幻想郷をふらふらと   作:海のあざらし
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異界目録之四 ~shopping gods~

「あら、どうしましょうか」

 

 口元に手を運び、困ったように東風谷(こちや) 真苗(まなえ)は呟いた。

 

「ん、どーかしたのか?」

 

「霞様。それが、どうも食材が足りないのです」

 

 緑色の髪に、碧水色の瞳。ぱっくりと脇の部分を開けてある、何処と無く霊夢のそれに似た意匠の服。全体的に緑が緑々した少女は、守矢神社にて風祝(かぜはふり)を務める神職さんである。

 風と一口に言っても様々なものがあり、熱く火照った体を冷ましてくれる爽やかな風もあれば、人々の生活に甚大な被害をもたらす暴風も然もありなん。風祝とは、後者の側の風を鎮めることを生業とする人々の総称である。その歴史は古く、また神事によって神と関わりを持つことから亜流の巫女であるとも言えるであろう。

 

「申し訳ございません、もっと多く買ってくるべきでした」

 

 如何な風祝サマと雖も、ここに無いあれやこれやをぽんと生み出すことはできない。そんな芸当ができるのは、超常の異能を意のままに操る霞くらいのものである。

 

「いや、真苗のせいではないぞ。…そういうことなら、俺が買い出しに出よう」

 

「それでしたら、私がもう一度出向きます。貴方様に御足労頂くわけには参りません」

 

「いーよ。こいつら呼んだの俺だしな」

 

 おいっちにーさんしー、と立ち上がって前屈の体操を行う。特に動いたわけでもないので体が固まっているのだろう、何処からかぱきんと小気味良い音が鳴る。

 

「何さ霞、爺臭い」

 

「うっせ。神だって関節の一つや二つ鳴るわ。なぁ、ユウ?」

 

「まぁ、そうだな」

 

 基本的に人間と同じ内部構造を取る神である二人。より正確にはそれぞれの世界で誕生した人間が彼らと同じ姿形を取って進化していったと言う方が正しいのだが。

 それはともかくとして、ユウも時折首などをばきばきと言わせることはある。大体は勝負事が始まる前にすることが多いように思う。やはり、強者達にとって戦いの前に体の凝りを解すことは重要なのであろう。

 

「だろ?乳臭ぇガキみたいなナリした神もやるんだから、平気だ平気」

 

「…へぇ」

 

 諏訪子に対して彼もやっているのだからと言い訳したつもりであったのだが、霞の予想に反して反応は左隣から帰ってきた。背筋が薄ら寒くなる殺気付きで。

 

「ちょい姫咲サン、今貴女怒るところ無かったよ」

 

「彼の容姿を乳臭いと表現するのなら、似たような背格好の私についてもそう思ってるってことよね?」

 

「いやお前はどちらかっつーと血腥ぇぞ」

 

 誰が上手いことを言えと。いやそもそも、上手いことを言ったのだろうか。どちらにせよ、女性に対して余りにも惨たらしい発言であることに変わりはないのだが。これならまだ乳臭いと言われた方が精神的なダメージは抑えられるのではなかろうか。

 太古の鬼として数多の血を流してきた姫咲と雖も、流石に全く女を捨て切ってしまってはいない。やはり絵巻物の畜生のように醜悪な外見と成り果てるよりは美しいままでいたいわけで。

 

「引っこ抜くわよ」

 

 彼女がちょびっと怒気を顕にしたのを、居合わせた女性陣はほぼ漏れなく仕方ないことだと考えた。寧ろよくちょびっとの範疇で留めてくれたものだ。できるのであれば、そのまま続いて乳臭い認定を受けかかっているユウの援護に回ってあげてほしいところではあるのだが、如何せん否定できる材料が不足している。

 

「何をだよ」

 

「歯か脊髄か目か」

 

「やめておくんなし」

 

 どうも彼女、霞であれば何をしても大丈夫だと思っているらしい。やめてくれ、それは全くの買い被りだ。しかしどちらかと言うと喧嘩を仕掛けたのは霞の方であるため、この脅迫も自業自得と言えなくもないだろう。

 

「次は無いわよ」

 

「へーい。…よし、こんなもんで良いだろ」

 

 開脚体操も終了し、霞の出掛ける準備は整ったらしい。そのまま先程のようにワームホールを開いて街まで下りていくのかと思いきや、ふと思い立ったかのようにむんずとユウの肩を掴む。傍から見れば、線の細い男の子に恵まれた体格を持つ大人が手を出しているようにしか思えない光景だ。

 

「……何だ」

 

「一人ぼっちは、寂しいもんな」

 

「他に候補はいな」

 

 彼の言葉は、最後まで続けられなかった。唐突に霞が開いた抜け穴が、重力という自然摂理の補助を受けて二柱を吸い込んでしまった。程なくして穴は閉じられ、守矢神社は少ししんと静まり返る。

 人これを、拉致行為と言う。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 諏訪国は、大国である。ユウに言わせれば、神代の頃には大国であったとなるだろうか。広大な土地とそれに見合う多くの人々を有していれば、自然と国力も高くなると言うものである。増して諏訪は翡翠(ヒスイ)の産地という価値高い希少性を持っており、周辺地域との交易も大変盛んであった。

 翡翠は、こと諏訪国においては絶大な意味を持つ鉱石だ。かの大国主命が翡翠の原産地である東日本の掌握とそこで祀られていた美しく聡明な奴奈川姫(ぬなかわひめ)の獲得を同時に画策し、幾度かのやり取りを経て見事それを実現させたが、この二柱の間に生まれた子こそが他でもない建御名方神なのである。

 

「……ってなわけで、翡翠はこの国の命運を大きく左右した凄ぇ石だ。知ってたか?」

 

「知ってるよ」

 

 夕食の食材を買い出しに行く序でに、そんな会話が成されていた。霞がそうであるように、ユウも世界こそ異なるものの同じ国の歴史を見てきたのだから、知っていて可笑しくない。

 

「ちっ。やっぱり実際にその時代を生きてきた奴は詳しいな」

 

「この国では嘘か誠かと、あたかも神話のように語られているんだったか。まぁ仕方ない、まさか神々の駆け引きが諏訪を舞台にして行われていたとは想像し難いだろうしな」

 

「世界が違っても、その辺の歴史は案外変わらないもんだなぁ」

 

 意外なことだと、霞は肩を竦める。彼の世界にユウという神は存在せず、ユウの世界にも恐らく霞は存在していない。

 驕っているわけでも何でもなく、自分達はそれぞれの世界において極めて大きな存在であると霞は自信を持って言える。片や宇宙の創造を行った起源の神であり、片や日の本の神々をも凌ぐ強大で確固たる神だ。明言こそしていないものの、霞に近しい領域にいることは間違いあるまい。

 

 これ程の差があるのに、諏訪国の歴史に関してはさして大きな差が無い。神奈子も諏訪子も、守矢神社までもが双方の世界に存在している。よくよく考えてみれば、中々に興味深いことである。

 

「じゃあよ、細かいところはどうだ?例えば、町の様子とか」

 

「生憎、いまいち覚えていない。何せ俺にとって、諏訪大戦が何千年も前のことだからな」

 

「…ほぉ」

 

 少し驚いたように、霞は感心する。まさかそれ程時間的に先を行く世界の住人であったとは思わなかった。

 ふと、昔の記憶が蘇る。過ぎた年月のせいでもう随分と曖昧なものになってしまってはいるが、それでもほんの僅かに思い出せる部分もある。

 

 彼がまだ、神でなかった頃。もしかすれば、ユウや紫達が見てきたのかも知れないあの時代。何のために生きていたのか、はたまた何のためにも生きていなかったのか。そうだ、あの町にはやたらと風景に溶け込めていない寂れた館があったっけ。

 

「なぁ、ユウ」

 

 聞かずには、いられなかった。もうあの日から何億、何十億年と経ったのだから未練などとうに消え果ててしまっているのに。いや、そもそもあの時に未練を感じていたかどうかすら怪しくなってはいるが。

 

「『コンビニ』とか『ラーメン』って単語を聞いて、意味が分かるか?」

 

「何だいきなり。分かるが、それがどうした」

 

「いや、悪い。何でもない」

 

 やはり自分は、根からの神というわけではないようだ。ユウに尋ねたことが変に未練がましい行為であるように思えて、霞は自嘲気味に苦笑した。

 突然過去を語られたって、彼とて困惑するだけであろう。折角仲良くなれそうな相手を見つけたのだから、変な空気になりたくはない。

 

「そうか。…腹が減っているのなら、食事処を探しても良いと思うぞ」

 

 この賑わいようなら、きっと近くに幾つか美味しい店もあることだろう。冗談めかしてユウはそう言った。霞の胸の奥で燻ったものがあることに、見た目不相応な程に聡明な彼は気がついたはずだ。それに触れず、自然な形で話題を明るい方向に持っていってくれたのは、彼なりの気遣いあってのことか。

 

「違うわ。お前こそ、そろそろ紫が恋しい頃なんじゃねぇの?」

 

 だから、霞は流れに乗ることにした。好意を無駄にはしたくないし、何より弄りを返す良い機会と見た。話し相手の隙を見つけたらがんがん突いていきたくなる癖があるのは自覚しているが、大層楽しいので治すつもりは毛頭無い。

 

「と言うと」

 

「そろそろお乳の時間だろ」

 

「…阿呆か」

 

 ユウも、流石にそこまで幼い風貌をしてはいない。人間で言えば、そろそろ簡単な足し引きをちゃんと扱えるようになるくらいの格好だ。それに乳離れとは言うが、彼はいかなる女性からも授乳された記憶が無い。

 

「ははっ、怒んなって」

 

「呆れてるんだよ」

 

「でもよ、あの胸だぞ。飛び込みたくはならねぇのか」

 

 明るいうちということで人目を憚ったのか、こそこそと耳打ちをしてくるその姿は滑稽としか言いようのないものであった。仮にも神がこんな性に目覚めたての子供みたいな会話をしていて良いものかと、ユウは他の神々に対して些か申し訳ない気持ちになった。

 

「そんなはしたない真似ができるか。仮にも娘だぞ」

 

「真面目だなぁ。ユウくらいちみっこい体してるなら、多少の狼藉は許されても可笑しくないだろうに。服の上からなら、ぎりぎり行けるんでねーの」

 

「……その手をやめろ」

 

 わきわきと、何かを揉むようなジェスチャーをする霞。それが具体的に何であるかを口に出すことは、倫理的な観点から憚られる。ただ一つ言うとすれば、それは肩ではない。

 

「あーあ、羨ましいぜ。うちの紫は横腹しか揉めねぇからさ」

 

 ちんちくりんのつるーんぺたーんすとーんに続き、手酷い発言である。彼女とて、好きで減り張りの無い体型に甘んじているわけではない。成長し、誰もが羨む豊かな体付きになる日を今か今かと待ち望んでいるのだ。あと、恐らく世の女性の九割九分九厘は横腹が揉めるとなれば拒否的な反応を示すので是非ともそういった指摘は自重頂きたいものである。

 

「日も高いうちから、淫らな話に耽るものじゃあない」

 

「良いじゃん別に、ここには幸いなことに男しかいないんだぜ?」

 

 普段秘めとかなきゃならんあれやこれやも、晒し放題だ。にやっと笑ってそう言う霞に、さしもの彼も呆れる他に無かった。いつもの彼は、会って一日と経たない男に俗的な話を持ち掛けるくらいに色々と我慢しながら生活しているのだろうか。

 違うな、とユウは結論付ける。今、明らかに自分を見てからにやりと笑顔になったことから、一連の神らしからぬ話は自分を揶揄うことを目的として始められたのであろう。この手の話をあまり好まない彼には、癪だがそこそこの効果を上げられる方法である。

 

「しかし、何回考えても不思議なもんだ。何をどうすりゃあれがあれになるんだよ。同名の別人って言われた方がまだ信じられるくらいだぞ」

 

「何の話をしているんです?」

 

「何って、お前はよく(やすり)をかけた……えっ」

 

 彼が単独で揶揄ってくる霞を捌くのは、困難だ。どちらが会話の主導権を握っていられるかとなると、寡黙である程に分が悪い。だから、彼は第三者を代役に立てることにした。いや、偶然にもその役を担ってくれたと言う方が正しいだろうか。

 少し前から音もなく霞の後ろを取っていた妖怪。ユウを弄ることに没入するあまり、霞が気配を察知できなかった妖怪。そして何よりも、大人の色香や魅力に溢れる素敵な女性を夢見る女の子。

 

「鑢。木などの表面にかけることで、凹凸を無くして平らにするためのものです。それと私にどのような関係があるのか、勿論教えて下さいますよね?」

 

「ゆ、紫……いつから俺の後ろを取っていた」

 

「私の横腹は揉めませんっ!」

 

「そこからがっ!?」

 

 霞の弟子として日々研鑽を重ねる妖怪少女、八雲 紫ははっきりとそう宣言してから強烈な正拳突きを師の鳩尾にお見舞いした。彼程の神の腰を折らせる一撃に込めたのは、妖力だけではあるまい。自分を馬鹿にする発言をした霞への怒りか、はたまた思うように成長してくれない自分の体へのもどかしさなのか。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「最低です、変態ですっ」

 

「返す言葉もございません」

 

 人々が行き交う大路の隅で、烈火の如く激怒する少女の前に一人の男が正座していた。少女より優に一尺以上は大きな体格を持つ男だが、背を丸め地に座るその姿は心做しかとても小さく目に映る。

 何事かと通りを行く者達がちらちらと視線を向けるが、少女の怒り方が尋常なものではないため触れるべからずと判断して皆見ぬ振りをしてしまう。中にはすわ歳の離れた男女の修羅場かと面白がって近付く輩もいたが、漏れなく気の立っている紫の鋭い一睨みに萎縮して踵を返してしまった。

 

「未来の私を含む三人を、客として招いた。全く理解できないことですが師匠のしたことですから割り切るとしましょう。その、未来の私が女性として恵まれた体付きになっているのを良いことに、今の私を子供扱いするのは納得がいきません」

 

「はい……すいません」

 

 さて、この説教はいつ終わるのだろうか。かれこれ十分は傍らで待たされているユウは、そろそろ諏訪の町並みを眺めるのにも飽きてきていた。

 原因は間違いなく霞の失言なので紫は悪くないのだが、それにしても結構な程度で怒っていらっしゃる。この分では余程普段からストレスを抱え込んでいたのだろう。一度堰を切った水が一気に溢れ出すように、溜まり溜まったストレスが爆発すればそう簡単には収まらないものである。

 

 それにしても、つい先程乳臭い云々の一件で姫咲の不興を買ったばかりだというのにもう怒られるのか。些か頻度が高過ぎやしないだろうか。もしこれが平常運転なら、霞は一度自分の直近の行動だけでも見直した方が良いだろう。

 

「むぅ。お客さんを待たせているようですから今回はこのくらいで終わらせますけど、もうやめて下さいね」

 

「今日は最後通牒の多い日だなぁ」

 

「何か言いましたか?」

 

「何にも。…ユウ、済まん待たせたな」

 

 よっこらせと正座を解いて立ち上がる。まだ言い足りないことは幾らかありそうな表情をしているが、どうやら説教は終わりのようだ。

 お疲れと心の中で霞を労っていると、紫がユウの方へと顔を向けた。その顔がかつて見てきたものと何も変わらなかったので、懐かしい気分になった。

 

「えっと、そちらはユウさんですね。初めまして、八雲 紫と申します。貴方は、何年も先の私と知り合いなんですか?」

 

「こちらこそ、初めまして。そうだな、今この瞬間から見て未来と呼ばれる時代で俺達は過ごしている」

 

「師匠がこちらへ呼んだんですよね。すいません、ご迷惑をおかけしていなければ良いんですが」

 

 思わず感心してしまった。嫌と言う程に良く知る抱きつき上等撫で殺し歓迎の紫とは違い、随分と礼儀正しいではないか。まだ妖怪としてはかなり若い部類に入っているはずなのに、見上げたものである。

 

「確かに、最初は少し驚いたけれども。うちの連れ達にとっては異なる世界で時間を過ごすことが良い経験になるだろうし、俺も楽しませてもらっているよ」

 

「それなら良かったです」

 

 彼女を見ていると、どうしてこっちの方は変態淑女に育ってしまったのかが大変気になる。何処で教育方針を間違えたのかと自問したいところではあったが、連れ立って出掛けている手前その欲求は一先ず抑えることにする。

 

「ところで、師匠とユウさんは何をしに町まで来ているのですか?もうそろそろお夕飯の時間ですよ」

 

「その夕飯用の食材が足りなくてな。こいつ連れて、買い出しだ」

 

 連れてきたと言うよりは、引っ張ってきたの方がより正確な表現であろう。何せ同意を示すより早くワームホールに落とされたのだから。

 一言声をかけてくれさえすれば、食料調達に同行することくらい拒みやしなかったというのに。神奈子との勝負の件といい奔放な男だと改めて認識していく中で、ユウははたと気がつく。

 

「そう言えば、何を買ってくれば良いのか聞いていなかったな」

 

「俺は取り敢えず客来てるし焼肉すっかくらいの気持ちだぞ」

 

 来客があれば、焼肉をするのか。そんな何かあれば宴を開く陽気な海賊みたいな理由でご飯の献立を決定しても良いのか、少々疑問ではある。勿論、確固たる覚悟をもって決める必要も毛頭無いが。

 

「完全にこっちの一存だけど別に良いだろ、まさか肉が食えない奴がいるわけでもなし」

 

 食べられる食べられないの問題を指摘したつもりは無いのだが。ユウが言いたかったのは、今日は何々を食べたい気分だという個々の意見を尊重するべきではないのかということだ。魚料理を食べたい者もいれば、ご飯を食べたい者だっているだろう。

 そのことを言おうと思ったのだが、ユウが口を開くよりも早く一行が目的地へと着いてしまった。大路から数十歩程内側に入ったところに、様々な種類の肉をでんと置いてある豪快な家屋があった。そこで大口を開けて欠伸をしていた家の住人と思しき壮健な男は、霞達が近づいてくると人懐っこい笑みを浮かべた。

 

「お、いらっしゃい。見ない顔だな、旅のお人かい」

 

「そんなとこだな。ここに来たのも、最近だよ。…んー、そこの脂乗ってるでけぇ肉くれ」

 

 こいつと交換しよう。そう言って霞が懐から出したのは、夕陽を受けてきらりと光る一振りの業物であった。所謂短刀であり、使用者の技術次第では多方面に力を発揮できる代物だ。

 

「これは……まさか、鉄剣か?」

 

「よく研いでるから、切れ味は抜群だ。悪しき目的でないのなら、何に使ってくれても結構だぜ」

 

「へぇ、こりゃすげぇや。でもよ、こんな良いもの貰って見返りがその肉だけってのはいけねぇな」

 

 これも持ってってくれ。店主は、霞の指した肉のすぐ横にもう一つ大きな肉の塊をどんと置いた。こちらは脂が控えめであり、口当たりがさっぱりとしているので女性陣に好評であるはずだ。

 霞は鉄剣一振りと脂の乗った肉を交換しようとしていた。店主が黙っていれば一つの肉で名刀と呼ぶに相応しい逸品が手に入ったわけである。それを良しとせず、あくまでも双方が納得のいく対等な取り引きをしようとする店主は、もしもう少し後の時代に生まれていればきっと真心を大切にする商売人として大成したことであろう。

 

「良いのか?」

 

「俺ぁどっちかが損する交換は嫌いなんだ。だからよ、そいつも受け取ってくれ」

 

「そういうことなら、遠慮なく頂いてくぜ」

 

 ひょいと分厚い木の板に乗せられた肉を持ち上げ、片方をユウに渡す。突然の横流しではあったが、慌てることなく彼はそれを受け取った。さり気なく一回り大きい方の肉を渡してきたのは、多分だが意図的なのだろう。

 

「ありがとさん、板は後で返しに来るよ」

 

「そりゃ助かる。最近荒くれ妖怪がよく町の近くに出るもんで、木もろくに切りに行けてなかったんだよ」

 

「そりゃ大変だ」

 

 軽い方の肉を持つ霞は、後方にワームホールを展開する。目的の物はもう手に入ったので、守矢神社へ帰るつもりなのだろう。

 突如目の前の空間がぐばっと裂けたことで、店主が目を限界まで見開いて大穴と霞とを交互に見つめる。ぽかんと開いたまま閉じられない口が、彼がどれだけ驚愕したかをよく表している。

 

「んなっ……」

 

「お前さんは、清く正しい心の持ち主だ。ならば、神である俺はそれに報いなきゃならんな」

 

「神?この国には洩矢様と建御名方様しか……いや、まさかあんた!」

 

 何かに思い至ったらしい店主の驚きの声には応えず、霞達はワームホールの中へと消えた。最後に紫が中へ入ってから入口が閉じられ、町の騒がしさがふっと消失する。耳が痛くなる程の静けさの中で、初めに口を開いたのは紫であった。

 

「師匠、何故名乗らなかったんです?」

 

「何故ってそりゃお前、決まってんだろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー そっちの方が、格好良いからだよ」

 

 確かに格好良かった。言わなければ、だが。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「……」

 

 自分に充てがわれた部屋の中で、神奈子は目を瞑り胡座を組んで物思いに耽っていた。諏訪大戦後、ここに住むならということで霞が()()()()()()力を貸してくれたのだ。そのお陰で広く快適な部屋を得ることができたので、神奈子は何も言うつもりは無い。

 

「分からない」

 

 決して目で追えない程に速い動きではなかった。だというのにあの得体の知れない防御術は自分の攻撃全てに余裕を持って対処していたように思える。

 手数が足りていなかったのだろうか。それとも、一撃に込めた力が小さかったのか。はたまた、肉弾戦の技術が未熟であったのか。…あまり考えたくはない可能性だが、彼はほぼ全てにおいて自分を上回っていたのかも知れない。

 戦っている最中、彼の表情は全くと言って良い程に変化しなかった。神奈子自身冷静であったとは言い難いとはいえ、このままでは不味いという焦りの感情が欠片も感じられなかったのだ。恐らくだが、自分は彼の上限を引き出せていない。

 

「…くっ」

 

 何という屈辱か。日の本でも指折りの軍神たる自分が、こうも簡単に退けられるなんて。何も、太陽神である天照大御神や()()()()である霞を相手取ったわけではないというのに。

 民の篤い信仰を一手に集約した諏訪子より、ユウの方が強い。神奈子の戦績を考えればこの結論が出てくるのだが、どうしても彼女は納得できなかった。どちらとも実際に手合わせをしたからこそ分かることだが、覇気がまるで違った。

 片や国の安寧のため不退転の覚悟を決めた土着神の頂点、片や特に強烈な圧を放っていたわけでもない異界の神。向かい合った時、体が震え肌が粟立つ感覚を覚えたのは前者のみであった。

 

「だと言うのに」

 

 しかし、いざ戦ってみれば神奈子はユウという壁を打ち砕くどころかまともに捉えることすらできなかった。たった一撃の蹴りとたった一度の不可視の攻撃が、容易く彼女の意識を奪ってしまった。

 最後に至っては、何をされたか今になっても検討がつかない。突然視界が歪んだかと思えば、何故か自分の部屋で目を覚ますという不思議な現象に見舞われていれば、それも仕方の無いことである。

 

 目を覚ましたということは、それまでの間は気を失っていたわけだ。別段魘されてはいなかったと、様子を見ていてくれたらしい諏訪子は言っていたが、起きた時にまず初めに感じたのは頭が割れるのではないかと錯覚する程の頭痛であった。そのせいか、起きてすぐはここ数時間の記憶が酷く曖昧なものになっていた。

 

「術の類か」

 

 戦闘中、折を見て仕掛けていたのだろう。何としてでも攻撃を当ててやろうと躍起になっていた神奈子では、その不審な動きに気がつくことができなかった。

 それにしても、『どの機会で』『何度』()()()をされたのだろうか。幾ら集中を欠いていたとはいえ、そう何度もやられれば流石に一度くらい目に入ってくるはずなのに、そんな所作はただの一回たりとも見られなかった。或いは、自分に気を配りつつ同時進行で術の構成も行っていたのかも知れないが。もしそうなら、いよいよもって神奈子にはどうすることもできない。精々が、発動される前に彼を倒すくらいしかないはずだ。

 

 散々に体力と神力を削られ、挙句の果てに気絶までさせられたのと引き換えに得られた成果はあまりに乏しいものであった。手の痛みなんて戦闘をやめて冷たい水で冷やしたりすればすぐに収まっていくし、術を使われたと推測したところで現状神奈子にはその術を破る方法が全く思いつかない。そもそも、どのような術が自分を昏睡させたのかすら判明していないのだから対処のしようがなくても当然ではあるのだが。

 

「…しかし、これは堪える」

 

 久方ぶりの、完敗であった。狐にでもつままれたかのように、終始主導権を彼に握られたままの大敗を喫してしまった。

 あぁいった防御主体の系統を相手取った経験が足りなかったとか、あくまであれは模擬戦だったとか、言い訳は考えれば幾つか思い浮かぶ。それがまた、神奈子を苛つかせるのだ。惨敗でも惜敗でも負けは負けであり、そのことは真摯に受け止めていかなければ自身の成長に繋がらない。そう頭では理解しているつもりでも、いざ負けてみるとそれを認めるのがどうしようもなく悔しい。往生際悪く、あれこれと理由を付けてしまう。

 

 これでは、駄目だ。自分が更なる高みを目指していくには、敗北すら糧にしなければならない。決して自分は霞のような絶対無敵の神に非ず、ならば驕り高ぶってはいけない。もっと力を蓄えて技を磨かなければ、霞に次ぐ大神となれない。

 

「私も、まだまだということだな」

 

 力も心も、まだまだ最高神のお歴々には敵わないらしい。だが、きっとそれで良い。未熟であるということは、まだまだ上へ行けるのだという何よりの証拠ではないか。

 長い年月が経過して完全に熟し切った一人前の神となった時、どれ程立派になれているのかは今現在の自分の努力が決めることだ。これまで自分にできることを最大限してきた、少なくとも神奈子はそう思える。だから、これまで通り努力を重ねていく他に道は無いのだろう。

 自分が不器用なことくらい、自身が一番良く分かっていることだ。近道と思って変な道を歩めば、結局遠回りになってしまう。

 

 自分に進める道は、一本(地道)しか無い。

 

「…気持ちを改めねばな」

 

 いつまでも敗戦を引きずっていては、諏訪子や真苗達に迷惑となる。それに、今は霞が招いたという来客が守矢神社に滞在している。すっぱり忘れてしまうわけではないが、一旦このことは隅に置いておこう。

 

「む、この神気は霞様か。帰ってこられたのかな」

 

 神奈子の知らないうちに、何処かへ出掛けていたらしい。ならば、出迎えなければ不敬というものであろう。霞本人は自由な気質もあってか気にならないそうだが、だからと言ってその言葉に甘えてしまうわけにはいかない。起源の神たる彼に払われるべき当然の敬意というものがある。

 

 広間に、直接転移穴を開いて帰ってきたようだ。あそこには確か、自分以外の皆が待機していたはず。遅れるわけにはいかないと、神奈子はぱたぱた小走りで広間まで駆けていった。



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