絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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 絢辻は、さも具合が悪いふりをして教室に戻った。高橋教諭が遅れた理由を聞くが、保健室にいましたとウソをつくと、すぐに納得した。優等生の絢辻にかぎって仮病は考えられないのだ。

 十文字が見当たらないので知らないかと聞くが、絢辻はわかりませんとウソを言った。誰かが裏の小川で魚を焼いているというと、クラス中がゲラゲラ笑った。

「そんなことはありませんっ」

 突然、激高したように絢辻が叫んだ。クラスの中がシーンと静まった。

「あ、そのう、すみません。大きな声を出しちゃって」

 絢辻はすぐに我にかえった。そして申し訳なさそうに自分の席に座った。

「ははは、学級委員の絢辻さんとしては見過ごせない発言だよね。こらあ、誰だ、ひどいこといった奴は」担任が皆をたしなめた。

 クラスメートを嘲笑する行為に、正義感の強い学級委員がキレたのだと皆が思った。そのじつは、大事に想い始めている人が侮辱されたので思わず口に出てしまったのだが、そんな女心を理解している者は、本人を含めて誰もいなかった。

 結局、十文字は五時間目が始まる直前に戻ってきた。薫がどこで狩りをしていたんだと絢辻に聞こえないように軽くなじったが、彼は笑って誤魔化すだけだった。

 

 放課後、絢辻は十文字を探していた。なんとなく話したい気分だったのだが、彼の姿が見当たらないのだ。ひょとしてと考えて、化学準備室へと行ってみた。案の定、彼は椅子に座って壁に背をもたれかけたままの姿勢だ。寝ているように見えた。  

「ここのカギ、最近開いていることが多いね」

 絢辻が話しかけると、十文字は軽く頷いた。

「化学室の黒板の裏に合鍵があるんだ。この前偶然見つけてさ」

「それはラッキーね」

「ああ」

 十文字の声は重く、ドロリと垂れていた。

「十文字君、どうしたの。なんだか調子悪そうだけど」

 彼は大きく息を吸い、熱く吐きだしている。巨大色メガネとボサボサの鳥頭で顔色が見えないが、体調は良くない様子だった。

「さっき床で寝ていた時に冷えちゃったみたいでさあ。少し熱っぽいんだよ」

「だからいったでしょう。風邪をひくって」

 絢辻はわが子を叱る母親みたいな語気だったが、相手が反応を返さないので少しばかり心配になった。

「保健室に行こうよ。私がついて行ってあげるから」

 十文字は動こうとはしなかった。相変わらず熱気を帯びた息を吐き出している。絢辻が保健室へ行こうと、もう一度言おうとした時だった。

「絢辻さん、悪いんだけど、ちょっと俺の目を見てくれないか」

「目を?」

「うん、目玉をね。風邪をひくと炎症起こしちゃんだよ。たぶん真っ赤に充血していると思うんだ」 

 十文字は、彼のトレードマークとなっている巨大色メガネを外した。それでもボサボサの前髪が瞳をすっぽりと隠している。

 絢辻は立ったまま、彼のすぐ前に立った。十文字は座っているので、彼女を見上げるように上を向いた。

「髪の毛が邪魔だから、ちょっと上げるね」

「うん、悪いな」

 白くてか細い手が、男のくせ毛をそっとたくし上げた。

「・・・」

 絢辻は言葉を出せなかった。息がかかるほどの至近距離で、自分と向き合っている男の顔を、ただじっと見つめていた。

「やっぱり赤いだろう」

「・・・」

 見つめているという表現は適切ではない。見入っている、あるいはもっとファナティックにいうなら、虜になっていたのだ。

 絢辻の瞳に映っている男は、彼女が今まで見たことのない美男子だった。いわゆる彫が深くて男を主張する顔ではない。逆に少し女性らしさが混じった中性的な端麗さだ。絢辻は、生まれて初めて男性を見て美しいと感じた。

 彼女の中の不可侵な部分に何かが侵入してきた。それは高校二年生の女子の柔らかなヒダを、無遠慮にまさぐるのだった。

「そんなに充血しているか」

 十文字の問いかけで、絢辻は、はっと我にかえった。あわてて視線を逸らして、髪を元の位置に戻した。

「ひどくはないけど、ちょっと赤くなってるよ。たぶん」

 胸の鼓動が止まらない。十文字のほうをまともに見ることができない。その場にいることが耐えられなくなっていた。

「高橋先生を呼んでくるから」

「いいよ、そこまでしなくても。ちょっと休んで帰るから」

「私、呼んでくるから」

 絢辻は逃げるように準備室を出た。おさまらない鼓動を押さえつけるように、強く握った右手を胸に当てながら走った。ほどなくして高橋担任がやってきた。大丈夫と強がる生徒を少々叱りつけて、彼女の車で病院まで送ることになった。十文字の難病については、担任はよく承知している。以前、体調が悪いといった時に比べて、あきらかに切迫していると判断したのだ。

 絢辻は高橋教諭の後ろで、チラチラと見ていた。十文字の容態が心配であったが、その態度を示すことはためらわれた。担任がいるというのが主要な理由ではない。彼女の胸の内にわき起こった感情を、どうにも処理できないでいたからだ。  

 十文字は担任の軽自動車にのせられて病院へと向かった。絢辻は付き添わなかった。駐車場が見える教室から、ガラス窓に手をあてながら見つめるのだった。

 



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