絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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 次の日の朝、絢辻は体調がよくなさそうだった。いつもは背筋を伸ばしての着席なのだが、今日は背中を丸め、ときおり肘をついて額を押さえ、大きなため息をついている。隣の女子が心配していた。高橋担任も気にしていて、声をかけずにはいられなかった。

「絢辻さん、風邪でも引いたのか。とりあえず保健室だな。おい誰か連れて行ってやれよ」

 大丈夫です、一人で行けますと言った。原因は風邪ではないことを本人は承知していたし、だからこそ付添人には来てほしくなかったのだ。

 絢辻は教室を出ていった。朝のホームルームを終えたA組は、一時間目の授業を待っている。教科担任がやってくる隙をついて、教室を出ていく者がいた。

「おい十文字、どこ行くんだよ。授業が始まっちゃうじゃないか」

 こっそりと出ていこうとする十文字を純一が呼び止めた。

「俺、朝から下痢してんだよ。便所に行ってくるよ」下腹を手で押さえて、いかにも腹を下している様子を演出していた。

「もう、早く行けよ」

 薫が、シッシと手を振った。ほかの生徒に気づかれぬように、十文字は忍び足で教室を出ていった。

 絢辻が保健室に行くと保健の先生はいなかったので、窓側のベッドに服を着たまま横になった。ほかに人の気配はなかった。頭痛がしていたのだが、枕に頭を沈めると多少やわらいできた。絢辻はそのまま安静にしていた。

 誰かが入ってきた。その訪問者は室内を探るように見回した後、窓とベッドの間に立った。

「絢辻さん、具合はどうだい」

 十文字だった。トイレに行くためというのは嘘で、じつは彼女の容態が気になっていたのだ。

「そんなに悪くない・・・、かな。ちょっと頭痛が痛いだけよ」

 そばにきたのが十文字であると、声を聞く前から絢辻にはわかっていた。ちなみに逆をむいて寝ているので、彼からは表情を見ることができない。

「薬は飲んだかい」

「ううん、そこまでひどくないから」

 会話はそこで止まった。なんとなく気まずい雰囲気と時が流れていた。

 二人が無言のままウダウダしていると、保健室に他の生徒が入ってきた。数名の女子生徒が、絆創膏はどこだとワイワイガヤガヤと騒がしかった。十文字はとっさに絢辻が寝ているベッドのすぐ傍に立ち、カーテンを引いた。彼女らはベッドのほうを、とくに気にしていなかった。目的の物を見つけたのか、ものの一分ほどで出ていった。保健室は再び静かになった。くっ付くくらいに接近した十文字が、ためらいながら口をひらいた。

「そ、そういえば昨日さ、あの駄菓子屋に絢辻さん来ただろう。そのう、なんでかなって考えちゃってさあ」

「べつに」

 返答は素っ気なかった。絢辻は相変わらずあっちの方を向いている。十文字は辛抱強く待った。

「私、教室でちょっと大げさだったでしょう。クラスの皆も驚いていたし。だから、十文字君に悪いことしたかなと思って、それで放課後に探したけどいなかったから、たぶんあの店にいるんじゃないかと思っただけよ」

 十文字にとっては、充分満足のいく回答だった。絢辻が自分を気にかけていたという事実が重要だったのだ。

 十文字の中には、生まれてからまだ一度も押されたことのないスイッチがあった。本人も意識したことはないが、なんとなく存在を感じていたスイッチが、今この瞬間に押されてしまった。ある種の感情が抑えきれずに、ほとんど衝動的な行動だった。

「俺、絢辻さんが好きなんだ、好きすぎて毎日なんだ。ああ、なに言ってんだ俺、ちくしょう。だから好きで、だから絢辻さんが、だからだから」

 ベッドであっちを向いている女子生徒は沈黙していた。呼吸すらやめたのではないかと思えるほど、微動たりしなかった。

「俺、絢辻さんが好きで」

「もういいっ」

 突然だった。絢辻がガバッと跳ね起きて、十文字を睨みつけた。

「そ、そういうことは、私の目を見て言うことじゃないの。どうして、あっち向いている時にいうのよ。卑怯よ、卑怯」

 告白した十文字は当然のように動揺しているのだが、じつは彼女の方が彼以上に心をかき乱されていた。十文字自身にはなんとなく告白する予感があったが、絢辻にはまったくの根耳に水だ。しかも体調も良くなく、頭の中もどんよりと曇っている。 

「だいたい、具合が悪くて寝ている女子にそんなことを言うって非常識じゃないの。どうせ本気じゃないんでしょう。なにかの冗談、それともドッキリ。そんなことして楽しいの。サイテイ」

 それほど不機嫌ではなかったのだが、自分が吐きだした言葉に準じるように、徐々に怒りが大きくなっていた。

「俺は本気だよ」

 突然の告白は衝動的な行動だったが、十文字の絢辻に対する気持ちには嘘や偽りはなかった。すでに前から、相当な覚悟を持っていたのだ。

「ウソよ」

「ウソじゃない」

 二人はお互いの目を見つめ合っていた。恋人同士の甘いアイコンタクトではない。それよりは、ライバル同士の火花散る対決といった様子だ。

「私を好きになる覚悟もないくせに、テキトーなこというな」

「テキトーなんかじゃない。絢辻さんがその窓から飛び降りろと言うのなら、俺は喜んで飛び降りるよ」

 保健室は二階にあった。下は駐車場のアスファルト地面である。飛び降りれば死にはしないまでも、大きな怪我が予想される。

「じゃあ飛び降りて」売り言葉に買い言葉の感覚で、彼女も衝動的に言ってしまった。

 十文字はさっそく窓を開けた。冷えた外気が入ってくると同時に身をのり出して、飛び降りようとした。

「あ、バカッ」

 絢辻は、彼の腰のあたりにしがみ付いた。飛び降りようと多少の勢いをつけていたために、十文字の上半身はすでに保健室の範囲を超えていた。窓からだらりと垂れさがっている。下半身を抱きかかえるように押さえている彼女が手を離せば、そこはもう硬質でひどく物理的な衝撃となるだろう。

「わたったわよ、わかったから戻ってきなさいって」

「い、いや、この体勢じゃ無理。絢辻さん、引っぱってくれよ」自力では戻れない状態になってしまったのだ。

 言われなくても絢辻は引っぱりあげようとした。しかし、非力な女子ではなかなか持ち上がらない。それどころかズボンが脱げてきた。しかもパンツまで一緒にずり下がってきたのだ。

「あわわわ、落ちる落ちる」

 またもや衝動のみで行動してしまったために、後先のことを考えていなかったのだ。恋は十文字を盲目にしていた。

 ズボンとパンツはすでに足首までずり下がっていた。高校二年生男子の若々しい臀部が露わになるが、絢辻にそれを楽しむ余裕はなかった。

「もうだめ、これ以上押さえられない」

 絢辻はキャッと短い悲鳴をあげた。スポッと抜けてしまい、絢辻は反作用で後ろへとばされた。ベッドの上の彼女の手にはヨレヨレのズボンとパンツが残った。哀れな十文字は、下半身を晒したまま二階から落ちてしまった。

「きゃわいいお尻い、げえっーと」

 とはならなかった。

「危機一髪だったね」

 なんと、二人の女子生徒が下半身すっ裸になった十文字の両足を、左右それぞれからがっちりと掴んでいるのだ。

「あはは、男の子のなんか見えてるね」

「はるか、見るんじゃないの」

「ひびきだって見てるじゃないの」

「見えちゃうのよ」

 森島はるかと塚原響だった。

「そろそろ引き上げてあげないと、落ちちゃうって」

「せーのーでいくよ、ひびき」

 響はうなずいた。

「せーのー、それっ」

 はるかの掛け声で二人は全体重を後ろに掛けた。もう頭に血が溜まり過ぎた十文字は、ちょうど手助けしようとした絢辻に圧し掛かるように衝突した。はるかと響きはそれぞれ両脇に、ベッドの上には絢辻を押し倒すような姿勢の十文字がいた。

「あらら、これは輝日東高校始まって以来の、おハレンチ事件ね」

「先生に見つかったら、大ごとだわ」

 二人の三年生が見ているのは、ベッドの上で抱き合っている二人の男女だ。しかもあろうことか男子のほうは下半身裸である。誰がどう見ても、破廉恥な行為に及ぼうとしている決定的な場面だ。

「ちょっと、十文字君、なにしてるの。離れなさいよ、いや、イヤー」

 十文字はとくに具体的なことをしてないのだが、下半身を丸出しにした男子に覆い被されている絢辻は、本能的に拒絶した。

「うわあ、ご、ごめん」

 爆竹が爆ぜるように、十文字は跳び起きた。どうしたらいいのかわからず、ベッドわきにつっ立ったまま呆然としている。響が彼のズボンを持って手渡した。

「とりあえず、ズボンを履こうね」

 はっと我にかえった十文字はそれをひったくるようして奪い取ると、急いで履いた。

「あーあ、ざんね~ん。もうちょっと観察したかったのにな」はるかは、悔しそうだった。

 絢辻と十文字は、一度お互いの目を見たがすぐに視線を逸らした。  

「さあ、落ち着いたところで愛の告白、続けましょうか。さっきは隼人が一方的に言ったから、こんどはあなたの番よ。さあどうするどうする」と、はるかはさも楽しそうにはしゃいでいる。

 そんな先輩を見上げて、絢辻は目が点になっていた。頭が痛いことも忘れて、自分が陥っている状況を整理しようとした。

 生まれて初めて男の子に告白されて、しかもその彼が窓から飛び降りようとし、計らずしもその彼のズボンとパンツをはぎ取ってしまい、さらには下半身が裸状態なその彼にベッドへと押し倒されて、その一部始終を二人の先輩に見られてしまった。もう、なにがなんだかわからない状態だった。

「あ、あのう、どうして森島さんと塚原さんがいるんですか」

 十文字の疑問は当然だった。二人っきりになったからこそ衝動的に絢辻に告白したのである。ギャラリーがいるとは、しかもそれらがよりによって、はるかと響だとは予想外過ぎるのだ。

「わたしたちはさっききたところ。はるかが眠くてしょうがないっていうから、隣のベッドでちょっと休んでいたんだよ」

「そうしたら、いきなり好き好きが始まっちゃうんだもん。もう、寝ていられないじゃないの」

 さっき保健室へと来た集団の中に、この二人もいたのだ。ほかの女子は帰ってしまったが、はるかは隣のベッドで昼寝をキメこみ、響が付き合っていたのだ。

 絢辻と十文字はバツが悪そうにうつむいたり、あっちを向いたりしていた。

「わたしたちがいたら邪魔ね。はるか、行くわよ」

 響が親友の腕を掴んで引っぱった。そうしないと、はるかは動かないだろうと判断したのだ。

「ええ、どうしてよー。これから面白くなるのに。ひびき一人で帰ればいいのよ。わたしはね、ちゃんと見とどけるから」

「いいから行くの」

 ぐずる犬を飼い主が叱咤しながら、強引に引きずっていった。はるかは、キャンキャン吠えながら退場した。

「森島さんは賑やかだね」

「そうね」

 素っ気なく返すが、絢辻にはなにかを待っているような雰囲気があった。うつむき加減な絢辻の表情がとても可愛らしく見えた。十文字の恋愛スイッチが再びオンになる。

「絢辻さん、俺と付き合ってくれ。そのう、そうしてほしいんだ」

 再度のアタックとなった。社長に前借する平社員のように、十文字は深々と頭をさげた。

「ダメ」

「え」

「ダメよ」

 絢辻の返答を聞いて、十文字はゆっくりと頭をあげた。その顔からは血の気が引いている。彼の心の中のガラスの塔が、ガシャガシャと派手な音をたてながら無残に砕け落ちていた。

「いきなり付き合うのはダメ。だって、十文字君はヘンタイさんだから。少しずつなら、考えてもいいかなって」

 彼の心の中では、砕け散ったガラスを管理人の爺さんが掃き集めている最中だった。絢辻が意図していることが分からず、恥じらうようにうつむく彼女を、十文字はただ呆然と見ていた。

「パンパカパ~ン」

 昭和時代のファンファーレを叫びながら乱入してくる者がいた。

「ちょっと、はるか。いまは入っちゃダメだって」

 はるかと響きだった。二人は教室に帰ると見せかけて、じつは保健室のドアの向こうで盗み聞きしていたのだ。首輪をつけたはずの響が、逆に引きずられている。はるかは満面の笑顔で二人のもとへ来た。

「いまの絢辻のセリフは、ちょっと物足りないけど、とりあえずは前進ね」

 絢辻は恥ずかしさで身がすくむおもいだった。

「やったね、隼人」

 ハイタッチしようと、はるかの手があげられたが、十文字は腐った魚の目をしていた。当然、手があげられることはなかった。

「え、だって俺はフラれたのに、森島さんの言っている意味がわからないよ」鈍感男の十文字は、絢辻に断られたと思っていたのだ。

 はははと、はるかは笑顔のままそのとぼけた顔を見ていたが、つぎの瞬間、クワッと新宿ヤクザな恐ろしい表情になって後輩男子の胸ぐらを掴んだ。

「なにとぼけたことぬかしてんだ、ワレー。おんどれの耳はロバの耳か、タコ耳かー。鈍感男の俺カワイイとか思ってんじゃねえぞ、ボケーっ。ケツの穴から手え突っこんで、内臓全部掻きだしたろうか」

 校内一の鉄壁アイドルから、極悪アウトローなセリフが吐き出された。十文字の目は、白や黒に激しく点滅していた。

「なーんてね。あんまし鈍感なのはダメだよ。女の子だって恥ずかしいんだから」

 はるかがウインクした。それがヴィクトリーのサインであると、十文字はようやく理解した。すなわち、告白成功ということだ。

「そ、そうなのか」

 十文字は信じられないといった顔をして絢辻を見た。一瞬目と目が合い、彼はニッコリと笑った。彼女はちょっと不機嫌そうにうつむくと、早口にしゃべりだした。

「だから、付き合うのはいいとしても少しずつだって。いきなりじゃないの。どうしてこんな騒ぎになるのよ、もう」私教室に帰ると言って、絢辻は保健室を出ていってしまった。

 はるかと響は後輩男子の健闘をたたえると、じゃあねと言いながら保健室を後にした。一人残された十文字は、絢辻と彼氏彼女になったことを素直に喜んだ。同時に、自分のような男が彼女とつり合うのかと不安になり、そのプレッシャーに押しつぶされないように何度も気合を入れていた。十文字にとっては絢辻詞が世界最高の女であり、ほかはまったく眼中になかった。

 








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