絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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 季節が少しばかり過ぎていき、冬に足を踏み入れようとしていた。隼人と詞の距離は、相変わらず開いたままだ。教室でも、事務的なこと以外に話す場面はほとんどなかった。当然のように、夜の電話連絡をすることもなくなっていた。

 隼人の忙しさと人気は下がるどころか、順調に上がり続けていた。動画投稿サイトの主催でプロのバンドと演奏する機会を得て、彼らとの叩き合いとなった隼人は、水を得た魚のように活躍した。勉強のほうにも熱が入り、大学受験のために予備校にも通い始めていた。もうすぐ受験となるのに、いまさら遅い気もするが、とにかく彼のモチベーションは高かった。

 いっぽう、詞は一つの重大なる決心を固めていた。すでに隼人の態度は行き違いの段階を超えて、あきらかに自分を避けていると悟ったからだ。なぜそうなったのか、理由はだいたい察しがついている。あの音楽祭を契機として隼人の内面が少しばかり変わってしまったのだ。思いがけず人気が出てしまい、詞との恋愛に費やす心のエネルギーを失ってしまったようだ。

 恨むような感情はなかった。隼人はこれから輝ける人生を疾走していくはずである。自分が住む世界とは違うのだと達観した心境になっていた。もちろん、今でも隼人のことが大好きであり、いや、前にもまして恋をしていた。それにプラスして、あこがれに近い感情もあった。それ故に、ミュージシャンとしての隼人に成功してもらいたいと願っていた。詞は、彼のことを考えすぎて身を引こうとしているのだ。 

 夕月も隼人に近づけなくなっていたのは、詞にとって、不幸中の少しばかりの幸いだった。他に親しくしている女もいなさそうだ。もし詞以外の女でもできたのなら、嫉妬で心が張り裂けていただろう。

「十文字君、今日は化学室の掃除を手伝ってほしいのだけど」

 昼食時、詞は突然きりだした。

「え、あ、でも俺の当番じゃないよ」 

「私ひとりじゃたいへんだから、手伝ってほしいの」

 詞はいたって無表情に言った。

「十文字、手伝ってやれよ。絢辻にはなにかと世話になっただろう」

 薫が援護射撃を放つ。詞が彼に告白するのだろうと勘ぐっていたのだ。

「わ、わかったよ」

「じゃあ、お願いね」

 放課後、隼人が化学室に行くと、すでに詞がモップをもって掃除を始めていた。彼が入ってきても、とくに目を合わすこともなく淡々と作業を続けていた。

 なにかリアクションがあるだろうと期待していた隼人は、無言で掃除をする詞の態度に戸惑っていた。あきらかに密室デートのお誘いであると考えていたからだ。だが、誘ったほうの彼女は準備室へ行こうとする素振りさえ見せなかった。仕方なく、彼もモップを持って掃除を始めた。

「いちおうハッキリとさせたほうがいいと思うの」

「え」

 唐突に声がかかって、隼人は振り向いた。そこには、しごく真剣な面持ちの女子高生が立っていた。

「私たち、ほら、前のようにはいかなくなったじゃない。お互いに忙しくなったし」

「ああ、うん」

 一方的に忙しくなっているのは隼人であり、詞には余裕があったが、話を切りだすうえでそういう表現になった。

「だから、そのう」

 次の言葉を吐きだすのに、詞は大いに逡巡していた。本心では言いたくないと思っていたからだ。

「一度別れましょう。それで、友達からはじめたほうがいいんじゃないかと思って」

 隼人は無言になった。彼にとって、それは予想外の言葉であったからだ。

「そ、それは」と隼人が言いかけた時に、二年生の集団が化学室の前を通りかかった。

「絢辻さん」

 詞に声をかけてきたのは、生徒会副会長の男子だった。ほかの生徒も全員が生徒会関係者だ。

「探してたんですよ。いま忙しいですか」

「ううん、大丈夫だよ。なにかあったの」

「創設祭のことで相談したいことがあって。できれば生徒会室で話したいんですけど」

「いいよ」

「よかった」

 詞の正直な気持ちとして、それ以上隼人と一緒にいるのはキツかった。生徒会に呼ばれたのは渡りに船となった。

「十文字君、そういうことにしましょう」

 サバサバとした口調で言うと、彼女は化学室を出て行ってしまった。

「あれえ、今日は十文字の当番だったか」

 入れかわりにやってきたのは麻耶担任だった。

「ほかに誰もいないんだな。そうだ、おまえに話したいことがあるんだよ。絢辻さんのことなんだけど」

「うおおおおおおお」

 隼人は突然、大きな声で叫んだ。嗚咽というよりも、咆哮といったほうがいいくらいだった。

「うわああ」

 びっくりした麻耶担任も声をあげた。彼女は鬼のような形相で自分を睨みつけている教え子に、壁際まで追い詰められてしまった。

「な、お、お、落ち着け十文字。わたしは美味しくないぞ。もっと若くてピチピチしたのがいるじゃないか」

 隼人の、いまにも掴みかからんばかりの形相が徐々に崩れてきた。麻耶担任が「?」と思っていると、彼は涙を流し始めた。

「え、なんで泣いてんの」

 隼人はその場に力なく崩れ落ちた。麻耶担任は彼を準備室に連れていって事情を聞くことにした。

 






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