絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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 次の日の夜、十文字は客室に呼び出されていた。いつもは長くても60分なのだが、めずらしく90分のロングコースだ。いい稼ぎになるし、そういうお客はチップもはずんでくれるので、マッサージ師としてはうれしい。いつものように付添人に連れられてフロントの前を通りすぎようとした時だった。

「ちょっと十文字君、いいかな」

 フロントマネージャーが彼を呼び止めた。

「はい、なんでしょう」

「立ち話しもなんだから」

 彼女は十文字の腕に軽く自分の腕を組んで、ロビーの椅子にいざなった。彼が着席するなり単刀直入に話し始めた。

「今からいくお客さんのことなんだけど」

「はい」

 トラブルになりそうな客なのだと思った。十文字は少しばかり身構えた。

 フロントマネージャーは、その女性客が一人で連泊していること、チェックイン時から挙動があきらかに普通ではないこと、そして、どうやら十文字のことをストーキングしていることなどを説明した。

「若い人なんですか」

「そうね、十文字君と同じくらいかしら」

「そうですか」

「私のほうからてきとうな理由をつけて断っておくから」

 フロントマネージャーは気を利かせて断るつもりでいた。

「でも、そのお客さんはまだトラブルを起こしたわけでもないでしょう。今月は稼ぎが少ないし、ロングの指名は正直、断りたくないです」

 そのお客が自分を指名してくれていることに、十文字は悪い気はしていなかった。目が見えなくても、自分の容姿には多少の自信がある。彼のファンになり、何度も指名を入れてくれる客もいたことがある。そういう器量もこの業界で生きていくうえで必要なのだと、彼は悟っていた。

「十文字君がそういうなら止めやしないけどね。わかっていると思うけど、うちのホテルで男女の秘め事はご法度よ。ヘンな噂はすぐに耳に入ってくるから。もしそんなことをしでかしたら、即出禁にするからね」

 客に性的なサービスをして金を稼ぐ同業者がいることがある。この女性フロントマネージャーは、そういった行為を毛嫌いしていた。そういうサービス目当てで質の悪い客が来るのを歓迎していない。それにつられて、裏社会の人間が出入りするようになったりするからだ。

「このホテルで僕が一度でもそんなことをしたことがありますか」

 十文字はやや語気を強めて言った。目が見えないからといって、舐めてもらっては困ると、サングラスを外して彼女を睨みつけた。

「ごめんなさい十文字君。そんなに悪くとらないで、ちょっとあの客が気になっちゃって。痩せてはいるけど、元はなかなかの美人だと思うの。十文字君がお持ち帰りなんかしちゃわないかと、おばさんはヤキモチ焼いちゃったのよ」

 フロントマネージャーは冗談っぽく言って、緊迫した場の雰囲気を和ませようとした。

「ははは、それは絶対ないですね。どんな美人でも、僕には見えないですから」   

 彼女の意を酌んで、十文字も自虐的なジョークで応えた。

「なにかトラブりそうならすぐに出てくるのよ。なんなら、ドアの外で待ってましょうか」

「それはかえって僕がやりづらいですよ。心配はいりません、こう見えてもプロなんですよ、僕は」

 付添人に連れられて十文字は客室へと向かった。どうにも胸騒ぎがするフロントマネージャーは、帰らずに彼が仕事を終えるまで待っていようかと思ったが、90分の残業は身体に堪えると、後ろ髪を引かれつつも帰宅することにした。

 

 ドアの前で、十文字はマッサージにきたことを告げた。「どうぞ」と内側から声がかかり、付添人とともに座敷に上がった。

 彼女はなにも言わず、ロングコースの料金を十文字に手渡した。付添人が金額を確認したが、彼も触るだけで判別できた。付添人が出て行って二人きりとなった。

「本日はお呼び頂きましてありがとうございます」

 いつもの口上を述べるが、その女性はなにも言わない。これは気難しそうなお客だなと、十文字は心の中で小さなため息をついた。

「あのう、浴衣は着たままで大丈夫ですよ」

 目が不自由でも音で相手の動作がわかる。その女性は浴衣を脱いでいた。彼女は相変わらずなにも言わない。部屋の照明を消して十文字の正面にきて、ほとんど視界が効かない暗闇の中、彼と向き合うように正座した。大人の男に成長した十文字を、窓からさし込むほんのりとした月明かりだけで、絢辻は愛おしそうに見つめていた。 

「あ、あのう、まずは横になっていただければ」

「久しぶりね、隼人」

 象に背中を蹴飛ばされたような衝撃だった。息をするのも忘れて、十文字は凝り固まっていた。目の前に誰が座っているのか、瞬時に悟ったのだ。

「頑張っているのね、隼人。私、ビックリしちゃった」

 絢辻は語りかけるように声をかけた。十文字はよほど驚いたのか、即座に返答することができないでいる。

 少しの間があった。彼女は辛抱強く待った。 

「な、なんだって俺を呼んだよ。わざわざ俺を指名して、面白がっているのか。頑張ってるってどういうことだ。俺にはこれしかないんだ。こうやって食べていくしかないだろうに」

 十文字は、いま現在の絢辻の廃れっぷりを知らない。彼の中では、絢辻詞は誰からも頼りにされる優等生で、つねに大勢の人に囲まれて順風満帆な人生をおくっているのだと思っていた。だから突然呼び出されたことに戸惑うと同時に、愚弄されたように感じたのだ。

「面白がってるとかじゃないよ。偶然見つけたの。もし私と話すのがイヤなら、仕方ないけど」

 絢辻の声の調子から、ひやかしで呼んだのではないということを十文字は理解した。彼女から悪意はまったく感じられなかった。

「俺、ド田舎でアンマやってるんだよ。高校の時はドラム叩いてテレビまで出たのに、なんか笑えるだろう」

「ううん、そんなことない。制服もよく似合ってるよ。隼人は何をやってもカッコイイから」

 絢辻は、へらへらと自嘲する十文字の手をそっと掴んだ。いきなりのことで、彼は一瞬ビクンと反応したが、どうしていいのかわからず、結局されるがままだった。 

 彼女は彼の手をゆっくりと自分の胸に当てる。絢辻は裸であった。

「おま、どうしたんだよ、こんなに痩せて」

 ずっと以前に、彼女の膨らみに触れたことがあった。その時といまこの瞬間の感触は、大分違っていた。あのつきたてのモチのように柔らかで張りのある乳房が、骨っぽく萎んでいることに十文字は驚いていた。しばし彼女の身体をまさぐった後、腕をつかんで揉みほぐすように探った。すでにマッサージ師としての手つきだった。やがて手首の傷に行きつき、さらに衝撃を受けることとなった。

「これどうしたんだ。リストカットの痕じゃないか。なんてことしてんだよ」 

「私、ダメだったよ。全然ダメだった」

 絢辻の瞳から涙がこぼれ落ちていた。それでも、しっかりと十文字を見ていた。

「隼人がいなくなってから、わかがわからなくなった。もう、なにがなんだかわかない。自分がなんだかわからない。どうしていいのかわからない。よくわからないの」

 若いマッサージ師は少女の苦悶を感じていた。いまの絢辻は自分以上に困難な状態なのだと悟った。

「私の人生、なんにも輝かないよ。光りなんてどこにもない。いまの私は毎日部屋の中に閉じこもるだけの人生だよ。誰とも話さないで、いっつも狭い部屋に一人でいるの。もう一人はイヤ、一人は飽きた」

 絢辻は十文字の手を自分の頬に当てた。

「だから、もういいと思った。もう、生きていてもしょうがないの。ここの近くに断崖があるでしょう。そこで終わらせようと思って、ここに泊まったの」

 十文字はサングラスを投げ捨てて絢辻を見た。彼の心に、やせ細った彼女の憂う顔が見えた。   

「でもね、隼人がいたじゃない。絶対に会うことなんてないと思ってたけど、ここに隼人がいたのよ。一生懸命に働いている隼人に会えることができた。私はずっとイジけてた。もう、どうでもいい、どうとでもなれってね。でもね、隼人はね、知らない人に声をかけてお客さんとって、すごいね。ほんと、すごいね」

「なに言ってのかわかんねえよ」

「私ね、私を終わらせる前に隼人に会えてよかった。ずっと気になっていたから。隼人はあれからどうしてるのか、ちゃんと食べてるのかなって。またパンの耳ばっかり食べてるんじゃないの。髪もボサボサにしたままで、誰かに笑われているんじゃないかって」

 絢辻は温和な笑顔だった。高校生以来の久しぶりの笑顔を、十文字は見たような気がしていた。

「そんな心配なんかいらなかったね。だって、隼人はしっかり自立してるもの。親のスネを齧ってただ生きているだけの私と大違い。立派な大人になっていた。ホントに良かった」

 絢辻は心の底からそう思っていた。不自由な身体ながらも、積極的に客に接して稼いでいる元彼氏を誇らしく思っていた。十文字が社会人として、しっかりと働いている事実がうれしかった。自分のことなどどうでもよかった。長年患っていた心の痛いデキモノが、ポロリと落ちた感じを味わっていた。

「お、終わらせるくらいなら、」

 十文字は、すでに決心していた。

「俺にくれよ」

「え」

 絢辻は聞き返す。

「俺にくれよ。どうせ終わらせるんだろう。断崖から飛び降りたら、もう二度と上がってこれないんだ。そんなもったいないことするくらいなら、俺にくれっていってるんだよ」

 しばしの沈黙が続いた。絢辻は十文字の顔を見つめ、彼も真剣な面持ちで応えた。冷蔵庫のモーターの微かな唸りが、とても大きく感じられた。

「なにを」

 絢辻は訊ねた。その答えを聞きたくて聞きたくて、何年かぶりに心がときめいていた。

「詞だよ。絢辻詞が欲しいんだ。ほかになんにもねえだろう」

 十文字は、はっきりと言いきった。

「俺、少しだけど貯金があるんだ。もうドラムもやってないし、趣味もないから金がかからないんだよ。だから、女房一人ぐらいならなんとか食わせられる。見えなくても一人でなんでもやれるから、詞の迷惑にはならないよ」 

「だって私は、もう終わった女なんだよ。賞味期限が切れて、誰にも見向きもされないゴミなんだよ。ほら、ガリガリに痩せて気味が悪いでしょう」

「いいんだ、その詞でいいんだよ。俺にはもったないくらいだ」

 十文字は絢辻の手を強く握る。そのか細い手は、プロの按摩師によって柔らかく解きほぐされていた。 

「私、隼人のお嫁さんになるの」

「そうだよ。イヤか」

「イヤじゃないよ」

「ほんとうに」

「うん、うれしい。夢みたい」

 二人は抱き合った。隼人はか細くなった詞の身体を気づかって、とてもやさしく抱きしめるのだった。

 隼人と詞は、マッサージの時間いっぱいまで話し合った。なんども言葉が行き違ったが、しばらくするうちに高校生の時のような会話をすることができるようになった。 

 隼人はケイタイを取り出して、組合に迎えの車はいらないと告げた。用事があるのでタクシーを呼ぶと言った。

 二人は詞が泊まっている部屋を出て、エレベーターに乗りロビーへと降りていった。フロントの前を通り正面玄関へと向かうと、すでにタクシー待っていた。その様子をナイトフロントの従業員がじっと見ていた。

 

 隼人のアパートに着いた。知ってはいたが、詞はあらためて部屋の中を見回した。

「きれいにしてるのね」

「週に二回、ヘルパーさんが掃除に来てくれるんだ。もっとも散らかすこともないけどさ」

 隼人は電機ポッドの電源を入れてお湯を沸かした。詞は手伝うことなく彼の仕草を見ていた。慣れているとはいえ、やはり動作はぎこちなかった。だが、それがまた彼女の女心をくすぶるのだった。

「紅茶でいい」

「うん」

「蜂蜜は」

「もう、いっぱい入れて」

 この会話がなつかしくて、詞は目が潤んでしまった。泣いていることを知られたくなかったので、努めて平然としていた。

「これ、詞にあずけるよ。奥さんになるんだから、好きに使ってくれ」

 十文字は預金通帳をもってきて詞の前に置いた。椅子に座って、彼女の動作を確かめるように耳を澄ませている。 

「だめよ。これは隼人が一生懸命に働いて貯めたんだから」 

「いいんだ。お金の管理は奥さんの仕事だろう」

 やや間をおいてから、詞は通帳をひらいた。想像したよりも少ない額だった。隼人の仕事のきびしさがうかがえる内容だった。

「さっきは勇ましいこと言ったけど、じつはそんなにないんだ。ごめんよ」

「ううん、大丈夫だよ。私も働くから」

「働くって、どこで」

「もちろんここらへんでよ。この部屋から通えるところじゃないとね」

 それは必然的にこの温泉街に限定されてしまう。詞は出来るかぎり隼人のそばで働きたいと考えていた。マッサージ組合に事務の仕事でもあればと隼人に訊ねてみた。

「組合にはないけれど、ほかのところで心当たりがあるよ」

 そのツテはそれほど期待できるものではなかったが、隼人はやり遂げる気概でいた。

「明日、一緒に行こう」

「うん」

 その夜、二人の間では大して会話は弾まなかった。お互いに胸がいっぱいになってしまい、それ以上言葉がでなくなったのだ。なんとなくモジモジした時を過ごしているうちに夜中になってしまった。隼人が一緒の布団で寝ようというと、詞は、うんと頷いた。 

 詞は男くさい布団に横たわった。人生を終わりにする旅は、その目的を成就できぬまま無事に終わりを告げたのだ。久方ぶりの安寧が詞の瞼を重くさせていた。彼女は彼と手を繋いだまま、じつに数年ぶりの安らかな眠へと落ちていった。

 

 








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