絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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 創設祭は例年のように、とくにトラブルもなく終了し、すぐに二学期の終わりがやってきた。隼人の容態はまだ良くないらしく、高橋教諭からは、だれも面会に行くなと厳命が下されていた。もちろん、詞も例外ではない。彼のことが心配でたまらない詞であったが、なんとか自重するのだった。

 すぐに冬休みとなった。隼人に会いに行くことを我慢していた詞は、いよいよ辛抱できなくなった。年が明ける前に思い切って見舞いにいこうと決心した。どこの病院かはわかっている。話すことはできなくても、眠っている姿をみるだけいいと思っていた。

 小雪の降る寒い日だった。病院に着いた詞は、受付で隼人の名前を言った。ことわられるかと思ったがあっさり教えてくれたので、よかったと心の中でつぶやいた。

 隼人の病室は個室だった。詞はドアの前で一呼吸おいてからノックをした。中から声がしなかったが、そうっと引き戸を開けた。十文字家の人たちがいたら、挨拶してすぐに帰ろうと考えていた。

 薄暗い部屋の左隅にベッドがあり、隼人は腰かけるように座っていた。なにをするわけでなく、押し黙ったまま一点を見つめていた。

「よかった、もう起きれるんだ」

 寝たきり状態で点滴だらけだと想像していたので、起き上ることができる程度には回復しているのを見て、詞はひとまず安堵した。そのまま病室の中へ身を入れて、彼氏のもとへ近づいていった。

「どっか行けよ、クソ女」

 突然の冷たい言葉だった。相変わらず一点を見つめたまま、隼人がぶっきらぼうに言い放ったのだ。

 詞は一瞬で固まってしまった。数秒間、頭の中が真っ白になったが、なんとか気持ちを奮い立たせて言葉を発することができた。

「ご、ごめんなさい。あの時は私も早く戻って手伝おうとしたのだけど、そのう、会議が長引いてしまって、まさかあんなことになるなんて」

 言い訳をして謝るしかなかった。彼を一人にしたことを怒っているのだと思ったからだ。

 隼人は返事も身動ぎもしない。だた、じっと座り続けている。しばしの沈黙があった。

「そうだ、シュークリームを買ってきたの。隼人の好きなキャラメルクリームがたっくさん入ったのを。紅茶をいれましょうか」

 詞は努めて明るく振舞おうとした。だが、そんなけな気さを隼人が吹き飛ばした。 

「おい、ドブス。慣れ慣れしく俺の名前を呼ぶな」

 ひどくショッキングな言葉が発せられた。詞は、あまりにも容赦のない衝撃で気が遠くなっていた。大病したあとの病み上がりで、精神のバランスが崩れているのだろうと客観的に判断することで、なんとか立っていられることができた。

「あ、あの、どうしちゃったの隼人」

「おまえのようなクソ女なんか相手にしなきゃよかったっていってんだよ。夕月と付き合えばよかったんだ。あいつとはドラムの話しもできるし、クソ真面目じゃないだけ話も弾むしな。おまえはキーキーうるさいだけで、なんにも面白くねえ」

 大粒の涙がこぼれ落ちていた。詞の今までの人生の中で、これほど酷なことを言われたことはなかった。  

「どうしてそんなこと言うの。そんなこと言わないで。私が悪かったから。だから、なんでもするから、隼人のためになんでもするから」

 泣きながらも、詞は隼人にすがるように手をつかんだ。彼はその手を振り払おうとして立ち上がったが、体勢を崩して転倒してしまった。詞がすぐに手を差しのべるのだが、彼は大仰に手を振り回して威嚇するので、あぶなくて近づけない。

「おめえみたいなブスは消えろっていってんだろ。目障りなんだ、失せろ」

 隼人は怒声と思えるほどの言葉を吐きだしているが、詞はそのことを、もはや気にしてなかった。彼の様子が、あきらかにおかしいと感じたからだ。詞は隼人に対してドア側に立っているのだが、彼は窓の方向に向かって必死に悪態をついていた。そこには、確認できる限り人はいない。

「おい、わかったかクソ女。おまえとはきっぱり別れてやるから、もう俺に近づくな」

「隼人」

 自分の後ろから声をかけられて、隼人は、はっとした。ゆっくりと瞼を閉じて、諦めきった表情になった。今までの怒気がすっかりと引けていた。それは、うなだれている様子にも見えた。

「ひょっとして、見えないの」

 詞の表情は、驚きに満ち満ちていた。

「目が見えなくなったの」

 もう一度言った。それが事実でないことを心の底から願っての確認だった。

「ああ」

「どうして」

 隼人が高熱を発したときに、暴走した炎症反応が彼の視力を焼き尽くしたのだ。消滅しかけたと思われた難病がまだしっかりと生きていて、無理をおした彼の身体に牙をむいたのだった。

「もう、もとには戻らないって言われたよ。俺は一生見ることができないんだってさ」

 隼人の視力は完全に奪われてしまった。いまの医療技術では、彼に光を取り戻すことは不可能なのだ。

「私のせい。私が隼人にあんなことをさせたから」

「詞のせいじゃないよ。絶対に詞のせいじゃないんだ」

 隼人は手を振って、自分が座るべき場所を探していた。詞がすぐに駆け寄って彼の腕を自分の腕と絡めた。二人はそのまま、ゆっくりとベッドに腰を下ろした。

「あのときに倒れなくても、いつかこうなってたさ。生まれついての病気だから仕方ないんだ」

 隼人は詞が罪の意識に陥らないように、わざと横暴に振舞って、ケンカ別れする方向に導いていたのだ。それならば彼を憎しみこそすれ、自責の念で彼女自身が苦しまずにすむからだ。

 詞は、隼人になんと言っていいのかわからない。どんな慰めの言葉も意味がないのはわかっていた。ただ、自分がこれからどう生きていくべきかは、はっきりとさせたかった。隼人にわかってもらいたいのだ。  

「私、一緒にいるから。これからも隼人とずっと一緒にいるから」 

「もういいよ、詞。別れてくれよ。俺のことは忘れてくれ」

 自分の腕を強く握っている詞の手を、隼人がやんわりとほどいた。

「俺たちはもう、違うんだよ」

「なに言ってるの。私たちは全然違わないじゃないの。そんなこと言わないで。私いい奥さんになるから。しっかりと働いて、ちゃんと家事もするから」

 それがいかに困難なことなのか、同時に隼人のプライドをひどく傷つけることなのか、興奮状態の詞にはわかっていなかった。

「詞は詞の人生をいくんだよ。真面目な優等生で、ときどきファンキーな女の子で、輝く将来があるじゃないか。俺は自分の道をいくしかなんだ。正直言って、恋人とか結婚とか、そういう余裕はないよ。一人で生きていくことに、いっぱいいっぱいなんだ」

「でも私は」

「もういいだろうさ」

 開けっ放しになったドアに、いつの間にか悠美が立っていた。二人の会話を聞いていたようだ。

「詞ちゃんの気持ちを、今の隼人は受け取れないんだ。察してやってよ」

 悠美にそう諭されて、詞は出かかっていた言葉を呑みこんだ。隼人はなにも言わなかった。

「お母さんたちがもうすぐ来るから、今日のところは詞ちゃんは帰りなよ」

 十文字家の人たちにとって、詞はまだアウトサイダーだ。家族以外の者がでしゃばるわけにはいかない。詞はまた来ることを告げて彼の病室をあとにした。

「しばらくは隼人に会わないでほしいんだ」

 廊下に出てドアを閉めた途端、悠美はそう言った。

「どうしてですか」

「隼人はこれからが大変なんだ。わかるだろう、ふつうの精神状態じゃいられない。そんなところに詞ちゃんがウロウロしたら、混乱して再出発もできやしないよ」

 彼女の言わんとすることは十二分に理解できた。詞は、年内は来ないとだけ約束した。

 

 年が明けて三学期が始まった。三年A組の生徒全員に、高橋担任は十文字隼人が視力を失ったこと、学校を辞めたことを淡々と告げた。卒業扱いとはなるが、彼が輝日東高校に来ることは、もうない。クラス一同がどよめき、昼時まではその話題で持ちっきりだったが、日が経つにつれて隼人のことは話題にでなくなった。

 休み期間中、詞はただ漫然と隼人のことを想っていたわけではない。正月明けにすぐに病院に行ったが、病室に隼人の姿はなかった。彼は転院したとのことだった。どこに行ったか訊ねたが誰も答えてはくれなかった。

 詞は十文字家へと行った。母親に罵倒される覚悟だったが、十文字家は空き家になっていた。詞は、隼人が倒れる前に転居の話しをしていたことを思い出した。一家は、新しい住居へと引っ越したのだ。ならばと悠美のマンションにいくが、そこも空き室となっていた。彼女も引っ越したようだ。十文字來未も輝日東高校から姿を消していた。実家の転居にともない、新学期から彼女も他校へと転校してしまったのだ。

 詞は隼人との接点をすべて失ってしまっていた。ケイタイになんどもかけてみるが、そもそも通じなかった。高橋担任に彼の居場所を尋ねるが、知らないという。連絡先ぐらいは把握しているはずだが、どうやら十文字家のほうから他言無用の願いがでているらしかった。詞は何度も職員室に行ってしつこくしつこく聞きだそうとした。しまいには担任と険悪な仲にまでなってしまい、彼女がきても相手にされなくなった。結局、詞は隼人に会うことなく高校生活を閉じることになった。

 

 卒業式となった。

 詞は地元の国立大学に入学が決まったいた。A組のほかの生徒も、それぞれが新天地に向けて旅立とうとしていた。詞は艶のない表情で、死んだ魚のような目で卒業式会場にいた。式が終わると、輝日東高校の校門付近に卒業生の多くが集まっていた。泣きだしたり、抱き合ったり、また近いうちに会おうと、それぞれが別れを惜しんだりしていた。そんな生徒らの横を、彼女は誰に気づかれることもなく、たった一人で輝日東高校を去っていった。

 



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