やっちまった男の英雄譚 (ノストラダムスン)
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始まりの大嘘

 人間には、やらなきゃ良かったって事が、人生に必ずある。

 

 それは例えば中二病を発病する事だったり、彼氏持ちの女の子に「あの子俺に気があるんじゃね!?」と一人で興奮して告白して玉砕したり、酒飲んで運転して事故を起こしたり。まあそういう、なんと言うか、人生の落とし穴みたいなものに引っかかる事が、どうしようもなくあるのだ。

 

 俺にも、そういう経験がある。やっちまった、というヤツだ。

 

 それを語るにあたって、まずは俺の事をある程度話さねばならないだろう。

 

 俺はいわゆる転生者だった。2016年に二十歳を迎えた大学生。転生のきっかけは覚えていないが、まあトラックに轢かれたか何かしたのだろう。とにかく2016年のある日、俺は過去へ転生してしまった。

 時代はよく分からない。ものすごく古い時代だったと思う。魔術や魔物といった神秘的な概念が当たり前の時代だった。みんな違和感なくそれらを受け入れていた、そんな時代だった。

 

 俺は一町民の息子として生まれ、そうして育った。転生者にしては地味だったというか、驚くほど何もなかった。家は金持ちでも貧乏でもなく、よって平凡な――現代を生きた俺からすればいささか退屈だったが――人生を歩んでいた。

 正直、そこで30歳を越えたあたりでは、すでに自分が転生者だった事などほとんど忘れかけていたほどだ。

 

 まあ、それならそれで良かった。地味な話だが仕方ない。特殊な能力とか、そういった類はなかったのだから。代わりに平穏な生活を得ていたとも言える。そのまま生きて、そのまま死ぬ。そうなる定めだった。

 

 

 ところが、だ。ある日俺は、まったく唐突としか言いようもないほど突然に、ものすごく余計な事を閃いてしまった。冒頭で言った、やらなきゃ良かった事ってのはまさにコレだ。

 その時は「おお、俺天才じゃね!?」と思ったんだ。ちょっとした悪戯心だった。

 

 その天才的な閃きと言うのが、俺自身の自伝を残す事だった。いや、分かる。「大した事してないヤツが自伝を残してどうするの?」と思ったんだろう? ああ、その通りだ。俺自身、その閃きに至った時ですらそう思っていた。

 

 俺の人生をありのまま記したところで意味はない。それは俺も理解していたさ。

 

 しかし同時に、俺は知っていたんだ。未来――2016年時点では、過去を確認する術はない事を。

 それはつまり、俺の転生した時代で何を書こうが、のちの人がその真偽を確認する事はできない、という事に他ならない。

 それに思い至った時、俺は自身が転生者であるという自覚を取り戻し、そしてあろう事か、こう思ってしまった。

 

 

「俺の名を、英雄として後世に残したい」と。

 

 

 俺の行動は早かった。高価な魔術式の記録媒体を財産を叩いて買い、そこに物語を書いた。名前は当時の俺のものを使ったが、もちろんそこに書かれた英雄は俺自身ではない。

 俺が、「こんな英雄がカッコイイ」と妄想した存在、それをあたかもその時代に実在したかのように書き記したのだ。

 

 自伝とは言っても、俺が書いた、という意味では自伝だが、実際は「第三者の記録」という形式だ。英雄《俺》の活躍を記そうとした名もなき存在による記録、という体で物語は進んでいく。

 

 正直文才があるわけではなかったが、適当でよかった。どうせ分かりはしないし、逆に素人が一生懸命書き残した感が出ていいかもしれない。

 

 とにかく「敵が出てきてみんな困ってるから英雄《俺》がドーンと活躍してハッピーエンド! みんな幸せ!」でオーケーだった。

 それだけではつまらないので色々と苦難が襲うのだが、もちろん力と知恵で万事解決して大団円になる。

 

 最終的には、海を干上がらせたり、人類絶滅クラスの隕石を落としたり、時を止めたりする最強最悪の魔術師が現れるのだが、そいつと英雄《俺》が相討ちして終わる。世界に平和が訪れたものの、物語の書き手を除いて、その英雄を記憶している者は誰もいないのだった……という筋書きだ。

 

 そうしないと、同時代の文献や記録に俺の名が一度も出てこない不自然が起こるから仕方ない。

 

 もちろんこんなモノを書いていると知られた日には間違いなく気が狂ったと思われてしまうので、『この記録は然るべき時まで封印しておく』という文をラストに書き添えた後、タイムカプセルに入れて地下深くに埋めた。

 

 まあ実際にこんなドラマチックな事あるわけないので、後世の人間は馬鹿馬鹿しいおとぎ話だと思うだろうが、少なくともこんな物語にされるほど素晴らしい英雄がいたかもしれない、という期待を与える事はできる。

 うまくいけば、ちょっとは尊敬されたりなどするかもしれない。そんな未来を思い描いて、俺はその物語を封印したのだった…………。

 

 

 

 とまあ、これが俺の転生の記録である。「なんだバカな事やったなぁ」と思ったそこのあなたは賢い。

 「ちょっと俺もやってみたいかも……」と思ったそこのあなた。先達としての助言である。

 

 絶対にやめた方がいい。でないと、俺のような悲劇を味わう羽目になる。

 

 

 

 

 

 

「汝三大の言霊を纏う七天――」

 

 感触がある。成功する、という、言葉には言い表せない感覚。死した英霊たちを現世に呼び寄せる魔法陣から、前触れのように稲妻が迸った。

 

「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!」

 

 急激に吸い取られていく魔力。それを補うように身体中の刻印虫が暴れまわり、雁夜の肉体を貪り喰らう。激痛と形容する事すら生ぬるい、死に迫るほどの苦痛。

 

 しかし、その代償の意味は確かにあった。薄れゆく意識と視界の先に、先ほどまでは存在していなかった何者かが立っているのが見える。

 

「せ、成功した……!」

 

 どうにか言葉にできたのは、それだけ。未だ戦いの場にすら立っていないにも関わらず、雁夜の身体はぴくりともできないほどに消耗していた。

 床に手を付け、どうにか立ち上がろうとし、失敗する。胸を打ちつけるように倒れ伏し、雁夜はそのまま動けなくなった。

 

「ふむ……どうにか召喚には成功したようじゃが……」

 

 後ろでニヤニヤと様子を見ていた臓硯がこちらへ近づいてくる。倒れ伏す雁夜の横に立ち、呼び出した英霊をねめつける様に見上げた。

 

「こやつからは、何の力も感じられん。そこいらの三流魔術師の方がマシではないか」

 

 その言葉に、雁夜の思考が一瞬白く染まる。まさか、失敗したのか。否、確かに召喚はできている。ならば、なぜ…………。

 

「……なるほど。確かに、今の俺は一般人とそう変わらんようだ。ヤツめ、死してなお我が身を呪うか」

 

 その時、自らを値踏みするような臓硯に構わず、雁夜のサーヴァントが口を開いた。深く、力強く、しかし優しさを内包した声だ。例えるなら、父。雁夜にとっての父は、表向きの話ではあるが、忌々しい事に臓硯である。しかしこの英霊からは、そんな歪で鬱々とした想いが付け入る隙もない、紛れもない「父」が感じられる。

 

 臓硯に「三流魔術師以下」と評されたサーヴァントが、ゆっくりと膝を折って雁夜に近づく。そして労わるように雁夜の顔に手をやり、ひきつったまま動かなくなった部分を優しく撫でた。

 

「我がマスターよ。お前のその身には復讐と後悔、そして慈愛が渦巻いている。此度の聖杯を得る事で、その歪みから救われるならば手を貸そう。名は何と言う?」

 

 その声には、逆らえない、逆らう気を起こさせない何かがあった。不思議と力が沸いてくる。知らず、雁夜は身体を起こし、己のサーヴァントと目線を合わせていた。

 

「雁夜……間桐、雁夜だ。この戦争で、俺はどうしても聖杯を手に入れなければならない。残された時間は、そう多くないんだ。サーヴァント、お前の名前も聞かせてくれ」

 

 口を開くのも、つらくない。冷たい身体の奥にほのかな火が灯ったように、指先にまで暖かさが満ちていく。間違いなく、この男のおかげだ。魔術を使っているようには見えないが、確かにそれを感じる。

 

 雁夜の言葉に、男は少しだけ言葉を選ぶように沈黙した。

 

「望んで俺を呼びだしたのではないのか? 召喚には触媒を使うものと思っていたが」

 

 いや、俺はバーサーカーのサーヴァントを選んだから、と言いかけ、その異常に気が付いた。

 目の前の男、どう見てもバーサーカーではない。しかもどういうわけか、マスターに与えられるサーヴァントのステータスを見る能力が機能していない。靄がかかっていると言うより、初めから完全に情報がシャットアウトされているようだ。

 

 会話ができるのならば狂化のスキルランクが低いのでは、とも思ったが、それを確認する事もできない。

 

「いや……俺はバーサーカーを呼ぶつもりだったんだ。臓硯がランスロット卿を呼び出す触媒を用意したはずだ」

「なるほど……すまないが、俺はそのランスロット卿なる人物ではない。加えて言えば、バーサーカーでもない」

 

 そうか……と、雁夜は落胆した声を出してしまう。すぐにその無礼に気が付き、あわてて謝罪した。こちらの都合で呼び出して、狙ったサーヴァントでなかったからがっかりするなど、英霊にしてみればひどい侮辱だろう。結局、責任は雁夜自身にあるのだ。

 

 この英霊は心優しい性格のようで、気にするな、と手を振る。まるで現代人のような仕草だった。しかし、そんな軽快な動作すら、彼がすると威厳のようなものが漂う気がする。

 いつの時代のどんな英霊なのかは、よく分からない。

 

 

 とりあえず打ち解けた雰囲気の雁夜とサーヴァントを見て、ただでさえ苛立っていた様子の臓硯が、

 

「触媒を用意してさえ望みの英霊を呼び出せず、代わりのサーヴァントは貧弱。やはりキサマなんぞにわずかでも時間を費やしたのが間違いであったわ。落伍者は落伍者らしく、無意味な生の果てに無意味に死ねばよかったものを」

 

 と吐き捨てた。その言い様に怒鳴りかけた雁夜を、男は優しく制止する。そして、それは申し訳なかった、と臓硯に頭を下げる己のサーヴァントを見て、なお怒りが募った。

 

 たとえどのような英霊であれ、人々に認められた英雄なのだ。断じて臓硯のごとき外道が軽んじて良い相手ではない。一発ぶんなぐってやろうかと拳を固め、しばらくの後、力を抜いた。

 

 無意味な事だ。あの妖怪は、そんな物理的な手段ではどうにもならない。嘲笑われ、余計な労力を払う事になるだけだ。今雁夜は万全の状態ではなく、またそうであっても、やはり意味がない。

 

 本当に腹が立つ爺だと思う。それの思惑どおりに動く自分自身も。

 

 

 

 それから二言三言、言いたい放題言ってから臓硯は蔵を出た。憤懣やるかたない心持ちの雁夜だったが、気遣うような視線を向ける男に我に返り、深呼吸する。そうだ、ヤツのような存在にいちいち心を乱してはならない。その怒りや絶望といった感情を、あの化け物は何より喜ぶのだ。

 

 感情のままに反発する事は、あの爺に娯楽を提供しているのと同じだ。それに気付き、頭が急激に冷えていく。

 

 高ぶりが収まると、ごたごたで確認していなかった事があるのにようやく思い至った。

 

「そうだ。まだお前の名前を聞いてなかったな……俺の知っている英雄だといいんだが」

 

 そう言うと、ハッハッハ、と低い声で笑う男。愚問だ、と言いたげでもあり、どうかなぁ、と誤魔化しているようでもある。

 

「こちらへ来て間もない。俺が現世にどう伝わっているのか分からないが、名乗らせてもらおう」

 

 スッ、と手を差し出される。一瞬の後、ああ、握手か、と思い至り、それに応じた。大きな手だ。ゴツゴツしていて、皮膚は厚く、至るところに深浅問わず、無数の傷が刻まれている。

 

「我が名はハルメアス。此度は――――のクラスにて現界した」

 

 え、今何のクラスだと言った?

 

 そう問うたつもりだった。しかし、実際に口から出たのは、言葉にすらなっていないうめくような音のみ。のどが引き攣るように動作不良を起こし、息すら止まりそうになる。

 

 この男、何と名乗ったか。まさかハルメアスと名乗ったのでは。否、馬鹿な。そんなハズはない。あれは歴史的、科学的、魔術的な見地から、間違いなく創作だと断定されたのではなかったか。古い伝承が誤ったまま連綿と伝わってしまった末の、歴史における奇跡の虚作ではなかったのか。

 

「……嘘だ。あれは、あれは創作のハズだ。先人たちの盛大な悪戯のハズだ。だってそうでなければ……いや、あり得ないだろう。頼む。本当の名を教えてくれ」

 

 めまいがする。ハルメアス。そんな者が実在したわけがない。

 どういう事だ、と混乱する頭に答えるように、脳内に閃きがあった。

 

 そう言えば爺が言っていた。「英霊として召喚される者には、架空の人物も含まれる」と。ならば、ハルメアスという何者かが召喚されるという事も、あり得ないとは…………。

 

「なるほど。俺はそういう類として認識されているわけか。当然と言えば当然だが……しかし、俺は確かに実在した者だ。俺のいた時代のすべては、この世界から失われているようだがな」

 

 しかし、英雄は答える。ハルメアスは実在したのだと。

 おとぎ話の住人であるはずの存在……いや、しかし……。

 

 召喚に際しての疲労、刻印虫による肉体の限界、そして未曾有の混乱。結局雁夜は明確な答えを出せぬまま、崩れ落ちるように失神した。

 



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彼は英雄ハルメアス(笑)

 英雄ハルメアス。その名を知り、その名についてさらに探ろうと思ったならば、読むに値する書は一つしかない。

 

 著者不詳、書かれた時代も書かれた場所も不詳、そもそもどのようにして記された物なのかも不詳。何もかもが分からない、そしてこれから先も分からないだろうと言われている一冊が、この英雄の原典。

 

『ハルメアスについての記録』

 

 それは時にはハルメアスと著者との会話の様子のみが書かれた対話本であり、時には完全に第三者としての目線から書かれるハルメアスという人物についての考察本であり、またある時にはハルメアスの戦いをそばで描いた戦記物である。

 

 一説には人類最古の書とも言われ、地殻変動によって隆起した大地から発見された後、シュメール王朝における伝説の王、ギルガメッシュに捧げられた物と伝えられる。若き日のギルガメッシュはこの書を毎日遅くまで読みふけり、英雄としての彼の生の原点を形作った。

 

 また様々な神話、史実問わず、後世に名を残す英雄たちの物語において、「ある物語」「一つの英雄譚」を読んだ事により英雄を志したと語られるなら、それはこの『ハルメアスについての記録』に他ならない。

 

 現代においても、「自国の元首の名を知らなくとも、ハルメアスの名を知らない者はいない」と言われる。古今東西に数えるのも馬鹿らしいほどのスピンオフ的な作品が存在し、古代ローマにおける歴代皇帝、中国における関羽のように神格化すらされた。

 

 「神の御加護」と同じような感覚で「ハルメアスの御加護」という言葉が使われているという事実を見れば、語るまでもない事と言うべきか。

 

 

 それほどまでに人々に愛された理由は、そこに描かれる話が、実に明朗かつ爽快な勧善懲悪の物語であったからだろう。疑問を差し挟む余地なく、ハルメアスは人々を救うために行動し、そしてその全てを救った。

 

 文字通り、「全て」をだ。

 

 「正義」と「悪」の構図が立場によって見事に反転する現実においては、こちらの英雄はあちらの悪魔である事が、往々にしてある。故に物語においては、そのあたりの微妙な関係性が焦点となる事も多い。

 

 しかしハルメアスの物語において、悪とは悪であり、善とは善である。人を襲う怪物、魂を奪う悪魔、私欲によって他者を害そうとする悪人。

 ハルメアスが相手取るのはそういった存在であり、そこには立場による葛藤とか、信条の喰い違いによる不和とか、そういった類の面倒事は存在しない。

 

 それらを倒し、みんなが喜ぶ。ただそれだけであり、それ以上の事をハルメアスは望まない。

 

 とは言え物語には戦争や決闘など、まさに「正義」と「悪」、「正しさ」と「過ち」が問われる出来事も当然描かれるが、歴史上のどんな英雄にも解決できないそれらの問題も、ハルメアスは解決する。

 

 具体的には、両国の兵士の持つ武器をすべて破壊し、戦場の中心に立って争いの無益を説き、最終的には両軍が抱き合って和平したりする。

 

 そんなにうまくいくわけないだろと思っても仕方がない。しかし、この物語を読むにあたって初めに身に着けておくべき感覚は、「ハルメアスが何とかするのではなく、何とかするのがハルメアスなのだ」という感覚である。

 人の行為の帰結として結果があるのが世の常だが、ハルメアスに限り、結果の前提としてハルメアスが存在するのである。

 

 現実もこうであればな、と思うのは自由だ。しかし物語の中で、ハルメアスが著者に対して言うように、「俺は皆を救うだろう。だが、俺でない者は皆を救えないだろう」なのである。

 

 それに耐えられない者は、精神衛生上、書そのものを手に取るべきではない。

 

 

 

 

 

 

 

「マジで残ってんのかよ……」

 

 俺の名前を聞いたら突如ぶっ倒れた雁夜をベッドに寝かせて、俺は間桐の書斎に来ていた。雁夜の反応から、何らかの形で残っているんだなとは確信したが、まさかこんな残り方をするとは。

 

 俺の元いた世界では完全に消失していた魔術という概念が、一応秘匿されているとはいえ厳然と存在している事には、間違いなくこの本が関わっているだろう。

 

 同時に、俺の世界では小説の出来事でしかなかった聖杯戦争というものが、この世界では存在する。と言うより、俺が小説で描かれた世界に召喚されたというのが正しいのか。それとも平行世界という事でオーケーなのか。ワケわからなくなってきた。

 

 とにかく、俺がこの場に呼ばれたのは事実で、しかもなぜか英雄《俺》の方ではなく、転生者《俺》の方が呼ばれてしまっている。たかだか大学生兼町人にそんなスーパーパワーがあるわけもないので、臓硯の爺にブチ切れる寸前の嫌味を言われてしまった。つらい。

 

 とは言え、どうやら完全に希望がないわけではないようだ。一応『ハルメアスについての記録』の著者であり、英雄のモデルであるからか、英霊として力を振るう事は可能なようである。

 

 しかし、通常の状態では不可能だ。一般人と何ら変わりない性能である。自分でステータスを見る限り、オールE-。魔力と宝具に至っては「-」となっている。存在しない、という事だろう。マジかよ。

 

「あれだな。まさかここまで大それた嘘っぱちを書くヤツがいるとは想定してなかったんだな」

 

 聖杯もきっと、「頑張ってるおじさんにハルメアスを召喚させてやるぜ!」という感じで苦労性の雁夜にご褒美感覚で召喚させてやったものの、

 「え? ハルメアスってそういう……え? 馬鹿なの?」みたいになったに違いない。

 

 本当にゴメン。ちょっとした出来心だったんだ。

 

 最大の誤算は、ギルガメッシュが俺の本を見つけてしまった事だろう。アイツああいうの好きそうだし、「我も英雄になるぞウハハハハー!」とか言って神殺ししちゃったりしたのだろう。そのあたりで歴史が変わったのかもしれない。

 

「ハルメアス、ねぇ」

 

 手に取った『ハルメアスについての記録』を見る。飛ばし飛ばしで読んでいくと、「ああ、こんなの書いたなぁ」という懐かしさを感じた。

 

「……………………」

 

 うん。まぁね。ちょっとこう……アレかな。やっぱり若かったしさ。こういうかぐわしい感じもほら、いい思い出になるって聞くし。うん…………。

 

「……アァァァァッ! なんでこんなの書いたんだァァア! しかも世界中に広まってるって何でだよぉ! 中学生が『万が一に備え、封印されし俺の真の姿を記しておく(設定)』って感じで深夜にノリノリで書いたノートと大差ないからコレ!

 ハルメアスって誰だよ! いねぇよそんなヤツ! 失われた文明とか宇宙の深淵とかただの妄想だからね!」

 

 設定とか妄想って言うと余計にツラい。日記を音読されるよりツラい。若気の至りで許される領域じゃないねこれは。黒歴史って言うか歴史になっちゃったからね。ある意味暗黒時代だよ。

 

 調べた感じ、けっこうマジな研究家もいるらしいね。滅亡した古の超文明の痕跡を探っちゃったりしてるっぽい。番組とかもあるみたいね。手がかりは俺の書いたコレらしいよ。それって結構すごくないか?

 まぁ、何も見つかるわけないんだけどね! だって嘘だから! 全部俺の妄想だから! 

 フハハハハハー!

 

「もうさぁ……死んだ方がいいかも分からんね。これで嘘だったってバレたらどうすんの。

 『全部どっかの誰かの妄想でしたマジ死ね。これの研究してたヤツ全員クビ』みたいになっちゃうじゃん。それどころか最悪戦争になるよ」

 

 特にギルガメッシュの治めていたあたりの地方は、ハルメアス馬鹿にしたら終身刑か死刑みたいな制度が残る地域もあるらしい。ハルメアスの生きた地ってのは、その土地の人にとっての誇りで、それを汚すものは許さないという事だそうだ。

 つまり俺がその土地に行ったら、おそらく地震と雷と暴風が降り注いで俺を殺すと思う。

 

 

 落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせる。今家に誰もいないとはいえ、あまり暴れるのは良くない。とりあえず、すべき事はアレだ。秘密の厳守。何としてでもこの嘘を隠し通さなきゃならない。

 

 それは俺のためでもあるし、この世界に生きる人々の夢を守るためでもある。

 

「ハルメアス……俺の名前はハルメアス。ウフフ、顔真っ赤になるわ畜生! そう言えばさっき『我が名はハルメアス』とか名乗っちゃったぞ俺! おいおいどーすんだぁんんん? 

 これでお前、バレてみろよ。みんな俺を指差して『見ろよ、伝説のハルメアスだ(笑)』『うわーカッコイイー(笑)。顔真っ赤でステキー(笑)』『あれ絶対聞こえてるよ(笑)。可哀想だからやめてやれって(笑)』とか言われるぞ!」

 

 落ち着けない。ものすごくジタバタしたい。でもあんまり叫ぶとなぁ。確かアサシンか何かが家を監視してるんじゃなかったか。もう随分昔に見たっきりだから、今一つ曖昧なんだが。

 

「はぁはぁ、オーケー、大丈夫だ。そうは言っても真実は俺しか知らないんだ。本当のハルメアスを知っているのは俺ただ一人。そうそうバレやしないだろう」

 

 問題は、だ。

 

 もう一度自分のステータスを確認する。もちろん、変化はない。相変わらずE-の羅列。クラススキルもなければ保有スキルもない。宝具もない。

 

 これ、勝てんの? という話である。

 

「一応、どうにもならんわけではないんだが……」

 

 なぜここまで性能が劣悪なのか。まあいくつか思い当るフシはあるが、やはり「完全な妄想の産物」というのが大きいのだろう。言ってしまえば「ぼくのかんがえた最強のサーヴァント」なのだから。

 否、それならいい。まだしもマシだった。黒歴史化する危険はあるが、能力については十全のものとなるだろう。

 

 

 問題なのは、俺が『ハルメアスについての記録』に書かなかった設定を、俺自身が知っているという事だ。いわばハルメアスの産みの親である俺の妄想は、そのままハルメアスに反映される。肉体性能、能力、精神。これらはすべて俺の求める力がそのまま表れる。

 

 

 そしてもちろん、弱点も。

 

 

 『ハルメアスについての記録』のラスト、英雄ハルメアスは悪の大魔術師サングインと相討ちした、となっているが、実は本来のラストは違う。

 ハルメアスはサングインの首を切り落として勝利したものの、最後の力でサングインに弱体化の呪いをかけられ、すでに致命傷を負っていた身体を回復させる事ができずに死んでしまった、というのが俺の中での設定だ。

 

 しかし、最後の決戦は「光とほぼ同等のスピード」で行われたという事にしてあるので、第三者としての記録という体裁を取っている『ハルメアスについての記録』にはその事を書けなかった。

 

 最後にハルメアスの友である(という設定の)著者が見たのは、ハルメアスとサングインの両名が倒れ伏す姿だった。

 故に著者は「相討ちしたのだ」と判断した、というのが、何度も言うが俺の脳内設定である。

 

 すべて妄想であるが、ハルメアスとはすなわち妄想である。俺の妄想がハルメアスならば、俺の妄想したハルメアスへの呪いもまたハルメアスの一部である。

 おそらく現界に際して、その設定が反映されたのだろう。どうしてそんな余計なところばかり、と思うが、こればかりは自業自得と言う他ない。

 

 ため息を一つ。ふと時計に目をやると、書斎に入ってすでに四時間ほどが経過していた。どんだけ長い間悶えてたんだろう。

 

「あぁ……そろそろあのクソジジイが帰って来る」

 

 ダウンしている姿を見られたら、また雁夜が苛められてしまう。起こしに行ってやった方がいいだろう。俺も寝たいが、仕方ない。

 

 俺なんぞを呼び出してしまったヤツの不幸を憐れみつつ、俺はのそのそと、雁夜の寝ている部屋へと向かう事にした。 

 



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ギル君はある意味一番の被害者

「なるほど……スキルも宝具もなし、ですか……」

「少なくとも、今の状態ではな。お前が俺のステータスを見れない理由は分からないが……それと、敬語を使わなくとも構わんぞ。

 今の我々の関係は、マスターとサーヴァントなのだからな」

「い、いえ、そういうわけには…………」

 

 寝て起きた雁夜がなんか唐突に他人行儀なんだけど……。俺はぐいぐい距離を詰めているというのに。正直、原作で雁夜が敬語で話すのを見た事がなかった……気がするから、もの凄い違和感がある。

 

 フフン。まあ、伝説の英雄ハルメアス様を前にすれば、致し方なき事か。

 なにしろ俺は、世界で一番有名なスーパウルトラ最強の大英雄なのだからな! 強靭にして無敵、そして最強ォ!

 

 ……まあ、そういう設定にしたんだから当たり前なんだけどね。「ぼくのかんがえた最強のサーヴァント」で俺TUEEEEとか恥を知れという話だ。

 おまけに最悪なのは、何を間違ったか現状は俺YOEEEEな事である。なんも良いトコないな。

 

 いや、そんな事考えてる場合じゃなかった。

 

「かつては旅から旅への放浪者だった。ついて来てくれた友を除けば、長く同じ人と触れ合う機会はごく僅か。故に、できる限り、人とは俺お前の関係で親しく接するように心がけている。お前もそうしてくれ」

「なるほど……。分かった、そうしよう」

「感謝する」

 

 うんうん、やっぱりこうじゃないと。ケイネス陣営ほど堅苦しくなくてもいいけれども、遠坂陣営ほどへり下らなくてもいい。ま、あれは自業自得と言うか、望んでやっているフシもあるが。

 

 切嗣? 論外だよ。嫌いじゃないけどさ。

 

「しかし、英霊である事の長所がほとんどなくなっているという事だろ? かなりアンフェアと言うか……もしかして、俺の能力不足か?」

 

 ハッ、と思い至ったように絶望的な表情を浮かべる雁夜の言を、笑いながら否定する。どんなマスターに呼ばれても、英霊はスキルと宝具を持って現界するものだ。

 

 なぜ俺が持っていないのかは疑問だが、さすがにコレは反則と聖杯に判断されたか、俺が純粋なるハルメアスでないからか、そんな所だろう。

 

 どっちも十分あり得るが、さて。

 

「少なくとも、お前の責でない事だけは断言しておこう。どの道、宝具になりそうな物なんぞ、何の対策もせずに地球で使うには危険すぎるモノばかりだ」

「な、なるほど……。『腐りて堕ちよ、忌々しき太陽(アーリエルズ・ボウ)』なんかを現代で撃てば…………」

「…………あ、ああ、そうだな。かつては太陽を取り戻す手段があったが、今では失われた技術だ。太陽光のない地上がどの程度保つのかは分からないが……数年かそこらで滅んでしまうだろう」

 

 あーあーありましたねぇそんな(モノ)も! その中学生レベルのカタカナ英語で俺の黒歴史を弄らないでくれ!

 

 さらにぶっちゃけるなら、かの世界的大作からのパクリである。時代を越えた盗作である。当然、この世界では俺の方が原典だ。恥を知った方がいいぞ俺。

 

「まあ、あまり悲観的にならずとも良い。宝具でこそないが、コイツも戻って来てくれたのだ」

 

 言い、腰に差してある一本の「刀」をポンポンと叩く。先ほど、雁夜を起こしに行く途中で、目の前の窓を砕き割って飛んできたものだ。

 

 すわ敵襲か!? と相当にビビったが、そのまま壁に突き刺さって止まった。それでよくよく調べてみれば、かつてハルメアスがこの極東の地で手に入れた(という設定の)刀だった、というわけだ。

 

 もちろん、そんな古い時代に「日本刀」など存在していなかったのは自明だが、問題ない。ここにあるコレはいわば、伝説の再現品なのだ。

 

 

 『ハルメアスについての記録』に書かれる、ハルメアスが極東――すなわち日本列島で手に入れた剣。妖怪「牛鬼」に命を狙われた時、虚空より飛来して牛鬼の眉間を貫き、ハルメアスを救った一振り。

 それを、安土桃山時代の刀匠、村正が、南蛮より伝えられたその伝説にならって打ち上げた刀。それがこの名刀、「村正(ムラマサ)」だ。

 

 

 現代では、島根の出雲大社に、同じく名刀である「正宗」と共に納められているはずのモノ。

 しかし、『ハルメアスについての記録』が世界中に広まった影響か、はたまたこの「村正」が主人の帰還と勘違いしたのか、コイツは健気にも、はるばる県境を越えて飛んできたというわけだ。

 

 ちなみに、俺が召喚された直後くらいからショーケースをぶち壊して飛んで来ていたらしく、さっきテレビをつけた時にはすでに騒ぎになっていた。

 

 具体的には「出雲大社で展示されていた『村正』が何者かに盗まれた」というニュースと、「島根県の空で相次いで『刀に似た飛行物体』の目撃報告があった」というニュースが同時にやっていた。

 

 もしネットが普及していたらお祭り騒ぎだったに違いない。ワハハーイ。

 

 本当、もう、どうしようか。魔術の秘匿とかどうするんだろう。このまま俺が現界しているだけで、あちこちからトラブルが舞い込んでくる気がする。

 

 まあとにかく。結末がどうなるにせよ、コイツは聖杯戦争が終わったら元の場所へ返さねばならないものだ。今頃出雲大社は大騒ぎしているだろうし。

 

「雁夜。一応頼んでおきたい。まず問題ないとは思うが、もし俺が座に帰る時、コイツが動こうとしなかったら、お前が出雲の社に返しに行ってくれ。近くに置いておくだけでいい。後は勝手に帰るはずだ」

 

 人目につかない夜が望ましいな。言いつつ、柄を握り、鞘から抜き放つ。少し古くはあるが、見事に鍛えられた刀身が、差し込む陽光を浴びて輝いた。

 日本では「魔刀」「妖刀」と言われ、あまり良いイメージを持たれていないが、こうして再び俺を救わんと飛んで来てくれたのだ。

 

 義理堅い不良、といった感じで、これはこれで可愛いではないか。

 

「それまで命があればの話、だけどな」

「案ずるな、我がマスターよ。俺がついている」

 

 俺がついてたってどうにかなるもんとも思えないが、一応こう言っておく。泰然自若にして威風堂々。英雄とはそうでなければならない。偽物ならばなおさら。

 

 苦笑する雁夜を横目に、刃に指を滑らせる。冷たい。死神の鎌が「命を刈り取る形」であるなら、これは「人を斬る」事に特化した形状なのだろう。鉄の塊でもあるので、もちろん殴るのにも使えるが。

 

 思いつつ、興味深げに刀を矯めつ眇めつする雁夜に目をやる。やはりこいつも男の子か。分かる。分かるぞその気持ちは。

 

「それは宝具……では、ないのか。いや、現代にあるものだから……」

「宝具の現物、と言えばその通りだが、厳密には、コレは実際に俺が手に入れた剣ではない。神秘の薄れた時代にあって、『村正』なる男が大した人物だった事は間違いないがな」

 

 もっと厳密に言えば、実際に手に入れた武器なんてないけどね。それに正直、やっぱり男は刀だぜ、くらいのノリで物語に登場させたから、あんまり思い入れはないんだ。すまない。

 

 とは言え、こうして伝説通りに飛んで来たのだから、村正という男はやはり、類稀なる才能の持ち主であったのだろう。

 

「とにかく、これで最低限の武装は手に入った。今の俺のステータスでは、戦わずして勝つ――無手勝流が望ましいのは事実だが、逃げてばかりではどうにもならん。戦いとはそういうものだ。

 それと、雁夜。お前は休息をしっかり取れ」

「ああ、分かった。……ありがとう、ハルメアス」

「良い。あの娘のためでもある」

 

 雁夜は良くも悪くも人間的だからなぁ。完璧な善人とはいかないが、それでもものすごくマトモに見える。

 あくまで相対的に見て、ではあるが。なにしろ今回の聖杯戦争はマスターが軒並みその、アレだからな。

 

 ウェイバー君が最優、次点で雁夜。大穴でケイネス先生……くらいだろう。正直、雁夜とケイネス先生だってかなり怪しいもんだが、それ以外は完全に修羅の国の住人しかいないからな。相対的にマシに見える。

 時臣もまあギリギリ……いや、桜ちゃんの事があるからな。やはり修羅道だろう。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて、俺は部屋で控えてるよ」

「承知した。俺は街の様子を観察しに行くとしよう。お前も、何かあったらすぐに呼べ」

 

 本来であれば、サーヴァントがマスターから離れるのは危険なんだが、どうせアサシンは監視しているだけだ。いざとなれば令呪もある……と言うかそもそも、気配遮断を持つアサシンなんぞ、俺に感知できるわけがない。

 

 仕掛けられたら、終わりだ。残念ながら。

 

 それなら敢えて傍にいる必要はない。臓硯も言っていた通り、俺からはサーヴァントらしい力など感じられず、雁夜曰くステータスも見えないらしい。

 ならば、そもそもサーヴァントたる俺が雁夜と離れた事自体、バレるはずがない。自分の貧弱さに感謝する事になるとは思わなかったが、これはこれで幸運だ。

 

 まあ、ステータスの上では、その幸運もE-なんだけどね。ツイてない事が起こるかもしれない。気を付けて行こう。

 

「ニャー」

 

 あ、黒猫が目の前を…………。

 

 

 

 

 

 

 

「王よ。いよいよ、残るクラスはキャスターのみとなりました。数日後には、サーヴァント同士がぶつかる戦闘も起こるでしょう」

「ふん……時臣。この(オレ)を僅かなりとも興じさせる英雄はいるのだろうな? 我を呼んだからには、貴様には我を愉しませる、臣としての義務がある」

「必ずや、ご満足頂けるものと…………」

 

 ならば良い、と鼻を鳴らし、ギルガメッシュは酒を喉へ流し込んだ。絶世の美酒を黄金の杯で呷る、天上の贅を味わいながら、その表情はお世辞にも愉しげではない。

 

 否、実際に、ギルガメッシュは退屈だった。目の前に傅くこの男も、そこらの有象無象よりは礼と言うものを弁えてはいるが、それはギルガメッシュにとっては当然払われるべき敬意であり、何も思うところはない。

 

 臣としてはともかく、人として、この時臣という男に見るべき価値はない。生前より人間というものを測り続けてきた英雄王としての結論であり、故に、ただひたすらに退屈だった。

 

「……………………」

 

 こういう気分の時は、やはりアレに限る。ここで時臣の真面目くさった顔を眺めて酒を飲んでいるよりずっといい。

 

 ギルガメッシュは時臣を下がらせ、「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)」の扉を開いた。邸宅中に魔力が迸り、家の外にまで眩い光が漏れ出したが、そんな些細な事を気にするギルガメッシュではない。

 

 そして丁寧な所作で、無数の財宝を収めた宝物庫から、一冊の本を取り出した。全体に黒く、表紙に奇怪な模様が描かれた古書。高度な魔術によって編まれたソレは、表紙と裏表紙の間の空間が一種の異空間と化している。

 千ページだろうが万ページだろうがこの一冊に収められる特殊な魔道具で、これを持っていたからこそ、かの英雄の友は、その活躍を余す事なく記す事ができたのだ。

 

 本の題名を『ハルメアスについての記録』。聖書以上に世界に普及し、数多の英雄、数多の人間に読み継がれて来たからこそ、この原典は宝具となった。

 

 ギルガメッシュにとっては、乖離剣、天の鎖と並ぶ価値を持つ宝具である。

 所有するだけで全スキルのランクが一つ上がる効果や、知名度補正にブーストがかかる効果も確かに強力だが、この宝具の本当の価値はそんな所にはない。

 

 

 これが「原典」であるという事。英雄ハルメアスの友によって直接記された、もっとも純粋にハルメアスを描いた物である事。それがこの宝具の真価なのだ。

 

 

 人類最高峰の知能を持つギルガメッシュにかかれば、膨大な記録であるこの一冊であっても、すべて暗記する事ができる。ましてや若かりし時から毎日のように読み耽った本なのだ。

 ハルメアスという単語が何ページにどれだけ出てきたかも思い出せるし、八文字指定されればそれが何ページのどのようなエピソードで出てきたものかまで思い出せる。

 

 つまり、実際に手に取って読まずとも、脳内で一ページ目から順に文字を追って行けるのだ。

 

 それでも、ギルガメッシュはいちいち宝物庫から取り出し、読み終わればまた宝物庫に納める。それはそのままこの一冊へ示す愛の形であり、初めてこの本を手に取った若き日から、老いて没するその日まで、憧れ続けた大英雄への敬意でもあった。

 

「ハルメアス……我が運命に値する者よ。お前は今どこにいる。なぜ、(オレ)の眼前に姿を見せぬ」

 

 ギルガメッシュは、己の治世に、己が王である時代にこの書が見つかった事を、偶然とは考えていない。それは書の最後、『この記録は然るべき時まで封印しておく』という一文に明らかだ。

 

 

 すなわち、(オレ)こそが「然るべき時」に選ばれた王であり、大英雄ハルメアスと運命によって結び付けられた存在。

 

 

 ギルガメッシュはそう確信していた。後の世の誰でもない、自分こそが選ばれし者。

 神も悪魔も人間も、全てがハルメアスの名を忘却していた世界において、ハルメアスの友が託した記録を始めに繋いだ英雄王。

 

 だからこそ、己の生涯の中で、夢の中でさえその姿を現さなかった事が、ギルガメッシュの心残りであった。

 

「いい加減、待ち草臥れるというものだ。こうして現世に降り立った機会に、(オレ)自ら呼び出してやるのも一興か」

 

 そう零し、先ほどより少しだけ機嫌良く杯を傾ける。思い付きではあったが、存外に良案ではないか、と思い至った。

 

 聖杯などに興味はなく、ただ己の財宝を雑種共が勝手に奪い合う不敬を誅するために来ただけだったが。

 我自身が聖杯を使うならば、それは正当な所有者の行使する正当な権利。我の敷いた法は守られ、生前の未練であったハルメアスとの邂逅も果たせる。一石二鳥というものだ。

 

 未だ、そのハルメアスが現代に召喚された事を知らぬ英雄王は、そんな事を考えながら、『ハルメアスについての記録』に目を落とすのだった。

 




村正(ムラマサ)
・島根県の出雲大社に納められている太刀。ハルメアスの極東での伝説になぞらえて、刀匠である村正によって作られた。主人公の妄想が図らずも形になった稀有な例。

・ハルメアスの危機、あるいは危機感に反応して自動的に判断し、対処する。

・コレ一本で自動攻撃、自動防御が可能な便利なアイテム。ただ、そうは言っても耐久値は普通の刀並みなので、まともに防いだら折れたり曲がったりする。
 自動攻撃、自動防御はハルメアスが所有する時のみに発揮される。素人が持っても「切れ味の悪い刀」、達人が持っても「よく切れる刀」止まり。ハルメアス専用装備。

・刀であり、犬でもある。主人の元へ一直線。敵は眉間をぶっ刺して殺す。あるいは斬る。

・日本における「牛鬼」の伝説がモチーフ。


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かくして役者は集いたる [前]

 第四次聖杯戦争六日目も、冬の凍てつく寒気は変わらず列島を覆っていた。しかし今日は晴れ模様で、昼下がりの柔らかな日差しが冬の寒気をやわらげている。

 

 この日、冬木市の最寄り空港であるF空港の滑走路に、とある二人連れを乗せたドイツ発の一機のチャーター便が舞い降りた。

 

「到着ね、セイバー。どうだった? 空の旅の感想は」

 

 旅客便から外の景色をキラキラした目で見ていた、美しい銀髪の女性……アイリスフィール・フォン・アインツベルンは、隣席に座る連れに問いかけた。

 

 実はひそかに連れの……セイバーの反応を楽しみにしていたアイリスフィールだが、肝心のセイバーは、その問いに何も答えない。

 と言うより、そもそも聞いていないのだった。

 

「あら、セイバーったら。もう日本に着いたわよ?」

 

 その言葉を聞き、ようやくセイバーの注意が外界へ向く。他の客がガヤガヤと降りていくのを見て、あわてた様子で立ち上がった。

 

「す、すみませんアイリスフィール。私としたことが……」

「飛んでいる間中、ずっとその本を読んでいたわね。そんなに面白い本なの?」

 

 私の読んだ事ない本ね、後で見せてくれない?

 

 タラップから降りながら、朗らかに笑うアイリスフィールとは対照的に、セイバーは目を見開き、驚いた様子を浮かべた。

 

「アイリスフィールは、この本を読んだ事がないのですか? 切嗣なら、知らないはずはないと思うのですが…………」

「『ハルメアスについての記録』……? うーん、聞いた事はあるのだけれど……」

 

 読んだ事はないわね、と困り顔で言うアイリスフィールに、セイバーもまた困惑した顔で首を傾げる。

 まさか切嗣が読んでいないとは思えず、読んだならばきっとアイリスフィールにも薦めているだろうという、セイバーの読みは外れてしまった。

 

 

 この美しい姫君の事情は知っている。生まれてから一度として実際に外を歩いた事がなく、切嗣が持ってくる映画や写真で世界を知り、切嗣の話す世界の景色に思いを馳せながら、あの極寒の地の城に住み続けていたのだと。

 

 その生活の中で、唯一と言っていい娯楽は、書物を読む事だという。切嗣が届けてくれる外の世界の本は、退屈を紛らわすには持って来いの代物らしい。

 

 

 故に、アイリスフィールが少々世間知らずな面がある事は承知している。

 セイバーの着るこの燕尾服のような黒服や、アイリスフィールの纏う一目で高級品と分かるカシミヤのコートが、今日の日本の一般的なファッション常識に照らせばおかしなものである事も、すでに気が付いている。

 

 しかし、この書の存在を知らない事だけは相当に意外だった。それはアイリスフィールに対してと言うより、切嗣への驚きだった。

 

「有名な本なの?」

「少なくとも私の時代では、他のいかなる本よりも人に知られた書でした。そして恐らく、今もそうなのではないかと」

 

 切嗣の聖杯への望みはアイリスフィールから聞いている。万能の願望機によって、世界を救済するのだと。そのために、彼はすべてを擲って、この聖杯戦争で勝利を掴むつもりだと。

 

 誇るべき願いだと思う。その願いの成就のためにこの剣を振るう事は、騎士としての誉れと言える。そこに疑いはない。

 

 しかし、だからこそ、なぜなのだろうと思う。世界の救済を目指す者が、その実現者たるハルメアスの英雄譚を、己の妻に見せなかった理由。

 

「どんなお話?」

「…………それを語り出すとキリがありません。円卓の会議中も、たびたび互いの主張がぶつかり合って収拾がつかなくなりました。なので、かいつまんで話しましょう」

 

 あの日の情景を思い出す。本を片手に正義の意味を共に探り、全ての民を守るという理想の是非を問い合い、騎士の誇りとは何かを語り合った。

 ハルメアスこそがそれら全てに完璧な解答を出した真の英雄だとする者もいれば、彼は後に続く者たちの指標であり、最後はその時代に生きる者たちが答えを出さねばならないとする者もいた。

 

 楽しかった。だからこそ、無念だった。だからこそ、あのカムランの丘で、眼前の地獄を嘆いたのだ。

 ブリテンが滅んでしまう事、二度と騎士たちと会えぬ事、どうにもできなかった自分。

 その全てが、セイバーには許容できなかった。

 

 その思いが、こうしてセイバーを聖杯戦争へと招いたのだ。

 

「率直に述べるならば、英雄の記録です。……ですが実際、哲学書としての価値があり、歴史書としての価値があり、戦術書としての価値があります。記録は膨大で、『誰々という英雄がどこで何と戦い、どのように勝利したか』という、ただそれだけの記録ではないのです」

 

 分かりにくい説明ですみません、と申し訳なさそうなセイバーに首を振り、なら、そうね、とアイリスフィールは切り出す。 

 

「分かったわ。どんな本なのか、一口に語るのは難しいという事ね。じゃあ、そのハルメアスという人は、何をした人なの? いえ、何を為した人なの、と聞くべきかしら」

 

 英雄というのは、ただ強く勇ましいだけの人間ではなり得ない。賢者たるだけでは、英雄とは呼ばれない。その生涯において、善悪はともかく、「何かを為した」者だけがそう名乗る事を許される。

 

 ならば、ハルメアスという人物を知るにあたって、何を為した者なのか知ろうとするのは当然だった。

 

 アイリスフィールの問いに少しだけ考え、それならば、とセイバーは頷く。そして、

 

「ハルメアスは、正義を為した英雄です。

『幾たびの戦場を越えて不敗。ただ一人の犠牲もなく、ただ一度の絶望もなし。』

 後世の詩人は、ハルメアスをそう謡いました」

 

 そう、言った。

 

「…………」

「また、ハルメアス本人も、最後の死地に向かう直前、『愛する少数を捨て、見知らぬ大勢を助けるか。あるいはその逆か。どちらも正しく、どちらも悲しい。だから、俺は全てを救ってきた。』 と語っています。

 故にこそ、彼は人理の救済者、理想の正義の体現者と讃えられているのですよ」

 

 それを聞いて、ああ、という納得が、アイリスフィールの胸に落ちてきた。

 そうか、と、理由を悟った。夫が、自分にその記録を見せなかった理由。

 

 少数を救わなかった者が、全てを救ってきた者の物語を、救わないと決めた者に見せる。

 あの優しい夫は、断じてそれを許せなかったのだ。何にも勝る罪深い行為だと考えたのだ。

 

「それは……もちろん。そう在れるなら、それが一番よね」

「……ええ。ですが、それは生半(なまなか)な道ではない。正しくあるという事は、私が思い描くほど容易ではありませんでした。

 国を守るために、村を切り捨てた事もあります。より多くの隊を救うため、一隊を殿として使い捨てた事も。それが国を守る唯一の方策と信じ、実行しました。それが王たる私の役目だった。

 ハルメアスのように、という理想は、ハルメアスならば、という想像でしかなくなりました。そして最後には、ハルメアスではないのだからと、まるで言い訳のように、かの英雄の名を使うようにさえなりました」

 

 そしてもう一つ。あれほどまでに切嗣が、セイバーを嫌う理由。

 話を聞けば、あるいは二人が口を揃えて否定したとしても、これほどの不和が生まれる理由は明白だった。

 

 立場こそ違えど、セイバーと切嗣は、似ている部分がある。

 同じ物語を読み、憧れた者という共通点。そして、理想は叶わず、「やむなき犠牲」を許容したという共通点。

 

 切嗣は平和のため、セイバーはブリテンという国のために。二人はあまりにも似通っていた。

 しかも二人は、二人ともが、聖杯でもってその理想を果たそうとしているのだ。万能の願望機をもって、夢見た理想に追いつこうとしているのだ。

 

 切嗣の半生を知らないセイバーは、どうしてああまで嫌悪されているのか理解できないだろう。しかし切嗣は、セイバーの生涯を知っている。

 

 自分より遙かに若い少女が、国の未来、民の命などという、途方もない重荷を背負わされた事。それをあろう事か、彼女自らの手で選んだ事。

 彼の内には、ブリテンへの怒り、アルトリア・ペンドラゴンという少女への怒り、そしてある種の同族嫌悪が渦巻いているのだ。

 

「そうまでしてさえ、私はブリテンを守れなかった。私の最後は知っての通りです。騎士たちの心は私から離れ、最後はモードレッドの反乱で国は滅んだ。

 あのカムランの丘で、私は…………ど、どうしました。アイリスフィール」

 

 いいえ、なんでもないわ。なんでもないのよ、セイバー。

 

 そう言いながら、そう微笑みながら、眦にはみるみる内に雫が溜まっていく。自身の重さに耐えられなくなった水滴が、アイリスフィールの頬を伝っていく。

 

 どう見てもただ事ではない。また、ただでさえ集まっていた視線の濃度が濃くなった。周りからの注目を浴びすぎている。

 

 セイバーは少し悩み、とにかく乙女の涙は衆目に晒すべきではない、と判断した。人のいない場所で休んだ方が、気持ちも落ち着くはずだ。

 素早くその細く白い手を掴み、アイリスフィールを先導する。セイバーは、目を丸くしてこちらを見る幾多の視線を振り切って、人目のない場所へと急ぎ足で向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 雁夜と色々話し合っていたら、いつの間にか二人して昼寝してたぜ。

 

 なんか切嗣が泣きながら起源弾を叩き込んでくる夢を見た気がしたんだが……どうだったかな。気のせいかも。

 夢って思い出そうとすると急に忘れていくよね。あれ何でなんだろう。

 

 それにしても、聖杯戦争ってこんなに何もなかったかなと思うほどに退屈な日々だ。二日目、三日目あたりは結構集中して気を張っていたが、よく考えたら倉庫街でセイバーとランサーが一戦交えるのは六日目なのだ。

 サーヴァントはだいたい二日目に召喚されるから、暇になるのは当たり前だった。

 

 とは言え、それも今日で終わり。本日セイバーとアイリスフィールが日本にやって来て、ついに第四次聖杯戦争、初戦の火蓋が切って落とされる事になる。

 

 あ、ザイードさんは数に入ってないんだ。すまない。

 

 とにかく、これからは本当に、血で血を洗う命の奪い合いになる。死者である英霊も、生者であるマスターも、等しくその身を危険に晒す事になるだろう。

 俺とて例外ではない。すでに転生前に一度、転生後に一度、生を終えている俺だが、なかなかどうして死の恐怖というのは根強い。生物の本能だからだろうか。

 

 ま、昔よりはマシになったけども。でなけりゃ、とっくに逃げ出してるわ。

 

「ぐぁ、ぅぅぅ…………」

 

 しかし、雁夜がヤバい。小説やアニメではあまり描写がなかったが、毎日こんなに苦しんでたのかと思う。

 これでも俺を召喚してから少しは良くなっているらしいが、そうは言っても、先ほどからずっとうなされ続けている。俺が起きる前も、おそらく寝ながらにして七転八倒していたのだろう。基本的に身体がもう限界なのだ。

 

 夢見もかなり悪いらしい。さっきから「地平線が……黒い……。暗黒の軍勢……無茶だ、一人でなんて……や、やめろぉぉぉぉぉっ!」とか叫んでいるので、相当な悪夢を見ているに違いない。

 

 幸か不幸か俺の場合、あまりにも能力値が低いため、雁夜が供給する必要のある魔力量がほとんどない。加え、俺の五体から溢れ出るカリスマオーラ的な何かが、体調を少しだけ回復させているらしい。

 

 ある意味エコなサーヴァントだ。雁夜にはピッタリかもしれない。

 

 とは言え、燃費がいいと言えばその通りだが、逆を言えばその程度だという事だ。魔力喰いに定評のあるイスカンダルなどは、それ相応に強力な宝具を持っている。

 

 まあ、燃費が良くて基本性能が高い上に、宝具も強力なサーヴァントなどそうそういないからな。こればかりは如何ともし難い。マスターによってポテンシャルを大きく変える者もいるのだし。

 例えば……fate/Apocryphaの赤の陣営のキャスターなど、その代表例だろう。普通の聖杯戦争で呼ばれてたら完全にハズレサーヴァント枠だよなあれ。

 

「それにしても…………」

 

 毎日ゴロゴロとテレビを見ながら過ごしていると、嫌でもニュースが目に入る。この辺りで龍之介とキャスターが起こしている連続幼女誘拐事件。日増しに騒ぎが大きくなっている感じだ。

 教会からルールの変更が通達されるのは何日目だったか。さすがにそんな細かい所までは覚えてないんだよなぁ。七日目? 八日目?

 

 とりあえず、この原作知識が今、俺が持つ最大のアドバンテージだからな。うろ覚えでも活用していかねば。

 

 しかしそうは言っても、現状のところ、原作通りに物語が進行しているのか確認する術がない。そもそもすでにバーサーカー枠は埋まっているわけで、初日からストーリーが破綻しているとすら言える。

 とりあえずは、今夜の倉庫街での初戦闘を注意深く観察して、問題なく進んでいるのか、あるいはズレが生じてしまっているのかを見定めなくてはならないだろう。

 

「…………」

 

 時刻は午後三時。昼寝も終えたし、そろそろ出かけて行って、ちょうどいい場所を探しておくのが吉か。

 

 ランサーがウロついているかもしれないが、問題ない。どうせ誰も俺をサーヴァントと気付かないのだから。少なくとも実体で街に出て、誰かに「こいつ、只者じゃねぇ!」的な視線を向けられた事はない。

 

 臓硯に「三流魔術師以下」と言われた実績は伊達ではないのだ。マスターである雁夜は俺から何か温かいオーラを感じているようだが、きっと心の清らかな者にしか分からないのだろう。

 もしランサーにバレたら……ま、その時はその時だ。あいつはミスター・騎士道だからな。ビビリまくってる感じを見せたら見逃してくれるだろう。

 

 なんか「そこにシビれる! あこがれるゥ!」って感じに拳を振り上げて盛り上がってる様子の雁夜を起こすのも悪いので、手紙を置いていく事にする。

 どんな夢見てんだろう。さっきはだいぶヤバげだったが、今は大海魔を見てハイになった龍之介みたいな動きをしている。寝てるけど。はたから見てると結構笑える。

 

 ま、下水道に潜りこんで、一人寂しく刻印虫に食われ続けるよりはマシなようで安心した。

 

 ゆっくり休んでいてくれ。

 



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かくして役者は集いたる [後]

 ウェイバーはここの所、内にくすぶる苛立ちと言うか、そろそろ怒りに転じつつあるそれを持て余し気味だった。

 あの時計塔の神童にして生粋の貴族主義者、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトの元から、彼が呼び出そうとしていた英霊の触媒を盗みだし、夜の公園でひそかに召喚の儀を行った時までは、少年の心には確かな興奮と情熱があったと言うのに。

 

 これから行われる、魔術師同士の張りつめた心理戦、己の能力の極限を競い合う魔術戦に思いを馳せていた自分。それを思い出すにつけ、今の己の現状にどうしようもなく不満が募る。

 

 その原因は明白。今、ウェイバーの部屋で寝っ転がり、せんべいをボリボリと噛み砕きながら、うず高く積み上げた本を読みふける赤髪の巨漢。

 ウェイバーの怒りは全て、この男、ライダーこと征服王イスカンダルに帰結するのである。

 

「おい、聞いてるのかお前! アサシンがやられたんだぞ。もう聖杯戦争は始まってるんだ!」

「ふぅん」

「……おい」

「…………」

 

 殴ろう。ウェイバーはそう決意した。英霊たるこの男が自分の拳でダメージを負うとは思えないが、もはや殴るより他に道はない。魔術師としての誇りに反するだろうか。否、これは主としての誅罰である。

 しかも、実は似たようなやり取りを、すでに幾度か経験している。この辺りで一発、己とこの男の関係を思い出して貰わねばならない。

 

 その煮えたぎる怒りがようやく届いたのか、ライダーがさも面倒くさそうにこちらを向く。パンダか何かのように床をごろりと転がる様の、なんと情けない事か。

 しかし世界はかつて、こんな男に征服されかけたのだ。そんな事にならなくて良かったと、ウェイバーは切に思うのである。

 

「あのなぁ坊主。アサシンがやられたから何だというのだ? 闇に隠れるしか能のない臆病者なぞに、余が負けると思っているのか」

「…………」

「それよりもだ。これを読め。坊主のような年頃の男は、こういったものを読まねばならんぞ」

 

 そう言いながら、積み上げた文庫タワーの一番下から、一冊の本を器用に抜き取って渡してくる。

 なんで僕がこんなものを、と思いながらも題名を見ると、そこには銀色の文字で『ハルメアスについての記録 一巻』と書かれていた。

 

 見覚えのあるタイトルだった。ウェイバーがまだ幼い頃、絵本か何かで見たような気がする。

 ゴーストだのドラゴンだのを倒して、最後に悪い魔法使いを退治してめでたしめでたし……みたいな話だったと思う。うろ覚えだが。

 

「馬鹿にすんな。そんなの子どもの時に読んだよ。昔むかし、こんなに強くて優しくて素晴らしい人がいて、色々あって世界を救いましたって話だろ?

 こう言っちゃなんだけど、世の中ってのはそこまで単純にできてな……」

「馬鹿モン」

 

 言うが早いか、筋力Bを誇るライダーのデコピンが繰り出され、ぶべち、とウェイバーの額に突き刺さる。冗談抜きで脳が揺れるような衝撃に、ウェイバーはもんどり打って倒れ伏した。

 

「知らぬ事を安易に信じないという姿勢は正しい。が、知らぬ事を知らぬまま、無根拠に信じないのも危険な事だぞ。どれ、もう一発…………」

「ま、待てって! もう一回されたら気絶する!」

 

 確かに多少斜に構えたような返答はしてしまったが、これはひどい。肉体を鍛えるようなトレーニングなど、魔術師である己にふさわしくないとして一切して来なかったウェイバーにとって、その一撃は重すぎた。

 

「マケドニアの戦士たちに聞かれなくて良かったと思えよ。特にヘファイスティオンにはな。ヤツもヤツで行き過ぎだとは思うが……。

 ま、実際の所、余も若き頃は、こんなモンは古代人の益体もない妄想だと思っとった。どこの誰ともはっきりせん輩の書いた本なぞ、さして有難がる必要はない、とな。

 余の教師であったアリストテレスが熱心に薦めるのでなければ、読みもせず、従って信じもせんかっただろう。だからまぁ、若いお前が疑わしく思うのも無理はない」

 

 じゃあなんでデコピンを、と恨みがましい目でライダーを見るが、言葉にすると本当にもう一発お見舞いされそうなので黙っていた。

 

 そんなウェイバーの様子に構わず、ライダーは、だがな、とウェイバーを指差し。

 

「この書をただのおとぎ話、ありがちな英雄譚だと思っていかん。華やかな勝利の物語に隠れがちだが、ここには『知識』が描かれているのだ。

 戦士が、魔術師が、学者が、詩人が。それぞれが求める知識が、この書には山と記されている。

 余がかつて、『最果ての海(オケアノス)』を目指して軍を率いていた事は知っているな?」

「ああ。進路の途中にある国は全部強引に突破して、ひたすら東を目指したんだろ? よくそんな事やろうと思ったな」

 

 であろう、とライダーが自慢げに鼻を鳴らす。褒めたわけではなかったが、話の続きが気になった事もあり、ウェイバーは黙して流した。

 

「しかしだ。余は若き頃にはすでに、この星、地球に、果てなどない事を知っていた。頭の固い学者や研究者連中は『そんな事はあり得ない。非現実的だ』などと言ってばかりだったがな。

 この記録を見れば、地球という星が丸く、太陽の周りを月を伴って回っている事など、とうの昔に知られておるはずだったのだ」

「じゃあ、どうして『最果ての海(オケアノス)』なんか目指そうとしたんだよ?」

 

 それはだなぁ、とライダーは頭を掻いた。

 

「えーと、この巻の……あぁ、ここだ。ここを読んでみろ」

「ん、と……『命ある内に、このような景色を見られようとは。ハルメアスが船首に立ち、あの大渦に突っ込めと叫んだ時は、いよいよこれまでと思ったが、なるほど。彼の魂は、あの螺旋の中に飛び込む勇気を持つ者だけが、最果ての海(オケアノス)に至れる事を知っていたらしい。』 か」

「そうだ。まさに余が目指すに足る場所ではないか、最果ての海(オケアノス)というヤツは!

 幾多の嵐、大波、海竜が襲いかかる大航海を越えて、余はこの東海の大渦を前に、己の勇気を問うてみたかったのだ」

 

 なるほど、確かにこの男ならやりかねない。いや、待てよ。

 

「もし渦があったとして、このハルメアスってやつが入ったのと同じものじゃなかったらどうするんだ? 部下の船から先に行かせるとか?」

「大馬鹿モン」

 

 どべしっ、と再びのデコピンを受け、体重の軽めなウェイバーの身体がほんの少し宙に浮いた。積み上がる本の塔が崩れ、床に散らばる本の上に落下する。さっきよりも数倍痛いが、今回はまあ、自分に非があったと言うべきだろう。

 

「王たる余が部下に先んじて行かずしてどうする。もし最果ての海(オケアノス)へ通じる渦でなかったとしても、それはそれだ。笑いながら呑まれてやるわい」

「お前らしいよ……。と言うか、陸であんなにやりたい放題暴れ倒したのに、海にまで出る気でいたのか?」

 

 愚問だ、とライダーは笑う。

 

「そりゃあ大きくて頑丈で、豪華で壮大な、後の世の語り草になるような船を造ろうと思っておったわ。『征服船イスカンダル号』! かーっ、良いっ! 余のライダーとしての格も、今よりもっと上がっていただろうにのう!」

 

 惜しいなあ、実に惜しい。言いつつ、ライダーの顔に悔恨の色は窺えない。しかし、諦めた者の表情でもない。

 「届かなかった。しかし、良い夢を見て、良い人生を駆け抜けた」。そう思っている事が、その豪快な笑いから見て取れる。そして今、サーヴァントとして現世に呼ばれ、野望の続きを夢見ているのだろう。

 

 何かにつけて後悔しがちなウェイバーには、それは眩しい生き様だった。

 

「まあ、つまりだ。余の遠征の始まりは、まさにこの書、この記録の知識によるものだった。おとぎ話だと端っから決めつけておった連中は、死ぬその瞬間まで地球の姿を誤解しておったのだ。

 この時代に来て、地球が丸いと聞いても余は驚かなかったぞ。ハルメアスのように、己の足で世界を回ったわけではないが、その足跡を知っていたのだからな!」

 

 ふぅん、と零し、ウェイバーはその本に目を落とす。歴史に名を残す英傑、征服王イスカンダル。彼の遠征が目指した最果ての海(オケアノス)。古き時代、誰よりも先にそこにたどり着いた、伝説の英雄の物語。

 

「まあ……そこまで言うなら読んでみるよ」

「おう、そうしろ! 坊主はちと軟弱すぎるからな。男の生き様というヤツを学ぶと良い!」

 

 一言余計だ、などと言いつつ、ウェイバーは文庫の一ページ目を開いた。

 

 

 

 

 

 

 結果から言おう。ウェイバーはハマった。

 

 ライダーに言われて、というのが実に癪だったが、子どもの頃の漠然とした「英雄のお話」という印象は、一巻を読み終える頃には完全に払拭されてしまった。

 

 思い返せば、小さい頃に読んだのは、おそらく子供向けにアレンジされた、分かりやすい正義のヒーローの物語だったのだろう。『ハルメアスについての記録』の、魔物や怪物と戦う所だけをピックアップしていたのだ。

 

 あの頃はそれで良かった。そこそこ楽しめた。しかし、成長した今、改めて「きちんとした」記録を見ると、断然こっちの方が良いなと思うのである。

 これは、勇気と冒険の物語だ。思索と哲学の探求本だ。途方もなく古い時代の人間の在り方、神秘に満ち溢れた世界の在り様を記した古文書だ。

 

 ライダーは「古今東西の英雄たちの愛読書」と呼んでいた。今なお残る多くの伝承に、たびたび、と言うか結構な頻度で顔を出す『ハルメアスについての記録』。

 

 剣士として、槍兵として、弓兵として名を遺した者たちは、彼の扱った数多の武器、修めた数多の戦闘術、彼自身が見出した戦いの哲学に熱中したのだろう。

 

 魔術師として名を遺した者たちは、古き時代の魔術の法理を研究し、あるいは「悪」そのものとして描かれる、大魔術師サングインに学んだのかもしれない。

 

 魔術師とは立場を異にする科学者も、何千年も前に解き明かされ、書に記録された世界の理に

のめり込んだのだろう。

 

 ライダーが「記録」と語ったのは、そういう意味だったのだ。ハルメアスという人物を軸に据えながら、著者は「世界を記録した」のだ。

 

「おい、坊主。坊主!」

「…………」

「あー、ダメだ。聞いておらん」

 

 今二人がいる場所は、冬木大橋のアーチの上。午後八時を少し回り、外はすっかり暗くなってしまっている。

 ウェイバーはその闇の中、鉄骨に胡坐をかいて、灯光の魔術で本を照らしながら、黙々と読書に勤しんでいた。吹き抜ける冷たい風も、ライダーのふとした動作で危うげに振動する鉄骨も、今のウェイバーには何の妨げにもならない。

 

 ライダーの、見つけたサーヴァントを片っ端から狩っていくという大胆不敵にして無理無謀な作戦によって外へ出て、こうして首尾よく二体のサーヴァントが潰し合う戦場を観戦できる場所にいながら、ウェイバーの視線は文字を追ったままだ。

 

 正直、サーヴァント同士の戦いなど見ている場合ではなかった。魔術師の性として、興味深い事物を前にすると、その他一切がどうでも良くなってしまうのだ。

 

「まあ、良いわ。見物はここらで終わりにしよう。このままでは、あの勇ましき騎士のどちらかが脱落してしまう。あれほどの強者、ぜひとも余の軍門に下らせたい!」

 

 その言葉を聞き、本に目を落としたまま、半ば無意識にライダーに相槌を打とうとした時……本の世界にトリップしていたウェイバーの精神が復活した。

 

「……ん? ちょっと待てよライダー。軍門に下らせるって、どういう意味だ? 同盟を結ぶって事か?」

「違う。家臣にするという事だ。我が覇道を支える勇者の軍団に、彼らを加えたい」

 

 待て。待て待て待て。

 

「できるわけないだろ!? そんな事せずに、潰し合うのを待てばいいじゃないか! お前今が聖杯戦争中だって分かってるのかよ!」

 

 先ほどまで自分も本に没頭していて、マスターとしての己を忘れ去っていたが、それとこれとは別問題だ。あの人外の饗宴に突っ込んでいったら、無事に生きて戻れる保証はない。

 たとえライダーの能力が彼らと並び立つものであったとしても、マスターたる自分は生身の人間並みの耐久力しか持っていないのだから。

 

 しかし、ウェイバーの意見で言を翻すライダーではない事は、ここ数日でよく分かっている。文字通り命がけの抗議は一笑に付され、さらに、むんずと襟首を掴まれた。

 

「あのなぁ、坊主。ここで機を窺っておったのはな、集まって来た者どもをまとめて打ち倒すためよ。そして今、死なせるには惜しい英雄たちが現れた。

 これを征服せずして、何が征服王か! 何がイスカンダルか!」

 

 高らかにそう吼えると、ライダーが片手の剣を虚空に振り切る。膨大な魔力が迸り、目の前に古風かつ豪華な、二頭立ての戦車が現界した。

 一度見ているとはいえ、その圧倒的な存在感にひるんでしまう。その一瞬に、丸太のような腕に吊り上げられ、あっさりと戦車に引きずり込まれた。

 

 どすん、と戦車に尻もちをつく。その痛みにも構わず、ジタバタと暴れ、なおもウェイバーは抗議を続ける。

 

「死なさないでどうやって勝つんだよぉ! お前、聖杯が欲しいんじゃないのか!?」

「勝利してなお滅ぼさぬ! 制覇してなお辱めぬ! それこそが真の゙征服"である!」

 

 ダメだ、話が噛み合ってない。そもそもコイツ聞いてない。

 

「いざ駆けろ! 神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)よ!」

「うわぁぁぁぁぁ!」

 

 宙に浮く巨大な戦車が、冬木大橋の上空を、雷撃をまき散らしながら爆走していく。その姿、まさに覇道を突き進む王の顕現である。

 

 ウェイバーはこんなののマスターになってしまった事を後悔した。自分がケイネスの用意した触媒を盗んで召喚した事を差し引いてもなお、後悔した。

 しかし、現実は変わらない。頭を抱えるウェイバーとは対照的に、実に機嫌良さげなライダーの大笑いが、冬木の空に響き渡った。

 



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妖怪全部おいてけ

 眼前の好敵手を見据え、油断なくその挙動を観察しながらも、セイバーは己の短慮を悔いていた。

 二本の槍を自らの手足のごとく操る巧みさを、その闘法でもってセイバーの斬撃をいなす練達の技を見てなお、「槍の正道は両手で一槍」という先入観が、セイバーの判断を誤らせた。

 

 どちらが「虚」の槍で、どちらが「実」の槍か――そのような見極めこそ、始めから無意味だったのだ。両方ともが「実」であり、両方ともが本命の一刺しを繰り出し得るのだという正解に至らなかった代償は、あまりに大きかった。

 

 『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』によって負った傷は、その槍が折れるか持ち主が死ぬまで癒えることはない。研ぎ澄まされた一撃によって親指の健を断ち切られた左腕は、剣を持つことに関してはもはや死に体と言ってよかった。

 

 無論、その程度で戦意を喪失するセイバーではない。しかし、本来両手で支えるべき剣を片手で振るえば、魔力の消費量は増え、威力も速度も落ちる。つまりあらゆる点での弱体化は避けられないのだ。ランサーが槍を両手で持たぬことを訝しんでいたセイバーが、逆に剣を両手で振るえぬ立場になるとは、皮肉なものだと言わざるを得なかった。

 

 それでも、そのような心の動揺は瞬く間に静まり、意識は余さずランサーへと向けられる。状況は不利。だが騎士として、同じく騎士の誇りを胸にする者と戦えることに、セイバーはむしろ喜んでいた。

 

 

 向かい合う両者の闘気は魔力を伴う熱気となって物質世界に干渉し、空間を陽炎のごとく揺らめかせる。一言も発さぬまま、それでも戦場で果たし合う者同士の特別な感覚によって、まったく同時に地を蹴った。

 クラスの関係上、単純な敏捷性ではランサーの方に分があるが、セイバーもまた、己がスキルである「魔力放出」によって桁違いの推力を得ている。このまま高速度でぶつかれば、どちらが打ち勝つにせよ、どちらかが致命的な損傷を負うことは目に見えていた。

 

 無論、両名ともそれを覚悟の突進だった。

 しかし、今回に限れば、予想外の第三者の介入によって、その激突は免れることとなる。

 

 その男は、雄たけびと共に戦車を操り、空から駆け下りてきた。

 

「双方、武器を収めよ! 王の御前である!」

 

 夜天を切り裂く雷光のごとく――――実際、男が駆る戦車を牽引する二頭の牡牛の蹄は、大地でなく、風でなく、稲妻を踏んで宙を疾駆していた。一歩ごとに紫電が蜘蛛の巣状に広がり、雷音と共に暗闇を照らす。

 一目で神代の逸品と分かる戦車にマスターらしき少年を乗せ、その男は今まさにぶつかる直前にあったセイバーとランサーの間に、剛胆にも制止を命じつつ割り込もうとしていた。

 

 このまま両者がぶつかれば、二人まとめて戦車に轢き倒されるのは必定。両名ともが咄嗟に飛びすさって生まれた間隙に、戦車は猛烈な勢いで飛び込んでくる。

 

 そうして、空から飛来した巨躯の御者は、牡牛の手綱を巧みに操り、戦車を地面に降り立たせた。疾走の勢いのままに大地を滑らせ、アスファルトを砕きながら停止する。

 そして、場に沈黙が訪れた。周囲の視線を一身に集めつつ、男はまずセイバーに、次にランサーに目をやった。そして満足げに頷き、口を開く。

 

「セイバー、そしてランサーよ。貴様らの先ほどの斬り合い、まことに見事であった。向こうの橋から見ていたがな、余の知るどの戦士と比してもなんら劣るところのない剣捌き、槍捌き。さぞ名高き英傑と見たぞ」

 

 その言葉に対し、誰一人として反応する者はいない。騎士の決闘に水を差してまで、この男は何を言おうとしているのか? 勝負を邪魔された二人のサーヴァントはもちろん、そのマスターたちも、密かに勝負を監視していた傍観者らも、誰も彼もがその真意を測り損ねているからだった。

 不審げな沈黙を意にも介さず、もちろんいたたまれな気に戦車の中で縮こまっている己のマスターにも頓着することなく、赤髪の男は言葉を紡ぐ。

 

「そこでだ、貴様らに提案がある。その武、その技、一つ余の覇道のために振るう気はないか? さすれば貴様らを余の軍勢の一人として迎え、共に世を征服する快悦を分かち合う所存である」

 

 どうだこの名案は、と言わんばかりの会心の笑みで、男はそう言い放った。いよいよ顔を完全に隠して丸まってしまった少年を尻目に、まずはランサーが答えた。

 

「断る、と言えば?」

「ふむ、まあ別にどうもせん。が、もし待遇について何か不満があるならば……」

「では断る」

 

 にべもないとはまさにこのことで、ぴしゃりと言い放ったランサーはこう続けた。

 

「俺が仕え、聖杯を捧げるべきは、俺を召喚したマスターただ一人。断じて貴様ではないぞ」

 

 言い終えると、ランサーは横目でセイバーを見やる。それを受けて、セイバーも口を開いた。

 

「そもそも、素性すら明かさずにいきなり配下となれとはどういう了見だ。まずは自ら名乗るのが道理ではないか?」

「む?」

 

 セイバーの、少なからず怒気を含んだ言葉を聞いて、男は目を丸くする。少しの間、顎髭を撫でつつ何やら思案していた男は、突然高らかな笑い声をあげた。

 

「おお、そうだったそうだった! 思えば余はまだ名乗りを上げておらなんだ。それでは余に従う気にならんのも無理はない!」

 

 許せ許せ、と照れ笑いを浮かべつつ頭を掻く男に、別にそれが断った理由ではないのだがなと言いつつ、ランサーも苦笑いを浮かべる。

 そうして仕切りなおした後、男は顔を引き締めて居住まいを正し、厚い胸を思い切りそらして、

 

「我が名は征服王イスカンダル。此度の聖杯戦争においては、ライダーのクラスを得て現界した」

 

 秘すべき己が真名を、いささかも躊躇することなく公言した。戦車の中で懸命に現実から目を背けようとしていたマスターは、世にも悲痛な声で絶叫した。

 

 

 

 

 

「くっ……」

 

 夜の暗闇にまぎれ、サーヴァント同士の主戦場となっている一角から少し離れた倉庫より戦場の様子を観察していたケイネスは、苛立たしげな声を漏らす。その意識は、二人の決闘に突如横槍を入れてきた男、イスカンダルに向けられていた。

 

 ケイネスのサーヴァントであるディルムッドとセイバーの一騎打ちの結果は、まずまずと言えた。宝具を晒すことになりはしたものの、それはもとより織り込み済みである。それよりも、聖杯戦争において「最優」として知られるセイバーのクラスの英霊に手傷を負わせ、武器を振るう上で必要不可欠な腕の一本を奪えたという戦果の方が重要だった。

 

 もちろん、欲を言えば双槍のタネが割れる前にセイバーを討ち取るのが望ましかったし、絶好の好機にセイバーを仕留めきれなかったランサーへの苛立ちも皆無ではない。

 しかし、これまでの戦闘を観察して、それを易々と許す剣士でないことは、白兵戦にはさほど明るくないケイネスとて理解していた。

 

 だからこそ、左腕を奪ってからが本当の勝負だったのだ。他のサーヴァントやマスターらの介入の前に、片腕を潰したセイバーを討ち取る。そうしてこそ、「ランサー陣営は油断ならぬ」という認識を、すべての敵に与えることができたはずなのだ。

 

 しかしその計算は、ライダーの介入によって破綻してしまった。第三のサーヴァントの存在がある状態で、セイバーの討伐を優先することはできない。ライダーがセイバーに加勢しないという保証はないし、たとえ何事もなくセイバーを討ち取ったとしても、次に待っているのは万全のライダーと消耗したランサーというハンデマッチである。

 

 実際のところ、この場でセイバーを逃したところで、ランサーが不利になる要素はない。むしろセイバーの方こそ、己の左腕を取り戻すチャンスを逃したと考えるかもしれない。

 が、戦闘という一面のみで判断するならばそれで良いとしても、ケイネスとしては望ましくない結果であった。何といっても、今回の聖杯戦争にケイネスが参加した一番の目的は、自身の魔術師としての数多の栄誉に、「聖杯戦争の勝利者」という戦歴を加えることなのだから。

 

 ただ勝利のみを、聖杯の獲得のみを目指すなら、セイバーに手傷を負わせた時点で良しとすべきだろう。ランサーを撤退させ、傷ついたセイバーが他の陣営に狩られるのを待てばいい。隠れ潜み、潰し合わせ、弱った敵や消耗した敵を安全に攻撃するのが、あるいは戦術というものかもしれない。

 

 だが、そんな手段で聖杯を手にした瞬間、ケイネスはむしろ敗北者へと身を落とすこととなるだろう。「ネズミのように逃げ隠れし、ヘビのごとく狡猾に聖杯を掠め取った男」などと評されることになれば、そもそも何のために極東の島国まで遥々足を運んだのかも分からなくなってしまう。

 

 

 とは言え、と。ケイネスの中の理知的な部分が熱くなりかけた思考を諌める。

 現実問題として、もはやこの場でセイバーを打ち倒すのは不可能である。ならば、「最優」を討ち取ったという功績を得るのは後回しにして、少しでも情報を得ることを優先すべき――ケイネスは自分にそう言い聞かせ、ひとまず心の澱を抑えると、より鮮明に状況を観察すべく、魔力を割いて主戦場を注視する。

 

 すると、ライダーの戦車の中で、見覚えのある少年がライダーに向けて怒鳴っているのが見えた。その顔を視認した瞬間、ケイネスの中で再び、抑えがたい憤怒が沸き上がってくる。

 

「そうか、君か……」

 

 見まごうはずもない。その少年は、ケイネスの工房から英霊イスカンダルの聖遺物を盗み出した下手人、ウェイバー・ベルベットに他ならなかった。三流魔術師ごときが何のためにそのような大それた盗みを働いたのか、ケイネスは疑問であったが、ここにきてその理由を把握する。

 つまりウェイバーは、自らが聖杯戦争に参加する腹積もりだったのだ。どこでその情報を知ったかは分からないが、ケイネスから聖遺物を盗み、マスターとして参戦している以上、他に解釈のしようがない。

 

 知らず知らず、額に青筋が浮かぶ。その苛立ち、怒りは、盗まれたその時以上に強い。

 なぜならば、ケイネスは征服王イスカンダルの代わりとなるあの槍兵を召喚してから今日に至るまで、ある一つの疑念を抱き続けているからである。

 

 それは、ケイネスの許嫁であり、何よりも愛する女性である、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリに関することだった。率直に言えば、ケイネスはソラウが、己のサーヴァントに心を奪われているのでないかと疑っているのである。

 

 疑うべき根拠はいくつもある。ディルムッド・オディナという男の伝説、妖精に与えられたという魔の黒子。さらにケイネスに対するソラウの冷たさや、それと対照的な、ソラウがディルムッドに示す恥じらいの仕草。上げればきりがない。

 

 そのことを思い出すだけで、黒い嫉妬の炎がケイネスの思考を焼く。そしてその原因、すなわちディルムッドという男を召喚するに至った経緯を考えれば、ウェイバーに対してもその怒りが飛び火するのは当然だった。

 

 すなわち、ウェイバーが聖遺物を盗み出しさえしなければ、ケイネスは予定通りイスカンダルを召喚し、従ってソラウがケイネス以外の男に心惹かれることもなかったのだ、と。

 

 惚れた弱み、というやつで、ケイネスは直接的にソラウに怒りを向けられない。その分、ソラウを取り巻く様々な男に対して、ケイネスの怒りは牙をむく。

 その憐れな標的のリストに改めてウェイバーを加えたケイネスは、彼に向けて言葉を発するべく、声を増幅して遠くへ届ける音送りの魔術を行使しようとした。幾分か冷静さを失いながらも、幻覚の効果を展開する術式でもって、居場所を悟られぬように偽装することも忘れなかった。

 

 そうして、今まさに言葉を発そうとした――その瞬間。

 

「……なかなか手練れのサーヴァントを従えている。気に入った」

 

 背後から、地の底から響くような、重くかすれた男の声が、ケイネスに向けて放たれた。

 

「何……!?」

 

 予想だにしない声に、反射的に振り返る。そこには、気配も存在感もまるでない、一人の男が立っていた。月を背に、何かの影のようにそこに在り、ケイネスを眺めていた。

 

 否。男、と断言するのは早計かもしれない。確かに男の声色で、身体つきも男のものだ。しかし、相手を男と結論付ける決定的な部位が、その何者かには欠けていた。

 

 

 すなわち、顔がなかった。と言うより、首の中ほどが、鋭利な刃物に真一文字に切断されたようになっていて、頭そのものが完全に失われているのだ。もはや支えるべき頭蓋を失い、役目を果たせなくなった首の一部分だけが、未練がましく胴体にへばり付いているだけに過ぎない。

 

 

 その無惨な首なしの有様を見て、ケイネスは考える。人間ではない。かといって魔術師とも思えない。サーヴァントと言うには、魔力の濃度が薄すぎる。

 

 つまり、幽鬼、妖魔、怨霊、魍魎の類だ。

 

 損壊した首を見つめるケイネスの視線に気付いたか、目の前の妖魔は己の首の残骸に手刀を当て、トントンと叩きながら語り出した。流暢に喋りはするが、もちろん口はない。首の切り口から声が流れているようだった。

 

「これはな、あの忌々しい――――・――――によって付けられた傷だ。俺が二度と復活せんよう、封印剣でもって首を落としたのだ。それ以来、俺の首は帰って来ない。どこにあるのかも分からない。…………遠い、遠い昔の話だ。もう――――年も昔のな」

 

 底冷えするような、恨みと憎しみに塗れた声音だった。しかも、所どころ、まるで脳が理解を拒むかのように、あるいは世界そのものがその言葉を検閲し、禁じているかのように、ノイズが混じって聞こえなくなる。

 ケイネスが呆然として何も言えないでいると、突然、豹変したように笑い声が響き出す。虎か何かが唸るような笑い声で、文字通り腹を抱えて笑っている。

 

「だが、俺は今ここに立っている。ヤツもまさか、俺が自力で蘇るのではなく、人間によって呼び出されるとは想像していなかったに違いない。昔ヤツに言ったことがあるのだ。『俺は人間の悪意によって、何度でも蘇るぞ』とな」

 

 哄笑はいよいよ高らかに響き渡り、その薄気味悪さが頂点に達した瞬間、眼前の怨霊はまたもや豹変した。いきなり笑うのを止めると、奇妙なほど優雅な所作で、ためらいなくケイネスに向かって歩み寄って来たのである。

 

 もちろん、そのようなおぞましいナニカの接近など、ケイネスとて御免こうむる。反射的に魔術を放とうとした時、ケイネスは己の身体の異常に気が付いた。

 

 身体が動かないのだ。魔力すら回路を巡らない。まるで凍りついたかのように、すべての機能が停止してしまっている。にも関わらず意識は鮮明で、淡々と近づいてくる首のない怪物の姿を、視覚によってはっきり捉えている。

 

 そしてケイネスが、首から滴る血の臭いや血管の蠢きまではっきりと認識できるほどの距離まで近づくと、その怨霊は静かに話し出した。

 

「ともあれ、首がなくては困るのだ。これでは絶えず死に続けているようなものではないか。それに、傷口から魔力が漏れ出してしまって、溜め込むこともできない。このままではまずいのだ。分かるだろう?」

 

 いっそ優しげでさえある声音に、ケイネスはかえって恐怖を覚えた。この怪物が何を望んでいるのか、察してしまったが故に。

 止めろ、と言いたかった。近づくな、と叫びたかった。しかし、もはや口は動かない。

 

「安心しろ。殺しはしない。それではあの槍兵は消滅してしまう。お前のサーヴァントも、お前の令呪も、お前の肉体も、すべて利用する価値がある」

 

 一度、そこで言葉を切り、ケイネスの頬に触れる。その時ケイネスは、顔を持たぬはずのこの怪物が、凄惨なまでの笑みを浮かべていることを理解してしまった。

 

「首だけと言わず、全て頂いていくぞ」

 

 言い終えると、首なしの魔物はケイネスを抱きしめた。それは抱擁と言うより、ヘビが獲物に巻き付く時のそれだった。そのまま、ゆっくりと、ケイネスの身体に沈み込むように浸食していく。

 痛みはなかった。その代わり、身体に、魂に、明らかに有害なナニカが自身に溶け込んでいく、気の狂いそうな恐怖があった。ケイネスは声なき叫びを上げ続けた。しかし、令呪に念じても、ソラウに心で助けを求めても、応えてくれるものは何一つなかった。

 

 澱んだ底なしの沼に引きずりこまれるその瞬間まで、意識だけは保ったまま、ケイネスは無明の闇へと堕ちていった。

 



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