

「まあ、養子だったのだがね」

「……へ?」

 

 アイリスフィールがキョトンとした表情を浮かべる。同時に切嗣は顔を引き攣らせた。当のアーチャーはと言うと、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべている。

 

「私は第四次聖杯戦争後に切嗣に拾われた養子なんだ」

「……僕が拾った?」

 

 怒りを抑えこみ、気になった事を尋ねた。すると、アーチャーは何気ない口調で言った。

 

「証拠を出せというなら、その聖遺物で召喚された事自体が証拠だ」

 

 アーチャーは祭壇の鞘を見ながら言った。

 

「お前が私に埋め込んだんだ。今も私の中には彼女……、アーサー王の鞘が眠っている。返しそびれてしまったのでね……」

「……馬鹿な。何故、僕が見ず知らずの子供に聖剣の鞘を埋め込み、養子になど――――」

「第四次聖杯戦争は君が勝者となった。だが、肝心の聖杯が暴走し、私が住んでいた街を火の海にしたんだ。その時、お前は必死に生存者を探し求めていて、私を発見し、養子にしたんだよ」

「……待て」

 

 聞き捨てならない内容だった。

 

「聖杯が暴走だと?」

「ああ、暴走した。元々、冬木の聖杯は第三次聖杯戦争の折にアインツベルンが犯した反則行為によって汚染されてしまっているから、どうあっても暴走は避けられなかったのさ。だから、君の罪じゃない。むしろ、聖杯を破壊し、被害を最小限に留めた君の功績は正に正義の味方に相応しいものだった」

 

 その内容は要するに、聖杯を暴走させたのは切嗣で、その聖杯を……、己の最も大切な者を破壊したのも切嗣だと言う事。

 

「う、嘘を吐くな! さっきから、お前の目的は何なんだ!? 何故、そんな――――」

「嘘じゃない。何なら、君達の後援者に前回の聖杯戦争で何を召喚したのか聞いてみるといい。それか、ラインを通じて私の記憶を見るといいだろう。可能なのだろう? それで信じてもらえる筈だ。私の言葉が本当なのだと」

 

 出鱈目だ。そうに決っている。だが、彼の言葉が真実だとすれば、切嗣の事を知っていた事にも辻褄が合う。

 切嗣の瞳に恐怖の感情が浮かんだ。最後の希望と思って縋り付いた聖杯が使い物にならない可能性を考え、絶望しそうになる。その寸前、傍らに寄り添うアイリスフィールの体温を感じ、踏みとどまった。

 

「……念の為、アハト翁には後で確認を取る」

「ああ、そうしろ。きっと、答えてくれる筈だ。アンリ・マユと呼ばれるゾロアスター教の邪神を呼び出そうとして失敗し、そうあれと望まれた一人の少年を召喚してしまったのだと答えてくれる筈だ」

「……アンリ・マユだと?」

「ああ、本物では無かったが、聖杯は彼の願いを叶え、彼を本物にしてしまった。今も彼は災厄の邪神として聖杯の本体の内部に留まっている。今の聖杯に願うという事はアンリ・マユに願うという事だ。その結果がどうなるか、言わなくても分かるだろ?」

 

 二人が唖然とした表情を浮かべるのを見て、アーチャーは深く息を吐いた。

 

「仮に恒久的な平和を願ったとする。すると、聖杯はこの世の生物を皆殺しにするだろう。生物が居なければ、争いは発生しないからな」

「……そんな」

 

 アイリスフィールが口元を手で覆いながら悲鳴を上げた。

 

「君達の祈りは叶わない。ここから逃げ出す手伝いはしてやる。だから、イリヤを連れて姿を眩ませろ。聖杯が無ければ、聖杯戦争も成立しないから、私の生前のような惨劇は避けられる筈だ」

「……それでお前はどうするんだ? お前も願いがあって、召喚に応じたのだろ?」

「別に……、聖杯に願う程の祈りなど持ち合わせていないさ。私はただ、呼ばれたから応じただけだ。まあ、過去の改変などに興味は無いが、目の前で起こると分かっている惨劇を見過ごすわけにもいかん。君達を上手く逃がす事が出来れば後はどうとでもなるだろうから、適当な所で自害するさ」

 

 当然のようにそんな事を口にするアーチャーにアイリスフィールは声を震わせながら言った。

 

「貴方……、本当に切嗣の子なのね」

「信じてくれる気になったかね?」

「……なんとなく、初めて目にした時から分かってた気がする」

 

 暗い表情を浮かべ、アイリスフィールは呟く。

 

「貴方の目は切嗣にとても似ている。色とか形じゃなくて、もっと別の……。きっと、切嗣と同じようなものを見て来たのね」

 

 観察力に優れていると言うべきか、それとも、単に勘が鋭いだけなのか……。

 

「まあ、アハト翁とやらに前回の聖杯戦争の事を聞けば全てが明らかになる筈だ」

「……無理だ」

 

 アーチャーの言葉を遮り、切嗣が呟いた。

 

「仮にお前の言葉が真実だとすれば、アハト翁はその事を隠すだろう。結局、確証は得られない」

「つまり……?」

「僕はまだ、お前の言葉を信じていない。実際にこの目で真実を識るまでは……」

「妻と娘を連れて平和に過ごす。それじゃあ、駄目なのか?」

「……僕には聖杯が必要だ。お前の言葉が単なる嘘である可能性もある。僅かでも望みがあるなら、それに賭ける」

 

 切嗣とアーチャーは互いに無言で睨み合った。どちらも揺るがない。

 

「……まあ、私がこの時間軸に召喚された時点で色々と変化している筈だ」

 

 先に折れたのはアーチャーだった。

 

「もしかしたら、聖杯が正常なままの可能性もある。それでも、恒久的な平和なんぞ、私は祈る気になれんが……。マスターがそう決めたなら判断に従うとしよう」

「……意外だな。もっと、反対すると思ったが」

「令呪を消費した挙句、従わされる事になるくらいなら、令呪を温存して、此方が折れた方が被害が少なくて済むからな。だが、一つだけ言っておく」

 

 アーチャーは剣呑な眼差しを向けて言う。

 

「聖杯が汚染されていた場合、お前の願いは最悪な形で実現する事になる。そうなる事を知りながら、妄執に取り憑かれ、聖杯を使おうとした場合、私がお前を殺す。それを忘れるな」

「……ああ、分かった」

 

 切嗣の返答に満足したのか、アーチャーは表情を和らげた。

 

「では、改めて名乗るとしよう。クラスはアーチャー。真名は無銘。生前の名は衛宮士郎。これより我が弓は貴殿と共にあり、貴殿の命運は私と共にある。これで、契約は完了した。短い付き合いになるが、よろしく頼む、マスター」


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