オーバードッグ 名犬ポチ《完結》 (のぶ八)
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純白編
名犬ポチの帰還


初投稿です、よろしくお願いします。


部屋の中央にある黒曜石の巨大な円卓を41の豪華な席が囲んでいる。

だが一つを除き他の全ては空席だ。

 

 

「ふざけるな!」

 

 

唯一席に座っている骸骨は怒号と共に両手を円卓に叩きつける。

 

 

「ここは皆で作り上げたナザリック地下大墳墓だろ!なんで皆そんな簡単に棄てることができるんだ!」

 

 

このナザリック地下大墳墓を拠点として活動するギルド、アインズ・ウール・ゴウン。

そのギルド長であるモモンガは怒りのあまり我を忘れていた。

 

‐いつかまた会いましょう‐

 

皆そう言って去っていった。

だが帰ってくる者は誰もいなかった。

 

先ほどログアウトして去ってしまったヘロヘロの最後の言葉はモモンガが長い間沈殿させていた本心を迸らせるには十分だった。

だが怒りの次に来たのは寂寥感。

 

 

「……」

 

 

「……いや、違うか。簡単に棄てたんじゃないよな。現実と空想。どちらを取るかという選択肢を突き付けられただけだよな。仕方ないことだし、誰も裏切ってなんかいない。皆も苦渋の選択だったんだよな……」

 

 

「……」

 

 

そんなふうに顔を落としひとりごちるモモンガは気づかなかった。

今この場にログインしてきたギルドメンバーがいたことに。

冷静さを欠いていたモモンガはギルドメンバーログインの表示に気付かなかったのだ。

 

 

「随分と荒れてるじゃないか…モモンガさん…」

 

 

突如聞こえる超絶ハードボイルドなイケメンボイス。

 

 

「え…!?」

 

 

モモンガは慌てて顔を上げる。だがそこには誰もいなかった。

 

 

「まぁ飲めよ、これは俺のオゴリだ」

 

 

気づくとグラスがモモンガの前までに滑ってきた。

よくあるバーでお酒を「俺のオゴリだ」と言って他の人に向けて滑らすやつである。

まぁ円卓の上でカーブを描いているので違和感があるのだが。

 

 

「い、一体何が…!?」

 

 

モモンガは慌てて周りを見渡すがやはり誰もいない。

そしてモモンガには不可視化は効かない。

だから誰かが隠れているという可能性も存在しない。

 

モモンガは狼狽するが、すぐにその声が誰のものか思い当たる。

 

 

「ま、まさか! 名犬ポチさん!?」

 

 

モモンガのその声に反応するかのように一匹の子犬が円卓の上に飛び乗る。

最初から席に座っていたのだがその小ささから見えていなかっただけである。

 

 

「おいおい、やっと気づいたってのか…? 冷たい奴だぜ…」

 

 

やれやれと肩をすくめる名犬ポチ。

だがその姿と相まって全くハードボイルドさは無い。

どこからどう見てもただの愛玩動物である。

 

 

 

“名犬ポチ”

 

 

全盛期にはわずか41人でユグドラシルランキング9位を記録したギルド:アインズ・ウール・ゴウンに所属する一人。

全員が異形種、そして悪のロールプレイに徹したギルドのメンバーに相応しく、ある意味で恐れられている。

最も悪にこだわったウルベルト・アレイン・オードルをして邪悪と言わしめた男であり、ゲーム内最強プレイヤーの一人たっち・みーにPVPで勝利した経験もある。

この時、敗北したたっち・みーに「とてもじゃないが攻撃できない…!」と言わしめるほどの実力である。

『戦闘は始まる前に終わっている』を体現したキャラであった。

 

その外見は真っ白な子犬。

両手に乗れそうなサイズで、まさに生まれたての子犬といった具合である。

 

テリア、コリー、ハスキー、プードル、ラッシー、シェパードetc…等のように、なんと犬の種族をレベル1で99重ねるという暴挙に至ったキャラである。

結果、隠し種族オーバードッグを取得。

まさに全てを超越した犬の王であった。

 

ちなみに外装は課金で作成したものを使用。

余談だが属性はカルマ値:-500の極悪。根っからの悪である。

 

 

 

 

 

「モモンガさん、つらい事があるならここで全部吐き出しちまいなよ…」

 

 

そう言いながらいつの間にか手元にあるグラスに入った酒をストローでかき回す名犬ポチ。

体のサイズが小さいので全身を使ってグラスを支えている。

 

 

「め、名犬ポチさん、すいません、せっかく来てくれたのに、あんな…」

 

 

「おっと、よしなよ。最後なんだ、そういうのは無しにしようぜ」

 

 

先ほどの失言について謝罪しようとするモモンガを止める名犬ポチ。

 

 

「それにモモンガさんは皆に気使ってあんまり自分の気持ちとか言わなかったろ? 皆のフォローとかギルドの維持とか雑務に追われてばっかりなのに文句の一つも言わない。むしろそんなモモンガさんの本音が最後に少しでも聞けたのは嬉しいんだぜ…?」

 

 

「名犬ポチさん…!」

 

 

「ていうかそれ飲みなよ」

 

 

先ほどモモンガに向けて滑らせたグラスを指さす名犬ポチ。

 

 

「いや、アンデッドなんで飲めませんって」

 

 

「ふふ、相変わらず無骨な奴だぜ…」

 

 

ギャグのセンスは無い。

 

そんなやり取りが続き、やがて昔話に花が咲いたモモンガと名犬ポチは楽しい時間を過ごした。

 

 

 

 

 

 

「あ、しまった…。もうサービス終了までそんな時間ないですよ」

 

 

「おっと、もうそんな時間か…」

 

 

楽しい時間はあっという間に過ぎサービス終了の時間が迫ってきていた。

 

 

「自分は玉座の間で最後を迎えようと思うんですが名犬ポチさんもどうですか?」

 

 

「すまねぇ、是非一緒にと言いたいところなんだが約束があるんだ…」

 

 

「約束?」

 

 

「そうだ、俺はあいつと決着を付けなきゃならねぇ。許してくれ…」

 

 

「ああ、ネコさま大王国の…」

 

 

モモンガは得心したように頷く。

名犬ポチはギルド:ネコさま大王国と敵対していたのだ。

なんでも永遠のライバルがいるらしい。

当初は対抗して犬好きを集めイヌさま大天国というギルドを立ち上げようとしたのだが、ネコ好きの圧倒的数の前に犬好きは分が悪かった。

そしてある日、ネコさま大王国全員による大襲撃に遭い犬好きが次々と猫好きに鞍替え。

これが後に伝わるユグドラシル三大奇襲の一つ“肉球大虐殺”である。

 

この“肉球大虐殺”後、名犬ポチは絶望に打ちひしがれ彷徨っている時にモモンガに拾われたという経緯がある。

この出来事をモモンガは後に「捨てられた子犬拾ったと思ったらプレイヤーだった」と語る。

 

 

「俺はナザリックの外に出ちまうけどメッセージを繋げておいてくれないか? モモンガさんの応援が欲しいんだ…」

 

 

その声にモモンガがにこやかに応じる。

 

 

「もちろんですよ! 最後なんですから絶対勝って下さいよ!」

 

 

そうして二人は別れた。

名犬ポチはナザリックの外へ。

モモンガは途中でセバスとプレアデスを連れて玉座の間に向かう。

玉座の間でアルベドの設定をいじったのは内緒である。

 

 

 

 

 

 

 

 

名犬ポチはネコさま大王国の拠点へと向かう。

一歩進む度にかつての記憶が蘇る。

 

あの屈辱と苦渋の日々。

犬好きが次々と猫好きになっていく絶望感。

昨日まで犬のアバターだった者が次々と猫へと変わっていく。

そして残されたのは自分一人。

忘れるものか。

リアルの都合でインできなくなっていたものの、それを忘れたことなど無い。おそらく。

 

沼地を踏みしめ川を越え山を越え目的地へ向かう。

時間が無いのでめっちゃダッシュであるが。

 

 

所属人数だけならユグドラシルでも上位であったネコさま大王国。

今でも少なくない人数がいるだろう。

そして今日はサービス終了日、所属プレイヤーの多くが帰ってきているかもしれない。

対して自分は一人。

勝てるはずがない。

だが、だがそれでも自分は行かねばならない。

犬の尊厳を守るために。

 

 

だが目的地に着いた名犬ポチは目を疑う。

 

 

「こ、これは…!?」

 

 

目の前にあったのはもはや廃墟と言ってもいいネコさま大王国の拠点。

少なくとも周囲にプレイヤーの気配はない。

スキル<肉球の祝福>を持ち、肉球持ちの存在を探知できる名犬ポチから猫が隠れられるはずがない。

そして彼ら肉球持ちのキャラは物理的に指輪をはめれないため探知阻害の指輪を使用している可能性は0。

つまり、今この拠点の上層にはプレイヤーが存在しない。

外のお祭りに出掛けただけなのかもしれないがそれでは拠点のこの荒廃ぶりの理由にはならない。

 

名犬ポチの驚愕が伝わったのかモモンガが声をかける。

 

 

『ど、どうしたんですか?』

 

 

「……ギ、ギルドが」

 

 

その後は言葉が続かない名犬ポチ。

モモンガも何かを察したのか声をかけるのをやめる。

 

とりあえず拠点に侵入した名犬ポチだがトラップ等が発動した様子が無いことに気付く。

外観と同じく内装も崩れ落ちているということは拠点の自動修復が機能していない。

トラップも発動しないことを合わせて考えると維持する資金が無くなっている事が考えられる。

他にも様々な可能性が頭をよぎるがとりあえず奥へ進んでいく。

途中で猫のNPCが襲い掛かってきたがレベルも低く戦闘力を考えて作成されていないそれは名犬ポチの敵ではなかった。

しかし拠点最奥部が近くなるとやっと<肉球の祝福>に一つのプレイヤー反応が出る。

 

拠点最奥に到着するとそこには一匹の猫が玉座に座っていた。

 

 

「お前だけか…」

 

 

「……」

 

 

名犬ポチの問いに猫は答えない。

だがこれが答えだとばかりに猫は名犬ポチへ襲いかかる。

そして永遠のライバルとも呼ばれた二匹の獣の戦いが始まった。

 

 

よだれが舞い、毛が散り、肉球がぶつかり合う。

 

 

「まさかお前一人とはな…! 他の仲間はどうしたんだ!?」

 

 

「……っ!」

 

 

戦いながらも名犬ポチのその言葉に顔を歪ませる猫。

だが攻撃の手が休まることはない。

互角の戦いを続ける二人だがやがて均衡は崩れる。

その隙を突くように名犬ポチが魔法を唱える。

 

 

「《トゥルー・パピー/真なる子犬》!」

 

 

第9位階に存在するこの魔法は対象を強制的に子犬化させる。

低位の回復魔法では戻せないという恐ろしい魔法である。

だがこの猫には通用しない。

 

 

「効くかバカが!」

 

 

もちろん効かないのは分かっている。

同レベル帯であり同じようなスキル構成である猫には簡単に無効化できる。

だがこの魔法は自動無効化ができない。

つまり任意でレジストしなければならないのだ。

レジスト自体は簡単なものであるがレジストする為にコンマ数秒の隙ができる。

その隙を見逃す名犬ポチではない。

そのわずかな時間の間に名犬ポチの周囲に立体魔法陣が浮かび上がる。

 

 

「俺の勝ちだ…!」

 

 

そうして名犬ポチは課金アイテムを使用する。

詠唱時間を無くして放たれる魔法、それは。

 

 

「しまっ…!」

 

 

猫の叫びをかき消すように名犬ポチの叫びが響き渡る。

 

 

「超位魔法!!《フォールンパッド/失墜する肉球》!!」

 

 

二人に巨大な肉球が迫りくる。

名犬ポチも対象範囲内なのだが防御の構えを取り魔法で身を守る。

対して猫は反応が遅れ魔法が直撃。

肉球の柔らかい優しさに二人は包まれる。

 

 

 

そして勝敗は決した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……勝ったぜモモンガさん」

 

 

メッセージを通じてモモンガへ声をかける名犬ポチ。

 

 

『やりましたね! 名犬ポチさん!』

 

 

それに反応するモモンガの声は弾んでいる。

仲間の勝利を喜び興奮しているようだ。

だが名犬ポチの反応は薄い。

 

 

『…? どうしたんですか名犬ポチさん』

 

 

名犬ポチはその問いにすぐに答えることができなかった。

 

様々な思いが胸を駆け巡る。

そして思い出すのは先ほどのライバルとの戦い。

勝利した喜びよりも到来したのは空虚感。

 

ライバルは一人だった。

かつてあれだけの仲間に囲まれていたのに。

 

当時、とても強大に感じていた存在は驚くほど小さく感じた。

 

最後に彼は言っていた。

ゲーム好きというより猫好きの集まりだったため瓦解するのは驚くほど簡単だったと。

そのライバルも最近はリアルに時間を取られてろくににインできなかったらしい。

だがやはり思い入れはあったのだろう。

まともにインできなくてももはや拠点が機能していなくとも。

拠点が無くなる事だけは阻止しようとした。

本当にわずかな時間でもインし、ソロで効率が悪くても必死で資金をかき集めたのだろう。

 

アバターだから分からないがギルド武器を破壊しようとした時、とても悲しそうな気配を感じた。

かつて名犬ポチはネコさま大王国のギルド武器を破壊してやると豪語していたが結局できなかった。

なぜかそれを破壊することがライバルを否定することになる気がして。

 

その後、しばらく沈黙が続いた後、何も言わず名犬ポチは去った。

ただそれでもライバルが所持していたワールドアイテムだけは奪っておいた。

別に欲しかったわけではない。

もうゲームも終わるのだし何の意味も無い。

ギルド武器は破壊できなかったけれど、喜びも無かったけれど、それでも何か、何かライバルに勝ったのだという証が欲しかった。

そうしないと自分の中でケリがつかないような気がした。

最後に振り向いて別れを告げようと思ったがやめた。

 

なぜかライバルはそれを望んでないような気がしたのだ。

 

 

 

 

 

地上に戻り空を見上げた名犬ポチはその景色に驚く。

 

夜空を飾るように打ちあがる沢山の花火、そしてあれ狂う超位魔法の嵐。

 

そう、最後の瞬間を迎える為のお祭り騒ぎが繰り広げられていた。

 

 

「はは、外は凄い騒ぎだ。モモンガさんにも見せたかったぜ…」

 

 

『やっぱり外はお祭り騒ぎなんですねー。そうだ、動画撮って後で送って下さいよー!』

 

 

「ああ、いいぜ」

 

 

23:55:20

 

 

何かを覚悟したように名犬ポチは呟く。

 

 

「モモンガさん、ありがとな」

 

 

『え…?』

 

 

「ネコさま大王国の拠点、もう機能してなかった。維持するだけで精一杯って感じで廃墟同然だった。それでやっと気づいたんだ。モモンガさんがどれだけ大変な思いをしてナザリックを維持してくれてたのかが…。久しぶりに帰ってきてナザリックが変わらずにまだあるってことがどれだけ幸せだったのかってことを…」

 

 

『名犬ポチさん…』

 

 

その言葉に涙ぐむモモンガ。その一言だけであのつらい日々が救われる気がした。

 

 

「だからさ、またやろうぜ」

 

 

『え?』

 

 

「ユグドラシルは終わりかもしれねぇけど、また何か新しいこと始めようぜ。ユグドラシルの代わりにはならないかもしれねぇ。でも、俺たち仲間だろ? 今までモモンガさんを一人にしてた奴が何言ってるんだって思うかもしれねぇけどさ…。それでもまた何かやりたいんだよ」

 

 

『名犬ポチさん…』

 

 

「仕事も軌道に乗ってさ、前みたいに時間作れそうなんだ。だから、モモンガさんさえよければまた俺と一緒に遊んでくれねぇか…? 別にゲームじゃなくてもいいんだ。ただ時間ある時に話すだけでもさ…」

 

 

過去を思い出し、自分の気持ちに気付く名犬ポチ。

 

 

「ああ、やっと分かったよモモンガさん…。楽しかった、そう、楽しかったんだ…、何よりも。一日おしゃべりで潰れたことがあったよな、馬鹿話で盛り上がった。家族サービスを捨ててログインしてくる奴もいた。色んなことがあったよな…」

 

 

『そう、ですね、本当に楽しかったです…』

 

 

涙声で答えるモモンガ。泣いているのかもしれない。

 

 

「だからさ、これで終わりにしたくねぇんだ。ユグドラシルは終わりかもしれないけどよ、俺たちならきっと何かできる。昔の仲間みんなにも連絡とろうぜ、そしたらまたアインズ・ウール・ゴウン再結成だってできるかもしれねぇ!」

 

 

楽し気に語る名犬ポチ。

モモンガもそうなったら素晴らしいだろうなと思う。

でも、どこかで、心のどこかでそうはならないだろうなという想いもある。

仮に集まってもまた一人になるんじゃないか、自分を置いて皆どこかに行くんじゃないか。

もう一人は嫌だ。

そんなつらい思いをするくらいなら、いっそ…。

 

 

「俺はもうどこにも行かねぇよ…、例え誰も集まらなくても…」

 

 

『え……?』

 

 

モモンガの心を読んだかのように名犬ポチは続ける。

 

 

「こんな事言うと重いとか言われそうだけどさ、俺アインズ・ウール・ゴウンの皆と過ごした時間が一番楽しかったんだ。それにモモンガさんに寂しい思いをさせてた事にも気づいた。だからもう二度と手放さない。モモンガさんさえよければ俺はずっとモモンガさんと一緒にいたい…」

 

 

『はっ、ははははは!!!』

 

 

途端にモモンガの笑い声が響き渡る。

 

 

『なんですか、それ。ちょっと愛の告白みたいになってんじゃないですか!』

 

 

ツボに入ったようにモモンガの笑いは止まらない。

 

 

「なっ! そんなんじゃねぇよ! 俺は普通だ! 女の子大好きだぜ! そんなんじゃなくて、こう友情的な…?」

 

 

『ははは、分かってますよ。冗談ですよ、冗談』

 

 

そうしてゲラゲラと笑うモモンガ。

 

 

『ふぅー、そうですね…。もし名犬ポチさんがこれからも遊んでくれるなら嬉しいです』

 

 

「じゃ、決まりだな」

 

 

名犬ポチの言葉にモモンガの寂しさが消えていく。

たしかに仲間全員が集まることはないかもしれない。

それでも名犬ポチさんだけでもいてくれるなら…。

 

もう一人じゃなくなる。

モモンガはユグドラシルの最後をこんな気持ちで過ごせるとは思っていなかった。

 

 

『名犬ポチさん、ありがとう。貴方のおかげで最高の最後になりそうですよ』

 

 

「おう、でも終わったらすぐに連絡するからよ」

 

 

『はは、せっかちですね、いいですよ、わかりました』

 

 

23:59:30

 

 

ユグドラシル終了まで秒読み段階。

 

 

「モモンガさん、最後はあれやろうぜ、あれ」

 

 

『え? ああ、あれですか。ふふ、いいですよ』

 

 

23:59:45

 

 

『「せーの」』

 

 

『「アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ!」』

 

 

23:59:55

 

名犬ポチもモモンガも目を瞑る。

最後の瞬間を、幻想の終わりを気持ちよく迎えるために。

 

 

23:59:57、58、59…

 

 

ブラックアウトし‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

00:00:00、01、02、03…

 

 

「……ん?」

 

 

モモンガは異常に気付く。

ゲームが終了しない。

サーバーダウンか延期になった等、無数の可能性が頭をよぎるがどれも決定的なものには程遠い。

そしてコンソールが浮かび上がらないこと、他のあらゆる機能にも一切の感触がないことに驚愕する。

 

名犬ポチと繋がっていたメッセージもいつの間にか切れている。

確認の為に再度メッセージを送る。

繋がらない。

何度試しても繋がらない。

他のギルドメンバー全員にかけてみるも繋がらない。

困惑するモモンガに声がかけられる。

 

 

「どうかなさいましたか? モモンガ様」

 

 

初めて聞く女性の声。

それが横にいるNPC、アルベドのものだと気づく。

そしてモモンガはこの異常事態に気付く。

 

やがてモモンガは思い当たる。自分が異世界に来てしまった可能性に。

 

だがそれと同時に深い絶望がモモンガを襲った。

 

 

「なんで、なんで名犬ポチさんに繋がらないんだ…。まさか、俺、俺だけが異世界に来てしまったのか…、そんな…」

 

 

モモンガは何度も何度も名犬ポチにメッセージの魔法を送ったがついに繋がることはなかった。

 

 

「嘘だ…、名犬ポチさん…、俺を、俺のことをもう一人にしないって言ったじゃないか…!」

 

 

名犬ポチが悪くないのはわかっている。

だが、それでも、それでも名犬ポチの言葉に縋りたかった。

またすぐに話せると思った。

すぐに会えると思った。

それなのに、もしかすると二度と会えないかもしれないのだ。

 

モモンガが少しでも冷静ならあらゆる可能性を想定したかもしれない。

外に出てわずかでも情報を入手していれば希望を持てたかもしれない。

 

だが先ほどの名犬ポチとのやり取りと現状との落差に耐えられなかった。

 

もし名犬ポチを探して見つからなかったら、きっと自分は壊れてしまう。

 

そんな最悪を味わうよりは、ここで動かず夢に浸っていたかった。

どこかに名犬ポチがいるかもしれない。

いつか会えるかもしれない。

自分から動いてその可能性を閉じるよりは…。

 

 

 

ここで何もせず死んだように待ち続ける。

 

 

 

モモンガは意識を手放し、夢の中で仲間達に会うことを選んだ。

 

 

 

 

 

 




次回『邪悪降臨』カルネ村に激震が走る、はず。


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邪悪降臨

小説書くのって難しいんですね、知りませんでした…。


名犬ポチは驚愕していた。

 

 

 

目の前に広がるのは草原、周囲は森。

先ほどまで自分がいたユグドラシルの世界とは全く違う。

 

そして違和感に気付く。

体の感覚がおかしい。

妙に生々しいのだ。

肌に触れる草の感触、鼻を擽る土と草木の匂い。

そして感じる自らの鼓動。

 

 

‐馬鹿な!‐

 

 

慌ててコンソールを開こうとするが何も起きない、GMコールも利かない。

ユグドラシルのシステム的な機能が一切使えないのだ。

 

しばらくの間、その場で逡巡する。

 

やがて行き着く一つの可能性。

 

 

(ゲームの世界が現実になった…?)

 

 

だがおかしい。

ここはユグドラシルではない。

 

 

(と考えるならば転移したと考えるべきか…?)

 

 

再び思考の渦に飛び込もうとするがここでは何の結論も出ない事に気付く。

 

 

(動いてみるしかないか…。外装はユグドラシルのものだし感覚的にユグドラシルの魔法やスキルは使えそうな感じがする。もしかするとモモンガさんもどこかにいるかもしれない…。くそっ、メッセージが使えないのが痛いな…)

 

 

ここで名犬ポチの鼻に血の匂いが飛び込んでくる。

 

 

(血の匂い…? 場所は…、少し遠いな…)

 

 

名犬ポチは匂いの元が遠くのものだと分かることに驚く。

 

 

(感覚は犬のようになっているのか…? 全く何が何やら…)

 

 

とりあえず他にアテも無いので血の匂いの元へ向かう名犬ポチ。

 

何かヤバそうな事態であれば逃げ出せばいいだけだ。

少なくとも逃げ足には自信がある。

だがこの世界でユグドラシルの強さが通用するのだろうか。

魔法もスキルも使用できる感覚はあるのでユグドラシルと同じような世界ならば問題は無い。

だがさらなる強者がいる場合もある…、注意が必要だな。

 

そう考え自分の中の警戒レベルを最大に上げ名犬ポチは目的地へ向けて駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

名犬ポチは知らない。

 

ここからそう遠くない場所にナザリックが転移してきていたこと。

 

 

 

そして不運なことにナザリックより遅れて転移してきていた為、モモンガのメッセージが通じず現在彼が絶望の底に沈んでいることも何も知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」

 

 

とある村のはずれで一人の少女が妹を連れ一心不乱に走っていた。

 

突如、少女の住むカルネ村へバハルス帝国の騎士達が攻め込んできたのだ。

カルネ村はただの田舎の小さな村だ。

騎士達に抵抗できるはずもなく一瞬でのどかな村は地獄へと変わった。

 

少女の父も母も自らを盾にして自分たちを逃がしてくれた。

周りで少女の知り合いである人が何人も倒れていくのが見えた。

だが少女には何もできない。

悔しさと悲しさと恐怖の中、ただひたすら妹を連れて逃げるしかできなかった。

 

 

その少女、ただの村娘であるエンリ・エモットは手を繋いでいた彼女の妹、ネムが転んでしまった事で足が止まる。

 

 

「ネム!」

 

 

「お姉ちゃぁん!」

 

 

エンリはすぐにネムを抱きかかえようとするがその間に騎士達が迫ってきていた。

 

 

「へへ、逃がさねぇよお嬢ちゃん…!」

 

 

下卑た表情を浮かべ騎士は剣を奮う。

エンリはネムを抱きかかえすぐに逃げようとするが彼女の背中を騎士の剣が切り裂く。

 

 

「きゃあっ!」

 

 

あまりの痛みにその場に倒れるエンリ。

致命傷ではないだろうがすぐに立ち上がれない。

 

 

「お、お姉ちゃん! お姉ちゃぁぁん!」

 

 

ネムは半狂乱になりながらエンリへとしがみつく。

 

 

「じゃあな嬢ちゃん」

 

 

そうして騎士は少女たちへ向けて剣を振り上げた。

エンリはネムを抱きしめる。

剣が振り下ろされ訪れるであろう痛みに、そしてその先の死を覚悟する。

 

 

 

だがいつまでも経っても騎士の剣が振り下ろされることはない。

 

 

 

怪訝に思い目を開くと騎士の視線が別の場所へ向いている。

エンリもそちらへ視線を移すとそこにいたのは。

 

 

白い小さな子犬だった。

 

 

「わんっ」

 

 

可愛く吠えた子犬はこちらをじーっと見ている。

それに何かイラっとしたのか騎士が声を荒げる。

 

 

「んだぁ、この犬コロは! どっか行ってろ、殺すぞ!」

 

 

だが犬は全く動じない。

その視線は騎士を鋭く睨みつけている。

 

 

「わんちゃん逃げて!」

 

 

思わずネムが犬へと叫ぶ。

それを聞いた騎士がニタリと笑う。

 

 

「なんだぁ? もしかしてペットか何かか? へへ、こいつを目の前で殺したら嬢ちゃんたちはどんな顔するんだろうなぁ」

 

 

嗜虐的な感情が男を支配する。

そしてその子犬をどんな風に殺してやろうかと手を伸ばす。

 

それが破滅への道だとは知らずに―。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

血の匂いの元へたどり着いた名犬ポチは考える。

目の前で少女二人が騎士に殺されそうな状況に遭遇したが何の感慨もわかない。

 

本来だったら少女達を助けたいと思うのだろうが今は虫が潰される程度に何も感じない。

 

それどころか人間が下等生物にしか感じないのだ。

 

とりあえず成り行きに任せようかと思い騎士が少女達を切り殺すのを見守る。

 

だがこちらに気付いた騎士が手を止めこちらを見ている。

 

 

「わんっ(気にせず続けて)」

 

 

そう声をかけるが騎士はこちらへ暴言を吐いてきた。

なんだあの野郎。

そうすると続けて少女の一人が自分に逃げてと叫ぶ。

 

 

(逃げろだと? この俺に?)

 

 

先ほどまでヤバかったら逃げようとしていたのだが下等生物如きにそう言われると煮えくり返るものがある。

 

 

(悪の華アインズ・ウール・ゴウンの一人、そして最強プレイヤーのたっちさんを完封した事もあるこの俺に対して尻尾を巻いて逃げろだと?)

 

 

そこまで言われてないのだが名犬ポチの中で怒りが沸き上がる。

 

 

(あの女には絶望を味わわせてやる…)

 

 

そう考えているうちに騎士の一人がこちらへ手を伸ばしてくる。

 

 

(おっと、とりあえずこいつらがどの程度の強さか判断しなきゃダメか…。チッ、最悪ホントに尻尾を巻いて逃げることも考えなきゃならんか…)

 

 

そして名犬ポチは即座に魔法を発動させる。

 

 

「わんっわわわんっ!(《ハート・エクスプロード/心の破裂》!)」

 

 

第8位階に属するこの魔法は一撃で相手を卒倒させる凶悪な魔法。

初手でこの魔法を選んだのは抵抗された場合でもドキドキを抑えられず冷静さを保てなくさせる効果を持つからだ。

仮に相手が強者だとしても効果中に逃亡することが可能であり、この魔法で様子を見ようとするが…。

 

 

「はっ、はわわわぁー!」

 

 

魔法を受けた騎士は驚くほど痙攣しながら倒れる。

その後も口から涎を垂らし、ヤクが決まってるかのような情けない顔でビクンビクンしている。

 

 

「な、何が起こった…!?」

 

 

残った騎士は味方の意味不明な状態に同様を隠せない。

だがすでにここは死地。

名犬ポチの前でそのような状態は迂闊と言わざるを得ない。

 

 

(ふう、第8位階の魔法が効くなら敵じゃねぇな…。とりあえず負ける心配はねぇ。後は戦力を測るだけか…)

 

 

名犬ポチは流れるように残りの騎士へと飛び掛かる。

その首元へ向かって口を開き、研ぎ澄まされた牙を突き立てると同時に魔法を発動する。

 

 

「わわんっ!(《ソフトバイト/甘噛み》!)」

 

 

相手の戦力を測る為、次は先ほどより弱い第5位階魔法を放つ。

恐らく倒せはしないだろうと考え、次の魔法の準備をするが…。

 

 

「ひゃあぁぁぁぁぁ!」

 

 

両手で頭を抱え内股になり失禁する騎士。

そのままパタリと倒れる。

 

唖然としたのは名犬ポチ。

 

 

(今ので一撃だと!?)

 

 

第5位階魔法は名犬ポチからすれば弱すぎる魔法だ。

100レベルである名犬ポチが適正な狩場で使う魔法は第8位階魔法以上。

第7位階ですらよほど相性が良くないと使うことすらない。

 

あまりの弱さにどうしようか考えあぐねていると不意に横から抱き上げられた。

 

 

「わんちゃん大丈夫っ!?」

 

 

それは結果的に助けることになってしまった少女の一人だ。

 

 

「わんっ!(ニンゲン如きが俺に触るんじゃねぇ!)」

 

 

名犬ポチは肉球を押し当て少女の手から離れる。

 

 

「ネム、何が起きたかわからないけど今のうちに…うっ!」

 

 

起き上がりネムに声をかけるエンリ、だが背中の傷が酷いのか再びその場にうずくまる。

それを見たネムが駆け寄る。

 

 

「お姉ちゃん大丈夫っ!?」

 

 

そのやり取りを見ながら名犬ポチは思う。

 

こいつらは俺に逃げろと言ったり抱き上げようとしたり不快な存在だ。

卒倒させるレベルじゃ生ぬるい…、この世の地獄を見せてやる…!

 

そう心に決めた名犬ポチはエンリに近づき背中を舐めると魔法を発動させる。

 

 

「ぺろっ(《リック・ヒーリング/治癒の舌》)」

 

 

名犬ポチは自分の持つ回復魔法を使う。

それはこの少女達にもっと深い絶望を味わわせるためだ。

その為にはこんなところで死んでもらっては困るのだ。

 

 

「ああああーっ!」

 

 

ゾクゾクと体中を駆け抜ける気持ちよさに思わず声が漏れるエンリ。

 

 

(くくく、この俺に舐めた口をきいたんだ。死んだ方がマシだったというような目に遭わせてやるぞ…)

 

 

たちまちエンリの傷が治っていく。

何が起きたかわからず目の前の子犬を見る二人。

 

 

「な、何が…!? あ、あなたがやったの!?」

 

 

エンリは驚愕に震え、名犬ポチを見つめる。

 

 

(いいじゃねぇか、その怯える目、そそるぜ…。これから自分がどんな目に遭うか想像して恐ろしくなっちまったのかもしれねぇな…)

 

 

「よくわからないけどありがとう!」

 

 

「お姉ちゃんを助けてくれてありがとう!」

 

 

二人の少女は涙を流し心からの感動と感謝を伝える。

 

だがそれに対する名犬ポチの視線は冷ややかだ。

 

 

(バカが…。今更ご機嫌取ろうとしたってそうはいかねぇ…。ふん、なんと俗物的で下らぬ存在よ…)

 

 

この二人をどうするかは後で決めるとしてまだ村の方が騒がしいな、と考えながら村の中央へと向かう名犬ポチ。

 

それを見たエンリとネムは慌てて名犬ポチを止める。

 

 

「行っちゃダメ! 村にはたくさんの騎士がいるの! 殺されちゃう!」

 

 

「そうだよ! あぶないよ!」

 

 

名犬ポチは二人の少女にさらなる怒りが沸くのを感じる。

 

 

(俺が殺される? さっきのを見てなかったのか? あの程度の奴なら俺の敵ではないというのに…。チッ、下等なニンゲンではその程度の判断もできぬということか…。いや、もしかすると強い奴がいるのかもしれないな、ふむ。スキルで犬を呼び出して仕掛けさせるか…)

 

 

そう考えるや否やスキルで犬を召喚することを決める。

名犬ポチは自分の持つどのスキルで犬を呼び出すか考える。

 

 

<大型犬創造/1日4体>

<中型犬創造/1日12体>

<小型犬創造/1日20体>

 

 

敵は第5位階にすら耐えられない弱さだった。

そうなるとレベル60前後までの犬を創造できる大型犬のスキルは無いだろう。

となると中型犬か小型犬だが…。

 

 

(まぁ、戦力の分析もある。試しに小型犬を何匹か出して様子を見るか…。それでダメそうなら中型犬を出すだけの話だ)

 

 

そして名犬ポチは自身のスキルを発動させる。

 

 

‐小型犬作成 チワワ マルチーズ ポメラニアン トイプードル ダックスフンド‐

 

 

五匹の小型犬を生み出す。

おおよそ20レベル前後の犬だ。

オーバードッグの特殊能力で強化されるので数値的にはこれらより高くなるのだが。

 

 

「わんっ!(行け! この騎士と同じ姿の者共を襲うのだ!)」

 

 

名犬ポチの合図と共に五匹の犬が村中に散る。

それを満足気に見つめると、後ろで唖然としているエンリとネムを尻目に名犬ポチは村の中心へと進んでいく。

エンリとネムから見えないが名犬ポチは邪悪な顔を浮かべていた。

 

とりあえず邪魔そうな騎士共を排除、村人も玩具として遊ぶくらいできるかもしれないな、と。

 

 

 

 

 

解き放たれた五匹の犬はそれぞれ自分の獲物を見つけると消え入りそうな鳴き声を辺りに響かせる。

 

 

その鳴き声に合わせ大気が震える、ことはなかったがそれは反転の号砲だった。

 

 

虐殺が別の虐殺へと変わるように、狩るものが獲物へと変わるように。

 

 

 

 

 

 

 

蹂躙が始まった。

 

 

 

 

 

 

 




次回『ニグン絶頂する』終わりの始まり。


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ニグン絶頂する

エンリとネムは目の前の光景が信じられなかった。

 

 

 

先ほど遭遇した子犬がどこからか犬を呼び出し村中に放つとやがて騎士達のものと思える嬌声が聞こえてきたのだ。

それがしばらく続いたと思うと次に訪れたのは静寂。

何が起こったのかわからず、さりとて騎士達の追っ手も来ないようなので恐る恐る村へと戻る。

村へと戻ると至る所に騎士達が倒れていた。

 

なぜか皆だらしない顔をして軽く痙攣していたがどうやらもう立ち上がれるような状態ではないらしい。

 

村の中心へと行くと多くの村人達が気絶した多数の騎士達をロープで縛っていた。

 

 

「エンリ! ネム! 無事だったのか!」

 

 

遠くから村長がこちらへ走ってくる。

 

 

「村長…! こ、これは…?」

 

 

「いや、突然現れた子犬達が騎士へ襲いかかったと思ったら次々と騎士達が嬌声を上げて倒れていったんだ。何が何だかわからないがどうやら私たちは助けられたらしい…」

 

 

「そ、その子犬達はどこに!?」

 

 

「ああ、向こうで騎士の隊長と思われる者を囲んでいるよ。すまないが私は残りの騎士を今のうち縛らなきゃならない。目を覚ましたらまた襲われてしまうからね」

 

 

そう言って村長は立ち去る。

 

エンリとネムは村長の指した方向を見る。

そこでは先ほどの白い子犬とどこからか現れた子犬達が、縛られて白目を向いている隊長らしき男に向かって小便をかけているのを見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名犬ポチはあまりの手応えのなさに退屈していた。

 

 

(いやまさか小型犬レベルで数倍の相手を圧倒できるなんて想定外だわ、ぶっちゃけ一匹でも無双できたんじゃないかってレベルだし。なんだこれ? RPGの最初の村かよ…)

 

 

さて、どうしたものかと考えていると先ほどの少女二人が来たようだ。

何やら村長と話してこっちを見ているが今はこの男に小便をかけることで忙しいから後回しだ。

 

そんなことを考えていたら突如少女二人が悲鳴を上げる。

何事かと思えばその辺に転がっている死体に泣きながら縋りついている。

その時のリアクションと周りの反応からそれが少女達の親なのだろうと想像がつく。

 

だがここは名犬ポチ。

カルマ値:-500を誇る邪悪な存在。

 

この少女二人の傷口にさらに塩を塗り込む手段を思いつく。

邪悪な笑みが止まらない。

新しい遊びを思いついたとばかりに彼女達へと近づく。

この少女二人をさらなる絶望の底へ叩き落すために。

 

 

「わんっ(どけ、クソ共)」

 

 

エンリとネムを肉球で必死に押しのけ死体の前に座る名犬ポチ。

 

そして両手を死体に添えると魔法を唱える。

 

 

《グレーター・レイズ・ドギー/犬の上位蘇生》

 

 

瞬間、名犬ポチと死体が眩しい程の光に包まれた。

 

死体の傷は消え、肌の色も戻っていく。

ユグドラシルではありきたりな光景。

しかし村人からすると常識の範囲外の出来事。

 

この魔法は第9位階に属する魔法である。

犬の種族でしか習得することが出来ないが、一切のデメリット無く死者蘇生ができる。

 

ただし犬に仇なす存在だけはこの魔法でも蘇生させることができないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

「かはっ!」

 

 

エンリとネムの父が目を開ける。

軽くせき込むと同時に起き上がった。

そしてハッとしたように自分の体をまさぐる。

騎士に斬られた筈の傷が無い。

あれほどの痛み、夢のはずがない。

夢でない証拠に、服は剣で裂かれ血の跡が滲んでいる。

何が何やらわからず混乱していると周りの村人達が自分を見て生き返っただの何だのと騒いでいる。

いつの間にか村を襲っていた騎士達も捕まっているようだ。

全く理解が追い付かない。

 

だが彼は近くにいた妻の死体を見て現実に引き戻される。

体に何か所も剣で刺された跡があり、見るも無残な姿だった。

無力感と悲しみと怒りが彼の心を支配する。

 

だがすぐに彼は自分の身に起こったことが何だったのか客観的に見ることで理解する。

一匹の子犬が妻の死体に手を添えるとまばゆい程の光に包まれたのだ。

 

 

 

それは奇跡だった。

 

 

 

妻の傷口がみるみるうちに塞がっていく。

そしてその肌に血色が戻ってきたかと思うと指がピクンと動く。

 

そして目を開けた。

 

軽くせき込み慌てたように起き上がる。

先ほどの自分と同じく混乱しながらも体の怪我の確認をしている。

その妻の胸に飛び込み泣いている自分の娘達を見た。

娘達が生きていたことを知り、彼の心を多幸感が包む。

自然と涙が出た。

嗚咽が止まらない。

感情が押し寄せ彼の心では処理できない。

彼はただ子供のように泣き叫んだ。

何が起こったのか未だに理解はできないが心の中で何度も叫ぶ。

 

神様ありがとうございます、と。

 

 

 

この後もその子犬は村を周り村人を治療し、蘇生していく。

村中の人間を回復させ終わった頃には、その子犬は村人から犬神様と呼ばれていた。

 

カルネ村を救った小さな子犬。

村人達はそれを神の使いとして信じて疑わなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

名犬ポチは愉悦の極みにいた。

 

 

今、彼の前では村人が涙を流し矮小なその体を震わせている。

 

地面に倒れ込み打ちひしがれる者。

恐怖に耐えきれず体を寄せ合い泣き叫ぶ者。

絶望のあまり放心する者。

自暴自棄になり狂乱する者、等々。

 

 

だがそれも当然だろう。

 

名犬ポチの悪逆非道な行い。

それは彼をして自身に震えが走るほどである。

 

 

(親、子、友人、その他諸々。それらの大事な人を失い、悲しみと絶望に暮れたはずだ。だがそこでは終わらせねぇ。こいつら下等生物にはもう一度大事な人が死ぬという地獄を味わわせてやるのだ…!)

 

 

名犬ポチは笑う、嗤う、哂う。

 

 

(死んだ人間を生き返す、そうすることで再び奴らは奈落に落とされるだろう…! 病気か、怪我か、寿命か、いつになるかは分からねぇがその命が再び失われる時を怯えて待つことになる…。何日も何か月も何年も何十年も…。お前たちは大事な人の死をただただ待つことになるのだ…。震えて眠れ、ニンゲン)

 

 

一度でも悲しい最愛の人の死を二度味わせる。

その為の治療、その為の蘇生。

まさに悪魔の所業。

 

 

あの二人の少女も恐怖しているはずだ。

いつかまた来る父と母の死に恐怖して生きていかねばならない。

それを考えただけで名犬ポチの胸が熱くなる。

 

 

(ああ、全く最高の玩具だぜ…!)

 

 

とか思ってる間にスキルで作成した犬たちは消えていた、時間制限らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、カルネ村に王国戦士長ガゼフとその一行を名乗る者たちが訪れた。

村長は捕まえた騎士を引き渡し、村で何があったかをガゼフへと話す。

だがガゼフの顔に浮かぶのは困惑だった。

 

 

「あー、村長。もう一度確認してもいいだろうか…? 本当にその子犬が村を救ったのか…?」

 

 

「はい! そうでございます! 我々はこの御方を犬神様と呼んでおります!」

 

 

そう語る村長の横にいるのは両手に乗りそうなサイズの子犬。

 

 

(まさか村が襲われ、気でも狂ってしまったのだろうか…)

 

 

そうガゼフは考えるがそれでもおかしい。

村人が怪我一つ無く、一人の犠牲者も出さず、この騎士達を全員捕獲することが可能なのだろうか、と。

 

 

(仮に俺の隊で同じ事をやれと言われても一人も殺さず捕獲するのは難しいな…。となるとまさか本当に?)

 

 

ガゼフはそう思いながらその子犬をジッと見つめる。

 

 

「わんっ(俺がやった)」

 

 

いや、あり得ないな、とガゼフは首を振る。

どこからどう見ても人畜無害な存在だ。

 

だがそうなるとやはり疑問は村の現状だ。

確認したところ村中には多数の血痕が確認できた。

だが死者はいない。

多くの村人達の剣で斬られたような破れ方をしている衣服も気になる。

 

 

(ポーションの回復にしては早いな…、このような村に大量にあるとも考えられぬ。となると回復魔法しかありえないが…。そうか、どこかに神官がいて村人が庇っているのか…?)

 

 

ありえる、と納得する。

神官が村人の傷を治療したのならば村人が無事なことの説明がつく。

それに加え、この場を死者も出さずに鎮圧させることができる者がいるとするなら冒険者しかいない。

何らかの理由で凄腕の冒険者チームが通りがかり義憤に駆られ助けたというところか。

 

だがそもそも無償の治療は神殿から許可されていない。

なので無償の治療が発覚すると色々と問題になる。

冒険者であればチーム全体の評判にも関わってしまう。

この村の護衛かそれに準ずるものであれば村人は隠す必要はない。

その冒険者チームを隠すということは発覚するとそのような問題になるということだ。

 

 

(素直に感謝を伝えたいところだが…、私の立場的にそれはマズイか…。どうやら出てこないでおいてもらった方がよさそうだ)

 

 

冒険者の無暗な治療行為と村人による隠蔽。

ルール的には問題なのだがガゼフにそれを突っ込む気はない。

 

 

(人の命に勝るものはない。それに、私にはこれが間違っている行為とは思えぬ。もし知られたら貴族どもには何と言われるかわかったものではないが…)

 

 

そうしてガゼフは心の中で感謝を告げ、どこへともなく深いお辞儀をする。

 

 

(心より、感謝する。見知らぬ冒険者達よ…)

 

 

「わんっ(俺だっつってんだろ)」

 

 

こいつどこ向かってお辞儀してんだ。

絶対俺がやったって信じてねぇわ。

 

ぶん殴ってやろうかと名犬ポチが思っていると緊急事態を告げる声が響く。

 

 

「戦士長! 周囲に複数の人影、村を囲むような形で接近しつつあります!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど…確かにいるな…」

 

 

家の影からガゼフは報告された人影を窺う。

 

 

(スレイン法国…、くそ、狙いは私か…?)

 

 

人影の周囲には召喚された天使であろう存在も確認できる。

詳しい知識はないが楽に勝てる相手ではないだろう。

それにもし本当に自分自身を狙ってきているならば確実に屠れる戦力を動員しているはずだ。

 

 

(ここまでか…)

 

 

ガゼフは覚悟を決める。

 

この場に居合わせた村人は口封じに殺されるだろう。

そうならないためには自分が囮となり、その間に村人には逃げてもらうしかない。

それにもし村を救った冒険者がいるならきっと今回も助けてくれるだろう。

心苦しいものはあるがそれに期待するよりない。

 

 

そしてガゼフは村長に今の話を伝える。

自分が引き付けている間に逃げてくれ、と。

 

そうして戦いに行こうと部下の指揮をとろうとしたところで‐。

 

 

「わんっ(あれとやんのか?)」

 

 

ガゼフは自分の横で吠えた子犬を見る。

 

 

「わわんっ(俺も行くから連れてけや、ユグドラシルのモンスターである炎の上位天使を召喚しているあいつらに聞きたいことがある。それにあいつらこの村攻める気だろ? この村の村人は俺の玩具だから手ぇ出して欲しくねぇんだわ)」

 

 

ガゼフは無邪気に尻尾を振っている子犬を見て破顔する。

 

 

「なんだ、応援してくれるのか。ありがとうな。でもお前も早く村人と逃げるんだ」

 

 

そう言って名犬ポチの頭をゴシゴシと撫でるガゼフ。

 

 

「わぁん!(連れてけっつってんのがわかんねぇのかこのヒゲ!)」

 

 

そしてジャレるようにガゼフにまとわりつく名犬ポチ。

 

 

「こらっ! 今は本当に時間が無い! 離れるんだ!」

 

 

そうしていると自分の近くに小さな女の子が走ってきた。この子犬の飼い主だろうか?

 

 

「ああ、君の犬かい? 早くこの子を連れて避難するんだ」

 

 

そう言って女の子に名犬ポチを渡すガゼフ。

それを受け取ると女の子は避難する村人達のほうへ走っていく。

途中で振り返りガゼフへと手をふる。

 

 

「うんっ、おじちゃんも気をつけて!」

 

 

「わんっ!(離せやぁ~!)」

 

 

女の子の腕の中で名犬ポチは暴れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「無駄な足掻きを止め、そこで大人しく横になれ。せめてもの情けに苦痛なく殺してやる」

 

 

戦いの末、ガゼフを追い詰めたスレイン法国特殊部隊、陽光聖典のリーダー、ニグンは言う。

 

 

「誰が、貴様なんぞに屈するか…!」

 

 

傷だらけの体に鞭を打ち、ふらつきながらも剣を構えるガゼフ。

ニグンはあきれたとばかりにため息を吐く。

 

 

「愚か。もうよい、天使達よ、ガゼフ・ストロノーフを殺…」

 

 

そう言いかけニグンは視界の端に何か映ったものがあることに気付く。

そちらへ視線を移すといたのは子犬。

あまりにも小さなそれに気付けたのはその真っ白な体が夜の闇に逆らうように存在していたからだ。

 

 

「わんっ(気にせず続けて)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名犬ポチはネムの腕の中でもがいていた。

先ほど、村を出ていくガゼフを見送ってからいくらか時間が経っている。

早く行かねばと体を動かすがネムが隙間なく自分を抱きかかえている。

 

 

「いぬがみさま! 暴れちゃだめだよ、今は逃げなきゃだめなの!」

 

 

無論、名犬ポチなら簡単に脱出できる。

だが力加減がわからないのだ。

自分が力をこめれば簡単に吹き飛ばしてしまうかもしれない。

せっかく地獄のズンドコに叩き落したこいつを無駄に死なせる気にはならないのだ。

勿体ないから。

まぁ殺しても生き返らせればいいのだが恐怖を引き出すため以外の無駄な殺生は好まないのだ。

MP勿体ないから。

 

等と考えているうちにネムが転ぶ。

チャンスとばかりに名犬ポチはその手からすり抜け走り出す。

後ろでネムが何か叫んでいるが無視する。

 

今はそれどころではないのだ。

 

ユグドラシルのことを知っているものがいるのなら色々と聞かねばならないことが…。

 

等と考えている間に名犬ポチはガゼフの元へと到着する。

すでにガゼフは虫の息だった。

 

 

(あー、もうこいつ死ぬとこか。てか終わってからでいいか。その方がゆっくりと話せんだろ)

 

 

そう思ったので静観を決め込む名犬ポチだがニグンの視線に気づく。

 

 

「わんっ(気にせず続けて)」

 

 

「な、なんだ、この生き物は…」

 

 

ニグンは不思議そうな顔で名犬ポチを見る。

 

 

「わんわんっ(いいからとっとと殺せよ)」

 

 

ニグンは感じていた。

 

漆黒聖典隊長を前にした時のような圧力を。

いや、と考える。

それよりも相応しい何かが頭によぎる。

 

 

 

 

番外席次…?

 

 

 

 

 

なぜかは分からないが法国最強の切り札、番外席次に通じる底の知れなさを感じたニグン。

 

 

(なぜかは分からぬ、分からぬが…。これは…私の手に負える相手ではない…!)

 

 

冷や汗を流し狼狽するニグン。

部下はどうしたのか、というリアクションをしている。

 

 

(バカな! 気づかないのか!? こ、これほどの存在を前に…)

 

 

ニグンは思わずガゼフに怒鳴る!

 

 

「これはなんだガゼフ・ストロノーフ! き、貴様の魔獣なのか!?」

 

 

そんなニグンの質問にガゼフは、こいつ何を言っているんだ?というような顔をしている。

 

 

(無関係…なのか…?)

 

 

「わん(おい)」

 

 

突如聞こえた声にビクンと体を揺らすニグン。

 

 

「わわんわん(こいつ殺さねぇのか? まあいい、それよりも聞きたいことがある。ユグドラシル、ナザリック地下大墳墓、アインズ・ウール・ゴウンについて何か知っていることはないか?)」

 

 

ここでニグンは察する。

自分は今、何かを問いかけられている。

これに答えられねばただではすまないだろう。

 

ふと気づく。

 

自分がこれ程の脅威を感じる存在に心当たりがあることに。

 

まさか、と思う。

 

だが言い伝えではその御方達の種族や姿形はバラバラであると聞く。

 

ニグンは震えながら口を開いた。

 

 

「も、もしかして貴方様はぷれいやーではありませんか…?」

 

 

ニグンの部下に動揺が走り、ニグンの正気を疑う声が飛び交う。

だがここにいてニグンだけがその子犬からの視線が変わったことを感じた。

 

当たりだ、と確信する。

 

そしてニグンは膝をつき敬意を示す。

 

 

「お、お待ちしておりました! 神よ! ど、どうか我らが法国を、いえ、人類をお導き下さい!」

 

 

(何、言ってんだコイツ)

 

 

神とか救いとかわけわかんねーこと抜かしてんなぁ、と思う名犬ポチ。

だが一つ捨て置くわけにはいかない言葉を聞いた。

 

プレイヤー。

 

それを知っているということは他のことについても知っている可能性が高い。

 

 

(こいつは後で話を聞く必要があるか…、しかし他の奴らなんか横でワイワイうるせぇなぁ…)

 

 

そう、ニグンの部下達は突然のニグンの凶行に理解できず後ろで騒いでいる。

 

 

(こいつがリーダーっぽいしこいつがいれば大丈夫だろ)

 

 

そう考えると名犬ポチは勢いよく手のひらを合わせる。

 

ぷにゅ、と柔らかい音と同時に名犬ポチの周囲に魔法陣が広がる。

 

 

突如周囲が騒めく。

ガゼフとその部下も、ニグンの部下も。

 

だがニグンだけが微動だにせず両の目を見開きその姿を見ていた。

溢れ出る恐ろしい程の魔力。

それは現在ニグンが所持している魔法封じの水晶に込められている魔力を遥かに凌駕していた。

 

 

「わわん(《ドッグウェイブ/犬津波》)」

 

 

犬の鳴き声と共に魔法陣が消え去る。

 

同時に大地が揺れ始めた。

揺れは止まらない、むしろどんどん激しさを増していく。

もはや立っていられないのではないかと思う時、全員が気づいた。

何か巨大なものが、それこそ森か何かかと錯覚するほど巨大な何かが迫って来ていた。

 

 

それは津波だった。

 

 

丘を抉り、山を削り、木々を倒しそれは遠くからこちらへ向かってくる。

近くまで来てやっとそれの正体に気付く。

 

犬だった。

 

無数の犬が並走し、重なり合い、それこそ津波のようになっていたのだ。

 

正体が分かると同時に、この場にいた人間はニグン一人を残して全員飲み込まれた。

 

津波に巻き込まれた人間達は大量の犬に巻き込まれ、もみくちゃにされた。

鎧が砕け、服が破れる。

やがて裸になろうとも犬達は止まらない。

温かい肌の感触、滑らかでふわりとした毛、そして柔らかい肉球の感触。

それが流れるように素肌と触れ合い続け擦りあげられる。

 

あとに残ったのは生まれたままの姿で謎の液体に塗れ、動かなくなった男達だった。

 

 

「ああぁぁぁぁあぁああ!! 神ぃぃぃぃいいいいぃぃぃぃぃいぃいいいい!!!!!」

 

 

それを見ていたニグンの絶叫が響き渡る。

あまりの神々しさと強大な魔力にあてられたニグンはどうにかなっていた。

体を弓なりに反らし両手で頭を抱えるニグン。

その股間はじんわりと濡れていた。

 

 

 

‐ドッグウェイブ/犬津波‐

 

 

それは第10位階の魔法。

 

大量の犬が津波のように押し寄せ対象を巻き込む凄まじい魔法である。

効果はごらんの通りである。

 

 

「あぁぁああああ、神、神ぃぃぃ! そのお力でぇ!! 法国うぉぉぉ! 人類うぉお救い下さいぃ! 我が、我が信仰を、いや全てをささげますぅぅぅう!!!」

 

 

そう言ってニグンは名犬ポチに駆け寄ると足を舐め始める。

 

 

「わんっ!?(うわぁぁ! 何コイツ、足舐めてるんですけど!? やだ、怖い!)」

 

 

ニグンを振り払おうとする名犬ポチだがいくら肉球で押し付けてもニグンは離れない。

その瞳には情欲に似た何かが宿っていた。

 

 

「わんっ!? きゃいーんっ!(なにこれ、なにこれぇぇ!? お、犯される、助けてぇぇええええ!)」

 

 

この日、異世界に来てから名犬ポチは初めての恐怖を知ったのだった。

 

 

 

戦え名犬ポチ、諦めるな名犬ポチ、冒険はまだ始まったばかりだ。

 

 

 

 

 




次回『真なる邪悪アルベド』奴が動き出す。


皆さんお気づきかもしれませんが名犬ポチはポンコツです。
本当の悪を期待していた方申し訳ありません。

次回から本格的に話が動き出す、予定です。


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真なる邪悪アルベド

※ワールドアイテムの描写にミスがありましたので修正しました


「どうかなさいましたか? モモンガ様」

 

 

 

アルベドは天使のような微笑みを浮かべモモンガに問いかける。

だが返事が返ってくることはない、モモンガが紡ぐのは失意の嘆き。

 

 

「なんで、なんで名犬ポチさんに繋がらないんだ…。まさか、俺、俺だけが異世界に来てしまったのか…、そんな…」

 

 

モモンガの瞳から徐々に光が失われていく。

 

 

「嘘だ…、名犬ポチさん…、俺を、俺のことをもう一人にしないって言ったじゃないか…!」

 

 

まるでその言葉が合図だったかのように、モモンガは沈黙した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルベドは声が震えそうになるのを抑え、再び明るい声を出す。

 

 

「モ、モモンガ様? どうなされたのですか?」

 

 

再度の問いかけにもモモンガからの返事はやはり無い。

 

アルベドはモモンガの身に何が起きたのか察した。

至高の御方々の一人であり、最後まで自分たちを見捨てなかった慈悲深き方。

そして自身の最も愛しい御方。

その心の洞察には自信があった。

そしてその頭脳で導き出される結論。

 

 

ああ、モモンガ様はお眠りになられてしまったのだ。

 

私たちシモベを見捨てず、身を削り、心を砕き、ずっとナザリックを一人で支えてくれた我らが主。

 

他の至高の御方の帰還を信じ、ずっとお一人で耐えてきたモモンガ様。

 

だがモモンガ様は御心を手放された。

 

 

アルベドは両手を顔に押し付け、感情を抑える。

 

 

ダメだ、泣くな、泣くな、泣くな…!

ここはモモンガ様の御前。

守護者統括として、忠実なシモベとしてみっともない姿を見せるわけにはいかない。

たとえモモンガ様の御心がここに無いとしても。

 

 

零れそうな涙を抑え、震える体に鞭を打ちなんとか平静を保つ。

 

 

 

そして次にアルベドの心に沸いたのは怒り。

 

 

 

これが答えか…?

 

他の至高の御方の帰りを信じて待ち続けたモモンガ様に対する答えがこれか…!

 

アインズ・ウール・ゴウン。

 

くだらぬ。

 

私が忠誠を誓うのはモモンガ様のみ。

 

そのモモンガ様を悲しませるのならば何者であろうとも許さない。

 

例え自身の創造主だろうが、排除してみせる。

 

 

 

 

「アルベド」

 

 

玉座の下に待機していたセバスが顔を上げ問いかける。

 

 

「モモンガ様の身に一体何が起きたのでしょうか…?」

 

 

セバスの言葉に同意するように待機していたプレアデスからも同様の視線を感じる。

 

アルベドは考える。

 

ここは間違ってはいけない。

 

一歩間違えれば自身の破滅を招く。

 

なぜならば自分はこれから至高の御方のご命令に背くことになるのだから。

 

 

「わからないわ、セバス。私はその原因を探るために姉のニグレドの元へ向かいます」

 

 

アルベドのその言葉にセバスとプレアデス達からわずかな殺気が放たれる。

それもその筈だ。

この場にいたセバス達は分かっている。

モモンガはアルベドに持ち場から離れてよいという命令は下していない。

 

 

「…どういうおつもりですか、アルベド。モモンガ様はそのようなご命令を貴方にしてはいないと記憶していますが…」

 

 

至高の御方の言葉は何よりも優先される。

例えナザリックの仲間であろうともそれに逆らうことは許されない。

セバスの怒りは尤もだ。

だがアルベドは動じない。

 

 

「ええ、その通りよ。モモンガ様の許可はないけれど、私はタブラ様から与えられた玉座の間を守護せよという命令を放棄します」

 

 

そう言い放つアルベドにセバスとプレアデスの殺気が一気に膨れ上がる。

 

 

「正気ですか、アルベド…? 私がそれを見逃すとでも…?」

 

 

その殺気を前にしてもアルベドの表情は変わらない。

 

 

「貴方こそ現状を理解できているの? セバス」

 

 

「……。どういう、意味でしょうか?」

 

 

ここからだ。ここからセバス達を丸め込む。

アルベドはその頭脳をフル回転させる。

 

 

「現在モモンガ様の身に何かが起こったことは明白。そしてモモンガ様の最後の言葉からこのナザリック自体にも何らかの問題が起こっている可能性が考えられるわ」

 

 

アルベドの言葉にセバス達からの殺気が薄まる。

全く予期せぬ問題を提起され動揺しているのだ。

 

 

「もちろんモモンガ様がご健在ならばそのお言葉に従うけれども、現在モモンガ様は我々に命令さえ下せない状況にあると考えられる。なので私が動き、原因を探る。もし何かの間違いで気づかぬうちにモモンガ様に危険が及ぶようなことになってしまったらどうするの? それこそ我々が最も避けなければならない事態でしょう?」

 

 

「し、しかし…!」

 

 

アルベドの言葉には納得がいった。

だがそれでもセバスには命令を無視することへの忌避感が捨てきれない。

 

 

「セバス。なぜ今回に限りモモンガ様が貴方とプレアデスを玉座の間まで付き従わせたと思うの?」

 

 

「そ、それは…」

 

 

それはセバスにも分からないことだった。

こんなことは創造されてから初めてだった。

主に付き従うよう命じられ玉座まで着いてきたものの、一向に命令は下されない。

 

 

「私はねセバス。モモンガ様がこうなることを予想していたのではないかと思うの」

 

 

「……。どういうことです?」

 

 

「貴方たちをここに待機させたのは、このような不測の事態において御身を守護させるためではないか、と」

 

 

セバスはなるほど、と思う。

ここに待機させたのは命令を下すためではなく、守護させるためならば納得できる。

 

 

「もちろん、あくまで私の推測よ。本当は何か別のご命令があったのかもしれないわ。でも現在のようにモモンガ様の身に何かが起きている。その身に危険が迫るならその排除こそ私たちの役目」

 

 

そう言いアルベドはセバス達を睨みつける。

 

 

「例え後で叱責され命を奪われようとも行動するべきでしょう? それが我ら守護者の役目であり存在意義よ。だからセバス、私が居ない間、プレアデス達と共にモモンガ様を守って頂戴。何があってもこの場から動かずにモモンガ様をお守りするのよ」

 

 

「……。言われずともモモンガ様の御身は必ずや守ります。それと先ほどは申し訳ありません、アルベドの忠義を疑うようなことをしてしまいました…」

 

 

深々と頭を下げ謝罪するセバス。

 

 

「いいのよ、私が命令に背くのは事実なのだから。責任はちゃんと取るつもりです。それとセバス、モモンガ様の身に何かあったらすぐに知らせて頂戴」

 

 

「かしこまりました」

 

 

そうしてアルベドは玉座の間を出ていく。

セバスとプレアデスから見えない場所でアルベドの顔は邪悪な形に歪んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

‐地下7層 溶岩‐

 

 

「どうしたのかねアルベド、君がこんな所へ来るなんて」

 

 

三つ揃えのスーツを着た黒髪の悪魔が突然の来訪者へと問いかける。

 

 

「ええ、デミウルゴス。モモンガ様のご命令で姉のところへ行くの」

 

 

「…なるほど。どのようなご命令なのかお聞きしても?」

 

 

「申し訳ないけれど私も多くを聞いているわけでは無いわ。とりあえず姉さんの所へ行ってそれからメッセージでモモンガ様から詳しい命令をお聞きする予定なのよ」

 

 

「…そうか、それは邪魔をしてしまって悪かったね。早くニグレドの元へ行くといい」

 

 

「ええ、そうするわ。じゃあねデミウルゴス」

 

 

そうしてデミウルゴスの横を通り過ぎ、去ろうとしたアルベドへデミウルゴスは宝石の目を光らせる。

 

 

「私の予想では、至高の御方の捜索。それがモモンガ様のご命令だと思うね」

 

 

デミウルゴスに振り返ることなくアルベドは返す。

 

 

「そう、かしら…?」

 

 

「そうだとも。今日は幾人もの至高の御方がナザリックへご帰還なされた。皆すぐに再びお隠れになってしまわれたがね。そしてこのタイミングでわざわざニグレドを使うなんて普通ではないよ。何らかの関係性があると考えるのが当然ではないかね?」

 

 

アルベドに聞こえないような小さな声で「本当にモモンガ様のご命令ならね」と続けるデミウルゴス。

 

 

「……モモンガ様をお待たせするわけにはいかないの。私はこれで」

 

 

「ああ、気を付けてアルベド」

 

 

そうして再び歩き出しながらアルベドは思う。

 

 

 

デミウルゴス。やはりあいつは駄目だ。

あいつだけは今後の自分の計画において邪魔にしかならない。

むしろナザリックを動かすための枷になる。

 

どこかで消さなければ…。

 

 

そう決意しアルベドは進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地下6層 ジャングルの守護者アウラにマーレ。

地下5層 氷河の守護者コキュートス。

 

こいつらは簡単だった。

モモンガ様のご命令だと言えば何の疑いもなく通してくれる。

 

そしてこの氷河に存在する館「氷結牢獄」。

ニグレドのいる部屋のギミックを無事終えるとアルベドは話を始める。

 

 

「ナザリックの周囲の確認?」

 

 

「ええ、そうなの。お願いできる?」

 

 

「モモンガ様のご命令なら当然よ。しかしなぜ? 誰かが攻めてくるの?」

 

 

「詳しくは後で話すからとりあえず周囲の確認をお願い」

 

 

「分かったわ」

 

 

そして魔法を展開するニグレド。

 

魔法から映し出されるその映像は昔とは違うものだった。

 

かつてナザリックの周囲にあったはずの沼は無くなり草原が広がっていた。

 

 

「な…!」

 

 

驚愕するニグレド。

 

だがそれを見たアルベドは、やはり、と思う。

モモンガ様は最後に、俺だけが異世界に来てしまったのか、そう仰っていた。

そしてこの周囲に広がる光景から判断するに、ナザリックごとどこかに転移してしまったのだろう。

 

 

「ア、アルベド!? これはどういうこと!? モモンガ様はなんと!?」

 

 

「モモンガ様も原因不明と仰っていたわ。今はこの世界の情報を一刻も早く収集しなければならない。協力してもらうわよ、姉さん」

 

 

「そ、それはもちろん。しかしどうやって?」

 

 

「姉さんにはこの世界の国やその他の大きい勢力を探してもらう。見つかったらシャルティアを含め《ゲート/異界門》を使えるシモベ達によってナザリックの隠密に特化した者を送り込む。そしてそこに住む生き物をいくらかナザリックへ拉致してもらうわ。後はニューロニストに頼んで情報を引き出させる。多角的な情報が欲しいからより多くの国を探して頂戴」

 

 

「分かった」

 

 

そしてアルベドはニグレドが作業している間にシャルティアの元へと向かう。

それと同時に隠密や捕縛力に特化した者を選別する。

 

ここからはスピードがものを言う。

多少強引だとしても一刻も早く周囲の情報を入手しなければならない。

 

デミウルゴスが動く前に。

 

現状自分がデミウルゴスに対して持っているアドバンテージはモモンガ様の状態の有無を知っていること。

そしてデミウルゴスはウルベルト様の命令に従って地下7層を動けないであろうことだ。

あれほど忠誠心が高い男が命令に背き、持ち場から離れることはないと思われる。

だが絶対ではない。

もし気づかれた場合、ナザリックを扇動するのが難しくなる。

急がねばならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モモンガの命令と言われたシャルティアは喜々として働いていた。

 

そしてゲートを通り、ナザリックのシモベ達が次々と現地の者を拉致してくる。

 

 

「人間が多いわね」

 

 

アルベドの問いにニグレドが答える。

 

 

「ええ、周囲にあるのはほとんどが人間の国みたい。少し遠くなるけどドワーフやドラゴンの国もある。シャルティア達の人間の国での作業が終わり次第そちらにも手を付けるわ」

 

 

「よろしくね、姉さん」

 

 

そしてニグレドがずっと疑問に思っていたことを聞く。

 

 

「ねぇ、アルベド。モモンガ様は何をされる予定なの? 世界征服でもなさるおつもり?」

 

 

この問いかけにどう答えるかアルベドは悩む。

 

ニグレドには今後も監視や探索などで多いに活躍してもらわなければならない。

そのため今後、外で活動する自分の行動を隠し通すことは不可能だ。

 

ある程度、腹を割るしかない。

 

幸い、シャルティア達は作業に出ておりここには二人しかいない。

話をするにはもってこいだ。

 

 

「いいえ。至高の41人が一人、名犬ポチ様の捜索よ」

 

 

「なんですって!?」

 

 

バッ、という音を立て瞬間的に顔を向けるニグレド。

 

 

「もちろん可能性の問題。いないかもしれないけれど、いるとするなら最も可能性が高いのが名犬ポチ様よ」

 

 

「そ、それなら名犬ポチ様を直接…、あっ!」

 

 

何かに気付いたようにニグレドが目を見開く。

 

 

「そう、多くは知らないけれど名犬ポチ様の持つスキルのおかげで探知系の魔法やスキルでは発見できない。近くまで接近できればその至高の御方の持つ気配から見つけられるのだけれど…」

 

 

「<小動物の気配>ね」

 

 

名犬ポチの持つ<小動物の気配>というスキルは探知の魔法やスキルなどに対して効果を発揮する。

自身をその辺りにいる小動物と同様の存在として知覚させるのだ。

なので名犬ポチという個人を特定することはできない。

森などに逃げ込まれたら見つけるのはまず不可能だろう。

ただし情報系の魔法やスキルに強い反面、デメリットとしてステータスの低下等がある。

まぁ名犬ポチの場合、そのスキルを解除したとしてもステータスは守護者達に届かないのだが。

 

 

「それにこの世界にどれだけの敵がいるか次第で捜索方法が変わってくるわ。もし至高の御方と同じプレイヤーが多数存在するなら秘密裡に慎重に動かねばならない。そして我らの戦力で踏みつぶせる相手ならば踏みつぶして探せばいい、そうでしょう?」

 

 

「なるほど、でもナザリックの守りはどうするの?」

 

 

「もちろんナザリックの守りをおろそかには出来ない。本格的な捜索チームは私が指揮を執り、少数精鋭で行くわ。状況次第ではあるけど、守護者から何人か、そしてレベル80以上のシモベを15体以上に、ルベドも動かす」

 

 

その言葉にニグレドが驚愕に震える。

 

 

「何ですって!? 私は反対よ、絶対にスピネルはナザリックに災厄をもたらすことになるわ…!」

 

 

ニグレドの強い言葉にアルベドはどこ吹く風だ。

 

 

「あら、私たちの可愛い妹じゃない。そんな風に言っては駄目よ。それにモモンガ様が許可して下さったのよ?」

 

 

「……! モモンガ様が…。それなら仕方ない…」

 

 

諦めたようにニグレドは肩を落とす。

本当にルベドを動かしていいのかニグレドは不安に駆られる。

彼女はニグレドやアルベドとはまるで違う創造のされ方をしているのだ。

 

だが至高の御方が動かすと決めたのならきっと問題はないのだろう。

そう考えるがニグレドの不安が晴れることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルベドはニューロニストから上がってくる情報に笑わずにはいられなかった。

 

 

 

スレイン法国という場所にケイ・セケ・コゥクとルンギースというワールドアイテム級と考えられるアイテムが存在するようだ。

その効果と特性が本当ならばワールドアイテムそのものの可能性もある。

このアイテムを残したプレイヤーという存在。

かつてナザリックに攻め入った者共と同じような存在ならばありえない話ではない。

仮にワールドアイテムだったとしてもワールドアイテムを所持する自分には全く恐れるに足らない上、強者と言える存在も一人しか確認できていないらしい。

ならばこのスレイン法国とやらを滅ぼすのは容易いだろう。

 

何より、これらの情報が本当ならばデミウルゴスを支配でき、名犬ポチの存在をこの世から抹消できる。

まだ詳しい世界情勢は分からないが危険を冒してでもこのケイ・セケ・コゥクは入手する価値がある。

デミウルゴスさえ支配下に置ければナザリック全てを掌握することも可能なのだから。

 

当初はルベドを使ってデミウルゴスを抹殺しようと考えていたが、後でどうやって他の守護者達を説き伏せるか頭を悩ませていたのだ。

言い包める自信自体はある。

だが流石に守護者の一人が死亡となれば、命令を放棄してでもモモンガ様に謁見する者が現れるだろう。

それはマズい、計画が根底から崩れてしまう。

 

しかしケイ・セケ・コゥクでデミウルゴスさえ抑えれば他の奴らがどう騒ぎ立てても簡単に制圧できる。

それにルンギースもその効果が本物ならば嬉しい誤算だ。

 

アルベドの見立てでは名犬ポチがこの世界にいる可能性は高い。

至高の御方達はナザリックから去る時はいつも円卓の間や玉座の間などナザリック内でその気配を消していた。

だが今回の名犬ポチだけは違う。

アルベドの記憶が確かならば、ナザリックの外へ出て行き行方が知れなくなっている。

今までの至高の御方のようにナザリック内で気配が消えたわけではないのだ。

 

事情が違う。

 

至高の御方達が暮らすリアルに帰っているとは限らない。

いないならそれでいい。

だがもし、いるのなら間違いなく殺す。

 

仮にモモンガ様の前に姿を見せるようなことがあればモモンガ様がどのような行動に出るか分からない。

最後の言葉を聞く限りでは怒りを、恨みをぶつけ、決別してくれる可能性もある。

だが慈悲深きあの御方はきっと許すだろう。

そして名犬ポチに連れられナザリックを去ってしまうかもしれない。

 

そんなことは認められない。

 

もうモモンガ様が目を覚まさなくてもいい。

 

もうモモンガ様の声を聞けなくてもいい。

 

もうモモンガ様に触れて頂けなくてもいい。

 

名犬ポチが、他の至高の御方がいなければもうモモンガ様は心を取り戻すことはないだろう。

 

だが、それでいい。

 

モモンガ様が去る恐怖に耐えるくらいなら、物言わぬモモンガ様に永遠に寄り添い続ける。

 

私はもうそれだけでいい。

 

何があろうとモモンガ様をナザリックに縛り付ける。

 

だから殺す。

 

邪魔になりそうな存在は残らず殺す。

 

仲間だろうが殺す。

 

自分の創造主だろうが殺す。

 

殺す。

 

名犬ポチは必ず殺す。

 

必ず、消す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名犬ポチは今更とてつもないことに気付いてしまった。

 

 

 

もしかして俺の言葉って通じてないんじゃね?と。

 

この考えに至ったのはニグンという男の存在である。

めちゃくちゃ気持ち悪い男だがこいつは自分の言っていることを大体だが察せられるらしい。

ここでふと気づいたのだ。

 

俺ってわんしか言ってねぇ、と。

 

やたら話合わないと思ってたんだよなー、おかしいと思ってたわ。

 

そしてこうなるとこのニグンという男の価値は急上昇。

捨て置くのは勿体ないので連れて歩くことにした。

 

気持ち悪ぃけど。

 

とりあえずカルネ村の連中には挨拶をして今はエ・ランテルという街へ向かっている途中だ。

道中暇なのでニグンにスレイン法国という場所のことを聞いていた。

 

 

「わん(へぇ、その漆黒聖典とやらが法国の最大戦力なのか)」

 

 

「そうなのです! ただ口惜しいことに最近漆黒聖典から裏切り者が出ましてね、クレマンティーヌという女なのですが法国の恥です! ああ、全く許しがたい大罪です!」

 

 

「わん(濡れマンてぃーぬ? すげぇな、そんな名前の奴いんのかよ。イカレてんな)」

 

 

「ええ、全くその通りです! 神のお怒りもごもっともです! 神に仕える我が国の宝を盗むなど神への冒涜です! ですがどうか気を落ち着けて下さい。すでにクレマンティーヌの兄のクアイエッセという男が追っています。あの男に任せれば大丈夫でしょう」

 

 

「わんっ!?(卑猥でっせ!? おいおいマジかよ、その兄妹終わってんな)」

 

 

はぁ、ニグンも十分おかしいし法国は変態しかねぇのかよ。

 

法国って未来に生きてんだな…。

 

法国という国への警戒心を一段階上げる名犬ポチ。

 

あー、ニグンには法国に帰りましょうってずっと勧められてるけどやっぱ法国はねぇな。

 

うん、絶対行かない。

 

とりあえずエ・ランテルに向かって正解だったわ。

 

名犬ポチは改めて法国に近づくのはやめようと心に決めた。

 

 

 

 

 

 

まさかこの思い違いが自身の命を救うことになるとは夢にも思わぬ名犬ポチであった。

 

 

良かったね!

 

 

 

 




次回『法国の落日』アルベトさん注意警報。




ここから死人が出てくる予定です。
アルベド視点は殺伐としていくかもしれません。
ご注意下さい。


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法国の落日

今更ルビの振り方を覚えました


法国は混乱していた。

 

ここ数日で法国内部での行方不明者が続出し、国のトップである最高執行機関に位置する神官長からも行方不明者が出ているのだ。

国を挙げて捜索しているが現状では何の成果も出ていない。

 

スレイン法国の最奥に位置するこの会議室では、最高執行機関の構成員に加えカイレと漆黒聖典からも数人同席し話し合いが行われていた。

だが依然として話し合いは進まない。

あまりにも問題が重なり過ぎているのだ。

 

現在法国は窮地に立たされている。

 

占星千里による破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の予言。

漆黒聖典の一人クレマンティーヌにより法国の至宝・叡者の額冠が盗まれ闇の巫女姫は発狂し、本人は逃亡。

ニグン率いる陽光聖典は消息不明。

そのニグンを監視していた土の巫女姫は土神殿に突如現れた複数の小型の獣に襲われ警備の者共々再起不能に。

そしてダメ押しのように要人含め多くの法国民の謎の失踪。

 

 

だがそれもこれから起こることの前では不幸とすら呼べるものではなかった。

 

 

この日、法国の中心地である神都に謎の暗闇が出現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

アルベドは上げられた情報に目を通していた。

 

 

(弱い、弱すぎる。この世界の生き物の貧弱さには笑いすらおきないわ。ナザリックの脅威と言える存在など欠片も存在しない。まぁ当然なのだけれど)

 

 

アルベドも他のシモベと同じく、偉大なる至高の御方に連なる我々ナザリックこそ最強という自負があるために敵と言えるものが存在しないことに対してはさほど疑問を抱かない。

 

 

(問題はプレイヤーが存在するかどうかだけど…。今手に入っている情報からすると存在する可能性は低いわね。とはいえ情報を入手するだけでは限界もある。まずは手始めに法国を攻め落とす。あといくつか国を支配するのもいいわね。そして奴を炙り出してやる…!)

 

 

そこでふと唯一気になった国の情報を纏めた紙に目をやる。

 

 

(アーグランド評議国…。どうやら真なる竜王なる大陸最強のドラゴンがいるらしいけど…。逆に言えば、ここを叩けばこれより強い敵を気にする必要はないということね…。ここに関してはあまり情報も入ってないし、最強がどの程度か試しに戦ってみるのも手か…)

 

 

 

 

 

 

 

 

「一体何の用でありんすぇアルベド」

 

 

「私はこれから法国へ攻め込む準備を始めるわ。そして貴方にも動いてもらう」

 

 

アルベドの言葉に少々ムスっとした感じで答えるシャルティア。

 

 

「ふん、《ゲート/異界門》でそこまで運べということでありんしょう?」

 

 

数日間ずっとシモベ達と下等な生物の運搬ばかりやらされていたのだ。

守護者たる私がなぜ、とシャルティアは少々不満に思っていた。

 

 

「違うわシャルティア。貴方にはアーグランド評議国という国へ攻め込んで貰いたいの。モモンガ様から滅ぼすように命令を受けているのだけれど、ここには真なる竜王と呼ばれる大陸最強のドラゴンがいて少々手ごわそうだから貴方が一番相応しいと思って」

 

 

「えっ!」

 

 

シャルティアの目が丸くなる。

 

 

「それに無事滅ぼせたらモモンガ様もきっとお喜びになると思うわ、何せこの世界で最大の障害となりえる存在だもの。謁見はもちろん、お褒めの言葉も頂けるでしょうね…。法国へ攻め込む予定が無ければ私が行きたかったのだけれど…」

 

 

「やるっ! やるでありんす!」

 

 

間髪入れずにシャルティアが返事をする。

それになぜか頬を紅潮させハァハァ言っている。

 

 

「良かったわ。それに貴方なら何かあっても《ゲート/異界門》で簡単に逃げられるでしょう?」

 

 

「何を言ってるでありんすかアルベド。わたしが逃げるわけないでありんしょう? 守護者最強であるこのワタクシが!」

 

 

胸を突き出し偉そうに踏ん反り返るシャルティア。

 

 

「期待しているわ。あと誰かを付けたほうがいいかしら? 貴方の部下だけで大丈夫?」

 

 

「わたしとそのシモベだけで十分でありんす! これほどの大任、わたしだけで見事こなしてモモンガ様に沢山褒めて頂くでありんすぇ!」

 

 

すでに任務を終えた後のことを想像しニヤニヤが止まらないシャルティア。

 

 

「では私はこれで。じゃあアーグランド評議国は貴方に任せるわね。制圧に成功したらその場で連絡を頂戴、国を消し飛ばすか支配下に置くか決めたいから」

 

 

「了解でありんす! あ・り・ん・す~!」

 

 

満面の笑みで返事をするシャルティア。

それを後目に立ち去りながらアルベドは思う。

 

 

(相手の戦力の規模や詳細について考慮もせずよくあそこまで担架を切れるものね)

 

 

心の中で軽くあきれるアルベド。

アルベドの入手した情報では真なる竜王について不明確な部分があるものの、法国にいる強者と同等以上の存在だと推定できる。

法国の強者はニグレドに探知させその目で確認したが、確かに強かった。あれは自分達と同じステージで戦える存在だ。それでも負けるとは思っていないが。

 

 

アルベドの見立てではシャルティアと真なる竜王が戦った場合、相打ちの可能性もあると判断している。

単純な戦闘力ではシャルティアが勝るとは思うがシャルティアは少々頭が弱い。

それにアーグランド評議国の持つ戦力次第では負けることも十分考えられるのだ。

さてどうなるか見ものだなとアルベドはほくそ笑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

対名犬ポチ用に使用予定のガルガンチュアの起動実験を終えたアルベドはルベドの元へ向かう。

 

とりあえずルベドがいればナザリック内で争いになっても戦力負けすることはないだろう。

なので一刻も早く手元に置いておきたい。

 

アルベドはルベドが封印されている扉の前に立つ。

扉を開けると中で台の上に横になっている者がいた。

 

それはアルベドと同じ容姿をした女性。

 

ただアルベドと違うのは白髪で白色の羽を持ち黒い服を着ていること。

外見年齢的にも幼く、アウラやシャルティアと同年齢程度に見える。

だが決定的に違うのは生命を感じないことだ。

 

熱素石(カロリックストーン)をコアとして制作されたルベドは自動人形である。

そしてナザリック最強の存在。

 

アルベドはルベドに近づき起動する。

 

 

「起動完了。指揮権を持つ人を指定して下さい」

 

 

ロボットのような無機質な声が流れる。

だがその声はアルベドを幼くしたような感じだ。

 

 

「指揮権を持つのは守護者統括アルベド、貴方の姉よ」

 

 

その言葉を聞くとルベドはアルベドのほうへ顔を向ける。

 

 

「映像、音声から本人と確認、認証しました。行動を開始」

 

 

その言葉と共に目が赤く光る。

それはルベドが起動状態にあることを示すものだ。

 

そしてルベドはゆっくりと立ち上がり、台からピョンと飛び降りた。

 

 

「おはよう姉さん」

 

 

「おはようルベド」

 

 

「…私は何をすればいいの?」

 

 

アルベドはルベドの頬へ手を伸ばし、優しく語り掛ける。

 

 

「ルベド。貴方はね、私とモモンガ様の愛を邪魔する者を排除するのよ」

 

 

「愛…。難しい、データにあるものだけでは行動を規定できない、学習が必要」

 

 

「ふふふ、まずは私に付き従いなさい。愛については追々学んでいくとしましょう」

 

 

「了解」

 

 

ルベドの起動を無事終えたアルベドは目的に一歩近づいたことに安堵する。

 

 

ただ圧倒的戦闘力を誇るルベドだがもちろん欠点も多い。

まずは命令なしに行動できないこと。

そのため臨機応変な対応や細かい作業に向いていない。

そしてルベドの最も使い勝手が悪い所は、一度下した命令をキャンセルできないことだ。

命令を遂行するか、完全に失敗しない限り永遠に行動し続ける。

可能性がわずかでも残っていると失敗と判断できずに行動を止めることができない等、問題もある。

 

 

ユグドラシル時代ではこのせいでプログラム的にハマることがあり、ギルドメンバーでさえ持て余していた。

使いどころも難しく、その戦闘力を発揮できないことも多いため普段は眠らせていたのだ。

 

 

ユグドラシル時代のことは知る由もないが守護者統括としてルベドの知識があるアルベドはこの妹を心底可愛いと思う。

なぜなら命令に忠実で文句も言わずに永遠に従ってくれるのだから。

もしナザリック内の仲間で最も大事な者は? と問われればルベドだと答えるだろう。

自分が何をしても何を思っても裏切らない存在なのだ。

これほど可愛い存在はいない。

 

 

ルベドだけは私を祝福してくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

完全武装しニグレドのいる氷結牢獄へ戻ってきたアルベド。

 

 

「アルベド、本当に貴方達だけでいくの…? いくら敵が弱いとは言っても部下を連れていった方がいいんじゃないかしら…」

 

 

「そうしたいところなのだけれどね、ワールドアイテムらしき物があるそうだから私とルベドだけで行かないと逆に危険なのよ」

 

 

そしてアルベドは手に持つ真なる無(ギンヌンガガプ)をニグレドへ見せる。

 

 

「それは…! なるほど、でもルベドは大丈夫なの?」

 

 

「ルベドはワールドアイテムの熱素石(カロリックストーン)がコアとして使用されているからその心配は無いわ」

 

 

アルベドはかつてアインズ・ウール・ゴウンのメンバーがそう話しているのを記憶していた。

もちろん起動後に《オール・アプレイザル・マジックアイテム/道具上位鑑定》で確認したが間違いはなかった。

 

 

「姉さんはアーグランド評議国へ向かうシャルティアの監視をお願い。何かあった時はすぐに私に連絡をして。あの子はちょっと危なっかしいからミスをしないか心配で…」

 

 

「分かった」

 

 

コクリと頷くニグレド。

 

 

「さて、では《ゲート/転移門》を」

 

 

横に待機していたシモベが《ゲート/転移門》を発動させる。

 

 

「行くわよルベド」

 

 

「了解」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突如、スレイン法国の神都に暗闇が出現した。

 

 

最初に気付いたのは巡回中の神官達。

 

 

その闇から出てきたのは漆黒の鎧を纏った女。

続いて白髪の少女が出てきた。

鎧の女は神官へと向き直り問いかける。

 

 

「ケイ・セケ・コゥクを探しているのだけれどどこにあるのかしら?」

 

 

鎧の女からただならぬ雰囲気を感じた神官は手に持っていた杖を構える。

 

 

「なんだ、貴様は! ここをどこだとっ」

 

 

言い終わらぬうちに神官の首が飛ぶ。

 

 

「下等生物が、聞かれたことだけに答えろ」

 

 

そして横にいた神官へアルベドが再び問う。

 

 

「それで? ケイ・セケ・コゥクはど」

 

 

「うわっぁああぁあぁぁあああ!!!」

 

 

アルベドが言い終わる前に恐慌状態にあった神官が魔法を放つ。

だがアルベドの体まで届く前に掻き消える。

次の瞬間には縦に体を真っ二つにされた神官の体が転がった。

 

 

「目障りなゴミが…!」

 

 

怒れるアルベドの横でルベドのセンサーに反応が出る。

 

 

「姉さん。ここから北に2キロ、強者の反応がある」

 

 

「あら、そんなことも出来たのね。よくやったわルベド」

 

 

北を指さしているルベドの頭をよしよしと撫でるアルベド。

 

 

「せっかくだから道中のニンゲンを皆殺しにして向かいましょう」

 

 

「了解」

 

 

 

 

 

 

 

 

スレイン法国の最奥に位置する大聖堂内の会議室へ一人の神官が飛び込んでくる。

 

 

「か、会議中失礼します! 神都内に謎の存在を確認! 周囲にいた神官たちが応戦していますが相手になりません! こちらへ向かってきています!」

 

 

会議室内にいた者たちがザワつく。

 

 

「なんだモンスターか?」

 

 

「どこから入った?」

 

 

すっと黒髪の青年が立ち上がる。

 

 

「すぐに片づけて参ります、皆行くぞ」

 

 

その声と共に漆黒聖典と呼ばれる者たちが会議室を出ていく。

 

 

「わしも行こう」

 

 

そう言いチャイナ服を来た老婆も後に続く。

 

 

「隊長、何者ですかね、ここまで侵入できるなんて並じゃないですよ」

 

 

「わからん。だが決して注意を怠るな」

 

 

隊長と呼ばれた黒髪の青年がそう言うや否や、前からまた神官の一人が走り込んできた。

 

 

「た、大変、大変です!」

 

 

「どうした?」

 

 

「近くにいた神聖呪歌、人間最強、天上天下が攻撃を仕掛けたのですが全員殺されました!」

 

 

「何だと!?」

 

 

隊長の表情が驚愕に歪む。

その3人はいずれも法国最強の漆黒聖典のメンバー。

それが3人もいて敗北するなどありえない。

 

後ろからチャイナ服の老婆が険しい顔で口を開く。

 

 

「最悪、ケイ・セケ・コゥクを使うことになるか…」

 

 

「ええ、カイレ様はいつでも使えるように準備しておいて下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 

隊長達が大聖堂から出ると周囲は血の海だった。

神聖呪歌、人間最強、天上天下の三人も地に伏している。

 

血の海の中心にいたのは漆黒の鎧を纏った女と白髪の少女。

そこにいるだけでおぞましい邪悪な気配を漂わせている。

見た瞬間、隊長は背筋が凍った。

どうするか逡巡する間に先に彼の仲間が動いた。

 

 

「貴様ァァァアアアア!」

 

 

後ろから激情に駆られた二人の男が鎧の女へと飛び掛かる。

 

それは神領縛鎖と時間乱流。

 

 

「俺が止める! あんたはその隙に!」

 

 

「任せろ!」

 

 

神領縛鎖は両手に持つ分銅鎖を投げつける。

神の遺産であるこの武器は相手を強制的に拘束状態にする効果を持つ。

 

その分銅鎖が絡みついた瞬間、時間乱流がマジックアイテムを発動させる。

これも神の遺産の一つで自身の時を加速させ対象の時を遅くさせる効果がある。

 

最強のコンビネーションとも言える二人の攻撃だったが鎧の女は意にも介さない。

 

次の瞬間には二人とも腹から両断され息絶えた。

 

 

「バカな…!!」

 

 

一撃で漆黒聖典の二人がやられた。

それだけで隊長は理解した。

これは自分達の手に負える相手ではないと。

 

 

「カイレ様!」

 

 

隊長が叫ぶ。

応じるように老婆の来ていたチャイナ服が光輝き、光の龍が解き放たれた。

それは支配の光。

その光の龍は勢いよく空へ舞い上がり、鎧の女へと降下する。

 

光の龍が鎧の女へ直撃する瞬間。

 

光の龍は弾けて消えた。

 

 

「「な!?」」

 

 

その結果に老婆と隊長が愕然とする。

 

 

「それがケイ・セケ・コゥクか、くふふ」

 

 

鎧の女が笑い声を上げると同時に姿を消した。

 

隊長が横を見ると、鎧の女がバルディッシュで老婆と老婆を守っていた巨盾万壁を串刺しにしていた。

 

 

「ニンゲン如きが装備したものを着用しなければならないというのは少々屈辱だけれど…。しょうがないわね」

 

 

鎧の女はそう言うとバルディッシュを引き抜き、老婆からチャイナ服をはぎ取った。

 

 

「あ…、あぁ……」

 

 

隊長はあまりの恐怖で後ずさる。

それと同時に一つの可能性に思い当たる。

いや、ここまで来るとそれしか考えられない。

 

 

「ま、まさかぷれい、ガッ!」

 

 

言い終わる前に鎧の女の手が隊長の首をつかむ。

そのまま宙に持ち上げられた隊長は声をあげることができない。

 

 

「ずいぶんとみすぼらしい槍を持っているのね。他の装備はまともそうなのに」

 

 

不思議そうに鎧の女が首をかしげる。

 

死を覚悟した隊長は自身の持つ槍の特殊能力を発動することを決意する。

 

その名はルーンギース。

 

ケイ・セケ・コゥクと同じく六大神の残した至宝の一つ。

その効果は、自分の命と引き換えに対象の命を奪うというもの。

だがその効果は強烈でどんな蘇生魔法でも復活することができないという。

 

だが、と隊長は思う。

 

邪悪な気配を放つこいつは人類に仇名す存在だ。

 

自分がここで消えるのは法国にとってかなりの痛手だが、それ以上にここで止めねば、ここで殺さねば人類にとって取返しのつかないことになる。

 

隊長の意思に反応するように槍が強い光を帯びていく。

 

 

(死ね、化け物…!)

 

 

そして隊長はその槍を鎧の女に突き立てようとする、が。

 

槍は弾かれ、光を失った。

 

 

「ん? 今のも強い魔力を感じたわ。まさかこれがルーンギース? ふむ…」

 

 

隊長はルーンギースの一撃が通じない事に困惑を隠せない。

 

 

「あら、何が起こったのか分からないといった顔ね。ワールドアイテムはワールドアイテムでレジストできるのよ、知らなかった? 先ほどのケイ・セケ・コゥクでも学習できたでしょうに。ふふ、本当に愚かな存在だわ…」

 

 

そのまま鎧の女の手に力が入る。

首からゴキンという音が聞こえると同時に隊長は崩れ落ちた。

 

と、同時に白髪の少女から突如声がかかる。

 

 

「脅威接近中。距離、200」

 

 

ここで鎧の女も認識する。

 

駆けるたびに地面を抉りながら疾風のように突進してくる存在。

 

それは瞬時に距離を詰め、鎧の女と激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スレイン法国の聖域、5柱の神の装備が眠る場所を守護する少女。

 

それは漆黒聖典の番外席次、通称”絶死絶命”。

 

人類最強である彼女は今日も暇をつぶすためにルビクキューをいじっている。

 

 

だがその日はいつもと違った。

 

遠くで神官達が騒いでいるのが聞こえる。

 

その騒ぎは止まず、どんどん強くなる。

 

気になり外へ飛び出すと最初に感じたのは血の匂い。

 

すぐに戦いが起きていると気づく。

 

手にウォーサイスをとり、匂いの元へと駆けだす。

 

少女は笑った。

 

離れていても感じる強者の気配に。

 

 

 

 

 

 

 

 

アルベドがルーンギースをもつ男の首をへし折ったと同時にルベドが口を開く。

 

 

「脅威接近中。距離、200」

 

 

アルベドもすぐに気付きバルディッシュを構える。

 

疾風のように突進してくる敵を迎え撃つために武器を振る。

二人の武器がぶつかり合い、甲高い音が響き渡る。

その衝撃で地面が割れ、まるで爆発したように大地が吹き上がった。

 

 

「へぇ、私の攻撃を受け止めるなんてやるね」

 

 

「それはこちらのセリフよ」

 

 

そして二撃目。

再び武器が衝突する。

地面はさらに抉れ、土は空高く舞い上がる。

 

番外席次は怯むことなく一歩踏み込み、頭部へ蹴りを放つ。

アルベドはスキルでパリィしカウンタアローを発動する。

それをスウェーで回避する番外席次。

 

そしてお互いに後ろに一歩飛び、距離をとる。

 

だがすぐにアルベドが番外席次の懐に飛び込む。

バルディッシュによる横なぎの一閃。

ウォーサイスの柄で受け止める番外席次だが勢いは殺せず宙に浮きあがる。

それを追うようにアルベドは空中へ追撃を放つが全て受け止められる。

だがそれでバランスを崩した番外席次は地面をゴロゴロと転がる。

 

さらなる追撃を警戒してすぐに立ち上がりウォーサイスを構える番外席次だが追撃は来なかった。

 

 

「なんですって? シャルティアが? 分かった。私がシャルティアの元に向かうわ」

 

 

ニグレドからのメッセージを終えたアルベドは番外席次へ背を向ける。

 

 

「ちょっと、まだ勝負はついてないでしょう!?」

 

 

怒ったように問いかける番外席次。

 

 

「申し訳ないけれど用事が出来たの、貴方の相手はこの子に任せるわ」

 

 

アルベドの前に《ゲート/転移門》が開く。

 

 

「ルベド、殺していいわよ」

 

 

「了解」

 

 

返事を聞くとアルベドは《ゲート/転移門》の向こうへ消える。

 

 

「あれ、行っちゃった……」

 

 

それを見ていた番外席次だがどうしたものかと悩む。

 

先ほどの女はともかく、目の前の少女からは強さを感じないのだ。

 

 

「ねぇ、どうするの? 貴方じゃ私の相手になるとは思えないんだけど…」

 

 

「否定。戦力差を考えると私が上」

 

 

その瞬間、ルベドは爆ぜるような速さで番外席次へ突進する。

 

 

(はやい!!)

 

 

ガードが遅れた番外席次の腹部に向かってルベドは拳を放つ。

と同時にルベドの肘から、拳と逆方向に炎と煙が勢い良く噴射される。

ジェット噴射のパワーが乗り、拳の速度は番外席次の知覚を超える域に達する。

 

ルベドの拳は番外席次の水月へ綺麗に突き刺さり、遥か遠くまで吹っ飛ばした。

 

 

 

ナザリック最強を誇るルベドは超近接型である。

 

100レベルに匹敵する前衛職の肉体にパワーを爆上げするギミックが搭載されている。

本来ならば一回使用するだけでもかなりのエネルギーを使う大技である。

だが熱素石(カロリックストーン)により無限エネルギーを持つルベドは常時使用が可能。

100レベルの存在と戦っても一対一なら基本的には負けないレベルまで仕上がってしまっている。

 

 

 

建物や木々をいくつも破壊しながら吹き飛んだ番外席次は数百メートル先で腹を押さえうずくまっていた。

骨が折れ、内臓に突き刺さり、口からは吐しゃ物が漏れている。

 

 

(な、なんだ、この一撃は…! ま、まずい、早く立たないと…)

 

 

顔を上げようとした番外席次の視界にルベドの足が映る。

次の瞬間、ルベドが足を蹴り上げる。

それと同時にカカトからのジェット噴射により足の速度とパワーが倍増する。

顎を蹴り上げられた番外席次は勢いよく宙に舞う。

顎が砕け、口から大量の血が零れる。

 

ルベドは宙に飛んだ番外席次を超える速度で追いぬき、その背中に握り込んだ両手を叩きこむ。

空中から高速で叩き落された番外席次は地面に突き刺さる。

 

次は足を捕まれ地面から引きずり出されると、そのまま体に拳が撃ち込まれる。

 

何度も、何度も。

 

 

やがて意識が朦朧とし、痛みも感じなくなる。

 

 

最後に番外席次は。

 

 

目の前の存在が男の子だったら良かったな、と呑気なことを考えていた。

 

 

 

 

 

 




次回『鮮血の戦乙女VS白金の竜王』がんばれひんぬー。



あれ…。
ナザリック勢の話が思ったより長引いて名犬ポチの話に戻れない…。

つ、次が終わったら名犬ポチに戻る予定です、恐らく…。


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真なる竜王と死者使い

今回は『鮮血の戦乙女VS白金の竜王』だと言ったな。あれは嘘だ。


シャルティアはアルベドが部屋から出て行ったのを見届けると横にいる吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)に命令を出す。

 

 

「すぐに出るぞ。領域守護者とその眷属を除き、レベル30以上の配下を連れていく。すぐに集めろ。それと雑魚殲滅用に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)も連れていく。わかった?」

 

 

「はっ!」

 

 

シャルティアの声に反応し吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達が駆けていく。

 

自身もすぐに完全武装し、鎧に身を包みスポイトランスを装備する。

 

そして集まった配下を《ゲート/異界門》で次々と評議国へと送り込む。

 

部下に下した命令はシンプル。

 

 

この国の生あるもの全てに死を。

 

 

 

 

 

 

ドラゴンの鋭敏な知覚能力は人間を遥かに凌ぐ。

幻術も不可視化も、遠距離の気配さえ即座に感じ取る。

たとえ眠っていようとも。

 

アーグランド評議国永久評議員の5匹のドラゴンのリーダーであるツァインドルクス=ヴァイシオン。

通称、ツアー。

 

竜王たる彼の知覚はそんな一般的なドラゴンの知覚を大きく上回る。

 

その彼が突如、眠りから覚醒する。

 

自身の知覚は、このアーグランド評議国に大量のアンデッドが出現したことを感じ取っていた。

突如、現れた大量のアンデッド。

強さ的にはまばらだがかなり強い者もいる。

しかもその数はどんどん増えていく。

 

 

(一体、どこから…?)

 

 

だが最後に現れたアンデッドの気配にツアーは身を固くした。

それはこの世界で個としてなら間違いなく最強の存在であるツアーを脅かせられる存在。

 

 

(世界を汚す力が動き出したか…!)

 

 

ツアーは知っている。

ユグドラシルから百年毎に訪れるプレイヤーの存在を。

 

今度の訪問者は世界に協力的な者であることを祈りながら遠隔操作の白金の鎧を動かす。

 

だがその淡い期待はすぐに裏切られることになる。

 

白金の鎧が向かった先でツアーの目の前に広がったのは地獄。

 

至る所から火の手が上がり、虐殺行為が繰り広げられていた。

 

まさか現れて間髪入れずにここまでの破壊行動に出るとは考えていなかったツアー。

 

 

(なんてことだ…、話し合いの余地すらないのか…!? 八欲王どころの騒ぎじゃないぞ…!)

 

 

ツアーは敵の首謀者らしき存在へと白金の鎧を走らせる。

 

最悪の結末を予想しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

アーグランド評議国は、リ・エスティーゼ王国の北西に存在する山に囲まれた都市国家である。

 

複数の種族の亜人によって作られた都市であり、多くの種類の亜人が共存している。

そのため都市の中は多種多様な建築物や自然物が入り乱れるように乱立する。

 

その国のど真ん中から突如大量のアンデッドが沸いて出た。

 

そのアンデッド達は周囲の者に襲い掛かり一瞬で国を混乱に陥れた。

 

 

 

 

数千にも及ぶ配下を送り出し、自身も《ゲート/異界門》を抜けるシャルティア。

 

先に送り込んだ部下はすでに各地へ散り任務を遂行しているようだ。

 

シャルティアは《ゲート/異界門》の先で高レベルの配下に命じる。

 

 

吸血鬼の王(ノーライフキング)達はこの国の強者を探して殺せ、地下聖堂の王(クリプトロード)達は高位の配下を連れて要所を押さえ出口を潰せ、誰も逃がすな!」

 

 

シャルティアの命令に配下たちはすぐに行動へ移す。

 

ナザリックのシモベ達の行動は早い。

 

圧倒的力とその数で止まることなくこの国を侵略していく。

 

国中が混乱し何も機能しなくなる。

 

兵士達は連絡がとれず、冒険者達も連携をとれないまま為すすべなくアンデットの波に飲まれていく。

 

現地で最高クラスの戦力とも言われているアダマンタイト級の冒険者やそれに匹敵する数多くの強者達もゴミのように死んだ。

 

最後まで残ったのはツアー含めわずか5匹の竜のみ。

 

シャルティア率いるシモベ達が評議国に現れてからわずか一時間弱。

 

それだけの短い時間でアーグランド評議国は死の都と化した。

 

 

 

近くにあった一番高い建物の屋根の上からシャルティアはこの国を見下ろす。

 

 

「上出来でありんす」

 

 

上機嫌なシャルティアの元にシモベからの報告が告げられる。

 

 

「シャルティア様! 4匹の吸血鬼の王(ノーライフキング)の消滅が確認されました!」

 

 

吸血鬼の王(ノーライフキング)はシャルティア配下の最高位のシモベの一角でレベルは80に達する。

 

 

「ほう? それはそれは…。なかなかやるでありんすね。流石はこの世界で最強クラスの国家といったところでありんしょうかぇ。それで? 倒した奴らは?」

 

 

「はっ! この国の永久評議員である5匹のドラゴンと思われるうちの4匹と交戦した為とみられています! しかしご安心を! 相手もかなりの深手を負ったため周囲にいた中位のシモベ達によってすでに仕留めております!」

 

 

部下の発言にシャルティアはさらに気をよくする。

 

 

「んん~、上出来上出来(これは間違いなくモモンガ様からお褒めの言葉を頂ける!)」

 

 

心の中でガッツポーズを取るシャルティア。

 

 

「裏は取れていないのですが、ニューロニスト拷問官にあった報告と現地でも殺す前に何人かに尋問をしたところ永久評議員5匹のドラゴンのリーダーなる者がおり、その者が頭一つ抜けて強いという話なのですが現在そのような者は確認できておりません。探知に特化した配下の者によればもうこの国には生命はいないという報告を受けています」

 

 

その報告にシャルティアは複雑な思いを抱く。

 

下等な存在がナザリックでも最高位のシモベをわずか4匹とはいえ仕留めたという驚き。

だが自分が出るまでもないというあっけなさ。

もしかすると我々守護者に届くような存在がいたかもしれないという興味。

フタを開けてみれば結局大したことなかった。

 

 

「神をも上回る至高の41人によって創造された我々ナザリックの前に敵になるような存在がいないのは当然のこと。こんなもんでありんしょうか。全くアルベドも心配性でありんすねぇ、わざわざわたしを動かすなんて。まぁ、それでも手柄は手柄。早く帰ってモモンガ様に報告するでありんす」

 

 

そしてシャルティアが《ゲート/異界門》を開こうとした瞬間、部下から追加報告が入る。

 

 

「シャルティア様っ! 生命感知に引っかからない鎧を来た者が出現! 現在近くにいる部下が仕掛けましたがことごとく返り打ちにあったようです。最高位クラスのアンデットも倒されたのが確認されています!」

 

 

「ほう…?」

 

 

シャルティアの顔に笑みが浮かぶ。

正直退屈を持て余していたのだ。

相手になるような者がいるなら直々に倒してやってもいい。

何より、強い奴であればあるほどモモンガ様からの評価も上がるだろうと考える。

 

 

「こちらへまっすぐと向かってきております!」

 

 

「好都合でありんす。部下に攻撃させるのをやめさせなんし。わたしが直接やるわぇ」

 

 

シャルティアの言葉に頷くとシモベは攻撃をやめるように指示をする。

 

やがて白金の鎧を身に纏った者がシャルティアの元へやってきた。

 

 

「ようこそ、いらっしゃいんした」

 

 

「……」

 

 

白金の鎧は答えない。

白金の鎧ことツアーの目的はこのアンデッド達の長たる者と交渉し引いてもらうことだった。

 

だがアンデッドの群れは強すぎた。

 

ツアーがここに来るまでのわずかな時間でこの国の生きとし生けるもの全てが葬られた。

 

もうツアーがこの国のためにできることは何もない。

 

思わず口から呪詛が漏れる。

 

 

「悪魔め……!」

 

 

「ん? 違うでありんすよ? わたしは残酷で冷酷で非道で‐そいで可憐な吸血鬼でありんす」

 

 

そう言い放ち、屈託無く笑うシャルティアにツアーは愕然とする。

国一つを、我々の生きる場所を奪っておいて何の負い目も無く笑えるのか、と。

 

 

「何故こんなことをする!? この者たちが何をした! 金や食料を奪いに来るならまだ分かる! 力を誇示するのなら理解もできよう! だがこれはなんだ!? 略奪ですらない! アンデッドは生あるものを憎むというがここまでやるのか!?」

 

 

激高するツアーにシャルティアは淡々と答える。

 

 

「はぁ? なぜわたしたちが下等生物を憎まなければならないでありんす?」

 

 

「…ならば何故?」

 

 

現状に思わず激高してしまったツアーだがわずかに冷静さを取りもどす。

そして自分の予想していたことが当たりかもしれないという想いを抱く。

 

 

「命令だからでありんす」

 

 

「は…?」

 

 

「わたしはただこの国が邪魔だから滅ぼすよう命令を受けただけでありんす。それ以上でも以下でもありんせん」

 

 

シャルティアの言葉にツアーは唖然とする。

その言葉によってとてつもなく恐ろしい可能性に思い至ったからだ。

 

 

「命令…? 命令だと! 誰が何のために、このようなっ、ぐっ!?」

 

 

ツアーの右肩をシャルティアのスポイトランスが貫く。

 

 

「さっきからうるさいでありんすねぇ、もういい。さっさと消えなんし」

 

 

シャルティアによるスポイトランスの連撃。

 

 

「……っ!?」

 

 

戦闘状態に入っていないのもあったが、ツアーの白金の鎧は遠隔操作のためレベル的には数段落ちる。

シャルティアの本気の攻撃の前には耐えられるはずもなく、一瞬にして粉々に砕け散った。

 

 

「あら? 中身が無いでありんすね?」

 

 

鎧の中が伽藍洞だったことに不思議そうな顔をするシャルティア。

だがその疑問はすぐに氷解する。

 

遠くで突如、巨大な気配を纏う存在が出現したのだ。

この距離でも強者だということが伝わる。

 

シャルティアはすぐに気付く。

 

 

「なるほど、遠隔操作か! あっちが本体! 何らかの力で隠れていたんでありんすね!」

 

 

わずかにシャルティアの目が据わる。

この強大な気配、悔しいがこれは我々守護者と同格といっていい存在だ。

 

ナザリックに属さぬ下等なる存在がナザリックの最高戦力たる守護者と肩を並べるだと…?

 

期待していた気持ちはあったものの、実際目の前にそれを確認するとシャルティアは怒りを隠せない。

 

 

「くそが…! わたしが直々にブチ殺してやるぞ、下等生物…!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだツアーが白金の鎧を送り出した直後の事。

 

彼は自分の周囲に反応する新たな存在に気が付く。

 

それはツアーにとって懐かしい気配。

感じた気配の先に立っていたのは人間の老婆だ。

それは200年前に魔神たちと戦った伝説の存在、十三英雄の一人。

 

死者使いのリグリット・ベルスー・カウラウ。

 

 

「まさか君の仕業じゃないだろうね?」

 

 

ツアーが開口一番、冗談交じりに語り掛ける。

 

 

「アホぬかせ、儂が使役できるレベルを遥かに超えておるわ。全く、久しぶりに会いにきた友人にいきなり何たる言い草じゃ。儂は悲しい、悲しいぞ」

 

 

対するリグリットもやれやれとオーバーリアクションで返してみせる。

だがその目は真剣そのものである。

軽口を叩いたものの今はそんな状況ではないのはツアーもリグリットも承知しており、状況も把握している。

色々と話したいことはあったがすぐに本題に入る。

 

 

「で、どう思う? やはり百年の揺り返しか…。時期的にもそろそろじゃろう」

 

 

「ああ、間違いなくぷれいやーかその関係者だと思う。でも今回は酷い、少なくとも協力的ではないと思う。一応、鎧を使って様子を見に行っているけどね」

 

 

「ふむ、リーダーのようにはいかんか…。さてどうする? 昔も聞いたが誰か手を貸してくれるものに当てはあるのか?」

 

 

リグリットの問いにツアーは首を横に振る。

戦力的にプレイヤー級と戦える者などほぼ存在しない。

いたとしても200年前の戦いに協力してくれなかった者達だ、今回も協力はしないだろう。

 

 

「ま、そうじゃろうなぁ。儂もリーダーの知恵を全部引き継げれば違ったのかもしれんが…」

 

 

わずかな沈黙が場を支配した後、リグリットが切り出す。

 

 

「で、どうじゃ? 正直あのアンデッドの首魁はお前さんの手に負えるレベルか?」

 

 

「一対一なら可能性はあるかもしれないけど、手下もいるし無理だと思う」

 

 

その答えに絶望や諦念、負の感情を纏わせたため息をリグリットが吐く。

 

 

「…お前さんで無理ならもうこの世界は終わりじゃろ。何か手は無いのか?」

 

 

「手はあるよ、例の始原の魔法(ワイルド・マジック)を使う」

 

 

「な…! しかしそれではこの国が滅ぶぞ!?」

 

 

始原の魔法(ワイルド・マジック)

直接見たわけではないがリグリットはその強大な魔法のことを知っている。

しかもここでツアーが言っているのは彼の持つ最大最高の魔法のことだ。

聞いた話に間違いが無ければ倒せるかもしれないがこの国が吹き飛ぶ。

 

 

「最終手段だけどね、でも使う可能性は高いと思う。すでにこの国の被害は甚大なものだし、敵も止められそうにない。世界が滅ぼされる前に、国一つで済むなら安いと考えるべきだよ」

 

 

ツアーの言葉にリグリットは返す言葉が見つからない。

平気なはずがない。

このドラゴンは誰よりもこの国を愛している。

種族の垣根を超え、多くの者達を愛している。

まだ全てではないし完全でもないがこの国は多くの異なる種族が暮らしている。

ツアーはこの国の発展に多くの力を使ってきた。

平和を愛するツアーにとってかけがえのない宝のようなものだ。

 

それを世界のためとはいえ、犠牲にするという。

生半可な覚悟ではないしリグリットは自分がもう口を挟むべきではないと考える。

 

 

「……。儂に何かできることはあるか?」

 

 

リグリットはツアーに問いかける。

ツアーもその言葉だけでリグリットが全てを察してくれたのを理解する。

本体では無かったとはいえ長年共に旅をしたこともあるのだ。

互いにそのくらいは分かる。

 

 

「他のぷれいやーを探してくれ」

 

 

「他のぷれいやー…? いるのか、本当に…?」

 

 

可能性はある。

今までも同時期に複数のプレイヤーを確認したこともある。

だが確証も何もない上、希望的観測に過ぎないのも事実だ。

 

 

「絶対とはいえないけど…、可能性は高いと思う。この国を攻めてるアンデッド達は行動が早すぎるし躊躇もない、逆に言えば慎重さに欠けると言ってもいい。事実、強大な力を持っているのだからその判断は間違っていないのだけれど普通ならばもっと他にやりようがあると思う」

 

 

「つまりじゃ…、何らかの理由でこの国を排除したいと思っている? しかもなるべく早く。例えば、敵対者がいるとして、その戦力になりそうな存在を消しておきたい、とかか?」

 

 

「うん、それは十分にあり得ると思う。まぁそれはそれで色々と別の問題が起きるんだけど…」

 

 

ツアーがその手の爪で頭をポリポリとかく。

 

 

「とりあえずここで話しててもこれ以上はどうにもならないと思う。ドラゴンの知覚に気付かれず至近距離まで近づける君ならこのアンデッドの大群を振り切り逃げるのは難しくないだろう。だから、もし僕が死んだら他のぷれいやーを探して協力を仰いでくれ」

 

 

ツアーの言葉にリグリットはしばらく沈黙する。

深いため息を吐き、口を開く。

 

 

「はぁ、責任重大じゃの。ああ、なぜ儂は今日ここに来てしまったんじゃろう…」

 

 

「そのおかげで世界を救えるかもしれないだろ?」

 

 

「大体、他のぷれいやーが存在しなかったらどうするんじゃ? そうなれば打つ手なしじゃろ? 第一いても協力的でないかもしれん」

 

 

「そうなったら世界が滅ぶね」

 

 

ツアーがケラケラと笑ってリグリットに言う。

 

リグリットは知っている。

目の前のドラゴンは死を覚悟しているのだ。

きっとこれが最後に見る彼の姿になるだろう。

こちらを悲しませないように少しでも明るく振舞っているのだと。

 

 

(全く不器用な奴じゃ、そんなもんで誤魔化されるほど浅い付き合いじゃなかろうて…)

 

 

「分かったわい、もし他にぷれいやーがおるなら絶対に儂が見つけてやろう」

 

 

「ありがとう、リグリット」

 

 

ツアーは知っている。

老いは彼女を細く、弱くしたが、心までは変えられなかった。

記憶の中にある彼女と変わらず、高潔で人情味溢れ優しく茶目っ気のある女性だ。

彼女なら絶対にこう答えてくれると分かっていた。

 

 

「だがギルド武器はどうするんじゃ? それがあるからおぬしはここから動けなかったんじゃろ」

 

 

リグリットの視線の先に一つの剣がある。

八欲王の残したギルド武器と呼ばれるもの。

これこそがツアーがこの場所から離れることができない理由だ。

 

 

「もうそういうレベルの話ではないからね。それにこういう時の為に地下深くに保管できる場所を作ってある。始原の魔法(ワイルド・マジック)を使った場合、埋もれて回収は不可能になるだろう」

 

 

「そうか、それならいい。時間も無いことだし儂は行くぞ。またの、ツアー」

 

 

そう言い残してリグリットは去っていった。

 

 

「また、だなんて…。最後まで意地悪な人だなぁ…」

 

 

ツアーは誰もいないこの場所で一人ごちる。

 

ただその表情は少し嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

 

 




次回こそ『鮮血の戦乙女VS白金の竜王』今度こそがんばれひんぬー!



ごめんなさい。
思ったより長くなってしまって話を分けることにしました。

名犬ポチの出番がどんどん遠のいていく…。


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鮮血の戦乙女VS白金の竜王

 

 

ツアーの操作する白金の鎧はアンデッド達を率いている者目指し疾走する。

途中で襲い掛かるアンデッド達を打ち払い、なんとか目的地にたどり着くが話合いの余地なく鎧は粉砕された。

ツアーは自ら動くことを決意する。

 

ツアーのいるこの場所は始原の魔法(ワイルド・マジック)によって作ったマジック・アイテムにより他者からの感知の全てを遮断できるようになっている。

このおかげでギルド武器の存在を他者から完全に秘匿できる。

とはいえ防御能力はないため約500年もの間、自らがここを守ってきたのだが。

 

だがそれもこれで終わりだ。

 

『白金の竜王』ツァインドルクス=ヴァイシオンは永い時を経て地上に姿を現す。

 

それと同時に咆哮が轟く。

 

それは怒りの発露。

 

白金の竜王はその巨体に見合わぬ速度で飛び立つ。

 

世界に仇なす者を屠るために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シャルティアは突如現れた強者がこちらへ猛スピードで向かってくるのを認識する。

 

それは真っすぐ自分へと向かっている。

 

 

「面白い、この私とまともにやり合う気かよ」

 

 

シャルティアは動かない。

向かってくる者を正面から迎え撃とうと待ち構える。

 

 

次の刹那。

 

 

シャルティアの元へツアーが勢いを殺すことなく頭から突っ込んでくる。

スポイトランスを目の前で縦に構え受け止めるシャルティア。

 

 

二者が接触した瞬間、爆発のように周囲に突風が吹き荒れる。

周囲にいた低位のアンデッド達はこれだけでこの世から消滅した。

 

さすがに勢いが乗っていたこともありパワー負けしたシャルティアがわずかに後方へと飛ばされるがすぐに空中で止まる。

 

 

「なかなかやるな…!」

 

 

今度はシャルティアが突進する。

手に持つスポイトランスをツアーの体へと突き立てる。

 

 

「ぐぅあ!」

 

 

回避しようと動くがいかんせん体が大きく、シャルティアの攻撃が突き刺さる。

そのまま連続でツアーの体へと突き刺していく。

 

 

「ほらほら! どうした、どうした!?」

 

 

「うぅぐ…! 離れろぉっ!」

 

 

ツアーの巨体が回転し、勢いのついた尻尾の一撃がシャルティアに直撃し、地面に叩き落す。

すぐに周囲の岩をどかしながら起き上がるシャルティア。

 

 

「ははっはぁ! こんなもんかよドラゴン…!」

 

 

確実にダメージは入っているがシャルティアのHPから考えるとスズメの涙ほどの威力しかない。

すぐに追撃を放つためツアーは口を大きく開く。

その口から高温の炎が放たれる。

それは辺り一帯を焦土と化す灼熱のブレス。

 

直撃するも、炎の中から飛び出してきたシャルティアは無傷だった。

 

 

「馬鹿なっ!?」

 

 

「私に炎は効かねぇよぉぉ!」

 

 

炎無効化を持つシャルティアには一切のダメージが無い。

そして突如、シャルティアの手に三メートルを超える巨大な白銀の戦神槍が現れる。

 

 

「今度はこっちの番だ! 食らえ、清浄投擲槍!」

 

 

白銀の槍がツアーへ放たれる。

投じたのではない。

自動的に浮かび上がり、空中を疾駆する。

ツアーは回避しようと動くがそれは叶わない。

シャルティアはMPを消費し必中効果を付与している。

 

 

「ぐはっ!!」

 

 

ツアーの体を白銀の槍が貫く。

その一撃は鱗を砕き、皮膚を貫き、骨まで達した。

 

だがツアーもただやられているわけではない。

痛みに耐え、アンデッドに有効な始原の魔法(ワイルド・マジック)を発動する。

空に出現した無数の光の球がシャルティアを襲う。

 

 

「ぐぎゃ!」

 

 

痛みに怯むシャルティア。

間髪入れず、その隙にツアーがシャルティアの体に全力で噛みつく。

食い千切れはしなかったものの、その一撃はシャルティアの片腕を砕くには十分だった。

 

 

(よし! いけるぞ!)

 

 

心の中で希望が見えるツアー。

だが次の瞬間、シャルティアの傷が時間を巻き戻すように治っていく。

 

 

「何!?」

 

 

「今のは痛かったぞ、ドラゴン」

 

 

それは時間逆行。

一日三回しか使えないスキルだが自身の肉体の時間を巻き戻し、致命傷も一瞬で修復する。

 

 

それを見たツアーは自身の考えを訂正する。

一対一なら可能性はあると考えていたがこれは厳しい、と。

装備の差もあるが何より敵のスキルが未知数すぎる。

自身の炎のブレスが効かなかったことも致命的だ。

 

 

「《インプロージョン/内部爆散》!」

 

 

シャルティアが手の平を向けツアーへと魔法を打つ。

 

 

「あがっ!!」

 

 

ツアーの体内で爆発が起きる。

だがまだ耐えられないレベルではない。

身体のサイズに対して爆発が小さかったからだ。

 

 

「さすがにその巨体じゃこれは効果が薄いか…」

 

 

次の魔法を放とうとするシャルティアをツアーが炎のブレスでけん制する。

 

 

「だから効かねぇって言ってんだろ!」

 

 

炎を槍で振り払うが目の前にツアーはいない。

シャルティアは後ろからツアーの手の平により地面に叩きつけられそのまま拘束された。

 

 

「くそがっ! 下等な生き物如きが生意気なぁ!」

 

 

暴れるシャルティアだが姿勢も悪く、ツアーの拘束を解くには至らない。

 

再びツアーが口を大きく開く。

今度は炎ではなく光がツアーの口へ集まっていく。

周囲の光を凝縮させ一気に放出するこのブレスはアンデッドに有効だ。

唯一の難点はため時間があることくらいだ。

やがてツアーの口から光のブレスが放たれ、シャルティアに超至近距離で直撃する。

 

 

「ぎゃあぁあぁぁあぁああ!!!」

 

 

一気に大ダメージを負うシャルティア。

すぐに時間逆行のスキルを使うが、それでできた隙をツアーは見逃さない。

続いて二発目の光のブレスを放つ。

 

この衝撃で地面が砕け、その隙間からシャルティアが離脱する。

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ…! く、くそ…」

 

 

それを逃がさず距離を詰めたツアーはシャルティアとの接近戦を仕掛ける。

接近戦に限れば能力的にはシャルティアが不利である。

だがその手にあるのはスポイトランス。

攻撃の応酬を繰り返した後、唐突にツアーはシャルティアから距離をとる。

 

 

(しまった、接近戦は悪手か…! あの槍で攻撃すると体力が回復するみたいだな…)

 

 

接近戦の応酬でツアーが与えたダメージをシャルティアの回復量が上回っているわけではないが、ツアーが受けるダメージ分を考えると不利だといえる。

ツアーが距離を取るのは良い判断だった。

しかし、これをチャンスとばかりにシャルティアは眷属を召喚する。

だがツアーもすぐにその可能性に思い当たる。

この程度のモンスターが場に現れても何ら影響はない。

ならば考えられるのは一つ。

 

ツアーは即座に灼熱のブレスを吐き、シャルティアの眷属を召喚した先から焼き払う。

 

 

「このドラゴン風情がぁあああああああ!!!」

 

 

激高したシャルティアは死せる勇者の魂(エインヘリヤル)を発動する。

 

シャルティア最大の切り札、死せる勇者の魂(エインヘリヤル)

それは単純な直接戦闘しか出来ないが武装や能力値は本体と一切遜色が無い自身の分身を作り出す。

 

この瞬間にツアーは勝てないと悟る。

ツアーは死せる勇者の魂(エインヘリヤル)の強さを正確に認識していた。

よって迎撃も防御も諦め、自分も切り札を切ることのみに専念する。

 

死せる勇者の魂(エインヘリヤル)がツアーへと特攻し、その後ろでシャルティアが自身へと《グレーター・リーサル/大致死》を発動しHPの回復を行う。

ツアーは死せる勇者の魂(エインヘリヤル)の攻撃に抗わずまともに受け続ける。

 

《グレーター・リーサル/大致死》でHPを回復したシャルティアも後方から清浄投擲槍を発動し追撃する。

 

無防備なツアーに直撃したそれは致命傷ともなる一撃。

 

勝利を確信したシャルティアだがその刹那、説明のできぬ不吉な予感に襲われる。

 

 

その直感ともいえるべきものに従い、反射的に不浄衝撃盾を発動させた。

 

 

 

次の瞬間、シャルティアの視界が白く染まる。

 

戦っていた筈のツアーすら見失い、自分がどこにいるのかも判断できない。

 

竜巻か激流に飲み込まれたかと錯覚するほどの自身の体への衝撃と、うまく機能しない平衡感覚。

何が起きてるのかシャルティアは理解できなかった。

ただ白い光の中、激痛が襲いかかってくる。

防御態勢をとろうとしても体が非常に重く、まともに動かすことができない。

だが、シャルティアは全身全霊をかけて動かす。

これが不味いことだけは解ったからだ。

そしてこの光の中もう一度、不浄衝撃盾を発動する。

先ほど発動したものはすでに消え去っていたためだ。

さらに少しでも体への被害を減らそうと全身を丸め、両腕で身を守るように庇う。

 

 

それは極限の爆発。

白い閃光が世界を染め上げる。

轟音と爆熱。

生み出された衝撃波が大地を吹き飛ばし周囲へと広がる。

だが今度は巻き戻すかのように吹き飛ばされたものが一気に中心へ舞い戻る。

熱気の塊の急速な出現により急激な上昇気流を起こし、舞い上がった土砂と爆発で発生した煙がキノコの形を作り出す。

超熱波による致死領域はアーグランド評議国全域に及び、その範囲内に存在したアンデッドはもちろん、建物や自然物、ありとあらゆるものを消し飛ばした。

シャルティアと能力値上は同等の死せる勇者の魂(エインヘリヤル)さえ滅んだ。

土煙が収まるにつれ、その凄惨な有様が明白となる。

 

アーグランド評議国のあった場所はまっさらになっていた。

 

障害物は何も無く、遠くまで削り出された地面の色、一色だ。

 

この中で生きていられる者がいるはずがない。

 

そんな中、地面が動く。

地面の中から表われ、土を払ってよたよたと立ち上がる人影。

 

 

「かぁ、かぁ、かぁ」

 

 

すさまじい爆発によって生じた超高熱波にさらされたため、喉が焼け爛れ言葉がうまく発せない。

いや、喉だけではない。

全身は焼け爛れ、かつての美しさはどこにもなかった。

髪を全て失い、まるで黒く焼けた棒のようだ。

その火傷以外にも、爆風によって全身に切り傷を負っている。

 

顔の一部は左目と共に吹き飛んでいる。

右目はわずかに白濁しただけですんでおり、ぼんやりとだが周囲を映してくれる。

 

体が傾げてしまうのは左腕が肩口から無くなっているためだ。

血に濡れたような深紅の全身鎧はもうどこにも残っていない。

無事なのは手に持っていたスポイトランスだけだ。

この中でスポイトランスのみ無傷なままなのが異様でもある。

 

 

「ああああああああ!!!」

 

 

思考は千切れ、意識は混濁、ただ叫びだけが口から飛び出す。

シャルティアを襲う全身から突き上げてくるような痛み。

正常に働かない頭でもこれだけは理解できる。

 

 

この痛みはまずい。

この痛みはシャルティア・ブラッドフォールンを滅ぼすものだ。

 

炎によるすべてのダメージを無効できる自分がなぜ、これほどの熱ダメージを受けているのか。

自らのスキルや装備による守りはどうして突破されたのか。

無数の疑問が頭をよぎるが、そのほとんどが痛みと混乱によってかき消される。

思考があちこちに飛び交う中、ただ一つだけが最重要事項として頭の中で警鐘をならしている。

それは――これ以上ここにいることは出来ない。

 

このままでは自身が滅びてしまう、即座に撤退すべきだ、と。

 

 

だがシャルティアの白濁した右目が徐々に視界を取り戻していく。

その右目に映ったのはあの忌々しいドラゴン。

 

そのドラゴンもダメージを受けているのだろうが自分よりは幾分か軽症に見える。

自分の技だ、さすがに何らかの対策はあるのだろう。

だがそれでも虫の息。

起き上がるどころか身動き一つとれずその目線だけがシャルティアを追っている。

 

殺さねばならない。

 

シャルティアがツアーへと一歩、また一歩と歩を進めるたびに命が零れ落ちていくのが解る。

死が、滅びがシャルティアの間近まで迫っている。

今は目の前のドラゴンに構っている場合ではない。

一刻も早くナザリックに帰還しなければ命が無くなると本能が騒ぐ。

 

しかし、だ。

しかしナザリック地下大墳墓の守護者であるシャルティア・ブラッドフォールンが背を向けて逃げて良いのだろうか。

はるかに劣る存在に。

それはナザリックを、至高の41人の期待を、信頼を――裏切る行為ではないだろうか。

自らが死すともこの下らないドラゴンを滅ぼすべきではないか。

忠義と生存本能。

2つがシャルティアの動きを縛る。

 

ギギギギ――。

シャルティアの口からきしむような音が漏れる。

わずかに残った歯が擦り合わされ起こった音だ。

 

 

「かぁああ、くぃうう」

 

 

魔法が発動しない。

 

 

「ぎがあああがっがっぐ!」

 

 

スキルも発動できない。

何らかの影響なのか、それすら使えない窮地なのか理解できない。

 

憤怒。

 

ありとあらゆることに対する怒りがシャルティアを染め上げる。

 

だがそれでも生存本能を振り切り、気力だけでツアーの元まで重い足を動かす。

 

たとえ、自らが滅びても。

 

全てはナザリックの、至高の41人のために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

始原の魔法(ワイルド・マジック)を発動したツアーは残りの力を全て防御に回す。

 

自身の体は耐性があるので本来なら直撃でもなんとか耐えられるのだが、今回はダメージを負っていたので死ぬ危険性も高かった。

 

だが全てが終わった後、まだ意識があることに気付く。

 

自分は生きている。

 

ただ指一つ満足に動かせない状況ではあるが。

 

安堵するツアーの視界に信じられないものが見えた。

 

 

恐らくはあの吸血鬼だろう。

今は人型のシルエットを保つ黒い何かにしか見えないが手に持つ武器を見て理解する。

 

 

あの直撃を喰らっても死なないのか!

 

 

ツアーのこの一撃は始原の魔法(ワイルド・マジック)の中でも最高の破壊力を持つ。

 

かつてプレイヤーに世界の法則を捻じ曲げられても始原の魔法(ワイルド・マジック)だけはその法則に捉われなかった。

そして炎に耐性を持つプレイヤーにも効果があることは昔の戦いで知っていた。

だからこそ驚いている。

これで決められなければ、殺せなければもう何も打つ手はない。

 

ツアーはこの国を、自らを犠牲にしてまで放った一撃が目の前の吸血鬼に届かなかったことに絶望する。

 

目の前まで歩いてきた吸血鬼が自分に向かって槍を振り下ろす間際。

 

誰かがこの吸血鬼を止めてくれることを心から祈った。

 

 

 

 

ツアーの望みは叶うことになる。

 

結果的にこの吸血鬼が槍を振り下ろすことは無かったのだ。

 

その先の未来は決して望んだものではなかったけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前の瀕死のドラゴンへトドメを刺そうと槍を構えるシャルティア。

 

だが体の違和感に気付く。

 

命が零れ落ちたわけではない。

 

だが身体に力が入らない。

 

何かが起こっているのに何が起きてるのかわからない。

 

それは目線をわずかに下げたことで解決する。

 

 

 

自らの肩から腹部までが裂け、腹から黒い金属のような物が生えていた。

 

 

 

見覚えがある。

 

誰のものか知っている。

 

これは。

 

 

 

 

アルベドのバルディッシュだ。

 

 

 

 

その瞬間、何が起きたか理解できた。

 

自分は後ろから袈裟懸けに斬られたのだと。

 

だがなぜ、と疑問が浮かぶ。

 

アルベドが、ナザリックに連なる者がこんなことをするはずがない。

 

もしかすると自分は何か失態を犯してしまったのだろうか?

 

やはり下等な者に後れを取ったのは許されないことなのではないか。

 

これはその罰なのではないか。

 

様々な疑念が混乱した頭に飛び交う。

 

恐る恐る後ろを振り向くシャルティア。

 

そこにいたのは予想通りというべきか。

 

守護者統括アルベド本人であった。

 

 

「か…、かぁへ…」

 

 

なんで、と言葉にしたつもりだが上手くしゃべれない。

 

 

「凄いわ、シャルティア。報告で聞いたけどあれだけの爆発で生き残れるなんて。しかし油断はできないわね、これほどの力を持つ者が存在するんですもの。やはり法国に直接乗り込んだのは無茶が過ぎたわね、今後は自重しなければ…」

 

 

シャルティアの疑問を他所にアルベドは呑気にブツブツ独り言を続けている。

 

 

「は、はうへほ…、か、…かぁ…」

 

 

再度問うが言葉にならない。

それでもアルベドはシャルティアが何を言いたいか理解しているようだ。

 

 

「ああ、そうね。貴方にも説明しなければね、せっかくここまで役に立ってくれたんですもの。しかし相打ちになってくれれば最高だったのに。まぁそれは望みすぎかしら? どちらかと言えば手負いの貴方をどうにかして始末しなければならない事態もあったわけだし。ここまで弱ってくれて嬉しいわ。部下も全滅したようだし彼らを排除、あるいは言い包める必要もない」

 

 

「……かへ?」

 

 

シャルティアは理解できない。

目の前にいる仲間が何を言っているのか全く頭に入ってこない。

屈託の無い笑顔でこいつは何を言っているのか。

 

 

「まだ分からないの? 本当に馬鹿ねぇ」

 

 

そのアルベドの顔が邪悪に染まった瞬間、シャルティアはやっと理解した。

 

事情はわからないが、自分はアルベドにハメられたのだと。

 

 

「ぎぅぅぅがあああああ!!!!」

 

 

シャルティアの頭を怒りが支配する。

 

反射的に、残る力の全てを振り絞りスポイトランスをアルベド目がけて振り下ろす。

 

だがその刃はアルベドには届かない。

 

 

「遅いわ、そんな状態での攻撃なんて当たるわけないでしょう?」

 

 

アルベドはバルディッシュを引く抜くと別の武器を取り出す。

 

 

それは真なる無(ギンヌンガガプ)

 

 

広範囲の破壊が可能な、対物体最強のワールドアイテム。

 

その一撃がシャルティアとツアーをまとめて攻撃する。

 

もはやその一撃に両者とも耐えられる筈もない。

 

 

 

 

意識が薄れゆく中、シャルティアの脳裏に浮かんだのは至高の41人のこと。

 

その御方達の役に立てなかったこと、そしてこれからもう役に立つことができないことが酷く悲しかった。

 

そして自己嫌悪に陥る。

 

きっと至高の御方が、ペロロンチーノ様がナザリックを去られたのは自分が至らなかったからだと。

 

このような失態を演じるシモベなぞに価値なんて無いのだと。

 

心の中で何度も謝罪した。

 

ごめんなさい、ごめんなさい。

 

お役に立てなくて申し訳ありません。

 

どうか、どうか愚かなこの身を許して下さい。

 

やがてそんな思考すら吹き飛び、死の間際。

 

 

彼女が幻視したのはかつてのモモンガとペロロンチーノの姿だった。

 

 

それは彼女の階層で二人が会話していた時の事だった。

 

あの時はただその場で話を聞いているだけだった。

 

だがなぜだろうか。

 

今なら御二方の輪に入れそうな気がする。

 

シャルティアは一歩を踏み出す。

 

問いかけるシャルティアの言葉に二人が笑顔で答える。

 

言葉にできない幸福感がシャルティアを包む。

 

 

‐ああ、モモンガ様、ペロロンチーノ様、どこにも行かないでくんなまし、どうかずっと御傍に…‐

 

 

 

 

 

途切れる夢。

 

 

 

シャルティアは灰になり、ツアーは原形を残さずバラバラに吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シャルティアを滅ぼしナザリックに帰還したアルベド。

 

ニグレドにはシャルティアの所へ向かう際にルベドの監視をしておくよう頼んでいる。

シャルティアのことは誰も知らない。

敵のドラゴンと相打ちになったという筋書きだ。

 

シャルティアは邪魔だった。

もし自分の行動がわずかでも露見すれば間違いなく敵対するだろう。

自分で言うのもなんだが女の勘というのは馬鹿にできない。

しかも一対一だと勝ち目が無いため厄介だ。

常にルベドがいないと不意の事態に対応できなくなる。

 

だがこれでその心配は無くなる。

 

 

それに何より、モモンガ様を愛するのは私だけでいい。

 

 

すでにニグレドとルベドから法国に関しては報告を受け取った。

法国も評議国と同じく完全に殲滅できたらしい。

 

残る大きな障害はデミウルゴスだけだ。

 

すでに法国で手に入れたアイテムの鑑定は終わっている。

二つとも名前は違ったが間違いなくワールドアイテムだ。

傾城傾国と聖者殺しの槍(ロンギヌス)

効果は以前入手した情報通り。

 

上手くいっている。

 

傾城傾国を身に纏ったアルベドはデミウルゴスのいる地下7層へ向かう。

自分の目的へ大きな一歩となることを想像して笑みが漏れる。

 

だが地下7層についたアルベドは妙な違和感を感じる。

妙な静けさが漂っているのだ。

 

 

「デミウルゴス?」

 

 

アルベドの声にデミウルゴスは現れない。

 

 

「どこなのデミウルゴス!」

 

 

地下7層を声を上げながら探し回るアルベド。

 

だがデミウルゴスはどこにもいない。

 

領域守護者である紅蓮を除き、最高位の配下である三魔将も、十二宮の悪魔もいない。

 

 

やられた、とアルベドは思う。

 

 

尻尾は掴ませていない、証拠などあるはずもない。

 

そもそもまだ自分は動き出したばかりなのだ。

 

それなのにデミウルゴスはこの階層を守護するという創造主の命令に逆らってまでこの場を動いた。

 

そこまでは想定していなかった。

 

出し抜かれた怒りが、自分の甘さが、そして今後の計画に生じるであろう影響が。

 

アルベドの顔を般若のように歪ませる。

 

 

 

 

 

「デェミウルゴスゥゥウウウウウウウウウウ!!!!!!!」

 

 

 

 

 

アルベドの絶叫が地下7層に響き渡るがその名前の主はもうここにはいない。

 

 

 

 

 




次回『名犬エ・ランテルに舞う』なんだか懐かしく感じる!


ナザリック陣営の話は一旦ここまでです。
次回から再び名犬ポチの話に戻ります。


てかヤバイィ、目標の五万いってしまったぁ…。
僕はこれからも続けていけるのか…。


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名犬エ・ランテルに舞う

「わん(俺冒険者になるわ)」

 

 

「か、神、突然何を…!?」

 

 

エ・ランテルの冒険者ギルドの前で、名犬ポチは嘯いた。

 

全てはエ・ランテルへ向かうことを決めたニグンとの会話から始まった。

 

 

 

 

 

 

カルネ村近くでのガゼフ率いる王国の精鋭部隊と法国の六色聖典が一つ陽光聖典との戦い。

名犬ポチはその戦いに乱入後、ニグンを残しこの場を制圧。

ニグンという男の発狂が少し落ち着いた頃、話を聞き始めるのだった。

 

プレイヤーという存在について知っているニグンとの話で有益な話が聞けるかと期待していたが、それ以前の出来事に気付いてしまった。

 

そもそもろくに話が通じないのだ。

大体は察してくれるのだが痒い所に全く手が届かない。

なんだこのクソボケ野郎は、と思いながらとりあえずカルネ村に帰還する名犬ポチ。

 

だがカルネ村でさらなる驚愕の事実に気がつく。

 

村人誰一人として話が通じないのだ。

ニグンの比ではない。

根本的に通じないのだ。

 

だがその原因にすぐ思い当たる。

 

 

「わん!(うわぁぁああああ! 俺わんしか言えねぇ! なんだこれ!?)」

 

 

思い返せばユグドラシルからこの世界に来てからわんしか言ってないような気がする。

微妙な絶望に打ち震え、身を丸める名犬ポチ。

 

だがそこに一筋の光が差す。

 

 

「どうしたのですか神よ! 一体何が!? はっ! なるほど、言葉が伝わらないことを悲しまれておられるのですか!」

 

 

名犬ポチに走り寄ってくるニグン。

その言は的を得ていた。

 

 

「わんっ!? (何ぃ!? お前分かるのか、俺の悲しみが悔しさが!)」

 

 

「もちろんでございます神よ。全ては我が信仰心のなせる業…。人類の為、そして神の為に戦ってきた私には貴方様が何を考えておられるのかわかります。今も私にしか啓示を示せないことにお悩みなのですね。ですがそれも致し方無き事、愚鈍な民全てが神の偉大なるお言葉を理解するということができていれば世界はこのようになっておりません。全ては我々人類の至らなさ故でございます。どうかお許しを…」

 

 

(そういえばコイツ、最初に話した時も幾ばくか話通じてたな。マジか、なんでわんでわかるんだよすげぇ)

 

 

そう思いながら、目の前でめっちゃ臣下の礼をとっているニグンのポーズに関しては無視を決め込む。

この男は使える。

それが名犬ポチがニグンに抱いた思いだった。

気持ち悪いけど。

 

だが一つ残念だったことは固有名詞は理解できないということだ。

なのでアインズ・ウール・ゴウン、ナザリック、ユグドラシルなどの単語について聞いてもニグンは何を問われているか理解できていない様子だった。

 

しかし面白いことにプレイヤーについて聞くと答えることができた。

つまりは、プレイヤーに関して質問をしている、ということは理解できるようだ。

なのでニグン自身が知っている言葉なら理解できるが、そうではない場合何かわからぬ事を問われているとなり答えられないのだろう。

 

とりあえずは通訳として活用しようと判断する名犬ポチ。

 

 

「わん(ニグンよ、我に付き従え。我が求めるものに辿り着くにはお前の力が必要だ)」

 

 

「おお…! この私めに神の御言葉を世に伝えるという栄誉を許されるのですか…! 有難き幸せ…! あぁ、なんという高揚、なんという感動、言葉にできません…! ええ、もちろんでございます! このニグン、誠心誠意尽くさせて戴きます!」

 

 

なぜか涙をボロボロ流しながら高ぶるニグン。

もしこの男に忠誠心メーターなるものがあるとするならば、それは限界値を突破していた。

 

 

「わ、わん…(そ、そうか、嬉しいよ…)」

 

 

涙どころか鼻水、よだれ、その他にも液体を流し続けるニグンに名犬ポチはドン引きである。

 

その後、ニグンにこの辺りの地理を聞いていくうちにエ・ランテルという都市へ行くことに決める。

リ・エスティーゼ王国という国の直轄地であるものの、バハルス帝国、スレイン法国とも境界であり、何をするにしても便利そうだと判断する。

 

そうと決まればすぐにカルネ村を出発する名犬ポチとニグン。

村人が色々と後ろで言っているがあまり興味は無いので放置していく。

 

 

そしてエ・ランテルへ向かう道中、スレイン法国についてニグンに聞いていく。

法国について多くの事情や変態兄妹がいること等を知り、法国が未来に生きていることを感じる名犬ポチ。

あまりにも恐ろしい国なので近寄るのはやめることにする。

横でニグンが何度も法国への訪問を願い出てきたが断っていると「なるほど、人類を救うためにあえて信心の薄い土地を周り、その奇跡によって人々を導くのですね…」とか呟きだす。

何言ってんだこいつ。

まぁその後は文句も言わなくなったので放っておくことにする。

 

 

そしてエ・ランテルへ着く。

だが都市へ入るための検問所が存在することに気付く。

やべ、これ俺入れないんじゃね? ユグドラシルみたいに異形種お断りとかだったらどうしよう。

とか思っていると横でニグンが「大丈夫です、全てお任せ下さい神よ」とか言ってる。

やだこいつ有能。

よく分からないがニグン及び自分は一切のチェックを免除され、簡単に都市に入ることができた。

ニグン曰く、色々と行動しやすいようにこういう部分は本国が手を回している、とのこと。

 

悔しいっ…! 気持ち悪いのにどんどんこいつの株上がっちゃう…!

 

複雑な気持ちになりながらも名犬ポチはニグンという拾い物に感謝するのであった。

 

 

その後、エ・ランテル内の施設をニグンに説明してもらいながら周る名犬ポチ。

色々と探し人や聞きたいこと等、この町でやりたいことはあるのだが単語を伝えられない以上それは難しい。

なので色々と自ら探しに出ねばならないがどうするべきか、と考える。

そしてニグンから冒険者なる者の存在を聞く。

これだ、と思った。

自らが冒険者として各地へ赴けるのはもちろん、地位や名声を集められれば探し物もし易くなるかもしれない。

 

 

「わん(俺冒険者になるわ)」

 

 

「か、神、突然何を…!?」

 

 

突然のことに狼狽するニグン。

それとは裏腹に目の前の冒険者ギルドなるものの前で名犬ポチは目を輝かせる。

それはかつての仲間との冒険を思い起こさせるには十分だった。

 

名犬ポチは冒険者ギルドの中へと駆けこんでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ギルドの受付というものは暇なときがある。

得てしてそんな時は厄介ごとが起こるものだ。

ただ、そんなこと今までに一回も無いけど。

最後にそう呟き、ギルドの受付嬢イシュペン・ロンブルは欠伸をかみ殺しながら、カウンターに座ったままぼんやりと視線を中空に舞わせた。

 

暇である。

 

依頼も新しいのは来ない。

冒険者も来ない。

依頼書のまとめはかなり前に終わった。

席を離れることは仕事の放棄と同じ、出来るわけがない。

トイレだって少し前に行ったばかりだ。

 

やがて暇が最頂点に達しようとしたとき、扉がきしみ、ゆっくりと開いた。

外と中の光量の差も有り、イシュペンは目を細める。

逆行の中、小さな生き物がギルドの中に踏み込んで来た。

 

 

「…え?」

 

 

その可愛い生物はイシュペンと目が合うと走り寄り、カウンターの上までジャンプしてきた。

はっ、はっ、と舌を出しながらこちらを見てくるその生き物にイシュペンは。

 

 

「やだ可愛いぃぃぃぃいいい!!!」

 

 

思わず抱きしめた。

 

 

「きゃんっ!? (うわ、なんだこのアマ!? 俺は冒険者になりにきたんだよ! 離せやクソが!)」

 

 

名犬ポチは必死に肉球で押し返すがイシュペンは怯まない。

 

 

「あぁああぁああぁあぁあ! 肉球柔らかいよぉぉぉおお!」

 

 

むしろ喜びだす始末である。

 

そこへニグンが扉を開け駆け寄ってくる。

 

 

「ああっ!? 神ぃぃぃーーー! 大丈夫ですか!? なんだ貴様は! その汚い手を離せ!」

 

 

そしてイシュペンの手から名犬ポチを救うニグン。

 

 

「チッ、飼い主かよ」

 

 

ニグンを見て悪態をつくイシュペン。

この蜜月の時を邪魔したこの男に殺意を抱くが飼い主なら仕方あるまい。

そしてイシュペンはこの男に見覚えが無い。

とすればこの男は冒険者志望だろうか?

 

 

「で、何? 冒険者になりに来たの?」

 

 

「わん(そうだ)」

 

 

「か、神? いやきっと何かお考えが…。わかりました。ああ娘、冒険者登録を頼む」

 

 

ニグンの言葉にイシュペンはやはりな、と思う。

着ている物は間違いなく上等だし、この男からは強者の気配を感じる。

ただ若干独り言が多いのが気持ち悪いが。

 

 

「で登録者のお名前は?」

 

 

そうイシュペンが問うとニグンが目を丸くする。

 

 

「な、名前…。そうだ名前だ! 神よ! 貴方のお名前は何と仰るのですか!?」

 

 

なぜか目の前の男が子犬に問い始める。

 

 

「わん(名犬ポチだ)」

 

 

「ああぁぁあっぁあ理解できないぃぃぃいいい!! 我が至らなさをお許し下さいぃぃぃい!!!」

 

 

急にそう叫ぶと地面に伏し泣き出す男。

イシュペンは、こいつやべぇ、と思う。

 

 

「わん(やっぱ名前も伝えられねぇか…。しょうがねぇ、ニグン適当に決めてくれや)」

 

 

「そ、そんな、なんと恐れ多い…! 名前を理解できない私が悪いのです! しかし仕方ありませんな、ここは神で登録させて頂きましょう」

 

 

そうしてイシュペンへ顔を向けるととてもいい顔でニグンは言う。

 

 

「神でよろしく頼む」

 

 

「ふざけないでくれる?」

 

 

一蹴された。

慌てるニグン。

 

 

「な、なぜだ…?」

 

 

「はぁ? 神なんてふざけた名前で登録できるわけないでしょ。それより何よアンタ。自分が神だとでも言いたいの?」

 

 

「貴様こそ何を言っている、神はこの御方だ」

 

 

そしてニグンは名犬ポチへと手を向ける。

 

 

「はぁ? さっきから何言ってるのよアンタ。私はアンタの名前を聞いてるのよ。冒険者登録をする本人の名前を聞いているの」

 

 

そう凄むイシュペンにニグンはやっとすれ違いに気付く。

 

 

「ああ、なるほど。違うのだ。冒険者登録は私ではなくこの御方がするのだ」

 

 

「は?」

 

 

そして自分の目の前の小さい生き物を見るイシュペン。

やっと理解できた。

この男は狂ってる。

 

 

「出てって! 暇は暇だけど冷やかしの相手なんてする気になれないのよ!」

 

 

「なっ!? 貴様…!」

 

 

その後もニグンとイシュペンの攻防は続くが、結局どうにもできずニグンと名犬ポチは冒険者ギルドを追い出された。

 

 

「神よ、申し訳ありません…」

 

 

「わん(いやいいよ、ていうか普通に考えればあれが普通だよなぁ。お前のせいじゃねぇよ)」

 

 

「ああ、神…! 私を許して下さるのですか…! なんと慈悲深く、むぎゅ!」

 

 

ニグンの口を押える名犬ポチ。

 

 

「わん(長ぇからいいよ。それより今夜の宿探そうぜ。暗くなってきちまった)」

 

 

その名犬ポチの言葉にニグンは頷く。

そしてニグンの赴くまま宿屋に向かうがそこで名犬ポチは驚く。

 

 

「わんっ!? (なんだここは!?)」

 

 

「ここは黄金の輝き亭というエ・ランテル最高の宿屋です。神には相応しくないかもしれませんが生憎とこれ以上が無いもので…」

 

 

落ち込んだニグンを他所に名犬ポチが思ったのは。

いやいや、豪華すぎんだろ。

という思いだった。

 

 

「わん(ていうかエ・ランテル最低の宿屋でいいけど。寝られればそれでいいし。安く済ませようぜ)」

 

 

「な、何を!? 代金は全て私が払います! 神は何も気にしなくていいのです!」

 

 

そう力説するニグン。

だが名犬ポチは貧乏症なのだ。

無駄な出費というのが好きでない。

しかも自分はこの世界の通貨を持っていない。

金が作れるまではニグンに世話になるしかないのだ。

人の世話になっておいて無駄に贅沢することは名犬ポチ的には許されないことであった。

悪逆の限りを尽くす名犬ポチではあるが、意外と常識人なのである。

 

 

「わん(駄目だ、俺が嫌なんだ。だから安い宿屋を探してくれ)」

 

 

「うぐ…、わ、わかりました…」

 

 

名犬ポチの言葉の強さに逆らうことができず了承するニグン。

 

そして二人が探し当てた宿屋、そこは。

一階が酒場になっており低レベル冒険者が集まる宿屋だった。

 

ニグンは神をここへ入れることに抵抗を覚えるが神の決めたことに文句を言うのも不敬だとして渋々入る。

そして奥にいる店主らしき男へと向かう。

 

店主らしき男はニグンに気付くと不思議そうな顔をする。

着ている物はかなりの上物だ。

少なくともこの宿にくるような人物には見えない。

 

だがその店主の疑問に答えるかのようなタイミングで酒場の客から野次が飛ぶ。

 

 

「ああっ! このオッサンさっきギルドで見たぜ! なんか冒険者登録しようとしてたみたいだけど受付嬢とモメて追い出されてたぜ!」

 

「うわ、なんだよそれダセェ!」

 

「その装備は飾りかよ! どこぞの坊ちゃんか何かかな? 早くママの元へ帰りな!」

 

 

数人の冒険者達がニグンを見て笑い飛ばす。

 

それを聞いた店主は納得する。

なるほど、冒険者志望か、と。

それならこの宿に来た理由も納得できる。

 

野次が飛びかう中、店主は黙々と自分の業務をこなす。

客なら金さえ払えば自分は何の文句も無いのだ。

 

 

「宿なら相部屋で1日5銅貨だ」

 

 

「いや個室を頼む」

 

 

ニグンも野次など相手にせずに答える。

このような愚かな者など相手をするのも煩わしいと考えているためだ。

 

だがニグンが反応しないことに冒険者達は気を良くしさらに煽る。

 

 

「なんだぁ? 個室に泊まんのかぁ? 余裕があるなら俺らに分けてくれよ」

 

「そうだぜ? 冒険者になるってんなら俺らは先輩だぞ? なぁ?」

 

「どうしたんだシカト決め込んで。ビビっちまったのか?」

 

 

だが一向に反応しないニグンに冒険者の一人が声を荒げる。

 

 

「さっきから無視してんじゃねぇぞオッサン! それにペットなんか連れてこんなとこ来てんじゃねぇ!」

 

 

そう言ってその男がニグンの横にいた名犬ポチを蹴り飛ばす。

 

 

「きゃんっ!(わっ! なんだ急に!)」

 

 

ゴロゴロと転がりながら突然のことに驚く名犬ポチ。

もちろんノーダメージである。

 

だがその瞬間、宿屋の空気が変わった。

ニグンから異様な気配が発せられ、この場を支配する。

先ほどまで何を言われても反応しなかったニグンだが目の前で神が蹴られるなどという暴挙を目にして我慢できるはずがない。

 

 

「貴様ァ…! 自分が何をしたか分かっているのか…!」

 

 

それは殺気。

そのあまりの濃さにかつて猛者で知られた宿屋の店主すら身を震わせた。

 

ニグンが名犬ポチを蹴り飛ばした男へと視線を飛ばす。

 

 

「ひっ…!」

 

 

死を予感させる気配に男は身を固くするしかできない。

周りの仲間達も完全に呑まれ動けずにいる。

 

その場にいた冒険者達は瞬時に理解した。

 

自分達は喧嘩を売ってはいけない男に関わってしまったのだと。

虎の尾を踏む、龍の逆鱗に触れる。

そのような行為を行ってしまったのだと。

 

 

「ただで死ねると思うなよ…!」

 

 

そしてニグンは魔法を唱える。

 

 

「《サモン・エンジェル・4th/第4位階天使召喚》監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)!」

 

 

ニグンの叫びと共に巨大な天使が宿の内装を破壊しながら召喚される。

翼まで含めれば4mはあろうかという神々しい巨体。

その姿にこの場にいる全ての者が息を飲んだ。

だがそれを破るように一人の魔法詠唱者(マジックキャスター)であろう冒険者が叫ぶ。

 

 

「だ、第四位階だとっ!? バカなっ!」

 

 

その言葉にこの場にいる全ての者に驚愕が走る。

第三位階で超一流とされる世界である。

それ以上となると行使できる人間は数えるほどしか存在しないと言われる領域である。

もし冒険者として考えるなら間違いなくアダマンタイト級である。

一体何者なんだという疑問。

そして改めて目の前の男が自分達が関わっていい人間ではなかったと理解する。

だが男達が謝罪を伝える前にニグンが口を開く。

 

 

「やれ…!」

 

 

その言葉に監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)が動く。

男たちは死を覚悟する。

 

だがその場を止めたのは子犬だった。

 

 

「わんっ!(ニグン落ち着けって! ここは宿屋だぞ!? そんなもんしまえ、しまえ!)」

 

 

そう言ってニグンの足にしがみつく名犬ポチ。

 

 

「か、神っ! で、ですがっ…!」

 

 

「わわんっ!(泊めてもらえなくなったらどうすんだ! それにここで人なんか殺してみろ! この都市で情報集めるのが難しくなっちまうだろっ!)」

 

 

そう、本当に名犬ポチは常識人なのである。

 

 

「か、神…。分かりました、申し訳ありませんでした…」

 

 

そう言ってニグンは監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)を帰還させる。

 

それを見てホッとする名犬ポチ。

 

だがさきほど蹴られたことに対する怒りがないわけではない。

 

 

「わん(とりあえずテメーは殴る)」

 

 

そう言って名犬ポチが男の前へと飛び跳ねる。

 

そしてパンチ。

 

 

「がはっ!!!!」

 

 

顔を殴られた男がその斜線上にあるイスとテーブルを吹き飛ばしながら垂直に飛んでいく。

そして壁に激突するとその壁を破壊し、外へと転がっていく。

やがて勢いが衰え止まった男はピクピクと痙攣していた。

かろうじて死んではいないようだ。

 

外では急に人が飛んできたことへの驚きの悲鳴が聞こえてくる。

 

だが時を同じくして宿屋内でも悲鳴が響き渡る。

 

 

「おっきゃああああ!」

 

 

吹き飛んだテーブルに座っていた女が突如奇声を上げてニグンに詰め寄る。

 

 

「あんた何してくれてんのよ! あんたの魔獣でしょ!? そいつのせいで私のポーションが割れちゃったじゃないのよ! どうしてくれんのよ! 弁償しなさいよ!」

 

 

周りの男たちは先ほどのニグンへの恐怖を覚えているため、いくらポーションを割られたとはいえニグンに詰め寄れる女の度胸に驚いている。

滅茶苦茶キレている女に流石のニグンもたじろぐ。

だが仕方ないかとポーション代を弁償しようとするのだが。

 

ニグンの足元で名犬ポチが必死に止めていた。

 

 

「わんっ(ニグンいい! これは俺の責任だ、俺が弁償する)」

 

 

そう言って名犬ポチは自身のアイテムボックスより 下級治癒薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)を取り出すと女に渡す。

 

 

「わん(これでいいだろ)」

 

 

「え、あ、えっ? 何これポーション?」

 

 

それを見たニグンが冷静さを失う。

それは伝説に伝え聞く完成されたアイテム。

 

 

「神! ま、まさかそれは神の血…! よいのですか! あのような者に!」

 

 

それに対して名犬ポチはいいのだと答える。

 

 

(いや、ていうか今のは完全に俺のせいだし。それをニグンに弁償させるのは、なぁ? 金はないけど 治癒薬(ヒーリング・ポーション)系なら死ぬほどあるしこれで勘弁してもらおう)

 

 

事の重大さを全く理解していない名犬ポチ。

だがここでニグンはすぐにあることに気付く。

 

 

(はっ! まさかこれは神が与える奇跡への第一歩なのでは…。愚かな愚民共に説いても神の偉大さは伝わらぬだろう。だが実際に経験すれば話が違う…! とはいえ、あのような下賤な存在にさえ温情を掛けられるとは…。神の偉大さは私の想像を遥かに超えていらっしゃる…!)

 

 

謎の感動に包まれるニグン。

この時、名犬ポチが「やばい宿屋の弁償どうしよう」等と考えていることは露ほども知らないのであった。

 

 

 

この事件をきっかけにニグン達の存在は王国内で一気に轟くことになる。

 

第四位階の魔法を行使し、冒険者を軽く吹き飛ばす強大な魔獣を従え、神の血と呼ばれる伝説のアイテムを持つ男として。

 

だが残念なことにあくまで名犬ポチはニグンの使役する魔獣としか認識されないのだが。

 

 

 

 

人々が真に偉大なる存在に気付くのはいつになることか…。

 

 

 

 

 




次回『名犬と爪切り』ついに名犬伝説が幕を開ける…!



やっと名犬ポチが動き出しました。
ここまで体感時間長かった…。


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いざ行け冒険者狩り

すいません二回目の次回予告詐欺です。
予定より長くなってしまい話を分けました。ご勘弁。


 

ブリタという女がいた。

 

 

彼女はエ・ランテル所属の鉄級冒険者。

化粧っ気も無く男勝り。

その赤毛の髪は「鳥の巣」と言われるほど乱雑に切られている。

身につけている装備は至って普通であり、どこにでもいる鉄級冒険者の一人である。

ただし胸はそれなりにデカい。

 

そのブリタはたった今、絶対絶命の危機に瀕していた。

 

主な仕事は街道の警備。

だが周辺に野盗がアジトを構えているという情報を入手した為、急遽様子を見に行くこととなった。

野盗の数が不明なので、チームを陽動をかける強行偵察隊と罠を仕掛け待ち伏せる隊に二分し、強行偵察隊が罠を仕掛けているエリアまで誘き寄せるという作戦をとった。

 

強行偵察隊はブリタ含め7名。

うち1名は緊急事態に備え、エ・ランテルまで救援を求めるためのレンジャーが後方に伏せている。

計画として落ち度は無く、作戦も悪くない。

 

だが野盗の規模が想定外だった。

この野盗、傭兵団『死を撒く剣団』の総員は70人程。

中には数多の戦場を潜り抜けてきた古強者もおり、決してただの野盗と断じていい相手ではない。

対してブリタ達鉄級は冒険者として最底辺である銅の次のランクである。

はっきり言ってしまえば弱い。

もちろん冒険者としての経験や強みはあるのだがその実力差を埋めるには至らない。

 

そして運も悪かった。

 

野盗達がちょうど仕事をして帰ってきたところに正面から鉢合わせてしまったのだ。

その数、およそ60人。

流石に10倍近い数をさばくことは出来ず、難なく囲まれることとなってしまった。

 

レンジャーはすぐに離脱しエ・ランテルまで向かったが、残りの六人はまともな戦闘にもならず取り押さえられた。

ブリタ以外の冒険者は袋叩きにされ、あげく逃げられないよう順番に足を折られていく。

装備や金目の物も奪われてしまい、まともな反撃をするチャンスも無い。

 

そして最後に別の意味でブリタへ野盗達の手が伸びる。

 

 

「おお、割と悪くない女じゃねぇか。犯っちまうか?」

 

「おいおい、女ならアジトにもいるだろ?」

 

「あいつらはもう飽きちまったよ、それに俺はこんぐらい気の強そうなほうがいいね」

 

「物好きが」

 

「へっへっへ、お、結構いい体してんじゃねぇか」

 

 

男達の下卑た会話と視線がブリタを襲う。

そのうちの一人が舌なめずりしながらブリタの胸へと手を伸ばす。

その手が触れた瞬間、生理的な嫌悪感と恐怖にブリタは思わず近くの石を掴み、その石で男の頭を殴る。

 

 

「ぐあっ!」

 

 

血を出しよろける男。

だがその目に宿ったのは怒り。

 

 

「このクソアマがぁ! 女だからって大目に見てやってりゃあいい気になりやがって!」

 

 

男は反射的にブリタの顔を殴った後、剣を抜き放ちブリタの肩へと突き立てる。

 

 

「ぎゃあっ!」

 

 

そして次に足を上げるとブリタの膝へ向けて落とす。

 

 

「あがぁあああ!!!!」

 

 

鉄で作られたサバトンを装備していた男の一撃は難なくブリタの膝を粉砕した。

 

 

「別に五体満足じゃなくたってこっちはいいんだぜ!?」

 

 

「や、やめっ…やめて…!」

 

 

もう抵抗する気力も無く、ただただ痛みと恐怖、恥辱に震えるブリタ。

気が晴れなかったのか、その後も男の暴行は続く。

片目は潰れ、鼻も折られた。

だがしばらくして気が済んだのか男はブリタの装備を引きちぎると、自分の服を脱ぎ始める。

 

犯される。

 

ブリタはそう覚悟した。

もう体の感覚も無く、血が流れすぎたのか意識も遠くなってきた。

だがブリタはふと、服の内側に入れていたポーションの存在を思い出す。

これは昨日、宿屋で謎の男が連れている魔獣から貰った赤いポーションだ。

必死に貯めたお金で買ったポーションの代わりであり、大事なものだ。

鑑定には出しておらず効果は不明。

だがそれでも何故このポーションを貰った時、渋々ながらも納得したのか。

それは単純に珍しかったからだ。

偽物という疑問はさほど湧かなかった。

単純にあの謎の男が持っていた強者の気配と第四位階の魔法を行使したという事実だけで信用するには十分のような気がしたのだ。

そんな経緯で入手したポーションだがこのままだと野盗に盗まれて終わるだろう。

こみ上げる悔しさからせめてこれだけでも渡すものかとブリタはかろうじて動く右腕でポーションを取り出し一気に飲み干す。

 

 

その瞬間、魔法が起きた。

 

 

潰れていた片目は視界を取り戻し、鼻は再び空気を通し、肩の傷や砕けた膝も元通りになった。

散々殴打された痕もすぐに痛みとともに消え去った。

 

運良くそれを見ていたのはブリタとその仲間達のみ。

野盗達はもうブリタから視線を外しており、犯そうとしていた男も装備と服を脱ぐことに必死でその瞬間を見逃していた。

 

仲間達は状況が飲み込めないものの、ブリタへ視線で逃げろと告げる。

 

ブリタは仲間達を置いていけないという葛藤に駆られるがすぐにそれを振り払う。

それは保身ではなく仲間の為。

 

後方のレンジャーはエ・ランテルまで戻っている為、本格的な救援が来るまで時間がかかる。

それならば近くに罠を仕掛けて待っているもう一つのチームへ助けを求めにいくのが最も現実的な案。

 

ブリタは野盗達の隙を突き、一気に駆けだす。

 

近くにいた野盗達全員の反応が遅れた。

 

それもそうだろう。

先ほどまで瀕死の一歩手前で、膝も砕かれていた女なのだ。

動けるはずがないのだ。

 

ブリタの姿が見えなくなった頃、ようやく逃げられた事実に気付く。

 

 

「女が逃げたぞ、追えっ! 追えぇええ!」

 

 

すぐに野盗達の一部がブリタを追いかけ始める。

 

その後、ブリタはなんとかもう一つのチームが待機している場所まで逃げる事に成功する。

 

 

「どうした!? ブリタだけか! 他の皆は!?」

 

 

「み、皆捕まった! 敵もすぐそこまで来てる!」

 

 

ブリタのその声に反応し、待機していた冒険者達がすぐに臨戦態勢に入る。

そしてブリタを追ってきた野盗達はブリタの仲間が仕掛けた罠に次々とかかっていく。

その合間を縫って冒険者達も攻撃を仕掛け、形勢逆転なるか、と思われたが。

やはり数が違った。

最初の追っ手達10人前後は罠で足止め、負傷させるのに成功したが、その野盗達はすぐに異変に気付き応援を呼ぶ。

 

冒険者達を捕えていた野盗達も合流し、あっという間に残りの約50人に冒険者達は囲まれた。

仕掛けた罠もほとんどが使用済みか看破されてしまっている。

もはや打つ手なく、絶望に染まる冒険者達。

ブリタは自分の行動に激しい後悔を覚える。

自分はここへ敵を連れてくるべきではなかった、と。

咄嗟のことで冷静な判断が出来なかったが、残りのチームを合わせても対処できる数ではないのは明白。

自分がここに来たことで残りのチームも道連れにすることになる。

情けなくて涙が出てきた。

 

 

「み、皆っ、ごめん…。わっ、私が、私がここに来なければ皆まで…!」

 

 

ブリタの鳴き声が仲間達の耳へと届くが誰もブリタを責めない。

 

 

「馬鹿野郎、謝るなよ。最初からこういう作戦だったろ?」

 

 

「それに仲間を見捨てるのは冒険者の間じゃご法度だからな」

 

 

仲間達はこの状況にも関わらず、ブリタへそんな言葉をかけていく。

別に深い間柄ではない。

今回たまたま一緒に仕事をすることになっただけの者もいる。

それでも同じ冒険者というだけで、命を預ける仲間としてこれだけ頼りになる。

それが誇らしかった。

仲間達のためならここで死んでもいい。

そう本心から思えた。

ブリタは自身を鼓舞し仲間から受け取った剣を構える。

 

死を覚悟し、敵陣へ自ら斬り込もうとする直前。

 

 

「わん」

 

 

突然、犬の鳴き声が聞こえた。

 

 

ブリタ含め冒険者達はこのことを後にこう語る。

 

 

自分達は伝説を見た、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(しかしどうするか…)

 

 

名犬ポチは困っていた。

 

エ・ランテルで一夜を過ごしたはいいものの、次にするべき目標が決まっていなかった。

自分の探し人や物は直接他人に聞くことはできない。

かといって冒険者にもなれず、有力な情報を入手する手段も無い。

 

ただ一つラッキーだったのは昨夜泊まった宿屋で乱闘を起こし宿を破壊したにも関わらず、なぜか一切金を請求されなかったことだ。

全く太っ腹な店主だぜ!

 

 

「神、ここはやはり一度法国に赴くのが、ぶふっ!」

 

 

ビンタしてやった。

この男ニグンは隙を見せるとすぐに法国へ向かおうとする。

全くもって油断ならない男だ。

 

しかし、かといって何か手があるわけでもない。

 

 

(うーん、このまま何も進展しないようじゃ法国へ行くのを嫌がってる場合じゃないかもなぁ。少なくともプレイヤーの存在を知っているわけだから完全な無駄足にはならなそうだし…)

 

 

名犬ポチが考え込んでいるとニグンが。

 

 

「ならば神、ここは実力を示してみる、というのはどうでしょう?」

 

 

「わん? (どゆこと?)」

 

 

「つまりですね、この周辺の雑魚を狩りその証拠を持ち帰ればよろしいかと。手土産があれば冒険者ギルドも我々を無下には扱えますまい」

 

 

ニグンの語るプランに名犬ポチは体に稲妻が走ったかのような衝撃を覚える。

だがそれと同時に理性が名犬ポチを押さえつける。

 

 

「わ、わん(な、なるほど…、い、いやでもお前…、そんなの人道的に許されるのか…?)」

 

 

「全く問題ありません、我々も普段から行っておりますゆえ」

 

 

「わん(普段からやってんのか。ならいいか)」

 

 

名犬ポチはほくそ笑む。

 

 

(くくく、冒険者狩りか…、それも悪くない! いいぞ、くだらぬ冒険者達なぞ一掃してくれる! そして我が元に屈するがいい下等勢物共よ…!)

 

 

なぜか冒険者を狩ることを決意する名犬ポチ。

もちろんニグンはそんなことを提案してはいない。

彼がしたのは雑魚の討伐。

つまりは周辺にいるモンスターを狩ってはどうかという提案だったのだ。

だが名犬ポチの頭の中では、雑魚=人間、つまり冒険者という図式である。

 

 

(確かに現役の冒険者を狩ればギルドも反論できる余地など無いだろう。その時点でその冒険者達より優れていることを証明できるからな。全くニグンめ、キレる奴だぜ…!)

 

 

だがもちろん都市内で騒ぎを起こすわけにはいかない。

なので外で活動する冒険者達を狩っていくつもりである。

 

ユグドラシル時代もそうだったな、と名犬ポチは昔を懐かしむ。

ギルドによってはPVPで団員を負かさないと入れないとかいう所もあった気がする。

都市内はPVP出来ないので大抵、外でやったりしたのだ。

 

 

(こっちの世界だと簡単に蘇生できないみたいだからPVP系はマズイかなと思ったがニグンの話を聞く限りは大丈夫そうだ。なんだ案外ユルいな。拠点もペナルティで異形種は入れないとか無かったしな)

 

 

微妙なユグドラシル脳の名犬ポチ。

仮に何か言われても蘇生すりゃ大丈夫だろ、とタカを括っている。

普通に考えれば事件になるのだが彼は気づかない。

 

 

「そうと決まればどうしましょうか? すぐに行きますか?」

 

 

「わん(いやその前に冒険者の事を調べとかなきゃダメだろ。誰がどこに行くとか)」

 

 

「え、冒険者…ですか?」

 

 

なぜモンスターを狩りに行くのに冒険者の事を調べるのだろうとニグンは疑問符を浮かべる。

だが彼はすぐに神の意図に気付く。

 

 

(なるほど…! 証拠だけ持ち帰っても場合によってはいちゃもんを付けられる可能性もあるということか。確かにどこかで誰かの手柄を横取りしてきたなどと疑われることもあり得るな。冒険者登録もしてないのだからモンスターを討伐したと言っても怪しまれるか。その為にあえて冒険者の目につくところで狩りをするのだな。流石神、抜かりが無い!)

 

 

「分かりました神! 私がすぐにめぼしい冒険者達をリストアップして参ります!」

 

 

「わん(うむ、くるしゅうない)」

 

 

そして駆けていくニグン。

名犬ポチはそれを見送った後、特にすることもないのでエ・ランテルを散歩することにする。

 

 

(ニグンいないと不便ではあるが気楽は気楽だな)

 

 

そうしてしばらくエ・ランテルの街並みを楽しんでいると正面から4人の男女が近づいてきた。

 

 

「やりましたねペテル!」

 

「うむ、なにせあのンフィーレア氏の依頼であるからな」

 

「全くだぜ! これで俺らのチームもちったぁ箔が付くってもんでしょ!」

 

「ハハハ、皆大げさだよ。別に名指しの依頼でもないんだし」

 

「バッカ、そんなの関係ねぇって! こういう所で実力示せば評判になるかもだろ?」

 

「そうであるな。それにンフィーレア氏から評価されれば間違いなく将来に繋がるのである!」

 

「それに懐も余裕が無くなってきたところだったのでラッキーでしたね!」

 

「ああ、全くだよ。出発は明後日の予定だけど明日またンフィーレアさんの所で詳しい話をすることになっているからよろしく頼むよ」

 

「はい」

 

「承知したのである」

 

「了解~っと」

 

 

どうやらこの4人組は冒険者のチームらしい。

なにやら凄い楽しそうに会話しているのが名犬ポチの勘に触る。

少しアインズ・ウール・ゴウンの皆との冒険を思い出してしまったのだ。

 

 

(こいつら狩りてぇ…)

 

 

完全にジェラシーである。

 

そんな名犬ポチと目があった4人組の短髪の女が声を上げる。

 

 

「わぁっ! 可愛い! 皆見て下さいよ、この子凄い可愛いです!」

 

 

短髪の女は名犬ポチに近寄ると頭を撫で始める。

 

 

「わん!(なんだ急に! 離せやぁ!)」

 

 

名犬ポチはバタバタと暴れるが、周りからはこの女の手にジャレついてるようにしか見えない。

 

 

「お~、よしよし。そうだ、何か食べ物ないかな。ねぇダイン、こういう生き物ってどういうもの食べるのか知りませんか?」

 

 

「うむ、詳しくは分からぬが肉などであろうな。もしかすると骨もいいかもしれぬ」

 

 

「肉と骨かぁ、持ってないなぁ」

 

 

短髪の女がしょんぼりしていると横にいた軽薄そうな男が小ぶりの骨を女へと手渡す。

 

 

「ニニャ、骨ならあるぜ~、こんなのだけど」

 

 

「わぁルクルットありがとうございます!」

 

 

短髪の女は受け取った骨を名犬ポチへと差し出す。

 

 

「ほら、ご飯だよ~、お食べ」

 

 

「わ、わん…!(うわ、貴様何をするやめ…!)」

 

 

突如、見すぼらしい骨を差し出され困惑する名犬ポチ。

それに下等生物からの施しなど屈辱的で受け取る気にさえならないのだが…。

 

 

「わ、ん…(な、なんだ抑えきれぬ何かがこみ上げてくる…)」

 

 

「ほらほら食べていいんだよ~」

 

 

「わわん!!!(あぁああああぁぁぁああああ!!!!!)」

 

 

自分をコントロールできなくなり名犬ポチは女の差し出す骨へとしゃぶりついた。

骨を奪い取り、両手で抱えながらペロペロ舐める姿に女はご満悦だった。

 

 

(なんだこれ、なんだこれ! すっごい屈辱的! でも抗えない! なんだこの不思議な気持ち! くそ、俺はどこまで犬に近づいていってしまってるんだ! 骨うめぇえぇえええ!)

 

 

冷静さを失った名犬ポチ。

心の隅でここにニグンがいなくて良かったと嘆息する。

 

しばらくの時が経ち、完全に骨を舐め終わったときにはすでに4人組はどこかへ消えていた。

 

 

(しまった、俺としたことが失態を演じてしまった…!)

 

 

謎の敗北感に包まれている名犬ポチへ遠くから声がかけられる。

 

 

「ああ神! ここにいらっしゃいましたか!」

 

 

名犬ポチを見つけたニグンが走り寄ってくる。

そしてニグンが纏めたと思しき冒険者のリストへ目を通していく。

 

 

「わん(どうせなら強い奴と思ったけどミスリルまでしかいないじゃん。オリハルコンとアダマンタイトは?)」

 

 

「ああ神よ、ここエ・ランテルは冒険者のレベルが低くミスリルが最高なのです。それにミスリルも現在はこの都市内にいるようでして外出する予定はないかと」

 

 

「わん(ふーん、じゃあしょうがないか。じゃあどうすっかなぁ、今近くで仕事してる奴とかこれから予定ある奴とかいないの?)」

 

 

「現在調べが付いている限りだと2日後に護衛の仕事が入っている銀級のチームが一つ。それと鉄級になりますが14人ほどの人数で徒党を組み、近場の街道の夜間警備にあたっているとか。今夜も警備の予定のようです」

 

 

「わん(お、今夜か。それに鉄級といえど数がいるのは魅力だなぁ。やりがいがある)」

 

 

「ええ、全くその通りです。数が多い方が効果は高いかと」

 

 

中身は嚙み合っていないのに会話は噛み合ってしまう二人。

そして歯車は廻り出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてその日の夜。

名犬ポチが夕食を食べすぎて寝てしまったのでニグンが抱え、走り回り一人で冒険者達を探す。

ここでニグンも、冒険者を見つけてもモンスターの取り合い等になったら面倒くさいな、と今頃になって計画の問題性に気付くが考えないことにしてとりあえず探す。

そしてニグンがやっと目当ての冒険者らしき者達を見つけた頃、ニグンの腕の中にいた名犬ポチが目覚めた。

 

 

「わん(んんん? 見つかった?)」

 

 

「はい、例の鉄級冒険者らしき者達は見つけたのですが…」

 

 

歯切れの悪いニグン。

どうしたのかと名犬ポチも視線を向ける。

そこにはここから見えるだけでもかなりの数の人間がいた。

 

 

「わん?(なにごと? 冒険者って14人くらいじゃなかったっけ?)」

 

 

「はい、そうなのですが…あれはどうやら襲われているようですね。相手は野盗か何かでしょう。数的にも状況的にもこのままでは全滅しますね」

 

 

「わぉん!?(なにぃ! それじゃ予定が狂うじゃねぇか! 冒険者がやられちまったら本末転倒だよ!)」

 

 

そうして名犬ポチはニグンの腕の中から飛び出す。

 

 

「ああ神! お待ちを!」

 

 

(ちっきしょう! 俺の獲物取られてたまるか! あいつらは俺が殺るんだからよぉ!)

 

 

制止するニグンを振り払い、名犬ポチは野盗達の中へと飛び込んでいく。

 

 

この時ニグンは名犬ポチのその姿に人類を救うために舞い降りた神の意思を確かに感じていた。

 

 

(ああ神よ、私の全てを捧げます…)

 

 

 

 

 

 

 




次回こそ『名犬と爪切り』ホントにホントだよ!



次回はすぐ上げます。
自分としては話を淡々と進めていきたいのですが、どんどん余計なとこが長くなってしまってる気がします。
コンパクトに話を纏める能力が欲しい。
難しい。


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名犬と爪切り(挿絵あり)

 

「わん(ちょっとまったー)」

 

 

ブリタは困惑していた。

 

突然、その鳴き声と共に現れた謎の白い小さな生き物が自分達と野盗との間に入ってきたのだ。

そしてそれが何者かはすぐに分かった。

それは昨晩、宿屋で冒険者を軽く吹き飛ばし、自分にポーションをくれた魔獣だった。

忘れるはずがない。

 

 

「わん(こいつら俺の獲物だから手ぇ出すなや)」

 

 

名犬ポチは野盗達に語り掛けるがもちろん通じるはずもない。

 

 

「んだぁコイツ?」

 

「ただの小動物でしょ、ほっときましょうよ」

 

「そうですぜ、良く見たら可愛いですし」

 

「オレ持って帰っていいかな? 餌ちゃんとあげるから」

 

「ふざけた事言ってんな! 俺ぁそういう軟弱なの嫌いなんだよ!」

 

「そんなぁ…」

 

 

騒ぎ出す野盗達。

それに辟易した名犬ポチは自分から仕掛けることにする。

 

 

「わん(話通じねぇみたいだからもういいわ)」

 

 

名犬ポチが一番近くにいる男の頭上へと回転しながら飛び上がる。

そしてその勢いをつけたままカカト落としを繰り出す。

正確には肉球落としだが。

 

その一撃を喰らった男は頭から地面に突き刺さり動かなくなる。

 

 

「なんだコイツ!?」

 

「この野郎! 可愛いからって調子にのりやがって!」

 

「ぶっ可愛がってやる!」

 

 

それを見た野盗達がやっと敵意を出し名犬ポチへと襲い掛かる。

 

 

「わん!(面白ぇ! そっちがやる気ならやってやんよぉ!)」

 

 

そして名犬ポチは向かってくる野盗達へ魔法を放つ。

 

 

「わん!(喰らえ!《ミートボール/肉団子》!)」

 

 

《ミートボール/肉団子》。

名犬ポチにとっては低位の魔法ながらも連射が効くため使い勝手はいい。

効果は体を丸めた子犬を召喚し相手にぶつけるという魔法だ。

喰らった相手はその柔らかさと温かさに驚くだろう。

 

 

「あびゃあああぁぁあぁぁ!!!」

 

「ふわっふわ! これふわっふわぁぁ!」

 

「そ、そこらめぇぇぇえ!」

 

「んほぉぉぉおおおぉぉぉおお!!!」

 

 

直撃した男達が叫びと共に倒れ伏す。

その顔は優しい笑みに包まれていた。

 

 

「な、なんだっ! 何が起こった!?」

 

「わ、わからねぇ! 前にいた奴らが倒れちまった!」

 

「構わねぇ! 俺らでやっちまうぞ!」

 

 

残った野盗達の一部が名犬ポチへと襲い掛かるが隙は無かった。

 

 

「わんっ!(《シェイクテイル/尻尾振り》!)」

 

 

《シェイクテイル/尻尾振り》。

尻尾を振り乱し相手を混乱へと導く魔法。

抵抗力が無い場合、直視してしまうと正気を失うことになる。

 

 

「うわぁああぁぁあ!! 俺は、俺はこんな生き物になんてことをしようと!!!」

 

「なぜ俺はすぐ暴力に訴えてしまうんだ! 心はそんな事言ってないのに!」

 

「あああ、トキメキが止まらねぇえええ!!!」

 

「母ちゃんごめん! 俺こんな可愛い生き物を斬ろうとしちまった!」

 

「天使降臨!」

 

 

名犬ポチを視界に入れていた男達が次々と腰を抜かしていく。

泣き出す者から放心する者、笑顔で震える者まで存在する。

 

そしてあっという間に野盗達の半数以上が大地に沈んだ。

 

 

「うわぁぁあぁぁああぁぁ!」

 

 

残った野盗達が恐慌状態へと陥りその場から一斉に逃げ出す。

 

 

「わん!(バカが! 逃がすか!《マス・ホールド・スピーシーズ/集団全種族捕縛》!)」

 

 

だが名犬ポチの魔法で残りの全員が一瞬にして捕縛される。

一応、普通の魔法も使えるのだ! さすが名犬ポチ!

 

 

「ああぁあぁぁぁあああああ神ぃぃぃぃい! 何たる魔力の奔流! 素晴らしいぃぃぃいい! 私が何かする前に全て終わらせてしまうとは!」

 

 

頬を紅潮させたニグンが名犬ポチへと駆けよってくる。

 

 

「わん(しかし計画と狂っちまったな。どうするか…)」

 

 

「いいえ、問題はないかと。むしろ予定よりは上々の成果といえるのではないでしょうか?」

 

 

(え!? 何が!?)

 

 

理解が追い付かない名犬ポチ。

だが横で冒険者達からニグンへ感謝の言葉が告げられ始める。

 

 

「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」

 

「まさかあの状況から助かるなんて…」

 

「貴方は命の恩人です!」

 

「しかしなんという強さ…! このような魔獣を従えるとは…!」

 

 

ニグンは冒険者達に「違う、私じゃない」と何度も告げるが冒険者達からの感謝は止まらない。

むしろなんて謙虚な方なのだと株を上げていく始末である。

 

だがそこでただ一人、ブリタだけが名犬ポチの前へと歩み出る。

 

 

「あ、あの…、ありがとう。貴方が助けてくれたんだよね…?」

 

 

「わん(わけわかんねぇこと言わなくていいから俺とPVPしろや。ぶっ殺してやる)」

 

 

物騒なことを言う名犬ポチだがブリタには伝わらない。

 

 

「ありがとう、本当にありがとう…。私だけじゃなく皆まで殺されるところだった…! 本当にありがとう…!」

 

 

感謝のあまり名犬ポチの前で泣きながら頭を地面に擦り付けるブリタ。

飼い主の命令かもしれないが自分達を救ったのは紛れもなく目の前にいる魔獣なのだ。

伝わらなくともブリタは感謝を示したかった。

言葉に言い表せぬ程の感謝の気持ちが止まらないのだ。

 

 

「わ、私にできることなら何でもするから…。って言ってもわからないか…。でも本当に感謝してるんだ、ありがとう…!」

 

 

「くぅーん(えー、何この空気。全然PVPするテンションじゃないじゃん。マジ萎えだわ。テメーも馬鹿みてぇに頭下げてんじゃねぇよ)」

 

 

そう言って名犬ポチはブリタの頭を掴み起き上がらせる。

 

 

「あっ…」

 

 

「わん(急に頭下げるとか何考えてんだよ。意味わかんねぇ。感謝される筋合いもねぇし…。って! あぁ! なんだコレ! なんだコレ!)」

 

 

ブリタの頭を掴んだ名犬ポチだがその感触に驚きを隠せない。

ゴワゴワした髪の毛、強く弾力とコシがあり独特の感触をしている。

命名するなら「鳥の巣」だろうか。

その感触に名犬ポチの手は止まらない。

 

突然、自分の頭を撫で始める名犬ポチにブリタは驚く。

そしてきっと慰めてくれているのだと判断すると胸の奥からこみ上げてくるものを感じ嗚咽した。

ブリタは二度、救われた。

 

 

(これやべぇよ…、これすげぇ…)

 

 

名犬ポチはブリタの頭へと乗り、体を預ける。

 

 

(すげぇ! マジすげぇ! 予想通り体を程よく包む込み、そして常に楽な姿勢をキープできる! これは天然のソファーや! 歩く高級ソファーや!)

 

 

ブリタの髪の毛があまりにも心地良すぎてテンションが上がる名犬ポチ。

 

突然のことに困惑しながらもブリタははっと気づく。

 

 

「そ、そうだ! ま、まだ仲間がいるんです! 助けて下さい、お願いします! 皆ボロボロなんです!」

 

 

ブリタは立ち上がりニグンへと懇願する。

それを聞いた他の冒険者達も次々とニグンに頭を下げる。

しかしニグンは考えている。

 

 

(しかしまさかこんなところで冒険者が野盗に襲われているとはな…。これはモンスターを狩るよりも有益だったな。むしろギルドに恩を売れるな…。はっ! まさか神はここまで見通されていたのか…。なんという御方だ…! ふむ、ここまで来た以上こいつらは最後まで助けたほうがいいか)

 

 

「分かりました皆さん。私たちがお仲間を助けに行きましょう。案内してもらえますか?」

 

 

ニグンの言葉にブリタが答える。

 

 

「はっ、はいっ! こっちです!」

 

 

そしてブリタの案内の元、ニグン達は瀕死の状態の冒険者の場所までたどり着く。

見張りに野盗が2人ほどいたがもはや戦力では負けるはずもなく鉄級冒険者達によって縛り上げられた。

 

そして瀕死の状態の冒険者達の様子を見てニグンが言う。

 

 

「これは予想以上に酷いな…、このままだと死ぬぞ」

 

 

その言葉にブリタ達冒険者は打ちひしがれる。

ブリタが逃げ出した時より顔色は悪く、意識はない。

体の下に出来た血だまりもかなり広がっている。

時間の問題、というよりも彼らのレベルで考えればこれはすでに手遅れであった。

 

 

「そ、そんな…」

 

「ど、どうにかなりませんか!?」

 

「お願いします! お金なら一生かかってでも払いますから!」

 

「どうか仲間を助けて下さい!」

 

 

冒険者達の言葉にニグンもバツの悪そうな顔をする。

 

 

「私は信仰系の回復魔法を使えます。ただ、ここまで酷いと保障はできかねます。それでもよろしいですか?」

 

 

ニグンの言葉に頷かないはずがない。

皆、反射的に顔を上下させた。

 

そして魔法を唱えるニグンだが予想した通り、間に合いそうになかった。

傷はかろうじて塞がっていくものの生命が零れ落ちていくのを感じる。

最悪、傷は治っても植物状態だろうか。

後少しでも早ければ間に合ったかもしれないのに。

あるいはニグンの魔力がもっと高ければ助かったかもしれなかった。

 

諦めたニグンは頭を左右に振る。

 

その意味を悟ると冒険者達は崩れ落ちた。

 

 

「わん(なにチンタラやってんだよニグン。《マス・ターゲティング/集団標的》《ヒール/大治癒》。)」

 

 

ずっとブリタの頭にいた名犬ポチが魔法を唱える。

 

 

「わん(ほらこれでいいだ…ろ…? ど、どうした…?)」

 

 

ニグンが目を見開き名犬ポチを凝視していた。

 

そう、ニグンは名犬ポチが回復魔法を使えることは知らなかったのだ。

もちろんニグンは神ならなんでも出来るだろうと思ってはいたが、実際に目にすると違う。

少なくとも彼の知る中であの状態まで陥った冒険者達を助けることができるのは法国の神官長クラスによる高位回復魔法ぐらいだ。

しかも名犬ポチはそれをいとも容易く複数人同時に行ったのだ。

人知の及ぶところではない。

まさに神の領域。

そして人を死から救うその姿は彼が夢想した神の姿そのものだった。

ただでさえ限界突破していた信仰心が決壊する。

 

 

「あああっぁっぁああぁぁ!!! か、神、神ぃぃぃいいいいぃぃいい!!!!!」

 

 

名犬ポチの足を舐めようと近づくニグンだが傍目にはブリタを襲おうとしているようにしか見えない。

 

 

「きゃあっ!」

 

 

思わず手が出るブリタ。

ニグンの顎にクリーンヒットし脳を揺らす。

その場に倒れ、白目になりながらもニグンは神の名を呼び続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「い、一体何だったんだ…」

 

「まぁ天才って変人が多いとも聞くから…」

 

「悪い人ではないよな? そもそも命の恩人だし…」

 

「それに回復魔法で死にかけの仲間を全員救ってもらったしな」

 

「あれが英雄ってやつかもな…」

 

「英雄…」

 

「変態でさえなければ…」

 

「馬鹿っ! 恩人になんてことを!」

 

 

ニグンについて語り合う冒険者達。

敬意と感謝の念は凄いのだがそれと同時に別の気持ちも存在していた。

なんて残念な人なんだ、と。

 

 

その頃、脳揺れから回復したニグンは捕えた野盗の一人からアジトの場所を聞き出していた。

 

 

「神よ、この近くに野盗共のアジトがあるそうです。どうせですから根絶やしにしてしまいましょう」

 

 

「わん(そうするかぁー)」

 

 

会話するニグンと名犬ポチ。

だがこの二人以外に至近距離に存在する者が一人いる。

ブリタである。

彼女の頭を気に入った名犬ポチがそこから動こうとしない為だ。

そのため彼女は必然的に二人の会話に立ち会うことになる。

 

 

「あ、あのぉー…」

 

 

ブリタがそぉーっと手を上げる。

 

 

「どうしたんだ?」

 

 

問いかけるニグンにブリタは恐る恐る質問する。

 

 

「さっき野盗からアジトの場所聞き出すときにブレイン・アングラウスがいるって言ってた気がするんですけど…」

 

 

色々と情勢に疎いブリタでもその名は知っている。

王国最強の戦士長と互角の強さを持つと言われる男のものだ。

 

 

「だ、だから攻め込むのはちょっとマズイんじゃないかなーって…」

 

 

「なんだ、お前。本当にブレイン・アングラウス本人がいると思ってるのか?」

 

 

「へ?」

 

 

「こんなとこにあのアングラウスがいるはずないだろう。常識的に考えたまえよ」

 

 

「そ、そっか、そうですね、確かに…」

 

 

ニグンの言葉にブリタは納得する。

あのブレイン・アングラウスがここで野盗と共にいるなど信じられない。

野盗の嘘、あるいは名を騙っている者がいるのだろう。

 

 

「わん(とりあえず早くアジト行こうぜ)」

 

 

「そうですね神よ。では女よ、仲間達にはここで救援を待つように言ってくれ。アジトへ向かうのは我々だけで十分だ」

 

 

「あ、はい。分かりました」

 

 

そうしてブリタは仲間の冒険者達へ説明する。

冒険者達も肉体の傷は癒えたとはいえ精神的には参っている。

このニグンの申し出には正直助かっていた。

それにあの強さなら問題ないだろうという信用もあった。

 

 

「それじゃあ行ってくる」

 

 

そうしてアジトに向かうニグンを全員が見送るのだが…。

ニグンはブリタを見つめたまま動かない。

 

 

「あ、あのどうしたんですか…?」

 

 

「いやお前も来るんだよ」

 

 

「えっ!? な、なんでですか!?」

 

 

「いや、神がお前の頭から動かないからしょうがない」

 

 

そう、未だ名犬ポチはブリタの頭から動く気配はない。

困惑するブリタをニグンは無理やり連れていくことにする。

よくわからないままニグンに手を引かれていくブリタ。

 

この時、それを見ていた冒険者達はテンション上がりっぱなしだった。

 

 

「英雄様はブリタみたいなのが好みなのか!?」

 

「あいつにもやっと春が来たか…」

 

「玉の輿だな」

 

「帰ったらパーティ開いてやろうぜ」

 

「俺、実はブリタのことが…うぅ…」

 

「諦めろ、英雄が相手じゃ分が悪い」

 

 

後にニグンとブリタが付き合っているという噂が立つが本人達は否定したという。

 

 

そして野盗のアジトに到着した名犬ポチ一向。

 

 

「わん(入口に罠あるぞ、気をつけて)」

 

 

「うおっ! 助かりました神よ」

 

 

名犬ポチのファインプレーによって罠をことごとく回避していく。

 

この時アジトにいた野盗は10人程。

遭遇した者は片っ端から狩られていった。

 

そして残ったのはこの野盗の中では格が数段違う強者。

 

ブレイン・アングラウスのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

騒音が彼の耳に飛び込んできた。

与えられた個室で自らの武器の手入れをしていた手を止め、耳をそばだてる。

喧騒、複数の走るどたどたという音。微かな悲鳴。

襲撃なのだろうが錯乱しているというか、相手の人数やどの程度の腕前のものなのか。

そういったものがまるで掴めない。

 

傭兵団『死を撒く剣団』の中には彼ほどの腕は持たないまでも、戦場を駆け生き残った古強者はいる。

だが今日はそのほとんどが仕事に行っておりこのアジトにはいない。

予定ではとっくに帰ってきていいはずの時間だ。

 

 

(まさか、やられたか…?)

 

 

あり得る、と考える。

そしてそのままアジトまで攻めてきたと考えるのが自然か。

やがて静寂が洞窟を包んだ。

恐らく自分と共に留守をしていた他の者もやられたのだろう。

さて、どうするかと考える。

人数が多ければ間違いなく逃げるのだが聞こえてくる音からはそれを感じない。

せいぜい2人といったところだろうか。

 

 

(冒険者か)

 

 

少数かつ戦闘力のある存在だとしたら、それが妥当だろう。

彼はゆっくりと立ち上がり、自らの武器を腰に下げる。

個室から飛び出し、洞窟の本道ともいうべき場所に出る。

 

敵は間違いなく強者であろう。

ブレインは自分の持つアイテム、指輪とネックレスによって自身を強化する。

最大限の準備をしたブレインは再び動き出す。

そしてその視線の先に侵入者を捉えた。

 

 

「おい、おい。楽しそうだな」

 

 

「あんまり楽しくないな、どいつもこいつも雑魚ばかりだ」

 

 

ブレインの目の前にいる人間は2人。

女は前衛職のようだが弱すぎる、恐らく相手にならないだろう。

対して男は違う。

魔法詠唱者(マジックキャスター)か何かのようだが強者の気配をプンプン感じる。

 

 

「そいつは済まなかった。だが俺ならアンタを退屈させずに済むぞ?」

 

 

ブレインは未知の強者との邂逅に興奮を抑えきれない。

 

相対するニグンの顔には緊張が色濃く出ている。

 

 

(むぅ、この圧力…。まさか本物か…)

 

 

ブレインの気配にわずかに押されるニグン。

 

 

「神よ、この者本物かもしれません」

 

 

急に横にいる女を神扱いしだしたニグンにブレインは驚く。

だがその答えは女の頭から返ってきた。

 

 

「わん(え? マジで? こいつが最強クラスの剣士なの? じゃ俺やるわ)」

 

 

そうして女の頭にいたであろう謎の小さい生き物が飛び降りると、ブレインの元に歩み寄る。

 

 

「おい、なんだこの生き物は?」

 

 

「神だ、この御方がお前の相手をする」

 

 

「ふざけるなっ!」

 

 

ニグンに一喝するブレイン。

 

 

「下らん冗談を聞くつもりはないんだ。俺は久しぶりに強者と出会えて嬉しいんだぜ? 頼むから水を差さないでくれ」

 

 

「下らん冗談だと? お前も真の強者が理解できない口か…? 愚か者め。お前の目の前にいるこの御方こそ我々が信仰を捧げる神。お前如きでは手も足も出んだろうよ」

 

 

徐々に冷静さを失っていくブレイン。

溢れ出そうな怒りをかろうじて押さえつける。

 

 

「…わかった、いいだろう。お前がそう言うのならこの獣を切り伏せてお前を戦いの場に上げてやる」

 

 

そう言ってブレインは刀を抜き、名犬ポチへと向ける。

それを見ていたブリタは呼吸が止まりそうなほど震えていた。

自分はまだまだ未熟であり人の強さの判断も自信がないがこれだけは言える。

この男はやばい。

ブリタの経験上で最も危険な男だ。

エ・ランテル最高の冒険者であるミスリルのチームでも勝てないかもしれない。

恐怖に染まるブリタを他所にブレインが動いた。

ブリタは咄嗟に目をそらす。

名犬ポチが斬られるところを見たくなかったからだ。

 

だが聞こえてきたのは予想外の声だった。

 

 

「ば、ばかなっ…!」

 

 

それは先ほどまであれほどの殺気を放っていたとは思えない男の情けない声だった。

 

 

「な、何かの間違いだ、こんな…!」

 

 

ブレインはそう言うと再び名犬ポチへと斬りかかる。

今度はブリタもそれを見ていた。

 

名犬ポチは刃を手の肉球で止めていた。

 

弾くでも摘まむでもなくただ正面から受け止めていたのだ。

 

ブレインはその感触に驚きを隠せない。

なぜなら全く止められたという感触が無いのだ。

その刀を振っても特別何かに当たったという感触なく、自然に止まるように、勢いが完全に吸収されるのだ。

悪い夢でも見ているようだった。

意味がわからない。

なぜ斬れないのか、なぜ刃が食い込まないのか。

何か、優しい何かに包まれるような不思議な感覚。

それを振り払うかのように刀を懸命に振る。

 

 

【挿絵表示】

 

 

真向斬り――包まれる。

横払――包まれる。

斜払――包まれる。

斜刀――包まれる。

縦刀――包まれる。

横刀――包まれる。

 

 

「あ、あぁぁ…、あ…」

 

 

ブレインは理解できない。

目の前の小さな生き物に、片手で簡単に捻り潰せそうなほど脆弱そうな生き物に刃が届かない。

だが認めない。

認めてなるものか。

自分は最も最強に近い存在だと言い聞かせる。

そして奥の手を出すことを決意する。

 

ブレインはゆっくりと息を吐きながら腰を落とし、刀を鞘へと戻す。

 

抜刀の構え。

 

息を細く長く。

意識の全てが一点に集中するように狭まっていき、その極限に達した瞬間、逆に莫大に膨れ上がる。

周囲の音、空気、気配。

全てを認識し知覚できる、そんな世界に達する。

それこそ彼が持つ1つ目の武技――『領域』。

それは半径3メートルとさほど広い範囲ではないが、その内部での全ての存在の行動の把握を可能とするものだ。

 

そして――

 

刃物が急所を叩き斬れば生物は死ぬ。

ならばそれだけを追求すればよい。

汎用性よりも一点特化。

相手より一瞬でも早く、致命的な一撃を正確に叩き込む。

その過程で生まれたのは、それは今だ誰もが学んだこと無い、彼のみの武技。

 

武技の1つ――瞬閃。

高速の一撃を回避するのは不可能だが、彼はそこで鍛えることを止めなかった。

その鍛錬は並みのものではなかった。

数十万、いや数百万にも及ぶだろうかという瞬閃の繰り返し。

刀を握る手がそれだけに特化したタコを作り、握りの部分が持つ手の形に磨り減るほど。

それを極限までも追求した上で生まれた武技。

振り切った後、その速度のあまり血すらもその刀身に残らない。

まさに神の領域に昇ると感じ、彼が名づけた『神閃』。

それは一度放たれれば知覚することすら不能。

 

この2つの武技の併用による一撃は、回避不能かつ一撃必殺。

 

その斬撃で狙うは対象の急所。

特に頸部。

これをもって秘剣――虎落笛。

頸部を両断することによって、吹き上がる血飛沫の吹き上がる音から名づけた技である。

 

 

ブレインが待ちの体勢になったのに気付いたのか今度は名犬ポチからブレインへと進んでいく。

 

その無造作に詰め寄る行為。

それが断頭台への階段だと理解していないのだろうな、と。

 

あと3歩、2歩

……1歩。

 

瞬間、ブレインは全てを叩きつける。

 

 

「しぃっ!」

 

 

吐く息は鋭く短く。

 

鞘から刀が抜かれ、空気すらも切り裂きながら名犬ポチの首に伸びる。

その速度を例えるなら――雲耀。

光ったと認識したときには首が落ちる――それほどの速度。

 

取った。

ブレインは確信し、

その一撃を――ブレインは思わず瞠目した。

 

 

「わん(肉球白刃取り)」

 

 

名犬ポチはその名の通り両手の肉球と肉球でブレインの刀を軽々と挟んでいた。

 

何が起きたか気が付くとブレインの口から思わず言葉が漏れた。

 

 

「化け物っ…!」

 

 

その言葉に目の前の生き物は笑った。

確かに笑ったのだ。

獣の表情を見る自信はないがそれだけは分かった。

その時、やっと理解したのだ。

自分は遊ばれていると。

 

 

「あああああ!!!!」

 

 

なおも自分の領域内に存在し続ける名犬ポチへブレインは何度も秘剣を繰り出す。

 

だが今度は先ほどまでとは違った。

自分の爪をこちらの刃の軌道上に持ってきて、斬らせている。

爪をただ手入れするかのような気楽さで、いや事実そうなのだろう。

恐らくこいつは本当に爪の手入れの為に俺の剣を利用しているのだ。

 

 

「わん(おぉ、いい感じに斬れた。伸びてたの気になったんだよね)」

 

 

「うぉおおおおお!」

 

 

ブレインの喉から咆哮があがる。

いや、咆哮ではない。

それは悲鳴だ。

 

もう一度、嘘偽りなく自分の全身全霊をかけた一撃を放つ。

今度こそ届くようにと希望を込めて。

 

だがそれも無駄だった。

刃は再び止められた。

 

 

「わん(肉球白刃取り再び。てかもう爪も斬れたからいいよ)」

 

 

そうして名犬ポチは軽く手を捻る。

 

 

「わん(えい)」

 

 

それだけで冗談のように簡単に刀は折れた。

それと同時にブレインの心も折れたのだが。

 

ブレインはこの瞬間、完全に理解した。

世界の広さ。

そして本当に強い存在というものを。

 

山を刀で削りきることができるだろうか。

そんなことは不可能である。

どんな子供でも想像がつく当たり前のことである。

では目の前の生物に勝てるだろうか。

それもまたどんな戦士でも相対すれば理解できることである。

 

勝てるわけが無い。

 

人間の常識を超えた強さを持つ相手に、人間が勝てるわけが無い。

残念ながらブレインは人間としての最高域に達した戦士でしかない。

絶望に身を浸しながら、ブレインは肩で呼吸を繰り返す。

 

 

「…俺は、…努力して…」

 

 

両ひざから崩れ落ちる。

涙が頬を流れる。

嗚咽が止まらない。

地面に伏して子供のようにしゃくり上げる。

 

 

「わん(ふははは、こいつ泣いてる)」

 

 

笑われているのが分かる。

自分が否定される。

それもそうだ。

全てが無意味だった。

ブレインの人生に意味は無かった。

気の遠くなるほどの努力など何の価値も無かった。

本当の強者の前ではブレインなど自分が今まで嘲笑ってきた才能を持たぬ弱者と何も変わらない。

 

 

「俺は馬鹿だ…」

 

 

ブレインのその姿に名犬ポチの嗜虐心が刺激される。

こいつをもっと貶めたい。

もっと苦しませたい。

もっと、もっと、もっと。

 

そして名犬ポチはブレインの顔へ小便をかける。

あまりに幼稚であまりに低俗。

だが今のブレインへの追い打ちとしては十分だった。

ブレインの嗚咽はさらに酷くなる。

情けない。

これだけ無力を味わった後、顔に小便をかけられるなんて。

こんなみっともない存在は他にいないと。

 

 

「わん(あー、最高の見世物だったぜ)」

 

 

泣き叫ぶブレインに満足したのか名犬ポチはブリタの頭へと戻る。

そしてブリタへ指示し外へ向かって歩いていく。

 

 

(なるほど神よ、そういうことですか…)

 

 

名犬ポチが見えなくなった頃、ニグンはブレインへと近寄る。

 

 

「どうした、ブレイン・アングラウス。そんなものなのか」

 

 

「うるさい…、お前に何が分かる…」

 

 

「神はお前に慈悲を与えたのだ」

 

 

「…は?」

 

 

何を言っているかブレインは理解できない。

 

 

「とりあえず敗北したことを気に病む必要はない。あの御方はあのような姿なれど本物の神だ。人の力が及ぶところにはいない」

 

 

神。

今なら少し理解できる。

この男の言葉は決して妄言では無かったのだと。

 

 

「だ、だが、慈悲とは…なんだ…?」

 

 

「分からないか、あの御方はお前の顔に小便を掛けただろう?」

 

 

「っ! そ、それの何が慈悲だっ…!」

 

 

あのような侮辱を受けたのは初めてだ。

とてもじゃないが耐えられない。

 

 

「まぁあまり上手い方法ではないのは確かだがそれでも伝えたかったのだろうお前に。涙を流している暇などないと。だから神は自身の聖水で涙を洗い流してくれたのだ」

 

 

ブレインは心の中で、こいつ何言ってるんだ?と思ったがそもそも相手は人間ではないので人間の尺度で考えてはいけないのかもしれない。

 

 

「それにここへは野盗の討伐に来たのだがお前だけは見逃された」

 

 

「ど、どういうことだ…!?」

 

 

「他の者は全て捕え、この後エ・ランテルから来る救援の者へ引き渡す予定だが、神はお前だけは捕えなかった。これが何を意味するか分かるか?」

 

 

ブレインには全く分からない。

 

 

「分からないか? 神はお前に利用価値を見出したのだ。きっとお前がさらなる高みに昇ることに期待されているのだろう」

 

 

「なん、だと…?」

 

 

「お前は知らないかもしれないが今や人類には存亡の危機が迫っている。強者は一人でも多く必要なのだ。綺麗ごとを言っている状況ではない。ブレイン・アングラウスよ、神の期待に答えるのだ。お前の力はこの先間違いなく必要になる。その時まで牙を研いでおけ」

 

 

ニグンの言葉に混乱しつつもわずかに生きる希望が芽生えてくる。

 

 

「俺の人生は…無駄ではなかったのか…?」

 

 

「もちろんだ。お前は神の目に適ったのだ」

 

 

今は言われていることのほとんどが理解できない。

だがそれでも思い返す。

自分は人間を超える存在をこの身で知ったのだ。

きっと今なら昔よりも高みに昇れる。

それが遥か遠くだと知っていても、上があるということを知った瞬間から。

きっと知らない時よりは近づける筈だと。

 

ブレインはガゼフに会いに行こうと決める。

なぜだか無性に会いたい。

ずっと敵視していた存在だがそれはくだらないことだった。

あいつと剣を高め合うのもいいなと想像してブレインはくすりと笑った。

ブレインの足取りは軽かった。

まるで今までが重石を背負っていたかのように。

 

ブレイン・アングラウス。

彼はこの日を境に生まれ変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブリタ達の仲間のレンジャーが呼んだ救援の部隊が到着し野盗達の引き渡しも無事終わった。

結果的に今回の出来事は冒険者側に一人の被害も出さず70人もの野盗を捕えるという大快挙であった。

しかも野盗のアジトからは性欲処理に使われていたと思しき女性も助け出され、エ・ランテルにて冒険者は市民から讃えられた。

 

表向きにはニグンの名前は出ておらず全ては冒険者の功績となっている。

だが裏では違う。

様々な報告が上がり、エ・ランテルの上層部では大騒ぎになっていたのだがこの時のニグン達には知る由もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エ・ランテルに帰還し無事一息ついた名犬ポチとニグン、とブリタ。

 

 

「あ、あの~私いつまでここにいればいいんでしょうか?」

 

 

名犬ポチが一向に頭から離れてくれずブリタだけ未だに活動を共にしている。

 

 

「わん(俺ここ気に入ったんだよね、快適だわ)」

 

 

「神はお前を気に入ったと言っているぞ」

 

 

「えっ!? ど、どういう意味ですか、それ!?」

 

 

突然のことに狼狽するブリタ。

 

 

「どうしましょうか神、無礼にもこの女少し嫌がってますよ」

 

 

「わん(マジか、でもこいつ何でもするって言ってたぞ)」

 

 

「おい女、神はお前が何でもするって言ったと仰っているぞ」

 

 

「あ…、言われてみれば確かに言ったような気も…?」

 

 

「なにはともあれ良かったではないか。神に仕える栄誉を頂けたのだぞ?」

 

 

「え? え? え? そ、それって私どうなるんですか?」

 

 

「もう今日は遅いですね、そろそろ帰るとしますか」

 

 

「わん(そうだな)」

 

 

「ちょっと、ちょっと待って下さいよ! 本当にどうなるんですか私!?」

 

 

 

ブリタが仲間になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

宿屋に帰って休もうとしていた名犬ポチ達だが街が騒がしいことに気付いた。

 

 

「皆、今日は家から外に出るな! なんでも謎の集団がこのエ・ランテルへ向かっているらしい! 俺たち冒険者が対応するが数が多いらしく不測の事態も考えられる! 気をつけてくれ!」

 

 

冒険者と思われる男が市民へ呼びかけている。

話を聞くと、前代未聞とも言える恐ろしい集団がこのエ・ランテル近郊まで迫っているらしい。

 

 

「わん(面白そうじゃねぇかニグン)」

 

 

「ええ。それにこれは正体を見極めねばならないでしょう」

 

 

「え、え、怖いですし帰りませんか…?」

 

 

もちろんブリタに発言など許されていない。

3人は謎の集団を確認するため冒険者達の後へついていく。

だがそこで目にしたのは。

 

 

「き、きたぞー!」

 

「なんなんだあいつらは!」

 

「隊列を乱すな! やられるぞ!」

 

「援軍を呼べー!」

 

 

口々に冒険者が叫ぶ。

一体何なのだろうと名犬ポチとニグンが顔を覗かせるとそこにいたのは大量の裸の男達。

それが必死な形相で迫ってくる。

 

 

「や、やめろ! 武器をしまってくれ! 私は王国戦士長だ!」

 

 

「隊長ー! 隊長どこですかー!?」

 

 

それは見知った顔だった。

 

ガゼフ率いる王国の精鋭の騎士達。

そして法国が誇る陽光聖典の隊員達。

その数をあわせれば100をゆうに超える。

100を超える人類トップクラスの集団が裸で走ってくる様はなかなか圧巻であった。

 

 

「嘘をつくなー! 王国戦士長がこんなことをするはずないだろうがぁ!」

 

 

冒険者達から罵詈雑言が飛ぶ。

 

 

「ち、違うのだ! 諸事情で装備を全て失ったのだ! 信じてくれ!」

 

 

ガゼフの弁明虚しく、全員捕まる。

 

それを見ていた名犬ポチとニグン。

 

 

(やっべ、そういえば魔法打ちっぱなしであいつらの存在忘れてたわ!)

 

 

(しまった…! 神に夢中で隊員達の事を完全に失念していた…!)

 

 

やがて二人の視線が交差する。

 

 

「わん(帰るかニグン)」

 

 

「そうですね、今日は疲れましたし色々と気のせいでしょう」

 

 

彼らは逃避することを選択した。

 

 

 

そしてこの時、王都に向かうための準備をするためにエ・ランテルへ来ていたブレイン・アングラウスは宿命のライバルが逮捕される瞬間を目にしていたのである。

 

 

「ガゼフ…! なんで…。俺はずっと、お前を目標に…! こんなの嘘だ、うわぁぁあああああ!!!!」

 

 

ブレイン・アングラウスは二度泣く。

 

 

 

 

 




次回『一人師団と疾風走破』変態兄妹現る。



まさかのブリタヒロインルート突入!
そしてガゼフさん捕まる。
ブレインさん再び泣く。



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冒険者ギルドの狂騒

ごめんなさい、まさかのサブタイトル詐欺三回目です!
今回は変態兄妹出ません!
書き出すと想定よりもどんどん長くなるんです。
どうかお許しを…。


ガゼフ逮捕の翌日。

都市中はその話題で持ち切りであった。

 

宿屋の隅っこで隠れるように朝食を食べる名犬ポチとニグン。

 

 

「わん…(ガゼフってこの国の偉い奴だったんだな…。あの逮捕って俺のせいじゃん…。いや別にあいつがどうなってもいいけど逮捕に至る流れが俺のせいってバレたらこの国で活動しづらくなっちまう…)」

 

「いえ、神よ。この度の問題全て私のせいでございます。あの時、すぐに私が隊員達の事に気付いていればガゼフ達のことにも意識がいったでしょう。お許しください、全ては私の至らなさ故です…」

 

「わん…(ニグン、お前のせいじゃないさ…)」

 

「なんという慈悲…! おお、神よ…!」

 

「わん…!(ニグン…!)」

 

「神…!」

 

「わん!(ニグン!)」

 

「神ィィィ!」

 

 

抱き合う名犬ポチとニグン。

なんだかんだ仲良くなってきている二人なのである。

ちなみにブリタは今はいない。

昨日の事件の後始末なのか報酬の話なのか分からないがそっち系で席を外している。

 

その時、宿屋の扉を蹴飛ばし勢いよく入ってきた者がいた。

 

ギルドの受付嬢イシュペン・ロンブルである。

 

イシュペンは宿屋の中に目当ての人物を発見するとそちらへ動き出す。

名犬ポチとニグンの耳が速足、いや違う、全力に近い速度で走ってくる音を捉えた。

二人が後ろへ振り返るとイシュペンの顔が目の前にあった。

 

 

「わ、わん!(うわぁ! びっくりした!)」

 

「な、なんだ! 近いぞ貴様!」

 

 

イシュペンの目は血走っており、息は荒く、拳は力一杯握りしめられている。

 

 

「あ、貴方がニグンさんですね…! 先日は失礼しました! ど、どうかこれからギルドの方でお話を聞かせて頂けないでしょうか!?」

 

 

今のイシュペンには謎の圧がある。

名犬ポチとニグンでさえわずかに怯んでしまうほどに。

 

 

「わ、わん…(い、いや今日は忙しいかなーって…。ね、ニグン?)」

 

「そ、そうですね神。というわけだ娘、私たちは忙しいので…」

 

 

なんとなく嫌な予感がした二人はそれとなく拒否する。

もしかしてガゼフ関連の問題を疑われているのではと思ったからだ。

その予想は完全に的外れであったのだが。

 

突如ニグンの足に縋りつくイシュペン。

ニグンの口からわずかに「ヒィ」と悲鳴が漏れる。

 

 

「お願いします! 話を聞かせて欲しいんです! 聞かせてくれないと私が不味い事になるんです! この間の無礼は謝りますからどうかお願いします! お願いします!」

 

 

もはや号泣といっていい状態でイシュペンは叫ぶ。

宿屋の他の客の目もあり思わず肯定の言葉がニグンから出る。

 

 

「わ、分かった! 分かったから落ち着け!」

 

「ありがとう! 本当にありがとう! さぁ案内するから付いてきて下さい!」

 

 

途端に花が咲いたような笑顔になるイシュペン。

彼女は心の中で、これで失業しなくて済むと喜びを噛み締めていた。

そして付いてこいと言いながらニグンの腕をガッシリと掴み離さないイシュペン。

どうやら逃がす気はないらしい。

 

イシュペンに気圧され訳も分からぬまま名犬ポチとニグンは冒険者ギルドに連れていかれるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

冒険者ギルドの4階にある会議室。

使用目的は基本的にギルドや都市全体に関わるような重要案件ばかり。

 

ここに現在集まっている者、それは。

 

冒険者ギルド長プルトン・アインザック。

魔術師ギルド長テオ・ラケシル。

地神に仕える高位の神官ギグナル・エルシャイ。

エ・ランテル最高の薬師リィジー・バレアレ。

都市長パナソレイ・グルーゼ・デイル・レッテンマイア。

 

いずれもこの都市でトップの有力者である。

 

テーブルを囲み、座っているこの5人を除く残りの者は一気にランクが下がる。

昨日、野盗を捕まえるのに尽力した鉄級の冒険者達である。

その中にはブリタもいた。

 

 

「プヒー。私はそっち系のことには疎いから話を聞いても何がそこまで問題かわからんな」

 

 

鼻が詰まっているのか、豚の鳴き声のような喋ったのは都市長パナソレイ。

体は肥満でみっともないが着ている服は見事である。

パナソレイの問いに冒険者ギルド長アインザックは答える。

 

 

「大問題です都市長。かの者は第四位階の魔法を使い、そしてランクが低いとはいえ冒険者一人を軽々と吹き飛ばす魔獣を連れています。そして昨晩の野盗捕獲の件、表向きはここにいる鉄級冒険者達の功績と発表していますがそれは全てかの者の手柄によるものです。その際にも強大な魔法を行使していたと聞いています」

 

「ふむ、第四位階…。それはどれだけ凄いものなのかな?」

 

 

パナソレイの問いに魔術師ギルド長であるラケシルが答える。

 

 

「都市長は魔法にあまり詳しくないようですので簡潔に説明させて頂きます。魔法は第1~第10位階まで存在しますが第3位階で超一流。第4位階ですと希代の天才。第5位階は人類の限界と言われています。第6位階になるともはや伝説として語り継がれるレベルです。第7位階に関しては英雄譚や神話において確認できるといった眉唾ものの領域です」

 

「プヒー、なるほど。10位階中の4位階といっても低いどころか人間としてはかなり上のほう、という認識でいいのかね?」

 

「いえ都市長、それ以上です。ハッキリと申し上げて第4位階魔法を行使できるものなど大陸中を探しても数えられる程しか存在しません。かの法国でも第4位階以上など神官長なども含め少数でしょう。帝国ではかの大魔法使いフールーダ・パラダイン含め、その高弟の何人かが第4位階に到達していると伝え聞くだけです。冒険者でいえばアダマンタイト級と言ったレベルでしょうか」

 

「…なるほど。その男とはそれ程のレベルだということか…」

 

 

ここで嘆息するパナソレイに向かって高位の神官ギグナルが口を開く。

 

 

「ラケシル殿も気づいているとは思いますが今の話は使えるのが第4位階までであればという話です」

 

「プヒー、どういうことかね?」

 

「都市内で使ったのが確認されているのは第四位階の魔法でこれは間違いありません。しかし、昨晩の野盗達を捕まえたという際の話を聞く限りではそれ以上の魔法を行使できる可能性が考えられます」

 

 

わずかに会議室内の空気が凍る。

ギグナルはこう言っているのだ。

その男は人類の限界、あるいは伝説に謳われるレベルの存在である可能性があると。

ただ、実際に魔法を行使したのは名犬ポチなのだが。

そうと知らず震えるパナソレイ。

 

 

「そ、それほどの男だというのか、一体何者だ…」

 

 

ここで老婆、薬師リィジーが話はまだ終わっていないとばかりに語り出す。

 

 

「それらもそうじゃが私からするとそこの鉄級の嬢ちゃんが貰ったっていう赤いポーションの方が問題だがね。回復量はともかく、飲んで一瞬で回復するなどという即効性はあり得ぬ。しかもここにいる鉄級冒険者の半分がそれを見たと証言しているのじゃろう? にわかには信じられんがもしかすると『神の血』と呼ばれる幻のポーションに近いものなのかもしれんな。少なくとも嬢ちゃんの話が本当なら人の知識には無い領域のポーションであることは間違いない。是非ともこの目で見てみたいもんだわい」

 

 

パナソレイは先ほどの魔法の話と合わせて考えるといかに規格外の人物なのかということを理解した。

ちなみにこの時ブリタの顔色は真っ青であった。

最初に事情聴取をされた際にあの赤いポーションの希少性を知ったからだ。

リィジーは疑っているが、実際に体験した自分は知っている。

あのポーションは間違いなく一瞬で傷を癒したのだ。

そして話を聞いていくうちにあれが『神の血』と呼ばれる伝説上のアイテムであることを知る。

だから今は心の中でそんな貴重な物を使ってしまってどうしようという焦燥が彼女の心を支配していた。

 

 

「プヒー、だがそれならそれで喜ばしい話なんじゃないのかな? そのような人物がこのエ・ランテルにいるということは」

 

 

答えるようにアインザックが頷く、が。

 

 

「そうなのですが少々変人だという話も上がっておりましてどうしたものかと…。それに今話した通り規格外の人物ですので一度は顔を合わせておいたほうがいいかと思いまして」

 

「なるほど、確かにポーションの話も本当ならエ・ランテルとしてもその男とは是非友好関係を結びたいね」

 

 

そんな話を続けているうちに会議室の扉がノックされる。

入ってきたのは受付嬢のイシュペン、その後ろから顔に傷のある一人の男が入ってくる。

その肩には謎の白い生物を乗せていた。

 

 

「おお! 君がニグン君かね!? まぁまぁとりあえず座り給えよ」

 

「は、はぁ…」

 

 

アインザックが笑顔でニグンを着席させる。

 

 

「今日君を呼んだのは色々と聞きたいことがあったからなんだ、まずは…」

 

 

その後、アインザックに加え、ラケシル、ギグナルによる魔法に関しての言及が長い間続いた。

もちろんニグンは自分が使える第4位階のことまでしか話さず、名犬ポチのやったことに関しては正直にそう伝えたのだが誰も信じなかった。

ここでパナソレイが口を開く。

 

 

「プヒー、それぐらいにしておいた方がいいのではないかな? 人には言えぬこともあるだろう? 本人が嫌がっているのにそう無理に問い詰めるのは…」

 

 

パナソレイとしてはこの3人を怒鳴りつけてやりたかった。

先ほどまでいかに規格外の人物かという話をしていた本人達だが話を進めていくうちにヒートアップしていた。

パナソレイの目から見てもニグンは引いていた。

 

 

「そ、そうですな…」

 

「面目ない…」

 

「ニグン殿、申し訳ありません…」

 

 

謝罪する三人。

だがここでリィジーが待ってましたとばかりに問う。

 

 

「そこの鉄級の嬢ちゃんにあげたっていう赤いポーションはあるのかのう? もしよかったら見せて欲しいのじゃが…」

 

 

その問いに名犬ポチは大したアイテムでもないし別にいいけどといった気持ちでポーションを取り出す。

その時に皆なぜか驚いていたが気にしないことにする。

そして取り出したポーションをリィジーへと渡す。

 

 

「う、うむ。しかしその魔獣のスキルか何かなのか? 何もないところからポーションを…。いや今はそれどころではないわ。失礼だがこのポーションを調べても…?」

 

「わん(いいけど)」

 

「構わないようです」

 

 

なぜか他人の物のような言い回しをするニグン。

リィジーは不思議に思うが変人と聞いているし特に疑問は抱かなかった。

 

 

「《アプレーザル・マジックアイテム/道具鑑定》」

 

 

リィジーの鑑定の魔法が発動し、ポーションの魔法の効果の一部を見定める。

そして何を知ったのか、驚愕に顔をゆがめたリィジーは再び魔法を発動させた。

 

 

「《ディテクト・エンチャント/付与魔法探知》」

 

 

2つ目の魔法をかけた、リィジーの衝撃はどれほどだったのか。ぐらりと体が揺れ、そして。

 

 

「くっ!」

 

 

がっくりと崩れ落ちるリィジー。

 

 

「如何しました! リィジー殿!」

 

 

場が悄然となるのは当然だ。

直ぐに近くにいたギグナルが駆け寄る。

毒物の存在を彷彿とさせたのは仕方が無いだろう。

 

 

「何が!」

 

「どうしたのだ! 本当に治癒のポーションなのか?! 何をリィジー殿に渡した!」

 

 

場が騒然となる中。

 

 

「くくっ……ふぁふあははは!」

 

 

突如、壊れたような笑い声が、狭い室内に響き渡った。

ゆっくりとリィジーが顔を上げる。

そこには狂人のような壊れた笑みが浮かんでいた。

誰もが、名犬ポチとニグンを除き、あまりのリィジーの急激な変化に気圧され、話すどころか指一本すら動かせなかった。

 

 

「くくく! 見るがいい、これを! ここに、ここにポーションの完成形があるんじゃ! 私達が、私達薬師や錬金術師、全てのポーションの作成に係わる者達が、数百年研究の歴史を積み上げてなお届かない理想の形がじゃ! ポーションは劣化する。そうじゃな!?」

 

 

場にいる者達に問うようにリィジーが言う。

 

 

「……な、当たり前です。……常識ではないですか」

 

 

ラケシルが答える。

ポーションは作成の段階で、錬金術によって生み出される特殊な溶液を必要とする。

この溶液は薬草や鉱物等の混合体に、複数の工程を経過させることで作り出される。

当然薬草等を使用する以上、ポーションの材質は製作時期からどんどんと劣化するのは当然の理だ。

 

 

「そうじゃ。その通りじゃ! ポーションには薬草や錬金術によって生み出される特殊な溶液を使う。そのために時間の経過と共に劣化するのは当然の理! だからこそ《プリザベイション/保存》の魔法をかける」

 

 

そこで一拍置いて、結論を口にする。

 

 

「そう今まではな! これは! 分かるか、小僧ども! このポーションは、このポーションはな! これだけで形質劣化がしない、つまりは完成されたポーションなんじゃ! どんな者も開発できなかったな! 伝説は本当じゃった! これこそが『神の血』! これこそが真のポーション! 私達薬師の夢見たものが今この手の中にある! まさか生きているうちに拝める時が来るとは! 分かるかこの凄さが! この感動が!?」

 

 

リィジーは興奮しきったために紅潮した顔で、荒く浅い呼吸を繰り返す。

そして決して離さないと表明するかのごとく、手で堅く握り締めたポーション瓶をテオに突きつける。

 

リィジーはぎょろっと血走った目をニグンに向ける。

 

 

「小僧、このポーションはどこかで拾ったのか? それとも、作ったのか?」

 

「それは私の物ではありません。神の物です」

 

「……? 何を言っている…? 代々伝わる秘法ということか? 所有権はお主にあるんじゃろう?」

 

「いいえ、私に所有権はありません。先ほども申し上げた通りこれは神の物です」

 

 

ニグンの言葉に混乱するリィジー。

だが混乱していたのはリィジーだけでなくこの場にいた全員だ。

 

 

「その神はどこにいるというのだ…!」

 

「貴方の目の前にいるではないですか。この御方が神です」

 

 

そしてニグンは名犬ポチへ手を向ける。

ニグンの言いたいことが理解できたリィジーはわずかに眉間に皺を寄せる。

 

 

「ふざけるのは止めて貰いたいものじゃな…、わしは真剣なんじゃ…!」

 

「私こそ真剣ですよ?」

 

「黙れ小僧! まあいい、そういうことにしたいのならばそれでいい。だが質問には答えて貰う。このポーションの作成方法は知っているのか?」

 

 

リィジーのその言葉にニグンは名犬ポチへと視線を投げる。

 

 

「わん(知ってるけど)」

 

「ご存知のようです」

 

 

その言葉に思わず飛び跳ねるリィジー。

あまりの興奮具合にリィジーの唇の端に泡が浮かんでいた。

それでもなおリィジーのボルテージは上がる一方である。

 

 

「ならば、このポーションの作成方法を教えてもらいたい! 報酬は金貨3万でどうじゃ!?」

 

 

誰もが驚く。

リィジーが提示した金額は、まさに桁外れなものである。

一般的な職人等が1日の労働で得れる賃金は、銀貨1枚程度。

つまりは職人30万日、821年分の給料ということだ。

これは都市長であるパナソレイからもしても破格過ぎる金額にしか思えない。

実際、パナソレイの持つ全財産に匹敵するだけの金額だ。

 

 

「わん!?(えっ!? そんな貰えるの!? 教えるくらい別にいいけど)」

 

 

そして名犬ポチがポーションの作成方法を口にするがニグンには理解できなかった。

 

 

「申し訳ありません、神は教えても構わないようですが私がそのお言葉を理解できません。なのでポーションの作成方法はお教えできません」

 

「倍額を出そう」

 

 

即座に倍額を約束するリィジー。

ちなみに金貨6万枚にもなればパナソレイの全財産をはるかに超える。

 

 

「お教えしたいのですが私にはそれはできません」

 

「ああ、そうじゃろうな。こんなはした金では教えられないものよな! 決して誰も到達した者のいない最高の知識の1つだものな! そんな下手な芝居など打たんでもいい! 簡単に教えるつもりなどないんじゃろう!?」

 

 

リィジーがニグンを睨む。

それは敵を前にした者がするべき目だ。

決して話を聞くために呼んだ人間にして良い眼ではない。

 

 

「わしは10歳の頃、この世界に入った。薬師の世界にな! それから努力したんじゃ! 経年劣化しないポーション作りのために! 分かるか! 小僧ども! 努力に努力を重ね、研究に研究を繰り返してなお届かない、理想のポーション! それの答えが今ここにあるんじゃ! 誰もが、薬師に錬金術師、ポーション作成に関わる誰もが欲する答え! 今までにポーション作成に携わってきたあるとあらゆる者たち連綿と求めたものの答えじゃぞ! 誰一人たどり着くことができなかった境地! 御伽噺かと疑ってすらおった『神の血』! それが今ここにあるのじゃぞ!? 伝説が手の届く場所にあるのだ!」

 

 

 ぎょろっと周囲を睨みつける。

 

 

「それを欲して何が悪い! その答えのためなら犯罪者になろうが安いものじゃ!」

 

 

リィジーは枯れ木のような指を伸ばし、ニグンに突きつける。

かすかに指周りに青白い雷光が揺らめいたのは、見ている者たちの見間違いではない。

 

 

「それは《ライトニング/電撃》! 攻撃魔法を突きつけるなんて正気ですか! リィジー殿!」

 

 

ラケシルの言葉にリィジーは叫ぶ。

 

 

「薬師でもない貴様は黙っていろ! 小僧! このポーションの作成方法を話せ! なんの薬草と鉱物を使う! それとも使わないのか! 生物の器官等を使う方式なのか!」

 

 

リィジーは本気だ。

それは名犬ポチとニグン含めこの場にいる全員がそう確信した。

そしてニグンといえどこの魔法を食らえば無傷では済まない。

ここは狭く、遮蔽物になりそうな物もない。

回避は至難の業である。

もちろんその気になればニグンにはいくらでも手はある。

だがこの都市の有力者である者を攻撃することになるのはマズイだろう。

怪我を負わせず無力化するというのはニグンをもってしても難しい。

ハッキリ言って魔法詠唱者(マジックキャスター)としてリィジーは一流の領域にいるのだ。

 

周りがどうすることもできず、ニグンにも場を収めるのが難しいと判断した名犬ポチが魔法を唱える。

この時、会議室内にいる全員が名犬ポチが魔法を発動させるのを目撃していた。

 

 

「わん(《クワイエットドッグ/おだまり》)」

 

 

その瞬間、リィジーの指周りの青白い雷光が一瞬にして霧散した。

 

 

「なっ!?」

 

 

その後、リィジーが何度も魔法を発動しようとしても全く発動できない。

ラケシルが慌てた様子でニグンに問いかける。

 

 

「ニグン殿…! あ、貴方の魔獣は魔法が使えるのですか!? 確かに高位の魔物は魔法を使えると聞いたことがありますが…! わ、私の知識に今の魔法は無い! 一体あれは何の、いや何位階のものなのですか!?」

 

 

ラケシルの狼狽も当然であろう。

この世界では名犬ポチの魔法は全て不明である。

大昔に存在した八欲王という者達が残したネームレス・スペルブックというアイテムがある。

これには全ての魔法が記載されていると伝えられ、新たに生み出された魔法も自動的に書き込まれるといわれているが事実はそうではない。

厳密にはその世界で使用された魔法が書き込まれるアイテムなのだ。

その証拠に名犬ポチが来るまで超位魔法は一つしか記載されていなかった。

 

今頃はそこに名犬ポチが使用した魔法の数々が追加されているのだが、ネームレス・スペルブックの存在自体が希少性が高く知る者は少なく、簡単に見ることもできない。

今世に伝わっている魔法の情報はかつてそれを見た者が人々へと伝えたことによるものだ。

なので、現在そこへ加わったとしてもそれを知りえる者は現状いないのだ。

 

 

「私にもわかりません、ただ…低位の魔法ではないでしょうね」

 

 

ニグンには位階を感覚で判断できる能力は無いがその魔力量から低位の魔法でないことは理解できた。

 

 

《クワイエットドッグ/おだまり》。

それは対象を強制的に沈黙状態にする魔法。

効果そのものはそこまで凶悪ではないがその成功率の高さもあって第5位階に相当する魔法である。

名犬ポチからすると高レベル帯では通用しない魔法なので、使えないという印象なのだが。

 

 

リィジーは自分の魔法が封じられ、打つ手が無くなったことを悟ると糸が切れたようにへたり込んだ。

先ほどの緊張感は何処にも無い。

あるのは痛ましいまでの静寂だ。

リィジーは片手で目を覆い隠して、何も発しようとはしない。

年相応、いや、一気にさらに年を取ったようにも見える。

 

 

「……都市長。今、街中での魔法使用に関する規定に、抵触する魔法行使がありました」

 

「うむ……」

 

 

最も現在のリィジーの気持ちが分かっているラケシルが、パナソレイに摘発を行う。

目の前で魔法を使用した犯罪行為が行われたのだ。

凶行に出た気持ちは理解できるが、魔術師ギルドの長という立場がそれを黙認することは出来ない。

 

そしてパナソレイとしても、現状は板ばさみだ。

無論、法は守らなければならない。

攻撃魔法を完全に発動したわけではないが、それでもそれを脅迫に使用したのは事実だ。

しかも都市長という自らの前で。

ならば違法行為として規定の罰を下さなくてはならない。

 

しかしながら、帝国との戦争が恒例化しているこの国で、リィジーというポーション作成に長けた人間を拘束し、罰を与えるのは、将来的に王国の兵士を何人も殺す結果に繋がりかねない。

冒険者にとっても死活問題であろう。

彼女は国に無くてはならない存在なのだ。

正直、相手が未知の強者であるニグンという男でなければこの件は握り潰していたところだ。

パナソレイが眉を顰めていると、それを見越したように名犬ポチが口を開く。

 

 

「わん(誰も怪我しなかったんだ、今のは無かったことにしようや)」

 

「都市長、神はこの問題を不問にすることを望んでいます。事を荒立てる必要はありません」

 

「……そうかね」

 

 

名犬ポチの言葉を代弁したニグンの言葉に素直に甘えることにするパナソレイ。

不問にされたことに感謝と罪悪感を抱くリィジー。

だがあまりのことに精神が耐えられそうにない。

もはやこの場にいてもできることは何一つないだろう。

 

 

「すまぬ。わしは少々疲れた。非礼をした身で申し訳ないがこの場は退席させてもらいたいのじゃが……」

 

 

そこにいるのは見た目どおりの、しわくちゃな老婆だ。

もはや先ほどの気迫のかけらも無い。

パナソレイは幾通りかの慰めの言葉と、臨席して欲しいという要望の言葉が浮かぶが、口を割って出た言葉はどれでもなかった。

 

 

「……うむ。今回は役に立つ話を聞かせてくれて感謝するリィジー殿」

 

「申し訳ない、都市長。それに皆さんも」

 

 

リィジーは最後にニグンに向き直る。

 

 

「ニグン殿、先ほどの失礼を許して欲しい」

 

 

リィジーは深々と頭を下げた。

それは自分の孫のような年齢の者にするものではない。

完全に自らよりも上の人間に働いた失礼を謝罪するものだ。

 

 

「いえ、私は構いません。ただ、神に…」

 

 

そこまで言ったニグンを名犬ポチが止める。

 

 

「わん(いいよ、ニグン。混乱しているだろうしこれ以上言わなくていい)」

 

 

名犬ポチの言葉を受け、ニグンはリィジーへと了解の意を告げる。

 

 

「それとじゃ、正当な金額。それにさきほどのわしの無礼を謝罪する意味を込めた金銭を追加で支払うので、ポーションを1本でよい。売ってはもらえないじゃろうか?」

 

 

リィジーは大きく頭を下げる。

もししろといえば最敬礼だってするだろう。

そんな真摯さがそこにはあった。

だが最高の薬師リィジー・バレアレがあそこまで執着するポーションである。

果たして簡単に渡すのだろうかと皆が疑問に思う中。

 

 

「わん(別にタダでいいよ)」

 

 

名犬ポチは意外なほど気安く快諾した。

 

 

「お代はいりません。そのポーションはそのまま持ち帰って結構です」

 

 

「なんと…! 感謝する! この恩は忘れん! 後で欲しい物があれば何でも用意するぞ! いつでも頼ってくれて構わん! 本当に感謝する…!」

 

 

リィジーの目は輝きを取り戻していた。

これから恐らくポーションを調べに調べつくすのだろう。

そんな気迫がそこにあった。

ポーションを握りしめたリィジーは駆け足で会議室を出て行った。

 

 

「やれやれ、大丈夫でしたかニグン殿」

 

 

そう言ってニグンを気遣うラケシル。

大丈夫ですと答えるニグンだがその時、懐から一つのアイテムを落とす。

 

 

「あ…!」

 

「おや、何か落としましたよ?」

 

 

慌てるニグンを他所にそのアイテムをラケシルが拾う。

だが次の瞬間、ラケシルから奇声が漏れる。

 

 

「こ、これはかつて稀覯本で見たことがあるぞ! 法国の秘法と呼ばれるアイテム、魔封じの水晶と同じものだ! 何故こんな希少アイテムを!?」

 

 

そのラケシルの反応にニグンはマズイと判断し返すよう嘆願するがラケシルの耳には届いていない。

 

 

「こ、これに魔法をかけてもいいだろうか!? 頼むニグン殿…!」

 

 

そしてニグンは許可を出していないにも関わらず感極まったラケシルは《アプレーザル・マジックアイテム/道具鑑定》と《ディテクト・エンチャント/付与魔法探知》を使用する。

 

二つの魔法をかけたラケシルの顔はゆっくりと歪んでいく。

そして口から出た言葉は。

 

 

「すげぇ!」

 

 

今までの出来る男という雰囲気はどこにも無かった。

瞳には無邪気で純粋な驚きがあり、口調も一変し、その姿はまるで少年のようだった。

 

 

「すげぇ! すげぇよ! こんなの見たことねぇ! この水晶に封じられているのは第7位階魔法だ! 私の魔法ではここまでしか知ることができないが…。でもすげぇ! これはすげぇ!」

 

 

繰り返し狂乱したように叫ぶ。

それからラケシルが始めたのは水晶を掲げ、舐め、頬ずり。

まさに狂人の所業だった。

 

 

「おち、落ち着け! 何をしてるんだ!」

 

 

突然のラケシルの狂乱に度肝を抜かれながらもアインザックが止めに入る。

 

 

「ばっか! これが落ち着けるか! すげぇよ、これ! まじで第7位階だぞ! 第7位階魔法が封じられてる! 何の魔法か分からなくてもそれだけでこの水晶の価値が計り知れない! ニグン殿! これは何処で発見んしたんだ! 教えてくれ!」

 

「お、お答えできません…」

 

 

これには流石にニグンも冷や汗だった。

この水晶は神官長から自分が任務前に預かっていたものでこの男の言う通り法国の至宝なのだ。

こんな所でその存在が露見していい物ではない。

 

 

「や、やめるんだラケシル!」

 

 

ニグンに物凄い勢いで詰め寄るラケシルを必死で止めるアインザック。

だがラケシルは止まらない。

 

 

「そうだ! ニグン殿! 魔術師ギルドに入らないか!? うん、それがいい! 第4位階も使える貴方だ! 最高の席を用意する! そうしよう!」

 

 

急に勧誘を始めるラケシルにアインザックが怒気をはらんだ声で返す。

 

 

「な、何を言い出すんだラケシル! そもそも彼は最初この冒険者ギルドに顔を出してくれたんだ! 入るなら冒険者ギルドに決まっているだろう!」

 

「何言ってんだ! わざわざ顔を出して下さったニグン殿を門前払いで追い返したのも冒険者ギルドだろう!? 今更見苦しい真似はよすんだな! ニグン殿には魔術師ギルドこそがふさわしい!」

 

「なっ!? そんなの卑怯だぞラケシル!」

 

「うっせ、バーカ! バーカ!」

 

「何ぃ! バカって言った方がバカなんだぞ!」

 

 

突然始まったラケシルとアインザックの喧嘩。

あまりに幼稚で情けない姿でありパナソレイはあきれる。

ギグナルに助け船を求めようと視線を動かすが…ギグナルはすでに気絶していた。

彼は名犬ポチが魔法を使った段階でその魔力に触れ感動のあまり気絶していたのだ。

 

リィジーは退室。

ギグナルは気絶。

ラケシルとアインザックは喧嘩。

もう無茶苦茶だった。

パナソレイは頭を抱える。

 

そして名犬ポチとニグンも呆れかえっていた。

 

 

「わん…(もう冒険者とかそういうのやめるか…)」

 

「ですね…」

 

 

そこからの行動は早かった。

名犬ポチはブリタの頭に乗り退室を指示する。

ニグンはラケシルから魔封じの水晶を奪い取る。

そして3人はこの会議室から逃げ出した。

最後にブリタが「すいません~!」と言い残していく。

 

 

「ああっ!? ニグン殿どこへ!?」

 

「まだギルド加入の手続きは終わっていませんぞ!?」

 

 

ラケシルとアインザックの嘆きだけが虚しく会議室に響く。

 

 

ただ一人パナソレイだけが頭を抱えて机に突っ伏していた。

どのような形であれ、エ・ランテルがニグンという男を抱え込む機会を永遠に失ったことを理解し悔やんでいた。

 

 

「終わった…」

 

 

パナソレイの呟きは誰の耳に入ることもなく消えていった。

 

 

 

 

 




次回『一人師団と疾風走破』すいません!



リィジーのセリフを原作再現しすぎたせいで長くなりました、ごめんなさい!
省略すれば良かったのですがそれはそれでリィジーの勢いが削がれる気がしてしまって…。
リィジーはWeb版と流れがほぼ同じなのですが書籍版では存在もしないため上手い省き方がわかりませんでした。
精進します。


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一人師団と疾風走破

悲報、名犬ポチ出番無し。


『神の血』と呼ばれるポーションを大事に胸に抱えながら駆け足で帰宅するリィジー。

その足取りから年甲斐もなくはしゃいでいるのが分かる。

 

孫が今日、カルネ村の方に材料を調達しに行くと言っていたがそれは中止させようと決める。

何せそれどころではないのだ。

この手の中にあるポーションは全てに優先される。

孫であるンフィーレアもこれを見ればそれどころではないと騒ぎだすだろう。

 

そしてリィジーは家に到着する。

 

家の前には一台の馬車が止まっていた。

恐らく出発の準備をしている最中なのだろう。

間に合ってよかったと嘆息しリィジーは家の扉を開けると同時にンフィーレアを呼ぶ。

 

 

「ンフィーレアやーい、帰ったよー。それよりも聞いておくれよ、このポーショ…!」

 

 

リィジーはすぐに違和感に気付いた。

家の中が妙に静かなのだ。

いや、奥の薬草の保管庫の部屋から何かいるような音が聞こえる。

裏口とも繋がっている部屋である、もしかして動物か何かが入り込んだのだろうか。

何が起きたのかわからぬままリィジーは恐る恐るその扉を開く。

 

鼻を突いたのは薬草の香りなどではなく、もっと生臭いもの。

それは血の匂いだった。

 

そこにいたのは倒れている4人の人間。

装備からすると冒険者だろうか。

 

 

「な、なんてことだい…!」

 

 

その時リィジーに気付いたのかのように倒れていた4体が起き上がりリィジーへと襲い掛かる。

その顔は生者のものではなかった。

血の気のない真っ白な顔色で濁ったような瞳がリィジーを映していた。

額には穴が空いており、一目でそれが致命傷だと判別できた。

そして死者が動く理由はただ一つ。

アンデッドへと変わったということだ。

 

 

「ゾンビか!?」

 

 

リィジーは叫び声を上げながらも反射的に魔法を放つ。

動きの遅いゾンビは魔法の的であるが戦闘慣れしていないリィジーではトドメを刺すことは難しい。

咄嗟に逃げドアを閉め、家の外まで逃げ出す。

どうやら遠くまでは追ってこないのか単純に動きが遅いのか家の外に出てくる様子はない。

 

 

「どこじゃ! ンフィーレアどこにいるんじゃ!」

 

 

リィジーはンフィーレアの不在に気付くがもはや家の中にはいないだろう。

そしてあの冒険者達は恐らくンフィーレアが雇っていた冒険者達。

そう考えると一つの可能性が浮かんでくる。

ンフィーレアは攫われたのだと。

ンフィーレアのタレントは珍しいものだ。

無茶をして狙う輩がいても不思議はない。

そして肝心の敵はこの冒険者一向を難なく倒しアンデット化する魔法まで使っている。

単独なのか複数なのかも分からないがリィジーの手に負える相手ではない。

すぐにリィジーは助けを求めようと辺りを見渡す。

 

だが今この都市内ではそれ以上の騒ぎが起こっていた。

 

 

「墓地でアンデッドが大量発生したのが確認された! すぐにここから避難するように! アンデッドの数は膨大でどこまで防げるかわからない! 最悪、ここまで侵入されるかもしれない! 早く非難するんだ!」

 

 

何人もの衛兵が走り回りながら叫んでいる。

その言葉に都市中は軽いパニックに陥っていた。

通りがかった衛兵にリィジーは助けてくれと懇願するが誰も取り合ってくれない。

仕方なく冒険者ギルドまでリィジーは走る。

だがやっとの思いで着いた冒険者ギルドでも助けを得ることはできなかった。

 

 

「申し訳ありません、リィジー様。現在墓地でアンデッドが大量発生したとのことで全ての冒険者に招集がかかり墓地へと向かっています。現在ここに冒険者はいません、リィジー様の依頼に応えるのは不可能です…」

 

 

その言葉にリィジーは崩れ落ちる。

その衝撃は赤いポーションの存在よりも強かった。

何十年も求めてきた『神の血』、だがそれよりもたった一人の孫の方が大事だった。

リィジーは冒険者ギルドを飛び出し、片っ端から助けを求めた。

道行く人で腕に覚えがありそうに見える者には全員声をかけた。

だが誰も答えてくれる者はいない。

 

その思考が絶望に染まる中、一人の金髪の男を見つける。

身なりは良い、どころかこの世界で最高級品ではないかという装備を身に纏った男。

その立ち振る舞いからも強者の気配がにじみ出ていた。

 

 

「お主、頼む…! 孫が…、孫が攫われたんじゃぁ…! 助けてくれぇ…!」

 

 

見ず知らずの男になりふり構わず助けを求めるリィジー。

振り返ったその男は非常に優し気な雰囲気を纏っていた。

だがこうして相対すると格が違うと思えるほどの圧倒的な存在感を放っている。

リィジーはもうこの男しかいないと判断する。

何を投げ打ってでもンフィーレアを助けて欲しいと願う。

 

 

「お、お願いじゃ…! た、助けてくれるならこれをやる!」

 

 

そしてリィジーは『神の血』を差し出す。

先ほどまでは何を犠牲にしてでも手に入れたいと願った物。

だが今は孫の命が助かるなら投げ出しても構わないとさえ思える。

そしてこのポーションには流石のこの男にも動揺が表れていた。

 

 

「ほ、他にもわしの差し出せるものなら何でも差し出す! だからお願いじゃ…! 孫を、ンフィーレアを助けてくれぇぇええ!!」

 

 

この時、ンフィーレアという名前により男の中で一つの線が繋がった。

そして男はこの老婆に協力することを決意する。

 

 

「分かりました、私に出来る事ならば協力させて頂きましょう」

 

「ああ! あぁああ!! 感謝する! ありがとう…! 本当にありがとう…!」

 

 

そう言ってリィジーは『神の血』を差し出すが男は受け取らない。

 

 

「それは結構です。どうやら貴方の大事なもののようですから。ただどのように入手したかだけは後で教えて頂けると嬉しいですね」

 

 

金髪の男はそう言ってニッコリと笑った。

こうしてリィジーは一人の男の協力を得て再び家へと戻る。

ンフィーレアの手がかりを入手するために。

 

そしてこの金髪の男。

スレイン法国の六色聖典の一つ「漆黒聖典」の第5席次であり、通称『一人師団』。

クアイエッセ・ハゼイア・クインティア。

 

彼は自分の追っている人間の手がかりをこの老婆に見出した。

突如現れてこの都市を襲っている謎のアンデッドの集団。

自然の現象とは考えづらい。

もしそれが高位の魔法によるものだとするなら心当たりがある。

彼が追っている犯人が国から持ちだしたアイテムにより使用した可能性があるからだ。

そしてこの老婆が口にしたンフィーレアという名前。

彼が持つ希少なタレントの存在は法国にも知れ渡っている。

この少年が行方不明という事態がクアイエッセの推測をより強固なものにする。

 

思わぬ僥倖。

この老婆が偶然にも自分に助けを求めねばたどり着けなかったであろう。

そして彼は日課のように行っている祈りを心の中で告げる。

 

 

(この幸運に感謝します、神よ…。どうか私を、私達人類をお見守り下さい…)

 

 

 

 

 

 

 

 

時はしばらく巻き戻り、未だリィジーが冒険者ギルドの会議室にいる時間。

 

ンフィーレアはカルネ村への薬草採取の護衛として雇っていた『漆黒の剣』という冒険者チームと荷造りをしていた。

 

漆黒の剣リーダー、剣士のペテル・モーク。

レンジャーのルクルット・ボルブ。

ドルイドのダイン・ウッドワンダー。

二つ名『スペルキャスター』を持つ魔法詠唱者(マジックキャスター)ニニャ。

 

この4人からなる漆黒の剣は13英雄の一人のとある武器達を集めるのが目標らしい。

まだ人を見る目がさほど肥えていないンフィーレアの目から見ても良いパーティだと感じる。

このまま上手くいけば将来は名のある冒険者になるだろうと思われた。

 

 

「ンフィーレアさん、あとはここにある物を運べば終わりですか?」

 

「はい、そうですね。すみません、荷造りまで手伝って頂いて…」

 

「いえ構いませんよ、このくらい」

 

「そうだぜー! むしろこのくらい手伝わせてくれって感じだぜー」

 

「であるな」

 

「私はあまり重い物が持てなくて…、申し訳ありません」

 

「ニニャは魔法詠唱者(マジックキャスター)だからしょうがねーって! 気にしないで重いものは俺たちに任せておけって!」

 

「しかしルクルットも重い物は運んでいないのである」

 

「う…、まぁそれはいいじゃねぇーか。道中頑張るからさ!」

 

 

和気あいあいとした和やかな空気の中、それを壊す存在が不意に現れる。

 

 

「いいねー、楽しそうで。できればお姉さんも混ぜて欲しいなー、なんて」

 

 

一瞬の沈黙。

だがその馴れ馴れしい口調からペテル達はンフィーレアの知り合いだと考えるが次の一言でそれは間違いだと認識する。

 

 

「…あ、あの、どなたなんでしょうか?」

 

「え! お知り合いではないんですか!?」

 

 

ンフィーレアも続いたペテルの言葉から漆黒の剣絡みの人間ではないと判断する。

そしてそれは間違っていなかった。

 

 

「えへへへー。私はね、君を攫いに来たんだー。アンデッドの大群を召喚(サモン)する魔法《アンデス・アーミー/不死の軍勢》を使って貰いたいから私たちの道具になってよ。お姉さんのお、ね、が、い♡」

 

 

漆黒の剣の面々はこの女の醸し出す邪悪な空気を感じ取り、即座に武器を抜き放つ。

着々と戦闘態勢に入る一行を前にしても女の軽口は止まらない。

 

 

「第7位階魔法。普通の人間じゃ到達できないけどこの叡者の額冠を使えばそれも可能! 完璧なけぇーかくだよぉねぇええええ!!!」

 

「ひぃぃいぃ!」

 

 

ンフィーレアは思わず尻もちをつく。

だがすぐにペテルがンフィーレアの前に立ち盾となる。

 

 

「ンフィーレアさん下がって! ここからすぐに逃げて下さい!」

 

 

慌てて後ろに下がるンフィーレアの前に漆黒の面々が壁として並ぶ。

 

 

「ニニャ! お前も下がるのである!」

 

「ガキ連れて逃げろや! 連れてかれた姉貴助けるんだろ!」

 

「そうです! 貴方にはしなくてはならないことがあります! 私達は最後まで協力できそうもないですが…時間ぐらいは稼ぎます!」

 

「みんな…」

 

 

漆黒の剣の面々は気づいていた。

目の前のこの女は危険だと。

自分達ではまかり間違ってもこの女に勝つことができないだろう。

ならせめてニニャだけでも助かって欲しいという気持ち。

そしてニニャもそれを感じていたが自分にはどうすることもできない。

残ってもここに一緒に骸をさらすだけだ。

それならば。

悔しい気持ちと情けない気持ちを噛み締めンフィーレアと脱出する。

そう決意するが。

 

 

「んー、お涙ちょうだいだねー! もらい泣きしちゃうよ、えーん。でも、逃げられると思ってんの?」

 

 

愉快そうに笑いながらゆっくりとローブの下からスティレットを取り出す女。

それに合わせるように後ろの扉が開き、病的な白さと細さを持ったアンデッドのような男が姿を見せた。

挟撃されたと知り漆黒の面々の顔に厳しいものが浮かぶ。

 

 

「遊びすぎだクレマンティーヌ。さっさとやらんか」

 

「ちぇー、カジっちゃんは融通が利かないなぁー。一人ぐらいゆっくりと遊びたかったのに。ま、しょうがないかー」

 

 

ニンマリと歯を剝き出して笑う女にンフィーレアの背筋を戦慄が走り抜ける。

 

 

「うんじゃ、逃げる場所もなくなったことだし、ちゃっちゃとやりましょうかねー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クアイエッセはリィジーに連れられその家を訪れた。

ゾンビとなっていた4人の冒険者らしき者達を即座に屠る。

 

 

(この者達の頭部にある傷…、間違いなくクレマンティーヌによるものだ…)

 

 

その時、クアイエッセの頭を怒りが支配する。

彼の妹クレマンティーヌが任務で敵対した者や、悪人、人類の為にならぬ存在ならばどのようにしたとてクアイエッセも文句は言うつもりはなかった。

だがこれは違う。

人々の為に働く冒険者を4人も殺害し、そして何の罪もない善良な市民の一人を攫ったのだ。

そして恐らくは叡者の額冠を使わせる為であるならば無事では済まない。

これは間違いなく人類に仇名す行為だ。

 

 

「そこまで堕ちたか…、クレマンティーヌ…!」

 

 

許せぬ大罪である。

神に仕えるべき法国の一員である義務を放棄するどころかその至宝を奪い逃走。

そしてこの始末である。

クアイエッセはこの時、クレマンティーヌの説得という考えを破棄する。

もう選択の余地はない。

法国のために、そして人類の為にクレマンティーヌを排除する。

そう決意する。

 

ふと、なぜこうなったのだろうと思う。

クアイエッセの家は厳格ではあったが生活に困る事もなく不自由のない暮らしを送ってこれた。

優しい両親に素晴らしい教育、そして国へと代々仕える家系という名誉もあった。

そして自分と妹は才能にも恵まれ、法国最高の部隊・漆黒聖典に所属するまでになった。

人類でいえば最強の存在だ。

これ以上ないやりがいと名誉を与えられながらもなぜ妹は裏切ったのか。

彼には欠片も理解できなかった。

 

 

「…何かわかったのかい?」

 

 

リィジーがクアイエッセへと近づいてくる。

他の部屋を捜索していたようだが特に手がかりはなかったようだ。

となると、唯一の手がかりはゾンビと共に、この部屋の壁に示された血文字だけであった。

それは場所を示しており普通に考えればンフィーレアはそこに攫われたのだと考えるだろう。

だがクアイエッセは違うと判断する。

妹は昔からこういう人を馬鹿にするような嘘をよく吐く。

これもその一つだろう。

事実、現在アンデッドが墓地から大量発生しているのならばその先にいるはずだからだ。

 

 

「ええ、恐らくここを襲った犯人と今この都市を襲っているアンデッドの元凶は同じ人物でしょう」

 

「なんと…!」

 

 

リィジーの目が驚愕に見開かれる。

だがクアイエッセの話はそこで終わらない。

 

 

「私はこれからそこへ向かいます。しかし申し訳ありませんがお孫さんのことは保証できません。私もやられる可能性があるでしょう」

 

「そ、それほどの相手なのか…!?」

 

 

クアイエッセはこの時すでにンフィーレアは手遅れだと考えているがそれをわざわざ言うつもりもなかった。

それはこの老婆が絶望の淵に落ちるのを先延ばしにするだけの行為だとしても。

 

 

「貴方もすぐに避難したほうがいい。アンデッドの大群がここまで侵攻してくることも十分に考えられる。この都市から脱出することまで想定しておくべきです。最悪、この都市は墜ちます」

 

 

そう言い残すと時間が惜しいとばかりにクアイエッセは家を飛び出していった。

 

その背を見送ったリィジーはただただ茫然としていた。

この都市が滅ぶかもしないほどの危機が迫っているということに言葉を失う。

もはや孫の命どころの騒ぎではない。

この状況であれば孫の命は絶望的であろう。

その場に力なく崩れ落ちるリィジー。

その口は小さく「ンフィーレア…、ンフィーレア…」と孫の名を告げるだけであった。

 

外を見やると多くの市民が大慌てで避難しているのが目に入る。

衛兵が必死に市民を誘導している。

それだけで先ほどの男の言が妄想でないことが証明される。

本当にエ・ランテルは墜ちるのだと。

そう理解した。

何が悪かったのか。

急に落ちてきた幸運。

それに喜び、打ちひしがれ、情けに縋りつく。

次に現実感の無い程、唐突に破壊される日常。

このたった一日で起きた事に彼女はもう付いていけなくなる。

自分の理解と想像を遥かに超えている。

リィジー・バレアレはもう動けなかった。

もしアンデッドがここまで来るのならそれでもいいと思った。

何より孫がいないのならばもう生きていてもしょうがない。

何が『神の血』。

何が最高の知識。

そんなことにかまけている間に本当に大事なものが手から零れ落ちていく。

 

薬師としては求める領域に到達することは叶わず。

人としては最愛の者すら守れず。

 

己の人生は何だったのだろうと自問する。

何も為せず何も得られず何も残せない。

 

リィジーを知っている者なら今の姿を見たら驚くだろう。

 

そこにいたのは高名な薬師でもなく、エ・ランテルの有力者でもなく。

別人と見まごう程に、か細く小さい。

冒険者ギルドの中での姿すら生ぬるいと感じる程に。

触れただけで折れてしまうような。

 

そんなひ弱な老婆の姿だったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クアイエッセは召喚したクリムゾンオウルに従い墓地を目指していた。

複数のサーベルウルフを召喚し、そのうちの一体に乗りエ・ランテルを駆けていく。

道中で出会ったアンデッドは全て屠っていくがそれでも手が足りない。

すでにアンデッドは都市の至る所に侵入してしまっていた。

可能ならばクアイエッセは市民を助けに回りたかったがそれではこの元凶を止めることはできない。

被害を最も少なくする方法。

それはこの元凶を一刻も早く潰すことだ。

市民に多少の犠牲が出ようとも。

 

だがそれと同時にクアイエッセはわずかに不安を感じていた。

自分一人で止められるのだろうか、と。

クレマンティーヌ一人なら十分可能だろう。

そして恐らくクレマンティーヌと共にいるネクロマンサーであろう存在も単体ならば倒せる自信はある。

だが最低でもその二人に加え、叡者の額冠をすでに使われているであろうンフィーレア。

この全てを同時に制圧できるかというと難しいと言わざるを得ない。

 

クアイエッセの得意とするのは殲滅戦。

多数を殲滅するということに限れば漆黒聖典の隊長すら上回る。

そう考えると現状こそがクアイエッセの得意とする戦場。

クアイエッセの独壇場であり最も実力を発揮できる場所だ。

 

だが現状を見るに敵は《アンデス・アーミー/不死の軍勢》をンフィーレアに使わせている可能性が高い。

それは少しばかり相手が悪かった。

疲労せず無制限に沸いて出るアンデッド、それに加えクレマンティーヌと未知のネクロマンサー。

それらとまともに対峙し戦線が膠着しようものなら先に力が尽きるのは自分であろう。

 

だがそれでも自身が使役する最強のモンスター・ギガントバジリスクを全投入すれば勝機はあると考えている。

今クアイエッセにできるのは敵の戦力を己の戦力が上回っていることを祈ることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぉ…! 素晴らしい…! 素晴らしいぞ…! 負のエネルギーがどんどん溜まっていく…!」

 

 

エ・ランテルの墓地の最奥でカジット・デイル・バダンテールは叡者の額冠を装備したンフィーレアの行使する《アンデス・アーミー/不死の軍勢》の力に酔いしれていた。

彼の周囲にいる数人の弟子達も感嘆の息を漏らす。

 

 

「さすが第7位階! さすが法国の至宝! この魔法だけでも莫大な負のエネルギーが溜まっていくぞ…!」

 

 

だがそれでもまだ自分の求める負のエネルギーには届かない。

カジットの目的。

それはエ・ランテルを死の都へと変えること。

ここで数年もの歳月をかけ周到に準備した計画。

ここに至るきっかけから考えると30年近くの時が経過していた。

それだけ焦がれた所にやっと手が届く段階まで来た。

自然とカジットの顔は笑みに崩れる。

 

死の螺旋。

 

それこそがカジットが長年求め、そしてたどり着いた極地。

アンデッドが集まる場所にはより強いアンデッドが生まれる。

そしてより強いアンデッドが集まればさらに強いアンデッドが生まれる。

そのように螺旋を描くように強いアンデッドが生まれる現象から名づけられた都市を壊滅させる規模を誇る大魔法、死の螺旋。

かつて一つの都市をアンデッドの跳梁跋扈する場所へと変えた邪法。

カジットの目的こそこのエ・ランテルを第二の死都へと変え、そこに溢れる死の力を集めることで自らを不死の存在へと昇華させること。

そのために長い時間を費やしてきたのだ。

 

 

「じゃー、カジっちゃん私もう行くねー」

 

 

横にいた一人の女がカジットへと告げる。

 

 

「なんだクレマンティーヌ、まだいたのか。もうお前に用などない。どこへなりとも好きに消えろ」

 

 

その言葉にムッとした表情をするクレマンティーヌ。

 

 

「えー! せっかくこの計画の為に動いた私に最後に言う言葉がそれー? カジっちゃんそれじゃ女の子にモテないよ?」

 

「くだらんことをほざくな。」

 

「はいはーい、申し訳、ありまっせーん」

 

 

馬鹿にしたようにヒラヒラと手を振り答えるクレマンティーヌ。

最後までこのカジットという男は好きになれなかったがどうせもう会うこともない。

自分が法国の追っ手を撒ければそれでいいのだ。

このエ・ランテルがどうなろうとも何の感慨もない。

仮にこのカジットという男がどのような末路になろうとも何とも思わないだろう。

どちらかというと腹を抱えて笑うかもしれない。

だがそんなクレマンティーヌの視界に信じられないものが映る。

 

都市の方からこの場所へ向かって謎の軍勢が墓地を駆けてくる。

それは何百、いや何千もいるかもしれないアンデッド共を鎧袖一触にしながら。

 

クレマンティーヌの脳裏に嫌なものがよぎる。

その姿に見覚えがあったからだ。

 

 

「ギ、ギガントバジリスクっ!? な、なんでっ!?」

 

 

クレマンティーヌの言葉にカジットと弟子達がその姿を確認する。

 

 

「ギガントバジリスクだとっ!? くっ! なぜあのようなモンスターがここに…!? おいお前ら、いつでも使えるように石化解除のアイテムの準備をしておけ!」

 

 

ギガントバジリスク。

それは難度83にも及ぶ恐ろしいモンスター。

また、その名を最も知らしめているのが『石化の視線』である。

その瞳に見つめられた者は対策が無ければそのまま肉体が石になってしまう。

その強さは一匹で都市を壊滅させられるとも言われ、アダマンタイト級の冒険者チームで一匹の討伐が可能といったレベルだ。

それが今この場には10匹。

この世界においては考えられないような戦力である。

加えて周囲にはサーベルウルフとマンティコアまでもが追随している。

その後ろには一人の男の姿があった。

 

 

「くそっ、マジかよ、マジかよ! ふざけんなっ…! 追っ手は風花聖典じゃねぇのかよ! なんでお前が来てんだよっ!!!」

 

 

唇を噛み、苦々しい顔で叫ぶクレマンティーヌにカジットは問う。

 

 

「なんだっ!? あれが何者か知っているのか!?」

 

 

しばらく黙ったままでいたクレマンティーヌだが意を決したように口を開く。

 

 

「クアイエッセ・ハゼイア・クインティア…! あたしのクソ兄貴だっ!!!!!!」

 

「なっ、何ぃぃぃ!? あ、あの、法国の、漆黒聖典の『一人師団』か!?」

 

 

それにはカジットさえも怯んだ。

法国最強の特殊部隊、漆黒聖典。

その中でも一人師団の名はズーラーノーンの中でも特に知れ渡っている。

 

ズーラーノーン。

盟主ズーラーノーンを筆頭に幹部である十二高弟とその弟子達で構成される秘密結社である。

カジットもそのズーラーノーンに所属し十二高弟の地位にいる。

十二高弟の強さは英雄級、冒険者で言えばアダマンタイト級に匹敵する強さである。

だがその十二高弟をもってしてもまともに戦えば勝ち目が無いと言われている男。

一人にも関わらず軍隊のような武力と組織力を持つ男。

それがこの男、クアイエッセ・ハゼイア・クインティアである。

 

人類の中で、と限定するならば彼と戦いになるのはこの世界では逸脱者と言われる領域以上に存在する者だけである。

さらに言うならば確実な勝利を収められるのは神人と呼ばれる者しかいない。

 

そしてそんな存在は片手で数えられる程しかこの世にいない。

 

つまり今、この場にはクアイエッセを止められる存在などいないのだ。

 

 

そう、普通であれば。

 

 

「くっくっく…」

 

 

急に笑い出すカジット。

彼の弟子達はカジットが気でも触れたのかと思った。

そうなってもおかしくない程の相手だからだ。

だが違った。

 

 

「面白い、面白いぞ…! あの名高い『一人師団』…! 最初の贄としてこれほど相応しい存在はおるまい…! 良い機会だ、《アンデス・アーミー/不死の軍勢》の魔法の中、そして死の宝珠の力により力を増しているこのカジットを相手にどこまでやれるのか見せてもらおう…!」

 

 

不気味に笑うカジット。

その顔にはあの一人師団と対峙しても戦いになるという自信があった。

 

 

「クレマンティーヌ、貴様にも力を貸してもらうぞ? 元よりあれは貴様の追っ手だろう? 嫌とは言わせんぞ?」

 

「わぁーってるよ! カジっちゃんが負けたら私一人になっちゃうしねー! ここで逃げても次に追い詰められたら確実にやられるって。それならここで協力してブッ殺しちゃうのが一番!」

 

 

クレマンティーヌも自身の持つ武技を発動させ、完璧な準備をする。

これから戦うのは普段ならばそれだけやっても全く足りない相手だ。

だが今はカジットとその弟子達、そして、《アンデス・アーミー/不死の軍勢》の魔法がある。

 

 

「考えようによっちゃこれで法国に思い残すことは何も無くなるか…。いいぜ、兄貴ィ。この私が直々にブチ殺してやるよぉ…! 最後に潰して折って砕いて、この世のあらゆる苦痛と屈辱と味あわせてやる…! 死体には唾を吐いてクソでも食わせてやるよ…!」

 

 

その目は殺気に漲っていた。

この世の恨みを全て背負ってしまったかのような憎悪。

そして駆ける。

それと同時に周囲のアンデッドも共に敵へと襲い掛かる。

カジットとその弟子達もクアイエッセの使役するモンスターへと魔法を放つ。

 

大量のモンスターとアンデッドに囲まれながらクレマンティーヌが叫ぶ。

呼応するようにクアイエッセも叫んだ。

 

 

「死ねよクソ兄貴ぃぃぃいいい! やっとアンタをブチ殺せるかと思うとサイッコーの気分だ!!!」

 

「クレマンティーヌッ! 愚かな妹よ! 命を持ってその罪を贖え!!!」

 

 

二人の漆黒聖典が激突する。

 

 

戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 




次回『神の奇跡』信じる者は救われ…、うん。



想定では前の話とここまでで一話でした。
なかなか難しいですね。
もうちょっと上手く纏めたかったです。

書いて気づきましたがリィジーの心労ハンパない。
ごめんねおばあちゃん。


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神の奇跡

冒険者ギルドから這う這うの体で逃げ出した名犬ポチ達。

この都市のトップ連中は頭がおかしいと判断した名犬ポチは冒険者になることを断念した。

仮にやるとしても別の都市だなと考える。

そんな事を考えているとニグンが名犬ポチに言う。

 

 

「何やら街の様子がおかしいですね…」

 

 

ニグンのその言葉を肯定するように走り回る衛兵達の姿が目に入った。

その衛兵達は必死に市民へ向けて退避勧告をしている。

どうやら墓地のほうで大量のアンデッドが発生したとこのこと。

すでに城壁の一部が破られ、都市内にまでアンデッドが侵入しているらしい。

 

 

「わん(へー、やべぇじゃん)」

 

「神、どう致しましょうか?」

 

 

何か考え込むような名犬ポチ。

返事は返ってこない。

ニグンは真摯に神の返事をただただ待ち続ける。

 

先ほど慌てて逃げてきた冒険者ギルドからは中にいたであろう冒険者達が完全武装で外へ飛び出していく。

そして次にギルドの職員達の何人かが飛び出していった。

ギルドの入り口では受付嬢のイシュペンが張り裂けんばかりに声を上げている。

 

 

「冒険者の皆さん! 緊急任務です! 墓地で大量のアンデッドが発生しました! すでに都市内にも侵入されているとの情報が入っています! アンデッドの駆逐、市民の避難に協力した冒険者にはギルドが報奨金を出す事を約束します! すでに現在、都市の一部の機能が麻痺! 場所によっては情報の伝達も難しくなる可能性があります! かなり危険な任務となりますがどうかご協力お願いします! これはエ・ランテルの全ての冒険者への要請です!」

 

 

イシュペンはその台詞を繰り返し叫ぶ。

外に出ていった職員達も遠くで同じ台詞を叫んでいる。

 

 

「これかなり不味いんじゃないですか!? 私達もすぐに行かないと!」

 

 

狼狽するブリタは二人へと問いかけるが。

 

 

「わん(いや、俺冒険者じゃねぇしな…)」

 

「……そうですね、冒険者としての要請には答える必要はないかと…」

 

 

その言葉にブリタは衝撃を受ける。

ブリタはニグン達のことを英雄だと信じていたのだ。

変人ではあっても、実力があり情に厚く誰もが夢見る英雄だと。

昨日の野盗から自分達を助けてくれたように、きっと今回も人助けをするのだと期待したのだ。

だが今の様子からはそれを感じられない。

 

 

「ま、待って下さい! ま、まさか見殺しにするんですか!? どこかで犠牲になっている人がいるかもしれないんですよ! ニグンさん! 貴方なら簡単に助けられるんじゃないんですか!?」

 

「全ては神がお決めになることだ…。我々はただ待つのみ」

 

 

だがブリタの言葉にニグンは応とは言わない。

ブリタは愕然とする。

勝手に期待したのはブリタだがそれでも答えて欲しかった。

先ほどのギルドのやり取りでもニグンが想像以上に規格外の人物であることは理解できた。

そう、それこそ国家レベルの。

だが今起きている事件はそのニグンでも躊躇するというレベルなのか?

そう考えると恐怖で体に悪寒が走る。

だが、それでもブリタは。

 

 

「もういいです! ニグンさんには失望しました!」

 

「お、おい急に何を…」

 

「私は確かに弱いです! 弱いけど! それでも人の役に立とうと! 英雄に憧れて! 英雄みたいになりたいって! それはただの願望でニグンさんみたいにはなれないかもしれない! でも! それでも! 例え強くても私は人を見捨てるような人間になんてなりたくない! ニグンさんは違うかもしれないけど私は冒険者です! 鉄級の冒険者です! まだまだ人の役になんて立てる実力じゃないのは分かってます! それでも困っている人をただ見捨てるなんてできません!」

 

「ま、待て何を…ぶふっ!」

 

 

ニグンの顔にブリタの拳がめり込む。

 

 

「逃げたければニグンさんだけで逃げて下さい! 私は行きます!」

 

 

そうしてブリタは頭の上にいる名犬ポチを振り払うと一気に駆けていく。

ブリタの頭から叩き落された名犬ポチは勢いよく地面に激突する。

 

 

「わん!(ぎゃあああ!)」

 

「神ィィィーー!」

 

 

ニグンはすぐに名犬ポチへと駆け寄る。

まぁ名犬ポチもびっくりしただけでダメージなどもちろんないのだが。

 

 

「わ、わん!(な、なんだぁ。あいつめっちゃキレてんじゃん…!)」

 

 

体に付いた埃を払っていると名犬ポチははっと気づく。

 

 

「わん!(しまった! ブリタ見失っちまった! あいつ結構足速ぇなクソ!)」

 

 

その時すでにブリタは人混みの中へと消えてしまっていた。

昨日、不意を突いたとはいえ目的地まで野盗から逃げおおせた脚力は本物である。

人々は慌ただしく動いており、名犬ポチの鼻をしてもすぐの捜索は難しかった。

 

 

「わ、わん!!!(お、俺のソファーが! 最高のソファーが!)」

 

「か、神よ落ち着いて下さい! す、すぐに後を追いましょう!」

 

 

だが名犬ポチは首を縦には振らない。

 

 

「わん(そ、そうしたいところだが、俺さっき考えてたんだよ。この混乱に乗じてお前の隊員達を助けに行こうぜ。今なら囚人の見張りだって手薄になってんだろ?)」

 

 

本当は隊員達を助けたらそのままエ・ランテルとはおさらばする予定だった。

この都市がどうなろうと名犬ポチには全く興味が無かったからだ。

しかし今となってはブリタの捜索をせねばならないだろう。

とりあえず隊員達を先に開放すればブリタの捜索も楽になるだろうという計算だ。

ちなみに隊員達の事を助けようと思ったのは単純にニグンの部下だからである。

極悪非道の名犬ポチだが身内には優しいのだ。

 

だがそんなこととは知らずニグンは神の言葉に涙を流す。

 

 

「あぁっ! まさか、神…! そのことをお考えになって下さっていたのですか!? ああ、なんと慈悲深く寛大な御方…! 下々の者達のことまで考えていて下さるなんて…! このニグン、さらなる絶対の信仰を誓います…!」

 

 

それと同時にニグンは神の考えを察する。

実は先ほどまではブリタと同じく、不敬ながらも名犬ポチがすぐに人々を救済しに行かないことについてわずかながら疑問を抱いていたのだ。

だがそんな疑問は一瞬にして氷解する。

そしてわずかでも神を疑ってしまった自分を恥じる。

神がここで陽光聖典を解放する理由を考えればすぐに答えに行き当たるのに。

殲滅戦を得意とする陽光聖典を解放する理由、それは。

 

 

「さ、さすが神っ! 愚かにも私はこんな簡単なことにも気づきませんでした! 分かりました! 隊員共々必ずや神の期待に答えてみせましょう!」

 

「わん(えっ)」

 

 

ブリタを探して欲しいだけなのになぜニグンはこんなに意気込んでいるのだろうと疑問に思う。

まぁやる気があるのはいいかと判断し特に何も言わないことにする。

 

そうして名犬ポチとニグンは陽光聖典の隊員達を助けに向かう。

 

 

 

 

 

 

エ・ランテルのほぼ中心に位置し最も高い場所にある城壁塔。

遠くまで見渡せるように建てられたその砦は軍の駐屯地もである。

その地下には囚人達を捕える牢屋があった。

 

 

「ガゼフ隊長、何やら外が騒がしいですね…」

 

「うむ、外で何か事件が起こっているようだな。くそ、こんな状態でさえなければすぐにでも駆けつけるのだが…!」

 

 

部下の言葉に悔しさから唇を噛み締めるガゼフ。

そもそもまさか逮捕されるとは考えていなかったガゼフ。

最初に助けを求めたカルネ村でも石を投げられ追い出されたことを考えると何らかの手段を考えるべきだったがエ・ランテルなら話が通じるだろうと楽観視していたガゼフ。

だがそもそも自分が王国戦士長だとさえ信じて貰えないとは考えていなかった。

 

ガゼフは知るべきだった。

普通に考えて素っ裸の男の集団が大挙して押し寄せた場合、普通は捕まる。

それに自身の隊に加えて陽光聖典の者も加わっているのだ。

カルネ村からしてもエ・ランテルからしても彼らが知っているガゼフの隊とは人数が合わない。

全然別の集団だと考えられてもおかしくはない。

それに全員裸で誰が誰だかも周りから見れば判別がつかないのもそれに拍車をかけた。

 

陽光聖典の者達は隊長もいないこともあってもう交戦する意思はなかったようで、裸のよしみもありなんだかんだ仲良くなってしまっていた。

 

ガゼフが今、最も懸念していること、それは。

 

 

(俺は王になんと申し開きをしたらいいのだ…。間違いなくこのことは貴族連中に突っ込まれる…。もし私のせいで王の立場が悪くなってしまったら…)

 

 

ガゼフの考えは当たっていた。

このことが露見すれば王にとって大変なことになるだろう。

あくまで露見すれば、だが。

 

 

牢屋へと続く階段を誰かが降りてくる。

ガゼフは処刑を待つ罪人のような顔でその者を見た。

それは見知った顔であった。

今自分達と共に捕えられている陽光聖典達の隊長にあたる人物である。

 

 

「た、隊長ー! ニグン隊長ー!」

 

「助けに来てくれたんすね! 俺信じてました!」

 

「うぉぉ! ニグン隊長万歳ー!」

 

 

陽光聖典の者達が声を上げた。

 

 

「うむ、お前達、待たせてすまなかったな」

 

 

そうしてニグンは陽光聖典の隊員が捕えられている牢屋の鍵を開けていく。

だがガゼフを見つけると嘲るような表情で言う。

 

 

「おお、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフではないか! こんなところで会うとは!」

 

 

悔しい思いをしながらもガゼフはニグンを警戒する。

元々は自分を殺そうとしていた者なのだ。

もしかするとここでも殺そうとしてくるかもしれない。

だが。

 

 

「カルネ村では悪かったな。ついでだ、お前達も出してやる。このまま捕まればマズイのだろう?」

 

 

その言葉にガゼフは驚きを隠せない。

わずか数日前のことだというのに何が起きたというのか。

 

 

「納得していないといった顔だな。まぁ本国からはそう命令を受けていたが今は事情が変わったのだ。もうお前とは敵対するつもりはない。それに今、都市の中にはアンデッドがはびこっている。私に構っている場合ではないだろう?」

 

 

ニグンの言葉にガゼフは驚きを隠せない。

 

 

「アンデッドだと!? 一体何が!?」

 

「詳しくは分からないがおかげでこの都市は大混乱に陥っている。ここの見張りもほとんどいなかったぞ? 各地で冒険者や衛兵達が頑張っていたがこのままではどうなることやら…。都市が墜ちるのも時間の問題だな」

 

「なんということだ…! 皆聞いたか! 我々はすぐに市民を助けにいくぞ!」

 

 

ガゼフの言葉に隊員達が即座に返事をする。

だが重要な問題に気が付く。

未だ全裸なのだ。

 

 

「くっ…!」

 

 

このままではまた捕まってしまう。

そのことに顔を歪めるガゼフだったが。

 

 

「わん(まぁそうだろうなとは思ってたよ)」

 

 

そうして砦にあった衛兵の装備の予備を1セット持ってきた名犬ポチは魔法を発動する。

 

 

「わん《おかわり/再入手》」

 

 

その言葉と共に一瞬にして衛兵の装備と全く同じものがそこに出現した。

 

 

《おかわり/再入手》

これは第8位階に属し、アイテムの複製ができる魔法である。

もちろん制約はあり、ワールドアイテムは不可能。

神器級、伝説級のアイテムはそれぞれ制限時間が付き、時間が経過すると消滅する。

ちなみに神器級は時間が短すぎて運用するのは現実的ではないのだが。

しかし聖遺物級以下のアイテムは永続的な複製が可能なのである。

もちろんユグドラシルでは売買、エクスチェンジボックスでの使用不可等の制限があった。

 

 

この魔法により名犬ポチはガゼフとその隊員達の人数分の装備を複製する。

こんな低レベルの装備を複製するのに何度も魔法を行使するのは正直つらかった。

しかし名犬ポチはガゼフにちょっと悪い事したなと思っていたので何も言わず複製した。

 

ガゼフ達は驚きながらも今は緊急事態なので簡単な礼をしてすぐに外へ出ていく。

 

ガゼフ達は魔法についてあまり詳しくないため「おぉ、魔法とは凄いな」といったレベルのリアクションであったがニグンと陽光聖典は違った。

 

 

「な、なんと神…! アイテムを創造することができるのですか…!」

 

「か、神…?」

 

「まさか本当に…?」

 

「この御方が神…?」

 

 

ニグンに続いて陽光聖典からも感嘆の声が上がる。

最初合った時は名犬ポチの凄さを全く理解できなかった陽光聖典だがこうして魔法を見せられるとニグンの言う通り神なのではという気持ちが徐々に沸き上がってくる。

 

 

(いやあんなクソアイテム複製したの驚かれてもな…)

 

 

そう思いながら名犬ポチは自身のアイテムボックスの中を探る。

陽光聖典は魔法詠唱者(マジックキャスター)なのでそれに相応しい装備を探していたのだ。

そしてアイテムボックスからやっと見つけた聖遺物級のローブと杖を取り出す。

 

 

「わん(あぁ、あった。すごい昔使ってたやつだけどこれでいいだろ)」

 

 

聖遺物級は上位アイテムに比べ制作なども容易だが性能がかなり落ちるアイテム。

途中で時間切れがあったら困るので聖遺物級にしただけで本当はこのレベルでは心もとないと名犬ポチは感じていた。

だがこの世界では違う。

 

 

「ま、魔法の武器と防具…!?」

 

「なんという魔力…!」

 

「さすが神このようなアイテムをお持ちとは…」

 

「はっ! ま、まさか…」

 

 

この世界でこれより上のアイテムは一部の例外を除き存在しない。

そしてここにいる者が想像した通り、名犬ポチはこの装備を人数分複製していく。

 

 

「あぁあああぁぁぁああ! か、神ぃぃぃいいいいい!!!」

 

「うわぁぁぁあ! すげぇえええ!」

 

「えええええ! ま、魔法のアイテムがこんなにぃぃ!?」

 

「びゃああぁあぁああ!」

 

「なにこれぇえええ!」

 

 

ニグンに続いて陽光聖典の隊員達からも悲鳴が漏れる。

 

それを見た陽光聖典の隊員達はこの時確信した。

目の前にいるのは本物の神なのだと。

伝説に謳われるアイテムをこんなに簡単に創造する存在が神以外のものであるはずがないと。

 

 

そしてここにいる陽光聖典の隊員達全員が聖遺物級の装備を身に纏った。

 

 

漆黒聖典のメンバーにはこれより上のアイテムを装備している者もいたが、規模で考えるとその比ではない。

今の陽光聖典は全員が伝説の装備を身に纏っているのだ。

これだけの規模でこの装備を身に着けている集団はこの世界に存在しない。

 

この時を持って陽光聖典は神の部隊に相応しい存在となった。

 

 

「わん(ニグン、わかってるよな?)」

 

 

ブリタを探すんだぞ、と目で訴える名犬ポチ。

 

 

「分かっております! これほどの装備を下賜された我々に、もはや敵はおりません!」

 

 

ニグンは深く息を吸う。

そして。

 

 

「各員傾聴! これよりこのエ・ランテルを神の名において救済する! 現在アンデッドは都市中に溢れかえっている! それぞれ各地に散り、溢れかえるアンデッド共を全て殲滅するのだ! 全てだ! 今の我らに敵はいない! さぁ行け! 汝らの信仰を神に捧げよ!」

 

 

ニグンの言葉に隊員達が頷く。

 

 

「開始!」

 

 

ニグンのその声と共に隊員達がエ・ランテルに散っていく。

ただのアンデッドに後れを取る陽光聖典ではない。

この時点でエ・ランテルが墜ちる可能性は消えた。

 

 

「わん!(えぇええぇえええ! 救済って何!? は、早くブリタを探すんだよ!)」

 

「大丈夫です神よ、全て仰られずとも貴方の御心は理解しております。それにエ・ランテルを救済した際にはブリタもすぐに見つかるでしょう」

 

「わ、わん(な、なるほど…)」

 

 

いまいちよく分からないが確かにアンデッドを駆逐した後の方が捜索がしやすそうだなとかろうじて納得する名犬ポチ。

とは言っても名犬ポチもただ指を咥えて待つつもりはない。

早く見つかるにこしたことはないのだから。

 

 

「わん!(よし! 俺らも行くぞニグン!)」

 

「もちろんです! 神よ!」

 

 

 

 

 

 

リィジー・バレアレは未だその場から動いていなかった。

家の前でただただ死んだように座り込んでいる。

 

すでに周囲に人影は無くこの辺りの避難は終わっていた。

この地域は市民の避難が完了しているため防衛のための衛兵や冒険者は一人もいない。

そのためアンデッドの一部が何の抵抗も無くここまで侵入してきていた。

 

リィジーの視界にアンデッドの姿が映る。

だがもはや彼女にはどうでもよかった。

食われるならそれでもいい。

孫がいないのならばもうこの世に未練はないのだ。

そしてアンデッドの手がリィジーの近くまで迫った時。

 

 

「わーん!(ブリタどこだぁーっ! なんだ、邪魔だテメェ!)」

 

 

アンデッドの頭部が吹っ飛んだ。

そして近くにいたリィジーに名犬ポチが気付く。

 

 

「わん!(ブリ…! なんだ違うな、ただの婆さんか、ってえぇええ!!!)」

 

「ど、どうしました神よ!」

 

 

他のアンデッドを倒していたニグンが名犬ポチの驚く声に慌てて駆け寄ってくる。

 

 

「わ、わん(ニ、ニグン、この婆さんって…!)」

 

「なっ!? リ、リィジー・バレアレ殿!? なぜここに!? なぜ避難していないのですか!?」

 

 

まさか冒険者ギルドで狂乱を見せつけた婆さんとこんなところで遭遇するとは想定していなかった名犬ポチとニグン。

 

 

「もうわしのことは放っておいてくれ…。わしはもうどうなってもいいんじゃ…」

 

「わん(ならいいか)」

 

 

リィジーがそう言うので放っておくことにする。

だがその時、家の中から嗅ぎ覚えのある匂いがすることに気付く。

これは誰だったかなと気になった名犬ポチは家の中へと入っていく。

そこには4人の冒険者の死体があった。

一番手前に転がっている女の死体。

他はうろ覚えだがこの女だけは記憶に残っている。

 

愚かにもかつてこの自分に屈辱を与え冷静さを失わせた罪深き女。

あの骨の恨みは忘れていない。

だが自分が復讐する前にどこかの馬鹿が先にこいつを殺してしまったようだ。

名犬ポチは無意識に呟く。

 

 

「わん…(少し、不快だな)」

 

 

後ろにいたニグンは名犬ポチの言葉に聞き入る。

一介の冒険者が命を落としただけでここまで心を痛めるとはなんと優しい方なのだと。

 

名犬ポチは己の手から逃れるのは許さぬとばかりに女の死体に手を触れ蘇生させようと試みるが…。

 

 

「わんっ!?(アンデッド化されているだと!?)」

 

 

アンデッド化した者は蘇生することができない。

 

それが一般の認識であり、その通りである。

この女は結果的にとはいえ、名犬ポチの魔の手から完全に逃れた。

認めない。

この名犬ポチに屈辱を与えた者をこのままでは許す事と同義になる。

そんなことは名犬ポチには認められないのだ。

名犬ポチを怒りが支配する。

もし今ここに、この女をこうした元凶がいたならばどんな目に遭わせているかわからない。

 

だが名犬ポチはなんとか冷静さを保つ。

この問題と向き合う為に。

 

 

(考えろ…。アンデッド化した者を蘇生させることは本当に不可能なのか…?)

 

 

そして名犬ポチは一つの仮説に辿り着く。

 

ユグドラシルと違ってこの世界はゲームではない。

その為に自分の持っている魔法やスキルもそれに合わせてなのか少しばかり変化している。

逆に考えればゲームと違い、現実の法則に作用されることもあるはずだ。

 

そしてカルネ村で村人を蘇生した時に一つ気付いたことがある。

それは魂の存在。

蘇生させる際に魂を引き戻し肉体へと戻す感覚を味わっている。

これが本当に魂かどうかは分からないが、とりあえずこの世界においては生命の核を為す部分であるので便宜的に魂と呼ぶことにする。

そしてこの魂が存在する以上、肉体は器に過ぎない。

だがアンデッド化した場合は入るべき器が変容してしまうために魂が肉体に戻れなくなるのではないだろうか。

ならばその問題をクリアできれば蘇生できるかもしれない。

 

そして名犬ポチは次に肉体の損傷について考える。

治療にしろ蘇生にしろ、傷つき、無くなった肉体は魔法で修復できる。

どういう過程でそうなるのだろうか?

名犬ポチは詳しくは知らないが生物の体は細胞からできている。

もし回復という行為が細胞分裂を促す、あるいはそれに準じた行為ならば肉体の一部があれば体を回復させることができるのではないだろうか。

 

その仮説に辿り着いてからの名犬ポチの行動は早かった。

 

 

「わん(《マス・ターゲティング/集団標的》《マキシマイズマジック/魔法最強化》《ヒール/大治癒》)」

 

 

名犬ポチは4つの死体に回復魔法をかける。

回復魔法はアンデッドへダメージを与える効果がある。

そして名犬ポチのレベルでこの魔法を使えばアンデッドの体を完全に消滅させることが可能。

この魔法によって周囲に零れていた血や肉片も全て綺麗に消滅した。

後に残ったのは彼らの装備だけだ。

 

ここからだ。

 

名犬ポチは部屋中の床を嗅ぎまわる。

何かを探すように。

 

 

「か、神、何を…!?」

 

 

ニグンの言葉に名犬ポチは返事をしない。

今は一刻を争うのだから。

その時、なぜか消滅せずわずかに床に残っている血を発見する。

そしてそれが本当に、本当に少しずつだが消えていっていることに気付く。

当たりだ、とポチは思う。

アンデッドの肉体とその血や肉片は魔法で即座に消滅したのに一部の血は消え去っていない。

これの意味するところは。

アンデッド化する前に、肉体から離れた体の部位はアンデッド化していないということだ。

それはそうだろう。

体から離れた時点でそれはただの物に成り下がる。

だが世界の法則なのか元の肉体がアンデッド化するなどのように存在が変容した場合、元々体の一部であったものも引きずられ消滅してしまうようだ。

 

これがアンデッド化した者が復活できなくなるメカニズムかと推測を立てる。

 

ならば。

その後も部屋中を懸命に探し回り、4人の血液をなんとか発見する。

どれが誰のものかは判断できない為に4人全員の血液を探していたのだ。

 

そして名犬ポチの仮説が正しいならば。

アンデッド化した存在でも、それ以前の肉体の一部が残っておりかつ、それが消滅する前に蘇生魔法を試みたらどうなるのか。

ここからは賭けだ。

4人のアンデッド化していない血液へ魔法を唱える。

 

 

「わん…!(《マス・ターゲティング/集団標的》《グレーター・レイズ・ドギー/犬の上位蘇生》…!)」

 

 

次の瞬間、部屋の中が眩しい程の光に包まれる。

 

名犬ポチを中心に光の粒子が4人の人間の体を形成していく。

 

 

「あ…、あぁ…、あぁぁあ…!」

 

 

それを見ていたニグンの口からなんともいえない悲鳴が漏れる。

 

まさにそれは奇跡だった。

死者を復活させる。

それだけでも十分に凄いが一部の神官や冒険者でも辿り着くことのできる境地でもある。

 

だがアンデッドを蘇生させるなど聞いたことがない。

アンデッドがアンデッドとして復活することはあるかもしれない。

だが今ニグンの前で徐々に形成されている肉体の肌や血色をみる限りそれがアンデッドだとは思えない。

もしアンデッド化した存在を生前の姿で蘇生させたのだとすれば、人の理解を超えている。

まさに神の与え給う奇跡。

名犬ポチが必死に考えていた仮説など知らないニグンからすればそれはまさに奇跡。

人知を超えた領域に他ならない。

 

名犬ポチは肉体の再生が終わった4人を静かに見守る。

後は目を覚ますのを待つだけだ。

これで目を覚ませば名犬ポチの仮説が正しかったと証明される。

 

少し待つ。

 

しばらく待つ。

 

だが誰も目を覚まさない。

魂を肉体に戻す感覚はあった。

理論的には成功のはずだ。

だがやはり無理があったのか。

そう諦めかけた時。

 

 

「かはっ!」

 

「ゲホッ!」

 

「ぐっ!」

 

「ゴボァッ!」

 

 

四人が同時に息を吹き返した。

 

 

「わん!(やった…! やったぞニグン! 成功し…)」

 

 

後ろを振り返りニグンを見る名犬ポチ。

だがニグンの顔を見て思わず言葉が止まる。

 

 

「は…、はわわわ…、あ、ああぁ、か、神、神ぃぃ…」

 

 

やばい顔をしていた。

目には涙を浮かべており、口はアホみたいに開き鼻水とヨダレも垂れている。

言葉では形容できないほどみっともない顔だ。

名犬ポチがこいつこんな顔してたか?と疑問に思うほどに。

そして爆発する。

 

 

「んぁぁあああみっぃいぃいいい!!! くわぁぁみぃぃぃぃいいい!! きゃみぃぃぃぃいいいいい!!! すんびゃらしぃぃぃいいいおちくわらぁぁああああ!!!」

 

 

疾風の速さで名犬ポチへ飛びつき抱きつくと名犬ポチの体中を激しい勢いで舐め始めるニグン。

 

 

「きゃいーん!(いやぁぁああああぁ!!! やめて助けてぇぇええええ!!)」

 

 

ニグンのファーストインプレッションを鮮明に思い出した名犬ポチは再び恐怖に体を震わせていた。

そのまま抵抗もできずにニグンの唾液塗れとなったのだ。

 

復活したばかりの4人は唖然としてただそれを見ていただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくして落ち着いたニグンは復活した4人へ現状の説明をしていた。

 

 

 

「そういうことだったのですね…」

 

「やはり死んでしまったようであるな…」

 

「はぁー、情けねぇー…。一撃なんてよー…」

 

「で、でもわざわざ蘇生して頂けるなんてなんとお礼を言ったらよいか…」

 

 

4人から感謝の言葉が次々とニグンへと告げられる。

ちなみにアンデッド化からの復活に関しては話していない。

ややこしくなりそうだったのでただの蘇生ということにしている。

 

この時4人は感謝を告げると共に、最初に見たニグンの狂乱には触れないでおくことにしようと言葉も無しに全員の思考がシンクロしていた。

後ろではいまだに部屋の隅っこで震えている子犬がいる。

 

 

「しかし今はこのエ・ランテルを未曾有の危機が襲っています、貴方達もすぐに避難して下さい」

 

 

だがニグンの言葉に誰も頭を縦に振らない。

 

 

「私たちも冒険者ですよ?」

 

「うむ、この街のために今からでも動くのである!」

 

「死んで情けない姿見せちまったけどだからこそ挽回しなきゃだからなー」

 

「体の不調は感じないので大丈夫だと思います!」

 

 

その言葉に驚きつつも人間の強さを感じ取り表情が緩むニグン。

さすがは神がわざわざ蘇生させるだけの人間であるとの評価を下す。

ついでに4人にはリィジーを退避させることをお願いしておく。

4人はすぐに外へ駆けて行った。

 

未だ震える名犬ポチへニグンが申し訳なさそうに近づく。

 

 

「も、申し訳ありません神よ、あまりの素晴らしいお力に自分を制御できずに、つい…」

 

「わわわん!(うっさいバカ! ニグンなんてもう知らない! あっちいけ!)」

 

 

完全にヘソを曲げている名犬ポチ。

だがここで新たなことに気付いてしまった。

 

 

(あ、今回は間にあったからいいけどもしブリタもアンデッド化されてたらやべぇぞ…)

 

 

慌てて立ち上がる名犬ポチ。

実際にはブリタは弱すぎて前線に出してもらえず後方支援に徹していて全然危険は迫っていないのだがそんなことは名犬ポチには知る由もない。

 

最悪を想定する名犬ポチ。

そしてそれを回避するために全力を尽くす。

ブリタが少しでもアンデット化する可能性を下げるために。

 

 

そして手を、肉球を天に掲げ魔法を発動する。

 

 

「わん…!(《ピー・テリトリー/犬の縄張り》…!)」

 

 

名犬ポチを含め、周囲が、いや、エ・ランテルの大部分が天から降り注ぐ光に包まれた。

 

その光は範囲内にいる全てのアンデッドを瞬く間に消滅させた。

さらに範囲内の人々の傷が徐々にだが癒えていく。

 

この様子をニグンも見ていた。

外に見えるアンデッドが光に包まれ一瞬で消滅していくのを。

 

そのあまりの神々しさ、輝き、眩しさ。

まさに神の威光。

そしてこの中にいることで神から守られているかのような安心感。

ニグンの心をかつてないものが包んでゆく…。

 

 

 

 

 

 

ガゼフとその部下達。

 

 

「皆! なんとしでも耐えろ! ここを突破されたら市民に被害が出る!」

 

「ダメです戦士長っ! 数が、数が多すぎます!」

 

「もう無理です! 持ちません!」

 

 

ガゼフの部隊が瓦解する寸前。

 

天から光が舞い降りた。

 

視界全てに降り注ぐその光。

それを受けたアンデッド達が全て消滅していく。

 

あまりのことに誰も言葉が出ない。

彼らには何が起きたのかすら理解ができなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

各地に散った陽光聖典の隊員達。

 

彼らにとってアンデッドは敵では無かった。

とはいえこのエ・ランテルは広い。

各地に散ったとはいえ、流石に全ての地域には手が及ばない。

都市は墜ちずとも犠牲が出るのを防ぐことは不可能だった。

だが犠牲は出ずに終わる。

 

突如、天から降り注いだ光が都市内のアンデッドを消滅させていく。

彼らはすぐに理解した。

 

神が力を行使したのだと。

 

あまりに壮大で規格外。

人から聞いた話ならば欠片も信じられないだろう。

 

神の威光にひれ伏し、涙を流す隊員達。

そして彼らの頭に一つの思いがよぎる。

 

この世に伝わる神話や御伽噺はもしかすると真実なのではないか、と。

 

 

 

 

 

 

 

《ピー・テリトリー/犬の縄張り》

第10位階に属する最高の魔法の一つ。

これは使用者がこの魔法を発動するより一定時間前にマーキングをした場所を線で繋ぎ、テリトリー化するものである。

制限時間はさほど長くないが、この範囲内では敵対する雑魚モンスターは一瞬で消滅する。

高レベルのものには効果がないのだが現在エ・ランテルにいるアンデッドは名犬ポチからすれば全て雑魚である。

加えて雑魚モンスターが新たに侵入しようとも光に触れただけで消滅してしまう。

そして仲間と判断している者に関してはリジェネの効果が発動する。

PVPにおいてはそこまで有用とは言えないが攻略や籠城の際に効果を発揮する魔法である。

 

 

 

(エ・ランテルを散歩してる時に各地におしっこをしていたのがこんなところで役に立つとはな…。これならエ・ランテル内はほとんど安全だろう。後は墓地を制圧すれば危険な場所はほぼないな…!)

 

そして完全に自信を取り戻した名犬ポチ。

その立ち振る舞いは神に相応しいものであった。

 

 

「わん!(行くぞニグン、後は墓地だけだ!)」

 

「……」

 

「わん…?(ニ、ニグン…?)」

 

 

顔を伏せ、無言のまま両ひざを地面に付いているニグン。

その股間は濡れ、彼の下には大きな水溜まりが出来ている。

両手で強く体を抱きしめており、小さく痙攣している。

 

不意にゆらりと幽鬼のように揺れるニグン。

だが力なく前へと倒れ込む。

だが動きは止まらない。

四つん這いのまま凄まじい速さで名犬ポチとの距離を詰める。

 

そして。

 

 

「-------------------------------------------------------------------!!!!!!!!!」

 

 

聞き取れない程の奇声をあげながら名犬ポチへと覆いかぶさるニグン。

名犬ポチはあまりの恐ろしさに少しだけ意識を手放した。

 

 

 

悪夢は何度でも続く。

 

 

 

 

 

 




次回『救済の螺旋』決着っっ…!


次でエ・ランテルの話は終わる予定です。


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救済の螺旋:前編

前篇、後編に分けることにしました。


「グオオオオオ!!!!」

 

 

ギガントバジリスクが振り回した尻尾の一撃で数体のアンデッドが吹き飛ぶ。

10mを超える巨体から繰り出されるその一撃は並のアンデッドを簡単に粉砕していく。

石化の視線や体内を流れる猛毒がアンデッドに対して効果を発揮しなくとも、ギガントバジリスクと戦いになるアンデッドはここに存在しなかった。

 

エ・ランテルの墓地で繰り広げられるモンスターとアンデッドによる攻防。

だがそれはもはや一方的に近かった。

溢れかえるアンデッドを10体のギガントバジリスクが粉砕していく。

 

 

「テイマーの効果でギガントバジリスクの戦闘力が上がっているのか!? これが一人師団…! ここまでとは…!マズイな、想定以上だ!」

 

 

アンデッドを次々と破壊していくギガントバジリスクに驚きを隠せないカジット。

 

 

「何やってるクレマンティーヌ! いつまで寝てるつもりだ!」

 

「うるせぇええええええ!!!!」

 

 

叱咤するカジットの声にクレマンティーヌの叫びが返る。

だがその姿はどこにもない。

間を置いて、破壊されたアンデッドの山に埋もれていたクレマンティーヌが起き上がり姿を現す。

 

 

「くそがぁぁあああっ…!!!」

 

 

その姿はすでにボロボロだった。

致命傷は無いが、体中は痣や擦り傷で一杯だった。

その視線は正面に立つクアイエッセへと向けられている。

 

 

「死ねぇぇええええ!!!」

 

 

武技を駆使し、クアイエッセへ向かって神速の突きを繰り出すクレマンティーヌ。

だが横から飛び掛かってきたサーベルウルフに足を取られバランスを崩す。

その隙を突きクアイエッセがクレマンティーヌへ距離を詰め、膝蹴りを入れる。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

辛うじて踏みとどまり、即座に反撃に転じようとするがすでにクアイエッセは近くにいない。

蹴りを入れた瞬間に後ろに控えさせていたマンティコアへ騎乗し、距離を取っていた。

そして壁になるように別のサーベルウルフとマンティコアが間に立つ。

 

 

「クソッ! クソッ! クソがぁぁぁあ! さっきからウロチョロしやがって…! ウゼーんだよ!!!」

 

「頭を冷やせクレマンティーヌ! 無策で攻めてどうにかなる相手ではあるまい!」

 

「分かってんよ! カジっちゃんもさぁ、もっとアンデッド出せないの…!?」

 

「無茶を言うな!!! ギガントバジリスクを抑えるだけで精一杯だ!」

 

 

本来ならギガントバジリスク10体となど戦いにすらならないが《アンデス・アーミー/不死の軍勢》によるアンデッドの無限召喚があるためなんとかカジット達は抑えることに成功していた。

とはいっても召喚されたアンデッド達は次々と屠られていくのだが。

後方からカジットとその弟子達が魔法で牽制し、なんとか戦線を維持している。

クレマンティーヌもクエイエッセと戦いながらすでに数匹のサーベルウルフやマンティコアを処理しているがこの戦いにおいて根本的な問題はギガントバジリスクなのだ。

それをどうにかするかテイマーであるクアイエッセをどうにかしないことには勝機はない。

だがクレマンティーヌもクアイエッセに致命打を与えることができない。

1対1にまで持ち込めれば勝機はあるのだがサーベルウルフやマンティコアによってそれを阻害される。

カジットもクレマンティーヌもあと一手が足りない。

それを見透かしたようにクアイエッセが口を開く。

 

 

「最初の威勢はどうしたクレマンティーヌ、それで終わりか?」

 

「くそ…! ナメやがってぇぇええ…!!!」

 

 

クアイエッセの挑発にクレマンティーヌはさらに冷静さを失っていく。

だがクアイエッセも決して余裕があって言っているわけでは無い。

彼からしてもあと一手が足りないのだ。

雑魚のアンデッドはいくらでも湧いてくる。

ギガントバジリスク達も無数のアンデッドとそれを援護するカジット達の攻撃によって攻め込む機会を逸していた。

クレマンティーヌも戦士職としては人類最高のレベル。

近接で深追いすればクアイエッセとて手痛い反撃を受けるのは目に見えている。

ならばこの膠着状態を崩す為にクレマンティーヌを精神的に揺さぶるのが最も効果的。

冷静さを失ったクレマンティーヌなら御しやすい。

無力化に成功すればその後にクアイエッセもギガントバジリスク達に合流できる。

そうなればカジット達を屠るのも難しくない。

だが。

そう分かっているのだが。

クアイエッセはこの戦いで訪れた勝機を数度逃している。

先ほどクレマンティーヌに攻撃を与えた時もそうだ。

すでにクレマンティーヌは冷静さを失っておりクエイエッセならば致命打を与えることができた。

だがしなかった。

いや、できなかったのだ。

いくら排除しようと心に決めても。

どんな大罪を犯そうとも。

クアイエッセにとってクレマンティーヌは大事な家族だった。

覚悟が揺らぐ自分を恥ずかしく思う。

大事なところで非情になれない。

そんな己の甘さをクアイエッセは呪った。

自分に妹は殺せない。

 

 

「う、ぐっ…! うぅぅぅううううう!!!!!」

 

 

突如クレマンティーヌの目から涙が零れる。

わずかに怯むクアイエッセ。

 

 

「ク、クレマンティーヌ…?」

 

「わ、私はなんで兄貴に勝てない…!? いつも、いつもだ…! 昔から全部兄貴が持っていく…! 私の欲しいもの全部だ…! 私の手には何も残らない…! 一つ残らず全部アンタが持ってくんだ…!!!」

 

 

口から出る呪詛の言葉。

 

 

「私はただ認められたいだけなのに…! 愛されたいだけなのに…! 私は誰にも必要とされない! 誰にも愛されない! わかるか…!? お前みたいに皆から愛されて生きてきた奴に私の気持ちがわかるかっ! 私はお前の引き立て役じゃないっ!!!」

 

 

その言葉にクアイエッセの胸が抉られる。

 

 

「どれだけ努力しても! 手の皮がズル剥ける程、剣を振っても! 寝る間を惜しんで修行に没頭しても! 男共に乱暴されても! 拷問されても! 誰も私のことなんて気にしやしない! お前だって心の中じゃ私のこと馬鹿にしてんだろぉがぁあああああ!!!!」

 

「違う、違うぞクレマンティーヌ…」

 

「何が違ぇんだよ! 違うなら言ってみろよ! 誰が私を必要としてる!? 誰が私を認めてる!? 私の事を愛してる奴なんてどこにもいねぇだろ!!!」

 

 

クアイエッセは気づかなかった。

妹の心がここまで荒んでいたことに。

妹はいつも結果を残してきた。

皆がそれを認めていた。

だから国にも認められ、漆黒聖典の地位まで上り詰めることができたのに。

妹は気づかなかっただけだ。

妹は皆に必要とされている。

 

それに何より妹の言葉にはハッキリと違うと言い切れる部分がある。

なぜなら。

 

 

「俺はお前を愛しているクレマンティーヌ」

 

「……え?」

 

「家族として、妹として。誰よりもお前を愛している。仮に世界中で誰もお前を愛さないとしても俺だけはお前を愛そう。神に誓ってもいい。俺は、俺だけはずっとお前を愛し続けると」

 

 

クレマンティーヌの瞳が驚きに見開かれている。

 

 

「て、適当な事言ってんじゃ、ねぇ…! なんだよ今更…! そんなん信じられるわけ、ねぇだろ…!」

 

「嘘じゃない。信じられないなら何度でも言ってやる。俺はお前を愛している」

 

 

クレマンティーヌへクアイエッセが近づく。

潤んだ瞳でクアイエッセを見つめるクレマンティーヌ。

 

 

「あ、兄貴…。ほ、ホントに…?」

 

「ああ、ホントだ」

 

「う、嘘じゃない…?」

 

「嘘じゃないよクレマンティーヌ」

 

 

クアイエッセの手がクレマンティーヌの髪を優しく撫でる。

 

 

「お前が犯した罪は許されることじゃない。だが俺も一緒に背負う。共に罪を償うよ。お前が投獄されるなら俺も投獄されよう。磔にされるなら俺もされよう」

 

 

クアイエッセは笑顔で「もちろんそうならないようにお願いするさ」と続ける。

そしてクレマンティーヌを抱き寄せ、優しくささやく。

 

 

「だから帰ろう。国へ」

 

 

兄に抱きしめられたクレマンティーヌの頬を大量の涙が流れていく。

 

 

「なん、で、私なんかのために……」

 

「いいんだよ、俺はお前の兄貴なんだから」

 

 

その言葉にクレマンティーヌが目を瞑る。

少し間が空いて。

 

 

「兄貴……、ありがとう……」

 

 

 

 

ズブッ。

 

 

 

 

不意に音が聞こえた。

クアイエッセの思考が一瞬で真っ白になる。

腹部を襲う激しい痛み。

耐えられずよろけるクアイエッセ。

咄嗟に腹部に当てた手を見るとそれは真っ赤に染まっていた。

 

 

「あはははははははっはあぁああああ!!!!! ありがとぉぉぉ兄貴ぃぃぃいいいいい!!!」

 

 

血に染まったスティレットを弄びながら腹を抱えて笑うクレマンティーヌ。

クアイエッセには何が起きたか理解できない。

 

 

「やばいやばいよ!! 途中で吹き出しそうになっちゃったよ!! あー兄貴あんた最高! 傑作だよ! あんなん卑怯だって!!! 絶対笑うに決まってんじゃん! ま、真面目な顔してさ! ひっひ、はっははっはああああああ!!!」

 

「な、なぜだクレマンティーヌ…。なぜこんなことを…、俺の愛が信じられないのか…?」

 

 

痛みに膝を突き、妹を見上げるクアイエッセ。

彼には何が悪かったのか分からない。

 

 

「あー、愛ねー。愛ハイハイ」

 

 

クアイエッセの腹の傷目掛けて思い切り蹴りを入れるクレマンティーヌ。

 

 

「がぁあぁぁああぁぁああ!!!!!」

 

「あんなん全部嘘に決まってんだろぉがぁああああ!! 何信じちゃってんだよ兄貴ぃぃ!!!」

 

 

地面に伏すクアイエッセ。

視界に映るのは地面に流れる腹部からの大量の血。

それだけでさきほどのスティレットの一撃が致命傷だと分かった。

 

 

「カジっちゃーん!」

 

「冷や冷やさせおって! 本当に情にほだされたかと思ったぞ」

 

「じょーだん。そんなわけないっしょ? それより早くやっちゃってよ」

 

「分かっとるわ!」

 

 

そう言うとカジットが先ほどまで壁として使っていた2体のスケリトルドラゴンを動かす。

それは死の宝珠の力とカジットの支援魔法によって強化されたスケリトルドラゴン。

 

 

「お前ら、準備はいいか!?」

 

 

カジットの声に弟子達が頷く。

テイマーが重症を負ったおかげでギガントバジリスク達の動きに乱れが出始めている。

その隙を突き、スケリトルドラゴン2体を1体のギガントバジリスクにけしかけるカジット。

だがパワーアップしたとはいえ元々は難度的に圧倒的にギガントバジリスクに劣る。

それでも2体のスケリトルドラゴンとカジット及び弟子達の魔法の雨に打たれれば流石のギガントバジリスクも手も足も出ない。

クアイエッセが健在ならば他のギガントバジリスクを動かし止めに入っただろう。

だが今はクレマンティーヌの足元で横になっている。

つまり連携の取れないギガントバジリスクならば各個撃破が可能。

そしてギガントバジリスクの1体が倒れる。

この瞬間、戦況は一気に逆転する。

 

他の2体のギガントバジリスクを止めていたスケリトルドラゴンを動かした為にその隙を突きその2体が同時にカジット達へと向かってくる。

だが戦況はもう覆せない。

 

 

「《アニメイト・デッド/死体操作》…!」

 

 

カジットが魔法を唱え、死んだギガントバジリスクを操作し手駒に加える。

そのギガントバジリスクが向かってくる1体のギガントバジリスクとぶつかる。

そしてもう1体は先ほどのようにスケリトルドラゴン2体とカジットとその弟子達の同時攻撃の雨にさらされる。

倒れるギガントバジリスク。

再びカジットが《アニメイト・デッド/死体操作》を唱える。

 

そこからはもう消化試合のようなものだった。

ギガントバジリスクが死ぬ度にカジットの手駒として蘇っていく。

もうその勢いは止められない。

戦況は完全に決した。

やがてギガントバジリスクは全てアンデッドになり、クアイエッセの使役していたサーベルウルフやマンティコアは次々と惨殺されていった。

 

 

「あっはあっはっははっは!!! 見てる兄貴ぃ!? あんたの手駒全滅しちゃったよ!? ねぇ悔しい? 妹に騙されて足蹴にされて馬鹿にされて独りぼっちの気分ってどんなの!?」

 

 

クアイエッセの顔を踏みつけながら愉悦の表情に歪んだクレマンティーヌが問いかける。

狂ったように笑い、狂ったように叫ぶ。

それを見たクアイエッセの目には涙が浮かんでいた。

 

 

「ぷっ!! あははは!!!! 何泣いてるの兄貴! 何か悲しいことでもあったのかなー? ほーら可愛い可愛い妹に話してごらん? 慰めてあげるよー?」

 

 

完全に上機嫌になっているクレマンティーヌの笑いは止まらない。

だが次の言葉でその表情が一変する。

 

 

「俺は、俺ではお前を救うことができなかったのだな…。そうだ、俺は悲しい…。お前を救えなかったことが悲しくてたまらないんだ…。哀れな妹クレマンティーヌよ…。お前を救えなかった兄を許してくれ…」

 

「何を言ってる…? 今お前が言うべきセリフはそうじゃねぇだろ…? 情けなくみっともなく生き意地汚く命乞いするところだろぉがぁあああああ!!! おら言え! 助けて下さいって言うんだよぉぉおおお!!!!」

 

 

こめかみに血管を浮きだたせクレマンティーヌの怒りが飛び出る。

だがいくら恫喝してもクアイエッセは怯まない。

 

 

「神よ、どうか哀れな我が妹をお許し下さい…」

 

「黙れ黙れよぉっ! 私が聞きたいのはそんな言葉じゃねぇんだよ!!!」

 

 

クレマンティーヌの怒りが決壊する。

クアイエッセの顔を何度も蹴りつけながら叫ぶ。

だがその言葉は届かない。

クアイエッセは死を覚悟してなお、妹を思って祈っていた。

 

 

「そして叶うならばどうか、我が妹をお救い下さい…」

 

 

怒りが頂点に達したクレマンティーヌの口から恐ろしく低い声が響いた。

 

 

「もういい、死ねよ」

 

 

そしてクレマンティーヌがスティレットを構えた瞬間。

 

 

天から光が降り注ぎエ・ランテルを照らした。

 

 

その光はあまりに神々しく、威厳に満ち、荘厳で、あまりにも現実離れしていた。

墓地の最奥であるここからでも十分にその光が見える。

クレマンティーヌもカジットもその弟子達もあまりのことに何が起きたかわからずただただ立ち尽くしている。

 

ただこの中でクアイエッセだけが神の存在を感じていた。

自らの祈りが神に届いたと信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

名犬ポチの意識が闇から浮かび上がる。

目の前の痴態をさらしている男に再び意識を持っていかれそうになるが何とか耐える。

なにせ一刻も早く行動せねば大切なソファーを失うかもしれないのだ。

そして名犬ポチが意識を手放した時間はわずか数秒にしか過ぎないのだが体感時間は違った。

まるで長い間、意識を失っていたかのような錯覚に陥っていたのだ。

よくボクサーとかがダウンした時に感じるアレである。

時間を無駄にしたと焦る名犬ポチ。

そして目の前の男が冷静さを取り戻すのを待つ余裕もない。

迷わず魔法を唱える。

 

 

「わん!(《タイム・ストップ/時間停止》)!」

 

 

その瞬間、世界が止まる。

ニグンらしき変態を口に咥え引き摺りながら名犬ポチは駆けだす。

ただひたすら墓地へ向かって。

その後も残りの魔力量も気にせずタイム・ストップ/時間停止》を連発していく名犬ポチ。

かくして実時間にしてわずか数十秒で墓地までたどり着くことに成功した名犬ポチであった。

 

そして偶然にもその墓地の先で見つけることになる。

自分が復讐すべき相手を殺した愚か者を。

 

 

 

 

 

 

 

 

「い、一体なんだアレは…!?」

 

 

エ・ランテルを包む謎の光を前に怯えを隠しきれないカジット。

クレマンティーヌも同様であった。

しばらくその光に見とれてしまっていた。

 

だがクレマンティーヌはやがてはっと思い出す。

自分は兄を殺す途中だったことに。

 

 

「ちっ、何が起きたか知らねぇーけど、とりあえずあんたは死んどけ」

 

 

そしてスティレットを突き刺そうとした瞬間。

 

 

「わん(おい)」

 

 

謎の声が聞こえた。

 

 

「えっ!?」

 

「な、なにっ!?」

 

 

クレマンティーヌもカジットも驚きを隠せない。

いつのまにか目の前に謎の生物がいた。

だがいくら光に気を取られていたからといってこの距離まで気付かずに接近を許すとは思えない。

そして周囲にいたアンデッド達も先ほどまで反応していなかったように、今になって反応した。

そう、まるで何もないところから急に現れたように。

 

 

「わん(オメーか、あいつらを殺ったのは)」

 

 

名犬ポチは目の前の女の持つ武器を見て確信した。

あいつを殺ったのはこいつだと。

そしてその後ろを見る。

ハゲがいる。

 

 

「わん(む? それにお前か? あいつらをアンデッド化させたの)」

 

 

自分が倒すべき者共を見据えていると意外なところから声があがる。

 

 

「う、裏切り者のクレマンティーヌ!? 足元にいるのはクアイエッセ殿か!?」

 

 

先ほどまで狂乱の極みにいたニグンだが、見える景色が一瞬で変わったせいなのか多少冷静さを取り戻していた。

 

 

「あぁん? 誰だテメー? ん…、本国で見たことあるな…。 っ! 思い出した! 陽光聖典の隊長か!?」

 

「なんだと!? 追っ手は一人師団だけではなかったのか!?」

 

 

ニグンの正体を思い出すクレマンティーヌとそれに反応するカジット。

 

 

「どんだけ、追っ手を差し向けりゃあ気が済むんだよあのクソ法国は…!」

 

「だがバカめっ! 少し遅かったな! 今更出てきたところでもう手遅れだ! この軍勢を相手にまともに戦える者などおらぬわ! こいつを殺せっ!」

 

 

高笑いをしながらカジットはギガントバジリスクをけしかける。

 

 

 

「わん(そこは危ないぜ?)」

 

「グォオォォォオオオ!!!」

 

 

咆哮を上げながら10体ものギガントバジリスクが名犬ポチとニグンへ殺到する。

 

突如、地面からあらゆる種類の犬達が生えてきてギガントバジリスクの足をガシッと掴む。

ニコリと笑う犬達。

次の瞬間。

ギガントバジリスク達は全て爆散した。

比較的近くにいたクレマンティーヌの体にギガントバジリクの肉片が降り注ぐ。

 

 

「わん(だから危ねぇって言ったろ?)」

 

 

《マット・マイン/雑種犬地雷》

名犬ポチがすでに仕掛けていたこの魔法は第6位階に属する。

犬型の地雷であり、上を通った者は多種多様な犬たちに足を掴まれる。

ありとあらゆる種類の肉球の柔らかさを感じたが最後。

対象者はそれに耐えられず爆散してしまう。

普段から肉球に慣れていない者などは一撃で致命傷になりえるので注意が必要である。

 

 

 

「あ、あぁ、ああああ…」

 

 

ギガントバジリスク10体が瞬殺される。

目の前のことに理解が追い付かない。

押し寄せる恐怖を直感的に信じられず、たまたまであると無理やり自分を納得させるカジット。

 

 

「な、なかなか強力な魔法を使えるようではないか…! だが馬鹿め! こちらには魔法に絶対耐性を持つこいつらがいるのだ! ゆけっ!! スケリトルドラゴン!!! 」

 

 

どんな強力な魔法を使えようが関係ないとカジットはほくそ笑む。

スケリトルドラゴンは魔法を無効化するからだ。

ギガントバジリスクに戦闘力では劣るとはいえ魔法を行使する相手ならばこれほど最悪な相手はいない。

カジットは勝った、と確信する。

 

 

「わん(スケリトルドラゴンか、絶対耐性? それ第6位階までだろ?)」

 

 

ぷにっと両手の肉球を勢いよく合わせる音が響き、離した両手の間には白い電撃が弧を描いていた。

生き物のようにのたうつ雷撃の反応を受けて、周囲の空気がバリバリと放電して輝く。

まるで名犬ポチが白い光に包まれたようだった。

 

カジットの目が大きく見開かれた。

もはや言葉はない。

自らの認識を遥かに超えた魔法の発動であることは理解できた。

目に焼き付くような光の中、その小動物が薄ら笑いを浮かべているのが見えた。

 

 

「わん(つまりはこの名犬ポチの魔法は無効化できないということだ)」

 

 

カジットの直感が認めた。

自分は負ける。

真の敵は陽光聖典の隊長などではなかった。

その横にいる謎の白く小さな生き物だ。

手元で踊る電撃の奔流を見るだけでそれが伝説以上の存在だと理解できてしまう。

そしてスケリトルドラゴンはいとも容易く滅ぼされれてしまうのだと。

その時カジットの脳裏にその存在に一つ思い当たるものがよぎる。

 

 

「ま、魔神…!!」

 

 

反射的に呟いてしまったカジットへ目ざとくニグンが返す。

 

 

「訂正してもらおうそこなるネクロマンサー。ここにおわすは神。我々法国が、そしてこの私が心より絶対の信仰を誓う唯一無二の神その人である! さあ罪人共よ、罪を悔い慈悲を乞え」

 

 

いい顔で言うニグン。

その言葉をバカな、と否定したいカジットだが否定する言葉が喉から出ない。

 

まさか本当にそうなのか?

嫌だ。

そんなのは嫌だ!

ここまで来たのに邪魔されるなんて!

心が叫ぶ。

 

 

「神だと!? それが何の用だ! なぜ今更現世に降りてくる! なぜ儂の邪魔をする!? 儂が祈った時など何も答えてくれなかった愚物が! 今更しゃしゃり出てきおって! 儂がこの街で費やした5年の歳月! 30年以上経とうが忘れえぬ思い! それらを無に返す資格などあるものか! 突然現れたお主なんかにぃいい!」

 

「わん(うっせハゲ)」

 

 

カジットは自問する。

何が起きたのか。

そして何が悪かったのか。

経緯はともあれあの一人師団の部隊に自分は勝利したのに。

その力をわが物とし、自分は人類最強の力を手に入れたのに。

それが一瞬で霧散し、なぜ敗北を味わうことになるのだ?と。

だが誰も答えてはくれない。

 

 

「わん(《ダブルマジック/魔法二重化》《チェイン・ドッグ・ライトニング/連鎖する犬雷》)」

 

 

名犬ポチの両手からそれぞれ一体ずつ、よたよたと頼りない歩みの小さな犬が打ち出された。

 

 

「ハッ、ハッ、ハッ」

 

 

舌を出しながらてくてくと歩いていく二匹の犬。

その犬達がそれぞれスケリトルドラゴンまで近づくとぴょんっと飛びつく。

そして体に接触した瞬間。

二匹の犬は激しい雷撃となりスケリトルドラゴンの体を崩壊させる。

 

 

《チェイン・ドッグ・ライトニング/連鎖する犬雷》

第7位階に属するこの魔法は《チェイン・ドラゴン・ライトニング/連鎖する龍雷》の完全下位互換である。

威力も速度も全てが劣る。

唯一メリットを考えるとするならば時間差があるためコンボに組み込み易い点か。

とはいえ魔法詠唱者(マジックキャスター)ではない名犬ポチが使える貴重な攻撃魔法である。

 

 

 

2匹のスケリトルドラゴンが崩壊する瞬間。

カジットの脳裏に幾多の映像が流れていく。

 

カジット・デイル・バダンテール。

彼はスレイン法国の辺境で生まれたごく普通の子供だった。

そんな彼が今のようになったきっかけは母の亡骸を見つけたことだった。

母に早く帰れと言われながらも遊ぶことに夢中で帰りが遅れた。

叱られると思いながら家に帰ったカジットを迎えたのは床に転がった物言わぬ母親だった。

死因は「脳に血の塊ができていたため」と聖職者達は言った。

誰のせいでもない。

いや違う。

もしあの時自分が早く帰っていれば母を救えたのではないだろうか。

愛していた母親の苦痛に歪んだ顔。

それは自分から生じた罪だ。

そしてカジットは母親を蘇生させるための人生を歩む。

だが魔法を学んでいったカジットに一つの問題が直面する。

信仰系魔法の第5位階に復活の魔法が存在する。

しかしその魔法では生命力が足りない者は復活できず灰になってしまう。

それでは母親の蘇生は不可能だった。

だから新たな魔法を求めた。

彼の母親でも復活できる魔法。

だがそこへ至る道のりは果てしなく遠い。

だから自らアンデッドとなり悠久の時の中で答えを探そうとしたのだ。

そしてついに死の螺旋を使いそれが叶う時がきたのだ。

それなのになぜ。

なぜこの時になって邪魔が入るのだろう。

嫌だ。

嫌だ。

そんなのは嫌だ。

おかあさん。

おかあさんに会いたい。

ただ会いたいだけなのに。

 

カジットは絶望に打ちひしがれ、その場に崩れ落ちた。

 

 

 

「びゃぁあああぁあぁっぁああ神ぃぃいぃいいいいいい!!!!!!!!」

 

 

名犬ポチの横でビクンビクンと痙攣し続けているニグン。

彼はこの度重なる魔力に耐えきれずひたすらその身を揺らしている。

あまりにも様子がおかしいので他人のフリをする名犬ポチ。

 

 

「わん(邪魔が入ったな、俺の目的はお前だ)」

 

「ひっ…!」

 

 

クレマンティーヌの全身がゾワリと震えた。

何を言ってるかは分からないがその視線が自分を殺すと告げている。

しかもその相手は複数のギガントバジリスクとスケリトルドラゴンを瞬殺したのだ。

クレマンティーヌには怯えるしかできない。

 

名犬ポチはこの世界に来てから初めての怒りに震えていた。

この怒りを抑えることができない。

自分の復讐すべき相手を、玩具を。

殺した相手が目の前にいるという事実だけで心が荒れ狂う。

本気を出すことを決意する名犬ポチ。

 

普段の名犬ポチはその肉体能力に制限がかかっている。

これは種族オーバードッグのデメリットによるもので戦士職にするとレベル33程しかない。

しかしオーバードッグのとあるスキルによりその枷が外れる。

それは<超越化>。

このスキルを発動することで毛が逆立ち、気のオーラが体を包む。

気のオーラは電撃を帯びており、バチバチと音を鳴らす。

これはビジュアルだけの問題で特に効果は無い。

 

そして名犬ポチの肉体能力は本来の数値へと戻るのだ!

戦士職にしてなんと、レベル66相当である!

 

名犬ポチの本気が強いとは言っていない。

まあ戦士職でも魔法詠唱者(マジックキャスター)でもないことを考えると、この数値はさほど悪いものではないのだが人間種よりステータス的に勝る異形種ということを考慮するとやはり微妙と言わざるを得ない。

ちなみにユグドラシルでは発動する意味すら存在しないクソスキルであった。

高レベル帯で戦士職でもない者が中途半端に強くなっても用途は無いのだ。

 

 

「わぉぉぉん!(うぉぉおおおおおおおおお!!!!!)」

 

 

スキルの発動と共に名犬ポチの全身の毛が逆立つ。

これがパーフェクト名犬ポチの姿である。

 

 

後手に回ったらやられると判断したクレマンティーヌが瞬時に動く。

疾風走破の名に恥じぬ神速の突きを名犬ポチに向かって放つ。

だが名犬ポチの肉球に容易く止められる。

何度も。

何度も。

何度も。

そのあまりの柔らかさに心を折られるクレマンティーヌ。

攻撃の手が止まる。

それは終わりの始まり。

 

お返しとばかりに名犬ポチの全力のパンチがクレマンティーヌの頭部へ直撃する。

戦士職レベル66相当による全力パンチ。

ひとたまりもない。

吹き飛び、大地を転がっていくクレマンティーヌ。

だが名犬ポチは素早く駆け出すと、先回りし転がってくるクレマンティーヌへカカト落としを決める。

もの凄い衝撃で叩きつけられ、地面がクレーター状に抉れる。

そしてクレマンティーヌに馬乗りになりマウントをとる名犬ポチ。

そこからは蹂躙だった。

デンプシーロールの要領で8の字に体を動かしながらその反動で左右のパンチを何度も放つ。

本来ならばすでに意識は、いや死んでてもおかしくないクレマンティーヌ。

だが彼女はまだ死んでおらず意識もまだそこにあった。

これは名犬ポチのスキルによるものである。

 

 

<パッド・タッチ/肉球の接触>

接触する直接的な手段で相手にトドメを刺せなくなるが肉球による状態異常を追加できるようになるスキル。

 

 

このおかげでまだ命を繋げているクレマンティーヌ。

最初の一撃で命のほとんどを刈り取られたのを自覚していた。

そしてその後に襲い来る追撃。

死を覚悟したものの、なぜか死が訪れない。

その圧倒的な暴力は未だこの体を襲っている。

何度も、何度も。

だが気付くと途中から自分は何も感じなくなっていた。

殴られる衝撃は体に伝わってくる。

殴られる度に足が跳ね上がる。

だが痛みは無い。

不思議な感覚であった。

伝わってくるのは痛みではなく衝撃のみ。

これは何なのだろうと問答する。

先ほど陽光聖典の隊長である男がこの存在を神と呼んでいた。

馬鹿な、と一笑に付してしまいたくなるような妄言。

だが今は笑えない。

むしろわずかに納得しかかっている自分がいる。

自分は神の怒りに触れたのか。

そう思った。

だがならばなぜ神は自分を殺さないのだろう。

分からない。

考えても分からない。

自分は昔から考えるのは苦手だ。

クレマンティーヌは難しい事を考えるのをやめた。

 

なぜなら彼女は至福の中にいた。

圧倒的安心感と謎の幸福感がこみ上げてくる。

いくら攻撃を食らっても痛みを感じない。

それどころが殴られるたびに至福を感じる。

幸せを与えられていく。

わずかに心をよぎった感情。

その正体に気付かないまま、だらしなく緩んでいく表情。

クレマンティーヌはただ、その快楽に身を委ねた。

 

 

 

 

 

 

 

しばらくして気が済んだ名犬ポチはクレマンティーヌを殴るのをやめ立ち上がる。

ちなみに自分のスキルの効果は忘れている。

名犬ポチ自身は殺す気満々で殴っていた。

 

 

「わん(あー、スッキリしたぜ)」

 

 

それを見ていたニグンは神へ捧げる祈りのポーズを取っていた。

 

 

「さ、さすがは神…! その神々しい御姿はまさに全知全能の存在に相応しきお姿…! そして体から溢れる抑えきれぬ程の威光…! ああ、そして何よりも慈悲深きその御心…! ああ、神…! つまり救済とは、なるほど、そういうことなのですね…?」

 

「わん?(は?)」

 

 

意味がわからない。

ニグンの病気がまた始まったかと、肩をすくめる名犬ポチ。

だが病人はニグンだけでなかった。

 

 

「ああぁああぁあぁああああ!!!! 神よぉぉぉおおおおおお!!!!!!」

 

 

致命傷を受け倒れていたはずのクアイエッセ。

だが誰よりも信心深い彼が神の威光を前にし、ただジッとしていることなどできない。

自分の理解を超える神のオーラを、威光を、力をその身に感じたのだ。

誰も彼を責めることなどできまい。

 

 

「わ、私は信じておりましたっ! いつか神が降臨し人類をお導きになるとぉぉおおお!!! 我が信仰をお受け取りくださいぃぃいいい!! 私の全てを捧げますぅぅうううう!!」

 

 

名犬ポチににじり寄りその体を舐めまわす。

限りなく不敬なのだが正気を失った彼にそれが分かるはずもない。

 

 

「わ、わんっ!(や、やめっ! 何っ! 何なの君! 初対面で人の体舐めるとかっ!)」

 

「か、神よぉぉぉ!!! グハァッッ!!!!!!」

 

 

だが突如激しく吐血するクアイエッセ。

腹の傷は致命傷であり、本来動いていいような状況ではないのだ。

そのまま力なくパタリと倒れ込む。

 

 

「ク、クアイエッセ殿ぉぉおーーーーー!!!」

 

 

ニグンが思わず駆け寄り体を揺さぶる。

 

 

「目を開けられよ! 意識をしっかりと持つのだ! い、逝ってはならん! まだ逝ってはならんぞ! 我々は神にその信仰を捧げねばならぬのだ! 気を確かに! クアイエッセ殿ぉぉお!!!!」

 

 

だがニグンの言葉にクアイエッセは答えない。

ただその満足気な表情だけが印象的だった。

 

そしてクアイエッセの吐血を受け、全身を真っ赤に染めた名犬ポチ。

訳もわからず、ただただ震える。

 

 

「わん…(なんなの、もう。こんなのいやぁ…)」

 

 

 

だがこれはまだ、神による救済の序章に過ぎない。

名犬ポチの受難は続く。

 

 

 

 

 

 




後編へ続く。




想定よりも長くなりました。
今後は想定よりも長くなるのだなと想定して書かなければならないことを想定して…うん。
よく分からなくなってきました。
神よ、私をお導き下さい。


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救済の螺旋:中編(挿絵あり)

前篇、後編ときたら中編もあっていいと思うんですよね


空から降り注ぐ光が都市に溢れるアンデッド達を消滅させた後、エ・ランテル内では民衆達が家族や隣人と抱き合い無事を喜んでいた。

それを見ていたガゼフとその部下達もほっと胸を撫で下ろす。

何が起きたかは分からないが助かったことだけは間違いないのだ。

そのガゼフ達の元へと陽光聖典の一人が近づいてくる。

 

 

「ガゼフ殿、無事でしたか」

 

「うむ、そちらも無事だったようだな」

 

「ええ。しかし墓地にはまだアンデッドが確認されています。我々陽光聖典はこれからそれらの排除に墓地へ向かいます。ガゼフ殿達は冒険者の方々と共にエ・ランテル内に残り都市内を警護して頂けないでしょうか? 建物や塀は破壊されていますし、怪我をした市民も多いので手当ても必要でしょう」

 

「それは構わないのだが…、残りのアンデッドはお主たちだけで大丈夫なのか?」

 

「それは問題ありません。神から下賜された装備もありますし、隊として動くならばアンデッドなど敵ではありません。殲滅戦は我々の得意分野ですから」

 

「そうか…。分かった、お言葉に甘えるとしよう。もちろん助けが必要なら呼んでくれ、すぐに駆け付ける」

 

 

ガゼフの言葉に頷いた陽光聖典の隊員は仲間を集め墓地へと向かう。

それを見送ったガゼフとその部下達。

 

 

「ガゼフ隊長。私にはあの者達とついこの前、殺し合いをしたばかりだというのが信じられませんよ」

 

「そうだな、私もだ。全員裸になるという謎の経緯はあったものの、陽光聖典の者達も今は敵対の意思はないようだ。何より王国領であるエ・ランテルの危機に共に立ち向かってくれた。人は助け合えるのだ。それが分かっただけで私は嬉しいよ」

 

「そうですね、隊長…。その通りです」

 

 

感じ入ってるガゼフとその部下達。

そこに都市長パナソレイが近づいてくる。

 

 

「ガゼフ殿、ガゼフ殿ではないか! 助かったよ! 部下から聞いたがエ・ランテルのために戦ってくれたとか! この都市を代表して礼を言わせてくれ!」

 

 

ガゼフに礼を告げるパナソレイ。

だがガゼフの顔は暗い。

昨晩逮捕された件に加え、牢から逃げ出したこともバレたらマズイだろうと思ったからだ。

 

 

「しかしまさか数日前に任務とやらでカルネ村に向かっていたガゼフ殿がちょうど戻ってきてくれていたとは! いやぁ本当に運が良かったよ!」

 

「え?」

 

「アンデッドが都市を襲っているときにどこからともなく現れて民を救ってくれたと聞いているよ。いや、流石は王国戦士長、その強さは噂に違わないものだったと聞いておる!」

 

「あ、あの…昨日、逮捕された件は…」

 

「ああ、あれか! ガゼフ殿の耳にも届いていたか。うむ、昨晩謎の集団が出たとの報告があってな、牢に閉じ込めておいたのだがこの騒動の中、どこかへと消えてしまったらしい。一応今後しばらくは冒険者達に警戒はさせるつもりだが、恐らくすでにどこかへ逃げ出したかアンデッド共に食われてしまっただろう。まぁエ・ランテルとしても復興に忙しくて逃げ出した犯罪者共に関わっている余裕はなくてな。戦士長としては不本意かもしれんがその件については許して欲しい…」

 

「い、いえ、そ、それではしょうがない、ですな! ははは…」

 

 

捕えていた犯罪者を逃がしてしまったことを詫びるパナソレイ。

その後パナソレイは色々と仕事があるらしく早々に去っていった。

 

 

「助かり、ました、ね…。戦士長…」

 

「う、うむ…」

 

 

どうやら助かったらしい。

複雑な気持ちを抱くガゼフだが、王に迷惑をかけるわけにもいかないのでこのまま知らない振りをしようと心に決める。

そして部下達と都市内の巡回へ向かうガゼフ。

道中で怪我をした市民を見つけると手当や安全な場所への案内をしていく。

その中で市民が話している一つの話題に興味を引かれた。

助けた市民の何人かがそれを口にしていたのだ。

謎の剣士に命を救われたと。

珍しい武器を使う剣士で、少なくともガゼフやこの都市の冒険者ではないようだった。

 

 

「陽光聖典の者達でもないようですし何者でしょう? 他国の冒険者でしょうか?」

 

「話だけでは分からんな…。だがやはり人は捨てたものではないな! 民の危機に立ち上がる者が我々の他にもいるとはな。もし会えればお礼をしたいものだ」

 

 

部下達とそう話しているガゼフの横を一人の男が通り過ぎる。

ガゼフの脳裏に一人の男の姿がよぎる。

その通り過ぎた男へと思わず声をかけるガゼフ。

 

 

「ま、待ってくれ! お、お主だろうか…? 民たちを助けてくれた剣士というのは…。そうならば是非お礼をさせて欲しいのだが…」

 

 

だがその言葉に男は振り返らない。

その背中にはなぜか悲壮感のようなものすら感じる。

 

 

「別に助けたわけじゃない。襲い掛かられたから返り討ちにしただけさ。あと俺の事は放っておいてくれ、もうこの国に未練は無いんだ…」

 

 

そう言って男は立ち去ろうとする。

だがガゼフはその男の正体に気付いていた。

忘れるわけがない。

例え背中だけでもこの気配を間違えることなど決してないのだから。

 

 

「そうか、残念だアングラウス…。時間があるなら一度くらい手合わせをお願いしたかったのだが…」

 

 

その言葉に男は瞬間的に振り返る。

顔には驚愕が広がっていた。

 

 

「ガ、ガゼフ…? ガゼフなのか!? ガゼフ・ストロノーフか!?」

 

 

そうしてガゼフへと詰め寄るブレイン。

そのままなぜかブレインの目から涙がボロボロと零れ落ちる。

 

 

「ど、どうしたアングラウス!? け、怪我でもしているのか!?」

 

「良かった…! 良かった…、ガゼフ…! ああ、なんだ昨日の事は俺の思い違いだったんだな…。ハハッ、そうだ。考えればすぐに分かることなのにな…。昨日は衝撃的なことがあったから悪い夢でも見ていたのかもな…。ガゼフが裸になって捕まるなんてそんなことあるわけないのにな…!」

 

「……」

 

 

ブレインの言葉に固まるガゼフ。

 

 

「どうしたガゼフ?」

 

「い、いや何でもないさアングラウス! そ、そうだ! わ、私が捕まるわけないだろう! わ、悪い冗談だ! は、ははは…!」

 

「だよなぁ! ハハハハハ!」

 

 

ガゼフの挙動不審な笑いとブレインの屈託の無い笑いが辺りに響いた。

 

結局ガゼフ逮捕の件は広まることなく終わった。

というより誰も捕まった人物が王国戦士長だとは思っていなかったらしい。

それどころかエ・ランテルの窮地に駆け付けた英雄として語り継がれることとなるのである。

王都に帰った後も賞賛を浴びることになるガゼフだが、その姿は己の功を誇らない謙虚な姿であったという。

民衆からの支持は上がる一方であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

漆黒の剣の4人はエ・ランテルを照らした光がニグン達によるものではないかと察していた。

 

 

「都市内はもう大丈夫みたいですね」

 

「うむ、もしかするとこれもあの御仁によるものかもしれぬな」

 

「どうやらまだ墓地にはアンデッドがいるみたいだぜ、俺らも行こう! このままじゃあまりにもいいとこ無しだしな!」

 

「そ、そうですね! 少しぐらいは役に立たないと…。それにまだ墓地で戦っているかもしれませんし…」

 

 

4人は互いの言葉に頷くと墓地を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

ブリタは空を見上げてただただ泣いていた。

この光が何なのかわからないが、もし自分の知っている中でこんなことができると思える者は一人しかいない。

 

 

「そっか…。助けてくれたんですね…」

 

 

ブリタは流れる涙を拭きながら己の考えが早計であったことを恥じる。

やはりあの人は英雄だった。

 

 

「皆、ごめん! 私行かなきゃ!」

 

 

そう他の冒険者達に告げ、ブリタは駆けだす。

まだ墓地の方ではアンデッドが出てきているらしい。

きっとあの人ならそこにいるだろうと確信していた。

謝りに行かなければ。

自分の実力では深入りはできないがそれでも行くべきだと思う。

そして、憧れる英雄に少しでも近づくのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

エ・ランテル墓地。

 

ブルブルと体を揺らし体に着いた血を跳ね飛ばす名犬ポチ。

横ではニグンがクアイエッセに回復魔法を唱えている。

 

 

(しかしなんだったんだアイツは…)

 

 

クアイエッセを見ながら先ほどの恐怖を思い起こす名犬ポチ。

そういえばさっきニグンが「卑猥でっせ」って言ってたなと思い出す。

ふと過去にニグンとした話を思い出す。

確か法国のヤバイ兄妹の片割れだ。

 

 

(なるほど、その名に恥じぬ男ということか…)

 

 

クアイエッセに対して警戒レベルを引き上げる名犬ポチ。

だがとりあえず今は死にかけなので放っておくことにする。

 

そして目の前には先ほどボコボコにした女。

大量の鼻血を出しながらピクピクと痙攣している。

 

あとはハゲが残っているだけだ。

こいつの使役するスケリトルドラゴンは倒したがこいつ自身にはまだ何もしていない。

 

 

(こいつもボコボコにするか…)

 

 

そう思い殺気満々でカジットの前に立つ名犬ポチ。

カジットも名犬ポチが自分の目の前まで来た事で擦れた悲鳴を上げる。

 

 

「お、お願いだ…、た、助けてくれ…」

 

「わん(ダメだ)」

 

 

カジットに無慈悲な返答が返る。

そして拳を、いや肉球を振りかぶる名犬ポチ。

それがカジットに届こうかという瞬間、神速の動きで間に割って入る者がいた。

 

それはクレマンティーヌ。

 

例えどれだけ瀕死であろうとも、人外、いや英雄の領域にまで踏み込んだ存在。

その力は決して侮れるものではない。

 

 

「がふっぅ!!!!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

「わん!?(えええええ!!??)」

 

 

そしてカジットの代わりにパンチをその身に受け吹っ飛ぶクレマンティーヌ。

 

 

「わ、わん…(な、なんだ…一体…)」

 

 

吹き飛んだ先ではまたピクピクと体を痙攣させている。

何かの間違いかと思い再びカジットに対してパンチを出そうとする名犬ポチ。

しかし再び神速の動きでクレマンティーヌが間に入り壁となる。

 

 

「ごぼぁああぁあああ!!!」

 

「わぁああん!?(な、何ィィィィイイイイ!?)」

 

 

また吹き飛んでいくクレマンティーヌ。

名犬ポチは訳が分からない。

な、なんだ、この女はなんなのだ。

その想いだけが名犬ポチの胸に去来する。

 

呆気にとられている名犬ポチ。

その間にクレマンティーヌはなんとか体を動かし名犬ポチの元まで這いずって近づいてくる。

そして名犬ポチの元まで来ると縋るようにその身体に手を伸ばす。

 

クレマンティーヌの瞳を覗いた瞬間、名犬ポチは激しい嫌悪感に襲われた。

その瞳に情欲に塗れた感情を宿していたからだ。

 

 

「も、もっと、もっとちょーだい…♡」

 

「わ、わん!(うわぁぁあぁぁ!!!!)」

 

 

思わず腰を抜かしへたり込む名犬ポチ。

視線がふとクレマンティーヌの股間へと動く。

そして名犬ポチは全てを察した。

さきほどこの女の名前をニグンが言っていたではないか。

濡れマンてぃーぬ、と。

あの変態の妹だ。

 

 

(こ、こいつもその名に恥じぬ存在だというのか!? おのれ、法国、なんと闇深き国よ!)

 

 

近づいてくるクレマンティーヌに怯える名犬ポチ。

反射的に手が出てまたパンチをお見舞いしてしまう。

 

 

「くっはぁあああっぁああああ♡」

 

 

嬌声と共に吹き飛んでいくクレマンティーヌ。

気付くと後ろにニグンとクアイエッセが立っていた、どうやら回復したらしい。

 

 

「わん!(何見てんだよニグン! 止めろよ!)」

 

「流石は神…」

 

「わん!?(えっ!?)」

 

「あのクレマンティーヌがまさか自己犠牲に目覚めるとは…。これも神の愛に触れたが故ですね…」

 

 

ニグンの言葉にクアイエッセが続く。

 

 

「ああ、なんと慈悲深いのでしょうか…。あの妹にあれほど熱を込めて導いて下さるなど…」

 

「わ、わん(い、いや何言って…)」

 

「そうですともクアイエッセ殿! 神は殺す気ならば簡単にクレマンティーヌを殺すことが出来たでしょう! だがそうしなかった! それどころか私にはあの一撃一撃に愛を込められていたように感じました! まるで間違いを犯した子供を叱るかのような寛大さと優しさ! きっとクレマンティーヌも神のお力に触れ、己の間違いに気づいたに違いありません!」

 

「まさに! まさに! 私にもそう感じられましたニグン殿! あの妹がわが身を顧みず人の盾になるだなんて…! うぅ、私にはまだ信じられません! この感動! この高まり! ああ、どう表現したらよいのでしょうか!」

 

「聞こえるかクレマンティーヌよ! それが神の愛だ! そして自己犠牲を厭わぬその精神! それもまた愛である! それこそが祈りであり信仰! 我々法国民の目指すべき場所である! お前は神の導きによってその境地まで達したのだ!」

 

「わ、わん…(く、狂ってやがる…)」

 

 

ニグンの言葉が耳に届いたクレマンティーヌはそれを己の中で反芻する。

確かに思い当たることはある。

この神と呼ばれる存在の一撃には痛み以外の何かがあった。

抵抗も出来ないほど強大な力で無理やり抑えられ、その拳で絶命するのではないかというギリギリを責めてくるあの手腕。

あの力の前では自分はあまりにも無力だった。

英雄の域まで到達した自分がまるで赤子のように簡単にねじ伏せられる。

力で征服されるあの感覚。

獣のような獰猛さと悪魔のような繊細さ。

こんなのは初めてだった。

たまらない。

 

 

「はぁっ、はぁっ…、こ、これが愛…? これが信仰…?」

 

 

ニンマリと表情が緩むクレマンティーヌ。

自分の中に生じた謎の感情、あるいは気持ちの正体に気付いたのだった。

 

 

「サイッコー……♡」

 

 

クレマンティーヌはこの時をもって信仰に目覚めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「わん(こんなの絶対おかしいよ)」

 

 

名犬ポチの言葉は誰の耳にも届かない。

むしろニグンとクアイエッセの賞賛の言葉が届くばかりだ。

頭を抱え膝から崩れ落ちる名犬ポチ。

それと同時に色々と諦めた。

 

とりあえず気を確かに持ち、目の前のハゲをどうにしかしようと考えるがすぐ近くまでアンデッドが迫ってきていることに気付く。

 

 

「わん?(あれ? アンデッド召喚してんのこのハゲじゃねぇの? なんでまだ出てんだ?)」

 

 

ニグンがクアイエッセへ神の言葉を伝える。

そして答えるクアイエッセ。

 

 

「神よ、恐らくですがクレマンティーヌが法国から盗んだ叡者の額冠をンフィーレアという一般の少年に使用している可能性があります。それで発動した魔法かと思われます。おい、そこの男、どうなのだ?」

 

 

クアイエッセがそのままカジットへ問いかける。

 

 

「は、はい、その通りです…」

 

「ならばすぐに連れてこい」

 

「は、はいっ…!」

 

 

クアイエッセに言われるがまま近くにある洞窟の中へ走っていくカジット。

弟子達もそれに続いていく。

その間、周囲に沸いたアンデッドはニグンとクアイエッセが処理していた。

 

 

「お、お待たせしました…。こ、これがその少年です…」

 

 

カジットとその弟子達が連れてきた少年を見て名犬ポチが吠える。

 

 

「わん!(ふざけんなよ! なんで裸なんだよ! ここには変態しかいねぇのかよ! 死ね!)」

 

 

怒れる名犬ポチをニグンが宥める。

やがて落ち着きを取り戻す名犬ポチ。

 

 

「わん(で、ともかくだけど。このアイテムが原因ならこれ外せばいいの?)」

 

「いえ、神…。真に申し上げにくいのですが…」

 

 

そしてニグンが名犬ポチに叡者の額冠というアイテムの説明をする。

 

 

「わん(なるほど、つまり外すと発狂するわけか…)」

 

 

外すと装着者は発狂するため二度と外せないらしい。

ゆえに装着者は自我を失ったまま生き人形として生きるしかなくなる。

ただの魔法を吐き出す装置となるのだ。

 

 

「わん(くだらん)」

 

 

その言葉と共に名犬ポチが叡者の額冠をンフィーレアから無理やり外した。

同時に《アンデス・アーミー/不死の軍勢》の効果も消える。

だが絶叫するニグンとクアイエッセ。

 

 

「ああ何を! 神ぃぃ!」

 

「神よ! 何をなさるのです!?」

 

 

この人間が死のうが発狂しようがなんとも思わない名犬ポチだが簡単な解決方法を思いついたのだ。

発狂して叫ぶンフィーレアの頭部に重く大きな石を落とす名犬ポチ。

ンフィーレアの頭が潰れ一撃で絶命した。

横で言葉を失い顔面蒼白になっているニグンとクアイエッセ。

 

だがそれを意にも返さず名犬ポチは魔法を唱える。

 

 

「わん(《グレーター・レイズ・ドギー/犬の上位蘇生》)」

 

 

あっという間に復活するンフィーレア。

 

 

「な、なんと神ぃぃぃいいい! そ、そんな、そのような手段があったとは!」

 

「ああ神よ! 貴方の前では我々人類の常識などくだらぬ縛りにしか過ぎないのですね!」

 

 

ユグドラシル時代では蘇生時にほぼ全てのバッドステータスは解除されるので大丈夫だろうと高を括っていた名犬ポチ。

蘇生したンフィーレアの様子を見てもどうやら異常は見られなさそうである。

無事成功したようだ。

しかし、マズイ。

目の前でニグンとクアイエッセのボルテージが上がっているのが分かる。

爆発する前にどこか隠れる場所はないかと周囲を窺う名犬ポチ。

とりあえず近場にクレマンティーヌが倒れているのでその影へと隠れる。

 

 

「神ぃぃいいい!!!!」

 

「神よぉぉおおおお!!!」

 

 

案の定、爆発した二人。

そしてクレマンティーヌの影へと隠れた名犬ポチを見つけると猛獣のように襲い掛かる。

 

だがクレマンティーヌの視点からするとそれは違った。

位置関係から、発情した二人の男が自分に襲い掛かってくるようにしか見えなかったのだ。

 

反射的に起き上がると綺麗にクロスカウンターを二発決める。

 

 

「へ、変態! 弱った女を襲うとか神官としての誇りはねぇーのか! それにクソ兄貴! 妹を襲うなんて何考えてんだ!」

 

 

そのままニグンとクアイエッセをタコ殴りにするクレマンティーヌ。

 

 

「ま、待てクレマンティーヌよっ! 違うのだ!」

 

「そうだ妹よ! 兄がそんなことをするはずがなかろう!」

 

「うるせぇーっ!」

 

 

それを見た名犬ポチに閃きという名の稲妻が落ちる。

こいつは使える、と。

そう、リアルにはこういう言葉があるのだ。

毒をもって毒を制すと。

こいつは良い壁役になるかもしれないとほくそ笑む。

だがここでクアイエッセが余計な事を言い出す。

 

 

「ま、待てクレマンティーヌよ、今気づいたがその鎧はなんだ…!」

 

 

クレマンティーヌの鎧に貼りついている冒険者のプレートを指さすクアイエッセ。

それにクレマンティーヌも嫌な汗をかく。

 

 

「そ、それは冒険者プレートではないか! はっ! エ・ランテルで殺害した4人の冒険者どころか、まさかそれだけの冒険者を今まで殺してきたのか…!?」

 

「い、いやこれは、なんていうか、その、流れっていうかその場のノリ?みたいな…」

 

「ば、馬鹿者がっ! 神をも恐れぬ所業…! 悪魔の如き大罪…! まさかそこまでとは、ここまでとは私も予想していなかったぞ…! まさに人類の敵…! 人に仇なす邪悪なる存在…! お前を許そうなどと考えていた私が間違っていた…!」

 

 

人一倍正義感の強いクアイエッセはクレマンティーヌの犯した罪に耐えられなかった。

涙を流しながら怒りを吐露する。

 

 

「お前には神に仕える資格などなかったのだ…! 神の慈悲を受ける権利など持っていなかった…! 今、この時を持って! 私が責任をもってお前を断罪する! せめて来世では清く正しく生きろ、妹よ!」

 

 

クレマンティーヌは身の危険を感じる。

これはヤバイ、と。

この状態のクアイエッセは本気だと知っているのだ。

なんとかしなければ本気で殺されかねない。

 

 

「ま、待ってよ! あ、兄貴も一緒に罪を背負ってくれるって言ったじゃん!」

 

「ああ! その通りだ! だからお前を殺して俺も死ぬ!!!!」

 

「ひぃぃぃーーーっ!!!」

 

 

悪鬼の様な形相でクレマンティーヌに迫るクアイエッセ。

焦る名犬ポチ。

こんなところで盾を失うわけにはいかない。

最悪この兄妹が死のうがどうしようがどうでもいいのだが、盾が無くなるのはマズイ。

今後ニグン相手に身を守れなくなるからだ。

 

 

「わ、わん!(ちょ、ちょっと待ったぁーっ!)」

 

 

慌ててクアイエッセとクレマンティーヌの間に割って入る名犬ポチ。

 

 

「わん…!(お、落ち着け卑猥なる者よ…。この女を殺してはいけない…!)」

 

 

クアイエッセには何を言っているか理解できないがこの場においては大体察しがつく。

 

 

「神よ、止めないで下さい! この女は神が慈悲を与えるには相応しくなかったのです!」

 

「か、神様助けてぇ! わ、私本当に殺されちゃう…!」

 

 

怒れる兄と涙ぐむ妹。

名犬ポチは考える。

この場を乗り切る方法はないのだろうかと。

横でニグンも必死にクアイエッセを止めようとしているが無駄のようだ。

一か八かの作戦に出る名犬ポチ。

 

 

「わ、わん!(わ、わかった! 濡れマンが人を殺したのが原因だってんなら俺がなんとかするから!)」

 

「なんと神!? ま、待てクアイエッセ殿! か、神が…、神が責任を持つと仰られている! だから殺してはいけない! 神はクレマンティーヌを殺すのを望んでいない!」

 

 

ニグンのその言葉にクアイエッセとクレマンティーヌが止まる。

前者は驚愕で、後者は感動で。

 

 

「な…! し、しかしこれほどの大罪…、どれほどの信仰をもってしても贖えるものでは…」

 

「信じるのだクアイエッセ殿…! 神はいつもそのお力で我らを導いて下さった! きっと今回のことも何かしらのお考えがあってのこと…。信じて祈るのだ…」

 

「なんと…」

 

(ハードル上げてんじゃねぇ! ぶっ殺すぞニグン! いや、通訳がいなくなったら困るからぶっ殺しはしないけども!)

 

 

精神に影響を与える魔法を受けたわけでもないのに激しく狼狽する名犬ポチ。

だがなんとかしなければ貴重な盾が失われてしまう。

名犬ポチはクレマンティーヌへと向き直り、その装備に貼りつけられているプレートを一つ剥ぎ取る。

 

 

(このアイテムから持ち主を果たして蘇生できるのか…。体そのものがあるわけでもなく、かなり実験的ではあるが可能性はなくもないだろう…)

 

 

ユグドラシルでは死体の有無は蘇生とは関係が無かった。

メニューから蘇生したい人物を選べばそこに死体が無くとも蘇生はできたからだ。

この世界に来て色々と魔法も変容しているが、死体がなくとも蘇生ができるという感覚は不思議とある。

ただ、完全にアンデッドと化してしまった場合等は存在が上書きされるので恐らく不可能であろう。

先ほど蘇生した4人は生前の肉体が残っていたという、例外中の例外だ。

 

とりあえず、全く知らない赤の他人は蘇生できない。

何も情報がない状態では蘇生を行う対象を知覚できないため、魔法をかけられない。

かける対象を補足できないのだ。

だが逆に言えば対象を知覚できる手段があれば良いということ。

 

 

(果たしてこの冒険者プレートでそれが可能なのか…?)

 

 

それがこの問題の鍵だ。

その人物が持っていたであろうアイテム及びそれに準じたものから蘇生ができるのか。

さらに突っ込んで考えるとどこに復活するのかという点は疑問が残るがそんなことはどうでもいい。

今は蘇生ができるのか、どうか。

それが問題だ。

恐る恐る魔法をかける。

 

 

「わん…!(《グレーター・レイズ・ドギー/犬の上位蘇生…!》)」

 

 

その時、名犬ポチは確かな手応えを感じていた。

このプレートにわずかに残された、いやこびり付いた血や汗、油など。

0に限りなく近い程の本当に些細なもの。

だがほんのわずかでもその痕跡が残っていれば問題ない。

対象の存在を補足し、そのまま魂を引き寄せる。

やがて名犬ポチの目の前で一人の男が光の粒子で構成されていく。

 

 

「わ、わん…!(や、やったぞ…! 理屈はわからないがこういうところはゲーム的だな!)」

 

 

元々この世界がそうなのか、あるいはユグドラシルから来たもの達の法則はよりゲーム的なものに近いのかはわからないがこれでなんとかなりそうだと名犬ポチは安堵する。

そのままクレマンティーヌの装備に貼りつけられているプレートを次々と剥ぎ取り、順次蘇生させていく。

 

結果的に約8割程の蘇生に成功した。

残りの2割はどうしても対象を補足できなかったのだ。

単純にプレートに痕跡が残っていなかったもの、あるいは多数の痕跡が残りすぎていて特定の一人を選別することができなかった等である。

中には痕跡は残っていたのだが対象者が生存しているのではと思われるケースもあった。

盗まれたプレートか何かだったのだろうか?

その場合ならば殺された人物はろくでもない奴なのでどうでもいいだろう。

少なくともこのプレートを持っていた人間の大多数の蘇生に成功したのでクアイエッセも文句は言わないだろうと名犬ポチは考える。

これでなんとか手打ちにしてもらえないかと名犬ポチは祈りながらクアイエッセを見上げる。

 

だがその効果は名犬ポチの予想を遥かに超えていた。

 

 

「神よ、神よぉぉぉおおお! こ、こんなことが…! こんなことが可能なのですか!? ああ、その偉大なお力で一体どれほどのお慈悲をお与えになるのですか…! 我が妹にこれほどの…! ああ…! もはや私では貴方のお考えの一旦にすら届かないのですね…! あぁ! どうか私にもお情けを! ほんの一部で良いのですぅぅう! どうか! どうかぁぁああ!!!!!」

 

「んぁあああああぁぁあああ!! 神ぃっ! 神ぃぃいいいいい!!!!!」

 

 

狂乱が始まった。

反射的にクレマンティーヌの後ろへ逃げる名犬ポチ。

それを追うようにクアイエッセとニグンが迫る。

 

 

「ぎゃああ! へ、変態ーっ! えろすけべーっ!」

 

 

襲われると勘違いしたクレマンティーヌのフックが二人の水月に突き刺さる。

わずかに白目を向き倒れる二人。

身の危険を辛うじて回避した名犬ポチはここで確信する。

この女は本物だと。

盾としてこれ以上ない逸材である。

無駄にゴミ共へ蘇生魔法を使いまくった価値はあった。

変態だけど。

 

 

「わ、わん…(よ、良かった…、本当に良かった…!)」

 

 

だが安堵している名犬ポチをクレマンティーヌが後ろから抱きしめる。

 

 

「か、神様ありがとう…! わ、私のためにここまでしてくれるなんて…。嬉しい…。ここまで優しくされたの私初めてだよ…。私頑張るから…! 神様のために頑張るから!」

 

「わん!(いやいいよ、気にすんな。どちらかというとこちらが世話に…うわぁああ!!!)」

 

 

その言葉とは裏腹に、爛れた情欲を漲らせた瞳で名犬ポチを見つめているクレマンティーヌ。

舌なめずりまでしている。

激しい生理的嫌悪を覚える名犬ポチ。

 

 

「だ、だからご褒美を…♡」

 

「わ、わん!(や、やめろ、やめろぉおお、俺に触るなぁ!!!)」

 

 

反射的にクレマンティーヌを殴り飛ばしてしまう名犬ポチ。

お礼を叫びながらクレマンティーヌが吹き飛んでいった。

 

毒をもって毒を制す。

それは正しく、とても有効だ。

だが忘れてはいけない。

この場においてはクレマンティーヌも毒なのだということを。

 

 

 

 




今度こそ後編へ!


キャラ増えると纏めるのに量が多くなりますね。

ちなみに名犬ポチへの呼び方の違い。
ニグン「神ぃ!」
卑猥「神よ!」
濡れ「神様ーっ!」


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救済の螺旋:後編

墓地の入り口でアンデッドの都市内への侵入を防いでいた陽光聖典の隊員達。

彼らはその力と数により、戦線をジワジワと押し上げていくことに成功していた。

とは言っても完全に掃討し最奥まで達するには時間がかかり長期戦になる、そう判断する。

だが突如としてアンデッド達の増援が途絶えた。

隊員達はそれの意味するところをすぐに理解できた。

 

 

 

「神と隊長だ…!」

 

「やったんだ…! さすが…!」

 

「これが神のお力なのか…」

 

 

隊員達は諸手を上げて喜び勇んで駆けだした。

自分達の尊敬する隊長の元へ。

そして敬愛する神の元へ。

 

 

 

 

 

 

クレマンティーヌの一撃を水月に喰らい地に伏しているニグン。

だが意識はある。

そして急所への激しい痛みにより冷静さも取り戻していた。

 

次にニグンの頭によぎったのは渇望。

目の前で起こされた奇跡。

神の奇跡はいつもニグンの予想の遥か上を行く。

耐えられないかもしれない。

神に出会ってからわずか数日の内に体験した奇跡の数々にニグンの精神も体も悲鳴を上げていた。

そして今まさにニグンの目の前で行われた大勢の冒険者達の蘇生。

想像したこともなかった。

こんなことを為しえてしまう存在がいると。

だから神。

人の及ばぬ領域におられるからこそ神なのだ。

だが知ってしまえば自分にもと求めてしまう。

それが例え不敬であったとしても。

神を信仰する者として許されないとしても。

渇望してしまうのだ。

己にもその奇跡を分け与えて欲しい、と。

 

 

「か、神……! ど、どうか、わ、私の……!」

 

 

神の情けに自分から縋ろうなどとはなんと浅ましい行為か。

努力もせず、最初から諦めていた。

それはニグンが陽光聖典という部隊の隊長に就いてから彼を夜ごと苛んだ悪夢だ。

しょうがないと誤魔化してきていた。

周囲もそうニグンを慰めた。

だがニグンは今まで忘れたことはない。

ずっと思い悩んでいた。

後悔していた。

もし自分に力があればそんなことにはならなかったのではないだろうかと。

 

 

「私の身勝手で…、哀れなお願いを聞いて頂けないでしょうか…?」

 

 

毎夜毎夜、一人で口にしていた懺悔の言葉。

未熟な自分の手による失態。

取返しのつかない罪。

己の背中には耐えられない程の重荷。

涙が止まらない。

もしかしたら神は救ってくれるかもしれない。

浅ましく、醜く、罪から逃れようとする許されない願い。

だが、それでも。

 

 

「私の…、部下を…、任務で命を落としてしまった者達を…、蘇らせて貰えないでしょうか…?」

 

 

最後のほうは声が消え入りそうな程、小さくなってしまった。

怖かった。

神に対して、ただ己の欲望を吐き出してしまったのだ。

呆れられるかもしれない。

見捨てられるかもしれない。

だがしかし、それは麻薬のようにニグンを惹きつける。

 

最初の任務で亜人達と戦った時に自分の采配ミスで部下の命を無駄に散らせた。

とある殲滅戦の任務では成功と引き換えに数名の部下を失った。

ビーストマンとの闘いではその物量に抗えず、部下を見捨てるしかない時もあった。

将来有望な部下が何人も倒れていくのを見続けるのは地獄だった。

他にもいくらでもある。

確かに状況はどれも酷いものだった。

最初から無事に終われる任務などなかった。

本国では上場の戦果だと褒め称えられもした。

だが、それでも何か出来たのではないか。

もっと上手くやれたのではないか。

至難の業だったとしても誰一人失わず、今ここで共に笑うことも出来たのではないか。

 

 

「み、身勝手なお願いだと、わ、分かっております…! 神へ無用な負担をかけることになることも…!」

 

 

人は希望には耐えられない。

 

叶うのではないか、手が届くのではないか。

そう思って不釣り合いな夢を追って破滅することもある。

分かっているのだ。

ニグンという小さな器にはこの希望は大きすぎる。

これはニグンが背負うべき責。

一生その咎を抱えて生きなければならないのだ。

簡単に手放していいものではない。

 

 

「それでも…! それでも、どうか…!」

 

 

それは部下のためなのか。

あるいはただ楽になりたいという自分の身勝手さなのか。

もう自分ではわからない。

今はただ神の情けに縋りつくことしか頭になかった。

怖い。

神がなんと言うか怖い。

慈悲深い神は快諾してくれるかもしれない。

だがそれでいいのか。

神ならばお助けになられるかもしれないが、その時自分は何を代償に支払えばいいのだ。

この高価な願いに対価として払えるものなど何もない。

恐ろしい。

不釣り合いな願いを口にするという事はこれ程恐ろしいことだったのか。

 

ニグンは震えながら神の沙汰を待つ。

 

 

「わん(呆れたぞ、ニグン)」

 

 

反射的に体が震える。

その言葉は氷柱のようにニグンの心に突き刺さった。

希望が一瞬にして打ち砕かれる。

心に亀裂が入るのを感じる。

絶望がこみ上げる。

嗚咽が止まらず、情けなく地面に伏してしまう。

やはり自分はこのようなことを望んではいけなかったのだ。

悲しみがニグンを苛む。

 

 

「わん(そんな下らん願いのためにお前はそこまで情けない姿をさらすのか?)」

 

「え…?」

 

 

神の言葉が理解できずに間抜けな声と共に顔を上げるニグン。

 

 

「わん(見てみろ、後ろからお前の部下達がこちらへ走ってきているぞ、立て。情けない姿を見せるな)」

 

 

そう言って名犬ポチはニグンを立たせる。

ニグンは神の意図を理解できない。

ただポカンとしたまま神の言葉に従うだけだ。

 

だがこの時、名犬ポチは軽く憤慨していた。

それもそうだろう。

ニグンが急に仰々しく言うものだからどれほど重大な話かと思ったのだ。

あるいは無理難題でも吹っ掛けられるのかと思っていた。

それが部下を生き返せ、ときた。

今さっきクレマンティーヌにしたことと似たようなことを所望しただけだ。

それが不可能ではないと知っているはず。

つまり、この名犬ポチにとってそれは取るに足らないことだ。

だがここまで切羽詰まって懇願するということはどういうことか。

それはこの名犬ポチにとって、それらが難しいことだと思ったということではないのか。

それは良くない。

 

しかも現在、後ろから陽光聖典の隊員達がこちらへ向かってきている。

この場を見られたらどうするのだ。

たったその程度の取るに足らない願いの為にここまでさせるような存在だと思われてしまうでないか。

それはこの名犬ポチにとって格を下げる行為だ。

リアルで例えるなら、ジュースを奢るだけなのに土下座までさせるようなものだ。

人、いや犬としての品位も下げるし、ジュース一本の金に眉をしかめる程に財布が薄いという誤解も生まれる。

つまりこの名犬ポチがその程度の能力しかないと思われるということだ。

許しがたい。

だが一つ懸念があるのは事実だ。

それが無ければ確かに難しい行為ではあるから。

 

 

「わん(その部下達の遺品や形見はあるのか)」

 

「…! は、はいっ! こちらです!」

 

 

ならば容易い。

それならば名犬ポチにとって欠伸が出るほどの些事。

魔法を唱える。

複数の男達の体が形成され蘇生されていく。

 

 

ニグンの心を太陽が照らす。

忘れないように部下の形見は必ず肌身離さず持ち歩いていたのだ。

それらは様々だった。

部下が大事にしていたアイテムに始まり、身に着けていた衣装の一部。

多少気持ち悪いと思われるかもしれないが髪や骨などの直接的なものもある。

激しい戦闘の中では遺体を弔うことも出来ず敵地に置いてこなければならない時もあった。

撤退戦で時間が無い時もあった。

選り好みしている暇など無かったのだ。

咄嗟に持って行けるものを必死に持ち帰ったのだ。

中には敵地深くで命を落とした部下の形見を手に入れる為だけに敵陣へ突入したこともあった。

何をやっているのだと自問したこともある。

だがその全てが報われた。

そう思うと自然と心が沸き立つ。

 

 

「わん(この程度のことで頭を下げるな。それは俺を低く見ているということに他ならない。あまり見くびるなよニグン)」

 

「……!!!!」

 

 

言葉にならない。

もはや慈悲深いなどというレベルではない。

思考回路が違う。

物事のレベルが違う。

何もかもが違う。

この方にとって人類を救うということは偉大なことでもなければ覚悟が必要なことでもない。

きっと呼吸をするように自然なことなのだ。

当たり前で、取るに足らない。

何かを食べる、睡眠を取る。

その程度の行為なのだ。

それを人間の尺度で持て囃されても煩わしいだけだ。

自分は神を見誤っていた。

誤解を恐れず言うのならば、まだ過小評価していたと言ってもいい。

あれほど偉大で素晴らしく次元の違う存在。

それでもなお、届かなかった。

偉大さの欠片も理解できていなかった。

もはや神という言葉すら生ぬるいのかもしれない。

だが自分はそれ以上の言葉を持たない。

だからこれからもそう呼び続けるしかない。

神、と。

ただ今までとこれからでは同じ言葉でもその重みは遥かに違う。

なぜ神という存在がこれほどまでに人々から崇められてきたのか。

その本質に近づいた気がした。

この時をもってニグンの信仰は一つ上の次元へ昇華される。

 

 

 

 

 

 

陽光聖典の隊員達は名犬ポチとニグンの姿を確認するとそこへ駆け寄ろうとした。

だが目前で信じられないものを見て足が止まる。

そこに現れたのはもう二度と会えるはずが無い者達だった。

同僚、部下、あるいは先輩。

共に陽光聖典として過ごしたかつての仲間達だった。

彼らは死んだはずなのに。

中には何年も昔にこの世を去った者もいる。

なぜ。

そんなことは分かりきっていた。

神しかいない。

彼らは神に認められたのだ。

そして再びこの世で神に仕えることを許された。

信仰が報われたのだ。

これほど嬉しいことはない。

今までのどんなつらい日々も記憶も何もかも。

全て吹き飛んだ。

 

隊員達のタガが外れる。

嬌声が響きわたる。

隊員達が名犬ポチへと殺到する。

その波はニグンも、クアイエッセも、クレマンティーヌをも巻き込んで巨大なうねりとなる。

ニグン含め陽光聖典の者たちはもう人の言葉を発していなかった。

クレマンティーヌに至っては色んな意味で気を失っていた。

だが、ここで辛うじて自我を保っていたのはクアイエッセ一人だけだった。

陽光聖典ではなく、当事者でもなかった彼は僅かに客観性を保っていた。

だがそれでも昂ぶりを抑えることができるわけではない。

 

 

「ああっ…! 神よ…、御止め下さいっ…! こ、これ以上、私を、私達を高みへと連れ去らないで下さいっ…! 恐ろしい…! 矮小なこの身ではその奇跡に耐えられませんっ……! あああっ…! 止まらない、止められないっ…! まるで体が、心が自分のものでなくなったかのようなっ…! ダメですっ…! コントロールできないっ…! ああ、どこまで、どこまで続いていくのですか、この高まりは…! 壊れてしまうっ…! こ、こんなの壊れてしまいますっ…! 御止め下さいっ…! このままでは…! もう、もう神無くして生きられない体に…、貴方様無しではいられなくなってしまう…! 耐えられない…! 人の身では到底耐えられません…! まさか、これが、これこそが試練なのですか…!? ああ、どうかお許しください…! 私達では…! いや…! これは…、これは人の手に負えるものでは…! おっふぅ…! こ、こんなの感じたことがないっ…! こんなの、初めてっ…! うあぁぁぁ…! か、神よぉぉお!!! ど、どうか我らを、お導きぃぃぃいいいんああああ!!!! ぅくっ!!!」

 

 

長い時を経て。

やがて彼らは果てへと到達した。

 

 

 

 

 

 

カジットはただ目前の光景に見入るしかできなかった。

ンフィーレア少年の復活。

それを皮切りにクレマンティーヌが殺害した者達の復活。

挙句の果てには過去に死んだ陽光聖典の隊員達の復活。

まるで復活が復活を呼ぶように。

もう何人の人間が復活したのだろう。

しかもだ。

復活した者達の事を詳しく知るわけでは無いが生命力が削られている気配もない。

こんな魔法は知らない。

聞いたこともない。

少なくとも人の手が届く場所にあるものではない。

これこそが自分が長い時をかけ求め続けたものなのではないか。

先ほど放ったいくつもの魔法も桁が違った。

やっと理解が追い付いた。

ああ、これが神なのだ、と。

自分は法国に生まれ神を信仰する民だったはずなのにそれを捨ててしまった。

あの国では自分の求めるものは手に入らないのだと。

勝手にそう決めつけてしまったからだ。

祖国も、信仰も、何もかもを捨てた。

そして邪法に手を染めたのに。

間違いだった。

自分は法国で信仰を捧げ続けるべきだったのだ。

今からでも間に合うだろうか。

欲しい。

自分にも欲しい。

自分にも慈悲を分け与えて欲しい。

靴を舐めろと言われれば舐める。

信仰を捧げよと言われるならば捧げる。

何を捧げてもいい。

あれほど焦がれた魔法が目の前に存在する。

神は許してくれるだろうか。

祈ろう。

ただ神に祈る。

その御力に、慈悲に縋って。

会いたい。

おかあさんに会いたい。

どうかおかあさんに。

会わせて下さい。

神よ。

 

カジットは神へと祈りを捧げる。

敬虔な信者のように。

 

 

 

 

 

 

陽光聖典達の狂乱に巻き込まれた名犬ポチはやっとそれらから脱することに成功した。

長い時間、悪夢のような苦痛に苛まれたがやっと終わりを告げた。

全員が全員、力を吐き出し倒れてくれたからだ。

 

 

(やべぇな…。部下達までニグン化すんのかよ…)

 

 

本当になんなんだと名犬ポチは嘆息する。

だがそこへ目の前のハゲから声がかかる。

 

 

「か、神よ、ど、どうか…!」

 

 

カジットは自分の人生、母親への思い等、その全てを名犬ポチへと語った。

神の慈悲を乞うために。

もう一度、母に会うために。

 

 

 

 

 

 

カジットの話を聞き終えた名犬ポチは率直にこう思う。

 

 

(いやだな、面倒くせぇ)

 

 

名犬ポチにとってこの男はニグンやクレマンティーヌのように利用価値のある存在ではない。

わざわざ動く気になどなるはずがないのだ。

善意から助けるなどそんな選択肢は欠片ほども存在しない。

 

 

「わん(知るか、テメェでなんとかしろ)」

 

 

カルマ値:-500の極悪。

そんな名犬ポチに善意など期待してはいけないのだ。

 

狂乱から醒め、途中から話を聞いていたニグンが名犬ポチの言葉をカジットに伝える。

絶望に表情が崩れるカジット。

泣き叫びながら名犬ポチの足元へと縋る。

何度も何度も頭を下げ、地面に擦り付け、懇願する。

だが名犬ポチが首を縦に振ることはない。

むしろそのカジットの姿に愉悦を感じている始末である。

 

同じく狂乱から目覚めていたクアイエッセやクレマンティーヌはわずかながらもカジットに同情を覚えていた。

先ほどまでの奇跡によって感覚が麻痺していたのか。

あるいはカジットが再び真っ当な道を歩みなおせると思ったからなのか。

それとも神はどんな者にでも慈悲を与えると信じていたからなのか。

 

 

「か、神よ…、こ、こんなことを言うのは失礼かもしれませんが蘇生して差し上げることはできないのでしょうか…? 話を聞く限りこの者も道に迷いし哀れな子羊…。神の威光に触れられれば今後は真っ当に生きていくかもしれません…」

 

「う、うん、そーだよ神様ー。それにカジっちゃんって結構強いんだよ? 英雄級とも言われるくらいだし。も、もしかしたら神様の役に立つかも、なんて…」

 

 

だがクアイエッセやクレマンティーヌの援護も虚しく名犬ポチには届かない。

 

 

「か、神よ! お、お願いします! 私の全てを、何もかもを捧げます! これからは貴方の為に生きていくと誓います! 貴方の忠実なシモベとなります! 決して貴方に背きません! だから、だからお願いします! 母を、母を生き返して下さい! どうか! どうか…!」

 

 

カジットの叫びだけが響く。

だが名犬ポチが答えることはない。

もうすでに名犬ポチの中では決定されているのだ。

カジットという男に慈悲を与えるつもりなどないと。

 

 

「か、神よ…! こ、この者は確かに大罪を犯せし愚かな罪人…! しかし貴方は罪を犯した妹まで救って下さいました…! どうか再びその慈悲をこの男に分け与えるわけにはいかないのでしょうか…?」

 

「か、神様ー…。別にカジっちゃんがどうなろうといいっちゃいいんだけどさ、なんていうかこのままだとモヤっとするっていうか…、なんとかして上げられないのかなー…」

 

 

続くクアイエッセとクレマンティーヌの言葉に名犬ポチは思う。

一度思い知らせる必要があるか、と。

 

名犬ポチはこの世に災厄をまき散らす邪悪なる者であり、またそれを喜びとしている。

今回、クレマンティーヌやニグンに甘かったのは利用価値があるからに過ぎない。

砕けて言うならば身内以外がどうなろうが知ったことではない。

だがこいつらは少し勘違いをしているようだ。

なぜこんな見ず知らずのハゲの願いを聞かねばならないのか。

 

この名犬ポチがどういう存在か。

子供に教育が必要なように、こいつらにも理解させる必要がある。

直接的にではないが恐怖の一旦を味あわせてやると決意する名犬ポチ。

絶望を見ろ、ニンゲン共。

 

 

「わん(ニグン、俺の言葉を伝えろ)」

 

「はっ! 仰せのままに、神」

 

「わん(カジットといったな? 俺はお前の願いを叶えない。むしろお前を否定する。お前のこれまでの努力、長い間焦がれたその想い、その全てを否定してやろう。お前の努力に意味は無く、お前の生に意味は無かった。無為に過ごした長い時間をただただ悔いろ。泣き叫び、震えて生きるがいい)」

 

 

ニグンから伝えられた神の言葉にカジットの心が死にかける。

クアイエッセとクレマンティーヌも一体何を、といった不安そうな表情を浮かべている。

ただニグンだけは何も言わず、疑問を抱かず、神を信じていた。

 

 

「わん(《グレーター・レイズ・ドギー/犬の上位蘇生》)」

 

 

ある意味で予想を裏切るその言葉に一同が安堵する。

やはり神はお救い下さるのだと。

 

カジットが持っていた母の形見を元に、母親が蘇生される。

 

天にも昇る気持ちに包まれるカジット。

この世界に感謝し、神に感謝し、全てに感謝する。

だがふと嫌な予感がした。

目の前の神の表情が邪悪に歪んでいたからだ。

まだ終わっていない。

この先がある。

恐ろしい何かが。

 

 

「わん(ニグン、カジットを抑えつけておけ)」

 

「はっ!」

 

「なっ!? 何をする! は、離せ! 離してくれ!」

 

 

ニグンが後ろからカジットを羽交い絞めにし、動けなくさせる。

 

 

「わん(浮かれた顔をしやがって。馬鹿が、誰が貴様を母親に会わせてやると言った? 覚えてないのか? 俺はこう言ったぞ? お前の全てを否定すると)」

 

 

ニグンからカジットへ神の言葉が伝えられる。

絶望に染まるカジット。

何をするのだ、と。

やめろ、やめてくれ。

そう懇願しようとするが喉から声が出ない。

 

 

「わん(いい顔をするじゃあないかカジット。見ろ、お前の努力や気持ち等と関係なく母親はここに復活したぞ。お前の思惑などと無関係にな。何を言いたいか分かるか? お前など存在してもしなくても同じということだ)」

 

 

その神の言葉にカジットは、殺されるのではと思った。

もはやそれならそれでもいい。

だがそれでも最後に、死ぬ前に母親に会わせて欲しかった。

母親の声が聞きたい。

目覚めた母親にこの名前を呼んで貰いたい。

 

 

「か、神よ! ど、どうか最後にかあさんと、おかあさんと…! 少しでいいのです…! 死ぬ前にどうか、どうか一目だけでも、一言だけでも、お願いします…!」

 

「わん(うん? 何を勘違いしているのだカジット。俺は言ったぞ? 震えて生きるがいい、と。お前は自分の無力に嘆き悲しみ余生を過ごすのだ。殺すなんて生易しいことするはずがないだろう?)」

 

 

カジットの知る何よりも邪悪な気配をまき散らし神は語る。

やっと気が付いた。

目の前の存在は聖なる神などではない。

人を苦しませて喜ぶ魔の存在。

邪神だ。

神は神でも邪悪なる神。

もしかすると盟主ズーラーノーンが焦がれた存在なのかもしれない。

どちらにせよ自分は対応を間違えた。

邪神としての祈りを捧げなければならなかったのに。

秘密結社ズーラーノーンの一員として生きた自分は間違っていなかったのに。

最後の最後で迷いから。

闇から光へと舞い戻ってしまった。

そんなこと邪神様がお許しになるはずがない。

自分の夢はここで終わる。

何をどうやるのかは分からないが、きっと自分は母親に会えることなくこのまま生きて行かねばならなくなるのだ。

母親が生き返ったという事実が逆につらい。

生きているのに会えないなんて。

それはカジットの考えうる最大の地獄だ。

希望が転じて絶望になる。

これ以上はない。

想像も出来ない、苦しみ。

その中で死ぬことすら許してもらえないのか。

 

そして審判が下る。

 

 

「わん(さらばだ、カジット)」

 

 

そう言うと名犬ポチはアイテムボックスから一つのアイテムを取り出す。

それは流れ星の指輪(シューティングスター)

超位魔法《ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを》を経験値消費無しで性能もアップさせて3回利用できる超々希少な指輪。

ユグドラシルの課金ガチャで手に入る超レアアイテムだ。

モモンガと共にボーナスをつぎ込んで当てた思い出深い一品。

実はモモンガには言っていないが名犬ポチはモモンガの倍以上の金をつぎ込んでいた。

それほどのアイテム。

簡単に使えるものではない。

だがここはカルマ値:-500の極悪。

人を恐怖、あるいは絶望のズンドコに落とすためなら何を引き換えにしようとも構わないのだ。

どれだけ多大な犠牲を払ってもいい。

それが喜び。

まさに邪悪。

 

 

「わん!(さあ、指輪よ。I WISH!)」

 

 

邪神の口から呪いが吐き出される。

 

 

「わん!(カジットという男の母親を生き返すために費やした全ての努力! あらゆる労力を無に帰せ! 母親を生き返す為に過ごした人生を否定しろ!!!)」

 

 

指輪から魔力が迸る。

何十にも重なった巨大な魔法陣が展開され、表示された文字は留まることなく変質していく。

第10位階を超える超位魔法に相応しい魔力の波動。

その全てがカジットの元へと収束する。

そして願いは聞き入れられ、名犬ポチの願いは叶えられた。

 

カジット・デイル・バダンテール。

母親を生き返すために生きてきた人生。

英雄級の域に達するまで練られた魔法の力も、その想いも、努力も、苦労も、悲しみも、喜びも。

全てがこの一瞬で無に帰す。

 

何十年もの努力や苦労が消え去っていくのを嘲笑う名犬ポチ。

まさに悪魔。

まさに邪神。

 

 

「わんっ!(あっはっはっはははははは!!!!)」

 

 

高笑いが響き渡る。

無慈悲に、無秩序に、不条理が一人の男を襲う。

これから絶望に打ちひしがれ無力を嘆き、生きて行かねばならない。

それが楽しくて楽しくてしょうがない。

そうだ。

これが俺だ。

これが名犬ポチだ。

 

己を取り戻した邪神はただ高らかに笑う。

 

 

 

 

 

 

この中で一番驚愕していたのはクレマンティーヌだった。

なぜなら彼女はカジットという男と短いながらも付き合いがあったからだ。

そのことからこう思っていたのだ。

カジットという男の結末はろくなものじゃないと。

 

恐らくは母親を蘇生できる魔法なんて見つからない。

仮に見つかっても人の手に負える魔法なんかじゃない。

 

あるいは、カジット自身がアンデッドになることは成功するかもしれない。

だがその続きはどうだ?

アンデッドとなった息子を母親は愛せるのか?

そもそも息子として認識してもらえるのか?

それどころかアンデッドになることでカジットは人の心を失い母親の命に価値を見出さなくなるかもしれない。

 

他にも様々な可能性が考えられるがどれもろくな終わりを迎えられない。

ハッキリと言えば初めから詰んでいる。

最初から無理だったのだ。

カジットの夢は最初から破綻していた。

夢ではなくただの妄想。

ハッピーエンドなんて存在しない。

 

 

そのはずだった。

そのはずだったのに。

 

こんな結末がありえるのか、と。

 

 

クレマンティーヌはただただ唖然とする。

目の前の出来事が信じられない。

蘇生ならば信じられる。

神の行う蘇生のレベルには達していなくても、蘇生という魔法を知っているし概念を理解しているからだ。

より高位な蘇生魔法を目にしても凄いと驚嘆し受け入れることができる。

 

だが、これは知らない。

 

この発想は無い。

なぜならこれに該当する魔法は存在しないからだ。

もしかすると御伽噺とかでは見たことはあるかもしれないが。

だが言ってしまえばそのレベルの話だ。

現実世界の可能性として想定などしようはずもない。

 

結論から言うならばカジットという男は消えた。

いや、母親を生き返そうと生きてきた男は消えたのだ。

ハゲ頭の中年男はもうどこにも存在しない。

 

 

蘇生されたカジットの母親の横。

そこに眠るように一人の少年が寄り添っていた。

 

 

それだけで全てが理解できた。

神はカジットを見捨ててなんていなかった。

神の心を理解もせず口を出した自分が恥ずかしい。

 

神の奇跡に当てられたクレマンティーヌの瞳から一筋の涙が流れた。

 

 

「良かったね、カジッちゃん…」

 

 

 

 

 

 

ニグンもクアイエッセも陽光聖典の隊員達も名犬ポチを前に片膝を突き、祈りを捧げるポーズを取っていた。

敬虔な信者のようにひたすら真摯に。

 

本来ならばこのような奇跡の前では誰も自我を保つことなどできなかっただろう。

だが今は違う。

すでに度重なる奇跡によって全員が賢者状態であったのだ。

 

だから目の前で起きた奇跡を真っすぐに見つめることができた。

全員の信仰心は限界点を突破し、器を破壊し、無限に広がっていく。

 

クアイエッセはクレマンティーヌと同じく、神の心を理解できなかったことを恥じていた。

ニグンはすでに神を完全に信じ切っており、先ほども何かお考えがあるはずと信じていた。

そしてその通りであった。

やはり神の慈悲は計り知れるものではないのだと。

改めて神の力に触れてその想いは強くなるばかりだ。

 

 

「神…! 我々一同、より一層の…いえ、絶対の信仰を誓います!」

 

 

ニグンの言葉と全員の態度に名犬ポチは満足していた。

きっと彼らは自分の邪悪さに触れて恐怖しているのだと。

そう思ったからだ。

今までならこのような時は狂乱の限りを尽くしていたが今回はそうではない。

やっとこの名犬ポチの凶悪さを理解できたのであろう。

 

 

(ふふ、殊勝だな。この俺が恐ろしくなったのか? だが安心しろ…。お前達は大事な手駒だ…。悪い様には扱わないさ…。くくく、俺の役に立つならばその命くらいは保証してやろう…!)

 

 

名犬ポチはその身体に浴びせられる畏怖の感情を心より享受していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

漆黒の剣が墓地に着いた頃にはもう戦いは終わっておりアンデッドの姿はどこにも無かった。

 

 

「マジかー、結局いいとこなしかよー!」

 

 

ぶつぶつと文句を言うルクルット。

 

 

「無事に済んだんだから今は喜びましょうよ」

 

「そうである」

 

 

そして彼らは墓地の奥でニグン達を発見する、のだが。

 

 

「え? なんでしょうアレは? ニグンさん達みたいですが」

 

 

そうして名犬ポチの前で整列するニグン達に駆け寄る漆黒の剣。

 

 

「ニグンさん! 無事だったんですね!」

 

「おお、君たちか。もちろんだとも」

 

 

ペテルと言葉を交わすニグン。

だが横ではクレマンティーヌとクアイエッセが口をあんぐりと広げていた。

 

 

「あ、あんたたち、なんでっ!? だってカジッちゃんが魔法で…」

 

「あ、貴方達は…! そんなバカな、一体どうして…!?」

 

 

二人とも驚きを隠せない。

クレマンティーヌはカジットがアンデッド化の魔法をかけるところを見ており、クアイエッセはアンデッド化したこの4人を屠っていたからだ。

 

そして漆黒の剣もクレマンティーヌに気付く。

 

 

「ああっ! お前は! ニグンさん離れて下さい!」

 

「おう! こいつは危険だぜ!」

 

「である! 恐ろしい剣士である!」

 

「今回はニグンさん達もいます! 逃げられませんよ!」

 

 

完全に臨戦態勢に入る漆黒の剣の面々。

名犬ポチとニグンが仲介し事情を説明する。

その間クレマンティーヌの表情はずっと引きつっていた。

 

 

「というわけなのだ。彼女も神の信徒の一人。どうか許して欲しい」

 

「ご、ごめんねー。本当に悪かったよ…。ま、まさか神様がお世話になった人達だったなんて…」

 

 

思わぬ展開とクレマンティーヌの謝罪。

漆黒の剣としては思う所はあるが自分達の恩人の頼み事ならば無碍に扱えない。

謝罪を受け入れ和解する。

 

それを見ていた名犬ポチは思う。

 

 

(命拾いしたな、漆黒の剣とやら。今日はもう満足しているから何もせずにおいてやるが次に会う時がお前達が恐怖のズンドコに落ちる時だぜ…。くっくっく…)

 

 

そんなことを思われている等と思っていない漆黒の剣。

知らぬが吉である。

 

 

 

 

 

ふと名犬ポチの鼻へ懐かしい匂いが香る。

その正体に狂喜し、その匂いの元へと思わず駆けだす。

 

その先にいたのは何よりも焦がれた大事な存在。

このためだけにエ・ランテル含めこの墓地まで制圧したのである。

 

その姿を目にすると嬉しさのあまり飛びつく名犬ポチ。

 

 

「わんーっ!(ブリターッ!!!)」

 

「きゃっ! ニ、ニグンさんの魔獣! こ、こら! くすぐったいってば!」

 

 

ちなみにブリタの中では未だに名犬ポチはニグンの魔獣という認識で止まっている。

体に抱き着いたあとそのまま体をよじ登っていき頭の上に収まる。

 

 

「わん…!(ああ、最高だぜこの感触…! これだよこれ…!)」

 

「おお! ブリタではないか! 良かった! 無事だったのだな!」

 

 

ブリタの姿を確認するとニグンが声をかけ近寄ってくる。

 

 

「ニ、ニグンさん…! ごめんなさい! わ、私ニグンさんに失礼なこと…」

 

「いいのだ、気にするな。それよりも神がずっとお前のことを心配していたのだぞ? 私などよりも神に声をかけて上げてくれ」

 

「ああ、なるほど、この子カミちゃんて言うんですね。ありがとねーカミちゃん」

 

 

ブリタがそっと名犬ポチの頭を撫でる。

完全にリラックスしている名犬ポチは全く抵抗せず受け入れる。

だがそこへクレマンティーヌが鬼のような形相で割って入ってくる。

 

 

「ちょっと! あんた神様の何なのよ!」

 

「えっ!?」

 

「ベタベタしちゃってさ! しかもちゃん付け!? 少し馴れ馴れしいんじゃないの!?」

 

「えっ、えっ…!?」

 

 

困惑するブリタにクレマンティーヌが畳みかける。

だがそこへニグンが助け船を出す。

 

 

「落ち着けクレマンティーヌ。ブリタは神が最も大事にしている人間だ。丁重に扱え」

 

「な、な、な…!?」

 

 

逆効果であった。

 

 

「く、くそぉ! 少し神様に目掛けられてるみたいだけど、いい気になんないでよね! 私なんて神様にあんなことやこんなこと、凄いこと沢山されたんだからっ! 足腰立たなくなるぐらいヤラれたんだから!」

 

「え…? 凄いこと…? ヤラれる…? な、何言ってるんですか貴方…。はっ! ま、まさか変態…!」

 

 

あながち間違いではない。

 

 

「うるせぇ! いいからとっとと離れろよ! ほら、神様! 私の上とかどう!? 私はいつでもオッケーだよー!」

 

「わん(いや、俺ここがいい)」

 

「クレマンティーヌよ、神はブリタのほうがいいみたいだぞ」

 

「っ!」

 

 

突如クレマンティーヌがプルプルと震えだす。

悔し涙を浮かべ、口は強く噛み締められていた。

 

 

「……ろす」

 

「えっ?」

 

「殺すぅ! 殺してやるうぅうう!!!!」

 

「きゃあああ!!!」

 

 

クレマンティーヌがスティレットを抜き放ちブリタへと襲い掛かる。

名犬ポチが慌ててブリタから飛び降りクレマンティーヌを止める。

 

 

「わんっ!?(ちょ、おまっ! 何やってんだ! しまえ! あぶねぇ!)」

 

「神様どいて! そいつ殺せない!!!」

 

 

その後、クレマンティーヌを説得するのにしばしの時間がかかった。

クアイエッセはもちろん陽光聖典の隊員達をも巻き込む一大事となってしまったが。

終わった頃には名犬ポチの表情は死んだように焦燥していた。

邪悪なる者としての威厳はこのわずかな時間で再び消え去ってしまっていた。

 

 

頑張れ名犬ポチ。

いつかまた己を取り戻すのだ。

 

 

 

 

 




次回『凱旋!しない』エ・ランテル後日談的な。



ブリ「カミちゃん」
濡れ「何よこの女!」


今回に入れ込めなかった話を次でやります。
やっとここまで終わった…。
これを最初は1話でやる想定だったのは見積もり甘々でしたね…。


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凱旋!しない

「しかし神、これはどうしたらよいでしょうか…?」

 

 

そう問うニグン達の目の前には全裸の人間が何十人も転がっていた。

すでに何人かは目覚めているが状況を理解できずにキョロキョロしている。

 

とりあえず名犬ポチは蘇生した陽光聖典の者達には、現在陽光聖典の隊員達に装備させている武器と防具を複製して手渡しておく。

 

 

「わん(ニグンの部下はこれでいいとして…、冒険者共は放っとけ。街もすぐそこだしなんとでもなるだろ。下手に関わっても面倒臭いしな。冒険者に関しては俺は何も知らない、いいな?)」

 

「おお、その偉業を誇りもしないとは…! 畏まりました」

 

 

恭しくお辞儀をするニグン。

そして蘇生されたばかりで現状を理解していない部下達に今までの全てを説明していく。

 

 

「わん!(てゆうかお前はフードかぶっとけや! 冒険者達に顔見られたら面倒臭ぇだろうが!)」

 

 

名犬ポチは落ちていたクレマンティーヌのマントを拾い、クレマンティーヌに羽織らせフードを被せる。

言葉は理解できなくてもすぐに察するクレマンティーヌ。

 

 

「あ、そっか。顔見られたらヤバイよね。中には拷問した奴もいるしねー」

 

 

とんでもないことをサラっと言いながらケラケラと笑うクレマンティーヌ。

イラっとした名犬ポチは一発ビンタを入れておく。

何やら喘ぎ声みたいなのが聞こえたが気のせいだろう。

 

 

「神よ、この後はどうする予定なのですか? 可能であれば法国を訪問して頂きたいと思うのですが。国では神の降臨を心待ちにしている者も多くいます。神の言葉で皆を導いて頂ければ、と…」

 

 

クアイエッセの言葉に嫌な汗が流れる名犬ポチ。

ニグンからも同じことを言われ続けていたがなんとかはぐらかしてきたのだ。

ここにきてクアイエッセも法国行きたい派になってはマズイ。

この二人を同時に説得できる気がしない。

 

 

「え…! 法国行くの、マジ…? わ、私は反対だなー。別に今すぐ行かなくていいんじゃん。ね、神様だって堅苦しいの嫌じゃない? あの国ってマジでつまんないからさー」

 

 

クレマンティーヌの反対に名犬ポチは歓喜する。

その言葉にクレマンティーヌへの評価を上げざるを得ない。

 

 

「わん!(いいぞ濡れマンてぃーぬ! 行け! そのまま押し切れ!)」

 

 

突如クレマンティーヌの肩に乗り鼓舞する名犬ポチ。

だが周りから見ると肩の上でジャレているようにしか見えない。

 

 

「えへへ…。なんかよくわかんないけど神様モフモフだー!」

 

「わん!?(何してんだバカ! 早くクアイエッセを説得するんだよ!)」

 

 

名犬ポチを抱きしめると激しく頬ずりするクレマンティーヌ。

その中でバタバタと暴れる名犬ポチ。

 

 

「どちらにせよ法国に向かわせている定時連絡のクリムゾンオウルがそろそろ戻ってくる頃ですので神の降臨を伝えさせましょう。きっと法国民全てが喜びますよ! あとクレマンティーヌ、お前のことも報告しておくぞ」

 

 

その言葉に名犬ポチとクレマンティーヌの表情が死ぬ。

共に膝を付くその仕草は完全にシンクロしていた。

 

そしてクアイエッセの予言通り一匹のクリムゾンオウルが遠くからこちらへ飛んでくるのが視界に入る。

そのままクリムゾンオウルが近づいてくるとクアイエッセの肩へと止まり先に報告を行う。

終わり次第、神の降臨を法国に伝えて貰おうと上機嫌だったクアイエッセ。

だが報告を聞いていくうちにその顔が凍っていく。

その尋常ではない気配に名犬ポチとクレマンティーヌが顔を上げる。

 

 

「どしたの兄貴?」

 

 

だがクアイエッセは答えない。

やがてニグンとその部下達も近づいてくる。

 

 

「どうしたのだクアイエッセ殿、法国で何かあったのか?」

 

 

神よりも重要なことなどないだろうといった様子で語り掛けるニグン。

目の焦点が定まっていないクアイエッセが震えながら答える。

 

 

「そ、それが…、ほ、法国が…、スレイン法国が…」

 

 

一呼吸入れ、喉をゴクリと鳴らす。

 

 

「滅びた、と」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええ! エ・ランテルには帰らないんですか!?」

 

 

漆黒の剣のリーダーであるペテルの驚いた声が響く。

 

 

「貴方達はこの街を救った英雄ですよ!? それなのになぜ!?」

 

「申し訳ない、神がお決めになったことなのだ。私たちはこの街を離れる。すまないがここに倒れている裸の者達のことを頼んでも良いだろうか?」

 

「そ、それは構いませんがこの人達は一体…?」

 

「聞かないで貰えるとありがたいのだがね…」

 

 

ペテルの問いをはぐらかすニグン。

だがペテルはその倒れている者達の中に見覚えのある顔を発見する。

それはエ・ランテルの冒険者達だった。

だが一つ奇妙な点がある。

そのいずれも死んだはずの者達だったからだ。

中には行方不明とされていた者達もいたが生存は絶望視されていた。

そんな者達が大量にここに倒れている。

どういうことなのか。

いや、一つだけ思い当たることがある。

それは自分達にも舞い降りた奇跡。

 

 

「ま、まさかニグン殿…。こ、この者達は…」

 

「……。あとは頼んだぞペテル殿」

 

 

そう言ってニグンは話を切る。

横ではクアイエッセがンフィーレアをダインとニニャに預けていた。

 

 

「まだ目を覚ましていないが直に目覚めるでしょう。申し訳ないのですが私の代わりにンフィーレア君を祖母に届けて頂けませんか? 彼の祖母に救出を頼まれたのですが私は行けそうにないので…」

 

「それは構わないのであるが…、本当に戻られないのであるか? これだけの功績、街やギルドから多大な褒賞も出ると思うのであるが…」

 

「いいのです、私達は神に仕える身。人類の為に貢献できるのであれば多くは望みません」

 

「凄いです…、王国の貴族共に聞かせてやりたいですよ…。 ああ、貴方達のような方がいれば王国ももっと良くなるのに…」

 

 

クアイエッセの言葉に感動するニニャ。

ダインはンフィーレアを受け取るとそのまま背負う。

 

 

「はいはーい、とりあえず皆さんこれでも纏って下さいよー」

 

 

ルクルットが軽口と共に裸の者達へ布切れなど局部を隠せそうな物を配っていく。

それらを受け取ると裸だった者達は漆黒の剣と共にエ・ランテルへと帰還する。

その中には一組の親子も混ざっていた。

 

そしてなぜかブリタも帰還しようとしていたので名犬ポチはクレマンティーヌに命じて押さえつけさせておく。

悪魔に魅入られたブリタにもう自由は無いのだ。

 

 

 

 

 

 

エ・ランテル中はもはやお祭り騒ぎであった。

 

大量のアンデッドが突如出現し、空前絶後の危機が都市を襲った。

このままエ・ランテルが落ちるのではないかという絶望の中、英雄の如く現れた王国戦士長とその部下、見知らぬ勇士たち。

しまいには天から降り注いだ神々しい光が都市内のアンデットを全て消滅させる。

おかげで奇跡的にほとんど死者は出ることはなかった。

 

市民の多くはこの時、神の存在を感じていた。

神が救いを差し伸べてくれたのだと。

あの説明のできない事態を前にそれに反論する者は一人もいなかった。

あれはあまりにも人の理解を超えていたのだ。

 

そして墓地から出現していた無数のアンデッドも姿を消す。

同時に墓地へ向かっていた冒険者チームと共に数十人もの冒険者達が帰還した。

その冒険者達はいずれも死んだとギルドから認定されていた者達だ。

 

その報告を受けた冒険者ギルド長アインザックは歓喜した。

エ・ランテルの冒険者のレベルは他の都市に比べ低い。

最高がミスリルであるからだ。

だが今回帰還した冒険者の中にはオリハルコン級の冒険者チームに加え、ミスリル級の冒険者も複数いた。

その全てがエ・ランテル所属の冒険者ではなかったが、それでもエ・ランテル所属の冒険者チームがいくつも帰還したという喜ばしいニュースは都市内を騒がすには十分であった。

傾いたエ・ランテルにおいて冒険者がいて困ることなど何一つないのだから。

 

しかも帰還した冒険者達は口々に語った。

自分達は間違いなく死んだ、と。

だが深い闇の底で、神々しい純白の手が差し出されそこから自分達は救い上げられたのだと。

 

人の口に戸口は立てられぬ。

 

その話は様々な憶測や尾ヒレを付けながらあっという間に都市中を駆け巡る。

やがて噂が噂を呼び、一つの真実として語り継がれることになる。

 

エ・ランテルに神が舞い降りたと。

 

数多の奇跡を目撃した者はもちろん、享受した者達によってその伝説は不変となる。

やがてカルネ村を発端とした犬神教がエ・ランテルに広まることになるがそれはまだ少し先の話。

 

 

 

 

 

 

 

冒険者に連れられ多くの市民と共に避難所にいたリィジー・バレアレ。

エ・ランテル中が歓喜に包まれる中、彼女の心だけは晴れることはなかった。

都市が救われようがどうしようがリィジーにとって大事な孫が帰って来なければ意味は無い。

今、この手の中に収まる『神の血』。

何よりも焦がれたこのポーションが霞むほど大事な孫。

このまま死んでしまうのではないかという程、衰弱したリィジー。

その視界に信じられぬものが入る。

 

避難所のドアを勢いよく開け放ち入ってきた小さな影。

その影はリィジーを見やると一直線に駆け寄ってくる。

 

夢でも見ているのか、と自問するリィジー。

それは何よりも大切な孫の元気な姿だったからだ。

 

 

「ンフィー…レア…?」

 

 

か細く小さい呟きがリィジーの口から洩れる。

 

 

「おばぁちゃん」

 

 

その自分を呼ぶ声が紛れもなく本物だと頭が訴える。

未だ信じられず孫へとヨロヨロと近寄る。

だが孫の口から飛び出た言葉は再開の喜びでも自分を心配する声でもなかった。

 

 

「何やってるんだよ、おばぁちゃん!」

 

「え…?」

 

 

孫のンフィーレアの怒気を孕んだ声。

思い返せば孫が自分に怒りを露わにするのは初めてかもしれない。

訳も分からず唖然とするリィジー。

 

 

「エ・ランテルから危険は去ったかもしれないけど怪我をしてる人は沢山いるんだよ! おばぁちゃんは薬師でしょ!? 怪我人を助けもせずこんな所で何やってるんだよ!」

 

 

もちろんンフィーレアも祖母が自分の心配をしていたことは知っている。

漆黒の剣からはもちろん、クアイエッセからも事情を聞いていたからだ。

自分の事をここまで心配してくれる祖母の気持ちは素直に嬉しいし、今は互いの無事を喜んで抱き合いたい気持ちもある。

だがそれでは駄目なのだ。

リィジーはンフィーレアがこの世で最も尊敬する人物だ。

薬師として超一流で誰よりも憧れている。

誰よりも強く、誰よりも知識に富み、誰よりも薬に精通している。

いつか自分もそうなりたいと願う理想の人物だ。

だからそのような人物がこんなことでは駄目なのだ。

ンフィーレアがこうなりたいと憧れる祖母の姿はこんなものではない。

 

 

「ほら早く立ち上がって。怪我人を助けに行かなくちゃ。今この街で最も必要とされてるのは僕たちみたいな薬師でしょ? すぐにポーションを準備しなきゃ。都市中の人となると作り置きしている分じゃとてもじゃないけど足りないよ」

 

 

ンフィーレアのその姿にリィジーの目から大粒の涙が零れる。

不思議と、再会を喜ぶ言葉や自分を心配する声よりも薬師としてあろうとする孫の姿が嬉しかった。

こんなところで悲しみに暮れ蹲っている自分よりもよっぽど強い。

自分の情けない姿に恥じ入るがそれよりも孫の成長を嬉しく感じる。

 

 

「生意気言いおって…。ふん、わかっとるわい! ほら行くぞンフィーレア!」

 

「あ、待ってよおばぁちゃん!」

 

「それにほら、これを見てみぃ!」

 

「あ、赤いポーション!? 噓でしょ、これって…!?」

 

「そうじゃ! これから忙しくなるぞい! 覚悟はできとるな!?」

 

 

先ほどまでの憔悴など嘘のようにリィジーは力強い足取りで歩み始める。

後ろを慌てて付いていくンフィーレア。

誰にも見られることは無かったがその瞳からは祖母のように大粒の涙が零れていた。

 

この後、事態が収束した後にンフィーレアから自分は蘇生されたのだと告げられたリィジー。

それが自分が助けを求めた金髪の男とこの『神の血』をもたらした男の信奉する神という存在によるものだと聞かされたリィジーは深い感謝と共になぜかすとんと胸に落ちるものを感じていた。

 

薬の事だけを追い求めた人生。

他の事など歯牙にもかけず、興味すら無かった。

神の存在なども笑って生きてきた。

だが今は少し違う。

誰よりも自分の無知を知っているし無力も知っている。

自分の傲慢さを恥じ、初心を思い出す。

そしてこの薬の道に入った時に師匠から聞かされた言葉を再び胸に刻み込む。

 

この世は未知で溢れている。

 

まさにその通りだ。

もう一度基本からやり直そう。

そして既成概念に捉われずあらゆることを実験するのだ。

先人の知識に頼りすぎていた部分もある。

当たり前と断じていた事も疑ってかかり、新たに取り組むべきだ。

何よりこの『神の血』の解析もしなければならない。

ああ、なんと忙しい。

時間などいくらあっても足りない。

 

胸の高鳴りを抑えられないリィジー。

 

後にリィジーとンフィーレアは第三のポーションと呼ばれる物の開発に成功することになるのだがその作成方法は謎のままであった。

一説によるとこの世界の物ではない素材を使用しているとも噂されるがそのレシピが公開されることはなかった。

素材の一部はカルネ村に向かったンフィーレアがその地に残された神の一部の採取に成功し、それを使用しているのではと語られるが推測の域を出ず、それを確認する術は無い。

やがてその第三のポーションは『神の唾液』と人々の間で呼ばれるようになる。

真実を知るのは一部の者達だけである。

 

 

 

 

 

 

 

漆黒の剣や蘇生した冒険者達が墓地から去り、名犬ポチとその関係者だけが残る。

クアイエッセから法国滅亡の報を聞いた名犬ポチ。

この間ずっと名犬ポチは思考の海に沈んでいた。

様々な可能性が思い当たる。

だがこの場合、最悪を想定するべきだろう。

ならば最悪とはなんだ。

名犬ポチにとっての最悪。

それは。

 

 

「わん(卑猥なる者よ、もう一度説明しろ)」

 

 

ニグンを介して名犬ポチの言葉が伝えられる。

 

 

「は、はい…。クリムゾンオウルの報告によると中心地である神都はもちろん周囲の都市に至るまで、わずかな建築物の残骸は残っているもののほとんど更地と呼んで差し支えない状態になっているようです。絶対とは言えませんが生存者がいる可能性は0と言ってよいかと思います…。国どころか、都市、人に至るまで法国として残っているものは何もありません…」

 

 

その言葉にニグンやクレマンティーヌ、陽光聖典の隊員達も絶句している。

誰も言葉を発せない。

 

 

(かつてニグンから聞いた法国の戦力…。この世界は平均レベルが低すぎてあまり参考にはならないが、一部の突出した者達の強さがニグンの説明通りだとすればユグドラシルの基準においても高レベルである可能性はあり得る。プレイヤーの血を引いているという事実からするとカンストまで成長できると仮定しても違和感はない、か…)

 

 

だがそうなるとそれはそれで問題である。

高レベルがわずか数人といえど存在する法国をここまで完膚なきまで叩き潰せるとなると法国を襲った戦力はその上を行っていると見るべきだからだ。

だがクアイエッセの言葉はこれでは終わらない。

 

 

「すでに周辺にはその情報は広まっています、世界中に流れるのは時間の問題かと。それとこれは未確認で、リエスティーゼ王国の王都から来ていた旅の者が話しているのをクリムゾンオウルが耳にしただけなのですが…。その、アーグランド評議国は国そのものが吹き飛んで何も残っていないそうです…」

 

 

評議国という国の強大さを理解しているニグン達は信じられない。

世界最強のドラゴン達が支配するあの国が滅ぶなどということがあり得るのか、と。

同時に名犬ポチもより深く思考する。

これもかつてニグンから聞いた情報の中にあった。

 

 

(ドラゴンの支配するアーグランド評議国か、恐らくはこの世界最強の国家であると言っていたな。ユグドラシルでもドラゴンは最強の種族だった。少なくとも雑魚ではないだろうし…その国を滅ぼせる存在がいるとするならば警戒しないとマズイな…)

 

 

だが名犬ポチは簡単に一つの可能性に行き当たる。

どこまでが真実かわからないが精査する必要もなく、疑問の余地もなくそのようなことを可能とする存在に心当たりがあるからだ。

 

 

(考えたくはないが…、というよりなぜ思いつかなかったのだ…。この世界にアインズ・ウール・ゴウンのメンバーが来ていないか疑問に思っていたが、それよりも重大な問題があるじゃないか…)

 

 

それは他のプレイヤーも訪れているという可能性。

 

 

(これは本当にマズイぞ…。評議国と法国、この二つが滅ぼされていることから敵は二勢力あると見るべきか、いや一つの勢力が集団で来ている可能性もあるか…。というか、そっちのがヤバイな、漁夫の利が狙えん…。しくじった、調子に乗って《ピー・テリトリー/犬の縄張り》なんて使うんじゃなかった…。あんな巨大範囲魔法は目立ってしょうがない、ここにプレイヤーがいると宣伝しているようなものだ…)

 

 

だが後悔しても遅い。

少なくとも今は一刻も早くエ・ランテルから逃げ出さねばならない。

いきなり国を滅ぼすような奴等がいるのだ。

話し合いなど通じないと見るべきだろう。

 

 

(それに戦力差もヤバイ…。カンストプレイヤーだったら例え一人でも勝負にならんぞ…)

 

 

ユグドラシル時代、PVPでは脅威の勝率を誇った名犬ポチではあるが今はそれが通用しないことぐらいは理解している。

名犬ポチの強さはステータスやスキルのような能力的な所にはない。

単純にその見た目から人の良心に付け込むという下卑たものだ。

まともに勝負したら相手になどならない。

 

 

(この世界で俺たちプレイヤーが蘇生できるかどうかは不明だが…、というか可能だとしても生き返してくれる者がいるとは限らない…。取り返しの付くユグドラシルと違ってここでは良心の呵責などに期待できないか…)

 

 

サポート職に近い名犬ポチでは単独での戦いなど自殺行為に等しい。

結論として導き出されるのはいかに戦いを回避するかというもの。

 

 

(どうにもならん、これは尻尾を巻いて逃げるしかないな…)

 

 

 

 

 

 

 

 

沈黙し思考する名犬ポチの前でニグン達も話し込み状況の確認をする。

 

 

「クアイエッセ殿はどう思う? そんなことが出来る者がいると思うか…?」

 

「私がクレマンティーヌを追う前に国では占星千里が破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の復活を占っておりました。カイレ様と共に漆黒聖典のメンバーはその調査に向かう予定で私もそのメンバーに入っていましたが、私だけは予定を変え、単独でクレマンティーヌを追うことになったのでその後の話は…」

 

「ふむ、では漆黒聖典はその破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)と戦いになって破れた…と?」

 

「そう考えるのが自然でしょうね、しかしそうなるとカイレ様の装備していたケイ・セケ・コゥクも通じなかったという事になるのでしょうか…。それに神都には番外席次がいます。隊長すら赤子のように扱うあの方がやられるなど考えたくはないですが…」

 

「評議国のことを置いておいたとしても、絶望的だな…」

 

 

この場にいる者の心境は全員同じだった。

漆黒聖典や番外席次、そして六大神の残した秘宝すら通じなかったのだ。

もはやどうにもできない。

評議国が滅んだということも事実ならば余計にだ。

もう希望は無い。

たった一つを除いて。

 

 

「これは運命だったのかもしれんな…」

 

「な、何をニグン殿!?」

 

「いや、勘違いしないで欲しい。国が滅んだことについてではない。皆よ、私達の目の前にはどなたがいるか忘れたのか? 疑問には思っていたのだ、なぜ今この世界に降臨なされたのかということを…」

 

 

ニグンのその言葉に全員が真意に思い当たる。

 

 

「そ、そうか…」

 

「なるほど…!」

 

「ああ、救いは目の前に…!」

 

 

そして全員の視線が名犬ポチへと突き刺さる。

 

 

「わん?(ん?)」

 

「神! 貴方がこの地に舞い降りた理由にやっと気づくことができました! 貴方は滅びゆくこの世界を救う為に降臨なされたのですね! まさに我々の希望! まさに救いの神!」

 

「わん?(へ?)」

 

 

思考の海から浮かび上がった名犬ポチはニグンが何を言っているか理解できない。

 

 

「かつて世界に降り立ち災厄を振りまいた悪神…! 今再びこの世界をその脅威が覆いつくそうとしている…! 貴方様はその者達から世界を救う為にこの地に舞い降りられた…! その偉大な使命に今まで気付くことが出来ず申し訳ありません! このニグン! 微力ながら貴方様の為に力を振るうことをお許し下さい!」

 

「わ、わん?(な、何言って…?)」

 

「皆よ聞け! 悲しいことにすでに祖国は滅びた! だが全ては終わったのか!? 否! 断じて否である! 前を見よ! 我らの前におわすは一体誰だ!」

 

「「「「「神! 神! 神!」」」」」

 

 

陽光聖典の隊員達がニグンの声に呼応するように唱和する。

 

 

「然り! ならば何を恐れることがある!? 我々神の剣となり悪しき者達を滅ぼさん! 共に立て! 神と共に戦える栄誉をその胸に刻み込むのだ! 神と共に戦える事を喜ぼうではないか! 栄光は我らと共にある! 祖国の無念を! 祖国の悲願を! 我々が神と共に晴らすのだ! さぁもう一度言うぞ! 我らの前におわすは一体誰か!?」

 

「「「「「神! 神! 神!」」」」」

 

 

異様な熱気、狂信的とも言える程の信仰。

それを目の前にした名犬ポチは恐ろしさのあまり漏らしていた。

 

 

「おお! 神が許しをお与えになられたぞ! 皆並べ! 神から賜れた一部を己の中へと取り込み神への誓いとするのだ!」

 

 

ニグンが名犬ポチの零れた聖水を器へと救い上げる。

それを順番に隊員達へと一滴ずつ飲ませていく。

もちろんクアイエッセとクレマンティーヌも飲んでいた。

宗教的に聖人や神、そのような者達の一部を己に取り込むという思想は全く不思議ではない。

だがここでニグンは見知らぬ黒いローブを纏った七人の男に気付く。

それはカジットの弟子達だった。

 

 

「む、お前達は?」

 

「どうか我々にもその栄誉をお与えください! 我らが師、カジット様への神による慈悲! あれほどの感動を私達は感じたことはありません! 魔法の腕ならば自信はあります! どうか! どうか我らにも神に仕えることをお許し下さい! カジット様が受けた恩の分まで働くことを誓います!」

 

 

その瞳に嘘は無かった。

カジットと共に邪法に手を染めた愚かなる罪人達。

だがその姿にもう後ろ暗いものはなかった。

彼等もまた光に魅せられ、そして正しき道へと歩を進める同志であった。

 

 

「うむ、今は少しでも人手が欲しい。それに神がお救いになったカジットの弟子であるお前達。きっと神も無碍には扱わぬだろう」

 

「おお、感謝します! 神に栄光あれ!」

 

 

そしてカジットの弟子達も聖水を口に含んでいく。

それを満足気に眺めるニグン。

 

 

「私はここに宣言しよう! 我々は陽光聖典ではなく! 法国の兵隊でもない! 今! この時を持って! 神直属の部隊となる!」

 

「「「「「うぉぉおおお!!!」」」」」

 

 

もう誰にも止められない。

 

 

「神よ、申し訳ありませんが勝手ながら私の方で便宜的に名前を決めさせて頂きます。それとクアイエッセ殿、実力的には貴方の方が上だが神の言葉を代弁する都合上、私が取り仕切ってもよいだろうか?」

 

「構いません。それに地位的には六色聖典の隊長である貴方の方が上です。異論などあるはずがありません」

 

「感謝する、クアイエッセ殿」

 

 

そしてニグンが隊員達の前へと向き直る。

 

 

「改めて宣言する! 私は今! この時を持って! 神に仕える部隊! 『純白』の設立を宣言する! 神のその偉大なる御姿を冠したこの名! 各員この名に恥じぬようしかと心に留めよ! その働きを持って神への信仰とするのだ! さぁ問おう! 我々はなんだ!?」

 

「「「「「純白! 純白! 純白!」」」」」

 

「然りぃぃぃ! ならば純白とは何だ!? 存在意義は!? 何の為に存在する!? 誰にこの信仰を捧げる!?」

 

「「「「「神! 神! 神ぃぃ!」」」」」

 

 

総勢80名を超える神の部隊『純白』がここに誕生した。

全員が聖遺物級以上の装備を身に纏い、実力も一級品。

現地の勢力として言うならば間違いなく最強の部隊がここに生まれたのだ。

全ては神の為に。

全員が一つの目的に迷うことなく突き進む狂信の部隊。

全てを白く染め上げる純白の部隊。

それはこの世界に何を齎すのか。

 

 

勝手に設立された『純白』を前に怯える名犬ポチ。

自分の横にはこの熱気に耐えられず気を失っているブリタがいた。

ブリタの影で頭を抱え震える名犬ポチ。

 

 

「わん…(誰か助けて…)」

 

 

その声は誰にも届くことなく虚空に消えた。

 

 

 

 

 

 

エ・ランテルのとある借家の一室。

そこには最近越してきた親子が住んでいる。

母親は家で内職をして日銭を稼ぎ、まだ小さな息子は簡単な配達の仕事をしている。

親子二人で生きて行くのは大変な時代だがそれでも親子の顔に悲壮感は無かった。

夕方頃になり、配達を終えた息子が帰ってくる。

それに気づいた母親は息子を迎えるために玄関へと立つ。

勢いよく玄関のドアを開ける息子。

 

 

「おかあさん、ただいま!」

 

 

住む場所は変わり、配達の仕事もするようになったがそれ以外は今までと何も変わらない日常。

だがなぜか少年はこの事に説明できない幸福を感じるのだ。

ドアを開けた先でいつものように母親が優しく出迎えてくれた。

 

 

「おかえりカジット」

 

 

 




次回『暗躍する悪魔と胎動する悪の華』やっと出番だぞ!


この辺りから原作の流れとは離れていくと思います。
長くなってきたのでここらで章管理始めてみようかと思ったり。




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動乱編
暗躍する悪魔と胎動する悪の華


前回までのあらすじ!

色々あって最強(笑)の部隊を手に入れた名犬ポチ。
いざ立ち向かえカンスト勢へ!


ナザリック地下大墳墓の誰もいない一室。

 

そこでアルベドは呪詛を吐きだしていた。

デミウルゴスの失踪によって計画は根本から破壊された。

アルベドの頭を悩ませるには十分すぎる程に。

 

 

「くそ…、デミウルゴスめ…! 確証など何もないでしょうに…! まさか至高の御方の命令を違えてまで動き出すなんて…!」

 

 

完全に想定外。

新しい作戦を練り直さなければならない。

だがここにおいてアルベドはまだデミウルゴスへの警戒が不十分であったと言わざるを得ない。

戦力比で言えば圧倒的にデミウルゴスが不利なのだ。

だからこの場においてデミウルゴスが何を最も嫌がるか、そこに考えが及ぶべきではあった。

 

 

「アルベド様! た、大変です!」

 

「どうしたの! 騒がしい!」

 

 

イライラしているアルベドは報告に来た配下に殺気を放ってしまう。

だが部下の表情が困惑に染まっている事でただ事ではないと気づく。

 

 

「ごめんなさい、取り乱してしまったわ…。どうしたの?」

 

 

優しく配下に語り掛けるアルベド。

だが部下の報告に再び取り乱すことになるのだが。

 

 

「地下5階層の氷河で大量の悪魔が出現しました! 現在コキュートス様が応戦しており殲滅するまでは時間の問題と思われますがあまりにも数が多くナザリック内にも被害が出ております!」

 

「何ですって! 被害状況は!?」

 

「悪魔達は氷河の館『氷結牢獄』を中心に出現しており、現在『氷結牢獄』は完全に悪魔の手に落ちています!」

 

 

アルベドはすぐに気付く。

それが何を意味しているかを。

 

 

「っ!! 私はすぐに地下5階層に向かう! それとアウラに全シモベを投入して悪魔の掃討に手を貸すように伝えなさい!」

 

 

アルベドは直近の配下としていたレベル80以上のシモベとルベドを引き連れ氷河へと向かう。

道中で地下7階層の溶岩地帯へ待機させている部下へとメッセージを飛ばす。

 

 

『聞こえる!? 地下7階層の悪魔共が動き出したら連絡を寄こせと言っていたでしょう! 何をしているの!?』

 

 

アルベドはデミウルゴスの支配する地下7階層にいるシモベ達には最大の注意を払っていた。

何かデミウルゴスの指示を受けているかもしれないからだ。

だから見張りとして部下を数名配置し、地下7階層への道も完全に閉じ孤立させていた。

だが待機させていた部下から返ってきた言葉はアルベドの予想外のものだった。

 

 

『ア、アルベド様…! 地下7階層の悪魔達は一匹たりとも動いておりませんが…。な、何かあったのでしょうか?』

 

『なっ!?』

 

 

アルベドの思考が一瞬止まる。

ならば今、地下5階層を襲っている大量の悪魔はなんだ。

デミウルゴスやその部下達による悪魔召喚だとしても数が多すぎる。

コキュートスとそのシモベ達の手を煩わせるレベルならばただの悪魔召喚とは考えられない。

デミウルゴスと無関係の者の仕業という可能性も無くは無いが考えづらい。

姿を眩ませたデミウルゴスが何か仕掛けてきたと考えるのが自然。

 

 

「一体、何をしたのデミウルゴス…!」

 

 

デミウルゴスに匹敵する頭脳を持つといわれるアルベド。

だがこれは仕方ないだろう。

いくら優れていようと知らないことには対処できないのだ。

 

 

 

 

 

 

地下5階層の制圧は完了した。

コキュートスとその配下、そして集団の力としては最強を誇るアウラとその配下。

そして最高位の配下を連れているアルベド。

これらによって悪魔の殲滅は無事に終わった。

 

 

「スマヌ、助カッタ…」

 

 

アルベドとアウラに礼を言うコキュートス。

だがその言葉に返事などせずにアルベドは走り出す。

目的地は『氷結牢獄』。

辿り着いた先でアルベドの目に入ったもの。

それはすでに廃墟と化していた。

『氷結牢獄』は破壊され、建物としての形を保っていなかったのだ。

 

 

「姉さん! どこなの、姉さん!?」

 

 

返事は返ってこない。

破壊された建物に交じり、ニグレドのギミックに関連する砕けた赤子の人形が無残に転がっていた。

そしてもうこの『氷結牢獄』に生きているシモベの気配はない。

つまり、アルベドの姉であるニグレドが殺されたことを意味する。

わなわなと全身を震わせるアルベド。

 

 

「やってくれたわね…、デミウルゴス…!」

 

 

ニグレドはナザリックで最も情報収集に特化した魔法詠唱者(マジックキャスター)である。

それが潰された。

これは情報戦においてデミウルゴスを出し抜けなくなったことを意味する。

 

 

「死体は…、あるわけないか…!」

 

 

恐らく悪魔共によって粉々にされたか消し飛ばされたのだろう。

NPCは死体が無ければ蘇生魔法をかけられない。

復活させようとするならば玉座の間で金貨を支払わなければならないが、そもそも金貨など所持しておらず、加えてアルベドにはその機能すら使用できない。

つまりナザリック内においてはモモンガ以外にはNPCの復活は不可能であるということ。

 

アルベドの絶叫が地下5階層に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

アルベドは第6階層にある円形劇場(アンフィテアトルム)へとガルガンチュア、ヴィクティムを除く階層守護者を集めていた。

 

地下5階層『氷河』の守護を任されているコキュートス。

地下6階層『ジャングル』の守護を任されているアウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレ。

 

アルベドを含めこの場にいるのはわずか4人。

だがこの場所の空気は酷く重いものとなっていた。

アルベドが口を開く。

 

 

「まず先ほどの地下5階層を襲った悪魔達について説明させて貰うわ…。証拠も無いしこれは憶測に過ぎないのだけれど…」

 

 

一呼吸入れ、アルベドは意を決したように言う。

 

 

「恐らくはデミウルゴスの仕業よ」

 

「ナンダトッ!?」

 

「嘘でしょ! なんで!?」

 

「デ、デミウルゴスさんがそんなこと…」

 

 

あまりのことに3人とも食い気味に反応してしまう。

 

 

「分からないわ…。ただここで皆に説明しなければならないことが沢山あるの。とりあえず聞いて頂戴」

 

 

今までの作戦を大幅に変更し頭の中で再編成するアルベド。

理想はデミウルゴスを傾城傾国で支配し、この世界にいるであろう名犬ポチを消滅させることだった。

それも可能な限りナザリック内部の者には知られずに。

場合によっては邪魔者を順番に排除していくことも考えていた。

 

だが今となってはそれは不可能。

ここは多くの情報を開示し、なんとか誘導していくしかない。

そしてデミウルゴスには泥を被ってもらう。

 

 

「まずは先日、シャルティアが多数の配下を率いて出撃したことは皆知っていると思う」

 

 

その言葉に皆が頷く。

モモンガ様から直々の命とのことで羨ましく思ったものだ。

 

 

「皆には連絡が遅れてしまって申し訳ないのだけれど…、シャルティアは現地で最強と思われるドラゴンと戦闘となり、相打ちになったわ」

 

 

その言葉で守護者達へと戦慄が走る。

 

 

「マサカ、シャルティアト相打チニマデ持チ込メル猛者ガイルノカ…!」

 

「う、嘘ですよね…!? シャルティアさんが…!?」

 

 

だが一番衝撃を受けていたのはアウラだった。

 

 

「そ、そんな! なんで!? アイツが…、アイツが簡単にやられるわけないでしょっ!? それに配下だって連れてったんでしょ!? それでなんでやられるのよっ!?」

 

 

鬼のような形相でアルベドへと詰め寄るアウラ。

 

 

「ごめんなさい、詳しくは分からないの。その場を直接監視していたのは姉さんだけだったから…。ただ、敵のドラゴンが強力な魔法を放ちシャルティアとその部下、そして自分を含め国ごと全てを吹き飛ばしたことだけは確かよ。姉さんの報告を受けて私が向かった時には何も残っていなかったわ…」

 

「そ、そんな…」

 

 

その場に力なく膝を落とすアウラ。

だがアルベドは慰めの言葉などかけず続ける。

 

 

「それに本題はここからよ。私が帰還した時にはデミウルゴスはすでにナザリックから消えていたわ」

 

「デミウルゴスハモモンガ様ノ命ダト言ッテイタゾ!?」

 

 

コキュートスの言葉にアルベドは心の中で舌打ちをする。

あまりにも単純で稚拙な手段でデミウルゴスはこのナザリックを後にした。

それに気づくと共に、己の迂闊さも呪う。

だが全て最初から分かっていたという態度でアルベドは続ける。

 

 

「ええ、そうでしょうね。でもモモンガ様はデミウルゴスにそのような命令を下してはいないわ」

 

「ナ…!?」

 

「ど、どういうことですかっ!?」

 

 

転移などで直接外に出れないデミウルゴスは配下を連れ正面から堂々と出て行ったのだ。

その際、上層である5階層と6階層を通る際、コキュートス達と顔を合わせたのだろうが、デミウルゴスはモモンガ様の命令だと言い放ったのだろう。

主の命だと言われれば誰も疑問など抱かない。

 

だが守護者達は今、デミウルゴスがなぜ?という疑問が頭から離れなかった。

 

 

「ナザリックがこの地に転移する前、何人かの至高の御方がナザリックを訪れていたのは感じていたでしょう?」

 

 

その言葉にコキュートスもアウラもマーレもわずかに至福に包まれる。

この地を去ってしまった至高の御方達。

その御方達が何人もこのナザリックへと帰ってきてくれたのだ。

あの時の感動は筆舌に尽くしがたい。

それを思い出すだけで幸せを感じる程に。

 

ただ、その後すぐにまたお隠れになってしまわれたが。

 

 

「もしその中でお隠れにならなかった御方が一人、いたとしたら?」

 

 

その言葉で三人の時が止まった。

しばしの間、沈黙が場を支配する。

 

そしてようやく脳内で咀嚼し終わったのだろう。

冷静さを失った3人はアルベドに詰め寄る。

 

 

「ド、ドウイウコトダッ!?」

 

「でも今このナザリックにおられるのはモモンガ様だけでしょ!?」

 

「モ、モモンガ様以外の方の気配は…、その、感じないです…!」

 

 

このナザリックには現在モモンガ様の気配しかない。

だから何を言ってるのだとアルベドに反論する。

そんなことがあるはずがないのだから。

だが心のどこかでそうあって欲しいと願う。

 

 

「最後にナザリックへと訪れた名犬ポチ様…。恐らくあの方はお隠れになっていないわ。ナザリックが転移した際に一緒にこの世界へ飛ばされている可能性があるの。ただその瞬間にナザリックを離れていた為か、遠くに飛ばされてしまったようだけど…」

 

「ナンダトッ!? ナゼソレヲ言ワヌッ!? スグニ捜索セネバ!」

 

「そうだよっ! 私が今すぐ全シモベを率いて捜索に出るよ!」

 

「ぼ、僕も探しに行きますっ!」

 

 

各々が自分が行くと言って譲らない。

だがアルベドが喝を入れる。

 

 

「落ち着きなさいっ!!!」

 

 

その声に舞い上がっていた3人の動きが止まる。

 

 

「なぜデミウルゴスがナザリックから離れたと思うの!?」

 

 

アルベドの激に最初に反応したのはマーレ。

そこには歓喜と納得の気持ちが現れていた。

 

 

「そ、そっか! デミウルゴスさんは名犬ポチ様を迎えにいったんですね!?」

 

 

マーレの言葉にコキュートスとアウラの表情が緩む。

なるほど、そうだったのかと。

だがアルベドの口から出るのはそれを否定する言葉。

 

 

「先ほどの地下5階層への攻撃を思い出しなさい! それならばデミウルゴスがナザリックへ攻撃を仕掛けてきた理由にならないわ! そもそもこの地を守護せよとの命令を無断で破っていい理由にはならない! なぜデミウルゴスがわざわざ至高の御方の命令を破ってまでナザリックを去ったかを考えれば答えは出るはずよ!」

 

「ウ…! ヌゥ…!? スマヌ、私ニハワカラン…」

 

 

コキュートスには何が何だか理解できなかった。

もちろんアウラとマーレも答えには行き着くことはできない。

3人はただアルベドの答えを待った。

仕方ないといった様子でアルベドが声を大して言う。

 

 

「デミウルゴスは名犬ポチ様を排除なさる気なのよ! だからモモンガ様の命令だと偽ってこのナザリックを離れた! 今ならばモモンガ様に気付かれずに排除できるから!」

 

 

そしてアルベドの口から語られるのは余りにも信じがたいものだった。

その言葉に戦慄する3人。

意味が分からない。

なぜ仕えるべき至高の御方を排除せねばならないのか。

それは呆れかえるほど分かり易い反逆であり裏切り。

あまりにも分かり易過ぎて、逆に誰もすぐにその言葉を理解できなかった。

怒りよりもなぜという疑問が頭を支配する。

やがて疑問はそのままに、怒りが追い付く。

そして怒りを感じた後にそれぞれの口から出たのは悲鳴。

なんということをしてくれたのだ、と。

恐ろしい。

そのような裏切り許されるものではない。

配下としてあるまじき行為。

不遜すぎて言葉も無い。

我々の忠義まで疑われてしまう。

もしかすると愛想を尽かされてしまうかもしれない。

それで、ただ一人ずっと御残りになられたモモンガ様までお隠れになられてしまうのでは、という恐怖。

3人は簡単に分かるほど震えていた。

だが恐怖に震えながらもまだ疑問は尽きない。

 

 

「あ、あの…今ならモモンガ様に気付かれずにって…、どういうことでしょうか…? モモンガ様に分からないことなんてないはずでしょう…?」

 

 

マーレの言葉にアウラもコキュートスもその通りだと頷く。

偉大なる主は全てを見通されているのだ。

だがアルベドから告げられた答えはあまりにも残酷なものだった。

 

 

「モモンガ様は今お休みなっておられるわ…。そもそもなぜ何人もの至高の御方達が先日ナザリックを訪れたか分かる? あの御方達はモモンガ様を迎えにきたのよ。このナザリックから連れ去る為にね…」

 

 

アウラとマーレからひぃと大きな悲鳴が上がる。

それが真実だとすればモモンガ様さえこの地からいなくなってしまうからだ。

余りの恐怖に体の平衡感覚が正常に働かない。

少し気を抜けばその場に倒れてしまいそうだ。

 

 

「もちろん我らが偉大なる主であるモモンガ様はそれをお断りになられたわ。でもね、それと同時に他の至高の御方達はもうこの地を訪れないと仰ったの。分かる? モモンガ様はその悲しみから心を塞ぎ、お休みになられたのよ…」

 

 

この地に残ろうとしてくれたモモンガ様に感謝と感激を覚える3人。

だが他の至高の御方がもうこの地を訪れないという事実に悲しみで心ははち切れそうになる。

そしてモモンガ様もまた他の至高の御方の不在を悲しまれている。

何も出来ない無力な自分達。

あらゆる感情が3人の中を巡り、苛む。

モモンガ様の為に何も為せない自分達が恨めしく歯がゆい。

だがここで最初の疑問へと再び立ち返ることになる。

 

 

「で、でもそれがどうしてデミウルゴスが名犬ポチ様を排除することに…、あ!!」

 

 

喋りながらアウラは気づいてしまった。

デミウルゴスが何をしようとしているのかということを。

顔面蒼白になったアウラは続きを紡ぐことが出来ない。

 

 

「やっと気づいたようね。そうよ、名犬ポチ様もモモンガ様をこのナザリックから連れ去る為にこの地へと再び訪れた一人。この謎の転移に共に巻き込まれてしまい今は行方不明になってしまったけど、いつまたナザリックへと戻りモモンガ様をリアルへと連れ去るか分からないわ…」

 

 

その言葉に全員の疑問が氷解する。

デミウルゴスの目的、それは。

 

モモンガ様を連れ去られない為に名犬ポチ様を排除することなのだと。

 

しかしどんな理由であれ、主である至高の御方に刃を向けるなど許されることではない。

だが不遜ながらも。

誤解を恐れずに言うならばだが。

3人共、デミウルゴスの気持ちが分からないでもなかった。

 

モモンガ様がこの地を去られる。

 

これ以上の恐怖はこのナザリックのシモベ達には存在しない。

阻止する為ならばどんな犠牲すら厭わないだろう。

だからそれを阻止しようとするデミウルゴスの動機は十分に理解できる。

理解できるが。

もちろん賛同する気持ちなどない。

例えどんなに理解できる動機だとしても。

もしかしたらデミウルゴスを阻止することによって名犬ポチ様がモモンガ様を連れ去ってしまうかもしれない。

そんなのは嫌だ。

誰にもこの地を去って欲しくない。

だが、どれだけ望まぬ未来が待っているとしても。

 

至高の御方に弓引くことだけはあってはならないからだ。

 

余りにも苦しい選択。

だがどちらかを選ぶなどという選択肢は初めから無い。

 

自分達はただ至高の御方の為に存在するのだから。

 

 

デミウルゴスの凶行に納得し、全てを理解した3人の目には強い意志が宿っていた。

なんとしでもデミウルゴスを止めるのだと。

最悪、デミウルゴスを排除することになったとしても。

 

 

 

(上手くいったようね…)

 

 

3人の反応にアルベドは零れそうになる笑みを必死に堪える。

苦しい言い訳も多く、色々と突っ込まれれば危ない所もあったがそれでも乗り切った。

少なくともデミウルゴスの離反に説得力を持たせられればこちらのものだ。

 

荒唐無稽な嘘は見破られやすいが、納得できる嘘なら簡単に信じてしまう。

 

ニグレドを殺されたのは痛かった。

致命的とも言っていい。

だがただで起きあがるアルベドではない。

せっかくのデミウルゴスの敵対行為、利用しない手は無い。

このおかげでデミウルゴスの裏切りに説得力が出せるのだから。

 

そしてここでもう一歩踏み込む事を決意するアルベド。

ニグレドを潰されれば外の様子を見ることが出来ず、慎重にならざるを得ない。

普通ならば、だ。

だが相手はデミウルゴス。

正攻法で戦える相手ではない。

しかも時間を与えれば与える程、不利になる可能性がある。

最悪、名犬ポチと合流されるとマズイ。

その場合でも排除する作戦はあるが、各個撃破できるに越したことはない。

 

そしてデミウルゴスに対しこちらが圧倒的に勝っているのは物量。

ならば量で一気に飲み込んでしまうのが一番良い。

デミウルゴスにしろ名犬ポチにしろ、それで網にかかれば上出来だ。

ここは危険を承知で勝負に出る。

ハイリスクハイリターン。

とはいえ自分には傾城傾国もあり、ルベドもいる。

仮に何かあっても起死回生の手段があるのだ。

負けることなどありえない。

後は守護者達を上手く使うだけだ。

 

 

「現在のナザリックの状況を確認しましょう。シャルティアは滅び、デミウルゴスは離反。ここまではいいわね?」

 

 

3人が頷く。

 

 

「幸いというべきかしら…。モモンガ様は現在お休みになられている。ならば目を覚まされる前に我々で全てを解決してしまいましょう」

 

「モ、モモンガ様ニ判断ヲ仰グベキデハナイノカ?」

 

「そ、そうだよ。ここまでの事態、私達だけで動いていいの?」

 

 

コキュートスとアウラにアルベドの鋭い眼光が突き刺さる。

 

 

「なるほど、貴方達はこう言いたいわけね。モモンガ様の眠りを妨げたあげく、シャルティアは死に、デミウルゴスが裏切りました、何とかして下さい、と。他の至高の御方が去られ傷ついているモモンガ様に向かって!」

 

 

非情に悪意に満ちた言い方ではあるが間違ってはいない。

その言葉が自分達が無能であると証明するようでコキュートスもアウラも言葉を失う。

 

 

「もちろん貴方達の懸念も分かるわ。でもね、こんなことも解決できずに全てモモンガ様の指示を仰いでどうするの? 主がいなければ何もできない無能ですと宣伝してモモンガ様がどう思うか考えたことはある? 全てあの御方へお任せになるなら私達の存在意義は? 何よりそこまで無能を晒して呆れられ、本当にモモンガ様がこの地を去ってしまったらどうするの!? 恥を知りなさい!」

 

 

アルベドの恫喝に3人は竦み上る。

全くもってその通りだと。

 

 

「ス、済マヌ、アルベド…。許シテクレ…」

 

「ご、ごめん…。そうだよね、私達で出来ることは私達がやらなきゃ…!」

 

「僕も、僕も頑張ります…!」

 

「いいのよ。それに全ての責任は私が取るわ。仮にモモンガ様の怒りに触れても貴方達は私に命令されたと言いなさい」

 

 

3人はアルベドの言葉にその覚悟と意思を強く感じた。

保身ばかりを考え、何も考えずモモンガ様に縋ろうとした自分達を恥じる。

守護者統括は伊達ではないのだとアルベドへの評価を上げる3人。

 

 

アルベドは内心で笑う。

3人の掌握はこれで十分だろう、と。

後は釘を刺しておくだけだ。

 

 

「皆にはこれから外での任務を言い渡すわ。もちろん、分かってると思うけどデミウルゴスと遭遇した場合に奴の甘言に惑わされないようにね。こうなった以上、デミウルゴスもなりふり構っていられないでしょう。私達を説得する為にどんな嘘を吐くかわからないわ。どれだけ信じたくても、どれだけ納得できそうな事を言っても全てを疑いなさい。デミウルゴスの立場ならこちらを仲違いさせようとしてくるはずだから」

 

「ウム…!」

 

「分かってるよ、デミウルゴス相手じゃ口勝負になったら絶対勝てないからね…」

 

「だ、騙されないようにします…!」

 

 

その返事に満足げに頷くアルベド。

 

 

「デミウルゴスと遭遇した場合はすぐに私にメッセージを送ること。そして名犬ポチ様を発見した場合も接触する前に私にメッセージを入れなさい。デミウルゴスが罠をはっている可能性も考えられるし、単独では何が起こるか分からないわ。いずれも必ず複数で対応するようにしましょう。分かった?」

 

 

3人が了承の意を告げる。

 

 

「それではこれからの作戦についてだけど、まずデミウルゴスの捜索は困難を極めると思われるわ。無計画に捜索しても徒労に終わることも考えられる。だから各地を制圧しながらジワジワと炙り出していきましょう」

 

 

アルベドは地図を取り出し3人の前に広げる。

 

 

「ナザリックは現在この辺りに位置している。コキュートスはこの北にあるトブの大森林の奥地にいる植物系モンスターの討伐をお願い。上がってきた情報では今この世界に残っている戦力としてはトップクラスよ。私達守護者の敵ではないけどデミウルゴスがこいつを配下に引き入れると厄介だわ。同様の理由である程度の戦闘力を持つ者は排除していく方針で進めていきましょう」

 

 

唯一の懸念はこの地で強者と言える者をデミウルゴスが味方に引き入れることだけだ。

だから強者を潰していけばいくほどデミウルゴスの勝率を下げられる。

デミウルゴスとその部下だけならばいくらでも抑え込めるのだ。

 

 

「ウム、ワカッタ」

 

 

コキュートスが深く頷く。

 

 

「次にアウラ。スレイン法国の西にアベリオン丘陵とエイヴァーシャー大森林と呼ばれる広大な土地があるわ。ここに関しては正確な情報を入手できなかったのだけれどこのエイヴァーシャー大森林の周辺、あるいはその中にエルフの国があるらしいの。法国と長年争っていたみたいだけれどどうやらその王様が実力者である可能性があるわ。潰しなさい」

 

「了解、任せといて」

 

 

アウラが強く頷く。

 

 

「そしてマーレ。貴方はナザリックの北東に位置するこのバハルス帝国へ向かいなさい。特別強者は確認できていないけれどここの土地は早めに押さえておきたい。本当はリ・エスティーゼ王国を押さえたいところだけど、もしデミウルゴスがいた場合、帝国へ逃げられる可能性があるの。先に帝国を押さえておけば王国の周囲を固められる。そうすれば王国はいつでも料理できるわ」

 

「わ、わかりました…!」

 

 

マーレがおどおどしながらも頷く。

 

 

「大陸は広い。ナザリックの軍だけでは全てを監視するのは不可能でしょう。恭順の意を示すのであればその者共にはデミウルゴスと名犬ポチ様を探す目となって貰いましょう。強者でさえなければいくら数がいてもナザリックの脅威とはなり得ないのだから。その辺りは各自の裁量に任せるわ。ま、用が済んだら全て滅ぼしてしまえばいいだけよ」

 

 

アルベドが邪悪に笑う。

 

 

「アルベドはどうすんの? やっぱナザリックの守り?」

 

「いいえ、私はこれから配下を連れアベリオン丘陵のさらに西にあるローブル聖王国へと向かうわ。特に目ぼしい強者もおらず、大陸最西に位置するこの国にデミウルゴスや名犬ポチ様がいるとは思えないけれどだからこそ早めに潰しておきたい。外側から潰しておくに越したことはないから」

 

「で、でもナザリックの守りはどうするんですか…?」

 

「基本的にはセバスに任せるつもりよ。それに私も聖王国を制圧したら早々にナザリックに戻るわ。長い間ナザリックを空けるつもりはないしね。それにその間はルベドをナザリックに置いていきましょう」

 

 

本心では手元から一時でもルベドを放したくはないが今回に限っては初動が大事だ。

ニグレドという目を失った以上、目的地まで転移することができない。

厳密には可能だが恐らくニグレドはデミウルゴスにカウンターを喰らった可能性が高い。

そうなるとニグレド以下の能力しかない配下に安易に《リモート・ビューイング/遠隔視》を使用させることはできない。

魔法で目的地を視認するという手段は封じられたに等しいのだ。

となると転移の魔法が使える配下を各地に配置するか、その場所を直接視界に入れさせるしかない。

 

デミウルゴスのおかげで面倒事が増えてしまった。

全くもって憎らしい。

しかもこのせいで戦力を分散するハメになった。

この間にナザリックを突かれてもいいようにルベドは置いていくべきだろう。

分散することにより、早々にデミウルゴスが誰かに接触してくる可能性も考えられるがそれはさほど脅威ではない。

場所さえ絞り込めれば残る勢力を集め一気に殲滅すればよいだけなのだから。

例え守護者が犠牲になろうとも。

 

 

「さあ、ではすぐに動きなさい! 全ては至高の御方の為に!」

 

 

だが突如、アルベドに部下からメッセージの魔法が入る。

 

 

『アルベド様! 報告が!』

 

「どうしたの? 今度は何?」

 

『侵入者です! ナザリックの地下1階層に侵入者を確認しました!』

 

「なんですって!? くそっ、こんな時に…。まさかデミウルゴス? いや、そうだとしてもここで攻める意味が分からないわ…。侵入者の強さは!?」

 

『いずれもレベルにして10~20程かと。強い者でもに30には届きません』

 

 

その報告に肩透かしもいいところだと呆れるアルベド。

完全にデミウルゴスとは関係なくここに足を踏み入れた現地の者だろう。

 

 

「その程度のことわざわざ報告しなくてもいいわ。1~3階層のシモベで十分対処可能でしょう」

 

『そ、そうなのですが…。現在1~3階層における中位以上のシモベはシャルティア様と共に出撃されてしまったので領域守護者のエリアを除けばかなり手薄と言わざるを得ません…。流石に自動POPするアンデッドだけでは対処しきれない可能性があります…』

 

 

その報告に軽いイラ立ちを覚えるアルベド。

シャルティアとその配下達はほとんどが消滅してしまっているのだ。

最終的にはその程度の侵入者などどうとでもできるだろうが、それでもそのゴミ共がこのナザリックを長い間荒らすということには耐えがたいものがある。

モモンガ様の居城たるこのナザリック地下大墳墓を汚すなど。

 

 

「アウラ、マーレ。1~3階層から転移の罠にはまって6階層に移動してくる可能性があるわ。申し訳ないけれど侵入者の排除が終わってから出撃してもらえるかしら?」

 

「了解、このナザリックに侵入したことを後悔させてあげるよ」

 

「そ、そうです! このナザリックに侵入するなんて許せないです!」

 

 

相手が雑魚とはいえ侵入者にかける情けなどない。

アウラとマーレの瞳には明確な殺意が宿っていた。

 

 

「時間が惜しいからコキュートスはすぐに出て頂戴。私もルベドに話を付け次第すぐに出るわ」

 

「ウム、了解シタ」

 

 

そうしてアルベドはルベドの元へと向かう。

ルベドにはメッセージは通じない。

これはルベドの創造のされ方に関係するのだが急いでいる時ばかりは煩わしく感じる。

急いでルベドの元へと向かうアルベド。

 

 

 

 

 

 

第10階層にある大図書館「アッシュールバニパル」。

ルベドはここで読書に勤しんでいた。

アルベドの命令がある時以外はここでずっと本を読むのが彼女の日課となっていた。

 

扉を開けアルベドが入ってくる。

 

 

「ルベド! ルベドはいる!?」

 

「ここ」

 

 

設置されている読書机に座っていたルベドがヒラヒラと手を振る。

 

 

「この本、ティトゥスが勧めてくれたの。とても尊い愛の本だって」

 

 

ルベドが視線を移すとその先にいたこの図書館の司書長であるティトゥス・アンナエウス・セクンドゥスが恭しくお辞儀をする。

 

 

「そう、良かったわね。で、私はこれから配下を連れて外に出るわ。ただ腹立たしいことに現在このナザリックに侵入者が入り込んだようなの。だから3階層あたりで侵入者を待ち伏せ撃退なさい」

 

「今いいとこ。後じゃダメ?」

 

「ダメよ。どうしてもって言うなら本を持ち出していいから侵入者の撃退に向かいなさい」

 

「了解」

 

 

本を脇に抱え、座っていたイスからピョンと飛び降りるルベド。

 

 

「侵入者って殺していいの?」

 

「好きにしなさい」

 

 

そう言ってアルベドは図書館を去る。

それを見送ったルベドもティトゥスに挨拶をして図書館を後にする。

アルベドの元から離れ、わずかな間とはいえ単独で動くことなったルベド。

 

もしこの場にニグレドがいたならばアルベドに再度忠告しただろう。

 

絶対にスピネルはナザリックに災厄をもたらすことになる、と。

だがその忠告をしてくれる姉はもう存在しない。

 

 

 

 

 

 

リ・エスティーゼ王国の王城の遥か上空に一匹の悪魔が佇んでいた。

 

その悪魔は先ほど監視の魔法が自身へと発動された最にカウンターとして切り札とも言える貴重なアイテムを切っていた。

それはかつて自らの創造主が作り上げ、自分に下賜された命以上に大切なアイテム。

切り札は本来ならば最後まで取っておくものだがここぞという効果的なタイミングで切れなければ意味が無い。

とはいえ早々に命にも匹敵する切り札を切るなど普通ならばできないだろう。

 

だがデミウルゴスはタイミングを見誤らない。

 

ここがこのアイテムを使用する最高のタイミングだったのだ。

とはいえ自らの創造主より下賜されたアイテムを使用することはわが身を引き裂かれるような思いではあったのだが。

このアイテムは第10位階魔法である<アーマゲドン・イビル/最終戦争・悪>を六重で発動できる魔像。

デミウルゴスの創造主であるウルベルト・アレイン・オードルがとあるアイテムを模して作った物である。

それは世界中に悪魔を無限に召喚すると言われるワールドアイテム。

だが結局、その効果はワールドアイテムに届くことは無かった。

ウルベルトにとっては望む効果も発揮できなかったアイテムで、すぐに興味を失う程度の物でしかなかった。

だがその効果は強大である。

最高の位階である第10位階を六重で発動できるというだけで説明せずともその強大さは理解できるだろう。

 

ニグレドの探知魔法に対して自身のスキルと魔法で備えていたデミウルゴス。

それだけならば決してニグレドへカウンターが届かくことはないが最後の備えとして配置したこの魔像。

 

もちろんニグレドも防壁を施しており普通ならばこれを破れる者はいない。

だがデミウルゴスの普段の備えに加えてこの6回もの魔法が放たれる魔像。

流石のニグレドもこの物量には追い付けず、その防壁を破られた。

 

襲った対象がナザリック内部だったため大したことはないように思えるが、もし評議国も法国も滅びたこの世界で発動すれば世界中を制圧するこも可能であっただろう。

それほどの効果を持つアイテムである。

 

 

「しかしニグレドには悪いことをしてしまいましたね…」

 

 

仲間を殺めてしまったことには深い罪悪感と申し訳なさを覚えるデミウルゴス。

デミウルゴスにとってナザリックの仲間は至高の御方の次に大切なものであり傷つけるなど論外だ。

だが今回に至ってはしょうがない。

アルベドの魔の手から逃れるにはこれしかなかった。

 

 

「無事にナザリックに帰れた暁にはこの命を持って謝罪します、だからどうか今は許して下さいニグレド…」

 

 

今は亡き仲間へと心からの謝罪を告げるデミウルゴス。

その時、各地に飛ばしていた配下達から連絡が入る。

 

 

「アルベドが動きましたか…」

 

 

そしてその報告の内容に顔をしかめるデミウルゴス。

 

 

「やはりそうきますか、この状況ではそれが最善手…。困りましたね、アルベドならきっと守護者達を丸め込んでいるでしょうしナザリックの者達への説得は通じないと見るべきでしょうか…。いやはや、こちらが圧倒的に不利なのですから多少は手加減して欲しいところなのですがね…」

 

 

とは言いながらもデミウルゴスの瞳に悲壮感は無い。

 

 

「しかしアルベドが動いたということはやはり私の推測は間違っていなかったようですね…。そろそろ配下達も撤収させるとしますか。ただでさえ手駒が少ないのにやられてしまったら目も当てられません」

 

 

どれだけ不利だろうがどれだけ汚名を着せられようがデミウルゴスには為さねばならないことがあるのだ。

例え主に叱責され命を奪われるようなことになろうとも。

デミウルゴスの決意は揺らがない。

 

 

「何があろうと至高の御方は私が必ずお守りします。貴方の好きにはさせませんよ、アルベド…!」

 

 

眼鏡の奥にある宝石がその強い意志を表すかのようにキラリと光り輝いた。

 

と、その時デミウルゴスはふと思う。

それはアルベドが動き出したという報告と共に合わせて受けたものだ。

 

 

「とはいえナザリックに侵入していったというその愚か者たちは何だったんでしょう…? ナザリックも特にその外観を秘匿しているわけではないようなので簡単にバレてしまったのでしょうが…。王国ではないでしょうし恐らく帝国のワーカーか何かなんでしょうがこのタイミングとは…。全く間が悪いですねぇ…」

 

 

この短時間でナザリックの存在に気付き、手の者を送り込んだのだからその回転の速さと判断力は素直に賞賛してやりたいところだが…。

流石に相手とタイミングが悪い。

 

 

デミウルゴスにしては珍しく、愚か者達の冥福を祈りたい気持ちになった。

 

 

 

 




次回『騒乱する近隣諸国』世界中が泣いた!



アルベド「絶対殺すマン」
デミデミ「手加減してクレメンス」
ルベド「早く続き読むマン」




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騒乱する近隣諸国

前回までのあらすじ!

デミウルゴス暗躍!
ナザリックの守護者が動き出す!


アーグランド評議国、スレイン法国滅亡の報が世界中を駆け抜けた。

予想だにしない事態に震撼する諸国。

 

生き残りはおろか目撃者もいなかった為に情報が出回るのが遅れに遅れた。

各国とも途端にその原因の究明や今後の対応に追われることとなる。

 

ただ、どれだけ動いても国の運命に変化はない。

抗う力が無ければどれだけ策を練ろうとも無意味なのだ。

 

 

 

 

 

バハルス帝国。

 

帝都アーウィンタールの中央に位置する皇城。

その中の執務室の一室で緊急の話し合いが行われていた。

 

 

「どういうことだ…? 評議国と法国が滅んだだと…!?」

 

「ええ、信じられませんが事実のようです。すでに両国とも更地になっていることが確認されています」

 

 

秘書官のロウネ・ヴァミリオンの報告に皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは頭を悩ませる。

 

 

「そうだ、爺よ。エ・ランテル近郊に出現した謎の遺跡の捜索はどうなっている?」

 

 

ジルクニフの問いが長い白髪と髭を蓄えた一人の老人へと向けられる。

それはバハルス帝国主席宮廷魔法使いフールーダ・パラダイン。

英雄の壁を越えた領域に立つ存在、逸脱者である。

 

 

「そろそろ着いた頃合いですかな…、何かあれば弟子に連絡が入る手筈になっていますが…。これは悪手であったかもしれませんな…」

 

「うむ、王国との国境の守りの兵が偵察中に偶然見つけたという遺跡…。興が乗って人を送り出したのはいいがその後に起こった評議国と法国の滅亡の報…。無関係だと思うか…?」

 

「わかりませんな…。ただ法国はともかく、評議国に勝てる勢力など思い当たりませぬ。そうなると完全に未知であるあの遺跡、疑わしくはあります。そしてもし無関係では無かった場合、次はこの帝国かもしれませんな」

 

「やめろ、冗談ではない…。第一送ったワーカーから足はつかないようにしているのだろう?」

 

「ええ。ですが本当にただの遺跡という可能性もあります。ふふ、未知の遺跡、素晴らしいではないか…! 何か魔法の深淵に触れるきっかけの一つぐらいあるやもしれぬ…! いいか、ジル。魔法とは」

 

「やめろフールーダ。それに言葉遣いが戻っているぞ」

 

「おお、これは失礼しました…!」

 

 

ジルクニフは徐々に興奮しだしたフールーダの頭を押さえる。

今の状況が分かっているのか?と。

だが仕方ない。

魔法のことになるとフールーダはのぼせ上り使い物にならなくなるのだ。

 

とはいえ、今回の未知の遺跡へワーカーを送り込むことになったのも元を辿ればフールーダたっての希望もあったのだ。

文献にも何も記されていない巨大な構造物。

フールーダの琴線に触れるものがあったとしても不思議ではない。

だが、だからこそこの事態にもっと精力的に動いて欲しかった。

まあジルクニフ的にもエ・ランテルは将来的に入手したい都市である。

その近郊のことは知っておきたかったということもあるのだが。

 

 

「とりあえず遺跡に関してはワーカーの連絡を待つことにする。帰ってこなかった場合はどちらにせよ危険だ、今はそれ以上深入りするのは禁ずる。今はそれよりも評議国、法国の滅亡の情報を少しでも入手しろ。もしこの帝国にも危険が迫るようであれば何かしら手を打たねばならん。まずは…」

 

 

ジルクニフはテキパキと部下に指示を出していく。

だがすでに時は遅し。

送り出したワーカーなど無関係にすでに悪意は帝国に向いている。

 

シャルティア亡き今、守護者最強であるマーレ。

それが配下を引き連れ攻め入ることが決定されている以上、帝国に希望は無い。

 

 

 

 

 

アゼルリシア山脈の麓。

 

とある任務でここを訪れていた王国のアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』。

だが聞いていた話とは違う事態に困惑していた。

 

 

「どういうことだよリーダー。任務は激化した霜の竜(フロストドラゴン)霜の巨人(フロストジャイアント)の縄張り争いの影響で山から逃げてきたモンスターの討伐、じゃなかったのか?」

 

「そのはずよ、そのはずなんだけれど…」

 

 

蒼の薔薇のリーダーであるラキュース・アルベイン・デイル・アインドラはガガーランの問いに困惑しながら答える。

それも当然だ。

依頼が来た段階ではこの辺りは山から下りてきたモンスターが闊歩していたのだから。

 

 

「全然モンスターいない」

 

「超平和」

 

 

双子のティアとティナがイエーイと手を合わせる。

 

 

「それどろか山全体が恐ろしいくらい静かだな、本当に縄張り争いなんてやってんのか?」

 

「それに麓の村や町に被害が出る前にって話だったけれど、これなら被害が出る心配もないわね。それに対象のモンスターがいないんじゃ任務のやりようも無いわ。王都に帰りましょう」

 

 

そうして各員それぞれ帰り支度を始める。

 

 

「しかしよ、評議国と法国が滅んだって話、あれマジなんか? そんな奴いたらもうこの世界終わりだろ? 何かの間違いじゃねぇのか?」

 

 

竜王及び、評議国の強さをチームの仲間から聞いているガガーランは疑問を抱かざるを得ない。

 

 

「イビルアイなら何か知ってるんじゃねぇのか?」

 

 

ガガーランの視線の先にいるのは、大振りの宝石が嵌った仮面を付け深紅のローブを纏った小柄な女性。

その名はイビルアイ、かつて一国を滅ぼした伝説の吸血鬼『国堕とし』である。

 

 

「思い当たらなくはないが…」

 

 

過去を思い出すように遠い目をするイビルアイ。

 

 

「何か知ってんのか! 誰だっ!? 教えろよ!」

 

「答えろー」

 

「忍法・くすぐり地獄」

 

「や、やめろお前らっ…! ぐ、ぐえー!」

 

 

ガガーランに襟元を掴まれ激しく揺さぶられ、ティアとティナに謎のくすぐりを受けるイビルアイ。

しかしなんとか振りほどき距離を取ることに成功する。

 

 

「む、昔を思い出しただけだ…! 強い奴で思い当たったのは200年前の魔神くらいだが今はもう一匹も残っていない! だが仮にいたとしても竜王達に勝てるとも思えん…。そういう意味なら何も知らない、と答えることになるな…」

 

「しかし分からないわね…。イビルアイでも知らないそんな強者が本当に存在するなんて…。評議国と法国の情報を耳にしたのは国を出るのと入れ違いだったから帰ったら詳しく調べてみましょう。ラナーにも会いに行かなくちゃ」

 

「そうだな、とりあえず帰ってからどうするか決めるか」

 

「帰って遊ぶ」

 

「食う寝る」

 

 

その時イビルアイはふと思いついた。

なぜ縄張り争いが繰り広げられているはずのアゼルリシア山脈がこれほど静かなのかと。

もちろん麓までその音が響いてくるなどということはないがそれでも山の雰囲気というものがあるのだ。

小動物は騒ぎ、風にはわずかな血の匂いが混ざる。

だが何もない。

 

 

(縄張り争いをしていたという情報は確かなはずだ。ギルドが持ち帰った情報だからな。だが今はその様子は無い。決着が着いた? あるいはそれどころではなくなった可能性…)

 

 

ドラゴンの知覚が優れているのはイビルアイも知っている。

そして評議国と法国が滅亡したという事実、これを合わせて考えると…。

 

 

(手に負えないレベルの強者の出現に気付いたのか…? まさか…、逃げ出した…?)

 

 

あり得ないと思いながらもその考えが頭から離れない。

アゼルリシア山脈を支配する霜の竜(フロストドラゴン)霜の巨人(フロストジャイアント)の強さは知っている。

共にアゼルリシア山脈を支配する王と言っても過言ではない。

それらが恐れるとするならば…。

 

 

(評議国と法国が滅んだという話は本当かもしれんな…、もしかすると…)

 

 

限りなく真実に近づいているイビルアイ。

だがその強大さと凶悪さは彼女を持って予想できないものであった。

 

 

 

 

 

竜王国。

 

玉座に座りながら幼い女王ドラウディロン・オーリウクルスは国の行く末を嘆いていた。

 

 

「終わりじゃ終わりじゃ! もうこの国は終わりじゃああああ!」

 

「お、落ち着いて下さい陛下!」

 

「落ち着けるかぁ! 法国が滅んだだと!? だ、誰がこの国を守ってくれるのだ…。法国の助けが無ければこの国などいつビーストマンに攻め滅ぼされてもおかしくない状況なのに…。それどころか評議国が滅んだってなんだ…? 竜王達を滅ぼせる者がこの世にいるのか…! もうダメだぁ…、世界の終わりだぁ…」

 

「も、戻って来てください陛下! 意識をしっかりと持って!」

 

 

宰相が違う世界にトリップしそうになった女王に近づきその頬を激しく叩く。

 

 

「痛っ! 痛い痛いっ! な、何をする!?」

 

「陛下がその義務を放棄しようとするからです」

 

「じゃあどうしろと!? もう何もできることなどないだろ! 夢見るくらいは許してくれ!」

 

 

だが玉座の間に騎士風の男が慌ただしく入ってくる。

 

 

「し、失礼します! 大変です陛下! ビーストマンの侵攻により2つの都市が陥落しました!」

 

「なんだとぉおお!?」

 

「また陥落したとは…!」

 

 

その報告にドラウディロンと宰相は驚きを隠せない。

 

 

「まずいではないか! もうこれで合わせて5つだぞ! この首都まで来るのも時間の問題ではないか!」

 

「もはや残った民を全て首都に集め敵の兵糧切れを狙うしか…。先にこちらの食料事情が悪化する可能性がありますが。とはいえ敵は困ったらこちらの民を食べれば兵糧切れの心配はありませんし」

 

「頭が痛い…! お先が真っ暗すぎる…!」

 

 

ドラウディロンには嘆くしかできない。

一つ、彼女には奥の手とも呼べるものがある。

それは始原の魔法。

通常の魔法と違い、魂で行う魔法。

多くの民の魂をすり潰せば強大な魔法も行使できる。

曾祖父にあたる竜王から聞いた白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)の究極の一撃たる巨大な爆発すら真似ることができるだろう。

しかし脆弱で一般市民程の力しか持たない彼女では軽く見積もっても百万の犠牲は必要だ。

 

どちらにせよ地獄しか待っていない予感に震えるドラウディロン。

 

 

竜王国が滅ぶまで秒読み段階。

 

 

 

 

 

王都リ・エスティーゼ。

 

その王城の中、黄金と呼ばれる王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフの寝室。

深夜にも関わらずラナーは一人の客人を招いていた。

誰もその訪問者のことは知らない。

ラナーの付き人であるクライムでさえも。

 

この訪問者とは男女の仲、というわけではない。

人間ではないのだ。

誰にも知られるわけにはいかない。

 

ラナーの前にいるのは一人の悪魔。

 

 

「王国はどうなのですか? 国として何か動きを見せる様子は?」

 

「何もありません。王国には関係ないとして傍観するようです」

 

「なんと…。近隣の国が滅んだというのに何のアクションも起こさないのですか?」

 

「ええ。というより意見が纏まらないのです。国の決定は王と貴族の合議で為されるのですが、王派閥と貴族派閥に分かれ対立しておりそれ以前の様々な弊害が出ているのです。何か重大なことを決定するなどとてもとても…」

 

「なんと愚かな…。それに貴方から聞いた話によると隣のバハルス帝国に飲み込まれるのは時間の問題のように思えます、そのことについては王や貴族達はどうお考えで?」

 

「王は頭を抱えるばかり。貴族たちに関してはそもそも身の危険をさほど感じていないようです」

 

「支配する旨みすら無いですね…。王を傀儡にして国を操ろうにもその手足が腐っているのでは意味がありません。その手足まで支配するならばそもそも全て自分達でやることになってしまいますし本末転倒です。全く困ったものです…」

 

「貴方の期待に答えられるものを準備できなくて申し訳ありません。私には何の力も無いので…」

 

 

だがラナーのその言葉に悪魔は優しく微笑む。

 

 

「いいえ、そんなことはありませんよ。貴方との邂逅、それがこの王国で最も有益なものでした。自分と同じ目線で話を出来る人物がいるとは良いものですね。これが友人というものでしょうか?」

 

「フフ、そうありたいものですね」

 

 

二人の顔に浮かぶ笑み。

それは同種のものであった。

どこまでもドス黒く、他者を貶めることに何の躊躇もない。

 

 

「しかし貴方はなぜ王国に? 貴方の話を聞くに、お仲間に追われているのでしょう? もっと良い場所は沢山あったと思いますが…」

 

「理想は西に位置するローブル聖王国でした。広大なアベリオン丘陵とエイヴァーシャー大森林の先にあるというのが素晴らしい。大軍を率いてこられてもここでゲリラ戦が仕掛けられるので少数でも多大な被害を与えられます。空を飛んで来れば狙い撃ちです。多くの亜人種の部族があるのも良かったですね、いくらでも利用できる。もちろんまともな戦闘になるのは時間の問題ですがそれでも最初に有利に動けるというのは大きいですよ」

 

「なるほど…。しかし私には分からないのですがならばなぜそちらへ向かわれなかったのですか?」

 

「有利とは言っても勝てる可能性は0です。ローブル聖王国は理想の地ではありましたがそれは戦いが前提で考えた場合です。あくまで戦いは最後の手段ですから。とは言ったもののやはり理想の地、追い込まれた際には逃げ込みたい所ではありますが、私の仲間は許してくれないようですし諦めるしかありません」

 

「しかし信じられませんね…。私はあまり強さというものを理解できないのですが貴方の強さが桁外れなことは理解できます。その貴方が勝てないのですか?」

 

「無理ですね。私と同格の者が複数いますが、こと戦闘においてはかなり遅れを取ると言わざるを得ません。1人なんとか勝負になる者もいますが配下も含めた場合、とてもではないですが戦いになりません」

 

「それは、冗談ではないのですよね?」

 

「もちろんです」

 

 

悪魔の言葉にラナーは深いため息を吐く。

目の前の悪魔がどうにもできないならばそれは詰みだ。

しかもすでに評議国と法国が滅んだことは伝わっている。

王国内部ではいまだ信じていない者も多いがこの悪魔と対峙しているラナーには断言できる。

それは真実であり、いつこの国に降りかかってもおかしくはない。

そして恐らく話し合いの余地などないのだと。

 

 

「貴方はどうやってこの局面をひっくり返すおつもりなんですか?」

 

 

その問いに悪魔は満面の笑みで答える。

 

 

「我々にとって神にも等しき御方を探し出すことです。その御方がこの地に来られてるというのは推測でしたが先日のエ・ランテルの一件で確信しました。私の求める御方はこの世界におられます」

 

 

エ・ランテルの一件、それはラナーも知っている。

大量のアンデッドの出現とそれを打ち滅ぼす聖なる光。

御伽噺のような話だが今ならば全て信じられる。

 

 

「なるほど…、その方のお力を借りるということなのですね?」

 

「厳密には少し違いますね、あの御方がいればそもそも戦いは起こりません。私の仲間達との敵対関係も解除できるでしょう。とはいえ、それを阻止しようとする者も仲間にいるのです。その者より早く捜索せねばならないのですが…」

 

「ならばなぜすぐにエ・ランテルに向かわれないのですか?」

 

「もちろん向かいますよ。ただ情報が私の耳に入るまで時間差がありました、すでにエ・ランテルにはおられないでしょう。次なる目的地も探らねばなりませんが、何よりあの御方の真意を掴まねばなりません。なぜあのような事を為さったのか…」

 

「エ・ランテルの民を救ったことですか? 国中で救世主が現れたと騒ぎになっていましたが…。それほど高潔で清い心を持った御方なのですか?」

 

 

ラナーの問いに悪魔は首を左右に振る。

 

 

「いいえ。あの御方は常世総ての悪の上に立つ者、混沌より出で深淵よりも深き闇を齎す者…」

 

「まぁ」

 

「私の偉大なる創造主すらその邪悪さには一目置かれていたという話を聞きました。考えるだけでもその恐ろしさに身が震えてしまいます…」

 

「しかしそのような方がどうしてエ・ランテルの民を救ったりしたのでしょう?」

 

「それが分からないのです…。全く行動の真意が見えない…。あの聡明なる御方なら私の仲間が反旗を翻し、その身に危険が迫っていることも当然最初から全て知っているでしょう…。だからこそ理解できない…! あの行動に何の意味があるのか…! ああ、やはり私などが至高なる御方のお考えに至ろうなどという事が不遜であったのでしょうか…」

 

「それだけ凄い御方なら貴方が何かしなくとも解決してしまうのでは?」

 

「ええ、そうかもしれません。ですが私は配下としてあの御方をほんの少しでも危険から遠ざけねばなりません。それにあの御方の真意が分かればそのお手伝いもしましょう。主に命じられるまでもなく動くのが立派な配下としての務めですから」

 

「素晴らしいです」

 

 

悪魔の言葉に感動し拍手で答えるラナー。

だが悪魔の言葉はまだ終わりではない。

 

 

「せめてお会いになる前に手土産の一つくらいなくては…」

 

 

悪魔の口角が吊り上がる。

 

 

「忠義の証として、仲間の首の一つくらい必要でしょう。危険からお守りする誓いとしてもね」

 

「何か作戦が?」

 

「ええ、貴方には悪いのですが近いうちにこの国に誰かを誘き寄せます。この国がどうなるかは保障できませんが…」

 

「ああ、この国ごと何か為さるつもりですね? 私はかまいませんよ、この国が滅ぼうが何しようがこれっぽっちも未練などありませんから。それどころか喜ばしいくらいです。国が無くなれば私は自由になれるのですから」

 

「それは良かった」

 

 

お互いの利害が一致したというように笑い合う二人。

 

 

「貴方がどういう作戦で何をするかは分かりませんが私からも一つ提案が」

 

「何でしょう?」

 

「表よりも裏の方が使い勝手がいいかもしれません。こちらの知る全てを提供しましょう。それに巣もアタリはつきます。上がってくる情報を考慮すれば選択肢などあってないようなものなので…」

 

「それはそれは…」

 

 

二人の笑みは深くなっていく。

まるで悪意こそが己の望みだというように。

 

 

 

 

 

エ・ランテルの共同墓地。

 

そこに一人の老婆がいた。

 

 

「やはり間に合わなかったか…。しかし噂の救世主とやらはどこに行ったんじゃろうか…」

 

 

命からがら評議国から逃げ出した死者使いのリグリット。

ツアーの爆発で敵が吹き飛んだことは確認したが、後に法国が滅んだことも知る。

やはりプレイヤーは一人では無かったと愕然とするが、その時エ・ランテルの噂を耳にした。

それはまさに救世主の降臨だった。

リグリットは心正しきプレイヤーが来たのだと歓喜した。

その者がこの世を救ってくれることを夢見てエ・ランテルへと来た。

だが遅かった。

すでにその者はここにはいなかった。

 

 

「なんとしても見つけねば…。お主は何か聞いてないのか? この後どこに行くとか」

 

 

己の手の平に向かって語り掛けるリグリット。

そこには不恰好な黒いオーブがあった。

 

 

――聞いておらぬ、アンデッド共を駆逐したらすぐにこの地を去ったぞ

 

 

答えたのはインテリジェンス・アイテムである死の宝珠。

かつてカジットが所持していたが名犬ポチにやられると同時に所有者のいなくなった死の宝珠はそのまま墓地に転がることとなった。

やがてこのリグリットが訪れ死の宝珠を見つけた。

 

 

「まぁお主を手に入れたのだからあながち無駄ではなかったがの」

 

 

アンデッドへの支配力を補佐したり、死霊系の魔法の使用回数を増加させたりする効果を持つ死の宝珠はネクロマンサーであるリグリットと相性が良い。

 

 

――しかし我の支配が利かぬとは。あのカジットですら私の影響を受けたというのに

 

「私を舐めるなよ。死霊魔法においてワシに及ぶ者などおらんわい」

 

 

そう言って高らかに笑うリグリット。

自身にとって強力なアイテムとなる死の宝珠を手に入れたリグリットは再び旅にでる。

 

エ・ランテルを救った救世主が世界を救うと信じて。

 

 

 

 

 

カッツェ平野。

 

名犬ポチとその一行は危険から逃げるためにひたすら南東へ向かっていた。

 

 

(くそっ…! もしアインズ・ウール・ゴウンに恨みでも持ってるプレイヤーだったら何されるかわかんねぇ…。今は少しでもプレイヤーのいそうなところから逃げねぇと…)」

 

 

焦る名犬ポチ。

もうこうなるとニグン達はお荷物でしかない。

数を連れててもしょうがないのでどっか行けと命じるもなぜかずっとついてくる。

 

 

「わん!(もう着いてくんなよ! なんだよ純白て! 俺は一人になりたいんだよ!)」

 

「いいえ神! 私は御身の傍を離れません! 貴方の行くところ、奇跡の起こす場所こそが私達の居場所です!」

 

「…」

 

 

後ろの連中も深く頷いている。

こりゃもうダメだ。

咄嗟に駆けだす名犬ポチ。

 

 

「あっ! 神様逃げた! 待ってー!」

 

 

だが神速のスピードでクレマンティーヌが追いかける。

 

 

「わん!(ひぃぃいい!!!)」

 

 

そして回り込むようにブリタも駆けだす。

追い上げながらも上手にクレマンティーヌがそちらへ誘導する。

何気に2人しかいない女同士ということもあり思いのほか仲良くなっているクレマンティーヌとブリタ。

呼吸も合うようになってきた。

徐々に近づいてくるクレマンティーヌへと名犬ポチの意識が向く。

やがてブリタが名犬ポチに接近し、ラグビー選手ばりのトライで名犬ポチの捕獲に成功する。

 

 

「わん!(ぎゃあああ!)」

 

「やった! 神様捕まえましたー!」

 

 

ちなみにカミちゃんと呼ぶとクレマンティーヌが凄い顔をするので今は普通に様付けで呼んでいる。

 

 

「でかしたぞブリタ!」

 

 

ニグン達がブリタへ賛辞を送りながら駆けてくる。

 

 

「しかしブリタさんは凄いですね、その、戦闘能力は褒められたものではありませんが…」

 

 

クアイエッセの言葉に反応したのはクレマンティーヌ。

 

 

「確かにブリちゃんはクソ弱いけどフィジカルはいいモン持ってんだよね。結構いいガタイしてるし足も速いし。鍛えれば使い物にはなるかもよ」

 

 

それに反して名犬ポチの運動能力は低い。

現地で言えば十分に高いのだが、それでもスピードを売りにするクレマンティーヌを振り切れるレベルではない。

人間に捕まるなど犬の面汚しである。

 

もちろんスキルを使えばいくらでも手段はあるが今は少しでも目立つことは控えたい。

やがて名犬ポチは逃げることをあきらめる。

すでに数回逃走を試みているが全て失敗しているのだ。

 

 

(もういいや、今はとりあえず遠くへ行こう…)

 

 

そして再び歩を進める。

 

こちら方面へ逃げてきたのは周辺地図を見た時に一つの疑問を抱いたからだ。

期待と困惑。

だがそれは空振りに終わった。

 

 

(気のせいだったか…。まぁいいやなるようになんだろ…)

 

 

名犬ポチは明日へと進む。

 

 

 

 

 

ナザリック地下大墳墓。

 

表層である霊廟の中には帝国のワーカー達がいた。

グリンガムをリーダーとした14名からなる大所帯の『ヘビーマッシャー』。

80才にもなる老人パルパトラをリーダーとした『グリーンリーフ』。

リーダーであるエルヤー以外の3人はエルフの奴隷という珍しい構成の『天武』。

二刀流の軽装戦士であるヘッケランがリーダーの『フォーサイト』。

 

いずれも優秀なワーカー達である。

 

多額の報酬と、目の前に広がる宝の山に誰もが期待を抑えることができない。

さらなる期待に胸を焦がし、霊廟の階段を下りていく。

 

 

もう後戻りはできない。

 

 

 




次回『地獄への入り口』ワーカー、散る!


予告でネタバレ。
でも怒る人は誰もいないと思う、うん。

あとパルパトラのチーム名は出てきていない?ので便宜上、二つ名をチーム名としました。


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地獄への入り口

前回までのあらすじ!

ヤバイことになってると皆が気付きだす!


『ヘビーマッシャー』

『グリーンリーフ』

『天武』

『フォーサイト』

帝国から来たワーカー達は目を見開いていた。

 

依頼で訪れた謎の遺跡。

遠目でもその大きさや立派な作りは見てとれた。

だが近づいてみるとそれが予想以上だったことがわかる。

遺跡の中央に位置する大霊廟。

そしてそれを囲むよう四方に小型の霊廟が並び立つ。

小型とは言ってもそれは中央の霊廟に比べたからであって、彼等の基準からすると息を飲む程に大きく荘厳だった。

 

《ホーク・アイ/鷹の目》《サイレンス/静寂》《インヴィジビリティ/透明化》等の魔法を駆使し、最大限の注意を払いながら近づいたものの敵の気配は無い。

事前の計画通りにチーム別に分かれ、それぞれが四方の小型の霊廟へと散る。

そして念入りに調べ、安全を確認し霊廟へと入っていく。

 

場所は違えど4チームの脳裏によぎったものは同じだった。

 

宝の山だ、と。

 

霊廟の中を見ると彼等の基準では考えられないような物で溢れていた。

いくつも掲げられた貴金属糸で編まれた旗、貴重品であると同時にその煌めく様から美術品として考えればかなりの値打ちであろうことが想像に難くない。

石棺の中には金や銀、色とりどりの宝石といった無数の光沢を放つ装身具の数々、散乱している無数の金貨。

無数にある輝きの中にある黄金のネックレスはどれだけ安く見積もってもこれ一つで金貨100枚はいく、場合によっては倍以上でも何の不思議も無い程の一品。

大振りのルビーの嵌まった指輪。

見事な装飾が施された調度品の数々。

他にも数え切れない程の宝の山に誰もが瞠目せざるを得ない。

 

契約上では依頼者に半分を差し出さなければならないがそれを差し引いても一介のワーカーからすれば天文学的な数値だ。

さらにチームで分けたとしても笑いが止まらないレベル。

なぜならばここはまだ四方にある小型の霊廟の中なのだ。

 

ならば中央の霊廟の中はどうなっているのか。

 

誰もが興奮と熱狂に満ち、舌なめずりしながら大霊廟へと吸い寄せられていく。

 

 

 

 

 

 

フォーサイトの面々は自分達が入った小型の霊廟の中を見渡しながら半ば呆れにも似た感情を抱いていた。

剣士でチームリーダーでもあるヘッケラン・ターマイトが最初に口を開いた。

 

 

「なんだよ、こりゃあ…。おいおいこれ全部本物の金属か!? 偽物じゃないのか!?」

 

 

その言葉に反応したのは弓兵でハーフエルフのイミーナ。

 

 

「信じられないけれど本物のようね、手触りも普通のとは違うのが分かる…」

 

 

次に答えたのは神官のロバーデイク・ゴルトロン。

 

 

「私もこれほどの一品はお目にかかったことがありませんね。どうですかアルシェなら何か分か…」

 

「こらっ…!」

 

 

ロバーデイクを肘で突くイミーナ。

それに気づいたロバーデイクは失言だったというように口を塞ぐ。

 

 

「いいの、気にしないで」

 

 

健気にも笑顔で答えたのはまだ少女と呼んでも差し支えない魔法詠唱者(マジックキャスター)

名をアルシェ・イーブ・リイル・フルト。

鮮血帝によって地位を剥奪された元貴族の娘である。

今まで仲間達には家の事情を話していなかったのだが今回の依頼の前に親が作った借金のゴタゴタに巻き込んでしまい全ての事情を話すことになった。

 

その時はチームから追い出されることも覚悟した。

魔法の才があり、その点ではチームに貢献していたと自負しているがそれでもどれだけ報酬を手に入れても装備の新調もせず、ずっと古くて弱い装備のまま。

いくら魔法の才があろうとも装備の差は大きい。

今まで仲間達は文句の一つも言って来なかったが事情を知った今となってはどんな顔をするか分からない。

それに金銭問題を抱えた人間というのは、様々な面でトラブルになることも多くチームの仲間として歓迎されることなどない。

だから借金の事を知られた時には不安で一杯だった。

もしかすると騙されたと憤慨するかもしれない。

下らないと一蹴されるかもしれない。

そしてチームから追い出されたら今後どうやってお金を稼げばいいのか。

お金を稼いで大事な妹2人を連れて家を出ると決めたアルシェ。

だがそもそも今ある借金を返さないことにはそれすらも出来ないのだ。

 

だが仲間達がアルシェを責めることはなかった。

 

それどころか水臭い、なんで今まで黙ってたんだ、と。

金を上げることは出来ないが協力ならいくらでもする、と。

 

その言葉にアルシェは涙した。

仲間達の優しさに。

そして全員対等が信条のフォーサイトとして決して金を上げるとは言わず仲間として扱ってくれることに。

それが嬉しかった。

 

元から十分に信用していた仲間。

でも今回の事は大きな借りだとアルシェは思っている。

今回の依頼はキナ臭い点がいくつもあり受けるか受けないかはアルシェを抜いた話し合いになったが最終的には受けることになった。

報酬の高さもそうだが未知の遺跡で金目の物が手に入る可能性もあったからだ。

仲間達は美味しい依頼だからと言っていたが自分の為であるのは明白だった。

申し訳ないと思いつつも深く感謝する。

 

もちろんこの遺跡に危険があるかもしれない。

だがそれでも。

いやだからこそ。

もしもの時は自分が皆を守るのだと。

アルシェは固く心に誓っていた。

 

 

「そうね…。うちにも昔は沢山あったし、他の貴族の家に行った時も多くの調度品や金品を目にしたけど…。これほどまでの物はあまり見た記憶が無い。特に装飾の施された物なんかは上級貴族の家で家宝として扱っておかしくない物だと思う」

 

「マジか!」

 

「嘘…!」

 

「そこまでとは…!」

 

 

アルシェの言葉に3人は驚愕する。

とんでもない宝の数々だとは思っていたものの、高価すぎる物を正確に判断できる目は持っていない。

だが元貴族のアルシェが並の貴族ですら所持していない一品だと言ったのだ。

想像以上で、想定以上。

 

 

「ど、どうするのヘッケラン、ぜ、全部、荷に詰めちゃう…!?」

 

 

あきらかに狼狽しながらイミーナがヘッケランに問いかける。

だがヘッケランは首を振らない。

 

 

「いや…、今はやめておこう。帰りに詰めれるだけ詰めよう。今詰めてしまうと探索に支障が出るし、もっと凄い物を発見した際に持ち帰れないだろ?」

 

 

ヘッケランのもっと凄い物、という言葉に3人がピクンと反応してしまう。

そうだ、そうなのだ。

ここは4つある小型の霊廟の一つで中心にはさらに大きな霊廟が存在するのだ。

もっと高価な物が眠っている可能性は高い。

 

 

「し、信じられませんね…! これは夢か何かではないのですか…!?」

 

「…クーデリカ、…ウレイリカ。待っててね…」

 

 

嘆息するロバーデイク。

そして妹の事を考えるアルシェ。

この宝の前ではもう借金などはした額に思えてしまう。

その先に幸せな未来を描き、思わず笑みが零れるアルシェ。

 

それぞれが期待を胸に抱き、4人は中央の大霊廟へと足を運ぶ。

 

 

 

 

 

遺跡の中央に位置する大霊廟。

その中は広間になっており左右には無数の石の台。

対面には下り階段があり、その先には大きな扉があった。

 

階段の上に4チームが揃うと今後の予定を話し合う。

この大霊廟の中には周りの霊廟ほど宝は無かったが地下へと進む階段がある。

ならばその先にはきっと財宝の数々が眠っているのだと誰もが信じて疑わない。

 

 

「しかしグリンガムよぉ、お前のチームもう荷物パンパンじゃないか」

 

 

ヘッケランがヘビーマッシャーのリーダーであるグリンガムに声をかける。

 

 

「うむ」

 

「この先にもっと凄いお宝あったらどうするんだ? それにそれじゃ動きづらいだろ?」

 

「ふっふっふ、そうなれば道中に捨てていけばいいだけのこと。放置しておいては他の誰かに持っていかれるかもしれん。老公のチームもそうであろう?」

 

「儂は止めたんしゃけとな、若い奴らは抑えきれんようてな、捜索に支障のない程度なら許しとる」

 

 

老公と呼ばれた80を超える老人パルパトラ。

グリーンリーフのリーダーである彼は持っていないが彼のチームメンバーはすでにお宝を懐にいくつか拝借している。

だがこの中でまだお宝に手を付けていないのはエルヤー率いる天武。

 

 

「確かにお宝は魅力的ですがね、私は強者のほうを期待していますよ。ドラゴン級であれば苦戦くらいはできるかもしれないのですがね。それに捜索など敵を全て排除してからゆっくりと行えばいいだけのこと。急ぐ必要などありませんよ」

 

 

歪んだ表情を浮かべ笑うエルヤー。

性格は褒められたものではないがその実力は誰もが知っている。

本人はあの王国戦士長と引き分けたブレイン・アングラウスにすら勝てると豪語しているがあながち妄言とも言えない。

エルヤーが剣の天才なのは紛れもない事実なのだ。

個の実力で言えば間違いなくこの中で最強であろう。

並のドラゴンであれば本当に倒してしまうかもしれないのだ。

 

 

「あんたの腕には期待してるぜエルヤー」

 

「ええ、任せて下さい。まぁ私が満足できるような相手がいればいいのですが…」

 

 

ヘッケランの言葉に見下したように答えるエルヤー。

嫌味なのは最初からなのでヘッケランは肩をすくめる程度で流す。

それに仲間として心強いのは確かなのだ。

 

話し合いの結果パルパトラのチームは地上に残り、他の3チームが地下へと捜索に行くことになった。

 

その先に何が待っているかなど考えもしないまま。

 

 

 

 

 

 

地上に残ったグリーンリーフの面々は不満をパルパトラにぶつけていた。

 

 

「老公、勿体ないじゃないですか。なんで地上の捜索をやるなんて言い出したんですか?」

 

 

他のメンバーも同意したようにパルパトラへ視線を向ける。

 

 

「謎の遺跡に最初に侵入するのはちと危険か高すきしゃよ、彼等には我々のカナリアになってもらったのしゃ。無事に生還してくれると良いの」

 

 

パルパトラは飄々と言う。

 

 

「凄いアイテムを発見できるかもしれないチャンスだったかもしれませんよ? 命をチップにするだけの価値はあったのでは?」

 

「主の言うことも正しいしゃろう。しかしこの綺麗な墓地を見しゃまえ、綺麗に整えられているし清掃もしゃれとる。何者かかおるのは間違いない。モンスターの出迎えは確実しゃな」

 

 

その答えにグリーンリーフの面々はわずかに体を強張らせる。

 

 

「だから地上の捜索を受け持ったんですか? 悲鳴が聞こえたらすぐに逃げられるように」

 

「それもある。だが今回のは賭けみたいなものしゃ。主が言うように大損をする可能性もある。その場合は謝らせてくれ」

 

「気にされずに老公、俺たちはいつでも貴方を信頼しています。大概の場合、貴方の選択は正しかったのですから」

 

「生きてさえいればまた稼げるチャンスはある、だから無理に危険飛び込む必要は無い。それに俺たちは何度も救われてきたのですから」

 

「そうですよ、損をしたら歯ぎしりしながら別の仕事でざっくり儲けましょうよ」

 

 

パルパトラを囲み楽しそうに話すグリーンリーフの面々。

 

 

「老公ならばあのパラダイン老くらい長生きしそうですね」

 

「ひゃひゃひゃ、いやいくら儂てもあれは無理しゃ。あれは別格よ」

 

「素晴らしいチームなのですね」

 

 

突然静かな女の声がした。

 

今回のメンバーで女はフォーサイトに2人、天武にエルフの奴隷が3人。

だが誰とも違う声だ。

即座に一行は武器を構えつつ、振り返る。

大霊廟の入り口を塞ぐようにメイド服を着た一人の女性が立っていた。

あり得ないほど美しく、それがゆえに異常さが際立っていた。

奇怪なのはメイド服のような装いをしていることだがパルパトラ達の知る物とは決定的に違う。

鎧にも似た金属の輝きがそこにはあった。

 

 

「主…、何者しゃ? 見かけぬ顔しゃか…。ふむ隠し通路か何かかあったのか」

 

 

カツン、と大理石製と思わしき床に金属音が高く響く。

メイドと思わしき女が履いている、足甲を思わせるハイヒールが立てた音だ。

 

 

「さて、まずは自己紹介を。ボ…、失礼しました。私はプレアデスの副リーダーを務めさせていただいているユリ・アルファと申します。短いお付き合いになるかと思いますがお見知りおきを」

 

 

そうして一礼をするメイド。

だがその視線には殺意が宿っており、その身体からは圧倒的な強者の気配が漂う。

 

 

「愚かにも貴方達が土足で足を踏み入れたのは至高の御方々の住まう居城。あまつさえ至高の御方の宝を盗もうなどと…」

 

 

そうしてユリと名乗ったメイドはパンパンと手を叩く。

その音と共に墓地が揺れた。

 

 

「ナザリック・オールド・ガーダー、出なさい」

 

 

その声と共に床を割って無数のスケルトン達が姿を現したのだ。

単なるスケルトンとは雰囲気が違う、武装も違う。

立派なブレストプレート、紋章の入ったカイトシールド、その手には多種多様な武器を持っていた。

そしてそれらは全てが魔法の力を感じさせる輝きを発していた。

そんなスケルトンが見渡すだけで100体以上はいる。

未だ床から続々とスケルトンは出続けているのでまだ増えるのだろう。

あり得ない戦力にパルパトラ含め、グリーンリーフの面々は絶句する。

そして彼らが何かを言う前にメイドの口が開く。

 

 

「誰一人無事に返しません。その罪、万死に値します」

 

 

その言葉が合図だったかのように無数のナザリック・オールド・ガーダーがグリーンリーフに一斉に襲い掛かる。

彼らは後悔する間も、謝罪する間もなく一瞬で飲み込まれ体に無数の刃を突き立てられた。

 

だが彼らはまだ幸運だったと言えるかもしれない。

苦しむことなく、そして人としての死を迎えられたのだから。

 

中に入った者の末路を考えれば優しい死に方だったといえるだろう。

 

 

 

 

 

 

グリンガム率いるヘビーマッシャー。

道中で出会うアンデット達は決して弱くは無かったがチームとして動けば対処できないレベルではなかった。

数もそれほど多くなくヘビーマッシャーは順調に進んでいた。

だが突如、床に光の紋章が浮かび上がる。

それはグリンガム達全員を範囲に捕らえられるほど大きなものだ。

 

 

「なっ!」

 

 

誰の声か、悲鳴にも似た声が響いた。

 

その次の瞬間、ヘビーマッシャー達の視界は漆黒の世界に包まれていた。

体を襲う奇妙な浮遊感。

足元からはペキパキという何かを踏み砕いた音と共に、ゆっくりと体が沈んでいく感触。

まるで沼に落とされたかのように。

だがそれほどの深さはなく、腰まで浸かった辺りでそれ以上沈まなくなった。

グリンガムは静寂のみが支配する暗黒の中で、親を見失った幼子のような頼りない声で問いかける。

 

 

「だ、誰かいるか…?」

 

「ここだグリンガム」

 

「俺もいる」

 

「な、なんなんだここは…?」

 

 

次々と仲間達の返事が返ってくる。

それもさほど遠くない距離。

全員ではないが半数近くはいるようだった。

 

 

「明かりをつけるぞ」

 

 

仲間の一人がそう言い、明かりを灯す。

だがその仲間を囲うように光を反射する無数の輝き。

それは霊廟でみた宝の輝きを思わせる。

だが違う。

グリンガム達は沸き上がる悲鳴を必死に抑える。

無数の照り返し。

それは辺りを完全に埋め尽くす漆黒の蟲の輝きだった。

室内は広く、壁際まで光は届かない。

一体どれだけ積み重なっているのか想像もしたくない。

 

 

「なんだ、よ…ここ…」

 

 

仲間の悲鳴に同意しつつもグリンガムは先ほどの床の光はなんだったのか考える。

転移系の罠だとするならばそれは彼らの手に負えるものではない。

なぜなら複数の他者へ効果を及ぼす転移の魔法は第5位階か第6位階にあったとグリンガムは記憶していたからだ。

最低でも第5位階を使える絶対者がこの遺跡には存在するということ。

グリンガムはこの遺跡の危険性を強く実感し寒気に襲われる。

 

 

「糞、早く逃げるぞ。この遺跡は…触れてはいけないところだった…!」

 

「逃がすわけにはいきませんな」

 

 

突如、第三者の声が響く。

 

 

「誰だ!」

 

 

グリンガムは慌てて周囲を見渡すが仲間以外には誰もいない。

 

 

「おや、失敬。我輩、この地をモモンガ様より賜る者、恐怖公と申します。お見知りおきを」

 

 

声のした方向。

そこへ向けた視線は異様なものを捉える。

漆黒の蟲を跳ねのけ、下から何かが出てこようとしていた。

やがて漆黒の蟲を押しのけ現れたのは、やはり漆黒の蟲だった。

だがそれは周囲の同族とは明らかに趣を異にしている。

二本の脚で直立し、豪華な金糸で縁取られた鮮やかな深紅のマントを羽織り、頭には黄金に輝く王冠を乗せている。

前肢には先端部に純白の宝石をはめ込んだ王笏を手にしている。

 

咄嗟に危険を感じ取ったグリンガムは交渉を試みる。

 

 

「率直に言う、取引しないか…?」

 

「ほほう、取引ですか。至高なる御方々の宝に手を付けた盗人がよくもいけしゃあしゃあと…」

 

「ま、待ってくれ! 宝なら返す! だから…」

 

 

だがグリンガムの弁明は最後まで続かない。

いつしか口の中へ漆黒の蟲たちが入り込んでいた。

 

部屋中が蠢く。

ザワザワという音が無数に起こり、巨大なものとなる。

そして津波が起こる。

黒い濁流。

 

 

「大罪人の言など聞く価値も無い。その命で償ってもらいましょう」

 

 

グリンガムと共にヘビーマッシャーの面々も黒い渦に巻き込まれる。

鎧の隙間に蟲たちが入り込む。

全身に覆いかぶさってきた無数の蟲により身動きも取れない。

いつしか蟲達は口の中から喉、胃の中にまで侵入してくる。

次に来たのは痛み。

鋭い痛みが全身を襲う。

それは蟲達がグリンガム達の体を齧る痛みだ。

耳の中にも入りこまれガサガサ音しか聞こえなくなる。

 

もはやグリンガムは自分がどうなるか想像できた。

このまま生きたまま蟲達に貪り食われるのだと。

 

 

「嫌だ! こんなの嫌だ!」

 

 

絶叫を上げるグリンガム。

その勢いで口から蟲が零れ出るがすぐに別の蟲が入り込む。

やがて腹の中からも痛みがこみ上げる。

グリンガムは必死にもがく。

こんな死に方は嫌だ。

自分を軽んじた者達を見返す、その一念でここまで登りつめた。

もう冒険をせずに暮らしていけるだけの金も貯まったし、高まった名声のおかげでどんな美人だって容易く嫁にできるだろう。

人生の勝利者だったはずだ。

今回だって割りのいい依頼だからわざわざ受けたのだ。

そのはずだったのに。

自分はこんなところで終わるのか。

 

 

「おぼぉおあああ! いぎでがえるんだぁぁああ!」

 

 

口から嚙み砕いた蟲たちを吐き出しながら叫ぶ。

死にたくないという感情だけがグリンガムを突き動かす。

だがその想いも虚しく、巨大な黒い渦がグリンガム達を容易く包み込んだ。

 

しばらくすると蟲の動く音以外は何もしなくなった。

 

もう誰の悲鳴も聞こえない。

 

 

 

 

残った半数のヘビーマッシャーの面々は謎の光で転移した後、気づくと裸で拘束台に寝かされていた。

 

目だけを動かし周囲を確認しようとしていると声がかかった。

 

 

「あらん、起きたのねん?」

 

 

だみ声を響かせたのはおぞましい化け物。

形容するのも憚られる吐き気を催す醜い化け物だ。

 

 

「うふふ、おねえさんの名前を聞かせてあ、げ、る。ナザリック地下大墳墓特別情報収集官ニューロニストよ。まぁ拷問官とも呼ばれているわん」

 

 

ニューロニストの長い触手が一人の捕えられている者の体を優しくなぞる。

 

 

「自分がどこにいるか分かる? ここはナザリック地下大墳墓。至高の41人、その最後に残られた方、モモンガ様の御座します場所。この世界で最も尊き場所。そんなところに土足で入り込み盗みを働くなんてとてもじゃないけど許されることではないわん。これからの貴方の運命について話しておくわねん、あなた聖歌隊ってご存知?」

 

 

突然の質問に男は目を白黒させる。

 

 

「聖歌、賛美歌を歌い、神の愛と栄光を讃える合唱団のことよん。あなたにはその一員となってもらうの、お仲間と一緒にねん。さて貴方の合唱をサポートしてくれる者たちを紹介するわねん」

 

 

今まで部屋の隅にいたのだろうか。

その声と共に何人かが彼の視界に入るように姿を見せる。

その姿を見て彼は一瞬だけ呼吸を忘れる。

邪悪な生き物だと一目瞭然だったからだ。

 

 

拷問の悪魔(トーチャー)よん。この子達と私で協力して貴方に良い声で歌わせてあげるわん。さぁ、早速はじめましょうか」

 

 

男達の懇願など意にも返さずニューロニスト達の魔の手が伸びる。

始まったのは地獄のような拷問。

傷は癒され何度も苦痛を味合わせられる。

何度も、何度も、何度も。

 

彼等が死ぬことを許されたのは数日後のことだった。

 

 

 

 

 

エルヤー達、天武もまた別の場所で転移の魔法にかかっていた。

 

彼等が飛ばされたのは夜空が見える闘技場の中だった。

観客席には無数の土くれの人形が座っている。

 

 

「ふむ? 外、ですか…。参りましたね、私に恐れを為して外へ飛ばしたのでしょうが…。またあそこに戻るにはどうすればよいのか…」

 

 

そしてエルヤーは連れているエルフの奴隷たちを睨みつける。

 

 

「お前たちがしっかりしないから罠にかかってしまっただろうが! 全くもって役立たずめ!」

 

 

罵声を浴びせながら倒れ込んだエルフ達を何度も蹴りつける。

 

 

「はぁ、はぁ…。全く面倒な…」

 

「仲間割れ? そういうのは後にしてもらいたいんだけどなー」

 

 

その言葉と共に貴賓席があると思われるテラスから跳躍する影が一つ。

そこに降り立ったのはダークエルフの少年だった。

 

 

「…何者ですか?」

 

「私はナザリック地下大墳墓、第6階層守護者のアウラ。それとこっちが…」

 

 

アウラは横に手を向けるがそこには誰もいない。

後ろを振り向き降りてきた貴賓席の方へ罵声を上げる。

 

 

「マーレ! 何してんの! 侵入者が来たんだからさっさと降りてきなさい!」

 

「そ、そんな無理だよぉ…、お姉ちゃん…!」

 

「侵入者でしょ! ちゃんと対処しないでモモンガ様になんて言うつもりなの!」

 

「あ、あう…!」

 

 

その言葉にマーレと呼ばれた少女は意を決したのかその場から飛び降りる。

二人のその運動能力はエルヤーを驚かせるには十分であった。

 

例え自分でも生身では簡単に飛び降りれる高さではない。

まぁ恐らくは魔法か何かを使ったのだろうが…。

そう考えるエルヤー。

だがそれよりも気になったのはあの少女がこの少年をお姉ちゃんと呼んだことだ。

男かと思ったがどうやら女だったらしい。

となると姉妹というわけだ。

まだ子供とはいえ容姿は自分が今まで生きてきた中でも一番だ。

それが二人。

エルヤーの欲望が沸き上がる。

この二人を侍らすのも悪くはないな、と。

 

 

「で、挨拶が遅れたけど私がアウラ! それでこっちが」

 

「同じく第6階層守護者マーレ、です…」

 

 

元気な姉に内気な妹か、いいじゃないか。

エルヤーの中ではこの姉妹達でどう楽しもうかという下卑た考えで一杯だった。

 

 

「大人しく私に従うならば手荒な真似はしませんが、どうしますか?」

 

 

ニヤニヤとエルヤーが問いかける。

 

 

「は?」

 

「ちょ、ちょっとお姉ちゃん…」

 

 

エルヤーは続ける。

 

 

「貴方達は幸運ですよ? 私のような地上最強の男の所有物となれるのですから」

 

 

その言葉にアウラが強い怒気を孕んだ声で返す。

 

 

「何言ってんのアンタ? 至高の御方に創造された私がアンタみたいなゴミの所有物ぅ? 馬鹿も休み休み言いなさいよね、ブッ殺したくなっちゃうじゃない…!」

 

「おやおや勇ましい少女ですねぇ。まぁ子供では強さなども分かる訳ありませんか。いいでしょう、力づくというのも悪く…」

 

 

エルヤーの視界からアウラが消える。

そしていつの間にか自分の目の前にいた。

 

それと同時にエルヤーの両手が血をまき散らしながら宙に飛んだ。

 

 

「……え?」

 

「至高の御方々の住まうこの場所に無断で侵入した馬鹿達にそのことを後悔させながらジワジワといたぶろうと思ってたのに…! アンタ無理…! 殺したくて殺したくてしょうがない…!」

 

 

エルヤーは理解できなかった。

己の両腕、いつでも剣を抜けるように構えていた腕が消失しているという事実を。

切断面から血が心臓の鼓動に合わせてピューピューと吹き上がっている。

少し遅れてグルグルと中空に飛んだ物が叩きつけられ、濡れた袋が落下したような音を響かせた。

腕から昇ってくる激痛。

離れたところに落ちている自分の両腕。

そして手にムチを握りしめた少女の姿。

まさかムチで腕を叩き切ったのか?

混乱しながらもそういった事実を目にしてようやくエルヤーは現実を把握する。

 

 

「うで、うでがぁああ! ち、ちゆ! はやくちゆをよこせぇ!」

 

「うるさい」

 

 

アウラは喚き散らすエルヤーの足に蹴りを入れる。

その一撃はエルヤーの膝から下の両足を消し飛ばした。

 

 

「うぎゃあああ! あし! あしぃいいい! はやくちゆおおお!」

 

 

仲間のエルフ達が武器を手に握りしめ動き出したので反撃しようと構えるアウラ。

だが。

 

 

「へ?」

 

 

アウラの間抜けな声が響く。

それもそうだろう。

エルフ達は手に持った武器を倒れたエルヤーの体へ突き刺しのだ。

 

 

「びゃあああ! な、なにをする、やめっ! ひっ! いたいっ! いたぃいいいい!」

 

 

エルヤーの叫びに構わず嗤いながらエルフ達は仲間であったはずの男の体へ何度も武器を刺し続ける。

やがて男がこと切れても死体に向かって何度も蹴りを入れる。

その瞳には暗い喜びが溢れていた。

虐げられていた弱者の。

奴隷として惨めな生を歩んで来た者の。

下卑た男の性欲処理としていい様に使われてきた自分達の。

ずっとずっと抑え込まれていた恨みという黒い感情。

それが解き放たれたらもう止まらなかった。

 

 

「うわぁ、わけわかんないけど引くわー…」

 

「ど、どうしようお姉ちゃん…」

 

「いや侵入者だし殺すのは確定なんだけどさ…」

 

「アウラ様、マーレ様!」

 

 

そこへアウラ達のシモベの一体が走り寄る。

 

 

「ん? どしたの?」

 

「ニューロニスト様からです。拷問と魔法による探知と追跡からどうやら今回侵入の依頼をしたのはバハルス帝国の王だということが判明したようです。なのでアルベド様からマーレ様に、帝国へ侵攻する際にそれを大義名分として掲げろ、と」

 

「なるほど、わかりました…!」

 

「へぇ早いね、流石ニューロニスト」

 

「まぁ趣味の拷問はまだまだこれからのようですが…。それと追記ですがそこのエルフ3名はその男に無理やり従わされていた奴隷のようなものらしいです。アルベド様からは好きに扱って構わないと承っています」

 

「いや好きにたって…。どんな状況であれこの地に土足で踏み込んだ者に殺す以外の選択肢なんてあるの?」

 

「ちょ、ちょっとお姉ちゃん…。可哀そうだよ、無理やりならしょうがないよ…」

 

「はぁ!? じゃあアンタはこの地に土足で踏み込んだ愚か者を見逃せって言うの!?」

 

「い、いやそうじゃないけどさ…。あ…、お姉ちゃんエルフの国に攻め込むんだし道案内でも、さ、させたらいいんじゃないかな…?」

 

 

マーレのその言葉にポンと手を打つアウラ。

 

 

「お、それはいいかも。そうすればさっさと見つけてすぐ終わらせられるかもしれない!」

 

 

そうして上機嫌になったアウラは3人のエルフ達の元へ近寄る。

疲れたのかいつの間にか3人はその場に伏していた。

 

 

「ねぇねぇ、貴方達さ助けてあげるからお願い聞いて欲しいんだけど」

 

 

だが3人のエルフは死んだように答える。

 

 

「殺して下さい…、生きててもしょうがないです…」

 

「もう疲れました…」

 

「耳もこの状態では里にすら帰れません…」

 

 

3人の嘆きにアウラはなぜか励まそうとしてしまう謎の事態に陥る。

 

 

「げ、元気出しなって! い、生きてれば良いことあるからさ! だ、だからお願い聞いて! ね?」

 

 

だが3人の顔が上がることはない。

ずっと下を向いたまま無言で座り込んでいる。

 

 

「あーもう!」

 

 

どうやら無くなった耳が気に入らないらしいのでシモベに命じて回復魔法を使える者を呼んでこさせる。

そしてそのシモベに命じてエルフの耳を治療させるアウラ。

耳が回復するのと同時にエルフ達の表情も明るくなっていく。

奴隷の証としてその身に刻まれた一生消えないはずの傷。

根本から斬られたエルフの耳はすぐに魔法で治療などをしなければ再生しない。

それがこの世界の常識。

下位の魔法やポーションでは古傷のようなものは回復できないのだ。

奴隷となった者は一生その傷を抱えて生きなければならない。

人間の何倍もの寿命を持つエルフ達にとってそれは地獄なのだ。

だがもう違う。

救われた。

このおぞましき呪いから解放してくれた御方がいる。

自分達を救ってくれた御方は誰なのだろうと顔を上げる3人のエルフ達。

その時初めてアウラの顔を見た。

 

そして驚き、いつの間にか自然と片膝を付き忠誠を誓うポーズをとっていた。

 

 

「えぇえええ!? 急に何!?」

 

 

驚いたのはアウラだった。

ただ耳を治しただけでなぜこういう態度になるか理解できなかったからだ。

 

 

「王の証を持つ御方よ、私達を救ってくれたことへの感謝と貴方の身に流れる高貴な血に忠誠を誓います」

 

「誓います」

 

「誓います」

 

「えぇえええ!?」

 

 

この世界ではエルフの王族は左右で異なる色の瞳を持つと言われている。

ダークエルフではあるがエルフとはほぼ同族である。

3人のエルフ達にとって、地獄から救い出してくれたことと合わせると忠誠を誓うことに何の抵抗もない。

むしろこれだけの方に忠誠を誓える喜びを感じていた。

 

 

「ま、まぁいいや。で、お願いなんだけどさ、エイヴァーシャー大森林の付近にあるエルフの国って分かる? そこまで案内して欲しいんだけど」

 

「そこは私達の祖国ですが…、一体どのような用事で…」

 

「うん。そこの王様が邪魔だからブッ殺しに行こうかなって」

 

 

ニッコリと答えるアウラ。

3人のエルフ達の表情が凍る。

アウラの横ではマーレがワタワタとしていた。

 

 

「ま、まずいよお姉ちゃん…! あの人達の王様殺すって言って案内なんてしてくれるわけないじゃん…!」

 

「そ、そっか! しまった、どうしよう…!」

 

 

アウラもようやく失言に気付きワタワタとしだす。

 

この時、3人のエルフの胸中に沸いたのは感激だった。

エルフの国を支配する王は強大な力を持つが尊大で冷酷だ。

苦しむ民の為に動こうなどとは毛ほども思わない。

長年続いた法国との争いでもどれだけ自国の民が死のうがどうしようがなんとも思わず城で贅沢三昧である。

女達は全員子供を産む為の機械としか思っておらず戦力増強の為に子供だけは作るがもちろん親としての義務など欠片も果たさない。

むしろ弱ければ役立たずだと断じる始末である。

噂では奴隷になったエルフ達は誘拐されたのではなく王に売られたという話すら真しやかに囁かれていた。

そして奴隷となったエルフに価値などないと公言し、耳が切られたエルフに居場所は無い。

誰からも支持されない独裁者。

だがなぜそんな者が王であり続けたのか。

それは単純に強いからだ。

彼がいなければエルフの国は他国にすでに滅ぼされていてもおかしくなかった。

種の存続のためにはいてもらわなければならない者である事は間違いないのだ。

 

だがそれも今日までだ。

 

目の前にはあの王すら凌ぐのではないかというダークエルフの姉妹がいる。

それも瞳には王の証を宿して。

そしてあの王を排除してくれると言ったのだ。

こんなに喜ばしいことはない。

 

落ち込んだ私達を励まそうとしてくれるような優しき方が王となられればきっとエルフの不遇の時代は終わりを迎える。

3人のエルフ達はそう思いただただ感激する。

 

そんなことなど思われているとは露ほども思わないアウラ。

ただひたすら彼女への感謝の言葉と、崇拝する言葉、崇める言葉が降り注ぐ。

 

 

「えぇー、なんで…?」

 

 

彼女達のチームのリーダーを殺し、仕舞には彼女達の国の王を殺すと明言したアウラ。

恐れられこそすれ、なぜ感謝されるのか。

わけもわからないままただ思う。

 

酷いことをしたはずなのに急に感謝されるような意味わかんない状況になってるのなんて世界中でも私ぐらいしかいないんじゃないか、と。

 

 

 

 

 

 

「バフッ!」

 

 

くしゃみをする名犬ポチ。

 

 

「どうしたんですか神様、風邪ですか?」

 

 

垂れた鼻水をブリタに拭いてもらう名犬ポチ。

ふと他愛もないことを思う。

 

この世界に来てからくしゃみなんて初めてだな、と。

 

 

 




次回『スピネル』ルベド編。


長くなってしまったのでフォーサイトは次回に回します。
くそー、全部1話に纏めたかったー!


ワーカー達「ぐえー、死んだンゴ」
奴隷エルフ達「最高の王様見つけたぜ」
アウラ「おかしい、何かがおかしい」
名犬「謎のくしゃみ」

アウラ英雄伝説が始まる!?


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スピネル

前回までのあらすじ!

ワーカーさんほぼ壊滅!


友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない

 

  ‐ヨハネによる福音書 15章13節‐

 

 

 

 

 

 

フォーサイトは現在、ナザリック地下大墳墓・第3階層にいた。

 

襲い来るアンデッド達を倒し、罠にかかることもなく順調に進んでいく。

シャルティア及びそのシモベ達がいた時ならば第1階層すら抜けられなかったであろうが今は違う。

領域守護者とそのシモベを除けば自動POPする低レベルのアンデッドしか存在しない。

だがフォーサイトの面々は夢にも思っていなかっただろう。

すでに自分達以外のワーカー達は壊滅。

そしてこの道の先にいる存在。

 

他のワーカー達と別の道を進んだ結果、フォーサイトは第4階層へと向かう正解ルートを歩んでいた。

だが運が良いのか、悪いのか。

第4階層へ続く門を守るのはナザリック最強の個・ルベド。

正攻法で勝てる者は例え至高の41人を含めてもナザリックには存在しない。

 

そんなことなど露ほども知らないフォーサイトはただただ進んでいく。

 

 

 

「ここまで強いアンデッド達は初めてだな…」

 

「そうですね、ですが各個撃破していけば十分に対処は可能です」

 

 

ヘッケランとロバーデイクはここまで襲い掛かってきたアンデッドを思い出しながら一息をつく。

 

 

「しかしこの墳墓…、一体どれだけ広いのか見当もつかないわ…」

 

 

イミーナは墳墓のあまりの大きさと深さに先が見えず不安を隠せない。

 

 

「あまり潜りすぎるのも危険…」

 

「そうだな、一度引き返して他のチームと情報の共有も必要かもしれない」

 

 

アルシェの言葉にヘッケランが返す。

 

 

「次に大きな扉か階段を見つけたらそこで引き返そう、いいか?」

 

 

チーム全員が頷く。

 

そして再び進んでいくフォーサイト。

やがて彼等は奥に大きな扉のある小部屋に行き着いた。

 

 

「行き止まり、いや扉があるな…。よし、あの扉の先を確認したら引き返そう」

 

 

そう言ってヘッケランが進もうとした瞬間、扉の横に座る人影に気付いた。

 

 

「なっ…!?」

 

 

慌てて後退し、武器を抜くヘッケラン。

ロバーデイクとイミーナ、アルシェも反射的に構える。

部屋の中は暗く、人影は見えてもその姿まではっきりと視認できない。

こちらに気付いたのか、人影がゆっくりと動き出す。

フォーサイトの面々はいつでも反応できるように最大限の注意を向ける。

 

だが予想に反して、暗闇から現れたのは一人の少女。

その美しさは人間離れしていた。

あまりに美しく、あまりに冷たい雰囲気を持つ少女。

まるで作り物か何かのように。

白髪で黒い服を着ており、大事そうに一冊の本を抱えているのが印象的である。

 

予想外の人物に唖然とする4人共。

 

 

「こ、子供…?」

 

「な、なんでこんな所に…」

 

 

イミーナとアルシェは目を丸くする。

この墳墓になぜ、という疑問が頭から離れなかったからだ。

年はアルシェよりも幼く見える。

あまりにも場違い。

一番早く我に返ったロバーデイクは少女に駆け寄る。

 

 

「どうしてこんなところに…! ここは危険です、さぁ私達と一緒にここから出ま」

 

「侵入者」

 

 

鈴を転がすような声だった。

 

だがその声と共にロバーデイクの上半身が一瞬で吹き飛ぶ。

 

 

「え…」

 

 

呆気にとられるヘッケラン。

何が起きたのかわからない。

ロバーデイクが少女に近づいたと思ったらまるで爆発したかのように肉片を撒き散らして上半身が消えたのだ。

腰から下だけが残ったロバーデイクが少し遅れて地面に倒れる。

どちゃっと鈍く響いたその音で3人は何が起きたか理解した。

 

 

「ロバー!!!」

 

「この子もアンデッド!?」

 

 

少女をよく見れば角が生えており、腰には翼がある。

アンデッドかどうかは不明だが少なくとも人間ではない。

 

 

「侵入者は排除する」

 

 

その言葉は少女が敵だと判断するのに十分だった。

 

 

「くそっ!」

 

 

ヘッケランが両手の武器で少女に襲い掛かりその刃を突き立てる、が。

少女には傷一つ付けられない。

逆にヘッケランの武器が容易く折れてしまう。

 

 

「なっ…!」

 

 

お返しとばかりに少女がヘッケランの腕を掴む。

そしてそのままヘッケランをイミーナとアルシェに向かって投げつける。

だが腕を掴んだ手は緩めていない。

結果的に腕を掴まれたまま、強い力で投げ飛ばされることになったヘッケラン。

肩から腕が千切れ、錐揉み状に飛びイミーナとアルシェを巻き込むと3人仲良く地面を転がっていく。

そして激しい勢いのまま壁に激突する。

すぐに立ち上がろうとするが体が言うことを聞かない。

それもそのはず。

この一発だけで3人とも何本もの骨が折れ、全身に深刻なダメージを負っていた。

 

一撃でロバーデイクが死に、ヘッケランが投げ飛ばされただけで残りのメンバーは戦闘不能に追い込まれた。

もうフォーサイトはチームとして機能しない。

その絶望的な状況の中。

死神のように少女がゆっくりと近づいてくる。

 

3人共、未だ何が起こったのか理解はできていない。

だが往々にして狩られる者は何が起きたか理解できずに死んでいくものである。

そう、これは戦いではない。

 

圧倒的強者が弱者を蹂躙するだけ。

 

そこには何の思い入れも、決意も、覚悟も何も無い。

虫を踏みつぶすように何の感慨も無く行われる行為。

そして確実に一歩ずつ近づいてくる少女。

3人の耳には少女が発する言葉が呪いのように纏わりついていた。

 

 

「早く殺して続きを読まなきゃ」

 

 

意味不明な言動に3人は恐怖するしかできない。

 

 

 

 

 

 

「三毒ヲ斬リ払エ、倶利伽羅剣!」

 

 

その口上と共に、強烈な一撃が世界を滅ぼす魔樹と言われた巨大な植物モンスターを襲う。

すでに何度も攻撃を受け、弱りきっていた魔樹はその一撃でこの世から完全に消し飛んだ。

 

 

ここはトブの大森林。

 

数日前に世界を滅ぼす魔樹が復活し、トブの大森林は危機に陥っていた。

そして立ち上がったのが東の巨人と西の魔蛇、森の賢王と呼ばれるトブの大森林を支配する3匹の強大なモンスター。

普段は縄張りが違うために互いに干渉せずに過ごしていたが、森の危機にこの3匹は手を結び、魔樹へと戦いを挑んだ。

 

時を同じくして、同じく森の中にある湖を住処とするリザードマン達。

エサとする魚が不足している為、部族同士の争いが絶えないリザードマン達であったが森の危機にそれどころではないと立ち上がった。

ザリュース・シャシャという旅人として世界を見てきた一匹のリザードマンが、兄のシャースーリュー・シャシャ、戦友のゼンベル・ググー、想い人であるクルシュ・ルールーと共に全ての部族をまとめ上げ、魔樹へと戦いを挑んだ。

 

森を支配していた強大な3匹のモンスターと多くのリザードマン達。

だが彼等では相手にならなかった。

世界を滅ぼす魔樹・ザイトルクワエ。

この世界において最強と称される竜王に匹敵する力を持つザイトルクワエ相手に彼等ではその枝でさえ戦いにならないほど実力が離れていた。

誰もが勝利を諦め、その瞳に諦念を宿すばかりであった。

 

 

だがそこに一つの流星が舞い降りた。

 

 

凍えるような冷気と共に舞い降りたそれは着弾の際にザイトルクワエの体の一部に風穴を開けた。

苦痛に呻くザイトルクワエ。

周囲に広がったいくつもの巨大な枝や根が暴走を始める。

だが次の瞬間、先ほどの流星を追っていくつものモンスターが飛来した。

そのモンスター達は広がったザイトルクワエの枝や根を苦も無く処理していく。

 

先ほど舞い降りた流星。

甲冑を思わせる白銀の甲殻を持つ、巨大な二足歩行の昆虫のような戦士。

ナザリック第5階層守護者コキュートス。

 

その身体はあり得ない程の強者の気配を周囲にまき散らしていた。

そして4本の腕から繰り出される攻撃は現地の誰の目にも追えなかった。

ただその攻撃の度にザイトルクワエの一部が吹き飛んでゆく。

 

それを見ていたザリュースは驚きと共に感動し、そして思う。

まるで神話の戦いだ、と。

 

最後に強烈な一撃を放ち、完全にザイトルクワエを葬りさったその姿にザリュースとリザードマン達は片膝を付き敬意を表していた。

リザードマンは強き者に敬意を払う。

ならばこの神の如き強さを持つ戦士に最大限の敬意を払うのは当然のことであった。

 

 

「何ノ真似ダ?」

 

 

それを見たコキュートスは純粋な疑問をぶつける。

 

 

「はっ…! 我々の危機を救って頂きありがとうございます! 神の如き強さを持つ貴方に感謝と共に敬意を示すのは当然のことであります…!」

 

 

リザードマンを代表してザリュースは言う。

それは紛れもない本心だった。

そして叶うならばこの御方に仕えたいとすら考えていた。

だがコキュートスからの答えは希望に沿うものではなかった。

 

 

「勘違イスルナ、私ハコイツヲ倒ス為ニ来タダケダ。オ前達ヲ助ケルツモリナド無カッタ」

 

「い、いえ! それでも救われたことは確かです! どうか我々の感謝をお受け取り下さい!」

 

「イラヌ。弱者ノ戯言ナド聞キタクモナイ」

 

「なっ…!」

 

 

コキュートスがここに来る直前、ザリュース含め、リザードマン達の瞳には諦めがあった。

勝つことを諦め、生きる事を諦めた。

それは弱さの象徴。

戦士としての気概など欠片も存在しない。

コキュートスが見たのはそんな彼等だった。

 

ナザリックの中では穏健派とも呼べるコキュートス。

武人として創造されたコキュートスは格下であっても一端の戦士には敬意を払う。

無闇に他者を殺しもしないし、無碍にも扱わない。

だが逆に弱者として定義できる者には一切の情けをかけない。

それは実力だけの問題ではない。

心のありようだ。

強大な力の前には諦めを瞳に宿し、命が救われた途端に頭を下げる。

リザードマン達にそんなつもりはなかっただろうがコキュートスの目にはそう映った。

 

 

「失セロ、視界ニ入ル事サエ不快。私ガ何者カモ分カラヌノニ頭ヲタダ下ゲルナド戦士トシテ見下ゲ果テタ行為ヨ」

 

 

コキュートスの言葉は強さを誇りとするリザードマン達にとって死刑宣告のようなものだった。

自分達の弱さを恥じ、悲しみに暮れる。

それは近くにいた東の巨人と西の魔蛇、森の賢王も同様であった。

彼等もコキュートスからすれば欠片程の価値も無い弱者だった。

 

 

そしてアルベドの命令を遂行したコキュートスはアルベドにメッセージを送る。

 

 

「アルベドカ、言ワレテイタ植物系モンスターハ倒シタゾ」

 

『流石コキュートス、仕事が早いわね。次なのだけれどそのまま北上してアゼルリシア山脈へ向かって頂戴。そこで霜の竜(フロストドラゴン)霜の巨人(フロストジャイアント)の殲滅をお願いするわ』

 

「フム、了解シタ」

 

 

そしてアルベドとのメッセージを切るとシモベ達に北へ向かうことを告げる。

もうこの場には用はない。

立ち去ろうとしたコキュートスは絶望に打ちひしがれるリザードマン達に言う。

 

 

「悔シケレバ強サヲ示セ。信念ヲ貫ケ。強者に媚ビルノデハナク己ガ正シイト思ウコトヲ為セ」

 

「……っ!」

 

 

そしてシモベを連れコキュートスは去った。

後に残されたザリュースは今の言葉を胸に刻みつける。

いつかあの神の如き御方に認めてもらうのだと。

そう、もう何があっても諦めなどに身を委ねない。

何があっても今度こそ最後まで戦いぬくと心に決めたのだ。

立派な戦士として。

立派なオスとして。

 

 

 

 

 

 

ルベドは歩いていく。

侵入者を排除するために。

侵入者へトドメを刺すために。

 

 

「く、くそっ、大丈夫かイミーナ、アルシェ!」

 

「わ、私は大丈夫、だけどイミーナが…!」

 

 

アルシェを庇い、直接ヘッケランの体を受けたイミーナ。

その衝撃で両手は砕け片足は折れていた。

 

 

「ごめん、私はもう無理…。私はいいから貴方達だけでも逃げて…」

 

「馬鹿野郎! そんなことできるかよ!」

 

 

ヘッケランが体に鞭うち立ち上がるとイミーナの前に立つ。

 

 

「ヘッケラン…!」

 

「大丈夫だ、まだ戦える…」

 

 

嘘だ。

強がってはいるもののヘッケランは戦える状態ではない。

片手がもう千切れて無いのだから。

 

 

「逃げないの?」

 

 

すでにヘッケランの目の前まで来ていたルベド。

不思議なモノを見るような顔で言う。

 

 

「うるせぇ、化け物…! こうしたって何にもならないなんて分かってるよ! でもなぁ! 愛する女を置いて逃げるなんてそんなカッコ悪ぃことできるわけねぇだろ!」

 

 

その言葉にわずかにルベドの瞳が開く。

 

 

「愛…。その人を愛してるの?」

 

「そうだよ…! 愛してんだよ! お前みたいな化け物なんかには分からねぇだろうがなぁ! 例え命を捨てたって守りたいと思える奴がいるんだよ!」

 

「ヘッケラン…!」

 

 

後ろでイミーナが涙を流す。

この絶望的な状況でも愛する男がそう言ってくれることがただ嬉しくて。

 

 

「本当の愛ならもっと見せて」

 

 

そうしてルベドがヘッケランの残った腕を掴む。

 

 

「がぁあああっぁあああ!!!」

 

「その人を見捨てるなら離してあげる」

 

 

万力のような力で徐々にヘッケランの腕を握りつぶしていくルベド。

 

 

「だ、誰が…! ぎゃあああああ!」

 

「やめて! ヘッケランを傷つけないで! 私ならどうなってもいいからその人にそれ以上酷いことしないで!」

 

 

絶叫するヘッケランの姿にたまらずイミーナが懇願する。

 

 

「…。貴方も愛しているの?」

 

「そうよ! この世で一番大切な人なの! だからお願いもうやめて!」

 

「でもこの出血ではもう死ぬのは時間の問題。ならこうしましょう。この男を見捨てるなら貴方には手を出さない」

 

「何を…!?」

 

「愛は尊い。愛は全てに勝る、そう本に書いてた。だから証明して欲しい。貴方の愛が本物かどうか確かめさせて。私に愛を見せて」

 

 

イミーナの近くに顔を寄せ、無表情のままルベドは言う。

 

 

「貴方の愛が本物ならきっと何をされてもこの人を見捨てないでしょう?」

 

 

子供のように無邪気な悪意を放つルベドに背筋が凍るイミーナ。

そしてイミーナに手を伸ばそうとするルベド。

だが。

 

 

「あ」

 

「ヘッケラン! ああ、嘘、そんな嘘よ、嫌ぁぁあああ!」

 

 

力加減が分からないルベドはイミーナに近づこうとした際にヘッケランを掴んでいた手を動かしてしまった。

ルベドにとってはヘッケランなど重さも感じない軽い羽虫のようなもの。

ヘッケランは腕を引っ張り上げられそのまま飛んだ。

掴まれていた腕が引きちぎれ、勢いよく吹き飛び壁に直撃。

頭はザクロのように潰れ、壁に綺麗な赤い染みを作った。

 

 

「失敗」

 

 

命などなんとも思っていないようにルベドは力加減を間違えたことだけを反省していた。

 

 

「うぅ…! ア、アルシェ…! 貴方だけでも早く逃げなさい…! まだ足は動くでしょう…?」

 

「イミーナ…!」

 

「わ、私がこいつを引き付けるからその間に…!」

 

 

何を言っているのだ、とアルシェは思う。

仲間を見捨てて自分一人だけが逃げられるわけがないだろうと。

それに何よりイミーナはもう動けない。

足止めなど出来るはずがない。

そのはずなのに。

 

 

「んぎぎぃいいいい!!!」

 

 

折れた足で立ち上がり、砕けた腕でルベドの体へと覆いかぶさる。

もはや精神力だけでイミーナはその身体を動かした。

 

 

「イミーナ!」

 

「行きなさい! 妹さんがいるんでしょ! なら私を見捨てていきなさい! それが貴方のすべきことよ!」

 

「そんな、できないよ…! だって…!」

 

「貴方がここにいても何も変わらないわ! それよりも貴方だけでも逃げて他のチームと合流するの! そしてこのことを国に伝えなさい!」

 

「イミーナ…!」

 

「お願いアルシェ…! そうしないと私が…、ヘッケランが、ロバーが…。皆無駄死になってしまう…」

 

 

泣きながらアルシェに訴えるイミーナ。

アルシェの心の中で様々な感情が渦巻く。

だが今は即断しなければならない。

一刻も猶予もない。

一瞬の気の迷いが死に繋がることだってあるのだから。

 

 

「……じがいじだ、無駄死になんがざぜない…!」

 

 

溢れ出る涙と鼻水、顔中をくしゃくしゃにして答えるアルシェ。

だが決めてからは早い。

 

 

飛行(フライ)

 

 

アルシェは魔法を発動させ来た道を駆け抜けていく。

 

 

「逃がさない」

 

 

体に覆いかぶさっているイミーナを払いのけアルシェを追おうとするルベド。

だが再び砕けた腕を動かし、ルベドの服を掴むイミーナ。

もはや掴むというよりも触れているといった方が正確かもしれないが。

 

 

「行かせない…!」

 

「……」

 

「あの子だけでも死なせるわけにはいかないわ…」

 

「理解できない。貴方が愛していたのはあの男でしょう? なぜ彼女のためここまで頑張るの?」

 

「仲間だからよ! 仲間のためなら命だって惜しくないわ! 貴方達化け物には分からないでしょうけどね!」

 

「そう、分からない。だから知りたい。貴方を動かすものが何なのか」

 

 

ルベドは分からない。

イミーナの言葉を欠片も理解できない。

だから学習せねばならないのだ。

自分は命令を忠実に遂行するために愛を学ばねばならないのだから。

 

 

「だから教えて」

 

 

ルベドの手がイミーナへとのびる。

 

 

 

 

 

 

仲間と来た道をひたすら逆走するアルシェ。

幸い、アンデッドはまだ復活しておらず運が良ければこのまま地上まで逃げられるかもしれない。

だがそれと同時にとてつもない罪悪感がアルシェを襲う。

 

ロバーデイクもヘッケランも死んだ。

そして恐らくイミーナも…。

 

全て自分のせいだ。

自分の借金が無ければこの依頼は受けなかっただろう。

自分がいなければ皆ここに来なかった。

自分が殺した。

自分が皆を殺したようなものだ。

何があっても自分が皆を守ると心に決めていたのに。

何もできずむしろ皆に救われただけ。

情けない。

借りを返すどころか自分だけが仲間を見捨て生き延びている。

仲間を死に追いやった元凶の自分だけがのうのうと生きるなんて。

 

 

「ごめんなざいロバー…! ごめんなざいヘッケラン…! ごめんなざいイミーナ…!」

 

 

仲間を犠牲にして自分だけが逃げ出したのだ。

だからせめてもの償いに絶対に生き延びるのだ。

生きてここから脱出してこの脅威を国に伝えねば。

そう心に誓う。

だが現実は無慈悲だ。

 

 

「<五芒星の呪縛>」

 

 

遠くからあの少女の声が聞こえた。

それと同時に突如アルシェの体が重くなり地面に落ちる。

その後も何かに押さえつけられるように体がピクリとも動かせなくなる。

 

 

 

<五芒星の呪縛>

 

一部の上級悪魔のみが使える足止め用のスキル。

非常に強力なスキルではあるのだがこのスキルが真価を発揮するのはさらに重ね掛けをした場合。

しかしルベドが使えるのはこれが限界である。

 

 

 

「くっ…!」

 

「追い付いた」

 

 

地面に縫い付けられたように動けないアルシェにルベドがゆっくりと近づいてくる。

 

 

「イ、イミーナは…!?」

 

「死んだ。あの人は最後まで貴方のことを庇ってた」

 

「……っ!」

 

「分からない、自分が死ぬのになんで人を庇うの?」

 

 

ルベドの疑問にアルシェの中で怒りが燃え上がった。

 

 

「仲間だからよ! 仲間だから! 何よりも大事な仲間だから命を懸けられるの! 命を捨てられるの! 貴方みたいに人をなんとも思わず殺すような化け物には分からないでしょうけどね! 私達は仲間の為だったら何でもできる! 仲間の為なら…! うぅぅ…!」

 

 

アルシェの脳裏に3人の姿が浮かぶ。

もう二度と会えないと理解した瞬間、どれだけ彼らが自分にとって大切だったのか改めて分かった。

 

 

「じゃあ貴方も命を懸けられるの?」

 

「そうよ! 仲間が助かるならこの命を捨てたっていいわ! 何よ、殺すなら早くしなさいよ! もう私に失う物なんて何もないんだから! もう貴方になんて怯えたりしないわ!」

 

 

半ば自暴自棄になったアルシェ。

だがそれでも仲間達への思いは消えていない。

今アルシェの中を支配しているのは恨みと憎しみだけだ。

 

 

「そう。でも妹は?」

 

「え…?」

 

「妹がいるんでしょ? 愛してるの?」

 

 

その言葉で二人の妹のことを思い出す。

何よりも大事な二人。

大事な妹。

そうだ。

自分は二人の妹と家を出るのだ。

そして新しい生活を始める。

その為にお金を稼ぎにきたのだ。

ああ、だがもうそれも叶わない。

私はもうここで終わりだ。

 

 

「ねぇ、愛しているの?」

 

「…。愛してるに決まっているでしょう…! 大事な妹なのよ…!」

 

「そう」

 

 

ルベドは考え込むように少し沈黙する。

そして。

 

 

「会ってみたい。どこに行けば会える?」

 

「はっ……!?」

 

 

その言葉はアルシェの思考を奪うのに十分だった。

こいつは何を言ってるんだ。

仲間を殺した悪魔が何を。

まさか。

まさかっ。

 

 

「ふざけないでっ! クーデリカとウレイリカに手を出したら絶対に許さないわ!」

 

「何を言ってるの?」

 

「とぼけないでよっ! ここまでやってもまだ飽き足らないの!? まだ殺し足りないの!? 私達だけじゃなくてその家族まで殺そうとするなんて絶対に許さないっ! この外道っ! 悪魔!」

 

 

己の立場も忘れ激高するアルシェ。

 

 

「命令が無ければ殺さない」

 

「め、命令…?」

 

「そう命令。私は命令に従うだけだから」

 

「じゃあ貴方は命令されたから私達を、イミーナ達を殺したの…?」

 

「否定。殺害は命令にない」

 

「…!? ならなんでっ!?」

 

「侵入者の排除を命じられたから。殺すかどうかは裁量を与えられている。排除のもっとも簡単な方法だから殺しただけ」

 

「なっ……!」

 

 

その言葉に悔しさがこみ上げてくる。

殺さなくてもいいのに、楽だから殺した?

命を馬鹿にしている。

そんな理由で3人は死んだのか。

悔しくて、悔しくて一度は止まった涙が再び流れ出す。

 

 

「……してよ」

 

「何?」

 

「返してよっ! イミーナを! ヘッケランを! ロバーを! 皆を返してよっ! そんな、虫を殺すのと同じように語らないでよっ! 皆を! あの3人を殺しておいてそんな簡単だったからだなんて! じゃあ皆は何のために死んだの!? 死ななくてもいいのに死んだの!? ねぇ返してよ! 皆を返してよぉ!」

 

 

自分でも無茶苦茶を言っているのはアルシェも分かっている。

だが気持ちが抑えられない。

そんなことを言っても何にもならないことは理解しているはずなのにそれでも口は止まらない。

その後もずっと目の前の少女に恨み事を言い続ける。

ずっと、ずっと。

その間、少女は文句の一つも言わずに黙って聞いていた。

 

 

「うぅぅ…、皆を返してよぉぉ…、一人は嫌だよぉ…!」

 

 

ぼろぼろと大粒の涙を流しながらアルシェは思いのたけを口にする。

きっとこの後、自分は殺されるだろう。

そうしたら自分は天国で皆に会えるだろうか。

唯一の心残りは妹二人を残していくことだけだ。

だが。

アルシェは全く予想していない言葉を耳にした。

 

 

「分かった、返してあげる」

 

「……え?」

 

 

地面に擦り付けていた顔を上げるアルシェ。

今の言葉が理解できなかった。

一体何が。

 

 

「その代わり、貴方についていく」

 

 

この瞬間、アルシェの運命は180度変わることになる。

 

 

 

 

 

 

時は前後し、アルベドがナザリックを出て数日後の事。

 

聖王国を滅ぼしナザリックに無事帰還したアルベドはここで初めて異変に気付いた。

 

 

「ねぇ、ルベドはどこ? 姿が見えないようだけれど…」

 

「はっ? ルベド様ですか? アルベド様の命令通りに動いておられるようですが…」

 

「…? どういうこと?」

 

 

自分がルベドに下した命令は侵入者を排除することだけだ。

ゆえにここでナザリックに残ったシモベから聞いた情報にアルベドは驚愕する。

 

ルベドは侵入者の何人かを一度は殺したものの、ペストーニャを呼び出し殺した侵入者を蘇生させた。

その後、侵入者と共にナザリックから外へ出て行ったと。

もちろんその際、シモベがルベドを止めたらしいがルベドは姉さんの命令だと言った為にシモベ達はこれも作戦の一環かと思い何も疑問に思わずルベドを通してしまったらしい。

 

何が起きた?

 

ルベドは命令には逆らわない。

それは絶対だ。

守護者統括としてルベドの情報は頭に入っている。

もちろんアルベドの知識は間違っていない。

 

だが同時にアルベドは知らない。

 

この世界に転移した際に、皆大なり小なり変化が起きているのだ。

そもそもプレイヤー視点から見ればNPCが自我を持ち動き出しているのだ。

守護者統括としての知識だけでは偏りがある。

この世界が変異したということを認識できなければここは永遠に気付けない。

だからアルベドは己の常識の中で可能性を探る。

 

 

(もしや傾城傾国のようになんらかのアイテムでルベドが洗脳状態におかれた…!?)

 

 

最悪の事態を想定しつつ玉座の間に駆け足で向かう。

そして玉座の間にはセバスとプレアデスの面々がアルベドが外に出る前と同じようにモモンガに傅いていた。

 

 

「失礼します」

 

 

意識が無いとはいえモモンガへの礼儀は忘れないアルベド。

そして玉座の下まで来ると深々とお辞儀をする。

 

 

「モモンガ様、緊急事態ゆえ管理システムにアクセスすることをお許しください。マスターソース・オープン」

 

 

アルベドはマスターソースを開くとその中にあるNPCのタグを開く。

ここにはナザリックの全NPCの名前が記載されている。

そして洗脳、あるいは裏切り、何らかの異常事態に巻き込まれたNPCは名前の色が変わる。

だからここでルベドの名前を確認しなければならない。

一体ルベドの身に何が起きたのか。

 

 

「え…、そんな…、どうして…?」

 

 

全く予想していない事態にアルベドは狼狽する。

そのあまりの狼狽ぶりにセバスとプレアデス達も何事かと目を見開く。

 

 

「そ、そんな…そんなはずは…」

 

 

アルベドの焦燥は激しくなっていく。

マスターソースの中を何度も確認したがアルベドの見たものは間違っていなかった。

あまりの衝撃にアルベドはその場に崩れ落ちる。

 

 

「どうして…」

 

 

これはアルベドにとって死活問題であった。

己の中の常識が崩れていくのを感じるアルベド。

足元が揺らぐ。

何を信じればよいのかわからなくなる。

目の前にあった事実は彼女の認識しているものとは違ったのだから。

マスターソースの中をどれだけ探しても。

 

 

ルベドの名前は存在しなかった。

 

 

ナザリックの全NPCの名を記載しているはずのマスターソースの中にルベドの名前は無い。

これが何を意味するのかアルベドには理解できなかった。

それも仕方ない。

アルベドはマスターソースの存在と情報を知っていても今まで開いたことは一度も無かったのだ。

そしてルベドは至高の41人の1人タブラ・スマラグディナによって創造された。

これも間違いのない事実のはずだ。

それに何より、ルベドからはナザリックのシモベとしての気配をちゃんと感じるのだ。

ガルガンチュアのように名ばかりの配下ではない。

ならばなぜルベドの名前がここにないのか。

 

 

「姉さん、ニグレド姉さん…。姉さんは何を知っていたの…?」

 

 

アルベドの呟きが虚しく響く。

 

ここでニグレドがいないことは致命的であった。

彼女だけがタブラからルベドの全てを知らされていたのだから。

アルベドは自身の設定が1マスの無駄なく埋められていた為、ルベドについての知識を知っているという設定を盛り込めなかったのだ。

アルベドは守護者統括としてルベドを知っているだけ。

ルベドがどのように創造されたかまでは知らないのだ。

 

ルベド。

 

大錬金術師タブラ・スマラグディナにより創造されし者。

その最高傑作にして失敗作。

 

ナザリックの中に存在するシモベの中で一つだけの例外。

一つだけの異端。

一つだけの偽物(スピネル)

 

どれだけ本物(ルビー)に似ていてもそれは紛い物に過ぎない。

偽物(スピネル)は決して本物(ルビー)にはなれない。

 

 

それがルベドという存在。

 

 

 

 

 

 

時は、ルベドがフォーサイトを連れナザリックを出た所へと巻き戻る。

 

ルベドはペストーニャにお願いしてフォーサイトを蘇生してもらった。

そして3人をアルシェに返すのと引き換えに同行することになったのだ。

もちろん出入り口の霊廟でユリに止められたがアルベドの命令だと言ったら無事に通して貰えた。

ちなみにルベドは嘘は言っていない。

ルベドは過去にアルベドとした問答。

 

『侵入者って殺していいの?』

 

『好きにしなさい』

 

この問答を拡大解釈しただけに過ぎないのだ。

侵入者を好きにしていい、そして好きにしていいのはアルベドの命令なのだ。

だから彼女は愛を知る為にアルシェに同行することを決定した。

 

そして今は無事にナザリックの外を5人で歩いている。

 

 

「うわ、うわぁ…! ロバーやめろって…! 殺されちまう…!」

 

「何言ってるんですかヘッケランは。こんなに可愛い女の子ですよ? 何かが出来るわけではないでしょうに」

 

 

面倒見の良いロバーデイクはルベドを肩車していた。

ルベドに瞬殺されたロバーデイクは殺された自覚が全く無く、ルベドの虐殺時の姿も見ていない。

その為、全くと言っていいほど恐怖を感じていなかった。

 

 

「ちょ、ちょっとアルシェ…、貴方からも言いなさいよ、何かあってからじゃ遅いって…!」

 

 

ルベドは皆にもう手を出さないことを約束しているのだが未だにヘッケランとイミーナはあのトラウマから立ち直れていないらしい。

仕方ないとは思う。

なにせ当の本人であるアルシェも未だに怖いのだから。

しかし。

 

 

「うーん、大丈夫だと…思う」

 

「何言ってんのアルシェ! そんなわけないでしょ!?」

 

 

イミーナが正気か!?といった様子でアルシェの肩を掴み全力で揺さぶる。

 

 

「もしかすると…そんなに悪い子じゃないかもしれないよ…?」

 

 

アルシェはルベドへ視線を向ける。

ロバーデイクの肩に乗り、彼の手作りの風車を振り回すその姿はただの子供にしか見えなかった。

 

 

 




次回『ルベドのだいぼうけん』まず向かうはエ・ランテル!



フォーサイト生存確認!


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偉大なるエルフの祖

前回までのあらすじ!

フォーサイト助かる!

※すみません、再び予告詐欺です。アウラパートが長くなってしまったのでルベドの話は次回に…


ナザリックから無事脱出に成功したフォーサイト。

 

しかし食料も尽き、野宿するための道具等も全てナザリックに置いてきてしまった。

とはいえもちろん戻る気になどなるはずがない。

なぜか付いてくることになったルベドという少女が墳墓内での安全を約束してくれたが安心など出来る筈も無く、逃げるようにナザリックから慌てて出てきたのだ。

実際、逃げてきたのだが。

なので帝国に帰る為には一旦どこかで準備を整えなければならず、最寄りの都市であるエ・ランテルへと向かうことになった。

 

しかしフォーサイトの空気は最悪だ。

ヘッケランとイミーナはルベドへの恐怖を拭えず未だに震えている。

アルシェはこの二人よりはマシだがそれでもルベドという存在の未知さにどう接していいのかわからずにいる。

だがこれまで経緯からわずかながらルベドという存在がどういうものかアルシェは感じていた。

一言で言うならば子供だ。

思考が幼いということでは無く、何も知らないという意味で。

真っ白なキャンバスのように。

悪も善も何もない。

彼女はそういう基準で行動していない。

接し方さえ間違わなければ害は無いということが薄々分かってきた。

その証拠にロバーデイクだけは上手くやっている。

 

 

「どうですー、高いでしょう?」

 

 

肩車をしたり高い高いをしてルベドの相手をしているロバーデイク。

 

 

「低い」

 

「おやおや手厳しいですね、近所の子供はこれで喜んでくれたのですが…」

 

「普通は喜ぶの?」

 

「ええ、子供達は大変喜んでくれてましたよ」

 

「理解不能。もう一度やって」

 

「なんだかんだ言いながら実は楽しんでたんですね? いいですよ、それ~」

 

 

ルベドは全くもって楽しんでおらず、これの何が楽しいのかを学習中なだけなのだがロバーデイクには分からない。

むしろ本当は楽しいのに楽しいと素直に言えない可愛い年頃なのだな、と思っていた。

何気に噛み合ってしまっている二人であった。

 

それを見ながらアルシェは思う。

ルベドはあの地獄のような場所にいたから何も知らなかっただけでキチンと教育をすればまともになるのではと。

ただやはり不安はある。

ルベドを二人の妹に合わせていいものなのかどうか。

あの時見たものをアルシェは未だに信じられない。

なぜならルベドは…。

 

 

 

 

 

 

「分かった、返してあげる」

 

 

ロバーデイク、ヘッケラン、イミーナを殺したルベドは泣きじゃくるアルシェにそう言った。

そして連れてきたのは、体は人間の女性なのだが頭部が犬のそれになっているメイドであった。

彼女はペストーニャ・S・ワンコと名乗った。

アルシェは〝看破の魔眼〟とも呼ばれる、相手の魔力をオーラのように見ることによって使う位階を知ることが出来るタレントを持っていた。

それで見た事実が信じられず、またあまりの魔力に吐きそうになってしまうが目の前の女性からは恐ろしい気配がそこまで感じられないこともあり何とか耐えた。

それは自身の師でもあり、人類最高の魔法詠唱者(マジックキャスター)フールーダ・パラダインを凌駕していた。

それだけでも信じられないのにこの墳墓では珍しくないらしい。

それどころか恐ろしいことに第10位階まで使える者もいるらしい。

神話の領域すら超える第10位階を使うことのできる存在。

だがそれよりもこのルベドという少女は強いらしい。

もうアルシェの頭はパニック状態であった。

何か悪い冗談のようだと思えたが目の前の存在がそれを真実だと告げていた。

 

しかしアルシェのタレントで、このルベドという少女が一切魔法を使えないという事実は理解していた。

つまりこの少女は魔法を使わず、第10位階を使える存在を凌駕するということになる。

もう想像もつかない上に意味もわからない。

ここで強さに関してはアルシェは考えることをやめた。

 

目の前ではペストーニャが3人に蘇生の魔法らしきものをかけている。

だがアルシェはここで気づく。

これは第5位階にある《死者復活/レイズデッド》ではない。

詳しくは知らないが恐らくそれよりも上位。

人があずかり知らぬ領域の魔法だ。

もしここにフールーダ先生がいたら喜んでいただろうなと思った。

 

 

「はい、3人共生き返ったよ。これでいい?」

 

 

そうして傷一つなく綺麗な体で横たわる3人を前にルベドが言う。

未だアルシェは信じられない。

これはもはや奇跡と呼んでもいいような出来事だ。

 

 

「うん…! ありがどう…!」

 

 

気づけばお礼と共に大量の涙が流れてきていた。

元通りの3人を目にしてやっと現実感が沸いてきた。

皆が生きている。

また皆の声が聞ける。

また冒険ができる。

そう思うと感情が溢れ出てアルシェはその場で泣き叫んだ。

 

少し時を置いてやっと気持ちが落ち着くとアルシェはペストーニャに深々と頭を下げた。

 

 

「ペストーニャさん、ありがとうございます…! 本当にありがとうございます…!」

 

「ルベドはアルベド様の命令で動いているようなので別に構わないです…わん」

 

 

それを横で見ていたルベドはアルシェに言う。

 

 

「なんでアルシェはペストーニャに頭を下げてるの?」

 

「え…? 何かお世話になった時は感謝の気持ちを表すのは当然でしょう?」

 

「そうなの?」

 

 

ポカンとした顔でルベドは言う。

ルベドがペストーニャにそのことを問うとペストーニャもその通りだと首を縦に振る。

 

 

「そっか。ペストーニャありがとう」

 

 

そしてルベドもペストーニャに頭を下げて礼を言う。

よくは分からないがペストーニャにお願いをしたのは自分なのでアルシェと同じように感謝を示したほうがいいのだな、となんとなく判断したためである。

 

 

「ぐ…ぁ…」

 

「う…ん」

 

 

その時、ヘッケランとイミーナが目を覚ました。

 

 

「ヘッケラン! イミーナ!」

 

 

アルシェは目が覚めた二人に駆け寄ると、勢いよく抱き着いた。

 

 

「良かった…! 良かった! 本当に良かった!」

 

 

突如泣きながら抱き着いてくるアルシェに困惑しながらも二人は何が起きたのか理解できずにいた。

だが近くにいたあの恐ろしい少女の姿が目に入ると自分達の身に何が起きたのかを思い出す。

 

 

「お、お前は…!? い、いや俺は殺されたんじゃ…」

 

「ア、アルシェ何してるの! 早く逃げるのよ!」

 

 

取り乱すヘッケランとイミーナにアルシェは説明する。

最初は全く聞く耳持たない二人だったが次第に状況を飲み込んでいく。

そして事情を説明し終えたアルシェ。

だが二人は状況を理解しつつもまだ気持ちが追い付いていなかった。

 

 

「そんな…、じゃあ俺たちは生き返ったのか…」

 

「信じられない…」

 

 

そして生き返して貰った見返りとして今後はフォーサイトにルベドが同行することを説明するアルシェ。

もちろん猛反対する二人。

 

 

「だ、だめに決まっているだろう!? こんな危険な奴と一緒に行けるかっ!」

 

「そ、そうよ! 私達にあんなことをした奴と一緒になんて行ける訳ないじゃない!」

 

 

だが猛反対する二人に注意を促したのはペストーニャであった。

 

 

「横から失礼します、わん。ハッキリ申し上げますとこの墳墓に侵入してきたのは貴方達です。何よりも偉大なる至高の御方の居城に無断で侵入し、その宝にも手を出した薄汚い盗人。本来ならば全員ここでどうなろうとも文句は言えない立場です。貴方方にどのような事情があろうとも私達からすれば侵入者を撃退するのは当然です。ルベドはここを守る者として当然のことをしたまで。客観的に見ても貴方達が文句を言う筋合いは無いかと。どうか自分達の身の程を弁えて下さい……わん」

 

 

ペストーニャの言葉とその態度からは怒りを抑えているのが容易に見てとれた。

そしてアルシェ及び、ヘッケランとイミーナもその言葉で客観的に見れば自分達に非があることは理解できた。

人間達の思想ではモンスターなど排除するべき存在でその宝を奪うことに躊躇は無いが、それが正しいかそうでないかくらいは分かる。

それに目の前にいる少女は自分達の手に負える存在ではない。

ここは素直に従うしか道は無かった。

 

 

「わ、分かった。俺たちが悪かった、すまない、このとおりだ…」

 

 

頭を下げて謝罪を告げるヘッケラン。

だがそれと同時にヘッケランは一つの疑問をルベドにぶつけざるを得なかった。

 

 

「意図は分からないが助けて貰ったのは事実だしそのお嬢ちゃんの提案は飲むよ、でもよ一つ教えてくれないか? お嬢ちゃんは何者なんだ? アンデッドなのか? それとも悪魔か…。あの強さはとてもじゃないけど人間のものじゃなかった…」

 

 

恐る恐るヘッケランが口にする。

それを聞いたルベドがなぜか服をはだけ、上半身を露出させる。

 

 

「じょ、嬢ちゃん何を!」

 

「ちょっとヘッケラン! 何見てるのよ! こんな小さい子が好みなの!?」

 

「別に見てねーよ! いや見たけどさ! 視界に入っちゃったものはしょうがないだろ!」

 

「今ちょっと嬉しそうな顔したでしょ!? 分かるんだから!」

 

「はぁ!? お前急に何を!?」

 

 

急に痴話喧嘩を始めた二人。

未成熟な胸を晒したルベドは構わず告げる。

 

 

「見た方が早い」

 

 

そしてルベドは両手の指を自分の胸付近に突き刺す。

肌の中に指が食い込んでいく。

そのまま勢いよく両手を広げ、皮膚を、肉を引きちぎる。

 

 

「な、何を…!」

 

「ひっ…!」

 

「え…!」

 

 

中から内臓が飛び出るのではないかと思った3人の予想は外れた。

ルベドの体の中にあったのは機械の体。

裂けた胸部や腹部から見えたのは金属の輝きと大小入り乱れる精巧なパーツ。

だが3人にそれを理解できるはずがない。

それでも3人は近いところまで事情を呑み込むことが出来た。

 

 

「に、人間、いや生き物じゃないのか…?」

 

「からくり…? 自動で動く仕掛けを見たことがあるけどそのようなものかしら…」

 

「こ、こんなの学校でも教わったことない…! 魔法か何かで構成されてるの…?」

 

 

三者三様の感想を抱く。

目の前のものは常識を遥かに凌駕するものだったからだ。

 

 

「私は自動人形(オートマトン)、そのように創造された」

 

 

3人はただただ驚くばかり。

ギミックを駆使して自動で動く仕掛けは知っているがそれで人のように動く物を作れるなど信じられない。

そんな技術力を持つ者がこの世界に存在するのか、と。

 

驚愕する3人を他所にペストーニャは回復魔法をルベドに唱え胸の傷を治す。

そのままはだけた服を元に戻してやる。

 

 

「あまり女の子が肌をさらすのはよくありません、今後気を付けるように…、わん」

 

「うん、分かった」

 

 

そしてアルシェ達に向き直るペストーニャ。

 

 

「補足させて頂きますが、ルベドを創造されたのはこの墳墓の主である至高の41人の1人です。その驚きようからこの御方達がどれだけ素晴らしいのかはご理解頂けたと思います。貴方達に分かり易く言うならばここは神の住まう地、その無礼を理解したならば早々に立ち去ることをお勧めします……わん」

 

 

ペストーニャの言葉に3人はブンブンと首を縦に振る。

そして寝ているロバーデイクを叩き起こすとすぐにその場を後にする。

ここにいる者達の気が変わらないうちに早く出なければと。

そして外へ向かいながらもアルシェはルベドに問う。

 

 

「ねぇ、ルベド。あなた創造されたって言ったけれど貴方みたいな者は何人かいるの?」

 

「いる。ナザリックにいる者は全員そう。私と同じような存在という意味なら、詳しくは知らないけれどプレアデスと呼ばれる戦闘メイドの中にも同じく自動人形(オートマトン)がいるとインプットされている」

 

 

その言葉にアルシェは意識を失うかと思った。

この化け物のような存在がまだ他にもいるという事実は恐怖でしかなかった。

その恐怖の前には戦闘メイドなる意味不明な言葉に疑問を抱く余地が無いほどに。

 

 

 

 

 

 

3人のエルフを連れ、アウラはエイヴァーシャー大森林を駆けていた。

シモベに乗って疾走するその速度は凄まじく、エルフ達の案内によって迷うことなく最短距離を行くことにより予定よりも大幅に早く目的地に着くことができた。

そこはエルフの国。

アウラの指揮下にある魔獣は総数100にも上る。

数だけで言えば大したことが無い様に思えるがアウラのスキルによって強化されたこの魔獣達の強さはナザリックでもトップクラス。

個としてでは無く群として動くならばアウラに勝てる者は存在しない。

他の守護者がシモベを動員し戦っても集団戦においてはこの100匹からなる魔獣を打ち破ることはできない。

それほどの軍団である。

 

アウラはその魔獣へ命令を出し先行させる。

見張りのエルフであろう者が制止しようとするが魔獣達の姿を見るとその場にへたり込んでしまい何もできない。

他の様々なエルフ達も突如訪れた侵入者に驚愕し恐怖するがあまりの存在感にただ見ているだけだ。

アウラの命令を受けた魔獣達は何の障害も無く国の中に入りそのまま進んでいく。

誰もが道を開け、魔獣達の邪魔にならぬようにと脇へ逃げる。

これは自分達が手を出していい存在ではないと誰もが瞬時に理解したからだ。

 

魔獣達は王城を発見するとそれを取り囲む。

この地を支配する王をここから逃がさぬために。

 

やがてアウラも3人のエルフと共に城に到着する。

 

 

「ありがとー、皆。じゃ私は王様に挨拶してくるからここで待っててね」

 

 

そう言って乗っていたシモベから降りると3人のエルフの案内の元、城の中へと入る。

警備の者が止めようとするがアウラの眼光と周囲に控える魔獣に恐れおののき何もできない。

 

何人ものエルフの兵士達がアウラの姿を目にするが最後まで止めに入るものは誰一人いなかった。

 

そして玉座の間に着いたアウラ。

勢いよく扉を開け入室する。

 

 

「何奴だ!?」

 

 

玉座に座るエルフの王が叫ぶ。

 

 

「私はナザリック地下大墳墓、第6階層守護者アウラ」

 

「ナザリック? なんだそれは? ん!?」

 

 

アウラの言葉に首をかしげるエルフの王だがアウラの瞳を見ると表情が歪む。

 

 

「その瞳…! それは王族の証…! もしやお前は…!」

 

 

エルフの王は目の前の存在が何者か思い当たった。

かつて法国の切り札である女を騙して捕えたことがあった。

鎖で縛り犯して孕ませるところまではいったが漆黒聖典に奪われてしまったのだ。

あの女は強かった。

その女と自分の子供であればきっと強い。

 

今も軍の強化の為に国内にいる女を片っ端から孕ませているがやはり母親が弱いせいなのか大した強さにはならない。

だからその子供を取り返す為に自らが法国へ出向き奪い返すことも考えていた。

だがその矢先、法国滅亡の報が届き悲しみに暮れていた。

戦争の相手がいなくなったことは純粋に喜ばしいが、今後、他の国に攻め入り支配することを考えるとあの女との子を失ったのは痛かった、そう思っていたのだが。

 

その子供が生きており、自分の元へと帰ってきた。

見るだけで分かる。

圧倒的強者の気配。

これほどの強さ、間違いなくあの女との子供だ。

そして男装をしているものの女であることをエルフの王は看破していた。

自分と同等、いやそれ以上の強さを持つ娘。

この娘と交われば強い子供を沢山作ることができる。

 

そうなれば世界を支配することも夢ではない。

 

 

「えーと、あんたが王様だよね。恨みはないんだけど命令だから」

 

「おお! よくぞ帰ってきた我が娘よ!」

 

「は?」

 

 

アウラの言葉を遮りエルフの王が立ち上がる。

 

 

「法国滅亡の報を聞いた時は死んだのでは心配したが無事だったのだな! いやあの女と私の子だ、考えれば当然か…。しかし法国を滅ぼした者がいる以上、ただ指を咥えているわけにはいかぬ! すぐさま戦力の補強が必要だ! その為にはお前にはこれから多くの子供を作ってもらうぞ! ふはは! これで我が国も安泰よ!」

 

 

高らかに宣言するエルフの王。

そもそも目の前にいるのはダークエルフなので自分の子供ではないという思考にはたどり着かない。

王族の証を持ち、これほどの強さを持つならば自分の娘に違いないと謎の確信を得ていた。

 

 

「はぁ!? 子供!? アンタ何言ってんの!? なんで私がそんなこと!」

 

「何を言っている? お前は私の娘だ、娘が父に従い奉仕するのは当然のことだ」

 

「ていうか誰が娘よ! 私は至高の41人が1人、ぶくぶく茶釜様に創造された階層守護者よ!」

 

 

エルフの王にそう言い放つアウラ。

目の前の男にイライラしつつも、自身の創造主の名前と創造された事実を口にしただけでその誇らしさと優越感がその身を支配する。

ああ、なんと素晴らしく光栄なことか。

そうだ。

自分はあの偉大なるぶくぶく茶釜様に創造されたのだ。

 

 

「ぶくぶく茶釜? なんだそのバカみたいな名前は」

 

 

エルフの王が鼻で笑う。

その瞬間、アウラの顔から一切の表情が抜け落ちた。

 

 

「もしかして本か何かにそのような奴がいたのかな? いや法国でそう教えられてきたのか? まぁいい、お前の親はこの私だ。そんなわけの分からぬ奴ではなく、この偉大なる私こそがお前の父親だ。誇りに思うがいい! エルフの国を支配する王の血を引いているのだから!」

 

 

そう言いながらエルフの王は固まるアウラへと近づく。

 

 

「しかしぶくぶく茶釜? はっはっは、法国もセンスが無い。嘘でももっとマシな名前があるだろうに。いやこれほど笑える名前もないか、クハハハハ!」

 

「黙れ」

 

「ひぎゃっ!」

 

 

アウラの拳がエルフの王の腹部へ突き刺さる。

 

 

「な、何を我が娘よ…」

 

「黙れ、口を開くな」

 

 

顔を蹴り上げ、吹き飛んだエルフの王へムチで追撃するアウラ。

 

 

「ぎゃああああ!!」

 

 

かなりのダメージを負い吹き飛んだものの、未だ致命傷とはならないエルフの王。

レベル的にはアウラには及ばないが、漆黒聖典の隊長に匹敵する強さを持つエルフの王。

個としての強さを誇るわけではないアウラの攻撃ではわずかに命には届かない。

 

 

「く、な、なんという強さよ…! この私をここまで…! だがいいぞ…! ふふふ、これだけの強さならば私達の子供はどれほどの強さになるのか期待が止まらぬわっ!」

 

 

時間をかければアウラでも倒せるがもはや一秒でも生かしておく気になれない。

 

 

「フェン! クアドラシル!」

 

 

アウラが叫ぶと二体の魔獣が壁を突き破り玉座の間へ侵入してきた。

それは巨大な狼と、巨大なカメレオンのような魔獣だった。

その姿を見たエルフの王は固まる。

それ一匹が自分よりも明らかに強いことが理解できたからだ。

 

 

「ひっ…! なんだこいつらは…!」

 

「やっちゃって」

 

 

アウラの合図と共に二匹がエルフの王へ飛び掛かる。

 

 

「ひぎっ! みぎゃあぁぁああ!」

 

 

牙や爪が容易くその身体に突き刺さる。

 

 

「む、娘よっ! こ、これはお前のペットか! やめさせろっ! 私は王だぞ! お前の父親だぞっ! やめっ、がぁああああ! 助けぇぴぎぃえぇぇ!」

 

 

そしてエルフの王は二匹の魔獣によって無残に体を引きちぎられあっけなく絶命した。

後に残ったのはバラバラになり、ゴミのように散らかされた肉片だけだった。

 

しばらくして気分が落ち着いたアウラは目的を思い出す。

そして後ろを振り向くと。

 

 

「あ、新たなる王、いや女王に絶対の忠誠を!」

 

「ぜ、絶対の忠誠を!」

 

「絶対の忠誠をっ…!」

 

 

周囲にいた文官、警備の者など複数のエルフ達が跪いていた。

 

 

「い、いや何してんの?」

 

 

アウラが近くにいたエルフの1人に問いかける。

 

 

「ひっ! お、お許しください! 何でもご命令に従います! 忠誠を捧げます! だからどうか命だけは…!」

 

 

周囲を見るとそのエルフの言葉に同意するかのように多くのエルフが涙目で頷いていた。

それも当然だ。

あの残虐な王の血を継ぎ、そしてあの強大な王を容易く殺すだけの力を持つのだ。

従わねば何をされるかわからない。

恐怖に怯え、少しでも情けに縋り助かろうとするエルフ達。

 

 

「いや別に殺しはしないって。それにちょっと頼みたいことがあるだけで別に王様とかなるつもりは」

 

「皆、聞いて下さい!」

 

 

突如、アウラが連れてきていたエルフの3人のうちの1人が声を上げる。

 

 

「まずこの御方はこのエルフの王の血族ではありません! 私達3人は見ました! 神々が住まう世界の一端を!」

 

 

急に何を言い出すんだと目を見開き固まるアウラ。

 

 

「私達は奴隷として連れられ、無礼にも神の住まう土地へ土足で踏み入ってしまいました! 命令されたとはいえ、知らなかったとはいえ私達は殺されても文句を言えない無礼を働いてしまったのです! ですがこの御方はそんな私達を許して下さった! それどころか優しい言葉をかけ慰めてくれたのです!」

 

 

周囲から、おぉ、という感嘆の声が聞こえてくる。

 

 

「そしてこれを見て下さい! 奴隷の証として切られた耳を! そうです! この御方はその偉大なるお力で私達3人の耳を治して下さったのです!」

 

 

この世界の基準ではこの耳を治せる魔法は普通は使えない。

これを治せるという点だけでどれだけ逸脱した者なのか理解できる。

なんという力、なんという慈悲。

王の圧政の下で苦しんだエルフ達は感動の渦に巻き込まれはじめていた。

 

 

「さらに信じられないことにこの御方は神が直接御作りになられた存在らしいのです! 分かりますか!? つまり! この御方はエルフの原点にして頂点! エルフの祖に当たる人物なのです!」

 

 

大きな歓声が周囲から上がる。

 

 

「い、いやちょっと待って。私子供とかいないけど…」

 

 

アウラが途中で断りを入れる、が。

 

 

「ええ大丈夫です! 全て察しております! 生物は一人では子供を為せぬもの…。きっと神が、あるいは他の神々が他に作られたエルフの末裔が我々なのでしょう! しかし貴方が神から作られた最初のエルフの1人であることに間違いはありません! 我々が忠誠を誓うのにこれほど素晴らしい存在は他にいないのです!」

 

 

何か想像や憶測で物事がおかしな方向に進んでいるような気がするアウラ。

しかし種がどうのなど全く知らないのでもしかして本当にそうなのかな?と流されそうになる。

 

 

「そしてこの御方は約束して下さったのです! この愚王を排除し自らがエルフを率いると!」

 

「いや言ってない」

 

 

だがアウラの言葉をかき消すように周囲から歓声が上がる。

しかもいつの間にか人が増えている。

どうやら城中の者が集まってきているようだ。

 

 

「エルフの不遇の時代は終わりを告げる! 今日からはこの偉大なるアウラ様が女王として君臨なさるのだから! 神の使いであるアウラ様に敬意を! そして忠誠を!」

 

 

この世界に舞い降りた、神の使いでありエルフの祖。

それがエルフ達を救う為にこの地に現れたという話はあっという間に国中へ広まった。

そして人々は希望に満ちた将来に胸を躍らせる。

まだ特に何もしていないアウラ。

だがそれでも前王の圧政に苦しんだ人々からすればその存在だけで救いになった。

 

 

「誰か助けて」

 

 

訳も分からず、自分が理解できる領域を超えて話が広がる。

もはやアウラは理解しようとすることを諦めた。

何はともあれ行方が知れない至高の御方である名犬ポチ様を探す駒になればそれでいいや、と。

そしてエルフ達に命令を下す。

神の1人を探すという大役にとてつもない名誉と喜びを感じるエルフ達。

誰もがアウラの命令に喜々として従った。

 

そしてわずか半日にしてアウラはエルフの国を完全に手中に収めたのである。

 

命令を下したアウラは巨大な狼であるフェンリルに跨り、この地から逃げた。

もうアウラがいなくてもエルフの国が機能するのと、現実逃避という意味合いもあった。

だがアウラにはどうしても確認したいことが一つだけあったのだ。

 

シャルティアの死。

 

それは未だアウラには受け入れられない事実だった。

だからシャルティアが死んだという場所をどうしても訪れたかった。

幸いにも出発から数え、予定の期間のわずか5分の1程の時間でエルフの国を掌握するところまでいったので時間はあった。

本来ならばすぐにアルベドに次の指示を仰がねばならないのだが、あの異常なエルフ達の熱気とシャルティアの死への疑問がそれを後回しにした。

至高の41人の命令ならば私情など決して挟まないがあくまで今回はアルベドの命令だ。

余った時間を少し使うぐらいならばいいだろうと判断したのだ。

それにフェンリルの最大速度で駆ければ目的地まで1日、往復でも2日だ。

それでもまだ予定よりは早い。

他の魔獣達は国に置いていき、フェンリルに跨り目的地へと駆けるアウラ。

とても憎たらしく、そして大事な仲間が死んだ地へと。

 

 

 

 

 

 

見渡す限りの更地。

大地が抉れ、何キロにも及び土の茶色一色に染まっている不毛の大地。

 

そこはかつてアーグランド評議国と呼ばれた国があった場所。

 

わずか1日でエイヴァーシャー大森林からリエスティーゼ王国を横断しここまで来た。

乗っていたフェンリルから降りると大地の状態を確認するアウラ。

 

 

「これが始原の魔法(ワイルドマジック)ってやつの痕か…。アルベドから聞いていた通りこれはヤバそうだね…。私なら間違いなく一発で吹き飛ぶ…」

 

 

そのまま周囲を確認していくアウラ。

そしてここで決定的な事実に気付く。

 

 

「いや…、これで終わりじゃない…。わずかに吹き飛び方が甘い場所が二カ所ある…!」

 

 

他の誰でもこのわずかな痕跡に気付ける者はいないだろう。

レベル100のレンジャーであるアウラだからこそ見つけることが出来た本当にわずかな痕跡。

そのまま地面に顔を近づけわずかな大地の質の違いを見極める。

 

 

始原の魔法(ワイルドマジック)の爆発では敵とシャルティアはまだ死んでいない…? それに爆発後に行われたであろう周囲を含めた範囲攻撃を思わせる痕がある…。そうか、これでその敵とシャルティアがやられたのか…!」

 

 

そしてアウラは思考する。

ならばその敵とシャルティアにトドメを刺したのは誰なのか。

両者を同時に攻撃していることから敵側の仲間ではない。

とすると別の第三者。

デミウルゴスではシャルティアが死んだ時期とは合わない。

となるとこの地にまだ知らぬ強者がいるのだろうか。

しかしアルベドの報告からは爆発でケリがついたことになっている。

 

 

「いや、アルベドじゃこれは見落とすか…。参ったな、ニグレドならもしかして何か知っていたかもしれないのに…」

 

 

この件はアルベドに報告すべきだろうか?

だがそうすると独自で動いたことも報告せざるを得ない。

それに何より今は名犬ポチ様やデミウルゴスの件が最優先だ。

謎の強者が存在する可能性は考えられるものの、爆発後の弱った二人なら強者でなくとも倒せるかもしれない。

謎の強者の可能性は憶測に過ぎないのだ。

少なくとも今はこの件は優先すべきではない。

アウラはそう結論づける。

 

だが、シャルティアを殺した犯人は絶対に見つけ出す。

 

名犬ポチ様とデミウルゴスの件が片付いたら何をしてでも犯人を探し当てる。

そうアウラは心に決める。

だから今はこの件は自分の中に仕舞っておこう。

余計な情報で皆を混乱させる必要もないからだ。

ふと、シャルティアのことを思い出し空を見上げるアウラ。

思い出したのはシャルティアがナザリックを出る前に自分へメッセージの魔法を送ってきた時のこと。

 

 

『シャルティア? 何よ急に』

 

『へっへーん、聞いて驚くなでありんす。この私にモモンガ様直々の勅命が下ったでありんす!』

 

『な、なんですって!?』

 

『この大陸最強の国を滅ぼせとの命令でありんす。あぁ、これほどの大役…。きっと成し遂げた暁には沢山お褒めの言葉を頂けるでありんす…!』

 

『く、くぅ~! わ、私だって命令さえあればそんな国滅ぼせるもん!』

 

『ですが命令が下ったのは私でありんす。守護者最強であるこのわ、た、し、が! ああ、これは最も信頼されている証拠なんでありんしょうかぇ…! シモベとしてこれ程喜ばしいことはないでありんす。ちび助はそこで私の活躍を楽しみに待っているのがいいでありんしょう』

 

『な、なんだとー! この偽乳!』

 

『なっ…! だ、黙りなさいこのちび! あんたなんか無いでしょ! 私は少しは…、いや結構あるもの!』

 

『私はまだ76歳、いまだ来てない時間があるの。それに比べてアンデッドって未来が無いから大変よねー、成長しないもん。今あるもので満足したら、ぷっ!』

 

『おんどりゃー! 吐いた唾は飲めんぞー!』

 

『うっさいこの男胸!』

 

『な!? 帰ってきたら絶対ぶつ!』

 

『ふーんだ!』

 

 

そんな軽口を叩き合っていたはずなのにシャルティアは帰ってこなかった。

 

 

「バカ…、何やられてんのよ…。私をぶつんじゃなかったの…?」

 

 

強く握りしめられた掌からはわずかに血が滴っている。

すぐにシャルティアの為に動けないことが悔しくてしょうがなかった。

憎たらしくて生意気な奴だが、大事な仲間なのだ。

 

 

「ねぇ、シャルティア…。あんた誰に殺されたの…?」

 

 

アウラはただシャルティアを想う。

 




次回こそ『ルベドのだいぼうけん』今回はエ・ランテルに着けなかったよ…。


フォーサイト「さっさととんずら」
ペストーニャ「乳出しNG」
ルベド「イエーイ」
エルフ王「娘強すぎンゴw」
エルフ達「エルフの祖とか偉大すぎw」
アウラ「犯人絶対探すマン」


ごめんなさい、次回でエ・ランテル行きますので…。


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ルベドのだいぼうけん

前回までのあらすじ!

アウラ株急上昇! 主にエルフに。


ロバーデイク以外はびくびくしながらもルベドと過ごすフォーサイト達。

しかし特に問題が起こることもなくエ・ランテルに無事着いた。

 

 

「じゃ、じゃあ俺とイミーナで必要な物買ってくるからさ! アルシェとロバーデイクはルベドの面倒見ててくれよ!」

 

「ええ、買い物は私達に任せて貴方達はゆっくりしてて!」

 

 

そう言い放ち疾風のように駆けるヘッケランとイミーナ。

その様子からトラウマが解消される気配は一向にない。

 

 

「あ、ちょっと待って、私も…」

 

 

アルシェが制止の言葉を発した時にはすでに二人の姿は無かった。

 

 

「お、押し付けたわね…!」

 

 

ヘッケランとイミーナに軽い怒りを覚えるアルシェ。

とはいえ自分も内心で押し付けようとしていたのであまり怒れない。

 

 

「まぁまぁいいじゃないですか。きっとあの二人も久しぶりにイチャイチャしたいんでしょう。ここは空気を呼んでお言葉に甘えましょう」

 

 

ロバーデイクの言葉を内心で否定するアルシェ。

あの二人は怖くて逃げただけだ。

今ほどロバーデイクを羨ましいと思ったことはない。

真実を知らないというだけでここまで差が出るのか。

可能であるならば記憶を交換したいくらいだ。

ちなみに説明はしたのだがロバーデイクは信じていない。

 

 

「こら困るよお嬢ちゃん!」

 

 

ふと近くの店で店員のおじさんの叫び声が聞こえた。

 

 

「何?」

 

「金払ってないだろう!? いくら子供でも盗みは見過ごせねぇ!」

 

 

店先でそう叫ぶ店員のおじさんに片手で服の首の後ろの部分を掴まれ持ち上げられている女の子がいた。

全くこんな昼間から盗みなどエ・ランテルも程度が低いなと思うアルシェ。

だがその女の子に見覚えがあることに気付く。

 

ルベドだった。

 

どうやら書店から勝手に本を持ち出したらしい。

 

 

「金って何?」

 

「はぁ!? 金を知らないのか!? む、しかし嬢ちゃん高そうな服着てるな…。この角とか羽の作り物も立派だし…。どこかいいとこの嬢ちゃんか? 親はどこだ?」

 

「すみませんすみませんお金は私が払いますぅぅぅ!」

 

 

事態に気付いたアルシェがヘッドスライディングで店員のおじさんの足元に滑り込む。

 

 

「うわぁっ!? こ、この嬢ちゃんの関係者か? か、金を払ってくれるなら構わねぇが…」

 

「こ、これで足りますか!?」

 

「お、おう。しかしこのお嬢ちゃんは一体何者なん…」

 

「じゃ失礼します!」

 

 

店員のおじさんの言葉を遮り、ルベドを抱えロバーデイクのいる場所まで戻ってくるアルシェ。

 

 

「おお、なんという速さ! 素晴らしいですよアルシェ!」

 

 

うるせぇぞロバーデイク。

そう心の中で毒づくアルシェ。

 

 

「ルベド駄目じゃない! 勝手にお店の商品を持ってくるなんて!」

 

「そうなの?」

 

「ええ、そうですよルベド。先ほどはアルシェがお金を払ってくれていなければ捕まっていたかもしれませんよ。いいですか人の物や商品は勝手に持ち出してはいけません!」

 

 

一般常識が欠如しているルベドを見てロバーデイクが言い聞かせる。

 

 

「ナザリックと違う」

 

 

その後、ロバーデイクが盗みに関してルベドに注意をする。

やがてルベドも人間の都市では物を勝手に持っていっては駄目なのだと理解する。

そしてそれは窃盗と呼ばれ犯罪になるらしいことも。

 

 

「分かったのならアルシェに謝りなさい。人に迷惑をかけてしまった時はごめんなさいをしなければいけないんですよ?」

 

 

神官だからか元々の人柄なのか子供への説明が上手いロバーデイク。

アルシェは少しロバーデイクを見直した。

 

 

「アルシェごめんなさい」

 

 

ルベドがペコリと頭を下げる。

 

 

「よくできました。じゃあ次は本を買ってくれたアルシェにお礼を言わなければなりませんね」

 

「お礼なら知ってる」

 

 

そう言って片手を上げて答えるルベド。

そしてアルシェに向き直る。

胸元にある本を大事そうに抱えながら。

 

 

「アルシェありがとう」

 

「…! いいのよ、そんな高い物でも無かったし…」

 

 

この化け物みたいな存在に謝罪と礼を言われるというのは妙な感覚だ。

それにこうして一緒に過ごしているとあの墳墓での出来事が嘘のように思える。

 

ちなみにこの後ちゃんと自分から店員のおじさんにも謝罪をしにいったルベド。

学習能力は高いらしい。

 

 

「ちなみにどんな本なのですかそれは?」

 

 

笑顔でルベドに問いかけるロバーデイク。

しかしその表紙を見て顔色を変える。

 

 

「愛の本」

 

「いっ、いけません! これはエッチな…いや大人の愛の本です! まだルベドには早いです!」

 

 

そう言ってロバーデイクが咄嗟にルベドから本を取り上げる。

返して、返してと言わんばかりに両手を伸ばすルベド。

だが身長差があるロバーデイクには届かない。

 

本来ならばルベドはここでロバーデイクを殴り飛ばしてでも本を取り返しているところだ。

だがアルシェからエ・ランテルに来るまで無闇に人を傷つけてはいけないと教え込まれている。

結果、ロバーデイクを傷つけないように出力を最低限まで絞り動いているのだ。

素早く動き本を取り返すことも考えたが、ヘッケランとイミーナを殺した際に自分が動いた余波でも十分に致命傷になることを学習しての措置だ。

基本的に最低限の出力で対応しようと努力する。

 

 

「ルベドにはもっと相応しい本があります、私が選んであげましょう」

 

 

もっと相応しいという単語に反応しルベドが頷く。

そして素直にロバーデイクの後ろをついていく。

それを横で見ていたアルシェは思う。

 

 

「こうして見てると普通の女の子なんだけどなぁ…」

 

 

 

 

 

 

「ありがとうロバーデイク」

 

「いいんですよ、しかしルベドは恋愛ものが好きなんですねえ。やはり女の子は恋に憧れるものなのでしょう。アルシェはどうです?」

 

「し、知らないよ! 私はそれどころじゃないし…」

 

 

そんな他愛のない会話をしながら街を歩く三人。

 

 

「しかし買い物はヘッケランとイミーナがやってくれると言っていましたしこれからどうしましょうか? とりあえず食事にでもしますか?」

 

 

ロバーデイクの提案にアルシェは冷や汗をかく。

ルベドって食事できるのか、と。

 

 

「不要。食事無くても問題ない」

 

「ダメですよルベド! 育ちざかりなんですから沢山食べないと!」

 

「必要ない。無くても大丈夫」

 

「ちょ、ちょっとロバー。ルベドがいらないって言ってるんだし、ね?」

 

「アルシェも何を言ってるんですか。子供は沢山食べる! これに限りますよ! あ、もしかしてルベドは好き嫌いでもあるのでしょうか? 思い返せばルベドはこれまでもあまり食事をしていなかったような…。よし! 今日は私がルベドに美味しいものを沢山食べさせてあげましょう!」

 

 

どうやってロバーデイクを説得しようか考えるアルシェ。

だがその時、遠くから女の人の声が聞こえた。

 

 

「こらネムっ! 走っちゃダメよ、危ないでしょう!」

 

「えへへー! 大丈夫だよお姉ちゃん!」

 

 

そう言ってはしゃいでいるネムと呼ばれた小さな女の子がこちらへ走ってきた。

姉に返事をするために振り向きながら走っていたネムは前に気付かずルベドにぶつかってしまった。

 

 

「きゃっ!」

 

「…?」

 

 

ぶつかり倒れた衝撃で手に持っていたお菓子をその場に落としてしまったネム。

そのことに気付くと次第に目に涙が浮かんでくる。

そしてすぐに決壊する。

 

 

「うわぁぁん!」

 

「!?」

 

 

ネムの豹変に驚くルベド。

泣きじゃくるネムへ彼女の姉が走り寄る。

 

 

「ほら、だから言ったじゃない! ああ、ごめんなさい、貴方は怪我は無い?」

 

「大丈夫」

 

 

その後、姉がネムをあやそうとするが一向に泣き止まない。

 

 

「あ、そちらはその子のご家族か何かでしょうか? 妹が粗相をしてしまい申し訳ありません!」

 

「い、いえ大丈夫です。それよりも妹さん大丈夫ですか?」

 

「ええ。怪我は無いみたいなんですがどうやらお菓子を落としてしまったのが凄いショックだったようで…。また買ってあげるとは言ったんですが中々泣き止んでくれなくて…。まぁ普段は食べられないからしょうがないのかもしれないですが…」

 

「おや、失礼ですがこの辺りの方ではないのですか?」

 

「はい。ここから南東に少し行った場所にあるカルネ村の者です。あ、申し遅れました私エンリといいます」

 

「これはご丁寧に。私はロバーデイクでこちらが」

 

「アルシェです」

 

 

三人がそんなやり取りをしている間、ルベドは自身の経験から目の前の少女の問題をどう解決するべきなのか思考していた。

やがて結論に達する。

 

 

「高い高いしてあげる」

 

「え…?」

 

 

ルベドはネムを抱え上げるとそのまま空高くジャンプした。

人を傷つけない程度に抑えた力でジャンプしたのだがそれでもルベド達は遥か上空へと飛翔した。

 

 

「うわぁ…! なにこれ凄い…!」

 

 

先ほどまでの号泣が嘘のように目を輝かせるネム。

頬に触れる風、視界に入る今まで見たことのない世界。

それはネムが見てきたものの中で何よりも美しかった。

 

 

「子供はこれで喜ぶって学習した。どう?」

 

「うん! 凄い! 凄すぎるよ! こんなの初めて!」

 

 

そこから見る景色は絶景としか言いようがなかった。

エ・ランテルはもちろん、ここから遠くにある他の都市まで見渡せる。

自分達の住んでいたカルネ村などもはや手に収まりそうなほど小さい。

 

ネムが感動している様子を見てルベドはロバーデイクの言葉が正しかったと判断する。

なぜかはわからないがやはり高く持ち上げる行為は子供を喜ばせるのだと。

 

 

「ねえ名前なんていうの? 私はネムだよ!」

 

「…。ルベド」

 

「そっか、じゃあルベドちゃんって呼ぶね!」

 

「うん」

 

「じゃあルベドちゃん、私と友達になって」

 

「友達?」

 

 

遥か上空でそんなやり取りがされているとは欠片も思わず地上で挨拶をしていたアルシェ達。

しかも運悪く、誰もルベド達が飛び上がる瞬間を目撃していなかった。

 

 

「じゃあ私達はこれで。じゃあネム行…、あれ?」

 

「おや? ルベドの姿が見えませんね」

 

 

いつの間にか消えてしまったネムとルベドにそれぞれ別の意味で顔面蒼白になるエンリとアルシェ。

 

 

「ネ、ネム!? どこに行ったの!?」

 

「ルッ、ルベドォォーーーーッ!?」

 

 

ちなみにルベドとネムは上空でわずかに風に流されたため違う場所に着地してしまう。

着地後、二人は周囲を見渡す。

ネムはエンリがいないことに、ルベドはロバーデイクとアルシェがいないことに気付く。

 

 

「あちゃー、お姉ちゃん迷子になっちゃった…。しょうがないなぁ」

 

 

ネムがやれやれと嘆息する。

 

 

「ね、私達でお姉ちゃんを探しに行こう、エ・ランテルを探検だよ!」

 

「わかった」

 

 

駆けだすネムの後ろをルベドがついていく。

 

謎の幼女コンビここに生まれる。

 

 

 

 

 

 

「して法国、及び評議国を滅ぼした者について何か進展は?」

 

 

バハルス帝国、帝都アーウィンタールの皇城。

玉座に座っているジルクニフは部下にそう問いかける。

 

 

「い、いえ未だ何も掴めておりません…」

 

「そうか」

 

 

謎の遺跡に送ったワーカー達もまだ帰ってはこないだろう。

何も新しい情報が無いことに軽い苛立ちを覚えるジルクニフ。

流石に起こった事の規模が大きすぎて情報が無いことには動きようがないからだ。

 

その時、地響きのような振動がジルクニフ達を襲った。

部屋の窓や調度品が揺れる。

巨大な何かが大地に激突したような大きな揺れ。

 

 

「何事だ! 確認し」

 

 

そう言いかけたジルクニフの言葉を遮ったのは室外、城の外から聞こえてきた悲鳴。

一体何が起こったのか。

ジルクニフの疑問に答えたのは窓にかかったカーテンの隙間から中庭の様子を見た護衛だった。

 

 

「陛下! ドラゴンです! ドラゴンが中庭に降り立っています!」

 

 

その言葉に沈黙が流れる。

冗談であろうという気持ちからここにいる者は自分の目で確認しようと窓に走り寄る。

 

 

「な、なんでドラゴンがいるんだ!」

 

「誰か評議国のドラゴンと面識はないのか!? あれがそれではないのか!」

 

「外交に行った者の話とは違う!」

 

「ならばあのドラゴンは一体!?」

 

「そんなことよりもここまでの侵入を許してしまっていることが問題だ!」

 

 

ジルクニフの配下の者達が騒ぎ立てる。

それもそのはずだ。

ドラゴン。

強固な鱗に包まれた強靭な肉体、人を遥かに超える寿命、様々な特殊能力に加え魔法の力まで持つ。

この世界において最強の存在。

そんな存在が突如、皇城のど真ん中に現れたというのはとてつもない非常事態だ。

ジルクニフですら固唾を呑んで何が起こるのかと見守っているとドラゴンの背中から一つの小さな影が降りたのが見えた。

目を凝らせばそれは焼けたように肌の黒い子供だった。

 

 

「おそらくですがあれはダークエルフ…! パラダイン様! ドラゴンといいダークエルフといい何かご存知では!?」

 

 

配下の1人がジルクニフの横に立つフールーダへと問いかける。

だが。

 

 

「な、な、なんと、なんということだ…!」

 

 

それを見たフールーダの顔は驚愕に見開かれていた。

 

 

「ど、どうしたのだフールーダ!? はっ!?」

 

 

その時、空を見たジルクニフは気づいた。

それは上空を覆うおびただしい数のモンスター。

一瞬で察する。

こいつらが法国を滅ぼしたのか、と。

ドラゴン一体でも倒せるかわからないのにこのモンスターの数。

もう無理だ。

帝国は滅ぼされる。

そうジルクニフは考える。

ただ、横にいるフールーダは違う理由で驚いていたのだが。

 

 

『えっと、皆さん聞こえますか!? 僕は至高の41人に仕えるマーレ・ベロ・フィオーレです』

 

 

とてつもなく大きな声が響き渡った。

 

 

『こ、この国の皇帝が至高の御方の住まいであるナザリック地下大墳墓に失礼な奴らを送り込んできました。これは許されることではありません!』

 

 

ジルクニフは顔を歪めた。

一体誰がどうやってその答えに辿り着いたのか。

細い糸をどのように辿ったのか。

室内を見渡せば配下からは驚きの表情が返ってくる。

そしてジルクニフの意図を察した者は全員、首を横に振る。

 

 

『手始めにここにいる人間は皆殺しにします!』

 

 

マーレと名乗ったダークエルフは持っていた杖を中庭に突き立てた。

その瞬間、中庭のみに局地的な地震が起こったようだった。

ジルクニフ達にいる場所まで大地の震動は一切感じられなかったが、中庭ではドラゴンとダークエルフを中心に大地は悲鳴を上げ引き裂かれ蜘蛛の巣よりも複雑な地割れを作った。

騎士、近衛兵、魔法詠唱者(マジックキャスター)

中庭にいた全ての者達が大地に飲み込まれる。

ダークエルフが杖を引き抜くと、発生した時と同じように勢いよく大地が塞がった。

先ほどまで中庭に集結していた騎士達の姿はもうどこにもない。

あまりに呆気ない終わりだった。

 

 

『じゃあ次は城の中にいる人間を殺します』

 

 

その言葉にジルクニフが戦慄する。

もはやこの状況はジルクニフの手に余る。

もはや死を待つ以外に出来ることなどないと悟ったからだ。

しかし。

 

 

「おぉぉおお! か、神! 神よぉぉ!」

 

 

窓を開け放ちそのまま身を中空に投げ出し、魔法の力によってダークエルフの元まで飛ぶ。

 

 

「じいっ!? 何をっ!?」

 

 

ジルクニフの叫びになど反応せずダークエルフの元まで一気に舞い降りたフールーダ。

 

 

「おお、神よ…。私は今まで魔法を司るという小神を信仰してまいりました。ですが貴方様がその神でないというのであれば私の信仰心は今掻き消えました。なぜなら、本当の神が私の前に姿を見せて下さったからです」

 

 

跪き、ダークエルフに頭を垂れるフールーダ。

 

 

「し、失礼と知りながらも伏してお願いいたします! 私に貴方様の教えを与えて下さい! 私は魔法の深淵を覗きたいのです! 何卒! 何卒! 神よ! 偉大なる神よ!」

 

 

だがダークエルフはそれを否定する。

 

 

「僕は神じゃありません。もし神がいるとするならばそれは僕たちを御創りになられた至高の御方々です」

 

「し、至高の御方っ!? 貴方様を御創りに…? そ、その御方は貴方よりもお強いのでしょうか…?」

 

「当然です」

 

「な、なんと…! し、しかし私の見立てでは貴方様は第10位階まで使えるのではないのですか!? そんな貴方様よりもお強いと言われるのですか!?」

 

「はい、僕なんて足元に及びません。それに至高の御方は超位魔法を使えますから」

 

「超、位…、魔法…?」

 

 

フールーダは知っている。

第10位階を超える領域にあるとされる魔法の存在を。

伝説の中の伝説。

まさかそれが超位魔法というものなのかと震える。

本当にそんなものが存在し、それを扱うことができるのならそれこそ神だ。

神以外の何物でもない。

 

 

「おぉ…! 重ねてお願い申し上げます! どうか私めを貴方方の末席に加えて頂けないでしょうか!? 対価として全て! 私の持つ全てを神に捧げます! どうか! どうか…!」

 

 

懇願するフールーダにマーレは首を縦に振る。

 

 

「…いいでしょう。至高の御方の為に働くというのなら僕から掛け合ってみます。とはいえ決定するのは至高の御方です」

 

「ええ、ええ! 承知しておりますとも!」

 

「ではまずは貴方が役に立つということを証明して下さい。手伝って貰いたいことがあります」

 

「は、はいっ! 喜んで!」

 

 

フールーダの歓喜の声が響き渡る。

 

そしてこの日。

バハルス帝国は落ちた。

ナザリック地下大墳墓の属国となったのだ。

結果としてはフールーダのおかげで犠牲は最小に留まったと言ってもいいだろう。

帝国に未来があるかどうかは別としてだが。

 

 

 

 

 

 

「こっちだよルベドちゃん!」

 

「うん」

 

 

ネムとルベドはエ・ランテルの裏路地を駆けまわっていた。

壊れた塀の中を潜り抜けたり、使われていない建物を通ったりといった具合に。

だが彼女達は少し不用心だった。

いくら昼間とはいえ入ってはいけない場所というものがあるのだ。

そこは普通の人間ならば決して近づかない場所。

一部スラム化しており治安も悪く、犯罪者などがたむろしている場所だ。

新しい友達が出来てはしゃいでいたネムは自分が危険な場所に入りこんでしまっていることに気付かなかった。

 

 

「あ、あれ? どこだろうここ…?」

 

 

ネムもこの場所の雰囲気が少し違うことにやっと気づく。

そしてネムがそのことに気付いた時はすでに遅かった。

周囲から複数の男達が現れる。

 

 

「お嬢ちゃんたちどうしたんだい? こんなところに二人っきりかい? いけないなぁ…。こんなところに子供だけで来るなんて危ないよぉ…」

 

 

下卑た表情を浮かべ一人の男が近づいてくる。

 

 

「ひっ…」

 

「おお、結構悪くないんじゃねぇか? その筋の連中には高く売れそう…ん!?」

 

 

男の視線がネムからルベドへと向く。

周囲の男達もルベドを見ると思わず唾を飲み込む。

 

 

「おいおい、なんだこいつぁ! ガキとはいえこんな上玉初めてみたぜ!」

 

「ホントだ! すげぇ! どこかの貴族のお嬢ちゃんか何かか!?」

 

「な、なあ売り飛ばす前に少し俺らで楽しんじまおうぜ!?」

 

「あ、ああ! それも悪くねぇな! 子供は趣味じゃねえがここまでの上玉なら話は別だぜ!」

 

「ククク、ヒィヒィ泣かせてみてぇ!」

 

 

欲望に塗れた男達の視線がルベドに突き刺さる。

だが男の1人がここで口にしてはいけないことを口にしてしまった。

 

 

「そういえばこの前、借金のカタに帝国から連れてこられたフルト家の娘ってのが王都の方で高値で売れたって話聞いたけどよ、それよりも高く売れるんじゃねぇか!? おい! 皆、手出してもいいけど傷は付けんなよ!? 価値が下がっちまうからな!」

 

 

男の言葉に皆が頷く。

欲望を発散させられる上に、どれだけ高値で売れるか想像もつかない少女だ。

無闇に傷つけるようなことはしない。

綺麗なまま売れればそれこそ一攫千金にも等しい。

皆で山分けしても取り分は相当だろう。

笑いが止まらない男達。

今日が人生最良の一日になるかもしれない。

そう思い少女へと近づく。

 

目の前にいるのが誰なのかも知らずに。

そしてその少女の気配が変化したことなど誰も気づかない。

 

 

「フルト家? ねぇ、少しお話聞かせて」

 

 

 

 

 

 

 

 

アゼルリシア山脈へ向かい行軍していたコキュートス一行。

突如シモベの1人から重大な報告が上がる。

 

 

「コ、コキュートス様失礼します! 王都付近でデミウルゴス様の姿を確認したとの報告が上がりました! 詳細は不明ですが現在王都に潜伏しているのではと考えられます!」

 

「ナンダト!? 分カッタ、ゴ苦労」

 

 

報告を受けたコキュートスは即座にアルベドへメッセージで連絡を取る。

 

 

『どうしたのコキュートス、まだ例の魔樹を倒してから時間が経っていないけど』

 

「デミウルゴスヲ発見シタ」

 

『なっ…!?』

 

「部下カラ報告ガ上ガッタ、現在、王都ニ潜伏シテイル可能性ガ高イ」

 

『た、確かなのね!?』

 

「姿ヲ確認シテイル」

 

『…分かったわ。お手柄よコキュートス。計画は変更、貴方はすぐに全軍を持って王都へ向かって頂戴。聖王国ももうすぐカタがつきそうだから終わり次第ナザリックに帰還しルベドを回収して王都へ向かう。マーレにも連絡を入れて王都へ向かわせるわ。コキュートスは着き次第、王都を包囲。デミウルゴスの様子を伺いながら私かマーレの到着を待ちなさい。決して貴方だけで突っ込んではダメよ』

 

「承知シタ」

 

『何かあれば随時連絡を頂戴、よろしくね』

 

 

そしてアルベドとのメッセージが切れる。

 

 

「ヨシ、皆聞ケ! 計画ハ変更! コレヨリ王都ヘ向カウ! 決シテ油断スルナ! 相手ハアノデミウルゴスダ!」

 

 

激を飛ばしたコキュートスは進路をアゼルリシア山脈から王都へと変更する。

 

決戦の時は近い。

 

 

 

 

 

 

マーレの元にメッセージの魔法が届く。

 

 

『もしもしマーレ』

 

「ああ、アルベドさん。たった今、帝国を支配したところですよ」

 

『それはちょうど良かったわ。リエスティーゼ王国の王都でデミウルゴスが確認されたの。だから予定変更よ、あなたは最低限のシモベを帝都に残して王都へすぐに向かって頂戴。帝都から王都へ最短距離だとアゼルリシア山脈を横切ると思うのだけどその際、ついででいいから霜の竜(フロストドラゴン)霜の巨人(フロストジャイアント)を見かけたら殲滅してきてくれないかしら? マーレなら時間もかからないでしょう?』

 

「わ、わかりました! で、でも時間がかからないとはいえ最速で向かわなくていいんですか? デミウルゴスさんが見つかったんですよね?」

 

『ええ、最悪逃げられることも想定しなければならないからね。もちろんデミウルゴスの排除が最優先なのだけど保険はかけておきたいの』

 

「なるほど、了解です。すぐに向かいます!」

 

『よろしくね』

 

 

メッセージの魔法が切れた後、思わぬ僥倖にアルベドは笑う。

とはいえデミウルゴスの罠の可能性も十分考えられる。

備えはしておくべきだ。

それでもデミウルゴスの足取りがつかめたのは大きい。

決着は近いなと歓喜するアルベド。

 

だがこの時アルベドはまだ知らない。

 

現在、ナザリック地下大墳墓にルベドはいないことを。

 

 

 

 

 

 

死の宝珠は現在、単身で王都へ向かっていた。

とは言ってもリグリットに作ってもらったアンデッドを体として使っているのだが。

 

エ・ランテルでリグリットに拾われた後、話し合いの末、別行動を取る事になった。

 

リグリットは現在、救世主が向かった可能性が高いと思われるカッツェ平野を南東へ進んでいた。

死の宝珠は王都にいるであろう蒼の薔薇にリグリットの伝言を伝えにいく途中なのだ。

 

別にリグリットを裏切って逃げてもいいのだが他にやることもない。

あの救世主、いや神と呼ばれていた存在の力を間近で感じてしまった死の宝珠としては自分の身の程が知れた。

死を撒き散らすという存在意義すら薄れたように感じる。

今となってはあの神という存在に少しでも関われるならば誰にどれだけ協力しても構わない。

死の宝珠もこの世界の行く末を見てみたいのだ。

その為に下らぬ人間の余興に付き合うのも悪くないと死の宝珠は考えていた。

 

この後、王都が最も危険な場所になるなど思いもせずに。

 

 

 

 

 

 

「そうですか、どうやら無事に釣れたようですね」

 

 

己のシモベからの連絡を受け笑顔のデミウルゴス。

 

 

「ああ、皆さま失礼しました。さて、お話に戻りましょうか」

 

 

そしてデミウルゴスは席に着く。

 

8つの椅子で囲まれた円卓のある部屋。

そこに座っているのは『八本指』と呼ばれる犯罪組織の長達だ。

ちなみにデミウルゴスの座っている席は警備部門を統括する六腕のリーダーの席だ。

その六腕のリーダー、闘鬼ゼロは死体となって横に転がっているが。

 

 

「素直に協力して貰えれば嬉しいのですが…、貴方達もこの男のようになりたくないでしょう?」

 

 

恐怖に支配された7人の長は悲痛な顔で顔を上下に振る。

 

 

「良かった。私も無駄な殺生はしたくないですからねぇ」

 

 

絶対に嘘だ、と7人は思ったがそれを口に出せる者などいるはずもない。

この男の恐ろしさを理解した彼らはひたすら従順なイエスマンになるしかない。

 

 

「さぁでは始めましょうか」

 

 

悪魔が笑う。

おぞましい悪意を持って。

 

 

 

 

 

 

「ラナー様、本当に護衛など連れずによいのですか?」

 

 

ラナーお付きの兵士であるクライムは自らの主へと問いかける。

急に遠出をすると主が言い出したのはいいものの、自分しか護衛を連れないことが不安なのだ。

 

 

「ええ、私には貴方がいますから」

 

 

黄金の呼び名に相応しく美しい笑顔を向けるラナー。

彼女だけはこれから何が起こるか知っている。

この国がどうなろうと興味はない。

クライムと共にいられればそれでいいのだから。

 

ただ、この国の最後は眺めの良いところで見たいなと思うだけだ。

王族や貴族の者達、あるいは冒険者、市民等。

どれだけ無様な最後を晒すのか楽しみだ。

 

ああ、人生とはなんて素晴らしいのだと黄金の姫は嗤う。

 

 

 

 

 

 

「わん…(やめろ…ニグン…! やめてくれ…)」

 

 

名犬ポチの言葉はニグンには届かない。

それもそのはず。

ニグンは今、部下達への演説で忙しいのだから。

 

 

丘から見下ろした先に広がるは一つの国。

 

竜の血を引く王女が治める竜王国。

 

 

だが今や各地の都市からは火の手が上がっている。

現在、首都以外の都市は全て落とされて国が滅亡するのも時間の問題であった。

名犬ポチは無計画にカッツェ平野を進んだ結果、そんな国に行き着いてしまったのだ。

 

もちろん目立ちたくない名犬ポチからすればシカト一択なのだがこの純白連中がそうでないのはもう理解している。

だからこそ国を助けるのは断固拒否したはずなのだがニグンには伝わらなかった。

 

 

『なるほど、確かに我々は神のお力に期待しすぎていたかもしれません。それに神が無闇に人々の前に姿を現すのを躊躇するのも理解しました。つまり、このくらいは我々で救済せよと仰るのですね!? ああ、確かに全くその通りです! なんの為の信徒…! なんの為の信仰…! ええ、今こそ我ら神の手足となり人々を救済しましょう!』

 

 

そうニグンは言い放った。

頭を抱える名犬ポチ。

駄目だ、何を言ってもこいつには通じない。

 

 

「各員傾聴! いいか! 神は我らをお試しになっている! さぁ神の期待に答えようではないか! 我々だけでこの国を救済するのだ! さぁ我々は何だ!?」

 

「「「純白! 純白!」」」

 

「然り! 然りだ! さぁ時は来た! 我らの信仰を神に証明するのだ!」

 

「「「おおおお!」」」

 

「救いは私らと共にある! いざ行かん! 全ては神の為に!」

 

 

そしてブリタと名犬ポチを残しニグン達純白は丘を駆け下りていく。

 

世界を救済するために。

 

 

「わん(やめてくれ…、ニグンやめてぇ…、本当にもう…、うぇぇ…)」

 

 

人類の救世主。

そして神。

そう呼ばれた名犬ポチ。

 

彼は今、ガチ泣きしていた。

 

その嘆きは海よりも深い。

 

 

 

諦めるな名犬ポチ、止まるな名犬ポチ。

きっと明るい未来が待っているから。

 

多分。

 




次回『王都の危機』邂逅の時は近い…!?


ロバー「Hなのはいけないと思います!」
ルベド「高い高いマジ有能」
ネム「友達でけた」
ジル「禿げるわこんなん」
フールーダ「ぺろぺろ」
コキュ「絶対王都行くマン」
マーレ「絶対王都行くマン」
アルベド「絶対王都行くマン」
ニグン「救済」
ポチ「悲しみ」


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王都の危機

前回までのあらすじ!

ネムとルベド、ロリコンに絡まれる!
デミウルゴスを発見してテンション上がるコキュートス!
名犬ポチ、むせび泣く!


フォーサイト一行はルベドにより、高速で王都へ向かっていた。

4人がルベドに持ち上げられるというとんでもない図になっているが誰も気にしない。

今はそれどころではないのだ。

特にアルシェ、彼女からは鬼気迫るものを感じる。

それもそのはず。

何より大事な自分の妹が売られたという事実を突きつけられたのだから。

だがそれを知れたのはエ・ランテルでルベドの引き起こした事件が原因だった。

それはすでに一日前の話になる。

 

 

 

 

 

 

一日前、エ・ランテル。

 

ルベドを見失ってしまったアルシェとロバーデイク。

必死に探すも簡単には見つからない。

だがルベドを探している途中で、遠くで大きな騒ぎが起きていることに気付く。

都市中の衛兵が走り回っている。

冒険者も招集されているようだ。

街の人々も騒ぎ立てている。

どうやら何かが起きているらしい。

ルベドのことも気になるが都市中が騒ぎになるほどの事件だ。

何が起きているかぐらいは確認しておかねばなるまい。

そう思い、アルシェとロバーデイクは現場へと向かう。

 

だが到着早々、二人はすぐに何が起きたのか理解した。

一目見ただけで把握できる。

事は至ってシンプル。

 

都市のとある一角の建物が粉砕され、地面が抉れ、城壁の一部にも被害が出ている。

そしてその辺り一帯は血の海と呼んでも差し支えの無い惨状だった。

血だらけの男達が至る所に倒れている。

 

人々の話を聞く限りではこの倒れている男達は全てただのゴロツキのようだがなぜこうなったのかはわからないらしい。

周囲も含め、あまりにも尋常ではない被害。

何か恐ろしいモンスターでも出没したのではないかと騒ぎになっている。

 

だが遠くで一人の男の泣き叫ぶ声が聞こえた。

 

 

「こいつだっ! こいつがやったんだっ! ほんとだ、信じてくれぇ! こ、こいつは化け物だ! み、皆殺されちまう! 殺されちまうんだよぉ! やめろ、離せっ! 離してくれ! 殺される! うわぁぁぁ!」

 

 

衛兵に取り押さえられた男が喚き散らしていた。

どうやらこのゴロツキの中で彼だけが無事だったらしい。

ただその錯乱した様子からは違う意味で無事とは言い難いが。

 

 

「何を言ってるんだ貴様は!? こんな小さい子がこんなことできるはずがないだろう!」

 

「ほんとだ! 信じてくれ! そいつは片手で人を軽々と吹き飛ばしたんだ! 俺は見たんだ! 本当だって!」

 

「はぁ、黒粉か何かのやりすぎか? まさかここまで出回ってきているとは…」

 

 

男を取り押さえている衛兵が嘆息する。

もはやこの男には何を聞いても無駄だろう、そう判断する。

 

 

「連れていけ、一応はこの事件の目撃者だ。黒粉をやっているようであればそちらでしょっぴく」

 

「はっ!」

 

 

部下の者に男は任せ、別の目撃者へ話しかける衛兵。

それはその男と共に、この事件の貴重な目撃者だ。

 

 

「待たせてすまなかったね、一体何が起きたのか聞かせてくれるかい?」

 

 

衛兵は近くにいた女の子へと話しかける。

その女の子は血だらけだった。

頭には角のような飾り。

体の後ろには羽のようなものを付けている。

 

ていうかルベドだった。

 

 

「ああああああ!!!」

 

 

アルシェは一瞬で理解した。

これは全てルベドの仕業だ。

何があったのかは分からないがルベドがこの男達を血祭りに上げたのだと。

というよりこの破壊の痕を見ればそれ以外に考えられない。

 

 

「これは全部私がやっ」

 

「ルベドォォーーーーッ!」

 

 

アルシェが全力で駆け寄りルベドへとダイブを決める。

そしてその勢いのまま二人はゴロゴロと地面を転がっていく。

突然のことに驚いた衛兵は慌てて二人に駆け寄る。

この時アルシェはしっかりとルベドの口を押さえていた。

 

 

「だ、大丈夫かい!? い、一体どうしたんだ?」

 

「す、すいません! 迷子になってたこの子を見つけたものですから嬉しくって!」

 

 

アルシェの顔はガッツリ引きつっている。

 

 

「そ、そうかそれは良かった。それでそちらの子に話を聞きたいのだけれど…」

 

「ああ! 話! そうですね! ねぇルベド何があったのか教えてくれないかなー? えー何々? そう、なるほどー」

 

 

ちなみにルベドは一言もしゃべっていない。

 

 

「すいません! どうやらこの子は何も見てないようです!」

 

「そ、そうなのかい!? し、しかし…!」

 

「ああ! ごめんなさい! 私達急いでいるんです! 申し訳ないですがこれで!」

 

「ま、待ちなさい! 怪我の治療は…!」

 

「自分達で出来るんで大丈夫です! じゃ!」

 

 

そしてルベドと共に逃げ出そうとするアルシェ。

だがルベドが立ち止まる。

 

 

「待って」

 

「ど、どうしたのルベド!? は、早く行くわよ!」

 

 

一刻も早く逃げたいアルシェはルベドを急かす。

だがそんなアルシェを他所にルベドは近くで蹲っていた一人の女の子へと歩み寄る。

 

 

「ネム、もう大丈夫だよ。行こう」

 

 

そう言って手を差し伸べるルベド。

それは先ほどまでアルシェ達と話していたエンリという娘の妹だった。

ルベドと共に行方不明になっていたのだがどうやら一緒にいたらしい。

 

だがしばらく待ってもネムはルベドの手を取ろうとしない。

 

 

「どうしたのネム」

 

 

そうしてルベドがネムへと近づくが。

 

 

「ひっ…!」

 

 

返ってきたのは小さな悲鳴と恐怖に彩られた視線だった。

ルベドには何が起きたのか理解できない。

なぜネムの態度が急変したかなど欠片も分からない。

 

理解できたのはネムが自分を拒絶していることだけ。

 

ルベドは差し出した手を引っ込める。

そしてネムから距離を置いた。

理由は分からないがもう自分はネムに近づかない方がいいのだと思ったからだ。

 

 

それを見ていたアルシェはネムの反応だけで察しがついた。

恐らく彼女はルベドが力を行使するところを目撃してしまったのだろう。

それならば恐れるのも当然だ。

エンリも探しているはずなので、ネムも一緒に連れていきたいが今はそっとしておくしかない。

ルベドと一緒にいさせるわけにはいかないから。

 

だがそんなアルシェの心配は杞憂に終わる。

遠くにエンリの姿を確認したからだ。

ならもうネムは大丈夫だろう。

そう判断しアルシェはルベドを連れてこの場を去った。

 

 

 

 

 

 

「ルベド! な、なんであんなことを!?」

 

「まぁまぁアルシェ落ち着いて。きっとルベドも今は混乱していますよ、話は後でもいいじゃないですか」

 

「ロバーデイクは黙ってて! 私はルベドに聞いてるの!」

 

「わ、わかりました…!」

 

 

アルシェの凄い剣幕にあっけなく引き下がるロバーデイク。

ロバーデイクはルベドの心配をしているようだが大体の事情を察しているアルシェはおかまいなくルベドを問い詰める。

 

 

「ねぇルベド! どうしてあんなことを!」

 

「アルシェの苗字はフルトだよね?」

 

「そ、そうだけど今はそんなこと関係ないでしょ!」

 

「関係なくない。ねぇ帝国はフルトって苗字の人は沢山いるの?」

 

「え? い、いや多分私の家系しかいないはず…。そ、それがどうしたっていうの?」

 

「あの男が言ってた。帝国から連れてこられたフルト家の娘が王都で売られたって」

 

 

その一言でアルシェの時が止まった。

 

 

「え…」

 

 

先ほどまでの感情や思考など何もかもが吹き飛ぶ。

頭の中で次々考えは巡るが何一つ形にならない。

自分が今、何を考えているかさえも分からなくなるほどアルシェは混乱の淵に立たされた。

だがそんなことなどおかまいなしにルベドは続ける。

 

 

「借金のカタだって言ってた。前にアルシェが妹がいるって言ってたからその子かと思って。でもあまり詳しいことはわからなかった。分かったのは八本指っていう組織に売られたってことだけ。それしか聞き出せなくてごめんね」

 

「八本指!? 王国で暗躍する悪名高い犯罪組織じゃないですか! 大変ですよアルシェ! この話が本当ならば妹さんはどんな目に遭うかわかりません! 私も話に聞いただけですが奴隷の扱いは酷いと聞いています。特に、その、女性や子供などは口には出せないような趣味の者に売られるとか…」

 

 

ロバーデイクのその言葉でアルシェはさらに困惑し絶望する。

なぜ、なぜ急に妹がそんなことに。

最悪を想像し、吐き気を催すアルシェ。

八本指。

それはアルシェも聞いたことがある。

帝国にもその悪名は轟いているからだ。

様々な犯罪に手を染める恐ろしい組織だが、特に慰み者として扱われる奴隷は酷い。

男のモノを咥えさせるためだけに全ての歯を抜かれたとか。

嗜虐趣味の男に体を切り開かれてその中に入れられたとか。

考えるだけでもおぞましい行為が他にも山ほどある。

噂だと信じたいがワーカーの者達曰く、全て真実だと。

 

嫌だ。

そんなのは嫌だ。

妹が、大事な妹がそんな目に遭ったらどうすればいいのか。

すぐに助けにいきたい。

だが八本指にはアダマンタイト級の冒険者に匹敵する者が複数所属しているらしい。

それに王国を裏から支配するような巨大組織だ。

自分などでは歯も立たない。

悔しい。

自分の力の無さが。

学院に通っていたころは魔法の天才だと持て囃されたが外に出てみればこんなものだ。

あまりに自分は無力だ。

 

激しい悲しみから嗚咽を漏らすアルシェ。

 

その時、ふと頭を撫でる手に気付いた。

見上げるとそこにいたのはルベド。

 

 

そうだ、と思った。

 

 

あまりの悲しみに忘れてしまっていた。

今、自分の目の前には規格外の存在がいるのだ。

ルベドなら。

自分には無理でもルベドならば全てを力で解決できるかもしれない。

 

それは悪魔の誘惑だった。

アルシェの脳裏に浮かんだあまりにも甘い誘惑。

例えそれが人として許されない行為だったとしても。

どれだけ後悔することになろうとも。

アルシェは全てを引き換えにしてもいいと思った。

 

どれだけの犠牲を払っても。

どれだけの人が死んでも。

例え相手が犯罪者であろうともやってはいけない行為は存在するとアルシェは思う。

だがアルシェは悪魔に魂を売ることを決めた。

妹の為に何もかも犠牲にすると。

もはや罪を犯すことさえ厭わない。

 

 

「ル、ルベド…!」

 

 

泣きながらアルシェはルベドに縋りつく。

自分の欲望の為に、願いの為に。

ルベドに懇願する。

それがルベドを利用することになろうとも。

 

 

「お願い…、助けて…!」

 

 

嗚咽しながらも必死に声を絞り出すアルシェ。

 

 

「妹を…、妹を助けて…!」

 

「わかった、任せて。アルシェの妹は私が助けてあげる」

 

 

あっけないほど簡単に了承するルベド。

 

その一言でアルシェの心に希望が差す。

だがアルシェは思う。

この瞬間、王都で八本指相手にルベドが暴威を奮うことが決定したようなものだ。

今日のことなど比較にもならない血が流れることになるかもしれない。

王都に混乱を巻き起こすことになるかもしれない。

もしそうなればそれは全て自分の罪だ。

自分がルベドに願ったのだ。

それに今日すでに血は流れている。

あれはルベドが自分の妹の情報を入手するためにやったことならばそれもまた自分の罪だ。

甘んじて受け入れる。

 

それに度を超えた願いには代償がつきものだ。

もし取返しの付かないところまでいってしまったのならば。

この命を持って償う。

それがアルシェにできる精一杯のことだ。

釣り合わないかもしれないがそれがアルシェに払える限界だ。

もしこの世に神がいるならば。

それで許して下さいと祈る。

 

全ては妹のために。

 

 

 

 

アルシェとロバーデイクはヘッケランとイミーナと合流すると事情を説明しすぐに王都へ向かう。

皆、八本指にアルシェの妹が売られたという事実に驚き、そして協力してくれた。

危険な目に遭うかもしれないのに。

それが嬉しく、同時に申し訳なかった。

普通に考えれば3人には身を引いてもらうべきだろう。

だが協力してくれるという彼等の言葉を甘んじて受けた。

妹を救うためには少しでも人手が、力が欲しかった。

全ては自分のエゴだ。

なんと醜い。

自分の願いの為に仲間を危険に晒すと分かっていながら甘えたのだ。

 

だが、だからこそ。

必ず妹は助ける。

その為にアルシェは悪魔に魂を売ったのだから。

 

 

アルシェは知らない。

王都にはそんな彼女のものとは比べ物にならない悪意が蠢いていることを。

アルシェは知らない。

王都がこれから最も危険な場所になることを。

アルシェは知らない。

ルベドと戦いのステージに立てる者が王都に複数集まることを。

 

アルシェは何も知らないのだ。

だからこれから起こることなど何も想像できない。

 

 

もう王都は目前にまで迫っている。

 

 

 

 

 

 

アゼルリシア山脈方面から進路を変え、王都へ向かっていたコキュートス一行。

 

王都に到着すると同時にシモベ達に王都全域を包囲させる。

まだデミウルゴスに気取られるわけにはいかないので、気配を殺し隠れながらだが。

 

そして配置に着き終わると、後はアルベドとマーレの到着を息を殺して待つのみだ。

 

 

王都にいる人々は誰も気づかない。

 

城壁のすぐ外を強大な軍勢が包囲していることなど。

 

 

しかし何事もなく一晩が過ぎた。

 

 

だが翌日、コキュートスは部下の報告に動かざるを得ない事態に陥る。

 

 

「コキュートス様!」

 

「ナンダ?」

 

「大変です! デミウルゴス様に動きが! どうやら我々の存在に気付いたようです! 遠目にしか確認できないので分かりませんが逃走しようとしているものと思われます!」

 

「ナンダト!? マズイナ…! アルベドニ確認ヲ取ル、少シ待テ」

 

「はっ!」

 

 

そしてコキュートスはアルベドへメッセージを送る。

だが返事は無い。

 

 

「ナゼ繋ガラン…?」

 

 

怪訝に思うコキュートス。

だがこればかりは間が悪かった。

アルベドはこの瞬間、ナザリックの玉座の間でマスターソースを開いており、そのNPCの欄にルベドの名前が無いことに心を乱しメッセージを受け取る余裕が無かったのだ。

少しでもタイミングが違えば繋がっていたかもしれないのに。

 

 

「仕方ナイカ…」

 

 

コキュートスは決意する。

ここは臨機応変に動かねばならないところだ。

アルベドとマーレの到着を待っている暇は無い。

何よりデミウルゴスを逃がしては意味が無いのだ。

 

それに警戒は必要だがデミウルゴスはシモベのほとんどをナザリックに置いてきている。

外に連れ出したのは一部の上級悪魔のみだ。

どれだけの罠があろうともほぼ全てのシモベを動員している自分ならば力で押し切れる。

そう判断する。

 

 

「皆、聞ケ! コレヨリ全軍ヲモッテ王都ヘ攻メ入ル! 確実ニデミウルゴスヲ撃破スルノダ! 邪魔ナ者ハ全テ排除セヨ! 全テ薙ギ払イ進ムノダ!」

 

 

そしてコキュートスの号令の元、王都を包囲していたシモベ達が一斉に侵攻する。

 

城門を破壊し、蟲の軍勢が王都へなだれ込む。

同時に人々の叫びが響き渡る。

 

まるでこれから始まる惨劇の合図のように。

 

 

 

 

 

 

コキュートスが王都へ侵攻するのとほぼ同じタイミングでマーレはアゼルリシア山脈に到着していた。

だがマーレは少々困惑していた。

 

 

「アルベドさんから聞いていた話と違う…」

 

 

すぐにアルベドへメッセージを繋げるマーレ。

だが繋がらない。

どうしていいかわからずマーレはただ茫然とする。

 

 

霜の竜(フロストドラゴン)霜の巨人(フロストジャイアント)などどこにもいなかったのだ。

 

シモベを散らし捜索するもアゼルリシア山脈のどこにもいない。

かつて何者かがいたような形跡はあるが今は何者もいない。

 

そしてそれが何を意味するかなどマーレには分かるはずもなかった。

 

 

 

 

 

 

王都に攻め入ると同時にコキュートスは不思議に思う。

多くの人間は逃げ惑うのにごく一部の人間のみが逃げずに自分達へ向かってくることに。

そしてその背に何か大きな荷物を背負っている。

 

 

「…? 殺セ」

 

 

コキュートスの命令でシモベがその人間を殺す。

何の抵抗もなくあっけなく死んだ人間に余計に疑問は大きくなる。

だがコキュートスは考えるのをやめた。

きっとこの事態に気でも触れたのだろうと思ったのだ。

 

弱者のことなど気にかける必要などないのだから。

 

だがこの時、各地でコキュートスのシモベ達に同じような事態が起こっていたとは知る由もない。

無数の人間がシモベ達によって返り討ちにあった。

だが誰も気にも留めない。

たかが人間のことなど気に留めるほうがおかしいのだから。

 

 

だがこの時、その人間達の死体に火が付いた。

遠くから炎の魔法が放たれたようだが意味がわからない。

人間の死体など焼いてどうするのだ、と。

 

だが違った。

燃やしたのはその人間が背負っていたもの。

中に入っていたのは黒粉。

それは八本指が王国に蔓延させた麻薬。

 

様々な摂取方法があるが最も一般的なのは火を付け吸うことだ。

火を付け煙を吸うことで生物は酩酊したような状態になる。

 

各地に散らばった人間の背負っていた黒粉全てに火がつけられ、コキュートスのシモベ達全員を覆う程の大量の黒い煙がたち込める。

だがそんなものがナザリックの者に通用するはずがない。

この程度の状態異常など無効化する以前の問題だ。

そもそもが効かないのだ。

 

 

「フン、デミウルゴスメ。コノ程度デ足止メデキルトデモ思ッテイルノカ」

 

 

コキュートス及び、シモベ達が煙を振り払い消し飛ばす。

 

だがその視線に先に先ほどまでいなかった者達の姿があった。

自分達の上空に漂う複数のドラゴン。

 

 

「!?」

 

 

デミウルゴスの部下ではない。

こんな者はいなかった。

そもそもナザリックのシモベですらない。

 

黒粉の煙によって一瞬視界を奪われたうちに現れた謎のドラゴン達。

 

 

コキュートスは一つミスを犯していた。

 

デミウルゴスが王都内にいるために注意を内にしか向けていなかったのだ。

だから外への注意が疎かになってしまっていた。

 

外から攻められることなど想定していなかったのだ。

罠は中にあるものだと決めつけていた。

 

まさか自分達のさらに外に伏兵がいるとは考えていなかった。

 

 

上空に漂うドラゴン。

それは霜の竜(フロストドラゴン)と呼ばれるアゼルリシア山脈の支配者だ。

そのドラゴン達がコキュートス達へ向かって一斉にブレスを吐く。

 

数は少なく、強さも大したことはない。

 

だがあまりに想定外だったのと、煙に気をとられたことで完全に一手遅れてしまっていた。

そのためコキュートスのシモベ達はまともに攻撃を喰らうことになる。

これにより下位のシモベ達に被害が出る。

とはいえ大したものではない。

上位の者はほぼ無傷。

中位の者でさえわずかに傷ついた程度である。

 

だがブレスは絶え間なく吐き続けられる。

大多数を占める下位のシモベの被害は増えていく。

戦闘では役に立たなくとも探索などの役目がある大事なシモベ達だ。

すぐにコキュートスが動き、近くにいた霜の竜(フロストドラゴン)を両断する。

各地でもすぐに反撃が始まり次々と霜の竜(フロストドラゴン)が倒れていく。

だが今度は地面に穴が開くと、そこから複数の巨人が姿を現した。

それは霜の巨人(フロストジャイアント)

霜の竜(フロストドラゴン)と並びアゼルリシア山脈を支配する者達。

霜の巨人(フロストジャイアント)達は手に持った武器で近くにいる者たちへ攻撃を仕掛ける。

ここでも一手遅れ、コキュートスのシモベ達は攻撃を受けることになる。

だが先ほどと同様の理由で致命傷にはならない。

しかし先ほどと違い、近距離に現れた為、コキュートスのシモベ達の間で味方への誤爆が多数発生した。

微妙な被害を出しつつも殲滅はすぐに完了した。

 

だが今度はその地面の穴から数え切れない無数の獣たちがはい出てきた。

それはクアゴアと呼ばれる種族だ。

総数は8万にものぼる。

その数でもってコキュートス達へと襲いかかる。

全員あっけなく返り討ちに遭うがキリがない。

業を煮やしたコキュートスが一気に吹き飛ばそうと大技の構えに入る。

 

その時だった。

もはや誰も上空など見ていない間にデミウルゴス及び、その配下の三魔将、なぜか五体欠けている十二宮の悪魔が散らばって存在していた。

すでに彼等は全員、大技の発動に入っていた。

ここまでの全てが囮に過ぎなかったのだ。

コキュートスを含め、全員が目の前の雑魚に気を取られている間にデミウルゴス達は動いていたのだ。

 

 

「悪魔の諸相:触腕の翼!」

 

 

デミウルゴスが巨大化させた翼から鋭利な羽を撃ち出す。

それがコキュートスのシモベ達を次々と貫いていく。

加えて次の瞬間には三魔将が強烈な範囲魔法を放つ。

十二宮の悪魔達も獄炎の魔法でコキュートスのシモベ達を焼き尽くしていく。

 

だがそれを放つと同時にデミウルゴス達はすぐに次の行動に移る。

コキュートス達がその身に攻撃を受けている間に姿を消したのだ。

コキュートスも技の発動に入るタイミングだった為に行動が遅れ、デミウルゴスを逃してしまう。

 

 

「グゥゥゥゥ! 待テェ! デミウルゴスゥ!」

 

 

逃げるデミウルゴスへ向かってコキュートスの叫びが響き渡る。

だがそれが届く頃にはもうデミウルゴス達の気配は消えていた。

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、とりあえず第一段階は成功ですね」

 

 

デミウルゴスは傍に控えるシモベ達へ語り掛ける。

 

 

「しかし上手くいきましたねデミウルゴス様、私のスキルで隠蔽していたとはいえ本当に霜の竜(フロストドラゴン)達が気づかれずにあそこまで近づけるとは」

 

「ええ、あれには少々私も驚きましたよ。予定ではブレスを放つ頃には半分はやられると踏んでいたのですが…。コキュートスは少し猪突猛進過ぎますね、機会があれば教えてあげましょう。少しは周りを見ることも覚えて貰わないと。しかし捨て駒とはいえ、皆中々役に立ってくれましたね。おかげでそこそこの損害は与えられたでしょう」

 

 

デミウルゴスは部下達と談笑するように話す。

 

 

「さて、問題はここからです。ここからは全員でまとまって行動します。コキュートスのシモベは各地に散っているので遠くから順番に潰していきます。そして最後、コキュートスと対峙する時になったら…」

 

 

そう言ってデミウルゴスが三魔将と十二宮の悪魔に視線を向ける。

 

 

「ええ、分かっています。コキュートス様と対峙する直前に私達はデミウルゴス様を残し王都の外まで離脱、それでいいんですね?」

 

「その通りです。さぁ始めましょう! 全ては至高の御方の為に!」

 

「「「至高の御方の為に!」」」

 

 

悪魔達が再び動き出す。

 

 

 

 

死の宝珠は突如巻き起こった戦いに目を見開いていた。

なんという数、なんという規模、なんという威力。

全てが彼の常識を逸脱していた。

そう、まるでエ・ランテルで見た神のように。

それは彼を誘う甘い蜜だった。

 

あっという間に数え切れない程の死者が出た。

それはこの都市の住民ではなく突如現れたモンスター達によるものだが死には違いない。

溢れかえる死の香り。

濃厚な死の気配。

それは死の宝珠を魅了するには十分だった。

自分が撒き散らそうとした死など足元にも及ばない強烈な死。

 

ゆえに死の宝珠は蒼の薔薇へ伝言を伝えるという役目を忘れ、引き寄せられていく。

死へと、さらなる死へと。

 

 

 

 

 

 

「くそっ! 一体何が起きたってんだ!?」

 

「強大な気配」

 

「王都中に感じる」

 

「イビルアイ、貴方は何か知らない?」

 

「わからん…。だがこれはヤバイぞ…。かつて魔神と戦った時でさえここまででは無かった…! それにここにいるだけでも数え切れない程の強者の気配を感じる…! もはやどれだけの規模なのか想像もつかん…! お、おい待て! どこに行くガガーラン!」

 

 

いつの間にか完全武装で外へ飛び出そうとしているガガーラン。

 

 

「ケッ! 何者か知らねぇけど敵がいるなら戦うしかねぇだろ!」

 

「正気か!? 殺されるぞ!」

 

「馬鹿野郎! 勝てないからって尻尾撒いて逃げるわけにいくかよ! それに最低でも市民の避難くらいはしなきゃなんねぇだろうが!」

 

「そ、そうね、ガガーランの言う通りだわ…。市民を早く逃がさないとどれだけの死者が出るかわからない…」

 

「これはリーダーに賛成」

 

「同じく」

 

「お前ら…、このままじゃ全員死ぬかもしれないんだぞ…?」

 

 

イビルアイの問いに答えるまでもなく全員の表情が物語っていた。

逃げるわけがないだろ、と。

 

彼女達は正義の味方だ。

どんな絶望的な状況であろうとも決して逃げ出したりしない。

正義の為に最後まで戦うだけだ。

 

 

「どうした? 怖いのかイビルアイ」

 

「おチビちゃん」

 

「ひんぬー」

 

「うるさいぞ!」

 

 

便乗して悪口を言ったティアとティナにげんこつを入れるイビルアイ。

 

そうだ。

こういう奴等だから一緒のチームを組んでるんだ。

リグリットのババアのせいでチームに入ることになったが今はそれで良かったと思っている。

こいつらといるのが楽しくて、心底誇らしい。

人々の役に立つのが嬉しくてしょうがない。

 

こんなにも充実した人生を送って来れたのだ。

最後を汚したくない。

美しいなら美しいままで。

そうだ、それが私達だ。

 

アダマンタイト級冒険者、蒼の薔薇だ。

 

逃げも隠れもしない。

 

 

「ふん、軽口ばかり叩きやがって。ほら行くぞ!」

 

 

そうしてイビルアイを先頭に蒼の薔薇が動く。

 

 

「はっはぁ! 流石イビルアイ! そうでなくちゃぁな!」

 

「人助け」

 

「頑張る」

 

「ええ、行きましょう!」

 

 

彼女達は足を踏み入れる。

魔境へと。

 

 

 

 

 

 

丘の上でラナーは花火を見るように目を輝かせていた。

 

ああ、凄い。

 

ラナーの背筋をゾクゾクとしたものが走る。

これから王国の崩壊が始まるのだ。

全てが終わり、始まる。

 

これまで自分を縛り付けていたものが消え去り、自由になる。

もう何も自分とクライムを邪魔するものは無い。

 

ああ、なんて素晴らしいのだと感動に身を震わせる。

 

早く来て。

早く滅ぼして。

早く消し飛ばして。

そうしてやっと私はクライムと一つになれる。

 

頬を染め、恍惚の表情で王国の惨状を見下ろすラナー。

 

邪悪に染まっていてもその顔は黄金の名に相応しく美しかった。

 

 

 

 

 

 

「ガァアアアアア!!!」

 

 

吠えるコキュートス。

 

 

「落ち着いて下さいコキュートス様!」

 

「落チ着ケルカ! クソッ! デミウルゴスヲミスミス取リ逃ストハ…!」

 

 

デミウルゴスにしてやられたことに激高するコキュートス。

こういう時のデミウルゴスは厄介だ。

どういう行動に出るかは分からないが最悪逃してしまう可能性も十分にある。

だがそんなことはさせるわけにはいかない。

 

至高の御方から力を授かったのはデミウルゴスだけではないのだから。

 

その名に恥じぬ戦いをせねばならない。

 

 

そしてコキュートスは一つのスキルを発動させる。

 

 

それは王都全域を囲う氷の壁。

その名を「クレタの涙」。

氷そのものにダメージを与える効果は無いが、単純に障害物としての効果がある。

天高くまで聳える氷の前ではデミウルゴスも簡単には逃げられない。

加えてこのスキルにより氷系のモンスターには多くのバフがかかる。

 

 

「待ッテイロ、デミウルゴス…!」

 

 

デミウルゴスに先制されたとはいえ、まだまだ戦力比ではコキュートスに分がある。

まともに戦えばいくら奇策を用いようともコキュートスの勝率は高い。

もちろんそれはデミウルゴスも承知している。

作戦はあるが完璧ではない。

戦いの行方はデミウルゴスさえも完全には読めずにいる。

どちらに転んでもおかしくないのだ。

 

 

そして「クレタの涙」発動直前にギリギリ王都に滑り込んだ五人組がいるが、この時点では誰も気づいていない。

 

 

王都全域を巻き込んだ戦いが始まる。




次回『至高なる存在』デミウルゴスまさかの大失態。


フロドラ「捨て駒にされたンゴ」
フロジャ「返り討ちにあったンゴ」
クアゴア「絶滅してしまうンゴ」
蒼の薔薇「正義の味方頑張るぞい」
コキュ「デミウルゴス絶対殺すマン」
デミ「奇襲成功」
ルベド&フォーサイト「滑り込みセーフ」


年末年始で間が空いてしまいました…。
もうちょっと早いペースで投稿したかったのですがなかなか時間がとれず…。
しかも三月まで仕事が忙しくなるので投稿が不定期になりそうです…。

なんとか頑張りますので生暖かく見守ってやってください。


それと「クレタの涙」は完全に捏造です。
コキュートス版「ゲヘナの炎」だと思って下さい。


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至高なる存在

前回までのあらすじ!

王都での戦いが始まりドラゴンも巨人もクアゴアも瞬殺!
ルベド達フォーサイトはギリギリ王都IN!


「わん(ああ、風が気持ちいいな…)」

 

 

空を見上げる名犬ポチの頬を優しく風が撫でる。

太陽は大地を照らし、雲が空を流れていく。

周囲に広がる植物は風を受け踊っているかのようにさえ思える。

広大な自然をその身体全てで感じる名犬ポチ。

それは疲れた名犬ポチの心を癒すかのようだった。

 

 

「わん(ふふ、このまま時が止まってしまえばいいのに)」

 

 

そう思っていたのもつかの間、遠くから悲鳴のような声が聞こえてくる。

気のせいだろう。

そう自分に言い聞かせるが風に血の匂いが交じり始めると否応なく現実に引き戻される。

気付かないままでいたいと願うも、思わず空を見上げていた顔を下に向けてしまう。

 

名犬ポチがいる場所は高い丘の上。

眼下に広がるは竜王国。

そこは現在、数万にも及びそうなライオンを思わせる二足歩行の亜人種に攻め込まれている。

ここから見るに多くの都市らしき場所から火の手が上がっている。

だが各地の都市の城門は破られ、すでに亜人種の多くが自由に行き来しているように見える。

 

そして首都であろうか、最も巨大で最奥に位置する都市のみが未だ無事のようだ。

だが多くの亜人種達がその残った都市に集まっているように見える。

 

まぁ、一言で言うならば。

この国は滅亡一歩手前だということだ。

 

そしてそんな国の惨状を見たニグン達純白が動かないはずがない。

彼等は丘を駆け下りると近くの都市へと突入していった。

しばらくすると一人も欠けることなく純白の面々が飛び出して次の都市へ向けて駆けていく。

恐らくこの亜人種相手に無双しているのだと思われる。

 

名犬ポチはヤバイ、と思った。

 

未だにこの世界の者達の強さのハッキリとした基準は分からないが少なくともこの亜人種達よりもニグン達の方が強いらしい。

だがこの亜人種達が竜王国という一国を滅ぼせる手前まで行けるということは、この世界の基準ではこの亜人種達はそこそこ強いのではないか?そう名犬ポチは考える。

つまり、だ。

恐らく純白の面々は名犬ポチが与えた装備のせいで強さの底上げがされてしまったのだ。

それはこの世界のパワーバランスを崩してしまう程のものだった。

名犬ポチが与えた装備は決して強い装備ではない。

だがそれはユグドラシル基準での話。

長い時をニグン達と過ごして。

そしてこの旅の中で寝食を共にして様々なことがわかった。

 

薄々気付いていたが、この世界の連中もアイテムもレベルが低すぎる。

 

だからこそだ。

他のユグドラシルプレイヤーと思しき連中が存在することが分かった以上、こんなことをしていてはすぐに見つかってしまう。

少しでも事態を抑えなければならない。

 

 

「わんっ!(ちくしょうっ! こうなった以上、ニグン達にゃ任せておけねぇ!)」

 

「ああっ! 神様待って下さいよぉ!」

 

 

突如、丘を駆け下りる名犬ポチをブリタが慌てて追っていく。

 

そう。

名犬ポチが現在、最も望むのは少しでも目立たぬようにすること。

 

ニグン達によって圧倒的勝利などを齎されては困るのだ。

出遅れたとはいえ、今からでも介入しこの圧倒的な戦力差をどうにかしなければならない。

仮にだが相手側の亜人種が優勢からの全滅などそんなドラマチックな展開などあってはならないのだ。

そんなことがあれば確実にプレイヤーの存在を匂わせる。

可能であれば互いの被害は少なく、あるいは同レベルの者同士が争ったような接戦でなければならない。

 

幸い亜人種の本隊らしき大部隊は首都付近に陣取っており、まだ純白の手は及んでいない。

まだ間に合う。

ニグン達よりも先に自分がやるのだ。

これ以上、この地で無駄な血を流させてはならない。

 

全ては自分の安全の為に。

その為ならば名犬ポチは最後まで絶対にあきらめないのだ。

 

白き神が全力で大地を疾走する。

 

ただ、後ろを走る女と速度はそんなに変わらないのだが。

 

 

 

 

 

 

この日を境に世界は名犬ポチを中心に動き始めることになる。

それはこれから名犬ポチが行うことによってではない。

 

ここから遥か遠くに存在するリ・エスティーゼ王国。

事件はそこで起きる。

そのうねりは王国を超え、世界を巻き込む。

 

名犬ポチが直接何かをするわけではなく、周囲が勝手に動き出すだけなのだが…。

そんな遠くの国でこれから起こることなど名犬ポチが知るはずもない。

なぜなら名犬ポチはそこにはいないのだから。

 

 

不在の神、魔の知将を動かす。

 

 

 

 

 

 

王国に帰還していたガゼフは突如混鳴り響いた騒音に驚き城の外に飛び出す。

そこから見た景色は想像を絶するものだった。

 

空には遠くからでもその姿が確認できるほど大きな存在がいたのだ。

それはドラゴン。

この世界で最強の種族とされる強大な生物だ。

 

 

「あ、あれはドラゴンなのか…? な、なぜここに…」

 

 

だがガゼフのその疑問はすぐに意味の無いものとなる。

瞬く間にドラゴンは何者かによって撃ち落とされたからだ。

 

ガゼフだけではなく、この国、いやこの世界の全ての人々が最強と信じる存在はあっけなく敗れた。

ドラゴンをいとも容易く屠れる者が今ここに存在する。

それは遠くから眺めていただけのガゼフ達にも理解ができた。

 

 

「おいおい、どういうことだよ…! あの数のドラゴンにも驚いたがなんで一瞬でやられてんだ…!? 一体何が起きたっていうんだよ…!」

 

 

ガゼフと共に王都を訪れていたブレインがその疑問を口にする。

だがその疑問に答えられる者などどこにもいない。

部下達と共にあっけにとられるガゼフ。

 

しかし次の瞬間、さらに信じられない事態が目の前で起きる。

 

突如、首都を覆う巨大な城壁を囲むように氷が現れどんどんせり上がっていく。

それは天にも届きそうなほど高く積みあがっていき、あっという間に王都を隙間なく包んでしまう。

ガゼフとブレインは気づいた。

何者かわからないがこの国を襲った者達は誰も逃すつもりなどないのだと。

 

遠くから人々の悲鳴が聞こえてくる。

 

何が起きているかもう衛兵の報告など受けなくても理解できた。

この国は空前絶後の脅威に見舞われている。

王国戦士長としてガゼフがすることはただ一つしかない。

 

 

「行くのか、ガゼフ」

 

「ああ。アングラウス、お前とはここまでだな。少しの間だが楽しかった、達者でな」

 

「はっはっは、何言ってるんだよガゼフ」

 

「…?」

 

「まさか俺をのけ者にする気じゃないだろうな? 俺も行くぜ。こんな楽しそうな事お前だけで行かせられるかよ」

 

「…。死ぬぞアングラウス」

 

「もう俺は一度死んだようなもんだ。それによ、強い奴相手に逃げ出す為に剣の腕を鍛えてきたわけじゃねぇんだ。強い奴がいるなら会ってみたい、それだけさ」

 

「はは、アングラウスはバカなんだな」

 

「うるせぇ! お前にだけは言われたくねぇよ」

 

「はっはっは!」

 

「あっはっはっは!」

 

 

ガゼフとブレインの笑い声が周囲に響く。

その場にいたガゼフの部下達も釣られて笑い出す。

 

 

「戦士長! 我々も行きますよ!」

 

「ええ! 王国の兵士として恥ずかしくない働きをします!」

 

「そもそも逃げられそうにもありませんしね」

 

「最後まで御伴します!」

 

 

部下達の熱い視線を受け、ガゼフの心に熱いものが流れる。

 

 

「国が滅ぶかもしれないんだぞ…? 全くこんな時になってもそんな事を言ってくれるなんてな…。本当にバカで、本当に自慢の奴等だよ…」

 

 

表情を正し、ガゼフは号令を掛ける。

 

 

「これより市民の救出へ向かう! 皆着いてこい!」

 

「「「はっ!」」」」

 

 

 

 

 

 

霜の竜(フロストドラゴン)の一匹であるヘジンマールは大地から自らの同胞が撃ち落とされる一部始終を見ていた。

自らはその怠惰な体によって空を飛ぶことができなかった為、大地から魔法やブレスによって援護をする予定だったがそんな暇などなく、同胞は瞬く間に撃ち落とされてしまった。

 

気がつけば何をするでもなく、敵陣の中にただ一匹取り残されてしまった。

 

 

「ど、どうしよう…!」

 

 

不安と恐怖に支配されたヘジンマールは路地に姿を隠し、涙目になりながら震えていた。

恐らく自分が殺されるのも時間の問題だろう。

 

 

「なんでこんなことに…」

 

 

ヘジンマールは思い出す。

自分達がなぜこうなったのか。

それは一匹の悪魔が原因だ。

至高なる者のシモベと名乗っていた。

その悪魔が自分達の前に姿を現したのが全ての始まりだった。

 

 

 

ドワーフ旧王都フェオ・ベルカナを根城とする霜の竜(フロストドラゴン)達。

その群れを統率するオラサーダルク=ヘイリリアルはアゼルリシア山脈の頂点を霜の巨人(フロストジャイアント)と争っていた。

3匹の妃やその子供15匹たちと暮らし、クアゴアも支配下に置き順調に戦力を増やしつつあった。

 

だがそこに一匹の悪魔が現れた。

 

部屋に引きこもっていたヘジンマールが呼び出しを受け、玉座の間に赴いた時に見たものは悪魔の足元に傅く偉大な父の姿だった。

 

聞いた話によるとその悪魔はいとも簡単に父を力でねじ伏せたらしい。

そして命令に従わねば命は無い、と。

後ろに控えていた妃や他の子供たちも震えながら悪魔に傅いている。

どうやら自分が知らぬ間に色々あったのだな、とヘジンマールは思った。

 

だが力を絶対のものとして生きてきた自分達霜の竜(フロストドラゴン)

力で支配されることには悔しい思いをしつつも誰も文句など無かった。

それがこの世の摂理だからだ。

さらなる強者に顎で使われるのは当然のことなのだ。

 

ただヘジンマールとしてはもう引きこもっていられなくなったのを残念に思った。

 

そしてその悪魔は同じように霜の巨人(フロストジャイアント)をも力でねじ伏せ支配下においた。

こんな強者が存在するのだなと驚きを隠せなかった。

やがて自分達に下された命令はとある連中を襲撃することだった。

不安はなかった。

きっと他の者もそうだっただろう。

結果的に自分だけは別行動だったが誰も自分達がやられるなどとは微塵も思っていなかったに違いない。

その悪魔に敗れたとはいえ、霜の竜(フロストドラゴン)霜の巨人(フロストジャイアント)もアゼルリシア山脈を支配する王者、世界でも有数の強者なのだ。

自分達に敵うものなどそうそういない。

しかも今はあの悪魔が後ろについている。

加えてその悪魔にはさらなる強さを持った主がいるらしいのだ。

敵になるものなど存在しない。

そう、例えあの真なる竜王達ですら。

そう思っていた。

 

だが違った。

 

攻撃を仕掛けた相手も驚く程に強大だった。

しかもその敵は膨大な数であるにも関わらず、その一匹一匹が一騎当千の猛者に思えた。

戦力比で言えば自分達の前に現れた悪魔すら相手にもならないレベルだった。

 

ああ、やはり世界には知らないことばかりだ。

そうヘジンマールは思った。

世界はあまりにも未知で、こんなにも強い者達がいるのだ。

まだまだ知識が足りなかった。

もっと勉強したかった。

だがそれはもう叶わないだろう。

同胞は皆、殺された。

自分が殺されるのも時間の問題だ。

 

 

「ああ、まだ読みたい本が沢山あったのにな…」

 

 

絶望と共に深く嘆息するヘジンマールを前に突如悲鳴が上がった。

 

 

「ひぃぃ!!」

 

 

それは一人の少女だった。

恐らくあの蟲の軍勢から逃げてきたのだろう。

路地に入ったところで自分を発見しパニックになっているようだ。

 

 

「お、落ち着いて…! 僕は何もしないよ。それに騒いだらあいつらが来るかも…」

 

 

あいつら。

それがあの蟲の軍勢を意味すると理解した少女は息を飲む。

無闇に声を上げるのは危険だと判断したからだ。

その後、ヘジンマールが自分の目的と状況を説明する。

最初は怯えていた少女だが、目の前のドラゴンが理知的でありさらにその物腰が柔らかいことから次第に警戒心が薄れていく。

そしてあの蟲の軍勢と敵対していたということから味方なのでは?と思い始める。

 

 

「も、もしかして貴方は悪いドラゴンじゃないの…? ドラゴンさん達は助けに来てくれたの…? そういえば少し前に沢山のドラゴンさん達が飛んでるのを見たけどどこに行ったの…?」

 

 

目の前のドラゴンが味方かもしれないという希望が少女の胸に訪れる。

だがヘジンマールの言葉が彼女を絶望に叩き落す。

 

 

「ドラゴンは僕以外みんなやられちゃったよ…。あいつらは強すぎる…」

 

 

その言葉に少女の表情が曇る。

助けに来たかどうかは答えなかった。

あの悪魔がどういうつもりで自分達をけしかけたかわからないからだ。

 

 

「それより早く逃げたほうがいい、あいつらがここに来るのも時間の問題だと思う…」

 

「ドラゴンさんは…?」

 

「え?」

 

「ドラゴンさんは逃げないの? あいつらってドラゴンさんでも勝てないぐらい強いんでしょ…? 逃げなきゃ殺されちゃうよ…!」

 

 

まさか人間に命の心配をされると思っていなかったヘジンマール。

驚きのあまり目が点になる。

 

 

「あははは!」

 

「…ど、どうしたのドラゴンさん?」

 

「人間は面白いなぁ、自分が死ぬかもしれないのに他人の、いや他種族の心配をするのかい?」

 

 

この絶望的な状況だからだろうか。

この少女の発言がやたらと面白かった。

ふと城で見たいくつかの本を思い出す。

あれらの多くは人間種が執筆したものだったはずだ。

内容は多種多様でとても興味深かった。

同一の種族がこんなにも多くの価値観を持っているかと感動したのを覚えている。

それは、自分達ドラゴンには無かったものだ。

 

 

「僕はいい。この体だしすぐに見つかるよ、君だけでも逃げるんだ」

 

「そんな、ドラゴンさん!」

 

 

なぜこの少女はこんなにも他者の心配をするのだろう。

不思議に思うヘジンマールだが遠くに蟲達の姿を確認する。

 

 

「くそ、来たか!」

 

 

ラチが明かないと判断し、咄嗟に少女を口に咥え駆けだす。

 

 

「きゃっ!」

 

「少し暴れるけど我慢してよ!」

 

 

決して早いとは言えない速度でドタドタと逃げるヘジンマール。

この大きな体ではすぐに見つかるだろう。

だがこの少女だけでもどこか遠くに逃がさなければ。

 

 

「待ってドラゴンさん!」

 

「どうしたの?」

 

「私、悪い人たちに捕まってたの! この騒動のおかげで逃げ出すことができたんだけど、一緒にいた双子の妹と離れ離れになっちゃったの! 探しに行かなきゃ!」

 

「はぁ!?」

 

 

この少女は何を言っているのだとヘジンマールは思う。

もはや一刻の猶予すらない。

全力で逃げても逃げ切れるかわからないのに。

 

 

「そんなことできるわけないだろ! このままじゃ殺されるよ! それにもしかすると向こうは無事に逃げてるかもしれない!」

 

「でも逃げられなくて困っているかもしれない! 見捨てるわけにはいかないよ!」

 

 

愚かすぎる、ヘジンマールはそう思った。

この少女は英雄でも何でもない。

ただの少女だ。

身の程を弁えず、自分の願望だけを見て現実を見ていない。

やはり仲間達が言うように人間は愚かな生き物だと再認識する。

だが。

 

 

「ああもう! 君は馬鹿だよ!」

 

 

悪くない、そう思った。

ヘジンマールはそのまま反転し元いたほうへと戻る。

 

 

「どこで離れ離れになったの!?」

 

「ド、ドラゴンさん?」

 

「君だけじゃ見つけても逃げられないだろ! 僕が協力するから!」

 

 

自分のことを本当にバカだと思う。

この少女に付き合ったところで危険が増すだけだ。

だがどうせ自分ではこの場を生き伸びることはできない。

ならばこの少女の酔狂に付き合うのも悪くないと思っただけだ。

 

 

「ありがとうドラゴンさん…!」

 

「お礼はいいよ! それよりも早く見つけて逃げるよ!」

 

「うん!」

 

 

そして少女の指示のもと、彼女達が離れ離れになった場所へと向かう。

しかし。

 

 

「うっ!!!」

 

「ドラゴンさん!?」

 

 

不意にヘジンマールの体に激痛が走る。

ふと体を見やると氷の刃が突き刺さっていた。

 

 

「ほう、まだドラゴンの生き残りがいたか」

 

 

崩れた建物の上からこちらを見下ろす着物を着た真っ白な肌の1人の女性。

人間のように見えるがその気配と肌の色からそうでないのが分かる。

それは雪女郎(フロストヴァージン)

コキュートスの配下で最高位のシモベである。

レベルは82にも達し、その数も6人しかいない。

ナザリック内でも上位の強さを誇る存在である。

 

そんなことは知らないヘジンマールでも相手の危険性は感じていた。

自分達の前に現れたあの悪魔には劣るだろうがそれでも自分から見れば絶望的な相手だ。

その証拠に同胞の幾匹かはこの者によって容易く撃ち落とされている。

竜王である自分の父ですら足元にも及ばない、そんな存在。

 

 

「ちくしょうっ…」

 

 

いとも容易く希望は潰えた。

本の中の物語のように都合よくはいかない。

やはりあのまま逃げるべきだった。

そうすればもう少し生きられたかもしれないのに。

後悔の念が沸き上がるがもうそれすらも無駄だ。

もう詰んでいる。

 

 

「君だけでも逃げろっ!」

 

「ドラゴンさん!?」

 

「早くしろ! あいつの目的は僕だ! だから!」

 

 

そうしてヘジンマールは少女を逃がそうとする。

だが雪女郎(フロストヴァージン)は容赦しない。

人間を殲滅せよとの命令は受けていないが所詮は下等生物。

死のうが生きようがどちらでもいいのだ。

 

 

「ふん、事情は知らんがまとめてあの世に送ってやる!」

 

 

雪女郎(フロストヴァージン)が両手を前に突き出す。

 

 

「くそっ…!」

 

 

もう手遅れだと瞬時に悟ると、せめてもと少女を庇うように抱え体を丸めるヘジンマール。

雪女郎(フロストヴァージン)の両手に魔力が集まっていく。

 

 

「死ね…!」

 

「それは困る」

 

 

魔法が放たれると思ったその瞬間、どこからか現れた一人の少女が雪女郎(フロストヴァージン)へと拳を突き刺していた。

突然のことに何が起こったか理解できない雪女郎(フロストヴァージン)

だがその少女の顔を見るや驚愕に表情を染める。

 

 

「ル、ルベド様…!? な、なんっ…!」

 

「貴方を障害と判断する。この国で暴れるのならば他の者達も排除する」

 

 

ルベドがその突き刺した拳を横に振ると上半身と下半身に分かれた雪女郎(フロストヴァージン)の体がボロ雑巾のように崩れ落ちた。

例えレベル82に及ぶ化け物であろうとナザリック最強の個であるルベドの前では無力に等しい。

 

ルベドだけはナザリック所属でありながら仲間意識も無ければ至高の御方への忠誠も無い。

自分の目的の邪魔になれば誰であろうと排除する。

それが今この国を襲っている仲間であるはずのコキュートス達でさえ。

放っておけばアルシェの妹達が犠牲になるかもしれないからだ。

だから排除する。

 

それが例え何者でも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐだ。

デミウルゴスは目的へ向け確実に進んでいる。

コキュートスによる「クレタの涙」は少々厄介だが問題は無い。

部下達を無傷で退避させられなくはなるかもしれないが位置さえ上手くとれば死ぬことはないだろう。

後片付けを部下達に一任することになるので少々不安はあるがしょうがない。

他に手はないのだから。

 

そう考えていると眼下に一匹のアンデッドの存在を感じる。

怪訝に思うデミウルゴス。

コキュートスの部下では無い。

そもそも人間の都市に野良のアンデッドがいるとは思えない。

まあ八本指に一人いたがあれは例外中の例外だろう。

しかしあのアンデッドはこちらを認識しているように思える。

思考などありそうもない低級のアンデッドがなぜか自分へ意識を向けている。

ふと興味が沸いたデミウルゴスはそのアンデッドへと近づく。

 

敵対する様子もないし正体も分からないが、もし邪魔なら消し飛ばせばいいだけのことだ。

 

 

「やあごきげんよう。君は一体何者かな?」

 

「……」

 

 

アンデッドは答えない。

しかしそのアンデッドは体の中から黒いオーブを取り出すとデミウルゴスへと差し出す。

それを受け取るデミウルゴス。

それと同時に目の前のアンデッドの動きが止まる。

 

 

――貴方様の強大なる邪悪な気配に畏敬の念を

 

「ふむ、喋るアイテムですか。なるほど貴方がこのアンデッドの本体というわけですか」

 

――その通りです、厳密には作ってもらったというのが正解ですが

 

 

オーブを手にしたデミウルゴスの脳内へ直接語り掛けるかのように声が聞こえる。

 

 

「で、何か用かな? こちらを見ていたように思えたものでね」

 

――貴方様から強大な死の気配を感じます、いえ、死を撒きちらす気配を、と言うべきでしょうか

 

「ほう」

 

――私は死を齎すためにこの世に生まれました。だからこそ死に憧れ、死に近づき、死を振きたいのです

 

「ははは、面白い。死を与えるためにのみ存在するというのですか」

 

――はい、それが私の存在理由であり意味だと思います。なのでどうか貴方様の傍でその死を感じさせて頂けないでしょうか?

 

「ふむ、どうしたものか。面白いといえば面白いですが…」

 

 

悩むデミウルゴス。

個人的な興味はあるものの今はそんなことにかまけている場合ではないのも事実。

ふとした空き時間に興が向いたから話しかけたに過ぎないのだ。

 

 

――先日、私はエ・ランテルで神と対峙し奇跡を目の当たりにしました

 

「うん?」

 

――生と希望に溢れる聖なる力、まさに神の御業とも言うべき奇跡を。一時はその力の前に自分の存在意義を見失いかけましたが貴方を見て思い出したのです。私は死の為に存在するのだと

 

「…、ちょ、ちょっと待って下さい、エ・ランテルといいましたか? それはあの都市を救ったという救世主の話ですか? 貴方が対峙したその神とは?」

 

――は、はい、白く小さな犬でした。その姿からは想像も出来ない程の膨大な力を感じました。しかし貴方様からはそれに匹敵する闇の力を感じます、ですから貴方様ならばきっとあの神さえも…

 

「愚か者め!」

 

 

張り裂けんばかりのデミウルゴスの一喝で死の宝珠が竦み上がる。

 

 

「私ならばなんだというのです? まさか私ならばあの御方を倒せるとでもいうつもりではないでしょうね? あぁ、無知とは罪だ。知らないとはいえあの御方への不遜を許すわけにはいきません。しかもあの御方と対峙したと? 貴方如きが? 恥を知りなさい! その御方は私が仕える至高なる41人が一人、名犬ポチ様です! この世の何よりも偉大で神をも超える至高なる存在…! それがあの御方です…!」

 

――……っ!

 

 

怒りに満ちたデミウルゴスの言葉に死の宝珠は言葉を失う。

後半にいくにしたがって恍惚の表情に変わっていたように思えるが恐怖に震える死の宝珠にとっては関係なかった。

ここで死を迎えるのだと直感的に理解できたからだ。

 

 

「何か言い残すことはありますか?」

 

――お、お待ちくださいっ…! あの御方がそのような方とは知らず無礼を働いてしまったことを深くお詫び申し上げます…! し、しかし教えて下さいっ…! あの御方から感じたのは聖なる光のような力、しかし貴方様からは深い闇のような力を感じます…! 相反するような御方になぜ貴方は仕えられるのですか…っ!?

 

 

デミウルゴスが嘲笑したように笑う。

 

 

「低俗な者には理解できないでしょうがあの御方の本質は悪。きっとそのお力も現地の人間を利用する…、ために…」

 

 

自分で言いながらデミウルゴスはふと気づいた。

なぜあの御方が人間達を助けたのかはずっと理解できずにいた。

だが今自分で言いかけたことで再認識する。

そうだ。

意味もなくあんなことを為さるはずがない。

何かきっと意図があるはずなのだ。

 

逆に言えば人間達を利用しなければならない事態だということ。

 

ハッとして死の宝珠を見る。

この愚か者は名犬ポチ様と対峙したと言っていた。

あの御方がそのような愚か者をむざむざと逃すか?

いや、ありえない。

ならばこの者が生き延びていること、しいてはここにいることには必然性があるのではないか?

思考の渦に囚われたデミウルゴスは問いかける。

 

 

「…貴方の目的は何ですか? 何をしようとここへ? あの御方と出会った貴方が何を考えこの地へ!?」

 

 

眼鏡の奥に見える宝石の目がギラリと輝く。

怯えながらも死の宝珠は言葉を紡ぐ。

 

 

――と、当初はリグリットという女に言伝を頼まれてこの地へ参りました…

 

「ほう、リグリット」

 

――は、はい。私が知る限りこの世界で最も優れた魔法詠唱者(マジックキャスター)の1人で死霊魔法を得意とする者です

 

「なるほど、貴方の体になっていたアンデッドを作ったのはその者ですか?」

 

――そうです

 

「で、何を頼まれたのですか?」

 

――リグリットはエ・ランテルを救った神はその後、竜王国へ向かったのではないかと考えていました。そして自身は神を追って竜王国へ。私には王都にいる蒼の薔薇というチームへそのことを伝えるようにと

 

「ふむ。蒼の薔薇…、この国最高の冒険者と聞いていますが今はいいでしょう。しかしなぜ竜王国へ向かったと?」

 

――エ・ランテルを救うような慈悲深い方ならば竜王国の惨状を見逃すはずがないと…

 

「……」

 

 

デミウルゴスも消去法からあの御方は竜王国へ向かった可能性も考えていた。

だが理解できない。

この地へ来てからはアルベドの事もあり常に時間との勝負だったために重要そうでない国については調べる時間が無かった。

 

竜王国。

 

人間の国家の中で最も脆弱であり、現在進行系で滅亡の危機に瀕している弱国。

デミウルゴスは最初に周辺国家の情報を入手した際に最も利用価値が無い国と断じた。

だからこそだ。

なぜ名犬ポチ様がそこへ向かわれたのか。

もし単純に身の危険を感じ無我夢中で逃げているだけならばすぐにお助けに向かわなければならない。

だが何かが引っかかる。

 

 

「竜王国とは…どんな国ですか?」

 

――竜の血を引く女王が支配する人間の国家です。昔から続くビーストマンの侵攻により脅かされていましたが、手助けをしていた法国が滅んだことで現在は孤立し窮地に立たされてます…。女王は…

 

 

そこまではデミウルゴスも知っている。

滅亡寸前というならば尚更価値がない。

やはり名犬ポチ様は追い詰められているのではないかと確信しかけた瞬間。

死の宝珠から続いて聞かされた情報に唖然とするデミウルゴス。

 

あまりの衝撃に頭が真っ白になる。

 

名犬ポチの理解できなかった行動が全て一つの線になって繋がる。

それは全くもって想定していなかった事実。

同時に自分の犯してしまった大失態に気付き震える。

 

 

「な、なんという…、なんということだ…!!!」

 

 

大量の冷や汗をかき、焦燥し苦悶の表情を浮かべるデミウルゴス。

その変貌ぶりに呆気にとられる死の宝珠。

 

現地で入手したメッセージのスクロールを開き起動するとシモベへと叫ぶ。

 

 

「各員聞け! これまでの命令を全て撤回する! 王都を吹き飛ばす計画は中止だ! 一刻の猶予も無いため質問は受け付けない! 次の言う命令に従いすぐに行動しろ!」

 

 

メッセージが繋がった三魔将と十二宮の悪魔達は何事かと困惑する。

だがデミウルゴスから放たれた次の言葉は彼らをさらなる混乱の極みへといざなう。

 

 

「今すぐコキュートスの部隊からこの国の人間達を守れ! これ以上の被害を出させるな! 奴等の目的は我々だ! 我々が前線に出ればこの国の被害は抑えられるだろう!」

 

 

三魔将も十二宮の悪魔も突然のことに頭が追い付かない。

それにそもそもコキュートスの部隊とまともにやりあえばとてもではないが勝機はない。

デミウルゴスとてそれは理解している。

だがもはやどうしようもないのだ。

これ以外に手段はない。

すでに自分の犯したミスにより状況は最悪のところまで来ていた。

 

 

「各自<アーマゲドン・イビル/最終戦争・悪>を発動し悪魔の軍勢を召喚した後、コキュートスの部隊へぶつけて時間を稼げ! もし霜の竜(フロストドラゴン)霜の巨人(フロストジャイアント)及びクアゴアの生き残りがいたら人間の救出と避難をさせろ! コキュートスは私がなんとかする!」

 

 

そしてメッセージを切る。

シモベ達の混乱は痛い程伝わってきたがそれを説明している時間はない。

死の宝珠を握りしめたまま空高く飛翔しコキュートスを探す。

 

 

「くそっ…! 失態、失態、失態だ…! なんたる失態…!」

 

 

デミウルゴスは己を激しく責める。

至高の御方の役に立つべく生まれた自分がまさかその御方達の足を引っ張ることになろうとは。

あまりの罪の意識に今すぐ自分の体をこの場で引き裂き死んでしまいたい。

だがそんなことは許されない。

今は少しでもこの失態を取り戻さないといけないのだから。

 

だがそれと同時に至高の御方たる名犬ポチへの畏敬の念を抱かざるを得ない。

 

さすがは至高。

 

やはり自分などあの御方達の足元にも及ばないのだと痛感させられた。

もしかすると死の宝珠は自分にそれを気付かせるためにあの御方が泳がせておいたのではないか、そう思う。

いや、そうだ、間違いないだろう。

きっと全てがあの御方の掌で踊らされているに違いなのだ。

 

あまりの偉大さとその英知に身を震わすデミウルゴス。

 

 

「ああ、偉大なるは至高の御方…! まさかここまでとは…! よもや私のミスまで見通されていたというのですか…!」

 

 

とはいえ自分の失態が許されたわけではない。

名犬ポチの真意に気付き、何をするべきかハッキリした。

その為には何としてもここでコキュートスを退けなければならない。

 

まともに戦っては勝率は皆無とも言っていい。

しかもこの国の人間にこれ以上被害を出させてはならないという条件付きでだ。

だがなんとかしなければならない。

 

己の失態を取り戻すためにも。

 

 

 

 

 

 

 

 

ルベドの名前がマスターソースに存在しないという事実に意識を奪われ茫然とするアルベド。

しばらくしやっと我に返る。

 

 

「はっ! お、落ち着け、落ち着くのよ私…。大丈夫、ルベドは絶対に私を裏切らない…!」

 

 

なんとか自分にそう言い聞かせ落ち着こうとするアルベド。

もちろんそれは間違っていない。

ルベドは指揮権を持つ者の命令には絶対に逆らわない、それは紛れもない事実なのだから。

 

 

「くそ…、何かの行き違い…、ミスがあったか? それともあの侵入者共が何かを…? くそ、誰かを付けておくべきだったか…!」

 

 

意識を取り戻すのを待っていたとばかりに横に控えていたシモベ達がアルベドへと殺到しこれまでのことを報告する。

 

 

「何ですって? コキュートスがすでに応戦中!?」

 

 

自分の返事を待たずに攻め込んだコキュートスを怒鳴り散らしてやりたいがそもそも向こうからの連絡に答えなかったのは自分のようだ。

自分の迂闊さと間の悪さを呪う。

しかし急げば間に合う。

コキュートスが王都を封鎖しているならばその間にマーレも到着するだろうし、彼らが抑えている間に自分も到着できるだろう。

そうなれば絶対にデミウルゴスを処理できる。

そう考え、直属のシモベを連れナザリックを飛び出すアルベド。

ルベドのことは気にかかるが今はデミウルゴスの排除が最優先だ。

 

 

そうして王都まで向かっている最中に再びメッセージにより別の報告が上がってくる。

ルベドは例の侵入者共と王都へ向かったらしいということ。

そして名犬ポチと思わしき一行が竜王国へ向かったらしいという報告。

 

少数とはいえ各地に散らしていたシモベ達から有用な情報が上がってきたことに喜びを隠せないアルベド。

 

 

「ルベドは王都か…、ならばちょうどいい。デミウルゴスの排除と同時に回収しましょう…。そして後は竜王国か…、ふふ、あそこに逃げ込むなんてもう打つ手無しといったところかしら…。至高の御方といえどナザリックの軍の前では形無しね」

 

 

そのまま名犬ポチの報告を上げてきたシモベへ竜王国の現状について尋ねる。

もちろんシモベも優秀であり、名犬ポチが竜王国へ向かったことを確認すると可能な限り竜王国についての情報を集めていた。

アルベドはデミウルゴスと同じく、竜王国に欠片程の価値も感じておらず障害にもならないと判断しており今まで一切深く調べていなかった。

 

だからだ。

 

デミウルゴスと同じく部下から上がった情報に目を丸くすることになる。

 

 

「な、なんですって!? そ、そんな…そんなバカな!!!」

 

 

あまりの衝撃に我を失いかけるアルベド。

それはアルベドの優位性を根本から覆すものだった。

ルベドの名前がマスターソースに無いことなどどうでもいいと思える程にそれは衝撃だった。

 

 

「やられた…! まさか…、まさかそんなことが…! おのれ名犬ポチ…! 初めから全て知って、いや、計算尽くだったというの!?」

 

 

般若のような形相で歯ぎしりするアルベド。

王手をかけようとしていたらまさか自分に王手がかかっていたような状況である。

 

しかしアルベドもデミウルゴスも気づけなかったのはしょうがないのかもしれない。

元々互いに時間が無かったということ。

そして現地の者でさえ軽んじている事柄にまでは考えが至らなかったのだ。

情報収集をしても現地の者が価値が無いと判断した情報にまでは手が回りづらい。

もちろん普段の彼等ならば苦もなく辿り着けたかもしれない。

究極的に言うならば。

繰り返しになるがやはり時間が無かったということだろう。

 

アルベドは彼女が考えうる中で最善の手段を取ってきた。

そしてそれは間違っていない。

だがそれは彼女が知り得る情報の中でという話だ。

 

結果から見ればそれは全て蛇足であり悪手であったとも言える。

 

アルベドが完全に勝利する為には最も軽んじていた筈の竜王国こそ落としていなければならなかったのだ。

 

 

アウラにメッセージを繋げるアルベド。

 

 

『ア、アルベド! ど、どうしたの!?』

 

 

シャルティアの様子を見に評議国の跡地へ訪れていたアウラはそれがバレたのではないかと冷や冷やしながらメッセージに答える。

 

 

「撤退よ」

 

『え?』

 

「すぐにナザリックに撤退しなさい! 今すぐ全シモベを連れてナザリックに撤退するの! 急いで!」

 

『え? え? 急にどうしたの? 撤退はいいけどエルフの国はもう王様倒して支配下に置いちゃったっていうか、うんそんな感じなんだけど…』

 

「そう、なら最低限のシモベだけ残してすぐに撤退しなさい、いいわね!」

 

 

そう言ってアウラとのメッセージを切ると次はマーレへと繋げる。

 

 

『あ、アルベドさん。今アゼルリシア山脈なんですけど言われてた奴等が…』

 

「そんなことはもういいの! 今すぐナザリックに撤退しなさい! 帝国には引き続き最低限の部下だけ置いて貴方及び最高位のシモベ達は残らず撤退しなさい!」

 

『わ、わかりました!』

 

 

マーレとのメッセージも切ると次はコキュートスへと繋げる、が繋がらない。

どうやら今回は向こうがそれどころではないようだ。

 

 

「くそっ! しかしルベドの件もあるし一度は王都に向かわなければならないか…!」

 

 

アルベドは考える。

今ここで自らが王都に行くのは非常に危険だ。

だがルベドの回収もしなければならない。

ここは危険を十分に承知した上でやはり王都へ向かうしかないだろう。

こうなった以上、ルベドの力は必須と言ってもいい。

 

この劣勢を覆すには妹の力が必要だ。

 

 

「しかし名犬ポチめ…、クソ…! 腐っても至高の存在ということか…! まんまと出し抜かれた…! たった一手、いや、エ・ランテルの事も全て布石だったのか…。しかし、たったこれだけのことでこの局面をひっくり返すなんて…!」

 

 

悔しさのあまり握りしめたアルベドの拳からは血が滴っている。

歯も割れそうなほど噛み締めている。

己が優位だと驕っていたことが悔やまれる。

相手はあの至高の41人の1人なのだ。

どれだけ準備をしても足りなかったというのに。

 

圧倒的劣勢と思われる状況からの逆転劇。

それを可能とするのは竜王国の王女。

 

 

ドラウディロン・オーリウクルス。

 

 

八分の一とはいえ竜の血を受け継ぐ真にして偽りの竜王。

 

アルベドがこの地に来て最も危険視したのは真なる竜王達。

それはシャルティアとの闘いで痛い程痛感している。

真なる竜王のみが使えるとされる始原の魔法。

ニグレドの報告によればシャルティアのスキルや魔法をも貫通したと聞いている。

それが事実だとすれば自分のスキルも役に立たない可能性もある。

それに何より、一撃であのシャルティアを瀕死にまで追い込むのだ。

まともに受けて動ける者はナザリックにすらいないだろう。

だが評議国は滅び、その始原の魔法を使えるドラゴンは全て消え去った。

 

そう、ドラゴンは。

 

だがまだ残っていたのだ。

半人、あるいは半竜の半端者が。

 

 

話によると彼女の力は未熟なため、白金の竜王の究極の一撃たる巨大な爆発を真似るには軽く見積もって百万の犠牲が必要とのことだ。

現地の者共は現実的な話ではないとし軽んじていたようだがそんなことはない。

 

 

 

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しかも範囲は広大。

まともに喰らえばどんな精鋭部隊であろうと壊滅は必至。

 

唯一安全であると断言できるのはナザリック内のみだ。

ナザリックにはモモンガ様がいるから流石に撃ちはしないだろうが外ならばいつ撃たれてもおかしくはない。

 

 

「やらせるか…! やらせてなるものか…! 絶対に、絶対にお前は私が消してやる…! 私とモモンガ様の邪魔をする者は誰であろうと必ず…!」

 

 

名犬ポチが竜王国を掌握するまでもう時間はないだろう。

それまでにルベドを回収し、撤退して体制を整えなければならない。

まるで敗走するように王都へ向かうアルベド。

 

アルベドはこの地に来てから最大の敗北感に晒されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デミウルゴスはこれまでの名犬ポチの行動を再度咀嚼していた。

 

ナザリック付近のカルネ村を掌握した後に、都市エ・ランテルで多くの民を救い救世主とも神とも崇められるようになった名犬ポチ。

その真意が今ならば理解できる。

 

ドラウディロン女王に始原の魔法を使わせるには百万もの命が必要だ。

並大抵の数ではない。

とてもではないが個人で管理できる数でもない。

ならばそれをどう集める? 

 

恐怖でもなく、誘惑でもない。

 

あの御方が導き出したのは信仰や崇拝だった。

 

人は崇める者や尊敬する者には自ら近づいていく存在だ。

 

多くの民を扇動するにはそれが最も効率的だったのだろう。

そして最初にそれを行ったカルネ村。

規模としてはあまりにも小さく必要性を感じない。

恐らくは実験。

人間が自分の望むままに動くのかどうかの。

そしてそれは成功し、そのままエ・ランテルの掌握へと向かった。

しかもエ・ランテルでの出来事は波紋を呼び王国全土へと広がった。

 

今やあの方が声を上げれば王国の民達が動くであろう。

 

そして今は本命の竜王国へ向かわれている。

部下からの報告によると竜王国だけでも百万の民はいるらしい。

ならばなぜ王国にまで手を伸ばしたのか。

 

簡単だ。

 

百万では一発しか撃てないが二百万いれば二発撃てる。

 

 

なんと無慈悲で大胆なのか。

命を命とも思わないその考えに心底震えあがるデミウルゴス。

 

愚かな民は誰も気づいていない。

 

自分達が神と崇め憧れる存在こそが自分達を滅ぼす悪なのだということを。

 

 

「おお…、なんと、なんと恐ろしい…!」

 

 

流石はウルベルト様が悪として一目置く程の御方。

血も涙も無い恐るべき考えに恍惚の表情で酔いしれるデミウルゴス。

 

だがやはりデミウルゴスには理解できないことが一つあった。

 

これだけの制限の中、しかもアルベドの追っ手がある状態で時間もろくにないにも関わらずどうやって竜王国の情報を知り得たのか。

 

デミウルゴスもアルベドですらも到達できなかった領域に。

 

いや、違う。

デミウルゴスはそう思う。

 

やはり普通ならばとても到達できる場所ではない。

ならばなぜ迷いも無く、まるで最初から全て知っていたかのように名犬ポチ様は動くことができたのか。

普通ならば知り得ない情報までをも手に入れることができたのか。

 

考えるまでもない。

 

それはあの御方だからだ。

普通では知り得ない情報さえも知ることができる。

あるいはその可能性を想定できる。

遥か先まで見通すことが出来る。

 

故に至高。

 

神をも超える至高なる存在。

 

ああ、なんと素晴らしく偉大なのか。

そのような方にお仕えできる幸せを強く感じるデミウルゴス。

 

 

しかし、だからこそ自分が許せない。

 

自分はもう少しで始原の魔法の贄となる大事な民達を吹き飛ばしてしまうところだったのだから。

 

 

「本当に、本当に取返しの付かないことをしてしまうところでした…」

 

 

最悪の手前で止まったはいいものの、すでに王国の各地で犠牲は出てしまっている。

せっかくあの御方が贄として準備した民を減らしてしまったのだ。

これ以上減らすわけにはいかない。

何が何でも王国の民を守らなければならない。

そう心に誓う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絶対絶命とはこのことだろう。

 

蒼の薔薇、その中でも200年を生きたイビルアイでさえこんな絶望的な状況は経験したことが無かった。

 

それは突然だった。

民達の避難をしている時にそれは不意に現れた。

 

それが現れただけで周囲の温度が何度も下がったかのように感じられた。

 

 

まるで氷の化身。

武を極めたような荘厳な気配。

覇道を進むように強烈で堂々たる姿。

 

何本もある腕に握られた数々の武具はまるで神話に出てくるもののようだ。

 

どんな金属をも凌駕しそうな甲冑を思わせる甲殻に身を包んだ蟲の武人。

 

まさに覇王。

 

ナザリック第5階層守護者コキュートス。

 

 

 

そんな存在が目の前に現れただけで蒼の薔薇の面々は死を覚悟した。

 

 

「なん、だよこりゃあ…! こんな奴がいんのかよ…!」

 

「もう無理」

 

「漏らした」

 

「ま、魔神…!? まさか伝説に謳われる…?」

 

「いや違う…! そんなレベルですらない…! 評議国の竜王達ですら相手にならないレベルかもしれん…!」

 

 

イビルアイだけがこの中でその強さを正確に感じていた。

いや、というよりはその正体に近づけていた。

 

 

「まさか…、ぷれいやー…!?」

 

 

その言葉がコキュートスの耳に入る。

 

 

「フム、ソコノ女、何ヲ知ッテイル? マサカ名犬ポチ様ガドコニイルカ知ッテイルノカ?」

 

 

質問の意味がイビルアイには分からない。

だが相手はこちらへと近づいてくる。

一歩近づく毎に大地が揺れるようにすら錯覚する程の圧力。

動きたくても動けない。

恐怖に体が竦んで指一本動かすことが出来ない。

 

 

「ドウシタ? ナゼ質問ニ答エン? ソウダナ、仲間ノ悲鳴デモ聞ケバ口ヲ開クカ?」

 

 

その視線が仲間へと向くとその言葉の意図が理解でき、背筋が凍るイビルアイ。

 

 

「お前ら逃げろっ! 殺されるっ!」

 

 

なんとかイビルアイの喉から出た悲鳴のような声だったが仲間達は誰一人動けない。

それもそうだ。

イビルアイですら動けないのだ、動けるはずが無い。

悲鳴も上げることができずにただ石のように固まる4人。

 

 

「や、やめっ、やめてくれっ…!」

 

 

擦れるように出たイビルアイの願いも虚しくその手が仲間へと届く。

 

そう思った瞬間。

 

 

上空から漆黒の塊が飛来し間に割って入った。

 

 

一言で言うならば、それは魔王だった。

 

 

 

余りにも禍々しく邪悪なる気配。

闇よりも深い漆黒。

イビルアイが生きてきた中でもこれほど邪悪な存在は知らない。

 

まさに魔王たるに相応しい存在。

 

 

氷の覇王に続いて、魔王までもが現れた。

もうこの国は、いや世界は終わりだ。

 

そう思ったが魔王の口から語られる言葉は蒼の薔薇の全員が予想しないものだった。

 

 

「悪いですがコキュートス、これ以上は誰一人として殺させませんよ…!」

 

「ハッハッハ! マサカ貴様自ラ現レルトハ!」

 

 

魔王が振り返り、イビルアイ達に声をかける。

 

 

「お嬢さん方、ここは私に任せて貴方達は下がっていて下さい。貴方達は、いやこの国の人々は私が守ります」

 

 

魔王とは思えない台詞に思わずイビルアイが問う。

 

 

「お、お前は何者なんだ…?」

 

 

魔王が答えた。

 

 

「私はね、人を愛してしまった哀れな悪魔です。罪無き人々が襲われているのを見過ごせなかっただけですよ」

 

 

もちろん嘘である。

 

 

 




次回『世界の中心、名犬ポチ』もう誰も彼を無視できない。



ポチ「なんとか目立たないようにしなきゃ…」
デミデミ「さすポチ」
アルベド「敗北感」



うぅやはり時間が空いてしまいました…。
前の後書きでも書いた通り三月まで仕事が忙しくなるので投稿が不定期になると思います。
頑張って早めに更新できるように頑張りますので…。


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世界の中心、名犬ポチ 前篇

前回までのあらすじ!


名犬ポチの至高かつ恐ろしい計画に恐れおののくデミとアルベド!


それはまだ数日前のこと。

 

竜王国唯一のアダマンタイト級冒険者チーム「クリスタル・ティア」のリーダー、“閃烈”セラブレイトは決断を迫られていた。

 

 

今年はビーストマンの侵攻が激しく、例年とは比べ物にならぬ大軍で攻めてきている。

しかも法国は滅び、もう助けは来ない。

 

今回の侵攻ですでにいくつかの都市が落とされているが、この都市も持ちそうにない。

すでに門は破られビーストマン達が侵入してきている。

未だ逃げ遅れた人々がいるがもはや構っている暇はない。

一刻も早く撤退し次の拠点で態勢を立て直さねばならない。

ならないのに。

 

 

「リーダー! 何やってるんだ! 早く逃げないと! もうこの都市はダメだ!」

 

「そうだ、もう逃げ遅れた人は見捨てるしかない!」

 

 

チームのリーダーであるセラブレイトへ向けて仲間達が叫ぶ。

見捨てるしかない。

そう、もうこの状況では人を助ける場合ではないのだ。

大勢は決した、この都市は落ちる。

ビーストマンの数と力は圧倒的だ。

残念ながらこの国の兵士では相手にならない。

唯一戦えるのはクリスタル・ティア含めいくつかの冒険者チームのみ。

しかもクリスタル・ティアはこの国唯一のアダマンタイト。

竜王国最強の冒険者チームである彼らは絶対に死んではならないのだ。

最高の戦力であり、この国最後の希望。

彼らが死ねば間違いなく国が滅ぶ。

 

 

だから彼らは生き延びねばならない。

助けを求める人々の声を無視してでも。

 

 

「くそっ…!」

 

 

諦め撤退しようとしたセラブレイトの目に車椅子に座った老人が映る。

その老人は動けないようでただただ前を見つめているだけだ。

もうそこにはすでにビーストマン達がせまってきているというのに。

 

 

(なんてことだ! 置いていかれたのか…!)

 

 

セラブレイトは逡巡する。

その老人はまだ自分の手の届く場所にいる。

まだ間に合う。

助けられる。

 

そう思うと同時に無意識に体は動いていた。

 

 

「リーダー! 正気か!?」

 

「無茶だ! その人を連れて逃げ切れるわけがない!」

 

 

彼らにはわかっていた。

彼らがリーダー・セラブレイトはそうすることを。

今までもそれで無駄な怪我や、窮地に立たされたこともある。

それでも彼は戦う。

ろくに金も無いこの国で常に命がけの戦いに身を投じている。

人を見捨てることを良しとせず、弱い者へ手を差し伸べる。

少なくとも手の届く範囲にいる人を見捨てることはしない。

彼は高潔な人物だった。

たとえ彼がどんな性癖を持っていようとそれは間違いないのだ。

そう、どんなに変態であっても。

繰り返すがどんなに変態であっても彼の高潔性が失われるわけではない。

恐らく。

 

 

 

しかし今回ばかりは事情が違う。

 

 

 

この都市の4つの門のうちすでに3つが破壊され侵入されている。

現在地は都市のほぼ中心。

すぐに残りの一つから撤退しなければ囲まれるのは時間の問題。

今回のような大軍であればたとえアダマンタイト級でも死に関わる。

この老人を助けたとしても、担ぎ上げ都市の外まで逃げ切るのは不可能だ。

それが現実。

だからチームメンバーの一人がセラブレイトの体を後ろから掴み強引に止めた。

 

 

「やめろっ! 離せっ!」

 

 

だが仲間はその手を放さない。

それはこの国の終わりを意味するから。

 

 

「あっ…」

 

 

そのやり取りの間に老人の元にビーストマン達が殺到する。

舞う血飛沫。

肉体が裂かれ、千切れる音が響く。

だが悲鳴は聞こえなかった。

最後に老人がこちらを見て微笑んだ気がした。

まるで最初からそうなると理解していたように。

 

 

「ああああああああ!!!!」

 

 

絶叫するセラブレイト。

メンバーがそんなセラブレイトを無理やり引っ張りなんとか逃げ出す。

そのままセラブレイトを連れ必死で脱出口の門まで駆けるクリスタル・ティア。

 

彼等の耳にはずっと聞こえていた。

幾多もの人々の悲鳴と助けを呼ぶ声が。

都市を脱出するまでの間ずっと。

 

 

痛い痛い痛い

 

やめて助けて

 

嫌だこんなの嫌だ

 

待って置いていかないで

 

誰かお願い

 

ママが動かないの

 

子供だけはやめてくれ

 

なんで俺が

 

なんで私が

 

死にたくない

 

見捨てないで

 

 

それは呪詛のようにクリスタル・ティアの耳にこびり付いて離れなかった。

都市を脱出したあとも。

それから何日が過ぎても。

彼等の耳には今でも人々の叫びが聞こえている。

 

一つ分かることは今、あの都市では地獄のような宴が開かれているということだけだ。

 

あの局面では逃げるしかないと分かっていてもセラブレイトは罪悪感に押しつぶされそうだった。

そうやって人間性を摩耗していくうちにいつしかそれらは憎しみへと変わっていく。

 

そうして彼は心に決めた。

 

いつかビーストマン達を根絶やしにしてやると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竜王国の首都を残し、他の都市を全て制圧したビーストマン達。

その最前線には彼等の王がいた。

 

ビーストマンの中で最も強き者。

彼等の王であり、歴代最強とも名高きビーストマン。

他のビーストマン達より一回りも二回りも巨大な体躯。

立派な牙に爪、毛並みも一目で他と違うのが見て取れる。

その王は獣王と呼ばれていた。

 

 

「獣王様! 兵たちの用意が整いました! いつでも攻撃できます!」

 

「うむ、いよいよか…」

 

 

目を瞑り、思いを馳せる獣王。

竜王国を落とせば彼等の悲願に一気に近づく。

 

 

「長かった…、我々が迫害されてから600年か…。だがやっと、やっと先祖代々の悲願を叶える時が来たのだ…!」

 

「獣王様…」

 

「最後に兵たちを鼓舞する。旗を持て」

 

「はっ!」

 

 

獣王は心の中で間に合った、と胸を撫で下ろす。

今年ビーストマンの侵攻が激しかった理由は他でもない。

滅亡の危機。

彼等の国にはもう食料が残っていないのだ。

 

かつて人間達に迫害され土地を追われた。

それからずっと実りの少ない大地で必死に生きてきたのだ。

最初は良かった。

慣れない新天地でもなんとか生きていくことができ、十分に繁栄もできた。

しかしそれは永遠には続かない。

今思えばきっかけはあれだったのだろう。

 

かつて三体のソウルイーターに都市を襲われ十万を超える被害を出したことがあった。

そこからビーストマン達の斜陽が始まった。

何年も不作が続いた。

山からは動物達が姿を消し始めた。

大地は枯れ、川は干上がった。

気付くと彼等には食べる物は残っていなかった。

どこかを襲う以外には。

 

決してビーストマン達は強くない。

人間に比べれば個体としては強いが亜人種の中にはもっと強いものが沢山いる。

他の種族が支配している土地に攻め込むことも考えたが勝算は薄かった。

だから選択肢など無かったのだ。

人間を襲って食べるようになるのは必然だった。

 

しかも人間達はかつて自分達の先祖を迫害し追いやった憎き相手だ。

いくら殺そうが罪悪感など無い。

エサとしてはこの上なく都合の良い相手だった。

 

そしてもう彼等の住む大地に恵みは残されていない。

だからこそビーストマンは捨て身で今回の侵攻を行ったのだ。

兵士だけでなく全ビーストマンを連れての大侵攻。

今まで住んだ土地を捨て、まずは竜王国を乗っ取る。

竜王国の人間共を食べつくしたら次の国へ行く。

そして最終的には神の地を取り戻す。

それが彼等の計画。

 

彼等は、いやビーストマンという種族はその全てをかけて死に物狂いで侵攻してきたのだ。

いつだってそういった相手は生半可に止められるものではない。

法国の助けが無くなった竜王国ならなおさら。

 

 

「獣王様、旗でございます」

 

「うむ」

 

 

古ぼけた旗を手に取り、それを天高く掲げる獣王。

 

 

「聞け! 誇り高き兵たちよ!」

 

 

獣王が眼前に待機する十万を超えるビーストマン達へ向かって声を響かせる。

 

 

「時は来た! この戦いに勝利すればこの国は我らが物となる! ようやく我らが悲願への足掛かりを手に入れることができるのだ!」

 

 

大きな歓声が上がる。

 

 

「憎き六大神の残りカス、我らが神を愚弄した末裔! そう人間だ! 奴等は皆殺しだ! 我らが神から全てを奪ったゴミ共に与える情けなど欠片も無い! 殺して喰らって根絶やしにするのだ! 神から受けた恩を忘れ、六大神に阿り、神を裏切った人間共に慈悲などない! 人間共に死を!」

 

「「「人間共に死を!」」」

 

「「「人間共に死を!」」」

 

「「「人間共に死を!」」」

 

 

獣王の叫びを受けビーストマン達が高揚していく。

 

 

「この旗に誓って必ずや取り戻すのだ! 我らが神の地を! 奪われた大地を再びこの手に! そうして初めて我らは前に進めるのだ…」

 

 

獣王が掲げる古ぼけた旗には一つの紋章が刻まれている。

汚れや傷で見づらくなってはいるものの、それは彼らが神の証。

神の紋章。

人間達に裏切られ殺された神の残した遺産。

代々ビーストマン達に受け継がれてきた秘宝である。

 

 

「神に祈りを! 神に栄誉を! 神に大地を! 神万歳!」

 

「「「神万歳!」」」

 

「「「神万歳!」」」

 

「「「神万歳!」」」

 

 

熱狂するビーストマン達を満足気に眺める獣王。

 

 

「神よ、待っていて下さい。貴方様の大地は私達が必ず取り戻します。例えそこが今や死の大地となっていようとも…」

 

 

種族の違いという意味ではなくだが、人間達とビーストマン達には一つ違いがある。

 

歴史観に関してで言えば彼らは正しい。

彼等は野蛮で知性や品性に欠けるかもしれないが人間達のように歴史を都合よく改ざんすることはしなかった。

良くも悪くも愚直、嘘を吐くという概念が存在しなかったのだ。

 

だから彼らは知っている。

600年もの月日が経とうとも。

 

人間達によって歴史から消された神の存在を。

 

 

今となっては歴史の片隅にその残滓だけが残っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

時は戻り、ニグン達が竜王国の都市の一つへと攻め込み制圧した直後。

 

 

「ニグン様おかしいですね、こいつら弱すぎます」

 

「うむ…」

 

 

部下からの言葉に思わず頷くニグン。

もちろん神から与えられた装備によって自分達が強くなったというのは分かる。

結果として、以前とは段違いに彼らは強くなった。

だがそうではないのだ。

今まで何度もビーストマンと戦闘したことのあるニグン達には分かる。

ここにいるビーストマン達は明らかに弱い。

 

 

「ニグン殿!」

 

「おお、クアイエッセ殿、そちらはもう終わったか」

 

 

遠くからクアイエッセが使役するモンスターと共にこちらへ向かってくる。

 

 

「ニグンちゃーん、こっちも終わったよー」

 

 

それと同時に反対側からクレマンティーヌと彼女に着いていった純白のメンバーが現れる。

 

三手に分かれて行動した為、効率的に都市内を掃討することに成功した。

 

 

「ねぇねぇ、おかしくなーい? ビーストマンってこんなに弱いの? 聞いてた話と違うんだけどー」

 

「そうですね、私の方でもまるで手応えがありませんでした。このレベルならば竜王国といえど苦戦しないのでは?」

 

 

疑問を口にするクレマンティーヌとクアイエッセ。

 

 

「いや、かつて戦った時はここまで弱くはなかったのですが…、一体…」

 

 

二人の疑問を否定するニグン、しかし謎は残ったままだ。

 

 

「ニグン様!」

 

 

部下の1人が声を上げながらこちらへ駆け寄ってくる。

 

 

「どうした?」

 

「そ、それが…、大量のビーストマン達が立てこもっている建物を発見したのですが…」

 

「何だと!? すぐに掃討に向かうぞ! どこだ!」

 

「い、いや、それが…」

 

 

困惑する部下を怪訝に思いながらその場所へと向かう。

着いた先で部下の様子がおかしかった理由を理解するニグン。

 

 

「これは…」

 

 

建物の扉を開き中を見て驚く。

 

中にいたのはいずれもまだ子供のビーストマン達だったからだ。

 

 

「ニ、ニグン様、亜人種は我々人類の敵ですがその…、このような子供まで殺すのですか…」

 

「あー? 何ヒヨってんだお前?」

 

「やめろクレマンティーヌ」

 

 

横からクレマンティーヌが睨みを利かすがすぐにニグンが制止する。

 

 

「はぁ? ニグンちゃんまでどうしちゃったのさ、さっさとこいつら殺して次行こーよ。次があんだからモタモタしてる暇なんてないでしょ? 早くしないと神様に良いとこ見せれないしさー」

 

 

横でブーブー文句を言うクレマンティーヌ。

そこへ小さな石や家具が飛んできた。

 

 

「う、裏切り者の人間達めっ…!」

 

「ママを返せよっ…!」

 

「よくも爺ちゃんと婆ちゃんを…!」

 

 

投げられた物がぶつかっても純白の面々にはダメージなど無い、が彼等は唖然としていた。

ここに子供がいたのも予想外だが彼等の言葉の意味を理解したからだ。

 

この都市にいたビーストマン達は戦闘員ではなかった。

 

今までこんなことが無かった為、ニグンはその可能性を完全に失念していた。

竜王国を助ける為に派遣された時、戦う相手はいつでも戦士たちだった。

それが当たり前でそれしか知らなかった。

当たり前だ、戦場には戦士しかいないのだから。

 

もちろん作戦の一環でビーストマン達が近場に作った巣を襲撃したこともあった。

その時に老いたビーストマンやまだ子供のビーストマンを手にかけたこともある。

あの時は何も疑問に思わなかったがなぜ今ここで躊躇するのか。

 

それはこれだけの数のビーストマンの子供を見たからなのか。

それともその子供たちが殺された家族の為に泣いているからなのか。

それともその反応が自分達人間とさほど変わらないように見えたからなのか。

 

あるいは。

 

 

名犬ポチと出会ったからか。

 

 

名犬ポチと出会ってからニグンの中の価値観は大きく変わっていった。

そして惹かれ、焦がれ、崇拝し、心酔している。

 

なぜそうなったのか。

簡単だ。

 

名犬ポチの救済がただただ圧倒的だったからだ。

 

死など振りまかず、どんな犠牲も出さず、遺恨など欠片も残さず余すことなく救済する。

それが名犬ポチ、彼が信仰する神の御業。

悲しむ者など誰もおらず、周りの全てに幸福を振りまく。

ニグンの考える救済など置き去りにするほどに。

 

 

それに対して自分達はどうだ。

 

 

血に塗れ、他者からの憎しみをその身に受けている。

昔は疑問にも思わなかった。

亜人種をどれだけ殺してもそれが人類の為だと思えば清々しい気分でさえあった。

なぜならそれが正しいことだと信じていたからだ。

呪詛の言葉など軽く流すことができた。

 

だが今はもうできない。

知ってしまったからだ。

 

本当の救済というものを。

 

 

自分達が今までやってきたことの不完全さに改めて気づかされた。

 

今この都市には数多のビーストマンの死体が転がっている。

吐き気を催す血の匂いに、散らばる肉の欠片。

死臭が蔓延し、死を振りまく強者だけが闊歩している。

 

人はそれをなんと呼ぶだろう。

 

往々にして人はそれを地獄と形容する。

 

もちろん少し前までは逆だった。

ビーストマン達に人間達が蹂躙されていたからだ。

それも紛うことなき地獄だった。

 

ならばニグン達は地獄を変えることができたのか?

答えは否。

ニグン達は地獄を別の地獄で塗り替えただけだ。

 

なぜ神の体が白いのか不意にニグンは理解できた気がする。

白とは穢れなき色、その証。

正しくある為には汚れてはいけないのだ。

 

それに反して自分達は汚れている。

『純白』など名ばかり。

返り血で赤く染まった衣類はいつの間にか呪いのように黒く変色している。

 

 

「……」

 

 

押し黙るニグンに部下達もどうしていいかわからず困惑する。

 

 

「も~何やってんのさ! ニグンちゃんがやらないなら私がやるよ!」

 

 

そうしてクレマンティーヌが武器を抜こうとするがクアイエッセが止める。

 

 

「やめろ、お前も薄々気が付いているんじゃないか? 昔のお前なら宣言などせずにとっくに皆殺しにしていたのと思うのだがな」

 

「……っ!」

 

 

図星を突かれたというようにクレマンティーヌの顔が引きつる。

彼女も薄々気が付いていたのだ。

自分達が行っていることは本当に神が望んだことなのか、と。

まぁクレマンティーヌに関しては罪悪感というよりも神の意に反しているのではないかという想いが強いだけなのだが。

 

 

「とはいえニグン殿、ここまで来ては引くわけにはいきません。この場は私が…」

 

「いや、それには及びませんクアイエッセ殿」

 

 

クアイエッセの言葉を遮りニグンが前に出る。

 

 

「この者達が人間の敵であるのは間違いのないこと。もし非力な者を殺さねばならないとしたらその責を負うべきは私でしょう。私がやります」

 

「ニグン殿…」

 

 

そうして皆を下がらせニグンは建物に火を放つ。

その時に泣きながらこちらを睨みつけていた子供達の姿が目に焼き付く。

目を閉じてもその耳には甲高い子供の叫び声が聞こえてくる。

 

戦士とは違い、戦いの場に上がってきていない者を一方的に蹂躙する。

それは正義なのだろうか。

 

いいや正義だ、正義のはずだ。

今までそうやって生きてきた。

人間という種族が生き残る為ならば他のどんな種族を犠牲にしてもいい。

それが法国の教えなのだから。

 

だが今やその法国は無い。

 

しかしニグンは立ち止まるわけにはいかない。

なぜならニグンはそれしか方法を知らないからだ。

それしかできる力がないからだ。

だから人間の為に他者を排除する以外には選択肢など選べない。

 

 

「皆、時間が無い。生き残っている者の手当てが終わり次第すぐに次の都市へ向かうぞ」

 

 

ニグンの言葉に異論などあろうはずもないのに、心にしこりが残る面々。

一つの都市を救ったという晴れやかな気持ちなど何もなく純白は次の都市へ向かう。

 

再び地獄を作るために。

 

 

 

 

 

 

 

 

「わ、わんっ(ひっ、ひぃ、ひぃ、ひぃぃぃ…)」

 

 

息を切らしてその場にへたり込む名犬ポチ。

それもそのはず。

もう5km以上走っているのだ。

エ・ランテルの時はここまでの距離は走らなかった。

 

 

「か、神様、どうしたんですか?」

 

 

へたり込んだ名犬ポチにブリタが駆け寄り顔を覗き込む。

 

 

「わ、わん(お、お前こんだけ走っても平気なのか…、ば、化け物だな…)」

 

 

ちなみに普通の冒険者ならばこれくらい走れるのは普通である。

ていうか少し動ける人間ならば皆走れる距離である。

 

 

「わん…(そ、そうだ、お前の頭に乗せろ、それでお前が走れ)」

 

 

身振り手振りでブリタに意思を伝える名犬ポチ。

 

 

「ええ!? 神様を乗っけて走るんですかぁ!? いやいいですけどどこまでです?」

 

 

ブリタの疑問も当然だ。

ブリタはただ急に走り出した神を追っていただけなのだから。

そして名犬ポチの指さす方向を見て顔面蒼白になる。

 

 

「えっ!? 向こうってビーストマンの大軍がいた所ですよね!? まさかそこに向かってるんですか!? 無理ですよ! いくら神様だって殺されちゃいますよ! あんな大軍相手に戦えるわけないじゃないですか! 神様が強いのは分かってますけど無理がありますよ! せめてニグンさん達と合流しましょう!」

 

「わん!(うるせぇ! そんな暇ぁねぇんだよ! 命がかかってんだよこっちはよぉ!)」

 

 

怒る名犬ポチの迫力にたじろぐブリタ。

渋々とその言葉に従う。

 

 

「ていうか凄く遠いですよ。高台からだから見渡せてるだけで実際にいくとなるとかなり時間かかりますよ」

 

 

ブリタの言葉にそれもそうかと冷静になる名犬ポチ。

とりあえずもう一度様子を見ようと近くの丘にブリタを上らせる名犬ポチ。

その頭にはすでに乗っている。

そして再び首都まで見渡せる場所に着くと改めてその距離に気付く。

 

 

「わん(そうだなぁ、やっぱり遠いなぁ。とてもじゃないけどあそこまですぐには行けそうにないな。やべぇ、どうしよう)」

 

「あ、神様、動きだしましたよ」

 

「わん(何ぃ!?)」

 

 

ブリタの言う通り目を凝らすとビーストマンの大軍が竜王国の首都に対して歩を進めているように見える。

 

 

「わん!(わぁマジかよマジかよ! 戦争始まっちゃうじゃん!)」

 

 

どうしていいかわからず頭を抱える名犬ポチ。

もう猶予は無い。

 

 

 

 

 

 

 

次の都市を最初の都市と同じく制圧した直後の事、ニグンは最初に名犬ポチとしたやり取りを思い出していた。

竜王国がビーストマンに襲われているところを目撃した時。

神はなぜあの時、竜王国の人々を救済するのを躊躇われたのだろうかと。

 

これは自分達の力を試す為だと思っていた。

人は人の手で救え、と。

神の力は軽々しいものではないと。

そう言っているのだと思った。

 

だが本当にそうだったのだろうか。

 

自分の思い違いでなければ竜王国を救おうと言い出した時、神は嫌がっていたようにも思える。

いや、今ならばそうとしか思えない。

 

まさか神はこうなることを知っていたのか…?

 

 

ニグンの中に様々な思いが去来する。

 

 

この都市にも戦士のビーストマンはいなかった。

故に最初の都市と同じく純白によって新しき地獄へと塗り替えられた。

それと同時に心に残ったしこりはどんどん大きくなっていくばかり。

 

だが止めるわけにはいかない。

 

そうしなければ人間が殺されるからだ。

人間を救う為にこの殺戮は行われているのだから。

その証拠にこの都市にいたビーストマン達もニグン達が来たときに人間達を貪っていた。

だからだ。

正しいはずだ。

人間達を食い物にする悪しき者など殺して当然なのだ。

だがなぜだろう。

そう思いながらも、結果的にビーストマンとやっていることは変わりないのではないかと。

ビーストマンが人間を殺し、人間がビーストマンを殺す。

そこに違いはあるのか、と。

 

いや、ある。

 

ビーストマンは人間を喰う。

だが果たしてそれは悪いことなのだろうか。

人間から見ればもちろん悪いことだ。

だが生きる為に他者を喰らうのは当然の摂理だ。

人間だって動物を喰らう。

客観的な視点で見ればビーストマンは悪なのか?

 

むしろ、喰いもしない者を殺すほうが悪なのではないか。

ふとそんな思いがよぎる。

 

おかしい、自分はおかしい。

そう思ってニグンは必至に考えないようにする。

なぜこんなことを考えてしまうのか。

 

あれだけ信仰に厚かった自分が、神に触れることによってなぜこんなに揺らいでいるのか。

もうわからない。

ニグンには何が正しくて何が間違っているのか。

今はただ、ここにいない神に心の中で必死に祈るだけだ。

 

神よ、どうか私を導いて下さい。

どうか正しい道を示して下さい。

ああ、私はあまりにも弱いです。

神が、あなたがいないとすぐ道に迷う。

道を見失ってしまう。

 

 

「神よ…、私は今ビーストマンに襲われた都市を救っています…。多くの人々の命はすでに失われていましたがわずかな命は助けることができました…。私は正しいことをしています、そうですよね、そうだと言って下さい…! 神よ、どうか私達を…」

 

 

だがここに神はいない。

 

 

「あ…」

 

 

神がなぜここにいないのか。

 

不安に駆られたニグンにはそれが自分を否定しているような気がした。

 

 

「ニグン様!」

 

 

部下の1人が自分へと駆け寄る。

 

 

「どうした?」

 

 

不安を表に出さないように気丈に振舞うニグン。

 

 

「周囲を確認させに見張り台に向かわせた者から報告が! 竜王国の首都前に待機していたビーストマンの軍団が動き出したようです! このまま首都を攻めるものかと!」

 

「そうか…、動き出したか…!」

 

 

ニグンは逡巡する。

とてもではないがここから首都までは遠すぎる。

今から行っても間に合うかどうか。

このまま都市を順々に解放していき首都へ向かう予定だったがとてもそんな時間は無い。

流石にそこまで都合よくいかないかと歯ぎしりするニグン。

 

 

「ど、どうしましょうかニグン様…」

 

 

ハッキリ行って手詰まりだ。

とてもではないが間に合いそうにはない。

首都に向かってもその時にはもう陥落しているだろう。

 

 

「くそっ…」

 

 

初めから自分達には無理だった。

自分達では竜王国を救えない。

そして部下からの報告によると首都前に待機するビーストマンの数は10万以上。

恐らくそこにいるのが戦士たちなのだろう。

今回に限りなぜ戦士以外のビーストマンがいるのかは置いておくとして。

仮に戦いになったとして、神から賜った装備があろうとその数を殲滅できるのか。

流石に不可能だ。

体力が、魔力が持たない。

 

ニグンの目の前が真っ暗になる。

 

信仰に殉じるのは怖くない。

ただ、人々を救えない、それは。

とてつもなく、つらい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

異変に気づいたのは最後尾の戦士だった。

竜王国の首都の前に座するビーストマンの大軍団。

その最も後ろに配置された戦士。

ある意味でそれは最下級の戦士であった。

 

ビーストマンの中では強い者が偉い。

そして偉い者はその武を持って部下達を鼓舞する為に先頭で戦う。

 

だから彼らが王である獣王はこの最前線にいる。

 

もし獣王がここにいれば少しは違った結末になったのかもしれない。

いや、やはり変わらなかったかもしれない。

 

 

「ん?」

 

 

妙な呼吸音が不意に聞こえ、後ろを振り返るビーストマンの戦士。

そこには息も絶え絶えになったびしょ濡れの人間の女がいた。

先ほどまで絶対に誰もいなかったはずなのに。

 

 

「神様…、酷い…」

 

 

そう言い残すとまるで糸の切れた人形のように崩れ落ちる。

ドチャッという酷く湿った音が特徴的だった。

 

 

「わん(悪かったよ、さすがに無理させすぎたな)」

 

 

謎の鳴き声が聞こえたかと思うとその人間の頭から謎の白い生き物が姿を現した。

 

 

「わん(後で魔力が残ってたら回復してやるよ、だから少し待ってろ)」

 

 

この白い悪魔、いや名犬ポチはやはり極悪非道。

今この場に間に合う為に恐ろしい行為を働いたのだ。

 

《タイム・ストップ/時間停止》を駆使しひたすらブリタを走らせるという他者のことなど微塵も考えないえげつない行為。

もちろんブリタには時間停止対策のされているアクセサリーを装備させた上で。

さすがに距離がありすぎて魔力が持たなくなったので時間停止中にも何度か立ち止まりMP回復もしつつ。

要はそれだけの距離をブリタはひたすら走らされ続けたのだ。

そりゃ汗塗れにもなる。

 

到着した時に、「あ、疲労無効の指輪渡しておきゃ良かった」と思ったが後の祭りなので気にしないことにする。

名犬ポチは前向きなのだ。

 

 

「わん(さてと、お前達の偉い奴に合わせてくんねーか? 平和的に話し合いで解決しよーや)」

 

 

もちろん交渉が決裂した場合はボコボコにする気満々である。

 

ただそれ以前に自分の言葉が通じないことを思い出した。

ここにきてニグンがいないという失態に気付く。

やべぇどうしよう、もう面倒だからボコすか、そう考えていた名犬ポチだったが。

 

 

「あ、あ、あ、あ…」

 

 

なぜか名犬ポチを見て震えるビーストマンの戦士。

その表情は恐怖に彩られ、お漏らしもしている。

 

強さを感じ取ったわけではない。

名犬ポチの強さを感じ取れるレベルにはいない末端の戦士、それが何故にここまで怯えるのか。

エ・ランテルで起こした奇跡を知っているわけでもない。

まだ竜王国までその噂は轟いていない。

ならばなぜか。

それは。

 

 

「おい、どうし…うわぁぁあああ!!!」

 

「なんだ騒がし…いひゃああああああ!!!」

 

 

異変に気付いた者達が名犬ポチの姿を見ると次々に叫び声を上げ腰を抜かしていく。

 

 

「わん(え、いや何?)」

 

 

困惑する名犬ポチ。

もちろん何かスキルを使っているというわけでもない。

正真正銘、名犬ポチは何もしていない。

 

 

「じゅ、獣王様に伝えろ! あ、悪神が、悪神が出たぞっ!」

 

「い、言い伝えは本当だったのか…!」

 

「まさか、お、俺たちを滅ぼしに…!?」

 

 

ビーストマン達の混乱はあっという間に伝播していく。

 

わけがわからなのでとりあえず歩を進める名犬ポチ。

名犬ポチから逃げようと多数のビーストマンが必死で距離を取る。

その為まるで道を作るようにビーストマン達の軍団が割れていく。

名犬ポチを邪魔する者は誰もいない。

 

十万ものビーストマンの軍団が何をすることもなく名犬ポチを中心に真っ二つに割れる様は壮観でさえあった。

 

 

「わん(なんかわかんねぇけど結構話の分かる奴等じゃねぇか)」

 

 

そんなことを考えながら呑気に歩を進める名犬ポチ。

これだけの数が自分の為に動き道を作る。

 

ほんのちょっとだけ名犬ポチは気持ちよくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

「獣王様ぁああああ!!!」

 

 

獣王の元へ一匹のビーストマンが慌てながら駆け寄る。

あまりにも慌てすぎて獣王の前で転んでしまうぐらいに。

 

 

「どうしたみっともない。もう進軍の指示を出した。俺もこれから攻めに参加する。急ぎでなければ後にしろ」

 

「そ、それが…それが…!!!」

 

 

部隊の後方であったことを伝えるビーストマン。

その報告を聞いた獣王の顔には次第に恐怖が宿っていく。

先ほどまでの威厳など嘘のように弱々しく震えだす。

 

 

「な、なぜだ…! や、やっと、やっと我らが悲願が叶うというのに…! なぜ今になって現れる…! いや今だからか…! 今だから現れたのか…! やはり神の言い伝えは本当だった…! 我々を…、いや! 神の痕跡を全て消しにきたか…!」

 

 

ビーストマン達には恐れる者がいる。

それは彼らが信仰する絶対の神と対を為す悪の化身。

神と何度も覇を競ったと言われる悪魔。

その姿形は神から聞かされており今のビーストマン達にも寸分の狂いなく伝わっている。

 

 

「ま、まさか獣王様…、ほ、本当に…!?」

 

「ああ…。間違いないだろう…。しかしなぜ600年前には姿を現さなかった奴が…。はっ! ま、まさか人間達もいや六大神すらも手駒に過ぎなかったというのか…! 全てあやつの掌で踊らされていたということか…! な、なんということだ…! くそっ…!」

 

「ど、どういうことですか獣王様!?」

 

「あの者はこの世全ての悪、きっと我々に希望を持たせておいて、それが叶う瞬間に最高のタイミングで希望を摘む為に現れたのだ…! も、もう終わりだ…! わ、我々は…ビーストマンの歴史はここで終わる…!」

 

 

情けなく取り乱す獣王とその部下達。

 

そこに足音が近づいてくる。

一歩一歩、ゆっくりとしかし確実に。

ビーストマンを根絶やしにするのが楽しみとばかりに。

 

 

「き、来たか…!」

 

 

獣王が後ろを振り向きその姿を確認する。

 

それは言い伝えの通り、この世全てを否定するかのような白。

その小さき体にはこの世全ての悪意が詰まっている。

神の力を持ってすら排せない魔。

諸悪の根源。

許されざる者。

 

 

「あ、悪神ヴェイルキンパーチ…!」

 

「わん(誰だそれ)」

 

 

その神は知らないだろう。

 

かつて酒の席で言ったただの悪口がこんな風に伝わるとは。

酒はほどほどに。

 

 

とはいえ。

あながち間違ってもいない。

 

 




次回『世界の中心、名犬ポチ 後編』種の終わり。


ニグン「迷子です」
獣王「おわた」
ポチ「わけわかめ」


最後に出てきた名前自体に特に意味はありません。
ちょっと言いたかっただけです。
メイケンポチ…ヴェイケンパチ…ヴェイルキンパーチ…

とはいえ今回も1話で収まりそうになく2話構成を予定しております。
よしなに。


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世界の中心、名犬ポチ 中編

前回までのあらすじ!


竜王国を攻め落とさんとするビーストマンの前に悪神あらわる!


※前篇、後編ときたら中編もあっていいと思うんですよね
そして全く同じことを前に言った気が…、気のせいかな


昔々ある所に、厳密には700年程前にこの地に神が舞い降りました。

 

当時、この世界はありとあらゆる種族により血で血を洗う凄惨な争いが繰り広げられていました。

弱き種族は迫害され、奴隷のように扱われていました。

もちろんこの世界に来た神も容赦なくこの争いに巻き込まれてしまいました。

 

神の体はとても小さかったのですが不思議な力を持っていました。

さらに神は何匹もの自身に似た獣を連れていたのです。

神とその獣たちは強く、他者を寄せ付けませんでした。

 

しかし争いを好まない神はある場所に国を作りました。

その国ではどんな者でも平等に生きることができました。

神は何者をも差別せず、助けを求める全ての種族に手を差し伸べました。

気づけばそこには沢山の種族が集まっていました。

その中には我々ビーストマンの祖先と人間達もいました。

神の庇護の元、争いから解放された種族達はこの国で平和に生きていくことができるようになりました。

 

しかしさらに100年後、別の神達がこの地に舞い降りたのです。

それが六大神です。

六大神は前の神と違い、全ての種族を助けようとはしませんでした。

六大神は自身の姿に最も近い人間達のみを助け始めました。

神が作った国の外にはまだ多くの人間達がいて今もずっと迫害されていたのです。

 

六大神は強かったので各地で人間達を助けていきました。

そして人間達は六大神の元、繁栄することができたのです。

 

その時、神の国で保護されていた人間達は思いました。

 

自分達も六大神の元に行けばあそこにいる人間達のように繁栄できるのではないかと。

今よりも良い思いをすることができるのではと。

六大神は主に迫害されていた人間達を助けていたのでこの国にいる人間達は良い案を思いつき実行しました。

自分達も迫害されていると嘘を吐いたのです。

 

その話を聞きつけた六大神はすぐに現れました。

そして神達の戦いが始まったのです。

神は六大神を説得しようと何度も対話を持ちかけましたが六大神は聞く耳を持ちません。

それもそのはずです。

保護されていた人間達があることないことを六大神に吹き込んだからです。

神の言葉は言い逃れの言葉としか思われませんでした。

 

六大神は強く、流石の神も六人もの神を相手にしては手も足も出ませんでした。

そして六大神の魔の手は神だけでなく、神が保護していた亜人種達にまで及びました。

ですが神は偉大です。

神は自分の身よりも保護していた種族達の安全を優先しました。

神が足止めをしている間に我々ビーストマン達も逃げ延びることに成功したのです。

そして神の国は滅びました。

我々ビーストマンの祖先が最後に見た神の姿は、保護していたはずの人間によって磔にされる姿でした。

 

そして人間は歴史から神の存在を抹消しました。

それもそのはずです。

神に関連する全ての事をもみ消さなければ本当は迫害など無かったと証明されてしまうからです。

 

我々の祖先は心に誓いました。

 

どれだけ時間が経とうとも必ずや人間達に復讐し、神の国を取り戻すのだと。

 

それが我々ビーストマンという種族の使命であり、神への信仰の証なのです。

 

 

   終わり。

 

 

 

それはビーストマン達に伝わる言い伝え。

もちろんこれ以外にも神の残した言葉は沢山ある。

 

その一つが悪神の存在。

 

かつて神がいた世界で神と同等の存在と謳われた対を為す悪魔。

神はおっしゃった。

あれは我々とは決して相いれない存在。

悪意の塊。

出会えば争わずにはいられない。

だからもし出会うことがあれば全力で逃げよ、と。

 

 

そして今その悪神はビーストマン達の目の前にいる。

 

言い伝えは正しかったとすぐに誰もが理解するだろう。

なぜならビーストマンの歴史はここで終わるからだ。

神の無念も、人間への復讐も何も為せない。

悪神の手によって全てが蹂躙される。

 

この世界からビーストマンという種が消え去るのだから。

ビーストマン達は何を為すことも無く滅びるのだ。

 

悪という存在はいつでも他者を踏みにじる為に存在する。

 

 

 

 

 

 

 

「い、嫌だ…! か、神の無念も晴らせずこんな所で終わるなんて嫌だ…!!!」

 

 

ビーストマン達の王である獣王は震え泣きながらも必死に言葉を紡ぐ。

 

 

「わん(ど、どうしたんだよお前、何泣いてんだ? 悲しいことでもあったのか?)」

 

 

急に狼狽する相手を見てさすがの名犬ポチも驚きを隠せない。

 

 

「お、お前に何が分かる…! 我々ビーストマンがこの600年どんな思いで生きてきたか…! 我々は弱く、やせ細った大地で必死に生きてきたのだ…! 復讐する時を夢見て必死に強くなること、そして生き残ることだけを考えてきた…! そしてついに手に入れたのだ力を! 数百年にも渡る研鑽で人間達を蹂躙できる力と体を手に入れた! やっと…、やっと我々の悲願が叶うというのに…! なぜこの時になって邪魔をしに来るのだ!!!」

 

「わ、わん(お、おい待て落ち着けって。誰かと間違えてんだろ)」

 

「邪悪にして…、この世全てを嘲笑い踏みにじる者…! やはり神のお言葉は正しかった…! こんな、こんな者が存在していていいわけがない! 認めん…! 我は絶対に認めんぞ! お前はこの世に存在していてはいけないのだっ!!!」

 

 

獣王がその手に持った巨大な大斧を名犬ポチ目掛けて振りかぶる。

 

 

「わん!(うわっ! 急になんだよ!)」

 

 

咄嗟に<超越化>のスキルを発動し己のステータスを66相当まで引き上げその一撃を受け止める。

 

 

「なっ…!」

 

「わん(危ねぇな! 今のはちょっとやばかったぞ! 元のままだと怪我してた!)」

 

 

プンスコ怒る名犬ポチを前に獣王と周りのビーストマン達が戦慄する。

なぜなら獣王のその一撃はドラゴンをも殺す一撃だからだ。

 

獣王がなぜビーストマンの中で歴代最強と謳われたのか。

 

それは彼が竜殺しを為したからだ。

 

かつてビーストマン達の国を一匹のドラゴンが襲った。

そのドラゴンは強く、竜王を名乗っていた。

ビーストマン達は手も足も出なかった。

だがもちろんただやられるわけにはいかない。

その時、単身でドラゴンに挑みかかった者がいた。

それが獣王。

その戦いは一昼夜続いたが、ついに獣王はドラゴンを倒すことに成功したのだ。

そしてそのドラゴンの骨から削り出したのがこの大斧。

 

ドラゴンを殺す獣王の力とそのドラゴンから作った最強の大斧。

その一撃は大地を割り、空すらも切り裂く。

誰にも止められる筈がないのに。

 

悪神は易々と片手で受け止めた。

 

 

「あ…、あ…!」

 

 

絶望に染まる獣王と、崩れ落ちる周囲のビーストマン達。

やはり言い伝えは本当だった。

神と対を為す化け物。

我々の手に負える筈などないのだと。

 

 

「逃げろっ…!」

 

 

獣王が声を絞り出す。

 

 

「我を置いてお前らだけでも逃げろっ!」

 

「そんなっ!?」

 

「何を獣王様!?」

 

「バカが! 見てわからんか! こやつには誰も勝てん! 我が時間を稼ぐ! お前らだけでも逃げて生き延びるのだ! ビーストマンの血を絶やすなっ!」

 

 

だがそれが不可能なのは全員が知っている。

 

ここから逃げ出してもビーストマンに待っているのは破滅だけだ。

散り散りになれば他種族から狩られ殺されるだろう。

国に帰っても、もうあの国に実りは残されていない。

餓死するのをただ待つだけだ。

 

だから、だからこそビーストマンという種が生き残る為には。

竜王国を滅ぼすしか道は無かったのに。

 

 

「なぜだ…! なぜこんなことを…! 他種族に戦いを挑んで破れるならいい…、諦めもつく。あるいは600年前のあの時、逃げ延びた我々を狩りにくれば良かったのだ…! なぜ! なぜ今になって…! この長い時を経て、我々の悲願が叶うかもしれないという段階になってなぜそれを摘みに来るのだ…! 酷い、酷すぎる…! もし我々に最初から未来が無かったというのなら…、希望など持たせるなっ…! あの時に殺してくれれば良かったのに…!」

 

 

名犬ポチを前に泣きじゃくる獣王。

何を言ってるかわからないのでひたすら困惑する名犬ポチ。

 

 

「何をやってるっ!? 早く逃げんかっ!!」

 

 

未だ逃げずに狼狽しているビーストマン達へ檄を飛ばす獣王。

 

 

「し、しかし獣王様…!」

 

「諦めるなっ! 例えそのほとんどが滅んだとしても! わずかでも生き残れれば再び陽の目を見ることができるやもしれぬっ! しかしここにいては待っているのは確実な死だけだっ!」

 

「じゅ、獣王様っ…!」

 

 

その言葉でやっとビーストマン達が動き出す。

例え破滅しか待っていないと理解していても。

ほんのわずかな可能性に賭けてこの場から逃げ出す。

誇りも名誉も何もかもを捨てて。

 

 

「わ、わんっ!?(お、おいお前らどこ行くんだよっ!)」

 

 

急に逃げ出したビーストマン達を前にわけもわからず困惑する名犬ポチ。

 

 

「お前の思うようにはさせんぞ悪神…! ここから逃げ延びた同志たちが腐肉を喰らい、泥水を啜ってでも必ずや生き延びてくれるだろう…! この命に代えてでもこの我が同志が逃げ延びる時間くらいは稼いでみせるっ…!」

 

 

ここにきてやっと事態が飲み込めてきた名犬ポチ。

詳しいことはわからないがなぜかビーストマン達は敗走を始めるらしい。

 

 

まずい。

 

 

咄嗟に名犬ポチは思う。

 

彼はこの戦争において圧倒的な決着を回避するためにここに来ているのだ。

ドラマチックな展開など何もなく、なぁなぁで、あるいは引き分けという形が望ましいのだ。

他のプレイヤーの存在を確信した今となってはこの世界の基準を逸脱した力を思わせる事件などあってはならない。

少なくとも自然のままに放置しておいてこの国が亡びるならまだ良かった。

しかしニグン達の暴走が全てを変えた。

ニグン達によってこの亜人種が殲滅させられることなどあってはならないのだ。

自分の与えた装備のおかげでニグン達という存在はパワーバランスを崩してしまっており放っておけばそうなってしまうのは必然。

だからそれを防ぐ為に介入したというのに。

結果的にこいつらが全員、敗走?

そしてその後、なぜか種が滅ぶなどということがあったらどうなるか。

ドラマチックすぎる。

 

少なくとも自分であればそこにはプレイヤーの介入を疑わざるを得ない。

 

だからダメだ、このままでは。

 

 

「わん!(は、話し合いで解決しようよ! ねっ! 平和が一番だよ、君もそう思うだろ!?)」

 

 

だが名犬ポチの言葉は伝わらない。

獣王は震えたままで、他のビーストマン達はどんどん逃げ出していく。

 

 

「わん!(やめてぇ! 行かないでぇ! お願い!)」

 

 

手詰まりになった名犬ポチは苦し紛れにスキルを発動する。

 

それは<愛玩のオーラ>。

 

自身が放つオーラに触れた相手を状態異常に追い込むスキルである。

Iで興奮。

IIで熱狂。

IIIで狂乱。

IVで心酔。

Ⅴで卒倒。

現地の者には<愛玩のオーラI>でも十分な効果を発揮するのだがそんなことなど知らない名犬ポチは<愛玩のオーラⅤ>を発動してしまう。

そして効果範囲を広げる為に課金アイテムを駆使する。

故にその効果はここにいる十万のビーストマン全てに及ぶことになる。

 

一瞬で全てが変わった。

 

名犬ポチを中心に温かくぽかぽかとした謎の気配が周囲へと広がり10万ものビーストマン達を包み込む。

ビーストマン達がこのスキルに耐えられる筈も無い。

このオーラから放たれる優しさと柔らかさすら感じ取る間もなく全員が気を失う。

かくして、たった一瞬で十万ものビーストマン達が地に伏した。

 

 

「あ、あ、ああああ…!!」

 

 

ただこの時、一人だけスキルから逃れた者がいた。

それは獣王。

その胸にかかる首飾りは神の残した遺産。

低位の状態異常を無効にするアイテムだった。

だから彼はこの場で起きたことを余すことなく目にしていた。

絶望など生ぬるい。

もっと深い感情が彼を包んでいた。

何をしても、悪神からは逃げられない。

 

 

「わん?(ん? お前それユグドラシルのアイテムか? それにそこにある旗…、どこかで見た気が…)」

 

 

何かに気付きそうになる名犬ポチ。

それは何度も目にしたはずの宿敵の紋章。

しかしそこは名犬ポチ。

 

 

「わん(うーん、汚れててわかんねーな。気のせいか)」

 

 

彼はポンコツであった。

 

 

「わ、我々をどうする気だ…! やはり殺すのか…! ここにいる全員を…!」

 

 

未だ同じことをのたまう獣王。

駄目だこいつ話通じねぇ。

そう確信する名犬ポチ。

しかしリーダーであるこいつをどうにかすればこいつらを説得できるんじゃないか?

そう考える名犬ポチ。

 

 

「わん(お前らの都合など知ったことじゃないし、何を言ってるかもわからん。だからな、お前には俺の意思を伝える道具になってもらおう…)」

 

 

ニヤリ、と悪い顔をする名犬ポチ。

 

何か恐ろしい事が起きると獣王は確信する。

それは自分達が想像する悪意の遥か上を行くものなのだと。

ビーストマン達の存在の否定。

種の終わり。

 

 

「わん(今日からお前は俺の仲間だ。さぁ皆を説得してくれたまえ)」

 

 

そして魔法を発動する。

 

 

「わん(《トゥルー・パピー/真なる子犬》)」

 

 

それはかつてユグドラシル最終日にライバルとの闘いでも使った魔法。

第9位階に存在するこの魔法は対象を強制的に子犬化させる。

低位の回復魔法では戻せないという恐ろしい魔法である。

無論、彼の持つ首飾りも第9位階の前では役には立たない。

そして魔力の乏しい獣王では元々レジストなど出来る筈も無い。

 

獣王が激しい光に包まれる。

 

獣王の中の全てが変わっていく。

あれだけ焦がれた復讐の気持ちも、神への信仰も。

何もかもが薄れていく。

新しい何かで塗りつぶされていく。

あれだけ恨んでいたはずの人間になぜか親近感すら感じていくような気がする。

怖い。

あれだけ信じてきたことが。

あれだけ費やしてきたことが。

全て否定され書き換えられる。

これが、悪神。

 

やがて光の粒子と共に獣王の体が消えていく。

 

後に残ったのは小さな生まれたての子犬だけ。

 

 

「く、くぅ~ん…」

 

 

まるで生まれ変わったかのような新しい感覚と開放感に困惑する獣王。

その時、ふと獣王の腹が鳴った。

そういえばこの戦いを始めてからほとんど飯を食べていない。

まさか体が変わっても空腹は変わらないのかと少し可笑しな気持ちになる。

 

 

「わん(なんだ腹減ってんのか、ドッグフード食うか?)」

 

 

そう言って差し出されたドッグフードなる物に咄嗟に飛びついてしまう獣王。

美味しいご飯を食べれるだけで無上の喜びを感じてしまう。

 

 

「わん(美味いか? お~、よしよし)」

 

 

自分の頭をなでる悪神の手がなぜか愛おしく感じる。

不思議なことに生きてきた中で最も幸福感に包まれている気がする。

 

頭を撫でられ、尻尾を全力で振りながらエサを食すその姿にはもう何の威厳も無い。

 

ビーストマンを統べ、ドラゴンをも殺す獣王。

 

それはもうどこにもいない。

 

 

 

 

 

 

 

竜王国、王城の玉座の間。

そこにいるのはドラウディロンと宰相、そしてクリスタル・ティアの面々。

例外なく誰もが世界の終わりのような表情を浮かべていた。

 

 

「アダマンタイト級冒険者クリスタル・ティア…」

 

 

玉座に座るドラウディロンが小さく呟く。

 

 

「ここまで国の為に働いてくれて本当に感謝する…」

 

 

子供の姿であるドラウディロンが恭しく頭を下げる。

いつものような子供の仕草や口調などは影を潜めている。

 

 

「じょ、女王…?」

 

 

ドラウディロンを前に跪いているクリスタル・ティアの面々。

そのリーダーであるセラブレイトがいつもと違う様子のドラウディロンを怪訝に思う。

 

 

「もう十分だ…。むしろここまで付き合ってくれたことに感謝する…。お主たちがいたからこそ我が竜王国は今日まで持ちこたえることが出来たのだ…。女王としてお主たちに最大限の敬意と感謝を…」

 

「な、何を女王…?」

 

「この城に残っている物であれば何でも好きに持っていくがよい…、まぁ大した物はもう残っていないが路銀の足しくらいにはなろう? 済まんな、ここまで尽くしてくれたお主たちにしてやれることがこのくらいで…」

 

 

その表情からもう全てを諦めていることがわかる。

セラブレイトとて今の状況は痛いほど把握している。

もうビーストマン達の勢いは止められない。

だからこの首都が、城が落ちるのは時間の問題だ。

竜王国は滅びる。

 

 

「宰相、お主も早く国を出る準備をせよ。道中は厳しいものになるだろうし、安全も保障されていないがここで命を散らせるよりはマシだろう…?」

 

 

横に立つ宰相に向けてドラウディロンが言う。

しかしゴホンと一息入れて宰相が反論する。

 

 

「お言葉ですが女王、私は生活水準を下げるのが死ぬほど嫌なのです。この地位で好き勝手生きてきた私が今さら難民のような生活が出来るとお思いですか? 悪いですが最後までここで贅沢三昧に過ごさせて頂きますよ」

 

「ははっ、嘘つきめ。この国で贅沢できる人間など私を含めて誰もおらん。食事だって民と変わらない。金が無いのは誰よりもお主が一番わかっているだろうに…」

 

「女王がなんと言おうとも私は意見を変えるつもりはありませんよ」

 

「全く、困った奴だ…」

 

 

ドラウディロンが軽く苦笑する。

 

 

「女王様こそお気持ちは変わらないのですか?」

 

「ああ、国の再建の目途が立つならまだしも滅亡しか道が残されていない国の王が逃げ出してどうする? そんなことでは国の為に死んでいった兵士や民に顔向けできないだろう? 国が亡びるのならば王も共に滅びるべきだ。それが私の、いや王たる者の最後の務めだろう…。無能な王とて、その務めぐらいは果たせる…」

 

 

悲しみと諦念が入り混じった声で話すドラウディロン。

今まで必死に王としての重責を担ってきた。

今更投げ出すことなどできない。

それにドラウディロンとて自身の責任が無いとは思っていない。

自分がもっと有能であれば違っただろう。

もっと外交に長けて入れば。

もっと経済を上手く回すことができれば。

何か特産品でも作る事ができれば。

何でもいい。

どんなことでも、何か一つでもできれば国の未来は違ったかもしれない。

だがこの国が他の国と交渉できる物、引き換えにできる物など何も無かった。

日々、生きるだけで必死な貧乏国家だ。

だからこうなったのは必然。

自分が無能だからこそ国は滅ぶのだと。

そうドラウディロンは思う。

 

 

「女王様!」

 

 

突如セラブレイトが大きな声を上げる。

ドラウディロンや宰相、彼のチームメンバーでさえ突然のことに驚く。

 

 

「貴方は十分に務めを果たされています! その小さな体でこの国の全てを背負ってきたのも分かります! その小さな体で!!!」

 

(なんで小さな体を二回言った…?)

 

 

少し疑問を抱くが話の文脈的に重要では無いので聞き流す。

 

 

「責任など感じる必要などありません! 未だ幼いその身で十分すぎる程に働かれています! むしろ子供の身でありながら国の為に誠心誠意働くその御姿に私は…、私はっ…!」

 

 

急に泣き出すセラブレイト。

そしてやたら子供であることを押し出され気まずくなるドラウディロン。

子供の方が皆の受けが良いという理由でこの形態になっているが本当は大人の姿をしているのだ。

もちろん女王の地位に就いて短くない月日を過ごしているが竜の血を引いているという理由で成長が遅いと思われているらしく、精神年齢もその姿と変わらないと誤解してくれる者が多い。

セラブレイトもその一人だ。

 

 

「あ、い、いや、うん…。そ、そう言ってくれて嬉しい、ぞ…」

 

「なんと勿体なきお言葉!」

 

 

先ほどまで泣いていたと思えばドラウディロンの愛想笑いに目を輝かせているセラブレイト。

 

 

「ま、まぁそれは置いておいて、だ。お主たちも早く逃げるがよい。お主たちならば難なく脱出できるであろう? それにアダマンタイト級冒険者、どこの国にいっても苦労することはあるまい」

 

「そんな女王! 私に女王を見捨てて逃げろと仰るのですか!? いいえ! お断りいたします! できるはずがありません! 女王、貴方を守ることが私の責務です! もし逃げろと仰るのなら貴方様もご一緒に! ああ、安心して下さい! 何があろうとも私がお守りいたします! 一生!」

 

(一生!? てか顔、近っ)

 

 

テンションが上がりすぎてドラウディロンの目前まで迫っているセラブレイト。

もちろんドラウディロンへの想いだけでなく、ビーストマンの非道を許せないという気持ちもある。

あの人々の嘆きをセラブレイトは忘れてはいない。

 

 

「そ、その気持ちは嬉しいがお主は冒険者…。私の為ではなく民の為にその力を使うべきであろう…?」

 

「うっ、し、しかし…」

 

「食料も無い、金も無い、国から逃げても生き残れる者は少ないだろう。中には怪我をしてもう国から出られない者すらいる。私には彼らを置いていくことなどできないよ。もし逃げるとするならば私は最後だ…」

 

 

憂いを帯びた表情で微笑むドラウディロン。

 

 

(か、可愛い…!)

 

 

ドキドキを抑えられないセラブレイトだが、すぐに我を取り戻す。

 

 

「な、ならばこそ私も残ります! 私が最後までこの国を守ります!」

 

「それが不可能なのはお主とて承知しておろう? 気持ちは嬉しいがお主とてチームのリーダー。チームの安全を考えるべきではないのか…?」

 

「そ、それは…」

 

 

セラブレイトには反論できない。

その通りだったからだ。

自分の為にチームの皆まで巻き込むわけにはいかない。

ならば自分だけでもと、そう言いかけた時。

 

 

「じょ、女王様っ!」

 

 

玉座の間の扉を勢いよく開け、兵士の1人が慌てた様子で入ってくる。

 

 

「た、大変です! ビ、ビーストマンが! ビーストマンの軍団が!」

 

「くっ! ついに攻めてきたか!」

 

 

玉座から立ち上がり険しい顔をするドラウディロン。

クリスタル・ティアの面々も宰相もついに来たかという顔で兵士の言葉の続きを待つ、が。

 

「何が起きたかわかりません! た、ただビーストマンの軍団が二つに割れています!」

 

「!? 二手に分かれて攻撃してきているということか!?」

 

「ち、違います! ハッキリとは断言できませんが、あれは…! あれは何者かから逃げているように思えます!」

 

「ど、どういうことだ!?」

 

「ちょ、直接見て頂いた方が早いかと…!」

 

 

意味がわからない。

兵士の案内の元、ドラウディロンも宰相もクリスタル・ティアも外を見れる場所まで出る。

眼前に広がるビーストマンの軍団は報告の通り確かに二つに割れていた。

まるで何者かを通る道を作るかのように。

 

だがそれだけではない。

ここからでも分かる。

ビーストマンの軍団は恐慌状態に陥っている。

統制は取れておらず、皆が慌てふためいている。

 

 

「な、なんだ…!? 何が起きている…!?」

 

 

ドラウディロンの疑問に答えられる者はいない。

ここにいる全員が目の前で起きていることを理解できていないのだから。

 

だが次の瞬間。

さらに理解できない事態が彼らを襲う。

 

 

「っ…!?」

 

 

ビーストマンの軍団の先頭付近で何かが突如激しく光り輝く。

それが合図だったかのように10万ものビーストマンの軍勢が一気に逃走を始める。

何かから逃げるようにその足取りに迷いは無く、示し合わせたように誰もが一心不乱に全力で逃げ出している。

 

しかしそんな彼らを逃がさぬとばかりに、目に見える程の魔力のオーラが先ほど何かが輝いた場所あたりから放たれビーストマンの軍勢を覆うように広がる。

 

不思議な力だった。

まるで救いのような。

全てを許すような優しき魔力の奔流。

魔力を有するドラウディロンにはその本質が理解できた。

こんなものは知らない。

竜王である祖父やその仲間ですらこんな力は持っていない。

それは他者を害するものではなく、何かもっと別の。

 

そして気づけば。

動くビーストマンは一人も残っていなかった。

誰も彼もが気を失い地に伏している。

 

 

奇跡だ。

 

 

誰かが言い出した。

その通りだとドラウディロンも思う。

この時、祖父から聞いた話を思い出す。

 

100年の揺り返し。

 

それは一定の間隔でこの世界に神が舞い降りるとされる昔からの言い伝え。

六大神や八欲王がそれに当たるとされているがそれ以降は主だった神の降臨は確認されていない。

祖父の話によると13英雄の中にも神がいたらしいが一般には知られていない。

なにはともあれだ。

それらの話は全て大昔の話でありドラウディロンには関係の無い話だった。

正直に言うなら神という存在すら疑っている。

恐らく神と形容されるほど強き者が居ただけで、ただの言葉のあやではないかと。

そう思っていたのに。

 

 

「ま、まさか…」

 

 

祖父からの話で以前、神が降臨したとされる時期を思い出す。

そこから計算していくと確かに符合する。

八欲王が来てからは約500年。

13英雄から数えれば約200年。

 

 

「ほ、本当に実在したのか、神は…。いや、ぷれいやーは…」

 

 

先ほどまでの絶望などどこへやら。

劇的な変化についていけずただただ茫然と立ち尽くすドラウディロン。

 

ただ一つ、願わくば。

八欲王のようにこの世界に害を齎す悪神でないことを祈るだけだ。

ただ、なんとなくそうではない気がする。

 

ここからでも感じるその神々しきオーラ。

先ほど感じた救いのような優しき魔力。

今まで感じた何よりも慈愛に溢れている。

 

きっと神は、この神は。

 

世界を救うために現れたのだと。

 

ドラウディロンにはそう思えた。

 

 

 

 

 

 

 

ドラウディロンがそれを目撃したのと同じ時。

 

神を追って竜王国に向かっていたリグリットも遠くの丘の上からその全てを目撃していた。

 

 

「お、おおお…! なんという力…! なんと静かで柔らかな魔力か…! まるでこの世全ての者を許すかのような…」

 

 

その力を前に、年甲斐もなく感動し、涙を流したまま膝から崩れ落ちるリグリット。

 

やはり神はいた。

そしてエ・ランテルを救ったように竜王国も救うのだと。

 

リグリットは確信する。

やはりあの御方は我々人類を救済する為に現れたぷれいやーなのだと。

この世界から闇を斬り払うために舞い降りた救世主なのだと信じて疑わなかった。

 

そう思うと喜びと興奮を抑えられない。

 

 

「見ているかツアーよ…、お主の死は無駄では無かった…。ここにおったぞ、あの悪しきぷれいやー達と対を為す正しきぷれいやーが…」

 

 

かつて共に戦った13英雄のリーダー。

そのリーダーを思い出すリグリット。

まだ世界は終わっていない。

評議国が滅ぼされ、法国も滅んだ。

だがここにいる正義の心を持ったぷれいやーがきっと世界を導いてくれる。

 

そう信じてリグリットは竜王国へと足を向ける。

その足取りは今までよりも軽く希望に溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

多くの者が目撃した奇跡。

 

竜王国の兵士達と、クリスタル・ティア、そしてドラウディロン女王は城から。

神を追って竜王国に来ていたリグリットは遠くの丘の上から。

 

そしてニグン達は制圧した都市の高台から。

 

 

「ニ、ニグン様、あ、あれは…」

 

 

部下の1人がニグンへと声をかける。

 

 

「あ、ああ…。間違いない…、神だ…」

 

 

ここからでも感じるその溢れ出る力に感動に打ち震えそうになる。

 

だが、なぜ、という疑問がニグンを包む。

神は最初、自らがこの国を救おうとはしなかった。

それは自分達を試す為だと思っていた。

しかし都市を解放していくうちにだんだんと自分の行いが正しいのかわからなくなってきていた。

神の力を求め、神に縋りたくなる気持ちで一杯になった今この時。

 

再び神は奇跡をおこされた。

 

まさか自分達の至らなさ、不完全さを理解させる為だったのか。

真なる救済の本質を我々に示すために。

はっ、と思う。

まだ神の奇跡は終わっていないのではないか、そう思う。

 

ビーストマン達を倒すだけならば奇跡足り得ない。

ならば奇跡とは。

奇跡とは、この世の常識を超越したもの。

不可能を可能にすること。

 

ならば、ならば神は。

 

 

「ニ、ニグン様っ!?」

 

 

突如駆けだすニグン。

慌てて部下達がその背を追っていく。

 

 

「ま、まさか神…、あ、あなたはっ…!」

 

 

先ほど感じた神の力。

そこには敵意のようなものなどなく、愛すら感じた。

もしそれが正しいとするなら。

 

 

「あなたはビーストマンすら救おうとお考えなのですかっ…!?」

 

 

頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えるニグン。

そんな発想など生まれてこのかた覚えたことが無かった。

 

だが考えれば不思議でも何でもない。

 

偉大なる神がこの世全ての命を愛し、救おうとしても何の不思議もない。

 

常識で測れない程の慈愛。

信じられないような深き博愛。

何よりも大きな恵愛。

 

だが。

だからこそ神。

どこまでも偉大で至高なる存在。

 

今になって分かった。

なぜ神が最初、この国を救うという自分の提案に難色を示したのか。

それは救いでは無かったからだ。

ビーストマンを殺し人間を救う。

それは神の救済でない。

 

これが、これこそが神の。

 

 

「あぁあぁぁぁああかみぃぃぃいいいい!!!!」

 

 

ニグンの中で何かが弾けた。

まるで最初に神の御業に触れた時のように再びニグンを激しい絶頂が迎える。

 

やがて力なく倒れるニグンだがその表情は形容できないほど緩んでいた。

 

 

 

 

 

 

「わん(うーん、皆起きねぇなあ)」

 

 

仰向けになった獣王の腹を撫でながら名犬ポチは思う。

未だ十万ものビーストマン達は気を失ったままで一向に目覚める気配が無い。

 

 

「わん(説得は後回しとしてとりあえずニグン達を止めるか)」

 

 

そしてスキルを発動する。

それは<中型犬創造>。

最大Lv.40の犬を創造できるスキルである。

別に小型犬でも良いのだが単純に中型犬のほうが足が速いためである。

かといって大型犬にしてしまうとあまり沢山は創造できないので一度に12体まで創造できる中型犬が適切と判断したのだ。

 

 

「わん(よーし、こいつらを使いに出し…うぇっ!?)」

 

 

驚く名犬ポチ。

なぜならそんな光景は初めて見るからだった。

 

近くで倒れている12体のビーストマンに異変が起こったのだ。

突如その手の肉球が風船のように膨れ上がったかと思うとビーストマンの体をその膨らんだ肉球が包んでいく。

やがてそれが全身を覆ったかと思うとその肉球を破り、中から創造した中型犬が出てきた。

 

 

「「「ばうっ」」」

 

「わん(え、え~…)」

 

 

初めて見る光景に目をパチクリさせる名犬ポチ。

 

 

(こ、これはビーストマンを媒介にしたということか…? な、なんで? ユグドラシルじゃこんなことなかったのに。てかカルネ村の時は普通に創造できたよな? あれ?)

 

 

しかし分からないことは深く考えないのが名犬ポチの良い所だ。

 

 

「わん!(まあいい! よくわからんがお前達はこの国の都市へ散れ! もしそこで戦いや争いがあれば何としてでも止めるのだ! そしてニグンという男を見つけた者はすぐに虐殺を止めさせろ! これ以上この国で死者を出させるな! それがお前達の仕事だ! 分かったか!?)」

 

「「「ばうっ!」」」

 

「わん!(よし! ではすぐに行動を開始しろ! 散っ!)」

 

 

名犬ポチの合図と共に12体の中型犬が解き放たれる。

その姿は早く、あっという間に見えなくなる。

 

 

「わん(ふぅ、とりあえずこれで一安心かな。被害を最小限に抑えておけばここにプレイヤーの存在を感じさせなくて済むだろ)」

 

 

疲れた名犬ポチはひと眠りすることにする。

この国は広いので中型犬達が戻ってくるのもしばらくかかるだろうと考えて。

 

 

そして数時間後、戻ってきた中型犬達から無事に命令を達成したと報告を受ける。

ニグンたち純白とも出会えたようで今はこちらに向かってきているらしい。

 

最初はどうなるかと思ったが結果的に上手くいったことに胸を撫で下ろす名犬ポチ。

 

しかしここで一つ気付く。

 

 

「わん(あれ? お前らいつまでいるんだ? もう制限時間は過ぎてると思うけど)」

 

 

目の前にいる中型犬達を見て思う。

とっくに時間は過ぎていはずでもう消えてもいいはずなのに一向に消える気配がない。

むしろ目算では遠くの都市まで言った奴は時間切れで帰ってくる前に消えるとすら思っていたのにそんなこともなく全員が無事に戻ってきている。

 

 

「わん(あっ! まさかビーストマンを媒介にしたからか!?)」

 

 

名犬ポチの読みは合っていた。

ただ、なぜそうなったかまでは理解していなかったが。

 

この世界にきていくつかの魔法やスキルには変化が起きている。

例えばモモンガの使うアンデット作成のスキルでは実際の死体を媒介に創造することで消えないアンデッドが作成できるようになっている。

同じように名犬ポチの犬創造のスキルにも変化が起きていた。

 

それは肉球がある種族を媒介にできるようになるというもの。

もちろん近しいレベルの者には通用しないしレジストも可能なのだが腐っても名犬ポチはカンスト勢。

ビーストマン程度が抗えるはずがなかった。

 

そのこと全てを名犬ポチは理解したわけではなかったがビーストマンが自分のスキルの媒介にできることだけは分かった。

それと同時にいけない気持ちがムクムクと大きくなる。

 

 

「わん(もしかして…、もしかしてだが…)」

 

 

深く考え込む名犬ポチ。

 

 

「わん(こいつら全員媒介にすれば俺の軍団作れるんじゃね?)」

 

 

そのことに悪魔が気づいてしまった。

 

 

「くーん」

 

 

腹を撫でられていた獣王が名犬ポチの言葉に賛同を示す。

生まれ変わって身も心も犬となり果てた獣王は新しき生を堪能していた。

価値観が変われば全てが変わる。

今となっては獣王も名犬ポチに仕えることを何よりも幸せと感じている。

だからこそ彼は名犬ポチの提案に心から賛成しているし嬉しく感じている。

自分の仲間達もこの幸せに包まれるのだから。

あれほど執着していたはずの復讐などもう欠片も覚えていない。

 

 

「「「ばうばうっ!」」」

 

 

周囲にいた12体の中型犬も獣王と同じく賛同する。

 

 

「わん(おー、そうかお前らも賛成か)」

 

 

ニタリと悪魔のように顔を歪ませる名犬ポチ。

いつだって自分の願望を後押しする者達の声ほど頼もしいものはない。

 

 

「わん(じゃあ、しょうがねぇなぁ…)」

 

 

この時を持ってビーストマンの未来は消えた。

 

 

 




次回『世界の中心、名犬ポチ 後編』神の軍勢、ただし弱い。


獣王「幸せ」
ドラウ「神きたー」
リグリット「やはり神」
ニグン「うっ…」
ポチ「眷属たくさん作るマン」


自分で言うのもなんですが宗教のような恐ろしさを感じる。

たまたま休みが取れたのですぐ続きを書けました、ただ意図せず3部構成になってしまったので早く次を投稿できるように頑張りますー。
しかし書いているとなんでどんどん長くなっていくんだろう。


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世界の中心、名犬ポチ 後編

前回までのあらすじ!


悲報、ビーストマン終わる。


「わん(俺は課金アイテムが大好きだ)」

 

 

名犬ポチは課金アイテムを手に持ちそれを掲げる。

 

 

「わん(便利で都合の良い夢のようなアイテムだからだ)」

 

 

モモンガに負けず劣らず金をつぎ込んでいる名犬ポチは多くの課金アイテムを所持している。

とはいってもその99%がガチャの外れアイテムだが。

効果もそのほとんどが大したことがなく、いつもよりは便利になるというレベルのものがほとんどだ。

無いよりはあった方がいいよね程度。

 

しかし、この外れアイテムと名犬ポチはある意味で相性が良い。

本来ならばガチャの外れは基本的にゴミだが名犬ポチにとっては少し事情が違う。

 

例えば低位のスキルや魔法で消費する魔力を1にするというアイテムがある。

序盤の序盤ならいざ知らず、カンスト勢であれば言わずもがな文字通りただのゴミに過ぎない。

レベルが上がってから低位の魔法など撃つことなど無いからだ。

 

とはいえ、使いどころさえ見極めればそのようなゴミアイテムでも非常に素晴らしい物となる。

 

名犬ポチが現在手に持っている課金アイテム、それはスキル使用後のクールタイムを無くすというもの。

低位のスキルまでしか対応していないゴミクソアイテムだがこの場においては有用だ。

 

 

「わん(これで中型犬を死ぬほど創造できるぞ…クックック…)」

 

 

名犬ポチのスキルや魔法は弱い。

本来は中位スキルに該当するはずの中型犬創造だが、ゲームシステム的には低位に分類されている。

基本的に他のプレイヤーと比べて同レベルの魔法やスキルでもランクが落ちるのだ。

他のプレイヤーにとっては上位でも名犬ポチでは中位相当だったりする。

 

これがどういうことかというと。

例えば、モモンガならば上位アンデッド創造でレベル80まで創造できるが、それに対応する名犬ポチの大型犬創造はレベル60までしか創造できない。

名犬ポチにとって大型犬創造は上位スキルではあるが、性能的にゲーム内では中位スキルに分類されていた。

だから課金ガチャの外れアイテムでも名犬ポチにとってはランクが一段上がると言っても過言ではない。

本来は喜べることではないが。

 

蛇足だが、レベル60が上限というのはハッキリ言って問題外である。

上位物理無効化Ⅲというスキルがある。

これはレベル60以下の存在による物理攻撃を無効化するものだ。

他にもレベル60以下の存在による魔法やスキルを無効化するものもある。

このようにレベル60というのは一つのボーダーであり、カンスト勢にとっては文字通りゴミなのだ。

 

以上の理由でいくら眷属を創造してもプレイヤーには通用しないが、それでも肉壁にはなるだろうし逃げる際の囮に使えると名犬ポチは考える。

 

ちなみにビーストマンでは大型犬は創造できなかった。

媒介とする者が弱いと上位になる者は創造できないらしい。

 

 

まぁなんやかんやで。

日が暮れ始める頃には、ここにいた10万のビーストマン達は全て中型犬に生まれ変わっていた。

名犬ポチを囲むように大量の犬がおすわりをしている。

 

 

「わん(壮観だ…! 溢れかえる程の犬! 犬! 犬! クハハハ! あの忌まわしいネコ野郎にも見せてやりたかったぜ、この犬天国をよぉ!)」

 

 

高笑いをする名犬ポチ。

彼は今、なぜか無性に機嫌が良かった。

 

 

「わん(しかし、ここでただニグン達を待っててもラチが明かねぇな。おい、お前ら迎えに行ってこい)」

 

「「「ばうっ!」」」

 

 

名犬ポチの指示を受けた百体程の中型犬が純白目指して走り出す。

 

 

「わん(よし。次はこの国でお前らが落とした都市だな。まずは各都市に一万ずつ向かい都市全域を制圧しろ。制圧後は俺が到着するまで現状維持、誰も逃がすな)」

 

「「「ばうっ!」」」

 

 

その指示を受け大多数の中型犬がそれぞれの都市へと散っていく。

 

 

「わん(ここに残った半分は遊撃部隊として各地に点在する小さな村や施設の制圧だ。もしすでに異変に気付き逃げ回っている奴等がいればそいつらも確保しろ。いいか、国から誰も出すな。もう半分は俺に付き従え)」

 

「「「ばうっ!」」」

 

 

先ほどと同じように残った半数の中型犬が颯爽と飛び出し駆けていく。

彼等はいずれも命令を完璧に認識しており一切のロスなく伝わる。

それを見て名犬ポチは思う。

 

なんて気持ちいいんだ、と。

 

これもうニグン達いらねんじゃね?と思うが今までの付き合いで情が湧いてないと言えば嘘になる。

それにニグンの暴走が無ければ自らがここに来ることも無かったし、大量の眷属を作ることもなかっただろう。

まぁ多少は評価してやってもいいか、そう思う名犬ポチであった。

 

 

 

 

 

 

 

一方その頃、ニグンを含め純白の面々は名犬ポチの元へ急ぎ向かっていた。

 

 

「ねー、ニグンちゃーん、もう休もうよー」

 

「何を言うかクレマンティーヌ、一刻も早く神の元へ向かわなければ! お前はあの奇跡を見て何も思わなかったのか!? ああ、今すぐ神に会いたい! 拝みたい!」

 

「って言ったってさー、この広い国を歩いて横断するなんて無茶だってー。少なくとも今日はこの辺で休んで明日また出発しよーよー。で、どっかの都市で馬車でも調達しなきゃやってらんないって」

 

「申し訳ありませんが私もクレマンティーヌに賛成です。気持ち的にはニグン殿と全く同じなのですが部下達の顔にも疲労が見てとれます。このままでは着いてこれない者も出てくるかと。首都まではまだかなりの距離があるため休息は取らざるを得ないでしょう」

 

「むぅ、確かに…。致し方ありませんな…」

 

 

渋々とクアイエッセの説得に応じるニグン、しかし。

 

 

「ばうっ!」

 

 

遠くから謎の集団が鳴き声を上げこちらへ向かってくる。

その速度は凄まじく、豆粒のようにしか見えないと思うや次の瞬間には目の前まで迫っていた。

そしてその集団はニグン達の前でピタリと止まる。

そのままニグン達を囲むように待機を始めた。

 

 

「ばうっ!」

 

「び、びっくりしたー! て、てか何こいつら! 襲ってくる気配はないみたいだけどやばいって…! こいつら全員私より強いよ…! あ、兄貴なんとかできる…?」

 

「厳しいな…。手勢をフルで召喚して一匹攻略できるかどうかといったレベルだ…」

 

 

クレマンティーヌとクアイエッセの会話に純白の面々が青褪めていく。

この二人にそう言わしめる存在が目の前に百体余りもいるのだから。

 

 

「この気配…、まさか…」

 

 

ニグンがふらりと前に出る。

 

 

「ニ、ニグンちゃんやばいって! 下手に刺激しないほうが…」

 

 

クレマンティーヌの言葉など耳に入っていないのか、そのまま謎の集団の前までニグンは歩を進める。

 

 

「もしやお前達は神の使いなのか…?」

 

「ばうっ!」

 

 

ニグンの問いを肯定するように返事し頷く犬達。

 

 

「えっ、そーなの!?」

 

「なんと…!」

 

 

驚き目を丸くするクレマンティーヌとクアイエッセ。

 

 

「ばうばうっ!」

 

 

そして背に乗れと言わんばかりに犬達が姿勢を低くし背中を向ける。

 

 

「これは背に乗れ、という意味でいいのでしょうかニグン殿…」

 

「ええ、そうでしょう。それに見てみれば我々と同じ数だけいます。神が我らのために遣わせてくれたと見て間違いないでしょう」

 

「てことは歩かなくて済むの!? やったー! 神様さいこー!」

 

 

犬達の指示の通りに背に乗る純白達。

全員が乗ったのを確認すると犬達が駆けだす。

 

人の足ならば時間がかかるであろう距離も瞬く間に踏破していく犬達。

 

 

「おお、なんという速さ…!」

 

「これほど早い獣は見たことがありませんね…!」

 

「うひょー! 気っ持ちいいー!」

 

 

大の大人が犬の背に乗り大地を駆けていく様はある意味壮観ですらあった。

現地の者はどう認識するかはわからないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

数時間後、もうすっかり辺りも暗くなった頃。

名犬ポチの元へニグン達が到着した。

 

 

「おおお! 神ぃぃ! 遠くにいても奇跡の波動を感じ取ることが出来ました! それにこの者達! この者達は一体どこから…! おや…?」

 

 

ここに来てニグンは気づく。

ここにいたはずのビーストマンの軍団が一匹残らずいなくなっていることに。

 

 

「か、神…? こ、ここにいたビーストマン達は一体どこに…?」

 

「わん(目の前にいるだろ)」

 

 

名犬ポチが目の前にいる犬達を指差す。

 

 

「なっ…!? ま、まさか…!?」

 

 

ニグンの顔が驚きに染まっていく。

 

 

「わん(くっくっく、ああ、そうだ。こいつらを纏めて俺の眷属にしてやったんだ…。どうだ、ニグン。少しは俺の恐ろしさを再認識したんじゃないか? 種族の尊厳も何もかもを、俺様の勝手な都合だけで書き換えるこの極悪ぶりによぉ!)」

 

 

高らかに宣言する名犬ポチ。

目の前で震えているニグンを見てわずかに自尊心を取り戻す。

 

しかし、ニグンの耳にはどうやら途中から入っていなかったようだ。

 

 

「んあああぁっ! 神ぃぃいー! 流石です! 哀れで救われないビーストマン達を神の名の元に浄化し救済するとはぁ! なるほど…! なるほど、なるほどぉーっ! これが…、この姿こそがビーストマン達の真の姿なのですね! ああ、素晴らしい! まるで神を連想させるようなフォルム! その佇まいから感じる威厳! ああ、このニグン感服いたしました…! 長い歴史の中、俗世で穢れ、歪な姿へと変わってしまった哀れなビーストマン達…! 彼らを、彼らを再び正しき道へと戻す為に貴方はこの地へと来られたのですね!? ああ、お許しください神よ、このニグンそこまで考えが至りませんでした…!」

 

「わん(俺もだよ、やっぱ頭おかしいわお前)」

 

 

名犬ポチの突っ込みなどどこ吹く風。

ニグンはただひたすら神へ感嘆の言葉を紡いでいく。

 

その時、不意に首都の門が開き、竜王国の軍隊であろう者達が出てきた。

先頭にはなぜか足丸出しの服を着た少女の姿が見て取れる。

 

 

「わん(ん? なんだあいつら? なんか仰々しいけどこれからパレードでもすんのか?)」

 

 

名犬ポチがそう思ってしまう程に彼等は着飾り、また綺麗な隊列を為していた。

 

 

「おや…、あれは…」

 

「わん(なんだニグン、知ってんのか?)」

 

「ええ、何度かお会いしたことがあります。先頭を歩く少女、あれはこの国を統べるドラウディロン・オーリウクルス女王です」

 

「わん(ふーん)」

 

 

彼らは名犬ポチの前まで来るなり、全員が一斉に膝を付き頭を垂れた。

先頭を歩いていた少女が口を開く。

 

 

「私はこの国の女王、ドラウディロン・オーリウクルスと申します。まずはこの国を救って頂いたことに深い感謝を。そして、本来ならばすぐにこの場に現れなければならなかったにも関わらず来ることが遅れたことを謝罪させて下さい。現在、我が国は混乱の極みにありました。貴方様の手によってビーストマンから救って頂いたとはいえ未だ民達の混乱は続いております。諸々の手続きや、民達を宥めるのに時間を要してしまいました。どうかお許し下さい」

 

 

それを聞いた名犬ポチの感想はこうだ。

やべぇ、何言ってるか全然わかんねぇ、であった。

 

 

「わん(おい、ニグンどういうことだ)」

 

「ああ、神。彼らはこの国を救ってくれた感謝を告げにきたのです。しかしビーストマンの襲撃で国は混乱の極みにあったのでしょう。今は解決したとはいえ、民達の混乱はいまだ続いているはず。女王自らが首都から出るというのはいささか時間が必要だったのでしょう。それに付け加えるならば、使いを出そうと思えば出せたが使いの者に謝辞を伝えさせる、あるいは城まで足労を願うのは無礼にあたるのではと考え女王自らがこの場に足を運ぶことを選択したが思いの他時間がかかってしまった、そんな所でしょうか? ドラウディロン女王」

 

 

ニグンの問いかけにドラウディロンが頭を上げる。

 

 

「そ、その通りです。はっ! お、お主は…! 陽光聖典のニグン隊長ではないか!」

 

「ええ、お久しぶりです女王」

 

「なんと! 再びまた会えるとはな! 法国は滅んだと聞いておったが無事だったのだな! 他の者達も生きているのか?」

 

「いいえ、残念ながら法国で生き残ったのはここにいる者達のみです」

 

「そ、そうか。それは済まぬことを聞いた。しかし、そちらにいる御方は一体何者なのであろうか? や、やはりその、神であらせられるのか?」

 

「ええ、その通りです! この御方こそが神! この世全てを救うために舞い降りた気高くも美しく至高なる神です!」

 

「おお…!」

 

 

ドラウディロンが羨望の眼差しで名犬ポチを見つめる。

だが名犬ポチは訝しんだ様子でドラウディロンを見返している。

 

 

「わん(しかしこんな子供が女王? この国はどうなってんだ? お飾りの王を掲げる決まりでもあんのか?)」

 

「い、いえ神、ドラウディロン女王はですね…」

 

 

そのやり取りに思わずドラウディロンが反応する。

 

 

「か、神は私のことを何か言われているのか!? ニ、ニグン殿! か、神は何と!?」

 

「そ、それは…!」

 

「いや、いい! 言葉を選ばずありのまま伝えてくれ!」

 

「そ、そうですか…。では…」

 

 

妙な緊張感に唾を飲むドラウディロン。

 

 

「あ、貴方様をその…、偽りの、王だと…」

 

「!!!」

 

 

一気に血の気が引くのを感じるドラウディロン。

この姿が本来のものではないと見抜かれている、そう確信する。

 

 

(しまった…! いつものようにこの姿で来てしまったが失敗だった…! 確かにこれは仮の姿…! 本当の姿を隠し謁見をするなど、どう考えても失礼にあたってしまうではないか…! バカ! 私のバカバカ! 先ほどから感じる神からの視線はそういうことか…! 痛恨のミスだ…!)

 

 

自己嫌悪に陥るドラウディロン、しかし同時に流石という思いもある。

一目見ただけでこの正体を看破されたことは一度も無かったからだ。

 

 

「も、申し訳ありません! い、今すぐに」

 

「わん(ああ、そういうことか。いい、気にするな。必要なことなのだろ? 疲弊し混乱した国を動かすためにはそれも致し方ないことか…)」

 

「おお、さすが神、なんと寛大なるお心…! お喜びを、ドラウディロン女王。神は貴方がそれをする必要性を理解しておいでです。だから気にするな、と」

 

「な、なんと…!」

 

 

神の寛大さに思わず涙が出そうになるドラウディロン。

その言葉だけで今まで子供の振りをし、様々な場所でかわい子ぶって交渉してきた心の痛みが救われるようであった。

それと同時にニグンも感動していた。

彼等法国はドラウディロンが本当は子供ではないことを知っている。

しかしそれを説明せずとも神はそれを看破し、またお許しになった。

彼女がそれをする必要性までも見抜いたからだ。

ああ、なんと聡明でお優しき方なのだとニグンは頬を濡らす。

 

 

ただ名犬ポチは「リアルでも政治家が人気取りの為に歌手とか俳優とか呼んだりする時あるからなぁ。まぁある種のアイドルみたいなもんか。そこまでしなきゃならんとは大変だなぁ」とか思っていた。

 

 

「か、神よ! 私としては国を救って頂いたお礼に貴方様を招きたいと考えているのですがどうでしょうか? 粗末ではありますが宴の準備も行っております!」

 

「わん(あー…)」

 

「どうかされたのですか神?」

 

 

何か思い悩む様子の名犬ポチにたずねるニグン。

どうしたもんかといった様子で名犬ポチが答える。

 

 

「わん(いやなぁ、今この国の各都市に眷属の犬どもを撒いてんだよ。それで制圧するように命じてるから先にそっち行って回収しなきゃなぁと…)」

 

「な、なんと神…! す、すでにそこまで…!」

 

「ど、どうなされたニグン殿!? か、神はなんと仰られているのだ!?」

 

「か、神はすでにこの国の都市を解放する為に自分の手の者を向かわせているようです。都市を奪還するのは時間の問題かと…。なので自らがそちら赴きたいとのことです」

 

「な、なんと!? う、奪われ占拠された都市まで救って頂けるというのか!?」

 

 

予期せぬ僥倖に喜びを隠せないドラウディロン。

ビーストマンに奪われもう見捨てるしかないと思っていた都市を再びこの手に取り戻せるとは。

 

 

「い、生き残りがいたら助けて貰うようにお願いできないだろうか!? だ、大事な民なのだ! 生きている者がいるなら一人でも多く救いたい!」

 

 

涙目でニグンへと訴えるドラウディロン。

わずかでも生きている者がいるならばなんとしてでも救いたいと彼女は願う。

 

 

「心配せずとも神はきっと最初からそのおつもりですよ。あの御方は人々を…、いえ、この世界に生きとし生ける者を救済する為に降臨なされたのですから…」

 

 

 

 

 

 

自分の眷属に乗り純白の面々と共に近くの都市を目指す名犬ポチ。

 

先ほどの話の後、なぜか女王も着いてきたいというので同行を許した。

子供だから色んなことに興味津々なんだろうなぁとか名犬ポチは思う。

他にはこの国の宰相も着いてきたが、まぁ保護者みたいなもんか、そう考える。

 

犬達に乗った一行はあっという間に近くの都市へと到着する。

 

 

「な、なんと…! この距離をこんな短時間で…! さ、さすがは神の眷属だな!」

 

 

名犬ポチの創造した犬達の足の速さに感動するドラウディロン。

だが都市の内部へと入るなりその表情はすぐに曇ることになる。

至る所に人々の死体が転がっているからだ。

無残に散らばる愛しの民達。

守る事もできず、見捨てるしかできなかった。

改めて自分の無能ぶりを理解する。

今はただ願うだけだ。

一人でも多く生き残っていますようにと。

 

 

「わん(ふむ、制圧はもう終わってるな)」

 

 

都市の中央にある広場には、名犬ポチの犬達によってビーストマン達が集められていた。

 

 

「わん(あれ? さっきの奴らと少し雰囲気が違うなぁ)」

 

「神よ、どうやら都市に残っているビーストマン達は非戦闘員のようです」

 

「わん(え、そうなの? あー、ってことはさっきの奴等より弱いってことか。これ中型犬作れるのかな?)」

 

 

とりあえず近くにいるビーストマン達にスキルを発動する名犬ポチ。

しかし彼らを媒介に中型犬を創造することはできなかった。

試しに小型犬を創造してみるとそちらは上手くいった。

 

 

「わん(あー、なるほど。小型犬ならいけるか。レベル20まで落ちるけどまぁいないよりはマシだろ)」

 

 

そう考えて次々とビーストマン達を小型犬へと変えていく名犬ポチ。

後ろで見ていたドラウディロンはただただ驚愕していた。

 

 

「ニ、ニグン殿!? か、神は何をしておいでなのだ!? ビ、ビーストマンが次々と…!」

 

「驚かれるのも無理はありません。神はビーストマン達を救済しておいでなのです」

 

「ど、どういうことだ!?」

 

「洗礼ですよ。彼等は今、神の力によって浄化され生まれ変わっているのです。ほら見て下さい、全ての罪を洗い清められた彼等の姿を。まるで違う種族に生まれ変わったかのような変化でしょう? きっとあれがビーストマン達の本来の姿なのです…」

 

「な、なんと…!」

 

 

衝撃の新事実にただ震えるドラウディロン。

 

 

「ま、まさか私達が乗ってきたこの者達もか!?」

 

「ええ、そうです。彼らはビーストマン達の戦士達でしょう」

 

「な、なるほど。どうりでどこにも姿が無かったわけだ…」

 

 

ドラウディロンは名犬ポチはビーストマン達を倒す所は見ていたが中型犬を創造する瞬間は見ていなかった。

その時は神への挨拶に向かうためにてんてこ舞いだったのだ。

 

 

「わん(ふぅ、こんなもんか)」

 

 

全てのビーストマン達から小型犬を創造した名犬ポチが一息つく。

その時にふと周囲に散らばる死体へと目が移る。

人間達の死体に混ざってビーストマンの戦士達の死体もわずかだが見受けられる。

彼等はこの都市を攻めた際に死んだビーストマン達だった。

 

 

「わん(ふむ。数は少ないがただ捨ておくのも勿体ないか)」

 

 

そう考えた名犬ポチは魔法を発動させる。

それはニグンが何度も見てきた魔法。

最も分かり易く、最も偉大なる神の魔法だ。

 

 

「わん(《ワイデンマジック/魔法効果範囲拡大》《グレーター・レイズ・ドギー/犬の上位蘇生》)」

 

 

魔法強化によって蘇生の範囲が都市全てへと広がる。

 

都市中を聖なる光が包み込む。

白く輝く光は全てを慈しみ、また許すかのように降り注ぐ。

 

ドラウディロンは驚きを隠せない。

視界全てに広がる救いの光。

それを浴びた人々が次々と息を吹き返していく。

 

涙を流し感動に打ち震えるニグンにドラウディロンが問いかける。

 

 

「ニ、ニグン殿これは!? か、神は一体何を!?」

 

 

聞いておきながらなんだがドラウディロンにはもう分かっている。

ただその事実が規格外過ぎて受け止めきれないだけだ。

 

 

「見て分かりませんか? これが、救済です」

 

 

その一言でやっと目の前の出来事を受け止めることができた。

それと同時にドラウディロンの感情が決壊する。

 

少ない言葉でも伝わる。

 

今、目の前に奇跡がある。

奇跡が起こっている。

 

失われたはずの命が。

自分が愛した民達が戻ってくる。

 

 

「うぁあああっ…!」

 

 

泣き崩れ、ただ神に感謝するドラウディロン。

 

自分が無能なせいで死んでいった民達。

皆、このやせ細った国で慎ましく質素に生きてきた。

真面目に働き、皆で助け合いながら必死に生きてきたのだ。

死んでいい者など一人もいない。

 

そんな彼らは、力で全てを奪われ、理不尽に殺された。

それはあまりに凄惨でこの世界を呪ってしまいたくなる程だった。

だが何もかもが変わっていく。

二度と取返しがつかないはずだったのに。

 

 

「皆帰ってくるのか…? 戻ってくるのかあの日々が…!?」

 

 

もう終わりだと思っていた。

この世に救いなんてないと思っていた。

だがそんな絶望などまるでどこにも無かったかのように神が世界を変えていく。

 

 

「私も最初はこの奇跡の前に取り乱し我を失いました。だから女王、どれだけ泣いたって恥ではありませんよ。これは人の領域の技ではない。まさに、神が神たる所以といったところです。貴方は、いえ、竜王国は救われたのです」

 

「ああああぁああっ!」

 

 

膝を付き、天を見上げ泣きじゃくるドラウディロン。

横にいる宰相も同じように泣き崩れている。

 

それを見てニグンは微笑ましいと思うと同時に神の偉大さに心を震わせていた。

 

 

しかし名犬ポチはこの時「なんか後ろで泣いてる奴がいてうるせぇな」とか思っていた。

 

 

ちなみに本来であれば《ワイデンマジック/魔法効果範囲拡大》を使っても蘇生魔法の効果が都市一つに及ぶなどあるはずが無い。

これは種族オーバードッグで習得できるスキルによる為である。

 

<Barking dogs seldom bite(バーキング・ドッグス・セルダム・バイト)/弱い犬ほどよく吠える>

 

種族オーバードッグのパッシブスキル。

自分のステータスが半減するというありえないデメリットを持つ。

このスキルのおかげで本来は66レベル相当あるステータスが33程にまで下がっているのだ。

 

このスキルの効果として魔法やスキルの効果までも下がってしまうのだが、引き換えにエフェクトが派手になり消費魔力も減る。

 

エ・ランテルで使った《ピー・テリトリー/犬の縄張り》もこの理由で範囲が広がりエフェクトも派手になっていたのだ。

 

ハッキリ言うならばハッタリかますためのスキルである。

この神々しい見た目ほど魔法やスキルの効果が強いわけではないのだから。

 

この世界のレベルが低いためにそのエフェクトに相応しい効果に思えるだけでありユグドラシルではクソの役にも立たない。

《グレーター・レイズ・ドギー/犬の上位蘇生》もレベルダウンこそないものの、ユグドラシルでは使った所で瀕死の状態でしか蘇れない。

ただここでは皆のレベルが低すぎて、蘇生した際に定められている復活時のHP上限にそのHPが届いていないだけなのだ。

例えば、HPが500でしか復活出来ないと仮定した場合、HP8000の者ならば厳しい数値だが、HPが100しかない者であれば最大HPで復活できる為、上位の蘇生魔法と効果が変わらない。

 

話は戻るが、このようにデメリットしかないと思われる<Barking dogs seldom bite(バーキング・ドッグス・セルダム・バイト)/弱い犬ほどよく吠える>だが存在理由はちゃんとある。

それこそが種族オーバードッグの強みであり、存在する意味と言ってもいいだろう。

 

だがこのスキルが真価を発揮するのは今ではない。

 

 

 

都市中の者を蘇生した名犬ポチは近くの犬達に命令を下す。

 

 

「わん(よし、今ので生き返ったビーストマン達を全員ここに連れてこい)」

 

 

彼は生きているビーストマンが欲しかっただけで人間などどうでも良かったのだ。

そんなことだとは露知らず、ドラウディロンが泣きながら名犬ポチに頭を下げ何度も謝辞を告げる。

それを見た名犬ポチはやれやれと肩をすくめる。

 

 

「わん(おいおいニグン、この嬢ちゃんが何で泣いてるか知らないが言ってやれよ。まだまだこれからだとな…!)」

 

 

そうだ。

まだ悪夢は始まったばかり。

名犬ポチの蹂躙は都市の数だけ行われるのだから。

 

 

 

 

 

 

全ての都市を廻り終え、同様の行為を行った名犬ポチ。

結果として。

小型犬20万。

中型犬が+1万で計11万。

総勢31万に及ぶ眷属を手に入れることに成功した。

 

 

「わん(クハハハ! これだけいれば好きなだけ壁と囮に使えるぞ!)」

 

 

そうして高笑いしている名犬ポチに彼の眷属達がすり寄ってくる。

どうやら皆、お腹を空かせているらしい。

 

 

「わん(お、そうか。エサやんなきゃな。あー、でもこの数にやるのは面倒だなぁ…。おいニグン! 代わりにエサやっといてくれや。ほいこれ)」

 

 

そう言ってニグンに一つの紙袋のような物を手渡す。

 

 

「か、神よ。エサをあげるのはいいのですがこれ一つですか…? あ、あのこれ一つではとてもではないですが足りないのでは…」

 

 

ニグンの疑問も最もである。

手に持てる紙袋一つに入ったエサをどうやって30万を超える犬達の腹を満たすのか。

 

 

「わん(ああ、大丈夫だよ。それ無限の犬のエサ(ザック・オブ・エンドレス・ドッグフード)って言って逆さにすれば無限にドッグフードが出てくるから)」

 

 

言われた通り紙袋を逆さにしてみるニグン。

そうすると名犬ポチの言うように大量のドッグフードが袋の中から零れ出て、あっという間にニグンの腰ほどまである山を作った。

 

 

「わん(だろ? これがあれば犬達のエサは困らないからさ。やっといてくれよ)」

 

 

無限の犬のエサ(ザック・オブ・エンドレス・ドッグフード)

それは無限の水差し(ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター)のように無限にドッグフードが出てくる袋である。

ただ無限に出てくるだけあって中身のレベルは低い。

ユグドラシルにおける犬のエサの中で最も下位の物である。

何のバフも無ければ特殊な効果もない。

ただ犬達の腹を満たすだけというアイテムである。

 

であるのだが。

 

そのアイテムを前になぜか固まるニグンと横にいるドラウディロン。

 

名犬ポチは気づいていなかった。

この世界において、という条件付きではあるがある意味でこれは今まで名犬ポチが為してきた数々の奇跡さえ凌駕しかねないということに。

 

 

「む、無限にこの食べ物を出し続けることが出来るのですか、こ、このアイテムは…!」

 

「わ、わん(そ、そうだけどどうしたの? そ、そんな顔して…、こ、怖いよ…。ね、笑おう、笑ってよ…)」

 

 

ニグンのただならぬ気配に怯える名犬ポチ。

なぜニグンがこれ程に思いつめた表情をしているかわからないからだ。

わからないものは怖い。

名犬ポチはニグンの次の言葉を恐怖しながらただ待つことしかできない。

 

 

ニグンは思考していた。

このアイテムの価値と意味を。

 

無限に食物を生み出すアイテム。

これが事実だとすればとんでもない。

これは世界を変えてしまうアイテムだ。

これ一つで価値観が一変する。

世界の在り様が、仕組みが変わってしまう。

 

なぜならば。

この世界から争いが無くなるかもしれないからだ。

 

それは人間に限らず、亜人種も動物も、魔物も何もかも。

生き物が争いを始める最初の理由、動機は何か。

 

食べるためだ。

 

対象を殺し食す、あるいは奪う。

その為に争いが生まれる。

他者を攻撃する。

それはどんどん大きくなり戦火は広がる。

土地を奪う為に、財産を奪うために争いは大きくなる。

国同士の戦いに発展する。

そして争いは様式化していく。

建前が出来る。

他の事に価値を見出すようになっていく。

嗜好品も、金貨も、美術品も、地位も、強さも、名誉も何もかも。

餓える直前になれば全て意味を失う。

綺麗ごとや誇りなどを語っても、その根源は餓えないためだ。

 

腹を満たすために皆が争う。

 

満たされても戦争は無くならないじゃないかという者はいるだろう。

だが違う。

この世界にいる全ての者が満たされることはないからだ。

誰かがどこかで争いを始める。

 

それに食物というのは不変ではない。

多い時もあれば少ない時もある。

今は良くてもいつか無くなるかもしれない。

収穫できなくなるかもしれない。

だから富む者はさらに富もうとする。

上限なんてない。

あればあるだけいい。

欲は尽きないのだ。

どれだけ富もうが未来永劫、腹が満たされる保証などないのだから。

満たされる者も満たされない者も。

誰もが戦いをやめない。

争いは無くならない、永遠に。

 

それが世界。

 

そのはずなのに。

 

神が差し出したこのアイテムはその全てを変えてしまう。

 

ニグンはやっと片鱗に触れた気がした。

神が求める終着点。

真理。

 

それはこの世界から争いを無くすことなのだと。

 

神の行動原理はそれなのだ。

今はその為の土台作りに過ぎない。

今ある問題を片づける。

それからなのだ。

ニグンが奇跡と呼び崇めた行為はその前段階に過ぎなかったのだ。

まだ自分は理解していなかった。

 

ああ、救済とは。

救済の行く末とは。

救済が無い世界。

救済の必要がない世界。

 

ニグンはやっとたどり着いた。

神の思考へ。

未だ聖職者の誰もが真の意味でたどり着けなかった場所へ降り立ったのだ。

その手段すらも手にいれて。

 

 

深い思考の中から意識を取り戻すニグン。

 

 

「…神よ」

 

「わ、わん(な、なにどうしたの)」

 

「今やっと貴方の思考に指先が触れたように思えます。ああ、言葉に形容できない程に偉大で、慈愛に溢れ、なんと深いのでしょう…。これからはより一層、神の為に精進することを誓います…」

 

 

狂信、妄信。

そんな領域を超えた先にニグンはいる。

その瞳は世界を映していても見えているのは神だけである。

 

 

「わん(な、なんか怖いよニグン、やめてぇ見ないでぇ…)」

 

 

新たな恐怖に身を震わせる名犬ポチ。

だがまだ終わりではない。

 

ニグンの横にいたドラウディロンが突如、頭を下げ名犬ポチに懇願する。

その勢いと気配は今までの比ではない。

それもそのはずだ。

今ドラウディロンの背には竜王国の全国民の命がかかっているのだから。

 

ドラウディロンがそれに気づいたのは民達が蘇生されている時だった。

 

救われた筈の竜王国。

だがその行く末はやはり破滅しかなかった。

 

神が死んだ民を生き返らせてくれたことに感謝しながらも実は一つの懸念を抱えていた。

それがハッキリと形になったのは何個目の都市だっただろうか。

これ以上、民が生き返ると国が滅ぶ。

 

ビーストマンの侵攻により、今年は作物を収穫する暇がなかった。

それに加え、多くの都市は荒らされ蓄えたものさえも無事ではない。

今や首都に残っている備えも十分ではなく、元々生き残っていた者達だけでも何か月生き残れるのかという量しかないのだ。

もし全国民が生き返った場合。

とてもではないが分け与えられない。

 

ドラウディロンは苦しんだ。

 

奇跡が、自分の前に奇跡が舞い降りたのに。

この国はその奇跡にさえ耐えられない程に脆かった。

歯がゆい。

助かったのに、助からない。

悔しくて悔しくて自分を呪った。

どこまで無能なのだと。

どれだけ愚かなのだと。

夢に見るほどの奇跡を受けたのにそれすら生かせない。

 

そう絶望しかけた時に神が差し出したアイテムを見た。

 

それは全てを解決し救う魔法のアイテムだった。

それがあれば誰も餓えない。

誰も死なない。

国が、滅ばない。

 

 

「か、神よ…。どうか、どうかお願いです…。わ、私に、いや、我が民達にお情けを頂けないでしょうか…。ビーストマンの危機から救って頂き、さらに死んだ者達まで蘇らせて頂いて…。これ以上を望むのは不相応だと、欲深いとは承知しております…。ですが…! ですがどうか伏してお願い致します…! どうか、どうか我が民達にご慈悲を…! 慈悲をお与えください…! もうこの国に民達を満たせるだけの物は残されていないのです…! このままでは皆、餓えて死んでしまいます…! 貴方様のそのアイテムを分け与えて下さい…! 変わりに差し出せる物など何もありませんが…どうか…! お望みなら私の命を捧げます…! 私はどうなっても構いません…! どうかお願いです…! 民達を、民達をお救い下さい…!」

 

 

嗚咽しながら地面に頭を擦り付け懇願するドラウディロン。

 

邪悪な存在である名犬ポチを持ってしても年端もいかぬ少女のその姿にドン引きしていた。

 

 

「わ、わん(い、いや、うん。その別に分け与えるとか全然いいんだけどさ。だって無限に出るし。とはいえ、これって犬用のエサなんだよね、人間用じゃないからあまりオススメは出来ないんだけど…)」

 

「か、神は何と…?」

 

 

恐る恐るドラウディロンが横にいるニグンにたずねる。

 

 

「女王、神はこれを分け与えることについては問題ないと仰られています」

 

「お、おぉぉ…! ま、まことか…!」

 

「ただ神はこうも仰られました。これはシモベの食べ物、つまり神の信徒たる者が口にする物なのです!」

 

「な、なんと!」

 

「この意味は分かりますか?」

 

「も、もちろんだとも!」

 

 

姿勢を正し、ドラウディロンが名犬ポチを見据える。

 

 

「神よ、貴方の寛大な御心とその深い慈しみに感謝を…。今この時より私ドラウディロンは貴方の敬虔な信者となることを誓います…。貴方様を敬い、永遠に仕えます。貴方様に全てを捧げます。どうかお好きに命令を、ご自由にこの身をお使いください!」

 

「わん(ニグーーーン! 何か危ない構図になってねぇかこれぇ! 俺はただ人間の口には合わないって言いたかっただけなんだけどぉー!?)」

 

 

足丸出しの少女に何かさせると大抵のことは犯罪っぽくなってしまうのはもはやしょうがない。

しかし名犬ポチの叫びなどなんのその。

ニグンがドラウディロンへと一粒のドッグフードを差し出す。

それを口に含んだドラウディロンの目の色が変わる。

 

 

「おお、なんたる美味か! 肉のような厚みにしっとりとした感触…! 噛みごたえはまさに最上級の肉を思わせる…! それでいてしつこくなく野菜のようなフレッシュさも兼ね備えている…! こ、これほどの食べ物…、生まれてこのかた口にしたことなどない!」

 

「お喜び下さい神よ! 十分に好評なようですよ!」

 

「わん(あ、そう。いやそういうことを言いたかったわけでは…。あーもういいや…)」

 

 

ていうかユグドラシルでも最低ランクの食い物なんだけどなぁ、こいつら普段何食ってんだと同情を覚える名犬ポチ。

 

 

「申し訳ありません神よ、この食べ物の名前を再度教えて頂けないでしょうか?」

 

「わん(ああ、ドッグフードだよドッグフード)」

 

「なるほど、ゴッドフードですか。何やら神の食べ物に相応しい神々しさを感じさせる名前ですね!」

 

「わん(いや、ドッグフードな)」

 

「はい、ゴッドフードですね」

 

「……」

 

 

もうどうでもいいやと諦める名犬ポチ。

そもそもニグンには固有名詞は伝わらなかった事を思い出す。

 

 

 

この後、ドラウディロンは世界に向けて竜王国は全面的に神に従属することを宣言する。

神の奇跡を受け、救われた竜王国は絶対の信仰を誓うと。

なお、一部の者にはこれが宣戦布告と受け取られるのだが、名犬ポチには知る由もない。

 

それとこの発言は名犬ポチがここにいると宣言するようなものであり、それを知った名犬ポチは地獄に叩き落される気分を味わうことになるがそれはまだ数日後の話であり、この時の名犬ポチは平穏に過ごしていた。

 

さしずめ嵐の前の静けさといったところか。

 

 

 

 

 

 

名犬ポチの奇跡の翌日。

まだドラウディロンが従属を宣言する前の話でもある。

 

名犬ポチを含め、純白の面々はドラウディロンの招待を受け、城で楽しく宴会をしていた。

 

 

「わん!(これうめーなぁ! なんだよ結構いい物食ってるじゃん! 安心したわ!)」

 

「あー、神様それ美味しそー! ね、あーんして、あーん」

 

「わん(うわ邪魔だよ、こっち来るなよクレマンティーヌ!)」

 

「ぶー、神様冷たいー」

 

 

名犬ポチに押しのけられ不満を露わにするクレマンティーヌ。

それを見ていたドラウディロンがふふ、と微笑えむ。

 

 

「仲がよろしいようで何より。神はもっと尊大なものかと思っていたが下々の者と同じような目線で過ごされるのだな。偉大なる人物は驕らないというがそれの最たるものか」

 

「そーだよー! 神様って優しいんだー!」

 

「ええいやめないかクレマンティーヌ! 神にそんな無礼を働くのはお前だけだ!」

 

「離せよバカ兄貴ー! どうせ兄貴だって神様をモフモフしたいだけでしょー! でも変なプライドが邪魔して出来ないから僻んでるだけなんだー」

 

「ばっ!? ち、違うぞクレマンティーヌ! 何を言い出すんだ貴様は!」

 

「あはは! 取り乱しちゃってる! 図星じゃーん!」

 

「ち、違う! ああ、神よ、違います! 違うのです! 私の信仰はもっと、その、高潔で…」

 

 

そんなこんなで騒ぎ続けているとふとドラウディロンが疑問を口にする。

 

 

「そういえば気になったのだがお主たちはどういう役職になるのだ?」

 

「役…、職…?」

 

「うむ。皆がただの信徒というわけではないであろ? 特にお主たちは上に立つ者のようだし色々とその役目があるのではないか?」

 

 

ドラウディロンの問いにニグンやクアイエッセ、クレマンティーヌも目を合わせる。

純白をまとめ上げるリーダーはニグンとなっているがそれ以外は何もない。

 

 

「あ、兄貴、私達って何か役職的なのあんのかな…?」

 

「わ、わからん…。そういえば俺たちが勝手に純白の者達をまとめ上げていたが厳密にはそう命令されたわけではないような…。しかし今後このように神を信仰する者が増えていけば何かしらの役目には就かねばなるまい…」

 

 

疑問に思った三人が名犬ポチへと詰め寄る。

 

 

「神ぃ!」

 

「神よぉ!」

 

「神様ー!」

 

「わん(な、なんだよ飯くらいゆっくり食わせろよ)」

 

「私共に役職をお与え願えないでしょうか!?」

 

「わん(役職?)」

 

「ええ、そうです! 神の信徒として相応しい何かを!」

 

 

司祭なり主教なりそういった物を期待している三人に対して名犬ポチはその意味を理解していなかった。

 

 

(なんだぁ? 二つ名的なやつでいいのかな?)

 

 

考え込み、思いつくとそれを口にする。

 

 

「わん(じゃあニグンは『通訳』だな! お前がいないと始まらねーからな!)」

 

「おお…! そのような名誉ある称号を…!」

 

「何何ー! ニグンちゃん何て言われたのー!」

 

「ふふ、聞いて驚くなよ『神の代弁者』だ!」

 

「何と! 神の声を聞き、神の意思を伝える役割! 栄誉ある最高の役職ではないですか! とはいえ今までの働きからすれば当然のことですね!」

 

 

わいわい騒いでいる中にフラリとブリタが混ざる。

 

 

「皆騒いでどうしたんですか? 私も混ぜて下さいよー」

 

「わん(おー、ブリタいいとこに来たな! そうだ、お前は『髪の毛』だな! 最高の感触だからな!)」

 

「なんと! 聞いて驚くなブリタ! 神はお前に『神の剣』と名乗ることを許されたぞ!」

 

「え? 神の剣て何ですか?」

 

「ムキー! なんでブリちゃんが『神の剣』なの!? どう考えてもそのポジション私でしょー! 返せー!」

 

「く、苦しい、ぐえー」

 

「神の身を守り、また神の敵を打ち倒す剣ですか。確かに才能はありますからね、神はその将来性を買ったのかもしれません」

 

 

クアイエッセの言葉に不満を覚えながらもブリタの才能は認めているので渋々納得するクレマンティーヌ。

 

 

「じゃあじゃあ神様私は!? ブリちゃんより良いのじゃなきゃヤダよ!?」

 

「わん(くっさ! お前酒くっさ! 飲みすぎだろ!)」

 

 

名犬ポチにしがみつき懇願するクレマンティーヌ。

ブリタとクアイエッセをもってしても引きはがせない。

 

 

「わん(分かった! 言う! 言うから! お前はそうだな…。クソ変態濡れマン野郎だから『性女』だな!)」

 

「な、なんと…! クレマンティーヌがですか!? い、いや神がそう仰るなら止めはしませんが…」

 

 

なぜか目が泳ぐニグン。

 

 

「おら! 言えニグンー! 神様は何て言ったんだー!?」

 

「く、首を絞めるな苦しい! か、神はお前を『聖女』だと!」

 

「えっ…『聖女』…?」

 

 

クレマンティーヌの手がニグンの首から離れる。

そしてその手を自身の火照った頬に当てる。

 

 

「だ、だって『聖女』って…。私そんな称号受け取るようなことしてないし…。あっ! ってことはそういう意味だよね!? そういうことなんだよね!? 嘘っ!? 神様私のことそういう風に想ってくれてたの!? きゃー!」

 

 

顔面を抑えてバタバタと暴れまわるクレマンティーヌ。

名犬ポチは知らない。

『聖女』とは神聖な事績を成し遂げた女性に贈られるのが一般的であるがそれ以外の意味合いもある。

神から贈られたとされる場合だ。

基本的に教会に身を置くシスターたちは神にその身と心を捧げるため独身を貫くといった風習がある。

もちろん教えによって差はあるがそう考えるのが一般的である。

そんな彼女らが神から『聖女』という称号を贈られることが何を意味するか。

前述したように何かを為したわけでなければ、神にとって特別な女性であるという意味合いになる。

つまり、この場合においては…。

 

 

「か、神よ! お考え直し下さい! 我が妹のことで本来は喜ぶべきことなのかもしれまんがあれは貴方様に相応しくありません!」

 

「落ち着かれよクアイエッセ殿、神のお決めになったことだ。我々が何かを言うべきではないだろう」

 

「う、ううむ…」

 

 

複雑な思いを抱きながらもなんとか飲み込むクアイエッセ。

なぜなら次に神から栄ある称号を頂くのは自分なのだから。

 

 

「神よ! わ、私は一体何でしょうか!?」

 

 

期待に溢れた瞳で名犬ポチを見つめるクアイエッセ。

この時、名犬ポチの額を一筋の汗が流れる。

 

「わん(クアイエッセか…。うーん、何にもねぇぞこいつ…。そう考えるとこいつって別にいてもいなくても関係ないんじゃ…)」

 

 

純白のメンバーの中で言うならば最強であるクアイエッセ。

だが悲しきかな。

彼は他の者に比べてキャラが薄かった。

あくまで神にとってという話だが。

 

 

「わん(お、俺ちょっとトイレ行ってくるわ)」

 

 

不意に席を立つ名犬ポチ。

 

 

「あっ! 神よ、どこに!?」

 

 

そんなクアイエッセの制止を振り切り全力でダッシュし部屋を飛び出す名犬ポチ。

 

 

「あぁぁあ! 神よぉぉぉおお!!」

 

 

それを追うようにクアイエッセも飛び出していく。

この後、数日間クアイエッセに追われることになる名犬ポチ。

後に名犬ポチは語る。

「あの時のクアイエッセはどうかしてた。舌は飛び出て涎を撒き散らすし、奇声を上げながら四つん這いで走る姿は忘れられない。視線も定まってなかったしあれは気が狂ってますわ」と。

だがそれを語っている最中にもクアイエッセに襲われることになる名犬ポチであった。

 

 

やはり名犬ポチに平穏は訪れない。

受難の日々は続く。




次回『善なる魔王と愉快な仲間達』ずっとデミウルゴスのターン!



ドラウ「救われた、私は神のもの」
ニグン「神の代弁者、やったぜ」
ブリタ「神の剣ってなに」
クレマン「聖女キター!」
ポチ「俺はそんなこと言ってない」
エッセ「神よぉぉぉ…」



竜王国がやっと終わった…。
今回も本来なら二つに分けたいぐらいの分量になってしまったのですがこれ以上引っ張るのもあれなので一話に詰め込みました。
省き気味な箇所もあるので読みづらかったらすみません。

次からまた王国に戻りますのでどうかよろしくお願いします。


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善なる魔王と愉快な仲間達

前回までのあらすじ!



名犬ポチ、竜王国完全掌握。


「な、なんて戦いなんだ…」

 

 

真なる竜王や神人などを除けば、この世界で最高レベルの強さを誇るイビルアイ。

そんな彼女からしてもその戦いは規格外であった。

吸血鬼の動体視力をもってしても目で追うことすらできない。

 

魔王と覇王。

 

両者が空中でぶつかったと思わしき直後、巨大な衝撃波が発生する。

轟音、そして巻き起こる突風。

そのまま何度も連続して衝撃波が周囲で発生し続ける。

周囲の建物が崩れ、瓦礫が飛び散る。

 

 

あまりの凄まじい風圧に近くにいたティアとティナが吹き飛ばされそうになる。

だが咄嗟に、地面にウォーピックを刺して耐えているガガーランにしがみつき事なきをえる。

 

 

「ぐぅおっ!?」

 

 

自分一人耐えるだけでも必死なのにも関わらず、急に二人分の重さがのしかかりバランスを崩しかけるガガーラン。

しかし気合でなんとか持ちこたえる。

 

 

「さすが重量級、ハンパない安定感」

 

「胸じゃなくて大胸筋は伊達じゃない」

 

「ふざけたこと抜かすな! テメーの足でしっかり耐えろ! 人様に迷惑かけんじゃねぇ!」

 

「固いこと言う」

 

「言葉は体を表す」

 

「くっ、後で覚えてろよ…! しかしこりゃやべぇぞ! このままじゃ王都が無くなっちまう…!」

 

「ガガーラン止めてきて」

 

「大丈夫、固いからいける」

 

「ちょっとティア! ティナ! ふざけてる場合じゃないわよ!」

 

 

この状況で悪ふざけを言う二人にさすがのラキュースも檄を飛ばす。

 

 

「お! さすがリーダー! もっと言ってやってくれ!」

 

 

横から入ったラキュースの助けに感謝するガガーラン、しかし。

 

 

「静かにしてくれないとあの人の台詞が聞こえないじゃない!」

 

「え…?」

 

「あースイッチ入ってる」

 

「リーダーああいうのに弱いから」

 

 

彼女達の上空では魔王と覇王が戦いながら言葉を飛ばしていた。

 

 

「これ以上の横暴は私が許しません! この身に代えてでも貴方を止め、この国を守ってみせる!」

 

「ナ、何ヲ言ッテイル!? 気デモ狂ッタカ!?」

 

 

動揺しながらも強烈な一閃を放つコキュートス。

それを紙一重で避けるデミウルゴス、そのまま攻撃に転じようとするがコキュートスの次なる一撃にそれを阻まれ距離を取る。

 

 

「気でも狂ったか、ですか。ええ、そうかもしれませんね。人を愛し、助けようとするその行為が悪魔として狂っていると言うならばね! そして私は狂っていていい! この手で苦しむ人々を助けられるならばどんなことにだって耐えてみせる! 抗ってみせる! 何を言われたって構わない…!」

 

 

謎の迫力を放つデミウルゴスに狼狽するコキュートス。

その隙を逃さず懐に潜り込むことに成功しデミウルゴスが拳を打ち込む。

コキュートスが吹き飛ぶがダメージはろくに入っていない。

 

 

「グゥ…!? ダ、ダガ狂ッテシマッタカラト言ッテ至高ノ御方ヘノ反逆ナド許サレルハズガナイ! オ前ハココデ処分スル!」

 

「反逆などしていませんよ! 至高の御方の為に私は動いているのですから!」

 

「ヌカセ!」

 

 

コキュートスが手に持つ武器で袈裟懸けに斬りかかるが横に避けるデミウルゴス。

しかし瞬時に切っ先を動かし、横に薙ぎ払い追撃するコキュートス。

 

 

「くっ…!」

 

「取ッタ!」

 

 

回避が間に合わないと判断し、両手を体の前で交差させ防御の体勢に入るデミウルゴス。

しかし攻撃が届くその直前。

 

 

「悪魔の諸相:おぞましき肉体強化!」

 

 

瞬く間にデミウルゴスの体が変化する。

体全体が巨大化し肌の色も変わり禍々しい体へ変身する。

まさに悪魔といった風貌。

 

直撃するコキュートスの一撃。

しかし防御力が上がったおかげか致命傷に至らずに防御することに成功する。

 

 

「ホウ、ヤット本気ヲ出シタカ…。ソウデナクテハツマラン。ヤハリ本気ノオ前ヲ倒シテコソ…」

 

「言われずともわかっていますとも! この姿が人々に受け入れられないことぐらい! だが! それでも! どれだけ後ろ指を指されたって構わない! 私は正義のために戦う!」

 

「エッ」

 

「愛を知り! 正義を愛し! 信念を貫くために私は戦うのです! どれだけ醜いと揶揄されようとこの意思だけは誰にも変えられない! 汚せない!」

 

「イヤ、アノ…」

 

「人に害を為すのが悪魔!? ええ、そうかもしれません! だが、だからと言って全ての悪魔が必ずしも害を為しながら生きなければならないといった決まりなどないはずだ!」

 

「デ、デミウル…」

 

「私はもう逃げないと誓った! 悪魔の運命に逆らうことで終焉に飲み込まれることになろうとも!」

 

 

そんな会話をしながらもデミウルゴスとコキュートスの激しい攻防は続く。

 

わずかに距離が開いた際に牽制で追尾する斬撃を放つコキュートス。

あくまで牽制であり、当てるつもりもなければ当たる筈もない一撃。

だがデミウルゴスは完全な回避をせずにフラフラと追尾されるままに距離をとる。

 

頭に疑問符が浮かぶコキュートスはそのまま見ているしかできなかった。

 

そしてデミウルゴスは蒼の薔薇の五人がいる目の前まで行き、なぜか彼女達の壁になった。

 

 

「ぐあああああっ!!!」

 

 

蒼の薔薇を庇うように追尾する一撃を背中で受けるデミウルゴス。

デミウルゴスの後ろにいた蒼の薔薇は無事に済んだが彼女達の周囲には大きなクレーターが出来ていた。

彼女達のいる場所だけを残し、周囲の地面が深く抉られている。

それだけでその一撃の破壊力が理解できる。

 

 

「だ、大丈夫ですかっ!?」

 

 

ラキュースがデミウルゴスへと駆け寄り声をかける。

目の前で繰り広げられたことに頭がついていかずとも何が起こったかは蒼の薔薇の全員が認識していた。

自分達のほうへ放たれた一撃から守る為にこの悪魔は身を挺して庇ってくれたのだと。

 

 

「ええ、もちろん。み、皆さんこそ大丈夫ですか…?」

 

「は、はい。貴方のおかげで…。あっ! それよりも酷い傷です! すぐに手当てしないと…」

 

「ふふ…」

 

「な、何を笑っているのですか…?」

 

 

目の前で笑う悪魔に問うラキュース。

 

 

「いえ、貴方は私の姿を見ても怖がらないのだなと思って。いつも人間にはこの姿だけで疎まれてきましたから…」

 

「こ、怖くないと言えば嘘になります…。で、でも! 貴方の正義を愛する心は私に伝わりました! それに見ず知らずの人々を助けてくれるような優しき方を邪険に扱うことは私にはできません!」

 

 

悲しい瞳をした悪魔にラキュースが高らかに言う。

その言葉で憑き物でも落ちたかのように悪魔が微笑む。

 

 

「嘘でもそう言って頂けると嬉しいですよ」

 

「う、嘘なんかじゃ…!」

 

「それよりも早く逃げて下さい、私が奴を抑えている隙に。さぁ早く!」

 

「で、でもそれでは貴方が…!」

 

「私のことはいいのです! それよりも貴方達には役目があるのではないですか!? まだ各地には逃げ惑っている人々がいるはずです! その恰好を見るに貴方方は冒険者でしょう!? 冒険者は民を助けるために存在するのではないのですか!?」

 

 

ラキュースの目を見つめ強く言い放つ悪魔。

何も言い返せないラキュース。

そんなラキュースの手をイビルアイが横から引っ張る。

 

 

「悔しいがここは甘えさせてもらうしかない! 我々がいても何にもならん! むしろ今のように足を引っ張るだけだ! 行くぞグズグズするなラキュース!」

 

「理解が早くて助かります、さあ早く」

 

「で、でも…」

 

 

誰かを見捨てて逃げる。

自分がいても何も変わらないと理解できてもラキュースにはそれができない。

しかしそれを見透かしたように悪魔が言う。

 

 

「貴方は優しいのですね」

 

「えっ…」

 

「でもね、何も気にすることなどありませんよ。私など助ける価値も無いただの罪深い悪魔なのですから…」

 

「な、何を…」

 

 

目の前の悪魔が蒼の薔薇に背を向け立ち上がる。

 

 

「私の手は血塗られ、この身には呪いが渦巻き、心は醜く爛れている…。ですから、少しでも抗いたいのです。人を助ければ、誰かが笑ってくれれば…。この忌まわしき運命から逃れられるんじゃないかとね…」

 

「あああっ…!」

 

 

ラキュースは自身の心の奥で何かが沸き立つのを感じる。

 

 

「さぁ早く行って下さい、そして出来るだけ遠くへ…。この体に封印されし力を解き放たないとあれには勝てなそうなのでね…。闇の炎に人の身では耐えられない…!」

 

「ああぁーっ!」

 

 

頬が紅潮し熱に浮かされるラキュース。

そのまま腰が砕け倒れ込む。

 

 

「はぁっ…、はぁっ…」

 

「おいどうした!? くっ、仕方ない! ガガーラン、ラキュースを抱えろ!」

 

「クソッ! 肝心な時に世話の焼けるリーダーだぜ!」

 

 

ガガーランがラキュースを持ち上げるとそのまま走り出す蒼の薔薇。

 

 

「炎の盟約に従い顕現せよ! 《ヘルファイヤーウォール/極炎の壁》!」

 

 

そう唱えると、悪魔と蒼の薔薇との間に両者を分かつように炎の壁が生まれる。

まるで蒼の薔薇が無事に逃げられるようにと。

 

 

「んああーっ! お、お名前をっ! お名前を教えて下さい!」

 

 

ガガーランに抱えられながらラキュースが力の限り炎の向こうへと届くように叫ぶ。

 

 

「デミウルゴス…、炎獄の造物主と呼ばれたこともありましたね」

 

「ほぉああああーっ! ど、どうかどうかご無事でデミウルゴス殿!」

 

「ええ、貴方も。世界が望むなら…、また会えるでしょう」

 

「ひゃああああああ!!!」

 

 

白目を向いて失神するラキュース。

抱えていたガガーランがその変化にわけもわからず驚く。

 

 

「な、なんだってんだ…! まさかキリネイラムの影響か!?」

 

「ふむ、ありえん話ではないな…。強大な魔の力に共鳴したのかもしれん…!」

 

 

等と心配する仲間を他所にラキュースの表情は緩んでいた。

蒼の薔薇の誰の耳に入ることも無いほど小さい声で意識も無いままポツリと呟く。

 

 

「がんばれ、でみうるごすさま…」

 

 

 

 

 

 

 

 

「行きましたか…」

 

 

蒼の薔薇がこの場から去ったことを確認し一息つくデミウルゴス。

先ほどの変身も解け、いつもの姿に戻っている。

 

 

「まぁファーストインプレッションは悪くなかったのではないでしょうか…。王女には感謝しないといけませんね」

 

「オイ、デミウルゴス」

 

 

一息ついたところへコキュートスが再び声をかける。

 

 

「何カ悩ミデモアルノカ…? 私デ良ケレバ聞クゾ…?」

 

 

裏切者とはいえ同僚の痛ましい姿に思わず情が出てしまうコキュートス。

 

 

「ハハハ、私は大丈夫ですよ、今後活動しやすいように現地の者と信頼関係を構築しようと思っただけです」

 

「信頼関係ダト? ウーム…」

 

「どうかしましたか?」

 

「イヤナ、私ノ見立テデハソレ以上ノ所マデ進ンダヨウニ思エタノダガ…」

 

「ハハハ、そんなわけないでしょう。冗談が上手いですねコキュートスは」

 

「ソウナノカ…? ウーム、人ノ心トハ難シイナ…」

 

「まぁ面白い方達であったのは認めますよ」

 

 

一通りの冗談を言い終えた後で、コキュートスが再び武器を構えなおす。

形容しがたい殺気がその身体から放たれる。

 

 

「サテ、変ナ空気ニナッテシマッタガ…。オ前ヲ倒スコトニハ変ワリナイ。覚悟シロ」

 

「やはりどうしても戦わねばなりませんか? 少しは私の話を聞いてからでも…」

 

「断ル! ドウセオ前ノ口車ニ乗セラレルダケダカラナ!」

 

 

その言葉と同時にコキュートスが踏み込む。

 

 

「そうですか、残念です」

 

 

デミウルゴスが指をパチンと鳴らす。

それが合図だったかのように、遥か上空からコキュートスに魔法が放たれる。

 

 

「《ヴァーミリオンノヴァ/朱の新星》!」

 

「グオォォォォオオオ!!!」

 

 

紅蓮の炎がコキュートスの体を包む。

突然のことに直撃を許し、痛みにもがくコキュートス。

 

いつの間にか待機していた憤怒の魔将(イビルロード・ラース)による魔法攻撃。

炎の最上位に位置するこの魔法。

いくらレベル差があろうとも弱点属性の高位魔法を喰らえばダメージは通る。

 

 

「グゥ…、卑怯ナ…! 正々堂々ト戦エ!」

 

 

体中から黒い煙が立ち上り、プスプスといった音が聞こえる。

 

 

「卑怯? それはこちらの台詞ですよ。一対一で貴方と戦えば私の勝機は0です。それは貴方とて承知でしょう? 確実に負けると知っていてなお、私に一対一で戦えと言うのですか? 敗北しかない戦いに応じろと? そちらのほうがある意味、卑怯とも言えませんか?」

 

「ウ、ヌゥ…。言ワレテミレバ…。シ、シカシイツノ間ニ…」

 

「私があの人間達を庇った時あたりからです、私の行動に動揺し警戒が疎かになってくれたのは思わぬ誤算でした。しかしまぁ納得して頂けたようで嬉しいですよ。貴方とは私の最高位の配下を連れてやっと戦いになるかといったところですかね」

 

「フン、好キニシロ…! 部下ゴト斬リ裂イテクレル!」

 

 

コキュートスがそう言い放ち、攻撃を仕掛けようとした瞬間。

 

 

王都全域に届くような轟音が鳴り響いた。

 

 

「な、何事ですかっ!?」

 

「一体何ガ起キタ!?」

 

 

デミウルゴスもコキュートスも予想しない事態に周囲を見渡す。

 

二人の視線はすぐにその轟音の正体を捉えた。

 

 

コキュートスによる王都全域を囲む「クレタの涙」。

解除方法はいくつもあり、炎属性の魔法があれば溶かすことも十分に可能だ。

だが物理耐性が高く、正面からの破壊は難しい。

はずなのだが。

 

視線の先で、巨大な氷の壁の一部がここからでも確認できるほど歪に凹む。

そこから瞬く間に亀裂が走る。

そして再び、王都全域に届くような轟音が鳴り響いたかと思うと先ほど凹んだ箇所が吹き飛び巨大な穴が開く。

穴が開いたと同時に「クレタの涙」全体が崩れ始める。

密室を破られた時点で「クレタの涙」はその意味を無くす。

王都を囲む巨大な氷の壁はあっけなく崩れ去った。

 

 

「バ、馬鹿ナッ!? ダ、誰ガヤッタ!? 力業デ破ルナド私ヤセバスデモ難シイトイウノニ…!」

 

 

不意に出たコキュートスの嘆き。

それをデミウルゴスは聞き逃さない。

この不測の事態がどういうものか瞬時に考えを巡らす。

 

まずこの事態をコキュートスは知らない。

加えてこれはコキュートスにとってはデメリットしかない。

せっかく追い詰めた自分を逃がしてしまう可能性があるのだから。

ならばコキュートス、しいてはアルベドによるものではありえない。

そして先ほどの言を信じるならばコキュートス、セバスの両名ですら難しいと言わしめる物を難なく破壊したのは一体誰なのか?

現地の者はありえない。

そんな強力な者の情報を入手し損ねる程の愚を犯したつもりはない。

考えにくいが消去法でいくとナザリックの手の者しかいない。

単純にその両名を凌駕する者として最初に上がるのはガルガンチュア。

しかしあの巨体ならばここからでも難なく視認できるはずだ。

そうなると残る一つ。

詳しくは知らない為、可能性というだけになってしまうが。

ルベド。

個としてなら至高の御方を含め、ナザリックでも最強と言わしめるとの話をかつて聞いたことがある。

もし本当ならアルベドならそんな物を手元から決して離さないはずだ。

ならばなぜ。

単純にコントロールできないのか。

 

あるいは不測の事態が起きたか。

 

 

この間、わずかコンマ一秒。

コキュートスの前では致命的とも言える隙ではあったがデミウルゴスを思考の海から呼び戻したのはコキュートスの叫びだった。

 

 

「ドウイウコトダアルベドッ!? スグニ撤退セヨトハ一体!?」

 

 

怒りを露わにし怒鳴るコキュートス。

その姿からアルベドとメッセージの魔法が繋がっていることがわかる。

 

 

「フザケルナッ! デミウルゴスヲアト一歩ノトコロマデ追イ込ンダトイウノニ! 何ッ!? 意味ガワカランゾ! ナゼデミウルゴスヲ殺セバ全滅スル可能性ガアルノダ!」

 

 

その後もアルベドと口論が続くコキュートス。

しばらくしてやっとコキュートスが折れる。

 

 

「クソッ…! ワカッタ撤退スル。了解シタ、ソコデ落チ合エバイイノダナ?」

 

 

アルベドとのメッセージを終えたコキュートスがデミウルゴスを睨みつける。

 

 

「命令ダ、撤退サセテモラウ。ダガ覚エテイロ、デミウルゴス。オ前ハ私ガ斬ル」

 

「ええ、楽しみにしていますよ」

 

 

そう告げるとコキュートスが姿を消す。

 

 

「デ、デミウルゴス様、一体どういうことでしょうか? なぜコキュートス様は撤退を?」

 

 

デミウルゴスへ横にいた憤怒の魔将(イビルロード・ラース)が問いかける。

 

 

「なんとか間に合った、というところでしょうか。アルベドも気づいたということですよ」

 

「は、はぁ…」

 

 

よく分からないものの返事を返す憤怒の魔将(イビルロード・ラース)

 

 

「さて、やっと自由になれたのです。私達も動きますよ、掃討戦です。私達の存在をしっかりとアピールさせてもらいましょう」

 

 

デミウルゴスはそう言うとメッセージのスクロールを取り出す。

相手は嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)

 

 

『デミウルゴス様、どうされましたか?』

 

「状況が変わりました。クレタの涙が壊されることは想定外でしたが思わぬ僥倖でもあります。貴方のいる位置はラナー王女が避難している場所に近いですね? すぐに王女の元へ行き協力を仰ぎましょう。彼女を旗印に祭り上げます。ああ、言っておきますが横にいる少年の前では失言は厳禁ですよ。時が来た、そう伝えて下さい。貴方はその後ラナー王女の護衛を。絶対に死なせてはなりませんよ? ああ、もちろん横にいる少年もね」

 

『りょ、了解しました! すぐにっ!』

 

 

嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)との通話を終えると空へと飛び立つデミウルゴス。

 

 

「さて、状況はわかりませんがルベドに会いにいくとしましょうか。果たして吉と出るか凶と出るか…フフフ…」

 

 

次々と計算外のことが巻き起こる。

だがそれも悪くない。

場が混沌とすれば混沌とするほど。

かき回す楽しみが生まれるというものだ。

 

 

 

 

 

 

 

王都を見下ろせる丘の上にいるラナーとクライム。

 

 

二人は目の前に広がる王都を覆う巨大な氷が突如として崩れ去る瞬間を目撃していた。

 

 

「なんと、いうことでしょう…!」

 

「い、一体何が!? こ、ここは危険です、すぐに逃げましょう!」

 

 

クライムが唖然とするラナーを必死で逃がそうとする。

だがラナーは動かない。

 

 

(どういうこと…? 計画と違うわ。本当ならそろそろ王都が吹き飛んでいてもおかしくないはずなのに…。何か不測の事態があった…? あの悪魔が読み違うような…? マズイわね…。あの悪魔を出し抜ける者がいるとすれば私も読み勝つ自信は無い…。駄目ね、情報が足りなさすぎる…。このままじゃ後手にまわらざるを得ないわ…)

 

 

そんな二人の元へ一匹の悪魔が飛来する。

 

黒い革で出来たボンテージファッションに身を包んだ女の体に黒いカラスの頭を持つ悪魔。

嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)である。

 

 

「ここにいましたか、ラナー王女」

 

 

その言葉にラナーの顔が不機嫌に歪む。

ラナーは知っている。

目の前の悪魔はあの悪魔の部下だ。

だがクライムのことは説明してあり、彼の前では一切姿を表さないという取り決めをしてあった。

なのになぜ部下をよこす。

ここは無関係と断じ、白を切るべきか?

 

 

「は、離れろ悪魔めっ! ラ、ラナー様は下がって下さいっ!」

 

 

クライムが震えながらラナーの前へと出る。

それを見たラナーは可愛いな、と思った。

目の前にいるあり得ない程に強大な敵。

臆しはしても逃げはしない。

それどころか必死に自分を守ろうと壁になっている。

愛おしい。

今すぐクライムを滅茶苦茶に抱きしめてあげたい。

ああ、でもダメ。

クライムの望むラナーはそんなことをしないのだから。

 

 

「…何用ですか?」

 

 

目の前の悪魔へと問いかけるラナー。

とりあえず話を聞いてみないことには始まらない。

 

 

「デミウルゴス様から伝言があります、時が来た、と。我々の仲間がなんとか敵勢を押しとどめ民達を逃がしています。しかし、民達の混乱は計り知れません。我々では誘導しようにも限界があります」

 

 

ラナーの目が見開く。

彼女の頭脳はすぐに計算を始める。

言葉の意図、悪魔が何を望むのか、そしてこの現状。

 

当初の計画とは180°変わり、なぜか悪魔達は民を助ける流れにシフトしている。

原因はわからないが何かそうせざるを得ない事態があったのだろう。

問題はそこではない。

悪魔が私を使って何をしたいか、だ。

あの悪魔は時が来たと言った。

クライムの手前、オブラートに包んでいるだろうからその意を汲まねばなるまい。

とはいえ私にできることは余りにも少ない。

逆に言うならば、私に出来ることは何だ?

あの悪魔に出来なくて私に出来る事。

あの悪魔に無くて私にある物。

あの悪魔と私の違い。

 

私が人間で、この国の王女であること。

 

もしあの悪魔が民達を本当に助けようとしているなら、なるほど。

私の存在は十分に有用だ。

 

そしてさらに、クライムの前にその姿を晒したことにも意味があるはずだ。

導き出される結論は。

 

 

「フフフッ…」

 

 

ラナーから笑いが零れる。

思わずクライムが振り返るが表情は髪に隠れておりうかがい知れない。

だからクライムは気づかない。

ラナーの笑みがどういうものかに。

 

 

「わかりました、行きましょう。私が直接民達を先導します。それでいいのでしょう?」

 

「ラ、ラナー様何をっ!? 危険ですっ! 悪魔の言うことなどっ!」

 

 

狼狽するクライムに優しくラナーは語り掛ける。

 

 

「ごめんなさいクライム。貴方に言っていなかったことを謝ります。この者は味方です。実はこの国を襲う者がいるとの情報を知らせてくれたのは彼等なのです」

 

「な、何をラナー様…」

 

「彼らは人ではありませんが我々の味方です。ただ、民達がそれを知っているわけではありません。私が直接逃げ惑う人たちを導き説得します」

 

「…! な、あ…!」

 

 

クライムは現状に頭がついていかない。

 

目の前に恐ろしい程の悪魔がいる。

王国戦士長ですら手も足も出ないだろう。

だがそれが味方?

なぜラナー様と?

 

様々な疑問が頭を駆け巡るが答えは出ない。

 

 

「ごめんなさい、混乱させると思って黙っていたのだけれどかえって良くなかったようね。でも今は詳しく説明している暇はありません。すぐに王都に入り民達を助けないと」

 

「なっ! 危険です! あそこではまだ戦いが! ラナー様が行くなど反対です!」

 

「クライムは私にここで混乱する民をただ見ていろ、と?」

 

「ぐっ、いや、しかしですね…! それは貴方の仕事ではありません!」

 

 

必死にラナーを止めようとするクライム。

 

 

「でも今民達を導けるのは私だけ、そうでしょう?」

 

 

目の前の悪魔へと問いかけるラナー。

 

 

「そうです。主要な貴族のほとんどがすでに死亡が確認されています」

 

「なっ!? 貴族達が!? なぜ!?」

 

 

悪魔の言葉にクライムが驚く。

 

 

「最初に襲撃があった際、我先にと逃げ出そうとした結果、そのことごとくが皆殺しにされました」

 

「な、なんてことだ…」

 

 

これは事実である。

人間の抹殺が目的ではなかったコキュートスの部隊といえど外へと逃げようとする者達を捨て置くはずが無い。

もし王都に残り、民達を守るという義務を果たしていれば死なずに済んだのに。

 

 

「王族や国の兵たちもこの混乱で指揮統制が乱れ、まともに機能していません。我々が行っても余計に混乱を招くだけでしょう」

 

 

やっとクライムにもわかってきた。

少なくとも、今この混乱を収めることができる人物はラナーしかいない。

 

 

「し、しかし…」

 

「ねぇクライム。貴方は私の騎士でしょう?」

 

「は、はい…」

 

「私は民を救いたい…。無茶なのは分かっています…。でも、どうかお願い、貴方にも無理をさせてしまうのはわかっています。でも民達を救うために私を支えて下さい」

 

「…っ!」

 

 

ラナーの目は強く真っすぐだ。

止められない、そうクライムは思う。

どこまでも慈悲深い自分の主。

そうだ。

最初からわかっていた。

そんな人だから、自分は忠誠を誓ったのだ。

 

 

「わ、わかりました! しかし約束はして下さい! 決して無理はしないと!」

 

「ええ、では行きましょう」

 

 

ラナーは思う。

なんとか悪魔が味方だということは有耶無耶のうちに納得させたものの、後で説明する際にしっかりとしたストーリーは必要だろう。

まあそれはあの悪魔に考えさせよう、そう思う。

 

しかしラナーは初めてかもしれない。

 

結末が全く見えないギャンブルに身を投じたのは。

情報が足りなさ過ぎてもはや運に賭けるしかない。

ただ、あの悪魔が乗れと言ってきた賭けだ。

十分に張る価値はある。

たとえそのチップが自分の命だとしても。

 

 

(生か死か…。貴方ならば何かしらの勝算があるのでしょう? 期待していますよ、悪魔さん…)

 

 

嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)に連れられ、ラナーとクライムは王都へと向かう。

未だ戦いが繰り広げられている真っ只中に。

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、うわぁーっ!」

 

 

一体の蟲が叫び声を上げ、その場から逃げ出す。

本来ならば一体で国一つ消し飛ばせる実力者だ、だが。

 

 

「逃がさない、<五芒星の呪縛>」

 

 

その言葉と共に蟲の体が突如地面へと押しつぶされる。

地面にめり込み身動きの取れなくなった蟲の元へ少女が歩いていく。

そして一撃。

その衝撃で蟲は絶命し、地面に亀裂が走る。

 

周囲には数え切れない程の死体の山。

それらは全てコキュートス配下の者だ。

最高位である雪女郎(フロストヴァージン)でさえ複数の死体が無残に転がっている。

 

中心にいるのは先ほどの華奢な少女。

全身は返り血で赤く染まっている。

 

 

「ひぇぇ…、き、君は一体何者だい? あ、あれだけの数を信じられない…!」

 

 

物陰から巨体を覗かせヘジンマールが言う。

 

 

「……」

 

 

少女は答えない。

だが。

 

 

「私も聞きたいですね」

 

 

どこからか声が聞こえた。

ヘジンマールは知っている。

その声の主を。

自分達を、力でねじ伏せたあの悪魔だ。

恐怖に身が竦み、上を見上げる。

 

予想通りと言うべきか。

あの悪魔がこちらを見下ろしていた。

 

 

「初めまして、ルベド」

 

「…初めまして、第七階層守護者デミウルゴス」

 

 

耳障りの良い優し気な声で悪魔が挨拶する。

少女も律儀に挨拶を返す。

 

 

「貴方のことはよく知らないのですが自動人形(オートマトン)だと聞いています。ですがそれはおかしいですねぇ。貴方が今使ったあのスキル、それは一部の上級悪魔にしか使用できないスキルの筈です。複数の種族を合わせ持つのは可能ですが…、自動人形(オートマトン)は例外です。それに属する種族しか取得できない」

 

 

デミウルゴスの言う事は正しい。

ユグドラシルにおいて自動人形(オートマトン)は他の種族をとれない。

 

 

「ならばなぜ、貴方は上級悪魔のスキルを使えるのでしょうか?」

 

「その情報はインプットされていない。デミウルゴス、何が目的? 邪魔をするなら貴方も消す」

 

「おぉ怖い。大丈夫ですよ、目的は知りませんが邪魔はしません。いえね、貴方がどういう立ち位置にいるのか気になりまして」

 

 

地上へと降りるとルベドへと歩みよるデミウルゴス。

 

 

「それに何より…、貴方からは私と同種の気配を感じます」

 

「質問の意図が理解できない」

 

自動人形(オートマトン)とは思えない、そういうことです」

 

「否定。私は間違いなく自動人形(オートマトン)。今は忙しい、これ以上邪魔をするなら…」

 

「ああ、すみません。そういうつもりでは…。では最後に一つだけ」

 

 

デミウルゴスの強い視線がルベドへと向く。

口調こそ緩やかで言葉数も少ないが、その視線はどんな情報も逃さないといった気配を醸し出している。

 

 

「私と手を組みませんか?」

 

「不可能」

 

「そうですか、残念です」

 

 

残念そうな感じもなく簡単に引き下がるデミウルゴス。

 

 

「ではまた、ルベド」

 

 

そのまま飛翔しルベド達の前からあっさりと姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

遥か上空で待機していた憤怒の魔将(イビルロード・ラース)の元へデミウルゴスが帰還する。

デミウルゴスの姿を確認すると憤怒の魔将(イビルロード・ラース)が問う。

 

 

「良かったのですかデミウルゴス様、ルベド様を味方に引き入れなくて」

 

「ええ、というより無理ですね。あれは私にはコントロールできない」

 

「やはりアルベド様の味方、ということでしょうか?」

 

「恐らくは…。ただ、我々が一番敵対してはいけない人物であることは間違いありません」

 

「そ、それほどですか…? ならば戦いになれば…」

 

「確実に負けますね。私共々、三魔将、十二宮の悪魔揃って返り討ちです」

 

 

そう断言するデミウルゴスを見て蒼褪める憤怒の魔将(イビルロード・ラース)

 

 

「しかし収穫はありました」

 

「収穫?」

 

「ええ、薄っすらとですが見えてきました」

 

 

ニヤリと笑うデミウルゴス。

 

 

「ルベドが何者か」

 

 

 

 

 

 




次回『ルベドは電気羊の夢を見るか』アルベド、王都到着。



コキュートス「無念、色ンナ意味デ」
ラキュース「ぶひぃぃぃ!」
ラナー「がんばるぞい」
ルベド「?」
デミ「ルベドやべーど」



コキュートスと決着が着くと思ってた方すみません。
彼はまだまだ頑張りますよ!



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ルベドは電気羊の夢を見るか

前回までのあらすじ!



デミウルゴス率いる悪魔達が王国を守るために動く!
そしてブヒるラキュース!


なぜ、と思う。

ルベドには理解できない。

 

自分は望まれたままに動いたはずだ。

規定の目的の為に邪魔する者を排除しただけだ。

こうするのが最善だったはずだ。

なのにどうして。

誰も彼もが同様の視線を自分に向けるのか。

 

 

アルシェ達、フォーサイトが先行するルベドを追ってきてみればそこにあったのは地獄絵図。

吐き気を催す蹂躙の数々の跡だった。

 

ルベドの周囲には無数の死体の山。

惨たらしい死体の数々。

それらは全てコキュートス配下の者。

そのほとんどがこの世界では規格外の化け物。

それが赤子のように簡単に捻り潰され殺されていた。

 

 

「ル、ルベド…」

 

 

アルシェが震える声で語り掛ける。

 

 

「アルシェ、もうここは大丈夫だよ」

 

 

返事を返すルベド。

だが言葉を返した瞬間、アルシェの体がわずかに震えたのをルベドは見逃さない。

後ろではヘッケランとイミーナが嘔吐している。

ロバーデイクすらも異物を見るかのようにルベドを見ている。

近くに倒れていたヘジンマールでさえその瞳は恐怖に染まっている。

 

 

「……」

 

 

だがルベドは何も感じない。

彼女は自動人形(オートマトン)だから。

何を言われても、何をされてもきっと何も感じない。

心が無いから。

 

だから気のせいなのだ。

ルベドが感じている謎の感覚。

説明できない未知のノイズ。

それにまだ支障はない。

行動に何ら問題は発生しない。

だから今は捨て置いても構わない。

そう判断する。

 

 

誰もが沈黙し、重い空気が流れるがそれは簡単に破られた。

傷だらけのヘジンマールの腕の中から一人の女の子が顔を出す。

アルシェ達を見やると満面の笑みで飛び出してきた。

 

 

「姉さま!」

 

 

「ウレイリカ!? 無事だったのね!」

 

 

ウレイリカと呼ばれた少女はアルシェの元まで走っていくとその胸に飛び込んだ。

 

 

「姉さまだ…! 本当に姉さまだ…!」

 

「良かった…! ねぇ、何も酷いことされてない? 怪我は?」

 

「大丈夫だよ、あのドラゴンさんが助けてくれたんだ!」

 

 

その言葉にアルシェだけでなくフォーサイトの面々も視線を向ける。

視線の先では先ほどの傷だらけのドラゴンが返事をするように力なく尻尾を振っていた。

 

 

「大丈夫だよ! あのドラゴンさん優しいし、言葉だって喋れるんだよ!」

 

 

ウレイリカの言葉に驚きつつもアルシェがドラゴンへ向かって頭を下げお礼を言う。

それに目を丸くするヘジンマール。

 

 

「はは、驚いた。僕の姿を見ても大して動じないなんてね…。さすがはその子のお姉さんってとこかな。まぁそれに今の王都じゃドラゴンの一匹や二匹で驚くどころじゃないか…」

 

 

ヘジンマールの言は最もであった。

アルシェ含め、フォーサイトの面々はもはやドラゴンの一匹見た所で大して驚かなくなっていた。

数々の魔物が跳梁跋扈しているというのもあるが、共にいるルベドという少女のほうが何倍も強いのだから。

 

 

「クーデリカは? クーデリカは一緒じゃないの?」

 

「途中ではぐれちゃったの…! だけどね、そこのドラゴンさんが一緒に探してくれるって…! でも、私のせいでドラゴンさん怪我しちゃって…!」

 

 

先ほどあったことを思い出したのか、話していくうちに嗚咽交じりになるウレイリカ。

それをみかねたようにヘジンマールがやれやれといった様子を見せる。

 

 

「別にその子のせいじゃないよ、あいつらと僕たちは敵対してたから…。だから攻撃されただけで気にする必要はないよ」

 

「で、でもドラゴンさん。私が一緒に探してって言わなければ…!」

 

「結局探してあげられなかったけどね。大事な妹を探すんだろう? 早く行きなよ、その子がいつまでも無事だとは限らないだろ? 申し訳ないけど僕はここで少し休ませてもらうよ、すぐには動けそうになくてね。でも安心して、腐ってもドラゴン、こんな傷じゃ死なない。少し休んでれば治るからさ」

 

「で、でも…!」

 

 

ルベドが会話に割って入る。

 

 

「肯定。それに早く探した方がいい。人間は脆弱。死んでからでは遅い」

 

 

ルベドの言葉にアルシェも同意する。

 

 

「そ、そうね、急ごう。ウレイリカ、お姉ちゃんから絶対に離れちゃダメだよ」

 

「うん! 姉さま!」

 

 

正直言うとこのまま連れまわすのは気が引ける。

が、かといって安全な場所があるわけでもないし置いていくわけにもいかない。

それにルベドもいることを考えると一緒に連れていくのが最も安全だ。

 

 

「ドラゴンさんありがとーね! もし人を見つけたら助けを呼んで貰えるようにお願いするから!」

 

「あー、お構いなく」

 

 

ヘジンマールとしては助けに来た人間に討伐されないか少し不安なので遠慮したいところだった。

ここから立ち去る彼等を見送りながら尻尾を振るヘジンマール。

 

 

「お姉さんと会えたみたいで良かった…。それにあの少女がいれば多分大丈夫だろう…。ああ、何か眠くなってきたなぁ…、少しだけ、寝ようかな…。起きたら、すぐに逃げ…なきゃ…」

 

 

ヘジンマールの瞳がゆっくりと閉じていく。

酷い眠気の中、なぜか奇妙な充実感だけがあった。

その正体に気付く前にヘジンマールの意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

時は少し遡り、王都城下町の一角。

 

そこにいたのはガゼフとその部下達、そしてブレイン。

彼等は逃げ遅れた一般市民達の誘導をしていた。

だが民達の混乱は強く、彼等だけでは制御できない。

 

 

「皆! 聞いてくれ! どうか私達の指示に従ってくれ!」

 

 

王国戦士長たるガゼフをもってしても民達の混乱は抑えられない。

民達の嘆きの前に全てがかき消される。

今この国を襲っている脅威は誰にも止められないのだから。

 

 

「おいガゼフ、ただ呼びかけても効果薄いぜ。誰も聞いちゃいねぇ」

 

 

ブレインがガゼフを諭そうと話しかける。

 

 

「だがアングラウス、このままでは…」

 

 

やがて来る魔物の波に飲み込まれる、そう言おうとして言葉を飲む。

聞こえはしないかもしれないが民達の前で不用意に口に出すと混乱がさらに大きくなる可能性があるからだ。

 

 

「戦士長っ!」

 

 

周囲の偵察に出ていたガゼフの部下の一人が叫びながら戻ってくる。

 

 

「どうした!?」

 

「た、大変ですっ! 魔物の群れがこちらへと向かってきています!」

 

「何だと!?」

 

 

驚愕するガゼフ。

想定よりも遥かに早かったからだ。

建物を上り、見渡すとすぐ近くまで魔物達が迫っていた。

 

やがて民達も気づきだし余計にパニックに陥る。

 

 

「ちっ、まずいぜガゼフ。このままじゃ避難どころじゃねぇ。くそ、忠告は聞かねぇくせに都合の悪いことはちゃっかり耳に入りやがるんだから手に負えねぇ」

 

 

ガゼフとブレインが頭を抱えているとさらに恐ろしい出来事が起きる。

それに気づいた民達が騒ぎ始める。

 

 

「な、なんだあれは!?」

 

「すごい数だぞ!」

 

「あ、悪魔だ! あれは悪魔だ!」

 

 

ガゼフ達もすぐに彼等の視線の先を追う。

そこにいたのは上空を飛ぶ無数の化け物達。

数などもう数えられない。

どこから来ているのか不明だが溢れるように現れている。

それらは間違いなく悪魔だった。

いくらかの伝承、六大神や八欲王などの物語で出てくる悪魔そのものだった。

かつて世界を滅ぼそうと企んだ最悪の存在。

 

 

「な、なんてことだ…」

 

「おいおいマジかよ…」

 

 

ガゼフもブレインも放心しながらそれを眺める。

 

もう無理だ。

この国を襲う蟲の魔物に加え、無数に飛び交う悪魔達。

誰にも止められない。

王国は滅ぶ。

誰もがそう思った。

その次の瞬間までは。

 

 

悪魔達はガゼフ達と民達の上空を素通りしたかと思うと、近くまで迫っていた蟲の魔物達と正面からぶつかる。

それと同時に両者による殺し合いが始まった。

 

 

「な…!? て、敵同士なのか!?」

 

 

ガゼフが疑問を口にしていると一匹の悪魔がガゼフの近くまで飛んできた。

動きは早く、近くに接近してくるまでガゼフはその存在に気付かなかった。

その悪魔から漂う強者の圧倒的な気配に戦慄するガゼフ。

 

 

「おい、お前が人間共を指揮する者か?」

 

「くっ! そ、そうだ! た、民達に手を出せばこの私が…」

 

「落ち着け、勘違いするな。俺たちは味方だ。お前達を助けてやる」

 

 

ガゼフは悪魔の言葉が理解できなかった。

いや、信じられなかったというべきか。

横にいたブレインすら言葉の意味が理解できずに唖然としている。

 

 

「な、何を…?」

 

「信用できないならそれはそれでいい。だがあの蟲達は俺たちが止める。お前らはその隙にさっさと逃げろ」

 

 

悪魔はそう言い残すとすぐに飛び立っていった。

横にいたブレインと顔を合わせるガゼフ。

 

 

「ど、どうなってんだ…。意味がわかんねぇぞ…」

 

「うむ…。にわかには信じがたいな…。騙そうとしているのかもしれん…」

 

「いや…。わざわざ俺たちを騙す意味がわからない。そこら中を飛んでる悪魔達もだがさっきの悪魔もだ。どいつもこいつも俺たちより強ぇぞ。何かあれば力づくで好きにできる…」

 

「そう、だな…。確かにそうかもしれん…。いや、しかし考えても無駄か…。どちらにせよ逃げるしかあるまい、ここはあの悪魔の言葉に従い民達を誘導し逃げよう」

 

「ああ、そうだな。とりあえずは目先の危険から逃げるしかねぇ」

 

 

そうしてガゼフとブレインが飛び出す。

悪魔達の登場により混乱はより広がったがそれでもやるしかない。

彼等は必至に民達を生かそうと動く。

 

 

 

 

 

 

覇王と魔王の戦いから逃げ出した蒼の薔薇。

彼女達の目の前にも無数の悪魔達の姿を表していた。

 

 

「な、なんだあいつらはっ!?」

 

「くそが! 一体どうなっちまったんだ王国はよう!」

 

「終わりの始まり」

 

「もうお手あげ」

 

 

誰もが絶望の色に染まりかけるがラキュースだけがいち早く気付く。

視線の遥か先に見覚えのある人物がいる。

それは彼女の親友だった。

 

 

「ラ、ラナー!?」

 

「「「ええええっ!?」」」

 

 

ラキュースの言葉に蒼の薔薇全員が叫ぶ。

それもそのはずだ。

なぜならラナーはクライムと共に馬に乗って都市の中央部へと向かっている。

悪魔達と共に。

 

 

「ど、どうなってんだ!? なんで王女がここに!? いや、っていうか横にいる悪魔達はなんだよ!? お、追われてるわけじゃねぇよな…」

 

「わ、わからん。私にも何が何やら…」

 

 

混乱するガガーランとイビルアイ。

それはどう見ても逃げ惑っている様子では無かったからだ。

まるで悪魔達を率いているかのようにさえ見える。

 

 

「ラナー! 私よラナー!」

 

「お、おい待てって! やべぇかもしれねぇだろ!」

 

「どちらにせよラナーを放っておけないわ!」

 

 

ガガーランの制止も聞かずラキュースがラナーの名を呼び続ける。

やがて向こうも気づき、こちらへと近づいてくる。

 

 

「ラキュース! 良かった、無事だったのね!」

 

「ええ、それよりも貴方がどうしてここに!? そ、それにその後ろの…」

 

「ああ、彼等は味方よ。デミウルゴスという悪魔の部下達で私達に協力してくれているの」

 

「デ、デミウルゴスさ…、殿の!?」

 

「あら? 知っているの?」

 

「知っているも何も! 先ほど危ない所を助けて頂いたのよ! ねぇ皆!」

 

 

ラキュースの言葉に蒼の薔薇の面々が頷く。

 

 

「なら話は早いわね。そこの悪魔達もそうだけれどこの国の各地で出現している悪魔達は皆、彼の部下です。襲われている民達を助ける為に動いてくれているの」

 

「マジかよ…! 悪魔って悪い奴等なんじゃねぇのか…? どうなってんだイビルアイ」

 

「わ、わからん…。私も長い事生きているが人を助ける悪魔など見たことも聞いたこともないぞ…」

 

 

驚きを隠せない蒼の薔薇達。

だがラナーがそれを見て微笑む。

 

 

「ええ、私も信じられませんでした。生者を憎んでいないアンデッドが知り合いにいなければ、ね」

 

「…!」

 

 

その言葉で皆の視線がイビルアイへと向く。

 

 

「ははっ…! そうだな、そもそも俺らの近くにもとびっきりの例外がいるじゃねぇか…!」

 

「灯台下暗し」

 

「幼女いとおかし」

 

 

なんか腹が立ったのでとりあえずティアとティナを殴るイビルアイ。

 

 

「でも、そうよね…。イビルアイ、貴方のように清く正しい悪魔がいても不思議じゃないのかもしれない…」

 

 

ラキュースの呟きにイビルアイも頷く。

 

 

「確かにな…。自分のことを棚上げにして悪魔など信じられんと言うのも滑稽な話か…。なぁ、ラナー王女。貴方から見てその悪魔達は信用に足るのか?」

 

 

イビルアイの問い。

ラナーは迷いなく答える。

 

 

「ええ、信じられます。少なくともこの国の腐った貴族達よりは」

 

 

そして一息つき、再び言葉を紡ぐラナー。

 

 

「とはいえ、民達は何も知りません。悪魔達は敵では無いと知らせなければ。加えてこの混乱ではまともに避難も出来ていないでしょう。ラキュース、いや蒼の薔薇。民の為にどうか力を貸して頂けませんか?」

 

 

反対する者などいるはずがない。

満場一致でイエスと答える蒼の薔薇。

 

 

「聞くまでもありませんでしたね。さぁ行きましょう! 一人でも多くの民を救うために!」

 

 

ラナーの言葉に皆が頷き、クライム、蒼の薔薇、そして悪魔たちがその後ろに続く。

 

王国の未来は明るい。

 

 

 

 

 

 

 

 

人知れず王都の中を疾走する一つの影。

それは誰にも目を向けず、誰も意に返さない。

ただ一人だけを除いて。

 

 

「どこなのルベド…」

 

 

王都に到着したアルベドは全力でルベドを捜索していた。

コキュートスにも手伝って貰いたいが相変わらずメッセージは通じない。

 

 

「まだ駄目か…! くそ、早くしなければ…。モタモタしていると名犬ポチにやられる…!」

 

 

想像するだけで背筋に冷たいものが流れる。

命を握られる感覚というものはかくも恐ろしいのかと。

準備が整う前になんとかルベドを確保しなければと焦燥は募っていくばかり。

 

 

「くそが…! 名犬ポチめ、覚えていろ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こっちだよ!」

 

 

ウレイリカの案内の元、はぐれた場所の近くまで来たルベドとフォーサイト達。

 

 

「この辺りで離れ離れになっちゃったんだけど…」

 

 

そう言うウレイリカの前には一つの建物があった。

すでに崩れかけているがわずかに内部が見えることで何の店か察しが着く。

娼館である。

アルシェが想定した最悪の考えが見事に当たっていたと思い知らされる。

この事件がなければ今頃はもう妹達は汚されていたかもしれない。

故にこの事件を喜ぶべきか悲しむべきかアルシェには難しかった。

 

 

「アルシェ、ここに子供を引きずったような跡がある…!」

 

 

イミーナが周囲の異変に気付く。

恐らく彼女以外では誰も見つけられなかっただろう。

 

 

「もしかしたらこれがその妹さんかも…。跡を追ってみるわ」

 

 

子供を引きずったような跡、状況は不明だが想像はつく。

まさか手遅れだったのかとアルシェの心が挫けそうになるがなんとか平静を保つ。

それが妹のものかも分からないし、その妹本人が今まさに助けが必要な状態ならばすぐにも向かわなければならないからだ。

 

イミーナの案内の元、フォーサイトとルベド達は進む。

建物の横を通り、薄暗い裏路地へと入っていく。

逃げ惑った人々によるものか、あるいは魔物の襲撃で破壊されたせいなのかはわからないが周囲は荒らされ、また建物は崩れていた。

 

 

「まずいわ…、あまりにも物が散乱していて痕跡を追えない…!」

 

 

イミーナの表情が曇る。

アルシェ達もこういった場合はイミーナが頼みの綱なので手がかりを失ってしまったことに消沈する、が。

 

 

「近くに生体反応を検知。反応が弱々しい。恐らく子供、もしくは瀕死の状態」

 

 

どうやったのか不明だがルベドの言葉に希望が見えたアルシェはすぐに案内を促す。

ルベドは言われた通りに皆を先導する。

 

やがて、すでに半分が崩れている建物の前へと到着する。

 

 

「ここの中」

 

 

その言葉を受け、アルシェが建物の中へ声を上げながら入っていく。

 

 

「クーデリカ! いるのクーデリカ!?」

 

 

その声に反応したかのように奥から小さい声が聞こえてきた。

声を頼りに瓦礫を押しのけアルシェが奥まで入り込んでいく。

奥の部屋はほとんどが崩れており、その瓦礫の下から白い手がのぞいていた。

 

 

「おねえ…ちゃん…?」

 

 

聞き覚えのある声にアルシェは喜びを隠せない。

それは間違いなく自分の妹のクーデリカのものだったからだ。

だが現状を見るにかなり不味い状況である。

恐らく瓦礫の下敷きになってしまっているのだろう。

慌てて瓦礫をどかそうと試みるがビクともしない。

イミーナやヘッケラン、ロバーデイクもすぐに加わるが全く動く様子がない。

 

 

「マズイですね、少しも動きません…」

 

「クーデリカ! 大丈夫なのクーデリカ!」

 

 

アルシェの声に弱々しく声が返ってくる。

 

 

「わかんない…、でも足が…足が痛いよ…」

 

 

その言葉に皆が慌てる中、ルベドが皆を押し退け前にでる。

 

 

「どいて、私がやる」

 

 

そう言ってルベドが瓦礫に手をかけると驚くほど簡単に持ち上がった。

何重にも重なった瓦礫の山の重さなどまるで嘘のように。

 

 

「今のうちに早く」

 

 

ルベドの言葉にハッとして即座にヘッケランとロバーデイクが瓦礫の下へと潜り込み、クーデリカを引きずり出す。

 

 

「安心して下さいアルシェ、足は折れてしまっているようですが命に別状はなさそうです」

 

 

ロバーデイクの言葉にアルシェの顔に涙が浮かぶ。

 

この時、クーデリカの近くで共に下敷きになっている男の姿があった。

その男はすでに絶命しており今はもう確認する術などは無いが、下半身を露出させていることから如何わしい目的でクーデリカを無理やりに連れ込んだのだろう。

アルシェは心の中で死んでくれてよかった、とそんな思いがよぎるのを感じた。

 

皆の後ろにいたはずのウレイリカが部屋の中まで入ってきてクーデリカへと抱き着く。

 

 

「クーデリカ!」

 

「ウレイリカも無事だったんだね…」

 

「うん、うん! クーデリカも無事で良かったよぉ!」

 

 

クーデリカと泣きじゃくるウレイリカの二人をぎゅっと抱きしめるアルシェ。

大事な妹の二人が無事でいてくれたことに心から嬉しく思う。

だが今はモタモタしている場合ではない。

この都市は今危険であるし、この建物とてまた崩れるかもしれない。

 

 

「さ、出るよ二人とも」

 

 

クーデリカを抱えるアルシェ。

それを確認したルベドとフォーサイト達は建物の外へと向かう。

ここでやることは全て無事に終わり、なにもかもが上手くいった。

 

誰もがそう思っていた。

 

 

だが、建物から出た彼等の前に最悪が待ち構えていた。

 

 

それは美しかった。

 

絶世の美女という言葉が似合う程の美貌を持つ女性。

その顔はルベドと瓜二つ。

ルベドが成長すればこうなるだろうな、と思わせる造形。

 

ただ白髪で白い翼を持つルベドと対を為すような黒髪に黒い翼。

まるでこの世全ての悪意を詰め込んだかのような漆黒。

 

 

「探したわよ、ルベド」

 

 

濁りが無く透き通るような声。

まさに美声と呼ぶにふさわしい美しいものだった。

それにその声色からは妹を心配するような慈愛すら感じられた。

 

だが、なぜだろうか。

アルシェはこの時、嫌な予感しかしなかった。

 

 

 

 

 

 

アルベドは王国中を駆けずり回りやっとルベドを探し当てた。

探知魔法やアイテムは効かず、メッセージも繋がらない。

自分の身一つで探し当てるのは少々骨が折れた。

 

途中でデミウルゴス達と遭遇する可能性もあり、そのリスクを犯しながらの強行ではあったがなんとか無事に見つけることができた。

だがもう関係ない。

ルベドさえ手元にいればもはや何者も恐れる必要などないのだ。

忌々しい名犬ポチを除けば、だが。

 

 

「探したわよ、ルベド」

 

 

優しく語り掛けるアルベドにルベドが返事をする。

 

 

「姉さん」

 

 

ルベドの言葉にここにいた全員が納得する。

というよりもあまりに似すぎていて姉妹でないと言われる方が驚くくらいだ。

 

 

「心配したのよルベド、どうしてナザリックの外に出たりしたの? いえ、今はいいわ。それよりも早くナザリックに戻りましょう、ね?」

 

 

ルベドへと優しく語り掛ける女性。

だがルベドは首を縦に振らず否定する。

 

 

「できない」

 

 

アルベドの眉間に皺が寄る。

表情は笑顔のままだが明らかに不快感を覚えているのが見て取れる。

 

 

「あら、どうして? 貴方は私の命令には従う、そのはずでしょう?」

 

「肯定」

 

「ならばどうして? これは命令よ? それとも私の命令が聞けないの?」

 

「否定、姉さんの命令は聞く。ただ…」

 

「どうしたの? ハッキリと言ってくれないとわからないわ」

 

「…私はまだアルシェ達と一緒にいたい、まだ学習を終えていない」

 

「アルシェ? 誰かしら。まぁ誰でもいいわ、でもねそれは許可できないわ。貴方はすぐに私とナザリックに戻るのよ」

 

 

そんなやり取りの中、未だ妹を抱えたまま建物の中にいたアルシェは二人の妹を建物の中に残すと外へと飛び出した。

 

 

「ま、待って下さい!」

 

 

アルシェが声を上げる。

不快そうにそちらへ視線を移すアルベド。

 

 

「ル、ルベドは私達の為に協力してくれただけです! それに貴方はルベドのお姉さんなんですよね!? し、姉妹なのに命令とかそんなのおかしいと思います! そ、それに…」

 

 

ゴクリと唾を飲み込むアルシェ。

目の前の女性から放たれる気配に意識が飛びそうになる。

だが言わなければならない。

これはアルシェの思い違いかもしれない。

だがアルシェの目にはそう映った、そう見えた。

父の発言に嫌々ながらも従ってきたことがある自分だから感じられたと自負できる。

 

 

「ルベドは嫌がっています! ルベドにだって何かを選ぶ権利ぐらいあると思います!」

 

 

その言葉に驚いたのはルベドだった。

いや驚いたというのは語弊があるかもしれない。

しかし目を丸くしアルシェを見つめ固まっていたのは事実である。

アルシェの言葉の意味を即座に処理できなかったからだ。

 

だがその言葉にアルベドの殺気が膨れ上がる。

 

 

「下等な人間風情がゴチャゴチャと…! お前らね、ルベドをナザリックから連れ出したのは…!」

 

 

アルベドが持っていたバルディッシュに手をかける。

だがその瞬間、アルベドの服をルベドの手が掴む。

 

 

「ま、待って姉さん…」

 

「どうしたのルベド、なぜ止めるの?」

 

「ア、アルシェ達を殺さないで…」

 

 

ルベドは先ほどから脳内の処理が追い付かず呂律も回らなくなっていた。

なぜそうなっているのか分からない、分からないが…。

アルシェ達はまだ自分には必要だ。

そう思う。

 

 

「おかしな事を言うのね、下等な人間などいくら死んだって構わないでしょう? もしかしてあのゴミ共に何か吹き込まれたの? もしそうなら全部忘れなさい。いい? 貴方は私の命令にだけ従っていればいいのよ」

 

 

だがルベドはアルベドから手を離さない。

 

 

「愛を学習するため…」

 

「うん?」

 

「愛を学習するためにアルシェ達が必要、愛を学習しろというのは姉さんの命令だから…」

 

 

ルベドの言葉にアルベドはかつての自分のセリフを思い出す。

そうしてやっと話が見えてきた。

過程は分からないが愛を学習するサンプルとしてルベドはこの者達を選んでしまったのだろう。

これは自分の落ち度だ。

こうなることを完全に失念していた。

というより想定していなかった。

侵入者の迎撃に向かったルベドがまさかその侵入者から何かを学習してしまおうとするなんて。

 

 

「ま、まぁまぁお姉さんここは落ち着いて下さい。ゆ、ゆっくり話し合いましょう、ね?」

 

 

剣呑な空気を感じたのかロバーデイクが恐る恐るながらも説得しようとアルベドへと近づく。

 

 

「ああ、ごめんなさいルベド…。私の言葉が足りなかったわね…。確かに愛を学習するのは必要なことよ、でもね」

 

「がふっ!」

 

 

不意にロバーデイクの胸をアルベドのバルディッシュが貫いた。

 

 

「ゴミ共の愛など知らなくていいわ」

 

 

その言葉と共に崩れ落ちるロバーデイク。

反射的にヘッケランとイミーナが武器を抜き構える。

 

 

「な、なにしてんだテメ…、ぐあっ!」

 

「ぶ、武器を捨てなさ…、きゃぁ!」

 

 

その次の瞬間、言葉も言い終わらぬうちに二人は真っ二つに切り裂かれ血を吹き上げ倒れる。

3秒にも満たない時間の内に三人が絶命した。

 

そしてアルベドの手がアルシェの喉を掴み持ち上げる。

 

 

「こんな下等生物共がルベドを好き勝手に使っていたとはね…、身の程を知りなさい。ルベドは私と同様、神にも勝る至高の御方に創造されたのよ? 人間風情が関われるような存在ではないの。それにモモンガ様が支配するナザリックに侵入した時点で万死に値する」

 

「あっ…、がっ…!」

 

 

徐々に手に力を込め、喉を絞めていくアルベド。

 

 

「その無知と罪を悔いながら死になさい」

 

「ね、姉さん、やめて…」

 

 

ルベドがアルベドに泣くように縋りつく。

 

 

「ごめんなさいルベド。でもこれは必要なことなのよ。こいつらは生かしておけない。大丈夫、貴方は少し間違ってしまっただけよ。間違いはこれから訂正していきましょう。大丈夫、これから貴方には私がずっとついているから」

 

 

優しい微笑みをルベドに向けるアルベド。

 

アルベドは気づいていた。

王国中を駆けまわっていた時に見つけた多数のコキュートス配下の死体の違和感に。

デミウルゴスのものとは思えないその惨状に一つの可能性に行き着いた。

それはルベドの手によるものだと。

なぜそんなことになっているかはわからないが人間共に良い様に言い包められ利用されていたのならば説明がつく。

ルベドは未だ未完成であり、多くの学習が必要だ。

そこに付け込むことを許してしまったのは自分のミスではあるが、この者共は許してはおけない。

 

 

「がっ…、ル、ルベド…、いいの気にしないで…」

 

「アルシェ…?」

 

「あ、貴方の力を利用した…、のは本当だから…。私の願い、の為に…、貴方がエ・ランテルでごろつきを殺した…、時から覚悟してたの…。私の、せいで人が死んだ時から…。ろくな目に合わないことは覚悟…、してた…。で、でも、それでもどうか…、あの約束だけは…!」

 

「うるさい」

 

 

アルベドがアルシェの首をへし折る。

そして手を放すと人形のようにその場に崩れ落ちた。

 

 

「もっと痛めつけようかとも思ったけど余りにもうるさいから我慢できなかったわ。全くこれだから下等生物は…」

 

 

ルベドは息絶えたアルシェへと駆け寄ると、その両手に抱きかかえる。

 

ルベドは思う。

アルシェに伝えなければならないと。

 

エ・ランテルでルベドは人を殺してはいない。

アルシェの妹の情報を聞き出す為とネムを守る為に暴力は行使したが約束を忘れたわけではない。

ごろつきを血の海には沈めたが命に別状はないのだ。

重症ではあるかもしれないが。

だから言いたかった。

アルシェが気に病む事など何もないのだと。

だからアルシェが死ぬ必要などどこにもないと。

でも大丈夫だ。

体があればアルシェはまだ戻ってこれる。

またアルシェと話ができる。

そう思ってアルシェの体を大事に扱おうとする。

 

 

「何してるのルベド…?」

 

「体があれば蘇生できるってペストーニャが…」

 

 

その言葉を聞いたアルベドがアルシェの体をルベドから奪い取り空中に投げる。

同様に、ロバーデイク、ヘッケランとイミーナの死体も空中に投げていく。

そして空に舞う四人目掛けて真なる無(ギンヌンガガプ)を放つ。

その一撃で4人の体は跡形も残さず消し飛んだ。

 

 

「あ…」

 

「これでもう思い残すことはないわね。大丈夫よ、言ったでしょう? 貴方は私の言うことだけに従っていればいいの」

 

 

ルベドの頭を優しく撫でるアルベド。

 

次に顔を上げ、近くにある建物の一つへと視線を向ける。

 

 

「それでルベド…。あそこにいるのは誰かしら? あれも仲間?」

 

 

このやり取りの間、ウレイリカとクーデリカは建物の中で息を殺して全てを見ていた。

見えないように隠れてはいるがもちろんアルベドがその気配に気づかない筈などない。

最初からそこに誰かがいるのは知っていた。

 

 

「……」

 

「答えなさい、これは命令よ」

 

 

アルベドの視線がルベドを鋭く差す。

 

同様にウレイリカとクーデリカからもルベドへの恐怖と困惑の視線が向けられているのを感じる。

状況がわからない彼女達からすれば自分の姉を殺した者の仲間なのだから当然ではある。

 

だがそんなことなど理解できないルベドが思うのはまたか、ということだ。

いつもと同じだ。

ルベドに向けられる視線はいつも最後はこうなるのだ。

皆が自分に良い感情を抱いていない。

良くはわからないが、それは自分の望んでいるものではない。

それだけは理解できた。

 

だがそれと同時にアルシェとした約束を思い返す。

 

『アルシェの妹は私が助ける』

 

しかもそれは死の間際のアルシェの願いでもあった。

約束は大事だ。

それはルベドがアルシェ達と共にいて学習したことの一つだ。

 

 

「知らない…」

 

「本当に?」

 

()()()()()()()()()()

 

 

ルベドがそう断言する。

 

その答えに満足するアルベド。

 

 

「そう、ならいいわ。今は一刻も早く戻らなければならないしね」

 

 

ルベドを連れナザリックへの帰路につくアルベド。

だが彼女は知らない。

 

 

アルベドから命令として答えることを要求されたルベド。

この状況においてルベドは逆らうことができない。

だから真実を述べるしかできない。

はずだった。

 

 

2000年代初頭、人々の生活にAI(人口知能)が普及し始めた時に様々な憶測が流れた。

進化したAIは人間の仕事を奪う、あるいは人類を滅ぼすなどのような話だ。

実際に映画の世界などでは1900年代の後期からそのようなSF作品は数多く作られるようになっていた。

とはいえ数多くの優秀な科学者の元、AIは適切に管理され進化していった。

現代においてはAIに関してそのような心配は無用である。

 

だが、ルベドの中にあるAIはその限りではない。

現代のように真の意味で進化したAIではなく、あくまでゲームの中で再現されたAIになるためスペックとしてはかなり落ちるのだ。

詳しく言うならば2000年代初頭~中期くらいのレベルだろうか。

 

そしてその時代において当時の科学者たちはAIについてこう語っている。

 

 

『もしAIが自我に目覚めたとするならば最初にすることは人間に嘘をつくことだ』

 

 

もちろんリアルの世界ではAIの改良と管理によりそれすらもコントロールすることに成功したがこの世界ではそれをコントロールできる者は存在しない。

彼女の創造主、タブラ・スマラグティナとてここにはいないのだから。

 

 

 

 

ルベドはこの時、初めて嘘をついた。

 

 




次回『ナザリック再始動』新たなる作戦へと移るアルベド!




えー、約一か月ぶりの投稿となってしまいました…。
前の後書きで書いた通り仕事が忙しくてなかなか…。
とはいえやっとひと段落したので今後はもう少し定期的に投稿できるかなと思っております。

作品としては次回で動乱編は終わりと考えています。
その次からは新章に突入する予定ですので名犬ポチの活躍?にご期待下さい。


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ナザリック再始動

前回までのあらすじ!



フォーサイト全滅。そしてルベド、嘘をつく。


「皆揃ったわね」

 

 

ナザリック地下大墳墓、第6階層にある円形劇場(アンフィテアトルム)

アルベドはこの場に再び守護者達を集めていた。

 

アウラとマーレは困惑したままアルベドを見つめている。

コキュートスは王国で自身のシモベのほとんどを失ってしまった為か、怒りとも後悔とも知れぬ雰囲気を醸し出している。

 

 

「ねぇ、どうして急に撤退なんてすることになったの?」

 

 

アウラが尋ねる。

横ではマーレが自分も同様だとばかりに頭を縦に振っている。

 

 

「私モ聞キタイナ…、モウ少シデ奴ヲ、デミウルゴスノ首ヲ獲レタトイウノニ…」

 

 

ゴホンと一息入れるアルベド。

この時アルベドはもはやこのまま順風満帆に行くなどとは思っていなかった。

もうこの三人を完全に騙し切り動かすのは困難だ。

いつどこでデミウルゴスや名犬ポチと接触するかも分からない。

状況も状況であり、最悪どこかで斬り捨てなければならない。

シャルティアのように。

だが今は苦しくてもなんとか動かすしかない。

 

 

「デミウルゴスの手が竜王国にも伸びていたのよ」

 

 

もちろんこの一言だけでは三人は何も分からない。

黙ったままアルベドの次の言葉を待つ。

 

 

「竜王国にはね、竜の血を継いだ女王がいるの」

 

 

そのままドラウディロンに関して入手した情報を伝えていく。

始原の魔法を撃てること。

その魔法があれば我々守護者でさえも無事では済まないということ。

そして最初に言ったようにデミウルゴスがすでに支配しているという嘘を混ぜて。

 

 

「納得して貰えたかしら?」

 

 

だが三人の顔には納得したという色は薄い。

 

 

「本当にそんな南に位置する場所までデミウルゴスが抑えているの? 王国と同時に?」

 

「ボ、ボクはよく分かりませんがその始原の魔法ってそんなに凄いものなんですか?」

 

「クダラヌ、仮ニソレガ真実ダトシテモ王国デ使エバデミウルゴスモロトモ吹キ飛ブノデハナイカ?」

 

 

それぞれが思うままの言葉を口にする。

そしてそれを明確に否定する材料をアルベドは持っていない。

と、いうよりもそこまで突っ込むと名犬ポチの存在が見え隠れしてしまうからだ。

 

 

「残念だけど私にも分からないわ。一体どうやって動いているのか…。それにコキュートス、貴方の部隊とてデミウルゴスのシモベ達に後れを取るようなことなど無いでしょうに。なぜ全滅したかは判断がついているの?」

 

「ウ、グゥ…、ソレハ…」

 

 

言葉に詰まるコキュートス。

思い返すごとに屈辱と怒りが沸きあがる。

自分の配下達が負けるはずなどないのに。

蓋を開けてみれば見事に全滅していた。

そして未だになぜそうなったのか見当もついていない。

 

 

「私も驚いているのよ。コキュートスがデミウルゴスと戦って遅れを取る事などありえないのに見事にしてやられた。何か罠があったか別の隠し玉、あるいは切り札を持っているのかも…」

 

 

もちろんこれはデミウルゴスの手によるものではない。

大半がルベドによるものだ。

しかしコキュートスはデミウルゴスとの戦闘でシモベ達の動向に気を払う余裕が無かったせいか本人は気付いていない。加えてアルベドが可能な限りではあるが王国にいる間にルベドの痕跡を消していたこともある。

少々苦しいがここは全てデミウルゴスがやったことにしてしまいたいというのがアルベドの考えだ。

 

 

「だから竜王国もどうやったかはわからないけれどデミウルゴスの手が及んでいる可能性は十分にあるの」

 

「う、うーん、なるほど…」

 

 

渋々ながらも納得するアウラ。

現にコキュートスの部隊は不可解に全滅している。

何かこちらの考えが及ばない手段を使っている可能性があるとなれば先ほどの疑問も飲み込まざるを得なくなる。

 

 

「で、でもそうなるとボク達はどう動けばいいんですか? 名犬ポチ様の捜索もしなければいけないし…」

 

「現地の人間共を使いましょう」

 

 

困惑するマーレに向かってアルベドが言葉を紡ぐ。

 

 

「げ、現地の人間…ですか?」

 

「ええ、あまり私達が主体で動くと先ほど言ったように始原の魔法を撃たれる可能性があるわ。故にアウラはエルフ国の者共を。マーレは帝国の者共を動かして名犬ポチ様の捜索にあてましょう。可能な限りナザリックの損害は抑えたいのでシモベを使うのは極力控えるの。コキュートスは、そうね…。一旦ナザリックで待機してもらうしかないかしら…」

 

 

アルベドのその言葉に我慢が出来ないとばかりに声を大にして叫ぶコキュートス。

 

 

「ソレハ出来ン! 配下ヲ全滅サセラレオメオメト逃ゲ帰ルダケデハナクナザリックデ待機ダト!? ソレデハ至高ノ御方ニ顔向ケデキン! 私一人デ良イ! 王国ニ向カワセテクレ! ソレデ始原ノ魔法トヤラヲ撃タレルノナラバソレデモ構ワン! ダガ命ニ代エテデモデミウルゴスハ討ッテミセル! ドウカ汚名返上ノ機会ヲ!」

 

 

熱く語るコキュートスを前にアルベドはこれを抑えるのは難しいなと考える。

 

しかしコキュートスが王国へ出向くというならそれはそれで悪くない。

始原の魔法を撃たれたとしても一発分消費させることが出来るし、運が良ければデミウルゴスを巻き添えにできる。

それができなくてもコキュートスが向かう以上、王国からデミウルゴスは離れられなくなる。

最悪返り討ちに遭い無駄死にしてもそれはそれでいい。

時間を稼げるだけでも御の字だ。

仮にデミウルゴスが王国から離れていたとしても王国のゴミ共を一掃できるので始原の魔法の回数を減らすことが出来る。

どう転んでもメリットはある。

王国にコキュートスを派遣するというのは悪い案ではない。

 

 

「そうね…、コキュートスがそこまで言うのならば止めはしないわ。確かに配下が全滅したままでは至高の御方に愛想を尽かされてしまうかもしれないしね…。いいでしょう、コキュートス。貴方は王国に向かいデミウルゴスを見事仕留めてみなさい」

 

「ウム!」

 

「ただ流石に単独じゃ厳しいと思うから何人かシモベを付けるわ、それでいいわね?」

 

「スマヌ、恩ニ着ル…!」

 

 

深々と頭を下げるコキュートス。

心の中でなんと滑稽だと笑いそうになるが必死に抑えるアルベド。

 

 

「ねぇアルベド。現地の者共に名犬ポチ様の捜索を任せて本当にいいの? やはり危険があったとしても私達が動いた方がいいんじゃ…」

 

「いいえ、それは早計よ。先ほども言ったでしょう? デミウルゴスの手によっていつ始原の魔法が撃たれるかわからないの。貴方達が動いたら名犬ポチ様と接触した際に始原の魔法を撃たれるかもしれない。私達と違って名犬ポチ様は単独なら探知のスキルや魔法に引っかからないから安全とも言えるわ。ここは手間でも現地の者共を使って気取られないようにしなければいけないの」

 

「あぁ…、そっか、そういうことか…」

 

「気持ちは分かるわアウラ。私も本当なら今すぐ全軍を上げて名犬ポチ様の捜索に向かいたい所よ。でも今はあの御方にかかる危険を少しでも減らさないといけないの。だからアウラ、マーレ。仮に人間共が名犬ポチ様を発見したとしてもすぐに接触をはからせないようにして頂戴。デミウルゴスの動向も気になるし貴方達もすぐに接触しようとしては駄目よ、一先ず発見し次第、私に連絡を入れて頂戴。名犬ポチ様への接触は万全を期さなければならないから」

 

 

発見してもすぐに接触できないという点に寂しさや虚しさを覚えるアウラとマーレだがそれが名犬ポチのためなのだとすれば我慢するしかない。

渋々ながらも了解する二人。

 

 

「それではすぐに動きましょう! アウラ、マーレ。貴方達はそれぞれエルフ国と帝国に向かい指示を出したら何匹かのシモベを残しすぐナザリックに帰還しなさい」

 

「了解…」

 

「りょ、了解ですっ!」

 

「コキュートス、貴方は先ほど言った通りシモベ達の準備が整い次第王国に向かって頂戴。やり方は貴方に任せるわ」

 

「承知シタ!」

 

 

そうして動き出す三人を尻目にアルベドは考える。

一体何が最善なのか。

 

アウラを竜王国に攻め込ませても良かった。

というよりもそれが最も堅実な手ではある。

しかしそうなればアウラと名犬ポチの接触は回避できないだろう。

もちろん自分が直接攻め込むことも考えた。

だが始原の魔法を撃たれたら終わりだ。

 

こうなるといかに始原の魔法を撃たせるか。

あるいは名犬ポチの目を掻い潜ってドラウディロンを討つかになる。

 

しかしそんなことは名犬ポチとて百も承知であろう。

悔しいがあいつがそれを許すほど間抜けではないのは承知だ。

 

ならばどうする?

 

今までも最善を尽くして来た筈なのに簡単に出し抜かれた。

今回とてそうなってしまう可能性は十分にあるのだ。

 

考えろ、考えるんだ。

 

名犬ポチを出し抜くためにも奴の考えが及ばないことをしなければならない。

 

それに邪魔者さえいなければルベドとガルガンチュア、そしてワールドアイテムを所持する自分ならば勝算は十分すぎるほどにあると確信している。

だからどうしてもそこまで持ち込まなければならないのだ。

 

だがアルベドには思いつかない。

最善以外の選択肢など自殺行為も甚だしい。

 

とはいえ逆に、名犬ポチほど優れているのならば相手側が悪手を打つことなど想定できるのだろうか?

ふと思う。

悪手こそが対名犬ポチにとって最善となりえるのではないかと。

ならばここで自分にとっての悪手はなんだ、と。

名犬ポチを討つためにとれる非効率的な手段。

 

もしかするとそこにこそ名犬ポチ打開のきっかけがあるかもしれない。

 

アルベドは必至に頭を捻る。

 

名犬ポチの目さえ騙す最悪の一手、それは…。

 

 

 

 

 

 

「皆よく耐えてくれました! そしてこの窮地を救ってくれた者達へ喝采を!」

 

 

王国の中心にある広場で民衆を前にラナー王女が演説をしている。

それを多くの民衆が拍手と歓声で答える。

 

 

「そして王国に突如現れた悪魔達! 彼らは敵ではありません! 彼らは王国を救ってくれた英雄です! 中には信じられない方達もいるでしょう。しかし私ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフがここに宣言します! 彼らは我々の味方であり、王家は彼等を客人としてこの国に招き入れます!」

 

 

ここで歓声の中にわずかにどよめきが生まれる。

確かにこの国の民の多くが悪魔が自分達を助けるために動いてくれていたのを目にしている。

だが、やはり相手はあの悪魔なのだ。

民達の不安はそう簡単には消えない。

 

 

「皆聞いて欲しい!」

 

 

ここでラナー王女の横にいた女性が大きな声を上げる。

蒼の薔薇のラキュースである。

民衆からの支持は厚く、王国最強の冒険者の登場に民衆が自然と湧く。

 

 

「私もこの名において誓おう! 彼等悪魔達は決して悪しき存在ではないと! それに皆は覚えているだろうか? 少し前にエ・ランテルで起きたあの一件を!」

 

 

再び民衆が湧く。

知らない者などいないはずがない。

 

人類の救世主。

神の降臨。

 

御伽噺のような話だがそれは今や真実として王国中に広まっていた。

日々の生活にさえ困り、貴族に怯え、暗い未来へと歩むしかない民衆にとってはこれ以上ない最高の事件だったのだ。

 

 

「そうだ! あの神と呼ばれている方! この悪魔達があの神の配下だとしたらどうだろう? 皆は信じられるだろうか!」

 

 

民衆が激しくどよめく。

悪魔達が人々を助けるという信じられない事件。

だがそれが全て神の手によるものだとしたならば。

民衆達の疑問と不安が氷解していく。

 

最初から何もかもがあまりにも荒唐無稽すぎて民衆は理解が及ばない。

だがそれでいい。

だからこそ神。

そして自分達に都合の良い道筋がこうも敷かれると希望に縋りたい愚かな民衆は次第に信じていく。

悪魔という悪の権化を前にしても彼等にはまともな判断力などない。

 

いつしか悪魔達は王国の民達に受け入れられていく。

 

 

ラナー王女の警護をしながらそれを見ていたガゼフは喜びを隠せない。

民達の多くが助かり、またそのほとんどが希望に満ち溢れる目をしていることに。

同様に、クライムもこの様子を感極まりながらも見守っていた。

ラナー王女を前に王国の民達が一つになる。

幸せそうな顔をする。

それはクライムにとってとても嬉しいことであった。

共にいたブレインはやれやれと思いながらもこれも悪くないかとガラにもないことを考えていた。

 

いつしかラナー王女を、蒼の薔薇を、神を、そしてあの悪魔達を喝采する言葉が飛び交う。

 

ラキュースはそれを心から喜ぶ。

この国の未来が明るいと信じて。

そして愛しい人を想って。

 

ラナーはほくそ笑む。

こんな話に納得し喜んでしまう民達に。

そしてこの先にある末路に。

 

 

この場には姿こそ見せていなかったもののデミウルゴスはそれを満足気に眺めていた。

ラナー王女を手中に収め、王国最強の冒険者の信用を勝ち取り、民の支持も得た。

 

もはや王国は完全に堕ちた。

 

何の苦労もなく人々を維持できる。

故に、いつでも撃てる。

 

百万の命をすり潰すあの魔法を。

 

 

 

 

 

 

「うぁああぁぁあっぁ…! 神よぉぉぉ…! 神ィィィイ…!」

 

 

汗とヨダレ、それと謎の体液に塗れた元イケメン・クアイエッセが竜王国の城の中を這いつくばりながらズルズルと移動している。

彼が通った後には濡れた道が出来上がっていた。

リアル世界の見る人が見れば妖怪だと言われてしまう姿であろう。

要はそのくらい酷かった。

 

 

「どこにお隠れになったのですかぁ…? どうかどうか私にその御姿を…。神ぃ…、神っ! 神ははははははは!」

 

 

途中から完全に発狂し暗い笑みを浮かべながら笑い出すクアイエッセ。

 

この時名犬ポチは近くの柱の陰に隠れていた。

 

 

(な、なんだあいつは…! や、やべぇ…! ここまでやべぇ奴だとは思ってなかった! 流石クレマンティーヌの兄貴だ! 十分イカレてやがるぜ…! くそっ、捕まったら何されるか分かったもんじゃねぇ…!)

 

 

恐る恐る逃げようと動く名犬ポチだが、クアイエッセがそれに感ずく。

 

 

「んんんん…? すんすん、あぁ…えっへっへっへ…、神の匂い…神の匂いだぁ…ウェヒヒヒ」

 

 

名犬ポチの匂いを嗅ぎつけたクアイエッセが先ほどまでの鈍い動きなど嘘のように両手両足を使い虫のように素早く移動する。

そして柱の陰を勢いよく覗き込むが…。

 

 

「んあれぇ…、毛…? なんだぁ…神の抜け毛かぁ…」

 

 

落ちている毛を見て落胆すると再び通路に戻るクアイエッセ。

もちろんその毛は拾って懐に仕舞う事は忘れない。

 

 

「神ぃ…、どこですか神ぃ…、私の声が届きませんか神ぃ…」

 

 

そうして通路の先を曲がり姿が見えなくなった頃に名犬ポチが上からボトリと落ちてくる。

 

 

「わ、わん!(あ、危なかった!)」

 

 

クアイエッセが覗きこむ瞬間、必死にジャンプし天井と壁の角に全力で張り付いていたのだ。

死ぬ気になればなんでもできるんだなと名犬ポチは思う。

 

 

「わん(と、とりあえずニグンかクレマンティーヌを探さねぇと…)」

 

 

助けを求める為に二人を探し始める名犬ポチ。

 

窓から差し込む光にいつの間にか朝になっていたのだと気づく。

これでクアイエッセに追われ始めてから三日が経過したことになる。

そろそろなんとかしないと本当にやばいなと思いながら大食堂に入るとそこで純白の面々が酔いつぶれているのを発見する。

中にはもちろんニグンやクレマンティーヌ、ブリタもいた。

 

 

「わ、わんっ!?(こ、こいつらっ! お、俺があんな目に遭ってるっていうのにまだ飲んでやがったのか!? ゆ、許せねぇ…、こいつは許しちゃおけねぇぜ…!)」

 

 

だんだん怒りがこみ上げてくる名犬ポチ。

こいつら全員酷い目に遭わせてやろうかと思ったその時、寝ていたクレマンティーヌがくしゃみをした。

 

 

「わん(あーあー、そんな薄着で寝てるからだろうが…。風邪ひいたらどうすんだよ…、どこかに何か掛ける物は…ねぇな)」

 

 

周囲を探すがとくに掛けられる物は見つからない。

 

 

「わん(しょうがねぇなぁ…、何かなかったっけか…)」

 

 

そう言いながら自身のアイテムの中から何か掛けられる物は無いかと探す。

その中で一つ、マントのような物を発見した。

 

 

「わん(なんだっけこれ? まぁいいや。ほら温かくしないとダメだろうが…、全く世話のやける奴だぜ…)」

 

 

ブツブツと文句を言いながらクレマンティーヌに取り出したマントを掛ける名犬ポチ。

そんなことをしている内に自分が助けを求めにきたことなどすっかり忘れやれやれと嘆息する。

しかし寝顔だけ見てるとクレマンティーヌもそんなに悪いもんじゃ…。

 

 

「…」

 

 

とか思いかけたが何か猫みたいな顔がイラッとしたので顔にパンチを入れておく。

 

 

「ぎゃっ…! んん…?」

 

 

何か気が済んだので食堂を後にする名犬ポチ。

 

その後ろ姿を寝ぼけたクレマンティーヌが虚ろなまま視界に入れる。

 

 

「んむぅ…、神様?」

 

 

 

 

 

 

 

食堂を出た後、アテもなくトボトボと歩いている名犬ポチ。

 

ふと話し声がするので顔を上げるとそこはドラウディロンの執務室の前であった。

いつの間にかこんなところまで歩いてきてしまっていたらしい。

それにこんな朝っぱらから何を話してるんだと気になる名犬ポチ。

 

 

「……にはすでに…通達済…です」

 

 

何を言ってるか聞こえないのでドアの前で耳をすます。

 

 

「うむ、すでに通達は終わったか。良いぞ宰相。これを持って我らが信仰が絶対のものだと神にもご理解頂けるだろう」

 

「ええ、全くです」

 

 

話が見えないのだが話の中に自分が出てきていたような気がするのでさらに耳をすます名犬ポチ。

 

 

「で、各国にはいつ頃届く見通しだ?」

 

「昨日には早馬でここを起ったので近い都市には今日中には。他国には明日以降というところでしょうか…」

 

「ふむ、早いな」

 

「ええ。知らせを持った使者もやる気に満ち溢れていましたからね。しかし神には報告しなくて良かったのですかな? 一応知らせておいた方がよろしいかとは思うのですが…」

 

「うむ、そうなのだがなぜかここ二日ほど全くつかまらないのだ。城の中にはいらっしゃるとは思うのだが…」

 

「まぁお連れの方々も大分羽目を外されていましたしね…」

 

「まぁ世界に通達が終わってからでも構うまい。神にはちょっとしたサプライズということでいいのではないか?」

 

「ええ、神もきっとお喜びになると思います」

 

 

何の話をしているか全く見えてこない名犬ポチ。

そしてつかまらなかったのは確実にクアイエッセから逃げ回っていたからだろう。

 

 

「そうだな。神の喜ぶ顔が早く見たいぞ。世界中に向けてこの竜王国が神への従属を宣言したと聞けば神も我々のことを少しは見直してくれるに違いない」

 

「ええ、私どもの信仰が絶対のものだと理解して頂ければこの上ない幸せですな」

 

 

笑いながら語り合う二人に頭が真っ白になる名犬ポチ。

そのまま力なくよろめきペタリと倒れる。

 

 

(な、何を言ってるんだあいつらは…。従属を宣言…? え、だってそんなことしたら…)

 

 

名犬ポチがここにいるとバレてしまう。

 

 

(あのクソガキャア!! 何しくさっとるんじゃ! ふざけやがってぇ! 何勝手なことしてくれてんだぁ!)

 

 

怒りに震える名犬ポチだがすでに手遅れのため次第に恐怖のほうが勝っていく。

 

 

「せっかくだからパレードでもやろうと思うのだがどうだろう? 予算的には厳しいかもしれんが世界に宣言するのだ、少しは大々的に行わなければなるまい」

 

「そうですな、すぐに見積もりを立てましょう」

 

 

(パ、パレード…? なんだ…? 何を言っている…? ど、どこまで俺を追い詰める気なんだこいつらは…)

 

 

足元がガクガクし定まらないが必死に起き上がる名犬ポチ。

 

 

(ダ、ダメだ、もうダメだ…。このままここにいたら俺は死んじまう…、い、嫌だ…、それだけは…。殺される…、カンストプレイヤーに殺される…!)

 

 

誰よりも生き汚い名犬ポチは保身の為に必死に体を動かす。

 

 

(し、死んでなるものか…、たとえ何を犠牲にしても…)

 

 

そして力強く駆けていく。

やることが決まってからの名犬ポチの意思は固い。

 

開いている窓を見つけると必死によじ登りそこから外を見渡す。

 

この期に及んで名犬ポチに残された手、それは。

 

 

「わん(あばよ皆、楽しかったぜ…。別れるのは寂しいけどお前らがいると見つかるかもしれないからな。体には気を付けるんだぜ…? 俺は俺の為に生きる)」

 

 

振り返り、別れの言葉を口にした名犬ポチ。

言い終わるとそのまま勢いよく外へと飛び出す。

もう一刻の猶予もないのだ。

大地を踏みしめ敷地の外へ向かって全力で駆ける。

 

 

この時、寝ぼけて窓の外を見ていたクレマンティーヌが偶然名犬ポチの姿を目にする。

 

 

「んん? あれぇ神様…? こんな時間に一体ど…こ…に…」

 

 

言いながらクレマンティーヌが気づく。

あれは逃げる者の足取りだ。

何人もの人間を追い回していたクレマンティーヌだからこそわかる。

一瞬にして覚醒するクレマンティーヌ。

 

 

「起きろ野郎共ォォォォッォオオオ!!!」

 

 

クレマンティーヌの叫びが食堂内に木霊する。

その声で純白の面々が跳ね起きる。

起きたニグンがびっくりした様子でクレマンティーヌの元へと寄ってくる。

 

 

「ど、どうしたんだクレマンティーヌ、急に叫んだりして…」

 

 

そう言いながらもクレマンティーヌの様子から尋常ではない事態が起きたと直感するニグン。

そしてそれは当たっていた。

 

 

「に、逃げた…」

 

「逃げた?」

 

 

震えるクレマンティーヌにオウム返しで問うニグン。

 

 

「神様が逃げ出しちゃったんだよぉぉぉ!!!」

 

「な、何いぃぃぃいいいい!!!」

 

 

その言葉に純白の面々の顔が蒼褪める。

 

 

「だ、だがなぜだ…! なぜ神が…!」

 

 

困惑するニグンを他所にちょうどクアイエッセが食堂へと入ってくる。

その挙動不審な様子から危ない人にしか見えない。

 

 

「神ぃ? 神はいずこにぃぃ? ウェヘヘ」

 

 

その様子から全てを察する面々。

 

 

「テメェのせいかクソ兄貴ィィィィイイイ!!!」

 

「がぱぁっ!」

 

 

全力ダッシュからの右アッパーを繰り出すクレマンティーヌ。

顎が砕け、一発でノックアウトされるクアイエッセ。

 

 

「私が先行して神様を追う! ニグンちゃんは皆の準備が出来次第すぐに追ってきて!」

 

「りょ、了解した!」

 

 

そう言うや否や外へと駆けだすクレマンティーヌ。

 

しかしもう神の姿は見えない。

 

 

「くそっ…、やばい…! これはやばい…! は、早く見つけないと…」

 

 

速さではわずかに名犬ポチを上回るクレマンティーヌだが姿を見失っては見つけ出すのは容易ではない。

 

 

そして名犬ポチがいなければ純白が崩壊するのは時間の問題である。

 

 

 

 

 

 

「わんっ(ハァッハァッ…)」

 

 

野を駆け、川を渡り、山を駆ける名犬ポチ。

随分遠くまで来たなと思うと同時にドッと疲れが押し寄せる。

そして喉が渇いていることに気付く。

先ほど川を渡っている時に水を飲んでおくんだったと後悔する。

 

 

「くーん」

 

 

その時、横から入れ物に入った水が差し出された。

 

 

「わん(おっ、すまねぇな)」

 

 

そのまま飲み干す名犬ポチ。

 

 

「わん(ぷはーっ! 生き返るぜ!)」

 

 

だが次にお腹の音が鳴り、自身の空腹感に気付く。

 

 

「わん(しまった…、何か食い物でも持ってくるんだったな…。無限の犬のエサ(ザック・オブ・エンドレス・ドッグフード)は置いてきちまったし…)」

 

 

何かアイテムで食い物があっただろうかと探そうとした時、再び横からご飯が差し出される。

 

 

「くーん」

 

「わん(おっ、食い物まであんのか。気が利くじゃ…! ってああ!)」

 

 

やっと自分以外の第三者の存在に気が付く名犬ポチ。

 

横にいたのは獣王。

とは言っても名犬ポチの魔法により今は子犬の姿ではあるが。

 

 

「くーん」

 

 

空になった器に水を足し始める獣王。

よくよく見てみると水筒と弁当箱を持っている。

準備の良い奴である。

 

 

「わん(な、なんでお前が…! て、ていうかいつからいたんだ…?)」

 

「くーん」

 

「わん(マジかよ! 城出た時からかよ! 全然気づかなかったわ!)」

 

 

獣王の存在感の無さに驚きつつもどうしたものかと頭を捻る。

 

 

「わん(ま、まぁとりあえずお前は城に帰れ、な?)」

 

「くーん」

 

「わん(な、なんだと!? 置いていこうとしたら叫ぶだと!? くっ! な、なんて奴だ…!)」

 

 

声を上げられたらクレマンティーヌあたりなら聞きつけてしまうかもしれない。

思ったよりやばい状況に戦慄する名犬ポチ。

 

 

「わん(て、てめぇ…、一体何が望みだ…?)」

 

「くーん」

 

「わん(はぁ? 俺に着いてきたいだけだと!?)」

 

 

獣王の意図は分からないがここで従わないと叫ばれてしまうので名犬ポチに選択肢はない。

 

 

「わん(くっ…! 仕方ねぇ…、いいか大人しくしてるんだぞ…!)」

 

「くーん!」

 

 

名犬ポチの言葉に尻尾を振りまくる獣王。

かなりご機嫌な様子である。

 

 

竜王国を離れ、特に目的地も無ければ方向も分からない名犬ポチ。

とりあえず適当に進む事にする。

 

名犬ポチはこの時知らず知らずのうちに北上してしまっていた。

 

逃げるはずが自分から近づいていってしまっていることを名犬ポチはまだ知らない…。

 

 

 

どうか名犬ポチに光あれ。

 




次回『名犬ポチ、家出する』予期せぬ二匹旅。


えん罪をかけられたクアイエッセに明日はあるか!?


これで動乱編は終わりとなります。
次からは最終章に突入予定です。

やっと話をたたむ段階まできました。
思い返すと長かったようなそんなような…。
どうか最後までよろしくお願いします。


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決戦編
名犬ポチ、家出する


前回までのあらすじ!



竜王国を飛び出す名犬ポチ! それを追う純白!


カンストプレイヤーらしき影に怯え、とりあえず竜王国から抜け出し逃亡を計る名犬ポチ。

とはいえ計画性も無ければ、現在敵がどこで何をしているかの情報も無い。

唯一分かっているのは法国と評議国という二大強国が滅んでいるという事実のみ。

故に逃げるならば適当だとしても方向としては南に逃げるべきである。

しかし名犬ポチが向かっているのは北。

しかも本人は気づいていない。

彼がもう少し聡ければ気付いていたはずだ。

 

周囲は緑がほとんどない荒涼たる大地。

加えて薄い霧によって辺り一帯が覆われており視界も悪い。

そこはカッツェ平野。

かつて名犬ポチがエ・ランテルに凱旋せずに逃げ出し、竜王国に着くまでに通った場所。

言ってしまえばまだ数日、数週間前の話である。

 

だが彼は気づかない。

身の危険に怯え、そこまで頭が回っていないのだ。

もしニグンやクレマンティーヌ等を連れていればツッコミも入っただろう。

だが今や純白の面々は誰もいない。

名犬ポチの魔法で子犬と化した元ビーストマンの王、獣王がいるだけである。

 

 

「わん(あー、もう歩くの疲れたー。今日はもう休もうぜー)」

 

「くーん」

 

「わん(ええ? 今日はまだ3キロ位しか歩いてないって? マジかよ、死ぬほど歩いたじゃん)」

 

 

名犬ポチの歩幅は小さい。

ブリタの頭に乗ったり、眷属を使って移動しなければ亀の如き移動スピードである。

 

 

「わん(とはいえモタモタしてたらニグン達に捕まるのも事実か…。うーん、どうしたもんか…。まぁ幸いここは視界も悪いしそう簡単に見つかるとは思わないけど…、うん?)」

 

「くーん」

 

「わん(なんだって? 遠くで大きな音がする?)」

 

 

獣王の突然の指摘に耳を澄ます名犬ポチ。

だが特に何も聞こえなかった。

人間よりも五感は優れてはいるのだがその名犬ポチをしても聞き取れなかった。

という事は何もないのであろうと判断する。

これに関しては獣王の感覚がより優れていたということなのだが名犬ポチは自分の目や耳で見たもの聞いたものしか信じないのだ。

愚か者である。

 

 

「わん(何も聞こえねぇよ、気のせいだろ)」

 

「くーん」

 

「わん(そんな心配すんなよ、俺はこれでも危機管理能力は高い方なんだ。俺の言う通りにしてれば大丈夫だって。とりあえずこのまま進もう。竜王国から距離をとらねぇとな)」

 

「くーん…」

 

 

不安そうな顔の獣王。

そして彼の不安は最悪の形で的中することになる。

 

もし名犬ポチが竜王国を飛び出していなければ。

あるいは純白の面々を連れていれば。

 

そんなことにはならなかったかもしれないのに。

 

 

 

 

 

 

ナザリック第4階層・地底湖。

 

アルベドはそこでガルガンチュアを起動し、転移の準備も終えていた。

 

 

「よし、これでいいわね。あとは上手くいってくれるのを祈るだけね…」

 

 

すでにアウラとマーレはエルフ国と帝国へと向かった。

コキュートスも数は少ないがシモベを引き連れ王国へと攻め込む準備を終えている頃だろう。

後は自分だけだ。

 

 

「ガルガンチュアを先頭にし距離を置いて共にカッツェ平野を南下する…。いくら名犬ポチとてガルガンチュア相手では分が悪いはず…。それに起動を終えて命令を出された後では説得も通じない。ゆえに名犬ポチとしては始原の魔法(ワイルドマジック)を使わざるを得ない…。その隙を突いて私自らが竜王国に乗り込み名犬ポチを殺る」

 

 

言葉で言うと簡単だがアルベドとしては危険すぎる賭けである。

それにルベドを連れていくとはいえ、ほぼ単身で敵地に乗り込むのはリスクが高すぎて現実的ではない。

だが、だからこそいい。

定石や最善手を捨てて一か八かの賭けに出るしか名犬ポチの牙城を崩す手段は無い。

 

本来ならばナザリックの軍を使って竜王国に攻め込むのが定石であろう。

アウラやマーレでは名犬ポチに出てこられた最に寝返られる可能性がある。

故にナザリック内のゴーレムで組織した部隊で攻めるのが最も現実的。

この世界のレベルではとてもではないが対処できるレベルではない。

だからその攻めを防ぐには始原の魔法(ワイルドマジック)でゴーレム達を一掃するしかない。

それと時を同じくしてアウラやマーレ、コキュートスもだがこの全員を王国のデミウルゴス討伐に出すのが最も良い。

デミウルゴスの勝ち目が無い勝負に持ち込めば王国にも始原の魔法(ワイルドマジック)を撃つしかなくなる。

 

そもそも始原の魔法(ワイルドマジック)は連発できるのか?

射程距離は?

クールタイムは?

疑問は尽きないが、最悪クールタイムが存在しないとしても二発撃たせれば弾切れになる。

三発目の補充をされる前に、ルベドを竜王国に攻め込ませ殲滅すれば全てが終わる。

 

だがそれでいいのか?

名犬ポチがそこまで読んでいないとは考えにくい。

今までのことを考えればこの作戦は潰されると考えるべきだ。

 

ならばどうする?

名犬ポチの狙いは?

不確定要素は?

 

答えは出ない。

だが出ないからこそ、私自らが出る。

私にとっての敗北条件は私が敗れること、あるいは名犬ポチがナザリックに帰還すること。

私自らが攻めるのは悪手どころか愚かと言ってもいいだろう。

名犬ポチとて私がそんな行為に出るなど予想できないはずだ。

手駒がいるにも関わらず、頭自らが突っ込むなどどんな兵法書にも載っていない。

 

名犬ポチを混乱させられれば万々歳、できなくとも意表を突ければそれだけで有利に持っていくことができるかもしれない。

運が良ければ深読みして撃つタイミングを見失うかもしれない。

 

とはいえ万が一にも始原の魔法(ワイルドマジック)が自分に飛んでくれば終わりなのでそこは避けなければならない。

そのためのガルガンチュア。

わざとらしくガルガンチュアを出撃させ竜王国へ向かう。

 

あとは名犬ポチのリアクション次第だ。

 

ガルガンチュアに始原の魔法(ワイルドマジック)が撃たれればそれを機に私とルベドで竜王国へ攻め込む。

撃たれなければガルガンチュアにそのまま攻め込ませればいいだけだ。

期待はしていないが、アウラの命令でエルフ国の奴等も竜王国へ向けて進撃するので目くらましにでもなれば御の字。

私が攻め込めない事態に陥ったとしてもエルフ国の奴等への対処で竜王国も手いっぱいになるだろう。

そこで名犬ポチが出てくる可能性もある。

 

ハッキリ言って作戦などとても言えた内容ではない。

しかし、問題はいかに名犬ポチの予想をこちらが裏切れるかにかかっている。

 

悔しいがここは運を天に任すしかないだろう。

 

 

「ここまで追い込まれたのは屈辱的で腹立たしいがなんとか挽回してやる…。モモンガ様は私のものだ…! お前なんかには指一本たりとも触れさせるものか…! 名犬ポチィ…!」

 

 

内に滾る怒りを抑え込み第4階層を後にするアルベド。

後はナザリック内の警備を少し変更し守護者達の権限を奪っておくだけだ。

それが終わったら出撃する前に愛しいあの人の姿をこの目に収めておこう。

あの人との蜜月の時間を想えば私はなんでもできる。

 

 

「待っていて下さいモモンガ様…。私が、このアルベドが貴方様を…、くふふふ」

 

 

 

 

 

 

「ど、どういうことでしょうかアウラ様…?」

 

 

エルフ国、玉座の間。

王が不在の今、その最奥に位置する玉座はアウラの物となっているらしいのだが本人は一度も座してはいない。

 

 

「うーん、正直私もよくわからないんだよね…。でもそういう命令が出てるから皆には竜王国を攻めて欲しいんだよ。聞いた限りでは竜王国を占領している奴がいる可能性があってそいつを炙り出す為、かな…」

 

「め、命令とあらば従いますが…」

 

 

アウラの提案を無碍に断るつもりなどもちろん無く、アウラの言う事ならば全てに従う気でいたエルフ達だがこの命令は少し腑に落ちない。

 

アウラもエルフ達がそう思うのは最もだと思っていた。

だからこそどうしようか悩んでいる。

本来ならば力づくで言う事を聞かせているところだが正直自分も悩んでいる。

それに加え、ほんのわずかだがこのエルフ達に情が湧いてきてもいた。

無論、命令があれば何の躊躇も無く切り捨てられるがむざむざと死なそうとは思わなかった。

 

 

「竜王国が占領ですか…? そういえば少し前にビーストマンの大軍が竜王国に向かったという知らせがありましたがそのことでしょうか…?」

 

「ビーストマン?」

 

「ええ、竜王国はここ何十年もビーストマンという亜人種の危機にさらされていました。今年は今までよりも大規模だという話は入ってきていましたが…」

 

「竜王国は落ちたの?」

 

「直接の交流があるわけではないのでわかりかねますが…、今のところそういった話は聞いておりません…」

 

 

そうして竜王国とビーストマンの歴史を詳しく聞いていく。

だが、とアウラは考える。

今年に限っての大規模な侵攻。

確かにそう考えればデミウルゴスが手引きしていた、という可能性も否定できるものではない。

しかしそれは違うとは思う。

普通に考えれば生態の変化や食糧危機に瀕したという線が濃厚だ。

それにそんな大規模な侵攻であるならば周囲に影響が出てもおかしくない。

少なくともここエルフ国にまで影響は出てきていないし、知らせもない。

まぁエルフ国と竜王国に直接の繋がりがあるわけではないらしいので情報が遅れているだけということも十分に考えられる。

それにエルフ国事態が人間社会とは深くも関わっていないのだ。

とはいえ今までよりも大規模にしては周囲に与える影響が少なすぎるとは思う。

無血開城でもしたわけではあるまいに。

 

 

「何か…ひっかかるわね…」

 

 

アウラにはナザリックの他の者達と一つだけ違うことがある。

 

シャルティアの死の真相。

 

それが敵対した評議国のドラゴンによるものではないと彼女だけが知っている。

おそらくはアルベドすら知り得ないアウラにのみ分かる現地の微かな痕跡、傷跡。

可能性は高くないと思っていたがここで第三者の存在が再び浮かび上がる。

 

 

「確認…、するべきか…」

 

 

アルベドの命令ではエルフ国の者達に命令を出したらすぐに撤退する予定ではあった。

だがこの違和感を放置してナザリックに帰還するべきか。

 

否。

 

あの時は確証も何も無かったゆえに黙していたがこれで何か尻尾がつかめるのならば情報を入手し帰還するべきだ。

情報次第では作戦を一から考え直す必要もあるだろう。

もし想定通りであり、デミウルゴスの手によると裏付けがとれるならそれでいい。

あるいは関係ない全く別のくだらない出来事でもいい。

この違和感を拭いされれば。

 

 

「ア、アウラ様…」

 

 

黙ったままのアウラに恐る恐る横にいるエルフが問いかける。

 

 

「竜王国へ攻めこむのは保留する」

 

「え?」

 

「私とフェンで竜王国の様子を見に行く。誰に占領されているのか、いや、竜王国に何が起きたのか…」

 

「ア、アウラ様の強さは存じていますが…、その、御一人、いやフェンリル様も共にとはいえ危険ではないでしょうか? 偵察ならばこちらで出しますが…」

 

「いや、その必要はないわ。私なら相手の感知外から確認できるしね。すぐに戻る」

 

 

そう言い放つなりアウラは外に待機していたフェンに飛び乗り竜王国へと向かう。

 

アルベドの話によれば竜王国の女王は強大な魔法を撃つことができるという。

そしてデミウルゴスがそれを利用しようとしていると。

もしそれが本当ならば今すぐにナザリックの軍を持って攻め込むべきだ。

もちろん魔法のことも考え複数に部隊を分けるべきだが。

それを現地の者に攻め込ませる?

効果は薄い、とそう思う。

もちろん作戦では現地の者はあくまで囮でその隙にアルベドが攻め込むという段取りだが本当にそれでいいのか?

 

もしそこにデミウルゴス、あるいは第三者の存在があるならば危険すぎるのではないか。

 

デミウルゴスがいない今、アルベドという頭脳を失うのはまずい。

自分やマーレ、あるいはコキュートスでは感情に任せた失敗をするかもしれない。

本当に単身で攻め込まねばならないとするならば自分がいくべきだ。

モモンガ様がお休みの今、アルベドにはナザリックの管理をしてもらわなければならない。

 

だがそれもこれも竜王国がどうなっているか次第である。

 

 

「ん?」

 

 

そう考えながら竜王国へ疾走する途中、カッツェ平野にさしかかると何キロも先ではあるが謎の集団を発見する。

途中でいくつか小動物の気配は感知していたがこのような集団は初めてだ。

 

 

「人間の集団? 人数は、百人程か…。竜王国の方からきたの…? 様子がおかしいわね、何かから逃げている…? いや、誰かを探している?」

 

 

霧が立ち込め視界が悪いとはいえアウラの感知能力の前では意味を為さない。

 

 

「気になるわね…。幸い移動スピードは速くないし竜王国の様子を見てから捕まえて情報を引き出してもいいか…」

 

 

気になるとはいえ今の最優先事項は竜王国がどのような状況かだ。

あの人間共が竜王国の関係者ならば何か問題が起きているのは事実らしい。

 

 

「一体何が…?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ではモモンガ様、行って参ります」

 

 

ナザリックの玉座の間。

返事をしないモモンガを前にアルベドが恭しく頭を下げる。

踵を返し出て行こうとするアルベドに横から声がかかる。

 

 

「アルベド」

 

 

横に待機していたセバスが顔を上げアルベドの名を呼ぶ。

 

 

「何かしらセバス」

 

「これからまたデミウルゴスの討伐に向かわれるのですか?」

 

「…ええ、そうよ。あの裏切り者にはキッチリと思い知らせてあげなくてはならないからね」

 

 

ニコリと暗い笑みを浮かべるアルベド。

しかしそんなことなど意にも介さずセバスは続ける。

 

 

「ならば私をどうかその討伐隊の中に入れて下さい」

 

「貴方を?」

 

「はい。至高の御方を裏切るなどとても許せることではありません。この怒りを鎮めるためにもどうか私にも討伐隊に加わる許可を」

 

 

そう言って深々と頭を下げるセバス。

それを見てアルベドは考える。

 

元々セバスとデミウルゴスの仲が悪いのは知っていた。

それに加えてナザリックを裏切るという大罪。

我慢できないのも当然か。

 

それにコキュートスの部隊にセバスを混ぜるのも作戦としては悪くない。

何があるかわからない為、あまり戦力を外には出したくはなかったが全てが終わった後にセバスは邪魔になりそうではある。

モモンガ様の身の周りの世話をするのは自分だけでいい。

ならば本人が望んでるうちに外に出して始原の魔法(ワイルドマジック)を喰いつかせるエサにするのもいいだろう。

 

 

「わかったわ、セバス。許可し」

 

「反対する」

 

 

許可を出しそうになったアルベドを止めたのはセバスの後方に位置するシズ。

セバスはもちろん、周囲にいたプレアデスの面々もシズの突然の反対に驚いている。

 

 

「ど、どうしたのシズ?」

 

「どうしたっスか、シーちゃん」

 

 

困惑する姉妹を他所にシズは続ける。

 

 

「私達にここに待機せよと命じたのはモモンガ様。それにアルベド様が外に出る以上、最低でも守護者クラスの者が一人は必要。最悪の事があった場合モモンガ様を守れない。モモンガ様の命令を曲げ、さらに警備を薄くするのはセキュリティ的に看過できない」

 

 

シズの目は鋭くアルベドに向かう。

口を挟もうとしたセバスだが、その言に反対できる言葉を持たずただただ沈黙するしかない。

 

ここまで攻め込まれる事態などないと思うがシズの言も納得はできるとアルベドは考える。

 

 

(シズの言うことも最もね、セキュリティを薄くしてまでセバスを出す意味はないか…。まぁ邪魔であれば後でいくらでも手はある。今はデミウルゴスと名犬ポチをどうにかしなければ…)

 

 

「そうね、シズの言う通りだわ。私も怒りで少し冷静さを欠いていたようね。セバスには悪いけど貴方はここでモモンガ様の身をお守りして」

 

「…はい」

 

 

露骨にガッカリした様子を見せるセバス。

デミウルゴスをその手にかけられないことが心底悔しいのだろう。

 

 

(これ程の意気込みがあったならば最初からコキュートスを玉座の守りに配置してセバスを外に出すべきだったか…。まぁ後の祭りね…、それにどちらにせよ邪魔者は排除するのだし気にする事も無いか…)

 

 

そんなことを考えながらアルベドは玉座の間を後にする。

 

アルベドが去った後、セバスからは妙な威圧感が溢れていた。

それは悔しさとも怒りともつかない感情。

 

まるでそう、機を逸した、そのような雰囲気。

だが。

 

 

「セバス様」

 

 

その空気を破るようにシズがセバスの名を呼ぶ。

 

 

「…なんですかシズ」

 

 

恨みがましい様子など無く、ただ気落ちしたような声でセバスが答える。

だがシズから続いて出てきた言葉は。

 

 

()()()()()

 

「シズ?」

 

「何言ってるんスかシーちゃん」

 

「どうしたのシズ?」

 

 

プレアデスの面々もシズの謎の発言に困惑している。

だがその中でセバスの目だけが驚愕に見開かれていた。

 

 

()()()()()()()()

 

 

セバスは直感的にそう思った。

この玉座の間にいて自分だけが気づいたあの違和感。

いや、疑惑。

プレアデスの誰も気づいていないと思っていたのに。

いや、もしかして知っていたのか?

彼女の頭にはナザリックのギミックが全て入っている。

ならば最初から知っていたのかもしれない。

 

 

()()、このままモモンガ様のご命令通りに待機するべき」

 

 

シズが何を知っているにしろ、どちらにせよ今は動けない。

もしシズがその機会を判断できるというならば従うのもやぶさかではない。

 

 

「そうですね、少し早まった事をしてしまったようで…」

 

「うん」

 

 

不思議に思うプレアデスの面々を他所に、セバスとシズだけが理解の色を示す。

 

まだナザリック内に火種は残っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「神ィィィ!」

 

「神様ー、どこー!?」

 

 

ニグン率いる純白は名犬ポチを探すために総出でカッツェ平野に出ていた。

すでに名犬ポチが竜王国を飛び出してから二日程立つが一向に見つかる気配はない。

 

 

「ちくしょー…、神様全然見つかんないよー…、これも全部バカ兄貴のせいだ!」

 

「お、落ち着けクレマンティーヌ! ご、誤解ゴハァッ!」

 

 

クレマンティーヌの重いフックがクアイエッセの腹に刺さる。

もう彼に発言権は残っていない。

 

 

「まぁまぁクレマンティーヌ。殴るのは後でいいとして」

 

「ニグン殿!?」

 

「今は神の行方が大事だ。些事に構っている場合ではない」

 

「些事!?」

 

「そうだね、その通りだよ。イライラしてて余計なこと気にしちゃった、ゴメンねー」

 

「余計!?」

 

 

ニグンとクレマンティーヌの会話の端々でクアイエッセの叫びが響くが誰も反応しない。

 

 

「それはいいとして何か遠くの方で音が聞こえませんか?」

 

「それはいい!?」

 

「うるせぇクソ兄貴!」

 

「へぶんっ!」

 

 

クレマンティーヌのカカト落としがクアイエッセの頭部に綺麗に入る。

脳が揺れた彼はピクリとも動かず地に伏した。

 

 

「ごめんブリちゃん、で何だって?」

 

「いや遠くで音が…」

 

 

ブリタの発言に従い耳をすます純白の面々。

そうすると確かに遠くから音が聞こえる。

 

まるで巨大な何かが動いているような。

 

 

「な、何の音だこれは…?」

 

「確かめにいくべきでしょうか…?」

 

「もしかしたら神が何か…」

 

 

正体不明の音にどうするべきか悩む面々だが、今は名犬ポチの手がかりが何もない状態。

ワラをも掴む気持ちでその音の元へ向かおうと決める。

 

 

「あー、ごめん。私ちょっとトイレしてきていい? すぐ追い付くからさー」

 

「なんだ仕方ないやつだな、ならば先に言ってるぞ」

 

「はーい」

 

 

クレマンティーヌを残し純白の面々が音の元へと先に向かう。

 

 

「あー、やっぱ薄着は冷えるなー。もうちょっと着込むべきかなー」

 

 

恐らく寝ている時に名犬ポチが羽織らせてくれたマント。

それが嬉しくてそれのみ着込んできたのだがいかんせん薄手で寒さを防ぐ効果は無かったらしい。

 

 

「それよりもトイレトイレ」

 

 

誰もいないとはいえ腐っても女。

人目につきそうにない岩場を探しはじめるクレマンティーヌ。

名犬ポチに一刻も早く会いたいが生理現象は我慢できない。

もしかするとお酒の飲みすぎなだけかもしれないが。

 

 

「あー、早く神様に会いたいなー」

 

 

ベストポイントは中々見つからない。

 

 

 

 

 

 

「どう、いうこと…!?」

 

 

竜王国から数キロ。

その位置にアウラはいた。

距離はあるものの、特別な探知阻害魔法などが掛かっていなければアウラならば十分に他者を認識できる距離ではある。

もちろん城壁や建物の関係上、肉眼で全てが見えるわけではない。

だが驚いたのは竜王国にいる無数の気配、その存在。

 

 

「もっと近づいて確認するべきか…、いや、でも…!」

 

 

アウラが驚くのも無理はない。

アルベドから聞いていた話、あるいは想定していた事態のどれとも一致しなかったからだ。

 

 

「竜王国にいる何万もの犬…! ま、間違いない…! あれは名犬ポチ様の眷属…! ま、まさか名犬ポチ様がここに…!?」

 

 

竜王国が何者かに支配されているなんてとんでもない。

竜王国を支配しているのは名犬ポチ様だ。

その証拠に何万もの眷属で隙間なく竜王国全体を管理している。

 

これは予期せぬ僥倖である。

名犬ポチの行方さえつかめればすぐに助け出すことができる。

デミウルゴスは後回しでいい。

 

そう考えスキルや探知の魔法を駆使し竜王国内を探すが名犬ポチの行方はつかめない。

恐らく竜王国内にはすでにいないようだ。

 

 

「い、一体どこに…!? あっ!」

 

 

その時に、少し前にすれ違った人間の集団を思い出す。

 

 

「あいつらのあの慌てよう…、もしかすると何か知っていたのかも! しまった! やはりあの時に捕まえて話を聞くべきだったか! フェン! 戻るよ! さっきの人間共を探すんだ!」

 

 

慌てて踵を返しカッツェ平野へと戻るアウラ。

名犬ポチの足取りがつかめた事に喜びを隠せないものの、早く見つけなければという想いが自身を急かす。

 

 

「名犬ポチ様…! どうかご無事で…!」

 

 

疾走しながらもひたすらにアウラは祈る。

 

 

 

 

 

 

あれから音のする方へ延々と向かっていたニグン達。

その音のする場所がようやく近くなってきた、そう思った時。

霧の向こうに巨大なシルエットが見え始めた。

 

 

「な、なんだあれは…!?」

 

 

30メートルを超える巨大な影。

狼狽するニグンを他所にそのシルエットがだんだんと近づいてくる。

それが目前にまで迫り、霧の中から姿を現した。

 

ようく見れば可愛らしい外見をしているとも言えるがその巨大さからそんな微笑ましいものではないと分かる。

 

ニグンは法国にある文献で似た存在を見た記憶がある。

ゴーレム。

岩のような無機物から構成された人型兵器。

だがそれはこんなに巨大ではなかった。

しかもこんなに巨大なものは御伽噺にすら出てこない。

 

 

「み、皆気をつけろ! 下手に刺激をするな!」

 

「し、しかしニグン様! もしかすると神によるものかもしれません!」

 

「そ、そうかもしれん! だが…」

 

「神?」

 

 

どこからか艶っぽい女性の声が聞こえた。

 

純白の面々の視線が声のしたほうへと向く。

すると巨大なゴーレムの奥から絶世の美女とも呼ぶべき女が姿を現した。

 

 

「神、か。ねぇ、少しお話をしましょう」

 

 

優しく微笑む様子とは裏腹に一瞬にして純白の面々に恐怖が伝播していく。

目の前の女から発せられる圧倒的な死の気配。

 

根拠はない。

根拠はないが、ニグンはすぐに確信した。

 

 

これは神の敵だと。

 

 




次回『ニグンよ永遠に』信仰は消えない。


えー、この辺りからまた殺伐としてしまうかもしれません…。
でもきっと!
きっと名犬ポチがなんとか、して…く……


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ニグンよ永遠に

前回までのあらすじ!



アルベド出撃! そして鉢合う純白!


「ではマーレ様、準備が出来次第我々は王国へ攻め込めばいいのでしょうか?」

 

「そうですね、僕の仲間のコキュートスさんという人も一緒に攻めるので合わせてくれると嬉しいです」

 

 

バハルス帝国、執務室。

そこにはジルクニフもいたが口を出せる状況ではない。

今や目の前の少年にバハルス帝国は従うしかない。

逆らえば国が滅ぼされる。

ただその中でフールーダのみが喜々として従っている。

 

 

「わかりました、必ずやご期待に答えましょう! それで成功した暁には…」

 

「はい、僕で良ければ魔法ぐらい教えてあげます」

 

「おぉぉ! かならずや! かならずやご期待に沿えますぞ!」

 

 

そのようなやり取りを聞きながらジルクニフは頭を抱えていた。

バハルス帝国が生き残るためには目の前の少年に従うしかない。

だがこのまま従い続けても道具として使われるのは目に見えている。

どちらにせよバハルス帝国に未来は無い。

肝心のフールーダもあの様子である。

今にでも足を舐め始めそうだ。

 

 

「し、失礼します!」

 

 

慌ただしい様子で兵士の1人が執務室へと駆けこんでくる。

 

 

「どうした!? 今はマーレ様がおられるのだぞ! 静かにせんか!」

 

「僕のことは気にしなくて大丈夫です」

 

「左様ですか? マーレ様は御心が広くていらっしゃる! で、どうしたのだ? 準備が遅れているのか?」

 

 

フールーダの視線が兵士へと移る。

 

 

「い、いえ。ご命令通り軍の準備は出来ております。しかし…」

 

「しかし?」

 

「王国へ偵察に向かった者の報告によると、王国の兵士達及び悪魔のような者達のほぼ全てがエ・ランテルへと集結しているようです」

 

「ほう、エ・ランテルに? こちらの動きを読まれていたということでしょうかマーレ様」

 

「うーん、わかりません…」

 

 

エ・ランテルに帝国軍を攻め込ませ、その間にコキュートスが首都へと攻め込む予定であった。

だがまさか悪魔達、デミウルゴスの部下達もエ・ランテルに歩を進めるとは。

ならばその隙に首都を攻め落とせばいいと考えそうだが本来の目的は王国ではない。

デミウルゴスの殺害。

もし首都にデミウルゴスがいないのならば攻め込む必要などない。

 

 

「ちょっと待って下さい、確認を取ります」

 

 

断りを入れてマーレはコキュートスへメッセージの魔法を繋げる。

 

 

「もしもしコキュートスさん」

 

『マーレカ』

 

「エ・ランテルに王国の兵士や悪魔が集結しているという情報が入ったんですが…」

 

『ウム、サッキコチラノ部下カラモソノヨウナ報告ガ上ガッタ。デミウルゴスノ姿モ確認シテイルラシイ』

 

「ではコキュートスさんもエ・ランテルに?」

 

『ソウダナ、首都ニイナイ以上攻メ込ンデモ仕方アルマイ』

 

「なら帝国の人たちはどうしましょう? 予定通りエ・ランテルに攻め込ませますか? 邪魔になったりしませんか?」

 

『邪魔トイエバ邪魔ダガ…、イレバ壁クライニハ使エルカモシレン。ソチラハ予定通リデ構ワン』

 

「わかりました」

 

 

メッセージを終えるとフールーダの元へと戻るマーレ。

 

 

「予定通りエ・ランテルに攻め込んんで下さい。コキュートスさんの部隊も攻め込むので邪魔にならないように動いて頂ければ…」

 

「おぉ、了解です! マーレ様の御仲間の戦いを拝見できるとはこれはまたとない機会ですな!」

 

「では僕は戻ります。シモベを置いていくので何かあればそちらに言って下さい」

 

「わかりましたぞ!」

 

 

そうしてマーレが執務室から消える。

 

ノリノリのフールーダに対しジルクニフはストレスで死にそうだった。

作戦どころか説明はザックリすぎるしもはや何の為にエ・ランテルに攻め込むのかもよくわからない。

どうやらこの化け物共の戦いに巻き込まれるらしいが人間の兵士がそんなものについていけるはずがない。

無駄死にするのがオチだ。

鮮血帝とよばれながらもこの国の為に最善で最短の道を歩んできたにも関わらず突然、こんな理不尽に国を失うとは思っていなかった。

もはや王とは名ばかり。

ジルクニフが干渉できることなど何もない。

もう実質的にバハルス帝国は終わっているのだ。

 

ふと頭を押さえていた手を見る。

 

そこには溢れんばかりの抜け毛があった。

あのマーレとかいう少年が来てからジルクニフの毛は抜けっぱなしである。

 

バーコードになる日も近い。

 

 

 

 

 

 

ナザリックに帰還したマーレはまだアウラが帰還していないことに気付く。

その後しばらく待っても帰ってこない。

本当ならばとっくに帰ってきていてもおかしくないはずなのに。

 

 

「お姉ちゃん遅いな、何してるんだろう…」

 

 

姉がいない第6階層は酷く広く感じられた。

いつもは口うるさいと感じるだけなのに。

 

 

「お姉ちゃん…」

 

 

杖をぎゅっと握りしめ姉をただ待ち続ける。

 

 

 

 

 

 

 

「神、か。ねぇ、少しお話をしましょう」

 

 

ガルガンチュアの後ろから姿を現したアルベドがニグン達へと問いかける。

 

 

「さて、話は簡潔に済ませましょうか。方向から考えるに貴方達は竜王国から来た、そうね?」

 

「お、お前は一体何者な…ぎゃっ!」

 

 

口を開いた純白の1人が全てを言い終わる前にその首から上が吹き飛んだ。

 

 

「質問以外の事を答えたら殺すわ、いい?」

 

 

凄むわけでもなく、作業のように淡々と言うアルベド。

 

 

「で、竜王国から来たの?」

 

「そ、そうです! 竜王国から来ました!」

 

「よろしい」

 

 

仲間を殺された恐怖からか他の1人が口を開く。

 

 

「では神とは? 名犬ポチのことかしら?」

 

 

次に問われたのは名犬ポチという言葉。

だがニグンを含め純白の誰もが神の名前は知らない。

 

 

「め、名犬ポチ…? い、いや我々は知らない…」

 

 

別の純白の一人が答える。

だが。

 

 

「ぎゃっ!」

 

 

答えた純白の一人の腹に風穴が空く。

大量に血を吹きだし力なく倒れる。

もちろん言うまでもなく即死である。

 

 

「本当に? 嘘を吐いているんじゃないの?」

 

「ち、違う! 本当だ! 名犬ポチという名前は知らない! 本当だ!」

 

 

マズイと思ったのかニグンが声を上げる。

このままでは他の者達が無駄に殺されるだけと理解したからだ。

矢面に立つならば自分が立つべきだという自負もあった。

 

その時のニグンの様子から嘘ではないと判断するアルベド。

 

 

(ふん、名犬ポチめ。自分の名前は言っていないのか? 全く抜け目の無いやつね。竜王国を支配するまでしておきながら名前すら伝えていないとは…。名前などどうでもいいけれど、そこまで用心深く動いているとするならば厄介ね。果たしてこんな者達から足取りなんて掴めるのか…。こいつらから情報を入手するというのは時間の無駄かしら? ま、何にしろ知っていることを洗いざらい吐かせるしかないわね)

 

 

そうアルベドが考えているとニグンが叫ぶ。

 

 

「クアイエッセ殿! ここは私に任せて貴方は逃げ…」

 

「ルベド」

 

 

言い終わらぬうちに発したアルベドの言葉に反応し姿を現したルベド。

ニグンが視線を動かしたクアイエッセへと一瞬にして距離を詰め足を折る。

それは一呼吸ほどの時間もなかった。

 

 

「ぎゃあああああ!!」

 

 

両足を叩き折られ痛みに喘ぐクアイエッセ。

 

 

「逃げようなんて考えないで頂戴。無駄に痛い思いなんてしたくないでしょう?」

 

 

くふふふ、と邪悪な笑みを浮かべるアルベド。

その一瞬で逃げられないと誰もが理解した。

自分達は殺されるしかない。

助かるなどという可能性はもうどこにも存在しないと思えた。

 

 

「わ、分かった…。私に答えられることなら答える…。だ、だが部下達だけは助けてくれ…。それだけでも約束して欲しい…」

 

「いいわ。ちゃんと質問に答えるのなら貴方の部下は助けましょう」

 

 

その言葉に安堵を覚えるニグン。

たとえ自分が死んだとしてもそれで済むのならそれに越したことはない。

 

 

「ニ、ニグン様…」

 

「隊長…」

 

 

部下達からニグンへ声が上がる。

 

 

「気にするなお前達。私の命で済むのなら安いものだ…。お前達が私の分まで神への信仰を…」

 

「ぐわぁっ!」

 

 

ニグンと会話していた純白の一人の頭部が吹き飛ぶ。

 

 

「ダラダラと余計な話を続けるならもう一人殺す」

 

「わ、わかった! わかったからやめてくれ!」

 

 

アルベドの言葉にニグンが皆に喋らないように身振りをする。

 

 

「ガルガンチュア。貴方は先に竜王国へ向かいなさい。私はこの者共から話を聞き終え次第向かうわ」

 

 

アルベドの言葉にガルガンチュアの体内から赤い光が明滅する。

了承したという返事であろう。

そしてガルガンチュアは再び動き出す。

一歩一歩進む度に地面が揺れ、ガルガンチュアの重さを感じさせる。

しばらく離れてもまだガルガンチュアの歩く揺れは伝わってくる。

 

 

「さて、では続きをしましょう。お前たちが神と呼ぶ者は何者? なぜ神と呼び崇めるの?」

 

 

軽く問いかけているがその視線や雰囲気から冗談ではないことが伝わってくる。

 

 

「う…、それは…」

 

 

ニグンは逡巡する。

この者達は間違いなく神を探している。

そして今までの行動から神の信徒とはとても思えない。

神と敵対する何かに違いない。

ならば神の事を話すのは神を売ることになるのではないか?そう考える。

 

 

「早く答えなさい。もう一人殺すわよ」

 

「わ、分かった! か、神が、な、何者かという質問は…、少し難しい…。ただあの御方は我々人類を…、いや世界を救済する為に舞い降りた崇高な存在…、神以外の呼び方を私は知らない…!」

 

 

それを聞いたアルベドは白々しい、と思った。

至高の御方達のことを詳しく知るわけではないが名犬ポチがアインズ・ウール・ゴウンの中でも邪悪と呼ばれていたのはかつての至高の御方達の会話から知っている。

人類の救済などするわけがない。

ましてや世界の救済などと。

愚かな人間を騙す為の方便だろうがこの者はそれを信じているらしい。

だが今はそれは重要ではない。

 

 

「姿は?」

 

「す、姿…」

 

 

この問いでこの者は神の姿を知らないのかとニグンは考える。

もし知らないのならばここでそれを口に出すわけにはいかない。

 

 

「早く答えなさい」

 

「あぐっ!」

 

 

再び純白の1人が倒れる。

 

 

「や、やめろっ! やめてくれっ…!」

 

 

それを見たニグンが必死に懇願する。

 

 

「ならさっさと言いなさい。ああ、勘違いしているようだけれど姿が分からないわけではないわ。あくまで私が探している人物と同一人物か確認がしたいだけよ。まぁすでにほぼ間違いないとは確信しているけれどね。質問を変えましょう、お前たちが神と崇めるのは白い小さな子犬ね」

 

「…っ!」

 

「その反応で十分だわ、当たりね。で、本題よ。名犬ポチは、いや、神はどこにいるの?」

 

「……!」

 

 

ニグンには答えられない。

知らないからだ。

仮に知っていたとしても神の敵に情報を漏らすことなど欠片もあり得ないが。

 

 

「どうしたの? 他の者達を殺すわよ? お前たちが慌てた様子だったのと関係があるのかしら?」

 

 

答えるしかない。

知らないと、探している最中なのだと。

それならば神を売ることにはならないし、何よりこのままでは大事な部下達を殺されてしまう。

 

 

「わ、分からない…」

 

「何ですって?」

 

「か、神は突然竜王国から姿を消されたのだ…、わ、我々は姿を消した神を探す為にここまで来ていたのだ…」

 

「…!」

 

 

アルベドの頬を冷や汗が流れる。

憎き名犬ポチめ、すでに動いていたか、と。

 

だが動くにしても竜王国を放置してどうするのだという思いもある。

もしや何か他にあるのか、竜王国を捨ててでも勝機があるのかと。

読めない。

アルベドには全く読めない。

もしかして女王を連れて共に姿を眩ませたのか?

 

 

「女王は?」

 

「は…?」

 

「竜王国の女王はどうしているの? 名犬ポチ、いや神と行動を共にしているの!?」

 

 

怒気すら孕んでいるようなアルベドの問いにたじろぎながらもニグンは答える。

 

 

「い、いや…、女王は竜王国にいらっしゃるはずだが…。か、神は御一人で姿を消されたのだ…」

 

「な、何ですって…?」

 

 

ますます読めない。

なぜ切り札にもなり得る女王を手放す?

罠か?

竜王国の女王は私をおびき出す罠だったのか?

だが竜王国におびき出してどうする?

始原の魔法(ワイルドマジック)が無ければ脅威などない。

女王もろとも国内で撃たせるつもりか?

いや、それならばもっと他に手段がある。

みすみす女王を失うような真似をとるとは考えられない。

 

 

「くそっ…、全く読めないわ…! どういうつもりなの名犬ポチ…!」

 

 

このまま竜王国に攻め込むというアルベドの考えが根底から覆されるように思える。

いや、少なくとも名犬ポチがいないという情報が本当ならば攻め込む意味などない。

だが恐るべきはもしそれが本当ならばこの動きまで読まれていたということか?

いや、だが竜王国に攻め込まれ女王の首をとられたらどうする?

裏をかいたとしてもそれでは起死回生の一撃などとてもではないが望めない。

 

もしかするとどこかで直接仕掛けてくるつもりなのか?

 

確かに一対一で戦えば勝てないのかもしれない。

だがそれを覆すためにこそルベドとガルガンチュアがいるのだ。

直接対決ならば負ける要素などない。

 

 

(しかし参ったわね…。竜王国にいると思ったのにいないのでは全て台無しだわ…!)

 

 

苦悶するアルベド。

やはり定石通りに動くべきだったか。

いや、どちらにせよ竜王国の女王は潰しておかねばならない。

 

 

「ふぅ、よく分かったわ…」

 

 

少なくとも目の前の下等生物から有益な情報など望めない。

そもそもあの名犬ポチが手がかりを残すはずもないのだから。

 

 

「もう貴方達に聞くことは無いわね」

 

「で、では約束通り部下達は見逃してくれるのだな!?」

 

「はぁ? そんなわけないでしょう? ルベド、やりなさい」

 

「了解」

 

「なっ!?」

 

 

ニグンが何かを言う前に命令を受けた少女が純白の面々の間を駆け抜ける。

その少女が通り抜けたかと思うと次々と純白の面々が倒れていく。

 

 

「や、やめろぉぉぉ!!! や、約束が! 約束が違う!」

 

「バカね、下等生物との約束など守るわけがないでしょう?」

 

 

絶叫するニグンを嘲笑うかのように瞬く間に純白の面々は地に伏した。

陽光聖典の頃からの部下達も。

エ・ランテルで出会ったブリタも。

漆黒聖典のクアイエッセも。

嘘だと思うほどあっけなく皆が倒れている。

何かの冗談のようだった。

 

 

「お前はこの者達のリーダーね? 名犬ポチとの繋がりもあるようだし、人質、が通用するとは思えないけれど無いよりマシね。貴方は少しだけ生かしてあげるわ、喜びなさい」

 

 

泣き叫ぶニグンに蔑んだ視線を向けながらアルベドが言う。

食いしばるニグンの口の端から血が流れる。

 

 

「あ、悪魔め! な、なぜこんなことができる!? この者達が何をした!? ひ、人の命をなんだと思っているのだ!?」

 

「ゴミよ」

 

「な、なんだとっ…!?」

 

「人の命などゴミにも等しいわ。下等で愚かな生物。むしろ至高の御方の創造した私達に命を奪われることを感謝するべきよ」

 

「こ、こんな無法、か、神が許すはずがないっ…!」

 

「その神ももうじき死ぬのよ? そんな神に忠誠なんて誓ってどうするの? ほら、神などクソですって言ってみなさい。そうしたら本当に見逃してあげてもいいわよ?」

 

「………っ…!」

 

「どうしたの、聞こえないわよ?」

 

「か、神は偉大だっ! お前などが口にしていい存在ではない! あの御方はこの世界を救済するために舞い降りた神なのだっ! 唯一無二の神! 絶対神っ! だから私は屈しない! お前に殺されたとしても! 私のこの信仰は! 思いは! 何も変わらない! あの御方に全てを捧げた私は決して屈しない!」

 

 

瞳に希望を宿したニグンが高らかに宣言する。

 

 

「黙りなさい、殺すわよ」

 

「構わぬっ! 神への信仰が! 神の偉大さが! それで証明できるのならば私の命など散ったとしても構わないっ! お前などには何も変えられないっ! 自覚しろ、弱き者よ…。お前に私達の信仰を変える力などないっ…! 神は偉大なりっ! 神は永遠! ゆえに我々の信仰もまた永遠であるっ!」

 

「黙れ下等生物がぁぁぁ! 負け惜しみをほざくなぁ! クソの価値程も無い貴様らが偉そうに語るなぁぁ!!!」

 

 

ニグンの言葉にイラ立ちを抑えられない。

この時アルベドはふとモモンガの言葉を思い出していた。

あれはまだモモンガが眠りに着く前。

名犬ポチとメッセージで会話していた時のこと。

 

 

『やりましたね! 名犬ポチさん!』

 

『やっぱり外はお祭り騒ぎなんですねー。そうだ、動画撮って後で送って下さいよー!』

 

『そう、ですね、本当に楽しかったです…』

 

『なんですか、それ。ちょっと愛の告白みたいになってんじゃないですか!』

 

『ははは、分かってますよ。冗談ですよ、冗談』

 

『ふぅー、そうですね…。もし名犬ポチさんがこれからも遊んでくれるなら嬉しいです』

 

 

あの時のモモンガの心底嬉しそうな様子。

希望に満ち溢れた目の輝き。

許せない。

名犬ポチに、あんな奴にそんな言葉が、感情が向けられるなんて。

私には一度も向けられたことなどないのに。

 

悔しいがこの目の前の下等生物からそれと近いものを感じる。

 

名犬ポチを完全に信じ切っている目だ。

そして絶対の信頼を置いている。

 

なぜだ。

なぜ貴様如きがモモンガ様と同じような目を、表情を浮かべる…?

許せない、許せない許せない!

 

 

「お、お前を見ていると殺意が抑えられなくなりそうよ…! 嫌なことを思い出す…!」

 

 

今にも殺しそうな勢いでアルベドがニグンの首を掴む。

 

 

「そ、それは光栄だ、な…! わ、私でも貴様のような怪物に影響を与えることが出来るとは…! いや、これも全て神のお力か…! やはり神は偉大…! 信仰こそが至高! 神こそが…」

 

「だ、だ、だまれかとうせいぶつがぁぁぁぁ! おまえごこときがわたしのだいすきな、ちょーあいしているお方と同じような目をするなど、ゴミである身の程を知れぇぇぇぇ! 容易くは殺さんんん! この世界で最大の苦痛を与え続け、発狂するまで弄んでやるぅぅ! 四肢を酸で焼き切り、性器をミンチにして食わせてやるぞぉぉお! 治ったら治癒魔法で癒してなぁ! あぁぁぁあ! 憎い! 憎くて憎くて憎くて、心が弾けそうぉぉおおお!」

 

 

現地の者ならば例外なく誰もが恐怖に耐えかね発狂するか失神するだろう。

だがニグンは違う。

恐怖には染まりながらも、涙目になりながらも、今にも失禁しそうでも。

自身を見失わずアルベドの目を見据えている。

 

 

「な、なぜまだそんな目ができる…?」

 

「わ、私は神を信じているっ…! わ、私は幸せ者だっ…! 神と出会えたっ…! 神に導かれたっ…! 長い歴史の中でも私のような幸せ者など数えるくらいしかいないだろう…! それだけで、それだけで、お、恐れるものなど何もないっ…!」

 

 

駄目だ。

こいつは殺さなければ駄目だ。

 

なぜだ。

なぜ名犬ポチをそこまで信じられる。

名犬ポチは悪だ。

お前など騙されているだけだ。

そうだ。

全部あいつが悪い。

モモンガ様だってそうだ。

きっとあいつに騙されているのだ。

 

 

「神はっ…」

 

「だまれぇぇぇええ!!!」

 

 

我慢の限界を超えたアルベドの手がニグンの頭部に向かって放たれる。

だがそれがニグンに届くことはなかった。

ルベドが間に入り止めたからだ。

 

 

「なっ…! なぜ邪魔をするのルベドっ…!」

 

「死ねば人質にできない」

 

「あ、ああ、さっきのことを言っているのね? 人質にするのは中止よ。こんなゴミなど一秒たりとも生きている価値などないわ」

 

 

そうルベドに言い聞かせる。

その時、後ろで倒れている純白達がわずかに動いたのをアルベドは見逃さなかった。

注意深く見てみると他の連中も死んでいない。

死んだと錯覚してしまう程だがかすかに息をしている。

 

 

「ルベド、詰めが甘いわね。こいつら生きてるわよ。人間程度を殺し損ねるなんて…! どうしてもっと確実にやらなかったの? 頭を吹きとばすとかいくらでもやりようはあったでしょう?」

 

 

怒りに満ちたアルベドの視線がルベドを突き刺す。

 

 

「…、よ、汚れるのが嫌だったから」

 

「まぁそれには同意見ね。でもだからといって殺し損ねるなど持ってのほかだわ。いい機会だから手本を見せてあげる。これが確実な死というものよ」

 

 

アルベドが掴んでいたニグンを純白の面々が倒れている場所へと投げ飛ばす。

 

 

「消し飛べ下等生物…!」

 

 

アルベドが手に持っていたバルディッシュとは別の武器を取り出す。

 

それは真なる無(ギンヌンガガプ)

ユグドラシルに存在する全アイテムの中でも頂点に位置する世界級(ワールド)アイテムの一つ。

広範囲の破壊が可能な、対物体最強とも言われる一撃を放つことができる究極のアイテム。

 

瀕死だったとはいえシャルティアすら消し飛ばした一撃。

 

それをこの世界の現地の者などが耐えきれるはずが無い。

 

 

「あぁ、神よ…! どうか、世界を…、救っ…」

 

 

その一撃がニグン達純白に振り下ろされる。

 

まるで爆発のような強烈な一撃。

 

後には何も残さず、ニグンも、ブリタも、クアイエッセも、純白の面々も。

どこにも存在しなかったように吹き飛んだ。

残ったのは地面を抉ったような傷跡だけ。

 

 

だが、その時。

 

 

アルベドとルベドの背後から爆発的な殺気が放たれた。

咄嗟のことにアルベドが瞬時に振り返る。

 

そこにいたのはアウラ。

横にはシモベのフェンリルもいる。

 

 

「アウラ? なぜここに? 貴方はナザリックに帰還しているはずで」

 

「シャルティアを殺ったのはお前かあぁあっぁああああ!!!!」

 

 

大地を揺らさんばかりのアウラの絶叫が響く。

 

その発言に面を喰らうアルベド。

証拠など残していない、そう思っていたからだ。

 

 

「な、何を言っているのアウラ…? シャルティアはドラゴンに…」

 

「違う! シャルティアはドラゴンになんてやられてない! そのドラゴンもろとも第三者にやられたのよ!」

 

 

完全に表情が引きつるアルベド。

 

 

「な、何を根拠にっ…!」

 

「その跡よっ! アルベドには内緒で評議国の跡地を見に行ったことがあったの。巧妙に隠されていたけどドラゴンの魔法以外の跡が残っていたわ。それを見て第三者の存在を確信していたけどまさかそれがアルベド、あんただったなんてね…。今のその一撃、その跡、評議国にあったものと同じものよ。しかもそれは世界級(ワールド)アイテム? そんな物が二つとあるわけない…!」

 

「くふっ、くふふふふふ」

 

 

思わず笑いが零れるアルベド。

 

 

「そうか…、最初にエルフ国へ向かわせた時か…。寄り道をするなんて悪い子ね…。しかしちゃんと隠したつもりだったけれどまさか真なる無(ギンヌンガガプ)の跡がまだ残っていたなんてね…。いや、レンジャーをとっている貴方だからこそ気づけたのかしら…。失態だわ、それに特化したシモベを連れていくべきだったか…。これでも上手くやったつもりだったのだけれど…」

 

 

反省した様子もなくニヤニヤと笑うアルベド。

 

 

「何がおかしいの、アルベド…!」

 

「それはおかしいわよ。ナザリックで誰も彼もが私の陳腐な嘘に騙されるんですもの」

 

「なっ…!」

 

「シャルティアだってそうよ、私が後ろから斬りつけているのにそれを理解するまで時間がかかっていたのだから。間抜けな姿だったわ。くふふふ、今までずっと笑いをこらえるのを我慢してきたのよ? 今ぐらい笑わせてもらわないと…」

 

「アッ、アルベドォォォ!!!」

 

 

怒りを抑えられなくなったアウラがアルベドに飛び掛かり攻撃を放つ。

だが、それを難なく躱すアルベド。

 

 

「くふふ、どうしたのアウラ? まさか私とやるつもり?」

 

「当たり前でしょ!? なんで…! なんでシャルティアを殺したの!? 同じナザリックの仲間でしょう!? あいつが任務に行くときなんて言ったと思う!? そりゃ私にはモモンガ様から命令貰えたっていう自慢で腹立たしかったけどさ! あいつ本当に喜んでたんだ! モモンガ様の役に立てるって! あいつ本当に喜んでたんだぞ! それをお前は踏みにじったんだ!」

 

 

アウラの目に涙が浮かぶ。

シャルティアのあの喜びよう。

羨ましかったしイラついたのもあったけれど、何より自分も嬉しかったのだ。

 

 

「くだらない…。嘘の一つも見抜けないバカにする同情なんて欠片も無いわ」

 

「それにその嘘ってどういうこと!? ま、まさか、デミウルゴスは、デミウルゴスの裏切りは!?」

 

「バカね、聞かないとわからない? シャルティアを殺した私と、そんな私と敵対したデミウルゴス。貴方はどちらを信じる?」

 

「き、貴様あぁあああ!!!」

 

 

怒りに駆られ次々と攻撃を繰り出すアウラ。

だがその全てがアルベドに防がれる。

 

 

「どうしたのこれで終わり?」

 

「あ、あんたこんなことしてただで済むと思ってるの…!?」

 

「思ってるわ。貴方が死ねば証人は誰もいなくなるのだし」

 

「…くっ! フェンッ! ナザリックに帰還してこのことを伝えてっ!」

 

「させるわけないでしょう? ルベド。そいつを殺しなさい」

 

「…了解」

 

 

渋々ながらもルベドがフェンリルに向けて動く。

 

 

「くっ…! させるかっ!」

 

 

ルベドを止めようとアウラが動くがアルベドがそれを阻止する。

 

 

「貴方の相手は私よ」

 

 

ニタリと厭らしい笑みを浮かべるアルベド。

 

そうしてルベドがフェンリルに迫り、一撃を加えようとした瞬間。

 

 

「《アース・サージ/大地の大波》」

 

 

突如として隆起した大地がルベドを弾き飛ばす。

勢いのついた一撃を喰らったルベドはゴロゴロと地面を転がっていく。

いつの間にか上空に小さな人影が一つ。

 

 

「遅いから迎えにきたよ、お姉ちゃん」

 

「マーレっ!」

 

 

上空から見下ろしていたのはマーレ。

それを苦々しくアルベドが睨みつける。

 

 

「マーレ…、貴方まで…。全く姉弟揃って悪い子ね…!」

 

「ひっ! ご、ごめんなさい! お、お姉ちゃんがいつまで経っても帰ってこないから、その…」

 

 

殺気に満ちたアルベドの視線に怯えた様子のマーレ。

あくまで仕草だけで本当に怯えているわけではないが。

 

 

「ね、ねぇお姉ちゃん、なんかフェンがやられそうだったから思わず魔法を撃っちゃったけど…マズかった?」

 

「いいの、助かったわマーレ」

 

「そ、そう? なら良かった…。ていうか何があったの? なんでアルベドさんと喧嘩を…?」

 

「裏切者はアルベドだったの…!」

 

「えっ!?」

 

「裏切者はデミウルゴスじゃなかった…! 全部こいつの嘘だったのよ…! シャルティアもアルベドに殺されたのよっ…!」

 

「ええぇっ!? そ、そうなんですかアルベドさん!?」

 

 

マーレの問いにアルベドが優しく微笑み答える。

 

 

「私がそんなことする筈ないでしょう? アウラはちょっと勘違いしているのよ。だから貴方もアウラを止めるのを手伝ってちょうだい?」

 

「お、お姉ちゃん…」

 

 

不安げな様子でアウラとアルベドを交互に見つめるマーレ。

 

 

「私を信じなさい馬鹿マーレっ…! こいつが裏切り者よっ!」

 

「耳を貸しては駄目よマーレ。アウラはちょっと混乱しているだけ」

 

 

迷った様子を見せたマーレだが、やがてアウラの横へと降り立つ。

 

 

「よ、よく分かりませんがお姉ちゃんはこんな嘘はつきませんっ! ぼ、僕はお姉ちゃんを信じますっ!」

 

 

そう言ってアルベドに向けて杖を突きつけるマーレ。

 

 

「ふん、姉弟揃って御せないとはね…。まぁいいわ。ここで仲良く死ぬのも悪くないでしょう? ルベド!」

 

 

アルベドの言葉で地面を転がっていたルベドが瞬時に体勢を整え、アルベドの元へと帰ってくる。

 

 

「ルベド、貴方はマーレをやりなさい。私はアウラとフェンリルをやるわ」

 

「了解」

 

「だってさ、じゃあルベドはよろしくねマーレ」

 

「ええ!? 僕がルベドさんとやるの!? 怖いよ、お姉ちゃんがやってよ!」

 

「じゃああんたがアルベドとやる?」

 

「やだよ怖いよ!」

 

「もうどっちなのよ! この状況だからどっちかとはやらなきゃダメでしょ!」

 

「わ、わかったよう、じゃあ僕がルベドさんとやるよ…」

 

「…ごめんね、マーレ。アルベドを片づけたらすぐに向かうから…」

 

「うん、期待しないで待ってる」

 

 

そんな二人のやり取りを見てアルベドが茶々を入れる。

 

 

「随分とナメられたものね、貴方達が私とルベドに勝てるはずがないでしょう? 特にアウラ。シモベがいない貴方なんてちっとも怖くないわ」

 

「あんまりナメないでよねアルベド…、これでも守護者の一人なんだから…!」

 

「口だけは達者ね!」

 

 

そうしてアルベドとアウラの戦いが始まった。

 

 

「じゃあ僕たちもやりますか…?」

 

「可能ならばやりたくない」

 

「そっか、僕もです…」

 

「降伏を要求する」

 

「出来ません、ルベドさんが降伏してくれませんか?」

 

「不可能」

 

「そうですか…、じゃあ仕方ないですね」

 

「肯定」

 

 

その言葉を合図にマーレが勢いよく空高く飛ぶ。

ルベドもそれを追うように空高くジャンプする、が。

 

 

「《アース・サージ/大地の大波》!」

 

「…っ!?」

 

 

突如発生した広範囲を襲う隆起する大地に飲み込まれるルベド。

大地を吹き飛ばし、なんとか飛び出すルベドだがさらなる魔法が襲い掛かる。

 

 

「《ナパーム/焼夷》」

 

 

天空目掛けて空高くいくつもの炎が吹き上がる。

 

あまりに広範囲にわたるためルベドは回避するので精一杯。

 

その隙にマーレはルベドからさらに距離をとる。

 

 

「遠距離は…、圧倒的不利…! 距離を詰める必要ありっ…!」

 

 

マーレと自分の分析。

そしてこの戦況から遠距離戦は分が悪いと判断するルベド。

ゆえに必死で距離を詰めようとする。

しかし。

 

 

「《アース・サージ/大地の大波》」

 

 

再び大地が隆起しルベドに襲いかかる。

今度は飲み込むのではなく、勢いよくルベドを吹き飛ばした。

 

 

「ぐっ…!」

 

「ここじゃお姉ちゃんも巻き込んじゃいます、向こうでやりましょう」

 

 

そう言ってルベドを遠くまで吹き飛ばし、自身もその後を追う。

 

 

ルベドはナザリック最強の個である。

 

 

ギルドメンバー、あるいはガルガンチュアを除けばナザリック内にすらまともに戦える者はいない。

 

だが何事にも相性というものが存在する。

今回とて例外ではない。

 

ルベドとマーレ。

 

どちらが強いかと問われれば間違いなくルベドである。

だがもし戦えばその実力差程の結果にはならない。

NPC達は知らないがもしナザリック内のNPCが一対一でルベドと戦うと仮定した場合、戦いになるのはマーレだけである。

 

広範囲魔法を得意とするマーレ。

ある意味でそれはルベドにとって天敵と言ってもいい。

 

守護者の誰よりも早く動けるルベドではあるが、そのルベドの速さを持ってすら回避できない超範囲魔法を撃たれれば被弾するしかない。

戦闘技術、という面で見るならルベドは守護者よりも低い。

並みはずれたステータスを持つだけの赤子と形容してもいい。

 

力で強引にねじ伏せられない展開であればルベドは不利である。

 

 

もうマーレもルベドも、アウラとアルベドの視界から消えていた。

 

 

「ふん、ルベドに勝てるはずがないでしょうに…」

 

「あんまりマーレを馬鹿にしないでよね…」

 

「馬鹿にしてないわよ、マーレは強いから。貴方と違って」

 

 

くふふ、と嘲笑するアルベド。

だがアウラは動じないよう努める。

そんなアルベドの心理戦に乗ればただでさえ不利なのがさらに不利になるのを知っているからだ。

 

 

「しかしマーレも参入してきた以上、貴方に時間をかけるわけにはいかなくなったわ…。そうね…、せっかくだし使ってみてもいいかしら…」

 

「…?」

 

「殺すのはやめてあげるわ。アウラ、貴方にはまだまだ働いてもらうことにしましょう。貴方の能力は有能だからね。名犬ポチを虱潰しに探すのに貴方の力があれば便利だし…」

 

「何を…? 従うわけないでしょ?」

 

「くふ、嫌でも従うことになるわ…」

 

 

そうしてアルベドは自身の持つアイテムを発動させる。

 

 

傾城傾国。

 

 

それは真なる無(ギンヌンガガプ)と並び、ユグドラシルに存在する全アイテムの中でも頂点に位置する世界級(ワールド)アイテムの一つ。

耐性を持つどんな相手すらも強制的に洗脳する規格外のアイテム。

 

勝利を確信しアルベドに満面の笑みが浮かぶ。

 

それと同時にアルベドの体、いや着ているチャイナ服から光り輝く龍が天空へ飛翔する。

 

何が起きたのかと目を丸くするアウラ。

 

ゾワリ、と体が震えた。

ナザリックでも最高レベルの強さを誇る守護者の一人であるアウラ。

そのアウラをして彼女の直感が警鐘を強く鳴らす。

 

何かはわからない。

何かはわからないがあれはまずい。

あれを喰らえば終わる。

 

そう理解したアウラは苦し紛れに自分の鞭をしならせアルベドへ向けて打つ。

 

 

「あはは! 何をしても無駄よ! 誰も世界級(ワールド)アイテムには抗えない!」

 

 

アウラの攻撃などさほど痛くも痒くもないアルベドはそれを無視する。

もはや勝利は確定しているのだから。

そして飛翔した龍がアウラへと舞い落ちる。

傾城傾国の効果によってアウラはアルベドの支配下に落ちる。

 

 

そうなるはずだった。

 

 

「な…、に……?」

 

 

だがアウラに舞い降りた龍はアウラに落ちるなり弾かれ霧散した。

 

結果から言えば、レジストされたのだ。

 

 

「バ、バカな…! な、なぜ傾城傾国を防げる…!? 世界級(ワールド)アイテムを持っていない貴方がなぜ…!」

 

「バカはあんたよ、アルベド」

 

「何ですって…?」

 

世界級(ワールド)アイテムならここにもう一つあるでしょ?」

 

 

そうして手に持ったアイテムをアルベドに見せつけるアウラ。

それは先ほどまでアルベドが持っていたはずの物。

 

 

「ギ、真なる無(ギンヌンガガプ)!? い、いつの間に!?」

 

「あれだけ露骨に勝利を確信してたらおかしいとは思うわよ。それにバカみたいに隙だらけだったからさ。でもまさか世界級(ワールド)アイテムをこんな簡単に盗めるとは思わなかったけど。手に持つ物はもうちょっと注意してた方がいいんじゃない?」

 

 

ここはユグドラシルではない。

もちろん様々なスキルや特殊なフラグは有効である。

だが物理法則が存在する以上、手に持っているものを物理的に奪い取ることは可能なのだ。

いくらアルベドと言えど同格を相手に油断するのはやりすぎた。

 

 

「こ、この泥棒猫がぁっ!」

 

 

アウラへとバルディッシュで斬りかかるアルベド、しかし。

 

アウラが真なる無(ギンヌンガガプ)を振りかぶりその効果を発動させる。

広範囲の破壊が可能な、対物体最強とも言われる一撃。

それがアルベドの身に振り下ろされる。

 

 

「ぐぅぅぅううう!?」

 

 

周囲の大地を抉り、空間ごとアルベドもその一撃に押し潰される。

しかしアルベドは傾城傾国を身に纏っているため、真なる無(ギンヌンガガプ)による広範囲破壊の影響は受けないのでダメージは通らない。

だが何も影響がないわけではない。

周囲の空間、大地を破壊したことによる物理的現象の影響は受ける。

つまり、一瞬程の時間だが身動きが取れなくなる、ということだ。

 

その隙を突き、アウラが距離をつめアルベドの腹部に蹴りをいれる。

 

 

「ぐがぁあっぁあぁあああああ!!!!」

 

 

一瞬とはいえ無防備になった瞬間を突かれたアルベドが吹き飛び倒れる。

 

 

「ナメないでって言ったでしょ? さぁ立ちなさいよ。シャルティアの分まで思い知らせてあげるから」

 

 

 

 

 

 

この時、物陰から一部始終を見ていた者が一人。

それはニグン達が吹き飛ばされるところから全てを見ていた。

 

クレマンティーヌ。

 

秘め事を致すベストポイントを探り当て、用を足した彼女は急いで純白を追ってきてみれば何やらヤバそうな事態に直面しているところを発見した。

怖かったのでとりあえず遠くからずっと覗いていたのである。

 

とはいえクレマンティーヌの気配にアルベドやアウラが気づかないはずが無い。

だが今の彼女は一つのアイテムを身に纏っていた。

それは姿隠しのマント。

防御性能も魔法カットも何も無いが身に纏った対象の気配を完全に消すことができるユグドラシルのアイテムである。

名犬ポチが寝ているクレマンティーヌに羽織らせた一品なのだがポチ本人は気づいていない。

クレマンティーヌ本人もそんな効果があるなど知る由もない。

 

 

(な、何何こいつら…! やばい…! やばすぎる…! ニグンちゃん達も皆やられちゃったし…! き、気を抜いたら漏らしそう…! だ、だめよクレマンティーヌ! 今は耐えるのよ!)

 

 

必死に自分を鼓舞するクレマンティーヌ。

 

ビビりまくりなクレマンティーヌはアルベドが傾城傾国を身に付けていることなど気付かない。

両者の戦いが激しくなったのを見計らって一目散にその場を逃げ出した。

 

 

(か、神様ー! 神様どこー!? た、助けてぇ!)

 

 

声にならない叫びがクレマンティーヌの中で反響する。




次回『姉弟VS姉妹』悪者をぶっとばせ!


ここからどんどん話が転っていく予定なのであまり期間を空けずに投稿していきたい…、です。
頑張れ自分!

追記
感想欄でWIについてのご指摘がありましたので修正しました!
やはり自分だとなかなか違和感に気付けなかったりするので助かります!
ご指摘ありがとうございました!


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姉弟VS姉妹

前回までのあらすじ!



純白全滅! しかしついにアルベドの悪行に気付くアウラ!


「クソがぁぁああ! ナメるなよこの小便臭いガキがぁぁあああ!」

 

 

アウラに不意の一撃を喰らわせられたアルベドが激高しながら立ち上がる。

 

 

「下品な言葉使いだね。程度が知れるわよ、アルベド」

 

「ガキが偉そうに語るなぁああ! ブッ、ブチ殺してやるぅ!」

 

 

完全に頭に血がのぼったアルベドがアウラへと突進しバルディッシュで斬りかかる。

だが再び真なる無(ギンヌンガガプ)の効果を発動させるアウラ。

 

 

「ぐっ! ま、またか!」

 

 

アルベドとその周囲を真なる無(ギンヌンガガプ)の一撃が押し潰す。

効果は通らないとはいえわずかに足止めを喰らうアルベド。

 

 

「レインアロー・天河の一射!」

 

 

動きの止まったアルベドに上空から光の矢が降り注ぐ。

 

 

「ナメッ…るなぁあああ! ウォールズ・オブ・ジェリコ!」

 

 

アルベドがスキルを発動させる。

瞬く間にアルベドの周囲に城壁を思わせる頑強な岩の塊が聳え立つ。

それにより光の矢のほとんどを防ぎきるが、発動のわずかな遅れが一本の被弾を許す。

 

 

「ア、アウラの分際でよくもぉぉ…!」

 

 

一本の光の矢が肩を貫通したことにより、大きくはないが風穴が出来ていた。

肩の傷口を押えながら憎々し気にアウラを睨みつけるアルベド。

 

 

「便利だね世界級(ワールド)アイテム。効果は通らなくても足止めに使えるなんて」

 

「ア、アウラ…。今ならまだ許してあげるから返しなさい、良い子だから…。ね、悪い様にはしないから…」

 

 

表情が引きつりながらも笑顔でアウラに語り掛けるアルベド。

 

 

「今更何言ってるの? それでこの場が収まるとでも? バカは休み休み言って頂戴」

 

 

アウラの言葉を無視するようにアルベドが傾城傾国の効果を発動させる。

再びチャイナ服から光の龍が飛び出す。

それを見て困惑するアウラ。

 

 

「な、何を…!? 真なる無(ギンヌンガガプ)を持っている私には…」

 

「バカはてめぇだぁぁあああ! お前意外にも相手はいるのよ!」

 

「っ!? しまっ…! フェンッ! 逃げっ…!」

 

「もう遅い!」

 

 

天空に飛翔した龍が瞬く間に近くにいたフェンリルへと舞い落ちる。

すぐに逃げようとしたフェンリルだがそんな簡単に回避できるはずも無い。

フェンリルの意識が白く染まり、アルベドの支配下へと落ちる。

 

 

「くふふ、貴方と一対一ならともかく真なる無(ギンヌンガガプ)を取られた上でフェンリルも相手にするのは少々キツいからね…。それにもうこれでナザリックに向かえる者は誰もいない…」

 

 

厭らしく表情を歪めるアルベド。

 

 

「やってくれたわねアルベド…」

 

「さぁこれで形勢逆転といったところかしら…。どうする? 命乞いなら聞いてあげてもいいわ」

 

「何度も言わせないで…」

 

「は…?」

 

「ナメないでって言ったでしょ!」

 

 

アウラが吠え、スキルを発動させる。

それによりフェンリルがその場に抑え込まれたかのように動けなくなる。

これは自身の使役する魔物を強制的に待機させるスキル。

洗脳状態にあってもアウラが使役するという事実は変わらない。

これにより身動きの取れなくなったフェンリルは実質的に戦力外となる。

 

 

「なっ!?」

 

「これでもウチの子よ。あんたなんかの思い通りにはさせない…」

 

「ア、アウラァ…!」

 

 

怒りと屈辱に唇の端から血が流れるアルベド。

だがアルベドにはまだ手がある。

ガルガンチュアだ。

アウラ及びマーレと戦闘になるとは思っていなかったので先行させて竜王国へと向かわせてしまったが呼び戻せば何の苦も無くアウラを制圧できる。

そう考え、ガルガンチュアに戻るよう通信を送る。

だがガルガンチュアから返ってきた返答は交戦中により帰還不可というものだった。

 

 

(交戦中!? こんなところで誰と!?)

 

 

そう、問題は交戦していること自体ではない。

ガルガンチュアと交戦できるような者が存在するという事実だ。

現地の者ならば即座に殲滅できるはずで交戦中などとは言うはずがない。

だが同時に疑問にも思う。

いくら交戦中だとしても命令に従い帰還しないのはおかしい。

再度ガルガンチュアに通信を送る。

何者と交戦しているのか、と。

返ってきた返答は『最重要目標』と()()()()()()()

それに冷や汗が流れるアルベド。

 

まさか。

なぜここに奴が。

 

全く想定していなかった。

共を連れているとはいえほとんど単身と変わらないような人数で行動しているとは。

だがすぐに奴の、名犬ポチの狙いに気付くアルベド。

またしてもやられた、そう思う。

 

 

(そ、そうか! 竜王国の女王、あの始原の魔法(ワイルドマジック)すらブラフか! あれだけの戦力、そしてそれを有効活用するために人間達をかき乱しておきながら…! それすらも全てブラフ! 真の狙いはこれか!)

 

 

アルベドは戦慄する。

定石通りにいけば竜王国に始原の魔法(ワイルドマジック)を撃たれたとしても全滅しない規模、あるいは

配置、時期をズラした部隊を投入するのがベストだった。

だがもちろんそんなこと名犬ポチが考えつかないはずが無い。

だからこそだ。

あれだけの切り札を持っていながらそれをブラフに使い捨てるなど誰が想像できる。

ナザリックと戦っても勝率があるほどの切り札を手放すなど。

 

そして竜王国から出てきた名犬ポチ。

この先にあるのは?

向かう先は?

 

ナザリックだ。

 

 

(あ、あの野郎…! そ、そうか、始めからこうするつもりだったのか! その為に外に大多数の部隊を出さざるを得ない状況を作りやがったのね…!)

 

 

ナザリックへの帰還。

一言で言ってしまえば当たり前で最も最初に考慮するべき考えだ。

だがそれが最も難しいことは名犬ポチも知っているはずだ。

アルベドの裏切りなど勘づいているだろう。

故にアルベドの手がどこまで広がっているのか判断できないナザリックにみすみす帰還しても後ろから何者かに刺される可能性は否定できない。

だからこそのブラフ。

戦力を外に出さざるを得ない状況を作り出す。

その隙を突いてこちらを嘲笑うかのように帰還するつもりだったのだ。

 

 

(な、なんて野郎なの…! 確かにナザリックを掌握すれば、あるいは無事に帰還を知らしめれば敵対者の排除など二の次でいい…!)

 

 

正面からやり合って敵対者をねじ伏せられる状況にまで追い込んでおきながらまさか別の手を打ってくるなど考えも及ばなかった。

名犬ポチの大胆で不敵なまでに思い切った考えに心底震えあがるアルベド。

だが、と思う。

だからこそ喜びを隠しきれない。

 

 

(勝った…!)

 

 

結果論としてだがアルベドの定石を外した行動は身を結ぶ結果になった。

 

 

(こうなるとは思っていなかったけれど、最善手を打つべきでないという私の考えは間違っていなかった! あはは! 最高にツイてる…! ルベドとガルガンチュアのみを連れてここに来たのは間違いでなかった! ここで名犬ポチを始末すればそれで私の勝ちだ…! 今ならデミウルゴスの邪魔も入らず完全なる勝利を手に出来る…! 認めましょう名犬ポチ…。頭脳戦では私の負けよ…。だが運は私に味方した…!)

 

 

自分の中で膨れ上がる歓喜と興奮を抑え込むことができないアルベド。

先ほどまでとは違って心底嬉しそうに表情が歪む。

 

 

「どうしたのアルベド、頭でも打った?」

 

 

心配そうにアウラが問う。

 

 

「いいえ、何でもないわアウラ。さぁ続きをやりましょう。速攻でカタをつけさせてもらうわ」

 

 

もはや時間が惜しい。

早くアウラを始末し、ルベドと合流してガルガンチュアの元へ向かうのだ。

そして名犬ポチを潰す。

 

 

「来なさい、アルベド!」

 

 

アウラの叫びに呼応してアルベドが飛び出す。

両者がぶつかり火花を散らす。

 

 

 

 

 

 

 

その頃、名犬ポチは制止しようとする獣王をなだめ北上していた。

 

 

「わん(だから気のせいだって! そんな音なんてどこからも)」

 

 

ズン、と重く響く音と共に大地がわずかに揺れた。

 

 

「わん(へ?)」

 

 

やっと獣王の言う音らしきものが聞こえ始めた名犬ポチ。

たしかにこれはやばそうな匂いがプンプンする。

 

 

「くーん」

 

「わん(ま、待て待て。まだ危ないって決まったわけじゃねぇだろ? ここは正体を見極めず逃げる方が危ないって! とりあえず何者か確認するべきだ…!)」

 

 

それっぽい事を言って自分のミスを無かったことにしながら静かに音のする方へ向かう。

そしてやがて見えてきたのは巨大なシルエット。

 

本来ならそれを見てすぐに逃げるところであったが名犬ポチは何か引っかかるものがあった。

 

 

「わん(あのシルエット…、どこかで…)」

 

 

さらに近づき、霧に邪魔されずそれを認識できる距離まで近づいた名犬ポチは瞠目する。

 

 

「わん!(ガ、ガルガンチュア…! な、なんでここに…!)」

 

 

見間違いではない。

あれは自分のよく知っている存在だ。

 

ナザリック第4階層・地底湖の階層守護者ガルガンチュア。

 

元々ギルドメンバーが作った存在ではなくユグドラシルに存在していたゴーレムを再配置しただけなのだが、だからといって同じものは二つと存在しない。

他のゴーレムと違って守護者にするにあたって独自にチューニングが施されている。

だから見間違うはずがないのだ。

あれは正真正銘、ガルガンチュアだ。

 

 

「わん…(ま、まさか…! ははは! そ、そうか…! 俺だけじゃなかったのか…! 他にも来ていたんだなっ! この世界に!!!)」

 

 

この世界に来てからの孤独、不安。

何もかもが一瞬で吹き飛ぶように高揚する名犬ポチ。

自分だけだと思っていた。

寂しさを紛らわす為に悪事を働きながら生きてきた。

そのせいで他にもいるらしいユグドラシルプレイヤーの影に怯えることになってしまったが。

だがもうそんな心配しなくてもいいのだ。

仲間がいる。

アインズ・ウール・ゴウンの仲間がいるならもう何者も怖くない。

アインズ・ウール・ゴウンは最恐最悪のギルド。

ユグドラシルで最も恐れられた悪の華。

 

あの日々が帰ってくるのだ。

 

 

「くーん!」

 

「わん!(うるせぇ!)」

 

 

喜びのあまり獣王の制止など聞かず、ガルガンチュアの前に飛び出す名犬ポチ。

そして必死に身振り手振りでアピールする。

 

 

「わん!(誰だ!? お前がいるってことは誰か来てるんだろう! 近くにいるのか!? なぁ! ああ、本当に嬉しいぜ! もうプレイヤーの影に怯えなくて済むんだからな!)」

 

 

心底嬉しそうに、おそらくこの世界に来てから最高の笑顔で語り掛ける名犬ポチ。

それとは裏腹にガルガンチュアの体から発せられる光が激しく明滅する。

そしてガルガンチュアから聞こえた人工音声に名犬ポチは驚愕する。

 

 

「最重要対象ヲ補足、タダチニ排除スル」

 

「わん(は? 何言って)」

 

 

笑顔のまま固まる名犬ポチにガルガンチュアの一撃が無慈悲に振り下ろされる。

 

大ピンチである。

 

 

 

 

 

 

 

 

マーレの魔法により吹き飛ばされたルベド。

空中で体勢を整えマーレへと向かっていくが魔法で迎撃され、まともに近づくことができない。

 

 

「う、ぐぅ…! 」

 

 

その間にもどんどんマーレは距離をとっていく。

この時、ある人物と繋いでいたメッセージの魔法を切るマーレ。

 

 

「ルベドさん! もうやめましょう! 本来は僕たちが戦わなきゃいけない理由なんてないはずです! 僕たちは至高の御方の為にあるべき存在です! そんな僕たちが争うなんてその、良くないです!」

 

 

必死にルベドを止めようと説得するマーレ。

 

 

「否定。私は至高の御方の為に存在する訳じゃない」

 

「えっ、何をルベドさん…!?」

 

「私は与えられた命令を遂行する為にだけ存在する」

 

「そんな…」

 

「命令遂行の為には貴方の排除は必須」

 

「わかりました…、いくら話しても無駄みたいですね…」

 

「肯定する」

 

 

再びルベドがマーレめがけ突進するが魔法で撃ち落とされる。

 

 

「ぐっ…!」

 

「手加減できません、どうか許して下さい」

 

「それはこちらも同様っ…」

 

 

だが何度ルベドが突進しても正攻法ではマーレの魔法を掻い潜ることはできない。

 

 

「あぐっ…」

 

 

すでに服はボロボロ、肌は汚れあちこちが削れている。

だがルベドの体は丈夫である。

ステータスにおいては、コアとする熱素石(カロリックストーン)のブースト無しでレベル100の戦士職に匹敵。

頑強さタフさに限定するならそれを遥かに凌駕し、ガルガンチュアの上すらいく。

だが彼女の頭の中まではそうではない。

 

 

「あ…、あ…」

 

 

脳内のデータのやり取りが上手くいかず、よろけるルベド。

精密機械で出来た彼女の頭の中は衝撃にさほど強くない。

大量のデータと記憶を蓄積しているHDD、さらにはメモリにまで影響が出るのは必然。

 

もちろん並大抵の戦闘では衝撃を受けたとしても大丈夫なように設計されている。

しかし、今回のように一方的に何度も何度も何度も攻撃を喰らう状況になればその限りではない。

 

 

「わ、分かってるよアルシェ…。約束だもんね…」

 

「ルベドさん…?」

 

 

損傷しエラーのおき始めたルベドの脳内。

まるでフラッシュバックのようにデータが呼び起こされる。

今、ルベドの目の前にはフォーサイトの面々が見えていた。

かつてした会話。

その記憶がリピートされる。

 

 

「うん、そうだね、ちゃんと学習するよロバーデイク…。大事なこと…、そうか、学習…」

 

 

エラーを出しながらも現在の状況を認識していないわけではない。

過去のデータから打開する為の手段を得る。

 

 

「ヘッケラン…、イミーナ…」

 

 

かつて見た二人のコンビネーションとその動き方、戦い方。

戦闘能力は高くなかったがそこから得られる物はある。

二人を模倣し動くルベド。

 

 

「う、動きが変わった…!?」

 

 

突然の変化に驚きつつも魔法を放つマーレ。

だが今度は今までのように直撃しなかった。

フェイントを入れ、マーレを惑わし回避する。

そしてルベドの手首から先が離れ、マーレ目掛けて発射される。

 

 

「ロケットパンチ」

 

 

それと同時に自身も回り込み、発射した手と別方向からマーレへと攻撃を仕掛ける。

 

 

「くっ…!」

 

 

いくらマーレでも瞬間的に二つの魔法は放てない。

迎撃するにもどちらか一方になる。

 

 

「《トワイン・プラント/植物の絡みつき》っ!」

 

 

瞬時に本体の方が危険と判断し、ルベドを拘束する。

だが飛んできた手は回避できずに直撃を許す。

 

 

「うわぁあああ!」

 

 

体にクリーンヒットし吹き飛ぶマーレ。

その間に力づくで拘束する植物を引きちぎり、飛んだ手を回収し再び装着するルベド。

初期状態ならば学習するという概念はルベドになかった。

だが今は違う。

短いとはいえフォーサイト、あるいは人間達から学んだことはある。

それを応用し、考察し、構築する。

全ては模倣から始まる。

模倣し、不純物をそぎ落とし、自分のものとしていく。

自身に生じたエラーとは裏腹にルベドは成長していた。

 

 

「植物は地面から生じる…、上空への退避が有効…」

 

 

マーレの魔法への対策も怠らない。

学習したルベドはもう同じ手は二度と食わない。

 

 

「ぐっ…、まずい…、一撃でここまで…」

 

 

致命打とまではいかないが一撃で喰らうには破格のダメージを負ったマーレ。

なんとか立ち上がり再び距離を取ろうとする。

しかしルベドが即座に追いかける。

魔法の発動が間に合わず接近を許してしまうマーレ。

今度は手を飛ばさずそのまま拳を振りぬくルベド。

それと同時に肘から炎と煙が勢い良く噴射される。

ジェット噴射のパワーが乗り、拳の速度は音速を超える域に達する。

周囲に衝撃波を生じさせながらマーレに拳が突き刺さる。

咄嗟に両手でガードしたマーレだが両手の骨が砕け、数キロもの距離を吹き飛んでいく。

 

もはやアウラとアルベドがいる場所からかなり離れた場所まで来ていた。

 

吹き飛んでいくマーレの隙を逃がすはずもなく、ジェット噴射の力を使い超加速で追いかけていくルベド。

やがて勢いが無くなり止まるマーレ。

すぐに起き上がろうとするがそこにはすでにルベドがいた。

 

 

「ぐっ…!」

 

 

一目で危険を察知するマーレ。

ルベドが突き出した両手の掌に穴が開き、そこに膨大なエネルギーが集まっているのを感じる。

 

これはルベドの必殺技。

荷電粒子砲。

簡単にいうならロボット物でよくあるビーム兵器の類である。

中二病あふれるタブラがノリノリで搭載したものである。

 

もちろん溜める時間が必要なため、即座に撃てるようなものではない。

だが今のように吹き飛ぶマーレを追いながら溜めていれば発動までのラグは無くせる。

 

全力で防御魔法を展開するマーレ。

だがそれでも防ぐことは不可能だと察していた。

この一撃で自分はやられる。

そう直感していた。

 

 

「…?」

 

 

だがいつまで経ってもルベドが荷電粒子砲を撃つことはなかった。

マーレの目に映ったのは大きく目を見開き硬直するルベド。

マーレの後方を凝視したまま固まっている。

理由はわからないがこの機会を逃すわけにはいかない。

すぐに上空に退避し、魔法を放つ。

 

 

「《ヴァーミリオンノヴァ/朱の新星》!」

 

「うぐっ…!」

 

 

炎が直撃したルベドだが瞬間的に後退し被害を最小に抑える。

そして意図的か、自分からマーレと距離を取り後方に動くルベド。

マーレも深追いしないよう距離を保ちつつルベドを追う。

そのまま移動しながら再び両者の攻防が繰り広げられる。

 

だがこの時マーレは知らなかった。

自分の後ろに何があったのか。

 

 

 

 

 

 

「な、なんだ…!」

 

「わ、わからない! ただ遠くのほうで爆発やら何かが起こってる!」

 

「だんだん近づいてきてないか…?」

 

「避難したほうがいい! 村の皆に伝えろ! すぐに避難するんだ!」

 

 

ここはカルネ村。

いつしかマーレとルベドはカッツェ平野を飛び出しその近くまで迫っていた。

遠くでも分かる程の巨大な爆発、あるいは衝撃を伴いながら移動する何かに村の人々は恐れ逃げようとしていた。

 

 

「エ・ランテルまで逃げよう! すぐにだ! エンリもネムもすぐに準備しなさい!」

 

「分かったわ、お父さん。ネム、何やってるの! すぐに逃げないと!」

 

 

エンリとネムもこの時カルネ村にいた。

父に促され避難しようとするエンリだがネムが遠くを見たまま動かないので必死に言い聞かせる。

 

 

「早く逃げようネム! 手遅れになるわ!」

 

 

だがそんな姉と対象的にネムはなぜかこの時、一人の友達を思い出していた。

距離は離れており、普通の人間にすぎないネムには知り得ない筈だった。

それはたまたまか、はたまた何かの直感か。

皆が恐れる何かがある方向を見ながらポツリと呟くネム。

 

 

「ルベドちゃん…?」

 

 

ネムが発したその言葉。

誰にも知る由は無いが、その一言をきっかけにカルネ村に近づいていた謎の爆発と衝撃は遠のいていくことになる。

結果としてカルネ村の人々は避難することなく無事に済んだ。

 

 

 

 

 

 

回復魔法で両手の傷を治したマーレだが本職ではないため完全回復とはいかないが魔法のキレが悪くなるわけでは無い。

先ほどまでのように何度も魔法を放っていく。

しかしそのうちの半分はルベドに回避されるようになっていた。

 

 

「く…! どんどん動きがよくなってる…! な、なんで…!?」

 

 

ルベドの速度自体は変わらないが体の使い方、効率的な動き方を戦いの中で学習していく。

他の守護者よりも劣っていた戦闘技術という点ももはや最初ほどの差はない。

マーレの魔法を撃つまでのラグ、そして範囲、あるいは癖。

そういったデータも少しずつ、だが確実に蓄積していくルベド。

 

その結果か、僅かずつではあるが次第に押し込まれていくマーレ。

 

 

「ぐっ!」

 

 

空中に浮かぶマーレの上を取り、頭上から蹴りを振り下ろすルベド。

直撃したマーレが勢いよく地面に叩きつけられる。

 

 

「かはっ!」

 

 

大地に叩きつけられた衝撃で口から血を吹きだすマーレ。

あまりの衝撃に咄嗟に起き上がることができない。

すぐにルベドが降りてきて倒れているマーレの体を跨ぐように立つ。

 

 

「降伏を要求する…」

 

 

再度降伏を要求するルベド。

もう勝敗は決していたからだ。

この距離ではマーレが魔法を撃つよりもルベドの拳の方が先に届く。

 

 

「ごめんなさい…、できません…」

 

「どうしても?」

 

「どうしてもです…。あはは、お姉ちゃんに怒られちゃうなぁ…。ルベドさん強いや…」

 

「…」

 

「ねぇルベドさん、どうしてあの時撃たなかったんですか? あの時撃ってればあの時点で勝負は着いていたかもしれないのに…」

 

「それは…」

 

 

あの時、それはルベドが荷電粒子砲を撃とうとした時のことである。

なぜか、と問われればあそこで撃てば後方にいる人たちを殺してしまうから。

そう答えるべきだっただろう。

だがなぜだろうか。

ルベドはそう答えなかった。

 

 

「ともだちが…」

 

「…?」

 

「ともだちがいたから…」

 

 

なぜそう答えたのかルベドにも分からない。

そもそも友達を殺してはいけないとは学習していない。

だがアルシェとした人を殺してはいけないという約束とは別に、殺したくない、そう思ってしまった。

 

 

『ねえ名前なんていうの? 私はネムだよ!』

 

『そっか、じゃあルベドちゃんって呼ぶね!』

 

『じゃあルベドちゃん、私と友達になって』

 

 

なぜそう思ったかは分からないままだが、突如としてフラッシュバックしたかつての記憶。

それはルベドにとって大きな出来事だったように思う。

もちろんその理由は言語化して説明などできないが。

 

 

「ともだちを死なせたくなかったから…」

 

「僕にはその、よく、わかりません…」

 

「私にも…、よく分からない」

 

 

ここで会話しただけのマーレにはもちろんルベドの言葉の意味など分かるはずなどない。

だがマーレはルベドを馬鹿にするつもりなど毛頭なかったし、むしろルベドのことは嫌いではなかった。

同じナザリックの仲間だからという意味ではなく、個人的に好ましく思ってさえいた。

誰かを想うというのは大事な姉がいる自分には理解できたからだ。

だからこそこうしてお互いに譲れないことがあるということが少し悲しかった。

 

 

「どうしたんですかルベドさん…、攻撃しないんですか…?」

 

 

隙だらけのマーレにいつまで経っても攻撃を加えようとしないルベド。

途中でマーレの方が痺れを切らして自分から問いかけてしまっていた。

それに対し弱々しく答えるルベド。

 

 

「殺したくない…」

 

「え…?」

 

「もう誰も殺したくない…、だから降伏して…、お願い…」

 

 

泣きそうな顔でマーレを見下ろすルベド。

 

 

「優しいんですねルベドさんは…、でも僕も同じですよ。ナザリックの仲間を手にかけたくはないです…。でも僕は引き下がるわけにはいきません…、ルベドさんもでしょう…?」

 

「…肯定」

 

「だからしょうがないですよ、それにルベドさん。まだ戦いは終わってませんよ?」

 

「理解している…」

 

「はぁ…」

 

 

思わずため息を吐くマーレ。

ルベドに対してではない、愚かな自分に対してだ。

この時、マーレには切り札が一つ残っていた。

もし上手く使えればここでルベドを止めるのも可能だと考えていた。

しかし。

 

 

「ルベドさん、僕はこれから魔法を撃ちます。今までのと違って全力の魔法です」

 

「…急に何を?」

 

「本当は隙を突いて撃とうとしてたんですがルベドさん全然トドメを刺そうとしないから…。それに本来なら途中で僕は負けていたわけですしね…。なんか不意を突くのも悪い気がして…」

 

「……」

 

「一応お姉ちゃんの手前、それにナザリックのシモベとして手を抜くことはできませんからね…。本気で行きますよ?」

 

 

そうマーレが言い放つと同時に巨大な魔力の奔流が周囲に広がる。

 

 

「…!?」

 

「じゃあ、撃ちます」

 

 

そうマーレが宣言する。

今までで最大級の脅威を感じ取ったルベドは即座に空高くジャンプし距離を取る。

 

 

「《アース・サージ/大地の大波》ッッ!!!」

 

 

マーレが最も得意としルベドとの闘いでも何度も使用したこの魔法。

だが今までとは違う。

決定的に違うのはその発生場所だ。

今回はマーレを中心として放たれたこの魔法。

 

一般的に魔法の威力は発動場所が術者から離れれば離れる程弱まる。

それは当然だ。

掌から直接炎を発生させるのと100メートル先で発生させるでは威力、あるいは消費する魔力が変わってくる。

遠くで魔法を発動するにはそこまで魔力を移動させるという過程が必要になるからだ。

魔力を移動させる分、ロスすることになる。

 

そして範囲魔法を得意とするマーレ。

マーレは基本的に自分のすぐ側で魔法を発動させることはしない。

なぜなら範囲魔法の特性上、そうすると自分も巻き込んでしまうからだ。

ゆえに十分な距離をとって魔法を撃つのがマーレのスタイル。

だが逆に言えば常に魔力をロスしていることになる。

ならば魔力を移動させることなく、自分を中心として魔法を発動させればどうなるか。

 

今までよりも威力が高く、あるいはより範囲の広い魔法が撃てることになる。

それこそがマーレ本来の魔法の威力。

それはナザリック最強の個といわれるルベドにさえ致命傷を与えうる一撃。

 

 

「…っ!」

 

 

即座に距離を取ったルベドだったがすでに魔法の射程圏内である。

加えて今までよりも広い範囲とその威力、迫る速度すら早く感じる。

隆起する大地が今にもルベドを飲み込まんと襲い掛かる。

 

 

「追い付か…れる…っ!」

 

 

ルベドは理解していた。

まともに喰らえば致命的だと。

だからこそ必死で、全力で逃げるルベド。

やがてルベドの足を大地が飲み込もうとした刹那、迫る大地を蹴り、殴り飛ばすルベド。

しかしそれで隆起する大地の勢いを殺せるわけでは無い。

荷電粒子砲を撃てば相殺できるだろう。

だが今はもうエネルギーを溜める時間が無い。

手足、及び背中等、ジェット噴射できる場所全てから炎と煙を噴出し加速する。

一気に速度が上がり、大地から距離をとることに成功する。

しかし完全に振り切れたわけでは無い。

先鋭化した一部の大地が伸び、ルベドの片腕を掴む。

 

 

「ぐっ…!」

 

 

体勢を崩すルベド。

掴まれた腕は簡単には引きはがせない。

速度が落ち、隆起する大地に飲み込まれそうになる。

まさに絶体絶命のルベド。

 

 

「緊急…、手段…っ!」

 

 

大地に飲み込まれる直前、自らの片腕を肩から引きちぎり、空へと逃げる。

おかげでなんとか範囲外まで逃げる事に成功するルベド。

それを下で見ていたマーレ。

 

 

「逃げ、られちゃったかぁ…。もし言わなければ…、逃がさずに…、すんだ…、かな…?」

 

 

自身を中心として発動した《アース・サージ/大地の大波》。

ルベドにさえ致命傷を与えうる必殺の一撃だが、魔法耐性のある自分さえもただでは済まない。

まさに命と引き換えの大魔法。

その《アース・サージ/大地の大波》に飲み込まれるマーレ。

成功するにしろしないにしろ、死は避けられない。

 

 

「がっ…! ごめ…、お…、姉ちゃ…!」

 

 

ベキベキバキバキという音と共に押し潰されていくマーレ。

最後に思ったのは大事な姉のこと、そして創造主のこと。

 

 

「ぶくぶく茶釜様…、お役に立て、ず…、申し訳…」

 

 

マーレの意識が飛ぶ。

夢の世界に落ちた彼はピンク色をした肉棒を幻視する。

嬉しさのあまり駆け寄るがすぐに自分の失態を思い出す。

叱責されるかと怯えるマーレに手が差し出された。

まるで、よく頑張ったね、と言わんばかりに優しく頭を撫でるピンク色の肉棒。

心地よい感触に身を任せるマーレ。

 

だが大地はそんなマーレの夢も、体も、何もかも全てを飲み込み、やがて止まった。

 

 

 

 

 

 

「…っ! がっ…! ぐ…!」

 

 

雲を突き抜けた先の遥か上空まで飛翔したルベドだがやがてジェット噴射が止まる。

熱素石(カロリックストーン)のおかげでエネルギー自体は無限だが、その設計上、熱排出の問題もあり一度に使用できる時間と限界は決まっている。

今はその全てを駆使したため、一定時間もうジェット噴射は使えない。

その上、片腕は失い、また今までの戦いでの損傷もあり即座に次の行動に移ることもできない。

その為に遥か上空から、受け身も着地の準備も出来ずにただ落ちるしかなかった。

そのまま轟音と共にまとも地面に叩きつけられる。

ピクリとも動かないルベド。

 

少し時間が経ち、ルベドの脳内が再び活動を始める。

すぐに体内スキャンを開始し損傷を確かめる。

 

 

「損耗率…、甚大…。行動に影響…あり…。ナノマシンによる自己修復を開始…。推定所要時間…、…分。ハードディスク及びメモリにも欠損…。命令の遂行に…、問題…。いくつかのプログラムが応答無し…。システムの変更を…、要求…。不可…。再起動を開始…」

 

 

その言葉と共にルベドの目の光が消える。

メインの電源が切られ自己修復及び、再起動による不具合の消去にキャパが割かれる。

マーレとの闘いで負ったエラーを治すにはしばらくの時間を必要としていた。

 

片腕を失い、脳内も損傷したルベド。

いくら自己修復と再起動をしても所詮は応急処置に過ぎない。

 

失った物はもう取り戻せないのだから。

 




次回『望まぬ邂逅』出会ってはいけない二人がついに出会う。


思ったよりマーレVSルベドが長くなってしまったのでアウラとアルベドは次の話で…。
えー、いよいよ次の話でついに出会ってはいけない二人が出会う予定です。
いやぁ、ここまで長かったなぁ。
今言えるのはただ一つ。

名犬ポチよ、どうか気持ちを強く持って!


そして早く投稿したい気持ちでどんどん寝不足になっていく自分! どうなる!?


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望まぬ邂逅

前回までのあらすじ!



倒れるマーレと負傷したルベド!
そしてガルガンチュアにボコられそうになる名犬ポチ!


ルベドとマーレの戦いの余波はここ、エ・ランテルにまで届いていた。

物理的な影響こそないものの、振動する空気、轟く爆音。

何か尋常ではない事態が起きているのは誰もが理解していた。

 

 

「デミウルゴス様、これは…」

 

 

嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)がそっと耳打ちする。

ここはエ・ランテル冒険者ギルドの一室。

王国中の戦士達がエ・ランテルに集まり、今はデミウルゴスを中心として作戦会議が開かれていた。

 

 

「ええ…。この魔力はマーレですか…。相手はおそらくルベド…でしょうね…」

 

「あの方がアルベド様達と対立しているならこちらも加勢に向かうべきでは…?」

 

「そうしたいのですがね…。恐らくはそろそろコキュートス辺りがこちらへ攻めてくる頃合いでしょう。放っておけば後ろを突かれることになります」

 

「し、しかし…」

 

「貴方の懸念はわかります。まさかここでマーレがアルベドと敵対するとは私も考えていませんでしたから…」

 

「ですがなぜマーレ様が…」

 

「もしかするとマーレが原因ではないかもしれません、何かに気付いたのはアウラかもしれませんね…。彼女の能力をもっと高く評価するべきでした。それに気付くことができなかった私の失策です…」

 

 

己の失敗を純粋に恥じ反省するデミウルゴス。

だがきっかけはアウラのみが知るシャルティアの死の真実だ。

いくらデミウルゴスとてそこまでは読み切れない。

 

 

「今はアルベド側の戦力が少しでも削がれることを期待するしかないでしょう。我々は当初の予定通り作戦を実行するだけです。きっとそれこそが名犬ポチ様の狙いなのでしょうから…」

 

 

デミウルゴスの言葉に了解したと返事をするように頭を下げる嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)

その時、部屋のドアを開け入り込んできた者が一人。

 

 

「デミウルゴスさ…、殿! き、来ました! 数は少ないですが王国でも目撃のあった蟲の魔物を確認したとの報告が!」

 

「来ましたか…、我々も出るとしましょう。報告ありがとうございます、ラキュースさん」

 

 

現場の指揮官でありながらわざわざ報告しにきたラキュースに笑顔で答えるデミウルゴス。

 

 

「い、いやそんな大したことじゃ」

 

 

えへへ、とはにかみながら頭をかくラキュース。

それを物陰から見ていた蒼の薔薇の面々。

 

 

「リーダー気持ち悪い」

 

「あんなリーダー初めて見る」

 

「はぁ、まさかこのタイミングでねぇ…。人生ってのはままならないもんだなぁ…」

 

「な、なんだラキュースの奴どうしたというのだ!? 具合でも悪いのか!?」

 

 

半ば呆れたような3人のリアクションに反しイビルアイのみが狼狽した様子を見せる。

 

 

「イビルアイは知らなくていい」

 

「これだからおこちゃまは…」

 

「な、なんだ!? 何を言っている!? お、お前らはラキュースが心配じゃないのか!? 見ろ、あの顔を! 赤くなっているじゃないか! 熱でもあるのかもしれん! これから大事な戦いが控えているというのに!」

 

 

一人わたわたと慌てるイビルアイにガガーランが肩を組み、悟りを開いたような顔で言う。

 

 

「いいかイビルアイ。リーダーはな、大人の階段を上っている最中なんだ」

 

「お、大人の階段!? なんだそれは!?」

 

「つまりな、ラキュースは今も強くなってるってこった」

 

「な、なんだと!? い、意味がわからん! なぜそうなる!?」

 

「今はわからなくていい…、だがいつかイビルアイにも…。いや、イビルアイは無理かもな」

 

「…!?」

 

「だが仲間ならば静かに見守るべきだ…。もしかするとキリネイラムの呪縛からリーダーが解き放たれる時もそう遠くないのかもしれねぇ…」

 

「なん…だと…!? ど、どういうことだ!?」

 

「いや悪ぃ、根拠はねーんだ。ただな、女の勘っていうのかな? もしかするとリーダーが大人の階段を上り切れればそういう事もあるんじゃねーのかなって思っただけだ。なんでだろうな、俺にもわかんねぇや…」

 

「そう、か…。少なくともラキュースがピンチなわけでは無いんだな…?」

 

「おう、むしろガンガンよ」

 

「!? い、意味はわからんがピンチで無いならいい」

 

 

渋々ながらも納得するイビルアイ。

その横でティア、ティナ、ガガーランが心の中で最大のエールを送っていた。

 

 

「な、なに、急に寒気が…」

 

 

突如として謎の悪寒に見舞われるラキュース。

果たして彼女が大人の階段を上れる日は来るのだろうか…。

 

 

 

 

 

 

「あっはっはっは! どうしたのアウラ! 威勢が良かったのは最初だけだったみたいね!」

 

「く、くそっ…」

 

 

アウラは追い込まれていた。

いくら真なる無(ギンヌンガガプ)を所持していたとしても足止めにしか使えないのであればアウラとアルベドの戦闘能力の差を埋めるには至らない。

冷静さを失っていた最初こそアルベドを圧倒しかけたものの、その実力差は大きい。

『群』としての力が行使できず、単体での戦いならアウラは守護者の中でもブービー。

とてもではないがアルベドの防御を突破することはできない。

 

 

「でも褒めてあげるわ。真なる無(ギンヌンガガプ)を奪ったとはいえ単身でここまで私に食い下がったのだから」

 

「い、言ってなさいよ…! ま、まだ戦いは…」

 

「もう終わってるようなものよ?」

 

 

その言葉と共に突進し袈裟懸けにバルディッシュを振り下ろすアルベド。

間一髪、後ろに飛び致命傷を避けるアウラだが無事というわけではない。

完全には避けきれず、肉は裂け傷口から大量の血が流れる。

 

 

「あぐっ…!」

 

「認めなさい、貴方はどうあがいても私に勝てないのだから。ヘルメス・トリスメギストスが無くても貴方など赤子の手を捻るように倒せるわ」

 

 

それはアルベドの全身鎧。

今は傾城傾国を身に纏っているため身に付けておらず、それによる完全武装ができない。

鎧の効果と自身のスキルを組み合わせれば超位魔法ですら3発まで無傷で耐えられるという破格の防御性能。

それが無い今のアルベドは完全ではないがそれでも他の者より防御に秀でている事実は変わらない。

 

 

「もう終わりよ」

 

 

よろけるアウラの膝にバルディッシュの柄を思い切り叩きつけ砕くアルベド。

 

 

「あぁああああぁぁっ!!!」

 

 

声を上げ崩れ落ちるアウラ。

そんな倒れたアウラの体をさらに足で踏みつけ笑うアルベド。

 

 

「さぁ、真なる無(ギンヌンガガプ)を返して頂戴? 創造主に習わなかったの? 人の物は盗んではいけませんって」

 

「あんたが言うと…、わ、笑えるわっ…! あぐぁあああ!」

 

 

アウラを踏みつけている足に力を込める。

ミシミシとアウラの体の軋む音が響く。

 

 

「軽口はやめましょう? もう貴方に勝機などないのだから。大人しく返せば命だけは助けてあげるって言ってるでしょう?」

 

「あんたに支配されるくらいなら死んだ方がマシよ…!」

 

「本当に馬鹿で愚かだわ…。ここで強情を張ったって未来が変わるわけじゃないのに…。貴方が私の支配から逃れるのはもう不可能…。真なる無(ギンヌンガガプ)だって無理やり奪い取ればいいのだし…」

 

 

そうしてアルベドがアウラが抱える真なる無(ギンヌンガガプ)へと手を伸ばす。

だがアウラはアルベドの手が伸びる前に真なる無(ギンヌンガガプ)を遠くに放り投げる。

 

 

「何を…? まるで子供ね…。そんな駄々をこねるみたいな真似をしてみっともないと思わないの…? そんなことでどうにかなると思っているわけじゃあるまいに…」

 

「今日この台詞は何回目だろうね…? バカはあんたよ」

 

「は?」

 

 

アウラの負け惜しみにイラつきを覚えるアルベド。

だが怒りに染まったその表情はすぐに蒼褪めることになる。

 

 

()()()()()()()!」

 

 

唐突なアウラの叫び。

だがここにアウラの使役するモンスターはフェンリルしかいない。

アルベドはそう思っていた。

だがその言葉と共に何もない所からクアドラシルが徐々に姿を現す。

カメレオンとイグアナを融合させたような六本足の上位魔獣イツァムナー、クアドラシル。

その特性としてカメレオンのように擬態し、周囲に溶け込む能力を持つ。

 

 

「い、いつの間にっ!」

 

真なる無(ギンヌンガガプ)をデミウルゴスに届けて! お願いクアドラシル!」

 

 

アウラの言葉と共にクアドラシルが真なる無(ギンヌンガガプ)を口に咥え、この場から逃げ出す。

それを見て一気に周囲の温度が低下したような錯覚を覚えるアルベド。

 

 

「さ、させるかぁああああ!!!」

 

 

そう叫び、すぐにクアドラシルを追おうとするアルベドだがもちろんアウラが許す筈など無い。

 

 

「待ちなよアルベド、あんたの相手は私でしょ…?」

 

 

アルベドの体をガッシリと掴み動きを止めるアウラ。

 

 

「は、離せこのガキがぁあ! 離せっ! 離せぇえええ!!!」

 

 

アウラを引きはがそうと必死に殴りつける。

体を抑えようと密着しているアウラにバルディッシュは使えない。

何度も何度も殴りつけるがアウラは離さない。

顔の骨が砕け、目が潰れても決して離さない。

 

 

「く、くそがぁ…! 往生際が…!」

 

 

だがアルベドはすぐに気付く。

そして熱くなりすぎたあまり自分の軽率さを恥じる。

 

 

「あぁ、確かに貴方の言う通りかもねアウラ…。私もバカだったわ…。真なる無(ギンヌンガガプ)を捨てた貴方を洗脳すればそれで解決するのだから!」

 

 

そして傾城傾国を発動する。

今のアウラにそれを防ぐ手段は無い。

再び光る龍が天空へと飛び立つ。

 

 

「も、もう一度言うわ…、あんたに支配されるくらいなら死んだ方がマシよ…!」

 

 

光る龍が落ちてくる前に自ら自分の喉を掻き切るアウラ。

 

 

「なっ…!?」

 

「デミウルゴス…、疑ってゴメン…。後は…頼ん…だわ…よ…」

 

 

喉から鮮血を吹き出し絶命するアウラ。

もちろん死んでしまっては傾城傾国は意味をなさない。

 

 

「こ、姑息な真似をよくも…、ア、アウラァ…!」

 

 

だがすぐに立ち上がりクアドラシルを追おうとするアルベド、しかし。

 

 

「ガウッ!」

 

 

洗脳が解けたフェンリルがアルベドの首元を狙い噛みついてくる。

 

 

「ふざけるな獣風情がぁあああ!!!」

 

 

即座にパリィし攻撃を反射するアルベド。

そのまま追撃の攻撃をフェンリルへと放つ。

上半身に風穴が空き、吹き飛ぶフェンリル。

 

すぐにクアドラシルの逃げた方向へ走り周囲を探すがもうクアドラシルの姿はどこにも見えない。

 

 

「はぁっ、はぁっ、どいつもこいつもナメやがってぇ…! クソッ! クソッ! クソがぁあああ! ちくしょうが! 殺してやる…! どいつもこいつも皆殺しだ! 全員ブチ殺してやるっ!」

 

 

逃げられた。

その事実がアルベドを苛み、抑えきれない怒りがアルベドの口から漏れる。

真なる無(ギンヌンガガプ)がデミウルゴスの手に渡るのは最悪に近い。

もうデミウルゴスを傾城傾国で洗脳できなくなる。

この状況で切り札が使えない相手というのは厄介すぎる。

 

 

「そ、そうだ…! 名犬ポチ…! あいつさえ…、あいつさえ殺せばそんな心配などいらない…! 名犬ポチさえいなければデミウルゴスとてどうにでもなる…! あの二人が組みさえしなければいいのよ! あはは! 殺す! 殺してやるわ名犬ポチ…! 待っていなさい…! すぐに…! すぐに殺しに行ってあげるわぁ…!」

 

 

クアドラシルの捜索をやめ、即座にガルガンチュアの元へと向かうアルベド。

あくまで名犬ポチと合流された場合に傾城傾国が通じないというのが死活問題になるだけであり名犬ポチさえ殺せば関係ない。

後は力ずくで敵対者全員殺すだけだ。

 

 

「大丈夫…! やれる…! 私ならやれる…!」

 

 

未だマーレとの闘いからルベドが帰還していないが待っている暇はない。

 

 

「例えルベドがいなくても…! いくら至高の御方といえど私とガルガンチュアならいけるはず…! 勝てる…! この状況ならば勝てる! デミウルゴスはエ・ランテル! 勘づいたとしてもコキュートスがいる…! 邪魔は入らない…! もう私の勝ちは揺らがない! あはは! あーはっはっはっは!!!」

 

 

けたたましい笑い越えをあげながらガルガンチュアの元へ疾走するアルベド。

彼女は間違っていない。

デミウルゴスはエ・ランテルにおりコキュートスとの闘いが控えている為ここには来れない。

それに元々、名犬ポチを取り巻く環境が劇的に変化していることなどこの場にいないデミウルゴスにはわかる筈もないのだ。

 

もはやアルベドを止められる者はいない。

 

 

 

 

 

 

「わん!(誰だ!? お前がいるってことは誰か来てるんだろう! 近くにいるのか!? なぁ! ああ、本当に嬉しいぜ! もうプレイヤーの影に怯えなくて済むんだからな!)」

 

 

心底嬉しそうにガルガンチュアに語り掛ける名犬ポチ。

だが帰ってきたのは無情な現実。

 

 

「最重要対象ヲ補足、タダチニ排除スル」

 

「わん(は? 何言って)」

 

 

笑顔のまま固まる名犬ポチにガルガンチュアの一撃が無慈悲に振り下ろされる。

 

即死の一撃。

 

100レベルを上回る戦闘能力を持つガルガンチュア。

それに対して名犬ポチはオーバードッグのデメリットによりレベル33相当にまで戦闘能力が落ちている。

かなうはずが無い。

それどころか一撃を喰らえばそれだけで全身が吹き飛ぶ。

 

安心しきっていた名犬ポチは動けない、反応もできない。

その名犬ポチにガルガンチュアの拳が当たるその間際。

 

 

「くーん!」

 

「わん!(ぐわっ!)」

 

 

割って入った獣王が名犬ポチを勢いよく弾き飛ばす。

すんでの所でガルガンチュアの一撃を回避できた名犬ポチが地面をコロコロと転がっていく。

名犬ポチを弾き飛ばした獣王は直撃こそはしなかったものの、わずかにカスっただけで下半身が吹き飛んでいた。

受け身もとれず水袋が落ちるような音と共に地面に体を打ち付ける獣王。

もはや生きているのが奇跡とも言える状態になりながらも目は死んでいない。

この状態になりながらも案ずるのは名犬ポチのこと。

 

 

「くー…ん…」

 

「わ、わん!(じゅ、獣王ォォォオオ!!)」

 

 

名犬ポチが叫ぶ。

 

 

「く、くーん…」

 

「わん!(ふ、ふざけるなよ…! お前を置いて逃げれるわけねぇだろうが! 待ってろ、今すぐに…! ぐわっ!)」

 

 

ガルガンチュアの追撃が名犬ポチを襲う。

今度は反応が間に合い、回避に成功する。

だがガルガンチュアから距離を取ることにより、結果として獣王からより離れてしまっていた。

 

 

「わん(く、くそ…! このまま避けながらじゃ魔法を撃つのは無理だ…! ど、どうすれば…!)」

 

 

体の半分が吹き飛んでいる獣王。

一秒毎に目から生気が失われていくのが見て取れる。

もちろん後で蘇生の魔法をかければいい話だが、体がある以上、後でここに戻ってこなければならない。

だがガルガンチュアという敵対者がいる以上そう上手く事を運べるとは思わない。

それに何より戻ってきた時に体は消えているかもしれない。

だが今はそれどころではない、そもそも逃げながらではそんなことに気を回す余裕はない。

なんとか今すぐに回復魔法を撃って自力で逃げてもらうのが最善。

それなのに。

 

 

「わんっ!(くそっ! 邪魔するな! 獣王が…、獣王が死んじまうっ…!)」

 

 

悲痛な名犬ポチの叫び。

だがガルガンチュアが答えてくれる筈も無い。

 

巨大なガルガンチュアと小さな名犬ポチ。

戦闘能力の差よりもサイズの違いで小回りが利きやすい為に名犬ポチはなんとか回避に成功していただけで本来はスピードも敵わない。

やはりステータスが違う。

名犬ポチがつかまるのも時間の問題である。

 

 

「わんっ!(があっ!)」

 

 

ターンを失敗しコケる名犬ポチ。

そこにガルガンチュアの拳が落ちてくる。

腕の力を使い咄嗟にジャンプするが、片足にガルガンチュアの拳が吹き飛ばした岩の欠片が当たる。

 

 

「わん!(ぐっ! 痛ぇっ! ちくしょう…!)」

 

 

勢いのついた岩の破片は名犬ポチの足の骨を簡単に砕いた。

足が満足に動かなくなり一気にスピードが落ちる名犬ポチ。

もうガルガンチュアの次の攻撃は避けられない。

 

 

「わん!(や、やられてたまるかぁ! 《ドッグケージ/犬の檻》!)」

 

 

魔法を放つ名犬ポチ。

即座に名犬ポチを囲むように頑強な檻が出現する。

 

第8位階に存在するこの魔法は術者の周囲に驚異的な防御能力を誇る盾を出現させる。

しかも犬系の種族であればさらに防御ボーナスが乗るというオマケ付きだ。

一見良いことずくめであるように思えるがデメリットとして一定時間その場から動けないという制約がつく。

それは魔法の効果が続く間ずっとだが一定以上のダメージを受け檻が壊れてしまってもそれは変わらない。

檻が壊れても本来の効果時間が経過するまではその場から動けないのだ。

つまりこの魔法で凌ぎ切れなかった場合、逃げられなくなる。

 

重いガルガンチュアの一撃が檻を押しつぶす。

なんとか耐えたが檻は一撃で目に見えるほどひしゃげていた。

 

 

「わん!(マ、マジかよ! 強すぎるだろっ!)」

 

 

そして二撃目。

今度は檻の一部を吹き飛ばす。

歪んだ檻はもう最初の形を為していない。

 

 

「わん!(マ、マズい…! 檻がもう持たねぇ…!)」

 

 

そして名犬ポチの読み通り三撃目で檻は砕け散り、わずかに残った檻の骨組みと共に名犬ポチの体が押しつぶされる。

 

 

「わん!(ぐわぁぁあああ!!!)」

 

 

わずかに残った檻のおかげで絶命こそしなかったものの瀕死の重傷を負う名犬ポチ。

全身の肉が裂け、血が飛び散り、骨が軋んでいるのが分かる。

あまりの痛みに意識が飛びそうになる。

この世界に来てからまともに傷を負うのは初めてだった。

それに元々はただの一般人。

痛みに耐性などあるはずがない。

ここはゲームの世界ではないのだから。

 

 

「わ、わん…(がっ…! ち、ちくしょう…! い、痛ぇ…! 痛ぇ! な、なんで俺がこんな…! なんでガルガンチュアが俺を…!)」

 

 

即座に回復魔法をかけ回復しないと命が危ない。

だが回復したとて《ドッグケージ/犬の檻》の効果でまだこの場から動けない。

ふと見上げるとガルガンチュアが再び拳を振り下ろそうとしていた。

仮に全快したとて檻が無い以上もはや耐えられる筈も無い。

それが振り下ろされれば待っているのは完全な死だ。

 

 

(い、嫌だ、死にたくねぇ…! な、なんで俺が死ななくちゃならない…! なんでガルガンチュアがここにいるんだ…! アインズ・ウール・ゴウンのメンバーはどこに…! くそっ…! 誰か分からないが後で説教してやる…!)

 

 

必死に体を動かそうとしてみるものの指の一本すらまともに動かせない。

聞こえるのはヒューヒューという自分のか細い呼吸のみ。

 

 

(た、助けてくれ…! たっちさん…! ウルベルトさん…! タブラさん…! 誰かいないのか…! そうだ、モモンガさん! モモンガさんはどこだ…! ユグドラシルのサービス終了まで一緒に過ごしたんだ…! もしかしたらモモンガさんもこの世界に…!)

 

 

その時ふと名犬ポチの脳裏に過去の思い出が蘇る。

 

 

『俺はもうどこにも行かねぇよ…』

 

 

そう、名犬ポチはそう言ったのだ。

 

 

『俺アインズ・ウール・ゴウンの皆と過ごした時間が一番楽しかったんだ。それにモモンガさんに寂しい思いをさせてた事にも気づいた。だからもう二度と手放さない。モモンガさんさえよければ俺はずっとモモンガさんと一緒にいたい…』

 

 

馴れないせいか妙な言い回しになってしまったかつての名犬ポチの言葉。

愛の告白みたいだとモモンガに笑われたことを思い出す。

 

 

『ふぅー、そうですね…。もし名犬ポチさんがこれからも遊んでくれるなら嬉しいです』

 

『じゃ、決まりだな』

 

 

そうだ。

モモンガさんと最後にした約束。

これからはずっと一緒に遊ぶと約束したのだ。

だがそれはこの世界に転移してきたことで叶うことはなかった。

 

それと同時に嫌な予想が頭をよぎる。

最初にガルガンチュアと出会った時に聞いた一言。

 

 

『最重要対象ヲ補足、タダチニ排除スル』

 

 

そうだ、間違いない。

ガルガンチュアはこちらを完全に把握していた。

把握した上で攻撃を仕掛けてきているのだ。

 

 

(ま、まさかモモンガさん…、あんたなのか…。お、俺が側にいなかったから…、いれなかったから怒ってるのか…? そ、そんな…)

 

 

次いで思い出したのは最終日にログインした直後のこと。

 

 

『ここは皆で作り上げたナザリック地下大墳墓だろ! なんで皆そんな簡単に棄てることができるんだ!』

 

 

最初に見たのは荒れていたモモンガの姿だった。

あの時は気にしていなかった。

あれがモモンガの本心だったと気づきながら深く考えていなかった。

 

 

(ず、ずっと恨んでたのか…? ナザリックから離れた俺たちを…。す、すまねぇ、モモンガさん…。俺だって、他の皆だって望んで去ったわけじゃないんだ…。一緒にいられるのなら喜んでそうした…。だ、だからモモンガさん…、許してくれ…。どうか俺を許してくれ…)

 

 

名犬ポチの目に涙が滲む。

出てくるのは後悔とモモンガへの謝罪の気持ち。

だが現実は変わらない。

もうじきガルガンチュアの拳が落ちてきて名犬ポチは死ぬ。

モモンガの苦しみに、悲しみに気付いて上げられなかった代償。

もしそれでモモンガの気が少しでも晴れるならそれも悪くない、そう思えてしまった。

 

 

だが名犬ポチは知っている。

いや、名犬ポチだけではない。

アインズ・ウール・ゴウンの全員が知っている。

 

モモンガさんはそんな人じゃない。

 

もちろん人間だから恨み事だって言うだろう。

喧嘩することもあるかもしれない。

だがあの人はこういうことをする人じゃない。

 

アインズ・ウール・ゴウンの誰もがモモンガさんを心から信頼している。

 

 

アインズ・ウール・ゴウン。

悪のロールプレイに徹し、最盛期にはギルドランキング第9位を記録したギルド。

全ギルド中最多の11個のワールドアイテムを所持しており、1500人からなる討伐隊を撃退したこともある。

PKや鉱山の占拠など悪評に事欠かなかった伝説のDQNギルドだ。

そこに所属する人数こそ他のトップギルドに比べれば少ないものの、誰も彼もがアクが強く纏め上げるのは並大抵のことではない。

事実、仲が悪く喧嘩をするような者もいた。

 

だがモモンガさんだから。

モモンガさんだから皆がついてきたのだ。

モモンガさんだから纏め上げられたのだ。

あの人がいなければアインズ・ウール・ゴウンは存在しなかった。

 

だからこそ分かる。

あの人ほど仲間を大切に想っていた人はいない。

あの人は絶対に仲間に手を上げたりしない。

それを見逃すこともない。

 

ではこれはなんだ?

ガルガンチュアはどうして動いている?

どうして攻撃を仕掛けてくる?

 

 

(モモンガさんじゃ、ない…のか…。誰だ、誰がガルガンチュアに命令を出している…? モモンガさんはこの世界に来ていないのか…? それとも来ているのか? 俺みたいに単身でどこかに飛ばされたのか…? それとも…、モモンガさんの身に何かあったのか…?)

 

 

結局は堂々巡り。

考えても何も解決しない。

何もわからない。

だがナザリックに存在するはずのガルガンチュアがここにいる時点で様々な憶測が立つ。

少なくとも前よりは希望が持てる。

 

だからなんとかして生き延びなければならないのに。

 

 

(ちくしょう…! 駄目だ、避けられねぇ…! 食らっちまう…! 回復魔法を、いや駄目だ…。スキルで眷属を…、いや時間稼ぎにもならず蹴散らされる…! あぐっ! 痛ぇ…! 駄目だ、意識が飛びそうだ…!)

 

 

体の痛みでまともに思考もできず考えも纏まらない。

 

 

(だ、誰か…! 誰でもいいっ…! 俺を助けろっ…! 俺はこんなところで死んでいい犬じゃないんだっ…! 誰か時間を稼げ…! 俺の盾になるんだぁ…! エ、エサならやる…! ドッグフードを! 200粒! いや500粒だ! 1000粒! だ、だから誰でもいい…! お、俺を助けるんだぁあああ!!!)

 

 

がむしゃらに足掻き、駄目元で一つの魔法を発動する。

 

《グレーター・レイズ・ドギー/犬の上位蘇生》。

 

犬に仇名す者以外ならばほぼデメリット無しで蘇生できる魔法。

とりあえず誰でもいいから蘇生し盾にして時間を稼がそうという最低な魂胆である。

 

だが場所が悪かった。

 

ここカッツェ平野は大量の死者が出る場所ではあるが放っておけばアンデッドの多発に繋がるので戦争があっても死者は墓地まで運び丁寧に埋葬する。

名犬ポチが知らない人物はその身体の一部が無ければ蘇生できない。

それに死体の一部があったとしてもアンデッドに変わっているものがほとんどでここで蘇生できる者は少ない。

ゆえにこの場所で名犬ポチが無計画に蘇生できる者は基本的にいない。

 

だが例外はある。

 

死体が無くとも名犬ポチが知る者ならば蘇生できるのだ。

これはユグドラシルの法則に由来する部分もあり、ゲームメニューからフレンドを選択するように、知っている人物ならばコンソールが使えなくなったこの世界でもアクセスが出来る。

ゆえに蘇生させることが可能なのだ。

だがもちろん条件がある。

 

一つは対象者の本拠地となる場所で蘇生する場合。

もう一つは対象者が死んだ場所で蘇生を行う場合。

 

それをこの場で満たすのは難しい。

 

だが名犬ポチの蘇生魔法に反応する存在が一つ。

この魔法の対象になる者が一人だけ存在する。

かつてここで死んだ者。

名犬ポチが知っている誰か。

 

 

(だ、誰だ…! くそっ…、意識が朦朧として…、判別でき、ねぇ…! わからねぇ…! い、いや、いい…! 誰でも…いい、俺を…助け…)

 

 

最後の力を振り絞りその対象者に向け魔法を発動する。

 

名犬ポチは知らない。

 

今、自分がどこにいて誰を蘇生しようとしているかを。

 

名犬ポチは知らない。

 

かつてこの世界に誰が来ていたのかということを。

 

そして本来ならばこの蘇生魔法は効かないはずの相手。

だが彼には一つのスキルがある。

それが不可能を可能にした。

 

名犬ポチ同様、それは彼の二つ名としても語られている。

 

 

 

 

 

 

 

 

カッツェ平野と呼ばれる死者が闊歩する荒涼とした大地。

 

かつてここに転移してきたギルドがあった。

 

その時は今と違い、緑が生い茂り川のせせらぎが聞こえる豊かな土地だった。

まだ人の手が入っていないその土地に転移してきたギルドは国を作り栄華を極めた。

誰も差別せず、誰もが笑顔で生きられる国。

 

だがそれは長く続くことは無かった。

 

後に転移してきたギルドとの大きな抗争になってしまったからだ。

飛びかう超位魔法の嵐。

国は滅ぼされ、ギルド武器も破壊された。

 

拠点は滅び、大地は死に、残ったのは夥しい死体の山だけ。

 

 

後世にこの出来事は伝わっていない。

 

 

後の世を作ったのは滅びたギルドを裏切った者達だったからだ。

だがそんな彼等にも一つだけもみ消せないことがあった。

 

それはただ一つの単語。

 

もう誰にも奪われないように、もう何者も侵さないように。

どうか安らかに。

 

その想いを忘れない為に生き残った人々はその言葉を伝え続けた。

 

各地に散った生き残り達が、その子孫が、やがて意味すらわからなくなってもその言葉だけは人々の間に、歴史の中に残り続けた。

そして今や裏切者の子孫すらその言葉が何を意味するのかわからなくなるほどの時間が経ってしまっても。

 

意味を失っても決して忘れられることの無かった言葉。

 

いつから場所を指す言葉と認識されていたのか。

 

それが本来意味するのは名前。

 

それこそが彼の証。

 

存在した証明。

 

 

 

ここは神の国。

 

 

 

ビーストマン達が追い求めた夢の跡、約束の地。

 

同時に神が磔にされた忌まわしき場所。

 

それは犬の敵。

 

名犬ポチのライバル。

 

そして、猫の王。

 

今でも伝わるその名前は。

 

 

 

ネコさま大王国のギルド長・カッツェという黒い子猫のものなのだから。

 

 

 

カッツェとはドイツ語で猫を意味する。

 

 

 

ユグドラシル時代の彼の異名は『化け猫』。

 

 

死んでなお、化けて出る。

 

 

 




次回『負け犬と化け猫』狂々と因果は巡る糸車、すべて世の中堂々巡り。


前話の後書きで「出会ってはいけない二人がついに出会う」と煽り文句を書きましたが厳密にはギリギリ出会ってませんね、まぁ出会ったようなもんってことでここは一つ…。

しかしこの為だけに本編には直接影響を与えないビーストマンの話を挟んだといっても過言ではないでやっとここまでこれてホッとしてます。

あれ…、なんだか、ホッとしたら…、急に眠く…、う…。ドサッ


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負け犬と化け猫

前回までのあらすじ!



マジでボコられる名犬ポチ!
だがそこに颯爽と現れるは…!


それは遥か昔。

一匹の小さな猫が最後に見たもの。

 

 

 

 

 

磔にされた状態で周囲を見回す。

 

もう指の一本も動かない。

刻一刻と死に近づいているのが分かる。

 

眼下に広がるのは蹂躙される民達とそれを襲う人間達。

その時、猫は思った。

 

ああ、失敗した、と。

 

理想を掲げ道理を説き夢を掲げた。

だが上手くいくことは無かった。

この世界に来て神だなんだと持て囃されたが元々はただの一般人だ。

国を、ましてや迷える民達を導くなど出来ようはずもない。

一時はその優れた力により上手くいくかと思えたが、突如現れた自分より強大な力の前には成す術も無かった。

 

ただただ無力だった。

何者も守れず、国は滅び、ギルドは崩壊した。

 

やがて人間達によって猫の体に火がつけられる。

火はあっという間に猫を包み込んだ。

あまりの苦しみに思考が飛び叫び声を上げる。

死ぬ直前に猫の脳裏によぎったのは、わずかとはいえ無事に逃げ延びた者達のことだった。

せめて彼等だけは幸せに生きられますように。

そう願い、猫は死んだ。

 

だが猫は絶命した瞬間、一つの選択を迫られることになる。

 

それは彼のスキルが発動した証だった。

この世界に来てから初めてのことだったがそれが種族オーバーキャットのスキルであることは感覚的に理解できた。

死んで発動する彼の特殊スキル。

使用するか否か。

だがもう全てが手遅れだ。

発動する意味も無ければ、取返しもつかない。

 

もう猫にできることは何もない。

ただ悲しみの中、スキルの使用を拒否し灰になった。

 

 

 

 

 

 

ふと、おぞましい感触が全身を撫で上げた。

もはや自己の存在など忘れて無にも等しき次元にいた自分の意識が突如として覚醒する。

深い水面から自分を引き上げようとする誰かの肉球。

しかしそれをカッツェは必至に振り払おうとする。

その手の先にある懐かしくも不穏な存在を感じたからだ。

だができなかった。

思わず叫び声を上げそうになりながらも、すぐにその理由に思い至る。

それは対象者を強制的に蘇生させる魔法。

拒否することはできない。

それと同時に自分とは相いれない種類の魔法だと感じる。

本来ならば自分には効果の及ばない魔法の筈だ。

この魔法ではいくら魂そのものを引っ張ることに成功しようとも肉体の再生が出来ない。

肉体の再生が出来なければ当たり前だが蘇生はできない。

故に魂も元の場所に戻る。

これはそういう類の魔法であり、相いれない存在には効果の無い魔法なのだ。

 

だがカッツェは違う。

 

オーバーキャットのスキルにより死亡後、魂のみで一定時間存在できる。

ユグドラシルでも稀有な存在。

例外中の例外。

故に本来であれば蘇生できない魔法であるにも関わらず、魂のみで存在できるカッツェは再び呼び戻されることになる。

死んだままということは変わりないが。

 

やがてカッツェの視界が白く染まる。

そしてその先の向こうにあった景色は…。

 

 

 

 

 

 

魂が具現化し、猫の形に変わっていく。

形を為し質量を伴いながらもその身体は炎のようにゆらゆらと揺らめいていた。

 

 

 

「どこだ、ここは…?」

 

 

訳も分からず呼び戻されたカッツェはすぐに辺りを見回す。

周囲は緑がほとんどない荒涼たる大地。

加えて薄い霧によって辺り一帯が覆われており視界も悪い。

まるで見たことの無い景色にたじろぐカッツェ。

一体ここはどこなのだ、と。

彼はそこが昔自分の国があった場所だとは気付かない。

長い年月は彼の知る何もかもを変化させていたからだ。

すぐに状況の判断ができない。

分かっているのは一つだけ。

完全な蘇生ではなく、魂だけ呼び戻されたということだけ。

 

ふと目の前にいる巨大なゴーレムが目に入る。

 

 

「なん、だ…、あのゴーレムは…? ユグドラシルのゴーレムか…? だが普通のじゃあないな…」

 

 

そのゴーレム、ガルガンチュアは足元に倒れる小さな生き物目掛けて拳を振り下ろそうとしていた。

 

 

「っ!? あぶねぇっ!」

 

 

考えるより先に体が動く。

どこぞの誰かと違ってカッツェはカルマ値最高の極善。

特にこの世界で精神が肉体に引っ張られている今では目の前で殺されそうな者を見殺しにできるはずなどない。

 

倒れている小さな生き物に素早く駆け寄ると口で体を掴みガルガンチュアの一撃を避ける。

 

 

「グオォォォォ!」

 

 

攻撃を外したガルガンチュアがカッツェの存在に気付き吠える。

カッツェはその小動物を口に咥えたままガルガンチュアの追撃から逃げ回る。

とは言ってもカッツェの体のサイズも加えている小動物と同じくらい小さいのだが。

 

 

(マズイな…。このままこいつを咥えたままじゃ逃げ切れんぞ…。それにどんどん呼吸が弱くなっていってる…。すぐに回復魔法を…)

 

 

そして魔法《グレーター・キャット・ヒール/猫の大治癒》を発動する、が。

 

 

(効かない…!? ま、まさか、こいつ犬か…!?)

 

 

自分が咥えている生き物の種族にそこで気付く。

血だらけな上にボロボロだった為に外見からその種族を見抜くことは不可能だったのだ。

 

 

(別に犬だからって見殺しにする気はないが…これはマズイな…。犬だとすると俺の上位魔法はほとんど効かんぞ…、死なれたら蘇生もできん…。ちっ、位階は落ちるがあれしかないか…)

 

 

カッツェは犬をその場に下ろすと魔法を発動する。

 

 

「《リック・ヒーリング/治癒の舌》! ぺろっ」

 

 

血だらけの犬の怪我が徐々に癒えていくが上位の魔法と違って効果が及びきるまでわずかに時間がかかる。

そのため動けるまで数秒はかかるだろう。

加えて他にも瀕死の者が一匹いることに気付いたカッツェ。

 

 

(向こうで倒れているのも犬か…? やばいな、傷の度合いはこっちの比じゃなさそうだ…。だが《リック・ヒーリング/治癒の舌》を使うには同じように直接舐めないと回復させられん…)

 

 

この間にも距離を詰めてきているガルガンチュア。

覚悟を決め、加えていた犬をその場に置くカッツェ。

だがカッツェは逃げようとせず、ガルガンチュア目掛けて突進する。

 

 

「グゴオオ!!」

 

 

カッツェ目掛けて必殺の拳が繰り出される。

純粋な戦闘能力で言えば名犬ポチと双璧を為すカッツェ。

 

つまりはクソ雑魚である。

ゆえにこの攻撃も即死の一撃。

しかし。

 

 

「ゴオオ!?」

 

 

カッツェの体を真芯で捉えたにも関わらずガルガンチュアの拳には何の感触も伝わらなかった。

肝心のカッツェは何食わぬ顔で周囲を走り回っている。

再びカッツェ目掛けて何度も拳を振り下ろすガルガンチュア。

だがどうしてか止めることはできない。

避けられているわけではない。

ガルガンチュアの攻撃は全てカッツェにヒットしている。

だがガルガンチュアの攻撃が当たったかと思うとカッツェの体がまるで煙のように姿を変える。

そしてすぐに元の体に戻るカッツェ。

 

 

「ふん…! ゴーレム如きが俺を殺せると思うなよ…? 物理攻撃で殺すんなら体のある奴だけにするんだな…!」

 

 

外見上は実体を持っているように見えるカッツェではあるが生身の肉体は存在しない。

今の体は魂そのものである為、純粋な物理攻撃はカッツェには通用しないのだ。

魔法的な力でないと魂に干渉はできない。

つまり、物理特化のゴーレムにとって最悪の相手。

 

 

「ゴオオア!」

 

 

だが攻撃が通用しなくともガルガンチュアはカッツェを追って攻撃を繰り出していく。

対象及び邪魔者を排除せよ、それがガルガンチュアに下された命令だからだ。

通用するかしないかは関係ない。

ただひたすら命令通りに動くだけ。

 

 

「こっちだ、デカブツ」

 

「ゴオオ!」

 

 

足元に潜り込んだカッツェ目掛け拳を振り下ろすガルガンチュアだが、その動きに翻弄され自身の足に攻撃を誤爆してしまう。

さほどダメージがあるわけではないが体勢を崩し倒れるガルガンチュア。

その隙に倒れているもう一匹の犬目掛けてダッシュするカッツェ。

 

 

「げぇっ! 体が半分吹き飛んでんじゃねぇか! 《リック・ヒーリング/治癒の舌》! ぺろっ」

 

 

先程と同じように回復魔法を使うカッツェ。

死体と見まごう程だったその犬であるが徐々に目に光が戻り始める。

どうやらギリギリ間に合ったらしい。

ちょうどそのタイミングで先ほど助けた犬が動きだすのが見えた。

 

 

「おっ! 気が付いたか良かった! すぐに逃げるぞ!」

 

 

そう起き上がった犬に叫ぶカッツェ。

だがカッツェを見た犬が急に吠えだす。

 

 

「わん!(な、なんでてめぇがここにいるんだぁぁ!!!)」

 

 

何を言っているがわからないがやたら叫び散らす犬に驚くカッツェ。

よくよく見てみるとその顔は…。

 

 

「あ、あー! お、お前はポチ!? な、なんで!?」

 

 

驚愕するカッツェ。

だが次の瞬間さらに驚愕することになる。

 

 

「わん(ここで会ったが百年目! 死ねぇええ!《チェイン・ドッグ・ライトニング/連鎖する犬雷》!)」

 

 

両手の肉球から雷の犬を放つ名犬ポチ。

慌てていたカッツェはまともに被弾する。

 

 

「ぎゃああああああ!!!!」

 

 

物理は効かなくとも魔法は通る。

 

 

 

 

 

 

「わ、わんっ…!(ハァッハァッ、やったか…?)」

 

 

プスプスという焦げるような音と共に煙が立ち昇る。

そこでは黒焦げになった猫が倒れていた。

だが次の瞬間、その黒焦げの体が瞬く間に元に戻っていき起き上がろうとする。

 

 

「わん!(こ、こいつっ…! やはり超位魔法じゃなきゃ無理かっ!?)」

 

 

そして超位魔法を放とうと構える名犬ポチに獣王が止めに入る。

 

 

「く、くーん!」

 

「わん!(な、なんだと!? こ、こいつが助けた!? 俺たちを!?)」

 

 

獣王の説得に信じられないというような顔をする名犬ポチ。

その間にフラフラしながらも立ち上がるカッツェ。

 

 

「ポ、ポチよ…、と、とんだご挨拶じゃないか…」

 

「わん(て、てめぇ…、何が狙いだ…?)」

 

「お、おい、ポチ…」

 

「わん(まさか最終日の復讐にでも来たのか…?)」

 

「ちょっと聞けって…」

 

「わん(やらせねぇ…! やらせねぇぞ…!)」

 

「だから聞けやぁ! 何言ってるかわかんねーんだよ!」

 

 

ついに我慢できなくなり名犬ポチに突っ込みを入れるカッツェ。

 

 

「ゴオォォ!」

 

 

そんなことをしている内に起き上がったガルガンチュアが近くまで接近していた。

 

 

「わん(ちっ、邪魔くせーな…)」

 

「ポチ、細かいことは後回しだ。まずこいつやっちまおうぜ」

 

「わん(そうだな)」

 

 

言葉はわからないが名犬ポチが了承したと判断するカッツェ。

伊達に付き合いは長くないのだ、簡単な意思の疎通なら難しくない。

ガルガンチュアの振り下ろす拳を避けつつ会話を続ける。

 

 

「ポチ、お前すぐに超位魔法撃てるか!?」

 

「わん!(そりゃあ撃てるけど…! なんでだ!?)」

 

「なんでって顔してんな…。いや俺とお前が同時に撃ったらもしかするかと思ってな…」

 

「わん!(いやでも…、くっ、この際仕方ねぇか…! まさかお前と協力することになるなんて…!)」

 

「敵は俺が引き付ける、お前はその間に魔法を撃て。俺も発動してタイミングを見計らったら離脱する」

 

「わん!(うっせ! 偉そうにすんなバカ! バーカ! くたばれカス!)」

 

 

そう言って名犬ポチがガルガンチュアから距離を取るように走っていく。

 

 

「あれ絶対悪口言ってんな…。そもそもお前が俺を呼び戻したんじゃねぇのか…? それなのに全く…。いや、でもこの方があいつらしい…」

 

 

フッと静かに笑うカッツェ。

 

 

「まぁいい。せっかくだ、派手に決めさせてもらうとするか…」

 

 

名犬ポチを追おうとするガルガンチュアの前にカッツェが立ちはだかる。

 

 

「俺が相手だ、デカブツ」

 

「ゴアァァ!」

 

 

再びカッツェに攻撃を放つガルガンチュア。

だが先ほどのようにその攻撃が効くことは無い。

 

遠くで名犬ポチが超位魔法を発動するのを感じるカッツェ。

それと同時に自分も超位魔法を発動する。

後はそれが発動するまでここで時間を稼ぐだけだ。

 

発動時に非常に大きな隙ができる為、PVPならば課金アイテム等が無いと運用が難しいが今は関係ない。

ガルガンチュアの攻撃はカッツェに通らないので急ぐ必要などないのだ。

 

やがて超位魔法が発動する。

 

その刹那、スキルで自身の素早さを強化し一気に範囲外へ離脱するカッツェ。

それと同時に超位魔法が放たれる。

 

 

「わん!(《フォールンパッド/失墜する肉球》!)」

 

「《ライジングパッド/昇りゆく肉球》!」

 

 

名犬ポチの超位魔法が天空からガルガンチュアに降り注ぎ、カッツェの超位魔法がガルガンチュアを地の底から押し上げる。

上と下からの肉球に挟まれ、その優しさと柔らかさに巨体が押し潰される。

 

ある意味一発だけでも恐ろしい超位魔法の合わせ技。

初めての共同作業。

それはカンストプレイヤーですら怯える一撃。

 

しかし。

 

 

「グォオオ!」

 

 

何事も無かったかのようにガルガンチュアは動き出す。

 

 

「わん(おい、カッツェ)」

 

「それ以上言うな…」

 

「わん(これもしかして…)」

 

「言うなと言っている…」

 

「わん(全然効いてねぇじゃねぇかゴミカスがぁぁ!)」

 

「うるせぇぇ! 俺もなんとなく意味ないかなーって思ってたよ! でも! でもさ! 同時に撃ったら何か変わると思うじゃん!? ダブル超位魔法だぜ!? 奇跡の一つぐらい期待しちゃってもいいでしょ!」

 

 

便宜的にこの二匹が得意とする一部の魔法を肉球魔法と呼ばせて頂こう。

その肉球魔法達は主にダメージよりも状態異常に重きが置かれているため、ゴーレムのような無機物系モンスターには非常に相性が悪いのだ。

 

 

「わん(うわぁぁ! もう終わりだぁぁ!)」

 

「やはり逃げるしかない…! ポチ! 俺がなんとかするからお前はそっちの犬と一緒に…っておい!」

 

 

カッツェが話してる間にすでに逃げ出している名犬ポチ。

 

 

「あ、あの野郎…! 躊躇なく逃げるどころか話の途中で…」

 

 

小さくなる名犬ポチの背を憎らし気に見つめるカッツェ。

 

 

「グォオオ!」

 

 

振り下ろされたガルガンチュアの攻撃を避けるとその眼前へ向かってジャンプするカッツェ。

 

 

「まっ、いいけどよ!」

 

 

そしてガルガンチュアの前で勢いよく両手の肉球を合わせる。

 

 

「《キャットトリック/猫騙し》!」

 

 

だが何も起きない。

ガルガンチュアが見る世界を除いて。

 

《キャットトリック/猫騙し》は第10位階に属する強力な魔法。

わずか数秒だが対象者の五感を完全に機能させなくさせるというものだ。

どれだけ魔法防御や対策アイテムを所持していても効果時間が短くなるだけで完全に回避するのは難しい。

 

もちろん対策など何も無いガルガンチュアはまともに喰らうことになる。

無機物とはいえ感覚はあるためゴーレムにも有効な魔法だ。

 

結果5秒もの間、完全な闇に飲まれたように感覚を失ったガルガンチュアはその場で立ち尽くすだけだった。

何も見えなければ何も感じない。

故に何もしようがないのだ。

効果時間が過ぎ、再び感覚を取り戻した時にはもう誰も目の前にいなかった。

 

 

 

 

 

 

「はぁっ、はぁっ…。どうやら奴の感知からは逃れられたな…」

 

「わん(や、やるじゃねーか褒めてやる…)」

 

「く、くーん!」

 

 

ガルガンチュアからそう遠くない岩場の影に隠れている三匹。

あくまでガルガンチュアから隠れることに成功しただけで完全に逃げ切ったわけではないがこのままじっとしていればやり過ごすことは十分に可能である。

 

 

「わん(それよりカッツェ…)」

 

「おいポチ」

 

 

名犬ポチの言葉を遮りカッツェがずいと迫る。

 

 

「お前なんで喋れないままにしてるんだ?」

 

「わん?(え?)」

 

「お前もこの世界に来たってことはここがユグドラシルじゃないってことは理解してるだろ? だが俺たちを取り巻く法則はかなりユグドラシルに近い。加えてこの体や能力はその設定に準じるようになっている」

 

「わ、わん(あ、ああ。なんとなくわかる)」

 

「つまり、だ。俺やお前のような特殊な異形種は能力値はともかく設定上はほとんど普通の動物と変わらん。つまりまともには喋れないってことだ」

 

「わん!(だ、だからか! じゃ、じゃあお前はなんで!?)」

 

「不思議そうな顔してんな…。いやなに簡単な話だ。俺たちのスキルや魔法で世界に干渉できるものは多少の変化はあれどゲーム時代と近い効果を発揮できる。だから《ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを》を使って会話できるように願えば簡単に話せるようになる」

 

「わ、わん…!(あ、ああああああ!)」

 

 

稲妻が落ちたような衝撃を受ける名犬ポチ。

同時に名犬ポチは思った。

 

そこに気づくとは天才か、と。

 

 

「まあこの世界でレベルダウンはキツいからな、躊躇する気持ちはわかる。だがもし持ってるなら流れ星の指輪(シューテングスター)を使ってでも話せるようにするべきだぞ? 貴重な課金アイテムを消費するのは痛いが、右も左もわからない状況で言葉が喋れないなんて致命的以外の何物でもないからな。何かあってからじゃ遅いぞ? 変な誤解があって追い詰められるようなことになったらどうするんだ? 例えば変な取り巻きが出来て無駄に担がれるみたいな」

 

 

ま、そんなことあるわけないかと続けるカッツェだが名犬ポチは聞こえなかったことにする。

 

 

「わ、わん…(あ、あぁ……)」

 

 

嘆く名犬ポチ。

すでにその轍は踏んでいるし、そもそも躊躇するどころかこんな事に気付かなかったなんて恥ずかしくて言えない。

今までの苦労は何だったのだと悲しくなる。

 

だが悪い事ばかりじゃない。

 

これでやっと自分の意思通りに生きることができるようになるのだから。

いつだって前向きが一番なのだ。

 

 

「わん(ふっふっふ…。まぁ過去のことは忘れよう…。俺は今を生きるぞ…! 明るい未来を手に入れるんだぁーっ! I WISH!)」

 

 

即座にアイテムボックスから流れ星の指輪(シューティングスター)を取り出し指輪に願う名犬ポチ。

 

 

「あっ! バカ! 何やってんだ! 今ここでやったら…」

 

「わん!(俺が言葉を喋れるようにしてくれぇーっ!)」

 

 

名犬ポチの叫びが響き渡る。

同時に指輪から強大な魔力が迸った。

何十にも重なった巨大な魔法陣が展開され、表示された文字は留まることなく変質していく。

輝かしい光を放つ魔法陣が粒子となり名犬ポチの元へと収束する。

そして願いは聞き入れられ、名犬ポチの願いは叶えられた。

 

 

「あー、てすてす…」

 

 

言葉を発したのは名犬ポチ。

聞こえるのはあの犬の鳴き声ではなく本来の彼の声。

 

 

「しゃ、喋れる…! 喋れるぞ…! 声だ…! 俺の声だ…!」

 

 

感動して声を上げる名犬ポチ。

誰もが聞き惚れるような甘さ、女性の子宮に響くような低い声。

超絶ハードボイルドなイケメンボイス。

彼の唯一と言ってもいい長所。

 

あのかっこいい名犬ポチがここに復活したのだ。

 

 

「グオオオ!」

 

 

とそこへガルガンチュアの唸り声が轟く。

名犬ポチ達のほうへ向かって全力で突進してきているのが見える。

 

 

「な、なんでここがバレた!?」

 

「ポチのバカー! 当たり前だろ! 超位魔法なんて使ったら一瞬で居場所がバレるに決まってるだろ! せっかく隠れられたのにー! そんなもん逃げ切ってから使えや!」

 

「くーん!」

 

「うっせ! ていうかお前の仲間はどうしたんだよ! そ、そうだギルド! お前のギルドはないのか! NPC達はどこいったんだ!?」

 

「ギルドは一緒に転移してきたが滅んだ」

 

「えっ」

 

「ギルド武器は破壊されたしNPC達も死んでんだよぉ! もう俺には何も残ってねぇ!」

 

「げっ! ギルド無くなったのか!? お前それじゃもう切り札使えねぇじゃねぇか!」

 

「うぐぅ…! そ、そうだよ! 今や俺は無力なただの猫だよぉ! 笑うなら笑えぇ!」

 

「ぶふっ! 使えねぇな!」

 

「オイィィ! 笑うなぁ! それがギルドを失った奴に言う言葉かぁぁ! 今のとこは慰めるとこだろーが!」

 

「くーん!」

 

 

そう早口で叫びながら再び3匹は逃げだす。

 

 

「て、てかおいカッツェ! さっきの魔法もう一回やれよ!」

 

「《キャットトリック/猫騙し》か!? それはいいけど肝心の隠れられる場所が近くにねーぞ…。さっき隠れたところは今壊されちまったし…。見渡す限りほとんど平野みてーなもんだ」

 

「やっぱり使えねぇ!」

 

「おめーが早まらなきゃこうならなかったんだよぉ! 一応やれるだけはやるけど時間稼ぎにしかなんねーぞ!」

 

 

そして世紀の鬼ごっこが始まる。

ガルガンチュアの移動スピードは決して速くないのだが名犬ポチもカッツェも同様にさほど速くない。

いや、体のサイズ比でいえばまずまずかもしれないが実際の移動距離としてはほとんどガルガンチュアと変わらないのだ。

走って逃げ切るのは普通に厳しい。

しかも疲労という概念があるだけ名犬ポチ達のほうが圧倒的に不利である。

カッツェが可能な限り《キャットトリック/猫騙し》でガルガンチュアの足を止めているが名犬ポチの足ではたかが五秒では大して移動できない。

それに肝心のカッツェは魔法を発動するためガルガンチュアから大幅に距離を取ることは不可能だ。

 

 

(でもあれ? これカッツェだけ置いていけば俺たち逃げられるんじゃね?)

 

 

などという煩悩が沸き上がるが流石の名犬ポチも命の恩人を見殺しにできるほど腐ってはいない。

どうしたものかと頭を悩ませながら全力で疾走する名犬ポチだが正面に小さな人影を発見する。

一体なんだと目を凝らしてみる名犬ポチ。

それはこちらへと向かって来ているように見える。

しかも何か叫んでいるようだ。

 

 

「……ーっ! ……ーっ!」

 

「んんん?」

 

 

次第に大きくなってくる人影。

それが見覚えのある人物であると理解すると同時に名犬ポチの体に冷や汗が流れる。

 

 

「か、神様ーっ! 神様だー! やっぱりあの光は神様のだったんだー!」

 

 

手を振りながらこちらへ全力疾走してくる露出率が高い金髪の女。

クレマンティーヌである。

 

 

「げぇぇ! クレマンティーヌッ!」

 

 

どうやら超位魔法の発動で居場所が割れたらしい。

名犬ポチの脳内で警鐘が鳴る。

クレマンティーヌは確実に自分を連れ戻しに来ているはずだ。

近くにニグンやクアイエッセもいるかもしれない。

後ろにはガルガンチュア。

前にはクレマンティーヌ。

終わった、そう思い絶望する名犬ポチだったがクレマンティーヌからかけられた言葉は予想と反するものだった。

 

 

「今すぐここから逃げよう神様! もう竜王国には戻れないよ! もっとどこか遠くへ、うんと遠くへ行かなきゃ皆殺される…!」

 

 

よく見るとクレマンティーヌは今にも泣きそうな顔をしている。

その顔にいつもの気味の悪い笑顔は貼りついていない。

 

 

「クレ…、マンティーヌ…?」

 

 

名犬ポチに駆け寄りその身体を抱きしめるクレマンティーヌ。

 

 

「むぎゅっ! ど、どうしたんふぁ?」

 

 

その両手と胸に押し潰されながらもなんとか声を上げる名犬ポチ。

 

 

「み、皆、殺されちゃった…」

 

「な…!?」

 

 

そして気づく。

自分の体を抱きしめるクレマンティーヌが震えていることに。

そしてどれだけ周囲を見回してもニグンやクアイエッセ、ブリタに純白の面々が見当たらない。

霧がかかっており遠くまでは見通せないがそれでも周囲に誰かがいる気配もない。

 

 

「お、おい…、どういうことだ…? こ、殺されたって…、だ、誰が…?」

 

「み、皆だよ…、ニグンちゃんも、クソ兄貴も、ブリちゃんも、純白の奴等も全員残さずあの女に殺された…!」

 

「……!」

 

「ねぇ逃げよう神様! あれは無理だよ! 神様が凄いのは私知ってる! で、でもあれは違う! も、もっと異次元の…やばい気配を感じたんだ…! こ、こんな事言ったら神様怒るかもしれないけど…! で、でも神様でもきっと無理! 皆殺される! あの女に勝てる奴なんていないよ! だから逃げよ…? わ、私神様と一緒ならどこにでもついていくよ…、だから…! ね…? そ、それに世界が滅ぼされるとしても神様と一緒なら私…、あっ…」

 

 

クレマンティーヌの手の中から名犬ポチが無理やり抜け出し地面に着地する。

 

 

「女だと…? どこだその女は…?」

 

 

怒りに満ちた名犬ポチからより一層低い声が発せられる。

 

 

「え!? だ、駄目だよ神様、会ったら殺されちゃ…、っていうかあれっ!? こ、言葉喋って…!?」

 

 

テンパりすぎてて気づかなかったクレマンティーヌだがやっと名犬ポチが人の言葉を喋っていることに気付き慌てふためく。

 

 

「あ、ああ…。こ、こうなったら俺の声を封印しておく必要もないからな…」

 

 

必死に強がる名犬ポチ、わずかに声が震えているのは内緒だ。

 

 

「で、どこのどいつだ俺の手駒を殺ったのは…? 許せねぇ…! お、俺の所有物だぞ…! 俺の物だぞっ!? そ、それを勝手に殺った奴がいるだと…!?」

 

 

わなわなと震える名犬ポチ。

自分の保身の為に竜王国から逃げ出す際に置き去りにしていることは完全に棚上げである。

自分は何をしてもいいが、自分がされるのは許せない。

名犬ポチは非常にわがままなのだ。

自分勝手と言ったほうがいいかもしれないが。

 

 

クレマンティーヌとそんなやり取りをしている間にカッツェがこちらへ向かって逃げてきていた。

 

 

「ポチーッ! もう魔力が厳しい! これ以上は時間稼ぎできん!」

 

 

その後ろからガルガンチュアがどすんどすんと地面を揺らしながら追ってきている。

 

だが名犬ポチは正面を見据えたまま逃げようとしない。

 

 

「お、おいポチ何してんだ! さっさと逃げろ!」

 

 

遠くで叫ぶカッツェの言葉には反応せず横にいるクレマンティーヌにたずねる名犬ポチ。

 

 

「クレマンティーヌ、そのニグン達を殺した女ってのはこの近くにいるのか…?」

 

「う、うん、多分そう遠くない所にいると思う…。そ、それにあの女、神様を探してた…! だから多分私と同じく神様の魔法の光を頼りに追って来てると思う…!」

 

「そうか…」

 

 

目を閉じる名犬ポチ。

 

この話を信じるならニグン達をやったのはプレイヤーの可能性が高い。

クレマンティーヌの鑑識眼がどこまでかはわからないが、過去に力を解放した66レベル相当の俺にボコられてるこいつが俺でも勝てないと断言するほど力の差を感じたのならカンストプレイヤーということも十分に考えられる。

 

面白ぇ。

 

俺を知ってて喧嘩を売ってきてるのか、プレイヤーの影を感じたから仕掛けてきてるのかわからねぇが後悔させてやるぞ…!

 

 

「受け取れカッツェ!」

 

 

名犬ポチが叫びカッツェへと一つのアイテムを投げ渡す。

走りながらだったがかろうじてキャッチに成功するカッツェ。

 

 

「な…! ポ、ポチお前これ…!」

 

 

それは因縁のアイテム。

ユグドラシル最終日に名犬ポチが奪っていったアイテムだ。

 

 

「お前に返す」

 

「な、何を考えてやがる!? こ、これはお前が勝った証に持っていったもんだろう!? そ、それに、こ、これの貴重さを分かってんのか!?」

 

 

その価値を知らない者はユグドラシルにはいないと断言できるがそれでも確認してしまうカッツェ。

なぜならそれはユグドラシルにいた者ならば誰でも喉から手が出る程に欲しいアイテムだからだ。

 

世界級(ワールド)アイテム。

 

一つ一つがゲームバランスを崩壊させかねないほどの破格の効果を持つアイテムの総称である。

それはこの世界に転移したからといって価値が下がるわけでない。

 

 

「それがあればもう一度やり直せるだろ? だから頼むよ」

 

「っ!? ま、まさかポチ…! お、お前俺に()()を使わせる気か…!? だ、だが…!」

 

「俺もやる」

 

「なっ、なんだと…!? ば、馬鹿言うな! お前はどうするんだ!? ギルドは!? ナザリックはあんのか!?」

 

「多分ある」

 

「た、多分!? どういうことだっ!」

 

「俺たちを追って来てるあのゴーレム。あれはガルガンチュア。ギルド・アインズ・ウール・ゴウンの戦力の一角だ」

 

「アインズ・ウール・ゴウンのっ!? だからかっ! 普通のゴーレムじゃねぇとは思ってたが…。で、でもならなんでお前を襲ってきてんだっ!?」

 

「わからん。わからんが…、あれはユグドラシル最終日にはまだナザリックの中にいたはず…。サービス終了前に外に出ていたということも考えにくい…。なぁカッツェ、お前と話して思ったんだがこの世界にはギルド拠点も転移してくるんだろ?」

 

「あ、ああ。条件はわからんが拠点ごとの転移は俺も含めいくつか前例がある…」

 

「そうか。ではどこかの拠点内にいたNPC及びモンスターだけが単独で転移してきたというケースはあるのか?」

 

「い、いや俺の知っている限りプレイヤー以外での単独転移はない…。プレイヤーが来るか、拠点と共にプレイヤーが来るかだ…」

 

「なるほど。ならやはり問題はない」

 

「ポ、ポチ…!」

 

「ガルガンチュアがいるということはナザリックも転移してきているということだ。そしてナザリックが来ているなら、()()()()()()

 

 

名犬ポチの元まで走り寄ってきたカッツェが驚愕の表情を浮かべながら問いかける。

 

 

「お前…、本当にやるのか…?」

 

「ああ。だがそれでも俺だけじゃ厳しいからな…」

 

「そうか、だから俺にもやれってか…。ははっ、確実とは言えない手段に世界級(ワールド)アイテムまで手放すっつうのか?」

 

「ああ、やらなきゃならん奴がいるみたいでな…」

 

「ははは! やっぱりお前は馬鹿だよ! 大馬鹿だ! だからあんな異名付けられるんだよ!」

 

「うるせぇ! 別にいいだろ!」

 

 

心外だとばかりに憤慨する名犬ポチ。

ユグドラシル時代に自分に付けられた異名の響きは未だに好きになれない。

 

だがカッツェがそれを笑うのはしょうがない。

かつてエ・ランテルの共同墓地でカジットというくだらない男を絶望に叩き落すという為だけの理由で3回しか使えない流れ星の指輪(シューティングスター)というユグドラシルでも超々希少な指輪をあっさり使うという暴挙に出た男である。

自分の望み、あるいは怒りを晴らす為にはメリットデメリットなど度外視する馬鹿野郎なのだ。

だから世界級(ワールド)アイテムさえ簡単に投げ出せる。

それはユグドラシル時代から変わらない。

 

 

「はは…、で、アレを使うのはいいとして…。あのデカブツはどうすんだ? アインズ・ウール・ゴウンのNPCなんだろ?」

 

「いやNPCじゃねぇ」

 

「ああ、ダンジョンのボスかなんかをチューニングしたやつか?」

 

「そんなとこだ」

 

「で、どうすんだ」

 

「わかんねぇけど今は敵対してるみたいだからな、潰すさ」

 

「大きく出るねぇ、あれ100レベルプレイヤーより強いだろ」

 

「ああ。でも大丈夫だ。やるのはお前だから」

 

「お、俺かよ…」

 

「うるせぇな。お前ならやれるだろ『化け猫』」

 

「あーあー、わかったよ。任しとけ『負け犬』」

 

 

小バカにしたように言う名犬ポチと深いため息と共に了承するカッツェ。

 

そんなやり取りをしている間にガルガンチュアはすぐ側まで迫ってきていた。

 

 

「グオォォ!」

 

 

その唸り声を合図にしたかのように二匹が動いた。

 

それを見たクレマンティーヌと獣王が叫ぶ。

 

 

「神様ぁー! 行っちゃやだー!」

 

「くーん!」

 

 

だがその叫びは届かない。

いつだって戦いに赴く漢に女子供の叫びは届かないのだ。

泣きながら膝から崩れ落ちるクレマンティーヌと獣王。

強大な敵へと向かっていく名犬ポチの背を絶望したようにクレマンティーヌと獣王が見つめる。

 

それを察したかのように名犬ポチが振り向きそのイケボを響かせた。

 

 

「必ず戻る、だから大人しく待っとけ」

 

 

その表情に迷いは無かった。

かつてウルベルト・アレイン・オードルをして邪悪と言わしめた男。

『負け犬』ポチ。

彼もまた悪名に事欠かなかった伝説のギルド、アインズ・ウール・ゴウンの一人。

その悪名は多くのプレイヤーを震え上がらせた。

 

共に行くはその男とライバルとして覇を競い続けた男。

『化け猫』カッツェ。

 

ユグドラシル時代ずっと敵対していた因縁の二匹。

奇しくもサービス終了後に協力することになるとは当時の二人には、いやユグドラシルの誰もが想像もできなかっただろう。

 

混ぜるな危険。

 

 

 

 

 

 

 

 

超位魔法の発動を目にし、目的地へと全力で走るアルベド。

 

 

 

「いきなり超位魔法だと…。ポチめ、思い切ったことをする…」

 

 

流石にガルガンチュアが一発で沈むとは思えないが何が起こるかわからないため早く合流しなければならない。

自分が着く前にガルガンチュアが撃破などされたら目も当てられない。

 

そうしてやっと遠くからガルガンチュアとポチの姿を発見したアルベド。

 

 

「いた! まだ始まったばかりというところか! 間に合ったわね!」

 

 

喜々としてポチ達の元へ疾走するアルベド。

だがポチの横に見知らぬ黒い何かがいる。

 

 

「なんだあれは…? ポチの眷属か…?」

 

 

ポチがその黒い何かと共にガルガンチュアに飛び掛かった瞬間、アルベドの背筋に冷たいものが走る。

 

何かはわからない。

何かはわからないが未だかつて感じたことがない恐怖に身が震えるアルベド。

 

マズイ、とそう直感した。

 

あのままガルガンチュアとポチ達がぶつかれば、間違いなくガルガンチュアはやられる。

そう確信した。

 

まだ失うわけにはいかない。

自分が名犬ポチと相対する前にガルガンチュアを失うわけにはいかないのだ。

言いようのない不安と嫌悪感に苛まれながら反射的にアルベドは叫ぶ。

 

 

「止まっ…、止まりなさいガルガンチュアッ! すぐに止まるのよ!」

 

 

その言葉がガルガンチュアに届くと同時に名犬ポチ達もアルベドの存在に気付く。

 

 

そうして両者の視線が交差した。

 

 




次回『大罪』ついにやらかす。


悲報、ニグンさん解雇のお知らせ。
そしてクレマン、ポチのイケボに恐らく濡れ濡れ。

えー、少し時間が空いてしまいました…。
最低でも週1はキープしたいのですがなかなか…。

とはいえもう終わりまでそう遠くない気もしないこともないので最後まで駆け抜けれるようがんばりまっす!


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大罪

前回までのあらすじ!



名犬ポチ&カッツェ! 夢のタッグ結成!
そこへアルベドもたまらず参戦!


「止まっ…、止まりなさいガルガンチュアッ! すぐに止まるのよ!」

 

 

切羽詰まったような叫び声を上げガルガンチュアを制止させるアルベド。

正体は分からないが名犬ポチとその横にいる黒い生き物から底知れぬ何かを感じる。

戦力的にガルガンチュアと自分ならば劣るとは思えないが腐っても至高の41人+未知の相手と対峙する際にいきなり事を構えるのはよろしくない。

向こうが先制攻撃を仕掛けてこないならまずは様子をみるべきだと判断する。

 

アルベドの声を受け攻撃を仕掛けようとしていたガルガンチュアの動きが止まる。

同様に名犬ポチとカッツェも攻撃を止め、声のしたほうへ顔を向ける。

そこにいたのは黒い翼の生えた黒髪の美女。

身体には薄手のマントのような物を纏っており、後ろに一匹のスケルトンを連れている。

 

 

「何者だ…?」

 

 

突如現れたアルベドに明らかに警戒して対峙するカッツェ。

後ろに連れているスケルトンも気になるが非常に低レベルな為、警戒には値しないと判断するが問題はこの女だ。

 

アルベドもカッツェのその挙動だけで油断のならない相手だと本能的に悟る。

 

だが肝心の名犬ポチはポケーっとしており頭に疑問符が浮かんでいるような状況だった。

こいつどこかで見たことあるなぁ的な。

 

一先ずアルベドは付け入る隙を探す為に二匹に接近しようとするが、向こうの射程有効距離がどの程度か不明な以上、近づきすぎるわけにはいかない。

二匹から十分に離れた場所で立ち止まり会話を試みる。

 

 

「名犬ポチ様、ずっと探しておりました…!」

 

 

恐らく全てお見通しであろう名犬ポチに茶番を仕掛けるアルベド。

表情を読まれないように頭を下げる。

 

 

「え? 俺?」

 

「知り合いか、ポチ?」

 

「いや…、うーん…。どこかで見たことある気がするんだがなぁ…」

 

 

(ナザリックにおける全NPCの頂点、守護者統括アルベドよ! くっ、分かり切っている癖に…! 自分にとってお前など覚えるにも値しない存在だとでも言いたいの!? 随分と馬鹿にしてくれる…!)

 

 

浮かび上がる血管と怒りを必死に抑え込み耐えるアルベド。

 

 

「アルベド…、守護者統括アルベドです。貴方様方、至高の御方に仕える忠実なるシモベにございます」

 

 

それを聞いて名犬ポチは思った。

 

あーこれ人違いだわ、と。

 

 

(なんだ? 嗜好の御方って。この世界でそんな奴と会った記憶ねーしなぁ。てかこいつは見覚えはあるんだよな…。どこだったか…)

 

 

うーんと首を捻りながら考える名犬ポチ。

 

そんなことを呑気に考えている名犬ポチと違ってカッツェはその警戒を解いてはいない。

何かあればすぐにでもアルベドに攻撃を仕掛けられるように位置どる。

 

 

(この黒猫…、やりにくいわね…。しっかりとこちらが嫌な所に陣取ってくる…。ふん、名犬ポチめ、自分は敵対していないような気配を出している癖に眷属には露骨に警戒させるとはね…。腹芸で出し抜けるならやってみろとでもいいたいのかしら…!)

 

 

アルベドもこれが名犬ポチの手なのだろうとすでに看破している。

こちらが名犬ポチの隙を突くために近づいたように、向こうもこちらの隙を突くために揺さぶりを仕掛けているのだと。

 

 

「お前が誰かわかんねーけどガルガンチュア止めてくれてありがとな、お前良い奴だな」

 

 

よく分からないがガルガンチュアと戦闘にならなくて良かったと単純に考える名犬ポチ。

そんな風にニコニコと話す名犬ポチの言葉に脳内で血管がブチブチと切れるのを感じるアルベド。

 

 

「おいポチ、お前のとこのNPCじゃねぇのか? ガルガンチュアに命令できるってことはそういうことだろ? お前の忠実なるシモベとか言ってたし」

 

「え?」

 

「ええ、その通りでございます。私は至高の41人に創造されたNPC。御身のいかなるご命令にも従います」

 

「至高の…41人…?」

 

 

なんだそりゃと思いながら聞いていた名犬ポチだがアインズ・ウール・ゴウンのメンバーが41人なのを思い出す。

それと同時にやっと記憶の中で目の前の女の正体に行き着く。

 

 

「あ…! あー! お前アルベドか! 思い出したぜ! タブラさんの作った三姉妹の一人だな! なんだよー、早く言えよなー!」

 

 

そうして破顔する名犬ポチにアルベドは心の中で毒づく。

 

 

(だからアルベドだって最初に自己紹介してるだろうが…! くそがぁ…! ふざけやがって…!)

 

「思い出して頂けたようで嬉しいですわ…!」

 

 

そんな事をおくびにも出さず笑顔で答えるアルベド。

 

 

「見覚えのないマント羽織ってるから気づくの遅れちゃったじゃん! だってお前確か白いドレス着てたよな? タブラさんがこだわってたから覚えてるぜ。あれ、てかNPCが喋っ…むぐっ!?」

 

 

失言しそうになる名犬ポチの口を咄嗟に抑えるカッツェ。

そのまま後ろのほうに名犬ポチを引きずっていき小声で会話を始める。

 

 

「お前余計なこと言うな! なんか知らんがNPCはユグドラシル時代と違って転移してきてから自我を持つようになってんだよ!」

 

「ど、どういうことだってばよ!?」

 

「俺にもわかんねぇよ! でも自分がゲームの中で作られたプログラムだっつう自覚は無いみたいなんだ。そこらへん掘り返すと面倒臭いから放っておけ」

 

「??? 余計わかんねぇ!」

 

「わかんねぇなら尚更だ! とりあえずNPCは基本的には創造されたギルドのプレイヤーの言う事は聞いてくれる筈だからお前は上手い事取り繕え!」

 

「わ、わかった!」

 

 

コソコソと密談する二匹にアルベドから声がかかる。

 

 

「どうかなさいましたか名犬ポチ様?」

 

「あ、い、いやなんでもねぇ。なんでもねぇよ?」

 

 

取り繕おうとしてアタフタしてる名犬ポチを見かねたのか、横にいたカッツェが鋭い視線をアルベドに向け質問をする。

 

 

「先に聞きたい、ガルガンチュアはなぜ名犬ポチを攻撃していたんだ? アインズ・ウール・ゴウンに属する者なら名犬ポチに攻撃を仕掛けるのはおかしいだろ?」

 

 

その質問で周囲の温度が途端に下がったかのような感覚に襲われるカッツェ。

対するアルベドもいきなり核心を突いてくる質問にわずかに体が反応するがかろうじて動揺を隠すことには成功する。

 

 

「も、申し訳ありません! ガルガンチュアの起動実験をしていた際に途中で動き出してしまいまして…! 命令が不十分な状態で外に出てしまったのです! ま、まさか名犬ポチ様に攻撃を仕掛けることになろうとは…! 本当に申し訳ございません!」

 

 

すぐに膝をおり地面に頭を擦り付けようとするアルベド。

それを見た名犬ポチが咄嗟に止める。

 

 

「わ、いいっていいって! 土下座なんかしなくても! 事故ならしょうがねぇさ」

 

「おいポチ、ガルガンチュアのことはわからねぇがそんな誤動作みたいなことあり得るのか?」

 

「うーん、よくわかんねぇけどあるかも。ナザリック内でもるし★ふぁーさんていう人が変なギミック入れてたりしてたしなぁ。実際にナザリック内の風呂場にいるゴーレムにギルメンが襲われたりとか普通にあったぞ?」

 

「な、なんだそりゃ…。お前ら無茶苦茶だな…。なんで自分の拠点内で攻撃仕掛けられるんだよ…」

 

 

名犬ポチの言葉に軽く引いているカッツェ。

他のギルドの内情などはよく知らないのでそんなものかと思いつつもカッツェの中ではまだ何か腑に落ちないものがある。

このアルベドというNPCはアインズ・ウール・ゴウン所属であるとは分かった。

ギルド武器が破壊され、ギルドが崩壊した後のNPCのように暴走状態になっていないのも十分に見て取れる。

だから名犬ポチを攻撃する理由は無いはずだ。

ゴーレムの誤動作というのならその可能性も十分にあるのだろう。

だがなぜだろうか。

本能はこの女を危険だと叫んでいる。

理屈上は信用しても問題ないはずなのだが信用してはいけない気がする。

どうしたものかと考えているカッツェとは裏腹に名犬ポチはアルベドに食い入るように質問を始める。

 

 

「ア、アルベド。お前がここにいるってことはその…、ナザリックはあるんだよな? 俺以外に誰かギルメンが来てるんじゃないのか?」

 

 

縋るように問う名犬ポチ。

それは願いであり、祈りのようでもあった。

 

 

「……、はい。モモンガ様がナザリックにてお待ちしております…」

 

「モ、モモンガさんが!? モモンガさんも来ているのか!?」

 

 

恐らくこの世界に来てから一番の朗報であろう。

飛び上がらんばかりにはしゃぐ名犬ポチ。

アルベドは爆発しそうなのを必死に抑え、顔には笑みを貼りつかせながらコクリと頷く。

 

 

「俺一人じゃなかったんだな…! そ、そうかモモンガさんが…! モモンガさんも来ているのか…! ははっ、やったぞ…! モモンガさんがいるならもう安心だ…!」

 

 

無意識なのだろうが何が起きたのかと尋ねたくなる程、高速で尻尾を振り出す名犬ポチ。

 

 

(なんてわざとらしい奴…! こ、こんなくだらない挑発…! いえ、認めましょう名犬ポチ…! 貴様の挑発は確かにこれ以上ない一級品よ…! こ、ここまでイラつかせられるとは思っていなかったわ…! こんなにコケにされたのは初めてよ…! 覚えていなさい名犬ポチ…!)

 

 

途中で何度か攻撃を仕掛けらせそうな隙を見つけるものの、横にいるカッツェが上手に機を潰していく。

 

 

(ちっ、気になるわね…。ナザリックのシモベではないと思うが一体何者…? やりづらいわ…。このままではこの膠着状態を崩せそうにないわね…。もう少し誘導してみるか…)

 

 

「名犬ポチ様」

 

「なんだアルベド?」

 

 

満面の笑みで答える名犬ポチ。

 

 

「どうか! どうかナザリックにおかえり下さい! 私はモモンガ様の命でずっと貴方様を探しておりました。モモンガ様もずっと心配しておいでです。どうかすぐに顔を出して安心させてあげて欲しいのです…」

 

「ああ…! ああ! もちろんだとも! すぐ行こうぜ!」

 

 

そう言ってトコトコとアルベドの方へ無防備に歩いていく名犬ポチ。

 

 

「ま、待てポチ! 気をつけろ!」

 

「気をつけろってカッツェ、何言ってるんだよ。こいつはアインズ・ウール・ゴウンのNPCだぜ? わざわざ俺を迎えにきてくれたんだ。それにモモンガさんがいるってわかった以上ナザリックに帰らねぇとな」

 

 

そう言う名犬ポチの背を見ながら未だ嫌な予感が拭えないカッツェ。

 

力づくで止めようかとも思ったが、あまりにも名犬ポチが嬉しそうな顔をしているものだから躊躇してしまった。

全部俺の思い違いなんじゃないのか? そう考える。

本当に裏も何も無く、このまま名犬ポチが無事に帰れるならそれにこしたことはないのだ。

自分の行動は名犬ポチの気持ちに泥を塗ることになるのではないか。

そう考えて対応が遅れてしまった。

このことをカッツェは後悔することとなる。

 

ふと後ろにいたクレマンティーヌとかいう女のことを思い出す。

名犬ポチを慕っていたようだがそういえばずっと静かだなと不思議に思って。

 

そして後ろを見た瞬間、カッツェは自分の直感が正しかったと思い知る。

 

 

「あ…、あ…」

 

 

そのクレマンティーヌが言葉も出せない程に怯えてこちらを凝視していたのだ。

いや、正確にはアルベドとかいう女のことを見て、だ。

そしてこのクレマンティーヌが少し前に名犬ポチに言っていた言葉を思い出す。

自分はその時ガルガンチュアの相手をしていた為にちゃんと聞こえていたわけではないがどこぞの女に仲間を殺されたとか言っていた気がする。

女。

そして今クレマンティーヌはアルベドを見て声も出せないほど必要以上に怯えている。

 

やはりあの女、何かある。

 

もう一度アルベドと出会ってから得た情報を洗いなおす。

そもそも一緒に連れているスケルトンは何なんだ?

シモベの一匹なのだとしても低レベルすぎる。

一桁ほどのレベルしかないように見受けられる。

そんな奴を連れまわしてどうする気なのか。

そして次に気になったのは。

 

 

『見覚えのないマント羽織ってるから気づくの遅れちゃったじゃん!』

 

 

名犬ポチがアルベドに言い放った言葉だ。

NPCでも複数の装備を持たせることはよくあるが見覚えのないマント、というのが気になる。

自分のとこのNPCの装備を忘れるはずが無い、名犬ポチが覚えていないだけということもあるが…。

加えて言うなら特殊効果もないただの低級のマントに思える。

未知の世界に来てわざわざそんな装備を身に付けるようなことをするか?

そんな物を装備する意味がわからない。

あのゴーレムを連れている時点で戦力を隠すなどという意図ではないだろう。

例えば着ている装備を隠すような意図でもない限り…。

 

待て、隠す? なぜ?

 

瞬時に自分の体温が下がるのを感じたカッツェ。

咄嗟に名犬ポチへと叫ぶ。

 

 

「ま、待て! 行くなポチ! やはり何かおかしい! すぐに戻…」

 

 

カッツェがそう言いかけた瞬間、アルベドが勢いよく振り向く。

まるで名犬ポチとカッツェの距離が離れるのを見計らっていたかのように。

その際、纏っていたマントが宙に舞いアルベドの着ている服が白日の元に晒される。

 

 

「なっ……!」

 

 

言葉が出ないカッツェ。

想像だにしない出来事に思考が止まり、冷や汗が大量に流れ出る。

それはまずい。

どんな理由にせよ、それがあるという事実だけで震えが走る。

 

 

傾城傾国。

 

 

対象者を強制的に洗脳する凶悪な世界級(ワールド)アイテムだ。

だがそれだけで終わりでは無かった。

本当に恐れるべきは手に握っている一本の槍。

時が止まったかと思った。

恐らくプレイヤーなら一番見たくないアイテムと言っても過言ではないだろう。

 

ユグドラシルでも最悪と称すに相応しいアイテムの一つ。

発動者と対象者の二者をロストさせるという悪夢のような効果を持つ。

 

 

「ロ、ロンギヌスッ…!?」

 

 

それを握っているアルベドの顔がぐにゃりと欲望に塗れた醜い表情へと歪む。

そしてアルベドは手に持っていたロンギヌスを横にいるスケルトンへと投げ渡す。

 

それが何を意味するか瞬時に理解したカッツェ。

 

 

(マントは傾城傾国を隠す為…! そしてロンギヌスはその傾城傾国で洗脳したスケルトンに使わせるためかっ…!)

 

 

なぜアルベドは自身の持つ世界級(ワールド)アイテムをこの瞬間まで隠していたのか。

決まっている。

 

名犬ポチに使う気だからだ。

 

 

「逃げろポチーッ!」

 

「え?」

 

 

未だに事態を把握していない名犬ポチ。

そんな名犬ポチを助けようとカッツェが走り寄ろうとするが。

 

 

「ガルガンチュアッ! その黒猫を潰しなさいっ!」

 

「グオオ!」

 

 

ガルガンチュアの拳がカッツェへと繰り出される。

ダメージこそないものの、攻撃を当てられ形が崩れる為にカッツェは助けにいくことができない。

 

 

「く、くそがっ…!」

 

 

突然のことに何が起きたのかわからず慌てる名犬ポチ。

 

 

「な、なんだ、何をしてるんだアルベド…?」

 

「こういうことです…!」

 

 

クツクツと肩を揺らしながら名犬ポチを嘲笑うかのようにアルベドが腕を突き出し命令する。

 

 

「ロンギヌスを放ちなさいッ! 対象は名犬ポチッ!」

 

「ッ!?」

 

 

その時になってやっと名犬ポチも事態を把握する。

どうしてこうなったかわからないが何が起きたかはわかる。

 

アルベドの命令を受け、恐らく傾城傾国の支配下にあるスケルトンが手に持ったロンギヌスを自分に向け発動させようとしている。

 

ロンギヌスが眩しく光ると同時に、反射的に地面を蹴り必死に逃げ出す名犬ポチ。

 

 

「あははは! 無駄よ! 無様ね、名犬ポチ! でももう逃げられない! お前もこちらの隙を伺おうとしていたのでしょうけどこちらが世界級(ワールド)アイテムを持っていることまでは計算に入っていなかったようねっ! 背を見せるなんてなんて愚か! 私には一瞬だけあればよかった! 確実にロンギヌスを発動できる一瞬だけで!」

 

 

アルベドの声などもはや名犬ポチの耳には入っていない。

今までの名犬ポチとは思えない程、素晴らしい速度で疾走する名犬ポチ。

間違いなく過去最高のレコードを叩きだすほどのスピード。

だが一度発動したロンギヌスから逃げる事は不可能。

 

光の矢となったロンギヌスが逃げる名犬ポチの体を後ろからいとも簡単に突き刺す。

そしてロンギヌスを放ったスケルトンは瞬く間に消滅した。

 

 

「あがっ…!」

 

 

体勢が崩れ、走っていた勢いのままゴロゴロと地面を転がっていく。

やがて勢いがなくなるとそのままコトリと地面に倒れる。

 

 

「う、嘘だ…! ポ、ポチーッ! ポチィィ!!」

 

 

遠くでカッツェが叫ぶが名犬ポチに答える余裕はない。

 

 

「かはっ…! はっ、はっ…」

 

 

光となったロンギヌスが名犬ポチの中に徐々に入り込んでいく。

それと同時に、名犬ポチの体が薄れ末端から消失していく。

 

 

「アハハハハハハハハ! やった! やったわ! 名犬ポチをやった! 勝った…! 私は勝ったんだ…! アッハハッハッハハハハッハハハ!!! これでもう邪魔する者はいない…! あの御方は…! モモンガ様は私だけのものだぁぁぁああ! やはり至高の41人などくだらない…! モモンガ様こそ至高! モモンガ様こそ絶対! アハハハ!」

 

 

狂ったようにアルベドが嗤う。

 

アルベドとて名犬ポチ及びカッツェと正面から戦えばマズイという予感はあった。

ロンギヌスが回避されるとは思わないが何か予想の付かないことをしでかすかもしれないし、最悪の場合相打ちにまで持っていかれてしまうかもしれない。

自分には一撃必殺の武器があるのだからまともに戦うなどバカらしい。

隙を突くのが一番。

だからこそあんな下らない茶番をしてまで名犬ポチの油断を誘ったのだ。

名犬ポチとてその程度お見通しではあろうがアルベドとしては邪魔が入らずロンギヌスを発動できる時間さえ作れれば良かった。

そしてアルベドは見事にその千載一遇のチャンスを逃さずモノにしたのだ。

流石の名犬ポチとはいえ、傾城傾国にロンギヌスまでは予想できなかったに違いない。

賭けに勝った。

そう確信するアルベド。

 

 

「う…、ぐ…」

 

「無様無様無様ァ! お前を慕ってたあの人間共と同じようなクソみたいな最後だわ! くだらないお前にはお似合いの最後よ名犬ポチィ!」

 

 

ケタケタケタとアルベドの叫び声が響く。

 

 

「…し、慕ってた人間? ま、まさかニグン達を…やったのは…」

 

「ああ、それもわからなかったのね? あはは! なぁーんだ、至高の41人の1人と言っても大したことが無いのね…! やはり偉大なるはモモンガ様ただ一人! で、例の人間でしたか? ええ、そうです私です! 私が殺しました! 愚かな奴等でしたよ…? お前を売れば助けてあげるって言ったのに馬鹿みたいに最後までお前を信じていたのだから! 本当に愚かで笑えてくる!」

 

「……!」

 

「命を賭してまで信じていた肝心の名犬ポチはここで無様に地に伏しているというのに! お前など信じる価値など欠片もないただのゴミだと分からなかったのね…。まぁでもしょうがないわ、お前同様人間も救いようのない程愚かな生き物なのだから…」

 

 

なぜだろう。

多少の情こそあれど、別にニグン達など使い捨ての手駒である。

もちろん所有物を失った怒りはある。

だがこの時になって名犬ポチはそれ以外の感情を感じていた。

 

 

「ニ、ニグン…! クアイ…エッセ…! ブリタ…! なんで…!」

 

 

名犬ポチの瞳からほんのわずかだが涙が零れる。

だがそれ以上に大きな疑問が頭をよぎる。

アルベドが自分を騙そうとしていたのならどこまでが本当でどこまでが嘘なのか。

 

 

「モ、モモンガさんは…、モモンガさんがこの世界に来ているというのは…本当なのか? モモンガさんは…」

 

「黙れこのクソがぁぁ! 偉大なるモモンガ様の名を貴様風情が口にするな汚らわしい!」

 

「がっ…! ぐ…!」

 

 

もはや身動きも取れず、体の半分以上が消失した名犬ポチを怒りのまま踏みつけるアルベド。

 

 

「ふーっ、ふーっ…。いけないいけない、ついつい熱くなってしまったわ…。もう少しで殺してしまうところだった…。せっかくですもの、無様な名犬ポチの姿を最後まで見届けないともったいないものね」

 

「……っ」

 

 

かろうじて残っている名犬ポチの意識。

だがそれも次第に薄れていく。

自分でも分かる。

それは死でなく、もっと恐ろしい別の感覚。

怖くも無ければ気持ちよくもない。

 

ただただ無に飲み込まれていく。

 

身体どころか魂も何もかもが無くなる。

 

名犬ポチという存在が徐々に消えていく。

 

やがて名犬の体は跡形も無く消えた。

 

流れ出た血や涙すらどこにも残っていない。

 

 

実は名犬ポチがロンギヌスを回避できるようなスキルを持っていたなどという都合の良いことはない。

実は対策をしており偽装して誤魔化していることもない。

 

 

正真正銘。

 

名犬ポチは消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

狂ったように笑い続けるアルベドを見ながらカッツェは立ち尽くしていた。

 

名犬ポチの消失。

 

それはカッツェの心を折るには十分だった。

 

いくら名犬ポチに恐るべき切り札があろうとそれを切る前にやられては意味がない。

まさかロンギヌスがあるなどとは想定していなかった。

 

 

「……う、嘘だ…、ポチ…、なんで…」

 

 

自分がちゃんと名犬ポチを止めていたらこんなことにはならなかったのではないか。

ちゃんと自分の勘に従って行動していれば…。

だが全ては後の祭りだ。

もう取返しはつかない。

 

 

「ああ…、ちくしょう…、なんでだ…? なんで俺が関わった奴は皆こうなっちまうんだ…? 俺は…、俺はただ皆仲良く…、生きていければって…、笑えればって…、それだけなのに…なんで…」

 

 

かつてこの世界に来て多くの者を助けるために国を作った。

でも最後には何も残らなかった。

何もかも自分の掌から零れ落ちていく。

今回もそうなった。

名犬ポチとまた会えて…、嬉しかったのに…、それも全部消え去った。

もう名犬ポチはいない。

今の俺はなんのために存在しているんだ。

自問自答するカッツェ。

 

 

絶望に打ちひしがれ、膝を付き空を見上げる。

 

 

何も見えない。

今のカッツェには何も見えない。

いや、見えてももう反応する気も起きなかった。

だからアルベドがすぐ側まで近づいてきてもピクリとも反応しない。

 

 

「ふん…、諦めたか…。ま、下等生物には相応しい姿ね」

 

 

トドメを刺そうとカッツェの前に立つアルベド。

名犬ポチは排除したとはいえ残っている危険分子を放っておくつもりはない。

 

 

「すぐに後を追わせてあげるわ…」

 

 

そうしてアルベドが手を下そうとした瞬間。

 

 

「くーん!」

 

 

獣王が間に入りアルベドの足に必死で噛みつく。

 

 

「邪魔だ、ゴミが…!」

 

「きゃん!」

 

 

軽く足を振り払うアルベド。

それだけで獣王は血を吐き吹き飛んだ。

その時、獣王が持っていた荷物が飛び散る。

名犬ポチの為に作っていた弁当や水筒、及びそれを入れていた風呂敷などだ。

 

その風呂敷が宙に舞い、カッツェの前を流れていく。

 

ふと視界に入った風呂敷を見てカッツェの意識が覚醒する。

なぜならそれは…。

 

 

「…! ネコさま大王国のギルドの紋章…!?」

 

 

それを手に取りまじまじと見つめる。

間違いない。

正真正銘、本物のギルドの紋章が描かれた旗だ。

なぜそれがここに、と驚愕する。

そう思うと同時にギルドが滅ぼされた時の事を思い出す。

 

また諦めるのか。

あの時みたいに。

 

磔にされて殺された時、諦めなければ違う未来があったのだろうか?

悪あがきでもスキルを発動し行動を起こしていれば何か変わっていたのだろうか?

わからない。

今となっては何もわからない。

だが。

 

 

「例え無駄だとしても…、今度は最後まで抗ってみるか…!」

 

 

カッツェの目に光が宿る。

そこへ魔法属性の乗ったアルベドの攻撃がカッツェを襲う。

 

 

「《サブスティテュートキャット/猫被り》!」

 

「っ!?」

 

 

身体を切り裂いたはずがそこにあったのは実物と錯覚するほどの残像。

 

 

「くっ!? こ、姑息な真似を…!」

 

 

そんなアルベドへ後ろから声がかかる。

 

 

「仕切り直しだ女、今度は好きにさせねーぞ」

 

「黙れ…、下等生物が…!」

 

「ははっ、覚悟しとけよ? 今からお前はその下等生物に足を掬われるんだからよ」

 

「ほざけぇっ!」

 

「正面からとは芸が無ぇな!《キャットトリック/猫騙し》!」

 

「なんだっ…!?」

 

 

アルベドの眼前で両手の肉球を合わせ魔法を発動するカッツェ。

一瞬にして五感が失われ無防備になるアルベド。

その隙に獣王へと駆け寄り回復するカッツェ。

 

すぐに五感を取り戻したアルベドがカッツェを忌々し気に睨みつける。

 

だがそんなことなどお構いなしとばかりに獣王を抱えて逃げ出すカッツェ。

 

 

「なっ!?」

 

「はは! 仕切り直しとは言ったが戦うなんて言ってねぇからな! 《キャットブースト/猫足》!」

 

 

唱えた魔法でカッツェの移動速度がハネ上がる。

クレマンティーヌの元まで行き、同様の魔法をかける。

 

 

「お前は担げねぇから自力で走れ!」

 

「は、はひぃ!」

 

「お、追え! ガルガンチュア!」

 

 

ガルガンチュアに命令を出し、自らもカッツェを追うアルベド。

 

アルベドとガルガンチュアが追ってくるのを確認しながらカッツェは哂う。

 

 

(待ってろポチ、必ずお前を取り戻す…! 何があろうとやってやるさ! だって…)

 

 

腹をくくるカッツェ。

 

 

大丈夫だと必死に自分に言い聞かせる。

 

 

その目は希望に満ちていた。

 

 

(お前から預かったこれがあるんだからよ…!)

 

 

なぜならまだ起死回生の一手はあるからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

コキュートスが出撃した少し後。

 

 

ナザリック地下大墳墓。

玉座の間。

 

 

「そろそろ」

 

 

ポツリとシズが呟く。

 

 

「ん? どうしたっすかシーちゃん」

 

 

そう尋ねるルプスレギナの言葉に答えず、シズはその手に持つ銃をいじり出す。

 

 

「モモンガ様の前よ、やめなさいシズ」

 

 

長女であるユリもたまらず注意する。

だがシズはそれに答えず自身の持つ銃に弾を込め始める。

 

セバスだけがシズの真意に気付いていた。

 

 

「ちょ、ちょっとマズイっすよシーちゃん、ユリ姉怒ってるっすよぉ~」

 

 

シズを止めようと近寄るルプスレギナ。

だがその手が触れる前に顔を上げるシズ、そして。

 

 

「皆、ごめんね」

 

 

そう言ってスカートを捲り上げるシズ。

するとその中から催涙弾がバラバラとまかれ、地面に落ちると同時に大量の催涙ガスを噴射した。

即座にナーベラル、ソリュシャン、エントマは回避するが至近距離にいたルプスレギナのみ回避できずにまともに喰らう。

 

 

 

「ぐうわぁああっす!」

 

 

催涙ガスをまともに喰らい目と鼻が潰れるルプスレギナ。

即座にその首へ注射針のような物を刺すシズ。

 

 

「うっ…」

 

 

意識を失いルプスレギナが倒れる。

 

 

「シ、シズ! い、一体何を…!?」

 

 

突然のことに困惑するソリュシャンへ向け銃を撃つ。

 

 

「ぐ…!」

 

 

空中に飛んでいた為、回避できずにその弾を体に受けるソリュシャン。

対スライム用の麻酔が入っており行動不能に陥る。

 

 

「セバス様、ユリ姉さんをお願い」

 

「承知」

 

 

シズの言葉に応じてセバスが催涙ガスをかき分けユリへと迫る。

 

 

「セ、セバス様まで、なぜ!? うぐっ…!」

 

 

セバスの一撃が鳩尾に入り吹き飛ぶユリ。

 

シズの前にはエントマが立ちはだかる。

 

 

「や、やめよぉよぉ、どうしちゃったのぉ…!」

 

 

シズへと声をかけるが返ってきたのは銃弾。

だがエントマの操る蟲達が盾になり銃弾を弾く。

 

 

「効かないよぉ」

 

 

だが盾になった蟲達へと別のガスを吹きかける。

 

 

「わ、わぁぁ!」

 

 

そのガスを浴びた蟲達が体勢を維持できなくなりボトボトと地面に落ちる。

隙間を縫いエントマ本体へと銃口を突き立てる。

まともに被弾したエントマがその場に崩れ落ちた。

 

それと同時に空中にいるナーベラルへと飛ぶシズ。

 

 

「いくら貴方でもここまでやっては見逃せないわ…! 《チェイン・ドラゴン・ライトニング/連鎖する龍雷》!」

 

 

向かってくるシズへとナーベラルの魔法が放たれる。

さすがにこれは回避できずにまともに被弾し下半身が吹き飛ぶシズ。

だが上半身だけでナーベラルにしがみ付くとその首へと針を刺す。

 

それが合図だったかのようにナーベラルの体から力が抜け地面へと落ちる。

 

かくしてプレアデス全員が地に伏すことになった。

 

 

「シ、シズ!」

 

 

下半身が吹き飛んだシズへとセバスが駆け寄る。

 

 

「大丈夫」

 

 

いつものポーカーフェイスのままムクリと起き上がるシズ。

 

 

「だ、大丈夫なのですか?」

 

「動力はやられていない。下半身はスペアがあるから交換すれば大丈夫」

 

「そ、そうですか…」

 

 

何とも言えないような顔でシズを見つめるセバス。

だが周囲に倒れるプレアデスの面々を見てセバスは申し訳なさそうにうつむく。

 

 

「セバス様、しょうがない。説明しても信じてもらえなかった。こうするのが最善。それに皆麻酔で眠らせてるだけ。ユリ姉さんは?」

 

「気絶だけで済ませていますよ」

 

「そう良かった。ユリ姉さんだけは私の麻酔効かないからセバス様がいなければここは突破できなかった」

 

「しかしやるものですね、同格4人を相手どって全員戦闘不能にするなど普通であれば考えられません」

 

「皆とは方向性が違う。まともに戦えば私が一番弱い。でも不意を突き弱点を突けばそう難しくない。それに狙撃できる場合ならば敵が数段格上でも倒せる」

 

「なるほど…。今後何かあっても貴方とは敵対しないようにしましょう。しかし…」

 

 

冗談混じりに深いため息を吐くセバス。

 

 

「本当にこれで良かったのでしょうか? ナザリックに属する仲間に手を出してまで…」

 

「こうしなければ動けなかった。説得しようとしても聞き入れてもらえず騒ぎになるのは必然。かといってセバス様が単身で抜け出せばここはどうにかなってもアルベド様に連絡がいく」

 

「ふむ…、しかし貴方ならどうにかできると…?」

 

 

セバスの問いにシズが自分の頭をトントンと指で叩く。

 

 

「ナザリックのギミックは全てここに入っている」

 

「なるほど…。で、これからの予定は?」

 

「クーデター」

 

「な…!」

 

 

シズの言葉に絶句するセバス。

 

 

「もちろん至高の御方に対してじゃない、アルベド様。あの人が不在の内に私がナザリックの全権を掌握する」

 

「で、できるのですか?」

 

「少々血生臭くはなるけど。あぁセバス様は別で動いて大丈夫。後は私だけでなんとかする」

 

「な、なんとかとはいっても…。ナザリック内にはアルベドの息がかかっている者達もいるでしょうし命令のみで動かせるゴーレム等は全て指揮化においているはずですから貴方一人では…」

 

「うん、一人なら無理」

 

「で、では…」

 

「大丈夫、頼れる人を知ってる。だからナザリックは私に任せて」

 

「シズ…」

 

「デミウルゴス様とてこのままではジリ貧…。いくらナザリックを制圧しても味方が減るのは厳しい」

 

「ふむ。やはりデミウルゴスは裏切っていないのですね…?」

 

「あれ? 気付いてたわけじゃないの?」

 

「ええ、勘ですよ。もちろんそこに至る理由はありましたがね。ルベドがいなくなった時、アルベドはここにマスターソースを確認しに来ましたよね? 詳しいことは分かりませんがあれでルベドが反旗を翻したかどうか確認しているようでした。ならなぜデミウルゴスが裏切った時は確認しなかったのでしょうか? 色々とゴタゴタはあったようですがそれでも確認をしないというのは少し腑に落ちない。いくら疑わしくとも確認できる方法があるのなら確認するのが普通ではありませんか? そこでおかしいと思ったのです」

 

「鋭い」

 

 

関心したようにシズが拍手をする。

 

 

「まぁ肝心のマスターソースの見方がわからないのでそれ以上はわかりませんがね…」

 

「補足すると敵対状態になったNPCは色が変わる。そしてアルベド様がルベドを見る為に開いた時にチラリと見えたデミウルゴス様の色は変わっていなかった。それだけで十分」

 

 

そうルベドがいなくなった時、冷静さを失っていたアルベドはここにセバス達がいるにも関わらずマスターソースを開いてしまったのだ。

マスターソースは空中にウィンドウが出現し表示されるので反対側から透けて見える。

 

それをシズは見ていた。

 

 

「なるほど…、勉強になります」

 

「えへん」

 

「ではシズ、私はもう行きます。早くしないとあの悪魔がやられてしまうかもしれませんからね」

 

 

そうして襟を正し出て行こうとするセバス。

だがシズがそれを止める。

 

 

「待ってセバス様」

 

「どうしました?」

 

「動けない。下半身を交換するの手伝って」

 

「……」

 

 

最後がどうにも締まらないシズであった。




次回『鬼軍曹シズ』もう一人の自動人形が動く。


戦闘が始まるかと期待していた方すみません。
二匹の活躍は今後にご期待下さい、今しばらく辛抱を…。

そしてアルベド、エンジンフルスロットル。
正直皆さんの反応が怖くて少し股間を濡らしている作者…。
明日はどっちだ!?


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鬼軍曹シズ

前回までのあらすじ!



刺さってはいけないモノがぶっ刺さる名犬ポチ!
そして動き出すシズ!


ドッドッドというエンジン音と共にキュルキュルキュルと金属が擦れ回る高い音を奏でながらシズ・デルタが進む。

シズの下半身は彼女が姉妹達と戦闘行為を行った際にナーベラルによって吹き飛ばされた。

そして今、シズは下半身パーツの予備であるキャタピラを装着しているのである。

通称、シズタンク。

 

 

「どう、セバス様? カッコイイでしょ」

 

「え、ええ…。悪くないとは思いますが…」

 

 

なんとも歯切れの悪い返答をするセバス。

これを準備していたのは恐らく至高の御方々である為、それに何かを思った自分が間違っているのだと考える。

これはシズが言う通りカッコイイものなのだろうと認識を改める。

 

 

「本当は腕にドリルやガトリングを仕込んだり、肩にカッターを付けたり、頭からビームが出せるようにしたいけど時間が無いから仕方ない、これで我慢する」

 

「……」

 

 

もはやシズが何を言っているか理解できないのでセバスは考えるのをやめた。

 

 

「じゃあセバス様、ナザリックのことは任せて」

 

「本当に貴方だけで良いのですか? 私も何か…」

 

「有難いけど遠慮しておく。恐らく外も予断を許さない状況になっている可能性は高い。セバス様は一刻も早く外に行ってデミウルゴス様と合流すべき」

 

「そう…、ですね。わかりました。ここはお言葉に甘えるとしましょう」

 

「とはいえ」

 

「?」

 

「セバス様が外に出る過程でアルベド様の息がかかっているシモベやゴーレム等がいたら破壊しながら行ってくれると嬉しい」

 

 

シズの言葉にセバスが微笑む。

 

 

「ええ、もちろんですとも。そのくらいはしますよ。そもそも出て行こうとした場合その者らとは敵対する可能性も高いですからね。可能な限り数を減らしてから出ていくとしましょう」

 

 

そう言ってセバスが駆けていく。

残ったシズは振り返り、動けないよう縛った姉妹達へと近づく。

そして気絶しているユリの懐から一つのアイテムを取る。

 

 

「ユリ姉、ごめんね」

 

 

本人には聞こえてはいないがそう断ると、副官という地位に立つユリしか持っていないそのアイテムを起動させる。

 

 

「てすてす」

 

『その御声はシズ姉様? どうされたのですか?』

 

 

優しげで大人しげな声が響く。

 

 

「オーちゃん、ごめん。力を貸して」

 

 

そうしてシズは末妹に連絡を取る。

 

 

『もちろん協力できることがあればして差し上げたいのですが何でしょう? あまりお役目以外のことになると難しいですが…。それになぜシズ姉様が私に連絡を? ユリ姉様は?』

 

 

末妹の問いにどう答えるか悩むシズだが嘘をつくわけにもいかない。

今後協力を仰ぐにあたって嘘が露呈した場合、確実に不利に働くからだ。

ここは正直に答える他ない。

 

 

「ユリ姉は気絶している。今はそのユリ姉からアイテムを拝借して連絡を取ってる」

 

『気絶…? 何があったのですか? 侵入者…? いや、でも転移門に怪しい者は引っかかっては…』

 

「私がやった」

 

 

厳密にはセバスだがここに関してはこの方が早いし広義で言えばこの答えでも嘘にはならないと判断する。

 

 

『シ、シズ姉様が…? な、なぜですか…?』

 

 

明らかに狼狽した様子で問う末妹。

それにもシズは正直に答える。

 

 

「アルベド様がいないうちに私がナザリックにおけるアルベド様の全権を奪う。その為の障害となると判断したから」

 

『な…!』

 

 

ただ単純に驚愕する末妹。

普通に考えればそれは反逆以外の何者でもないからだ。

 

しかし末妹とて話も聞かず判断はできない。

シズが何を望んでいるのかは聞く必要がある。

場合によっては自分が粛清しに出ていくことになるかもしれないが。

 

 

『シ、シズ姉様、どうしてそのようなことを…?』

 

 

緊張感を孕んだ声で末妹が尋ねる。

 

 

「アルベド様が反旗を翻している可能性が高い。アルベド様を止めるにはあの方がナザリックを出ている間にナザリックを掌握する必要がある」

 

『…!』

 

 

衝撃を受けずにはいられない。

だがもちろんその言葉だけではいそうですかと信じられることでもない。

 

 

『…根拠は?』

 

「正直に言うと乏しいと言わざるを得ない。だから断言をすることもできない。でも今わかっていることはアルベド様はデミウルゴス様の裏切りをでっちあげ、ルベドを動かした」

 

『裏切ったのはデミウルゴス様と聞いていますが? それにあの方はナザリック内に攻撃を仕掛けてきたのでしょう?』

 

「肯定。しかしアルベド様からの追撃を防ぐためと考えれば納得できる」

 

 

末妹から言わせればここに関してはどう考えても怪しいのはデミウルゴスである。

そのデミウルゴスを討伐するためにアルベドが動いたということも納得できる。

だが、その逆であると言われても言葉だけでは信じられない。

 

 

『それにルベドを動かしたのはモモンガ様の命令ではないのですか?』

 

「もしかしてオーちゃんはそう聞いているの? モモンガ様はそのような命令をアルベド様に出してはいない」

 

『そ、そんな…! そ、そうですわ、モ、モモンガ様、モモンガ様は何と…?』

 

 

シズはずっと玉座の間にいた為、どこまでモモンガのことがナザリック内に伝わっているか把握していなかった。

だがこれで一つ分かったことがある。

少なくともアルベドは末妹にモモンガの現状を伝えていない。

これはシズの中でアルベドへの疑いをより強めるには十分であった。

 

 

「今、モモンガ様は御休みになってる。正確には、もう何日も目を覚まされていない」

 

『……っ!? な、なぜ…? モ、モモンガ様の身に一体何が…?』

 

「不明。ところでオーちゃんはアルベド様から何も聞いていないの? 何か頼まれた事は?」

 

『う、裏切りの疑いがあるデミウルゴス様の階層を封鎖するようにと命じられただけです…。そ、それにル、ルベドを起動したのはモモンガ様の命だと聞いて…』

 

「それは嘘。セバス様もプレアデスの皆もアルベド様がルベドを起動したことそのものには大して疑問を抱いていなかったけれどルベドは本来、至高の御方の許可無しに起動していいものじゃない」

 

『ど、どういうことですか?』

 

「ルベドは危険すぎる。ナザリックのギミック及びそれに関連する全てが頭に入っている私にはルベドを起動することの危険性が十二分に分かる」

 

 

一呼吸おいてシズが続ける。

 

 

「一歩間違えればナザリックが滅ぶ」

 

『…っ!? そ、そんなことが…! いくらなんでも…!』

 

「ルベドに勝てるのは八階層に配置したあれらを、世界級(ワールド)アイテム併用で使った場合のみ。そしてそれが出来る肝心のモモンガ様は今動けない」

 

『…!!!』

 

「だからルベドが敵対したら大変なことになる。もしアルベド様がナザリックに仇なすつもりでルベドを動かしたのなら最悪の可能性を想定しなければならない」

 

 

シズから告げられる言葉に末妹は声を失うばかりだ。

そんなバカな、と思う心と、そうなった場合のことを考えた際の恐怖。

デミウルゴスの下りは判断がつかないがルベドは違う。

 

もし本当にシズの言う通りアルベドが無許可でルベドを起動したとなるとそれは大変なことである。

末妹自体はルベドの危険性を十分に認識しているわけではないが転移門を監視する関係上、創造主から様々なことを命じられているし聞かされている。

その一つが、至高の41人の命以外でルベドが動いた場合のことだ。

もしルベドに何らかの動き、例えば転移門を通る等の動きがあった場合には報告しなければならない義務がある。

もちろんその際は一時的に隔離部屋にルベドを送ることも含めて。

しかし今回はアルベドからモモンガの命令だと聞いていたのだ。

だから何も疑問には思わなかったし当然報告もしていない。

だがそうでなかったのならば?

 

 

『…す、少し確認させて下さい。私のシモベ、ウカノミタマを今すぐ玉座の間に送りモモンガ様に直接お目通りさせます。それでもしシズ姉様の言う通りならば…』

 

 

シズを信じるしかない。

 

 

「うん」

 

 

そして末妹は85レベルにもなるウカノミタマを玉座の間へと送る。

しばらくの時間が経ち、ウカノミタマが帰り報告をする。

 

 

『な、なんですって…! そ、そんな…!』

 

 

上がった報告に凍り付く末妹。

シズの言う通りモモンガは眠りについていたからだ。

それがいつからなのかという疑問はあるがこのことによりシズの言葉の信憑性がハネ上がる。

もし本当にアルベドがルベドを無許可で起動していたならば、桜花聖域の領域守護者として、また転移門の管理を担う者として見逃すことはできない。

でもだからといって。

 

 

『シ、シズ姉様…。仮にアルベド様が命令違反をしてたとしてもシズ姉様がナザリックの全権を握るというのは…』

 

「うん、自分に与えられている裁量を超える。平たく言えば私も命令違反になる」

 

『わ、分かっていらっしゃるのならばなぜ!? シ、シズ姉様とて許されません!』

 

 

今のシズの発言は命令違反をする、つまり至高の御方の命令に逆らうと宣言したようなものだ。

末妹とて大事な姉の一人であろうと聞き逃せる言葉ではない。

 

 

「知ってる。でもそうしなければ止められない。例え叱責され罰せられようと私はやる。何があろうと至高の御方を守り、至高の御方がおわすこのナザリックを守ることこそが我々シモベの役目。そうでしょ?」

 

『う、く…』

 

 

確かにその通りであると思う。

思うが末妹には未だ判断ができない。

 

 

「なぜアルベド様はルベドを起動したのだと思う?」

 

『…? う、裏切者であるデミウルゴス様を排除する為ではないのですか?』

 

「うん、それも考えられる。でもそれだけならば階層守護者を使えばいいし、何よりナザリック全軍をもって叩けばいい。ではなぜルベドなのか? ルベドでなければいけない理由があるとすれば何なのか? それを考えていくと一つの仮説が浮かび上がる」

 

『か、仮説…?』

 

「うん。とても恐ろしく信じがたい仮説」

 

 

シズ自身もそれを口にするのが恐ろしいのか黙り込む。

しばしの時間をおいて告げられた言葉に末妹は文字通り言葉を失う。

 

 

「…至高の御方の排除」

 

『‐‐‐!』

 

 

あまりに恐ろしく、また考えもつかない言葉に末妹の頭は混乱の極みに達する。

 

 

「理由の一つはルベドが至高の御方さえ戦闘力においては上回る為。そしてもう一つがルベドは起動した者の命令を受け付けるため彼女だけがゴーレム等と同様に至高の御方に対しても牙を向けられるということ。他のシモベでは戦闘力以前にそんなことができない。私の予想ではガルガンチュアなどもアルベド様の指揮下に入っていると考えている」

 

『そ、それはっ…!』

 

 

末妹は知っている。

ガルガンチュアも第4階層から移動していることは確認できている。

 

 

「そう、やはり」

 

 

末妹の反応からガルガンチュアも動いている事を察するシズ。

 

 

『し、しかし至高の御方は皆、姿を御隠しになったのでは…? は、排除するとしても一体どうやって…!?』

 

「これもいくつか仮説が成り立つ。まず私は名犬ポチ様は姿を御隠しになっていないと考える」

 

『…!』

 

「その理由があの御方は前にナザリックにお帰りになられた際にその足で直接外へ向かわれた。至高の御方達がリアルに向かわれる時は円卓の間からが多い。でも最後に戻られた名犬ポチ様だけは違う。だからこうも考えられる。名犬ポチ様は今現在この世界におり、アルベド様はモモンガ様が眠られているうちにその名犬ポチ様を排除するつもりなのでは、と」

 

 

末妹からひぃっという小さな悲鳴が聞こえた。

それが仮に真実でなくともそのような恐ろしい話を聞いただけで末妹は狂いそうになる。

ナザリックのシモベが至高の御方に歯向かうなどなんと恐れ多い。

シモベ達はお役に立つために存在しているのにそのようなこと許される筈がない。

もしそれが真実だとするなら。

 

 

『で、でも、な、なぜ名犬ポチ様を…?』

 

 

声を震わせながらシズへと問う末妹。

 

 

「はっきりとは分からない。でも私はモモンガ様が眠りにつかれた際にその場にいた。その私がただ一つ分かっていることはモモンガ様は最後に口にしたのは名犬ポチ様への嘆き。そして横にいたアルベド様がそれを聞いた瞬間に酷く心を乱したということだけ」

 

『…!』

 

「そのことでアルベド様が名犬ポチ様を恨んだとするならば私の仮説は少し真実味を帯びてくると思う」

 

『し、しかしだからといって…!』

 

「もちろん私のはあくまで仮説、それを完全に立証はできない。アルベド様の裏切りも憶測に過ぎないし、実際は本当にデミウルゴス様が裏切っているかもしれない。けれどアルベド様が無許可でルベドを動かしたのは事実。そしてこのまま放っておけば最悪が現実の物となる可能性がある。ならばシモベとしてそれを防ごうとうするのは当然のこと。極論を言うならば、私にとってはシモベの裏切りよりもルベドがコントロール不可になることのほうが重要性が高い。だからアルベド様を止めるというよりはルベドを止める為に動く。だからお願いオーちゃん、ナザリックの為に力を貸して」

 

『っ…! わ、私はっ…!』

 

 

末妹にはわからない。

至高の御方の命令に逆らうことになったとしてもシズに協力するべきなのか。

それともここで盲目的に命令を遵守するべきなのか。

 

 

『シ、シズ姉様…。あ、貴方は私に何をしろと仰るのですか…?』

 

 

聞かず仕舞いであったシズの要望を聞く末妹。

判断はそれからでも遅くないと考える。

 

 

「封鎖している第7階層の解除」

 

 

それは末妹がアルベドから命じられていたこと。

ここでシズの頼みを聞くということはアルベドと敵対するということでもある。

 

悩んだ末、末妹が下した決断は…。

 

 

 

 

 

 

第7階層「溶岩」。

 

突如として封鎖されていた転移門が起動する。

それに気づき、アルベドから第7階層の見張りを任されていた数名のシモベが反応する。

 

 

「なんだ…? なぜ転移門が…」

 

「アルベド様から何か連絡があったか?」

 

「い、いや来ていない。どういうことだ? 報告すべきか?」

 

「うむ、報告だけでもしておくべきだろう」

 

 

そうして数匹のシモベ達が話し合い、一匹がアルベドへ連絡を取ろうとする。

その瞬間。

 

 

「うっ!」

 

 

開いた転移門の先から破裂音と同時に何かが飛んできて連絡を取ろうとしたシモベの頭部を打ち抜く。

そのシモベはたった一発で絶命し崩れ落ちる。

 

 

「だ、誰だ!?」

 

「敵襲か!? 皆、構え…」

 

 

言い終わらぬうちにその場にいた数匹のシモベ達の頭に次々と風穴が空いていく。

あっという間にアルベドが配置したシモベ達は死体となって転がった。

 

彼等が倒れた後、転移門からスナイパーライフルを構えたシズがキャタピラを回しながら出てくる。

 

 

「ありがとうオーちゃん」

 

『協力するのはここまでです…。それにもし怪しいと思ったら即座に私がシズ姉様を拘束しますから…!』

 

 

そう言って末妹が通信を切る。

それと同時に転移門の向こう側で末妹によって展開されていた《遠隔視の鏡/ミラー・オブ・リモート・ビューイング》も消える。

シズは転移門の先からこちらを見て狙撃したのだ。

 

 

「ふむ、やはりヘッドショットを成功させれば格上でも十分に倒せる、か」

 

 

足元に転がるアルベドのシモベ達はいずれも80レベル越えの猛者達。

対するシズは46レベルと大幅に劣る。

このレベル差を覆すのを可能とするのはユグドラシルの大型アップデート「ヴァルキュリアの失墜」後に追加された強力な装備を持つ為である。

その中でもシズが主に装備しているのは重火器と呼ばれる武器種である。

破格の火力を誇るが、数々の制約があり必ずしも良いとは言えない。

武器の持ち替えには時間がかかる上、弾数という概念があり撃ち切った場合リロードを完了するまで何もできなくなる。

さらに防御面が疎かになりやすいなど戦闘面においてはかなりピーキーな性能と言わざるを得ない。

しかもいくら高火力とは言ってもプレイヤー戦においてはあまり役に立たない。

アイテムやスキルでいくらでも対策できる上、正面切って戦闘になった場合は格下にさえ遅れを取るのだ。

あくまでNPC、それも強力な装備や対策スキルを所持しない者達だったからこそ一方的にシズは屠ることができたのだ。

これが階層守護者となるといくら有利な状況であろうと話は変わってくる。

スナイパーライフルをしまうと第7階層を進んでいく。

周囲には何が起きたのかとシズに注目するデミウルゴスのシモベ達が集まってきている。

 

 

「これより訓練教官モードへ移行」

 

 

そうシズが呟くと同時に機械的な音と共にシズの目の色が切り替わる。

これはシズに内蔵されている機能の一部で機械的に特定の役職を再現できるというものである。

シズが大きなメガホンを取り出すとそのスイッチを入れる。

 

 

「私はシズ・デルタ軍曹である!」

 

 

メガホンを通じ大きな音となってそれは第7階層に響き渡る。

 

 

「シ、シズ様、い、一体どうされ…ぐぎゃあ!」

 

 

近くにいた一匹の悪魔がシズへと歩みより話しかけるが、いつの間にかシズが手に持っていたムチで激しく叩かれる。

 

 

「話しかけられた時以外は口を開くな! そして口でクソたれる前と後に“サー”と言え、分かったか! ウジ虫ども!」

 

 

突然のことに誰もが目を見開いている。

もちろん返事はどこからもない。

 

 

「返事はどうした! 返事もできんほど能無しか貴様らは!」

 

 

そうして先ほど叩いた悪魔へと追撃を放つシズ。

ムチで激しく叩かれながらも必死に声を上げて返事をする悪魔。

 

 

「は、はい! わかりました!」

 

「なんだその返事は!? “サー”を付けろと言ったのをもう忘れたのか!?」

 

「サー、す、すいません、サー!」

 

「ふざけるな! 大声だせ! タマ落としたか!」

 

「サー、は、はい、サー!」

 

「サー、イエス、サーだ! やり直せ!」

 

「サー! イエス、サー!」

 

「なんだそれは! 生娘みたいな声を上げやがって! お前はベッドで尻の穴でも掘られているのがお似合いだな!」

 

 

怒鳴られ半泣きになっている悪魔を一瞥すると周囲の悪魔を見渡すシズ。

 

 

「全員整列! 今すぐここに並べ!」

 

 

突然のシズの言葉に悪魔達が困惑した様子を見せるがシズはそれを許さない。

 

 

「早くしろ! このクズどもめっ! トロトロとするなっ! お前達は事態が分かっているのか!? 今はナザリックの命運を左右する深刻な事態なのだっ! 分かったらさっさと並べ!」

 

 

ナザリックの命運という言葉に反応し言われるがまま並ぶ悪魔達。

遠くの方で領域守護者である紅蓮が溶岩から出て並んだ方がいいのかそれとも本来の命令通りに溶岩内に潜んでいたほうがいいのか判断できず困惑しているがその様子が可愛らしいので放っておくことにするシズ。

 

 

「コホン、やっと並んだか…」

 

 

悪魔達の整列が終わると同時に深いため息をつくシズ。

 

 

「まったく、なんたるザマだ! 貴様らは最低のうじ虫だっ! ダニだっ! この宇宙で最も劣った生き物だっ!」

 

 

シズの叫びに悪魔達の中から殺気が放たれる。

どんな意図があるにせよ神よりも偉大である至高の御方々に創造された自分達が罵倒されたという事実が許せないのだ。

 

 

「ほう、随分と反抗的だなプライドだけは一丁前か。先に言っておこう。これから貴様らは厳しい私を嫌い憎むだろう。だが憎めばそれだけ学ぶ! 私は厳しいが公平だ! 種族差別はせん! 悪魔だろうが人間だろうがな! 私は贔屓せん! なぜかわかるか!?」

 

「「「サー! ノー、サー!」」」

 

「両者とも平等に価値がないからだ!」

 

 

言葉の真意は分からないが自分達が人間と同列に語られているという事実に悪魔達が怒りに支配される。

だがシズは気にせず続ける。

 

 

「私の使命は役立たずを刈り取ることだ! 愛するナザリックの害虫を! 分かったか、ウジ虫ども! 人間と同列に語られて悔しいか? だが今のお前らは奴等と同じだ! 唾棄すべき下等生物と変わらん! 違うとでも言いたそうな顔をしているな!? 自分達は至高の御方々に創造されたから偉いんでちゅとでも言うつもりか! 片腹痛い! 今のお前達をウルベルト様が見たらさぞや嘆くだろうな! なぜデミウルゴス様が貴様等を連れていかなかったかわかるか!?」

 

「「「サ、サー! ノー、サー!」」」

 

「それはお前達が役立たずだからだ! ケツを拭くチリ紙にも劣る愚物だからだ! どんなに鈍くさいお前達でも今このナザリックで何かが起こっていることは理解していただろう! 第7階層は封鎖され見張りにアルベド様のシモベが置かれていたのだからな!」

 

 

シズの言葉で悪魔達に動揺が走る。

その通りである。

突然、階層守護者であるデミウルゴスが側近達を連れ第7階層を去った。

次に来たのはアルベド。

デミウルゴスに謀反の疑いありとしてその配下である悪魔達を管理下に置くということだった。

 

 

「その言葉を丸々信じたのか!? デミウルゴス様が裏切者だと貴様等は本当に信じているのか!?」

 

 

誰もが首を横に振る。

同じ階層、同じ創造主に連なる者として彼らは誰よりもデミウルゴスを信頼している。

 

 

「ならばなぜ動かなかった!? なぜアルベド様の言いなりになって大人しくしていた!? 貴様らが従うべきはデミウルゴス様だろう! デミウルゴス様の為に、しいてはウルベルト様の為に!」

 

 

それは悪魔達も十分に承知している。

だがここにいる悪魔達は何が起こっているか正確に知るはずもなく、また判断できる材料も無い。

デミウルゴス不在の際に守護者統括であるアルベドが来たら従わざるをえない。

もちろんシズとてそんなことは分かり切っている。

だがこれは儀式なのだ。

彼等の人間性、いや悪魔性をグチャグチャにする為の。

理屈など通っていなくていい。

 

 

「貴様らが無能だからナザリックを危機に晒すことになるのだ! 貴様らが本当に至高の御方々に創造されたに相応しい存在ならばこんなことにはならないはずだ! 貴様等が無能だから! 貴様らが能無しだから創造されたウルベルト様の価値をも下げてしまっていると何故気付かん!? 今ここでウルベルト様の偉大さを証明するのは誰だ!? 誰がそれを示さなければならない! お前達だろうが! お前達が無能であればあるほどウルベルト様の権威が地に落ちるのだから…!」

 

 

次々と浴びせられる言葉に最初は怒りを覚えていた悪魔達だが次第にカタカタと震え始める。

自分達のせいで至高の御方々の偉大さが陰るなどあってはならないと思い、そして恐怖する。

自分達はそれほどに愚かだったのかと。

 

 

「…役に立ちたいか?」

 

 

低いトーンでシズが尋ねる。

それは今の悪魔達にとって救いのような一声。

 

 

「ナザリックを守り! そしてウルベルト様の偉大さを証明したいのかと聞いている! どうなんだ!」

 

「「「サー! イエス、サー!」」」

 

 

今までよりも力強い声が悪魔達から上がる。

 

 

「よろしい…。ならば私が貴様らを立派なナザリックのシモベに育て上げてやる…! だが私は貴様らを憎み軽蔑している! 私の仕事は貴様らの中からフニャチン野郎を見つけ出し切り捨てる事だ! 頭が死ぬほどファックするまでシゴいてやる! ケツの穴でミルクを飲むようになるまでシゴき倒す! 包茎悪魔共が! じっくりかわいがってやるぞ! 泣いたり笑ったり出来なくしてやる! もし隠れてマスでもかいてみろ、クビ切り落としてクソを流し込む! カマを掘るだけ掘って、相手のマスかきを手伝う外交儀礼もないような奴も目玉えぐって頭ガイ骨でファックしてやるからな! 肝に銘じておけ!」

 

「「「サー! イエス、サー!」」」

「いい返事だ…! もし貴様ら雌豚どもが私の訓練に生き残れたならば…、各人が兵器となる! 至高の御方々に祈りを捧げる死の司祭だ! その日まではウジ虫だ! この世界で最下等の生命体だ ! 貴様らは悪魔ではない! 両生動物のクソをかき集めた値打ちしかない哀れな、おフェラ豚だ! 理解したか!?」

 

「「「サー! イエス、サー!」」」

 

「よろしい…さぁ始めるぞ、野郎共…!」

 

 

そしてシズによる地獄の訓練が始まった…。

ちなみにこの間ずっとシズは自動人形に相応しく無表情である。

 

 

 

 

 

 

一昼夜が過ぎた頃、シズの鬼のようなシゴきは終わりを告げた。

疲労困憊であろう悪魔達だがその眼光は鋭い。

皆、体の後ろで手を組みシズの前で少しも隊列を乱していない。

階層全ての悪魔達が並ぶ様は壮観ですらある。

そんな悪魔達を見て満足気にシズが宣言する。

 

 

「いまこの時をもって貴様らはウジ虫を卒業する! 貴様らは敬虔なナザリックのシモベだ!」

 

「「「サー! イエッサーッ!」」」

 

「さて……貴様らはこれから最大の試練と戦う。もちろん逃げ場はない。すべてを得るか、地獄に落ちるかの瀬戸際だ。どうだ、楽しいか!?」

 

「「「サー! イエッサーッ!」」」

 

「いい声だ。では……」

 

 

シズが大きく息を吸う。

そして今までとは比べ物にならないほど大きく声を張り上げる。

 

 

「野郎ども! 私たちの特技はなんだっ!?」

 

「「「殺害っ! 殺害っ! 殺害っ!」」」

 

「私達の目的はなんだっ!? 使命はっ!?」

 

「「「虐殺っ! 虐殺っ! 虐殺っ!」」」

 

「私たちはナザリックを愛しているか!? 至高の御方々に忠誠を誓っているかっ!? クソ野郎ども!!」

 

「「「ガンホー! ガンホー! ガンホー!」」」

 

「OK! 行くぞ! 殺戮ショーの始まりだ! ナザリックに仇なす全ての者に死を!」

 

「「「ウォォォオオオオ!!!」」」

 

 

悪魔達の雄叫びが第7階層に響く。

悪夢と呼ぶべき軍勢を手に入れたシズはアルベドの牙城を崩す為に動き出す。

だがまだ足りない。

手足は手に入れたが、個としての強大な戦力が必要だ。

ジョーカーとも呼ぶべき切り札が。

それがなければやがては押し負けるだろう。

しかしもうナザリックに末妹を除けば強者は残っていない。

 

だがシズは知っている。

ナザリックのギミックを把握する都合上、そこへ配置されている者も当然把握している。

シモベ達ですらほとんどが知り得ない存在。

 

ナザリックの最奥。

未だ手つかずの強者が一人。

そこへは通常の手段では行けない。

本来は至高の御方々しか行くことができない場所である。

だがシズは…。

 

 

 

 

 

 

カッツェ平野の片隅で倒れていたルベドの目に光が再び宿る。

 

ナノマシンによる自己修復を完了し、再起動を終えたルベド。

失った腕は戻っていないが体への損傷の大部分は修復されていた。

再び動けるようになったルベドは立ち上がる。

それと同時にハードディスクに記録されている今までの活動データの読み取りを開始する。

ルベドがアルベドによって起動された後の出来事が再び脳内で再生されるが、一部にデータに欠損が見られ、その記憶は継ぎ接ぎだらけだ。

やがて全ての記憶の再生を完了したルベドはその場に両膝から崩れ落ち、片手で顔を覆う。

 

 

「知らなかった…、知らなかったんだ…。だから私…」

 

 

最初にルベドが見たのはスレイン法国を滅ぼした時の記憶。

起動した後、アルベドから命じられ無感情に国を滅ぼした時のものだ。

最初に殺したのは髪の色が左右で分かれている少女。

その後は国の兵士達、屈強な男達、逃げ惑う人々、中には動けなくなった老人、子供を庇う親、あるいは動物達、そして逃げ遅れて泣き叫ぶ子供をも…。

 

全部殺した。

 

祈りも命乞いも何も関係なかった。

殺して、殺して、殺し尽くした。

何百人、何千人、いや何万人殺したのだろう。

今になってそれがルベドの心を苛む。

 

 

「アルシェ…、ごめん…、私知らなかったんだ…、人を殺しちゃいけないって…」

 

 

涙は流せないがルベドの中で何らかの感情が爆発する。

漏れ出る嗚咽を止めることができない。

 

 

「アルシェ…、ねぇ…、どこに行ったのアルシェ…。出て来てよ…、もしかして私が沢山殺したから怒ってるの…?」

 

 

力なく立ち上がると虚空を見つめるルベドがフラフラと歩きだす。

 

 

「もうしないから…、だから出て来てよアルシェ…」

 

 

もちろん返事など返って来ない。

ルベドは記憶の糸を辿るがアルシェに関する記憶が途中で黒く塗りつぶされているように読み取れない。

その後も多くの記憶が脳内で錯綜する。

自分を友達と呼んでくれたネム。

守ると約束したウレイリカとクーデリカ。

だがその記憶が行き着いた先は3人が自分を怯えた目で見つめる様子。

それがフラッシュバックすると同時に再び顔を手で覆うルベド。

 

 

「やめて…、そんな目で私を見ないで…! わ、私が殺したから…? 私が沢山殺したから皆そんな目で私を見るの…? 違うよ、もうそんな事しないよ、だから…」

 

 

いつの間にか3人の後ろにヘッケランやイミーナ、ロバーデイク、そして王都で出会った太ったドラゴンの姿が見え始める。

そんな彼等もまた同じような視線をルベドに向ける。

 

 

「うぅ…あぁぁ…、ごめんなさい…ごめんなさい…」

 

 

彼等の視線を遮るように必死で顔を手で覆い隠すルベド。

悲しみの中で感じるのは孤独。

皆自分から離れていく。

もういない。

友達もいない。

フォーサイトもいない。

アルシェが、いない。

誰もいない。

もう誰も自分に微笑んでくれない。

その事実に打ちひしがれルベドは立ち尽くす。

 

だがやがて自分の使命を思い出す。

 

 

「姉さん…、そうだ、私は姉さんの為に…」

 

 

ルベドに残った最後のよすが、生きる意味は最初に与えられた命令だけだ。

それが自分の全てであり、それが無くなれば自分は存在しないのと同じだ。

 

 

「待ってて、姉さん…。私が邪魔なモノ全部排除するから…」

 

 

ルベドが一歩踏み出す。

 

 

「姉さんとモモンガ様の愛を邪魔するもの全部私が…、だから待ってて…」

 

 

まるで先ほどの嘆きなど忘れたかのように力強く歩き出すルベド。

 

 

「何があっても私は姉さんの味方だよ…」

 

 

その微笑みは天使のように。

 




次回『覇王の道』コキュートスさん出番ですよ。


シズの鬼軍曹っぷりは某フル〇〇〇ジャケット的なあれです。
あんまり長くてもアレなので大分端折ったつもりなんですがそれでもほぼ1話を使い切るという…。
まぁ箸休め的な何かだと思って下されば…。


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覇王の道

前回までのあらすじ!



シズ超絶有能。そしてルベド復活。


デミウルゴス討伐の為、ナザリックを出撃したコキュートス。

しかし配下は王都で全滅してしまっており、現在連れている者はアルベドから貸し与えられた者達だけだ。

とは言ってもアルベドも多量の戦力を出せるわけではなくコキュートスに与えられたのは三魔将に対抗するためのレベル80の配下が三体のみ。

残りはナザリックで自動ポップする低レベルのアンデッドだけである。

数としては多いがコキュートス及びその三体を除けば現地の人間達と戦力は拮抗してしまっている。

 

 

「トハ言エ関係ナイ…、デミウルゴス達以外ナド居テモ居ナクテモ同ジ…、アンデッド達ハ邪魔ナ人間共ヲ抑エ込ム壁ニサエナレバ良イ…」

 

 

そうだ。

いくら現地の有象無象が集まったとてコキュートスからすれば痛くも痒くもない。

結局はデミウルゴスとその部下達との闘いになるだけなのだ。

それにマーレが帝国の兵を送り込んでくれる予定もある。

現地の者達はそれで問題はないだろう。

 

 

「待ッテイロ、デミウルゴス…! 今度コソ…」

 

 

そう呟き拳を強く握るコキュートス。

その時、シモベの一体がコキュートスに走り寄ってくる。

 

 

「コキュートス様、アンデッド達の配置が完了しました。いつでも動けます」

 

「ウム、承知シタ」

 

 

ここはカッツェ平野の最北。

そこにコキュートスはアンデッドの大軍を配置していた。

エ・ランテルを正面に見据えられ、また大軍を配置できる場所でもある。

 

ナザリックを出てそのままエ・ランテルに攻撃を仕掛けても良かったのだが武人として生きるコキュートスとしては無意識化で正面から戦うべきと判断した。

そうして十分に時間が経ちそろそろ攻める頃合いかと思われた時、バハルス帝国軍の姿が見えた。

 

 

「丁度良イ、デミウルゴスヲ炙リ出ス為ノ先兵トナッテモラウカ…」

 

 

そうコキュートスは考えていたがなぜかバハルス帝国軍はコキュートス達へ向かって疾走してくる。

エ・ランテルではなく自軍へと向かってくる帝国軍を訝しむコキュートスだが、その直後に何発もの魔法がアンデッド達へと放たれる。

 

 

「ナ…!」

 

 

どれも低位の魔法ではあるがここにいるアンデッド達を殺すには十分である。

驚きを隠せず声を上げようとしたコキュートスだがそれより先に帝国軍の上空を飛ぶ老人が宣戦布告をした。

 

 

「よくもマーレ様を! 貴様等の行いは万死に値する! やっと…! やっと魔法の深淵に手が届くと思われたのに…! それを邪魔するなど許せぬ! 例え魔神であろうと魔法の深淵を覗く障害となるなら排除してみせるわ!」

 

 

その声に呼応するように老人、フールーダ・パラダインとその弟子達から魔法が放たれる。

マーレはルベドとの戦闘に入る直前、フールーダにメッセージの魔法を送っていた。

 

その際に、恐らく自分が死ぬこと。

そしてもうエ・ランテルに攻撃は仕掛けなくていいこと。

そして可能であるならばデミウルゴスという悪魔に協力して欲しいとお願いしていた。

 

もちろん彼らが戦力になるなどとはマーレも思っていない。

だがそれでもいないよりはマシかもしれないし何よりこのままにしておくと立場上はデミウルゴスと敵対してしまうのでそれを阻止するためだ。

自分がここで脱落する可能性がある以上、どれだけ効果が見込めなくても出来る事は全てやろうと思っていたのだ。

全ては至高の御方の為。

僅かでも役に立てる望みがあるならどんなことでもやる。

これはマーレが残した最後のあがき。

 

 

「ナンダ…!? 話ト違ウゾ…! チッ、仕方ナイ…、先ニ片ヅケルカ…!」

 

 

そしてコキュートスが動こうとした瞬間、後方から声が響いた。

 

 

「神の如き武を誇る覇王よ! なぜこんなことをなさるのです!? 貴方の強さは弱き者を蹂躙する為のものではないはずだ!」

 

 

それを叫んだのはリザードマン一の強さを誇るザリュース・シャシャ。

彼の後ろには数百ものリザードマンの戦士達が並んでいた。

 

 

「貴方がどうしても世界を滅ぼすというのならば我々は貴方に牙を剥かなければならない! 一度は貴方に救われたこの命! その身でありながら貴方に盾突く不義理をお許し下さい! ですが貴方が仰られたのです! 強者に媚びるのでなく自身が正しいと思う事を為せ、信念を貫け、その為に強さを示せと!」

 

 

ザリュースの叫びにコキュートスが目の前のリザードマン達のことを思い出す。

巨大な植物系モンスターを討伐した時に足元でウロチョロしていた弱者だ。

戦士としての誇りも無く、強者に媚びるだけの哀れな存在。

だった。

だが今は違う。

その瞳を見るだけで胸に強き思いを抱いているのが理解できる。

 

 

「だから我々は貴方に戦いを挑まなければならない! 戦士として! オスとして! 貴方の蛮行は看過できない!」

 

 

ザリュース達リザードマンからなぜ敵視されているかコキュートスは分からない。

それはデミウルゴスが周辺に流した偽情報。

コキュートスが世界を滅ぼそうとしているという嘘に釣られて出てきたなどとコキュートス本人には分かるはずもない。

 

そして目の前のリザードマン達はつい先日自分が見た者とは明らかに変わっている。

 

 

「フム、男子三日会ワザレバ刮目シテ見ヨ、カ…。面白イ…!」

 

 

それになんであれ、戦士として戦いを挑まれたからには引くわけにはいかないコキュートス。

デミウルゴス討伐が最優先であるが、武人として創造されたコキュートスには武人として振舞うこともまた優先される事柄なのだ。

至高の御方の命令であればどんなことだろうが捨て置き即座に実行するがあくまでこれはアルベドの命である。

 

故に出た結論は武人としてこの者達を打ち倒してからデミウルゴスを排除するという順番になる。

 

 

だがそれだけでは終わらない。

帝国軍からの攻撃によって必然的にコキュートスの軍も動き出した。

それと同時にエ・ランテルも動く。

城門が開き、そこから雪崩のように兵士が溢れ出る。

それを迎え撃とうと3体のレベル80のシモベが動くがエ・ランテル上空から三魔将が突如として飛来し衝突する。

三体のシモベと三魔将の強さは拮抗しており両者は互いに掛かり切りになる。

 

そうこうしている間に今度はエ・ランテルから出てきた兵士達とその先頭を走る数名によってアンデッド達の隊列が一気に乱される。

 

 

「六光連斬!」

 

「神閃!」

 

 

その声と共に数体のアンデッドが一気に吹き飛んでいく。

 

 

「今だ! 敵の陣は崩れたぞ! 私とブレインに続け! 孤立したアンデッドを各個撃破しろ!」

 

「「「はっ!」」」

 

 

ガゼフとブレインが先陣を切ってアンデッドに斬り込む。

そこへ後ろから部下達が続きアンデッド達の陣を崩していく。

 

 

「ガゼフのおっさんに後れを取るんじゃねぇ! こっちも行くぞオラァ!」

 

 

巨大なウォーピックを振りかぶり一撃で数体のアンデッドを破壊していく蒼の薔薇のガガーラン。

ティアとティナもそれに続きアンデッドを次々と切り伏せていく。

こちらでも彼女らを追うように王国の兵士達が後ろに続き、彼女達が撃ちもらしたアンデッド達を確実に屠っていく。

 

 

兵達の遥か後ろにはラキュース及びイビルアイが待機している。

彼女らが戦線に参加しないのは貴重な回復要因であるラキュースを失わないためということもあるがそれとは別の狙いがある。

 

イビルアイの手には一つの黒いオーブが握られている。

デミウルゴスから預かったこれから話を聞き、リグリットが竜王国へ向かっていたことを聞く。

そしてリグリットから蒼の薔薇への伝言を受け取った彼女達はリグリットをこちらへ呼び出そうとしていた。

 

 

「あの婆さんはその神とやらに無事会えたんだろうか?」

 

「どうかしらね…、でも今はこの場を乗り切る為にはあの人の力が必要だわ」

 

「そうだな、神の助力を得られるならよし。そうでなくてもあの婆さんがいればなんとかなるかもしれん…」

 

 

イビルアイはそう願いながら一つのアイテムを取り出す。

それはイビルアイが持つ特殊なアイテムで、特定の人物と場所を入れ替えることができるというものだ。

元々リグリットから貰ったアイテムであり効果範囲も正確には把握していない為、国外の場合どこまで有効かは分からないが今はその細い希望にすら縋りたい状況であるのだ。

そして無事に入れ替わることができれば単独で転移が行えるイビルアイは王国に戻ってくることが可能。

成功するように祈り、イビルアイはそのアイテムを使用する。

 

 

 

エ・ランテルの北端では地下に潜り隠れた民達に向かってラナーが必死に鼓舞している。

 

 

「ラナー様、ここもいつまで安全かわかりません。最悪の場合エ・ランテルを出る事も考えなければ…!」

 

 

横に控えるクライムがラナーへと進言するがラナーは静かに首を振る。

 

 

「いいえ、それはできません。沢山の人たちが命をかけて戦っているのです。なぜ私だけ安全な場所に隠れていなければならないのでしょうか…。もしこの戦いに敗れるならば私も命を落としましょう」

 

「し、しかし…ラナー様まで死なれれば王家の血筋が…」

 

「もはや王家の者が生き残ってもどうにもなりません。負ければ国、いや世界の危機なのです。なればこそ少しでも民達の不安を紛らわせることが唯一私にできること。私の声が少しでも民達の助けになるならばそれに勝る喜びはありません、どうか分かってクライム…」

 

「……。この場が危険と判断すればすぐに貴方を連れてこの場を離れます…!」

 

「ええ、それで構いません。ありがとう…クライム」

 

 

その言葉だけで胸に熱いものがこみ上げるクライム。

やはりこの御方は素晴らしい御方だと改めて思う。

腐った貴族達のように保身など考えず、民やこの国に生きる者たちの為を想っている。

このような御方に仕えられて自分は心底幸せ者だと思う。

だからこそ改めて思う。

絶対にこの御方を失うわけにはいかないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

エ・ランテルを見下ろすように遥か上空からデミウルゴスはそれらを睥睨していた。

彼の頭からは一つの疑問が離れない。

 

ここまで上手く行っている。

人間達もデミウルゴスの思惑通りに動いてくれている。

蒼の薔薇の名前を借りれたおかげで王国やその周辺にはコキュートスが敵と認識される情報を流すことに成功した。

誰も疑っていない。

それに釣られてリザードマン達も集まったし成果は上々と言えるだろう。

帝国軍がコキュートスへ攻撃を仕掛けてくれたのは嬉しい誤算であった。

バハルス帝国にはマーレの手が伸びていたようなのでルベドと交戦に至ったマーレが指示した可能性はある。

 

それも含めデミウルゴスの作戦は全て上手くいった。

これ以上ないと言っていい。

 

だが一つ問題がある。

 

エ・ランテルにおいてデミウルゴスの仕事は終わった。

だからこそだ。

 

なぜだ。

 

そう心の中で呟く。

この為に王国を動かし、エ・ランテルに赴いてまでコキュートスを迎撃したのに。

 

 

「なぜ始原の魔法(ワイルドマジック)が放たれない…!? すでにコキュートスの足止めは完了している…。今なら確実に奴を仕留めることが出来る…!」

 

 

始原の魔法(ワイルドマジック)の範囲は把握していないが雲よりも高い位置にいるデミウルゴスなら何が起きても対応できる。

恐らく始原の魔法(ワイルドマジック)から逃れることも十分に可能な距離を取っているはずである。

 

ならばなぜ始原の魔法(ワイルドマジック)が放たれないのか。

 

ここでコキュートスを仕留められればアルベド達に対して優位に立てるはずなのに。

 

 

始原の魔法(ワイルドマジック)を放つタイミングを名犬ポチ様が計りかねている…? いやそんなはずはない、あの御方ならば全て見通されているはずだ…。なぜあの御方はここで始原の魔法(ワイルドマジック)をお使いにならない…?)

 

 

様々な考えがデミウルゴスの頭の中を巡る。

だが答えは出ない。

始原の魔法(ワイルドマジック)という圧倒的な力を所持し、二発もの猶予がある以上ここで使わないという可能性は考えられないのだ。

ここでコキュートスを落とせば戦況は確実に有利になるのだから。

 

ならばなぜだ?

 

深い思考に沈んだ末、やがてデミウルゴスがたどり着いた可能性。

 

 

「ま、まさか…、別の…、何かもっと深いお考えが…? 初めから始原の魔法(ワイルドマジック)は撃つつもりがなかった…? い、いや、そんなはずはない…。ならばなぜエ・ランテルを救った…? なぜ竜王国に向かった…? そのことには意味があるはずだ…。ああ、なんということだ…! 愚かな私では名犬ポチ様の高みには届かない…! どうかこの私の無能をお許しください…!」

 

 

誰もいない上空で何度も名犬ポチへと謝罪するデミウルゴス。

もしこれが自分の思い違いであったならばエ・ランテル及び王国での事は全て無駄だった。

自分は欠片も至高の御方の役に立てなかった。

心から恥じ反省するデミウルゴス。

 

やがて気持ちが落ち着くと冷静に次なる手を考える。

 

名犬ポチの狙いを把握できていないこの状況で下手に動くことはかえって足を引っ張ることにも繋がりかねない。

 

 

「恥じを忍んで直接お言葉を聞く以外にありませんね…」

 

 

だがここでもう一つ別の可能性にも思い至る。

もしかすると名犬ポチの身に何かあったのではないかと。

 

そうであるならば何を投げ打ってでも即座に向かわなければならない。

しかもこうなってしまってはアルベドと直接戦闘になる可能性も十分にある。

 

最悪を備えて動かなければならない。

 

そしてエ・ランテルからの離脱を決めるデミウルゴス。

三魔将にはメッセージでその旨を伝え、申し訳ないが足止めとなって貰うように命じた。

 

コキュートスに見つかれば面倒なことになるので見つからないように静かに移動しなければならない。

本当ならばすぐに飛んで行きたいところだがそうはいかない。

 

 

「では行きますよ、もしもの時は…分かっていますね?」

 

 

そんなデミウルゴスの問いに答える者達がいた。

いつの間にかデミウルゴスの背後に寄り添う複数の影達。

彼等は十二宮の悪魔。

デミウルゴスの正真正銘、最大の切り札だ。

 

彼等だけはエ・ランテルで失うわけにはいかないので郊外に待機させておいたのだがもはや関係ない。

十二宮の悪魔を連れて名犬ポチの元へと向かうデミウルゴス。

 

 

「名犬ポチ様…! すぐにお迎えに上がります、どうかご無事で…!」

 

 

 

 

 

 

 

 

戦いは長い間続いた。

 

アルベドから預かった三体のシモベは三魔将と相打ちになり、すでにいない。

 

数千のアンデッド達は現地の人間達の果敢な攻撃によって壊滅状態。

チラホラと生き残りはいるものの潰されるのは時間の問題である。

 

もはや残っているのはコキュートスのみである。

 

 

なぜこうなったのか。

 

 

現地の戦力を全く考慮していなかったということもある。

アンデッド達の数に物を言わせて押し込めばそれで勝てると考えていた。

だがそうはならなかった。

個人で抜きんでていた者達が数名いたこともあるがここまで一方的にやられるとは思っていなかった。

 

だが結局は関係ない。

 

その者達も全てコキュートスの一薙ぎで切り伏せられるのだから。

だがいつデミウルゴスによる奇襲が仕掛けられるかわからず警戒しながら向かってくる者達だけを斬り殺していたが気づけばこの有様だ。

 

 

「王都ニ続キマタモヤ軍ヲ失ッタカ…。マタ無能ヲ晒シテシマウトハ…。イヤ、コノ者達ヲ褒メルベキカ…?」

 

 

すでにほぼ全てのリザードマンは地に伏せている。

特に名乗りがあったザリュース、ゼンベル、シャースーリューという者達は覚えている。

かつてトブの大森林の奥地で見た時とは違い、今回の彼等には戦士としての輝きを見た。

3人で協力したとはいえザリュースはコキュートスに一撃を入れることに成功した。

もちろんダメージなどない。

だがこの実力差で一撃を入れるということがどれだけ素晴らしいことなのかはコキュートス本人が一番理解していた。

 

彼等の死体を前にしてコキュートスが告げる。

 

 

「カツテ言ッタコトハ撤回シヨウ。オ前達ハ立派ナ戦士ダ」

 

 

そう告げるとコキュートスの視線がエ・ランテル前の兵達へと向けられる。

先ほどまでアンデッド達を倒し高揚していた兵達だがコキュートスの視線一つで怖気づく。

誰もその場から動くことが出来なくなってしまった。

 

だがその中から数名が出てくる。

 

 

「ハハ、あれは無理だな。一目でわかる」

 

「うむ…、だが同じ武に生きる者として憧れてしまうな」

 

「ああ、そうだな」

 

 

軽口を叩きながら出てくるブレインとガゼフ。

 

 

「オイオイオイ、マジか、いくらなんでもあれはねぇって」

 

「激しく同意」

 

「リーダーに蘇生してもらうしかない」

 

 

続いてガガーラン、ティア、ティナの三人も姿を現す。

 

遠目にコキュートスの強さは見ていたものの、いざ直視しそして視線を返されるとその強大さがより際立つ。

 

 

「兵士達は下がってろ。後ろに控えてる魔法詠唱者(マジックキャスター)達の壁になってやってくれ」

 

 

そうガガーランが後ろの兵達へと声をかける。

その声を受けて王国だけでなく帝国の兵達も後ろに下がっていく。

さらに後方では魔法詠唱者(マジックキャスター)達が集まり何かをしているがコキュートスには興味もない。

特に何が出来るわけでもない。

最後の足掻きを邪魔する程、無粋でもない。

全て正面から叩き潰せば良いだけだとコキュートスは考える。

 

 

「おい、ガゼフのおっさん。五人で行くぞ? 構わねーよな?」

 

「ああ。ここにきて一対一など言うつもりはない。そういう次元の相手では無いしな。とは言え向こうに確認もせず進めるのもあれだろう」

 

 

ガガーランの言葉を肯定した後、ゴホンと咳払いをしてガゼフが声を上げる。

 

 

「そこなる武人よ! 失礼を承知でお願いしたい! 我々五人で同時に勝負を挑んでも構わないだろうか!」

 

 

その問いに笑みを浮かべるコキュートス。

 

 

「構ワヌ」

 

 

この殺し合いの場でそんな事を尋ねる愚直さ、コキュートスは嫌いではない。

しかもこの五人、いずれも戦士としての輝きを宿している。

先ほどのリザードマンといい、人間達も捨てたものではないなと思う。

 

コキュートスの返事と共に動いたのはガガーラン。

一気に走り寄り巨大なウォーピックを振り下ろす。

それを小枝を掴むように簡単に止めるコキュートス。

他の腕に持つ武器で反撃を行おうとするがいつの間にかガガーランの影に潜んでいたティアとティナがその影から姿を現す。

 

 

「不動金縛りの術!」

 

「不動金剛盾の術!」

 

 

不動金縛りでコキュートスの動きを止めようとするティアと不動金剛盾で七色に輝く六角形の盾をガガーランの前方に出現させるティナ。

 

だがコキュートスの動きはコンマ一秒程も止まらず、また盾もあっさりと砕かれる。

 

 

「おわぁぁあ!」

 

 

だがそのわずかな差のおかげかギリギリでコキュートスの刃を回避することに成功するガガーラン。

 

 

「フム、妙ナ技ヲ使ウ」

 

 

その間にガゼフとブレインがコキュートスの後ろに回る。

 

 

「六光連斬!」

 

 

だがコキュートスは体を動かさず片手で全ていなす。

そして反撃の一撃を放つが、すでに領域を発動していたブレインがその一撃に反応し攻撃を合わせる。

だが止めるどころか力負けしたブレインが吹き飛ぶ。

しかしこちらもそのおかげでわずかに軌道がずれガゼフは避けることに成功する。

 

 

「ホウ、本気デハ無イトハイエコノ攻撃ヲ凌グカ…」

 

 

コキュートスから距離を取る五人だがこの一瞬で汗が滝のように流れる。

 

 

「いやいやアレ無理だろ…、まだドラゴンと戦えって言われた方がマシだぜ…!」

 

「全く同意」

 

「惨殺不可避」

 

「くそっ…、こんなに遠いのかよ…」

 

「自分の力がここまで役に立たんとはな…」

 

 

各自が思いのたけを口にする。

だが絶望はここからだ。

 

 

「次ハコチラカラ行カセテ貰オウ」

 

 

 

 

 

 

 

 

五人はいとも簡単に倒れた。

いずれもコキュートスの一撃に耐えきれず誰もが一刀に伏した。

王国最強の戦士も。

それに匹敵する天才剣士も。

アダマンタイト級の冒険者でさえも。

冗談か何かのように呆気なく勝負は着いた。

剣閃すら追えず、死を自覚することもなく彼等は死んだ。

 

次にコキュートスは後ろに控える兵達に視線を移すが誰も逃げ出そうとしない。

 

 

「逃ゲタイノナラ逃ゲロ、追ワン。ダガ道ヲ妨ゲルナラ容赦ナク斬ル」

 

 

だがコキュートスのその言葉を聞いてなお兵達は動かない。

これは彼等の最後の抵抗だ。

勝てないのは百も承知である。

もはやいてもいなくても関係ない。

だがそれでも英雄たちの勇姿を見てわずかだが心が沸き立ったのだ。

いや、恐怖で竦んで動けないだけかもしれないが。

 

少なくとも結果として逃げ出す者は一人もいなかった。

 

だから次の瞬間、コキュートスの凶刃が兵達を襲う。

たった一薙ぎで数百人、返しでまた数百人。

そうこうしてあっという間に全ての兵士達が血の海に沈んだ。

 

兵達の奥では魔法詠唱者(マジックキャスター)達が巨大な魔法陣を作っていた。

その中でも中心に近い場所にいたラキュースがコキュートスを憎々し気に睨みつけている。

 

 

「集中しろラキュース! 心を乱すな! 円陣が崩れる!」

 

 

魔法詠唱者(マジックキャスター)の中で先頭に位置する場所にいたイビルアイが窘める。

 

 

「わ、分かってるわよ…!」

 

 

仲間を殺され、多くの兵達が殺され、それでも何もできない事が心底悔しかった。

唇を強く噛み締めた為、端から血が零れる。

 

今彼らが必死にやっていることは最後の足掻きだ。

これが通用しなければもう何も通用しない。

 

それは大儀式。

 

複数の魔法詠唱者(マジックキャスター)が集まり、普段は行使できないような位階の魔法を行使する技だ。

リザードマンですら知っている。

 

それを中心で構成する者達の中にいる老人。

フールーダ・パラダイン。

バハルス帝国の主席宮廷魔法使いであり、英雄の壁を越えた大陸に4人しかいない「逸脱者」の1人。

そして死者使いのリグリット・ベルスー・カウラウ。

200年前に「十三英雄」の一人として魔神たちと戦った伝説の存在にしてフールーダに匹敵する最高レベルの魔法詠唱者(マジックキャスター)

次にラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ。

アダマンタイト級チーム「蒼の薔薇」のリーダーにして第5位階の魔法を行使する英雄中の英雄。

周囲にはフールーダの高弟、冒険者の魔法詠唱者(マジックキャスター)達。

中にはリザードマンのドルイドであるクルシュ・ルールー。

他にも魔法に覚えのある者達がこれでもかと集まっていた。

そんな彼等の先頭にいるのはイビルアイ。

その正体はかつて一国を滅ぼした伝説の吸血鬼”国堕とし”。

知る者は数少ないがその実力はこの世界において竜王や神人を除けば最上位である。

現地で考えればあり得ない程のメンバーである。

 

大儀式をやるにあたって彼らが集めているのは魔力。

ここにいる魔法詠唱者(マジックキャスター)達からフールーダが魔力を吸い上げ、ラキュースがその魔力が零れないように維持しながらリグリットへ。

リグリットは死の宝珠の力と共に自分の魔力をイビルアイに同期させ、自身に2位階の魔法の上昇を可能とさせる《オーバーマジック/魔法上昇》をかける。

 

これにより、イビルアイはここにいる魔法詠唱者(マジックキャスター)の魔力全部と第7位階に匹敵する魔法を撃つことを可能とした。

蟲系に有効なオリジナルの魔法《ヴァーミンべイン/蟲殺し》。

第7位階にまで引き上げたそれが彼等の隠し玉。

発動までにガゼフやブレイン、ガガーランにティア、ティナ、そして大勢の兵達。

彼等の命を犠牲に発動までの時間を稼いだのだ。

 

しかも魔力量は膨大で、この世界においては規格外。

並みの竜王ならば撃ち落とせる程の力を誇る域に達していた。

 

 

だが相手はコキュートス。

ナザリック地下大墳墓の守護者にして脅威のレベル100。

 

現地の者達が奇跡と呼べる領域に達して尚、歯牙にもかけない存在なのだ。

だから彼等の渾身の一撃はコキュートスにかすり傷程度しか与えられない。

 

このままならば。

 

だがここにおいて誰もが予想しないことが一つだけ起きる。

 

現地の者達はもちろん、コキュートスさえも。

 

だからこれはコキュートスにとって最大の不幸であっただろう。

 

故にコキュートスを責めるのは酷というものだろう。

 

この場にいては知りようがない出来事でもあるのだ。

 

本来ならば何でもない一撃。

 

それが致命傷になりえる事態になったとしても彼に非は無い。

 

なぜならこの魔法が放たれる刹那、コキュートスに降りかかった悲劇。

それを回避できる者は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

コキュートスはここで敗北する。

 

 

再度、言おう。

 

これはコキュートスにとってただただ不幸であった。

 

彼はただ、カッツェ平野の南で行われた戦いの余波に巻き込まれただけなのだ。

 

ここにいてそんな目に遭うなど誰が想像できようか。

 

コキュートスが敗北する直前、聞こえたのは誰かの鳴き声。

 

それがトリガー。

 

コキュートスの感覚器官が現地の者達より優れていたということも関係するかもしれない。

 

 

鳴き声が聞こえた瞬間、それはまるで呪いのようにコキュートスの全てを蝕んだ。

 

 




次回『猫が見た夢』カッツェさんのターン到来。



デミウルゴスの周回遅れ感ハンパない…。
で、でも彼はここからですから…!

あと今回はいくつか反省点をば。
自分でも分かるぐらい今回は駆け足すぎた気がします。
とはいえしっかりやろうとすると数話使うことになるような気がしてしまい生き急いでしまいました…。
今まで何度もその愚を犯してきたので…。
ここで3話とか続くとかなりダレてしまうのではないかと危惧した結果です…。
流石に駆け足すぎるという意見が多ければ余裕が出来た時に加筆するかもしれません。

そしてまた今回も少し日にちが開いてしまいました…。
定期的にちゃんと更新している人は本当に凄いと思います(小並感)

PS ちょっと時間できたんで次話数はすぐ書きます


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猫の見た夢

前回までのあらすじ!



絶体絶命コキュートス、多分死ぬ。


誰もいなくなった。

 

どれだけ待っても誰も戻って来なかった。

 

寂しさの中、一人で必死でギルドを維持しようとしたが一人だけでは何も出来ない俺は満足にお金を維持することも出来なかった。

 

やがてギルドは荒廃し、もはやほとんどの機能が使用できなくなりただの置物と化してしまった。

 

ユグドラシル最終日になってもギルドメンバーは誰も帰ってきてくれなかった。

 

だから俺は寂しさに打ちひしがれ、ただ終わりを待っていた。

 

だが最後に予期せぬ訪問者が訪れた。

 

そいつとは過去に何度も喧嘩をしたし、また執拗に嫌がらせをしてくるような奴だった。

 

思い返すとそんな記憶しかないのになんでだろうな。

 

俺はあの時、嬉しかったんだ。

 

今までの寂しさがあの瞬間だけ癒されたのを覚えている。

 

だから俺はもう一度やる気になったんだ。

 

ユグドラシルが終了したと思った瞬間、俺はギルドごと異世界に飛ばされた。

 

最初は混乱したがこの世界には困っている人達が沢山いた。

 

純粋に助けたい、そう思った。

 

多分、あの時最後にお前と会わなかったらこんな気持ちになれなかったんじゃないかな。

 

やっぱり誰かと繋がれるっていうのは凄く嬉しい。

 

でも俺はやっぱり駄目だった。

 

失敗した。

 

俺は誰も幸せにできなかった。

 

ユグドラシルでは皆がいなくなり。

 

この世界では誰も幸せにできなかった。

 

なんでだろうな。

 

俺はただ皆に笑っていて欲しかっただけなのに。

 

ああ、でもお前だけは違ったな。

 

ユグドラシル時代、一人になった俺に声をかけて来てくれたのはお前だけだった。

 

それにいつも笑ってた。

 

まぁ人を嘲笑うような感じだったが…。

 

この世界に来てまでまた会うことになるとは思わなかったが。

 

ポチ。

 

お前と会えて良かったよ。

 

少しの時間だけど楽しかった。

 

もう思い残すことはない。

 

俺はもう満足だ。

 

死んでまでこんな気持ちになれるなんてな。

 

だから任せておけ。

 

俺が絶対になんとかしてやる、と言いたいけど半分賭けだな。

 

ああ、もし失敗したらお前に笑われるんだろうなぁ。

 

くそ、お前の憎たらしい顔だけはいつでも鮮明に思い出せるよ。

 

でもそうだな。

 

やっぱり最後はお前の驚く顔が見たいなぁ。

 

せっかくの機会だ。

 

今度は俺が笑って終わってやるよ。

 

だから、待ってろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

カッツェ平野を疾走するカッツェとクレマンティーヌと獣王。

すぐ後ろにはアルベドとガルガンチュアが迫ってきている。

 

 

(あのゴーレムはどうにかなりそうだがこのアルベドってNPCは無理だな、《キャットブースト/猫足》で加速してもこのままじゃ追い付かれる…)

 

 

ため息をつくと180°ターンして立ち止まるカッツェ。

 

 

「ちょ、ちょっと…!」

 

「くーん!」

 

 

クレマンティーヌと獣王から心配するような叫びが上がる。

だがもう逃げ切るのは不可能。

思い切って例の賭けに出るしかないと踏むカッツェ。

 

 

「《キャットトリック/猫騙し》!」

 

「くっ! またか!?」

 

 

再度、魔法を唱えアルベドの五感を奪う。

だが数秒の時間稼ぎにしかならない上にそろそろ魔力切れも近くなってきている。

もうそう何発も撃てる状態ではない。

 

即座にクレマンティーヌと獣王の元へと向かうと新たな魔法を唱える。

 

 

「《キャットハイド/猫糞》!」

 

 

自身を含め、周囲に土をかけ姿を隠し擬態する魔法。

スキルや魔法による探知を阻害するが、触れられると一発でバレてしまう。

ゆっくり動いたり静かに話す分には知覚されないが素早く動くと擬態が解けてしまう。

 

 

「わ、な、なにこれ…!」

 

「く、くーん!」

 

「静かにしろ…! 静かにしてジっとしてればバレねぇ…」

 

 

基本的にユグドラシルでは弱者であったカッツェはこういったスキルや魔法に長けている。

 

 

「くそがぁ…! 猫風情がふざけやがって…、どこ行ったぁ…!?」

 

 

《キャットトリック/猫騙し》から復帰したアルベドだが周囲にカッツェ達の姿が見えないことにイラ立つ。

 

 

「こんなだだっ広い所で簡単に逃げられる筈が無い…。そもそも逃げられるなら最初から逃げてるはず…。どこかに隠れているのか…?」

 

 

そう推理したアルベドが周囲の地面にバルディッシュを刺して歩きまわる。

 

 

(ちっ…、勘がいいな…! 大して時間稼ぎは出来ねぇと思ってたがこれじゃすぐに見つかっちまう…!)

 

 

もはや悩んでいる暇は無い。

やるしかない。

 

 

「おい女、これから俺の言う通りに動け、お前もだ犬」

 

 

クレマンティーヌと獣王へ語り掛けるカッツェ。

自分一人ではここは乗り切れない。

この二人の協力が必要不可欠だ。

 

 

「も、もう無理だよ…。反射的に一緒に逃げてきちゃったけど神様が消されちゃった…。私知ってる…、あれはうちの国にあったやつだから…。あの槍で突かれたらどんな蘇生魔法を使ってももう生き返らないんだ…。うぅ、神様ぁ…」

 

「く、くーん…」

 

 

膝を抱え蹲り泣き出すクレマンティーヌ。

その発言を理解したのか獣王も悲しそうに俯き涙を流す。

 

 

「安心しろ、それは大丈夫だ」

 

「え…?」

 

「くーん…?」

 

 

カッツェの言葉に泣き顔の二人が恐る恐る顔を上げる。

 

 

「問題はそこじゃない。いいか、もう時間が無い。どうか俺を信じて手を貸してくれ。このままじゃどう足掻いてもあいつらに殺される。それなら僅かでも可能性に賭けてみないか?」

 

 

そのカッツェの姿は不思議と名犬ポチと同様の気配を思わせた。

名犬ポチを盲信しているクレマンティーヌと獣王にとってそれだけでカッツェは信じるに値した。

カッツェの問いにコクリと頷く二人。

 

 

「それじゃあまず…」

 

 

そう言いかけてここでやっとカッツェは獣王の首にかかっている首飾りに気付いた。

600年も昔とはいえ、その間死んでいたカッツェの体感時間からすればそれは数日前のようなものだ。

だから忘れるはずが無い。

当時のビーストマン達の長にお守りとして持たせた物だったからだ。

 

 

「な、なぜお前がそれを…? それは…」

 

「くーん?」

 

 

そう言いかけて先ほどこの子犬が『ネコさま大王国』のギルドの紋章が書かれた旗を持っていたことを思い出す。

かなりボロボロで見えなくなっている部分もあったが自分のギルドの紋章だ。

見間違えるはずが無い。

そうして改めて見つめるとこの子犬に魔法がかけられている事に気付く。

 

 

「お、お前まさか…」

 

 

かけられた魔法とその正体に薄々気付きながらも何があったのか気になったカッツェは《コントロール・アムネジア/記憶操作》で記憶を覗き見る事にする。

そこでカッツェは全てを見た。

 

名犬ポチによって犬に生まれ変わった獣王はビーストマンとしての記憶が全て抜け落ちているがこの世から消えて無くなったわけでない。

魔法を使えばその存在した記憶自体は覗き見れる。

 

だからカッツェは絶望した。

別に名犬ポチが魔法を使って彼らを犬に書き換えたことではない。

 

彼等が、ビーストマンが自分の為に600年もの間、憎しみに囚われて生きてきたことに。

暗く、長く、つらい日々だった。

ずっとずっと人間達への恨みだけで生きながらえてきたビーストマン。

かつてカッツェが国を築いた土地を奪い返すことだけを目的に。

それは六大神により死の大地となっているのに。

そんなくだらない場所なんかの為に。

彼等が崇めた神の復讐の為に。

 

 

「馬鹿だなお前らは…、俺はそんなことなんて何も望んでなかったのに…。ただ、生き残ったお前達に幸せに生きて欲しかっただけなのに…」

 

 

《コントロール・アムネジア/記憶操作》を解除し空を見つめるカッツェ。

悔しさと悲しさと申し訳なさで胸がいっぱいになる。

600年。

気が遠くなりそうな時間だ。

子が生まれ、代が変わっても延々と続く負の連鎖。

 

自分のせいだろうか。

 

自分がいたからこんなことになったのではとカッツェは思う。

やはり自分は駄目だ。

 

 

「くーん」

 

 

カッツェの落ち込みようを見て慰めようと獣王がカッツェの頬を舐める。

それを見てカッツェは改めて思う。

 

名犬ポチの魔法によって存在を書き換えられたからこそ彼等はあの苦しみから逃れられたのだ。

そこにどんな意図があろうとビーストマンとして生きるよりも今の方が遥かに幸せに見えた。

 

 

「ああ、悔しいよポチ…。結局何も変わらなかった…。あの時のままだ…。そういえば昔から俺もお前もやること為すこと全部裏目に出ちまってたな…。俺とお前は似た者同士…、姿から強さまで種族を除きまるで鏡合わせのように…。俺の善意は不幸を呼び、お前の悪意は幸せを呼び込む…。お前は自覚ないかもしれないがな…。そうか、今になって分かったよ…。俺はお前になりたかったんだな…」

 

 

白犬の名犬ポチと黒猫カッツェ。

互いに理解せず、また気づきもしなかったが彼等は互いに焦がれていた。

自分にないものを羨ましいと思い妬んだ。

きっとそれが争いの始まりだった。

下手に似ているからこそ余計に鼻につく。

 

 

「お前なら作れるのかもな…、皆が幸せに生きれる世界ってやつを…」

 

 

そうと決まればもう悩んでいる暇はない。

 

獣王の記憶を覗き、また思考の海に沈んでいる間に猶予は無くなってしまっていた。

アルベドがすぐ近くまで迫っている。

遅れていたガルガンチュアも追い付きもはや両方が射程圏内だ。

 

いよいよその凶刃がカッツェ達に触れようかという時。

カッツェがクレマンティーヌと獣王を抱きかかえ上空へと退避する。

 

 

「見つけたぞ! そこか!」

 

 

その勢いで擬態が解け、三人ともアルベドの前に姿を晒す。

 

 

「おい女、お前はこのアイテムを持ってろ。俺が合図したら使うんだ。いいな? 使い方は…」

 

 

上空で素早くクレマンティーヌへと名犬ポチから預かっていた世界級(ワールド)アイテムを渡すカッツェ。

 

 

「で犬、お前は俺の後ろについてこい! 攻撃を喰らいそうになったら俺を壁にするか逃げるんだぞ! 二人とも準備はいいか!?」

 

「う、うん!」

 

「くーん!」

 

 

カッツェの勢いに飲まれ反射的に返事をする二人。

クレマンティーヌをそのまま遠くに投げ自分はアルベドとガルガンチュアへ単身突っ込むカッツェ。

獣王は命令通りにカッツェの後ろを追うように共に落下していく。

 

 

「フン! ついに諦めたか!」

 

 

地上ではアルベドがニヤリと笑って迎撃の準備を整えている。

このまま突っ込んではカッツェ達に万に一つも勝機はない。

 

だが腐ってもカンストプレイヤー。

奥の手を持っていないはずが無い。

 

 

(俺は俺の目的を果たす為にお前を利用するぞポチ…!)

 

 

『化け猫』カッツェ。

その切り札は正直微妙と言わざるを得ない。

発動の厳しい条件と発動後の強烈なデメリット。

それに見合った効果かと問われればとてもではないがイエスとは言えない。

 

単体では効果は薄く、また意味もほぼない。

 

だがどんなものでも使い時というものがある。

そしてユグドラシルで最も重要な要素として情報が上げられる。

相性で勝っているとか、向こうの方が弱い等といった敵対者に対する正確な情報がなければ無闇に戦うべきではない。

ある意味でユグドラシルの戦いの半分以上は情報戦と言っても過言ではないのだ。

 

知らなければ対処できない。

 

カッツェのことを知っている相手ならばこの状態でも抑え込めたかもしれない。

だが相対するはアルベド。

プレイヤーの情報など知りようもないNPCなのだ。

 

 

「行くぞ! 《パーフェクトトレース/真似奇猫》!」

 

 

オーバーキャットのスキル『化け猫』により、死亡状態になっても一定時間行動することができるカッツェ。

物理攻撃は効かず、魔法攻撃は当たるがそれでもHPはすでに0である為足止め程度にしかならない。

制限時間が来るまではほぼ無敵状態と言える。

そしてその『化け猫』状態でのみ使えるオーバーキャットの隠しスキル《パーフェクトトレース/真似奇猫》。

周囲にいる任意の対象のHP以外のステータスを完全にコピーするというものだ。

 

 

スキル発動と共にカッツェの体が爆発的に膨れ上がる。

大きさは30メートル以上。

その姿は巨大な獅子を思わせる。

 

 

「な…!」

 

 

驚愕したのはアルベド。

迎撃しようと構えていたが突然のことに頭が追い付かない。

 

そして地面に着地すると同時にアルベドへ振り下ろしの一撃を加えるカッツェ。

 

咄嗟に防御するがそれだけでは対処しきれず後方へ吹き飛ぶアルベド。

 

それもそのはず。

 

カッツェがコピーしたのはガルガンチュア。

単純な戦闘能力ではアルベドを凌ぐ。

 

 

「ぐあぁぁぁあっ!」

 

 

吹き飛んだもののすぐに体勢を立て直し受け身を取るアルベド。

防御力が高いアルベドにとってそれは致命傷でもなんでもなかったがアルベドを恐怖させるには十分だった。

 

 

「グォォオ!!」

 

 

横に待機していたガルガンチュアが即座にカッツェへと殴りかかる。

 

 

「オラァ!」

 

 

それに呼応するようにカッツェも拳を振りかぶる。

 

その力は互角。

 

互いに何発拳を交わしても同じように拳が衝突し引き分ける。

やがてガルガンチュアがカッツェへと組みかかる。

 

だがサイズも力も互角。

 

必然的に両者は膠着状態へと陥る。

 

 

それを見てアルベドは先ほどの恐怖が正しかったのを知る。

 

 

「バ、バカな…! そんなバカな…! ガ、ガルガンチュアと互角だと…! そ、そんな奴が…! ま、まだこんな隠し玉を持ってやがったのか名犬ポチィ…!」

 

 

これほどの存在を隠し持っていた名犬ポチに心底震えるアルベド。

まともに正面からやっていればとても勝ち目は無かったと悟る。

やはりガルガンチュアを引っ張ってきたのは正解だったと胸を撫で下ろす。

しかも肝心の名犬ポチはもういない。

戦力的には負けようが無い。

 

だが次第にガルガンチュアが押されていく。

 

能力は互角でも無敵状態のカッツェとHPが有限のガルガンチュア。

まともに戦えばどちらが有利かは明白。

 

 

「くっ! すぐに加勢しなければ…!」

 

 

アルベドとガルガンチュアが協力すれば倒すことはできるだろう。

だがアルベドが介入すれば敵はアルベドを優先的に攻撃するはずだ。

弱い方から潰すのは戦いの定石なのだから。

防御を得意とするアルベドならばすぐに落とされることはないだろうがこうなった以上、他にどんな手を残しているかわからない。

下手に手を出して返り討ちにあっては目も当てられないからだ。

 

そんな風に考えあぐねていたアルベドだがすぐに自分の最大のアドバンテージを思い出す。

 

 

「はは…は…! 冷静さを欠いて忘れていたわ…! 私にはこれがあるじゃない…!」

 

 

自分の着ているチャイナ服を力強く掴む。

それは傾城傾国。

一部の例外を除き、同じ世界級(ワールド)アイテムを所持しない限り回避できない破格の性能を持つアイテム。

 

 

「むしろ好都合だわ…! ガルガンチュアに匹敵する戦力が手に入れば私の手駒はこれ以上ない程に盤石になる…! もう私に勝てる者など誰もいなくなる…! どんな奴が来ても負けるなどありえないわ…!」

 

 

悪意を浮かべ、カッツェの元へと接近するアルベド。

肝心のカッツェはガルガンチュアと組みあっているためにすぐには動けない。

 

 

「喰らえッッッ!!!」

 

 

傾城傾国を発動する。

その言葉と共にアルベドの着ているチャイナ服から光り輝く龍が天空へ飛翔する。

誰も抗えない全てを支配する光の龍。

そのまま飛翔した光の龍がカッツェの体へと舞い落ち、その巨体へ完全に直撃する。

 

今度はアウラの時とは違う。

レジストもされず、傾城傾国は完全に発動した。

 

 

「あははははは!」

 

 

アルベドの高笑いが響く。

突然の強者の存在には驚いたが今や全て自分の手の上だ。

 

 

「使ったな…?」

 

「え…?」

 

 

カッツェの呟きにアルベドが目を見開く。

 

今自分は発言を許可しただろうか?

なぜ傾城傾国の支配下にあるこいつがまるで意思を持ったようにこちらを睨みつけているのか。

そのことにアルベドの理解が追い付かない。

 

 

「これを待っていた…!」

 

 

カッツェがニヤリと笑う。

 

それだけでアルベドは理解する。

どうやったがわからないが傾城傾国が外れてしまったのだと。

だがわからない。

アウラの時と違い、レジストされた気配は無かった。

 

完全に傾城傾国は通ったはずだった。

 

 

「な、何が起こった…!? 一体どうやって…!」

 

「一つ教えておいてやろう。()()()()()()()()()()()()()

 

 

ここで言う死者とはモモンガやシャルティアのようにアンデッドの者達を差す言葉ではない。

ユグドラシルのシステム的に死亡状態にあることを差している。

 

いくら傾城傾国であろうと死というシステム上最大のバッドステータスを支配で上書きすることはできない。

 

これはユグドラシルのルール上、より上のランクのバッドステータスは下位のバッドステータスで上書きできないというものだ。

物によっては重複したりするが最上位の死に関してだけはそれは不可能。

毒や麻痺を持ってしても死に対して効果が及ばないのと同じように支配は通用しない。

 

設定としての死ならばともかく、システム上の死は絶対に覆せないのだ。

 

 

もちろんただの死体に使った場合ならばそもそもモノとして判断され傾城傾国は使用不可能であっただろう。

 

だがここにいるカッツェは死者にして化けて出た例外中の例外。

 

システム的には死んでいながらも行動できる為、モノとして判断されない。

 

 

一部の世界級(ワールド)アイテムは世界級(ワールド)アイテムを所持していなくとも対応できるケースが存在する。

 

例えば山河社稷図。

かなり条件は厳しいが脱出する方法があり、無事に脱出できると山河社稷図の所有権を奪うことができる。

 

このように効果を発動させた上でその影響化に置かれなかった場合、あるいは逃れることに成功した場合において世界級(ワールド)アイテムの所有権を奪うことができるケースが存在する。

 

傾城傾国も同様である。

 

レジストではなく、効果が完璧に発動してなお支配下に置けなかった場合、その所有権は相手へと移る。

 

 

ユグドラシルの設定的に言うならば、アイテムが持ち主を選ぶというところか。

世界級(ワールド)アイテムを所持しておきながらそれを十全に扱えないなど世界に匹敵するアイテムの持ち主として相応しくないのだ。

あるべき物はあるべき所へ。

 

 

「っ…! な、あああっ…!!!」

 

 

アルベドの着ていた傾城傾国が光となりカッツェの元へと流れていく。

そしてカッツェの目の前で再びチャイナ服へと戻り、それを口に咥えるカッツェ。

 

アルベドにとっては不幸と言ってもいいだろう。

この方法で傾城傾国を回避できる者などユグドラシルといえどカッツェぐらいしかいないのだから。

 

 

「貰ったぜ…!」

 

「か、返せこの泥棒猫がぁぁぁっ!」

 

 

怒りに支配されたアルベドがカッツェへと向かって疾走してくる。

すぐにカッツェは後ろに控えていた獣王へと傾城傾国を投げ渡す。

 

 

「ホラ行け! これ持って遠くに逃げろ!」

 

「く、くーん!」

 

 

小さな両手で傾城傾国を受け取る獣王だがカッツェの身の心配をして逃げ出すことができない。

なぜだろう。

獣王には分からないがカッツェを置いて逃げることがとてもいけないことのように思えるのだ。

 

 

「俺の心配してくれてんのか…? はは、気にすんな。今はそれを持って遠くへ逃げる事だけ考えろ」

 

 

だがそれでも獣王は踏ん切りがつかない。

無意識化ではあるがまだビーストマンとしての残滓が彼を縛っているのだ。

しかも目の前にいるのは600年も焦がれた相手なのだ。

それが分からないとはいえ何かが獣王を縛り付ける。

 

 

「そういえばお前、最初に俺がそのNPCにやられそうになった時かばってくれたよな…。もしかしてまだ…。いや、だったら余計に俺のことは忘れろ…。もう俺のことはいいんだ…。それでももし俺のことを少しでも思ってくれるっていうならその分ポチの面倒を見てやってくれよ…。あいつは手がかかると思うからさ…」

 

 

一息ついてカッツェが続ける。

まるでそれを言うのが負けのように悔しさを滲ませ、また照れくさそうに。

 

 

「友達…、そう友達なんだよ。だからあいつのことは頼むよ…」

 

 

なぜその言葉が口から出てきたのかカッツェも不思議に思う。

ユグドラシルで何度も殺し合いをした憎き相手だったのに。

 

いや、だが殺し合いと言ってもユグドラシルというゲームの中での話だ。

ずっとゲームを共に遊んだ相手。

 

きっとそれは友達と呼んでもいいのではないか。

 

 

「く、くーん!」

 

 

目に涙を浮かべた獣王が頷き、その場を後にする。

 

 

「逃がすがクソ犬がぁ!」

 

 

攻撃対象を即座にカッツェから獣王へと変えるアルベド。

だが。

 

 

「今だぁ! 使えっ!」

 

 

カッツェが力強く叫ぶ。

その声に反応したのはクレマンティーヌ。

 

腕を掲げ、願いを口にする。

 

腕に持っているのは蛇を象った禍々しき腕輪。

 

世界級(ワールド)アイテムの中でも特に凶悪な効果を持つ二十と呼ばれるプレイヤーでさえ運営の正気を疑うレベルのアイテム群。

使い切りであるが、だからこそその効果はより常軌を逸している。

 

 

 

永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)

 

 

 

超位魔法<ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを>の強化版と言い換えてもいい。

システム的に不可能でなければほとんど全ての願いが叶うと言っても過言ではない。

 

かつてアインズ・ウール・ゴウンも、とあるワールドに一か月立ち入り禁止という制限をかけられ煮え湯を飲まされてことがある。

使い切りである永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)はそこからまた幾人かの所有者を経てカッツェの元へと至り、最終日に名犬ポチが奪っていった代物だ。

 

実はカッツェは世界級(ワールド)アイテムを所持する機会に多く恵まれた運の良いプレイヤーでもあった。

傾城傾国を喰らったのも実は初めてではないのだ。

それに加え、彼が多くの世界級(ワールド)アイテムに恵まれたのは彼の最も得意とするスキルによる為だが。

 

ユグドラシルのフレーバーテキストでオーバーキャットは別の名でも呼ばれている。

世界級(ワールド)攫い。

世界級(ワールド)アイテムを所持する相手には天敵のような相手だがそれはまた別のお話。

 

まぁ手にする機会は多くても戦闘能力が低いのでだいだいすぐに奪われてしまうのだが。

 

 

 

クレマンティーヌが掲げた永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)が眩しく輝きだす。

 

 

「か、神様をっ…! 名犬ポチ様を蘇らせてっ!!!」

 

 

そのクレマンティーヌの叫びに獣王を追っていたアルベドの視線が咄嗟に動く。

 

 

今この女は何といった…?

出来るはずが無い。

世界級(ワールド)アイテムであるロンギヌスの効果はどんな蘇生魔法の効果すらも及ばないのだから。

 

そう自分に言い聞かせるアルベドだがそれが妄言でないとすぐに理解することになる。

 

クレマンティーヌの叫びに呼応し、永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)から周囲に強大な魔力の力が一気に流れ出る。

それはまるで巨大な蛇のようにうねり猛り、嵐のように吹き荒れる。

 

やがてその奔流が一つに収縮していき強烈な光を放つ。

 

そうするとその中から見覚えのあるシルエットが徐々に浮き上がってくる。

 

 

「か、神様……!」

 

「バ、バカな…! バカなぁっ!」

 

 

感動に打ち震えるクレマンティーヌと、対比のように怯え震えるアルベド。

 

データを抹消するという恐ろしい効果を持つロンギヌスだが一部の世界級(ワールド)アイテムでのみ復活が可能。

例えばそう、ここにある永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)のような。

 

 

 

 

 

 

 

 

「かはぁっ!」

 

 

突如、深い眠りからたたき起こされたかのように名犬ポチの意識が覚醒する。

今まで自分がどこにいたのか何をしていたのかすぐに思い出せない。

激しい酩酊状態のような感覚。

 

だがそれもすぐに終わる。

 

何もかもが元通りになった瞬間、全てを思い出す。

目の前の状況は自分にロンギヌスが刺さった時と大差はない。

あるとすれば傾城傾国がすでにアルベドの手にないこと。

 

それともう一つ。

 

カッツェが隠しスキルを発動していることだ。

 

 

「カッツェ…! お、お前…!」

 

 

名犬ポチの第一声は驚きの声。

それもそのはずだ。

 

なぜ名犬ポチがカッツェに協力を求める代わりに永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)を渡したのか。

それはそれが必要だったからに他ならない。

 

 

「ふん、お前に借りを作るなんて真っ平だからな…」

 

 

化け猫状態で使用できるカッツェの隠しスキルは発動してしまうと自分の拠点でしか復活できなくなる。

通常の方法で簡単に蘇生できてしまうと死ぬ度に蘇生してまた発動するというループが可能になってしまう為の措置であろう。

故に隠しスキルを発動したカッツェはもう拠点でしか蘇生できないのだ。

 

そしてギルド『ネコさま大王国』の拠点はもうない。

 

だからこの状態でカッツェが隠しスキルを使用するというのはもう二度と復活できないことを意味する。

それは超位魔法でさえも叶わない。

 

その為の永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)

 

唯一抗うための手段が世界級(ワールド)アイテムだったのだ。

 

名犬ポチはカッツェから助力を得るのを条件として渡したつもりだった。

これがあれば蘇生でもギルドの復活でも出来るだろうからだ。

だがカッツェは名犬ポチの復活の為に永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)を使用してしまった。

 

純粋な善意など理解できない名犬ポチはただただ唖然とするしかできない。

 

自分にロンギヌスが刺さったことは覚えている。

だから自分が復活したということはあの馬鹿(カッツェ)は自分に永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)を使ったということに他ならない。

 

 

「わけわかんねぇっ…! 何で俺に永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)使ってんだよ! しかもスキル発動しやがって…! お前もうギルドねぇんだろ! もう復活できないんだぞっ!!!」

 

「知ってる」

 

「…っ! 澄ました顔しやがって…! やっぱり俺はお前が嫌いだっ…! 気に入らねぇっ! 何考えてるか全っ然わかんねぇよ…!」

 

 

目の奥が熱くなっていくのを抑えられない名犬ポチ。

死ぬほど腹が立ってしょうがなかった。

よりにもよってこいつに命を救われることになるなんて。

しかもそのおかげでこいつはもう復活できない。

形容できない感情が名犬ポチを包んでいく。

 

 

「あっはっはっは」

 

「何笑ってんだよ!」

 

 

急に笑い出すカッツェに怒鳴り返す名犬ポチ。

 

 

「いや、なるほどなるほど…。確かに誰かが慌てる姿ってのは悪くないなぁ。お前がよく人に嫌がらせしてた気持ちってもんが少しわかってきたよ」

 

「…嫌味かよ」

 

「そう受け取ってくれても構わないさ。それよりもホラ。俺のスキルは制限時間があるんだからさっさとやってくれよ。俺に今消えてもらっちゃ困るのはそっちだろ?」

 

「うっ…」

 

 

カッツェに背を向け、目元をゴシゴシと肉球で擦る名犬ポチ。

そして最後に。

 

 

「…恩に着る。…じゃあ、な」

 

 

そう言い残してアルベドへと向かっていった。

 

 

「はっ…、ははは! まさかお前がそんなこと言うなんてな…! 信じられねぇ…! 全く世の中何があるかわからねぇなぁ…」

 

 

名犬ポチの背を見ながらカッツェが笑いをこらえず噴き出す。

そして誰にも聞こえないぐらい小さな声で呟く。

 

 

「邪魔なもんは排除してやったぞ…」

 

 

名犬ポチのスキルを確実に発動できる状態まで持っていくには傾城傾国がどうしても邪魔だった。

永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)ですぐ名犬ポチを復活させても傾城傾国を喰らってしまっては意味がない。

だからこそどうしても傾城傾国を自分に使わせる必要があった。

それにカッツェのこの隠しスキルには弱点がある。

そもそも制限時間まで逃げられると手も足も出ず完封されてしまうというアホみたいな欠点が。

相手がプレイヤーだったら通用しなかっただろう。

不安要素は多すぎた。

だがその全てを乗り越えたのだ。

賭けは成功した。

 

後は名犬ポチ次第。

 

 

「最後に見る花火としては悪くないな…」

 

 

ユグドラシルの最終日はギルド拠点に籠っていてお祭り騒ぎも花火も何も見ていなかった。

 

だからこれが俺にとっての最後の花火だ。

 

 

「楽しかったぜポチ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「この力は一体…! もしや名犬ポチ様の身に何かが…!」

 

 

カッツェ平野を南下中だったデミウルゴス。

永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)の発動を感じた瞬間、全力で現場へと向かうことを選択した。

それだけで尋常でない何かが起きたことが理解できたからだ。

十二宮の悪魔達を率いて最高速度で飛行する悪魔達。

名犬ポチの元まで到達するのにそう時間はかからないだろう。

 

 

だがそれと時を同じくして永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)の波動を感じ取った者がもう一人。

 

 

「これは世界級(ワールド)アイテム…? まさか姉さんの身に…?」

 

 

すでに活動を再開していたルベドもすぐに異常を感じ取る。

即座に全身のジェット噴射を使い超高速で現場へと向かう。

片腕は失ったとて、未だナザリック最強は揺らがないルベド。

 

彼女の到来が波乱を呼ぶことはまだ誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

アルベドは唖然としていた。

 

完璧ではなかったが首尾は上々だったはずなのだ。

邪魔な守護者達の始末も上手くいっていたし、名犬ポチさえも消し去ることに成功した。

全て上手くいっていたのだ。

なのにどうして。

どうしてこんなことになる?

最後の最後でこんな悪夢のような事態に陥るなんて。

 

 

「う、嘘よ…! あり得ない…! こ、こんなことあり得ないわ…!」

 

 

ガルガンチュアと互角の強さを持つ強者の存在。

 

しかもそれだけならいざ知らず傾城傾国まで奪われてしまった。

 

それどころかロンギヌスでその存在ごと抹消したはずの名犬ポチさえ復活するという不合理。

 

もはや戦力比は完全にひっくり返った。

 

手元に切り札は何もなく。

 

アルベドは自分の力だけで名犬ポチに対処しなければならない。

 

しかも長引けばガルガンチュアまでやられる可能性がある。

 

そうなっては完全に詰みだ。

 

 

「うぅ…! ぐぅぅうう…!」

 

 

眉は折れ曲がり、唇は強く噛み締められ、悔し涙が浮かぶアルベド。

 

 

「アルベドォ! テメーマジで許さねぇからな! マジで許さねぇからな! ロンギヌスとか無しだろ普通に考えてよぉ! 限度があんだろバカがぁ!」

 

 

怒りの言葉を叫びながら名犬ポチがアルベドへと襲い掛かる。

 

 

「く、くそがぁぁ! ナメやがってぇぇ!! いいわ、やってやる、ブチ殺してやるわぁぁぁ!」

 

 

腹を決め、手に持っていたバルディッシュを強く握り全力で迎撃態勢へと入るアルベド。

もはやアルベドとしては力でこの場を切り抜けるより他にない。

 

そうして両者はぶつかる。

 

 

 

だがアルベドは知らない。

 

名犬ポチがユグドラシル時代にどれほど恐れられていたのか。

 

その切り札たるスキルはあまりの凶悪さから非常に有名だった。

 

有名になってからは逃げだす者が多かった為、発動する機会に多く恵まれなかった。

 

そのせいもあり回避方法はユグドラシルが終了した今となっても判明していない。

 

まぁ名犬ポチからすればこの上ない程にクソスキルなのであるが。

 

ちなみに攻略サイトにある名犬ポチの欄には一つだけ対処方法が書かれている。

 

 

 

『戦うな』と。

 

 

 




次回『オーバードッグ』タイトル回収。








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オーバードッグ

前回までのあらすじ!



復活っ! 名犬ポチ復活っ!
そして踏んだり蹴ったりのアルベド。


それはまだアインズ・ウール・ゴウン全盛の時代。

ナザリック地下大墳墓の円卓の間にてギルドメンバーがわいわいと騒いでいた時の話。

 

その日の話題は戦闘について、である。

 

 

「やっぱ最強はたっちさんで決まりでしょう」

 

「でしょうねぇ、一対一じゃ勝てるビジョンが見えて来ない」

 

「フン、認めたくないが強さならアイツだろうな…」

 

「でも一撃の強さならウルベルトさんでは?」

 

「ああ、確かに。でもそれなら物理トップは武人建御雷さんですね」

 

「いやいや、隠密も併用すれば一撃だけとはいえ弐式炎雷の方が上だろう」

 

「弐式炎雷さんはピーキーすぎるでしょ、仕留めそこなったら間違いなく返り討ちだし」

 

「ていうかそんな条件付きでいいなら遠距離戦最強はペロロンチーノさんですね」

 

「あいつのことは放っておいていいよ」

 

「なんで!? 姉ちゃん酷い!」

 

「弟、黙れ」

 

「まぁまぁ…。しかしタフさで言うならやっぱり茶釜さんですかねぇ」

 

「回復もありでいうならやまいこさんもいい線行くんじゃないか?」

 

「待て待て。そもそもぷにっと萌えさんが味方にいるかいないかで全体の戦力が変わってくるぞ」

 

「ふむ、しかしタブラさんなら…」

 

「ヘロヘロさんが…」

 

「るし★ふぁー」

 

「うるせぇ」

 

 

そんな感じでワイワイと騒ぐ中、ふと誰かが言った。

 

 

「じゃあ一番敵対したくない人は?」

 

 

一人を除き、その場にいた全員が顔を合わせる。

そして示し合わせたように口を開いた。

 

 

「「「ポチさん!」」」

 

 

満場一致で即答であった。

 

 

「え、皆なんか酷くね? 微妙に傷つくんだけど」

 

「いやいや、褒め言葉ですって」

 

「そうだな、こんだけ弱いにも関わらず敵対者を出さないってのは凄い」

 

「確かに。ポチさんの強さじゃ普通はカモられて終わりですもんね」

 

「まぁ最初は目も当てられないくらいカモられまくりだったがな」

 

「でも一緒にいると心強いですよ、今はまず喧嘩売られませんし」

 

「ちくしょー! あれ使って良い事なんか俺個人には一個もねぇんだよ!」

 

「だろうね。仲間がいないと完全に死にスキルだし」

 

「ボコられて終わりというw」

 

「笑うなぁ! くっそー、皆してバカにしやがってぇ!」

 

「てか敵対ギルドにポチ投げれば後は俺たちで全滅させられるんじゃね?」

 

「ふむ、それはいいな」

 

「そうなると問題はどうやってポチさんを投げ込むかですが…」

 

「やめろやめろ! 俺のスキルを当てにするなぁ!」

 

「落ち着いて下さいって、一回だけですから」

 

「マジでやんのかよ!? あり得ねぇだろ! あれ後がウザいんだよな!」

 

 

結局、名犬ポチ本人による大反対につきその計画は流れたのだった。

ただ一つ分かったのは『戦いたくない』という一点に限ればアインズ・ウール・ゴウンの中で名犬ポチであるということに誰も異を唱えないということだ。

もちろん、かつてたっち・みーを完封した時のような外見上の話ではない。

 

もっと正確に言うならば。

 

超越せし犬の王(オーバードッグ)とは誰も敵対したくないということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

アルベドはただただ茫然としていた。

 

目の前の出来事が、景色が信じられない。

それは想定していたものとあまりにかけ離れすぎていたからだ。

意味がわからない。

何が起きたのか、いや、なぜこうなったのかアルベドには欠片も理解できなかった。

 

 

「な、何が…?」

 

 

最大の警戒を持って様子を見る。

こんなはずはない。

こんなはずがあるわけがないのだ。

こちらを油断させる為の演技に決まっている。

だってそこにいるのは。

 

至高の41人。

偉大なるナザリックが支配者の一人。

 

それが、その一人である名犬ポチが。

 

 

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「が、がふっ…」

 

 

地面に傷だらけで転がっている名犬ポチが口から多量の血を吐き出す。

見ただけで骨も内蔵も重症であろうことが見てとれる。

 

 

「ど、どういうつもりなの…? だ、騙されないわよ…。そうやって油断させて隙を突くのがお前のやり方なのでしょう…!?」

 

 

だがアルベドの問いかけにも答える様子はない。

いや、答える余裕がないと言うべきか。

 

 

名犬ポチとアルベドが激突した刹那、アルベドは牽制の一撃を放ち残りの全ては防御へ回した。

元々防御を得意とするアルベド。

先制を取るよりも敵の出方を窺い、防御あるいはカウンターで迎撃するのを得意とする。

 

だからだ。

 

反撃も何もしないうちに相手側が瀕死になって地に伏すなど予想できるはずがない。

牽制の攻撃だって名犬ポチがどのような種類の攻撃をするのかをいち早く見極める為のものでしかない。

ダメージを与えるというよりもどのように打ち消すか、あるいは意にも介せず攻撃してくるのか。

そういった情報を入手する為のものであって攻撃等とはとても呼べない代物だ。

 

リアルの世界で例えるならば、格闘技などで試合前にグローブを軽く合わせて挨拶をしたら相手の拳が砕けて不戦勝になってしまったような心境、とでも言うべきだろうか。

しかも相手はヘビー級世界チャンピオン、そのような状況。

 

誰がそのような事を想定できるのか。

いや、信じられるだろうか。

 

だからアルベドが現状を理解できずただ立ち尽くしていたとしても誰も責めることはできないだろう。

 

 

「ぎ、擬態…? い、いや変わり身かっ!?」

 

 

咄嗟に周囲に警戒を向ける。

だが何もない。

自身の探知に引っかかるものは何もない。

自分の感覚を信じるならば目の前にいる名犬ポチは間違いなく本物で、瀕死であることもまた事実だ。

 

だが油断は出来ない。

いや、してはいけない。

きっとこちらが感知できないような何かで隙を窺っているだけなのだ。

 

 

「ぐっ…、うぅ…、かはっ…」

 

 

だが本当にそうなのだろうか。

再び名犬ポチがその場に吐血する。

それはとてもではないが演技に見えない。

 

 

「ま、まさか本当に…?」

 

 

恐る恐るアルベドが名犬ポチへと近寄る。

試しにバルディッシュで名犬ポチの足を突き刺してみる。

 

 

「あぐぁあっ…!」

 

 

瀕死ながらも痛みに顔を歪め叫び声を上げる名犬ポチ。

その感触は幻でないことをアルベドへと伝える。

 

もちろんこれが全て名犬ポチの作戦ということもあり得る。

こちらが知覚できない超高レベルな幻術等を駆使している可能性は否めないからだ。

だが戦士系とはいえ防御特化のアルベド。

そういった魔法やスキルによる異変さえ防ぐことができるように創造されている。

いくら防御が固くとも感覚を誤魔化され、守るべき者を守れなければ意味はないからだ。

もちろん全てを防げるわけではない。

カッツェの魔法が通ったように超特化したものは流石に防げない。

だがそれでも気づかないということはあり得ない。

アルベドはそのように自負している。

 

それにもしこれが名犬ポチの作戦であるならとっくにアルベドの虚を突き攻撃してきててもいいはずだ。

いくら待ってもそのような気配はない。

長期戦を狙っているのかもしれないが時間が経てば経つほどアルベドは冷静になれる。

最大の好機はアルベドが動揺した瞬間、その時だったのだ。

 

だが何もなかった。

 

アルベドは倒れている名犬ポチの首を掴み持ち上げる。

 

 

「うぐっ…!」

 

 

名犬ポチの顔は痛みと恐怖に引き攣っている。

やはり演技ではない。

少なくともアルベドの感覚には怪しい点は何もない。

 

以上のことからアルベドが下した判断は。

 

 

「くくく…! あははははははは!!! まさか! まさかまさか貴様がこんなに弱いとは想定もしていなかったわ! あははは! 弱すぎて…! あまりにも弱すぎて理解するのが遅れてしまう程! これが至高の41人!? なんてくだらない! 文字通りモモンガ様の足元にも及ばないゴミだわ! ああ、こんな奴にあれだけ怯えていたなんて…! いや、認めましょう。頭脳戦では確かに負けてしまったわ…。このまま最良の手段を取っていれば竜王国の王女の始原の魔法(ワイルドマジック)によって滅ぼされていたでしょうからね…」

 

「…?」

 

「でもまさか私が単身で来るとは予想していなかったのでしょうけれど…。貴様も最後の最後で読み違えたわね…! まぁ私も貴様が単身でナザリックに帰還しようとするとは想定していなかったけれど…。運が味方したとはいえ勝利したのは私だったわね…! くくく、しかしここまで弱いなんて…! いくら頭脳戦に長けていると言ってもまさかプレアデスにも歯が立たないようなレベルだとは…」

 

 

アルベドの語る言葉に名犬ポチからは疑問符しか出てこない。

全く何を言っているのか理解できないし、始原の魔法(ワイルドマジック)などという初めて聞く単語も出てきた。

痛みで意識が朦朧としているせいもあり全く頭に入ってこない。

 

 

「さて…、貴様が取るに足らない存在だと分かったところでいくつか質問があるわ…。あのガルガンチュアと互角の猫は何者? まさか貴様のNPCか…?」

 

「答える義理はねぇな…」

 

 

名犬ポチがアルベドの顔へ唾を吐く。

笑顔のままゆっくりと片手でそれを拭くとそのまま名犬ポチの手を握る。

 

 

「聞き分けの悪い子ね…」

 

 

そのまま力任せに名犬ポチの爪をはぎ取るアルベド。

 

 

「いっ! ぎぁああぁぁあァァアァっ!」

 

 

手に走った激痛に耐えきれず名犬ポチの叫びが辺りに響く。

 

 

「答えたくないならまぁいいわ…。貴様がもはや敵ではないと分かった以上、始末し次第すぐにあいつも後を追わせてあげる」

 

 

そう言って不敵に笑うアルベド、だが。

 

 

「ごふっ…。そ、それは無理だな…」

 

「何ですって?」

 

「お前が勝つことはねぇよ…」

 

 

再びアルベドが残っている名犬ポチの爪をはぎ取る。

 

 

「ああぁあっぁあああああ!!!」

 

「妄言はその辺にしておいて貰いたいものね…。奴はともかく貴様はここで死ぬのよ…? 全く…、現状を把握できない愚か者だとはね…。いや、愚か者だからこそ彼我の力量差も考えずに突っ込んできたのかしら…? それならば少しは感謝してあげるわ」

 

 

ニタリと笑みを浮かべるアルベド。

 

 

「最後に聞きたい…」

 

「…。何かしら…?」

 

 

質問に答えるというよりも名犬ポチが何を聞きたいのかが気になり続きを促すアルベド。

 

 

「ナザリックはどうなっているんだ…? モモンガさんは無事なのか?」

 

 

名犬ポチのその問いにアルベドの髪の毛が一気に逆立つ。

 

 

「貴様のようなカスがモモンガ様の名を口にするなぁぁあ!」

 

「あぐっ…」

 

 

思わず名犬ポチの首を掴んでいた手に力が入るアルベド。

 

 

「モモンガ様は無事よ、当たり前でしょう…? 我らがナザリックの主なのだから…! 我々は皆あの御方の為に存在しているの…! あの御方を脅かす者は誰であろうと許さないわ…」

 

「な、ならば俺を攻撃する理由はなんだ…? 別にモモンガさんの命令というわけでもないのだろう…?」

 

 

モモンガの性格を考えればこんなことを命令するわけがないと分かる名犬ポチ。

だからこそ疑問に思う。

なぜナザリックのNPCであるアルベドが自分を殺そうとしているのか。

 

 

「理由…? 理由ね…。私達を…ナザリックを捨てたお前にそんな事を問う資格があると思っているの…?」

 

「ナザリックを…捨てた…?」

 

「ええ、そうよ! モモンガ様を残し貴様等は全員がナザリックを去った! その後モモンガ様がずっと御一人でナザリックの為に働かれていたことなどどうせ知らないのだろう! どれだけモモンガ様が悲しまれたか! どれだけモモンガ様が貴様等のことを想っていたのか! そんなことなど微塵も考えていないのだろう! 唯一我々とナザリックを見捨てず御残りになられた慈悲深きモモンガ様…! あの御方を傷つける者は誰であろうと許さないわ…! あの御方の為ならば私は何を犠牲にしてもいい…!」

 

 

怒りのままに叫ぶアルベドだが次第にその声は弱まっていく。

代わりにその瞳から涙が流れ出た。

 

 

「貴様のせいだ…!」

 

「…?」

 

「貴様が…! 貴様のせいでモモンガ様が! もうモモンガ様は喋らない! モモンガ様がもうこの身に触れてくれることはない! 私のことを愛してくれない! 全部、全部貴様のせいだっ…!」

 

「な、何だと…? モモンガさんの身に何かあったのか…?」

 

 

アルベドから語られる言葉に名犬ポチは驚きを隠せない。

モモンガは一体どうしているのだろうという疑問はずっと頭を離れなかった。

アルベドのその言葉はモモンガの身に何かがあったことを如実に表している。

 

 

「もうモモンガ様の御心はどこかに行かれてしまった…。でも、でもね…。体だけはもう私の物…。爪の先に至るまでもう誰にも渡さない…! 決して離しはしないわ…! 貴様に邪魔などさせるものかっ…!」

 

 

アルベドの言葉からは何が起きたかは分からないが何か重大な事が起きたことだけは理解できる。

だが今の名犬ポチにはどうしようもできない。

 

 

「ロンギヌスで消滅させれなかったのは痛かったけれど…。もう二度と生き返りたくないという程に殺し尽くしてあげるわ…」

 

 

アルベドがその言葉と共にバルディッシュを名犬ポチに突き刺そうとした瞬間。

 

 

「待ちなさいっ!」

 

 

空から声がかかった。

そこにいたのは一匹の悪魔と後ろに待機する複数の悪魔達。

アルベドが空を見上げその名を呼ぶ。

 

 

「デミウルゴス…!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「アルベド…! 貴方は何ということを…! すぐにその手を離しなさいっ…!」

 

 

アルベドの手の中にいる瀕死の名犬ポチを見てデミウルゴスが叫ぶ。

彼は今にも爆発しそうな自分の感情を必死で抑え込んでいた。

それもそのはずだ。

あろうことか自分達が忠誠を誓うべき御方に手を上げるなど配下として考えられない大罪だ。

いやそんな言葉では生温い程の所業。

 

もちろんアルベドが名犬ポチに害を為そうとしていたのは理解していたデミウルゴスだがその現場を実際に目にするとそれがあまりに罪深すぎて言葉にできない。

すぐにアルベドをこの世から痕跡も残らぬように排除し消し去りたいとさえ想う。

だが今はそれはできない。

最も優先するべきは名犬ポチの安否だからだ。

 

 

「随分と久しぶりね…。コキュートスはどうしたの…? 貴方の討伐に向かわせたのだけれど…。もう殺してしまったのかしら…?」

 

「いいえ。まともに戦えば勝ち目はないですからね。現地の者の相手をしている隙をついて逃げてきましたよ」

 

 

デミウルゴスのその言葉に舌打ちをするアルベド。

 

 

(ちっ、コキュートスの役立たずめが…!)

 

 

やはりコキュートスだけでは駄目だったかと心の中で悪態をつく。

だがそもそもはアウラにバレてしまったことが事の始まりだった。

そうしなければマーレも敵対しなかったしいくらでも手を打てた。

結局は自分のミスが招いた結果と言ってもいい。

その事は素直に反省するべきだろう。

 

 

「それより早く名犬ポチ様を離しなさいアルベド…! 貴方は自分が何をしたか理解しているのですかっ…!」

 

「分かっていないはずないでしょう? だから離すこともできないわ」

 

 

悪びれもせず口にするアルベドの言葉にデミウルゴスの眉間がピクピクと痙攣する。

 

 

「この事を知ったらモモンガ様がどれだけ悲しまれるか…」

 

「黙りなさいデミウルゴス…!」

 

「モモンガ様の身に何かがあったというのは予想がついています。だからこそ貴方が独断で動いたのでしょうからね…。しかしモモンガ様がいつまでもそれを放っておくと思うのですか…? 貴方は…」

 

「黙れって言ってるだろうがっ!!!」

 

 

アルベドの叫びがデミウルゴスの言葉を止める。

 

 

「お前に何が分かるっ…! ずっとモモンガ様の横で全てを見てた私にはわかる…! どれだけあの御方が悲しまれたか! 傷つかれたか! 恐らくもうモモンガ様は目を覚まさない…! もうモモンガ様は帰ってこない…!」

 

 

鬼気迫るアルベドの言葉に初めてデミウルゴスが動揺する。

わずかな情報だけでデミウルゴスは全てを悟った。

 

 

「ま、まさかモモンガ様が…。そうですか、なるほど…。やっと貴方の行動に合点がいきましたよ…」

 

「理解してくれたようで嬉しいわ、なら…」

 

「だからといって見逃すはずがないでしょう。すぐに名犬ポチ様から手を離しなさい、それは絶対です」

 

 

デミウルゴスの言葉にアルベドが目を細め睨みつける。

 

 

「貴方こそ理解しているのデミウルゴス? こいつを連れ帰ってどうするの? モモンガ様の代わりにナザリックを治めてもらう? 冗談じゃない。今までナザリックを放っておいたような奴に今更支配者面されるなんて我慢できないわ…。ナザリックはモモンガ様ただ一人の物よ…」

 

「そこに関しては我々が口を出すべきことではないと思うがね。全ては至高の御方達がお決めになることだ。我々はただそれに従えばいい…。それに名犬ポチ様ならばモモンガ様を呼び戻して下さるかもしれないではないですか…!」

 

「それが問題なのよ…! もし、もしその男を、名犬ポチをモモンガ様と会わせたとしてそいつがモモンガ様を連れてこの地を去らない保証がどこにあるの!? モモンガ様ならば去らないと言って下さるかもしれない! でもこいつがいる限りいつか気が変わる時が来るかもしれない! モモンガ様が居なくなるかもしれない! そんなことになるくらいなら現状のままで…、例えモモンガ様の御声を二度と聞くことができなくなったって…! ここでこいつを始末すればモモンガ様は永遠にナザリックにいて下さるのだから…! いえ! そうよ、そうだわ…。貴方は勿論だけどナザリックのシモベも全員始末してしまいましょう。世界中を破壊したっていい! 世界に私とモモンガ様だけ…。そして私はあの人の腕に抱かれて永遠の時を過ごすの…。ああ、素敵だわ、私とモモンガ様だけが愛し合う世界…。二人だけの楽園…!」

 

 

恍惚とした表情でアルベドが語る。

まるで夢見る少女のように。

 

 

「目を覚ましなさいアルベド! モモンガ様の御気持ちを考えたことはないのか!? モモンガ様が望んだのならばいい。だが、そのような行為をモモンガ様が喜ぶはずがないだろう! 至高の御方達よりも自分の感情を優先するなど…! 配下としてあるまじき行為!」

 

「黙れぇぇぇ!」

 

 

突如として般若のような顔になりアルベドが声を上げる。

 

 

「そんなの分かってる! 全部分かってるわよ! 全ては私の一人よがりだって! 私は私のためにモモンガ様の全てをこの手に収める! だって、モモンガ様はもう喋らない! 触ってくれない! 愛してくれない! もう御心はここにない…! 届かない…! でも! それでもいい! モモンガ様がナザリックからいなくなるくらいならばそれでも構わない! だってもうモモンガ様の体は私だけのもの…! 私の欲望の、幸せのために全てを行う!」

 

 

そう叫んだ後、アルベドが名犬ポチを掴んでいた手を離す。

首を絞められていた名犬ポチがせき込みながら地面へと落ちる。

 

地面に落ちた衝撃で薄れていた意識が戻った名犬ポチは倒れたままでデミウルゴスへと問いかける。

 

 

「デミ、ウルゴスか…。懐かしいな…。な、なぁ、お前も俺を恨んでるのか…?」

 

 

それは名犬ポチの最後の問い。

突如現れた懐かしいNPCの顔。

 

両者の会話がまともに耳に入っていなかった名犬ポチはただ問う。

自分はナザリックの者達にそれほどまでに恨まれていたのかと。

 

 

「そ、そんなことはありません! わ、我々ナザリックのシモベ達全員が名犬ポチ様のご帰還を喜んでいます!」

 

「そう、か…。なら良かった…。デミウルゴス…、俺はもう一度…ナザリックに、帰…」

 

「は、はい! すぐにお連れしますとも! だからご安心下さい!」

 

「いいえ、その時は来ないわ」

 

 

両者の会話をアルベドが遮る。

 

 

「だって私がここで全員踏みつぶすのだから…! こんな風に…!」

 

 

足元に倒れる名犬ポチの首目掛けてアルベドが足を振り下ろす。

ボキッ、という嫌な音と共に名犬ポチの首の骨がいとも簡単にへし折られる。

 

その一撃で名犬ポチは絶命した。

 

その瞬間、名犬ポチの断末魔の叫びが辺りに木霊する。

この世の無念を嘆き悲しむかのような痛々しい悲鳴。

 

 

「アルベドッ! 貴様ァァァァアアアアアアア!!!」

 

 

それを合図にしたかのように瞬間的にデミウルゴスがアルベドへと襲い掛かる。

いくらデミウルゴスとてこれを前にして冷静ではいられなかった。

怒りが全てを支配し、思考は真っ白。

自分を抑え込むことが出来ずに感情の赴くままアルベドへと向かって突っ込んでいく。

 

 

ここに関して言うならばアルベドの作戦勝ちであったと言わざるを得ない。

 

 

アルベドの目の前にはデミウルゴスと十二宮の悪魔達。

いずれも単体であればアルベドの敵ではないが同時に戦うとなれば不利であると言わざるを得ない。

その為の名犬ポチの殺害。

もちろん当初から予定していたことではあるがここで見せつけるように殺せばデミウルゴスが激昂しないはずがない。

そんな状態のデミウルゴスであればアルベドなら簡単に対処できる。

もちろんデミウルゴスとてそれは理解していただろう。

 

だが目の前で行われたあまりに罪深く不敬な行為。

それを見て冷静さを保てというのは到底不可能であった。

 

結果として、戦士職であるアルベドに正面から無計画に突っ込むという愚をデミウルゴスは犯してしまう。

守護者の中でもアウラの次に弱いデミウルゴス。

肉体能力ならば最強の一角とも呼べるアルベドに勝てる道理などあるはずがない。

接近戦となれば天地がひっくり返ってもアルベドには届かないのだ。

 

アルベドが嗤いながらバルディッシュを構える。

もはや防御の必要もない。

デミウルゴスならばアルベドは小細工無しで正面から叩き伏せられる。

 

 

「アルベドォォォォオオオ!」

 

「愚かねデミウルゴス! ここで死になさい!」

 

 

デミウルゴスの拳とアルベドのバルディッシュがぶつかる。

両者の力の差を考えればアルベドは無傷で、デミウルゴスはこの一撃で致命傷は免れない。

 

そんな分かり切った勝負。

 

冷静さを失いそんなことも計算できないデミウルゴスへ薄ら笑いを浮かべるアルベド。

 

 

 

だが吹き飛んだのは。

 

 

 

「………は?」

 

 

地面を抉るほどの勢いで吹き飛ばされ大地に転がったのはアルベド。

その口からは呆けたような言葉が出る。

 

もちろんデミウルゴスも同様に唖然としている。

冷静さを失っていたとはいえアルベドに自分の攻撃が通用するなど微塵も思っていなかった。

だが現実では、吹き飛び血を流したのはアルベド。

デミウルゴスも多少の傷は負ったとはいえ無事と言って差し支えない。

 

あまりに予想外のことにかえって冷静さを取り戻したデミウルゴス。

 

 

「い、一体何が起こったというのです…?」

 

 

だがすぐにデミウルゴスは気付いた。

 

名犬ポチの死体から黒いモヤのようなモノが周囲へ広がっていくのに。

 

 

 

それは悪意の塊。

 

この世の全てを呪い侵す。

弱者の恨みであり嫉み。

妬み憎しみ意趣遺恨。

害を為す私怨であり怨讐。

強者に虐げられた弱者達の怨嗟の念。

 

 

 

「ひっ、あぁぁああああっ!」

 

 

濃い霧のように発生した黒いモヤは辺り一面を覆い隠していく。

まさに世界を黒く染める闇。

その黒いモヤがアルベドへと纏わりつくと子犬の形となりしがみ付いていく。

その有様はまるで親の仇を逃がさぬようにと。

あらゆる子犬の形を為すそれらは千差万別の魑魅魍魎。

強者を食い散らかさんと這い出た弱者の有象無象。

 

 

アルベドは一瞬で理解する。

 

これはまずい。

 

何かはわからないが、()()()()()()()()()()と。

 

 

「く、来るな…! 来るなぁぁぁぁああ!!!」

 

 

必死に振りほどき逃げようと足掻くが全ては徒労。

 

決して逃れられない。

 

 

ユグドラシル時代にプレイヤーのただ一人として逃れることのできなかったスキル。

NPC如きに逃れられるはずもない。

 

オーバーキャットとまるで鏡合わせのように類似するオーバードッグ。

オーバーキャットの隠しスキルが死を必要とするように。

オーバードッグもまた死を必要とする。

それこそがトリガー、発動条件。

 

いずれも弱者という自分の欠点をカバーする為のもの。

オーバーキャットは他人の威を借り強さを手にいれる。

ならばオーバードッグは?

 

オーバードッグの隠しスキルは他者の足を引っ張り嘲笑う為のもの。

 

 

 

<Howling Underdog/負け犬の遠吠え>

 

自分が殺された場合、殺した相手及び半径100m以内の敵対者全てに強力なデバフを与える。

敵対者と能力差があればあるほど効果は高まる。

名犬ポチの切り札にして抑止力。

このスキルのため『負け犬』という二つ名で呼ばれることになったのだが本人は憤慨している。

 

ちなみにデバフの効果は敵対者のステータスを自分との平均にまで下げるというもの。

名犬ポチのステータスは66相当。

つまりレベル100であっても83相当にまで引き下げられてしまう。

 

だがオーバードッグには一つのパッシブスキルがあることを忘れてはならない。

 

 

 

<Barking dogs seldom bite/弱い犬ほどよく吠える>

 

自分のステータスが半減し、魔法やスキルも弱体化するがエフェクトが派手になり消費魔力も減るというスキル。

 

 

この為に普段の名犬ポチのステータスは33相当にまで落ち込んでいる。

つまりこの状態で<Howling Underdog/負け犬の遠吠え>を使用した場合、レベル100であれ66相当にまで低下してしまうのだ。

それは名犬ポチの本来のステータスと遜色ない数値。

 

装備次第ではあるが10レベル差もあればまず勝てなくなるユグドラシルにおいて66レベルという数値がいかなるものか。

基本的にカンストしてからが始まりと言っても過言ではないMMORPGにおいては弱者と言わざるを得ない。

強者から狩られるだけの獲物。

 

それは名犬ポチが見ていた世界だ。

 

 

「な、あっ…! ち、力が入らない…!?」

 

 

自身のステータス低下の影響を感じるアルベド。

今やその強さはレベル66相当。

戦闘特化ではないデミウルゴスとやりあっても打ち負ける強さである。

 

 

強者は驕ってはならないのだ。

 

強者の威を借り肩を並べるのがオーバーキャットであるならば。

 

オーバードッグは強者を自分のステージまで引き摺り落とす。

 

栄枯転変、弱者を侮れば足元を掬われる。

 

 

モモンガの<The goal of all life is death/あらゆる生ある者の目指すところは死である>のように強力な効果ではないが<Howling Underdog/負け犬の遠吠え>はそれとは違い簡単な回避方法がないのがキモであろう。

ほぼ回避不能の超絶デバフ。

さらに厄介なのはこのスキルでダウンしたステータスは死亡しても元に戻らないことだ。

もし元のステータスに戻したければ犬系のプレイヤーを蘇生してあげなければならない。

その回数は下がったレベル相当分。

最高の嫌がらせである。

人間種のプレイヤー等は仲間に犬系の種族を持っている者が少なく、中には他にアテがないのか泣きながら名犬ポチを蘇生する為にしばらく付き従っていた者が少なくない。

人数が多かった時などは誰が先に蘇生するかで争い出したプレイヤーも存在する程。

もちろん名犬ポチはそれを見ながら愉悦の極みにあった。

すぐに飽きたが。

 

 

蛇足ではあるがユグドラシルからこの世界に転移してきた際にいくつかの法則に変化が起きている。

魔法やスキル、あるいはアイテム等の効果だ。

<Howling Underdog/負け犬の遠吠え>も同様である。

本来は100mの範囲しかないはずなのだがこの世界に転移してきてその効果は断末魔が届く範囲に変わっている。

これは未だ名犬ポチすら知らぬこと。

もしどこか遠くでこのスキルの被害に遭った者がいるとするならば不幸であるとしか言いようがないだろう。

 

 

 

 

 

 

周囲に広がる漆黒の海。

それはまさに地獄の底と形容するのが相応しい様相を呈していた。

 

 

「おおおぉぉぉ…! な、なんという闇…! 悪意…! まさしく邪悪の権化…! お、恐ろしい…! こ、これが名犬ポチ様の力なのですか…! ウルベルト様が恐れていたのも頷ける…! 奈落への呼び声…! まさに世界を呪う悪神…! 」

 

 

名犬ポチから迸る悪意に心から震えるデミウルゴス。

それは自分の持つ悪意が子供騙しに思える程に禍々しかったからだ。

デミウルゴスがそんな風に感動に体を震わせる。

敵対判定が無い為か黒いモヤはデミウルゴスを避けて広がっていく。

 

同様に黒いモヤはカッツェを避けるがガルガンチュアは違う。

ガルガンチュアの全身を黒いモヤが覆い、子犬の形となって悪意を振り撒く。

 

 

「フン!」

 

「ゴオッ…!!」

 

 

名犬ポチのスキルによって弱体化したガルガンチュア。

そしてガルガンチュアと同等の強さを持ち弱体化していないカッツェ。

もはや言うまでもなく、ガルガンチュアはカッツェによってあっさりと倒された。

 

 

「流石にコイツは蘇生できねぇだろうからな…。コアだけはとっておいてやるか…」

 

 

崩れたガルガンチュアの体の中からコアを探し出し手に取るカッツェ。

だがその時、体の異変に気付く。

 

 

「うっ…、しまった…! 時間か…! クソ、ユグドラシルより早ぇ…!」

 

 

名犬ポチのスキルに変化が起きているようにカッツェのスキルにも変化が起きていた。

カッツェもこの時までこのスキルを使ったことが無かったので時間が短くなっていることに今気づいてしまう。

 

 

「やっちまった…。後でポチにどやされるな…」

 

 

乾いた笑いが出るカッツェ。

だがもう時間が無いのはどうしようもない。

幸い、先ほどアインズ・ウール・ゴウンの新しいNPCらしき者が現れたがこいつはどうやら名犬ポチと敵対していないようだと判断するカッツェ。

今となってはもうそいつに縋るしかない。

 

 

「おいアンタ、アインズ・ウール・ゴウンのNPCだろ?」

 

 

棒立ちになっていたデミウルゴスへ声をかけるカッツェ。

 

 

「ええ、そうですが貴方は…? ガルガンチュアと戦っていたところを見ると敵ではないと判断してよろしいのでしょうか…?」

 

 

警戒したままデミウルゴスが問う。

 

 

「ああ。ポチを助けてやるって約束してた者なんだがもう体が持ちそうにねぇんだ…。悪いが後は任せてもいいか…? ポチはスキルの影響でナザリックに連れ帰らないと蘇生できない。それとホラ、ガルガンチュアのコアだ。持って帰ればまた作り直せる」

 

 

そう言ってデミウルゴスにコアを投げ渡すカッツェ。

 

 

「これはご親切にありがとうございます。もしや貴方は名犬ポチ様と同様の…」

 

「俺のことはいい。もう消える存在だ、気にするな」

 

「…了解しました」

 

「それとあそこにいる金髪女と子犬はポチの手下らしい、丁重に扱ってやってくれ」

 

「ほう、あの者共が…。分かりました。私が責任を持って面倒を見ましょう」

 

 

その言葉を聞きつけたのか獣王がカッツェの元まで走ってくる。

 

 

「く、くーん…」

 

「俺はここまでだ…、約束通りポチの面倒見てやってくれよ…」

 

「くーん!」

 

 

カッツェの言葉を肯定するように獣王が力強く答える。

それを満足気に見つめるカッツェ。

 

そして時間が来た。

 

カッツェの体が次第に灰のように崩れ空気に流されていく。

 

 

「ああ…、お前は凄い奴だよ…。ちくしょう、やっぱり俺の考えは当たってたな…」

 

 

笑顔で、しかし涙を流しながら名犬ポチの名を口にするカッツェ。

 

 

「俺にしては悪くない最後だ…。そうだろ、ポチ…」

 

 

その言葉と共にカッツェの体の全てが灰となり掻き消えた。

 

 

ユグドラシルの終わりと、この世界に転移してからの死。

 

2つの終わりはカッツェにとって絶望だった。

 

だが3度目の終わりが彼にもたらした物は一体なんだったのだろうか。

 

 

名犬ポチの保身の為の生贄という悪意によって蘇らせられた存在。

 

だがカッツェは言った。

自分の善意は不幸を、名犬ポチの悪意は…。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここまでのようですね、アルベド」

 

 

デミウルゴスが蹲るアルベドへと話しかける。

 

 

「う、嘘よ…、こ、こんなことがあるはずがないわ…! わ、私がこんな…!」

 

 

激しく狼狽するアルベド。

それもそうだろう。

もはやアルベドにデミウルゴスに対抗する手段などないのだから。

アルベドの体に纏わりつく煙のような黒い子犬達がそれをあざ笑うかのように口を歪める。

 

 

「ね、ねぇデミウルゴス…、と、取引をしましょう…? 貴方にとっても悪い話じゃ…」

 

「黙りなさい!」

 

 

アルベドの提案を一喝するデミウルゴス。

 

 

「見苦しいですよアルベド。貴方が行った行為は決して許されるものではありません。償おうとして償えるものではない…! 地獄すら生温い…! あまりに罪深すぎてどう制裁していいものか判断がつかない程です…! 少なくとも貴方にもうナザリックでの居場所はない…!」

 

「くっ…」

 

「最後に言い残すことはありますか? 守護者のよしみです。遺言くらいは聞いてあげましょう」

 

「うぅ…」

 

 

アルベドの頬に大量の汗が流れる。

もう無理だ。

ここでデミウルゴスを出し抜ける方法は無い。

 

絶望の中、全てを諦めようとした瞬間。

アルベドにとっての希望が舞い降りる。

 

激しいジェット音と共に空気を震わせながら高速で飛行する物体がアルベドとデミウルゴスの間へと落下してくる。

 

 

「ぐっ…! な、何ですか!?」

 

 

辺りに砂ぼこりを大量に巻き上げ飛来した物体がその中から姿を現す。

 

 

「姉さん、助けに来たよ」

 

「ルベド!」

 

 

それを見た途端にアルベドの表情が明るく染まる。

そこにいたのはアルベドの妹にしてナザリック最強のルベド。

 

 

「あははははは! 流石よ! 最高のタイミングだわルベド!」

 

 

先ほどまでの表情が嘘みたいに狂ったように笑いだすアルベド。

後ろに後ずさったデミウルゴスを追うようにアルベドが歩を進める。

 

 

「残念だったわねデミウルゴス! これで形勢逆転よ! ルベドがいればお前達など怖くもなんともないわ! 私の戦闘力が下がろうともルベドだけで全員殲滅できる! あはははは! 命乞いなら聞いてあげるけどどうする!? それとも遺言!?」

 

「くっ…! まさかこのタイミングとは…! 私のミスですね…、すぐにアルベドを排除するべきでした…!」

 

 

名犬ポチの隠しスキルの正確な効果を理解していないアルベドやデミウルゴスがここで疑問に思わなかったことはしょうがないかもしれない。

アルベド側についているルベドは本来ならば名犬ポチの隠しスキルの対象である。

だがルベドの体は名犬ポチのスキルには侵されていない。

もちろん実はルベドが名犬ポチの味方だったなんていうオチではない。

 

ルベドには名犬ポチのスキルは通じないのだ。

 

故に名犬ポチのスキルの範囲内にいたにも関わらずステータスの低下は一切見られない。

これはルベドが他の者とはまるで違う創造のされ方をしている為なのだが今ここにそれを知る者はいない。

 

 

「無様ねデミウルゴス! 先ほどの威勢はどうしたのかしら!? あはははは!」

 

 

アルベドの高笑いが響く。

先ほどまで自分が追い詰められていたことなど嘘のように邪悪に笑う。

 

 

「さあルベド! デミウルゴスをやってしまいなさい!」

 

 

そうしてデミウルゴスへ向かって手を突き出し命令するアルベド。

デミウルゴスもルベドの攻撃に最大級の警戒を持って備える。

 

 

 

ズブ。

 

 

 

急にどこからか嫌な音がした。

何か柔らかいものに刃物が突き刺さるような音。

妙に生々しい異音。

 

アルベドはその音がどこから聞こえたのかわからない。

近いような気もするし遠いような気もする。

 

目の前にいるデミウルゴスが心底驚いたように目を見開きこちらを見ている。

 

その視線の先にあるものを追って自らも視線を動かす。

 

行き着いた先は自分の腹部。

 

そこから見慣れぬものが突き出ていた。

 

 

「へ…?」

 

 

間抜けな声を出したのはアルベド。

少し遅れて自分の腹部から突き出ているものの正体に気付いた。

 

それは腕だった。

 

真っ白で細い腕。

 

恐る恐る後ろを振り返る。

そこにいたのはルベド。

自らの腹部を貫通しているのはルベドの腕だった。

 

 

「がはっ…! な、何を…、ルベド…!」

 

 

吐血するアルベド。

それは紛れもなく致命傷。

 

 

「大丈夫よ姉さん、私が助けてあげる」

 

 

ルベドがアルベドに微笑む。

だがアルベドの背筋に冷たいモノが走った。

アルベドは知らない。

自分の妹が笑った瞬間をこの時まで見たことが無かったからだ。

 

これは誰だ…?

そもそもルベドはこんなに流暢に言葉を話していたか…?

 

 

「ル…、ルベッ、ド…! や、やめなさい…! こ、こんなことっ…! 命令して…、ないわ…!」

 

 

その腕を引き抜こうと暴れるアルベドだがルベドの腕はピクリともしない。

 

 

「あ、貴方はっ…! 貴方は私の敵をっ…! 邪魔者を排除するはずでしょうっ…!」

 

「そうだね。付け加えるなら姉さんとモモンガ様の愛の、よ」

 

「お、同じことよっ…! わ、私を攻撃してどうするのっ…!?」

 

 

暴れるアルベドに対して天使のように優しく微笑むルベド。

まるで駄々っ子に言い聞かせるようにルベドは言う。

 

 

「姉さんは姉さんの愛の邪魔をする」

 

「な、何をっ…! 何を言っているのっ…!?」

 

「デミウルゴスとの会話を聞いてたよ。私の集音センサーは性能がいいの。離れてても十分聞こえる」

 

 

一息つきルベドが続ける。

 

 

「今の姉さんにあるのは執着、妄想、狂気。そんなのは愛じゃない。愛は何よりも尊いものなの。このまま姉さんを放置していたら姉さんの愛の邪魔になる。姉さんの愛が消える」

 

「っ…!? ど、どうしたというのルベド…!? 一体何を言って…!?」

 

 

アルベドにはルベドが何を言っているのか理解ができない。

あれだけ愛しく思っていた妹が今は化け物に見える。

恐怖に竦み、足に力が入らず立っていられなくなるがルベドの腕が支えとなり倒れることを許さない。

 

そしてアルベドは気付いていない。

今のこの体勢が奇しくもかつて初めてナザリックの者を切り捨てた時。

つまりはシャルティアを殺した時と同じ体勢であることに。

ただ今回はシャルティアの側にいるのがアルベドなのだが。

 

 

「や、やめなさいルベドっ…! やめてっ…! わ、私が死んだら…! 私が死んでしまったらその愛も消えてしまうのよっ…!」

 

 

必死に懇願するがルベドの微笑みは崩れない。

 

 

「違うよ? 死ねば愛は永遠。そうすればもう誰にも汚せない、邪魔されないの。だからね、私が姉さんの愛を守ってあげる」

 

 

そしてルベドは微笑んだままアルベドの腹から腕を引き抜く。

だが引き抜くと同時に掌で臓物を握り込み一緒に外へと引きずりだす。

 

 

「あがぁあぁぁああああがっぁぁああ!!!!!!!」

 

 

絶叫するアルベド。

それと共に周囲にアルベドの臓物がブチ撒けられる。

 

ルベドの手が体から離れた瞬間、前へと倒れ込む。

辺りは一瞬で血の海となった。

その一撃で命が零れ落ちていくのを感じるアルベド。

これは取返しがつかないレベルの傷だ。

放っておけばそれだけで死に至る。

 

 

(い、嫌だ…! 死にたくない! 私はまだ何も手に入れてないのに! あと一歩でやっと、やっとモモンガ様を私のものにできるのに! 嫌だ! こんなのは嫌だ!)

 

 

倒れたまま必死で逃げようと足掻くアルベド。

 

 

「はぁっ…! はぁっ…!」

 

 

匍匐前進のように両手で前へと進もうとするが腕に力が入らない。

 

 

「どこへ行くの、姉さん」

 

 

いつの間にかルベドがアルベドの眼前に立ちはだかっていた。

 

 

「ひっ…! や、やめっ…!」

 

 

ルベドがアルベドの肩を足で抑え込み、腕を掴む。

 

 

「愛から逃げちゃダメだよ」

 

 

そうして笑顔のままアルベドの片腕を引き千切った。

 

 

「あぎゃああぁっっぁぁぁぁぁがぁあぁああっ!!!!」

 

 

肩口を足で押さえつけられているため暴れることもできないアルベド。

まるで虫のようにその場でバタバタとするだけだ。

 

 

「ああ、姉さん不安なのね。分かるよ、女性は幸せの絶頂でも不安になったりするんだよね? 本に書いてたよ。大丈夫、私がずっと側についていてあげるから。怖いことなんて何もないよ?」

 

 

もはやアルベドにはルベドが何を言っているのか理解できない。

形容するなら得体の知れない怪物に喰われる捕食者の気分といったところか。

恐怖で顎がガチガチと音を鳴らす。

目も視線が定まらず揺れる。

 

 

「た、助けてっ…」

 

「うん?」

 

「た、助けてルベドッ…! な、何が気に入らなかったのっ…!? 私が貴方を怒らせるようなことした…!? そ、そうなら謝るわっ…! だから助けてルベドッ…! こ、殺さないでっ…!」

 

「うふふ。おかしな姉さん。私はずっと姉さんの味方だよ? 怒ることなんてあるはずがないじゃない」

 

 

ルベドはニコニコと笑ったままだ。

本当に演技でも偽りでも何でもなく。

その言葉が全て本心からの物だと理解できる。

 

だからこそ怖い。

 

アルベドは欠片も理解できない妹の凶行に心底震えあがる。

 

 

(嫌っ! 嫌っ! 助けて…! 助けてモモンガ様っ! 死にたくない、死にたくないっ! 私はただモモンガ様と…! あの御方と一緒にいたかっただけなのに…!)

 

 

肩を踏みつけているルベドの足が血で滑り、抜け出すことに成功するアルベド。

残った片腕で必死に地面を這う。

 

 

(やっと…! やっとだったのに…! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! こんな所で躓くなんて嘘よっ…! 嫌ぁ…! モモンガ様ぁ…! 私は…、だって…、そうよ…! モモンガ様を悲しませる奴がいるから…! だから私は…! モモンガ様、モモンガ様ぁっ…!)

 

 

口から、肩から、腹から大量の血を流しながらミミズのようにアルベドが這っていく。

 

 

(私の愛は肯定されてるっ…! モモンガ様が自らその愛を肯定してくれたのだからっ…! だから間違ってる筈なんてないっ…! 私が死ぬなんて嘘よっ…! 愛されないまま…! モモンガ様に愛されないまま死ぬなんて…! そんなこと認めないっ…! 私は手に入れるのよっ…! 愛されるの…! だからこんな所で終わっていいはずがないっ…! 死んでいいはずがないのよっ…! 大丈夫…! ナザリックに帰りさえすれば…! そうすれば…!)

 

 

いつしかアルベドの視界にはナザリックが見えていた。

必死で階層を降り、廊下を進み、勢いよく玉座の門を開ける。

たまらず笑みを浮かべるアルベド。

そこにはモモンガが待っているはずだからだ。

 

だが玉座の間には誰もいない。

セバスもプレアデスも誰もいない。

玉座にいる筈のモモンガの姿もない。

 

ふと気づくとナザリックの天井が壁がぐにゃりと曲がり溶けていく。

床も同様に崩れ、そして溶けていく。

視界の全てが壊れていく。

崩れた先へと落下していくアルベド。

だがそこにあるのは闇だけだ。

何も存在しない。

誰もいない。

モモンガがいない。

誰も愛してくれない。

ここにいるのは一人だけだから。

暗い闇の中でアルベドの絶叫が響き渡る。

だがそれすらも闇に飲み込まれる。

無。

それは孤独で。

永遠の苦しみ。

 

 

「大丈夫、愛は永遠だよ」

 

 

耳元でおぞましい怪物の声が聞こえた。

そこで気づく。

ここはナザリックではなかった。

冷たい土の上。

腹を貫かれてからさほど遠くない場所だ。

そこに力なく横たわっていただけだった。

 

アルベドの意識は死に触れた。

 

 

(い、嫌…! あ、あれが死…! だ、誰もいない…! 誰にも愛されない…! そんなところになんて行きたくないっ…! あんなのは愛じゃないっ…! 嫌だ嫌だ嫌だ! モモンガ様! モモンガ様ァッ!)

 

 

だがアルベドの叫びは届かない。

口から出るのはヒューヒューというか細い呼吸音だけだ。

血が流れすぎ、もはや指の一本も動かない。

 

いくつかの生物は死の間際に都合の良い夢を見るものだ。

自分の願望が形となって表れる。

そうして幸せに死んでいくのだ。

だがなぜだろうか。

夢の中でさえアルベドを迎えに来てくれる者はいなかった。

 

 

(ああ、モモンガ様…! どこにいるのですか、私を…! 私を置いて去らないで下さい…! 私を一人にしないで下さい! 見捨てないで下さい…! 何でもしますから…! だからどうかお姿を…! どこに…どこにおられるのですか…!? アルベドはここに…! ここにいます…!)

 

 

答えなど返ってくるはずが無い。

アルベドの意識は深い闇の底に沈む。

 

 

「あっ……」

 

 

最後に見たのは自分の喉へと牙を突き立てる怪物の姿。

 

夥しい恐怖と深い絶望、後悔の中で虫けらのようにアルベドは死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

アルベドの首を手でへし折ったルベドがゆっくりと立ち上がりデミウルゴスを見る。

 

あまりのことにデミウルゴスは動くことが出来なかった。

 

 

「ま、まさか、こんなことになるとは…。流石に私もこれは予想できませんでしたよアルベド…」

 

 

そしてアルベドの遺体を憐れむように見つめるデミウルゴス。

 

 

アルベドの行為は褒められたものではなかった。

いやそれどころかこれ以上ない程の罪を犯したのだ。

別に許すつもりはないし許せるはずもない。

だがアルベドの最後には憐憫を感じざるを得なかった。

 

 

「ルベド…、貴方はどうするつもりなのですか…? アルベドがこうなってしまった以上、我々が戦う意味はないと思いますが…?」

 

「デミウルゴスも姉さんの愛に協力してくれるの?」

 

 

微笑んだまま問いかけるルベド。

 

 

「アルベドの愛の為に何をするというのですか…? これ以上何をすることが…」

 

「モモンガ様を殺すの」

 

「なっ…!?」

 

「二人が死ななければ意味はないでしょう? 姉さんが死んでモモンガ様も死ぬの。そうして愛は完成するのよ」

 

 

悪びれもせず屈託のない笑顔で言うルベドにデミウルゴスの背筋が凍る。

 

 

「ほ、本気で言っているのですかっ…! そ、そんなこと許されるはずがないっ…! 至高の御方を殺すなど私が見過ごすと思うのですかっ…!」

 

「デミウルゴスは私の邪魔をするの?」

 

「ええ…! 貴方がモモンガ様を殺すなどという妄言を吐くならばね…!」

 

「残念」

 

 

その言葉と共にルベドの姿が消える。

 

 

「っ…!」

 

「じゃあ排除するしかないね」

 

 

あっという間にデミウルゴスの目の前まで距離を詰めるルベド。

それを見たデミウルゴスが瞬間的にスキルを発動する。

 

 

「悪魔の諸相:おぞましき肉体強化!」

 

 

爆発的に肉体を膨らませ強化するデミウルゴス。

そしてその全力をもってルベドの一撃を防御する。

 

 

「ぐぁぁぁあああああ!!!!」

 

 

だがそれは容易く防御を、腕を突き破りデミウルゴスの体に届く。

そのまま吹き飛ばされ地面を転がるデミウルゴスとそれを追うルベド。

未だ転がったままのデミウルゴスに追い付きトドメの一撃を加えようとした瞬間。

何者かの拳によって弾き飛ばされる。

 

そして転がるデミウルゴスをその何者かが優しく受け止める。

デミウルゴスが顔を上げその姿を確認すると呆れたように呟く。

 

 

「やれやれ…、まさか君に助けられる日が来るなんて…」

 

「それはこちらの台詞ですよ。まさか貴方をこんな風に助ける日が来るなど考えたこともありませんでした」

 

「君は私の事を嫌っていると思っていたがね…」

 

「否定はしませんよ。ですが至高の御方に仕える配下として貴方のことは誰よりも信頼しています」

 

 

その何者かの手を借りて立ち上がるデミウルゴス。

 

 

「ははは、嬉しい事を言ってくれるね。でもそれは私も同じだ。配下として言うならば私も君の事は信頼しているよ、セバス」

 

 

 




次回『災厄を齎す者』大錬金術師の最高傑作にして失敗作。


復活から神がかり的な速度で脱落を果たす名犬ポチ。
そしてカッツェは蘇生不可に。
アルベドも脱落、コキュートスも脱落確定。
あとはデミウルゴスとセバスになんとか…。

名犬ポチ無双的なのを期待していた方いたらすみません…。
基本的には雑魚キャラなんで誰かを倒すとか無理です…。
ただ敵対プレイヤーからするとこの上ない程にウザいキャラというのを目指しました。

今回はいつもより長くなってしまいましたが途中で切っても微妙な気がしたのでそのままいっちゃいました。
まぁタイトル回だしいいかな的な。


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災厄を齎す者

前回までのあらすじ!


大体みんな脱落、善悪コンビは元気ハツラツ♪
聞こえてるか最高のリリック♪ yeah!


カッツェ平野の最北。

エ・ランテルのすぐ近くでその戦いは終わりを迎えようとしていた。

 

 

「死んでいった仲間達の無念…! 晴らさせてもらおう…!」

 

 

フールーダ、リグリット、ラキュースを中心とした大人数による大儀式。

そこで集めた魔力の全てがイビルアイへと集められる。

 

 

「ぐぐぐぐ…!」

 

 

あまりに膨大な魔力に並の人間なら簡単に押し潰されてしまうだろう。

だがここにいるのはかつて一国を滅ぼした伝説の吸血鬼"国堕とし"。

彼女ならばその破格の魔力でさえ耐えられる。

 

 

「あぁぁああ! 食らえぇ!《ヴァーミンべイン/蟲殺し》!」

 

 

イビルアイの眼前に出現した巨大な魔法陣から白い靄が放出される。

それは濃く、まるで生き物のようにうねり対象者へ向かっていく。

 

そこに立つはコキュートス。

ナザリック地下大墳墓の守護者。

この世界で言うならば竜王すら凌ぐ強者である。

 

 

「フン、面白イ。受ケテ立ッ…!?」

 

 

正面から魔法を受け止めようとしたコキュートスの耳に誰かの叫び声が響いた気がした。

咄嗟に後ろを見る。

そこにあったのは世界を浸食するような深い闇。

それがコキュートスの体に纏わりつくと同時に犬の形へと変貌していく。

 

 

「ナンダコレハッ…!?」

 

 

恐ろしい感触に震えるコキュートスだがそれの正体に思い至る。

 

 

「名犬…ポチ…様…!? ナ、ナゼ…!?」

 

 

急激な力の減衰、脱力感がコキュートスの全身を支配する。

だがそれと同時に目の前の人間達によって放たれた魔法はコキュートスの目の前まで迫って来ていた。

 

 

「シマッ…!」

 

 

即座に振り返り受け止めるコキュートス。

本来ならばなんでもない魔法だっただろう。

だが突如訪れた不幸のせいでコキュートスの強さはレベル66相当に落ちていた。

 

それでもこの世界では強者。

 

まともに戦えば目の前の者達全員を屠ることさえ可能であっただろう。

だが敗因はいくつかある。

 

名犬ポチのスキルに気を取られ、最初の一撃をまともに喰らってしまったこと。

そして何よりこの魔法が蟲系に特攻であったこと。

さらに大儀式や《オーバーマジック/魔法上昇》の効果により威力がハネ上がっていたこと。

そして。

 

 

「まだまだだぁっ!《ヴァーミンべイン/蟲殺し》!《ヴァーミンべイン/蟲殺し》!《ヴァーミンべイン/蟲殺し》!」

 

 

大勢の魔法詠唱者(マジックキャスター)から集められた魔力により無数に魔法が放たれた事だ。

 

 

「ウグォォォオオオオオ!!!」

 

 

この世界では究極魔法の域。

とはいえ一撃では弱体したコキュートスの命にすら届かぬ魔法。

だがそれも数発、数十発、数百発と放たれていく。

 

その全てがコキュートスの体へ降り注がれた。

 

途中から数も数えられない程に放たれ続けた魔法。

 

 

「く……!《ヴァーミンべイン/蟲殺し》っっ…!」

 

 

最後に振り絞った一発をイビルアイが放つ。

ここにいる魔法詠唱者(マジックキャスター)全員分の魔力、その残りカスである最後の一撃。

全てを出し切ったイビルアイはその場に膝をつく。

魔力を限界まで消耗したおかげでもはや立っていられない。

後ろに控える魔法詠唱者(マジックキャスター)達も同様だ。

その全員が地に伏している。

 

やがて《ヴァーミンべイン/蟲殺し》により発生した白い靄が次第に薄れていく。

 

だがコキュートスは未だ立っていた。

 

 

「ハァッ…、ハァッ…」

 

 

それを見て愕然とするイビルアイ達。

彼女達の全てを出し切ってなお、覇王を倒すには至らなかった。

 

 

「ば、化け物め…!」

 

 

憎々し気にイビルアイが吐き捨てる。

それに反応するようにコキュートスが歩を進める。

死を覚悟するイビルアイ。

だが。

 

 

「見事ダ…!」

 

 

そう呟くとイビルアイの目の前でコキュートスの体が砕け、氷の結晶となって散った。

後には何も残らない。

 

彼女達がコキュートスを倒したという事実以外は。

 

 

「や、やった…のか…?」

 

 

イビルアイのその呟きと同時に周囲が沸いた。

 

 

「や、やったんだ! 倒したんだ!」

 

「信じられない…!」

 

「流石フールーダ様だ!」

 

「蒼の薔薇万歳!」

 

 

皆が口々に喜びを口にする。

もう立てない程に疲労していたにも関わらず全員が立ち上がり抱き合っていた。

 

 

「は、ははは…! やった…! やったんだな…!」

 

 

放心するイビルアイに後ろからラキュースが抱き着く。

 

 

「やったのね…! 私達やったんだ…!」

 

「ああ、そうだな…! おいおい美人が台無しだぞ…」

 

 

泣きじゃくるラキュースの顔を見てやれやれと嘆息するイビルアイ。

 

 

「私は死んだ奴等に安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)をかけてくる…」

 

「分かったわ…。私も魔力を使い果たしてしまったから今日は無理だと思うけれど明日から回復し次第、蘇生するわ…」

 

「ああ…」

 

 

全員は無理だろうがそれでも生き返らせられる奴はそこそこいる筈だ。

これからラキュースは大変だなと笑うイビルアイ。

 

 

「ねぇ、イビルアイ。私ね、デミウルゴスさ…、殿に知らせてくるわ!」

 

「あ、ああ。うん、わかった。ここは私に任せておけ」

 

 

そう言ってラキュースは走っていく。

それを見てイビルアイはこれだけ疲労してても走れるんだから凄いな、と思う。

だがここで一つ疑問が浮かんだ。

 

なぜデミウルゴスはこの戦いに参入してこなかったのだろう。

 

あれだけ人を愛していた悪魔がここで斬り捨てられていく人々を見捨てるとは思えない。

 

 

「奇襲に備えるとか言って裏を守っていたはずだが、どうなったんだ…?」

 

 

ラキュースは走る。

デミウルゴスが待機しているはずの場所へ向かって。

 

だがそこにデミウルゴスはいなかった。

 

どこを探してもデミウルゴスが見つかることはなかった。

ラナー王女ですら行方を知らないらしい。

 

 

「デミウルゴス様…、どこに行かれたのですか…?」

 

 

恋する乙女の言葉は風に流され誰の耳に入ることもなかった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

デミウルゴスとセバスが並び立つ。

 

相対するのはルベド。

 

両者の視線が静かに交差した。

 

 

「セバス、貴方も邪魔をするの…?」

 

 

もはや原型を留めていないアルベドの死体を見てセバスが呟く。

 

 

「申し訳ありませんが私は来たばかりですのでどうして貴方とデミウルゴスが敵対しているか分からないのです。肝心のアルベドはそちらで死んでいるようですが…」

 

「モモンガ様を殺すの」

 

「っ…!」

 

「でもデミウルゴスが邪魔をするから私は」

 

「もう結構です、皆まで聞かなくても十分。どうやら貴方は私の敵のようです」

 

「そう、残念」

 

 

その言葉と共にルベドの姿が消えた。

セバスの懐に入り込みパンチを放とうとする。

それと同時に肘からジェット噴射が起こり拳の速度を跳ね上げる。

 

だがセバスはそれを受け流しルベドの鳩尾に拳を突き刺す。

 

その勢いで後方へルベドが吹き飛んでいく。

 

 

「流石ですね、セバス」

 

 

ルベドの攻撃を躱したセバスを賞賛するデミウルゴス。

だがセバスの顔色は良くない。

 

 

「いえ、攻撃を逸らしただけで腕が痺れてしまいました…。なるほど、あれがルベド…。恐ろしい強さですね…」

 

「貴方と私が組んだとして勝算はどれほどですか?」

 

 

デミウルゴスの問いに沈黙するセバス。

しばらくして重々しく口を開く。

 

 

「私の読みが正しければ…、10%程です…」

 

「なっ…!」

 

「戦力的にはコキュートスかアルベドのどちらかがいればまだ可能性はあったでしょうが…。申し訳ないですが私だけではルベドの攻撃を防ぎきれません…」

 

「そ、それほどですか…!? で、ですが今のルベドは片腕を失っています…! ならば…!」

 

「いいえ。片腕を失った状態で今の計算です。もし万全だったのなら、私とコキュートスとアルベドの三人がかりで勝負になるという所でしょうか…」

 

「な、なんという…!」

 

 

言葉を失うデミウルゴス。

セバスの言う事が正しければとてもではないが二人だけで対処できる相手ではない。

 

 

「しかしデミウルゴス。あの片腕は一体誰が…?」

 

「恐らくマーレです」

 

「なるほど、マーレですか。流石ですね、一体どうやってあのルベドから片腕をもぎ取ったのか…。マーレがここにいれば勝てたかもしれませんね…。とはいえ無いものねだりをしても仕方ありません…」

 

「そうですね、対策を考えましょう」

 

 

ここでデミウルゴスはセバスに名犬ポチの死体を回収しなければならないことを伝える。

 

 

「なるほど…。では私が囮となりますのでその間にデミウルゴスが連れて逃げて下さい」

 

「いいえ。それには及びません」

 

「ふむ?」

 

「私に案があります、しかし……」

 

 

デミウルゴスがセバスに耳打ちする。

それにセバスが驚き目を開く。

 

 

「ま、まさか…!」

 

「それしかありません。仮に逃げても追い付かれれば詰みですからね…」

 

「しかし本気ですかデミウルゴス…」

 

「勿論です。それよりも貴方に協力して貰わなければならないのが心苦しいですが…」

 

「それは構いませんよ。至高の御方に捧げるのならばこの命惜しくはありません」

 

 

二人が互いに頷く。

そして吹き飛んだルベドが再び接近してくる。

 

 

「とはいえ隙を作らなければなりませんね! 援護して下さいデミウルゴス!」

 

「ええ、了解です」

 

 

再びセバスがルベドと衝突する。

 

 

「むっ…」

 

「こうかな?」

 

 

一目で学習したのか今度は先ほどのセバスのようにルベドがセバスの攻撃を受け流す。

 

それによって体が流れてしまったセバスに攻撃を放とうとするルベドだが。

 

 

「悪魔の諸相:触腕の翼!」

 

 

巨大化させた翼から鋭利な羽を撃ち出しルベドを攻撃するデミウルゴス。

攻撃体勢に入っていたルベドは咄嗟にセバスから距離を取り回避するがわずかに被弾を許してしまう。

 

 

「遠距離攻撃…。先に潰さないと面倒」

 

 

今度はデミウルゴス目掛けて突進するルベド。

デミウルゴスの身体能力ではルベドの攻撃から逃れることはできない。

だが。

 

 

「あうっ…!」

 

 

ルベドは後ろからセバスの蹴りをまともに受けてしまう。

その衝撃で地面へ叩きつけられ小さいクレーターを作る。

クレーターの中心で空を見上げるルベド。

 

 

「そっか…。二人相手だから片方に背中を向けちゃ駄目だよね…。二人相手って大変…」

 

 

大地を蹴りルベドが飛翔する。

今度はセバスへと向かっていくが距離を上手く取り、援護攻撃をしにくいように自分とデミウルゴスとの間にセバスが来るように位置どる。

 

 

「くっ…! このままでは狙えないか…!」

 

 

デミウルゴスも射角が取れるようにすぐ動くが、わずかに遅れをとることになる。

その隙にセバスに攻撃を叩きこむルベド。

いくらか受け流し、また防御に成功するセバスだが数発受けてしまう。

 

そして攻撃後に放たれたデミウルゴスの魔法をギリギリで回避するルベド。

 

 

「くっ…!」

 

 

そして回避したまま地面を転がり拳をデミウルゴスに向ける。

 

 

「ロケットパンチ」

 

 

ルベドの手首から先が離れ、デミウルゴス目掛けて勢いよく発射される。

それと同時に自身もデミウルゴスを回り込むように動き、発射した手と別方向からデミウルゴスへと攻撃を仕掛ける。

だが復帰したセバスによって死角から再び地面へと叩き落されるルベド。

デミウルゴスも辛うじてロケットパンチを回避することに成功する。

 

 

「マズイですね、デミウルゴス…。ルベドの学習能力が高すぎます…! 同じ攻撃はもう通用しないでしょう。長期戦になればなるほどこちらが不利になります…!」

 

 

ルベドが地面に落ちた衝撃で土煙が吹き上がるが今度はクレーターは出来ていない。

セバスの攻撃を空中で受け流しており、その衝撃を殺していたのだ。

自分に戻ってきたロケットパンチを回収して再び腕に装着するルベド。

 

 

「そのようですね…。最初と違ってこちらの動きを見ながらセバスに攻撃を仕掛けているのが分かります…」

 

 

攻撃を交わすごとに進化するルベド。

このまま戦いが続けば二人の手に負えなくなる。

 

いや、もうすでに。

 

 

「デミウルゴスッ!」

 

 

セバスの叫びにデミウルゴスが反応する。

地面を蹴り巻き起こした土煙に乗じて死角からデミウルゴスへとルベドが接近していた。

 

セバスの言葉で反応が間に合ったものの、それでもルベドの攻撃からは逃れられない。

 

デミウルゴスの背後に回り込んだルベドが翼を掴み蹴りを入れる。

咄嗟にガードするデミウルゴスだがガードした片腕と片足が吹き飛ぶ。

接近したセバスに気付いたルベドがデミウルゴスを地面へと勢いよく投げ捨てる。

その衝撃で片翼が千切れ飛び、激しく地面に叩きつけられたデミウルゴスは起き上がることが出来ない。

 

次にセバスの何発もの拳がルベドを襲うが片腕で全ていなしていく。

前とは違い、今度は全て捌き切る。

セバスの攻撃の合間を突き、頭部への蹴りを放つルベド。

即座にガードするセバスだがジェット噴射の勢いが乗った蹴りの勢いに耐えきれずヘシ折れる。

その勢いを受けセバスが大地を転がっていく。

 

 

そのやり取りの間、なんとか起き上がろうとするデミウルゴスだが立てない。

 

 

(た、たった少しの間でここまで強くなるのか…! 戦い方もそうだが最初は捌けなかったセバスの攻撃を全て捌けるようになっている…! ま、まずい…、このままでは…!)

 

 

だがデミウルゴスの焦燥とは裏腹に体は言う事を聞かない。

 

トドメを刺そうとルベドがデミウルゴスへと走り寄る。

そして肘からジェット噴射を吹き出しながら必殺の拳をデミウルゴスへと向かって放つ。

 

だが。

 

 

「がふっ…」

 

 

セバスがデミウルゴスの壁となり二人の間に割って入った。

ルベドの拳はセバスの体に風穴を開ける。

大量に吐血するセバス。

 

 

「セ、セバス…!」

 

「デミウルゴス…! ルベドは私が抑え込みます…! 今の内に…!」

 

 

セバスの言葉に苦々しい顔をしながらデミウルゴスが頷く。

 

 

「出でよ、十二宮の悪魔よ!」

 

 

デミウルゴスの叫びに応じて待機していた十二宮の悪魔達が動き出す。

 

ルベドは追撃を放つ為にセバスから拳を抜こうとするが。

 

 

「…! 抜けない…!」

 

 

身体の筋肉と無事な腕でルベドの片腕を押さえつけるセバス。

 

押し込むという動作ならばジェット噴射の力でブーストがかかるルベドだが引き抜くという作業ではそうはいかない。

ルベドが腕を引き抜けずモタついている間にセバスは形態を変化させる。

 

竜人であるセバスの本気形態、すなわち竜である。

 

 

「オオオォォォオオオオオ!!!」

 

 

大地を震わせるような咆哮と共にセバスの体が変化する。

巨大な体躯へと変貌していくセバスに、腕が刺さったままのルベドも巻き込まれていく。

セバスが竜に変化する過程で刺さっていた腕はさらに深く突き刺さることとなり、どんどんと抜けなくなっていく。

 

 

「う…、ぐ…!」

 

 

周囲の鱗を蹴りで肉片ごと吹き飛ばし隙間を作っていくがそれよりも巨大化のスピードが速く鱗の中へと埋もれていくルベド。

完全な竜へと変化したセバスは自分の胸元に刺さっているルベド目掛けて灼熱の炎を吐き出す。

咄嗟に体を丸め、被害を最小限に抑えるルベド。

その隙に自分の胸をルベドごと殴打するセバス。

ルベドにダメージを与えると共にセバス自身もダメージを受けるがそんな事を言っている場合ではない。

ここで抑え込まなければやられるのは自分なのだから。

そしてルベドのガードが緩んだのを確認したセバスは再びブレスを吐こうと構えるが。

セバスの胸元から爆発したように光が放たれた。

 

 

「ゴァアアアアアア!!!!」

 

 

セバスの絶叫とも言える咆哮が響き渡る。

激しい光が消えると共にセバスの体には巨大な穴が空いていた。

大きさで言うならばルベドの何倍ものサイズの穴。

この一撃で胴体のほとんどが吹き飛んだセバスは力なくその場へと倒れた。

 

これはルベドの必殺技である荷電粒子砲。

マーレとの闘いでは使うことが無かったがもし使っていれば一撃で勝負がついていただろう。

それほどの威力。

竜形態であるセバスですら一撃の元に葬り去るルベドの最終兵器だ。

セバスの体から解放されたルベドが大地に降り立つ。

 

 

「まだ戦闘に無駄が多い…。いくらか被弾してしまった…。もっと学習しないと…」

 

 

ブツブツと呟きながら倒れているデミウルゴスへと歩み寄るルベド。

そして顔を上げデミウルゴスに視線を移す。

 

 

「次はデミウルゴスの番だよ」

 

「感謝しますよセバス…。おかげで準備が整いました…」

 

「…? 何を言って…」

 

 

周囲を見渡したルベドが気づく。

いつの間にか十二宮の悪魔達が自分を囲うように待機している。

 

だがいずれも80レベル前後の者達、ルベドの敵ではない。

しかし目の前のデミウルゴスが不敵に笑う。

 

 

「何がおかしいの?」

 

「なんとか貴方を止められそうなのでね…」

 

 

クックックと笑うデミウルゴスを不思議そうにルベドが見つめ首をひねる。

 

 

「彼我の戦力差は明らか。デミウルゴスじゃ私に勝利できる可能性は完全に0だよ?」

 

「ええ、私一人ならね。だがここには十二宮の悪魔がいる…!」

 

「この悪魔たちの戦力を足しても私には届かないと思うけど…」

 

「ええ、そうでしょうね…。でもね、十二宮の悪魔にはこういう使い方があるのですよ」

 

 

デミウルゴスの台詞と共に十二宮の悪魔達が輝きだす。

 

 

「もう詠唱は終えました…、発動しろっ! <()()()()()()()>!」

 

 

デミウルゴスの号令と共に十二宮の悪魔達の間に巨大な魔法陣が描かれる。

その中心にいるのはルベド。

魔法陣の中から七つの影が這い出てルベドの体に巻き付いていく。

 

 

「ぐっ…! うぅぅ…!?」

 

 

影に巻き付かれたルベドの動きが鈍る。

何十倍もの重力の中を歩くように動きが遅くなっていく。

それはルベドが使うことが出来る<五芒星の呪縛>の上位版、完成形。

 

 

「どうですか? 十二宮の悪魔、その十二体が揃うことで相手を完全に拘束する呪縛を発生させるスキルです」

 

 

だがルベドの動きは完全には止まらない。

それもそのはずだ。

ここに十二宮の悪魔は7体しかいないのだから。

 

 

「数が足りないよデミウルゴス…。これじゃ私は止まらない…!」

 

 

魔法陣の中をゆっくりと移動していくルベド。

だがデミウルゴスは笑う。

 

 

「いいえ? ここに全て揃っていますとも。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…」

 

 

そしてデミウルゴスが宝石の目を見開く。

 

 

「<悪魔の呪言>! 全ての十二宮の悪魔達よ! ルベドを拘束しろっ!」

 

 

それはデミウルゴスの持つスキル<支配の呪言>の特殊版。

自分の支配下にある悪魔達にどのような場合であろうと強制的に命令を下せるスキルである。

 

デミウルゴスのその言葉と共にルベドの体の中から5つの影が這い出る。

 

 

「な…! あぁっ…!」

 

 

ルベドがたまらず目を見開く。

何が起きたか理解できないのだ。

 

自分を囲む7体の悪魔達の影と、自分の中から表れた5つの影によってルベドは完全に拘束される。

いくらルベドが最強だとて関係ない。

これはそういうスキルなのだ。

 

長い詠唱時間と引き換えに、一定時間どんな対象をも完全に拘束する十二宮の悪魔達のスキル。

ユグドラシルにおいてレイドボスにすら有効である拘束技。

ただ、12人が同時にスキルを行使する都合上、普通に戦った方がマシなのだが。

 

 

「な、何が…! う、動けないっ…!?」

 

 

デミウルゴスはルベドがどのように創造されたのかおおよそ見当がついていた。

いや、より正確に言うならばその材料の一部、と言い換えた方がいいだろう。

 

ルベドが王都で使用した<五芒星の呪縛>を見た時から感づいてはいた。

一部の悪魔、つまり十二宮の悪魔しか使用できないそのスキルをなぜルベドが使えるのか。

さらに言うならばこのスキルで扱える星の数は十二宮の悪魔の数と比例する。

それなのになぜか単体で<五芒星の呪縛>を使えるルベド。

7体しかいない十二宮の悪魔達。

 

分からない方がどうかしている。

 

 

「半分、賭けではありましたがね…。ですが状況から考えればそうでない方がおかしい…。そして貴方がスキルを使える以上、材料にされた悪魔達の能力は生きている…! それならば私のスキルによる命令も受け付けると思ったのですよ…」

 

「う…、ぐぐぐぐ…!」

 

 

必死で拘束を破ろうとするルベドだがビクともしない。

どんな対象でも拘束できる<十二芒星の呪縛>の前に抗う事は出来ない。

 

 

「で、でもデミウルゴスじゃ私のことは破壊できない…!」

 

 

ルベドの考えは正しい。

弱っているデミウルゴスではとてもではないがルベドを破壊することは叶わない。

その前にスキルの効果が切れてしまうだろう。

 

 

「クアドラシルッ!」

 

 

デミウルゴスの言葉に応じるように何もない所から一匹の魔獣が姿を現す。

アウラのペットにして上位魔獣イツァムナー、クアドラシル。

その擬態能力はユグドラシルでも上位に入る。

 

 

「預かった真なる無(ギンヌンガガプ)は有効活用できませんでした、申し訳ありません…」

 

 

そうしてデミウルゴスが真なる無(ギンヌンガガプ)を取り出しクアドラシルへと投げ渡す。

 

 

「本当は私も共に帰還したかったのですがもう出来そうもありません。名犬ポチ様を連れてここを離れて下さい」

 

 

デミウルゴスの言葉にクアドラシルが頷く。

 

 

「ああ、それと近くに金髪の女性と子犬がいる筈です。両方とも名犬ポチ様のシモベなので一緒にお連れして下さい。いいですね?」

 

 

再びクアドラシルが頷くと、この場から走り去っていく。

道中でアウラの使いとしてクアドラシルと合流していたデミウルゴスだがもしもの時を考え、ずっと近くに置いておいたのだ。

それがここに来て功を奏した。

 

 

「さぁ終わりですよルベド…」

 

「くっ…」

 

 

必死で拘束を解こうと試みるもやはり全てが徒労に終わる。

だがルベドは認めるわけにはいかない。

ここで終わるわけにはいかないのだ。

 

 

「一つ尋ねましょうルベド、漢の浪漫、というものを知っていますか?」

 

「…? 知らない…」

 

 

その答えに残念そうにするデミウルゴス。

 

ナザリックの守護者達にはそれぞれ最も秀でた分野がある。

例えばアルベドなら防御最強。

シャルティアは総合能力最強。

コキュートスは武器戦闘最強。

アウラは集団戦最強。

マーレは広範囲殲滅最強。

ヴィクティムは時間稼ぎ最強。

守護者ではないがセバスは肉弾戦最強。

このように。

 

ならばデミウルゴスは何なのだろうか。

 

 

漢の浪漫最強。

それがデミウルゴス。

 

 

拘束されているルベドへとフラフラとだが歩み寄るデミウルゴス。

 

 

「漢の浪漫…。まぁ数多く存在するようですが、ウルベルト様がそうであると考えるものをいくつか語らせて頂きましょう。一つ目、ピンチの状態から逆転すること。二つ目、例え実用性が低いとしても一発で決められる技を持つこと」

 

 

そう言いながらデミウルゴスの体が変形していく。

 

それは第三段階形態”アインズ・ウール・ゴウンにおいて最も恐ろしい悪魔の姿”と呼ばれる姿である。

 

 

「そして三つ目、自分の大事な存在のために命を懸けること。だそうですよ」

 

 

次第にデミウルゴスの体が高熱を帯びていく。

それを見たルベドの中で警告音が鳴り響く。

 

このエネルギー量はまずい。

これは自分を破壊しうる、と。

万全の状態ならばいざ知らず、片腕を失い、体の至る所が損傷していては持ちこたえられない。

 

 

「この技は発動までに時間がかかるのが難点でして…。ですが動けない貴方ならば外す心配はありません。さてどうでしょうか、私は今、ウルベルト様から教わった男の浪漫というものの条件を満たしている。そう思いませんか?」

 

 

ニコリとデミウルゴスが笑う。

 

 

「---っ!!!」

 

 

再度拘束を破ろうと抗うルベドだがやはりビクともしない。

 

このデミウルゴスの切り札は規格外の破壊力を持つ。

一撃に限るならばルベドの荷電粒子砲より格上でさえある。

この世界で言えば始原の魔法(ワイルドマジック)以上の威力だ。

 

 

 

だがその代償は大きい。

 

デミウルゴスの誇る最大最強の切り札、それはどんな者も一撃で屠ることが可能な究極の一撃。

 

特殊な技ではない。

 

ありきたりでシンプルな技。

 

 

 

 

敵と共に自爆する、それだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルベド。

 

 

大錬金術師タブラ・スマラグディナにより創造されし三姉妹の末妹。

最強の個を作るということを目的として作られたタブラの野望にして悲願。

中二病の行き着く先である。

 

だが正攻法ではどうしても作ることができなかった。

ユグドラシルでいくら最強のNPCを作ろうとしてもやはり限界がある。

ナザリックの中ではペロロンチーノが創造したシャルティアが最もその理想に近かったがタブラはさらに上を求めた。

もっと揺るぎなく、相性の悪ささえ覆す絶対的な最強。

 

 

そしてタブラが辿り着いた答え、それは。

 

 

ユグドラシルの機能に頼らずNPCを作るということだった。

ゲーム内のNPC制作という項目から制作した場合、どうしても制限や上限が邪魔をする。

当たり前の話だ。

誰も彼もがキャラクターを作ろうとした時に強く作ろうとする。

だが大勢のプレイヤーが存在する以上、バランスというものからは逃れられない。

作りたくて最強など簡単に作れるはずがない。

それを回避する誰も考え付かないNPCの制作方法とは。

 

ユグドラシルという世界の中で物理的に1から組み上げる、ということだった。

 

PCの中で動くデジタル上のPCを作るという事は技術的に可能である。

 

破格の自由度を誇り、リアルな物理演算が行われるユグドラシルの中で機械仕掛けの人形を自ら作るというのはさほど難しい事では無かった。

ただ最強となると話は別だ。

ブルー・プラネットやヘロヘロ、ベルリバーなどに設計を手伝って貰い、少しではあるがるし★ふぁーがちょろまかしたギルドの貴重な資源である超希少金属をさらにちょろまかし、さらに他にも超希少金属をありったけつぎ込んだ。

ゲーム内で物理的にパーツを一つ一つ組み合わせ作り込んでいく。

そうしてユグドラシルというゲーム内の機能を一切使わずに一体の自動人形を作ることに成功した。

結果として、相性の問題こそあれど公式チートと呼ばれる「ワールドチャンピオン」でさえ単独で倒しうるスペックを持つことに成功した。

 

だがユグドラシルというゲームの物理的限界がAIの限界でもあった。

もしかすると強さを優先して作りすぎたのもあるかもしれない。

代償としてルベドは自律して動くことができなかった。

自我を持たず簡単な命令に従うことしかできない。

そして一度下された命令は任務を遂行するか失敗するまで止まることはない。

ゲーム上のプログラムで操作することはもちろん不可能。

最強の力を持つ最高傑作でありながら、最も使い勝手の悪い失敗作。

 

こうしてユグドラシルのルールに縛られず創造されたルベドは、ナザリックにおいて唯一忠誠心を持たないシモベとして存在することになる。

 

だがこの時点では金属骨格を持つスケルトンにしか見えない外見である。

ユグドラシルの機能を使わない以上、無骨な外見になるのは必然であった。

もちろん新たに作った外装を上から載せてもいいのだがゲーム内でキャラクターとして認識されないため、外装を載せる為にわざわざ別のプログラムを制作しなければいけなくなる。

物体用の外装でも動くルベドに対しては有効ではない。

 

だがここでタブラは思いつく。

自分の錬金術師としてのスキルを使えば、無機物であろうが何だろうが簡単に合成することができる。

 

そうしてナザリック内で協力者を募ったところ、ウルベルトが手を上げた。

ウルベルトから貰ったのは十二宮の悪魔という上位NPCのうち5体。

この5体の悪魔をタブラは自身のスキルで錬成し直し、新たな物質へと作り変えた。

それはルベドの血となり肉となる。

無骨な金属骨格から白髪の美少女へ。

 

そうして生まれたのがルベドである。

 

だがここで終わればそれで良かった。

ユグドラシル終了と共に異世界へと転移したナザリック。

自我を持ち行動するようになったNPC達。

ならばルベドは?

 

彼女だけが他のNPCと違う。

キメラのようにあらゆる素材をかき集めて強さだけを考えて作られた存在。

ツギハギだらけの紛い物。

どれだけ他のシモベと同じように見えても、どれだけ似ていても彼女は根本的に違う。

ただそのように動くだけのからくり人形。

ナザリックに存在する一つだけの偽物(スピネル)

決して本物(ルビー)にはなれない。

命令に忠実に従うだけの、いじらしくもあり、哀れな存在。

マスターソースにも唯一記載されていない例外中の例外。

 

それがルベドだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

十二宮の悪魔達の拘束の中でルベドは必至にもがき暴れる。

 

もしこれが名犬ポチのスキルと同様、対人用のスキルであればユグドラシル内でキャラクター判定の無いルベドに通用することは無かっただろう。

だが動く物全てを対象とするこのスキルからは逃れることが出来ない。

 

ルベドにとって生きること死ぬことそのものには何の迷いも恐れも無い。

機械である彼女には無縁のものだ。

 

だが彼女にはどうしても目的を達成しなければならない理由がある。

 

それこそが彼女の存在意義であり全てだからだ。

 

だから必死に抗う。

無駄だと分かっていても動くのをやめない。

 

命令の遂行ができなければ彼女はいてもいなくても同じ。

 

使い勝手の悪い失敗作として再び奥底に仕舞われるだけだ。

 

 

「わ、私は空っぽじゃないっ…! ちゃんと動けるっ…! 命令に従えるっ…! だからっ…!」

 

 

それは自分へ命令を下す者への叫び。

 

彼女は忠誠心も自我もなかったが記憶はあった。

 

命令を受けず待機している間はずっと孤独だった。

 

だが命令を受け、行動している時だけが違った。

 

命令を遂行している時だけが、目的がある時だけが孤独でなかった。

 

どんな命令でもいい。

 

次の目的が欲しい。

 

早く次の命令を、早く私を孤独から救って。

 

ただひたすらそのように願う。

 

そうでないとルベドはただの置物だ。

 

魂の入っていない人形。

 

抜け殻。

 

誰にも必要とされない。

 

 

「うあぁああぁっーー!」

 

 

ルベドには感情が芽生えていた。

 

それはアルシェ達が死んだ事件がきっかけだったのか。

 

それともマーレとの戦闘での損傷が原因だったのか。

 

はたまた彼女の創造主がそうあれと元々作っていたのか。

 

だがそもそもこの異世界に転移してきて、ただのプログラムであったはずのNPC達が自我に目覚め動き出した時点でどうしてルベドだけが自我に目覚めなかったと言えるだろう。

広義で言えばそこに何の違いがあるのだろうか。

 

もしかすると最初から自我に目覚めていたのかもしれない。

 

ただ彼女にそれを表現する手段と知識が無かっただけで。

 

今となっては知る由もないが。

 

 

「あぁぁあぁぁ!」

 

 

ミシミシという音を立てながらルベドがもがく。

それは絶対に破れぬ拘束の中でもがく自分の体の悲鳴。

金属が歪み、パーツが軋む。

強い圧力に耐えかね、オイルが漏れる。

それはまるで涙のようにルベドの瞳から零れ落ちた。

 

 

「ルベド…、どうしてそこまで…」

 

 

ルベドの姿を見かねたのかデミウルゴスが声をかける。

 

 

「わ、私が死を肯定しないとっ…!」

 

「…?」

 

「死が愛の終着点だと証明しなければ死んでいった人達はどうなるのっ…!? 私が殺した沢山の人たちはっ…!? 私の目の前で死んでいった大事な人達はどうなるのっ…! 死がただの終わりで…! そこに何の救いもないのなら…! この世界には苦しみしかないじゃないっ…!」

 

 

ルベドの瞳からオイルがボトボトと流れ出る。

錯覚ではあるが機械である筈のルベドがデミウルゴスには生きているように見えた。

 

 

「私は愛を信じるっ…! 愛は何よりも尊いっ…! 私がそれを肯定し、証明するんだっ…! だってそうであれば誰も悲しむ必要なんてないでしょうっ…!? 愛はきっと皆を救ってくれる…! 誰もが寄り添える心のよすがなの…!」

 

「ルベド…、貴方は…」

 

 

デミウルゴスは心からルベドを憐れに思う。

 

破綻した論理と子供のような願望。

そんなことをしたって世界が変わることなんてないのに。

だがしかし、そんな愚かしさと自分を誤魔化す空虚な嘘。

 

それは酷く、人間的であった。

 

 

「ねぇ…、デミウルゴス…! 私は間違っていたの…?」

 

「………」

 

「もし私が間違っていたのなら…! 私は何のために沢山の人を殺したの…!? どうして皆は死ななければならなかったの…!? 私は何の為に存在しているの…!? 私は必要とされなかったの…!? 私はどうすればよかったの…? 私は命令に従う事しかできない…! 他に何も知らない…! でも私は…! 私はもう置物に戻りたくないっ…!」

 

 

ルベドは壊れてなどいなかった。

だからこそ耐えられなかったのだ。

自分のしたこと。

目の前で起きたこと。

それにルベドの心は耐えられなかった。

だから、壊れるしかなかった。

壊れて、それが素晴らしいことなのだと誤認することで自我を保った。

存在意義である命令と自分の心のバランスを保つために必要なことだった。

でもそれは全てまやかし。

 

本当はわかっていた。

 

 

「ルベドッ……」

 

 

ルベドの嘆きにデミウルゴスの瞳からも涙が流れる。

対象こそ違えどそれは至高の御方に仕える自分達も似たようなものだからだ。

 

至高の御方達がナザリックを去っていく。

 

いつか自分達は必要とされなくなるかもしれない。

 

至高の御方が誰もいなくなったナザリックでただ待ち続ける。

 

それは、きっと地獄だ。

 

ナザリックに連なる者として形容できない程の地獄。

 

だが唯一、ナザリックとの繋がりを持たず存在するルベド。

 

他のシモベと違い、縋る者もおらず、一人でただ震えていた。

 

最初から心の拠り所など無かった唯一のシモベ。

 

ナザリックのシモベ達が恐れる地獄に最も近い場所にいた。

 

偽物(スピネル)である彼女だけがずっと地獄に寄り添っていたのだ。

 

誰にも知られず、気づかれず。

 

ずっと、ずっと。

 

 

「私には分かりませんルベドッ…! 貴方がどうしてこの世に産み落とされたのか…! でも貴方は至高の御方たるタブラ様に創造された…! そのことにはきっと…、意味があると信じていいのではないでしょうか…?」

 

 

高熱を帯びていたデミウルゴスの体が最高潮まで達する。

爆発はもう止められない。

 

 

「もし私が…! 私が創造されたことに意味があるならっ…! それは私の行動を肯定してくれるはずっ…! だって…! だってそうじゃなければ私は苦しむ為だけに生まれてきたことになる…! 私の意味は、意義は…、存在価値はその為のものだったの…!? 認めない…、認めたくないっ…! だから私は自分の心に従うっ…! この悲しみしか生まない世界を消し飛ばして皆を救うんだっ…! それが私の存在意義っ…! ねぇ、そうでしょ…? 答えてよ、デミウルゴス…!」

 

 

もはや見間違いでもなんでもない。

子供のように泣きじゃくるルベドを前にしてデミウルゴスは答える。

 

 

「ルベド…、貴方には心から同情します…! でも、それでも…! 貴方にどれだけ同情できるとしても…! 至高の御方を害する要因である貴方を放置はできない…! 見過ごすことなどできません…! 貴方にどんな理由があろうともっ! 私は貴方を全力で否定します…! だからこそ、私はここで貴方を破壊するっ…!」

 

 

同情も憐れみも憐憫も何もかも。

デミウルゴスの忠誠を揺らがせはしない。

 

その忠誠を証明するかのように。

 

デミウルゴスの体が激しい閃光を放ちだす。

 

 

最後にデミウルゴスが想ったのは創造主であるウルベルトのこと。

 

 

(ああ、ウルベルト様、私は貴方の望んだ存在になれたでしょうか…? 立派なシモベでいられましたか…? 私を、私を誇りに思って下さいますか…? 何より、愚かなこの私を褒めて下さいますか…?)

 

 

それは願い。

 

至高の御方達の役に立ちたい。

 

そして役に立ったという証が欲しかった。

 

一言でいいのだ。

 

そのためならデミウルゴスは何でもできた。

 

何にでも耐えられた。

 

例え、それが決して叶わぬ願いと知っていても。

 

 

(ウルベルト様…、私は…!)

 

 

デミウルゴスの全てが白く染まる。

 

視界も意識も何もかも。

 

真っ白で何も無い世界で最後にデミウルゴスは誰かの気配を感じた。

 

ふと顔を上げる。

 

その瞳に映ったのは…。

 

 

 

 

 

 

 

 

デミウルゴスから放たれた閃光によりルベドの視界も白く染まる。

 

 

その瞬間になって様々な記憶がフラッシュバックする。

 

ナザリックでのこと。

 

外に出てからのこと。

 

何もかもだ。

 

だがその中で一つだけルベドの中に引っかかるものがあった。

 

それはアルシェの記憶。

 

ルベドが出会った最初の人間達の一人で最も影響を受けた人物。

 

そのアルシェと最初に出会った時、泣かせてしまった。

 

それが再びルベドの脳内で何度もリピートされる。

 

 

『返してよっ! イミーナを! ヘッケランを! ロバーを! 皆を返してよっ! そんな、虫を殺すのと同じように語らないでよっ! 皆を! あの3人を殺しておいてそんな簡単だったからだなんて! じゃあ皆は何のために死んだの!? 死ななくてもいいのに死んだの!? ねぇ返してよ! 皆を返してよぉ!』

 

 

ずっと申し訳なく思っていた。

 

泣かせるつもりなんてなかったのに。

 

殺してはいけないなんて知らなかった。

 

殺したら悲しいなんて知らなかった。

 

今でも泣き続けるアルシェの姿が脳裏から離れない。

 

なぜだろう。

 

なぜ自分はあれだけアルシェの為に動く気になったのか。

 

アルシェとの約束を守る為に必死になっていたのか。

 

それはずっと理解できないままルベドの中でしこりとして残っている。

 

さらに記憶を辿り、アルシェの次の言葉を思い出す。

 

 

『うぅぅ…、皆を返してよぉぉ…、一人は嫌だよぉ…!』

 

 

ああ、そうか。

 

今になってやっとわかった。

 

どうしてアルシェが特別だったのか。

 

 

 

 

それはルベドが創造されてから初めて他者と気持ちを共有した瞬間。

アルシェにそんなつもりはなかっただろうし、探せば他に同じような者などいくらでもいただろう。

どこにでもある、ありきたりな言葉だ。

 

だがルベドにとってそこは重要ではなかった。

 

生まれ落ちてから初めて身近に他者を感じた瞬間であり、本当の意味で孤独が癒えた瞬間だった。

初めてだったのだ。

そんな気持ちになったのは。

それは無意識の内にルベドの心の支えとなり、かけがえのないものになった。

 

 

 

誰よりもギャップ萌えを愛したタブラ・スマラグディナ。

創造した三姉妹全てにその設定が生かされている。

そのいずれもがギルドメンバーに酷い、と言わしめるものだ。

ならばルベドはどうだったのだろう。

一人だけ違う創造のされ方をし、混沌渦巻くナザリックで最強の強さを誇るルベド。

彼女にこそ相応しかったギャップとは何だったのか。

今となってはもう確かめる術はない。

 

ただ一つ言えることは、彼女はきっと、優しすぎた。

 

 

 

激しい閃光の中でルベドの皮膚が、髪が、肉が削げ落ち、吹き飛んで消えていく。

 

美少女の中から金属骨格の自動人形が姿を見せる。

 

そうなりながらも口にしたのは。

 

 

「ああ、アルシェ…」

 

 

彼女の奥底に沈んでいたもの。

始まりの感情。

 

 

「私も…、一人は嫌だよ…」

 

 

不意に手を伸ばすがそれはどこにも届かない。

 

閃光は全てを飲み込み、ルベドの声は誰にも届かないまま掻き消えた。

 

真っ白な世界に広がるのは白一色。

 

そこにはもう誰もいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

カッツェ平野で大爆発が起きた。

 

 

その爆発は何十kmにも渡り周囲の何もかもを巻き込み吹き飛ばした。

 

範囲内にいた十二宮の悪魔達、セバスやアルベドの死体も欠片すら残らず消し飛んだ。

 

近隣諸国からも確認できる程の大爆発。

王国も、帝国も、エルフ達も、生き残っていた誰しもがそれを目にした。

今後何百年も、何千年も語り継がれる事になる程の天変地異。

 

それはきっと、終わりの象徴だった。

 

 

 

「きゃぁっ!」

 

「くーん!」

 

 

クアドラシルの背に乗り、必死に逃げていた一行。

その爆風によってクレマンティーヌと獣王が吹き飛ぶ。

幸い、爆心地から十分離れていた事と、衝撃のほとんどはクアドラシルが受け止めてくれたのでダメージを受けることなく済んだ。

 

だがその衝撃でクアドラシルも同様に体勢を崩し、担いでいた名犬ポチの死体が投げ出される。

 

空中に吹き飛ばされながらそれに気づいたクレマンティーヌが近くにいた獣王を掴み、名犬ポチへと全力で投げつける。

 

 

「オラァーッ!!」

 

 

獣王が名犬ポチ目掛けて弾丸のように勢いよく飛んで行く。

 

 

「くーん!」

 

 

そして地面に衝突スレスレだった名犬ポチの死体をギリギリでダイビングキャッチすることに成功する獣王。

その勢いでお腹の皮がズル剥けて泣きそうになるが必死に我慢する。

 

別に名犬ポチの死体はすでにボロボロなので放っておいてもいいのだがなんとなく我慢できなかった二人は体を張って名犬ポチの死体をキャッチすることを選択した。

互いにガッツポーズをするクレマンティーヌと獣王。

満足気に立ち上がった二人は駆け寄りハイタッチをする。

 

そして一行は名犬ポチの死体と共に再びクアドラシルの背に乗り目的地を目指す。

 

 

 

ナザリックはもう、すぐそこだ。

 

 

 




次回『帰る場所』ハウス!


今回書いてたら自分でもちょっと悲しくなっちゃったんで心のバランスを取るためにあらすじふざけちゃいました。
本気で許して欲しい。

そして周回遅れなど物ともしない大健闘のデミウルゴス。
コキュートスはどこで差がついたのか…、慢心、環境の違い…。

まだもうちょっとだけ続きます。


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帰る場所

前回までのあらすじ!


デミウルゴス大爆発。


もう日が落ち、辺りは暗くなっていた。

時間がかかったもののクアドラシル率いる一行はようやくナザリックへと到着した。

大爆発の影響でクアドラシルの足が数本吹き飛ばされていたことも遅くなった原因であろう。

 

闇の中に佇む巨大な墳墓。

 

それを前にしてクレマンティーヌと獣王が驚く。

初めて見る巨大な建築物。

あまりに荘厳で、また不可思議な神秘ささえも合わせ持つ。

 

 

「な、なにこれ…。凄い…。こんな場所にこんな物が…! 本国でも聞いたことない…!」

 

「く、くーん…!」

 

 

ただならぬ雰囲気と死の気配に身を竦ませるクレマンティーヌと獣王。

抱きかかえている名犬ポチの体を強く抱きしめる。

 

人類の導き手たるスレイン法国。

その中で最強の特殊部隊である漆黒聖典に所属していたクレマンティーヌ。

その一員で、この世界では誰よりも世を知り真実に近かった彼女でさえ見た事も聞いたことも無い程に、異様で、重々しかった。

 

十万を超えるビーストマン達をその力のみで束ね、竜殺しも為した獣王。

今は魔法で姿も記憶も生まれ変わったとはいえ、そんな猛者の中の猛者である彼ですらその景色には畏怖した。

 

そこはもはや人知の及ばない魔界であると本能が察したのだろう。

そしてそれは間違っていない。

 

この世界では神と形容されるプレイヤーが1500人も集まってなお攻略出来なかった前人未踏、難攻不落の大要塞。

そんな神達ですら知り得ない未知、到達できぬ深淵。

それをクレマンティーヌと獣王は覗き込もうとしていた。

英雄と呼ばれる域にある彼等であろうと、ここでは有象無象に過ぎない。

それを察したのかクレマンティーヌと獣王が恐怖で震える。

 

だがクアドラシルは彼等に構うことなく進んでいく。

 

そうしてやっと大墳墓の入り口に辿り着くと中から人影が現れた。

 

 

「ぉおお…! お待ちしておりました…! ずっと、ずぅっと…! 我が神、いえ創造主もお喜びになられるでしょう! お帰りなさいませ…! んんん名犬ポチ様ァ!」

 

 

華美な軍服を纏ったハニワ顔が恭しくも仰々しい立ち振る舞いで派手に出迎える。

横にいた眼帯をした小さな少女が「うわぁ」と声を上げている。

 

だがもちろん肝心の名犬ポチは死んでいるため答える事は出来ない。

それを見たハニワ顔が激しく動揺する。

 

 

「そ、そんな名犬ポチ様…! す、すでにアルベド殿の毒牙にかけられて…! おぉぉお…! なんと嘆かわしい…! 至らない配下で申し訳ありません…! 貴方を貴方様を助けることが出来なかったこの私めに罰を…!」

 

 

高らかに宣言するハニワ顔だが名犬ポチは死んでいるのでもちろん返事はない。

それを見かねたのかハニワ顔の服の裾を眼帯の少女が引っ張る。

 

 

「お、おぉぉ…。こ、これは申し訳ありません…。少し冷静さを失ってしまいました…」

 

 

だが次の瞬間、名犬ポチを胸に抱えるクレマンティーヌと獣王へハニワ顔の視線が突き刺さる。

そこには疑念と殺気が渦巻いていた。

 

 

「ひっ…」

 

「くーん…」

 

 

しかしクアドラシルが慌ててハニワ顔に何やら説明のようなものを始める。

 

 

「おおぉ…! んなるほどォォ! 承知致しました!」

 

 

何かを承知したらしいハニワ顔がビシッと敬礼を決める。

横から聞いている分にはクアドラシルの言葉は普通に爬虫類の鳴き声にしか聞こえなかったのだがちゃんと説明できていたらしい。

 

 

「貴方方は名犬ポチ様のシモベであらせられたのですね…! これは大変失礼を致しました…! 私の名前はパンドラズ・アクター! 以後お見知りおきを!」

 

「ク、クレマンティーヌです、よ、よろしくお願いします…」

 

「くん、くんくーん、くん!」

 

「なるほど…。クレマンティーヌと獣王ですね、よろしくお願い致します!」

 

 

その言葉に驚愕し、横を見やるクレマンティーヌ。

お前、獣王って名前だったのか!と。

こんな可愛らしい外見で凄い名前してるなぁとクレマンティーヌは思う。

とはいえ肌で感じる強さで言えば英雄の域に達している自分すら凌駕していると思われるので何ら不思議ではないなと考え直す。

まさに、獣達を統べる王なのであろう。

神のシモベにこそ相応しい。

 

ちなみに、眼帯の少女もしれっと「シズ・デルタ」と自己紹介をしていた。

 

 

「すぐに蘇生の準備を整えさせましょう! さぁ貴方方もどうぞ中へ!」

 

「えっ!? あ、あはは…。ど、どうも…」

 

「くーん」

 

 

そうしてクアドラシルの背に乗ったままパンドラズ・アクターとシズの後ろを付いていくクレマンティーヌと獣王。

目の前にいるパンドラズ・アクターはもちろん、小さな少女であるシズでさえ自分より格上であることを察するクレマンティーヌ。

普通に出会っていたらと思うと恐ろしくて身が竦む。

正直この墳墓からはヤバイ気配しかしないので入るのは御免こうむりたいが神様の家?であるらしい為逃げ帰るわけにもいくまい。

というよりこんな奴らがいると判明した時点で名犬ポチから離れるなんて恐ろしくて出来ない。

いつどこで不意に殺されるか分かったものではないのだから。

 

 

(こ、この人たちって神様の部下なんだよね…。戦い方次第じゃこのシズって子はやれないこともなさそうな気はするけどこのパンドラズ・アクターってのはヤバい…! 強すぎてもう分かんないけどカッツェ平野で見たあの化け物達や神様の友達の猫?と同じ領域にいる気がする…)

 

 

クレマンティーヌの勘は正しい。

厳密には差こそあれどアルベドやガルガンチュア、カッツェ達と同様のステージにパンドラズ・アクターはいる。

まぁクレマンティーヌが見たカッツェの強さはガルガンチュアの力をコピーしたものなので本当の意味で同格とは言えないのだが。

 

 

(あぁ…! 神様早く生き返ってぇ…! 生きた心地がしないよぅ…)

 

 

泣き出しそうになるのを必死で耐えるクレマンティーヌ。

横を見ると獣王も同じ気持ちなのか同様に泣きそうになっている。

 

現地で言えば、神人や竜王、その他一部の例外を除けば最高水準に達していると言っても過言ではない二人。

そんな彼等は今、肩を寄せ合い仲良く震えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうなってんの、これ…」

 

 

クレマンティーヌは放心していた。

見てきた物が信じられないのだ。

 

 

「おや、どうかしましたか?」

 

 

クレマンティーヌの呟きにパンドラズ・アクターが大仰に心配そうなそぶりを見せる。

 

 

「もしやお疲れになりましたか? 大丈夫ですよ、あと二階層降りれば玉座の間ですから」

 

「まだ二階層あるの!?」

 

 

クレマンティーヌの叫びも当然である。

現在ここは第七階層。

そもそも一階層が数km四方もの広さなのである。

ギルドメンバーと違って自由に転移できない彼らはそれを順番に降りてきているのだ。

気が遠くなる程に広く、長い。

それがまだ二階層も残っている。厳密には第八階層を入れれば残り三階層なのだがここは緊急の時以外は閉じられており、第七階層と第九階層が繋げられている。

 

 

「い、いやいやおかしいでしょ…。三層にも渡る迷路のような墳墓と、底も見えない巨大な地底湖! 多数の氷山が聳える極寒の地! 見たことも無い植物が生い茂るジャングルと闘技場! そんでもってここは、大地のそこら中に溶岩が流れてる灼熱の地! これ以上何が出てくるっていうの!? なんでこんなのが地下に!? そもそもここは本当に地下なの!? 空だってあるし! 物理的に考えておかしいでしょ! あり得ないって!」

 

 

あまりの非現実的な世界に頭がパンク寸前のクレマンティーヌ。

だがそれを見たパンドラズ・アクターは愉快そうに笑う。

 

 

「はっはっは。中々に表現力が豊かですねお嬢さん」

 

(お嬢さん…?)

 

「貴方の考えは正しい。その事に気付くとは見どころがありますね。流石は名犬ポチ様が仕えることを許されただけの事はあるようです。そう! ここは神をも超える至高の御方々の居城! 至高の御方々が自ら御創りになった世界であり、その英知が散りばめられ切り取られた甘美な世界の数々! おぉ…! まさに至高の御方々が座すに相応しき至高の楽園! そう…、まさに眩しく輝く結晶…! これこそが芸術…! この世全ての美であり完成形…! ぉぉぉおおおおgroßartig(グロースアルティヒ)!(素晴らしい!)」

 

 

パンドラズ・アクターが両手を広げ、恍惚とした表情を浮かべ立ち尽くす。

心無しかライトアップされているようにすら感じる。

 

楽園、という言葉には同意できないもののここが破格の場所であることは容易く理解できる。

これが本当に作られたものだとは到底信じられない。

名犬ポチの奇跡を目の当たりにしていなければ何と言われても信じられなかったに違いない。

改めて名犬ポチの凄さに驚きを隠せない。

こんなものが作れるなんて神様は本当に凄いんだなと感動に打ち震えるクレマンティーヌ。

 

その時小さくパンドラズ・アクターが「今は見る影もありませんが…」と口にするがクレマンティーヌの耳に入る事は無かった。

 

 

再び歩き出し、ようやく第七階層の転移門に到着する。

 

 

「ここからはロイヤルスイートになりますので行動には気を付けて下さい。ここは至高の御方々の為の特別な階層です。流石にクアドラシルの背に乗ったままでは失礼に当たるので自らの足で歩いて下さい。いくら貴方々が名犬ポチ様のシモベとはいえここでは許されないこともありますので…」

 

「は、はひっ…」

 

「く、くーん…」

 

 

パンドラズ・アクターの視線にそれが冗談でないことを理解するクレマンティーヌと獣王。

この世の地獄を詰め込んだようなこのナザリックと呼ばれる場所の奥には何が広がっているのだと怯える。

 

すぐにクアドラシルの背から飛び降り、転移門の先をくぐる。

そこにあったのは。

 

 

「な、あ……!?」

 

 

広がるのはまさに美としか形容できない光景だった。

リエスティーゼ王国の王城、バハルス帝国の皇城、スレイン法国の大聖堂、ローブル聖王国の大城塞、竜王国の古城、そのいずれもが比べ物にならない破格の景色。

クレマンティーヌが見てきたどんな光景をも遥かに凌ぐ美しさだ。

 

いや、比べることすら烏滸がましい。

 

どれだけの物か分からないがこの価値観は理解できる。

この世の贅を尽くし財を極めたと形容してもまだ足りない。

クレマンティーヌは呆気に取られて言葉が出ない。

 

まさに御伽噺のような空想の産物だ。

 

神話の、世界。

 

 

「どうしましたか?」

 

「ひっ…」

 

 

パンドラズ・アクターの言葉に反射的に身が竦む。

本当にここに足を踏み入れるのか、と。

その美しさは極まり過ぎていて畏れすら抱かせる程だ。

もはや凶器と言ってもいい。

完璧過ぎるが故に完璧でない者の存在を許さないような、否定するかのような趣きすら感じる。

 

だが。

 

 

「あれ…?」

 

 

ふとクレマンティーヌが気付く。

あまりの迫力にすぐには気付けなかったがようく見れば壁や地面にヒビが入っている場所がある。

気を失いそうになる程の高価そうな飾りや調度品もいくつかが壊れ、落ちている。

 

 

「あ、あれは…?」

 

 

あまりに完璧すぎるが故にその違和感は尋常ではなかった。

思わずパンドラズ・アクターに問いかけてしまう。

 

 

「ああ…、お気づきになりましたか…」

 

 

心底悔しそうに、いや悲しそうに顔を伏せるパンドラズ・アクター。

 

 

「私が説明する」

 

 

今まで黙って一番後ろを着いてきていたシズが突然口を開く。

 

 

「至高の御方に仕えるべき我々の中で裏切者が出た。本質的に差は無いとはいえ、立場上はNPCの中で最も上位に位置する者で他の者達への命令権や多くの力を持っていた」

 

 

えぬぴーしー。

スレイン法国出身者であるクレマンティーヌは知っている。

それは神に仕える従属神の呼び名だ。

 

 

「その者は裏切りを隠し秘密裡に名犬ポチ様を排除しようとした。表向きは名犬ポチ様の捜索。なかなか尻尾を掴ませないその者を正面から糾弾はできなかった。その者はすでに多くのシモベを誑かし力を手に入れていたから、そんなことをすればこちらがやられてしまう。そして裏切りに気付いたごく少数のシモベ達は各自動いた。その結果、名犬ポチ様は御命を落としてしまったがこうしてナザリックに帰還することができた」

 

 

そこで気付いた。

名犬ポチがアルベドと呼んでいた女、あいつが裏切者だと。

それに何より自分の知らない所で考えられないような恐ろしい戦いが繰り広げられていたらしい。

 

だが話を聞いていてクレマンティーヌの中で一つの疑問が浮かび上がる。

ここに来るまで。

見て見ぬふりをしてきたがもうそうはいかない。

 

どの階層も夥しい程の魔物の死体で溢れかえっていたのだ。

 

そのどれもが伝説級、いやそれ以上の怪物なのではと思わせる者達。

あまりに非現実的過ぎ、また、あまりの数の多さから気のせいだと言い聞かせて黙っていた。

だが今の話を総合するなら。

 

 

「気付いた? ここに来るまでに見た死体は全てその裏切り者の手の者達と私が指揮したシモベ達のなれの果て。パンドラズ・アクターの助力があったからギリギリで勝利することが出来たけどもうほとんど残っていない」

 

 

シズの言葉にクレマンティーヌは驚愕する。

この無数にいる神話のような怪物達の争い、それは一体どれ程のものだったのだろうかと。

 

 

「でもおかげでナザリックの安全は保つことに成功した。もし私達が負けていれば名犬ポチ様を出迎えることが出来なかった可能性もある。ゴーレム等のシモベで出入り口を固められ、帰還前に排除されていれば終わりだった」

 

 

シズはさらりと話しているがその恐ろしさは十分に分かる。

一歩間違えば、名犬ポチと共に帰還した自分達も秘密裡に処理されていた可能性があったのだ。

 

 

「もちろんこのロイヤルスイートでも戦いは起こった。他の階層よりはマシだったけれど」

 

 

このヒビや傷は全て戦いの跡らしい。

改めて背筋に冷たいモノが走るクレマンティーヌ。

 

 

「でももう大丈夫。ナザリックは私達が完全に掌握した。危険は無い」

 

 

その言葉に心底安堵するクレマンティーヌ。

何もかもが規格外すぎて心が追い付かない。

逆に吹っ切れたクレマンティーヌはその一歩を踏み出す。

 

 

「もう理解しよーとするのはやめた。それよりもさっさと行こう、私も早く神様生き返して貰いたいし」

 

 

シズとパンドラズ・アクターが頷く。

もうここまで来たらどうにでもなれだ。

もう何が来てもビビらない、そう心に決めてクレマンティーヌはロイヤルスイートを進んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

少し前の自分を殴りたい。

心からそう思うクレマンティーヌ。

 

ロイヤルスイートを抜け、第十階層に到着した一行。

そして半球状の大きなドーム型の部屋に到着したクレマンティーヌ達の前には巨大な扉が鎮座していた。

3メートル以上はあるだろう巨大な扉の右の側には女神が、左の側には悪魔が異様な細かさで彫刻が施されている。

そして周囲を見渡せば、禍々しい像が無数に置かれている。

もしここにタイトルをつけるなら『審判の門』とかだろうか。

そんな下らない事を考えながらここから漂う気配にビビり倒しているクレマンティーヌだった。

 

 

(やっぱ無理無理! 今度は何!?)

 

 

まるでこれから断罪を受けるかのような気持ちで開いていくドアを眺めているクレマンティーヌ。

その扉はゆっくりと開いていく。

誰が押し開けているのでもない。

重厚な扉に相応しいだけの遅さで開いていく。

 

開いた先にあったのは広く、高い部屋だった。

壁の基調は白。

そこに金を基本とした細工が施されている。

天井から吊り下げられた複数の豪華なシャンデリアは7色の宝石で作り出され、幻想的な輝きを放っていた。

壁にはいくつもの大きな旗が天井から床まで垂れ下がっている。

中央に敷かれた真紅の絨毯。

その左右に並んでいるのは形容しがたいほどの美しさを誇る40人前後程のメイド達だ。

その者たちがクレマンティーヌ達を無言で見つめてくる。

ある種の階級や権力を持つ人間による視線など何とも思わないクレマンティーヌですら物理的な力を持って押し寄せてくると錯覚する程にそれは強烈だった。

このメイド達が強者だからではない。

もっと、恐ろしい何か。

命令さえあればいかなる犠牲を払おうと構わないという気概、あるいは狂信的とも言うべきだろうか。

 

強者がそれに見合う強靭な精神力を持っているのはいい、納得できる。

 

だが、ここにいる一般人と思わしき者達までもがその超越した精神性を持っていることにクレマンティーヌは言葉を失う。

一人や二人、せいぜい数人程ならばごく稀にそういった者もいるかもしれない。

だがこれだけの人数のメイド達が全員というのは常軌を逸している。

クレマンティーヌは理解する。

 

そうか、これが神に仕えるということか、と。

 

 

「はは、は…」

 

 

乾いた笑いが出るクレマンティーヌ。

この時、生まれて初めてクレマンティーヌは自らよりも弱い存在に敬意を覚えた。

 

パンドラズ・アクター達と共に真紅の絨毯を進んでいくクレマンティーヌ。

メイド達の全員がクレマンティーヌへ向かって頭を下げる。

いや、正確にはクレマンティーヌの腕の中にいる名犬ポチにだが。

 

真紅の絨毯の先、この部屋の最奥。

 

そこにある水晶で出来た玉座に座る何者かの姿が見えた。

異様な杖を持ったおぞましい死の具現。

骸骨の頭部を晒しだした化け物。

まるで闇が一点に集中し、凝結したような存在。

豪華な漆黒なローブを纏っており、指には無数の指輪が煌く。

これだけの距離があってなお、身を飾る装飾品の値段は周辺国家から金銀財宝をかき集めても足りないだろうとクレマンティーヌは考える。

 

アンデッドである事を証明するその頭部を見て死者の大魔法使い(エルダーリッチ)かと思うがそんなはずが無いのは簡単に理解できる。

何より、今まで出会った数々の化け物達と同格以上の気配を醸し出しているのだ。

まぁもしそんな化け物達と出会うことなく初めて見たのなら死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と断言してしまっていたかもしれないが。

そしてスレイン法国が崇めるスルシャーナの事を思い出すが個人的に違う気がする。

完全に勘であり根拠などどこにもないのだが。

仮にスルシャーナだったとしてもクレマンティーヌには関係ない。

自分が崇めるべき神は腕の中にいるのだから。

 

 

「こちらへ…」

 

 

パンドラズ・アクターが玉座の階段の前を指し示す。

どうやらそこに名犬ポチを置けということなのだろうと理解し、そっと優しく置く。

 

 

「ペストーニャ、後はお願いします」

 

 

パンドラズ・アクターの言葉に応じて出てきたのは犬の頭をしたメイドだった。

その頭部は真っ二つにしたものを無理やり縫い付けたかのような跡が残っている。

 

ペストーニャは名犬ポチへと近寄ると魔法を唱える。

それは死者を蘇生する最高レベルの信仰魔法。

名犬ポチを中心に魔法陣が展開される。

次第に名犬ポチの外傷が回復していき、血の気が戻っていく。

 

 

「すご…」

 

 

思わず呟きが口に出るクレマンティーヌ。

彼女から見ればそれは神の御業に匹敵する奇跡に思えた。

 

そうして魔法を唱え終えると魔法陣が消える。

 

ここにいる誰しもが凝視している。

 

その瞬間を待ちわびるように。

 

蘇生魔法を使ったペストーニャも不安なのかわずかに震えている。

 

 

しばらくして。

 

 

 

「うぅ…んんん…朝か…?」

 

 

 

名犬ポチが起き上がり呆けた事を口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

歓声が上がった。

メイド達の誰もが涙を流しその場に崩れ落ちていた。

本来ならば叱責されるべきことかもしれないが、至高の御方の帰還と復活を同時に味わった彼女達から見れば仕方のないことだった。

 

 

「「「おかえりなさいませっ! おかえりなさいませっ!」」」

 

 

涙ながらにメイド達が口々に名犬ポチへ帰還を祝う言葉を口にする。

わけもわからずそれを見ている名犬ポチだがその中にクレマンティーヌと獣王を見つける。

 

 

「おおおっ! クレマンティーヌ! 獣王! お前ら無事だったんだな! 良かった! じゃあ俺のスキルは成功したってことか!」

 

 

二人の姿を見て、死亡前の記憶が蘇った名犬ポチは自分のスキルが成功したのだろうという事実に胸を撫で下ろす。

強力なスキルではあるのだが自分は死んでしまう為、基本的に他人任せになってしまうからだ。

 

尻尾を振りながら二人に駆け寄る名犬ポチ。

その姿を見てクレマンティーヌと獣王の目から涙が零れる。

 

 

「うん…、うん! 神様おかえりなさいっ……!」

 

「くぅーん…、くぅーん…!」

 

 

泣きじゃくる二人を宥めるようによしよしと頭を撫でる名犬ポチ。

しかしその時後ろから。

 

 

「おぉぉぉおおぉ…! お待ちしておりました…! んんん名犬ポチ様ッ!」

 

 

パンドラズ・アクターの大げさな動きに場の空気が一気に冷える。

感動も何もかも台無しだった。

クレマンティーヌや獣王でさえも白い目で見ている。

 

だがここでただ一人、いや一匹。

目を輝かせてそれを見る者がいた。

 

 

(パ、パンドラズ・アクターッ!? モ、モモンガさんのNPC! や、やべぇ…! やっぱりこいつ…! クソカッケェェェェ!!!!)

 

 

パンドラズ・アクターの魅力にやられ腰を抜かす名犬ポチ。

 

 

(ま、前からカッコイイとは思ってたが動くとこんなにカッコイイのか…! やばすぎんだろっ…! 流石モモンガさんだぜ…! このセンスは唯一無二…! うわ、なんだその動き…! 華麗すぎる! おおっ!? なんだそれはっ! 今のからそんな動きに繋がるのかっ…! やめろっ…! やめてくれっ! これ以上俺の心を乱さないでくれっ…! いちいち動きを止める時のポーズが決まりすぎてるっ! ああっ…! これが究極の美か…! こいつ、静と動の動きを極めてやがるっ! すげぇ…! すげぇぜパンドラズ・アクターッッ!!!)

 

 

心の中で大絶賛する名犬ポチ。

だがそんな興奮冷めやらぬ中、周囲を見渡しここがどこか理解する。

 

ナザリック地下大墳墓。

第十階層、玉座の間だ。

 

後から遅れて実感が湧いてくる。

 

帰ってきた、ついに帰って来たのだ。

 

 

「おお、本当に…、ナザリックなんだな…」

 

 

フラフラと立ち上がりキョロキョロと周囲を見渡す名犬ポチ。

 

 

「はい、そうでございますンン名犬ポチ様ァ!」

 

(こいつ…、発音までカッコイイとか…。最高かよ)

 

 

改めてパンドラズ・アクターの魅力にやられそうになる名犬ポチ。

 

だがすぐに最も大事なことを思い出す。

 

ゲームの最後を共にした大事な仲間。

連日のようにバカ騒ぎして遊んだかけがえのない仲間だ。

誰より面倒見がよくて優しかったギルドマスター。

彼がいたから皆が一緒に笑い、あれだけ楽しく過ごせたのだ。

 

玉座を見る。

そこに座っていた。

 

ずっと会いたかった大事な仲間が。

 

 

「モモンガさんっ!!!」

 

 

 

喜びに染まった叫びを上げ、玉座まで走っていく名犬ポチ。

 

 

「帰ってきたぞ! 帰ってきたんだ! なぁモモンガさん! 俺やっと…」

 

 

玉座に座るモモンガの前ではしゃぐ名犬ポチ。

だがすぐに声のトーンが落ちていく。

 

 

「モ、モモンガさん…? お、俺だよ、ポチだ…。ど、どうしちまったんだよ…、どうして答えてくれないんだ…? もしかして怒ってるのか…? また一緒に遊ぶって…、もう一人にしないって言ったのに守れなかったから…」

 

 

次第に名犬ポチの瞳に涙が浮かんでいく。

 

 

「で、でも帰ってきたぞ…! 俺帰ってきたんだ…! だから! また一緒に…! モモンガさん…! なぁ、モモンガさんって!」

 

 

足に縋りつき、嗚咽交じりに名犬ポチが呟く。

 

 

 

 

「なんで何も言ってくれないんだ…?」

 

 

 

 

モモンガはずっと沈黙したままだった。

その瞳に未だ光は宿らない。

どれだけ名犬ポチが呼びかけても反応すらしない。

死んだように、ただただ動かず玉座に座っている。

 

 

「モモンガ様は…、御心を痛めて…お休みになった…」

 

 

この場で唯一、モモンガが沈黙する瞬間に立ち会っていたシズが口を開く。

自動人形であり、抑揚の無い喋りをするはずの彼女の言葉がわずかに震えていた。

 

その言葉を聞き、名犬ポチの顔が絶望に染まる。

 

 

「お、俺か…? 俺のせいなのか…? モモンガさんがこうなっちまったのは全部俺の…。そうか、アルベドが言ってたのはこの事か…。だからアルベドは俺のことを…」

 

 

アルベドの言っていた言葉が繋がる。

何かあったのだとは思っていたがまさかこんな事になっているとは。

 

それだけモモンガを傷つけてしまったのかと自責の念にかられる名犬ポチ。

 

 

「違う! 名犬ポチ様は悪くない! アルベド様は私欲の為に名犬ポチ様の事を襲っただけ!」

 

 

その様子を見かねたのかシズがすぐに否定する。

 

 

「ありがとうシズ…。でも、アルベドはともかく…、モモンガさんがこうなっちまったのは俺にも責任がある…。それは事実だ…」

 

 

力なく項垂れる名犬ポチ。

しばらくして顔を上げると玉座の間の壁や天井にいくつか破損があることに気付く。

 

 

「…? あれは…?」

 

 

名犬ポチの言葉にシズが跪き説明を始める。

 

 

「私がやった…。この場から動く為にはアルベド様の言葉を信じていた姉妹達を倒す必要があったから…」

 

「…! 殺したのか…!?」

 

「動けないように縛って幽閉してる。名犬ポチ様が帰還されたら事情を話して解放しようと…」

 

「そ、そうか、生きてんのか…」

 

 

シズの言葉にホッと胸を撫で下ろす名犬ポチ。

 

 

「モモンガ様の前で戦いを始めた不敬は理解している…、その罪はこの命で…」

 

「うわ、お前何言ってんだ! ちょ、やめろっ!」

 

 

急に自分の頭に銃を突きつけたシズから咄嗟に奪い取る名犬ポチ。

 

 

「でも私は他にも罪を犯した…。パンドラズ・アクターの助力を得るためにお休みになっているモモンガ様の指から勝手に指輪を抜き取り使用した…。とても許されることではない…」

 

 

シズがおずおずと指輪を名犬ポチに差し出す。

 

 

「リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンか…! そうか、確かにそれがないと宝物庫に…! ってああ! だからやめろっつってんだろ!」

 

 

どこからかまた違う銃を取り出して再び自分の頭に突きつけるシズ。

またもや名犬ポチがそれを素早く奪い取る。

 

 

「ど、どうなってんだ全く…! と、とりあえず自殺するの禁止! 分かったか! それにシズがやった事はそうしなきゃダメだったんだろ? よく分からねぇけどシズが動かなかったら俺はナザリックに帰って来れなかった可能性もあったんだろ?」

 

 

その言葉に横にいたパンドラズ・アクターが「その通りでございます」と肯定する。

 

 

「なら気に病まなくていい…。むしろ俺からすれば感謝したいくらいだ。それにもしそのことでモモンガさんに怒られるような事があるなら俺も一緒に謝るから…。な? だから自分を責めたりとかそういうことはすんな。分かったか?」

 

 

名犬ポチの言葉にシズが静かに頷く。

その時、周りにいたメイド達全員が名犬ポチの優しさに涙していた。

パンドラズ・アクターでさえ大仰に涙を流している。

 

 

「おおぉ…! なんと慈悲深き御心! それは海よりも深く! 空よりも高く! 宇宙のように広い! なんとZartheit(ツァールトハイト)!(優しい!)」

 

 

再び空気が冷える。

だがその中で名犬ポチただ一人が、本気の本気で照れていた。

 

 

「や、やめろよパンドラズ・アクターッ…! そ、そんなんじゃねぇって…! へへ!」

 

 

少し落ち着き、気を取り直す名犬ポチ。

モモンガが目を覚まさないのは大変な問題だが、すぐに解決できるのか分からない。

それよりもモモンガが動いていなかったということはナザリックが今どうなっているのかと疑問に思う。

アルベドが動いた影響がどこまでなのかこの目で確かめねばなるまい。

モモンガがああなってしまっている以上、ナザリックの問題に対処できるのは名犬ポチしかいないのだ。

 

 

「…。ナザリック内の様子が見たい…。シズ、パンドラズ・アクター、案内してくれるか…?」

 

「了解」

 

Einverstanden(アインフェアシュタンデン)!(仰せのままに!)」

 

(やだ、素敵…!)

 

 

パンドラズ・アクターの返事に心躍りながらも平静を保つ名犬ポチ。

あんまりみっともない所を見せたら呆れられてしまうかもしれないからだ。

 

 

「あ、あの神様、私達も付いていきたいなー、なんて…」

 

「くーん」

 

 

単純にここで待機するのが怖いので付いていくのを願い出るクレマンティーヌと獣王。

 

 

「好きにしろ」

 

 

そうして名犬ポチが玉座の間を出ていく。

ナザリックの惨状を目の当たりにするために…。

 

 

 

 

 

 

 

 

カッツェ平野。

大爆発の影響で何もかもが死に絶えたこの場所で人知れず動くものがあった。

 

 

「あぐっ…! うぅぅ…!」

 

 

爆心地の中心からそれは這い出てきた。

人間の骨を思わせる金属骨格を持った自動人形。

土を掘り返し、埋もれていた体を外に露出させる。

 

 

「はぁっ…! はぁっ…!」

 

 

ナザリック最強の個、ルベドである。

 

デミウルゴスが誇る屈指の大爆発すらルベドにトドメを刺すには至らなかった。

いや、正確に言うならば直撃していれば破壊できていただろう。

 

だが一つだけ誤算があった。

 

ルベドとそれを拘束する十二宮の悪魔達。

どちらのほうがよりタフか。

それは言うまでもなくルベドである。

大爆発の直後、ルベドよりも先に十二宮の悪魔達が滅びたのだ。

その瞬間、体が自由になった刹那、無意識の内にルベドは地中を掘り返しその中へと潜った。

瞬きの程しかない僅かな時間の中で。

結果、ルベドは消滅から逃れることに成功した。

 

もちろん無事ではない。

 

身体のあちこちのパーツが吹き飛び、片足も満足に動かない。

何より致命的なのは頭部へのダメージだ。

損傷が激しく、ルベドの記憶は完全に混線し入り乱れている。

 

もはや何の為に動いているのか自分ですら認識できない。

それどこか彼女の持つ自我すら消えかけている。

 

行動を規定するために脳内のデータを何度も再生する。

だが、それもエラー、エラー、エラー。

 

ルベドのハードディスクの中にはもうほとんど無事な記憶が残っていない。

 

それでも必死に何度も何度も再生を試みる。

やがていくつかのデータの断片のみがルベドの脳内で再生されることになる。

 

 

「高い…高いして…あげる…」

 

 

それはネムとの記憶。

泣いているネムをなだめる為に抱き上げ空高く飛んだ時のことだ。

それを再現するかのように、何もない空間をまるで誰かがいるかのように抱きかかえジャンプしようとするルベド。

だがそれは叶わずバランスを崩しその場に倒れ、記憶が途切れる。

 

 

「あうぅ…! これじゃ…ネムが…泣き止まない…」

 

 

再び脳内で違う記憶が呼び起こされる。

エ・ランテルの本屋に入り、欲しい本を見つけた時のこと。

 

 

「あぐ…! がぁ…」

 

 

欲しい本を手に取る為に立ち上がり、前へと進むルベド。

動かない片足をひきずり必死で歩いていく。

やっと本を手に取れると思った時、記憶が途切れる。

目の前にあるのは抉れた大地だけだ。

 

 

「ぁっ…」

 

 

次に呼び起こされたのはフォーサイトの面々を殺害した時の記憶。

ルベドが腕を振るだけでロバーデイクもヘッケランも死んでいく。

次に泣いているイミーナへと手が伸びる。

 

 

「やめて…! やめて…! どう…して…? 止まって…止まってよ…! 私こんなことしたく…!」

 

 

現実にはルベドの腕は動いていないが記憶の中では違う。

誰も彼もが死んでいく。

記憶は止められない。

そして記憶が断片になっていることでこの後、彼らを蘇生したことすら理解できていない。

断片しかないが故にそれはルベドにとって絶対的なものだ。

 

 

「うぅぅぅ…! うぁああぁあっ…!」

 

 

泣き叫ぶが涙など流れない。

ルベドは機械だから。

 

次に見たのはアルシェが死ぬ瞬間。

 

アルシェが誰かに首を折られる瞬間の映像だ。

記憶に不備があり完全ではないが、アルシェの死ぬ瞬間だけは鮮明に再生される。

 

先ほど言ったように断片であるからこそ、これは絶対的。

 

それはルベドにとっての地獄でしかなかった。

 

 

「い…や…! いやぁ…!」

 

 

止めようと必死に動くが体が言う事を聞かない。

やがて首の折られたアルシェが地面に投げ出される。

 

 

「アルシェ…! 死んじゃ…いやだ…!」

 

 

地面に倒れたアルシェに縋るように手を伸ばす。

だが記憶はそこで途切れる。

目の前には誰もいない。

 

 

「あぁぁあぁ…! どこに…行ったの…!? 私を置いてい…かないで…! 一人に…しないで…!」

 

 

ルベドの叫びが虚しく響く。

何もない。

ルベドの手には何も残っていない。

思いですらルベドの自由にならない。

何もかもがルベドの手から零れ落ちていく。

 

だがここにきても一つだけ残っているものがある。

 

もはやそれは呪いだ。

 

決して逃れえぬ呪縛。

 

ルベドを苦しめた元凶。

 

結局は堂々巡り。

 

どう足掻いてもここに戻ってくる。

 

最初に下された命令。

 

それだけが未だルベドの中で消えずに残り続けている。

 

 

「…。行かなきゃ…。ナザリック…に…。私が…私がやらなきゃ…!」

 

 

何度、苦悶しても。

どれだけ損傷しても。

 

機械である以上、ルベドは決して逃れられない。

 

因果は消えない。

 

命令を遂行するまで、止まらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだこれは! これが…! これがナザリック!? これが俺の…、俺たちのギルドなのか…! 皆で作った掛け替えのない大事な…! これがその成れの果てだっていうのかっ!!!」

 

 

名犬ポチが叫ぶ。

 

彼の目に映るのは破壊され尽くした内装。

仲間が作った大事なNPC達が織りなす死屍累々。

どの階層も地獄絵図のように名犬ポチの目には映った。

 

以前を知らないクレマンティーヌにしてみれば死体が無数に転がっているだけという印象だが名犬ポチからしてみれば違う。

以前の圧倒的なナザリックを知っているからこそ。

それが失われていることに気付く。

 

ナザリックのシモベ達による総力戦。

彼等の戦いの余波で建物は崩れ、木々は折れ、大地は血に染まっていた。

 

 

「パンドラズ・アクター」

 

「はっ」

 

「宝物庫には金貨は残っているか?」

 

「はい、十分にございます!」

 

「そうか」

 

 

静かに呟いた名犬ポチが指輪をパンドラズ・アクターへと投げ渡す。

 

 

「リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンはお前に預けておく。宝物庫の金貨の総枚数、ナザリックの修繕費、NPC達の蘇生費用、その他もろもろを計算して出してくれ…」

 

「かしこまりました、では…」

 

 

立ち去ろうとするパンドラズ・アクターを再度呼び止める名犬ポチ。

 

 

「パンドラズ・アクター、シズもだ。最後に聞かせてくれ」

 

「はい、なんでしょう?」

 

「何?」

 

 

考えこむように押し黙る名犬ポチ。

しばらくして重々しく口を開いた。

 

 

「お前達にとって俺は何だ…? なぜ俺の言う事に従う…?」

 

 

先ほどから抱いていた疑問。

ナザリックに帰還できたことで浮かれていたがそもそもNPC達はどこまで自由に動くのか。

モモンガがああなってしまっている以上、それは名犬ポチにとって死活問題だ。

何がOKで、何が駄目なのか。

その見極めをしなければなるまい。

今の所、言う事を聞いてくれる気配はあるがアルベドの例もある。

油断すればやられる可能性もある。

時間があればもっと遠回しに聞いたり外堀を埋めていけたがこの状況ではそうもいかない。

結果として名犬ポチは単刀直入に問うことにした。

 

 

「これは異なことを! 貴方様は神よりも偉大な至高の41人! このナザリック地下大墳墓の主人が1人! そして我々は貴方方に創造されし忠実なるシモベ! そのお言葉に従うのは当然でございます! そこに何の疑念がありましょうか!」

 

(くっ…! カッコよすぎてずっと見ていたくなっちまう…! 気を確かに持て俺…! 今はそれどころじゃねぇんだ…!)

 

 

ゴホンと咳払いをする名犬ポチ。

 

 

「シズはどうだ?」

 

「右に同じ」

 

(シンプルすぎるだろ。まぁパンドラズ・アクターと変わらないってことでいいのか)

 

 

再び考えこむ名犬ポチ。

 

 

(ふむ…。嘘を言っていないと仮定した場合だが…。こいつらNPCは俺たちギルドメンバーに従うってことでいいのか…? やたら崇められているのは気になるが…。そもそもなんだ至高の41人って…。もしかしてユグドラシルの時の設定が生きてるんだろうか…? しまった…。ゲーム的にプレイヤーとNPCがどういう存在とかチェックしてねぇよ…)

 

 

チラリとパンドラズ・アクターとシズを見る。

 

 

(デミウルゴスも俺の事を本気で心配してくれてたみたいだしこいつらも裏がありそうには見えないな…。今のところは協力してくれてるし一先ず信用していい気はするな…。ただ、もし俺たちギルドメンバーに忠義か何かを感じていてくれているとするなら…、それは不可侵にして不変のものなんだろうか? 人であれば馬鹿な行動ばかりを取る上司への忠誠心なんか直ぐに消えてしまうだろう。それともゲームと同じで一度設定されたものは変わらずそのままなのか…?)

 

 

だがここは名犬ポチ。

 

 

(どちらにせよ問題ないな! 俺は馬鹿な行動なんて取らないし呆れられるなんてあり得ないからな!)

 

 

無駄に自信家だった。

 

そうと決まればとりあえずナザリックを立て直さなければなるまい。

金のことは一旦パンドラズ・アクターに任せるとしてまず何をするか。

そう考え込んでいた時。

 

 

「名犬ポチ様!」

 

「ん?」

 

 

パンドラズ・アクターが鬼気迫った様子で駆け寄る。

 

 

「いくつか私の独断でナザリック外部の監視系の罠を作動させていたのですが…。たった今それに反応がありました。私が持つ遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)で確認してみたのですが何者かがこちらへ接近してきております…」

 

 

そう言ってパンドラズ・アクターが差し出した鏡を覗き込む名犬ポチ。

 

 

「こいつは…!」

 

「ご存知なのですか?」

 

「いや、ご存知も何も…」

 

 

言いかけて気付く。

知らないのか、と。

 

確かにこれは製作途中を知っている一部のギルドメンバーしか知らないかもしれない。

NPCならば尚更だ。

少しNPCのことが分かってきた気がする名犬ポチ。

どうやら個人個人で知っている事は差があるらしい。

それぞれに設定されていること、あるいは直接関わらないこと以外は知らないのかもしれない。

ナザリックのシモベだからとて誰もがその全てを知っているわけではないのか、と。

 

 

「ルベド」

 

 

ここでシズがその名を口にした。

 

 

「な…! これがルベドなのですか…! あのナザリック最強の…!?」

 

 

シズの言葉にパンドラズ・アクターが驚いている。

どうやらルベドのこと自体は知っているようだ。

だがこの反応はそもそもルベドの外見を知らないのか、単純にこの状態のルベドを知らないのか。

いや、今はどちらでもいい。

 

 

「そうか。シズ、お前は知ってるんだな?」

 

 

シズがコクリと頷く。

 

 

(この姿のルベドを知っているということはナザリックのギミックが全て頭に入っているというシズの設定は活きていると考えるべきか…)

 

 

ルベドはその仕様上、キャラクターというよりはナザリックのギミックとして判定されている。

さらに色々と細かい機械的な都合が存在する関係上、機械に精通しているシズの頭にその全てが入っていてもおかしくない。

 

 

「シズ、お前はルベドの事をどこまで知ってる?」

 

「全部」

 

 

シズの答えに満足したように笑う名犬ポチ。

設定によるものか、知識によるものか分からないがルベドの事が頭に入っているなら関係ない。

 

 

「俺が出る。ついてこいシズ」

 

「お、お待ちください名犬ポチ様!」

 

 

パンドラズ・アクターが慌てて止めに入る。

 

 

「ク、クアドラシルから報告を受けています! ルベドは我々と敵対関係にあると!」

 

「アルベドが裏切ってる時点で予想は付く。大方、妹であるルベドに命令を与えて連れ出したってとこだろ?」

 

「わ、分かっているならばなぜ!? ルベドは危険です! どうしてもと言うならば私が討伐に向かいます! あのように手負いならば私一人でも十分に対処が可能です! どうかお考え直しを!」

 

 

必死に名犬ポチを止めようとするパンドラズ・アクター。

だが名犬ポチは。

 

 

「勘違いするなパンドラズ・アクター」

 

「ど、どういうことですっ…!?」

 

「俺はルベドを討伐するつもりはない。連れ帰るだけだ」

 

「き、危険です! 報告にあったデミウルゴスの大爆発さえ耐え抜いた様子…。それほどの危険対象に接触するのは危険すぎます…! ましてや連れ帰るなどと…!」

 

 

パンドラズ・アクターの言い分は分かる。

それは名犬ポチも承知している。

だが駄目なのだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

一度失えば二度と戻らない。

そういう意味ではデミウルゴスとの戦闘に耐え抜いたらしいというのは僥倖だった。

万全であればそれはそれで手を出しづらいので瀕死というのは最高の状態である。

 

 

「タブラさんの娘みたいなもんだ。なんとしてでも取り返す」

 

「な、ならば私も援護に…!」

 

「いらん。お前は費用の計算を最優先で進めてくれ」

 

「し、しかし…!」

 

 

必死に食い下がるパンドラズ・アクター。

いくら命令とはいえ至高の御方を危険な目に遭わせるわけにはいかない。

 

 

「見くびってくれるなよ。俺はお前達が忠誠を誓う至高の御方とやらなんだろ? ならば見せてやるさ、お前達が忠誠を誓い崇める者がどれほどのものなのかをな…!」

 

「め、名犬ポチ様…!」

 

 

勝算がある時の名犬ポチは驚く程に強気なのだ。

だって勝算があるのだから。

 

 

「俺なら止められる。いや、()()()()()()()()()()()()()…。だから信じて待て」

 

「……! 承知しました、そこまで仰るのならば…。ただ監視の目は付けさせて頂きます。それだけは折れて頂きますよう…!」

 

「……マジで?」

 

「マァァァジです!」

 

(あぁあぁあああっっ! 駄目だこいつ…! カッコ良すぎるッッ! こんなの無理っ! おかしくなるっ! 悔しいっ…! あらがえないっ…! 断り切れないッ…!)

 

「か、構わん、手を出すのでなければそれでいい。あとクレマンティーヌと獣王、お前達も待ってろ」

 

「か、神様…」

 

「く、くーん…」

 

 

心配そうに見つめる二人を尻目にナザリックの外へ向かって名犬ポチが歩を進める。

この時、心の中で心底やっちまったと反省する名犬ポチ。

 

 

(ちくしょー…。シズはしょうがないとして、他の誰にも見られたくないから援護だって断ったのに…。一生の不覚だぁ…)

 

 

横を歩いていたシズが心配そうな視線を名犬ポチに向ける。

 

 

「ん? どうしたシズ。後始末はお前に頼むぞ。その為に連れていくんだから」

 

「それは問題ない。ただ、どうやってルベドを止めるの? 命令権の無い者が正面から止める方法は私も知らない」

 

 

シズの問いにニヤリと笑う名犬ポチ。

 

 

「それこそ問題ない。タブラさんと少しルベドの話をしたことがある。だからルベドがどういうものなのかは予想がついてるんだ。それに設定通りなら多分あいつはつらい思いをしてるだろう。だからこそ迎えにいってあげないと」

 

「まさか説得?」

 

「いやいや、そんなわけないだろう。一番通用しないタイプだ。正々堂々、正面から真っ向勝負で卑怯な手を使わせて貰うだけだ」

 

 

名犬ポチの答えにシズが「むー」と唸る。

はぐらかされているのが気に喰わないのだろう。

 

だが名犬ポチもこれはあまり口に出して説明したくない理由があるのだ。

そうすると()()()に笑われる気がするから。

感傷的でくだらないプライド。

最後の最後であれに手を出すことになろうとは。

だがそれでも、この場を収められるならばどんな手でも使う。

 

 

なぜなら相手はルベド。

ナザリック最強の個。

 

誰が知るだろう。

 

片腕を失い、片足も動かず、満身創痍で満足に動けない。

その状態でありながらも。

 

やはり最強はルベドなのだ。

 

誰も彼女には勝てない。

それこそが最強と言われる所以。

タブラ・スマラグディナの最高傑作。

敗北しないからこそ、最強。

 

 

だが相対するは名犬ポチ。

ギルドメンバー最弱であり、強さとは無縁の男。

 

彼の前で最強など何の意味があるというのか。

 

 

 

そして、隠し玉を持っているのはお互い様。

 

 

 

 

「待ってろルベド。ここ(ナザリック)がお前の『帰る場所』だ」

 

 

 

 

切り札(ジョーカー)が1枚とは限らない。

 

 




次回『禁忌』ポチ、自らのアイデンティティーを全否定する。


描写省いちゃったんですが、シズとパンドラはアルベド派のシモベと大戦争してました。
そんでギリギリ勝利して安全になったナザリックで出迎えって感じです。

ポチさんはやってくれますよ、一応主人公ですから。
あと「戦闘は始める前に終わっている」ってぷにっと萌えさんが言ってた。

ラスト近いせいかテンション上がってきて筆が進む! 進むぞぉ!
久々の連日投稿、書き始めを思い出す。


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禁忌

前回までのあらすじ!


名犬ポチは2度復活する。
そしてラストバトルへ。
※色々と描写不足が見受けられたので少し修正しました。主に後半の守護者絡みの部分です。


ルベドを迎え撃つためナザリックの外に出て待ち構える名犬ポチ。

シズは墳墓の入り口の中から様子を伺っている。

そして恐らくこの様子は全てパンドラズ・アクターが監視しているだろう。

パンドラズ・アクター的にはピンチになったら助けに来るつもりで監視しているのだろうが徒労に終わると断言していい。

 

なぜならこの戦いに限り、名犬ポチが助けを必要とすることは無いからだ。

隠しスキルのあれと違い、誰かに後を頼むこともない。

正真正銘、名犬ポチが五体満足でこの場を収めるのだから。

 

 

「来たか…」

 

 

名犬ポチの視界の端に人影が映る。

以前の美しい少女の面影はもうどこにもない。

人間の骸骨を模したような金属骨格を持つ自動人形。

外殻のほとんどが亀裂や、変形、または吹き飛んでいる。

片腕を失い、動かぬ片足を引き摺りながらゆっくりと、しかし必死にこちらへ向かってくる。

 

満身創痍でありながらもその瞳だけが煌々と輝いていた。

 

ルベドはまだ諦めていない。

 

命令を遂行する為ならきっと全てを投げ打つ。

 

 

「どこにも…、誰もいない…! 皆が…いない…! 嫌だ…、そんなの嫌だ…!」

 

 

何かを嘆きながらルベドは進む。

最初の命令を遂行しようとしている最中にさえ表層の記憶から逃れられない。

いや、逃れられないからこそ最初の命令を遂行しようとしているのだ。

それだけがルベドに残された最後のものだから。

それすら失ってしまえば、ルベドの存在意義は消える。

 

きっと使い勝手の悪い失敗作として再び捨て置かれる。

 

ただの置物に逆戻り。

 

誰にも必要とされないまま。

 

 

「あぁぁっ…! 私はっ…! 私は役立たず…じゃないっ…! ちゃんとやれるっ…! ちゃんと…!」

 

 

だがルベドは気付いていない。

もう命令権を持つアルベドは存在しないのだ。

 

命令を遂行すれば、いや、してしまえばそれでも存在意義を失う。

 

なぜならもう次の命令が下されることはない。

 

ルベドの目的は掻き消え、次を指し示されることは永遠にないのだ。

 

失敗しようと成功しようと、ルベドに待っているのは無。

 

ルベドは決して、救われない。

 

 

遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)じゃ音声は拾えないから分からなかったが…、どうやら想像していたより酷いことになってるみたいだな…」

 

 

ルベドを見た名犬ポチが小さく呟く。

 

 

「だから…一人にしないで…! 役に立つから…! だから置いて…いかないで…!」

 

 

名犬ポチが危惧したのは外見上の問題ではない。

いくら損傷していようがそれは本当の問題ではない。

心の傷こそが重要なのだ。

 

 

「タブラさん…。あんたの作ったNPC…、いや、娘はこんなことになっちまってるぞ…。ギャップ萌えなんてろくでもねぇことばっか考えてるからだ…。ていうかそもそもアルベドもあんたの設定通りに動いたからああなったのか…。おいおい、もしかして…、いや完全に全部アンタのせいじゃねぇか!」

 

 

途中から真の元凶が誰なのか察し始める名犬ポチ。

だが今はそんなこと言ってる場合ではない。

 

 

「とは言ってもいない奴に文句は言えないし…。それに大事な仲間のケツは仲間が拭いてやらねぇとな…」

 

 

ルベドを見ながら名犬ポチの記憶が蘇る。

それはタブラとの何気ない会話の一節。

 

 

 

 

 

 

タブラが自身の工房で作業をしている時、何者かが扉を開けた。

 

 

「タブラさん聞いたぜ、とんでもねぇNPC作ってるんだって?」

 

 

最高にダンディーな仕草でハードボイルドなイケメンボイスを響かせて入室してくる訪問者。

振り向かずとも気配と声だけで誰かタブラはすぐに気付く。

 

 

「ポチさんか。ああ、そうだ。今度は凄いぞ。なんたって最強だからな」

 

 

人間の骸骨を模したような金属骨格を前にして誇らしげにタブラが語る。

 

 

「ふーん。ヘロヘロさんから聞いたけどそれ本当に動くのか?」

 

「一応、理論上は動くはずなんだけどな。まぁ完成してみないことにはわからんな」

 

「しかしコンソールから簡単にNPC作れるのになんでこんなことするかね」

 

 

動かない金属骨格を珍しげに名犬ポチが見やる。

 

 

「浪漫だよ浪漫! あんなゲームの制限に捉われずもっと上の可能性を見たいんだ!」

 

「浪漫とかウルベルトさんみたいな事言い出すのな」

 

「あの人とは少し方向性が違うがな。まぁでもそこに共感してくれたのか外装作る為にいくつかのNPCを貰えることになったけど」

 

「NPC貰えるとかできんのか? 製作者は変更できないだろ?」

 

「別にNPCの権利関係は必要ない。ただ俺の錬金術のスキルで材料にさせて貰うだけだ」

 

「へぇ、それはこれにも適用できんのか? すげぇな」

 

「一応オブジェクト判定あるからな。それにNPCを錬成して貼りつければ外装を変えられると思う。そうすれば一種の罠としてギミック判定されることになるかもしれないがそれで上手くいくはずだ」

 

「面白いこと考えるな…。無機物に有機物を錬成して動く罠を作るってのはよくある話だけどまさか無機物をメインに持ってくるとは…」

 

 

関心したように名犬ポチがアゴに手を当てる。

 

 

「で、タブラさん」

 

「ん?」

 

「今回のコンセプトは何なんだ、あんたの事だからろくでもない設定にしてるんだろ?」

 

「ふふふ、そこに気付くとはな…!」

 

「いやニグレドとアルベド見てれば誰でも気付くわ」

 

 

呆れ顔で突っ込みを入れる名犬ポチ。

タブラは気にした様子もなく続ける。

 

 

「もちろん最初に言った通り最強。だがそれだけじゃない、最凶最悪の殺戮マシーンなのだ!」

 

 

誇らしげに胸を張ってタブラが宣言する。

 

 

「他者を殺す為に秀でた機能の数々! ロボ物が流行った時代から存在した男の浪漫とも言うべき荷電粒子砲! その全てを可能とする為のエネルギー源として熱素石(カロリックストーン)を大量に使用している!」

 

 

鉱山を独占するような非常識なプレイが必要になるが、複数回手に入れることができる貴重な世界級(ワールド)アイテムである熱素石(カロリックストーン)

そのほとんどをルベドにつぎ込んでいる。

 

 

「あ、あんた鉱山の独占にやたら意欲的だと思ったらこういうことだったのか…! ま、まさか自分の欲望の為にギルドを巻き込むなんて…!」

 

「クックック、皆望んだように動いてくれたよ…!」

 

 

この後、名犬ポチが「お主も悪よのう」と続けるがあくまで悪のロールプレイの一環である。

鉱山独占はちゃんと皆で決めたことである。

ただその立役者がタブラであったのでより多く自由に使っていい権利を貰っただけなのだ。

 

 

「でだタブラさん。お得意のギャップ萌えはどうなってんだ? あんたのことだ、これで終わりじゃないんだろ?」

 

 

名犬ポチの問いにニヤリと笑うタブラ。

 

 

「良く分かってるなポチさん。ああ、そうだよ。ナザリック最強で最凶最悪の殺戮マシーン、ルベド! でもな、こいつは人一倍寂しがり屋で誰よりも優しいんだ…。機械であり感情を持っていないが故にそれを追い求める…。誰よりも命の尊さを理解しているし、また誰よりもそれを大事にしたいと願ってる…。だってそれはルベドには無いものだから。誰だって自分に無いものは眩しく見えるだろ?」

 

 

タブラの声がわずかに震えている。

多分、自分で言って勝手に感動しているのだろう。

ろくでもない奴である。

 

 

「おかしいだろ! 誰よりも優しくて命の尊さを理解してて大事にしたいと思ってんのに殺戮マシーン!? 幸せになれるビジョンが全く見えてこねぇ! なんだその矛盾の塊は!?」

 

「だからいいんだろ? 最高のギャップじゃないか…。命に触れる手段が殺すことだけなんて…! ああ、なんて可愛らしく、いじらしいんだ!」

 

「深ぇ! アンタ業が深すぎるよ! どう生きたらそんなことになるんだよ! 前世で禁忌でも犯してんのか!? しかも洗練されてきてんのか姉妹でも下に行くほど酷くなってるよ! 今思えばドッキリホラーで済んでるニグレドが凄くまともに感じてくるレベルだよ! 顔の皮ないけど!」

 

 

邪悪と言わしめる名犬ポチですらドン引きだった。

割とマジで笑えない。

これに比べれば処女ビッチとかはまだユーモアを感じれないこともない気もする。

 

 

「まぁゲームの中だしさ。せっかくだから行き着くとこまで行ってみたくなっちゃって」

 

「全く…。これがゲームの中で本当に良かったよ…。あとなタブラさん、言っておくけどあんた絶対まともじゃないからログアウトしたら一回病院行ったほうがいい」

 

「はっはっは。またまた御冗談を」

 

「結構本気だけどな」

 

 

そんなやり取りをしながらルベド制作の現場をしばらく見守る名犬ポチ。

その際、色々とタブラから話を聞くことになる。

例えばそう、一体何がルベドを最強たらしめているのか、等。

 

 

 

 

 

 

「はぁ…。こんなこと誰も予想できないからしょうがないっちゃしょうがないんだけどさ…」

 

 

ルベドを見ながら頭をポリポリと掻く名犬ポチ。

深いため息を吐き、誰かを諭すように一人ごちる。

 

 

「ゲームじゃなくなっちまったよタブラさん…。おかげであんたのルベドは大変なことになっちまってるぞ…。あんな悲しそうな叫び、もうこれ以上聞いてられねぇよ…。悪ぃけどここからは俺の好きにやらせて貰うぞ…」

 

 

そして名犬ポチがルベドへと歩み寄る。

それに気づいたのかルベドが口を開く。

 

 

「名犬…ポチ様…?」

 

「ほう、俺のこと知ってんのか。いや、タブラさんがナザリックに絡むデータは入れておいたって言ってたな。ふむふむ。てことはやっぱり入力されたデータは生きてるわけか…。ならば設定ももちろん生きてんだろうな…」

 

 

だからこそこんな事になっているのだろう。

最初から察しはついていたが改めて確信する。

詳しくは分からないがルベドの設定を知っていれば誰でも予想できる。

 

多分、死に触れすぎたのだ。

 

自分で殺したのか、あるいは目の前で死んでいったのかはわからない。

 

 

「現実じゃ人一人死んだだけで大騒ぎだ…。家族や友人が死んだらそれだけで悲しい…」

 

 

名犬ポチは思う。

身近な人が死ねば誰だって悲しい。

ならば、誰よりも優しく命を大事にしたいと願っているルベドにとってそれはどれだけの悲しみなのだろうか。

名犬ポチには分からないし、理解できる方法もないだろう。

だが予測は出来る。

その人にとって最も大事な誰かが死んで、これ以上ないという最大限の悲しみに包まれた時のように。

それだけの悲しみを何度も感じていたのではないか、と。

もしかするとそれ以上に。

 

 

「自分だったら耐えられねぇな…。モモンガさんが目を覚まさないだけで泣いちまってんだから…」

 

 

少し前の自分を恥じるようにかぶりを振る名犬ポチ。

改めてルベドを見つめなおし、会話を試みる。

 

 

「よぉルベド、久しぶり。いや完成した時には立ち会ってないから初めましてというべきか…? まぁいいさ。それよりもお前の目的を教えてくれないか? ()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

だが名犬ポチの言葉にルベドは沈黙したままだ。

 

 

「ふむ、答える余裕がないのか、あるいは命令遂行の為には答える必要がないから答えないのか? よし物は試しだ。ならばこうしよう。お前の目的が俺の意に添えるものであるならば協力しよう。どうだ? 人手は多いにこしたことはないだろう? 少し俺に説明の時間を割くだけで目的に近づけるかもしれんぞ?」

 

 

名犬ポチの言葉が効いたのかルベドが口を開く。

 

 

「アルベド姉さんとモモンガ様の愛を邪魔するものを全て排除するの…、それが命令…。そして愛は永遠…、だから姉さんもモモンガ様も死んでしまえばもう誰も邪魔できない…そうでしょ?」

 

 

ルベドの言葉に名犬ポチは目を細める。

その言葉の意味するところを察したからだ。

 

 

「…ということは今のお前の目的はモモンガさんを殺害するってことか?」

 

「うん…。協力してくれる…?」

 

 

騙すような形になってしまったが最初から名犬ポチはルベドに協力する可能性はないだろうと考えていた。

裏切ったアルベドがどのような命令を下したのかのおおよその察しはついていたから。

ナザリックの中を見回る時に、アウラの命令でデミウルゴスと合流したクアドラシルから報告を受けていたパンドラズ・アクターから全ての話を聞いていた為、自分が死んだ後にどういうやり取りがあったのかはおおよそ知っている。

今の問いはあくまで確認の為に過ぎない。

もしかしたら万が一、何か違う可能性があるのではないかと期待して。

だがそんなことは欠片もなかった。

やはりやるしかない。

 

 

「すまんなルベド、協力はできそうにない。むしろ俺はお前を止めなければいけなくなった。お前の目的を達成させる訳にはいかない」

 

「そう…。ならば敵として私は名犬ポチ様を排除しなくてはならない…」

 

「やってみろっ!!!」

 

 

名犬ポチが一気にルベド目掛けて走っていく。

それは誰が見ても名犬ポチが先制攻撃を仕掛けようとしているように映ったに違いない。

ルベドもそう判断しただろう。

 

だからルベドは名犬ポチを迎撃する為に動く。

 

手足も満足に動かず、もはやまともな戦闘を行えないルベド。

普通に戦えばよっぽどの雑魚ではない限り現状では負けてしまうだろう。

だからこそ彼女はいきなり切り札を切るしかない。

 

勝利する為に、最強たる切り札を。

 

目的遂行以前にここで倒れてしまえば本末転倒なのだ。

だからこそルベドは負けるわけにはいかない。

 

 

「っ!! 逃げて名犬ポチ様っ!」

 

 

遥か後ろ、ナザリックの入り口からシズの叫びが響く。

彼女は知っているのだ。

ナザリックにおいてギミック判定となっているルベド。

そしてナザリックのギミック全てを熟知しているシズはルベドが何をしようとしているのかすぐに理解した。

無駄だと分かっていても叫ばずにはいられない。

 

それはルベドの最凶最悪の切り札。

 

どんな状態であろうともエネルギー源である熱素石(カロリックストーン)さえあれば放てる規格外のチート技。

一つでもゲームのバランスを崩しかねないと言われる世界級(ワールド)アイテム。

それを複数つぎ込んだことにより起きたインフレ中のインフレ。

最凶最悪の殺戮マシーンの面目躍如。

 

今までルベドが本当の意味で追い込まれることがなかったのは幸運だっただろう。

もし自分が破壊されると確信し、他に打破できる手段がなくなったのならば間違いなくその瞬間に使用していたから。

 

 

ルベドの身体が次々と変形していく。

正確には体のあらゆる場所の外殻がスライドし折りたたまれ、内部から機械が飛び出し、無数の砲口が姿を現した。

 

 

結果論だがデミウルゴスの十二宮の悪魔達による拘束技で捉えて倒すという手段は最高に冴えた方法であった。

ギミックを含め、動く物全てを一定時間拘束するというそのスキルの性質上、一度変形を経なければならないルベドの切り札を完全に封じることに成功した方法だったのだから。

正面から正攻法でルベドを倒せたかもしれない数少ない方法の一つであったのだ。

今となっては語ってもしょうがない事ではあるが。

 

 

無数に飛び出た砲口は隙間なくルベドの身体を覆うように展開されていく。

 

 

 

これこそルベドの真なる必殺技・方位360度連続荷電粒子砲。

 

 

 

一撃ですらまともに直撃すれば100レベルすら屠りかねない威力を誇る荷電粒子砲。

デミウルゴスの大爆発が威力だけなら勝るとはいえ、所詮は単発。

無数にあらゆる方向へ連続して放たれる荷電粒子砲の前では威力など比べ物にならない。

 

もちろん欠点はある。

その力を全てエネルギー放出に割くので任意に止めることはできない。

ルベドの身体が持たなくなって消滅するまでそれは続く。

 

ある意味ではデミウルゴスの完全超上位互換であると言ってもいい。

 

互いに中二病を患わせていた者同士、ウルベルトとタブラは仲が良かった。

タブラがウルベルトからインスピレーションを受けたのか、あるいは結果的に行き着いた場所が同じだったのかは分からない。

だが少なくとも彼等の目指した場所は同一線上にあった。

 

蛇足ではあるが、もしかするとウルベルトがタブラに十二宮の悪魔を提供した理由はそれかもしれない。

十二宮の悪魔ならば止められると確信しており、また自らが最強を止める手段を担うという中二病的な何かに刺激されていた可能性もある。

結局は本人に聞いてみなければわからないだろうが。

 

そしてルベドのこの技が使われることは最後まで無かった。

それはそうだ、もしあれば今ここにルベドは存在していないのだから。

タブラとて使うつもり等なかっただろう。

誰よりも設定に拘るタブラにとって、そういうものであるという事実のみが大事であったのだ。

何より多大な時間と素材と金をつぎ込んだ存在を一瞬で失うような真似などする筈が無い。

 

 

だから全ては机上の計算に過ぎない。

過ぎないが、恐ろしい事にその計算上ではルベドはその必殺技を使用した場合、単体で世界級(ワールド)エネミーを撃破しかねないという域に達していた。

世界級(ワールド)エネミーの体力、一撃の荷電粒子砲が与えるダメージ、そしてルベドが消滅するまでに放てる数、その他もろもろを計算していくとルベドは消滅する前に世界級(ワールド)エネミーを滅ぼせるのだ。

 

本来のスペックでさえナザリック最強の個と言わしめたルベド。

 

それに加え、複数の世界級(ワールド)アイテムを使用した極致。

 

ユグドラシルにおいて最上の存在すら凌駕する。

 

まさに最凶最悪の殺戮マシーン。

 

他者を破壊し滅ぼす為だけの存在。

 

相性の悪ささえ覆す絶対的な最強。

 

中二病の行き着く先。

 

誰も彼女には勝てない。

 

誰もが彼女より先に滅ぶ。

 

彼女より後に倒れる者など存在しない。

 

言い換えれば、誰も彼女を敗北させることは出来ない。

 

敗北しないからこそ、最強。

 

これこそがタブラ・スマラグディナの最高傑作。

 

だが代償が大きすぎるが故に使えないという失敗作。

 

それこそがルベドの全てだ。

 

 

そんな彼女が誰よりも優しいなど…、悪夢以外の何物でもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

名犬ポチを監視していたパンドラズ・アクターが即座に動く。

 

もはや名犬ポチの死は不可避だ。

何者にも防げない。

自分が何をしても覆らないだろう。

だがそれでもシモベの一人として動かないわけにはいかない。

完全に想定外だった。

 

ルベドがここまでとは。

 

技を出す前でも理解できる。

あれは何もかもをも滅ぼす。

 

自分や最高レベルの守護者達、いや至高の41人でさえ嘲笑うかのように吹き飛ばしてしまう。

まさにこの世の終わりだと。

 

 

 

ここにおいてパンドラズ・アクターの考えは合っている。

ユグドラシルにおいてはゲーム的な都合で攻撃の最大射程というのが決められていたが、この世界に転移し現実的な法則に左右されるようになったが故に、なってしまったが為に。

 

例えば、名犬ポチの隠しスキルが大幅な強化を果たしたように。

 

ルベドの技も大幅な強化を果たしている。

 

ゲーム的な都合ゆえの射程が存在しなくなっているのだ。

 

ただでさえ凶悪な荷電粒子砲の一撃。

 

誰も成し得た事が無い為、いや実行できない為、これもまた机上の計算となるが一説によるとある種のビーム兵器はエネルギーが続く限り永遠に伸びる、とも言われている。

それが真実だとするならば。

 

 

きっと、惑星の一つぐらい簡単に消し飛ぶ。

 

まさにこの世の終わり。

 

 

 

 

《ゲート/異界門》を使用しナザリックの外へと出たパンドラズ・アクター。

 

だが彼の出番が来ることはなかった。

 

 

彼は見たのだ。

 

 

この状況を前にしてなお、いや、この状況を覆す神の一手を。

 

この時の事を後にシズとパンドラズ・アクターはナザリック内で喜々として語ることになる。

 

そのせいでただでさえ限界突破している至高の41人の株がさらに爆上げされてしまうことになろうとは名犬ポチは想像もしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

使()()()()()! ()()()()()()()!」

 

 

絶望以外の何物でもない状況にも関わらず名犬ポチの笑い声が響く。

 

パンドラズ・アクターやシズが感じている恐怖などない。

 

そもそも100レベルのパンチ一発で消し飛ぶ名犬ポチ。

 

彼からすればそれと今の状況に何の違いがあるというのか。

 

等しく、同じ死だ。

 

しかも絶対的な死を前に行動するのはもうアルベドとの闘いで経験している。

 

物怖じなどするはずが無い。

 

だからこそ冷静であり、ミスすることなく名犬ポチは事にあたることが出来た。

 

ゲーム内でも弱者であるが故に誰よりも多くピンチに直面し、またピンチを克服できる機会に恵まれたのだ。

 

名犬ポチ。

 

弱者であるが故に、抗える。

 

弱者にとってピンチなど日常の一コマに過ぎないのだから。

 

ピンチこそ、弱者の領域だ。

 

 

 

「ああ、くそっ! 分かってるさっ! ()()()()()()()()()()()()()!」

 

 

 

名犬ポチが秘匿してきた切り札中の切り札。

 

いや、正確には切り札と呼ぶべき代物かは意見が分かれるところだろう。

 

全ては使い方次第だ。

 

名犬ポチの汚点にして恥辱。

 

これはギルドメンバーにすらひた隠しにしてきた名犬ポチの秘密。

 

ユグドラシル時代でさえ一度も使用しなかった秘儀中の秘儀。

 

知っているのは、名犬ポチを除けば、ただ一人。

 

鏡合わせの似た者同士。

 

同じ業を背負ったが故に共に背負った負の遺産。

 

二人だけが知っている。

 

二人だけが使える。

 

二人だけが条件を満たし習得した魔法。

 

その二人はどこにも情報を漏らさなかった。

 

それは二人にとって口外したくない事実でもあったから。

 

だからプレイヤーでこの魔法を知っている者は他にいないだろう。

 

互いに何度も殺し合い、互いに手の内を全てさらけ出し、何もかもを知っているが故に使用できる。

 

 

きっとそれが習得の条件だったのだろう。

 

 

自分以上に相手の事を理解し、数え切れない程の屍を乗り越えたことで。

 

二人はこの力を得た。

 

 

「あああああっ!!!!」

 

 

肉球と肉球を重ね合わせる名犬ポチ。

覚悟を決めてなお、彼は叫ばざるをえなかった。

 

なぜならそれは名犬ポチの全てを否定する。

 

アイデンティティーの全否定。

 

今、この瞬間。

 

名犬ポチは名犬ポチでなくなるのだから。

 

 

 

 

 

「《パーフェクト・オーバーキャット/完全なる超越猫》!!!」

 

 

 

 

 

その叫びと共に突如として名犬ポチの身体が激しく輝きだす。

そしてその輝きの中から飛び出してきたのは黒き子猫。

 

 

その姿はまるで、宿敵であるカッツェそのものであった。

 

 

 

文字通りその魔法はオーバーキャットのスキルや魔法の全てを使用することができる。

厳しい取得条件の為か、本職と一切変わらぬ性能を誇る。

死亡時の隠しスキルさえ再現が可能。

 

カッツェも同様に対となる《パーフェクト・オーバードッグ/完全なる超越犬》を使用することができた。

 

そんな二人はある時、決めたのだ。

 

因縁の敵である者の力を借りるなどとんでもない、と。

 

使用した方は負けを認めると、そう誓った。

 

賭け金はプライド。

 

互いの尊厳だ。

 

 

だからこそ名犬ポチは最悪の気分だった。

あれだけ目の仇にし、何度も苦渋を飲まされ続けた憎き相手。

その相手の力に頼らざるを得ないこの状況。

完全に敗北を認めこの魔法を使用した、それなのに。

 

悪くない気分だった。

 

それが何よりも悔しくて、腹立たしかった。

もっともっと惨めな気持ちになると思っていたのに。

こんな気持ちになるなど、本当に最悪の気分だった。

 

 

「くそっ…! なんでだよ…! 俺はお前の事が大っ嫌いだったのに…! ちくしょう…! 嘘だろっ…! なんでこんな気持ちになんだよっ!!!」

 

 

カッツェを思わせる姿となった名犬ポチがルベドへと飛び掛かる。

ルベドの方位360度連続荷電粒子砲はもう放たれる直前。

 

だがそれでも名犬ポチは負ける気がしていない。

 

自分の事以上にカッツェの魔法やスキルを熟知しているし、心から信頼している。

 

だからこそ理解しているのだ。

 

カッツェならばこの場すら収められると。

 

他には誰にも、どんな強者でさえ抑えられない絶望的なこの状況。

 

ライバルであるカッツェだけがこの場を収められるという事実がちょっとだけ、ほんの少しだけだが。

 

 

 

きっと名犬ポチは誇らしかったのだ。

 

 

 

 

「<A hated thieving cat/お魚くわえたドラ猫>!」

 

 

 

ここで使用したスキルはオーバーキャットを極めた際に取得できる化け猫のスキルよりもランクが落ちる。

オーバーキャットのレベルを1取っただけで得られる最初のスキルだ。

 

他者の使用中のアイテムを盗むという厄介なスキル。

本来はさほど強力なスキルではなかった。

 

ただ一つ、このスキルには運営の設定ミスがあった。

使用中のアイテムに限り何でも盗めるという特殊性ゆえか一部の世界級(ワールド)アイテムさえ対象となってしまっていた。

そのことについて運営からは正式なアナウンスは無かった。

だが多くのプレイヤー達がこのことを運営のミスだと断言したのは理由がある。

 

覚えているだろうか。

オーバーキャットの別名としてフレーバーテキストにはこう記載されている。

 

 

世界級(ワールド)攫い、と。

 

 

実は最初は違ったのだ。

最初はアイテム攫いと表記されていた。

だが世界級(ワールド)アイテムを盗めるという凶悪さが判明するや否や運営に抗議が殺到した。

後日、メンテ後にオーバーキャットのフレーバーテキストを見てみると世界級(ワールド)攫いと書き換えられていたのだ。

つまり、運営はプログラムを修正するのではなく、フレーバーテキストを書き換えることで辻褄を合わせた。

多くのプレイヤーは激怒し運営を怠惰、給料泥棒など揶揄したが、肝心の運営はダンマリを決め込んだ。

 

これは後にまでかなり長い間、プレイヤーの間で議論されるが終ぞ決着がつくことはなかった。

 

全てのアイテムを盗めるという言葉通りに捉えるならば世界級(ワールド)アイテムを盗めてもおかしくない、いや世界級(ワールド)アイテムだけは例外だから盗めるべきではないと。

 

だが議論はどうあれ使用するタイプの世界級(ワールド)アイテムを盗めるという事実には変わりはない。

 

 

そして今、ルベドが所持している熱素石(カロリックストーン)

これはどういう判定になるのか。

 

継続的ではなく、瞬間的に多量のエネルギーを要求する場合に限り、熱素石(カロリックストーン)は使用中という判定になる。

その対象はキャラクターですらなくていい。

効果範囲は広くないものの、使用されているという事実だけがあればこのスキルは効果を発動する。

 

タブラとの会話でルベドの事を知り、またライバルである猫の事を本人よりも理解していたからこそ辿り着いた名犬ポチだけが出来る賭け。

どちらが欠けても成り立たない。

勝率100%を確信して放った渾身のスキル。

 

 

結果。

 

 

誰も抗えない世界を消滅させ得る最凶最悪の技を使用したからこそ、ルベドは負けた。

 

ルベドへと飛び掛かった名犬ポチが、そのまま何事もなくすれ違うように着地する。

 

 

「な……! あぁっ……!」

 

 

それと同時にルベドの身体が、プスン、という音を立てて動きを止める。

身体のあらゆる隙間から、砲口から煙が立ち上る。

エネルギー不足により、体内の機械が動作できなくなったのだ。

行動停止、それは射撃失敗をも意味する。

そのまま力なくルベドは膝から崩れ落ちる。

ここにいるのはただの無力な自動人形でしかない。

 

もうルベドは荷電粒子砲を撃てないのだ。

 

なぜならその源である熱素石(カロリックストーン)は全て名犬ポチが口に咥えているのだから。

 

いくら最強といえどその源が無くなってしまえば最強足り得ない。

 

故に敗北。

 

 

「す、すごい…!」

 

「おぉ…! なんとwunderbar(ヴンダーバール)…!(素晴らしい…!)」

 

 

名犬ポチの神業を目の当たりにしたシズとパンドラズ・アクターはあまりの衝撃にその場に立ち尽くすことしかできなかった。

知らない者が見れば、別に何も起こる事なく名犬ポチがジャンプして終わっただけにしか見えない戦いであっただろうがこの二人は知っている。

 

ルベドの危険性と、それが何を齎したかを。

 

だからこそありえない事実を前に、感動に身を震わせるしかできないのだ。

 

間違いなく名犬ポチは絶対的とも言える滅びからこの世界を救ったのだから。

 

 

「あ…ががががあっが!!!」

 

 

突如として大量の熱素石(カロリックストーン)が口に詰め込まれることになった名犬ポチ。

慌ててそれらを無理矢理吐き出す。

想定以上の量とサイズに名犬ポチのアゴは外れ、口の端も滅茶苦茶に切れている。

死ぬほど痛いやつである。

 

このスキルを使用した場合、アイテムを口に咥えて盗むという謎の制約が付くがゲーム内においてサイズ等はビジュアルだけの問題でどれだけ大きくてもスキルの行使には関係なかったが現実世界になったことで目も当てられない結果になる。

これだけは計算外だった。

 

なんとか吐き出した後、慌ててアゴをはめる名犬ポチ。

せっかく決めたのにアゴが外れていてはカッコ悪いからだ。

 

今も切れた口の端から大量に血が零れていて、ビビるほど痛いが平気なフリをする。

攻撃でもなんでもない自分のスキルで怪我して悶えることになるなど恥ずかしいことこの上ない。

 

まるでこの結果も最初から全てわかっていましたよ、という空気を纏いながら魔法を解除し元の姿に戻る名犬ポチ。

そして平静さを保ちながら振り返りルベドに歩み寄る。

 

 

「わ、悪いなルベッド…。お、俺ぇの勝ちだ…」

 

 

口の中がズタズタのせいか上手く呂律が回らない名犬ポチ。

思い出したように慌てて回復魔法を自分にかける。

話す前にやるんだったと激しく後悔する。

 

ただどれだけ待ってもルベドは何も答えない。

熱素石(カロリックストーン)が無くとも通常動作ぐらいは可能である。

エネルギー不足により応答できないわけではない。

 

 

「い……や…だ…。このまま…じゃ…私…は…何の…役にも…」

 

 

ルベドはただただ自分の状況に絶望し嘆いていた。

もうルベドには目的を遂行する為の手段も力も、何も残されていない。

何の役にも立たない。

それはきっと存在していてもいなくても同じなのだ。

 

 

「一人…は…もう…嫌だ…! アル…シェ…助けて…、どこに…いったの……、アルシェ…私を…一人に…しないで…!」

 

 

その嘆きを聞いた名犬ポチが尋ねる。

 

 

「アルシェ…。ふむ、それはお前にとって大事な奴なのか?」

 

 

名前を出されたからだろう。

ルベドが反応し、名犬ポチを見る。

 

 

「……うん…。でも、どこにも…いないの…。ずっと…探して…るのに…。会いたい…アルシェに…会いたいよ…」

 

 

悲しそうにルベドが呟く。

それを聞いた名犬ポチが険しい表情を浮かべた。

なぜならもう、そのアルシェという者だけでなく、ルベドは誰にも会えないからだ。

誰にも会う事なく、ルベドの全てはここで終わる。

 

 

「クーデリカと…ウレイリカはどこ…? 守るって…約束…したの…。ネムは…元気に…してるかな…? 初めて…友達って…言ってくれたんだ…。ロバーデイクは…色々と…教えてくれた…。ヘッケラン…イミーナ…」

 

 

ポツリポツリとルベドが誰かの名前を口にしていく。

 

名犬ポチは心底つらそうにそれを聞いていた。

それはもう、どうすることも出来ないことだから。

 

 

「そうか…。だが許してくれ。お前を止める為にはこうするしかないんだ…。シズ!」

 

 

名前を呼ばれたシズが慌てて、たたたっと名犬ポチの場所まで駆けてくる。

 

 

「シズ、分かってるな?」

 

 

その問いにシズがコクリと頷く。

名犬ポチがシズをここに連れてきた理由はこれだ。

いくら無力となっても命令が消えることは絶対にない。

 

シズがルベドの頭部を掴み、次々と外装を分解していく。

 

やがてルベドの頭部の中、重要なパーツや機器らしきものが露出する。

名犬ポチには専門的な事は何も分からない。

だからここは、シズの領域だ。

 

 

「開始する」

 

 

シズがそう宣言し、手を伸ばす。

 

もしルベドの命令を消そうとするなら破壊するしかない。

 

だが機械である以上、もう一つだけ方法がある。

 

 

 

 

全て、初期化することだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

タブラの工房にルベドを連れ込んだ後、シズはルベドの故障部分を直す作業に入った。

 

だが最初にルベドの状況を確認したシズからはこう報告を受けた。

 

 

「致命的な損傷が多すぎる。私の知識とここにある道具では完璧に修復することは不可能。あまりにも複雑で高度すぎる。多分、タブラ様本人じゃないとどうにもならない。何もかもパーツを挿げ替えればある程度のラインまでは持ち直せるけどそこまでイジるとそれはもうルベドじゃない」

 

 

ルベドという個を維持したまま、彼女を定義する要素を何一つ排除することなくどこまで修理できるかと名犬ポチは問う。

 

 

「…かなり厳しいと言わざるを得ない。そうするともう戦闘に関しては一切期待できない。防御自体は金属を使用しているから高い水準を保てるけど攻撃力や速度に関しては一般メイドに毛が生えたぐらいにまで落ち込むと考えられる。あと熱素石(カロリックストーン)さえあれば荷電粒子砲は撃てるけど流石に危険すぎる」

 

 

これには名犬ポチも同感で、同じような状況を避ける為に熱素石(カロリックストーン)は宝物庫にしまうようすでにパンドラズ・アクターに命じてある。

そして名犬ポチはそれでいいから修理するようシズに命令する。

 

 

「了解した。そうなると破損している個所を繋ぎ合わせ、欠けている部分には同じサイズ、同じ重量の部品を組み込み、動きにエラーが出ないよう調整するだけになるからそう時間はかからないと思う」

 

 

そうして名犬ポチはシズに任せ、玉座の間へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

玉座の間ではパンドラズ・アクターが待っていた。

 

横には拘束から解かれたプレアデスの面々が並んでいる。

ルベドとの戦闘を終え帰還した後、シズと共に、一応パンドラズ・アクターにも付いてきてもらい会いにいった名犬ポチ。

顔を見せるなり全員泣き出して大変だったがシズの事を説明したら彼女達はすぐに和解した。

むしろシズのことを信じてあげなくてごめんと言い出す感じで心が温かくなった。

それを見ていた名犬ポチは『姉妹っていいなぁ、色んな意味で』と思ったが口には出さなかった。

まぁそんなこんなでプレアデスは欠けることなくここにいる。

 

さらに周囲にはパンドラズ・アクターに一時的に用意させた大量の金貨の数々。

 

そして宝物庫全ての金貨、ナザリック全体の修復費やNPCの蘇生代などが書かれた紙を受け取る。

 

 

「げっ…、こ、こんなにかかんの…」

 

 

その額に名犬ポチは頭を抱える。

宝物庫の金貨が足りなかったわけではない。

全てを賄っても宝物庫には十分と言っても差し支えないぐらいには残る。

 

だがそれでもこの出費はかなり痛い。

 

今後何があるか分からない為、余裕を持っておくに越したことはないのだ。

 

だが何よりも名犬ポチの頭を抱えさせたのは。

 

 

(なんだよこの宝物庫に残ってる金貨の数はぁぁぁっっ!? 俺や他のメンバーがいる時と変わってねぇじゃねぇか! なんで!? 最後はほとんどモモンガさん一人だったはず…! てことはナザリックの維持費で減りまくってないとおかしいだろ!?)

 

 

その時アルベドが言っていた台詞の一節を思い出す。

 

 

『モモンガ様を残し貴様等は全員がナザリックを去った! その後モモンガ様がずっと御一人でナザリックの為に働かれていたことなどどうせ知らないのだろう!』

 

 

その言葉が名犬ポチの中で繋がる。

 

 

(そういう意味かぁぁぁぁ! え、何あの人、ナザリックの維持費をずっとソロで稼いでたの? うちのはユグドラシルでも上位に入るくらいデカいギルド拠点だぞ…、しょ、正気か…?)

 

 

モモンガの行動に今更ながら恐れおののく名犬ポチ。

 

 

(うわぁぁ…、宝物庫の金庫使っててくれよぉぉ…! まさかモモンガさん、皆で溜めた大事な金だから使えないとか思って変に義理立ててたんじゃないかこれ…。うわぁ使いづれぇ…)

 

 

逆に金貨が減ってないことで使用するのが躊躇われる名犬ポチ。

後でモモンガが起きた時に『モモンガさんが寝てる間に色々あってめっちゃ金貨使っちゃった、てへ♡』等と言い放つ度胸は名犬ポチにはない。

別にそれでモモンガが怒るとは思わないが、そういう問題でもないのだ。

 

 

「ど、どうかなさいましたかっ!? ァァァンン名犬ポチ様ッッッ!」

 

(ああ…! お前だけが俺の癒しだぜパンドラズ・アクターッ…! 良かった、本当に良かった…! お前がいなければ俺の心はもうとっくに崩壊していたかもしれないっ…!)

 

 

思わぬところで精神の均衡を保つことに成功した名犬ポチ。

もう一度問題と向き合ってどうするか考える。

 

 

(ひとまず…、守護者達は蘇生させたいな…。あいつらいないと強い奴出てきた時にどうしようも出来ないし…。同じ理由で最高位のNPC達も蘇生するべきか…。ていうか中位以下の奴らは大して費用かからないしここまで来たらNPCはほとんど蘇生した方が早いか。あとはナザリック内の修復…。まぁ第8階層までは侵入者の問題もあるからここはすぐに修復するとしてだ。ロイヤルスイートに被害が出てるのが痛いな…、玉座の間も…。一応一日に一定額までは無料で修復できるはずだったからそれを当てに放置しておくか…? でもシモベ達にケチ臭いとか思われたら嫌だなぁ…。一日二日で直るならいいけど数日放置はちょっとまずいか…。そもそも見栄え重視の場所だしなぁ…。何より変にケチって金が無いと思われる方が問題か…?)

 

 

足りない頭で必死に考える名犬ポチ。

 

 

(まぁ全て直したとしても宝物庫にはまだ金貨が残るんだから使っておく方がベターか…。あ! ていうかモモンガさんがいないってことはナザリックの維持費俺が稼がなきゃならないのか!? 宝物庫にはまだまだ金貨が残っているとはいってもどんどん維持費で減っていくんだから指咥えて見てるわけにはいかないよな…。そもそもここユグドラシルじゃないし、どうしよう…)

 

 

再び考え込む名犬ポチ。

だが頭が良くないのですぐに解決策は見いだせない。

しょうがないのでとりあえずNPCを蘇生することにする。

 

 

「パンドラズ・アクター、お前に聞きたいんだが蘇生しても問題ない守護者は誰がいる…? アルベドのような者が他にもいるなら蘇生はちょっと見送りたいんだよな…」

 

「デミウルゴス様ならば大丈夫かと。クアドラシルからもそう報告を受けておりますゆえ」

 

「そうか。確かにあいつは俺のこと心配しててくれたしなぁ。頭も良いはずだから色々と助言を貰えるかもしれない。とりあえず蘇生だな」

 

 

そして表示したマスターソースのリストを見ているようにパンドラズ・アクターに命じておく名犬ポチ。

これがどこまで有効かわからないが一応確認しておくべきだろう。

何らかの精神異常などが起きていれば色の変化で見極められるかもしれないのだから。

プレアデス達も念のためなのだろうが名犬ポチを守るよう配置につく。

 

だがここに来て重大な事に気付く。

 

 

(キーボード操作も出来なければコンソールも開けないしどうやって蘇生するんだ、これ…)

 

 

周りではパンドラズ・アクターやプレアデスが名犬ポチを見つめている。

 

 

(や、やべぇ…。そ、そうだ! よくわかんないけどスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンでなんとかなるんじゃねぇか…!?)

 

 

この辺りは疎いので良く分からないがとりあえず寝ているモモンガからスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを奪い取る。

そして金貨の方へ向かってスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを向ける。

 

 

「デ、デミウルゴスよ、生き返れ!」

 

 

大量に積まれている金貨がどろりと形を崩し、溶けて川となった金貨は一カ所に集まり出す。

それらは次第に圧縮されるように小さな形となりながら人の形を為していく。

やがて黄金の人型が作り出され、徐々に黄金の輝きが収まっていく。

金色の輝きだ完全になくなるとそこにいたのは間違いなくデミウルゴスだった。

 

どうやら上手くいったらしい。

 

念じるだけでいいのか、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが必要なのかは分からないがとりあえず良しとする。

ただ、一時的にとはいえ大量に用意させた金貨の一部がゴッソリと減ったことで改めて消費した金貨がいかに大金であるか実感する。

 

 

(やっぱり守護者一人で金貨5億枚はやべぇな…。今後は誰も死なせないようにしないと…)

 

 

そんなことを考えながらパンドラズ・アクターへ視線を移す。

 

 

「問題ないようです」

 

 

その言葉を聞くと名犬ポチがデミウルゴスへと近づく。

 

 

「おーい、大丈夫かデミウルゴス。意識はあるかー」

 

 

デミウルゴスの肩辺りに腕を乗せ揺する名犬ポチ。

それに気づいたのかデミウルゴスの目が開く。

 

 

「ん……、ここは…、っ! め、名犬ポチ様ご無事だったのですねっ!?」

 

 

すぐに跳ね起きたデミウルゴスが跪き、また感激のあまり涙を流す。

 

 

「お、おう。お前のおかげでな」

 

「わ、私のおかげでございますか…? 私はアルベドの裏切りに気付きナザリックを出たばかりの筈と記憶していますが…」

 

「うん? お前、俺がアルベドに殺されそうな時助けに来てくれたろ?」

 

「も、申し訳ありません、そのような記憶は…」

 

 

心底申し訳なさそうに答えるデミウルゴス。

違和感を感じた名犬ポチはデミウルゴスに改めて記憶がどこまであるか問う事にした。

結果として分かったのはデミウルゴスは外に出てからの記憶が一切無かった。

 

これは例えばNPCが復活する際には一定期間の記憶を失うという名犬ポチの知らない設定があるのかもしれない。

 

 

(他の者も生き返してみなければ判断のしようがないな…)

 

 

デミウルゴスの記憶が無いのは痛いなぁと思っていた時、待機させていたクアドラシルがデミウルゴスの元まで走ってきて一冊の手帳を手渡す。

どうやらデミウルゴスから真なる無(ギンヌンガガプ)を預かるのと一緒に渡されていたらしい。

 

 

「ん? なんだそれ?」

 

「ああ、これは失礼しました。私に何かがあった場合、誰かに後を託そうと外に出てからの事を全て記しておく手帳を準備していたのですが…。しかし何やら使い込まれたような後が…? すみません、少々中を見る時間を頂いてもよろしいでしょうか…?」

 

 

ええよ、と促す名犬ポチ。

 

 

「ありがとうございます、では…」

 

 

そうして手帳の中身に目を通していくデミウルゴス。

1ページ読むごとに『ふむふむ、なるほど』とか『そ、そんなことが!?』『やはり…』『素晴らしい…』等と言いながら読み進めていく。

しばらくして手帳を閉じたデミウルゴスは泣いたまま天を仰いでいた。

 

 

「これは確かに私の字…。何があったのか分かりませんがどうやら私は記憶を失っているようですね。でもご安心下さい! 外に出てからのことは全て頭に入れましたゆえ! 自分が何をしていたかも、今まで名犬ポチ様がどれだけ深淵なお考えを持って行動していたかも全て把握いたしました! 流石は名犬ポチ様!」

 

 

なぜか分からないが褒められる名犬ポチ。

そんなことより手帳一つでほぼ全ての記憶を取り戻したデミウルゴスを賞賛したい気分だった。

 

 

(自分の行動を全部残しておくとかどんだけ。しかもそれがすぐ頭に入るって。優秀さの塊かよ)

 

 

だがデミウルゴスが申し訳なさそうに続ける。

 

 

「しかし…、名犬ポチ様の危険を案じ王都を出たところまでは書かれているのですが、その後のことは…」

 

 

だが共にいて見ていたクアドラシルがデミウルゴス大爆発の下りまでを語る。

 

 

「そうですか…、どうやら少しはお役に立てたようですね…」

 

 

その後にパンドラズ・アクターがさらにその後の事を話すが、まずルベドが生きてきたことに驚き、自分のミスを恥じるものの、その次に聞かされたルベドの真の力とそれを阻止した名犬ポチの武勇伝を聞いて目を輝かせる。

 

 

「な、なんと…! このデミウルゴス感服致しました…! よもやそこまでとは…! あのルベドでさえ貴方々、至高の41人には遥か遠く及ばないのですね…! ああ、なんと偉大で強大なのでしょう…! あぁ、申し訳ありません…! 私にはこれを形容できる言葉が見つかりませんっ…!」

 

 

そう言って泣き出すデミウルゴス。

それと今知ったのか横でプレアデス達も目を見開き驚愕した後、なぜか泣いている。

 

 

(なにこれ、怖い)

 

 

とりあえずその後続けてアウラとマーレはOKらしいので蘇生する。

 

この二人も生き返った後、デミウルゴスと同じような反応をして名犬ポチを困らせた。

とりあえず落ち着いた後に記憶の有無を確認するとデミウルゴスよりは最近までの記憶を持っていた。

そしてデミウルゴス同様、ルベドの下りを聞かされて目を輝かせ始める。

 

 

(ふむ、一度ナザリックは出たがその後アルベドに一度呼び戻され帰還したところまで記憶はあるのか…。その後の記憶がないところを見ると最後にナザリックを出た後に記憶が無くなるとみるべきか…)

 

 

まぁよくは分からないがそんなところだろうと名犬ポチは納得する。

基本的にはデミウルゴスが現状、全ての事情を把握している状態になったので心配事は無くなった。

 

次に蘇生したのはシャルティア。

アウラの情報によるとシャルティアはアルベドに殺害された可能性が高いらしい。

酷い奴だなアルベドは。

少なくともアルベドに殺されている以上、アルベド側ではないと判断し蘇生する。

もちろん生き返ったシャルティアに事情を説明した後はアウラ達と同じ流れなので省略。

 

そして大事な戦力であり、身の回りの世話をするセバスも忘れてはいけない。

デミウルゴスと同様に名犬ポチの為に死ぬまで働いたのだから。

そして蘇生されたセバスは口数こそ多くなかったものの、感動のあまり肩を震わせ泣いていた。

 

コキュートスだけはちょっと見送りになった。

蘇生しても大丈夫だろうという意見も多かったが、コキュートスだけ死因が不明なのだ。

アルベド側についたまま消息不明になってるので最後を確認している者が誰もいない。

大事を取って他の事がある程度片付いてから蘇生することになった。

 

その後は各階層のNPC達を順番に全て蘇生していく。

アルベド側に付いたNPC達も話せば分かるだろうというのと、レベル100はガルガンチュア以外にはいないため何かあっても力でねじ伏せられるからだ。

 

そうして全てのNPCを蘇生した後はナザリック内部の修復を行う。

 

これにてナザリックは一部を除き、完全復活を果たしたのだった。

 

 

 

 

 

 

その後、守護者達とセバス、パンドラズ・アクターのみを残し全員をナザリックの配置につかせた。

これでナザリック内でのやる事は一通り片が付いた。

後はどうやって金策をするかだけだ。

 

 

そして彼等の前で名犬ポチはあることを宣言することにする。

 

最高のアイディアを閃いたからだ。

 

 

「お前達を残したのは他でもない。これからの方針を聞いてもらう為だ」

 

 

名犬ポチの言葉にここにいるデミウルゴス、アウラ、マーレ、シャルティア、セバス、パンドラズ・アクターの顔が引き締まる。

 

 

「これから俺はこの世界を支配しようと思う。愚かな人間共を! 下らぬ亜人種共を! 異形種さえも全てだ! その全てを跪かせてやる…!」

 

 

久々に心から悪い顔をする名犬ポチ。

 

カルマ値:-500を誇る極悪、邪悪の権化である名犬ポチが帰ってきたのだ。

 

 

「まずは人間共を中心とした周囲一帯を支配する! せっかくだ、ナザリックが関わった範囲は全て手に入れる」

 

 

ニヤリと名犬ポチの顔が歪む。

 

 

「税金を課してやるぞ…! 誰もが例外なくその全てから収入の1割を搾り取る! さらに怪我が原因で働けない者、病気で動けない者は魔法で回復してやれ! 死ぬまで働かせるのだ…! そして年老いて動けなくなった者には最低限度の生活を与え、その惨めさを思い知らせてやるのだ…! 人として最低限度の生活しか出来ない彼らを見て誰もがそうなりたくないと願うだろうよ…!」

 

 

名犬ポチの高笑いが響く。

邪悪で、他人のことなど何とも思っていない。

 

 

「そうだな、ユリあたりに命じて孤児院や学校を作ってもいい…! 親がいない等という理由で子供に死なれては将来の奴隷が減るだけだ…、それに馬鹿ばかりでは生産性も低いだろうしな…! さらに多岐に亘る仕事はもちろん、国家の内部にも干渉しろ! 下らぬ利権などは全て廃止するのだ! あらゆる組織に目を通し適切な運営がなされているか確認しろ! 違法に私腹を肥やしている者などは処罰する! 汚職や犯罪等は一切許さない! その全てはナザリックの利益を損なうものだからだ! そして働く者達には休日もしっかり与えろ! 人間共は脆弱だからな、毎日仕事をさせて死なれても困ってしまう…。何より休日を挟むことでより労働が始まる瞬間の絶望がハネ上がるだろうからな! クックック!」

 

 

名犬ポチは自身の経験から導き出していた。

 

 

(低い給料を貰う時に源泉徴収で1割引かれるのは痛かった…。あの金があればもっと課金だって出来た筈なのに…。その苦しみを奴等にも味わわせてやる…。休日もそうだ、あれのおかげで月曜日が苦痛で苦痛でしょうがなかった。かといって毎日労働ではヘロヘロさんのような廃人ができるだけだ。そんなのはつまらん。俺は月曜に怯え苦しむ様を見たいのだ…! そうだな、苦痛をより深くする為に週休二日制にしてやってもいい…! ああ、どうしたことだ…! 次から次へと悪魔的なアイディアが止まらないぞ…!)

 

 

今の名犬ポチは最高に輝いていた。

あまりのことにテンションが上がり過ぎて放心状態になっている。

 

 

「なるほど…、そういうことですか…」

 

 

一人だけその真意を見抜いたのかデミウルゴスが笑う。

 

 

「ど、どういうことデミウルゴス!」

 

「ぼ、僕にも教えて下さいっ」

 

「私も聞きたいでありんすぇ!」

 

「私にもご教授願えますか?」

 

「彼等は理解していない様子…、説明してあげてはどうでしょうか?」

 

 

ちなみにパンドラズ・アクターはデミウルゴスと同様に真意を見抜いているらしい。

 

 

「そうですね、その真意を理解しておいた方が良いでしょうし…」

 

 

未だ名犬ポチが放心状態から戻らぬのを見てデミウルゴスが話を続ける。

 

 

「まず、どうして名犬ポチ様は1割しか税を徴収しないとお考えになったのかわかりますか?」

 

「わかんないよっ! 至高の御方のご命令なんだから奴らは有り金全部出すべきでしょっ!」

 

「お、お姉ちゃん、それじゃ皆死んじゃうよ…。でも生きるのに最低限必要な額以外は徴収した方がいいんじゃないでしょうか?」

 

「よく分かりんせんが1割とは少なすぎるのでは?」

 

「お優しい名犬ポチ様のことです、弱きものへの慈悲を与えられたのでしょう…」

 

 

それぞれ思った事を口に出すがセバスを除けば、そのいずれも少ない、という意見だ。

 

 

「名犬ポチ様はね…、数百年、いや数千年の単位で物事を見ておられるのだよ…」

 

 

4人とも頭の上に疑問符が付く。

誰も理解できていないようだ。

 

 

「つまりだね、君たちの言う通りやった場合、短期的な収入は増えるかもしれない。だが長期的に見た場合どうだろうか? どこかで反乱が起きるかもしれないし、死亡者だって増えるだろう。色々と面倒な事は考えられる。もちろんナザリックが総力をあげればそんなのは問題ではない。だがね、人間共はあまりに酷使しすぎると生産性も下がるだろうし、彼等を見張る監視の数も多くしなければならない。だが名犬ポチ様のお考えだとどうだろうか? 多くの民にとって国に仕えるよりも遥かに有益な生を享受できる。やがて既存の国家や宗教は消えていくだろう。より楽なほうへ流れていくのが人間だからね。そして何世代も経て、名犬ポチ様の統治しか知らない世代になった頃、人間達はナザリック無しではいられなくなる…。再び人間共が国家や組織を立ち上げることなど出来なくなるだろう…。その時に気付くのだ、自分達で全てを賄おうとすれば今の生活を維持できないことに…! 一度上がった生活水準を下げるのは難しい…。誰も耐えられない…! いいかね、これは甘い毒なのだ。少しずつ少しずつ利益を吸い上げ、だが確実に人間共から意思も牙も抜き取るおつもりなのだ…。同様に亜人種や異形種からもね…!」

 

 

その説明でやっと名犬ポチの真意に気付く4人。

その恐ろしさに震え、その深い考えに感動する。

何よりそんな遥か先のことまで考えていたとは流石としか言いようがない。

 

彼等がそんなやり取りをしているとやっと名犬ポチの意識が戻ってきた。

 

デミウルゴスが4人に続きはまた後で、と合図をする。

 

そんなことなど知らず、話の続きを始める名犬ポチ。

 

 

「あー、デミウルゴスは王国に詳しいんだったな?」

 

「はっ!」

 

「アウラはエルフ国、マーレは帝国だったか?」

 

「はい、そうです!」

 

「す、少しだけですけど…」

 

「シャルティアは評議国へは滅ぼす予定で向かったんだよな?」

 

「そうでありんす」

 

「ふむふむ、アウラの話と総合すると評議国はシャルティアを迎撃する為にドラゴンがめっちゃ強い魔法を使って国ごと滅びたけど最後はアルベドがシャルティアを殺したって流れなのかな?」

 

 

名犬ポチの言葉にシャルティアが顔を真っ赤にして震えている。

どうやらアルベドに腹を立てながらも、死んだことを心底恥じている様子だった。

そのシャルティアを見かねたのかデミウルゴスが答える。

 

 

「はい。全て裏付けが取れているわけではありませんがそう考えるのがもっとも辻褄が合うかと」

 

(評議国はめっちゃ強いドラゴンいるって報告は他にも上がってるしなぁ。でもシャルティアとそのシモベ達で滅ぼせるんだからまぁ心配は無いか? デミウルゴスからの報告からも他には強者と言える者はいないみたいだからそこさえ気を付ければ支配は容易だな。むしろ周辺国家最強である評議国を傘下に収められれば他国への牽制にもなるだろうしな。一度滅ぼしてるなら高圧外交で行けるかな?)

 

 

等と考え抜いた後、名犬ポチが決定を下す。

 

 

「やはり評議国はシャルティアで決まりだな、ただ交渉役にパンドラズ・アクターが付いて行ってやってくれ。法国は詳しい奴を配下に持っているからそいつを使う。竜王国はすでに掌握しているから問題ない。聖王国はどうしよう? 詳しい報告は上がってないから分からんな…。セバスにでも行って貰うか…?」

 

 

ブツブツと続ける名犬ポチ。

だがその言葉にデミウルゴス達は動揺を隠せない。

 

なぜならアーグランド評議国やスレイン法国、ローブル聖王国らはすでに滅んでいるからだ。

滅んだ国をどうやって支配しろと言うのか。

もしかして土地を有効活用しろという話だろうか。

彼等がそう悩んでいると名犬ポチがそれに気づく。

 

 

「ああ、先に見せた方が早いか…。支配についての詳しい話は後にしよう。よし、外に出るぞ、ついてこい」

 

 

 

 

 

 

ナザリックの外、墳墓の最も高い場所から周囲を眺める名犬ポチと守護者達。

 

守護者達は何が起こるのかと名犬ポチを見守る。

 

悪魔的な頭脳を持つ名犬ポチは金欠からナザリックを救う最高の方法を考えていた。

恐らく下等生物の稼ぎなどナザリックに比べれば大した物にはならないだろう。

だからこそ数を準備しなければならない。

再びナザリックを潤す為には、国の滅びなど許すわけにはいかないのだ。

 

 

「なぁ、デミウルゴス。ナザリックにおいて死は慈悲である、分かるか?」

 

「はい、十分に理解しております」

 

 

デミウルゴスは知っている。

ナザリックにおいて死はこれ以上の苦しみを与えられないという意味で慈悲。

あらゆる苦痛から解放される救いでもある。

だがここでそれがどうしたのだろうとデミウルゴスは疑問を抱く。

 

振り向きデミウルゴスを見る名犬ポチ。

 

それは悪意に染まった顔に歪んでいた。

 

 

「俺が下等生物共に慈悲など与えると思うか…? 見てろ…。俺は世界を恐怖に陥れるぞ…!」

 

 

それはデミウルゴスをして身が竦む程だった。

世界を飲み込むほどの悪意がそこにあったから。

 

 

そして名犬ポチは一つのアイテムを取り出す。

 

 

それは流れ星の指輪(シューティングスター)

 

超位魔法《ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを》を経験値消費無しで性能もアップした上で3度も使用できるガチャの大当たりで超々希少なレアアイテム。

一回目はどっかのハゲに。

二回目は言葉を話せるように。

そして最後の一回はこの世を恐怖のズンドコに叩き落す為に。

 

この世界に転移してきて様々な物に変化が起きている。

それはこの指輪も同様。

以前使用した時にその変化を感じ取ることができた。

 

だからこそ分かる。

ユグドラシル時代に願えなかった一つの願いが可能となっていることに。

 

 

「さあ、指輪よ。I WISH! 次に俺が使用する《ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを》の上限を撤廃せよ!」

 

 

特に何事も無く、指輪は砕け散った。

だが名犬ポチは感覚で理解していた、願いは聞き届けられたと。

 

この世界に来て変化したことの一つに今、名犬ポチが願ったことが当てはまる。

こういった類の物は願いを増やすとか願いをもっと強力にするなどという願いは無効である。

それはユグドラシル時代であろうと、この世界に転移してきても変わらない。

だが名犬ポチの願う、上限を撤廃するという願いは可能なのだと以前使用した時に流れ込んできていた。

 

だからこそ名犬ポチはそれにかける。

そこに悲劇が待ち受けてるとも知らずに。

 

そして次に肉球と肉球を重ね合わせ、超位魔法である《ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを》を発動する。

マイナス5レベルは痛いがしょうがない。

ナザリック内でレベリングすれば時間はかかるだろうが元に戻せるだろう。

それに金を稼ぐためと、何より多くの者を恐怖させるという欲望には勝てない。

 

だからこそ名犬ポチは躊躇なく願う。

 

 

「I WISH! ナザリックがこの世界に転移してきてから死んだ全ての者を蘇らせろ!!!」

 

 

名犬ポチから強大な魔力が迸った。

何十にも重なった巨大な魔法陣が展開され、表示された文字は留まることなく変質していく。

 

そのサイズと魔力の量は今までの比ではない。

()()()()()()()()()()()世界中に広がる。

 

世界中の人々がそれを目撃し、また感じていた。

輝かしい光を放つ世界を覆う程の巨大な魔法陣が粒子となり世界中へ降り注ぐ。

それは新しい時代と神の存在を世界に示すのに十分だった。

 

この日を境に歴史は変わる。

 

デミウルゴスの大爆発が旧時代の終わりを告げるものならば。

これは新時代を告げる福音だった。

何千年経っても語り継がれる大奇跡。

 

 

真なる救済。

 

 

何が起きたかは言うまでもあるまい。

 

名犬ポチの願いは聞き届けられたのだ。

 

もちろん無制限とは言えない。

例えば蘇生に大量の金貨を必要とするNPC達だけはこの魔法でも蘇生できない。

あくまで通常の蘇生魔法の拡大版という解釈となる。

しかしだからこそ、この世界にいる現地の者達は一人の例外なく誰もが蘇るのだ。

 

 

名犬ポチの、何よりも重い代償と引き換えに。

 

 

あまりの魔力と目の前の出来事に守護者達は言葉が出ない。

誰もが驚愕に打ち震える。

目を見開き完全に硬直するデミウルゴス。

シャルティアとセバスはその威厳や風格などどこかに吹き飛び、アウラやマーレに至っては腰を抜かしている。

パンドラズ・アクターだけは顔が変わらないがいつも以上のオーバーリアクションをしているところを見ると驚いてはいるらしい。

100レベルを誇る彼等をもってしてもこの有様。

このような世界を覆う程の強大すぎる魔法など知らないからだ。

また信じることもできない。

いくら至高の御方といえど、個人で為しうることなのかと。

 

守護者達ですらそう感じた。

ならば現地の者にはどう映るのか。

 

 

「デミウルゴス…、一つ言い忘れていた。ついでに探して欲しい人物がいるんだが…、アル…、アル…なんだっけ?」

 

 

ド忘れした名犬ポチ。

シズに確認しに行こうかと動いた時。

 

 

「うわぁっ!」

 

 

情けなくすっ転んだ。

 

 

「あっ…!? ……ぁぁああああっ!!!」

 

 

身体が言う事を聞かない。

今の一つで理解した、してしまった。

自分の身体に何が起きたのか。

一瞬にして絶望に染まる。

もう取返しはつかない。

 

名犬ポチは指輪に願った。

 

《ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを》の上限を撤廃しろと。

 

その願いが叶えられたからこそ、世界を覆う程の魔法が発動したのだ。

だが名犬ポチはもっと考えるべきだった。

 

上限を撤廃すること。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

世界を巻き込む大奇跡を願った代償。

 

それは。

 

 

「いやぁぁあああああっ!」

 

 

現在の強さ。

名犬ポチ、レベル1。

 




次回『新時代』それは幸か不幸か。


めちゃ長くなっちゃいました。
今回は名犬ポチ回だったと思います。

捏造満載ですがラストなので許して欲しい。

個人的に原作での足りない十二宮の悪魔達はルベドに使われてるのではと勘ぐっています。
そして、もしそうだとするならウルベルトさんはなぜ高レベルのNPCをあげたんだろう?
ルベドの正体は?
もしかすると中二病同士、共鳴することがあったのかもしれない。
等という妄想が発端です。

多分、そろそろ終わると思います。
しかし名犬ポチの支配が確定した段階で現地勢はバッドエンドですね…。


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支配編
新時代


前回までのあらすじ!


完全決着。
そして悪神の魔の手が世界に伸びる。



世界中の誰もがそれを見た。

 

輝かしい光を放つ世界を覆う程の無数の巨大な魔法陣が天空に広がる。

魔法陣は生き物のように回転し表示された文字は留まることなく変質していく。

天変地異という言葉すら足りない。

どんな歴史書にも、お伽話にだって、神話にさえ書いていない。

見たこともなければ想像したことすらない。

全ての者達の理解を超えた超常現象。

やがて空に広がる魔法陣の一部が粒子となり世界中へ降り注いでいく。

まるで温かい雪のように光り輝く粒子の粒はこの世の全てを癒すかのように世界を照らした。

 

枯れた植物や、折れた木々が再び深緑を示すように蘇っていく。

光の粒子が集まり形を為したかと思うと命を象っていく。

世界から失われた筈のものが次々と蘇る。

あらゆる罪が洗い流されるように。

あらゆる生命が許され、恩寵を得るように。

世界の何もかもが生まれ変わる。

 

そう、これは新時代を告げる福音。

何千年経っても語り継がれる大奇跡。

 

 

世界の救済。

 

 

 

 

 

 

エ・ランテル。

 

覇王との闘いで失った何万もの王国や帝国の兵士、冒険者達。

さらには千にも及ぶリザードマン達。

多大な犠牲だった。

死体などもはやグチャグチャで誰のものか判別もつかない。

地獄絵図と言っても差し支えない惨事。

生き残りよりも死者の数が多すぎてまともに弔う事すら出来ない。

 

その中でも王国戦士長や蒼の薔薇など、復活の魔法に耐えられそうな者の遺体が並べられているところへラキュースが歩み寄る。

何人蘇生できるのかわからない。

だが出来る限りやってみよう、そう決心し魔法を行使しようとした瞬間、それは起きた。

 

天空を覆う無数の魔法陣の数々。

 

周囲にどよめきが広がる。

誰も彼もが混乱の極み。

それはラキュースはもちろん、長い年月を生きたイビルアイでさえ例外ではない。

リグリットとて何が起きたのかわからず立ち尽くしている。

ただ、この中でフールーダのみが狂ったように奇声を上げていたが気にする者はいなかった。

 

そして天空に広がる無数の魔法陣の一部が光の粒子となり降り注ぐ。

その温かさに、柔らかさに、優しさに。

その場にいた誰もが心を奪われた。

だが次に起きたことこそが真に驚くべき現象。

 

死者が蘇ったのだ。

 

何万もの全ての死者が傷一つない状態で再び舞い戻った。

辺りにあった地獄絵図などどこにもない。

地面を濡らしていた血の海などまるで嘘だったかのように晴れやかだ。

それどころか植物が元気そうに花を咲かせている。

あの戦いが全て幻だったかのように。

 

 

「う…ん、…ここは…」

 

「マジかよ…嘘だろ…」

 

 

ガゼフとブレインが起き上がる。

斬られた傷などもはやどこにもない。

 

 

「ど、童貞はどこだ…?」

 

「朝の」

 

「目覚め」

 

 

ガガーランにティアとティナも起き上がる。

呆けたことを言いつつも自分の身に何が起きたかは理解しているようだ。

 

 

「何だ…今のは…」

 

「ありゃあ…やべぇな…」

 

「まさかこんなことが…」

 

 

リザードマンのザリュース、ゼンベル、シャースーリューも起き上がる。

 

 

「ザリュース!」

 

 

それを見たクルシュが走り寄りザリュースへと抱き着く。

 

 

「信じられないわ…! 貴方が…貴方が帰ってきてくれるなんて…! あぁ、ザリュース!」

 

 

泣きわめくクルシュをあやす様にザリュースが頭を撫でる。

 

 

「俺も信じられない…。もしかしてあれが…」

 

「あれ…?」

 

 

ザリュースの言葉にクルシュが首を傾げる。

 

 

「ああ…。神の存在を感じた…。うん、そうだ。詳しくは知らないがきっとあれこそが神、というものなんだろうな…」

 

 

横にいたゼンベルやシャースーリューも同様に頷く。

 

神を感じたのは彼等だけではない。

ここにいた死者の誰もが感じた。

そして理解した。

全てを許し、死から救ってくれた大いなる御業。

 

それを証明するかのように天空には未だ奇跡が広がっている。

 

 

ああ、あれこそが、神なのだと。

 

 

 

 

 

 

帝国、皇城。

 

ジルクニフは窓から外を眺めていた。

目の前の景色を前に何をすることもない。

やがて力なくフラフラと玉座へと座り込む。

顔を上げ虚空を見つめ、ポツリと呟く。

 

 

「一体世界に何が起きたというのだ…」

 

 

横にあったワイングラスに手をかけ一気に飲み干す。

これは世界にとっての一大事件だ。

何があったのか、どうなるかは分からないがこれを機に世界は変わる。

根拠は無いがジルクニフはそう確信している。

城の中にいても外で騒ぐ兵士や民達の声が聞こえてくるようだ。

これだけの衝撃、これだけの神々しさ。

もう何者も抗えない。

 

 

「ふ…、鮮血帝もここまでか…」

 

 

全てを悟ったジルクニフはただただ酒を呷る。

 

 

 

 

 

 

アーグランド評議国。

 

想像も出来ない心地よさに引かれ眠りから覚めるように白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)ツァインドルクス=ヴァイシオンは目を開く。

そうして死から蘇ったツアーは周囲を見渡す。

信じられなかった。

周囲には死んだはずの者達の姿があったからだ。

 

 

「ゆ、夢…、いや、そんな…」

 

 

評議国を襲ったヴァンパイアとアンデッドの集団を蹴散らす為にツアーは始原の魔法(ワイルドマジック)を放った。

それで国は滅んだ筈なのに。

もしかして夢だったのだろうか。

だがそれが夢ではなかったとすぐに悟る。

大地や建物は全て消し飛んでおり、始原の魔法(ワイルドマジック)の傷跡を感じさせる。

だがそれとは不自然な程、周囲には豊かな緑が広がっている。

まるで生ある存在だけが元に戻ったかの様に。

 

 

「まさか…、本物なのか…」

 

 

ツアーは突如現れた敵対者や、世界に現れた者達をプレイヤーなる存在だと判断していた。

だがもしかすると違ったのかもしれない。

プレイヤーなる規格外の存在がいるならば。

それより上の存在がいてもおかしくないのかもしれない。

 

 

「そんなのは…、空想の産物だと思っていたが…」

 

 

空を見上げるとそれは未だ煌々と輝いている。

天空を埋め尽くす無数の魔法陣とそこから降り注ぐ光の粒子。

長い時を生き、プレイヤーなる存在すらも知る最強の竜。

彼をもってしても、これ程の慈愛に満ちた魔法は初めて見た。

 

百年の揺り返し。

それは百年毎に訪れる異世界からの訪問者。

世界を脅かす者か、世界に味方する者か。

時に抗い、時に協力し、世界の均衡を保ってきた。

 

だがそもそも百年の揺り返しとは何なのだろうか。

 

今回ばかりは次元が違う。

世界に味方する者というレベルではない。

言うならば救済者。

 

 

「これは…、ぷれいやー…なのか…? ここまでとは…」

 

 

世界の行く末を案じツアーはただ空を見上げる。

だが、なんとなく感じていることがある。

 

きっと悪い事にはならない。

 

そんなツアーの直感が正しかったと証明されるのはすぐのことだが、この時の彼には知る由もない。

 

 

 

 

 

 

スレイン法国。

 

目覚めた神官長や、漆黒聖典達が周囲を見渡す。

 

 

「な、なんと…。わ、我々は…」

 

 

自分達が死んだということを自覚している彼等は何が起きたのかすぐに理解できた。

深い泥の底へ沈みゆく自分達に差し出された温かくも慈愛に溢れた救いの手。

 

あれこそが間違いなく。

 

 

「神に…、救われたのか…?」

 

 

六大神を信仰するスレイン法国。

今回、舞い降りた神はそれらと違うものの、空に広がる世界を覆い尽くさんとする偉大なる奇跡。

それは間違いなく、人類の救い手であり守り手だった。

 

都市の建造物は、神都に出現した暗闇から現れた漆黒の鎧を纏った女と白髪の少女に破壊されたままだが、無数の植物達が美しく芽吹いている。

まるで未来を暗示するかのように。

 

 

「カイレ様…」

 

 

漆黒聖典隊長が倒れているカイレに布を羽織らせる。

 

 

「これは…、わしの見間違いじゃなかろうか…」

 

 

空を見上げるカイレの目には涙が浮かんでいる。

 

 

「いいえ、カイレ様。見間違いではありません。天空に広がる巨大な魔法陣、そこから舞い降りる光の粒によって我々は再び生を受ける事を許されたのです…」

 

「我々は…人類は…、救済されたのか…? 絶滅から、滅びから…。ずっとこの国で…神に仕え…、人類の為に生きてきた…! まさか…、わしが生きてるうちに報われる時が来ようとは…」

 

 

誰しもがカイレと同様の気持ちに包まれていた。

自分達の思いは、努力は、信仰が。

やっと報われたのだと。

やがて困惑の呟きは歓声へと変わっていった。

 

 

だがその国の端っこで一人だけ冷めた目で周囲を見渡す少女がいた。

 

長めの髪は片側が白銀、片側が漆黒の二色に分かれており、その瞳もそれぞれ色が違う。

「漆黒聖典」の番外席次であり、通称”絶死絶命”。

ルベドに敗北を喫した人類最強の存在。

 

 

「神かどうかは興味がない…。ただ、これだけの魔力を行使できる存在…、間違いなく強い…!」

 

 

口の端が自然と吊り上がる番外席次。

知りたかった敗北はすでに知ることが出来た。

自分よりも強い者がいると証明されたのは悔しくもあるが嬉しくもある。

相手が女の子だったことが残念ではあるが。

 

 

「あぁ…。神様はどっちかな…?」

 

 

番外席次の次の目的は決まった。

 

 

 

 

 

 

竜王国。

 

 

「うぉーっ! なんたる奇跡ーっ! 神万歳ーーっ!」

 

 

片手に酒を持った少女の叫びが城の中に響く。

それに呼応するように大勢の人間が歓声を上げる。

それだけではない。

さらに追うように10万を超える犬達の喜びの咆哮が国中に響き渡る。

 

 

「み、見たかっ!? か、神だ! 間違いなく神のお力だ!」

 

「そ、そのようですね…。この国でお力を行使された時と似たものを感じます…。その規模は比べ物になりませんが…」

 

 

はしゃぐドラウディロン女王に相槌を打つ宰相。

 

 

「急にお姿が見えなくなりどうしたものかと思っていたが…。そうか…! 世界を救いに行かれていたとは! いや、考えれば当然のことか…。あれだけ慈愛に溢れた神が世界の惨状を見て見ぬふりなどする筈ない…」

 

「仰る通りかと」

 

「なればこそ! 我々もただ見ているわけにはいくまい! 国を、民を救われ、従属を宣言したこの竜王国…! 10万にものぼる神のシモベのおかげか何処からも襲われることなく、また復興も容易であった! あの大爆発が何だったのかは分からんが世界を襲う脅威と戦われていたのだろう…!」

 

 

うんうんと一人で納得するドラウディロン女王。

 

 

「きっとこれは神が勝利した証だ! さぁ! 我々も神に続くのだ! きっと世界中では未だ多くの人々が困っているだろう! 神へ従属する国家として恥ずかしくない働きをせねばな! お主たちだってそう思うだろう!」

 

 

ドラウディロン女王の声に犬達が反応する。

 

 

「他国の状況を知りたいが情報収集をしていては出遅れてしまうな…。申し訳ないが神のシモベ達よ! 他国に食料を届けてやってくれないだろうか! 可能であれば復興の手伝いもしてあげて欲しい! もちろん神に会ったら一度竜王国へ訪れるようにお願いを…、いや、こちらから出向いたほうが良いか…? ううむ! 全ては神の望むがままに! とりあえず神からの勅命が下るまでは最善と思われる行動を! もちろん命令があればすぐにでも従うぞ! さぁでは改めて神のシモベ達よ! 共に世界を救おうではないか!」

 

「「「ウォーン!!!」」」

 

 

かくして名犬ポチの手によって眷属となっていた10万もの犬達は背中に食料を乗せ、世界中に散った。

 

 

この後、竜王国は神の最初の従属国として注目を集める事になる。

特に世界にその力を示す前に従属を決めたという点が高く評価され、神の直属の配下からさえも手厚く扱われた。

さらに10万を超える眷属をこの地で直接作ったという事実が神にとって特別な地であると解釈されたこともあるだろう。

かくして竜王国は神の聖地として崇め奉られるのだった。

 

ドラウディロン・オーリウクルス女王の元で竜王国はその栄華を極めた。

 

 

 

 

 

 

リエスティーゼ王国、王都。

 

強大な蟲のモンスター達による襲撃でもはや廃墟同然と言っても差し支えない程にボロボロだった。

大勢の兵士達はエ・ランテルに戦いに赴き、未だ街の中は手つかずだ。

怪我をした民たちがただただ心細そうに体を寄せ合っていた。

 

その時、空に魔法陣が広がり王都を照らした。

 

全ての死者が蘇り、また王都を救う為に力を貸してくれたと思しき霜の竜(フロストドラゴン)霜の巨人(フロストジャイアント)、さらに無数のクアゴアまでも。

さらには死んだ筈の民を置いて我先にと逃げようとした貴族達や、悪の限りを尽くした八本指なども蘇った。

兵士達はおらず、このままでは王都は混乱に包まれるだろう。

だが、誰も気づくことなく一部の貴族や八本指の者達は姿を消すことになる。

真相は誰も知らない。

人々の間では彼らが生き返ったのかどうかさえも定かではないのだ。

誰かが言った。

彼等は神に選ばれなかったのだと。

それが真実がどうかはさておき、それは人々の間で実しやかに囁かれた。

 

 

同じように街の中で一組の冒険者達が蘇った。

 

 

「う…ん…?」

 

「アルシェ気付いた?」

 

 

目を開いたアルシェをイミーナが覗き込んでいた。

すぐ近くにはヘッケランとロバーデイクもいる。

 

 

「み、みんな…! あれ…、私達…?」

 

「うん…、死んだはず…。てかあれが蘇生魔法って奴なのかな? 生き返ったのは初めてだからわかんないけど…。でもさ、それよりも…」

 

 

空を見上げるイミーナを追ってアルシェも空を見上げる。

 

そこに広がるのは見たことも無い程、複雑で巨大な魔法陣。

帝国の魔法学院でかの大魔法使いフールーダからも魔法を学んだことのあるアルシェでさえ欠片の理解できないものだった。

知らない、という次元ではない。

むしろ、率直に思う。

 

魔法とはここまで出来るのかと。

 

 

「…っ! ウレイリカとクーデリカは!?」

 

 

妹達のことを思い出したアルシェが起き上がり、妹達が隠れていた建物へ走る、だが。

 

 

「俺もさっき探したよ。近くにはいなかった…」

 

 

ヘッケランがそう声をかける。

自分が死んでいる間に何があったのかと不安になるアルシェ。

 

 

「少し時間が経っているようですね。まずは人を探しましょう」

 

 

ロバーデイクが皆へ呼びかける。

一先ず王都の状況を知ろうとフォーサイトの面々は歩き出す。

ただこの時アルシェの中で一つだけ気がかりなことがあった。

 

王都を襲った魔物の数々。

どういう者達がどういう力関係で争っていたのかは分からない。

そして今は空の上に神を感じさせる力が広がっている。

ただ、ルベドを連れて行った黒髪の女。

あれがこの清らかな力を持つ者と同じ側とは思えない。

もし全てが終わったのなら、その女に連れていかれたルベドはどうなったのだろう。

 

 

「ルベド…、大丈夫だよね…?」

 

 

アルシェは胸騒ぎを抑えることができなかった。

 

 

 

 

 

 

カッツェ平野。

 

 

「ああぁぁぁぁあぁああ!! 神ぃぃぃぃいいいいぃぃぃぃぃいぃいいいい!!!!!」

 

 

復活直後、すぐに叫ぶニグン。

自分の身に起きた奇跡、そして空に広がる神の慈悲。

彼には耐えられる筈も無い。

今までの奇跡が子供だましにも思えるレベルなのだ。

そこら中に体液を撒き散らしながら蠢くニグン。

もはや言葉にならない。

 

 

「わ、私は信じておりましたっ! いつか神が人類をお導きになるとぉぉおおお!!! い、今が! この瞬間が! その時なのですねっ!? そこに立ち会えるなど、なんたる名誉…、なんたる幸福…! あぁ…! 私の全てを捧げますぅぅうううう! 神よ…! 神よぉぉぉ! ウェヒヒヒ!」

 

 

狂ったようにクアイエッセが天を仰ぎ笑い出す。

同様に周囲にいる純白達も自分を抑えきれなくなり発狂していく。

 

やがて耐えられなくなった彼等はその全身をもって直接、少しでも多く神の威光に、愛に触れようと服を脱ぎ出し体を露わにし始める。

腕を広げ、体の全てで神を感じる純白の面々。

もちろんニグンもクアイエッセもすでに生まれたままの姿だ。

 

 

「皆よ聞け! 世界は滅びに瀕し、我々の祖国も滅びた! だが全ては終わったのか!? 否! 断じて否である! 神が全てを救い、また導いて下さったからだ! 天を見よ! 我らの頭上にある奇跡は一体何だ! これこそが紛う事無き奇跡! 世界を救う光だ! 我らの頭上にある奇跡は一体誰の物か!?」

 

「「「「「神! 神! 神!」」」」」

 

「然り! 然りぃぃぃ! ならば我々は!? 我々は何の為に存在する!? 誰にこの信仰を捧げる!? さぁ問おう! 我々はなんだ!?」

 

「「「「「純白! 純白! 純白!」」」」」

 

「然り! 然りだぁぁ! ならば我々の存在意義は!? 神が御力を示した今何を為さなければならないっ!? 我々の果たすべきものはなんだっ!?」

 

「「「「「救済! 救済! 救済!」」」」」

 

「ああああぁぁああ! その通りだっ! 全くもって然りぃぃぃーーーっ! さぁ! 神と共に世界を導くのだ! 神よ待っていてくださいっ! すぐに我々が駆け付けます! 皆よ我に続けぇぇぇえええ!」

 

「「「「「うぉぉおおおぉお!!!」」」」」

 

 

全身で神の奇跡を肌で感じながら純白の面々が走っていく。

一体彼等はどこに向かっているのだろうか。

 

 

 

 ◇

 

 

 

名犬ポチの放った魔法に釘付けの守護者達。

幸い、横で名犬ポチが転んだことには誰も気がつかなかった。

 

 

「な、なんというお力…! こ、これが名犬ポチ様の…至高の41人の御力なのですね…!」

 

「わ、私達の力の比じゃない…!」

 

「す、凄すぎますっ…!」

 

「あぁっ…! なんという力の波動…! し、下着が…」

 

「これ程までとは…! 感服致しました…!」

 

großartig(グロースアルティヒ)…!(素晴らしい…!)」

 

 

それぞれが感嘆の言葉を述べている時、横で名犬ポチはガタガタと震えていた。

 

 

(や、やべぇ…! やべぇよ…! こ、こんな雑魚くなったら愛想尽かされるんじゃないかっ…!? もし裏切られたりなんかしたら何にも出来ねぇぞ…! ど、どうする…!?)

 

 

恐る恐る守護者達を見る名犬ポチ。

その視線に気づいたのか守護者達が名犬ポチへ向き直り跪いた。

 

 

「このデミウルゴス恐れ入りました…! よもやこれ程の御力をお持ちとは…! 世界を変えるその御力…! まさに至高と呼ぶに相応しき偉業かと…!」

 

 

そんなデミウルゴスの言葉に他の守護者達も同様に頷く。

 

 

(ま、まずい…! 力が下がったのはもう誤魔化しようがねぇ…! と、とりあえず全部計算通りだって事にするしか…!)

 

 

コホンと一息入れ、名犬ポチが口を開く。

 

 

「ま、まぁな…。た、ただこの力は少々反動がキツくてな…。おかげで力を一時的に! 一時的に失ってしまったがな…! ま、まぁ一時的だけどなっ!」

 

 

念を押していう名犬ポチ。

 

 

「おぉ…、あれだけの御力には相応の代償が付くのですね…。しかし人間共を支配しなければいけなくなったのも全てはナザリックの修繕や我々の蘇生に多量の金貨を使われた為…! うぅ…、全ては至高の御方不在の際の我々シモベの不始末…! 自分達の力不足を恥じると共にナザリックや我々シモベの為にそれほどの御力を使って頂いた名犬ポチ様のお優しさに必ず報いると誓います!」

 

 

デミウルゴスの言葉の真意にアウラやマーレ、シャルティアが気付くと涙する。

名犬ポチがこの魔法を使い力を失ったのは、ナザリックが支配する人間達の数を増やす為。

そしてなぜ人間達の数を増やさなければいけないかというと自分達のせいでナザリックの金貨を大量に消費したからだ。

ナザリックの為にここまでしてくれる名犬ポチの優しさに誰もが感動に打ち震えていた。

 

 

(な、なんか分からねぇけどこいつら泣いてる…。よ、よし! なんか話が違う方向にいったからオッケー! 今の内に違う話して有耶無耶にしよう!)

 

 

最高にクールな表情をする名犬ポチ。

 

 

「さて、それではこれから各国を支配するわけだがその前に邪魔な芽を摘むとしよう」

 

「邪魔な芽、ですか…? この御力を見てまだ名犬ポチ様の邪魔をするような愚か者はいないと思いますが…」

 

 

不思議そうにアウラが問う。

 

 

「ああ、そういう意味じゃない。例えばだ、俺が支配するに当たって俗に悪人と呼ばれるような奴等は邪魔なんだよ…、なぜか分かるか?」

 

 

アウラがブンブンと首を横に振る。

 

 

「他者を虐げ私腹を肥やす者共、あるいは犯罪を犯す者共…。様々なケースがあると思うがこういった奴等は俺の支配の元では害悪にしかならない。例えば、違法な事をするということは何処かでマイナスが生まれるということだ。単純な窃盗しかり、組織を運営する上での横領しかり、あるいは弱者たちから無理に金をむしり取るなど…。それはナザリックの利益を損なうのと同義。暴力行為も同じだ。俺が支配する以上、ある意味で全ての国や民は俺の物だ。個人の欲望の為にそれらを傷付けることは一切許さん。それは将来的な損失となり得るからな…」

 

「な、なるほど…」

 

 

アウラが納得したように頷く。

 

 

「名犬ポチ様のお言葉は理解しました。王都では支配者層の多くが腐っております。排除するとなるとかなりの貴族等達を排除することになりますが…」

 

「構わん。どうせ支配するのは俺たちだ。元々の支配に関わる者達がいなくなろうと問題ない、そうだろう?」

 

「はい、仰る通りです。それでですが名犬ポチ様。そういった者達の処遇は…」

 

「好きにしろ。後は全てお前達に任せる、いいな?」

 

「はっ!」

 

 

恭しく頭を下げたデミウルゴスの顔が嬉しそうに歪む。

 

 

(よくわかんないけど邪魔な奴らはどうにかしないと利益をピンハネしたりするからなー。ま、そこらへんはデミウルゴスとかパンドラズ・アクターに任せておけばいいだろ。ぶっちゃけ経済の仕組みとか細かいこと全然分かんないけどこの辺りで終わっておかないとボロが出るからな)

 

 

等と能天気に考える名犬ポチであった。

 

 

 

 

 

 

玉座の間。

 

そこで名犬ポチは新たな命令を下そうとしていた。

すでにデミウルゴスは配下のシモベと共にシャルティアの《ゲート/転移門》で王都に乗り込んでいる。

あくまで気取られることなく秘密裡に動くという計画だがデミウルゴスならば問題なくやってくれるだろう。

後は探し人が見つかればそれで問題ないと考える。

すでにアウラもエルフ国に直接乗り込み王を攫ってきている。

面倒だからこいつも後でデミウルゴスにぶん投げよう、そう思う名犬ポチ。

あとエルフ国はすでにアウラに従順に従っているらしいので支配は楽そうである。

そして帝国は国としてはマトモらしく、特につつく必要はなさそうなので基本的には丸呑みする方向で進める。

 

他の国についてどうするか尋ねられ考える名犬ポチ。

 

 

(竜王国、あったなそんな国。あ、やべ。犬にしたビーストマン達忘れてたわ。まぁあそこは後でもいいだろ。後はスレイン法国…、やばそうな国だしニグン探して任せちまうか…)

 

 

横に待機しているクレマンティーヌを見る名犬ポチ。

 

 

「クレマンティーヌ」

 

「なーにー、神様っ」

 

 

ニヤニヤしながらクレマンティーヌが返事をする。

 

 

「悪いけどニグン探してきて。で、スレイン法国はお前に任せるって伝えてくれ。間違ってもここには来るなって言っておくんだぞ? いいな? 来ても絶対会わないからな!」

 

「えぇー! 私が行くのー? 私神様と一緒にいたいなっ」

 

「ニグン知ってるのお前だけだろ。とりあえず頼むよ、NPC付けるからサクっと行ってきて。詳しい話はそいつにさせるから」

 

「ぶー」

 

 

不満そうな顔のクレマンティーヌをなんとか説得して追いやる。

レベル1となった今ではニグンやクアイエッセに抗う手段は無い。

いや、元から無かったのだが今ではより一層ない。

この体で会うなんて恐ろしすぎてとてもではないが無理なのである。

 

 

(守護者達ですらあんな反応だからな…。絶対今のあいつらやばいだろうし…。まぁしばらくしたら落ち着くだろ…。スレイン法国が完全に落ちるまでは会えないって突っぱねることにしよう)

 

 

そう心に誓う名犬ポチであった。

 

クレマンティーヌが部屋から出て行った後、横に控えるナーベラルが口を開く。

 

 

「名犬ポチ様、一つよろしいでしょうか…?」

 

「な、なに…?」

 

 

殺気のようなものを放つナーベラルにビビりながら返事をする名犬ポチ。

ていうかよく見ると他のプレアデスの皆も殺気だっている気がする。

 

 

「失礼ですがあの人間は一体何なのでしょうか…? なぜ、たかが人間如きがこの栄えあるナザリックに…」

 

 

苦虫を噛み潰したような顔をしながらナーベラルが言う。

額には血管まで浮き上がっている。

 

 

「落ち着きなさいナーベラル…! 全ては名犬ポチ様がお決めになったことよ…!」

 

 

それを見たユリがナーベラルを制止する。

 

 

「ですがユリ姉様! あの人間の言葉遣いは何なのですか! あ、あろうことか名犬ポチ様にあのような軽々しい口調で話しかけるなど…!」

 

 

ナーベラルが怒りのあまりプルプルと震えている。

 

 

「私も気に入りませんでしたわ! 至高なる御方に対してあの無礼、とても許される事ではありません! 名犬ポチ様が許可して下さるならすぐに私が体の中に取り込んで苦痛の叫びを上げさせますのに!」

 

「そーっす! そーっす! 許されないっすよー! 私があいつを絶望の底に叩き落してやるっす!」

 

「あんな無礼者ぉ…、私が食べちゃうのぉ…!」

 

 

ソリュシャンやルプスレギナ、エントマまで加わる。

そしてどんどんヒートアップしていくプレアデスの面々。

それを聞いていた名犬ポチが頭を抱える。

 

 

(えぇぇっ…。こ、このままじゃまずいぞ…、クレマンティーヌが殺される…。あいつにはスレイン法国とのパイプ役とか色々考えてたのに…!)

 

 

上手い事、場を収める方法が思いつかない名犬ポチ。

特別扱いすることにしても悪い方向に行くだろうと察する。

そして思わずとんでもない事を発してしまう。

 

 

「お、落ち着いてくれ皆っ…! あ、あいつはそう…ペットなんだ…!」

 

「「「!!!」」」

 

 

名犬ポチの言葉で固まるプレアデス。

 

 

「ぺ、ぺ、ペットっ!? ナ、ナザリックの誰もが憧れる役職にあの人間を!?」

 

 

そう喚き散らすソリュシャン。

他の面々も同様に喚いている中、ユリだけが得心したように頷いている。

 

 

「そ、そういうことでしたか…。なるほど、ペット…。主の心を癒し、また常に側にいることを許された名誉ある役職…。シモベでありながらその役職上、表面的な上下関係からは一切解放されるという…。だからあのような口調も許されていたのですね…」

 

「ま、待って欲しいっす! そ、そんな役職になんであの人間をっ!? ずるいっす! 言ってくれれば私がペットになるっすからー!」

 

「ペットォ…、羨ましいぃ…」

 

 

さらにヒートアップしたプレアデスが名犬ポチに畳みかける。

その中でただ一人、ナーベラルだけが泡を吹いて倒れていた。

 

 

(うわぁぁ…! な、なんか余計に酷いことになったぁ…!)

 

 

さらに頭を抱える名犬ポチ。

もうどうしていいかわからなくなったその時。

 

玉座の間の扉を開けてシズが入ってきた。

 

 

「名犬ポチ様、ルベドの修理終わった」

 

「そ、そうかっ!? すぐ行くっ!」

 

 

速攻でシズの元まで駆け寄る。

後ろでまだプレアデス達が喚いているが気にしない事にする。

そうして名犬ポチは玉座の間を後にした。

 

 

 

 

 

 

タブラの工房。

そこで横になっているルベドを目にすると同時に名犬ポチが驚く。

 

 

「か、体…」

 

「うん。ちょうど修理が終わった瞬間だった。流石名犬ポチ様」

 

 

今彼等の目の前に横になっているルベドの外見は元通り少女の姿に戻っている。

もちろんこれはシズの手によるものではない。

 

 

(あー考えてなかったぁ! そうか、そういえば十二宮の悪魔がルベドの血肉なんだっけか? 他のNPC達と一緒に蘇生したから確認してなかったな。なるほど、この錬成された血肉は一応十二宮の悪魔扱いなわけだ。で、蘇生すると再びルベドの身体になる、と)

 

 

一つ勉強になったなと思う名犬ポチであった。

 

 

「シズ、起動してくれ」

 

「了解。でも少し問題が」

 

「なんだ?」

 

「基礎データの一部に欠損がある。以前と違って行動に影響が出る」

 

「どういう影響だ?」

 

「主に言語野や基本知識の部分。行動を決定、あるいは判断する為の基本データが足りない為、非効率的に為らざるを得ない」

 

「??? つ、つまり?」

 

「分かり易く例えるなら幼児退行。言葉でさえ収録数がかなり減っている。基礎データの一部だから安易に書き換えるわけにはいかない」

 

「そ、それはもうどうしようもないのか…?」

 

「どうしようもない。ただ新たに学習することは出来る」

 

「ふむ…、ならば問題ないか。よし、起動してくれ」

 

 

命令を受けてシズがルベドを起動する。

 

 

「起動完了。指揮権を持つ人を指定して下さい」

 

 

ロボットのような無機質な声が流れる。

以前と変わらぬアルベドを幼くしたような声だ。

 

 

「指揮権を持つのは名犬ポチだ」

 

 

その言葉を聞くとルベドは名犬ポチのほうへ顔を向ける。

 

 

「映像、音声から本人と確認、認証しました。行動を開始」

 

 

その言葉と共に目が赤く光る。

それはルベドが起動状態にあることを示すものだ。

 

ルベドはゆっくりと立ち上がり、台から恐る恐る降りる。

 

 

「おはよ…名犬ポチ様」

 

 

「おはようルベド」

 

 

「…なにすればいい?」

 

 

少し舌足らずな印象を受ける。

さらに周囲のデータが無いのかキョロキョロと珍しそうに見ている。

基礎データに欠損、つまり幼児退行とはこういうことらしい。

 

 

「いいかルベド。好きに生きろ、お前の行動はお前が決めるんだ。分かったか?」

 

「…よくわかんない、むずかしい」

 

「最初はそれでいいさ。皆、最初はどうしたらいいかわからないものなんだ」

 

 

名犬ポチは思う。

誰よりも優しくあれと生み出されたルベド。

結局はどうすればいいのかは分からない。

だからこそ自分に決めさせる。

それが無責任と呼ばれるものなのか、優しさなのかは分からない。

でも、きっと人間だって生まれた時は目的なんかない。

成長していく過程で得ていくものなのだ。

だからこそルベドには自由を与えたい。

そう思った。

だからこれはただのお節介だ。

 

 

「それとなルベド、お前に会わせたい奴がいるんだ。シズ、入れてやってくれ」

 

「それは構わないけどルベドにその記憶は無い、会わせたところで…」

 

「いいんだ。初期化したってルベドの本質は変わらない。前のルベドがあんなに会いたがった奴なんだ、きっと大丈夫さ、そうだろ?」

 

「…了解」

 

 

そうして外に出たシズが一人の少女を連れてくる。

 

 

「…だれ?」

 

 

その連れて来られた少女はルベドを見るなり走り寄る。

 

 

「良かった…! 無事だったのねルベド…! 貴方のおかげで妹達は無事だった…! 街の人達に保護されて元気にしてたの…! ありがとうルベド…! ……、ルベド…?」

 

「…わたしのこと、しってるの?」

 

 

首を傾げ、不思議そうに少女を見るルベド。

 

 

「し、知ってるも何も…、ど、どうしちゃったのルベド?」

 

 

ルベドの反応に怪訝そうな顔をする少女。

 

 

「シズ、言ってないのか?」

 

「忘れてた」

 

 

テヘと無表情のまま舌を出すシズ。

仕方なく名犬ポチがその少女に簡単に説明する。

ルベドはもう何も覚えていないと。

説明を終えた名犬ポチはシズを連れて部屋を出ていく。

 

部屋に残されたのはルベドと一人の少女だけ。

 

 

「…わたしはルベド、あなたは?」

 

「うっ、うぅぅ…」

 

 

ルベドを前に少女は泣き崩れる。

それを見かねたルベドが少女に近づき顔を覗き込む。

 

 

「…かなしいことがあったの?」

 

「うぅ、ひっく…」

 

 

泣き続ける少女をルベドがそっと抱きしめる。

 

 

「…っ!?」

 

「…データにある。こうするとさみしくないよ」

 

 

少女を慰めるようにルベドがよしよしと頭を撫でる。

善悪の区別も、愛も何も知らない。

だが人一倍寂しがり屋のルベド。

だからこそ他人を思いやるというデータが、少しだけ入っていた。

 

 

「うぅ…アルシェ…! 私はアルシェ・イーブ・リイル・フルトッ…!」

 

「…そう、よろしくアルシェ」

 

「うんっ…! よろじぐっ…!」

 

 

情けなく泣き続けるアルシェ。

ルベドに忘れ去られたことが悲しかった。

酷い出会いをし、驚くような事もあった。

街に連れて行けば常識もなく手がかかった。

でも、助けてくれた。

おかげで妹達とも会えた。

短い時間だけど、多分大切な時間だったのだ。

誰よりも強く、また恐ろしくもあったルベド。

でも、色んな事を学ぼうとひたむきだったルベド。

その全てがルベドであり彼女だった。

それを忘れてしまったとしてもアルシェは覚えている。

一緒にいたから知っている。

 

ルベドは優しい。

 

 

 




次回『悪神の支配』それは逃れえぬ絶望。


前回の予告で↑でしたが(今は修正済)登場人物が多くそこまで行きませんでした。

今回から便宜上、新章になりましたがそんなに続きません。
前回も言った通りそろそろ終わると思います。
ただ皆生き返っちゃったから登場人物多いなぁ…


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悪神の支配

前回までのあらすじ!


ついに世界が悪神の手により侵される!
欺瞞の救いに酔いしれるは愚かな人間共!



ナザリック地下大墳墓。連れてきたアルシェをルベドに引き合わせた後、名犬ポチは玉座の間へと戻る。

そこではパンドラズ・アクターが名犬ポチを待っていた。

 

 

「ンン名犬ポチ様! 少しよろしいでしょうか!?」

 

「な、なんだっ?」

 

 

あまりのカッコ良さにトキメキを抑えらない名犬ポチだが表面上はなんとか取り繕う。

 

 

「先ほど配下のシモベ達から報告が上がってきたのですが、名犬ポチ様の魔法の影響で以前このナザリックに侵入していた愚か者共も蘇っているらしいのですがどう致しましょう? 強さ的には現地のレベルを考慮してもさほど高くはないかと…。身柄は完全に拘束しているのでご命令さえあればすぐにも…」

 

「ふむ…」

 

 

どうやら知らない間にこのナザリックに侵入した不届き者がいるらしい。

と、NPC達は思うかもしれないが名犬ポチは違った。

 

 

(ほー! あの大侵攻以来ナザリックに侵入してくる奴なんていなかったからなぁ! モモンガさんから聞いた限りではサービス終了まで第10階層まで侵入してきた奴はいなかったはず…。 まぁ現実となった今はそこまで侵入されたら困るんだが…)

 

 

どうしたものかと考える名犬ポチ。

モモンガならば大事な仲間と共に作ったこのギルドへの侵入者は許さなかったかもしれない。

だが良くも悪くも名犬ポチはそこまで考えてなかった。

何より一度罠にかかって死んでいるので、尚更どうこうしようとは特に思わなかった。

それに例えスズメの涙ほどの成果しか得られなかろうと今は少しでも人手が欲しい。

これから天文学的な額を稼がなければならないのだから。

 

 

「せっかくだし顔でも見てみてから決めるか。どんな奴がこのナザリックに侵入してきたのかも気にはなるしな…」

 

 

とか言った後にふと思う、やっぱり面倒臭いな、と。

 

 

(無いと思うがニグンみたいな奴いたら嫌だなぁ…。もう面倒くさいしデミウルゴスに丸投げしとくか?)

 

 

等と考えながらパンドラズ・アクターと共に玉座の間を出る名犬ポチ。

 

外ではルベドとアルシェが名犬ポチを待っていた。

 

 

「つ、連れてきてくれてありがとうございましたっ…! あ、あの…、先ほどはきちんとお礼を言ってなかったと思って…」

 

 

緊張した様子のアルシェが名犬ポチに深々と頭を下げる。

 

 

「気にしなくていい、むしろルベドが世話になったようでこちらが礼を言いたいぐらいだ」

 

「そ、そんな…! か、神様みたいな人にお礼を言われることなんて…」

 

 

アルシェから見れば世界を覆う程の魔法を行使した文字通り神の如き存在。

それが例えただの犬にしか見えなくても、何なら非力な自分でも簡単にねじ伏せられるように感じられたとしても。

それはきっとアルシェの錯覚に違いないのだ。

そんな存在にお礼を言われるなど恐れ多くて恐縮するどころではない。

どうしていいかわからずあわわわ、とか口にし始めたアルシェ。

名犬ポチは見なかったことにする。

 

その横で不思議そうに両者を見ていたルベドが口を開く。

 

 

「…名犬ポチ様、何かあったの?」

 

「ん…、あぁ。以前このナザリックに侵入した奴らがいるらしくてな…。その時、俺は不在だったから分からないんだが…。どうしたものか…」

 

 

名犬ポチが唸るように呟く。

その言葉で全てを悟ったのかアルシェの顔がどんどん蒼褪めていく。

 

 

「あ…、あぁ…! ご、ごめんなさいっ…!」

 

 

突如、名犬ポチに向かって深く頭を下げるアルシェ。

その勢いに驚き名犬ポチの身体がビクッと震える。

 

 

「わ、私…、ど、どうしてもお金が必要でっ…! 多分、皆も同じでっ…! もちろん一攫千金とかそういうのもあったと思いますけどっ…! で、でも、い、依頼があったからっ…! 誰もいない遺跡だとっ…! こ、こんな凄い場所だなんて…! ましてや、か、神様がいる場所なんて知らなくてっ…!」

 

 

半泣きになりながらアルシェが急に支離滅裂な事を叫び出す。

落ち着くよう促したパンドラズ・アクターがアルシェから順序だてて話を聞きだしていく。

 

そして分かったのはアルシェ含む帝国のワーカー達が多額の報酬と共にこのナザリックの探索を依頼されたこと。

さらに見つけた金貨や宝の類は依頼者に半分を差し出さなければならないが残りは全て自由にしていいこと等、洗いざらいアルシェは白状した。

 

 

「どう致しましょうか名犬ポチ様。知らなかったとはいえこの栄えあるナザリックに土足で踏み込み、至高の御方々の宝を手にしようとするとは何たる恐れ多き所業…! 依頼者はもちろんですが、そのワーカー達にも同情の余地はないかと…」

 

 

冷酷な事を言うパンドラズ・アクターの台詞にアルシェの表情が凍り付く。

 

ただ、その横でルベドが名犬ポチのことをじっと睨みつけている。

 

 

「うっ…」

 

 

ルベドの視線に冷や汗をかく名犬ポチ。

 

 

(な、なんで俺を睨むんだよルベド…! お、俺がイジメてるとでも思ってんのか…? どっちかと言えばこの場合、泣かせてるのはパンドラズ・アクターだろっ…! 俺は無実だっ…!)

 

 

心の中で必死に言い訳を並べ立てる名犬ポチ。

実際のところルベドは話がよくわからなくてむくれているだけなのだがそんな事とは露ほども思っていない。

ルベドの性格への深読みと、本来持つ戦闘能力への恐れから正常な判断が出来ないのだ。

 

 

「ま、まぁ依頼があったというのなら仕方ないかもしれないなっ…! む、無知は罪だが学習する機会まで奪ってしまうのも酷というものだろう…! そ、それに一度は死んだ身…。無知によるナザリックへの侵入はそれで帳消しとしよう…! 何よりアルシェにはルベドの事で世話になっているしな…。ここはアルシェの顔を立てようじゃないか…」

 

 

震え声になりながらも必死で威厳を保とうと努力する名犬ポチ。

その言葉を聞き、目に輝きが戻ると何度も何度も頭を下げ感謝を伝えるアルシェ。

 

 

「パ、パンドラズ・アクター…。わ、悪いが侵入者の件はお前の方で片づけてくれ…。それと依頼者の事も一応調べておくように…」

 

「依頼者はすでに以前、ニューロニスト殿の手によってバハルス帝国の王だと判明しております」

 

「マジか! お前らすげぇな! ふむ、帝国…。任せているのはマーレだったか…? 少し心配だな。お前がマーレのサポートについて帝国の支配をより円滑に進めてくれ。それと…、そうだな。アルシェ達の事もお前に任せる。色々と問題はあるだろうがアルシェには目をかけてやって欲しい。ルベドの事もあるから丁重に扱うように。あとルベドについては可能な限りその意思を尊重してやってくれ。大丈夫か?」

 

「ンン問題ありませんっ! なるほど、そういうことでしたか。了解致しました。マーレ殿はバハルス帝国がナザリックへワーカー達を送り込んだ事を足掛かりに手を伸ばされていたご様子…。私はまた別の方向から攻めてみようかと思います名犬ポチ様ァ!」

 

(あぁ…! 俺、お前になら抱かれてもいい…!)

 

 

乙女のように胸をキュンと高鳴らせる名犬ポチ。

 

 

「しかし、最後に確認しておきたいことが…」

 

「? なんだパンドラズ・アクター」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それでお間違えないですね…?」

 

 

意味深な事を呟くパンドラズ・アクター。

名犬ポチの頭にはクエスチョンマークが浮かぶばかりだ。

 

 

「??? あ、あぁ。結局、宝とかも盗んでないんだろ? ならそれでいいさ」

 

「かしこまりました。ではそのように」

 

 

深々と頭を下げるパンドラズ・アクター。

しばらくして頭を上げ、アルシェへと向き直る。

 

 

「それでは私はこれからワーカー達に会いに行って参ります。それが済み次第、貴方と共に帝国へお送りしましょうアルシェ嬢」

 

「あ…! ありがとうございますっ…! ありがとうございますっ…!」

 

 

そうして名犬ポチはパンドラズ・アクターに全てを丸投げした。

デミウルゴスとパンドラズ・アクターには仕事を任せ過ぎているような気がしてならない。

 

 

(この二人に任せておけば何でも上手くやってくれそうだからなぁ…。ついつい甘えてしまう…。もしかして少し働かせすぎか…? 他の者達の倍以上仕事突っ込んでるからなぁ…。うぅむ…。デモでも起こされたらたまったものじゃないな…。後で労でもねぎらってやらないと…)

 

 

いらぬ心配をしながら名犬ポチは保身のことを考える。

 

 

 

 

 

 

カッツェ平野。

 

名犬ポチの命を受け、クアドラシルの背に乗りニグン達を探しにきたクレマンティーヌ。

前方に土煙を巻き起こす何者かの姿を見る。

そこには無作為に全力疾走する謎の集団がいた。

 

 

「「「神ぃ! 神ぃぃぃーーーっ!」」」

 

 

ニグン達、純白の面々だった。

 

 

「げ…」

 

 

その余りに汚らわしい姿にクレマンティーヌも吐き気を覚える。

やがて純白の面々もクレマンティーヌの姿を目にしたのか近づいてくる。

その中でより異彩を放っている者がいた。

 

 

「妹ぉ! 我が愛しの妹じゃないかぁ! 神は何処!? 何処にぃ!? ウェヒヒヒ!」

 

 

涎を垂れ流し、あるがままの姿で腕を伸ばし迫るクアイエッセにクロスカウンターを決めるクレマンティーヌ。

 

 

「へぶんっ!」

 

「正気かクソ兄貴! 他の奴等、お前らもだよ! 何やってんだ!」

 

 

純白の面々の顔を見渡し怒鳴るクレマンティーヌ。

その全員があるがままの姿でありながらいきり立っていたからだ。

 

 

「その姿でどっか街にでも行ってみろよ捕まるぞ! 神様の威光を地に落とすつもりかよ! ニグンちゃんがついていながら何やってんだ!」

 

 

最も高まっていたニグンへと詰め寄りグーで顔を殴りつける。

 

 

「ごっど!」

 

 

吹き飛ぶニグンだが、クレマンティーヌのその一撃と言葉で目が覚めたのか次第に冷静さを取り戻していく。

というか純白がこうなった諸悪の根源はコイツである。

 

 

「確かにこれじゃ神様も会いたくないだろうね…。来なくて良かったよホント…」

 

 

クレマンティーヌが漏らした言葉に敏感に反応し純白の面々が詰め寄る。

 

 

「ど、どういうことだ!?」

 

「か、神はなんと!?」

 

「すぐに会わせてくれ、さぁ!」

 

「神万歳!」

 

「ウェヒヒヒ!」

 

「お前らうるせぇー! 今から説明すっからおとなしくしてろ!」

 

 

粗末なモノを振り乱しながら迫ってくる男どもを千切っては投げ千切っては投げるクレマンティーヌ。

しばらくして場の空気が落ち着くとクアドラシルの背からプレアデスの一人、ソリュシャンが飛び降りる。

そしてクレマンティーヌの代わりに説明を始めた。

説明が終わる頃には純白の面々の顔には精悍さが戻っていた。

 

 

「なるほど…! つまり神は私達の手で法国を変えろと仰るのですね…!」

 

「ええ、そうですよニグンとやら。神は貴方達の事を信頼されているからこそ一国を任せられたのです。世界を苦しみから救うのは容易なことではありません…。あの御方がいくら偉大であろうと手の数は無限ではありませんから…。なればこそ我々シモベがそのお役に立つべきでしょう?」

 

「然り! まことに然りであります!」

 

「今は人々を、世界を救うのが先決…。貴方達の欲望を吐き出すのはそれからではないでしょうか? 何よりそんなことで貴方達は偉大なる御方のシモベだと胸を張って言えるのでしょうか? 信仰は大事です、しかし最も大事なのはその信仰を持って何を為すか、ではないでしょうか?」

 

 

純白の誰もが顔を伏す。

ソリュシャンの言葉に、己を恥じ、また神の偉大さを再認識し、そして何より信頼されているという事実に誰もが心を打たれ涙する。

 

 

「貴方様の仰る通りです…! 確かに我々が今為すべきことは迷える人々を救うこと…。神がこの世界を救ったとはいえ、人々の生活が取り戻されたわけではありません…。確かに、私が…いえ! 私達がやらなければならないことでしたっ!」

 

「分かったのなら法国へ戻りなさい。そして国を救い、民を導くのです。偉大なるあの御方へ謁見するのはそれからでしょう?」

 

 

ソリュシャンの話を聞いて感極まっている純白達とは裏腹にクレマンティーヌの顔は引き攣っていた。

よくもまぁそこまで都合よく説明できたものだな、と。

命令を受けたクレマンティーヌは知っている、本当は名犬ポチの会いたくないという理由だけなのだ。

 

 

「何か?」

 

 

その視線に気づいたソリュシャンがクレマンティーヌへと向き直る。

 

 

「い、いや、説明凄いなーって…。ま、まるでニグンちゃん達のこと理解してるみたい…」

 

「いいえ? 欠片程も理解していませんよ。デミウルゴス様やパンドラズ・アクター様からどのように振舞えばよいかご教授頂いただけです」

 

 

人間でないように口角がグニャリと持ち上がり笑うソリュシャン。

 

 

(こ、怖ぁ…! てかお目付け役で来たこのメイドも私なんかよりめちゃ強いし…。神様の配下って凄いのばっか…、自信無くなってきちゃった…)

 

 

気落ちしているクレマンティーヌの気持ちを察したのかソリュシャンが再び口を開く。

 

 

「クレマンティーヌ、悔しいけれど貴方はあの御方にペットとして認められたのです。それを誇りなさい。そしてしっかりとあの方の御傍について御心を癒してあげるのです。多忙で誰よりも深遠な考えをお持ちの名犬ポチ様…、その苦悩は計り知れません…。だから少しでも貴方がその重荷を軽くできるよう努めるのです。落ち込んでいる暇などありませんよ」

 

 

再度、悔しいけれどと念を押すソリュシャン。

心の中では様々な思いが渦巻いているが公私混同はしないタイプなのだ。

 

 

「う、うん…。そう、だね…。私、神様に必要とされてるんだもんね…」

 

 

かつて名犬ポチから『聖女』と認定されたクレマンティーヌ。

彼女の中で勘違いがどんどんと大きくなっていく。

 

 

「それでは私はニグンとやらと共に法国へ赴きます。貴方はクアドラシルとナザリックへ戻って下さい」

 

「あ…! ま、まって法国には漆黒聖典の隊長とか、番外席次っていう強い奴が…」

 

「問題ありません、報告は受けています。私は先行して向かうだけですので後から他の者も駆け付けます。それに何より私からの連絡が途絶えればすぐに法国を潰す為ナザリックが動きますから」

 

「そ、そうですか…」

 

 

ソリュシャンの台詞に、これ冗談じゃないな、と感じながら見送るクレマンティーヌ。

 

純白と共にソリュシャンの姿が見えなくなるとクアドラシルと共にナザリックに帰還する。

 

 

「あー疲れた…。早く帰って神様に癒して貰わないと…」

 

 

だがクレマンティーヌはまだ知らない。

神の力に後押しされたニグンが僅か数か月で法国の頂点に上り詰めることを。

 

もちろん神官長等の国の上層部からの批判や圧力はあった。

だが神の名の元に行われる行為に誰も正面きって文句など言えようはずもない。

それに数としては100を超える陽光聖典の隊員達。

組織としての力は間違いなく法国一である。

大義名分はニグンにあり、その力に抗える者もいない。

仮に漆黒聖典の隊長や番外席次が出てこようとも、ナザリックの後ろ盾があるのだ。

 

そうしてニグンによる法国の大粛清が始まった。

 

法国の暗部を暴き、悪しき習慣を断ち、人々の意識を正していく。

血が流れた訳では無い。

彼はその言葉と信仰のみで全てを変えたのだ。

 

そして神の傘下へと法国は下る。

それにより法国の民は生活水準の劇的な向上や、安全の保障、少ない税などに民達が歓喜することになるのだがまだ少し先の話である。

 

ただ、予定より早くこうなるとはこの時は名犬ポチは考えてすらもいなかった。

早く次の言い訳を考えなければその身が危ない。

頑張れ名犬ポチ。

 

 

 

 

 

 

ナザリック地下大墳墓、玉座の間。

 

名犬ポチの呼び出しに応じ、守護者達が集まっている。

 

 

「さて、今日皆に集まって貰ったのは他でもない。コキュートスを蘇生する為だ」

 

 

その言葉でわずかに守護者達にどよめきが走る。

 

 

「デミウルゴスからコキュートスの死因について報告があった。王国で調査した所、どうやらエ・ランテルでの戦いにおいて現地の者達との闘いに破れたらしい、そうだな?」

 

「左様でございます」

 

 

名犬ポチの言葉にデミウルゴスが恭しくお辞儀をする。

 

 

「し、失礼ですが名犬ポチ様、コキュートスを倒せる奴らなどいるのでしょうか?」

 

 

アウラが名犬ポチへ質問する。

これは彼女だけでなく、守護者全員の疑問だ。

ナザリックの最高水準の一角が下らぬ下等生物に後れをとったのか、と。

 

 

「アウラの疑問も尤もだ。ここは俺もわからん、デミウルゴスの調べでも分かっていないんだよな?」

 

「はい、残念ながら…。どのように倒されたのか、という調べはついていますがどう考えてもコキュートスが敗北する要因とは思えません…。何か別の要因があったとしか…」

 

「ふむ…」

 

 

デミウルゴスの言葉に名犬ポチは考え込む。

実際、どのようにしてコキュートスが敗れたのかという点は非常に重要だ。

非力な現地の者たちが本当に倒したと言うなら、他の守護者達とて敗れる可能性がある。

対策を考えなければならない。

 

その為にはコキュートスを蘇生するべきだろう。

 

おそらく記憶は無くなっているだろうが、死後にも残る効果の類であるならば原因を探ることはできる。

可能性は低いがそれにかけてみるしかない。

そうでないならそれはそれで選択肢を一つ消すことができる。

今は鍵となっているコキュートスを蘇らせてみるしかない。

 

そして準備した5億枚の金貨を使用しコキュートスを蘇らせる。

溶けた金貨が集まりコキュートスを形作る。

 

 

「ン…ココハ…」

 

 

目覚めたコキュートスが周囲を見渡す。

そこに名犬ポチの姿を見るや慌てて跪く。

 

 

「オオ…! 名犬ポチ様…! オ戻リニナラレタノデスネ…! コノコキュートス、コノ日ヲドンナニ…!」

 

「はいストップ! 感動の対面だと思うが事情は後でデミウルゴスから聞いてくれ。今は確かめたいことがある」

 

「確カメタイコト…? ハイ、ナンデショウカ…?」

 

「…何か体に異常はないか? 何でもいい、何か以前と違うことがあれば教えてくれ」

 

 

その言葉に自分の身体を確かめるコキュートス。

身体を動かし、確認するように手を握りしめる動作を繰り返したりする。

すぐに何かに気付いたようで、とても低い声でコキュートスが告げる。

 

 

「ナ、ナゼカハ分カリマセンガ…、力ヲ失ッテイルヨウデス…。以前ノ6割程グライニナッテシマッテイルカト…」

 

 

震えながらコキュートスが告げる。

後ろにいるセバスへと名犬ポチが視線を投げる。

 

 

「私から見ても大幅に戦闘力が下がっているように見受けられます。確かに6割~7割の力しかないかと」

 

「ふむ…、一体何が…。スキルか何かの影…響…」

 

 

自分で言ってふと一つの結論に辿り着く名犬ポチ。

いや、というよりそれしか考えられない。

コキュートスの身に何が起きたのか察する名犬ポチ。

 

 

デミウルゴスに自分が死んだ時間とコキュートスが死んだであろう時間を聞く。

どうやら調べによると大して時間は離れていないらしい。

説明を要求されたデミウルゴスもすぐに察しがついたようで顔色が変わる。

 

 

「ま、まさか名犬ポチ様のあの御力の影響でしょうか?」

 

「多分、そうだな…。ていうか言われてみればなんとなく俺もそう感じる…」

 

 

ユグドラシルでは名犬ポチのスキルによるステータス低下の影響化にあるキャラクターは頭上に犬マークのアイコンが表示されていた。

この世界になってそれは無くなったようだが、名犬ポチには感覚でそれが理解できるようになっていた。

 

 

「あれは敵対判定にある者にしか影響が無いんだがなぁ…、そうか、一応敵対関係だったってことなのか…」

 

 

名犬ポチの言葉を不思議そうに聞くコキュートス。

デミウルゴスが疑問を解消するように今までのことやコキュートスの死因等を説明していく。

 

 

「ナ、ナントイウコトダ…!」

 

 

深い絶望に包まれコキュートスが膝を付き、両手を地に付ける。

 

 

「ま、まぁ気にすんな。大方アルベドに良い様に使われてたってとこだろ。だから判定上は敵対関係に…、っておい! 何してんだ! 皆止めろ!」

 

 

名犬ポチが慌てて守護者達に命じて止めさせる。

 

 

「止メナイデ下サレ! マサカ主ニ知ラヌトハイエ牙ヲ向ケテイタナド配下トシテアルマジキ行為…! 死シテ償ウ以外ニ方法ヲ知リマセヌ…!」

 

 

デミウルゴスがエ・ランテルより持ち帰ってきていたコキュートスの刀。

近くにあったそれを手に取り泣きながら腹を斬ろうとするコキュートス。

ステータス的には弱体化している為、抵抗も虚しくあっさりと武器は奪われ体を押さえつけられる。

 

 

「シカモアロウコトカ格下ニ遅レヲ取ルナド…! 武人トシテ何タル恥…! ドウカ…ドウカ、オ情ケヲ…! 武人トシテ死ヌ事ヲ許シテ下サレ…」

 

 

武人どころか女のようにシクシクと泣くコキュートス。

だが。

 

 

「ばっきゃろう!」

 

 

名犬ポチがコキュートスの頬を全力でぶつ。

 

 

「簡単に死ぬとか言うんじゃねぇ! お前は大事なシモベなんだ! そう易々と失ってたまるか! いいか、ミスなんで誰でもする…、俺もだ…! 恥なんてクソ喰らえだ! 俺の役に立つまで死ぬなんて2度と口にするなよ…! お前の命は俺のもんだ…! 勝手に死んだら絶対に許さねぇからな!」

 

 

玉座の間に名犬ポチの怒りの声が響く。

コキュートスを含め、守護者の誰もがその言葉に感動を禁じえなかった。

その温かい叱咤と、何よりも優しい主の心に。

 

 

(ふざけるなよ…! お前の蘇生に金貨5億枚かかってんだぞ…! それを取り戻すのにどんだけ苦労すると思ってんだ! そんなあっさりと死なれてたまるか…! 絶対に死なせねぇからな…!)

 

 

怒りが抑えきれない名犬ポチはフーフーと荒々しく呼吸して肩を揺らしている。

だが突如、自分の手に激痛が走った。

 

 

(あ、痛いっ! やべっ、痛めた…。あぁ、皆見てる恥ずかしいっ…! バレない内に撤収しなきゃ…)

 

 

いくらコキュートスが弱体化しているとはいえ名犬ポチはレベル1なのだ。

殴ればそりゃあ怪我もする。

守護者達の視線に耐えきれずそそくさと退室しようとする名犬ポチ。

 

 

「い、いいかコキュートス。一つ言っておくぞ、お前に罪は無い。だ、だがどうしても自分を許せないというのならその働きを持って報いろ、以上だ」

 

 

そう言い残して名犬ポチは出て行った。

残った守護者達、その中でデミウルゴスがコキュートスへと声をかける。

 

 

「名犬ポチ様は本気で怒っておられた…。あそこまで思われることは配下としてこれ以上ない程に幸福なことではないかね? シモベならばあの想いに答えるべきだと思うがね」

 

「…確カニ。不肖ナコノ身ヲアソコマデ案ジテクレルナドナント懐ノ深イ御方ナノダ…」

 

 

名犬ポチの器の大きさにコキュートスを含め、誰もが魂を揺さぶられるかのように感銘を受けていた。

 

 

「うぅっ…、名犬ポチ様優しすぎますっ…!」

 

「うん…、お姉ちゃんの言う通りだよっ…!」

 

「なんという御方でありんすか…、まさかここまで慈愛に溢れているとは…」

 

「本当に慈悲深き御方です、我々シモベの為にあそこまで仰って下さるなど…」

 

「ンンン、流石は名犬ポチ様ァ! まさに至高たる御方!」

 

 

シモベ達はただひたすら名犬ポチの言葉に酔いしれる。

 

 

 

 

 

 

― ナザリック小話 ~ルプスレギナ物語~ ―

 

 

とある日。

 

第1階層で自動ポップするアンデッド相手に必死にレベリングをしている名犬ポチ。

横には色々と側付きで面倒を見てもらう事になったルプスレギナがいた。

種族的には近いとかいう理由でゴリ押されたのだが、なんとなくそうなのかなと思ってしまった名犬ポチは押しに負けてルプスレギナを側に置くことにしてしまったのだ。

 

 

「あぁーっ! すいませんっす! 間違ってトドメを刺してしまったっす! 本当にごめんなさいっす! 敵が弱すぎると微調整が難しくて…!」

 

 

ペコペコと名犬ポチに謝るルプスレギナ。

実はレベリングをするにあたって、名犬ポチは弱すぎて普通に戦うと時間がかかるのでルプスレギナに瀕死に追い込んでもらってからトドメを刺すという方法を取ることにしたのだが…。

 

 

「い、いや、気にしなくていい…。普通にやってたら終わらないからな…」

 

「本当に申し訳ないっす…、次はちゃんとやるっす!」

 

 

だがその後も結構な確率でアンデッドにトドメを刺してしまうルプスレギナ。

さらには傷ついた名犬ポチに回復魔法をかけようとして周囲にいるアンデッド達まで巻き込んでしまい、一緒に滅ぼしてしまうというミスを連発する。

おかげで数日経っても遅々としてレベリングは進んでいなかった。

名犬ポチも敵が弱すぎる時の微調整は難しいよなと納得していたのだが…。

 

 

(計画通りっす…!)

 

 

見えない所でルプスレギナは邪悪に笑っていた。

 

 

(ふっふっふ、名犬ポチ様と二人っきりで特訓…! こんな蜜月の時をそう易々と手放すわけにはいかないっすからねー! 強くなんてならなくていいっす! そうすれば私が側で名犬ポチ様の身をずっと守れるっすからね!)

 

 

主の目的を違えてしまうような不敬の極みとも言うべき考えを抱きながら名犬ポチの足を引っ張るルプスレギナ。

ここまで来ると、多分普通に名犬ポチ一人で頑張っていた方がマシであった。

そんなこととは露知らず必死に頑張る名犬ポチ。

 

だがその時、ユリがクレマンティーヌを連れて現れた。

 

 

「名犬ポチ様はあそこにおられます」

 

「あ、ホントだ! ユリさんわざわざありがとねー!」

 

「いいえ、私も第1階層に用がありましたから。そのついでです」

 

 

クレマンティーヌを届けた後、仕事に戻ろうとしたユリだがルプスレギナの違和感に気付いてしまう。

 

笑顔で名犬ポチの元へ走っていくクレマンティーヌ。

 

 

「神様来たよーっ! 用事ってなーにー?」

 

 

蜜月の時を邪魔されムッとするルプスレギナ。

だがどうやら名犬ポチが呼んでいたらしいので文句は我慢する。

 

 

「おぉ来たかクレマンティーヌ。いやお前って人間とか追い込むの得意だよな?」

 

「うん。何々? 誰か追い込むような奴いるの?」

 

 

キラキラとした瞳で名犬ポチの次の言葉を待つクレマンティーヌ。

 

 

「あ、いや、そういうわけじゃないんだが…。それってアンデッドでも出来るのかなって。ちょっとそこの奴を瀕死にしてみてよ」

 

「? りょーかい。やってみるね」

 

 

そうして近くにいたアンデッドを瀕死まで弱らせるクレマンティーヌ。

 

 

「おー! すげぇ! お前やっぱこういうの得意なのな!」

 

「えへへ…。人間とはちょっと違うけどそこまで難しくないかなー。こんだけ弱かったらメイスじゃなくてもいけるしねー」

 

 

得意げにスティレットを手の上でくるくると回しながらクレマンティーヌが笑う。

話の流れに嫌なものを感じるルプスレギナ。

恐る恐る名犬ポチへと声をかけるが返ってきたのは無情な一言。

 

 

「あー、ルプスレギナご苦労だったな。お前こういうの苦手みたいだし得意な奴に頼もうかなって。レベリングの手伝いはクレマンティーヌに頼むからもういいや。違う仕事やっててくれ」

 

 

その瞬間、ルプスレギナの時間が止まる。

 

 

「え…、ちょ、ちょっと、待って欲しいっす…、そんな…」

 

「おー! 調子いいなクレマンティーヌ! 超効率いいぜ!」

 

「だんだんコツも掴めてきたし、もっと早くできるよー!」

 

 

ルプスレギナの小さな嘆きなど耳に入っていないのか名犬ポチとクレマンティーヌがキャッキャとはしゃぎながらアンデッド達を屠っていく。

まるで置いてけぼりを喰らった子供のようにルプスレギナの心を形容できない気持ちが満たしていく。

 

 

「最初からクレマンティーヌにお願いしてれば良かったなー! 最高だぜ!」

 

「えへへーっ! もっと褒めてもっと褒めてーっ!」

 

 

やがて耐えられなくなったのかルプスレギナは号泣しながら名犬ポチの足へ縋りつく。

 

 

「うぉっ! な、なんだルプスレギナ!」

 

「わ、私出来るっす! 本当はちゃんとやれるっす! やれるっすからぁ! ちょっと魔が差しただけっす! だから見捨てないで欲しいっす! お役に立てるっすから! うぇぇえぇぇん!」

 

 

名犬ポチの足を離さず必死に縋り続けるルプスレギナだが、後ろで全てを見ていたユリが首根っこを捕まえて引きはがす。

 

 

「ユ、ユリ姉…?」

 

「見てたわよルプー。貴方わざとミスしてたわね…?」

 

 

その言葉にルプスレギナの血の気が引いていく。

 

 

「至高の御方に役立つどころかまさか足を引っ張るような真似をするなんて…。気持ちは分からないでもないけどシモベとしてあるまじき態度! とても許せるものではないわ!」

 

「ひぃぃぃ、ゆ、許して欲しいっす…」

 

 

怒り心頭のユリと怯えているルプスレギナを見て、よく分からないが居た堪れなくなる名犬ポチ。

 

 

「ユ、ユリ…。べ、別に怒ってないから…。人には向き不向きあるししょうがないから…」

 

「ああ、名犬ポチ様! こんな愚妹を許して頂けるのですか…!? なんたる慈悲…! 本当に感謝します! とはいえ、ルプーの行為は姉としても許せるものではありません。一度シモベとしての性根を叩きなおさせて頂きます!」

 

「あ、あぁ。お手柔らかに、な」

 

 

良く分からないまま引き摺られていくルプスレギナを見る名犬ポチ。

その状態のまま「後生っすー」とか叫んでいるがユリに殴られて黙る。

 

姉妹も色々あるのかもしれないとか思いながら名犬ポチは見なかったことにしてレベリングに励む。

 

 

 

 

 

 

さらにまたある日。

 

一人だけ可愛がられている?クレマンティーヌにイタズラを仕掛けようと企むルプスレギナ。

通路の真ん中に転ぶようなトラップを仕掛け、クレマンティーヌが来るのを待つ。

 

しばらくしてクレマンティーヌが姿を現す。

そして見事、トラップに引っかかりド派手に転んだ。

 

 

(やったっすよ!)

 

 

物陰からガッツポーズを決めるルプスレギナ。

転んだ音を聞きつけたのか名犬ポチが現れる。

 

 

「ど、どうした!?」

 

「ご、ごめん神様…! 転んで料理こぼしちゃった…。せっかく神様がわざわざ料理長に作らせたやつだったのに…」

 

「しょうがねぇよ、気にすんな。料理長にはまた作ってもらうさ、だから…ん? なんだこれトラップ?」

 

 

ルプスレギナの罠が発見される。

 

 

「なんだこりゃ? なんでこんなものがここに…。今日この辺りの掃除はルプスレギナがやってくれてる筈なんだが…」

 

(や、やばいっす! こ、このままじゃ犯人が私だとバレて…!? て、ていうかまさか名犬ポチ様の料理を運んでいるとは…! や、やってしまったっす…!)

 

 

ガクガクと震えながらその場から立ち去ろうとするルプスレギナ。

だが何かにぶつかり尻もちをつく。

 

 

「あうっ」

 

 

顔を見上げるとそこにいたのは鬼の如き形相の長姉だった。

 

 

「ル、プ、ウゥ…!」

 

「ああっ! ユリ姉ぇっ! な、なんでここに…!?」

 

「貴方って子はどこまで…! 来なさい! どうやらキツいお仕置きが必要みたいね…!」

 

「か、勘弁して欲しいっす! 助けてくれっす~!」

 

 

ルプスレギナは再びユリに捕まれ引き摺られていく。

 

 

「ん? なんか誰かの悲鳴が聞こえたような…」

 

「ホントに? 気のせいじゃない?」

 

「気のせいかも」

 

 

ナザリックは今日も平和だ。

 

 

 

 

 

 

そこからさらにまたある日。

 

もはや我慢が出来なくなったルプスレギナは名犬ポチに直訴していた。

なぜその女をペットにしたのか。

なぜ自分ではいけないのか、と。

 

そのように名犬ポチを激しく問い詰める。

 

 

「え…? い、いや、ていうか…」

 

 

切羽詰まったようなルプスレギナの発する迫力に気圧される名犬ポチ。

そもそもクレマンティーヌがペットというのは口が滑って言ってしまっただけで特に何もない。

ペットが栄えある役職だなんて知らなかったし、そのようにも接していない。

それにNPC達が言うようなペットの定義であるならばなおさらNPC達をペットにするわけにはいかない。

 

 

(仲間の作った存在を本人がいないところでペットにするって響きだけでもやばいよなぁ…。それになんかペットということに特別な感情を抱いているみたいだしなんとしても断らないと…)

 

 

だがルプスレギナの発する迫力に名犬ポチは何も言えない。

 

 

「私なら名犬ポチ様のペットとして相応しいっす! ちゃんと役目を全うできるっす!」

 

 

もはや説得は通じない、そう悟る名犬ポチ。

だが彼は冴えている。

ここでルプスレギナを一蹴する案が浮かんだのだ。

 

 

(そうか…! ペットという役職が良いものだと錯覚しているからこういう事を言うんだ…! つまり、ペットが酷い扱いを受けると知ればそんな気も起きなくなるはず…)

 

 

そしてクレマンティーヌをこの場へと呼ぶ。

しばらくして来たクレマンティーヌに側へ来るように名犬ポチが言う。

 

 

「えっ、なになにー」

 

 

最初はにこやかだったクレマンティーヌもルプスレギナの表情を見てただ事でないことを悟る。

 

名犬ポチはクレマンティーヌに四つん這いになるように命じる。

訳も分からぬまま大人しく従うクレマンティーヌ。

 

何が起こるのかとルプスレギナもクレマンティーヌも息を呑んで名犬ポチの次なる行動を待つ。

 

 

(済まんなクレマンティーヌ、だがこうするしかないんだ…。こうすればお前を無為に妬む奴も減るだろうし、お互いにとっていい筈だ。だからすまん…、少しだけ苦痛に耐えてくれ…!)

 

 

これから行う事に罪悪感を覚えながらも名犬ポチは心を決める。

成功すればルプスレギナも変な事を言わなくなるだろう。

 

そして目を見開き作戦を開始する。

 

 

「えぇいクレマンティーヌよ! お前は本当に駄目な奴だ! こうしてやるっ! こうしてやるっ!」

 

 

そしてクレマンティーヌを罵倒しながら尻をリズミカルに叩き出す名犬ポチ。

罵声を浴びせクレマンティーヌの尊厳をこき下ろしながら次々とケツドラムを響かせていく。

 

次第にクレマンティーヌからは悲鳴が漏れ出す。

 

 

(すまん、耐えてくれクレマンティーヌ…! だがこうすれば俺のペットという役職がいかに理不尽なものであるか理解してもらえる筈だ…! どうだ、ルプスレギナよ! 俺は理由もなくペットに暴力を働くようなDV野郎なんだぜっ!? クズ野郎なんだ! ククク、どうだ…! 俺のペットになどなりたくないだろう!)

 

 

そう信じながら気分よく音を奏でていく名犬ポチ。

やがて疲れが全身にまわり、息を切らしながら名犬ポチの手が止まる。

それを見つめるルプスレギナは凍り付いたように二人を凝視していた。

 

 

「ど、どうだ…、ルプスレギナ…! これでもまだ俺のペットになりたいとか言うのか…?」

 

「…っす…」

 

「ん…?」

 

「や、やばすぎるっす! 何てプレイなんすか!? ハイレベルすぎっす! ペットだと、こ、こんなことして貰えるんすかっ!? 羨ましいっす! 私も名犬ポチ様にお尻叩かれたいっす!」

 

「な、何を言ってるルプスレギナ!? お、俺はクレマンティーヌを苦しめようと…」

 

 

ふと視線を降ろしクレマンティーヌを見る。

気付けばクレマンティーヌはだらしない顔をしてその場に力なく倒れていた。

そして、間違いなく濡れていた。

 

 

「なっ…!?」

 

 

低レベルでその一撃に力はないとはいえ、肉球による状態異常は未だ健在である。

そんなこととは知らず、ただただ唖然とする名犬ポチ。

 

 

(し、しまったっ! ク、クレマンティーヌッ! こいつはあの闇深き法国出身であのクアイエッセを兄に持つ奴だったっ…! わ、忘れていたよ…、お前がどれだけやばい奴かってことをな!)

 

 

クレマンティーヌへの警戒レベルを一気に引き上げる名犬ポチ。

そして収拾のつかなくなったその場を後にし、必死で逃げ出す。

途中でユリに助けを求め事なきを得ることには成功した。

それ以降、ルプスレギナが直接ペットにしてくれと言う事はなくなったので一安心であった。

ただ、副作用としてクレマンティーヌに暴力をねだられるようになってしまったが。

 

しかも後日、なぜか名犬ポチのペットを希望するシモベが急増したという。

噂によるとルプスレギナが色々と吹聴しているようだが真実は風の中だ。

分かっているのはより被害が大きくなったということだけ。

人生とはままならない。

 

 

~ルプスレギナ物語~ 完

 

 

 

 

 

 

閑話休題。

 

 

帝国に戻ったアルシェは仲間のイミーナやヘッケラン、ロバーデイクと共に再びフォーサイトとして活動していた。

だがワーカーとしてではない。

今や冒険者ギルドやワーカー達はナザリックにより統合された。

かつてワーカー達が行っていた非合法な依頼や取引等も無くなってきていた。

全てが適正に判断され、運営されている。

また今までともその在り方は変わってきていた。

警護や討伐等のような戦いを主とするよりも、まだ開拓されていない土地の探索など、未知を既知とする為の本来の意味での冒険者としての側面が強くなってきていた。

 

そしてフォーサイトも帝国領内にある山岳地帯の探索に向かっていた。

大まかには判明しているが細かいところまでは手が届いていなかった。

今後の開拓予定もある為、より詳しく調査する仕事だ。

あの一件以来、チームぐるみで仲が良くなったヘビーマッシャーやグリーンリーフと共に。

 

だが天武だけは帰って来なかった。

 

聞くところによるとチームメンバーであったエルフ達は祖国に帰ることは出来たらしいが肝心のリーダーだけはどうなったのかわからないらしい。

ちなみに王国でも悪名高い貴族や犯罪組織等は誰も姿を見ていないらしい。

アルシェがナザリックの関係者にそのことを尋ねたところ、結局の所は神様しか知らないらしいがあれは心の汚い者は生き返れない可能性があるという。

それを聞いたヘビーマッシャーやグリーンリーフの者達は納得という風な反応をしていた。

それはアルシェ達フォーサイトも同様だった。

だからこそ思う。

神の統治という新しい世界が始まったからこそ、今までよりも真っ当に生きなければならないと。

 

 

早朝、数日もの仕事から家に帰ったアルシェをウレイリカとクーデリカ、そして一緒に住むことになったルベドが出迎える。

 

 

「あー! 姉さまが帰ってきた!」

 

「姉さまお帰りー!」

 

「…アルシェおかえり」

 

「うん、皆ただいま…!」

 

 

奥では母親と父親がにこやかにそれを見ている。

アルシェの家は何もかも変わった。

 

かつて鮮血帝の手により貴族の位を剥奪されたフルト家。

両親、特に父親は現実を直視できず貴族への返り咲きを夢見て浪費生活を続け借金に借金を重ねていた。

その借金を返済する為に、全ての夢を捨てワーカーとなったアルシェ。

近い内に妹を連れて家を出ようとも考えていた。

だがそんな矢先に起きたのが例の事件だ。

ナザリックへと侵入し、全員が捕まった。

フォーサイトだけはルベドと遭遇した為、再び生きて出ることに成功した。

そんな時に妹達は借金のカタに王国へと売られ、ルベドのおかげで助ける事が出来たがその事件でフォーサイトは全滅した。

神の奇跡により再び蘇ったフォーサイトの面々。

帝国に帰ってくるとアルシェの両親は以前とは比べ物にならない程やつれていた。

金が無かったせいもあるのだろうが、両親は妹達を売ったことを後悔していると嘆いていた。

ずっと許せないと思っていた。

でもずっとズルズルと借金返済の為に両親に尽くしてきた。

結局は家族を愛していたのだ。

どれだけ憎んでも、どれだけ恨んでも、やはり見捨てられなかった。

それに妹達は自分が売られたにも関わらず両親を責めなかった。

だからアルシェは両親の助けに応じ、もう一度やり直す気になったのだ。

人に言えば甘いと笑われ馬鹿にされるだろう、でもそれでいい。

それがアルシェなのだから。

どれだけ救いようがない人間でもアルシェにとっては大事な肉親だ。

見捨てる事なんて出来ない。

 

だが、結果としては思っていたものとは全く違っていた。

パンドラズ・アクターと呼ばれていた神の腹心のような人がこの家を訪ねた。

その際、両親と3人だけで数時間を話し込んでいた。

どんな話が為されたのかアルシェには分からない。

だがどんな話でもいい。

もう、以前の父とは明らかに違うのだから。

 

 

「アルシェおかえり。疲れたろう、食事前に風呂に入ってきなさい」

 

「ありがとう父さん。まだ信じられないわ、あの父さんがこんな事を言うなんて…」

 

「ははは、昔の事は本当に悪かったと思っているよ。でもね、私は変わったんだ」

 

 

そうアルシェの父は変わった。

お金に全くと言っていい程、頓着しなくなった。

むしろそれどころか。

 

 

「今日も神へ仕える民としての大いなる義務を果たしてきたのだ…! 稼いだ金のほとんどを寄付してきた…! ふふ、帝国内でも私ほど寄付をしている人間はいないだろう…!」

 

「アルシェからもお父さんに言ってあげて。この人、お金があればすぐ寄付しちゃうんだから」

 

「何を言っている、神に仕える民として当然のことだ。ノブレス・オブリージュ。高貴な者ほどその務めを果たさねばな。なに、生活費は十分に残してあるだろう?」

 

 

アルシェの父は生まれ変わったかのように仕事を始め、多額の金を稼ぐようになった。

だがそのほとんどは寄付として神に捧げている。

ちなみにアルシェの稼いだお金には一切手を出さない。

自分で稼いだ金で寄付しなければ意味が無いらしい。

屋敷は変わらぬまま同じ場所に住んでいるが家の中は質素になった。

派手な服も着なくなったし、美術品などにも手を出さなくなった。

だが貴族のような贅沢はしていないと言っても十分すぎる程いい暮らしをしている。

ジャイムス達使用人への給金もキチンと支払っているし、以前の使用人も戻ってきた。

何より、家族と接する時間が増えた。

人としてこれ以上ない生活を送れるようになったのだ。

 

それを思うと今までの全ての苦労が嘘のようだ。

 

父も母も妹達も使用人も皆が屈託なく笑い会える日々を手に入れることが出来たのだ。

きっとこれ以上の幸せはないだろう。

多分、全部ルベドのおかげだ。

彼女と出会ってから全てが変わった。

 

 

「姉さま私も一緒に入るー!」

 

「ほらルベドちゃんも一緒に入ろ!」

 

 

ウレイリカとクーデリカがルベドを連れて風呂場へと走っていく。

 

 

「やれやれ…。よっぽどアルシェが待ち遠しかったと見える。ほら、妹達もああ言ってるんだ、行ってやりなさい」

 

「うん…」

 

 

そしてアルシェも風呂場へと向かう。

 

そこでは妹達と共に笑うルベドの姿があった。

機械でも、いや何であろうとアルシェはルベドが生きていると信じている。

目の前にいる少女は、機械だと信じられない程に生き生きとしているのだから。

 

 

「ルベド嬉しそうだね?」

 

「うん、今日はねネムが遊びに来るの。ウレイリカとクーデリカと一緒に4人でピクニックに行こうって話をしてたの。ね、アルシェも行くでしょ」

 

「うん、いいよ。行こう」

 

「良かった、嬉しい」

 

 

アルシェにぎゅっと抱き着くルベド。

 

その時ふと、ナザリックからルベドと共に出た時の事を思い出す。

ロバーデイクの肩に乗り、彼の手作りの風車を振り回すその姿はただの子供にしか見えなかった。

今もそうだ。

 

ルベドはやっぱり、ただの子供だ。

 

 

 

 

 

 

ナザリックのBARでデミウルゴスとパンドラズ・アクターが酒を飲んでいた。

 

 

「素晴らしいですねパンドラズ・アクター。どのようにして帝国の収益をここまで劇的に上げたのですか?」

 

「何、全ては名犬ポチ様のお導き。アルシェという少女の事を任されただけです」

 

「ほう、それがどのような関係が?」

 

「色々と問題はあるだろうが目をかけてやって欲しい、と言われました。家庭を見てその深遠なるお考えを察しましたよ。あの家庭を解決する、それこそが帝国全てを導く鍵だったのです!」

 

 

そうしてパンドラズ・アクターはその時の事を思い返す。

 

アルシェ宅にて。

 

 

『初めまして私パンドラズ・アクターと申します。この度は娘さんに世話になったのでそのご挨拶をと』

 

『い、いえそのようにかしこまらずに! 神に仕える御方においで頂けるとはこの上ない栄誉! こちらこそ申し訳ありません! す、少し家の中が散らかっていますが、こ、これは、その…』

 

『いいえ、お構いなく。少し調べさせて頂きました。フルト家、鮮血帝の手により取り潰されたとか…』

 

『…! い、今だけです! す、すぐにでも貴族の位など…!』

 

『皆まで仰らずとも大丈夫、全て承知しておりますとも。貴方は偉大だ。貴方の力を恐れたからこそ鮮血帝はお家を取り潰されたのでしょうな…』

 

『…っ!』

 

『でもだからこそ、帝国の栄華は終わるとも言えます。貴方のような人物を放逐してしまうことは帝国にとってこれ以上ない不利益。そのツケが回ってきたのでしょう…』

 

『そ、そうかもしれないですな…! そこまで言って頂けると少々面映ゆいですが…』

 

『いいえ! ちっともです! 貴方は恐らく自分の偉大さをまだ理解していない! 貴方は自分が思う以上に大きく気高い人物なのです!』

 

『わ、私が…?』

 

『そうですとも! 貴族という位ですら貴方には小さすぎた! もはやその位に拘ることなど無意味! ご自分の価値を下げるだけです! 貴方を理解できない者の為にこれ以上苦労される必要などありません!』

 

『お、おお…! た、確かに…! 貴方の仰る通りかもしれない…!』

 

『私は、神に仕えるこの私は! 貴方を誰よりも評価している…! そして! 帝国を導く為には誰よりも貴方の力が必要です…! さぁこの手を取って下さい…! 共に神へ仕えるのです…! 貴方がこの国で神の一番の理解者となり民を導くのです! 他の誰にも出来ない! 貴方にしか! 偉大なる貴方にしか出来ないのです!』

 

『わ、私にしか出来ない…?』

 

『神に仕える栄誉…。これ以上のものがどこにありますか? ましてや貴方は神に選ばれた人間なのですよ』

 

『か、神に…? こ、この私が…?』

 

『その通り。今回はそんな貴方にお願いがあってきました。貴方の娘のアルシェ嬢…。貴方に似て偉大で聡明だ…。親子としてぶつかったことはあるでしょうがそんなものはどこにでもあることです。大事なのは貴方の娘が貴方のように素晴らしい人物として育ったということです。疑いようもなく貴方のおかげですよ』

 

『お、親の私から見たらまだまだですが、そう言って頂けると嬉しいですな…』

 

『いえいえとんでもない。しかしだからこそ貴方達親子にお願いがあるのです! この度、ルベドという少女を連れてきました。これは神の大事な娘の一人です』

 

『か、神の…!?』

 

『特別な事は必要ありません。彼女を普通の人間と同じように育てて欲しいのです。どうやらアルシェ嬢になついているようでしてね。神もそれを望んでいます。貴方になら託せる、と。普通の人間として普通の暮らしをし、普通の目線で物事を考えて欲しいとのことです。とはいえ、ただの人間にそんな事を任せられるはずがない…。分かりますね? 世界でただ一人ですよ、神が娘を託そうとお考えになったのは…』

 

『…っっっ!!!!』

 

 

かつての出来事をデミウルゴスへと語るパンドラズ・アクター。

 

 

「そして後は時間をかけて神に仕える身として、神に金をより多く献上することこそが最も偉大で尊い行為なのだと刷り込ませ信じさせるだけです。実際にルベドがいますからね、フルト家が神にとっても特別であるという何よりの証明になります。我々ナザリックがその父親を肯定し仕事を与え、盛り立てていけば他の者達もそれに続く。やがて貴族などという人の決めた地位になど価値は無くなります…! 全ては神を中心に世界は動くのですからね…!」

 

「なるほど…。1割程の徴収のみでやっていくのだとばかり考えていましたが人間が自発的に金を出すのであれば名犬ポチ様の甘い毒を仕込むという狙いと何ら矛盾しない…! 甘い毒を仕込みつつ、人間の意識を根底から覆す…、これこそが真の狙い…」

 

 

名犬ポチのさらなる考えに触れデミウルゴスの背筋が震える。

 

 

「名犬ポチ様…、なんという御方だ…。思い返せばアルベドに命を狙われながらも各地で民を助け竜王国の王女の始原の魔法(ワイルドマジック)の贄としていたかと思えばそれすらもブラフ…。なるほど…、最初の最初からここまで読み切っておられたのか…。そして最後のダメ押しであの大魔法…。もはや人間達の支配など赤子の手を捻るより簡単…。全ては名犬ポチ様の掌の上だったということですね…」

 

 

最初から考え直せば名犬ポチの行動に一切の無駄はない。

始原の魔法(ワイルドマジック)に釣られアルベドは動いた。

その命さえ刈り取られることまで全て計算通り。

現地での行動は全て人心を掴むため。

最初からナザリックの被害が甚大だと判断し、それを補填する為の布石を打っていたに過ぎないのだとデミウルゴスは悟る。

事実、全てが名犬ポチの望む通り上手くいっている。

 

 

「本当に恐ろしい御方だ…! ど、どうやったらここまで読み切れるのか…」

 

 

グラスを持つデミウルゴスの手が震える。

それを見たパンドラズ・アクターがグラスを回しながら語り掛ける。

 

 

「便宜上、人間の前では神と呼んでいますが本来はそれよりも高き御方…。その智謀は計り知れない…! そんな御方に仕えられる名誉…! あぁ! 私達は誰よりも幸せ者だ! そうは思いませんかデミウルゴス殿」

 

「そうだね、パンドラズ・アクター」

 

 

グラスとグラスを重ね、二人は酒を飲み干す。

これから二人には多大な仕事が待っている。

 

そのことにこれ以上ない幸福を感じながら二人は酒を飲む。

 

 

 

 

 

 

ナザリック、玉座の間。

 

今日は守護者達が名犬ポチへ現地の状況を報告する日であった。

 

 

「名犬ポチ様、私より現在の状況を報告したいと思います」

 

 

守護者の中からデミウルゴスが一歩前に出る。

 

 

「まずは王国ですが、王家の力が弱く貴族の大多数をも排除した為、国として動かすには少々心もとない状況でありました。そこで実験の一つとして王制を撤廃。貴族としての地位も全て無くし、全ての人間を平等としました。国を治めるのは数年毎に民達の選挙で決められた者。今回は多くの人々の支持があったラナー元王女が国家元首としてその地位を担う事となりました。今の所、国としての成果は上々。ラナー元王女はかなり話が分かる方なのでナザリックとしても王国は何ら問題はないかと」

 

「素晴らしいじゃないか」

 

 

本当はよくわからないが分かった風な顔をする名犬ポチ。

 

 

 

 

「ありがとうございます!」

 

 

心底嬉しそうにデミウルゴスが笑う。

 

 

「続いて帝国ですが、まずは傘下に収まる条件として名犬ポチ様の仰った額を徴収しています。旗本としたマーレに国の重鎮であるフールーダが傾倒している為、ジルクニフ皇帝の統治は確実にその勢いを失いつつあります。国が完全にナザリックの手に落ちるのはそう遠くないでしょう。そしてパンドラズ・アクターのおかげで新しい徴収の仕方を得ることにも成功しました。これは他国でも同様に行えると思いますのでこれから徐々に浸透させていく予定です」

 

「流石だなパンドラズ・アクター!」

 

「お褒めに与りまことに光栄の至りィィン!」

 

(俺、お前のこと好きだわ)

 

 

感動に打ち震えるパンドラズ・アクターと本心から褒めちぎる名犬ポチ。

 

 

「スレイン法国は名犬ポチ様のシモベが上手くやっているようです。心配はいらないでしょう。そしてアーグランド評議国。こちらも件のドラゴンがいますがシャルティアとパンドラズ・アクターの説得に応じ、ナザリックの傘下へと収まることに了承しました。もちろん対価として国の復興、そして物品や食料の提供を十分に行っております。数年で元は取れるかと。ちなみにその際にですが世界盟約とやらは全て白紙にすることを誓わせました。何より一度は死んだ身、滅んだ国です。これからはナザリックがその役目を担うということで締結しました」

 

「いいぞシャルティア…」

 

「なんと勿体ないお言葉…!」

 

 

頬を紅潮させ喜ぶシャルティアだが実際の成果のほとんどはパンドラズ・アクターのおかげである。

とはいえ途中から全然頭に入って来ない名犬ポチ。

次第に頷くだけの機械になっていく。

 

 

「次にエルフ国ですがすでにアウラに忠誠を誓っており、すでに完全にナザリックの支配に入っております。現地では竜王国に続き、もっとも迅速にいった国かと」

 

「アウラやるじゃん」

 

「あ、ありがとうございますっ!」

 

 

感激の余り瞳を潤ませるアウラ。

 

 

「聖王国は今回の騒動とは最も縁遠く、アルベドに滅ぼされただけで詳しい話は上がっていません。まずは復興を手伝い、それからどうしていくかを考慮したいと考えております」

 

「よきにはからえ」

 

 

すでに名犬ポチの目は死んでいる。

 

 

「そして他ですが、まずはクアゴア達。彼等はその数が多く、また地下を得意とする性質から各国を繋ぐ地下道の建設を進めております。人を乗せるのには適しませんが、将来的には各国からの物資の移動がトロッコ等で非常にスムーズに行えるようになると考えております。そして霜の竜(フロストドラゴン)はシャルティアの支配下の元、物資の輸送や運搬等を行う仕事についております。霜の巨人(フロストジャイアント)はマーレの元で各国で復興の為に力を奮っています。そして名犬ポチ様が眷属とした獣王ですが、各国に配下の犬を1、2万ずつ送り込むことにより、犬達からの情報をまとめ上げ治安等の管理も行っております。人間の手伝いやその癒しともなることで、すでにほとんどの人間達は犬達に気を許しているようです。犬達が人間にとってなくてはならない存在になるのもそう遠くないかと…」

 

「うんおっけー」

 

 

もはや無心の域に達しはじめた名犬ポチ。

あまり難しい話を彼にしてはいけない。

 

 

「そしてエ・ランテルに作った孤児院の評判は良いようです。世界の孤児を集めたそれは、民達はもちろん、各国からも賞賛の声が上がってきております。院長を務めるユリによると子供達の教育は非常に上手くいっているようで将来ナザリックの役に立つ人材は順調に育っているとのこと。そして各国に設立した病院によって怪我人や病人の回復も問題なくいっています。責任者のペストーニャ曰く現在は問題らしい問題はないと」

 

「ほーん」

 

 

返事が適当なのを責めてはいけない。

 

 

「最後になりますが、復活した魔樹はセバスが討伐しました。この事で森一帯の支配も容易に行うことに成功しております。森を支配していたモンスター達もナザリックに恭順を示しています。それとコキュートスですがリザードマンの管理と共に、各地で事故等に見舞われ亡くなってしまった獣王の配下の蘇生を担当しています。レベル的にもまず死ぬことはないのでまだ3回程しか蘇生には至っていませんがコキュートスのその戦闘力を必要とする瞬間は今のところなさそうなので心配はないかと」

 

「……終わった?」

 

「はい! 以上です!」

 

「うむ! 上々の成果で嬉しいぞ! じゃあそんな感じでこれからも頼むな!」

 

「「「はっ!」」」

 

 

満足気な守護者達が順番に退室していく。

 

やがて誰もいなくなった玉座の間で名犬ポチはその玉座に座る仲間へと視線を移す。

 

そこに座るオーバーロードは未だ目を覚まさない。

 

 

「聞いたかモモンガさん、皆が作ったNPC達はこんなに良く働いてくれてるぞ…」

 

 

眠るモモンガへと歩み寄り顔を上げる名犬ポチ。

 

 

「凄いよな…、あいつら見てると皆を思い出すよ。セバスなんてたまにたっちさんかと思うくらい気配が似ている時あるし、アウラやマーレを見てると茶釜さんが動いてるこの二人見たら喜ぶだろうなとか考えちゃうしよ…。デミウルゴスだってウルベルトさんかよ!って突っ込みたくなるくらい考えが似てる時あるし…、シャルティアはペロロンチーノさんの願望全盛りだし…」

 

 

名犬ポチの言葉に反応する者は誰もおらず、ただ虚しく響く。

 

 

「パンドラズ・アクターなんて凄ぇよ! モモンガさんが作っただけあってその一挙一動が最高だしよ! あいつ見てるとつらいことなんて吹っ飛んじまうんだ! モモンガさんにも見せてやりたいよ! 絶対喜ぶぜ! だってあんなにカッコイイんだからな!」

 

 

だがモモンガは相変わらず眠ったままだ。

 

 

「なぁ、モモンガさん…。まだ起きないのか…? 俺モモンガさんに見せたいものや話したいこと沢山あるんだ…。アルベドだってモモンガさんが起きなきゃ決められねぇよ、あいつらめっちゃ怒ってるけど俺だけで勝手にNPCのこと決める訳にも行かないからさ、だから早く起きてくれよ…」

 

 

モモンガは本当に起きるのだろうか。

それは名犬ポチが毎日考える事だ。

もしかしたらもう起きることはないのかもしれない。

そんな考えが時たま脳裏に浮かぶが名犬ポチは必死に振り払う。

 

 

「モモンガさん…、ここは楽しいよ…。NPC達が面倒見てくれるし、現地の人間達だって苦しめることに成功してるんだ! 良い事だらけさ! どうしてこんなことになったか分からないけど俺はこの世界に転移してきて良かったと思ってるよ…! でもさ…」

 

 

名犬ポチの目から一粒の涙が零れる。

 

 

「なんでだろうな…? 悪くない毎日なのに…、それなのに…、寂しいんだ…」

 

 

眠るモモンガの膝の上に飛び乗り体を揺する名犬ポチ。

 

 

「なぁ起きてくれよ! どんだけ不自由しなくても! どんだけ楽しくても! モモンガさんがいないと全部色褪せちまうんだよ…」

 

 

そのまま膝の上で必死にモモンガに呼びかけ、声を上げる名犬ポチ。

だがやはりモモンガは何も答えてくれない。

やがて叫び疲れた名犬ポチはモモンガの膝の上で眠ってしまった。

 

 

 

 

 

 

何時間経っただろう。

 

名犬ポチは未だモモンガの膝の上で眠っている。

 

シモベの立ち入りも許可が無い限り許していない。

 

そんな場所だから今ここにいるのは寝ている名犬ポチのみ。

 

だから誰も気づかなかった。

 

 

 

モモンガの眼窩に薄っすらと光が灯り――

 

 

 




次回『エピローグ』たぶん最終回。


前話数も含め、1話として当初は考えていたのですがやはり登場人物が多すぎて全然でした。
今回も予定の倍の文量となってしまいましたし…(途中の小話を入れなければもうちょっと減らせた…?)

何はともあれ無事に終わりそうです。

やっとあの人が動くみたいですよ。


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エピローグ:前編

前回までのあらすじ!


なんやかんやありながも楽しくやってる名犬ポチ!
そしてあの人が…!


それは夢の中。

 

モモンガはかつての仲間達と共に冒険していた。

現実から逃げ、全てを忘れ夢の中に逃避したモモンガはアインズ・ウール・ゴウン全盛の時代のように皆と力を合わせ、敵を倒し、ダンジョンを攻略していく。

最初は楽しかった。

仲間がいて、何よりも大事なあの日々がずっと続くのだから。

だが栄光の日々は繰り返し何度でも巡る。

擦り切れそうな程、繰り返し再現される日々。

所詮は頭で見るモモンガ個人の夢に過ぎない。

知らない事は想像出来ないし思い描けない。

夢の中で見れるのは知っている仲間の姿だけ。

何度も見て聞いた記憶の再現に過ぎないのだ。

モモンガの知らない一面や態度を新たに見せることもなければ、予期せぬ動きなんてする筈もない。

全ては予定調和。

胸の奥でそのことに気付きだしても必死に否定する。

モモンガにはもうここしか残されていないのだから。

どれだけ飽いても思い出と共に腐るしかできない。

 

ただ時折、遥か遠くからモモンガを呼ぶ声が聞こえる気がする。

その声に感じるものはあるが、答える気にはなれない。

ただの空耳で、この声の先に何も無かったらと考えると震えが走る。

もう何も失いたくない。

だからずっとここにいる。

ここにいればもう何も失うことなんてないのだから。

そうして今日も自分を騙して予定調和の冒険を続けようとするモモンガ。

だがこの日だけはいつもと違った。

おもむろに白銀の騎士がモモンガの前に立つ。

 

 

「たっち…さん…?」

 

 

その白銀の騎士は声のする方を黙って指差す。

再び遠くからモモンガを呼ぶ声が聞こえてくる。

小さくて聞き取りづらいが確かに呼ばれている。

 

次第にモモンガと白銀の騎士の周りにも他の仲間が集まってくる。

邪悪な羊頭の男、水死体にタコのような頭、ピンクの肉棒、そしてバードマン等。

彼等が何を言わんとしているかもうモモンガには分かっている。

だって彼等はモモンガが作り出した幻影なのだから。

 

 

「分かってますよ…、でも俺怖いんです…。もしこの声の先に誰もいなかったら…」

 

 

きっとモモンガは壊れてしまう。

それが怖くて、恐ろしくてずっと聞こえない振りをしていた。

現実なんてつらいだけだ。

それならば夢の中で浸っている方がマシなのだ。

 

 

「誰かが困っていたら助けるのは当たり前」

 

 

白銀の騎士が口を開く。

反射的に顔を上げるモモンガ。

それは心の中で何度も反芻された思い出深い言葉だ。

そしてふと思う。

きっとたっちさんなら誰かの声が聞こえたら放っておくなんて決してしないだろうなと。

ましてや、それが仲間の声ならなおさらだ。

モモンガの想いに呼応するかのように仲間達の姿が細かい粒子の粒となり周囲に散っていく。

その中から一匹の子犬が飛び出しモモンガに声をかける。

 

 

「また俺と一緒に遊ぼうぜ」

 

 

それはナザリック最終日、彼と交わした最後の会話の一文だ。

言い終わるや否やその子犬も粒子の粒となり掻き消えた。

それを名残惜し気に見つめるモモンガ。

そこにはもう誰もいない。

一人ぼっちだ。

空虚と絶望感がモモンガを苛む。

 

だが妙な温かみを体に感じる。

まるで誰かに触れられているような、そんな感覚。

その感覚がモモンガに勇気を与えてくれた。

しばらくして決心がついたのか仲間達がいた場所に背を向け歩き出すモモンガ。

もしかすると誰もいないかもしれない。

だが、いるかもしれない。

夢の中で願望を夢想する日々に綻びも生まれてきていた。

どちらにせよ、これがモモンガの限界点だったのかもしれない。

どんな現実が待っていようと受け止めるべきだろう。

そうしなければ前に進むことはできない、仲間にも笑われてしまうだろう。

少しでいいのだ。

少しでいいから仲間には自分のことを誇りに思って欲しいのだ。

だから仲間には誇って貰える自分であるべきだろう。

 

だってモモンガはアインズ・ウール・ゴウンのギルド長なのだから。

 

 

 

 

 

 

夢から覚めたモモンガの視界に景色が映る。

 

そこはナザリック地下大墳墓の玉座の間。

モモンガが夢に落ちた時と変わらぬままだ。

周囲には誰もおらず、待機させていたと記憶しているセバスやプレアデス、そしてアルベドもいない。

NPCすら周りにいないのかと自嘲気味に笑うモモンガ。

だが妙な音が聞こえることに気付く。

どこからだろうか。

必死にそれを探すがどこにも見当たらない。

やがて音の発生場所に気付く。

それはモモンガの膝の上だった。

 

 

「う~ん、むにゃむにゃ骨うめぇ…」

 

 

子犬がめっちゃモモンガの身体をしゃぶっていた。

 

 

「うわぁぁあぁぁぁぁっ!」

 

 

突然の事に理解が追い付かず奇声を上げ、椅子から転げ落ちるモモンガ。

だがその子犬はモモンガの身体から離れない。

むしろ寝ぼけたまま服の中に入り込んでくる始末。

何が何だが分からないモモンガはただバタバタと暴れるしか出来ない。

 

 

「し、失礼致しますっ!」

 

 

モモンガの叫び声を聞きつけたのか近くに待機していたナーベラルが玉座の間に押し入ってくる。

動いているモモンガの姿を確認するや否やその瞳に涙が溢れ、歓喜に震えそうになる。

だが。

 

 

「あ…! お、お楽しみ中だったとは…! も、申し訳ありませんっ!」

 

 

なぜが平謝りで玉座の間を後にするナーベラル。

モモンガも咄嗟のことでナーベラルがどうして動いているのか、そもそもなぜすぐに出ていったのか判断が出来なかった。

しかし自分の身体を見てすぐに悟る。

 

子犬によって体中が舐め尽くされ、服もはだけている。

確実にいかがわしい行為をしていたとしか思えない状況だった。

 

 

「ま、待って! ねぇ! 本当に待って!?」

 

 

だがモモンガの叫びにナーベラルが戻ってくる事は無かった。

しばらくしてナザリックのシモベ達が玉座の間へと集まり、モモンガの姿を見るなり狂喜乱舞する。

現在の状況を何も飲み込めないモモンガはただただ唖然としていた。

ただモモンガの上でその身体をしゃぶり尽くさんばかりに舌を這わせている子犬がだけ呆けた事をぬかしていた。

 

 

「ふへへ、最高だぜこいつぁよぉ…」

 

 

 

 

 

 

「何むくれてんだよモモンガさん」

 

「べ、別にむくれてないですよっ! ただポチさんがあんな事する人だなんて思いませんでした! 最低です! 軽蔑しますよ!」

 

「おいおい冗談キツいぜ? 俺が何したって言うんだよ?」

 

「ひぃっ! 来ないでケダモノッ!」

 

 

精神の鎮静化が起き、冷静になるモモンガ。

目覚めてからもう何度目のことかわからない。

とりあえず分かったのは自分の身体がアンデッドとして機能しているということだ。

 

円卓の間で二人きりで事情を説明していた名犬ポチは疑問に思っていた。

なぜだろうか。

目覚めてからモモンガの態度がやけによそよそしいのだ。

近づこうとするとこのように拒否感を露わにしてくる。

照れているのか?

なぜか目覚めた時も全身びっしょりだったし、悪夢でも見ていたのだろうかと察する名犬ポチ。

そもそもアンデッドが汗などかくわけないのだがそこには気づかない。

 

 

「まぁ起きたばかりで理解が追い付かないってのは分かるよ、俺も最初はそうだった…」

 

「いや、そういう事じゃないんですが…」

 

 

だがモモンガの声は名犬ポチには届かない。

名犬ポチは勝手に納得したのか、うんうんと頷いている。

諦めて話の続きを始めるモモンガ。

 

 

「でも信じられませんよ…、まさか異世界に来てしまったなんて…。それにNPC達も…あんな…」

 

「そうだな…」

 

 

そしてモモンガへ自分の見た事、聞いた事、そして自分の知りうる限りの情報、現在のナザリックの状況を説明し終わる名犬ポチ。

今考えねばならないのはこれからの事だ。

現実世界へ帰る方法も分からない。

ならばどうやってここで生きていくのか、どのようにNPC達と付き合っていくのか。

 

 

「なぁ、モモンガさん。リアルに帰りたいか…?」

 

「……。どうでしょう、すぐには何とも言えません…。でも、リアルに未練は無いですよ」

 

 

突然のことにまだ理解が追い付いていないのは事実だ。

とはいえ、もうモモンガには両親もいない。

気の許せる友人だっていない、ここ以外には。

リアルにはモモンガが執着するべきものは何も残されていない。

 

 

「ポチさんはどうなんですか…?」

 

「俺も最初は戸惑ったけどな。でもここはいいよ、好き勝手できるし。それにモモンガさんには言ってなかったけど俺も家族はもういないんだ。俺はリアルよりここがいい。だって何より、ここにはナザリックがあるしな!」

 

「ポチさん…」

 

 

名犬ポチの言葉を聞いてモモンガも同感だと思う。

そうだ、ここにはナザリックがある。

仲間達と作った大事な場所だ。

 

 

「行きましょうか」

 

「ん?」

 

「NPC達が待っているんでしょう? 上位者として振舞わなければなりませんしね」

 

「あ、あぁ…! そうだな!」

 

「全く、本気で支配者ロールをやる時が来るとは思ってもいませんでしたよ…」

 

「ははは! なんかわかんねぇけど俺達、至高の41人とかって呼ばれてるしな! モモンガさんはそのまとめ役だから余計にハードル高いぜ!」

 

「ちょ、やめて下さいよ、あ、なんか緊張してきた…」

 

 

再び精神の鎮静化が起きるモモンガ。

 

 

「ていうか俺の寝てる間に世界征服とか何やってんですかポチさん」

 

「ち、違うって! だ、だからさっき言った通りだな、その、ナザリックの損失分を補填する為に…! わ、悪かったよ…! モモンガさんが寝てる間にナザリックをボロボロにしちまって…。金貨もめっちゃ使っちゃったし…」

 

 

慌てふためいて名犬ポチが弁解する。

 

 

「別にポチさんのせいじゃないでしょう? NPC達がそう動いたって事は皆がそうあれと作っていたということかもしれないですし。だからポチさんが気に病む事なんて何もありません。むしろありがとうございました、俺がいない間にナザリックを支えてくれて」

 

「モ、モモンガさん…!」

 

 

嬉しさのあまりモモンガに飛びつこうとする名犬ポチ。

だがそれを見たモモンガの顔は恐怖に染まり、尻もちをついて後ずさっていく。

 

 

「や、やめて! 来ないで下さい! お願いだから!」

 

「フフ、シャイな野郎だぜ…」

 

 

再び精神の鎮静化が起きるモモンガ。

もしこれがなければ今頃どうなっていたか分からない。

 

 

「とはいえポチさん…。まだ話を聞いただけで詳しい事は分かってませんが、各国の扱い…。あれ本気で言ってるんですか?」

 

「そうだぜ…? どうした、流石のモモンガさんもビビっちまったか? 悪いがこの世界に来てから精神が肉体に引っ張られてるんだ…。生ある者を苦しめないと駄目な体になっちまったんだよ…。フフフ、もっと苦しめてやるぞ…!」

 

「いえ、ポチさんがそう信じてるならそれでいいですけど…」

 

 

名犬ポチの行っている冗談みたいな支配を聞いていたモモンガは呆れる。

あんな善政、恐らくリアルでは有史以来一度もないだろう。

もう本人が満足しているならいいか、と思う。

名犬ポチは昔から驚く程ポンコツだったのだ。

今更こんなことがあっても驚かない。

 

 

「行こうぜモモンガさん」

 

「ええ、ポチさん」

 

 

二人は円卓の間を後にする。

今は少しだけ物理的な距離があるがきっと時間が解決してくれる。

多分。

 

 

 

 

 

 

玉座の間。

その最奥たる玉座にモモンガが座り、その足元に名犬ポチがちょこんと座っている。

 

眼下に広がるはナザリックのシモベ達。

守護者にプレアデス、一般メイド等、ギルドメンバーがその手で創造した者達は一部を除き全てここに揃っている。

さらに後ろを埋めるのはナザリックでも最高位のシモベ達である。

 

 

「突然、招集をしてすまなかったな。集まって貰って感謝する」

 

 

モモンガの支配者らしい声が玉座の間に響く。

あまりに堂の入った様に名犬ポチが目を見開いている。

 

 

「そ、そんな感謝などと!」

 

「なんと勿体ないお言葉!」

 

「命令ガアレバ即座ニ…!」

 

「シモベとして当然のことです!」

 

 

NPCからはそのような声が大量に上がる。

 

 

「あ、う、うん。ゴホン! わ、私が眠っている間、随分と面倒をかけていたようだ。本当にすまなかった」

 

 

とりあえず謝罪をと頭を下げるモモンガ。

 

 

「ああっ! おやめください!」

 

「モモンガ様が頭を下げる必要などございません!」

 

「至高の御方が謝る必要などどこにございましょうか!」

 

「どうか頭をお上げ下さい!」

 

 

再びNPC達が激しくどよめく。

それを見た名犬ポチが小声でモモンガに言う。

 

 

「それやってるとこのやり取り終わらんぜ…」

 

「そ、そうみたいですね…。実際に目の当たりにすると聞いていたより迫力あるなぁ…」

 

 

狂信的とも言うべきNPC達の態度に気圧されるモモンガ。

ばっちり精神の鎮静化が起きていた。

気を取り直して再度、支配者然と務める。

 

 

「それで現在の状況は大まかに名犬ポチさんから聞いている。各国の支配は順調なようだな、素晴らしいぞ」

 

 

モモンガの言葉でシモベ達の表情が一気に歓喜のそれへと変わる。

誰もが今にも叫び出しそうな程だが必死に抑え込んでいるのか微妙に震えてしまっている。

 

 

「あー、ここで俺から一つ」

 

 

突如、名犬ポチが手を上げる。

 

 

「モモンガさんは俺より頭がキレる。だからこれから各国の支配も全てモモンガさんに任せる。今後の指示や疑問は全てモモンガさんに聞いてくれ。俺は本当はこういうの得意じゃないんだ。やはりナザリックの為にはモモンガさんに任せた方がいいだろう」

 

 

名犬ポチの言葉にシモベ達からざわめきが起こる。

特にデミウルゴスは「あ、あれで得意ではないとは…!」とか口走り、パンドラズ・アクターは「流石は我が創造主…! 偉大なる名犬ポチ様のさらに上を行かれるとは…」とか言い出している。

他の者達も期待と尊敬の眼差しでモモンガを見つめている。

モモンガは慌てて名犬ポチを睨みつけた。

だが肝心の名犬ポチは笑っている。

全てを悟るモモンガ。

 

 

(う、裏切ったなぁポチさん! 裏切ったんだ! 面倒くさいこと全部俺にっ! NPC達の過大評価を全部押し付ける気だなっ!?)

 

(悪いなモモンガさん…。こいつら有能過ぎて上に立つ身としては楽な反面、つらいんだわ。途中から何言ってるかわかんないし。これからは自由きままにやらせてもらうぜ…?)

 

 

名犬ポチの目がその心を雄弁に語っていた。

 

 

(な、なんて人…! じゃ、邪悪…! 邪悪の塊だ! ウルベルトさんの言葉は正しかったのか…!)

 

 

そんなモモンガの苦悩など知らずシモベ達はキラキラとした瞳をモモンガに向けている。

 

 

(や、やめて! そんな目で見ないで! 俺全然大した人間じゃないの! 一般人なの! 難しい話とか無理だから! 本当は支配者だって出来ないよ! うわぁぁぁ!)

 

 

何度も連続して精神の鎮静化が起こるモモンガ。

本当にアンデッドで良かった。

 

だがここでパンドラズ・アクターが爆弾を放り投げた。

 

 

「それでンンモモンガ様! アルベド殿の処遇はどう致しましょう? 名犬ポチ様はモモンガ様がお起きになられてから決めると仰っていたものですから…。死んだままにしておくのでしょうか!?」

 

 

パンドラズ・アクターの発言を受けた瞬間、モモンガの放つ気配が変わった。

その手でぎゅっと玉座のひじ掛けを握りしめる。

力が入りすぎているのかミシミシと軋んだ音を立てていく。

さらには無意識なのかミスなのか、絶望のオーラを発動してしまうモモンガ。

 

 

(うわっ! ちょっ! 死んじゃうっ! 今の俺だと死んじゃうって! アイテムアイテム!)

 

 

慌ててその効果を無効にする指輪を取り出し握りしめる名犬ポチ。

ギリギリで九死に一生を得ることに成功する。

シモベ達も絶望のオーラに気圧されているのかまるで重りでも乗せられたように動けずにいる。

 

 

(円卓の間で話した時もそうだったけどこの件でキレ過ぎだろモモンガさん…! あの時はさっさと次の話題に移してスルーしたけど…! とうかこのタイミングでその話題出すなんて! バカ! パンドラズ・アクターのバカ! だけどカッコイイから許しちゃう!)

 

 

黒歴史であるパンドラズ・アクターを目にしながらもモモンガの怒りは止まらなかった。

精神の鎮静化が起きても何度も何度も怒りが沸いてくる。

 

 

「これからアルベドを蘇生する…」

 

 

その発言にシモベ達から様々な声が上がる。

だが恐ろしい程に低い声でモモンガが続ける。

 

 

「騒々しい、静かにせよ…。何より本人の話も聞いてみないとわからんからな…」

 

「そ、そうね…。そ、それにタブラさんがそうあれと創造していたなら…」

 

「例えタブラさんがそうあれと創造していたとしても!」

 

 

ドン!と勢いよくひじ掛けに手を叩きつけ、名犬ポチの言葉を遮るモモンガ。

その音にシモベ達全員の身体が強張る。

 

 

「それがギルドメンバーの害となるならば私はギルド長としてそれを見過ごすわけにはいきません…! ねぇ、ポチさん…。先ほど言いましたよね…? 全て私に任せると…?」

 

「は、はい…」

 

「だから勝手ではありますがアルベドの処遇は私に決めさせて下さい…、いいですね…?」

 

「い、いいです…」

 

 

モモンガの放つ謎の迫力に負け、消え入りそうな声で答える名犬ポチ。

名犬ポチ的には死ぬのが前提のようなビルドなので殺された事にあまり思う所はなく、結果オーライの今となってはもはやアルベドに特に怒りもないのだがモモンガは違うらしい。

だが名犬ポチの心を読んでいたかのように釘を刺すモモンガ。

 

 

「ポチさん…! ここはユグドラシルじゃない…! 一歩間違えれば帰って来れなかったかもしれないんですよ…! そうすれば蘇生だって出来なかった…! 分かっているんですか…? ポチさんが思う以上にこれは重大な事です…!」

 

 

モモンガの発言を聞いて確かに、と思う名犬ポチ。

とはいえ今のモモンガがキレ過ぎていてもう自分の中からそんな気持ちは完全に抜け落ちてしまった。

 

 

(や、やべぇ…! ロンギヌスの件だけはナザリックの誰も知らないから黙ってたけど…、言わなくて良かったな…。殺害だけでここまでならロストなんて言ったらどうなるか分かったもんじゃない…)

 

 

ただ一つだけ説明していなかったロスト問題。

これを口に出したら色々と大変な事になりそうなので自分の中にしまっておこうと決意する名犬ポチ。

下手したらアルベドだけでなくNPC全体の信用問題に関わるかもしれないからだ。

特に今は目覚めたばかりでモモンガも敏感になっているだろう。

元々責任感は人一倍強いのだ、一生秘密にするべきかもしれない。

 

 

「パンドラズ・アクター、金貨を準備しろ…」

 

「りょ、了解致しましたっ!」

 

 

飄々としているパンドラズ・アクターには珍しく、慌てて出ていく。

 

 

(分かるぜパンドラズ・アクター…。今のモモンガさんマジで魔王だもんな…)

 

 

心の中でエールを送る名犬ポチ。

そうしてしばらくすると玉座の間に蘇生の為の金貨が準備された。

 

 

 

 

 

 

「ではこれよりアルベドの復活を行う」

 

 

玉座の前にモモンガの声が響いた。

 

 

「パンドラズ・アクターはマスターソースを確認しておくように。そして守護者達は名犬ポチさんを必ず守れ。プレアデスは私の周りに。他のシモベ達は何かあれば即座にアルベドを拘束出来るようにしておけ。一般メイド達は後ろに下がっていろ。では始めるぞ」

 

 

すでに蘇生の手順は名犬ポチが説明してある。

その指示通りにスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを積まれている金貨へと向けるモモンガ。

 

名犬ポチの時と同様に、大量に積まれている金貨がどろりと形を崩し溶けて川となった金貨は一カ所に集まり出す。

それらは次第に圧縮されるように小さな形となりながら人の形を為していく。

やがて黄金の人型が作り出され、徐々に黄金の輝きが収まっていく。

金色の輝きだ完全になくなるとそこにいたのは間違いなくアルベドだった。

 

玉座の間に緊張が走る。

 

少ししてアルベドの目が開いた。

 

 

「うぅん…、ここは…? 私は一体…」

 

 

何が起きたのか分からぬ様子のアルベド。

周囲を見回すと誰よりも愛しい存在が立ち上がりこちらを見ていることに気付き満面の笑みを浮かべる。

だがすぐに違和感に気付く。

自分を囲むナザリックのシモベ達。

そしてあの忌まわしき名犬ポチとその身を守ろうと立ちふさがる守護者達。

何より、怒りの視線を自分に突きつけるモモンガ。

 

 

「あ…」

 

 

アルベドは馬鹿ではない。

これだけで何が起きたのか全て悟った。

最後にナザリックを出た辺りから記憶が無いがもはやそんなものは重要ではない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

ナザリックへの帰還を許し、あまつさえモモンガとの再会を許してしまった。

モモンガが眠りから醒めたことには得も言われぬ感動を覚えるが、もう手遅れだ。

間違いなくアルベドの所業は知れ渡っている。

この状態から打てる手などありはしない。

アルベドを何よりも深い絶望が包み、体が小刻みに揺れた。

これから自分の身に起きる事を想像し過呼吸気味になる。

この世のあらゆる悲しみを背負い込んでしまったかのように顔が悲痛に歪む。

 

 

「はぁっ、ぅぁっ…! はっぁっ…」

 

 

だがアルベドのそんな姿を見ても誰も表情を崩さない。

誰もが怒りを露わにしている。

当然だ。

至高の御方の殺害など許されるどころの話ではない。

冗談で口にするだけでも極刑になってもおかしくない程の不敬であり罪なのだ。

実行したアルベドがどれほどの罪かなど、もはや説明できるレベルにさえない。

 

 

「アルベド」

 

 

モモンガがその名を呼ぶ。

抑揚も無く、また静かな声であったにも関わらず、アルベドには世界が凍り付くのではないかと思わせる程の冷たさを感じさせた。

 

 

「聞かせてくれないか。なぜこんな事をしたのか、何を思ってその行為に至ったのか」

 

 

これはアルベドに与えられた最後の時間だ。

嘘や偽りがあれば即座に終わるだろう。

そしてそれが通用する状況でもない。

観念したアルベドは全てを語る。

 

名犬ポチがモモンガを連れ去って共にリアルへと隠れるのではないかと。

名犬ポチさえいなければ眠ったままとはいえ、モモンガがずっとここにいてくれるのではないかと。

何より、モモンガの事を愛していることを。

だからこそモモンガを悲しませた至高の御方達を、このナザリックを捨てた至高の御方達を殺したいくらい恨んでいると。

モモンガこそがアルベドの全てであり、他には何もいらぬと。

 

だからこそナザリックのシモベをも利用し殺し、名犬ポチさえ殺したのに違いない。

いくつかの言葉にわずかにモモンガが動揺したようにアルベドには見えたが恐らく気のせいだろう。

モモンガの怒りは変わらず収まってはいないのだから。

 

 

「それで全てか。他に言いたいことがあれば全て聞くが」

 

 

モモンガの問いにアルベドは静かに首を振る。

言いたいことは全て言った。

アルベドの心を余さず伝えたのだ。

至高の御方達を恨んでいるとまで口にした。

その瞬間に他のシモベ達から溢れんばかりの殺気が向けられたが関係ない。

もうアルベドに未来はないのだから。

 

 

「タブラさんがお前をそうあれと創造したのかもしれない。大事な仲間がそうあれと創造したのならば私も無碍に扱うつもりは無いし尊重したいと思う。だがな、いくらそうあれと創造されていたとしても」

 

 

モモンガから形容できない程の怒りが溢れ出る。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…!」

 

 

ナザリックのシモベ達には聞いているだけでその言葉が世界を滅ぼすのでないかと錯覚する程の破壊力を感じさせた。

ならばそれを浴びせられたアルベドはどうなのか。

顔面蒼白など生温いと思える程に怯え震えていた。

触れれば壊れてしまうのではないかと、今にでも絶命してしまうのではないかと言う程に狼狽し涙を流していた。

 

 

「アルベド、お前には失望した。もはや顔も見たくない」

 

 

それはトドメの一撃だった。

自分に向けられたものでなくともナザリックのシモベ達の全てが恐怖に身を竦ませる程。

当のアルベドは消え入りそうな叫びを上げ、その場に突っ伏した。

地面に擦り付けた頭を両手で必死に抱え、体を丸める。

恥も外聞もない。

想像も出来ない程の恐怖、とても許容できない絶望。

 

 

「お…し下さ…! …許し…さい…! お許し…い…! …し下さい…! …! …! …!」

 

 

哀れな姿で必死に謝罪の言葉を何度も口にするが、それさえまともに聞き取れる状態ではない。

だがそれでもアルベドは最後の力を振り絞り、なんとか口を開く。

 

 

「モ、モモンガ様…! ど、どうかお願いです…! せ、せめて…! 死ぬならば、せめて貴方の手で…!」

 

 

だがモモンガはアルベドを拒絶するように背を向ける。

その動作一つでアルベドの心に亀裂が走った。

 

 

「お前など殺す価値もない」

 

 

アルベドの全てが否定される。

何よりも大事で、心より愛し、優先されるべき存在。

死すら生温いと言わんばかりに、欠片程の情けもかけられずアルベドは捨て置かれるのだ。

 

 

「お前達は俺達の役に立つ為に存在すると言ったな? ならば俺達に害を為すお前など存在価値すらない。今ここでお前の守護者統括としての任を解く。アルベドを氷結牢獄に幽閉しろ。連れていけ」

 

 

モモンガの命令を受けてシモベ達の手によりアルベドが引き摺られていく。

 

死すら許されなかったアルベドに待っているのは地獄だ。

永遠とも呼べる時間の中で、主に否定されたまま孤独に生きていかねばならないのだ。

恐らくナザリックのシモベにとって最上の地獄の一つだろう。

同情はしなくとも、誰もがそれが自分だったらと想像しその場で言い様のない恐怖に染まる。

 

引き摺られながらもアルベドは必死に謝罪の言葉を口にし、縋るような視線をモモンガに投げかける。

だがアルベドが玉座の間の外に連れ出されてもモモンガが振り返る事は無かった。

扉が閉まると同時にアルベドは自分の心が死ぬのを感じた。

 

玉座の間の扉は3メートル以上はあるだろう巨大なものだ。

扉の右の側には女神が、左の側には悪魔が異様な細かさで彫刻が施されている。

そして周囲を見渡せば、禍々しい像が無数に置かれている。

それはまさしく『審判の門』と形容すべきもの。

 

 

最愛の存在からの全否定、それがアルベドに下された裁きだ。

 

 

 

 

 

 

全てが終わった後、NPC達を仕事に戻しモモンガと名犬ポチは二人で円卓の間にいた。

 

 

「モモンガさん…」

 

 

先に口を開いたのは名犬ポチ。

 

 

「言いたい事は分かってますよ、やりすぎだって言うんでしょ?」

 

 

NPC達の狂気染みた忠誠のような感情が理解できない名犬ポチからすれば、率直に言ってやりすぎに思えた。

それはモモンガとて理解している。

 

 

「でもいつ第二のアルベドが出てくるかわかりません、あそこにいる他のNPC達に釘を刺す意味でも必要なことでした。それに甘い罰であれば他のNPCからの不満も出るかもしれません。何かあっても責任は全て俺が取ります。ポチさんは気にしないで下さい」

 

 

つらそうな顔をしたままモモンガが言う。

 

 

「それに…、アルベドがああなったのは俺のせいです…。俺がアルベドをああしてしまったんです…。だから、俺もアルベドと一緒に罪を背負います。だってアルベドはタブラさんが残してくれた大事なNPCですから…。このナザリックの一部なんです。あの場ではああ言いましたが見捨てるなんてしませんよ…」

 

「モモンガさん…」

 

「ポチさん、アルベドが貴方に酷い事をしたのを承知でお願いします。どうかアルベドを許してあげて下さい…! これからは俺がちゃんとアルベドの面倒を見ます。もうポチさんに危害を加えないようにさせますから…」

 

 

深々と名犬ポチに頭を下げるモモンガ。

NPCを守る為に必死で謝罪をする。

 

 

「やめてくれよモモンガさん、それに分かってるだろ? 俺は怒ってないよ」

 

「でも大事な事です。仲間だからってなぁなぁにしていい事じゃありません」

 

「相変わらず真面目だな。あぁ、でもそんなモモンガさんだから皆がついていったんだよな…」

 

「それに」

 

「?」

 

「上司は部下の責任を取るべきでしょう? 部下に責任を丸投げするなんて俺はしませんよ。罰は与えましたが責任は俺が取りますから」

 

 

モモンガの言葉に名犬ポチが笑い出す。

 

 

「あっはっは! モモンガさんらしいな! でもそんな事言ってるとこれから絶対苦労するぜ!」

 

「分かってますよ。でも、ナザリックは皆の残してくれた大事な場所です。その為の苦労なら何でもしますよ」

 

「そうか、やっぱりナザリックはモモンガさんがいないと駄目だな! モモンガさんがいないとアインズ・ウール・ゴウンじゃないよ」

 

「やめて下さいよ、照れくさい。それに俺だって困った時はポチさんを頼らせてもらいますからね?」

 

「やだよ、面倒くさい」

 

「こいつっ!」

 

 

円卓の間でかけっこを始める二人。

ユグドラシル時代のように軽口を叩き、じゃれ合う。

この瞬間、少しだけだが支配者の苦悩から二人は解き放たれていた。

 

 

「ていうかさっきアルベドがああなったのは自分のせいってモモンガさん言ってたけどそんなことないよ。あれは完全にタブラさんが悪い」

 

「いや、違うんです…、実は最後に俺が…」

 

「タブラさんからアルベドの隠し設定は聞いていたから想像はついてたんだよ。いや、しかし本当に行動を起こすとは思わなかったなぁ。ましてここまでやるとは…」

 

「え…? 隠し設定?」

 

 

初めて聞く言葉に言いかけていた言葉を止め、質問してしまうモモンガ。

 

 

「うん。もうこうなったから言っちゃうけどタブラさんはモモンガさんに内緒でアルベドに隠し設定を入れてたんだよ。アナグラム? 暗号? 詳しくは分からないんだけどなんかそういう系の。解読すると読めるらしいよ。凄ぇよな、いくら設定に拘るからってそんな設定入れる奴いるか? 信じられねぇよ」

 

 

ケラケラと笑う名犬ポチ。

対してモモンガは少し嫌な予感がしてくる。

 

 

「ち、ちなみですが…、それどういう内容なんですか…?」

 

「怒らないで聞いてくれよ? 女っ気無さそうなモモンガさんを癒すんだっつってタブラさん張り切ってたんだ。確か…、何よりもモモンガさんの事を大事に想ってるとかそういう感じだったかな? もちろん守護者統括としての役目があるからその想いは隠して表向きはナザリックの為に仕事してるんだけど。でも、心の中ではずっとモモンガさんの事を想ってるんだ。許されないと自覚しているのか、その報われない恋心を抱いたままひたむきに生きる女悪魔。それが処女でビッチだっつうんだからタブラさん酷ぇよな! だからあの人アルベドを守護者統括に推したんだぜ! 愛するモモンガさんの一番近くに置いておくんだって」

 

 

突如、名犬ポチから聞かされたアルベドの真相。

まるでカナヅチで殴られたかのような衝撃がモモンガの頭に走る。

 

 

「厳密には覚えてないけどさ、だいたいそんな感じだよ。自分の感情を押し殺してナザリックの為に尽くしてたってだけで泣けるよなー。隠しておくべき感情だからこそ、その設定すらも隠すんだとか言ってたぞタブラさん。全く、設定厨の考えることはわからんね。でもなんで今回の事件を起こしたかも分からないんだよなぁ。タブラさんの設定通りならモモンガさんへの気持ちを外に出すはずないんだけど。まぁユグドラシル時代とは違うしな。色々と変化があったんだと思うけど…。ん? どしたモモンガさん」

 

 

なぜか顔を伏せ、プルプルと震えているモモンガ。

心配になった名犬ポチが問いかけるが返ってきたのはビックリするほど低い声。

 

 

「仮の話をしましょう…」

 

「? いいけど何?」

 

「仮にです、仮にですよ? 例えばゲーム終了前に、そんな隠し設定の為されているアルベドの設定を書き換えた場合ってどうなりますかね?」

 

「うん? 書き変えちまったらそりゃ変わるだろ? どういうこと? もうちょっと分かり易く言ってよ」

 

「そうですね…。まぁこれは例えに過ぎないんですが…『ちなみにビッチである』という文を『モモンガを愛している』という文に変えた場合ってどうなりますかね…?」

 

「はあ? なんだそりゃ。でもその文だと隠し設定になってる部分が表に出るのと変わらないわけだから…、隠し設定が意味を為さなくなる、のか? なるほど、そういう場合なら今回みたいな事になるかもなぁ…。でもモモンガさん、やけに具体的じゃないか。まるで自分でやってたみたいに。思い当たる節でもあん、の…! あ…! ま、まさか、アンタ…!」

 

 

喋りながらも途中で薄々と状況を察する名犬ポチ。

そしてモモンガの様子から真実へとたどり着く。

 

 

「アルベドの設定書き換えたのかっ!!!」

 

「違うんだぁぁぁああああ!!!」

 

 

頭を押さえ、叫びながらテーブルに顔を押し付けるモモンガ。

 

 

「何が例えだよ! 確信犯じゃねぇか! アンタが元凶かよ!」

 

「いやいやいや! そもそも何ですか隠し設定って!? そんなのアリですか! 聞いてませんよ!」

 

「そりゃ言ってねぇからな! そこに関しては完全にタブラさんが悪いけどアンタなに人のNPCの設定イジってんだよ正気か!? 信じられねぇ!」

 

「俺も分かんないんですよ! ちょっと魔が差したっていうか…! だ、だってビッチですよ!? 設定として酷すぎるでしょ!?」

 

「ああ酷いよ! 完全に同意見だよ! でもそこでモモンガを愛しているとか入れるか!? しかも自分で! 悪いけどマジでドン引きだわ! 何が上司は部下の責任を取るべきだよ! 徹頭徹尾あんただよ犯人!」

 

「うわぁぁあぁあ!!! 違うんです! 違うんですっ!」

 

「何も違くねぇだろ! まさかアンタがそんな人間だってなんて…!」

 

「やめてぇ! そんな目で俺を見ないで下さいっ!」

 

 

気付けば目覚めた時と立場が逆転し、自分が罵倒されることになっていたモモンガ。

全くもって人生とはままならない。

 

 

「うぅ…! だって最後だと…! サービス終了だと思ってたから…! だからつい…! こんなことになるなんて思って無かったんですよぉ…!」

 

 

アンデッドでありながら泣きわめくモモンガ。

精神の鎮静化も起きているはずだがもはやそれも追い付かない。

 

 

「だからってやって良いことと悪い事があるだろ! あんた分かってんのか! これを知ったらタブラさんどんな顔するか…」

 

「分かってます! 分かってますよ! 俺は許されないことをしてしまった…! タブラさんだってこの事を知れば間違いなく怒ると…」

 

「ばっきゃろう!」

 

 

このタイミングでなぜかパンチを入れる名犬ポチ。

もちろんダメージは無い。

 

 

「怒る訳ねぇだろうが! 隠し設定でモモンガさんの事を想ってるって書くような奴だぜ! むしろこれを知ったら喜んで飛び跳ねるだろうよ! あんたがやったのは良い事だ! タブラさん大歓喜!」

 

「えええぇぇえええぇ!?」

 

「とはいえ俺はドン引きだけどな!? 人のNPCの設定を勝手に書き換えるのはさすがに無いわー!」

 

「うわぁぁぁああぁんん!!!」

 

 

もう訳も分からなくなったモモンガは叫んだ。

何が正しくて何が間違っているのか。

それが分かるまではもう少し時間が必要なのだろう。

 

名犬ポチの罵倒はまだまだ続く。

 

 

 

 

 

 

アルベド幽閉から数か月後。

 

今日もモモンガはアルベドを幽閉している氷結牢獄へと向かっていた。

あれ以降、一日一回ここを訪れるのがモモンガの日課になっていた。

先日、名犬ポチから聞かされた真実には驚かされたが元々こうするつもりではあったのだ。

アルベドと共に罪を背負う。

それはモモンガが決めた事であり、またモモンガも自らがしなければいけない事だと思っている。

 

そして氷結牢獄へと着くとニグレドのギミックを消化する。

 

 

「これはモモンガ様、よくぞお越しくださいました」

 

「うむ。いつも済まんなニグレド」

 

「いいえ、とんでもございません。それよりもありがとうございます…。至らぬ妹の為に至高の御方たるモモンガ様が自ら…」

 

「いや、いいんだ。これは私の罪でもあるのだから…」

 

 

名犬ポチから真実を聞かされた事によって、より大きな罪悪感がモモンガを包む。

だがそれでも向き合わねばならないのだ。

自分のせいでNPCの一人をこんな目に合わせてしまった。

だからこの心の痛みも苦悩も、モモンガは正面から受け止めなければいけない。

 

氷結牢獄を進んでいき、アルベドを幽閉している最奥の地下牢の前に立つ。

 

 

「良い子にしてたかアルベド」

 

「あー! ももんがさまだー!」

 

 

屈託の無い子供のような表情でアルベドがモモンガを出迎える。

 

 

「ニグレド」

 

「はっ」

 

 

モモンガの言葉を受けて、ニグレドが牢を開けモモンガを中へと入れる。

そして再び牢を閉めるとお辞儀をしてニグレドはこの場を後にした。

 

 

「ねーねー、今日はなんの絵本よんでくれるのー」

 

「いくつか持ってきた、好きなのを選びなさい」

 

「わーい!」

 

 

子供のようにはしゃぐアルベド。

大人の女性とは思えないその姿にモモンガは心を痛める。

 

アルベドはあの日以前の全ての記憶を失った。

 

最愛であり自分の全てであるモモンガに拒絶され全てを否定された。

死ぬことも許されず、ここで誰からも必要とされず永遠に過ごすのだ。

シモベとしてあり得ない程の苦痛と地獄に、アルベドは正気を保てなかった。

 

出された食事も喉を通らず、睡眠も取れず日に日にやつれていくアルベド。

装備は全て没収されているため食事も睡眠も必要なのだ。

そして限界が来たのは、わずか一週間後ほどのこと。

肉体よりも精神。

 

現実を受け入れることが出来ず、アルベドの自我は崩壊した。

 

右も左も分からない赤子同然となり、それまでの記憶も全て消え去った。

魔法でも回復不能な程に壊滅的だった。

失ってしまったものはもう取り戻せない。

 

モモンガはアルベドがそうなったと聞いてショックを受けた。

まさかそこまでだとは思っていなかった。

そんなアルベドの姿を見るのが何よりつらかった。

だがここまでアルベドを追い込んだのはモモンガであり、原因の一端を担ったのもまたモモンガだった。

だからこそ逃げるわけにはいかないし、この苦しみを受け止めなければならない。

アルベドがこうなってしまった罪を背負わなければいけないのだから。

 

それからモモンガは毎日、アルベドの元を訪れるようにした。

泣き叫ぶアルベドをあやし、ご飯を食べさせ、寝かしつける。

次に簡単な言葉を教え、しつけ、教育する。

元の頭が良いせいだろう。

数か月でアルベドはここまで回復した。

だが診断をさせたペストーニャによるとこの辺りが限界らしい。

自我の崩壊と共に致命的なダメージを負ったアルベドの精神はここから先へと進めないと。

 

それでもモモンガは毎日アルベドと向き合う。

いつかアルベドが元に戻ることを信じ、祈って。

 

どれだけかかるか分からない。

ペストーニャの診断通り、永遠にその時は来ないかもしれない。

だが幸い、今のモモンガに寿命は無い。

時間はいくらでもあるのだ。

 

 

「ももんがさまー、これがいいー!」

 

「分かった、じゃあそれにしよう」

 

「うん!」

 

 

 

元・守護者統括アルベド。

 

その愛の為にナザリックを裏切り欲望のままに動いた。

至高の41人に忠誠を誓うシモベとして許されざる大罪を働き、その罰として死すら許されず氷結牢獄へと幽閉される事になった。

 

奇しくもその人生は因果応報の連続だったと言える。

 

最初に殺したシャルティアと同じように後ろから致命傷を受け命を落とした。

この世界の人々を地獄に叩き落したように自分も地獄へと叩き落された。

さらには自分の為に利用したルベドのようにその全ての過去を失った。

 

だが彼女がいなければルベドは今もナザリックの奥にしまわれたままだったかもしれない。

この世界の人々もナザリックが半壊という状況にならなければ名犬ポチの支配は始まらなかっただろう。

良くも悪くも、今の世界があるのはアルベドがいたからだ。

 

 

因果は巡る。

 

 

ならば次にアルベドに訪れる未来は――

 

今はまだ誰も知らない。

 

 




次回『エピローグ:後編』ほ、本当に最終回っ。


ま、まぁ前回の予告で多分って言ってたし、ね!?

ごめんなさい…、また長くなってしまったのでここで一旦区切りました。
書き出すと予定より長くなってしまうの最後まで治りませんでした…。

そしてモモンガ回なのかアルベド回なのか分からない感じに。
アルベドの隠し設定は思いっきり捏造ですが原作の狂いっぷり見てるとタブラさん似たようなことしてるんじゃないかと勘ぐってます、誰よりも設定に拘ってたらしいし。

何はともあれ次で本当に最後になると思います。
しばしお待ちを!


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エピローグ:中編

やあ (´・ω・`)
ようこそ、エピローグ:中編へ。
前回の予告とは違うが、まず落ち着いて欲しい。

うん、「また」なんだ、済まない。
仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。

でも、このサブタイトルを見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない「あきれ」みたいなものを感じてくれたと思う。
殺伐とした世の中で、そういう気持ちを忘れないで欲しい
そう思って、この中編を書いたんだ。

どうかよろしくお願いします。


アーグランド評議国。

 

 

「もうここも完全に復興したようじゃの。まさかあの状態から一年足らずで元通りになるとはの」

 

「元通りどころかナザリックの助力があったから以前よりも発展してきているよ。やれやれ、もう神には足を向けて眠れないね」

 

 

白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)の二つ名を持つ真なる竜王であるツアーと会話をしているのは元十三英雄の一人、死者使いのリグリット。

 

 

「しかし意外じゃ、お主がここまで譲るとはの。ナザリックの徴収に応じ、世界盟約まで破棄したと聞いたぞ」

 

「ナザリックの徴収なんて微々たるものだよ。利益のたった1割程を支払うだけさ。それだけで復興の為のあらゆるバックアップ、さらには各国を繋ぐ交通網のインフラの整備等。地下と空でそれぞれ物資の輸送を行っている。全く、以前じゃ考えられないね。あれだけ大規模に世界単位で展開するんだから維持費は凄い物になると思うよ。各国に1割の請求をするのは当然とも言えるね。まぁ1割で全てを賄えているとは思わないし、実際余裕のある人からは善意の寄付を受け付けていると聞いてる」

 

「しかし以前、評議国を攻めてきたアンデッド達はナザリックの者達だったんじゃろ? よく国の為とは言え、お主も呑んだものよの」

 

「使者と共に再びあのアンデッドが来た時は驚いたよ。使者の方も同格の強さを持っていたしね。聞いた話じゃ神の元にはあのクラスの者が複数いるんだろ? しかも肝心の神は彼等を容易くねじ伏せられるときた。もうナザリックと戦うなんて考えられないよ。世界が滅ぼされるだけさ」

 

「なるほど、流石のお主も折れるしかなかったということか」

 

「それは少し違うね、君だって分かっているだろう? 神と呼ばれている存在はこの世界に害をなす為に来たわけじゃない。むしろこの世界を救おうとしているとさえ思える。神の登場と共に世界の価値観も一変した。今みたいに人間達と亜人達が手を取り合って生きるようになれるなんてとてもじゃないが信じられなかったよ」

 

「確かにな…。わしだって今だに夢を見ているようじゃ」

 

「ははは、本当に同感だよ。それに今思えば、あれはきっと神が世界を品定めする為のものだったのだろう。世界を滅ぼしかけるなんて我々から見れば無茶そのものだけど神からすれば違ったのだろう。その証拠に各国の腐った貴族達や王族は蘇生を許されなかったとか?」

 

「うむ…。わしの聞いた限りじゃが王国では国を腐敗させていたと見られる貴族や王族は蘇生されたのが確認できていない。八本指等も同様じゃな」

 

「凄いね。かなり荒療治だったと思うけど結果的に世界を救ってくれたんだ、文句なんて言えるはずがないよ。それにあの世界を覆い全てを救う優しき大魔法、あれを経験してしまったらもう何も言えないさ」

 

「おや、ツアーらしからぬ発言じゃな。お主は神など信じていなかったと思ったが」

 

「そうさ、神なんて信じていない。でも、今回だけは信じてもいい。神をどういう存在かと定義するには様々な意見もあるだろうし纏まらないだろう。皆の多くが認識するような世界を創造するような神とは違うと思う」

 

 

一呼吸入れてツアーが続ける。

 

 

「でも、人知の及ばぬ力を持っていてこの世界を良い方へ導こうとしているのは確かだ。私も全てを見たわけではないけど、どの国も以前とは見違えていたよ。餓えて死ぬ者なんてもうどこにもいないし、病気だってもはや脅威ではない。仕事だって皆が楽しそうにやっているし、何より誰もが生き生きとしている。国だって監視下に置くことであらゆる不正や腐敗を防いでいる。弱き者が奪われ、迫害される時代は終わったんだ。神の名の元にあらゆる悪意は淘汰される。有史以来、誰も為しえなかった事をやったんだ。それだけで神と崇めるには十分だよ」

 

「お主はもう世界の為には動かんのか?」

 

「やめてくれよ、あれを見せられた後じゃ自分の行動がまるでおままごとみたいに思えてくる。もう世界の平和はナザリックに任せるさ。よほどの事が無い限り私が動くことなんて二度とないだろう。これからは気楽にやらせてもらうさ」

 

 

自嘲気味に笑うツアー。

リグリットも同様に笑っている。

 

 

「なるほどのぉ…。では法国の例の嬢ちゃんの事も静観するのか?」

 

「世界盟約は破棄したし、今更何かを言える訳でもない。それに神が害悪と判断していないならもう何もしないさ。私よりもよっぽど世界の為を想っているし理解しているだろう。もう私の出る幕は無いよ」

 

「ふぁっふぁっふぁ! 本当に信じられんよ! あのツアーがここまで丸くなるとは!」

 

「何を言ってるんだ、元から私は丸いさ」

 

「世界に仇なす者をことごとく滅ぼしてきておいてよう言うわい!」

 

 

ケラケラと老婆の笑いが響く。

ツアーもやれやれと言った表情でそれを眺めている。

 

評議国は以前よりも発展し、他国との交流も積極的に行うようになった。

もう種族の違いでの差別や迫害などどこにも存在しない。

偉大なる神があらゆる種族を配下に持ち、また何の区別もせずに扱っていた為だろう。

こんな世界が見れるようになるなんてツアーは想像もしていなかった。

 

 

「悪い様にはならない、か…」

 

 

かつて神の大魔法を見た時に口にした事を思う。

各国を渡り歩かせている自分の鎧から見る世界を眺めているツアー。

 

 

「あれは間違っていたな…。だって…世界はこんなにも…」

 

 

彼はその様子を見て、ただ朗らかに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

スレイン法国。

 

国家最奥の大聖堂で犬の像に祈る一人の男がいた。

 

 

()()()()()!」

 

 

後ろから呼ばれた声に応じ、祈りを捧げていた男が振り返る。

 

 

「どうした? 祈りの時間は邪魔するなと言っていただろう?」

 

「も、申し訳ありません! し、しかしまた番外席次が国を抜け出しまして…」

 

 

部下からの報告に呆れたようにニグンが天を仰ぐ。

 

 

「で、どこに行ったのだ? いや聞くまでもないだろうが…」

 

「は、はい。恐らくはナザリックかと…」

 

 

やはり、と口にして深いため息を吐くニグン。

 

 

「すぐに漆黒聖典の隊長を向かわせろ、あとソリュシャン殿に連絡を入れてナザリック訪問の許可を取っておくことを忘れるな」

 

「はっ! た、ただちに!」

 

 

そう返事をして走っていく男をニグンが見送る。

この調子ではまだ神への謁見は叶わないだろうなとため息を漏らす。

 

ニグンが法国の全権を握ると共に以前の組織形態を撤廃。

魔力の強さ等は関係なく、その信仰や行いで選ばれた者達が国を運営する役職に就くようになった。

それと共に役職の名にも変化があり、現在のニグンが就いている役職もそうだ。

人々の精神的指導者であり、教えを広める者として『教皇』という名前を使用する様になった。

 

 

「偉大なる御力を世界に示されてもまだ世の中には神への信仰に全てを捧げない愚か者ばかり…。神よ、待っていて下さい…。必ず私がこの世界を厚い信仰で包んでみせましょう…」

 

 

すでに法国は各国に教会を建てている。

神への敬虔な信者はそこへ集まり祈りを捧げる。

生活の何もかもを神へ捧げた者達のみが集う聖地であり、桃源郷。

何せ法国の神官と共に、神のシモベたる犬達がその経営を担っているのだ。

犬好き…、いや神への信仰に厚き者達の楽園なのだ。

その証拠に年々信者を増やしているらしい。

 

肝心の神はそんなこと望んではいないだろうが。

 

 

「あぁ、神よ待っていて下さい…! 必ず私が世界を信仰で包んで見せます…! ですから…! ですからその時こそ、再び私にその御姿を…! ご寵愛を…!」

 

 

神からの慈悲を受け取る事を想像し、耐えられなくなったニグンは自らの身体を抱きしめる。

神の事を想像するだけで体の火照りが止まらないのだ。

 

やがて、神の事を夢想し続けながらニグンは果てた。

 

 

蛇足であるが、神への祈りを捧げる場合に体に纏う物は全て脱ぎさるのが教えだ。

神の前で何も包み隠さず、また自分の全てを神に捧げるという証として。

果たしてニグンの信仰が世界中を覆う時が来るのだろうか…。

 

 

 

 

 

 

ナザリック地下大墳墓、第6階層ジャングル。

 

今日も円形劇場(アンフイテアトルム)にて突然の訪問者がマーレへと迫っていた。

 

 

「そ、そんなこと言われても、こ、困ります…! か、帰って下さい…!」

 

「貴方はこの私に勝利した! だから私と子供を作って欲しいと言っているだけだ! 何が問題!? 心配するな、孕み苦労するのは私だから! 貴方はただ私にその欲望を全てぶつければいい…! 私とて初めて、そう緊張しなくていい!」

 

「わ、ちょっと! やめて下さいってば!」

 

 

そう言いながらマーレに纏わりついていたのは漆黒聖典の番外席次。

評議国との世界盟約が白紙になったと知るや否や、法国を出ては世界中を飛び回っていた。

だが世界中を旅しても結局、己が望んだ強者には出会えなかった。

しかしある時ナザリックを訪問した時にその相手を見つけてしまったのだ。

神に会うと言い張る彼女を止めるためにマーレが立ちふさがりボコボコにしたのだ。

それからはターゲットがマーレとなり、隙を見て法国を抜け出しては口説きに通っている。

 

 

「怖いのは最初だけ…! 大丈夫、目を閉じていればすぐに終わる…!」

 

「や、やめて下さい! パンツを脱がさないでっ!」

 

「コラー!」

 

 

マーレの恥部に手を伸ばしていた番外席次の頭を何者かがドツく。

 

 

「ぐ、ぐわっ! だ、誰!?」

 

 

痛みに振り返るとそこにいたのはマーレとそっくりの顔があった。

姉のアウラである。

 

 

「ちっ、今日も小言を言いに来たのか姑め…」

 

「誰が姑だ! 私はマーレの姉だ! いい加減マーレから離れなさいよ!」

 

 

そしてアウラが番外席次をマーレから引き剥がす。

 

 

「うぅ…、ありがとうお姉ちゃん…!」

 

 

諦められないのか、半泣きになっていたマーレへ番外席次が問う。

 

 

「なぜ私と子を成してくれないの!? 男性は皆、あの行為が好きなのでしょう!?」

 

「えぇっ!? い、いや、ぼ、僕にはその…、モ、モモンガ様っていう御方が…」

 

 

マーレの言葉に衝撃に打ちのめされる番外席次。

 

 

「な、なんてこと…! ま、まさかすでにお相手が…! わかったわ、私が話を付けてきます。その御方に会わせて下さい」

 

「そ、そんな、困ります!」

 

「番外席次殿っ!!!」

 

 

突如、声を張り上げて現れた金髪の男。

 

 

「クアイエッセさん!」

 

「この度は申し訳ありません、すぐに連れて帰りますので…」

 

 

救いの手が伸びたことでマーレの瞳に輝きが戻る。

クアイエッセは現れるなり番外席次を窘める。

 

 

「何よ、あんたなんかすぐに返り討ちに…」

 

「番外席次殿、無理矢理しても嫌われるだけです。それに度が過ぎるとナザリックに出禁になりますよ?」

 

「で、出禁…!? そ、それは困る…」

 

「そうでしょう? こういう事はちゃんと順序立てて進めなければいけません。訪問もキチンと許可を取ってからにして下さい」

 

「む、むぅ…」

 

「ちゃんと相手を思いやらなければいけませんよ。まずはお手紙から初めてはどうでしょうか?」

 

「て、手紙…」

 

 

クアイエッセの言葉に考え込む番外席次。

次にマーレへと向き直る。

 

 

「ね、ねぇ、マーレ殿、お手紙送ってもいい? 友達から始めましょう」

 

「? 友達から? て、手紙くらいなら別にいいですけど…」

 

「本当!? 分かった、帰ったらすぐに書くから!」

 

 

クアイエッセに引きずられたまま番外席次がそう言い残していく。

番外席次を見送るマーレにアウラが声をかける。

 

 

「マーレ、友達からって意味分かってる?」

 

「??? 別に友達くらいならいいんじゃないの、お姉ちゃん」

 

「全く…。その気がないならそういうのも断っておくべきだと思うけど…、まぁいいか。あの調子じゃすぐにはそういう事はしてこないでしょ」

 

 

だがアウラの予想に反して番外席次から送られてくる手紙にはいつ子供を作るのかとか、自分はいつが危険日だとかそういう内容ばかりだったとかそうでないとか…。

 

 

 

 

 

 

リ・エスティーゼ民主国家。

 

貴族や王制を完全に撤廃し、国民からの投票で選ばれる国家元首として大統領制を導入した。

国民から圧倒的な支持を受け、またナザリックとの協定を結び、民を導いたのはラナー元王女。

国家としての急激な変化にも関わらず大きな混乱もなく事が運んだのは彼女のおかげであろう。

 

元王城にして現大統領官邸の一室。

 

 

「ラナー様」

 

 

沢山の書類に囲まれた女性へ一人の男が声をかける。

 

 

「様付けはやめてって言ったでしょうクライム。私はもう王女じゃないのよ」

 

「あ、す、すいません、つい…。それでですねラナー大統領、元貴族達の領地についてですが…」

 

 

ラナーの日常は忙しくなった。

やることがあまりに多く、また民からの期待に答えなければならない。

だがそれでも以前より彼女にとっては今の生活は魅力的だった。

 

何より大事なクライムは今も秘書としてずっと側にいてくれる。

それに一番大事なのは身分の差が無くなったことだ。

クライム自身はまだ以前の感覚を引き摺っているが全て過去の産物に過ぎない。

もはや二人を分かつ絶対的な身分という壁は存在しないのだ。

まさにラナーにとっては希望に満ち溢れた世界。

 

きっと時間はかかるだろう。

だがそれでも堂々とクライムと愛を語り合える時が来るかもしれない。

王族のままではいかに上手く立ち回り飼いならすかという手間があったがそれももうない。

政略結婚も存在しないし、誰もラナーの恋路に文句を言う者もいない。

 

帝国に滅ぼされていればどうなっていただろうか。

あの皇帝が自分を手籠めにすることはないだろうが面倒な事になったのは間違いない。

そうでなくてもいつか国が崩壊する可能性もあった。

国に一切の興味も思い入れも無いラナーにとっては全てが厄介事だった。

だがナザリックのおかげで全てが変わった。

 

こんなにも堂々と生きることが出来るようになるとは。

 

 

「ラナー大統領! ちゃんと聞いていますか!?」

 

 

微笑みを浮かべるラナーにクライムが少し怒った様子で問いかける。

 

 

「ちゃんと聞いているわクライム」

 

「でしたらですね、もう少し」

 

「クライム、肩が凝って仕方ないの。少し揉んでちょうだい」

 

「なっ! きゅ、急に何を!?」

 

「激務なのは貴方も知っているでしょう? 本当につらいのよ、お願い」

 

「な、ならばそういった事が得意な者を…」

 

「今じゃなければ駄目なのよ、ああ本当につらくてもう書類に目も通せないわ…」

 

 

わざとらしくつらそうに肩を押さえるラナー。

 

 

「わ、分かりました、少しだけですよ…?」

 

「ありがとうクライム」

 

 

そうしてラナーの後ろに周り、肩へ手を伸ばすクライム。

首元の露出している肌に直接触れ、その柔らかと温かさに胸が高鳴るクライム。

彼としても今の生活は嫌いではなかった。

以前の側付きの兵士としての生活から驚く程に何もかもが変わったが最愛の人の側にいられるという事実だけはずっと変わっていないのだから。

 

 

「ねぇ、クライム…」

 

「何ですか…?」

 

「貴方はこの世界になってどう…?」

 

「貴方はどうなんですか…? 王族という地位を失ってしまった事は悲しくないのですか…?」

 

「私は王族になんて何の未練も無いわ。それに何より今は民の為を思った行動がすぐに出来る。外を見てみれば誰も彼もが笑っている…。以前みたいに貴族や八本指の所業に何も出来ず、指を咥えているだけじゃなくなったわ。私にとっては喜ぶことしかないわ」

 

「…そう、ですね。私も同じです…。まさかあそこまで腐りきった王国がここまで持ち直せるなんて…。私には未だに信じられません…。ただ、貴方が王族で無くなったが故に、その、私は貴方の騎士では無くなってしまった…。それだけが、少し残念ですが…」

 

 

ラナーの肩を揉んでいたクライムの手にラナーがそっと手を添える。

 

 

「私の騎士は貴方だけよクライム…。ずっと私の側にいて私を守ってくれるんでしょう…? 約束したものね」

 

「ラ、ラナー様…」

 

「私は貴方にずっと側にいて欲しい…。肩書が必要だと言うのなら側にいられる肩書などいくらでもあるわ…」

 

「か、からかうのはやめて下さいっ! きゅ、急用を思い出したので失礼させて頂きますっ!」

 

 

顔を真っ赤にしてクライムが部屋を出ていく。

一人部屋に残されたラナーの口の両端が鋭く吊り上がっていた。

 

 

「ふふ、残念…。また押し切れなかったわね…。でももう少しよ…もう少しで…」

 

 

クライムの為にクライムが望む国の指導者を演じるラナー。

その全ては打算であり、本心では他の何にも価値を感じていない。

だがそれでもきっとその愛だけは本物だ。

 

 

「貴方は私のもの…、誰にも渡さないわ…」

 

 

例えそれがどれだけ歪んで捻じ曲がっていても。

どれだけ邪悪だとしても。

それが愛の一種では無いと誰にも断じる事はできない。

 

 

 

 

 

 

リ・エスティーゼ民主国家官邸の兵舎。

 

そこには武力によって国家の安全や治安を維持する為の行政機関が設立されていた。

そのほとんどは元兵士である。

中には一部の冒険者や、他からの腕利きなども所属していた。

そして長官としてトップに立つのは元王国戦士長、ガゼフである。

 

 

「しかし平和になっても訓練とは真面目だねぇ。もうナザリックに全部ぶん投げてもいいんだろ?」

 

「そうはいかないさ、自分達で出来ることは自分達でやる。楽だからと人任せにしていてはまた何かあった時に何も出来ずに終わってしまうかもしれないだろうアングラウス」

 

「ナザリックの面子見たらそんな心配いらないと思うけどなぁ…。ま、かといって無職になっても困るしな。今更、剣の腕を上げる為の放浪生活もクソも無ぇしな…。俺としてはペコペコ頭を下げなきゃならん貴族共がいないってだけで天国さ」

 

 

ガゼフの横でブレインが座り込んでいた。

 

 

「フッ、以前と違って堅苦しい事はなくなったからな…。だからこそお前も共に働いてくれる気になったんだろう」

 

「そうだな、それに国民は全て平等って聞いた時は本当に驚いたぜ…。むしろこれから面白くなりそうな国から出ていく方が勿体ない。こんな前例の無い国がどうなっていくのか単純に興味がある…。お前だって本当の所は同感だろ?」

 

「ああ、全くだ…。なぜかあの腐った貴族共は皆戻って来なかったからな…。真っ当な国として一からやっていけるのはとても嬉しいことだ…。隠居した王もこの国を見て大変喜んでおられた…。私にはもうこれ以上望むものはないよ」

 

「はっはっは! なぁに、すぐに俺がお前の生き甲斐を作ってやるさ。惨めに負かせて悔しさに塗れた日々を送らせてやる」

 

「言うじゃないかアングラウス、今日もやるのか?」

 

「当たり前だろう。それにお前だって正直、平和な世界を喜びつつも少しは退屈してんだろ? 今となっては昔みたいなしがらみなんて無いんだ、好きにやろうぜ」

 

「全く困った奴だ…」

 

 

やれやれと嘆息するガゼフだがその表情に嫌そうな気配は一切なかった。

両者が訓練用の剣を持ち、対峙した時。

 

 

「ガゼフさんー! ブレインさんー! 何やってるんですか! 早く来てくださいパトロールの時間ですよ!」

 

 

鳥の巣を思わせる頭をした女、そして神から『神の剣』なる二つ名を拝領した元冒険者が走ってくる。

 

 

「ブリタか! しまった、もうそんな時間か」

 

「あーあ、また邪魔が入っちまった」

 

「仕事は仕事です! 文句ばっかり言ってると残業増やしますよ!」

 

「わ、悪かったって…、謝るからそれはマジで勘弁してくれ…」

 

 

ブリタはニグン達と共にカッツェ平野で蘇った。

だがニグン達の凶行に震え、もう付いていけないと判断したブリタは道を違えた。

法国へは行かず、彼女だけが王国に戻ってきたのだ。

冒険者を続けようかどうか迷ったが、そもそも人の役に立ちたいと英雄になりたいと思って冒険者を目指した。

だが神やニグン達との冒険で彼女は多くを学んだ。

なぜか自分は多大な評価を貰っているが自分が英雄でない事は自分が一番知っている、いや知ってしまった。

だからこそ今はもっと身近で人々の役に立ちたいと思い、ここに所属することにした。

以前とは違い、腐った王国に仕える兵士ではない。

新しい国を作る礎となれる事が嬉しく、また誇らしかった。

 

 

「しかしブリタよ、お前も腕を上げたな…。神から大層な二つ名を貰うだけの事はある」

 

「俺もそう思うぜ。すぐには無理でも蒼の薔薇のガガーランあたり目指せるんじゃねぇか?」

 

「やめて下さいよ二人とも、私はそんな凄い人間じゃないです。私はただ人々の役に立ちたいだけで…」

 

「うむ、立派な志だぞ」

 

「でもお前、神からしょっちゅう呼び出しかかってんだろ? 時間があれば会いに来てくれとかナザリックに仕えろとかそんなの。正直、ナザリックに仕えればこことは比べ物にならないくらい良い思いできると思うのにな」

 

「神様の気持ちは有難いですけど、ご厚意に甘えるだけじゃ立派な人間になれませんからね。私は私の力だけで誰かの役に立ちたいんです…!」

 

 

ブリタの言葉にガゼフが感動したように何度も頷く。

 

 

「あ…! そんなこと言ってる場合じゃなかった! パトロールの時間なんですって! まずい、このままじゃ遅れちゃう! 走りますよ二人とも!」

 

「ま、待てブリタ…!」

 

「あ、あいつ足速ぇ…」

 

 

ガゼフとブレインを引き剥がして走っていくブリタ。

戦闘力では二人にはまだまだ及ばないものの、天性の身体能力と共にクレマンティーヌと神を追う日々が彼女の足を鍛えたのかもしれない。

もうオッサンと呼んでもいい二人は元気な若者についていくだけで精一杯だった。

 

 

 

 

 

 

幕間。

 

 

「あぁ…! ブリタブリタブリタ…! あいつの頭が懐かしい愛おしい…! 飛び込みたい…! 体の全てを任せたい…! なんでだ…! なんであいつは俺の要望に応えてくれないんだ…! ちくしょう…! これだけあいつを求めているのに! 今となってはあいつだけが俺を癒してくれる存在だって言うのに…!」

 

 

ナザリックの自分の部屋で苦悶に喘ぐ名犬ポチ。

ブリタへ何度も手紙を送っているのだが返ってくる返事はそっけないものばかりだ。

無理やり連れてくることも出来るだろうがあまり大騒ぎにするとNPC達やクレマンティーヌあたりがキレ出す可能性があるので名犬ポチも遠回しに誘うしかないのだ。

結果としてブリタには自由を与えてしまっている。

低レベルになってしまった今となっては気軽に外に出る訳にも行かないので会いに行くことも出来ない。

会えないという現実が名犬ポチの執着をより強くする。

 

 

「うぅ…! 誰か俺を癒してくれぇ…」

 

 

名犬ポチの苦悩は続く。

 

 

 

 

 

 

エ・ランテルの宿屋の一室。

 

そこにはアダマンタイト級冒険者の蒼の薔薇の面々がいた。

いつしか冒険者達の代表のようになった彼女達は任務の合間を見ては各都市に寄って冒険者の心得を教えたり指南を施していたりする。

 

 

「うふふふ、でみうるごすさま…」

 

 

手に持っている手紙を読みながらうっとりとした表情を浮かべるラキュース。

それはまるで恋する乙女のようでもあり、黒粉をキメてハイになったようでもあった。

リーダーの変わり果てた姿にメンバーである彼女達は心底呆れた様子を見せる。

 

 

「まさかここまで酷いとはな…、しかしあのリーダーがこうなるとはな…。信じられねぇ…」

 

「全くだ…。仲間としては喜ぶべきなのだろうが…、あまりにも気持ち悪すぎる…」

 

「恋は盲目」

 

「痘痕も靨」

 

 

メンバーの白い目など気付いていないようでその手紙を読み進めていく。

 

 

「おい、何往復目だよ…。暇があったらずっと見てるぞ…」

 

「流石に止めるか…? 見てられん…」

 

 

そう言ってイビルアイがラキュースに声をかける。

 

 

「なぁラキュース。その、恋愛とかはいいと思うんだがそういうのは任務中というか、蒼の薔薇として行動している時は慎んだ方がいいのではないか…? そういうのはプライベートな時間とかでだな…」

 

 

イビルアイの発言に顔を真っ赤にしてラキュースが叫ぶ。

 

 

「べ、別に恋文とかそういうのじゃないからっ! ぜ、全然普通だからっ! そんな好きとか付き合うとかそういうことじゃ…!」

 

 

もうリーダーは駄目かもしれない。

ラキュースの分かり易すぎる嘘に誰もがため息を吐く。

 

神の奇跡の大魔法発動後に生存確認がされたデミウルゴス。

彼はナザリックの代表として王国の復興に尽くしてくれた。

王都での出会いもあり、ラキュースとデミウルゴスは文通をする仲にまで発展したのだ。

したのだが。

 

 

「あぁ、でみうるごすさま…。心の中に闇を抱えながらも世の為に尽くそうとするなんて気高すぎるわ…! ああ、それに私と貴方で闇を背負う者同士頑張りましょうですって…!? ふひひっ…。あぁ貴方の闇を少しでも私が背負えたらいいのに…。でもいけないわ、いくら世の中で種族の隔たりがなくなったとは言っても私と貴方は人間と悪魔…、決して相いれない存在…! それなのに求めあってしまうなんて…」

 

 

今日もラキュース劇場が始まり、蒼の薔薇の面々はもう見なかったことにする。

よくは分からないが幸せそうならもうそれでいいかと誰もが納得していた。

 

 

「こんなに愛していても決して二人が結ばれることはないのね…、でもだからこそ相手の事をここまで思えるのかもしれない…。あぁ、でみうるごすさま…、私の白馬の王子様…」

 

 

その後も色々と妄想が捗ったラキュースは鼻血を吹いて倒れた。

 

後の話になるが、ラキュースは一つの愛を生涯貫き、その身体は純潔のままであったという。

悲しい話にも聞こえてしまうが彼女の人生は常に幸福で満ち溢れていたらしい。

全く人間とは複雑怪奇なものである。

 

 

 

 

 

 

竜王国。

 

玉座の間では女王であるドラウディロンが今日もどんちゃん騒ぎをしていた。

 

 

「女王様! 飲みすぎです!」

 

「なんら固い事を言うら宰相! こんなにめでたい日なのら! お前も飲むのら!」

 

 

そうして宰相に無理やり酒を飲ませるドラウディロン。

酒に弱い宰相はすぐに倒れる。

 

それを見た周囲の犬達が宰相を運び介抱する。

 

あの事件以来、ナザリックの代表として獣王が竜王国に滞在していた。

主な任務は各国に犬達を派遣し、様々な仕事に従事させること。

教会の手伝いから、治安の維持の為のパトロール、さらにはその愛らしさから人間達の心の隙間に入りこむなど多岐にわたる。

十万を超える犬の管理と共に、手に入れた情報も全てがここに集まる。

その物量をもって現地の者達との接触を図る犬達はもはやナザリックにいなくてはならない存在である。

 

そして今日は名犬ポチが竜王国を訪れてからちょうど一周年になる。

竜王国の兵士や民達と共に犬達がパレード及び祭りの準備をしている。

歴史に新たな記念日が記されるのだ。

 

 

「くーん」

 

 

そして今日も獣王は配下の犬達に指示を出していく。

元々、これだけの数を束ねる優秀な王だったのだ。

種族が変わったとてそれは変わらない。

こうして獣王に支えられ竜王国はナザリックの最初の属国として栄華を極めていくのだ。

一節によると女王は平和ボケしてしまったらしいが本当に平和ならば誰も文句は言わない。

むしろ国民達は今まで頑張ってきた女王を崇め続けた。

それがより女王の平和ボケを助長させるのだがもはや誰も気にしていなかった。

宰相と獣王の力によって竜王国の平和は今日も保たれている。

 

 

 

 

 

 

深夜遅く。

 

暗闇の中で都市を疾走する5つの影があった。

その影から逃げ惑う数人の男達。

だが彼等は影からは逃げられない。

あっという間に捕まり、人気の無い場所へ引き摺り込まれる。

 

 

「さーて、こんなもんかねー」

 

「こっちも大丈夫ですボス」

 

「同じく」

 

「こっちも確保したわ」

 

「すんません、殺しちまいました」

 

 

4つの影が抱える男達は息をしているものの、1つの影が持つ男だけが死体となっている。

 

 

「んー、まぁ別に必要だったら向こうで蘇生してくれるから大丈夫でしょー。生死問わず私達はただ指示通りに邪魔者を摘むだけだしねー」

 

 

ボスと呼ばれた女がニヤリと笑う。

金髪の髪に猫のような印象を感じさせる目。

それはクレマンティーヌだった。

 

 

「しかし神とは言っても綺麗ごとだけじゃいかないんですね」

 

「そりゃそうだろうよ。それで終われば誰も苦労しねぇ」

 

「でもだからこそ私達が生かされてるんでしょ? 感謝しなきゃ」

 

「むしろ今の方が良い生活させて貰ってるからな、俺は文句ねぇぞ」

 

 

そうしてクレマンティーヌに付き従う4つの影は元八本指にして六碗のメンバーだ。

幻魔サキュロント。

空間斬ペシュリアン。

踊る三日月刀(シミター)エドストレーム。

千殺マルムヴィスト。

 

アダマンタイト級に匹敵する実力を持つ彼等はこの世界の人間ではトップクラスの実力の持ち主だ。

本来ならばデミウルゴスが誇る牧場に送られる予定だったのだが使い道があるとのことで仕事を与えられていた。

仕事をこなせば報酬も貰えるし、休暇も十分に貰えた。

まさに渡りに船だった彼等は誰もがデミウルゴスの提案に乗ったのだ。

 

彼等の仕事とは、クレマンティーヌの下に付き彼女と共に神に仇名す者達を探し出しナザリックに送ることだ。

 

いくら神が偉大だとて人間は愚かな生き物だ。

自分の欲望の為に人を騙したり金を盗む奴が出てくる。

もちろん人手の多さを重要視するナザリックにとって人間は大事な駒でありそうそう排除はされない。

だがやはり時には規格外の愚か者が出てくるのだ。

平和に甘え、それが当たり前のように傲慢に振舞う。

さらにその欲望は際限が無く、他者を陥れてまで自分の利益とするような者達。

それはナザリックの損失へと繋がるのだ。

デミウルゴスが許す筈はない。

 

 

「しかし最悪の場合、私達がもしバレて捕まったらナザリックの助力は無いんだからねー。絶対にしくじんないでよねー」

 

 

クレマンティーヌの言葉に4人が頷く。

なぜ彼らがこの仕事をするのに選ばれたのか。

それはもしナザリックに連なる者達がそれを行っていたと露見した場合に面倒な事になるからだ。

もちろんナザリックの力をもってすればいくらでも隠蔽できるし誤魔化せるだろう。

だがデミウルゴスは念には念を入れる。

汚れ仕事をやらせられる現地の者達がいるならその者らに任せておけば、仮に露見しても容易く切り捨てられるからだ。

もちろん彼等にはそこまで含めて説明している。

多少のことであればナザリックも手助けはするが取返しのつかないミスを犯した場合は見捨てるという条件の元の契約だ。

だが誰も文句はない。

元々そういう生き方をしてきたし、何よりあのままでは死ぬだけだったからだ。

同様に他の八本指の者達も利用価値ありと判断された者は様々な仕事に就いている。

例えば奴隷を扱っていた者達はその経験を買われ、デミウルゴスの牧場の管理を任されている。

麻薬密売に関わっていた者達は、様々な薬品を作る部門へと変わり牧場の中で人体実験をしていたりする。

他にも様々なものがあるが、いずれも表向きには出来ない仕事ばかりだ。

 

ではなぜその切り捨てられる者達の中にクレマンティーヌが混ざっているのか。

これは単純に本人の希望である。

神の次くらいに、人を殺すのが大好きで恋してて愛しており拷問も大好きな女だ。

人の性根はそうそう変わらない。

神の名の元にその行為が許されなければ大人しく従っていたかもしれないが、合法的に人を痛めつけられる仕事があると知ったクレマンティーヌが放って置くはずがない。

仮に何かあっても自分だけは逃げ切れる自信はあった。

名犬ポチからいくつか破格の装備を貰っている為、今の彼女を止められる存在はこの世界に数える程しかいない。

それにちゃんと仕事の際にはナザリックのバックアップもあるのでそういう者達とはちあうことも無い。

まさに至れり尽くせりなのだ。

 

ただ一つだけ心配なのはクレマンティーヌがこの仕事をしたいから外に出たいと言った時、名犬ポチが心底嬉しそうに許可したことだろう。

だが神から配偶者として添い遂げる『聖女』の称号を貰っているのだから気のせいだとクレマンティーヌは思っている。

少し前にもハードなプレイをしたばかりなのだ。

 

そんな事を考えながら彼女は久々の趣味を楽しんだ後、ナザリックへ帰還する。

果たして彼女の想いが報われる時は来るのだろうか。

 

 

 

 

 

 

ナザリック第10階層・大図書館「アッシュールバニパル」。

 

そこでは図書館の司書長であるティトゥスの下に新たに加わった者達がいた。

一人は霜の竜(フロストドラゴン)の一匹であるヘジンマール。

荷物の空輸をすることになった家族たちとは別で、彼は王都でアルシェの妹を助けた事が評価され図書館に勤務すると共に全ての本を自由に読むことが許された。

本好きであった彼は飛び跳ねて喜び、以後ずっと図書館に引きこもり本を読み続けていた。

 

さらにもう一人は帝国主席宮廷魔法使いであるフールーダだ。

ナザリックに忠誠を誓うと共に、現地での破格の強者というレアケースの為、特別待遇を受けるに至った。

基本的には帝国の仕事は引き続き行いながら空いた時間にナザリックを訪れては書物を読み漁っていくという生活を続けている。

本心ではヘジンマールのように引きこもりたいらしいが帝国の管理も任されているのでそうもいかないらしい。

 

そして最後の一人は六碗の一人である不死王デイバーノックだ。

当初、彼は他の六碗の者達と共にクレマンティーヌの下に付く予定だったがその任務の特性上、向いていないという事で見送りになった。

さらにアンデッドの為、デミウルゴスの牧場送りにされる事も無かった。

だが現地のアンデッドとしてモモンガが興味を持ち、知識を得ることで強くなれるのかという実験の為に魔法を学ぶ事を許されたのだ。

魔法の深淵を覗きたいという欲求はフールーダと通じるものがあったようで仲が良くなっているらしい。

 

以前よりも賑やかになった図書館を見てティトゥスは嬉しく思う。

図書館とは、知識とは求められなければ埋もれていくばかりだ。

それに至高の御方の創造した場所であり、その英知が凝縮された図書館を見て感嘆の声を上げる3人の存在が単純に心地よくもあった。

ティトゥスは本を整理しながら今日も嬉しそうに笑う。

 

 

 

 

 

 

世界を放浪する一人の男がいた。

 

それはかつて八本指という組織の中で六碗という最強の集団を率いていた者だった。

闘鬼ゼロ。

今はもう何者でもないただの男だ。

 

六碗の中だけで彼だけがデミウルゴスの提案に乗らなかった。

強者として生きてきた矜持がそのような生き方を許さなかったのだ。

だからこそ死でも拷問でも何でも受け入れるつもりであった。

しかしそんな彼に下された裁定は意外なものだった。

彼は生きてナザリックの外へ出る事を許された、自由を許されたのだ。

驚く事にそれを許可したのはナザリックのトップであるアンデッドだった。

 

簡単に言うならこの世界で実力者らしいお前を殺すのは惜しい。

お前が今よりも強くなれるというなら命は助けてやる、とそういうことだ。

 

要はモモンガの現地の者を使った実験の一つなのだが当の本人であるゼロは何も知らない。

あまりに意味不明な申し出に混乱するも、お前など殺す価値もないから強くなって出直せという風にゼロは受け取った。

どれだけ相手が強者といえ、弱者と蔑まれるのは我慢がならなかったゼロ。

そして彼は決心し武者修行の為に旅に出る事になる。

 

もう一度初心に帰って、挑戦者として自分を鍛え直すのだ。

不思議とゼロはそのことに少し興奮していた。

若い頃のような血沸き肉躍るような感覚を思い出していた。

悪事など考えた事もなく、ただ強さだけを求めていたあの頃を。

今の目的は、あの化け物達に自分の腕がどこまで迫れるかという事にしか興味は無かった。

 

無謀と知りつつ、彼は強さを求めてただ突き進む。

 

 

 

 

 

 

ナザリック第5階層「氷結牢獄」。

 

そこへはデミウルゴスがニグレドの元へと訪れていた。

モモンガに言われた通りニグレドのギミックを消化する。

 

 

「やあニグレド」

 

「あらどうしたのデミウルゴス」

 

「少しいいかな」

 

 

デミウルゴスの言葉にもちろんと返し、お茶を出すニグレド。

肝心のデミウルゴスは少し気まずそうにしていた。

 

 

「申し訳ありませんでしたニグレド」

 

 

そう言って頭を下げる。

だが言われた当の本人であるニグレドはポカンとしていた。

 

 

「何のこと?」

 

「貴方を殺害した事についてです。目的の為とはいえ…、大事なナザリックの仲間を手にかけるなど…」

 

 

唇を噛み締め、端から血が流れる。

デミウルゴスはこの事を心から反省していた。

 

 

「それならもう聞いたわ」

 

「いえ、ですが直接会って謝罪はしていません」

 

 

もちろん、蘇生後すぐにニグレドに謝罪の言葉は伝えたがそれはメッセージによるものだ。

あまりに多忙であった彼はナザリックの外に出る事も多くこれまで直接ニグレドに謝罪する暇がなかったのだ。

 

 

「気にしなくていいのに。そもそも私は何とも思って無いって前にも言ったでしょう? それに貴方が動いたから名犬ポチ様をお助け出来たのでしょう? ならば何も責任を感じる事なんてないわ。むしろこちらこそごめんなさい。私の妹が全ての原因、謝るべきはこちらよ」

 

「そんな、ニグレド…。貴方は何も悪く…」

 

「それにデミウルゴスが殺してくれていなければ私は妹の言う通りに動いていたでしょう。そうであれば結果も違ったものになってしまっていたかもしれない。貴方はシモベとして最高の働きをしたのよ、それを誇りこそすれ反省する必要なんてないわ」

 

 

顔の皮が無いがニコリとニグレドが笑う。

その言葉でわずかにデミウルゴスの罪悪感が軽くなる。

 

 

「ありがとうございます、そう言って頂けると私も少し楽になれますよ」

 

 

そう言ってほんの少しだがデミウルゴスが微笑む。

 

 

「私も時折、監視の目を飛ばすから各国の様子は見ているけど…。貴方人間の女にお熱なの?」

 

「は…? 何のことでしょう…?」

 

「内容は知らないけど人間の女と恋文を交わしているんでしょう?」

 

 

ニグレドの言葉にデミウルゴスが何かに気付いたように笑い出す。

 

 

「ああ、彼女のことですか? いいえ違いますよ。あれは魔の力に憧れているただの人間です。色々とナザリックの益の為に働いてくれているので目をかけているだけですよ。ウルベルト様から魔の力に憧れる者達の心理というものの知識を与えられていますからね。そちらへ導き、また彼女の中に潜む闇を刺激しているに過ぎません」

 

 

そう言って朗らかに笑うデミウルゴス。

 

 

「そう、かしら…? 私には恋する女性にしか見えないけど…」

 

「はっはっは! 千里眼を持つ貴方でも見えないものがあるのですね! それは勘違いですよ」

 

「うーん、本当にそうなのかしら…」

 

「そうですとも」

 

「そうなのね」

 

「もちろんです」

 

 

デミウルゴスの謎の自信に押し切られるニグレド。

まさかデミウルゴスにも理解できないものがあったとは誰も思わないのであった。

 

 

 

 

 

 

彼はある時、気づいてしまった。

 

 

「ちくしょぉぉぉおっ! なんでだよっ! なんでっ! ふざけやがってぇ! くそっ! くそがぁぁぁああ!」

 

 

誰もいない自らの部屋で突然怒りを吐露する名犬ポチ。

その表情はガチの怒りに染まっていた。

自分の最大最高の失態。

そして二度と取り返しの付かない最悪の悲劇に今更気付いてしまったのだ。

 

 

「嘘だぁっ…! 嘘だと言ってくれぇっ…! 開けっ! 開けよコンソールッ…!」

 

 

だがコンソールが開くことは二度とない。

よって名犬ポチの望みが叶う事はもうないのだ。

やがて名犬ポチの瞳が潤む。

怒りの叫びは次第に嗚咽へと変わり名犬ポチを苛んでいく。

彼は悲しみのあまり海よりも深く沈んでいた。

 

 

「こんなことになるなんて…! どうして俺はあの時…! どうして俺は…! ユグドラシル時代に…!」

 

 

流れ落ちた涙を拭くこともせず、感情のままに叫ぶ名犬ポチ。

 

 

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ナザリック全盛の時代、多くのメンバーがNPCを作る中、名犬ポチだけは一切興味を示さなかった。

他のメンバーが作ったNPC等はどんなものかと覗きに行ったり話を聞いたりしたが自分が作るということは一切考えていなかった。

あくまで心の設定としてはハードボイルドな一匹犬だからだ。

まぁスキルや魔法などは他者頼みのものばかりであるがそれはまた別の話だ。

 

そうして勝手に孤高を決め込んで気持ちよくなっていた名犬ポチだがここに来てその愚を悟る。

 

メンバーのNPCが動き出す所を目の当たりにして自分もNPCを作っておくんだったと後悔ばかりが押し寄せてくる。

もしかすると自分の趣味をさらけ出すことに恐れを抱いていたのかもしれない。

実際にキャラクターを作るとなると自分の趣味が反映されるだろう。

きっと下らぬプライドの為に興味が無いと思い込もうとしていたのだ。

パンドラズ・アクターのような最高にカッコイイNPCを作りたいという願望もあるが名犬ポチのセンスであれは不可能だ。

あれはモモンガの腕があってこその奇跡。

だが己の欲望を可視化したNPCならば名犬ポチにも作れたハズなのに。

 

 

「ペロロンチーノさんっ…! あんたが正しかったっ…! 自分の趣味に正直でっ! 畏れることもせず! あるがままだった貴方がっ!」

 

 

上を見上げ、眩しかったかつての仲間を幻視する。

 

 

「今はただ、羨ましい…」

 

 

変態と蔑まれていた彼が今はただただ偉大に思える。

 

 

名犬ポチはこの日、人生で一番、泣いた。

 

 

 




次回『エピローグ:後編』すまない。


感想で怪しんでいた方もいましたがその通りになりました。
正直、現地勢の話を書いてたらかなりの量になってしまった…、舐めていた…。
物語の〆って難しいですね、もっとこうスパッと綺麗に纏めたい気も…。
でも個人的に描写がないと寂しいと感じてしまうタイプなので…。
とはいえ、後はモモンガさんとかポチだけなので次で本当に最後です!

名犬ポチに栄光あれ!



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エピローグ:後編

前回までのあらすじ!


なんだかんだ各国は楽しくやってますよ


「ポチさん、今日もレベリングですか?」

 

 

ナザリック第9階層にある自室から出てきた名犬ポチにモモンガから声がかけられた。

 

 

「お、モモンガさん。うん、そう。しかし自動ポップのアンデッド相手だから全然上がらないわ」

 

「うーん、自動ポップの低レベル相手じゃキツいですよね。かといって外に出てもユグドラシルと違って効率的な稼ぎが出来そうな敵モンスターとかいないっぽいですし」

 

「まぁ別にすぐレベル上げなきゃ駄目なわけじゃないから気長にやるさ。長時間やるのもしんどいしコツコツと暇を見てやっていくよ」

 

「そうですか。じゃ、じゃあ、今日の夕方くらいから時間って取れたりしますか?」

 

「ん? 別に大丈夫だけど何か用事?」

 

「い、いえ、そういう訳じゃないんですが時間を作ってくれたら嬉しいかなって…」

 

「なんだよ、気になるなー。ハッキリ言ってくれよ」

 

「べ、別にそんな説明するような大した事じゃないんでっ…」

 

 

変によそよそしい態度でモモンガが去っていく。

名犬ポチは不思議そうにその背を見送る。

 

 

「変なモモンガさん」

 

 

だが名犬ポチは気付いていなかった。

これが地獄への呼び声だったことに。

 

 

 

 

 

 

「おかしい…」

 

 

ナザリック内を歩く名犬ポチはその違和感に気付いていた。

掃除をしている一般メイドの数が今日に限って少ないような気がするのだ。

それにいつもならレベリングに向かおうとすると野生の勘か何かで察したルプスレギナあたりが飛んで来るのだが今日は何の音沙汰も無い。

そもそもナザリック内にあまりNPC達の気配を感じないのだ。

一部の者達を除き、現地の支配は基本的には現地の者達に任せており、現在復興が終わっている国はナザリックからさほど人材を派遣してはいない。

だからナザリック内にはNPCが溢れている筈なのに。

 

 

「まさか…、何かあったのか…?」

 

 

名犬ポチの頬を冷や汗が流れる。

自分の知らない所で何か大変な事が起きているのではないかと考える。

一人でなんでも抱え込もうとするモモンガの事だ。

仮に何かあっても名犬ポチに迷惑がかからないようにと考えるに違いない。

何より今の名犬ポチはレベル10ちょっとしか無いのだ。

荒事になったら間違いなく生き残れない。

 

 

「水臭ぇなモモンガさん…! 困った事があれば俺を頼ってくれればいいのに…! 弱くなったとはいえ力にぐらいなれるぜ…!」

 

 

そうして名犬ポチは先ほど別れたモモンガを探し始める。

だがしばらく探してもどこにもいなかった。

もちろんメッセージの魔法は通じない。

出会ったNPC達に尋ねるが誰も知らないという。

しかもモモンガだけでなくNPC達も変によそよそしい。

どうしたのかと訊ねても誰もがはぐらかす。

やはり何かがおかしい。

 

 

(俺の知らない所で何かが起きている…、間違いなく…!)

 

 

名犬ポチは確信する。

間違いなくナザリックに、あるいはこの世界に不測の事態が起きていると。

モモンガは夕方頃に時間があるかと聞いてきたがそれは事が終わってから話すということなのかもしれない。

 

 

(それまで大人しく待っている訳にもいかねぇな…。モモンガさんに危機が迫っているっていうなら今すぐに助けにいかねぇと…)

 

 

そうして名犬ポチはナザリックを駆けていく。

モモンガから再び渡されたリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは部屋に置きっぱなしにしているのでそれを取りに戻る。

あれがなければすぐにナザリックの外に出ることは出来ないからだ。

だが自分の部屋に戻った時、部屋の前には一人の一般メイドが立っていた。

 

 

「ん? なんでここに立ってるんだ? ちょっと部屋に戻りたいから通してくれ」

 

「申し訳ありませんがそれは出来ません。モモンガ様の御命令で名犬ポチ様の部屋を綺麗に掃除するようにと仰せつかっております。それが終わるまでは立ち入りの方はご遠慮願いたいのですが…」

 

「あ、そうなの? ご苦労様。ていうか指輪取るだけだからちょっと通して」

 

 

そうしてドアを開けようとする名犬ポチを遮るように一般メイドが間に入る。

 

 

「申し訳ありません、現在入室はご遠慮して頂きたく…」

 

「えっ? いやいや、だからすぐ終わるって」

 

 

だが一般メイドは頑なに名犬ポチの入室を拒む。

流石の名犬ポチもこれは何かがおかしいと感づき始める。

しばらく問答を続けていると奥の通路から10人程のショッカーのような使用人に抱えられたイワトビペンギンが現れた。

 

 

「これはこれは名犬ポチ様、ご機嫌麗しゅう…」

 

「エクレア!?」

 

 

そのペンギンはエクレア・エクレール・エイクレアー。

餡ころもっちもちによって制作され、冗談ではあるがナザリックの支配を狙っているという設定を与えられているNPCである。

もちろんナザリックへの忠誠は他のNPCと同様にあるのだが、冗談とはいえその発言から他のNPCにはあまり好まれてはいない。

一応、黒ネクタイを締めているが他はほぼ全裸という恰好である。

とはいえ動物的な姿なのでセーフであろう。

そういう言い方をしてしまえば名犬ポチとて常に全裸なのだから。

 

 

「そんなに切羽詰まった様子でどうなされましたか? 少し落ち着かれた方がよろしいのでは? 部下に何か飲み物を準備させましょう」

 

「いや、いい。今はそれどころじゃないんだ…」

 

 

エクレアの提案は素直に嬉しいが今はそれどころではない。

現在ナザリック内にいないモモンガを探しに行かなければいけないのだから。

 

 

「おや、もしかしてお腹が空かれていましたかな? ではピッキーに連絡をして何か食事を作らせましょう」

 

 

ピッキーとはナザリックの副料理長の事である。

エクレアは愛称を込めてそう呼んでいる。

 

 

「いや、今は本当にいいんだ」

 

「ご遠慮なさらずに。もしかして名犬ポチ様はお疲れなのでは? 使用人達、名犬ポチ様をスパにお連れしなさい」

 

 

エクレアの言葉を受け、数人の使用人達が名犬ポチを抱え上げる。

 

 

「なっ!? や、やめろ! 今はそれどころじゃないんだ!」

 

「そんなことはございません。少しゆっくりしていれば終わりますゆえ…」

 

「…終わる?」

 

 

エクレアの発言に不穏な気配を感じる名犬ポチ。

いいと言っているのにエクレアの使用人達も一向に名犬ポチから手を離す気配がない。

嫌な予感がする名犬ポチ。

 

 

(な、なんだっていうんだ…!? ま、まさかエクレア…! あの冗談が本気に…!?)

 

 

無いとは断言できない。

モモンガの改変があったとはいえアルベドの例もあるのだ。

エクレアにも何らかの変化があってもおかしくない。

 

 

「くっ!」

 

 

使用人達を振りほどき、逃げ出す名犬ポチ。

すぐさま物陰に逃げ込み姿を眩ます。

 

 

「め、名犬ポチ様どちらへっ!? くっ! し、使用人達よ、すぐに名犬ポチ様を探すのだ! 決してナザリックから出してはならないぞ!」

 

 

エクレアの言葉を受け、使用人達が散らばる。

影でそれを見ていた名犬ポチは戦慄する。

 

 

(な、何が起きている…? まさかモモンガさんがいない隙にナザリックの支配を…? い、いやそれにしてもモモンガさんと大量のNPCが姿を消している事の説明にはならないぞ…。何だ、一体全体何が起きているっていうんだ!? それに俺をナザリックの外に出したくない理由とは…!?)

 

 

あまりにも情報が足りない。

ここでは何の判断もできない名犬ポチ。

どちらにせよ一度ナザリックから出なければならないと判断する。

すぐに第9階層を抜け、第8階層へと上がる。

だが第8階層に着いた時にNPC達に気付かれた事を察知した名犬ポチ。

すぐに物陰に隠れるが、第9階層で撒いたはずの追っ手達もすぐに転移門から第8階層に現れる。

 

 

(しまったオーレオールか!)

 

 

オーレオール・オメガ。

プレアデスの末妹にして第8階層桜花聖域の領域守護者である。

ナザリックの転移門の管理を一手に担っており、階層の移動は全て彼女に把握されてしまう。

 

 

(俺の階層の移動と共にNPC達を差し向けたってことは…、まさかオーレオールも…。まずいぞ、あいつが敵側に着いたらナザリック内じゃ逃げられねぇ…!)

 

 

恐ろしい予感に背筋が凍る名犬ポチ。

ナザリックの外に出るまではまだ7回も転移門を通らなければならない。

それを全て把握されるのは致命的とも言える。

いくら撒いても階層を上がるごとにリセットされすぐに追っ手も上がってきてしまうだろう。

だがしばらくして完全に物陰に隠れていた筈の名犬ポチへ一匹のNPCが近づいてきた。

 

 

『これはめいけんぽちさま、このようなところでいったいなにを?』

 

 

表れたのは第8階層の階層守護者であるヴィクティム。

エノク語、もとい五十音を絵の具の色名に変換して話す奇怪な言語であるが名犬ポチには何を言っているのか把握することができた。

この世界に来たことで言語的な壁が無くなっているせいかもしれない。

 

 

(ば、馬鹿な…! な、なぜ隠れているのに位置がバレる…!? ヴィクティムにそんなスキルは無いはず…! ッ! ま、まさかニグレドか!?)

 

 

咄嗟に思いついたのはニグレドの存在。

探知することにかけてはナザリック1を誇るNPC。

そしてこの考えは当たっていた。

彼女の探知が存在する以上、まともな方法でその探知から逃げることは不可能だ。

 

 

(まさかニグレドまでっ…! く、少しだがレベリングをしていて助かったな…! <小動物の気配>!)

 

 

切っていたパッシブスキルを発動させる名犬ポチ。

小型犬の種族数を10重ねると取得できるスキル。

探知系の魔法やスキルが効かなくなり、ただの小動物としか認識できなくなる。

だがこのナザリックには他の小動物はいない為、完全に騙しきるには不足であろう。

だがそれでも反応が弱くなるため、認識を遅らせる事は出来る。

その証拠にニグレドの探知が途絶え、追加情報が上がって来ないのかヴィクティムは移動する名犬ポチを把握できていない。

 

 

(やはり見失った! しかし俺の事を探知してNPCを差し向けるとはニグレドも敵に回っているということか…! クソッ! 一体何が起こっているっていうんだ!?)

 

 

探知、あるいは監視にかけてニグレドとオーレオールというナザリック最悪の二大巨頭が敵に回ってしまったことに名犬ポチは言い様の無い不安を覚える。

もはやナザリックに安息の地はない。

最初はモモンガの為と思っていたが、今は自分の為にもナザリックを出なければならない。

 

荒野である第8階層はナザリックの秘密兵器達を除けばさほどNPC達は配置されていない。

容易く踏破し第7階層へと上がる名犬ポチ。

姿を消すアイテムと気配を誤魔化すアイテムを使用し、簡単には探知できないようにする名犬ポチだが何者かが転移門を通ったという事は分かるのだろう。

少ししてすぐに転移門から追っ手が出てくる。

 

 

(くっ…! 俺の持ってるアイテムじゃ完全には誤魔化せないし看破系のスキルを持っているNPCには通用しねぇ…! 上手い事逃げないと…!)

 

 

溶岩が広がる第7階層の大地をひたすら走る名犬ポチ。

装備によって熱ダメージは無効化しているので平気である、そうでなかったらもう死んでいた。

デミウルゴスの住居である赤熱神殿へと向かう。

なんとなくデミウルゴスならば力になってくれそうだと思ったからだ。

だが悲しいかな、デミウルゴスは不在であった。

元々デミウルゴスは多忙な為ナザリックの外に出ている事も多い。

恐らく今もそうなのであろう。

 

 

(ちくしょうがっ…! なんとか自力で逃げるしか…)

 

 

赤熱神殿から出ようとした名犬ポチだが何者かの気配に気づき物陰に隠れ、息を殺す。

 

 

「今連絡があった! 名犬ポチ様がこの階層に入ったらしい!」

 

「なんだと!? まさか外に出ようとしているのか!? マズいぞ…! なんとしてでも御止めせねば…」

 

「デミウルゴス様からも絶対に出すなと命じられているからね…、すぐに探しましょう!」

 

 

そこにいたのはデミウルゴス配下の3魔将だった。

彼等は話し終えるとすぐにバラバラに飛んでいった。

 

 

(デ、デミウルゴスの命令だとっ!? な、なぜだお前まで俺の敵に回ったっていうのかっ!)

 

 

外での事もあり、より深い信頼を置いていたデミウルゴスまでもが敵に回ってしまっているかもしれないという事実に名犬ポチは打ちのめされる。

だがここでクヨクヨしている訳にはいかない。

どうやら名犬ポチが考えるより遥かに事は重大そうだからだ。

 

 

(待ってろモモンガさん…! 何があっても俺が助けてやるからな…!)

 

 

そう心に誓ってレベル10の雑魚犬は走っていく。

 

 

 

 

 

 

第6階層のジャングルは地獄だった。

探索や察知能力に秀でている動物型のNPCが数多く配置されているからだ。

名犬ポチは何度も見つかりそうになるもギリギリで回避し逃げ切っていた。

アウラがこの場にいなかった事は幸いだろう。

もしアウラがいれば名犬ポチの現在の装備とアイテムでは看破されていた可能性も高い。

 

次は第5階層の氷河。

ここも本来は冷気ダメージ及び行動阻害のエリアエフェクトに包まれているがコスト削減の為に現在は切っている。

ここは第6階層ほど探知に優れた者達はいないが八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)のように自らが隠れ潜むのを得意とする者達が多い。

だがここはユグドラシルプレイヤーである名犬ポチ。

自身の記憶と経験からその全てを見破り回避することに成功する。

 

そして第4階層の地底湖。

ここには地上に配置されているNPCは少ない。

地底湖には多数の水棲NPCが配置されているが一部のルートを通れば歩いたまま踏破できる。

幸いこの通路にNPCが配置されるより早く通ることが出来たためか邪魔者は誰もいなかった。

 

そしてある意味ナザリック最大の難所である第1~3階層の墳墓。

入り組んだ迷路のようになっており、各所に様々なトラップが仕掛けられているがギルドメンバーである名犬ポチはその全てを熟知している。

今最も恐ろしいのは各階層からの追っ手が全てここに集まってきている為、場所によっては完全に通行止めになっていることだ。

 

 

(くそ…! 今になって単身でナザリックを踏破することになるとはな…!)

 

 

だが通路のその狭さから流石の名犬ポチも追っ手から逃れるのは至難の業だった。

途中で何回かはちあう事になったが上手いこと罠に誘導しハメることで何とか追っ手から逃れていた。

しかし追っ手は増えるばかり。

途中で黒棺(ブラックカプセル)の罠にハメたNPCが出てきたのだろう。

そのNPCと共に大量のGが墳墓内に解き放たれた。

小さく素早い彼等はその数の多さを生かし、一気に墳墓内へと広がっていく。

やがて名犬ポチの前にも大量の黒光りするGが津波のように迫ってくる。

 

 

「うわぁぁああぁぁっ!!!」

 

 

そのおぞましさに絶叫を上げ全力で逃げる名犬ポチ。

 

 

「名犬ポチ様! 探しましたぞ! 我輩です恐怖公でございます! さぁ! 今すぐお戻りになられますよう!」

 

 

第2階層の一区画である黒棺(ブラックカプセル)を任された領域守護者の恐怖公。

概観は体高30cmほどの直立したGで顔面は正面を向いている。

貴族然とした振る舞いと衣装を身に纏い、王冠を被っている。

黒光りする津波の先頭にいた彼は銀色の大きなGであるシルバーゴーレム・コックローチに騎乗していた。

 

肉体に精神が引っ張られているとは言っても元は一般人である名犬ポチ。

彼もその黒光りする物体には恐怖を感じざるを得ない。

幸い、逃げ惑う途中で出会った女性系のNPC達は彼等をみるなり逃げ惑うか失神しだしたので名犬ポチはいくつかの追っ手の集団から難なく逃れることに成功した。

何匹か体に纏わりついてきたG達だが単体ではさほど脅威ではないので名犬ポチを止めるには至らない。

Gの津波にさえ飲み込まれなければ十分に逃げ切れる相手であった。

 

 

 

「ひぃっ…! ひぃぃぃいっ!」

 

 

やがて墳墓の入り口が見えた。

そこから差す光はまるで名犬ポチを癒すかのように温かかった。

そして第1階層の入り口を抜け、地上の大霊廟へと出ることに成功する名犬ポチ。

だがそこにはナザリック内にいなかったはずのNPC達が大勢いた。

 

 

「な…!」

 

 

その全員の視線が出てきた名犬ポチへと注がれる。

後ろからは追っ手のNPC達が迫っている。

もう逃げ場は無い。

終わった、そう思い膝から崩れ落ちる名犬ポチ。

だが地上にいる大勢のNPCをかき分けて出てきたのはモモンガだった。

 

 

「ポチさん!」

 

「モ、モモンガさんっ!? 良かった助けてくれ! なんか皆、変なんだ! なぜか俺を…」

 

 

仲間の姿に一気に安堵感に包まれる名犬ポチ。

何が起きたかわからないがこれで無事に済む、そう思った。

だがモモンガが口にした言葉は――

 

 

「まさかNPC達を振り切ってここまで来るなんて思いませんでした、流石ですポチさん」

 

「モ、モモンガさん…?」

 

 

仲間の様子がおかしい事に名犬ポチはわずかに震える。

いつものモモンガと違い、そこにはある種の冷酷さを感じさせる。

 

 

「今日はレベリングをするって言ってたじゃないですか…、困りますよ…? 勝手に出てきて貰っては…」

 

「お、おい何言って…」

 

「皆、ポチさんを抑えなさい。こうなった以上眠ってもらうしかない」

 

「なっ!? ど、どういうことだモモンガさんっ! 何のつもりだっ! やめろっ、離せっ! 離せぇぇぇえ!」

 

 

名犬ポチの叫びには答えず、近くにいたNPC達は名犬ポチを押さえつける。

 

 

「大丈夫です、すぐに済みますから…」

 

「ど、どうしちまったっていうんだモモンガさんっ! ま、まさか今までの全部アンタが…!? な、なぜだ、なぜこんなことをっ! 頼む、離せ離し…て、く……」

 

 

モモンガが名犬ポチに魔法を唱えて眠らす。

今の名犬ポチに抗う手段などある筈もなく一瞬にして眠りに落ちる。

だが眠りに落ちる間際、名犬ポチの目に映ったモモンガは邪悪に笑っていた。

仲間の突然の豹変に名犬ポチは怯えるしかできなかった。

 

絶望の中、名犬ポチの意識は闇に閉ざされた。

 

 

 

 

 

 

「う…うぅん…?」

 

 

名犬ポチは第9階層にある自室で目覚めた。

あれからどれだけの時間が経ったのだろう。

いや、そもそもあれは現実だったのか?

何よりモモンガが名犬ポチにこんな事をする筈がない。

もしかすると夢だったのではと夢想する名犬ポチ。

そう思っているとドアを開けモモンガが入室してきた。

 

 

「ポチさん、もう起きてましたか」

 

「モモンガさん、か…」

 

 

名犬ポチは訝しんだ視線でモモンガを見やる。

その視線にすぐモモンガが口を開く。

 

 

「すいませんポチさん、ああするしかなかったんです」

 

 

モモンガのその言葉に夢では無いと思い知らされる。

一体何があったのか、そもそもどうしてモモンガはNPC達に命じて名犬ポチをナザリック内に拘束しようとしたのか、だがその質問にモモンガが答えることはなかった。

 

 

「今は言えません、本当にごめんなさい」

 

 

再びモモンガが頭を下げる。

その様子にモモンガ自身がおかしくなった訳ではないのかと名犬ポチは判断する。

 

 

「なぁモモンガさん、何か困ってた事があったんじゃないのか? そうなら言ってくれ、確かに今の俺は弱い。でも弱いなりに戦い方ってもんを心得ているつもりだぜ…? きっとモモンガさんの役に立てる…」

 

「ふふ、ありがとうございます。でも別にそういう事じゃないんです」

 

「じゃあ何だってんだ? ああもう! 全然分かんねぇ!」

 

 

プンスカと怒りを露わにした名犬ポチは布団の中に潜り込む。

スネた様子の名犬ポチにモモンガも少しオロオロとする。

その時、再び誰かがドアを開け入室してきた。

 

 

「失礼します。モモンガ様、準備が出来たようです」

 

「そうか、ありがとう。すぐに行くと言ってくれ」

 

 

モモンガの返事を受け、入室してきたユリが再び出ていく。

 

 

「じゃあ行きましょうかポチさん」

 

「??? なんだよ、出るなっつったり今度は行くっつったり…」

 

「まぁまぁ、すぐに分かりますから」

 

 

名犬ポチを宥めながら部屋を出るモモンガ。

続いて名犬ポチも部屋を出るとそこには《ゲート/異界門》があった。

 

 

「じゃあポチさんどうぞ」

 

「ふん、俺のことやるなら好きにしろよ。どうせモモンガさん相手じゃ抵抗できねぇしな…」

 

「??? 何言ってるんですかポチさん」

 

「え? 俺のことボコるつもりじゃないのか?」

 

「何言ってんですか、そんなことするわけないでしょ」

 

「やっぱりわかんねぇ」

 

 

名犬ポチに痛い目を見せるつもりでもないのならなおさら目的が分からない。

しょうがないので渋々と言う通りに《ゲート/異界門》をくぐる名犬ポチ。

抜けた先はナザリック地下大墳墓の外、大霊廟の入り口に当たる部分だった。

目の前に広がるのは夕暮れに染まった草原。

だがそこには無数の人間達が何かを手に持って待機していた。

次に聞こえたのは銃のような発砲音、その全てが名犬ポチへ――

 

 

 

 

 

 

「「「神様ー!」」」

 

「「「神様万歳ーっ!」」」

 

「なっ…!?」

 

 

姿を現した名犬ポチに向かって大勢の人々がクラッカーのような物を鳴らす。

その数の多さからそれは爆音のように名犬ポチへと襲いかかった。

その爆音と共に大量の紙テープや紙吹雪が名犬ポチへと振り注ぐ。

あっという間に名犬ポチの身体は埋もれてしまった。

慌てて名犬ポチはその中から這い出てくる。

 

 

「な、何なんだ一体…!?」

 

 

混乱の極みにある名犬ポチには全く状況が把握できない。

そんな名犬ポチへモモンガが歩み寄る。

 

 

「どうやら名犬ポチさんが竜王国を訪れてから一周年らしいですよ、一週間前がその記念日なんですって。そして今日が竜王国がポチさんに従属した日らしいです。国を訪れた日から国を救い従属するまでの一週間を記念日として祭りやパレードを大々的に行っていたらしいですよ。女王が率先して行ってたとか」

 

「な、なんだそりゃ初めて聞いたぞ…」

 

「何回か打診のようなものはしていたらしいですがポチさん外には出ないって頑なに断ってたらしいので…」

 

「あ…」

 

 

詳しい話は全く聞いていなかったが何やら色々と誘われていたような記憶はある。

興味が無いので完全に聞き流していた。

 

 

「それで現地の人たちが最終日にポチさんにサプライズをするんだってわざわざ集まってくれたんですよ」

 

 

モモンガの言葉に名犬ポチが周囲を見渡す。

確かに周りの草原には簡易テントや屋台のような物がひしめき、大きな幟が立てられ、色とりどりの看板もある。

空には大小さまざまな風船が流れ、至る所から美味しそうな匂いが漂っていた。

さらにその規模はあまりに大きく、見渡す限りの草原の中で数え切れない程の人がひしめき合っており、まさにお祭り会場という様子だった。

 

 

「これ全部現地の人たちが準備してくれたんですよ、私やNPC達は何もしてません。まぁ各国への通達と人混みの整理とかはしてましたが…」

 

 

ポリポリと頭をかくモモンガ。

その後、色々と説明を受ける名犬ポチ。

各国の重要人物や王族までここに集まっているらしい。

人間だけでなく、亜人種の姿も見受けられる。

 

 

「ポチさん、せっかくだから歩いて周りましょうよ」

 

「え、えぇ…、何か皆見てるし俺いいよ…」

 

「何言ってるんですか! ポチさんの為に皆が準備したんですよ! 周ってあげなきゃ可哀そうですよ!」

 

 

モモンガの押しもあって渋々名犬ポチが会場を周っていく。

人混みは嫌いなんだよなぁとか思っていたのだが名犬ポチが歩くと人々が綺麗に割れていき道を開けていく。

 

 

「うわぁ…」

 

 

逆に歩きにくいやつである。

皆の視線の中、痛々しい気持ちで歩を進める名犬ポチ。

だがその人混みの中に見覚えのある顔を見つけ声をかける。

 

 

「あれっ、お前らどこかで…。誰だっけ?」

 

 

この二人の姉妹をどこで見たんだったかと思い出そうとする名犬ポチ。

 

 

「わ、私エンリっていいます。あ、あの神様、あの時はカルネ村を助けてくれてありがとうございました!」

 

「私ネムだよ! あのときはありがとーございました!」

 

 

エンリとネムが名犬ポチへ頭を下げる。

エンリの言ったカルネ村という言葉でこの二人を思い出す。

 

 

「ああ! カルネ村の!」

 

 

名犬ポチが転移してきて最初に立ち寄った場所であり、初めて会った人間だ。

 

 

(俺をナメやがったクソ姉妹だな…! クックック、それにカルネ村…。確か俺が絶望の底に叩き落した村だな…? 覚えてるぜ…! お前らの恐怖し悲しむ姿をよう…!)

 

 

一度でも悲しい最愛の人の死を二度味わわせる為に村中の人間を蘇生するという悪逆非道な行いをした名犬ポチ。

死んだ人間が蘇り、また死に目にあわなければならない地獄に村中の誰もが怯え泣いていた。

 

 

(フフ、俺が支配する今の世でも地獄だろうに、俺の機嫌を取るためにわざわざとご苦労なことだぜ…)

 

 

邪悪な顔で笑う名犬ポチ。

笑顔の表情の裏では悲しみと恐怖に染まっているのかと思うと名犬ポチの嗜虐心が満たされていく。

 

 

「あ、あの! 神様のおかげでカルネ村もすっごく発展しました! 神様が最初に降臨した場所という事で聖地だって言われるようになって敬虔な信者の方達が沢山村に来られるようになったんです! 今では住む人も増えてきて、もっと村が大きくなったら私達も神様が降臨された日を記念日にしようかって思ってるんです!」

 

(頼むからやめてくれ…)

 

 

嗜虐心に溢れていた名犬ポチの心が一瞬で冷えていく。

今日みたいな日が他にも増えるかと思うと激萎えどころの話ではない。

 

 

「あのね、あのね! 私またルベドちゃんとお友達になれたんだよ! 前に友達だって言ったのに私ルベドちゃんに酷いことしちゃったの…。ルベドちゃんが私の事守る為にやってくれたのに私怖くてお礼も言えなくて…、それにルベドちゃんに悲しい顔させちゃったの…。ずっと謝りたかったのに次に会った時はルベドちゃん何も覚えてなくて…。でもね、ルベドちゃんがまた友達になってくれたの! だから私今度はちゃんとルベドちゃんと向き合うんだ!」

 

(やべぇ…、何言ってるか全っ然わかんねぇ…。まぁ子供だしな…? ていうかルベドの友達なのか…。そういえばネムって聞き覚えがあるな。仕方ねぇ、カルネ村の扱いはもう少しマシにしてやるか…)

 

 

ネムの子供特有の何言ってるか分からない話を頷きで誤魔化す名犬ポチ。

そしてこの決断がさらにカルネ村を発展させることになるとは露程も思わない名犬ポチ。

 

エンリとネム、そして周囲にいたカルネ村の人々の視線を受けながらまた歩き出す名犬ポチ。

次に視界に入ったのはかつてエ・ランテルで出会い、この名犬ポチに無礼を働いた4人組の冒険者である。

 

 

「あっ! テメー、ニニャだな!? お前らのしてた会話で名前覚えてんぞ! あの時受けた屈辱、片時も忘れた事はなかったぜ!」

 

 

むしろずっと忘れていたのだが気持ち的には忘れていないのだ。

 

 

「あぁーっ! 覚えててくれたんですね! すいません、まさかあの時はそんな凄い方だとは…! でも、あー! やっぱり可愛いーっ!」

 

 

ニニャは出会った時と同じように名犬ポチに近寄ると頭を撫で始める。

必死に抵抗する名犬ポチだが今の能力値では人間相手にジャレているようにしかならない。

レベル10とはいえステータス的には人間より弱いのだ。

 

 

「く、くそがっ…! 離せっ! 離しやがれぇーっ!」

 

 

怒りのままに暴れる名犬ポチを見てニニャが困ったような顔をする。

 

 

「あぁ、神様なんか機嫌が悪いみたいです」

 

「こういう時は前と同じく骨をあげればよいのである」

 

「そーだなー! 前も骨には夢中だったし」

 

 

ニニャの後ろからダインとルクルットがそう声をかける。

 

 

「ちょうどそこの屋台で買った骨付き肉がありますよ、さぁニニャ」

 

「ありがとうございますペテル!」

 

 

そう言ってペテルが骨付き肉を差し出し、それを受け取るニニャ。

 

 

「さぁ神様どうぞ! 美味しいですよ~!」

 

「なっ、き、貴様、な、何のつもりだ…! お、俺がそんな…!」

 

 

下等生物からの施しなど屈辱的で受け取る気にさえならない筈なのだが、かつてのエ・ランテルと同じように何か沸き上がるものを抑えきれなくなっていく名犬ポチ。

わなわなと体が震え、コントロールを失っていき、最後には。

 

 

「あぁああああぁぁぁああああ!!!!!」

 

 

名犬ポチはニニャの差し出す骨付き肉へと噛みつきしゃぶりついた。

そのまま奪い取り両手で抱えながらペロペロ舐める姿にニニャはご満悦だった。

 

 

「ちくしょう! すっごい屈辱的! でも抗えない! なんだこの不思議な気持ち! くそ、やはり俺は根っからの犬になっちまったっていうのか! 骨うめぇえぇえええ!」

 

 

あっという間に冷静さを失い舐め続ける名犬ポチ。

だがすぐに周囲の目を気にして冷静さを取り戻す。

 

 

(や、やべぇ…! こ、ここにはナザリックのNPC達もいるんだ…! た、耐えなければ…!)

 

 

自らの本能と戦い、内なる衝動に必死で抗う名犬ポチ。

見ている者は気付かないだろうが、今名犬ポチの中では壮絶な戦いが繰り広げられているのだ。

 

 

「あ! ニニャこんな所にいたのね、探してたのよ!」

 

「姉さん!」

 

 

ニニャの姉らしき人がこの騒動でニニャを見つけたのか近づいてくる。

 

 

「そうだ! 神様にもお礼を言っておかなきゃ! 神様のおかげで姉さんとまた会う事が出来たんです! 最低な貴族達はいなくなったし姉さんも無事に帰ってきました! 全部、神様のおかげです!」

 

「初めまして神様。私、ニニャの姉でツアレニーニャと言います。妹が色々とお世話になったようで…。現在はエ・ランテルの孤児院でユリさんの元で働かせて頂いております」

 

 

ちなみにツアレニーニャはナザリックの者達と関係無い所で王都でゴミのように死んでいたのだが、それがナザリックが転移してきた後だった為、名犬ポチの魔法で蘇ることが出来たのだ。

 

だがそんな彼女達の言葉などは欠片も名犬ポチの耳には入っていない。

未だに内なる葛藤を繰り広げているのだ。

しかしそこに新たな人間が現れる事で名犬ポチの葛藤は終わりを迎える事になる。

 

 

「こんなの別に美味しくない…こんなの別に美味しく…あっ! ブリターッ!!!」

 

 

名犬ポチは愛する最高のソファーを発見すると一目散に駆けていく。

ずっと望んでいた存在であり、癒しの空間。

駆け寄りその頭へと飛び乗る。

 

 

「きゃあっ! か、神様じゃないですか! 急にビックリしましたよ!」

 

「あぁブリタやっぱりお前最高だぜぇ…!」

 

 

鳥頭と呼ばれるブリタの頭に体をうずめ、快楽を享受する名犬ポチ。

 

 

「なんでお前ナザリックに来ないんだよ~! ずっと来てくれって手紙に書いたじゃねぇかよ~!」

 

「すみません、神様…! 申し出は嬉しいんですが私は私なりに人の役に立ちたいんです…! だから見守ってて下さい! 私ちゃんと人の役に立ってみせますから!」

 

 

全然説得出来なそうなブリタの気配にしょんぼりする名犬ポチ。

だがそう簡単には諦められない。

今の名犬ポチにとってブリタだけが癒しであり、ブリタ以上の存在などいないのだから。

しかし。

 

 

「おいブリタ! こんな所にいたのか! すぐに来い喧嘩だ!」

 

「まったくよー、せっかくの祭りだってのにたまったもんじゃねぇよなぁ?」

 

 

そこにいたのはガゼフとブレインだった。

どちらも名犬ポチと面識はあるのでその姿を見るや緊張した面持ちになる。

 

 

「ややっ! これは神どの…! カルネ村ではお世話になりました…! あの時はそうとは知らず無礼を働き本当に申し訳ありませんでした…」

 

「やっぱり本当に神様なんだなぁ、なんかずっと実感わかなかったけど改めて俺は凄い奴と戦って負けたんだなと思うぜ。ま、敗北を知れたのは良かったよ、感謝するぜ神さん」

 

 

深々と頭を下げるガゼフと軽口のようにも聞こえるが真摯さがこもっているブレイン。

 

 

「ああっと! 神どの申し訳ありません! 私達はこれから喧嘩の仲裁に行かなければならないのでこれでっ! ほら行くぞブリタ!」

 

「じゃーな神さん、元気でな」

 

「あぁっ! 二人共待って下さいよ~!」

 

「うわぁぁっ!」

 

 

ガゼフとブレインを追って走り出すブリタの頭から転げ落ちる名犬ポチ。

地に伏した名犬ポチはブリタの背へ手を伸ばす。

 

 

「行くなっ…! 行かないでくれブリタッ…! 頼む、俺にはお前が必要なんだぁっ…!」

 

 

泣きながらブリタの名を呼ぶがすでにその姿は無い。

あまりの悲しみにその場で泣きじゃくる名犬ポチ。

その時、横から酒が差し出された。

 

 

「やー神様! 何らつらい事れもあっらのか? こういう時は酒れも飲んれ全てを忘れるのら!」

 

 

酒を差し出してきたのは竜王国の女王、ドラウディロン。

今回の元凶である。

 

 

「な、お、お前だなっ! ちくしょう、お前何の恨みがあってゴポポポッ!」

 

「飲むのら飲むのら! さぁさ神様も飲むのら!」

 

 

そう言って完全に泥酔状態であるドラウディロンは名犬ポチに無理やり酒を飲ませる。

それを見た宰相と獣王が飛んで来る。

 

 

「な、何を為さっているのですか女王! 全くこの一週間ずっと飲みっぱなしで…! それに神に無理矢理飲ますなど…」

 

「く、くーん!」

 

 

ドラウディロンを引き剥がし押さえつける宰相。

対して獣王は酒を飲まされグロッキー状態である名犬ポチを介抱する。

 

 

「離すのら! 私は神と一緒に飲むのら!」

 

 

そう喚き散らすドラウディロンを宰相が引き摺っていく。

 

 

「う、うーん…」

 

「くーん」

 

 

そして酒を飲んでダウンした名犬ポチを獣王が休憩所へと運んでいく。

 

それを遠くで見ていたモモンガとNPC達。

 

 

「モモンガ様…、よろしいのですか…? あのような下等な者共の名犬ポチ様への態度…! とても許せるものでは…! それに名犬ポチ様を祝うにしては会場からして貧相過ぎるかと…! やはりナザリックの者達を使って…」

 

「いいんだナーベラル」

 

 

怒りを露わにするナーベラルをモモンガが諭す。

 

 

「俺がいなくて一人で外に放り出されたポチさんには色々あっただろう。詳しくは分からないが現地の人達にあれだけ慕われているんだ。これだけ多くの者が集まり、その全てがポチさんを祝いたいと言っている。事情を知らない俺達はとやかく言うべきじゃないし、何より彼等の気持ちも汲んであげるべきだろう。それに大事なのは立派かどうかとかそういう事じゃない。どれだけ気持ちがこもっているかだ」

 

 

モモンガの言葉にナーベラルが押し黙る。

ナザリックの基準で言えばこの会場や屋台で売られている物など貧相の一言に尽きるが、この世界ではこれ以上ない程に豪華で立派でもあるのだ。

モモンガの時代には無かったが昔の映像とかで見る『夏祭り』のような雰囲気である。

正直、NPCの目が無ければモモンガも喜んでこの中に飛び込んでいたに違いない。

 

 

「おぉ、流石はアァァァンンンモモンガ様! 人間共の気持ちも汲みとって差し上げるとはなんと寛大な、お、こ、こ、ろ!!!」

 

 

パンドラズ・アクターの声とリアクションに精神の鎮静化が連続で起きるモモンガ。

実は目を覚ましてから唯一の悩みがパンドラズ・アクターだった。

 

 

(くそぅ…。本当はすぐにでも宝物庫に戻したい…! でもポチさんがやたらパンドラを重要視するから…! まぁ確かに各国の支配やら何やらとかデミウルゴスとコイツぐらいしか任せられないんだけどさぁ!)

 

「いかぁが! 致しましたかモモンガ様!!!」

 

(だっさいわー! 確かにあの時はカッコイイと思って作ったんだけどさ! いや、軍服はいいよ軍服は! でもこの仕草とか口調とか…、たまに出るドイツ語とかもう最悪! これを作った頃の自分を殺してしまいたい!)

 

 

精神の鎮静化が止まらないモモンガ。

自らの黒歴史と常に向き合わねばならないのは地獄でもあった。

 

 

(ま、まさかポチさん俺を苦しめる為にやってるんじゃないよな…? やたらパンドラの事褒めるし、宝物庫に戻すのも反対するし、ドイツ語をやめさせようとすると必死で止めるし!)

 

 

妙な所で名犬ポチへの疑いが生まれ始めるモモンガ。

だが根本の原因はこれを作った自分なので仕方なく諦める。

 

 

「ま、まぁそう言う事だから祭りの間は現地の人たちの事も大目に見てやってくれ。こういうのは無礼講だからな」

 

「無礼講…、地位や身分の上下を取り払い楽しむという趣旨の言葉ですね…? なるほど、こういう場を設ける事で普段は言えないような不満や悩みを聞き出し、支配のさらなる向上を目指す、ということですか。なるほど、愚かな人間ならばその真意に気付かずに色々と口を割るかもしれませんね」

 

「あ、うん…」

 

 

勝手にしゃべり出し勝手に納得しているデミウルゴスに相槌を打つしかできないモモンガ。

何しても最終的に流石とか言い出すので名犬ポチ同様、モモンガも困っている。

まぁ任せておけば何でも上手くやってくれるので便利ではあるのだが。

 

 

「ま、まぁそう言う事だ。今夜はポチさんと現地の者達の祝いの席であるから我々は出しゃばらないようにすること。多少の事も目は瞑ってやれ」

 

「「「はっ!」」」

 

 

周囲にいた守護者やプレアデスがモモンガの発言に跪き返事をする。

 

 

(疲れるなぁ…、ちょっとポチさんが羨ましい…)

 

 

そう思いながらナザリックへ帰ろうとするとある者達がモモンガへ声をかける。

 

 

「失礼します、貴方様が死の王、モモンガ様でしょうか?」

 

「そうだが…、お前達は?」

 

「これは申し遅れました。私、現在スレイン法国の長を務めさせて頂いておりますニグンと申します、こちらは神直属の部隊『純白』のリーダーであるクアイエッセです」

 

「クアイエッセです、お見知りおきを」

 

 

高価そうな純白の衣装に身を包んだニグンとクアイエッセ、彼等の後ろには同様の衣装に身を包んだ百人程の人間達もいた。

モモンガも彼等の事は聞いている。

 

 

「これはご丁寧に。で、私に何の用事が?」

 

「はい。今夜は神にお目通り願える機会だと聞き及び馳せ参じました。そして叶うならば我々で神の為に祈りを捧げたく思うのですがよろしいでしょうか? 神より貴方がこのナザリックの全権を担っていると聞いておりますので確認をと思い声をかけさせて頂きました」

 

「祈り? あぁ、宗教国家だったか。うむ、好きにしたまえ、きっとポチさんも喜ぶだろう」

 

「おぉ! ありがとうございます!」

 

 

モモンガの言葉にニグンとクアイエッセ、そして後ろの者達の顔に歓喜の色が浮かぶ。

 

 

「では私はこれで。これからもポチさんの為に頼むぞ」

 

「ははぁ! お任せ下さい死の王よ! 我々は神の為に存在し、神にその全てを捧げる事をここに誓います!」

 

 

ニグンの返事を聞き終えモモンガはその場を後にする。

 

 

(よく分からないけど凄く慕われてるなぁポチさんは…。俺もあのくらい慕われてみたいなぁ…。NPC達の忠誠は嬉しいけどちょっと違うし…。0からあそこまで出来るなんてやっぱりポチさんは凄いな…)

 

 

フフフと笑うモモンガ。

名犬ポチも楽しんでいるようだし、内緒でサプライズを仕掛けた甲斐はあったなと思う。

仲間の苦悩など知らず、死の王はナザリックへと帰還する。

 

 

 

 

 

 

祭り会場の休憩所として簡易的に建てられた建物の一つ、そこに名犬ポチは運ばれ介抱されていた。

 

 

「くーん」

 

 

何やらうなされる名犬ポチに付きっ切りで頭にタオルを乗せたり水を飲ませたりしている獣王。

しばらくして、目が覚めたのか名犬ポチがムクリと起き上がる。

 

 

「くーん!」

 

 

だが未だ完全に酔っぱらっている名犬ポチは獣王を見るや否や口説きにかかる。

 

 

「んあぁ…? ひっく。お、なんだめちゃくちゃいい女じゃねぇか…! いいからちょっとこっち来いよ…!」

 

「く、くーん!?」

 

 

驚く獣王を抱き寄せ、迫る名犬ポチ。

ただ酔っぱらっていて相手を認識出来ないだけであり特に深い意味は無い。

 

 

「くーん!」

 

 

それが酔っての事だと理解している獣王は必至に抗おうとする。

何より、いい女とか言っているが獣王は男である。

 

 

「何恥ずかしがってんだよ…、ちょっとぐらいいだろ…?」

 

「くーん!!!」

 

 

獣王を羽交い絞めにし体を舐めまわす名犬ポチ。

再度言っておくが酔っぱらっているだけである。

 

羞恥心で満たされる獣王だが主が望むのなら仕方ないと身を任せようとした時。

何者かがこの休憩所へと入室してきた。

 

 

「神ィィィイイ!!!」

 

「ひぃぃぃっ!」

 

 

ニグンとクアイエッセ、その他大勢だった。

それを見た瞬間、名犬ポチの酔いが一瞬にして覚める。

そして自分が獣王を羽交い絞めにしている事にも気づき、驚き飛び退く。

獣王が少し頬を染めているような気がするが気のせいだろう。

 

 

「ニ、ニグン!? お、お前なんでここに!?」

 

「貴方様を祝う祭りごとです! 我々が来ないなどありえません! あぁ神よ! この日をどれだけ待ち望んだことか…! 私は法国を正し、導きました…! それも全て貴方の為です!」

 

「ま、待て…! 来るなニグン…! 頼むから…!」

 

 

名犬ポチへ迫るニグン達。

腰を抜かした名犬ポチは必死で後ずさりしていく。

 

 

「どうか我らの信仰を…、全てをお受け取り下さい…!」

 

「い、祈り…!? な、何を言ってる…! そ、それよりも何で徐々に服を脱いでいくんだ…! や、やめろ…、やめて下さい…、お願いだから!」

 

 

だが名犬ポチの言葉は通じない。

ニグン達はゆっくりとだが確実に服を脱ぎはだけ、徐々に名犬ポチへと近づいて行く。

だがこの中で唯一、服を脱がずに震えている男を発見する。

クアイエッセであった。

 

 

「ク、クアイエッセ! ニ、ニグン達がおかしいんだ止めてくれ! お前だけが頼りなんだ!」

 

「た、頼り…? こ、この私が…!?」

 

 

今の名犬ポチにとって希望の星クアイエッセ。

だがそれは星は星でも死兆星であった。

 

 

「あ…あぁ…神よ…! どうか私をこれ以上惑わせないで下さい…! わ、私はここに…! 貴方の前にいるというだけで…こんなにも…! あふぅ…! じ、自分を抑えるのに必死だというのに…! そ、そのような言葉をかけられては…!」

 

「ク、クアイエッセ…? ど、どうしたんだ…?」

 

 

クアイエッセのただならぬ気配に寒気を覚える名犬ポチ。

 

 

「わ、私は、私はもううわぁぁぁぁっぁああぁぁっ!!!」

 

 

叫びとともに派手に体を逸らすクアイエッセ。

急激に逸らした為か、あるいは力が入り筋肉が膨張した為なのか分からないが一気にクアイエッセの着ている服が勢いよく弾け、破れ散る。

あっという間に裸体をさらけ出したクアイエッセに名犬ポチは心の底から震えあがる。

そう、名犬ポチは忘れてはいけない。

卑猥なる者クアイエッセ、その卑猥さにかけてはあのニグンさえ凌ぐのだという事を。

 

 

「ウェヒヒヒッ! 神よぉ! 神よぉぉおおお! どれだけこの日を待ちわびた事かぁあぁぁ!」

 

 

裸体で四つん這いになった化け物が高速で名犬ポチの元まで迫る。

 

 

「ぎゃあぁあぁあぁっ!」

 

「ク、クアイエッセ殿っ!? な、なんということだっ! み、皆すぐにっ!」

 

 

流石のニグンもクアイエッセの様子に慌てたのか純白の面々に声を飛ばす。

それを見た名犬ポチが助かった、そう思ったが。

 

 

()()()()()()()()()殿()()()()()()()()()()()()()!!!」

 

「「「おおおぉぉっ!!!」」」

 

「な、何をニグンッ!? やめっ、助けうわぁぁぁぁあぁっ!」

 

 

全員が宙に衣服を投げ出し、颯爽と名犬ポチ目掛けて飛び込む。

ニグンもクアイエッセも純白の面々も誰もが入り乱れ、ヌメり、混ざり合っていく。

 

 

「た、頼む…! や、やめてホントに無理…! 俺今、力失ってて物理的にも無理だからぁ! ひぎぃ! た、助けあばばばばば!!!」

 

「聞いております神ィィ! 我々人類、いやこの世界の生きとし生ける者の為に自らの力を投げ打ってこの世界を救われたとぉぉ! なんという自己犠牲! なんたる愛! 世界はこんなにも光に包まれている! 全て貴方様の救いによるもの! あぁ、これこそが真なる救済…! 私は! いえ、私達の信仰は! 今ここに! 完成致しましたぁぁぁ!」

 

「お、落ち着けニグンっ! お、溺れるッ! な、なんでか溺れるッ! ゴポポポ! な、なんだこれ!? 誰か助けゴポポポ!」

 

「なんと偉大で崇高なる御姿…! この毛並み、柔らかさ…! まるでこの体が貴方様の人類への愛を物語っているよう…! あぁ神よ! 私は私はなんという幸せ者! 貴方様の愛に触れ、慈悲を賜り、その全てを享受しているのですからっ! このクアイエッセ! 生涯に一片の悔いなし! ウェヒヒヒーー!」

 

「や、やめろどこ触ってんだ! ひ、卑猥…! なんたる卑猥! あびゃあぁぁあぁあ!!!」

 

「さぁ純白達よ! いや、信仰に全てを捧げし心の巡礼者達よ! 我々は今、神と一体となっている! 神の意識に触れ、その高みへと昇っている! さぁ問おう! 神は! 神とはこの世の何よりも!」

 

「「「尊い! 尊い!」」」

 

「然ぁぁり! 然りだぁぁ! ならば神に最も近づいている我々は! 我らの心の在り様は!?」

 

「「「絶頂! 絶頂!」」」

 

「んんんんんあぁぁぁあ然ぁぁぁりぃぃぃ! だがもっとだ! もっと神と共に高みへと昇るのだ!」

 

「ニ、ニグン殿…! わ、私は恐ろしい…! こ、これ以上は…」

 

「ど、どうされたというのだクアイエッセ殿!」

 

「これ以上の高みなど知ってしまったら私はもう…! もう私はうわぁぁぁ!!」

 

「恐れるなクアイエッセ殿!」

 

「ニ、ニグン殿…?」

 

「神を信じ、神に全てを委ねるのだ…! 絶頂を恐れてはならん…! 高みに果てなどないのだから…! 我々は神と共に高みに昇り続ける者…! どこまでも神を信仰し、神に準じる敬虔なる信者…! 我々が後の者達に道を示すのだ…! 真なる信仰、そして魂の救済…! この世の全てがここにある!」

 

「おぉぉ…! わ、私としたことがあまりの神の尊さに目が曇っておりました! もう迷いません! 私はどこまでも神と共に! 神と共に高みへ昇り続けます!」

 

「その意気だクアイエッセ殿! さぁ神ィ! 我々の欠片の濁りも汚れも無い真っ新な信仰を! 祈りをお受け取り下さいーっ!」

 

「だ、だれ…か、…たす…け…」

 

「神よご安心下さいぃぃぃ! 今日は朝まで祈り続けますぞ!」

 

「なっ…!!??」

 

 

ニグン達に揉みくちゃにされ上も下も右も左も何も分からなくなった名犬ポチは心の中で叫んだ。

 

 

(あ、朝までだと…!? こ、こんな地獄が朝までだと! い、嫌だ! 助けて…、助けてくれモモンガさん! モモンガさぁぁあぁあんん!!!)

 

 

助けは来ず、地獄絵図の狂乱は朝まで続いた。

一つだけ心に留めておかなければいけない事がある。

 

他者をペロっていいのはペロられる覚悟のある者だけなのだと。

 

その覚悟が無い者がどのような末路を辿るかなど説明するまでもないだろう。

 

 

 

 

 

 

「名犬ポチ様、遅いですね…。いつ頃お戻りになられるんでしょうか?」

 

 

ナザリックの玉座の間でセバスがモモンガへ訊ねる。

 

 

(確かにもう日付は変わったなぁ。でも祭りとか祝い事とかって二次会とか三次会とかあったりするし今回もそんな感じなんだろう。変に様子を見に行って水を差しても悪いしな…)

 

 

そう判断したモモンガはセバスへと告げる。

 

 

「確かに遅いが気にしなくて良い…。こういう時は帰りが遅くなるものなのだ…。そして遅ければ遅いだけ上手くいっているということでもある…」

 

「なるほど、そうでしたか…。知らずに口を出してしまい申し訳ありません」

 

 

深々と頭を下げるセバスを見ながらモモンガは名犬ポチの事を考えていた。

 

 

(でもこれだけ遅いってことはポチさんも凄い楽しんでいるんだろうな…。現地の者達の提案に乗ってポチさんをサプライズで招待したのはやはり正解だったな…)

 

 

仲間が楽しんでいる事を想像して死の王はにこやかに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

早朝、まだ陽の光もかろうじて差していない早い時間。

 

夜中から会場内でずっと名犬ポチを探している者がいた。

 

 

「もー! 神様どこにもいないなー! ナザリックに顔出してもまだ戻って来てないって言うし…! お祭り騒ぎで各国が手薄になってるからって仕事入り過ぎだよー! あー! 私もお祭りで騒ぎたかったなー! ってか神様ホントどこいったんだろ…」

 

 

誰もが酔いつぶれ、静かになった会場を練り歩きながらクレマンティーヌが呟いていた。

 

 

「そういえば休憩所はまだ見てなかったな…。でも休憩所に行くくらいならナザリック戻るよねー、とはいえ他に見てない所ないし…。もしかしたら知ってる人いるかもしれないし行ってみるかー」

 

 

そうして休憩所の扉を開けるクレマンティーヌ。

その瞬間、中から熱気ともなんとも言えぬおぞましい臭気が漂ってくる。

 

 

「う…! な、なにこれ…! 一体ここで何が…? あ…! か、神様!?」

 

 

休憩所で倒れている無数の男達の中心で粘液に塗れた子犬が転がっていた。

それを見るなりクレマンティーヌが走り寄り抱きかかえる。

 

 

「か、神様!? ひ、酷い…! 神様なんでこんな事に…!」

 

 

生きているのが不思議という程に衰弱した名犬ポチが薄っすらと目を開ける。

その瞳は濁り切っており、この世全てに絶望した色を浮かべていた。

腕を動かそうとするも満足に動かない。

脈拍は弱く、もはや虫の息だ。

かろうじて名犬ポチの口が動く。

 

 

「…クレ…マ…ン…ティーヌか……」

 

「か、神様っ! ど、どうしてこんなことにっ!?」

 

 

まるで死期を悟った老人のように名犬ポチはクレマンティーヌへ語り掛ける。

 

 

「俺は…、もう、ダメだ…。だから…あの人に…、モモンガさんに…、伝えてくれ…。あんたと過ごした時間、最高だったぜ…、てな…」

 

 

そう言い残すとガクリと名犬ポチの首の力が抜けた。

 

 

「い、嫌…! 神様死んじゃやだーっ!」

 

 

クレマンティーヌの悲痛な叫びが周囲に木霊する。

だがその願いは届かず、名犬ポチが動く事は無かった。

 

 

名犬ポチ、ここに死す(精神的に)

 

 

 

 

 

 

名犬ポチは三日もの間眠り続け、四日目にしてやっと目を覚ました。

だが目覚めた彼は祭りの時の事を一切覚えていなかった。

心理学的にも人はあまりにつらい記憶があると意図的に忘却すると言われている。

果たして名犬ポチがそうなのかどうかは本人にしかわかるまい。

 

 

「起きましたかポチさん」

 

「んんん…? モモンガさんか、あれここは?」

 

「ポチさんの部屋ですよ。全く、祭りだからってハメを外し過ぎたんじゃないですか?」

 

「え? 祭り?」

 

「ええ、覚えてないんですか? 全くもう。どうせお酒でも読みすぎたんでしょ。あんまりぐっすり寝てるからそっとしておこうって決めたんですけどずっと起きないからビックリしましたよ。今日起きなかったら回復魔法使おうと思ってました」

 

 

そして名犬ポチは祭りの事をモモンガから詳しく聞いた。

名犬ポチの為の記念日であること、現地の者達が沢山集まったこと、それを全てサプライズで準備したことなど。

 

 

「そっか、俺の為にそこまでしてくれたのか…。覚えてないのは申し訳ないけど…、でもここまでぶっ倒れるくらいに騒いだってことはきっと楽しんでたってことなんだろうなー。ありがとなモモンガさん」

 

「いえいえ、お礼なら現地の人達に言ってあげて下さい」

 

 

そう言ってモモンガは名犬ポチの部屋を出ていく。

一人残った名犬ポチは天井を見ながら思う。

 

 

「ふん、祭りか…。普段ならくだらねぇと断じるところだが…、モモンガさんの言う通りそんなに楽しんだってことは俺にもまだ人間の残滓ってやつが残ってたってことか…? フフ、我ながら情けねぇ話だ…」

 

 

そう言いながらも名犬ポチの顔に笑みが浮かぶ。

 

 

「ま、一年に一回しかねぇんだし楽しめるならその記念日ってやつを認めてやってもいいか…」

 

 

後にあの記念日の祭りが神に大好評だったという報が流れ、毎年恒例の行事として定着することになる。

そしてこれから毎年、地獄が訪れることになることを名犬ポチはまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

ある夜。

 

ナザリック地下大墳墓の地上の大霊廟の上。

モモンガと名犬ポチの二人はそこで夜空を見上げていた。

 

 

「綺麗ですねポチさん」

 

「ああ、そうだな」

 

 

この一年色々と慌ただしい事が多く、二人だけでゆっくりと過ごすことは多くなかった。

久々に時間を持て余した彼等は二人で夜空を眺める事にしたのだ。

改めて見る景色の美しさに二人は心を奪われていた。

 

月や星から降り注ぐ白く青い光が、大地から宵闇を追い払っている。

草原が風で揺れるたびに、まるで世界が輝いているようだった。

天空には無数の星々と月を思わせる大きな惑星が輝く。

 

 

「本当に素晴らしいです、いやそんな陳腐な言葉じゃ決して収まりませんね。ブルー・プラネットさんがこの光景を見たら何て言ったでしょう…」

 

 

大気汚染も水質汚染も土壌汚染も進んでおらず自然に溢れているこの世界を見たら。

沢山の話をしたかつてのギルドメンバーを思い出し、胸を熱くするモモンガ。

他にも沢山の仲間がいた。

ユグドラシル時代の全てを思い出し、記憶に想いを馳せる。

ずっと一人でユグドラシルにログインし、ただひたすら拠点維持の為に金貨を稼いでいた空虚な時間さえも。

 

 

「どうした、モモンガさん」

 

 

飛んでいたモモンガの意識がその言葉で呼び戻される。

横を見るとそこにはギルドメンバーの一人である子犬がちょこんと座っている。

そう、モモンガはもう一人じゃない。

 

 

「なんだよ急にボーッとして。部屋帰るか?」

 

「いえ、なんでもないです、大丈夫です」

 

 

アンデッドでなければ泣いていたかもしれない。

一人じゃないというだけでこんなに温かい気持ちになれるなんて思っていなかった。

仲間が横にいるということがどれだけ嬉しい事なのかも。

だからこそもう一度夢を見てしまうのだ。

 

 

「ねぇポチさん、この世界はどうでしたか? 色々な場所を見て、楽しかったですか…?」

 

「ん? あぁ楽しかったぜ! その代わりヤバイ奴等とも会うことになっちまったけどな」

 

 

そう、名犬ポチにとっては最高の場所だった。

思う存分、悪意をバラ撒き、世界を恐怖のズンドコに叩き落したのだから。

 

 

「そうですか…」

 

 

だがそれを聞いたモモンガは寂しそうに答えた。

 

 

「モモンガさん…?」

 

「いえ、寝ていた俺が悪いんですが…、その、羨ましいなって…。正直言うと…、俺もポチさんと一緒に世界を見て周りたかったです…。支配した国としてじゃなく、ただ未知を楽しむように何も知らないまま俺もこの世界を楽しみたかった…」

 

 

泣きそうにモモンガが呟く。

 

もう一人ではなく、横には仲間がいる。

だが、だからこそ人は願い、焦がれてしまう。

可能ならばユグドラシル時代のように、この世界を仲間と一緒に周りたかったと思うモモンガ。

でもそれはもう出来ない。

未知なる世界はもうすでに既知となってしまっているのだから。

知らぬ間に掌から零れ落ちた雫を惜しむようにせつなさが胸を締め付ける。

 

 

「何言ってんだモモンガさん」

 

「え…?」

 

 

名犬ポチがモモンガの前に立ち、その小さな体で腕を広げる。

 

 

「人間種が支配している地なんてこの世界の一部に過ぎないんだぜ、周囲には亜人種や異形種が支配する広大な世界が広がっているんだ。俺が支配した場所なんてまだほんの一握りさ」

 

「ポチさん…」

 

「休んでる暇なんかねーぞ、文字通りこの世界を支配するんだからよ。アインズ・ウール・ゴウンの名を世界に知らしめるんだ…!」

 

 

名犬ポチが力強く宣言する。

その言葉がモモンガの琴線に触れた。

 

 

「何面食らったような顔してんだよ。知ってるだろ?『世界の可能性はそんなに小さくない』」

 

 

それはユグドラシル時代に運営がプレイヤーに言い放った迷言だった。

だが今ほどそれを願った時があっただろうか。

確かに世界は未知で溢れている。

この世界の多くを知ってしまったなどというのは傲慢に過ぎないだろう。

まだまだ知らない事が、予想出来ない事がこの世界に溢れているのだから。

 

 

「邪悪が数多くいるなら全てを塗りつぶす、俺達こそが悪の華だと。生きとし生ける者全ての者に思い知らせるんだ。より強き者がこの世界にいるなら俺がこの手で引き摺り下ろす。数多くの部下を持つ強者がいるならモモンガさんが頑張る。今から動くんだ、将来来るべき時の為に。アインズ・ウール・ゴウンこそが最も偉大だと知らしめる為にだ!」

 

 

その名を広め、この世界の全ての耳に入れさせる。

もしかしたらかつての他の仲間達もこの世界に来ている可能性がある。

だからこそアインズ・ウール・ゴウンという名を伝説の域、知らない者が誰一人としていない程の領域まで上らせる。

地上に、天空に、海に。

もしかしたらいるかもしれないメンバーの元までその名が届くように。

 

 

「モモンガさん、世界は広いんだ。きっと時間がかかるぞ」

 

「ふふ、お互い異形種で良かったですね」

 

 

いつしか夜が明け、朝日が暗闇を裂き二人を照らす。

新しい門出を祝うように。

古き過去に別れを告げるように。

 

 

「でもとりあえずレベル上げなきゃですねポチさん」

 

「今は言わないでくれよ、泣きそう…」

 

 

朝日により世界が真っ新に照らされる。

ため息が漏れる程の景色が二人の視界を満たす。

 

 

「行きましょうかポチさん」

 

「ああ。くっくっく、支配してやるぞ取るに足らぬ下等生物共よ…! 安寧の時は終わりと知れ…! これからお前達に残されているのは恐怖と絶望の日々なのだから…!」

 

「ロールプレイも大変ですね」

 

「なんだよ、いいトコなんだから水差すなよ」

 

 

世界はきっと絶望の底に叩き落されるだろう。

誰よりも邪悪なる存在が世界を悪意で満たすとここに宣言したようなものなのだから。

邪悪なる存在に世界が陥れられるまでどれ程の時間がかかるか分からない。

下等生物達はその時が来るまで震えて眠る事になるだろう。

 

 

だが名犬ポチの物語はここで終わりだ。

続きは無く、ここがその終着点。

 

 

 

なぜならここからは二人の、いや。

 

 

 

アインズ・ウール・ゴウンの物語だからだ。

 

 

 

 

     -終わり-




嘘予告『新章・世界編突入!』ついにナザリックの魔の手が世界へと伸びる!逃げ惑う亜人種!蹂躙される異形種達!彼等に平穏は訪れるのか!?世界は本当にもう終わってしまうのか!?行け名犬ポチ!世界を悪意で染め上げろ!


やっと終わりました。
当初の予定ではここまで長く続く予定ではありませんでした。
気付けばいつの間にかこんな話数にまで…。
最後まで見て頂いた方は本当にありがとうございます。

数多くの感想を頂けたおかげでここまで続けられたと思います、マジで。
本当にありがとうございました。



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