絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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 正式な初デートからしばしの時が流れた。隼人と詞は、順調に彼氏彼女を続けている。ただし、熱いキスはスタジオでした一回のみで、それ以降はなかった。親密になるのを、両方とも急がなかったからだ。むしろ、プラトニックな付き合いがどうしようもなく心地よくて、淡い時を楽しんでいたのだ。

「そうだ、隼人。十四日はあいてるでしょう」

 モップをさも忙しそうに動かしながら詞が言った。

「その日はダメだよ。休みだから朝からドラムの練習なんだ」

「え」

 否定的な答えが返ってくるとは予想していなかった。詞はモップの手を止めて彼を見つめた。

「なあんてね。そんなわけないじゃん。しっかりヒマだよ」

「っもう」

 モップの柄で、彼の頭をコツンと叩いた。その力が少しばかり強くて、隼人は痛そうによろめいた。

「ごめんなさい。ちょっと強すぎた」

 二人は、放課後の化学室を掃除している。ここ最近は、隼人が高橋担任に掃除をさせてくださいと直訴していたからだ。優等生でもない隼人がなぜ掃除などやりたがるのか。もちろん、化学室に利用価値があるからだ。そこで掃除をしているフリをして、彼女と密会しているのだ。

 詞は、学級委員として仕方なく手伝っているというサル芝居をしていた。クラスメートの女子は、絢辻が可哀そうであると十文字の陰口をたたく者もいた。真相を知ったら、女子の中で詞の立場は危うくなるだろう。

「おう、やってるかー」

 詞が彼の頭をさすっていると、麻耶教諭が唐突に入ってきた。二人は、弾かれたように離れた。

「なんだ、十文字。また絢辻さんに迷惑かけてるのか」

 担任は隼人と詞の仲に気づいていない。男欠乏症なうえに日々の酒量増加のため、恋愛脳がすっかり錆びついていたのだ。

「そうなんです。十文字君がサボるんですよ、先生」

「こらあ、十文字。ここの掃除はおまえが志願したんだぞ。女の子に押しつけるのは、男として卑怯だな」

 担任の後ろで、詞は舌を出していた。隼人は、後で無理矢理キスをしてやろうかと考えていた。

「そういうことならキツい説教をしてやらないとならないが、まあ、今日のところは勘弁してやろう。というのもな、ちょっと十文字に頼みたいことがあるんだよ」

 担任がすり寄ってきた。物理的な何かをされるのではないかと、隼人は緊張した。

「そう身構えるなよ。そんなに悪い話じゃないぞ」

 麻耶担任からは、隼人を逃がさないように束縛のオーラがあふれ出ていた。

「じつはね、わたしの甥っ子が、ていうかまだ小学生なんだけれども、どうやら音楽に目覚めたらしいんだ。しかも、太鼓だよ太鼓。英語でいうとドラムだね」

 なにか違うんじゃないかと思った詞だったが、あえて口は挟まなかった。

「高嶋先生にきいたんだけど、十文字、おまえはドラムをやるそうじゃないか」

 輝日東高校にいる者で、十文字がドラムをしていることを知っているのは高嶋教諭だけだ。高嶋は自身も中年バンドを組んでいるので、街の楽器店のスタジオを利用している。そこで、ドラムを叩いている十文字を見かけたのだった。

「ええっと、少しですけど」

 面倒なことを注文されそうなので、隼人は控えめに答えた。

「スタジオにドラムがあるって聞いたぞ」

「ほんの少しですけど」

 さらに面倒なことをさせられる予感がしたので、目を合わせないようにやや下を向いた。

「よし、わかった」

 何を了解したのか隼人にはわからなかったが、とりあえず要求がなかったのでホッとした。

「だからさあ、ちょとでいいから、甥っ子に叩かせてやってくれないか」

 しかし、時間差をおいてしっかりとやってきた。

「ええーっ」

「なあ、たのむよ。もう姉貴にOKしちまったんだよ。わたしのメンツがかかっているから、今さら断れないんだよ。甥っ子も喜んじゃってるし。一回だけでいいんだ。タダでとは言わないからさあ。お昼に駅前の回転すし屋で死ぬほど食わせてやるから」

 回転すし屋で食べ放題はとても魅力的だったが、せっかく買った新品ドラムを小学生なんぞに叩かされるのはイヤだと思った。傷をつけられたり、最悪壊されたりする可能性が高い。すぐに断ろうとした時だった

「この通りだ。たのむよ、十文字君」

 麻耶担任に初めて君づけされた隼人は、大人が両手を合わせて自分を拝んでいるので、イヤとは言い出せなかった。    

「それは、是非とも教えてあげるべきよ」

 詞が高橋担任の味方をする。顔はニヤニヤしていた。彼氏を困らせて、よろこんでいる小悪魔なのだ。

 隼人は、ふーとため息をついてから言った。

「はいはい、わかりました。でも、一回だけですよ」

「ありがとう。十文字君ならそう言ってくれると思ったよ」

 高橋担任は何かと面倒見がいいが、いっぽうで毒ヘビのような執念深さを持っていると、生徒たちの間では噂になっていた。無碍に断って恨みを買うのは得策ではないと、極めて妥当な判断をしたのだ。

「頑張ってね。十文字君。ふふふ」

 麻耶教諭の背後で、小悪魔がダメを押すように言った。慣れないウインクなどして、彼氏を挑発している。あとで、キスどころか抱きしめてやろうと隼人は考えていた。

「じゃあ十四日の日の十時に、楽器店に甥っ子を連れてい行くからな。朝飯は食ってくるなよ。寿詞を腹いっぱい食わせてやるから」

 高橋担任は、上機嫌で化学室を出ていった。

「ちょっとお、十四日の日はあけておいてって言ったじゃないの」

「え、あ、そうだ。うわあ、なんでよりによって十四日の日なんだよ」

 二月十四日はバレンタインデーである。詞は手作りチョコレートを作って、隼人の部屋へ押しかけようと計画していたのだ。

「どうするのよ」

「どうするって、詞があおるようなこと言うからじゃないか」

「だって、まさか十四日の日にするなんて思わないじゃないの」

 まさかその日にぶつけてくるとは、詞は考えもしなかった。

「バレンタインの日に、知らないガキんちょと一緒って、なんの罰ゲームだよ」

「私だって、いろいろ考えていたのに。隼人が安請け合いするからよ」

「そうしろって言ったのは、詞じゃないか」

「言ってない」

「言ったよ」

 化学室の真ん中で、十文字隼人と絢辻詞が言い合いをしていた。たまたま通りかかったA組の女子がその様子を見て、掃除をサボる男子を学級委員が叱りつけていると判断した。まさか痴話げんかしているとは思わなかった。

「まだ職員室にいるはずだから、断ってきなさいよ」

「いまさらそんなことできないよ。詞だって麻耶先生の執念深さを知っているだろう」

「ま、まあ、そうね。女子からもヘビ女っていわれてるから」

 困ったことになった。どうしたらよいのか、二人はしばし無言で考えていた。

「わかったよ。土下座してでも断ってくるから。職員室に行ってくるわ」

 隼人にとって、十四日の行事は何としても遂行しなければならないのだ。

「いや、ダメよ。そんなことしたら、あとで絶対なにかされる」

「ならどうするんだよ」

 詞はニヤリとした。何事かをひらめいたようだ。

「行くのよ。そしてちびっ子にドラムを教えるの」

「そんなことしたら、せっかくのバレンタインデーが台無しだよ。その日は詞と一緒にいたいんだよ」

「それは大丈夫。私もあの楽器店に行くから」

 詞は楽器店に行くつもりだった。正々堂々と、さらに真正面から行く旨を隼人に告げた。

「そんなことしたら、俺たちが付き合ってるってバレるじゃないか」

「それも大丈夫。この稀代の策士、絢辻詞にまかせなさいって」

 どんな作戦なのか訊ねても、彼女は言わなかった。ただ、ふふふと自信ありげに笑うだけだ。隼人は準備室のドアを開けて、中へと詞を誘った。先ほどの決意通り、彼女の身体にやさしく手を回して引き付けた。そして、二人は熱のこもったキスを交わすのだった。

 








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