絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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 絢辻は、あきらかに心の平衡を崩していた。性格に合わない服で自身を過剰に着飾り、奇抜な言動を繰り返すことで、ワザと自分を傷つけようとしているみたいだった。自虐行為は麻薬のような常習性がある。自分を追いつめて傷つけるほど、その苦痛に溺れてしまうのだ。

 彼女の奇行はエスカレートし、大学では学生はおろか教授たちも警戒するようになっていた。絢辻に声をかける者はいないし、彼女が声をかけようものなら、目を逸らしてそそくさと逃げ出してしまう。心無い中傷の的になり、大勢のまえで嘲笑されたり罵倒されたりすることもあった。だが孤独な彼女に悪い気はしないし、かえってかまってくれたことをうれしく思ったりした。もう、あの優等生な絢辻はいなかった。ただ、あまりにも挙動不審なために人が寄りつかず、不埒な男どものエジキにならなかったのが幸いだった。 

 絢辻はアパートで独り暮らしをしていた。盆も正月も、一度も実家に帰らなかった。たよりの一つもない娘に会いに、母親が時おりやってくるのだが、そういう時はすぐに外出して親との接触を拒むのだった。 

 四年生になると、絢辻は大学にほとんど姿を見せなくなった。四六時中アパートに引きこもって外に出なくなっていた。娘の様子があまりにも尋常でないので、心配した母親が心療内科に連れていった。鬱病ではなかったが、通院が必要なほどには心を病んでいた。しかし適切なカウンセリングはなされず、ただ安定剤を処方されただけだった。彼女の心の闇はじわりじわりと拡がり、狭い箱の中に閉じこもる日々が続いた。そこには成熟した女の精神はなく、いつまでもふて腐れ続ける少女がいるだけだった。

 秋になる頃には、げっそりと瘦せ細ってしまった。誰とも会わない、誰とも話さない引きこもり生活が、彼女の心身を削ぎ落していたのだ。病院にいって薬をもらうだけの生活だが、その通院もやめてしまった。夜中、コンビニに買い物をすることが、外と接触する唯一の機会となった。

 引きこもってしまったために奇行が目立たなくなったが、かわりに、今度は自傷行為をするようになっていた。手首のあたりにハサミの刃を押しつけては肉を切るのだ。ハサミは刃物であるが、例えばカッターやナイフのような切れ味はない。だから少しばかり出血する程度だが、たびたびやるので、治りかけた傷が幾筋ものミミズ腫れになっていた。そんな生活を数か月間続けていた。買い物も数日おきに、たとえばおにぎりなどを買う程度に減っていた。もはやアパートの住人でさえ、彼女の姿を見ることはまれだった。

 春になると、たびたび様子を見にきてくれていた母親が、めっきりと姿を現さなくなっていた。じつは絢辻家では夫婦間に大きなトラブルがあり、両親が離婚してしまったのだ。母親も一人暮らしを余儀なくされ、離婚のストレスから鬱病になっていた。自分のことで精いっぱいで、娘のことを気にかける余裕がなかったのだ。  

 自由人である姉は、外国にいったまま音信不通な状態だ。もともと折合いが悪かった父親とは、そもそも家を出てから一度も会ってない。彼女にとっては、ただお金を振り込んでくれるだけの存在でしかなかった。

 そんな、呆然と生きているだけの生活にも終止符が打たれる時がやってきた。仕送りが突然止まってしまったのだ。父親の経済状況が悪くなり、これ以上の仕送りは無理だと連絡がきた。彼女には少しばかりの蓄えがあるが、一生引きこもるには少なすぎた。この精神状態では就職はおろか、アルバイトでさえままならない。もとより、働く気など全くなかった。

 照明も点けない暗い部屋のすみで、ケイタイを片手に一人呆然と座っていた。コバエが頬にへばり付いていたが、気にかける様子もなかった。

「あはは、私、もうダメだ。ぜんぜんダメじゃないの」

 そのつぶやきに対する反応をしばし待ったが、誰も応えてくれなかった。

「終わりにしようか」

 箱の中の少女は死ぬことを思いついた。ただ何となく、死ぬのがいいと悟ったのだ。

 






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