うたわれるものでも一等好きな愛国心の権化ベナウィの話。

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うたわれるもの

「ふう」

 

一息、聖上が息をつく。

とんとん、と自らの肩を叩かれた後、横の書簡に目をやる。

……半数減ったはずの書簡は、まだ山のように積み重なっていた。

 

「……」

 

しばし、沈黙し。

聖上は髪の毛を掻いた後、エルルゥさんに薬草茶を頼んだ。

大分、お疲れのようだ。

 

「ベナウィも、少し休んだらどうだ」

「いえ、お気になさらず」

 

少しでも聖上の負担を減らすべく、同じく山のような書簡に挑む。

ただ、私とて疲れているのは事実だ。

手を動かしつつも、頭の中ではふとした疑問がよぎる。

 

私は、何のために仕事をしているのか、という事だ。

――考えるまでもない事。

國のために、だ。

 

「――」

 

斜線を引く。

槍を振り下ろすように、柔らかい握りで。

書簡の上では一つの事象が片付けられ、それは処理される。

だが、私の頭の中では、全く別の事象が起こる。

鈍い鉄の音とともに、私の槍は弾き返された。

閃く鉄扇、それと衝突した槍は握りを硬くさせ、私の筋肉は驚愕とともに硬直する。

 

「聖上」

 

現実で、私に唯一それを味合わせた――目の前の人に聞く。

 

「私は、何故侍大将になったのでしょうか?」

「――は?」

 

聖上は、仮面の下の口を丸く開いて、応じた。

 

 

 

 

「――いきなり、何を言い出すんだベナウィ」

「いえ……」

 

自分でも、その通りだな、と思い沈黙する。

 

「失礼しました。今の台詞は忘れてください」

「まあ、待て」

 

アルルゥさんから二人分の茶を受け取りながら、聖上は口だけで止める。

 

「ちょっと、息抜きに話でもしようじゃないか」

 

そういって、聖上の手ずから茶を渡された。

 

「……何か迷いでもあるのか」

「いえ」

 

曖昧にして、おそらく私の悩みの解決策となる指針を聞く。

しかし、直答はならず。

 

「迷いはありません。私の中に、何ら迷いはありません」

 

自分の顔を、聖上の瞳に映る姿から確認する。

迷いのある顔ではない。ここ数年、表情を激しく揺らした事など無い。

若輩ではない――壮年にはまだまだ遠いが。

心境では、すでに不惑の域に辿りついているかもしれない。

何分、考える事も悩む事も多すぎた。

 

「――ただ」

 

今考えると、聖上と出逢う前の――

このくだらない顔には、微笑すら浮かぶ事はなかった。

だから、何かが私の中で変わったのだろう。

 

「少し、疲れているのかもしれませんね」

 

私は今、ここにトゥスクル國侍大将としての命を全うする事に迷いは無い。

この聖上の下ではなおさらだ。

だが、疑念がある。

私の中で、あの頃と何が変わったのか。

何故、侍大将になったのか?

それだけが解けない。

 

「そうだな」

 

疲れだけではあるまい、と。

一つ、顎を動かした後、口元を続けて開く。

 

「今日はもう休め、ベナウィ」

「……?」

「安心しろ、今日は真面目に仕事をしてやる」

「……普段から、真面目になさってください」

 

はあ、と息をつく。

断ろう、とすぐに思い、口が出そうになるが。

今日はいくら手を出したところで、良くない結果を招くかもしれない。

 

「……」

 

一つ、沈黙をおいた後で。

 

「それでは、今日は皇宮散策などして参ります」

 

ありがたく、休暇を頂く事にした。

 

「ああ、よきにはからえ」

 

はらはら、とふざけ半分に扇を翻しながら

「早く行け、早く行け」と煽る。

それが不安を助長するが、あくまで聖上の心配りだと解釈する。

 

「エルルゥさん、監視をお願いします」

「はい」

「なにっ!?」

 

聖上の声に、軽く微笑を浮かべながら。

私は足先を揺らすこともなく、部屋から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

通路を通り過ぎ、武官や文官とすれ違う。

軽く会釈を返しながら、同時にふとした目線に気づいた。

全ての人間が、不思議そうな顔をしている。

 

「ああ」

 

人が、昼間から通路を歩いていては拙いのですか。

と、いう心持が少し沸き起こった。

 

「たまの休みは、よくないものですよ。聖上」

 

軽く愚痴りながら、景色のよい窓外へと出る。

木の床を踏み、少しだけ弾力を与えながら、三階から空を見上げた。

風は、静寂。

眉上に垂れ下がっている髪を揺らす力もなく、雲もゆるやかだ。

のんびりとした、空気。

 

「……」

 

私はゆったりと思う。

今の私は充実している、と。

なのに何故。

 

「心の雲は晴れない」

 

私は、何故ここにいるのだろう。

そして、何故、侍大将などになったのだろう。

再び、くだらぬ思考に走る。

――ふと。

少年時代にも、こんなことを考えた事を思い出した。

 

「――」

 

侍大将になるまえ。

まだ一兵卒で、この國も前々代の聖上だった頃。

 

「私は何故、侍大将になどなりたかったのだろう」

 

そうすれば、自分が満足できると考えたのだろうか。

自分が幸せになれると考えたのだろうか。

否。

違う、と思う。

同輩に気持ち悪がられるほど、それらに興味がなかった。

侍大将になりたくなかった、というわけでもないが。

あの頃は、何かが違う気がした。

 

「ん?」

 

と、回想にふける中で、庭に人影が見えた。

あれは――クロウだ。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ」

 

絶叫。

今日もクロウは元気だ。

こちらに気づいたのか、目線を向けて叫ぶ。

 

「大将ぉぉぉっぉぉおおおおおおおお」

 

そして、また庭をぐるぐると走り出した。

ムックルがその後を仕留める為――もとい、彼に引き摺られるようについて行った。

 

「助けてくだせええええええええ」

 

クロウは飢えに苦しんだ農民――もとい、子供のようにはしゃいで庭を駆けていく。

ムックルはやはりその後を、まるで捕食するかの――ゲホゴホッ、子犬のようについて行っていた。

 

「咬まれたっ、咬まれたっ、咬まれたっ!!」

 

ムックルは、子犬のようにクロウの全身へと覆いかぶさり、身体を覆いつくした。

そして甘えるように、腕や足を甘噛みする。

血が少しばかり出ているが、まあ大した事はない。

 

「首がっ首がっ、首がぁぁぁぁあああああ!」

「……今日はいい天気ですね」

 

だから、忘れることにした。

 

「お助けにならないの?」

「……」

 

背後から、声がかかった。

この世で唯一、三食常酔昼寝付の剣奴である女の声。

振り向かず、返答した。

 

「今日の私は、少し悩み事があるので……瑣末な事にかかわりたくないのですよ」

「悩み事?」

 

クロウが襲われているのは、瑣末な事なのか。

という応答も無いままに、カルラは疑問を呈す。

 

「貴方でも、悩む事があるのかしら」

「失敬ですね」

 

表情を変えることも無く、振り向きざまに顔を見る。

カルラは、やはり酒を飲んでいた。

腰ではちゃぽんちゃぽん、と音を立てていくつもの酒袋が揺れている。

 

「……どうやったら、それほど酒を嗜んでいられますかね」

 

ここまでくれば、尊敬さえしたい。

 

「あるじ様の事を考えていたら、お酒を飲まずに正気ではいられないわ」

 

健気な私。とカルラは言葉尻に偽証を行う。

聖上がいれば「じゃあ考えるな」という鋭いツッコミが期待できたのに。

と、口端で笑う。

 

「――たまには、別の事を考えてみませんか」

「あら、何かあるのかしら」

「ええ、私の悩み事です」

 

一度、彼女に相談に乗ってもらうのも悪くない。

そう結論を出し、私は口を動かす。

 

「私は何故悩んでいるのでしょう」

「知るわけ無いでしょう」

 

直球で返された。

確かに、この問いをいきなり聞いて、答えられるものは常世にいまい。

いるなら、きっとあの世のものだ。

 

「――ま、貴方が真剣に、それを尋ねていることだけはわかりますわ」

 

カルラの言葉に、私は小さく顎を動かす。

そして、また口を開く。

 

「私は……この國の、侍大将として生きてきました。この生に迷いはありません。

しかし、先程から悩んでいる事があるのですよ」

 

腕組みをし、目を塞いで呟く。

 

「何故、私がここにいるか。何故、私は侍大将などになったのか。今日になって、まるで今までの人生を回想するかのように」

 

今まで生きてきて、それは一度も考えなかった事だ。

 

「あの頃と比べて、私は何か変わってしまったのでしょうか」

 

侍大将となり、クロウと出会い、善しも悪しきも切り捨てながら。

ただ、國のために、民の被害を少なくするために、と。

完璧とはいえぬものの、ともあれ生きてきた。

あの前代の聖上のときも、そして――これからも。

そう、これからもそうするだろう。聖上がその手を汚す前に、私が鬼となろう。

それをあの御方が許してくれぬのなら、せめて一緒にこの顔を泥に、この手を血に染めよう。

それは変わらぬ、迷いの無い、まさに侍大将として当然の決意だ。

だが。

しかし、それだけではない気がするのだ。

私が侍大将として、ここにある理由は。

それを導き出すためには。

 

「あら、それなら簡単な事ですわ」

 

おそらく、彼女の答えが必要なのだろう。

私はそう思い、その言葉に耳を傾けた。

 

「人が変わる原因は、何かを知ってしまったか、何かを忘れてしまったか。

その二つに過ぎませんわ」

 

 

カルラは酒気の混ざった息とともに、言葉を連ねていく。

 

「貴方は、何かを知ってしまったか。または気づきつつあるから、悩んでいるのですわ。

そうですわね……もっと踏み込んで話すと」

 

そして、ふい、と身体の向きを後ろに向けた。

 

「きっと、トゥスクル國侍大将は何かに気づいてしまった。

ただ、それに対して自分が変わるべきかを」

 

「それに知ってしまうべきかを、悩んでいるのですわ」

 

まるで禅問答のように、私の変な質問に、彼女は変な回答を出す。

ただ、私の頭にはなんとなくそれが染み渡った。

つまり、今こうして私がカルラに相談しているという事と、「何かを知る事」とは同じなのだろう。

 

「私は、まだ変わっていないのでしょうか」

「ええ、優しく厳しい、公正明大な侍大将様で仰せられますわよ」

 

あるじ様と違って面白みの無い、いつも通りの人。

そう付け足した後、歌うように言葉を並べる。

 

「何も知らぬものは、ある意味幸せ。何も不相応を求めぬこそ、至上の幸福なれど」

 

ぱさ、と音を立てて腰にはさんであった扇を抜き、広げる。

そしてぱさぱさ、と越しにそれを扇ぐのが見えた。

 

「恋の果実を知ってしまった剣奴はどうすればよいのかしら、主様~」

 

ふざけながら、歌のような声の伸びに合わせて、踊りながら歩く。

少しづつ、その背は私から遠ざかっていく。

 

「私は、真剣に聞いているんですけどね」

「真剣に答えていますわよ。そういう時、私の場合は……」

 

カルラは扇を顎に当て、一瞬の刻さえおかず、つらつらと言葉を並べた。

 

「何かに悩んだら、あの御方に出会ったせいにしますわ。そうすれば、大抵は間違いではありませんから」

「……」

「きっと、貴方もそうですわ」

 

最後に一つ、言葉を残して屋内へと入った。

おそらくは、聖上の元へと向かうのであろう。

仕事の邪魔はして欲しくないものだが、きっとアルルゥさんをからかって終わりといった所だ。問題は無い。

ふい、と首肯して、姿を消した彼女に礼を行った後。

ゆっくりと、瑣末な事を片付けに階段を下りていった。

 

 

 

 

 

「クロウ、私は聖上について悩んでいるのです」

「いつもの事でしょうが」

 

クロウは真顔で返してきた。

その顔には、点々と赤色の何かが飛び散っている。

 

「もっと早く助けに来てくださいよ、大将」

「生きてるならいいじゃありませんか」

「それ、実はものすごく酷い言葉じゃねえっすか!?」

 

少し赤混じりのお洒落な服を着て、クロウはがっはがっはと陽気な声をあげます。

 

「……大将、かなり手前勝手な事を考えてませんか?」

「そんなことはありません、それよりクロウ」

「無茶苦茶わざとらしく話そらされましたが、なんですか?」

 

コホン、と拳に息をついて、私は声をあげた。

 

「クロウ、私は聖上について悩んでいるのです」

「さっきも聞きましたよ。聖上の女性関連で迷惑こうむるのはいつものこと」

「いえ、そうではなく正確に言えば――そうですね、ちょっと私が私自身の事で悩んでいるのですよ」

「悩み事、大将がですかい?」

「お前までそんな事を言いますか、クロウ」

「いや、大将が珍しいじゃないですか」

 

首をかしげるクロウを無視して、私は言葉を続ける。

 

「そして、私の悩み事には、聖上が関わってる可能性が高いでしょう」

 

私に一番影響を与えたのは、間違いなくあの人でしょうから。

そう、言葉を口中で呟く。

 

「そうですか、じゃあアッシはこれで」

「待ちなさい」

 

がし、と去ろうとしたクロウの肩をつかみ、止める。

 

「頭を使うの、苦手なんですぜ」

「知っています。大して期待はしていませんが、バカだからこそ、わかることもあるかもしれません」

「……」

 

アンタ、いつか下克上。

そんな目で私の顔を見つめるクロウの表情には、少しばかり噛まれた痕がありました。

ムックルと遊びすぎです。

 

「大将」

 

ぽりぽり、と頭をかき、声をあげる。

 

「何で、ですか」

「は?」

 

クロウは、不思議そうな眼で私の顔を見つめた。

 

「いや、一度聞いてみたかったんですけどね。何で、大将は聖上にならなかったんですかい」

「前聖上の時の話、ですか」

 

あの時、彼が私に反乱を唆そうとした。

――いや、薦めた、時の話。

 

「いえ、聖上が、村に帰ろうとした時の話ですぜ」

 

いきなり、私の相談を無視して。

 

「何で、引き止めたんですか?」

 

人が真面目に話している中で、クロウは妙な事を聞く。

 

「クロウ。貴方は、聖上の事がお嫌いですか?」

 

私はいささか不快――というよりも不思議に思いながら、聞き返す。

 

「いやいや、総大将が――聖上が。あの人の下で働くことは」

 

慌てて首を振って、クロウは一つ口を閉ざした後。

口をにんまりと緩めて、呟く。

 

「とても嬉しいことですぜ」

 

妙な言葉尻を付け加えながら、クロウは一抹の曇りもない笑顔で言う。

この男は嘘をつけないが、その代わりに笑顔が誰よりも心地よい。

笑う時には、心から笑っているせいだろう。

 

「それとは、別な事で」

 

聖上が気に食わない、のではなく。

何故、私が聖上にならなかったのか、という問い。

そう解釈し、私は理由を並べる。

 

「一つは――あらゆる豪族、長がハクオロ聖上を押した事。

二つは、反乱軍ではない、むしろ敵であった私が聖上につくには拙かった事。

三つは――私が、私よりハクオロこそ聖上にふさわしい、と考えたからです」

 

聖上の名を呼び捨てにする失礼を一つ冒しつつも、かまわず続ける。

珍しく、クロウが私と政論の話をしているのだ。

ややこしいことは抜きたい。

 

「二つばかり、嘘が混じっていやしませんか」

 

クロウは、言葉を濁しながら。

少しばかり言いにくそうに、また考えながら言葉を垂れる。

 

「力を持つ豪族や長であればあるほど、体制を崩す反乱側であるハクオロよりも現状の侍大将の方が都合が良い

――まあ、それはあっちの勝手な勘違いというものですが。ともあれ、そう判断したはずです。

……前聖上をその手で討ったのは、ベナウィ侍大将でしたし」

 

「また、生き残った正規兵達。あの馬鹿――失敬、ヌワンギでしたか。

あのヌワンギと前聖上の参兵はほとんどくたばりましたが。

俺と侍大将に従って戦への参加を許されず、またロクにやる気も出さず。ベナウィ侍大将が復帰された最終面での戦はすぐに止まり。

結果として生き残った正規兵の多くは、ベナウィ聖上誕生を支持していたはずですがね」

 

「そうですね」

 

否定する事も無く、私は首肯した。

 

「嬉しいですよ。あのクロウがここまで脳味噌を使えるとは」

「大将」

 

ジト目で睨んでくるクロウに、私は気まずそうに苦笑した。

 

「つまるところクロウ、私は三つ目の理由のためなら、あらゆる事に嘘をつくのですよ」

 

顔を歪めたまま。

私にとって精一杯の破顔を示しながら、小さな声で告白する。

 

「私は、ベナウィ聖上よりハクオロ聖上を支持したんです」

 

「そして、私は判断を間違えたつもりは無く――また、実際に間違えなかったと貴方も知っている」

 

クロウはため息をつき、空を仰ぐ。

おおよそ、彼の口から聖上を貶す言葉など、一つとして出ないだろう。

女難の相があるんじゃあないっすか、ていうか絶対にありやすぜ、ぐらいだ。

 

「大将には欲ってもんがないんですかい? 一度くらい、聖上になりたいと」

「思ったことはありますよ。でも、考えには至りません」

 

かぶりを振り、答える。

 

「私が聖上になったならば、と思い描いたことはあります。もし、この目の前に居る聖上が」

 

一拍おき、いままで避けていた本音を吐く。

 

「私であったならば、と。

 ですが今は、そんな事を少しとて考えません。それは幸せな事だと考えていますよ」

 

錬兵場を見据え、槍を振るう兵を見た。

私も若い頃、彼らと同じ事をしていた――と、回想する。

 

「私は、人が死ぬのが嫌いなんです。それをこの國に使える身として追求しました。

その結果として、私は――侍大将になっただけのこと」

「……」

「私より、優秀な方がおられれば。その人に、聖上を頼むのが筋というもの」

 

そう。

 

「それだけなんですよ、きっと」

 

一つ、解けた。

私はこの國のために、侍大将になった。

それは紛れのない事実だ。

少しばかり心を落ち着け、クロウと茶でも飲もうかと考える。

誘いの口を開こうとして

 

「本当に、それだけっすか?」

 

遮られた。

 

「……どういう意味ですか?」

「さあ」

 

聞き返すが、クロウは立ち上がって背を向ける。

 

「まあ、別に言わずとも問題はねえでしょうし、さっき助けてくれなかったですし……」

「あれはクロウがムックルを苛めてるように見えたんですよ。だから黙認しようと」

「……なんでそんな嘘吐けるんですかい」

 

はあ、とため息をつき、クロウは空を仰いだ。

そして、私の顔をじっと見た後。

ゆっくりと、言葉を吐く。

 

「大将、俺は大将の下でないと、働きませんよ」

「……それは有難いことですが?」

 

急に、神妙な顔になってクロウは一つ呟いた後。

腰をあげ、ゆっくりと錬兵場の兵達の元へと歩き出した。

 

「ま、よく考えてくださいな」

「クロウ、一体何を」

「では」

 

私の声を無視し、クロウは走っていく。

 

結論を、教えてくれればよいものの。

と、薄い悪意を抱くが、彼に謀られるなど、一生に一度もあるまい。

ゆえに、問い詰める事はやめた。

 

「ムックルが来たーーー!」

「ムックルが来たぞーーーー!!」

「た、大将、助けてくだせーーーーーー!!」

 

私は思いを振り切るようにして、庭から駆け出していった。

 

 

 

 

 

 

酒を飲む。

 

「で、どうだった、ベナウィ。休日は」

「――まあ、よい一日でした」

 

聖上自らに酌を頂き、蒸留水のような冷たい酒を喉に通した。

 

「クロウと比べれば、まあ短い休日でしたが」

「全治二週間らしいな。まあ、アイツなら三日で治すだろう」

 

――アイツはよくやってくれている。

と、聖上は呟く。

クロウのおかげで、一般兵の被害は食い止められているのだ、と。

なんとか死者は出ていない。

 

「ていうか、いいかげんなんとかしないとな」

「はあ……またエルルゥさんに調教をお願いしますか」

「そうしよう。アルルゥにも言っておくか」

 

はあ、と息をつく。

ムックルが凶暴化している原因はわかっている。

アルルゥさんがかまってあげないから、そして同時に。

アルルゥさんが、聖上にかまってもらえなくて、拗ねているからだ。

負の連鎖だ、と考える。

だが何分忙しくて、聖上の暇はなかなかとれない。

 

「……聖上、今日は申し訳ありませんでした」

「ん、大丈夫だ。ちゃんと仕事はしたぞ」

 

そういって、聖上は頭を抑え、私に少々膨らんだタンコブを見せる。

 

「ここ、エルルゥに一発殴られたが」

「――カルラさんのせいですか?」

「そうだ。エルルゥが突然怒り出してな」

 

はあ、としか答えられない。

何分、女性問題は範疇外だ。

 

「愛されてますね」

 

とだけ、答えておく。

 

「そうだな」

 

聖上は、苦笑しながら頷いた。

こうした雰囲気は、嫌いではない。

考えれば、こうして二人酒を飲むのも久しぶりだ。

――前に一緒に酒を飲んだのは

 

「ハクロオ殿が――聖上になって、少し経ってからでしたか」

「ん?」

 

聖上は、少しだけ怪訝な顔をした後。

 

「ああ、そうだな」

 

すぐに私の意をとり、頷く。

 

「無理やり、つき合わせたんだったな」

「そうですよ。国の整備に、忙しいというときに」

 

あまりの激務にキレたのか――それとも、ちゃんと計算しての事だったのか。

聖上は私を無理やり酒に誘い、一晩中ひたすら語り合った。

 

「酔いつぶれるなど、生まれて始めての事でしたよ」

「まあ、ちゃんと仕事は出来たんだからいいじゃないか」

 

不思議な事に、次の日の仕事は数倍のペースで進んだ。

酒の力で、部下の統率を高めるという手は確かにあるが。

まさか、政務の頂点といえる聖上と侍大将の間でそれが成るとは思わなかったが。

 

「――で、また同じ事をやろうという魂胆ですか」

「同じで、違うかな」

 

聖上は首を軽く振って、笑う。

 

「また、一緒に酒が飲みたかっただけだ。あの時と同じで」

「そうですか」

 

薄い笑顔で、返した。

まったく、普段はふざけているように見えて。

――それが、何故だか周囲を励ます事になる。

聖上の周りの女性だけでなく、私やクロウ、オボロやその部下。

それだけでなく、一般の文官や武官に至るまで。

どうにも、この人の役に立ちたいと思わせる。

私には、ないものだと思う。

 

「聖上」

「ん?」

 

嬉しそうに、自分と私の杯に酒を注ぎ。

自分で、二人分のツマミの燻製を裂こうとする様子を見て。

 

「私は、貴方の下でないと働きませんよ」

 

何気なく、呟いた。

が、ふと、この言葉に違和感を覚える。

何か――。

 

「その言葉、いつかも聞いたな」

 

答えが返ってきた。

ああ、そうだ。

嫌がるこの人を、聖上にしようとした時に言った言葉だ。

そうか。

随分と、酩酊したのだろうか。

頭が、少しばかりくらつく。

 

「私の聖上は、貴方以外にいませんよ」

 

また、呟いた。

この人を、なんとか聖上したかったのだ。

いや、もう聖上だから必要ない。

――本当に、酔ってしまったようだ。

 

「――酔ってるだろ、ベナウィ」

「酔ってませんよ」

 

弱みは、見せたくない。

自分ではわからないが、おそらく少し言葉は歪んでしまっているだろう。

いつものように苦笑する聖上の顔を見ながら、私の思考は酒の力を借りて沈んでいく。

 

もし。

有り得ない事だが、もし、聖上が、聖上にならなければ。

あのまま、村へ帰っていれば。

私は、どうしただろうか。

 

――ついていったのだろうか。この人に。

無理だろう。

私には、責務があった。

聖上にでも何にでもなって、この國をなんとかしなければいけなかった。

だが。

ついていきたいとは、思っただろう。

この人の傍で。

一人の男として、付き従っていくことを望んだろう。

 

「――」

 

じっと、聖上の顔を見つめる。

仮面の下は見えないが、この人が笑っている事ぐらいはわかる。

――随分、優しい笑顔だ。

私には、こういう顔が出来ない。

クロウに語った事には、まだ濁りがあった。

もっと、単純な事だった。

聖上になるのは私よりハクオロがふさわしいとか、そんな事ではなく。

私はこの優しい人に、聖上になって欲しかったのだ。

ほんの子供に聞かせる物語や、歴史にうたわれる人になって欲しかった。

事実、私が子守唄のように聞いた英雄の話のように。

子供の頃の私が、それを聞いてこの國に仕える事を望んだように。

これから國を担っていくものたちが、どうか正しい道を歩んでくれるために。

私はこの人を聖上にして、「うたわれるもの」になって欲しかったのだ。

否、それすら正確ではない。

仮面を被った聖上に、それに仕える侍大将。

あるいは私もその物語の一片に加えられればいいとは思うが。

少なくとも、子供の頃はそうなりたかったはずなのだが。

――聖上と出会ってから。

それら全てが瑣末と言えるほど、私がただこの人の傍に居たかった。

私の、歪んだ願望だ。

 

「聖上」

「なんだ」

 

ああ。

もう、複雑な事は考えられなくなってきた。

ただ、あの時の選択を尋ね返す。

 

「私は、聖上に迷惑をかけてしまったでしょうか」

「――ベナウィ?」

「私が聖上となり、ハクオロ殿にはエルルゥさんやアルルゥさんと一緒に――村で、幸せに暮らしてもらうべきでしたか?」

「一体、何を言っている」

 

「あるいは、聖上が村に居れば、あの悲劇も救えたのではないでしょうか?」

「ベナウィっ!!」

 

つんざくような叱咤が、酔った私の背筋を貫いた。

 

「くだらん事を言うな」

 

その声が、急に弱々しくなる。

ああ。

 

「みんな、死んでたさ。私も、アルルゥも、エルルゥも」

 

何か、諦めるようにして聖上は話す。

――ああ。

 

「それに、誓ったのは私だ」

 

こうやって、聖上が苦しそうに話す時こそが。

この人を聖上にした事を後悔し。

同時に、やはりふさわしかったと思う時なのだ。

 

「はい」

 

私には、こう答えるしか許されない。

申し訳ありません、や、それは違います、などという言葉は。

口が裂けても言ってはいけない。

すでに起こった事を、論題に上げる事こそ愚かしい。

このまま、選んだ道を歩き続けるしかないのだから。

聖上は聖上の道を。

私は、侍大将の道を。

 

「――」

 

二人、沈黙する。

また、酒を飲み干す。

置いた杯に、聖上が黙って酒を注いでくれた。

 

それを繰り返して、一時間ばかり経った後。

私は、ふと聖上の仮面に手をかけた。

 

「なんだ、ベナウィ」

 

手を払いのける事もなく、聖上はその無礼を許す。

 

「いえ」

 

ただ、御顔に触りたかったのです。

と言ったところで、からかわれるだけだろう。

本音は言わないが、嘘もつかずに、前から思っていたことを言う。

 

「その仮面の下を、一度拝見できないものかと思いまして」

「私も、見せてやりたい物だがな。無理だ」

 

首でかぶりを振るかわりに、肩で笑って聖上は答える。

 

「無理に外せば、死ぬかもしれん」

 

私の手を掴み、自分の仮面に押し付けた後。

一撫でさせて、手を離した。

 

「私が死んだら、外してみろ」

 

縁起でもない事だ。

いつもなら、そう怒鳴っているところだろう。

だが。

 

「ええ」

 

どうせ、酒も入っている事だ。

諌める必要もなく、素直に、答える事にする。

 

「少なくとも、聖上が死ぬまではしぶとく生き抜いて」

 

貴方のお傍で、ずっと居て。

 

「一度拝見したいと思います」

 

その生涯を見届けたいと願います。

それが、私の侍大将としての為すべき事だ。

 

「……ああ」

 

――ずっと、お傍に。

 

「よろしく頼むぞ」

 

私はその言葉を聞いた後、なんだかとても安らいだ気分になり。

このまま、寝入ってしまおうと考えた。

そうすれば、また新しい一日が始まる。

 

それは何も変わらぬ、なんとも言えぬ。

素晴らしい一日になるだろう。

トゥスクル國侍大将、ベナウィは瞼の下でそれを浮かべ、意識を夢に落とした。

 

 

 

 

 

 



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