オーバーロード ワン・モア・デイ   作:0kcal

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 空が赤く染まるより前に野営の準備に取り掛かったため、一行は日没のころには食事の時間を迎えることとなった。空腹だった漆黒の剣の面々が勢いよく食べていく中で、アインズは面頬を動かして露わになった口元に、ゆっくりとスープやちぎったパンを運んでいる。

 

「そんなにでっかい体してんのに、ずいぶんちまちま食べるんだな。猫舌なのか?あと飯の最中はヘルムぐらい外してもいいんじゃねえの?」

 

「おい、そこの……」

 

「いえ、そういうわけではないのですが、食事をとるのが遅いとはよく言われます。鎧兜は本当に安全な場所でしか脱がないようにしているので……申し訳ない」 

 

「いいんですよ、モモンさん。ルクルット、別にそれくらいいじゃないですか」

 

「枕戈寝甲、常に備えを怠らぬという事であるな。流石、大戦士は心構えからして違うのである」

 

「彼に悪気はないんです……すみません。モモンさん、ナーベさん」

 

 ルクルットの軽口に反応するナーベをしぐさで制しつつ、謝罪の言葉を口にするアインズにニニャとダインが味方をし、ペテルが小声で謝罪の言葉を口にする。この旅が始まってから、多少の流れの違いはあれど何度か繰り返された光景だ。

 

(前回とほぼ変わらないな。多少あの男からの風当たりが強い気もするが……しかし良かれと思って対策はしたけど、下手に口に入れてる分、虚しさが募るなあ)

 

 アンデッドであるアインズが食事ができている絡繰は舌骨の上に乗っかり、底が抜けている下顎骨を覆うように広がっているイド・ウーズのベロベロくんである。最初はペロペロ君と命名したのだが、某鳥友人の顔が浮かんだので訂正した。顎の下にスライムがくっ付いていると言えばわかりやすいだろうか。

 ベロベロ君の上にスプーンですくったスープや、ちぎったパンを乗っけるように落としていけばあっという間に溶けて無くなってしまうという寸法だ。ただし、いっぺんに大量の食物を口に入れたり流し込んだりすると、ベロベロ君の処理能力を超えてしまい最悪口内から溢れることになる。まだ加減がよくわからないので、少量ずつゆっくりと運んでいるのだ。

 

(ヌルヌル君のように、舌の代わりになってくれて味がわかるようになるモンスターがいれば良かったんだけどなあ)

 

 食べているのはベロベロ君なので、当然アインズには味がわからない。ちなみに、のどの奥にまで食べ物が行ってしまうと、変声器の代わりをしている口唇蟲のヌルヌル君が火傷したり溺れてしまうかもしれないので、食事の際はちゃんとベロベロ君にガードさせている。ヌルヌル君も食べ物を食べられないわけではないのだが、新鮮な植物と人間の声帯以外を食べさせるのは良くないそうだ。モンスターの食生活はよくわからない。

 ヌルヌル君の選定ついでに、舌の代わりになるモンスターをエントマに期待しつつ確認したが、舌槍蟲っていう~生き物の口内に住みついて口から飛び出して敵を刺し貫く子ならいますけどぉ、と返答が返ってきた。かなり固い外皮でも余裕で貫通するらしいが、当然味はわからないらしい、がっかりだ。

 

 記憶に従いチーム名である漆黒の剣の由来などを尋ねつつ、ンフィーレアと彼らの会話から自身が忘れている情報や今ならば価値があると分かる情報はないか確認していくが、特に目新しい情報はないようだ。

 

(しかし全く記憶の通りに物事が進んでゆく……慎重を期してはいるものの、多少の変化は生じている筈なのだがな)

 

 エ・ランテルよりカルネ村へと出立し、この野営の準備まで記憶の通りに物事が進んでいった。カルネ村に進むルートは北上後に森の周辺を進むルートであるし、途中でちゃんとオーガとゴブリンの集団にも襲われた。この中でアインズは記憶から外れた行為を多少行っていたが、それで何かが変わることはなかった。まず、ニニャへの質問はすでに入手した知識により広範なものへと変わっていたし、戦闘でも実験的なことを行った。野営の準備の際には鳴子設置の仕事を割り当てられたのだが、自身は戦闘後なので武具の手入れを行いたい、とあえて断ってみたりもした。しかしいずれも漆黒の剣やンフィーレアの態度にこれまで変化はなし。強いて言うなら最後の断りを入れた時にナーベが当然です、という顔をしたぐらい。

 ナーベラルと言えば、ルクルットに囃されてアルベドの名を口に出す失態は防がずに置いた。あのやりとりで前回のナーベラルが何かを自覚・獲得していた場合を考えられるし、ンフィーレアに正体を看破された際に言い訳として使うのだから防ぐことはマイナスにしかならない。

 

 眼の前で展開される、全く同じ流れの会話のやり取りを聞いていると、ここ数日のちょっとした事でやたらと前回と異なった結果が生じていたほうがおかしいと思える。だが、これは彼ら一行との関係が仕事を通じてだからなのだろうとアインズは判断していた。彼らは冒険者の常識として、仕事の上の関係としてこちらと節度ある距離を保っている。ナザリックの面々はアインズ自身に対する様々な感情が、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフの場合はこれから死地に赴くという特殊な状況があったために、わずかな違いでも変化が生じたのだろう。

 

「――チームの目標がしっかりとありますからね」

 

 ペテルの声に、アインズは前回の記憶が呼び覚まされる。かつての仲間の事を口にしたい欲求が湧き起こったが、その結果はどうなるかは既にわかっている。わかっていても、自分はあの言葉に不快な感情を抑えることはできないだろう。展開に大差がないならば、わざわざ雰囲気を悪くすることもないとアインズはその欲求を抑えこんだ――ところで頭にある考えが浮かび、検討し、口を開いた。

 

「そうでしょうね、皆の意志が一つの方向を向いていると全然違いますからね」

 

 

 

 

 

 

 

 満天の星の下、見張りのために起きている二人が、たき火を境にして向き合って座っている。その内の一人であるニニャはちらりと、眼の前に座る人物に目をやった。そこにはたき火に煌々と照らされた、豪華かつ異形の、おそらくは魔法の鎧を纏った大戦士――モモンさんが腰かけている。今は口の部分もきっちりと閉じているので、炎の輝きを反射する恐ろし気な兜が、まるで伝説に出てくる魔神のようにも見える。

 

 周囲に鳴子や<アラート/警報>による警戒網を作ってはいても、野営の際に見張りを置かないなんてことはあり得ない。依頼主であるンフィーレア・バレアレ氏はともかく、護衛である自分達漆黒の剣とモモンさん、ナーベさんが見張りに立つのは当然のことだ。ただ、ニニャはこういったチーム混合の依頼においては、同じチームの者が見張り番の組になるのが当たり前だと思っていた。何度か交流があったり、依頼が長期にわたる場合は別なのかもしれないが。

 

 先程、ペテルが見張りの順番を伝えに来た時は何かの間違いだと思った。食事の際に自分が発してしまった迂闊な一言、その言葉で明らかにモモンさんは気分を害していた。食事をあまり食べると何かあった時に体が鈍りますので失礼、とは言っていたが誰もがそれは口実だと分かっていた。あの見事な体躯が、あの程度の量の食事で維持できるとは思えない。

 

(何を言ったらいいのかわからない……でも黙ってるのも耐えられない、どうしよう)

 

 あの後で、この組み合わせは針の筵だ。自分だってモモンさんと仲直りしたい気持ちは当然あるが、早すぎる。遠回しに断ったのだけど、ペテルはこのままの空気では不味いと思ったのだろう。なんとか仲直りをしてくれないか、と頼み込まれた。その際にナーベさんの方をちらっと見たので、もしかしたらナーベさんから申し出があったのかもしれない。

 

(……彼女の態度から考えると、そうは思えないけど)

 

 結局見張りは自分とモモンさん、ペテルとナーベさん、ルクルットとダインの3組で朝まで交代で行うことになった。ルクルットは文句を言っていたけれど、魔法詠唱者を分けたという説明と、ナーベさんのジンガサハムシと一緒はいやです、という容赦ない一言によって撃退されていた……彼女の口にする名前は聞いたことの無い物ばかりだ。交代の際、上手く行ったらペテルに合図を送ることにはなってるけども、見張りが始まってから数分とはいえ、未だお互いに一言も発していない有様だ。果たしてその合図を送ることができるのだろうか。

 

 カラン、と乾いた音が響いた。モモンさんがたき火に枯れ枝を投げ入れたようだった。気がつかなかったが、火の勢いが弱まっていたようだ。これでは見張り失格だ。枯れ枝に火が移り、パチパチと音を上げる。そのたき火の向こうで、角が生えた見事な兜が下がった。

 

「先程は、申し訳ありませんでした」

 

 たき火に照らされていたモモンさんからの突然の謝罪に、ひどく恐縮した気分になった。心無い言葉を発したのは自分なのに。そう思ったがいなや、自身でも気がつかぬうちに立ち上がって頭を下げていた。

 

「モモンさんが謝ることなんてありません!……謝らなければいけないのは私の方です、何があったのかもわからないのにあんな軽率な……親しい人が奪われる哀しみはよくわかっていた筈なのに……本当にすみませんでした!」

 

「いえ、もう気にしておりません。ニニャさん、頭を上げてください。私も、ずいぶん大人げない態度をとってしまった事を後悔しているんです。そう頭を下げられたままだと困ってしまいます」

 

 その声には暗いものや、あの時感じた敵意のような響きは全く感じられない。その言葉を受けて顔を上げ……自身を見ていたモモンさんと目が合った。兜をかぶっているので、確かにとは言い切れないが視線を感じる。そのまま、モモンさんと見つめ合う形になる。兜の下の顔を思い出して頬が熱くなるのを感じたが、自分のそんな想いとは関係なく、かけられた言葉は先程よりもずっと重々しい響きを伴っていた。

 

「……ニニャさん、一つお伺いしたいことがあります」

 

「なんでしょう?」

 

 彼の声の響きに何らかの決意と真剣さを感じたニニャは、気を引き締め多少身構えつつ返答する。

 

「冒険者が、過去の詮索をするのはご法度と知ってはいます。ですが、今日お会いした時からたびたびニニャさんは貴族に対する……憤りや恨みを初対面の私たちの前でも口にされていました。何があったのですか」

 

 頭と心がすっと冷える。確かに心情を吐露していたのは自分だし、疑問にも思うのも当然だけど、なぜ今ここで。

 

「……なぜ、そんなことを聞くんですか」

 

「ニニャさんの言葉には、先程の私のような暗いものというか、すみません、うまく言えませんが……危うさを感じました。私はそれを放っておく事が、とてもよくない事のように思えたのです。なのでニニャさんにお尋ねすることにしました。お話ししたくないことでしたら無理にとは言いませんし、今後もこれ以上詮索するようなことはいたしません」

 

 モモンさんの言葉に、嘘はないように思える。当然だ、嘘をつく必要なんてないのだから。

 

「……かまいません。漆黒の剣の皆は知ってることですし、どこにでもあるような話ですから」

 

 ニニャはたき火の前に腰掛けて、自分に何があったか全てを――ある一つの事を除いて――語った。かつての自分の村での生活を、優しかった姉を襲った悲惨な運命を、誰も助けてくれなくて、自身で姉を助ける力を得るために冒険者となったことを。その時ニニャ自身は気がついていなかったが、語っているその顔は、泣きながら笑っているような自暴自棄とも見える表情をしていた。

 

「それだけの話、この国ではよくある話ですよ」

 

 たき火に照らされた空間に沈黙のとばりが降りる。その雰囲気に、皆に初めてこの話をした時の事を思い出した。あの時も野営をしていた時だったっけ。そんなことを思っていると、静かに声をかけられた。

 

「それで、ニニャさんはもしお姉さんを見つけることができたら、どうされるつもりなんですか」

 

「助け出します」

 

 即答する、迷う余地なんてない。

 

「王国の貴族ではなくもっと厄介な……外国の大貴族や犯罪組織の下にいるかもしれません」

 

「そんなことは関係ありません。必ず助け出してみせます」

 

 当然の事だ。自分はその力を得るために魔法を学び、冒険者になったのだから。

 

 

「それが仲間の……漆黒の剣の皆さんの身を危うくするとしても、ですか」

 

 

 言葉に詰まる。ニニャは己の眉が顰められたのがわかった。だが、確かに自分が漆黒の剣の一員のまま貴族に逆らった場合、露見すれば皆が危険にさらされるのは間違いない。それに、その答えなら以前にも出している。

 

「……それは……その時は、私はチームを抜けます。私個人のために皆を危険にさらすことはできませんから」

 

「ニニャさん一人の力では、貴族には到底かなわないとわかっている筈です、それでもですか?」

 

(そんなことはわかってる!) 

 

 反射的に声を荒げそうになったが、顔を俯かせ、拳を握りしめることで何とか抑え込む。魔法を学ぶ際に、己の感情を制御する修業をして無ければ心の声のままに怒鳴りつけただろう。

 

(……なぜモモンさんは私にこんなことを言ってくるのだろう、そんな事はわかってるのに)

 

 先程の意趣返しか、と邪推してしまう。だが彼が言ってることは正しい、正しいから腹が立つ。自分の力では貴族には太刀打ちできない。たとえ、このまま冒険者を続けて第三位階、いやタレントの力で第四位階の魔法を修めることができたとしても、その程度の力では貴族に抗うことはできない。

 

(奴らに逆らうことは、国家に逆らうことだから)

 

 個人の力で国家という巨大な組織に抗うには、伝説に謳われる英雄と呼ばれる程の力が必要だ。誰が見てもそうとわかる巨大な力、そう、今自分の前にいる大戦士のような。自分は英雄じゃない、よくわかっている。でもそれを理由に諦める事なんて、できるわけがない。あの想い、あの無念、周囲への恨みと世界への絶望。この心の奥にどろどろと澱みながら熱を発するこの怒りが、己に姉を救えと命じるのだ。ニニャは顔を上げ、目の前にいる戦士を仇のように睨みつけながら、己が己に課した使命に従い言葉を叩きつける。

 

「……だとしても!それから何年かかろうとも、どんな手段を使っても、姉は助け出します。私の全てを賭けて、必ず」

 

 眼に涙を浮かべ、拳を爪が皮膚を破りかねない程に固く握りしめて、はっきりと宣言する。その言葉の間、ニニャは眼前の相手を真直ぐに見ていた。兜をかぶっている戦士の瞳を見ることはできないが、自身に向けられた強い視線の力を感じていたのだ。ここで眼を逸らせば、自身の言葉が嘘になってしまうとでもいうように、兜の向こうの眼を睨み続ける。そして長い――実際はわずかな――時が過ぎた。先に言葉を発したのはモモンだった。

 

「そうですか……わかりました。ニニャさんが己の全てを賭けるというのであれば……お姉さんが見つかった時は、私が協力致しましょう」

 

「えっ」

 

 発せられた意外な言葉とその真摯な口調に驚き、慌てるが、絶句する自分をよそにモモンさんが言葉を続けていく。

 

「私とナーベであれば、余程の相手であっても――」

 

「ま、待って下さい、なぜ、なぜそんなことを」

 

 慌てていたため、相手の言葉を途中で遮ってしまう。大変失礼なことをしたとは思うが、それでも聞かないわけにはいかない。モモンさんは気分を害した様子もなく、横にある枯れ枝を一本掴み、たき火に放り投げた。カラン、という音が響く。

 

「親しい人を取り戻したいという願いは……渇望は私にもよくわかりますから」

 

「モモンさん……」

 

「私と同じ想いを持つ人が、事を成せずに無駄に死んでいくのを放っておくことはできません」

 

 深い実感を伴ったその言葉に、ニニャは衝撃を受けた。そして先程までの自分の態度に羞恥を覚える。先程までの問いは、自分の決意や覚悟を確認していたのだろう。考えてみれば、彼はニニャを放っておくことができないと言っていたではないか。つまり、彼は最初から自分の力になろうと表明していた。彼のおそらく古傷を抉った、失礼で軽率なニニャの力になると。にもかかわらず、自分は頭に血が上って、まるで仇のように睨みつけてしまった。

 

「ですから、お姉さんを見つけた時には私に連絡を取ってください。いいですね」

 

「……はい」

 

 諭すような優しげな声をかけられるが、羞恥からか細い声しか出ない。いや、モモンさんはずっと同じ声と口調で話しかけてきていた。自分が勝手に怒りを覚え、声に込められた感情に気がつかなかっただけだ。人間としての懐の広さ、器の違いを感じてさらなる羞恥が襲う。再び沈黙と微妙な空気がたき火の周辺に流れるが、今までとは違う意味で何を言ったらいいのかわからない。その空気を打ち破ってくれたのは、やはりモモンさんだった。ルクルットがたまにそうするように、軽い口調で笑いながら話しかけてくれた。

 

「ああ、無論上手く行った際には、ニニャさんから報酬を頂きますよ」

 

「えっ…あっ、モモンさんとナーベさんに支払えるほどの報酬が私に用意できるでしょうか」

 

「ははは、私達は銅級冒険者ですよ?」

 

「あ、そういえばそうでしたね……あまりにもモモンさん達がすごいので、忘れていました。でもその時はモモンさん達はオリハルコン……いえ、アダマンタイト級になってるかもしれませんね」

 

 これはニニャの本心だ。皆も言っていた、モモンさん達はいずれ英雄と謳われるだろうと。自分たちはそれの始まりに立ち会えてラッキーだったとも。

 

 

「それは買いかぶりすぎですよ。でも、もしそうなっていた場合でも特別に……分割でお支払いをお受けしましょう」

 

「アダマンタイト級への報酬なんて、一生かかっても私じゃ払いきれませんよ!そこは報酬を安くするところじゃないんですか」

 

「じゃあ、ニニャさんには一生かけて私に報酬を払って頂きましょう。完済まで逃がしませんよ?」

 

「えっ」

 

「えっ?」

 

 

 軽口を叩きあう、にこやかな雰囲気のままに時は流れてゆき、交代の時間となった。ニニャがすれ違いざまペテルの背中をポン、と叩く。それ受けてペテルの顔が見る見る内に明るくなり、同じく交代したナーベラルに向けてサムズアップした。当然ナーベラルは返さないわけだが……見る見るうちに顔が曇って所在なさげになった彼の姿に、アインズは心の中で軽く頭を下げた。そのまま自身の寝床……とされている場所に横になる。空にはどこまでも美しい星々が続いている。それを見上げつつ、アインズは先程の対話を思い出していた。

 

(日記を見ているから、姉を救いたい気持ちがある事は知っていたが……やはり文字と面と向かっての言葉では違う)

 

 アインズは先だって明日の難題を前に些細な刺のようなものとはいえ、ニニャをどうするのかという問題を片付けることを思いついた。重要な案件に挑む前は、たとえ小さな仕事であっても雑念が入るような事案を片付けておくことが、成功率のアップに繋がることをアインズは経験からよく知っていたからだ。

 

(だが、意外な収穫があったな)

 

 アインズは、今になっても明日に待ち受ける未知との不安と戦っていた。当然だろう、何が起きたかはその時が来るまでわからないのだ。なのに失敗は許されない。このことに強いストレスを感じるのはごく自然と言える。それにより対抗策を考える思考は幾度となくループし、鈴木悟の残滓は痛めつけられていた。ふとしたことでその状態に陥るアインズに、気の休まる時は無かったと言ってもいい。限界を超えた時に、奇行に走ることで多少回復はしていたが。

 

(それが、こんなことで吹っ切れるとはな)

 

 ニニャとの対話にアインズはガゼフ・ストロノーフとはまた違う、強い人の意志を感じたのだ。それはまぶしいものでも憧れを感じるものでもないが、アインズにはよくわかる感情だった。暗い感情、だが己の身を捨てても物事を成し遂げるという不屈の決意、そこに不安はない。いやあったとしても、それらを全て抑え込む程強い、不撓の執念。それに触れて、アインズの心は驚くべきことに平穏を取り戻したのだ。

 

(ありていに言えば、腹を括ったという事になるんだろう)

 

 精神論と言えばそれまでだが、何かをなすべき時に覚悟を決めることは成功率を格段にあげる。すでに対抗策は練った。己の経験と知識に基づいた、最も成功率が高いと思っているプランだ。その実行前の準備に於いて不備はない。ならば、たとえその場で何が起こっても、何としてでもやり遂げるのだ。己の全てを賭ける程の強い決意を持って。そのためには、己が心身の状態をベストまでもっていくことも大事ではないか。

 

(人事を尽くして天命を待つ、か)

 

 その言葉を教えてくれたのは、誰だっただろうか。かつての自分がよく使っていた諺を呟くと、アインズは僅かな間、穏やかな心で星々を見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 翌日アインズはニニャと朝の挨拶をかわしあい、昨日の続きとばかりに様々な質問をしていた。その様子を見てルクルットとダインが、ほっとした表情を見せ、ペテルやンフィーレアと微笑み合う。安堵感から自然と会話が盛り上がり、調子に乗ったルクルットに話しかけられているナーベラルが不満そうな表情を見せている以外は、和やかな朝食の風景だ。そのままの雰囲気を保ったまま一行はカルネ村への道をたどり、何事もなく到着した。

 

 たどり着いたカルネ村は前回同様、呼び出されたゴブリンの指導の下で武装をしていたが、異なる点もいくつか見受けられた。もっともわかりやすいのは、ネムの姉であるエンリ・エモットが帯剣していた事だろう。帝国兵に偽装していた法国兵士が持っていた物のようだ。微弱とはいえ魔法が掛かっていた武器だからだろう、手に取ったら扱いやすいサイズになった、とンフィーレアに語っているのを耳にした。外敵への備えがやや優先されているが、その他に関しては報告通り大差ないようで、それらの様子を自身の眼で確認できたアインズは安堵する。

 

 程なくアインズはネムに使ったポーションの瓶を発見したンフィーレアに“予定通り”正体を看破され、薬草採取のために大森林へと向かった。ハムスケは手早く初手から恐怖のオーラLV1で屈服させた。ひっくり返ったその姿を見て、没案のダイフクという単語が頭をよぎったが、呼び間違えると面倒なのでハムスケのままだ。薬草を数多く採取してカルネ村に戻り、明日は早朝に出発するという事で昨晩よりもはやめの夕食を食べ終えたアインズは、借り受けた空き屋に入ったところで“伝言係”からの伝言を受け取ることとなる。

 

「アインズ様。よろしいでしょうか」

 

 アインズは片手で周辺偽装警戒の合図を送る。防音の魔法と幻惑のマジックアイテムが起動され、ナーベラルが頭に兎耳を生やし頷いたのを見て、アインズは伝言に返答する。

 

「周囲には誰もおらぬ、続けよ」

 

「はい、ではご連絡いたします。セバス様、ソリュシャン様、シャルティア様がこれより三時間後に人間どもの街、エ・ランテルを出立されるとのことです」

 

「……わかった、引き続き任務を続行せよ、出立後に再度伝言を送れ」

 

 伝言を切ったアインズはゆっくりとその手をおろすと、身に纏っていたモモンの外装を解除し、己が右手を見た。その手には、あの時の感触がいまだ残っているような気さえする。

 

(さて……来たか、ついにこの時が)

 

 アインズの全身に怒りの感情が漲る。烈火の如く吹き出す怒りではなく、溶岩のような暗く澱んだ怒りだ。

 

(もしも今のこの状態が、俺自身の願いによるものだとすれば――)

 

 拳を握り、あらためて思い出す。己のこの不完全な記憶に於いて、最も忌まわしい事件。

 

(――この時のために私は戻ってきたはずだ)

 

 アインズ・ウール・ゴウンに置いて最も親しかったと言ってもいい友人、ペロロンチーノ。その彼の娘ともいえるNPC、階層守護者シャルティア・ブラッドフォールン。

 

(これだけは、たとえ未来にどのような影響を及ぼそうとも変える、変えねばならぬ)

 

 彼女をアインズ・ウール・ゴウンの力で弑する運命から、アインズ・ウール・ゴウンの力で救うために。

 

(ゆくぞシャルティア、今お前のもとに!)

 




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あれ……ハムスケ……あれ?

次回はブレインさんが出てくるはず

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