人たる所以を証明せよ、と魔法師は言った 作:ishigami
Sugar,多めで。
◇
山肌は、白く覆われている。
冷気。
山岳の、切立った崖の端に在る、白亜の城は中世の流れを汲んでいるのか、されど何某様式かは判然とせず、曇天を仰ぎ見やり佇立するそのさま、何色にも染まらぬ寄せ付けぬ孤高――
――
と。動く音がある。短い間隔で、張り詰めた空気を打つ音が一つ、二つ。三つ、四つ。五つ。響く音。それは、
それは時が凍てついてしまったかの世界にあって、
――静かだ。
辺り一面を満たす雪が音を吸っているからか。
――静かだ。
まるで世界中の生き物が死んだ跡の、幽霊の夢にでも迷い込んでしまったかのよう。
「少し、さむいな」
外界の、如何なる雑音からも遮断された世界。閉じた世界の、閉じた城。
此処にいれば、外のあらゆる猥雑なさざめきに煩わされることもないのだろう。
――あるいは。
――あいつにとっては、そう、悪くない場所なのかもしれない。
けれど。ああ、
――さみしい場所だよ、此処は。
静かで、さみしくて、そしてつめたい場所だよ。
――おまえを、こんなところになんかいさせない。
足音が、止まる。
大きな扉だった。玉座に通じている。奥からは、
吐息を、吐き出した。
「……まったく」
――おまえは、オレのものなんだから。
――勝手にいなくなったりなんか、ゆるさない。
扉を、押した。
「――よう、黒幕」
わらいかける。
「返してもらいに来たぜ」
◇
――意識が浮上する。
ゆるやかな微睡み。おだやかな時間。何者にも脅かされることのない、やさしいゆりかご。
すぐそばに、感じ慣れた気配があった。シルクのシーツと、やわらかな羽毛布団に守られて、眠りを堪能する少年。その鼻先で、くるくると丸くなっている黒猫。
いつもの光景だった。
――まるで仲のいい家族みたいに、おんなじベッドで寝たりして。
――あるいは。
「………、」
知らず、口端が綻んでいた。
洗面台に向かい、冷たい水で顔を洗う。ふわふわのロングタオルで拭ったあと、寝間着姿の自分を鏡に映し、普段から袖を通している着物を
瞼の裏に像が残っているうちに、目を閉じる。すると「影」が揺らめいた。白と赤い闇が広がる。肌に触れる感覚に、
再び開くと、いつもの暖色系に早変わりした着物姿の自分がいた。
――便利なもんだ。
この躰は、人が交じり合って生まれたモノではない。
「影」の
四次元空間を貯蔵庫としてカンガルーのポケットのように腹部に固定していた猫型ロボット。
わかっているのは。「影」を通して
つまるところ――なんの問題もないということであった。
くるりと回って、帯の位置を調整。
――問題なし、と。
「さて」
音声入力がメインの現代でも一定層のノスタルジストたちから支持され続けている「リモコン式」のコンポから、インプット済み「1990年から2020年」までの範囲でのヒットソングが、ランダムで再生され始める。部屋は防音で仕切られているから、騒がなければ迷惑にはならないが、やはり心もち音量を下げて、口ずさんだ。包丁を動かし、身体を動かす。
こうしてやっている時間は、嫌いではなかった。
僕がバラバラになっても
君が拾い上げてくれる
放っておくのは無しだよ
ちょっとだけでいいから
君がいない僕はとても不安で
君だけなんだ
僕が此処にいられる理由
「――――」
君に溺れたいわけじゃない
ただ君に包まれていたいだけ
君と離れたら死んでしまうかもね
どこに行こうとも構わないよ
ただ君の隣にいたいんだ
君の隣にいることを味わいたい
「
もっと傍へ来て
君が必要だから
「それにスパイスも」
君だよ
どうかお願い
僕を甘くさせておくれ
――――。
「っと。これで、完成っ」
テーブルに並べ終える。
フレンチトーストと野菜サラダ、柔らかく煮込んだ鳥むね肉のコンソメスープ。デザートはスイートポテト。なかなかの豪華な仕上がりで、これが四人ぶんともなれば労力もそれなりだったが、もう慣れたものだった。
昼食用のお弁当も、惣菜は盛り終えて、あとは炊いた米を冷まして詰めるだけの段階なので、ほぼ調理は完成といっていい。まだ後片付けが残ってはいたが、せっかくの温かいゴハンが冷え切ってしまうくらいなら、後回しにしても構わないだろう。
寝室に入る。
それぞれに用意されている寝室はけっきょく使われずに皆がこの部屋で一緒に寝るようになったのは、今となっては呆れてしまうような理由であったが。
静かな寝息に合わせ、かすかに毛布が上下している。
枕元に座り、顔を近づけた。
身内ぶんを引いても、やはり整った容姿だと思う。大勢が肯定するであろう
「朝だぞ、
呼びかけた。かすかに身じろぎし、わずかに開いた唇から吐息が漏れる。
「起きろって」
肩をゆする。形のいい眉が少しゆがんだ。起きる様子はない。
――しまりのない顔。
――すっかりぬくぬくと、しあわせそうに寝ちゃってさ。
ともすれば緩んでしまいそうな唇を引き締めて、心を鬼とする。
「ほら起きろってば。朝ごはん、冷めちゃうぜ。起きろよー。なあトーリ」
「う、ぅ――ん……うん……」
「……だめだこりゃ」
むしろ毛布を引き寄せてますますもぐるばかりで。モグラじゃあるまいし、ハンマーで殴るわけにもいかない。
「ッたく。もう――」
ため息。こうなれば、もはや一つしかないか。
「いいかげんッ起きろ、こッの、寝坊スケッ!!」
荒っぽく布団を引っぺがすと、ベッドに飛び乗った。
「
股ぐらで暖を取っていた黒猫が
「ぐうぅッ!?」
「し、
かわいらしい鬼が、ほほえんでいる。
「なかなか起きない寝坊スケさんはどこの誰だろうなあ、ええトーリ? いやさ
「わかっ……た!」
「ほんとか? そう言いつつなんだかんだでいつも寝ちゃうんだもんな。ほらほら、ほらほらほら! 朝だぞ起きろー、はやく起きないともっとひどいぞー!」
「わかったから、降りてくれ。重いッ!」
「そんなこと言えるなんてまだ余裕あるな。いいぜ、トーリがッ、起きるって、言うんならな!」
「起きる!」
なかば悲鳴じみていた。
「よし!」
勢いのまま、
「はは。おはようトーリ。今日もすがすがしい、イイ朝だぜ」
十理は。
とっ散らかった髪はそのままに、安寧なりし微睡を誅した
「………ああ」
終いには、呆れたふうにかぶりを振って。
苦笑しつつ応じたのだった。
「おはよう、織」
――それは、なんてことのない平凡な。
――けれど、いとおしい朝の一幕。
「……にゃー」
「ああ。おまえのことも忘れちゃいないよ。クロも。おはよう」
「……おはよう。にゃ」
ところで。まだ謝罪をきいていない……
なんだ、細かいこと言うなあ。猫なんだから、おおらかに、のびやかに物事を考えなくっちゃ。だぜ。にゃー?
……にゃーッ!
おいおい無理するなよ。まだ傷も癒えちゃいないだろ、って。
にゃあア―――――ァァ!!
うわっ! こッの!
……本日も、一家は賑やかである。
◆