人たる所以を証明せよ、と魔法師は言った   作:ishigami

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 誰かの死線。
















27 死線

 

 ◆

 

 

 

「あら」

 

 第一高校作戦本部にて、市原鈴音がぽつりと言った。

 

 菓子籠の置いてある中央台の下に、ウサギのミニチュアが落ちている。見覚えのあるお守りだった。しゃがんで手に取ると、モニターを操作していた中条あずさが、小動物めいた仕草で小首をかしげた。「なんですか、それ?」

 

「あの子のだわ」

 

 自分が贈った物だった。紐が切れている。画面を向くと、祈るようにしている七草真由美が、クラウド・ボール第一試合で着実に得点を重ねてゆくところだった。

 

 少し考える。縁起とか(ゲン)とかを、わりと信じている娘だ。失くしてしまったことを、意外と気にするかもしれない。しかし参謀本部を預かる身として、持ち場を離れるわけにはいかない。

 

 誰かいないかと見回したところで、暇そうな「彼」が目に付いた。

 

 いまどき珍しいリムレスタイプの眼鏡をかけた、艶やかな黒髪を後ろで結っている美丈夫の、彼。

 

「御嵜くん」

 

「……はい?」

 

「お使いを頼まれてくれませんか」

 

 ぱきり、と小気味いい音を立てて。

 

 煎餅をくわえた少年が、目を丸くしている。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「暑いなあ」

 

 御嵜十理(おさきしゅうり)は、第一高校の作戦本部から出て、クラウド・ボール会場の選手控室へ向かっていた。

 

 気象予報によれば、今日が今週の最高気温に当たるらしい。強烈な日差しから逃れつつ観戦するべく――レオンハルトにはああ(・・)は言ったものの、長い髪というのは確かに暑いので――冷房の効いている作戦室に避難してきたはずが、この展開は予想していなかった。

 

 ――「なぜ僕なのでしょう」

 

 問うた少年に返されたのが、「一番暇していそうだから」とのことで。

 

 ――そりゃあ、暇でしたけども。

 

 声援が、通路にまで漏れ聞こえてくる。十理は非常用の緑のマークを通り過ぎると、会場へ続く広い廊下を跨いだ。赤丸の表示された端末を片手に、襟元を開いて風を送り込みながら歩く。

 

「暑い……本当に」

 

 どうにも、少し気分が悪くなってきた。直射日光は遮られているから、外よりも暑くなるなどあるはずがない。現に、廊下は比較的涼しいくらいなのだ。

 

 ――でも、なんだろう。妙に、身体が重たい。

 

「っと……、」

 

 足取りがふらつき、前に倒れそうになった。急に、猛烈な眠気に襲われる。端末の液晶画面が突然真っ暗になったことを驚く間もなく、力が抜けてゆく。脚がもつれ、まぶたが勝手に落ちてしまう。

 

「トーリ」

 

 崩れそうになった十理を支えたのは、涼しげな浅葱色の着物をまとった、黒髪の少女(かれ)だった。

 

(しき)……?」

 

 いつの間に、「影」から現れたのか。気づけなかったほどに、今はただ異様に眠たかった(・・・・・・・・)

 

「じっとしてろ」

 

 業物の短刀が、十理の肌スレスレを奔った。剣筋など見切れるはずもない十理は身を任せたままだったが、途端に自身を襲っていた眠気が、まるで木陰から日なたへ出たかのように冴え晴れるのを感じ、目を(しばた)かせた。

 

「これは」

 

「トーリ、よく聞けよ。オレたちは今、攻撃を受けている」

 

 織は、ナイフを握ったままでいる。周囲に人気はないが、見られでもしたらこと(・・)だろう。本人は、あまり気にしていない様子だったが。

 

「おい」

 

 今、織は非常に気になることを口にしていた。

 

 十理は素早く眼鏡を外すと、「優先順位」を切り替えた。不穏な雲行きに備えるために。

 

「……なんだと、攻撃(・・)?」

 

「クロ、できるか」

 

「わたしを舐めるな……にゃ」

 

 声が聞こえた瞬間、廊下に()が噴き上がった。衝撃波が端から端へ奔り抜けるように、炎の輪は十理たちを発生点として壁沿に外へと奔り抜ける。

 

 時間にして一秒、二秒ほどか。炎は消えていた。床や窓を見回すと、焦げ付いてはいない。しかし、幻覚でもない。

 

「何をした、――いや何を燃やしたんだ、火艷(かえん)?」

 

 黒猫は答えず、唸り声を上げるばかりで。代わりに織が、浮かない表情をして言った。

 

「蜘蛛の巣だよ。細くてこまかいやつ。トーリが倒れそうになったのも、たぶんこれが理由だ。どうも、こっちの気力を吸い取ってたみたいだな。そこらじゅう(・・・・・・)に張り巡らされてたのに、気づくのが遅れた」

 

「なら、今ので消えたのか。私には見えないが」

 

「消えてない」忸怩たるという声色で、火艷の尻尾は項垂れている。「燃えてない。張り付いている……まだ」

 

「見え辛いからな。体調は、トーリ?」

 

「さっきよりは、気怠くない」

 

「ほらな。ちゃんと効いてはいる。(かび)と一緒ってことだ、クロ。しつこい汚れは一遍(いっぺん)にはなかなか落ちない。だからそう落ち込むなよ」

 

 人間形態でいるときよりも、手乗り猫の姿のほうが表情が豊かなのは、十理も織も気づいていた。そして本人だけが知らない。そこが彼女の愛嬌でもある。

 

「それより、スプリンクラーが作動してない」

 

「そうだな。もし作動していたら今頃は濡れ鼠だ。確かに、水をかぶりたい気温ではあるが」

 

「火災報知器もだ。偶然だと思うか、このタイミングで?」

 

「ふむ……こちらも反応がないな」

 

 電源が落ちた状態の端末を弄りながら、考える。これらの故障が何者かの意図だとすれば。とはいえ、あまりにも情報が不足していた。しかし――

 

 何かが今(・・・・)起こっている(・・・・・・)。それだけは確実だろう。この場所で。あるいは既に、起こった後なのか。

 

 どちらにせよ、退屈なお使いが一転して、何やら愉しい予感がする。十理は、口端が吊り上るのを感じていた。

 

 隣からの視線。何か言いたげだが。

 

 

あるじ(・・・)

 

 

 鋭い制止に、足が止まった。

 

「……やっぱりお手柄じゃないか、クロ」

 

「織」

 

「つられて、出てきたってわけだ」

 

 廊下の向こう側。距離にして、二〇メートルほどか。

 

 十理の前には、仮面をつけた男が立っていた。

 

 表情は分からない。仮面に隠されている。身長、体格からして男のようにも見えるが、十理はすぐに違和感を感じていた。どこか現実にそぐわない、何か不確かなものを見せられているような気分になる。だまし絵を前にしているかのように。

 

「敵か」

 

「選手関係者じゃないのは確かだろ、あんなお面してる時点で。疑ってくれって、白状してるようなもんじゃないか」

 

 男の掌が、「炎」に包まれる。

 

「少なくとも握手は無理そうだな。――まあ、要するに敵ってことだろ?」

 

 腕が振るわれたのと、織がナイフを構えたのは同時であり――

 

 視界を妨げるほど巨大の火焔が放たれていた。見るだけで圧倒する火力が砲弾のように、こちらを呑み砕くべく猛然と奔っている。

 

「〈斥けるもの(アンブレラ)〉」

 

 丸みを帯びた深張りの傘が一瞬にして十理の「影」から取り出され、大量の想子を注ぎ込まれた。魔道具は即座に、此の世の魔法理とも一線を画す〈勇者ロザリーの加護〉を発現させる。

 

 〈対物障壁魔法〉を貫通し得る突撃銃の火力を無効化し、あらゆる衝撃を吸収するが故に対戦車ミサイルすらも斥ける〈騎士の加護〉は、襲いくる火焔を前に(おお)いなる壁とし立ち塞がり、――そして、

 

 燃え上がり(・・・・・)呑み込まれ(・・・・・)

 

 僅かな拮抗を経て、炎は眼前に迫っていた。

 

 動き出していた織は咄嗟に壁を蹴り上がって躱すも、十理は瞠目したまま、突っ立ったままでいる。

 

「あるじ!?」

 

 障壁と共鳴する傘が火を噴いている最中の、爪弾くような声。しかし。

 

 動かない(・・・・)。何故なら向かってくるその「炎」の輝きが、あまりにも鮮烈で(・・・・・・・・)

 

 ――かたちを得て横溢する無窮の原初

 ――太陽より毀れ落ちる一しずくの

 ――譎詐(けっさ)なき純存在の訴え

 

 十理は。馬鹿になったように、呆然として。

 

 息すらも止めて。

 

 その「炎」に魅入り、動けなくなっていた。

 

「あるじ」

 

 だからほんの少し、少女(・・)が遅れていれば。間違いなく十理は、死んでいたはずだった。「……っあ?」

 

 強い浮遊感のあと。抱きかかえられた十理は、ようやく自分を抱えているのが、黒髪の、猫耳の、尻尾を持つ少女であることに気が付いた。

 

 日差しを感じる。

 

「なにを考えてる!?」

 

 激怒する少女の浅い褐色肌は、光沢のない塗料のような黒色で全身を覆われており、首から上の露出している部分には感情と呼応するように、刺青めいた幾何学的な紋様が浮かび上がっていた。

 

「火艷?」

 

「あるじは……うつけ(・・・)か!?」

 

「火艷、見たかあれ――」

 

「なにを……」

 

 一方で織は、粉砕された壁の向こう側の、危うく外へ逃れた十理たちを見向きもせず、跳躍の加速から男へと斬りかかった。燃え盛る(かいな)を、寸でに大きく躱しながら、馳せ違う。

 

「――!」

 

 男の気配が、変わった。表情こそ見えないが、驚いているのか。男の腕からは、暴々と盛っていた「炎」が、斬撃に沿って消滅していた。

 

 断ち切ったのだ、織が。だがそれも一瞬だった。「炎」は、すぐに蘇ってしまう。何事もなかったかのように。

 

 驚いたのは織もだった。解せない。確かに、斬ったはずだ。炎を構築する魔法式(つながり)にナイフを通した。手応えもあった。しかし、現に「炎」は消えていない。損壊(クラッシュ)した魔法式はその時点で現実の改変を終了するはずであろうし、何より「両儀織」の手によって斬られている。それなのに。

 

 明らかに――これ(・・)は違っていた。これまでの、現代的な従来の魔法とは。

 

 死してなお蘇る、魔法。それは、織にある空想の生物の存在を想わせ、すぐに皮肉な笑みへと変えた。

 

 ――〈クロ、無事か〉

 

 ――〈大丈夫。ケガはない。ただ、あるじが〉

 

 なんだよ。

 

 ――〈……ばかになっちゃった〉

 

「はあ?」

 

 笑わせるつもりはなかったのだとしても。〈念話〉は久々の、肌が粟立つような感覚に昂っている織を、脱力させるようなことを伝えてきていた。「なら、ばかなマスターを守れ」と言って会話を打ち切り、ため息をつく。

 

 床に転がり残された傘の、柄らしき部分も焼尽したのを目端に捉えつつ、織は向き直った。(ためし)に隙を見せて、誘いに乗るようなら迎え撃つつもりでいたものの、男に動こうとする気配はない。

 

「あんた、さ――」

 

 普段は黒曜石の双眸が、今は蒼く輝いて(・・・・・)男を射抜いている。

 

 わらいながら、言った。

 

「どうも変だと思ったら、それ(・・)。さしずめ間合いや存在感をずらす、認識を狂わせる魔術ってとこだろ。けどま、その程度のまじないじゃ、オレを騙すことなんてムリだぜ」

 

 ()きて存在している以上、あらゆるものに死は平等なのだ――たとえかたち(・・・)が無かろうとも、それ(・・)を直視し理解する「魔眼」の持ち主であれば、どんな偽装の上からでも、まっすぐに「死」を見破ることは可能だった。

 

 どうも、この「炎」にはおかしな(・・・・)要素が含まれているようだが。男自身には、防御という意思があまり感じられなかった。擦れ違いざまに斬りつけるくらい、織にとっては造作もない。

 

 だから厄介なのは、この男の魔法が「それだけ」で終わるはずがないことと――刃が融けて使い物にならなくなったナイフを捨て、予備のもう一本を握りしめる――使い捨てにする場合、ストックがあまりないってことかな。まあいい、気を付ければいいだけだ。今度は上手くやる。

 

 それに廊下(ここ)は、戦いには少し狭くて不利だな。場所を移す必要があった。織は、自分を囲う構造体の「死」を直視した。と同時に、男の気が膨れ上がる。肌を打つ、実にステキで心地よい殺気に、笑みがこぼれるのを感じる。

 

 壁を斬り裂いて陽の下へ飛び出すと、十理が絶快の歓笑を上げているところだった。

 

「融かされた! 一瞬で! 私の(アンブレラ)が! アイスみたいに!」

 

 アイスみたいに!! はははははははははは!!

 

 ――ッたく、あいつは。

 

 馬鹿になるスイッチが入ってしまったらしい。声を裏返して爛々としている人相(かお)は、満場一致で狂人の(そし)りを免れないだろうが、頬は陶然と染まり、はらりと揺れる黒髪と相まって艶めかしいまであるから、公序不良俗に触れそうな景色が出来上がってしまっていた。そんな悦楽主義者(エピキュリアン)の傍らでは、真っ黒に変化(へんげ)した火艷が、「影」がかたちを持ったかのような黒い爪を伸ばしながら、放たれる寸前の攻城弩(バリスタ)のように低く身構えている。

 

 それらを一瞥し、織は疾走した。

 

 すぐ後ろで、男も動いていた。炎を纏うのではなく、炎そのものが等身大の鉤爪と化した一撃が顕現し、一振りで壁を消滅させた。まるで空間ごと削り消されたかのように、一瞬で蒸発させると、体躯に反して獣の如き俊敏さで織に肉薄する。

 

 爪撃が来た。男の掌が届かずとも、炎そのものである鉤爪が間合いを埋めて、襲い掛かってくる。だが速度を競うのなら、こちらのほうが速かった。そして身軽だ。

 

 転瞬、躱す。宙へ。地へ。

 虚空を抉り、大地を抉る斬撃と火焔。

 

 躱した――間断挟まず、二撃目が来た。袈裟懸け。速い。反撃に移れなかった。途端に、男の背後に燃え盛る鉤爪がもう一つ(・・・・)顕現した。少し驚く。流れるように振り下ろされる両腕。危うく避けた。追撃。息を吐く暇もない。絶えず動き続ける。

 

「おお」

 

 一つ一つが必殺とは即ち、一つたりとも受けてはならないことを意味していた。目の前の男が普遍的な魔法師の定義から逸してるのは、炎を構築する魔法式の形態を見ても明らかである。それに、長槍二本分と短刀じゃあ、流石にちょっと分が悪いかな。

 

 しかし、この場にいるのは織ひとりではなかった。

 

「―――」

 

 横合いから、真っ黒な「獣」が男に襲い掛かった。それは御嵜十理の「影」を彷彿とさせる色をした「獣」であったが、食らい付く寸前、巨大な二つの鉤爪の炎とは別の、変色する炎の壁が立ち上がり瞬時に「影」を弾き融かした。

 

 ――オレには視えてるぞ、おまえの「死」が。

 

 男の意識が僅かに逸れた隙を突き、織はナイフを振るった。鉤爪に存在する切断面(・・・)へ、吸い込まれるようにして斬撃が奔る。

 

 燃え盛る片腕は、一瞬で幽霊のように消滅した。

 

「おおお……」

 

 刃は、今度は融けていない。「炎」に組み込まれた「意味」ごと解体したナイフは、続けて蒼い双眸が射抜いているもう一つの鉤爪へ、死の軌跡を刻むべく迫り――

 

 直前で、飛び退いていた。

 

 男の気配が急速に弾けようとしたからだ。そしてその直感は、正しかった。

 

「■■■■」

 

 爆轟と「炎」が、視界を埋め尽くした。

 

 織は瞬時に波濤を裂いて逃れ、火艷は召喚した「影」を障壁として、衝撃からあるじを守っていたが。

 

 すぐに、「炎」は消えていた。男の周囲が、陽炎のように屈折し、うねっている。熱分布測定装置があれば、とてつもない温度上昇を計測していたことだろう。

 

 このままでは近寄れない、呼吸すらも。常人であれば、そうだった。しかし両儀織の能力は、そんな非常識(・・・)が相手であっても、容易く斬り裂くことができる。

 

 一閃。ただ、それだけでいい。「死」は、そこに視えているのだから。

 

 異常な空気層は、夢が弾けるように斬り裂かれ、環境は本来の状態に戻っていた。

 

「多芸だな」

 

 冷や汗が伝うのを、織は感じていた。近寄るたびにあれ(・・)をされては、対応しきれなくなる。鉤爪同様に、触れてしまえばそれだけで致命傷に繋がりかねない。「まったく、最高だな――」

 

「素晴らしい」

 

 だが。

 

 少年にとってはそれすらも、いたく興奮させる光景でしかなかった。

 

「見事な〈炎〉だ、なんという輝きだ……あの輝き……素晴らしいよ、本物(・・)だ!」

 

 声を、恍惚(うっとり)と震わせて。

 

 御嵜十理は絶賛していた。

 

 

 

 張りつめた空気に、ときめくような拍手が響き渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 次回、やらかします。















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