オーバーロード ワン・モア・デイ   作:0kcal

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Ache

 月光に照らされて、夜闇の街道を大型の馬車が走ってゆく。御者こそ貧相な男だが、その豪華な車内にはセバス・チャンの他、シャルティア・ブラッドフォールン、ソリュシャン・イプシロンとそのシモベ達。先程出立してきたエ・ランテル程度なら、一夜で滅ぼせる面々が乗車していた。

 

「うふふふふ、うふふふっふっふっふ」

 

「……」「……」

 

 車内は含み笑いをしつつ己の体を抱いて体をくねらせるシャルティアただ一人を除いて、セバスを含む誰もが困惑した表情と共にどこか疲れたような雰囲気を纏って沈黙していた。その中には忠実なシモベである筈の吸血鬼の花嫁二人も含まれている、むしろこの二人が一番疲労の色が濃かったかもしれない。なぜなら、これはナザリックを出発して以来馬車で続いてきた光景なのである。

 

 肉体的疲労を覚えないアンデッドであっても、ずっと馬車にいる二人の精神的疲労は相当なものに違いない。セバスは、自身の部下ではないが今回の任務が無事に終わった暁にはこの二人にも何かねぎらいの言葉をかけるべきと心に留めつつ、あらためて自分の世界に入り込んだままのシャルティアを見た。

 

(……よもや、本当にずっとこの調子だとは思いたくなかったのですが)

 

「んん~あの感触……ああ……じゅるり」

 

「……」「……」

 

 周辺の様子に全く頓着してないシャルティアの眼は、明らかにここではないどこかを見ている。吸血鬼の花嫁たちはそんな主人を心配しつつも声をかけることで何が起きるかを想像し、恐怖し、向かいに座るセバス達に視線で助けを求めた。今までであれば、それを受けてセバスとソリュシャンは目を伏せ、ゆっくりと首を左右に振ってきた。これがナザリックを出てからエ・ランテルに到着するまで幾度となく繰り返された光景だった。

 

 だが、今は至高の御方より与えられた任務の直前である。最低限の打ち合わせや情報共有、また部下であるソリュシャンの望みも伝えなければならない。セバスはこれまでの経験からタイミングを計り、意を決してシャルティアに声をかけた。

 

「……ふぅ」

 

「……シャルティア様、申し訳ありませんが」

 

「お待ちなさい、セバス」

 

 眼に光が戻ったシャルティアが先程までと別人のように澄んだ声で返答し、いつの間にか取り出した骸骨を象った煙管をセバスに突き付けていた。

 

「今、私の名前はマーカラです。至高の御方より借り受けた名前を間違えないでほしいであり……ます」

 

「失礼いたしました、マーカラ様」

 

「それで?なんの話ですか」

 

 自身に煙管を突き付けた際の迅雷の動きを見て、セバスはシャルティアが身体的には完全な状態であると判断する。ならば確認すべきはそうでない部分だ。

 

「先程お伝えした情報と再合流までの手順の再確認を。後少々お願いしたい事がございますが……その前にお聞きしたいことが」

 

「なんでしょう?」

 

「マーカラ様はこの任務の当初より……そうですな、ずいぶんと上機嫌でしたが……何か良い事でもあったのですか?」

 

 その言葉を聞いたシャルティアの顔がニンマリ、あるいはニヤァリという擬音が似合う笑みの形に歪んだ。エ・ランテル出発前のソリュシャンの笑顔によく似ている。

 

「聞きたいでありんすかぇ?んふぅ、アインズ様の御部屋でわらわはこの身を……むぐっ!むぐぐぐぅ!!」

 

「……申し訳ありませんでした、マーカラ様」

 

 背後から飛び出すように現れたシャドウ・デーモンに口を塞がれるシャルティアを見て、セバスは自身の質問が自分の主人の意に添わぬものだったと理解し、わずかに発せられた内容を胸の内にしまう事とした。まぁ、と声を発し口に手を当てて目を光らせているソリュシャンを一瞥しておく。

 

「まあ、いいであり……ます。それで?獲物は釣り針に引っかかったのですか?」

 

 

 

 

 

 かつて、と言っても己の記憶の中でだが、シャルティアと戦った場所を見下ろせるある丘の上でアインズは完全装備で物憂げにその場所を見下ろしていた。前回はアウラとマーレの二人を連れてきていたが、今のアインズの供は違う。

 

「アァインズ様!我々を魔法的手段、あるいは物理的手段で捕捉している強く賢き者は……残念ながら確認できないようです」

 

「……パンドラズ・アクター。今は隠密行動中だ」

 

 踊る黒歴史、パンドラズ・アクター。かの卵頭から雰囲気にそぐわない口調でかけられた声に、アインズは即座に発光したが振り返りもせずに声に応える。

 

「御心配には及びませんアインズ様!<ミラーワールド/鏡の世界>に加えて、必須の防御魔法は余さず全て展開致しました。我々の姿・声・気配・存在を感知できる者は、この三千大千世界には至高の御方々以外存在しないでしょう!」

 

「い・い・か・ら!その口調をやめろ!……よいか、任務中は相応しい口調と、行動を心掛けよ。これは命令だ」

 

 再度かけられた声に再度発光したアインズはたまらず振り返り、命令する。振り返ってからも一回発光した。

 

「かしこまりました」

 

 眼の前の存在が胸に手を当てて深々とお辞儀するのを見て、再び己の体が光り輝くのをアインズは知覚した。両目部分を手で押さえ、やや呻くように口を開く。

 

「……あと、その敬礼とかお辞儀も控えてくれ。というかな、その姿の時は余裕ある……違うな、我が友の姿を降ろしている間は威厳ある体勢を維持せよ」

 

「……承知いたしました」

 

 敬語までは無理か、とアインズは諦めつつ両目を覆っていた手を外し、その存在を直視する。

 

(ぬーぼーさん……)

 

 ぬーぼー。アインズ・ウール・ゴウンの眼と言われた、探知系特化のギルドメンバーの姿となったパンドラズ・アクターを。

 

 

 予想していなかったわけではなかった。ゆえにアインズは宝物殿で幾度か訓練と称し、パンドラズ・アクターに外装を変更させた状態で作業をさせたり会話をしたりしていたのだ。その間、アインズは外見はともかく中身はパンドラズ・アクターなのだと常に己に言い聞かせていた。

 

 実に苦行だった。

 

 だがその甲斐あって、発光回数は減ってゆき、最後には光ることなく作業を見ていること、会話を行う事が出来た。それでアインズは自身の心を抑えられるまでに慣れたと、そう思っていた。

 しかし先程、パンドラズ・アクターと共にこの場所にやってきて、陣地の構築のために魔法を使わせた際、己の認識が甘すぎたことを痛感した。

 

(見えてしまったんだ……あの日々が……)

 

 パンドラズ・アクターが友の姿と声で魔法を唱えるその光景は、ユグドラシルでの記憶と重なってアインズを激しく動揺させた。事前の訓練で心に作った堰はその衝撃の前には余りにも低く、余りにも脆かった。その時の感情を余人にどう説明したらよいのだろう。幸福な過去の夢を見ていて目を覚ました時に感じる哀しさと虚しさに数倍すると言えばいいのだろうか、アインズは己が流れる筈のない涙を流したのを確かに感じた。

 

 そして精神の平衡が連続で働いてもなお自身の心が、鈴木悟の魂が、嵐の海に浮かぶ小舟のように激しく揺さぶられるのに耐えかねたアインズは、なんとパンドラズ・アクターに周辺偵察を命じて追い払ってしまったのだ。

 

(この近辺にはシャルティアを洗脳した敵がいるというのに、俺はなんて愚かなことを……)

 

 いくら自身を見失う程動揺していたとしても、考えうる限り最悪の判断だった。幸いにも<鏡の世界>に護られたアインズも、ギルドメンバーのスキルをフル活用したパンドラズ・アクターも捕捉されなかったようだが、それはただ幸運と偶然が合わさった結果だろう。

 自身の弱さのために全てを破綻させるところだったと自覚した時には、身体の中心に冷えた金属が差し込まれたかのような猛烈な不快感と嫌悪感が走り、アインズは膝から崩れ落ちそうになった。

 だが、それでいくばくか冷静さを取り戻すことができたのは不幸中の幸いだったかもしれない。

 

「すまなかったなパンドラズ・アクター。未知の世界で私も感情が昂ぶっていたようだ……許せ」

 

「滅相もございません、私が浅慮でありました。宝物殿での御指示から、至高の御方々の御姿であっても常に普段のように振舞うべきと誤った判断を……どうぞこの身に罰をお与えください」

 

 アインズはパンドラズ・アクターの言葉で、なぜ隠密行動中にもかかわらず普段の口調で話していたのかを理解した。宝物殿で外装を変化させて出した指示は、普段通りに行動せよ、であったのだから。今も先程の指示を意識しているのか、軽く頭を下げるのみに留めている。全てはアインズの指示に忠実に従っていたまでの事であり、これはつまり全面的に自分が悪い。

 

「……いや、お前の判断は間違っていない。ゆえにお前を罰するいわれはない。この件はこれで終わりとし、任務に集中せよ」

 

「はっ……であれば、アインズ様にお伺いしたい儀がございます。よろしいでしょうか」

 

「構わん」

 

「今回の任務は“守護者の外部活動適性を査定する、ゆえに対象には秘密”との事でしたが、それであれば統括殿やニグレド様の御協力を得たほうが良いのではないでしょうか」

 

「……それは出来ん。アルベドにもいずれナザリック外での任務を行わせる、つまり今後の対象者だからな。ニグレドはそうではないが、姉妹だからかアルベドに対しては気が緩むようだし甘い。我が命に従わぬという事はないだろうが、自覚無しにアルベドになにがしかの情報を与えてしまうかもしれん。アルベドであれば、それで全てを察したとしてもおかしくはない……それに、それが可能であればわざわざお前を宝物殿から出したりはせん」

 

 パンドラズ・アクターの言葉の通り、今回の任務は守護者達のナザリック外での外部活動適性を計る事、守護者の手に負えない強者、あるいはユグドラシル由来の者と遭遇した際のバックアップを兼ねていると説明してある。全てを話すことはできないため守護者達に秘密にすること、アインズ自身が行う必要性、持ち出す装備やアイテムの理由付けなどを一生懸命考えた言い訳の任務だ。

 

 思いついた時はともかく、今考えると穴だらけのかなり苦しい理由づけかとアインズは不安だったが、パンドラズ・アクターは他の守護者同様、アインズにとって非常に都合のよい解釈をしてくれた。ちなみに既にエ・ランテルにおいてセバスとソリュシャンの任務の様子を見守り、合格ラインに達していると太鼓判を押した。

 

「なるほど、差し出がましい事を申し上げました。己の愚かさを重ねてお詫び致します」

 

「よい。アルベドにも言った事だが、お前達が我が言を鵜呑みにせず考えることは喜ばしい事だ。ところで、周辺の警戒網の様子はどうだ。変化はないか?」

 

「はっ、まず陣地周辺警戒網ですが、我が感覚も集眼の屍(アイボール・コープス)も異常を感知しておりません。次に広域警戒網ですが……召喚した魔物、動物達は何も異常を感じていないようです。広域感知魔法を展開すれば確実ではありますが」

 

「だめだ。シャルティアはともかくこの世界の者に未知の手段で逆感知される可能性がある。引き続き現状の警戒網にて事に当たれ」

 

 自分たちの潜む<鏡の世界>にはパンドラズ・アクターに召喚させたアイボールコープスを二体配備している。<鏡の世界>を主軸に置いた陣地はユグドラシル時代でも見破られたことが無いのだが、この世界には<タレント/生まれながらの異能><ワイルド・マジック/始原の魔法>があるため念のために周辺を警戒させているのだ。

 

 そして広域警戒網は、感知魔法に頼らず周辺に生息する魔物・動物をこれまたパンドラズ・アクターが召喚したもので構築させている。これはシャルティアを洗脳した未知の敵がプレイヤーであってもそうでなくとも、アインズの知らない反感知魔法を備えてる可能性があることと、この森に自然に生息している生物以外の姿を捉えられ、警戒されてしまう事を考慮し、敵の正体がわからない中でアインズが悩みつつ考えた方法だ。

 ユグドラシルでナザリック大墳墓襲撃を事前に察知した時に、パープルワーム・グレンベラやツヴェークを召喚し襲撃者を監視、絶好のタイミングで嗾けることでMPKを発生させる戦法などの応用である。

 

(しかし、こんな方法がとれるのも全てはこいつの能力あってだな……前回は本当にもったいない事をしていた)

 

 ギルドメンバーの能力の殆どを使用可能なパンドラズ・アクターを活用することで、アインズはユグドラシルで使用していた様々な戦法が使用可能となる。わかってはいたことだが、こうして目の当たりにするとひどく損をしていた気分になった。そんなことを考えているアインズの側で、ぬーぼーの姿のパンドラズ・アクターが、片手を耳に当てた。

 

「愚かな襲撃者共を殲滅し、セバス様方とシャルティア様が別れられるようです」

 

「記録は録ってあるな?では死体を回収し、護衛団はセバス達を引き続き追跡。シャルティアに同行する戦力はいかほどか」

 

「シャルティア様のシモベである吸血鬼の花嫁とシャドウ・デーモンがそれぞれ二体、また花嫁達に襲撃者より下位吸血鬼を作らせ、道案内にするようです」

 

「ほう、情報を持つ者を眷属化するのは良い手だ……だが感知系に長けたシモベの召喚はしなかったか」

 

 前回から感じている事だが、守護者は己の能力を過信し、この世界の者というかナザリックに属しないものの力を侮る傾向がある。夜という状況に於いて、夜の王と称される真祖吸血鬼であるシャルティアが慢心するのは仕方がないことかもしれないが、己の不得手な部分すなわち弱点に対する備えを怠ったことは後で指摘しておくべきだろう。

 

(だが、それも今夜を無事に乗り切ってからだ)

 

 以前精査した情報を整理すればシャルティアはこの後に盗賊団のアジトを襲撃、冒険者と遭遇し――この時点で血の狂乱が発動済み――でエ・ランテルに情報を持ち帰ったレンジャーと捕らえられていた女性数人を除き全員殺害。その後、あの忌まわしい場所で何かと遭遇しワールドアイテムによる精神支配を受けたという事になる。

 何か、の正体はわからないがワールドアイテムを所有する一番高い可能性はユグドラシルプレイヤー。最も危険な相手だが、その場合不可解な点がいくつか生じる。

 

(なぜシャルティアを完全に支配しなかったのか、あるいは出来なかったのかということ)

 

 シャルティアのあの状態は精神支配を受けたが、何の命令も受けていない状態だった。この場合考えられることは二つ、命令を与えられずに放置されたか、あるいは相打ちになったかだ。これは前回既にたどり着いた結論だったが、放置だとしても相打ちだとしても整合性のとれる説明が難しい。

 

 放置したのならば、シャルティアを放置した狙いは何か。

 なぜここから1年もの間何の接触もないのか。

 

 相打ちならばシャルティアがゴッズアイテムを持ち出した程の、しかもワールドアイテムを持ったプレイヤーがシャルティアによって倒されたという事になる。あり得ない事ではないが、死体はどこにいったのか。蘇生したとしたら、シャルティアに命令を与えに来なかったのはなぜなのか。

 

 なぜここから1年もの間何の接触もないのか。

 

 あえて言えば、こちらから逃げ隠れしている可能性が一番高いだろうか。アインズ・ウール・ゴウンの情報はユグドラシルプレイヤーにある程度以上広く知られている。シャルティアの外見情報もその一つだ。

 

 かつてナザリック大墳墓にアライアンスを組んで押し寄せたプレイヤー達は、ご丁寧にもナザリック大墳墓内部や戦闘の様子をムービーで保存し流しやがった。よってシャルティアと遭遇したのがプレイヤーであれば、その時点でアインズ・ウール・ゴウンの存在を知っただろうし、そうでなくても前回の魔導国建国までにはその名を耳にしているだろう。

 自惚れではなく、アインズ・ウール・ゴウンの悪名はユグドラシルのプレイヤーであれば間違いなく知られていたのだから。だがその場合、今夜を逃したら見つけ出すことは非常に困難だ。それこそ世界を征服しても見つけ出せるかどうかわからない程に。

 

「アインズ様、シャルティア様方が盗人どもの根城にたどり着いたようです。映像を投影なさいますか?」

 

 その言葉に、思考の海に吞まれかけていたアインズは我に返る。

 

(悪い癖だな、ここまで来てあれこれ考えてどうするのだ。集中しろ)

 

「そうだな、複数の映像の投影も可能だな?映せ」

 

 複数の<クリスタル・モニター/水晶の画面>が展開し、パンドラズ・アクターが召喚した周辺の魔物や動物の視界が映像として浮かび上がった。

 

「これは木の上、こちらは上空にいるものからか、残りはすでに洞穴の中に入っているのか……む?」

 

 どこかで見た事のあるような男が、ランタンの光に照らされながら刀を磨いている。アインズが注目したことを察したのか、男に向かっていくように映像が動いていき、その姿がより鮮明となった。髪はぼさぼさで無精ひげが生え、まさに賊という雰囲気であり記憶とは悪い意味で見違えるような姿だったが、確かにその顔に見覚えがあった。

 

(そうだ、ガゼフと一緒にいた男だ、なぜこんな場所にいる?)

 

「この者が何か?……確かにこの世界で見た者の中では三指に入る強者ではありますが」

 

(三指?ああ、そういえばドッペルゲンガーの指は三本だったな……こいつが見た中で三指という事は、ガゼフ・ストロノーフとニグンの次くらいには強いという事か?)

 

 アインズは考えてみたが、強者とはいえエ・ランテル近郊の盗賊風情と、あの高潔な王国戦士長ガゼフ・ストロノーフがどうやっても結びつかない。これから知り合うのだろうか?だが、この男はどうやってシャルティアの手から逃れたのか。未知の敵と関係がある可能性、ガゼフの情報収集に役立つ可能性の双方を加味しアインズは指示を出す。

 

「この男少々気になる、一匹つけておけ」

 

「畏まりました……アインズ様、ただいま広域探知網に反応がありましたので映像を出します」

 

 その言葉に、アインズはわずかに己の身が固くなるのを感じた。緊張の中、映像が切り替わった<水晶の画面>に森の中を注意深く歩く複数の男女が映し出される。

 

(随分とみすぼらしい装備、これはエ・ランテルの冒険者だな)

 

「シャルティア様が入られた洞窟方向に向かっております。始末いたしますか?」

 

 安堵から肩の力が抜けていたアインズは、パンドラズ・アクターの言葉に少々慌てる。この冒険者たちは間違いなくエ・ランテルに情報を持ち帰った者を含んでいる、シャルティアに会う前にも後にも始末させるわけにはいかない。

 

「いや、見たところ大した実力の者達ではないな。ならばシャルティアの適性を計るのに良い材料となろう、こちらも監視を続行せよ」

 

 

 

 

 

 ブレイン・アングラウスは必死に逃げていた、背後からいつあの化物の姿が現れるかわからない。何故かつての英雄が倒せたならば、自分も可能なのだとなぜ思ってしまったのか。

 

(俺は大馬鹿だ、あれは御伽話だ。人間が自分たちの弱さを慰めるために作った、でたらめの話なんだ。それを俺は真に受けて信じて……)

 

 ブレインは魔法効果のあるポーションを飲み、己が持つマジックアイテムを起動して能力を増強させ、万全の態勢で挑んだにもかかわらず、マーカラと名乗ったあの覆面を被った子供吸血鬼に完膚なきまでに己をへし折られた。

 必殺の技“虎落笛”は二本の指で白刃取りをされ、刀を弄ばれた。逃げるために放った足元への<神閃>はやすやすと避けられて懐に入りこまれ、顔に煙を吹きかけられた。屈辱と絶望の中で振るった連撃は、全て二指に挟まれた煙管――しかも吸口に口につけながら――によって弾かれた。そしてブレインは悟ったのだ。人間とは生物としての格が違いすぎることを、人の身でかの国堕としを倒せたはずはないのだと。

 

 もうなにもかもどうでもいい、ただあの恐怖から、化物から逃げるのだ。知りたくもない事実を大人に突き付けられた子供のように嗚咽を上げながら、ブレインは抜け道を外へと走る。今の彼にはすぐ後ろで一時とはいえ仲間だったもの達を贄に血の饗宴が巻き起こってることを、何かが密かに己の後をついてきていることを、気にすることも気がつく余裕もなかった。やがて抜け道から外に出たその姿は、夜の森の中へと消えていった。

 

 

 

 

「ご、ごべんなざいぃ!げぼぉ!」

 

「ちくしょう!ちくしょう!死ねよ化けもん!」

 

「ひいっ!どけよ!そこを、ぎゃあっ!」

 

「あはぁはっはぁぁあ!おおぉおいぃぃいぃしいいいぃい!きぃいもぉおちぃいぃぃ!」

 

 シャルティアは両手と口にそれぞれに男達をつかんだまま飛び跳ね、血液をすすりながら両手のまだ生きている者達を玩具のようにただ振り回す。それだけで両手を含めて五人の半壊した死体が出来上がった。着地した地点は、逃げようとした男の肩の上だ。くわえていた干物を横に放り投げると「ばびぃ!」と声を上げて攻撃してきていた男と干物が混ざり合った。

 脚の下でもがいている逃げようとした男に向かって針のような歯がぞろり、と並んだ口を大きく開き頭にぶすぶすぶすぶすと音を立てて突き刺していく。口から悲鳴なのか泣き声なのかわからぬ声を漏らしながら、男はガクガクと痙攣する。

 

 そんな光景が展開する<水晶の画面>を見つめるアインズは、正直言って少し引いていた。

 

(うっわー……そういえば真祖ってあんな姿だったっけ。神祖がああだったんだから、不思議じゃないけども。しかしまさか……)

 

 前回<ブラッド・プール/鮮血の貯蔵庫>のスキルを有するシャルティアが、冒険者と会う前に血の狂乱を発動させていたのは、せまい洞窟の中での戦闘で不慮の事態で返り血を浴びた結果なのではないかとアインズもデミウルゴスも予想していた。よもや血の狂乱を自分で発動させたとは、流石のデミウルゴスにも予見できなかったということか。

 

(……血の狂乱を自分から発動させたのは論外として)

 

 二枚の<水晶の画面>が、ホラー系スプラッタームービーそのままに暴れまわるシャルティアと、殺される賊の姿を映し出していた。ブラッドバスってのはこういう状態をいうんだったかな、等とホラームービーマニアの言葉を思い出しつつ、アインズはその映像を観察する。あの姿になると装備が外れてしまうのか、呪いで金髪になった髪以外の変装は全て剥がれ落ちてしまっていた。横の映像に目をやると、ブレインと名乗った男はその間に根城の外に逃げ出してしまっている。あ、転んだ。

 

(一味を眷属にして情報を得ること、吸血鬼の花嫁を一体外に配備したまでは良かったが……それで出入り口を一か所と断定した事はともかく、吸血鬼の花嫁の感知能力が低い事を突入直前に目にしてわかっていたのに、シモベや眷属を追加で召喚しなかったのは明らかにシャルティアの落ち度だな、マイナス一点だ)

 

 言い訳任務の筈だったのに、いざこうやって行動を見守っていると真面目に査定をしてしまうのは、ギルドマスターモモンガの、あるいはサラリーマン鈴木悟時代のさがなのか。

 

「アインズ様」

 

 先程と変わらぬ声色でパンドラズ・アクターより声があがる。だが、アインズにはその声に緊張と高揚が含まれているのがわかった。自然と己の心身が引き締まる。

 

「広域警戒網に再び反応がありました。私がこの世界で眼にしたもの達の中で、間違いなく一番の強者がおります。人数は十二、映像を出します」

 




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あれ……ブレインさん……あれ?

漆黒聖典の明日はどっちだ。

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