人たる所以を証明せよ、と魔法師は言った 作:ishigami
帰宅すると、来客がいた。
「おかえりー、シュウくん。織くんもおかえりー」
この部屋の家主であり、
「いい大人がワイシャツ一枚で人前を出歩かないでください。……四〇にもなってだらしのない」
「まだ三四ですぅー! ほどよく脂がのって好い感じに熟れてきてる四捨五入すればまだ三〇歳のピッチピチの女子ですぅー!」
テーブル上の装置から投影された空中ディスプレイに向き合いながら抗議した彼女は、下は何も履かずにいるため、黒の下着となまめかしい肢体が浮かび上がっている。
活気余りある発言と揺れる二つの巨峰、見た目だけなら二〇代後半と言われてもさほど違和感はないから、相手が十理でなければ劣情を大いに刺激される光景であった。
「それにここ、いちおう名義上では私のお家ですよ? 確かに滅多に帰ってこないけどさ……」
「朝連絡したときは遅くなると言っていませんでしたか? ――だいたい気にしてるのならそれらしい格好をしてから言ってくださいよ」
舌打ち。
「あれなんかいますごく馬鹿にされた!?」
実の叔母になんたる冷酷な仕打ち! うーうー唸る銀子に対してそんな様子は慣れっこと言わんばかりの織は、いつものように
「……なにをにやにやしているんですか」
「うんにゃー? ただそういう息の合ったプレーを見せられると、まるで夫婦みたいだなって」
十理たちは互いを見やると、呆れたように笑う。
「確かに一蓮托生というか、運命共同体ではありますけど。夫婦と言うよりも、家族でしょう」
「血は繋がってないけどな。いや繋がってるか……血じゃないけど。というかそもそもオレ、男だからな。何度言わせるんだよ。ギンコも、ガキみたいなこと言って、恥ずかしくないの? ピッチピチとかさ、もう、死語だぜそれ。あっ、そっか。恥ずかしさを感じる神経が老化して壊死しちゃってるからなんも感じないんだ。何度言っても覚えらんないのはそれが理由ってことか。ごめんねギンコ、気付いてやれなくてさ」
「それぐらいにしてあげなよ。銀子さん泣いちゃうから。最近、歳のせいか涙腺が緩くなってきたって言ってたぐらいだし」
「あのねえ、ちょっと本当に敬意とか足りてないんじゃないかな君たち!?」
「吹っかけたのはそっちでしょう。それより今日はどうするつもりです。まだ最終の仕上げが残っているんですが」
「もう! ……いいわよ。でも、時間そんなにかからないんでしょ? 終わるまで待たせてもらうわ。あと、できたら晩御飯、ご相伴にあずかりたいなあって」
さんざん言われようと、この図々しさ、ふてぶてしさ、切り替えの早さである。
「分かりました。それじゃあ織。僕は仕上げに入るから、あとを頼んだよ」
「りょーかい」
十理がさっそく隣の作業部屋に姿を消すと、織はこの賑やかな女と二人きりになる。
「あそうだ。織くん、コーヒー入れてくれない?」
「ほんと遠慮しないなあギンコは……」
醸し出される大人の威厳が皆無である、紅間銀子は、こんなナリではあるが実は魔法書籍――特に
魔法が学問とされる以前の世界。それまで古典に語られてきた偉人の
その一方では、赤間銀子は美術工芸品の
名が知れたきっかけは五年近く前、現代の美術品愛好家たちの一部に大きな衝撃をもたらした「シカオ・ユリス」の作品が初めて世に触れた
シカオ・ユリス――国籍不明、年齢不詳、顔写真はおろか性別さえも非公表という
いわく――魂を取り込まれそうになった、と。
「シカオ・ユリス」の正体が「御嵜十理」という真相は、今まで一度も暴かれたことはない。
「それにしても……やっぱり凄いわねえ」
用意してもらった珈琲に砂糖をふんだんに投下しつつ、自分のぶんのコップに口をつける織を見つめる。銀子の表情は平時と違い、研究者のそれへと切り変わっていた。
「
「蒸し返すつもり? オレは男だってば」
「まるで御伽噺。嘘のようなほんとの奇跡。貴方も、それを生み出したあの子も――」
「それを言うなら。飲み物は他に紅茶だってあるのに、わざわざ苦いもの選んでおいてそのくせ砂糖を五杯も入れるようなギンコの神経のほうがよっぽどおかしいよ」
肌を撫でる感覚。
乾いた肌をヤスリで軽く撫ぜられたような。
「ギンコさあ。わかってるとおもうけど。トーリは
ほんの一瞬。
「………………………っまあ、それは、ね。もちろんわかってるわよ。興味がないといえば嘘になるけど、私の本命は古典魔法の再現だから。もしも歴史上の偉人の魂がシュウくんの作品に降りたら、そのときはまた別の話になるけど」
汗。首筋を伝う冷たいもの。
重たい空気。視線。
沈黙。
誤魔化すようにコップを啜る。音は極力立てずに。それでも。
――甘い味がしない。
これは完全に、自業自得ではあるけれど。
「そんじゃまあ……」
先に切り替えたのは、織であった。軽く手を合わせて微笑む。
「今の話はこれっきりってことで。簡単なつまめるものでも作るよ。あとでトーリにも持ってかなきゃな」
冷蔵庫を開き、
◇
音。呼吸。
静謐。余分なモノは何一つとして。
磨き上げていく。丁寧に。丹精込めて。魂を込めて。〃、々――
あらゆる不純物が削ぎ落とされていく。工程を経て。あるべきカタチへと、研ぎ澄まされていく。
「――できた」
呟く。
途端に、肩を上下させて。身体の緊張が解れていく。
「やっと完成だ……」
そのとき。
「調子は――ああ……終わったんだな」
「織」
名前を呼ぶ。声には抑えきれない歓喜の色と、疲労が滲み出している。
「へえ……」
何体もの人間大の人形が壁に立てかけられている異様な光景のなか、
まるで生きているかのようでありながら人形であることは疑いようもないカタチをしている。
人形であることは疑いようもないカタチをしていながらそれが人間でないという証拠は何一つとして見つからない。
矛盾する結論。二律背反。混じり合わず、しかし絡み合う陰と陽。相克する螺旋を体現したような、
陶芸作家にして人形師でもある御嵜十理の渾身の作品であった。
「はは……トンデモないもん創ったな、トーリ」
対峙しただけで「心」が揺さぶられる。ヒトガタの深い黒の双眸を覗き込んでいると、足元が揺らいで「魂」さえも吸い込まれてしまいそうな感覚に陥る。
「ああ。私のこれまでのなかでは一番の出来栄えだろう。……とはいえ、織の身体を造った時の、あの感覚には届かないが」
最優の作品ではある。しかしその先があることを、
「まあ、今はこの誕生を尊ぼう」
◇
完成して間も無くすると、少女の人形は紅間銀子の手へと引き渡された。初めて作品を目にした銀子は我を忘れて立ち尽くし、十理に声をかけられると彼に抱きついて危うく窒息させかけた。
それから耐ショックケース――五〇メートル下に落下しても中身の生卵にはヒビ一つないという謳い文句の――に厳重に収めると、十理の頬にキスマークを残してから興奮した足取りでマンションを後にした。
「嵐が去ったような気分だ」
「大変な一日だったもんな」
寝巻きに着替えた十理は、風呂上がりで上気した身体を冷ましながら、食後の織自信作のデザートに舌鼓している。
「とはいえ明日からは気が楽なんじゃないか? 最近はずっとのめり込んでたわけだし、少しは休めるだろ」
「そうも言ってられないだろう。入学二日目にしてトラブルを勃発させる奴がクラスにいる」背伸びすると、それに、と呟く。「なんとなくだが……漠然とした……次のイメージが……」
指先をくるくる回しながら、十理は要領を得ない言葉を連ねる。
――今日の三年生の実技を見てからだ。あれを見て、自分のなかで「何か」が
言葉ではない「何か」。まだ言葉として固めるには足りていない、しかし御嵜十理というクリエイターの基底意識がカタチない「それ」を探り始めている。
「……言ったそばから次の作品か。ほんと、そこらへんトーリは狂ってるよな。ともすれば生活破綻者だ。なのに外から見るとマトモだもんなあ」
「はじめからそうだったわけじゃない。マトモに見えるのはそうあるように努力しているからだ。必要だったからな。――ほら、……たとえばゴッホっているだろう」
「画家の? ひまわり?」
「そう。彼の人生は決して裕福な生活ではなかった。絵を描き続けるために随分と苦心したらしい。方法は、まあ弟に金を無心をしたりとかだが。それでも自分に為せることをした」
虚空を見つめて、十理は続ける。
「鏡の国のアリスにもこんなセリフがある。『この場に留まりたいのなら、お前は全力で走り続けなければならない』。そしてこう続く。『どこかほかの場所へ行こうものなら、すくなくともその二倍の速度で走らなければならないよ』、とな。それを聞いて私は思うわけだ。能力を十全以上に発揮できる
ゆえにこそ、と彼は結んだ。
「
投げっ放しとも開き直りとも捉えられる言葉に、織は複雑な表情である。
「…………なんだろうな、トーリってば、そういう理屈っぽくて煙に巻くところ、ますます橙子に似てきた気がする」
「ああ、なんだったか。確か、『伽藍の堂』の主人?」
「そう。アオザキトウコ。式のユメによく出てきた魔術師」
「人形師でもあるのだったよな。眼鏡で性格をスウィッチするというのも確かに似ている。あんがい、私はその人物と魂を共有していたりしてな?」
とたんに顔が引き攣った織を見て、十理は愉しげに声を上げるのだった。
夜が、更けていく――
まだ平和(わりと)。