バイオハザード インクリボンがゴミと化した世界で   作:エネボル
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チャプター2


チャプター2
05 死中に活を……


 掃討作戦指令書

 内容:中央通り及び下水道へのC4爆弾の設置、バリケードの敷設
 時間:本日午後6時
 作戦人員:20名
 補足1:基本的には人命救助を優先するが、対象が呼びかけに呼応しない場合は殺傷を目的とした発砲を許可する。
 補足2:爆薬敷設後は作戦区画から直ちに撤退し、本部からの指令を待て。





「――爆破20秒前!」
 
 血肉を求める無数の唸り声が、合唱、輪唱となって周囲一帯に響く中、警察の作戦によって大通りを抜けた先の広場には、数千体のゾンビがおびき寄せられた。
 その光景は正気であれば思わず発狂し理性を失う程におぞましきモノだったが、件の“作戦”に尽力する多くは、それらを前にしても決して使命を忘れなかった。

「カウント開始! 10、9、8、7――――」

 レシーバーを構えた警察職員が作戦開始の合図を取り、カウントダウンが始まると同時に最後の調整を終えた作業員達がパトカーで作ったバリケードの奥へと撤退した。

「っぅあ!?」

 その時、亡者を隔てていた檻の一角が崩れた。
 その光景を前に思わず、起爆スイッチを手にする職員の男が上擦った悲鳴を上げた。
 亡者の群れが白濁した目で朽ちた手を伸ばし、腐った吐息を吐きながら迫る中、強い嫌悪と恐怖に苛まれながらも、起爆装置を握る男は、決して手にした希望を落とさなかった。
 そして――

「――起爆!」

 男は震えながらも勇気を振り絞り、合図と共に己の役目を果した。

 ――そして地獄の釜が開かれた。

 巨大な焔が地面から吹き上がる同時、起爆地点から距離をとった多くの者がその身を焼かれるような強い熱量を感じた。
 広場に集められた亡者の群れは等しく焼き払われ、夜の帳が訪れたラクーンシティの空を明るく照し、無数のゾンビは天に還り、後には巨大なクレーターと紅蓮の炎と立ち上る巨大な黒煙が狼煙のように残った。
 それを眼にした警察官らは大きな勝鬨を上げた。
 
 それは後に悪夢として語られるラクーンシティーの惨劇の中で、唯一ラクーンシティー警察(R.P.D.)が悪夢に勝利した奇跡の瞬間であった。





 ジョー・ナガトの手記 その2
 
 そしてつい三十分ほど前だが、警察による大規模な反攻作戦が決行された。
 大通りを挟んで少し先の広場では鈍重な鉄のフェンスがいくも設置され、その人為的に作られた檻の中に警察と民兵の協力によって誘導された無数のゾンビの群れが詰め込まれた。
 それなりの距離からも呻き声の大合唱が聞こえてくる程の数だ。
 ちらりと確認したが、正直数えるのも馬鹿らしくなるほどの大群がそこには居た。
 はっきり言うがゾッとした。
 もしもフェンスが決壊すればそれこそ津波のような勢いで、奴らは生き残った生存者を嬉々として飲み込むだろう。
 こんな作戦を考える奴もそうだが、実行する奴も大概頭がおかしいと思った。
 ――が、ありがたい事に作戦は成功してくれた。
 署長はクソ中のクソだが、やはり現場の人間は尊敬出来る。ケビンの様な一部の素行不良も、この時ばかりは人命優先で最前線に立つ気概を持っている。親父も警察官だから多少贔屓は入っているが、恐らくこの事件がなかったら俺も警察官を目指したかもしれないな。――まぁ、それは良い。
 問題はこの後だ。
 この後、俺自身がこの街からどうやって生き残るか、だ。

 思えば、自宅から見知った大通りへと脱出するまでに壮絶な体験をした。
 たった一日で街を歩く難易度は急激に上がった。昨日に比べると雲泥の差だ。どんなクソゲーだ。
 こんな事なら昨日の内にさっさと街を出るべきだったと、今更ながらそれを強く後悔している。
 幸いと言えるのは、他の生存者と合流できた事くらいか。少しは俺も役に立っただろうか? マービンには悪いが、俺にはコレが精一杯。これ以上の事を期待されても正直困る……。
 まぁ、それは兎も角、つい先程俺達は何とか警察官らと合流する事に成功した。
 警察が封鎖するという警察署近辺の中央ブロックから見て、南側に位置するダウンタウン。そこに程近いフラワー通りの近辺では、ロバートを初めとする多くの顔見知りが独自に防衛網を展開していた。
 ありがたい事にロバート以外の知り合いも、皆、俺の事を探していてくれたらしい。その気持ちははっきり言って嬉しいし、こうして互いに無事が確認できて本当に良かったと思う。
 だけど正直、さっさと逃げろよ――とも思った。どいつもこいつも格好つけやがって。死んでも知らねぇぞ。

 また、その際に聞けた話によれば、どうやら皆、状況的に昨日スタジアムで行われたフットボールの試合が大まかな原因だと睨んでいる様子だ。曰く、スタジアムの観客席に暴徒が現れ、そしてその暴徒こそが感染者。その感染者から爆発的なゾンビ感染が広がった、との事。そして一夜明けてこの騒ぎとなった以上、明日にはもっと状況はひどくなるだろう、と――多くは思っているらしい。
 まったく俺もその通りだと思う。俺の持っている記憶――否、この場合は知識と呼んだ方が正しいソレの中にも、街に感染が広がった理由はおぼろげにしかない。しかし状況が今以上にひどくなり、最終的にラクーンシティーが核ミサイルで街ごと吹っ飛ぶ事だけは判る。滅菌処理と称して街ごと消すくらいなのだから、どう考えても状況が好転するとは思えない。
 こうして一先ずの安心に身を委ねてはいるが、いち早く脱出する目処を立てないとやばいのは確実だ。
 俺の知識の中でこの地獄から生還した人物に出会う事、もしくは彼らの使った脱出ルートにたどり着けるか、否か――。
 今後の問題はそれともう一つ。俺にTの抗体が在るか否かを確かめないといけない

 ――リッカーから受けた傷が微妙に痒い気がする。
 
 コレを何とかしない事には、脱出できない。
 否、するべきじゃないんだろうな。
 クソが……。





 “爆破作戦”の成功と共に現場からの撤収作業が始まった。それに伴いオルガ達生存者の多くは、警察のトラックに乗って一時的に警察署に避難する事になった。
 警察と消防は一度生存者を堅牢なラクーン警察署の中に集め、その後、陸路と空路の両面で市民を街の外にピストン輸送するというプランを立てた。

「――――脱出ルートは大きく分けて2つある。一つは市外に唯一繋がるハイウェイを車で行くルート。もう一つはヘリで脱出するかのルートだ。ヘリでの脱出を選ぶ場合は一端、陸路で市内を移動し、東西南北に走る路面電車の車両集積ターミナルに向かってもらう。そして4時間ごとに離着陸するヘリを待ってからの移動になるが――――」

 多くの生存者と一緒に警察職員からの説明を受けたジョーは、内心で「どちらも一長一短で容易にとは行かないな」と小さく溜息を吐いた。
 警察の提示したモノ以外のルートとなると、アークレイ山地を徒歩横断するか、もしくは市内を流れる二本の川を生身で下るかの二つしかなく、またジョーの知識の中にはアンブレラ社が秘密裏に作った地下研究所の脱出路線を行くというルートもあるが、それを選ぶのも中々に過酷な道。

(――ゾンビを避けながら長い陸路を地道に行くか、もしくは墜落しそうな(カプコン)ヘリに乗るかの二択。もしくは“山地横断ウルトラクイズ”か“川下り”の四択。それも嫌なら隠しルートの秘密基地潜入、か。――――命が幾つあっても足りる気がしねぇ。究極の選択過ぎる)

 警察という市民の味方との合流を果した生存者の多くは、説明された脱出の当てに強い希望を見出していた。それは当然、ジョーと決死の道中を共に生き延びてきたオルガ達も同じであった。
 オルガ達の安堵の顔を見て、ジョーはとてもではないが、彼ら彼女らの心をへし折るような台詞を吐く気にはなれなかった。
 ジョーに言わせれば目の前に提示されたモノは希望ではなく、差し詰め次の地獄への招待状。

(――どうする?)

 と、ジョーはひどく浮かない表情のまま、小さく自問した。
 脱出の当てもそうだが、それとは別に差し迫った別の不安があったからだ。
 つい先程、ジョーはボブという一人の生存者の壮絶な最期を真近で見てしまった。
 あれこそが感染者の末路なのだとジョーは思い知らされていた。
 人間としての尊厳を保つならば自決、一択。いよいよともなれば、彼の様に覚悟を決めるしかない。
 現状はゲームの様に感染深度がどの程度かを把握する事もできず、またボブの言った様な『人を食いたい』という自覚症状もない。しかし現実問題としてジョーの腕にはリッカーから受けた傷が存在する。こればかりは無視できなかった。

 ジョーは撤収作業を尻目に、自宅から持ち出したミネラルウォーターを一口に含んだ。
 視界の先にはオルガ達の乗った警察のトラックの後姿があり、ふいにガラス越しに、ジョーを見つめるシェリーとオルガとの視線が交錯した。
 最後となるだろうと言葉を交わしたのが先程の事。
 ジョーは皆から一方的に取り付けられた“約束”の台詞を思い出す。

『――早く来い、先に行って待ってるからな?』

 警察のトラックに乗ったオルガが、テリが、シェリーが、マックスが、それぞれの言葉でそうジョーに言った。
 危険の中をジョーと共に歩いた面々は、最後まで全員の先頭を歩いたジョーの身を案じていた。それだけの信頼と恩を皆、感じていたからだ。
 しかしジョーの口からゾンビ感染の可能性とそれによる危険を説かれ、その上での残留の意思を受けて、安易にそれを引き止める事も出来なかった。
 ――――だからこそ皆、言葉少なく端的に言ったのだろう。

 『待つ』と告げられたジョーは思わず、「待たずに早く逃げろよ」と、苦笑を込めて返した。
 しかしテリは、「いよいよとなったら嫌でもそうするわよ」とふてぶてしく言い、マックスもこれ見よがしに使い方を覚えたショットガンを持ち上げて見せた。
 移動用のトラックにテリと一緒に乗り込む際に、マックスは真剣な眼で「信じてるぞ」とジョーの肩を叩いた。
 そして、

「――ジョー、コレ持って行って」

 シェリーは出発の間際に教会で調合したハーブペーストの小瓶をジョーに渡した。
 その際の伏せた顔が強く印象に焼きついた。
 またシェリーと同じトラックに乗ったオルガも去り際に一言「ありがとう」と告げ、そしてシェリーと同じく、ジョーの手を取り「待ってるから――」と教会で作ったハーブペーストの小瓶を渡した。

「オルガ」

 ジョーはふとこの後、オルガが本性を顕にした警察署長に狙われる事を思い出した。脳裏に蘇った磨耗しきったバイオ記憶という根も葉もない情報だが、それを知りつつ何もせずにいるというのは後味が悪いと思った。
 故にジョーは最後のマガジンを装填した愛用のベレッタを、去り行くオルガに手渡した。

「持ってけ、護身用だ」
「え?」
「ハーブペーストの礼だ。丸腰でいるには、ずっとマシだろ?」


 周囲に多数の警察官と生存者が居る中では、流石に直接の手出しはできない筈。そうは思いつつも万が一に備えて、ジョーはオルガが死なぬようにとその生存率を上げる為の布石を打った。
 困惑するオルガの手を取りジョーは簡単にベレッタの使い方を説明した。

「これがハンマー。で、こっちの横の摘みが安全装置だ。撃つ時は安全装置の摘みをはずしてから、音がするまで目一杯スライドを引く。そしてハンマーが倒れたら、狙いをつけて引き金を引く。簡単だろう? オートマチックだから一発撃ったらそのまま連射できるが、残り7発しかないからな。本当にピンチの時にだけ使ってくれ」
「――――あ、ありがとう」
「まぁ、警察署に行けばベレッタのマガジンの予備くらい探せばあるだろう。もしも警察署でマービンって言う黒人の制服警官に出会ったら、迷わず頼れ。きっと力になってくれるだろうよ。じゃ、元気で。――生きろよ」
「ジョー!」

 トラックの荷台の扉を閉め、ジョーは軽く手を上げた。

 



「――――どうした? お前は警察署には行かないのか?」 
「あぁ」
「なんでまた?」

 去っていくトラックから、オルガの「――待ってるから!」という慟哭が聞こえた様な気がした。
 それから程なく、撤収作業が終わり未だに現場に残っているジョーに気づいたロバートが尋ねた。
 ジョーは無言で手当てした左腕の傷をロバートに見せて言った。
 
「――バリーの言った事、覚えてるだろ? 話が本当なら、俺も――まぁ、そう言うことさ」
「っ!?」

 ジョーの言わんとする事を察し、ロバートは悔しそうに顔をしかめた。

「本当にどうしようもないのか?」
「さぁ、こればっかりは――ー―」
「バカヤロウ! もっと真剣に考えろ! 何か手があるはずだ!」

 ロバートは思わずジョーの胸倉を掴んで叫んだ。
 普段声を荒げるのも珍しい男がだ。そんなロバートにジョーはされるままに葎を掴まれたが、その際に逆に何とか出来るなら教えて欲しいと無性に腹が立ち、遂に舌打ち交じりで逆に問うた。

「じゃあ、俺にどうしろって言うんだよ? 大体、店長はなんで残ってるんだ? 早く逃げないとやばいのは一緒だろうが!」
「――っ 俺は良いんだよ……」
「――――はぁ?」

 ふいにロバートは腕に篭る力が緩んだ。
 その様子に思わずジョーも困惑した。
 ロバートはその場に残る同じ民間の生存者達の姿をチラリと一瞥し、

「――持病があるんだよ。脱出した所でその先があるとは思えない。此処に残ってる連中の大半がそうさ。俺達は脱出よりも救援を待つ事にしてる」
「おい、聞いてないぞ。そんな話――」
「まぁ、秘密にしてたからさ。おい、とりあえず場所を移すぞ」

 ロバートは言い難そうに肩を落とすと、カラリと糖分補給用の飴を口に含んで言った。

 ラクーンシティーの中心にある警察署。その南側は通称ダウンタウンと呼ばれている。その区画に位置するフラワー通りの少し先に、ケンドの銃砲店は存在した。
 ゾンビパニックの発生によって街のあちこちで人々がゾンビに食われ、同時に多くがゾンビと化した。だがフラワー通り近辺は警察署の防衛能力とロバート・ケンドを初めとする多くの市民の抵抗によって、街の中でも随一の安全が確保されていた。ケンドの銃砲店の近辺にある商業設備には、少なくない明かりが灯っており、この地獄の中でもまだ営みがある。
 しかしその明かりの下にいる者達の精神は殺伐としており、皆、銃を手に、息を潜め、祈りながら救済される日を待っていた。

「――少し見ない間に随分とこざっぱりしたな?」

 ケンドの銃砲店のすっかり変わり果てた様を見て、ジョーは思わず吐息を漏らした。
 普段は所狭しと銃が飾られている店内には現在、殆ど武器と呼べる代物が無く、もはや何を売りにしていた店なのか皆目見当もつかないくらいだ。

「必要としてる連中に配ってたら、あっという間にこうなったんだよ」

 と、ロバートは溜息混じりに言った。

「稼げただろ?」
「まさか。この状況で金に意味があると思うか?」
「違いない――」

 ゾンビパニックが発生して直ぐにロバートは無償で市民に武器を配っていた。もとよりそうした要所要所での心根が好かれて、ロバートは多くの信頼できる友人を持つ男である。
 ジョーとロバートはゾンビ対策にと店のシャッターを閉め、窓や出入り口の全てに厳重に鍵を掛けて篭城すると、生活空間として使っている二階リビングの椅子に腰を下して同時に盛大な安堵の吐息を吐いた。

「――腹減ったな。何か食うか?」
「あぁ」
 
 一服の後、二人は簡易キッチンで買い置きのパスタを大量に茹でた。そして缶詰の豆とミートソースで味をつけて、大皿に盛って二人で均等にそれを分けて食べた。
 外はすっかりと地獄に変わり果てたが、この瞬間の営みはジョーにとって当たり前の日常を想起させた。
 その久しぶりに感じた安堵に、ジョーはふと泣きたい気持ちが抑えられなくなった。
 しかし気丈にも涙は堪えた。
 
 その様子を見ないようにと気を利かせてか、ロバートは天井を見上げながら唐突に尋ねた。

「――なぁ、ジョー。お前、本当にバリーの言ってやがったゾンビ菌に感染したのか?」
「さぁ、わからねぇ。俺もまだ半信半疑なんだ。だけど噛まれたり、引っかかれたりした奴がそうなるんだろ? 舌に抉られて負った傷でそうじゃないって言えるか?」
「舌に抉られた? おいおいそんなゾンビもいるのかよ……」
「ゾンビじゃねぇよ。やたらと舌の長い気持ち悪いバケモノさ」
「そんな奴が――?」
「――あぁ」

 食事の後、ジョーは自宅を出てから遭遇した苦難を吐露するように、事の顛末をロバートに説明した。
 生存者に会い、教会に逃げ、リッカーと戦い、ゾンビと戦い、生存者を見つけ、そして一人の人間の自決を見た。
 
「――よく頑張ったな!」

 顔を伏せて話すジョーの説明を聞くと、ロバートは身を乗り出してジョーの肩を叩いた。
 その言葉に堪えていた涙が溢れそうになったが、ジョーは腕で強引に拭い、「慰めはいらねぇ。失敗してるから残ってるんだぜ、俺は?」と、皮肉った。
 だがロバートは「それとコレとは別だ。お前は良くやったんだ! それは俺が認めてやる!」と、強引に今度は背中を叩いた。

「よしてくれ――」

 ジョーは照れくささと不意にこぼれそうになった涙を見せまいと顔を背けた。

「――ところで、店長はどうなんだ? さっき持病がどうだとか言っていたけど、脱出が出来ないって程じゃあないんだろう?」

 ジョーは無理やり話題を変え、同時にオルガの作ったハーブペーストを瓶から爪の先程取り出しペロリとそれを舐めた。
 強烈な苦味と辛味が舌の上で爆発し、そして強い風味が鼻を貫いた。ウィルス感染に少しでも対抗したいと思っての行動だったが、やった後に少し後悔した。
 想像以上のハーブの不味さにジョーの表情は思わす苦悶に歪んだ。

「実は――」

 ロバートは腰に巻いたポーチからペンの様な針のついた器具と薬を取りだした。ジョーがそれをインスリンの注射器であると気づくまでに、それ程多くの時間は必要としなかった。

「インスリンって事は――」
「まぁ、な。新しいの取りに行こうにもこの騒ぎだ。主治医もどこかに逃げてるはずさ。それに何処の病院も飽和状態で機能を停止してるらしい。――仮に俺が上手く脱出をしても、この先インスリンが尽きれば死ぬだろうな」
「そんな――」

 ロバートの諦観の混じった言葉にジョーは絶句した。
 しかしそれを尻目にロバートは飄々と「ハリケーンの被災地に水を送るのだって容易な事じゃない。ましてや薬だぜ? 脱出してからその先も上手くいくとは思えねェ。だったら此処で一人でも多くを逃がしてやろうと思ってな。だから、そういう意味でも俺は武器を配ったんだよ」と、言った。

「――死ぬ気なのか? 此処で?」 
「まさか。でもまぁ、俺よりも若くて生き残る可能性が在りそうな奴に優先権を譲ってやりたいと思ったのは本当さ」
「店長――」
 
 ロバートの言葉が、ジョーにはとてつもない強がりのように聞えた。

「まぁ、とりあえず、お前も疲れているだろう? この部屋は貸してやるから今日はゆっくり休め」

 その後、どちらとも無く会話が途絶え、ロバートは食器を片付けてから店舗のある一階へと降りて行った。
 部屋に一人残されたジョーの耳に、彼方から聞える犬の遠吠えと、無数の亡者の呻き声が聞えた。





 息を押し殺して夜を過ごす多くの生存者と同じように、その日、ジョーも膝を抱えて壁を背に身体を休めた。
 しかし心には筆舌にし難いもどかしさと、強い無力感、そして憤りにも似た感情が芽生えて、中々寝付けなかった。

「――――本当にどうしようもねェのかな」

 薄明かりの中でジョーは自問した。死を覚悟して受け入れると言えば聞こえが良いが、自決したボブや持病のあるロバートとは違い、ジョーには避けられない死が目の前にあるとは言い難い。まだ“可能性”の段階なのだ。

(意識はハッキリしている。飯を食ってを空腹は満たされた。“かゆうま”にはまだ程遠い、俺はまだゾンビじゃない。まだゾンビじゃないだろうが!)
 
 本当に感染を治す方法が無いのかと、ロバートを初めオルガ達にも幾度と無く質問をされた。それと同じ問いを再びジョーは己に問うた。
 そしてウィルス感染を治す方法について考えた時、やはり唯一可能性がありそうなモノに、己の中に蘇った“バイオ”の記憶であると気づいた。
 記憶の中でかのビデオゲームを遊んだのはもう数十年前になる。加えてそんな遠く彼方にある磨耗しきった記憶には多数の虫食いがあった。その上で適切な記憶を搾り出すのは容易でなく、しかしそれ以外に希望は無く――。
 ジョーはふと身を起し、学校で習ったブレインストーミングの要領で、持っていた手記に関連しそうなワードを乱雑に羅列し始めた。

「――バイオ1で登場した“かゆうま日記”。その著者は、数日掛けて狂っていった。正式には“かゆい、うま”。それ程に意識が混濁したのなら、もう諦めるさ。だが、俺はまだ正気だ。何かあるはずだ、何か――――」

 現在の状況は時系列的にバイオ2だと推測できる。しかし舞台となる正式な日時は判らない。だが恐らくケンドの銃砲店にレオンとクレアの主人公達は訪れる。その事は覚えていたが、問題はそこではない――と、様々な方向に思考が飛び跳ねる中、ジョーは懸命に記憶を手繰った。
 そしてふと、シリーズ上の次作『バイオハザード3』も現在と同じ時間軸を描いていると思い出した。
 バイオ2が警察署内部の出来事ならば、バイオ3はラクーンシティーそのものが舞台。そして同時に、バイオ3のシナリオの中で、主人公のジル・バレンタインが、追跡者ネメシスとの戦闘で傷を負い昏睡した描写を思い出した。

「っ!? そうか――。で、その後に病院に行ったのか。それでワクチンを作って治療したんだとしたら、その後は――――」

 治療薬が病院にあるかもしれない。しかしこのバイオと似た世界にも、ゲームと同じく治療薬が存在しているかは不明である。
 ――――が、それでもジョーは一つの希望を見出す事が出来た。

「――問題は何処の病院にあるか、だな」

 バイオ3のジルの足跡を辿るように、ジョーは記憶にあるバイオ3のシナリオをOPから順に覚えている範囲で脳裏に描いた。
 まずジルはアパートから脱出した。次にジルはゾンビを太ももで挟んで撃退した。その後警察署でブラッドが死ぬと同時にネメシスと戦闘になった。警察署の中で――その後、銅像の裏でなぜかバッテリーが見つかる記憶が、ジョーの脳裏を過ぎった。

「――っ!」

 やはり記憶には大きく虫食いがあり、途切れ途切れでしか覚えていない事柄が余りにも多かった。
 バイオ3のギミックで特に特徴的な銅像の裏にあったバッテリーの存在に、ジョーはほか多くの記憶が塗りつぶされていくのを感じた。

「――あれはどこだ。どの銅像だ?」

 銅像。そのワードから、不意に“市庁舎”とその扉に付いた菱形のカラフルな石の存在を思い出した。
 カラフルな石のついた扉ついては、この世界のラクーンシティで生きるジョーにも見覚えがあった。
 それは間違いなく市庁舎の扉であった。
 そして同時に、ジョーは銅像も市庁舎に飾られたモノだと確信した上で、その近辺にあるモノでと枝葉を広げていくと、

「その後で路面電車か!」

 と、バイオ3の劇中でジルが路面電車を動かした事を思い出した。
 路面電車に乗ってジルは何処かへと向かった。しかしジョーに把握できたのはそこまでだった。ラクーンシティーには市民の足として地下鉄と路線バスの他、街の東西南北を路面電車が走っており、その所為もあってバイオ3の劇中でジルが動かした路面電車が、どの路線を走っていた車両かまでは流石に把握できなかったからだ。

「――――クソッ!」
 
 バイオ3のジルが何処でネメシスと戦闘したのか――
 そして何処の病院の設備からワクチンを手に入れたのか――
 一番重要な部分が如何しても思い出せない事に苛立ちを覚えてジョーは思わず拳を握りテーブルを叩いた。

「――――分からないなら、探すしかない、か」

 幾ばくかの沈黙の末、ジョーはふとそう吐露した。
 ボブは最期まで人であろうとした。ロバートは死を悟りながら救いに奔走した。道中を駆けた多くの仲間がジョーの無事を祈った。
 ならば己も、最期まで抵抗してやろうと腹を決めるしかない。
 ――――死にたくないと願うならば尚更だ。

 手がかりは市庁舎の扉。まずはそこへ行き、そして最寄の路面電車の線路を探す。その周辺でバイオ3のジルの足跡を追う事が現時点で可能な最善の抵抗だと思ったジョーは遂に立ち上がった。

「――――ん? どうした。寝ないのか?」
「あぁ」

 店の地下には武器保管庫の小さな作業場がある。その部屋の明かりはまだ点いており、ロバートが作業場で犠牲者から拾い集めた様々な規格の銃弾を分解し、残った武器の口径に合うように銃弾を作り変えていた。
 そこへ現れたジョーは、意を決した様子で端的に言った。

「悪い、ちょっと出かけてくる」
「――なに?」

 ジョーは地下保管庫に残った数少ない武器に眼をやり早速使えそうな火器の選定を始めた。
 しかしそんなジョーの様子と唐突な提案を見て、当然ロバートも真剣な形相で睨み事情を尋ねた。

「おい、何をする気だ?」
「時間が足りない。いくつか武器を持ち出したいんだが、いいか?」
「――おい、答えろ! 何を、する気だ!?」
「………………」

 ロバートの真剣な形相を受け、ジョーは幾ばくかの沈黙を置いてから再び端的に言った。

「治療の当てを思いついた。もしかすれば、これで上手く行くかもしれない」
「なに?」

 ロバートは怪訝な表情で首をかしげた。

「治療の当てって、そんなモノが――――」
「もしかしたら、さ。悪いが本当に時間が無い。すまん! 生きる為に必要だと思ってやる事なんだ! 何も言わずに力を貸してくれ!」
「………………」

 伊達や酔狂とは違うジョーの真剣な世数に、ロバートは思わず苦悩するように眉間を押さえた。





 報告書 9月26日
 
 本日午前10時頃、署内に逃げ込んだ42歳男性(飲食店経営)が、同月24日盗難にあった市庁舎の宝石のひとつを所持しているのが死体検査で判明した。
 尚、男性は逃げ込んできた数十分後にゾンビ化した為、射殺。
 本件は箝口令が敷かれている為調査を保留とするが、証拠品である宝石はしばらく署内で保管する事とした。

 報告者 マービン・ブラナー