【完結】アストルフォルート   作:冬月之雪猫

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Act.35 《Malice》

 タイムリミットまで後五分。その時、チャイムの音が響いた。

 初め、私達は衛宮君が帰って来たのかと思った。だけど、すぐに気付いた。この家の主である衛宮君がわざわざチャイムを鳴らす理由がない事に。

 例え彼が特別律儀な性格だったとしても、今の状況ではチャイムを鳴らす手間すら惜しい筈。それほど事態は急を要している。

 

「……私が見てくるわ」

 

 アーチャーも立ち上がるが手で制した。もしかしたら、近所の人が顔を見せに来ただけかもしれない。

 もし、敵が来たのなら、彼には桜達を連れて逃げてもらう必要がある。間違っても私を守られては困る。

 

「姉さん……」

「……直ぐに戻ってくるわ」

 

 必死に笑顔を取り繕う。廊下に出ると、私は心のどこかで安堵している事に気付いた。

 来訪者への対応で時間を取られれば、桜の死に目を見ずに済むかもしれない。そんな事を考えている自分が嫌になる。

 それでは駄目だ。万が一の時は姉として彼女を看取る。それすら出来なければ、私は……。

 

「――――ふむ。チャイムを鳴らした客人をあまり待たせるものではないぞ、凛」

 

 あまりにも予想外の男が立っていた。

 

「き、綺礼!?」

「消沈しているようだな。まるで通夜の最中のようだ」

「……何しに来たの?」

 

 驚いたおかげで少し冷静になれた。

 この男が何の用もなく、しかもこのタイミングで現れるとは考えられない。

 身構える凛に綺礼は言った。

 

「朗報を伝えに来た相手に随分な態度だな」

 

 相変わらずいけ好かない笑みを浮かべる男だ。

 

「朗報……?」

「ああ、君達にとっては紛れもない朗報だ」

 

 そう言うと、綺礼は当たり前の顔をして上がり込んできた。

 

「ちょ、ちょっと!」

「なんだ? 私としても急いでいる。残り二分を切ったのだからな」

「二分って……」

「間桐桜のタイムリミットだ。急げ、時間がない」

 

 その真摯な眼差しに凛は目を見開いた。

 まさか……。凛の中で驚愕と期待の感情が同時に沸き起こる。

 

「間桐桜はどこにいる?」

「……こ、こっちよ!」

 

 桜が待っている部屋に綺礼を案内した。それが正しい判断なのかは分からない。だけど、もしも綺礼が桜を救う術を運んできてくれたのだとしたら……。

 迷っている時間など無かった。

 居間に入ると、誰もが目を丸くした。衛宮邸にカソックは果てしなく場違いだ。

 

「い、急ぎなさいよ! あと、一分を切ったわ!」

「え? ね、姉さん、それって……」

 

 目を見開く桜。綺礼は彼女を見つめた。そのあまりにも真剣な表情に誰もが息を呑む。

 やがて……、

 

「つまらん」

 

 そんな巫山戯た事を口にした。

 

「……は?」

 

 誰もがポカンと口を開けている。

 そうしている間に時間が過ぎていく。

 

「ちょ、ちょっと、綺礼! アンタ、桜を助けに来たのよね!?」

「……ん? 誰がそんな事を言った?」

「え?」

 

 頭が真っ白になった。疑い半分のつもりだったのに、私は自分が思っている以上の期待を抱いてしまっていたらしい。

 息をする事すら出来なくなった。

 そうしている間に時計の針がゼロに近づいていく。

 待って……、待ってよ!! 

 心の中で幾ら叫んでも、時が止まる事は無かった。

 そして――――、

 

「……あれ?」

 

 桜は時計の針を見つめながら首を傾げた。

 

「え? 零時……、過ぎたわよね?」

 

 大河も目を丸くしている。

 

「桜……、生きて……」

 

 アーチャーは桜の肩を掴み、彼女の顔をまじまじと見つめた。

 

「シ、シロウさん!?」

 

 顔を真っ赤にする桜。実に微笑ましい光景だ。

 だが、今は呑気に見守っている場合じゃない。

 

「どういう事!?」

「ん?」

 

 呑気に自分で淹れた茶を啜り始めたエセ神父に掴みかかる。

 

「どういう事かって聞いてるのよ!」

「……見ての通りだと思うが? 間桐桜は生きている。それ以上の何を聞きたいと?」

「だ、だって!」

 

 桜が死ぬ。そう思って、幾つもの感情を押し殺した。

 なのに、桜が今も生きている。喜ぶべきなのに、疑問が先に立ってしまう。

 

「……簡単な話だ。そもそも、何故気付かない?」

「は?」

「仮の話だが、ただの人間が宝具クラスの毒を口にして、一週間も生きていられる筈が無かろう」

「そ、それは時限制だから……」

「時限制の毒などない。あるとしたら、それは呪詛だ。そして、呪詛ならばアーチャーが解呪出来た筈だ」

「なら、どうして……」

「彼女には既に解毒薬が飲まされていた。だからこそ、ヒュドラの毒を口にしても生き長らえている」

「解毒薬……?」

 

 綺礼は桜に視線を向けた。

 

「私が泰山で渡した薬をキチンと飲んだようだな」

「……アレが!?」

 

 どうやら、桜には心当たりがあったようだ。

 

「アレはギルガメッシュがお前の為に用意した治癒の薬。万能の霊薬と謳われるエリクサーだ」

「エ、エリクサーですって!?」

 

 凛が素っ頓狂な声をあげる。だが、無理もない。

 エリクサーと言えば、錬金術の分野における到達点。飲めば不老不死になり、あらゆる病魔を退ける事が出来る奇跡の薬。

 錬金術士ではなくとも、魔術師ならばその価値に悲鳴をあげざる得ない。

 

「……だ、だが、ならギルガメッシュの目的は何だ? 何故、エリクサーを渡した? それに、エリクサーを渡した以上、毒が効かない事も分かっていた筈だ」

「それも簡単な話だ。初めからヤツは誰も殺さないつもりだった」

「は?」

 

 アーチャーが目を見開く。

 

「それは一体……」

「……お前達は成熟した状態の英雄王を知っているらしいな。ならば、その反応も頷けよう。だが、若かりし頃のギルガメッシュという英雄は心優しき名君だった。罪人ならば殺す、反逆者は迎え撃つ、だが、罪なき者に対する無益な殺生など、ヤツの最も憎むべきものだったのだ」

 

 綺礼は語る。

 

「ヤツの目的は二つある。一つは衛宮士郎を鍛え上げ、その刀で己を殺させる事」

「殺させる……?」

 

 理解が出来ない。

 

「少年王ギルガメッシュはまさしく全知全能の存在だ。現在過去未来、はては平行世界のあらゆる可能性さえ見通す神眼を持っている。それ故に運命という鎖の存在に気付いてしまった。あまねくモノの存在価値を見失ってしまった。要は飽きたのだ。全てを見通せるが故に全てが運命という名の路線をなぞるだけの作業に見えてしまった。凡人には……。いや、稀代の天才にも分からぬ絶望だ」

 

 綺礼は言う。

 

「だからこそ、ヤツは歓喜した。衛宮士郎の可能性。それはヤツの全力すら上回るものだったからな」

「ギルガメッシュを!?」

 

 その驚きはアーチャーのものだった。彼と衛宮君の関係性を知った時は驚いたが、綺礼の言葉はその驚きすら凌駕した。

 人類最古の英雄王。文句なしの最強を上回る可能性。あまりにも途方のない話に聞こえる。

 

「事実、衛宮士郎は既に大英雄ヘラクレスを単騎で打倒している。如何にサーヴァントの枠に貶められ本体より劣化しているとはいえ、人間はおろか、並の英霊にも不可能な偉業だ」

「ヘラクレス……。バーサーカーを倒したの!?」

 

 凛は言葉を失った。バーサーカーとは一度戦った事がある。セイバーすら単独で挑めば敗色濃厚な狂戦士(バケモノ)

 アレを打ち破るなど、人間業ではない。

 

「ギルガメッシュは喜んだ。衛宮士郎が己を殺せた時、無価値と断じた人類の新たな価値(かのうせい)を見出す事が出来るかもしれないと考えたからだ」

「……ば、馬鹿馬鹿しい!! そんな事の為に桜を脅したって言うの!?」

「無論、それだけではない。わざわざヒュドラの毒を選んで飲ませた事には理由がある」

「え?」

 

 綺礼は言った。

 

「エリクサーが強力過ぎたからだ」

「……どういう事?」

「アレは人間を神に近づける霊薬だ。間桐の魔術による汚染を浄化する為に与えたが、些か効き過ぎた。あのままでは間桐桜は人間ではなくなってしまっていた。故に強過ぎる効果を中和する為の(どく)を飲ませる必要があった。もっとも、エリクサーと同時に与えなかった理由は衛宮士郎を煽る為だが」

「つまり……、助けるついでに利用したってわけ?」

 

 眉間に皺を寄せながら大河が言った。魔術についてはチンプンカンプンだが、必死に話の流れに追い縋っている。

 

「そういう事だ。同時に与えて飲み間違える可能性を憂慮した事も事実だが、後回しにした理由の大部分はそれだ」

「……アンタが言ってた朗報って」

「朗報だろう? 間桐桜は初めから死なぬ運命だった」

「だったら、なんであんなに急いでたのよ!?」

「……いや、死を宣告した者がその時を迎え、どのような表情を浮かべるのかが気になってな」

 

 私は拳を振るった。

 綺礼は避けた。

 

「避けんな!!」

「いかんぞ、凛。淑女たるもの、直ぐ暴力に訴えては――――」

「黙れ、エセ神父!!」

 

 怒りで目眩がする。こういうヤツだって分かっていたのに……。

 

「行き場に迷え、糞神父!!」

「……ふむ。その口調も直した方がいいな」

「うるさい!!」

「さて、そろそろ本題に入りたいのだが?」

 

 殺す。絶対、殺す。この男だけは例え他の原因で地獄に堕ちたとしても、追い掛けて殺す。

 

「現在、衛宮士郎はギルガメッシュと戦闘中だ。このままではどちらかが死ぬ。互いに譲れぬものがあるからな」

 

 その言葉に桜の表情が歪んだ。

 

「どこですか?」

「ちょっと、桜!?」

 

 桜は咄嗟に手を伸ばした私に微笑んだ。

 

「私の為に先輩は今も頑張ってくれている。でも、もう頑張らなくていい。それに、ギルガメッシュが初めから私を殺すつもりじゃなくて、生かすつもりだったのなら……」

 

 桜は言った。

 

「私はお礼を言わなきゃいけないんです」

 

 その言葉の真意が私には分からなかった。ただ、アーチャーには理解出来たみたいだ。

 間桐の魔術による汚染。綺礼はさっきそう言った。それが何を意味しているのかは分からない。

 ただ……、わざわざエリクサーなんてものを持ち出す必要があるような事だったのだろう事は分かる。

 

「場所は円蔵山だ。行くつもりなら急ぐがいい。戦いは既に始まっている」

「……行きます」

 

 桜は立ち上がり、綺礼と共に歩き出した。

 アーチャーも後に続き、その後を大河が追う。

 

「……ああ、もう!」

 

 私も慌てて追い掛けた。

 そして――――、

 

 ◆

 

 桜が士郎に無事である事を告げる姿を神父はどこまでも嬉しそうに微笑む。

 その姿はまさしく清廉なる聖職者のもの。

 

「――――キレイ」

 

 怒りに顔を歪ませるギルガメッシュ。

 

「随分と良い顔をしているな」

 

 綺礼はシレッとした態度で言った。

 

「やってくれましたね……」

「何の事だ?」

「彼女達をわざわざ連れて来た事です!」

 

 その怒鳴り声に誰もが彼等を注視した。

 

「――――はて、何をそんなに怒っている? 私は聖職者として己の責務を真っ当しただけだ」

「どの口が……」

「心優しき少年の尊き命を救う事は聖職者の使命だ」

 

 慈愛に満ちた表情を浮かべる綺礼。

 ギルガメッシュの心は憤怒と憎悪に満たされていく。

 

「アナタの命を奪う事にボクが躊躇うと思いますか?」

 

 その言葉に綺礼は笑った。

 

「その言葉は手遅れだ。お前達が大聖杯を破壊してくれたおかげで私の時間ももはや残っていない」

 

 そう言って、綺礼は胸を抑えた。

 そこには在るべきものがない。十年前の聖杯戦争で彼は敵のマスターに心臓を撃ち抜かれた。一度死亡した彼を救ったのは大聖杯だった。大聖杯が存続する限り、心臓を聖杯の泥が代替してくれていた。

 だが、大聖杯が機能を失った今、彼の心臓もまた再び機能を停止する。

 

「だが、お前の絶望は実に心地よかったぞ、英雄王」

 

 綺礼は言った。

 

「大人のお前なら間違えなかった。目的の為に手段を選ぶからこうなる。全て、お前の心根の善良さが招いた事だ」

 

 表情を歪めるギルガメッシュに綺礼は告げる。

 

「ああ――――、満足だ」

 

 そうして、言峰綺礼は息を引き取った。

 とうの昔に死んでいる体を腕に宿る魔術刻印(れいじゅ)で無理矢理動かしていたようだ。

 ギルガメッシュは士郎を見る。彼の瞳にさっきまでの殺意や闘気は目に見えて弱まっていく。

 

「……ああ、なんという事だ」

 

 ボクの鍛えたシロウではなく、ギルガメッシュ(あのひと)が鍛えたキレイにボクは負けた。

 友を失った時に味わった絶望を再び味合わされた。

 

「キレイ。アナタ達は本当に……、最悪だ」

 

 その言葉を賞賛とでも受け取ったかのように言峰綺礼の死体は微かに微笑んだ。


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