絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
<< 前の話 次の話 >>

31 / 72
31

 二人は繁華街を抜けて、ガチャポンがある印刷屋までやってきた。その店のかどを曲がると小路があり、そこは例のラブホテルへと続いている。

 隼人はなんら躊躇することなく、その小路へ入っていった。もちろん、手をつかまれている詞も一緒である。そして、少し進んでホテルの入り口までやってきた。

「もうイヤ、離してよ。どこまで私をバカにする気なの」

 ここにきて、詞は残っていた気力を絞り出して抵抗した。隼人が自分をラブホテルに連れ込む気でいると思ったからだ。

 隼人の手はガッチリと掴んでいる。それでも無理矢理にでも騒ぎ出したら、彼は手を離すだろう。しかしながら、彼女の心のある領域では、彼のされるがままになってしまいたいと、逆説的な心理が急速に芽を出していた。一週間前に、あれだけの大事を成し遂げた気丈さからは想像しづらいことだが、いや大事を成し遂げたこそ、詞の心はボロボロになっていたのだ。もう何をされてもいいと、いっそ立ち直れないほど汚されてしまえと、ギャンブル脳にも似た自暴自棄さに陥っていた。

 しかし、隼人はラブホテルの入り口に見向きもせず通りすぎた。詞は、あれ?とぼんやり思いながら見送るのだった。

 その小路の先は、高いコンクリート壁がある行き止まりとなっている。ここでするのかと詞が思った瞬間、隼人は左に曲がった。そこにはまだ道が続いていたのだ。コンクリート壁とラブホテルの塀の間に僅かのすき間があり、抜け道として使用できるだ。

「狭いから気をつけて。壁にさわると、制服が汚れちゃうからね」

 その隼人の言い方が優しくて、心地よかった。詞はウンウンと子犬のように頷いて、壁に触れないように進んだ。

 二十メートルほど歩くと、どこにでもあるような住宅地に出た。まわりは民家やアパートなどが建ち並んでいる。その中のノッポで少し古めなマンションの前に、隼人と詞は立っていた。入り口はオートロックではないので、誰でも自由に出入りできた。

 エレベーターに乗る時には、詞はだいぶ落ち着きを取り戻していた。相変わらず隼人がつかんでいるのだが、その力はだいぶ弱くなっていた。詞が少しでも手を振ればほどけてしまいそうだったが、そうならないように、なるべく定位置から動かさないようにしていた。

 エレベーターが止まり、扉がひらいた。隼人を先頭にして二人は降りた。詞は内部の見取り図が頭にないのでキョロキョロするだけだが、隼人には既知の場所らしく、なんの迷いもなく歩きだした。もちろん、詞もついていく。そして、二人はあるドアの前で立ち止まった。

 隼人がインターホンのボタンを押した。ややしばらしくてスピーカーから女性の声がした。隼人は自分が隼人であることを短く伝えた。ほどなくして、ドアの向こうに人が動いている気配がした。状況を理解できない詞は不安でたまらない。隼人の後ろに身を隠すように立っていた。

「どうしたの隼人、きょうはバイトはないよ」

 ドアを開けたのは若い女性だった。詞はその女に見覚えがあった。隼人と腕を組んでなれなれしくホテルに行った女であるとすぐにわかった。

 頭の中が激しく混乱していた。浮気相手の家に自分の彼女を連れてくる隼人の神経が、まったく理解できなかった。

「今日はさ、姉ちゃんに彼女を紹介しようと思って」

 姉ちゃん?という言葉が、詞の頭の中をこだましていた。大人の女性に対してなんて失礼な言い方をするのだろうと、彼氏の行儀の悪さに憤慨する詞だった。

「あら、そうなの。だってあれだけ嫌がってたのに、どういう風の吹き回しなの。はは~ん、さては彼女と一緒にきて、姉から小遣いをせびろうという魂胆か」

「ちがうよ。そのう、いろいろあって姉ちゃんに紹介しなくちゃならない状況なんだ」

 ここまでの会話をきいて、詞は目の前にいる女性が隼人の姉であると、ぼんやりと理解できた。長いこと張りつめていた気が、ストンとどこかに落ちていくのがわかった。

「まあ、あがりなさいよ。ちょうど紅茶をいれていたとこだから」

 隼人はためらうことなく玄関へ入った。でも詞はどうしたらよいのかわからず、ただ立っているだけだ。

「ほら、あなたも入りなさい。ええっと、名前は何ていうの」

 姉は、微笑みながら訊ねた。

「はい、隼人です」

 不安と嫉妬と絶望が入り混じった緊張はなくなっていたが、その副作用として思考力が若干低下していた。詞は、いつも心に中にわだかまって離れない言葉を、とっさに口にしたのだ。

「それはわたしの弟の名前で、あなたの彼氏の名前でしょう。聞きたいのはあなたの名前よ」

「はい、十文字です」

 姉は愛想笑いをしながら小首をかしげる。この娘はわたしをからかっているのかしらと、眉間に皺を寄せ始めた。  

「姉ちゃん、絢辻さんだよ。絢辻詞さん」

 慌てて隼人が割って入った。詞の手をやや強く引っぱって、玄関の中に入れた。そこでようやく、詞は我にかえった。 

「あ、は、はい。絢辻です。絢辻詞です。隼人とは、いえ、隼人君とは同じクラスです。化学室の掃除を手伝わされてます」

「あははは、そんなにかたくなることないよ。わたしは母親じゃないからね。にしても隼人、彼女に掃除を押しつけるなよなあ」

 姉は、目の前にいる女子高生は緊張していて、うまく会話の流れに乗れていないことを理解した。

「わたしは十文字悠美。隼人の姉よ」

 あらためて姉弟であると自己紹介した。詞は弾かれたようにお辞儀をし、あまり意味のない質問をした。

「あの、あの、お姉さんって、お姉さんですか」

「まあそういうことね。玄関で話してもなんだから、とにかく上がってよ」 

 悠美に続いて隼人が靴を脱いだ。詞も恐る恐るあとに続いた。

 高校生の男女は、二人並んでテーブルに座った。対面には悠美がいて、ハリオールの紅茶をティーカップに注いでいた。十文字家にあったのと同じ蜂蜜の瓶が横に置かれている。隼人は自分より先に詞のティーカップに蜂蜜を入れた。どれくらいの量が適切なのか熟知していたので、詞が口をはさむことはなかった。その様子を、悠美が意味ありげな目で見ていた。

「それで、何を話してくれの。なんか相談したいことがあるんでしょう」

「相談したいっていうか、姉ちゃんを詞に紹介しないとならない事情ができたんだよ」

 詞は首をすくめて小さくなっていた。隼人は大人の女性とラブホテルに行ったのではない。姉の家に行く途中だったのだ。自分の壮大なる勘違いによるヒステリーが、彼氏の人生に重大なるダメージを及ぼしている。詞の告発により、隼人は輝日東高校最強のヘンタイ男子として名をはせていた。あの妄想ノートも、動かぬ証拠として没収されている。もう取り返しのつかない状況なのだ。

「それはどういうことかな」

 いかにも興味有り気な表情で悠美が食いついてきた。

「そ、それは私から説明しますので」

 詞は小さな声ながらも、事の顛末を余すことなく悠美に伝えた。勘違いとはいえ、大好きな彼氏に、とんでもない仕打ちをしてしまったのだ。責任は重大であると自覚し、かつ猛烈に反省していた。弟を冒涜されたと、悠美は激高するだろうと覚悟していた。平手打ちぐらいは甘んじて受けるつもりだった。

「あははははは」

 だが、悠美は大笑いしていた。よほど面白いのか、涙を流し床に転がるばかりの勢いで爆笑するのだ。隼人はぶ然とした顔で姉を見つめていた。

「それは隼人が悪い。もう、存分に悪いよ」

「なんでだよ」

 隼人は笑い続ける姉を冷めた目でみている。同時に、詞の頑張りをねぎらうように紅茶を注ぎ足した。

「だって、こんな可愛い彼女にツレナイ態度をとったら、そうなるさ。天罰だよ、天罰」

「それには理由があって・・・。姉ちゃんだって知ってるだろう」

「まあそうだけどね」

 姉と弟がアイコンタクトをしている。詞は是非とも気になった。

「理由ってなんなの」 

「それは・・・」

 隼人は言いにくそうにしていた。詞は彼がなにかを話してくれるのだろうと期待して見つめている。そんな二人の様子を眺めていた悠美が、弟に進言した。

「もう言っちゃったら。あんたのお遊びに付き合わされたら、詞ちゃんが可哀そうだよ」

「あれはとっておきのサプライズなんだって。そのために姉ちゃんにこき使われながらバイトしてんじゃないかよ」  

「それは男の身勝手な思い込みだって。女はねえ、サプライズもいいけど、やっぱり日々の安心のほうが大事なの。ほら、持ってきなさいよ。あげちゃいなさいって」

 姉にそう諭されて弟は観念したようだ。すうっと立ち上がると、居間を抜けて隣の部屋へと言った。すぐに戻ってきたが、長いケースのようなものを持っていた。

「ちゃんと彼女の目を見て渡しなさいよ」

「わかったよ。ちょっと姉ちゃんは黙っててくれないか」

「はいはい」

 隼人は詞に向き直った。一度横を向いて一呼吸おくと、まっすぐ彼女の顔を見て言った。

「これ、詞への誕生日のプレゼント。まだ早いんだけど、とにかく受けとってほしい」

 まったくのサプライズであった。実際、詞の誕生日はまだ先である。

「え」

 詞は困惑しながらそれを受けとった。中身は見なくてもわかっていたが、開けないわけにはいかない。驚きと喜びが混然一体となった感情が、彼女の身体の未知の部分からググッと湧き上がってきた。

「これは」

「フルートだよ。詞、あれからこっそりとフルートを練習しているんだろう」

 バレンタインデーの日から、じつはフルートの練習をしていた。しかし詞はその楽器を持っていないので、従妹に借りたり、吹奏楽部から生徒会のコネを利用して借り受けていたのだ。

 詞は、いつの日にか隼人のドラムと一緒に演奏したいと考えていた。フルートとドラムでは合わない気がしていたが、そんなことはどうでもよいのだ。好きな男と二人で演奏することが重要なのだ。

「おじさんの店のだよ。売られる前に、隼人が買っておいたんだ。まあ、わたしが相当値切らせたけどね」

「でも高いでしょう。お金はどうしたの。もうバイトはしてないんでしょ」

「ははは、姉ちゃんが強引に値切ったから。半額以下だった」

「おじさんには貸しがあるのよ。ちょっと涙目になってたけどね」

 サプライズプレゼントはうれしいかぎりだが、隼人はお金持ちのボンボンではない。値切ったといってもかなりの出費となったはずで、それを考えると素直に喜べない詞であった。

「お金はわたしが立て替えてやったのさ」

 それは、実質的に悠美が購入したということになる。

「でも、それではお姉さんに申し訳ないです」

「立て替えただけだよ。キッチリと返してもらう約束でね」

「姉ちゃん、離婚してからいろいろ手広く商売してるんだよ。俺がそこでバイトして、少しづつ返すってことにしているんだ」

 悠美はまだ若かったが商才があり、飲食店など複数の店舗を経営している。

「こら隼人、わたしがバツイチだって情報は余計だろうが」

「べつに隠したって意味ないだろう」

 姉弟は軽くにらみ合っていた。

「まあ、前のダンナと共同出資というか、前のダンナが金出して、わたしが切り盛りしているわけよ」

 休みの日や放課後、隼人は姉の店でアルバイトに励み、立て替えてもらったフルートの代金を返していた。完済するまでは、楽器は悠美があずかっていたのだ。そしてそのことを詞には内緒にしていた。突然渡して、ビックリさせてやろうと画策していたからだ。

「もう金はほとんど返したんだ。だからこれで練習してくれよ。今度一緒にセッションしよう」

「そんな、私。だってあんなヒドいことをして」

 詞の瞳から涙が溢れだしていた。いくつかの感情が混じり合った濃厚な涙だった。 

「私、こんなに良くしてもらう資格ない。私、隼人をメチャメチャにしたのに。薄汚い女なのに、なんでこんなことするのよ」

 子供のように泣きじゃくる詞の声には、自責のほかに多少の批難があった。もちろん本心で隼人を責めているのではない。もっとも想いをよせている人への甘え、と言ったほうがいいだろう。

「詞がフルートを練習してるって知ってうれしかったんだ。ひょっとしたら、俺のために、そのう、がんばってくれてるんじゃないかと思って」

 隼人は、照れながらそう話した。屈託のない小学生のような笑顔で、それがまた詞には辛かった。

「私、もう死にたい」

 嫉妬に怒り狂い、勝手な思い込みで恋人を窮地に叩き落としてしまった。だが隼人は、そんな自分を責めもせず、かえって嬉々としてプレゼントなどしてくれる。詞は、己の未熟さと不寛容さがなさけなくて、ただもう泣くことしかできなかった。

「そんなに泣くなよ。な、な。俺は大丈夫だって。詞さえわかってくれたら、ほかはどうでもいいよ。また化学室で一緒に掃除をしようよ」

「無理よ、そんなの無理。私、もう学校にいけない」

 輝日東高校内で、そんな状況になれないことはわかりきっていた。詞の落ち込んだ心情に追い討ちをかけるような言葉だった。なだめようとした言葉が逆効果になっていた。

「これは全部隼人が悪いな」

「なんで全部俺のせいなんだよ。姉ちゃんは黙ってろよ」

 いいや黙らない、と悠美は腕を組んだ。

「だいたいねえ、あんたはちゃんとすればイイ男なのに、ホームレスみたいにだらしなくしてるから、なにかあった時にはツブシがきかないんだって。ふだんからシャンとしていれば、多少のことでもそんなに嫌われないし、そもそも彼女が不安になることもないだろう」

 悠美の指摘は当たっている。詞による淫乱ノートの告白があったにせよ、いまの隼人の窮地は、彼自身の普段の振舞いが影響しているともいえた。

「そ、それは・・・。ごめん」

 釈然とはしなかったが、隼人は謝った。それがまた自分を責められているように感じられて、詞はもう顔中がくしゃくしゃになりながらの号泣であった。

「隼人、コンビニ行ってアイス買ってこいよ」

「なんでこのタイミングでアイスなんだよ。そんなに食いたければ、姉ちゃんが買って来いよ」

 ぶ然とした表情で立っている弟の傍まで近づき、姉は尻の肉が千切れるばかりにつねった。

「いててて。なにするんだよ」

 文句を言う隼人の耳を自分の元へ引っぱって、悠美はイラつきながらささやいた。

「あんたがここにいると、詞ちゃんが泣き止まないだろう。ここはわたしがなだめておくから、少しばかり時間をつくってこいよ」

 そこまで言われて、隼人も姉の気遣いに納得したが、二人をおいてこの部屋を出るには一抹の不安があった。

「姉ちゃん、わかっていると思うけど、俺の彼女なんだからな」

「わかってるって」

 悠美は大まじめな顔でうなずくが、隼人が疑いの眼差しを向けていた。

「俺、ちょっとアイス買ってくるわ」

 玄関に向かいながらも、隼人は何事かを発しようとしたが、汚い野良犬を追い払うように悠美がシッシと手を振った。ブツクサとひとり言を吐きつつ、彼は出ていった。

 詞が泣き止むまで、悠美はとくに声をかけることなくじっとしていた。感情の桶に溜まったドロをすべて吐き出さないことには、まともに話ができないと判断していた。

 すっかりと冷えてしまった紅茶を捨てて、新しいのをカップに注いだ。琥珀色をした熱々の液体がティーカップに流れ落ちていく様を、目を腫らした詞が見つめていた。悠美は詞とくっ付くばかりの距離に椅子を動かして、そこに座り紅茶に蜂蜜をいれようとする。淡いリンゴの香りが、トロリと垂れていく。

「どう、少しは落ち着いたかな」

「・・・、はい」

 悠美がティシュを差し出しすと、チーンと鼻をかんだ。

「気にすることなよ。隼人は自分のことに関しては死ぬほど無頓着だから。学校で話せないんだったら、放課後とか休みの日でも会えばいいし」

 学校や友達関係、恋愛のことなどを、とくに悠美がリードしながらの会話が続いた。年上でなおかつしっかりした態度に、心がボロボロだった詞はすっかりと打ち解けている。 

 隼人と肉体的な関係になったことも白状した。くわしくは描写しないが、そういう関係になったこと、彼が初めてで唯一の男であること、一回きりであることを淡々と伝えた。悠美はとくに驚いた様子もなく、ウンウンと聞いている。彼女も高校生のときに経験済みだった。

「まあ、それは嫉妬もするさね」

「すみません。ほんとに早まったことしちゃって」

「いいっていいって、気にしない気にしない。そんなことで落ち込んでいたら、わたしみたにバツイチになっちゃうよ」

 ところで、今の詞には一つ気になることがった。

 悠美がよほど接近しているのだ。密着といってよかった。しかも、詞の腰に手を回して彼女の身を引きようとまでしていた。

「あ、あの悠美さん。ちょっと、近すぎるんじゃないですか」

「あらそうなの。全然気づかなかった」

 そういいながら、悠美の顔が詞の首筋に接近する。

「ちょ、ちょっと」

 たまらず詞の両手が伸びて、悠美を引き剥がそうとする。

「ストップストップ」

 突如、二人の間に割り込んできたのは隼人だった。机の上に放りだされた白いビニール袋に人数分のアイスが入っていた。

「あら、ずいぶん早いのね。もうちょっとゆっくりしてなさいよ」

「姉ちゃんと詞を二人っきりにさせるのが心配だからな。ダッシュで帰ってきてよかったよ」

 キョトンとする詞だった。悠美はちょっとばかり不機嫌そうな顔して、アイスを食べ始めた。

「ちょっと驚いただろう」

 隼人は、無理矢理こじ開けた二人のすき間に椅子を持ってきて座った。アイスの包装紙をはぎ取って、メロン味を詞に渡した。彼女は、スティックをもったまま、さらなる説明を待っていた。

「じつは姉ちゃん、どっちでもイケる体質なんだよ」

「?」

 詞は隼人の言っていることがわからない様子だ。

「だから、男でも女でもでっちでもってことさ」

 ウンウンと頷いた詞は、一瞬の間をおいてからその意味を理解した。

「ええーっ」

「だから、姉ちゃんに詞を紹介したくなかったし、なるべく存在を知られないようにしていたんだよ。とにかくどっちもな姉だからさ」

「どっちもって失礼ね。最近じゃあ、カワイイ女の子のほうが断然好きなの」

「余計にダメだろうって」

「ははは、そうなんだ。でも人それぞれだから、いろんな好みがあっていいと思う」

 もちろん、詞のリップサービスである。本心では、かなりひいていた。

「やっぱり詞ちゃんはいい子ね。このコジキ男に泣かされたら、いつでもわたしの胸にとび込んでいらっしゃい」

「はは」

 愛想笑いで誤魔化すのが精一杯だった。

「まあこれで詞ちゃんの誤解もとけたし、一件落着じゃないのか」

 笑顔の隼人に異論はなかったが、詞は真顔になって言うだった。

「私、みんなの前でウソをついたって白状します。あれは私が仕組んだイタズラで、隼人は騙されたんだって言う」

「それは賢くないよ、詞ちゃん。いまさら何を言っても、バカ隼人のヘンタイノートが押収されているんだからムダだよ」

「そうだよ詞。そんなことしたら詞が学校にいられなくなっちゃうよ。俺のことは心配しなくて大丈夫だよ。女子には嫌われているけど、男子どもには英雄あつかいされてるし」

 それは事実だった。クラスメートの一部男子は、絢辻詞が読んだあの文章に青春の血潮を掻き回され、いまでも夜な夜な悶絶しているのだ。

「私はやっぱり正直に話すべきよ。あれは誤解だってちゃんと説明すれば」

 ボルテージが上がって前のめりになる詞を、悠美が軽く制した。

「詞ちゃん、それは違うよ。バカ正直が人を幸せにすることなんて、そうそうないんだよ。一度言い切った言葉を安易に引っ込めたら、みんなが混乱するさ。うわさはね、もう独り歩きしてるんだよ。いまさらなかったことになんてできないさ」

「でもそれじゃあ」

 好きな男をダシにして自分だけがいい子になってしまう。彼女は隼人の名誉を回復したいと切に願っていた。

「大丈夫大丈夫。隼人がマトモになればいいだけの話しさ。まったく簡単な話だよ」

 その真意がわからず、詞は?とした表情で悠美を見ていた。

「隼人、もう医者からOKがでてるんだろう」

「ああ、うん。よほど無茶をしないかぎり丈夫じゃないかって」

「だったらその気持ち悪い色眼鏡を外しなよ。ついでに髪も切ってきな。新しい制服はわたしが買ってあげるよ」

「・・・」

 隼人はすぐに返事をしなかった。長年親しんできたホームレススタイルが気に入っていたからだ。

「俺、これでいいよ。面倒臭いの好きじゃないし」

「あんたがよくても詞ちゃんが恥ずかしいおもいをするんだよ。あんたみたいなムサい男と一緒じゃあ、女の子は傷つくんだよ」

 キツい言葉だった。隼人は言い返すことができない。詞が、そんなことはないと否定しよとしたが、悠美の次なる言葉が遮った。

「詞ちゃんが好きだったら、シャンとしなさい」

「もう、わかったよ」

 隼人は観念したようだ。悠美は派手な色の財布から紙幣を何枚か取り出して、弟にではなくて詞の手に握らせた。

「へ?」どうして私なの、と戸惑うのだった。

「それで隼人をカッコよくしてやってよ。詞ちゃんのセンスで」

「私もセンスないですよ」

「いいからいいから。ついでに美味しいものでも食べておいでよ。明日から連休でしょうに」

 詞はしばしそのお金を見ていたが、ウンと頷いて自分のポケットの中に入れた。

「それではこれで隼人を普通の男子高校生にしてみせます。明日、さっそく買い物や床屋さんにいきます。もう、この鳥の巣頭をバッサリ切ってきますから」

「おいおい、いきなり明日かよ。俺にも心の準備ってものが」

「いいから行くのよ」

 ブツクサと不平を述べる隼人を、詞が叱咤する。

「ははは。詞ちゃんはいい奥さんになりそうだね」

「それと、お言葉に甘えておいしいものを食べてきます。残ったお金は返しますから」

「そんなのいいって。もし余るようだったら、自分のものでも買いなさいよ。わたしはかわいい詞ちゃんもみたいの」

 悠美は上機嫌で言った。詞の可愛い姿を見たいというのは本心だった。

「なんだか姉ちゃんに迷惑かけて悪いな」 

「なに勘違いしてるんだよ。それは貸しだからね、隼人。夏休みに入ったら体で返してもらうよ。店で朝から晩まで皿洗いだからね」

「ええー、そんなの聞いてないよ」

「そうだよ、隼人。朝から晩まで働かなくっちゃ」詞が追い打ちをかけた。

 ガクンとうなだれる隼人を尻目に、二人の女は、ああしたらいい、いや、こういう髪型のほうがいいと勝手に話を進めていた。ワイワイと楽しそうに、あるべき隼人像を語り合うのだった。

 






※この小説はログインせずに感想を書き込むことが可能です。ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に
感想を投稿する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。