ローズヒップ、頑張りなさい。   作:テイカー

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二日目
ローズヒップ、突貫ですわ!


 

 

 

 ぴょこん! という効果音が付きそうな勢いで、床(とこ)から上体を起こす。

 ついできょろきょろと枕元を見回して見つけた目覚まし時計を掴んで時刻を確認すれば、セットしたアラームの三十分前。

 普段なら二度寝のチャンスとばかりにもう一度枕に顔を埋めるところだが、今日に限っては訳が違った。それに、寝起きとは思えないほどに爛々と輝く瞳では、眠気に勝利の二文字は来ないだろう。

 

 そのままぱたぱたと洗面所に行って顔を洗い、予約炊飯しておいたご飯を茶碗にもってから卵をそのうえに叩き割る。ちょっと殻が入ってしまったが仕方ない。醤油かければ大丈夫。殻にも栄養あるってこの前聞いたし。

 

 そんな感じで出来上がった朝ごはんは他の同校生徒に見られれば眉をしかめられるどころでは済まなかったろうが、残念ながらこの場に文句を言う者はいない。

 テーブルの上にあったリモコンを弄ってテレビをつけると、ちょうど聞き心地の良いバイオリンをバックに天気予報がやっているところだった。

 

「ふんふふんふふーん。今日は快・晴! ですわ!」

 

 聖グロリアーナの学園艦が存在する海域は本日快晴、降水率は傘の心配など全く要らないニコニコ0パーセント。むふ、とまるでジブリアニメの少女のように鼻を広げて笑顔を作る彼女は、そのままあぐあぐとたまごかけごはんをかきこんでいく。

 

「美味いですわ! ごちそうさま!」

 

 ものの二分で朝食を平らげると、そのまま茶碗と箸を台所に持っていく。

 洗剤と一緒に漬け込んでおいた昨晩の食器と一緒に、鼻歌交じりにざっぷざっぷと洗い物。慣れた手つきで油ものからコップ類まで全部を乾燥機に乗せてスイッチを入れると、そのままお風呂場に直行した。

 

 時間にはたっぷり余裕があるから、ひとまずシャワーを浴びるべく着ていたものをぽいぽいぽーい。

 下着類までダイレクトに洗濯機の中に放り込む。洗濯網? なんですのそれは。

 

 あっという間にシャワールームに入って、バルブを捻って頭から水をかぶる。

 

「ぎゃー! 昨日ガスの元栓切ったの忘れてましたわー!」

 

 降水確率もゼロパーセントなら、彼女の優雅さもゼロパーセントな本日の朝。

 しかしながら、どんな作業もあっという間に終わったのはここまでだった。

 

 気を取り直してお湯に切り替えて、全身くまなく洗っていく。勿論、髪も念入りに。

 リンスとシャンプーを別々に買うなんてコスパが悪いんじゃ……なんて言っていた彼女はもういない。アッサムに散々お小言を受けて購入したシャンプーとリンスに感謝しつつ、丁寧に丁寧に自慢の赤髪を手入れして。

 

 なんだかよく分からないけれどアッサムに勧められて購入した、顔にハリ? を持たせるらしい何かを塗って、いちいち慣れない動作で洗い流していく。

 

 寝汗の変な臭いとか、絶対つかないように。

 

 丹念に、という言葉がぴったり似合う念入りのシャワータイムは、起きてからシャワーに入るまでの時間の三倍は要したのではないだろうか。

 

 一週間ほど前まではリンスインシャンプーと固形石鹸が一個しかなかったお風呂場は、ボディーソープから保湿乳液に到るまで全て先輩によって新調されていた。

 未だおぼつかない手つきながらも、彼女は一生懸命一つ一つのボトルを覚えて手順通りに使っていく。

 不安が残ればもう一度使ってみたりとあまり褒められない行為もしていたが、それも彼女の懸命さだと思えば先輩も黙って見守ることだろう。

 

 そんなこんなで長かったシャワータイムを終えて、今度はドライヤーで髪を乾かしていく。熱風はきちんと腕をくゆらせながら、髪を手串で整えるように。

 連鎖的に、『ドライヤー……? ああ、あの暖かい扇風機ですわね』などと言って先輩に睨まれたことを思いだしながら、綺麗にふわふわになるように髪を整える。

 

 さて。

 ここからが正念場だ。

 

 さっぱりした身体で、クローゼットとにらみ合う。

 昨日のうちに三着程度に絞ったつもりだったのだが、いざ今日を迎えてみるとまた悩む。没にしたこちらも捨てがたいのではないか。いやでも、残しておいたこちらも可愛いはず。

 あぐらで座り込み、並べた服を吟味すること一時間ほど。

 ようやく決めた一着は、水色のフリル付きミニスカートと、白のパフスリーブカットソー。ちょこんと胸元に添えられたリボンも水色で調和がとれて、彼女の快活さと中和されるような愛らしい装い。

 

 ここに赤のパンプスを組み合わせれば、今日のコーディネートは完成だ。

 

 鏡を見て、頷く。

 この組み合わせは実は、元々彼女が買いたくても手が出なかったものだ。物欲し気な目線に気が付いたダージリンが、『貴女に似合いそうね』と後押しをしてくれたからこそ買えた一品。

 自分にはこんな楚々とした雰囲気は合わないのではないか。

 お嬢様に憧れて、でも踏ん切りがつかなくて。

 結局購入してからも外に着ていくタイミングが見当たらなかったこの一着。

 けれど、だからこそ今。

 

 よし、と脇を畳んで拳を握りしめる。

 と、鏡の端にちかちかと映り込むテレビの画面に目が行った。

 

 そういえば点けっぱなしだったかとテーブルの上のリモコンを手に取って、画面右上に表示されている時刻に気付く。

 

「げっ、こんな時間ですの!?」

 

 出かける予定の時間まで二時間は余裕を持って起床したというのに、もうぎりぎりだ。

 慌てて電源を切ろうとして、その手が止まった。

 

『星座占い作戦です!』

 

 なんの作戦なのかはさっぱり分からないが、ちょうど本日の運勢十一位から二位までの星座が表示されていた。せっかくだからと自分の誕生日に対応した星座を探してみるも、その一覧に自分のそれはない。

 

『さあ、本日の一位、そして残念な十二位は――』

 

 残る二星座に絞られて、彼女は画面を見守る。が。

 

『今日もハンバーグが美味しい! ああ美味しいハンバーグ!』

 

 ――CMに断ち切られてしまった。

 

「タイミング悪いですわね」

 

 でも、まぁ。

 こんな素敵なイベントがあるのだから、今日の自分はきっと一位だろう。

 そう自分で結論付けて、彼女は電源を落とした。

 

 今はそれよりも時間が惜しいのだから。

 

「さあ、いきますわよローズヒップ!!」

 

 気合一擲、ローズヒップは玄関から飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青年は、タイトな黒のジーンズにテーラードジャケットという、いつも通りの外出時の私服に身を包んで店を出た。茶色のレザーシューズも含めて、気付けばあの雨の日と同じ服装。

 

 あの日ずぶ濡れになった服が綺麗に乾いて、燦々と降り注ぐ太陽の下。

 ぼんやりと見上げた空は雲一つない晴天で、本当にあの日とは大違いだ。

 

 奇しくも雨宿りの際にローズヒップが立っていた場所で、同じように空を見上げる。

 快晴時のここから眺める景色が、青年はとても好きだった。

 

 ナカノの二番で整えた黒髪は、営業中とは違って額を隠さずオールバックにしている。整髪料の匂いは、微量でも菓子作りの際は気になるものだ。だからこの髪型にするのは定休日限定のこと。先週は不慮の水浴びで大変なことになってしまったけれど、今日はその心配もない。

 

「とりあえず足りなくなってる調味料と、あとはそろそろ小麦粉を買い足しておかないとヤバそうだな。あとは……」

 

 店にとっての必需品の多くは直接送られてくるが、この学園艦で歩いて仕入れたいものが幾つかある。調味料などはその最たる例で、小麦粉に関しては店というよりは自分の食用。イギリスパンなら目を瞑ってでも作れる。

 

 買い物のラインナップをおさらいしながら、軒先でぼんやり。

 

 今日の買い出しには可愛いゲストが居る。

 わざわざ恩返しを買ってでてくれたのだからと承諾したはいいのだが、待ち合わせ時間がアバウト過ぎたせいもあって、彼は一応早めに待っていた。

 

 朝。

 彼女から指定された時刻はとてもシンプルで、また随分と広い範囲をさすもの。

 連絡先も知らないとくれば、こうして待つしかない。どことなく猫っぽい自由奔放な雰囲気は感じ取っていたものの、じゃあ明日の朝にー、と軽く言われて流してしまった自分も悪い。

 

 ……いや、どうだろうか。

 彼女は猫というよりは犬? いや、でも猫っぽいような気も。

 

 とりとめもないことを考えながら暇をつぶす。

 と、そんな時だった。

 

 ――なーご。

 

 タイミングよく猫の鳴き声が聞こえて、青年は我に返る。

 待ち合わせ相手の頭に猫耳が生えた絵面を幻視して首を振りつつ、その発信源を探して上を見上げたその瞬間。

 

 どさ、と頭に重いものが降ってきた。同時に強く側頭部をどつかれるような感覚。

 ひらりと足元に舞い降りるや駆けていく白猫。

 

「What the fuck!! せっかく整えた髪がぐしゃぐしゃじゃねえか!!」

 

 あの猫め!

 と睨みつけた先に、既に路地に消えたらしい猫の姿はない。代わりに可愛らしい一人の少女が立っているだけだ。

 なんだったんだ全く、と後ろを振り返ってガラス張りの自分の店を姿見代わりにして髪を整えなおす。

 これでよし。

 うん、と頷いたところで、鏡の端に所在なさげに立っている少女に気が付いた。

 

「いつからそこに!?」

 

 それはもう美しいまでの二度見であった。

 くすくすと笑う彼女の装いは陽光の中にあってとても可憐で。

 

「そうですわね。もう聞くことはないんじゃないかと思っていた、例の言葉を聞いたところから?」

「またやっちまったのか俺は……!」

 

 ぺちん、と自らの額を叩く。今日は前髪の感触がないせいで、割と良い音がして。

 

「お待たせですの。ローズヒップただいま参上ですわ!」

「ああ、気にしない気にしない。猫に奇襲を喰らうまでは店の戸締りとかやってたから」

「……そういうことにしておきますわ。いざ、参りますわよ!」

「おー。しかしローズヒップさん、私服とても可愛いですね」

「へぁっ?」

 

 高々と拳を突き上げた彼女――ローズヒップに合わせて、青年も歩き出した。

 やや俯き気味に歩みを合わせる彼女の私服を見るのは、思えば初めてのこと。

 

 タンクジャケット姿は一方的に見たことがあり、出会った二度は両方とも制服姿。

 となれば必然、私服姿は初めてなのだが、予想以上に"可憐"という言葉が似合う。

 

 やはりどんなに快活でもお嬢様はお嬢様なのだなあと方向違いなことを考えつつ、それにしてもあまりに想像と乖離していたことに衝撃を受ける。

 チープな言い方をすれば、ギャップという奴だろう。あんなに元気な彼女が、深層の令嬢のような愛らしい服装をしていれば男なら誰でも心を打たれる。

 

 まして、なんだか今は大人しいとくれば猶更だ。

 そしてこれが一番大きいのだが、そのギャップを感じさせる服装が驚くほどに似合っている。彼女の容姿が整っていることくらいは二度の出会いで分かっていたはずなのに、全く別の側面からぶん殴られたような感覚で青年も少し照れが混じる。

 

 おかげで少し、思考が吹っ飛んでしまった。

 出会って間もない二人で歩くのだから、沈黙は気まずい。

 だからと話題を幾つか事前に用意していたはずなのに、悲しいかな恋愛偏差値の高くない青年は簡単にテンパってしまっていた。

 

 と、暖かな風が吹いた。

 青年がワックスで固めた髪を崩すほどではなく、隣のローズヒップのふんわりとした髪を少し揺らす程度のそれ。

 ただ、そのたったそれだけが女の子の香りを運んで、青年の鼻にすんと触れた。

 

「……え?」

 

 呆けた声が青年からこぼれる。ぱたり、と足が止まる。

 たった一瞬の出来事。だが勿論、些細なことでも話題がないと触れたくなる。

 ローズヒップもその例にもれず、首を傾げて立ち止まった。

 

「何かありましたの?」

「え、あ、や、別に。良い香りだなって」

「それは……良かったですわ。でも、その」

 

 少し恥ずかしそうに前髪をくるくるといじりながら、しかしローズヒップは青年を見上げて心配そうに眉尻を下げた。

 それはそうだ。ただ良い香りをかいだだけのリアクションなどでは、全くない。

 

「あー……いや、ちょっと知ってる匂いだったので」

 

 バツが悪そうに後頭部に手をやる青年は、やけに申し訳なさそうだ。

 その理由は当然、せっかく柔らかで優しい香りのする彼女にケチをつけたようになってしまっているからだろう。少し慌てていたとはいえ、あまりに失礼だと思っただけのこと。

 

 だから、困っていた。

 

 合わせた視線の先、ローズヒップの瞳の奥が、酷く揺れている気がしたから。

 

「あ、あの、もしかして、その」

「ええと、ローズヒップさん?」

 

 言うな。と彼女の心の底で二頭身の彼女が叫ぶ。

 けれど、あまりに突然の出来事に脳の回転が追いつかない。

 

 ローズヒップの先輩は言っていた。買い与えてくれたシャンプーは、聖グロリアーナの女生徒であれば持っていて当然の淑女の嗜みであると。

 

 この匂いを知っている。

 

 男性が使うものではない以上、その匂いを印象付けるほどの距離に女性が居たのは明確で。だからこそ、予想していなかった状況が出来上がりそうでローズヒップの喉が渇く。

 

 彼女が居るのですか。

 あまりにストレートな問いはなかなか口から出てくれない。

 恋人がいるのですか。

 それ以上に胸が苦しくて声になんてなってくれない。

 誰が使っていたのですか。

 そんなぶしつけな問いを出来るほど、今のローズヒップは怖いもの知らずではない。

 

 知りたい。可能性に気付いてしまった以上、"ソレ"の居る居ないははっきりさせたい。

 けれどストレートに聞いて肯定の返事が飛んできたら、どうしていいか分からない。

 

「仲良しの方に、同じシャンプーを使ってる人でも……?」

 

 だから、恐る恐る問いかけた。

 不安が伝わってしまわないことを祈り、変に気を遣われることを嫌い、奇妙に思われないようにさりげなく。

 

 その答えは、しかして。

 

「あー……仲良し、ではないですね」

「そ、そうですの」

 

 胸を撫で下ろした。

 もしかしたら"それ以上"だと言われる可能性もあったが、彼の表情を見る限りそれはなさそうだ。どことなく落ち込んでいるようにも見えなくもないが、表面上は気にしない風をふるまっている。苦笑、というのが一番近いか。

 ならきっと、恋人ということはないだろう。

 

 そう、安堵していたから深く突き刺さった。

 きっと自分には聞かせようとしていない、小さな小さな独り言が。

 

 

 

 

 

 

「俺は今も、大切に思ってるんだけどな……」

 




補習でちょいと遅くなりました。
二日目突入です。

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