水面に映る月   作:金づち水兵

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ついに・・・ついに・・・。
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読者の皆様、いろいろとつたない本作をご覧いただき、本当にありがとうございます!

第3章も佳境に入りつつ(あくまで入り“つつ”です)ありますが、みずづきと艦娘たちの物語はまだ続きます。作者も社会と労働の荒波に負ける気はありません。今後も、本作「水面に映る月」をよろしくお願いします。


91話 ミッドウェー海戦 その1 ~眼前の闇~

「そのまま・・・そのまま、よし・・・・よし・・止め!」

「止めぇ!!!」

 

鼓膜と髪が揺れる。何の障害物もない大海原を思うがままに駆けていた潮風。何者の力も及ばない太古の昔から疾走が突如、方向転換と減速を余儀なくされ、顔面に「風圧」という抗議の意思をたたきつける。彼らは疾走を妨害した元凶である、人間が作った人工物にも「音」で抗議の意を示す。が、彼らは甲板から聞こえる将兵の怒号とクレーンの駆動音とまったくもって勝負にならなかった。風が徐々に凪いでいく。

 

そして、意思を刈り取られたのか。クレーンが休息に入ろうともそのままわずかな星の光しかない暗黒の世界へ駆けだしていく。そんな彼らに「ご愁傷さま」と合掌しながら、眼前に広がる光景を見据える。彼らは何の躊躇もなく進んでいったが、太陽の庇護下が本来の活動時間である生物にとって、視野の限りに広がる眼前の世界は本能的な恐怖をこれでもかと煽ってくる。

 

一応、甲板上には文明の産物である照明が設置されている。だが、足元や発着艦用の鉄かごの乗降り口など限られた場所のみをわずか照らす白色灯では月明かりのない真の闇の前に、全くの無力。自身の真下付近しか照らさず、管轄領域ぎりぎりまで闇に迫られていては頼りないにもほどがある。これは敵に発見されないよう最低限の光量で照明の役割を果たそうとしている結果である。また、甲板のほとんどを闇に支配されようともまるで昼間のように慌ただしく動き回っている将兵を見れば、文句など一切言えない。

 

荒天時波に攫われることを防ぐため、甲板上に置かれていた発着艦用の鉄かご。稼働可能状態にするため、専用クレーンで運搬クレーンに連結し、自身の目の前に鉄かごが据え付けられた。クレーンを類い稀な操作技術で操作し、目の前に鉄かごを置いてくれた設置してくれた将兵に手を振る。相手から見えているかどうか分からなかったが、きちんと手を振り返してくれた点を見るに、見えていたようだ。

 

ひとしきり、手を振ると再び視線を前方へ。そして、足を前へ進めていく。腹部の痛みは完全になりを潜めていた。既に完治もしくは完治の手前まで行っていると安堵したくなるが、先ほど行われた出撃前の最終検査で道満から釘を刺されていた。

 

「一応、万一の時でも君の体力消耗を局限化する処置を施しておいた。しかし、肝に銘じておいてくれ。君は本来、最低あと1日はベッドで安静にしていなければならない状態だ。傷口も塞がったのではない。塞がりかけているんだ。身体に悪影響を及ぼすほどの急機動はやむを得ない場合を除いて行わないように。守らなかった場合、苦しむのはみずづき? 君自身だぞ?」

 

ちょっとやそっとではほどけないほど頑丈に、そうでありながら身体を捻っても窮屈さを感じないほど丁寧に巻かれた包帯が腹部の肌を伝って存在感を放つ。夏であれば蒸れて仕方なかっただろうが、今は12月。奄美諸島や小笠原諸島の聟島(むこじま)列島に相当する緯度とはいえ、風は肌に刺さる。分厚い包帯はいい具合の腹巻になっていた。それは同時に腹部の保温と共にこれから向かう場所がどれほど危険かつ残酷かを静かに強調してくる。だが、そのようなもの、既に固めた覚悟の前には何の意味もない。

 

自分が行かなければならない。

 

それだけで十分だ。

 

鉄かごまであと少しというところで、乗降口の前に立っている士官が敬礼を示してくる。

 

「開けますか?」

 

陸防軍や瑞穂陸軍とは異なる、同脇を閉めた特徴的な敬礼で応えた後、百石より少し若いように見える士官が尋ねてきた。頷くと滑らかな作業で鉄かごの外と内を区切る柵が開けられた。鉄かごの底面はいくら頑丈とメーカーや工廠員のセリフを鵜呑みにしようと金網で構築されているため、足元数m下に広がる海面が一目瞭然。なのだが、今回は闇のおかげで全くと言っていいほど見えなかった。今では大分慣れたが、初めて大隈のこのシステムを利用したときは肝が冷えたものだ。

 

あの時はただただ冷や汗をかいていたが、今となってはいい思い出である。

 

「閉めます。出入柵、閉鎖。・・・・・施錠確認!」

「了解!」

「発進作業開始、よーい!」

 

士官の言葉を合図に、まるでやまびこのように号令が伝播していく。そして最後に聞こえた、「発進作業開始!」の深夜とは思えないほどの勇ましい声。

 

「ご武運を」

 

鉄かごが海面に吸い寄せられ始めたと同時に背中へそう言ってくれた士官はすぐに頭上の存在となり、代わりにこれから足を踏み入れる真っ黒な大海原が近づいてくる。待つこと数十秒。ついにこの時が来た。

 

直立の土台が人工物である不変の鉄網から自然物であるつねに揺れ動いている海水へ。“いつも通り”に移行する。

 

特殊護衛艦がただの人間でありながら大海原を自らの足で駆けられる所以の艤装。受領してから共に人生を歩み、はるづきに大破させられたみずづきの艤装は何の異常もなく正常に稼働。装着者の命令に従い、活動を開始する。

(この艤装が・・・・・私を・・)

 

人ならざる者に変えて、生かした。

 

右手に握られたMk45 mod4 単装砲を覗う。うっすらとだが、暗闇の中でも存在を触覚ではなく視覚で捉えることができた。創造物であり兵器であるはずの存在に、創造主で人間であるはずの自分が助けられたとは何とも不思議な話。信じられなくなるが、何より腹部の傷がその証拠だった。

 

「ねぇ? なんで生かしたの?」

 

波に従い、身体が大きく上下する。

 

「ショウならともかく・・・・・。答えてくれるわけないか」

「なんだ? 呼んだか、みずづき?」

「うわっ!?」

 

何の前触れもなく、唐突に突然に、いきなり透過ディスプレイ(メガネ)のど真ん中に相も変わらず椅子に腰かけているショウの姿が映し出された。あまりに予想外の出来事に心臓が飛び跳ねた。

 

そのようなこちらの様子を見て、意識的か無意識的か、「どうしたんだ? そんなに驚いて」と心底不思議そうに首をかしげる。その様子が堪忍袋を容赦なく刺激した。

(あんたAIでしょ・・・・・・・・)

人間と異なり膨大な情報を瞬時に把握・収集・分析・蓄積できる人工知能が、しかも今まで幾人もの人間と触れ合ってきたであろう彼がこちらの心情を把握していないわけがない。だが、みずづきが苛立った理由はもう1つあった。

 

「作戦行動中はいきなり出てこないでって言ったよね? しかもついさっき。にもかかわらず、もう反故ですか?」

 

ショウとは出撃前、視界を遮られると作戦行動に多大な支障をきたすため、助言なり進言があれば「声」で伝える旨を話し合っていた。ショウが艤装の中にいるということが分かった以上、例え大海原の中心でももうみずづきは1人ではない。しかも、みずづきと共にいるのは日進月歩の科学技術が生み出した奇跡、人工知能。ならば、協力しない手はない。それにショウも「今まで退屈だったからな」と苦笑交じりに応じてくれた。だが、早速これである。

 

「反故もなにも、お前が呼んだからだろう?」

「あれは呼んだわけじゃないの! なんていうか・・・そう、独白、独り言!」

「はぁ?」

 

危ない人を見るかのような目で身体を後ろに引くショウ。

(ここにいたんなら、散々私の独り言、聞いてきたでしょうが・・・)

自慢ではないが、独り言は多い方の人種だと思う。

 

「全く紛らわしいったらありゃしない。俺だって、約束をわざと反故にして、相手の驚く顔を見る趣味なんてないんだぜ?」

「・・・・・なら、なんでそんなニヤニヤしてんのよ?」

 

指摘した途端、笑顔のまま固まる。

 

「・・・・とまぁ、そういうことだから、俺には反故の意思がない。紛らわしい呼びかけを行ったお前が悪い。・・・・・・・・それじゃな!」

「あ・・・・ちょっと!」

 

逃げるようにショウが映っていた画面が閉ざされ、目の前の海が帰ってきた。不愉快な真意を白日の下に晒そうと何度も彼の名前を呼び、眼前に引きずり出そうとするが反応は皆無。結局のところこちらが手を出せない電子空間上に存在している以上、現実世界へのコンタクトの如何は彼の意思次第。艤装を壊すなど彼の存在自体を危うくする行為をちらつかせれば出てくるだろうが、それはみずづきにはできない選択。よって、主導権は彼が完全に握っていた。

 

「まったくもう・・・・何がしたかったのよ。あんたは」

 

眼前の世界ではなく、透過ディスプレイ自体を睨みつける。反応はない。

 

「はぁ・・・・」

 

意識的に心の中の業火を鎮め、先ほどの問いかけを思い出す。それを聞いても、ショウとのバカみたいなやりとりを経ても平常運転の艤装。みずづきの命といっても過言ではないFCS-3A 多機能レーダー、そしてOPS-28 航海レーダーが作動していない相違点はあったが、あきづき型特殊護衛艦を特殊護衛艦たらしめているFCS-3Aをはじめとする各システムは各々の役割を果たしている。

 

それがなんだか、可愛く思えた。

 

この身は幾度となく、この艤装に助けられてきた。自ら覚悟を決めて死と隣り合わせの環境に進んだとはいえ、死など望んでいなかった者にとっては非常にありがたかった。

 

だから、例え意思がなくとも、物であっても言うべきだろう。日本には付喪神という言い伝えがある。艦娘たちが付喪神であるかどうかは立証のしようがないが、存在する以上“先人の妄想”と笑い飛ばすこともできない。

 

「ありがとうね」

 

そう言って、機関を始動。両舷微速で大隈から離れていく。レーダー画面の一切が表示されないため、昼間と同様の明度で海を映し出している透過ディスプレイ(メガネ)から見える世界が広く感じる。しかし、その感動に浸る暇はない。すぐさま、レーダー画面とは別の画面を表示。視覚的にも聴覚的にも認知できない情報を収集・観測する。この出撃で収集した情報如何でMI攻撃部隊の行動が、そして運命が変わる。

 

大隅の司令室では百石が赤城たちをはじめとした各艦隊の旗艦に策定された作戦を説明している頃合い。みずづきもいろいろと思うところはある。

 

だが、彼の発案を上回る最善の策はないという確信も同時にあった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「夜襲・・・・・・ですか?」

 

戸惑いに満ちた赤城の確認。横須賀鎮守府の通信課員、大隅の船務科員数名を除いて、ほとんどの司令部要員が束の間の休息に出発した司令室。通信班のわずかなやり取りが交わされるのみで静まり返った室内に感情さえも明確に読み取れる赤城の声が響く。

 

長門たちに並び横須賀鎮守府所属艦娘のリーダー的存在である正規空母。その彼女の動揺を受け、元から影を落としていた蒼龍、夕張、吹雪の表情がさらに暗くなる。夜襲、つまり夜戦と聞いて飛び跳ねていそうな川内も今日ばかりは沈黙を保っていた。彼女たちの内心を把握しつつ、司令室の中心に置かれた地図の傍らに立っていた百石は議論の余地すら漂わせない明瞭さを伴って、大きく頷いた。

 

「そうだ」

 

そして、隣に控えていた長門から指示棒を受け取り、地図の端。赤と青の駒が置かれている海域を指し示す。

 

「装甲を鑑み戦艦を中心に編成した夜戦艦隊をもって、MI攻撃部隊後方230km付近を航行中と思われる敵艦隊を襲撃。明朝に生起するであろう航空戦を有利にするため、敵戦力の漸減を図る。出撃は日付が変わった0000。・・・・・・・・今から1時間後だ」

 

最後の言葉を聞いて、お互いの顔を見合わせる艦娘たち。わずか一時間で旗艦から各艦隊に所属している艦娘たちに作戦の説明を行い、艦隊の再編。なりより、心の準備を行わなければならない。補給や整備は漆原達工廠組が行ってくれているのだとしても、あまりに時間が少なすぎる。

 

まして、これからMI攻撃部隊が戦う相手は瑞穂がこれまで砲火を交えたことがないと断言できるほどの強敵。彼女たちに無理を強いていることは重々把握していた。

 

「君たちの気持ちは理解しているつもりだ。だが、とにかく今は時間がない」

 

現在、当部隊は米雪の被弾により1時間に約25kmのペースで敵機動艦隊に距離を縮められている。このままでは日が昇り、空母航空隊が真価を発揮できる午前7時ごろまでには肉薄される計算だ。

 

そうなるまであと8時間少々。この8時間をどう使うのかが運命の分かれ道だ。

 

「それはこちらも承知しています。しかし、夜襲というのは・・・・・」

「ちょっと、厳しいんじゃない?」

「提督? まさか、敵の戦力、忘れてるわけじゃないよね?」」

 

赤城と蒼龍の難色に呼応して、夕張が見る者の心を締め付けるような苦笑で尋ねてくる。彼女がどのような疑念を抱いて、その問いを発したのか。理解できない愚者でも何者でもない百石は疑念の払拭を図ろうと口を開くが、夕張の気迫に溢れた指摘を前に言葉は紡がれなかった。

 

「敵には・・・・・はるづきがいるんだよ? あの、あきづき型特殊護衛艦が」

「はるづきさんはみずづきさんと同じ能力を持っているんですよね、司令官? なら、いくら通常の深海棲艦に効果が大きい夜戦も、レーダーを前にしては・・・・」

 

ここにいる全員が分かり切っているため、言う必要がないと判断しかのか。はたまた、導き出される明確な結論を言葉にしなくなかったのか。困惑顔の吹雪は最後まで語らなかった。

 

「みずづきさんがけがの影響で随伴できない点は分かっています。でしたら、無理に突入しなくても・・」

「提督も当然、危険性は把握されている。提督は何も“絶対”夜襲を仕掛けるとは言っていない。・・・・・・もう少し冷静になったらどうだ、お前ら?」

 

司令室に詰めている艦娘の中で唯一、平静を保っていた長門。眼前に立つ仲間たちの狼狽ぶりが癇に障ったのか、吹雪の言葉を覆い潰し、少し強めの口調で諭す。

 

「赤城? お前は一航戦だろう? こんな大事な時に動揺してどうする? 蒼龍もだ」

「「っ・・・・・・・・・・」」

 

大きくため息をつく。長門も彼女たちがそうなってしまう心情も理解しているようで、決して怒鳴りはしなかった。

 

みずづきの圧倒的かつ絶対的な力を前に、ここにいる全員がとてつもない衝撃を受けた。しかし、最も激烈な衝撃を受けたのはこの身でも、長門でも吹雪でも川内でも夕張でもない。第二次世界大戦でも、そしてこの世界でも戦闘の趨勢を決する航空戦力を運用し、幾度となく勝利に貢献してきた愛機たちが「虫けらに過ぎない」と叩きつけられた赤城たち、航空母艦だ。

 

「・・・・・・・申し訳ありません。少し、動揺していました。お恥ずかしい限りです」

 

赤城は一度神妙な面持ちで瞑目すると、会釈をするように軽く頭を下げる。

 

「私もちょっと、我を見失ってた。・・・・・ごめんなさい」

 

蒼龍は気まずそうに視線を明後日の方向に向けながら、最後はこちらと長門を直視し、謝罪を明確にする。

 

「ん? どういうこと?」

 

そのような赤城と蒼龍をよそに、反省の色もなく平然と長門と百石の真意を問う川内。「川内・・。お前というやつは・・・・・」と拳を握りしめていた長門を制止し、長門の発言を捕捉する。

 

「確かに、お前たちの懸念通りなら私は君たちを死地に追いやることになる。私はそんなことはしない。軍人としても人間としても・・・・・・。だが、君たちの懸念が外れているのなら、向かってもらわなければならない」

「外れている?」

 

赤城が首をかしげる

 

「ああ、そうだ。日本世界における()()()ではレーダーが絶対的に不可欠な兵装だ。しかし、レーダー波は高出力の電磁波を360度に照射するため、レーダー波そのものはレーダー本体の探知範囲を超えて遠方まで四散する。それを捉え、発信源・周波数・方位を調べれば、どこの国の、どの艦が、どのあたりにいるのか敵に把握されてしまう。また、有事でなく平時でもところかまわずレーダーを使用していては周波数や機種特性などの情報を収集され、軍事機密となっている探知範囲などを特定される。だから、日本世界では敵地や敵勢力圏下に進出している場合、敵を捕捉したり、攻撃を受けたりするまで基本的にレーダーを使わない」

「ん・・・・へ・・・え? どういうこと? レーダー波が360度に飛んでいって、敵の勢力圏で・・・・・・・。艦長・・・・、電探の開発にかかわってたんだから助けてよう・・」

「つまり、はるづきが位置の露呈を嫌い、レーダーを作動させていない可能性があると?」

「その通りだ」

 

さすがは赤城。思わず、口角を上げてしまった。全く持って話に付いていけていない蒼龍には合掌しかない。この作戦が終了した後にでも赤城や翔鶴からレーダーの知識を蒼龍たちに教えるのもいいかもしれない。

 

「事実、はるづきの出現時、みずづきはかなり前からあきづき型特殊護衛艦の存在を掴んでいた。彼女たちにとってレーダーは視認圏外をも視認可能とする千里眼であると同時に敵に自分の位置を教えてしまう諸刃の剣なんだ」

「ということは、やっぱり私たちはみずづきの本当の敵にはなり得ないってことですね・・」

「レーダー、当たり前みたいに使われてましたからね・・・」

 

「あ・・・・・あはははっ」と分かり切っていた異次元の現実に夕張と吹雪が苦し気に笑う。百石もみずづきからこの話を聞いた時は彼女たちのように面白くもないのに声を上げて笑ってしまったものだ。

 

発達しすぎて使えない。お粗末または高価過ぎて使えないと嘆いている国の人間からしたら、なんと贅沢な話なのだろうか。

 

「それを確かめるため、現在みずづきには大隈の近傍に停泊し、電波探知装置、ESMと呼ばれる装置を使用して逆探を行ってもらっている。これの如何によって・・・」

「「「えっ!?」」」」

 

横須賀鎮守府司令長官の言葉を堂々と容赦なく遮り、赤城と長門以外の艦娘たちが尋常ではない驚嘆を発する。あまりの大きさに眠たい目をこすりながら必死に職務をこなしていた通信班員たちが反射反応的にこちらへ振り向いてくる。なんだと理由を問いかけたくなるが、彼女たちにはまだ“血まみれのみずづき”が刻み込まれていることを思い出す。人間であれほどの重傷を負い、数時間後に前線に立っているなど驚いて当然だ。理由を聞きたくもなるだろう。

 

みずづきが瀕死の重傷を負ったにもかかわらず、重要な任務を遂行している理由。これまで、そしてこれからも共に海上を駆けていく仲間である彼女たちに隠す気はなかった。

 

「すまないが、君たちは席を外してくれるか。何かあればすぐに呼ぶ」

 

だが、一般将兵にはそうはいかない。幸い、司令室に回されてくる通信は時間が時間だけに少なく、事情を知っている横須賀鎮守府通信課員2名で処理できる数であったため、退出を促す。

 

「了解しました」

 

大隅の船務科当直士官の受諾を合図に通信班たちが司令部を後にしていく。より一層、静かになる室内。あの時、整備工場にいなかった蒼龍もすでに、百石からみずづきの現実は聞いていた。

 

「提督、どういうこと?」

 

ただならぬ気配を有した夕張が、鋭い目つきで直視してくる。

 

「出撃を命令したの?」

「命令でない。これはあくまでみずづきの意思だ」

「みずづきの意思?」

「そうだ」

 

あの時の光景が脳裏によみがえる。司令室の鉄扉を自らの手で開いたみずづきの目は輝き、まっすぐ前を向いていた。

 

「私はでます」

 

そうみずづきが言ってくれた時、飛び跳ねたくなるほど嬉しかった。しかし、その一方で冷静さを保ち、眼前の艦娘たちと同じように彼女を心配する自分もいた。だから、聞いた。

 

「本当に出てくれるのか?」と。赤城たち一機艦に背中を守られたみずづきははっきりと。

 

「私は日本海上国防軍人で、特殊護衛艦です。大切なものを守るために死力を尽くします。・・・・そういってくれたよ、笑ってな。本当に、あの子はよくできた子だ。軍人としても、一人の人間としても・・・・」

 

どのような笑みなのか。苦笑とも微笑とも取れる艦娘眺めていた赤城に視線を向ける。「ふっ」と一瞬笑みを濃くすると静かに語りだした。

 

「そう・・・ですね。お人好しで頑固で、どこまで信じた道を歩み続ける。ショウさんから壊れてもおかしくない真実を延々と聞かされても、みずづきさんは私たちが知っているみずづきさんのまま。何も変わっていません。怖いくらいに」

「そう、ですか・・・・・・」

 

安堵を吐き出しながら、吹雪が笑顔を浮かべて目元の水滴をふき取る。吹雪ほど涙もろくないとはいえ夕張と川内もみずづきの選択と現状に安心しきりだ。あの場では、最後は丸く収まったものの、みんな、怖かったのだと思う。ショウの語った真実は残酷を通りこし、凄惨の一言に尽きた。人を死に追いやるほど、という彼の例えは大げさでも、陰湿でもない。それを聞いて、みずづきは変わってしまうのではないか。しかし、あの場から少し距離と時間をおいても彼女は、自分たちが知っている彼女だった。この身でも安堵と歓喜があふれているのだ。彼女と苦楽を共にしてきた艦娘たちの安心と喜びは比較にならないはずだ。

 

「既に策定した作戦は彼女に説明している。今回の任務も合意済みだ。そして、夜襲の件についても」

「みずづきはなんて?」

「そりゃ、君たちと同じように難色を示した。だが、万が一はるづきのレーダー波を探知した場合は作戦を中止するという意見具申を受け入れ、例のものを搭載すると説明したら、しぶしぶ了承してくれたよ」

「例のものって、まさか!?」

 

心に浮かんだ可能性が事実であるか確かめようと夕張は大きく見開いた目で百石を直視する。赤城たちは「なんのこと?」と百石と夕張の間で視線を彷徨わせていたが、夕張の問いを頷きで肯定すると一気にこちらへ固定された。

 

「レーダー警報機とチャフ。夕張と妖精たちの努力のおかげで完成を見たこの2つを夜戦部隊に装備させ、はるづきの攻撃に対しわずかでも被弾可能性を低減させる」

 

これを聞いた瞬間、赤城が一気に表情を明るくする。

 

「ついに完成したのですね!」

「ああ。まさか、みずづき以外の相手に使うことになるとは夢にも思っていなかったが」

「あ、あの~~~」

 

会話についていけなくなったのか、頭上に疑問符を大量発生させている川内を見ながら吹雪が「レーダー警報機というのは?」と説明を求めてくる。苦笑している辺り、吹雪本人が分からないわけではなく、川内を思っての行動だろう。

 

「チャフは説明不要だな?」

「はい。初めてのみずづきさんと戦った演習で、司令官たちがみずづきさんのレーダーを無効化するために使用した金属片ですよね」

「あーーーー」

 

「そうだそうだ」と手を叩く川内。

(こいつ、チャフも分かっていなかったな)

思わずため息をつきたくなるが、今はそのような余裕はないため先延ばしだ。

 

「これはレーダー波の妨害だけではなく、アクティブ・レーダー誘導方式のミサイルをかく乱する目的にも使用できる。ただ、みずづきたちの対艦ミサイルは画像識別装置も搭載されているから、有効性は未知数。まぁ、願掛けだな。それでレーダー警報装置。これは自艦がレーダー照射を受けた、あるいは受けていることを知らせる装置だ。レーダー波を放って飛んでくるミサイルはもちろん、艦の火器管制レーダーを使用した砲撃なら、レーダー波が照射された時点で砲撃されようとしていると警報が鳴る」

 

こちらの説明を受け、理解したのか川内も顔を輝かせる。

 

「それって、夜でも撃たれる前に自分が狙われてるって分かるってことでしょ? すごいじゃん!」

「レーダー波を照射してから砲撃までには数秒の余地がある。砲煙や硝煙を見てから回避するよりも瞬時かつ的確に回避行動を行えるだろう。もともと、演習でボコボコにされる空母航空隊の妖精たちの発案なんだが、一矢報いたいという彼らの悲願はともかく作らせておいて本当に良かった」

 

これはもともとみずづきを対戦相手とする演習において使用される予定だった代物。みずづきが泡を吹くさまを見たいという妖精たちの懇願で彼女には秘匿されていたが、稼働試験は実施済み。ただまだ実戦に使用したことがない。いきなりの投入には不安が残るものの、ないよりははるかにましであった。

 

「また夜戦部隊の全員には果てしない資源と予算の浪費の末、ようやく完成した22号対水上電探を装備させる」

『おおおお!』

 

ついに全員の顔が花火のように輝く。みずづきが横須賀へやってくる以前より、艦娘たちからは電探の装備を求める声が途切れることなくあがっていた。しかし多温諸島奪還作戦後、横須賀鎮守府の主な任務は領海警備と船団護衛に移り、行動範囲も多数の軍施設が存在する瑞穂本土近海に限られていた。そのため、本土防衛・反攻作戦の最前線であった大宮や僻地で艦自体が索敵能力を持たなければろくな行動がとれない幌筵(ぱらむしる)と異なり、電探の整備は主砲や副砲、魚雷などの攻撃兵装より優先順位が低く、百石が望んでも軍令部が必要な予算を認めずなかなか進まなかった。

 

しかし、その姿勢を一気に転換させたのがみずづきである。軍令部は電探による索敵能力が攻撃力そのものを底上げすることにようやく気付き、横須賀が要望する予算は難癖つけられることなく認められるようになった。その結果が22号対水上電探の実戦デビューである。

 

「ただ、みずづきがレーダー波を捜索できるのならはるづきも同様だ。使用は最後の切り札ということになる。しかし、これらの施策で大分こちらに運を引き寄せられたはずだ。今回の夜戦部隊は長門を旗艦として、金剛、榛名、比叡、摩耶、鳥海で編成する。このことは各艦にしっかりと伝達してくれ。赤城、吹雪、蒼龍・・・・分かったな?」

「了解です! 任せておいてください、提督」

 

歓喜から一転。真剣な表情となった蒼龍に続き、無言で赤城と吹雪が頷く。

 

「また、敵艦隊が撤退行動中の夜戦部隊を追撃する可能性も踏まえ、第三水雷戦隊・第六水雷戦隊、みずづきを艦隊後方110kmに配置。追撃部隊の撃退を担う。頼んだぞ?」

「「了解」」

 

声から動作に至るまで完全に一致した敬礼。多少の不安は残れど、使命感と闘志の方が勝っていた。

 

「夜襲に参加しない艦娘も明朝には全員出撃となる。明朝の作戦行動ではMI攻撃部隊の艦娘を空母機動部隊と水上打撃艦隊に分割。航空戦を担う機動部隊と機動部隊に誘引されている敵艦隊を側面から直接殴り込む打撃艦隊は夜襲が終了し再編成が完了した後、速やかに別行動を取る! 編成だが空母機動部隊は・・」

 

コンコンっ!

 

夜戦の説明を終え、いよいよ本作戦の本番である決戦作戦の概要説明に入ろうとしたところで司令室の扉が乱暴にノックされる。「誰だ! 現在、作戦会議中だぞ!」と通信課員が声を荒げるがただならぬ気配に入室を許可する。息を切らせて走ってきたのは船務科の少尉だった。

 

彼は息の整理もほどほどに背筋を伸ばし、現在が真昼かと錯覚してしまうほど声を張り上げた。

 

「ほ、報告します! みずづきより、発光信号! 我、はるづきのレーダー波を探知せず。以上であります!」

「提督!」

 

拳を握りしめ、歓喜を浮かべる長門が視線を向けてくる。彼女の表情が全てを物語っていた。

 

「夜襲は・・・・・・・実施だ」

 

勝利を手繰り寄せるための決意、損害の可能性に震える恐怖、可否を判断する責任、艦娘たちへの信頼、信頼からくる喪失の不安。多種多様で複雑怪奇な感情を宿した低く重い言葉は放出された瞬間、空気に溶けていく。

 

 

 

 

 

 

それからの艦娘たちの動きは早かった。赤城以下各艦隊の旗艦は司令室を飛び出し、指揮下の艦娘たちに作戦の概要と目的を説明。長門もすぐさま緒方や漆原、MI攻撃部隊司令部要員と最後の打ち合わせを開始。時計の針が不変の速度で進めば、進むほど作戦の準備は進んでいった。

 

わずか1時間。されど1時間。作戦の実施と骨子の大枠を前もって通達していた甲斐もあり、赤城たちが司令室を脱兎のごとく駆け出しから1時間もしないうちに出撃準備は完了。大隅の右舷甲板にたたずむ長門を旗艦とする夜戦部隊、川内を旗艦とし第三水雷戦隊・第六水雷戦隊・みずづきから編成される連合水雷戦隊を見下ろすこととなった。

 

艦娘たちの顔を少しでも近くで伺おうと、落水を防ぐために設置された柵ぎりぎりまで近寄る百石。後方でその自分と眼下の艦娘たちを視界に収める第一機動艦隊、第二機動艦隊の居残り組。一歩引いたところから艦娘たちを見守る緒方以下、瑞穂海軍の将兵たち。

 

先ほどまで鳴り響いていた人工の機械音が消失し、波音と風音のみで構築された世界。それぞれに何を想っているのであろうか。太陽がお目見えする昼間なら推察も容易だったが、生憎今は夜。そこにいるという存在しか把握できない環境では各自の姿や表情から心中を察することは不可能だった。

 

しかし、詳細は分からずとも大筋は充満している空気から直感が教えてくれた。大隅のわずかな明かりを反射している左手首の腕時計を見る。針は11時50分を指していた。

 

「諸君」

 

作戦発動まであと10分。ここまで来れば、艦内でただ静かに戦況を見守る指揮官が最前線に立ち生命の危険と引き換えに目的を達成しようとする部下たちにしてやれることなど1つしかない。それを果たすため、百石は腹筋に力を込め、口を開く。地球も空気を読んでくれたのか、海風は拡声器を使わずとも地声で周囲の全艦娘、全将兵に聞こえる程度には落ち着いてくれた。

 

「もうまもなく布哇泊地機動部隊撃滅作戦、その第一弾が発動される。まずは私の急な命令に迅速な対応を行い、こうして準備を完了させてくれたことにお礼を述べたいと思う。・・・・・・・ありがとう」

 

軍帽を取り、瞑目して頭を下げる。ざわつきが芽生えるものの、それを放置し言葉を続ける。

 

「本作戦の概要・目的は既に各艦隊の旗艦から説明済みであることと思うが、本来私が諸君らに直接説明しなければならない事項であるために簡単に触れておきたい。本作戦の目的は単純明快、布哇泊地から抜錨・出撃し、ミッドウェー諸島防衛と我がMI攻撃部隊の殲滅を目論む敵機動部隊の撃滅である。これを達成するため、我がMI攻撃部隊は敵の強力な戦力を鑑み、夜戦と航空戦の二段構えで撃滅を図ることとした。長門を旗艦とする夜戦部隊は川内を旗艦とする連合水雷戦隊と艦隊後方100kmまで進出。連合水雷戦隊(連水戦)と分離したのち、敵機動部隊に砲戦による夜襲を仕掛け、状況に応じて撤収。連水戦と合流したのち、一機艦・二機艦と会合。空母機動部隊と水上打撃艦隊に艦隊を再編成し、空母機動部隊を囮とし敵艦隊の側面から水上打撃艦隊が殴り込む第二段に移る!」

 

空母機動部隊。

主力艦隊、旗艦赤城以下、加賀、飛龍、蒼龍、翔鶴、瑞鶴。

直衛艦隊、旗艦金剛以下、鳥海、潮、曙、朝潮、照月。

警戒部隊、旗艦夕張以下、球磨、暁、響、雷、電。

水上打撃艦隊。

主力艦隊、旗艦長門以下、榛名、比叡、摩耶、北上、大井、みずづき。

警戒艦隊、旗艦川内以下、白雪、初雪、深雪、陽炎、黒潮。

 

計31隻。

 

対する布哇泊地機動艦隊は25隻。房総半島海戦時、そして多温諸島奪還作戦時にも生起しなかった一大部隊同士の決戦。それを反芻すると思わず言葉に力が入ってしまうのも無理はない。だが、語尾を強めた理由は何も興奮だけではなかった。

 

「今回の作戦は当初のMI作戦と同様に・・・いや、それ以上の激戦が予想される。我々は今回、未曾有の敵を相手にすることになる」

 

これが何を意味するのか。察することすらできない愚者は一同の中に1人もいなかった。

 

「はるづき・・・・・・」

 

眼下か、後方か、側面か。どこからともなく恐怖で覆われた声が聞こえてきた。

 

「そうだ。はるづきだ!」

 

息を飲む音が周囲全体に伝播する。

 

「生半可な覚悟や決意は今すぐ、足元を泳いでいる魚にくれてやれ。今回の戦いはこれまでとは明確に違う!」

 

そこまで言って、続く言葉が待機していたにもかかわらず、唐突に身体の内側から声が聞こえてきた。

 

“俺たちが戦っているこの戦争は何の意味があるんだ?”と。

 

それはひどく自然に、滑らかに脳内に溶けていった。単なる偶然によって、日本世界のとばっちりを受け、甚大な被害と夥しい犠牲を強いられた自分達、瑞穂世界。この大戦はほんの少し巡り合わせが異なっていれば、そもそも勃発することはなかった。深海棲艦によって、日常の断然を経験することも明確な死の恐怖に怯えることもなかった。家族や友人、知人、仲間の死に直面し、嘆き悲しみ、後悔の念に苛まれることもなかった。

 

原因は全て日本世界。人工的に生み出されたものなのだから、糾弾は不可避。しかし、責任を一方的に追求し、贖罪を強いることは心の整理をつける上で適切な方法ではなかった。

 

みずづきの話を聞けば、誰であれその結論にたどり着く。

 

だから、やりきれない想いが募っていく。この大戦をどのように捉えたら良いのだろうか。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

しかし、その思考はほんの一瞬で断ち切られた。希薄な存在感しか把握できない暗闇の中でも分かる長門の視線。それを感じ、自分たちが置かれている現在の情勢を思い出した。今はそのような定義論に終始している場合ではない。

 

一度思考をリセットするため深呼吸を行い、今か今かと出陣の時を待っていた言葉を紡ぎだす。

 

「そう、これまでの戦いとは明確に違うのだ! 今一度、我々がどこにいるのか思い出し、驕慢(きょうまん)や慢心、先入観、思い込みは取り払って欲しい」

 

艦娘たちから漂う空気がより一層張りつめる。いくらミッドウェー諸島を攻撃した時間が今朝だったとはいえ、この海は日本世界において一海軍の栄光と一国家の未来を飲み込んだミッドウェー海域だった。

 

「それを成すことができれば、我々は勝利を掴むことができる! 私はMI攻撃部隊指揮官として横須賀鎮守府司令長官として、何より一海軍軍人として確信を抱いている」

『・・・・・・・!』

 

俯きかけた艦娘たちの視線が一斉に突き刺さる。

 

「君たちはこれまで血のにじむような努力を重ねてきた。こちらが組んだ過酷なスケジュール、到達目標にぐだぐだ文句をいう艦娘もいたにはいたが、そんな彼女たちも文句を言うだけで疲労困憊になりながらも海上を駆け、勉学に励み、能力を磨き上げた。その成果を発揮できれば、激戦であろうとも勝利を掴める。また、こうして・・」

 

後方に赤城たちを含め、全艦娘を勝ち気な笑顔で見渡す。

 

「みんなで顔を合わせることができる」

 

再び視線を正面に向けて、こう言った。

 

「今回の遠征で私の懐には、相応の特別手当が入る。そして、緒方参謀部長をはじめ、参加した横須賀鎮守府将兵にも支給される。作戦が成功した暁には私たちのおごりで祝賀会を行おうと考えている。参加したくない者は知らんが、私たちは思う存分はしゃぎまわる予定だ」

「え・・・・・・」

 

後方から歓喜に満ち溢れた感嘆が聞こえてくる。一瞬で誰かは看破したが場の雰囲気を崩壊させないために敢えて無視した。こちらの気遣いを一瞬で後悔に変えてしまいかねない恐るべき存在であるため、釘を刺しておきたいが、これは彼女たちが無事に帰って来てからでも十分時間的余裕はあった。

 

「だから、全員で一人も欠けることなく、横須賀に戻ってどんちゃん騒ぎするぞ。分かったな?」

『・・・・・っ。はいっ!』

 

こちらと、彼女たちを眺める将兵たちと同じ気持ちであることを示すように、そして、言霊に懇願するように艦娘たちは誰一人ずれることなく、見事な多重奏を見せる。彼女たちの思いの強さに涙腺と軍人としての信念を刺激され、思わず声が上ずる。しかし、気にせずうわずったまま、張り上げた。

 

「瑞穂において記録される()()()()()()()()を勝利で締めくくるぞ!」

『はい!』

 

そして、この場にいる全員の時計が一日の始まりに針を到達させた。

 

「作戦発動! 総員! 抜錨せよ!」

『了解!』

 

感動さえ覚える応答の後、表舞台から波音と風音は後退。一斉に唸る数多の主機たちを前に再び人工音が胸を張って舞台に登壇する。一糸乱れぬ行進は練度と経験という彼女たちの努力を観客にこれでもかと、見せつけてきた。

 

潮の香りを煤の刺激的な匂いで屈服させた空気が鼻腔に流れ込んでくる。

 

「総員、出撃! 我に続け!」

 

勇ましい長門の声が轟いた後、一斉に180度反転。すぐさま陣形を構築し、艦娘たちが大隅を背に敵艦隊が航行しているであろう大海原へ向けて一目散に航行していく。

 

あっという間に姿は暗闇の中に消えていった。

 

昼間ならまだ見えている距離。せめて、自分1人だけでも水平線の向こうに消える時間が経過するまで彼女たちの見えているはずの背中を見続けようと思ったが、そう考えていたのは百石だけではなかった。

 

「・・・・まったく」

 

思わず苦笑がこぼれる。後方の赤城たちはもちろんのこと、甲板や艦橋構造物から艦娘たちの勇姿とこちらの醜態を見つめていた緒方をはじめ、将兵たちも百石が踵を返すまで大海原の彼方を神妙な面持ちで見つめていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

『臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部。12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は本8日未明西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。帝国陸海軍は本8日未明西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり』

 

 

視界一面に広がる闇。頭上に垂れこめる雲の切れ間から相も変わらず瞬く星々が顔を覗かせているため、日本においてそして瑞穂において幾度となく経験した“真の闇”ほど視力が役立たずの状況ではない。前方警戒に付いている第六水雷戦隊はさすがに感知範囲外だが、夜戦艦隊の周囲で輪形陣を組み、対潜・対水上警戒を行っている第三水雷戦隊は波しぶき、風切り音に紛れて聞こえてくる主機の駆動音で存在を捉えることができた。

 

だが、いくら視力が役目を維持していようと聴覚が他者の存在を届けようとも、周囲を埋め尽くす闇は容易に身体全体を孤独へ染め上げていく。仲間たちの様子や言動に注意を向ける必要性が低減し、脳が暇を持て余した結果だろう。

 

その声が聞こえてきたのは。記憶の奥底に眠る数々の声が聞こえてきたのは。

 

『只今宣戦の御詔勅(ごしょうちょく)渙発(かんぱつ)せられました。精鋭なる帝国陸海軍は今や決死の戦を行いつつあります。東亜全局の平和は、これを念願する帝国のあらゆる努力にも(かかわ)らず、遂に決裂の()むなきに至ったのであります。・・・・・。事茲(ことここ)に至りましては、帝国は現下の危機を打開し、自存自衛を全うする為、断乎(だんこ)として立ち上るの已むなきに至ったのであります。・・・・・・・・・。建国二千六百年、我等は、未だ()つて戦いに敗れたるを知りません。この史績の回顧(かいこ)こそ、如何なる強敵をも破砕するの確信を生ずるものであります。我等は光輝(こうき)ある祖国の歴史を、断じて、汚さざると共に、更に栄ある帝国の明日を建設せむことを固く誓うものであります』

 

「鬼畜英米を粉砕せしめた精鋭なる我が帝国海軍はもはや世界最強の海軍である!!」

「大日本帝国は神国なり! 日本民族はアジア解放の立役者なり!」

「天皇陛下、バンザァァイィィィ!!! 大日本帝国バンザァァイィィィ!!!」

 

これまで師と仰ぎ、敵として対抗してきた列強に対する予想外の連戦連勝に酔い、自分たちが戦っている相手がどれほど強大な存在か、何のために自分たちがそのような背伸びしても追いつけない相手に喧嘩を売ったのか、都合よく忘却した威勢のいい声。

 

アメリカ。イギリス。今や祖国の敵となった国々の実態をほとんどの国民が曖昧でも認識していたにもかかわらず、“英米おそるるに足らず”という慢心が国土の隅々にまで波及していた。

 

しかし、覚えている。国粋主義の蔓延と風に流される無知な国民に無力感と脱力感を抱きつつ、日本の歴史をここで終わらせまいと使命感に燃える背中を。

 

彼らの懸念はすぐに的中した。そして・・・・・・・・・・・。

 

「朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」

 

日本は、負けた。全面戦争の果ての、無条件降伏という最悪の形で。

 

日本は過ちを犯した。どれほど反省しようと、どれほど後悔しようと、どれほどむせび泣こうと取り返しのつかない、大きな過ちを。

 

だから、せめて、この先は。

 

そう願った。全てを見届けたからこそ切にそう願った。そして、自身より遥かに長生きした艦娘たちから伝え聞いた世界は相変わらずだったが、日本はその願いを着実に叶えてくれていた。

 

だが。

 

「っ・・・・・・・・・・」

 

やはり、歴史は繰り返すものなのだろうか。

 

滅び去った大日本帝国への憧れ。更なる高みに至りたいという欲望。これが2つの世界を地獄の底に叩き落した。原因には日本以外の国々も参加している。もともとの目的は祖国を守るためという守勢的な一点のみだった。それでも、原因を作った原点は自身の祖国、あの人たちの子孫だった。そして、原点を生み出した勢力は自身を生み出してくれた大日本帝国の亡霊だった。その時点で大日本帝国と完全な無関係とは言えなかった。

 

大日本皇国。

 

その言葉が反響する。いつまで経っても亡霊が成仏しない理由。それはなんとなく察していた。確かにあの当時、日本は“帝国の栄光”だけに観点を絞れば絶頂期にいた。かねてよりの領土であった本州・北海道・九州・四国以外に版図を広げ、帝国海軍は世界第三位とも言われる強大な力を有していた。

 

国家としての意思を明確に公言し、国益の追及には他国との衝突を覚悟しても貪欲に追求する。

 

強い日本。誇れる日本。誰しも祖国を愛していれば、より強さを、より誇りを追い求める。だが、日本は学んだはずだった。愛国心は一たび方向性を間違えれば、売国につながるという理不尽を。

 

にもかかわらず、何故。

 

「なぜ・・・・なんだ」

 

やりきれなさのあまり、奥歯を噛みしめる。顎に鈍痛が駆け抜けるものの、力が弱まることはなかった。

 

彼女は艦娘たちに対してこう言ってくれた。

 

“また無神経なこと言うかもしれないけど、あんまり気にしないでいいんだよ? これは完全に私たちの世代が引き起こして、私たちに降りかかった災厄。陽炎たちにはなんの責任も関係もない”

 

これはまだ、真実を聞かされる前の言葉だが、今でもあの彼女のことだ。同じことを言ってくれるだろう。あの戦争から既に88年。深海棲艦製造計画が動き出したのは戦後74年。自分たちが海上を駆けていた時代がもう確定した歴史となってしまっている以上、歴史を学んだ上で、確定していない未来を歩む選択権は全て子孫が握っている。彼女の言った通り、関係ないという見方は成立する。だが、関係ないと切り捨てるには祖国が再び犯した過ちは莫大過ぎた。

 

日本世界、16億4000万人。

瑞穂世界、7600万人。

 

 

「・・・・・・・さん?」

 

 

これに日本世界では、神昇計画の破綻を間接的な要因とする第三次世界大戦、第二次日中戦争、丙午戦争、華中内戦での犠牲も加わる。あまりにも膨大な犠牲と惨禍。

 

それは彼女の暴露を受けて一旦は噴き出したものの、仲間たちの助けもあり封印に成功していたある想いを再び解放させるには十分すぎた。

 

あの時、自分たちが道を踏み外さなければ、こんなことには・・・・・・・。

 

「長門さん!」

 

心の声を呟かせまいとするかのように、接触ぎりぎりまで近寄った鳥海の声が鼓膜に突き刺さった。

 

「ああ、すまない。少し、考えごとをしていた」

 

こちらを訝しむ気配を感じるが、敢えて気付かないふりをして話を先に進める。

 

「どうした?」

「まもなく、艦隊後方100km。連合水雷戦隊との分離地点です」

「了解した」

 

潮風によってなびく髪を右手で押さえている鳥海に視線で謝意を示すと、旗艦としての指示を出す。

 

「総員に通達。全艦、第二戦速。僚艦との相対距離に注意しつつ、分離作業を開始せよ」

「了解しました」

 

命令を受け取った鳥海はすぐさま長門と距離をとり、発光信号で金剛以下夜戦部隊に、連合水雷戦隊の旗艦を任されている川内に長門の命令を伝達する。現在、艦隊は逆探による位露呈を防止するため、無線封止を行っていた。これは通信用無線のみならず、みずづきのFCS-3A多機能レーダーや長門たちの22号対水上電探にも適用されていた。

 

減速に伴い、耳元で大騒ぎしていた風切り音の勢いが減衰する。

 

「っふ」

 

自身が今どこにいるのか。これから何をしようとしているか。何をなさねばらないのか。それを思い出した瞬間、嘲笑が漏れる。

 

これでは百石と同じではないか。思考の泥沼に陥りかけた彼の腕を掴んだのはどこの誰だっただろうか。

 

「我ながら、とんだ醜態だな」

「何か、おっしゃいましたか?」

「いや、独り言だ、気にしないでくれ」

 

運悪く独白を拾ってしまった鳥海に微笑みかけると長門は前方を睨む。考え事はここでお開き。現実は思考に浸りきっている者を生かしてくれるほど、優しくない。




みずづきたちはみずづきたちです。黙ってやられるような可愛いタチではありません。本話より、「ミッドウェー海戦編」がスタートです。

しっかし、本話を執筆するうえで、某総理大臣の「開戦声明」を一読しましたが、あれはまぁ、なんと言っていいのか。
最近、艦これサーバーが攻撃を受けている件についての鬱憤も含めて、とりあえず、一言。
・・・・この国の史蹟から光輝を奪って、どうすんだよ。はぁ~。

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