幻想郷をふらふらと   作:海のあざらし
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日常?非日常?狭間を彷徨いふらふらと 4

「美味しい!」

 

 支那美と紫の作ったカレーの美味具合を、こいしの愛い反応が如実に物語っている。辛さの度合いは甘口で、ブロッコリーや玉ねぎなどの野菜がやや多めとなっている。

 

「お口に合ってるみたいで良かった。おかわりはまだあるから、好きなだけ食べてね?」

 

 余ったら作り置きして隼人と一緒に食べていけば良いという支那美の発案により、作られたカレーの量はここにいる五人に対して約七人前。一人あたりの量を増やせば食べ切れないこともないだろうが、完食した場合は皆多少お腹が重くなること請け合いだ。

 

「うん!」

 

 しかしそんなことはこいしにとっては瑣末事でしかない。美味しい、まだ追加で食べられる、なら食べる。元気で育ち盛りな子供らしく大層好ましい考え方である。つい数時間前にファミレスでそれなりの量を平らげたのに、随分と勢いよく食べるのだなと驚かないわけではないが。

 実際、支那美と紫が作ったこのカレーは並のカレーを取り扱う店が出すそれでは太刀打ちできないのではないかというほどのものだ。野菜一つ一つにまでしっかりと味が染み込んでいるし、野菜に含まれる水分がカレーの味を薄めているわけでもない。加えて旨味成分・栄養共に豊富な豚肉があることで食する者の栄養価的ニーズも味的ニーズも纏めて満たすことの出来る逸品となっている。さらに普通はあまり好んで入れられないであろうブロッコリーのお陰で、カレーの歯応えに飽きが来ないという親切設計付きである。

 

「美味っ。甘口のカレーをこんなに美味いと思ったのは初めてだぞ俺」

 

 辛いもの然り苦いもの然り、刺激の比較的強いものを好む傾向のある隼人からしても、このカレーは充分すぎるほど美味しいというに値するものであった。使っているのは何の変哲もない市販の甘口ルーなのだが、何故かひょいひょいとスプーンを口に運ぶことができる。料理が上手いと普通の材料でもここまで美味しい食事にしてしまえるのかと、隼人は頻りに感心していた。

 

「……っ」

 

 そして絶賛片思い中の男子に手作りの料理を褒められて思わず顔がにやけそうになっているのも、また充分すぎるほど青春してるなぁと年長者組(ユウと紫)に感じさせるに値する光景であった。

 支那美からすれば、現状はある意味で天国でありまた地獄である。支那美も歴とした一人の思春期真っ只中乙女として手料理が美味しいと言われればそれはもう天にも昇らんというほどの気持ちになるが、一方でそれを表に出せるほど彼女は快活な少女ではない。一歩下がって隼人を立てる、そんなタイプの彼女にとって好意という感情を隼人に見せるのはある種の恥ずかしさのようなものがある。ましてや今ここにはユウと紫にこいしがいるのだから、尚更出来ようはずもない。

 

 ではそんな時、女の子はどうなるか?好意とは人の心を熱く燃え上がらせるエネルギー源であると共に、体内に蓄積されれば人の体温を物理的に上昇させる燃料となり得るものだ。そして、人の体が熱を帯びた時、一般に顔の側面部が仄かに赤みを帯びるという現象が起きる。

 

「あ、ありがと…」

 

 そう、所謂赤面である。感情的要因と生理的要因とがあるが、この場合は迷うことなく前者だと見抜くことが出来るはずだ。指ももじもじと組んだり解いたりを繰り返しているし目線も隼人を見たり壁にかけられた時計を見たりと安定していないところからも、彼女が嬉し恥ずかしと照れていることは明白だ。

 勿論と言うべきか、ユウと紫は支那美の態度の変化に気がついていたし、それが隼人に対する淡い恋心の発現であることも理解していた。紫からすれば、彼女がこうして恋に悩み想いを伝えられず四苦八苦している様子を眺めるのは中々に楽しいことである。ユウは心中純粋に支那美を応援していたのだが。

 決して、口は出さない。若輩者達が恋情に振り回されるのを見て、ほのぼのとしたり微笑ましくなったりすることは年を重ねて心体共に成熟した者の特権であると思っている節すら見受けられるくらいだ。

 

「支那美お姉ちゃん、おかわり!」

 

 ここでちょっとピンクチックになりかけていた雰囲気を躊躇なくぶち壊したこいしは、ある意味で勇者と言えるだろう。勿論彼女はおかわりを所望しただけなので何一つ怒られる理由なんてないが、多分もう少しませてきたら空気を読んで暫くの間は黙っている。

 

「……え、あ!うん、入れてくるからちょっと待っててね?」

 

「はーい」

 

 我に返った支那美がこいし用の皿を持って、カレーの追加に向かう。いつもより少し早足であったのは、果たして偶々か。

 

「何を小走りしてんだ。カレー零さなきゃ良いけど」

 

 明らかにいつもとは異なるであろう支那美の様子を見て、出てくる言葉がこれである。この朴念仁、健全なる男子高校生として少しくらい彼女が自分に気があるのではとか思わないのだろうか。支那美が恥ずかしさから伝えられず隼人に至ってはそもそも気がついていないと来ると、現状この二人が思いを通わせられる可能性は極めて低いと言わざるを得ない。

 

「隼人君。貴方、人の気持ちに疎いとか言われたこと無いかしら」

 

「俺ですか?いや、特にそんなことは」

 

 朴念仁より上でメンタリストより下くらいじゃないですかね?そう言ってカレーを食べることを再開した隼人に、さしもの大賢者も何も言えなかった。貴方がその朴念仁なのよと突っ込んでやろうかとも考えたが、何となく話が平行線を辿ってこちらが無駄に疲弊するだけに思えたのでやめておいた。

 子供の恋愛は急激に始まって急激に終わるものであり、また両者ともに程度の差はあれど好意を抱いているものだ。ずっとそう考えてきたし事実今までそれが間違っていたことは殆ど無かったと言っても過言ではない。

 

「世にも珍しい事例だこと」

 

「えっ?」

 

「いいえ、何にも」

 

 支那美ちゃん、頑張りなさい。見てる分にはすっごく楽しいけど同じ女として貴女の境遇には同情するわ。紫が心中で支那美へのエールを送ったのと、こいしの分のカレーを入れて彼女が台所から戻って来たのはほぼ同時の出来事であった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 食事を終えて暫くは隼人達の学校生活についてなど取り留めもない話に花を咲かせていた五人だが、それも酣となって、支那美の発案で始まった合同夜ご飯会の終わりが近づいていた。

 

「さて。そろそろ俺達はお暇にしようか」

 

「そうね。これ以上お邪魔するのも申し訳ないわ」

 

 頃合いを見計らってのユウの提案に、紫も賛成する。時間はもう夜の八時を優に越え、九時にもなろうとしている。他人の家を発つには良い時間帯だろう。

 

「あ、もうこんな時間。残念です、もう少しユウさん達とお話したかったんですけど」

 

 支那美にとって、三人は隼人やとある教師以外では数少ない心を許せる相手となっていた。彼女を蔑むこともなければ絹のような美しい光沢を持つ白髪を気味悪がるようなこともない。

 現代に生きていればこそ当たり前のように聞こえるかもしれないが、少し時代を遡れば因習蔓延る片田舎では白髪は縁起の悪いものとして忌避される傾向にあったのだ。心優しい彼女であっても、それは例外ではない。

 

「仕方ねぇな。やること残ってるって言ってんだし」

 

「分かってるよ、隼人。……三人とも、もしこの街にまた立ち寄ることがあれば、是非いらしてくださいね。隼人と一緒に歓迎しますから!」

 

 ただ珍しい髪の色をしているというだけで満たされることの少なかった少女は、満ち満ちているとでも言わんばかりに、幸福そうにそう言った。

 

「あぁ。()()()()()()()

 

 隼人と支那美はどうだったか分からないが、ユウと紫はその時なんてものがもう来ないことを半ば以上確信していた。

 ユウが、既に今回の異変の元凶ないしはそれに近しいものに目星をつけている。会話の間隙を縫ってこの街の龍脈を隅から隅まで探り、遂に怪しい気配を見つけ出したのだ。解決は、まず間違いなく今日のうちに終わるだろう。

 

「お姉ちゃんにお兄ちゃん、ばいばい!」

 

 研修の名目で連れてきたこいしにとっても、良い時間であった。普段人間と会話することの少ない彼女にとって、人と対等に、楽しく話し合う経験はとても新鮮なものであり、同時に人間はこうして食べて話して生きているのだと知る素晴らしい機会になった。

 きっとこいしは、自分達妖怪とさして変わらないではないかと感じたことだろう。知性をある程度以上有する妖怪は、人間と同じく文化的な生活を好み野蛮な行為を恥じるのだからその感覚は決して間違いではない。

 

「ばいばい。またね」

 

「また今度、ユウ達と一緒に来てくれよ」

 

 それらの声に送られながら、ユウ達は手を振り続けるこいしのペースに合わせてゆっくりと歩き出す。二階の踊り場へと繋がる階段を降り切るほんの少し前に隼人達の方へちらりと目線を向けて見れば、彼らはまだ玄関の外から見送りをしてくれていた。

 程なくして、ユウの視界から二人が消える。こいしも姿が見えなくなったことで手を振るのをやめ、それによって彼らは先程よりは幾分か早いペースで歩みを進める。一階に到着する辺りで上の方から小さくかちゃり、と聞こえたので二人は家の中へと入ったのだろう。

 

「良い子達だったわね」

 

 マンションを出て、三人並んで歩く中で紫がぽつりと呟く。今頃きっと、隼人達はあの部屋の居間に戻ってこびり付かないうちにカレー鍋を洗っているかしている頃だろう。常日頃していることを、今日もする。さらりと紛れ込んだ非常に終ぞ気がつかないままに。

 

「もう会えないってことがちょっと寂しいくらい」

 

 初めに会った時に支那美に警戒の念を抱いていたのが、嘘のようだ。とんでもない力を無自覚のうちに有している存在だと注意は向けていたが、当の本人があんまりにも大人しくて笑うと可愛い普通の女の子であるからユウ達も拍子抜けしてしまったところはある。結局彼女に隠されたものが何なのかは分からずじまいだったが、別にそれを突き止めるためにこの世界へとやってきたのではないのだから良いだろう。寧ろ知らなかったからこそ仲良く語らい共に食事をすることができたと言うべきか。

 

「まぁ確かに、あまり見ないタイプの組み合わせではあったな。久しぶりに俺達のことを人でないと知らない奴らと話ができたのも、良い気分転換になった」

 

 十割人として扱われたのは、外にいた時以来か。幻想入りしてすぐに少女を一人里まで送り届けた際には、妖怪として何十人もの屈強な男共に警戒された覚えがある。害などない温和な神だと中々信じてもらえず、一触即発の状況まで行ってしまったのは、まぁ何とか酒の肴になるといったところか。

 

「さて、程良い気分転換をしたところで本命に取り掛かるとしようか。この先、住宅街を抜けたところに一件の建物らしきものが建っているんだが、どうやらそこにお前のスキマを狂わせている原因がある若しくはいるらしい」

 

「お兄さん、龍脈を見たの?」

 

「あぁ。向こう側に行くにつれて、不純物の混じり具合が酷くなっていっているんだよ」

 

 邪の気配もちらほら感じられ始めてるし、これはあまり宜しくないものかも知れんな。いつも通りの無表情、しかしほんの少しだけ目を鋭くしてそう言ったユウに、紫も頷いて同の意を示す。数分前に笑顔で隼人や支那美と別れた時の彼らは形を潜め、代わって顔を見せたのは小さき大神と境界を操る大賢者だった。

 

「あまり良い予感はしないわね」

 

「だろうな」

 

 会話を交わす間にも、龍脈を流れる力の変質はますますその度合いを強めていく。異物混入の程度が酷い方へと歩みを進めていると、いつしか住宅も疎らになり生き物の気配が薄くなってきた。この頃には、こいしも薄々ながらその気配を察知し始めていた。

 

「お燐が運んでるのは、これとは違うのかしら」

 

 既に妖力は上級妖怪に片足を載せているこいしをして、軽く寒気がするような力だった。妖力でも霊力でも、ましてや神力でもない。こいしのまだ知り得ない謎の力の発信源が、この先にある。

 刺々しい力の持ち主は、明らかに自分たちを歓迎していない。ユウや紫に教わったわけではないが、こいしが拒絶を感じる程の不気味さが一帯を包みつつあった。

 

「確かに様々なことを経験してほしいとは思っていたが、初回でこれは手厳しいなぁ」

 

 せめて第一回目くらいは体験版でお届けしてほしいものだ。肩を竦めてそう言ったユウの考えを、紫はすぐに察した。

 

「ユウ。やっぱりさせるのね」

 

 もしこいしでは力不足のため危険が大き過ぎると判断したのなら、ユウは迷わずに彼女を紫のスキマで帰すだろう。そうしなかった、つまり今回の異変はこいしにとってタフなものになるかも知れないが決して同伴が許されない程ではないということ。彼はこいしの負うリスクと得られる経験値を天秤に掛け、その上で経験積みを取っても良いと判断したのだ。

 

「あぁ。だが、この子にとって超難度までは行かずとも高難度だということは勿論分かっているし、もし本人が嫌がるみたいならお前のスキマで幻想郷に帰してやろうと思っている。……急な話で済まないが、こいしちゃんはどうしたい?」

 

 無理強いするつもりはユウにも毛頭なかったので、最終決定権はこいしの手に委ねられた。突然与えられた二択にも焦ることなく、口元に手を当ててうーんと数秒だけ考え込んでから彼女は音吐朗朗として答えを出した。

 

「勿論行くよ!」

 

 先の異変については、こいしなりに思うところがあった。もう少し自分が強ければ、せめて戦闘の経験があれば自力であの怨霊からも逃げ切ることができたかも知れない。もしそれができていたら、姉を初めとした人妖に迷惑をかけることは無かったはずだ。周りの者達が聞けばそんなことはない、こいしちゃんは何も悪くないと口を揃えて言うだろうが、彼女には彼女なりの意地というかプライドがある。

 

「だって、面白そうだもん!」

 

 そして何より、無意識を揺蕩う彼女は享楽を好む。多少身の危険が伴うドンパチ案件とて勿論守備範囲内である。一度生死を彷徨う大怪我を負って些か慎重な性格にはなったが、かと言って未知への探究心が失われたわけではないのだ。

 

「こいしちゃんらしいわね。動機が」

 

 ユウが推薦し、自らの意思をもってこいしが決めた。ならそこに異論を挟む気は紫になかった。神と妖怪と妖怪と、三人連れ立って目的地へと向かう。住宅街は既に彼らの視界に映っておらず、代わって閑散とした田圃道が目の届く限り何処までも続いている。

 話し合いをしているうちに、元凶に大分接近していた。ここまで来ると流石に平時との違いに気がつくのだろう、動物の気配がこの辺りからぱったりと途切れていた。

 

「静かだね」

 

 ぱたぱたと、三人が石の道を歩く音だけが響くことなく虚に消える。普段は煩い程に反響しあっている虫のざわめきも蛙の歌も、耳を澄ませたところで一音たりとも聞こえない。

 

「文字通り虫一匹いないというやつだ。動物とか昆虫は、普段と違う状況には敏感だからな」

 

 まぁ尤も、とユウが続ける。

 

「こんな間近にまで近寄ったなら、霊感の無いごく普通の人間でも寒気なりするとは思うが」

 

 ユウが唐突に足を止め、目の前を見据える。二人がその視線の先を追えば、木造と思しき建物が三人の前に現れ出ていた。

 

「この中にある何かが、今回の異変の黒幕といったところかしら」

 

「その可能性が高いな」

 

 言いつつ建物の扉へと近づくユウ。如何にも開国和親の後に然程の時を置かずして建てられたと言わんばかりのレトロチックな外装は、街灯もない夜闇の中でえも言えぬ圧迫的な存在感を放っていた。それはある種、森の奥深くにひっそりと佇む廃屋にも近いものであった。

 

「夜分遅くに済まない。誰かいるだろうか?」

 

 こんこんと、二度ノックをして在不在を問う。もっとも、こんな暗闇の中で電灯一つ付けずにいる家に、人がいるはずはない。

 

「予想通りというか、会話の可能な人間はいないみたいだな。よし二人とも、入るぞ」

 

 ドアを開け中へと入っていくユウに続き、紫とこいしも建物内部へと入る。何故ドアが初めから空いていたのか、それは家主のうっかりか誘われているのか、現時点ではどうとも言いようがない。

 建物は相当に損傷が激しいらしく、女神が臍を噛むレベルで腰周りの細いユウが一歩踏み込むだけでぎしり、もう一歩踏み込めばみしりと床の軋む音がする。ここは一階なので、仮に誰かが踏み抜いてしまったところで大怪我に繋がるようなこともないのが幸いである。

 

「明かりは一先ず中を見渡せる程度で良いか?」

 

「ありがと……って、ユウ。もしかしてここ、古道具店じゃないかしら?」

 

 ユウが魔法で光源を出したことにより、店の内装が全員の目にはっきりと映る。年代を感じさせるぼろついた木の棚に陳列されている時計、オルゴール、果てには明らかに古代のものであろうという装飾のなされた土笛。紫の言う通り、骨董品とも呼べるべきそれらを売る店のようにも見える。

 

「夕暮れ時に来れば風情もあるのかも知れないけど、こんな夜も深まりつつある時に来たところで怖さしか感じないわぁ…」

 

 何とも妖怪らしくない弱音を吐きつつ辺りをきょろきょろと見渡す紫。手をそっとユウの肩に乗せ、少しでも恐怖心を紛らそうとしている。彼からすれば明かりもあるのだから怖気付くなと言いたいところだろうが、満足な光度があろうともシチュエーション的に怖ければ無理なのだから仕方がない。

 

「お兄さん。向こうの方から怖い感じがするよ」

 

 へっぴり腰の紫の膝が軽くバイブレーション振動を始めたのと殆ど時を同じくして、全く怖がる気配すら見せないこいしが建物の中から怪しい気配を感じ取った。彼女が向こうと言ったのは、今3人が入ってきた入口とは正反対の方向。即ち、数々の古めかしいもので囲まれた店の奥側である。

 

「そうだな。外で感じた邪気とも同質だ、これが大元の原因と見て良いだろう。お見事だ、こいしちゃん」

 

 店には他にも幾つかのマジックアイテムが置かれていた。中には神代において日本武尊を救ったかの名剣を模したかのような、高純度な霊力を持つものもあった。それらの力も混ざり合う中で的確に捜索対象を見つけ出したこいし。ユウもこれには大したものだと感心した。

 

「えへへ。お手柄になる?」

 

「あぁ、勿論なるとも。あとはそいつを解呪するなり何なりして無力化してやれば、任務完了というわけだ」

 

 簡単じゃなさそうな気配はあるが、まぁ問題なく行けるだろう。そう言ってすたすたと奥へと進んでいくユウの後をこいし、紫の順で追いかける。紫に関してはこんな鬼が出るか蛇が出るかも分からない所にたった一人で置いていかれたくはないという動機も付け加えられようが、何はともあれ十秒程度で三人ともが店の奥部へと到達した。

 その部屋は、およそ十畳あるかどうかといったくらいの、取り立てて広いとは言えないが狭くもないものだった。日本武尊救いの神剣のレプリカ、何が入っているのかきちきちと軋む音が微かながらに聞こえてくる小さな箱、そして。

 

「……何と、鏡か」

 

 邪悪な気配の発端は、一枚の大鏡だった。感覚の鈍い人間でも、前に立てばその異常さに気がつくことが出来るであろう。ユウのように概念的影響を一切合切遮断できる者でない限り、近くにいれば体が芯から冷えるような感覚を味わうはずだ。

 

「あれは、どうしたら良いの?」

 

「そうだな。鏡に呪いが掛かっているなら、叩き割るのが一番確実且つ迅速な方法だ」

 

 鏡を媒体とした呪術は、長い歴史の中でもそう多くはない。だが、その威力は禁呪とされる蠱毒や犬神を大きく上回るものであり、特に強いものだと古の王国を一つ滅ぼしたものもあるほどだ。あくまでユウの主観で語るならば、強烈な鏡使いの呪法は太古の両面宿儺(リョウメンスクナ)に比肩しうる。

 反面、鏡という媒体の宿命か物理的な衝撃に対しては滅法弱いという弱点も存在する。誰か一人が何とか生きて鏡の前に立ちさえすれば、後は鏡面を割ってしまうだけでいとも簡単に呪いを無効化してしまえるのだ。

 

「さて、この店の店主には悪いけれどこの鏡は割らせてもらいましょうか。私の能力もそれで元に戻るでしょうし、第一これ以上こんな怖み全開なところにいたくないわ」

 

 そう言って鏡の元へと歩み寄る紫。最低限の保護だけ腕に掛けて、淑女らしくない殴打の一発で粉々に割ってしまう算段だ。元々そのつもりがなくてもちょっとした衝撃で割れるものだ、妖怪の重い一撃には到底耐えられないだろう。

 鏡との距離が彼女の歩幅で二歩まで迫った時、それは唐突に、あたかも小康状態にあった火山が突然大噴火を起こすかのように始まった。

 

「……!」

 

 突如鏡が紫明色に明滅を始める。その周期に合わせて波動状に放たれる力が、こいしの背筋をぞくりと冷たくさせる。

 

「お兄さん、これは」

 

「鏡もただ割られるだけではないんだと」

 

 紫、一先ずこっちへ。平時より幾分か鋭いユウの声に、弾かれるように紫が従い彼の後ろに控える。

 

「紫に限ったのかは分からんが、とにかく近づくことで作動する類のものだったらしいな。……保護膜をそれぞれにかけるから、一度外に出よう。こんな狭い場所ではろくに力も出せやしない」

 

 ふと気がつけば、ユウの持つ光源が気のせいか少し薄暗くなっている。彼は一切光量を弄っていないのに、光がそこまで広いというわけでもない部屋の隅まで届ききっていない。

 

「妖気をまき散らす以外の影響も及ぼしてくるか。保護膜は掛け終わったから、一旦外に出よう。あの調子なら恐らく中にある核が実体を持って現れ出てくるだろうし、そいつを倒して大団円に落ち着くのが一番手っ取り早くて安全な策だ」

 

 さも当然そうであるべきだと言わんばかりの口振りだが、それは彼らの実力が一定以上であればこそのものだ。もし一般の方々が鏡の呪法と対峙することになってしまったら、一も二もなく逃げることを非常に強く推奨する。腕利きの陰陽師の集団と張り合うような上位存在にまともに立ち向かうよりは、生存確率が雀の涙程度は上がるだろうから。

 

「でも、周りが大変なことになっちゃうよ」

 

 外に出て店から少し距離を取り、鏡の核の顕現を待っているところでふとこいしの頭に疑問が浮かんだ。実力者同士の戦闘となると、いくらユウ達が考慮するとはいえ周囲への被害は抑えられない。

 

「それは大丈夫。俺の能力で周囲をドーム状に覆ってやれば、悪影響が外に漏れ出すこともないし無闇矢鱈にこっちの世界を荒らさなくて済む」

 

 言うと同時、ユウが能力を展開。彼を起点とし、小道具店を域内に含めて半径約百mの半球を形成した。この半球の外郭には隠密の法と防音加工がなされているため、少し離れたところにある住宅街の人々がこの騒動に気がつくことはない。

 

「割れたりしない?」

 

「強度については信頼してくれて良いよ。万一破られそうだったらその都度補強してやることも出来るし、ここには紫もいる。こいしちゃんは何も心配する必要なんか無いから、しっかりと俺達の戦いを見て得るものを得てくれ」

 

 核が実体を持ってこちらに向かってきてくれるというのは、彼らにとっては寧ろ好都合な話だ。狭い屋内では店内部への損害などを考慮しながら立ち回らなければならず戦い辛かったが、逆に一度外に出てしまいさえすれば能力をほぼ全て活かした戦闘が可能になる。こいしにとって、実力者の実戦というものがどういうレベルでどんな展開をなされるものなのか、目で見て音を聞き感覚で感じ取る絶好の機会である。

 

「分かった。頑張ってね!」

 

「ふふ、しっかりと見ていなさいこいしちゃん。瞬きの数だけ経験を失うことに」

 

『……ヒ、ヒ、ヒ』

 

「……今、喋っていたのだけれど」

 

 こいしに対して年長者の格を見せつけようと大仰に格好つけていたところに現れたのは、人の形をしたどす黒い紫色の靄。紫の能力を差し止めたり話を遮ったりするなど、まるで彼女に恨み辛みでもあるかのような妨害っぷりである。

 

『イキテル』

 

 そんな暗紫色の集合体は、ひたひたと歩いてきたかと思えば、ユウ達から二十m程離れたところで立ち止まった。耳を塞ぎたくなるようなノイズが混じった雑音とも取れる声は、酷く棒読みなものであった。

 

『コ、ロス』

 

 同時、靄の頭上に先程の鏡が現れる。まるで手品のように素早く繰り出されたそれからは、店の中で見つけた時にも増して悪しき気配が感じられた。

 ユウ達もその様子を鋭敏に感じ取った。ユウが準備運動とばかりにぱきぱきと片手で左手の指を鳴らし、紫の視線が靄に固定される。こいしは充分な保護をかけられた上で観戦に回り、事の次第を見守る。

 そんな彼らを見て戦闘の意思有りと見たのだろうか、靄は手を頭上の鏡に掲げる。

 

『シ、シネ!』

 

 その声とともに勢いよく振り下げられた腕、その動きに合わせて鏡から凄まじい勢いで魑魅魍魎が迸出した。個々の力は歯牙にかけるでもないが、群れを成して襲われれば脅威となるのは間違いない。

 

「……どれもこれも気持ち悪い見た目してるわねぇ」

 

「同意。流石に二百も三百もこんな奴ら見てても気が滅入るだけだから、ちょっと減らしておくとしようか」

 

 靄の誤算をあげるとすれば、相手(ユウと紫)の総合戦力の膨大さを見誤ったことだろう。靄は、殊彼ら二人の前では数の上の有利など存在しないに等しいということを前もって知っておくべきだった。

 

「そらよ」

 

 至極軽い、それこそ子供相手に手加減してボールを投げる時のような間延びした声でユウが放った幾筋ものレーザービームが、延長線上の有象無象をあっさりと瞬滅させる。何頭もの象が無数の蟻を片っ端から踏み潰していくかのように、欠片も抵抗されることはなかった。

 そのまま地面に着弾させては跡が大変なことになるというユウの気配りの元で軌道を上向きに変えられたレーザーは尚も進み、やがて彼がドームの壁に意図的に開けた穴を抜けていき、そして誰の目にも見えなくなった。

 

「半分は行ったな」

 

 十尺はあろうかという程の極太のビームを同時に何筋も繰り出したというのに、あたかも何も無かったかのようなあっけらかんとした口調でユウはそう言った。疲労も気負いも、見え隠れすらしていない。

 

「追加で呼び出してくるかも知れないわ」

 

「その時は適当に数を調整するさ」

 

 加える調味料の分量を適宜変えていくかのような、危機感も何も感じられないのほほんとした言い草にさしもの紫も苦笑が浮かぶ。本当に、別次元という言葉は彼のためにあるのだろう。彼の前では規格外は少々飛び抜けた雑多であり、普通は遍く雑多でしかない。

 

『オノレ、ナマイ、キナ!』

 

「生意気はどっちだか。世から秘匿される邪法の分際で神に下賎の者共を嗾けた非礼、万倍にもして返してやろう」

 

 靄の激昴にも、ユウは飄々とした様子を崩さない。そんな彼に、靄は残された怪異を全て嗾けた。何をモチーフにしたかも分からないようなぐちゃぐちゃの邪悪な者共が、大挙して彼を殺さんと地を駆け空を飛ぶ。

 別に、もう一度レーザービームで跡形もなく焼き払ってしまうのもありだろう。だが、それでは先程の焼き増しでしかない。ここは一つ趣向を変えて、彼女に任せてみるとしよう。丁度能力発動の準備もできているようだし。

 迎撃の素振りも見せず佇むユウにまっすぐ向かっていく魑魅が、勢いそのままに突如割り開かれた異次元への入り口に飲み込まれていく。靄の指示で動く彼らに、危険を察して攻撃を取り止めるという選択肢は与えられていなかった。次から次へと裂け目の中に飛び込んでいき、そして裂け目の消失とともに跡形もなく消え去ってしまった。

 

「聞いていなかったのかしら。下等な妖怪風情を彼に差し向けないで頂きたいものですわ」

 

 下卑たものばかり相手にしていては、彼の神としての沽券にも関わりますもの。紫が不敵な笑みをもって靄を嘲り、ここに紫の能力の完全復調を賭けた鏡呪との戦闘が幕を開けた。




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