絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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「もう、棚町さんたちなかなか帰らないんだもん。焦っちゃった」

 化学準備室に入ってくるなり、詞は開口一番そう言った。その際に、後ろ手でカギをかけることは忘れない。

「早く帰れともいえないし、俺も困ってたんだよ」

 隼人は紅茶のティーパックの入ったマグカップを詞に手渡した。

「ありがとう」

 詞はティーパックを何度か上下した後、それを取り出した。使用済みを隼人が受け取ってゴミ箱へ捨てた。

「ハチミツはどれくらい?」

「もう、たくさん」

 たっぷりの蜂蜜が、ゆっくりとマグカップの中へ落ちてゆく。その様子を、二人の男女がじっと見つめていた。 

 毎日のように化学室に入り浸っているうちに、そこが隼人の私室のようになっていた。化学室準備室には電気ポットとコーヒーや紅茶の類が常備された。詞との密会には欠かせないアイテムなのだ。それらは二人でお金を出しあったり、家にあるものを持ってきていた。ただし、他の生徒や教師にばれないように、しっかりと棚の奥の奥へ隠している。こうやって二人きりになると引っぱりだして、午後のティータイムを楽しむのだ。

「ところで詞、連休は空いてるの」

「うう~ん、とくに忙しくはないかな」

 もうすぐ大型連休が始まる。

「うちに来ないか。ほら、誰もいないし」

「そうね、久しぶりに隼人のドラムも聴きたいし。フルートを持っていく?」

「いや、それは遠慮しとくかな」

 ぷー、と詞のほっぺたが膨らむ。もちろん、本気で怒っているわけではない。隼人は、人差し指でその膨らみを柔らかく押した。ぶっ、とオナラのような音が出たところで二人は爆笑した。

「私のところも両親が親戚の家に泊まりに行くからいないの。まあ、おかしな人はいるけどね」

 天然ボケな姉の縁については、詞からよく話を聞いている。美人らしいので一度会ってみたいと思っているが、そんなことは詞の前では口が裂けても言えない。

「だったら泊まりに来ないか。俺の家に」

 控え気味な恋愛に徹していた隼人にしては、じつに大胆な申し出だった。

「な、なに言ってるのよ。どうして泊まるっていう発想になるの。だいいち、來未ちゃんがいるじゃないの」

 二人にとって、いまや來未は森島はるか以上の恋愛クラッシャーである。

「來未はいないよ。父さんたちの現場に手伝いに行くんだ。じっさいはおこずかいを死ぬほどねだるのだけども」

 養蜂業者である十文字の両親は、それほど遠くない所にいる。電車で数時間の距離だ。

「はいはい、そんな話はダメなの」

「ええー、なんでだよ。俺たち付き合ってるじゃないかよ」

「まだ高校生だから、そういうことをするのは早いの」

 詞が示唆する行為は、今どきの高校生なら経験済みもそれほど少なくはない。だが保守的な考えの彼女にしてみれば、まだまだ時期尚早なのだ。

「そういうことって、なんのことだよ」

「そういうことって、そういうことよ」

 もちろん、隼人も男である。しかもヘンタイノートを書くほどの妄想男子だ。確信犯的に誘っているのだ。

「わかったよ。でも、泊まらないにしても遊びに来るぐらいはいいだろう」

「それなら別にいいけど。でも、そんなに遅くまでいないからね」

 詞の態度は予想通りだった。性根が真面目なだけに、ある意味扱いやすいといえる。恋愛ど素人な隼人でも、ニヤニヤする程度に楽しめた。

「ちょっとう、なに笑ってるの。私のことがおかしい?」

「いや、別に」

 隼人の含み笑いに、詞は少しばかりカチンときた。

「隼人のくせに」

「え、なにが」

「いえ、別に。あ、窓の外で胸の大きなイチゴ星人が手を振ってるよ」

「え、どこ、どこよ」

 隼人の目が窓の外に向かっている隙に、詞は食卓塩の小ビンを手にとり、内側の蓋をはずした。そして砂のような中身を全部隼人のマグカップに注いだ。

「なんにもないじゃないか」

 わざわざ窓際まで歩いていった隼人が、ブツクサ言いながら戻ってきた。

「ゴメンなさい。勘違いだった」

 詞はハイと言って、うやうやしくマグカップを差しだした。紅茶を足しておいたと付け加えた通り、なみなみと注がれていた。

「どういう勘違いしてるんだよ。だいいち、イチゴ星人ってなんだよ」

 文句を言いながらも、隼人はマグカップの紅茶をずずっとすすった。

「もわああ、しょっぺええ」

 あまりの塩辛さに跳び上がる彼氏を見て、詞はしてやったりの笑顔だ。

「よくもやったなあ」

「ええ、やりましたとも」

 二人は立ち上がってにらみ合った。ただし、お互いの目はつり上がっていない。それどころか、何かを求める 

 瑞々しい唇が自然と引きつけ合う。隼人が詞の腰に手を当てた刹那、それらが柔らかく触れ合った。

 学校内ということもあり、キスはそれほど長い滞空時間ではなかった。廊下の気配を気にしながらなのが、おもな理由だ。

「なんか、しょっぱいね」

「それは、誰かさんのせいだよ」

「えー、なんの話しかなあ」

 詞は、ふいに隼人から距離をとった。窓際に行ってしばし外を見た後、ゆっくりと隼人のもとへと戻った。瞳と瞳が再び釘付けとなる。二人がもう一度触れ合おうとした時だった。

「あれえ、カギかかってる」

 化学室との連絡ドアのドアノブを、誰かがガチャガチャと回していた。

「マズい。高橋先生だ」

「え、どうしよう」

「そっちから出よう」

 二人は廊下側のドアから脱出しようとした。

「こっちもカギがかかっているぞ」

 廊下側のドアノブもガチャガチャしていた。連絡ドアのドアノブよりも、より力強く乱暴だった。

「この声は高嶋先生よ」

「それ、めっちゃマズい」

 化学準備室で、二人仲良くお茶を飲んでいるところを高嶋教諭に見つかるのは絶対にマズい。詞はともかく、隼人には制裁の鉄拳がとぶこと間違いない。また二人が付き合っていることが、輝日東高校全体に公となってしまう。なぜなら、高嶋教諭は生徒の色恋沙汰が大好きであり、しかもすぐに吹聴したがるからだ。

「カギはもってきましたよ、高橋先生」

「そうですか。それではそっちから入ってくれますか、高嶋先生」

 高嶋教諭は化学準備室のカギを持参していた。二人の密会に終止符が打たれるまで、あと十秒ほどだろう。

「どうしうよう。もうだめだ」

「大丈夫、私に考えがある。隼人は机の影に隠れて」

 そう言うと、詞は唐突に制服の上着を脱いだ。さらにブラウスを脱いでスカートを下げ始めた。

「うわあ、つ、詞。なにしてんだよ、こんなところで。そういうことは俺の部屋でやれよ」

 その衝撃的な光景は彼の瞳に焼きついていた。

「なに勘違いしてるのよ、バカ。あっち向いてて。そのカップをもって早く隠れて」

 詞はスカートを脱いだ。今この瞬間を逃してはなるものかと、隼人がモタモタしている。イラついた彼女は、彼の服をつかんで無理矢理机の影へと押し込めた。

「そこから絶対に出ないでよ」

 何がなんだかわからず、隼人は二つのマグカップを持ったまま、いわれた通りに机の影にしゃがんで身を隠した。以前、詞の足をつかんでしまった時と同じ状況だ。ただし、今回は、詞が下着だけのあられもない姿であるということが違っていた。

「なんで、カギがかかっているんだよ。開けておいたのに、おかしいなあ」

 廊下側のドアから高嶋教諭が入ってきた。間髪を入れずに、詞が叫び声をあげた。

「キャー、痴漢」

 詞は身をよじってしゃがんだ。悲鳴を聞いて、すぐに高橋担任もやってきた。

「い、いや。俺は何もしてないぞ」

 高嶋教諭が必死に手を振っていた。高橋教諭は、下着姿の教え子の元へ行った。

「絢辻さんじゃないか。どうしたんだよ」

「ジャージに着替えていたら、いきなり高嶋先生が入ってきて、ジロジロみるんです」

「いや、俺は誰もいないと思ったんだよ。女子が着替えているなんて、知らなかったさ。じろじろなんて見てないぞ」

 さすがにバツが悪そうな表情だった。

「はいはい。高嶋先生は、とりあえず席を外しましょうね」

 俺にそんなつもりはなかったんだ、と言い訳しながら、高嶋教諭は化学準備室から排除された。

「とにかく絢辻さん、服着ようか。ところで、なんでここで着替えなんてしてるの。そういえば、十文字が掃除していたはずだけども」

「十文字君は帰りました」

 詞は制服を着始めた。そのすぐ横で、マグカップを持った隼人がじっと見ていた。

「じゃあ、絢辻さんはなんでここに」

「私はジャージに着替えて、これから生徒会の用事に行くんです」

「生徒会の連中なら、もう帰ったぞ」

「そうです。生徒会の人たちはカラオケに行きました」

「え、あいつらカラオケかよ」

 カラオケに行ったのは薫たちであったが、ウソを重ねていた詞は動揺していた。前後の事柄がこんがらがっていた。

「で、絢辻さんは」

「私はカラオケには行きませんでした」

「知ってるよ。で」

 あまりにも必死になって誤魔化そうとする真顔の詞を、高橋担任は弄ぶように尋問する。なにか隠していると察知したのだ。

「カラオケには行けませんでしたので着替えていました」

「ほほう。なんで」

「体育祭の準備のためです」

「体育祭は十月だよう」

「知っています。でも、早いにこしたことはありません」

「早すぎるよ。それに着替えているわりには、どこにもジャージがないねえ」

「ジャージはカラオケにいきました」

 支離滅裂になってもまじめにシラを切る学級委員がおかしくて、麻耶担任はたまらず大笑いした。

「ごめんごめん、笑っちゃって。まあ最近じゃあ、ジャージもカラオケに行くほど忙しいかなって思って」

 詞の頭の中は、もうまっ白である。これ以上ウソつくことも、言葉を発することもできなかった。ただ、呆然と突っ立っているだけだ。

「あたしはもう行くね」

 担任が帰ろうとドアに向かった。なにも言わないまま詞もついて行った。

「ああ、それからね、今度十文字に会ったら伝えておいてほしいのだけど」

 麻耶教諭は、詞を通りこしてその向こうの方へ、大きな声を放り投げた。

「彼女を裸にしてまでコソコソ隠れるのは、男としてどうなのかな、ってさ」

 ニコニコしながら麻耶教諭は去っていった。詞は申し訳なさそうに見送った。

「ははは、バレてたみたい。いい作戦だと思ったんだけど」

 裸で着替え作戦は、半分成功で半分失敗だった。麻耶教諭は隼人の存在に感づいていたし、そこから二人が付き合っているとの結論を容易に導きだしていた。

「ごめん。先生の言う通りだ。詞にあんな恥ずかしい思いをさせて、俺はコソコソと隠れて卑怯だよ。かえって堂々としていればよかったんだ」

「気にしない気にしない。いざとなったら女の方が強いの」

 落ち込んでいる隼人を励ますように、詞は力こぶを作って強さをアピールした。

「俺たちのこと、高橋先生には話しておこうか」

「そうね。高橋先生でなければ、見逃してもらえなかったものね」

 二人はスジを通しておくべきだとの結論に達した。それと、心のどこかでよき理解者を求めていたということもあるだろう。恋愛は二人だけのものだけれども、それを二人だけですべて背負い込むのは重すぎるのだ。

 だから化学準備室を片付けたあと、職員玄関の横に張り込んでいた。ややしばらくして、高橋教諭がやってきた。まず隼人が呼び止めて、言葉がつっかかりながらも、詞と恋人同士であると告げた。すぐに詞が続き、さっきは下手な芝居で申し訳なかったと深々と頭を下げた。

「ははは、いいよいいよ、若いんだからさ。でも、他の先生には知られないほうがいいんじゃないかな」

 教師だけではなく、他の生徒にも内緒にしてほしいと頼み込んだ。

「わたしは口がかたいから大丈夫だよ。でもね、学校内であんまりイチャイチャするのもどうかと思うぞ」

「す、すみません」

「反省しています」

 今度は二人そろって頭を下げた。

「そうだ。前に寿詞をおごる約束をしてすっぽかしたことがあったけ。ちょっと給料前で寿詞は無理だけど、これからラーメンでもどうだい」

 隼人と詞はお互いの顔を見た。そしてニンマリ笑って頷いだ。

「喜んで」

「先生、俺、大盛りでもいいですか」

「もちろん、いいよ。みんなでチャーシューメンの大盛りを食べよう」

「はい」

「よし、食うぞ」

 麻耶教諭は靴を履き替えた。そして詞と隼人に駐車場まで来るように指示してから、ふとつぶやいた。

「そういえば、あの日はバレンタインデーだったな。はは~ん、そうか、だから絢辻さんがいたのか。あのフルートの腕前でよく来れたなって、おかしいと思ったんだよ」

「先生、詞はそのう、あのフルートは本気だったみたいですよ」

「え、そうなのか」

「私のフルート、おかしかったかしら」

 そういってから、詞は意地悪そうに微笑んだ。

「はいはい、わかったよ。おまえたちが熱々だってことがよくわかったさ。だから、とっとと駐車場に来い。おいていくぞ」

 ややしばらくしてから、軽自動車が輝日東高校を後にした。後部座席の二人が、お互いの身体をぴったりと密着させていたのは車の狭さだけではないだろうと、運転手はルームミラーをチラチラ見ながら思った。

 






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