人たる所以を証明せよ、と魔法師は言った   作:ishigami

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 Sugar,多めで。


















  目覚め2

 

 ◇

 

 

 

 山肌は、白く覆われている。

 

 冷気。

 

 山岳の、切立った崖の端に在る、白亜の城は中世の流れを汲んでいるのか、されど何某様式かは判然とせず、曇天を仰ぎ見やり佇立するそのさま、何色にも染まらぬ寄せ付けぬ孤高――(いいや)、真白であれと不変凍度を組み込まれたかの威容であり、城の眼下一望に積る、万年とけることない白銀と同じく、時の流れすら凍てついてしまっているようであった。

 

 

 ――たん(・・)

 

 

 と。動く音がある。短い間隔で、張り詰めた空気を打つ音が一つ、二つ。三つ、四つ。五つ。響く音。それは、足音(・・)

 

 それは時が凍てついてしまったかの世界にあって、唯一(・・)の、自然ならざる、人たり得る者の意志としてかたち(・・・)を与えられた城の広々とした回廊に敷き詰められたつめたい大理石を編み込み靴でたん(・・)と踏みつける、華と品の薫る暖色の和服をゆるゆると着こなし、そのうえに赤いブルゾンを羽織った装いは決して不恰好ではない、袖口から伸びたすらりと白い指先には、抜き身の――波紋の、匂いたつような艷色の――太刀がしかと握られ、足取り迷うこともない()の、その、足音に他ならない。

 

 ――静かだ。

 

 辺り一面を満たす雪が音を吸っているからか。

 

 ――静かだ。

 

 まるで世界中の生き物が死んだ跡の、幽霊の夢にでも迷い込んでしまったかのよう。

 

「少し、さむいな」

 

 外界の、如何なる雑音からも遮断された世界。閉じた世界の、閉じた城。

 

 此処にいれば、外のあらゆる猥雑なさざめきに煩わされることもないのだろう。

 

 ――あるいは。

 

 ――あいつにとっては、そう、悪くない場所なのかもしれない。

 

 けれど。ああ、

 

それでも(・・・・)――

 

 ――さみしい場所だよ、此処は。

 

 静かで、さみしくて、そしてつめたい場所だよ。

 

 ――おまえを、こんなところになんかいさせない。

 

 足音が、止まる。

 

 大きな扉だった。玉座に通じている。奥からは、気配(・・)も感じ取れる。

 

 吐息を、吐き出した。待ち構えている(・・・・・・・)。余裕綽々ということか。

 

「……まったく」

 

 

 ――おまえは、オレのものなんだから。

 ――勝手にいなくなったりなんか、ゆるさない。

 

 

 扉を、押した。

 

 

「――よう、黒幕」

 

 

 わらいかける。

 

 

 

 

「返してもらいに来たぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――意識が浮上する。

 

 

 ゆるやかな微睡み。おだやかな時間。何者にも脅かされることのない、やさしいゆりかご。

 

 すぐそばに、感じ慣れた気配があった。シルクのシーツと、やわらかな羽毛布団に守られて、眠りを堪能する少年。その鼻先で、くるくると丸くなっている黒猫。

 

 いつもの光景だった。

 

 ――まるで仲のいい家族みたいに、おんなじベッドで寝たりして。

 

 ――あるいは。

 

「………、」

 

 知らず、口端が綻んでいた。

 

 二人(・・)を起こさないよう、するりと身を滑らせてベッドから降りる。陽だまりのような毛布の温さが恋しくなるが、いつまでも引きずられていたら、いっしょう準備なんかできやしない。風邪をひかないよう、そっとかけ直してやると、気づかれた様子はなかった。

 

 洗面台に向かい、冷たい水で顔を洗う。ふわふわのロングタオルで拭ったあと、寝間着姿の自分を鏡に映し、普段から袖を通している着物を想像(イメージ)した。

 

 瞼の裏に像が残っているうちに、目を閉じる。すると「影」が揺らめいた。白と赤い闇が広がる。肌に触れる感覚に、変化(・・)が起きる。

 

 再び開くと、いつもの暖色系に早変わりした着物姿の自分がいた。

 

 ――便利なもんだ。 

 

 この躰は、人が交じり合って生まれたモノではない。とある芸術品(・・・・・・)とある魂(・・・・)が降霊したことで奇跡的な反応が生じた結果の物質体。「魔法」が学問として研究されている現代ふうに訳せば、霊子(プシオン)想子(サイオン)によって編まれた擬似的で精巧な肉体に過ぎない。しかしこの身と繋がっている「影」は、それらとは些か毛色が違っていた。

 

 「影」のなか(・・)に在る着物を「外側」に引っ張り出して身体に着せている。言葉にすると単純そのものだが原理は、何年も使っている自分でもよく解っていない、というのが本当だった。三次元空間の構造そのものに干渉する技術は「魔法」が遍在する世にあっても発見されていないという。これ(・・)は、ひょっとしてもしかするとそう(・・)なのかもしれないが。

 

 四次元空間を貯蔵庫としてカンガルーのポケットのように腹部に固定していた猫型ロボット。生前(・・)――という表現が適切かどうかはビミョウだけれど――そんな漫画のキャラクターがいた。一歩間違えれば妖怪変化ものだな。翻って、自分はどうか。「魔法」が認知されているぶん気楽ではある。それに日常の場面では、ほとんど普通(・・)の人間と差異はないのだし。

 

 わかっているのは。「影」を通して自分たち(・・・・)は繋がっていて、「影」のなかには深く大きな空間が広がっていて、そこは安全という意味でも安心という価値でもそれなり(・・・・)に快適な場所であり、空気はわが血のようにとても馴染むし、なにより携帯性という観点からしてぴかいち(・・・・)便利であるということくらいだった。

 

 つまるところ――なんの問題もないということであった。

 

 くるりと回って、帯の位置を調整。

 

 ――問題なし、と。

 

「さて」

 

 記憶(・・)のなかの、一〇〇年前の御台所とあんまり代わり映えのないダイニングキッチン。調理に取り掛かる前に、木造棚(キャビネット)に置かれてある――これを探し出して買ってくれたあいつ(・・・)曰く、どこに出しても恥ずかしくないカンペキな――骨董品(アンティーク)のオーディオ機器を起動させた。

 

 音声入力がメインの現代でも一定層のノスタルジストたちから支持され続けている「リモコン式」のコンポから、インプット済み「1990年から2020年」までの範囲でのヒットソングが、ランダムで再生され始める。部屋は防音で仕切られているから、騒がなければ迷惑にはならないが、やはり心もち音量を下げて、口ずさんだ。包丁を動かし、身体を動かす。

 

 こうしてやっている時間は、嫌いではなかった。

 

 

 僕がバラバラになっても

 君が拾い上げてくれる

 放っておくのは無しだよ

 ちょっとだけでいいから

 君がいない僕はとても不安で

 君だけなんだ

 僕が此処にいられる理由

 

「――――」

 

 君に溺れたいわけじゃない

 ただ君に包まれていたいだけ

 君と離れたら死んでしまうかもね

 どこに行こうとも構わないよ

 ただ君の隣にいたいんだ

 君の隣にいることを味わいたい

 

砂糖(シュガー)うん(イエス)欲しいね(プリーズ)

 

 もっと傍へ来て

 君が必要だから

 

「それにスパイスも」

 

 君だよ

 どうかお願い

 僕を甘くさせておくれ

 

 

 ――――。

 

「っと。これで、完成っ」

 

 テーブルに並べ終える。

 

 フレンチトーストと野菜サラダ、柔らかく煮込んだ鳥むね肉のコンソメスープ。デザートはスイートポテト。なかなかの豪華な仕上がりで、これが四人ぶんともなれば労力もそれなりだったが、もう慣れたものだった。

 

 昼食用のお弁当も、惣菜は盛り終えて、あとは炊いた米を冷まして詰めるだけの段階なので、ほぼ調理は完成といっていい。まだ後片付けが残ってはいたが、せっかくの温かいゴハンが冷え切ってしまうくらいなら、後回しにしても構わないだろう。

 

 寝室に入る。

 

 それぞれに用意されている寝室はけっきょく使われずに皆がこの部屋で一緒に寝るようになったのは、今となっては呆れてしまうような理由であったが。

 

 静かな寝息に合わせ、かすかに毛布が上下している。

 

 枕元に座り、顔を近づけた。

 

 身内ぶんを引いても、やはり整った容姿だと思う。大勢が肯定するであろう冷貌(・・)も、今は無防備な寝顔に落ち着いており、長い髪はゆるく結いまとめて、眼鏡は外されている。

 

「朝だぞ、トーリ(・・・)

 

 呼びかけた。かすかに身じろぎし、わずかに開いた唇から吐息が漏れる。

 

「起きろって」

 

 肩をゆする。形のいい眉が少しゆがんだ。起きる様子はない。

 

 ――しまりのない顔。

 

 ――すっかりぬくぬくと、しあわせそうに寝ちゃってさ。

 

 ともすれば緩んでしまいそうな唇を引き締めて、心を鬼とする。

 

「ほら起きろってば。朝ごはん、冷めちゃうぜ。起きろよー。なあトーリ」

 

「う、ぅ――ん……うん……」

 

「……だめだこりゃ」

 

 ぐわんぐわん(・・・・・・)動かせども、何度も喋りかけれども。

 

 むしろ毛布を引き寄せてますますもぐるばかりで。モグラじゃあるまいし、ハンマーで殴るわけにもいかない。

 

「ッたく。もう――」

 

 ため息。こうなれば、もはや一つしかないか。

 

「いいかげんッ起きろ、こッの、寝坊スケッ!!」

 

 荒っぽく布団を引っぺがすと、ベッドに飛び乗った。

 

()ゃッ(・・)!?」

 

 股ぐらで暖を取っていた黒猫がでんッ(・・・)と音立てて転げ落ちたが然もありなん致し方なし――

 

「ぐうぅッ!?」

 

 (またが)った下で、くぐもった呻きを発した少年は自分に乗っかっているものを見、衝撃のあまり瞠目した。

 

「し、(しき)ッ――?」

 

 かわいらしい鬼が、ほほえんでいる。

 

「なかなか起きない寝坊スケさんはどこの誰だろうなあ、ええトーリ? いやさ御嵜十理(おさきしゅうり)、国立魔法大学付属第一高校Ⅰ-A組出席番号――」

 

「わかっ……た!」

 

「ほんとか? そう言いつつなんだかんだでいつも寝ちゃうんだもんな。ほらほら、ほらほらほら! 朝だぞ起きろー、はやく起きないともっとひどいぞー!」

 

「わかったから、降りてくれ。重いッ!」

 

「そんなこと言えるなんてまだ余裕あるな。いいぜ、トーリがッ、起きるって、言うんならな!」

 

「起きる!」

 

 なかば悲鳴じみていた。

 

「よし!」

 

 勢いのまま、たん(・・)と軽やかに着地すると、後方より蛙のつぶれた声が啼いたが、ジゴウジトクである。

 

「はは。おはようトーリ。今日もすがすがしい、イイ朝だぜ」

 

 十理は。

 

 とっ散らかった髪はそのままに、安寧なりし微睡を誅した彼女(かれ)を睨みつけようとするも、罪悪の翳なんてこれぽちもない、晴れやかに、からからと陽の下でマリーゴールドが笑っているようで――毒気を抜かれたというか、そんな顔されたらつられて怒るに怒れないというべきか、けっきょく、恨みがましい気持ちも眼光とともに萎んでしまい。

 

「………ああ」

 

 終いには、呆れたふうにかぶりを振って。

 

 苦笑しつつ応じたのだった。

 

「おはよう、織」

 

 

 

 

 

 ――それは、なんてことのない平凡な。

 ――けれど、いとおしい朝の一幕。

 

 

 

 

 

「……にゃー」

 

「ああ。おまえのことも忘れちゃいないよ。クロも。おはよう」

 

「……おはよう。にゃ」

 

 

 ところで。まだ謝罪をきいていない……

 なんだ、細かいこと言うなあ。猫なんだから、おおらかに、のびやかに物事を考えなくっちゃ。だぜ。にゃー?

 ……にゃーッ!

 おいおい無理するなよ。まだ傷も癒えちゃいないだろ、って。変身(・・)はズルいだろ!

 にゃあア―――――ァァ!!

 うわっ! こッの!

 

 

 

 

 

 ……本日も、一家は賑やかである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





















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