絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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 火災訓練が多少の波乱の内に終わり、生徒たちは通常の授業に戻った。しかし、三年A組の生徒たちは、いつもよりも勉強に集中していなかった。クラスの中がどことなく浮足立っているのは、夏休みが近いこともあったが、やはり十文字の尋常ならざる変身ぶりと、二年生を守ったことが好印象となっていたからだ。だから女子たちは、とくに落ち着きがなかった。  

 昼休みとなった。生徒たちがお弁当をひろげはじめる。外見は清々しい好男子となった隼人であったが、昼食に関してはさほど進歩は見られなかった。さすがにパンの耳だけとかはなかったが、手作り弁当などは遠い夢物語であり、菓子パンが二つとジュースがせいぜいのご馳走だった。

 いつものように純一や梅原、薫たちとの昼食となる。詞は前の席で、いつもの女子たちと机を並べていた。チラチラと後ろを見たりするのは、詞ではなくて他の女子だ。薫も、

 ガラにもなく緊張して少しばかり居心地が悪そうな様子だ。

「ねえ、絢辻さん。そこにいるの、二年生じゃないの」

 教室のドア付近に女子が立っていた。入ろうか入らないか存分に迷っている様子で、困ったような表情をしている。

「なんだろう。ちょっと行ってくる」

 学級委員である詞は、こういう場合には率先して働かなければならない。

「ここは三年生の教室だけど、なにか用があるの」

 詞の問いかけに、その二年生女子はうつむいて即答しなかった。瞳がくりっと大きくて可愛い女子生徒だった。詞は彼女が話し始めるまで待っていた。

「あ、あの~」

 辛抱の甲斐あって、ようやく口をひらいた。

「ん、なに」

「いえ、やっぱりいいです」

 困ったのは詞の方だった。用がないのなら立ち去ればよいのだが、彼女はもじもじしたまま、その場所から離れようとはしなかった。

「すみません。十文字さんをお願いします」

「え」

 唐突だった。いきなり十文字の名前が出たので、今度は詞が戸惑ってしまい返事を返せなかった。

「十文字先輩をお願いします」

 相変わらず恥ずかしそうに下を向いてはいたが、しっかりとした声色だった。強い決心を感じさせる重さがあった。 

「え、ええ、ちょっと待っててね」

 どういうことかわからないが、学級委員としては仕事をしないわけにはいかない。

「十文字君、お食事中に悪いんだけど、二年生の女子が来てるよ」

 シュークリームパンをもった隼人の目が点になっていた。詞が近寄ってきたので、なにかの作戦があるのかと身構えたが、まったくの予想外な展開に戸惑っている様子だ。

「二年生が。なんで」

「知らないわよ、自分で行って聞いてみなさいよ」

 詞は多少キレ気味だった。どうして不機嫌なのかわからないまま、隼人は教室の入り口で待っている二年生女子の元へと進んだ。なぜか、純一や薫、梅原、詞まで一緒だったが、気にする余裕もなかった。

「ええーっと、なんだろう」

 見覚えのない女子の出現に、ヘンタイとかエロキチとか罵声を浴びせられるのではないかと隼人は警戒していた。

「さっきはありがとうございました」

 二年生女子は深々とお辞儀をした。隼人はなんのことかわからずポカンとしていたが、薫が正体に気づいた。

「ああ、火災訓練のときに燃えそうになった子か」

 彼女は、隼人が身を挺して救った二年生の女子生徒だった。

「べつに、礼なんていいのに」

 隼人は、焦げた制服を着たまま照れるのだった。

「十文字先輩は、もうお昼は食べたんですか」

「うん、いま食べてるとこ」

 隼人は食べかけのシュークリームパンを見せて、食事中であることをアピールする。ちなみに、二年生女子が言う十文字先輩の、先輩というひびきが気に入らなくて、詞はさも面白くないといった表情をしていた。

「あのあの、わたし、毎朝自分でお弁当作ってるんです」

「へえ、それはすごいね」

 会話の流れている方向がわからず、隼人は愛想笑いをする。

「それで、今日も作ってきたんです。これです」

 そう言って、二年生女子はきれいなナプキンに包まれたお弁当箱を差しだした。

「ええーっと」

 その行動の意図するところが、鈍感な隼人にはまだわかっていない。

「よかったら食べてもらえませんか、十文字先輩」

 なんとこの二年生女子は、自分で作ったお弁当を隼人に食べさせるために、わざわざ三年生の教室へとやってきたのだ。

 隼人本人も驚いたが、まわりで見物しているクラスメートも動揺を隠せないようだ。どよめきと歓声ともつかぬ声があがった。

「い、いや、それは悪いよ。だって、それ自分の分だろう。俺はパンがあるから大丈夫だよ」

「それ、わたしがもらいます」

 二年生女子は食べかけのシュークリームパンを素早く強奪すると、空になった十文字の手に弁当箱を持たせた。お弁当箱を持ったまま狼狽する十文字であったが、外野から好奇の視線とヤジが飛ぶ。

「よかったじゃないか十文字。今日はいいメシにありつけたな」

「これで飢え死にしなくてすむな」

 隼人は、「やっぱり悪いよ」と言いながら返そうとする素振りを見せるが、すかさず薫がけん制した。

「後輩の手作り弁当なんだぞ。まさか突っ返すなんてヒドいこと、しないよな」

 大胆な行動に走った二年生女子だが、内心はドキドキものだった。ここで隼人が無碍な態度を見せると泣いてしまうことも考えられる。

「そうよ十文字君。女の子の手作りお弁当なんてめったに食べられないのだから、もらったほうがいいよ」

 詞はニコニコしながら言うが、目はビタ一文たりとも笑っていなかった。

「そ、そうかな。じゃあ、食べさせてもらおうかな。ははは」

 二年生女子の表情がやわらかくなった。もう一度頭を下げてから、放課後お弁当箱を回収しに来ることを告げた。

「それは私があなたの教室に届けてあげる」

 詞が横やりを入れた。隼人の彼女としては当然の処置だろう。二年生女子は、邪魔な小姑を見るような目つきだった。

「でも、なにかと忙しい三年生に迷惑がかかっちゃうし」

「二年生が気安く三年生の教室に出入りされたほうが迷惑になるかな」

 水面下での戦いは、ジャブでの軽い打ち合いだった。結局、二年生女子が折れた。放課後にお弁当箱を返すのは詞の仕事となった。

 隼人に純一、梅原、薫、そして詞までもが教室の後ろに集まっていた。お弁当を机の上に置いて、みんな固唾をのんで見ていた。

「おい十文字、早くあけろよ」

「いったい、どんなご馳走が入ってるんだよ」

「案外、ゲテモノだったりして」

 羨望と嫉妬のあまり、梅原はロクでもないお弁当であるればよいと思ったが、ゲスの願いは脆くも崩れるのだった。

「おおー、すげえ。これが女子高生の手作り弁当か」

「すごーい」

「きれい」

「おいしそう」

 いつの間にかクラスの連中が集まり、隼人の席を囲んでワイワイと騒いでいた。

「ははは、じゃあ食べていいかな」

「どうして私に聞くのかしら」

 このお弁当を口にするのには詞の許可が必要だと思ったのだが、ここは三年A組の教室である。下手な動きをすると、二人が付き合っていることがバレてしまう。当然、詞は知らんぷりをするのだ。

「で、ではいただきます」

 状況的に食べないわけにはいかない。隼人は可愛らしい箸でもって食べ始めた。

「で、どうよ、十文字」

「すげえ美味い。この卵焼きとか甘くて俺好みだよ」

 自作のお弁当を異性に献上するだけあって、その味は高校生のレベルを超えていた。見た目もとてもきれいでセンスが良かった。  

「ちょっと一口よこせよ」

 薫が特権とばかりにつまんだ。他の男子もそうしたかったが、いろいろな理由からできずにいた。

「ホントだ。この肉、すげえ美味い」

「な、な」と隼人がうれしそうに言う。同じ釜の飯を共有している仲間として、喜びを分かち合いたい気分なのだ。よせばいいのに、勢いあまって詞を見上げてしまった。 

「そう、それはよかったじゃないの」

 詞は機嫌が悪そうに腕を組み、腐った魚の眼で見下ろしていた。見てはいけないモノを見てしまい、隼人は{すみますん}と心の中で叫びながら、涙ながらにお弁当を食べるのだった。

 

 放課後、詞は学級委員の職務として空になったお弁当箱をもって二年生女子の教室へと向かった。二年生エリアに足を踏み入れると、詞のファンである男子たちが好奇の目で見ていた。

 教室の入り口に立つと、あの二年生女子がすぐにやってきた。詞の手からひったくるようにお弁当箱をとると、ニコニコしながら隼人の様子を訊ねた。

「それで、十文字先輩は何て言ってましたか」

 先輩の部分をワザと可愛らしく発音する下級生にイラッとしたが、詞はつとめて平然と答えた。

「べつに」

 途端に二年生女子の表情が曇った。詞がワザとつれない態度をしているのが丸わかりだからだ。

 彼女はすぐに背中を向けて教室の奥へと戻っていった。 

 詞が三年A組に戻ると隼人の姿が見えなかった。ちょうど薫が掃除をしていたので、どこに行ったのかを訊ねた。

「十文字だったら、先生に言われて化学室の掃除にいったよ」

「そうなんだ」

「ところで十文字になにか用でもあるの」

「え、いや、それほど用があるわけではないんだけど、お弁当箱を本人に返してきたから、そのことを伝えようと思って」

 本当は、今日の出来事のことや二年生女子のことを、ネチネチと話したいと思っていた。

「そっかあ、化学室の掃除かあ。お弁当箱を返したことを言わなきゃなんないし」

 詞は、ひとり言のように呟いた。

「なんならわたしがいってきてあげようか。だってほら、絢辻はあの件があるから十文字に近づきたくないだろう」

 ヘンタイノート暴露事件のために、隼人は詞に近づいてはいけないとのコンセンサスが出来あがっていた。

「いや、それはだってほら、棚町さんは掃除をしていて忙しそうだし」

「そうそう、だからこの面倒臭い掃除当番を代わってくれるとありがたい」

 苦笑いしながら、詞はやんわりと断った。あてが外れた薫は仕方なく掃除を続けた。

 詞はやや時間をおいてから化学室へと向かった。二人っきりのところを誰かに見られたらマズいので、生徒たちが帰宅するのを待つ作戦だった。準備室に逃げ込んで、熱いお茶を飲みながら隼人をイジろう考えていた。

 






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