絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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 それからは、なぜだか絢辻と十文字の距離が開いてしまった。あれだけ打ち解けたように会話が弾んだのに、今ではあいさつ程度の言葉を交わすのが精一杯な状況だ。一時期よく話をしていただけに、お互いが気まずく感じ よそよそしくてぎこちないものとなった。

 絢辻は、異性としての十文字を意識することはなかったが、クラスメートとして気にかけることもしなくなっていた。自分の勉強などでなにかと忙しかったのと、十文字が遅刻しなくなったので、学級委員として世話をする必要もなくなったのだ。創設祭の準備が始まるとなおのことで、彼の残像は中学の想い出と同じくらいに薄くぼやけてしまった。

 高橋教諭はときどき、十文字に対し化学室の掃除を命じていた。個人的な恨みがあってイジメているのではない。むしろその逆で、なにかとみすぼらしい風体の十文字を不憫に思い、話す機会を作っていたのだ。その証拠に、化学室には必ず生徒と教師が二人で掃除をしていた。ほかの生徒には内緒だといって、ジュースやお菓子をくれるのが常だった。 

「おっとヤバい。そういえば教頭に呼ばれてたんだ」

 麻耶教諭は時計を気にし始めた。

「あとは俺がやっときますよ。先生は行ってください」

「いや、罰でもないのに十文字一人にやらせるわけにはいかないだろう」

 ふつうの生徒であれば、この掃除当番は理不尽に感じてところだが、十文字はとくに気にしていなかった。前に何度もやらされて要領はわかっているし、高橋教諭がなぜ自分と一緒にいようとするのか、どことなく察していたからだ。そして、その心遣いをありがたいとも思っていた。

「まあ、どうせたいした用事でもないからすぐに戻ってくるよ。帰りにラーメン食っていくからな。駅前にできたラーメンゴンザレスのブタ脂身マシマシを食うぞ。だから勝手に帰るんじゃないぞ」

 麻耶担任は、そう言い残して行ってしまった。今日は気前がいいなと、苦笑いする十文字であった。

 さて、それでは掃除の続きをしようとモップを持った刹那、突如として絢辻がやってきた。十文字に用があってきたのではない。創設祭の準備をしていたら、生徒会担当の教師に段ボール箱を一つ、化学室に置いてくるように言われたからだ。

「あっ」

 彼の姿を見て一瞬引き返そうとしたが、それより先に名前を呼ばれてしまった。

「絢辻さん・・・」 

 ここでシカトするほど、絢辻は図太い性格ではない。はははと、何かを誤魔化すような笑みを浮かべながら化学室へと入ってきた。

「十文字君、また掃除をやらされているの」

 高橋教諭の、十文字に対する気遣いを絢辻は知らなかった。当然、それが化学室で掃除とともに行われていることも知らなかった。

「やらされているわけでもないんだけど。まあ、先生の手伝いかな」

 十文字は、モップを動かす手を止めることなく言った。

「絢辻さんはどうしてここに」

「私は、高嶋先生に言われてこれを置きにきたの」 

 資料が入った段ボールを抱え、その上に自分の学習カバンをのせていた。A組の教室は展示会場となっているので、私物を置けないのだ。

「ああ、そうなんだ。だったらそこに置けばいいよ」

 あの日のように、彼女が自分に会うために来たのではないとわかると、十文字は下を向き背中を向けた。なんとなく気まずいので、絢辻は資料が入った段ボールを置いてすぐに出ていこうとした。

「うわ」

 手近にある机に段ボール箱をのせようとした瞬間、なんと底が抜けてしまった。ガラガラと派手な音をたてながら資料類が床に散らばり、ついでに絢辻の学習カバンも叩きつけられるように落ちた。留金がはずれて、カバンの中身も散乱し資料と混ざりあってしまった。

「ああ、やっちゃった」大きくため息をついて、絢辻はすぐに拾いだした。

 十文字が傍にきて、散らばった資料類を拾おうとした。

「いいのいいの、私がやるから」

 絢辻は、横から手をだそうとする十文字をけん制した。それでも手伝おうとする十文字の手が自らの手に当たりそうになったが、目にも止まらぬ早業で引っ込めた。それを見た彼は、一緒に拾うことを諦めた。

「それじゃあ十文字君、頑張ってね」

 彼女はカバンを持って出ていった。

 ふーっと、十文字は大きなため息をついた。静かな教室に一人きりになった。さっさと掃除を終わらせようとモップを動かし始めると、少し離れた床に黒いノートが落ちていることに気がついた。それはメモ帳以上ノート未満の大きさだった。なんだろうと、十文字はパラパラとめくって読みだした。

 いっぽう、絢辻が自分の私事ノートを落としたことに気づくには、一時間ほどの時を必要とした。カバンを開けてあのノートがないことに気づき、パニックになった。すぐに化学室での出来事が思い出された。

 凄まじい形相となり、雷神のごとくダッシュした。女性教師が廊下を走らないようにと声をかけるが、ガン無視だった。化学室の扉は閉まっていた。一時間前に彼女自身が閉めたのだ。それを叩きつけるように開けた。

 すごい音がした。びっくりした十文字が何ごとかと振りかえった。その手には黒いノートがあった。彼は、拾ったそれを一時間あまり熟読していたのだ。

 真っ暗になった。突然夜が訪れて、化学室の照明が落ちたわけではない。絢辻詞の雰囲気が、オーラが真っ暗、というよりも真っ黒、いや底なしの闇のように漆黒となっていたのだ。

 一言も声を発せず、呼吸をしているのかも怪しいくらいの沈黙だった。彼女はゆっくりと十文字のすぐ傍まできた。そして、いまだ椅子に座っている男子を、ひどく冷えた眼で見るのだった。

「読んだの」

「えっ」

「読んだのかって聞いているんだ」

 日頃の温和な絢辻とは思えぬダーティーな口調だった。暴力を生業にしている男たちと、同等の迫力があった。

「ええっと、これは、そうか、絢辻さんのだったんだ。あははは。いやあ、読んだっていうか、なかなか興味深い内容だったんで、面白いなあと思って」

 その黒いノートの中身を、十文字は読み切っていた。そして書いた者の趣旨を十分に理解していた。

「まあ、小説だよね。いや、ポエムかなあ。ちょっと女子の実名があったのは驚いたけども」

 腐った魚のような瞳が彼を見つめている。学級委員は微動たりしない。

「はははは」十文字は、どうしたらよいかわからなかった。

 黒ノートには、じつに容赦呵責もない内容が書かれていた。それはすでに誹謗中傷の範囲を超えて、熾烈なる、苛烈なる、激烈なる罵詈雑言の嵐だった。それは、思春期のあり余る負のエネルギーをもって記述されていた暗黒の書だった。 

 絢辻は、相変わらず無言で見ている。穴のあくほど見つめている。十文字は動けなかった。ノートを返そうと思ったが、手を動かした瞬間、なんらかの大爆発が起こるだろうと予感がしていた。これは非常によくない事態であると悟り、鉛のように重たい唾をゴクリとのみ込んだ。

「よう、すっかり遅くなっちまって悪かったな十文字。ラーメンを食いに行こうぜ」

 そこに高橋教諭が戻ってきた。とても重苦しい空気をいっさい感知することなく、能天気にズカズカと中に入ってきた。(先生、逃げて、逃げるんだ)と十文字の心の声が叫んでいた。

「あれえ、絢辻さんじゃないか。どうしてここに」

「高嶋先生から、資料を化学室で保管するようにいわれたんです」

 いつもの学級委員な絢辻に戻っていた。担任にたいしてはニッコリと笑みを浮かべながらも、十文字に対しては殺伐としたオーラを存分に浴びせかけていた。

「そうなのか。これから十文字とラーメン食いに行くんだ。絢辻さんもどうだい」

 ほかの生徒には内緒だよ、と高橋教諭は耳打ちする。絢辻はニコニコと笑顔を絶やさなかった。

「それが先生、十文字君が具合悪くなったようなんです」

 ええー、と驚く十文字であった。そんな事実も、病気の兆候もまったくないのだ。

「なに、本当か。それは残念だな」

 高橋教諭に十文字がなにか言おうとしたが、絢辻の腐った魚の目がそれを抑えていた。 

「これから病院に行くんでしょう、十文字君」異論は認めずというような言い方だった。

「それはなら私が送ってやるぞ。車で行ったほうがいいだろう」

「十文字君の病院は、ちょうど私の家に近いので、バスで送っていきますよ」

「いや、しかしだな」

「大丈夫です。私が責任をもって連れて行きますから」

 二人の女の間で十文字の処遇が話し合われていた。しかし、当の本人はこれっぽちも参加できないでいる。  

「まあ、絢辻さんだったら安心かな。それじゃあ十文字、ラーメンはまた今度な。しっかりと身体を治しとけよ」

 さすが我がクラスの才女は律義だ。責任感の強さは学年で一番だわ、と担任は感心していた。

「十文字君、行きましょう」絢辻は彼の肘のあたりを掴んで立たせようとした。

「い、いや、だって俺は」といって立ち上がろうとしない十文字であった。

「行くのよ」

 絢辻は彼の耳元に顔を近づけて、恫喝するような口調でささやいた。

「は、はい」

 十文字は弾かれたように起立した。そしてロボットのようなぎこちない足取りで、化学室を後にした。

 






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