オーバーロード ~経済戦争ルート~   作:日ノ川

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登場人物それぞれのその後を短く纏めたエピローグの第一話
イメージはRPG系のゲームで、エンディングが流れる中で登場人物のその後が映るムービーです
大体登場順なので、この話は王国が多めです。その後帝国。聖王国とその他。ナザリック。と続きます


エンドロール
それぞれのエンドロール・第一楽章


 今月の売り上げ表を見ながら、大きくため息を吐く。

 悪くはない。

 むしろ近年稀に見る売り上げと言える。

 しかし、問題はその内容だ。

 

「ゴーレムは良いとして、調味料、香辛料、そして保存食でも抜かれたか」

 ロフーレ商会の主、バルド・ロフーレはもう一度大きく息を吐いた。

 食料品を扱うことで財を成したロフーレ商会だが、その売り上げの多くは冒険者組合、あるいは例年の戦争で消費する保存食の一括購入が占めていた。

 しかし、最近ではそうした保存食より、一般客向けに魔導王の宝石箱から仕入れている調味料や、香辛料の売り上げが大きく伸び、更には頼みの保存食も魔導王の宝石箱から仕入れた物ばかり売れている状況だ。

 

 仕入れ値を差し引いて純粋な利益を見ても、順調に伸びているのだから喜べば良いと思うかも知れないが、そう単純な問題ではない。

 これはあくまで、エ・ランテルに魔導王の宝石箱が出店していないからこその状況だからだ。

 例の戦争以後、魔導王の宝石箱は王国内でも支店を増やすため、準備を開始したと聞いている。

 今まではアインズと仲が悪かった貴族派閥がいたため、なかなか支店を増やせずにいた。だが、派閥争いが終結し王派閥が主流となったことと、新たに王位についたザナックが魔導王の宝石箱との取引を積極的に行い始めたことで気兼ねする必要がなくなり、様々な地方から出店依頼が舞い込んでいるそうだ。

 幸いというべきなのか、エ・ランテルではそうした出店の噂は聞かない。

 だからこそ、一部とは言え魔導王の宝石箱の商品が購入できる、ロフーレ商会に人が殺到しているとも言える。

 

「それもいつまで持つことやら」

 自嘲気味に呟く。

 本店開店を祝したパーティーで魔導王の宝石箱に敵愾心すら持っていたはずのアインザックも、冒険者組合をそのまま魔導王の宝石箱に組み込むことを決めたという。

 このままでは、アインズが店を出店する気がなくても、他の店からアインズにすり寄っていくだろう。

 そうなってはロフーレ商会との取引もどうなるかわかったものではない。

 バルドは一つの決意を固める。

 

「やはり、これしかないか」

 机の引き出しを開き、中から一通の封筒を取り出す。

 アインズに宛ててしたためたこの手紙には、ロフーレ商会そのものを魔導王の宝石箱に組み込んで欲しい旨が記されている。

 ようは取引先ではなく、ロフーレ商会そのものを魔導王の宝石箱のエ・ランテル支店に変えて貰おうと考えたのだ。

 

 魔導王の宝石箱はまだまだ大きくなる。

 こうした吸収合併も増えてくるだろう。

 そうしたものの一つとなるよりは、先んじて店を明け渡し、最低限支店長の座を確保する。

 それが最善だ。

 このまま何もしなければ、いずれ店が潰れ兼ねない。それを理解する従業員たちも反対しないだろう。

 自分と契約していて食材を収めてくれている村も、取引先の名前が変わるだけ。

 問題はバルド自身。

 店の名前や伝統はなくなり、自分も商会主の座を失うことになる。それを容認できるかどうか。それだけだ。

 しかしそれももう覚悟を決めた。

 

「そうすればドラゴンの肉も入荷できるかも知れないしな。またあの肉を味わいたいものだ」

 自分を納得させるように呟き、手紙を送るべく、ベルを鳴らして執事を呼びだした。

 

 

 ・

 

 

 休憩室の椅子に腰掛ける。

 休憩中だからといって、あまりだらしない格好をすることはできず、背筋は伸ばしたままだ。

 

「ツアレ。お疲れさま」

 

「お疲れさまです。アーニアさん」

 ツアレと同じタイミングで休憩となった従業員のアーニアもまた、姿勢を保ったまま椅子に腰を下ろす。

 初めは休憩の時間まで気が抜けないことに苦労したものだが、慣れるとこうして姿勢を保ったまま雑談することも難しくない。

 

「今日も忙しいね。もう王都中から人が集まっているんじゃないかってくらい。順番待ちの列も凄いことになってるよ」

 ツアレは今まで裏で在庫の管理をしていたが、それでも店内から聞こえる大勢の人の気配は感じていた。

 

「王都近辺には他の支店もありませんから。ゴーレムの貸し出しは王国を通すことになったので、個別対応はなくなりましたが、冒険者の人が増えたのは少し心配ですね」

 

「あー、冒険者の中には乱暴そうな人多いもんね。今セバス様もアングラウスさんも居ないし」

 明るく言ってはいるが、自分を含め、かつてあの場所にいた者たちは、未だに大声や荒い言葉遣いに恐怖を覚える者がほとんどだ。

 護衛のゴーレムが居るため、暴力ざたになることはまずないが、それでも物言わぬゴーレムより、セバスやブレインといった頼もしい男性が居てくれた方が心強い。

 特に──

 

「おっ。今セバス様のこと考えてたね」

 

「い、いえ。そんなことは……」

 動揺してしまい、思わずテーブルに手を突いて身を乗り出そうとして、直前で堪える。

 

「危ない危ない。今日、イプシロン様はいらっしゃらないけど、気をつけないと」

 ちらりと視線を上に飛ばす。

 人間の慣れとは恐ろしいもので、以前この店での勤務にも慣れ始め、余裕が出来て休日に遊ぶ機会も増えたことで、気が緩んでしまったことがあった。

 それは業務の中にも現れ、清掃の遅れや来客への対応ミスなどが発生してしまい、そのことが王都支店の店主であるソリュシャンの逆鱗に触れたことがあった。

 従業員のまとめ役を任されているツアレが呼び出され、対峙した時の恐怖感は忘れられない。

 

「分かっているなら変なこと言わないでください」

 まとめ役とは言え、年齢的にはツアレが一番下である。だからこそ、暴走する彼女たちを止められなかったということもあるのだが──

 そうした点を考慮して今回は許すが二度目は許さないと言う、注意とは名ばかりの余命宣告を受けて以後は、きちんと注意できるようになったこととアーニアたちの方もツアレからの言葉は自分たちからの言葉だと思ってちゃんと聞くようにと叱責されるのと同時に改めて厳命されたことで反省し、気を引き締めて勤務に務めるようになった。

 

「変なことじゃないわ。私たちはみんな貴女に期待しているんだからね」

 

「期待、ですか?」

 

「セバス様よ。どう考えてもあの方には貴女が最も近い。貴女がセバス様に惚れていることも分かっている。このまま押し切って恋人になっちゃいなさい!」

 

「こ、恋……」

 

「なんなら妻に」

 

「つ、妻!」

 

「そして最終的には私たちも含めたハーレムを!」

 

「ハー……ん?」

 奇妙な言葉が聞こえてツアレはアーニアを見る。しかし彼女の瞳は真剣そのものだった。

 

「そうよ。ジャネットやバーバラ。他のみんなも協力するわ。やっぱり前例があるのとないのでは大違いでしょ。先ずは貴女がセバス様とそういう関係になってゆくゆくは私たちも……」

 

「そ、それこそ問題があるのでは?」

 

「大丈夫よツアレ、これはね。デミウルゴス様からもご許可を頂いた、いえ、推奨された作戦なのよ」

 

「デミウルゴス様?」

 突然出てきた名前に首を傾げる。

 その名前は知っている。セバスと共に居る時に何度か会ったこともある。

 常に穏和で紳士的なセバスが、ツアレでも分かるほど態度に出して毛嫌いしている相手だ。

 しかし、先にセバスによって救われていたツアレとは異なり、彼女たち七人をあの思い出したくないほど忌々しい娼館から救出したのは、セバスとデミウルゴスの二人だったらしく、彼女たちはセバスと同じとはいかずとも、デミウルゴスにも感謝の念を抱いているらしい。

 

「そうよ。デミウルゴス様の後押しもあるの。だから貴女には何としても、セバス様を落として頂かなくてはならないのよ」

 

「うぅ。ですけど……」

 

「貴女の頑張りにみんなの、そして貴女自身の幸せが懸かっているのよ!」

 

「幸せ。みんなの、私の幸せ……」

 

「とりあえず次のセバス様の休日予定を教えていただいたわ。こちらも休みを調整したから、デートに誘いなさい」

 アーニアが手早く手帳を取り出し、記された日にちを指し示す。

 その日は確かに、自分も休みだ。

 いつからそんな計画が立てられていたのだろうか。

 

「いえ、ですけど私、男の方を誘ったことなんてありません。どうすれば……」

 幸せ。という言葉が、頭の中で何度も繰り返され、自然とそんなことを口走っていた。

 これではやり方さえ分かれば、やると言っているようなものだ。

 そうしたツアレの様子に気づいたのか、アーニアはずいと、不作法にならない程度に距離を詰め、声を落として説明を始めた。

 

「大丈夫。それも私たちがちゃんと考えてあるわ。先ずはね……」

 

 

 ・

 

 

 悲鳴や懇願、呪詛の言葉が響く中、七人の男たちは身を寄せあって指示された場所に向かって歩いていた。

 

「アンタら。人間、人間だろ!? 助けてくれ。頼む! ここから出してくれ」

「お願いします。この子、この子だけでも……」

「おい! お前たち、俺をここから逃がせ! 外に出たら謝礼はタップリやるぞ。俺は王国貴族の……」

 左右に別れた牢屋、いや牧場である以上、人舎とでもいうべきだろうか。その中央を歩いていると様々な声が響く。

 混ざりすぎて誰が何を言っているか分からないが、救いを求めていることだけは間違いない。

 悪魔や亜人が管理しているこの場所で、小綺麗な格好をした人間を見つけたのだ。

 一縷の望みを託して救いを求める気持ちは分かる。

 だが、そんなことができるはずがない。

 必死に聞こえない振りをする。

 

 今まで自分たちも平然と人を殺す命令を下し、またこうした嗜虐趣味を持つ者たち──それでもここを運営している者たちと比べれば遥かにマシと言い切れる程度のものだった──に人間を提供してきたこともあった。

 しかし、一歩間違えば自分たちもここの住人になる。それが分かっている今は恐ろしい。

 聞きたくない。

 見たくない。

 自分ももちろんだが、ここにいる仲間たちも同じ目に遭わせたくない。

 今まで自分たちがしてきたことを思えば、何とも勝手な考えだが、それが本心だ。

 そして今まさに、その大切な仲間を迎えにきたのだ。

 

「ここね」

 コッコドールがゴクリと唾を飲み、扉を開く。

 中には絶望が広がっていた。

 何に使うのか分からない。分かりたくもない器具がいくつも壁に掛けられ、地面には血の汚れがこびりつき、その中には肉片らしき物も見受けられる。

 その中で、ただ一人デッキブラシを持った女が地面の汚れを必死に擦っていた。

 

「ひ、ヒルマ?」

 ビクンと女の肩が震え、恐る恐るこちらを振り返る。

 

「迎えに来たわよ」

 焦点の合わない瞳でこちらを見ていたヒルマだがやがて目に光が戻り、同時に瞳からは涙が溢れ出た。

 魂から絞り出したような慟哭がしばらく続き、ようやく正気を取り戻したヒルマは震える声で言った。

 

「は、早く。早くここを出ましょう。働かないと。今度こそ、ミスしないように働かないと!」

 ここから出たいのはもちろんだが、それ以上に働いてミスを挽回しなければと意気込むヒルマを見ていると、ここでの過酷な労働の実態が手に取るように分かる。

 

「分かっている。分かっている。だがまだダメだ」

 

「どうして!」

 

「私たちもここで何が行われているか、見てこいとのご命令だ。次にミスをしたらお前たちもこうなると教え込むためだろうな」

 賭博部門の長を務めるノア・ズィデーンがはははと笑ってみせるが、その声には力がない。

 

「その案内をね。ヒルマ、貴女がするのよ、それがここでの最後の仕事ですって」

 

「そんな……」

 がっくりと項垂れるヒルマの肩にリーダーが手を乗せ、皆で慰める。

 

「気持ちは分かる。いや、だからこそ、早く終わらそう。先ずは何をするんだ?」

 

「次は……そうさね。アイツを見張る時間だよ」

 

「アイツ?」

 

「王国の元第一バカ王子さ。ひひひ、アイツの仕事だけは見ていて胸がすっきりするんだ、ここでのオアシスだよ」

 再び虚ろになった瞳でヒルマは笑う。

 

「ど、どんな仕事だ?」

 

「……交配実験さ」

 

「交配って……」

 

「そのまんまだよ。アイツはもう人間としちゃ一度死んでるんだよ。異種族に変えられちまった。人間と異種族の間じゃ子供ができないからね。異種族に変えられた元人間なら人間との間に子供はできるか、変えられたのと同じ種族間ではどうか。いろいろと実験するんだよ。あのバカ、最初は心が砕かれて大人しくなってたが、人間じゃなくなったことで精神が回復したのか、それとももっと頭がいかれちまったのか。暴れるようになってね、自分は王国の第一王子だーってね。それを魔法だの薬だの使って無理矢理交配させるのがあたしらの仕事さぁ」

 ヒルマは堰を切ったようにベラベラと語り出す。彼女こそ精神を病んでいるようにしか見えなかったが、思えばバルブロの世話を任せられるようになったことが失態の元凶だ。

 それを考えれば仕方ない。

 

「な、なんだってそんな」

 

「知るもんか。ただ、これはあの第三王女様の希望だって話だからねぇ。あの王女様も異種族になる気なのさ。その時に例のペットとの間に子供ができるか、バルブロを使って実験しときたいってことじゃないのかい。全く関係ない奴でやるより、半分とは言え血の繋がりのあるバルブロで試した方がちょっとは安心できるだろ? そのちょっとのためにアイツはあんな目に遭わされてんのさ。ざまぁ無いだろ? あたしがこんな目に遭う原因を作った報いさ。アハハハハ」

 口を挟む余裕もなく一人で話し続け、仕舞いには勝手に笑い出す。

 長い間人と会話をしてこなかったが故の弊害だろうか。

 もしかしたら、自分たちに見せたかったのは、罰そのものではなく、その結果壊れてしまった、いや完全に壊れることすら許されない仲間の姿を見せることなのかも知れない。

 こんな姿を見た後では絶対に失敗はできないと心に刻むしかない。

 あの絶対者の前では、死ですら救いにならないと、今証明されたばかりなのだから。

 

 

 ・

 

 

「ここか」

 王都から少し離れた場所にひっそりと建つ、頑丈そうな石造りの建物。

 ここは牢獄だ。

 戦争中に錯乱し、自国の軍隊に、そして他国にも損害を与えた愚かな先王を、生涯幽閉しておくために作られた牢獄。

 この場所に近づく者はいない。

 周囲を常に魔導王の宝石箱から貸し出されたゴーレムに守護させているため、見張りも必要ないからだ。

 しかし、そんな牢獄の入り口に立つ一人の男の姿を見つけ、ブレインは片手を持ち上げた。

 

「よう。ガゼフ」

 

「ブレイン……」

 戦争で共に六色聖典の一角、火滅聖典の精鋭部隊と戦って以来、初めての再会だった。

 

 

「王国戦士長としての仕事とここでの護衛を兼任してるんだって? よく許可が下りたな」

 入り口の護衛をゴーレムに代わらせ、中庭に移動して再会を喜び合った後、ブレインが口を開く。

 

「ああ。本当は完全に引退して、勝手にここで門番でもやろうかと思っていたが、ザナック陛下に次代の戦士長も育っていない状況では無責任だと言われてな。だったら、正式にここでの仕事も兼任させろと交渉した。家もこの近くに移してな」

 

「よくやるぜ。本当に」

 

「俺はあの方の剣だからな」

 いつかも口にしていた台詞を繰り返してガゼフは笑う。

 これだ。とブレインは改めてここに来た目的を思い出す。

 わざわざ休日を利用して思い出話をしに来た訳ではない。

 

「ところで、先王陛下はどうしてるんだ?」

 

「……む」

 笑っていたガゼフの顔が引き締まり、渋い顔つきになる。

 戦争でのあの失態が、ランポッサも納得した上での、ザナックに王位を譲るための儀式であると知っているのはここにいるガゼフも含めた、王国上層部とアインズを始めとする魔導王の宝石箱の一部だけ。

 ガゼフはブレインがそのことを知っているのか分からないため、軽々に口にできないのだろう。

 

「アインズ様から聞いている。安心しろ、誰にも言っていないし、言う気もない。ちょっと頼みたいことがあってな」

 

「陛下にか?」

 先ほどのザナックに対する呼び方と異なり、先王陛下でもランポッサ陛下でもなく、ただ陛下とだけ呼ぶ言い方は、自分の主は未だランポッサなのだと示しているかのようだ。

 

「ああ。建物の中なら出歩けるんだろ?」

 この建物の敷地内ならば自由に出歩くことができると言う話も聞いていた。

 むしろだからこそ、衛兵ではなくゴーレムが護衛を勤めているのだ。

 何も知らない国民から見れば、ランポッサは重税を掛けた上、毎年戦争に農民を連れだし、今回の戦争では無茶な命令を出して他国との関係を悪化させかけた暗君。

 そんな者が牢獄とは名ばかりの場所で、静かに余生を過ごしていると国民に知れ渡れば暴走する者も必ず現れる。

 物言わぬゴーレムと忠臣であるガゼフならば、そうした情報が外に漏れることもない。

 

「……」

 じっとこちらの意図を探るように、見つめてくる視線を真っ向から受け止める。

 

「頼む」

 長い沈黙の後、了承したガゼフはやがて、杖を突いた老人を連れて戻ってきた。

 清潔ではあっても華美な装飾のない普通の服を着ていると、目の前の老人が国王であったとは思えない。

 

「お目通りの機会を賜り、恐悦にございます国王陛下」

 片膝を突きながら頭を下げて挨拶を口にする。

 

「私はもう国王ではない。顔を上げなさい、アングラウス殿」

 朗らかな口調で告げられ、言われるままブレインは頭を上げた。

 長い間王国を支えた重圧から解放されたためか、ランポッサの顔は晴れやかなものだった。

 元農民である自分としては、昔は思うところもあったが、今となってはランポッサの王としての行いにあれこれ言うつもりなどない。

 王国の腐敗を正そうと試みながらも、愚かな長男を見捨てられず、王位継承問題を先延ばしにすることしか出来なかった平凡な男が王位を継いでしまった。

 ただそれだけのことだ。

 自分にとって重要なのは、ランポッサがあの時に王であった、その事実だけなのだから。

 

「いいえ。今だけは国王陛下と呼ばせて下さい。そうでなくては、御前試合にならない」

 

「なに?」

 

「ブレイン。お前……」

 立ち上がったブレインは、そのままランポッサの後ろに控えたガゼフを指さした。

 

「ガゼフ。もう一度俺と勝負をしろ。御前試合だ」

 

「……なるほど。あの時の再現か、しかし俺は今職務中だ」

 

「良い。ガゼフ、私もお前たちの戦いを見てみたい。お前を王国戦士長として選んだ、私の目が間違っていなかったと証明してくれ」

 ニヤリとランポッサが笑う。

 やや挑発的な物言いはガゼフをその気にさせるための方便だろう。

 そうでなくては困る。

 ブレインが勝ちたいのは、王に忠誠を誓った王国戦士長なのだから。

 

「もちろん命のやりとりまでする気はないが、本身を使ってくれ。アインズ様から頂いている剣があるんだろ? 大丈夫だ。ちゃんと良く効くポーションを二本貰ってきた」

 

「あの剣か。良いのか、あれは剃刀の刃(レイザーエッジ)にも勝るとも劣らぬ一品だぞ」

 

「俺のこいつもそうさ」

 ランポッサに会うということで気を使い、直ぐには抜けないように布を巻いた刀を見せる。

 

「……分かった。少し待っていろ」

 ランポッサからの無言の許可を得てガゼフは立ち上がった。

 いよいよ再戦(リベンジ)を果たす時がきた。

 以前、魔導王の宝石箱で戦った際は、元からガゼフの願いを聞く予定だったため、最初から負けも計算に入れていた。もっとも手を抜いたのではなく、あの時点では剣士としての技量が落ちていたブレインでは勝ち目がないことが分かっていたというべきだろう。

 だが今は違う。

 業務の傍ら、睡眠が必要なくなった体をフルに使って特訓を重ね、かつての自分と同等の技量まで戻ったと確信している。

 今回もあくまで剣士としての勝負であり、吸血鬼が持つ能力は使わずに戦うつもりだが、それでも勝機は十分にある。

 もし負けるとしたら、それは身体的な力以外のもの。

 ガゼフで言うのならば、王国戦士長としての誇りとランポッサへの忠誠心から湧き出る力。とでも言えばいいのだろうか。

 今の自分に欠けていると思えるのはそれだ。ブレインもシャルティアという素晴らしい主に出会え、そのためならば命を落とすことなど苦でもないが、ブレインは知っている。

 自分の忠誠心は眷族として吸血鬼になったが故のもの。つまりは作られた偽りの忠誠心に過ぎない。

 

 だがそんなことは関係がない。

 そうであろうとなかろうと自分は主の為に尽くす。そのことに変わりはないのだから。

 しかし、一抹の不安がある。

 作られた忠誠心はガゼフのような本物の忠誠心に劣るのではないか。という不安。

 いざという時にそのせいで主を危険に晒すようなことは許されない──自分より遙か高みにいる主に対して、そんな心配は不要かも知れないが──だからこそ、ブレインはここでガゼフを超える。

 自分の過去を乗り越え、そして本当の意味で、新たに吸血鬼としての人生を歩むために、どうしても必要な戦いなのだ。

 

「よし。では二人とも準備はいいか?」

 準備が整い互いに剣を構えて対峙する。

 

「いつでも」

「かまいません」

 互いに一言ずつ口にして、その時を待つ。

 

「では。御前試合決勝戦……開始!」

 ランポッサの言葉と共に、二人の剣士が己の全てを賭けてぶつかり合った──

 

 

 ・

 

 

「ひとまずは順調ですね」

 

「ええ。法国……いえ、元法国の都市も、思ったよりすんなりと統治が進んでおります」

 ラナーの私室で、彼女とその協力者によって開催される会議は基本的には一対一で行われるが、今日は珍しく協力者二名が共にやってきた。

 会議がひと段落し、紅茶で喉を湿らせた後、ラキュースが向かい側に座る男に目を向け改めて口を開く。

 

「それにしても驚きました。まさかレエブン侯までラナーのお仲間だなんて」

 

「それはこちらの台詞ですよ。まさか貴女まで……」

 

「色々と事情がありまして」

 

「それはこちらも同じとだけ言っておきましょう」

 それぞれ経過は異なれど、王国の存続のためにラナーの力を利用している者たちである。

 案外気が合い、話も進めやすくなるだろう。

 自分とクライムを異種族に変え、永遠に生き続ける計画も着々と進んでいる。

 アインズにその褒美をねだることすら見抜かれて、今後の永続的な世界支配計画に組み込まれたのは少々予定外だったが、やはりアインズは遙か未来まで見据えた本物の超越者だったということなのだろうか。

 

(まあ今はそちらを考えても仕方ないわね)

 

「この娘に脅されているのですか? 人を陰から操ることに関しては彼女の右に出る者は居ませんからね」

 

「ご、ご冗談を」

 

「そうですよラキュース。失礼なことを言わないで下さい。怒りますよ」

 

「あら、ごめんなさい。本当のこと言ってしまって」

 

(この女……)

 ここ最近、こちらが色々と無茶な注文を押しつけるせいか、会う度に遠慮が無くなってきたラキュースを思わず睨みつけてしまうが、アインズによって生存を約束されているラキュースに手を出すことができない今は、我慢するしかない。

 どうせラキュースが寿命で死ぬまでの辛抱だ。これからを考えれば大した長さではない。

 逆にその事実を知らないレエブン侯はおろおろと──ラナーでなければ見抜けない程度だが──しているがこちらにも、そろそろ餌が必要だろう。

 

「レエブン侯。先日お兄様、いいえ。ザナック陛下と少し話をしました。私の婚姻についてです……」

 

「え、ええ。どうされるのですか?」

 今度こそ、ラナーでなくても分かるほど慌てるレエブン侯に、薄く笑い掛ける。

 

「邪魔な貴族はほぼ一新され、王派閥に権力が集中していますが、それでもまだ私の降嫁までは許されないでしょう。ですので用意が整うまでの間、私は王女としての責務とは別に、孤児院の経営をする事になりました。魔導王の宝石箱との提携を前提にしていますから、周囲は陛下が私を差し出して魔導王の宝石箱との繋がりを深めようとしていると見えるはず。これなら他の貴族も手を出せなくなります」

 戦争によって魔導王の宝石箱の力は王国貴族たちにも証明された。

 あの力を前にして、表立って反旗を翻そうと思う人間は、少なくともあの戦いに参加した者の中にはもはやいない。

 

「なるほど! それならば婚約は必要ありませんね」

 

「ええ。ですが、そのためこの会議も開催が難しくなります。そこでレエブン侯の領地にも私の経営する孤児院を開設して下さい。そこに連絡要員を配置しておきますので」

 

「そうですね。我が領地にも、あの戦争で夫を亡くした寡婦や孤児となった子供も居るのでちょうどいい。早速準備しましょう」

 レエブン侯が勢いよく頷く。ラナーが自分の息子の許嫁になる必要が無くなったことを喜んでいるのだろう。

 

「ラナー、私はどうするの?」

 

「ラキュースは本業の方に精を出してちょうだい」

 

「本業?」

 

「ええ。王国の冒険者として名を上げて欲しいの」

 

「しかし、冒険者とは国属意識が薄いと伺っています。それでは王国の評価には繋がらないのでは」

 

「ですが、国の縛りを完全に無視できないのもまた事実。それは魔導王の宝石箱に属しても同じ。ですから私たちはこれから冒険者を優遇する政策を打ち出せば良いのです。特にアインズ様が望んでいる未知を切り開く者に対して組合だけではなく国からも報奨を出すことにしましょう。帝国や聖王国の冒険者組合がまだ魔導王の宝石箱に組み込まれていない今が好機。ここで一撃を入れるのです」

 前方に向け力も速度もないパンチを繰り出す。

 

「そういうワザとらしい演技は、クライムの居るところでやりなさいよ」

 自分の生業である冒険者という領分にも、政治的な思惑が入ることに憤りを感じつつも、同時にそうしなくてはならないと分かっているからこそなのだろう。

 ラキュースは不機嫌そうな声で、関係ない暴言を吐き捨てる。

 

「貴女こそ、たまにはモモン様の前でこういう仕草を見せたら如何です? 少しは意識して貰えるかもしれませんよ」

 

「な! ちょ、ラナー!」

 慌てて立ち上がるラキュース。

 やはり、排除ができない彼女をイジるにはこの手に限る。

 そんなことを考えながらふと思い出す。

 そういえば、そのモモンが所属する、エ・ランテルの冒険者組合もそろそろ本格的に動き出すらしい。

 

(そちらにもラキュースを同行させて情報収集をさせる必要があるわね)

 次から次にやらなくてはならないことが増えていく。

 一番の問題である帝国の動きもここ最近読み辛くなったことも併せて、つくづく弱小国家を維持していくのは骨が折れる。

 ため息を吐きそうになる自分を抑えるため、ラナーは紅茶に手を伸ばし、代わりに自分とクライムが永遠に二人きりの世界で生きていく様を思い浮かべた。

 

 

 ・

 

 

「すまんなラケシル。待たせてしまった、これで仕事は一応終わりだ」

 事務机から立ち上がり、ラケシルを待たせていた応接用のソファの向かい側に腰を下ろす。

 

「ああ、気にするな」

 

「はぁ」

 ソファに腰を下ろして早々ため息を吐くアインザックに、ラケシルは小さく笑った。

 

「随分と重いため息だな」

 

「重くもなる。エ・ランテルだけではなく、王都の冒険者組合も魔導王の宝石箱に組み込まれた。これからは今まで以上に情報の共有も必要となった。こればかりは伝言(メッセージ)などで済ませる訳にも行かないからな。手紙のやり取りや互いに組合を行ったり来たりで大忙しだ」

 

「ははは。それは大変だな。しかしそれに見合った報酬は既に受け取っているのだろう? ブルークリスタルの短剣だったか? 俺たちが冒険者だった頃だってそんなお宝見たことはないぞ」

 

「まぁ、な。あれを持って冒険に出る日を心待ちにしているよ」

 進捗状況を確認しに来た。とふらりと現れたアインズが、仕事に忙殺されていたアインザックに、褒美として下賜した物だ。

 何故突然と思ったものだが、後でモモンに確認してみると何ということはない。モモンがアインザックの働き振りをアインズに報告しただけのことであり、報酬と言うよりはこれからも仕事を続けさせるための餌というべき物であった。

 何しろその短剣は冒険者組合の長として長年様々な武具を見てきた自分でさえ、見たことの無いような物で──流石にモモンが持っている装備やマジックアイテムは別にして──あり、それは店と提携しているドワーフの鍛冶師が作ったものではなく、アインズが冒険の中で手に入れた物だと言う話だ。

 その短剣自体が、世界はまだまだ広く、未知に溢れていることの証明であり、自分もそうした物を求めて冒険に出たいという気持ちを再確認させるには十分だった。

 

「うらやましい話だ。魔術師組合は新たな魔法やマジックアイテムの開発を行って初めてそうした褒美を受け取れる。中には早く成果を挙げるため、冒険者になろうとする者も居るほどだ」

 

「それでか。最近妙に冒険者になろうとする魔法詠唱者(マジック・キャスター)が増えたと思っていた」

 確かに、魔法詠唱者(マジック・キャスター)として遙か高みに到達しているアインズを満足させるような魔法やアイテムの開発は難しい。

 ならば未知を切り開くことそのものが成果となる冒険者になった方が手っ取り早い、と考えても不思議はない。

 

「もはや組合が一つになったようなものだから、一応魔術師組合に籍を残したまま冒険者になることも認めたがな」

 面白くないと言いたげなラケシルに、アインザックはニヤリと笑う。

 

「お前も冒険者に戻るか? 俺のチームにならば入れてやるぞ、もっとも冒険に出るまでまだ時間は掛かるがな」

 

「抜かせ。その前に成果を挙げて、お前の方からチームに入ってくれと言わせてやる」

 ラケシルもまたニヤリと笑い、そう告げる。

 それでこそ自分の冒険者仲間だ。と一人納得し、改めて問いかけた。

 

「ところでその研究開発の指定された魔法やマジックアイテムは、どういったものがあるんだ?」

 

「これだ」

 懐から折り畳まれた紙を取り出し、テーブルの上に置く。

 ざっと目を通すと、思っていたものとは違うが、しかし同時に納得の出来るものが並んでいた。

 

「生活魔法を改良したものが多いな。なるほど、高位魔法ではなく低位魔法の開発か、あまり取り組む者は居なかったが商売をするには良いかもしれないな」

 アインズほどの魔法詠唱者(マジック・キャスター)が今更取り組む必要はないが、新たに開発されると便利そうな魔法が並んでいた。

 これならば魔術師組合の魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちでも何とかなりそうだ。

 と思うが、実際に冒険者になろうとする者が多いと言うことは、うまく行っていないらしい。

 

「私としてはこの辺りを研究してみようと思っているのだが……」

 ラケシルが指した場所を見直し、アインザックは腕を組んだ。

 

「これは……盲点だったな。商売として欲しがる者は多そうだ。金では買えないものだし、貴族とかにも人気が出るかもな。まあ俺には必要ないがな」

 

「お前はそうだろうよ。何か冒険者が近い体験をした話を聞かないか? 私としては錬金術溶液や魔法を使わない、いわゆる治癒力を高めるタイプのポーションにヒントがありそうな気がするのだが……」

 

「なるほど。回復ではなく自然治癒力の強化ということか。だがそう言った話は聞かんな。案外信仰系魔法が近いかもしれないぞ。俺も詳しくはないが、信仰系の回復魔法を使って美容効果のある魔法を開発する者が居ると聞いたことがある。門外不出らしいがな」

 

「信仰系魔法か、それと薬草を組み合わせてみるのもありかもしれんな」

 思いついたとばかりに大きく頷きながら、思案を始めるラケシル。

 頭の中は既に魔法研究一色だろう。

 昔からそう言う奴なのだ。

 

「しかし、薄毛の回復魔法とはなぁ」

 テーブル上の紙片に再度目を向けて、アインザックは自分の頭に手を置いた。

 白くはなっているが、密度の多い自分の髪には必要ないだろう。とはいえ、今後のこともある。

 ラケシルが開発に成功できるように、自分も出来る限り協力しよう。

(俺の冒険者仲間を得るためにもな)

 

 

 ・

 

 

「おっ。あれだあれ。あれが飛竜部族の住む洞窟がある場所だぜ」

 周囲には巨大な石の柱が立ち並んでいた。

 人の足では立ち入ることすら難しく、ここに住むには飛竜(ワイバーン)などの空飛ぶ魔獣が必要となるのが分かる。

 しかし、こうして遠くから見ている分にはその風景は雄大の一言だ。

 けれど、いつもと異なり、こうした光景を目の当たりにしても気持ちを揺さぶられることはなかった。

 

「武陵源か。なるほどな」

 周囲を警戒しながら歩いていたモモンがぽつりと呟く。

 

「あん? ブリョウ?」

 

「い、いや、気にしないでくれ。私がかつて聞いたことのある土地の名前だ。雰囲気が似ていたのでな」

 

「ほー。こんな場所が他にもな。ま、とにかく飛竜(ワイバーン)はかなり強力な魔獣だから慎重に行こうぜ。まあモモンには関係ないか?」

 

「いや。どんな時でも気を抜くことはできない。ここは既に未知の領域だからな」

 

(流石はモモンさんね)

 圧倒的な実力を持ちながら、決して驕らないその慎重さは見習うべきものだ。

 

「そうだな! 私もそう思うぞ。ということでだな。ここにキャンプ地を設営し、先ずは私とモモンさんで偵察をしてみてはどうだろう。私の転移魔法があれば直ぐにここに合流できる訳だし」

 グイグイ距離を詰めようとするイビルアイ。ここに来るまでももう何度も見た光景だ。

 

「貴女では分不相応です。私が共に行きますので、ここで大人しくしていなさい」

 そんなイビルアイに、聖王国の時とは異なりモモンと共に同行したナーベがピシャリと言い切る。

 これもまた、何度か目撃したやりとりだ。

 ナーベ側に何らかの心境の変化でもあったのか、イビルアイが僅かでもモモンに対して近づこうとすると直ぐに間に割って入ってくる。

 

「またか! お前は転移魔法使えないだろ! 巻物(スクロール)も温存しておくべきだから私が行くと言っているんだ!」

 

「あれからアインズ様に手ほどきをしていただき、もう使えるようになりました。それも貴女と違って単独ではなく複数転移が可能です」

 ふふん。と自慢げに鼻を鳴らすナーベに、イビルアイが絶句した。

 

「なんだと! 複数転移は第六位階魔法だぞ。お前三位階魔法までしか使えないって……」

 

「あれは嘘です。元々五位階までは使えていました。モモンさんと共に旅をするなら最低限その程度は必要ですから」

 当たり前のようにさらりと口にする。

 自分やイビルアイですら到達できていない第六位階魔法。それは英雄すら超えた逸脱者と呼ばれる者の領域。それをこの若さで修めるとは。

 しかし彼女の言うようにモモンと共に冒険をするならそれぐらいできなくては足手まといにしかならないのはラキュースも身に染みている。

 その後も言い争いを続ける二人に、ガガーランが仲裁に入るが二人は止まらない。

 そんな様子をラキュースは離れたところから眺めていた。

 逸脱者となったナーベやそれに届かないまでも、吸血鬼としての能力も加味すれば十分、そうした領域に届くイビルアイ。

 この二人と自分は違う。

 それに──

 

「鬼リーダーは行かなくていいの?」

 

「そうそう。行きたいなら行ってきた方がいいんじゃないの?」

 ティアとティナが交互に告げる。

 

「……いいのよ。神官戦士である私が一緒に行っても仕方ないもの」

 自分はラナーと組んで王国存続のためならどんな汚れ仕事でも手を染めると決めた。

 まだそうした仕事をしてはいないが、時間の問題だろう。

 それに対しモモンは清廉潔白を地で行く、正々堂々たる本物の英雄。

 今の自分では釣り合いがとれるはずがない。

 

(フフフ。今の私は闇に浸食された存在。いわば暗黒騎士ラキュース。モモンさんの隣に立つ資格なんて──)

 

「やれやれ。いい加減二人にも仲良くしてもらいたいものだな」

 

「ひゃ!」

 

「ん? どうかしたかラキュース」

 

「い、いえ。別に」

 

「モモン。リーダーはちょっと疲れているのかもしれない」

 

「あっちは私たちが止めるから、ボスをよろしく」

 互いに頷きあった後、双子はラキュースに向かって親指を立て、イビルアイたちの元に駆けだした。

 あのハンドサインの意味は流石に理解できる。

 しかし困った。

 

「そうか。なら今のうちにここにキャンプを立てるか、少し待っていてくれ。休める場所を作ろう」

 

「いえ。いや、大丈夫。心配ないわ、彼女たちは大げさに言っているだけです」

 かつてモモンに追いつけるように努力すると告げた時とはもはや違う。自分は英雄譚に登場するような、英雄にはなれない。

 そうした思いが重なり、ラキュースはできるだけモモンから距離を置こうとしていた。

 

「それなら良いが……丁度良い。皆には内密でラキュースに頼みがあったんだ」

 ちらりとイビルアイたちの方を窺ってから、モモンが声を落とす。

 

「頼み?」

 

「ああ。以前言ってくれただろう? 社交界での礼節についてだ。魔導王の宝石箱に国や貴族からパーティーの誘いが来るんだが、アインズ様が忙しくなったことで、私が名代を務めることもありそうでな。色々と聞いておきたいんだが」

 ラキュースも参加した王国舞踏会での話だ。

 確かに女性に対するエスコートなどができていないモモンに対して、そう言った。

 結局あの後、聖王国での動乱や、法国との戦争などが重なり、流れたものだと思っていたが。

 距離を置こうとした矢先に、とラキュースは思わず頭を抱えたくなる。

 

「私もアインズ様の、そして魔導王の宝石箱の名を背負う者として、恥ずかしい姿を見せるわけには行かない。しかし、こうしたことを頼める相手はなかなか居なくてな──」

 言い訳をするように、言葉を並べるのは今まで何度か見たが、こうした所は常に英雄然としているモモンの意外な一面を見たように感じられて微笑ましい。

 ここまで言われてしまったら断ることはできない。

 

「ふふ」

 

「ん?」

 

「ああ。いえ。承知しました。以前も言いましたが、あれはモモンさんに命を救って頂いたことへの対価。中途半端にはできないわ……ですから、手加減はしませんよ?」

 貴族の礼節とは、子供の頃から叩き込まれて形成されるもので、付け焼き刃で身につけても、それは一時のもの。

 完全に自分のものにするには、根気が必要だ。

 

「望むところだ。私もまだまだ未熟な身。これからは武力だけではダメだ。もっと色々なことを学ばなくてはならないからな」

 謙遜ではなく、ごく自然に告げられて、思わず瞬きを繰り返す。

 

「モモンさんほどの方でもそう思うの?」

 

「当然だ。アインズ様は強さに於いてもそうだが、礼節に於いても私などとは比べものにならないほど完璧な御方。私の理想のようなものだ。しかし私は必ず追いついてみせる」

 一瞬の迷いもなくきっぱりと返答する。

 以前からモモンがアインズに向ける尊敬の念は理解していたが、あれほどの実力を持ちながら、迷うことなく更なる高みを目指すモモンを目の当たりにして、ラキュースは唖然とする。

 そんな彼女の視線に気づき、モモンは続けた。

 

「こう見えても私は非常にワガママだからな。欲しいものは全て手に入れなくては気が済まない」

 兜越しでもモモンが不敵に笑っているのが分かった。

 ワガママ。

 それは本来良い言葉ではない。

 だがその言葉はラキュースにも、思い当たるところがあった。

 ラナーと初めて本音をぶつけ合ったあの地下水道で、ラキュースは彼女に告げた。

 

 自分は王国貴族としての責務も仲間との冒険も、どちらも手に入れると。

 それはラナーに王族としての責務とクライムと結ばれるという夢、その両方を諦めさせないための方便にも近いものだった。

 実際ラキュースはどちらの仕事も行っているが、現在その比重は明らかに王国貴族としてのものが多くなっている。

 今こうして皆と魔導王の宝石箱、王都支店の冒険者として初めて未開の地の調査に出向いているのも、ラナーに言われたからなのだ。

 やはり自分では両方手に入れることは無理なのか。

 そんな諦めにも似た気持ちが、ここ最近ずっとラキュースの胸に巣くっていた。

 

 それが、今消えた。

 自分の尊敬する完璧な英雄でさえ、未だ努力を続けている。

 自分が彼以上に努力したか。と問われれば、ラキュースは全力で首を横に振るだろう。

 

「ラキュース?」

 

「……モモンさん。私からも一つお願いがあるの」

 

「なんだ?」

 

「礼節を教える代わりに、私に稽古を付けて欲しいの。私はもっと強くなりたい。本物の英雄になりたい。私も、ワガママだから」

 本来礼節を教えるのは、命を救って貰ったことに対する対価なのだから、こちらから更に頼み事をするのは筋違いだ。

 しかしそれでもラキュースは、モモンの言葉を拝借して頼み込んだ。

 

「手加減はしないぞ?」

 モモンはそんなラキュースのワガママを気にした様子も見せず、同じように自分の言葉を使って返答する。

 望むところだ。と返そうとするとその前に、鋭い声が割って入った。

 

「ラキュース! お前またそうやって、抜け駆けを!」

 

「……下等生物(イモムシ)風情が、モモンさんに近づくなど!」

 先ほどまでいがみ合っていた二人が仲良く転移の魔法でも使ったのではないかと思えるほど、一瞬で距離を詰めて戻ってくる。

 

「あら、こういうのは早いもの勝ちというのが相場じゃないの? それに、私にとってもモモンさんは特別だもの」

 ニコリと意地悪く笑ってモモンに身を寄せて言うと、モモンにしては珍しく驚きの声を上げた。

「うおっ!」

 

「あぁ!」

「殺す」

 

「ヒューヒュー」

「……ちょっと複雑」

 それぞれが何か言っているが、いざ口にしてみると思いの外気恥ずかしい。

 いつだったか、まだラナーの正体に気づいていなかった頃、彼女をからかう為にクライムに似たようなことを言った時は何ともなかったはずなのに何故。

 そう考えた次の瞬間、ラキュースはこちらはモモンに出会ってからずっと、漠然と抱いていた想いをはっきりと自覚した。

 

「お前らいい加減にしろよ!」

 一人遅れてやってきたガガーランの言葉が響きわたる。

 全くこんな楽しい冒険中に、自分と来たら何を考えていたのやら。

 自分にはうじうじ考えている暇など無い。

 これはラキュースにとっての新たな冒険の始まり、そう。仲間も英雄も親友も祖国も恋も、全てを手に入れるワガママ神官戦士ラキュースの英雄譚の第一頁なのだから。




これは以前から少しづつ書き溜めていたので、エピローグは全て書き終えています
初めはすべて纏めて投稿するつもりでしたが、推敲と誤字脱字のチェックに時間が掛かり、まだ終わっていません
ですので確認をしつつ今日から毎日、午前零時に投稿していくつもりです

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