影の刻の中で   作:甲斐太郎

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2009年4月30日

 

学校へ向かう私と有里くんの足取りはまるで重石を載せられたかのように鈍いものだった。ただの推察でしかないが、人を人と思わない凶悪な犯罪グループに狙われているかもしれないということは、私たちの心に暗い影を落とした。本当に10年前に無償の愛を注いでくれるはずだった大切な家族を失ったあの事故から碌な目に合わない。

 

2人揃って辰巳ポートアイランド駅から学校に向かってトボトボと俯きがちに歩いていると、少年特有の鈴のようなコロコロとした声で誰かが呼ばれているのに気付く。呼ばれているって言っても呼称が「お姉さん」なので思い当たる者たちが振り返っているが、振り返った誰もが首を傾げて学校に向かって歩きなおす。次第に少年の声は近づいてきて、腰の辺りに衝撃が走った。俯きがちの猫背状態だったので、背骨に何かが直撃して強制的に背中がシャンとなった。見ればランドセルを背負った少年が蕾から開いたばかりの花のような笑顔で私に抱きついていた。

 

「け、乾くん?」

 

「おはようございます、お姉さん!」

 

「何?結城の知り合いなの?」

 

「えっと、まぁ……」

 

私は苦笑いしながら有里くんに答える。知り合いといっても一言二言会話しただけの仲だ。それを知り合いとしてカウントしていいのかどうかを悩んでいると乾くんは腕を組んでほっぺたを膨らませながら言う。

 

「聞いてください。晃さんひどいんです!『はがくれ』で働いている和泉さんが、ぼ・く・に!おまけしてくれたチャーシューと煮卵を食べちゃったんです。ひどいと思いませんか?」

 

「うん。それはひどい」

 

「僕の気持ちを分かってくれますか、お兄さん!」

 

何故か私ではなく有里くんとの会話で盛り上がる乾くん。『はがくれ』というラーメン屋は編入初日に順平が私と有里くんを連れて行ってくれたお店だ。こってり濃厚なトンコツスープを纏う極太麺。厚切りされたチャーシューとしっかりと味が染み込んだ煮卵の付け合せは確かに絶品だった。

 

「晃さんはそれを悪いことだと考えないで謝りもしない。なので!お返しに今日は起こさずに来ました。遅刻して先生に怒られればいいんだ」

 

「うん?その晃くんとは一緒に住んでいるのかい」

 

「和泉さんの家に居候させてもらっているんです。今で言うルームシェアって奴です」

 

乾くんを私と有里くんで挟んで歩きながら世間話で彼の現在の状態を聞く。つまり、乾くんの話では晃くんとは血が繋がっていないが仲が良く、2人して『はがくれ』で働いている和泉さんという人の家に居候し、家主の人と合わせて3人で住んでいることになる。乾くんみたいな小学生が親から離れて、そんなところで暮らしているというのは暗に親が不幸にあってしまったと考える方が無難だ。幸い乾くんは明るい性格なので、そういった話題にはならなかったけれど。乾くんは同じクラスの友達を見つけたのか、私たちの元から駆け足で離れて行った。

 

「乾くんだっけ、小学4年生ってことは……丁度10歳か。もしかしてボクたちと“同じ”なのかな?」

 

「それを聞くのは野暮ってものだと思うよ、有里くん」

 

私たちは乾くんの後姿が小等部の校門に入っていくまで見届けた後、高等部の校門に向かって歩き始める。そして、教室に着くとクラスメイトの男子たちがざわめき立っていた。何事かと男子の中で一番喜んでいる友近くんに尋ねると教育実習生として大学生が来るとのこと。ウチのクラスには女子大生が来るようで、男子たちの熱狂はそれの所為みたい。

 

「男子って、アホなんじゃないの?」

 

「あははは。仕方ないよ」

 

頬杖をつきながら呆れた視線を騒ぐ男子に向けるゆかりと話をしつつ過ごしていると予鈴がなり、思い思いのところにいた男子たちが自分の席に戻っていく。そして、担任の鳥海先生が入ってきた。

 

「はぁ……、貴方たち情報を仕入れるのが早過ぎじゃないの?」

 

「鳥海せんせー!どんな人ですか?」

 

呆れて首を横に振る鳥海先生を余所にクラスの男子たちのボルテージが上がっていく。私は不意に一緒の寮に住んでいて、今日は並んできた有里くんを見る。彼の視線は下を向いていた。俯いている訳で無く、すでに寝こけていたのである。通常運転な有里くんを見て、私は苦笑いを零した。

 

「いいわ。入ってきて」

 

「はいな!」

 

鳥海先生の掛け声で入ってきたのは朝日を浴びてキラキラ輝く銀色の髪をポニーテールにし、ウサギを思わせる赤い瞳が特徴の長身の女性であった。ただ、人間の耳に該当する部分のアレは何だろう。手足はピッチリとした女性用のスーツで隠れているけれど、所々気になる膨らみがある。普通の人間にはありえない膨らみが。クラスメイト全員が登場した人物に対して驚きのあまり言葉を失っている中、女性は黒板にチョークでデカデカと自分の名前を書いた。そして振り返ってすぐにクラスの中を見渡した後、手を胸に当てつつ自己紹介を始める。

 

「ウチの名前は『伍志木ラビリス』やで。知り合いに頼まれて勉強をしにきましてん。よろしゅうお願いしまっさ」

 

 

 

 

あまりにツッコミどころがあり過ぎる教育実習生の伍志木先生であったが、彼女が担当することになった数学の授業は関西弁という言葉なまりのハンデこそあったもののとても分かりやすいものだった。それと“目”というか“高感度センサー”でも頭の後ろについているのか、生徒が居眠りすれば百発百中のチョークが彼女が振り向くと同時に射出され、居眠りの常習犯である有里くんはボコボコにされた。ちなみに順平の額にも赤い丸印がついている。

 

「……痛い」

 

「ははは、自業自得だよ。有里くん」

 

額や頬だけでなく全身を擦っている有里くんの様子を見て、狙われているのが分かっているのに授業中に居眠りをするという選択を選び続けた彼に私は苦笑いを向け、心の中で密かに拍手を送る。ゆかりは口をへの字にしつつ、文句を告げる。

 

「アンタたちの所為で、授業が中断しまくったじゃないの。伍志木先生も後からノリノリだったし。……チョークで変化球なんか投げられないわよ、普通」

 

「普通って、ゆかりっち。伍志木せんせは確実に普通じゃねぇだろ」

 

「「うん。どう見たって、ロボ」」

 

巌戸台学生寮に戻ってきて早々、私たちは自分たちのクラスに来た実習生である伍志木先生について思いの丈をぶちまけた。そして、ゆかりと順平のやり取りの直後、私と有里くんは一字一句まで同じ事を言う。ゆかりは両手で顔を覆い、細い肩を震わせる。順平は納得するようにうんうんと大きく頷く。私の目の前で男女の感性の差がありありと繰り広げられている気がする。

 

「もうこれ以上、私の悩み事を増やさないでぇ……」

 

「怒涛の展開すぎて鬱になりそうな勢いだな、ゆかりっち」

 

「いや、もうほんとに勘弁して欲しいよ。『影時間』とか『シャドウ』とか『タルタロス』とか『警察の特殊部隊』とか『凶悪犯罪グループ』とか、今私たちが直面している問題も全然理解出来ていないっていうのに、ここにきて『ロボの教育実習生』って何?何なの?ねぇ、誰かの陰謀なの?」

 

私たちが感じていた全ての疑問を吐き出したゆかり。ついこの間まで「タルタロスはどこまで上がんないといけないんだろ~」とお気楽に言えていた頃が懐かしい。本当に2週間のうちに様変わりしちゃったよね、私たちを取り巻く環境。深くため息をついて俯くゆかりを見て、その場にいた私たちの気持ちがダウナーになりかけた時、玄関の扉が開く音がした。

 

そこにいたのはパンパンに膨れてしまったスーパーの袋を両手に持った鳴上くんと荒垣先輩だった。2人はキョトンとする私たちを余所にスタスタとエントランスを通り過ぎると台所に向かおうとする。

 

「って、ちょっと待ったぁ!」

 

「こんばんわ、結城先輩」

 

「キャンキャン、うっせーぞ。結城」

 

「いやいやいや!え、どうして2人がここに来るんですか!?」

 

2人は台所の机にスーパーの袋を置いて物品を出して冷蔵庫や棚に直しつつ、私を視界に捉えずに返答する。

 

「僕が師匠に料理を習っているっていう話は聞かれましたよね?」

 

「今日がその日っつーことだ。こいつのおかげで食材を安く大量に買えたから、たまにはアキにも美味いもんを食わせてやろうと思ってな」

 

荒垣先輩は鳴上くんの頭をガシガシ撫でると、上着を椅子に掛けて黒色のエプロンを身につける。鳴上くんもまた荒垣先輩に乱暴に撫でられてボサボサになった髪を整えると自分のエプロンを身につける。そして、水煮のトマト缶と葉っぱみたいな物が入ったビニール袋を取り出す。荒垣先輩は冷蔵庫から取り出した鶏モモ肉をパックから取り出して、まな板の上に置き華麗な包丁捌きで筋や余計な脂を取り除いていく。

 

「……ちっ。心配すんじゃねぇよ」

 

「勿論、皆さんの分も作りますからちょっとお待ちくださいね」

 

背中越しに話す鳴上くんの言葉を聞いて振り返ると、物欲しそうな表情を浮かべたゆかりや順平、有里くんの姿。よくよく見ると荒垣先輩の手元にある鶏モモ肉の量もまた真田先輩1人分ではない。そのことを踏まえて荒垣先輩に視線を向けると、返ってきたのは鷹のように鋭い眼差し。篭められた気持ちは『邪魔』の一言だった。そこに佇んでいるだけでイライラを募らせていく荒垣先輩の傍から私たち4人はそそくさと離れ、エントランスから様子を窺うように眺める。

 

「鳴上くんはこの間も見たからいいけど、あっちのおっきな人って確か全体朝礼の後に真田先輩と話していた人よね」

 

「うん、荒垣先輩だよ。元々桐条先輩や真田先輩と一緒に活動していたけれど、“事故”でペルソナを出せなくなってしまったから、現在は2人から離れて活動しているんだって。ちなみに超美味しいイタリア料理店でアルバイトしてるんだよ」

 

「お、それってこの前湊っちが言っていたイタ飯屋のことか?あそこ一見さんお断りだから、知っている奴がいなくてどんな店なのかも分からなかったんだよなぁ」

 

「それは楽しみやね。ウチも連れて行ってくれまっか?」

 

「そんな、仲間はずれなんかにはしな……い……よ?」

 

聞き覚えがあるが、この場所ではありえない声の主に対し視線を向ける。ソファに座り私たちをキラキラとした好奇心旺盛な赤い瞳で見てくる女性。先ほどまで私たちの話題に上っていたロボな教育実習生、伍志木ラビリス先生がそこにいた。彼女の背後には掛けている眼鏡をクイッと上げる仕草をする幾月理事長も立っている。2人が寮の中に入ってきていることに気付いた面々が驚きの表情を浮かべ、腰掛けていたソファから飛び上がる。唯一、有里くんはマイペースにソファにもたれ掛ったままだけど。

 

「うおっ!?」

 

「何で、伍志木先生がここにって、理事長もいるしっ!?」

 

「なるほど、黒幕は幾月さんかー。うん、納得」

 

「いやいや、有里くん。黒幕って何の話なんだい?」

 

幾月理事長は上着のポケットからハンカチを取り出すと額を流れる汗をふき取る。私たちは顔を見合わせると一斉に伍志木先生を指差した。伍志木先生は「人を指差ししてはいけへんよ」と嗜めるようなことを言っているが私たちの目は誤魔化せない。

 

「ぶっちゃけ、伍志木先生ってロボですよね」

 

「まぁ、そうだね」

 

「「「認めるの早っ!!」」」

 

有里くんの直球すぎる質問に私たちは目が点になったけれども理事長は特に隠すようなこともせずにあっさりと肯定。私たちの思いの丈を篭めたツッコミには特に反応せずに彼らは話を進める。その間に伍志木先生は鼻歌混じりで台所に様子を見に行ってしまった。

 

「伍志木くんは、『対シャドウ特別制圧兵装』の『5式型』でね。君たちの戦力強化と護衛を兼ねて、桐条エルゴノミクス研究所より借り受けてきたんだ。君たちの日常に溶け込みつつ、身を守れる立場ということで教育実習生という役職を与える形になったんだよ」

 

幾月理事長は後頭部を掻きながら申し訳なさそうに告げる。私たちは聞き慣れない言葉を理解しようと、それぞれ小さく呟いていたのだが、我らがリーダーの有里くんは違った。

 

「『対シャドウ』って銘打っている以上、ペルソナも使えると?」

 

「理解が早くて助かるよ、有里くん。桐条くんが君をリーダーに据えた意味が今なら分かる気がする」

 

幾月理事長は満足そうに微笑み、有里くんは面倒臭そうに視線を泳がせる。そして、意を決したように真剣な眼差しを幾月理事長に向けた有里くんは今夜幾月理事長がこの寮を訪れた理由の核心について自分の考えを告げる。

 

「戦力強化については分かりました。が、ボクたちに“護衛”をつけないといけない状態になりましたか?」

 

「そうだね。……桐条くんと真田くんには知らせたが、外港でペルソナ使い同士の戦闘があったようなんだ。停泊していた船舶が3隻沈み、大手企業の倉庫が2棟焼失するほどの戦闘だったらしい。そして、黒十字の構成員らしき身元不明の死体が3人分、焼死体で発見されている」

 

巌戸台学生寮のエントランス内は奥の台所で調理している音以外の音が消えた。幾月理事長は瞼を閉じ、淡々と言葉を続ける。

 

「黒十字の構成員といっても相手は人間だ。その人間を相手にして身元不明レベルの焼死体にするまで人体を焼き尽くす焔を扱うペルソナ使いはそう多くない。警察の特殊部隊でも指折りのペルソナ使いだろう。もし対峙するようなことがあれば、脇目も降らず逃げることをお勧めする」

 

同じ炎を使うペルソナ使いである順平は顔を青くしている。私自身焼死体なんて見たことはないけれど、それがどういうことなのかは分かる。影時間の中、ペルソナ使い同士が対峙して戦ったっていうことは、彼らは生きたまま焼かれたということだ。こみ上げてくる不快感を何とか飲み込む。

 

「我々も情報を集めているように、警察も黒十字の構成員もあらゆる方面、あらゆる角度から情報を集めているはずだ。だから不用意な発言は控えるようにして欲しい。どこでも、誰かが聴いているやも知れない。相手は法の番人と、諸行無常の犯罪者だ。なりふり構わず、君たちを拘束し捕えることも辞さないだろう。そうなってしまうと我々でも助け出すことが難しくなる」

 

私たちの身の安全を守るということを放棄したような発言に絶句するしかない私たち。かと言って、幾月理事長を責める訳にもいかない。相手をするには強大すぎる警察と、何をするか分からない犯罪組織が相手なのだから。しかし、私たちと違って冷静な判断を下せる者が1人いる。

 

「つまり、影時間のことやシャドウのことはすっかり忘れて、普通の高校生に戻るなら、これが最後だって通告をしに来たという訳ですか」

 

有里くんが提示したのは私たちが【普通の生活】に戻るための最後のチャンスだった。

 

「その通りなんだけれど……有里くん。君は本当に高校生かい?」

 

「正真正銘、今年17歳になる高校生です」

 

「……。ま、有里くんの言った通りだ。今はまだ決められないだろうから、ゴールデンウィークが明けるまで待つよ。それ以降だと、理由付けが難しくなるからね」

 

幾月理事長の話はそこで切り上げられる。有里くんも黙して語ることが無くなり、私たちも顔を見合わせるだけで何も言えなかった。私たちを取り巻く環境は悪化するばかりで、私たちはどうするのが正解なのか分からなくなってしまったのだった。

 

 

 

 

荒垣先輩と鳴上くんが私たちに作ってくれたのはチキンカレーだった。

 

ほろほろと崩れていくほどの軟らかくなるまで煮られた鶏肉、幾種類の野菜をじっくりコトコト煮ることで得たコク、ハーブやスパイスを組み合わせて作りあえげた珠玉の一皿は大変美味だった。

 

事前にあんな暗い話を聞かされた後じゃなかったら、きっと皆ではしゃげたくらい本当に美味しい料理だったのに。と、しょんぼりしていた私たちの前に置かれるデザート。

 

完熟したフルーツ特有の甘い香りがご飯を食べたばかりで満腹と感じていた脳に直接働きかけたのか、それを寄越せと言わんばかりに腹の虫を鳴かせる。人体の不思議の所為で顔を真っ赤にしつつ、そのデザートを頬張った私は気付いたら自分の部屋のベッドで寝ていたという神隠し的な体験をする。

 

翌日、ゆかりたちに話を聞くと皆も同じ体験をしたらしい。

 

エントランスにいた伍志木先生に話を聞くと、デザートを頬張った私たちは皆、ふにゃふにゃとした幸せそうな表情を浮かべてデザートを堪能し、その場に倒れてしまったとのこと。

 

あの師弟が作る料理、恐るべし。

 


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