ネイア・バラハの冒険~正義とは~   作:kirishima13

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第8話 海

 野生動物(ハムスケ)を森へ帰すという貴重な経験をした二人は徒歩でエ・ランテルへと到着していた。そしてそこから見つめるはカッツェ平野。かつては王国と帝国との戦場として多くの命が散った地であり、今も年中アンデッド反応のある青白い霧がかかる危険地帯である。

 その日も平野は青白い霧で覆われており、視界が酷く悪い。そんな平野を見ながらモモンガは袋からアイテムを取り出してネイアに渡す。

 それは黄色いフレームの眼鏡であった。横に虹色のカラフルなラインが入っており非常に先鋭的なデザインをしている。

 

「これをつけるといい」

 

 言われるがままに眼鏡をつけてネイアは驚く。カッツェ平野の霧が一気に晴れたのだ。いや、霧が晴れたのではなく、グラス越しに霧が晴れて見えるのだろう。

 

「これは……霧を見通せる魔法道具(マジックアイテム)ですか?」

 

 驚きつつネイアがモモンガを振り向くとそこには作り物の鼻と髭のついた眼鏡をかけた骨がいた。モモンガである。いわゆる鼻眼鏡をつけてネイアを見つめている。

 

「あの……ふざけてるんですか?」

「いや、これ二つしかないんだ。もしネイアさえ良ければそれと交換してもいいが?」

「モモンガさん、すごく似合ってますよ!それ!」

「……」

 

 父親譲りのコンプレックスを持っているとはいえ、ネイアとて女の子、鼻眼鏡を付けて人前に姿を晒すなどごめんこうむる。あの眼鏡はモモンガにつけていてもらおう。

 

「でも霧が見通せるだけですか?これ」

「いや、そうじゃない。今度は眼鏡を外してみろ」

 

 ネイアは眼鏡を外してモモンガを見る。そこには鼻眼鏡をつけた半透明の骨がいた。

 

「えっ?モモンガさん掠れてますよ?大丈夫ですか?」

「これがこの眼鏡の効果だ。肉体の霊体(アストラル)化の効果がある。これをつけると霊体と同じ体になり、見ているものも同じになる。ゴーストなどの半不可視化されたモンスターを見つけたり、それに攻撃するためのアイテムだな。つまりあの霧は霊体にとって空気のようなものなのだろう。だから透明に見える」

「へぇー」

 

 もう一度眼鏡をつける。霧が晴れて太陽の光を感じる。しかも暖かさまで感じるようだ。

 

「《全体化飛行(マスフライ)》。さて、では幽霊船探しとでも行こうじゃないか」

 

 

 

 

 

 《全体化飛行》の魔法で平野を探すこと数刻、はるか遠くに船の影を発見する。最初に見たときには気付かなかったが、その船体は薄汚れ、ところどころの板が剥がれ落ちている。マストも破れ、柱にひびが入り、半透明でなくなったとしても幽霊船にしか見えないだろう。そしてその上に数人の男たちの姿があった。人間の姿をしているが、眼鏡を外すと見えないのだから幽霊(ゴースト)の類なのだろう。

 

「こんにちは。いい天気ですね」

 

 そんな彼らにモモンガが能天気に話しかける。船の甲板の上にいた者たちは使い古された服の上にベストを羽織り、首にはボロボロのスカーフ、草臥れた短めのズボンを履いている。靴を履いた者もいれば裸足の者もいる。如何にも海賊といった風貌の男たちである。

 そしてその中でもひと際威厳のある男がいた。顔や腕は傷だらけ、鼻の下に立派な髭を蓄えている。年齢は40代程だろうか。頭には草臥れてはいるが両脇を後ろに折り返した立派な漆黒の三角帽子をかぶっている。中年の色気を感じるようなダンディーな男だ。モモンガ達が宙を飛んでいることを気にもせず、その男が問いかける。

 

「おめぇら……海は好きか?」

「は?」

「海は好きかと聞いている……」

「えーっと、どっちかと言うと俺は好きだな」

「……そっちの嬢ちゃんはどうだ」

「す、好きです!大好きです」

 

 凄むような声で聞かれてついそう答える。平野を走る船の乗員から海を好きかと聞かれるとは思ってもいなかった。だが、その答えは正解だったようだ。男はニヤリと笑いかけてきた。

 

「そうか……海を好きなやつに悪いやつぁいねえ。乗りな」

 

 

 

 

 

 

「で、おめぇら何の用だ?」

「バハルス帝国、えっと北東のほうに行きたいんだが、乗せてくれないだろうか。金なら払おう」

 

 モモンガは幽霊船に乗ってみようという気らしい。金貨を取り出し船長へと見せる。

 

「金貨か。俺たちは海賊だ。金貨は嫌いじゃねえが、それよりも現物のほうがありがてぇな」

「魔法道具とかか?」

「ああ、そうだな。まぁ、なけりゃ金貨でもいいぜ」

「ではポーションなんてどうだ?」

「ポーション?あんな毒薬もらってもなぁ……」

 

(ポーションが毒薬?ああ……アンデッドだからポーションでダメージを食らうんだ……)

 

 ポーションを毒薬呼ばわりされネイアはなんだか常識が逆転したような気がしてくる。

 

「毒など渡さないとも。これはどうだ?」

 

 モモンガが取り出したのは瓶に入った黒い液体。いや、よく見ると液体ではない。気体である。瓶から漏れ出すようにその黒い気体が靄のようにかかり怪しさを際立たせている。

 

(どう見ても毒ですけどそれ)

 

「ネガティブエナジーポーションだ。負の生命力を与える。生命には毒だが、アンデッドは回復する」

「そ、それは!それをくれるというのか!?」

 

 ネイアには怪しさ満点の漆黒のポーションに見えるが、船長はそんな良いものをもらってもよいのかと驚いている。

 

「この程度のものならたくさん持っている。低位のポーションを使うこともまずないしな。お近づきのしるしに差し上げよう」

「お、おお……」

 

 船長はそのポーションを大事そうに受け取ると、すぐに船員に指示を出す。

 

「おい!あいつを呼べ」

 

 連れてこられたのは義足の船員だった。鮫にでも足を食われたのだろうか。船乗りたちの仕事は命の危険と隣り合わせだ。事故で手足をなくすという話は海に面した聖王国でもよく聞く。

 

「陸地から神聖魔法を撃ってくる酷えやつらにやられちまってな。こいつに使わせてもらうぜ」

 

 鮫ではなく、討伐に来た信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)だったらしい。彼らからすれば鮫と変わらないだろう。

 船長は瓶を開けると中の気体を義足の船員に振りかける。すると義足の男性の足が根元からニョッキリと生えたではないか。通常のポーションでも手足の欠損を一瞬で回復するようなものは貴重であるはずだ。先ほど船長が驚いていたのもよく分かる。

 

「あ、歩ける!俺歩けるよ!船長!」

 

 驚きと喜びで複雑な顔をした船員がその新しく生えた足で甲板をしっかりと何度も何度も踏みつける。

 

「旦那!まだ怪我人はたくさんいるんだ。もっと売ってくれ。対岸には送ってやるし、こっちが金貨を出そうじゃないか」

「まぁ、待て。消耗品を使うのももったいない。怪我人が多いのであれば私が回復させよう」

 

 モモンガは10本の指につけられていた指輪を付け替えると船員たちの見守る中、魔法を詠唱する。今更だが骨の姿に誰も忌避感を覚えていないようだ。同じアンデッドだからだろうか。ポーションのこともあり、魔法の詠唱に対しても信頼されている。

 

「《魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)》《大致死(グレーター・リーサル)》!」

 

 モモンガの魔法が発動し、船全体を包む。しかし、物騒すぎる名前の魔法だ。

 

(大致死ってそれ私も範囲に入って大丈夫な魔法なの!?)

 

 人を死に至らしめる魔法が船全体へとかけられた。しかし、それはアンデッドにとっては逆の効果をもたらす。腕の無いもの、足の無いものはそれを取り戻し、船員たちの傷ついた体は一瞬で全快する。しかし、それだけに留まらなかった。魔法の効果は船にも及ぶ。霊体である船は、そのぼろぼろのマストは新品のようによみがえり、甲板はおろしたてのようにピカピカだ。黒く煤けた砲台も金属の輝きを取り戻す。

 ちなみにネイアも眼鏡で幽体化しているおかげか何事もなかった。

 

「すげえ!あんたすげえよ!」

「手が俺の手が蘇った!」

「歩ける!俺も歩けるぞ!」

 

 船員たちが喜びに体を叩きあっている。その歓声が収まると船長がモモンガたちに向きなおる。

 

「そういや、あんた達の名前を聞いてなかったな。一体何者なんだ?」

「私はモモン、彼女はネイア。旅のワーカーだ」

「ワーカー、仕事の請負人か。なるほどな……。ふっ、いい仕事するぜ」

「あんたの名も聞いてなかったな」

「俺か?俺は」

 

 幽霊船の船長は帽子の位置を整えると、声高らかに誇り高く名乗った。

 

「俺の名はカッツェ!この大海原を取り仕切る海賊団の船長、キャプテン・カッツェだ」

 

 

 

 

 

 

 平野と同じ名を持つカッツェと名乗ったキャプテンは遥か昔からこの地で海賊をしているとのことだ。平野の名の由来にも関係しているかもしれない。

 

「旦那、あんたには世話になった。歓迎させてもらうぜ。どうだ?酒もあるし肴もある。一杯やろうじゃねえか」

 

 そう言って船長は樽に入った酒と干し肉を取り出すとモモンガとネイアの前の甲板上に無造作に並べた。当然テーブルなどはない、粗野な態度であったが、それが不思議とこの場にとてもしっくりきていた。

 

「いや、俺はアンデッドだから食べ物は……いや、待て!はっ!?嘘だろ!こ、これは!」

「どうしたんです?モモンガさん!」

「ネイア、これ。眼鏡を外してよく見てみろ!」

 

 ネイアは眼鏡をずらしてその出された物を見るとその飲み物も食べ物も向こう側が透けて見えている。

 

(半透明……ということは)

 

(アストラル)体なのか!?これは。一つもらってもいいか!?」

「おう、食いねえ。食いねえ」

 

 船長に渡された干し肉にモモンガは噛り付く。そしてそのまま固まって動かなくなった。ネイアは心配になる。骨に効く毒でもあるのだろうか。

 

「モモンガさん大丈夫ですか!?もしかして毒!?」

「しょっぱい!ネイア!これしょっぱいぞ!」

「そりゃ塩漬けの干し肉そのままかじりゃしょっぱいだろ。塩を落としてパンにはさんだりスープにつけたりしてだな……」

「味がする!しょっぱい味がするよ!味が!」

「何当たり前のこと言ってんだ?この旦那は?大丈夫か?」

「味のするものを食べられる日が来るなんて。ううっ……」

 

 モモンガは感動して泣いている。いや、涙はでないが、その赤い眼光の揺らめきはきっと泣いているに違いないとネイアは思う。

 

「おい、嬢ちゃん。一体どうしちまったんだ?この旦那は」

「え、えーっとあの、この人は碌なものを食べたことがないというか、碌にものを食べたことがないというか……」

「ああ、なるほど……」

 

 何がなるほどなのかネイアには分からないが何となく察してくれたようだ。深く突っ込まないでくれるこの船長いい人だ。

 

「味がする……これが本物の肉の味……」

 

 霊体なのに本物とは何なのか。ネイアの頭は混乱するが、何やら感動しているようだからいいだろう。まだまだ感動を体で表し足りないようなので船長もネイアもモモンガは放っておくことにする。

 

「それにしてもなぁ、嬢ちゃん。あの旦那の魔法すげえな」

「ええ……まぁすごいと思いますよ。いつも驚かされます」

「へへっ、じゃあもっと驚いてもらおうか。旦那は確かにすげえ。すげえが、海はもっとすげえんだぜ?」

「海?」

 

 ネイアに見えるのは霧は晴れたとは言え見渡す限りの平野だ。どこにも海どころか水の一滴さえない。

 

「んっ、どうした嬢ちゃん。嬢ちゃんには見えねえのか?この見渡す限りの大海原が」

「あの……ごめんなさい」

 

 ネイアには何も見えない。自分の視力や感覚には自信がある。だが、どこまで遠く見通しても地平線の彼方まで海があるようには見えなかった。

 

「何も謝るこたあねえよ。じゃあ、見せてやるとしようじゃねえか。本当の海ってものをよ!おい!てめぇら準備しろ」

「へいっ!キャプテン!」「あいよ!」「任せてくれ!」

「潜航準備を開始しろ!」

「潜航準備!」

「え!?潜航!?」

 

(これ船じゃないの!?沈むの?)

 

 ネイアの頭がクエスチョンでいっぱいになるが船員たちが威勢のいい掛け声とともに着々と準備を進めていく。

 

「注水開始!船首角度良好!」

「行くぜ嬢ちゃん!しっかり掴まってな!」

 

 キャプテンの言う通りマストに掴まると船首が地面に向けて突き刺さっていく!

 

(えっ!何これっ!ちょっ、地面に埋まっていく!)

 

 幽霊船は地面の中へと潜っていく。ネイアは生き埋めになるのではと息を止め目を閉じ必死にマストの柱にしがみ付いた。

 

 

 

 

 

 

―――土の中にいる

 

 死んだ。自分はこんなところで生き埋めになって死んでしまうとは。愉快な骨との奇妙な冒険はここで終わったのだ。

 

「お母さん、お父さん、先立つ不孝をお許しください」

「おい、嬢ちゃん。何縁起でもねえこと言ってんだよ。目を開けてみろ」

(・・・・・・縁起でもないって霊体が言うとなんか矛盾してない?)

 

 キャプテンの言葉に目を徐々に開けていく。そして見えたのは……。

 

 そこにあったのはまさしく『海』であった。さんさんと輝く太陽の下、目の前にはその光を受けた海底のサンゴたちがキラキラと輝いている。周りには色とりどりの魚たち。鱗が光を浴びて虹色に反射している。上を見上げると海面が見える。エメラルドブルーの水の中に光が反射してゆらゆらと揺らめき、まるで夢の世界のようだ。眼鏡の効果だろうか。海の中にいるというのに息苦しくもない。

 

「すごい……こんなすごいもの見たことない……」

「ははははっ!分かってんじゃねえか嬢ちゃん!これよ!これが海。俺たちが守るもの。俺たちの正義だ」

「はああ……」

 

 言葉にならない。確かにこんな綺麗な海を汚す者たちが現れたら許せないだろう。彼らがエ・ランテルでアンデッドたちを攻撃していた理由がネイアにはやっと分かった。

 

「よし、そろそろいいだろう。海上に出るぞ」

 

 船首が徐々に上がり、海上へと戻り、そしてネイアは周りを見渡した。地面の中に沈む前には平野だと思っていた場所。それが今では見渡す限りの大海原である。太陽の照り輝く中、霊体のカモメが空を飛んでいる。

 

「どうだ、すげえだろ?海は」

 

 そう言ってニヒルに笑うキャプテンにネイアは言葉を失い頷くことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 物を食べられることに大興奮のモモンガが甲板で船長たちと酒盛りをしている。日も落ちて暗くなってきても大騒ぎをしているようだが、今日も色々と驚きすぎて疲れた。はしゃいでいる骨は放っておいて、ネイアは一人船室の一つを借りて休むことにする。

 

 

 そして翌朝、ネイアが起きて甲板に上がろうとすると騒がしい声が聞こえてくる。まだ酒盛りをしているのかと呆れながら上ると様子が違う。まずモモンガの恰好が違う。青と白の横縞の服に白いズボン、白い軍帽を被っている骨がそこにはいた。鼻眼鏡はそのままだ。手には釣り竿を持ち、それを周りの船員たちがはやし立てている。

 

(また服変わってるし……海兵隊?軍服好きだなぁ)

 

「旦那、まだ引くな。まだだ。もう少し引き付けるんだ」

「こうか?」

「そう、それで引き付けて……」

「引き付けてー……?」

「今だ!」

「そりゃあああ!」

 

 モモンガが竿を引き上げる。そして打ち上げられた魚が甲板でビチビチと飛び跳ねていた。赤く非常に美しい魚だ。

 

「おおっ、鯛を釣りあげるたぁめでたいねぇ」

「こ、これが鯛!?おおおおっ、初めて本物を見たよ」

 

 鯛と呼ばれた魚を手に取って喜んでいるモモンガ。よく見ると足元のバケツにはいろいろな魚が入っている。

 

「よし、さっそく焼いてみるか」

 

 そう言うが早いかモモンガは指から炎を出す。それを魚へと向けたその時。

 

「旦那、やめてくれ!さっき魚を消し炭にしたの忘れたのかよ」

「安心しろ。さっきの《獄炎(ヘル・フレイム)》は火力がありすぎたんだ。今度はもう少し弱火の《焼夷(ナパーム)》で……」

 

(モモンガさん、やめてくださいお願いします)

 

 ネイアと船長の祈りが通じたのか、船員の一人が調理道具を持ってきた。

 

「キャプテン。七輪もってきやした」

「おう、ご苦労。旦那、魚つーのはこうやって炭火でじっくり焼くからうめえんだよ」

 

 船員の持ってきた七輪でじわじわと焼かれる魚たち。それを待ちきれないのかモモンガはその前に座り込みじっと魚を見つめ続けている。

 

「も、もういいか?もういいよな?」

「焦んなよ、旦那。魚の内側から肉汁がじわじわ出てくるまで待つんだよ」

「まだか?まだか?」

 

 餌をおあずけされた子犬のように魚の目の前で待ち続けるモモンガ。アンデッドでなければ涎でも垂らしていそうな様子だ。

 

「よし、いいだろう。こうやって塩を振って。さあ、食いねえ」

 

 豪快に丸焼きされた鯛をモモンガが頬張る。言葉にならないのかピョンピョンと黙ったまま甲板を跳ね回り、そしてつぶやいた。

 

「美味い……これが本物の魚……本物の魚とか肉なんて初めて食べたよ……生きててよかった。ううっ……」

 

 本物の魚でもないし、モモンガは生きてもいないとネイアは思うが何やら感動しているようなのでそれを口に出すのも野暮だろう。一瞬そう思ったが、ネイアはそれは違うのではと思い直す。

 

(いや、そうじゃない……本物も偽物もないのかな?)

 

 例え人間たちに取ってこの場所は平野であり、海も魚もすべてが幻影であろうとも、この船の乗員たちにとってはこの見えている海こそが本物なのだ。それはネイアの中の価値観を根底から覆すものであった。自分の信じているもの、相手の信じているもの、それがまったく反対側を向いていたとしてもそれはそれぞれが本物なのだ。

 ネイアのそんな思いをよそにモモンガはまだ魚を食べて感動して飛び回っていた。

 

 

 

 

 

 

 船旅にも慣れ、モモンガも落ち着きを取り戻したと思ったその時、キャプテンからの一言がその場の雰囲気を変える。

 

「旦那。鯛でそんなに感動してた日にゃマグロなんて食べた日にはどうなっちまうんだい?」

 

 キャプテンにとっては何気ない軽口。だが、モモンガにとってはそれは違った。現実では漁獲量が極端に減り、庶民の食卓になど上がることなどなくなった幻の魚、マグロ。それがこの世界にあると言うのだ。

 

「マグロ……だと!?マグロって言ったのか!?言ったよな!マグロって!」

「おいおい、どうしたんだ。旦那、さっき以上に変だぜ」

「マグロ……大トロ……刺身……照り焼き……カマ……」

 

 モモンガは船長を絞め殺すのではないかと思うほど胸倉をつかみマグロの取り方を教わると、針に肉を括り付け海へ向かって釣竿を振りかぶった。

 

「マグローーー!!」

 

 

 

 

 

 

 モモンガが釣り糸を垂らしてはや数時間、最初はモモンガの様子を見ていた船員たちも自分たちの仕事に戻っていった。特にやることのないネイアも竿を借りて釣りをしてる。聖王国でやった釣りより簡単に魚が釣れて楽しい。このあたりの魚は人間を警戒していないからだろうか。いや、ここにいるのは人間でも魚でもないのだが。

 

(しかしすごい集中力だな。そんなにマグロって魚が食べたいんだ……)

 

 わき目もふらずに食い入るように糸を見つめるモモンガ。数時間身動き一つせずに糸だけを見ている。

 そんなモモンガの想いが通じたのか、それからさらに数時間して唐突な変化があった。竿の先が直角に近いほど下へとしなり水面に水しぶきが上がる。

 

「来た!」

「え?本当ですか?」

「少なくとも人間よりは重い!これは……これは来たぞー!」

 

 モモンガが叫ぶと同時に糸が右へ左へと振れ水しぶきが上がり続けている。キャプテンもそれに気づき船のヘリから顔を出して糸を見つめる。

 

「おお、来てるな!こいつぁ大物だな」

「よ、よし、一気に……」

「待て旦那!餌にもっと食らいつくまで待つんだ。逃げられるぞ」

「そうなのか。うおおおっ、すごい引きだ」

 

 今度は糸が船尾のほうへと振られていき、それにそって竿もそちらへ持っていかれようとする。

 

「旦那!無理に引っ張らずに流れに任せるんだ。いや、不味いか。船底に引っかかる!」

 

 水しぶきは船を後ろから回り込むようにモモンガの竿を引っ張ろうとしている。

 

「踏ん張れ!力を込めすぎず後ろに回り込ませるな!」

「お、おう!」

「力の加減を間違えるなよ。餌がバレるぞ」

 

 悪戦苦闘の末、獲物は船尾へ逃げるのを諦めたのか、船首のほうへと戻ってくる。しかし、その力は相当なものだった。

 

「おおおっ、竿が持ってかれる」

 

 獲物の力は相当なようだ。竿と一緒にモモンガの体も海へと持っていかれようとする。力任せに引っ張れば竿が折れる可能性さえあった。

 

「おい、旦那の体を支えるんだ」

「は、はい!」

 

 キャプテンの助言に従いネイアはモモンガに抱きついて体を支える。そして少しずつ慎重に糸を寄せる。

 

「少しずつだ。少しずつ手繰り寄せるんだ」

 

 二人でどれくらいそうしていただろうか。獲物の動きが鈍り、船へと徐々に近づいてきていた。モモンガとネイアは二人で竿を握りなおす。

 

「よ、よし、ネイア、せーので引っ張り上げるぞ」

「わ、わかりました」

「せーの!とりゃあああああああああああああ!マグロ穫ったどおおおおお!」

 

 モモンガの掛け声とともに竿を引っ張り上げる。太陽の光の中に巨大な黒い影が躍った。そしてその巨大な影が甲板の上へと乗り上げる。

 

 

 

―――そして

  

 

  デーンとそこに現れたのは白い毛玉であった。とても魚には見えない。しかしゴミではないようでモゾモゾと動いてはいる。

 

「あの……これがマグロなんですか?」

 

 マグロを見たことのないネイアの言葉にキャプテンが首を振る。どうやらマグロではなかったようだ。それではなんなのだろうとみていると、なんとその毛玉が喋った。

 

「むぐむぐっ、変でござるなぁ。この半透明の肉全然お腹が膨れないでござるよー。おかしいでござるなー」

「ハムスケ!?」

「むっ、そこにいるのはネイア殿ではござらぬか!殿もご一緒でござるか。もぅー駄目でござるよー勝手に迷子になっては!」

 

 餌を咥えたままに振り返った白い毛玉。マグロだと思って釣り上げたのは森に帰ったはずのハムスケであった。霊体である餌の肉に食らいついている。獣は人間より霊感が強いと言うが食べることもできるようだ。モモンガたちが迷子になったのではなく、森に帰したつもりだったのだが、当然それは伝わってなかったようだ。

 

「マグロ……俺の初めてのマグロが……」

 

 マグロへの期待をしていただけによほどショックだったのだろう。ネイアたちの会話も耳に入ってない様子で茫然自失で虚空を見つめる骨がいた。

 水平線の向こうに太陽が沈もうとしている。赤く輝くそれが水面に映りとても美しい光景だ。澄み渡った海。それを正義だと言ったキャプテンの言葉が思い出される。これは確かに守らないといけないものだろう。ワイワイと騒ぐ獣や動かなくなった骨から目をそらし、ネイアは夕日が沈むまで海を見つめることにした。

 

(綺麗だなぁ……)

 

 

 

 

 

 

 そんな美しい光景も太陽が沈み、辺りは夜の暗がりへと変わる。モモンガとハムスケを相手にするのにも飽きた船員たちやネイアがその場から離れてる中、まとわりついてくるハムスケを相手にすることもなく、いまだに微動だにせずそこにいる骨は「マグロが……マグロが……」といつまでもつぶやいているのだった。


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