絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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 連休の初日、午後になって詞は隼人の家へとリュックを背負ってやってきた。リュックの中には、料理の本と材料などが入っている。夕食を作って二人で仲良く食べようという魂胆だ。

 今日この日に十文字家にいるのは、隼人と詞だけだ。両親は養蜂業で地方に出ているし、妹の來未も、手伝うという名目で両親のもとへ泊りがけのお小遣い催促に行っている。学校でもないので、純一や梅原などのお邪魔物件も出没しない。二人の恋愛にもっとも障害となった森島はるかの姿もない。思う存分、イチャイチャできるのだ。

「ねえ隼人、ちょっと味見をしてくれない」

 今日の詞の献立は、得意のクリームシチューだ。チーズをたっぷりと入れたそれは、とろけるような美味さ、だと本人は確信している。

「それは晩ご飯までの楽しみにしておくよ」

 いま食べてしまったらもったいないと、居間のソファーでのんびりとマンガなどを呼んでいる隼人は思った。

「それじゃあダメなの。私の味付けと隼人の好みが合わないかもしれないでしょう」

 詞は小鉢に少量をとって、キッチンにあるテーブルの上に置いた。

「ここにあるから、早く味見してよ」

「はいはい」

 隼人がマンガの本をおいて、立ち上がろうとした時だった。

「こりゃ年寄りには、ちょっと濃いねえ」

「うわああ」

 キッチンテーブルの横から突然現れた人影に驚いた詞は、思わず持っていたお玉を放り投げてしまった。

「もうちょっと薄めておくれよ。お湯じゃなくて、牛乳でやるといいよ」

 駄菓子屋の老婆だった。味見用の小鉢の汁をずずっとすすって、忌憚のない意見を述べたのだ。

「ばあちゃん、なんでここにいるんだよ」

 キッチンにやってきた隼人が、小さな身体をマジマジと見ていた。

「なんでって、來未っ子が来てくれって言うからさ。今日はな、誰もいなくなるから、おめえに晩ご飯を作ってくれってさ。だから、わざわざ老人会をすっぽかしたんじゃろうが」

 老婆が十文字家に来るのは、これが初めてではない。じつは、隼人の両親も小さいころから駄菓子屋に通っていて、そのまま懇意になっているのだ。一人暮らしの老婆と一緒に食事をしたり、老婆も惣菜などを作っては遊びに来たりしていた。

「あいつ、なんで今日という日がわかったんだ」

 詞が来る日を予想して、そこに障害物をぶつけてきたと兄は考えた。その読みは正解である。來未は、あのバレンタインデー以来、詞を敵だと認識している。自分の兄と仲良くすることなど、まして恋人同士になるなど許容できないのだ。

「まあ、めんこい彼女もいるから邪魔はしねえさ。だがなあ、せっかく来たからなんか作って帰るぜよ」

 老婆は、持参した手さげ袋から食材を引っぱりだし始めた。

「うん、それはいいかも。シチューだけじゃ、なんか物足らないしね。私、肉じゃがとかうまく作れないの。おばあちゃんに教えてもらおうかな」

 隼人と違って、詞はイヤな顔一つ見せなかった。一緒に料理したいとの気持ちは、わりと本心だった。

「にくじゃがなんてなあ、そったらババ臭えもん作らんぞ」

「え、それじゃあ、なにかな」

 年寄りなので、当然和風でぬかミソくさい料理だと詞は決めつけていた。

「まんず、アヒージョだな。それと稚内からタコ送ってきたから、カルパッチョにすんべか。パンもあるぜよ」

「あひ、あひ、なんとかって、なんだよ」

「オリーブオイルとニンニクと鷹の爪で、いろんな具材を煮込むのよ。私も一度作ってみたかったの」

「ばあちゃん、そんな西洋的なモノ作れるのかよ。無理しないで、イモの煮っころがしでもいいのに」

「田舎者のコジキ男はすっこんでろ。いま美味いもんこさえてやるからよ」

 老婆は十文字家のキッチンを知っている。手ごろな鍋や皿を引っぱりだして、手早く料理の支度を始めた。なにかと逡巡する詞とは違い、まったく無駄がない動きだ。

「私は、シチューを作ってますから」

 詞が負けじとシチューを作っていることをアピールする。老婆は、空中のなにかをはらうように手を振った。

 ほどなくして料理が出来あがった。時間は早めだが、老婆が老人会に行くというので、急ぎの夕食となった。

「この、あひ、あひなんだっけ」

「アヒージョ」

「そうそう、アヒージョ。ニンニクが効いてて美味いなあ」

 本来の小皿料理なアヒージョとは違い、老婆のはとにかくボリューム満点だった。オリーブオイルがたっぷりなそれを、隼人は美味そうに食べていた。とくに老婆が持参した大エビは絶品であり、自分が作ったシチューも忘れて、詞もかぶりついていた。

「あつ、あつ、熱くて、おいしい」

「ほら、おめえたち、タコも食えや。この水ダコ、買えば高いんだぞう」

 カルパッチョは比較的簡単な料理なので詞もよく作るが、老婆のこのカルパッチョのような味には及ばない。

「うん、このタコ、うめえなあ」

 隼人は、うんうん頷きながら食べ続ける。トーストした大量のバケットも、ほぼ一人で平らげてしまった。

「そうだ、シチューもあるんだった」

 せっかく作った自慢の料理を忘れてしまっては困るとばかりに、詞は大なべを持ってきた。それを、とくに隼人の皿には溢れるばかりにてんこ盛りした。

「はい、どうそ」

 すでに腹八分目な隼人であったが、ここで遠慮するわけにはいかないので、満面の笑顔を彼女に見せながら苦しそうに食べ始めた。

「すごくこってりして、おいしいよ」

「でしょう。チーズたっぷりなの」

 三人は和気あいあいと食事をしていた。とくに詞と隼人はことのほか楽しそうで、そんな若者たちを老婆は目を細めて見ていた。

「さて、そろそろ帰るかな」

「なんだよ、ばあちゃん。全然食べていないじゃないか」

「な~んかな。おめえたちの仲ええの見てたら、腹がいっぱいになったで」

 年季の入った皺顔が、ふふっと微笑んだ。隼人はバツが悪そうにあっちを見き、詞は顔を赤らめながらうつむいた。

「さあってと、そんじゃまあ・・・。ととと」

 椅子から立ち上がろうとした刹那、老婆はよろけてしまい、そのまま床に倒れ込んでしまった。

「おばあちゃん、どうしたの」

 横にいた詞がすぐに起こそうとするが、老婆は立ち上がれない。

「なんだかおかしいよ。腕もうごかないよ」

「ばあちゃん、大丈夫かよ」

 隼人も駆け寄ってきた。

「隼人、救急車を呼んで」

「え、そんなにひどいのかよ」

 具体的な返事はなかったが、詞の本気の目線がことの深刻さを物語っていた。 

「わかった」隼人はすぐに電話をかけた。

 詞は前に一度、これと同じような症状を見たことがある。父方の実家に遊びに行ったときに、祖母が突然倒れたのだ。すぐに病院に運ばれて命を落とすことはなかったが、半身に少しばかりの麻痺が残った。老婆の症状はその時と同じく、脳こうそくの典型だった。

 二人は必死に介抱した。老婆はいつものように軽口をたたく余裕もなく、ただ、ああーああー唸っていた。寒くないようにと、詞がタオルケットを持ってきた。他人の家なのでどこになにがあるのかわからなかったが、唯一知っている隼人の部屋へダッシュで行ってとってきたのだ。

 救急車はすぐにやってきた。十文字家と消防署がわりと近かったのだ。

 老婆は、意識はあったが朦朧としていた。自分の名前や症状をきかれるが、うまく答えるとこができないでいた。かわりに、詞が答えた。

「ご家族の方ですか」

 救命士に質問されると、詞は一瞬とまどったが、隼人は、はいと即答した。家族みたいなものだし、細かいことを説明している余裕がなかった。

「では、一緒に付き添ってもらえますか」

「私も行く」

 救急車には詞も乗った。幸いたらい回されることもなく、すぐに病院へ到着した。ストレッチャーの上で、老婆はウンウン唸って嘔吐している。詞は彼女の手さげ袋を持ってきていた。財布も入っているので、おそらく保険証もあるだろうと気を利かせたのだ。

 老婆が処置室にいる間、詞は老婆の手さげ袋にあった携帯電話を取り出した。

「おばあちゃん、家族の人とかいるの」

「息子さん夫婦が近くにいるとか言ってた」

 老婆の携帯電話の電話帳を検索すると、それらしい名前があった。かけてみる?っと詞がそれを隼人に手渡そうとしたが、「俺、ケイタイとかもってないから使い方がわからないんだ」と言ったので、彼女が電話をかけた。

 老婆の息子と連絡がつながった。詞が事情を説明すると、十分ほどでやってきた。彼は高校生である二人に丁寧に礼をすると、もう帰って大丈夫だと言った。

 そこに医師がやってきて老婆の具合を説明した。診断はやはり脳こうそくだったが、幸いにも重症ではなくて手術は必要なしとのことだった。しばらくは入院しなければならないが、後遺症もほとんどないようだ。

「それじゃあぼくたちはこれで。落ち着いたら見舞いに来ると伝えておいてください」

 隼人と詞は帰ることにした。ここにいても老婆の力にはなれないし、家族の人がきているので、部外者はかえって邪魔になると考えたのだ

 母親の命を救ってくれた二人に、老婆の息子はタクシーを呼んでくれた。タクシーチケットを手渡してから、あらためて礼を言った。

 






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