艦娘に捕えられた空母ヲ級と不知火の、提督をめぐる話。

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深き海からの呼び声

 ・監禁1日目

 提督である俺は、深海棲艦の空母ヲ級をこっそりと執務室で飼うことにした。

 3階にある小さな執務室は今まであった艦娘とくつろぐためのソファーやティーセットを取り払い、人間1人がここから出なくても生活できるように物を入れて改造した。

 今の執務室は窓に鉄格子があり、提督業として最低限必要な執務机。簡易的だが俺とヲ級用のベッドやトイレを用意。

 冬場の今、部屋を冷やしすぎないように石油ストーブも準備。

 それらは秘書の不知火に手伝わせて大事なものを執務室の外に移動し、殺風景な部屋へと改造した。

 そして、防音で丈夫なカギ付きのドアをつけることによって艦娘たちが俺の執務室に入ることを禁止した。

 入ることができるのは不知火だけだ。

 不知火が他の艦娘から要望を聞き、俺は不知火を通して艦娘たちに指示を出す。

 これで誰かに見つかる可能性が低くなった。

 今、俺は執務机に腰掛けて空母ヲ級を眺めている。

 艦娘に捕えらた彼女が俺のところへ来たとき、すぐに武装解除をして頭のかぶり物と杖、黒手袋を取った。

 両手両足には鋼鉄製の枷をはめて動きを制限し、動きまわらないように首には鎖つきの首輪をつけた。

 彼女は今、黒いズボンと薄灰色の服。それと残された黒いマントに身をつつんで部屋の隅から体を丸めるようにしゃがんで俺を怯える目で静かに見つめてくる。

 俺は彼女の視線を受けとめながら観察をする。

 かぶり物と首元にある『歯』の形をしたものは上下揃うと不気味だったが、ひとつだけでは怖さが激減する。

 彼女の肩ほどの長さの灰色の髪は意外なほどにさらさらとしていて綺麗だ。

 目は吸い込まれる青の色。ずっと見ていると意識を取られてしまうほどに美しい。

 肌は普段から海の中にいるせいか、白に近い色だ。血管でも見えそうかと思うほどの白さ。

 そして艦娘と同じように、深海棲艦も艤装のようなものがないと充分な戦闘力を発揮できないのが判明した。

 海軍で流通している深海棲艦に関する情報、噂、それらの真偽や新しいことを発見できることを期待する。

 幸いにして艦娘の被害は軽微なもので、深海棲艦を捕えることができたのは実に幸運だ。

 捕えた艦娘たちには報償と休暇を与え、今は鎮守府内にいない。そのあいだに深海棲艦の秘密を探る必要がある。

 20代後半という俺の若さが命令違反をし、どんな危険を冒してでも自分のやりたいことをやれと言ってくる。

 目の前にいる深海棲艦を殺さずにいることを重大な命令違反と知りながら。

 

 

 ・監禁4日目

 膝を抱えてうつろな目をしているヲ級の前に、俺が作った食事を静かに置く。

 今までは不知火に任せていたが、どの食事もほとんど食べなかった。

 その中で興味を示したものや食べたものから推測し、今回の料理は俺が作った。

 

「今日の昼飯は自信作だ。なんせ俺が作ったからな、うまいぞ」

 

 料理が入っているステンレスの食器とフォークをヲ級の前に置く。

 食材は魚介類と海藻だけのヘルシー料理。今回は匂いに反応したらしく、目が料理にくぎ付けになっている。

 

「ほら、食えって。いまさら毒なんていれやしねぇから」

 

 俺と料理を交互に一度見たあと、ゆっくりとフォークを手にして恐る恐る海藻サラダを食べ始めた。

 その姿を緊張しながら俺は観察する。

 用意した海藻サラダと魚の刺身、エビのてんぷらを全部食べ終えて、また膝を抱え宙へと視線をさまよわせるヲ級。

 俺はそれを見て無言のまま両手を勢いよく天井へ突き出して喜びを表す。

 ヲ級はそれを見てビクリと震えて目を見開き、なんだか悪いことをしてしまった気もするが気分がよくなり口笛を鳴らしながら食器を片づけて執務机の上に置く。

 椅子に座ると、ヲ級観察記録に今の状態を細かく書く。

 そうしているとドアを5度ノックする音が聞こえる。

 

「入っていいぞ!」

 

 扉に向かって大声を出そ、書類を持った制服姿の不知火が素早く入ってきてドアを閉める。

 ヲ級に蔑む目を向けたあと、無表情な不知火はこっちへやってくる。

 

「司令、今日の書類です」

「聞いてくれ、ついに飯を食ってくれたぞ! 深海棲艦、ベジタリアン説が浮上してきたぞ!」

 

 不知火は俺のすぐ横まで来て、観察記録を覗く。

 

「細かいようですが、正確にはペスコ・ベジタリアンです」

「……細かいことはさておき。だがこれで深海棲艦の生態についてひとつわかったことになるな」

 

 興奮しながらヲ級について観察記録に書き始める俺とは正反対に、不知火は興味なさげにヲ級を見つめる。

 食べ方、食器の使い方、好みなどを余すことなく記録につけ終えたところで不知火が来た意味を思い出す。

 

「それで何の用だ?」

 

 不知火は俺に顔を向けてきて、持っている書類を持ち出す。

 それを受け取って中身を見ると、俺が申請した提案が認可された。

 大戦力を用意して深海棲艦の大規模拠点がある領域で囮をさせ、そのあいだに小規模な複数の拠点を少数の精鋭部隊で同時に叩くという案だ。

 だが、俺の本当の目的はヲ級を観察する時間をもっと得ることだ。

 部下である艦娘たちが出撃や遠征をしなくても、『大規模作戦の準備中です』といえば上の人間も納得してくれる。

 以前から、そしてここ最近の深海棲艦に関するあらゆる資料を集めていることも俺にとって良い方向に影響している。

 長年の悲願であった深海棲艦の研究がうまくいきそうな流れがきたことに、俺は笑みを浮かべ、嬉しさのあまり不知火に抱きつく。

 不知火の体を力強く抱きしめていると、不知火がじたばたと暴れはじめたので開放する。

 顔を赤くし、荒い息をついている不知火に俺はやりすぎたと後悔し、頭をわしゃわしゃと撫でまわす。これなら我慢してくれるのか、顔が赤いまま優しく撫でまわす。

 

「本当に不知火には感謝している。俺のために色々とやってくれて。普通の艦娘なら上層部に報告して俺をダメにするとこなんだけどなぁ」

「不知火は司令の秘書艦です。捨てられた不知火を拾い、ここまで育ててくれた恩を裏切るような真似ができるわけがありません」

「そんな固く考えなくても。俺はただ、自分のやりたいことをやっているだけなんだから」

「それでもです。不知火に取って司令のやることは全て正しいのです。今までも、これからも」

 

 不知火は撫でている俺の手をそっと払いのけ、髪がぼさぼさのまま部屋から足早に出ていった。

 

 

 ・監禁6日目

 ヲ級の食生活を把握し、精神状態が安定しているために今日からは手枷を外すことにした。

 それを不知火に言ったら、『不知火を同席させないと上に言いつけますよ』と強迫されたので不知火も一緒だ。

 手枷を外すのは、自由度を高めることによってヲ級に生きる希望を与え、捕まえてから今まで聞いたことのない声を出させるのが目的。

 俺は膝を抱えて座っているヲ級の前にいき、戸惑っている彼女に本を与える。

 こちらの文字が読めない可能性が高いため、絵本や写真が多い図鑑などを十冊ほどを積み上げた。

 

「暇潰しにはなるだろ」

 

 相変わらず無表情の彼女に笑顔を浮かべたあと、先日に認可された大規模計画の詳細を考えるため執務机へと戻る。

 執務机のそばで待機している不知火から、書類と参考書籍を受け取って作業に没頭する。

 ふと、気がつくと1時間はあっというまに過ぎており、ヲ級を見ると彼女は正座で魚類図鑑を読んでいるところだった。観察をしていると微笑みや悲しげな表情を浮かべている。

 深海棲艦はちょっとした小さな顔の動きもできるのか。

 様子を眺めていると彼女はこちらに気付き、白い肌がほんのりと赤みを持ち、図鑑で顔を隠した。

 

「……深海棲艦って意外と可愛いかもしれんな」

「何を籠絡されかけてるんですか」

 

 呆れた声と深いため息をつかれ、心が傷つく。

 だがこれは大きな発見だと思う。人類を滅ぼそうとする敵、醜く理性もなく殺戮しかしない化け物。

 世間一般からは可愛さのカケラも感じれないのが共通認識だ。軍も同様に。

 深海棲艦を憎き敵とし、交渉しようともしない軍に俺おかしいと考える。

 もしかしたら和平交渉ができるかもしれないというのに。

 ヲ級を見ながら考えていると、強い不知火の視線を感じる。

 

「司令の身に何かあったら、不知火は泣きますよ」

「お前は泣かないよ。むしろ怒りをどこかにぶつけるね。それに、これがあるから安心だ」

 

 机の引き出しを開けて見せ、中に拳銃とナイフがあるのを確認させる。

 拳銃があるのを確認した不知火は、俺の手の上に手を重ねて引き出しを戻す。

 

「そんな無機物よりも不知火を頼りにしてほしいものです。……さて、司令。今日で6日目です。艦娘たちが怪しみはじめました」

「ここまでか。次の機会が来ることを願っておこう」

 深海棲艦の新しい発見はこの6日でそれなりにできた。一度に無理をしてダメになったら元も子もない。

 

 新しいノートを出し、不知火から鎮守府の現状を聞きながらヲ級廃棄の案を練りはじめる。

 

「しれーい?」

 

 計画手順を考えていると透き通るような、それでいて甘くも綺麗な声が聞こえた。

 動きを止め、不知火に顔を向けると小さく横に首を振った。

 不知火が言ったのではないとすると、消去法でヲ級が出した声になる。

 俺と不知火はヲ級をじっと見つめる。

 

「えっと、そんなに見られると恥ずかしい……」

 

 喋った。

 それも報告されているカタコトではなく、流暢な。艤装展開をしてないと精神に負荷がかからなくて上手な言葉を言えるのだろうか? 

 謎が深まるばかりだ。

 外見だけは人間に近いと言われている深海棲艦だが、中身も人間に近いと思う。

 世間一般や軍では深海棲艦は地下世界の住人、放射能汚染によって独自進化した生き物、宇宙から飛来した説がある。

 だが、それらのどれとも違うかもしれない。もしかしたら、元は同じ人間かもしれない。

 様々な妄想と推測が頭をぐるぐると目まぐるしく動いている中、不知火が肩を強く叩いてくる。

 

「司令、司令!」

「あ、あぁ。大丈夫だ」

 

 何にたいして大丈夫なのか言った自分でもよくわからない。

 立ちあがって俺は深く考えることなく、ヲ級の前に行きしゃがんで目線を合わす。

 

「お前、海に帰りたいか?」

「んー、帰りたいけど。でもそうしちゃうとしれーいさんが困っちゃうでしょ? ここから出れる気がしないから私は何もできず、ただ待つだけなの」

 

 この言葉を聞いただけでもわかる高い知能。

 状況判断ができており、きちんと会話をすることもできる。

 そしてなによりも、首を傾ける仕草や声が可愛い。こんなのを普段から見ていると際限なく甘やかしてしまいそうだ。

 いや、しっかりしろ、俺。

 敵に情を持ってはいけない。これは敵だ。こいつは敵だ。人ではない!

 無意識で手を伸ばしてヲ級の頭をなでたくなる衝動を抑え、目つきが鋭い不知火が待っている執務机に戻る。

 

「あと1日なんとかしてくれ」

「……わかりました。司令が非常用に貯めていた間宮羊羹を配給します」

「うまくやってくれ」

「それと、この提案を絶対に了承していただけないといけない問題があるのですが」

 

 あの不知火が深呼吸をし、次にかける言葉を悩んでいるところを見ると相当に大きな問題らしい。

 だが、その困難を俺は何をしてでも乗り越えなければいけない。あともう一歩で深海棲艦と言葉を持ってして話しあいという平和的戦争解決ができるかもしれないから。

 

「今日は不知火もここで寝ます」

「あー……、それは危ないからダメだ」

 

 合理的な考えを持つ不知火らしくない言葉に一瞬だけ思考が止まる。

 不知火が俺から視線をそらさないため、それを受け止め続ける俺。

 それが十数秒経った頃にヲ級が言葉を何か言おうとして、どもる声を出して俺がそれに注意が向いた瞬間、不知火は服のリボンをほどきはじめた。

 

「ちょ、待って不知火さん! あなた一体何をしやがるつもりですか!?」

 驚きのあまりに口調が変わる俺を一切気にする様子もなく淡々と服に手をかける不知火。

 

「司令がヲ級に劣情を催したら危ないですから。変なことをしようとして密着した瞬間に殺されます。それなら私に性衝動を」

 

 言い続けながら上着を脱ぎ、下着姿になってゆく不知火。スカートに手をかけたところで俺は慌ててその手を抑える。

 

「わかった、寝ていいから」

「司令と一緒のベッドを希望します」

 

 寝袋を用意して別々に寝ようという提案を先回りして阻止された。

 俺のモットーは部下と公私混同はしない、ということだ。

 一緒のベッドで寝るということはお互いに性行為を了承しているという暗黙の了解になってしまう。部下は部下。一線を越えてしまうと部下に情を持ち、仕事に大きな支障が出てしまう。

 だが、しかし。深海棲艦の解明は何を置いても優先される。

 溜息をつき、そっと不知火の体を観察する。

 未発達な体だが、引きしまった上半身に美しい白い肌。全体的にどことなく幼さが残る不知火を見ていると少しだけ興奮してしまう。

 まぁ、1日だけなら耐えられるはずだ。

 

「それもわかった」

「そうですか。では準備をしてきますので。くれぐれもヲ級には手を出さないようにお願いします」

 

 なんとなく気分が良さそうに見える不知火は、脱いだ服を着てリズム良い足取りで部屋を出ていく。

 今日の夜は面倒なことになることを予感し、溜息をつく。

 

「しれーい?」

「なんだ?」

 

 呼ばれた声に振り向くと、疑問を浮かべた顔をしているヲ級が。

 

「しれーいはなんで私なんかに優しくしてくれるの?」

「優しくは……いや、優しいか。人体実験や拷問もしてないし。ただ、お前に興味があるだけだよ俺は」

「興味?」

「そうだ」

 

 俺はヲ級に近づきしゃがみむ。視線をあわせ、さっき不知火が言った言葉を無視して髪に手を伸ばす。

 髪の感触は水分を保つことができるのか、しっとりとしていて手触りがいい。

 気にいって触り続けていると、ヲ級は手を伸ばして触っている俺の手を掴む。

 その瞬間、体に電流が走った感覚を感じ、一瞬だけ体の動きも意識も止まる。

 

「私としれーいは相性がいーかもね」

 

 無垢な笑顔の彼女に対し、俺は今の感覚に戸惑いを覚えていた。

 そして夜。

 寝る時間となり、部屋の明かりを消してベッドに入る。

 ヲ級はすでに寝ているらしく寝息が聞こえる。一方こちらのベッドは不知火がすぐ隣にいる状況に心が落ち着かない俺。

 布団をかぶり仰向けになっている俺の腕を、不知火はしっかりと胸元で抱いている。胸のふくらみはあまりないため、やわらかな感触には乏しい。

 でも寝巻すらも着ず、下着姿というのは体温を直接腕で感じてしまって興奮してしまいそうだ。

 

「なぁ、不知火」

「なんでしょうか」 

 

 暗くて表情が見えづらいが、感情がこもっていない声を聞くと不知火は恥ずかしいわけではないらしい。

 言葉で説得しようと考えていたが諦めて、実力行使に出る。

 体の態勢を変え、不知火を抱きしめてキスができそうなほどにまで顔を近づけてきて、低い声を出す。

 

「男と同じベッドで下着姿ってのは、セックスを通り過ぎて凌辱しろと俺には見えてしまうぞ?」

「司令が望むなら不知火は一向に構いません。どうぞ、ご自由にやってください」

 

 体を抱きしめて顔を近づけ、言葉で脅すも不知火は怯えも震えもまったくしない。まさしく冷たい女だ。クールすぎる。

 愛がないセックスというのに俺は興味がまったくなく、抱きしめた腕は頭をなでるのに使ってぐしゃぐしゃと乱暴に2度撫でてから俺は不知火に背を向けようとしたが手を掴まれる。

 不知火のなすがままにさせていると、俺の人差し指を上目遣いで指を丁寧に舐めはじめた。

 指先から始まり、段々と奥へ。目がうるみ始めた不知火は、指の根元までじっくり舐めまわして次は口に入れる。俺はそれを嫌い、力を入れて指を抜く。

 唾液まみれになった指をベッドのシーツにこすりつけて、不知火に命令をする。

 

「やめろ」

「わかりました」

 

 そう答えた途端、先ほどの扇情的な表情や仕草はすぐになくなる。

 普段でもベッドの上でも異様に冷静なのは何が原因なのか。前の提督に捨てられたことと関係があるのかと疑ってしまう。今のヲ級の一件が終わったら、不知火とふたりっきりで出かけて感情が大きく変わるか試すことにしよう。

 俺は不知火に背を向け、目をつむる。

 

「寝るぞ」

「はい」

 

 不知火の返事を合図に俺はすぐに睡眠に入る。

 明日でこの監禁している状況も終わる。ヲ級を調べるのは明日で最後。

 それが終われば、いつもの日常がやってくる。

 

 

 ・7日目

 朝になって不知火と同時に起き、朝食を楽しんでから最後の観察記録をはじめることにする。 

 今日はヲ級の足枷を外す。従順なだし、鎖付きの首輪があるから安全と判断してのことだ。

 調べることは色々とあるが、今日で終わらせれることとなると少ない。

 さらに処分も今日中に済ませないといけない。

 深く椅子に腰かけて机の上で手を組みながらヲ級を見ると、若干の良心が心を痛ませる。

 敵とはいえ、艤装もない彼女を殺してしまっていいのだろうか。

 戦場でなら問答無用で沈めと艦娘に命令をすることはできる。だが、あの無邪気な振る舞いと声を聞いていると自分の判断が鈍る。

 視線の先では、ヲ級は俺が与えたリコーダーを吹こうと努力し、不知火も笛を持ち、向き合って会話しながら吹き方を教えている。 

 首を傾げたり、無意味に手足をぱたぱたと動かすその姿は人間そのものだ。これ以上ヲ級を観察しつづけるのは情が移って心が辛い。もし不知火がいてくれなかったら俺はこのままヲ級と暮らす日々が続いていただろう。

 引き出しを引き、観察記録のノートをしまって代わりに大振りのナイフを取り出す。

 

「不知火」

「はい。何かあれば声を」

 

 俺がヲ級を処分することに気付いてくれ、素早く二人分のリコーダーを持って部屋を出て行く。

 ナイフを持つ手を後ろに回しながらヲ級にゆっくり近づく。

 

「ここにいる生活はどうだった?」

「意外と楽しかった。私たちの世界にはない刺激がびっくりだった。この狭い部屋でもわかる。食べ物の味、色々な物の匂い、様々な音色を通す空気。そして光が綺麗だった」

 

 はにかみながら恥ずかしげに言うヲ級。その言葉は過去形で言われており、自分がこれからどうなるかも薄々感づいているのだろう。

 深海棲艦は知能が高い。人型のは特に。これを最後に知ることができて良かった。

 

「それはよかった」

 

 俺は彼女につけられている首輪をしっかりと掴み、湧き上がってくる罪悪感を強引に抑え、ナイフを首に当てて一気に差し込もうとする。

 その寸前に、彼女は俺の体を両手で抱きしめキスをしてくる。

 突然のことに俺は驚いて対処ができないが、ナイフを持つ手だけには力を入れて落とさないようにする。

 俺の唇をこじ開け、舌が入りこんでくる。かと思ったら舌を軽く吸ってきたりもする。この快感に酔ってしまいそうになるが気を強く持ち、床を蹴って一旦ヲ級から離れる。

 

「ごめんね」

 

 目から涙を一筋流す彼女。

 

「やるなら一言は言って欲しかったね」

 

 涙の意味がわからないが、適当に返事をしては口の周りについたヲ級の唾液を袖で拭い、今度は隙を与えずに刺し殺す決心をし、足を踏み出す。

 その途端、俺の体は力なく崩れ落ちた。

 手に持っていたナイフが手から離れ、床に落ちては甲高い音をたてる。

 

「あなたのこと好きになっちゃった。私たちとも仲良くできそうだし、いいことづくめね」

 

 頭の上から聞こえてくる、ひどく冷たさを感じるヲ級の言葉を聞き、問い返そうとするも口も動かず、体も動かない。かろうじて、目だけは動かすことができる。

 さっきのキスは神経毒の一種だったか。あぁ、ここで俺の命はおしまいか……。

 後悔していると、不知火が乱暴にドアを開け入ってくる姿が見えた。

 

「司令!」

 

 俺が倒れている姿を見ると不知火は目を見開き、低い唸り声をあげながらヲ級へ突進していく。

 鎖が切れる鈍い音がし、ヲ級が俺の前へ出ると不知火の拳を受け止め、逆に顔へと拳を入れる。

 殴られた不知火は壁まではじきとばされて倒れた。

 深海棲艦は艤装解除しても、ある程度の戦闘能力を持てるのか。また新しい発見だ。

 大変な事態になっているというのに頭は冷静に思考ができる。

 そんな状態で壁に打ちつけられ倒れている不知火を眺めていると、不意に体が持ち上げられる。

 いわゆるお姫様抱っこというのをヲ級にされている。

 普通の女の子にされるのならこれは喜べる状況だ。

 しかし、何のために俺の体を持ち上げたんだ?

 抱きあげられたまま、不知火が開け放っていたドアへと向かう向かうヲ級。

 

「司令を離せ、このクラゲ女!」

 

 怒りの言葉を聞いたヲ級は振り返る。

 視界には鼻血を流しながら、机にしまっていた拳銃を構えている不知火の姿がある。

 ヲ級は身を翻し、俺の顔に黒いマントをかぶせる。

 

「それ、無意味よ」

 

 感情がない言葉を言い終えた瞬間、拳銃の発砲音が7回鳴り響く。

 とても近い距離で銃弾が4発ヲ級へと当たった音が聞こえる。

 そうしてすぐに黒いマントが俺の顔から外されると不知火は銃を向けたままの姿勢だった。

 ヲ級はすぐに不知火に背を向け、部屋を出ていく。

 ……後ろから声が聞こえてきた。

 その声は今まで聞いたことのない、不知火の感情がこもった声が。

 

「司令を、不知火だけの司令を連れていくなぁ!! ……お願いだから、不知火を一人にしないで。司令、司令!」

 

 怒りと悲しみの声を聞き、俺は今更ながら不知火に罪悪感と申し訳なさを感じた。

 俺の不手際でこんなことになってしまったなんて。

 俺がいなくなったあとの部下たち、特に不知火が心配だ。不知火は俺がいないとすぐにいじけてしまうからな。

 そんな俺の想いを無視して歩いていくヲ級。

 俺は再び体に力を入れるも全く動かせず、されるがまま。

 途中、海軍関係者や艦娘に会うも全員がヲ級に道を譲る光景は、さながら海を割るモーセの十戒のようだ。

 そうしてヲ級は誰にも邪魔されることなく俺を連れて沖へと出ていく。

 ある程度海の上を進むと、ヲ級を待っていたらしい他の深海棲艦たちがいた。

 ヲ級は歩みを止め、人型の深海棲艦たちが俺の顔を次々に見ては去ってゆく。

 ふと、後ろの方から聞こえてくる砲撃音と鎮守府の警報。

 深海棲艦と人間の戦いがはじまったようだ。

 音を少しのあいだ聞いていたヲ級は海に向かって潜りはじめる。

 もちろん俺を連れたままだ。

 俺はこのまま沈んで窒息死をするのだろうか?

 そう死の覚悟をし、海の中へ。

 ……だが、一向に息が苦しくなる気配はない。

 むしろ、体が元気になっていく。

 この不思議な出来事である考えに思い至った。

 深海棲艦は女性型しかいない。

 だが、その指揮官はどうだ?

 その姿を確認したのは誰もいないが『いる』という噂が海軍で流れている。

 ならば、俺がこうして誘拐されたのも、深海側の指揮官集めかもしれない。

 だとしたら、毒だと思っていたキスは人間を深海棲艦側に同化させる手段か。

 これは素晴らしい発見だ。

 この事実を発表すれば、人類の深海棲艦に対する攻撃方法ができるはずだ。

 けれど考えがまとまらず、意識が霧散してゆく。

 何かを喋ろうとも、考えようとしても頭がふらふらする感覚が出てくる。

 ―――次第に意識が消えてゆき、何も考えることができなくなり俺は俺でなくなった。




深海棲艦と穏やかに日々を暮らす話を思いつきたい。


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