ダンジョンに白い死神がいるのは間違っているだろうか (あるほーす)
しおりを挟む

開く譚と

 東京喰種という漫画をご存知だろうか。喰種という、人を喰らうことでしか生きられない生物になってしまった人間、金木研が活躍する超大人気漫画。週間ヤングジャンプに連載していて、単行本は無印が14巻、続編のreが8巻まで大好評発売中だ。

 この漫画には魅力的なキャラが多数登場するのだが、その中でも個人的にぶっちぎりで好きなのは有馬貴将さんだ。

 曰く、人類最強。曰く、白い死神。兎も角強い。めちゃんこ強い。だけど、部下が煎餅食べてむせてる場面を川柳にしたり、二刀流で飛ぶハエ相手に容赦なしだったり、傘で喰種を駆逐したりと、かなり天然な性格だ。そのギャップがまた魅力的なんだけどね。

 自分で言うのもアレだが、有馬信者に全身どっぷりと浸かっている。とにかく好きだ。有馬さんが大好きなのだ。面接のとき、尊敬する人物と聞かれて有馬さんと答えたのは良い思い出だ。所詮アニメのキャラクターとバカにした人事課のおっさんをぶん殴ってやった。

 そんなんだからか、歩道橋の階段から足を踏み外して、真っ逆さまに落ちたら—— 有馬さんに転生した。

 といっても、舞台は東京喰種の世界ではない。なんか中世っぽい、剣と魔法のファンタジーな世界だ。しかも神までいるし。有馬さんによく似た人物に転生した、というのが妥当な表現か。

 前世の俺は死んだのかとか、東京喰種:reの続きが見れないとか死んでも死にきれないとか、色々と言いたいことがあるけれど。

 とりあえず、有馬さんになりきってこの世界を生きてみようかと思う。有馬ロールプレイングだ。やるからにはとことんだ。完全になりきってやる。となると、最後はやっぱり—— スタイリッシュ自害だよね!

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 戦いの火蓋が切られたというには、あまりに静かだった。

 一人の男がミノタウロスの群れへと悠然と歩いて行く。その顔には恐怖や昂りなどの感情は一切ない。それこそ、ただ普通に歩くだけという感じだ。

 観衆たちはその男の一挙一動を目に焼き付けながら、ごくりと固唾を呑んだ。

 ダンジョン内に響く咆哮。その男を排除しようとミノタウロスたちが殺到する。

 あと一歩で拳が届く。その距離に足を踏み入れたミノタウロスたちは、例外なく地面に崩れ落ちた。額、目、心臓、喉。それぞれに急所と呼べる場所から血が噴き出る。そのまま黒い霧となり、魔石を残してこの世から消え去った。

 男の手に持っている槍のような武器には、赤い血が静かに滴っている。そこから導き出せるのはつまり、あの一瞬で何匹ものミノタウロスたちの急所を、寸分違わぬ精度で貫いたということだ。

 尚も男は歩みを止めない。

 殺さなければ。一刻も早く、この男を殺さなければ。ミノタウロスたちはまるで篝火に集う虫のように襲いかかっていく。最後に待つのは業火に焼かれる運命と知ってか、知らずか。飛び散る血と共に、その肉体も黒く霧散していく。その光景はまるで、男が行く道をミノタウロスが譲っているようだった。

 3分の2ほどが討伐されたのを境に、ピタリとミノタウロスたちの動きが止まる。次の瞬間、後ろへ振り返り、全力で走り出した。

 逃走。モンスターの本能には、冒険者に襲いかかるというルールが刻み込まれている。それを思いっきり無視した、本来ならありえない行為。観衆たちは驚きの声を上げる。しかし、男は狼狽えることなく、感情の色を窺わせない目で、ミノタウロスたちが逃げた先をじっと見つめた。

 直後、地面を蹴る音。

 男は手近にいたミノタウロスの背中へと一気に肉薄し、後頭部を串刺しにする。それが終われば、また次の個体へ。また次へ。また次へ。最短のルートを瞬時に弾き出し、何度もそれを繰り返す。その姿はまるで、巣に掛かった哀れな虫を捕食して周る蜘蛛のようだ。

 大方の個体は男の視界から逃れることすら許されずに、その場で消え去った。

 そう、大方は。運良く死神から逃れることができた、幸運な1匹がいた。寿命を僅か数分だけ伸ばすことができた、幸運な1匹。

 再び、男は駆け出した。死神の手からは逃げられないと、そう言わんばかりに。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

「うわああぁぁぁぁ!!??」

 

 ベル・クラネルはダンジョンの中を必死に駆けていた。

 背後から迫る魔物の名はミノタウロス。本来なら15層に現れる魔物であり、新米冒険者がどうこうするなど不可能な強さだ。

 何故、そんな魔物がここにいるのか。至極当然の疑問をすぐに掻き消す。そんなことを考えても仕方がない。逃げるのに集中しなければ、死ぬ。

 道が二手に分かれている。一つは右へ、もう一つは左へと続いている。ベルは直感に任せ、右に曲がった。

 しばらく走り続けると、そこにあったのは—— 壁。運の悪いことに行き止まりだった。

 

「そ、そんな!? 嘘だろ!!?」

 

 がむしゃらに壁を叩くも、当然壊せるはずもなく。逃げ場はないという残酷な事実をこれでもかと叩きつけられる。

 一歩、また一歩とミノタウロスが近づいてくる。それと比例して、心臓の鼓動も大きくなる。ベルは思わず地面にへたり込んだ。

 幾ばくもない距離まで詰められ、ミノタウロスは丸太のような腕を降り上げる。

 

「っ!!」

 

 もうダメだ。次の瞬間に訪れるであろう痛みの恐怖に耐えかね、ベルはぐっと目を瞑ってしまった。

 つぷり。まるで何かが突き刺さった音。

 恐る恐る目を開ける。

 ミノタウロスの左目から切っ尖が飛び出していた。一度だけ大きく痙攣した後、ミノタウロスは力なく地面に倒れた。

 倒れたミノタウルスの向こう側には、まるで踏み潰した虫を見るような目でミノタウロスを見下ろす1人の男がいた。ダンジョンだというのに、その男は防具らしき防具を装備せず、この場では一際異彩を放つ白いロングコートを着ている。

 ベルと同じ雪のように白い髪をなびかせながら、その男はミノタウロスの頭部に突き刺さった槍のような武器を引き抜いた。

 ミノタウロスは黒い霧となり、消えていく。

 

(この人、間違いない……)

 

 黒で塗り潰された瞳と、血のような赤い瞳が交差する。

 

「白い死神、キショウ・アリマ……!」

(カネキ君枠見っけ)

 

 この出会いが、後に2人の運命を大きく歪ませることになる。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 逃げ出したミノタウロスを狩りに、上層の階に来てみたらビックリした。いやもう、それはそれはビックリした。ミノタウロスに襲われていたこの少年の容貌にだ。

 白い髪に、赤い瞳——これが左目だけなら完璧だったんだが——なんてもう、白カネキ様とそっくりじゃないか!

 うん、もうピッタリだ。君に決めた! 君にはカネキ君になってもらいましょう!

 となると、先ずはあれだな。少なくとも俺をブチ殺せるくらいには強くなってもらわないと。この少年とサシで戦って、敗北まで追い詰められる。そんで、最後はフクロウで自分の首を掻っ切るか、そのままぶっ殺される—— 完璧だな!!

 

「「……」」

 

 少年はジッと俺を見てる。うん、沈黙が痛い。ここはとりあえず、怪我をしていないか聞いてみるか。ミノタウロスがこの階層に逃げ出したのは俺の落ち度なんだし。

 ああ、俺も未熟だなぁ。本物の有馬さんならキッチリ駆逐できたに違いないのに。

 

「怪我はないか?」

「え、あ…… はいっ」

「そうか」

 

 それは良かった。そんな気持ちを込め、一言だけ短く呟く。伝わるかは知らん。

 IXA——といっても、それに限りなく近づけてもらっただけの紛い物だが——を振り払い、刀身にこびり付いていた血を払う。

 紛い物とはいえ、完成度はかなり高い。防壁展開も、遠隔操作も再現できてるし。自分で使っておいてなんだけど、どういう仕組みなんだろう。

 そうだ。ついでに名前も聞いてみよう。教えてくれると良いな。

 

「名前は?」

「えっ?」

「君の名前」

「……べ、ベル・クラネル。ベル・クラネルです」

「ベル・クラネルか。覚えておこう」

「……えっ、えええぇぇ!?」

 

 ベル君は目をパチクリさせたと思うと、次の瞬間は大きく見開いた。

 まあ、それもそうか。

 Lv7に昇格した俺は、オッタルというオラリオ最強の男と肩を並べているらしい。そんな人から名前を聞かれて、しかも覚えておこうなんて言われたら、そりゃ驚くわな。

 それにしても、気に入らねえなぁ。有馬さんはカネキ君を除いて、ぶっちぎりで人類最強であるべきお人だ。それなのに、肩を並べる人がいるってどうよ? ダメだろそれじゃあ。そんな状況を許すなんざ、有馬信者の片隅にも置けない。

 かといって、オッタルに喧嘩を売りに行くのは違うんだよな。有馬さん、なんの意味もなく戦うようなバトルジャンキーじゃないし。降りかかる火の粉を払うか、誰かに命令されたときくらいしか戦わなさそうなイメージだ。そのイメージに準拠して、自分から喧嘩を売ることはほとんどしていない。

 仮にオッタルを倒したとしても、まず確実にファミリア間の問題になる。現時点では、ロキファミリアに迷惑をかけるつもりはない。

 

「アリマ、やっと追い付いた……」

 

 脇道に逸れた俺の思考を引き戻すかのように、ロキファミリアの一員のアイズがやって来た。剣姫だか戦姫とかいう二つ名を与えられた冒険者の少女で、かなりの美貌の持ち主でもある。冒険者としての実力も高く、期待のホープでもある。グールで言う宇井きゅん的な。まあ、俺からすれば、事あるごとに特訓をせがんでくる困ったちゃんだけどね。

 ちなみに、俺の二つ名は白い死神である。白いコートを着ながら、目につくモンスターをプチプチ殲滅したからだろう。思わぬ原作再現に、密かにテンションアゲアゲになったのは良い思い出である。

 それにしても、アイズがどうしてここに…… ああいや、ミノタウロス捜しを手伝うとか言ってたような。遅いから先に行っちゃったけど。

 

「その子は……?」

 

 アイズはへたり込んでいるベル君に目を向け、そう言った。

 

「ミノタウロスに襲われていた子だ」

「そう……」

 

 アイズはベル君に近づき、そって手を差し伸べた。おお、珍しい事もあるものだ。結構人見知りな娘なのに。

 

「立てる?」

「は、はいっ!」

 

 ベル君はアイズの手を掴み起き上がる。

 よくよく見てみると、ベル君の顔が真っ赤になっていた。どう見てもほの字である。これ、もしかしてアイズたんがリゼさん枠?

 ということは、もしかしたらアイズたんがベル君を強くする鍵かもしれない。臓器でも移植すれば、もしかしたら…… なんて思ってみたり。

 

「えっと、キショウさんにアイズさんですよね? 危ない所を助けていただき、本当にありがとうございます!」

「お礼ならアリマに言ってあげて。私は結局、間に合わなかったみたいだから」

「い、いえ! こうして駆けつけてくれただけでも、嬉しいというか……」

 

 青春してるなぁ、ベル君。だけど、カネキ君に似てるって時点で色々と不安になる。

 さて、ここでカネキ君の恋の行方について思い返してみよう。どうにかして、気になるあの子とデートをするまで漕ぎ着ける。初デートの別れ際、気になるあの子がなんか思わせぶりなことを言うから、もしかしたら告白されるかと思いきや、食べられ(物理)そうになる……。こんなん、一生もんのトラウマやん。

 カネキ君みたいな最悪な恋の結末にならないことを祈ろう。アイズたんは絶対にそんな事しないだろうけどさ。

 ああ、そうだ。最後に一言だけ言っておかないと。

 

「ベル」

「は、はい! 何ですかキショウさん!?」

 

 ベル君は大袈裟なくらい姿勢を正した。そんな大したことじゃないから、そう身構えなくてもいいのに。

 

「俺のことを呼ぶときは、アリマでいい」

「え? は、はぁ……」

 

 それだけ伝えれば、後はいい。多くを語らないのが有馬さんだ。

 

「アリマは名前で呼ばれるのが嫌なの。私たちにも呼ばせないくらいだから。言う通りにしてあげて」

「そうなんですか……」

 

 何も言わない俺の代わりに、アイズが補足する。説明ご苦労様です。

 嫌いっつーか、キショウって呼ばれるのに違和感があるだけなんだよね。やっぱり、作中でも一番多く呼ばれているのが有馬さんだし。この世界でもアリマって呼ばれるのが一番しっくりくる。

 まあ、その辺は俺個人のどうでもいいこだわりだ。

 その後は特に何も起きず、普通にベル君とお別れした。ベル君は何度もお礼を言って、姿が見えなくなるまでずっと礼をしていた。

 むしろ、お礼を言いたいのは俺の方だ。

 なにも俺は、カネキ君と似てるというだけでベル君を選んだ訳ではない。ベル君はきっと強くなる。いつか、俺を殺すことができるくらいまで。根拠はないけれど、そう感じた。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 アイズのアリマに対する印象は、よく分からないといったものだ。

 例えば、アマゾネスのティオネは冷静そうに見えて、実は結構凶暴である。狼人のベートは、口は悪いが根はそう悪くない。共に生活する中で、だんだんと知っていった一面だ。

 しかし、アリマについては。同じファミリアで、もう何年も共に暮らしてきたというのに、どんな人物なのか未だにサッパリ分からない。それはアイズだけでなく、他の団員たちもそうだった。

 それどころか、泣いたところも、怒ったところも、笑ったところも…… 感情の色が見え隠れしたことは、ほとんどない。

 どこで生まれたのか。どうして冒険者になったのか。どんな経緯でロキファミリアに入ろうと思い立ったのか。最古参のメンバーでも首をかしげる。

 ただ一つ分かるのは、強いということ。今や、オラリオ最強と呼ばれていたオッタルと肩を並べるほどだ。しかし、アリマはそれを誇るでもなく、喜ぶでもなく、ただ淡々に事実として受け止めるだけだった。Lv7になったと告げられ、そうかと呟いただけで流したのはロキファミリアでは有名な話だ。

 ……強いという他に、天然というのも加えるべきだろうか。

 しかし、嫌われているとか、恐れられているとか、そんなことは一切ない。寧ろ、アリマの周りには自然と人が集まる。単純にその強さに憧れた者。戦いの教えを乞う者。越えるべき壁として戦いを挑む者。集まる理由は様々だ。アイズも、アリマに戦いの教えを乞うた1人である。

 しかし、今思い返してみても、アリマの教えはかなりぶっ飛んだものだった。右手と左手を別々に動かしたら良いとか、相手の雰囲気で大まかに次の動きを予想するとか、理論立てて戦い方を教えてもらったことはただの一つもない。そのくせ、体捌きについてはコンマ1秒レベルで指摘してくる。

 ただ、強くなっているという実感はあった。

 本当に不思議な人。ふと、アイズはアリマの顔へと視線を移した。

 

「!!??」

 

 笑っている。あのアリマが笑っている。口元が僅かに上がっているだけだが、間違いなく笑っている!

 

「どうした?」

 

 アリマがアイズの視線に気づいたときには、その表情はいつもの無表情に戻っていた。

 

「アリマの笑顔、初めて見た……」

「笑顔? ……そうか、笑っていたのか」

 

 納得するように独りごちるアリマ。どうやら笑っていた自覚がないらしい。

 それっきり、アリマはまた口を閉ざしてしまった。相変わらず多くを語らない—— というより、語らなすぎる男だ。少しくらい、笑っていた理由を話してくれてもいいのに。

 しかし、どことなく単刀直入に聞き出せない雰囲気がある。アリマの横を歩きながら、アイズは思考を巡らせる。どうしてアリマが笑ったのか、その理由を。

 考えられるとすれば—— あの少年。名前は聞きそびれてしまったが、よく覚えている。アリマのような白い髪の毛。赤く煌めく瞳。ウサギのように可愛らしい少年だった。

 

「あの子の名前、アリマは分かる?」

 

 試しに、少年について探りを入れてみる。

 

「ああ、ベル・クラネルだ」

「ベル・クラネル……」

 

 答えた。間違いない。アリマの無表情を崩したのは、あの少年—— ベル・クラネルだ。

 アリマはベルから何かを感じ、そして笑ったのだ。ファミリアにいる誰だって、アリマをあんな顔にできる人はいなかったのに。

 その日を境に、アイズはベル・クラネルに興味を抱いた。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

「アリマさんについて教えてほしい?」

 

 ダンジョンから帰還したベルは、真っ先にギルドに向かい、懇意にしてもらっているギルド受付嬢エイナ・チュールにアリマの情報を教えてもらうよう頼み込んだ。

 冒険者からの評判も良い彼女なら、誰かからアリマさんの話を聞いているかもしれない。そう目論んでいたのだが——

 

「公の情報しか教えられないわよ。ロキファミリアに所属している冒険者で、オラリオにいる数少ないLv7到達者の1人。擦り傷一つ負わずに、一晩で大型モンスターを何百匹も殲滅したことから付けられた渾名は、白い死神。あと傘でダンジョンに潜ったり、大型モンスターと戦ってる真っ最中に仮眠してたって噂も」

「あの、それ知ってます」

 

 オラリオに少し滞在した人なら、誰でも知っているであろう情報だ。もっとこう、詳しい情報がほしい。

 

「仕方ないじゃない。アリマさんの素性の尽くが謎に包まれているんだから。知れるものならこっちが知りたいわよ」

「なんかこう、他にないんですか? 例えば、初陣ではどうだったとか」

 

 初陣という言葉に反応したのか、エイナは口に手を当て、何やら考え込んでいた。

 少しして、エイナの口が開く。

 

「……これ、聞いた話なんだけどね。アリマさん、初めてダンジョンに潜ったその日に、リザードマンと遭遇したんだって」

「!」

 

 リザードマン。ダンジョンの19層に生息しているモンスターだ。階層だけで考えれば、その力はミノタウロス以上である。

 

「しかも、パーティはアリマさんの同期だった冒険者数人。当然、リザードマンをどうこうできるレベルの人は誰もいない」

「それで、どうなったんですか!?」

「アリマさんは1人でリザードマンの殿を引き受けて、仲間を逃したそうなの」

「たった1人で、仲間を逃す為に……」

 

 仲間を守る為に、自分より遥か格上の敵に立ち向かう。まるで英雄譚の主人公のようだ。

 もし自分だったら、そんなことができるだろうか。ミノタウロスに襲われ、逃げることしか頭になかった自分に。

 

「ロキファミリアの主力が助けに来た時、見た光景がね。傷だらけのリザードマンの首を切り落とすアリマさんだったの」

「勝ったん、ですね……」

「自分の武器だけじゃリザードマンを殺しきれないって分かっていたんでしょうね。リザードマンから逃げた冒険者たちの武器を使い潰して、助けが来るまでずっと1人で戦っていたそうよ。それも、顔色一つ変えずに……」

 

 あまりに浮世離れした偉業。しかし、それを成したのがあのアリマとなると、とたんに現実味を帯びる。

 どんな言葉を紡げばいいか分からず、奇妙な沈黙が2人の間で続く。

 

「僕も、アリマさんみたいになれますかね」

「えっ?」

 

 ポツリと呟いたベルの言葉に、エイナは戸惑った声で聞き返す。

 

「僕、実は5層でミノタウロスに襲われたんですよ」

「ええっ?」

「偶然アリマさんに助けてもらったから、何とか無事で済んだんですけど……」

「ええっ!?」

「その時、アリマさんに名前を聞かれて、覚えておこうって言われたんですよね。こんな、生き残る為の足掻きもできなかった自分なのに」

「えええぇぇぇええ!!??」

 

 怒涛の勢いで流れ込む衝撃的な情報に、エイナはギルド受付嬢あるまじき絶叫を上げた。周りの人たちが驚きの目を向けるが、そんなのを気にしている場合ではない。

 

「ど、どういうことなのベル君!? もうちょっと詳しく、もうちょっと詳しく聞かせて!!」

「いや、アリマさん、何も言ってくれなくて! 本当に名前を聞かれて、覚えておこうと言われたくらいなんです!」

「ベル君、あなた何したの!? まさか彼を怒らせた!?」

「いやいやいや、そんなまさか!」

 

 そんなやり取りを何回か繰り返す。声を出し疲れたのか、2人とも息を切らしながら、カウンターに突っ伏した。

 

「……ベル君。アリマさんの教えを受けた人はみんな大物になるのよ。アイズ・ヴァレンシュタイン氏もその例ね。そんな人から名前を覚えられるってことは、ベル君もきっと強くなれるわ」

「本当ですか!?」

 

 先ほどの疲れはどこへやら、ベルは爛々と輝く目をエイナに向ける。

 混じりっ気のない、どこまでも純粋な強くなりたいという願望。そして、英雄への憧れ。

 この子は将来、どんな大人になるのか。子供を見守る母親のように、エイナはくすりと笑う。

 

「あ、そうだ。アイズ・ヴァレンシュタインさんについても教えてほしいんですけど」

「もう帰れ!」

 




有馬さん!有馬さん!有馬さん!有馬さんぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!
あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!有馬さん有馬さん有馬さんぅううぁわぁああああ!!!
あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくん
んはぁっ!有馬貴将の枯れかけた白色の髪をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!!
間違えた!モフモフしたいお!モフモフ!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!!
8巻の有馬さんかっこよかったよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!
東京喰種JACKが発売されて良かったね有馬さん!あぁあああああ!かっこいい!有馬さん!かっこいい!あっああぁああ!
JACKのOVAも発売されて嬉し…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃああああああああ!!
ぐあああああああああああ!!!コミックなんて現実じゃない!!!!あ…小説もアニメもよく考えたら…
有 馬 さ ん は 現実 じ ゃ な い?にゃあああああああああああああん!!うぁああああああああああ!!
そんなぁああああああ!!いやぁぁぁあああああああああ!!はぁああああああん!!CCGぃぃぃいいいぁああああ!!
この!ちきしょー!やめてやる!!現実なんかやめ…て…え!?見…てる?表紙絵の有馬さんが僕を見てる?
表紙絵の有馬さんが僕を見てるぞ!有馬さんが僕を見てるぞ!ゲームの有馬さんが僕を見てるぞ!!
アニメの有馬さんが僕に話しかけてるぞ!!!よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!
いやっほぉおおおおおおお!!!僕には有馬さんがいる!!やったよカネキ君!!ひとりでできるもん!!!
あ、アニメの有馬さああああああああああああああん!!いやぁあああああああああああああああ!!!!
あっあんああっああんあチャン雛ぁあ!!ヒ、ヒデェ!!エトしゃぁああああああ!!!トーカちゃぁあああ!!
ううっうぅうう!!俺の想いよ東京へ届け!!CCGの有馬さんへ届け!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 

 迷宮都市オラリオでも屈指の人気を誇る酒場、その名も豊饒の女主人。大御所ファミリアから新米の冒険者まで、様々な人々がこの店を訪れる。今日は、遠征から帰還したロキファミリアの面々が打ち上げをしていた。

 遠征が無事成功したからか、まるでお祭りのような賑やかさだ。その中でもより一層賑やかなのは、アリマのいるテーブルだった。

 

「ねーねー、アリマ! IXAの代わりに傘でダンジョンに潜ったって本当なの!?」

 

 巷で流れているアリマについての噂話。尾ひれが付き、どこまで本当か分からないが、これを機会に確かめてみようとティオナが問いかける。

 

「何言ってるのよ。いくらアリマでも、さすがにそれは……」

 

 呆れた様子のティオネ。

 噂とは自然と尾ひれがつくもの。アリマの噂はただでさえ独り歩きしてるのだから、本当な訳がない。

 

「IXAの代わりにというか……。その日、IXAは調整中で、雨も降ってたから丁度良いなと思って」

(((何言ってんだこの人)))

 

 返ってきたのは肯定だった。しかも、よく分からない理由付きで。どうして雨が降っていたという理由が、傘でダンジョンに潜るという結論に結びつくのか。

 

「じゃあ、戦闘中に仮眠を取ってたのも本当なんですか!?」

 

 次いで、レフィーヤがずっと気になっていた噂話の真相を確かめる。

 

「眠かったからつい」

「ええぇぇ〜……」

 

 その飾りっ気のない返答が、逆に真実味を帯びさせた。

 

「あはは、見てるこっちは笑えなかったけどね……」

「まったくだ……」

 

 その話を聞いていたフィンとリヴェリアは苦笑いを浮かべる。

 思い出すのは、ある日のダンジョンに潜ったときの記憶の数々。

 アリマが悪ふざけで傘を持ってきたと思ったら、目や口といった粘膜を徹底的に突くという戦法で、モンスターを殲滅した。鈍器を強引に突き刺すというのだから、傷口が尋常ではないエグさだった。モンスターの阿鼻叫喚の嵐。思わず同情した者は少なくない。ちなみに、傘でもやはりアリマ無双だった。

 別の日。ある大型モンスターと戦っている最中、なんと立ちながら仮眠していた。その日の前日の晩、ずっとダンジョンに篭っていたから眠いという理由だった。ダンジョンから帰還した後、リヴェリアに説教されたのは言うまでもない。

 そんな調子で、アリマはほとんどの噂話を肯定し、実際に居合わせた団員たちが苦笑いを浮かべながら当時の光景を思い出す。宴会の時間はどんどんと過ぎていった。

 

「おいアイズ! あいつの話をしてくれよ! ミノタウロスに襲われて、腰抜かしていたガキの話をよぉ!」

 

 別のテーブルで、泥酔したベートがアイズに絡んでいた。よほど酒が入っているのだろう。店内に響く大声だ。アリマもジッと視線を投げかける。

 

「それならアリマに聞いて下さい」

「あいつに聞くなんざ死んでもごめんだ!」

 

 アイズは鬱陶しそうな目をしている。ここで引くのが正解なのだろうが、判断力を失っているベートは尚も絡み続ける。つれないアイズの反応に業を煮やしたベートが、さらに言葉を続けようとしたが——

 

「ああ、ベルのことか」

 

 アリマはジョッキに口をつけながら、ふと溢すようにそう言った。

 

「「「!??」」」

 

 アイズ以外の面々に衝撃が走る。

 運悪く口に飲み物を含んでいた者は噴き出してしまった。

 

「名前を聞いたのかい、アリマ!?」

「面白そうな子だったから」

「あのアリマが、面白そうって……!?」

「アアアアリマさんが目をかけるなんて、その人どんな化け物なんですか!?」

「いやでも、ミノタウロスを見て腰を抜かしていたって……」

 

 ダンッ、と机を叩くベート。その目には明確な苛立ちの色が見えた。

 

「何だよ、アリマ? そのガキを弱そうに見えた俺の目が節穴だって、そう言いてえのか!?」

「……?」

 

 アリマは不思議そうに首を傾げる。

 

「ベート、ベルを見たことないよね?」

「ぶっ飛ばす!!!!」

 

 アリマの指摘は尤もなのだが、このタイミングでは煽りにしか聞こえなかった。ベートの毛は逆立ち、瞳孔は完全に開いている。

 

「そうだな…… 久しぶりに組手しようか」

 

 音もなく机の上に跳び乗るアリマ。いつの間にやら、律儀に靴は脱いである。

 だから何故机の上に乗る!

 誰もが内心でツッコんだが、それを口にできる者はいなかった。

 ちなみに、アリマはロキファミリアの会議室の机の上で、何十回もアイズや他の団員と組手をしている。

 

「上等だこらぁ!!」

 

 ベートはベートで、机の上で戦うのに疑問を持たず、意気揚々と机の上に登った。

 息をつく暇なく、ベートは勢いよく踏み込み、アリマの顔面めがけて拳を突き出す。しかし、空振り。アリマはどこへ——?

 

「食べ物を粗末にするな」

 

 アリマはベートの背後にいた。

 その手にはサラダが盛り付けられた皿があった。あの一瞬で皿を取り、ついでにベートの背後に回り込むという無駄な神業。確かに凄いことには凄いが……。

 だったら初めから降りてやれ!

 誰もが内心でそうツッコんだが、やはり口にできる者はいなかった。

 

「んなろっ……!?」

 

 ベートは振り返った瞬間、宙を舞った。

 アリマに投げられたと気付いたのは、地面に叩きつけられた衝撃が走ってからだった。

 

「ガハッ!!??」

「上半身と下半身にラグがある」

 

 地面をのたうち回るベート。誰がどう見ても勝負ありだ。

 アリマは手に持つ皿を置き、軽やかに地面に着地する。自分の座っていた椅子に戻ると、ゆっくり腰を下ろす。

 この手の騒ぎは割と日常茶飯事なので、ベート以外の団員はすぐ宴会に戻る。

 ふと、アリマの肩に誰かの手が置かれる。アリマが振り返ると、そこには——

 

「当店での乱闘はご遠慮ねがいます」

 

 リュー・リオンがいた。豊饒の女主人に勤めるウェイトレスの中でも、彼女はトップクラスの腕っ節を誇る。つまり、この店で怒らせたらヤバい人である。

 物静かで、愛想があるとは言い難いが、今日はいつにも増して目が笑っていない。ガチギレである。

 

「貴方ももう30近い、いい歳した大人なんですよ? 机の上で喧嘩するなんて、行儀の悪い子供じゃないんですから。それに、貴方たちが乗ったテーブルは誰が拭くと思っているんですか?」

「すみません」

 

 申し訳ないと思っているのか、いないのか。無表情で頭を下げるアリマ。

 

「次やったら、ベートさん諸共出禁にしますからね」

「はい」

「俺もか!?」

 

 そう言って、リューは他の客の方へと向かった。年下のウェイトレスに説教される冒険者たちの憧れ、アリマ。皆の彼を見る目は、妙に生温かいものだった。

 

「ほんで、キショウ。そのベルっちゅーやつはどないやつなんや?」

 

 好きな子の名前を聞き出そうとする悪ガキのような顔で問い詰めるロキ。しかし、アリマはロキの方を見もせずに、静かに口を閉ざす。

 ロキファミリアではお馴染みの光景だ。

 アリマは名前を呼ばれることを嫌がる。とにかく嫌がる。ロキファミリアの団員たちにも、名前を呼ばせない徹底っぷりだ。

 そんな中、ロキだけがしつこく名前で呼び続けた。面白がってのことではなく、少しでもアリマと打ち解けたいという理由で。

 最初の方こそ苗字で呼んでくれと言っていたアリマだったが、しつこいロキに耐えかねたのか、ついにキショウと呼ばれるに限り無視をし始め、今に至る。

 

「……あーもう! 分かった分かった! どないやつなんや、アリマ!」

「俺と同じ白い髪で…… あ、そこにいる子かな」

「は?」

 

 アリマは一番端のカウンターの席に指差した。導かれるように、店にいる全員の目がその一点に集中する。

 そこにいたのは、不自然なくらいに身を屈めている少年だった。アリマと同じ、雪のように白い髪の少年。

 そう、ベル・クラネルだ。

 

(アリマさん……!!!)

 

 気づかれた。気づかれてしまった。

 ダラダラと、誰が見ても心配になる量の汗をかくベル。

 実は、ロキファミリアよりもずっと先に席に着いていた。アリマとアイズに挨拶するべきか迷っていたら、いつの間にか出るに出られない状況となっていたのだ。

 先ほどまでどんどん膨らんでいたベル・クラネルという虚像。実際は弱いのだ。どうしてアリマが目をかけてくれたのか、自分でも分からないくらいに。エイナの話を聞いた直後は自分にも才能があるのだと浮かれたが、才能という目には見えないもので驕れるはずも、自信がつくはずもない。

 アリマに目をかけられている筈の自分が、自分よりも遥かに強い冒険者たちの前に立つのが恥ずかしい気がした。だから、じっと息を潜め、やり過ごそうと思っていたのに。

 

「見た所、普通の少年だが……」

「あぁん? ただのガキじゃむぐぅ!?」

「はいはい、ややこしくなりそうだから少し黙っていようね」

 

 困惑の声があちこちから上がる。ベル・クラネルの評価が等身大の、ちっぽけなものへと縮んでいく。

 本当にあいつなのか? アリマさん、人違いをしているんじゃないか? あんな弱そうな奴なのに。

 騒めきの中、ベルは確かにそんな声が聞こえた。聞こえてしまった。

 

「っ……お釣りはいりません!!」

 

 財布の中にあった全ヴァリスをカウンターの上に置き、ベルは逃げ出した。今はただ、一刻も早くここを離れたかった。

 

「あらら、帰りおった……」

 

 アリマはやはり何を考えているのか分からない目で、ベルが逃げて行った先をじっと見ていた。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 ベル君が逃げた後の空気が、なんかよく分からないものになっている。まあ、それはどうでもいい。

 問題なのは、逃げ出したベル君のフォローをすべきか否かだ。彼、意外と繊細…… いや、おじさんにデリカシーがなかっただけっすね。彼の心情を例えるなら、「次やってくる転校生、今年のジュノンボーイに似てるらしいよ!」「えー! ほんとー!?」なんて噂が流れているクラスに突撃する普通の転校生だ。

 前世の俺だったら軽く死ねる。今世は有馬さんの姿だから堂々とできるけど。うーむ、申し訳ないことをした。やっぱ追いかけた方がええんかねぇ?

 ……うん、追いかけよう。ちょうど良い機会だ。こういう経験は良いバネになる。ベル君を徹底的に鍛えよう。有馬さん式の超スパルタ虐待スレスレメソッドでな!

 席から立ち上がると、みんなが一斉に俺の方へと視線を走らせた。

 

「どこに行くんや、アリマ?」

「ちょっと外に」

「……あの子の所なんか?」

「ああ」

 

 どこにいんのかなー、ベル君。ドラマや漫画なら、こういう時は公園のブランコに座っているのがお決まりなんだけどなぁ。

 

「待てよアリマ!」

 

 今度はベートが声をかける。なんすか?

 

「納得いかねえ、納得いかねえぞ! どうしてお前が、あんな雑魚を気にかけるんだ!」

 

 どうしてって、そんなの——

 

「強くなるから」

「……!!」

「いつかきっと、俺を——」

 

 おっと、危ない危ない。つい口を滑らせる所だった。

 勿論、言葉の続きは『俺を殺せるくらいに』だ。早く「やっと何か残せた気がする」って言いたいぜ!

 あっ、いけね。顔がにやけてた。無表情・無感動が基本の有馬さんだ。こんな些細なことで笑ってちゃいけない。

 なんか宴の空気が更に変になったけど、知ったこっちゃないです。俺はさっさと豊饒の女主人を後にし、ベル君を捜しに行った。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 ロキファミリアの誰もが思う。アリマと随分長い間寝食を共にしてきたが、笑った彼を見たのは初めてだと。

 しかし——

 

「笑っていた、んだよね……?」

「うん、多分……」

「でも、でも……! あんな、あんな冷たい目で人って笑えるんですか……!?」

 

 笑みと称していいのだろうか。

 まるで、闇夜に紛れて獲物の魂を刈り取ろうとする死神のような、どこまでも冷たく、暗い目。それとは対照的に、まるで母親の腕に抱かれて眠る子供のように、どこまでも穏やかに綻んでいた口元。陰と陽。光と闇。一緒くたに混ざり合い、奏でる不協和音。

 そのときのアリマは、どんなモンスターなんかよりも恐ろしく、不気味だった。誰かが言っていた。人は正体不明のモノに相対したときこそ、最も恐怖を感じると。

 

「アリマ、君は……」

 

 フィンが険しい表情で、そう呟く。

 ロキファミリアの団長を務める彼は、武勇は勿論、頭のキレも並み居る冒険者とは大きく隔絶している。人心掌握のスキルも高く、ファミリア間での交渉役に駆り出されるのは決まってフィンだ。言葉の節々や、何気ない行動から、相手の本心を見抜いてきた。

 しかし、アリマの事となれば別だ。彼が何を考えているのか、どんな感情を抱いているのか、何も分からなかった。

 そう、あの笑顔を見るまでは。ほんの一端だけだが、キショウ・アリマの心に触れることができた。できてしまった。

 奥底にあるのは—— 利己心。悪意なんて少しも混じっていない、ただただ純粋な利己心。フィンには、それが何よりも恐ろしく感じた。立場上、何度も負の感情に触れる機会はあるが、こんなのは初めてだ。

 このままでは、取り返しのつかない何かが起きてしまうのではないか——?

 

「フィン」

 

 ロキの声がフィンの思考を遮る。

 普段のおちゃらけた彼女からは想像もつかない哀しい顔をしていた。

 

「信じてやってぇな、キショウを。そりゃあ、ちょっと不思議なとこはあっけど、悪い奴やないってのはあんたも知っとるやろ?」

 

 アリマがいたからこそ、命を拾えた団員は山ほどいる。その事実は、ロキファミリアの団長であるフィンが誰よりも分かっている。

 

「彼は何度もファミリアの団員を救ってくれた。団長である僕が、その事実を誰よりも知っている。信じたい気持ちは当然あるよ」

 

 だけど、どうしてもアリマへの不安が拭い切れない。

 いつかきっと、俺を——。

 その言葉の先に何があるのか。アリマの漆黒の目には、ベル・クラネルの姿がどのように映っているのか。それは主神のロキですら分からないし、予想できない。

 こんな空気で宴会の続きなどできるはずもなく、このままお開きとなった。アリマが心中でごめんねと謝ったのは別の話である。

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 ギルドの更衣室。ようやく本日の激務から解放され、眼鏡を外し、私服姿へと戻ったエイナがいた。

 今日も精一杯働いた。自分へのご褒美に晩酌でもしようかな。そう思っていたが……。

 

「エイナ…… 名指しのお客様が受付にいるの。ちょっと出てくれない?」

 

 同僚のミィシャがサービス残業事案を引っ提げて来た。

 

「ええー、今日の仕事はもう終わりよ。明日にでも来いって言っておいて」

 

 事前に言われるならまだしも、仕事が終わった後というタイミング。流石のエイナも難色を示す。

 

「無理! それだけは絶対無理!! というか、絶対に行った方が良いよ! 人生でまたとない機会だから!」

 

 いつになく強い語調のミィシャ。仕事を手伝ってと泣きつかれたとき以上の気迫だ。

 

「どうしたのそんな興奮して。一体誰が来たの?」

「わ、私の口からじゃとても……! とにかく、行けばすぐ分かるわ!!」

「はぁ、仕方ないわねぇ。すぐ行くわ」

「なるべく早くね! それじゃあ、他のお客さんを待たせているからこれで!!」

 

 更衣室から去ったミィシャ。

 やれやれと溜息を吐き、受付嬢の制服に着替え直す。こんな時間に名指しするなんて、非常識な奴に違いない。どんな冒険者が相手だろうと、小言の一つや二つは言わないと気が済まない。

 

「こんばんは」

「アリマさああああああん!!!??」

 

 が、そこにいたのは白い死神。彼の姿を脳が認識した瞬間、思考が一気にショート寸前まで陥る。小言の一つや二つなんて、言える訳がない。

 

「わ、私ったら大声を…… 失礼しました」

 

 こほんと咳払いをし、どうにか思考を落ち着かせる。

 それにしても、キショウ・アリマが自分に用事があるなんて。そんなこと露ほども想定していなかった。

 

「君が一番ベルと仲が良いと聞いた。心当たりがあるなら、今ベルがいそうな場所を教えてほしい」

「べ、ベル君ですか!?」

 

 思わず声を荒げ、目を見開く。ベルの言葉を信用していなかった訳ではないが、その衝撃はやはり大きい。

 

「あっ、ちょっと待ってください!」

 

 そういえば、他の職員からベルが思い詰めた表情でギルドに来ていたと聞いた。もしかしたら、まだダンジョンに潜っているかもしれない。ダンジョン出入管理名簿を捲り、ベルの名前を探す。

 しばらく手を進めると、エイナの予想通り、名簿一覧にベルの名前が紛れていた。

 

「やっぱり。ベル君は今、ダンジョンに潜ってますね」

 

 その言葉を聞いたアリマは、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「ダンジョンに行く。手続きを」

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 第6階層。人型の黒い影の魔物、ウォーシャドウたちに囲まれながらも、ベルはたった一人で奮戦していた。

 無数の黒い腕が迫る。ときに直撃しながらも、どうにかそれを躱し続ける。

 突き刺し、斬り払い。その小さなナイフは的確にモンスターの急所を捉える。

 刃に乗せる感情は怒り。他の誰かにではなく、どうしようもない自分自身への。

 

 

 ——勘違いしていた。

 

 

 ——アリマさんに認められた。たったそれだけで、強くなった気でいた。弱い自分と決別できた気でいた。

 

 

 ——本当に僕は強いのか? なんて滑稽な自問。強い訳ないだろう。アリマさんに認められても、何もしなければ弱いままだ。

 

 

 

 ——戦え。戦え。戦え。戦え。

 

 

 

 ——戦わなければ、強くなれない!

 

 

 

「うおおおぉぉぉおおお!!!!」

 

 

 

 どれだけの時が過ぎただろうか。

 辺りには沢山の魔石が転がっている。

 ベルは血まみれになりながら、壁伝いに出口へと歩いて行く。魔物の血なのか、自分の血なのか分からない。きっと、自分の血も多量に混ざっているだろう。

 視界がクラクラする。立っているのも限界だった。地面に自分の体を預ける。

 瞼が重い。このまま目を閉じてしまえば、どれだけ楽だろうか。しかし、ダンジョンで寝るなんて自殺行為と同義だ。アリマ? あれは例外である。

 だけど、ほんの少し。ほんの少しだけ。

 自分の方へとやって来る足音に気づかず、ベルは深い眠りについた。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 結局、エイナは帰ることができずに、そのままギルドに残っていた。アリマは兎も角、ベルのことが心配でならない。Lv7の冒険者が後を追ってくるなんて、只事ではないに決まっている。

 そろそろ帰ってきても良い頃合いのはずなのだが、一向にその気配はない。既に普段着に着替え、受付の角にあるソファーに座りながら待ち続ける。

 ……。

 …………。

 

「はっ!?」

 

 気づけば、ソファーで横になっていた。時計の針も大分進んでいる。いつの間にか寝てしまったらしい。

 

「ベル君とアリマさんなら、まだ帰っていませんよ」

 

 夜勤のギルド職員がそう言う。

 

「いつになれば帰ってくるのよ……」

「エイナさん、明日も仕事ですよね? そろそろ帰った方が良いのでは?」

「ここまで来れば待ち続けるわ。どうせ、今帰っても寝られないし」

 

 そのまま、エイナはアリマとベルを待ち続ける。太陽が少しだけ顔を出し、空が白んできた。とうとう日を跨いだ。しかし、帰ってくる気配はなし。まさか、本当に何かあったのか? 嫌な予感ばかりが胸を過る。

 

「っ!」

 

 誰かが太陽を背に歩いてくる。逆光で誰かは分からない。

 背丈から察するに、大人。少なくとも少年ではない。

 

「あれは…… アリマさん!」

 

 その人物の正体はアリマだった。

 白髪の少年—— ベルを肩に担いでいる。明らかにグッタリとしている。意識がないのか、それともまさか……。

 

「ベル君、大丈夫!?」

 

 思わずギルドを飛び出し、駆け寄るエイナ。

 手に触れることができる距離まで近づくと、寝息が聞こえてきた。よくよく見れば、呼吸に合わせてベルの身体が上下している。寝ているだけだと分かり、ふぅと安堵の息を漏らす。

 

「良かった、無事そうね……」

「ずっと待っていたのか?」

「は、はい。心配だったので、帰るに帰れなくて」

「そうか。優しいな、君は」

「や、優しいだなんてそんな……」

 

 アリマの思わぬ発言に顔を赤くする。

 これが他の冒険者なら、ありがとうと言って微笑み返せるのだが、アリマが相手だとそうもいかない。オラリオ最強の一角にそんなことを言われると、半端なく照れる。

 エイナのそんな様子に気づいているのか、いないのか。アリマは周りを見回していた。

 

「すまない、ベルのホームを知りたいんだが」

「あっ、ベル君のホームですか? 確か、あっちの方にある廃墟みたいな教会って言ってましたけど……」

「そうか、ありがとう」

 

 アリマは背を向け、エイナが指差した方向へと歩き出した。

 だんだんと遠くなっていく背中を見て、ふとエイナは思う。髪の色が同じというのもあるが、アリマがベルに接する態度がまるで——

 

「親子みたいね……」

 

 ——父親のように感じたから。




今更ですがちゃんと有馬さんできてるか不安なこの頃です。
明日も更新いたしまする。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エンドE

 目を開けると、天井があった。崩れ落ちるのではないかという不安を与えるズタボロ具合。見覚えのある亀裂やシミ。間違いない、本拠(ホーム)の天井だ。

 ダンジョンにいた筈なのに、いつの間にホームに帰ったのだろうか。何があったのか思い出そうとするも、ウォーシャドウを狩り、倒れた記憶しかない。

 ふと、ベッドに寝かされていると気づく。ベッドの位置を知っているとなると、やはり神様—— ヘスティアが寝かせてくれたのだろうか?

 このままベッドで横になっていても埒があかない。ベッドから立ち上がり、部屋の階段を上がる。

 

「——なんて、僕はそんなの認めない」

 

 声が聞こえた。この声は、神様の——

 

「ベル君をここまで届けてくれたことには感謝するよ。でも、白い死神が新米の冒険者にここまで肩入れするなんて、何を企んでいるんだい?」

「ベルがどこまで強くなるか見てみたい。それだけだ」

 

 ベルが見たのは、アリマに啖呵を切るヘスティアの姿だった。

 会話の内容までは聞こえないが、ピリピリとした雰囲気がここまで伝わる。

 思わずベルは足を止めた。こんな神様、今まで見たことがない。

 

「だけってのはないだろう? 聞きたいのはその先だよ。神に嘘は通用しないと知った上で、君はそう答えているだけだ。ベル君を強くして、どうしたいのさ」

「答える義理はないな。それに」

 

 アリマの目がこちらに向けられて——

 

「決めるのは彼だ」

「ベル君!」

 

 ヘスティアはベルに駆け寄り、勢いそのままに抱き着く。男にはない柔らかな感触に思わず顔を赤くする。

 

「か、神様!?」

「心配したんだよ! 夜が明けても帰ってこないし、果てには傷だらけで白い死神に担がれてくるし!」

 

 アリマと対峙していたときとは一転して、その声は弱々しく震えていた。どれだけ心配をかけさせたのだろうか。どれだけ不安にさせてしまったのだろうか。

 

「……そう、ですよね。すみません」

 

 そんな二人を、アリマはただジッと見つめていた。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 人前で熱く抱き合いやがって。見せつけてくれるじゃねーか、この野郎。しかも相手がロリ巨乳の神様だなんて、業が深いじゃねーか、この野郎。

 まさかトーカちゃん枠まで自前で用意しているとは……。いや、チャンひな枠? ヒデ枠? 足して3で割った感じ? ヒロイン力最強じゃねーか!

 まあ、俺だってその気になれば彼女くらい作れるし? 実際、有馬さんの顔と強さで女が寄り付かない訳ねーし! だから全然羨ましくなんかねーし!

 でも、ベル君がここまでモテるのも少しわかる気がする。

 ベル君、普通に根性あるからな。ダンジョンにいるって分かったときは普通に感心したし。これぞ主人公力。カネキ君枠にこそ相応しい!

 

「さっきも聞いたかもしれないが、俺は君がどこまで強くなるか見てみたい」

 

 いつまでも抱き合っててムカつ—— 話が進まないから、あえて空気を読まずに話しかける。

 

「戦い方を教えよう」

 

 右手を差し伸べる。ベル君はヘスティアから離れると、手の前に来て足を止めた。

 さあ、取ってくれるか?

 

「あの、1つ聞いていいですか?」

「ああ」

「僕は最後の最後までヘスティアファミリアでい続けたいんです。もしもロキファミリアに改宗する必要があるなら、残念ですけど……」

 

 何だ、そんなことか。焦ったわ。

 全然良いよ、ロキファミリアに入んなくても。寧ろ入れる気なんて更々ないわ。みんなに色々と詮索されて面倒そうだし。

 

「大丈夫、改宗する必要なんてないよ。よろしく、ベル」

「こちらこそよろしくお願いします、アリマさん!」

 

 俺の右手をベルは両手で握る。

 ヘスティアと呼ばれた神が嬉しいような、心配したような顔をしていた。

 うーん、それにしてもこの格差社会……。ロキ、強く生きろ。

 

「ベル君……」

 

 ベル君は俺の手を放すと、ヘスティアに向き直った。

 

「すみません、神様。アリマさんから戦い方を教わるなんて、人生でまたとないチャンスだと思うんです。きっと、大切な人を守れるくらいまで強くなれる」

 

 凄いな、強くなりたい理由までカネキ君かよ。邪魔な芽は摘まなきゃってなるんかね。これはますます期待できるぞ!

 

「分かったよ、君の気持ちを尊重しよう。だけど約束してくれ、ベル君。もう無理はしないって。君がいなくなったら、僕はとっても悲しいよ……」

「大丈夫ですよ。ちゃんと帰ってきますから」

 

 ヘスティアは息子を守る母親のような目を俺に向ける。母親、かぁ。そういや、有馬さんの両親って誰だったんだろ?

 

「アリマ。ベル君を死なせたら、僕は絶対に君を許さない。そのことをよく覚えておくんだね」

「ああ」

 

 死にかけるのはギリセーフですね分かります。さーて、親御さん(仮)の許可も採ったし、ビシバシ鍛えるぞー!

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 ダンジョンの第七層。そこでベルは、ただただ呆然とアリマの戦う姿を見ていた。

 まるで別の意思を持つ生き物のように動く右腕と左腕。右手の短刀、左手のナイフが群がるモンスターを切り刻んでいく。

 あっという間に、残るモンスターはゴブリンとキラーアントだけになった。

 アリマは短刀でゴブリンの首を斬り落とすと同時に、少し距離の離れた場所にいるキラーアント目掛けてナイフを投擲する。

 目視不可の速度で投げられたナイフは、的確に甲殻の隙間へと吸い込まれる。体液が飛び散り、ピクピクと痙攣する。まだ辛うじて生きてはいるが、死ぬのも時間の問題だろう。

 

「ベル、腕は2本あるんだ。こんな風に、右手と左手を別々に動かせばいいんだよ」

 

 大真面目な表情でアリマは短刀を渡した。

 

「いや、無理です。すみません、ほんとできないです」

「そんなに難しいかなぁ……」

「難しいですって!」

「それじゃあ、短刀だけでいいや。もうすぐモンスターの群れが来ると思うから、やるだけやってみてくれ」

「っ、はい!」

 

 キラーアントは危険を感じると、フェロモンを散布して仲間を集める特性を持つ。その特性を理由して、アリマはキラーアントを仕留めなかったのだろう。

 

「来たぞ」

 

 カサカサと何かが蠢く音がする。

 壁から。天井から。キラーアントが湧き出るように現れる。

 今のベルならどうにか捌ける量。流石はアリマ、厳しい特訓だ。大きく息を吐き、短刀を構える。

 

「それじゃあ、俺も攻撃するから」

「へっ?」

 

 キラーアントが襲いかかる。

 咄嗟に身を翻し、どうにかキラーアントの大顎から逃れる。それよりも、さっきのアリマの発言だ。あれはどういう意味なのか——

 

「があぁぁ!!??」

 

 直後、背中に走る痛み。

 モンスターの攻撃とは違う。牙や爪に引き裂かれる痛みではなく、鋭利な刃物で切り開かれたような痛み。

 思わず膝をつく。振り返ると、そこにはアリマがいた。いつの間に抜き取ったのか、右手に握られているナイフには赤い血が滴っている。

 間違いない。アリマが斬りつけたのだ。

 

「俺に気を取られていいのか?」

「っ!!」

 

 飛びかかってくるキラーアントを目の端で捉える。

 

「このっ!」

 

 膝をついた状態から地面を思いきり蹴り、すれ違うようにキラーアントの真横へと移動する。

 自身の勢いと、向かってくるキラーアントの勢いを味方につけ、短刀でキラーアントを硬い甲殻ごと一閃する。

 キラーアントは短い断末魔をあげた後、そのまま黒い霧となった。安堵の息をこぼす。かなりの量が残っているが、先ずは1匹——

 

「1匹殺した程度で油断するな」

「ぎっ!!??」

 

 今度は右腕を切られる。衣服の上には赤い血が滲んでいる。傷は深くない。痛みを無視すれば、どうにか短刀は握ることができる。

 周りを見渡す。キラーアントの群れの中にアリマはいた。ベルを見るついでに、キラーアントの攻撃を紙一重で避けている。

 恐ろしい。あのキショウ・アリマが虎視眈々と隙を窺っているという今の状況が、何よりも恐ろしい。

 

「ああああぁぁあああ!!!」

 

 ぐずぐずしていると、出血多量でマトモに動けなくなる。

 恐怖を誤魔化すように叫び、ベルはキラーアントの群れに飛び込んだ。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 ベル君の評価について考えながら、地面に散らばる魔石を拾う。うーん…… まあ、及第点って所かな。俺の攻撃は何回も貰いまくってたけど、キラーアントの攻撃自体は一回も貰わなかったし。

 良し、最後の魔石も拾い終えた。

 血だらけでぶっ倒れているベルにポーションをぶっこむ。後半は気力だけで動いてたもんだったからなぁ。元気になぁれ、元気になぁれ!

 傷口がたちまち塞がっていく。やがて、傷1つない状態に回復した。最高級のポーションを使っただけはある。

 

「うっ…… アリマ、さん……」

「お疲れ、ベル。帰ろう」

 

 肩を貸し、出口へと歩いて行く。

 

「ありがとうございます、アリマさん」

「?」

 

 驚いた。まさか、お礼を言われるなんて。

 初日でこんなクソ厳しい修行だ。多少なりとも恨まれる覚悟はあったんだが。

 

「そりゃあ、思ってたよりも遥かに厳しい修行ですけど…… だからこそ、強くなっている実感があるんです」

 

 Lv7に狙われながら、新人殺しの異名を持つキラーアントの群れと戦ったんだ。レベルアップは無理かもしれんが、ステータスは大幅に上がっているはずだ。

 

「僕、強くなれてますよね」

「ああ、きっとな」

 

 ベルは嬉しそうに笑った。

 強くなりたいという思いがある限り、ベルはどこまでも強くなれる。根拠はないが、そう感じた。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 2日ぶりに帰ってきた黄昏の館。廃協会を見た後だからか、いつもより余計に立派に見える。俺としては、あの味のある廃協会も悪くはなかったけどね。

 廊下を歩き、広間へと向かう。帰ってきた挨拶くらいはしないとダメだよね、流石に。

 ドアを開く。広間にはアイズたんを始めとする第一級冒険者たちがいた。全員がこっちを凝視している。

 

「ただいま」

 

 そう言うと、凄い剣幕をしたリヴェリアが近寄ってきた。怖いっ!

 

「アリマ、やっと帰ってきたのか……! 連絡の1つくらい寄越したらどうだ! いくらお前が強いといっても、みんな心配してたんだぞ!!」

「そうか」

「このっ、大馬鹿が……!」

 

 やっべ、言葉が詰まった。

 どうしよこれ。なんか全然反省してないみたいな感じじゃん。

 いやでも、たった2日空けた程度だよ? そこまで怒られる謂れはないんじゃない?

 

「ねえ、アリマ……。もしかして、ロキファミリアを抜けちゃうの? 私、嫌だよ。そんなの寂しいよ……」

 

 ティオナが泣きそうな顔をしていた。いや、なんでさ。ロキファミリアを抜ける気なんて更々ねえよ。

 

「ベルって子がお気に入りなんでしょ? ティオナ…… いや、私だって。アリマがその子がいるファミリアに改宗しちゃうんじゃないかって、ずっと心配してたのよ」

 

 自分の行動をよくよく振り返ってみる。宴会をすっぽかして、お気に入りのあの子を探しに行ったと思ったら戻ってこない。

 うん、そりゃ心配するに決まってる。ティオネの指摘も納得だわ。

 

「私も、アリマにもっと戦い方を教えてもらいたい」

 

 アイズたん…… そればっかりだな君は。

 

「そんなつもりはないさ。大丈夫、俺はずっとロキファミリアだよ」

「ほんと……?」

「ああ」

「……よ、良かったぁ〜!」

 

 ティオナの喜ぶ声と同時に、場の空気が緩まったのを感じた。

 

「チッ、結局ここに居座んのかよ」

「あれ、ベートも勝ち逃げは許さねえぞとか言って心配してなかったっけ?」

「はっ、はあ!? 誰がするか!!」

 

 男のツンデレとか誰得。まあ、嬉しくなくはないけどさ。

 それにしても、流石は有馬さんだ。有馬さんの顔と性格、強さをがあると、こんなに人気者になれるんだなぁ。

 

「すまない、リヴェリア。これからは気をつけよう」

「分かったのならよろしい」

 

 流れに乗って謝罪すると、ママンもどうにか許してくれた。

 それにしても、こんなんで俺が死んだとき大丈夫なんかね? 俺、もう長くないんよ?

 

「アリマ、ロキが呼んでるよ」

「ロキが?」

 

 椅子に座っているフィンが、扉の方を指差しながらそう言う。

 ほどほどに雑談というかベルについて話した後、ロキの部屋へと向かった。

 意外にも、ベルへの質問の量が一番多かったのはアイズだった。ベルの事、やっぱり気になるのかな。俺と同じく、本能的に強くなると感じ取っているのだろうか。

 おかげで、ベートが剥き出しで対抗意識を燃やしていた。今度顔を合わせたら殴ると言わんばかりに。今度ベルと戦わせてみるか。

 そんな事を思っているうちに、ロキの部屋の前に着いた。ドアを開くと、ソファーにどっかりと座っているロキがいた。

 う〜ん、我が主神はどうしてこうも胸がないのか。

 

「おう、アリマ! やっと帰ってきたんか。リヴェリアにこってりしぼられたやろ?」

「ああ」

 

 向かいの位置にある椅子に座る。

 ここからが本題とばかりに、ロキは机に肘をつき、手を組んだ。

 ロキがこの体勢でする話は、大抵がロクな事じゃない。

 

「明日な、フレイヤの奴と会う約束をしてるんやけど、付いて来てくれへんか?」

 

 ほらやっぱりぃ! しかも、よりによってフレイヤかよ。厄ネタの臭いしかしねえ。

 というか、アイズたんを連れてけよ。あんたのお気に入りだろ?

 

「アイズじゃなくていいのか?」

「あの色ボケ女神は確実に猛者を連れてくる。対抗できるのは同じLv7のあんたくらいや」

 

 猛者…… そうか、オッタルか。

 

「分かった」

 

 あいつが出張ってくる可能性がある以上、仕方がない。規格外に対抗できるのは規格外だけ。有馬さんもどきの俺しかいない。

 というか、オッタルが出張るのは俺のせいでもある。逆もまた然り。フレイヤファミリアだって、俺に対抗できそうなのはオッタルしかいない。

 俺個人としては、そこまで心配しなくてもいいと思うのだが、リヴェリアやフィンを始めとする首脳陣はそうではないのだ。

 

「それにしても、あの子にえらくご執心やな」

 

 あの子、とはベル君のことか。

 いくら我が主神といえど、ベル君にちょっかいはかけてほしくないな。何より、最初に目をかけたのは俺だ。

 ここは釘を刺しておくべきか?

 

「まさか、あのどチビの弱小ファミリアの団員やったとはなぁ。そんで、引き抜きはできそうなんか?」

「いいや、断られた。元からそんなつもりはなかったから、構わないけど」

「ありゃりゃ、そうなんか。勿体無いこっちゃなー。アリマが見込んだ通り、なかなか面白そうな子やのに」

「……ロキ」

「心配せんでええよ。アリマのお気に入りなんやろ、ちょっかいなんて出さへんって」

 

 おちゃらけた笑い顔から一転、ロキの顔が寂しそうなものに変わった。

 

「なあ、アリマ。あんた、うちのファミリアから出て行ったりせえへんよな?」

「……またそれか」

「実際のとこ、どうなんや?」

「心配しなくとも、抜けるつもりはない」

「そっか。なら、ええんや。明日はよろしく頼むで!」

 

 いつもの笑顔を見せるロキ。神々は嘘を見抜く能力を持っている。俺の言葉が真実だと分かり、安心しているのだろう。

 あの言葉に嘘はない。嘘は、な。

 さてと。オッタルがいるとなると、IXAとナルカミの両方を持っていかないとな。アタッシュケース2つ持たなきゃいけないから、面倒なんだよなぁ。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲

 

 

 

 東のメインストリートに慎ましく建てられている喫茶店。コーヒーが名物で、知る人ぞ知る穴場として密かに有名だ。かく言う俺も常連さんで、いつものと頼めばブレンドコーヒーが出てくるくらいは通い詰めてる。どことなくあんていくみたいな雰囲気があって、落ち着くんだよな。

 この店にプライベートで来れたらどれだけ良かったか。

 只今、二階のある一室でロキ、フレイヤ、オッタルと錚々たる面子に混じっている真っ最中です。なんだこの魔境。

 ロキとフレイヤは向かい合って座り、フレイヤのすぐ側には石像のように微動だにしないオッタルがいる。俺はというとロキの側で棒立ちし、さっさと終わんないかなぁと思いながら、窓の外をぼーっと眺めている。怪物祭が催されているからか、窓から見える下の通路は人ごみで溢れている。

 

「なあ、フレイヤ。今回はどんな子が気に入ったんや? わざわざうちに話すってことは、まさかロキファミリアじゃないやろうな?」

 

 おい、まさかそんな世間話の為に呼んだんじゃないだろうな。ベル君の特訓を休みにしてまで来たんだぞ、ふざけんなよ。時間だって有限なんだぞコラ。

 

「ふふ、どうでしょうね?」

「わざわざアリマを引っ張ってきてまで、あんたの話を聞きに来たんやで? つまらん問答はなしにしようや」

「あら、残念。それじゃあ言っておくけど、あなたのファミリアの子じゃない。心配しなくてもいいわ」

「そか、ならええわ。ほんで、どんな子なんやって」

「その子はまだとっても弱くて、頼りないわ。だけど、誰よりも純粋で、透き通るような魂を持っていた。今までに見た事がないような、ね」

 

 誰よりも純粋で、透き通るような魂。

 その言葉を聞き、何故か。本当に何故かベル君の顔が浮かんだ。

 

「ベルか?」

「!」

 

 フレイヤが驚いたように口を開けた。

 試しに名前を出してみたらこの反応、当たりっぽいじゃん。こいつが気に入った子、ベル君かよ。先に目をつけたのは多分俺なのに。

 参ったなぁ。ロキならまだ許せるが、フレイヤとなると厄介だ。エトしゃんみたいなヤンデレだからなぁ……。大事な時期だってのに、何をしてくるのか分かんねえぞ。

 取り返しのつかないことになる前に—— 潰すか、今ここで。

 次の瞬間、俺の首に馬鹿でかい剣の刃先が当てられた。

 はいはい、オッタルオッタル。ちょっと本気の冗談に決まってんじゃん。いちいち真に受けてんじゃねえよ。

 

「やめなさい、オッタル」

「しかし——」

「二度は言わないわよ」

 

 渋々といった感じで、剣を引っ込めるオッタル。フレイヤの犬だね、まるで。獣人なんだけどさ。

 とはいえ、殺意は感じなかった。警告のつもりだったのだろう。フレイヤ様に手を出すなら、骨も残らないと思え。そんな所だろうか。

 周りを考慮できるくらいは冷静だったか。Lv7同士がこんな街中で本気でやり合えば、どんな被害が出るか分かったもんじゃない。

 

「気持ちは分かるで、アリマ。だけど、抑えてぇな」

「分かっている」

 

 殺意は抑えていたつもりだが、オッタルが反応してしまう程度には漏れてしまっていたようだ。

 反省しなくては。こんなことで感情を表に出すなど有馬さん失格だ。大きく息を吸い、気分を落ち着かせる。

 

「貴方もベル君に目をつけていたのね?」

 

 フレイヤの目が俺の方に向く。

 懐かしい玩具を引っ張り出したような、そんな目だと感じた。

 

「ああ」

「相変わらず不思議な子ね。私みたいに魂を見ることもできないのに」

 

 カネキ君に似てたから、とか言ったらどんな反応をするんだろ。というか、俺からすれば魂で判断できる方が不思議なんだが。

 

「お前はベルをどうする気だ?」

 

 腹の探り合いとかは苦手なので、要件を手短に言う。本気で潰すかどうか検討するのは、この返答次第だな。

 

「あの子の魂を輝かせたいの。私の持っている宝石なんかよりも、より煌びやかに」

 

 日本語でおk。いや、ここ日本じゃないけどさ。結局何をしたいのか分かんねえ。魂を輝かせるってどうやるんだよ。

 

「今度は私から。あなたはベル君をどうしたいの?」

「ベルを強くしたい。誰よりも、俺よりも」

「あらそう、私と同じね」

 

 えっ、同じだったの?

 まあ、意見が一致したのなら、ぶっ潰すのは保留でいいかな。

 

「アリマ、あんたそこまで……!?」

 

 ロキが驚いている。

 何言ってるんだ。弟子が師匠を超えるってのは王道中の王道だろう? それも、いかにも暇を持て余した神々が好きそうなさ。

 

「それじゃあ、用事を思い出したからこれで失礼するわね」

 

 急にフレイヤが椅子から立ち上がる。

 この時間が終わるのは嬉しいけれど、その用事って絶対にロクなものじゃねえだろ。嫌な予感がビンビンだ。

 

「ねえ、アリマ。ベル君を育てる邪魔するなら、どんな手を使ってでも排除する…… そう思ってるんでしょう? 私としても、あなたと敵対するのは避けたいの。だから、ベル君は任せるわ」

 

 フレイヤの言葉に少し驚く。

 意外、だな。まさか妥協してくれるとは。説得(物理)をするのも辞さない覚悟だったのに。だけど、裏があるように思えて仕方がない。

 

「何も特別な理由があるって訳じゃないわ。ただ、少し見てみたいの。鉄のように冷たかったあなたの魂が、少しずつ熱を帯びてきている。その果てにあるのは何なのかね」

 

 フレイヤは部屋を出る直前、肩越しに振り向き、そう言った。

 ドアが閉まる。残されたのは微妙に敗北感を植え付けられた俺と、勘定を押し付けられたと気づいたロキだけだった。

 人の魂を随分と勝手に言ってくれる。だけど、言い得て妙だ。ベル君に出会えたことで、俺の人生に、転生したことに、やっと価値を見出すことができた。鉄のように冷えた心に、熱が生まれたんだ。

 果てに何があるのかと聞かれたが、その答えは俺自身がよく分かっている。破滅。だけど、望むところだ。それ以外の結末なんて考えられないし、迎えるべきでもない。

 




 感想・評価もらえて最高にハイです。
 楽しいいいいいい(こんにちは!)って感じです。
 ありがとうございます!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 どうしてこうなったのだろう。

 ベルはヘスティアの手を引きながら、ダイダロス通りの狭い小道を走る。

 横目で振り返る。やはり、白い巨大なモンスターが追いかけてきている。そのモンスターの名はシルバーバックという。

 怪物祭で偶然ヘスティアに出会い、一緒に屋台を見て回っていたら、闘技場から逃げ出したシルバーバックと鉢合わせしてしまったのだ。

 それだけならまだ避難するだけで良かったのだが、何故かシルバーバックは執拗にヘスティアを狙い続けた。他の人物になんて目もくれず、邪魔する建物は強引によじ登り、逃げ込んだ先であるダイダロス通りまで追いかけてきた。

 

(駄目だ、向こうの方が速い!)

 

 このままではいずれ追い付かれる。そう判断したベルは、少しでもヘスティアが逃げる時間を稼ぐ決意を固める。

 しかし、自分が時間を稼ぐと言ったら、ヘスティアはそれを絶対に認めないだろう。

 シルバーバックはベルのような駆け出しの冒険者では相手にもならない強敵。マトモに相手をすれば、負ける可能性の方がずっと高い。

 一本道が終わり、広い空間に出る。幾つかの道がある。どれを選べばいいのか……。

 

(あれは……)

 

 ベルの目に、おそらく地下へと続く通路の入り口が映る。

 

「神様、あそこへ逃げましょう」

「う、うん! 分かった!」

 

 走る速度を自然と落とし、ヘスティアを先に行かせる。

 ある地点を通過した瞬間を見計らい、備え付けられていた鉄格子の門を閉め、鍵をかける。

 ダイダロス通りなら、地下といっても出口は無数にあるだろう。戻ることはできなくとも、進むことはできるはずだ。

 

「ベル君、なんのつもり!?」

「神様、逃げてください。僕が時間を稼いできます」

「馬鹿言ってるんじゃない! ここを開けるんだ!」

 

 鉄格子を握りしめ、必死に開けようとするヘスティア。

 ちくり、とベルの心に痛みが差す。

 だけど、こうでもしないと、きっとヘスティアは自分のすることを止めるだろう。

 

「すみません、神様」

 

 ベルは振り返らずに走った。自分を呼ぶ名前が聞こえなくなるまで。

 シルバーバックと戦えば、死ぬかもしれない。それでも、ベルは行く。もう家族が失う苦しみを味わいたくないから。

 思い出すのは、嫌に日差しが強かったあの日。祖父がモンスターに追われ、そのまま深い谷から落ちたという報せが入った。たった1人の家族が助けを求めているかもしれないのに、何もできなかった。

 あんな思いをするのは、あれだけでもう十分だ。

 暴れる音を頼りに、シルバーバックのいる場所へと駆ける。

 

「ヴヴヴゥゥ……!!!」

 

 我が物顔で通路を徘徊するシルバーバックの姿が見えた。

 

「こっちだ、化物!!!」

 

 シルバーバックの注意がこちらに向き、追いかけてくる。

 これでいい。付かず離れずの距離を保ち、シルバーバックと戦える広い場所まで誘導する。

 ヘスティアと別れた場所とは違う広間に着き、ベルは足を止める。そして、ナイフを構え、シルバーバックを待ち構える。

 獲物を目前にした捕食者のように、シルバーバックは牙を剥き出しにしながら近づいてくる。

 ベルは震える足を叱咤しながら、ナイフを構え直す。

 

「——っ!!」

 

 次の瞬間、迫る拳。

 身を屈め、シルバーバックの巨大な腕をどうにか躱す。

 途轍もない拳圧を肌で感じる。マトモに受ければただでは済まない。

 しかし、アリマの攻撃よりも全然遅い。

 特訓の成果が出ているのだろうか。これなら勝てないまでも、時間を稼ぎ、逃げるくらいならできるかもしれない。

 

(もしかして、いける……!?)

 

 シルバーバックの手足を掻い潜りながら、すれ違い様にナイフを斬りつける。

 シルバーバックの白い体毛に、か細い赤い筋が刻まれる。切傷というにはあまりに烏滸がましいが、先に一太刀浴びせたという事実には変わりない。

 

(やれる! いや、やるんだ!)

 

 先ほどまで抱いていた不安は、自信へと変わっていく。

 ベルの動きは段々と単調になり、積極的に攻撃を狙うようになった。しかし、それを驕りと呼ぶには、あまりに酷だろう。

 今のベルは自分の力量を正確に把握しているし、足止めに徹するという心構えは変わらない。しかし、彼の後ろには守るべき家族が—— ヘスティアがいるのだ。

 何が何でも守り抜く。その想いの強さが、ベルの動きから精彩さを奪っていく。

 

「ごはっ!?」

 

 横腹に響く衝撃。

 何が起きた!? 攻撃は躱した筈!!

 吹き飛ぶベルが見たのは、鎖をジャラジャラと揺らすシルバーバックの腕だった。シルバーバックは獣なりの知能と直感でベルの動きを予測し、鎖を振るったのだ。

 壁に叩きつけられ、ずり落ちるベル。逃げようとするも、脇腹の痛みで立ち上がれない。

 自分はここで死ぬと、そう思った。

 

(神様、逃げ切れたかな……)

 

 脳裏に浮かぶのはヘスティアの姿。

 オラリオに来てから右も左も分からず、訪ねたファミリア全てに門前払いされて、途方に暮れていた自分に手を差し伸べてくれた人。その優しさが、何度自分を支えてくれたか。

 そして——

 

(アリマさん、ごめんなさい。僕はやっぱり、強くなれなかったです)

 

 アリマの姿だった。

 自分を救ってくれた人。そして、強くなると言ってくれた人。

 自分がここで死ぬと知ったら、悲しむだろうか。怒るだろうか。それとも、何も変わらないのだろうか。

 

「ベル君!」

 

 自分の名を呼ぶ声——。

 そこにいたのは、逃げた筈のヘスティアだった。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 モンスターが逃げ出したというのに、人の往来は相変わらず盛んだ。

 そんな雑踏のすぐ横に、深刻な面持ちの女性2人がいた。ギルドの制服を着たエイナと、その同僚のミィシャだ。

 2人の表情が深刻なのは、闘技場からモンスターが逃げ出したことを知ったからだ。

 住民の安全を配慮したガネーシャの迅速な対応のおかげで、エイナやミィシャらギルド職員にもすでに知れ渡っている。

 

「それで、向こうは何て言ってるの?」

「この付近にいる冒険者に討伐の手伝いを頼んでくれって……」

「そう言われても、冒険者が都合よくいる訳……」

「少し話を聞かせてくれるか、エイナ」

 

 感情の起伏のない平坦な声。

 振り返ると、そこにはオラリオの白い死神、キショウ・アリマがいた。

 

「アリマさん!」

「生リマ!!!???」

 

 エイナはホッとしたような表情を見せ、ミィシャはあまりの衝撃にフリーズする。下の名前を呼ぶって、え? そんな関係?

 

「街にモンスターがいた。一応、駆逐しておいたけど。どういうことか聞かせてくれ」

「それは——」

 

 エイナが一連の事情を説明する。

 

「そうか、モンスターが脱走を」

「ええ、パニックを避けるために祭りは続けるそうですけど……」

「犯人の目星は?」

「いえ、全く」

 

 アリマは口に手を当て、少し考え込むような素振りをする。

 

「分かった、力を貸そう」

「本当ですか! アリマさんが手伝ってくれるなら心強いです!」

「モンスターの場所は分かるか?」

「まさかあのアリマさんが、ナンパするためにエイナを呼び出した? 白い死神が通常のあのアリマさんが? でも、エイナは美人だし、そんなことが起きても不思議じゃないかも」

「ちょっとミィシャ。知ってるのあなたでしょ?」

「ほぁっ!? えっと、はい、こちらです! 既に何人かの冒険者に対応してもらっていますが、モンスターが手強くて!」

 

 どうにか再起動したミィシャが、モンスターの姿が報告された場所へと案内する。

 アリマがいるからだろう。住民の誰もが道を譲り、いつの間にか一本の道ができていた。しばらく進むと、獣の咆哮と戦闘音が聞こえてきた。

 近づくにつれて、人の数も多くなっている。きっと野次馬たちだろう。

 人と人の間からチラリと見えたのは、数人の冒険者たちが虎のようなモンスターを囲んでいる光景だった。話に聞いた通り、どうやら攻めあぐねている様子だ。それほどにまで強いモンスターなのだろう。

 アリマは観衆の間を縫うように移動し、観衆と冒険者の間に進み出た。

 

「ア、アリマだ!」

「ほ、本物……!」

 

 アリマが来た。それだけで観衆は湧き、冒険者たちの顔が安堵に変わる。

 

「退がれ。俺一人でいい」

「「「は、はい!」」」

 

 冒険者たちは距離を取るが、モンスターは彼らに見向きもしない。ただジッと、アリマだけを注視していた。誰を警戒するべきか、本能で分かっているのだろう。

 

「……」

 

 スイッチを押す音が聞こえた。

 アタッシュケースが地面に落ちる。

 右手にはレイピアのような武器が—— ナルカミが握られていた。

 吠える間も許さない速度でモンスターの懐に潜り込み、ナルカミを振るう。縦に切り裂かれたモンスターは当然絶命し、黒い霧となって消えた。

 

「い、一瞬……!」

「すげえ、これがLv7か!」

 

 数人がかりでようやく膠着状態に持ち込んでいたモンスターを、たった一瞬で。

 エイナを始めとする観衆に、Lv7のデタラメっぷりを改めて見せつける。

 

「きゃああぁぁあああ!!?」

「うわああぁぁぁぁ!!??」

 

 観衆の中から悲鳴が響く。

 戦闘音を聞きつけたのか、人混みの向こうにオークの姿が見えた。

 冒険者からすれば、オークはあまり強くないモンスターだ。しかし、一般人からすれば途轍もない脅威だ。蜘蛛の子を散らすように、見物人たちは逃げていく。

 しかし、そこには逃げ遅れが—— 小さな子供が取り残されていた。恐怖で腰を抜かしてしまっている。

 オークがゆっくりと拳を振り上げる。近くに冒険者の姿はない。このままではあの子供が死んでしまう——。

 カチリ。再びスイッチを押す音。ナルカミの刃が4つに開く。

 アリマは、ナルカミをオークのいる方向に向ける。4枚の羽根の真ん中には、雷のような音を発するエネルギー体が形成されていた。

 次の瞬間、宙に雷撃が疾る。バチンと甲高い音が響く。オークは黒焦げになり、倒れる間もなく黒い霧となって消えた。

 子供はただ呆然と、地面にへたり込む。

 間もなくして、母親らしき女性が子供に駆け寄り、無事を喜ぶようにぎゅっと抱きしめた。

 

「……」

「アリマさん?」

 

 アリマは目を細め、その様子を見ていた。

 相変わらずの無表情。それでも、どこか哀しそうだと感じた。

 

「次」

「あっ、はい! こちらです!」

 

 アリマの短い一言に弾かれるように、ミィシャはアリマを別のモンスターのいる場所へと案内する。

 哀しそうに見えた表情はきっと気のせいだと、エイナはそう思うことにした。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 手持ちの閃光弾を使い、ベルとヘスティアはどうにか窮地を脱出した。だが、先ほど投げたのは最後の閃光弾。同じ手はもう使えない。

 どうにかシルバーバックを撒けたものの、再び見つかれば終わりだ。現実的に考えれば、あのシルバーバックを誰かが倒してくれるまでジッとするのが正解だ。

 しかし、ヘスティアは——

 

「ベル君、戦おう。君ならあのシルバーバックに勝てるよ」

 

 そう言った。その言葉に対し、ベルは静かに首を横に振る。

 

「何言ってるんですか。このまま隠れて、やり過ごすのが一番ですよ」

「僕だって、何も思いつきで言ってる訳じゃないんだ。もし、もう一度あのエテ公に見つかってみてごらん。ベル君はきっと、また僕だけを逃がすために囮になるんだろ?」

 

 神に嘘は通用しない。ベルにはその言葉を否定できない。

 

「あのエテ公が先に僕たちを見つける可能性だって十分にある。それなら、こっちから迎え討った方が——」

「無理なんですよ!」

 

 思わず声を荒げる。

 何をやっているんだ、僕は……。

 心のモヤモヤを吐き出したかったから、ヘスティアに矛先を向けただけだ。どうしようもなく自己嫌悪に陥る。

 

「神様だって見たでしょう。あのモンスターに負けた僕の、無様な姿を。どう頑張ったって、僕の力じゃ、あいつを倒せません……」

「何の根拠もなく言った訳じゃないさ」

 

 ヘスティアは優しく微笑んだ。

 

「君の力でもまだ足りないなら、僕が力を貸そう。ベル君、これを受け取ってくれないか?」

 

 ヘスティアから手渡されたのは黒いナイフだった。手に取ると、支給品のナイフとは比べ物にならない力を感じる。

 

「ベル君、僕を守ってくれて本当に嬉しいよ。だけど、それ以上に悲しい。ベル君が思うのと同じくらいに、僕だって君に生きてほしいんだ」

「神様……」

 

 分かっていたはずだ。自分が犠牲になって生き延びても、神様は喜ばないと。これはただの独りよがりの自己満足だと分かっていたはずなのに……。

 切り裂かれるような痛みが胸を過る。

 

「ベル君、ここでステイタスの更新をしよう」

「!」

「そのナイフは君と一緒に成長するんだ。君が強くなれば、そのナイフも強くなる。名付けてヘスティアナイフ! こいつで戦えば、あんなエテ公なんてちょちょいのちょいさ!」

 

 それでも浮かない顔のベルに、ヘスティアは言葉を続ける。

 

「そりゃあ、僕にできることはこれくらいだよ。だけど、一緒に戦わせてほしいんだ。僕も君と一緒に、命を懸けたい」

 

 どこまでも真っ直ぐに自分を信じる目。ベルはその目に釘付けになる。

 そうだ、アリマを師事した日から誓ったじゃないか。大切な人を守れるくらいに強くなると。そして、絶対に神様を1人ぼっちにしないと。

 

「……分かりました、神様。ステイタスの更新、お願いします」

 

 地面に寝そべり、ヘスティアにステイタスの更新をしてもらう。

 ヘスティアが—— 神様が、君なら勝てると言ってくれた。新しい武器まで贈ってくれた。

 恐怖はある。不安もある。しかしそれ以上に、勝ちたいという気持ちが溢れてくる。自分を信じるあの目が、何よりも勇気をくれる。

 これで熱くならなければ、男じゃない!

 

「いいよ、ベル君!」

 

 ステイタスの更新が終わった。ベルはゆっくりと立ち上がり、ヘスティアナイフを握る。

 壁の向こうをそっと覗く。ステイタス更新の光を目に捉えたのか、シルバーバックがこちらに来ている。

 

「行きます!」

 

 地面を蹴り、物陰から一気に飛び出す。ステイタスを更新したおかげか、体が軽い。

 シルバーバックの懐に入り込み、横っ腹をヘスティアナイフで斬り裂く。支給品のナイフとは段違いの切れ味だ。

 痛みに狼狽えつつ、闇雲に暴れるシルバーバック。しかし、感覚の冴え渡ったベルにそんな攻撃が当たるはずもない。

 ベルを捕まえようと、シルバーバックの巨大な掌が迫る。

 

(焦るな! 躱せる! アリマさんとの特訓を思い出せ!)

 

 こんな時、アリマならどうするか——?

 思い返すのは、短刀でゴブリンの首を斬り落としつつ、キラーアントにナイフを投擲したあの動作。

 考えるよりも先に、体が動いた。

 迫り来る掌を支給品のナイフで突き刺し、ヘスティアナイフをシルバーバックの胸に投擲する。掌をナイフで突き刺された痛みに、シルバーバックの動きが怯む。

 吸い込まれるように飛んでいったナイフは、回避行動を許すことなくシルバーバックの胸に突き刺さる。しかし、まだ浅い。シルバーバックを倒すには、まだ足りない。

 敵意で色濃く染まったシルバーバックの目。だが、そこにベルは写っていなかった。

 シルバーバックの真下に潜り込んでいたベルは、シルバーバックの胸の高さまで—— ヘスティアナイフが刺さっている位置まで跳び上がる。

 

「うおおおおお!!!」

 

 ヘスティアナイフの柄に手を当て、力の限り押し込む。サクリ、と。思ったよりも遥かにあっさりと、刃は奥へ食い込んだ。

 シルバーバックは短く呻き声を上げる。そのまま膝を突き、黒い霧となって消えていった。同時にゴトリと鈍い音を立てて、魔石が落ちる。

 

「やっ、た……」

 

 ぽつり、とヘスティアが呟く。

 

「やったあああああ!!!!」

 

 ヘスティアの喜びに満ちた叫び声が響く。

 いつの間にか、ダイダロス通りの住民たちや、騒ぎを聞きつけた冒険者たちがベルに拍手を送っている。

 

「やりました、神様……!」

 

 ベルとヘスティアは手を取り合い、ただただ喜びを分かち合う。

 

「やっぱり凄いよ、ベル君は。本当によく、頑張った……」

「神様!?」

 

 気を失い、地面に倒れそうになるヘスティア。ベルは慌ててヘスティアを抱きかかえる。

 建物の屋上には、そんな彼らを見下ろす2つの人影があった。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 残り1匹の逃げ出したモンスター…… シルバーバックが1人の冒険者と女神を執拗に狙っているという話を聞き、今回の騒動の犯人はフレイヤに違いないと確信した。狙われているのはベル君とヘスティアだろう。

 あの女神、俺に任せるとか言って、すぐこれだよ。これはケジメ案件ですわ……。

 とりあえず建物の上を跳び回った。こういう黒幕系は高い所から主人公を見降ろしているものだって、俺知ってんだ。

 

『ズゥゥゥン……』

「!」

 

 何かが地面に崩れ落ちるような音が聞こえた。シルバーバックがいる可能性が高い。音のした方へと駆ける。

 ヘスティアを背負うベルの姿が見えた。

 建物や地面の所々が破損しており、戦闘があったと見受けられる。

 近くにシルバーバックの気配はない。そうか、たった1人で倒したのか……。やるな、ベル君。

 それなら、心置きなく目の前のフード女—— フレイヤに色々と言えるね!

 

「あら、流石に速いわね」

「……」

 

 今回は右手にはナルカミを、左手にはIXAを持っている。この意味が分かるかコラ。久方ぶりの本気スタイルって意味だ。

 

「ごめんなさいね。あなたに任せるって言ってたけど、ついつい我慢できなかったの」

 

 晩御飯のおかずつまみ食いしちゃった! ごめんね! みたいなノリで謝んなや。

 IXAとナルカミを構える。

 

「あら、怒っちゃった?」

 

 ええ、そこそこ。

 何より、その赤子が癇癪を起こしたような余裕綽々の態度にイラっとくるぜ。

 

「そうだ、こうしましょう。時期を見計らって、あの子には私の用意した試練を課すわ。きちんと強くなっているか、試す意味でもね。それなら私も満足できるわ」

「……」

 

 むっ、それくらいなら妥協した方がいいか?

 こっちだって、一応譲歩された身だ。それに、ベル君への干渉を一切禁止したら、今回みたいに何をしてくるか分からない。

 いやしかし……。

 

「沈黙は肯定と受け取るわよ?」

 

 ああ、めんどくせ。もういいよ、お好きにどうぞ。駆け引きとかあんまり好きじゃないんだって。

 

「ありがと。それじゃあ、またいつかお会いしましょう」

 

 それだけ言うと、フレイヤは屋上から飛び降りた。

 飛び降りた先の地面には誰もいない。

 下にスタンバッてたオッタルがフレイヤを受け止め、そのまま本拠へ帰ったのだろう。

 空から落ちる美女を受け止めた筋肉ダルマが、猛スピードでいずこへと去っていく。そう考えると、ちょっとシュールな光景だ。

 さてと、結局ナルカミとIXAの出番はなかったな。アタッシュケースに戻さないと。どこに置いたっけかなぁ……。

 屋上から飛び降り、地面に着地する。

 先ずはベル君たちの様子を見るべきか。それともアタッシュケースを取りに行くか。どうしようかな?

 

「アリマ、やっと見つけたで! どこ行っとったんやこのアホ!」

 

 背後から聞き覚えがある声がした。振り返ると、そこにはロキがいた。2つのアタッシュケースを抱えている。

 おお、俺のクインケのアタッシュケースを持ってきてくれたのか。

 って、あれ? なんか怒ってる?

 

「毎度毎度フラフラフラフラ、オカンの役目はリヴェリアだけで十分やっちゅーねん!」

「すまない」

 

 クレープ買ってきてって頼まれたけど、モンスターの気配がしたから、そのままそっちに行っちゃったんだよね。

 そりゃ怒るわな、うん。

 

「ま、まあええわ。逃げ出したモンスターの討伐に協力したとは聞いとったし」

 

 言い訳する前に納得してくれた。

 ロキは、俺の足元に2つのアタッシュケースを置いてくれた。

 理解のある主神様で、俺は幸せです。

 

「……さてとアリマ。お前、ベルっちゅーやつを育てて、何がしたいんや? うちくらいには、喋ってもええんやないか?」

 

 ロキの雰囲気が変わる。

 聞かれるだろうとは思っていた。事実、モンスターの気配を感じて、真っ先にそこに向かったのも、ロキの問いかけをはぐらかしたかったからだ。上手く誤魔化せると思ったけれど、やっぱ無理か。

 神に嘘は通用しない。かといって、本当のことを言うなんて以ての外。なら、黙るしかない。

 誰も何も言わない。長い長い沈黙の時間が続く。こんなに黙っているロキ、久しぶりに見たな。

 ロキは目を瞑り、頭をかきながら、深く溜息を吐く。

 

「言いたくないんなら、それでええんや」

 

 ぴん、と人差し指を立てる。

 

「だけど、覚えときや。あんたはうちのファミリアなんや。いつでも力になるで」

「……そうか」

 

 力になる、ねぇ。

 無理だよ、絶対。

 もし本当のことを言ったら、お前らロキファミリアは俺を死なせないために全力で止めるだろう。いや、止めてくれる。

 だから本当のことは言えない。それに、いつかは嫌でも知ることになるんだ。俺がベル君に殺されたがっていることを。それが何を意味するのかも。

 

 

 




1話のサブタイは『開く譚と』でしたが、読み方は東京喰種:reと同じように『re + 開く譚と』って感じです。どうでもいいですね。
感想・評価ありがとうございます! 頭のなかがおれでいっぱいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



1話のサブタイは『reactant』
2話のサブタイは『re + 付』『re + イ + 寸』『reason』
って感じです。


 怪物祭から翌日。

 ベルはいつも通りアリマと一緒にダンジョンへ行き、アリマから死線を彷徨うような厳しい指導を受けた。

 今回は目隠しをした状態でゴブリンやコボルトと戦った。当然、こちらの攻撃は当たらず、しかし敵の攻撃は貰い放題。シルバーバックとの死闘の後だからといって、一切の容赦はない。

 ポーションで回復してもらった後、ふらふらの体で地上に戻る。体力は回復しているが、精神はそうもいかない。いつもいつも、ギリギリまで磨り減っている。

 ふと、隣で歩いていたアリマの口が開く。

 

「そういえば、ベル。シルバーバックを1人で倒したと聞いたけど」

 

 いつの間にその情報を知ったのだろう。

 ベルは困ったように笑う。

 実は、シルバーバックと戦ったことはアリマに話していない。

 だって、アリマは初ダンジョンでリザードマンを単独撃破したのだ。そんな人に、シルバーバックを1人で倒したと報告しても仕方がない。

 それに——

 

「いえ、少し違うんです。神様がくれたこのナイフのおかげで、シルバーバックを倒すことができたんです。僕1人だったら、絶対に無理でした」

 

 ベルはヘスティアナイフを抜き、黒い刀身をそっとなぞった。

 そう、1人では勝てなかった。この武器と、ヘスティアの言葉、そしてアリマの教えがなければ、絶対に勝てなかった。

 

「確かに良いナイフだな」

 

 だけど、と言葉を続けるアリマ。

 

「武器や誰かの助けがあったとしても、それも君の力に変わりない。よくやったな、ベル」

「あ、ありがとうございます!」

 

 よくやった、なんて……。

 Lv7の最強の一角に褒められているという事実に、どこかむず痒く感じる。

 

「そうだ、お祝いに少し寄ろうか」

「どこにですか?」

「ヘファイストスファミリアの武器屋だ。その防具も変えた方がいいだろう? 何か買ってあげるよ。好きなのを選ぶといい」

「わ、悪いですよそんなの!」

 

 ヘファイトスファミリアといえば、武器の鍛冶で一躍有名なファミリアだ。当然、そのファミリアが経営する店の商品となると、その値段は跳ね上がる。

 

「いいよ別に。俺は防具は買わないから」

「えっ?」

 

 衝撃の言葉。

 確かに、アリマはいつも白いロングコートを着ている。ミノタウロスから助けてくれたときや、特訓のときもそうだ。

 あまりにレベルの低い上層だから防具を装備する必要がないとか、コートの下に防具を装備しているものかと思っていた。

 思い返してみると、ロキファミリアの第一級冒険者は誰も重厚な鎧をしていなかった気がする。アイズなんて背中がモロ出しの、身を守りたいのか守りたくないのかどっちやねんという鎧だ。

 やはり、今の冒険者のトレンドは軽装なのだろうか……。

 

「あの、もしも敵の攻撃をくらったら、どうするんですか?」

「死ぬかもな。だけど全部避ければいい」

 

 アリマは事もなさ気に言う。

 第一級冒険者って凄い。改めてベルはそう思った。

 

「もしかして、ベルも防具は要らないか?」

「要りますっ!」

 

 ここで要らないなんて言えば、アリマは本気で防具が必要ないと受け取るだろう。

 

「なら、買ってくるといい」

「そ、それじゃあお言葉に甘えて」

 

 エレベーターに乗り、ヘファイストスファミリアのバベル支店のある階に着く。

 あちこちに武器、武器。通路の両端に武器屋がずらりと並んでいる。それに、天井や床も豪華な造りだ。

 ふと、近くのショーウィンドウに展示されている鎧の値段を見てみると、値札にはゼロか大量に並んでいた。ベルが逆立ちしても買えないだろう。

 もしかして、これ全部……。他の武器や防具の値札を見てみると、やはり同じ数のゼロが並んでいた。

 

「それにする?」

「も、もうちょっと他のを見てみます!」

 

 どれでも買っていいと言われたが、あまりに豪華過ぎて手が出せない。ここで超高価な代物を買えるほど、ベルの神経は図太くなかった。

 かと言って、ここまでしてもらって何も買わないとなると、逆に失礼な気がする。せめて、もうちょっとこう、庶民的な防具が並んでいる店に——

 

「いらっしゃいませー! 何かお探しでしょうかー?」

「うっ!」

 

 しまった、店員に声をかけられた。思わず呻き声をあげる。

 このままでは、なし崩しに何か買わされてしまう!

 

「って、あれ!? 神様!?」

「ベル君!?」

 

 店から出てきたのは、なんと店のユニフォームらしき格好のヘスティアだった。

 

「最近忙しそうだと思ったら……。バイトの掛け持ちをしてたんですか!?」

「えっと、そうだね。あはははは……」

 

 本当のことを言うと、ヘスティアナイフの製作費2億ヴァリスの返済の為にタダ働きをしているのだ。

 ベルにはそのことを話していない。この話を聞いたら、きっとショックで倒れてしまうだろうから。下手すれば、まともにナイフを握れなくなるかもしれない。

 というか、2億ヴァリスの武器を易々と握れる者なんてそうそういない。800万ヴァリスで家が建つのだから、単純に計算して25軒分の家の価値を持ちあるいているのだ。

 これで物怖じしない方がおかしい。

 

(といっても、アリマは余裕で使いそうだけどね……)

 

 ベルの隣に立つ常時無表情のアリマ。この人なら、2億ヴァリスと聞かされても顔色1つ変えずナイフを酷使しそうだ。

 

「なんだ?」

「いいや、別にー? それにしても、今日も一緒にダンジョンに潜ったと思ったら、今度は一緒に買い物だなんて。随分と仲良しだなぁ」

 

 当然皮肉だ。

 アリマがロキファミリアに所属しているのは周知の事実。

 Lv7ともあろう冒険者が、ずっと他のファミリアに構ってばかりいるなんて、随分と暇じゃないか。というか、ベル君と買い物に行けるなんて羨ましいぞちくしょう。

 

「……えっと。あっ、そうだ神様! 実はアリマさん、僕に新しい防具を買ってくれるんですよ。シルバーバックを倒したお祝いにって」

 

 嫉妬に燃えるヘスティアの心情を察したのか、かなり無理のある話題転換をするベル。しかし、意外にもヘスティアは食いついた。

 

「本当にシルバーバックを倒したお祝いなのかい、アリマ?」

「ああ」

 

 嘘はない。どうやら、本当にシルバーバックを倒したお祝いに防具を買ってくれるらしい。

 

「なんだか君たち、親子みたいだね」

 

 ふと、そんな言葉が漏れた。

 2人とも白い髪なのもそうだが、2人の間にはそう感じさせる雰囲気がある。

 

「……はっ!? 僕ったら何を言って…… いいかいアリマ! 父親みたいだからって、君を認めた訳じゃないんだからねっ!」

 

 ヘスティアのその言葉にも、アリマは特に反応を示さない。一応聞いてはいるのか、目元の辺りが動いている気がしないでもない。

 

「というか、こんな場所で防具を買おうとしないでくれるかい!? あんまり高価なもの買われても、ベル君が困るじゃないか!」

「そうなのか、ベル?」

「あ、いや…… あんまり高いのを買ってもらうと、申し訳ないなーって思ったり……」

「それなら、上の階に行こうか」

「そっか。そこなら手頃な商品が揃っているね」

 

 ベルは首を傾げる。どうして上の階に行くという話になるのか。

 

「あの、どういうことですか?」

「上の階にもヘファイストスファミリアのバベル支店があるけど、そこでは新人の鍛冶職人たちが武器を売ってるんだ。できるだけ沢山武器を売って、評判を得たいから、そこまで高くはないんだよ。それに、思わぬ掘り出し物があったりするんだ」

 

 得意げに話すヘスティア。上の階の店についてこんなにスラスラ説明できるのだ。ここでのバイトを随分と長くやっているのだろう。

 

「ベル、そろそろ行こうか」

「あ、そうですね。それじゃあ神様、アルバイト頑張ってくださいね」

「ありがとう、ベル君。それとアリマ、ベル君をあまり連れ回さないこと。変な遊びなんて覚えさせたら許さないよ」

「ああ」

 

 ヘスティアと別れ、再びエレベーターに乗る。

 上の階に着く。

 下の階のように大きな照明がないからか、どことなく薄暗い。店も簡素な造りだ。さっきまでいた場所とは随分と雰囲気が違う。

 しかし、こっちの店の雰囲気の方が落ち着く。まるでダンジョンにいるみたいで、ある種実家のような安心感がある。

 下の階よりもすれ違う人の数は多い。同じ考えの人が多いのだろうか。

 

「あそこにいるの、アリマさんじゃ……」

「本当だ! なんでこんな所に?」

「もしかして、隣にいるのがあのベル・クラネルか?」

「アリマさんの一番弟子なんだよな。つーか、意外に普通な奴だな。くそ、羨ましい……」

 

 道行く人たちから注目を集める。

 好奇の目はアリマだけでなく、自分にも向けられている。

 アリマに弟子入りしたのは凄いことだとは分かっている。だけどまさか、それだけでここまで名前が知れ渡るなんて。

 気恥ずかしそうにするベルとは対照的に、アリマは眉一つ動かさない。

 

「アリマさん、うちに寄って行きませんか!? 良い武器揃ってますよ!」

「是非私の武器を見てみて下さい! お安くしますよ!」

 

 若い鍛冶職人たちが群がるように集まる。

 たとえスペアや使い捨てだとしても、オラリオ最強の一角であるアリマが武器を買ってくれたという事実があれば、必然的に知名度は上がる。皆、アリマに武器を売り込もうと必死だ。

 

「ベル、どうする?」

 

 職人たちの目が一斉にこっちへ向く。

 このチャンスを逃してなるものか。そんな意気込みがヒシヒシと伝わる。正直言って怖い。

 

「ほ、他の場所に行きましょうアリマさん!」

「そうか」

 

 職人たちの包囲網をどうにか抜け、そのまま逃げるように早足で歩く。

 一応、仕事中という意識はあるのか、職人たちは追ってこなかった。

 ホッと一息つくベル。一息つくついでに、周りに武器や防具が並べられているのに気づく。ここなら、職人たちの目を気にしないで選ぶことができる。

 

「アリマさん、少し奥を見てきていいですか?」

「ああ、好きにするといい」

 

 奥へと進むベル。少しワクワクしながら、棚に並べられている防具を物色する。

 

「!」

 

 ふと、木箱の中に入っていた鎧が目に付いた。鎧を手に取り、どんな形状なのかよくよく観察してみる。

 裏面にはヴェルフ・クロッゾという名前が彫られている。製作者の名前だろうか?

 サインのすぐ上には、何故か兎の姿も彫られている。

 

「それにするのか?」

 

 アリマの言葉に頷く。

 何となくだが、この鎧に運命を感じた。

 それに、値段も9900ヴァリスと常識的だ。ベルの全財産に相当するが。

 

「サイズは合うのか?」

「ええ、手に取った感じ問題ないと思います」

「そうか、良かった」

 

 ベルは鎧の入った木箱を持ち、アリマと一緒に受付へと向かった。

 受付にはカウンターに頬杖をつき、椅子に座りながら何をするでもなくボーッとしている小太りの男がいた。客が来ないから暇をしているのだろう。

 

「んっ? ああ、お客さ——」

「店主、これを頼む」

 

 ベルはカウンターの上に木箱を置いた。

 

「アリマ!!??? はっ、えっ!? 何でウチみたいな寂れた店に!!??」

「こいつを売ってくれ」

 

 店主の驚きなど微塵も気にせず、アリマは9900ヴァリスをカウンターの上に置く。

 

「ほ、本当ですか!? さ、さっきは失礼しやした! 少々お待ちくだせえ!! えっと、この鎧は…… んあっ!? ヴェルフの野郎のか!!」

 

 何事もなく会計は終わり、アリマは店主から木箱を受け取った。

 

「ど、どうか今後ともご贔屓に!! 全力でサービスしやすぜ!!」

 

 武器屋から出るまで、店主はずっと直立不動で頭を下げていた。

 余談だが、この店はキショウ・アリマが鎧を買ったという触れ込みで、過去類を見ない大繁盛を遂げることになった。

 鎧の製造者であるヴェルフ・クロッゾはというと、何人ものアリマ信者に武器と防具を作ってくれと頼み込まれることになった。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 ベル君との買い物を終えた俺は、寄り道せずに黄昏の館に帰った。

 気づけばもう夕方。これ以上ロキファミリアから離れていると、マジで居場所がなくなりそうだから怖い。

 最近はロキファミリアより、断然ベル君と一緒にいる方が長いからなあ。

 

「あ、アリマお帰りー」

 

 いつもの広間に行くと、ソファーに座りながら本を読むティオナがいた。他の人たちはいない、か。

 

「ただいま、ティオナ」

 

 ティオナの向かいのソファーに座る。

 

「またベルって子のところ? リヴェリアが怒ってたよ。働かざる者食うべからずって」

 

 これはあかんわ。

 ベルに稽古をつける回数、減らした方がいいな。ベル君が1人でできる特訓メニューでも考えておくか。

 

「明日から働くよ」

 

 なんかこの言葉だけ聞くと、すげえニートっぽいな。いや、違うし。俺、ニートじゃないし。Lv7になるまで、色々と貢献してきたし。

 やめよう。なんか本当に自分に言い訳してるニートみたいで、情けなくなる。

 話題を変えよう、そうしよう。

 

「何の本を読んでいるんだ?」

「アルゴノゥトっていう童話だよ。私が小さい頃から読んでる本なんだ」

 

 よくよく本を見てみると、かなり読み古されているであろう状態だった。

 

「面白そうな本だな」

 

 アマゾネスがここまで気に入るなんて、どんな内容の本なのだろう。本屋に寄って、買ってみようかな?

 

「なら、貸してあげるね。はい、どうぞ!」

 

 ティオナが読んでいた本を差し出す。

 今渡してくれるんかい。

 

「ありがとう、早速読んでみるよ」

 

 俺は迷わずそれを受け取った。

 琲世とのやり取りから分かるように、本編の有馬さんもよく本を読んでいたっぽい。だから生前の俺も、趣味は読書だった。有馬さんと同じ趣味とか脳汁ドバドバだわ、と当時は思っていた。

 自分で言うのも何だが、かなりの本の虫だった。しかも、読んでるのは純文学の本だけ。意識高い系かよ、と周りの人たちは思っていたことだろう。

 まあでも、今では有馬さんの趣味だからという理由は抜きで、本はかなり好きになった。この世界でも山ほど本を読んでいる。本の内容もそうだが、日本との文化の違いが随所から現れていて実に面白い。

 文化といえば、この世界の神様の名前って、生前の世界にいたっつーか、物語に出てきた神様と同じなんだよな。ロキとか最たる例やん。やはり何か関係あるのだろうか?

 

「アリマもよく本を読んでるよね。ねえ、オススメの本とかないの? 貸しあいっこしようよ」

 

 オススメの本、だと……?

 よくぞ聞いてくれたティオナ!

 

「ずっと昔に読んだ、雑種って本が面白かったかな」

 

 雑種。そう、雑種。どこぞの金ピカ様の言葉じゃないぞ。

 フランツ・カフカの書いた短編で、あの有馬さんがお気に入りの話だ。当然、俺の一番のお気に入りの話にもなった。

 

「む、難しそうな本だね」

「短い話だったから、読みやすかったよ」

「その本、今は持っているの?」

「すまない、もう持っていないんだ。それに、どこにも売っていない」

 

 そらそうよ。この世界の本じゃないから。

 だけど、問題ない。もう何百何千回と読み返しているから、内容は全部頭に入っている。

 

「そっか、残念だな……。ねえ、どんなお話なのか聞かせてよ」

「ああ、いいよ」

 

 雑種の内容を思い返しながら、それと一字一句違えずティオナに語る。

 雑種の内容自体を説明するのは簡単だ。

 青年が、死んだ父親の形見にある生物を引き取った。そいつは半分子猫で半分羊の不思議な生物だった。そいつと共に生活をした青年は、その生物の救いは殺されることなのではないかと思ったが、結局殺さなかった。

 

「——という内容だ」

「本当に短いお話だね。だけど、何でだろう。とても悲しい気持ちになるのは……」

 

 悲しい気持ちになる、か。俺としても、そう感じるのは間違いではないと思う。

 父の形見として不思議な生物を貰うだけ。それだけ。たったそれだけの内容だ。しかし、この話にはフランツ・カフカのドイツ人としての文化にも、ユダヤ人としての文化にも馴染むことのできない苦悩が込められている。

 きっと、有馬さんとカフカも、この生物と同じだと感じたのだろう。

 喰種と人間の間に産まれた半人間。寿命が普通の人間や喰種よりも遥かに短いという、半人間にしか分からない苦悩。そして、その救いは死ということ。

 

「ああ、悲しい話だ。だけど、やっぱり俺はこの話が好きだよ」

「その本、見つかるといいね」

「ああ、そうだな」

 

 それにしても、まるで琲世と有馬さんみたいなやり取りだったな。

 つまり、ティオナは琲世だった……?

 いや、うん、自分で思って何だが訳分からんな。というか、ティオナを琲世にするなんて絶対に嫌だ。こんなええ子を俺のクインケに調教するとか、可哀想で絶対に嫌だ。

 

「……? どうしたの、アリマ」

 

 琲世も、こんな気持ちだったのだろうか。彼はクインクスを家族として愛していた。俺もそうだ。ティオナは俺にとってのクインクスだ。

 家族ごっこの役割を当て嵌めるなら、ティオナは娘って感じかな。そんで、ベル君は息子。母親は誰になるんだろうなあ。うーん、エイナとか?

 いや、ダメですね。30近い男とうら若き20歳前の女の子が夫婦とか、普通に事案ですね。

 

「なんでもないよ」

 

 琲世は、カネキ君が寝ている間に見る幸せな夢。だから俺も、少しだけ——。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 ロキファミリアの会議室。

 本当に久しぶりに、稽古の場としてではなく、会議する目的でここに来た。

 席に着いているのはフィン、リヴェリア、ガレスの爺さんといった古参メンバーだ。

 どうやら俺が一番最後らしい。唯一空いている席—— リヴェリアの隣に座る。遅刻しないで本当に良かった。

 それにしても、なんか特等会議っぽいな。出席してる今の現状、かなりキャラ崩壊かもしれないけど大丈夫だろうか……。

 有馬さんを見習って会議をすっぽかしたかったけど、今回ばかりはリヴェリアにキツく念を押されたから、仕方なく出席した。正直、すっぽかすのが怖かったっす。うん、ギリセーフということにしよう。

 つーか、有馬さんどうこう抜きにしても面倒くせえ。早く終わんねえかなあ。

 

「集まってくれてありがとう。実は、みんなに話したいことがあって呼んだんだ」

「なんじゃ、その話とは?」

 

 ガレスの爺さんが顎髭に手を当てながらそう言う。フィンとリヴェリアと同じくLv6のドワーフで、ロキファミリアでも随一の剛力を誇る。あと、ダンディズムが溢れている。これは間違いなく望元さん枠ですわ。ンボーイとか言ってほしい。

 

「まず、手元の資料を見てほしい」

 

 机に置いてあった紙の束を手に取る。

 最初の紙には、あるグラフが書かれていた。なになに、行方不明の数……?

 

「僕もつい最近になって気づいたんだけどさ。ここ20年前を境に、Lv4や5の冒険者が行方不明になる数が激増しているんだ」

「冒険者は命懸けの職業だ。何も珍しいことじゃないだろう」

「まあ、そうだね。死ぬこと自体は珍しくない。だけど、僕が引っかかったのはその点じゃない」

 

 フィンが次のページを捲る。

 

「あまり言いたくはないんだけど、モンスターに食い殺されるなら絶対に痕跡は残るはずだ。遺体が戻らないというならまだ分かるけど、遺品すら残らないのは不自然だ」

「考え過ぎ、じゃないのか? 確かに不自然ではあるが……」

「僕もそう思うんだけどね」

 

 ガレスの爺さんがフィンの親指をジッと見ていた。

 

「疼くのか、親指が」

「うん、そうなんだ」

「本当か!?」

 

 フィンは危険を教えてくれる親指を持つ。

 一種の虫の知らせというやつだ。その精度は確実と言っていいほど高い。

 

「ある冒険者が、少し目を離した隙に仲間の死体が消えたって嘆いていたんだ。その瞬間、親指が疼き出してね。少し調べてみたら、この資料に書いてあることが分かったのさ」

「ギルドには言っているのか?」

「言ってはみたけど、あまり深刻には考えてくれなかったよ。まあ、仕方ないとは思うけどね。リヴェリアの言う通り、少し不自然ってだけの話だし。僕の親指についても、確定的な証拠って訳じゃないからね」

「しかし、ワシらは別ということか」

「うん、君たちなら信じてくれると思ったんだ。だから話せた」

 

 そう言い終えると、フィンは俺の方に目を向けた。何も喋らない俺に気を遣ったのか、それとも——。

 

「アリマ、君はこの件についてどう思う?」

「……俺にできるのは、立ち塞がる敵を殺すことだけだ」

 

 席を立つ。

 俺はこの件に関しては何も言えないし、言うつもりもない。例え疑われたとしても、それで構わない。

 

「会議中だぞ、席に戻れアリマ!」

 

 リヴェリアの怒声に振り返ることなく、俺はそのまま会議室から出て行った。

 




 感想・評価ありがとうございます!
 うえたきになっているりんごぉ! の精神で頑張ります!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

臓腑

 バベルの近くにある噴水。その前で、ベルはアリマを待っていた。

 多くの冒険者たちがこの噴水を待ち合わせ場所として利用している。ベルとアリマも、そのうちの1人だ。

 何をするでもなく、噴水から噴き出る水を眺めるベル。もう随分とこうしている。

 しかし、別にアリマが遅刻している訳ではない。不測の事態でアリマを待たせるなんてことがないように、待ち合わせの時間よりもずっと早く来ているのだ。

 

「お兄さん、そこのお兄さん!」

 

 自分を呼ぶ声だろうか。

 振り返ってみると、大きなバックパックを背負った少女がいた。

 

「私をサポーターとして雇いませんか?」

「えっと、お兄さんって僕のこと? それに、雇う?」

「簡単な話ですよ。貧乏サポーターが、冒険者様のお零れに預かろうとしてるんです」

 

 サポーター。聞き覚えのある単語だ。冒険者になって間もない頃、エイナに教え込まれた知識を思い返す。

 モンスターの魔石を集めたり、アイテムを持ち運んでくれる人のことだった気がする。

 

「あれ、君は……」

「はへ? どうしたんですか?」

 

 この子の顔、見たことがある。フードを被っているから、すぐには分からなかったけれど、間違いない。

 

「昨日会った小人の子だよね?」

 

 昨日、アリマと別れた後の路地裏。

 理由はよく分からないが、男の冒険者に斬られそうになっていた女の子だ。どうにかベルが割って入り、事なきを得たが。

 ちなみに、その冒険者を追い返したのは、これまた偶然通りかかったリューである。眼力だけで冒険者を追い返したその姿は、男から見ても男らしかった。

 

「小人? リリは獣人、シアンスロープなのですが?」

 

 少女がフードを外すと、ぴょこんと犬耳が出てきた。

 

「あれ、それじゃあそっくりさん?」

 

 ベルは首を傾ける。

 印象的な出会いだった上、昨日の今日だ。顔はよく覚えている。間違えてはいないはずだ。しかし、犬耳がなかったのも事実。

 姉妹でもなさそうだし…… やはり、超絶そっくりさんなのだろうか。

 

「それで、雇ってくれますか?」

 

 上目遣いでそう言われ、思わず頷きそうになる。自分1人なら、迷わず雇っているのだが……。

 

「うーん、僕は構わないんだけどさ。一緒にダンジョンに行く人がいるんだけど、その人が何て言うか……」

「それなら、その人が来るまで待ちますよ!」

「先に言っておくけど、驚かないでね」

「へっ?」

 

 アリマが来ると言わないのは、誰も信じてくれないからだ。

 しかし、仕方のないことだと納得している。逆の立場なら、ベルだってきっと信じないだろう。

 

「やあ、ベル」

「アリマさん!」

 

 アリマが来た。噂をすればなんとやらだ。

 チラリと少女に目をやる。

 少女は目を丸くし、ぽかーんと口を開けている。脳が今の状況を必死に処理しているのだろう。やがて、彼女の顔からブワッと汗が噴き出した。

 

「キキキキキショウ・アリマ!!!?? それじゃああなたは、ベル・クラネル!!!??」

 

 ああ、やっぱり驚いた。

 もう何回目だろうか、このやり取り。

 

「その子は?」

「サポーターをやりたいって子で…… ごめん、そういえば名前は?」

 

 名前を聞かれ、少女はハッとした顔になる。

 

「さ、先ほどは失礼しました。リリルカ・アーデといいます」

 

 ぺこりと頭を下げるリリルカ。心なしか震えている気がする。アリマを目の前にして緊張しているのだろう。

 

「サポーターか」

「どうします、アリマさん? 丁度サポーターが必要だと思っていたから、雇いたいと思うんですけど……」

 

 アリマは少しの時間押し黙り、やがて口を開いた。

 

「ベルの好きにしたらいいよ」

「ありがとうございます!」

 

 良かった、と安堵の息を漏らす。

 ここまで引き止めておいて、断るなんて可哀想だ。それに女の子だし。こういう縁は大切にしたい。

 

「それと、今日は一緒にダンジョンに行けそうにない」

「ええっ!?」

「少し、ロキファミリアで仕事がある」

 

 アリマはコートのポケットから1枚の紙を取り出し、ベルに差し出す。

 

「今日はその紙に書かれているメニューをやってくれればいい。俺からの宿題だ」

 

 紙に書かれている内容が気になるのか、リリルカも紙を覗き込んだ。

 

「ちょっ、なんですかこれ!?」

 

 あまりにもブッ飛んだ内容に、リリルカは驚きの声をあげる。

 4層目までのモンスターは一歩も動かずに倒すこと。5層目からのモンスターの攻撃は全て受け止めるか、ナイフでいなすなどして対処すること。今日1日のメニューにはそう書かれていた。

 今まで多くの冒険者と行動を共にしたリリルカだが、こんな無茶な戦い方を要求する冒険者など見たことがない。

 

「これでもいつもより優しいよ」

「えええぇぇぇ……」

 

 しかし、けろっとした様子のベル。感覚が麻痺しかけているのは言うまでもない。

 

「それじゃあ、また後で」

「あ、はい! わざわざありがとうございます!」

 

 そう言って、アリマは人混みの中に消えていった。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 信じられない。それが、ベルと共にダンジョンに潜ったリリルカの感想だった。

 

「くぅっ!!」

 

 ベルは愚直なくらい、アリマの教えに従って戦っている。

 ウォーシャドウの爪を黒いナイフで真正面から受け止める。そのまま至近距離まで詰め寄り、硬直しているウォーシャドウの胸にナイフを突き立てる。

 ウォーシャドウは黒い霧となり、地面に魔石が落ちる。

 先ずは1匹。しかし、ベルの表情に油断や歓喜はない。

 息もつく暇もなく、別の個体のウォーシャドウがベルの背後から襲いかかる。

 ベルは見向きもせずに、再び黒いナイフでウォーシャドウの爪を受け止める。後ろに目でも付いているのだろうか。

 振り返る勢いそのまま、いつの間にか引き抜いていた別のナイフで斬りつける。

 

「すごい……」

 

 ベルの話では、彼はまだ冒険者を始めてから数週間らしい。有り得ない。こんなの、駆け出しの冒険者の動きではない。

 アリマの指導があってこそなのだろう。あの黒いナイフの性能もあるのだろう。しかし、それらを差し引いたとしても、ベル・クラネルの冒険者としての才能を垣間見るには十分だ。

 これが、あのキショウ・アリマが認めた冒険者……。

 カチリ、とナイフが鞘に仕舞われる音が響く。ベルは全ての攻撃を受け切りながらも、キッチリとモンスターを壊滅させた。

 リリルカは本来の『仕事』を思い出し、地面に散らばる魔石を回収する。

 

「ありがとう、リリ。助かるよ」

「いえいえ、これがリリの仕事ですから。あ、傷は大丈夫ですか? 塗り薬なら持ってますよ」

「大丈夫だよ、擦り傷ばかりだから。それに、怪我には少し慣れているんだ。アリマさんに何度も斬られているから」

「えっ」

「ああいう混戦状態のときは、アリマさんも混じって攻撃してくるんだよね。だから、アリマさんのいない今日は楽で楽で……」

「す、凄まじい指導ですね……」

 

 自分なら一瞬でも耐えれそうにない。

 Lv7の冒険者に弟子入りするとはそういうことなのだろうか。

 

「それじゃあ、そろそろ帰ろうか」

「!」

 

 そういえば、もうそんな時間か。

 リリルカの本来の『目的』は、ベルから武器を盗むことだ。

 見ず知らずの自分を助けるようなお人好しなら、簡単に騙すことができる。そう踏んでいた。

 しかし、甘かった。

 今ではもう、ベルから武器を盗める気なんてしない。後ろに目が付いているかのように、恐ろしく気配に敏感なのだ。妙な真似をすれば即座にバレる。

 

(諦めるしかない、ですね)

 

 そもそも、万が一ベルから武器を盗めたとしても、キショウ・アリマから何をされるか分からない。

 触らぬ死神に祟りなし。我ながら上手いことを言ったものだ。

 

「ええ、帰りましょう」

 

 結局あの黒いナイフは盗めず、ダンジョンから帰還してしまった。

 今日の稼ぎはなしか、と溜息を吐く。

 ファミリア専属のサポーターならともかく、フリーのサポーターは冒険者から軽蔑されている。稼ぎに群がるハイエナ。才能のない落伍者。そんな認識でしかない。

 報酬も稼ぎの1割でも貰えれば良い方で、難癖を付けられて報酬を貰えないのなんてしょっちゅうだ。

 魔石の換金をするベルの後ろ姿を見ながら、思う。目の前のことの人も、きっと他の冒険者と同じなのだろう。

 しかし──

 

「はい、リリの分」

「えっ……」

 

 ベルから大量のヴァリスが入った袋を渡される。

 集めた魔石の量から察するに、稼ぎの半分相当が報酬ということになる。

 この人は、それを何の躊躇いもなく、当然のように渡した。

 

「こ、こんなにいいんですか!?」

「当然だよ。リリのおかげでこんなに稼げたんだから」

「リリのおかげなんて…… こんなの、誰にでもできることですよ」

「そんなことないよ」

 

 ベルは屈託のない笑顔を浮かべながら、手を差し伸べる。

 

「ねえ、リリ。良ければ明日もサポーターを引き受けてくれないかな? また、リリと一緒にダンジョンに潜りたいんだけど……」

「は、はい」

 

 考えるよりも先に体が動き、ベルの手を取ってしまった。

 違う。これはそう、こんな良い金ヅルを逃す手はないから、体が無意識に反応しただけだ。きっとそうだ。

 ……だけど、他の冒険者とは違う不思議な人というくらいは、認めてやっても良いかもしれない。ベルの笑顔を見て、そう思った。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 ベルたちがダンジョンから帰還したほぼ同時刻。

 ダンジョンの中階層に、ロキファミリアの第一級冒険者たちの姿があった。

 今彼らがいるのは、ある冒険者の仲間の死体が消えたという場所である。何か手がかりがないか調査しているが、不審な点は未だに見つからない。

 

「チッ、何で俺がこんなことを……」

「文句言わない! 団長のご命令なのよ!」

 

 愚痴をこぼすベートを叱るティオネ。とはいえ、誰もが大なり小なりではあるが何も変わらない状況に苛立っている。

 

「何も見つからない、か。そろそろ日を改めた方が良さそうかな。このままじゃ、みんな不満が溜まりそうだしね」

「ああ」

 

 フィンの言葉に頷くアリマ。

 

「手がかりを掴むまでは、個人調査に切り替えた方がいいかな。さすがに、みんなを毎回駆り出す訳にはいかない」

「1人でいいのか?」

「危険は承知の上さ。それに、本当に危なくなったら恥も外聞もなく一目散に逃げればいいだけだしね」

「ティオネなら喜んでついてくるんじゃないか?」

「あはは、検討しておくよ……」

「そうか」

 

 会話が途切れる。

 しばらくして、アリマはダンジョンの探索に戻ろうと足を進める。

 

「ちょっと待って」

 

 フィンの声にアリマは足を止め、ゆっくりと振り返る。

 

「会議のことなんだけど、君のマイペースは今に始まった事じゃないから、僕は気にしていないよ」

「……」

「その代りと言ってはなんだけど、君の口から直接聞きたいことがある」

 

 次の瞬間、2人の間の空気が凍った。

 

「信じていいのか?」

 

 普段のフィンからは想像もできないような、鋭く、冷たい声。並の冒険者なら顔を青ざめ、震え上がるだろう。

 しかし、フィンと対峙しているのは並から最も程遠い存在、キショウ・アリマ。フィンの声を浴びせても、眉一つ動かさない。

 

「ああ」

 

 短く言葉を返すアリマ。

 それを聞いたフィンは、少し気まずそうな様子で笑った。

 アリマが完全な黒だとは思っていない。しかし、昨日のアリマからは何か知っているような雰囲気を感じた。

 だから揺さぶりをかけてみたが、アリマはやはり無表情。彼が何を考えているのか、サッパリ分からない。

 

「変なことを聞いて悪かったね。それじゃあ帰ろうか」

 

 これ以上ダンジョンに粘っても無駄だろう。成果はないが、仕方がない。

 歩き出そうとした、そのとき──

 

「待て」

 

 今度はアリマがフィンを呼び止めた。

 何かが地面に落ちた音がする。

 アリマの足下にはアタッシュケースが転がっていた。蓋が開いている。つまり、IXAかナルカミを取り出したということ。

 フィンはアリマの手に目を向けた。アリマの右手にはIXAが握られている。

 

「遠隔起動」

 

 アリマはそう呟き、IXAを── 地面に突き刺した。

 ダンジョンの地盤が削れる音が響く。

 遠隔起動。IXAの特性の1つである。アリマほどの卓越した操作技術ならば、IXAの切っ先を地中に潜り込ませ、地上にいる敵を下から串刺しすることもできる。

 何故、今この場で遠隔起動を──。

 フィンだけでなく、他の者たちもアリマの行動に注目している。

 

「!」

 

 アリマが地面から跳び退く。

 次の瞬間、無数の蔓がアリマのいた地面を突き破り、現れた。

 軽やかに着地するアリマ。いつの間にかIXAも元の形状に戻っていた。その切っ先には紫色の体液が滴っている。

 

「アリマ、これは!?」

「モンスターだろう。地中に気配を感じた」

 

 地面を掻き分けるように、大量の蔓が溢れ出てくる。

 いくつもの蔓が絡み合い、上空へと伸びていく。まるで柱。フロアの天井を支える柱のようだ。あまりの大きさに、その場にいる誰しもが顔を上げる。

 蔓の頂が四方に分かれる。中から出てきたのは巨大な花弁だった。見る者を惑わすような、毒々しくも美しい紫色をしている。

 

「し、植物!? それともモンスター!? 何なんですかこの大きさ!?」

「イイねぇ、こういう方が性に合ってらあ!」

 

 冒険者とモンスターが出会えば、やるべきことは2つに1つ。

 即ち逃げるか、倒すかだ。

 ロキファミリアの誰もが武器を構える。大きさに気圧され、ロクに戦わぬまま撤退するなど、ロキファミリアの冒険者であるという誇りが許さない。

 

「レフィーヤ、仕掛けるぞ」

「は、はいっ!」

 

 フロアの天井にまで届きそうな巨体。接近戦なら脅威だが、魔法を使える者からすればただの的だ。

 

「「!!?」」

 

 どこからともなく無数の蔓が伸び、リヴェリアとレフィーヤの手足に絡み付く。

 振り解こうと力を入れるも、手足はピクリとも動かない。

 周りを見る。他の者は何ともない。狙われているのは、一番遠くにいたはずの自分たちだけ。

 ぞくり、と戦慄するリヴェリア。最悪の可能性を思い当たる。このモンスターには知性があるのではないか? 魔法を使うのを察知して、優先的に狙ったとしか考えられない。

 

「きゃっ!?」

「レフィーヤ!」

 

 レフィーヤが地面に倒れる。

 手足に絡みついた蔓が、彼女を本体の元に引き摺り込もうとしていた。

 

「テンペスト」

 

 アイズがエアリアルを発動し、吹き荒れる風が2人に絡みついていた蔓を全て斬り刻んだ。

 

「ありがとうございます、アイズさん!」

「うん」

 

 その光景を見て、思わずフィンは眉をひそめる。

 力のステイタスは低いとはいえ、リヴェリアはLv6の冒険者だ。アリマやフィン、ガレスならばともかく、Lv5の冒険者が捕まってしまえば、脱出は難しいだろう。

 ならば──

 

「僕、アリマ、アイズは本体を叩く! リヴェリア、レフィーヤは魔法の詠唱! 他のみんなはリヴェリアとレフィーヤを守って!」

 

 全員がフィンの言葉を聞き、動いた。

 アリマ、アイズ、フィンは本体であろう花に突撃する。他の者たちは、詠唱中のリヴェリアとレフィーヤを守りながら、四方八方から伸びる蔓に攻撃する。

 この作戦は、いかに早くリヴェリアとレフィーヤの魔法が炸裂するかにかかっている。ベートたちが2人を守るのもそうだが、アリマたち前衛もできるだけ蔓を引き受け、後方の負担を減らすのかも肝心だ。

 

「テンペスト」

 

 蔓はアイズに接近することすら叶わず、暴風により薙ぎ払われる。

 短い詠唱で範囲攻撃を可能にするアイズの唯一の魔法、エアリアル。フィンの読み通り、このモンスターとの相性は抜群だった。

 

「!」

 

 蔓が絡み合い、一本の巨大な蔓の鞭になる。

 鞭が振るわれる。テンペストでも吹き飛ばせない。風邪を切る音を響かせながら、鞭がアイズへと迫る。

 アイズは後方に大きく跳び退き、鞭を躱す。その間際、不壊の剣デスペラードで斬りつける。鞭がアイズのいた地面に直撃し、同時に大きく陥没する。途轍もないパワー。マトモに受けるのは得策ではない。

 しかし、切断まではできなかったものの、それなりに深い傷は与えた。このままダメージを積み重ねれば、いずれ斬り落とせる。

 そう確信した矢先に、別の蔦が鞭に絡みついた。瞬く間に、切られた場所が修復されてしまった。

 狙いを定めたのか、蔓の鞭は執拗にアイズを狙う。あまりの猛攻に、アイズは躱すだけで精一杯だ。

 

「アイズでも駄目か……っと!」

 

 フィンも、蔓のあまりの手数に苦戦していた。切っても切っても、次から次へと湧き出てくる。思うように前へ進めない。

 ベートたちもあまりの数に手が足らず、蔓がリヴェリアとレフィーヤに攻撃するのを許してしまっている。蔓の対処で、詠唱が中断されるのは言うまでもない。

 そんな中、アリマは──。

 

「……」

 

 1人、本体の根元まで到達していた。

 IXAを振るう。本体の根元が斬れ、紫色の体液が飛び散る。

 苦しそうに花が揺れる。次の瞬間、アリマに無数の蔓が襲いかかる。

 

「……」

 

 目に見えない速度でIXAを振るい、全ての蔓を斬り落とす。いや、それだけではない。一瞬の合間に本体の根元も切り裂いている。

 手数だけ増やしても無駄だと悟ったのか、無数の蔓が絡み合った鞭を形成する。アイズに振るわれたそれとは、比較にもならない大きさ。一撃で叩き潰す気だ。

 尋常ではない風切り音。鞭というよりも、巨人の腕だ。

 普通なら受け止めようとは思わない。即座に回避行動に移るだろう。

 しかし、アリマは──。

 

「防壁展開」

 

 漆黒の盾が現れる。IXAの防御形態だ。

 まさか、あの攻撃を受け止める気なのか!?

 アリマ以外の冒険者は息を呑む。

 轟音が響く。土煙が舞い、アリマの姿を覆い隠す。

 土煙が晴れる。そこにいたのは、IXAで蔓の塊を受け止めているアリマだった。即座にIXAを攻撃形態に換え、蔓の塊を真横に切り抜ける。

 

「アリマ、離れて!」

 

 ティオナが叫ぶ。

 アリマが蔓の大部分を引き受けた結果、リヴェリアとレフィーヤが詠唱するのに十分な隙が生まれた。

 つまり、広範囲殲滅魔法攻撃が来る。

 リヴェリアとレフィーヤの杖には、有りっ丈の魔力が込められた超弩級の火球が形成されていた。

 2つの火球が本体へ射出された。

 それに直撃した瞬間、植物型モンスターは炎に包まれた。勝負ありだ。全ての蔓を燃え尽くすまで、あの焔は止まらないだろう。

 

「まだだ!」

 

 フィンが叫ぶ。

 まだ動けるだけの力があるのか、植物型モンスターは燃えたままの蔓をフィンたちに振り下ろそうとする。

 ──とすっ。

 捩れた槍のような黒い物体が、植物型モンスターを真下から串刺しにした。IXAの遠隔起動と理解できたのは、植物型モンスターが黒い霧になってからだった。

 アリマは倒した喜びも達成感も感じさせない無表情で、IXAを元の状態に戻した。

 

「終わった、の……?」

 

 ティオナが呟く。その言葉は、この場にいる誰しもの思いを代弁していた。

 途轍もない強敵だった。

 どう控えめに見積もったとしても、Lv6に相当する強さだ。中層にいていいようなモンスターじゃない。

 もしもアリマがいなければ、更に苦戦を強いられていただろう。

 

「フィン、死体が消えたのはあのモンスターが原因じゃないのか?」

 

 リヴェリアの言葉にフィンは頷く。

 

「ああ、僕もそう思う。あのモンスターは冒険者の死体を地中に引き摺り込んで、養分にしていたんだろう」

「……知性が、あるようにも見えました。私とリヴェリアさまを狙ったのもそうですし」

「私のエアリアルも突破された……」

「知性がつく長い間、冒険者の死体を養分にして、潜んでいたんだと思う。本当にとんでもないモンスターだったよ」

「あの大きさじゃ、ダンジョン全体に根を張っていたとしても不思議じゃないもんね」

 

 気づけば、親指の疼きも消えている。きっと、あのモンスターが消えたからだろう。

 

「暴れ足りねえ…… 暴れ足りねえぞ! 俺がやったの、リヴェリアとチビのお守りをしただけじゃねえか!!」

「じゃあ、久し振りに稽古でもしようか」

「それなら、私もお願い」

「ア、アイズもか!? 望むところだオラァ!!」

「あっ、私もー! 久し振りにアリマと身体を動かしたいなー!」

「平胸ぇ!! テメエしゃしゃり出てくんじゃねえ!!」

「誰が平胸だああああ!!!!」

「まったくお前らは……。せめてダンジョンから出てからやるんだぞ」

「団長! 今日もかっこよくて、的確な指示でしたよ!!」

「あはは、ありがとう」

 

 あれだけの激闘の後なのに、相変わらず賑やかなロキファミリア。思わずフィンもつられて笑う。

 手がかりを掴むどころか、元凶を倒してしまった。本当に、ダンジョンでは何が起こるか分からない。

 ちなみに、ダンジョンでの戦いよりアリマとの稽古の方が疲れたと、後にアイズたちは語ったそうだ。

 

 

 

 




 更新速度落ちると思います。ぐぎぎ……!
 気長にお待ちいただければ幸いです。
 感想・評価ありがとうございます。まぐっ……! りながら頑張ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

瀬戸

 あの植物型モンスターとの激闘を繰り広げた後日。

 モンスターの特徴やら、攻撃方法やら、ギルド職員にしつこく聞かれた。新種のモンスターだから詳しく調査したいとのこと。もう出てこないと思うけどな。

 ちなみに、あの植物型モンスターはビオランテと名付けられた。そうです、俺が名付け親です。ゴジラ大好きです。

 まだ他の候補が挙がっていない初手一発に、あのモンスターの名前をビオランテにしようと言ったら、みんなが賛成してくれた。多分、俺が最初に見つけたとかいう理由で、みんな譲ってくれたのだろう。

 植物型モンスターとの戦いの事後処理も、今日になってようやく落ち着いた。

 なので、今日は久しぶりにベル君に稽古をつけようと思う。

 アタッシュケース片手にダンジョンへと向かう。道中、通行人からの視線をヒシヒシと感じる。まあでも、仕方のないことだ。

 俺たちロキファミリアが中階層に現れた超巨大植物型モンスターを討伐したという噂は、すぐにオラリオ中に広まった。周知の事実というやつだ。

 ついでに、俺がビオランテに止めを刺したという話も広まっている。

 しかも、かなり脚色が入っている。巨人の腕のような蔓の塊を腕一本で受け止めたとか、剣圧だけで蔓を斬り裂いたとか…… あれ、ほぼ事実じゃね?

 やー、それにしても焦ったわ。

 地中から気配がするから、IXAの遠隔起動でグサーっとやったら、まさかあんな大きいのが出てくるなんて……。

 ロキファミリアのみんながいて、本当に良かったよ。別に俺だけでも倒せるとは思うけれど、最悪でも半日くらいはかかるかもしれない。やれやれ、文句の1つでも言わないと気が済まないぜ。

 そんなことを思いながら歩いていると、待ち合わせ場所の噴水と、ベル君とリリちゃんの姿が見えた。

 白髪頭に、バカでかいバックパックを背負った女の子の2人組み…… 人のこと言えないけど、やっぱ目立つなぁ。

 

「アリマさーん!」

 

 俺に気づいたベル君は、手を振りながら出迎えてくれた。

 リリちゃんはというと、まだ俺を怖がっているのか、ぺこりと頭を下げるだけだった。内面はともかく、外見だけは有馬さんなのだ。あまりの超然的雰囲気に畏れるのも仕方がない。

 

「やあ、ベル」

「聞きましたよアリマさん! 中階層に現れた植物型モンスターを倒したって話! どんなモンスターだったんですか!?」

 

 興奮気味で尋ねるベル君。

 どんなモンスターか、だって? ここはあのセリフを言うしかねえ!

 

大したことなかった(少し強かった)よ」

 

 うっひょお、言ってやった言ってやった!

 このセリフ、高校生の頃の有馬さんが美容師の喰種をボコした後に言ったものだ。少し強いと言いながら、擦り傷一つ負わずに駆逐するそのお姿。高校生の頃でも有馬さんはお強かったのかと、東京喰種JACKを読んだ後は感銘に耽っていたものだ。

 まあ実際、あの植物型モンスターも大きいだけだったからなあ。確かに面倒っちゃ面倒だけど、言ってしまえばそれだけだし。荷物に包装されているあのプチプチを1個ずつ潰すようなもんだ。ノーダメで倒す自信があるよ。

 喰種のレートで言えば多分S……いやAくらいじゃね?

 ビオランテの攻撃方法や、どうやって戦ったのかを、ベル君に聞かせてやった。

 目を輝かせながら聞いてくれるから、こっちも話し甲斐がある。ただ、隣のリリちゃんはドン引きしていた。嘘だと思っていた噂話が、普通に事実だったからだろう。

 

「そういえば僕、魔法を使えるようになったんですよ」

 

 ビオランテとの戦いについて話し終えると、ベル君がそんなことを言い出した。

 

「魔法?」

 

 ほう、魔法とな。だけど、なんだってこんな短時間に。

 

「実は、誰かの落とした本を偶然読んだら、それがなんと魔導書で……」

 

 ああ、成る程。それなら納得だわ。ちょっと読むだけで魔法を覚えれるからなあ。ドラえもんのひみつ道具みたいだ。

 だけど、魔導書って使い捨てだよな。それに結構お高くなかったっけ?

 落とし主からしたら堪ったもんじゃねえだろうな。涙目不可避だ。賠償金とか請求してきたら、まあ、俺が払ってやるか。

 

「どんな魔法なんだ?」

「ファイアボルトって魔法で、炎を出す魔法なんです」

 

 サンダーボルト? 相手のモンスターが全員破壊される効果かな?

 とまあ、冗談はさて置き。名前から察するに、火炎系の魔法のようだ。

 流石に赫子ではなかったか。いや、赫子みたいな魔法だったら困るけどさ。

 

「ボルト…… 電気か。ナルカミみたいだな」

「あはは、分かっちゃいます? 実はちょっと、影響を受けちゃいました」

 

 ベル君は照れたように笑った。

 ふふふ、可愛い奴め。

 それにしても魔法か。俺、電気撃つぐらいしかできないんだよな。それもナルカミの補助ありきだし。

 こればかりはどう教えたらいいものか、さっぱり分からん……。リヴェリア辺りに相談してみるか。

 

「あれ、そういえばアリマさんって詠唱してますっけ?」

「ああ、小声でナルカミって言ってるよ」

 

 とうとう気づいてしまったか、この秘密に……。だとしたら生かしておけんなぁ! なんて思ってみたり。

 実は、誰にも気づかれないくらいの声で詠唱している。いや、詠唱って呼んでもいいのか謎だが。

 

「あの、なんで小声なんです?」

 

 ベルが不思議そうに首を傾げる。

 う〜む、理由…… 理由ねえ。

 

「声出すの、疲れるから……」

「「えぇ……」」

 

 嘘です。本当は恥ずかしいからです。だからそんな「何言ってるんだこの人」みたいな目はやめてください。

 そりゃ俺だってさ、意味不明な理由だと思うよ? だって、年甲斐にもなってそんな恥ずかしいなんて言える訳ないじゃん。オラリオの冒険者のほとんどを敵に回すわ。リヴェリアとかブチ切れだわ。

 だって、有馬さんが戦闘中に長ったらしく呪文を唱えるとか、キャラ崩壊もいいところだ。まあ、連発するときにナルカミナルカミ呟いてるのも十分キャラ崩壊だと思うが。

 それに、日本人っつーか地球人の感覚だとああいう詠唱するのって恥ずかしいんだよ。三つ子の魂百までというか、そういう部分まで染まり切らなかったっていうか。そりゃあ、詠唱したらマジモンの効果があるこの世界はいいよ。でも日本じゃ、そんなことやる奴は即刻危ない人認定だからね?

 中二の頃、そんな同級生いたなあ。闇の炎ウンタラカンタラ言ってたっけ。ぶっちゃけ、俺も中二で有馬さんと出会っていたら、本当に危なかった。眼鏡をかけて、精神的負担かけまくって本当に白髪になっていたかもしれない。

 

「それじゃあこれからは、その魔法を使えることを前提に稽古しよう」

 

 魔法自体は教えられないけど、使うタイミングとかは教えることができるはずだ。IXAとナルカミを両方使う感じの要領で教えれば、まあなんとかなるだろう。

 丁度良く、今日はナルカミを持ってきてることだし。遠近の使い所というやつを、みっちり教えてやろう。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 目の前の光景に、リリルカはただ呆然としていた。

 落雷が落ちたような轟音が何度も響く。

 アリマのナルカミから放たれた電撃が、獲物を追い求めていた。

 まるで獣のように、縦横無尽にダンジョンを駆ける雷撃。地面がヒビ割れ、壁がボロボロに剥がれ落ちる。否が応でも、その威力を思い知らされる。これで速攻魔法、しかも追尾性能付きだというのだから、規格外もいいところだ。

 しかし、ナルカミの恐ろしさで呆然としているのではない。いや、ナルカミの威力も十分恐ろしいが。呆然としているのは、ナルカミから放たれた雷が、モンスターではなくベルを襲っているからだ。

 雷を間一髪で避け続けるベル。切羽詰まった表情から、どれだけ必死に避けているかが窺える。

 どうしてこうなったのか、2人の会話を思い返す。

 

「魔法ってどんなタイミングで撃てばいいんですかね?」

「的の気持ちになれば分かるよ」

「えっ」

 

 そんな会話の後に、今のような光景が繰り広げられることになった。

 意味が分からない。というか、的の気持ちって何だ。

 

「っあ!!??」

 

 ベルにナルカミの雷が直撃する。

 崩れ落ちるようにその場に倒れる。一応生きてはいるのか、体の端がピクピクと痙攣している。誰がどう見ても、起き上がるのは不可能だ。

 アリマは何も言わずに歩み寄り、ベルにポーションらしき薬品を飲ませる。

 

「アリマ、さん……」

 

 意識を取り戻したベル。同時に、体の傷が癒えていく。まさかベルが傷つく度に、ポーションを使って治しているのだろうか? だとしたら恐ろしい経済力だ。

 ロキファミリアという最大手のファミリアで、しかもオラリオ最高峰のLv7なのだから当然だが。

 ベルは上体を起こし、どうにか立ち上がる。とはいえ、それだけで精一杯といった感じだ。

 今日の探索…… というかシゴキも、もう終わりだろう。

 

「よく頑張ったな、ベル」

「は、はい……」

「それじゃあ、下の階のモンスターで魔法を試してみようか」

「」

 

 そのときのベルの顔は、まるで精肉場に連れて行かれる家畜のようだった。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 昨日の特訓で、ベル君のファイアボルトの使い方が格段に上達した。

 思っていたよりも、ずっとずっと成長が早い。もうナイフと魔法を織り混ぜた特訓をしてもいいかもしれんね。

 ネックになるのは、やはり威力の低さか。リヴェリアに禁術的なげふんげふん、効率の良い魔力の上げ方を聞いてみよう。

 ベル君の成長速度の早さに内心だけルンルンしつつ、ダンジョンへ向かう。

 待ち合わせ場所の噴水に着くと、ベル君と冒険者らしき1人の男が揉めていた。

 

「離してください!」

 

 ベル君が男を振り払う。

 

「このガキ……!」

 

 あまり良い雰囲気とは言えないが、何が起きたんだろうか。

 

「どうした、ベル?」

「アリマさん!」

「……はっ、な、アリマ!!!???」

 

 真っ青になる冒険者らしき男。

 

「この人たちがリリに乱暴をしようと……!」

「本当なのか?」

 

 だとしたら、ちょっと許せませんねえ。マスコット的なサイコちゃん枠を虐めるとか、死堪並みに許せませんわ。

 アタッシュケースからIXAを取り出す。

 あんまりおいたが過ぎると、怖〜いダンジョンのモンスターの餌にしちゃうぞ!

 

「っ、あっ、ひぃ!!??」

 

 男は慌てた表情で逃げ出した。清々しいまでの三下ロールだ。

 別に追いかけなくてもいいか。というか、そこまでする価値もない。IXAをアタッシュケースに戻し、無様に逃げ去る男を見送る。

 Lv7の俺が睨みを利かせたんだ。余程の馬鹿でなければ、これ以上リリちゃんにちょっかい出そうとは思わないだろう。

 

「ベル様、アリマ様……」

 

 噴水の近くの茂みからリリが出てきた。どことなく暗い表情をしている。

 

「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。さあ、行きましょう」

 

 一瞬でいつもの笑顔に切り替え、リリちゃんはダンジョンに向かった。

 俺とベルは、何も言えずに彼女の後をついて行った。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 短い丈の草が生え揃い、まばらに細い木が立ち並んでいる草原。辺りはまるで早朝のように白澄んでいる。

 ここはダンジョンの10階層。今日のベルの修練の場だ。

 今、ベルはあるモンスターたちと戦っている。モンスターの名はオーク。身長は3Mを超し、大型モンスターに分類される。

 リリルカは木に寄り添いながら、オークたちと戦っているベルを見ていた。

 振り下ろされた棍棒を土台にし、オークの胸の高さまで跳ぶ。更に、ヘスティアナイフを振るい、オークの胸部を切り裂く。相変わらず、駆け出しとは思えない動きだ。どうして大型モンスターと戦うのに少し渋っていたのだろうか?

 血が飛び散る。肉が裂け、魔石が露わになる。着地したベルは、剥き出しになった魔石に手を向ける。

 

「ファイアボルト!」

 

 雷── ナルカミのような軌跡を描く炎が、オークの魔石に撃ち込まれる。オークは黒い霧となって消えた。

 息つく暇なく、別の個体と交戦する。

 魔石が見えるまで肉を切り開き、魔石が見えたら、魔法で攻撃する。それが今日、ベルに課された戦い方だ。

 しかし、今回は乱戦だというのに、珍しくアリマが参戦していない。リリルカとは少し離れた場所で、ジッと見守っている。

 いつの日かの、アリマがモンスターたちに紛れながらベルに攻撃していた日のことを思い出す。

 背筋に嫌な感覚が走る。表情一つ変えずに、愛弟子であるはずのベルにIXAを突き刺すアリマ。あの瞬間、どんなモンスターよりアリマが恐ろしかった。

 ベルもベルで、そんな拷問にも等しいことをされた後だというのに、普通にアリマと談笑していた。

 最強として名高い冒険者、アリマ。そんな彼に見出された才能溢れる冒険者、ベル。片や自分は、冒険者としての実力に早々限界を感じ、落ちる所まで落ちてしまった底辺のサポーター。あまりにも住む世界が違う。

 潮時だ。もう、この2人の前から消えたほうがいい。

 そもそも、これから先サポーターとして雇ってくれるはずがない。あの男の冒険者が、ベルたちに自分の正体をバラしたに決まっている。

 どうせ少し早いか遅いかの違いだけ。どうせ、いずれは使い捨てられるのだから。いつもと同じようにスッパリ忘れて、新しいカモを探しに行けばいい。

 そう思っている。そう思っているはずなのに、胸にぽっかりと穴が空いたような喪失感がある。

 

「ベルのサポーターはどうだった?」

 

 背後から急に声をかけられ、思わずハッと振り返る。そこにはアリマがいた。

 探りを入れているのだろう。

 無表情も相まって、まるで尋問されている気分だ。

 

「どうも何も…… 普段と変わりませんよ」

 

 嘘だ。分け前もきちんと貰えたし、何より仲間として扱ってもらった。これで普段と同じ訳がない。

 しかし、リリルカは正直にそのことを告げることができなかった。怖かった。冒険者に本心を伝えるということが。

 

「なあ、リリルカ」

 

 そう呼びかけるアリマ。

 普段と変わりない表情だが、どこか優しい雰囲気があった。

 

「話してくれないか、君のこれまでを」

 

 気づけば、ポツポツと語り始めていた。

 自分の親がソーマファミリアに所属しており、生まれてすぐ自分もソーマファミリアに所属したこと。

 両親はソーマを得るために、実力の伴わない無謀な冒険を繰り返し、死んだ。自分も冒険者の腕に恵まれず、生きるためにサポーターに転身した。

 しかし、待っていたのは地獄のような日々。冒険者に蔑まれ、まるで奴隷のように扱われた。

 自分が何をした。ただ、生きていたいだけなのに。だからリリルカは呪い続けている。冒険者を、この世界を、そして自分自身を。

 

「冒険者なんて嫌いです。あなたも、ベル様も、冒険者なら全員大嫌いです!」

 

 そう叫び、息を切らす。

 ここまで全部吐き出したのは初めてだ。心に絡みついていた鎖が、少し緩んだような気分がした。

 

「君の苦しみは、俺には分からない」

 

 アリマは相変わらずの無表情だった。しかし、今度はどこか悲しそうな雰囲気で。

 

「だけど、俺の苦しみも、君には分からない」

 

 短い言葉。しかし、その言葉は何よりもリリルカの胸に打ち響いた。

 その言葉には重みがあった。地獄の淵を歩いた者にしか分からない、言葉の重みが。

 

「誰だって、他人には分からない辛い思いを抱えている。君が嫌っていると言った冒険者── ベルだって」

 

 アリマはそう言って、ベルを見る。

 ベルは丁度残り1匹のオークを倒し、一息ついていた。

 

「自棄にならずに、もう一度自分を見つめ直して考えてほしい。君が今まで出会った冒険者と、ベルが本当に同じなのか。君自身が本当はどうしたいのか。君にはまだ、膨大な未来があるんだから」

 

 本当に自分のやりたいこと。ベルのこと。アリマの言葉。頭の中で混ざり合う。思考がグチャグチャになって纏まらない。

 リリルカは俯きながら、呆然と立ち尽くす。アリマはその様子を少し見守った後、ベルの元へと歩いて行った。

 ふと、アリマの後ろ姿を見つめる。

 ──俺なんかと違って。

 最後にアリマがそう言っていた気がした。

 結局その日の探索、もといシゴキが終わったのは、アリマがベルにナルカミを撃ちまくった後だった。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 今日はベルとリリルカの2人だけだけでダンジョンを探索することとなった。

 アリマは何やら用事があるらしい。どんな用事かは言っていなかったが、きっとロキファミリア関連だろう。

 10階層へと降り、モンスターが現れるのを待つ。ふと、リリルカを見る。昨日を境に、明らかに様子がおかしい。フードを深く被り、顔は窺えないが、一つ一つの所作から何かを迷っている様子を感じた。

 

「リリ、大丈夫?」

 

 そう声をかけると、リリルカはいつもの表情で笑った。

 

「大丈夫も何も、戦うのはベル様なのですから、ご自分の心配をしないと。ほら、来ましたよ」

 

 リリルカが指差した先にはオークがいた。

 ベルは巻き添えにならないようリリルカから距離を取り、ナイフを構える。

 その外見に相応しい、鈍重な足取りでベルに襲いかかるオーク。

 ベルはオークの棍棒を躱して懐に潜り込み、オークの出張った腹ナイフを突き立てる。間髪入れずにナイフを引き抜き、傷口に手を当てる。

 

「ファイアボルト!」

 

 オークは膝から崩れ落ち、地面に倒れる前に黒い霧となって消え失せた。

 ふと、リリルカのいる方へ目を向ける。

 

「──っ!!!」

 

 そこには誰もいなかった。

 地面に落ちた魔石に目もくれず、ベルは全速力で走る。このままリリルカを探さなければ、もう二度と彼女に会えない気がして。

 昨日のヘスティアとの会話を思い返す。

 リリルカが悪い冒険者に絡まれていたから、少しの間だけでも拠点で匿えないかよう頼み込んだところ、ヘスティアは首を横に振った。

 そのサポーターは何かを隠している。いつになく真剣な面持ちで、ヘスティアはそう言った。

 分かっている。そんなことは、最初から分かっている。それでも、ベルはリリルカを信じると決めた。

 魔石の報酬を共に喜びあったときや、アリマとの特訓で傷ついた自分を心配してくれたときが、全部偽物だったなんて思えない。

 それに、時々だけど、寂しそうな目で遠くを見ることがある。

 きっとリリルカは、助けを求めている。なら、放っておける訳ないじゃないか。

 

「もう誰も、失いたくない……! 何もできないのは、嫌なんだ……!」

 

 自分に言い聞かせるようにそう言い、ベルは風のように駆けた。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 とある細い通路。リリルカは重い足取りで、そこを歩いていた。

 この通路はモンスターが現れる確率が稀であり、リリルカが1人でダンジョンから脱出するときによく使っている。

 ピタリ、と足を止める。視線の先には、昨日ベルに接触していたあの冒険者がいた。

 

「おお、本当に来たか。底辺サポーターにしては感心だな」

 

 下卑た笑みを浮かべる男。

 どの口が、とリリルカは男を睨む。

 この男は言っていた。もしも来なければ、ベルを襲いに行くと。

 この男はベルをただの子供と思い、本気で勝てると思っている。ベルがこんな男に負けるのは万が一にも有り得ない。むしろ、ダンジョンにいるモンスターよりも簡単にあしらうだろう。

 だけど、そんなことをされたら。今度こそ本当に、ベルとアリマの側にいられなくなる。これ以上2人に迷惑をかけることは、あの2人が許しても、きっと自分自身が許せない。

 男の要求は簡単だった。自分が今まで貯めていた財産、それを全て差し出すこと。

 ずっとずっと貯め続けた、ソーマファミリアを脱退するのに必要な金。しかし、それさえ差し出せば、金輪際リリルカに近づかないと約束してくれた。

 リリルカは昨日言われたアリマの言葉を思い出す。その言葉を聞き、全ての財産を差し出す覚悟を固めたのだ。金さえ差し出せば、この男も無一文の底辺サポーターに絡むようなことはないだろう。それに、言うならこれはケジメだ。

 金なら、生きてさえいればいつでも貯めることができる。だけど、ベルやアリマのような冒険者に出会う機会は、きっとこれっきりだ。

 だから、だから──。

 貸金庫の鍵をポケットから取り出し、男に投げ渡した。

 

「貸金庫の鍵か…… 偽物だったら、どうなるか分かってんだろうな?」

「そっちこそ。私との約束、きちんと守ってくださいよ」

 

 これでもう無一文だ。だけど、一からやり直すことができる。

 そう思った瞬間、ボトリと足元に何かが投げられた。麻で織られた白い袋だった。生き物が入っているのか、時折モゾモゾと動いている。そして、袋の縛り口からその生き物が顔を出した。

 キラーアント。瀕死になると、仲間を誘き寄せるフェロモンを散布するモンスター。

 冒険者の男の顔が醜く歪むのを目の当たりにする。この男が何を考えているのか、リリルカは悟ってしまった。




 主人公でそこそこ一人称視点も貰ってるのに謎の多い主人公。死ぬほど動かし辛いぞお前。
 感想・評価ありがとうございます!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

喰るう人

 リリルカは今、人生最大の危機的状況に立たされていた。

 足下に投げられたのは、瀕死のキラーアント。キラーアントは瀕死になると、仲間モンスターを呼ぶ習性を持つ。

 何故そんなものが投げられたのか。答えに凡その見当をつけながらも、外れてほしいと願いながら男に問いかける。

 

「どういう、つもりですか……!」

「どういうつもりも何も、大方は察してんだろ? お前をキラーアントの餌にしてやるんだよ。普通に殺すのもつまんねえからよ、ちょっと趣向を凝らしてみたんだ。どうだ、気に入ったか?」

「……約束が違いますよ」

「バーカ、俺が約束したのはあの2人にお前の正体を話さないこと! お前を生かして帰すなんて約束はしてねえよ!」

 

 ゲラゲラと笑う男。

 ある種の懐かしさを感じる。ベルとアリマに出会う前までは、リリルカの周りにはこんな冒険者しかいなかった。

 

「こんなことをしたら、アリマ様が黙っていませんよ……」

 

 アリマの名前を出すしかない。いや、アリマの名前を出せば助かるはずだ。

 自分の所有権はアリマにあると主張すれば、どんな冒険者でも手を出すのは諦めるはずだ。龍の威を借る狐のようで情けないが、生き残るためなら些細な問題だ。

 ピタリ、と男の笑い声が止まった。心底面白くなさそうに、男は顔を歪ませる。

 

「あのガキの言葉なら考え直したかもしれねえけどよぉ…… お前みたいな代わりがいくらでもいる底辺サポーターに、本当にあのキショウ・アリマが何かしてくれると思ってんのか!? あんな天上人が、俺らみたいな下々の人間を気にかける訳ねーだろうがよ!」

 

 男の叫びから羨望、嫉妬、憎悪といった感情がヒシヒシと伝わってくる。

 

「ちょこまかと逃げられる前に、足の一つでもぶった斬ってやるよ!」

 

 男は剣を引き抜いた。

 アリマの名前を出しても、相手を刺激するだけで逆効果だ。この男だって腐っても冒険者。走って逃げても、すぐに捕まってしまうだろう。

 なら、どうする? このまま黙って殺されればいいのか?

 リリルカは大きく息を吐く。

 懐から短剣を取り出す。そして、切っ先を男に向ける。

 戦うしかない。戦って、勝つしかない。

 やっと、やっと自分の本当にしたいことが分かったのだ。それなのに、それなのにこんな場所で終わってたまるか!

 勝算はある。リリルカが握っているのはただの短剣ではない。炎を飛ばす魔剣だ。接近されたら勝ち目はないが、真っ直ぐ突っ込んでくる瞬間を狙えば、倒せるかもしれない。

 

「なんだ、それは……?」

 

 男は震えた声で呟いた。

 瞳孔が完全に開いている。怒ったというのなら好都合だ。冷静さを失わさせれば、その分だけこちらの勝率は上がる。

 地面を蹴る音が響く。男がリリルカに向かって走り出した。

 今だ!

 リリルカの魔剣から炎が放たれる。

 男の目が大きく見開く。まさか魔剣とは思っていなかったのだろう。完全に不意を打てた。これなら当たる!

 

「ちぃっ!!」

 

 男は大きく体を反らし、炎を躱す。

 失敗した──!

 男が体勢を崩している隙に、更に2発目を叩き込もうとする。しかし、既に体勢を立て直し、リリルカのすぐそばまで接近していた。

 そう、この男は腐っても冒険者なのだ。長い間サポーターとしてダンジョンに潜っていたリリルカとは地力が違う。

 

「オラァ!!」

「ぐぅっ!?」

 

 男は剣を使わず、右拳をリリルカの顔めがけて突き出した。

 どうにか腕で防御するも、勢いまでは殺せず、地面に倒れこむ。

 このままじゃ殺される。どうにかしないと……!

 顔を上げると、そこには血走った目で足を振り上げている男がいた。

 

「テメエまで、そうやって、俺を馬鹿にしやがるのか!!」

 

 男の足が振り下ろされる。咄嗟に身を丸めて、男の足から頭を守る。

 男は何度も何度もリリルカを踏みつけ、蹴りつける。リリルカの身体中に鈍い痛みが襲い、思わず悲鳴をあげる。

 

「あのベルってガキも、キショウ・アリマも、ゴミを見るような目で俺を見やがった!! クソが、何様のつもりだ!!」

 

 とどめとばかりに、リリルカは男に蹴り飛ばされる。

 地面を転がり、仰向けになって止まる。

 立ち上がって、逃げないと。その思いに反して、身体は動かない。

 男がふらふらとした足取りで、倒れるリリルカに近づく。そして、手に持っている剣を振り上げる。男の目は、殺意の色で塗り尽くされていた。

 

「キラーアントの餌にするのはやめだ。ここで死ね!」

「──っ!!」

 

 とうとう剣が振り下ろされる。

 もう、駄目だ──。

 諦めかけた次の瞬間、鳴り響く金属音。

 リリルカと男の間に割り入った少年が、男の剣を黒いナイフの腹で受け止めていた。

 雪のように白い髪。小さいながらも、どこか頼りある背中。見間違うはずもない。この後ろ姿をずっと見てきた。

 思わず涙が溢れる。来てくれた。来てくれたんだ。

 

「ベル様……!」

 

 掠れた声で、その少年の名を口にする。

 ベルは少しだけ振り返り、にこりと優しく微笑んだ。

 ベルはすぐに視線を男の方に戻す。リリルカに向けた表情とは打って変わり、険しい表情だ。

 

「こいつで二度目だなあ、ガキぃ……!」

 

 男は不敵に笑っているが、その内心は焦燥に駆られていた。

 どれだけ剣に体重を乗せても、ナイフはピクリとも動かない。まるで大きな岩に剣を押し付けているみたいだ。それはつまり、ベルと男の間にはどうしようもないステイタスの差が広がっているということで──。

 ぞわり、と背中に嫌な感覚が奔った。

 思わず後方へ跳ぶ。ベルは追撃せず、そのまま距離を保っている。

 男は安堵の息を漏らすと同時に、ある考えがごくごく自然と浮かぶ。

 まさかこいつ、俺より強い──?

 かぶりを振るい、その考えを否定する。こんな子供が自分より強いなんて、そんな訳があってたまるか。

 

(あのガキが突然割り込んできやがったから、驚いて剣を全力で振り下ろせなかったんだ。そうだ、全力でやればあんなガキ、どうとでもできる!)

 

 自分に必死に言い訳をする男に目もくれず、ベルは倒れているリリルカを抱き起こす。

 

「リリ、大丈夫?」

「来て、くれたんですね……」

「当然じゃないか。ちょっと待ってて、すぐに終わらせるから」

 

 ベルはリリルカをゆっくりと地面に寝かせる。ゆっくりと立ち上がり、後ろにいる男を睨みつける。

 

「リリは女の子なんだぞ……!」

「女だからどうしたんだ?」

 

 リリルカの顔のあちこちには痣ができていた。どれほど殴られたのだろうか。どれほど蹴られたのだろうか。それを想像するだけで、ベルの心の奥底から怒りが湧き上がってくる。

 

「謝れ…… リリに謝れ!」

「はっ、謝る訳ねーだろ!」

「それなら……」

 

 ベルはヘスティアナイフを男に向ける。

 

「リリの痛みを思い知らせてやる!」

 

 男はベルの目を見た。

 本気だ。本気で、自分を叩きのめそうとしている。その行為は、男のプライドをどうしようもなく逆撫でした。

 ぷつり。理性をどうにか繋ぎ止めていた細い糸が切れた。

 男は駆け出し、ベルとの距離を詰める。

 剣のリーチまで届いた瞬間を見計らい、全力で剣を振り下ろす。最早この男は、アリマの弟子であるベルを殺せばどうなるか、という判断すらできなくなっていた。

 ──キィンッ!

 再び響く金属音。

 男は混乱の最中にあった。何が起きた。どうして俺は、何もない地面に剣を叩きつけている!?

 離れた位置から見ていたのと、ベルとアリマの動きを見ていたからこそ、リリルカの目はどうにか一連の流れを捉えていた。

 ベルは振り下ろされる剣の腹を正確にナイフを当て、剣をいなしていたのだ。

 

「こ、このっ!!」

 

 男は再度剣を振るう。

 ベルはナイフでいなそうとせず、全ての剣戟を紙一重で避けていた。

 少しでも見切りが甘ければ、男の振るう剣に斬り裂かれることになる。しかし、ベルの顔に恐怖はない。ただ冷静に、男の太刀筋を観察していた。

 ベルのその動きに、リリルカはキショウ・アリマの姿を彷彿した。そうだ、アリマだ。今のベルの動きは、まるでキショウ・アリマの縮図のようだ。

 

(──分かる。相手の動きが手に取るように分かる。モンスターなんかより、全然戦いやすい)

 

 ベルは一種の高揚感を感じていた。

 プログラミングされたように、思考よりも先に身体が動く。反射とも言っていい。自分の身体が自分じゃないみたいだ。

 隙だらけの男の剣。付け入る隙はいくらでもある。現時点で一番最良なのは、左側から回り込んで肉薄すること。

 そう思った瞬間、ベルは男の左側に回り込んでいた。

 突然のベルの動きに男は対応できず、そのまま固まる。ここだ、ここで──

 

(首を刈れ──)

 

 そして、ベルは男の首へとヘスティアナイフの刃を走らせて──

 

「っ!!??」

「がびゃっ!!?」

 

 咄嗟にナイフの持ち方を変え、柄尻を男の顔に叩き込むように振るう。

 ぐちゃりと肉が潰れる音がした。

 男の口からは数本の歯と血飛沫が飛んでいる。勢いそのまま、男は地面に倒れ落ちた。

 

(僕は今、何をしようと……!)

 

 ナイフを握るベルの手は震えていた。

 もしもあのまま、ナイフを振り抜いていたらどうなっていた?

 無意識とはいえ、自分のしようとしていたことに漠然とした恐怖を覚える。

 しかし、今はそんなことに疑問を覚えている暇はない。ベルはすぐにその恐怖を抑え込み、毅然とした表情で男を見る。

 びくり、と男が震える。ナイフの柄で殴られたせいか、鼻筋は折れ曲がり、前歯はまばらに抜け、顔が醜く歪んでいる。第三者から見れば、惨めという言葉しか浮かんでこないだろう。

 

「今度また、リリに近づいてみろ。こんな怪我じゃ済まさないぞ!」

「ひっ、ひぃっ!?」

 

 ベルがそう一喝すると、男は四つん這いのままダンジョンの奥に消えていった。

 ベルはすぐにポーションを取り出し、リリルカのそばに座り込む。リリルカの口を開き、ポーションを飲ませる。

 リリルカの顔の傷が消えていく。呼吸も安定してきた。

 むくり、と上半身だけ起こす。ホッとした表情のベルとは対照的に、リリルカは申し訳なさそうな表情だった。

 

「ごめんなさい、ベル様。また迷惑をかけちゃいましたね」

「謝ることなんてないよ、リリ。悪いのはあの男なんだから」

 

 リリルカは静かに首を横に振った。

 

「ベル様、私はずっと嘘をついてました」

 

 リリルカは決めた。全てを話そうと。

 この人に全部話さなければ、きっと自分は前に進めない。全て話したせいで、ベルに受け入れられなかったとしても構わない。

 

「本当は、武器を盗むためにベル様に近づきました。あなたみたいなお人好しなら、簡単に奪い取れると思ったから」

 

 結局、無理でしたけどね。そう言いながら、まるで自虐するように笑う。

 ベルはただ、静かに聞いている。

 

「こんなことを、リリはもう何回もやってきました。あんな風に恨みを買うのも当然のことを、何度も何度も……」

「うん」

「魔石も何個かちょろまかしたり、報酬も自分の分を水増ししたりしました」

「うん」

「ベル様やアリマ様のこと、内心ではあんな特訓を毎日してるとかドSとドMコンビかよって思ってました」

「……う、うん」

 

 強く握り締めたリリルカの手に、ポツポツと涙が落ちた。

 

「こんなリリでも、ベル様はまだ仲間と思ってくれますか……?」

 

 その言葉を聞いたベルは、優しく微笑み返した。答えを聞かなくても、リリルカには分かった。ああ、この人は──。

 

「当たり前じゃないか。最初から最後まで、リリはずっと僕らの仲間さ」

「っ…… ベル様ぁ!!」

 

 誰よりも純粋で、誰よりも優しい。

 思いっきりベルに抱きつく。

 これからは、そう。これからは、この人の隣に立っても恥ずかしくないように、生きていこう。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 ベルに敗北した男── ゲド・ライッシュはダンジョンの中を逃げ惑っていた。

 出口に向かっているのか、それともダンジョンの奥へ進んでいるのか。闇雲に逃げているせいで、分からない。

 だが、今はそれでいい。少しでも長く、ベル・クラネルから離れなければ。

 どんどん足が動かなくなる。壁に身を預けながら、それでも気力だけで進む。

 

「……何なんだよ、何なんだよ!!」

 

 なけなしの体力を使い、ゲドは叫ぶ。叫ばずにはいられなかった。

 どうしてあんなガキが、小娘が、オラリオ最強の一角と名高いキショウ・アリマに認められるんだ。どうして俺は、自分よりも年下の子供に圧倒されて、涙を流しながら逃げているんだ。

 自分がどれだけ惨めなのか、今日ほど思い知ったことはない。

 ふと、ゲドは逃げる足を止めた。

 

「キラー、アント……」

 

 ゲドの目の前には、無数に群がるキラーアントたちがいた。

 思わずその場でへたり込む。

 ずっと逃げ回っていたせいで、もうキラーアントから逃げる体力は残っていない。当然、このキラーアントの群れを全滅させることも不可能だ。

 どうしてこんな場所に…… いや、そうだ。他でもない自分が、あのサポーターを殺すためにキラーアントを呼び寄せたじゃないか。

 自分が張り巡った策を忘れて、勝手に溺れる。どうしようもなく間抜けで、愚かだ。

 

「何、で…… この俺が、こんな馬鹿みたいな死に方をしなきゃ……!!」

 

 キラーアントの大顎が近づいてくる。あの大顎で砕かれるのは手足? 頭?

 どちらにせよ死ぬ。間違いなく死ぬ。あのサポーターのように、誰かが助けてくれる仲間なんていない。

 脳裏にこれまでの人生が浮かび上がる。自分なら大成できると思い、遥々オラリオに来てみたら、待っていたのはモンスターの餌という末路。自分の人生ながら、悲しくなってくる。

 噛みつかれる寸前、何故かキラーアントが動きを止める。周りにいる他の個体も、まるで時が止まったように動かない。

 どういうことなのか、よくよく周りを見渡してみる。

 誰かがいる。蠢めくキラーアントの群れの中に、黒い布切れをフードのように被っている誰かが。

 体格から察するに、成人の男。キラーアントに襲われず、悠然と佇んでいる。只者ではないと、直感で理解した。

 男が軍隊を制止するように右腕を横に出す。するとどうだろうか、キラーアントは顔をこちらに向けたまま後退した。

 

「キラーアントが、退いていく……!」

 

 残ったのは、ゲドとフードを被った男だけだった。

 

「助けて、くれたのか……?」

「……」

 

 フードの男は何も言わない。

 無言のまま、一歩一歩、ゲドに近づく。

 

「……おい、何とか言えよ。聞こえてんだろ、何とか言えって!!」

 

 状況だけ見れば、命の恩人と言っていいのだろう。どんな方法を使ったのかは知らないが、キラーアントを退かせてくれた。

 しかし、ゲドはフードの男から不穏な雰囲気を感じた。

 この男はヤバイ──。立ち上がろうとするも、足がガクガクと震えて動かない。

 男の顔の下半分が見えた。男の口角が大きく吊り上っている。まるで獲物を見つけたようなそれ。

 ゲドが感じ取っていた不穏な雰囲気は、獰猛な肉食獣と対峙したようなそれに変容する。

 

「ひぃっ!?」

 

 地面にへたり込んだまま後ずさりし、手近にあった小石を投げる。

 しかし、無駄な足掻きだ。フードの男の歩く速さには敵わないし、小石を投げる程度で動きを止めれる訳もない。

 

「く、来るな!! 来るんじゃねえ!! 俺のそばに近寄るな!!!」

 

 フードの男はゲドの目の前にしゃがみ込む。そして、ゲドの襟元を右手で掴み、ぐいっと顔の近くに寄せた。

 目の前にあるのは大きく開いた口。まるで奈落の底に繋がっているように、暗く、深い。

 

「う、うわあ──」

 

 ぐちゃり。

 骨ごと咀嚼する音が、誰もいないダンジョンに響いた。フードの男は口にべたりと塗り付いた血を拭うと、もう動かなくなったゲドの左腕を掴み、ズルズルと引きずりながらダンジョンの奥へと消えていった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 どうしたんですかねえ、この状況?

 所用も片付き、昨日ぶりにベル君とリリちゃんに会ったら、なんか2人ともベッタリしてた。いや、2人ともっつーか、リリちゃんが一方的にベル君に引っ付いている。

 ベル君の顔は面白いくらい真っ赤だった。多分あれだな、当ててんのよってやられてんだ。リリちゃん、意外と立派なぱいおつがあるからなあ。無印時点のトーカちゃんよりは確実にある。

 しかしここ、いつもの待ち合わせ場所の噴水だぞ。人の目があるんだぞ。現に生暖かい目で見られているんだぞ。

 

「……どうしたんだ?」

 

 とりあえず、どうしてこうなったのか聞いてみた。なんかつっこんだら負けな気がするけど。

 

「実はかくかくしかじかで……」

 

 ベル君が昨日、ダンジョンで何があったのか話してくれた。

 そっか。リリルカ、自分のことを全部話せたのか。ベル君を完全に信頼したという証だろう。いやあ、良かった良かった。

 ……いや、信頼とは少し別物な気がする。なんかもっとピンク色な感情の気がする。いつまで引っ付いてんねん。ぱいおつ押し付けてんねん。

 というか、俺の名前を出したのに、まだリリちゃんにちょっかいを出せるような冒険者がいるのか。念には念を入れて、ソーマファミリアとお話し(肉体言語)してきた方がいいかもしれんな。あいつら、神酒を飲むためなら何でもするっぽいし。リリちゃんが狙われる前に、釘を刺しておこう。

 それにしても、ベル君も初めての対人戦でよくやったよ。少し相手がアレ過ぎだけど。俺の特訓の成果が出ているようで安心した。実はベル君に教えているの、効率的な攻撃の避け方と、効率的な人間の壊し方だから。この調子で俺をブッ殺せるまで成長してほしい。

 

「それで、ソーマファミリアは脱退できそうなのか?」

「はい! お金も別に奪われた訳でもないので、もうすぐ脱退できる金額に届くと思います」

「足りない分なら、俺が出してもいいけど」

「僕だって手伝うよ、リリ」

「心配しなくても良いですよベル様、お義父様。ソーマファミリアはリリがきちんと話をつけに行きますから」

 

 脱退金くらい気にしなくてもいいのに。俺、IXAとナルカミの調整と日用品購入くらいでしか金使わないから、余りに余ってるんだよな。この前通帳的なの見たら、ゼロがたくさん並んでいた。面倒だから半分からは数えていないが、結構あるはずだ。

 まあでも、本人がいいって言うなら、無理強いは良くないな。偽有馬さんとしての生活が長いせいか、金銭感覚が狂ってるみたいだし。ベル君の鎧を買うときに学びました。

 ……って、んんん? お義父様??

 

「あの、リリ……? お父様って……?」

 

 急にぶっ込んできたな、びっくりしたわ!

 それとベル君、多分君の言ってるお父様とは意味が違うぞ。お父様じゃないぞ。お義父様だぞ。

 

「はわわ、すみません! お2人の姿が似ているから、ついつい間違っちゃいました!」

「あ、あはは…… そんなに似てるかなぁ? 確かに髪の色は同じだけど。ふふっ」

 

 俺と似てると言われたからか、嬉しそうに笑うベル。それを見たリリちゃんも笑う。ただし、計画通りって感じの笑い方で。どこのキラかな?

 まさか、お義父様って呼んだのは、俺という外堀を埋めるため? だとしたら、なんて末恐ろしい…… なんて末恐ろしい子なんだ。

 この子、間違いなく肉食系だ。典型的な草食系男子のベルなんて、もう喰われる(意味深)しかねえぞ!

 そういやリリちゃん、小人だから幼く見えるだけで、15歳でベル君より普通にお姉さんなんだよなあ。年上で肉食系なんて、もう完全に弄ばれてるやんけ。

 俺としたことが完全に見誤った。こんなん…… こんなんサイコちゃん枠やない! 月山さん枠や!

 そんなこんなで、今日もいつもと同じように、ダンジョンでベル君を鍛えた。変わったことといえば、何か妙にリリちゃんとベルの距離が近かったくらいか。

 どうやらリリちゃん、ベル君の専属サポーターとして、ヘスティアファミリアにご厄介になるそうだ。まあ、あの強かさならヘスティアとも上手くやれるでしょう。まんま月山さんみたいで草生える。

 あ、帰り道のついでにソーマファミリアともお話し(肉体言語)してきました。当然、リリ山さんにはバレないように。リリ山さんの脱退金を受け取ったら、もう二度とリリ山さんに手を出さないこと。というか受け取る前でも手を出すな。そう要求して、ソーマファミリアのメンバーの1人をボコったら、みんな素直に要求を聞いてくれてましたよ。イイヒトタチデヨカッタナー。

 それと見知らぬ花屋の老夫婦さん、仇は俺が取っておいたので安心してください。

 

 

 




 感想・評価ありがとうございます!
 東京喰種恒例、なんかフードを被った人! お、おまえはいったいなにものなんだー。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

抱く糸音

 気が滅入りそうな長い廊下を歩く。

 ここはロキファミリアの本拠、黄昏の館。最大手ファミリアに相応しい館で、そりゃもう馬鹿でかい。正直、周りと比べると浮いてる感は否めない。

 あるドアの前で足を止める。ようやく着いた。屋内の部屋に行くのにかかるような時間じゃねえぞ。

 ドアを開ける。他の部屋とは違い、この部屋は石造りでできている。しかし、刃物で引っ掻かれたような傷や、補修したような箇所があちこちに見受けられる。

 そう、ここはロキファミリアの修練場。血気盛んなロキファミリアの冒険者たちが、ここで日夜修練に励んでいる。

 今日は修練場の真ん中で1人、長剣を振るう男だけがいる。何の特徴もクセもない、まさに教科書通りの太刀筋。どれだけ洗練された動作か、一目で伝わる。

 実はこの男に用があるから、わざわざこの部屋までやって来たのだ。

 

「ラウル」

 

 名前を呼ぶと、ラウルは素振りをやめ、目線だけをこちらの方に向けた。

 

「アリマさん」

 

 ラウルは会釈だけして、剣の素振りに戻った。そのドライさ、嫌いじゃないぜ。むしろ平子さんっぽくて好感が持てる。話しかけるタイミングは失ったが。

 彼の名はラウル・ノールド。ロキファミリア所属の、Lv5の冒険者だ。

 実は、平子さん枠と見込んだ人でもある。

 俺と出会う前のラウルは、それこそオラリオに一山いくらでもいる、平凡な冒険者だった。突出した長所はないが、目立った短所もない。戦い方もオーソドックス中のオーソドックス。

 やはりと言うか、顔も平凡だ。悪くはないが、美形って感じでもない。もしもカヤさんがラウルを見たら、村人その2のような顔と評するだろう。

 極め付けに、ラウルの二つ名は超凡夫(ハイ・ノービス)という。どんだけ平凡を強調したいねん。

 初めてラウルのことを知ったとき、彼以外に平子さん枠は有り得ないと思ったね。ガイアがラウルを平子枠にしろと囁いている。

 その読み通り、未だにラウル以外で平子さん枠にしっくりくる人はいない。

 だから、カネキ君ことベル君の次くらいに調きょ…… じゃなかった、鍛え込んでやった。有馬避けくらいは普通にできる。さすがにクインケ二刀流は無理だったが。そこも平子さんっぽくてポイント高い。

 あと、鍛えた効果かは知らないけど、生真面目で貧乏籤を引くような性格から、何事も卒なくこなすいぶし銀な性格に変わった。某鉢川さんみたいなツンツン頭から、前髪を下ろした普通の髪型にもなった。

 どんどん平子さんに近づいていく。これ、俺のせい? 俺のせいですね。

 さて、そろそろ本題に入ろうか。いつまでもラウルの素振りを見てる訳にもいかない。

 

「頼みがあって、会いに来た」

 

 そう言うと、ラウルは再び素振りをやめ、身体ごとこちらに向き合った。

 

「頼み、とは?」

「その武器── ユキムラを、ある少年に渡したい」

 

 ラウルは少しだけ目を細め、手に握るユキムラを見つめた。

 ユキムラ。言わずと知れた、有馬さんが高校生の頃に使っていたクインケだ。特殊なギミックはないが、Sレートになった錦先輩のご立派な尾赫を真っ二つにするほどの切れ味を誇る。

 駆け出し冒険者の頃、せっせと金を貯めて、ユキムラの模造品を造らせた。素材となったのは、当時そこそこ強かった虎のようなモンスターの牙だ。当然、倒したのは俺である。後で聞いた話だと、あの虎は階層主だったらしい。

 にしても、懐かしいなあ。ユキムラは俺の初めての専用武器だ。IXAができるまで、随分と長い間お世話になったよ。

 東京喰種でも、有馬さんのユキムラは平子さんに、平子さんから琲世に渡っている。なら、俺もそれに習わない訳にはいかない。俺からラウルに、ラウルからベル君にユキムラ(偽)を渡さなければ。

 勿論、理由はそれだけではない。10階層より下になると、オークのような大型モンスターがわんさかと出現する。ヘスティアナイフだと、ちょっとリーチが心許ない。ヘスティアに聞かれたら怒るだろうなあ……。

 でも、あれって持ち主と一緒に成長するとかいうテラチート武装だからなあ。あれと比べると、ユキムラではどうにも見劣りしてしまう。使ってくれるかな?

 

「ある少年…… ベル・クラネルですか」

「ああ」

「分かりました」

 

 良かった、了承の返事をしてくれた。

 まあ、元々話はつけていたし。次に俺が見込んだ冒険者── カネキ君枠を見つけるまでの期間、ユキムラを預かってくれって。

 

「渡す時期はラウルに任せる」

 

 ラウルにも新しい武器を決める時間が必要だと思うし。

 なるべく早く渡してほしいが。

 

「なるべく早くするよう善処します」

 

 流石はいぶし銀。言葉の裏にある意図をちゃんと汲み取ってくれている。アマゾネス姉妹やアイズホープ、ベートじゃ気づかないだろうなあ。

 さて、用は済んだけれど、このまま帰るのは少し寂しい気もするな。

 

「折角だし、久し振りに稽古する?」

「ええ、是非」

 

 ラウルがユキムラを構えた。

 俺も武器── というか胸ポケットにある万年筆を取り出し、構える。

 次の瞬間、ラウルは俺の懐に潜り込み、ユキムラを真横に振るった。動きは及第点。惜しむらくは、身体能力の差かな。Lv2分の開きとなると、どんな動きをされても目で追えてしまう。当然と言えば当然だが。

 万年筆の先をユキムラの腹の部分に当てて、軌道を僅かに逸らす。いくら俺でも、万年筆でユキムラの刃を受けることはできない。

 ラウルは即座に体勢を立て直し、今度は連続でユキムラを振るう。基本は万年筆で防ぎ、躱さざるを得ない斬撃は躱す。

 かれこれ5分、その時間が続いた。前にやったときよりも長く続いている。

 やっぱり何の特徴もないけど、良い攻撃だ。前よりも腕が上がっている。避けるしかない斬撃が多いのが証拠だ。きちんと殺意が乗ってるのもポイント高いよ!

 

「……」

「ッ……」

 

 剣戟を掻い潜り、ラウルの眉間めがけて万年筆を突き出す。ラウルはその攻撃を目で追えているが、動けない様子だった。

 あわや突き刺さる寸前で、ピタリと万年筆を止める。

 勝負ありだ。ラウルもユキムラの切っ先を地面に向けて、一息吐いた。

 

「参りました」

「動いてから目で追うようじゃ遅い。相手が動く先に目線があるようにしないと」

「……努力します」

 

 無理だろそんなん、と言いたそうな目をしている。そんなに難しいかなぁ……。クインケ二刀流みたいな無茶は言ってないつもりなんだが。

 万年筆を胸ポケットに戻す。

 及第点だけど、まだまだ。この程度で満足してもらっては困る。平子さんはあの有馬さんの右腕なのだから、もっと頑張ってもらわないと。

 ガチャリ、とドアの開く音がした。誰かが入ってきたようだ。

 痴女かなと言いたくなるようなパッツパツの白いレオタードを着て、腰まで届く長い金髪を揺らしている。うん、アイズか。

 

「アリマにラウル、何してるの?」

 

 何をしてるのと言いながらも、その目は爛々と輝いている。

 稽古したいんだろうなあ。外面はこんな物静かな美人さんなのに、どうしてこんな戦闘狂に育ってしまったのか。それもこれもロキってやつの仕業なのか?

 

「アリマさんに少し稽古をしてもらった」

「私も混ぜて」

 

 ですよね。

 いやあの、そろそろベル君との待ち合わせ時間が迫っているんだけど。

 

「すまない、この後予定があるんだ」

「そう、残念……」

 

 オヤツを取り上げられた子犬みたいに、ショボーンとするアイズ。罪悪感があるような、ないような。

 

「ラウル、代わりに相手をしてくれ」

「はい」

「!」

 

 とりあえずラウルにぶん投げた。実力も近いし、お互いにとって良い稽古相手だろう。

 さてと、今日のベル君の稽古、どうしようかな。……そうだ、ナイフに重りを付けながら戦うとかいいんじゃね? まずは10kgくらいからいってみようか。

 ユキムラの重さに慣れてほしいし。あれ、見た目の割に結構重いんだよなあ。甲赫のクインケなだけはある。そんなクインケを持って変態機動しちゃう有馬さんマジ有馬さん。

 そんなこと思いながら、鍛錬場を出ていった。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 鍛錬場では、金属と金属がぶつかり合う音がひっきりなしに響いていた。アイズとラウルが、互いに剣で斬り合っているからだ。

 アイズの専用武器、デスペレート。彼女の剣技と魔法に耐えうるよう、不壊の属性が付与された剣だ。

 対して、ラウルの振るっている剣に特別な性能は何もない。しかし、デスペレートと対等に斬り合えている。その剣の銘はユキムラ。あのキショウ・アリマが駆け出しの頃から使っていた剣だ。アイズ自身、ユキムラを握りながらモンスターを屠殺するアリマの姿を何度も見てきた。

 ある鍛冶職人にIXAを造らせるまで、ユキムラに改良に改良を重ねたせいか、第1級冒険者の武器と比べてもなんら遜色ない性能になった。

 目の前の男…… ラウルの戦い方に、特別な点は一つもない。お手本通りの剣筋。お手本通りの体捌き。まるで機械を相手にしているようだ。

 だからだろうか── 強い。こちらの本来の動きをさせてもらえず、戦いにくいったらありはしない。純粋な剣の技量だけ抜き取れば、自分にも引けを取らないだろう。

 

「──っ!」

 

 ラウルの剣の幕に隙ができる。誘い込まれているのか。いや、関係ない。行け。

 ラウルの首に剣を突きつける。しかし、いつの間にか、ユキムラもアイズの首に突きつけられていた。

 引き分けだ。

 アイズは少し悔しそうに、ラウルは無表情のまま剣を下ろす。ユキムラを首に突きつける方が数瞬だけ速かった。一瞬でもアイズの反応が遅れていれば、引き分けではなく、アイズの負けで終わっていただろう。

 アリマと稽古できないのは残念だったが、ラウルとの稽古も実に有意義だ。同じLv5の、同じ得物の使い手として、彼の動きは参考になる。

 

「ラウル、強くなったよね」

「仮にも、アリマさんの指導を受けた身だからな。才能のない俺でも、これくらいできるようにならないと……」

 

 誇るでもなく、謙遜するでもなく、ただ淡々と事実を告げるように言う。

 初めて会ったとき、ラウルの第一印象は普通の一言で尽きた。普通に明るくて、普通に優しい人だった。

 しかし、いつからだろうか。アリマが彼に目を付けてから、ラウルは変わってしまった。持ち前の明るさは鳴りを潜め、年不相応に冷静な性格に変わった。いや、冷静というよりも、達観したという表現が正しいかもしれない。

 表情も次第に死んでいった。アリマとまではいかないが、まるで仮面を被ったように、その内面を悟らせない。昔のように笑った顔をしたのは、もう何年前だろうか。

 その代わりに、冒険者としての腕前をメキメキと上昇した。今となっては、第1級冒険者と肩を並べて戦えるほどになった。

 やはり、アリマの指導が大きいのだろう。誰もがアリマの指導を羨ましがり、どうしてラウルがアリマの目にかなったのか疑問に抱いていた。

 しかし、ラウルは相変わらず第2軍の冒険者でいる。第2軍とは、主力である第1級冒険者を支えるサポーターのような役割だ。

 しかし、決してモンスターと戦うのに恐怖しているからではない。ソロでダンジョンに潜ったかと思えば、アイズたちよりも深い階層へ到達していたりする。

 では、何故2軍にいるのか。それは誰にも分からない。何やら、アリマが関係しているようだが……。

 

「ラウルはどうして強くなりたいの?」

 

 ラウルに長年の疑問をぶつけてみた。

 アイズにとって最も不可解なのは、ラウルに強くなろうという意思が見えないことだ。単純に分からないだけかもしれないが。

 誰かを守るため。更なる高みを目指すため。己のプライドのため。強くなりたい理由は、それこそ人それぞれだろう。それでも、人は多かれ少なかれ、強くなることに喜びを感じる。

 しかし、ラウルにはそれがない。強くなることを、手段の一つとして完全に割り切っているように見える。別の効率的な手段があれば、きっとそちらを採るだろう。

 ラウルは少し考えるような素振りを見せると、やがて口を開いた。

 

「あの人に、強くなれと言われたからだ」

 

 あの人、とはアリマのことだろうか?

 それだけ言うと、ラウルは口を噤んだ。これ以上聞くな、という明確な拒絶の意思を感じた。

 なら、何も聞かないべきだ。相手が嫌がっているのに、それ以上踏み込むほど捻くれてはいない。

 

「喉が渇いたな…… 水を取ってくる。アイズは欲しいか?」

「ううん、いらない」

「そうか。じゃあ、少し行ってくる」

 

 ラウルが鍛錬場を出て行く。やはり、あまり聞かれたくない話だったのか。

 結局、アイズとラウルはその日、模擬戦だけをして1日を潰した。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 北西のメインストリートを歩く。冒険者通りと称されるだけあり、すれ違う冒険者も非常に多い。

 最近になって、ちょくちょく思うようになってきた。どうにも弛んでる気がすると。

 いや、ベル君ではない。寧ろ、ベル君はよくやってくれている。言われたことを素直に聞いてくれるし、次会うときにはキッチリと物してくれている。師匠冥利につきるというものだ。

 弛んでいるのは俺、俺だよ。

 最近戦っているモンスターは雑魚か、少し強いのばかり。こんなんじゃ腕が鈍っちまう。せめてSレートクラスと戦いたい。

 だから今日は、ソロでダンジョンに潜ろうと思う。目標階層は…… うん、いけるとこまで。とりあえず、前回よりは奥に行きたいと思う。前に行ったときは50…… あれ、60くらいだったかな?

 行って戻ってくるまで3日くらいかかるので、気合を入れて臨みたいと思う。

 ギルド本部に着く。

 扉を開け、受付に向かう。何人かの冒険者が並んでいる。列の最後尾で待っていると、前の方にいる冒険者たちがチラチラと後ろを見てくる。確かに君たちが待たせているのはオラリオ最強の一角、キショウ・アリマだけど気にしなくてもええんやで。

 すると、目の前の冒険者がまた1人、また1人と列から離れていった。分かるよ、その気持ち。背後に有馬さんがいるとか、畏れ多くて仕方ないよな。俺は偽物だけど。

 受付のカウンターまで一直線に進んだ。

 

「あれ、どうして人が消えて…… って、アリマさん」

 

 受付のカウンターにいるのはエイナさんだった。なんたる偶然。

 

「エイナか」

「こんにちは、アリマさん。今日はお1人なんですか?」

「ああ。久しぶりに1人でダンジョンに潜ろうと思ったから」

「ソロで、ですか。アリマさんだから大丈夫とは思いますけど、万が一危険な目にあいそうなら、すぐに逃げてくださいよ?」

 

 まさかLv7になった今、ソロでダンジョンに潜るのを心配されるとは。

 流石はエイナさん、オカンっぽさが半端ない。俺の中でリヴェリアと暁さん枠をかけて、デッドヒートしているだけはある。

 

「それとアリマさん、リリルカさんの件はどうもありがとうございました。実は私も、少し心配してたんです。ソーマファミリアにはあまり良い噂を聞かなかったから。でも、アリマさんがどうにかしてくれたみたいですね」

 

 そう言って頭を下げるエイナさん。

 怪物祭は冒険者として当然の責務だし、リリ山さんの件については──。

 

「俺は何もしていないよ。動いたのはベルだ」

 

 リリ山さんが救われたのは、一から十までベル君のおかげだ。謙遜とかではなく、本当に俺は何もしていない。

 あっ、いや…… リリ山さんに手を出したらぶっ潰すぞって、ソーマファミリアの奴らに釘は刺したな。1人再起不能にしたし。

 バレたらまずい案件だし、黙ってよう。

 

「それで、その……。怪物祭の件も含めて、お礼にこれを受け取ってくれませんか?」

 

 エイナさんの手にあるのは栞だった。長方形の白い紙に、綺麗な一輪の青い花が押されている。

 

「栞か」

「ティオナさんから聞いたんです。アリマさん、本がお好きだって」

「ありがとう、頂くよ」

 

 ここまでされたら、遠慮なんて逆に失礼だ。言葉通り、ありがたく頂こう。そんで使わせてもらおう。

 気持ち微笑み気味で、差し出された栞を受け取る。ネクタイピンを受け取ったときみたいな有馬さんの顔、できただろうか?

 受け取った栞を改めて見つめる。前世も含めて今まで見てきた花の中で、一番綺麗だと感じた。何の花を使っているんだろう?

 

「この花は?」

「ダンジョンのある階層でしか生えていない花だそうですよ。3日もすればすぐに枯れちゃうらしいから、とても珍しいんですよ」

 

 その言葉を聞いた俺は、少しだけこの花に親近感を抱いた。

 3日だけ咲く花、か。どんな花よりも美しく咲き誇り、どんな花よりも早く枯れてしまうのだろう。

 その様はまるで有馬さんみたいだ。有馬さんは誰よりも強かったのに、東京喰種の表紙キャラで誰よりも早く退場してしまった。

 

「あの、お気に召しませんでしたか?」

 

 エイナさんが心配そうに聞いてきた。

 いけね、ちょっとぼーっとし過ぎた。有馬さん関連のこととなると、どうにも隙ができてしまう。

 

「いや、そんなことない。気に入ったよ、この栞」

 

 栞をコートのポケットに突っ込む。

 さて、そろそろダンジョンに向かうか。

 

「それじゃあ、3日後に」

「はい、3日後に…… ええっ!? 3日後!?」

 

 カウンターから離れる。

 戦闘中、栞が折れ曲がったりしないか心配だ。できるだけ気をつけて戦おう。

 それにしても、ネクタイピンじゃなくて良かった。これでネクタイピンだったら、どうしようかと思ったよ。

 やっぱり貰うなら、ベル君じゃなきゃ。だけど、どうやって買わせようかな。おねだりする訳にもいかないし。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 ダンジョンの58層に着いた。遠征のときは5日かかったけど、1人だからか1日半で着いた。不眠不休で進んだからなあ。

 黒鉛の壁と床で囲まれているだけの、だだっ広い空間だ。猪口才な仕掛けがないから、ガチンコするには打ってつけだ。

 バッグからモンスターを誘き寄せる道具を取り出し、地面に置く。さあ、バッチコーイ!

 しばらく待っていると、竜みたいなモンスターたちがやって来た。名前は聞いた気がするけど忘れた。数はというと、とりあえず沢山。まあ、どうせ全滅させるからどうでもいい。

 よーし、おじさん久しぶりに本気出しちゃうぞ。

 右手に持っているアタッシュケースの持ち手のボタンを押し、IXAを取り出す。同様に、左手のアタッシュケースからナルカミを取り出す。

 久しぶりのクインケ二刀流だ。ハッハァ! 高まってきたぜ、宴の始まりじゃあ!

 地面を蹴り、竜の群れに突っ込む。

 竜どもが火球を撃ってきたが、そんな攻撃無駄無駄ぁ。体をギリギリまで倒したり、僅かに横に移動したりしながら進む。前進しながら敵の攻撃を躱す。これぞ有馬避けだ。カウンター? 当たらなければどうということはない。

 左手のナルカミを起動して、竜の群れに雷を撃ち込んどく。ナルカミに直撃した竜が黒炭になる。周りにいる数体の竜も巻き込まれたのか、黒炭とはいかないまでも感電していた。ついでにIXAも遠隔起動して、手頃な場所にいた竜を串刺しにする。

 気づけば、先頭にいる竜を斬り殺せる距離まで近づいていた。IXAの遠隔起動を解除し、すれ違い様に目から脳天まで串刺しにしておく。

 先頭の竜の後ろにいる竜が、噛みつくような予備動作を見せる。

 甘いなあ、甘い甘い!

 頭が来るであろう位置をIXAで突き刺す。狙い通りに、そこに竜の頭が来た。IXAを力任せに右横へ振り抜き、隣にいた別の竜の首を斬り飛ばしておく。

 進行通路の近くにいる竜たちの脳天をチマチマ串刺しにしながら、さらに前進する。

 竜の群れの真っ只中に来た。ここからはもうお祭り騒ぎ。乱戦 of 乱戦だ。竜が密集してそうな方向にナルカミの電撃をぶち込んだり、近づいてきた竜はIXAでぶっ刺したり、たまに仮眠をとったりした。

 もっと来い、もっと来い。俺はまだ擦り傷1つ負ってないぞ。IXAで目の前の竜を串刺しにし、ついでに背後にいる竜は近接形態のナルカミで斬り殺しておく。

 さっきので最後の個体だったのか、竜の群れは全滅していた。黒鉛の床は、目眩のするような赤い色に変わっていた。当然、全て竜の血だ。

 良い運動になったな。クインケ二刀流の勘も取り戻せた。そろそろ帰るとしようかな。




アリマ3分クッキング

テレッテッテッテッテ テレテッテッテッテ テレッテッテテ テテテテ テッテッテ~♪

アリマ「皆さん、どうもこんにちは。本日の料理人、キショウ・アリマです」
ティオナ「助手のティオナでーす!」
アリマ「本日はこちらの素材で、一流の冒険者を作ろうと思います」
ティオナ「普通の冒険者に、凶器…… これで一流の冒険者が作れるんですか?」
アリマ「はい、作れます。まず、普通の冒険者に戦い方を教えながら、こちらの凶器で数回殺しかけましょう。そうすれば、戦いの教えが脳裏にこびりついて離れなくなります。殺しかける際、もう一度死ぬかとか、真面目にやれとか言っておけば効果的ですね。では、こちらが数回殺しかけた冒険者です」
ティオナ「すごーい、本当に一流の冒険者ができましたね!」
アリマ「このように、誰でも簡単に一流の冒険者を作ることができます。是非皆さま、お試しなってください。以上、アリマ3分クッキングでした」
ティオナ「それではまた明日〜!」

テレッテッテッテッテ テレテッテッテッテ テレッテッテテ テテテテ テッテ テッテレテテテンテン♪

終われ




〜なお、普通の冒険者との人間関係については、当番組は一切の責任を負いません〜




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

独す

 

 ベルは今日、1人でギルドに訪れていた。

 アリマは個人的にダンジョンに潜っている真っ最中で、リリルカは用事があるらしい。

 少し寂しいけれど、ソロでダンジョンに潜るのも良い機会かもしれない。そう思いながら、受付へと向かう。

 

「あっ、ベル君!」

 

 後ろから声をかけられ、振り返る。

 

「エイナさん」

 

 ソファーに座り、手を振っているエイナがいた。

 もう1人、誰かがエイナの向かいのソファーに座っている。後ろ姿しか見えないから、誰かは分からない。だけど、見覚えがあるような……。

 

「ほら、こっちにおいで」

「?」

 

 おいでおいで、と手招きをするエイナ。

 首を傾げながらも、エイナの座っているソファーへと足を進める。

 エイナの向かいに座っているのは誰なのだろうか。確認しようと思い、顔に視線を向けると──

 

「ヴァレンシュタインさん!?」

 

 そこにはアイズ・ヴァレンシュタインがいた。アリマとは別のベクトルで、ベルが憧れてやまない冒険者である。

 

「どどど、どうしてヴァレンシュタインさんがここに……?」

「君に会いたかったから」

「!!??」

 

 予想外の言葉に顔を赤くする。

 つまりそれって、異性として!? あまりにも都合が良すぎる解釈とは分かっていながらも、そうとしか思えないのが男の悲しい性である。

 

「あ〜…… ベル君? ヴァレンシュタイン氏が君に会いたかったのは、アリマさんの一番弟子だからって意味で、多分そういう意味じゃないよ?」

「ですよねっ!」

「そういう意味……?」

 

 そうだろうなとは思っていたが、やはりショックというか、落胆してしまう。

 

「それじゃあ、私は仕事に戻るから。ベル君、頑張ってね!」

 

 エイナはそう言うと、ソファーから立ち上がり、受付へと戻っていった。

 楽しんでいる。席を立つときのエイナの顔…… あれは完全に楽しんでいる顔だった。弟の恋を応援する姉みたいに。

 ちらり、と受付を見る。仕事をこなしながらも、やはりバッチリとこちらを見ている。

 この場をセットしてくれたのはありがたいが、見られてると思うと気恥ずかしい。

 とりあえずソファーに座る。

 何も喋らないまま、時間は流れる。

 アイズの顔を見る。いつも通りの表情だ。つまらなそうにはしていないが……。とにかく、これ以上沈黙の時間が続くのはまずい。しかし、どんな話題を振ればいいのだろうか。緊張で頭が回らない。

 

「そういえば、初めて会ったときはアイズって呼んでいたよね」

 

 悩んでいる内に、アイズが先に話しかけてきた。しかも、初めて会ったとき、思わず名前呼びしたことについてだ。

 

「す、すみません! 馴れ馴れしかったですよね! あ、あのときはちょっと気が動転していたというか……」

「これからはアイズって呼んでいいよ。みんなにもそう呼ばれているから」

「!!??」

 

 顔を真っ赤にし、しばらくフリーズするベル。早よ、早よと急かすような視線をアイズは投げかける。

 当然嫌な訳がない。寧ろ、アイズと距離を縮める良い機会だ。言え。言うんだ。

 

「ア、アアア、アイズ、さん……」

「うん」

 

 情けないくらい吃った。しかし、それでもアイズは満足そうに微笑んだ。

 なんかもう、幸せすぎて吐きそうだ。

 

「アリマとの特訓、頑張っているみたいだね」

「あはは、どうにかくらいついていけてるって感じですけど……」

「どんなことをしてるの?」

 

 どんなことを……。

 やや俯き、口に手を当てながら、昨日のアリマとの稽古を思い出す。

 

「ええっとですね…… アリマさんのナルカミから何秒逃げれるかタイムアタックしたり、素手でオークの群れと戦わされたり、その最中にIXAで貫かれたりしましたね」

「……うわぁ」

 

 ドン引かれた。やはり、一流の冒険者からしても厳しい特訓らしい。

 それはそれとして、ドン引きしている顔でも美しい。

 

「私のファミリアにも、アリマに鍛えられた人がいるの。君の話を聞く限り、その人よりも厳しく鍛えられてるみたいだね」

「僕の他にもいるんですか!?」

「あっ、これ秘密だった」

「!!??」

「その人、あんまり目立ちたくないらしいから、アリマさんに鍛えられたことを他のファミリアに言わないよう、頼まれてたの。他の人に言っちゃダメだからね?」

「は、はい!」

 

 誰なのかすごく気になる。が、口止めされている以上、これ以上聞かない方がいいのだろう。

 

「ねえ、そんな辛い特訓をやらされて、アリマを恨んだりしないの?」

「そんなまさか! アリマさんと特訓する度に、自分が強くなっていくのが分かるんです。感謝こそすれど、恨むなんてしませんよ」

「そっか、君は凄いね」

「凄いのはアリマさんの指導ですよ。それに、アイズさんに比べたら大したことじゃ……」

 

 ベルの言葉を遮るように、アイズは首を横に振った。

 

「私は、選ばれなかった。多分それだけで、君は私よりも凄いんだと思う」

 

 その目は、どこか寂しそうだった。

 今まで深く考えてこなかったが、どうしてアリマはアイズやロキファミリアにいる他の優秀な冒険者を差し置いて、自分なんかを選んでくれたのだろうか。

 ちなみに、もしもアリマに直接聞けば、君がカネキきゅんに似てるからです、と心の中で答えてくれるだろう。

 

「ねえ、君にとってアリマはどんな人なの?」

「う〜ん…… 厳しさの中に期待というか、優しさを感じて。父親がいたら、きっとこんな人なんだろうなって」

「父親…… もしかして君、アリマの子?」

「あはは、まさか。あり得ませんよ。色んな人によく言われますけど、そんなに似てますかね?」

「うん、似てると思うよ」

 

 主に白髪とか、とベルの頭をじっと見つめるアイズ。やがて、品定めするように、ベルの全身を上から下へと見る。

 

「ねえ、少し手合わせしない?」

「へ?」

 

 裏路地を通った先にある広い空間。

 そこでベルとアイズは己の得物を引き抜き、対峙していた。ギルドから連れ出されて、ここに連れて行かれるや否や、いつの間にかこんな状態になってしまった。

 しかし、アイズの突飛な行動にも、ベルは自分でも驚くほど順応していた。結構な頻度で、アリマの似たような行動に巻き込まれてきたからだろう。

 

「いつでもどうぞ」

 

 それに、困惑よりも高揚の方が遥かに大きかった。

 ずっと憧れだったアイズ・ヴァレンシュタインと剣を交えることができるのだ。これで昂らない訳がない。

 アリマに稽古をつけてもらえるだけでも十二分に恵まれているのに、これ以上あってもいいのだろうか。

 

「いきます!」

 

 ベルは駆け出す。

 アイズとベルの距離が一気に縮まる。

 しかし、アイズは手を出さない。ベルの動きをジッと見るだけ。

 ナイフを振るうも、アイズの剣により止められる。反撃は来ない。ハンデだろうか。それなれそれで構わない。

 何合か斬り結ぶと同時に、剣を持っている左側の側面へ回り込む。

 アイズの武器は長剣。取り回しに若干のタイムラグがあるはずだ。そこを狙えば、優位を取れる!

 

「──っ!?」

 

 上体を後ろに倒す。

 次の瞬間、ベルの上体があった場所を剣が通り過ぎた。

 取り回しにタイムラグがあるはず。そんな考えを引き裂くような、鋭い一閃。

 甘かった。アリマじゃないからと、甘く見ていた。目の前の人物だって、十分過ぎるほどに特別なのだ。

 だけど、このまま終わるつもりもない。半ば倒れた体勢のまま、ヘスティアナイフを振るったが──。

 

「わっ!?」

 

 踏ん張っていたベルの足を、アイズは足で軽く小突いた。

 バランスが崩れる。ナイフは虚空を切り、そのまま地面に倒れこむ。

 すぐに起き上がろうとするも、剣の切っ先を突き付けられる。誰がどう見ても勝負ありだった。

 

「立てる?」

 

 アイズが手を差し伸べる。

 少し躊躇いながらも、ベルはアイズの手を取り、立ち上がった。

 遥か格上とはいえ、女の子に負かされ、手を差し伸べられる。自分が情けなく感じる。

 

「君の動き、アリマに似てるね」

「そ、そうなんですか? アリマさんに指導してもらってるから、似ちゃったんですかね。ちょっと嬉しいかも」

「もしかして対人戦を想定して鍛えられた?」

「対人、ですか? いえ、そんなことはないと思いますけど。普通にモンスターとしか戦ってないですし」

「そう……」

 

 何かを考え込むようなアイズ。

 ベルは少し不安そうに、アイズの考え終わるのを待つ。何か致命的な問題でも見つかったのだろうか?

 

「ううん、何でもないよ」

 

 こうして、アイズとの特訓は夜遅くまで続いた。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 オラリオの中心に聳え立つ象牙の塔、バベル。その根元には人集りができていた。

 彼らは全員、ロキファミリアの冒険者である。今行われているのは、ダンジョン遠征の決起集会である。今回の遠征の目的は未到達の領域、59階層の到達だ。

 しかし、ここにアリマの姿はない。

 アリマが帰ってこないからだ。3日もすれば帰ってくると言っていたが、帰ってこないまま6日が過ぎた。

 しかし、ロキファミリアの面々はあまり重く考えていなかった。ふらっといなくなって、ふらっと現れるのはいつものことだ。

 それに、カドモスをダース単位用意しても、あっさりと返り討ちにしそうなのがアリマだ。心配するだけ無駄だろう。

 とはいえ、ダンジョンの遠征前に姿を消すのは初めてだ。どんな理由があるのかは分からないが、余程のことでない限りリヴェリアに説教は免れないだろう。

 混雑を避けるために、二手に分かれてダンジョンに潜ることになった。

 フィンの班には、ティオナ、ティオネ、ベート、リヴェリア、アイズといった主力メンバーが6人。そして第2軍の冒険者たちと、ラウルだ。

 この面子なら、上層のモンスターなど相手にならない。着々とダンジョンの奥深くへ降りていく。

 

「それにしても凄いよね、アイズ。Lv6になったんでしょ? また差をつけられちゃったなあ〜」

「そんなことない。みんなもすぐにLv6になれるよ」

 

 ティオナの言葉に、アイズは大したことじゃないように答えた。

 

「簡単に言ってくれちゃって……。まあ、確かにLv5で止まっている気はないけどね」

「うん、私たちも頑張らないと!」

「みんなも、ねえ。おいラウル。いつまでも2軍にいるお前じゃ、Lv6になるなんて難しいんじゃねえか?」

 

 小馬鹿にするような口調で、ベートがラウルに話しかける。

 ラウルがベートに視線を向ける。まるで水面のように静かな目だ。ベートの挑発なんてまるで意に介していないのは、火を見るよりも明らかだ。

 

「Lvなんてどうでもいい。俺は、すべきと思ったことをするだけだ」

「……ちっ、アリマの腰巾着が。つまんねえヤローだ」

「おい、遠征中だぞ。私語は慎め」

 

 途中で現れるモンスターを瞬殺しながら、奥へと進む。このまま何事もなく進めると思ったが……。

 

「団長、あそこに誰かいます」

 

 ティオネが指差した先に、怪我をした2人組みの冒険者がいた。

 

「どうしたんだい!?」

 

 フィンが急いで2人組みに駆け寄る。

 怪我こそしているが、幸い命に別状はなさそうだ。

 

「ぐうっ…… 赤い、ミノタウロスが現れて…… そいつにやられたんだ……。とんでもねえ強さだった」

「赤いミノタウロス? 君たちの他に襲われた人は?」

「向こうで、白髪のガキ…… 多分ベル・クラネルが襲われている」

「ベル・クラネルだって!?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、駆け出した人物が2人いた。その人物はアイズ、そしてラウルだった。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 ラウルとアイズが駆け出したほぼ同時期、ベルとリリルカはダンジョンの9階層を探索していた。

 

「……なんだか、今日のダンジョンはおかしいですね」

「うん……」

 

 出会うモンスターが少な過ぎる。それに、何か嫌な空気が充満しているような……。

 

「ベル様、今日はこの辺で引き返しても」

「ヴオオオォォォ!!!」

 

 ダンジョンに咆哮が響いた。

 たらり、と2人の背中に冷や汗が流れる。上層のモンスターにはない凄みを感じる。

 前方からモンスターが近づいてくる気配がある。

 薄暗いダンジョンの中、異様とも言える鮮烈な赤。辺りの空気が、ビリビリと音を立てて張り詰めるような錯覚を覚える。

 その輪郭が見えるようになってから、ベルは戦慄する。

 片方は折れているが、人を串刺しにできそうな強靭な角。まるで鎧のような分厚さの筋肉。間違いない、ミノタウロスだ。

 ベルにとって、ミノタウロスは特別なモンスターだ。

 初めて敵わないと思った敵。初めて死の恐怖を植え付けられた敵。アリマと同等に。いや、もしかしたらそれ以上に、そいつは恐怖の象徴だった。

 

「に、逃げましょう、ベル様!」

「ッ……!!」

 

 分かっている。今すぐ逃げないと、殺されるなんてことぐらい。

 今も尚、脳内にはひっきりなしに警告が鳴り響いている。だけど、足はピクリとも動かない。前方にいる化け物に目が離せない。

 どこから手に入れたのか、赤いミノタウロスは大剣を引き摺りながら、ベルたちへと突っ込んでくる。

 

「ベル・クラネルだな」

 

 何の前触れもなく割って入ってきた人影に、ミノタウロスの大剣が振り下ろされた。

 轟音が響く。

 ベルたちの目の前には、アタッシュケースでミノタウロスの剣を止めている男がいた。ミノタウロスに背を向けたまま、しかも片手で受け止めている。

 見覚えのあるアタッシュケースだ。IXAやナルカミを仕舞っているものと、非常に似ている。

 もしかして、この人が……。

 次の瞬間、腹部に衝撃が走る。そのまま吹き飛び、地面に滑り落ちる。

 

「ベル様!」

 

 慌ててこちらに駆け寄るリリルカと、片足を宙に浮かせている男が見えた。

 男に蹴られたと気づくのに、時間はかからなかった。かなり乱暴にだが、ミノタウロスから逃がしてくれたのだろう。

 遠くから足音が聞こえた。気づけば、ベルの目の前にアイズ・ヴァレンシュタインが立っていた。

 

「大丈夫? 今、助けるから」

 

 リリルカがベルの側に座り込む。

 

「良かった、ロキファミリアです! ベル様、ここは彼らに任せましょう!」

「……っ!」

 

 同じだ。アリマに助けられた、あの時の状況とまるで同じだ。

 また助けられるのか? 今度は別の誰かに。あんなにも、アリマの元で修行をしてきたのに。

 自分の心の底から、怒りの感情が溢れてくる。誰かにではない。他でもない自分に。

 ずっと守られてばかりいたら、目の前にいる人に、強くなれると言ってくれ師に、追いつけるはずがない!

 その感情は、ベルに立ち上がる力をくれた。

 

「ごめん、リリ」

「ベル様……?」

 

 立ち上がり、アイズの前を行く。ベルのその行動に、リリルカとアイズは驚きの表情を見せていた。

 

「ベル様、戻ってください! ダメです、死んじゃいます!」

 

 リリルカはベルの腰に抱きついた。ベルは足を止め、振り返り、優しくリリの頭に手を乗せた。

 

「行かせて、リリ。このモンスターは、僕が倒さないとダメなんだ」

「何を…… 何を言ってるんですか! 死んだら終わりなんですよ!! ベル様にもう会えないなんてなったら、私……!」

「あいつを倒さなきゃ、僕はきっともう前に進めない。いつまでも守ってもらうようじゃ、この先誰かを守れるほど強くなんて、なれやしないんだ。お願い、行かせて」

 

 こうなったときのベルは、誰よりも頑固になる。絶対に自分を曲げない。

 それを知っているリリは、涙を堪えたような表情で笑った。

 

「……約束してください。絶対に、絶対に帰ってくるって」

「うん、約束する。勝って、帰ってくるよ」

 

 アタッシュケースを持つ男は、ベルのその意気を汲んでいたのか、一度もミノタウロスに手を出していなかった。大剣の攻撃、角や拳を、全て紙一重で躱し続けている。

 ベルが前に進むと、ミノタウロスは攻撃を止め、ベルの方に目を向けた。あくまで狙いはベルらしい。

 その隙に男は退き、ベルは前に進む。

 ミノタウロスが雄叫びをあげ、ベルに攻撃を仕掛ける。振り下ろされる大剣。ベルはどうにかそれを躱す。

 

「何だぁ、おい。アリマのガキが戦ってやがるのか」

「そっか、あの子がアリマの……」

 

 遅れて、ベートたちもやって来た。

 赤いミノタウロスを相手に大立ち回りを演じているベルをじっと見る。

 

「Lv1の動きじゃないわね、あれ」

「子供だろうと、アリマが見込んだ男という訳か。しかし……」

 

 戦局はベルが押されている。

 見た目こそベルが派手に動き回り、ミノタウロスを翻弄しているように見えるものの、実際はそうまでしないと隙をつけず、何よりそうまでして攻めきれないでいる。

 いずれ体力が尽き、足が止まれば、容易く均衡は崩れるだろう。多少強引にでも、こちらから仕掛けるしかない。

 

「っ!」

 

 賭けになるが、やるしかない。

 覚悟を決めたベルは、ミノタウロスとの距離を一気に詰める。当然、ミノタウロスが棒立ちしてくれるはずもなく、ベルを迎え討とうと大剣を振り上げる。

 ミノタウロスに対して身体を半身にし、振り下ろされた大剣を躱す。もしも横薙ぎに振るわれていたら、甘んじて受けるしかなかった。地面が砕ける音がした。しかし、当たらなければどうってことない。

 ヘスティアナイフを持つ手を、ミノタウロスの胸部まで伸ばした。肉を切る感触。しかし、ヘスティアナイフが突き刺さったのはミノタウロスの腕だった。

 

(まず──)

 

 ミノタウロスはナイフが突き刺さったままの腕を強引に振るい、拳をベルの胸部に叩きつける。

 身体が浮く感覚。次いで、喉の奥から何かが湧き上がるような不快感。

 轟音と共に、ベルは吹き飛ばされた。景色が一瞬で遠のく。何も認識できなくなり、上下左右の感覚がなくなる。

 ダンジョンの壁に背中から激突する。

 そのまま地面にずり落ち、壁にもたれる。

 内臓を痛めてしまったのか、身体の内側が燃えるように熱い。口からは絶えず血が漏れ出している。

 胸部の装甲が消失している。致命傷は防いでくれたが、あまりの一撃に耐えきれず、砕けてしまったのだろう。次くらえば、間違いなく死ぬ。

 勝てないのか──? ベルの脳裏に、諦めの言葉が浮かぶ。

 

「ラウル、何を!?」

 

 誰かの叫び声が聞こえた気がした。

 顔の真横に何かが突き刺さる。

 それは剣だった。余計な装飾の一切が排除された武骨な剣だ。ベルには知る由もないが、その剣の銘はユキムラという。

 恐らく投げられたであろう方向に目を疾らせる。

 ロキファミリアの集団の中に、腕を大きく振り下げている1人の男がいた。彼が剣を投げたのだろう。

 何も見えなかった。もしもあの剣を顔に投げられていたら、頭が壁に縫い付けられていただろう。

 

「……」

 

 男は何も言わない。しかし、男の目が「その剣を使え」と言ってるような気がした。

 ベルは迷う。使っていいのか、この剣を。誰の手も借りず、このミノタウロスを倒すと決意したのに。

 ふと、アリマの言葉を思い出す。

 ああ、そうだ。どんな武器を使おうと、それが自分の力であることは変わりない。アリマの言葉が、ベルの迷いを吹っ切らせた。

 ヘスティアナイフを腰の鞘に仕舞う。そして、壁に刺さったユキムラを引き抜く。

 ズシリとした重量感が腕を襲う。見かけよりもずっと重い。だけど、この剣ならミノタウロスと斬り結べる。

 

「いくぞ、ミノタウロス……!」

 

 ベルの言葉に呼応するように、ミノタウロスは大きく吼えた。

 臆すな、進め! ミノタウロスまでの最短距離を全力で駆ける。

 ミノタウロスが石の剣を横薙ぎに振るおうとする。ほぼ反射的に、ベルは身体を前のめりに倒す。

 頭のギリギリ上を石の剣が通り過ぎた。当たれば確実に死んでいただろう。しかし、ベルの心は平静だった。

 そのままミノタウロスの懐に潜り込む。

 斬れるという確信があった。

 横一閃にユキムラを振るおうと、身体を捻った次の瞬間── ベルの視界が赤で埋め尽くされた。

 ミノタウロスの蹴りがベルの顔面に叩き込まれる。蹴られた勢いそのまま、ベルは後方へと吹き飛ぶ。3回ほど地面を跳ね、ようやく体が止まる。

 パンチよりも威力が乗っていなかったとはいえ、大ダメージには違いない。ボロボロの状態なら尚更だ。もう立つことは不可能だろう。

 

「ベル様ぁ!」

「……勝負ありか」

「いや、まだ早いみたいだよ」

「あ?」

 

 ベルはヨロヨロと立ち上がった。

 

「立ち上がっただと!?」

「嘘、どうして……」

 

 ベルの顔に傷はない。代わりに、ミノタウロスの右足からは血が噴き出ている。

 ミノタウロスの蹴りが顔に叩き込まれる直前、ベルは顔の前にユキムラを構え、どうにか直撃を防いでいたのだ。

 怒りに顔を歪ませ、ベルに近づこうとするミノタウロス。しかし、負傷した右足を地面につく。傷を負った右足では、マトモに動けない。

 ベルはミノタウロスの背後に回り込み、ユキムラでミノタウロスの背中を袈裟斬りにする。ミノタウロスは背後に拳を振り抜くも、ベルは既に距離をとっていた。

 

「あんな状態から、チャンスを手繰り寄せるなんて……」

「不屈の心、か。流石はアリマの一番弟子、面白いものを見せてくれるじゃないか。ねえ、ラウル」

「……ええ、そうですね」

 

 そう答えるが、ラウルにあるのは仕事が一区切りついたことへの安堵感だけだった。

 

 




 感想・評価ありがとうございます!
 更新速度が着々と遅くなってる……。俺の未熟め!
 ふと思いつきましたが、君の名はと東京喰種のクロスって面白そうじゃないですか? 具体的に言えば三葉難易度ルナティックモード。誰かやってくれねえかな |ω・`)スコリ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 鉄と鉄がぶつかり合う、甲高い音が響き渡る。その音色はどこか心地良くすら感じる。

 1人の少年── ベル・クラネルが赤いミノタウロスと戦う様子を、俺は岩陰からずっと眺めていた。

 Lv2の冒険者でも苦戦するであろうミノタウロスを相手に、ベル君は互角の戦いを繰り広げている。

 ミノタウロスがベル君を殴り飛ばしたときは、ちょっと鍛え過ぎたかなって焦ったけれど、結果的にユキムラを渡す良い演出になってくれて良かった。渡すタイミングを違えなかったラウルをよしよーしと褒めてやりたいところだ。

 一撃でもマトモにくらえば、終わり。そんな極限の状態で、それでも前を見ながら戦うベルを見て、思う。

 冒険者は冒険をしてはいけない。冒険者であるなら誰しもが、ギルドから教えられる言葉だ。

 ある意味では、その言葉は事実だろう。どんな冒険者であろうと、死んでしまえばそれで終わりだ。

 しかし、だからと言って恐怖に囚われたままでは、次の段階に進めはしない。

 何かを成すには── 殻を破るには、どれだけ殻を破れる力があろうとも、殻を破る勇気がなければ意味がない。

 殻を破り、一つの世界を壊す。ベル君にとって、まさに今がそのときだ。

 ミノタウロスは豪快に大剣を振るう。唸るような風切り音がここまで聞こえてくる。

 ベル君は危うげなくそれを躱し、ミノタウロスが腕を振り切っているタイミングを見計らって、ミノタウロスの持つ大剣にユキムラを振り下ろす。

 身体の芯に響くような、鈍い音がした。

 ユキムラによって、大剣が地面に押さえつけられている。ユキムラを上手く使いこなせているじゃないか。初めてにしては、という前提だが。

 しかし、この後はどうする気なのだろうか。依然、ミノタウロスとの腕力の差は大きい。ミノタウロスは押さえ込む力なんてものともせず、大剣を持ち上げるだろう。それは、戦っているベル君が一番よく分かっているはずだ。

 すると、ベル君はユキムラから手を離し、一気にミノタウロスとの距離を詰めた。今のベル君は丸腰と大差ない。どうするつもりなのか。

 ベル君はミノタウロスの腕に刺さっているナイフを掴むと、そのまま横に切り抜いた。切り抜かれたミノタウロスの腕の傷は深く、辛うじて皮一枚だけで繋がっている状態だった。

 ミノタウロスが声を荒げる。痛みか、あるいは怒りか、その両方か。

 しかし、その声はすぐに止められた。ミノタウロスの胸に漆黒のナイフが深々と突き立てられることによって。

 それでも、まだミノタウロスは倒れない。並みのモンスターなら即おっ死んでる。自分でやっといて何だが、とんでもない生命力にしてしまった。

 

「──」

 

 ベル君が何か呟くと、ミノタウロスの身体から火柱が上がった。薄暗いダンジョンが炎で橙色に照らされる。

 ファイアボルト、なのだろうか。一応、魔力も鍛えることには鍛えたが、こんな威力になるまで鍛えた覚えはない。となると、スキルの恩恵だろうか。

 何にせよ、面白い。すごく面白いよ。

 隠していたのか、たった今発現したのかは知らないけれど、この状況でカードを切るのはすごく良い。まるで本当に主人公──西尾先輩と戦って、初めて赫子を発動したカネキ君のようだ。

 ミノタウロスの上半身の大部分は塵となり、下半身も黒焦げている。これで生きてるようなら、そりゃもうゾンビだ。そんなモンスターに作り上げた覚えはない。

 ミノタウロス…… というより炭の塊は、そのまま黒い霧となって消えた。良かった、出演するゲームを間違えたゾンビ牛なんていなかったんだネ!

 勝ったはずのベル君は、天を仰いだまま気絶していた。

 果たして、Lv1の頃の俺はあのミノタウロスに勝てただろうか。信じていたけれど、よく勝てたよ。

 

「大した小僧だな。これならば、フレイヤ様もさぞお喜びになるだろう」

 

 横でベルの様子を見ていたオッタルがそう呟く。何だお前、帰ってなかったのか。

 

「お前の介入で、予想以上にミノタウロスが強くなってしまったが、どうやら要らぬ心配だったな」

「そうだな」

 

 何日か前、ダンジョンの深層で暴れ回った帰りに、偶然ミノタウロスを虐めているオッタルに会った。

 事情を聞いた俺は「こいつヤモリ枠にしよーぜ!」的なノリで、ミノタウロス虐めに参加した。IXAでチクチクぶっ刺したり、ナルカミで電気責めしたりと、ぶっ壊れようがお構いなしの特訓をしてやった。

 ヤモリ枠はしっくりこなかったものの、ベル君の壁になれたようで何よりだ。

 

「ベルといったか……。あの小僧、しっかり育てておけ。フレイヤ様の試練は、こんなものではない」

 

 それだけ言うと、オッタルはダンジョンの奥へと消えていった。

 フレイヤの試練、ねえ。

 そんなもん、ベル君なら余裕で越えてくれるさ。というか、それくらい越えてもらわないと困る。いずれは、俺より強くなってもらうのだから。

 さてと、俺もそろそろ逃げるとするかね。

 リヴェリアとフィンに見つかったら、遠征をすっぽかしたお説教は免れないだろうし。流石にこの空気で説教されるのは嫌だ。黄昏の館でこってり絞られるとしよう。

 ベル君気絶してるっぽいけど、リリ山さんとラウルに丸投げすればいいや。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

「勝ちやがった……」

 

 ベートの呟きは、その場にいるほぼ全員の思いを代弁していた。

 控えめに見積もっても、あのミノタウロスの適正レベルはLv2だ。もしかしたら、Lv3の冒険者でも手こずるかもしれない。

 もしも自分がLv1なら、そんなミノタウロスと戦おうと思っただろうか。戦って、勝つことができただろうか。

 そんな中、リリルカは信じていたベルの勝利に涙を流して喜び、ラウルはどこか納得したような表情をしていた。

 ラウルは立ったまま気絶しているベルに近づく。そして、バッグから複数のポーションを取り出すと、それをベルにぶっかけた。

 

「ちょっとラウル、そのポーションはロキファミリアでしょ。何勝手に使ってるの!」

「いいよ、ティオネ。面白いものを見せてくれたお代と思えば、安いくらいさ」

「だ、団長がそう言うなら……」

 

 ベルの顔色がどんどん良くなり、破れた服から覗いていた打撲痕も綺麗になっていく。

 

「──はっ!」

 

 ポーションをかけられてから数秒後、ベルはすぐに意識を取り戻した。

 通常、ポーションをかけただけで、こんなに早く意識を取り戻さないだろう。しかし、ベルはアリマとの特訓で、気絶することにも、その状態から叩き起こされるのに慣れているのだ。

 

「あれ、傷が……」

 

 ペタペタと自分の体を触る。体のあちこちが痛かったのに、今はもう何ともない。

 

「ベル様!」

 

 リリルカがベルに抱きついた。

 

「ぐすっ…… 無事で、無事で良かった……」

 

 声を押し殺し、涙を流すリリルカ。ベルはリリルカの頭の上にポンと手を乗せた。

 

「ただいま、リリ」

 

 一頻り泣き終えたリリルカは、ようやくベルから離れた。しかし、未だに目に涙が溜まっている。

 リリルカが落ち着いたのを見計らい、ベルはラウルに顔を向ける。

 

「あの、もしかしてポーションを使ってくれたんですか?」

 

 よくよく見なければ分からないほど、ラウルは小さく頷いた。

 

「ありがとうございます。ミノタウロスから庇ってくれたのもそうだし、しかも武器まで貸してくれたりして。本当に、何てお礼を言えばいいのか……」

「私からも、お礼を……。ベル様が勝つ手伝いをして下さり、本当にありがとうございました」

「礼はいらない。俺は俺の仕事をしただけだ」

「いえ、そんな訳には……。あっ、そうだ。これ、お返しします」

 

 ベルは地面に落ちている剣── ユキムラを拾い、ラウルに差し出す。

 しかし、ラウルは首を横に振り、ユキムラを受け取らなかった。

 

「返さなくてもいい。その剣は君が好きに使ってくれて構わない」

「そ、そんな! 悪いですよ、こんな良い武器なのに!」

 

 武器に関して詳しくないベルでも、ユキムラがどれだけ価値のある武器か分かる。

 無理矢理でも返そうとしたとき、背中に冷たいものが走る。

 黒いオーラの発生源に目を向けると、そこには緑髪の女の人が── リヴェリアがいた。

 

「ラウル、まさか武器のない状態で遠征に参加するつもりか? 今すぐユキムラを返してもらえ」

 

 リヴェリアが目を細める。

 怒っている。確実に怒っている。リヴェリアと初対面のベルでも、どれだけ怒っているのかヒシヒシと伝わる。

 ロキファミリアの大体の人間は、今の彼女を目の前にすれば、母親に説教される子供のように竦み上がるだろう。

 何もユキムラを渡すのが悪いとは言っていない。武器を持たずに遠征をするという、正気の沙汰ではない行いをしようとしてることに怒っているのだ。武器がなければ仲間の命も、自分の命すらも守れない。

 

「アリマさんから渡せと指示されていますので」

 

 しかし、ラウルは顔色一つ変えずに、そう言い切った。

 

「それに、武器ならあります」

 

 ラウルは地面に置いてあるアタッシュケースに近づき、それを開けると、短剣のような形状の黒い何かを取り出した。

 

「ナゴミです」

 

 黒い刀身が伸び、巨大な出刃包丁のような形状に変化した。

 IXAやナルカミ、ユキムラと同じく、収縮できるタイプの武器らしい。

 

「IXAやナルカミと雰囲気が似てるね。もしかしてまたアリマのお下がり?」

「いや、鍛冶士に頼んで作らせた。ユキムラ以上に仕上げろと言ったから、性能は問題ないはずだ」

「ナゴミって何か、女の子みたいな名前だね」

「……アリマさんにそう付けろと言われたから」

 

 ラウルはナゴミを短剣に戻し、アタッシュケースに収納した。

 

「これで問題はないでしょう?」

「……ああ」

 

 最初にロキファミリアに来た頃のラウルは、もっと明るくて優しい子だったのに。不良になった息子を悲しむような愚痴は、言った本人のリヴェリア以外に誰も聞かれなかった。

 リヴェリアの怒りにあてられたのか、すっかり青い顔をしているベルに、ラウルは目を向けた。

 

「その剣の銘はユキムラ。アリマさんが使っていた物だ」

「!」

「アリマさんから、これを君に渡してほしいと頼まれた。その意味を忘れないでくれ」

「は、はい!」

 

 ラウルはフィンに視線を移した。

 

「団長、そろそろ」

「そうだね。あまりガレスたちを待たせる訳にもいかない」

 

 ついついベルの戦いに夢中になり、9階層に長く留まってしまった。今頃、ガレスたちの班はとっくに集合地点に着いているだろう。

 

「ベル君、だよね? 熱い戦いを見せてくれてありがとう。君が強くなるの、僕も楽しみにしているよ」

 

 フィンが来た道を引き返すと、他のロキファミリアの団員も彼の後についていった。

 そんな中、アイズだけが途中で振り返り、ベルに向かって微笑みかけた。

 

「またね」

「は、はい! また今度!」

 

 アイズたちの背中が見えなくなった。

 赤いミノタウロスとの死闘。今までも濃い1日を送ってきた自覚はあるが、今日は格別だった。一生忘れることはないだろう。

 

「ベル様、私たちもダンジョンから出ましょう。あんな化け物と戦ったんです、お疲れでしょう?」

「うん、今日はもうヘトヘトだよ……。それと、リリ」

「はい?」

「僕、もう歩けないかも。後は頼んだ」

 

 それだけ言い、ベルはバターンと地面に倒れた。

 ポーションで傷は癒えたが、失ってしまった血までは戻らない。つまり、絶賛貧血状態である。

 アイズのいる前で倒れるなんて無様は晒したくないから、どうにか気合いで立ち続けていたものの、アイズがいなくなった直後に緊張の糸が切れ、限界を迎えてしまった。

 

「ベル様ーーーーー!!!???」

 

 結局、2人がダンジョンから脱出できたのは、夕暮れ時になってからだった。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 ベルが赤いミノタウロスと激闘を繰り広げた翌日。

 ヘスティアファミリアの本拠、廃教会。

 そこの隠し部屋で、ベルは満面の笑みを浮かべながら羊皮紙を握り、ソファーに腰を下ろしていた。

 

「Lv2…… これで一歩、アリマさんに追いつけた」

 

 それでもまだ、アリマやアイズとの差は大きいが。それでも、確かに前に進めている。

 

「こんなに早くレベルアップできるなんて、僕も聞いたことないよ。その調子で、アリマなんて追いつけ追い越せだ!」

「あはは、それは流石に無理ですよ……」

 

 ベルの隣に座り、同じく羊皮紙を覗き込んでいたヘスティアが言う。

 

「アリマといえば、ベル君。君の耐久のステイタスがズバ抜けて高かったけれど、アリマに虐められたりしてないかい? パワハラを受けたりなんかしてないかい!?」

 

 ベルのステイタスは軒並みSSなのだが、それでも耐久だけは群を抜いていた。他が1100〜1200の中、耐久だけが圧巻の1500だった。

 つまりそれは、モンスターたちの攻撃を頻繁にくらっているという事。いや、もしかしたらアリマの攻撃かもしれない。いずれにせよ、ヘスティアは心配で堪らない。

 そんなヘスティアの心情を見抜いてか、ベルは困ったように笑った。

 

「虐められたりなんかしてませんよ。ただ、訓練は厳しいですけど……。あっ、でも、だからこそこうしてレベルアップできた訳ですし!」

 

 ヘスティアは思う。

 確かに、ベルがこんなに早くレベルアップできたのは、アリマの特訓のおかげでもある。しかし、ベルの成長に最も一役買っているのは、憧憬一途というスキルだ。

 このスキルはベル自身にも、勿論アリマにも教えていない。もしもこのことが神々に知られたら、暇を持て余した彼らが何をするか分からない。

 スキルの効果は、思いの丈が続く限り成長を続けるというもの。つまり、ベルはアリマの期待に応えようとすればするほど、どんどんと成長していく。

 このまま行けば、ベルはどれだけ強くなるのだろうか。期待と共に、少しだけ不安を覚えた。

 

「神様、大丈夫ですか? 難しそうな顔をしてますけど」

「ん、何でもないよ。それよりベル君、今日は何をする予定なんだい?」

「今日もダンジョンでユキムラの試し振りをしてみようかと」

 

 ベルの手にある、手の平サイズの棒のようなもの。何を隠そう、これがユキムラだ。

 どんな仕組みかは知らないが、起動すれば刀身が伸び、長剣のような形状に変化する。

 持ち運びに便利だし、何より切れ味の鋭さが半端ではない。仮に深層のモンスターが相手だとしても、この剣なら容易く斬り裂けるだろう。

 

「むぅ〜…… ヘスティアナイフがあるのに、浮気なんてしちゃってさ!」

「大丈夫ですよ。二刀流ですから、ヘスティア様のナイフもバッチリ活躍してます」

「長剣と短剣の二刀流かぁ…… ロマンだねぇ……」

 

 最近になって、右手と左手を別々に動かせばいいという意味が分かってきたと、ベルが嬉しそうな表情で話すようになった。

 ヘスティアには何を言ってるのかさっぱり分からなかった。ベルの技量がどんどんとアリマ染みてきてる気がする。

 

「そういえば、鎧はどうするんだい? アリマから買ってもらったのは壊れちゃったんだろう?」

「またヴェルフ・クロッゾさんの防具を買おうかと思います。あの防具、気に入ったんですよね。似たようなのが売っていればいいんですけど」

「見つかるといいね、そのヴェルフ君とやらの防具。それとベル君、分かっているとは思うけれど、そんな状態でダンジョンの奥に潜ろうだなんて考えちゃダメだよ」

「ええ、分かってますよ。僕もそこまで無謀じゃないですし、まずリリが許しませんでしょうから」

「ああ、それもそうか。それじゃあ、僕も安心して出かけるとしようかな」

「神様も何か用事があるんですか?」

「ふふっ、君の二つ名を決めにさ」

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 バベルの30階。ここでは3ヶ月に1回の神会が行われる。そして、今日がその3ヶ月に1回の日だ。

 いつ見ても、神殿のように豪華な造りの建物だ。これがバベルの中にあるなんて信じられない。いつもなら気圧されているが、今日ばかりはそんな訳にもいかない。

 ヘスティアは決意に満ちた表情で、神会が行なわれる部屋へと歩く。

 

「よっ、ヘスティア」

 

 誰かの手が肩に置かれた。

 聞き覚えるのある声だ。

 

「タケ!」

 

 振り返るとそこには、角髪というオラリオでも珍しい髪型をした男前がいた。

 彼の名前はタケミカヅチ。ヘスティアの友である男神である。

 どうでもいいが、ここにアリマがいたら心の中で「丈枠被ったあああああああ!!!??」も悲鳴をあげるだろう。

 ここで出会ったのも何かの縁。タケミカヅチと肩を並べて歩き、神会へと向かう。

 

「凄いよな、お前の子。1ヶ月でもうLv2なんだろ? あの白い死神に目をつけられただけはあるな。慎重に二つ名を決めてやれよ」

「分かってるよ。死神に因んだ二つ名だったら、全力で阻止してやるんだから!」

 

 頬を膨らませながら、大股で歩くヘスティア。アリマがベルに付きっ切りで稽古しているのは、オラリオでは有名な話だ。アリマの名に因んだ2つ名を付けられる可能性が高い。

 タケミカヅチは困ったように笑う。飼い犬が友人に懐くのを複雑な表情で見る飼い主のように、ヘスティアはアリマにヤキモチを焼いているのだろう。

 

「それにしても、不思議な話だな。俺たち神が人間に死神なんて二つ名を授けるなんて」

「白い死神、かあ……。どうしてそんな物騒な二つ名になったんだっけ。覚えてる、タケ?」

「そうさなぁ…… 誰かが、キショウ・アリマは死を恐れず、受け入れていると言ってから、トントン拍子で決まったな。実際、モンスターからすれば死を振り蒔く超常の存在だしな、あれは」

 

 アリマが殺したモンスターの数なら、まず間違いなくオラリオのトップに躍り出る。それこそ、空に瞬く星の数ほど葬っているだろう。

 中層だろうが、深層だろうが、返り血一つ付かずにダンジョンのモンスターを殺し回る彼の姿は、死神と称するに足るものだった。白い死神という二つ名は未だに一度も変わっていない。

 

「死を受け入れている、か。本当に彼は何を考えているんだろうね」

「俺にもさっぱり分からん」

 

 神々だろうと、アリマが何を考えているのか分からない。それどころか、何を考えているか分からない故に、彼を不気味にすら思っている神もいる。

 

「ヘスティア、今回は俺も気合を入れて臨むぜ。うちの子もLv2に上がったばかりだからなあ。良い名前を付けてやらねえと」

「うん、僕だって」

 

 二つ名を付ける神会は、まず間違いなく荒れる。二つ名を付けられる冒険者の主神ができるだけ無難な名をつけようとするが、それ以外の神が面白がってイカした名前を付けようとするのだ。

 荒れなかったのはアリマとオッタルの二つ名を付けるときくらいか。

 いつもなら面白がって変な名前を考える側だが、今日ばかりはそうもいかない。

 決意を新たに、ヘスティアとタケミカヅチは神会が開かれる部屋の扉を潜った。

 




キッショーさんのステイタスを大公開します
 Lv.7
 力 :S 947
 耐久:D 523
 器用:S 993
 敏捷:S 989
 魔力:A 812
 死神:A
 二刀流:B
 指導:B


発展アビリティの補足です。
【死神】
 ・狙った獲物は逃がさない。便所に隠れようと息の根を止めてやる。逃走する敵を追撃する際、能力値を上方補正。

【二刀流】
 ・両手に武器を持った場合、攻撃の威力を上方補正。だって俺、刀二本持ってるもん。ウハハハハ!! 最強!!

【指導】
 ・指導(笑)。指導した者の経験値を上方補正。あんな育て方で強くなるなんておかしいですよ、カテジナさん!


《魔法》
【ナルカミ】
 ・雷属性
 ・速攻魔法


《スキル》
【孤独の王様】
 ・ステイタス及びスキルを任意で隠匿。
 ・精神干渉系の魔法の一切を遮断。

【:×÷〆|=\】
 ・・^〆2→6〆^:0■☎︎:〆
 ・:+→→♪♪♪*÷3〆^…>


 感想・評価くれると嬉しいです。
 お餅的に。もちもち! もちもち! さいこちゃんのちちもちもち!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

序氷

 

 今日の豊饒の女主人はより一層の繁盛を見せていた。神会の後ということもあり、誰も彼も飲めや食えやのお祭り騒ぎだ。

 特に今回は、とある少年── ベル・クラネルがオラリオ最速でLv2にランクアップを果たしたという噂で持ちきりだ。

 しかし、噂の張本人は不満気な表情でテーブルに突っ伏していた。

 その原因は、ベルに付けられた二つ名にある。

 

「未完の少年って二つ名、どう思う?」

「普通、ですね」

 

 ベルの問いかけに対して、向かいの椅子に座るリリルカは特に迷わずそう言った。

 

「そうなんだよ。神様は無難だって喜んでいたけど、僕はもうちょっとカッコいい名前が欲しかったな……」

 

 そう、普通なのだ。同じ時期にランクアップしたヤマト・命は【絶†影】というカッコいい二つ名が付けられたのに……。

 どうでもいいが、とある白い死神は神々の付ける二つ名に「貴様らのネーミングセンスには東京喰種のようなオサレさも深さも感じられない!」と思っていたりする。

 

「それに、未完の少年って何だか少し子供っぽい気がするんだよね」

「何言ってるんですか、ベルさんはまだまだ子供ですよ」

 

 声のした方を見ると、オードブルのサラダと飲み物を持ったシルとリューがいた。

 

「シルさん、リューさん!」

 

 シルとリューはテーブルの上にオードブルのサラダと飲み物を置く。そのままシルはベルの隣に、リューはリリルカの隣に座った。

 

「ランクアップ、おめでとうございます。凄いですね、ベルさん。元々アリマさんの一番弟子で有名だったのに、最速でLv2に上がって、更に名前が広まっちゃいましたよ」

「私からも祝言を。やはりあのキショウ・アリマが見込んだ冒険者か、と評判ですよ」

「そうなんですか? 何だか照れ臭いな……」

 

 明らかに頬が緩んでいるベル。

 そんなベルの様子を見て、リリルカは面白くなさそうに目を細めた。2人きりの時間を邪魔されて、しかも意中の人が自分以外の異性に意識を向けていたら、誰だってそうなるだろう。

 

「お2人とも、お仕事は良いんですか?」

「心配無用です! パーっと祝福してこいと、ミア母さんが休憩を貰いましたから」

「私も同様です。それと、たっぷり金を落とせと」

 

 店員がこんな所で油を売っていていいのか、という皮肉を込めた発言にも、シルは満面の笑みで応答し、リューは相変わらずの澄ました表情だった。

 

「心配とかではなく…… いえ、何でもないです」

 

 今日だけは気にしないことにしよう。この目出度い席で僻んでいても、場が白けるだけだ。今はこの料理と、ベルのランクアップを素直に喜ぶとしよう。

 4人はグラスを持ち、ベルのランクアップに乾杯した。

 ミノタウロスにどうやって勝ったのか、アリマはこんな短期間でランクアップさせるよう指導したのかなど、話に花を咲かせる。

 ふと、ベルは話の種にと、ある話題を零した。

 

「神様から聞いたんですけど、本当は JACK′s ナイフっていう二つ名が付く予定だったんですよ」

「あれ、結構カッコいいじゃないですか」

「だよね、カッコ良いよね! でも、神様が全力で阻止しちゃって……」

「あらら、何でまた」

「それが、僕にもよく分かんなくて」

 

 リューが口に手を当てて、考え込むかのような素振りを見せる。

 

「JACK…… 騎士…… ああ、なるほど」

「あっ、私も分かりました」

 

 シルも合点したように手を叩く。

 何が分かったのかと、ベルとリリは首を傾げる。シルはクスリと笑い、2人にヒントを教えることにした。

 

「アリマさんのファーストネームを思い出してみて下さい」

「アリマさんのファーストネームですか?」

「えっと、キショウ・アリマ…… キショウ……」

「「あっ!」」

「騎士のナイフ…… つまり、アリマ様の懐刀みたいな意味になりますね」

 

 騎士のナイフ。ある意味、アリマの一番弟子であるベルに相応しい二つ名だろう。

 

「恐らく、それがヘスティア様は気に食わなかったのかと」

「そっか、それで……」

 

 二つ名がアリマ関連となれば、ヘスティアが全力で阻止したのも頷ける。

 ヘスティアは意外とやきもちを焼きやすい。アリマは訓練でベル君と一緒にいるのに、二つ名までアリマ関連になるなんて納得いかない、といった所か。

 

「未完の少年って、やっぱり普通ですよねえ。それに、大人になっても未完の少年だったらどうしよう……」

「俺は良いと思うよ、未完の少年」

「そうですかねぇ…… って、アリマさん!!??」

 

 いつの間にやら、テーブルの横にアリマが立っていた。

 豊饒の女主人が静まり返り、誰もがアリマに目を向ける。

 ベルだけでなく、豊饒の女主人にいる誰もがアリマに気づいていなかった。つまりそれは、冒険者としてかなりのやり手であるリューやミアにすら気配を悟らせずに、ここまで近づいたということ。

 意図してか、それとも無意識か。どちらにせよ規格外であることには変わりない。

 

「えっと、どうしてここに!?」

 

 ベルが慌てた様子で聞く。

 

「ベルがLv2になったと聞いたから、そのお祝いに」

 

 誰もがそういうことじゃないと心の中でツッコミを入れる。

 聞きたいのは、ロキファミリアが遠征に向かっているのに、どうしてアリマがここにいるのかだ。まさか、アリマが遠征のメンバーに外されたなんてことはあり得ないはずだ。

 

「……あの、ロキファミリアは遠征の真っ只中なのでは?」

「今回は途中で参加することにした。どうせすぐ追いつける」

 

 リリルカの問いかけに、アリマは何てことないようにそう答えた。

 アリマの言葉を聞いた誰もが頬を引き攣らせる。

 ロキファミリアは文句なしの一流ファミリアだ。ダンジョンを攻略する速さは、それこそオラリオ最速と言っても過言ではない。そんな彼らがダンジョンに潜ってからもう4日ほど経っているのに、アリマはそれでもすぐに追いつけると言った。

 最早尊敬を通り越して、呆れてしまう。ただ、ベルだけは「凄いですアリマさん!」と目を輝かせていた。

 

「そういえば、最後に会った日に1人でダンジョンに潜るって言ってましたよね。もしかして、その日からずっとダンジョンに?」

「ああ」

「凄い、そんなに長くダンジョンに潜れるなんて……」

 

 ベルとアリマが最後に会った日は、今から10日以上も前のことである。その事実を知っているリリルカは、より一層頬を引き攣らせた。

 

「それと──」

 

 アリマの目がシルに向けらる。

 

「……?」

 

 突然アリマに目を向けられたシルは取り敢えず微笑みかけるも、アリマの表情はピクリとも動かない。

 

「……」

「あ、あの? 私の顔に何か付いてます?」

「いや」

 

 アリマはそう呟くと、シルから視線を外した。

 

「改めて。ランクアップおめでとう、ベル」

「あ、ありがとうございます!」

「これからは稽古をもっとキツくしても大丈夫そうだな」

「はい、どんな稽古でも頑張り…… えっ、今よりキツく? ……頑張ります!」

 

 頑張りますと言ったものの、ベルの顔は真っ青になっていた。

 無理もない、とリリルカは思う。

 モンスターと戦っている最中にIXAで突き刺されたり、ナルカミの雷撃から逃げながら戦ったりと、十分に厳しい稽古だったのに、何をどうやってこれ以上厳しくするのだろうか。仮に厳しくできるとしたら、それこそ死線を彷徨う覚悟が必要になる。

 

「リリルカも、よくベルのサポートをしてくれた」

「!? い、いえ! 褒められるようなことなんて、リリは何も……」

「そんなことないと思うよ」

 

 まさか自分も褒められるとは思っていなかったリリルカは、顔を赤くしてアリマの言葉に反応する。

 雲の上どころか大気圏すら突き抜けた存在のアリマに褒められる日が来るなんて、夢にも思わなかった。何だか気恥ずかしいが、それ以上の喜びを感じる。

 ベルがアリマの期待に必死になって応えている理由が、少し分かった気がした。

 

「お席、お持ちしました!」

 

 ふと、メイドの1人が椅子を持ってきた。

 店内にいる全員がホッと胸を撫で下ろす。アリマを立たせたまま、呑気に食事なんてできる訳がない。

 しかし、アリマは首を横に振った。

 

「すまないが、もうダンジョンに向かわないといけない」

「もう、ですか? もう少しゆっくりしていけば……」

「いや、フィンたちが59階層に潜るとなると、黙って見てる訳にはいかない」

 

 そう言って、アリマは出入り口の扉へと足を進めた。アリマを見ていた冒険者たちは慌てて通路を譲る。

 

「それじゃあ、また」

 

 それだけ言い残すと、アリマは豊饒の女主人を立ち去った。残るのは、嵐の後のような静けさだけだった。

 

「嵐のように来て、嵐のように去って行きましたね……」

 

 シルのその言葉に、無言ながらも誰もが同意した。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 ベルは新しい防具を買うためにヘファイストスファミリアのバベル支部にやって来た。

 お目当の品は、ヴェルフ・クロッゾが作った防具だ。

 他の店にも足を運んでみたが、ヴェルフの作った防具は売っていなかった。そこで、アリマと一緒に来た店に訪れた。ここならヴェルフの作った防具が置いてある可能性が一番高いと踏んだのだが……。

 閑古鳥すら寄り付かないような店が一変、店前には溢れるような人集りができている。これもアリマがこの店で商品を買った効果だろうか。となると、ヴェルフの作った防具は売り切れているかもしれない。

 ベルの胸に焦りの感情が芽生える。

 

「頼むよ、お前にとっても悪い話じゃないだろう!」

「お断りだ。他を当たりな」

 

 店中から2人の男の会話が聞こえた。

 何があったのだろう。ベルは人集りの中を進んで行く。

 店内に入り、ある程度前に進む。店の主人と、首に青いスカーフを巻いた赤髪の男が見えた。

 

「お前だってもっと儲けたいだろう!? もっと速く新しい武器を造ってくれよ!」

「防具を置かせてくれた誼みで会いに来てみりゃあ……。何度でも言うぞ、俺は金儲けがしたくて武器や防具を造ってるんじゃねえんだ! やっつけ仕事なんて絶対にしねえ!」

 

 話はそれきりだと言わんばかりに、赤髪の男がカウンターから離れる。

 当然、行き先はベルたち野次馬のいる出入り口。不機嫌そうな顔で、ズンズンと大股で向かってくる。

 周りの人たちが赤髪の男に道を譲るろうと、左右に捌ける。ベルもそうしようと足を進めると同時に、赤髪の男の足が止まった。

 

「お前、ベル・クラネルか!?」

「えっ?」

 

 不機嫌な表情から一転、驚いたような、それでいてどこか嬉しそうな表情に変わる。

 

「一度話してみたかったんだ! おい、今時間あるか?」

「あ、ありますけど……」

 

 あれよあれよと、近くにあるベンチまで連れて行かれ、そこに座らされた。

 

「自己紹介が遅れたな。俺はヴェルフ・クロッゾ。お前が選んでくれた防具の製作者だ」

「あなたがあの防具を造ったクロッゾさんなんですか!?」

「おう、そうとも。……それと、俺の名前を呼ぶときはヴェルフでいい。クロッゾって呼ばれるのは、あまり好きじゃねえんだ」

「えっと、それじゃあヴェルフさん、さっきの会話は何だったんですか?」

「ん? ああ、そりゃ聞こえてたよな。ほら、俺の防具をキショウ・アリマが買ってくれただろう。それで俺の造った防具やら武器やらが飛ぶように売れるもんだから、あのオヤジが俺に何でもいいから武具をさっさと造ってくれって頼んでいたのさ」

 

 武器や防具を造ってくれと頼まれるのは、鍛冶職人として喜ぶべきことだろう。しかし、先ほどの会話では、ヴェルフは武器や防具を作るのを拒んでいた。

 何か、造れない事情でもあるのだろうか。

 ベルのそんな疑問を察していたのか、ヴェルフは真剣な面持ちで口を開いた。

 

「そりゃあ、金があったに越したことはねえよ。だけどさ、そんなことのために武器や防具を打っちまったら、使い手も武器たちも可哀想だろ? 俺が鍛冶士になったのは、最高の武器や防具を造りたいからなんだ。そこだけは曲げたくねえ」

 

 ヴェルフの言葉からは、自分の考えは絶対に曲げないという強い信念が感じられた。

 

「……その気持ち、分かります。他人がどうこう言おうと、自分が絶対に譲れないものなんですよね」

 

 信念…… と言えるほどのものではないかもしれないが、ベルにも譲れない想いはある。

 どんなに困難だろうと、アリマの背中に追いつきたいという想いだ。

 誰かがその想いを聞けば、そんなの無理だと言い、笑うかもしれない。それでも、ベルはその想いを諦めるつもりはない。

 きっと、ヴェルフも似たような気持ちなのだろう。

 

「はは、ただの意地みたいなもんなんだけどな。ありがとな、ベル。そう言ってくれると嬉しいぜ」

「いえ、凄く立派な信念だと思いますよ」

 

 その言葉を聞いたヴェルフは、何かを決意したようにベンチから身を乗り出した。

 

「……なあ、ベル。突然だけどよ、俺と直接契約を結ばないか?」

「直接契約、ですか?」

「ああ。お前の専属になって、武器や防具を造ってやるってことだ」

「本当ですか、嬉しいです!」

「その代わりにだけどな…… 少し頼みもあるんだ」

「頼み、ですか?」

「俺をお前らのパーティに入れてほしいんだ。ランクアップして鍛冶のアビリティが欲しいんだが、1人じゃどうにも効率が悪くてな……」

 

 ヴェルフのパーティ加入の頼みは、ベルにとって願っても無いことだった。

 昨日の祝賀会のリューの言葉によると、中層からのダンジョンはパーティを組んでいないと厳しいらしい。

 アリマがいれば中層はおろか、そのまま下層まで行けそうな気もするが、アリマに頼らないと中層に行けないというのも情けない話だ。アリマがいなくとも、中層に潜れるようになりたい。

 ソロで潜れるようになれば、という考えは即却下された。中層以降をソロで潜れるのは、それこそアリマやアイズといった、超一流の冒険者でなければ自殺行為と変わらない。

 パーティを組めと、半ば恐喝に近い形でリューに勧められた。しかし、アリマとリリルカ以外に頼れそうな冒険者はいなかった。

 だから、ヴェルフがパーティに参加してくれるのは素直にありがたいのだが……。

 

「歓迎しますけど、ファミリアの人たちはどうしたんですか?」

 

 武器や防具を売っているということは、ヴェルフはヘファイストスファミリアに所属しているはずだ。ランクアップをしたいなら、ヘファイストスファミリアのパーティに参加すればいい。

 ベルがそんな疑問を持つのを見越していたのか、ヴェルフは更に言葉を続ける。

 

「ファミリアの奴らとはちょっと揉めちまってな。少し頼み辛いんだわ。勿論、お礼はするぜ。あのおっさんの店に来たってことは、武器か防具が欲しいってことだろ? 俺の工房にある自信作をやるよ」

「わ、悪いですよ! 僕にとっても、ヴェルフさんがパーティに入ってくれるのはありがたいのに!」

「なぁに、金なら腐るほどあるから気にすんな。それにさ、お前を一目見て思ったんだよ。俺が作った武器や防具を使ってほしいって。だから、俺の意を汲むと思って受け取ってくれ」

「そ、それならお言葉に甘えて……」

「いよっし、決まりだな! それで、武器と防具のどっちが欲しいんだ?」

「防具が欲しいんです。実は、ミノタウロスとの戦いで防具が砕けちゃって」

「マジかー…… まだまだ修行が足りねえな。まあ、明日はもっと性能の良い防具を持ってくるから、期待しててくれ!」

 

 こうして、2人目の仲間がベルのパーティに加わった。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 迷宮都市オラリオの中央に聳え立つ象牙の塔、バベル。その根本にある中央広場は、ダンジョンに挑もうとする多数の冒険者たちが往来している。

 その中には、今まさにダンジョンに挑もうとするベルたちの姿もあった。

 

「ベル、似合ってんじゃねーか」

「そうですか?」

 

 ベルは新しい防具を装備していた。

 その名も兎鎧(ピョンキチ)MK-III。パーティに入れてもらう対価に、ヴェルフが工房から持ってきた防具である。

 外見こそアリマに買ってもらったMK-IIとほぼ同じものの、防御力が格段に上昇しているらしい。

 名前のセンスが異次元な点を除けば、満足できる性能の防具だ。

 

「んで、そいつは?」

 

 ヴェルフは大きな荷物を背負う少女──リリに目を向けた。

 

「ああ、そういえば言ってませんでしたね。この子はリリ。僕の仲間です」

「リリルカ・アーデです。色々とお話は聞いていますよ、ヴェルフ様」

 

 リリルカの口調はどこか冷たさを帯びていた。

 

「……色々、ねえ」

 

 リリルカの「色々」という言葉の真意に気づいたのか、ヴェルフは目を細めた。

 

「ベル、お前ももう聞いたか?」

 

 ベルは黙って頷いた。

 昨日のヘスティアとの会話を思い返す。

 クロッゾ家は昔、強力な魔剣を造ることができる鍛冶一族として栄華を極めていた。しかし、ある時期から魔剣を造ることがパタリとできなくなり、凋落の一途を辿ることになったという。

 しかし、何の因果か目の前の男には── ヴェルフには、強力な魔剣を打つ能力が与えられた。しかし、当人は魔剣を打つのを嫌がっているらしい。

 

「だけど、僕はそんなの気にしませんよ」

 

 魔剣を打たないのは、きっとヴェルフに譲れない何かがあるからだろう。

 それに、魔剣を打つように強要するつもりはないし、必要もない。

 今の自分にはヘスティアナイフと、何よりユキムラがある。これ以上望めば、それこそバチが当たってしまう。

 その言葉を聞いたヴェルフは、少し安心したように笑った。

 

「そうそう、細かいことは気にしない方がいいんだ。お前もあまり気にしすぎると美容に良くないぞ、リリ山」

「リリ山!!? 何ですかリリ山って!?」

「山みてえにデカいバッグを背負ってるからな。何だ、不満なのか?」

「不満しかないです! 何でそんなどこぞの山みたいな渾名を付けられなきゃいけないんですか!!」

「ナイスな渾名だと思ったんだがな」

「全然ナイスじゃないです! そんなセンスのない渾名を付けられるなんて堪ったものじゃありません! もうダンジョンに行きますよ!」

 

 ベルたちは順調にダンジョンを進み、あっという間に11階層に着いた。

 一言でダンジョンの構造を説明するなら、霧が発生している草原だ。

 しばらく探索していると、もこりと地面が盛り上がった。モンスターが現れる予兆だ。ベルたちはそれぞれの武器を構える。

 現れたのはゴブリンとコボルト。1匹1匹の力は大したことはないが、いかんせん数が多い。

 

「ヴェルフさん、そっちは頼みます!」

「おう、任しとけ!」

 

 ヴェルフは大剣を豪快に振り、1匹のコボルトに叩きつける。コボルトはぐちゃりと音を立てて潰れ、黒い霧となって消えた。

 次の獲物へ移ろうとしたとき、モンスターたちの体に次々と矢が突き刺さった。

 

「リリも援護します。……今更ですけど、ちゃんと戦えてますね」

「あたぼうよ。その辺の冒険者よりは頼りにしてくれても良いぜ。それよりリリ山、ベルを援護しなくていいのか? 向こうの方が数が多いだろ」

「それこそ要らない心配です。あの人はアリマさんの一番弟子なんですよ」

 

 一歩も動かないベルと、対照的に息を荒げながら襲いかかるゴブリンたち。

 ベルはジッとゴブリンたちの動きを観る。無駄に動く必要はない。ただ、限界まで引きつけるだけ。それだけでいい。

 ゴブリンたちがユキムラの攻撃範囲まで侵入した瞬間、ユキムラを起動する。刀身が生える。それと同時に、ユキムラを横一閃に振るう。

 空気すらも斬り裂くような感覚。刃の走る軌跡にいたゴブリンたちは、成す術もなくその身に刃を受け入れた。まるで最初からそうだったように、ゴブリンたちは上半身と下半身に斬り裂かれた。

 息つく暇もなく、別のゴブリンたちがベルを攻撃しようと跳びかかる。

 ベルは僅かに動くだけでゴブリンたちの突進を躱し、すれ違い様にヘスティアナイフで1匹ずつ斬りつけた。

 

「すっげえ……」

 

 あれだけいたゴブリンたちがほんの一瞬で全滅した。

 ヴェルフたちもモンスターを倒し終わり、ベルたちは一息つく。ふと、ヴェルフはベルの持つ長剣── ユキムラに目を向けた。

 

「なあ、ベル。それ、一級品装備なんじゃねえか?」

「ああこれ? 実はアリマさんが使っていた武器なんだよね。ユキムラって銘なんだ」

 

 ヴェルフはユキムラの銘を聞いた瞬間、目を大きく見開いた。

 

「ユキムラぁ!!?? ユキムラって、あのユキムラか!!?? うおおおおおおおお、まさかこんな近くで見れるなんて!!!」

 

 兄貴肌で、いつも冷静なヴェルフからは想像もつかない大声だ。

 

「ベルさん、この人危ない人ですか?」

「ちょっとリリ!?」

「悪い悪い、つい興奮しちまった。ロキファミリアの冒険者が時々うちのファミリアにユキムラの整備を頼みに来てな、偶然一目見たときからユキムラを俺の目標にしてるんだ。だからユキムラで戦うところを生で見れて、嬉しくてな。そりゃあIXAやナルカミには性能的に負けるし、派手なギミックはねえけどよ、こいつはアリマさんと一緒に成長した武器なんだよ。最初こそ普通の武器だったのに、今となっちゃ一級品装備としてバリバリ活躍してるんだぜ。信じられるか? 汎用性の高さにも目を見張る点だよな。特殊なギミックはないが、それを補って余りある切れ味がある。どんなモンスターにだって一定以上の効果がある。こんな凄え武器他にねえよ」

 

 リリルカは既に魔石の回収に向かっていた。ベルは適当に相槌を打ちながら、止まる気配のないヴェルフの言葉を聞き続ける。

 

「なあなあ! もう一回その辺のモンスターと戦ってくれよ! 今度はユキムラがモンスターを切り裂く瞬間を間近で見たいんだ!」

「え、ええ」

 

 本当にユキムラが好きなんだなあ、と思いながら苦笑いを浮かべる。

 これでユキムラの整備を頼んだら、どれだけ興奮するのだろうか。

 

「うわああああ!!??」

 

 弛緩した空気を切り裂くような悲鳴。何人かの冒険者が、体長4Mを超える四足歩行の竜── インファントドラゴンから逃げていた。

 迷宮の孤王が存在しない上層では、事実上の階層主と認識されているモンスターだ。当然、その強さも他の上層のモンスターとは隔絶している。

 

「リリ山、逃げろ!」

 

 魔石を拾っていたのが災いした。

 リリルカは、インファントドラゴンに狙いを定められてしまった。

 リリルカはすぐに立ち上がり、駆け出すも、インファントドラゴンはリリルカ以上の速さで追いかけてくる。

 このままじゃ、間に合わない。

 

「っ!」

 

 ベルの足から青白い光が発せられ、どこからか鐘の音が響き渡った。ほぼ無意識に地面を一蹴りする。するとどうだろうか、ベルはかつてないスピードでインファントドラゴンの首に接近した。

 勢いそのままユキムラを振るう。ユキムラは容易くインファントドラゴンの首を切り落とす。

 受け身を取るのも忘れ、叩きつけられるように着地するベル。顔を上げると、呆然とした顔のリリルカとヴェルフと、インファントドラゴンの魔石がそこにあった。

 

 





あるほーす「ソードオラトリアか…… 面白そうだし、少し読んでみるか」










あるほーす「ぎゃ……めろッ!! 馬鹿野郎ォォ!! (プロットが)死ぬッ! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!死ぬゥゥウゥゥ!!!!」


 こんな事情で更新遅れました。とりあえず眼鏡買ってきます。
 感想・評価お待ちしてます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

災足る

 海外の方から感想もらいました。とんでもねえ。やっぱ有馬さんはとんでもねえ。


 まるで密林のように木々が生い茂る場所、ダンジョンの59階層。

 歴戦の猛者であるフィンたちですら、そこは地獄と称されるに相応しい壮絶な戦場と化した。

 59階層に陣取っていたのは、タイタン・アルムに寄生した穢れた精霊。膨大な魔力を宿し、しかもこれまで前例にない攻撃── 魔法を使用する。その圧倒的な力は、第一級冒険者のフィンたちに全滅を覚悟させるほどだった。

 ロキファミリア全員の連携と、アイズのリル・ラファーガでどうにか退けたが……。

 地面から生えた食虫植物のようなものが穢れた精霊の魔石を喰らった。

 そのまま地面を割り、現れたのは2体目の穢れた精霊。天女と見紛う上半身と、怪物のような下半身。ただ、下半身は蛸の足のように、何百本もの食虫植物のような触手が揺らいでいた。

 外見から察するに、同じくタイタン・アルムに寄生したのだろう。

 

「に、2体目……」

「冗談じゃねえぞ、オイ……!」

「どうする、フィン……!?」

 

 リヴェリアの目には不安の色が見え隠れしていた。彼女のこんな顔を見るのは何年ぶりだろうか。

 

「……撤退しよう。もう一度アレと殺り合うだけの余裕はない」

 

 武器も、道具も、体力も、何もかもが尽きている。もう逃げるしかない。しかし、果たしてこの化物からすんなりと逃げ切ることができるだろうか。

 誰もがこの絶望的な状況に呑まれている。そんな中、ただ1人だけいつもと変わらない表情で武器を構え、立ち向かおうとする冒険者がいた。

 彼の名はラウル・ノールド。超凡夫という二つ名を贈られたLv5の冒険者である。

 フィンたちのサポートに回っていたので、他の面子と比べれば比較的軽傷だ。しかし、もう1体の穢れた精霊と戦うには、あまりにも消耗している。

 ラウルはナゴミを構え、そのまま穢れた精霊へと駆ける。

 何本もの食虫植物のような触手が大口を開けて、ラウルに伸びる。

 ラウルはそれらを時に躱し、時に切り落としながら前に進み続ける。

 

「っ」

 

 しかし、躱し損ねた触手の一本がラウルの左腕を喰らった。即座にナゴミで触手の先端を斬り飛ばす。

 ラウルの左腕は見るも無残な状態だった。牙が突き立てられ、大きな穴が幾つも空いている。その穴からはまるで湧き水のように、ドクドクと血が流れる。

 並みの冒険者なら苦痛で顔を歪め、恥も外聞もなく泣き叫ぶだろう。しかし、ラウルは表情一つ変えず、まるで使い物にならないゴミのように左腕を見ていた。

 

「ラウル、何をしている!? 退がれ!!」

 

 我慢でどうこうできるレベルの怪我ではない。前線で戦うのは不可能だ。普通の冒険者ならフィンの指示があるまでもなく、後方に下がり、リヴェリアの魔法で応急処置をしてもらおうとするだろう。

 しかし、ラウルの足は動かない。それどころか、ナゴミを片腕で構え直した。

 

「リヴェリアさんの魔力をそんなことに使わせる訳には。それに、手足をもがれても戦えと── 最後まで諦めるなと、アリマさんから教えられました。だからまだ戦えます、戦います」

 

 そう言いながら、ラウルは再び穢れた精霊に突撃した。

 

「聞いたか、ここで諦めたらアリマに笑われるぞ! 全員、ラウルに続け!」

 

 魔法は使ってこない。いや、敢えて使わないだけかもしれないが。とにかく、勝ちを拾うには魔法を使ってこない今しかない。

 全員が武器を構え、ラウルに追随する。

 最も体力が残り、最も穢れた精霊に一撃を入れる可能性が高いのはラウルだ。自然と、全員がラウルの道を作る。

 とうとう、ラウルは穢れた精霊の懐まで辿り着く。

 大きく足を踏み込み、宙へと跳ぶ。狙いは穢れた精霊の天女のような上半身。

 大きく腕を振りかぶり、ナゴミを振るう。

 

「!」

 

 穢れた精霊の首に届く直前、ナゴミの刃が止まる。両手に痺れが走る。まるで岩盤を斬りつけたような感覚。

 目を凝らさなければ分からない、うっすらとした膜── いや、障壁が張っている。

 食虫植物のような触手の先端がラウルの胸から腰にかけてを嚙み付く。

 ラウルはどうにか逃れようと足掻くも、牙は深々と突き刺さっている。

 穢れた精霊はラウルを咥えたまま触手を振りかぶり、そのまま地面へと投げつけた。鈍い音と共に、土煙が舞い上がる。

 

「ラウル!!」

 

 既に限界に近い肉体に、追い打ちをするような先ほどの攻撃。無事であるはずがない。

 土煙が晴れる。あれだけの攻撃をくらっても尚、立っているラウルがいた。上半身から血が絶え間なく流れ、地面には血溜まりができている。

 それでもナゴミを構え、倒すべき敵だけを見据えている。闘志── と呼ぶにはあまりに静かなそれだが、ラウルの心は未だに折れていない。

 しかし、どれだけ強靭な精神だろうと、彼の肉体は既に限界を迎えていた。

 ナゴミがラウルの右手からするりと抜け落ちる。糸の切れた人形のように、ラウルは身体はガクリと揺れる。

 するりと。誰かがフィンたちの横を通り抜ける。そして、前のめりに倒れそうだったラウルを右腕で受け止める。

 

「アリマ……」

 

 その誰かは、オラリオ最強の一角として名高い冒険者、キショウ・アリマだった。

 汚れ一つない純白のコートが靡く。常に死と隣り合わせの戦場ではあまりにも異彩で、いっそ神秘的にすら感じる。

 今までどこにいたのか。たった1人で未到達階層まで降りてきたのか。今はそんな疑問すらどうでもいい。

 アリマが来てくれた。八方塞がりだったこの状況に、確かな光明が差す。

 

「よくやった、ラウル」

「……はい」

 

 アリマの無機質な賛辞に、ラウルの口元がほんの少しだけ上がった。

 

「フィン」

 

 アリマはフィンの名を呼ぶと、左手一本でラウルを持ち上げ、そのまま放り投げた。

 綺麗な放物線を描きながら、ラウルはフィンに向かって落下していく。

 地面に叩きつけられれば、それがトドメになりかねない。フィンは慌ててラウルを受け止める。決して軽くない衝撃が、フィンの子供と変わらない小さな身体に走る。

 

「ありがとう、ございます」

 

 今にも消え入りそうなか細い声で、受け止めてくれた礼を言うラウル。

 

「無理に喋るな!」

「……すみません団長、少し寝ます」

 

 それだけ言うと、ラウルは瞼を閉じた。

 まるで今際の際のような台詞。最悪のケースを想像し、フィンの心臓が竦み上がる。

 スゥ…… スゥ…… と、ラウルの寝息が聞こえた。フィンは安堵の息を吐く。本当に少し寝ただけのようだ。

 

「リヴェリア、回復魔法を」

「分かってる。全く、無茶をする……!」

 

 リヴェリアの手から青白い光が放たれ、ラウルの顔色がほんの少し良くなる。大きな効果は望めないが、何もやらないよりはマシだ。

 

「退がっていろ。俺1人で殺れる」

 

 それを見届けたアリマは、一言だけそう呟き、穢れた精霊に向き直った。

 アリマは右手に持つ2つのアタッシュケースを地面に置く。右側に置いてあるアタッシュケースからナルカミを、左側に置いてあるアタッシュケースからIXAを取り出す。

 右手に携えられたナルカミ。左手に携えられたIXA。二刀流で戦うアリマを見たのは何年ぶりだろうか。

 以前、ラウルが言っていた。この2つの武器で戦うのは、アリマが本気になった証なのだと。穢れた精霊は本気を出すに値する敵だと、アリマが認めたということだ。

 改めて切迫した事態を認識したフィンは、自分たちが今何をすべきかを考える。

 厳密に言えば、最善であろう行動は既に頭に浮かんでいるのだ。ただ、その最善の行動はしたくない。他に何かできることはないかと、必死に選択肢を探す。

 時間にして数秒。フィンは自分たちが何をすべきかという答えを弾き出した。

 

「ガレス、ラウルを頼めるかい?」

「うむ、任せろ」

 

 ガレスは肩でラウルを担ぐ。そして、他の団員が待つ50階層(セーフティーポイント)に向かって走り出した。

 フィンがラウルを抱えて走るには、体格的に少し厳しい。ガレスが走ってくれれば、フィンよりも遥かに早く50階層まで着く。一命を取り留めたとはいえ、まだ油断ならない状況なのだ。

 とはいえ、ガレスも深刻な怪我を負っている。走るのも辛いはずだ。それでもフィンの頼みを快諾してくれるというのだから、ガレスには本当に頭の下がる思いだ。

 フィンはアリマ以外の残った面々を見渡してから、すぅと息を吸った。

 

「みんなよく聞いてくれ。アリマが時間を稼いでいる間に、59階層から脱出する」

 

 逃走。今のフィンたちにできる最善の行動であると同時に、フィン自身も最もしたくない行動であった。

 仲間を置いて逃げるなんて、誰がしたいのだろうか。しかし、団員の命を預かる身として、そんな感情はおくびも見せてはいけない。毅然とした表情を作る。

 犠牲を最小限に── いや、犠牲無しに切り抜けるにはそれしかないのだから。

 フィンの言葉を聞いた瞬間、古参組以外のメンバーが苦渋の表情を浮かべる。

 

「ざけんな、フィン! アリマに丸投げして逃げろってか!? 冗談じゃねえ、俺も残るぞ!!」

「ベート」

 

 フィンはベートの鳩尾に拳を叩き込む。

 Lv6の遠慮のない一撃。ボロボロの状態も相まって、ベートは地面に膝を突く。

 それでも意識を保てているのは、流石は第一級冒険者と言うべきか。

 

「フィン、てめっ……」

 

 振り絞るように声を出した後、うつ伏せになって倒れるベート。どうやら気を失ったらしい。

 

「今回ばかりは我儘は許さない。今は1秒でも惜しいんだ。文句なら後で聞くよ」

 

 そう言いながら、フィンはベートを肩で担いだ。

 

「でも、アリマはどうするの? このまま1人で残してなんか……!」

 

 アイズの言葉にフィンは首を横に振った。

 

「アリマは1人でやれると言ったんだ。それに、今の僕らが残っても邪魔なだけだよ。アイズ、自分の状態は自分が一番よく分かっているだろう?」

「っ……!」

 

 体力も魔力も、既に底を尽きかけている。そんな状態で穢れた精霊との戦いに加勢しても、アリマの足手まといになるのがオチだ。アリマが1人で斃せると言っているなら、彼を信じて任せるべきなのだろう。

 だけど、最後の最後にアリマだけに任せるなんて、そんなの悔しくない筈がない。

 ここで死んでしまえば、それで終わりになってしまう。この悔しさを糧に強くなることさえできない。そう、分かっている。分かっているのだ。頭では分かってはいるけれど、心がそれを納得しない──。

 

「アイズさん……!」

 

 レフィーヤがいつの間にかアイズの手を握っていた。その手は弱々しく震えているが、絶対に離さないという強い意志が感じられた。

 

「最後まで戦い抜けない気持ち、分かります。アリマさんに任せるしかない無力感も分かります。だけど、絶対に行かせません。私はアイズさんに死んでほしくないから!」

 

 レフィーヤの姿が昔の自分と重なった。

 アイズの心に形容し難い痛みが走る。自分は誰よりも置いて行かれる辛さを知っているはずなのに。それを仲間に── レフィーヤに振りかざしてしまった。

 

「分かった、ここはアリマに任せる」

 

 レフィーヤは安堵の笑顔を浮かべる。アイズも申し訳なさそうに笑いかけた。

 

「行くぞ、走れ!」

 

 フィンの号令に、皆が一斉に走り出す。

 ふと、ティオネは肩越しに後ろへ振り向く。

 睨み合ったまま、ピクリとも動かない天才と天災。最初の個体はアイズに執着していたのに対し、この個体の意識はアリマ1人に向けられている。

 あの化け物が自分たちを眼中に入れてないのは気に食わないが、これなら59階層から脱出できるかもしれない。

 

「みんな、ごめん」

 

 そう思った矢先、妹の謝る声が聞こえた。

 まさかと思い、ティオネは左隣を見る。いない。ティオナが並んで走っていたはずなのに、そこには誰もいない。

 そのまま後ろへ振り向く。

 視線の先ではティオナは足を止めていて、申し訳なさそうに笑っていた。

 

「今度はティオナか……!」

 

 フィンたちもティオナが足を止めたことに気づいた。

 

「団長、先に言っててください! あの子は私が連れ戻します!」

 

 フィンたちが足を止めるとは、穢れた精霊に追い付かれる危険を僅かでも上げるということ。

 だからこそ、ティオネはフィンに先に行くよう懇願する。妹の不始末は、家族である自分がどうにかしなくては。

 フィンはジッとティオネの顔を見た後、コクリと頷いた。

 

「……すまない、頼んだよ」

「はいっ!」

 

 ティオネはフィンたちと逆の方向に走り、立ち止まっているティオナに詰め寄る。

 

「ティオナ、何やってんの! 今は我儘してる場合じゃないでしょう!」

「ごめん…… だけど、ずっとアリマを独りで戦わせるなんて、やっぱり可哀想だもん。せめて、見届けるくらいはしてあげたいの」

「可哀想って、あんたねぇ……!」

 

 そう語るティオナの目は、清々しいほどに真っ直ぐだった。

 こうなってしまっては、もうテコでも動かない。無理に連れて行くという手もあるが、そうすれば妹は本気で抵抗するだろう。2人とも動けないという結末になってしまったら、笑うに笑えない。

 ティオネは諦めたように息を吐き、右手の人差し指をピンと立てた。

 

「いい、絶対にアリマと一緒に戦おうなんて思わないこと。というか、それ以上アリマたちに近づかないこと。そう約束してくれるなら、団長にも上手く言っておくわ」

「うん、ありがとう!」

「いい? 死んだら死んでも許さないわよ。絶対に帰ってきなさい!」

 

 ティオネは58階層へと繋がる階段の方へと走って行った。

 残ったのは、穢れた精霊と対峙するアリマと、遠くで彼を見守るティオナだけだった。

 

「……」

 

 静寂。アリマも、穢れた精霊も、ピクリとも動かない。まるで互いに腹の中を探っているように。

 息をするのも忘れるような濃厚な時間が続く。まるで堰き止められているように、時の流れが遅く感じる。

 最初に動き出したのは── 均衡を破ったのは穢れた精霊だった。

 

「ゼ…… ギ、ガァァァアアアアァァ■■■■■■■■!!!」

 

 かつてない脅威と認識したのか、穢れた精霊はアリマに向かって咆哮を上げる。

 59階層全体の空気がビリビリと震える。並みの冒険者なら、あまりに苛烈な敵意に身動きが取れなくなるだろう。

 しかし、アリマの表情は変わらない。ただの倒すべき敵として── 上層にいるゴブリンを見るのと変わらない目を向ける。

 穢れた精霊の化け物のような下半身が蠢く。緑の触手がそれぞれ独立した生命体のように、一斉にアリマへ殺到する。

 それはまるで緑の壁。逃げ場なんてどこにもない。

 

「アリマ!!」

 

 ティオナが彼の名前を叫ぶと同時に、緑の壁はアリマの姿を飲み込んでしまった。

 次の瞬間、雷が地上から天に昇った。

 触手は雷撃で灼かれ、黒い塵となって崩れる。

 風で塵が舞い飛ぶ中、何事もなかったように佇むアリマ。ナルカミの4つに別れた切っ先の先端には雷のようなエネルギー体が形成されている。

 アリマはナルカミを穢れた精霊に向け、電撃を放った。

 放たれた雷撃は獲物に食らいつく猟犬のように宙を奔る。しかし、穢れた精霊に届く直前で弾き消される。

 

「────、───」

 

 穢れた精霊の詠唱が響く。お返しとばかりに、アリマの真上に雷の槍が何本も形成され、まるで雨のように降り注いだ。

 やっぱり、魔法を──! ティオナの頬に冷や汗が流れる。リヴェリアの魔法と同等か、それ以上の規模だ。人1人を殺すにはあまりにも過剰すぎる。

 しかしアリマは焦る様子など微塵も見せず、ナルカミを上空に向ける。ナルカミから放たれた雷撃が螺旋を描き、まるで盾のように広がる。

 無数の雷の槍が、雷の盾に降り注ぐ。小さな川が大きな川に飲み込まれて消えるのと同じように、降り注いだ雷の槍は雷の盾と同化して消える。全ての雷の槍が消えると、まるで役目を果たしたのを理解したように、雷の盾も消えた。

 

「壁があるんだったな」

 

 穢れた精霊の懐に潜り込んだアリマは、ナルカミを前方に突き出した。

 何もない空中なのに、硬い何かに遮られるような感覚がアリマの手に残る。それと同時に、アリマはナルカミに魔力を注いだ。

 

「負荷80%」

 

 眩い閃光が天を駆ける。常軌を逸した規模の電撃。それはまるで巨大な光の柱のようだった。

 電撃が迸る音と、障壁が軋む音が響く。穢れた精霊の障壁を破るには、あと一歩足りない。

 

「IXA」

 

 IXAの切っ先が独りでにうねり、途轍もない速度で上空へと伸びる。その途中、まるで獰猛な獣の爪のような形状に変化した。

 勢いを加速させ、穢れた精霊を覆っている障壁に黒い爪が突き立てられる。

 電撃とIXAの刺突。電撃を防ぐだけで精一杯だった障壁が保つはずもなく、パリンという音を立てて粉々に割れる。

 

「アアアアァァァアアァア!!!」

 

 天に向かって吠える穢れた精霊。

 アリマのいた場所に何本もの触手が上空から降り注ぐ。しかし、そこにアリマの姿はない。

 アリマは降り注いだ触手を足場に、上へと登っていた。触手の頂端まで辿り着くと、勢いそのままに足を踏み込み、穢れた精霊の上半身へと一直線に跳んだ。

 翼でも持っていない限り、たとえオラリオ最強のLv7であろうと次の動きを予測するのは容易い。真っ直ぐ。それ以外にないのだから。

 当然、穢れた精霊は何本もの触手を待ち構えさせる。触手は大きく口を開き、獲物が飛び込むのを今か今かと待ち構える。

 

「……」

 

 IXAと、いつの間にか近接モードに変換していたナルカミで、待ち構えていた触手を斬り捨てる。

 有り得ない体勢から繰り出される、有り得ない威力の一撃。何本もの触手が斬り落とされ、無残に地面へと叩き落ちる。

 力任せに触手の防壁を破り、穢れた精霊の上半身の目と鼻の先まで接近する。

 穢れた精霊が口を開き、最期に何かを言おうとしたその瞬間── ザンッ、という音を立てて穢れた精霊の首が飛んだ。

 アリマが地面に着地する頃には、穢れた精霊の全身は霧のように消え、地面に落ちた魔石しか残っていなかった。

 アリマは魔石に近づくと、相変わらずの無表情で魔石を拾い、そのままコートのポケットに突っ込んだ。

 

「アリマ!」

 

 穢れた精霊が霧散したのを見計らい、ティオナはアリマへと駆けつけた。その両腕には地面に落ちていた2つのアタッシュケースと、ラウルのナゴミが抱えられている。

 アリマはありがとうと礼を言いながら、アタッシュケースにIXAとナゴミを、もう片方にナルカミを収納した。

 

「ティオナ、逃げてなかったのか」

「うん。だって、あんな強い化け物に勝つ姿を誰にも見られていないなんて、そんなの寂しいでしょ?」

「……確かに寂しいかもしれない。だが、フィンがよく許してくれたな」

「あはは、実はかなり強引にここに残っちゃったんだよね。多分、フィンに説教されちゃうと思う……」

「……俺も怒られるだろうな」

「そっか、アリマずっとホームに帰ってこなかったもんね」

 

 アリマはいつもの無表情だが、どこか優しい雰囲気だった。そんな雰囲気を感じ取ったティオナも、朗らかな笑みを浮かべる。

 

「ねえアリマ、怪我はしてない?」

「いや、どこも痛い場所はないよ」

「あんな化け物が相手でも、無傷で勝っちゃうんだね。凄いなあ。アリマの背中に追いつくまで何年かかるんだろう」

「……そうだな」

「さてと! それだけ元気なら、もう50階層に戻っても大丈夫そうだね。早く行こう、みんな待ってるから!」

「ああ」

 

 2人は58階層に繋がる階段に向かって歩いて行く。

 

「ねえアリマ、あの化け物って何だったんだろうね? アイズは精霊って言ってたけど……」

「精霊?」

「うん。何でも、精霊の元? みたいなのがモンスターに寄生すると、ああなっなちゃうらしいよ」

「そんなことがあるのか」

「ああ、そっか。アリマはベル君の特訓に付きっ切りだったから、前の事件も分かんなよね。それじゃあ、あの赤い髪の女も分かんないか」

「……赤い髪の女」

「そう、赤い髪の女。リヴィラの街の殺人事件の犯人で、調教師なんだって。59階層に行けとか言ってたし、多分あいつが何か関係してると思うんだけど……」

「……」

 

 そんな話をしている間に、58階層に繋がる階段が見えてきた。

 

「まあ、難しいことはフィンたちが考えてくれるよね。私があれこれ考えてもあんまり意味ないか! さっ、行こうアリマ!」

 

 そう言って、ティオナは階段を登った。

 対して、何故かアリマは階段を登る一歩手前で立ち止まっていた。

 

「──レヴィスか」

 

 自分にしか聞こえないような声量で小さく呟く。当然、彼に返事を返す存在は誰もいない。

 

「おーいアリマー! 何してるのー!?」

 

 ティオナはアリマが未だに階段に登っていないのに気付き、かれの名を大声で呼びながら、ぶんぶんと腕を振るった。

 その声に急かされるように、アリマは階段を登り始めた。

 




 感想・評価ありがとうございます。
 俺はお前らが好きかもだ(29感)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

石小の

 

 ここはダンジョンの18階層。

 中層に存在する、もう1つのセーフティーポイント── モンスターがポップしない階層であり、冒険者の間では『迷宮の楽園』という名称が付けられている。拠点にするには打ってつけだ。

 ある事情で休息が必要になった俺たちロキファミリアは、崖に囲まれた平野にいくつかのテントを張り、そこを拠点として滞在している。

 点在するテント群の中央に、一際大きなテントがある。団長専用のテントだ。他のテントと違い、当然内装も凝っている。高そうな敷物に、高そうなテントの生地。羨ましいったらありゃしない。

 俺、ティオナ、ラウルの3人はそのテントの中で横一列に並び、正面にはイイ笑顔を浮かべながら椅子に座っているフィンがいる。

 それにしても、今回のダンジョン遠征は心躍った。図らずしも、59階層のシチュエーションが梟討伐戦とそっくりだからだ。

 特等捜査官たち(フィンたち)が苦労して不殺の梟(精霊もどき)を撃退したら、まさかの2体目の隻眼の梟(精霊もどき)が登場。

 まあ、あのパチモン精霊を梟枠にするには色々と物足りないけど。

 東京喰種無印をリアルタイムで読んでた身で言わせてもらうと、あれは衝撃的かつ絶望的な展開だった。

 CCG、もう全滅するしかないじゃん。どうするのこれ。読者だけでなく、篠原さんたちもそう思っていただろう。

 そんな時に現れたのが有馬さんだ。V14の喰種集団、カネキュンとの連戦後に颯爽と駆け付け、何人もの特等クラスが共闘してやっと太刀打ちできるであろう隻眼の梟を単騎で駆逐した。

 震えたね。マジで震えた。流石は有馬さんだって、立ち読みしてたコンビニで叫んだ。女の店員がこっちを見てたけど、そんなの全然気にならなかった。

 いやまあ、有馬さん、エトしゃんと通謀してたんだけどさ。だけど、もしも梟討伐戦で両者が本気で戦ったとしたら、有馬さんの圧勝で終わるだろう。有馬さんの立ち回りはそれぐらい凄かった。

 そんな偉業をある程度再現できたんだから、東京喰種で言う白双翼賞くらいの功績は残したんじゃねえの? あ、ちなみに白双翼賞はSSレートを駆逐できる能力のある捜査官に与えられる賞だ。

 

「3人とも、何か言うことはあるよね?」

 

 だからフィンさん、そろそろ許してくれませんかね?

 

「俺は特に」

「え〜と、その…… ごめんなさい!」

 

 反省のはの字も見せないラウルとは対照的に、深々と頭を下げるティオナ。今のフィンにとって、ティオナはどれだけ癒しの存在だろうか。

 

「ティオナは…… まあ、アリマを1人だけ残すのは僕も思う所があったし、ティオネがあまり強く叱らないでって頭を下げてくれたからね」

 

 説教してるとは思えない、とても穏やかな表情だ。

 これ、なんか許されそうな流れじゃね?

 

「だけど、命令を破った罰はキッチリと受けてもらうよ。そうだな…… アリマがどうやってあのモンスターを倒したか、僕らに話してくれるかい?」

 

 フィンはパチリと右目を閉じて、ウインクをした。アラフォーの男とは思えないほど様になっていた。

 流石はフィンだ。40過ぎの野郎でウインクが許されるのは、それこそフィンか福山○治くらいだろう。どこぞのティオネなら1発で陥落するだろう。

 

「う、うん! ありがとう、フィン!」

 

 ティオナは安心したように笑った。お咎めなしで良かったな、ティオナ。

 というか、どうやって精霊もどきに勝ったのかは俺に聞けば良くない? ティオナに聞く必要はなくない?

 

「さて、問題は君たち2人だ」

 

 ティオナに向けていた穏やかな表情から一変、背景にゴゴゴ…… と効果音が付きそうなイイ笑顔に戻っていた。

 

「まずラウル。あんな怪我を負って、しかも1人で突撃するとはどういう了見だい?」

 

 聞いた話によると、ラウルは左腕がダメになっても、上半身に嚙みつかれても、あの精霊もどきに立ち向かったらしい。その証拠に、今のラウルは全身を包帯でグルグル巻きにされている。

 いやぁ、感心感心。手足をもがれても戦え、という真戸父の教えを守っているようで何よりだ。

 平子さんは痛みで怯むようなキャラじゃないからね。右腕をナイフで滅多刺しにされても顔色一つ変えなかったし。機械的に相手を殺しにかかってくれないと。

 

「あの場は、自分がああするしかないと判断したので」

 

 特に表情を変化させることなく、しかも平坦な口調で言うラウル。

 意外にも、フィンはラウルの言葉に静かに頷いた。

 

「そうだね。あの場で一番動くことができたのは間違いなく君だろう。でも、それが命を捨てるような行動をしていい理由にはならないよ。もっと自分を大切にしてくれ、ラウル。君が死んだら、悲しむ人が大勢いる」

「……善処します」

「怪我に響くだろうし、今回のお咎めは免除しよう」

 

 ラウルはペコリと一礼すると、その場でじっと佇んだ。

 続いて、フィンが俺に目を向けた。イイ笑顔すら鳴りを潜めて、絶対零度の冷めた表情になっていた。ですよね。

 

「問題はアリマ。君はもう…… 君はもう本当に、マイペースなくせに飛び抜けた功績ばかり作るから、怒るに怒れなくて……!」

 

 眉間を押さえるフィン。お疲れ様です。

 

「大体、今まで本拠に帰らないで何をしていたんだい?」

「……すまない、言えない」

 

 プライバシーの侵害、ダメ、絶対。

 いやまあ、ちょっと猛者と一緒にミノたんを調教して、地上に戻って、そのまま59階層まで降りただけなんだけどさ。

 そんなこと喋ったら、今度こそロキファミリアでの信用がアボンする。お前はファミリアよりベルが大事なんかって。

 フィンは険しい目を向けるが、俺はずっと口をつぐむ。すると、フィンは呆れるように溜息を吐いた。

 

「……うん、もういいよ。君とは長い付き合いだからね、こう言うのは分かっていた」

 

 おっ、俺も許されそうな雰囲気。

 そらそうよ。ティオナ、ラウルが許されたんだから、流れで俺も許されないと。精霊もどきとの戦いも、なんやかんやで間に合ったし。

 

「ただ、罰はキッチリと与えるよ。ポイズン・ウェルミスの毒に侵されている団員が何人かいただろう? 地上に戻って、毒消し薬を買ってきてほしい。君ならすぐに行けるだろう?」

 

 そう。とある事情とは、ポイズン・ウェルミスの毒をくらった仲間を休ませるためである。あと、死にかけのラウルも。

 ウザかったなあ、あのモンスター。下層のモンスターとは思えない雑魚のくせに、群れて、しかも超強力な毒を有している。上級冒険者の対異常も突破するほどだ。

 ナルカミの電撃で大半のポイズン・ウェルミスは消し炭にできるけど、逆に言えば僅かにだが残してしまう。ナルカミの広範囲の電撃でも殲滅し切れないと言い換えれば、どれだけ大量に出現するか分かるだろう。

 怠かったなあ、毒をくらった団員たちを18階層まで運ぶの。ダンジョンの毒なんだから、ポケダンとかシレンみたいに一歩歩けば1ダメージみたいなシステムなら良かったのに。

 

「分かった」

 

 正直クソ面倒だが、この程度の罰で済んで良かったと言うべきか。

 18階層から地上までの往復なんて、それこそ犬の散歩のような気軽さでやれる。何なら今日中に帰ってもいい。

 

「それじゃあ3人とも、もう退がっていいよ。ただしアリマ、君は迅速に地上に向かって、毒消し薬を買ってくるように」

 

 団長のお許しが出たので、俺たちはテントを後にした。

 外の景色は草原やら森やら、大自然が広がっている。天井は無数のクリスタルが光を発し、太陽の代わりを果たしてくれる。

 ダンジョンの中とは思えない場所だ。何も知らなければ、オラリオ郊外の森と勘違いしてしまうだろう。

 ちなみに、このクリスタルはある一定の時間帯だけ光らなくなり、その時間帯は丁度夜のように暗くなる。

 

「さ、災難だったね、アリマ! お使いくらい、ベートに行かせればいいのに!」

 

 何も喋らない俺とラウルの空気に耐え切れなかったのか、ティオナが話しかけてきた。

 

「いや、罰としては甘いくらいだ。この人がもう少し遅ければ、俺たちは全滅していてもおかしくなかった」

 

 おいこら、ラウル。

 発言内容については文句ないよ。というか、ぐうの音も出ない正論だよ。耳が痛いよ。

 だけどさ、ティオナちゃんが折角明るい空気に変えようとしてんのに、何もっと重苦しい空気にしてんの? 空気読めや。

 

「……」

「客観的意見を述べただけです」

「あわわわわ」

 

 睨み合うこと数秒。

 うん、何をやってるんだ俺たちは。おっさん同士が睨み合うなんて、そんなの虚しすぎるわ。ラウルから視線を逸らすと、向こうもそうした。

 

「俺は向こうののテントなので。失礼します」

 

 怪我した体を引き摺りながら、ラウルは自分のテントに戻って行った。

 

「ラウル、怖かった〜……。ねえアリマ、ラウルに何かしたの? 一緒にダンジョンに潜ったりしてたんでしょう?」

「いや、特には」

 

 強くするために殺しかけたり、死なせないために殺しかけたり、平子さんにするために殺しかけたりですかね。

 

「本当に? 心当たりがあるなら、ちゃんと謝んないとダメだよ」

「ああ」

 

 心当たりがあるのはそれくらいだけど、「どんな厳しい修行でもついて行くっす!」とか言ってたのはラウルだし。合意の上だから、恨まれるのはお門違いだ。

 そういえばあいつ、昔は語尾に「〜〜っす」とか付けてたんだよな、懐かしい。今の性格からは考えらんねえわ。

 

「それじゃあ、地上に行ってくる」

「うん、いってらっしゃい!」

 

 さてと、頼まれたからにはさっさと毒消し薬を取ってきますか。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 怪物進呈。モンスターの群れを他のパーティに押し付ける行為。

 ダンジョンの13階層── 難易度が跳ね上がるという中層に挑んだ初日に、ベルたちはそれをされた。

 モンスターの大群に襲撃され、上層に戻ることができなくなったベルたちは、セーフティーポイントである18階層を目指すべく、決死の進行をした。

 道中、リリルカとヴェルフは疲労と負傷で気を失ってしまった。それに加えて、17階層で迷宮の孤王── 赤褐色の巨人、ゴライアスに遭遇。

 どうにか2人を抱えながらも、命からがら18階層に繋がる縦穴に飛び込んだ。

 そして、そして──

 

「!」

 

 ベルは目を開け、飛び起きた。ダンジョンで寝るなんて、自殺行為にも等しい。

 起きた直後に、地面が妙に柔らかいことに気づく。

 体の下に布団が敷いてある。それに、目の前にあるのはダンジョンの無機質な岩壁などではなく、木の骨組とそれに貼り付けられた白い布だ。

 

「リリ、ヴェルフ!」

 

 ふと横を見てみると、自分と同じく、布団で寝かされているリリとヴェルフの姿があった。

 2人とも呼吸で体が揺れている。どうやら寝ているだけらしい。

 

「起きたか」

「うわあ!?」

 

 声をかけられた方を見てみると、全身が包帯で巻かれた、明らかにベルたちよりも重傷そうな男が椅子に座っていた。

 

「……あっ、もしかしてラウルさんですか!?」

 

 コクリ、と小さく頷く。

 顔にも包帯が巻いてあるせいで、一目で分からなかった。

 ベルにとってラウルは最初にアリマの教えを受けた先輩でもあり、赤いミノタウロスから助けてくれた恩人でもあり、ユキムラを託してくれた届け人でもある。

 アリマとアイズに次いで、ロキファミリアの中で印象の強い冒険者だ。

 

「あの、ラウルさん。リリとヴェルフは無事ですか? どこか、後遺症が有ったりなんかは……」

 

 包帯男の正体がラウルだと分かった所で、リリルカとヴェルフの容態を尋ねる。

 

「大丈夫だ、後遺症になるような怪我はしていない」

「そっか、良かったぁ……」

 

 緊張の糸が解け、安堵の息を吐くベル。

 

「ラウルさんがここまで運んでくれたんですか?」

「いいや、俺じゃない。君たちを運んできたのはアリマさんだ」

「アリマさんが!?」

「詳しいことは知らないが、そうらしい」

 

 ラウルは椅子から立ち上がる。

 

「来い、団長に会わせる」

 

 ラウルがテントの外に出る。ベルも慌てて立ち上がり、テントの外に出た。

 テントの布を捲ると、そこに広がっているのは生い茂る緑。広がる青空。まるで懐かしき故郷のようだ。

 目の前の光景に立ち尽くしている間に、ラウルはテントとテントの間をどんどんと先を進んでいく。ラウルの背中を追い、ある一際大きなテントに辿り着いた。その大きさに、思わず見上げてしまう。

 

「入れ。俺はここで待つ」

「は、はい」

 

 木製の扉を開ける。

 外装に違わず、華奢な内装だ。幾何模様が画かれたマットに、明らかに上質な薄緑色の布かけ。もしかしたら、ヘスティアファミリアの本拠よりも金がかかっているかもしれない。

 奥の方には、団長と呼ばれていた金髪の小人が椅子に座っていた。その右隣には緑色の髪をした女のエルフが、左隣には兜を被った男のドワーフがいた。

 ロキファミリアの実力者として、彼らの名はアリマからよく聞いている。ガレス・ランドロック、リヴェリア・リヨス・アールヴ、そしてフィン・ディムナだ。

 

「久しぶりだね、ベル・クラネル君。赤いミノタウロスとの戦い以来かな?」

「はい、お久しぶりです!」

 

 ベルはその人たちの前に足を進めると、そのまま流れるように土下座した。

 

「この度は助けて頂き、本当にありがとうございました!」

 

 ヘスティアから教わった、最上級の誠意を見せる礼の仕方だ。

 それをされたフィンたちは、困ったように笑った。

 

「頭を上げてくれ。僕たちがやったのは寝床を提供しただけ。お礼を言われるようなことなんてしてないさ」

「そ、そんなことは!」

「本当さ。お礼を言うならアリマにだよ。君と君の仲間を僕たちの拠点に運んできたのもそうだし、ポーションを使って治療したのも、ベル君たちをここで休ませるよう頼み込んだのも彼だ」

「形こそ頼み込んではいたが、あれはほぼ脅迫に近かったな。アリマに可愛がられているようで結構結構!」

 

 そう言いながら、ガレスは笑った。

 

「……あれ、アリマさんはどこに?」

 

 ロキファミリアのトップがここに揃っているのに、アリマだけがこの場にいないのは不自然だ。

 

「アリマなら今、地上に向かっている。いや、もしかしたら着いた頃かもしれないけどね。仲間の数人が厄介な毒を貰ったから、毒消し薬を取りに行かせてるんだ。なんでもそれで地上に向かう道中、君たちを見つけたそうだよ」

「アリマさんに取りに行かせてるんですか?」

「足が一番速いのは彼だし、何よりちょっとした罰を兼ねてね」

 

 そういえば、途中から遠征に参加するとアリマは言っていた。やはりと言うか、当然と言うか、きっとその罰なのだろう。

 

「それで、ベル君はどうして18階層で倒れていたんだい?」

「それは──」

 

 ベルは18階層を目指すことになった理由を話した。

 

「そうか、災難だったね。それにしても無茶をする。中層に挑んだその日に18階層まで逃げ込むなんて」

「弟子は師に似るとはよく言ったものだな。まるでアリマのようなことをする」

 

 そう言いながら、眼を細めるリヴェリア。彼女がどれだけアリマの無茶に振り回されてきたのか、ベルは何となく察せてしまった。

 

「とにかく、アリマが戻ってくるまでゆっくりしているといい」

「は、はい!」

 

 こうしてベルたちはアリマが帰ってくるまでの間、ロキファミリアの拠点で休ませてもらうことになった。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 地上へ行き、毒消し薬を買いに行こうとしたその道中。ベル君とリリ山さん、そして見知らぬ青年が18階層で倒れていた。

 彼らをロキファミリアの拠点まで運び、フィンにくれぐれも丁重にもてなすよう釘を刺し、治療を施したというかポーションをぶっこんだ。

 そんな事情で、結晶が光っている時間に18階層に戻ってくるはずが、すっかり暗くなってしまった。

 そういえば、ベル君たちは起きただろうか? ラウルに見張りを任せたとはいえ、やはり心配だ。フィンに毒消し薬を届ける前に、少しだけ様子を見てみよう。

 ベル君たちが寝ているテントに到着する。

 灯りがついてる。それに、何やら騒がしい。

 

「アリマさん!」

 

 テントの中に入ってみると、これまた奇特な面子が揃っていた。

 ベル君たちに、装備から察するにタケミカヅチファミリアの団員、ヘルメスとその従者、そして紐神様がいた。初対面の人たちは見事に固まっている。

 神がダンジョンに潜るのは固く禁止されていると聞いたことがある。もしもその禁を破れば、天界に強制送還されるらしい。

 紐神様は分かる。きっとベル君が心配で、居ても立っても居られなかったのだろう。

 謎なのはヘルメスだ。そんな危険を冒してまで、どうしてダンジョンに潜っているのだろうか。何を企んでやがるんだ、こいつ?

 

「おやおや、アリマじゃないか。元気にしてたかい?」

「……」

 

 ヘルメスが話しかけてきたが、無視!

 こいつ、過去に俺の思考をあの手この手で探ろうとしやがったのだ。

 もしも俺の考えていることが世間に知られたら、その時点で有馬さんロールプレイング大失敗。つまり、それは生きる価値の喪失だ。考えただけでも恐ろしい。

 

「ヘルメス様、アリマさんを刺激しないでください!!」

 

 ヘルメスの従者は顔を青くする。

 それもそのはず。二度と俺の思考を探るなんて気が起きないよう、ヘルメスをボコボコにしてやったからだ。

 一応、ヘルメスは二度と俺の思考を探らないと誓ってくれたが、 あれだけボコボコにしたのに、どこ吹く風と接してくる。絡まれると、面倒ったらありゃしない。

 こいつがダンジョンに来た理由も気にはなるが、今はベル君たちと話しておこう。

 

「ベル、リリルカ。君たちが無事そうで良かった」

「アリマさんが僕らを助けるために色々としてくれたと聞きました。もう、何てお礼を言えばいいのか……」

「リリからもお礼を。助けて頂き、本当にありがとうございました」

「礼なんていい」

 

 頭を下げるベルとリリ。

 

「それと、そっちの君は?」

 

 赤髪の彼に目を向ける。助けたときも思ったけど、この青年は何者なんだ。

 

「ヴェルフ・クロッゾです。ベルと専属契約を結んだヘファイストスファミリアの鍛治師です。助けてくれて、本当にありがとうございます」

 

 ……ふむ、鍛治師か。ヴェルフ君からバンジョイさん感がする。

 バンジョイさんは治癒能力持ちで、色々と有能だったからなあ。この青年からも、そこはかとなく有能感が漂っている。

 よし決めた、今日から君はバンジョイさん枠だ。

 あ、そういえばクロッゾって、あの魔剣の一族じゃね? まあ、どうでもいいか。

 

「それで、どうして18階層に?」

「それは……」

 

 ベルは気まずそうな表情でタケミカヅチファミリアの面々を見た。

 

「大丈夫です、私たちが説明します。ベル殿が18階層まで逃げ込んだのは、私たちタケミカヅチファミリアが怪物進呈をしてしまったのが原因です。アリマ殿、申し訳ありません! 貴殿の弟子を、こんな危険な目に遭わせてしまって……」

 

 そう言って、躊躇なく土下座するタケミカヅチファミリアの女の子。いやあの、年下の女の子に土下座されても。

 

「別に(謝らなくても)いい。君たちと違って、(そんなムチャ振りをされても死なないよう、俺が鍛えてやってる)ベルは死なないから」

「ッ……!」

 

 何故か怯えた表情をされた。

 あれ、言葉の意味がちゃんと伝わってない? 気にしなくてもいいっていう趣旨なんだけど……。

 まあ、ベル君が無事そうならそれでいいし、別にいいか。さっさと毒消し薬を届けるとしよう。

 

「それじゃあ、用事があるからこれで」

「もう行っちゃうんですか?」

「ああ、団長を待たせているからな」

 

 ベル君たちのいるテントから出る。

 そのまま団長たちのいるテントへと、足を進める。

 

「アリマ!」

 

 誰かに名前を呼ばれた。

 足を止め、振り返ると、そこには複雑そうな表情の紐神様がいた。

 

「久しぶりだな、ヘスティア」

 

 久しぶりに紐神様と話した気がする。

 わざわざ追ってくるなんて、何の用があるのだろうか?

 そうこう思っていると、突然紐神様が深々と頭を下げた。

 

「ベル君たちを助けてくれて、本当にありがとう。これからもベル君たちのこと、よろしく頼むよ」

 

 おお、少し意外だな。

 俺を快く思っていない…… って言うと語弊があるか。俺にバリバリ嫉妬している紐神様が、まさかこんなに素直にお礼を言うなんて。

 

「僕がお礼を言うのがそんなに意外かい?」

「……ああ、少しな」

「いつかこの恩には報いるよ。だから首を洗って待っているんだね!」

 

 首を洗ってどうするというのか。

 それにしても、いつか恩に報いるねえ。果たして間に合うかな? まあ、期待せずに待つとしようか。




 感想・評価ありがとうございます。
 感想(ものすごい)──!!!!!!!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Aの飛翔

 ロキファミリアのベースキャンプ地の開けた場所。そこでは、アリマとベルが久しぶりに手合わせをしていた。

 ベルはアリマの攻撃をユキムラで逸らし、ないし躱しながら、かれこれ数十分も凌いでいる。

 アイズやヴェルフたち見学人は、息を飲んで2人の手合わせを見守っていた。

 

「うわあ、エグっ……」

 

 ティオネが思わず呟く。

 アマゾネスである彼女も幼少期から厳しい訓練を課されていた。しかし、そんな彼女から見ても、この手合わせはエグいと称せざるを得ないものだった。

 手加減はしているが、一切の手心がないIXAの刺突。既に2人の足元は、ベルだけの血で濡れている。

 

「ねえねえラウル、もしかして毎日あんなことされてたの?」

「ああ」

「うへぇ…… そりゃ強くなる訳だよ」

 

 ベルの体力は底を尽きかけているが、アリマは息すら切らさない。寧ろ、その攻撃は苛烈さを増していく。対応し切れず、ベルがIXAの刺突の勢いで体勢を崩す。

 アリマがそれを見逃すはずもない。ベルの胴体目掛けて、IXAの鋭い突きが放たれる。身体を無理やり横にずらす。しかし、躱し切れず、脇腹が僅かに抉れる。

 飛び散る鮮血。ベルたちの足元に生えている草花に容赦なく降りかかる。

 悲鳴を堪え、後ろに跳ぶ。アリマはベルを追わず、ただジッと見つめる。

 ベルの額に汗が流れる。

 最後に手合わせした日よりも、アリマの攻撃は遥かに鋭く、疾い。Lv2になったベルに合わせて、制限していた力を解放したのだろう。

 Lvが上がった油断などできない。しようもない。限界以上に気を引き締めなければ一瞬でやられると思い、力強くユキムラを握る。しかし、アリマはIXAの切っ先を地面に下ろしていた。

 

「今日はここまでにしよう」

「アリマさん、僕なら大丈夫です。まだやれます……!」

「いや、君というより……」

 

 アリマがチラリと横を見る。

 ベルもその目線を追うと、暴れるヘスティアとそれを抑えるリリルカの姿があった。

 

「離せぇ! 離すんだサポーター君! 今こそあの白髪メガネに、白髪メガネに神の鉄槌を!」

「ちょっ、落ち着いてください!」

 

 とてもではないが、手合わせをできるような状況ではない。

 

「ベル、回復しておけ」

「あっ、はい」

「回復させたから良いと思っているなら、大間違いだぞ! 絶対にベル君に謝らせるからな、土下座だよ土下座!」

 

 アリマからポーションを投げ渡される。

 容器を口に当て、ポーションを一気に流し込む。体内に循環し、染み渡るような感覚。気づいた頃には、傷の痛みはすっかり消失していた。

 

「まだユキムラの重量に振り回されている。自分の手足のように動かせるよう、使い込んでこい」

「はい! 今日もありがとうございました!」

 

 ベルは深々とお辞儀をする。

 アリマはというと、ベルのお辞儀にさしたる反応をせず、黙々とIXAをアタッシュケースに収納した。

 そして、ベルとアリマの手合わせを見学していたヴェルフに目を向けた。

 

「ベルの防具は君が造ったのか?」

「はい、俺が造りました。兎鎧っていいます」

「兎鎧……」

 

 アリマは兎鎧と呟くと、それっきり黙り込んでしまった。周りの人たちも、兎鎧のネーミングに戸惑っている。

 

「ほら、ヴェルフ様。アリマ様も呆れて物が言えないそうですよ」

「むぅ……」

 

 リリルカの煽りに、見学人たちがうんうんと頷く。態度にこそ出さないものの、ベルも心の中で同意していた。

 アリマが防具を買ってくれた今となっては、ヴェルフの造った武器や鎧はどの店でも売り切れている超人気商品だ。しかし、以前はこの個性が突き抜けたネーミングセンスのせいで、全く売れなかったらしい。

 ぶっちゃけると、鎧の銘が兎鎧と知ったとき、買い替えを本気で検討した。

 

「いや、ハイカラだな」

「!!!??」

 

 しかし、アリマだけはヴェルフのネーミングセンスを肯定した。というか、褒め言葉のチョイスがおかしくないだろうか?

 

「ほら見ろリリ山! アリマさんみたいに、分かる人には分かるんだよ、このネーミングの良さがよ!」

 

 ヴェルフがリリルカのことをリリ山と読んだ瞬間、アリマが僅かに反応した。

 

「アリマ様、お世辞なんて言わなくても良いんですよ……?」

「そんなことないよ、リリ山さん」

「アリマ様までリリ山呼び!? というか、何でさん付けなんです!?」

「……リリや──」

「ベル様までリリ山呼びですか? いいですよ、呼んでみてください。その瞬間、恥も外聞もなく泣き喚きますから」

「な、何でもないよリリ……」

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 久しぶりにベル君と手合わせしたが、実に良い感じに成長していた。ユキムラの扱いも上達している。俺の出した宿題を真面目にこなしている証拠だ。この調子なら、Lv3にランクアップするのもそう遠くない。成長期なんてレベルじゃねえな。

 手合わせが終わった後、紐神様に思いっきり殴られた。が、殴った紐神様が逆に手を痛めていた。

 さて今日はどうするかと思っていたら、ティオナにリヴィラに行こうと誘われた。リヴィラとは、18階層に存在する冒険者たちが独自に作ったコミュニティで、崖の上にある。

 リヴィラにある宿や売店は全てボッタクリ価格である。しかし、俺が行くと大体の店が適正価格で売ってくれる。有馬さんオーラがそうさせるのだろうか。

 断る理由もないし、折角だから一緒に行くことにした。

 とはいえ、特に買うものもないので、リヴィラではリリ山さんにバックパックを買ってやった。案の定ぼったくられていたので、代わりに買ってやった。

 

「これ買ってあげるよ、リリ山さん」

「キショウ・アリマがさん付け!!?? ひいいぃぃぃぃ!!!! 命だけは、命だけはお助けええええぇぇぇぇ!!!!」

 

 というやり取りがあったせいか、リリ山さんの頬は引き攣っていた。正直、余計なことをした感は否めない。

 リリ山さんにバックパックを買ったのを、ティオナが羨ましそうな顔で見ていたので、ついでに胸部プロテクター的な防具をプレゼントした。性能は悪くない。下層のモンスターの一撃くらないなら、どうにか守ってくれるだろう。

 いや、別にティオナが壁パイだからって意味じゃないです。いっそ鉄板にしろよなんて思ってないです。ハイルはあなぽこが原因で死んだから、ティオナもそうならないようにって願掛けで買っただけなんです。だからそんな睨まないで下さい、ティオネさん。

 だけど、当の本人であるティオナは喜んで受け取ってくれた。本当に良かったです。

 リヴィラから帰ると、女性陣は水浴びに、ベル君はヘルメスの野郎と一緒に森の中へ消えていった。

 俺はベル君とヘルメスを追い、森の中を歩いている。

 俺のことを探ろうと、ベル君にあれこれ聞こうとしているのだろう。如何にもヘルメスの考えそうなことだ。

 普通に聞く分ならまあ、見逃してやらんでもない。だが、少しでも怪しい手段を使ってると判断したらカネキ式半殺しにしてやる。即半殺しにしてやる。

 

「はみゃああああぁぁぁ!!!??」

 

 ベル君の悲鳴が聞こえた。

 自分でもびっくりするような、冷徹な感情が湧き上がる。残念だよ、ヘルメス。君の骨を160本も折ることになるなんて。半分以上折ってるけど別にいいよね。

 悲鳴が聞こえた方へと走る。木々の間を抜けると、そこにあったのは──。

 

「!!??」

 

 真っ裸で水浴び中の女性陣と、そのど真ん中でへたり込んでいるベル君だった。

 一瞬で頭がパンクしかける。どうすればいい!? こんなとき、有馬さんならどんな反応をするんだ!?

 東京喰種自体、ほのぼのしたラッキースケベなんて、泥酔した暁さんがズボンを脱いだのを亜門さんが目の当たりにしたくらいだし!

 とりあえず謝る!? それとも何も言わずに背を向ける!? まさかの顔を赤らめる!? 教えてくれ有馬さん、俺はどうすればいい!!

 これまでの人生。そして俺の中に存在する有馬さんの人物観。それらが混ざり合い、一気に弾ける。そして、俺は1つの答えにたどり着いた。

 

「……何をしてるんだ、ベル」

 

 もう無視でいいや。

 俺の声が聞こえているのか、いないのか。ベル君は顔を赤くし、目を回したまま、水面を走るような勢いで俺の横を駆けた。Lv2とは思えない速さだ。やはり、ベル君のポテンシャルは計り知れない。

 逃げていくベル君を目で追いながら、思わずため息を吐く。何というか、どっと疲れた。穢れた精霊と戦ったときよりしんどい気がする。

 ヘルメスに何を吹き込まれたのかは明日聞くとして、今日はもう寝るとしよう。

 というか、年頃の少年が水浴び場にダイレクトアタックしてきたんだぞ? 少しは恥じらえよ、女性陣。そう思いながら、来た道を引き返した。

 

「アリマの奴、一瞬だけすごい困った顔をしてたね。しかも、その後は無反応だし」

「ええ、そうですね……。100万歩譲って無表情ならまだしも、どうしてまた困った顔なんて……」

「何なのこの…… 女としてのプライドをズタズタにされたような感覚」

「」

「どうしたの、ティオナ? ティオ── 死んでる……!?」

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 俺が朝起きると、ロキファミリアが地上に戻るというのが決まっていた。どうやら、二手に分かれて地上に戻るらしい。まあ、今回の遠征はヘファイストスファミリアの鍛治師がいるから、妙に大所帯だしなあ。

 先発隊はフィンたち主力メンバーだ。ゴライアスを排除して、後発隊を安心して通らせるためらしい。

 当然俺も先発隊だったが、フィンに言って後発隊メンバーにしてもらった。ゴライアス程度なら俺がいなくてもいいし。今日はみっちりとベル君を鍛えてやるんだ!

 

「レフィーヤ、ベルと戦ってほしい」

「いや、そう言われましても……」

 

 困ったようにそう言うレフィーヤに、俺たちのやり取りなんて気にせず、ナゴミの素振りをするラウル。

 この2人は俺の見張り役。また1人でダンジョンに潜らないように、とのことだ。遠征に途中で参加した件で、相当信用をなくしたらしい。まあ、それは別にどうでもいいとして……。

 徹底的に鍛えるにはどうすればいいか考えたが、とりあえず格上と戦わせればいいだろという結論に至った。だけど、俺やラウルでは駄目だ。あらゆるハンデをつけて手合わせしようにも、ベル君が勝てる可能性が微塵もない。

 格上が相手といっても、負ける可能性しかないのなら意味がない。だからこそ、実力が近いレフィーヤが戦ってほしいのだ。

 引き受けてくれればいいのだが……。

 

「なるべく殺す気でやってほしい」

「あのほんとやめてください! 怖いです! 怖いです! 助けてラウルさん!」

 

 レフィーヤは涙目になりながら、相変わらず素振りをしているラウルに助けを求める。どうして泣くのだろう。手加減はするなって言ってるだけなのに。

 ラウルは見向きすらしない。というか、助けを求められていることにすら気づいていないようだ。

 よくよくラウルを見ると、耳栓をしていた。うるさかったかな? はは、こやつめ。

 

「ラウルさぁぁぁぁぁん!!!??」

 

 18階層の偽りの青空の下に、レフィーヤの悲痛な叫び声が響き渡った。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 どうしてこうなってしまったのだろう。アリマの後ろを歩きながら、レフィーヤはそう思う。

 結局、レフィーヤはアリマの頼みを断れなかった。最初から最後まで気が進まないが、あんな無表情で凄まれたら、首を横に振るなんてできない。

 どうして気が進まないのか。それは、アリマの一番弟子との手合わせが自分に務まるとは思えないからだ。

 負ける気は微塵もない。なんせ、自分はLv3で、ベルはLv2だ。どんなにベルが強かろうと、このレベルの差は埋められないはず。問題なのは、そんな彼ときちんと戦えるかだ。

 露骨に手を抜けばアリマの失望を買うし、かといって全力でやり過ぎれば、それこそベルに取り返しのつかない大怪我を負わせてしまうかもしれない。

 アリマは無表情で、さも当然のようにIXAでベルを刺しまくっているが、自分にはあんな風に人を傷つけるような図太さはない。まさか、あのレベルを求められてはいないと思うが……。

 遠目にだが、開けた場所で剣を素振りをしている人影が見えた。その正体は簡単に予想がつく。

 アリマは何も言わずその人影に近づく。レフィーヤもアリマの歩幅に合わせ、小走りでついて行く。

 やはりというか、その人影はベルだった。何千回も振っているのだろう。ユキムラを振るう姿は意外と様になっている。

 自分たちの気配に気づいたのか、ベルは素振りを止め、こちらに向き合った。

 

「アリマさん! それに、レフィーヤさんも……?」

 

 どうしてここに自分がいるのかと、ベルは首を傾げる。どうやら、彼は何も聞いていないようだ。

 

「ベル、今日は彼女と戦ってもらう」

「!」

「……よろしくお願いします」

 

 形だけ頭を下げる。

 実は、もう1つだけベルと戦いたくない理由がある。

 ベル・クラネルが気に食わないのだ。決して嫌ってるという訳ではない。真面目な性格のようだし、Lv1でミノタウロスを撃退したという実力も素直に認めている。

 ただ、どうしようもなく気に食わないのだ。アリマに気に入られて、その上アイズにまで気に入られているなんて。

 

「レフィーヤ、君はベルを再起不能にさせたら勝ち。ベル、お前は先にレフィーヤから一本獲れば勝ちだ。ただ、ユキムラは危ないからこれを使え」

「は、はい!」

 

 アリマがベルに投げ渡したのは、安っぽいナイフだった。

 

「ん? これって……」

 

 ナイフを受け取ったベルは何かに気づいた様子を見せて、手の平に刃先を当てた。

 ギョッとするレフィーヤ。しかし、ベルの手からは血が出ない。よくよく見てみると、刃が柄の中に引っ込んでいる。

 オモチャだ。それも、かなり安全仕様の。

 ぷちり、とレフィーヤの中の何かが切れる。自分なんてオモチャで倒せると、そう言いたいのだろうか。

 

「……気が変わりました。アイズさんたちの水浴びを覗いた件も含めて、あなたを死なない程度にボコボコにしてさしあげます」

「ええ!?」

 

 昨日のアイズたちの水浴びは、レフィーヤが見張りを担当していた。当然、ベルとアリマがそこに居合わせたのは知っている。

 どうやらヘルメスが悪いようだが、知ったことではない。憧れの先輩── アイズの裸を見たことには変わらないのだから。

 杖を構える。この鬱憤は、原因である目の前の少年で晴らすとしよう。

 

「それじゃあ、始め」

 

 アリマの合図と同時に振り返り、そのままベルを背にして駆ける。

 ベルは自分の逃走にも見える行為に戸惑っているようだが、それなら好都合だ。

 ある程度距離が開いた所で立ち止まり、再びベルと向き合う。

 杖の先の魔石が青白く光る。魔法発動の予兆だ。

 走っている最中に、詠唱は完了させた。並行詠唱。移動しながら詠唱を行うという離れ技である。練習に練習を重ね、どうにかものにできた。

 杖の先に魔法陣が展開される。

 放たれる火の玉。ベルが慌てた様子でその場から飛び退いた。

 ベルの立っていた地面に火の玉が直撃し、瞬く間に草が黒く焼け焦げる。

 並行詠唱の成功に喜ぶレフィーヤ。

 しかし、喜びも束の間。ベルが距離を詰めようと走り出す。

 そうはさせない。

 速攻魔法を唱える。魔法陣から複数の火の玉がベルに放たれる。さっきの火力を見た後だ。防ぐなり、避けるなりして、足を止めるはず──

 

「はあ!?」

 

 足を止めるどころか、トップスピードを維持したまま突っ込んでくる。

 直撃する! 攻撃をくらうのは自分ではないのに、レフィーヤは顔を青くする。

 ベルはほんの僅かに体を横にずらして、直撃する寸前の火の玉を躱す。

 直撃しても死にはしない。しかし、死ぬほど痛いだろう。そんな危険があるのに、顔色一つ変えずにそれを為した。狂っているとしか言いようがない。

 気づけば、目の前にベルがいた。アリマが渡したオモチャのナイフを突き刺そうと、腕を引いている。

 ほぼ反射的に、レフィーヤは杖をベルの左半身目掛けて振るう。お世辞にも杖術とは呼べない力任せの横振りだが、確かな手応えがあった。

 ベルが右横に吹き飛ぶ。しかし、その顔は苦痛に歪むどころか、真っ直ぐにレフィーヤを睨みつけている。

 いつの間に引き抜いていたのか、左腕には黒いナイフが握られていた。あれで杖の一撃を防いだのだろう。

 ベルは地面に着地すると同時に、再び駆ける。大きな弧を描くように走り、レフィーヤの背後に回り込もうとする。

 身体ごと振り返るレフィーヤ。しかし、そこにベルの姿はない。

 まさか、フェイント──!

 もう一度身体ごと振り返る。

 

「……あ」

 

 すると、まるで壊れ物を扱うかのような丁寧さで、レフィーヤの胸にオモチャのナイフが突きつけられた。

 

「って、何するんですか!?」

 

 ベルの頬に平手打ちを飛ばす。

 勝負はもうついているが、それはそれ、これはこれだ。乙女の胸に物を押し付けるなんて、セクハラ以外の何物でもない。ビンタの一つや二つでもしなければ、気が済まない。

 

「へぶっ!?」

 

 不意打ちだったのか、あんなに敏捷な動きで魔法を躱していたのに、平手打ちはベルの右頬に容易くクリーンヒットした。

 右頬に紅葉模様を浮かばせながら、地面に倒れこむベル。強烈な一撃だったのか、目を回している。今更になって、目の前の白髪頭よりもLvが上だという実感が湧いた。

 

「勝負ありだな」

 

 アリマはそう言うと、胸ぐらを掴み、ベルを無理やり起こし上げた。

 

「起きろ」

「はばっ!?」

 

 そして、左頬に平手打ちをした。

 悲鳴をあげると同時に、ベルの目がパチリと開く。

 

「あ、あれ? 両頬が痛い……」

 

 そう言いながら両頬をさするベル。

 

「ベル、レフィーヤは後衛の魔導士だ。接近戦は彼女の分野じゃない。一本獲れたからといって、驕らないように。それと、レフィーヤをあまり怒らせない方がいい。単純な魔法の威力なら俺より上だぞ」

「!!??」

 

 ベルが自分のことを化け物を見るかのような目で見る。

 慌てて首を横に振る。

 現時点の最強魔法を使えば、瞬間的な火力はアリマよりも上回るだろう。しかし、アリマはあってないような短い詠唱で、自分の最大魔法に追随する威力の魔法を、それこそ湯水のように使う。

 どちらが化け物染みてるかは、言うまでもないだろう。

 

「それじゃあ、次は俺とだな」

「えっ」

 

 あれよあれよと言う間に、ベルとアリマの手合わせが始まった。いや、手合わせというよりも、アリマの一方的な蹂躙か。あの立ち回りが嘘のようだ。

 ベルと比べて、単純な力や速さは自分が上だった。それなのに翻弄された。

 判断力。駆け引き。肝の据わりよう。それらが自分よりも遥かに上だ。

 胸に突きつけられたオモチャの短刀。もしもあれが本物だったら、一切の誤差なく心臓を貫いていただろう。

 どれだけ強くなるのだろうか。アリマにボコボコにされているベルを見ながら、レフィーヤはそう思った。




 感想・評価くれると嬉しいです。
 おとしだまみたいにたくさん…… (そう、おとしだまのように……)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

族の撃ち音

 それは突然やってきた。

 水晶の天井を突き破り、冒険者の楽園に降り立った黒いゴライアス。

 運悪く、ロキファミリアの第1級冒険者たちは地上に向けて出発してしまっている。そうなると、18階層にいる冒険者たちが総力を挙げて対処すべきモンスターだ。

 しかし、ゴライアスに立ち向かう冒険者は1人だけだった。

 その冒険者の名はキショウ・アリマ。タイミング良く18階層に残ってくれた、オラリオ最強の一角に位置する冒険者である。

 アリマ以外の冒険者は彼を遠巻きに見守るだけで、近づこうともしない。余計な手出しは邪魔にしかならないと、誰もが分かっているのだろう。

 アリマが歩みを進める。すると、黒いゴライアスは後ずさる。

 あまりにも異様な光景だった。黒い巨人が、自分の小指ほどの大きさしかない存在を恐れている。

 そんな恐怖を紛らわすように、ゴライアスはアリマに向かって吠える。

 迅速に、全力で。自分の命を脅かすこの存在を排除しなくては。踏み潰してやろうと、右足を上げる。

 次の瞬間、ゴライアスの両足が吹き飛んだ。血飛沫を撒き散らし、駒のように回転しながら、ゴライアスの両足が宙を舞う。

 それとほぼ同時に、ゴライアスの上半身も地面に落ちる。まるで巨大な岩が落ちたかのような地響きがした。

 今度は、やや遅れて遠雷のような音が冒険者たちの耳に届いた。今になって、吹き飛んだゴライアスの両足が何処か遠くの場所に落ちたのだろう。

 ゴライアスの背後で佇んでいるアリマと、彼の右手の握られているIXAから血が滴っているのを見て、周りの冒険者たちはようやく気付く。初動すら知覚できない速度で動き、アリマはゴライアスの両足を斬り飛ばしたのだと。アリマの動きを目で捉えることができた者が、果たしてこの場に何人いるのか。

 ゴライアスは裏拳の要領で、背後にいるアリマに拳を振り抜く。しかし、そこには既に誰もいない。ゴライアスの拳は虚しく空振るだけ。

 次の瞬間、ゴライアスの下顎から上唇にかけてをIXAが貫いた。ゴライアスが掠れるような悲鳴を漏らしながら、あまりの苦痛にのたうちまわる。

 ゴライアスの背後にいながら、ゴライアスに対して背を向けて佇むアリマがいた。

 肩越しに、アリマは感情の篭っていない瞳でゴライアスを眺めていた。

 圧倒的だ。こうも圧倒的だと、感嘆も通り越して笑えてくる。

 足元に這いつくばる虫を踏み潰すように、あのゴライアスに容易くトドメを刺すのだと、誰もがそう思った。

 しかし、アリマは動かない。その姿は、まるで誰かを待っているように──。

 

「……来たか」

 

 戦場に駆けつける1人の少年。

 その少年の名はベル・クラネル。アリマの一番弟子であり、オラリオでも常に話題の的の冒険者だ。

 

「アリマさん……」

 

 自分のような一介のLv2がいても、アリマとの戦いにおいては邪魔になるだけだろう。アリマと手合わせしているベルは、誰よりもその事実を知っている。

 ならば、何故戦場に来たのか。その答えはベル自身にもよく分からない。敢えて言うとすれば、アリマに呼ばれた気がしたからだ。

 ほんの少し。至近距離で向き合わなければ分からないほど、ほんの少しだけアリマは口角を上げた。

 師弟関係があるからこそか、それとも2人の本質が似ているからか、ベルの勘は的中した。アリマが待っているのは他でもない、ベルだったのだ。

 

「ベル、ハンデはやった。あれを倒せ」

「!」

 

 ベルは改めて黒いゴライアスを見る。

 口は塞がれ、両足もない。それでも、脅威と称するには十分過ぎる。振り回している両手に直撃すれば、それだけで致命傷になるだろう。

 倒せというのか。あれを、自分1人で。

 恐怖と緊張で、ごくりと固唾を呑む。

 

「待ちなさい」

 

 上空から2人の間に降り立つ人影。

 その正体はリュー・リオンだった。

 

「あんなモンスターを相手に、Lv2をぶつけるなんて度が過ぎています。あなたはベルさんを殺す気ですか?」

「……」

 

 リューの言葉は尤もだ。あんなモンスターを相手にベル1人で戦わせるなど、見殺しにするのと何も変わらない。

 リューの目が剃刀のように鋭くなり、アリマは無表情でその視線を受け止める。2人の周囲の空気が張り詰める。

 やがて、アリマが口を開く。

 

「やるかやらないか、選ぶのは君でもなければ、俺でもない。それができるのはベルだけだ」

 

 アリマはそれだけ言い、口を閉じた。

 アリマは強制してベルにゴライアスを倒させる気はないらしい。つまり、ゴライアスと戦うかどうかは、ベルの選択次第ということだ。

 ベルがゴライアスとの戦いを拒否すれば、全ては丸く収まる。アリマがゴライアスにトドメを刺して、それで終わりだ。

 頷きはしないだろう。リューはそう思いながらベルを見る。しかし、彼の顔には何か決意めいたものが顕れていた。

 

「アリマさんは、僕がアレを倒せると思っているんですか?」

「……」

 

 アリマが小さく頷く。

 リューは驚きで目を見開く。勝てるというのか、あのモンスターに。

 対照的に、ベルは最初からアリマが頷くのを分かっていたかのような、神妙な顔をしていた。

 

「……そうですよね。分かりました、やります」

 

 そう言って、歩き出すベル。当然、向かう先は死地(ゴライアスの元)だ。

 ベルとリューがすれ違う。その瞬間、リューはベルの肩を掴んだ。

 

「ベルさん、行ってはいけません!」

 

 ベルは振り返り、肩を掴むリューの手をそっとどかせた。

 

「僕は自分を信じれるほど強くない。だけど、僕を信じてくれるアリマさんのことは、どんなことがあっても信じたいと思うんです。だから、やれます」

「ッ──!?」

 

 そう言って、ベルは再び歩き始めた。

 止められなかった。あまりに強いベルの覚悟に、ほんの一瞬だがリューは気圧されてしまった。本気だ。ベルは本気で黒いゴライアスと1人で戦い、勝つ気でいるのだ。

 

「──……行かせません」

 

 リューは静かにそう呟いた。

 

「信頼に応えたい。その志は立派です。ですが、それで死んでしまっては元も子もない!!」

 

 どんなに高潔な志があろうとも、死んでしまえば、全てが終わりだ。

 ファミリアの仲間を全員失ってしまったリューだからこそ、死の恐怖と、残された者がどんな思いをするのかを知ってしまっている。

 力づくでも、彼を止めなければ。

 

「ラウル」

 

 ぽつり、とアリマが呟いた。

 背後から人の気配がする。振り返ると、そこには大剣を振りかぶる男がいた。

 大剣が振り下ろされる。躱せるような速度ではない。リューは腰にあるナイフを素早く抜き取り、大剣の軌道にナイフを構える。しかし、果たして受け止め切れるのか。

 衝突音。小さなナイフの腹が、振り下ろされた大剣を止めている。

 思っていたよりも、ずっと弱い衝撃。相手が想定より弱いのか、それとも手を抜かれたのか。目の前の人物からして、正解は後者だろう。

 

「ラウル・ノールド……! 何故、あなたまでこんなことを!!」

「答える義理はない」

 

 剣を握っているとは思えないほど、ラウルは静かな目でこちらを見ている。

 リューはラウルのことをよく知っていた。

 一度だけだが、彼とアリマが豊饒の女主人に飲みに来たことがある。その時の空気は今でも忘れられない。

 2人ともカウンターに1席空けて座り、一言も喋らずに、酒だけを静かに飲んでいた。店全体を支配する、飲み屋にあるまじき凄まじいプレッシャー。誰も一言も喋れなかった。後にも先にも、豊饒の女主人があんなに静かになることはないだろう。

 あんなことがあれば、どんなに平凡な顔だろうと嫌でも覚える。

 

「ッ!?」

 

 みしり、とナイフに降りかかる重圧が徐々に強くなっていく。

 やはり手を抜いていたのか──!

 あまりの力に、リューは地面に膝を突く。受け止めるだけでも、全神経を集中させなければいけない。このままでは、体力が尽きるのも時間の問題だ。

 

「リュー殿!」

「!」

 

 一瞬だが、ラウルの意識が声のした方へと引っ張られた。

 リューはその隙にナイフの腹をずらし、ラウルの握る大剣── ナゴミを地面へと受け流す。そして、全速力でラウルから距離をとった。

 声のした方を見てみると、そこにはベルの仲間と、タケミカヅチファミリア、そしてアスフィがいた。

 

「皆さん、どうしてここに……?」

「消えたベル殿を探しに来たんです! しかし、この人は……!?」

「ロキファミリアの冒険者です」

「ロキファミリアの冒険者!? それなら、争う理由なんてどこにも……!!」

「アリマさんはベルさんを1人でゴライアスに戦わせるつもりです。恐らく、彼はアリマさんに私たちの足止めを頼まれたのでしょう」

 

 リューの言葉を聞き、全員が言葉を失う。

 

「ゴライアスをたった1人で倒せだ……? ふざけろ、そんなの正気じゃねえ」

「同感だ。どうにか、彼を連れ戻さなければ」

 

 そのためには、まず立ち塞がるラウルをどうにかしなくては。

 リューは改めてナイフを構える。

 

「私とアスフィさんで彼の足止めをします。他の皆さんは、その隙にベルさんを追いかけてください」

「えっ」

「しかし、あのお方は佇まいからして只者ではありません! 2人だけでは!」

「彼はLv5。貴方達が残っても邪魔なだけです」

「……っ、それでも──!!」

 

 桜花が命の肩に手を置く。

 

「今は耐えろ、命。俺たちは、俺たちのできることを」

 

 あの男と戦うには、目眩がするほど力量が足りない。ならば、自分たちができることに、ベルを連れ戻すことに全力を尽くすしかない。

 こくり、と命は頷いた。自分の力不足を嘆くのは、全てが終わってからでいい。

 

「分かりました。ベル殿についてはお任せください」

「ええ、頼みました」

 

 やるべきことは決まった。

 リューとアスフィは一歩先に出る。

 

「今更ですけど、本当に私たち2人だけでアレを相手にするんですか?」

「ええ」

「……まさか、ヘルメス様に振り回される方がまだマシと思う日が来るなんて」

 

 2人は同時に地面を蹴り、駆ける。

 命たちには目で追うのもやっとの速度。挟み込むようにしてラウルに接近し、そのまま攻撃を仕掛ける。

 二方向から繰り出される剣戟。一流の冒険者であろうと、そこに躱せる余地なんてないと断ずるだろう剣の幕。しかし、ラウルは余裕綽々でそれを躱す。

 だが、2人は目の前の男がこれくらいやってのけると分かっていた。

 

「行ってください!」

 

 リューの声に弾かれるように、命たちは走り出す。

 ラウルの目が命たちに向いたのを、リューは見逃さなかった。

 行かせはしない。最低でも、命たちの背中が見えなくなるまでは、この男をこの場所に釘付けにしなくては──。

 そんな決意を嘲笑うかのように、ラウルの姿が掻き消えた。ラウルの向かう先はどこなのか、そんなの思考を巡らせるまでもない。命たちの走った方向に目を走らせる。

 

「えっ?」

 

 一瞬だった。瞬きをするよりも速い、ほんの一瞬。ラウルは先頭にいた命の行く先に回り込み、首の裏を手刀で叩いた。

 命の目から光が失われ、糸が切れた人形のようにその場に倒れる。

 後ろにいた桜花たちは、突然の事態に足を止めてしまう。

 

「化物め……!」

 

 ふと、ラウルの二つ名を思い出す。

 悪い冗談だ。これの何処が超凡夫なのか。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 膝を折り曲げ、地面を這うような姿勢で前へと進む。すると、頭上をゴライアスの巨大な腕が通り過ぎた。

 風圧だけで死を感じさせる威力。しかし、怖じ気付いている暇はない。即座に体勢を立て直し、ゴライアスの懐に潜り込む。

 斬る。斬る。斬る。斬る。目の前にいる黒いゴライアスの胴をひたすら斬り刻む。

 ヘスティアナイフを握る右腕と、ユキムラを握る左腕の感覚が既に消えかけている。しかし、攻撃の手を緩めれば、捻り潰されるのはベルの方だ。

 しかし、それだけやっても。ゴライアスは倒れるどころか、怯みすらしない。

 

「!」

 

 ゴライアスの左腕が薙ぎ払うように振るわれる。

 背後へ退がる? ダメだ、間に合わない。

 跳んでやり過ごす? これも間に合わない。

 ならば──

 

「っあ゛──!!??」

 

 ベルは迫り来るゴライアスの左腕にユキムラを突き刺し、跳んだ。

 凄まじい勢いに、ユキムラを握る両手が離れそうになる。ここで手を離せば、ゴライアスの左腕に巻き込まれ、見るも無惨な肉塊と化すだろう。何があろうと、この両手は離せない。

 ゴライアスが左腕を振り切る。

 残ったのは、左腕に突き刺さっているユキムラだけだった。ベルは振り落とされてしまったのか──?

 ゴライアスの額に漆黒のナイフが突き刺さる。当然、ナイフを握っているのはベルだ。

 左腕を振るう勢いを利用して、ゴライアスの顔に跳び移ったのだ。

 ベルはナイフを握りながら、ゴライアスの目の前にぶら下がる。額をナイフで突き刺しても、まだ致命傷には成り得ない。しかし、元より額にナイフを突き刺しただけで殺せるとは思っていない。だから、次の手を。

 ゴライアスは右手を伸ばし、目の前にいるベルを握り潰そうとする。しかし、この状況においてはベルの攻撃の方が圧倒的に速い。

 

「ファイアボルト!」

 

 ゴライアスの頭部から火柱が立ち昇る。

 内部からの発火が効いたのか、ゴライアスは痛みで怯み、ベルへと伸びていた右手が止まる。

 

「ファイアボルト! ファイアボルト!! ファイアボルト!!!」

 

 1発で死なないなら、何度でも。

 何度も何度も、ゴライアスの頭部からは火柱が立ち昇った。奇しくも、赤いミノタウロスを倒した戦法と同じだ。

 パァン、とゴライアスの頭部の上半分が弾け飛んだ。

 刺さる場所が失くなり、ヘスティアナイフは地面に落ち、それを支えにしていたベルも落ちていく。

 落下しつつも体勢を立て直し、着地する。

 ゴライアスを見上げるベル。しかし、その目に勝利を喜ぶ色はない。まだ終わっていないと、ベルの直感が告げていた。

 

「──……ッォォ!!!!」

 

 IXAで閉ざされた口から掠れた咆哮を漏らしながら、急速に再生を始めるゴライアス。

 骨格が形成され、肉が付き、浅黒い肌で覆われる。気がつけば、ゴライアスの頭部は完全に再生してしまった。

 傷が治ったということは、つまり──。

 ゴライアスの両足も、頭部と似たような過程で再生していく。

 ゴライアスは再生した足を地面に着き、のそりと立ち上がる。

 始まるのは、単純かつ圧倒的な暴力。サイズと重量にかまけた、出鱈目な足踏みの連続。足を振り下ろした分だけクレーターが生まれる。

 凄惨な状況の中、ベルはどうにかゴライアスの足から逃れる。だが、それだけで精一杯だ。どうすればいいのか、ベルは必死に打開策を考える。

 ゴライアスに踏みつけられた地面が割れ、礫が飛び散る。まるで散弾のようにベルの身体に直撃する。

 吹っ飛ばされ、何度も地面を転がる。

 偶然にも、止まった先の視界にはアリマがいた。相変わらずの無表情で、静かにベルを見つめている。

 ああ、失望させてしまっただろうか。

 

「……」

 

 アリマは何も言わず、ゴライアスの方へと歩く。

 

「ァァァァォォ!!!」

 

 ゴライアスは再び足を上げ、アリマを踏み潰そうとする。しかし、アリマならきっと余裕で躱して、瞬時に首を斬り飛ばすだろう。

 

「……」

 

 しかし、アリマは。

 足を止め、迫り来るゴライアスの巨大な足を何もせずに見上げた。

 

「は?」

 

 ゴライアスの足と地面に挟まれて、アリマの姿が消えた。

 何が起きたのか、一瞬分からなくなる。どうしてアリマは動かなかったのか。どうして潰される一瞬、自分の方を見たのか。

 どうして、どうして!! 頭の中が疑問で埋め尽くされる。

 ゴライアスは口に突き刺さったIXAを器用に指で摘んで引き抜き、地面に投げつける。

 そして、勝利を確信したように天に吠える。アリマのいた場所を踏みつけながら。

 

「……めろ」

 

 ゴライアスは丹念に、何度も何度もアリマのいた場所を踏みつける。

 ふと、ダンジョン中に鐘の音が鳴り響く。ゴライアスも踏み付けを止め、ベルの方を見る。

 

「やめろ」

 

 鐘の音は何度も鳴り響き、ベルの全身が青白く発光する。

 

「やめろおおおおおお!!!!!」

 

 ベルは立ち上がり、ゴライアスの方へと走る。勝てる勝てないなんて、頭の中から抜け落ちていた。

 地面に投げ捨てられたIXAを掴む。槍のように構えながら、ゴライアスの上半身へと跳んだ。

 青白い光の帯がゴライアスの上半身を丸ごと穿ち、どこまでも伸びる。それはまるで流星のようだった。

 ゴライアスが霧散する。ベルは自分がやったというのに、まるで他人事のような気分でその光景を見ていた。

 宙高くに投げ出されたベルは、そのまま地面に落ちていく。ゴライアスとの戦いの疲労に加え、英雄願望の反動。体勢を立て直す体力すら残っていない。

 地面が近くなるにつれて、ベルは気づいた。

 落下地点に誰かいる。見慣れた白いコート。そして、自分と同じ白い髪。ああ、間違いない。この人は──

 

「アリマさん……!」

 

 吸い込まれるように、アリマが差し出した両腕に落ちた。

 

「良くやった、ベル」

 

 アリマの労いの言葉に緊張の糸が切れたのか、意識が急に微睡んでいく。落ちていく瞼に抗えない。

 ベルはアリマの腕の中で、そのまま眠りについた。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 強い。目の前の男、ラウル・ノールドは、予想よりも遥かに強い。

 傷つけないようにと、明らかに手加減されている。それでも、ラウルを足止めすることすら能わない。

 体力が削られ、額に玉のような汗を浮かべるリューとアスフィ。しかし、ラウルは汗どころか、顔色1つすら変えはしない。

 タケミカヅチファミリアと、ベルの仲間は全員ラウルに倒されてしまった。それも、傷つけないように、意識だけを刈り取って。

 ラウルの後ろにいる、まるで塔のように巨大なモンスター、ゴライアス。アリマによって両足を切断されたはずなのに、なぜか立ち上がっている。

 嫌な予感がする。一刻も早く駆けつけなければ。このままでは、ベルが──。

 しかし、目の前の男が先を進むのを許さない。

 

「「!?」」

 

 何の前触れもなく、ゴライアスの上半身が弾けた。

 がくりと地面に膝を突き、そのまま倒れる途中で、霧となって消える。

 まさか、ベルがやったのか。あの場所で今、何が起きている。

 

「リューさん、ラウル・ノールドが……」

 

 アスフィに言われて、いつの間にかラウルが消えていたのに気づく。

 足止めする必要がなくなった、ということなのだろう。

 

「どうやら終わったみたいですね。少し休んでから、ベルさんの仲間と、タケミカヅチファミリアの皆さんを起こしましょう……」

 

 そう言いながら、アスフィは一息つくように地面に座り込む。かなり体力を消耗したみたいだ。

 リューはしばらくその場に佇み、己の不甲斐なさに、ギリリと奥歯を噛む。何もできなかった。駆けつけることさえも。

 キショウ・アリマ。そして、ラウル・ノールド。この2人が何よりも、ダンジョンのモンスターなんかよりよっぽど恐ろしく感じた。彼らが何を考えているか、分からない。

 果たしてベルをどうするつもりなのか。そんな不安を抱えながら、黒いゴライアスがいた場所を見つめた。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 英雄願望のスキルについてはベル君から聞いていた。仲間が危機に陥ったり、絶体絶命の状態になったりすると、このスキルが発動するらしい。実際、リリ山さんがインファントドラゴンから助けられたとか。

 という訳で、ベル君の英雄願望を発動させるべく、外見だけ危機的状況に陥ってみた。黒いゴライアスの攻撃を躱さずに、受け止めたのがそうだ。

 ナルカミのアタッシュケースで防いだが、足場の方が保たなかったのだろう。足元の地面が陥没して、どんどんと地中に埋まっていった。

 ぶっちゃけると、ゴライアスの攻撃でダメージは受けない。はぐれメタルにミス連発みたいな感じに。刃物ならまだしも、殴るとかじゃねえ……。思わず心の中で苦笑いだわ。

 ベル君の目には俺が踏み潰されたように映ったらしく、目論見通り英雄願望を発動してくれた。その威力も凄まじく、IXAを握って突撃したと思ったら、黒いゴライアスの上半身を吹き飛ばした。何をry)。

 ベル君を休ませようと、ロキファミリアの拠点に向かう。

 それにしても憂鬱だ。ベル君をゴライアスと戦わせたのを、みんな許してくれるだろうか?

 そういえば、誰もベル君の戦いに手出ししなかったな。ラウルがキッチリ足止めを果たしてくれたのだろう。リューさん辺りに抜かれると思っていたが、流石はいぶし銀だ。

 ふと、肩に担いでいるベル君を見る。君の成長速度には、本当に驚かされてばかりだ。それでこそ主人公。それでこそカネキ君だ。

 

 




 感想・評価してくれた皆様、ありがとうございます。
 お〜い、わたしの子供にしてやるぞ^^


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 

 リヴィラの街の事件から数日後。

 ロキファミリアの本拠、黄昏の館のとある一室。真ん中には長方形のテーブルが設置され、4つの椅子がテーブルを囲うように並べられている。

 部屋のドアから一番離れた椅子に、アリマが座っている。

 微動だにせず、テーブルの真ん中に視線を落としているその様子は、まるで家具の一部のようだ。人というよりも人形に近い。

 ドアノブの回る音がした。アリマはそこにゆっくりと視線を移す。

 ドアが開く。部屋に入ってきたのはロキ、ヘスティア、ヘルメスの3人だ。

 

「うんうん。ちゃんとおるようで安心したわ、アリマ。これで逃げてようもんなら、さすがのウチでもマジギレ必至やで」

 

 ロキは笑いながら、アリマと対の位置にある椅子に座る。

 続いて、彼女の右隣の椅子にヘスティアが、左隣の椅子にヘルメスが座る。

 ヘスティアは不満気な表情で、隠そうとする気が一切ない。ヘルメスは帽子の陰で顔が伺えない。

 

「大したもんやないか。一ヶ月も経ってへんのに、どチビんとこの子をLv3にランクアップさせるなんて」

 

 アリマたちがダンジョンから帰還した翌日、迷宮都市オラリオではある話題で持ちきりだった。

 ベル・クラネルのLv3昇格。それも、Lv2になってから一ヶ月と経たないうちに。あまりにも異常な成長速度。世界最速という言葉で片付けていい話ではない。

 

「それと、ベルに黒いゴライアスとタイマン張らせたらしいな」

「……」

「勘違いせんといてな。別に、あんたのやり方に口を出す気はないんや」

「ロキ、僕は彼の指導に大いに不満ありなんだけど」

 

 ヘスティアの口調には抑え切れない怒りで滲んでいた。

 

「アリマ、忘れたとは言わせないよ。ベル君を死なせたら、僕は絶対に君を許さないって言ったよね」

「ああ、覚えている」

 

 覚えているなら、何故──!

 ヘスティアは机を両手で叩き、椅子から立ち上がる。

 

「ベル君が君との特訓に一生懸命だから、止めることはできない。だけど、あんな無茶苦茶な鍛え方じゃ、いつ死んだっておかしくないじゃないか!」

「あの程度ならベルは死なない」

「それは結果論だよ!」

 

 アリマとの間を遮るように、ロキはヘスティアの前に腕を伸ばした。

 

「話が進まへんから、どチビは黙っときい」

 

 ヘスティアは渋々と席に着く。

 

「ただ、そろそろ話してもええんやないか? アリマはベルを強くして、どうしたいんや」

「……」

 

 3人の神に囲まれても、アリマは眉一つ動かさず、押し黙る。

 

「俺はオラリオの外に出て、自分自身で様々な事柄を見聞きし、様々な人と出会ってきた。でも、初めてだよ。人の考えが全く読めなくて、気味が悪いと思うのは」

 

 今まで一言も喋らずにいたヘルメスが、とうとう口を開いた。

 普段の飄々とした態度が嘘のように、帽子から覗く彼の面持ちは真剣そのものだ。

 

「もしかして── 君の考えていることは、オラリオを壊滅させるような、何か良からぬことなんじゃないか?」

 

 ヘルメスの予想に、ロキは不愉快そうに眉をひそめた。

 ロキが眷属(我が子)に注ぐ愛情は本物だ。眷属がテロリスト扱いされれば、彼女が不快に思うのも当然である。

 

「おいヘルメス、冗談が過ぎるで」

「本気だよ。俺は本気で言っている」

 

 普段のヘルメスなら、ここで軽口の一つでも叩くだろう。しかし、今回ばかりはロキに一切の目もくれず、ただアリマを見つめる。

 

「この場において、言い逃れも黙秘も、一切許さない。さあ、吐いてもらおうか」

 

 アリマは少し考える様に目を伏せてから、口を開いた。

 

「世界を救うため、じゃないか?」

 

 一瞬、3人の思考が停止する。まるで時が止まったように、部屋の中が静まり返る。

 

「……嘘は、ないみたいだね」

 

 ヘルメスの呟きが静寂を破る。

 神に嘘は通用しない。それは絶対であり、抜け道はない。

 アリマは本気で、世界を救うためにベルを強くすると言っている。

 普通なら、狂人の戯言として片付けるだろう。しかし、発言者はあのアリマだ。そんな言葉でも説得力がある。

 

「……世界を救う? 何だよそれ、そんなことがベル君と何の関係があるんだ! ふざけるのも大概にしろ!」

 

 ヘスティアが声を荒げるのも無理はない。

 アリマの言葉だけでは、あまりにも謎が多すぎる。世界を救うことが、ベルを強くすることに何の関連があるというのか。

 

「これ以上喋る気はない」

 

 アリマは椅子から立ち上がり、部屋のドアへと歩く。

 ヘスティアは椅子から立ち上がる。アリマから何も聞き出せていない。このまま行かせては、結局何も分からないままだ。

 

「まだ話は──!」

 

 アリマは立ち止まり、ヘスティアを見る。

 ゾワリ、と背中に嫌な感覚が疾る。ヘスティアは言葉を続けることができなかった。まるで見えない何かに押さえつけられているように、ヘスティアの全身が動かない。

 目だ。アリマのあまりに冷たい目に、気圧されてしまったのだ。どこまでも暗く、深い目。まるで、そこだけが世界から欠落しているように。

 アリマが再び歩き始める。

 ロキとヘルメスも、ただアリマを見ていることしかできなかった。ヘスティアと同じように、アリマの重圧で動けない。

 アリマが部屋から出て、扉を閉める。扉が閉まる音がしたと同時に、3人を覆っていた重圧が消え失せた。

 

「……すまんかった。この通りや、2人とも。詳しい話は、ウチが絶対に聞き出す。だから、今日は堪忍してくれへんか?」

 

 ロキは椅子から立ち上がると、頭を下げた。悪神と称された彼女が頭を下げるなど、滅多なことではない。

 どんな思いで頭を下げているのか、ヘスティアとヘルメスには痛いほど伝わった。

 

「分かったから、もう行きなよ。早くしないと追いつけないよ?」

「俺も今日は満足かな。ロキが頭を下げるなんて珍しいものを見れたしね」

「……ありがとな」

 

 お礼の言葉を照れ臭そうに言い残し、ロキは部屋から飛び出した。

 

「アリマ!」

 

 廊下を歩くアリマの背中が見えた。

 ロキの声が聞こえているはず。しかし、アリマは足を止めなかった。

 

「アリマ」

 

 最初よりも小さく、穏やかな声。

 しかし、アリマは足を止め、振り返る。

 そこには、全身から橙色の光を発しているロキがいた。

 神威。地上に降り立つ神に許される、数少ない権能。本来なら神の存在を知らしめ、畏れを抱かせるためのそれ。しかし、ロキの発する神威には、我が子を慰めるような優しさと暖かさが含まれていた。

 

「なあ、アリマ。あんたの知ってること、少しでもいいからウチらに話してくれへんか? 話すってだけでも、以外と楽になれるもんなんやで」

 

 アリマに歩み寄り、彼の右手を両手で包み込むように握る。

 アリマの表情に変化はない。ただ、少しだけ悲しそうな顔をしていた。

 時間だけがゆっくりと流れていく。

 

「……すまない」

 

 すり抜けるように、アリマの右手がロキの両手から離れていく。

 アリマはロキに背を向け、歩き出した。彼の背がどんどん小さくなっていく。

 

「……アリマ」

 

 ここまでやっても、話してくれないのか。

 どうすれば話してくれるのか、ロキはもう何も分からなかった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 最速でLv3に昇格したベルは、オラリオでより一層注目を集めるようになった。しかし、彼の生活に特段の変化はない。

 強いて言えば、アリマの稽古が更に厳しくなったくらいか。

 Lv3になってから初めての手合わせは、何をされたか分からないまま地面を転がされた。何百回と地を這い蹲って最近、ようやくアリマの動きが見えてきた。

 稽古の一環として、ベルは今日もダンジョンに潜っている。メンバーはリリルカ、ヴェルフ、そしてアリマの4人だ。

 彼らがいるのは19階層。

 ダンジョンの床や壁、天井までが木の外皮のような物質でできている。まるで巨大な木のうろの中にいるようだ。

 内部に繁殖している苔が月明かりのように青白く発光する。それを光源として、ベルたちは前へと進む。

 ピタリ、とアリマが足を止める。

 アリマが足を止めるのは、決まってモンスターの大群が現れたときだ。ベルたちは緊張した面持ちでそれぞれの武器を構える。

 

「グオオオォォ!!!」

 

 猛々しい足音が響く。地面が揺れる錯覚を覚える。

 四肢で地面を蹴りながら、その巨体からは想像できない速度で迫る熊型のモンスター、バグベアー。

 1匹だけではない。その数は通路の横幅を埋め尽くすほどだ。

 

「ベル」

「はい!」

 

 アリマの掛け声を合図に、ベルが駆ける。

 まず、先頭にいたバグベアーが倒れた。ベルがすれ違うほぼ同時だった。ヴェルフとリリルカには、ベルがどの武器でバグベアーを倒したのかさえ分からなかった。

 ベルがバグベアーの波に飛び込む。中からは、苦痛に満ちた獣の断末魔と、肉を切り裂く音が聞こえてくる。

 障害は踏み潰すとばかりに突き進んでいたバグベアーの群れがピタリと足を止めた。

 

「っ!」

 

 数匹のバグベアーがベルの足止めを逃れ、その内の1匹がヴェルフに襲いかかる。

 ヴェルフは咄嗟に左に跳ぶ。

 ついさっきまで立っていた地面に、バグベアーの巨腕が叩きつけられる。

 攻撃を外し、体勢を崩すバグベアー。ヴェルフはその隙を狙い、太刀で横一閃に切り抜ける。しかし、バグベアーは倒れなかった。厚い毛皮が邪魔をし、殺すまでの傷に至らなかったのだ。

 バグベアーが前足を振り上げる。

 反撃が来る! そう思った瞬間、バグベアーの胸元から剣が生えた。

 バグベアーは魔石だけを残し、黒い霧となって消え失せた。

 アリマがバグベアーのいた場所にナルカミの刃を突き出しながら、静かにヴェルフを見つめた。

 

「残りは任せる」

「!」

 

 それだけ言うと、アリマはバグベアーの群れへと足を進めた。

 残ったのは、地面に散らばる魔石と、1匹のバグベアーのみ。それも、かなり怯えた様子である。

 アリマの言葉から察するに、この1匹は敢えて生かしたのだろう。

 

「大丈夫ですか? やれと言った以上、あの人は是が非でもやり通させますよ」

 

 アリマの容赦ない鍛え方を知っているからこそ、リリルカは心配そうに尋ねる。Lv2に昇格したとはいえ、今のヴェルフが相手をするには厳しい相手だ。

 

「この程度のモンスターを倒せないなら、ユキムラの整備なんて任せられないってことだろ。意地でもぶっ倒してやるよ!」

 

 ヴェルフはそう答え、太刀を構えた。

 

「バカな男がまた1人、ですか……。一応援護はしますが、期待しないでくださいよ」

 

 リリルカは腕に装着した弩をバグベアーに向ける。しかし、この弓では大したダメージを与えられないだろう。精々、バグベアーの気を向かせるくらいか。

 アリマに「両目を射ぬけばいいんじゃないか?」と言われたが、そんな変態染みた妙技はできない。

 バグベアーが咆哮を上げる。アリマがいなくなったことにより、脅威が去ったと思っているのだろう。

 つまり、バグベアーの目では、ヴェルフたちは獲物としか映っていないということだ。舐められたものだ。

 バグベアーが四肢を駆動し、途轍もない速さでヴェルフとの距離を詰める。

 自分にはベルのようにカウンターを決め、一撃でバグベアーを斬り伏せる技術はない。だが、それがどうした。不格好でいい。泥臭くてもいい。目の前の試練を乗り越えられれば。

 

「らあっ!」

 

 バグベアーの額目掛けて、力任せに太刀を振るう。

 しかし、厚い毛皮に太刀は弾かれ、寧ろ衝撃でヴェルフは後方に吹き飛ばされる。

 体勢を立て直せそうにない。背中からそのまま地面に叩きつけられる。身体の内側がズキズキと痛むが、悶えている暇はない。早く立ち上がらなければ。

 ヴェルフの視界に影が差す。顔を上げると、視線の先には牙を剥き出しにするバグベアーがいた。後ろ足で立ち上がっており、威圧感が何倍も増している気がした。

 リリルカが弩で何度も矢を放つが、矢は突き刺さることなく、まるで玩具のように弾かれる。

 地面に倒れたままのヴェルフにトドメを刺そうと、全体重を乗せた右前足を振り下ろす。この爪に切り裂かれれば、自分は──

 

「殺してみろっ…… 俺は不冷のヴェルフだっ!」

 

 己を鼓舞するように、ヴェルフはそう叫んだ。

 地面に太刀の柄を立て、切っ先をバグベアーの胸部に向ける。本能だった。考えるよりも先に身体が動いた。

 刀身がバグベアーの毛皮を突き破り、ぐずりと胸部の肉に食い込む。勢いそのまま、背面から切っ先が飛び出した。

 ヴェルフに倒れかかる寸前、バグベアーは黒い霧となって消えた。

 どうにか倒せたと、ヴェルフは安堵の息を漏らす。

 

「な、なんて無茶な倒し方を……!」

「おおリリ山。どうだ、カッコよかったか?」

「馬鹿言ってないで離れますよ!」

 

 リリルカに引き摺られながら、バグベアーの群れから距離をとる。

 ふと、バグベアーの群れの真っ只中で縦横無尽に駆けるベルの姿が見えた。

 ベルはユキムラとヘスティアナイフを手足のように操り、秒単位でバグベアーを葬っている。ヴェルフがあれだけ手こずっていたバグベアーをだ。

 このペースなら、そう長い時間がかからずに殲滅できるだろう。ヴェルフたちも、ベル自身もそう考えていた。

 ユキムラを振るい、横一列に並んでいた数匹のバグベアーの首を斬り飛ばす。気が緩んだと同時に、鋭く、冷たい殺気がベルの背中に突き刺さる。

 振り返ると、そこにはナルカミを振り上げるアリマがいた。音もなく、どうやってここまで距離を詰めたのだろうか。

 刃が振り下ろされた。このまま回避行動をとらなければ、一切の容赦なく切り裂かれるだろう。そんな殺気があった。

 左手に持つヘスティアナイフの腹で、どうにかナルカミの刃を受け止める。腕が爆ぜるような衝撃。これでまだ手加減をしているというのだから、恐ろしいことこの上ない。

 ヘスティアナイフを落とさなかったのは僥倖だ。刀身を僅かに斜めにずらし、ナルカミの刃を受け流す。

 状況を立て直そうと、ベルは後方へ跳ぶ。片手間に、右方にいたバグベアーの首をユキムラで斬り落とす。

 アリマも進行方向にいるバグベアーを斬り捨てながら、後方に跳んだベルを猛追する。一瞬にして、手を伸ばせば触れることができる距離まで詰める。

 無数に放たれるアリマの斬撃。ヘスティアナイフでどうにか凌ぐが、逆に言えば凌ぐだけで、反撃に転じる余裕がない。

 

「がっ!?」

 

 突如、背中に燃えるような痛みが奔る。

 背後には爪を剥き出しにしているバグベアーがいた。アリマの斬撃に気を取られ、バグベアーへの警戒が疎かになっていたのだ。

 アリマがその隙を黙って見逃すはずもなく、痛みで足が止まったベルの横腹に蹴りを放つ。

 骨が軋む音がした。それと同時に、真横に吹き飛ばされる。口から血を吐きながら、地面を何度かバウンドする。

 倒れたベルに殺到するバグベアーたち。ベルの姿が茶色の毛皮で埋まる。そんな状況でも、アリマは手出しせずに、ただ様子を見ている。

 閃光、そして轟音が生まれた。ベルに群がっていたバグベアーが、まとめて爆風で吹き飛ばされる。地面に叩きつけられ、魔石だけを残して消えた。

 ベルは地面に倒れながら、右手を上に伸ばしていた。ギリギリまでバグベアーを引きつけ、ファイアボルトを唱えたのだ。

 

「詰めが甘いぞ、ベル」

「はい、すみません……」

 

 ヨロヨロと立ち上がる。

 アリマとの稽古はまだ終わらない。寧ろここからが本番だ。

 その日、ベルたちは22階層まで到達し、ようやく地上へ帰還した。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 今日のベル君も、昨日とは比べものにならないくらい成長していた。いやもう、本当に楽しいわ。まるで鉄のように、叩けば叩くほど強くなる。明日が楽しみだ。

 あと、ヴェルフ君も意外と頑張ってくれている。偶にはいい修行になると思って、足止めを任せたつもりなのに、まさかぶっ倒しているとは……。

 それでこそ、ユキムラを任せるに相応しい男だ。どんどん成長して、ユキムラを強くしてもらいたい。個人的にだが、カネキ君にはユキムラで有馬さんと戦って欲しかった。

 地上に戻った頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。ついつい夢中になって、ベル君を鍛え抜いてしまった。ダンジョンに潜っていると、いつも時間感覚が狂ってしまう。

 ギルドに立ち寄り、回収した魔石を換金してもらった。リリ山さん曰く、普通の冒険者の稼ぎの何百倍らしい。サンタのような袋を背負っているから、何となくそうかもなーとは思っていたが。どんだけ嬉しいのか、目が金になっていた。

 これだけ儲けれたのも、白い死神の名の通り、ダンジョンにいるモンスターをぶち殺しまくったからだろう。そこにベル君も加わったのだから、それこそモンスターからしてみれば死神大行進だ。

 換金中、エイナさんがバグベアーの魔石が大量に混じっているのに気付き、どれだけ深く潜ったのか聞いてきた。正直に22階層まで潜ったって言ったら、エイナさんは白目になっていた。

 それと、目出度いことにリリ山さんがファミリアから脱退する資金が集まったらしい。脱退し次第、ヘスティアファミリアに改宗するそうだ。

 ソーマファミリアの奴らも、あれだけ釘をさせば大人しくしてるだろう。なんたって、リリ山さんが働いていた花屋を襲った冒険者を、カネキ君式半殺しにしてやったのだから。

 両手両足の骨を砕いて、致命傷にならない程度に肋骨の方も折って、これはそろそろ危ないかなってくらいにエリクサーを使って全回復させる。これを何セットか繰り返して、103本分骨を折ってやった。蝶形骨を折ったときは非常に気持ちよかったぞ。

 全員、面白いくらいに顔を青くしていた。客観的に見れば完全にやり過ぎだが、神酒なんて飲ませて、俺を懐柔しようとしたお前らが悪い。その程度で有馬さんをどうこうできると思ってるなんて、片腹大激痛を通り越して不愉快極まりなかったわ。

 リリ山さんが無事に脱退できるのを祈りながら、ベルたちと別れる。方向が違うのは俺だけだから、独りぼっちになってしまった。少し寂しい。が、丁度いいかもしれない。

 人通りの少ない裏路地を選びながら、黄昏の館へ向かう。地上に戻ってから、ずっと誰かに尾行されている。最初はベル君が目的かと思ったが、ベル君と別れた後でも俺の方にいる。どうやら目的は俺らしい。

 アリマ信者かと思ったが、どうにも違う気がする。どう言えばいいのか…… 視線に悪意が混じっているのだ。

 建物と建物で挟まれた、細い細い一本道。そろそろ頃合いだと判断し、足を止める。

 ほらほら、さっさと出て来い。まさかこんな状況でまだバレてないと思うほど馬鹿じゃないだろう。

 しばらくすると、背後の曲がり角から誰か出てくる気配がした。暗くて見えねえだろうが。もっと近くに寄れ。

 

「流石です、気づいていましたか」

 

 そう言いながら、こちらに歩いてきたのは、馬尻ヘアーをした男だった。

 

「誰だ」

「申し遅れました。私はアポロンファミリアの団長、ヒュアキントス・クリオという者です」

 

 アポロンファミリアだあ?

 アポロンって、あの男版フレイヤみたいな神だろ? しかも見初めるのは男が多いという、どっかの馬鹿祭りみたいな性格の。

 そんな(29)が今更何の用で…… あっ、もしかして。

 

「ベルのことか?」

「……話が早いですね。こちらとしては、助かりますが」

 

 やっぱり、狙いはベル君か。フレイヤと同じで、ベル君を自分のものにしたいってことだろう。

 どうしてこう、俺が先に目をつけたってのに、横から邪魔する奴が多いんだ。

 

「ベル・クラネルについて、アポロン様から話があるそうです。どうにか我らが本拠にお出でいただけないでしょうか?」

「……案内しろ」

 

 非常に気が進まないが、ここで行かない手はない。余計な事をする前に、脅し── じゃなかった、話し合いをしなければ。

 何か仕掛けてくる前に、話し合う機会をくれただけまだマシだ。これでベル君にちょっかい出そうものなら、本気モードでアポロンファミリアに凸っていた。

 

「ええ、こちらです」

 

 ヒュアキントスはクルリと背を向け、来た道を引き返す。ついて来いということだろう。仕方ないので、ヒュアキントスの後ろを歩いた。

 このまま姿を消して、目的地に先回りしたらどんな表情をするのだろう。

 




 感想・評価していただき、ありがとうございます!
 (執筆速度速いなあるほーすは!)って思われたいこの頃です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

−46

 とある建物の、とある部屋。

 太陽のように明るい金髪の男と、真冬の山巓に広がる雪景色のように寂しくも美しい純白の髪の男が、向かい合ってソファーに座っている。

 金髪の男はアポロン。白髪の男はキショウ・アリマだ。

 2人の間はテーブルで挟まれている。テーブルの上には来客用の飲み物とお茶菓子が置かれているが、アリマが口を付けた様子はない。

 アポロンの背後には何人もの冒険者が控えており、まるで使用人のように、直立不動のまま動かない。

 

「初めましてだね、白い死神」

「……」

 

 アポロンが微笑みかけるも、アリマは無表情のまま口を噤む。

 無礼とも言える行為。団員たち── 特にヒュアキントスにとってあまり気分の良いものではなく、それとなくアリマを睨む。口頭で注意することは、アリマの威圧感が許さなかった。睨めただけでも、よくやったと褒めるべきだろう。

 しかし、アポロン自身はアリマの無視を気にする様子はなかった。

 

「君を呼んだのは他でもない。ベル・クラネル君の件についてだ」

 

 ベル・クラネルの件で呼ばれたとは薄々感づいていたのだろう。アリマは特に反応を見せない。

 

「確かに君を師事すれば、ベル君は強くなるだろう。だけど、どうにも不安を拭えないんだよ。君のせいで、ベル君の真っ直ぐな瞳が曇ってしまう気がしてね」

 

 アポロンの目が細くなった。

 

「率直に言おう。彼から手を引いてほしい」

 

 アポロンがその言葉を発した瞬間。

 アリマから感じる威圧感が何十倍にも膨れ上がり、変容した。ありとあらゆる負の感情が混ざり合い、途轍もない濃度となって降り注ぐ。モンスターなんかのそれより、何十倍も恐ろしい。

 部屋に居合わせている大半の団員は、あまりの恐怖に立っていられず、その場に力なく座り込む。ヒュアキントスを筆頭とした上位陣ですら、今立っているだけで精一杯だ。

 これが、これが本当に人の子なのか? アリマの変わり様に、神々の一柱であるアポロンですら冷や汗を流す。

 

「……」

 

 アリマは何も言わない。ただ無言でアポロンを睨む。アポロンたちにとっては無限にも感じるような時間が過ぎてゆく。やがて、アリマが口を開いた。

 

「どうしても俺からベルを引き離したいのなら」

 

 アリマは一度口を閉じ、言葉を区切る。

 

「俺を殺してみろ」

 

 短く言い放った言葉に、部屋に居合わせるアリマ以外の全員が唾を飲む。

 この短い時間でも、アリマは口数が少なく、冗談を言うような性格ではないと理解するには十分だった。

 つまり、本気でそう言っているということだ。アリマからベルを引き離すには、彼を殺すしかない。

 人を殺す手段はありふれている。しかし、どうすればこんな威圧感を放つ化け物を殺せるというのか。アポロンたちには見当もつかない。

 

「面白いことを言うじゃないか」

 

 負けじと、アポロンも不敵に笑う。

 

「だが、それでは我々に勝算がない。ここは1つ、ゲームでも──」

 

 次の瞬間には、アポロンの首元にIXAの切っ先が突き付けられていた。

 アリマがほんの少しでも力を入れれば、IXAの切っ先はアポロンの喉を容易く貫くだろう。

 ヒュアキントスたちは過剰すぎるほど、全身全霊で目の前の男を警戒していたはずだ。それなのに、予備動作どころか、武器を出す瞬間すら目にするのに能わなかった。

 

「選択肢を提示できるのは強者だけだ」

 

 アリマの言葉が静寂を破る。

 

「貴様っ!!」

 

 ヒュアキントスがアリマに襲いかかる。主に武器を突きつけられた怒りが、アリマへの恐怖を上回った。

 しかし、怒りによって突然アリマを上回る強さになれる訳でもない。アリマは空いている右手でヒュアキントスの首を掴むと、そのまま地面に叩きつけた。

 轟音と共に、ヒュアキントスが顔面を叩きつけられた地面に亀裂が走る。

 

「か、はっ……!!?」

 

 ヒュアキントスが呻き声をあげる。

 一応、アリマは殺さないように手加減したらしい。しかし、一刻も早い治療が必要な怪我であることには変わりない。

 数人の団員がうつ伏せになっているヒュアキントスに駆け寄り、ポーションを飲ませるなどして応急処置を試みる。

 

「選べ。ここでファミリアを壊滅させられるか、二度と俺たちに関わらないか」

 

 アリマはその様子を横目で見ながら、そう呟いた。小さな声なのに、部屋全体に響き渡った。

 

「気が早いよ、アリマ。そのゲームには君にとっても利点がある」

 

 ほんの少しだが、アリマの目の端が動いた気がした。しかし、何も言わずにIXAを突きつける状況は変わらない。

 

「もし我々がゲームに負けたら、君の言うことを何でも聞こう」

「……聞かせろ」

 

 そう言うと、アリマはIXAの切っ先をアポロンの首から外した。そして、何事もなかったようにソファーに座り直した。

 誰かが安心したように一息吐く。今にも破裂しそうな風船のように張り詰めた空気が、幾分かマシになった。

 

「そうだな…… 戦争遊戯なんてどうだい? ただし、戦うのはベル君という条件でね。君がゲームに参加してしまったら、それこそ出来レースになってしまう。ベル・クラネルが勝てば、君の勝ち。負ければ、我々の勝ちということだ」

 

 戦争遊戯。派閥間で行われる、神と神の代理戦争である。その形式は一騎打ち、攻城戦など多岐に渡る。

 

「そのゲーム、受けよう」

 

 アリマは一切躊躇することなく、アポロンの話に乗った。

 片や、戦力になる眷属をたった1人しか擁していない弱小ファミリア。片や、Lv3を筆頭とする何百人もの眷属を擁するファミリア。

 普通に考えれば、一騎打ちを除けばヘスティアファミリアが圧倒的に不利だ。こんな話に乗る者なんていないだろう。

 しかし、アリマは一切の躊躇なく、アポロンのゲームを受けた。

 アポロンも少し意外そうな顔をした。ハンデを提示する前に、ゲームを受けるなんて。最小のハンデで納得させるのが本番だと思っていたのに。

 

「随分とベル・クラネルを信頼しているんだね。まだハンデも決めてないうちに」

「必要ない」

「は?」

 

 アリマの一言を聞き、アポロンの表情が驚愕で染まった。思わずソファーから身を乗り出す。

 

「ま、まさか君……!? ハンデもなしに、ベル・クラネルを我々と戦わせる気なのか!?」

 

 アリマは何も言わない。しかし、深い海の底の様な瞳が、何よりも雄弁に語っている。

 

「……君は私のファミリアを過小評価し過ぎじゃないのか!? 確かにベル・クラネルは特別だが、Lv3に成り立ての冒険者1人が我々に何をできるというんだ!」

 

 アポロンの表情が怒りで歪む。

 アポロンファミリアの団員たちは、アポロン自らが見出してきた。執念深くスカウトを続け、改宗させた者も少なくない。

 アリマの行為は、アポロンのコレクションを侮辱するにも等しいものだった。

 たった1人。ベル・クラネル1人で、アポロンファミリア全員に勝てると、アリマは本気で思っているのだ。

 

「ふ、ふふ…… 君はどうやら、ベル・クラネルを手放すのをご所望なようだね」

「どう受け取ってもらおうと構わない」

「次の神会で、戦争遊戯の競技を決めるのを楽しみにしてるよ。誰か、アリマを出口まで案内したまえ」

 

 アリマを出口まで案内するとはつまり、手綱なしの獅子を横に連れながら、長い間歩き続けるようなものだ。

 ヒュアキントスはアポロン様のご命令ならばと、嫌な顔一つせずにアリマを本拠まで案内する役目を引き受けた。しかし、そんな彼が倒れた今、誰がそんな恐ろしい役目を買って出るというのか。

 至極当然な流れで、誰もが第三者に押し付けようとする。その第三者は──

 

「あの、何で私を見るんですか……!?」

 

 カサンドラ・イリオンだった。

 幸か不幸か、彼女は予知夢を視ることができる。しかし、周りは誰も信じてくれない。カサンドラの言葉はいつも、妄言として受け止められる。

 それでも、カサンドラは悪い夢を視たときは、何度も忠告をする。今回だって、ベル・クラネルに手を出して、アポロンファミリアが敗北する夢を見た。その夢を見てから今日まで、ベルを勧誘したら大変なことになると言い続けてきた。そんなカサンドラを、アポロンファミリアの団員たちは半ば本気で鬱陶しがっている。

 悲しいことに、アリマの生贄に選ばれるのは必然だった。

 

「ダ、ダフネちゃん……」

 

 親友のダフネ・ラウロスに助けを求める視線を投げかけるが、何も言わずに顔を逸らされる。

 ダフネだって余計なことをして、お冠のアリマに近づくようなことはしたくない。

 全員の目がカサンドラに突き刺さる。彼女の逃げ道は完全に塞がれた。

 

「……ぁ、案内しますぅ」

「よろしく頼む」

 

 それから、カサンドラの地獄のように胃が痛い時間が続いた。

 こんなに長かったっけと思いながら、玄関に繋がる廊下を歩く。アリマは何も言わずに後ろを歩くが、だからこそ怖い。怖すぎる。

 ようやく玄関が見えてきた。気分はゴールテープ間際のマラソンランナーだ。謎の達成感がカサンドラの胸を満たす。

 

「お、お出口はあちらです!」

「ありがとう」

 

 それだけ言うと、アリマは玄関へと向かっていった。

 アリマの背中を見ながら、恐怖から解き放たれた安堵を籠めた息を吐く。

 

「──ッ!!??」

 

 頭の中に流れ込むイメージ。

 黒雲が空を覆い、あちこちからは火の手が上がり、瓦礫が散らばっている。まるで世界の終わりか何かのような場所。その場所に既視感を感じるのは何故だろうか?

 答えは簡単だ。そこが、その場所こそがオラリオなのだから。

 やはり無表情のまま、その地獄の中心で佇むアリマ。彼の足下には、血を流し、地面に倒れているベル・クラネルがいる。

 アリマが右手に持つIXAをベルに突き刺そうとした所で、ブツリと映像が切れた。

 

「──ぁっ、ああああ……!!??」

 

 口元を手で押さえながら、カサンドラは地面に座り込む。

 起きている状態で、未来を視るのは初めてだった。しかも、寝ているときよりも、そのイメージは鮮明だった。

 どうして、寝てもいないのに未来を。そんな疑問は、恐怖によってあっという間に塗り潰される。

 まるで心臓を手で鷲掴みにされたかのような不快感が残っている。イメージを通して、ここまで感覚が伝わってきたのは初めてだ。

 この光景の意味を知るのは、そう遠くない未来である。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「──という訳で、ベルにはアポロンファミリアと戦ってもらう」

 

 ヘスティアファミリアの本拠であるオンボロ教会に足を運び、ベル君たちに事の経緯を説明した。

 

「という訳じゃないですよ! 何で断らないんですか!!」

「つい」

 

 リリ山さんのツッコミが炸裂する。

 いやだってね、ベル君が勝てたら、(29)が何でも言うことを聞いてくれるんだよ? 受けない手はないじゃん。

 

「アリマさん、戦争遊戯はいつなんですか?」

 

 肝心のベル君はというと、外見はいつも通りの様子だった。まあぶっちゃけ、18階層の黒いゴライアスを無茶振りしたときに比べれば、アポロンファミリアとの戦争遊戯なんてマイルドだしな。

 

「1週間後だ」

「……分かりました」

 

 俺的には今日でも良かったんだけどね。とはいえ、折角時間があるんだ。念には念を入れて、この1週間はベル君をみっちりと鍛えるつもりだ。

 それにしても(29)め。まさか、俺とベル君を引き離そうとするとは。勘の良い奴め。

 まあ、仮にベル君が負けたとしても、そんな約束ブッちすればいいんだけどね。呪いや誓約がある訳でもなし、普通に会いに行きます。邪魔するんなら、手間だけどその度にぶっ潰せばいいしね! そう思うと、こんなことして何の意味があるんだろうと思う。

 

「まあ、もういいです。アリマ様のそういった所は今に始まったことじゃないですし。それで、戦争遊戯の種目は何なんですか?」

「攻城戦だ」

「……はあ!!?? 攻城戦!!!??」

 

 リリ山さんが素っ頓狂な声を上げた。

 そんなに驚くことかなあ。

 

「はっ、えっ、何で攻城戦になったんです!? 普通に考えて、そこは一騎討ちとか、そういう種目になるはずでしょう!!」

「クジで決めたから」

「クジ!!? なんっ…… こっちが圧倒的に不利じゃないですか!!?」

 

 俺がハンデなんて必要ないって言ったからじゃない? 知らんけど。

 ちなみに、クジを引いたのは俺だったりする。今回の戦争遊戯の利害関係人ということで、特別に神会に出席させてもらった。

 戦争遊戯はその性質上、ファミリア総出で行う種目が多い。クジで決めようとすれば、攻城戦みたいな種目になるのは当然である。アカギ張りの豪運がないと、一騎討ちなんて引けねえよ。

 俺としては、別にどんな種目でも構わないのだが。なんなら、どちらかが全滅するまで戦い続ける、デスマッチでもいいのだが。戦いは相手を殺すまで続くものだ。

 

「ぐぬぬ……!」

 

 さっきから紐神様が複雑そうな顔をして唸っている。今までスルーしてきたが、ジャガ丸くんの食べ過ぎで腹でも痛いのだろうか?

 

「ベル君をアリマから引き離す好機でもあるけど…… アポロンのファミリアに負けて欲しくない……!」

 

 ああ、そういう……。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 ベル・クラネルにとって、キショウ・アリマは特別な存在だ。

 憧れであり、同時に背中を押してくれる人でもある。嬉しかった。両親の顔も知らない自分に、父親ができたような気がして。

 しかし、アポロンファミリアの戦争遊戯で負ければ、アリマがいなくなってしまう。

 思い出すのは、育ての祖父がいなくなった日。あの日の自分は、家族がいなくなっても泣いているだけで、何もできなかった。誰よりも、家族を失うことを恐れていたのに。

 だけど、今は違う。あの日の自分に比べたら、多少は強くなれた。家族を守るために、戦える。

 だから──。

 

「邪魔な芽は、摘まなきゃ」

 

 白兎が牙を剥く。

 戦争遊戯の舞台となったのは、遥か昔にオラリオ東南の平原に築き上げられた防衛拠点、シュリーム古城。攻城戦をするには打って付けの場所だ。

 ベルは1人、シュリーム古城の前方に広がる平原で佇んでいた。彼の右手にはヘスティアナイフが、左手にはユキムラが握られている。

 戦争遊戯は既に始まっている。しかし、シュリーム城にいるアポロンファミリアの団員たちは、ベルを警戒してか、何もせずに様子を窺っている。

 アポロンファミリアの大半の団員たちはLv2だ。レベルの差とは、ベル・クラネルといった例外を除いて、普通は覆しようのないものだ。ベルと同等か、それ以上のLvの者でなければ勝負にならない。

 無為に時間が過ぎていく。アポロンファミリアの団長であり、今回の戦争遊戯における大将でもあるヒュアキントスは苛立ちを覚えていた。

 

「何をしている、行け! ベル・クラネルの体力を削ってこい!」

 

 ヒュアキントスの号令と共に、アポロンファミリアの団員たちは動き出す。

 シュリーム古城から出てきた多数のアポロンファミリアの団員たちが、ベルに押し寄せる。

 ベルは背中を向け、一目散に逃げ出した。人数の差を改めて実感して、怖気付いたのだろう。アポロンファミリアの冒険者たちはベルを追いかける。

 ベルは背中越しに振り返り、追いかけてくるアポロンファミリアの団員たちを見て、口元を吊り上げる。戦力を分散させるため、リリルカが変身魔法シンダー・エラでベルに化けているのだ。

 

「後はお願いします、ベル様」

 

 シュリーム古城の背面から、壁が叩き割れるような音がした。

 偶然そこに居合わせたアポロンファミリアの冒険者たちは、壊れた城壁の向こう側に信じられない光景を目にした。

 漆黒の槍をその手に携える、純白の装備に身を包んだ襲撃者がいた。

 惚けている場合ではない。武器を構えなくては。誰かがそう思い、剣を引き抜こうとした次の瞬間、全員が地に沈んだ。地面に倒れたまま、誰も起き上がらない。完全に意識を刈り取られたようだ。

 襲撃者は、そのまま上の階へと向かった。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 シュリーム古城の最上階。ヒュアキントスと護衛の冒険者たち数人は武器を構え、襲撃者を待ち構えていた。下の様子を見に行かせた団員たちは帰ってこない。恐らく、襲撃者に倒されてしまったのだろう。

 ヒュアキントスは混乱していた。ベルは城の外で逃げ回っているはずだ。では、今、誰が自分たちを襲撃してるというのか。ヘスティアファミリアには、ベルとリリルカという小人の2人だけだったはずだ。まさか、小人がこの事態を引き起こしているとは思えない。

 誰かの足音が聞こえた。その間隔は悠然としている。この状況でそんな足音を響かせることができる者は、襲撃者以外にいない。

 音が大きくなるにつれて、心臓が脈打つ音も大きくなる。そして、とうとうヒュアキントスたちの前に襲撃者が姿を現した。

 

「こんにちは、ヒュアキントスさん」

 

 見間違うはずがあるか。心酔してやまない我が主神に突き付けられた漆黒の槍、IXA。

 見間違うはずがあるか。我が主神に見初められた冒険者、ベル・クラネル。

 何故、ベルがここにいる。何故、アリマの武器であるはずのIXAを握っている。そんな疑問を吹き飛ばすように、地面から漠然とした嫌な気配が放たれる。

 IXAの切っ先が消えている──。

 地面を蹴り、その場から離れる。

 すると、まるで杭のように、地面からIXAの切っ先が生えてきた。IXAの遠隔起動。ヒュアキントスはその機能を知らなかったが、今回ばかりは勘が冴え渡った。

 

「……外した」

 

 ベルは溜息を吐きながら、心底残念そうな目でヒュアキントスを見る。

 

「貴様、何故ここに……!?」

「答える必要がありますか?」

 

 ベルは瞬く間にヒュアキントスとの距離を詰め、その勢いを利用して突きを放つ。

 この接近に気付けたのはヒュアキントスだけで、他の団員たちは呆然としている。

 ヒュアキントスは紅蓮の波状剣── 太陽のフランベルジュでIXAの根元を叩き、どうにか軌道を逸らそうとする。右脇腹が僅かに抉られる。致命傷は回避できたが、それが限界だった。

 痛みが意識を支配する。その隙をつかれたのか、ベルは既にIXAを引き戻し、再び突きを放てる体勢になっていた。

 やられる──。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

 

「団長!」

 

 ヒュアキントスの側に控えていた団員たちが一斉にベルに斬りかかる。

 その様子を横目に見ていたベルはIXAを真横で円を描くように振るい、団員たちを返り討ちにする。

 極短い時間だったが、ヒュアキントスがベルから距離をとるには十分だった。

 

「我が名は愛、光の寵児。我が太陽にこの身を捧ぐ。我が名は罪、風の悋気。一陣の突風をこの身に呼ぶ。放つ火輪の一投── 来れ、西方の風!」

 

 右腕を突き出し、呪文を唱える。

 体内の魔力が活性化する。活性化した魔力は右腕に集まり、掌の上に燦々と煌めく真円の円盤を形成する。

 

「アロ・ゼフュロス!」

 

 ベルに向かって一直線に放たれるアロ・ゼフュロス。

 

「赤華!」

 

 ヒュアキントスがそう唱えると、ベルの眼の前で円盤が爆発した。

 黒煙が上がり、ベルの姿を隠す。

 倒せたか……? いや、倒れてくれ!

 しかし、ヒュアキントスの祈りにも似た思いは届かなかった。

 黒煙が晴れた先にいるのは、IXAの防壁を展開したベルだった。傷は1つもない。

 

「なんっ…… 何なんだ、何なんだお前は!」

 

 ヒュアキントスがそう叫んだと同時に、ベルはヒュアキントスの腹部をIXAで貫いた。

 

「すみません。僕はもう、家族を失いたくないんです」

 

 大将のヒュアキントスが倒れた今、ヘスティアファミリアの勝利が確定した。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 バベルの30階。神会の会場として使われている場所に、アポロンとヘスティアを含めた数々の神が揃っていた。

 彼らは全員、戦争遊戯を目当てに、この場に集まった。戦争遊戯の結果を予想しながら、楽しく飲めや歌えやの馬鹿騒ぎをするつもりだったのだが──。

 

「馬鹿、な…… 我々のファミリアが、負けた……?」

 

 鏡を覗きながら、アポロンが信じられないように呟く。

 たった1人の冒険者を相手に、眷属たちが何もできないまま負けた。それこそ、傷一つ付けることすら叶わず。ヒュアキントスも含めて複数の団員は、ベルと同じLv3である。決して、絶望的なLv差がある訳ではない。

 それなのに、ここまで手も足も出ないものなのか。他の神々も、あまりの異常事態にざわついている。

 

「勝負がついたな」

 

 いつの間に紛れ込んでいたのか、アリマは扉の隣の壁に寄りかかっていた。彼の足元には白いアタッシュケースが置かれている。

 

「アリマ……!」

 

 アリマはコツコツと足音を響かせながら、悔しそうに顔を歪ませているアポロンに近付く。その手にはアタッシュケースが握られている。

 

「……何が望みだい、白い死神」

 

 絞り出すような声で、アポロンはそう言う。

 アリマは何を望むのか。他の神々は興味津々で、その様子を見守る。

 やがて、アリマが口を開いた。

 

「その右腕」

 

 空気が凍る。

 この男は── この男は今、何を言った!?

 

「──はっ?」

 

 次の瞬間、アポロンの右腕が飛んだ。

 




 感想・評価ありがとうございます。励みになります。
 そんなみんなに親指アターック!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 ラウルさんのステイタスを大公開だ!

 Lv5
 力 :S 999
 耐久:S 999
 器用:S 999
 敏捷:S 999
 魔力:S 999
 対痛:A
 対異常:G
 治力:I

《魔法》
【T-human】
・速攻魔法
・雷属性
・アリマさんのナルカミの劣化。ナルカミを使うフラグ……?

《スキル》
【器用万能】
・あらゆる武器の扱いに精通。器用に上方補正。しかし、本人曰く平凡の域を出ないらしい。平凡詐欺乙!

発展アビリティの補足です
【対痛】
・痛みに耐えることができる。どうしてそんなのを習得したかというと、アリマさんとの特訓でお察し。



 オラリオの北東のメインストリートの周辺は、工業地帯が集まっている。また、ヘファイストスファミリア団員の工房もこの区画にあり、当然彼らの本拠もここにある。

 ヘファイストスファミリアの本拠のとある一室で、その部屋の主であるヘファイストスと、来客であるアリマがいた。

 ヘファイストスは椅子に座り、目の前にある机に肘をつきながら手を組み、顎を乗せている。その表情は険しい。

 アリマはというと、ヘファイストスに睨まれながらも、無表情を貫いている。その手にはナルカミやIXAとはまた違う、大きなアタッシュケースがぶら下がっている。

 

「新しい武器を造ってほしい」

 

 アリマはアタッシュケースを机の上に置き、荷物を取り出す。出てきたのは包帯で巻かれた人の腕のような物体と、巨大な龍の翼のようなドロップアイテムだった。

 

「見たことのないドロップアイテムね」

 

 鍛冶系のファミリアを立ち上げてから随分と長いが、こんなドロップアイテムを見たのは初めてだ。

 見た者の視線を釘付けにするような、艶のある黒色。いっそ、名のある職人の工芸品と言われた方が納得できる。

 ヘファイストスは机の上に置かれた翼を指でなぞる。この素材をドロップしたモンスターはもう死んだはずなのに、指先から迸るような生気を感じる。触っただけで、その素材がどれだけ上質か理解した。

 

「……深層にいたモンスターのドロップアイテムだ」

 

 それだけ言うと、アリマは口を閉じた。これ以上話す気はないようだ。

 ヘファイストスとしても、この素材の話を無理に聞き出そうとは思わない。しかし、もう一方は別だ。

 

「新しい武器、ね。アポロンの腕を削ぎ落としたのは、そのためなのかしら?」

 

 ヘファイストスは包帯で巻かれた物体に視線を落とす。

 

「ああ」

 

 極めて短く、アリマはそう答えた。

 

「神の肉体を素材扱いね……。ほんと、いい性格してるわ。ねえ、自分が何をしたか理解している? 悪い意味で、世界中があなたの話題で持ちきりよ」

 

 アリマがアポロンの右腕を斬り飛ばしたという話は、既に世界中に伝播している。知らない者はほとんどいない。

 それほどまでに、アリマのしたことは衝撃的だった。

 

「それがどうした?」

「どうしたって、あなたね……。ロキファミリアにも、随分と迷惑をかけるんじゃない?」

「ああ」

「ああ、の一言で済ませていいのかしら」

 

 数多くの神が、アリマをオラリオから追放するべきだとロキに訴えかけている。また、口には出さないものの、アリマの理解不能の行為に恐れを抱いている者も少なくない。

 しかし、その要求を他でもないロキは突っぱねているのと、アポロンの何でもするという約束があった上での行動なので、アリマは咎めなくオラリオにいることができる。

 

「災難なのはアポロンね。まあ、自業自得とも言えなくはないけど」

 

 アリマに右腕を斬り飛ばされたアポロンはベルを諦めるどころか、ファミリアを解散し、ヒュアキントスを始めとした付き従ってくれる眷属を引き連れて、オラリオから立ち去ってしまった。

 アリマは当然とばかりに、アポロンの右腕を斬り飛ばしたのだ。第三者としてならまだしも、当事者の恐怖は計り知れない。アリマに恐れをなし、オラリオから逃げ出すのも仕方のないことだ。

 

「それで、造ってくれるのか?」

「お断りよ、そんな趣味の悪い素材で武器を造るなんて。他の誰かに頼んでちょうだい」

「ゴブニュファミリアの方には話をつけた。IXAとナルカミのときと同じように、二つのファミリアの力を借りたい」

 

 どうやら、職人気質のゴブニュはアリマの依頼を引き受けたらしい。

 確かにあの神なら、たとえ同族の腕を素材として持ってきても、依頼を断ることはしなさそうだ。

 だが、他所は他所。うちはうちである。

 

「ゴブニュファミリアが引き受けてくれたなら、それでいいじゃないの。今回、私たちのファミリアは一切関わらないわ」

「金ならいくらでも出す」

「くどいわよ」

「……そうか」

 

 それだけ呟くと、アリマはテーブルの上にある竜の翼と、アポロンの右腕をアタッシュケースの中に押し込んだ。アタッシュケースの蓋を閉め、左手で持ち手を掴み、体の横にぶら下げる。そのまま背を向けて、ドアへと歩き出す。

 素直に帰ってくれるなら、それでいい。アリマの武器を新しく造るのに興味がないと言えば、嘘になる。あの素材でどれだけ強力な武器が造れるのか、試してみたくて仕方がない。

 しかし、ファミリアを厄介事に巻き込む訳にはいかない。今のアリマは、歩く爆弾のような存在だ。少しでも取り扱いを間違えれば、次に壊滅するのは自分たちのファミリアかもしれないのだ。

 そんなヘファイストスの心中を見透かしてか、そうでないのか。アリマはドアの前で止まった。

 

「ヴェルフにもよろしく」

 

 振り向かずに、顔を背けたまま言った。

 ヘファイストスは椅子から立ち上がり、テーブルを両手で叩く。

 アリマの弟子であるベルと専属契約を結んでいるヴェルフは、必然的にアリマにとっても近しい存在だ。ヴェルフ自身からも、何度かアリマとダンジョンに潜ったと聞いている。

 このタイミングでヴェルフの話題を切り出すのが何を意味するのか、分からないほどヘファイストスは鈍くない。

 アリマ以外の人物の発言なら、そのまま聞き流しただろう。

 しかし、この男は。どんな事情があるかは分かりないし、分かりたくもないが、強力な武器を手に入れるためだけに、神の腕まで斬りとばす男だ。

 

「アリマ、貴様!」

「……造ってくれるのか?」

 

 まるでこちらの心中を全て見透かしているような目。しかし、その目には感情の起伏がまるでない。昆虫のような目だ。

 

「……その荷物、置いていきなさい」

(ラッキー! 何か知らんけど造ってくれるみたいだ。そういやここ最近会ってないけど、ヴェルフ君元気かな? 魔剣造りの才能を、是非フクロウの製作に活かしてほしいのだが)

 

 眷属は── ヴェルフは見捨てられない。自分の右目を見て、それでも想いを寄せてくれた人なのだ。

 冒険者はただでさえ命懸けな職業だ。それこそ、事故死と見せかけて処分する方法はいくらでもある。普段から共にダンジョンに潜っている存在なら、尚更。

 フレイヤファミリアならいざ知らず、ヘファイストスファミリアにはアリマに抗えるような戦力はない。強いというだけで、あらゆるアドバンテージはアリマにある。

 なら、新しい武器を造るしか、アリマの要求を呑むしかない。

 

「だから── ヴェルフに手は出さないことね。もしもヴェルフに何か起きたら、神の力を全開にしてでも、あなたの魂を滅してあげるわ」

「……ああ」

 

 だからこうして、裏切られた場合の、死なば諸共の脅しくらいしかできない。

 それだけの覚悟を孕んだヘファイストスの絶対零度の視線で射抜かれても、アリマの無表情は変わらない。

 踵を返し、ヘファイストスの机の上にアタッシュケースを置くと、そのまま部屋の外に出て行った。

 

(最近の神様は過保護だな…… まさかダンジョンに連れて行くだけで殺気を当てられるとは。まあ、心配せずとも、ヴェルフ君に無茶な調教はさせたりしませんよ。特訓くらいならするかもだが。というかあのキレ様、なんか紐神様を思い出すな。まさか、ヴェルフ君とできてるのか!? バンジョイ枠ではなくパイセン枠だったのか!?)

 

 こうして、アリマの新たな武器の製作が始まった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 黄昏の館は今、異様な空気が漂っていた。暗闇の中、出口を求めて彷徨うかのような、そんな空気だ。

 その原因がキショウ・アリマなのは、言うまでもないだろう。

 ロキファミリアでは今、アリマの処遇をどうするかで揉めている。

 ただ強い武器を造りたいが為だけに、アポロンの腕を切り落としたのだ。あまりに常軌を逸している行動。彼をロキファミリアに留めていいのか、疑問視する者も少なくない。

 一方で、ティオナを始めとする団員たちは、これまで自分たちを何度も助けてくれたロキファミリアの英雄を信じるべきだと主張している。こちら側には、過去にアリマに助けられた団員たちが多い。彼と肩を並べて戦う実力者たちが中心となっている。

 しかし、この問題は単純な多数決や、力ある者の意見を通していいような問題ではない。どちらの言い分にも理があり、お互いに理解できるのだ。

 アリマは憧れの人であるのと同時に、どちらが化物なのか分からない強さにより、畏怖の対象とされている側面がある。だから皆、どうすればいいのか分からないのだ。

 第2軍である猫人のアナキティも、そのうちの1人だ。

 沈んだ気分を紛らわそうと、食堂に寄った。カウンターでコーヒーを注文し、少しの間待つ。

 鼻孔をくすぐる芳醇な匂いがした。カウンターに置かれたコーヒーを手に取り、座る席を探す。

 ふと、自分と同じくコーヒーを飲んでいる同期の団員を見つけた。

 

「ラウル、ここ座っていい?」

「……アキ」

 

 ラウルは小さく頷く。

 アリマに似て、相変わらず無愛想だ。苦笑いしながらも、小さな丸テーブルを挟んだ向かいの席に座る。

 

「アリマさん、大変なことになってるね」

「そうだな」

 

 他人事のような口調で、ラウルは言う。

 こんな状況でも、ラウルは平常運転のようだ。こういうときだけは、その鋼のような心が羨ましく感じる。

 

「あんた、アリマさんが何を考えているのか分かんないの? ロキファミリアの中で一番アリマさんと付き合い長いんじゃない?」

 

 ラウルはアリマを長い間師事し、第1級冒険者と何ら遜色ないLv5まで鍛え上げられ、武器まで授かった。

 そんなラウルなら、少しでもアリマのことを理解しているかもしれない。

 ラウルはというと、少し目線を伏せ、記憶を探るように黙り込んだ。少しして、口を開く。

 

「……アリマさんと組んだ最初の頃に、一度だけ言われたことがある」

「何を?」

「お前は俺に似ている。俺に似て空っぽだ、と」

「空っぽ……」

 

 空っぽ。アリマと、今のラウルを言い表すのに、これ以上の言葉はないだろう。

 だけど、知り合った頃ラウルは普通に明るく、普通に優しい男だった。どこかの町に行けば、絶対に1人はいるような。ラウルのどこが空っぽよ── そう言いたいのに、言葉が詰まる。

 アリマの言葉を聞いて、昔を思い返してみれば。彼は本当に心から笑っていたのだろうか? 今の方が、ラウルはありのままの自分を出しているのではないだろうか?

 

「ねえ、ラウルはどっちなの? アリマさんを信じるのか、信じないのか」

「……」

 

 ラウルは水面の様に静かな瞳で、アナキティを見た。

 

「……俺はキショウ・アリマの選んだものを信じる。そう決めている」

 

 やはり、ラウルもティオナたち側か。そんな思考は、ラウルの目を見てから吹き飛んでしまった。

 ラウルの目には、全てを捨ててでもアリマを信じるという覚悟があった。

 何故か、このままではラウルがいなくなってしまう気がした。

 

「だから、彼が何を考えているのか、俺にも分からない。すまない」

 

 今はアリマの考えよりも、ラウルから感じる違和感の方が大事だ。

 何か言わなくては。しかし、アナキティの言葉を遮る様に、ラウルは席から立った。

 

「用事があるから、もう行くぞ」

 

 ラウルはコーヒーカップを持ち、アナキティの横を通り抜けた。

 

「……馬鹿」

 

 ラウルの背中を見ながら、そう呟くだけで精一杯だった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 助けたい人ができた。

 その人の名は、サンジョウノ・春姫。極東出身の狐人である。

 彼女は自分と同じで、英雄譚が大好きだった。いつか物語の姫の様に、英雄に救われることを夢見ている。

 しかし、彼女は娼婦だ。救われるべきではないと、自分のことを卑下している。

 しかし、娼婦だろうと、そうでなかろうと、彼には── ベルには関係ない。助けたいから助けるのだ。

 春姫はイシュタルファミリアに属している。歓楽街を牛耳る大規模なファミリアだ。Lv4や、Lv5の団員もいる。アポロンファミリアとは違い、ベルが1人だけでどうこうできる規模ではない。

 どうすれば春姫を助けることができるのだろうか。アリマに相談したところ、至極単純かつ、明確な答えが返ってきた。彼女の身受けをできるくらいまで、金を稼げばいいと。

 あれよあれよと、ダンジョンの51階層に連れて行かれた。メンバーはアリマ、ラウルと自分を含めた3人だ。

 目的はカドモスの泉の泉水だ。ありったけ持ち帰れば、春姫の身受けをできるくらいの金にはなってくれるだろう。

 ダンジョンに潜ってから、まだ5日しか過ぎていないというのに、ベルたちは51階層に到達していた。

 3人は迷路のような道を歩く。しかし、当てずっぽうで歩いている訳ではない。アリマとラウルの2人は、地図が完全に頭の中に入っているらしい。

 時折現れるモンスターも、アリマとラウルの連携により瞬殺される。ベルの出る幕はない。足を引っ張らないようにするだけで精一杯だ。

 ある程度進み、岐路に突き当たると、アリマの足が急に止まった。

 

「二手に分かれるか」

「えっ!?」

「分かりました」

「ええっ!?」

「俺は1人でいい。ラウル、ベルのサポートをしろ」

「はい」

 

 それだけ言うと、アリマは右へ進んだ。

 ラウルが左に進んだので、ベルは慌ててラウルの後を追う。

 

「あの、サポートって……!?」

「言葉の通りだ。アリマさんは今のお前ならカドモスと戦えると判断したんだろう」

「ッ……!」

「俺も、あの黒いゴライアスを倒したお前ならやれると思う」

 

 ラウルはそれだけ言い、口を閉じた。

 ぶるり、とベルは震える。

 その言い方はずるい。本当にずるい。カドモスと戦えると、本気でそう思ってしまう。

 

「近いぞ。気を引き締めろ」

「はい!」

 

 前方にある横道は、これまで通った普通の通路とは比べて、様子が違った。地面に草が生い茂っている。

 どうやら、あの先にカドモスの泉があるようだ。

 

「行くぞ」

 

 ラウルは身を屈めながら進んだ。

 草木がラウルの姿を隠す。このまま近づいて、カドモスを不意打ちする心算らしい。ラウルに倣い、ベルも身を屈めながら進む。

 しばらく進むと、泉の前にいる巨大な二足歩行の竜が見えた。あれが、カドモス。どれだけ強いのか、肌にピリピリと突き刺すオーラで理解した。

 

「俺が先に一撃入れる。カドモスが俺に気を取られる隙に、お前も一撃叩き込め」

 

 ラウルは目にも留まらぬ速度で草むらから飛び出し、カドモスとの距離を詰める。カドモスはラウルの存在に気づいたが、あまりにも遅すぎる。

 ラウルはカドモスの右脚を狙い、ナゴミを水平に振るう。流麗な一閃。骨までは断てなかったものの、深手は負わせた。

 カドモスが痛みによる絶叫と、敵対者に対する咆哮を混ぜたような声をあげる。心臓が竦み上がる轟音。ベルの行動を一拍だけ遅らせる。

 ベルは草むらから飛び出し、カドモスに斬りかかろうとする。しかし、その一拍の遅さが明暗を分けた。

 ベルの存在に気づいたカドモスは、ベルに向かって尾を振るう。丸太のような重厚さでいて、鞭のようにしなる。空気を切り裂く音で、どれだけの威力を秘めているか思い知らされる。

 もう本体は狙うのは無理だ。このまま尾の攻撃を掻い潜ったとしても、大きなダメージは与えられない。

 ベルは尾に狙いを切り替える。

 振り下ろされたカドモスの尾に対して半身になり、同時にユキムラを斬り上げる。

 しかし、相手は強竜。迷宮の孤王を除いて、生態系の頂点に座すモンスターである。両腕に走る衝撃。堪らず手を離す。ユキムラが地面に転がる。

 

「ユキムラがっ……!?」

 

 ラウルと比べて倒しやすいと判断したのだろう。カドモスはベルに狙いをつけ、身体を反転させる。

 ベルはヘスティアナイフを構える。

 カドモスはその巨体からは想像もつかない俊敏さで、ベルに接近する。

 

「刃の当て方が悪い」

 

 そんな声が聞こえた。

 カドモスの背後から、カドモスの顔の右側まで跳び出したラウルは、すれ違い様にカドモスの右目を斬りつける。

 カドモスは眼球が斬り裂かれた痛みで怯む。再び、カドモスに大きな隙ができる。この好機をみすみす逃がすような失態は、もう犯せない。

 

「っ!」

 

 ベルもカドモスの顔の左横まで跳び、カドモスの左目を斬る。

 2人が同時に地面に着地する。

 カドモスが吼えながら、手当たり次第に暴れる。地面を陥没させ、壁を砕き回る。とてもではないが、近づけない。

 地面に転がっているユキムラを拾い、ラウルの隣まで移動する。

 カドモスの両目が潰した。つまりそれは、視界を奪ったのと同義だ。これで圧倒的な優位を──

 

「油断するな。やつは匂いで位置を特定できる」

 

 ベルの油断を見透かしたように、ラウルが警告する。

 カドモスはひとしきり暴れ回ると、冷静さを取り戻したのか、ベルたちの方へと向き直った。目が見えていないのに、正確にベルたちの位置を掴んでいる。

 

「手傷を負った獣は、形振り構わず殺しに来るぞ。気を引き締めろ」

「はい!」

 

 こうして、カドモスとの第二ラウンドが始まった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 オラリオの南東方面にある歓楽街は、他の場所とは街並みと違う。木造でできた東方の建物や、砂漠地域にある砂でできた建物など、特殊なものが多い。

 歓楽街で最も大きく、最も豪華な宮殿。イシュタルファミリアの本拠で、女主の神娼殿と呼ばれている。女主の神娼殿の最も位置の高い場所では、主神であるイシュタルが歓楽街を見下ろすように座している。

 女神イシュタル。彼女はフレイヤと同じく、美を象徴する女神である。しかし、彼女の内心は醜く歪んでいる。同じ美の女神なのに、フレイヤはオラリオの中心── バベルで踏ん反り返っている。まるで、オラリオの王とでも言いたいように。

 気に食わない。ああ、気に食わない。どうやって奴を蹴落とすか、考えなかった日はないほどだ。

 そして今日、とうとうフレイヤに目に物を見せてやれる好機が訪れた。

 

「ふふ、ようこそ2人とも」

「お、おじゃまします!」

「……」

 

 女主の神娼殿の最上階には彼女と、2名の客人が来ている。キショウ・アリマ、そしてベル・クラネルだ。

 彼らをここに呼んだのは、サンジョウノ・春姫の身受けについて話すためだ。

 頭のおかしいことに、彼らはたった数人だけで深層まで潜り、カドモスを始めとしたモンスターの魔石を山ほど持ち帰ったらしい。カドモスの泉の泉水や、ドロップアイテムも含めれば、ロキファミリアの遠征と同等の成果だ。

 春姫には超稀少な魔法がある。その効果は階位昇華。一定時間だが、他者のLvを1つ上げるという効果の、ウチデノコヅチという魔法だ。そんな魔法を持つ彼女の価値は、どれだけ金銭を積まれたとしても、釣り合うことはない。身受けなんて認めない。ベルたちにそう伝えるのが、建前の目的だ。

 イシュタルの真の目的は、アリマとベルを魅了することにある。

 この2人をイシュタルファミリアに改宗できれば、あの憎っくきフレイヤファミリア以上の戦力を保有することになる。アリマにウチデノコヅチの魔法を使えば、Lv8まで跳ね上がる。それこそ、誰の手にも負えない存在になる。最強の兵士の完成だ。

 何より、フレイヤのお気に入りであるベルを自分のものにしてしまえば、奴は怒り狂うに違いない。ベルを魅了することは、フレイヤファミリアだけではなく、キショウ・アリマも敵に回すことから、計画は頓挫していたが、こうやって師弟ごと魅了すれば話は別だ。

 イシュタルは、自分は天界で最も美しい女神だという自負がある。ロキとかいう壁パイ女や、ヘスティアとかいう胸だけが無駄にデカい女と比べれば、女としての魅力は確実に上だ。この状況なら、きっと簡単に魅了することができる。

 

「疲れただろう。この部屋でゆっくり休んでいくといい、満足するまで」

 

 妖艶に微笑みかける。どれだけ強靭な心を持つ冒険者でも、一瞬で骨抜きにできる。

 できる、はずだった。

 

「……ッ!?」

 

 イシュタルの魅了は、2人には全く効果がなかった。

 ベルは何が起こったのか分からず、キョロキョロと辺りを見回す。対して、アリマは絶対零度の瞳でイシュタルを見る。

 イシュタルは思い出す。ベル・クラネルに手を出そうとしたアポロンは、アリマに右腕を斬り裂かれたことを。今になって、思い出してしまった。

 

「もういい」

 

 アリマの息を吐くような小さな声。

 イシュタルにとっては、死神が耳元で囁いているように感じた。

 そして、アリマが次に取った行動は──

 

「づ!!??」

 

 ベルの首を右手で掴むことだった。あまりに突然の行為に、ベルの思考は真っ白になる。

 その力は凄まじく、ベルの抵抗などではアリマの腕を引き剥がせない。

 アリマがベルを掴んでいる腕を振るう。ベルは右方の壁に一直線に投げられた。ベルが衝突した壁は砕け散り、瓦礫となってベルに降り注ぐ。

 ベルが動くことのできない傷を負ったことを確認したアリマは、ゆっくりとイシュタルに歩み寄る。

 

「な、何を──!」

 

 何が起こったのか分からないのは、イシュタルも同じだった。イシュタルが何か言い切る前に、アリマの拳が彼女の鳩尾に叩き込まれる。

 イシュタルは痛みにより気を失い、地面に崩れ落ちる。

 ベルが朦朧とする意識で見たのは、イシュタルを肩に担ぎながら歩いていくアリマの姿だった。その光景を最後に、ベルの意識は途切れる。

 その日を境に、アリマはオラリオから指名手配されることになる。

 

 

 




 新年ですね、あけおめです!
 カドモス戦はどうなったか? ヒットアンドアウェイの地味な戦いなのでカットされました。ちなみに、アリマさんは1人でカドモスをぶち殺し回ってました。
 感想・評価お待ちしています。
 おとしだまみたいにたくさん……(そう、おとしだまのように……)
 俺は何故、正月でも何でもない日にこのネタを使ったんだ……。どしてェ……。













 次回から最終章です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

じぇくと

 

 イシュタルが目を覚ましたのは、仄暗い牢獄のような場所だった。周囲は岩壁で囲まれ、正面のみが鉄格子で区切られている。壁に装飾された蝋燭が辛うじて光源となり、把握できた。

 どうやらずっと、このゴツゴツとした岩の床で無造作に寝かされていたらしい。まるで囚人のような扱いだ。美の女神である自分への不遜な扱いによる怒りと、この状況への困惑が混ざり合う。

 ふと、まるで巨大な化け物の腹の中にいるような、悍ましい感覚がした。

 ここがどこなのか、本能のようなもので理解した。ここはダンジョンだ。間違いない。自分は今、ダンジョンにいる。

 何が起きたのか、徐々に思い出す。

 そう、女主の神娼殿でアリマに気絶させられたのだ。ここに連れてきたのも、アリマで間違いないだろう。

 先ほどまで抱いていた怒りは急速に萎み、逆に不安と恐怖が大きくなる。アリマは自分をダンジョンに連れてきて、何をするつもりなのだろうか。

 

「──!?」

 

 足音が響く。

 誰かがこっちに近づいて来る。思わず、背後の壁際まで後ずさる。

 

「……」

 

 鉄格子の向こうにいるのは、フードを被った誰かだった。大柄な体格から察するに、性別は男だろうか。

 

「アリマ、ではない……!? いや、人ですら…… 何だお前は!! 」

 

 人の形をしているが、人ではない。

 そう断じた根拠はない。強いて言えば、直感だ。しかし、神々は── イシュタルは長い年月をかけて、人の営みを見てきたのだ。その直感には相応の信頼が置ける。

 フードの男が右腕を振るうと、鉄格子はバラバラになって地面に落ちた。鋭利な刃物で切断されたかのように、その切り口は滑らかだ。

 フードの袖口から、まるで龍のような黒い腕が覗いていた。通常の腕よりも一回りほど大きく、五指の先端には鉤爪のような爪が伸びている。

 フードの男は鉄格子の残骸を越え、イシュタルに近づく。

 

「く、来るな!! 来るなと言っているだろう!!」

 

 神威さえ発動させれば、この男も止まるはずだ。そんな考えをあざ笑うかのように、一瞬にしてイシュタルとの距離を詰めた。

 

「──あっ」

 

 ぱきん、と乾いた音が牢獄に響いた。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 アリマが指名手配を受けてから、既に2週間が経過していた。

 ロキは護衛にフィンを引き連れて、オラリオの町外れにある廃教会に訪れた。教会の窓は割れ、壁のあちこちにヒビが刻まれている。雨風をしのぐ機能を辛うじて果たしているだけの状態だった。それでも、ここはヘスティアファミリアの本拠である。

 彼らがここに来た目的は、言うまでもなくベル・クラネルだ。アリマの唯一の弟子である彼なら、何か知っているかもしれないと考えたのだ。

 ヘスティアファミリアが実際に寝泊まりしているのは廃教会の地下室で、ロキたちはそこに案内された。地下室は質素ながらも、趣のある造りだった。隠れ家や、秘密基地といった感じだ。

 ロキは椅子に腰掛けながら、アリマが消えた日に何があったのか、ベルの言葉に耳を傾けていた。

 

「その子を助けるために大金稼いで、イシュタルに直談判したんか。中々やるやんか、ベル」

 

 ロキは愉し気に笑いながら、和風のメイド服を着た狐人を見る。

 結論から言えば、ベルは春姫を救い出すことに成功した。

 彼女の魔法は確かに希少だか、イシュタルがいなくなった今となると、事情が少し違ってくる。

 イシュタルファミリアの重鎮の間で、春姫の魔法を取るか、ベルのもたらした莫大な富を取るべきかで割れていた。

 階位昇格の効果が十全に発揮されるのは、ダンジョン探索や、他のファミリアに戦争を仕掛けるような状況だ。

 それも、階位昇格の対象は1人だけ。ロキファミリアやフレイヤファミリアのように、地力が違いすぎるファミリアが戦争相手では、誰か1人のLvが上がったところで意味がない。

 要は、使える状況が限定的すぎるのだ。

 対して、春姫の身請けの額は莫大である。ロキファミリアの遠征の成果と同等だ。春姫の身請けを認めれば、一生遊んで暮らせる者が何十人といよう。

 春姫の身請けを認める意見が多数派になるのに、そう時間はかからなかった。

 

「あはは…… ほとんどアリマさんとラウルさんのおかげですけどね」

「そ、そんなことないです! ベル様が救おうとしてくれたから、私はここにいるんです! きっと他の人では、私は救いの手を握ることができませんでした……」

「春姫さん……」

 

 春姫はベルの右手を、両手で包み込むように握る。ベルは顔を真っ赤にして、ドギマギしている。

 春姫は良家のお嬢様である。シチュエーションを鑑みれば、まるで演劇のワンシーンのようだ。ベルも、見事にそんな空気に取り込まれてしまっている。

 

「はいストーーーーップ!!! 狐人君、お客さんの前で惚気るんじゃない!! というか、ベル君も変な空気に飲まれちゃダメじゃないか!!」

「「す、すみません……」」

 

 誰もがこの空気に置いていかれる中、ヘスティアだけが果敢に空気を壊しにかかった。春姫は握っていたベルの右手を慌てて離す。

 

「お騒がせしてすみません」

「はは、構へん構へん」

 

 リリルカがロキとフィンに向かって頭を下げる。頭を下げてこそいるが、その表情は目に見えて不機嫌だ。

 リリルカも春姫を救けることに思うことがなかった訳ではない。春姫を救けるために深層に潜ったと聞いたときは、ベルの身が心配で仕方がなかった。

 しかし、ベルのその行動を否定するのは、過去に自分を救ってくれたベルを否定するのと同義だ。それだけは、やってはいけないことだ。

 だが、恋の競争相手としては別である。ベルにとっての一番を、そう簡単に勝ち取らせるつもりはない。

 

「そんでその後、アリマはイシュタルを拉致った訳やな」

「はい……」

 

 ロキの目が僅かに見開く。剣吞とした空気を感じ取り、ベルも真剣な面持ちになる。

 

「あの、ロキファミリアの方は大丈夫なんですか?」

「……大丈夫、とは言えないね。アリマが指名手配されて、ロキファミリアに所属する全員が少なくない衝撃を受けている。そんな状態でも、ギルドや他のファミリアの対応、そしてアリマの捜索をこなさなきゃいけないからね。正直、手が回らないよ」

 

 ロキの代わりに、フィンが返答する。フィンの疲労が滲み出た声色から察するに、相当苦労しているのだろう。

 

「ロキだって危うく、オラリオから追放されるペナルティを背負うところだったんだ。ヘスティア様やヘルメス様の助力で、どうにか軽くはできたけど……」

「神様が……?」

 

 ベルは少し驚いた面持ちで椅子に腰掛けたヘスティアを見る。ロキと不仲なのは、なんとなく察していたが……。

 名前を呼ばれたヘスティアは、ぎょっと目を見開く。

 

「か、勘違いしないでおくれよ!? ロキは好きじゃないけど、別にいなくなってほしいとまでは思ってないだけなんだから!!」

 

 ヘスティアは顔を赤くしながら、ぶんぶんと手を横に振った。誰がどう見ても照れ隠ししている。

 

「……どチビも、ありがとな」

 

 ロキはそんなヘスティアを特にからかうこともせず、礼を言った。

 

「……やめろよ。しおらしい君なんて、調子が狂うじゃないか」

 

 ヘスティアは居た堪れない面持ちで、ぽつりとそう呟く。ヘスティアのその言葉にも、ロキは力なく笑うだけだった。

 

「なあ、ベル。どんな些細なことでもええ。アリマは何か言うてへんかったか? あのアホが失踪したのも、きっと君が鍵を握っているはずなんや」

「アリマさんは自分のことをあまり語らない人でしたから、本当に何も……」

「アリマの目的は、きっと今もベルを強くすることや。ベル、あんたのLvは?」

「Lv4です」

 

 深層でカドモスとの死闘を経験したベルは、Lv4にランクアップした。当然、それも世界最速だ。

 本来ならオラリオ中に知れ渡るであろう情報だが、アリマの再びの凶行により、完全に埋没してしまった。

 

「はは、いっそ恐ろしい成長速度だね……」

 

 1年にも満たない内に、Lv4の領域まで足を踏み入れている。ベルの成長速度に恐怖を覚えるのと同時に、彼の素養を一目で見抜いたアリマにも同じ感情を抱く。

 

「大したもんやな、ホントに。だけど、まだや。アリマは、ベルを俺より強くするって言っとった。今の状態の君を放っておくのは、絶対にありえへん」

「僕が、アリマさんより強く……?」

 

 ロキの言葉を聞いた瞬間、ベルは困ったように笑いながら、首を横に振った。

 

「無理ですよ。誰もアリマさんには勝てません。僕にできるのは、あの人の背中に追い縋るくらいです」

 

 何度もアリマと手合わせしているからこそ、ベルはそう断言することができた。

 この数ヶ月で、何百回も、何千回もアリマに殺されかけた。それも、当然だがアリマは力の底を見せていない。

 本能に刻み込まれる、絶対に越えることのできない壁。アリマを倒せるイメージなんて、ほんの少しも湧かない。

 

「……アリマは、世界を救うために君を強くするそうやで」

「世界を、救う……?」

「その反応…… 何やどチビ、教えてなかったんかい」

「……別にいいだろ、教えてなくても」

 

 言えなかったのだ。嬉しそうにアリマのことを話すベルを、不安にさせるようなことをしたくなかった。たとえ、それがいずれ知ることであろうとも。

 ヘスティアの懸念通り、ベルは戸惑いの表情を浮かべていた。

 ベル自身、どうしてアリマが自分を強くしたいのか、ずっと考えていたのだ。そんな中、突然告げられた、世界を救うためという理由。受け入れるには、あまりにもスケールが大きすぎる。

 

「収穫なし、やな」

 

 ロキは右手で眉間を押さえた。やはり、そう簡単に手がかりは得られないか。

 ロキが椅子から立ち上がろうとした瞬間、ベルがハッとした表情に変わった。

 

「そういえば……」

「っ、何か思い出したんか!?」

「僕の勘違いかもしれませんけど、ここ最近アリマさんの立ち回りが変わっていた気がするんです。何と言うか、アリマさんの向かって左── 右目側に、防御が固くなっているような気が……」

 

 アリマが隠れている場所には直接関係なさそうな情報だが、もしかすると手がかりになるかもしれない。

 確認を求める意味で、ロキは隣にいるフィンに目をやる。オラリオでもトップクラスに位置する彼も、同じ違和感を抱えているかもしれない。

 

「ごめん、分からない。僕としては、普段と変わりないように見えるけど……」

 

 少なくとも、フィンの目にはアリマの立ち回りはいつも通りに映った。しかし、フィンはベルの言葉を気のせいだと切って捨てる気にはなれなかった。

 

「リリ山君、君はどうだい?」

 

 ヘスティアの問いかけに、リリルカは肩を竦めながら、首を横に振った。

 

「そんなこと私に聞かれても。ぶっちゃけ、2人が何をしているか見えませんので」

 

 彼らの会話を遮るように、遠雷のような音が鳴り響いた。

 

「な、何ですかこの音……?」

 

 今日のオラリオの空模様は、雲一つない快晴だった。雷が落ちるのはあり得ない。

 いっそ爆発音と言われた方が納得できる。

 

「向こうの方か……」

 

 フィンの耳は、何処がこの音の発生源なのかを正確に把握していた。

 ここから東の方角。それも、そう遠くない距離だ。

 ふと、親指が疼いた。親指が疼くのは、自身の命の危険を知らせる合図だ。ダンジョンでもないのに、どうしてこの街中で?

 そんな疑問を頭の片隅に追いやる。

 今、この場にはロキがいる。黙って様子を見ているのは下策だ。いち早く、情報を掻き集めなくては。それに、自分がいなくとも、この場にはベルがいる。余程の相手でない限り、遅れをとらないはずだ。

 そして── この爆発は、アリマが関わっているような気がした。

 

「少し見てくる。ベル君、ロキたちのことは頼んだよ」

「フィンさん!?」

 

 フィンはそう言い残すと、地下室の出口から飛び出して行った。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 ロキたちがヘスティアファミリアの本拠に訪れた、少し前。

 ロキファミリアの団員たちは、アリマの起こした事件の対応に奔走していた。最も人員が割かれているのは、アリマの捜索である。

 何をするにもまず、アリマを見つけ、その真意を問いたださなければ始まらない。

 

「アリマ、本当にダンジョンにいるのかな……?」

「どうでしょうね。アリマらしき人が、女を抱えてバベルに入ったっていう目撃証言が幾つかあるけれど……」

 

 ロキファミリアの団員たちは、ダンジョンの探索に来ていた。アリマの目撃証言は、アリマがバベルに訪れてからパッタリと途絶えている。単に、誰にも見つからないように移動しているだけかもしれないが。

 上層の探索は2軍に任せ、ラウルたちはダンジョンの奥へと進んでいる。30階層まで進んだが、少し厳しくなってきた。

 フィンたちは他のファミリアの対応に駆り出されている。ダンジョンの探索には外れてしまっている。

 ガレスやリヴェリア、フィン、2軍のサポートのないパーティでどこまで進めるか分からないが……。

 

「ダンジョンに潜っていたとしても、もう2週間ですよ。もう別の場所にいるんじゃ……」

 

 常識的に考えて、ダンジョンに2週間も潜るのは自殺行為である。たった1人で、四六時中モンスターに狙われる精神的負担は、想像を絶するものだ。

 

「おめえはアリマの何を見てきたんだ。2週間ダンジョンに潜る? あいつなら、そんなこと余裕でこなすだろうよ」

「今回ばかりは、私もベートに同意見よ。それに、イシュタル様をダンジョンに拉致したのは、何かしらの意味があるはずだわ。その意味を知れば、アリマの居場所を見つける手がかりにもなるはずよ」

 

 30階層を隈なく探索したが、成果は得られなかった。

 少なくとも、ここより上のダンジョンにアリマはいない。となると、アリマが潜んでいるとすれば深層のダンジョンである。

 

「アリマさんを見つけたら、私たちはどうすればいいんですかね……?」

 

 ふと、レフィーヤがそんな言葉を漏らした。誰も口にはしなかったが、誰もが抱いていた疑問だった。

 もしアリマが自分たちと出会ったとして、彼は次にどのような行動に移るのだろうか。アリマは対話をしてくれるのか、それとも有無を言わさず──。

 

「ブン殴って、連れて帰る。それ以外にねえだろうが」

 

 ベートが無愛想に言い捨てる。実力主義者の彼らしい返答だったが、その言葉がレフィーヤの抱えていた不安を爆発させた。

 

「でも、アリマさんLv7なんですよ!? 私たちが束になっても、勝負になるか分からないじゃないですか!!」

「俺たちに何も言わず、こんな馬鹿げたことを仕出かしたんだぞ!! 殴る以外の選択肢がある訳ねえだろ!! それともお前は、このままアリマを放置するのが正解だと思っているのか!?」

「誰もそんなこと言ってないじゃないですか!!」

 

 ベートとレフィーヤの言い争いはいよいよヒートアップしてきた。ティオネが仲裁しようとした、そのとき。

 

「落ち着いてよ、2人とも!」

 

 意外にも、2人の言い争いを諌めたのはティオナだった。

 全員が視線がティオナに集まる。

 

「信じよう、アリマを。あんなことをしたのも、きっと何か理由があったんだよ。確かに私たちは、アリマのことを何も知らないよ。だけど、これから分かっていけばいいじゃん!」

 

 ティオナはそう言い切った。まるで自分にも言い聞かせるように。

 明るい笑顔こそ浮かべているが、無理をしているのは一目で分かった。

 

「でも──」

 

 それでもやはり、レフィーヤの気持ちは変わらなかった。アリマには何度も助けられたし、信じたいと思っている。ただ、どうしてもアリマに対する恐怖が払拭できない。

 ベートはレフィーヤの胸倉を掴み、そのまま持ち上げた。

 

「だったらテメエだけ本拠に帰って、部屋の隅でガタガタ震えていろ!」

 

 ベートがそう怒鳴った瞬間、何の前触れもなく、レフィーヤの背後にアリマが現れた。

 レフィーヤを見下ろすアリマの目は海底のように暗く、どこまでも冷たい。

 その場にいる誰もが、今の状況を理解することができず、呆然とアリマを見る。

 誰にも気配を悟られず、ここまで近づけたのか。どうして今になって、アリマが姿を現したのだろうか。

 

「っ!?」

 

 最も近い距離でアリマを見たからこそ、ベートは最初に気づいた。

 アリマの手にナルカミが握られている。 それも、その刀身に目の眩むような電撃を迸らせながら。

 アリマが何をする気なのか、ベートは直感で理解した。

 

「どけ!!」

「きゃっ!?」

 

 ほぼ反射的に、レフィーヤをその場から突き飛ばした。

 振り下ろされる断罪の刃。避けることは叶わない。ベートにできるのは、ナルカミの雷撃を受け入れることだけだった。

 何かが破裂するような音が、眩い雷撃と共に生じる。

 

「カッ……!!??」

「ベートさん!!!」

 

 目を白黒させながら、ベートの身体がゆらりと揺れる。しかし、右足で強く地面を踏み鳴らし、倒れそうな身体を支える。

 両の足で立ち続けながら、目の前にいる白い死神を睨みつける。

 

「アリ、マ…… どういうつもりだ……! この生っちょろい電撃…… こいつを殺す気、なかったな……!」

 

 レフィーヤの代わりに電撃をくらったからこそ、ベートは気づけた。アリマはレフィーヤを殺す気はなく、意識を刈り取る程度で済ませようとしている。

 ナルカミによる電撃は、冒険者よりも遥かに頑丈でタフなモンスターを、一瞬で消し炭にできる。アリマがレフィーヤを殺す気でナルカミの電撃を放っていれば、ベートはこうして立っていられなかっただろう。

 

「……」

 

 ベートの問いかけにも、アリマはひたすらに無言を貫く。思考も、感情も読み取れない。

 

「アリマ、どうして……!?」

「構えなさい、アイズ! 大人しく話を聞かせてくれる空気じゃないわ!」

 

 各々が武器を構える中、ラウルだけが立ち尽くしていた。

 

「やめろ、無意味だ」

「ラウル、何言ってるの!?」

 

 ティオネの怒声にも一切動じず、ラウルは諦めたような表情でアリマを見た。

 

「アリマさんがそうするのなら、俺たちに抗う術はない」

 

 ラウルがそう言った瞬間、雷電が宙を駆けた。アイズたちは何が起きたのか理解する間もなく、地面に倒れた。

 やはり意識を刈り取られただけで、呼吸により身体が僅かに上下に揺れている。

 

「みん、な……?」

 

 意識を刈り取られず、その場で立てているのは、ラウルとティオナの2人だけだった。

 ティオナも何が起きたのか分からず、倒れてしまったアイズたちに目を向ける。その目には動揺が色濃く現れている。

 対して、ラウルはまるでこうなることを予知していたかのように落ち着いた様子で、背後にいるアリマに目を向けた。

 ラウルだけは、アリマが何をしたか予想できていた。背後に回り込み、雷を纏ったナルカミを当てる。それを計4回、同時と感じてしまう速度で成しただけ。ラウルはアリマの動きを目で追うことができなかったが、きっとそうしたのだろう。後ろを向いたのも、アリマならそこにいると予想したからだ。

 ただ、どうして自分とティオナの意識を刈り取らなかったのか、それが分からなかった。有馬の化物染みた戦闘力ならば、自分たち2人の意識を刈り取るくらい、訳なかったはずである。

 

「2人に話したいことがある」

 

 ラウルのその疑問に答えるように、アリマが口を開いた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 突如、オラリオに生じた謎の爆発。

 付近にいた住民たちは何が起きたのか分からないまま、再び発生するかもしれない爆発に怯え、逃げ惑う。

 爆心地に黒い煙が立ち上る。その中に、2つの人影があった。

 

「これだけ派手に騒げば十分だろう」

 

 赤髪の女がギルドの方角を見ながら、そう呟いた。

 彼らの目的は陽動。オラリオにいる冒険者たちの目を、自分たちに集めるためである。

 彼女の名はレヴィス。アイズの前に度々姿を現し、人でありながらその身に魔石を宿す怪人である。

 その隣に立つのは、黒いローブを被った男だった。色素の抜け落ちた白い髪は、今にも溶けて消えてしまいそうな雪の儚さを連想させるアリマや、穢れなき純白さを連想させるベルと違い、人から外れてしまった悍ましさを連想させる。

 レヴィスはちらりと白髪の男を見ながら、男の名を呼ぶ。

 

「行けるか、ゲド?」

「早くしろ、腹減ってんだ」

 

 ゲド・ライッシュは口の中に左手の中指を突っ込みながら、やって来るだろう餌(冒険者)たちを今か今かと待ちわびていた。

 




 感想・評価ありがとうございます!
 いいんだな…… ただの読者でいいんだなッ!!??


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

良配

 爆発から我先にと逃げる市民たちの流れに逆らい、フィンは爆心地へと駆ける。

 前へと進むにつれて、人は少なくなり、ある臭いが強くなってくる。ダンジョンで嗅ぎ慣れた臭い── そう、血の臭いだ。

 

「ッ──!」

 

 思わずフィンは足を止め、息を飲む。

 通路のあちこちに散らばる、人々の亡骸。そこに老若男女の区別はない。ダンジョンでも、こんな惨状はそうそうない。

 誰もが首を捩じ切られ、胸には丁度腕の太さと同じくらいの孔が開けられている。人間のする殺し方でもなければ、モンスターのする殺し方でもない。こんな惨い殺し方、まるで悪魔の仕業のようだ。

 

「うぅっ……」

 

 フィンの耳に掠れた呻き声が届いた。死体の下から聞こえる。丁寧に死体を横にどかす。そこにいたのは、年端もいかない少女だった。

 

「大丈夫かい、君!?」

 

 容態を確認する。

 血まみれだが、怪我はない。気絶しているだけだ。フィンはホッと一息吐く。

 となると、この血は第三者の──

 

「お母さん……」

「っ!」

 

 少女が無意識でそう呟く。

 少女のすぐ横に転がっている、白いブラウスに赤いスカートを着た女性の死体。他の死体と同じく、頭から上が捻じ切られている。

 その死体はまるで、天敵から我が子を守るように、覆いかぶさっていた。つまりは、そういうことなのだろう。フィンは悲痛な表情で顔を伏せる。

 情報を集めるのも大事だが、今はこの少女の安全を確保する方が優先だ。この少女を見捨てるようならば、フィンはロキファミリアの面々に一生顔向けができない。

 辺りを見渡す。生存者がいる気配はない。

 フィンは少女を両手で抱え、来た道を引き返そうとする。

 

「!」

 

 襲いかかる、途方もない悪意──!

 風切り音を捉え、そちらに目を向ける。

 無数の羽のような物体が、一直線に襲いかかる。

 フィンはその場から跳び退く。

 羽のような物体はフィンの背後にある建物の壁に突き刺ささり、容易く奥までめり込んだ。恐ろしい切れ味。ただの羽ではない。

 

「ははははあははあはカッコいいねええええええ、小人風情がよおおおおあはああははは!!」

 

 ケタケタと笑いながら、フィンたちの方へと歩いてくる男。

 その男は、端的に言って異常だった。

 アリマやベルと同じ、白い髪。ただ、彼らと違い、その白さは人の摂理から外れているような印象を受ける。そして、左目は血のように赤く染まっている。

 まるで、悪魔。この惨状を引き起こしたのはこの男だと、そう確信できた。

 

「誰だ、お前は」

「俺はお前のことを知ってるぜ、クソ小人ううぅぅうぅ。ロキファミリアの団長、フィン・ディムナだろぉぉおお?」

「お前みたいな外道に名を知られていても、ちっとも嬉しくないね」

 

 この男を放っておけば、被害は更に広がるだろう。ここで仕留めるのが正解である。この惨状を引き起こした男の命を奪うのに、何の躊躇もない。

 しかし、今は駄目だ。この少女を抱えたまま戦えるような、生易しい相手ではない。

 

「──ゲド・ライッシュ」

 

 男はあっさりと、なんの取り留めもなく名乗った。まさか、こうも素直に名乗るとは思わなかった。

 フィンの脳には、ありとあらゆる膨大な情報が詰まっている。しかし、ゲド・ライッシュという人物に心当たりはない。

 

「分っかんねえよなぁ、俺のこと!! そりゃそうだ、俺はお前らにとっちゃ虫けらも同然だったんだからよお!!」

 

 自分が誰なのか分からないと察したのか、男は狂ったように吠え始めた。

 その声に含まれているのは、聞くのも悍ましい悪感情。嫉妬、憎悪がこれでもかと渦巻いている。

 頭部を不安定に揺らすが、狂気に染まった双眸は一瞬たりとも外れることなく、こちらに向けられている。

 

「記憶したか」

 

 一瞬、ゲドの姿が搔き消える。

 右から来る──!

 フィンは後方へ跳ぶ。次の瞬間、フィンたちのいた場所に巨大な刃のような物体が通り過ぎた。

 フィンはゲドの一挙一動に細心の注意を払い、尚且つ全力で逃走を始める。

 ゲドの左腕は大きく変容していた。黒い鱗のような物体に覆われ、腕の大きさは明らかに肥大化している。その腕の先端にあるのは、三叉の爪。巨大な刃のような物体の正体は、どうやらあれのようだ。

 

「記憶したか、記憶したな、記憶しただろう!? だったら死ね!! 虫けらのように潰されて死ね!!」

「っ!?」

 

 ゲドはLv6の冒険者に匹敵する驚異的な速度で走り、フィンとの距離を詰める。

 普段のフィンなら逃げ切れるだろう。しかし、今のフィンは少女を抱えながら走っている。追いつかれるのも時間の問題だ。

 フィンは覚悟を固める。

 戦うしか、ない。

 しかし、手持ちの武器は組み立て式の槍だけだ。フィンの本来の武装である槍とは、性能が天と地ほどかけ離れている。十善の状態とは言い難い。

 だが、それがどうした。

 ちらり、と腕の中に視線を落とす。フィンの腕の中で眠る少女。何としても、この少女を守り抜かなければならない。

 フィンは建物の窓を蹴破り、そこに侵入する。この騒ぎで、家主もどこかに逃げてしまったらしい。それならそれで、好都合だ。

 少女をソファーに寝かせ、建物から出る。

 後はここで、ゲドを待ち構えるだけ。フィンは懐に忍ばせていた組み立て式の槍を組み立てる。

 

「……その目、覚えがあるぜ」

 

 そう呟きながら、ゲドが歩いてくる。

 

「小人のクソアマも、ベル・クラネルも、そんな目をしてやがった」

「!」

 

 ベル・クラネルの名を呼んだ。

 つまりこいつは、ベル・クラネルと面識がある可能性が高い。小人のクソアマが誰なのかは分からないが。

 

「本当に、お前は何者なんだ?」

「気に入らねえなあ! なあ、気に入らねえなあ! お前も、お前も俺を倒せると思っているんだな!? この俺を、ゲド・ライッシュを!!」

 

 ゲドの肩から黒い翼が噴出した。

 黒い翼が羽ばたいたかと思うと、無数の弾丸のような羽が撃ち出された。

 

「っ!!」

 

 凡百な冒険者なら、躱すどころか目視することすら困難な速度。しかし、フィンは素早い身のこなしで、放たれた羽を回避する。

 凄まじい密度の弾幕。このまま接近すれば、致命傷は免れない。

 

「鼠野郎が、ちょろちょろ逃げ回りやがって! お止まり下さい、今針ねずみにしてあげますよおおおほほほほほ!!!」

「鼠とは、随分言ってくれるじゃないか!」

 

 フィンは極めて冷静に相手を観察する。

 弾丸のような羽が射出されているのは、決まって両肩から生えている翼だ。あれが羽ばたく度に、一定の量の羽の弾丸が撃ち出されているようだ。

 発射元は分かった。弾丸の速度にも目が慣れてきた。

 羽の弾丸が途切れる。

 ──仕掛ける。

 地面を蹴り、今の自分が出せる最高速度でゲドとの距離を詰める。ゲドは歪な笑みを浮かべながら、再び羽の弾丸を撃ち出す。

 が、既に見切っている。羽が発射される位置が分かっているなら、軌道は容易く読める。並外れた動体視力、軌道を正確に予測する明晰さ、そしてそれを信じるだけの胆力があるという前提だが。

 針の穴を縫うような動きで、フィンは瞬く間にゲドの懐へ飛び込んだ。

 

「びゅばぁっ!!!」

 

 ゲドは肥大化した左腕を振るう。しかし、大振りで、ただ速いだけの攻撃だ。

 フィンは上空へ跳び、すれ違い様にゲドの胸部を斬り抜ける。

 鮮血が宙に舞う。そして、槍を握る手に残る確かな手応え。刃は心臓まで届き、真横に切り裂いた。致命傷のはずだ。

 それなのに、喉につっかえたような違和感が残る。

 地面に着地し、振り返る。

 

「ぬぅぅりぃぃぃぃいなぁぁぁあああ。痛くねえんだよ、こんなのよおおぉぉ。慣れてるからなあああははははは!!!」

 

 ゲドはケタケタと笑いながら、不気味に体をうねらせながら振り返る。

 ぐじゅぐじゅと醜悪な音を立てながら、切傷が塞がっていく。

 

「化物め……!」

「俺が化物ならお前は何だああああ? いひひひひくひひひひ!!」

 

 大きく息を吐き、心を鎮める。

 再生できるといっても、無限ではないはずだ。限界が来るまで殺し続ければいい。

 大丈夫だ、強さの底はもう見えている。勝てない相手ではない。

 

 ──キイイィィィ……。

 

 ドアを開ける音が聞こえた。

 まさかと思い、フィンは少女を隠した建物に目を走らせる。

 そこには予想通り、フィンが助けた少女が怯えた顔で立ち尽くしていた。

 

「だれ、お母さんは……?」

 

 ゲドの口元が歪に吊り上がる。

 

「っ!!」

 

 この男が何を考えているのか、フィンは一瞬で悟ってしまった。

 地面を蹴り、少女の元へ走る。

 タイミングを見計らっていたのだろう。間に合うかどうかの瀬戸際で、ゲドは羽の弾丸を飛ばす。

 間に合うか──? いや、間に合わせる!

 力強く地面を蹴る足は、フィンを少女に手が届く距離まで運んでくれた。

 フィンは少女を抱くようにして、倒れるように横へ跳んだ。その直後、少女がいた空間を羽の弾丸が通り過ぎた。

 少女に怪我を負わせないように、背中から地面に着地する。

 腕の中に視線を落とす。少女は青い顔で、カタカタと震えていた。怪我をした様子はない。どうにか間に合ったようだ。

 しかし、少女の命を救った代償は大きかった。

 

「おにいさん、腕が……!!」

 

 右腕の肘から先の衣服はズタボロになり、血で真っ赤に染まっていた。羽の弾丸に肉を抉られたのだろう。

 

「平…… 気さ、こんな傷」

 

 フィンは少女に笑いかけるが、状態はすこぶる悪い。この腕では、武器を振るうことはできないだろう。

 何より、警鐘のように絶えず訴えかける痛みがフィンの集中力を奪う。額には玉のような脂汗が浮かび、どくどくと全身から血が抜けていく感覚がする。

 それでも、フィンは気丈に笑い続けた。

 

「走れるかい?」

「う、うん……」

 

 目の端でゲドの様子を見る。

 相変わらずケタケタと笑うだけで、攻撃を仕掛けてくる様子はない。

 罠かもしれないが、少女を逃す機会は今しかない。

 

「あっちの方へ逃げるんだ」

 

 フィンは爆発が起きた場所とは反対の方向を指差した。こんな年端もいかない少女に、あの光景を見せる訳にはいかない。

 

「そこに行けば、お母さんはいるの……?」

「……うん、きっといるさ」

 

 ずきり、と胸に鋭い痛みが走る。嘘を吐いてしまったことと、少女のこれからのことを考えてしまい。

 

「だけど、おにいさんは……」

「僕なら大丈夫さ。確かに小さいけれど、これでも冒険者なんだから。いいかい、何があっても決して立ち止まってはいけないよ」

 

 少女は小さく頷く。そして、フィンが指差した方向へと走った。

 

「良いのかなあああ? 勇者とあろう者が嘘なんてついちまってええええええ?」

「!」

 

 走る少女に目をやりながら、ゲドは楽しそうに口元を吊り上げていた。

 

「ちゃああああんと覚えてるぜええええ。あのガキはよおおお。お前みたいなお人好しの足手まといにするために、ワザと生かしてたんだからよおおおお!!! いひひひっひっひひいひあひ! お前を殺したら、今度はあのガキを殺してやるよおおぉぉ!!! 俺に負けられない理由が増えたなあああ!!!」

「黙れよ」

 

 ゲドの言葉を遮るように、フィンの鋭い声が響く。外道の言葉を聞くのはもう沢山だ。

 

「魔槍よ、血を捧げし我が額を穿て」

 

 殺された者の無念と怒りを偲ぶように、フィンは魔法を詠唱する。

 槍を握るフィンの左腕に、膨大な魔力が帯びる。その魔力は左腕から、槍の柄、そして穂先に伝わる。

 穂先を額に押し付ける。穂先に帯びていた魔力は、まるで吸い込まれるようにフィンの額に吸い込まれていった。

 

「凶猛の魔槍」

 

 その魔法の効果は戦闘戦意── この場合は殺意と呼ぶのが正しいのだろう── の高揚による、諸能力の増幅である。

 その代償として、まともな判断力を失うことになるが── 枷のなくなった(少女が逃げてくれた)今なら、心置きなく殺意に身を委ねることができる。

 空気が張り詰める。

 普段の理知的な優しい目が、まるで空腹の猛獣のように鋭い目に変貌する。

 ゲドは異変を感じ取り、構えを取ろうとするが、もう遅い。鎖は解き放たれた。

 

「!」

 

 ゲドの胸に槍の穂先が突き立てられる。

 何が起きたのか、いつ接近されたのか、ゲドには何も見えなかった。それ程の超加速。さっきまでとはまるで別人の動きだ。

 ゲドはそのまま背中から後ろに倒される。起き上がろうとするも、フィンの足により、両腕が踏み潰されるかのようにして抑えつけられる。

 ゲドの上に立つフィン。

 瞳孔の開き切った深紅の目で見下ろし、獣のように歯を剥き出しにしながら、左手に持つ槍を何度も突き刺した。

 

「ァァァアアア!!!」

「べばぼぼばばぼ!!!??」

 

 ゲドは声にならない悲鳴をあげながら、切り裂かれた内臓の血を口から吐き出す。

 トドメの一撃を繰り出そうと、槍を大きく振り上げた瞬間、フィンの身体が跳ねた。

 凶猛の魔槍の効果が切れた今、何が起きたのか正しく把握できた。

 何者かに攻撃された。槍の柄で受けていなければ、上半身と下半身が泣き別れていただろう。思考能力の代わりに、感覚が研ぎ澄まされた状態だったからこそ、どうにか防ぐことができた。

 敵の増援である。そして、その増援はフィンが知っている顔だった。

 

「お前は……!!」

「フィン・ディムナか」

 

 ゲドの横にいたのは、怪人レヴィス。

 これまでも、何度かロキファミリアに立ち塞がった強敵だ。その実力はアイズと同等か、それ以上である。

 これ以上ないくらい、最悪な状況に傾いてしまった。1人ずつなら、まだどうにかなったかもしれない。しかし、2人がかりではどうしようもない。

 戦うのは勿論、逃げることさえできはしないだろう。

 

「ナァァァァイスタイミングじゃねえかちゃんレヴィィィィィィ。出待ちでもしてやがったのかなあああああ?」

「私たちの目的はギルドの注意を向けさせることだ。力なき人々を虐殺する必要はないだろう」

「しない必要もないだるぉぉぉおおお? えへあへへへへ!!」

「……屑が」

 

 レヴィスは吐き捨てるように言った。どうやら、あの惨状はゲドの独断で起こしたものらしい。

 それが分かったところで、この状況は打開できない。しかし、レヴィスの不快そうな声がやけに耳に残った。

 

「……別段、2人がかりでお前を殺すことを卑怯だとは感じない」

 

 フィンに目を向けながら、レヴィスはそう言葉を続けた。

 

「だが、この男にこれ以上無用に人を殺させないと誓おう」

 

 フィンは軽く目を見開く。

 レヴィスの誓いは、まるで溶け込むように自然とフィンの胸に届いた。どこかの国の騎士のように、とても清廉な声色だった。

 一瞬だけ、目の前の女が冒険者の顔の皮を剥いだ猟奇殺人者ということを忘れてしまった。

 

「それで罪が軽くなると思っているなら、大間違いだよ」

「罪などどうでもいい。私がそうしたいからするだけだ」

「……そうかい」

 

 決して口には出せないし、出すつもりもない。だから心の中で、気まぐれだとしても、あの少女を殺させないと誓ってくれたレヴィスにほんの少し感謝した。

 フィンが槍を構えると同時に、レヴィスとゲドが襲いかかる。

 ゲドが羽の銃弾を飛ばし、レヴィスがその合間を縫うようにして大剣で斬りかかる。

 まともな連携をする気が一切見受けられないが、それでも脅威なのは変わりない。躱すだけで精一杯で、攻撃に転じる余裕なんてない。

 そして、遂にその時が来てしまった。

 フィンの首がゲドの右手によって掴まれる。即座に槍を振るおうとするが、レヴィスの一太刀によって槍の上半分が切り落とされる。

 ゲドの右腕が上がり、フィンは宙に持ち上げられる。フィンは左手で掴んでいた槍の残骸を手放し、ゲドの右腕を掴む。思いっきり握り締める。確かな手応えと、バキポキと骨が粉々に砕ける音がした。

 しかし、ゲドは痛がる様子を見せないし、首を握る力も弱まらない。ゲドの右腕の骨は粉々に砕けた直後に、すぐさま再生していた。

 

「たぁぁぁのしみだなぁぁぁ!! 小人ってのはどんな味がすんのかなああああ!!!」

「カッ…… ガハッ!?」

 

 息が吸えない。加えて、万力のような握力がフィンの首を圧し潰そうとする。

 左腕に力が入らず、糸が切れた人形のようにぶらりと体の横に落ちる。

 視界から色が抜け落ちてきた。

 ここで果てるのか。一族の復興も成し遂げられずに──。

 

「何だよ」

 

 

 

 

 ──ズチュ!

 

 

 

 

「ベル・クラネル」

 

 澱みない一太刀が死の運命を切り裂く。

 建物の上から落ちてきたベルが、重力を上乗せしてユキムラを振り下ろし、ゲドの右手を斬り飛ばした。

 彼が来るのがあと一瞬でも遅ければ、自分の首はゲドの右手で圧し潰されていただろう。

 ゲドの右腕が独楽のように回り、重力に逆らうことなく地面に落ちる。

 ベルは肩越しに振り返り、フィンの容態を確認する。右腕が血で染まり、力なく垂れている。どうにか、持ってきたポーションを渡さなければ……。

 

「おおいおいおいい!! 無視すんなよベル・クラネルぅぅ!! 人の右腕まで切っといてよおおおおおお!!」

 

 フードを被った男は切り落とされた自分の右腕を拾い、玩具のように弄ぶ。その声は心なしか、喜んでいるようにも感じた。

 ベルは意識を切り替え、目の前の敵に集中する。ふと、その敵が知っている誰かと重なった。自分はこいつを知っていると、そう確信できた。

 

「……お前は!」

 

 思い出した。リリルカを殺そうとしていた冒険者だ。名前はゲド・ライッシュだと、リリルカから聞いた。

 髪は色素が抜け落ち、様子が随分と変わっているが間違いない。

 

「るるるるるふるふるる!!!」

「ッ!?」

 

 ゲドが斬り落とされたはずの右手を前に突き出しながら、ベルに襲いかかる。

 斬り落としたはずの右腕がくっ付いていることに驚くが、そんなことを気にしている余裕はない。

 本能に身を任せ、迫り来る右手をユキムラで受け止める。

 ゲドの薬指と中指の間に、ユキムラの刃が食い込む。手が縦に真っ二つに切り裂かれるが、ゲドは構わずに腕を伸ばした。

 我が身を省みない強引な攻撃に、ベルは後方へ吹き飛ばされる。

 

「ベル君!!」

「フィンさん、これを!」

 

 ベルは吹き飛ばされながらも、バックパックからポーションを取り出し、フィンに向かって投げた。

 

「無視してんじゃねえよおおおおおおお!!!」

 

 追撃しようと、ゲドが距離を詰める。

 フィンが無事にポーションを受け取ってくれたか、確認する余裕なんてない。

 ブレーキ代わりに、ユキムラを地面に突き付ける。地面を切り裂きながらも、どうにか勢いを殺してくれた。

 地面に着地し、体勢を立て直す。

 

「ファイアボルト!」

 

 ベルの手の平から放たれた炎が、雷のような軌道を描いてゲドに直撃する。

 しかし、ゲドは止まらない。黒煙を置き去りにして、真っ直ぐ進む。炎で皮膚が黒焦げているが、瞬く間に黒焦げの皮膚の下から新しい皮膚が生える。

 鱗のような物体がゲドの左腕を覆い、その先からは巨大な剣のような爪が生えている。ゲドは爪を振りかぶり、ベルに向かって振り下ろした。

 

「はっはははっはは!!! つええ、おれつええ!!」

「っ──!!??」

 

 ユキムラで爪を受け止める。

 両腕に衝撃が走る。一撃が重い。どうにか防御することはできているが、明らかに力負けしている。

 廃教会から出る際に、春姫からウチデノコヅチをかけてもらった。今のベルは階位昇格により、Lv5相当の強さである。

 必然的に、ゲドはLv5かそれ以上の力を持つことになる。もしもLv4のまま挑んでいれば、爪を受け止めきれなかっただろう。

 

「ころすぅうううぅぅぅぅうう!!! おれをみくだしたやつらはひとりのこらずころすぅうううぅぅぅぅうう!!!!」

 

 ゲドは狂ったように吠える。そして、大きく腰を捻る。

 大振りの一撃が来る!

 ベルの予感通り、ゲドは勢いよく左腕の爪を横に薙いだ。タイミングを合わせ、ベルは上に跳ぶ。爪は虚空を切り裂いた。

 

「っああ!!」

 

 ゲドの左横を通り抜ける間際、左腕を斬りつける。

 地面に着地し、振り返る。

 ゲドが左腕を押さえて、醜く吼えていた。

 

「なんなんででなんでででなんでしねえええええええええ!!!! しにゃさあせえええええええええ!!!!」

 

 左腕の傷が回復を始めている。

 右手も傷口にくっ付けるだけで治した。ファイアボルトの火傷もそうだ。

 冷静な思考能力を失い、攻撃が雑になっている。その隙を突けば、攻撃に転じることもできる。しかし、この異常な再生能力の前では無意味だ。

 ダンジョンにいるモンスターよりも、こいつの方がよっぽどモンスターに見えた。

 他の冒険者の応援が来るまで耐えるか── 一瞬で命を奪えるような傷を負わせるしかない。だけど、人の命を奪うということは──!

 ぶわり、と風が巻き起こる音がした。ゲドの肩から黒い翼が生えていた。

 

「ああああべさん!!」

 

 風切り音。無数の羽がベルに襲いかかる。

 ベルが迷いを抱えたまま、戦闘は激化していく。




 感想・評価ありがとうございます!
 辛いよな、見守るだけという立場は(感想くれると嬉しいぞ!)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

OFFの終焉

 ベルは息を切らしながら、ひたすら走っていた。

 無数の羽の弾丸が真後ろを通りすぎる。射線上にある煉瓦の壁にすんなりと突き刺さる。まるでそこに、最初から窪みがあるかのようだ。

 

「じゃむくれえええええええええ!!!」

 

 ゲドはそう叫びながら、羽の弾丸を撒き散らす。

 今の自分には、その弾幕を掻い潜って近づくことはできない。射線から逃れるだけで精一杯だ。

 しかし、弾丸の量は減り、次の発射が来るまでのインターバルが確実に長くなっている。

 精神力が尽きかけているのか、それとも体力的な問題なのか。どちらにせよ、ガス欠になり始めているのは変わらない。

 

「ふにぃぃ〜〜〜〜!!!!」

 

 遠距離攻撃では埒が明かないと判断したのか、ゲドは両手から刃のような三本の爪を生やし、襲いかかる。

 自分よりも格段に速い── が、それだけだ。節々の動きで何をしようとしてるのか容易く予測できるし、フェイントを混ぜている様子もない。

 これならまだ、Lv1の頃に手合わせしたアリマの方が恐ろしい。アリマは速いことは勿論、こちらの思考を読み切り、まるで意識の網を掻い潜るように動く。姿が突然消えたと思ったら、すぐ近くまで接近されているのだ。

 姿勢を低くしたまま、前に進む。

 頭上を右手の爪が通り過ぎる。

 目線、重心、体の動き。ありとあらゆる情報から、次の攻撃を予測する。

 来るのは── 左手の爪による縦斬り。

 一歩分、身体を横にずらす。

 自分がさっきまで走っていた空間を、三本の爪が斬り裂く。

 そのまま滑り込むようにして、ゲドの横を通り過ぎる。

 背後を取った。ゲドが振り返るよりも速く、その背中をユキムラで貫く。

 

「ぎびっ!!?」

「……っ」

 

 手に残る嫌な感触。

 しかし、ゲドは異常な回復力を有している。生半可な攻撃では意味がない。

 急所はギリギリ外している。死にはしないだろう。願わくば、このまま戦闘不能になってほしいが──。

 ぞわり、と背中に氷柱を突き立てられたような感覚が走る。

 何か、来る──!!

 とっさに身を引こうとしたその時、ゲドの背中に血の花弁が咲いた。

 腹の底から鉛が込み上げるような感覚。口から血が溢れ出す。

 目線を下に落とす。

 無骨な爪が自分の腹部を突き刺していた。

 

「ひぅひ」

 

 肩越しに振り返ったゲドは、醜悪に口元を緩めていた。

 その背中からは、自分の腹部目掛けて真っ直ぐに爪が伸びている。

 まさか、自分の体を貫いてまで……!

 無茶苦茶だ。タガの外れたその執念に、言い知れぬ恐怖を覚える。

 

「びぅぅうひひひ!! くそみそになるまでころしてやるよおおおおお!!!」

 

 ゲドが乱暴に爪を引き抜く。

 傷口から血が流れ出る。今更になって、尋常ではない痛みが襲う。

 ユキムラを握る手から力が抜け、次第に全身から力が抜けていく 。立つこともままならなくなり、地面に崩れ落ちる。

 ゲドは自分の背中でも容赦なく爪を引き抜いた。血が溢れ出るが、それを気にした様子はない。

 今度は背後に手を回し、刺されたままでいるユキムラを引き抜く。そして、無造作に投げ捨てる。

 

「その次はリリルカ・アーデだ」

「!!」

 

 呟くような言葉だが、嫌に耳に残った。

 自分がここで負けたら、次はリリルカが殺される。いや、もしかしたらヘスティアたちも。

 負けられない。自分がここで負けたら、大切な人たちが殺されてしまう。絶対に負けられない!

 この危機的な状況がトリガーとなったのだろう。ベルの内側から鐘の音が鳴り響く。次第にその音は大きくなっていき、ゲドは眉を顰める。

 英雄願望、起動。全身が青白い光に包まれる。

 

「っ……! ぅぅぐう……!!」

 

 痛みを堪え、立ち上がる。

 アリマとの稽古を思い出せ。この程度の傷で立ち上がれないなんて、情けないことは言えない!

 立ち上がるベルの姿を見て、ゲドが悲鳴のような声をあげる。

 

「何だよ、それは…… 何で傷が治っていやがる!? 普通の人間のてめえが、どうして!!」

 

 ベルの腹部の傷口が急速に塞がっていく。

 どうしてそんな現象が起きているのか、自分でも分からない。だが、そんなのはどうでもいい。守れる力があるなら、それを使うだけだ。

 

「殺させない…… 奪われてたまるかっ!」

 

 背中にある鞘からヘスティアナイフを抜き取る。

 

「……死んで!! 死んで欲しいよおおおおおお!!!!」

 

 ゲドが半錯乱状態で突っ込んでくる。

 ナイフを胸の前に構えながら、駆ける。英雄願望の恩恵なのか、これまでとは比較にならない速さだ。

 ゲドの懐に潜り込む。

 ゲドは距離感を掴み損ね、一瞬だけ体が硬直する。その一瞬があれば十分だ。

 地面を蹴り、ゲドの腹にナイフを突き立てる。そのまま体ごとぶつかり、ゲドを吹き飛ばす。

 

「っっっ!!!!! あああああっ!!! ああああああああ!!!」

 

 ゲドは仰向けに倒れながら、耳を塞ぎたくなるような醜悪な叫び声を発した。立ち上がろうと手を地面につくが、ずるりと滑る。ダメージを受けすぎて、既に起き上がれるだけの力を使い果たしてしまったのだろう。

 息を切らして、思わず地面に座り込む。

 どうにか勝てた。本当に、本当にギリギリで勝ちを拾えた。

 ふと、腹部に手を当てる。傷痕こそ残っているが、傷口は完全に塞がっている。

 新たなスキルに目覚めたのか、それとも魔法なのか。気にはなるが、悠長に考えている暇はない。

 まだ、敵が1人残っている。確か、赤髪の女性だった。フィンが戦っているはずだ。

 まだウチデノコヅチの効果が続いている間に、フィンの加勢に向かわなければ。休みを欲する体に鞭打ち、立ち上がる。

 

「見上げたものだな。ゲドを倒したのか」

「!!」

 

 上の方から声がした。

 見上げると、赤髪の女性── レヴィスが建物の上にいた。まさか、フィンが負けてしまったのか──。

 

「ベル君!」

 

 ベルの思考を遮るように、フィンの鋭い声が響いた。

 声のした方を向くと、フィンがこちらに走っていた。ポーションを無事に使えたのか、右腕に傷はない。

 

「フィンさん、無事で良かった……!」

「君も無事で良かった」

 

 フィンがベルの隣まで来て、立ち止まる。

 

「すまない、あの女を抑えきれなかった……!」

 

 フィンが悔しそうに言う。

 レヴィスは建物から降りると、ゲドに近づいた。ゲドを連れて逃げる気なのだろう。しかし、迂闊に近づけない。

 

「無様だな」

「うるせえ…… それより肉を寄越せ……」

「まだ戦う気なのか? 私たちの役目はもう終わった。帰還するぞ」

「知るか、あのガキをぶっ殺すんだよ!」

「……そうか」

 

 レヴィスは溜め息を吐くと、歪な形をした剣をゲドの胸に突き刺した。

 

「っぉば?」

「!!」

 

 この場にいる誰よりも、ゲドは信じられないといった表情でレヴィスを見る。レヴィスの目は、ただただ冷たかった。

 

「使えないようなら、切り捨てても構わないと言われている。どれだけ強くても、こちらの指示に従わない駒は必要ない」

 

 容赦なく剣を引き抜き、刀身にこびり付いた血を斬り払う。

 

「何、で…… 俺、俺は……」

 

 ゲドは上空に右手を伸ばす。その右手の指先が白い灰になり、ボロボロと崩れ落ちる。

 

「誰、か……」

 

 体の端から白い灰になり、とうとう全身まで侵食した。残ったのは、地面に散らばる大量の白い灰だけだった。

 フィンの元に行く途中、ゲドが何人もの住民を殺したという話を聞いた。リリルカを殺そうとしたこともある。だから、こんな男に同情する気はない。

 同情する気はないが、どうしようもなく哀れに見えた。

 

「……役目と言ったな。他にも仲間がいるのか?」

 

 レヴィスの言葉を注意深く聞いていたフィンが、そう問いかける。

 

「ふはっ」

 

 レヴィスが自嘲するように笑った。

 

「仲間ではない── 王だ」

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 バベルの最上階。その階丸ごとが、美の女神フレイヤの私室である。

 オラリオの最も高い場所に座す彼女は、まるでオラリオに君臨する女王のようだ。事実、このオラリオで最も力のあるファミリアである。

 彼女の私室に立ち入れる者は、オッタルを筆頭としたごく僅かだ。しかし、今日は最初で最後であろう招かれざる客が来ている。普段より何十倍も厳重なはずの護衛を蹴散らした男が。

 その男の名は──

 

「久しぶりね、アリマ」

 

 キショウ・アリマだ。

 相変わらずの無表情で、右手にはIXAを、左手にはナルカミを握っている。どう見ても、話し合いに来た雰囲気ではない。

 

「どうしてここに来たのかしら? 私の前に、会うべき子がいると思うのだけれど?」

 

 口調こそ穏やかなものの、フレイヤの目は少しも笑っていない。

 

「ベル・クラネルの魂が濁っていたわ。あんなに白くて綺麗だったのに、今は灰色になっていた。原因は言うまでもない。貴方があの子を裏切ったからよ」

「……」

 

 アリマは何も言わない。ただ黙って、フレイヤの目を見据える。

 

「本当に何も話してくれないのね。ロキが貴方を持て余す理由、分かった気がしたわ」

 

 神威も、魅了も、何もかもが効かない。腹立たしく、それ以上に恐怖を覚える。

 アリマと初めて出会ったとき、フレイヤはアリマの魂は鉄のようだと評した。

 しかし、それは間違いだった。鉄のような魂ではない。魂のような鉄だ。その在り方は美しく、歪だ。

 

「護衛の子たちはどうしたの?」

「……」

「答えろ、白い死神」

 

 明確な怒気を含んだその言葉にも、アリマは表情一つ変えない。

 

「しばらく寝てもらっている」

「……そう。なら、貴方がここに来たのは私だけを殺すためなのかしら? イシュタルと同じように」

「いや」

 

 アリマは否定の言葉を発した。

 

「お前のファミリアを潰しに来た」

 

 アリマは冗談を言わない。彼と少しの間でも話した者なら、すぐに理解できる。

 つまり、アリマは本気でフレイヤファミリアを潰す気でいる。

 

「正確に言えば」

 

 アリマがそう言葉を続け、真後ろにナルカミを振るった。

 金属がぶつかり合う音が響き渡る。

 アリマの背後にいたのはオッタルだった。刃が二つの、身の丈もある巨大な剣で、ナルカミの刀身を受け止めている。

 

「アリマ……!」

「お前を潰しにだ」

 

 不意打ちを仕掛けるはずが、先制された。音も、気配も、完全に絶っていたはずなのに。どうやって背後から近づいたのに気づいたのだろうか。

 そして、この重い斬撃。剣を握る腕が痺れる。あんな細い腕のどこに、こんな力があるのだろうか。

 

「っ!?」

 

 アリマは間髪入れずにIXAを振るう。

 オッタルは後ろに跳び、どうにか刃から逃れる。踏み込んだ地面を砕き、音すら置き去りにする速度だ。

 首にそっと手を当てる。そこには一筋の赤い線が引かれ、血が流れていた。

 完全に逃げ切れていなかったのだ。

 

「フレイヤ様……」

 

 オッタルはフレイヤに目配せをする。

 

「ええ、分かっているわ。私がいたら戦えないんでしょう?」

 

 フレイヤはソファから立ち上がり、オッタルの後ろを通って部屋の出口へと向かう。

 

「オッタル、勝ちなさい。勝って、私の元に帰って来て」

「……仰せのままに」

 

 フレイヤはすれ違う一瞬、女神の名に違わぬ優しくも美しい声で、オッタルの耳元にそう呟いた。

 フレイヤが部屋から出る。

 アリマはそれに一瞥すらせず、オッタルだけに意識を向けている。言葉の通り、アリマの狙いはフレイヤではなく、オッタルなのだろう。

 

「久しく忘れていた。全身全霊をかけ、立ち塞がる強大な敵と剣を交える悦びを」

 

 だから、それを思い出させてくれたことに、ほんの少しの感謝を。

 オッタルは剣を構え、射抜くような眼をアリマに向ける。

 オッタルの言葉を聞いても尚、アリマは眉一つ動かさない。だが、それでいい。紡いだ言葉も、これから紡ぐ言葉も、全て独り言のようなものなのだから。

 オラリオで最強なのは誰か。そう問いかければ、誰もがアリマかオッタルのどちらかと答えるだろう。しかし、どちらが強いのかと問えば、誰もが口ごもるだろう。

 それが今日、とうとう決まる。この戦いに勝利した者が、真のオラリオ最強の称号を得ることになる。

 

「……貴様が何を考え、何を成そうとしているのかは知らん。だが、そんなことはどうでもいい。アリマ、お前は俺が倒す!」

 

 その言葉と同時に、地面が爆ぜた。

 刹那に何百何千もの斬撃が交ざり合う。

 一流と呼べる冒険者がこの光景を見ても、あちこちで生じる剣が交わる衝撃と音しか感じないだろう。

 2人の動きを目で追える者が、果たして何人いるだろうか。

 アリマはオッタルから距離をとり、四つに分割されたナルカミの刃を向けていた。その中心には、眩い光の球が形成されている。

 雷撃が来る──!

 オッタルは反射的に跳び退く。

 

「ナルカミ」

 

 蒼雷が猟犬のように宙を駆ける。

 膨大なエネルギーは地面を割り、壁を砕く。鋼のごとき防御力を誇るオッタルでも、この雷撃をくらえばひとたまりもない。それなのに、自動追尾するとは何の冗談か。

 降り注ぐ雷を紙一重で避けながら、アリマとの距離を詰める。

 そのまま剣を振り下ろして── アリマに届く前で、止まった。

 目を見開き、目の前で起こった現象に戦慄を覚える。この男は、糸のように細い刃先を、IXAで刺突したのだ。どれだけの動体視力と、どれだけの緻密な操作技術があればこの神業を成せるのだろうか。

 次の瞬間、オッタルの首を狙って刃が走った。咄嗟に剣を戻して、どうにか受け止める。アリマは一瞬でナルカミを近接形態に切り換え、オッタルに斬りかかったのだ。

 ナルカミの斬撃に力がない。このまま弾こうとした時、オッタルの本能が囁いた。この攻撃、まるで囮のような──。

 IXAの切っ先が消えているのを、目の端で捉えた。

 ぞわり、と足下から嫌な感覚が背中を走る。

 後方へ跳ぶと、先ほどまで立っていた地面から漆黒の杭が突き出た。

 これは、IXAの遠隔起動──!

 追撃をしかけようと、アリマが動く。

 

「はあっ!!」

 

 このまま接近させる気はない。

 抉るように、地面に剣を振り下ろす。

 地面が砕け、瓦礫が生じる。それらが剣を振り上げる勢いに巻き込まれ、散弾のように前方に発射される。

 人理を超えた力で撃ち出された瓦礫は、音速を超え、必殺と呼べる威力となって襲いかかる。下層のモンスターであろうと、ろくに反応できず、その肉体を砕かれるだろう。

 しかし、アリマは目にもとまらぬ速度でナルカミを振るい、全ての瓦礫を斬り落とす。

 足を止めるにはまだ足りない。しかし、それでいい。少しでも足を遅くできれば、それで十分だ。

 地面を砕くほどの踏み込みが、生涯最高の加速を生み出す。音も、景色も、何もかもを置き去りにする。一瞬にしてアリマとの間合いを詰めたと同時に、剣を振り下ろす。

 アリマはオッタルの超加速に対応し、剣をナルカミで受け止める。

 オッタルのスキル、猪突猛進(ギアシフト)。戦う時間が長引けば長引くほど、それに比例して戦闘能力が向上するというスキルだ。その性質上、能力が大幅に向上するまで時間がかかるが、それ以外に大きなデメリットはない。隙のない強力なスキルと言えるだろう。

 Lv7にランクアップしてから、ここまで長く戦い続けたのは初めてだ。それなのに、アリマは完全に対応している。強さの底が依然として見えない。

 ──しかし。

 

(異様な間合い……)

 

 鍔迫り合いながら、アリマの一挙一動に全身全霊で注意を払う。

 ずっと感じていた違和感。

 当初こそ、違和感の正体は霧のように捉えられなかったが、今になってやっと掴みかけてきた。

 

(違和感の正体は…… 目か!)

 

 アリマは右目側を庇うようにして、常に一定の間合いを保っている。

 

(この男…… まさか!)

 

 オッタルはある可能性に思い至る。もしそうなら、攻略の糸口になるだろう。

 アリマの右手が動いた。IXAの刀身が戻っている。

 首を傾けると、IXAの黒い切っ先が喉笛のあった空間を貫いた。

 アリマはオッタルの体勢を崩れたのを見逃すはずもなく、ナルカミでオッタルの巨体を吹き飛ばす。

 なんて苛烈な攻撃。立ち止まる暇すらない。

 だが、負ける気はない。

 地面に足が着いたと同時に、向かって左側── アリマの右目の側から回り込むように動く。猪突猛進(ギアシフト)により、その速さは更に増している。アリマといえど虚を突かれたはずだ。

 

(貴様の唯一の弱点…… それは死角!)

 

 アリマの背後に回り込むことに成功した。

 アリマはまだこちらを向いていない。予想通り、反応にラグがある。

 このまま一撃叩き込めば、勝てる──!

 

「づ!!??」

 

 ぱすっ、という音がした。

 左側の世界が黒で塗り潰される。続いて、眼窩が焼けるような痛みが疼く。

 斬られたと理解するのに、時間はいらなかった。

 

「読んっ……!!」

 

 アリマは前を向いたまま、背後にナルカミを振るっている。

 こちらを一切見ずに、的確に目を抉った。アリマは読んでいたのだ。オッタルが右目側から接近することを。

 動け、追撃が来る!

 オッタルの思いとは裏腹に、足はピクリと動かない。左目を潰された痛みで、体が完全に硬直してしまっている。

 

「ごぼっ」

 

 アリマはそのまま振り返り、体勢を崩したオッタルの首をナルカミで貫いた。

 オッタルの口から血が溢れ出る。

 致命傷だ。もう、戦えない。

 

「その目でよくやる……」

 

 掠れた声でアリマを賞賛する。しかし、アリマは何も言わずに、ただオッタルを見つめる。

 今日、オラリオ最強が誰なのか決まった。しかし、アリマの目は一切の感情を映していない。達成感も、喜びも、そんな感情は微塵もなかった。

 この男にとって、自分は敵以外の何者でもなく、それ以外の感情なんてなかったのだろう。

 

「すみません、フレイヤ様。不敬な私を、どうかお許しください」

 

 アリマはナルカミに魔力を注ぐ。ばちり、と刀身に雷が跳ねる。

 眩い光がオッタルを包み込んだ。

 光が収まる。オッタルは地面に膝を突き、そのまま力なく倒れた。

 アリマは無言でオッタルは見下ろす。

 数秒すると、アリマは背を向け、そのまま歩き始めた。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 ギルドのとある一室。

 エイナはオラリオで巻き起こったテロの被害報告書をまとめていた。

 元冒険者ゲド・ライッシュの無差別殺戮により、30名余りの市民が犠牲になってしまった。被害者に女子供の区別はなく、殺害現場は凄惨の一言だったらしい。

 ゲド・ライッシュは捕まることなく、共犯者である赤髪の女に殺害された。白い灰となり、遺体は残らなかったらしい。

 赤髪の女はゲド・ライッシュを殺した後、逃走した。

 彼らと戦っていたのはロキファミリアの団長であるフィン・ディムナと── ベル・クラネルだ。

 彼の名前を聞いたとき、エイナはあまりの衝撃で心臓を締め付けられるような錯覚を覚えた。

 ベルはこのまま、過酷な運命に巻き込まれていくのではないか。

 脳裏に、初めてギルドに来たときのベルの顔が浮かぶ。誰よりも英雄に憧れて、真っ直ぐな少年だった。それなのに、どうして──。

 赤髪の女と、ゲド・ライッシュの犯行の目的は陽動だった。赤髪の女の言葉によると、王のためらしい。

 エイナはもう一つの資料を手に取る。

 同日に起きた、二つの事件。アイズ・ヴァレンタインを始めとしたロキファミリアの団員の襲撃。そして、フレイヤファミリアの襲撃。この事件の犯人は、いずれも白い死神── キショウ・アリマである。

 ある冒険者が、ダンジョンの入り口でアイズたちが気を失っているのを発見した。アイズたちは強い電撃により意識を断たれただけで、外傷はなかった。

 しかし、ラウル・ノールドと、ティオナ・ヒリュテの二名が失踪してしまった。真相は分からないが、アリマに連れ去られたと推測される。

 アリマはかつての仲間を襲撃した後、バベルの最上階に侵入した。

 主神のフレイヤと、彼女の護衛に就いていた20名の冒険者たちは無事だった。いや、見逃したという表現が適切か。

 しかし、アリマと直接戦ったオッタルは、意識不明の重体である。体の神経のあちこちが電撃によりズタズタにされ、仮に意識が戻ったとしても、冒険者を続けるのは不可能らしい。

 アリマはオッタルを倒した後、再び姿をくらました。

 赤髪の女たちの騒ぎにより、バベルの最上階で起きた異変への対応が遅れてしまった。状況からして、彼らの王は──。

 誰もが不安に駆られている。これから先、何が起こるのか。アリマと、彼の仲間らしき者たちは何をするつもりなのか。

 アリマを倒せる可能性があったのは、猛者だけ。彼が倒れた今、アリマを止めれる者は誰もいない。

 

「アリマさん……」

 

 エイナはそう呟き、強く紙を握る。くしゃり、と紙にシワができる音が響いた。

 嘘だったのだろうか。ロキファミリアの冒険者として生きていた時間は。

 嘘だったのだろうか。まるで父親のようにベルと接していた時間は。

 書類の上に、ぽつりと一粒の涙が落ちた。




 感想・評価ありがとうございます!
  土 ヽ    ─ー、
  (丿 ) れ   _ /


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

腐る鳥木

 闇の底に沈んでいたかのような眠りから目を覚ます。

 冷たい石造りの屋根が辛うじて見える。

 ベッド代わりに敷いた布から体を起こす。

 無機質な灰色の壁に、ぽつりとある扉。まるで独房のように、家具も何もない。だけど、今の俺には相応しい。

 部屋から出て、薄暗い廊下を歩く。少し先は暗闇で、かなり不気味な感じがする。光源が壁にある燭台の蝋燭の火だけというのもあるが、一番の理由は俺の右目の機能が完全に喪失しているからだろう。

 右目に違和感があるのは、何週間も前からだった。最初は、視界の中央に小さな点があるだけだった。しかし、日にちが経つにつれて、その黒い点は大きくなった。

 緑内障だと気づくのに、そう時間はかからなかった。

 有馬さんと同じ病に罹ったことに、喜びと同時に悲しみを覚えた。

 運命の悪戯なのか、俺は有馬さんと瓜二つの容姿で生まれてきた。常人に比べて早く死ぬという特徴も受け継いで。

 俺が死ぬことは別にいい。ずっと昔に覚悟はできている。だが、現在進行形でこの肉体が朽ちていくのは、思ったより精神にくる。有馬さんが死んでいくのを、誰よりも近くで見ているような気分だ。

 オッタルと戦った時には既に、右目は何の像も映さなくなっていた。そんな状態で鯱と戦った有馬さんは、改めて化け物染みた強さだと実感した。オッタルと俺の間に、大きな身体能力の差はない。だからこそ、片目が塞がっていても勝てたと思っている。もしも有馬さんと鯱のように、身体能力に種族の壁があったらどうなっていたか……。

 ベル君と戦う頃には、左目もほとんど機能しないという確信がある。既に、左目の視界も小さくだが欠落している。

 そんな状態でベル君と戦えるのか、少しだけ不安だ。最後の戦い、ベル君は確実にオッタルよりも強くなっているはずだから。

 しばらく歩くと、扉の横の壁に背を預けているレヴィスの姿が見えた。

 

「やっと来たか、アリマ。時間ギリギリだぞ」

 

 その目には若干の非難の色が見えた。時間ギリギリに来たことに苛立っているのだろう。

 けれど、それよりもこいつの格好の方が気になって仕方がない。股関節が余裕で見えてるんだが。毛がはみ出ても知らんぞ。

 レヴィス、こんな格好で俺よりも年上なんだよな。救えねえわ。

 

「行くぞ、王がお待ちだ」

 

 レヴィスが扉を開ける。彼女に続いて、俺も部屋の中に入る。

 俺の部屋に負けず劣らず、殺風景な部屋だ。だが、部屋の奥には玉座があり、左右には灯りの点いた燭台が佇んでいる。

 俺たちは玉座の前まで歩き、そこで足を止める。

 肘掛けがあるだけの石造の椅子で、玉座と呼ぶにはあまりにお粗末な完成度だが、それでも俺たちはこれを玉座と呼んでいる。

 今、この椅子に座っている男が俺たちの王なのだから、そう呼ぶ他ない。

 蝋燭の灯りが、フードの中の男の顔を仄かに照らす。短くまとまっている黒髪。精悍な顔つき。そして凛々しい眉毛。外見はハンサムなおっさんで、東京喰種の登場人物では亜門さんに近い。

 

「レヴィスに、キショウ…… よく来たな」

「ご健在のようですなによりです、ヴィー様」

 

 レヴィスはお辞儀をする。俺はその傍ら、目の前にいる男を見据える。

 この男の名はヴィー。有馬さんが所属していた組織と同じ名だ。奇妙な運命だと、改めて思う。

 

「レヴィス、被験体はどうだった?」

 

 被験体とはつまり、ゲド・ライッシュのことだ。どうやら、かなり無茶な耐久テストをされたらしい。それが原因なのか、いつの間にか白髪に変わっていた。

 まさか、リリ山さんに良からぬことをしようとしたあの小者が怪人になっているなんて、思いもしなかった。

 

「はい、戦闘能力については問題ないかと。フィン・ディムナ、そしてベル・クラネルを相手にも善戦していました。黒翼、そして爪の生成も確認できます」

「……」

「何だ、仮初めの仲間たちのことが気になるのか?」

 

 こいつらの役目は注目を集めること。それなのにベル君たちと交戦する流れになったのは、運命と呼ぶ他ない。初めにそう聞いたときはかなり驚いた。

 ベル君がゲドをぶっ倒したそうだが、アレを相手によく勝てたと思う。ゲドの戦い方はお粗末の一言に尽きるが、身体能力は上位冒険者とタメを張れるほど高い。俺の見立てでは、Lv5にならなきゃ勝ち筋はないと思っていたのだが……。

 ベル君の成長を嬉しく思う。俺がいなくとも、こうして強くなってくれる。

 あと、仮初めの仲間と思ったことはない。現在進行形で裏切っている俺が言うのも何だが。

 

「俺の血をモンスターに与えれば、その力を大幅に引き上げることができる。やはり怪人であろうと例外ではなかったか」

「仰る通りです。しかし、最終的には私の指示にも従わなかった上に、随所で著しい錯乱が見受けられました。完全にコントロールするのは難しいかと」

 

 この男はオラリオ全体で見ても突出して強い。本気で戦ったことはないから何とも言えないが、オッタルよりも強いのは間違いない。

 それが理由なのか、この男の血をモンスターの魔石にかけると、魔石の薄紫色が極彩色に変化し、大幅なパワーアップを果たす。加えて、与えられた血の量が多ければ、ヴィーと同じ体質になってしまう。ここまでくれば強化というより、侵食といった方が正しいか。

 ロキファミリアとの遠征で現れた芋虫型のモンスターも、中階層で現れたビオランテも、この男の血を分け与えたことによって生み出された。

 芋虫型のモンスターは、下層にいるモンスターにこいつの血を与えれば、どれだけ強くなるのかという実験に過ぎない。俺たちロキファミリアは運悪く、その実験に巻き込まれたわけだ。

 しかし、ビオランテは事情が少し違う。

 ヴィーは喰種のように、人肉しか食えない。この性質は、ヴィーの血を大量に摂取したゲドにも現れている。

 ダンジョンにある死体や、異端児の存在に勘付いた運悪い冒険者を食料にしている。ダンジョンで遺体が消えたり、遺品一つ残すことなく行方不明になるのは、全てこの男が原因だ。

 フィンがこのことに違和感を覚えたときは、バレるんじゃないかとドキドキしたものである。

 フィンがこのことを嗅ぎ回れば、可能性は低いが異端児の存在に勘付いてしまうかもしれない。万が一にもそうなったら、非常にマズイ。半喰種に成り立てのカネキ君が有馬さんと戦うように、ベル君との戦いがクソゲーにしかならない。

 何にせよ、不安の芽は早めに摘むのに越したことはない。フィンの疑いの矛先を逸らすため、レヴィスにカモフラージュとして仕掛けてもらったモンスターという訳だ。

 

「そうか…… だが、その方が都合が良いかもしれないな。闇派閥の人間どもの頭が半端に回るより、ずっといい」

 

 いつからか知らないが、ヴィーは闇派閥の人間と手を組んでいる。

 まあ、両方とも利用するだけ利用して、使い捨てる気満々だが。闇派閥は単なるパワーアップ手段、ヴィーは戦力の水増し程度にしか思っていない。

 闇派閥の奴らは割と救えない屑ばかりだから、特にどうにかしてやる気はない。まあ、利用されるだけされて、使い捨てられればいいんじゃねえの?

 

「では、奴らにも血を?」

「ああ、全員に分け与える。これからは少しでも戦力が必要になるからな。引き続き、素体たちの管理を頼む」

「お任せください」

 

 レヴィスは膝を地面に突き、深々と頭を下げる。大した忠誠心だ。

 闇派閥のやつらは、この建物の別の部屋で待機している。そいつらを監視、そして指示を与えるのはレヴィスの役目だ。

 

「キショウ」

 

 レヴィスとの話はこれで終わりなのか、ヴィーが俺に視線を移す。

 

「猛者の件について一つ聞きたい。何故、奴を殺していない? お前が敵を殺し損ねるなど、考えられん」

「……殺す必要がないと判断しました。あれはもう戦うことはできません」

 

 これは本当だ。ナルカミでオッタルの神経をズタズタにした。あの頑丈さなら日常生活を送れるまで回復するかもしれないが、冒険者として戦うのは不可能だ。

 殺す必要がないなら、殺さない。楽しませてくれたせめてもの礼だ。オッタルとの戦いは久し振りに血が滾った。

 

「甘い。万が一にも、猛者が戦線に復帰したら厄介だ。計画は何があろうと成就させなければいけない。俺たち異端児が人間に何をされたか実際に目にしていないから、お前はそんなことが言える」

 

 俺の言葉を切り捨てるように、ヴィーはそう断言する。あれだけやってまだ甘いと言われるとは。

 この男は外見こそ人間とそっくりだが、その正体はモンスターだ。ただ、普通のモンスターとは違い、人語を司るほどの知能がある。誰が名付けたのか、そういった存在は異端児と呼ばれている。

 異端児はこの男の他にも存在する。蜥蜴男やら、竜人やら、その種族は千差万別だ。そういえば、つい最近牛の異端児が仲間に加わったとか……。

 得てして、そういった存在は人間に迫害を受けやすく、異端者も例外ではなかった。

 

「全ての人間が悪いとは言わない。しかし、この世界を歪めているのは間違いなく人間だ。それを忘れるな」

「……はい」

 

 込められた感情が憎悪とも悲哀とも言える、とても複雑な声色だった。ヴィーが人間から受けた仕打ちを考えれば、それも納得できるが。

 

「俺からの話は以上だ。もう下がっていいぞ」

「はっ」

 

 玉座の間から出ようと、扉へ歩く。

 

「キショウ、隠れ里に顔を出してやれ。皆が会いたがっていたぞ」

 

 扉を潜る瞬間、そんな言葉を聞いた。

 そういえば、ずっと長いことあいつらに会っていねえなあ。死ぬ前に顔を出しとかないとな。そうじゃないと、あの世でどやされそうだ。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 オラリオの廃教会。

 ベルは長椅子の端に座りながら、燻んだ色をしたステンドグラスを見る。長い時間、ずっとこうしている。

 ゲド・ライッシュとの激闘を終えたその日、ベルはLv5にランクアップした。

 ステイタスは耐久がSSSで、それ以外はSSまで伸びていた。この短期間で、異常なほどの成長。それだけゲド・ライッシュとの戦闘は苛烈なものだった。

 そして、新たに発現したスキル。その名は躯骸再生。傷が高速で再生するというスキルだ。どれだけ深い傷を治せるかは分からないが、少なくとも腹部を刺されるくらいなら余裕で再生できるようだ。

 気づけば、ここまで強くなっていた。こんなに早くロキファミリアの第一級冒険者たちと肩を並べるなんて、昔の自分は思いもしなかっただろう。

 確実にアイズに、そしてアリマに近づいている。それでも、ランクアップを喜ぶような気持ちにはなれなかった。

 

「ベル君、まだそうしてたのかい?」

 

 地下室に繋がる階段から、ヘスティアがひょっこりと姿を現した。

 

「神様」

 

 胸の内に渦巻く感情を押し殺し、笑顔を作る。鏡があれば、さぞぎこちない自分の笑顔が映っているだろう。

 ヘスティアも微笑み返し、右隣に座る。

 

「オラリオの外は大騒ぎだよ。いつ白い死神が襲ってくるか分からないって、ここから離れる人もいるみたいだ」

「仕方ないと思います。あんなことが起きてしまったら……」

 

 惨劇の爪痕を思い返す。

 辺り一面に飛び散った血。物のように打ち捨てられた人々の亡骸。目を瞑れば、その光景がハッキリと瞼の裏に浮かび上がる。

 心臓が締め付けられるような思いが奥底から湧き上がる。ヘスティアたち── いや、ベルの知っている人たちがああなっていてもおかしくないのだ。

 無意識の内に顔が険しくなる。ヘスティアが哀しそうに蒼い瞳を向けているが、ベルは気づいていない。

 

「神様、リリたちと一緒にオラリオから逃げてください」

「ベル君……?」

「僕が戦った怪人…… ゲド・ライッシュとは面識がありました。あいつは、僕の次にリリを殺そうとしていた。もしかしたら、別の怪人もそうしてくるかもしれません。情けない話ですけど、僕は神様たちを守れる自信がありません」

 

 ゲドはフィンと一戦を交え、既にかなりの深傷を負っていたらしい。

 もしも、と考え出したらキリがない。それでも考えてしまう。万全の状態のゲドと戦ったら、果たして勝てただろうか。

 

「……ベル君、君はどうするんだい? 僕たちと一緒に逃げてくれるんだよね?」

 

 ヘスティアは自分がどう答えるか分かっているような、そんな顔をしていた。

 

「僕は── 僕は、オラリオに残ります。アリマさんがどうしてあんなことをしたのか、それを知らないといけません」

 

 アリマがオラリオの敵になろうと、家族であることに変わりない。それに、アリマにここまで強くしてもらったのに、まだ何も返せていないのだ。このまま逃げることなんてできない。

 

「……嫌だ。ベル君を置いていける訳ないじゃないか」

 

 ヘスティアは真っ直ぐに自分の目を見据えて、そう言った。

 彼女は誰よりも優しい。だから、そう答えることは予想できていた。

 両手を強く握る。この街に残らせるくらいなら、強引にでも──。

 

「ベル様」

「!?」

「ほあっ!?」

 

 思わず声をかけられた方に目を向ける。

 ヘスティアとは反対の左隣に、リリルカと春姫がちょこんと座っていた。

 

「リリに春姫さん、いつの間に……?」

「ついさっきですかね。オラリオから逃げてください、辺りからいましたよ」

「ご、ごめんなさいベル様。話しかけるタイミングを失ってしまって……」

 

 かなり長く隣に座っていたようだ。

 普段なら隣に座られるよりももっと前、地下室から出た時点で2人の気配に勘付けるはずなのに。

 自分が思っているよりも、今回の事件で相当参っているみたいだ。

 

「全部聞いていたんなら、話が早いね。2人とも、神様と一緒に逃げてほしい」

「すみません、お断りします」

 

 リリルカに間髪入れずに拒否された。

 現実主義らしからぬ彼女の答えに少々面食らいながらも、口を開く。

 

「だけどリリ、あの怪人は君を狙っていたんだ。また同じことが起きないとも限らない──」

「ベル様、リリはアリマ様の言葉にも救われました」

「……アリマさんの言葉?」

「君にはまだ膨大な未来がある。そう言って、リリが本当にやりたいことを、ベル様のサポーターとして生きていくことを後押ししてくれました」

「あのアリマがそんなことを……」

「アリマ様がこんなことをしたのにも、何か理由があるはずです。あるに決まっています。今度はリリが、アリマ様に何があったかを聞いてあげたいんです。そ・れ・に! ベル様を置いて逃げる気なんて更々ありません!」

「っ……」

 

 リリルカの決意に満ちた言葉に、何も言い返すことができない。

 

「私もリリルカさんと同じ意見です」

「春姫さんまで……」

「ウチデノコヅチを使える私なら、きっと役に立つはずです」

 

 その言葉を否定することはできない。

 ウチデノコヅチがあったからこそ、ゲドと戦うことができたのだ。

 

「前はこんな魔法なんていらないと思っていました。だけど今は、この魔法で少しでもベル様の力になりたいんです」

「本当にいいんですか、春姫さん? アリマさんとは一度も会ったこともないのに……」

「確かに私はアリマ様とお話ししたことはありませんが、ベル様がそこまで大切に想っている方なら、良い人に決まってます」

 

 本心で言っているのだろう。その顔には迷いがない。

 ふと、ドアをノックする音が響いた。誰かが訪ねに来たようだ。

 もしも敵だったら。全員の顔に緊張が走る。

 

「……僕が出ます」

 

 ベルはヘスティアナイフを握る左手を背後に隠し、そっと玄関の扉を開ける。

 

「よっ、ベル。久しぶりだな」

「ヴェルフ!?」

 

 扉の向こうにいたのはヴェルフだった。

 

「急に訪ねて悪かったな。でも、どうしても伝えたいことがあるんだ。今日、大丈夫か?」

「うん、全然大丈夫だよ」

 

 ヴェルフが教会の中に入る。

 ヴェルフの顔を見た途端、リリルカとヘスティアは安堵の表情を浮かべた。

 

「何だ、ヴェルフ様でしたか……」

「何だとは何だ、リリ山」

「リリ山……?」

「春姫様は気にしなくていいです!!」

「は、はい……」

 

 これ以上リリ山と呼ぶ者を増やしたくないのか、リリルカは鬼気迫る表情で話の流れを断ち切った。

 

「それで、恐縮ですがこの方は?」

「あっ、そういえば初対面だったね。この人はヴェルフ。僕と専属契約している鍛治師なんだ」

「ヴェルフ・クロッゾだ。ヴェルフって呼んでくれ。ええっと……」

「申し遅れました。私、ヘスティアファミリアの家政婦を勤めさせていただいている、春姫・サンジョウノと申します」

「サンジョウノさんか。よろしくな」

「それで、何しに来たんですか?」

「改宗しに来た。ヘファイストスファミリアを抜けちまったからな」

「はあ!?」

 

 リリルカが驚きの声を上げるが、それも当然のことだ。事実、ベルも唖然としている。

 ベルが第一級冒険者の仲間入りをしたとはいえ、ヘスティアファミリアが弱小ファミリアであることには変わりない。その時点で入団したい者は限られる。その上、ヴェルフは鍛治系では最大手であるヘファイストスファミリアの所属だ。

 ヴェルフがヘスティアファミリアに改宗する理由が全く見当たらない。

 こんな反応をされると予想していたのか、ヴェルフは照れるように頬をかいた。

 

「最近さ、何をやっても身が入らないんだわ。命の恩人でもあるお前らが大変な目に遭ってるのに、こんなことしてていのかって思っちまってさ。だから、思い切って改宗することにしたんだ」

「ヴェルフ様……」

 

 入団の意思を聞き、ヘスティアは真剣な面持ちでヴェルフの前に立つ。

 

「本当にいいのかい? 僕のファミリアには、ヘファイストスの所みたいに鍛治のサポートなんてできないよ?」

「ええ、承知の上です。今こそ、俺はベルたちから受けた恩を返したいんです」

 

 見つめ合ってから数秒後、ヘスティアは満面の笑みを浮かべた。

 

「ありがとう、ヴェルフ君。そしてようこそ、ヘスティアファミリアへ。新しい家族として歓迎するよ!」

「こちらこそ、ありがとうございます!」

 

 ベルはこの展開に呆然としていた。

 オラリオから逃げるのを勧めたら、全員にそれを拒否され、しかも団員が増えることになった。

 どうして言う通りにしてくれないのかという気持ちもある。だけど、それよりもずっと大きな気持ちがこみ上げる。

 

「見ての通り、ベル君を置いてオラリオから逃げ出そうとする子なんて誰もいないよ」

 

 ヘスティアが両手を広げる。

 

「……ありがとう、皆」

 

 支えてくれる仲間たちがいる。それが何よりも嬉しい。

 いつの間にか、ベルの目の端には涙が溜まっていた。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 ダンジョンのとある階層。

 時折飛び出してくるモンスターを瞬殺し、迷路のように入り組んだ通路を進む。

 ここに来たのはもう随分と昔だが、どうやって進むかはハッキリと覚えている。

 暫くすると、かなり広大な空間に出た。草木が生い茂り、18階層を彷彿させる。道を間違えていないようで安心した。

 故郷と呼べる森に足を踏み入れる。

 

「おう、キッショーじゃねえか!」

 

 森の中を歩いていると、早速お出迎えがやって来た。

 ヴィーと同じ異端児。蜥蜴男のリドだ。ノリが軽いおっちゃんみたいな奴だが、それでも第一級冒険者に匹敵する実力を持っている。

 

「久しぶり、リド」

「キッショー、お前が全然顔を出さないから、皆寂しがっていたぜ? まあ、こうして顔を出してくれたからいいけどよ!」

 

 リドは笑いながら、俺の肩をバンバンと叩く。

 

「あの2人は無事に着いたか?」

 

 あの2人とはラウルとティオナのことだ。ダンジョンのその辺で寝泊まりさせる訳にもいかないし、ヴィーの根城に匿うのは論外だ。

 迷路の道筋はきちんと教えたし、ラウルもいるから大丈夫だと思うが……。

 

「ああ、あの2人か。ちゃんとここにやって来たぜ」

「様子はどうだ?」

「あの兄ちゃんは相変わらずの無愛想だけど、特に変わった様子はねえな。俺たちとも普通に接してくれてるよ。ただ、嬢ちゃんの方がなぁ…… まだ元気がない感じだぜ。なあキッショー、お前何をしたんだ?」

「……」

 

 心当たりはある。ありまくりだ。あの日の話のショックを、まだ引きずっているのだろう。

 

「答えられないなら別にいいけどよ、あの嬢ちゃんと腹を割って話してやれよ」

 

 事情を説明できない察してくれたのか、リドは早々に追求をやめてくれた。

 助かる。今後の計画と俺の身体のことは、まだ3人だけの秘密にしたい。

 

「色々話したいこともあるけどよ、そろそろ行こうぜ。チビどもも待ってることだしよ」

「そうだな」

 

 




 2週間も間が空きましたね。
 こんなんじゃ俺、執筆速度Cレートだよ……。
 どうぞスケアクロウ野郎とお呼びください。ごぼぼ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

借血

 

「2人に話したいことがある」

 

 アリマはそう言いながら、ジッと2人を見据えた。自分とラウルだけが残されたのはつまりそういうことだと、ティオナは朧げながらに察していた。

 

「俺の命はもう長くない」

「……は?」

 

 今、アリマは何と言った? アリマの言葉を理解してしまった瞬間、自分の足元がガラガラと音を立て、崩れ落ちるような感覚がした。

 アリマが死ぬ。ずっとずっと憧れていた、誰よりも強いアリマが。

 そんなことを突然言われても、受け入れることなんてできるわけがない。

 

「……な、何を言ってるの? こんなときに冗談を言うなんて、笑えないよ?」

 

 感情の色を窺わせないアリマの目は、このときだけ申し訳なさそうに揺らいでいた。

 

「ティオナ、アリマさんは冗談を言わない」

「っ!!」

 

 ラウルはいつも通り、淡々としている。

 しかし、ティオナにはそう振舞うことなんてできなかった。

 

「……お前、さてはニセモノだな! アリマが死ぬなんて嘘を言って、動揺させようと!」

 

 分かっている。本物だなんてことは。ロキファミリアの精鋭たちを一瞬で葬るなんて、アリマ以外にできるわけがない。

 それでも、そう言わずにはいられなかった。ほんの少しの希望にしがみつきたかった。

 

「すまない」

 

 アリマのたった一言。そのたった一言が、どうしようもない現実を突きつける。

 

「……どういう、ことなの? 全部話して、アリマ」

「ああ、勿論」

 

 アリマのこの話に、どうしてロキファミリアを裏切ったのか、どうして冒険者になったのかの答えが隠されている。ティオナはそう感じ取った。

 そしてとうとう、アリマの口が開かれる。

 

「俺は人間じゃない。モンスターと人の血が半分ずつ受け継がれている半人間だ」

「!?」

「異端児。知性のある、人と近しい存在のモンスターだ。彼らはこのダンジョンの奥に隠れ住んでいる。その内の1人が、俺の父だ」

「ま、待ってよ! そんなこと、急に言われても……」

「だが、俺自身は普通の人間と変わりない。少しばかり常人より高い身体能力と、短い寿命以外は。俺は、失敗作なんだろうな」

 

 モンスター。寿命。失敗作。アリマから語られる言葉の数々は、ティオナの許容範囲を優に超えていた。

 

「何故、先が長くないとお分かりなんです?」

 

 ラウルがそう尋ねると、アリマは視線を落とし、自分の右手をジッと見つめた。

 

「俺の右目は、最早何の像も映していない」

「……!」

「緑内障という。本来、老人がかかる病気だ。俺の肉体は既に老人のそれなんだろう。保ってあと2年…… いや、1年だろうな」

「そんな…… 1年だけなんて……」

 

 右目が見えないなんて、ずっと一緒にいるのに全く分からなかった。そんな状態なのに誰にも悟られず、冒険者としてひたすら戦っていたというのか。

 驚愕と共に、アリマの異変に気づけなかった自分に怒りを感じる。

 

「ティオナ、少しいいか」

 

 アリマがティオナに歩み寄る。そして、ジッとティオナの顔を見つめた。

 

「顔をよく見せてくれ。俺の左目も、徐々に機能を失いつつある。最期に、君の顔を一目見ておきたい」

 

 若くして徐々に、そして確実に朽ちていく肉体。それを体験するアリマは一体、どんな気持ちを抱えているのか。ティオナには想像できなかった。

 

「何で、そんなこと…… そうだよ、人間には無理でも、神様ならその病気を治せるよ! ロキにかけあえば、きっとどうにか……!」

「無駄だ。俺のこの体は病気じゃない。ただ、朽ちる寸前なだけだ。病気は治せても、人の寿命をどうにかすることはできないらしい」

「でも、冒険者になれば、寿命が伸びるって……」

「その結果がこれなんだろう。この体も、よく今まで保ってくれたと思う」

 

 気づけば、ティオナの頬には涙が伝っていた。今になってようやく、本当にアリマと向き合えた気がした。それが嬉しくもあり、悲しくもあり。

 

「どうしてそんな大切なこと、みんなに黙っていたの……」

「すまない。みんなに打ち明けることは、どうしてもできないんだ」

 

 アリマはさらに言葉を続ける。

 

「異端児たちの願いは、地上に出ることだ。そのために、俺の父は世界中の人間を屈服させようとしている。きっと人間は自分たちを受け入れることができないと、あらゆる手段で異端児を排斥するだろうと、あの男はそう考えている」

「では、アリマさんはその手伝いをするために?」

「ああ、その通りだ。力をつけるために、俺は冒険者に── ロキファミリアに入った。裏切るのは、最初から決まっていたことだ」

「アリマさんがロキファミリアを抜けた理由は分かりました。ですが、何故それを俺たちに話してくれたんです?」

 

 ラウルのその問いかけに、アリマは少しだけ黙り込んだ。

 

「……君たちの力を貸してほしい」

「……アリマさんの、本当の目的にですか?」

 

 アリマはこくりと頷く。

 

「俺は父のやり方に賛同していない。このままでは、人間側に多くの血が流れる。そんなことでは、人間と異端児は分かり合えない。きっと、戦いはいつまでも繰り返される。俺の本当の目的は、異端児と人間を共存させることだ」

「……それが、アリマの本当の目的」

「勝手な頼みとは分かっている。それでも──」

「分かりました」

 

 あっさりと、まるで普段のアリマの頼みを聞くように、ラウルはアリマの頼みを引き受けた。

 

「……ありがとう、ラウル」

 

 アリマは悲しそうに、それでいて嬉しそうに微笑んだ。

 

「いえ」

 

 ラウルは表情を崩さない。そのはずなのに、ティオナにはラウルが悲しんでいるように見えた。

 

「ねえ、アリマ。もう1つだけ聞いていい?」

「何だ」

「どうして私たちに、その話をしてくれたの? アイズたちにも話してあげた方が……」

「……2人なら、俺の頼みを引き受けてくれると思ったんだ。それに、アイズたちは人間側の戦力として必要だ」

 

 自分はアリマに信頼されているから、この場に立っている。

 アリマの命を懸けた覚悟。そして信頼。ティオナの答えは決まった。それを聞かされて、断れるはずなんてない。

 

「……私も、私もアリマを手伝う。だけどゴメン。ほんの少し、ほんの少しでいいから気持ちを整理する時間が欲しいの」

 

 アリマがロキファミリアから抜けた理由は納得がいくものだった。

 しかし、アリマが死ぬのは。寿命が残されていない点だけは、どうしても受け入れられない。

 

「ああ、ゆっくり考えるといい」

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 ダンジョンの18階層。その階層は数少ないセーフティーポイントであり、迷宮の楽園と呼ばれている。

 しかし、今この瞬間、楽園とはかけ離れた事態が巻き起こっていた。

 

「ははははは歯歯歯歯歯!!!」

 

 支離滅裂な言葉を呟きながら、幽鬼のような足取りで接近する人間。その腕には、爪のような物体が形成されている。

 勢いよく振り下ろされた爪を、リヴィラの街の顔役であるボールスは剣で受け止める。

 

「う、うわあああ!!!」

 

 複数の冒険者が闇派閥の人間に斬りかかる。肩から肺に、脇腹に、腕に、それぞれの剣が食い込んだ。

 それでも闇派閥の人間は倒れない。

 

「このっ…… 化け物が!!」

 

 体勢が崩れた隙に、力任せに押し返す。

 地面に倒れた闇派閥の人間は、すぐさま何事もないように起き上がった。

 突如現れた闇派閥の人間の襲撃。いや、人間と呼んでいいのか。全員が全員、酷く錯乱した状態で── まるで、オラリオを襲撃した実行犯の1人、ゲド・ライッシュのような状態だった。

 1人1人の力がLv3相当はある上に、化け物染みた回復能力を盾に無茶苦茶な攻撃ばかりしかける。

 アリマの襲撃に備えるために、名有りの冒険者たちがリヴィラに滞在している。数ではこちらが圧倒的に上だが、それでも戦況は闇派閥の人間に傾いていた。

 必然的に、リヴィラの街にいた冒険者たちは一箇所に固まった。どうにか守りを固めているが、それを破られるのも時間の問題だ。

 

「くそがっ……!」

「やばいですよ、ボールスさん……! 俺もう、体力が限界ですぅ……!」

「馬鹿野郎! 気張りやがれ、俺1人であんな化け物相手にできるわけねえだろ!」

 

 このままでは、殺される──。

 闇派閥の人間が再度襲いかかろうとしたその瞬間、闇派閥の人間が吹き飛んだ。そのまま地面を何度も跳ね、建物の壁にぶつかる。

 闇派閥の人間はそのまま起き上がらなかった。さっきの一撃で、簡単には回復できないダメージを負ったのだろう。

 

「大丈夫ですか!?」

「ベル・クラネル……」

 

 自分たちを救ったのは今やオラリオでも上位に食い込む実力者、ベル・クラネルだった。

 

「皆さんは下がっていてください! ここは僕が引き受けます!」

「おい聞いたかオメェら、尻尾振って退散するぞ!」

「「「へい!」」」

 

 一見薄情とも思えるほどの即断。

 ベルが来たということは、第一級冒険者たちもようやく加勢に来たということだ。撤退したのは、彼らの足手まといになると判断してのことだった。

 

「これも、アリマさんが……」

 

 ベルは周りを見渡す。

 リヴィラの街はあちこちが破壊され、道端には冒険者の死体が転がっている。

 ここにアリマがいるはず。根拠はないがそう確信しているベルは、リヴィラの街を駆け抜けた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 18階層の襲撃に、当然ロキファミリアの面々も応援に駆けつけた。

 その中でティオネは1人、リヴィラの街を駆けた。そう、妹であるティオナを探すため。

 ここに妹がいるとは限らない。それでも、何かせずにはいられなかった。

 

「邪魔だあ!!」

 

 力任せの一撃で、立ち塞がる闇派閥の人間たちを殴り飛ばす。

 ただ前へ、ただ前へと進む。鬼神のような歩みを見せる彼女が、ピタリと足を止めた。

 

「ティオナ!」

 

 見間違いようのない巨大な武器、大双刃を携えているティオナがいた。俯いているせいで、表情は窺えない。

 無事で良かった。そう思い、駆け寄ろうとした── が、足が動かなかった。

 ティオナから発されているのは、敵意。無防備に近づけば、容赦無く大双刃の一撃を見舞われるだろう。

 

「何のつもりなの、ティオナ! 武器を捨てなさい!」

 

 その言葉を聞き、ティオナは顔を上げた。

 

「っ!」

 

 その顔は今にも泣きそうなものだった。

 

「下がっていろ、ティオナ」

 

 聞き覚えのある声が響く。

 音もなく、建物の陰からアリマが現れた。その手にはIXAが握られている。

 まるで庇うように、アリマがティオナの前で佇んだ。

 ティオナは黙って頷くと、そのままティオネから逃げるように駆けて行った。

 ティオネは妹は追わなかった。アリマから逃げられるわけもない。何より、妹よりもまず目の前のこの男に用ができてしまって。

 

「あの子が、自分の意思であんたの側に付いたのなら、私は何も言わない。あの子はもう子供じゃないから」

 

 静かにそう語るが、その言葉には抑えきれない怒りが溢れていた。

 

「だけど、あんな顔をしているなら話は別だ……! あんた、私の妹に何をした!!」

「……」

「答えろ、キショウ・アリマァ!」

 

 ピリピリと空気が震える。並みの冒険者では、怒りに当てられ立つことすらままならないだろう。

 

「君に話す必要はない」

 

 プツリと、ギリギリで感情を堰き止めていた何かが切れた。

 勢いそのまま、アリマに斬りかかる。煮えたぎる心とは裏腹に、身体は冷静に動く。

 アリマは表情1つ崩さず、ティオネのナイフを容易く避ける。

 2つ分のLvの差なんて埋めようがない。相手にならないのは分かっている。たった1人でアリマと対峙した時点で、詰みだ。それでも、こうして戦うしかなった。

 

「……」

 

 アリマは明らかに手を抜いている。いつでもIXAの一突きで殺せるはずだ。しかし、まるで何かを待っているように回避に徹していた。

 

「ティオネ!」

 

 単独で行動したティオネを追いかけていたアイズが現れた。

 

「アイズ!?」

「……」

 

 次の瞬間。

 ティオネの体にIXAが突き立てられた。

 

 




 お待たせしました。
 ここで一つお知らせが。誠に申し訳ありませんが、ちょっとリアルが忙しいので、しばらく更新できないです。早くて半年、遅くて一年は更新できないっす。みなさん、気長にお待ちいただければ幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

g.t

 かっこ悪くても、かけ


 

 腹部に広がる熱。刺されたと理解するのに、時間はいらなかった。

 普通なら、痛みと絶望で心を挫かれるだろう。しかし、彼女は選りすぐりの女戦士だ。腹部を貫かれたくらいでは、決して彼女の闘争心を失わせることはできない。

 IXAを掴もうと手を伸ばしたその瞬間、ティオネの体は地面に倒された。背中から突き抜けていたIXAの切っ先が地面に沈んでいく。

 

「抜けないっ……!?」

 

 IXAを掴み、引き抜こうとする。しかし、IXAはピクリとも動かない。まるで地の底まで根を張った大木のようだ。

 ティオネには知る由もないが、IXAの刀身は遠隔操作により、枝分かれして地面深くに差し込まれている。ここら一帯を持ち上げるほどの怪力でなければ、IXAを引き抜くのは不可能だ。

 ティオネを地面に縫い付けたアリマは、無言のままアイズに向き直った。その手に武器は握られていない。

 

「……アイズ、逃げ、なさいっ……!」

 

 ティオネは掠れた声で叫ぶ。

 確信を持って言える。ロキファミリアの団員であろうと、アリマは容赦無く刃を振れると。

 説得は無駄だ。ましてや、戦おうとするのは愚の骨頂だ。

 

「……いやだ。待ってて、ティオネ。今助けるから」

「〜〜っ!」

 

 ティオネの想いに反して、アイズは首を横に振るった。

 仲間を置いて逃げるなんて、絶対にできない。

 アイズはデスペレートを構えながら、アリマを見据える。彼の目は普段と何ら変わりない。ずっとずっと、隣で見ていたそれと同じだった。

 

「私たちに戦い方を教えてくれたのはアリマだったね。アリマにとっては何気ないことかもしれないけど、私は全部覚えているよ。剣の握り方も、間合いの取り方も、稽古の帰りにじゃが丸くんを買ってくれたことも、全部」

 

 アイズの剣術の基礎となっているのはアリマの教えだ。

 だが、アイズだけではない。アリマは主に刀剣を使うだけであって、弓や斧でも一流以上に使いこなせる。アリマの教えを受けた者は多い。

 それでも、アイズにとってその記憶は戦い方を教えてくれた以上に意味があるものだった。宝物として大事に記憶している。

 

「私は、アリマのことを家族だと思ってるよ。ロキファミリアのみんなだって、きっと私と同じ気持ち。そして、今でもその気持ちは変わらない」

 

 アイズはアリマのことをいつか越えるべき壁であり、父親のような存在だと感じていた。

 それでも、ティオネを助けるため。そして、アリマを連れ戻すため。アリマに刃を向ける。

 

「アリマ、力づくでもあなたを連れ戻す。どうしてこんなことをしたのか、全部話してもらうから」

「……」

 

 武器を持っていなくとも、アリマは遥か格上。勝機は万が一より低いかもしれない。だから、全力の更に上を──!

 

「テンペスト(目覚めよ)」

 

 その言葉が紡がれると同時に、アイズの周囲に風が吹き荒れる。

 エアリアル。アイズにだけ使える、風を纏う魔法。その威力は凄まじく、風を受けただけで並みのモンスターはバラバラになるだろう。

 

「いくよ……!」

 

 風を纏った最高速度の踏み込み。一瞬でデスペレートの間合いまで距離を詰める。

 

「はぁ!!」

「……」

 

 しかしアリマはそれより速く、なおかつ最小限の動きでアイズの剣を躱し続ける。

 

「あぅっ!!?」

 

 剣を振り切ったその瞬間、自分が後方に吹き飛んだ。腹部に鈍痛が疾る。何が起きたのか理解できない。

 吹き飛ばされながら一瞬前を思い返す。

 先ほどの剣を振り切った瞬間、アリマの腕がブレた気がした。アイズが知覚できない速度で拳を振るい、エアリアルの上から無理やり叩きつけたのだろう。そうとしか考えられない。

 

「やっぱり、強い……」

 

 アリマがIXAを── いや、小ぶりのナイフでも持っていたら、勝負は決まっていた。

 体勢を立て直し、地に足を着ける。

 なんて高い壁。アリマが素手であっても、その上テンペストまで使っても、まだ届かないというのか。

 

「……テンペスト(吹き荒れろ)!」

 

 生半可な攻撃をしても、さっきの繰り返しになるだけだ。それなら最大出力に賭けるしかない。

 しかし、テンペストの最大出力の後は、それ相応の負担が体に跳ね返ってくる。正に大博打だ。

 暴走と呼んでも差し支えない、これまでとは比にならない風が吹き荒れる。それらを全て推進力に利用して、剣を前に突き出しながら突進する。

 地面が削れ、礫となって宙に舞う。

 

「リル・ラファーガ!」

 

 繰り出されたのは、階層主すら葬る必殺の一撃。

 圧倒的な風の奔流が、アイズとアリマの姿を呑み込んでしまう。

 ティオネが見た限りでは、どんなつもりか知らないがアリマは避ける素振りを全く見せなかった。まず間違いなく、リル・ラファーガは直撃したはずだ。

 これだけの威力。もしかしたら、アリマを倒せたかもしれない。

 風の奔流が収まる。ティオネが目にしたのは、現実とは思えない光景だった。アリマはデスペレートの刃を指で掴み、受け止めている。

 

「っ!?」

 

 アリマはそのまま剣を引っ張り、アイズの体ごと引き寄せる。そして、空いている手で剣を持つ右腕を掴んだ。

 ──パキリ、と。

 乾いた音が嫌に大きく体の中で響いた。遅れてやって来る、燃えるような痛み。玉ような汗が額から浮き上がる。

 

「つうっ!!?」

 

 声を押し殺し、デスペレートを落とさないよう気合いで柄を握る。

 後方に跳び、距離をとる。アリマは追撃しようとせず、ただ黙って見ていた。

 目線を落とすと、アリマに掴まれた箇所は青紫色に腫れ上がっていた。完全に骨が折れている。

 

「っぅ、はずれろ、はずれろおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 ティオネは怒りで目を見開きながら、無理やりでもIXAを引き抜こうとする。しかし、IXAはピクリとも動かない。

 

「……」

 

 アリマはやはり、感情の色を窺わせない黒い瞳で2人を見ていた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 

 巨大な竜巻が発生し、木片が吹き飛ぶのがベルの目に映った。黒いゴライアスのときと同じだ。あそこにアリマがいると、ベルには不思議とそんな確信を持てた。

 その場所に向かい、走る。

 走ることしばらくして、進行方向に人の気配があるのを感じ取った。

 人影が見えたとき、ベルは思わず足を止める。白いコートを纏い、フードを被っている謎の人物がそこに立っていた。

 敵── しかも、これまで相手にしてきた怪人とは違う。佇まいだけで、強いとハッキリ分かる。

 白いコートの人物はある武器を構えた。しかも、それは見覚えのある武器で。

 

「その剣…… ナゴミ……!?」

 

 どういうことなのか思慮を巡る暇もなく、白いコートの男が迫る。

 防御── ユキムラを両手で持ち、振り下ろされるナゴミを受け止める。途方もない威力。足元の地面が衝撃に耐えきれず、クレーターのように凹んだ。片手で受け止めていたら、まず間違いなくユキムラごと持っていかれていた。

 鍔迫り合いの中、ベルはフードの中を垣間見てしまった。その顔は果たして、行方不明となっていたラウル・ノールドその人だった。

 

「……ラウル、さん!?」

「……」

 

 問いかけに帰ってきたのは、抉るような蹴りだった。ナゴミを受け止めるだけで精一杯のベルに躱す術などあるはずなく、そのまま直撃する。

 

「かはっ……!?」

 

 肺の中の空気が絞り出されるような感覚。

 地面を転がりながらも、どうにかして態勢を整える。

 

「ここを通りたければ、俺を斃してみろ」

「そんなこと、急に言われても……! ラウルさん、どうしてこんなことを!?」

「アイズ・ヴァレンシュタインとティオネ・ヒュリテが、彼と交戦している。アリマさんを師事した君も、この意味が理解できるはずだ」

「!?」

 

 身体の芯まで冷えるような感覚が襲う。最も多くアリマに殺されかけたベルだからこそ、事態の重さを正確に把握できた。

 

「どうしても、戦わなければいけないんですか……?」

「ここで立ち止まるか、俺と戦うかだ。どちらかを選べ」

「……」

 

 アリマの右腕というのが、ラウルに抱いている率直な印象だ。ラウルが何かするときは、決まってアリマが関わっていた。だから今、ラウルが刃を向けているのはのはきっと──。

 

「通らせてもらいます、ラウルさん……!」

「そうだ、それでいい」

 

 この先にアリマがいる。それなら、ここで立ち止まるわけにはいかない。

 再びラウルが仕掛けてきた。最短の距離で肉薄し、お手本のような淀みない一閃を繰り出す。

 後方に跳び、どうにかそれを躱す。ラウルの攻撃を受け止めれば、さっきのようにその衝撃で致命的な隙を晒してしまう。受け止めるという選択肢を捨てるしかない。

 ラウルは即座に地を蹴り、ナゴミの間合いまで身体を運ぶ。

 ラウルの嵐のような斬撃を掻い潜る。

 やはり、逃げるのは無理だ。絶対に逃してなるものかというプレッシャーがある。絶対に背は見せられない。

 ラウルの動きは、ベル以上にアリマのそれに近い。一挙一動に全身全霊で注意を向けなければ、次の瞬間には一刀両断されているだろう。

 

「ファイアボルト!」

 

 掌から放たれた炎が、雷のような軌跡を描きながらラウルを襲う。

 しかし、ラウルは必要最低限の動きでそれを躱す。やはり、ファイアボルトでは牽制程度にしかならない。

 右手にユキムラ、左手にヘスティアナイフを携える。攻撃の手数を増やし、無理やりにでも攻勢に回らなければ。

 今度はベルがラウルに近づき、ユキムラで斬りかかる。しかし、ナゴミで軽くいなされ、流れるような動作で反撃に回られる。

 反撃し、躱し、反撃し、躱し。薄い糸を渡るかのような極限状態が続く。二刀流のベルは軽業師のようにトリッキーに動き、ラウルは堅実かつ合理的に動く。

 甲高い金属音が鳴り響く。均衡を破ったのはラウルだった。ユキムラがベルの手から離れ、遠くへと弾き飛ばされる。

 

「っ!?」

 

 反射的に、弾き飛ばされたユキムラに目がいってしまう。

 その隙をラウルが見逃すはずもなく。

 

「あっ」

 

 ナゴミが振り下ろされる。

 肩から腰まで斬り裂く、容赦なき一閃。

 鎧が砕け、血潮が飛び散る。

 

「……ぅぐ!?」

 

 恥も外聞もなく、ただ全力で後方に跳ぶ。

 傷は深くない。まだ、辛うじて動ける。ヴェルフの防具の性能に助けられた。以前の装備だったら、まず間違いなく致命傷だろう。

 

「防具に助けられたか」

 

 完全に距離をとったときには既に、躯骸再生により傷が塞がっていた。実質的なダメージはないが、精神的なそれは否定できない。

 

「超再生…… そうか、そういう能力か」

 

 息つく暇もなく、ラウルが仕掛ける。

 更に的確に繰り出されるようになったラウルの斬撃。

 躱し切れず、一太刀ごとに決して浅くない傷が刻まれる。

 ラウルの猛攻を耐え抜き、どうにか距離をとるのに成功する。攻め疲れたのか、ラウルは追撃せずに様子を見ている。

 新たな傷を負うごとに、その治りがどんどんと遅くなっている。気づけば、回復が追いつかずに、足元には大きな血溜まりができていた。

 

(やっぱり…… 強いや。だけど、この先にアリマさんがいるなら…… 負けるわけには、いかない!)

 

 技術も、地力も、全てラウルが上だ。それでも負けたくない。ラウルを越えた先に、アリマがいるのだから。

 ベルのその想いに応えたかのように、清廉な鐘の音が身体の内側から響いた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

「英雄願望か」

 

 全身を蒼白く輝かせているベルを見ながら、ラウルは極めて冷静にナゴミを構え直した。

 英雄願望の効果は知っている。体力と精神力を対価に力を蓄積し、次の行動で解放するというスキルだ。

 ベルはこのスキルで、数多の格上を下してきた。しかし、それは相手がこのスキルの存在を知らないという前提での話だ。

 威力が上がるなら、速さが上がるなら、それを踏まえた上で間合いを測ればいいだけのこと。

 武器を構えながら、ベルがチャージを終えるまで待つ。

 今すぐにでも攻撃をしかけ、チャージする暇を与えないのが合理的だ。しかし、それでは意味がない。

 アリマが言っていた。ベルの全てを引き出し、その上で本気で戦ってくれと。ベルの越えるべき壁として、自分は戦っているのだ。アリマが自分をLv5のままでいるよう指示したのも、きっとこの日のためなのだろう。

 アリマの指示を── いや、頼みを、全身全霊で成し遂げる。だからこそ、わざとベルに負けてやる気持ちは微塵もない。

 

「──行きます」

 

 ベルの空気が変わった。仕掛けるつもりなのだろう、その目に覚悟の色が見える。

 正しい判断だ。長期戦になれば、地力で劣るベルに勝ち目はない。

 

「ああ、来い」

 

 瞬間、空を切る音。猛スピードで投擲された漆黒のナイフを目に捉える。

 驚きはすれど、防げない攻撃ではない。ナゴミの刃の平の部分でヘスティアナイフを弾く。

 そして、違和感。違う、威力が軽すぎる。黒いゴライアスを葬った英雄願望の威力が、この程度のはずがない。考えるまでもなく、この攻撃は陽動──。

 

「!」

 

 辺りに視線を走らせるが、ベルはどこにもいない。

 ぞわりと、真上から気配を感じた。

 顔を上げれば、右拳に青白い光を溜めながら落下するベルの姿が見えた。

 ナイフを止めるのに意識が引っ張られる瞬間、自分の真上へと跳んだのだろう。

 人というのはどうしても、真上への警戒が疎かになってしまう。しかし、気づけなかったのは単純に自分の落ち度だ。

 まだまだ鍛錬が足りないな。己の未熟を恥じながら、ラウルは振り下ろされるベルの拳を受け入れた。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 ラウルの右頬に拳を突き立て、そのまま殴り抜ける。ラウルは吹き飛び、受け身も取れずに地面を転がった。

 地面に着地した瞬間、英雄願望の反動がやって来た。ズシリと身体が重くなる。

 全てを出し尽くした。地面に横たわるラウルを見る。どうか気を失ってくれと願う。ラウルがまだ立てるなら、もう諦めるしかない。

 

「……見事だった」

「!」

 

 仰向けになって倒れているラウル。しかし、今確かに彼の声が聞こえた。

 英雄願望の反動と、これまでのダメージでボロボロになった体を引き摺りながら、ラウルに近づく。

 ラウルは右頬を腫らしながら、しかしどこか満足そうな表情で天を仰いでいた。

 

「通れ。この先にアリマさんがいる」

「やっぱりそうなんですね。ラウルさん、これもアリマさんの指示ですか?」

「……いいや、少し違う。指示じゃない。お前と戦ってほしいと頼まれたんだ」

 

 指示と頼み。その二つには、アリマとラウルにとって大きな隔たりがあるのだろう。

 

「ありがとう、ございました」

 

 ラウルに向かって深く頭を下げる。この非常事態にあり得ないことかもしれない。しかし、ラウルとの戦いは殺し合いというより、稽古をつけてくれたような感覚だった。

 

「……礼なんていい、行け」

 

 そんなラウルの言葉を聞きながら、アリマのいる場所へと走った。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 アイズのリル・ラファーガを目にしたロキファミリアの団員たちは、その場所で何かあったのだと悟った。

 怪人もどきは、オラリオを襲撃した実行犯の1人── ゲド・ライッシュと比べると、強さは格段に劣る。少なくともアイズなら、エアリアルを発動するまでもなく斬り伏せられるだろう。

 つまり、エアリアルを発動したならまだしも、リル・ラファーガを使用したということは。

 フィン、リヴェリア、ベートの精鋭メンバーは自ずとその場所に集まった。

 

「これは……!?」

 

 そして目にする。かつての仲間であり、英雄でもあった男が引き起こした惨劇を。

 

「アイズ!」

 

 アイズがアリマの手によって首を掴まれ、宙に持ち上げられている。

 

「みん、な……」

 

 今にも消え入りそうなアイズの声。

 アリマはフィンたちの存在に気づくと、そのままアイズを放り投げた。ベートが慌ててアイズを受け止める。

 

「ぐっ……!?」

「おいアイズ、無事か!?」

 

 右腕が青紫色になって腫れている。剣を握ることすら、今の状態では不可能だ。

 ふつふつと、マグマのような怒りが腹の底から湧き上がる。

 

「許さねえ…… 許さねえぞ、アリマァ!!!」

 

 アリマは顔色一つ変えずに、ただベートの怒りを一身に受け止める。

 

「……許す、か。この世の不利益は全て当人の力不足。アイズがそうなったのは、彼女が俺より弱いから。或いは── 君が駆けつけるのが遅いからじゃないか?」

「──!」

 

 ぶっ潰す。そう決意したベートを、アイズが肩を掴んで止める。そして、自分のことなんてどうでもいいと言わんばかりに首を振った。

 

「待って、ベートさん……! 私のことは…… いいの……! それより、ティオネを……!!」

 

 アイズの視線の先には、赤い血溜まりのできた地面に仰向けになって倒れるティオネの姿があった。腹部にはIXAが突き刺さっている。

 

「ティオネ!!?」

 

 アリマはティオネに突き刺さったIXAを引き抜くと、彼女の腕を持ち、アイズのように再び放り投げた。

 フィンは槍を捨て、ティオネを受け止める。息はある。しかし、腹部からは血が湧き水のように溢れ、意識を失ってしまっている。

 

「リヴェリアぁ!!」

「分かっている!」

 

 ティオネ本人の回復力と、リヴェリアの回復魔法の相乗効果により、だんだん傷が塞がっていく。

 一先ず、これで失血死の心配はなくなった。手持ちのポーションを飲ませて、体力の回復を図る。

 続いて、アイズの腕にポーションをかける。痛々しい青紫色の腫れがだんだんと引いていき、元の白い肌に戻ろうとしている。

 2人の治療を終えたリヴェリアは、射抜くような視線をアリマに向けた。

 

「アリマ、貴様は…… どうして今まで慕ってくれたこの子たちを傷つけ、そんな平気な顔でいられるんだ!」

「……」

「まただんまりか……! どこまで私たちを馬鹿にすれば気がすむ! 話してくれなければ、何も分からないだろう!」

 

 怒りと悲しみがごちゃ混ぜになった、リヴェリアの悲痛な叫び。しかし、アリマはそれに対して言葉を返すどころか、眉一つ動かさない。

 

「無駄だ、リヴェリア。アリマは何も喋らないよ。そういう奴だって、ずっと前から知ってるだろう?」

「っ、だが!」

「アリマはもう、許されない罪を犯してしまったんだ。この行動にどんな理由があろうと、僕はもうアリマの弁論を聞くつもりは微塵もない。彼はもう、越えてはいけない一線を越えてしまった」

 

 フィンは傷ついたティオネを優しく地面に寝かせながら、その行為とは真逆の底冷えするような声で告げる。

 

「アイズ、まだ戦えるかい?」

「……ごめん、なさい。私一人じゃ、ダメだった」

「いいや、良くやってくれたよ。たった一人で、僕らが来るまでよく持ち堪えてくれた。アイズ、もう少しだけ力を貸して欲しい」

 

 フィンは地面に投げ捨てた槍を拾う。

 

「殺す気でいくよ。それが、今までお前と共に戦ってきた僕の── ロキファミリアを率いる者としてのケジメだ」

「ああ、それでいい」

 

 アリマはいつの間にか手に持っていたアタッシュケースから、ナルカミを取り出した。

 IXAとナルカミ。その二つを携えたアリマから、どんなモンスターとも比較にならない膨大なプレッシャーを感じる。

 

「リヴェリア、詠唱を始めろ! ベート、アイズ! 僕と一緒に前衛を張れ!」

「言われなくてもォ!」

「……ああ」

 

 ベートとフィン、アイズは同時に地面を蹴り、アリマに接近する。

 三方向から繰り出される脚撃、槍撃、斬撃。しかし、アリマは完全にそれらを躱し、あるいは受け止める。

 アイズが背中に回り込み、剣を振るっても、アリマは顔すら向けずにナルカミで受け止める。

 至近距離で放たれるベートの連続蹴り。アリマは最初からどの位置に来るか分かっているかのような動きで躱し続ける。

 フィンの風のような速さの突きでも、アリマは片手間でIXAで受け止める。

 何故、これで当たらない。アリマ以外のこの場に居る者全員が、同じ感想を思い浮かべる。

 3人の攻撃が止まったコンマにも満たない瞬間。それと同時に、IXAとナルカミが空を切った。いっそ見惚れてしまう鮮やかな剣捌き。

 ベートを、アイズを、次いでフィンを吹き飛ばす。

 

「づっ!?」

「がっ!?」

 

 アリマは間髪入れずにリヴェリアにナルカミの刃先を向ける。瞬間、ナルカミの雷が襲う。

 

「──ッ!?」

 

 詠唱しながら走る。

 リヴェリアにとって平行詠唱は難しいことじゃない。しかし、アリマのナルカミを避けるとなると話は別だ。

 猟犬のようにリヴェリアを追いかけるナルカミ。ローブの端を掠る。このままでは逃げ切れない。しかも、それは下層モンスターを葬る致死の一撃。

 

「らぁっ!!!!」

 

 ベートの連続蹴りがナルカミを消滅させる。

 本来なら、ナルカミに触れた時点で即アウトだ。しかし、彼の履くミスリル製のブーツは特殊武装、フロスヴィルト。魔力を吸収する特徴を持っている。

 吸収したのはたった一条の雷。それだけで、フロスヴィルトは悲鳴を上げている。なんて密度の魔力だと、戦慄を覚える。

 

「次はねえぞぉ、さっさと決めやがれ!」

 

 リヴェリアは杖先をアリマに向ける。ベートがナルカミを防いでくれたその間に、魔法の詠唱が完了した。

 ゆらり、と杖先が揺れる。最大出力の魔法。これを放つのはつまり、かつての仲間を殺そうとするのと同義だ。

 本当にいいのか──? そんな自問自答を、心の奥底に押し込める。

 

「レア・ラーヴァテイン!」

 

 感情を切り離し、その魔法の名を呼ぶ。

 展開された魔法陣から焔が放たれる。そのまま一直線に、アリマに吸い込まれた。

 一点集中の焔。その一撃は階層主でも灰すら残さず焼き尽くす。いくらアリマでも、無傷とはいかないだろう。

 しかし、まだだ。アリマを倒すには、これだけでは足りない。

 

「アイズ!」

「エアリアル!」

 

 アイズのエアリアルが空気を送り、焔は更に激しく燃え上がる。

 

「やったか……!?」

 

 焔が消える。

 彼らが目にしたのは、IXAの防壁を展開したアリマの姿だった。

 

「無、傷……!!?」

 

 リヴェリアの最大出力の魔法。そして、アイズのエアリアルによる威力の底上げ。それを真正面から受け止めて、傷一つ負っていない。

 

「アアアァァァ!!!」

 

 絶望に呑まれそうになった3人を、フィンの叫び声が現実に引き戻す。

 まるで獣のような動き。凶猛の魔槍を使ったのだと、何度となくフィンと共に死線を越えてきた2人は悟った。

 

「……」

 

 凶猛の魔槍は理性を引き換えにして、身体能力を大幅に上昇させるスキルだ。この状態のフィンは、平時の状態のオッタルに追随する身体能力を得る。

 しかし、相手は白い死神── キショウ・アリマだ。フィンの動きよりも速く、なおかつ洗練された動作で、初撃でフィンの懐へと入り込む。

 アリマからしてみれば、多少身体能力が上がりはしたが、動きが雑になっただけ。凶猛の魔槍は愚策と称せざるを得ない。

 しかし、その愚策を逆転の一手に変えるからこそ、フィンは勇者の二つ名を神々に贈られた。

 放たれるIXAの刺突に脇腹を少し抉られながらも、刀身を腕と体で挟み込む。

 フィンは強靭な精神力で、現在本能に従い好き勝手に動いている肉体に、一つだけ仕事を課した。それは、1秒でもいいからアリマの足を止めること。

 ベートのフロスヴィルトがナルカミの雷を吸収した瞬間、フィンはこうすると決めた。

 

「おおおぉぉぉ!!!」

 

 ベートは眩い雷を纏いながら、アリマに飛び蹴りを叩き込む。

 隙さえ作れば、彼がそうしてくれるとフィンは分かっていた。

 18階層に、遠雷が落ちたような音が響いた。




【朗報】ベル君、七夜習得

 感想、評価してくれると嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

笑む眠り

 

「──ッソが……! クソがああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 ベートが顔を歪ませる。そこから感じ取れるのは絶望。無力な自分への憤り。そして、絶対強者に対する一種の尊敬の念。

 もう二度と訪れないであろう千載一遇のチャンスは、ナルカミのナックルガードにヒビをいれるだけで終わった。

 ナルカミの防御性能も十分におかしいが、それ以上におかしいのはアリマの筋力だ。全身全霊をかけたベートの一撃は、間違いなく人生で最高の威力を誇っていた。それを表情一つ変えず、片手で受け止めたのだ。

 

「ナルカミ」

 

 怒りが一瞬で引き、本能が今すぐ離れるよう警鐘を鳴らす。

 まずい、離れ──。

 

「ガッ……!!??」

 

 しかし、雷が奔る速度に敵うはずもなく。ナルカミから放たれた電撃が、容赦なくベートの肉を焦がした。黒い煙を吐き、糸が切れた人形にように地面に吸い込まれていく。

 

「っ、オオオオオォォォォ!!!」

 

 本能で仲間が倒されたと感じ取ったのか、フィンが雄叫びを上げながら槍の穂先を走らせる。

 しかし、槍が貫いたのは虚空だった。

 するり、とフィンの背後に回っていたアリマ。

 瞬間、フィンの肩から腰にかけて血潮が飛ぶ。膝を着き、そのまま地面に倒れる。

 ショートしたように、ナルカミの刀身に電気が漏れている。アリマはナルカミに少し目を落とした後、躊躇なくナルカミを地面に捨てた。

 

「……」

 

 ゾッとするような冷たい目がリヴェリアとアイズに向けられた。次はお前たちだと、そう言っている。

 待っているのは、全滅という末路。それを避けるため、リヴェリアはある決意をした。

 

「アイズ、3人を連れて逃げろ。私が殿を務める」

「……いやだ! 私は、大切な人を失くしたくないから強くなった! ここで逃げたら、あの日の私と何も変わらない!」

 

 アイズは普段では想像もつかないほど感情を露わにして、リヴェリアの言葉を拒絶する。まるで、駄々をこねる子供のようだ。だからこそ、リヴェリアは毅然とした態度を崩さない。

 

「聞きわけろ! 4人がかりで敵わなかったんだ、私たちだけで何ができる!」

「だけど、アリマと戦ったらリヴェリアは──!」

 

 その言葉の先は、リヴェリア自身が一番よくわかっている。

 

「……アイズ、今あの3人を救えるのはお前だけなんだ。頼む、行ってくれ」

 

 アイズだって分かっている。本当は分かってしまっているのだ。リヴェリアを殿に、自分が倒れている3人を連れて逃げるのが、一番多くを救う方法だと。

 

「私が魔法の連射で隙を作る。アイズはエアリアルで3人を運び、ここから離れてくれ」

「…………ごめん、なさい」

 

 リヴェリアの言葉を否定することができず、やっと出てきたのは謝罪の言葉だった。

 

「謝ることなんてない。むしろ、そうしなければならないのは私の方だ。辛い役目を押し付けてしまって、本当にすまない」

 

 呪文を唱える。魔法陣が展開され、無数の火炎弾が放たれる。

 大半の冒険者にとっては、一発一発が必殺のそれ。砲弾よりも遥かに高い威力を秘めている。

 

「行け、アイズ!」

 

 しかし、アリマは歩みを止めない。IXAを振るう風圧だけで火炎弾を掻き消しながら、一歩一歩近づいてくる。

 足止めにすらならない。だが、それでいい。アリマの背後で、アイズがベートとフィン、ティオネをエアリアルで運びながら逃げようとしている。

 アリマがそれに気づいている様子はない。このままアイズたちが離脱できるまで、精神力が底を尽こうとも魔法を撃ち続け──

 

「遠隔起動」

 

 飛来する火炎弾を一つずつ避けながら、聞き慣れた単語を呟いた。

 IXAの刀身が消える。アリマが得意とする、地面から杭のようにIXAの刀身を伸ばす中距離攻撃だ。

 身構えるリヴェリア。しかし、その狙いは彼女ではなく──

 

「っ!!??」

 

 IXAの刀身がアイズの右足を貫いた。

 

「アイズ!?」

 

 アリマは気づいていたのか──!?

 目すら向けずに攻撃を当てるなんて──!?

 それよりも、アイズを助け──

 リヴェリアの脳内に様々な思考が飛び交い、彼女が判断を下すよりもずっと早く、アリマはアイズの真横に立った。

 

「うっ……!?」

 

 IXAの柄でアイズの後頭部を叩く。

 アイズはそのまま気を失い、地面に倒れる。エアリアルも解除され、宙に浮いていたフィンたちが地面に投げ出された。

 リヴェリアを無視してアイズを狙ったアリマの行動は、彼女の覚悟を嘲笑うのと同義であり──

 

「ぁ…… ぁぁぁぁぁぁああああ、あああありまああああああああああ!!!!!!!」

 

 びちゃり、と血が飛び散る音がした。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 トんでいた意識が戻ると、たった1人でリヴィラの街を歩いていた。

 あれほど酷かった傷は治っていて、口の中には鉄のような味がした。

 目的も曖昧に歩き続けた。胸に燻る不安を掻き消すように。

 開けた場所に出ると熟し、腐れた花のような匂いがして。

 花壇の真ん中に誰か立っていた。

 ……誰が語るでもなく、彼が名乗るわけでもなく。揃える気がないパズルが独りでに完成していくように。ただその姿を見ただけで僕は──

 

「……」

 

 ロキファミリアの白い死神。無敗の冒険者。

 ──相手が何者なのか理解した。

 

「…アリマ………さん…」

 

 

 

 

 死神が、立っていた。

 

 

 

 

 ──どうして美しいものは、生よりも死を連想させるのだろう……。

 僕は不思議とアリマさんを、綺麗だと思った。

 意識を奪われた僕は、眼下の景色の正体に気づいていなかった。

 それは、花などではなく。

 血で濡れたアイズさん、フィンさん、ベートさん、ティオネさん、リヴェリアさんだった。

 1人でやったのか?

 他の誰かが見たら、信じられない光景に映るかもしれない。だけど、僕にはこの光景をすんなりと受け入れることができる。

 白い死神の二つ名を贈られた意味を、僕は誰よりも知っているから。

 どうして僕はこの場所に来たのか。僕は今になってそれを理解した。

 確かめたかったのかもしれない。アリマさんが僕らを裏切ったという実感はまるでなく、今の今まで幻のように不確かなものだったから。

 だけど、目の前の光景が無口なアリマさんに代わって物語っている。キショウ・アリマは僕らを裏切ったのだと。

 哀しみ、怒りよりも湧き上がる感情は── 絶望。だって次は「僕の番」だ。

 一歩一歩、靴の音を響かせながら近づいてくる白い死神。明確な死が迫っているのに、僕の足は少しも動かない。

 逃げる? 戦う? 自分が何をすべきなのか、もう何も分からなかった。

 

「ごるぽ」

 

 アリマさんは僕が選択するまで待つようなことはしない。

 アリマさんが僕の横を通り過ぎてやっと、僕の体に数え切れないほどの裂傷が刻まれたとことを理解した。

 傷の痛みで頭がとろけそうだ。再生するたびに、ぼくのたいせつななにかがなくなっているきがする。

 

「……傷が。そうか」

「……ぁぃま…………… ぃま、あぃま、ざああああぁぁぁぁ! ぁ!!! あ! ぁ」

 

 ぼくをきずつけるわるいひとに、ぼくはけんをふるった。

 だけどやいばはあたらない。ゆうれいみたいにとおりすぎるだけ。なにとたたかっているのか、ぼくはわからなくなってきた。

 

「ぼごふっ」

 

 おともなく、白い影はぼくのよこをとおりすぎた。

 いたくていたくて、ぼくはたっていられなかった。ひんやりとしたじめんが、ねつにおかされてるぼくのからだをさましてくれて、ここちよさをかんじました。

 

「っ、あっ……」

 

 しせんのさきには、とてもきれいなひとがねむっていた。

 このひとは── この人は、アイズさん。

 アイズさんの呼吸を感じる。アイズさんはまだ死んでいない。いや、ここに倒れている人たちは、誰一人として死んでいない。

 とろけている場合じゃない。立て。走れ。僕が戦わないと、みんな死んじゃう。

 

「おおおおおおおおお!!!!」

 

 両足が僕の想いに応えてくれた。足元の感覚が覚束なけど、確かに立っている。

 ふと、鐘の音が聞こえた。

 英雄憧憬。強敵との戦いには、何度も僕のことを助けてくれたスキル。

 僕の体力、精神力が青白い光となり、ヘスティアナイフに溜まっているのが分かる。

 アリマさんは立ち止まり、ただジッと鐘の音を聞き入っていた。チャージが限界まで達するのを待つように。

 

「……ダンジョンにいると外の天候が分からない。日付の感覚も鈍る。だが、もうすぐ日付が変わる頃だろう」

「……なに、を」

「ここは18階層。ここから、冒険者を出す事はできない。お前は、これ以上進めない」

 

 アリマさんが言葉を終えると同時に、チャージが限界まで達した。

 今の僕に、アリマさんの言葉を理解する余裕はなかった。本能に導かれるまま、僕は弾かれるようにしてアリマさんのいる場所まで走った。

 

「ぁぁああああああああああ!!!」

 

 強大な力がヘスティアナイフを握る右腕に渦巻く。

 流れる力に身を委ねて、ヘスティアナイフを前に突き出す。

 岩盤を叩いたような鈍い音が響く。

 大きな黒い壁に阻まれ、ヘスティアナイフは止められてしまった。

 空耳と間違えそうになるほど小さなヒビ割れる音が聞こえた。よく見れば、IXAの防御壁に小さなヒビが入っていた。

 ──届かなかった。僕の渾身の一撃はアリマさんには届かなかった。

 

「やるな、ベル・クラネル」

 

 ──冷たい手で、背中をなぞられるような感覚がした。

 アリマさんは嬉しそうに微笑んでいて、僕にはそれがとても恐ろしく感じた。

 それが最後に見た景色であり、聞いた声で。

 腹部に強い衝撃が走る。そして、後からやってくる浮遊感。

 重力に引かれて落下してく中、蓄積されたダメージと英雄憧憬の反動で、僕の意識は完全に刈り取られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──IXAの防御壁を損傷させるとは思わなかった」

 

 アリマはそう言いながら、倒れているベルを見下ろす。その手には、形状が歪んだIXAが握られている。

 

「……そうだな」

 

 飛び散ったIXAの破片が頬を切ったのだろう。ほんの少しだが、アリマの左頬に血が流れている。

 

「新しいクインケが要る」

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 ギルドの地下には、祈祷の間と呼ばれる場所がある。

 そこには地下故に一切の陽の光は届かず、ユラユラと踊る燭台の蝋燭の炎が唯一の光源となる。蝋燭の炎は大理石で造られた美しい壁と、部屋の奥にある巨大な石造りの玉座を照らす。

 その玉座に座すは、オラリオの影の支配者である神ウラヌス。老齢を感じさせない鋭い眼で、闇の中をジッと見つめていた。

 コツ、コツと足音が聞こえる。ウラヌスに会いに来る人物など、神を含めてもほんの僅かしかいない。

 

「貴様がウラヌスか」

 

 闇の中から現れたのは、ウラヌスが知る者ではなかった。

 体格から察するに男だろうか。フードを被っているせいで、顔を窺うことはできない。

 体格からして人間── それも、大人の男なのだが。

 

「人間…… いや、その異様な雰囲気。まさか異端児か?」

「異端児…… リドたちと遭遇したとき、俺たちをそう称したようだな」

「その名を知るのは、やはり……。だが、解せんな。貴様のような完全なヒト型がいるという報告は上がらなかった」

「同然だ。貴様らに全てを明かす義務はない」

 

 侵入者がフードを取る。

 青年と呼んでもギリギリ差し支えのない、精悍な顔立ちだった。外見だけなら、人間と何ら変わりない。

 

「一応、自己紹介をしておこう。俺の名は── いや、隻眼の黒竜とだけ言えば十分か」

「!」

 

 隻眼の黒竜。かつて、ゼウスファミリアとヘラファミリアを壊滅させた最強のモンスター。その存在は謎に包まれ、30年前を最後に目撃例は一度もない。

 ウラヌスにも下界の存在の嘘を見抜く能力が備わっている。

 目の前の男の気が狂っているなら話は別だが、ここに辿り着いた時点でそれは有り得ない。

 

「一連の事件の黒幕は、キショウ・アリマと思っていたが…… どうやら違うらしいな」

「その通りだ。キショウは俺の指示に従って動いているだけ。俺の存在が露見しないよう、仮初めの王として動いてもらった」

「我らの監視を掻い潜るため、ダンジョンに潜んでいたということか。しかし、如何にしてこのオラリオに辿り着いた?」

「人造迷宮からだ。立ち塞がる障害は、俺とキショウが破壊させてもらった」

 

 人造迷宮の壁は超硬金属、そして最硬金属でできている。何でもないように言ってはいるが、力づくで人造迷宮を破るのが、どれだけ異常なことなのか。

 これ以上の質問は許さないとばかりに、隻眼の黒竜の双眸が紅蓮に染まる。

 

「今更、腹の探り合いは無意味だろう。手っ取り早く要件を言おう。賢者の石を寄越せ」

「!」

 

 隻眼の黒竜が紡いだ言葉は、ウラヌスにとっても予想外のものだった。

 

「貴様、どこでそれを知った」

「長い年月をかけ、手段を選ばなければ、いずれは真実に辿り着くものだ」

 

 確かに、ウラヌスは賢者の石を持っている。しかし、どこからその情報が漏れたというのか。この事実を知るのは、ウラヌスともう一人の男しかいない。

 

「卑金属を金属に錬金する媒体。永遠の命を与える至高の霊薬。賢者の石は様々な効力が伝えられている。だが、それらは本来の効果の副産物に過ぎない。超常の力を以って、賢者の石は真の効力を発揮する。それは── 生命の創造」

 

 この者は、どこまで知って──!?

 いっそ、目の前の異端児が得体の知れないナニカにさえ思える。

 

「何故そこまで知っている。その事実を知るのは、神の中ですらごく一部なのだぞ」

「実際に立ち会ってしまったからな。嫌でも分かってしまう」

「……貴様は、何者なのだ?」

「何者、か。俺は何故モンスターが現れたのか、何故ダンジョンができたのか、全て知っている」

「!?」

「もう何万年も昔になるな。その当時、この地には強大な王国があった。その国の王はたった一代で瞬く間に領土を広げ、この大陸を支配した」

 

 何万年。ウラヌスのような古い神でさえ、まだ生まれていない遥か昔だ。

 嘘は言っていない。だが、どうして隻眼の黒竜は古代よりも遥か昔の時代を知っているのだろうか。

 

「しかし、王は歳を重ね、とうとう病に倒れてしまった。世界を統一した王であろうと、時の流れには逆らえなかった」

 

 ウラヌスの心情など気にせず、隻眼の黒竜はさらに言葉を続ける。

 

「そこで、王国に仕える魔術師たちにある命令が下された。不老不死の術を開発しろ、とな。世界を統べた王国に仕える魔術師だ。誰も彼も、不出世の天才と呼ぶに相応しい者たちだった。それでも、彼らは不老不死の術を作るには至らなかった。だが、天啓…… いや、悪魔の囁きだな。王は貴様ら超越存在から、賢者の石の製造方法を教わってしまった」

 

 これまでとは比にならない驚愕が襲う。長い長い時間の中で、こんな感情を味わったのは初めてかもしれない。

 話が見えてきた。見えてきてしまった。

 もしウラヌスの予想通りなら、モンスターは人類の敵などではない。

 

「賢者の石の材料は生きた人間。王はそれを知りながら、賢者の石を作り上げた。俺たち国民を不老不死の礎としたのだ。そうして出来上がったのが、賢者の石という名のダンジョンだ」

 

 隻眼の黒竜から語られる人の罪。そして、神々の罪。

 

「王は確かに、命を永らえた。モンスターを生み出す装置の核と化してな。王は特別だった。生まれつき精霊の力を操り、数々の武功を打ち立てた。賢者の石が真の力を発揮するだけなら、精霊の力で十分に能う。だが、あの有様では死んだ方が遥かにマシだったろう。同情はしないがな」

 

 モンスターは── いや、彼らは、神々の娯楽の犠牲となった被害者なのだ。

 

「賢者の石は肉体を生み出し、内包する俺たちの魂を入れ込んでモンスターという人類の敵を完成させる。モンスターとして死ねば、魂は賢者の石へと送還される。反吐が出るほど合理的なシステムだ。賢者の石に囚われた人々は、永遠にそのサイクルから逃れられない。元より、この世界にモンスターなぞ存在しなかった。納得するだろう、モンスターがお前らを憎む理由が。当然だろう、モンスターがダンジョンから脱しようとするのは」

 

 そう語りながらも、隻眼の黒竜はどこか他人事のように冷めた面持ちだ。

 

「運命の悪戯なのか、俺だけが全部覚えていた。いや、覚えていたというより、知っていた。感情と切り離された知識が、頭の中に残っている。だが、記憶の中にある怒りは前世の俺のものだ。貴様ら神々に対しても、俺たちを生贄にした王にも、怒りや憎しみは湧いてこない。それでも、誰かがやらなければいけない。この狂った世界を、跡形もなく壊さなくてはいけないのだ。賢者の石の力を反発させ、ダンジョンに囚われた人々の魂を解放する。それが俺の目的だ」

「……分からんな。貴様の言った通り、賢者の石の真価を引き出すには、我らと同じ超常の力が必要だ。貴様のような者に協力するほど殊勝な神などおるまい」

「そんなことは百も承知だ」

 

 隻眼の黒竜から、部屋全体を照らすほどの強い光が放たれる。

 

「まさか、神威……!」

「イシュタルといったか。あの女神を喰らい、この身に神の力を宿した。といっても、ほんの上澄みだけだがな。人しか喰らえない欠陥品と思っていた身体だが、一応意味があったようだ」

 

 話し終えると同時に、神威の光が消える。

 

「俺の侵入を許した時点でそちらの負けだ。さあ、渡してもらおう」

「断る、と言ったら?」

「日が昇る前に、この国を地図から消す。俺は隻眼の黒竜だ。嘘でも脅しでもないことくらい、お前になら分かるだろう」

 

 賢者の石か、オラリオの存続か。

 どちらも天秤に載せるにはあまりに重すぎるが、ウラヌスの選択は最初から決まっていた。

 

「……フェルズ」

「……」

 

 ウラヌスの呼びかけに応えるように、フェルズと呼ばれた者が暗らがりの中から現れた。

 

「お前が賢者の石を作った男か」

 

 ローブを着ているせいで、顔を窺い知ることはできない。

 しかし、ある違和感がある。人々の魂が蠢いているような、悍ましい気配がない。

 

「この感覚……」

「そうだ。この賢者の石に使われたのは、たった一つの魂── 私の魂だ」

 

 フェルズがローブを取る。そこにあるのは顔ではなく、古びた人骨だった。

 

「その風貌…… なるほどな、己の遺骨を依り代として、賢者の石のエネルギーで動かしていたのか。賢者の石に込められた魂が一つなら、依り代の奪い合いもない」

「ランクアップとは魂の昇華。人が神に近づくための、唯一の手段だ。Lv4の魂だけで、賢者の石を作るには十分に能う。従来の使い方とは違うが、これもまた一つの不老不死の方法だ」

 

 フェルズが自分の胸に腕を突っ込む。その手には赤色の宝石が握られていた。

 

「私は、ダンジョンの真実を── 世界の真実を知るために、遺骨と成り果てようとも今日まで命を永らえてきた。だが、その終わりは存外呆気ないものだったな」

「フェルズ、すまない」

「何を言う、ウラヌス。どのような結末に至ろうと、それは私が望んだ選択の末だ。後悔も、そなたに対する憎悪もない。それに、こうして世界の真実を垣間見ることができた。礼を言っても言い足りないくらいだ」

 

 その言葉は全て、本心から来るものだった。

 彼らしいといえば彼らしい。ウラヌスは少し安心したように笑ったが、やはりどこか申し訳なさそうだった。

 

「受け取れ、隻眼の黒竜」

 

 フェルズが手の中にある賢者の石を、隻眼の黒竜に投げ渡す。

 フェルズは隻眼の黒竜が賢者の石を受け取ったとのを確認すると、ウラヌスへと向き直った。

 

「さらばだ、ウラヌス。叶うのならば、もう一度、天界で──」

「フェルズ……」

 

 最後まで言い終える前に、依り代となっていた骨は地面にバラバラと崩れ落ちた。

 隻眼の黒竜は自分の手の中にあるフェルズの魂── 賢者の石を見詰める。

 

「……こうも簡単に渡してくれるとは、少し驚いた。お前ら神々にとっては、ダンジョンを消し去るとはつまり、絶好の玩具を手放すことと同義なんだろ?」

「娯楽に飢えた他の神々は知らんが、私は元より下界の異変── ダンジョンを探るために降り立った。ダンジョンの真実を了知した今、下界に居座る理由はない。何より、先ほどの話が真であるなら、そなたら異端児も── いや、モンスターも、我が子たちと何ら変わりない。勝手な頼みとは分かっている。モンスターの、囚われた魂を解放してやってくれ」

「貴様に言われるまでもない」

 

 隻眼の黒竜の右腕が鎧のような鱗を纏い、指先から剣のように鋭い爪が生える。

 

「私を殺すか?」

「……ああ、そうだ。殺す理由はないが、今生かしておく理由もない。せめてもの礼だ。苦しませないよう、一撃で楽にしてやる」

「ふっ」

「何がおかしい」

「いや、なに。天界に戻るのに丁度良いと思ってな。我が子らを弄んだ愚神を見つけ出さなくてはならない」

 

 当時、彼のような神がいてくれたら、結果は変わっていたのだろうか。

 しかし、時を巻いて戻す術はない。確かめる手段など、ありはしないのだ。

 隻眼の黒竜── ヴィーは右腕を振り上げた。




【朗報】アリマさん、初負傷【悲報?】

 かなり雑な原作伏線の回収となってしまいました。本当はもっと丁寧に拾いたかったんだけどなあ…… 自分の至らなさに恥じるばかりです。賢者の石が厄アイテムなのはあれですね、某フルメタルアルケミストが悪い。
 感想、評価してくれると嬉しいです。モチベ上がって赫者化します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

牙音

 加速するぞ! スリップストリームで私についてこい!


 

 目を開けると、見知らぬ天井があった。

 天井までの距離が随分と遠く、ディティールまで行き届いたデザインは高級感を匂わせる。

 霧がかかったようにボンヤリする頭を働かせて、倒れた直前の記憶を掘り起こす。

 

「──アリマさんっ!!」

 

 アリマと戦い、負けてしまった。

 腹部を貫ぬかれたあの一撃。意識を断つには十分であり、今こうして生きているのが不思議なくらいの一撃だった。

 殺せたと思い、トドメを刺さなかったのだろうか。いや、あのアリマがそんな甘いミスをするはずがない。

 

「ベル君、起きたんだね」

「フィンさん!」

 

 そこには包帯を巻いたフィンがいた。

 起き上がっているのはフィンだけで、アイズたちは未だ簡易ベッドで眠っている。誰も死んでいない。

 ベルは安堵の息を漏らす。

 

「良かった、皆さんご無事だったんですね……」

「うん、どうにかね。それにしても、ベル君が僕の次に早く起きるとはね。腹部を貫かれ、全身を切り刻まれ、一番の重傷だったそうだよ」

「僕には躯骸再生…… 再生スキルがありますから。傷が治るのは早いんですよ」

 

 上着を脱がされ、包帯でグルグル巻きになっているのに気づく。

 包帯の下にあった傷は既に完治し、IXAに貫かれた腹部でさえ塞がっている。治療班はあまりの回復力にドン引きしていた。

 スキルを差し引いたとしても、異常なほどのタフネス。これもアリマの指導の賜物なのかと、フィンは苦笑いを浮かべる。

 

「あの、ここはどこなんでしょうか?」

「黄昏の館の病室さ。ガレスたちが倒れた僕らを見つけて、ここまで運んでくれたんだよ。リヴィラについても心配ない。ちゃんと怪人たちを撃退できた。どういう訳か、アリマはあれ以降姿を見せなかったそうだからね……」

 

 戦いが終わった安心感からか、ベルの肩から力が抜ける。

 

「フィンさん、お伝えしたいことがあるんです」

「何だい?」

「実は、アリマさんに会う前──」

 

 アリマと戦う前に、ラウルとも戦ったことをフィンに話す。

 

「そうか、ラウルまで……」

 

 確かにショックだが、どこか納得している自分もいた。

 ラウルはドライな性格だが、誰よりも有馬に心酔している節がある。ひょっとしたら、と心の何処かで思っていたのかもしれない。

 

「アリマさんは何を考えているんでしょうか。多分、僕らを殺す気ならとっくに殺せていたと思うんです。だけど、こうして僕たちは生きている」

 

 フィンはベルの言葉に頷いた。

 

「そうかもしれないね。実は僕の左手の親指は、命の危険を感じると独りでに疼き出すんだ。だけど、アリマと戦ったとき── 負けたときでさえ、終ぞ親指は疼かなかった。彼は最初から僕らを殺す気がなかったのかもしれない」

 

 だとしたら、何故殺さないのか。

 その答えは、きっと自分たちが推し量れるようなものではない。

 

「……やっぱり僕、もう一度アリマさんと話したいです」

「あれだけのことをされて、まだアリマのことを信じるのかい? それに、アリマと話し合ったところで、納得できる答えが返ってくる保証も、彼が止まってくれる保証もないんだよ」

「信じます。アリマさんは自分自身を超えさせるために、僕を強くしようとしたんです。アリマさんが何故こんなことをしたのか、僕には聞く義務があります」

 

 その目に迷いはない。即答するベルに、フィンは困ったように息を吐いた。

 

「……アリマは命までは奪わなかったけど、問答無用で襲いかかってきた。少なくとも戦闘不能にしないと、彼から話は聞き出せないと思う」

 

 それに、とフィンは言葉を続ける。

 

「殺さずに負けを認めさせるのは困難だ。ましてや、相手がアリマなら尚更さ。だから僕には、殺す気でアリマと戦うことしかできなかった。それでも、結果はこの様だけどね」

「っ……」

 

 ロキファミリアの主力陣が束になっても、アリマには敵わなかった。それなのに、自分一人で何ができるというのか。

 

「僕は、それでも……」

 

 だけど、僕たちは今、こうして生きている。ベルはアリマを信じる気持ちは強くなっていた。

 アリマに勝つなんて、誰もが不可能と思うだろう。他でもない自分が、最も強くそう思っている。それでも、大切な人がいなくなろうとしてるのを、黙って見ていることだけは──

 

「だけど、アリマが信じた君なら、アリマを超えられるかもしれないね」

 

 フィンの言葉に被って、ドアの開く音がした。

 

「……あっ」

 

 扉の先にはヘスティアがいた。

 目を丸くして、口をパクパク開けながらベルを見ている。

 

「……お、おはようございます、神様」

「み、皆ぁぁあああ!!! ベル君が、ベル君が起きたよおおおおぉぉぉおおお!!!」

 

 黄昏の館中に響く大声で、ヘスティアが叫ぶ。

 

「ベルくぅん!!」

 

 ヘスティアは感極まったあまり、ベルが怪我人ということも忘れて飛びかかる。

 

「ぐへっ!?!?」

 

 躱すわけにいかないので、真正面から受け止め── ようとしたが、満身創痍の体では厳しすぎた。そのまま床に倒される。

 バタバタと慌ただしい足音が響く。リリルカ、ヴェルフ、春姫の3人が病室にやって来た。

 

「ベル様ぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「落ち着けリリ山、ベルはケガしてんだぞ」

 

 ヘスティアと同じようにベルに飛びかかろうとするリリルカ。ヴェルフはそんな彼女のフードを掴み、その場に引き止める。

 

「べ、ベル様の包帯姿……う〜ん……」

 

 春姫はというと、ベルの包帯姿を見て気を失いかけていた。

 リヴィラの街で何が起きたかこの部屋で話すせば、少し騒がしくなるだろう。怪我人がいるのだ、安静にしなくては。

 ベルたちは部屋を移ってから、事の経緯を話し合った 。

 

「まるで御伽噺のような話ですね……」

「……いえ、御伽噺に出てくる悪役なんかよりタチが悪いですよ」

 

 春姫はあまりに現実離れした話の内容に、信じられないといった口調で言葉を漏らす。

 春姫がアリマについて知るのは、冒険者や同僚の噂話のみ。だからこそ、この中にいる誰よりも驚いていた。

 実際にアリマに会えば、異常な強さを心で理解させられる。春姫以外はアリマと何らかの接点がある。アリマならやるという、ある種の信頼が生まれている。

 

「ごめん、ヴェルフ。また鎧をダメにしちゃった……」

 

 ベルの身と引き替えに、兎鎧はラウルの一太刀で粉々に砕け散った。

 自分がもっと上手く立ち回れていれば、鎧も壊れずに済んだかもしれない。ベルは自分の至らなさに頭を下げる。

 

「気にすんな。鎧なんてまた幾らでも造ってやるからよ。それに、お前の命を守れたなら、ぶっ壊された俺の兎鎧も本望だろうさ。というか、毎度のことぶっ壊される兎鎧にも問題があるよな……」

 

 ヴェルフは腕を組みながら、頭を悩ます。

 自分にできるのは鉄を打ち、武具を造るだけ。ベルの隣で戦えるとは思っていない。

 だからこそ、ベルの助けになる装備を調達しなくてはいけない。だが、軽さを追求した鎧とはいえ、一撃で砕けてしまった。

 

「……なあ、ベル。情けねえ話だけどよ、俺が造った鎧じゃなくて、もっと腕の良い鍛治師── 例えば、椿の鎧を装備した方がいいんじゃねえか?」

 

 ベルの力になれない悔しさ、辛さを心の内に押し込めて言う。

 自分より腕の良い鍛治師なんて、このオラリオにはいくらでもいる。冒険者としてトップクラスの実力を有する今のベルなら、どんな鍛治師でも彼を拒むようなことはないだろう。

 しかし、ベルは首を横に振った。

 

「こんなこと言ったら、気を悪くするかもしれないけど…… 確かに、兎鎧より性能のいい鎧は沢山あると思う。だけど僕は、何度も命を救ってくれたヴェルフの鎧がいいんだ。ヴェルフの鎧なら、また僕の命を守ってくれると思う」

「……分かった。それなら、最高の鎧をお前に届けてやる。期待して待っててくれ」

 

 体の奥底かは熱い鉛が湧き上がるような感覚だった。

 気を悪くするなんてとんでもない。ここまで言ってくれるのだ。鍛治師冥利に尽きるものだ。

 どんな手を使ってもいい。この世界で最も性能の良い鎧を造るぐらいの気持ちで臨む。そう、心に深く刻み込んだ。

 

「ヘスティア様、ロキの姿が見えませんが……」

 

 ふと思い出したように、フィンが辺りを見渡す。フィンが起きたときも、ロキはヘスティアと同じように大騒ぎしていた。

 そんな人騒がせな主神がこの場所にいない理由に見当はつくが、一応聞いておいた。

 

「ロキなら例の件でオラリオ中を飛び回ってるよ。今、このオラリオで最強のファミリアの主神だからね。忙しいのも無理ないさ」

 

 納得の表情を見せるフィンと対照的に、ベルはイマイチ要領を得ない表情だ。

 

「神様、どういうことです?」

「そっか、ベル君は眠っていたから知らないよね。リヴィラの襲撃に、戦力の大部分がリヴィラに集まっただろ? オラリオの警護が手薄になっているその隙に、ギルドが襲撃されたんだ」

 

 どくり、と心臓が跳ね上がる。

 

「そん、なっ……!? ギルドにいた人たちは、エイナさんは無事なんですか!?」

「大丈夫、職員の子たちはみんな無事だよ。君の専属アドバイザーのハーフエルフ君も、怪我一つない。だけど、ウラヌスは……」

「……まさか」

「殺された可能性が高い、そうだよ」

 

 エイナたちが無事なのは喜ばしいが、この都市のいわば影の支配者── ウラヌスが殺されてしまったという事実に、恐怖を覚える。

 まるで、オラリオはいつでも攻め落とせるという事実を叩きつけられたようだ。

 

「正面玄関から堂々と入って、一睨みで職員の子たちを動けなくさせたらしい。下手人について分かったのは、体格は大人の男に近いってことくらい。フードを被っていたせいで、職員の子たちでも顔は見れなかったって」

 

 その下手人はレヴィスやゲドと同じ存在── 怪人なのだろうか。そもそも、彼らとアリマの関係性も不明だ。単なる協力者なのか、それともアリマの手下なのか……。

 

「そいつは、どうやってオラリオに来たんでしょう? 地上への道は、沢山の冒険者たちに守られていたんですよ。そんな状況で、通れるわけが……」

「……いや、不可能な話じゃないよ。ダイダロス通りにある人造迷宮があるだろ? 実はあの場所は、ダンジョンに繋がっていると噂されているんだ。そんな場所で奥から強引に道をこじ開けたような破壊跡が確認されて、半壊状態にある。何が起きたかは容易に想像がつくよね」

 

 ベルも人造迷宮については耳にしている。壊して押し通るなんて、ある意味アリマさんらしいおベルは納得する。

 

「オラリオの壊滅が目的なら、僕たち冒険者がリヴィラにいるタイミングが絶好だったはずだ。だけど、そうしなかった。ギルド以外の被害は一切ない。ウラヌス様を殺すためだとしても、アリマの── いや、敵の狙いがまったく読めない」

 

 誰もが無言の肯定をする中、リリルカだけは何か心当たりがある様子でベルを見ていた。

 

「……ヘスティア様、今ここでベル様のステイタスを更新してくれませんか?」

「急にどうしたんだい、リリ山君?」

「どうして皆リリ山と…… いえ、少し気になることがあって」

「僕は構わないけど、ベル君はどうだい?」

「ええ、いいですよ」

 

 羊皮紙を持ってくるから、とヘスティアは律儀に自分で取りに部屋を出た。

 ベルは上着を脱ぎ、ソファーで横になる。男性の裸の耐性が低い春姫は、顔を赤くしながら背を向けている。

 

「すみません、ベル様。安静にしてなきゃいけないのに、無理をさせてしまって」

「大丈夫だよ、ステイタスの更新くらいならなんてことないさ。それに、僕は傷が治りやすいから」

「……ベル様。いくら傷が治りやすいとはいえ、自分の身体を消耗品みたいに考えないでください。取り返しのつかないことになったら遅いんですよ?」

「き、気をつけるよ」

 

 リリルカは心底心配そうな表情を浮かべる。

 アリマの特訓の影響なのか、それとも元来の彼の気質なのか。出会った頃から、ベルは自身の傷について無頓着だった。しかし、今はそれが加速してるように感じる。

 誰かのために、自分の身を削る。その在り方は美しく、ガラス細工のように脆い。

 

「お待たせ、みんな」

 

 ヘスティアが羊皮紙を持って戻ってきた。

 

「いや〜、参ったよ。羊皮紙がどこにあるのか、全然分からなくてさ」

「お手数かけてすみません。では、ステイタスの更新をお願いします」

 

 ヘスティアは指先を針で刺し、ベルの背中に一滴の神血を垂らす。

 

「これは……!」

 

 浮かび上がった神聖文字を読み、ヘスティアが驚愕の声をあげる。

 

「軒並みS以上…… 今すぐにでもランクアップできるよ……」

 

 その言葉を聞き、ベルを含む全員に衝撃が走る。

 

「それじゃあ、ベルはLv6になれるってことかよ…… とんでもねえ成長速度だな、おい」

 

 異常な成長速度だ。しかし、この場にいる誰もが心のどこかで納得していた。

 ベルは冒険者になってから、まだ一年も経っていない。しかし、一年とはいえその密度は他の冒険者と比べて段違いだ。立ち塞がる敵は全て格上。死の淵を彷徨ったのも数え切れない。生き急いでると言ってもいい。

 全ては、アリマに師事してから始まった。そのことを理解してるのは、他でもないベル自身だろう。

 

「リリルカさん、どうしてベル様がランクアップ可能だと分かったのですか?」

「リリは多分誰よりも長く、アリマ様とベル様の稽古を見ています。アリマ様はいっつも、ベル様に無理難題ばかりふっかけてました。不思議と、今回の出来事も同じように思えたんです」

「要するに、ただの勘かな?」

「うぐぅ…… まあ、そうなりますけど……」

 

 フィンの鋭い指摘に、リリルカは思わず言葉を詰まらせる。

 

「いや、すまない。非難してるつもりはないんだ。ベル君を強くするのは、アリマが僕らに語ってくれた数少ない本心の一つだ。むしろ、君の言葉は本質を突いているかもしれない」

 

 アリマがベルを自分より強くさせようとしてるのも、世界を救うためなのも、フィンはロキから聞いていた。

 

「結局のところ、僕らがこうして話し合っても、アリマが何を考えているのか分からない。ただ、その時が来るとしたら──」

「僕が、アリマさんに勝ったときですよね」

 

 その時は、本当に来るのか。答えは誰にも分からない。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 人類未踏の地── ダンジョンの最下層。ある一点を除けば、そこは何の変哲もない、ただの広い洞窟のような場所だ。

 その階層の中心には、柱のように天井まで伸びている赤い結晶がある。これこそがダンジョンの動力源。賢者の石の核だ。

 その結晶の中には、眠るように目を瞑る女性がいた。腰まで届く長い金髪。透き通るような白い肌。人形のように美しいその顔は、誰かと瓜二つであった。

 白い死神── アリマはある人物に想いを馳せながら、結晶の中で眠る女性を見つめていた。

 

「彼女こそが賢者の石の核。魂を磨り潰された王の代わり」

 

 結晶の柱に手を触れながら、隻眼の黒龍ことヴィーは呟く。

 そのすぐ隣には、不安げな表情でヴィーを見るレヴィスの姿がある。

 

「……王」

「心配するな。約束は果たそう」

 

 ヴィーは右手にフェルズの魂── 賢者の石を持つ。

 自分という存在は特異点── ダンジョンから解放されたいと執念が起こした奇跡と考えている。

 この瞬間のために、見知らぬ誰かの屍をいくつも積み上げてきた。戦い続けてきた。彼らの願いに、散っていた前世の己に報いるために。

 それが今、ようやく終わる。その目には、どこか感慨深さを覗かせる色があった。

 

「やるぞ。レヴィス、準備を」

 

 内にある強大な力の塊── 神々の力のほんの上澄みを、右手にある賢者の石へと送る。

 瞬間、最下層に嵐が巻き起こった。賢者の石から莫大なエネルギーが放出され、結晶の柱に直撃する。

 

「……っ!!?」

 

 結晶の柱にヒビが入る。しかし、まだ足りない。このペースでは、こちらのエネルギーが先に底を尽く。

 神の力とはいえ、やはり上澄みだけではダンジョンを壊すに至らない。しかし、これも想定内の事態だ。

 

「レヴィス!」

 

 ヴィーの呼び声に応えて、レヴィスは宝玉を地面に置く。

 宝玉の中で眠る生物が目を覚まし、卵の殻を破るように宝玉から飛び出す。胎児の目は、神の力を発するヴィーに向けられていた。

 宝玉の胎児。その正体はいわば、精霊の力の余剰である。

 核となっているこの女性の精霊の力は、前任の王のそれより遥かに強力だ。そのせいか、ごく稀にだが行き場を失った精霊の力がこの階層で渦巻いてることがある。

 精霊の力を特殊な宝玉によって回収し、地上にいる魔導師(ろくでなし)の手によって生き物の形に変えてもらったのだ。

 胎児がヴィーの肩に寄生する。瞬間、ヴィーの発するエネルギーの量が飛躍的に増加した。

 神の力を以ってしてもダンジョンを壊すには至らない場合の対処法として、宝玉の胎児は創られた。宝玉の胎児に寄生されれば、精霊の力をその身に宿すことができる。その代償として、精神に著しい汚染が及ぶ。これまで何度か実験して得た情報だ。

 

「俺に従え」

 

 精神を侵食しようと迫る魔の手を切り裂くような鋭い声。

 亀裂の走る音が響き、だんだんとその音は大きくなっていく。

 

「──っ!」

 

 結晶の柱が粉々に砕け散る。

 結晶の柱に捕らえられていた女性が解放され、地面へと真っ逆さまに落ちていく。

 地面に衝突する寸前、真っ先に反応したレヴィスが彼女を受け止める。

 腕の中にいる女性が呼吸で揺れていることを確認すると、レヴィスは心の底から安堵したような、救われたような笑顔を見せた。

 

「良かった、本当に良かった……!」

 

 レヴィスの声は僅かにだが震えていた。

 

「核の破壊に成功した。もうダンジョンに魂を囚われることはない。これで…… これで俺たちも、お前も、真の意味で自由だ」

 

 ヴィーはレヴィスが自分に忠誠を誓った日を思い出しながら、労うように語りかける。

 

「賢者の石の新たなる核に選ばれてしまったこの女を助けるため、ゼウスファミリアの冒険者の地位まで捨て、怪人に身を堕とした。契約を終えた今、俺の首を狙おうが、全てを忘れてここから立ち去ろうが、お前の自由だ」

「……いえ。彼女を地上に届けた後も、王のために戦います。それが私にできる、あなたの恩に対する最大の報いです」

「そうか、好きにしろ」

 

 異端児の戦いは終わっていない。

 確かにダンジョンから解放はされた。だが、その後は?

 ダンジョンは間もなく崩壊する。行き場所は地上しかない。

 異端児はモンスターだ。ダンジョンの真実を話したところで、これまで積み重ねられた忌避感はそう簡単に拭えるものではない。こちらの話に耳を傾けてくれない可能性だってある。

 人の手によって排斥されると、ヴィーはそう確信している。人の醜さも、優しさも知っているから。

 このまま黙って殺されるのも、日陰者のようにして生きていくのも真っ平御免だ。

 陽の光の下で、もう一度生きたい。それが異端児たちの── モンスターたちの願いだ。この願いを阻む権利は誰にもありはしない。

 

「ダンジョンの崩壊も始まる。これより、我ら異端児も地上に進出する。オラリオとは総力戦になるだろう。勝利の鍵を握るのはお前だ。頼りにしてるぞ、キショウ」

「……はい」

 

 ダンジョンにいる全てのモンスターと、闇派閥の人間を引き連れてオラリオに攻め込む。

 キショウ・アリマは間違いなくこの世界で最強の個体だ。彼がいるかいないかで、勝率に大きな影響が生じる。

 

「俺はこの件をリドたちに伝えてくる。お前たちも戦いに向けて備えておけ」

「「はっ」」

 

 ヴィーが上の階に繋がる階段へと向かう。

 彼の姿が消えた後、レヴィスも女性を抱えて地上へ向かおうと歩き始める。

 

「レヴィス、少しいいか」

 




 ギュウニュウ……
 感想、評価もらえると嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

亜を征す

 用事にひと段落ついた……

 すなわち、俺

 無敵!!!!!!(何も怖くないよ?)

 ここでエタって
 お前たちに会えなくなる……
 その方がずっと怖いじゃん?


 迷宮都市オラリオ。

 つい最近まであった活気は鳴りを潜め、代わりにピリピリとした空気が蔓延している。

 そんな中、巨大な館がいつもと変わらず悠然と佇んでいる。現在オラリオ最強の派閥であるロキファミリアのホーム、黄昏の館である。

 黄昏の館の正門を守る門番が警戒を強める。

 冒険者らしき装備を身に纏った女性が、髪の長い女性を腕に抱えながら黄昏の館を見ていた。

 

「……おい、何だその女は? ここはロキファミリアのホーム、黄昏の館だぞ。休ませてほしいとかなら、他を当た──」

 

 次の瞬間、正門の門扉が吹き飛んだ。

 

「ここがロキファミリアのホームか」

 

 レヴィスは悠然とロキファミリアの敷地に足を踏み入れた。

 道中現れるロキファミリアの団員たちを蹴散らしながら、先へ進む。実力差もあるが、どうやら抱えている彼女を人質と勘違いして、攻めあぐねているようだ。それならそれで好都合だ。

 しばらく進んだ後、ピタリと足を止める。

 ヒリヒリと焼き付くような、鋭い視線を向けられている。

 

「囲まれている、か」

 

 いつの間にか、ロキファミリアの第一級、第二級冒険者たちが集まっていた。その中にはヘスティアファミリア団長、ベル・クラネルもいる。

 戦力の増強と怪人たちの襲撃に備えて、ヘスティアファミリアは黄昏の館を仮拠点としている。

 

「たった一人でここに乗り込んで来るなんて、随分と甘く見られたもんやな」

 

 レヴィスの正面にはロキがいた。いつものように飄々と笑いながらも、射抜くような眼光をレヴィスに飛ばしている。

 

「まさか。アリマならまだしも、私ではお前らをまとめて相手にするなんて不可能だ」

 

 天界に悪名を轟かせる悪神の威圧。常人ならそれだけで指先一つですら動かなくなるが、レヴィスは顔色一つ変えずに首を横に振る。

 

「ほんなら、どない理由で人質提げてこんなバカなことしとんのや」

「彼女は人質ではない。私の── そう、私の大切な友人だ」

 

 レヴィスは女性を抱えたまま、アイズのいる方向に歩いた。

 アイズは警戒を強め、デスペレートを構える。しかし、レヴィスは気にせずアイズの剣の間合いまで近づく。

 アイズは無意識のうちに剣を下ろした。

 レヴィスの手には武器がない。そして、憑き物が落ちたように晴れやかな顔をしていた。

 

「すまない、アリア。遅くなってしまった」

 

 レヴィスは優しい声でそう囁いた。

 アリア── その名前は!

 アイズだけでなく、古参のメンバーたちにも衝撃が走る。

 思わず剣を離し、レヴィスが友人と呼んでいた女性を受け取る。

 腕に抱えて、初めてその女性の顔を見れた。

 とても綺麗な人だった。誰もが見惚れてしまうだろう。しかし、アイズはそれ以上に感情を揺さぶられていた。

 

「……この、人は…………!!」

 

 思い出すのは、一番古い記憶。そして、最も幸せだった記憶。

 記憶の中にいるのは、ずっとずっと会いたくて堪らなかった人だ。その人を思い出す度に、もう二度と会えないかもしれないという恐怖が湧き上がり、胸を締め付けられるような痛みが走った。

 それが今、目の前にいる。夢や幻覚ではない。

 どうしてこんな唐突に、しかも怪人に連れられて。あまりの混乱に、アイズの思考は巨大な迷路に迷い込む。

 レヴィスの突然の行動に、アイズだけでなく、この場にいる全員が動くことができなかった。

 

「ベル・クラネル」

「!」

 

 レヴィスはベルに目を向けた。慈愛に満ちた表情は消え失せ、戦士の表情に戻っていた。

 

「一週間後のこの時間、21階層の花畑に一人で来い。アリマからの伝言だ」

「……アリマさん、から」

「確かに伝えたぞ」

 

 レヴィスは来た道を引き返そうとする。

 当然ながら、ロキファミリアの団員たちが行く手を阻む。

 

「おいそれと帰すわけにはいかないね。君には聞きたいことが山ほどある」

「私も帰らないわけにはいかない。果たすべき大義が残っている」

「君の行動に大義があるなんて驚きだね。それに、たった1人でこの包囲網から逃げられると思ってるのかい」

「……私がいつ、1人だと言った?」

 

 レヴィスがそう言った瞬間、ある男が人混みから抜け出てきた。

 

「ラウル……!」

 

 ロキファミリアの団員たちに動揺が広がる。

 ティオナがアリマと共に行動したという話も、ラウルがリヴィラの街でベルと交戦したという話も、既に全員に知れ渡っている。

 だからこそ、彼が戦場以外で姿を現すことはないと思っていた。今のラウルにとって、こうしてロキファミリアのホームに足を運ぶのは、敵地に単身で乗り込むのと同義だ。

 それでも、ラウルは表情一つ崩さず、レヴィスのすぐ隣まで歩く。

 

「元気そうで何よりや、ラウル。うちらも随分とあんたを探したんやで。ほんで、ちゃーんと納得のいく説明はしてくれんやろな?」

 

 ロキが鋭い目でラウルを睨みつける。その表情からは隠し切れない怒りが滲み出ている。

 ラウルは返答代わりに徐ろにコートの内側に手を入れ、何かを取り出す。

 

「辞めます」

 

 その手に握られていたのは、辞表と書かれた紙だった。

 そのまま地面に膝をつき、そっと地面に置く。

 ロキのこめかみからピキリと血管が浮き出る音がした。

 

「合わせろ」

 

 ラウルがレヴィスにそう告げた瞬間、周囲を覆い隠すほどの煙幕が張られた。

 辞表の下に、小型の魔道具が置かれていた。ロキたちには知る由もないが、この魔道具はラウルがヘルメスファミリアから強奪してきたものだ。

 ベルたちは感覚を尖らせるが、ラウルたちの気配はまるで霞のように捉えどころがない。

 煙が晴れると、そこには誰もいなかった。

 

「すまない、ロキ。まんまと逃げられてしまった」

「ありゃ仕方ないやろ、謝らんでええ。ったく、ラウルのボケナスが…… スタイリッシュ辞表かましおって。それに──」

 

 ロキはアイズに目をやった。

 アイズは何も言わず、女性を腕に抱えながら立ち尽くしていた。その瞳は今まで見たことのないくらい揺らいでいる。

 

「……私が、医務室に運ぶ」

 

 そして、その声も今までにないくらい震えていて。

 事情を知らない者たちは、アイズに何があったのか聞けず、ただ医務室までの道を開けるしかなかった。

 アイズは周りに目もくれず、医務室まで歩く。

 

「……フィン」

「ああ、分かってるさ。全員、アイズが出てくるまで医務室に立ち寄らないように。今は、アイズとあの人を2人きりにさせてほしい」

 

 アイズの尋常ではない様子に全員が頷くが、レフィーヤだけがおずおずとした様子で手を挙げた。

 

「あの、ロキ様。アイズさんがどうしてああなったのか、理由を知ってるんですか……?」

 

 ロキは仕方ないといった様子で、小さく頷いた。

 

「レヴィスが連れてきよった子は── アリアはアイズのおかんかもしれへん。というより、間違いないやろな。髪がえらい伸びとって最初は分からんかったが、面影がある」

「えっ…… アイズさんの、お母さん!?」

「まっ、今はそのくらいで勘弁してーな。まだ他にも、整理せなあかんことがあるしな。ほんま、どいつもこいつも好き勝手しおって……」

 

 ロキは頭が痛そうに眉間を押さえる。

 レヴィスの襲来、アイズの母、ラウルの退職、そしてアリマの伝言。あまりに立て続けに起こりすぎて、もういっそ笑けてくる。

 

「ベル、アリマの元へ行くんか?」

「はい」

 

 誰もが不安を感じ、混乱しているこの状況で、ベルは揺るぎない目をしていた。

 既に覚悟が決まっている。

 アリマがベルをここまで強く── いや、この強さはきっと、元々ベルに備わっていたものだろう。

 

「……そんな目ができるから、アリマもあんたを選んだんやろうな。うちも君を信じるで。アリマに勝って、ここに連れ戻してきーや」

「ふざけんじゃねえ……」

 

 その言葉は呟くような小ささだったが、この場にいる全員の耳に届いた。

 

「ふざけんじゃねえぞ!! アリマとケリをつけなきゃいけねえのは、俺たちロキファミリアだろうが!! それを…… それを! どうしてアリマと知り合ってから一年も経ってないような野郎に、任せなきゃならねえんだ!!」

「ベート……」

 

 その叫びは、ロキファミリア全員の胸の内を代弁していた。

 しかし、ベートの怒りを受けて尚、ベルの瞳は揺るがない。

 

「確かにロキファミリアの皆さんと比べて、僕はアリマさんと過ごした時間は少ないです。だけど、時間の長さなんて関係ない。アリマさんと決着をつけるのは、僕だって譲れません」

「そんなのこっちだって同じなんだよ!」

「……これ以上は平行線ですね。なら、どうすれば認めてくれますか?」

 

 互いに譲れぬモノがあるのなら。そして、冒険者であるのなら。

 どうすればいいのかなんて、決まっている。

 

「強エヤツが上に立つ!」

 

 強い者が意見を通せる。それが冒険者の── 世界の道理だ。

 

「……そう」

 

 ベルは納得したように微笑んだ。しかし、その目は氷のように冷たい。

 

「じゃあ来なよ。潰したいんだろ?」

 

 ベルの挑発めいた台詞に、ベートの口角は凶暴に吊り上がった。

 

「そのとーり」

 

 ベートは一瞬でベルとの間合いを詰める。

 

「だッ!!!」

 

 ベルは僅かに上体を後ろに反らす。

 顔があった位置をベートの蹴りが通り過ぎる。風圧でベルの白い髪が揺れる。

 Lv6に違わぬ強力な蹴り。まともに受ければ、頭の原型がなくなるだろう。

 

「あの馬鹿犬…… 性懲りも無く!」

「待つんだ、ティオネ」

 

 仲裁に入ろうとしたティオネを、フィンが制する。

 

「今割って入るのは、あの2人にとっての侮辱だよ」

 

 これはただの喧嘩ではない。2人とも、大切な何かを懸けて戦っているのだ。何より、フィンも見届けたくなった。アリマが選んだベル・クラネルがどれだけ強くなったのかを。

 ティオネもそれを理解し、立ち止まる。フィンの命令なら、たとえ理解していなくても立ち止まるだろうが。

 リヴィラの街での死闘を経て、2人ともLv6にランクアップした。Lvは同格。しかし、ベルはベートの蹴りを容易くいなし、逆にベートはベルの殴打を幾つかもらっている。

 ここまで水があいてる理由は他にもあるだろうが、決定的なのは対人戦闘の経験の有無だ。ベートはモンスターを殺す技術を磨いてきた。逆にベルは人間を効率良く壊す技術を磨いてきた。この状況は必然だ。

 戦況を覆すべく、ベートは我が身を厭わない決死の攻撃をしかける。

 ベルの拳が額に突き刺さる。

 衝撃で世界がブレる。意識が遠のく。それでもベートの足は止まらない。

 ベートの岩すら粉砕する蹴りが迫る。ベルは上空へと跳んで躱す。

 

「逃すか── よ!!!!」

 

 ベートは右手を伸ばし、ベルの右足首を掴む。

 

「つかまえたぞォッッ!!!」

 

 ベルを地面に叩きつけようとした瞬間、バキボキと捻じれるような音がした。

 

「なっ!!?」

 

 ベートは驚きで目を見開く。

 ──こいつ、右足を捨てやがったッ……!!

 ベルは上半身を無理やり捻り、ベートが掴んでいる右足首の骨を砕き、皮だけで繋がっている状態にした。これでは掴んだところで意味がない。

 ベルが回復スキルを持っているのは知っている。だからこそ、彼にとってはこんな無茶が最善の行動なのだろう。

 しかし、ベルと同じ条件で実行に移せる者が、果たして何人いるだろうか。

 気が狂いそうな痛みが絶えず襲っているはずだ。それなのに、まるで昆虫の自切のように躊躇いなく……。

 戦慄を覚える。こんなことができる人間の神経がマトモであるはずがない。

 ベルの強烈な蹴りが直撃し、ベートはそのまま吹き飛ばされる。

 ベルは最初から痛みなどないように、顔色一つ変えずに着地する。

 

「ひいっ!?」

 

 レフィーヤが小さく悲鳴をあげる。

 ベルの右足首が跳ねると、捻った方向と逆に回転し、元に戻ってしまった。

 あまりにグロテスクな光景に、何人かの団員の顔色が青くなっている。

 

「……」

 

 ベートは立ち上がることなく、地面に座り込む。そして、口に伝う血を腕で拭う。

 

「……まだやりますか?」

 

 これ以上やるなら徹底的に叩き潰す。ベルは言外にそう告げながら、ベートを見下ろす。

 冷淡に、冷酷に。目の前の少年はそう在ろうとして、仮面を付けている。戦ったからこそ、無理をしているのが一目で分かった。

 

「……もういい」

 

 認めるしかない。かつて蔑んでいた弱者はもう、自分より強くなった。いっそ哀れに思うほど、強くなってしまった。

 

「アリマをここに連れて来い。そんで、ブン殴らせろ」

「はい、約束します」

 

 ベルはそう言いながらベートに手を差し伸べるが、やはりというかベートはその手を振り払った。

 ベルは苦笑しながら、その手を引っ込める。

 

「……」

 

 リヴェリアが複雑そうにベルを見つめていた。

 

「どうしたんだい、リヴェリア?」

「……私も、ベートと同じ気持ちだ。結局、アリマは最後までベル・クラネルを選んだ。今まで共に歩んできた私たちではなく。それが悲しくて、悔しくてな」

「それなら、君もベル君に挑むかい?」

「弁えてるさ。それに、あれを見せられた後ではな。あの少年はもう、私たちの中で誰よりも強くなってしまった」

「……そうだね。ベル君は強くなってしまった。ああやって、自分の身を省みないで戦えるくらい」

 

 果たしてそれが、正しいのかどうか。

 フィンたちにはもう、ベルを信じることしかできない。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 思い出す。遠い遠い昔の記憶。もう戻ることのできない、美しい日々。

 ゼウスファミリアの副団長として、明友たちと共にダンジョンの攻略に励んでいた。喜びも悲しみも、彼らと分かち合っていた。

 その中心にいるのは、いつもゼウスファミリアの団長だった。彼は誰よりも強く、優しかった。彼のような者を人々は英雄と呼び、讃えるのだろう。

 そんな彼をいつも間近で見てきた。だから、惹かれるのは必然だったのかもしれない。

 しかし、彼には既に将来を誓った女性がいた。

 彼女の名はアリア。詳しい話は分からないが、アリアは精霊の血を継がせる実験の成功体として、闇派閥の魔導士に囚えられていたらしい。

 団長はそんな彼女を助けるため、魔導士ごと闇派閥の一派を打ち倒した。英雄が囚われた姫を救う── まるで英雄譚の一節のようだ。

 やがて2人は惹かれ合い、結婚し、子を授かった。その子供の名はアイズ。幸か不幸か、彼女も精霊の血を受け継いでいた。風の魔法、エアリアルを使えるのが何よりもの証拠だ。

 もう、自分の想いが身を結ぶことはない。だが、それでいい。団長の隣が相応しいのはアリアだ。彼らが幸せなら、それで満足だ。

 しかし、そんな彼女の細やかな思いは無情にも踏み躙られた。

 アイズに魔法を教えるため、アリアはよくダンジョンの1階層でエアリアルの練習をしていた。1階層とはいえそこはダンジョン。何が起こるか分からない。だから、信頼の置ける団員たちに護衛させていた。

 守りは万全── のはずだった。

 突如、まるで生きているかのように、アリアの立っていた床に穴が空いた。

 ダンジョンの底に落ちていくアリア。彼女の手を握れなかった無力感は、今でも心に焼き付いている。

 アリアを助けるために、ゼウスファミリアはダンジョンに潜った。こんな危険に付き合う必要はないと団長は言っていたが、それでもほぼ全員が集まってくれた。最終的に、根負けする形で団長が折れた。

 全滅という最悪のケースに備え、アイズはロキファミリアに預けられた。もしも帰ることができなかったとき、アイズが1人で生きられるくらい強くなってほしいと願って。

 ゼウスファミリアは深層の更に深くへ潜った。未踏達の地は、まさに地獄と呼ぶに相応しい有様だった。常識外れな現象、そして獰猛なモンスターたちが襲いかかる。

 1人、また1人と倒れていく仲間たち。それでも前に進んだ。アリアを助けるために。彼らの死を無駄にしないために。

 気づけば、残ったのは自分と団長だけになって── 団長が、自分を庇って倒れた。

 終わりの見えない死の行進。それでも、進むことしか頭になかった。自分を支えていたのは、絶対に団長の思いを果たすという執念だけだった。

 進んで、進んで、ひたすら進んだ。そして、隻眼の黒竜── ヴィーと出会った。

 ヴィーは二つの選択肢を提示してくれた。満身創痍の身で進み続け、やがて死に絶えるか。それとも、怪人となってその命を繋ぎ止める。迷わず、自分は後者を選んだ。

 怪人となった後、ヴィーからダンジョンの真相を聞かされた。異端児のこと。モンスターは元人間だということ。そして、アリアは核に相応しいとみなされて、ダンジョンに── 賢者の石に連れ去られたこと。

 アリアは既に、賢者の石の核と化してしまった。ダンジョンの最下層で実際に目にしてしまった。助け出すには、賢者の石の核を壊すしかない。

 奇しくも、ヴィーの目的もダンジョンを破壊することだった。その日を境に、ヴィーに忠誠を誓った。

 全てはアリアを助けるため。最初はそのためだった。どんな仕事もしたし、幾つもの死体を積み重ねてきた。

 しかし、いつの間にかそれだけではなくなっていた。ヴィーの願い── 人間らしく生きて、死にたいという願いを叶えてあげたいと思った。

 

「成し遂げたよ、みんな…… だからもう、安心して眠ってくれ」

 

 ダンジョンのとある階層。

 辺りは木々で囲まれ、ダンジョンとは思えない安らかな空間である。辺りを一望できる小高い丘に、そこには墓石が建てられていた。

 アリアを助ける。それだけが、自分の生きてる意味だった。それを成し遂げた今、もう自分に生きる意味はない。

 だけど、この身にはまだ価値がある。怪人としての力は、きっとヴィーの目的を遂げる助けになるだろう。

 恩義に報いるのだ。この命を使い潰そうと、ヴィーの悲願を果たしてみせよう。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 ダンジョンに異変が起きたのは、いつからだったろう。

 ダンジョンからモンスターが消えてしまった。厳密に言うと、新しく生まれなくなった。壁や天井から無限に現れてきたのに、ある日を境にパッタリとその現象は無くなった。

 上層から中層にかけてのモンスターたちは、全て狩り尽くされてしまった。

 ダンジョンとは思えない静けさに、誰もが不気味さと恐怖を抱いただろう。

 ウラヌス様が地上から去った今、神さまたちがローテーションでダンジョンから出ようとするモンスターたちを抑えている。だけど、ある日を境にモンスターがダンジョンから出ようとする意志がパッタリと無くなったらしい。

 恐らく、アリマさんが関わっているのだろう。

 この一連の出来事にどんな意味があり、アリマさんはどんな思いを抱いているのか。

 僕はそれを知るために、アリマさんと戦うことを選んだ。

 今、ダンジョンの21階層にいる。

 僕を押し潰してしまいそうな気配をヒシヒシと感じる。それを辿り、ひたすら足を進める。

 アリマさんの強さは誰よりも分かっているつもりだ。それでも勝たなきゃいけない。勝てなければ、アリマさんと話せない。

 アリマさんから貰った一週間で、やれることは全部やった。

 フィンさんを始めとした、ロキファミリアの第一級冒険者たちに稽古をつけてもらった。アリマさんに叩き込まれた技術と、限界突破してランクアップし続けてきたステイタスは裏切らなかった。稽古をつけてもらってから2日。フィンさんを相手に一本を取れるようになった。

 鎧も新調してもらった。ヘファイストス様とヴェルフが合同で造った、その名もアルティメット兎鎧。あまりにもあんまりなネーミングセンスに、リリが「おお、もう……」と言いたげに口を手で覆った。それでも、装着しただけで頑丈さが伝わってくるし、羽毛のように軽い。本当にありがたい限りだ。

 ふと、花の匂いがした。

 曲がり角を曲がると、道の先にある開けた空間が見えた。そこには、色とりどりの花々が懸命に咲いていた。無骨な岩肌の壁や天井と対照的で、その美しさが際立っているように思えた。

 この先に、いる。そんな確信を抱き、花畑を真っ直ぐに進む。

 

「アリマさん……」

 

 白い死神が花々に囲まれながら佇んでいた。

 どこからか吹いた一陣の風が花弁を吹き飛ばし、白い髪を靡かせる。

 その姿は、どうしようもなく儚く見えた。

 僕の存在に気づいたのか、アリマさんはわずかに顔を上げ、僕のいる方を見た。

 彼の右手にはIXAが握られている。しかし、その形状はどこか歪んでいた。ふと、前回の戦闘でIXAの防壁にヒビを入れたのを思い出す。もしかすると、それが原因かもしれない。

 

「……」

 

 アリマさんは何も言わない。ただ黙って、僕のいる方を見据えている。

 静寂が訪れる。まるで嵐の前の静けさを表しているようだ。

 

 

 

 

 ──何の前触れもなく、アリマさんの姿が消えた。

 

 

 

 IXAの刺突をユキムラで防ぐ。

 ミシリ、とユキムラが軋む。そのまま後ろに跳び、アリマさんから距離をとる。

 

「いきなり、ですかっ……!」

「……」

 

 アリマさんは固く口を閉ざす。

 戦いが、始まる──。




 投稿のあと欲情してしまうのはなぜ……? 不思議

 はい、エトしゃんにきもちわるって言われますね。
 原作のホープwww がホープ…… なので、ここのホープはホープ(希望)を持たせてみました。
 炎にくべる薪のごとく感想とか評価とかもらえると嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

生残の引上

 紙の匂いが鼻をくすぐる。

 難しそうな哲学の本から、大衆向けの英雄譚まで、幅広いジャンルの本が棚に並んでいる。

 小さな図書館のように思えるこの部屋は、アリマさんの私室だ。

 この部屋にある本は全て、アリマさんが冒険者になった頃からずっと集めていたらしい。

 

「ベル」

 

 アリマさんは机の横に立ち、僕の名を呼んだ。

 何を言われるのか、僕はもう分かっていた。

 

「今日の稽古のことだが…… 対人戦に甘さが見える。人を傷つけることに躊躇がある」

 

 何も言えず、目線を落とすことしかできない。

 最初の頃は全然だったけど、最近になってモンスターに剣を振るのも慣れてきた。だけど僕は…… 人を傷つけるのは、どうしても怖い。

 アリマさんとの稽古には、いつも本物の武器を使う。僕なんかの攻撃が当たるわけないし、万が一当たったとしてもかすり傷にすらならないだろう。それでも僕は、アリマさんに全力で剣を振ることができなかった。

 

「いつも言ってるだろう」

 

 怒るでもなく、落胆するでもなく、アリマさんは淡々と言葉を紡ぐ。

 

「敵に情けをかけるな、と」

 

 

 

 

ダンジョンに白い死神がいるのは間違っているだろうか

 

 

 

 

 ──アリマさん。僕は、あなたの望むような冒険者になれたのでしょうか。

 

 もう、どれだけの時間が過ぎただろうか。

 感覚を極限まで尖らせているせいか、時間の感覚が盛大に狂っている。ずっと長い時間こうしている気もするし、ほんの一瞬だけな気もする。

 視界の端で、IXAを振りかぶるアリマさんの姿を見えた。

 刃が走ると思わしき空間に、ユキムラを置く。

 瞬間、轟音。

 刃と刃が重なり合い、空気が震える。

 重い。あまりの威力に両腕が吹き飛びそうだ。

 

 ──あなたの目には、僕はもうただの敵としか映っていないのでしょうか。それとも、まだ教え子と思ってくれているのでしょうか。

 

 アリマさんは僕が攻撃を受け止めて硬直している隙を逃さず、IXAを振るう。

 

 ──かつての師に向けて、僕は刃を向けています。哀しんでいますか。それとも何も思っていませんか。

 

 感覚を極限まで研ぎ澄まし、太刀筋を五感で感じ取る。

 後ろに下がりながら上半身を捻り、どうにかIXAの斬撃を躱す。

 

 ──僕は、最後まであなたがわからなかった。

 

 アリマさんはすかさず距離を詰めようとする。

 このまま近付かせるのはマズイ。僕は右の掌をアリマさんへと向ける。

 

「ファイアボルト!」

 

 稲妻のような軌跡を描きながら、橙色の熱線が空を駆ける。

 

 ──僕は、あなたの期待に応えようとした。なのに、戸惑いも、躊躇も、あなたは見せない。

 

 アリマさんは少しもスピードを落とさず、必要最低限の動きでファイアボルトを躱す。

 そして、僕の目の前へと現れた。

 

 ──アリマさん、本当は戦いたくないです……。

 

 アリマさんは少しの躊躇いもなく、そして表情一つも変えず、僕の右脇腹にIXAを突き刺した。

 兎鎧がIXAの切っ先を阻むが、完全にでは無い。兎鎧はヒビ割れ、切っ先が肉に到達している。

 激痛が走る。焼けるような痛み。以前の僕なら無様に泣き叫んでいたのだろうか。

 今の僕の心にあるのは悲しみだった。

 

 ──僕だけですか。

 

 敵に情けをかけるな。昔言われた、アリマさんの言葉を思い出す。やはり僕はもう、アリマさんの敵でしかないのだろうか。

 IXAに貫かれたまま、空いている手で腰の鞘からヘスティアナイフを抜き取る。

 ヘスティアナイフの刃をアリマさんに向けて走らせる。

 アリマさんはIXAを僕の肉体から抜き取り、そのまま距離を取る。

 血が溢れ出るような感覚。しかし、それは一瞬でなくなった。躯骸再生により、右脇腹に空いた孔が塞がる。

 

 ──本当に、喋ってくれないんですね。

 

 何百、何千と刃が交差する。

 弾かれ、躱され、いなして、受け止めて、その繰り返し。手数で押されている。取り回しが難しいはずの矛で、どうしてこうも……!

 今まで何度も、アリマさんと手合わせた。当然、アリマさんは本気を出すことはなかった。

 だけど、今は違う。アリマさんは本気だ。確証はないけど、確信が持てる。

 アリマさんの本気は想像以上だ。でも…… 攻略の糸口も見えてきた……!

 わずかにだかど、アリマさんには防御の偏りがある。向かって左。アリマさんの右目側!

 ユキムラを叩き込む。狙いは勿論、アリマさんの右目側だ。難なく防がれるけど、想定通り。ここで生じるタイムロスを、次の一手につなげ──

 

「まじめにやれ」

 

 突如、膝から下の感覚が無くなった。

 支えがなくなった僕の身体は、吸い込まれるように地面へ落下する。

 地べたに転がり、ようやく気づいた。

 僕の、あしは?

 

「っぁ、アアアァァァ!!??」

 

 あし。あし。あし。ぼくのあし。どこ?

 イタイよ。どうして? いつ切られた? 何も見えなかった。いたい。太刀筋さえ。

 まだ、切断面をくっ付ければ治せる。こわい。こわい。コワイ! コワイ! 違う、動け!

 転がっている右足を掴み、切断面にくっ付ける。少しづつだけど、足が繋がっていく感覚がある。大丈夫、直れ、直る……!

 あとは、左足…… どこだ、どこに……!

 

「どうする」

 

 今にも僕を押しつぶしてしまいそうな、無機質な声。

 顔を上げると、アリマさんは僕の前に立ち、冷たい目で見下ろしていた。

 

「また、死ぬか?」

 

 

 

 

 ──アリマ?

 

 ──……天然、かな。それ以上に天才なんだろうけど。

 

 ──アリマはねー、すっごく強いんだよー!

 

 ──付き合いは長いが、あやつはよくわからんな。

 

 ──やっぱり、冒険者の憧れの1人よね。団長には敵わないけど。

 

 ──ロキファミリアの最重要戦力であるのに違いはない。

 

 ──ムカつくヤローだ。いつかぜってーあのスカした顔に一発ぶち込んでやる。

 

 ──とても強くて、頼りになりますけど…… やっぱり、少し怖いです……。

 

 ──私も、アリマみたいに強くなりたい。

 

 ──……。

 

 ──うちもあいつが何考えとんのかわからんなぁ。でもきっと、根は優しい子やで。

 

 凡人には理解できない。

 孤高の存在。

 最強の冒険者。

 虚無。

 なんだか怖い。

 からっぽ。

 近寄りがたいイメージ。

 モンスターに対しては残酷なまでの。

 何考えてるんだろう。

 ……。

 彼は、死神と呼ばれています。

 みんな彼のことを口を揃えて「わからない」と言います。

 僕も、彼のことはわかりません。

 だけど、僕は彼を父親のように思います。

 

 

 

 

「これが」

 

 アリマさんの声が僕の意識を現実に引き戻す。

 IXAの切っ先が眼前に突きつけられる。僕はそれから、目を逸らせない。

 

「お前の全力か?」

「っぅ……あぁ……!!?」

 

 その場で釘付けになる。

 呼吸が荒くなる。心臓の鼓動が大きくなる。痛み? それとも恐怖?

 身体ごと地面に倒すようにして、放たれたIXAの突きを躱す。

 

「あっ、ひっ……!?」

 

 獣のように無様に地面を這いながら、左足が飛んだ場所へ行く。

 左足を掴み、切断面にくっ付ける。

 治れ、治れ、早く、急げ……!

 アリマさんが、来る……!

 

「がっ!?」

 

 左足が接着したと同時に、肩に鋭利な刃物で貫かれたような痛みが襲った。

 アリマさんはやはり、冷たい目で僕を見下ろしていた。その手に握られているIXAは、僕の肩に食らいついている。

 

「928回」

「……!??」

 

 928── アリマさんが告げた謎の数字に、僕はただ困惑する。

 僕の心中を察したように、アリマさんは続けて言葉を紡ぐ。

 

「俺がお前に致命傷を与えることができた回数だ。同時に、それを見過ごした回数でもある。1秒で、殺せる」

 

 目の前が暗闇に覆われるような絶望。

 だって、アリマさんの言葉だ。疑いを挟む余地なんて、ない。

 

「お前の目は弱者のそれだ。俺を倒すでもなく、止めるでもなく、俺に殺されないように立ち回っている。それでは、俺の敵にすらなれはしない」

 

 アリマさんは僕の肩からIXAを抜いた。

 

「お前(弱者)は、俺(強者)に奪われるだけだ」

 

 呼吸がどんどん荒くなる。

 誰よりもわかっていたはずだ。アリマさんには誰にも勝てないということを。

 それじゃあ、僕はどうして戦って── しっかりしろ、アリマさんを止めるためだろ!

 だけど、勝つなんて…… 勝てるのか、本当に……!?

 

「なにを選んだ」

 

 アリマさんの問いかけに、僕はなにも答えられなかった。

 

「……俺はお前を殺した後、日が沈むまでの時間があれば、地上の存在を全て殲滅する」

 

 地上の存在── 殲滅……?

 アリマさんの言葉が耳に残る。呟くような声量だったのに、頭の中で嫌に響く。

 これまで関わってきた、大切な人たちの顔が浮かんでは消える。

 

「必ずそうする。それが俺の選択だ」

 

 血の海に沈む神様たちと、変わらず血の水面の上に立つアリマさんを幻視する。

 

「お前は?」

「ぼ、僕…… 僕はっ……!!」

 

 ここでアリマさんを止めなきゃ、みんな死ぬ……!?

 勝て、勝つ、勝たなきゃ……!

 だけど、声が出ない。声どころか、全身が凍ったように動かない。

 僕を見るアリマさんの目が、より一層冷たくなった気がした。

 

「ぎぃ!!??」

 

 腹部に衝撃。痛みと共に、やっとIXAで殴られたのだと気づく。

 僕はそのまま吹き飛ばされ、地面を摺ってようやく止まる。

 僕の手足は、未だに凍りついたように動かない。

 

「どうしようもないやつだ」

 

 アリマさんはIXAを携え、近づいて来る。

 その姿はまるで、僕の命を刈り取りにきた死神のように──

 

「もういい。お前に払った時間は、無駄だった」

 

 ──こ ろ さ れ……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強烈な一撃が来る予感がした。

 IXAの防壁を展開する。

 次の瞬間、轟音が鳴り響く。

 右腕に衝撃が走る。この威力、想像以上だ。

 この一撃の正体は、おそらくベル君のヘスティアナイフによる一突きだろう。

 そういえばあのナイフは、持ち主に合わせて強くなる特性だったな。なら、今のベル君が持つヘスティアナイフは、どれだけの力を秘めているのだろう。

 ベル君の気配が遠ざかった。ヒットアンドアウェイを守っているようで何よりである。

 IXAから軋むような音がした。とうとう壊れた、か。ベル君との戦いで元々損傷していたけど、あの一撃がトドメになったのだろう。

 ナルカミもそうだったけど、よくこの瞬間まで保ってくれた。本当にありがとう。

 だけど、未練たらしくIXAを持ってるのはアリマさんのキャラじゃないよね。ということで、投げ捨てます。自分、そういうことは妥協しないんで。

 IXAの柄から手を放すと、ガシャリという音を立てて地面に落ちた。

 さて、遂にこの時が来たか。

 ベル君ならIXAを壊せると信じていた。今なら分かる。有馬さんの「新しいクインケがいる」は、カネキ君と戦うにはIXAよりも強いクインケがいるって意味だったんだ。

 

「渡せ」

 

 一瞬の風切り音。黒いアタッシュケースが天井から落ちた。

 このためだけにわざわざ天井に穴を開けて、ラウルに穴の横でスタンバってもらっている。俺が声をかけたら落とせと、そう伝えている。

 地面に転がっているアタッシュケースを拾う。当然、中身はあの武器だ。

 

「少しはやる気になったか」

「ぁぅぁぁぁ…… ぉぐが、まもんる」

 

 ベル君は獣のような呻き声をあげる。

 意識が混濁してるのか、俺の言葉は届いていない様子だ。

 リヴィラの街以来か。この状態のベルは、強い。本来の強さが十全に発揮されていると言っていい。

 ベルは優しい。それは美点でもあり、弱点でもある。モンスターと戦うときでさえ、無意識にだが動きが鈍る。人間が相手なら尚更だ。

 だが、この極限まで追い詰められた状態になれば話は別だ。本能のままに動くから、余計な思考は削ぎ落とされている。

 両足を飛ばして、脅しをかけた甲斐があった。

 

「アポロンの右腕と、隻眼の黒竜の翼からつくらせた武器だ」

 

 取っ手に付いてあるスイッチを押す。

 アタッシュケースが開き、そして地面に落ちる音がした。

 

「銘はフクロウ。使うのは、お前が初めてだ」

 

 俺の要望通りなら、フクロウとほぼ同じ機能が付いているはず。

 使うのはこれが初めてだが、それでも十全に使いこなしてみせよう。何故なら、それが有馬さんだから。俺の最期も、近づいている。その時まで有馬貴将を貫かせてもらう。

 

「いくぞ、ベル・クラネル」

 

 ベル。願わくば、俺を止めてくれ。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 ──同時刻。

 魔法が飛び交い、人々の悲鳴が響く。

 多数の怪人がダンジョンから現れ、オラリオは再び戦場と化していた。

 しかし、リヴィラの街とは状況が違う。人数でも上回っているし、装備だって万全だ。犠牲を出しつつも、戦況は有利に進んでいた。

 闇派閥であろう怪人たちはオラリオの冒険者たちに包囲され、戦場は既に掃討戦の様相を見せていた。

 フィンは前線で指揮を取り、怪人たちを確実に追い詰めていた。

 

「……」

 

 戦況は確かに有利だ。それでも、フィンの表情は険しい。

 

「どうしたんですか、団長?」

 

 護衛役として側にいるティオネが問いかける。

 

「いや、親指が疼いてね」

 

 敵の数は減り、掃討戦になりつつある。それなのに、親指の疼きが止まらなかった。

 アリマを除いて一番の実力者であろうレヴィスが、未だに姿を見せていないのも気になる。親指の疼きがなくとも、このまま終わるはずがないという確信は誰の心の内にもあるはずだ。

 

「この纏わり付くような重苦しい空気…… まるで階層主と対峙したときみたいだ」

「そうですね…… だけど、あまり心配する必要もないと思いますよ。団長は今、Lv7にランクアップされてるじゃないですか。アリマ以外の敵に苦戦するなんて考えられません」

 

 今のフィンは春姫の魔法── ウチデノコヅチにより、一時的にだがLv7になっている。アリマやオッタルと同じ領域にいるのだ。今の状態でも、アリマに勝てる気はまったくしないが。

 Lv7が敵にいるという事実は、敵からすれば悪夢に等しく、フィンはこの戦いでも数多くの怪人たちを葬った。

 

「にしてもあの狐人め…… 私の団長になんて羨まけしからん……」

「ははは……」

 

 願わくば、このまま何も起きないでくれ。

 そんなフィンの望みを嘲笑うかのように、フードを被った男が怪人たちの集団の中から現れた。

 

「ッ──!!?」

 

 佇まいだけで分かる。他の怪人とは明らかに一線を画している。

 

「奪う行為は等しく悪だ」

 

 男がフードを取る。精悍な顔立ちで、外見だけなら普通の人間と何ら変わりない。

 しかし、刺すような威圧感をヒシヒシと感じる。フィンだけでなく、周りの冒険者、果てには怪人たちですら指一本動かさず、男の言葉に耳を傾けていた。

 

「俺たちは、生まれ落ちたその瞬間からなにかを奪い続ける。生きる限り、同族ですら屠り、殺し、奪い続ける」

 

 男の両眼が赫く染まる。

 その目はまるで、モンスターのような──。

 

「命とは、罪を犯し続けるもののこと。命とは、悪そのもの」

 

 男の両肩から、漆黒の羽が生えた。

 フィンにはこの羽に見覚えがある。あれはそう、ゲド・ライッシュと同じモノだ。

 

「俺は自覚する。俺は悪だ」

 

 この男は何者なのか。そんな疑問すら、この圧倒的な威圧感の前では湧いてこない。

 あるのはただ一つ、この男に全力で抗わなければ、自分たちはここで死ぬという警鐘だけ。

 

「……そして、お前たちも」

 

 黒い流動体が鎧のように男にまとわりつき、やがて鱗のように硬質化し、巨大な龍のような形となった。

 

「さあ、殺しにこい」

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 最初とは打って変わり、ベルの苛烈な攻めはアリマを押していた。

 ベルはヘスティアナイフとユキムラを巧みに操り、アリマ以上の連撃を繰り出している。アリマが距離をとろうとすれば、瞬時に間合いを詰めて、二つの斬撃を叩き込む。

 アリマはベルの攻撃をフクロウで完全に防ぎ切り、反撃もしている。普通の敵なら、既に傷で動けなくなっているだろう。

 しかし、ベルの場合は違う。攻撃しても、傷がたちまち塞がってしまうのだ。どうせ治るのだからと、自分のダメージを度外視した無茶な攻撃ばかりしてくる。

 確かに、見かけはベルが押している。しかし、長期戦になれば、先に力尽きるのは間違いなくベルだろう。傷の再生には、当然それなりの対価が必要になる。

 ただ、アリマには長期戦に持ち込む気など更々なかった。

 アリマは縫うようにして斬撃の雨を潜り抜け、フクロウをベルに叩き込む。ただ、それは斬るのが目的ではなかった。

 ベルは強引に後方へと吹き飛ばされる。地面に着地すると同時に、身構えた。何か来ると、本能がそう訴えている。

 アリマはフクロウを振り上げる。フクロウの刀身には、羽根のような物体が付いている。

 アリマがフクロウを振り下ろすと、フクロウから複数の羽根の弾丸が発射された。ゲド・ライッシュの攻撃と同じだ。しかし、速さも羽根の大きさも、ゲドと比べて段違いだ。

 

「ふぁいあぼると」

 

 ベルは羽根の弾丸に手を向ける。

 複数の橙の稲妻が宙を駆け、羽根の弾丸に喰らいつく。轟音が響き、爆風が吹き荒れる。

 風切り音。羽根の弾丸は黒煙を突き破り、ベルに迫る。ファイアボルトでは止められなかった。

 

「あぎぃ」

 

 肩と腹に羽根の弾丸が突き刺さる。

 ベルは小さく悲鳴をあげた後、乱暴に羽根を抜き取り、地面に投げ捨てた。同時に、傷口が超速で再生する。

 その一瞬、アリマから意識が外れた。

 ベルの背後に回り込んだアリマは、フクロウを横薙ぎに振る。それに反応したベルは、ユキムラでどうにか受け止める。

 

「──遠隔起動」

 

 腹部に激痛が走る。

 ついさっきまで受け止めていたはずのフクロウの刀身は消え失せ、何故か自分の腹部から背中にかけてを貫いていた。

 ベルはそのまま宙に舞い上げられる。度重なる痛みにより、ベルの意識が覚醒しかける。

 

(血肉が、足りな。再生、いや、防御が。無理、回避。思考が、あれ?)

 

 しかし、あるのは圧倒的な絶望のみだった。

 ここぞとばかりに、ベルの全身はフクロウで削られる。鎧は砕け、血が舞い散り、肉が削ぎ落とされる。地面に落ちることすら許されない。

 なす術もなく、ベルはフクロウの斬撃をその身に受け入れるしかなかった。

 

 

 

 

 ──その後はもう一方的な展開で、斬られまくり、裂かれまくり、再生するたびにそこを切り開き。

 

 意識が遠のき、底のない暗い暗い海へと沈んでいくような感覚がした。

 

 ──特に感覚もなく、いっそカレー鍋の中のじゃがいものようなおだやかな気持ちが湧くほどでしたたた。

 

 足掻く気力は既になく、僕は加速度的に海の底へと落ちていった。

 どんどん闇が深くなっていく。光のある場所には、もう戻れない。

 

 ──まあ、頑張った方ではないでしょうか。

 

 死ぬんだろうなと、他人事のようにそう思った。

 

 ──もう、駄目だ。

 

「…………いや、オイ」

 

 誰かが僕の腕を掴み、海の底から引き上げた。

 誰── いや、この手には見覚えがある……!

 

「駄目じゃねえだろ、何諦めてんだ」

「……じい、ちゃん!?」

 

 じいちゃんは呆れたように、だけど嬉しそうにして僕に笑いかけていた。

 

「ほれ、こっから上がるぞ」

 

 海から出て、僕たちは砂の上に腰を下ろす。

 暗く澱んだ空。その下では水平線はどこまでも広がり、砂漠のような砂浜が見渡す限りまで広がっている。

 

「さて、ベルよ。メガネのにいちゃんにボコられて、どうすれば勝てるのか分からなくなっちまったんだろ?」

 

 じいちゃんは胡座をかき、頬杖をつきながらそう言った。自然と、僕は怒られるときのように正座をしてしまう。

 

「……うん。頑張ったけど、やっぱりアリマさんは強すぎるよ。僕じゃ、絶対に勝てない…………」

「ったく、相変わらずだなお前は。かわい子ちゃんたちに絶対に帰るって約束してんじゃねえか。その約束、破っちまっていいのか?」

「……それは」

 

 僕がこのまま帰らなければ、どうなるのか。

 神様たちに、じいちゃんが死んでしまったときのような思いをさせることになる。

 自分の無力を呪いながら、心をナイフでズタズタにされるような苦痛を、一生背負い続けることになる。

 そんな気持ちには、絶対にさせたくない。だけど、僕には……。

 

「俺が聞かせてやった英雄譚で、勝負を途中で諦めるような英雄なんていなかったろ。お前も諦めんじゃねえ」

「僕は、英雄じゃないよ…… あんなに強い人たちには、なれない……」

「バァカ、よく考えてみろ。相手は誰も勝てないようなクソつえー敵で、お前は大切な人たちを守るために戦ってんだろ? コッテコテの英雄譚の山場みてーなシチュエーションじゃねーか。お前はもう、紛れもなく立派な英雄だよ」

「……はは、そうかな?」

「おう、そうだ。それに、お前ならメガネのにいちゃんにも勝てるだろ。なんだそのムキムキボディ。俺と暮らしてたときはあんなにヒョロヒョロだったのによ」

 

 ガハハと豪快に笑いながら、僕の肩をバンバンと叩くじいちゃん。

 僕はそれが嬉しくもあり、悲しくもあった。だって、これは全部幻覚だ。僕の想像でしかない。本当のじいちゃんは、もう──

 

「じいちゃん、ごめんなさい…… 僕、守れなくて、何もできなくて……!!」

 

 たとえ幻だとしても、謝らずにはいられなかった。

 じいちゃんから大切なものをたくさん贈られた。だけど僕は、少しもじいちゃんに何か返すことができなかった。それが悔しくて、悲しくて。

 

「……ベル、お前が気に病む必要はねえ」

 

 じいちゃんは立ち上がると、僕に背を向けて歩き出した。

 

「もう歩けるだろ、行けよ」

 

 じいちゃんはふと立ち止まり、振り返る。その顔には優しい笑顔が浮かんでいた。

 

「どっかの馬鹿な英雄みたいに、命と引き換えにして敵を倒そうなんて…… カッコよく死のうだなんて、考えんな」

 

 

 

 

「約束する。生きてりゃ、いつかまた、俺と会うことができる」

 

 

 

 

「だから、聴こえるまで言ってやる」

 

 

 

 

「かっこ悪くても、いきろ」

 

 

 

 

 生きるため。そして、みんなの元に帰るため。

 じいちゃんの言葉を胸に抱きながら、僕は立ち上がった。




 読者マイ・コスモ
 あなたの宇宙を穢させてはならない…… けして。
 感想・評価してくれると赫者化します。目が増えます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っていなかった

 鐘の音が鳴り響く。

 その音色はどこまでも清廉だ。ここが街中なら、鐘の音が耳に届いた者たち全員を立ち止まらせることだろう。

 その鐘の音は、ベル・クラネルの内側── 言うならば、魂から響いていた。

 ベルは諦めの表情も、刺し違えてでも倒そうとする鬼気迫る表情もしていない。あるのはただ、吹っ切れたような穏やかな笑みだ。

 今この瞬間、鐘の音を聴いている者は1人しかいない。白い死神、キショウ・アリマしか。

 彼は鐘の音を聞きながら、わずかに口を緩めた。まるで、教え子の成長を喜ぶ師のように。

 

 ──ボロボロ、選んだものを何度もひっくり返して、同じことの繰り返し。

 

 ベルは足元に転がっているユキムラを拾う。

 ユキムラを構え、地面を駆ける。その足は蒼白い光を纏っており、これまでとは比にならない速さを生み出す。

 少年が抱いていた英雄への願望は、英雄として戦う覚悟に変容した。

 英雄(アルゴノゥト)。そのスキルの真の効果は、負けられないという想いを糧に、自身の力を常時増幅させること。

 

 ──くだらなすぎる僕は。

 

 刃が交差する。

 衝撃で空気が震え、花弁が舞い散る。

 

 ──かっこ悪い、ダサイ、優柔不断、軟弱者。

 

 アリマから離れ、その場所に転がっていたヘスティアナイフを拾う。

 

 ──それが、僕だ。

 

 もう、迷わない。どれだけ無様だろうと、生きてアリマに勝つ。

 

 

 

 

 

ダンジョンに白い死神がいるのは間違っているだろうか

 

 

 

 

 刃を交じり合わせた後、やや遅れて甲高い音が耳に届く。極限まで研ぎ澄まされた意識と、同様に極限まで鍛え上げた肉体は、既に音さえも置き去りにしていた。

 これ以上ないほど、自分の動きが冴え渡っているのが分かる。アリマさんの動きにもついていけてる。

 この鐘の音が、僕に力を与えてくれる。体力と精神力を代価に力を増幅させる英雄願望とは、似て非なるものだ。僕の想いが、そのまま力に変換されている。

 全てのステイタスが、前とは比べ物にならないくらい上昇している。それでようやく、アリマさんと互角の勝負に持ち込めている。

 正攻法では崩せない。なら、体力が保つ今、膠着状態を打ち破る一手を仕掛けるしかない。

 ヘスティアナイフを持っている右手を背中で隠し、アリマさんとの距離を詰める。

 横薙ぎに振るわれたフクロウをユキムラで受け止める。そして、背中に隠していた右手でフクロウの刀身を掴む。

 ヘスティアナイフは走る瞬間、見えないように背中の鞘に仕舞っている。まさかアリマさんも、フクロウを素手で掴まれるとは思っていなかったはずだ。

 当然、このまま素手で掴んで終わらせるつもりはない。右手に力を集中させる。右手に纏ってある蒼白い光は、より一層輝きを増す。

 

「ファイアボルト!!」

 

 有りっ丈の精神力を注ぎ込んだ、全力全開のファイアボルト。

 爆炎が立ち昇り、轟音が耳をつんざく。

 暴発のような威力に、僕の右腕は焼け爛れる。それと同時に躯骸再生が発動し、剥き出しになった右腕の肉を新しい皮膚が包み込む。

 黒煙が辺りに立ち込める。視界がきかない。だけど、気配で大体の位置はわかる。

 黒煙の中を突っ切って、アリマさんのいる位置へと走った。

 アリマさんは僕の気配を察知し、フクロウを横薙ぎに振る。剣圧が周辺に立ち込めていた黒煙が払う。

 ──何故かは分からない。だけど、その反応は確実にワンテンポ遅れていた。

 

「……僕の、勝ちだ」

 

 やれるという確信があった。

 フクロウの刀身に向かって、全身全霊の力でユキムラを振り下ろす。最後の決着は、アリマさんから貰ったこの武器で──。

 甲高い音が響き渡る。フクロウの刀身が折れ、そのまま宙を舞った。アリマさんはわずかに目を見開いている。

 ざすりと音を立てて、折れたフクロウの刀身が地面に突き刺さる。

 

「……」

 

 アリマさんは何も言わず、根元から折れたフクロウに目を下ろしている。

 

「……終わりです。フクロウは破損しました。その状態では──」

「戦いは」

 

 アリマさんの言葉が僕の話を遮る。

 彼の闘志は、少しも衰えていない……!

 

「──相手を殺すまで、続く」

 

 アリマさんが猛スピードで接近してくる。そして、折れたフクロウを振り下ろす。

 僕はそれをユキムラで受け止める。両腕に衝撃が走るが、やはり破損した状態だ。威力が格段に落ちている。

 

「あなたらしい……!」

 

 それでも、常軌を逸して強いのがアリマさんだ。損傷した武器でも、彼なら十分に戦える。僕以外の冒険者なら、この状態でもきっと勝ててしまうだろう。

 だけど、あくまで向かってくるなら、更に無力化するまでだ。足を攻撃して動きを止めるか、腕を……。

 

「っ……!」

 

 アリマさんは僕の目の前まで足を運び、そのまま砕けたフクロウで僕の腹を突き刺した。

 避けようと思えば、避けられた。だけど僕は、その一撃をあえて受け容れた。

 

「勝負…………はっ、もうついている……」

 

 分かってしまった。アリマさんにはもう、勝つつもりがない。僕に殺されるのを待つようにして、戦い続けている。

 

「こんなこと、もう……」

 

 だけど、僕にはアリマさんを殺す気なんてない。だから、もう──

 

無意味(虚しいだけ)だ」

 

 アリマさんは何も言わず、僕の腹に突き刺さったフクロウを抜いた。

 戦いが終わったのを表すように、辺りは静寂に包まれている。

 僕とアリマさんは何を言うでもなく、そのまま対峙していた。

 

「…………………………俺を殺す気もないか」

「………………………はい」

 

 僕は、アリマさんを殺すために戦ったんじゃない。アリマさんと一緒に帰るために、戦ったんだ。

 

「……………敗北、か」

 

 一陣の風が吹き、花弁を舞い上げる。

 アリマさんは天を仰ぎ、とうとう敗北を受け入れた。

 アリマさんに勝った。喜びも、達成感も思ったより感じない。ただ、ようやく終わってくれたという安堵感があった。

 

「18年間、冒険者をやってきた。相手を前に打つ手がなくなったのは、これが初めてだ」

 

 アリマさんは淡々と言葉を紡ぐ。

 

「最後にもう一度聞く」

「……!」

「本当にトドメを刺すつもりはないんだな」

「……気持ちは変わりません」

 

 アリマさんは僕がこう言うのを分かっていたように、そっと頷いた。

 

「…………わかった」

 

 ──アリマさんは、自分の首をフクロウで斬り裂いた。鮮血が、飛び散った。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 全身から力が抜けていく。俺は重力に身を委ねて、そのまま後ろに倒れていった。

 この感覚、覚えがある。あれは確か…… そう、歩道橋の階段から落ちたとき。頭から血が抜けて、どんどん死が近づいてくる感覚があった。

 あのときは、頭の傷の痛みと、自分がこの世界から消える恐怖でいっぱいだった。

 だけど今は、痛みも、恐怖もない。それどころか、どこか心地良さすら感じる。

 

「なにやってん……」

 

 ベル君の声がした。

 地面に叩きつけられる瞬間、おそらくベル君の腕で抱えられる。

 

「ですかッ!!!」

 

 ……そういえば、ベル君にこうやって怒鳴られるのは初めだな。

 

「ずっと、待っていた」

 

 口から血が溢れる。だけど、まだ時間はある。きっと、全てを伝えられるはずだ。無駄に頑丈なLv7のこの体に、初めて感謝する。

 

「アリマさん、今地上から薬を……!」

「聞け、ベル。俺にはとうに時間は残されていなかった。時期が…… 早まっただけだ」

 

 ポーションやエリクサーを使ったって、ほとんどない俺の寿命を延ばすだけ。

 それに、ベル君が地上に行って、戻ってくるまでに俺は保たないだろう。

 だから、俺はこの階層を選んだ。ダンジョンと共に消え行く運命にある徒花が、誰に見向きされなくとも懸命に咲き誇る、この場所を。

 

「……俺は、人ではない」

「……!?」

 

 ベル君の驚いた様子が伝わってくる。そうだよな、驚くよな。俺も、初めてこの事実を知ったときは驚いたよ。

 

「俺は、人間とモンスターの血の混じった出来損ないの、半人間だ」

「モンスター…… 半、人間……!!??」

「いつからか、ダンジョンに人間としての面を色濃く反映したモンスターたちが生まれた。彼らは異端児と呼ばれている。個体差はあるが人間と同等の知能を持ち、言葉を交わすこともできる。外見も、他のモンスターよりずっと人間に近い」

 

 幼少期は、リドたちと一緒に暮らしていた。共に過ごして、どいつもこいつも気のいい奴ばかりだとすぐに分かった。今となっては、懐かしい思い出だ。

 だから俺は、あいつらがヒトに殺されるのも、ダンジョンで地上に出るのを夢見ながら死んでいくのも、納得できなかった。

 

「俺の右目。お前は気づいていただろうが…… その機能は完全に失われている。俺の左目も、もうほとんど何の像も映していない」

 

 だからもう、何も見えていない。今、ベル君がどんな表情をしているのかさえ、俺は目にすることができない。多分、有馬さんよりも症状が進行している。

 戦ってる時も、何も見えなかった。音と、空気の流れと、研ぎ澄ました感覚でどうにか戦えていた。ちなみに、右目側に防御を偏らせていたのはわざとだ。ベル君を試す意味で、わざとそうした。

 だから、ファイアボルトの大爆発のときは焦った。爆音で耳がイカれそうになった。おかげで、有馬さんならしないような致命的な隙を晒してしまった。俺もまだまだだ。だけどこの反省は、もう活かさせることはないだろう。

 そう思いながら、俺は言葉を続ける。

 

「緑内障…… ありふれた病だ。そう、老人にとっては」

「ろう…… じん…………?」

 

 ベルは俺の言葉を理解できていない口調だった。

 

「俺の肉体は常人よりも早く朽ちる。俺の寿命はすぐそこまで尽きかけていたんだ」

「寿命…… 尽きかけ……? うそだ、そんな、アリマさんが……!!」

「まだ話は終わっていない、最後まで聞いてくれ」

「っ……」

 

 俺の肩を掴むベル君の手の力が強くなる。

 精一杯耐えてくれていることに感謝しながら、錆付いたように動かなくなっていく口を開いた。

 

「人間とモンスターの間に産まれてきた子供は、人間とほとんど変わらない。魔石を持つわけでもない。鋭い爪や牙を持つわけでもない。違うのは多少身体能力が高いことと、早く死ぬという二点だけだ」

 

 俺の身体能力は、短い命の対価のように思えた。その生き方は、今この場所で咲いている花と同じように思えた。

 だから、最後はこの場所を選んだ。

 

「ア、アリマさんは…… なんのために、こんな……」

「隻眼の黒竜を知っているか?」

「…………っ、はい」

「そいつが俺の父親で、ヴィーという名前だ。母は俺を産んだ後、人間に殺された」

 

 母親の話は、俺もよく知らない。

 ヴィーが肉を求めて地上に出た際、裏路地で野垂れ死にかけていた孤児の母と出会った。

 母を連れてダンジョンに戻り、共に暮らし、惹かれ合って…… やがて、俺が産まれた。

 俺を産んだ後、母は怪物狩りに来た冒険者たちから異端児を庇い、殺された。

 ヴィーは最初、人間と共存する道を探していた。その日を境に、ヴィーの方針は人間を支配するそれに変わった。

 ヴィーもなんだ。あいつも、この間違った世界に人生を歪められた被害者だ。

 

「モンスターは元々、人間だった。彼らは神の娯楽の道具として、ダンジョンに囚われていたんだ。人々の魂を使い回し、モンスターを生み出す装置。それがダンジョンの正体だ。異端児は…… システムの不具合。ダンジョンからすれば、バグみたいな存在だ。ヴィーの目的はダンジョンを破壊し、異端児を再び人間として生きさせることにあった」

 

 ヴィーはいつも言っていた。

 神に弄ばれた命。だけどせめて、人間として生きれる可能性がある異端児だけは、人間らしく生きさせてやりたいと。

 

「彼は、異端児と人は分かり合えないと決め付けている。だから、異端児が平穏に暮らせるように、地上にいる全ての人間を屈服させるやり方を選んだ。俺も、そのやり方が間違っているのは分かっている。それでも、唯一の肉親だ。裏切るわけにはいかなかった」

 

 ヴィーの計画が進めば、その分だけ顔も知らない誰かの屍が積み上がっていく。それでも、俺はヴィーを止めることはできなかった。

 だって、ヴィーの願いは誰よりも純粋で、間違いなんかじゃなかったから。

 ベル君に託そうとしてる時点で、ヴィーの願いを踏み躙っているのは分かっている。だけど、ヴィーのやり方では誰も幸せになれないと、どうしてもそう思ってしまう。

 俺は、有馬さんのように生きることを盾にして、誰かに押し付けることを正当化しようとしていた。卑怯者だ。それでも、俺は──。

 

「アリマさんは…… 僕に何を望むんですか?」

「……」

 

 ずっと隠してきた俺のスキル、隻眼の王。

 俺が死ぬとき、俺が敗北を認めた相手に、俺の全てを受け継がせるというスキル。

 ベル君は多分、この世界で誰よりも強くなる。それこそ、神の領域に足を突っ込むかもしれない。降って湧いた強大な力。それでも、そんなものに振り回されず、正しいことに使ってくれると、俺は信じている。

 だから、その力で──

 

「ヴィーを止めてくれ。そして、異端児たちを守ってくれ。俺では、ダメだ。あいつらを最後まで守ることは、できない。お前が王として、異端児を導いてくれ」

 

 何故なら俺は、もうすぐ死んでしまう身だ。異端児を最後まで守れない。

 俺やヴィーという抑止力がなくなったとき、人間たちは異端児を排除しようするだろう。それだけ、モンスターと人の間にある溝は深い。

 だから、誰かに託すしかなかった。強くなるのはもちろん、他人のことを思いやれるような、優しい誰かに── カネキ君のように。

 

「頼む、お前にしかできないことなんだ……」

 

 永遠にも感じる間。

 ベル君はまだ、何も答えない。

 

「……分かり、ました。僕が、異端児を守ります」

 

 その答えを聞いて、心に絡みついていた鎖が、ようやく解けたように感じた。

 もう何も見えなくなった右目から、自然と涙が溢れ出た。

 

「……ありがとう」

 

 ああ、意識が遠のく。もうそろそろ、時間だ。

 

「お、おれは……」

 

 伝えるべきことは、全て伝えた。それでも、俺はまだ言葉を紡ごうとしている。

 

「ずっと、異端児たちを守ってくれる英雄を、探していた。時間ばかりが過ぎて、もうダメかもしれないと諦めかけていた。だけど、あの日、お前と出会うことができた。だから──」

 

 

 

 

「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っていなかった」

 

 

 

 

 あの日、ベル君と出会ったのは必然だった。

 俺はきっと、この瞬間のために、生きてきた。この選択はきっと、間違いなんかじゃない。ベル君に希望を託したのは、間違いなんかじゃないんだ。

 

「……やっと、託せる。何かを残すことができる」

 

 だから、ベル君。君が気に病む必要はない。

 誰よりも死を欲していたのは── 死神()自身なのだから。

 

「アリマ、さん……!」

「有馬…… か。おれは…… 有馬貴将として、ちゃんと生きていけたか……?」

「なにを…… なに言ってるんですか!!! アリマさんはアリマさんですよ!!! 僕が尊敬する、たった一人の……!!!」

「……そうだな。俺は、キショウ・アリマだ」

 

 最後の後悔。それは、有馬貴将としてベルと接してきたこと。ずっとずっと、本当の自分の言葉をかけることができなかった。ベルと本当の意味で向き合っている気がしなくて、心にずっと棘が刺さっていた。

 だから、最期だけは自分の言葉で。ここまで頑張ってきたんだ。この瞬間くらい、大目に見てもいいだろう。

 

「ベル…… ごめんな、辛い思いをたくさんさせて。だけどおれ、お前と会えて、幸せだったよ」

 

 そう、息子ができたみたいで幸せだった。

 失っていくしかないのは、この世界でも同じ。だから、唯一の希望はつなぐことだ。ベル君こそが、自分の行動が、自分の生きた時間が、無意味なものじゃないという証明になる。

 天に向かって手を伸ばす。

 もう笑ってしまいそうになるくらい、俺の腕は鉛のように重くなっていた。

 それでも俺は、手を、伸ばした。伸ばしたかった。

 

「叶うなら、もっと、お前と……」

「アリマ、さんっ……!!!」

 

 ──生きて、みたかった。

 

「………………べ……ル……」

 

 遠くで、誰かの泣き叫ぶ声が聞こえた。

 俺の意識は、微睡みに溶けていった。もう二度と目覚めることない、静安なる微睡みへ。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 アリマさんが、しんだ。僕の腕の中で、眠るように死んでいる。

 涙はもう、枯れてしまった。胸を締め付けるような哀しみが、今も降りかかっている。だけど、それだけじゃない。

 アリマさんは、僕に託してくれた。

 隻眼の王。アリマさんが死んだ瞬間、彼の力が僕に受け継がれたのが分かった。

 半人間。異端児。隻眼の黒竜。まだ、わからないことがたくさんある。だけど、アリマさんは僕を信じて、僕に託すために戦っていることがわかった。それだけで、それだけで十分だ。

 ふと、足音が聞こえた。足音は一つ分。少し離れた場所に、複数の気配もある。

 

「ベル・クラネルだな」

 

 この声は、ラウルさん……。

 ラウルさんはアリマさんの部下だ。敵なのか味方なのか、わからない。アリマさんが死んだこの状況、仇を取るために背後から襲われてもおかしくない。

 だけど僕は、振り返らなかった。あと少しだけの時間、こうしていたかった。

 

「……アリマさんは、亡くなられたのか」

「……はい」

「……そうか」

 

 僕がアリマさんを殺したと思っても仕方ない状況なのに、ラウルさんは怒るでもなく、動揺するでもなく、ただありのままに事実を受け止める。

 

「ラウルさん、敵ならあなたも……」

 

 言葉の途中で、ラウルさんは僕に近づいた。

 まるで、僕が攻撃なんてするわけないとわかっているように。

 

「戦う気はない」

 

 ラウルさんは片膝を地面につき、僕の腕の中で眠っているアリマさんを見つめた。

 

「自刃か」

「……──はい」

 

 アリマさんの喉元の傷を見ながら、ラウルさんはそう言った。その言葉に、僕は短く肯定することしかできなかった。

 足音が複数聞こえる。遠くの場所で固まっていた気配が、だんだんと近づいてくるのがわかった。

 振り返ると、そこには様々な種類の人型モンスターたちと、ラウルさんと一緒に姿を消したはずのティオナさんがいた。

 ティオナさんは目を赤く腫らしていて、いつもの元気な姿からは考えられないほど表情を暗くしていた。

 

「……ねえ、ラウル。私も、アリマにお別れを言ってもいいかな」

「ワタシ、たちも……」

「……ああ」

 

 ラウルさんが小さく頷く。

 僕はアリマさんを地面にそっと寝かせて、ラウルさんと一緒にその場から離れた。

 

「ゆっくり休んで、アリマ。あなたの想いは、私たちがちゃんと受け継いだから」

 

 ティオナさんはそう言いながら、太腿の上にアリマさんの頭を乗せた。アリマさんの頬に、数滴の涙が零れ落ちた。

 ティオナさんのその姿は、我が子の眠りを見守る母親のようだった。

 

「アリマ…… アリマァ……」

「……がんばったんだね、アリマ。ごめんね、ずっと辛い思いをサセて……」

 

 全員がアリマさんを囲みながら、涙を流していた。僕はただ黙って、その光景を見ていた。

 

「ラウルさん、彼らが……」

「異端児だ。キショウ・アリマは、彼らの希望だった」

 

 彼らが、異端児。

 アリマさんの死を悼む彼らを見て、思う。彼らは化物なんかじゃない。僕ら人間と、何も変わらない。

 だって、言葉も話せて、誰かのために泣けるのだから。姿形なんて、些細な問題だ。

 

「ラウルさん…… あなたは……?」

「俺はただの部下だ」

 

 ラウルさんの言葉はそれだけだった。だけど、その言葉からはラウルさんなりの哀しみと、アリマさんの意志を継ぐ決意が感じられた。

 

「ついて来い、この戦争を終わらせる。俺たち異端児一派はキショウ・アリマの命により…… 隻眼の王の指揮下に入る」

「隻眼の、王……」

「異端児たちを束ねる者の名だ。受け継いだんだろう、隻眼の王を」

 

 ラウルさんは全てを知っていた。いや、もしかしたら僕以上に事情を知っているのかもしれない。

 

「……最初から、こうするつもりだったんですね」

 

 ラウルさんは黙って頷いた。

 

「ラウルさん、僕もアリマさんにお別れを言っても?」

「ああ」

 

 折れたフクロウを拾う。

 アリマさんの元へ足を進めると、異端児たちとティオナさんがその場から離れた。

 気を遣わせてしまっただろうか。辛いのは、僕だけじゃないのに。だけど、今はその気遣いが素直に嬉しかった。

 花々に囲まれて眠っているアリマさんの前で両膝を地面に突き、フクロウを墓標代わりに地面に突き刺す。

 

「アリマさん……」

 

 彼はもう、目を開けることはない。だけど、その意志は僕らの中で……。

 フクロウを両手で握り、目を瞑る。

 思い出すのは、アリマさんと初めて会ったとき、

 

 ──ぼくをなんどもころしたひと。

 

 一緒に稽古をしたとき、

 

 ──ぼくをつよくしてくれたひと。

 

 モンスターと戦ったとき、

 

 ──ぼくに希望をたくしたひと。

 

 本気でぶつかり合ったとき、

 

 ──アリマさん。

 

 そして、笑いあったとき。

 

 ──あなたはぼくのせんせいで、

 

「僕、幸せでしたよ」

 

 ──おとうさんでした。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 隻眼の黒竜が現れてから、戦況は一変した。

 示し合わせていたかのように、囲むようにして怪人たちが現れた。その中には、おそらく怪人たちのリーダーであるレヴィスもいる。

 一箇所に固まっていた冒険者たちは、一転して囲まれる側となってしまった。

 第一級冒険者たちは隻眼の黒竜に、残りは怪人たちにといった具合に戦力が分断された。

 現れた怪人たちは、最初に現れた怪人たちと比べて段違いに強力だった。

 冒険者たちの屍が、どんどん積み重なっていく。ある者が戦意を無くし、レヴィスに跪いて祈るように手を合わせていた。

 

「頼む、見逃して、見逃してくれ!!」

 

 レヴィスは冷徹な目で、その冒険者を見下ろしていた。

 

「あぴゃ」

 

 小さな断末魔が響く。

 ごとり、と首が地面に落ちた。

 

「……ダメだ。お前たちはここで滅されろ」

 

 糸が切れた人形のように、体の方も地面へと倒れる。

 レヴィスは剣を払い、刀身にこびりついた血を地面に飛ばす。

 次の獲物を求め、レヴィスは視線を走らせる。

 そして、気づく。かつての戦友の忘れ形見が、自分に剣を向けていると。

 

「レヴィス……!」

「……私に構っていいのか、アイズ? 全員でかからなければ、隻眼の王には勝てんぞ」

「あなたを止めるのが、私の役割。……それに、あなたには聞きたいことがたくさんある」

「私に話すことなどないが…… お前だけは、死なせるわけにはいかない」

 

 2人の剣が重なり合う。

 場所は変わり、戦場の中心。

 隻眼の黒竜とアイズを除いたロキファミリアを始めとした主力メンバーが戦っていた。

 隻眼の黒竜はその巨体からは考えられない速さで動き、近づく機会すら与えない。魔法を当てようとも、その硬い鱗を貫くことはできない。

 Lv7にランクアップしたフィンがいても、未だに攻めあぐねていた。長期戦に持ち込まれれば、倒れるのは間違いなくフィンたちだ。

 

「総員、撤退だ!! 怪人の包囲網を破って、戦線から離脱しろ! 隻眼の黒竜は僕が抑える!」

「団長、ですが階位昇華が!!」

「行け、団長命令だ!」

 

 階位昇華が効く時間はあとわずか。それでも今の自分なら、時間稼ぎくらいはできる。

 全滅だけは、絶対に避けなければいけない。第一級冒険者がいなくなれば、人類が隻眼の黒竜に対抗する術はない。

 小人族の未来── いや、人類の未来のため、この身を贄に捧げよう。ティオネたちが逃げてくれれば、希望はまだ潰えない。

 

『逃すと、思うか?』

 

 隻眼の黒竜が空高く舞い上がった。

 そして撒き散らされる、羽の雨。

 一撃一撃が、ひとを殺すにはあまりにも過剰な威力を秘めている。誰一人生きて帰さないと、そんな想いが強く感じられる。

 あまりにも圧倒的。隻眼の黒竜は、まだ本気ではなかったのだ。この場にいる全員が絶望に呑まれ、死を覚悟する。

 

『!!!』

 

 羽の雨を、炎雷が焼き焦がす。

 何が起きたのか、全員が理解できなかった。

 ただ唯一、魔法に長けたリヴェリアだけが、事態を把握しかけていた。

 

「これは、ファイアボルト……!? だが、ありえない……!! 何だこの出力は……! それに、この魔法は……!!」

 

 この魔法は、アリマのナルカミ──!

 空気が震える。あれだけ激しい戦闘音が響いていた戦場が静まり返る。

 全員が感じ取っていた。

 何かが、来る。

 途轍もなく強大な、何かが。

 

 ──私たちのネガイを聞くヒツヨウハ、モウありません。

 

 ──コロシタンダロウ、セキガンノオウヲ?

 

 ──キショウ・アリマを殺した冒険者は、かならず最強の存在となる。

 

 ──それは煌々と、太陽が放つ暈のように。

 

 ──ありまがあたためていた、玉座。

 

 ──座すも壊すも、お前次第だぜ。

 

 風が、凪いだ。

 この戦争を終わらせるため、一人の少年が隻眼の黒竜の前に降り立つ。

 

()は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「隻眼の王だ」

 

 

 

 

 

 

 

 




英雄(アルゴノゥト)
・勝ちたいという想いを力に変え、自身のステイタスを大幅に増加させる。
・反動はない。ぶっちゃけチート。

隻眼の王
・これまでの経験値、技術、魔法を、自分に勝った者に受け継がせる。
・自分が死ぬことで発動する。孤独の王様同様、戦闘には何も役に立たない。



 私自身、1話からずっとこの瞬間を待ち続けていました。
 読者の皆様も、思いの丈をぶつけてきてほしいです。
 次回で最終話というか、エピローグです。投下するまで時間が空くかもしれません。気長に待ってくれると幸いです。
 では、最終話でまたお会いしましょう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

そして、ダンジョンに白い死神がいるのは──

 隻眼の黒竜と化したヴィーは、信じられないものを見るような目をベルに向けている。

 

『貴様は…… ベル・クラネルか!? 何故だ、キショウが始末しに向かったはず……!』

 

 取り逃がしたのか、キショウが。ヴィーは確信もないのに自然と、そう結論づけていた。

 アリマは自分よりも強いのだ。そんな彼が、誰かに負けるわけがない。ヴィーは誰よりもアリマの力に信頼を置いている。

 

「彼は、僕が倒しました」

『……馬鹿、な………… キショウ……』

 

 だからこそ、ベルの言葉は衝撃的だった。

 自分と同じ隻眼の王を名乗る少年。まだ、20にも満たないだろう。

 しかし、この刺さるような威圧感──。目の前の少年の言葉を、嘘だと切って捨てることができない。

 

「あなたを止める。それがここに来た理由だ」

 

 鐘の音が響いた。

 天まで響くような、清廉な鐘の音。怪人たちですら戦うことをやめ、じっとその鐘の音を聞き入った。

 ベルの全身が、蒼白い光を纏う。ベルの力がさらに跳ね上がったのに気づいたのは、果たして何人いるだろうか。

 

『やってみろ、ベル・クラネル。キショウが倒されようと、俺は止まらない!』

 

 隻眼の黒竜の爪と、ユキムラが重なり合う。

 衝撃波が巻き起こる。地面はひび割れ、礫は宙に舞う。

 

「……ッ、王!」

 

 レヴィスは焦った様子で、隻眼の王同士の衝突を見ていた。

 あれと、戦わせてはいけない──!

 レヴィスの本能がそう訴えかける。

 加勢しなければ。アイズを無視して、隻眼の王たちの戦場へと向かう。

 

「待って!」

「引き止めろ!!」

 

 怪人たちがアイズの行く手を遮る。

 これだけの数、いかにアイズといえども突破するには時間がかかるはずだ。

 

「!!??」

 

 反射的に剣を構える。敵が、いる。

 斬撃を受け止める。首を狙っていた。完全に取りに来ている。

 両手が痺れ、剣が軋む。重い一撃だ。かなりの使い手だと、そう直感した。

 

「きさ、ま……」

 

 自分に攻撃を仕掛けた相手は、レヴィスが見知った人物だった。

 

「裏切ったか、ラウル・ノールドッ!!!」

「……」

 

 ラウルは酷く冷めた目で、レヴィスを見る。

 

「お前たちの仲間になった覚えはない。俺は最初から最後まで、アリマさんについていっただけだ」

 

 ……何も、問題はない。そうだ、今までと何も変わらない。目の前に立ちはだかる障害は叩き潰す。この男を殺して、先へ進むだけだ!

 

「どけえええええええ!!!!」

 

 レヴィスの怒涛の連撃に、ラウルは後ろに下がりながらもいなす。

 

「王の戦いに横槍はさせない」

 

 ラウル・ノールド。

 アイズ・ヴァレンシュタインを始めとするロキファミリアの第一軍と、なんら遜色無い実力を持っている。

 しかし、その実力を覆い隠して余りある華のなさで、巷で話題になることはまずない。超凡夫という二つ名も、神会史上最速で決まった。

 だが、それでも彼は──

 

「お前も」

 

 ラウルは伸び切ったレヴィスの腕を絡み取り、地面に倒す。

 レヴィスはうつ伏せになって倒れる。起き上がろうとするも、身体の上に乗ったラウルにより右腕は足で踏みつけられ、左腕は手で掴まれる。

 ひやりとした金属特有の冷たさが首筋に走る。ラウルは空いてる手でナゴミを持ち、レヴィスの首に刃を当てている。

 

「黙って、見ていろ」

 

 ──キショウ・アリマに師事した一人だ。

 その強さは、対人戦でこそ発揮される。

 長い間アリマに教わってきたのは、格上を殺すための戦い方だ。

 

「それができないのなら、首を刎ねる」

 

 刃が食い込み、血が流れる。

 レヴィスが見たラウルの目は、少しも揺らいでいなかった。

 脅しでも何でもない。身動きを取れば、彼は呼吸をするように自分の首を刎ねるだろう。

 

「ああ、そうしろ──」

 

 自分の命惜しさに黙って見ているくらいなら、たとえこの命を投げ出すことなろうとも!

 ラウルが首を刎ねようとした、その瞬間。

 

「ラウル!!」

「……」

 

 ぴたり、とラウルの動きが止まる。

 ラウルは声のした方に視線を移すと、そこには息を切らしているアイズの姿があった。

 

「この人は、私が見てる。だから、お願い。殺さないで……!」

 

 短い間、ラウルとアイズの視線が交差する。

 

「ぐっ!?」

 

 レヴィスの背中にナゴミが突き立てられる。

 ラウルはレヴィスの背中から降りると、手近にいる他の怪人へと向かった。

 アイズは慌ててレヴィスに駆け寄り、間髪入れずに拘束する。

 

「良いのか、私を生かして」

「勘違いしないで。あなたがしたことは、許されることじゃない。だけど、このまま逃げるように死ぬなんて、絶対にダメなこと。だから、生きて」

 

 レヴィスは大きく目を見開いた。

 アイズの姿が、かつての団長の姿が重なった。

 

「……お前は、団長にそっくりだな」

 

 懐かしそうに、そして嬉しそうに、レヴィスは微笑んだ。

 

「ガアアァァァァ!!!!」

 

 リザードマンやガーゴイル、グリーンドラゴンといったモンスターたちが怪人に襲いかかる。

 その強さは正に一騎当千。少なくともその実力は第一級冒険者相当はあるだろう。

 

「こいつら、モンスター……!? なんで、モンスターが俺たちを助けて……」

「っの、化物ぉ!」

 

 あまりに格が違う戦いぶりを恐れ、冒険者の一人がモンスターを攻撃しようとする。

 

「やめろ!」

 

 次の瞬間、その冒険者はティオナの大双牙によりぶっ飛ばされる。

 

「この人たちは敵じゃない!! 今度同じことをしたら、ぶっ飛ばすだけじゃ済まないぞ!!」

 

 あまりの迫力に、冒険者たちは震えながら頷いた。

 

「ティオナ!」

 

 ティオナの声を聞き、姉であるティオネが一早く駆け付ける。

 ティオナの顔はやはり哀しそうで── だけど、それを受け入れながら戦おうとする、強い覚悟がそこにはあった。

 

「あんたアリマについたんじゃ…… というか、何でモンスターと戦って……」

「話は後! 今は、この戦争を終わらせないと!」

 

 この戦争を終わらせる鍵は、彼が握っている。

 自分にできることは露払いくらい。

 羨むように、信じるように、ティオナは隻眼の王同士の戦いに目を向けた。

 彼らの戦いは、終始ベルが圧倒していた。

 爪をいなし、羽の弾丸を弾き、空間さえ斬り裂くような鋭い斬撃を何度も浴びせている。

 Lv7の状態のフィンを含む第一級冒険者たちが、束になっても敵わなかった隻眼の黒竜をこうも一方的に。その強さは恐怖を通り越して、いっそ物語の中から飛び出してきた主人公のような、非現実的なものに感じる。

 あまりに格の違う戦いに、見ていることしかできない。

 

『何故、異端児まで……!!』

 

 ベルと戦いながらも、ヴィーには怪人たちと戦う異端児の姿を目に捉えていた。

 

「これが、みんなの答えです。断言します。あなたのやり方は間違っている!」

 

 自分は、間違っていたのか。

 思い返すのは、愛しき伴侶にきっといつか人間と分かり合えると語っていた遠い日々。

 

『そうだとしても…… 俺は跪かん! 過去と未来の俺が、それを許さん! 世界中でただ一人になろうとも…… 俺は、俺の道を誇る!』

 

 たとえ誰に否定されようと、今さら止まる気はない。止まれない。これはもう、ただの意地だ。

 これで最後だ。全身全霊を、この一撃に。

 右腕を肥大化させ、巨大な剣に変える。

 

『オオオオオオオオォォォォ!!!!』

 

 雄叫びをあげながら、ベルに向かって右腕を振り下ろす。

 

「終わりです」

 

 剣の上に立ちながら、ベルはそう告げた。

 そのまま腕を駆け上り、黒い鱗のような物体で保護されているヴィーの肉体をヘスティアナイフで斬り裂いた。

 ボロボロと、泥が削げ落ちるように隻眼の黒竜の姿が崩れていく。やがてバランスを失い、地面に崩れ落ちる。

 残ったのは、 隻眼の黒竜の本体であるヴィーだけだった。

 ベルは倒れているヴィーを眺めるだけで、トドメを刺そうとはしなかった。

 

「何故、俺を殺さない」

 

 自分を殺そうとしないことに疑問を持ち、ベルに問いかける。

 

「……僕は、あなたを殺す気なんて最初からない。アリマさんに頼まれたのは、あなたを止めることだったから」

 

 ヴィーは笑った。

 完敗だ。いっそ、笑えてしまうくらいに。

 この戦争は、自分たちの負けだ。目の前の少年に勝てない時点で、この戦争の勝敗も決した。

 怪人たちも制圧され、戦いの音が消えていく。

 戦争の終結を表すように、ポツポツと雨が降ってきた。

 

「ヴィー」

 

 聞き覚えのある声が、自分の名を呼んだ。

 

「リド……」

 

 声のした方に目を向けると、そこにはリドがいた。彼は最も付き合いの長い異端児だ。

 

「俺たちのために、本当の自分の願いを押し殺してまでよ…… お前は、本当にバカだ」

「俺の願い、か」

 

 本当の願い。それは、家族で一緒に、地上で穏やかに暮らすこと。忘れたことなんて一度もない。敵わない夢になってからもずっと、ずっとずっと願っていたから。

 

「……行こうぜ、ヴィー。今度は間違えねえように、俺たちが支えるからよ」

 

 リドの言葉に対し、静かに首を横に振る。

 

「悪いな、リド。俺はもう、長くない」

「……はっ、待て、どうしてお前まで!?」

「ダンジョンを壊す際、かなり無茶をしてしまった。魔石もこの有様だ。いつ砕けても、おかしくない」

 

 胸についてある魔石を見せる。

 魔石は暗く淀んだ色となり、大きくひび割れている。いつ砕けてもおかしくない状態だ。

 魔石が砕けては、異端児もモンスターと同じように生きていけない。白い灰になる瞬間を待つだけだ。

 

「本当は、もう少し長い時間保つはずだったんだがな。思わぬ強敵がいた」

 

 そう言いながら、ベルに目を向ける。

 

「……本当に、似た者同士だよ。お前とキショウは」

「そうだな。本当にすまない」

 

 親子揃って、本当に自分勝手だ。

 何も言わずに自分を犠牲にして、気付いた時にはどうしようもないほど手遅れになっていて。

 残される自分たちは、ただ看取ることしかできない。

 

「ベル・クラネル」

「……はい」

 

 ベルは倒れているヴィーに近づく。

 

「お前の中に、キショウを見た。お前の動きは、キショウの動きそのものだった。だが、それだけじゃない。上手く言葉にできないが、お前の中にキショウの意志を見た。……キショウは、死んだのか?」

「はい。僕に託して、逝きました」

「……そう、か。認めよう。これからは、お前が隻眼の王だ。その代わり、異端児をしっかりと守れ。不甲斐ない結果を残そうものなら、地獄でお前を呪い殺すぞ」

「任せてください。僕が、必ず……」

 

 ヴィーの指先が白い灰となって崩れ落ちた。

 このまま灰化が全身まで広がって、雨に溶けて消えていくのだろう。

 見上げれば、空にあるのは雨雲だけ。だが、自分のような悪人が最期に見る景色としては相応しい。自分のせいで、何人の人間が死んだのかさえよくわからない。

 

「……ここは、暗いですね」

 

 ベルは空に向かって右腕を伸ばした。

 

「ファイアボルト」

 

 途轍もない熱量を持った炎がベルの右手から放たれ、雨粒を蒸発させながら天に昇った。

 やがて炎は、雨雲を突き抜けた。ヴィーの真上の曇天にぽっかりと穴が開く。

 夜のような暗闇に差し込んだ陽の光は、まるで光の柱のようにヴィーに降り注いだ。

 

「陽の光……」

 

 灰化の進行は既に全身まで進んでいた。

 それでも、ヴィーは確かな暖かさを感じていた。

 

「ウキナ…… キショウ……」

 

 光の中── 妻のウキナが自分に手を差し伸べ、キショウは相変わらずの無表情で、自分がウキナの手を掴むのをずっと待っていた。

 

「俺の望みは、叶わなかったよ……」

 

 灰となり、崩れ落ちたはずの右腕を伸ばした。もう離すことのないようにと、確かにウキナの手を掴んだ。

 ウキナは労うように微笑みかけた。つられて、ヴィーも不器用に笑う。

 

「だけど、良い気分なんだ」

 

 白い灰は風に舞い上げられ、光の中へと消えていった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 黄昏の館の、とある一室。

 そこにはベルと、ロキファミリアの面々が集まっていた。

 

「全部、説明してくれんやろな」

「はい」

 

 今度ばかりは、絶対に話させる。

 そんなロキの威圧に屈したわけではないが、ラウルは素直に頷く。

 ダンジョンの真相。異端児。アリマは半人間だということ。アリマにはとうに時間が残されていなかったこと。そして、その目的。

 

「──話は以上です」

 

 それらの全てが、ラウルの口から語られた。

 大なり小なり、ここにいる面々は重い過去を背負っている。

 それでも、あまりに壮絶な真実に言葉が出なかった。

 

「アリマさんから、伝言があります。……赦されるとは思っていない。だけど、謝らせてくれ。迷惑ばかりかけて、本当にすまなかった、と」

 

 自然と、視線がティオネに集まる。

 妹を連れ去られ、IXAで腹を貫かれ、アリマに受けた被害が一番大きいのは彼女だろう。

 視線に気づいたティオネは、一つため息をついた。

 

「……ティオナを泣かせたのも、IXAを突き立てたのも、許してあげるわ。私たちはこうして、生きてるわけだし」

「……ありがとう、ティオネ。きっとアリマも、天国で安心してくれるよ」

「なんであんたがお礼を言うのよ、ティオナ」

 

 ティオネだけでなく、ロキファミリアの面々も同じ気持ちだった。

 ロキファミリアには、取り返しのつかない被害はなかった。しかし、他のファミリアや一般人は違う。アリマたちの行いで、明日を奪われた者は何人もいる。

 世間はきっと、彼らを許さないだろう。

 だが、それではあまりにアリマが報われない。彼は命をかけて、未来の礎になったのに。せめて自分たちだけでも、アリマを許さなければ。

 

「……他には、何か言うてへんかったか?」

 

 ラウルは少し目を伏せてから、口を開いた。

 

「……ロキファミリアの団員で、幸せだった。アリマさんは、そう言ってました」

 

 ロキは顔に手を当てて、どさりと地面に座り込んだ。

 

「阿呆や。うちは、ホンマにど阿呆や。あの子がそんな重いもんを背負ってるのに、なーんも気づへんかった」

「ロキのせいじゃないよ。わたしだって、自分が強くなることばかり、考えていて……」

 

 どうして何も言ってくれなかったのか。

 ……いや、全て話したとして、自分たちに何かできたのだろうか。アリマの味方をするということは、オラリオを裏切るということだ。モンスターの味方をするということだ。

 果たして、人類を裏切ってまでアリマについていける者が何人いるだろうか。そして、自分はアリマの味方であることができたのだろうか。

 

「……あいつは、全部覚悟の上だったのだな」

「はい」

 

 その覚悟はあまりに悲しく、強い。

 きっと、自分たちが何かしたところで今の結果は変わらなかっただろう。

 

「……私、もっとアリマさんとお話ししておけば良かったです」

 

 アリマは慕われていはいたが、やはりある一定の距離で壁を作っている印象があった。

 もしかしたら、自分が死んだとき余計に悲しまないようにと、彼なりの優しさから来るものだったのかもしれない。

 

「アリマの遺体は、どうしたのだ?」

「……21階層の花畑に埋葬してきました。アリマさんが、眠るなら故郷がいいと言ってましたので」

「……最後まで、マイペースなやつだ」

 

 リヴェリアは苦笑を浮かべる。

 ダンジョンは既に崩れ落ち、消滅してしまった。アリマが眠っている場所まで行くのは不可能だ。彼の遺体を弔うことくらいは、してあげたかった。

 

「ベル・クラネル」

 

 今まで無言を貫きていたベートが、突然ベルの名を呼んだ。

 

「お前は、アリマに勝ったんだな?」

 

 ベートの言葉に、ベルは困ったような笑みを浮かべた。

 

「確かに、アリマさんに勝ちました。だけど、誇ってもいいのかは、わかりません。アリマさんは、もう両目が見えていなかった。病気がなければ、絶対に勝てなかったと思います」

「だが、お前が勝った事実は変わらねえ」

 

 どんな条件であれ、勝った者が強者で、負けた者が弱者だ。

 時間を巻いて戻す術はない。もう二度と、アリマと戦うことはないのだから。

 

「俺は、お前に勝つぞ。お前に勝つってことは、アリマを超えたってことだ。アリマを超えるのを、俺は諦めねえ。また、俺と戦え。それで約束を守れなかったのはチャラにしてやる」

「ありがとう、ございます」

 

 ベートは目を瞑り、壁に寄りかかる。

 ベルを超えることが、彼なりのアリマへの餞なのだと、付き合いの長いロキファミリアの面々はわかっていた。いかにも彼らしいやり方だ。

 

「ベル君、異端児は今どこに?」

「はい、今は神様たちと一緒にいます」

 

 異端児はベルと共に暮らしている。

 人数が人数だから、教会の隠し部屋に住むわけにもいかない。ダンジョンで過去に手に入れた素材を売り払い、館のように大きな家を買い取った。

 

「……彼は、僕なんかよりずっとずっと、重い使命を背負っていたんだね。道理で強いわけだよ」

 

 力だけではない。その心も。

 アリマはアイズ以上に強さを求めて── いや、強くなるしかなかったのかもしれない。

 

「ダンジョンの真相を伝えても、人間たちの理解を得るのは難しいだろう。隻眼の黒竜たちに、たくさんの人が殺された。それでもやるのか…… なんて、無粋な質問だよね」

 

 目の前の少年は、アリマを倒すという最もと困難であろう試練を成し遂げたのだ。今更、こんなことに物怖じするわけがない。

 

「僕にも何か力になれることがあるなら、声をかけてくれ」

「はい、ありがとうございます」

 

 ベルは頭を下げる。

 オラリオでも指折りの実力者である勇者の力を得られるのだ。どんなに心強いことだろうか。

 

「アイズさん、レヴィスさんは……」

 

 戦争が終わった後、レヴィスはそのまま拘束された。

 今も牢屋で、審判が下るその時を待っている。

 レヴィスのことが気がかりだった。彼女の事情は異端児から聞いた。彼女がしたことは許されることではない。それでも、悪と断じるにはあまりに悲しすぎる。

 

「どうにか極刑にならないよう掛け合ってるよ。レヴィスは罰を受けるべきだと思うけど、それでもお母さんの恩人だから……」

 

 アイズの目から、一筋の涙が流れた。

 

「……強くなっても、取り零すものは無くならない。……悔しいよ」

「その気持ち、僕もよくわかります。僕は死んだ祖父に何も返すことができなかった。それでも前を向いて、歩き続ける。きっと、託した人はそれだけで喜んでくれると思います」

 

 だからもう、僕も泣かない。

 ベルは自分に言い聞かせるように、そう言った。

 

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 来る者を拒むように、鬱蒼と生い茂る森を抜ける。その先には、陽の光を反射して蒼く煌めく海を一望できる崖がある。

 波の音が優しく鼓膜を揺らす。潮の香りが鼻孔をくすぐる。

 色々な景色を見てきたけど、ここ以上に美しい場所を僕は知らない。

 崖の先には、十字架が建てられている。

 アリマさんの墓標だ。決して朽ちることのないよう、ヴェルフに頼んで特殊な鉱石で造った。

 ここにアリマさんは眠っていない。それでも、こうして弔うことに必ず意味がある。残された者に、必要な儀式なのだから。

 アリマさんの墓標まで歩く。道中には色鮮やかな花々が咲き誇っている。これらは全て、僕らが植えた花の種から生まれたものだ。

 アリマさんが教えてくれた。繋ぐことは、この世界で最も尊ぶべき行為だと。だから、僕らは花を植えた。この崖は最初、草一つ生えていない荒れた土地だった。

 

「……お久しぶりです、アリマさん。お花、また増えましたね」

 

 当然だけど、僕の言葉に答えてくれる人は誰もいない。

 だけど、それでいい。この言葉はアリマさんに届いていると、僕は信じている。

 

「あれからもう、2年になります。神様たちも、異端児も、ロキファミリアのみんなも、元気でやっています」

 

 ここに来るのは半月ぶりだ。忙しくて、今日まで来ることができなかった。話したいことが、たくさんある。

 

「まずはそうですね…… この前、ベートさんと戦いました。勿論勝ちましたよ。まだ、隻眼の王を辞めるつもりはありませんから。ベートさんは多分、今もどこかで修行してるんだと思います。戦う度に強くなってますけど、アリマさんを超えるのはずっと先になりそうですね……」

 

 神様に背中を見てもらい、隻眼の王の詳細を教えてもらった。

 隻眼の王は、負けた相手に己の力を受け継がせるスキルだ。その条件とは、自分が死んだとき。相手に殺された場合でも、自動的に発動してしまう。

 隻眼の王が発動したとき、アリマさんの力は含まれない。僕の経験値、魔法、スキル、そして隻眼の王を相手に継がせることになる。

 大きすぎる力は禍を呼ぶ。アリマさんもそれを分かっていたからこそ、こうやって制限をつけたのだろう。

 誰に隻眼の王を継がせるかは、まだまだ先の問題だ。だけど、僕はアリマさんとは別のやり方で継がせようと思っている。殺し合いなんかじゃない、もっと別の方法で……。

 

「リヴェリアさんとレフィーヤさんは、魔法の研究をしています。アリマさんみたいな半人間が生まれたとき、人並みの寿命で生きられるよう、新しい回復魔法を研究してるそうです」

 

 この先、異端児と人の間に子供ができるかもしれない。アリマさんと同じ子供たちを救うことが、自分たちにできるアリマさんへの餞だと2人は言っていた。

 

「ガレスさんはご隠居なさるらしいです。その代わり、ビシバシ弟子たちを鍛えるらしいですよ」

 

 ガレスさんが育てた人は強さもそうだけど、心も真っ直ぐに育っている。きっと、次の世代を担う人材になってくれるだろう。

 

「そうだ、アイズさんから聞きましたよ。アリアさんと一緒に、アリマさんの墓参りに行ったって。アイズさん、よく笑うようになりましたよね」

 

 レヴィスさんの話によると、アイズさんのお父さんはアリアさんを助けるためにダンジョンの最深部に潜り、そこで死んでしまったらしい。

 アイズさんの両親は、アイズさんを置いていったわけじゃない。家族で幸せに暮らすために、戦いに行ったんだ。

 それを知っただけでも、アイズさんの心は救われたはずだ。

 

「そういえば、聞きましたか? フィンさん、とうとうティオネさんの猛烈なアプローチに観念するらしいですよ。小人族もかなり復興してますし、きっと肩の荷が下りたんじゃないですかね?」

 

 隻眼の黒竜との戦争で活躍したのは、意外にも小人族だった。先陣を切り、仲間を助け、多大な戦果を挙げた。ダンジョンとは意味が違う危機的な状況に、逆に吹っ切れたらしい。

 小人族は心が強い種族だ。フィンさんやリリを見てれば簡単にわかる。

 隻眼の黒竜との戦争を経て、他種族の小人族を見る目が変わった。小人族も、この戦争で自信を取り戻したらしい。

 隻眼の黒竜がキッカケになるなんて皮肉な話だと、フィンさんがボヤいていたのが記憶に新しい。でも、この流れはフィンさんが今まで築いてきたものがあるからこそだと思う。

 

「……僕の方は、やっぱり忙しいです」

 

 あの事件で、世界の情勢は大きく変わった。

 ダンジョンの消滅により、オラリオの国力は大きく衰えた。魔石産業は廃れてしまい、ダンジョンで経験値を稼ぐこともできなくなった。隻眼の黒竜により破壊された街も修復しきれておらず、復興は今も続いている。

 だからこそ、国同士や権力者同士、いざこざは常に絶えない。それを諌めるのも、隻眼の王たる僕の役目だ。

 

「……ダンジョンの真相を、異端児を拒む人はたくさんいます。異端児と人を取り保つのは、思ったより難しいです」

 

 異端児を殺しに来る人も、果てには僕を殺しに来る人だっている。

 

「ティオナさんも、ラウルさんも、異端児のためにとてもよく働いてくれています。知ってますか、ラウルさんは犬が大好きなんですよ? 犬の異端児と接しているとき、凄い爽やかな笑顔で笑っていました」

 

 あの戦争の後、ラウルさんの雰囲気が少し変わった。前よりも感情を表に出している気がする。

 ティオナさんも、持ち前の明るさを取り戻してくれた。でも、アリマさんにプレゼントされた胸当を、愛おしそうに、切なそうに抱き締めているときがある。

 もしかしたら、ティオナさんはアリマさんのことを──。

 

「ロキさんも、色々と動いてくれています。アリマさんや異端児の運命を狂わせてしまった、せめてものケジメだって言ってました」

 

 あと、ダンジョンの誕生に関わっていた神々に、生まれてきたことを後悔させてやるとも言ってました。僕も、異端児とアリマさんの運命を狂わせた神は許せない。

 だけど正直、天界が心配です。

 

「リリも、ヴェルフも、春姫さんも、神様も、何も言わずに僕についてきてくれました。嬉しかったです、本当に」

 

 ダンジョンの真相と、アリマさんの最期を説明したら、やっぱりショックを受けていた。

 それでも、当たり前のように僕を助けてくれた。そして今も、僕に力を貸してくれている。

 

「リリが言ってましたよ。自分はアリマさんの言葉に救われた。だから、今度は自分がアリマさんのために戦おうって。僕にはできないような交渉術で、何度も力になってくれました」

 

 損得勘定は苦手だし、正直戦闘以外の駆け引きも苦手だ。そういったときは、リリが矢面に立ってくれる。

 元々素質があったのか、凄く頼りになる。実質的なリーダーはリリなんじゃないかって、時々思っちゃったりする。

 

「ヴェルフがIXAとナルカミを元どおりに修復してくれました。アリマさんの遺品として、今も大切に保管されています。この2年で、ヴェルフも凄く成長したんですよ?」

 

 IXAとナルカミを修復したいと申し出た鍛治師の人たちは山ほどいた。その中には、その道で有名な人もいた。

 だけど、アリマさんの遺言でヴェルフが武器の修復に指名された。ヴェルフも最初は驚いていたけど、是非やらせてくれと快諾してくれた。

 その経験があり、ヴェルフも大幅な成長を遂げたのだろう。

 アリマさんに武器の整備を任されたことを誇りに思うと言っていた。

 

「春姫さんは、異端児の遊び相手になってくれています。凄い人気者で、この前も大きくなったら春姫さんと結婚するんだって言われてましたよ。春姫さん、顔を赤くして困ってました。そういえば、僕が見てるのに気づいたら何故か慌ててたなぁ」

 

 春姫さんの優しさに、異端児のみんなもすぐに心を開いてくれた。

 きっと、僕たちの目指す世界には、春姫さんみたいな柔軟な心が必要になるのだろう。

 

「神様も、いつも僕を支えてくれています。誰よりも近くで、僕のことを……」

 

 隻眼の黒竜をたった一人で倒した僕のことを、異端児の味方をする僕を、化け物の仲間と罵る人もいた。

 神様はそんな僕を気遣って、いつでも泣いていいと言ってくれた。最初の頃は、よく慰めてもらった。

 

「異端児のみんなも、平和に暮らせています。ウィーネたちもどんどん成長して…… 言葉だって、スラスラ喋れるようになったんですよ」

 

 太陽の下で暮らせることを── アリマさんとヴィーさんに感謝しながら、上を向いて笑って生きている。

 その姿はとても眩しく、人間らしかった。

 

「僕、思うんです。少しずつだけど、世界は良い方に進んでいるって。誰かとわかり合うのは難しいけど、決して不可能なんかじゃないんです」

 

 確かに、異端児を受け入れられない人は多い。だけどそれ以上の数の人たちが、異端児を受け入れてくれている。

 

「それもこれも全部、アリマさんが僕に託してくれたからできたんですよ? アリマさんがいなければ、今の世界はありませんでした」

 

 だから、アリマさんがしたことは、アリマさんが生きていたことは──

 

 

 

 

「ダンジョンにキショウ・アリマ(白い死神)がいたのは間違いじゃなかった(間違っていた)

 

 

 

 

「あなたは死神なんかじゃない。僕たちに未来と希望を繋いでくれた英雄でした。それを証明してみせます。だから、ヴィーさんたちと一緒に見守っていてください」

 

 どれだけ時間がかかるかわからないけど、絶対に成し遂げてみせる。いつか、胸を張って隻眼の王を引き継げるように。

 

「そろそろ時間ですね。今度はじいちゃんと一緒に来ます」

 

 一礼して、来た道を引き返す。

 次に来れるのは、いつだろうか。

 

 ──頑張れよ、ベル。

 

 とても懐かしい声が聞こえた。

 弾かれるように振り返ると、優しい笑顔を浮かべながら十字架の前に立つアリマさんがいた。

 

「アリマさ──!」

 

 海から風が吹き、花弁を飛ばした。

 じゃれつくように飛んでてきた花弁に、思わず目を瞑る。

 再び目を開けると、そこには十字架が立つだけで、アリマさんの姿はなかった。

 アリマさんに会いたいという願望が生んだ幻かもしれない。それでも僕は、十字架に向かって笑い返した。

 アリマさんは確かにここにいた。そう信じることに、きっと意味がある。

 顔を上げて、空を見る。全てを包み込んでくれるような青空が広がっている。

 この世界がどうなっていくのか、僕にはわからない。それはきっと、神にだってわからないことだろう。

 だからこそ、必死に生きていこう。僕のおとうさんのように、誰かにきぼうをつなぐために。

 

 

 

 

 




 この小説の最後は「季節は次々死んでいく」をイメージしました。聴いたことのない人は是非。
 以上をもちまして「ダンジョンに白い死神がいるのは間違っているだろうか」を完結させていただきます。
 どうにか完結させることができました。みなさんの応援のおかげです。本当にありがとうございます。








 【注意】ここから後書きです。読み飛ばしてもらっても構いません。







あるほーす「有馬さんが死んじまった…… 寂しい…… ありまさぁん……」
あるほーす「よし、書こう。この寂しさを埋めるのだ」
あるほーす「ダンまちとかいいんじゃね? なんか上手くマッチしそうな気がする」
あるほーす「本人を出すのは畏れ多すぎるから、そっくりさんというかオリキャラにして…… そんで、最後は幸せになるように…… うん」
あるほーす「ダメだな、死なせよう」

 こんな流れで、この小説は生まれました。今思うと、よく最終話まで行けたと思います。ダンまちの設定を吸収するポテンシャルに驚きました。グールの設定が割とすんなり入れられました。あと、ベル君自身のポテンシャルもですね。気づいたらアリマさんに勝ってました。流石は原作主人公…… というかこの小説でもほぼ主人公ですかね。
 この小説を書いた反省点なのですが、ダンまちのキャラが扱い切れてませんでした。
 命とかもう、本当に申し訳ないです。原作ではヘスティアファミリアだったのに、族の撃ち音あたりで消えた……。なんというか、アリマさんがいたせいなのか、命がヘスティアファミリアに入団する画が浮かびませんでした。なんてこったい。
 リューさんに関しても、気づいたらフェードアウトしてました。一応話の本筋に絡ませようとしていた、過去の私の悪足掻きがありますね。本当は好きなんですよ、リューさん。ヒロインにしてもいいと考えてましたけど、そんな余地ありませんでした。というか、アリマさんとラブコメさせると悲恋一直線ですからね。悲しい。
 誤字の多さも反省点ですね。指摘してくださった方々、本当にありがとうございます。もう誤字りたくないとか言って、いつも誤字ってました。むしろこれが一番まずい。
 あと、本当はヤモリ枠を用意するつもりでした。アステリオスをとかヤモリ枠にピッタリじゃね、と。話のテンポと、アリマさんはそんなことをさせないだろと考えてオミットしました。拷問シーンを期待した方、申し訳ありません。
 この小説を書いて、非常に楽しかったです。本物に近づけたか分かりませんが、私の中にある有馬さん像を再現できました。この小説を機に、有馬さんが登場する小説が増えてくれると嬉しいです。では、後書きまで読んでいただきありがとうございました!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愛と師父 前編

 いただいた感想、たくさん。いただいた評価、たくさん。
 これは何かしなくちゃなぁ…… かっこ悪くてあの世にも行けねえぜ。
 ということで番外編です。グールの巻末的な扱いでお読みください。


「おーいアリマ! あんた、ダンジョンに潜っとったからこの子ら知らんやろ?」

 

 最初にその人を見たとき、とても綺麗な人だと思った。そして、触れれば消えてしまいそうな儚さがあった。雪みたいに真っ白な髪だから、そう思わせたのかな。

 

「この子たちが新しい団員や。ほれ、挨拶しい」

「ティオネ・ヒリュテです」

「ティオナ・ヒリュテです!」

 

 私たちが頭を下げても、その人の表情は少しも変わらない。だけど、どこか歓迎してくれる雰囲気は伝わってきた。

 

「噂は聞いてるよ。俺はキショウ・アリマ。2人ともよろしく」

 

 私たちがロキファミリアに入団してから、長い月日が経った。

 入団したばかりの頃と比べたら、見違えるほど強くなれた。やっぱり、こんなに強くなれたのはダンジョンのおかげだと思う。

 ダンジョンでは見たことのないモンスターが山ほど現れる。

 どれも強くて、戦うときはワクワクした気持ちが溢れてくる。何より、みんなで協力してダンジョンを攻略していくのが、とても楽しい。

 檻に入れられてたときとは大違いだった。あのときは、戦うことに対して恐怖と怒りしか心になかった。

 テルスキュラから出て、世界の広さを改めて実感した。団長やリヴェリア、ガレスの戦い方から強さには色々な種類があると学んだ。

 だけど、何よりも世界の広さを教えてくれたのはアリマの強さだった。アリマと一緒に戦って、彼の強さを肌で感じた。世界にはこんなに強い人がいるんだと、感動の気持ちさえ湧いた。あまりの強さに、彼はみんなから白い死神と呼ばれていた。

 アリマの強さに、少しでも近づきたいと思った。一歩ずつ、確かに進んでいると思う。だけど、ゴールはずうっと遠くだ。

 私がアリマの背中に追いつける日なんて、来るのかな──?

 

 

 

 

 

愛と師父

 

 

 

 

 オラリオの外壁の先には、広大な平野が広がっている。その先には岩山には、たくさんの岩石が剥き出しになっている。

 その岩山の頂上付近で、私はアリマの指導を受けていた。大双牙でそこらに転がっている岩を砕き続け、アリマは黙々とそれを見ている。

 

「やあっ!!」

 

 大双牙を岩に叩きつける。

 岩はその威力に耐え切れず、粉々になって砕け散ってしまった。

 

「ティオナ、大双牙を力づくで振り回してる。ちゃんと刃を意識しないと」

 

 アリマから注意を受ける。

 アリマの話では、大双牙を使いこなせば岩を叩き斬れるらしい。

 

「刃を意識……」

 

 アリマに言われた通り、刃を意識して別の岩に大双牙を叩き込む。

 しかし、先ほどと同じように、岩は粉々になって砕けてしまった。

 

「う〜ん…… いつもと変わらない」

 

 どうすればいいのかと、普段はあまり使わない頭を悩ませる。

 

「借して」

「えっ?」

「一度、手本を見せる」

 

 アリマに大双牙を渡す。私が砕いてきた岩よりも一回り大きなそれに向き合う。私には砕くことすらできないだろう。

 だけど、アリマならきっと凄いものを見せてくれる。自然と、ワクワクした気持ちが溢れてくる。

 アリマが大双牙を振る。岩は粉々に砕けず、縦に裂かれた。音もなく、まるで最初からそうだったように。二つに別れた岩は地面に倒れて、地響きを轟かせた。

 

「すごい……!」

 

 岩石の片割れに駆け寄り、断面を手で触る。まるで鏡のようで、凹凸の感触を少しも感じない。

 

「どうやったの、アリマ!?」

「そうだな…… 刃の先まで神経を伸ばすような感覚でやればいいよ」

「……?」

 

 刃の先まで神経を伸ばす…… その言葉に、私は思わず首を傾ける。

 アリマの言葉は感覚的なものが多く、理論立てて教えてもらえることはない。私も感覚派だけど、アリマのは言葉が足りないと思う。

 アリマの言葉を正確に理解できるのは、長年付き添ってきたラウルくらいじゃないかな?

 

「アリマさん」

「ラウル」

 

 アリマの名を呼ぶ声を聞き、思わず振り返る。

 こちらに歩いてくるラウルの姿があった。声を聞くまで、ラウルの存在にまったく気づけなかった。

 アリマに目をやる。特に動じた様子はない。どうやら最初から気づいていたみたいだ。

 軽く会釈をしてから、ラウルは私の横を通り過ぎた。

 

「リヴェリア様からご連絡です。至急、会議に来るようにと」

「わかった」

 

 アリマは頷くと、私に向き直った。

 

「ティオナ、すまないけど……」

 

 そう言いながら、大双牙を差し出す。私はそれを受け取り、アリマが気に病まないよう朗らかな笑顔を作った。

 

「カイギがあるんなら仕方ないよ! それに、ここまで教えてくれただけでも十分だよ!」

 

 武器の扱いを教えてほしいと頼み込んだのは私だ。それに、ここまで指導してくれただけでも嬉しいし、感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

「ティオナ、俺たちは帰るけど……」

「ううん、先に行ってて。私は少し、ここで練習していくから」

 

 手を振りながら、オラリオへ戻るアリマとラウルを見送る。やがて、2人の姿が見えなくなる。

 

「よーし、やるぞー!!」

 

 私は大双牙を掲げ、大声でそう叫んだ。気合を入れて取り組まなくちゃ!

 いつの間にか日は沈み、夜。私は暗闇の中、持ってきたランタン代わりの魔道具を頼りに、岩山でひたすら岩を砕いていた。

 アリマとラウルが岩山を去ってから今まで、ずっとこうやっている。目指すは、アリマがやったような、鏡のように滑らかな断面だ。

 時がたつにつれ、音が小さくなっていく。飛び散る破片は減り、次第に岩は二つに分かれるようになった。

 確かな手応えがある。だからもう少し、あと少しだけ。そう思いながら、私は大双牙を振る。

 

「はああぁぁぁ!!!!」

 

 大双牙が岩を斬り裂く。

 アリマのように綺麗な断面ではないけれど、確かに真っ二つに斬れた。

 大双牙を落とし、その場でへたり込む。あまりの嬉しさと達成感に、逆に声が出ない。

 

「ティオナ」

 

 斬れたタイミングを見計らっていたかのように、アリマが姿を現した。

 

「アリマ!」

「夜になっても帰ってこないから、迎えに来た」

 

 そういえば、辺りが真っ暗になっている。

 このときの私は極度の疲労で、アリマたちに心配をかけたことに気づけなかった。頭の中には、アリマに褒めてもらいたいという気持ちしかなかった。

 

「えへへ、見てよ、アリマ。私にもできたよ」

「……ああ、頑張ったな」

 

 少しだけ、本当に少しだけアリマが笑ってくれた気がした。

 アリマのその言葉を聞いて気が緩んだのか、そのまま私の意識はふっ飛んだ。

 ……。

 …………。

 

「──!」

 

 目を覚ますと、ベッドで横になっていた。ここは…… そうだ、黄昏の館の医務室だ。

 どうしてこんな場所で寝てたのか、寝起きで働かない頭を働かせる。

 ……そうだ! 岩山で修行してたら、疲れてそのまま眠っちゃったんだ!

 誰が運んでくれたんだろう。ともかく、慌ててベッドから上身を起こす。

 

「あら、やっと起きたのね」

 

 ベッドの横にある椅子に、ティオネが座っていた。

 

「ティオネ、どうしてここに!?」

「あんたが夜通しで岩を叩いてたってって聞いたから、仕方なく様子を見に来てあげたのよ。1日ずっと寝てたのよ。まったく、どうしてこんなバカなことを……」

「あはは、ごめんなさい。ついつい熱中しちゃって……」

「ふ〜ん……」

 

 ティオネはイキイキした目で、私の顔を見た。これは、新しいオモチャを見つけたときの目……!

 

「団長には敵わないけど、アリマもイイ男だもんねぇ。どうせアリマに褒められたかったんでしょう、んん?」

「!!??」

 

 自分でも顔が赤くなるのが分かる。図星も図星、大的中だった。

 姉妹だからか、それとも私がわかりやすい性格をしているからか。

 

「もう、からかわないでよ!」

 

 こういうことでからかわれると、どうしても動揺してしまう。

 やれやれ、とティオネが肩を竦める。恋に一直線のアマゾネスらしくないのは、私が一番よくわかっている。

 ティオネは団長に対する好意を隠そうとしない。アプローチも直接的だ。だけどそれは、アプローチを受けている団長は時々困ったような顔をするけれど、なんだかんだで満更でもなさそうだからだ。

 もし、アリマにそんなことをすれば? どんな反応が返ってくるのか、想像もつかない。受け入れてくれる? それとも、冷たい目で──。

 相手が自分をどう思っているのか、まるで分からない。だからこそ、こんなにも怖くて、ドキドキするんだと思う。

 

「そういえば、アリマが医務室まで運んでくれたのよ」

「アリマが!?」

 

 そういえば、意識を失う前に話をしていたのはアリマだった!

 

「お礼、ちゃんと言っておきなさいよ」

「うん、教えてくれてありがとう! そうだ、アリマがどこにいるか分かる?」

「さあ、知らないわ。黄昏の館のどこかにはいるんじゃない?」

「それじゃあ、地道に探すしかないか!」

 

 ベッドから飛び起きて、医務室の扉へと走る。

 アリマがどこにいるか分からないけど、走っていればそのうち見つかるはず!

 

「それと、ラウルにもね。アリマ、自分の方が力があるからって、重い方(大双牙)を持とうとしたのよ? ラウルが気を遣って、大双牙を持ったんだから」

「うへぇ!!??」

 

 ティオネの言葉に、思わず足取りが乱れる。

 

「それじゃあ、行ってらっしゃい」

 

 ティオネはイイ笑顔で手を振っていた。

 ……ラウルにも、お礼を言っておかなくちゃ。

 そう思いながら、私は医務室から飛び出た。

 

「んー、どこにいるのかなー?」

 

 さっきから手当たり次第に走り回っているけど、アリマは一向に見つからない。もしかして、黄昏の館の外にいるんじゃ……。

 

「ティオナ」

 

 ふと、私の名前を呼ぶ声がした。

 足を止めて、声のした方を見る。

 

「アイズ!」

「倒れたって聞いたけど、もう大丈夫なの?」

「あはは、心配かけてごめんね……。だけど、疲れて倒れただけだから、どこも悪くないよ!」

「そっか、良かった……」

 

 ホッとした表情から一転、目を爛々と輝かしながら、グイッと顔を近づける。

 

「アリマに指導してもらったって聞いたよ。どんなことしたの?」

「大双牙の使い方を教えてもらったの。岩を一刀両断できるようになったんだよ!」

「羨ましい……」

「アイズもアリマに教えてもらって…… いや、教えてもらってはないかな、うん。見本は見せてもらったんだけどね」

 

 刃の先まで神経を通せって言われたけど、岩が斬れるようになって、ようやく少し理解できるようになった。多分、それくらい自分の一部のように扱えってことなんだと思う…… 多分。

 だけど、誰かにわかりやすく説明しろとなると、私もどう表せばいいのかわからない。

 

「あっ、そうだ! アリマがどこにいるか知らない?」

「アリマ? それならついさっき、鍛錬場にいたよ。万年筆でラウルと戦ってた。私も混ぜてほしかった」

「わかった、ありがとー!」

 

 アイズにお礼を言ってから、鍛錬場まで走る。

 ちょっと時間がかかったけど、無事に鍛錬場までたどり着くことができた。

 

「あれ、ラウルだけ?」

 

 扉を開けると、そこにいるのはユキムラの素振りをしているラウルだけだった。そこにアリマの姿はない。

 ここだけ煉瓦造りの部屋で、ちょっとやそっとの攻撃じゃ壊れないようになってる…… けど、またボロボロになった?

 アリマがこの部屋を使う度に、新しい傷が増えてる気がする。

 

「どうした」

 

 ラウルは素振りをやめて、私に話しかけた。

 

「実はアリマを探していて。医務室まで運んでくれたお礼がしたいんだけど」

「そうか、入れ違いだったな。アリマさんなら、次の遠征について団長と話し合いに向かった」

「えー!!?」

 

 タイミングの悪さに、思わず叫ぶ。

 鍛錬場に向かってる途中、すれ違ってもいいと思うんだけどなぁ。

 

「今ならまだ団長の部屋にいるかもしれない。行ってみたらどうだ?」

「うん、そうしてみる!」

「俺もアリマさんを見かけたら教えておく」

「ありがとう、ラウル!」

 

 ふと、ティオネに言われたことを思い出す。ラウルが、アリマに代わって大双牙を運んでくれたんだよね……。

 

「……それと、昨日のことも」

 

 その言葉だけで真意が伝わったのか、ラウルは少しだけ口を緩めた気がした。

 

「大したことはしてない」

 

 ラウルは短くそう言った。全部わかってる、みなまで言うなって感じで。

 なんだか恥ずかしくなって、私は逃げるようにしてフィンの部屋まで走ってしまった。ま、まあ、お礼もちゃんと言えたし、いいよね!

 そのまま走り、フィンの部屋に着く。今度こそ、アリマがいればいいんだけど……。

 

「フィン、入るよー?」

「うん、どうぞ」

 

 扉を開けると、そこにいるのは椅子に座っているフィンだけだった。

 アリマがいなくて、思わず肩を落とす。そんな私の様子を見たフィンは、少し困ったように笑う。

 

「どうしたんだい、ティオナ。部屋に入るなり、ガックリして」

「実はアリマを探していて…… だけど、もう行っちゃったみたいだね……」

「ああ、アリマに用があったのか。アリマならついさっき、IXAの整備を依頼しに行ったよ」

「もー! アリマ忙しすぎー!」

 

 こ、今度は黄昏の館の外に……。

 アリマが毎日忙しいのは知ってたけど、こんなにやることがあるなんて。なんだか力が抜けちゃって、お客様用のソファーに全身を預ける。

 

「今日はアリマに会えないのかなー……」

「もしかして、昨日運んだお礼をしたいのかい?」

「どうしてわかったの?」

「アリマが君を腕に抱えながら、黄昏の館に帰ってきたからね。随分と幸せそうな寝顔だったよ?」

「!!??」

 

 思わずソファーから跳び上がる。う、嬉しいような恥ずかしいような……! アリマがみんなの前で、私をお姫様抱っこするなんて……!

 

「ンー…… 時間があるのなら、アリマに何かお礼のプレゼントでも探してみたらどうだい?」

「!」

 

 フィンの言葉にハッとする。頭の中の霧が晴れたような感覚だった。

 

「名案だよ、団長! そうだ、そうしよう!」

 

 なんで今まで思いつかなかったんだろう。感謝の言葉と一緒にプレゼントを渡せば、アリマだってもっと喜んでくれるはずだ。

 

「でも、アリマに贈るプレゼントかぁ。う〜ん…… 何がいいのかなぁ」

 

 アリマといえば、いつも戦っているイメージだ。だとしたら、プレゼントは戦いに関するものがいいんじゃないかな。

 鎧…… 武器…… だけど、アリマっていつもIXAとナルカミを使ってるし、鎧を着たところも見たことがない。ここはいっそ、食べ物とか贈ってみればいいかな。

 何を贈ればいいのか、一向に決まらない。そもそも、アリマって何が好きなのか話さないしなあ。

 私の思考を遮るように、ノックの音が響く。

 

「邪魔するぞ、フィン」

「やあ、リヴェリア」

「次の遠征の編成なのだが……ん?」

 

 部屋に入ってきたのはリヴェリアだった。

 リヴェリアは私を見ると、少し意外そうな表情をした。まあ、フィンの部屋に突入するのはいつもティオネだからね……。

 

「ティオナ、どうしてここに?」

「実は今、アリマにどんなプレゼントを贈るか考えていて…… ねえ、リヴェリアはどんな物を贈ればいいと思う?」

「贈り物は自分で考えてこそ意味があるんじゃないか? それに、気持ちが篭っていればどんな物でも嬉しいものだ」

「そっか、そうだよね。自分で決めないと、意味がないよね……」

「そういえば、東のメインストリートに新しい本屋ができていたな。珍しい本がたくさん売ってそうだ」

「!!」

 

 リヴェリアの言葉を聞いて、脳内にナルカミが疾ったようにピキーンと閃いた。

 

「そうだ、本! どうして気づかなかったんだろ!」

 

 アリマの部屋には棚がビッシリ埋まるくらい本があるから、本が好きに決まっている。

 

「どうした、ティオナ?」

「何でもない! それとありがとう、リヴェリア、フィン!」

 

 そうと決まれば、早速新しくできた本屋に向かおう。東のメインストリートなら、そう遠くないはず。

 たくさんヒントをくれたフィンとリヴェリアにお礼をしてから、駆け足で部屋から出た。

 

「流石はロキファミリアの母親(ママン)だ」

「ロキの真似はやめろ、フィン」

 

 部屋から出る途中、2人が何か話した気がした。走るのに夢中で、話の内容までは聞こえなかった。

 黄昏の館を出て、東のメインストリートにできた本屋に着いた。

 新しくできたって聞いたけど、落ち着いた感じの造りだ。昔からあったように、周りの風景に溶け込んでいる。

 貼り付けられたガラスの向こうには、本の詰まった棚がズラリと並んでいる。

 出入り口の扉を開けると、古い紙の匂いがした。アリマの部屋と同じ匂いだ。

 店内を一通り歩き回りながら、アリマが好きそうな本を探す。

 

「結局、どの本を選べばいいんだろ……」

 

 そういえば、アリマがどんな本が好きなのかも知らない。いつも読んでるのは難しそうな本で、私が横から覗いたときは目が回りそうになった。

 私が面白いと思った本を選ぶしかない。だけど、私が読んだことのある本は童話だけ。アリマからすると、少し子供っぽいかもしれない。

 ……いいや、大丈夫! こういうのは気持ちだって、リヴェリアも言ってたじゃん!

 童話コーナーで足を止める。本棚には、私が読んだことのある本がチラホラとある。

 

「う〜ん……」

 

 私が一番面白いと思った本…… アルゴノゥトは置いていない。だけど、その次に面白いと思った本は置いてある。

 そうだなぁ…… アルゴノゥトなら、私の持ってるのを貸せばいいかな。よし、この本を買おう!

 その本は本棚の一番上の段にある。手を伸ばせば、ギリギリ届くかな……?

 爪先立ちになり、限界まで手を伸ばす。

 掴めそうで掴めない。もう少しで、届きそうなんだけどっ……!

 

「!」

 

 誰かの手が本を掴んだ。

 ウ、ウソ!? 1冊しかないのに!!

 そう思っていたら、その人は本を私に差し出してくれた。もしかして、手が届かなかった私の代わりに取ってくれた……?

 優しい人だなあ、ちゃんとお礼を言わないと。どんな人なのか、顔に目を向けると──

 

「はい、ティオナ」

「ア、アリマ!?」

 

 本を手に取ったのは、なんとアリマだった。

 

「どうしてここに……」

「IXAの整備の依頼が終わったから、帰りに本屋にでも寄ろうと思って。そしたら偶然、君がいた」

 

 目を泳がせながら本を受け取る。

 正直、動揺が隠せない。まさか、プレゼントを選んでるときに会っちゃうなんて……。

 

「買ってあげるよ、折角だし」

 

 短い言葉だけど、アリマがこの本を私に買ってあげようとしていると理解した。

 

「ダ、ダメだよ!!」

「ダメ?」

「あっ、いや、えっと…… 大丈夫だよ、自分で買うから!」

「……そうか」

 

 思わず強く断わっちゃったけど、やっぱり不自然だったかな……。

 お会計を済ませて、本屋から出る。

 黄昏の館へと向かう。アリマは何も言わず、歩幅を私に合わせて歩いてくれている。それが少し、嬉しく感じた。

 道行く人から視線を感じる。いや、視線を向けられているのは私というよりアリマだ。アリマにはその場にいるだけで、場の空気を緊張させるような不思議な雰囲気がある。

 ふと、隣にいるアリマの横顔に目を向ける。アリマは相変わらずの無表情で、ただ前を向いていた。

 

「ね、ねえアリマ……」

「?」

 

 アリマの瞳が私に向けられる。

 

「その、本の話なんだけどさ…… 童話とかって、好きだったりする?」

 

 そのまま渡すのが怖くて、思わず童話が好きかどうか聞いてしまった。

 アリマは少し考えるように、視線を落とす。

 心臓がバクバクする。万が一、嫌いって言ったらどうしよう……。

 

「どんなジャンルでも好きだよ、俺は」

「そっかぁ……」

 

 いつもと変わらない平坦な口調で告げられた言葉に、ホッと一息つく。

 それなら、もう怖がる必要はない。足を止めて、ついさっき買った本を差し出す。

 

「実は、大双牙の扱い方と、医務室まで運んでくれたお礼に、この本をプレゼントしたかったの。アリマ、受け取ってくれる……?」

「ありがとう、ティオナ。嬉しいよ」

 

 アリマは本を受け取ってくれた。しかも、ありがとうって言われて、自分でも恥ずかしくなるようなホワホワした気持ちになる。

 

「アリマ、その本読んだら感想聞かせてね!」

「ああ……」

 

 足取り軽く、アリマの歩く先を行く。照れた顔を見られるのは、なんだか恥ずかしく感じた。

 

「……」

 

 このとき、私はアリマがどこか遠くに目を向けているのに気づかなかった。

 

 




 ダンまちなのに恋愛のカケラもねえぞオラァン! ということで、ティオナとの関係を補完する話をお届けしました。これできっとティオナも救われるはず……。
 8000文字じゃ収まらないので後編に続きます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愛と師父 後編

 ある日の、小遣い稼ぎにダンジョンに潜った帰り道。鼻歌交じりに、オラリオのメインストリートを歩く。

 こんなに心が軽いのは初めてだ。多分、アリマがプレゼントを喜んでくれたからだろう。自分の単純さに、我ながら呆れてしまう。

 これからも、こんな幸せな日々が続くと、私は根拠もなくそう思っていた。それが終わるのは、いつも突然なのに。

 

「久し振りじゃのう、ティオナ」

 

 背後から、囁くように名を呼ばれた。

 その声を聞いた瞬間、身体中が凍りついたような感覚に襲われた。

 この声を聞いたのは、もう何年も前のこと。だけど、忘れるわけがない。

 どうか、どうか聞き間違いであって。そう祈りながら、恐る恐る振り返る。

 

「カーリー、どうしてここに……!?」

 

 私の願いは、無情にも砕かれた。幼い頃の私たちを、地獄に突き落とした張本人がそこにいた。

 カーリーは余程のことがなければ、私の故郷であり、同時にアマゾネスの聖地であるテルスキュラから出ないはずだ。

 

「巷で話題になっておる白い死神を目にしたいと思っての。あの練り上げられた至高の闘気、想像以上じゃ。人の身でありながら、神の名を冠するだけはある」

 

 それじゃあ、狙いはアリマ……!

 カーリーは最強のアマゾネスを育てることに執念を燃やしている。そんな神なら、アリマに目をつけてもおかしくない……!

 

「して、その隣にお前がいるとは思わなんだ、ティオナ」

 

 カーリーの視線を浴びて、ビクリと肩が震える。

 

「何もそれが悪いとは言っていない。むしろ、その方が好都合じゃ」

「アリマを、どうする気……?」

 

 にたり、とカーリーの口元が吊り上がった。幼い少女の外見とは不釣り合いな、不気味な笑みだと感じた。

 

「ティオナ、キショウ・アリマの子を孕め」

 

 カーリーから告げられたのは、予想の斜め上を行くものだった。

 

「な、何言って……!!?」

「キショウ・アリマを種馬としてテルスキュラに幽閉するのが最上じゃが、そうもいかん。ロキファミリアと事を起こすのは面倒じゃ。その点、お前は違う。お前は元々妾の所有物であり、探せばどこにでもいる一介の冒険者に過ぎん」

 

 カーリーが何をするつもりなのか、わかってしまった。

 

「キショウ・アリマの仔ならば、潜在能力は言うまでもない。何より、最強の戦士を妾の手で一から育て上げるのは心が躍る!」

 

 そんな命令、聞けるわけがない。あの苦しみは、私たちが誰よりも知っている。それに、私はもうロキファミリアだ。カーリーの命令を聞く義務なんて、ない。

 私の反抗的な態度を見て、カーリーは想定内といった感じで笑った。

 

「妾の命令を拒むのなら、テルスキュラにいる幼子らを皆殺しにする。勿論、誰かにこのことを喋っても同様じゃ」

 

 ゾッとするような冷たい目。アリマとはまた違う、明らかな悪意に塗れた目。

 この神なら、本気でやる。脅しなんかじゃない。

 私の決断に、何百人もの子どもの命がかかっている。

 

「貴様の甘い性格なら頷くじゃろ? それに、アマゾネスは強い男に惹かれる。貴様も満更ではあるまい。それに、アリマの仔さえ手に入ればお前は用済みじゃ。どこで何をしようと構わん」

 

 私は、頷いた。頷くしかなかった。

 

「良い子じゃ。では、期待しとるぞ」

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

「……」

 

 ティオナは1人、暗い表情をしながら食堂の席に座っていた。ある日を境に、ずっとこんな様子である。

 普段の彼女からは考えられない表情に、食堂にいるロキファミリアの団員たちも心配そうに見守っている。

 そんな中、明らかにギクシャクした様子のベートがティオナの向かいの席に座った。

 

「なに辛気臭せーツラしてんだ、壁パイ女。折角の飯が不味くなるだろーが」

 

 ティオナは何も言わず、それどころかベートに目すら向けない。まるで最初から何も聞こえていないかのような反応だ。

 あまりにもいつもと違う反応に、ベートは気圧される。

 

「……む、無視とは良い度胸じゃねーか。胸だけじゃなくてその耳も飾りなのか、あぁ?」

 

 無視されたのが気に食わないのか、負けじと追撃する。

 しかし、ティオナは何も言わず、ついにその場から立ち上がり、どこかへ歩き去ってしまった。

 

「……」

 

 残ったのは、気まずそうな表情で席に座るベートだけだった。

 大地の怒りのような足音が響く。ティオネが大股でベートのいる場所へと迫る。

 誰かが小さく悲鳴をあげた。彼女の表情を見れば、どんなに鈍い者でも静かな怒りの炎が燃えているとわかるだろう。

 

「私言ったわよね。いつもより優しく、刺激しない程度に軽口を叩けって。怒らせてんじゃねーか、オメーの耳こそ飾りか!!」

「そんな器用な真似できるわけねーだろーが!! 文句垂れんならテメーがやってみろや! というか、様子見のために俺を使うな!!」

 

 押してもダメなら引いてみろ。こういうときに空気が読めなさそうなベートを使い、何があったか聞き出そうとしたが、結果は見ての通りだ。

 喧嘩する2人から少し離れたところで、アイズとレフィーヤが頭を悩ませていた。

 

「何があったか分からないけど、深刻……」

「そうですね、あんなに元気がないティオナさんなんて見たことありません」

「フィンに相談した方が、いいかな……?」

「それが、団長やリヴェリア様が聞いても大丈夫の一点張りらしくて……」

 

 ティオナが悩んでる人を励ますのはよくあることだが、今のように逆の事態は初めてだ。

 悩んでるとき、いつもティオナはこちらを気にかけてくれた。自分たちに、何かできることはないのか──

 

「……そうだ」

「?」

 

 アイズに妙案が浮かんだ。この方法なら、ティオナも全部話してくれるかもしれない。

 そうと決まれば、アイズは早速ある人物に会いに行った。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 ベッドにうつ伏せになって倒れて、そのまま目を瞑る。

 決して抜け出せない泥の中にいるような気分だった。足掻けば足掻くほど、底に沈んでいく。何もしなくても、底に沈むのが少し遅くなるだけ。

 どうすればいいのか、何もわからない。言うことを聞くのも、無視するのも、どっちも間違っているのは私でもわかる。

 だけど、こんなこと誰かに相談できない。ロキファミリアに目立った動きがあれば、あの神は少しも躊躇わず子供たちを殺す。

 ティオネたちも心配してくれてるけど、簡単に相談できるような内容じゃない。

 

 ──コン、コン。

 

 控え目なノックの音が聞こえた。ドアの方に視線を移す。

 外はもう暗い。こんな時間に訪ねてくるとなると、ノックしたのはティオネかな。

 ドアが開く。部屋に入ってきたのは、意外な人だった。

 

「アリマ……!?」

 

 アリマの突然の来訪に、私はこれ以上ないほど動揺する。だって、アリマは私の悩みに深く関わっているから。

 どんな顔をしてアリマと話せばいいのか、わからない。

 

「アイズたちから、君に元気がないと聞いた。何かあったのか?」

 

 静かな時間が流れる。どうすればいいのか焦る私とは対照的に、アリマは無表情のままジッと佇んでいる。

 焦りと緊張で、とうとう思考が弾け飛ぶ。頭の中が白で染まる。

 無意識のうちに、私の口が動いた。

 

「……ねえ、アリマ。私と子供を作らない?」

「……」

 

 自分以外の誰かが話したように、私は自分の言葉を聞いていた。

 正気に戻り、口を手で押さえる。取り返しのつかない言葉に、顔が青くなっていくのがわかる。

 多分、これが一番楽になれる選択肢だと、心の中でそう思っていたんだ。だって、そうすれば誰も死なない。

 だけど私は、自分の子を売るような考えを──

 

「……あ、あはは! なんてね!! ごめん、さっきの言葉は忘れて!」

 

 無理やり笑い、明るい表情を作る。

 

「本屋での帰り道、誰かがつけている気配を感じた。それと関係あるのか?」

「!」

 

 アリマは表情を変えず、そう言った。

 つけている気配は、間違いなくカーリーのことだ。アリマの感覚の鋭さに驚きを隠せない。

 

「……そうか」

 

 私の強張った様子から、アリマは漠然と何かあったと感じ取ったように頷いた。

 

「話してくれ」

 

 アリマのその言葉に、胸の中に抱えていた感情を全部吐き出した。

 言葉と涙が次々と溢れ出す。想いのままに言葉を吐き出しているから、上手く説明できているか、自分でもわからない。それでも、アリマは黙って耳を傾けてくれた。

 

「私、私…… どうすればいいのか、分からなくて……!」

「ティオナ」

 

 アリマは変わらず、平坦な口調で私の名前を呼んだ。何故かそれで、不安で押し潰れそうな心が軽くなった気がした。

 

「アリマ……!!」

 

 私はアリマの胸に飛び込み、そのまま声を押し殺して泣き続けた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 黄昏の館のとある一室。他の部屋よりも一際広く、高級感漂う家具が置かれている。

 部屋の主であるロキは椅子に座り、ある団員と机を挟んで向かい合っていた。

 

「休暇が欲しい」

 

 短く告げられた用件。

 驚きでわずかに目を開ける。まさか休暇が欲しいと言われるなんて、予想の斜め上だった。

 

「アリマ、あんたが休みが欲しいなんて言うの、初めてやないか?」

 

 その団員とは、アリマのことだ。

 若い頃から常にロキファミリアの戦力の中核であり、黙ってダンジョンに向かうのも日常茶飯事。アリマほど常在戦場の言葉が似合う者はいないだろう。

 そんな彼から、休暇が欲しいと言われる日が来るなんて夢にも思わなかった。

 

「……ああ。それと、ラウルの分も」

 

 ラウルの名前が出た時点で、ただの休暇ではないことが確定する。アリマがラウルを連れ出すときは決まって、経験を積ませるために修羅場へと向かうのだ。

 

「ラウルを連れて、何するつもりや」

「観光だ」

「どーせ、ただの観光やないんやろ? ティオナが元気ないのも関係しとるんと違うか?」

 

 アリマは何も答えない。ただ真っ直ぐに、ロキの目を見る。

 アリマの目に根負けしたように、ロキは大きなため息を吐いた。

 

「ええよ、行きい。どうせ止めても、こっそり抜け出しそうやしな」

「すまない」

「そう思っとんなら、お土産期待しとんで」

 

 アリマは小さく頷いてから、ドアに向かって歩いた。

 ドアノブに手をかけ、ドアを開く。部屋の外に出たとき、アリマは顔をこちらに向けた。

 

「それと、今回の遠征には参加できないとフィンに上手く伝えておいてくれ」

「えっ」

「それじゃあ」

 

 そういえば、フィンが近頃遠征をするとか言ってたような……。

 ロキが反論する暇なく、ドアは無情にも閉められた。

 

「あんの阿呆、うちに押し付けおった!!」

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 夜。

 波はなく、海面に映る月が美しい。

 そんな海の上に浮かぶ、一隻の小舟。

 その船首には、白い髪を靡かせながら佇む男がいた。彼の名はキショウ・アリマ。白い死神と呼ばれている。

 アリマは冷たい目で、断崖絶壁に囲まれた孤島であるテルスキュラを見つめていた。

 

「ラウル」

 

 舟を漕いでいるのは、アリマの右腕的存在であるラウルだ。

 

「はい、情報ではこの反対側に船を止める場所があるそうです」

 

 他の者が聞けば問いかけとすら理解できないであろう言葉に、ラウルは的確に答えながら、黙々とオールを動かす。

 

「行くぞ」

 

 アタッシュケースが落ちる。アリマの手には、ナルカミが握られていた。

 

「正面からですか?」

「隠れて進む必要がない」

「わかりました」

 

 舟は迷わず、進んでいく。

 テルスキュラで唯一、船を止めることができる海岸。当然、その場所は警護で固められている。侵入者など前例がないが。

 ふと、女戦士の1人が、見覚えのない小舟が近づいてくるのに気づいた。

 

「そこの船、今すぐ引き返せ! これ以上進むなら、排除させてもらう!」

 

 制止の声を聞かず、小舟は進む。

 女戦士たちは弓を引き、小舟に狙いをつける。

 ただの馬鹿に、情けをかけるほど女戦士たちは甘くない。

 空を切り裂く音が響く。無数の矢が雨のように降り注ぐ。

 雷鳴が、響いた。

 彼女たちが目にしたのは、有り得ない光景だった。雷とは本来、天から落ちるもの。それが、天へと昇っていく。

 雷に焼き焦がされ、放たれた矢は跡形も残らず塵となった。いっそ幻想的にすら思えるその景色に、全員が目を奪われる。

 視界が光で満たされる。それが、彼女たちが意識を刈り取られる前に見た光景だった。

 何事もなかったように小舟が海岸に着く。アリマとラウルは、テルスキュラの大地に足を踏み入れた。

 ゴトリ、と何かが地面に落ちる音がした。彼らの足元にはアタッシュケースが転がっていた。

 2人はテルスキュラの中心へと足を進める。

 先ほどの戦闘音で、島中の存在が侵入者が現れたと気づく。眠りについていた女戦士たちが叩き起こされる。

 テルスキュラの中心にある要塞の門では、ある女戦士が真夜中に叩き起こされたのを愚痴りながら、侵入者を待ち構えていた。

 

「侵入者なんてどこの馬鹿だ。ここがテルスキュラと分かっているのか?」

 

 テルスキュラにはカーリーが育て上げた魔物ばかりが棲まう。下手な軍隊よりも余程強力だ。それなのに、戦争を仕掛けるなど正気の沙汰ではない。

 

「いや…… 報告では2名らしいぞ」

 

 近くにいた女戦士が、冗談半分にそう答える。

 

「何馬鹿なことを言ってる。そんなわけ──」

 

 ふらりと、白い髪の男が目の前に現れた。

 突然、まるで幽霊── いや、理不尽に命を刈り取りにきた死神のように。

 

「カッ──!?」

 

 白い死神の手には、バチバチと甲高い音を掻き立てながら帯電しているレイピアのような武器が握られていた。

 武器を構える暇も、声を上げるもの暇すら与えず、もう1人の女戦士も意識を刈り取られた。

 轟音が響く。それは門が消し飛ぶ音だった。

 異常事態に、次々と選りすぐりの女戦士たちが駆けつける。

 門を潜ってきたのは、たった1人の男。戦場には不釣り合いな、純白のコートに身を包んでいる。

 強い。その強さを、肌で感じる。それでも、相手はたった1人。恐れる必要はどこにもない。

 数の暴力で圧殺しようと、一斉に押しかける。

 彼の間合いに足を踏み入れた瞬間、女戦士たちは意識を刈り取られた。

 彼の歩く後には、無数の女戦士たちが転がっている。それでも…… いや、それなのに、死人は1人もいない。全員が意識を失うだけで済まされている。手加減されているのは明白だった。

 

「な、何だこいつは……!?」

 

 誰も戦おうとせず、呆然と男を見ていた。だって、こんな化け物をどうやって止めろというのか。

 

「カカッ」

 

 小さな笑い声が響いた。

 この島の主が、とうとう戦場に姿を現した。その横には、2人の女戦士がいる。

 

「惚れ惚れするような殺意じゃ。ティオナも粋なことをする。まさか、アリマ本人を連れてくるとはな。それに、オマケの方も上々じゃ」

 

 襲撃者── キショウ・アリマは、黙ってカーリーを見つめた。

 

「標的はあれかい、カーリー様よぉ」

「……白い死神。まさか、相見える日が来るとは」

 

 1人は身の丈もある大剣を担ぎ、もう1人は二振りの刀剣を携えている。カーリーの横にいるこの2人は、歴代でも最強と名高い女戦士だ。Lv6にまで上り詰めた、まさに化け物の中の化け物だ。

 

「やれ」

 

 カーリーの号令に、2人は地面を蹴る。

 音すら置いて行く肉薄。しかし、アリマの表情は少しも変わらない。

 

「ラウル」

 

 どこからともなく現れたラウルが、大剣の女戦士の斬撃を受け止める。

 

「はっはぁ、準備運動には丁度いい!」

「……」

 

 数合斬り合い、目の前の男を理解する。

 強い。この男も、十分に強い。しかも、自分たちと同じく対人戦慣れしている。

 これだけの強さなのに、顔も名前も広まっていないのはどういうことなのか。

 

「太刀筋は良いが…… ちょっと単調だねぇ!!」

 

 ラウルの斬撃をスレスレで躱す。

 見立てでは、Lv6になって間もないといったところか。これなら、ステイタスの差で強引に主導権を得ることができる。

 命を取りはしない。この男もカーリーのお眼鏡に叶っている。だが、腕の一本や二本は覚悟してもらおう。

 ラウルに大剣が迫る。躱すこともできなければ、防御も不可能。それでも、その目には恐れの色が少しもなかった。

 両手に衝撃が走る。大剣は止められ、刃がこれ以上前に進まない。

 アリマがラウルの前に割り込み、黒い槍のような武器で受け止めていた。こんな細い刀身で、よくもまあ受け止めれるものだ。

 

「邪魔だ、待機」

「はい」

 

 アリマの言葉に、ラウルは後方へと下がる。

 この男はたった1人で、自分たち2人を相手取るつもりなのか。

 

「ハッ! やさし──」

 

 言葉を遮る、一瞬の風切り音。

 何も見えなかった。気づいたら、四肢が黒い槍で貫かれた。

 

「ギィッ!!??」

 

 力が抜け、吸い込まれるように地面に倒れる。

 アリマは冷たい目で、戦闘不能になった女戦士を見下ろす。

 アリマは後方に視線を移す。

 大剣の方に攻撃した隙を突き、双剣使いはアリマに飛びかかっていた。アリマは武器を構えず、それどころか双剣使いから視線を外した。

 

「44番」

 

 アリマがそう呟いた瞬間、ラウルは双剣使いにナゴミの峰を叩きつけた。

 双剣使いは気を失い、そのまま地面に崩れ落ちる。

 

「コンマ1遅い」

「すみません」

 

 圧倒的。あまりにも圧倒的だ。

 カーリーは昂る気持ちを抑えきれず、瞳孔の開いた目でアリマを見る。

 

「この状況で、部下の訓練をしていたというのか…… ふふふ、妾の傑作をこうも容易く足蹴にするか!」

 

 アリマは何も答えない。ただ、水底のように暗い目を向けるだけ。

 

「無口じゃのぉ……! だが、良い! 良いぞ! キショウ・アリマ、そなたは妾のモノになれ!! 仔なぞもう、どうでもよい! ロキ風情がそなたを所有するなぞ宝の持ち腐れじゃ! 妾と共に極限を目指そうぞ!!」

 

 神威を発動する。その場にいる誰もが、その威圧に動けなくなる。

 ロキファミリアと戦争になっても構わない。この最高の素材を、何としても手に入れる。

 

「……!?」

 

 ──いや、この場でただ1人、アリマは悠然とカーリーに向かって歩いていた。その表情は、まるで仮面のように変わらない。

 

「貴様、どうして動け──」

「べつに」

 

 囁くようや言葉。それなのに、心臓を直で握られるような寒気が止まらない。

 恐怖。そうだ、これは恐怖だ。

 神は絶対不可侵の神聖な存在。それなのに、この男は自分を道具としてしか見ていない。

 

「お前でもいいんだ、喰わせるのは」

「──」

 

 この日、テルスキュラは2人の男によって掌握された。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 あの夜の後、泣き疲れて眠ってしまった私を置いて、アリマは観光に行ってしまった。

 団員の中には、どうして遠征が近いこの時期に観光するんだと批判する声もある。だけど、それは表向きの理由だ。本当はテルスキュラに向かったのだと、私だけが知っている。

 私の足じゃ、アリマたちに追いつけないかもしれない。それでも、居ても立っても居られず、黄昏の館から飛び出した。向かう先はもちろん、私の故郷だ。

 足と肺が悲鳴をあげても、走り続けた。

 だって、これは私が解決すべき問題だ。アリマに丸投げして良いわけがない。

 山道を走る。坂道に加えて、地面が小石でボコボコになっていて、とても走りづらい。

 視界がぼやける。意識が朦朧としてくる。それでも、足を止めちゃダメだ──!

 足がもつれる。そのまま地面に倒れそうになったとき、誰かが腕で受け止めてくれた。

 

「アリ、マ……!」

 

 アリマに、会えた。

 間に合わなかった。だけど、アリマは生きて、帰ってきてくれた。

 安心で緊張の糸が切れたのか、全身から力が抜けていく。私はそのまま、アリマの腕の中でぐったりとなった。

 

「アリマさん、一足先に帰投します」

「ああ」

 

 いつからいたのか、アリマの横にはラウルがいた。アリマと同じように白いコートを着ている。

 お礼を言える体力もない。だから私は、せめて感謝の気持ちが伝わるようにと笑顔を見せた。

 ラウルは少し頷いて、黄昏の館に向かった。

 少し休もうと、アリマは座ることができそうな岩まで運んでくれた。岩の上に降ろされ、アリマも私の隣に座る。

 深く深呼吸して、息を整える。アリマには、聞きたいことと言いたいことが、山ほどある。

 

「アリマ、怪我はしなかった? 変なこともされなかった?」

「ああ」

 

 アリマは何でもないように答える。

 そっか、怪我しなかったのか……。

 アリマの強さに、呆れればいいのか、驚けばいいのかわからない。だって、テルスキュラには山ほどアマゾネスがいて、当然一斉に襲いかかってきたはずだ。それなのに無傷なんて、やっぱりアリマは強いや。

 だけど、どれだけ強くても、戦場に絶対なんてない。アリマが危険なことをしたのは、変わりない。

 

「何で黙って行っちゃったの……? 私、アリマに何かあったらと思うと不安で……!!」

 

 自分のことで悩んでいたときよりもずっとずっと不安で、心が押し潰れそうになった。

 

「……すまない。俺にできるのは、戦うことくらいだから」

 

 そのときのアリマは無表情だったけど、どこか申し訳なさそうに、そして自嘲しているように見えた。

 その姿を見て、私はそれ以上何も言うことができなかった。

 

「……それで、カーリーはどうなったの?」

「二度と俺たちの前に現れないよう、釘を刺しておいた。あと、変な殺し合いもやめさせるように言っておいた」

 

 アリマは呆気なく、大したことないように、どうしようもないと思っていた私の運命を変えてくれた。

 

「凄いなぁ、アリマは……」

 

 改めて、思う。アリマは誰よりも強い、最高の英雄だって。

 

「本当にありがとう、アリマ。私なんかのために、ここまでしてくれて。このお礼は、この先目一杯させてもらうね!」

「……楽しみにしてるよ」

 

 アリマの背中を守れるまで、強くなろう。今度は私がアリマを助けるんだ。まだ、ずっと先になるかもしれないけれど。

 そしていつか、アリマのことを守れるようになったら、この気持ちを──

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 アリマが死んで、もうどれだけの月日が経ったのだろうか。

 私とラウル、異端児のみんなは、アリマの口から全てを聞いていた。そんな中、多分私だけがアリマの死を受け入れていない。

 その証拠に、今日もアリマの部屋に入り浸ってしまっている。ここに来ても、アリマに会えるわけないのに。

 アリマの座ってた椅子。私はその上に、膝を抱えて座る。

 ベル君やラウルはアリマの意志を受け継いで、異端児のために一生懸命働いている。だけど私は、どうしても前に進むことができない。

 涙はもう、とっくの昔に枯れてしまった。涙と一緒に、大切な何かも流れてしまった気がする。

 ふと、本棚に目を向ける。大切に保管されていた本は、埃を被ってしまっている。

 一番上の棚に、昔私が買った本が置いてある。アリマのいた日々を思い出し、幸せに、それ以上に辛い気持ちで胸を締め付けられる。

 私は、立ち直れそうにない。こんなにも、私は弱かったんだ……。

 

「……?」

 

 本の間に、何か挟まっているのが見えた。

 椅子から立ち上がり、本を手に取る。

 

「本の間に…… これは、手紙?」

 

 宛名は私で、それを書いたのはアリマだった。

 手紙の封を開け、中身を読む。

 

「……………………アリマ」

 

 ぽつりと、私の愛した人の名前を呟く。

 涙が頬を伝う。もう、一生分泣いたと思っていたのに。

 

「前を向いて、笑って生きるよ。アリマがしたくても、できなかった分まで……」

 

 だって、私が泣いてばかりいたら、アリマも安心して見守れないもんね。

 誰よりも幸せに生きてみせるよ。それが、アリマの望みなら。

 

「ずっと、ずっとずっと、この想いを胸に抱いて…… 私、あなたのこと、絶対に忘れないから!」

 




 手紙の内容は読者の皆様にお任せします。まあ多分、自分のことを全部打ち明けて、ティオナの想いに応えたんじゃないでしょうか。
 番外編も終わりです。こういうのはキッパリ宣言した方がええんやね。
 私の中のヤモリが選べぇして、不死人を異世界にぶち込んだり、IS世界でR-TYPEを作らせたりしてます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。