絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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 恋をすると人の心は複雑怪奇になり、そして非合理であり、しかも過分に情緒不安定に陥ってしまうのは、なにも女の子だけに当てはまることではない。恋愛についての混沌さにおいて、ジェンダーは関係ないのだ。

 隼人は詞に飽きたわけでも嫌いになったわけでもなかった。むしろその真逆であった。可愛い詞が相も変わらず大好きであり、詞以外の女子を好きになったり、付き合ったりしようなどと思うことはまったくなかった。たった一度だけではあるが、お互いの体を重ねあったこともあった。その感触と感動がいまも忘れられず、眠りに入る前には悶絶する毎日なのだ。ならば、どうして彼女から離れるようなツレナイ態度をとっていたのか。それを短くまとめると、次のようになる。

 

 詞が好きすぎて、わけが分からなくなった。

 

 ということだ。より詳細に彼の心情を掘り下げていくと、やはり音楽祭までさかのぼることができる。あの歌バトルで詞が見せたファンクなパフォーマンスに心惹かれ、修業を積んだ和尚のような読経的ラップに微笑し、ビキニ水着でのダンスに心を奪われたのだ。普段は生真面目な優等生なのに、いざとなったら大胆な行動をする。最初の出会いもおおいに驚かされたが、女性の奥底の深さを思い知らされて、その心地よい沼地に引き込まれてしまったのだ。

 以前よりも段違いに、詞を心から愛するようになった。いついかなる時でも、詞の姿が心に浮かんでくる。そのくりくりとした瞳、可愛い顔、柔らかな胸など、隼人の領域のほぼすべてを蹂躙していた。こんなことではイカンと、彼女の残像を打ち消すために、ドラムを叩き勉強に集中しようとするのだが、そうすればするほど生温かくまとわりついて離れない。しかも困ったことに、想いが増せば増すほど消化不良をおこしてしまうのが、十文字隼人という男である。    

 そんな恋する隼人の心情を知ってか知らずか、彼女である詞は、のん気に後輩男子に告白されていたりする。体育館裏で男に言い寄られる彼女を、困った表情をしながらも若干楽しそうな詞の様子を見てしまい、隼人の心の奥に得体のしれない嫉妬心がわき起こった。自分がこれほど詞を愛しているのに、ほかの男の誘いにホイホイと出掛けていくとは何事なんだ。それは不必要に熟成されてしまった勘違いの怒りなのだが、本人にはどうにもならない感情だった。

 隼人は詞に対する愛情を火傷するほど焦がしてしまい、まるで幼児のようにふて腐れてしまったのだ。詞と比べると、隼人の恋愛年齢は、どうしようもなく幼かった。その稚拙な感情が不機嫌とネグレクトを強要し、彼は自作自演の収拾のつかない状態に嵌り込んだ。すでに危険な領域、ポイントオブノーリターン付近をさ迷っていたのだった。

 

「はっきり言っておまえの気持ち、支離滅裂だぞ。アホが」 

「すみません」

 麻耶担任は椅子にふんぞり返り、隼人はなぜか床に正座していた。

「それで絢辻さんは、ほんとに別れるって言ったのか」

「はい」

「なんて言われたんだ」

「友達からはじめようって」

「あちゃー、それ言われたらダメだわ」

 落ち込む男子生徒の顔を尻目に、教師は自分用の紅茶を淹れた。

「でも、絢辻さんはおまえと別れたいって感じではなかったけどなあ」

「マジですか。じゃあなんで別れようなんて言ったんですか」

「それは、おまえが意味不明だからだろうが。女の子を散々不安にさせたら、ふつうそうなるだろう。男って自己中だから、捨てられるまで気づかないんだよ。ちっちゃいよなあ、ほんとに」

「うっ」

 痛いところを正面から突かれて、隼人は何も言い返せない。

「とにかくだ、ちゃんと話し合えよ。たぶん、そんなに深刻じゃないと思うぞ」

「ほんとですか」

 二人の感情が強すぎて、たまたまた尖った部分がお互いの柔らかい部分に突き刺さってしまっただけだと麻耶担任は判断した。落ち着いて話せば、難なくトゲが抜けるだろう。なんだ、こんな小さなコトで大騒ぎしていたのかと思うはずだ。彼女は、まだ熱気の冷めやらぬ紅茶をズズーっと飲みほした。

「それと十文字、進路はどうするんだよ。いちおう進学だったけど、やっぱり音楽関係に進むのか」

「いえ、その気はありません。ドラムは趣味で続けますんで、好きな時に叩ければいいんです。将来は家業を継ぎたいです。詞と同じ大学に行こうと思ってます」

「なに調子のいいこと言っちゃってんだよ。おまえ、アホなんだから偏差値的にそれは無理だろう。まあ、近くの程度の低い大学にかろうじてって感じだな」

「そ、それでいいです」

 少し安心したのか、隼人の表情がやわらかくなった。

「なんか、いろんな意味でホッとしたよ」

 教え子が元気を取り戻したことを確認した高橋教諭は、準備室を出ようとした。

「ここの掃除はやっとけよ。それから、絢辻さんとはしっかりと話し合うんだぞ。中途半端が一番ダメなんだからな」

「はい、いろいろありがとうございます」

 隼人は床に正座したまま、深々と頭をさげるのだった。

 

 その日の夜、隼人は詞にさっそく電話をかけた。しかし、彼女の応答はなかった。何度も何度も呼び出すが、何度も何度も空振りに終わった。

 詞は着信があるのを知っていた。自室の机の上でブルブルと震えるスマホを見つめながら、心中穏やかではいられなかった。しつこい呼び出しに、「もうやめて」と叫んで、頭から布団をかぶって耳を塞いだりしていた。

 詞は、隼人がきっと怒っているのだろうと思った。一方的に別れ話をきり出して、彼の言い分を聞かずに無視するように立ち去ったのだ。怒って当たり前であり、おそらく逆上して、おまえみたいな女とは二度と口をききたくないと罵倒されるかもしれない。やさしい隼人から、口汚く罵られるのは耐えられないのだ。   

 いまの詞は隼人とケンカするだけの度胸がない。別れ話をしたときなどは、胸が張り裂けてしまう寸前だったと、その瞬間を思い出して、今でも身をすくめてしまう。気丈に振舞っていても、ふつうの女子高生でしかない。生真面目なだけに、ついつい深刻に考えてしまうのだ。

 あの後、彼女は生徒会室にはいかず、トイレでひとしきり泣いていた。目を真っ赤に腫らした顔を誰にも見られたくないので、生徒がほとんど帰った後からやっと出てきた。それでも伏し目がちに走って学校を後にしたのだった。

 



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