じゃぼん。
青葉の右膝から下が宙を舞い、引力に吸い寄せられて海面に当たった。
「あっ……。」
尻餅をついて吐息を漏らした彼女の様は、白痴美に溢れた物で非常に愛おしく、もし、この思考が止まった状態で彼女の精神状態が固まってしまうのだとしたら、私はぽってりとした口へ粥を入れ、艶かしい尻からでるそれの残滓の後始末をするまで、寝る間も惜しんで世話をしただろう。
しかしこの世は実に非情なもので、腿の半分を魚の餌にされた青葉は、その事実を視覚と痛覚でもって強制的に認知させられた。
「あ、ああああ″あ″あ″あ″あ″!!!!!?」
即座に脳が声帯を震わせ、彼女の咽頭細胞を痛める。凛々しい顔は強烈な刺激に歪み、さらに美貌を引き立てる。傷口からこんこんと出でる色の群れは、聖母像から流れる葡萄酒の如き怪しげな魅力を湛え、私は生唾をごくりと飲み干した。
「青葉さん!」
「青葉が被弾した、戦闘の続行は不能!」
友軍の声が聞こえ、青葉と海面しかなかった世界は無粋な砲撃音にまみれる。広がった世界の中でも、彼女の慟哭は止まない。
「あっあおばのあし、脚が無い。青葉の足が、あしが!」
肉体の一部を喪失してしまったことに精神が追いつかない青葉は、幼児退行を起こしたみたいに、舌足らずにそれだけを繰り返す。
いや、追いついていないのは私の方だ。ガツンと足に何かがあたり、私は砲身を落としたことに気がついた。戦場に於いて棒立ちになっている自分を、私はようやく認識した。
一体なんなんだ。一体何が起こったと? 私の中がめまぐるしく変わっていく事だけが、その時はっきりと分かった。
「おい、古鷹!」
「………………?」
「お前もしっかりしろ、青葉をかついで曳航するんだ!」
艦隊旗艦の戦艦娘が青葉の腿を強く縛り、青葉の胸ポケットからモルヒネを取り出して、彼女の柔肌に針を突き刺す。
「あっ……はい!」
はっとして、私は青葉に駆け寄った。
「青葉、しっかりして、青葉!」
「ふ、ふるたかさん、あしが、あおばのあしが。」
涙でぐしゃぐしゃな最愛の親友の肩を担ぐ。彼女のあしが、あしがという譫言が鼓膜を震わせた。
「古鷹さん、あ、足を、足を持ってきて下さい。あれがなくちゃ、あれがなくちゃ青葉は……。」
「大丈夫、入渠したら全部元どおりになるから。今は、鎮守府に戻ろ。」
「やっ! ダメなんです! 足が無いと青葉は! 青葉は!」
錯乱した青葉は暴れ出し、私から離れようとした。
「分かった、分かったから!」
沈静化した青葉をその場に置いて、私は場違いにもぷかぷか呑気に浮かぶ青葉の足に手を伸ばした。足首を掴んで引き上げる。ナイロンの布の感触と湿度のある重量感が手にこびりつき、嫌にもこれが肉体の一部だったのだと感じさせた。
「何やってる、古鷹!」
「今行きます!」
敵の注意を引きつけていた旗艦に応えながら青葉の元に戻る。再び彼女を担ぐと、弱々しく「ごめんなさい、古鷹さん。」とだけ呟いて、彼女は気を失った。
これが彼女の、初の戦績であった。
どんなに体を穿たれようが、微塵に砕かれようが、機関部さえ持ち帰って浴槽に漬ければ、全てが負傷前に戻る。それが入渠システムと言うものだ。理由なんかは考えたことも無いし、携帯電話の機構が分からないとして不快感を覚えないのと同様に、これからも私たちはその最新技術の恩恵を享受していくと思う。
青葉が入渠から戻ってくるのは当分先になるようで、私は伽藍堂に感じる二人部屋の中で、テーブルに鎮座する右足と向き合っていた。
艤装は外され、ローファーと端が破れたオーバーニーソックスがはかされっぱなしの青葉の足。断面は潮に洗われて皮下脂肪の黄色と、瑞々しい赤と白のコントラストがしっかりと観察できた。
立ち上がって少し距離を置いてから、私は恐る恐る手を伸ばしてソックスを摘んだ。
摘んだソックスの隙間からは象牙のような白い肌が垣間見えて……下卑た話だが、未成年の男子が書店員の目をかいくぐり、ポルノ雑誌の袋とじを切らずに覗こうとする時、こんな気分なのだろうと思った。
自然と鼻で呼吸していた私は、空いている手で足首を掴むと、ソックスをゆっくりと下ろして……うっひょ、やばいってこれ。私のポケットにお札が入っていたら、迷わずローファーとくるぶしの間に突っ込んだだろう。あっ、鼻血が出そう、これ以上は本気でやばい。私は反射的に上を向き、目頭を摘んだ。
「はぁ、はぁ、お、落ち着いて、私。深呼吸、深呼吸。」
ふひふひ音が鳴る荒い息を整えて、改めて足と向き直る。こむらの途中で止まったソックスの端は、ふくよかな肉を締め付けて、ソックス自身からにじみ出た水分を流して渓谷を作り上げていた。肌色とソックスの黒、そして断面の黄色と黒が暴力的に眼中を支配し、私の全ての欲求をかきたてる。収めた呼吸はまたウユニ塩湖のように浅くなり、鼓動はスラッシュメタルを奏で、唾液の分泌量は洪水警報を出せるレベルで、顔が火照って鬱陶しい。
爬虫類脳が令するままに、その肉にかぶりついても良かった。だが、『マア待チタマヘ、君』と人間脳が止めるものだから、私は彼の弁舌に耳を傾けた。
曰く、これから、青葉は肉体のどこかしらがもげる日があるだろう。そのたび君はその肉を食べるのかい?それは美食家気取りのカニバリストの所業で、大和撫子たる艦娘にはナンセンスである。と。
爬虫類脳は、なら、この行き用のないリビドーはどこに向かわせればいいんだ、と語気も荒いが、人間脳が嗜める。それなら、集めて、繋げて、愛でれば良いのだ。と。
食欲に走らず、性浴に溺れず、何とも人間的な解決法だ。着せ替えたりする事で征服欲も満たされる。確かに、これは妙案である。
『青葉これくしょん、始まります。』
無口だった哺乳類脳が、ポツリと呟いた。
「ご心配をおかけしました! 青葉、ここに復活です!」
ドックの前で元気に宣言した彼女は、無数いた艦娘の中で、真っ先に私に駆け寄ってきた。
「古鷹さん、曳航ありがとうございますぅ!」
「青葉、元気になってくれて、本当に良かった。」
「はい! これからもバシバシ取材していきますよぉ〜!」
青葉は満面の笑みを顔につけていた。
「おいおい、また調子に乗って前に出すぎるなよ?」
「っ、大丈夫ですよぉ、司令官!」
私はその一瞬の笑みの綻びを気付かないふりをしてあげた。彼女と私は親友だ。だが、それはミシン糸のように細い。青葉は真面目なのだ。軍艦であったころの記憶を引きずり、悔やみながらも周りに見せることはない。明るく振舞っているのは、罪悪感に押しつぶされないようにするためだ。
「…………………。」
私は青葉の体を抱きしめた。
「え、ふ、古鷹さん?」
「青葉、本当だよ? 本当に無茶だけはしたらダメだよ?」
青葉のうなじを香ると、薬品の臭いと共にフェロモンとしか形容できない刺激物が鼻腔をくすぐる。脳内麻薬が多幸感を生み出して、目の前に花畑が現れた。
「青葉、絶対に私の前からいなくなっちゃダメだよ?」
「そうだぞ、古鷹はおまえが入渠してるあいだ、部屋で塞ぎっぱなしだったんだ。元気なのも良いが、無茶してはダメだ。」
旗艦だった戦艦娘が腰に手を当てて言う。実際は足の防腐処理をしていただけなのだが。
しかし、それを聞いた青葉は私を強く抱きしめた。
「古鷹さぁん!」
「大丈夫だよ、青葉。」
甘い感情が身体をのたうち、どす黒い想いも血管を通っていく。同時に胸に痛みが走るが、これはそう、きっと仄暗い欲望成就への期待と興奮のせいだ。何度もなんども、自分に言い含めるように、胸中に言葉を浮かばせた。。
虚勢を張った笑顔を解して本当の笑顔にしてあげたい。友達想いな青葉、可愛い。青葉を私の手の中に収めたい。青葉の〇〇を××したい。騙されちゃう青葉、愛おしい。
嗚呼、私はほんものの悪女なのだ。
まるで、抑えが効かない狼のように青葉は突っ込んで行く。ソロモンの狼と評された過去の記憶の為か、それとも他の罪悪感に駆られて自罰的になっているのか……。ともかく青葉は無謀な戦いをやめない。
直ぐに青葉の部位は溜まった。2度目の戦闘でもう片足の全てを、4度目で右腿から臍まで、6度目で右腕。18度目は、何と胴体が手に入った。他の艦娘に怪しまれないように、こっそりと戦闘中に持ち去ったり、ドックのの中に捨てられていたものをくすねたりと、気は使っている。もちろん、手入れも欠かさない。青葉のプニプニの肌を保つため、グリセリンやコラーゲンをたっぷりと染み込ませ、押入れの中に大切にしまっている。青葉が話しかけるたび青葉が笑いかけるたび、私はその後ろの押入れの中に横たわる、青葉から生まれた物の存在をしんしんと感じ、彼女の善意への冒涜に心を震わしながら、青葉に微笑み、話を聞いていた。
入念に隠匿していたので、私が怪しまれることはなく、むしろ青葉がその態度を精神異常とされ、問診を受けるという事態があった。青葉を本土に帰されてしまっては、青葉人形がどうのとは言っていられない。何とか嘆願書を提督に見せ、病院送りは免れたものの、青葉はその後長い休暇を言い渡された。
その休暇明けの、58度目の出撃。
「……古鷹さん。」
「ん? どうしたの、青葉?」
珍しくトーンを下げているものであるから、私は出撃してからずっと崩されなかった隊列を少し乱して、彼女の横に並んだ。
「嘆願書、書いてくれたんですね。」
「え? ああ、うん。」
実はそんなことなどすっからかんと忘れ、以下にして青葉の部位を集めるかと言うことに集中していた。これまで獲得部位の被りは一つもない。できれば
「てっきり、青葉の本土送りに賛成なのかと思ってました。古鷹さん、優しいですから。」
天使かな? 私は青葉のかける優しい言葉にフニャリととろけそうになった。すんでのところで堪え、微笑む。
「そんな事ないよ。ただ、青葉と一緒にいたいだけ。」
私は嘘と本音で本当の所を誤魔化す。けれども、青葉は頑なに首を振った。
「古鷹さんには、いつも迷惑をかけてばかり……。青葉、聴きました。古鷹さん、最初の戦闘からずっと、青葉の身体、拾ってるんですよね。」
私は、世界が私を置き去りにして加速していく感覚を数秒間味わっていた。
わたしの口が震えながら開く。
「……聞いたって、誰に?」
「妖精さんです。その連装砲、一週間前まで青葉が使っていたんですけど、今は手違いで古鷹さんのと入れ替わってしまってるんです。」
自然と砲身に目が行く。そこにいる妖精たちは、たしかに前から知っていた妖精ではない。
「ええと、青葉。それは……。」
「初めて出撃したあの日から、ずっとなんですよね。」
「…………。」
青葉は俯きながら話を始めた
「青葉、軍艦だった頃の最期は、砲台でした。足をなくしちゃったんです。」
知っている。青葉はあのサボ島から数年後、呉で大破着底しながらも、防空砲台として終戦を迎えたと、艦娘に成ってから知った。
「あの時は足という感覚も無くて、ただ、進めない、水が中に入ってる、って感覚でした。でも、兵も私も、ずっと思っていました。『この身体に海を進む力が残っていれば』って。」
「青葉、それって。」
彼女はゆっくりと顔を上げた。
「もしからしたらの話ですけど、足が残っていれば、また戦線を押し戻せたかもしれないじゃないですか。もしかしたら、護れなかったものを護れたかもしれないじゃ、ないですか。」彼女の瞳は健やかに澄んでいた。
「ごめんなさい、青葉のうわ言のせいで、ずっと変なことをさせてしまって。姉妹艦の肉片を持ち帰るなんて、嫌でしたよね。」
ああ、ああ。なんて清らかな思考なのだろう! きっと、私がどこかに監禁して辱め、体の全てを穢し尽くしても、彼女は気丈に私を信じ、その心は澄み渡っているのだろう。
「青葉、提督に言われちゃったんです。『もう一度航行に支障が出るレベルの肉体損傷をしたら、半年間は内勤と演習だけだ』って。流石に青葉も、慎重にならないといけませんね。だって……。」
彼女は連装砲を構え、にっこりと笑った。
「青葉がここに居るのは、もう二度と古鷹さん達を傷つけないためなんですから!」
そう言った青葉の頭が、まるで漫画映画の演出の様に、ぽーんと飛んで行った。
「え?」
「お、ぉぉぉあ……。」
すっぱりと切断された咽頭から肺の音が漏れ、遅れて血が溢れると、青葉の身体はどしゃりとその場に崩れ落ちた。
青葉の身体を挟んで、そこには深海棲艦が刀を振り下ろした状態で静止していた。
「どこから来た?!」
「あそこの島の影! まだあと4隻います!」
「おい、此奴天龍の刀を……。」
「ここらで沈んだ天龍なんて……て事はもしかして……。」
俄かに洋上は殺気立ち、敵意がぶつかり合って弾けていく。その中で、私は世界が色を失い、皮膚の内側に押し込めていたどす黒い液体が角質の隙間からにじみ出る感覚を味わっていた。
「あ……おい龍田! まだ奴が天龍の仇と決まったわけじゃ…………。」
「だけど、磯臭い奴らが天龍ちゃんの刀を持っているなら、億万の理由になるわぁ。」
私が滲み出る泥に心を染めていくうち、後ろに誰かが立っていることに気づいた。
「ね〜え、古鷹ちゃん? そこ、どいてくれないと、一緒に斬っちゃうよぉ?」
「……龍田さん。」
「なぁに?」
「『半分こ』しませんか?」
「――――あらぁ。」
話している最中に刀持ちの深海棲艦が襲いかかるが、それをかわして腹を殴りつける。
「いいわよぉ、でも邪魔したら許さないからね?」
その後のことはよく覚えていない。ローズマダーに染まった青葉の首と肉体を抱えて、私は鎮守府の前にいた。
青葉の入渠が終わった。それを聞いて、眠れずに夜を明かした私はいの一番にドックに向かった。
帰投した後、私はそのまま寮へと戻された。その辺りは記憶がまだ曖昧で、他の艦娘が様子を気遣って、無理矢理に私と龍田を部屋に戻したそうだ。
私の心は浮き足立っていた。今回青葉の首が飛んだ。それは今思い出しても腹立たしく思えるが、そのおかげで、青葉の全パーツが私の手に入るということなのだ。それに、青葉がいない二人部屋は、私には広すぎた。
(ああ、やっと、やっと!)
大股になる歩みを隠しもせずに私は廊下を歩く。角を曲がると丁度、大淀と青葉が見えた。
「青葉!」
青葉に駆け寄り、抱きつこうとして、すんでのところで自分を押し留めた。昨日からお風呂にも入っていないし、制服も着替えていないのだ。この状態で触って青葉を穢すわけにはいかない。
「古鷹さんっ!」
にもかかわらず、青葉は私をぎゅっと抱きしめて胸に顔をた。髪の毛から茉莉花の香りがして、私は、なんかもうすべてがいっぱいいっぱいになった。
「わたしっ――青葉、怖かったです……首が離れてもまだ意識が残ってて……波に揺られながら古鷹さんがずっと戦ってるのをみててっ。」
「あ、青葉、大丈夫だよ……。」抱きしめ返しても怒られないかな。
青葉は埋めていた顔を上げて、涙目の上目遣いでこちらを見上げた。
「……言った矢先に、青葉、やられちゃいましたね。」
「うん。」
「半年間、出れません。」
「うん。」
ずっと黙っていた大淀が口を開く。
「海に出れないわけじゃないですよ。戦闘に行かせないだけで、演習と遠征には出てもらいます。うちはローテーションで回してるんですから、休ませる艦は最低限にしたいんです。」
「はい、わかってます。」
青葉が真っ直ぐな目で大淀を見ると、彼女はメガネを押し上げながら手元の書類に目を落とした。
「……にしても、よく生きていますね。明石が寝ずに修復したので、後でお礼でも言っておいてくださいね。」
「えへへ、古鷹さんが護ってくれてるからですよお。」
「謙遜しないでください、褒めてません。」
冷ややかな目で大淀は答えた。
「綺麗にスッパリ斬られていて、そのおかげで体の再建が楽だったらしいですけど、『もう一度首が離れたら諦めてください』とも言ってました。」
…………………………………。
いま、大淀はなんて言った?
「すごいですよねえ。頭だけになっても助かるなんて、海軍と妖精さんの技術力に脱帽です。」
「まあ、完治したわけじゃありませんから、首の傷跡は残っちゃうらしいですけど。」
なんとなく状況が掴めてきた私は、「もう、無理しちゃダメだよ?」と青葉に優しく語りかけておいた。
その日の夜。
寮から抜け出し、巡回の艦娘たちをかいくぐって工廠に忍び込んだ私は、廃棄物の山の中をガサゴソ漁っていた。
「………あった。」
そこには、ビニールでぐるぐる巻きにされた、首無しミイラのようになった青葉の身体があった。
「……………………。」
わざわざ頭と身体を持って帰ったのはなんだったのだろう。取らぬ狸の皮算用、悪因悪果、因果応報、そんな諺と四字熟語が脳内をうろつく。自然と、涙と笑いがこぼれた。
「………あはは。」
そんなわけで。
「古鷹さん古鷹さん!」
「どうしたの、青葉?」
「青葉、提督に呼び出されました! 最近は大人しくしてますし、もしかしたら、褒賞のお話かも!」
「……うん、良かったね、青葉。」
「はい! 早速行ってきますっ!」
青葉は知らない。私たちが住む部屋の押入れに、青葉の首無し死体が二つある事を。
そして、頭を手に入れられなかった八つ当たりに、鎮守府の機密文書を勝手に引用してた、青葉の小説を、昨日、提督に渡した事を。
◆
ありがとうございます。
◆
友人へ
海外でも頑張ってね。