人たる所以を証明せよ、と魔法師は言った 作:ishigami
――「なに。じゃあ、あの爺さんは十師族なわけ?」
――「そうだって言ってるじゃない。やっぱり二人とも気づいてなかったのね」
――「なんでそれ、最初に言っとかないんだよ」
――「言ってたら、シュウくん会おうとしたと思う?」
――「……思わないけどさ。でも、黙ってたんだ。裏切りってあいつが怒るのも、わかってただろ」
トーリは、嘘がキライなんだからさ。
◇
赤間銀子と、話をした。
――「事情は分かったよ。銀子の立場も。協力するよ。トーリと、話してみる」
――「お願い。織くんなら、あの子も話を聞いてくれると思う」
――「分かってるだろうけどさ。今回のは、貸しだからな。銀子に非があるのは、確かなんだし」
お願いします。そう頭を下げた銀子は、仕事が詰まっているらしく、織を実家に送り届けるとその足で東京へと帰って行った。
――さて、と。
帰ってきたらで声をかける間も無く、当人はさっさと部屋に籠ってしまっていた。〈念話〉で呼びかけても、応答は無し。
今、織はこの家にある「開かずの扉」の前に立っている。
開かずとは言うものの、合金で溶接され物理的な意味で開けられない、というわけではなかった。単純に正規の住人である祖父母たちが入ろうとしないだけで、この部屋を使用している人間はいる――それでも、今年になって使われる頻度は激減していたが――今のように。
鍵は、かかっていなかった。
「トーリ。オレだ。入るぞ」
踏み込む。
「………、」
まず、冷房機の駆動する音が聞こえた。
踏み込んだ先、やさしい照明の下、真っ先に目に飛び込んできたものは、
どの死体も肌は白く、
心臓の弱い者が見れば即座に発作を誘発しかねない猟奇的な光景であったが、織が驚いていないのは、これらが「腐らない死体」であることを知っているからだった。
それでも、肌の毛がぞわりと立ってしまうのは、単に冷房が効き過ぎているだけではないのだろう。
「トーリ」
黒曜石の双眸が、こちらを向いた。リムレスタイプの眼鏡は今は外されており、彼は一瞥すると、咥えていた煙草の灰を、手元にあった腕だけの死体の掌へと落とした。
掌には、黒ずみ融けたような痕がある。
織は、持っていたラムネ瓶を揺らした。からん、と冷えたビー玉の音。注意を引くように。
「ほら」
「ああ」
手渡す。寝そべっている、黒猫の擬人体である
隣に腰を下ろす。少し、埃っぽい。さて、どう切り出したものかな――十理は変わらず
火がつかない。オイルが切れていた。「火車」である火艷に頼もうかと思ったが、今は人間形体であり、それも手間だった。
「トーリ、火。貸してくんない?」
「ん」
「いや、あるじゃん」
ライターを取り出そうとした彼の、唇を指した。
「ああ」
得心が言ったというように、互いの顔を近づけた。
先端を、触れ合わせる。
「―――」
丁子の弾ける音。
火が移ると、並びながら煙を吹かした。
「………、」
沈黙。
「銀子さ。帰ったよ、仕事があるって」
反応は無し。
「反省してたぜ。謝ってた。黙っていて――騙して悪かったって」
「言われたのか、取り持つように?」
「それもある。けど困るのは本当だろ、どっちも」
「あいつだけだ。私にはないな」
「まあ、そういうやつだよな、お前」
紫煙。
「トーリが怒るのも、分かるよ」
「……怒る、か」
――理由がある。
――怒っている理由。
織は、周りを囲んでいる死体を見た。
――「嘘」を嫌う理由。
どれも同じ顔の死体。男と女の。石膏のように白く、奇麗な身体だった。
織は、彼らに会ったことがなかった。話したこともない。だが、彼らが
「怒っている。それも確かだ。だが……」
やおら、十理が言った。
「一つ、告白をしようと思う。織。聞いてくれるか?」
「どうぞ」
「私は……どうやら自分で思っている以上に、センチメンタルな人間だったらしい」
「へえ?」
視界の端で。火艷が、ラムネ瓶を開けようと苦心していた。ため息交じりに十理が開けてやると、炭酸の音と一緒に上がってきた嵩を見て、黒猫は慌てて口でフタをする。
「私は、ショックを受けた。あの女に欺かれたと知った途端、得も言われぬ感情に襲われた。怒りと、悲しみと、遣る瀬無さだ。クドウと話している間は隠していたが、これが何を意味しているのかを考えていた。戸惑いつつな」
普段とは違う横顔。痛みを、仮面で隠しているような眼差し。
「私は、自分が傷ついていることに気が付いた」意外なことだったが、と呟く。他人事のような口ぶりで。「彼女のことを、身内のように思っていたらしいな」
「そっか」
「あの女には、知られたくないが」
「言わないよ」
慰めるつもりで言ったわけではない。しかし声は、思ったよりもやさしく響いた。
ビー玉の音。
「それに……」
「それに?」
「自分の心を解剖するのは、なかなか愉快な探索だ。貴重な経験と言える」
「――ん?」
妙な言い回しだった。
「客観的に見て。今の私は、信じ切っていた相手に裏切られ傷ついている子供といったところだな。未だかつてこんな気分に浸りながら創作に向かったことは、ない。しかるに」
「あー、おい……?」
「興味がある。この状態の私は一体どのような作品を生み出せるのか。まずは欲求のかたちを見定めなくてはならん。だが実に興味深いとは思わないか?」
にやりと笑った。
――それって、要するに。
「あの女には腹立ちを抑えられんが、私に開けた傷口が、こうして新たな源泉に繋がっていたことには、感謝するべきかもしれんなあ。はは!」
「……機嫌よさそうだな」
「まあな。さっきから躁鬱を繰り返しているんだ。今は……ハイな気分になってきた!」
織は。しんみりしていた気分は真夏の台風に遭ったように吹き飛び、眼前の作家に呆れ果てた視線を向けていた。
――バッカだなあ、こいつ。
「まさか今から取り掛かろうなんて考えちゃいないよな。明後日には現地入りだぜ?」
「流石にそこは弁えている。そもそもアイディアが固まっていないからな。発掘作業には時間がかかるだろう。慎重に丁寧に繊細に気を付けてやらなくてはならん、化石の採掘と同じようにな」
ため息だった。
――ほんっと、バカだよ。
傷ついているのは
今まさに見事に、その悪癖を発症している。心配して損した、と織は脱力した。そして微かに苛立つ。
「なんだ?」
小首を傾げる彼の、訝しむような顔。
「なんでもねーよ。邪魔しちゃ悪いもんな。どうぞごゆっくり」
ったく。先端の火を爪先でなぞり
「銀子に連絡、ちゃんと入れとけよ」
漠然と、何か面白くない気分になりながら、織は死体部屋を後にした。
◇
薄暗がりのなかにいる。
夏蒲団に横になりながら、眠ることもできず、ぼんやりとしている。
隣の様子は、見ない。同じ和室に敷かれた、もう一式の布団で眠りについているであろう十理のことは意識しないようにしていたものの、それ自体が既に考えているという矛盾でもあった。
――こいつ、あれから夕食はちゃんと食べたのかな、とか。
――そういえば
――あんな調子で、明後日の本番は大丈夫なのかな、とか。
闇のなかだからこそ。ほかに音が聞こえないからこそ、考えてしまう。
「………、」
――オレは、慰めるのを
――傷ついて落ち込んでいるはずのあいつが、まったくつらそうじゃなかったから、腹が立ったってわけか?
嘆息が漏れた。自分の浅ましさに。
――まいったね。オレってこんな厭な性格だったっけ?
誰の影響かと訊かれれば、迷うことなく隣で寝ている少年のせいだと答えられる。織という存在に様々な意味で最も大きな影響を与えているのは、間違いなく彼なのだから。
妙なしこりが残ると面倒だ。でも、そもそも向こうは気にしていないかもしれない。たぶん、気にしていないだろう。つまり、織が勝手に気にしているだけなのだ。ようは心の問題だ。だからこそ、面倒だった。
少し、可笑しいとも思う。生前――この世界で目覚める以前――はこんな、普通の人間みたいに悩める日が来るとは考えたこともなかった。自分の立場に満足していたから、嫌と思ったこともなかった。今はどうだ。不満とは違う。無いわけではないけども、占めているのはたぶん、別のものだ。なら、不安?
――オレは不安なのか?
だが、何故。
「織」
声。
「起きてるか?」
「……ああ」
無視してもよかった。けど、それだとまるでオレが怒ってるみたいじゃないか。苛立っていたのは確かだけど、トーリのせいじゃない。なのに怒っていると思われるのは癪だった。
「なんだよ」
「さっきは悪かった」
「なんのことだよ」
ぶっきらぼうな声になった。
「心配をかけた」
「ッは。今さらだな」
――謝るなよ。べつに、お前は悪くないだろ。悪いのはオレだって。
そう言えたなら、多少は楽になったのだろうか。だが、意地のようなものが邪魔をして、言えそうになかった。そんな自分に、またイラついて。気に入らない。
少し、笑ったような響きがあった。「そうか。なら、今さらついでに、頼みたいんだが」
「なにを?」
「血を、吸ってほしい」
「……は?」
エロティックなフンイキを出したい(唐突
打海文三の「レイニー・ラウ」に登場する父娘みたいな禁忌的な空気感を出したい。あれを読むと、いつもドキドキしてニヤニヤしてしまう。そんなニヤドキ感をこの作品のなかでも出したい。
いやまあ無理なんですけども。地球と土星くらい彼我の差があり過ぎる。
………。
要するに、この唐突な筆者の告白が遠回しにほのめかしていることは、つまり、次回更新時の内容が、もしかしたらそんな感じのフンイキであるかもしれないという「警告」であります。
「警告」は、しました。
それでは。また。
近々に。