ヤン提督代理の鎮守府日記   作:五四熊

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戦争の序曲

 

 

 こっ、と軽快な音を鳴らして木製の駒が同じく木製のチェスボードを叩く。

 完全な意識の外からの一手は、ヤンのカップを口に運ぶ動作を空中に縫い止めるほどに痛烈だった。

 頭の中で対応策を試行錯誤しながら、ヤンは自らが支配する白の駒へと手を伸ばしかけては引っ込める。

 

 ポーンは駄目だ。壁の一角でも崩せばルークかビショップがクイーンの首を獲りに来る。

 ルークは一手遅い。槍を構えた兵士たちがすでに包囲を完成させている。

 クイーンすらもはや無意味。文字通り捨て駒にされるであろうポーンの向こう側では、青毛の汗血馬が嘶く。

 虎の子のナイトは時間稼ぎにしかならない。相手のポーンを数個奪い、それで手詰まり。

 ビショップは問題外。早々に討ち取られ、対戦相手の手の中でカチャカチャと音を立てている。

 完全に詰み。差し込まれたクイーンが各戦場をつなぐ楔となり、イニシアティブまでからめとっていってしまった。

 ヤンは一分ほど盤上で手を右往左往させた挙句、敗北を悟ってガックリと肩を落とす。

 その様子を頬杖をつきながら意地悪くニヤニヤと笑って眺めていた女性は、満足したように息を吐き、お茶請けのクッキーをつまんだ。

 数分後、奇跡は起こり得ぬまま対局は終了。女性は冗談めかしてヤンを煽った。

 

 

 「なかなかやるようになったじゃない? まぁ、五十鈴にはまだまだ及ばないようだけれど」

 

 青みがかった長い黒髪を二つに結った彼女は五十鈴。

 呉鎮守府初期から在籍する艦娘で、第四艦隊旗艦を務めている。

 その戦歴は長く、現・司令官の金剛が呉に着任した時には、既に前線でベテランと呼ばれて久しい域にあった程だ。

 彼女は技巧者である。砲雷撃戦の能力こそ人並みの域を出ないが、対潜水艦・対空防御の総合戦績に限れば、五十鈴の夥しいまでの戦果を超える者はこの鎮守府には存在しない。

 加えて、古兵(ふるつわもの)故の余裕か、同僚や後輩の相談事に乗ってやることが多々あり、裏では司令部と実働部隊の関係調整までやってのける。

 金剛は、五十鈴のそういった純戦力的な部分以外にも価値を認め、第四艦隊旗艦と水雷戦隊の訓練の一部を任せたのだった。

 

 ここは呉鎮守府第二資料室。ヤンは、休憩中の五十鈴とカウンターを挟んでチェスに興じていた。

 

 

 「偉そうなことを……。将棋はともかく、チェスの戦績はほぼ互角じゃないか」

 

 「『ほぼ』、よ。お生憎様、今回で二連勝。五十鈴が一勝分勝ち越しね」

 

 

 十七戦中九勝、と声に達成感と優越感を滲ませた五十鈴の勝利宣言を紅茶で憮然と飲み下す。

 三次元チェスを嗜んでいたヤンと、将棋を指すことも多い五十鈴。次元の違いによるマイナーチェンジと東西のルールの差異は、互いに盤上で実力を拮抗させる要因となっていた。が、今日は勝利の女神は五十鈴に微笑んだらしい。

 二人してゲームの結果からヤンの淹れた紅茶の感想まで色々と語り合っていると、ふと一瞬黙った五十鈴が独り言のように呟いた。

 

 

 「しかし……、最近どうも静かよね」

 

 「……そうかな?」

 

 

 資料室の奥に位置する読書スペースを眺めやりながらヤンが応え、五十鈴もつられてそちらへ目をやった。そこでは、現在他の鎮守府へ出向中の姉に代わり、艦隊のアイドルが駆逐艦を相手に講義を開いている。

 話題が当初の真面目なものから盛大に逸れ、なにやらアイドル論を熱心に説いているらしい。あれでもそれなりの古参のはずなのだが。

 この後に対潜の基本を教授する予定の五十鈴はなんとも言えない表情で口を開いた。

 

 

 「いや、そういう意味じゃないんだけど。……激しい戦闘があるわけでもなく、かといって平和かと言われればそれも違う」

 

 「それで『静か』だと言う訳か」

 

 「そういうこと。ついこの間の会議でも議題に挙がってたわ、『敵の動きがあからさまに怪しい』ってね。こっちも順当に支配海域を広げてるっていうのに、深海棲艦(あっち)からのリアクションは無いに等しい」

 

 気味が悪いったら。そう言った五十鈴は両手で持ったカップの中身を回すように傾け、口をつけるでもなく揺れる水面をぼんやりと見つめる。

 ヤンのほうもぼんやりと宙を見やり、先日偶然目に入った書類の内容を思い返していた。

 

 

 「支配海域、ね」

 

 「? それがどうかした?」

 

 「まあちょっと……、今の話を聞いていたら思い出したことがあって」

 

 「もったいぶらなくていいわ。聞かせてくれる?」

 

 

 五十鈴に促されたヤンが語ったのは次のようなことだ。

 その日、珍しく真面目に本来の業務である書類整理に勤しんでいた……わけではなく。

 軍の規律上、勤務中おおっぴらに嗜むことのできないアルコール(ブランデー、少々値が張った)の隠し場所を探すついでに書類整理を行っていたのであった。

 そんな不届き千万な彼が目にした書類は、重要度が低下して第二資料室に送られた、第三種機密事項が記載された書類である。

 それらには各鎮守府の哨戒海域、敵との遭遇頻度や現場からの報告書の一部などがまとめられていた。

 その情報とヤンが知る限りの艦娘の能力・保有数から推察するに、どうにも一部の鎮守府が無理をしているように思えてならなかったのだ。

 

 ここからは根拠のないただの妄想になる、と前置きしてさらに続ける。

 

 どうやら比較的大きな鎮守府にその傾向が見られること。現場から再三にわたって前線の後退が具申されていたこと。そして上層部の人事に関するいくつかの噂。

 ……偏見であるとは自覚していたが、半ば確信を持ってその結論を出したのだった。

 

 

 「――つまり、上層部(うえ)の派閥争いか何かのポイント稼ぎの道具として、前線部隊が弄ばれているんじゃないかと、私は思ったわけさ」

 

 「……ふーん」

 

 

 どこか投げやりなようにも見える五十鈴の態度だが、その目は真剣だ。

 彼女ほどのキャリアになれば、ある程度裏の事情にも詳しくなる。結論を言えば、ヤンの推測(妄想とも言う)は概ね的を得ていたのである。

 五十鈴は知っている。目の前にいるこの男が時々非凡な洞察力を広範囲に亘って発揮することを。

 この男は一体どこまで見えているのか。そう思ったことも一度ではない。

 なんでも、宇宙艦隊勤務(ヤンの事情はある程度金剛から通達された)で、金剛曰く後方勤務だったのではないか、とのことだったが……。

 好奇心に負けた五十鈴は直接聞いてみることにした。

 

 

 「ねぇ、前から思ってたんだけど。あなた作戦参謀か何かやってた? 少なくとも前線勤務の上級職は間違いない思うんだけど。思考の方向性がただの戦術屋のソレじゃないわ」

 

 「元帥やってたよ」

 

 

 自分の出身校を告げるような軽さの発言を、五十鈴は冗談だと解釈した。

 そしてその言葉の裏には『これ以上踏み込んでくれるな』という警告が込められている……気がした。

 どうせ好奇心からの質問で、差し迫った事情があるわけでもない。結局、それ以上事実を追及することはせず、その『冗談』に乗ることにしたのだった。

 

 

 「……そ。じゃあ元帥閣下に勝った私はさしずめ、大元帥といったところかしら?」

 

 「かもしれないな。……おっと、あっちも一区切りついたようだ」

 

 

 ヤンが顎でしゃくった先は那珂のアイドル講座会場である。嫌な予感を抑えきれない五十鈴が目撃したのは、

 

 教官役の那珂以下、第六駆逐隊四名の『びしっ!』というオノマトペを背後に幻視するほど一糸乱れぬ、こちらを指さす形の決めポーズであった。

 このときセンター・那珂、渾身の那珂ちゃんスマイルである。

 第六駆逐隊以外の駆逐艦はめいめいに休憩に入っていた。

 

 

 「……行ってくるわ。紅茶、ごちそうさま」

 

 

 なんだか休憩に入る前より疲れているような五十鈴を手をひらひらと振って見送る。

 カウンターの下から読みかけだった中国史の本を引っ張り出し、最近ようやく金剛から及第点をもらえるようになってきた紅茶を淹れ直す。

 

 

 「ま、信じるほうがどうかしてるってもんだ」

 

 

 元帥などと大仰な肩書を背負って大艦隊を指揮するよりも、こうして本に埋もれてなんちゃって司書をしている方がよほど分相応というものだ。

 あのカイザー・ラインハルトほどに覇気に満ち溢れていれば話は別かもしれないが、もともと彼自身は歴史家志望である。

 自身の生涯、出会いを否定するつもりはないが、どちらかといえばこちらの方が正道であると言えた。

 死した後に正道に回帰する。少々複雑だが、ヤンとしてはこんな生活もまた愉快なものだった。

 

 

 

 

 

 

 かつて戦争があった。

 野心か、打算か、誇りか、はたまた驕りか。

 国々が銃火を交えた理由は多々あれど、どれも人という種が持つ、どうしようもない愚かさを証明している。

 総死者数八千万。この数字が全てだ。

 

 だが、この話が本筋と言う訳ではない。戦争とは、往々にして事前準備と、そして何より戦後処理によって評価されるものである。

 では、日本(このくに)はどうだったのか。

 それは一言で言い表せるものではない。

 当時の指導者、軍人を戦犯として裁き、連合軍の統治を受け入れる。そこに一部の人間が掲げた誇りは存在しない。

 しかし、いくつかの偶然と世界情勢が流れが敗残の国に空前の発展の契機をもたらし、急激に復興が進む。

 

 一元的に語れるほどこのこの現実は単純ではない。だが、ある人は『それも仕方ない』と半ば諦観を抱き、ある人は『ようやく戦争が終わったのだから』と志を胸に秘め、故郷(くに)の復興と発展のためにと力を尽くしたことは紛れもない事実であった。

 そんな努力はいつしか実を結び、日本というそう大きくもない島国を世界有数の先進国に発展させる――。

 

 ――かに思えた。

 

 終戦から十数年。深海棲艦の出現により世界は千々に寸断され、日本、どころか世界中で約束されたはずの未来は泡沫と消えた。

 世界初の被害はオイルタンカー。それに続くようにありとあらゆる船舶が撃沈されていく。

 船どころか飛行機が撃墜されるに至って、世界はようやく深海棲艦の真の恐ろしさと人類の危機を実感した。

 

 人類とて、対抗策を講じなかったわけではない。

 各国の先の大戦で生き残った艦艇、航空戦力に加え、新規に編成した戦力での撃滅作戦。沈んだ船を水底から引きずり上げてレストアしてまで投入した作戦は、深海棲艦の機動力と火力の前にあえなく粉砕された。

 

 日本では、海上が駄目ならばと陸上に誘い込む案も提出されたが、結局、その案が採られることはなかった。

 世界屈指の強大さを誇る某国がその戦術を敢行し、結果的に無人の街一つを空爆で消し飛ばしただけに終わった無謀。多くの人々はそれを繰り返すことを恐れたのである。

 

 艦娘と名付けられた存在がいくつかの国に登場し、彼女らを束ねる組織が発足して、ようやく人類は一息つくことができるようになる。依然、危機的状況にあることは疑いなかったことであるとはいえ、だが。

 

 

 ともかく、日本における前線基地兼、対深海棲艦理論検証施設が『鎮守府』だ。

 ここはそんな数十年に亘って戦いを続ける鎮守府の内の一つ、最強と名高い横須賀の一角である。

 白い第二種軍装を身に纏った女性が清潔な廊下を颯爽と歩いて行く。

 その人物の顔を見れば、彼女が呉の司令官代理・金剛であることがわかるだろう。

 だが、金剛の表情はこころなしか険しい。視線は一点に固定されたまま、しかし何を見るでもなく、代わり映えのしない景色が網膜と意識の表層を上滑りしていく。

 

 そんな表情が変わったのは、曲がり角を抜けた先によく見知った背中を見つけたからである。

 

 

 「Hey! 比叡! 久しぶりネー!」

 

 「お姉さま! わぁ、お久しぶりです!」

 

 

 やや毛先に癖のある髪を短く切りそろえた彼女は比叡。呉から横須賀に出向中の、金剛の妹だ。

 

 

 「その服もお似合いですよ、お姉さま」

 

 「そうでショウか? ワタシとしてはいつもの服装の方が気楽でイイんだけどネ-」

 

 

 久方ぶりに顔を合わせた妹と肩を並べ、他愛のないことを口にしながら歩みを進める。

 

 

 「霧島は教練所の教官で、榛名は佐世保デシタか。比叡はどうデス? 横須賀の暮らしは?」

 

 「なかなか悪くないですよ。出撃頻度は呉に比べても多いですけど、()()()()がいるので火力担当の負担はそこまでではないですし」

 

 「ああ、あの」

 

 「ええ、あの」

 

 

 二人が話す『あの二人』とはとある姉妹のことである。

 最強の名をほしいままにする横須賀鎮守府。その横須賀を最強足らしめる要因の一つが彼女らだ。

 

 大和型戦艦一番艦、大和。同型二番艦、武蔵。

 水上要塞とでも言うべき、圧倒的、ひたすら圧倒的な火力と装甲。そして生半可な規模の鎮守府では出撃すらままならない程の運用コストを誇る、祖国の名を背負った姉妹。

 資源や補給に関して横須賀がある程度の強権を振るえているのは、この二人を主軸とした作戦のことごとくが大戦果を挙げているからに他ならない。

 

 

 「横須賀はなんというか……戦力過剰な気もしマスネー」

 

 「一応、激戦区ですから……。少なくとも、わざわざ私が呉から出向する必要があるくらいには」

 

 

 物騒な話題を交えつつ、横須賀の食堂のラインナップや数か月前に呉で拾った青年について、会話は際限なく広がっていく。

 それらが一段落し、ふと会話に生じる空隙の時間。ほんの一瞬だったが、互いに、隣を歩く姉妹の考えていることは何となく察した。

 比叡がぽつりと零す。

 

 

 「次の作戦……大丈夫ですかね」

 

 「さて……、どうでショウ。会議でも『どうにもきな臭い』という意見が大半デシタが……」

 

 

 それこそが先ほど金剛が悩んでいたことに他ならない。

 見せつけるように海域の一点に集中する深海棲艦。偵察の結果、群れを成す彼らの中心には特異個体『鬼』が八体、『姫』が二体。これで観測した限りの最低の数だというのだから、今から気が滅入る。そして取り巻く駆逐艦、巡洋艦、空母、戦艦、潜水艦……。その他有象無象というにはあまりにも殺意にあふれたそれらはまさに雲霞の如き大群。

 金剛は先ほどの会議を思い出し、一つ溜息をつく。

 

 

 『ここまで露骨だと見た目以上に何かあると言っているようなものだ。しかしこれだけの戦力をほったらかしておくわけにもいかない。各鎮守府の精鋭戦力を統合し、これを撃滅する。万が一を考慮し、主力部隊が一時的に抜ける鎮守府は警戒を厳にしておくこと』

 

 

 この決定に異存は無い。しかし呉には戦力が無い。

 連合艦隊の構成員を選抜すれば、後に残るのは一線級に比べて一枚落ちる中堅どころといったところか。

 普段ならそれでもよかったのだろうが……。

 

 

 「さすがに今回ばかりハ……」

 

 「嫌な予感がしますねぇ……」

 

 

 もう一年ほど前になるだろうか。今回と似たような作戦が立案され、これを実行した。違いといえば相手方の行動へのリアクションというわけではなく、こちら側からの侵攻だったという点程度である。

 この作戦は果たして成功だったのか。この問いに対する答えは大きく二つ。

 深海棲艦へ大打撃を与え、決して狭くはない海域を解放した、という意味では答えはイエス。

 人材、戦力、資材の損耗がかつてないほど甚大なものだった、という観点での答えはノー。

 ちなみに金剛個人で言えば作戦の可否以前に、高速艇で前線指揮を執っていた提督(おっと)が流れ弾で戦死した時点で作戦の意味そのものが絶無であった。

 

 この作戦の結果として各鎮守府は少なくない損害を被り、戦力の再編が急がれた。各地に散らばる艦娘を出向という形で異動させ、戦力のバランスを整えたのだ。

 一年の時を経て、かつてと同等とまではいかないものの、八割ほどの戦力をようやっと整えなおしたところに『これ』である。今度は姉妹そろって溜息をついた

 

 が。比叡はパシン!と自分の両頬を掌で張り、ことさら闊達に言ってのける。

 

 

 「まあ、今からそんなことを言っていても仕方ありません。今はできることをして、あとは全部事が起こってから考えましょう!」

 

 

 付き合いの長い金剛には、それが比叡の空元気であることは明白だった。ましてや妹のことである。

 しかし、金剛にはその空元気がとてもありがたいものだった。妹が虚勢が張れるのなら、自分は余裕の笑みでそれを本物に変えてやるだけだ。

 

 

 「――ソレもソウデスネ。ワタシたちが揃えば、できないコトなんて料理くらいデース!」

 

 「それはそれでなんか情けないですよお姉さま……。榛名に今度お料理を教えてもらいましょうか」

 

 「……二人そろって姉の矜持が粉微塵になりソウデスから、鳳翔さんあたりにしまセン?」

 

 「実は大和さんも結構お料理上手なんですよ。機会があったら頼んでみましょうか」

 

 「意外と言いマスカ、なんと言いマスか……。でもそれもいいかもしれまセーン。おっと、そういえば――」

 

 

 日常の平穏な微睡に取って代わり、いずれ轟音と閃光が支配する鉄火場は開かれるだろう。

 彼女たちが打つ博打、そのチップは自らの命だ。

 それすらも彼女らは躊躇わない。得られるリターン(へいおん)が何よりも尊いものだと知っているから。

 

 金剛は左手を――白手袋の奥、薬指に嵌る銀のリングを、薄布越しに優しく撫でた。

 

 

 

 

 

 

 海上。見渡す限り、深海棲艦(どうるい)がひしめき合っている。

 さて、この状況は何なのだろうか。そう思ったところで、視界にノイズが走る。幻影が視覚を侵食し、今ではないいつか、ここではないどこか、自分ではない誰かの記憶を映し出す。色彩の抜け落ちた白と黒のツートーンが、彼女の中の『何か』を波立たせる。

 

 鋼鉄の(ふね)の中、仲間たちと語り合い、笑いあっている。祖国を護り、家族の下へ帰れずとも、故郷の礎とならんと決意したのだ。

 

 ああ、懐かしいな、と。

 『懐かしい』という感情がどんなモノなのか、それすら分からないままそう想う。

 

 ノイズが走る。ざらざらと砂嵐が吹き、視界を漂白する。他人の日記をめくるような、そんな感覚が彼女を包んでいる。尤も、彼女自身はそんな些末な事を認識してはいないのだが。

 また、映像が視界に重なる。どうやら日記帳の次のページに書かれていたのは、先ほどとは別の人間の記録らしい。

 

 やはり似たような、四方を鉄に囲まれた船室。またも色彩は存在せず、無味乾燥な灰色の動画だった。

 極東の島国の暴走を自分たちが止めるのだ、そう仲間たちと語り合った。家族の下へ生きて帰り、娘に自分の偉業を自慢してやらねば。

 

 ああ、誇らしいな、と。

 『誇り』とはどういうモノだったのか、理解できないままに考える。

 

 再び、ノイズ。

 

 しかしながら、再構築された世界は先ほどまでと明らかに違っていた。

 視界を埋め尽くすのは、青。

 透明な、突き抜けるような青。深い、包み込むような青。この二つが、これまた青い線で曖昧に区切られている。

 

 これは……海か。

 そう認識した瞬間、すぐ近くから自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

 

 

 『――!』

 

 

 呼び声に返事を返そうとして、はたと気付く。

 この声の持ち主は一体誰だったか。

 

 ――瞬間、激しい頭痛に見舞われる。

 有りもしない脳髄がぐずぐずに焼けただれていく。

 迸る怒りが、悲しみが、架空の神経を通じて全身を灼く。

 だが、彼女はそれが何なのかを自覚できない。理解できない。ただ、どうしようもない痛みと熱さに苛立ちと破壊衝動だけが募っていく。

 

 衝動を抑える気は端から無かった。彼女を中心とした全方位に無差別な破壊と殺戮を振り撒く嵐が吹き荒れる。

 乱れ舞う髪が中空に濁った残像を描いた。

 

 

 「アアアアァァアアアァアアアアッ!」

 

 

 叫びとともに有象無象が消し飛んで行く。構うものか、どうせまたどこからか湧いて来るのだから、とばかりに。

 

 

 「ッアアアアアアアアァァァァッ!」

 

 

 その叫びを聞く者は理性の無い亡者ばかり出会ったが、感情を理解し得る者が聞いたならば、こう思ったかもしれない。

 すなわち――慟哭しているようだ、と。

 

 

 「アアアッ! アァ……ッ! ァァァァァァァァ……ッ!」

 

 

 嵐が吹き止んだとき、彼女の周囲は数百メートルに亘って空白と化していた。

 様々な色の絵の具を混ぜたら黒くなった、そんな色の残骸が海へと溶けるように消え、海水を同色に濁らせていく。数日も置かずに、この場所から新たな下級の深海棲艦が生み出されることだろう。

 

 光さえ飲み込む黒。海上に出現したブラックホールの中心で、頭痛の名残を引き摺ったまま、彼女は茫然と呟いた。

 

 ――行カナケレバ。

 ――仲間ノ所ヘ。家族ノ所ヘ。

 ――護ラナケレバ。倒サナケレバ。

 ――敵ヲ。国ヲ。

 

 彼女の中では敵も味方も、その全てが同一であり、等価値である。

 故に『護るべきもの』と『殺すべき敵』がそのまま等号で結ばれることが矛盾なく成立する。

 唯一の例外と言えば『同類』だけ。なぜならば駆逐級の一体に至るまで一つの例外もなく寸分違わず同じ記憶を共有している。本質的には全く同じモノ、自分自身とさえ呼べるからだ。

 

 では。なぜ彼ら(うぞうむぞう)と自分はこうも違うのか。

 あの視界に焼き付く青い世界は何なのか。

 

 考えたところで、思考はロクに回らず止まる。ぶつ切りにされたいくつかのVTRが、擦り切れたビデオテープのように繰り返されるだけ。

 あの頭痛も、熱も、苛立ちも、幾度となく繰り返された内のたった一度でしかない。

 

 だが、その繰り返しをやめることは決して無い。

 忘れてはならないものだと、刻み込んでおかねばならないものだと、そう自分を戒めるように。

 

 帰巣本能にも似た静かな激情は新たな生贄を求め、戦端が開かれるその時をただただ待っていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 横須賀鎮守府に各鎮守府の司令を招集して催された会議から二日。

 洋上の深海棲艦の一団を連合艦隊で以て撃破する旨の作戦が、大本営より正式に通達された。

 この作戦に参加する選び抜かれた最精鋭の艦娘は、総数で五十にも迫る。

 加えて、戦力が(から)に近くなる一部鎮守府には、大口径の火砲を備えた最新型の艦船がいくつか配備されることとなった。サイズの違いから深海棲艦に対してはいまいち戦火を挙げられない武装艦であり、無いよりはマシ、と大本営が考えていることは明白だったが。

 

 そうそう見ない規模の戦いであり、本土防衛の都合上、極めて重要でもある。

 しかし、言ってしまえばこれも対症療法的な意味でしかない。根本を絶つことに戦略的な目標を置くとすれば、この作戦は最終目標からはいささかズレていると言わざるを得ない。

 この受動的な姿勢が、日本の、ひいては世界の窮乏を端的に表していると言っても申し分なかった。

 

 だが、敢えてこの戦いに意味を付与するならば、その意味が発生するのは主戦場ではない。

 

 太平洋の片隅、呉が管轄する海域の一部。

 予想された襲撃と、予想外の戦力。様々な要素が絡み合い、複雑に織り上げられる一枚の歴史の布。

 そこに偶然紛れ込んだ一本の糸。

 その糸の名を『ヤン・ウェンリー』といった。

 

 直接に指揮を執ったわけではない。彼が過去に打ち立てた偉業からすれば、取るに足りないような些細なものでしかない。

 しかし、この世界で目を覚ました後、純軍事的な領域にに首を突っ込んだのはこの時が最初である。

 

 ヤンが呉に籍を置いて約一年、夏の出来事であった。

 

 

 

 

 

 

 







Q.おっそーい!

A.何度も言うがオナニーは回数ではない――問題は質だ





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