なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 工事現場を運河の本流に向けて遡って歩いていると、フィリップは道沿いに面白いものを見つけた。

 

 「うわ……! ルキア、ウルミが売ってますよ! こんなお上品そうなお店なのに!」

 

 足を止め、思わずルキアの手を引いて指を差す。

 その先は錬金術製の薄いガラスを使ったショーケースのある、上位冒険者向けらしき武器店だ。ショーケースの中には、フィリップが以前に使っていたものより幾らか綺麗な鉄の鞭が飾られていた。

 

 王都で一瞬だけ爆発的に流行り、その習熟と使用があまりに難しく、大量の怪我人を出した挙句誰も使わなくなった武器だ。マイナー武器の伝道師こと武器百般の使い手であるマリーに教わった身でさえ自傷事故と無縁ではなかったのだから、フィリップも先駆者としては苦笑するところだった。

 

 もう王都の店では見なくなった武器だが、それがまさか、こんなところでお目に掛かれるとは。

 

 「ふふっ……」

 

 懐かしさと、なんだかんだ思い入れのあるマイナー武器が広く知られ始めていることにちょっとした喜びを感じているフィリップの隣で、ルキアは口元を隠して上品に笑う。

 

 直前の自分が少し子供っぽかったことと、いよいよ本当にマイナー武器の伝道師みたいな喜び方をしてしまったことを自覚していたフィリップは、ルキアに苦笑を返した。

 しかし、彼女が笑ったのはフィリップではなかった。いや、フィリップではあるのかもしれないが、本人ではなかった。

 

 「龍狩りの武器、英雄の武器。……ですって。間違ってはいないわね」

 

 ルキアは笑顔のままショーケースの片隅を指す。

 そこには『龍狩りの英雄と救国の賢者』という表題の本が飾られており、表紙には巨大な龍に対峙する筋骨隆々の美丈夫と、手に握られた鉄鞭が描かれていた。それからルキアが言った通りの売り文句が書かれたポップもある。

 

 「何から何まで間違ってるんですよ。なんですかこのムキムキの美形。肩の筋肉をこんなにつけたら、むしろ鞭の威力は落ちるし、そもそも古龍相手にウルミが通用したわけじゃないんですよね。あの戦いで一番重要だったのってエルフの魔剣と衛士団長だし、付与魔術もかけてないウルミなんかでどうにか出来る相手だったら、本気装備の衛士一人が欠伸交じりに倒せるんですよ」

 

 恥ずかしい、と、フィリップは普段の気配りを忘れてショーケースのガラスに手をついて嘆息する。

 

 いや、分かってはいる。

 この本はあくまでフィクション、実話を基にした創作だ。王国中枢はフィリップの年齢に配慮して素性なんかは徹底的に隠すと言っていたし、これも情報偽装の一環なのかもしれない。

 

 この本に描かれた『龍狩りの英雄』は、フィリップ・カーターではないのだ。

 

 それに、英雄譚の類は盛り過ぎなくらい、考えなし過ぎるくらいで丁度いい。

 ある日突然神から魔剣を与えられ、不思議な力で強くなった英雄が国を脅かしていた龍を殺し、王女様と結ばれる。そんな王道のド定番、頭を空っぽにして読んでも楽しいものが、結局、子供には一番ウケがいいのだ。その英雄譚好きの子供であるフィリップには分かる。

 

 「そもそも古龍を殺したのは衛士団長だし、ミナなんか成龍を一人で──」

 

 顔を赤くしてぶつぶつと文句を垂れるフィリップを、ルキアは愉快そうに見ている。

 しかし、“龍狩りの英雄”はAクラス冒険者に上り詰めるような優れた魔術師を、魔力感染という特異な能力を持つ“眠り病”から救った存在。……当人の顔を知らずとも感謝の念はある、という人間は、パーティー内に魔術師を擁する上位冒険者にも多い。

 

 最高難度のダンジョンである“ペンローズの虚”に挑むため、この町を訪れた冒険者の中にも、勿論。

 

 道を歩いていた冒険者らしき装いの男女が足を止め、一度は素通りしたフィリップたちの方に振り返る。

 

 「……ねえ君。あまりこの町で彼のことを悪く言わない方がいいわよ」

 「あぁ。公爵様もこの国の魔術師たちも、彼には大きな恩がある。……どこの坊ちゃんか知らないが、お前みたいな世間知らずのクソガキが貶していい人じゃ──」

 

 女性の方は不機嫌そうに眉根を寄せているだけだが、男性の方は連れよりも更に語気が荒い。単にそういう気性なのか、或いは、龍狩りの英雄に憧れでもあるのか。

 しかし、感情の制御を誤ったのだとしても、救国の英雄を馬鹿にする馬鹿な子供のためを思って、敢えて強い態度を取っているのだとしても、言葉は慎重に選ぶべきだった。

 

 フィリップは気恥ずかしそうに「す、すみません」なんて謝ってその場をやり過ごそうとしている。

 「僕がその龍狩りの英雄で~」なんて言ったところで信じられるかは怪しい、というか、龍貶しを抜いて見せても信じるかは五分だ。そもそもそんな小恥ずかしい二つ名を往来で堂々と名乗れるほど、フィリップはあの一件を自慢に思っていない。

 

 フィリップを咎めた彼らが硬直したのは、フィリップの愛想笑いが原因ではない。

 その後ろに立っていた少女が振り返り、日傘で隠れていた特徴的な容姿が露になったからだ。

 

 「──誰がクソガキですって?」

 

 色素の薄い肌、銀色の髪、赤い瞳。そしてその内に輝く、左右で意匠の違う聖痕。

 ただ立っているだけなのに、思わず気圧されるほど美しく気品のある立ち姿。

 

 そして、静かな笑顔のまま発散される、膨大な魔力。

 

 「せ、聖下!? た、大変失礼いたしました!! サークリス聖下のお連れの方とは思わず……!」

 「あぁ、いえ、大丈夫です……。もう行きましょう、ルキア」 

 

 見ていて可哀そうになるほどの焦りように、フィリップはルキアの手を引いてその場を離れた。

 悪意で絡んできたならともかく、恐らくだが善意で、それも他人の名誉のために怒った彼らを責める必要は無いだろう。

 

 「……日傘があると、意外とバレませんね」

 「そうね。でも、これだと少し小さいわ」

 

 言うと、ルキアは日傘を畳んでフィリップの横に並び、いつものように手を繋ぐ。

 確かに、公爵家のミュロー別邸に置かれていた日傘は微妙なサイズだ。並んで歩くのには邪魔で、かと言って二人で入ると狭い。

 

 だが先天的に肌の弱いルキアにとって、レースで装飾された日傘は単に美容に気を遣ったものではないし、フィリップの「日焼けしますよ?」という心配も、日焼けそのものではなく体調不良に対するものだ。とはいえ。

 

 「光量制御は慣れているから平気よ。フィリップも暑かったら言ってね」

 

 自分に当たる陽光を減衰させ、ルキアは移動する日陰を作り出す。

 彼女にとっては日傘を持つのと同じくらいの労力だと以前に語っていたが、ではなぜ普段は荷物になる日傘を使うのかというと、すれ違う魔術師の半数が二度見していくのが理由の一端だ。

 

 光量制御の難易度はそれほど高くないものの、長時間展開するには魔力消費が激しい魔術だ。魔力総量も回復力も桁違いのルキアでなければ、日傘代わりになんて使えない。それが分かる魔術師ほど、「うわ怖」という顔で彼女を見るのだった。

 

 過去に事故のあった場所を幾つか見て回り、もう魔力残滓が残っていないという予想通りの確認をしたあと──一応、人外の魔力や神話生物の痕跡などがないかを調べる目的だったのだが、それも無く──フィリップとルキアは一旦昼食を摂ることにした。

 

 「この辺でお勧めのお店ってありますか?」

 「ディナーなら幾つか、家が面倒を見ている商会系列のものがあるけれど……この町は昼間はダンジョンにいる冒険者が多いから、ランチの需要は薄いのよね」

 

 ルキアの言葉に、フィリップは「へぇ」と相槌を打ちつつ周囲を見回す。

 並ぶ家々や商店の中に、飲食店らしきものは確かにある。しかし営業中のものは少なく、むしろ携帯食料を売る冒険者用品店の方が多く目に付いた。

 

 きょろきょろしながら少し歩くと、運河の上にせり出した小さな建物があった。運河の流れやそれを使う船を妨げないよう、納涼床は街の法で規制されているという話なのだが。

 

 「……あれは?」

 「公衆用のトイレよ。……そういえば、王都には無かったわね」

 

 ほう、とフィリップは興味深そうに視線を戻す。

 

 「誰でもいつでも使えるトイレってことですか? へぇー……。ちょっと行ってきていいですか?」

 

 田舎にも、王都にも無かったシステムだ。

 誰が掃除するのだろう、というちょっとした疑問と共に、どんなものなのだろうという好奇心を抱いたフィリップは、ルキアに断ってからドアの無い入口の方に向かう。

 

 尿意ではなく好奇心でトイレに入ったフィリップを物言いたげに一瞥して、ルキアは近くにあった公爵家と関わりのある商会が運営しているレストランに入り、軽食を包むよう命じる。

 フィリップの後から更に数人の男が後を追うように公衆トイレに入ったことに、ルキアは全く注意を払っていなかった。

 

 

 


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