絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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 その日は何かと忙しくて、隼人は詞と一緒の時間を得られなかった。なので、いつものように夜中の長電話となった。

「ホントにびっくりしたよ。まさか、ああいう仕掛けだったとはね」

「うふふ、そうでしょう。私も自分のやったことが信じられないもの」

「あの選曲とダンスは詞が考えたのか」

「まさか。棚町さんがアイディアをだして、森口さんが振り付けを考えたの。ネットで動画を視て研究したみたい」

「薫か。たしかに、並の女子高生がジェームズブラウンをやろうとは考えないものな」

「ゲロッパ」と詞が叫んだ。

「ははは」

 もうすぐ日付が変わろうとしている。詞は疲れていたのだが、会話をやめようとはしなかった。

「それにしても、詞の裸をみんなに見せたのは惜しかったよ。俺だけが知っていればいいんだからさあ」

「裸じゃないの。ちゃんと水着を着てたでしょう」

「しっかりヘソが出てたよ」

「ヘソぐらいなによ。隼人はもっといっぱい見てるじゃないの」

 甘ったるい時が流れていた。どちらも通話を切ろうとしない。詞はスマホのバッテリーが切れないように、アダプターを接続したままベットの上をゴロンゴロンと寝転んでいる。

「それにしても、來未ちゃんがすごいのにはびっくりしちゃった。全部、英語で歌うんだもの。信じられないくらい歌も上手だし」

「あいつ、洋楽しか聴かないからな。友達とカラオケ行ってもウキまくるからって、けっこう一人で行ってるんだよ。じつは寂しい女なんだ」

「みんに聴かせてあげればいいのに。二曲目なんか、私、涙が出そうになったもん」

「決勝戦であんなにふざけなかったらなあ。悪ノリして自滅するのがあいつらしいよ」

「でもあの衣装、男子にはすごかったよ」

「詞のヘソだしビキニにはかなわんさ」

「こらっ」

 思い出すほどに照れてしまう詞であった。

「明日は隼人の番ね」

「おう」

「すんごく恥ずかしい思いをして私は頑張ったんだから、隼人もちゃんとやりなさいよ」

「停学沙汰になるまで頑張ったもんな」

「それは言わないで」

「高嶋先生が張りきってるからな。手を抜いたら殺されそうだし、そもそもあの曲は俺も好きなんだよ」

「私も知っている曲?」

「プログレだから、たぶん知らないと思うな。ちなみにゲロッパじゃないよ」

「っもう」

 詞の言葉がスローになってきた。疲れているのだろうと察した隼人が、明日の健闘を約束し静かに通話を終了させた。彼氏の声が聞こえなくなるやいなや、詞は寝入ってしまった。

 

 輝日東高校音楽祭の二日目にして最終日。

 今日は、アマチュアバンドの演奏がメインとなる。自由参加となるので、生徒たちは自分のお気に入りのバンドを見るために、早くから待っている者もいた。夕月のバンドは人気が高く大盛況だった。

 下手なバンドもそれなりに頑張っていた。上手いのは夕月のバンド、いや夕月のドラム以外は見当たらなかったが、それでも高校生らしく熱気あふれる演奏で盛り上げていた。

 トリを飾るのは教師と隼人の混成バンドだ。ボーカルが生徒たちに人気のあるジョニーであるのと、十文字の腕前が夕月よりも凄いと評判になっていたので、とくに女子生徒の観客が多かった。もちろん、その中には詞もいた。左端の目立たない場所で佇むように見ているのが、いかにも彼女らしかった。

 一曲目の演奏が、ギターとドラムの激しい掛け合いから始まった。なんといっても隼人のドラムが目立っていた。これほど叩けるとは誰も思っていなかったので、その顔面のカッコよさと相まって、うっとりとする女子が続出だった。彼らの曲自体になんら興味がなくとも、隼人の雄姿に目を奪われて黄色い声が飛んでいた。

 詞は声援を送っていない。ウンウンと頷きながら、まるで母親のように見守っていた。彼を知っている女の余裕であり、その他大勢とは一味も二味も違うことを自負していた。 

「絢辻、どうだった」

 一曲目が終わって、さっそく声をかけてきたのは薫だった。裕子とともに、いつの間にか詞の後ろにきていたのだ。

「まあまあじゃない」

「ほほう、余裕じゃん。モテる女は違うよねえ。そのうち、十文字も惚れるかもね」

「さあ、どうかしら」

 詞は、とぼけた顔をしていた。

「十文字君って、すごいね。ほとんどプロみたい」

 裕子は感心していた。音に敏感なこの女子高生は、音楽家としての隼人の実力をよく理解していた。

 ジョニーにかわって、高嶋教諭がボーカルのマイクを握る。少なからずのブーイングがおこったが、彼は無視していた。

「おいおい、次は高嶋がボーカルかよ。あのオッサン、なにを歌うんだ。演歌か」

「プギャグレよ」詞が得意そうに言った。

「プログレじゃないの、それ」と裕子が正しく訂正した。

 高嶋教諭が手を振ると、演奏が厳かに始まった。

 暗鬱な響きのメロトロンからだった。ほぼ同時に隼人がいくつかのシンバルをそっと触り始める。そして、彼のリズムがその曲が主題とする暗闇の中をゆっくりと這い進んでいった。高嶋のボーカルがメロディーをなぞりながら抒情的に歌いあげてゆく。

 

《まばゆい陽が沈む日、煌めきが私の視力を貫くのだ》

《だが内在するものに目を転じれば、感じるのは厳かで光なき漆黒の空だけ》   

 

 詞の胸の奥にかつてない不安がひろがりはじめた。灰黒色のどんよりと湿った雲が、感情の神聖不可侵な領域を覆いつくそうとしている。どうしてこんな気分になってしまうのだろうと,瞳を隼人に釘づけのまま思った。きっとこの陰鬱とした曲調のせいだ、大好きな彼氏の演奏を楽しみにしていたのに、こんなに意気消沈するはずはないと焦っていた。詞は、隼人を応援することで内なる領域にわだかまった泥を吐きだそうとする。

 

《古き友人の博愛が笑顔を惨く歪ませる》

《私にとっては空っぽを示す微笑なのだ、光なき荘厳なる漆黒の空に》   

 

 だがその感覚は容易に離れようとはしない。まるで藪の中に隠れ潜んでいるブヨみたいに、しつこく絡みついてくる。詞は軽いパニックへと陥っていく。あの廃屋の夢の中にいるようだった。ぞぞーっと湧き上がってきた寒気が微かな震えを誘発する。そう遠くない暗黒の未来が見えたような気がしたのだ。さらに物憂げなサックスが彼女を奈落へと誘う。

 

《凍った群青に浮かぶ銀色の虚空が、灰色へと墜ちてゆく》

《光なき聖なる漆黒へ》

 

 詞は血の気が失せていた。曲のボーカル部分が終わると同時に踵を返した。腹の中にたまった不浄なるものを吐きだしそうに俯いたまま、足早に体育館をあとにした。薫と裕子が呼び止めるが、彼女が止まることはなかった。

 その日の夜、詞は隼人からの連絡を待っていた。いつものように、ケイタイの当て過ぎで耳が痛くなるくらい甘ったるくおしゃべりすることを切望していた。だが、いつまで待っても着信音はならなかった。何度か自分からかけようとするが、彼女の指先が触れる前に、ケイタイの画面が意志を持っているかのごとく弾くのだ。詞は声に出して自分自身に大丈夫だと言い聞かせるが、どうしても触れることができないのだった。

 



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