絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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 次の日の朝、十文字は登校してこなかった。皆はまた遅刻しているのだと思って、たいして気にもしていなかった。ただし、絢辻だけは別だった。昨日の件でグレてしまったのではないかと、心配になっていたのだ。だから朝のホームルームが終わると、さっそく担任に駆け寄り彼のことを訊ねた。  

「十文字なら遅れてくるよ。今日は検査の日だって、前々から届けが出ていたからな」

「そう、そうですか、検査ですか」

 

 十文字隼人は国が認定する難病を患っていた。ただし、難病といっても命にかかわるほど重篤なものではない。免疫系統の異常により、身体のあちこちに炎症を起こすのだった。その疾病は、目や喉の粘膜を痛めつけ、時として関節炎をも引き起こし、日常生活を少しばかり困難なものにするのだった。十文字の場合は、とくに目の中に炎症が起こりやすく、強い光は極力忌避するようにと医者から言われていた。なぜなら、炎症が最悪まで進行した場合、往々にして失明してしまうからだ。

 

「まあ、いちおう難病なんだけども、大人になるとほぼ治るらしいんだ。今日もさあ、眼科の先生が、もうそろそろメガネは必要なくなるって言ってくれたんだ」

 十文字は、彼のトレードマークとなっている巨大な色メガネを何度も上下させた。

「だから、そんな悪趣味なメガネをかけていたんだ」

「悪趣味はないだろう。病人なんだからさあ」

 病人のくせに偉そうに胸を張る姿を見て、絢辻はクスクスと笑う。

「でも、あのマスクはないと思うなあ」カラスマスクのことを言っているのだ。

「喉もけっこうやられるからな。乾燥する時は必需品なんだよ。オレ的にはさあ、あの黒さが、すんごく格好いいと思ってるんだけど」絢辻のクスクス笑いは続いていた。

 昼休みとなっていた。ちょうど昼時に登校してきた十文字をつかまえた絢辻が、化学室へと引っぱってきたのだ。そこには二人以外誰もいなかった。

「昨日は私が余計なことをしちゃってごめんなさい。かえって仕事が増えちゃったみたい」

「絢辻さんが気にすることないさ。元はといえば俺が原因だし。でもちょっと気にした方がいいかな」

 もちろん、それは嫌味ではない。ある程度お互いを知った者同士の、少しばかりエスプリが効いたジョークだった。

「あら、じゃあ今日も手伝って、高橋先生に言いつけちゃおうかな」

「いやー、それはカンベンだわ」

 頭を抱えてイヤイヤをする男子を、学級委員は満面の笑みで見ていた。

「はいこれ」

 絢辻は小さな紙袋を差し出した。突然出されたその中を、なんだろうと首を傾げながら、十文字がそうっと見た。

「なにこれ」

「目覚まし時計よ。昨日あげるって言ったでしょう」

 物をあげることが気恥ずかしいのか、絢辻の口調が少しばかり怒り気味になっていた。

「いやいや、目覚まし時計くらいあるよ。壊れてるけど」

「壊れていたらダメじゃないの。また遅刻しちゃうでしょう。これはすんごく大きな音が鳴るからすぐに起きるよ。だから、これを枕元において遅刻はしないように」

「でもこれ、絢辻さんの目覚ましなんだろう」

「私は予備のがあるからいいのよ」

 絢辻の愛用品を自分の枕元に置くということだ。それは悪くないことだと思った。 

「それと、これ」

 絢辻は、今度は布でくるんだ包みを差し出した。

「もう目覚まし時計はいいよ。一つで充分だって」

「これはそういうものじゃないの、もう」

 絢辻が、ほっぺたをふくらませてブーたれている。十文字は、もうなんでだようと思いながら包みを開けた。

「おー、これ、おにぎりじゃん。スゲー、もしかしてくれるの」

 おにぎりだった。几帳面な絢辻らしく、それはほぼ正三角形をしており、きれいにノリが巻かれていた。丁寧に握られているのが一目でわかった。

「今朝、作りすぎちゃったの。捨てるのももったいないし、パンが好きな十文字君には口に合わないかもしれないけど」

 作りすぎたのではない。十文字に食べさせたくて、余計に握ってきたのだ。

「捨てるくらいな、俺が頂くよ。アハ、いただきま~す」

 十文字は、まるで原始人のようにかじりついた。女の子の手作りということよりも、この場合は単純に腹がへっていたので、とにかく嬉しそうだった。 

「うんめ~。これ中に肉が入ってるよ。すんげえ、うめえや」

 食べ盛りの男子に、中身が梅干しやオカカでは物足りないであろうと考え、豚バラの辛みそ炒めを入れていたのだ。

「もう食っちゃったよ」

 包みの中には、おにぎりがもう一つあった。当然それは絢辻本人の分だと考えていたので、食い意地に目覚めた男子は、うらめしそうに見ているだけだった。

「まだあるじゃないの」

「それ絢辻さんの分だろう。悪いよう」

「私のは、ちゃんとあるから」と言って、別の包みを見せた。

「うおお、そうなのか。準備がいいなあ、絢辻さんは。それでは遠慮なくいただきま~す。今度の中身はなんじゃらほ~い」

 無邪気に喜ぶ十文字を、絢辻はニコニコしながら見ていた。

 その時、化学室に数人の生徒が入ってきた。一年生の女子たちだ。朝食をとる場所を探して、ここにたどり着いたようだ。

「あ、誰かいる」

「先輩じゃないの」

 三人の女子たちは、教室の入り口付近で止まっていた。

「せっかく二人でいるのに、邪魔しちゃあだめよ」

 彼女らは空気を深読みしすぎて、そそくさと立ち去ってしまった。

「なんかさあ俺たち、クラスの誰かに見られたら、勘違いされそうだな」

「え」

 それはマズいと考えた。彼女の気持ちの中で、異性としての十文字は極めて薄かった。絢辻詞はまじめで面倒見のよい学級委員だが、やはりカッコいい男の子に憧れる普通の女子なのだ。いまおにぎりを食べさせているのも、捨てられた子犬にエサをあげる感覚に近かった。弁当ではなくおにぎりなのも、その理由だ。

「準備室にいきましょうよ。あそこなら誰にも見えないし」

 余計な勘違いをされないためにも、遮蔽された空間が必要だった。

「それはいいけど、たぶん、カギかかっているよ」

 化学準備室は、化学室の隣にある控えみたいな部屋だ。化学室とは連絡ドアで繋がっているので、中から出入りができる。ただし、準備室には薬品庫が内設されているので、いつも施錠されている。開けるのには、担当教諭の許可が必要だ。

「まあそうなんだけれども、もしかしたらね」

 確信があったわけではないが、そう言って絢辻は教室の前の方へ向かった。そして黒板の横にある連絡ドアのドアノブを回した。

「ほら、開いたよ」

 なぜだかわからないが、ドアが開いてしまった。さっそく二人は中に入った。

 化学準備室には大きな机があった。畳一枚分以上ある長方形なそれは、脚の部分がしっかりと床に固定されていて、ビタ一ミリも動かない。絢辻と十文字は、向かい合わせで座った。もちろん、化学室との連絡ドアのカギを施錠するのを忘れなかった。

 十文字は二つ目のおにぎりもすぐに食べてしまった。その食べっぷりに気を良くした絢辻が、自分の分も差し出した。丹精込めて握ったおにぎりをモリモリと食べる様子を見て、お腹いっぱいになっていたのだ。

「悪いな、こんなにもらっちゃって」

 そう言いつつ、彼の手はまったく悪びれる様子もなくおにぎりをとった。

「じつはそのおにぎり、けっこう高いんだよ。料金請求しちゃおうかな」

「えー、マジかよ」と言いつつ、食べるペースは落ちなかった。

 その時、化学室の方から音がした。何ものかが準備室に入ってくる予感が、ひしひしと二人に伝わっていた。

「あれえ、カギがかかってる」

 ドアの向こうで誰かがそう言って、ガチャガチャとドアノブをいじっていた。二人は凍りついていた。とくに不純な行為をしているわけではないのだが、なんとなくいけないことをしているような罪悪感を共有していた。

「よいしょっと」

 女子生徒が一人入ってきた。

「え」

 ドアを開けて準備室に一歩足を踏み入れた途端、二年B組の桜井梨穂子が戸惑っていた。ややぽっちゃりな身体をそこに入れたらいいのかどうか、迷っていた。なぜなら準備室の中で女子生徒が一人、おにぎりを手にして立っていたからだ。窓を背にして、正面を自分の方に向いた女子が一人、ただ立っていたのだ。

「ええーっと、そのう、あなたは、たしかA組の・・・。なんだったっけ」

「ははは、絢辻です。そのう、絢辻です」

 とっさに作り笑いをした。端整なまじめ顔が、いい感じにひきつっている。

「そうそう、その絢辻さんが、どうしてここにいるのかなあ」

 その理由を、うーんと桜井はまじめに考え始めた。

「そ、それは、おにぎりを食べようかなと思って。だって、おにぎりって化学準備室で食べたほうがおいしくなるから。薬品の匂いがアクセントになるの」

「え、そうなの」

 化学薬品臭が漂う場所では、かえって逆効果だろうが、とにかく何か言ってその場をごまかそうと絢辻は必死だった。

「ほら、昨日のテレビでやってたよ。そういう都市伝説があるって。トイレに女の子がいるようなものよ」

 便所の花子さんと化学準備室のおにぎりを結びつけるのは、いかに才女といえども無理がある。

「へえ、そうなんだ。こんど、わたしもやってみよう」

 だがしかし、桜井は納得したらしく、明日はおにぎりを持ってこようとまじめに考えていた。

「ところで、あなたはそのう、たしか隣の組の」

「うん、桜井梨穂子だよ」

「どうしてここに」

「次の授業が化学だから、担当の先生にいろいろと準備しとけっていわれてるんだ。それでさっき準備室のカギを開けていたのだけど。ああ、そうかあ、だから絢辻さんが入れたわけだ」

「はははは」

 笑ってごまかすA組の女子生徒の足元には、一人の男子が潜んでいた。十文字だ。桜井が入ってくる寸前に絢辻が場所を変えて、その後ろにしゃがみ込んだのだ。準備室の大机は箱型なので、屈んでしまえば桜井の場所からは見えなかった。

 うわああ。

 窮屈なヤンキー座りの体勢だったので、十文字はバランスを崩してしまった。後ろにひっくり返りそうになって、あわてて手近にあるモノを両手で掴んだ。

「ひゃあああ」

 絢辻が悲鳴をあげた。突然、両膝の裏のあたりをガチッと握られたのだから、たまらない。

「ど、どうしたの絢辻さん」

 桜井が一歩足を踏み出すと、絢辻は両手を前に突き出して、それ以上こないようにとジェスチャーをした。      

「いや、その、足元に虫がいたみたいで。たぶんサソリだと思う」

「え、どこどこ。あたし虫とか全然平気だよ。でもサソリって爬虫類じゃなかったっけ」

「ああ、大丈夫大丈夫。どこかに逃げたみたい。こんど見つけたら踏み潰しておくね」 その時の十文字は、女子生徒同士の会話が耳に入らなかった。なにせ絢辻の生足をがっちりと握ってしまっている上に、見上げればお尻があるのだ。しかも、その気になればスカートの中を覗くことだってできる。ボサボサ頭と色メガネで隠されているが、彼の顔はこれでもかというくらいに赤く火照っていた。

「もうすぐ昼休みが終わるよ、絢辻さん」

「うん、いまちょうど出ようと思っていたの」

 そう思っているわりにはまったく出ていこうという気配が感じられないので、桜井は一緒に出ようといった。

「先に行ってて。私は薬品の匂いを嗅ぎながら、おにぎりの残りを食べちゃうから」

 都市伝説都市伝説と笑顔で口走る絢辻の言い訳に納得して、桜井は出ていった。

「ふう、危なかったな。間一髪だったよ」

「それより、いつまで私の足にしがみ付いている気かしら」

 桜井がいなくなっても、十文字の手は離れなかった。

「はははは」

 笑ってごまかそうとするが、彼の手は相変わらず絢辻の生足を掴んでいた。

「もう、このヘンタイ」

 業を煮やした絢辻が、十文字の手をピシャッと叩いた。すると、さすがにその両手は離れた。

「痴漢が好きなヘンタイ男子は、一人でおにぎりでも食べてなさいっ」

 フンッと、あからさまにあっちの方を向いて、絢辻は準備室を出ていった。

 



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