捻くれた少年と健気な少女 (ローリング・ビートル)
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有頂天

 リフレッシュでいきなり書いた物語です。
 更新は緩めですが、よろしくお願いします!

  


 お互いの温もりを心にしっかりと焼き付けながら、まだ足りぬという思いをなんとか引き剥がし、二人の体は離れていった。

 そのまま二人は振り返らなかった。

 遠ざかる足音だけが、名残惜しそうに響いていた。

 さようなら……。

 

 *******

 

「海未ちゃーん、ことりちゃーん!こっちこっちー!」

「こら穂乃果!あんまり騒いでは他の方の迷惑になりますよ!」

 

 海未ちゃんが穂乃果ちゃんを叱りつける。その様子は、親友というより姉妹に見える……最近は親子にも見えるなぁ。仲良いなぁ。

 今、私達は千葉県にある総武高校という学校に来ています。理由は生徒会役員にお母さん……理事長から、参考までに文化祭が盛り上がる学校を見て、参考にしなさいと言われたからです。

 最初はA-RISEのいるUTX学園に行く予定だったんだけど、近すぎる場所を参考にするのは流石に……という理由で千葉で指折りのマンモス校の総武高校にやってきました。

 生徒数が千人を超える学校だけあって、活気があり、自然と胸が高鳴ります。それは穂乃果ちゃんも同じようで、いつも高いテンションがさらに高く、それを海未ちゃんはどこか警戒しながら歩く……あれ?

 気がつけば二人共いない。恐らく何処かへ走りだした穂乃果ちゃんを、海未ちゃんが追いかけていったのかな?

 もうお昼も過ぎて、しばらくしたら帰る時間なんだけど。

 ポケットから携帯電話を取り出し、連絡しようとする。

 すると、曲がり角だったのが災いして、誰かとぶつかった。

 

「あ、ごめん」

「いえ、こちらこそ」

 

 男の人一人と女の人二人の三人組だ。私は男の人にぶつかったらしい。

 お互いに謝り、何事もなかったのを確認すると、三人組はそのまま去っていった。その表情は、どこか焦っているように見えた。どうしたんだろう?

 男の人は背も高く、顔も整っていたので、かなり女の子にもてそうだ。女の子二人もそれなりの好意を寄せているように思える。傍から見れば、文化祭を楽しむ男女にも見えたかもしれない。

 私自身はいまいち恋愛事がわからない。幼馴染み三人といる時間が充実しているからかなぁ。今はスクールアイドルもやってるし。

 何となく振り返って三人組に目を向けると、階段を昇っていた。進入禁止の屋上への階段を。

 

「…………」

 

 自然と足が向いてしまう。別に三人組を止めようとかではなく、ただの好奇心で……。

 階段をこっそり昇ると、三人組は屋上に出ているようだ……穂乃果ちゃんと海未ちゃん、ちょっと待っててね。

 何やら話し声が聞こえるので、聞き耳を立てる。何だか悪い事をしてるみたい。

 話の内容は文化祭実行委員さんについてのようだ。

 詳しくはわからないけど、問題が起こっているらしい。

 さっきの三人組が説得をしている。

 すると一人、別の男の人が溜息で割り込んできた。

 

「ほんと最低だな」

 

 その先の言葉は酷かった。

 相手に反論を許さない。異論を挟ませない。とにかく悪い所を一つ残らず掬い上げる。私だったら泣いてしまいそうな……そんな言葉だった。

 だがそれも遮られる。

 ドアの近くに衝撃がきた。

 さっきぶつかった男の人が発言を止めさせたらしい。

 数秒後、人が出てくる気配を感じて、慌てて物陰に隠れた。

 カツカツと階段を降りていく音が消えた時、私も帰ろうかと物陰から出ると、扉の向こうから、今にも消え入りそうな独り言が聞こえた。

 

「ほら、簡単だろ?誰も傷つかない世界の完成だ」

 

 それは、さっきの酷い言葉が嘘のような、誰もいない場所に一人ぽつんと取り残されたような哀しい声だった。

 私は緊張で震える手で、そのドアを開けた。

 青空が見えると共に、風に吹かれ、目を細める。

 そして、ドアの近くの壁に凭れて座る彼を見つけた。  

 




  いきなりの新作ですが、楽しんでいただけたら幸いです。

  読んでくれた方々、ありがとうございます!


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The spiral

 一人でしょうもない独り言を呟くと、ギィィと音を立て、再びドアが開いた。葉山辺りが戻ってきたのかと思い、ゆっくりと目を向ける。

 するとそこには、私服姿の見覚えのない女子が立っていた。

 まず、変わった結い方のサイドポニーに目に奪われ、 やわらかい風に茶色がかった長い髪が揺れているのが見える。

 全体を見ると、すらり伸びた白い手足が、どこかおどおどしているようだった。

 

「…………」

「…………」

 

 やがて、目が合う。

 色々ありすぎたせいか、疲れて幻でも見ているんじゃないかと思えるような儚げな美しさだ。

 ぱっちりした目に不安げにこちらを見る瞳も、形のいい鼻も、ほんのり薄紅色の唇も、全てが遠く、現実味がない。

 吹き抜ける風が少し強くなり、二人を包むようにさぁっと通り過ぎた。

 俺は、軽く目を細めながらも、その儚い幻のような少女から視線を外す事ができずにいた。

 そして、風の不意打ちが感じさせた涼しさに、夏がもう遠ざかろうとしているのを感じた。

 

「…………。」

 

 何か囁かれる。だがこの距離では、どうも聞き取れない。

 おそらく呆けているであろう、こちらの表情を見た少女は、一瞬目を伏せたのち、再び目を合わせてきた。

 そして、唇が小さく動く。

 

「あの……」

「…………」

 

 初めて耳に届いた声は、小鳥が囀るような小さく甘い声だった。

 彼女は続けた。

 

「あなたは……何でそんな哀しそうな眼をしてるの?」

「…………」

 

 謎の女子から目をそらし、青く澄んだ空を仰ぐ。そこには、小さな雲がいくつかふわふわ漂っていた。

 哀しそう……か。

 何が哀しいんだろう、と考える。

 こんな方法しかとれない自分か、この後から始まるより一層面倒な学校生活か。

 

「あ、ご、ごめんなさい!何となく、そう思って!」

「……いや、いい」

 

 急に謝りだす謎の女子に、内心慌ててしまう。そのようを見て、とりあえずは幻じゃないんだと確信できた。

 

「…………」

「…………」

 

 だが初対面の女子との会話スキルなど対して持ち合わせていない。それに、今それが必要とも思えない……そもそも何故ここに部外者がいるのか、理由もわからない。

 そこで、静寂を裂くように、突然電子音が鳴り響く。

 謎の女子のポケットからのようだが、彼女は何故か出ようか迷っているようだ。

 

「……出なくていいのか」

「え?あ……」

 

 彼女はしばらくして、携帯の電源を切った。

 その意外な行動に少しだけ驚く。

 そして、彼女はこちらへの距離を三歩だけ詰めてきた。

 どうしていいかわからず、その場を去るという選択肢を選ぶ。

 立ち上がると、通せんぼするように、彼女はさらに近くまで来た。

 その瞳はさっきまでと違い、どこか優しく感じられて、じっと見つめられても、ちっとも不快ではない。

 その唇が、僅かに震えながら、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。

 

「誰も傷つかない世界で……あなたは何でそんなに哀しそうなんですか?」



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仄かなる火

 私は自分自身の言葉に驚いていた。

 初対面の人に何を言っているのだろう。

 でも、言ってしまった言葉は戻すことはできない。

 案の定、目の前の彼はポカンとこちらを見ていた。うぅ……変な人と思われてるよね……無視されちゃっても仕方ないかも……。

 私がその場で俯いて、彼が立ち去るのを待っていると、意外なことに、彼は考える素振りを見せ、独り言のように呟いた。

 

「……輪の中にいない奴、計算に入れても仕方ないだろ」

 

 その言葉は、ずっしり重い響きを持っていた。そして、また風が吹き、彼のくせっ毛をふわふわと揺らしているのを見ながら、私は率直な感想を口にした。

 

「なんか……寂しいね」

 

 失礼と取られかねない私の言葉に、彼はあまり間を置かずに返してきた。

 

「別に寂しいって俺が思ってないからいいんだよ。誰にも迷惑かけないからな」

 

 彼は既に何かを諦めているような口ぶりだ。

 空に向けられた視線は、ここからどこか遠くへ飛び立っていきたいと願っているように見えた。

 気がつけば、また一歩彼に近づいていた。

 それを察した彼は一歩向こうにずれた。

 

「……文化祭、楽しかったですか?」

 

 これ以上は距離を詰めずに、何となく話をふってみる。そして、心の中で私を探している穂乃果ちゃんと海未ちゃんに謝った。

 

「…………どうだろうな」

 

 ポツリと、どちらともつかない答えが返ってきた。

 私はまた質問を重ねてしまう。

 

「どんなのやったんですか?」

「……うちのクラスは演劇」

「あ、『星の王子様』?私見そびれちゃった」

 

 穂乃果ちゃんが食べ物中心に回るのに付き合ってたら……。

 

「まあ、あれだ……俺は文化祭実行委員会で、ほとんど参加してないけどな」

「…………」

「ここでは何をしてたの?」

「別に……閉会式サボろうとしてる実行委員長を罵倒してただけだよ……てか、ここで何してるかは俺の方が聞きたいんだけど」

 

 もっともな事を言われた。確かに、この学校では私は部外者だもんね。

 う~ん、どうしようか。

 

「そ、空を見たくなって!」

「…………そうか」

 

 自分から聞いてきた割に、彼は大して興味なさそうに頷いた。改めて見渡すと、この屋上はかなり広々としている。でも、どこかしんみりとして、落ち着かない。音ノ木坂の屋上に馴れすぎたのかな……。

 

「…………」

「…………」

 

 また訪れた沈黙。そして、それが合図となったのか、彼は私の隣をすり抜け、重たい扉に手をかけた。

 

「じゃ、行くわ。あんまり遅くなると、今度は俺がサボり扱いされちまう。そっちもなるべく早く戻った方がいいぞ。一応、ここ立ち入り禁止だから」

「あっ……」

 

 私は彼の数歩後ろをついていく。猫背気味の背中は、ひどく疲れて見えた。

 結局、私達は一言も喋らずに階段を降り、彼はそのまま廊下を歩き、私は海未ちゃんに電話をかけた。

 

 *******

 

「まったく、ことりまで急にいなくなって……どうしたというのですか?」

「あはは……ごめんね?」

「まあまあ、楽しかったからいいじゃん!それじゃあ、帰ろっか!」

 

 帰り道、私は二人と話しながらも、あの哀しそうな目を忘れられずにいた。

 そして、あの低いトーンで呟かれた言葉の数々も、まだ頭の中で鮮明に響いていた。  



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WAKE UP! RIGHT NOW

「では、行こうぞ!八幡よ!」

「へいへい」

 

 材木座からなるたけ距離をとりながら、それでも一応、後を追って店に入る。いや、だってこいつ秋葉原でも悪目立ちするんだもん。ホームグラウンドで悪目立ちとかどういう事だよ。ちなみに今、俺達が入ろうとしている店は……

 

「おかえりなさいませ、ご主人様♪」

「うむ、今帰ったぞ」

 

 恭しく頭を下げるメイドさんに、無駄にでかい態度で応じる材木座。無論、かなりうざい。メイド歴の浅い新人なら、きっとうっかり舌打ちしてしまうだろう。俺も心の中でしてしまった。

 ひとまずメイドさんに案内された席に座り、メニュー表に目を通す。なんでも今日はこいつの奢りらしい。というわけで、 わざわざ交通費まで出したんだから楽しもうじゃないか。

 

「で、何でわざわざ秋葉原まで来たんだ?」

 

 こいつと二人で並んで電車に乗るなんてシチュエーションが訪れるとは……。

 

「ふん。文化祭以降、吹雪のような寒々しい視線にさらされている貴様を元気づけてやろうと思ってな」

「…………」

 

 何……だと……。

 目の前にいる中二病オタクが材木座かどうかを疑ってしまう。あれ?材木座ってこんなにいい奴だったっけ?

 

「剣豪将軍さま~」

 

 さっき案内をしてくれたメイドさんが、営業スマイルで、こっちにやってきた。

 

「お友達紹介の特典になりま~す」

 

 材木座は何かをやり遂げたような達成感のある表情で、メイドさんとの2ショット券とやらを受け取った。

 

「…………」

「…………」

 

 あ、やっぱり材木座だわ。爆発すればいいのに。

 

「ご注文はお決まりになりましたか~?」

「あ-、この『メイドさんの手作りオムライス』と『メイドさんの魔法がかかったケーキ』と……」

「お、おい、八幡?」

「安心しろ。お前の奢りだから」

「い、いや、何いってんの、お前?じょ、冗談だよね?いや、言ったけど、常識の範囲内って言葉知ってるよね?」

 

 慌てふためいた材木座は素に戻る。

 その表情に免じて、あと一品何を頼もうかと考えていると、ミニライブ用の小さなステージから声がかかった。

 顔を向けると、小柄で元気良さそうなメイドさんがマイクを握っていた。

 

「それでは、久々に当店人気ナンバーワンメイド・ミナリンスキーさんのご登場です!」

 

 ナンバーワンってキャバクラかよ、キャバクラ行った事ないけど、と思っていたら、ステージにメイドが現れ、周りから歓声が上がった。

 

「お帰りなさい、ご主人様♪ミナリンスキーです!」

「……なっ!?」

「…………!」

 

 現れたのは、約2週間前に屋上で出会ったサイドポニーの謎の女子だった。

 向こうもこちらに気づいたように思えたのは、気のせいではないはずだ。

 しかし、それでも彼女は挨拶を続けた。

 

 *******

 

 ミナリンスキーさんは、一つ一つのテーブルで立ち止まり、客に丁寧に挨拶していく。

 5分くらいかけて周りのテーブルに挨拶して回って、それから俺達のいるテーブルにやってきた。

 材木座は腕を組んで平静を装ってははいるものの、緊張の極みのようだ。汗をかきまくり、暑苦しいことこの上ない。

 しかし、特に気にした風もなく、彼女はニッコリと笑顔を浮かべた。

 

「おかえりなさいませ、ご主人様♪」

 

 ミナリンスキーさんは、この前と同じ甘ったるい声で、メイドさんお決まりの挨拶をした後、俺の方へ小声で囁いた。

 

「久しぶりだね」

 

 笑顔と声と同じような甘ったるい香りを残し、彼女は別のテーブルへ向かっていった。

 

 



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ここから

 偶然の再会。

 そんな言い方がぴったりくる二度目の出会い。どうやら彼も気づいているようだ。

 そして、前と同じように、どこか哀しそうな目をしていた。あれからどうしてたのかなぁ?

 

「ミナリンスキーさん、どうしました?」

 

 後輩メイドのマユミちゃんが話しかけてくる。

 

「あ、何でもないよ。大丈夫!」

 

 いけないいけない。仕事中でした。

 マユミちゃんは

 

「あの目つき悪い人と一緒にいる……剣豪将軍さんってホントに素敵ですよね~♪」

「え?あ、うん……」

 

 そうかぁ、マユミちゃんってああいう感じの人がタイプだったのかぁ。

 

「だめだよ。ご主人様に目つき悪いとか言っちゃ」

「あ、すいません……」

 

 まあ悪気はないんだろうけど。

 彼の方を見ると、周りのものには大して興味なさそうに、コーヒーに砂糖とシロップを入念に注いでいた。……ちょっと入れすぎじゃないかなぁ。

 でもこれも何かの縁だから、文化祭を楽しめなかった分、少しでも満足してもらえるといいな。

 

「じゃあ、私行ってくるね」

 

 私は出来上がったメニューを手に、彼のいるテーブルへと向かった。

 

「お待たせしました、ご主人様~♪」

 

 オムライスを一つずつ丁寧に運ぶ。

 運んだ後は、いつものサービスの為、ケチャップを取り出す。

 

「それではお絵描きさせていただきますね~♪」

「うむ、存分にやるがよい!」

「…………」

 

 腕を組み、思いきり胸を張る剣豪将軍さんを、彼は面倒くさそうに見ていた。穂乃果ちゃんが思いつきで行動するのを止めようとする海未ちゃんの目と似ている。いい意味での諦めというか……。

 私はハートとメッセージを書く。よし、完成!じゃあ、次は……

 

「あ……」

「?」

 

 予想外の光景がそこにあった。

 彼はもうオムライスを食べ始めていた。

 

「八幡!き、貴様、何をやっておるか!」

「あ、いや……朝飯食いそびれたから腹減ってたんだよ」

「あはは……」

「空気の読めん奴め」

「え?何それ、自己紹介?お前にだけは言われたくないんだけど……」

 

 じゃあ、ここは……

 

「それでは代わりに……おいしくな~れ♪」

 

 ケチャップの代わりに魔法をかけておいた。

 

「…………」

 

 彼は照れくさそうに頬を赤く染め、外の方を向いている。意外と照れ屋さんなんだ。結構可愛いかも。

 

「それではごゆっくり、ご主人様♪」

 

 少しだけからかってみたくなったのは内緒の話。

 

 *******

 

 しばらくして、彼のいるテーブルのベルがチリンチリンと鳴らされた。

 

「は~い♪」

「ツ、ツツツ、ツーショットチェキなんだけど……」

 

 声が震えている剣豪将軍さんからツーショットチェキ券を差し出される。

 ……背後からマユミちゃんの視線を感じるけど……ごめんね?

 

「はい!それではこちらへ♪」

「はひゃい!……は、はちま~ん!やっぱりお主が行ってきて~!」

「お前……ここでヘタレるのかよ……」

「し、仕方ないじゃねえか……はちえも~ん……」

「誰がはちえもんだ。こら、チケット押しつけるな……」

「はちま~ん……」

「わかった……わかったから離れろ。暑苦しいから」

 

 剣豪将軍さんの必死のお願いに、彼は根負けしてしまった。ツーショットチェキは、彼と撮ることになった。

 

「それではこちらへどうぞ~♪」

 

 落ち着かない様子の彼を、チェキ撮影用のブースへと案内する。

 隣を歩く彼の横顔をちらりと見やると、視線に気づいたのか、こっちを向き、目が合った。

 

「「…………」」

 

 数秒間立ち止まり、見つめ合ってしまう。

 マユミちゃんに声をかけられるまで、私達はそのまま動けなかった。



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SIGNAL

 ブースの中は、ぬいぐるみやアンティークなどの小洒落たセットがあり、その真ん中に3人ぐらい座れそうなソファーがあり、俺はその端っこに腰を下ろした。

 

「文化祭以来ですね」

 

 反対側に座ったミナリンスキーさんが、控え目な笑顔で話しかけてくる。

 クラスメイトですら、外で会ってもスルーされる俺に話しかけてくるとは……実はこの子、かなり性格がいいのではなかろうか。

 

「……そうだな」

 

 うっかり仲良くなれると勘違いしちゃいそうなので、軽く返事だけしておく。

 

「あれから……その、どうですか?」

 

 聞いた本人も何を聞いているのかわからないふわふわした質問だった。普段なら無視するか、気づかないふりをしているところだ。同じか?同じだ。

 しかし、今はそうしなかった。

 

「……別に。いつも通りだよ」

「そうですか」

 

 頷くミナリンスキーさんは、控え目な笑顔のままだ。

 このままでは、また気まずい沈黙が生まれそうなので、撮影を促すことにした。

 

「はやく撮った方がいいんじゃないのか」

「あ、ごめんなさい!」

 

 カメラをセットしたミナリンスキーさんは、さっきより距離を詰めて座ってくる。というか肩と肩が触れ合い、甘ったるい匂いが容赦なく包み込んできた。

 

「……ち、近くないか?」

「いつも通りですよ。ご主人様♪」

 

 だぁ~!!この距離でこっちを向くなっての!!真っ白な頬とか薄紅色の唇を間近に感じ、顔が熱くなる。

 

「あっ……」

 

 向こうも気づいたのか、正面を向いた。

 そして、気を取り直し、撮影を始める。

 

「はい、チーズ!」

 

 カシャッと切れのいいシャッター音が鳴り、撮影が終わった。

 そして、温もりを残し、先に立ち上がった彼女は、優しい微笑みを向けてきた。

 

「写真は後ほどお渡ししますね♪」

「あ、ああ…………」

 

 しばらくの間、左肩には柔らかな温もりが凭れかかっている気がした。

 

 *******

 

 テーブルに備え付けられたベルが再び材木座によって鳴らされる。どうでもいいけど、いちいちドヤるのが鬱陶しいんだが……。

 

「は~い♪」

 

 またミナリンスキーさんがニッコリ笑顔でやって来た。人気ナンバーワンメイドが一つの席に何度も繰り返し来ていいのだろうか。さっきから、周りの客達の視線が刺さってきて痛い。最近、視線に敏感だから、より一層深くまで刺さってくる気がする。まあ、俺達を見るのは数秒で、あとはミナリンスキーさんにみとれているだけだが。

 

「うむ。我等はもう、出かけるとしよう」

 

 こいつ……さっきまでは緊張しまくりの汗だくだくだったのに、もう立ち直りやがった。

 

「もうお出かけしちゃうんですか?」

 

 甘えるような声で聞かれる。演技だとわかっていても、罪悪感がするから止めてね。中学時代の俺なら勘違いして、通い詰めているところだ。そんで告白してフラれるまである。フラれちゃうのかよ。

 

「我等は行かねばならんところが……」

「えーと、いくらだっけ?」

 

 材木座の言葉に被せるように伝票の確認をして、材木座に渡す。

 

「割り勘でいい」

「ぬう……お主、ツーショットチェキがそんなに嬉しかったのか?」

「違うっての……」

「こちら会員カードになります」

「いや、俺はいいや」

 

 俺の言葉を聞いたミナリンスキーさんは、キョトンとした後、俯き、胸の前で手を握る。あれ?周りの空気が……。

 彼女は数秒溜めた後、顔を上げた。

 

「お願い……!」

 

 *******

 

「はい、ご主人様のお名前は……ヒキタニハチマン様ですね♪」

「ヒキガヤな」

 

 あれ?いつの間にか、ここの会員になっちゃってる。ふっしぎー。いやさすがにね、あんな濡れた瞳向けられちゃ。反則だろ、あんなの。

 

「あ、失礼しました!ヒキガヤ様ですね♪」

「ああ……」

「また、帰って来てくださいね♪」 

「…………」

 

 とりあえず首肯しておくが、もう会う事もないだろう。偶然で二度会っただけで、変な勘違いをするような、甘っちょろい脳みそはしていない。

 会計を済ませ、出入り口へと歩き出すと、メイドさんお決まりの挨拶が聞こえてきた。

 

「それでは、ご主人様!いってらっしゃいませ♪」

 

 つい振り返ってしまい、顔を上げたミナリンスキーさんと目があったが、そこにはほんのりと、凍えた心を温めるような笑顔があり、俺は何故か会釈して、背中に何かを感じながら店を出た。



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純情ACTION

「じゃあ、あまり遅くならないようにね」

「うん。じゃあ、行ってくるね」

 

 お母さんに手を振り、目的地へと歩き出す。

 今、私がいるのは、日本最大級の観光都市・京都。修学旅行の行き先の定番にもなっていて、私も中学の時に修学旅行で来た場所。ただ中学の時は穂乃果ちゃんと何か食べてばかりで、海未ちゃんに怒られたような……。

 それはさておき、今日ここにやってきたのは、他でもないμ'sのこれまでに無い衣装作りのインスピレーションを得る為です。いつか、思いっきり和のテイストを取り入れた衣装を作りたいと思っています。皆が気に入ってくれるような素敵な和の衣装を……ね。

 そんなわけで、無理を言って、お母さんの仕事についてきました。お母さんが昼間に仕事をしている間も、私は京都の観光名所をひたすら見て回った。そして、さっき仕事を終えたお母さんと合流して、一緒に食事をして、私は夜の京都へ、お母さんは京都に住んでるお友達に会いに行くところです。

 夜の京都は昼間の太陽の光とは違って、人工の光が彩りを添えています。その優雅な佇まいに思わず溜息を漏らしてしまいました。

 

「素敵……」

 

 紅葉がライトアップされ、夢の中にいるような幻想をちらつかせ、本来の目的を忘れ、すっかり魅せられてしまいました。

 写真を撮っておこうと、スマートフォンを起動させると、ふと近くのカップルがキスしているのが目に入る。

 昼間には修学旅行生らしき制服姿のカップルを見かけたけど……私、浮いてないよね。

 一人で勝手に気まずい思いをしながら、その場を駆け足で離れた。

 

 *******

 

「ふう……」

 

 溜息を吐き、淡い光を降らしている夜空を見上げ気を取り直す。

 不意に、彼の顔が浮かんできました。

 目つきの悪い、捻くれた男の子。

 あれから1回も会ってない。

 もう会うこともないのかも。

 ……別に好きとかじゃないんだけど。

 何かが胸に引っかかる。

 

「見てる方が緊張するな」

「静かにしろって」

「…………」

 

 話し声のする方に顔を向けると、男の子3人が物陰に隠れて道を見ている。そして、その近くには……

 

「あ……」

 

 小さく声が漏れる。

 そこには比企谷八幡君がいた。嘘……こんな偶然があるなんて……自分で言うのもあれだけど……ドラマの世界みたい……。

 私は近くの竹やぶに隠れ、彼等を見てみる事にした。

 ただの好奇心でしかない。

 でも、その好奇心は比企谷八幡君ただ一人に向けられていた。

 彼等が見ているのは、道の中間辺りで落ち着き無く立っている茶髪の男の子だ。少し不良っぽいけど、その落ち着かない仕草が小動物みたいで微笑ましい。

 多分だけど、今から告白するのかな。

 すると、比企谷君が彼の下へ駆け寄り、何か言っている。

 体をかがめ、ギリギリまで近寄り、耳を澄ませる。

 

「…………」

 

 元気づけてる……のかな?

 考えていると、赤縁の眼鏡をかけた女の子がすぐそこに来ていた。

 

「…………」

 

 漂う緊張感。

 わあ、こんな場面初めて~。

 女の子の冷めた表情から、おそらく成功はしないけど、やっぱりドキドキする。覗き見はいけないことだけど……ごめんなさい……。

 しかし、待っていたのは予想外の結末だった。

 

「……ずっと好きでした。俺と付き合ってください」

 

 え?何で?どうして?

 何であなたが告白するの?

 彼の突拍子もない行動に私の頭が混乱している内に、女の子が告白を断り、その場を去って行った。どうやら今は、誰とも付き合う気はないらしい。

 続いて、男の子達がぞろぞろと出てくる。

 二人の男の子は労いの言葉をかけているけど、一人は比企谷君と何か話している。よく見れば、屋上で比企谷君と揉めてた人だ……謝ってる?

 やがて、男の子達は去って、比企谷君も帰ろうとしていた。

 けれど、一緒にいた女の子二人の内、黒髪の綺麗な子から、はっきりと否定されていた。そして、その子はすたすたと早歩きで去って行った。

 もう一人の茶髪の可愛い女の子は泣いていた。

 もしかしたら……比企谷君の事が好きなのかも。

 その子も去って、彼は一人佇んでいた。

 竹林をライトアップする灯りは、彼をぼんやりと照らしている。彼は、哀しそうな、困ったような、諦めたような表情していて……何だろう、この感じ……。

 私は自然と一歩踏み出していた。



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黒い青春

 俺もそろそろ部屋に戻り、戸塚と風呂でも入るか、と考えていると、突然視界が真っ暗になった。

 

「へ?」

 

 ひんやりとした細い指みたいな物が、目の辺りにあてがわれているようだ。いきなりすぎて思考が追いつかない。あとなんかいい匂いがする。

 

「だ~れだ♪」

 

 甘ったるい声が耳をくすぐる。間違いなくクラスの奴じゃない。そもそもクラスメイトは俺にこんな事はしない。するとしても戸塚くらいのものだ。いや、待てよ?

 

「そっか、戸塚……ついに……」

「え?」

「ついに……本当は女の子でしたって言う気になったんだな」

 

 やべ。泣けてくる。

 

「何、言ってるのかな?」

 

 甘ったるい声に呆れの色が混じる。違うのか?違うのか。違うんだな……。

 

「わり。誰だかさっぱりわからん」

「そっかぁ。まあ、そうだよね」

 

 ひんやりとした細い指がゆっくりと離れる。

 それと同時に恐る恐る振り返ると、そこには、もう会うこともないと思っていた彼女がいた。

 

「えーと……ミナミンスキーさん?」

「間違ってる……」

 

 彼女は少し頬を膨らまし、ジト目になる。

 

「元気そうだな」

「ごまかしたね」

「……そっちも修学旅行か?」

「違うよ。京都が見たくて、お母さんの仕事について来たの」

「そうか」

 

 こんな偶然もあるのかと感心していると、いつの間にか距離を詰められ、顔を覗き込むように見られていた。

 なんとも形容しがたい距離感を意識しながら、顔を逸らす。

 

「どうかしたのか?」

「……お疲れ様」

「は?」

 

 突然の労いの言葉に、呆けた表情になってしまったかもしれない。その温かな声音がじんわりと胸に染みていくのを感じながらも、俺は気づかないふりをした。

 

「別に……疲れてない」

「それでも、お疲れ様」

 

 真っ直ぐ向けられた笑顔にどう反応していいのかわからない。彼女はさっきの出来事をどこまで見ていたかはわからない。ただ、俺の行動に対する評価等は一切なしに、純粋に労ってくれていた。

 俺はそれをそのまま受け取る事を恐れながら話を変える。

 

「……もう遅いけどいいのか?」

「うん、もう少し夜の京都を見たくて」

「そうか」

「うん、だから……今から一緒に行かない?」

「……は?」

 

 その言葉に思考が追いつくまで、少々時間がかかったのは言うまでもない。

 

 *******

 

 竹林を出て、駅まで並んで歩く。観光客はまだ、そこそこの数がうろついていた。

 

「よかったぁ~。実は一人だと不安もあったから」

「まあ、どーせ、やる事もないしな」

 

 別に俺の帰りが遅くても気づく奴はいないだろう。

 

「それで、ミナミンスキーさんはどこ行きたいんだ?」

「ミナリンスキーだよ……あ、ごめん。自己紹介してなかったね」

 

 ミナリンスキーさんは俺の正面に立ち、メイドの時のような恭しさを見せる。

 

「私の名前は南ことりといいます。よろしくね、比企谷八幡君」

「あ、ああ……」

 

 ミナミンスキー、割とニアピンだった。



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Nightbird

 本当にどうしちゃったんだろう、私……。

 自分の行動に自分が一番驚いている。

 穂乃果ちゃんや海未ちゃんが見たらなんて言うだろう……。

 今まで男の子にこんな風に自分から接した事はない。中学生の時に、隣のクラスの男子に告白をされた時には、穂乃果ちゃんと海未ちゃんと一緒に断りに行ったくらいだ。

 でも、今は違う。

 自分から、この不思議な出会いの重なりの意味を……その先にあるものを確かめようとしている。特別な感情……なのかははっきりしない。

 隣を歩く比企谷君はぼんやりとした目で、前を見つめている。猫背気味の姿勢がこの前見た時よりも疲れて見えるのは気のせいじゃないはず。

 何となく空を見上げると、満月が星に囲まれて、夜の京都を見下ろしていた。こんなにきれいな満月は久しぶりのように思える。

 

「綺麗……」

 

 素直な感想が口から零れてきた。満月だけじゃなく、周りの星も、照らされて紅く輝く木の葉も、古き良き日本の歴史を刻み続ける街並みも、全てが私の日常からかけ離れていた。

 彼も私の言葉に反応して、夜空にぼんやりとした瞳を向けていた。でも、その瞳が本当に夜空を見ていたかどうかはわからない。

 考えている内に近づきすぎていたのか、手の甲同士が微かに触れ合う。

 

「あ、ごめん!」

「いや、こっちも……」

「…………」

「…………」

 

 互いに沈黙を抱えながら、緩やかに冷たい風を切る。

 僅かに擦れた体温は確かに熱かった。

 

 *******

 

 電車に乗り、流れていく景色を一瞬ごとに目に焼き付ける。これも偶然だろうか、二人きりの車内は耳が疼くくらいに静かで、ガタンゴトンと規則的な音が外から響いてくるだけだった。それだけの事に、何故か胸が高鳴る。

 そうしていると、比企谷君がこっちを見ていた。

 

「どうしたの?」

「いや、何かあんまり現実味がなくてな……」

「?」

 

 彼は癖のある髪を左手でわしゃわしゃしながら視線を窓の外に向ける。

 

「偶然がこんなに続く事もあるもんなんだな」

「ふふっ、お店に来た時は驚いちゃった。あ、そういえば、あれからどうして来ないの?」

「あの時は材木座の付き添いで行っただけだからな」

「むぅ……」

「いや、それにそっちは秋葉原だし、俺は千葉にいるし……」

 

 彼は困ったような顔をして、頬をかく。その仕草や表情に優しさが滲み出ているような気がして微笑ましい。

 ふと、上着のポケットから携帯電話が見えた。

 

「えいっ」

 

 自分に出せる最高のスピードで、ポケットからそれを奪う。

 

「お、おい」

 

 戸惑う彼を無視して、自分の連絡先を入力する。

 到着のアナウンスが聞こえるより速く、登録を終えた。これでよし!

 

「はい♪」

「あ、ああ……」

 

 その照れたような表情を見ていると、自分の慣れない行動も悪くないように思えた。  



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甘く優しい微熱

 電車を降り、目的地まで歩く。人もそこそこ行き交っているので、有名な観光スポットであることは窺えるのだが……。

 

「そういや、どこ向かってんの?」

 

 隣をどこかはしゃぐように歩く謎の少女(?)南ことりに訊ねると、こちらを見ることもなく、進行方向を指さした。

 

「もう着くよ♪」

「はあ……」

 

 まあ、変な所ではないだろう。別に京都のメイド喫茶に連れて行かれはしないはずだ。いや、それも悪くないような……いやいや、京都まで来てそれは……。

 

「ふふっ、もしかして私のメイド姿、見たかったとか?」

 

 いきなり俺の正面に立ち、小首を傾げる。

 その悪戯っぽい笑顔は、直視するにはあまりにも……その先の思考を脳の奥に押し込める。

 そして、行き交う人の流れの方へ目を背けた。

 

「……ち、違う」

「また見たかったら秋葉原まで来てね」

「い、いや、だから違うじょ」

「噛んだ♪」

「…………」

 

 この南ことりという少女は、自分の魅力を理解して、それを引き出す事に長けているように思える。メイド喫茶で培ったのだろうか。普通にしているだけでも十分に人目を引く容姿をしているが、その嫌みのないあざとさが彼女をさらに魅力的にしている。

 

「着いたよ」

 

 その声にはっとして、自分がさっきまで夢の中にいたかのような気分になる。ともすれば、今もまだ……。

 

「どうかしたの?」

「…………何でもない」

 

 ポケットの中でスマホが震えたが、気づかないふりをして、そのまま目的地の中へ入っていった。

 

 *******

 

「青蓮院門跡か……」

 

 雪ノ下が持っていた観光ガイドに載っていた気がするが、昼間の写真しか見ていない。というか修学旅行なので、夜の観光案内まではそんなに調べていなかった。

 

「夜だとこんな風になるんだな。全然知らんかった」

「ガイドブックで見つけて、行ってみたいなぁ~って思ったんだよ」

「……そっか」

 

 淡々とした受け答えをしながらも、それなりの高揚感が胸を満たしていた。

 幾多の照明が境内全域を鮮やかに照らし、まるで幻想世界にいるように思えた。それを眺めている人達さえ、その不思議な空間のパーツに思える。

 

「綺麗……」

 

 ぽつりと零れたそんな一言さえも……

 

「…………」

 

 俺は黙ったままポケットに手を突っ込み、青くライトアップされた風景に目をやる。

 今が過去を塗り替えたいつもの街並みと違い、ここでは今の技術が昔の技術を彩り、一つの芸術が出来上がっている。

 飛び込んでくる景色全てに目を奪われていると、南が声をかけてくる。

 

「比企谷君。今日は付き合ってくれてありがとう」

「あ、ああ……」

 

 振り返ってこちらを見る南は、言い様のない美しさを纏っていた。その長い髪の周りを、青白い微粒子がぽつぽつと明滅する幻をそこに見た。

 そして、その輝きは口元に浮かべられた微笑みを儚げに、それでいてどこか情熱的に照らし出す。 

 俺は、この南ことりには決して見る事のできない光景を、代わりに胸に刻みつけた。



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睡蓮

「本当に送ってもらっていいの?」

「……ああ。別に大した手間じゃないし。あと帰るついでだし」

 

 帰り道。ちらほらと聞こえてくる人々のささやかな賑わいを聞きながら、すっかり輪郭をなくした街並みを歩く。

 夜空にくっきり浮かんだ丸い月が、不揃いの影を照らしながら、沈んだ太陽の光を夜の世界に伝えていた。

 

「あの……」

「……どした?」

「不思議だよね。私達がこんな風に歩いてるのって」

「……ああ、まあ……確かに」

 

 比企谷君はこちらには目を向けずに、スローテンポな相槌をうつ。

 その横顔を見ながら、何となく話題を変えてみた。

 

「比企谷君は来年は受験どうするの?」

「家の近くの大学受けようと思ってる」

「そっか。どこにするのかは、もう決めてるの?」

「いや、まだだ」

「そうなんだ」

「…………そっちは?」

「え、私?」

「他にいないだろ」

 

 彼から質問されるとは思ってなかったので、つい焦ってしまう。のろのろと走る車が私達を追い抜き、その音が完全になくなったと同時に、私は口を開いた。

 

「私ね。卒業したらパリへ留学するんだ」

 

 自分が思うより、ずっとスムーズに言葉が出てきた。

 

「……そっか」

 

 彼は視線も表情もさっきと変わる事はなく、歩くペースも私と同じままだ。

 こうしている内に、京都の夜は一秒ずつ深まっていく。

 しばらく沈黙が続きそうな気配がしたけど、その雰囲気から抜け出すように、彼は自動販売機で缶コーヒーを2本買った。

 

「……ほら」

 

 その内の一本を差し出してくる。

 

「あ、ありがとう」

 

 温かい缶コーヒーを受け取る。その温もりがすぐ手に馴染んできて気持ちいい。

 

「京都って何でMAXコーヒーないんだろうな」

「……あ、甘党なんだね」

「人生は苦いからな。コーヒーくらい甘くていい」

「あはは……体、壊さないようにね」

「安心しろ。俺の体の半分はMAXコーヒーで出来ている」

「手遅れって事かな?」

 

 何故だかわからないけど、さっきより打ち解けた気がしている。

 ……MAXコーヒー、久しぶりに飲んでみようかな。

 

「送ってくれてありがと、比企谷君」

「別に。帰るついでだ、つったろ」

 

 それは嘘だと思った。

 彼は今から引き返さなくてはいけない。多分、私に気づかれないようにそうするつもりだと思う。しかも、彼は修学旅行でこの街に来ている。帰ったら先生に怒られるかも……。

 

「じゃ、行くわ」

「あ…………」

 

 理由もわからぬまま彼の制服の袖をつまんでしまう。それに驚きながらも振り向いてくれた。

 

「…………」

「…………」

 

 お互いに何も言葉を発さない。ただ見つめあっていた。月が少し雲に隠れて、また少し暗くなったように思える。そのおかげで、表情が見えすぎない事に安心してしまう。

 どうしよう。何か言わなきゃ……。

 無理矢理何か一言でも搾り出そうとしたその時……

 

「ことり、どうしたの?」

 

 耳によく馴染んだ声が聞こえてきた。

 



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輝く運命はその手の中に

 自分でもよくわからない感情が込み上げてきて、言葉に詰まっていると、南の知り合いらしき女性が南に声をかけてきた。

 

「お母さん」

「……え?」

 

 南がお母さんと呼んだ女性をもう一度よく見る。

 目鼻立ちや髪型に面影はあるが、母親というより姉に見える。こんなの、アニメや漫画の世界でしかあり得ないと思っていた。さらに、その清楚な佇まいに妙な色気があり、それが京都の街並みによく溶け込んでいる。

 

「そちらの男の子は?」

 

 南の母親と目が合った。反射的に会釈をしたが、何を話せばいいかわからないので、あらぬ方向へ目を向け、あとは南に任せようと思った。

 

「えーと……お友達、かな?」

 

 やめて!こっちに振らないで!と言いたいところだが、あまり気まずい思いをさせるのもあれだ。事実だけ告げて、この場から立ち去ろう。

 

「あー、ただの知り合いです」

「…………」

 

 少しだけ南の表情に翳りが見えたのは気のせいでしかないのだろう。俺はその姿に背を向け、歩き始めた。

 

「ちょっと待ちなさい」

 

 南の母親に呼び止められる。そのまま行っても構わなかったはずだが、その凛とした響きに思わず立ち止まってしまう。

 

「あなたは修学旅行生みたいだけど時間は大丈夫なの?」

「…………」

 

 実際のところ、やばいはずだ。南についた嘘の通りに、本当にすぐそこに宿があるなら間に合うのだが、今から歩いて戻っても、就寝時間を過ぎてしまい、自分の部屋に戻るのは困難を極めるだろう。しかし、幸い明日は自由行動なので、朝までどっかで時間を潰してから、こっそりと戻れればいいのだが。

 

「宿泊先までタクシーで送るから、ちょっと待ってて」

「え?いや、俺は……」

「お母さん、比企谷君は近くに泊まってるらしいよ」

「いえ、事前に調べたけどこの辺りにはいないはずよ」

「…………」

「…………」

 

 南の責めるようなジト目が痛い。

 

「俺は別にその辺のネットカフェでも……」

「教育者として高校生の深夜外出を許す訳にはいかないわ」

「え?」

「うちのお母さん、高校の理事長やってるの」

「は?」

「初めまして、音ノ木坂学院の理事長をやっています。南雛乃です。あなたは……ひきがや君?」

「……比企谷八幡です」

「そう、比企谷八幡君ね。ことりを送ってくれてありがとう。優しいのね」

「いや、そんなんじゃ」

 

 突然向けられた大人の女性の淑やかな笑顔に、戸惑いを隠せずにあたふたしてしまう。ふんわりと包み込むような優しさがそこにはあった。

 取り繕うように携帯の画面を確認すると、戸塚からの着信があった。他には材木座から1件、平塚先生から3件はいっている。どうやら俺は携帯が震えているのにもきづかないくらいに南に気をとられていたのだろうか。

 いや、それはさておき、あまり心配をかけるのも心苦しい。

 

「あの……電話、いいですか?」

 

 俺の言葉を聞いた南母は穏やかな笑顔で頷いた。

 



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夢で逢いましょう

 タクシーが軽やかなスピードで京都の街を流れていく。

 車の中では誰も喋らず、沈黙を保っていました。でも決して居心地が悪い訳ではなく、穏やかな沈黙です。車のエンジン音だけ聴きながら、お母さんは正面を、比企谷君は左側、私は右側と……時々、比企谷君を見ていました。

 比企谷君は折り返しの電話をかけてからずっと黙っていた。お互い端っこに座っているのも相まって、何だか遠く感じてしまう。彼は今、何を考えているのだろうかなぁ。やっぱり戻った時の事かな。それとも家に帰ってからの事だったりするのかな。……さっきまでの時間を思い出したりはするのかな……。

 考えている内に、こちらを向いた彼と目が合った。

 

「…………」

「…………あ」

 

 言葉を上手く紡げない。口がパクパクと動き、恥ずかしくなり、俯く。

 彼の少し疲れたような、でもどこか優しい瞳だけが胸に刻まれた。

 

「…………」

「…………」

 

 私は彼に何て言葉をかけたいんだろう。

 どんな感情を届けたいんだろう……。

 

「…………とう」

「?」

 

 そっと耳に入ってきた声に反応すると、比企谷君はこちらにやや顔を向けたような姿勢で、目を合わせるのを少し恥ずかしがっているような表情をしていた。

 

「ありがとう……」

「え?」

「いや、その、今日……楽しかった」

「……あ、そ、そう?どういたしまして……わ、私も……」

 

 そこで車が止まった。スピードを緩めた事にすら気づかなかった。

 

「着いたわよ」

 

 お母さんがにこやかに告げる。

 振り返って私と比企谷君を見比べると、何故か申し訳なさそうな顔になった。

 

「邪魔しちゃったかしら?」

「え?あ、いや……」

「そ、そんな事ないよ」

 

 比企谷君が財布を出そうとすると、お母さんが止めた。

 

「私達はこのまま戻るからいいわよ」

「あ、でも……さすがに……」

「ほら、早く戻らないとまずいんじゃないの?」

「あ、じゃあ……」

 

 比企谷君はお母さんに頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 

 次いで私の方を向いた。

 

「……じゃあな」

 

 その響きが少し切なくて、私は彼の制服の袖を掴んだ。彼の驚きがそこから伝わってきた。

 探るように目を合わせ、その切ない響きを上書きするようになるべく明るい声のトーンを心がけ、精一杯の言葉を届ける。

 

「比企谷君……またね!」

「……あ、ああ……また、な」

 

 ほんの一瞬だけだけど、確かに彼は微笑んでくれた。

 暗闇にぽうっと灯る、頼りないけど温かな灯火のような小さな笑みだった。

 

 *******

 

 ホテルの部屋に戻ると、お母さんが珍しく悪戯っぽい笑顔を向けてきた。

 

「ふふっ、ことりもようやく恋愛に興味を持ったのね。お母さん、安心したわ」

「ち、違うよぅ。た、たまたま会っただけだから……」

「その割には……ねえ」

「も、もう!お母さん!」

 

 どんなに確かめても、この気持ちが何なのかは未だにわからない。

 ただ……今日は、いつもより長い夜になりそうな気がした。



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砂の花びら

 就寝時間を過ぎるか過ぎないかの遅い時間だが、特に何事もなく部屋に戻れたので、ほっと一息吐く。

 ロビーで俺を待っていた平塚先生は、俺の頭をポンポンと優しく叩くだけで、その表情は穏やかに微笑んでいた。一昨日、ラーメンを食べに行った時のように黒い大きなコートを着ているので、もしかしたら探してくれていたのかもしれない。

 その後は何を聞かれるでもなく、俺からも何を言うでもなく、部屋へと戻った。

 ドアを開けると、まだ俺の所属する班は消灯を終えていなかった。

 いそいそと布団を敷いたりしながら、俺の方を見てくるが、それには気づかないふりをして、部屋に上がる。

 自分の旅行鞄の側まで行くと、一瞬だけ葉山と目が合った。気まずそうな、何か言いたそうな顔をしていたが、結局何も言ってこなかった。そうだ。それでいい。変わらない事を決めたんだから。

 

「八幡」

「……おう」

 

 戸塚が気遣わしげな声で話しかけてくる。

 

「何か……あったの?」

「いや、ちょっと観光してたら遅くなっただけだ」

 

 一応、嘘ではない。実際のところ、戸部と海老名さんの一件は、帰りが遅れた理由とは一切関係がない。そもそも俺だって最初はそのまま帰るつもりだったのだ。だからといって、南との事をわざわざ言うこともない。

 ……思えば、文化祭の準備の時から、ずっと心の中で一本の糸が張り詰めていた気がする。それをさっきの時間がそっと緩めてくれていた事に、今さら気づいた。

 戸塚は俺の表情から何か察したのか、いつものように微笑んだ。

 

「そっか。それならよかったよ。あんまり心配かけないでね」

「おう……ありがとな」

 

 いつもは可愛い戸塚が少し頼もしく思えた。

 

 *******

 

 風呂は早朝に大浴場に行けばいいか、なんて考えながら、着替えて布団に潜り込むと、携帯に何やらメッセージが届いているのに気づいた。

 南からだ。別に方角の話じゃない。

 画面には、短い文章が表示されていた。

『大丈夫だった?』

 どうやら安否確認のメールのようだ。

 俺はすぐさま返信した。

『大丈夫だ』

 その言葉は南への返信以外に、自分に対して言い聞かせているみたいだった。

 

 *******

 

 修学旅行から帰ると、再び日常の中へと戻った。ただ、その日常も少しだけ変化が訪れる。

 一つは奉仕部への参加頻度だ。

 二日に一回、三日に一回と、その間隔は徐々に開いていった。そしてその事を、平塚先生も誰も咎めなかった。今受けている依頼も、俺は一切関わっていない。

 このまま行けば、あっけない幕切れを迎える事は確実だが、何かが終わる時というのは、案外そんなものなのかもしれない。

 もう一つは……

 

「もしもし、比企谷君?」

「おう」

 

 ここ最近南から、夜に電話がかかってくる。

 内容は、その日学校であった事なんかが多い。

 俺は特に報告するような事は起こらないので、聞き役に徹しているが、それをどこか楽しみにしている自分がいる。今はこれだけでいいと思える。薄っぺらい自己満足だとしても。

 そして、今年もそろそろ終わろうとしていた。



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結晶

 もう今年もあと11ヶ月ですね。
 それでは今回もよろしくお願いします。


「ふう……」

 

 休憩時間。汗をタオルで拭いながら、スマホを確認する。特に目的があったわけではないけれど、指先が勝手にギャラリーを開いていた。

 画面には京都の街並みが鮮明に映し出され、あの街の空気を感じます。

 それと同時に、最近耳によく馴染んできたあの声が響いてくるような気が……。

 きっかけは何だったかは覚えていないけれど、つい通話ボタンを押してしまい、引っ込みがつかなくなった事は覚えている。

 その日から、彼と取り留めのない話をするようになった。とは言っても彼は自分の話はあまりしないから、私が話してばかりなんだけど。

 

「こっとりちゃ~ん!」

 

 いつものように、元気よく背後からいきなり抱きついてきたのは……

 

「穂乃果ちゃん、どうしたの?」

「ん?ことりちゃんが嬉しそうだから、どうしたのかな~って♪」

 

 長い付き合いの親友に言われ、つい頬に手を当てる。しかし、自分がどんな顔をしていたのかまでは知る由もない。嬉しそうだったのかなぁ?

 

「そ、そんなに嬉しそうな顔してた?」

「うん!」

 

 屈託のない笑顔で大きく頷かれると、何も言えなくなってしまう。

 

「確かに、ことりは最近調子良さそうですね」

 

 海未ちゃんも穂乃果ちゃんと同じ意見みたいだ。

 

「そうかなあ?」

「ええ、ダンスのキレもどんどん上がってますし、何より笑顔が素敵です」

「……あはは、ありがとう」

 

 ストレートに褒められて、どう反応していいかわからず、言葉に詰まりそうになる。

 

「やはり京都でいいインスピレーションを得た事が、衣装製作だけではなく、パフォーマンスにも出ているみたいですね」

「ふぇっ!?」

 

 京都という言葉に反応して、危うくスマホを落としそうになる。

 

「どうかしましたか?」

「いや、何でもない何でもない!」

「もしかしたら京都で素敵な出会いがあったんとちゃう?」

「ええぇぇっ!?」

 

 いつの間にか背後に立っていた希ちゃんが、からかうような笑みを浮かべている。手には、いつものタロットカードが握られていた。

 

「ことりちゃんは京都でデートした男性と情熱的な恋に落ちるってカードが言うてるんや」

「…………」

 

 希ちゃんはからかっているだけに見えるけど、私は自分の鼓動が速くなるのを、胸に手を当て、確かめていた。12月の寒さも気にならないくらいに顔が熱くなっていた。

 

「こ、ことりちゃん?」

「ことり……まさか……」

「あらら」

「さ、練習続けるよ!」

 

 私は逃げるように話を切り上げ、練習を再開する事にした。もちろんごまかせたとは思っていない。背中に疑惑の眼差しを感じる。

 ……後で何を聞かれるかが怖い、かな。

 そういえば、まだ比企谷君にスクールアイドルの事は話していなかったな。

 ……今晩、話してみよう。なんて小さな決心を胸に秘め、午後の練習はさらに激しく体を動かした。



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BABY MOON

「スクールアイドル?」

「うん、実は……」

 

 ベッドの上で読書中にかかってきた電話は南からだった。いつも通りの特に中身があるわけでもない、でも何故か途切れないふわふわとした会話が始まるかと思ったら、出だしから予想外な話題を切り出された。

 何と南はメイドなだけじゃなくスクールアイドルもやっているらしい。しかも関東大会決勝まで勝ち上がっているとか……こいつ、案外チートキャラだよな。

 彼女は遠慮がちに話を続けた。

 

「それでね……見に来てくれないかな」

「まあ、その内、適当にな」

「……それ、絶対に来ないつもりだよね」

「お前、エスパーかよ」

「今のは大抵の人はわかるんじゃないかな。それに比企谷君、本心を隠そうとしないし……」

「そう……か?」

 

 俺の浅はかな処世術も南には見抜かれてしまっていたようだ。

 

「ダメ……かな」

 

 そう言ったきり、こちらを窺うような沈黙が訪れる。ふと窓の外に目を向けると、空にはぼんやりとした満月が浮かんでいて、白くやわらかな光を街に降らせていた。南のいる場所からもこの月は見えるのだろうか。

 思考が逸れかけている事に気づき、一呼吸置いてから答える。

 

「……行く」

「え、いいの!?」

「ああ、だがあんまり激しい声援とか期待すんなよ」

「いいよ、その代わり……」

「?」

「しっかり……見てて欲しいな」

「……あ、ああ……わかった」

 

 その後は普段通りの日常会話になった。

 ありきたりな、何の変哲もない言葉を、いつもより少しだけ多く積み重ねた。

 

 *******

 

「……まじか」

 

 思わず声が出てしまう。

 12月25日。東京の街はクリスマス一色で、華やかなリア充ムードが漂っていた。体の芯まで凍えさせるような寒さと、不規則に行き交う人波に歩きづらさを感じながら、何とか会場まで辿り着いた。

 しかし会場周りの女子学生率がハンパない。女性アイドルのライブだと聞いていたんだが、客層が予想と違う。いや、学校の部活動らしいから当然といえば当然なのか。

 ちらほら男もいるが……何か職人みたいなおっちゃんがいるな……まあ、かなり少ない事に変わりない。

 ……そろそろ帰るか。

 回れ右をしたところで誰かに手を掴まれる。

 

「比企谷君、あの……来てくれたんだね」

「……ああ」

 

 振り返ると南がいた。

 眼鏡をかけているが、伊達のようだ。変装のつもりだろうが、特徴的な髪型のせいですぐにわかる。

 目が合うと眼鏡の向こうの目が少し細められる。

 

「でも今、帰ろうとしてなかった?」

「き、気のせいだ……あっちの方に何があるか気になっただけだ」

「ふ~ん」

 

 しばらくの間、ジト目を向けられる。いや、ちょっとそこで時間を潰そうとしただけだよ?ハチマン、ウソ、ツカナイ。

 

「ほら、はやく行こ!」

「あ、ああ」

 

 南が歩き出して、それに合わせて俺の足も自然と動く。その時、ようやく手を握られているのに気づいた。

 白く細い指先が、外で冷えきった手を温めてくれる。

 その意外な温度に顔を火照らせながら、僅かにちらつきだした雪を眺める。南も雪に気がついたようで、空を見上げた。

 

「「…………」」

 

 数秒間だけ灰色の空を見つめ、あとは真っ直ぐに会場内へと歩いていった。



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GOLD

「あ、ことりちゃん!」

「どうかしたのですか?」

「うん、ちょっと……知り合いに会ってて」

 

 穂乃果ちゃんと海未ちゃんに笑顔で返しながら、右手を胸の前できゅっと握る。そこにはほんのりとした熱と、少し角張った男の子の手の感触があった。

 今頃、彼はぼーっとして、時にそわそわしながら、開演を待っていると思う。何故かその事を心強いと感じてしまった。

 

「何だか嬉しそうやね」

 

 希ちゃんがニヤニヤしながら言う。その声にはからかうようなニュアンスがあって、思わずギクリと反応した。

 でも……後ろめたい事なんてないよね。

 私は心からの笑顔で、真っ直ぐにはっきりと答えた。

 

「うん!大事な人、達が観に来てくれてるから」

 

 途中でつっかえた理由はわからないし、今はわからなくていい。

 希ちゃんは何かを察したように優しく微笑んだ。

 

「そっか。じゃあ、頑張らんといかんね」

「うん!」

「あれ?エリチどうしたん?」

「わ、私とした事が……危ないところだったわ。目を見ただけで惚れそうになるなんて……」

「絵里ちゃん?」

 

 俯いてブツブツ何かを呟いている。もしかして緊張しているのだろうか。心なしか顔が赤い。

 

「エリチ?」

「はっ!……だ、大丈夫よ!何でもないわ!」

「じゃあ、皆!円陣!」

 

 その呼びかけに応える前に深呼吸して、気持ちを切り替える。この緊張感をあともう少しだけ味わっていたい。

 その為に今はステージで自分の全てをぶつけてこよう!

 

 *******

 

 まだ体が熱っぽい。

 閉会式を終え、お客さんのいなくなった会場内はさっきまでとは打って変わって、静寂に包まれていた。それでもまだ、非日常の中にいるようなふわふわした感覚が残っている。

 皆から少し離れた場所で、私は比企谷君に電話をかけた。

 

「もしもし、比企谷君」

「ああ」

「今、どこにいるの?」

「ん?駅に着いたところだけど……」

「あ、そうなんだ」

「お疲れさん。その……何だ……すごく良かった」

「ふふっ。ありがとうございます♪」

「それと、優勝おめでとう。3月ぐらいまで続くんだろ?」

「うん、そうだよ」

「そっか。……応援してる」

「ありがと!でも、今日はあまりお構いできなくてごめんね」

「いや、いいから。会場内でスクールアイドルが他校の男子生徒にあまりお構いしてたらまずいだろ」

「じゃあ、会場の外なら……いいのかな?」

「…………」

「どう、かな?」

「……多分、大丈夫、だと思うけど」

「じゃあ、その……よかったら……冬休み中に会えないかな?」

「え、あ、わかった」

「ことりちゃ~ん!」

「あ、今行くね!……ごめん、また後で!それじゃあ!」

「じゃあな」

 

 今、胸の中にあるのは、何かに区切りがついたというような感傷ではなく、新しい何かが小さな音を立てながら動き出したような、明日への期待感だった。

 

 




 読んでくれた方々、ありがとうございます!


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I'm in love?

 μ'sのラブライブ!関東大会優勝を見届けた後は、あっという間に時間が過ぎ、気がつけば年を跨いでいた。時間という物は、無関心でいればどこまでも早く進んでいくようで、そんな流れの中に最近あった色んな出来事も埋もれていった。

 平塚先生からのメールで知ったのは、雪ノ下の生徒会長就任、由比ヶ浜の副会長就任。そして、それに伴う奉仕部の解散である。依頼を持ち込んだ一色は庶務を担当する事になったようだ。入部は強制だったし、積極的な活動などしていないが、それでも胸にぽっかりと穴が空いた気分だ。

 離れてみて気づいた。

 あの場所は紛れもなく俺の居場所だった。

 散々ぼっちに慣れて、学校に居場所なんてなかった俺の安らぎだった。

 その場所を自分から手放した虚しさが、たまに胸をつついた。

 そして、そんな痛みもやがては感じなくなる事も知っていた。

 

「比企谷君?」

「…………」

「比企谷く~ん、聞いてますか~?」

「……っ!わ、悪い。ぼーっとしてた」

「もしかして具合悪い?」

「いや、違う……」

 

 南の声で現実に引き戻される。

 新年が始まってから既に五日が経ち、それでも元旦からの賑やかな雰囲気が残る中、俺は南と並んで千葉のショッピングモールを歩いていた。

 建物内は学生らしき若者が多く、皆残り少ない冬休みを謳歌しようとしていた。

 

「比企谷君って考え込む事多いよね」

「そ、そうか?」

 

 こちらの顔を覗き込んでくる南の顔が割と近く、つい顔を逸らしてしまう。白い肌と優しげな目がやけに印象的だった。

 

「うん、そうだよ。たまに……すごく哀しそう」

「そうでもねーよ。つーか、悪かった。何の話だったっけ?」

「…………」

 

 南が呆気にとられたような表情を見せ、すぐに頬を膨らます。これは流石にやばい。

 

「ほ、本当にすまん。ケーキ奢るから……」

「食べ物で釣ろうとしてる」

「じゃあ、何でも一つ言うことを聞くってのは……」

「ふ~ん、何でも?」

「……善処させていただきます」

「どうしよっかな~?何しよっかな~?」

 

 悪戯っぽい笑顔で周囲を見渡す南は、この前のステージで見たスクールアイドルとしての南とはまるで別人だ。後で知ったのだが、あの衣装は全て南が考えているらしい。……どんだけスペック高いんだよ。

 隣に立つのが少し申し訳なくなってきた時、南の視線がある一点に固定されていた。

 

「どした?」

「…………」

 

 反応がない。

 よく見れば、頬が少し赤くなっている。

 どうしたのかと思い、その視線を辿る。

 するとその先にはカフェがあり、窓側にカップルがいて、女の方が自分のパフェをスプーンで掬い、男に食べさせていた。

 

「比企谷君……あれ、食べたいな」

「あ、ああ……」

 

 囁くような声に、胸が高鳴る音が聞こえる。今は南の顔を見れそうになかった。

 やがてどちらからともなく、俺と南はゆっくりとカフェの方へ歩き出した。

 

 



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Too Young

「…………」

「…………」

 

 ど、どうしよう……また勢いで……。

 周りにはカップルばかりで、少し……いいや、かなり気まずい気分だ。別に注目を浴びている訳じゃないし、そんなに浮いている訳じゃないのに……。

 

「ご注文はお決まりですか?」

「あ、はい!じゃあ、このチョコレートパフェを」

「じゃあ、俺はコーヒーで」

 

 店員さんに反射的にメニューを告げると、ようやく一息ついたように体の力が抜ける。外の人の流れに目を向ける余裕も出てきた。

 何か聞きたい事……そうだ!

 

「あの……」

「お、おう……」

「比企谷君は彼女とかいるの?」

「ぶふぉっ!」

 

 彼は思いきり吹き出した。

 

「げほっ!げほっ!」

「だ、大丈夫!?」

「あ、ああ……てか、何なのいきなり。唐突すぎんだけど」

「……何でだろうね。ふふっ」

 

 申し訳ないと思いながらも、その狼狽えぶりに笑いが溢れてしまう。ああいった質問は苦手なのかもしれない。

 

「いや、まあ別にいいんだけど」

「それで?」

「?」

「質問の答えは?」

「ぐっ……」

 

 あぁ、私今いじわるな笑顔になってるかも。彼をからかいたい衝動に駆られている。いや、既にからかっている。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼はそっぽを向いて答えた。

 

「……いない。いた事ない」

「そ、そっか」

 

 そっかそっか。いないのかー。

 そんなやり取りをしている内に、パフェとコーヒーが運ばれてきた。

 取り繕うようにスプーンでパフェを口に運ぶ。蕩けるような甘さが口の中に広がり、ごちゃごちゃになりかけていた頭の中がすっきりしていくのがわかる。

 

「うん、このパフェ美味しい……え?」

 

 彼の方を見たら、砂糖とミルクを大量にコーヒーに注ぐべく、準備を整えていた。

 

「ス、ストップだよ、比企谷君!」

「どした?」

「そ、それは?」

「ああ、まずは甘さを調整しないとな」

「ダ、ダメだよぅ……体に悪いよ?」

「好きな物を我慢する方が体に悪くないか?」

「それは一理あるかも。じゃなくて!ほら……」

 

 スプーンに乗せられるだけ生クリームを乗せ、彼に差し出した。

 

「はい、甘いのはこっちを食べればいいでしょ?」

「いや、さすがに……ちょっと……」

「と、溶けちゃうよ~」

「……っ」

 

 半ば強引に口の中へと押し込む。周りの事なんて一つも気にならなかった。

 

「どう、甘いでしょ?」

「……甘すぎる」

「え~、わがままだよ~!」

「……甘いのはもう十分だ」

 

 比企谷君は顔を紅くしながら、砂糖とミルクを元の位置に戻した。その様子で、自分のした事に改めて気づき、驚いてしまう。

 今わかるのは、私の顔も紅くなっているという事だけだ。

 



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ユートピア

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 喫茶店でしばらく話し込んでから、南の要望に従い、海を見に行くことにした。これも衣装作りのインスピレーションを得る為らしい。

 電車の中では二人して窓の外を眺めていた。いつもより電車がダラダラ走っているような気分になりながら、たまに南の方に目をやる。

 南は街の風景なんて見ていない気がした。

 その目はもっと遠くを眺めているみたいだ。

 

「やっぱり静かだね」

「そりゃあ、冬だしな」

 砂浜には散歩している人もいない。

 ただ寄せては返す波の音が延々と響いているだけだった。

 そんな静かな砂浜に、大きさの違う足跡を二つずつ残しながら、足に波がかかるぎりぎりの所で立ち止まった。

「……そんなに海が見たかったのか」

「どうだろう?わかんない、かな」

「そうか」

「私ね。最近よくあるんだ。自分の気持ちとか、これからどうしたいかとか、そんな色んなことが全くわからなくなっちゃうの」

「…………」

「ご、ごめんなさい!私……変だよね?いきなり何言ってるんだろ?」

「いや、別にいい。もっと変な奴も知ってるからな。材木座とか」

「あはは……そういう変とは違うんだけどな……あ」

 南が何かに気づいたように空を見上げた。

 その視線の先を追うと、空からはいつかみたいに雪がふわふわと舞い降りていた。

「綺麗……」

 南は少し幼くなったような表情で雪を眺め続けている。海に吸い込まれて消えていく雪も、南の吐く息も、水平線の向こうの景色も真っ白で、次第に全てのものを白く塗りつぶしてしまいそうだった。

 寒さを忘れて見入ってしまうそんな光景を、ただ胸に焼き付けようと、ひたすら眺めていた。

「どうかしたの?」 

 俺の視線に気づいた南が小さく首を傾げる。

 きっと南はこの光景の美しさになど気づいていないのだろう。あの京都の時みたいに。

「いや、何でも……」

「そろそろ行こっか」

「ああ、そうだな」

 俺達はまだ微かに残っている足跡を辿りながら戻った。

 やがて、その足跡も深々と降り積もる雪が埋めていった。

 

「今日はありがとう」

「特に礼を言われるようなことはしてねーよ」

「そう?私は楽しかったよ」

「……なら、よかった」

「また、こんな風に会いたいな」

「今度は……」

「?」

「今度は……東京の街も、いいんじゃないか?秋葉原以外でも」

「…………うんっ!」

 南はしばらくポカンとしていたが、やがて笑顔になり、大きく頷いた。

 そうこうしている内に、時間が来たようだ。電車の到着を事務的な声が告げる。

「じゃあ、またね」

「ああ……また、な」

 少し慌てて駆けていくその背中から、目を離す事が出来なかった。

 見えなくなっても、その通り道をしばらく眺め、歩き出すタイミングがわからずにいた。

 




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満月よ照らせ


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「ことりちゃん」

「ことり」

「な、何かな?」

 生徒会室で書類の整理をしていると、穂乃果ちゃんと海未ちゃんが私を挟んで座り、同時に顔を覗き込んでくる。……どっちを向けばいいのかな?

「ことりちゃん、そろそろ教えて」

「な、な、何を?」

「とぼけても無駄ですよ」

「わからないよ~」

 どうしたんだろう?さっぱりわからない。留学の件は話したし、もう秘密にしていることなんて何もないはずなんだけど……。私、何かしたのかなあ?

「ことりちゃん、最近…………好きな人できたでしょ!?」

「……えぇっ!?」

 幼馴染みからの突然の指摘に体が跳ね上がる。

「や、やっぱり本当なのですね?」

「ち、ちち違うよ?」

「でも、顔が真っ赤になってますよ」

「!?」

 海未ちゃんの指摘に反応して頬に手を当てると、確かに熱い。慌て過ぎて気づいていなかったみたいだ。でも、それより気になるのは……

「……どうしてそう思ったの?」

 私が震えながらそう言うと、二人は数秒顔を合わせた後、ゆっくりと話し出した。

「最近、休憩時間はケータイばっかり見てるよね?」

「え……」

「前からオシャレには気を遣っていましたが、最近はさらに気を遣っていますね。何というか……綺麗になりました」

「そうかな……」

 そう言われて悪い気はしない。

「どうなの!?」

「どうなんですか!?」

「……気になる人は、いるかな?」

 逃げられそうもないので、つい白状してしまう。

 実際のところ、私もよくわかっていない。

 比企谷君のことをどう思っているのか。

「ど、どんな人!?どんな人なの!?」

「お、落ち着きなさい、穂乃果!と、ところで、その、ことりの想い人とは、私達も知ってる方なのですか?」

「ふぅ……」

 やっぱり……好き……なのかなあ。

「ことりちゃ~ん。もしも~し」

「完全に自分の世界に入ってますね」

 私は、二人に肩を揺さぶられるまで、ずっと考え事に耽っていた。

 

 二人の追求から逃れて帰る途中、デパートに衣装関連の用事があったので立ち寄ったら、思いがけない物を目にした。

「バレンタインか……」

 気がつけばもう2月。来週に控えたバレンタインデーの為に、特設コーナーが設けられ、色とりどりのチョコレートが行き交う人の目を惹いていた。

 中学時代は私と穂乃果ちゃんと海未ちゃんの3人で一緒にチョコレートを買って、クラスの皆に配ったことがある。その中に男の子はいたけれど、特別な感情はなかった。

 今はどうなんだろう。

 もし比企谷君に渡すとしたら、どんな気持ちを込めるんだろう。

「買ってみようかな」

 どうせ今はチョコを手作りするような時間はないので、μ'sの皆に渡す時は、買う必要がある。

 親しい人に配る分を含めても、1つ増えるぐらいなら、別に大した違いはない。

 それに、彼は甘い物が大好きだから。

 考えていると、ポケットの中のスマホが震える。

 画面を確認すると、偶然なのか、もう既に見慣れた彼の名前がそこに表示されていた。

 





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Wonderful Opportunity


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「比企谷君?」

「お、おう……南か?」

「そうだよ?」

 わかりきっていることなのに、つい確認をしてしまう辺り、俺のコミュニケーション能力はさほど上がってないのだと、はっきり思い知らされる。いや、会ってる時には普通に話せるから、別に構わない。

 そもそも、何故いきなり電話をかけようと思ったかすら、よくわからない。今日学校での材木座との会話でメイドカフェの話が出たからだろうか。戸塚が今日も可愛かったからか。葉山グループの賑やかさがいつにも増して聞こえてきたからか。

「比企谷君?」

 考えていると、耳元を南の声がくすぐった。とりあえずでもいいから、何か言わなくてはならない。

「元気……か?」

「う、うん、元気だよ」

 ……さすがにこれはひどい。

 もうちょい頑張ろうぜ、俺。

 自分から誰かに電話をかける機会が少ないせいか、無駄に緊張している。目を見て話すより緊張するとか、どうなってんだよ……。

「最近……寒いな……」

「あはは、寒いね……」

 ……だから、何やってんだよ俺は。

 温かなやり取りかもしれんが、もっと他にあるだろう。

「今、電話大丈夫か?」

「あ、うん!」

 電話からは、賑やかなBGMが漏れ聞こえる。デパートか何かにいるんだろう。

 ふと、先月のことを思い出した。

「先月の約束の事なんだが……」

「…………」

 南は何も言わない。気まずい沈黙ではなく、続きを促すような沈黙に思えた。電話の向こうの息遣いを想像しながら、言葉を紡いだ。

「そっちの都合がよければ、今度……会わないか?」

「え?」

「あ、いや、忙しいならいいんだ。そろそろラブライブの全国大会ってのも知ってるし。まあ、息抜きの時間にでも会えればいいと思ったんだが。まあ、いきなり悪かった」

 今度は、自分が想像するより、わりと多めに言葉が溢れてきた。まるで、いきなり堤防を取り除いたような気分だ。

「だ、大丈夫だよ!」

「……そっか」

 了承を得たことに安堵する。

 しかし、何かボソボソと聞こえていた。

「じ、実は私も……いなって……」

「?」

「な、何でもないよ!じゃあ、今度の日曜日でいいかな?」

「ああ、悪いな」

「むぅ……」

「ど、どうかしたか?」

「こういう時は『ありがとう』の方が好きだなぁ」

「そうか、わ……ありがとう」

「ふふっ。よろしい♪」

 得意げな笑い声に、ついこちらの頬が緩む。

「じゃあ、そっちに行くから……」

「ちょっと待って!」

「おう……」

「あの……私がそっちに行っていいかな?」

「俺は別に構わないけど……」

「じゃ、じゃあ、比企谷君の家に行くから!」

「わかった。迎えに……は?」

 今……何て言った?

 

 そこからあっという間に約束の日を迎えた。

 掃除はまあ、完璧だろう。カマクラは……眠っている。

 家族も今日はいない。いや、変な意味ではなくて。からかわれるの面倒じゃん?

 飲み物のチェックを終えると同時に呼び鈴が鳴ったので、まずはインターホンのモニターを確認する。

 ……間違いない。南だ。

 少し鼓動がはやくなった気がした。

 そして、特に意味もなく深呼吸した後、寒い中待たせるのは申し訳ないので、玄関まで走る。

 扉を開けると、やはりそこには南が立っていた。

「おはよう……比企谷君」

「……おはよう」

「…………」

「…………」

 二人共、しばらく玄関でお互いの顔をチラ見しながら、立ち尽くしていた。

 

 





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SNOW


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「雪だな」

 比企谷君が特に感情も込めずに呟く。

「雪だね」

 私も同じような調子で応じた。

 窓の外は、いつもより大粒の雪が深々と降り積もり、近所の家の輪郭もよくわからなくなっていた。何故か、銀色のどんよりと重たい空が印象的だった。

 ……でも今はそんな幻想的な風景を楽しんでる場合じゃなくて。

「外、出られそうもないね」

「ああ、つーか出たくない」

「コタツ、気持ちいいもんね」

「ああ、コタツって奴は本当に人を駄目にするよな」

 比企谷君が尤もなことを、今度は感情たっぷりに呟き、寝転がろうとする。

 しかし、慌てて起き上がった。

「悪い……人が来てるのに、眠るとこだった」

「あはは……」

 一緒にいて落ち着くってことでいいんだよね……?

 家に着いて、少しの間話していたら、いつの間にか雪が降り出した。

 最初ははしゃぐように眺めていたが、雪は少しずつ勢いを増し、今朝積もっていた分の上から、周りの景色を白で埋めていった。

 それを見ている内に、どちらも外出する気はなくなり、比企谷君の提案でしばらくコタツでのんびりすることにした。

 そして、今に至る。

 家に入った時の緊張感はとっくに消え去っていた。

 私は鞄の中の物を思い出した。

「あの、比企谷君……」

「どした?」

 彼は台の上に突っ伏している。

「もう……こっち向いて」

 彼の顔を左右から掴み、こちらを向かせる。

 すると、意外と近くに彼の顔が来て、そのまま見つめ合う形になる。

「…………」

「…………」

 部屋はしんとしている。

 しかし、外は活発に活動していて、雪が雪を叩く音まで聞こえてきそうな気がした。

 両手を通して伝わってくる彼の体温がやけに心地良い。もしかしたら、私は本当に彼の事を……。

 やがて、自分の顔が熱くなっているのに気づき、両手を放す。

「ご、ごめん……」

「お、おう……」

 失敗したなぁ……。

 いや、気を引き締め直して、もう一度!

 決意を新たにした瞬間、廊下から猫がとことこと歩いてきた。

 そのまま私の膝の上に座り、丸くなる。ふわふわして温かい。

「ふふっ、可愛い♪」

「俺にはあまり懐かないのに……」

「恥ずかしがり屋なんだよ、きっと」

「……どうだか。あ、悪い。妹からだ」

「どうかしたの?」

「妹が今日は友達の家に泊まるって……」

 何故か彼はすごく動揺している。

「足、震えてるよ?」

「ああどうしよう。これが女子だけじゃなくて男子もいたら。いや、今はいなくても途中から参加してきたら。いや、実は友達の家っていうのがそもそも嘘で彼氏の家とか……」

 比企谷君は頭を抱えて呻いている。

 まさか彼にこんな弱点があったなんて。

「お、落ち着こうよ!」

「はっ……悪い。つい……」

 こんな時、何て声をかければいいんだろう?

「だ、大丈夫だよ!比企谷君の妹だもん!」

「……そ、そうか。そうだよな」

「そうだよ。だから心配しすぎないで」

「ああ」

「男の子の家だったとしても、きっといい彼氏だよ!」

「がはっ!」

「比企谷君!?」

 彼が立ち直るまで、30分以上かかった。

 

「あ、あの……これ……」

 比企谷君は立ち直ってからも、しばらくは魂の抜けたような表情をしていたが、私の取り出した包みを見て、その意味に気づいたのか、真面目な……少し照れくさそうな表情になった。

「……ありがとう」

「どういたしまして……」

「ちょっと、飲み物を……!」

「きゃっ!?」

 飲み物を取りに行こうとした彼が足を滑らせ、私に覆い被さるような態勢になる。

 さっきよりも顔が近く、互いの息が混ざり合うのがはっきりわかる。胸の高鳴りを聞かれてしまいそうなのが恥ずかしい。

「…………」

「…………」

 彼の目はいつものように、どこか寂しそうに見えた。

 チョコレート渡すタイミングとしては、かなり失敗したと思う。

 それでも、偶然がもたらしたこの瞬間の温もりにもう少し包まれていたい、なんて思ってしまった。

 そして、自然と次の言葉が溢れる。

「私のこと、ことりって呼んで?……八幡君」

 

 

 

 





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世界はあなたの色になる


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「……こ……」

「…………」

 ことりがこれまでにないくらい熱い瞳を向けてくる。二人して身体が微かに震えているのは何故だろうか。何がこんな切ない時間を生んでいるのだろうか。

「……こ、ことり」

「はい……」

 ようやくその名を呼び、髪に手を伸ばす。場の空気に流されるなんて、まったく自分らしくないことは承知していたが、最早止めることはできなかった。多分、俺は……ことりの事が……。

「……ん……」

 さらさらの柔らかな髪に触れた瞬間、ことりがビクンと反応した。

「わ、悪い」

「大丈夫だよ。ちょっと驚いただけ……」

 ことりは離れかけた俺の手を掴み、そっと自分の髪に添えた。それと同時に甘い香りがふわりと包み込んできた。世界から切り離されたように、現実味のない時間が流れた。

 ただぼんやり見つめ合っていると、ことりが小さく微笑んだ。

「……不思議だね」

「何が?」

「君と私って、9月には名前も顔も知らなかった。でも、今はこうして……」

 ことりの手が頬に添えられる。ひんやりとした感触なのに、頭の中の熱は冷めそうもなかった。

 気がつけば、ことりの顔が近くなっていく。ほんのり紅い唇から目が離せない。

 お互いの鼓動が近くなり、このまま……

 

 ピンポーン。

 

「「!」」

 慌てて身体を離す。

 一気に熱が霧散し、急速に頭の中が冷えたようだ。

「ちょっと行ってくる」

「う、うん……いってらっしゃい」

 気を取り直すように言いながら、玄関へと向かった。

 

「ふぅ……」

「どうしたの?」

「いや、親父が仕事に必要な書類を取りに来ただけだった」

「あはは……」

 お互いに何ともいえない笑いを浮かべ、外の雪を眺めた。雪はさっきより深く降り積もり、親父が帰ってきていたのが、嘘みたいに思えた。

「その……さっきは、悪かった。いきなり……」

 ことりは少しの間、ポカンとした表情を見せた後、静かに首を振った。

「私は嫌じゃなかったよ……もっと……」

 左肩に彼女の頭が乗っかる。表情は確認できないが、言葉にできない温かさが染みこんできた気がした。

「もっと……八幡君のことが知りたいな」

「……あ、ああ」

 俺は間の抜けた相槌をうつだけで、しばらくの間そのままでいた。

 思考回路がまともになるまで、まだしばらく時間がかかりそうだ。

「なあ、ことり……」

「?」

「いや、すまん。何でもない」

「ふふっ、まだ固いね。そこが八幡君らしいのかもしれないけど」

「……そういう事にしてくれると助かる」

「わかった。そういう事にしておくね」

 また緩やかに時間が流れ出した。

 

 

 





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THE BORDER


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「泊めて……くれないかな?」

「……はい?」

 私の言葉に、八幡君はキョトンとした表情になった。彼がこんな表情をするということは、それなりの衝撃があったということだ。

 何より、私自身も上手く現実を飲み込めていない。

 吹雪の影響で、電車が止まっていると知ったのは、今さっきのお母さんからの電話だ。私が八幡君の家にいることを聞いたお母さんはこう言った。

『それじゃあ、今日は……うん、泊めてもらいなさい♪』

『え!?お、お母さん!?』

『頑張ってね!』

 お母さん……理事長、だよね?女子校の理事長だよね?

 こうして、千葉に友達のいない私は、八幡君にお願いすることになった。

 もちろん彼の事が嫌いなはずがない。おそらく、好き……なんだと思う。

 だ、だからこそ……順序を大事にしたいと思うな!

 そ、それに……。

 軽い女の子とか、思われたりしないよね?

「……り……ことり?」

「は、はひゃい!?」

 八幡君の声に驚き、跳ね上がってしまう。どうやら、自分の世界に浸っていたようだ。彼も驚いた表情をこちらに向けていた。

「ど、どうした?」

「え、あ……その……」

「?」

「は、八幡君にへ、へ、変な事されたいだなんて思ってないんだからね!」

「本当にどうした!?」

 わ、私、何言ってるんだろう?

 八幡君は、私の様子に苦笑して、そっぽを向き、聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で呟いた。

「俺は……別に、ことりが泊まっても構わないが……」

「あ、うん……」

「ただ、今日は妹も帰ってこないから、その……二人だけになる……それでもいいか?」

 彼の頬が赤くなるのにつられて、自分の顔が熱くなってきた。多分、赤くなっている。

「だ、大丈夫……」

「それと……」

「な、何かな?」

「妹が帰ってこないから、あまり晩飯は期待しない方がいい。小学校以来、あまり台所に立っていないからな」

「あ、じゃあ、私がやるよ!!」

 つい勢い込んで言ってしまう。

「私、結構得意…………かも」

 どうしよう、自分から得意なんて言っちゃった。下手じゃないと思うんだけど。合宿の時には、にこちゃんに手際が悪いって言われたからなぁ。

「じゃあ、俺も手伝おう」

 こちらの表情から察したのか、嬉しい申し出がきた。

 台所に並んで料理……今日は色々ありすぎて許容量オーバー気味だけど、すごく楽しそう。

「うん。お願いします♪」

 私はイメージした姿に頬を緩めながら、ゆっくりと頷いた。

 

「こ、ことり……」

「どうかした?」

「野菜の皮剥き、俺がやろうか?」

「だ、大丈夫だよ!うん、あと少し!」

 やっぱり、見栄を張るのはよくないですね。だって、あれ以来、料理してないもんね。

「あと一つ!」

「やっぱり俺も……」

 二人同時にジャガイモに手を伸ばしたせいで、手が重なる。八幡君の大きな手が、私の手を優しく包み込んでいた。

「…………」

「…………」

 私達はしばらく何も言えずに、黙々と作業をした。

 決して気まずい空気ではなかった。むしろ居心地よく感じられた。

 そして、途中で何度も失敗しかけた。

 でも、四苦八苦しながら作ったカレーの味は、何だか忘れられそうもなかった。





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赤い河

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「ふぅ……」

 リビングのソファーに仰向けに倒れ込み、真っ白な天井を眺める。今の自分の落ち着かない気分を何と表現すればいいのかわからない。正直、夢の中じゃないかとさえ思う。

 ことりは風呂に入っている。『八幡君、先にどうぞ』と言われたが、見たいテレビを口実に先に入ってもらった。しかし、今になって考えてみれば、後から入る俺は、ことりが浸かった湯舟に入るわけで……。

「…………」

 連鎖反応で、変なことしか考えられなくなりそうなので、思考を断ち切った。テレビの画面に目をやり、大して興味もない旅番組を眺めた。静岡の沼津か……。

「は、八幡君……」

 ことりが躊躇いがちにリビングに入ってきた。普段の特殊なサイドポニーを解いた茶色い髪と、俺のTシャツとジャージを着用してその姿に、自然と胸が高鳴る。

「お風呂……いただきました」

「おう……」

 隣に腰掛けてきたことりは、俺の目をじぃっと見ながら、小さく笑った。それと同時に、シャンプーの香りがふわりと漂ってくる。何だか同じシャンプーとは思えない甘さが……。

「不思議だね」

「ああ、妹と全然違う香りが……」

「な、何の話かなっ!」

「え?何の話だ?」

 いかん。非現実的な状況のせいか、頭がぼんやりとしているのだろうか。

「えっとね……男の子の家にお泊まりするのなんか初めてなのに、不思議とリラックスしてられるなって……」

「……そうか」

 そこまで安心されても困るのだが……。

 こいつは自分の魅力を過小評価しすぎている。

「八幡君って旅番組が好きなの?」

「まあ、そこそこな」

「…………な」

「?」

「その……また……八幡君と一緒に、旅行に行きたいな」

「あれは偶然出会っただけだろ?」

「あはは、確かにそうだね。でも……」

 ことりは少しだけ言葉を溜め、濡れた髪をしっとりとかき上げた。

「八幡君と並んで歩きたいな」

「……そ、それは……」

 さすがにどうリアクションしていいのかわからない。この言葉を額面どおりに受け取ってしまうと……いや、でも俺は多分、ことりが……。

 彼女も自分の言葉にはっとして、わたわたと手を振る。

「あ、そ、その!そういう意味じゃなくて!あ、でも……八幡君のことはす……あわわ!」

「…………」

 耳まで真っ赤になったことりから逃げるように、俺は風呂へと向かった。

 

「あ、八幡君……さ、さっきはごめんね」

 風呂から上がると、ことりは平常心を……

「なあ、ことり……」

「な、何かな?」

「雑誌逆さまだぞ」

「あっ……」

「…………」

「……あはは」

「……ははっ」

「ふふっ、な、何かおかしいね」

「確かにな」

 しばらく二人して笑いが止まらなかった。

 その温かさは心の何かをゆっくり溶かしていた。




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MOTEL


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「本当にいいの?」

「ああ、何なら俺はリビングのソファーでも……」

「それはダメ!」

「……はい」

 そろそろ寝ようと私が言ったら、彼は当たり前のように、毛布を1枚持って、リビングに行こうとしていたので、何とか説得して止めさせた。そして、彼との折衷案で、私がベッドに、彼が床に寝ることになった。

「じゃあ、電気消すぞ」

「うん……」

 八幡君が電気を消すと、部屋を僅かばかりの月明かりがカーテン越しに照らしてきているのがわかった。そして、さっきまでより、二人の呼吸やエアコンの稼働音が強調された。

「ねえ、八幡君」

 私は特に話題も思いつかないまま彼に声をかけた。

「どした?」

 すぐに返事が返ってきて、ほっとする。

 私は頭の中を全力でかき混ぜ、話題を捻り出した。

「ゆ、雪降ってるね」

「ああ、久々にこんだけ積もったの見たよ」

「そうなんだ……」

 うぅ……大した話題が出てこない。本当はもっと聞きたいことがあるはずなのに……。

 私は一旦目を閉じ、彼に聞いてみたい事を思い浮かべる。ある程度の気恥ずかしさは、暗闇が覆ってくれると思った。

「八幡君……」

「どした?」

 私はのっぺりとした天井を見ながら、1番聞きたい事を尋ねた。

「……好きな人……いる?」

「…………」

 雪が降る音さえ聞こえそうな静寂。

 彼の視線がどこを向いているのかが気になった。

 風がまた強く吹き荒れ、窓を小さく叩いていった後、彼は口を開いた。

「今は……特に……」

「そっか……」

「だが……気になる奴はいる」

「……どんな人?」

「ふわふわした謎な奴」

「ふわふわ?謎?」

「ふわふわした甘ったるい声してるのに、なんか部活とか滅茶苦茶頑張ってて、バイトもしてて、あとはしっかり自分の夢がある。そんな謎な奴」

「……そ、そうなんだ……あはは」

 頬が熱くなるのが止められない。

 誰の事なんだろう、と考える事もしなかった。

「……気が合うね。私もいるよ」

「……どんな奴だ?」

「ふふっ。すっごく……捻くれた人」

「どんな風に捻くれているんだ?」

「例えば……今日みたいは雪の日に……あえて一人で雪だるま作ってるような……」

「そんな捻くれ方はしてないと思うんだが」

「例え話だよ。それより……」

「?」

「ううん、何でもないよ」

「そっか」

「おやすみ」

「おやすみ」

 眠りは自分が思うよりすぐに訪れた。

 

「…………んぅ?」

 目が覚め、ぼんやりとした視界が朝が来たことを知らせてくれる。そして、体に温もりを感じた。私は何かにしがみついている。

 何だろう、これ…………………………あ。





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ONE ON ONE


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 目が覚めると、南ことりの顔が目の前にあった。

 ……まだ寝起きで頭がぼんやりとしているのだろうか、もしくはまだ夢の中なのだろうか。思考が上手く働かない。

「…………」

「あ」

 目の前の顔から小さく声が漏れてきた。

 その音で意識が徐々に覚醒していく。

 ぱっちりと大きな目。すらりと整った鼻。小さく可愛らしい唇。額や首筋には、やや乱れた長い髪がかかり、普段の彼女らしからね無防備さがあった。

 一つ一つのものを認識していくと共に、鼓動が高鳴っていく。既にことりの顔は真っ赤になっていた。

「「…………」」

 しばらく見つめ合った後、俺達は無言で寝返りをうった。

 

「ごめんなさい……」

「いや、こっちも、なんか……すまん」

 互いに身支度を整え、朝食を済ませ、片づけを終えると、何となくお互いに謝った。ちなみに、食事中はどちらも一言も口を開かなかった。代わりに、互いを恐る恐る窺い、目が合うとすぐに逸らすという気まずいことこの上ない時間を過ごした。

「私……寝ぼけてた……かな?」

「ま、まあ、自分の家じゃねーんだから、仕方ない、だろ」

「あはは……」

「はは……」

「「…………」」

 再び沈黙が訪れる。

 鼻先と口元にかかった甘い吐息が思い出され、病気なんじゃないかと思えるくらいに、心臓がどくんどくんと脈打つ。

 耐えきれなくなり、勢いよく立ち上がった。

「ど、どうしたの?」

 驚くことりに、俺はなんとか言葉を搾り出した。

「そろそろ……外に出よう」

 

「わあ……」

「かなり積もってんな」

 外は火照った体を冷ましてしまうくらいに、ひたすら真っ白だった。雪は止んでいるものの、空はまだどんよりとしていて、真っ白な世界に閉じ込められた気分だ。

少しの間眺めてから、 家の鍵を閉め、俺達はどちらからともなく、ゆっくりと歩き出した。

 白銀の絨毯に、不揃いのリズムで不揃いの足音が次々に刻まれていくのが、妙に心地良かった。

 ことりも小さく微笑み、先程の気恥ずかしさなどなかったように話しかけてくる。

「八幡君」

「?」

「その……ありがとう!」

「……礼を言われる事なんてしたか?」

「わかんない」

「わからないのかよ……」

「でも……楽しかった。ううん、すごく楽しい。八幡君といると……」

「……そっか」

「あの……もう少しだけ、一緒にいてくれる?」

 その問いかけにまた心から言葉が零れた。

「……少し、遠回りしていくか」

 時間が経つ事を忘れて、今はこの感情だけを頼りにしていたかった。

 足跡はあてのない目的地まで長く続いていた。





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 あの雪の日以来、中々八幡君と会う機会はありませんでした。ラブライブの全国大会を控え、生徒会の活動もあったので、当然といえば当然かもしれません。東京に戻ってからは、ひたすら自分のやるべき事をしていました。

 そして、寂しさを感じる間もないほど目まぐるしく時間は過ぎました。

 3月に入り、迎えたラブライブ全国大会。なんとμ'sは優勝しました。これまでにない喜びで胸が満たされました。もちろん、彼も電話越しに祝ってくれました。

 最高の結果を残したμ's。しかし、奇跡はそれだけでは終わりませんでした。

 なんと海外でのライブの話を頂いたのです。

 初めての海外。ちょっとトラブルもあったけど、思い出の1ページを増やせる喜びがそこにありました。

 そして、ニューヨークでのライブも忘れられないものとして、記憶に刻まれています。

 それから、全国各地のスクールアイドルと共に行った秋葉原でのライブと本当のファイナルライブを終え、μ'sはその活動を終えました。

 絵里ちゃん、希ちゃん、にこちゃんはそれぞれの進路へ向かい、音ノ木坂に残る私達は、もうすぐ進級を迎えます。

 今度の進級は今までとは違い、明確に将来へ繋がるので、自然と緊張感が高まります。

 明確に進路が決まっている自分も例外ではなかったのです。

 

 

 

 4月のある日。残り少ない休日を使って、久しぶりに会う約束をした。彼はいつものように抑揚のあまりない低い声で了承してくれた。電話やメールはしてたけど、会うのは久しぶりだから、もっと喜んでくれてもいいような……でも……まあ、仕方ないよね。うん。

 一旦頭の中を切り替え、雲一つない青空に目をやる。最近はすっかり温かくなり、もう冬の名残はない。残っているのは、大きな喜びと別れの寂しさ。ふわふわした名前のない感情だけだ。

 視線を下げ、しばらく行き交う人波を眺めていると、彼が現れた。ここ最近は見てなかったけど、あのくせ毛と猫背ですぐにわかってしまう。特徴的とかではないけど、頭の中にしっかりとインプットされている。私の口元はわけもなく緩んでいた。

 手を振って呼びかけてみる。

「お~い、八幡君!」

「おう……」

 彼は相変わらずの気怠さを隠そうともしない、それでいてどこか優しい表情でこっちに向かって手を小さく挙げた。あの目は多分、夜遅くまで本を読んでいたのだと思う。

 私は自分から彼に駆け寄った。

「おはよう!」

 私があえて元気よく言うと、何かに気づいたように彼はあたふたと左右を確認して、私に耳打ちしてきた。いきなり近くなった彼の顔と低い声に、小さく鼓動が鳴った。

「バッカ、お前。自分が有名人なの忘れたのか」

「あはは、ごめんね。でも大丈夫だよ。最近は皆もあまり気にしてないから」

 元々、芸能人とかではないので、ラブライブが終わってからはファンの追っかけは殆どいなくなった。校内で後輩からサインを頼まれる事はあるけど。

「お前がそう言うなら……まあ、今のところ大丈夫そうだな」

「ふふっ、ありがと♪」

 笑顔でお礼を言うと、彼は目を逸らして頭をかいた。

「あ、ああ……それよか今日はどうするんだ?」

「こっちだよ!」

「?」

 歩き出すと、さっきより足が軽くなっていた。

 少し後ろを歩く彼は今日のイベントの内容にはまったく気づいていないようだ。

 

 数分後……。

「お、おい……もしかして……」

 目的地に到着すると、彼は不安そうに目の前の一軒家を見つめる。

 はい!今私達がいるのは、南家の前です!!

 ……少し気合いを入れてみたが、やっぱり私も緊張するなぁ……。

 男の子を家に上げるのは生まれて初めてだからだ。

 立場が入れ替わっただけで、緊張の質はこの前とあまり変わらない。

「あ、用事思い出したわ」

「ま、待ってよぅ……」

「いやいきなりハードル高すぎだろ。何故に自宅?」

「ほら、2月に泊めてくれたでしょ?その事でお母さんがお礼をしたいからって……」

「お、おう……」

 八幡君の顔が何故か紅くなる。

「もしかして……Hな事考えてる?」

「そんな訳ないずら」

「あ、怪しすぎるよ!」

 も、もう……でも八幡君も男の子なんだよね。

 玄関の扉を開け、彼を招き入れる。

 春なのに、二人の間を吹き抜ける風はやけに温かかった。

 

「なあ、ことり」

「何かな?」

「お前にあと二人、姉妹がいたりしないか?」

「いないよ。どうしたの?」

「いや、何でもない」

 彼も少し緊張しているみたいだ。隣を見ると、キョロキョロして、落ち着かない。

 で、でも……これは挨拶とかじゃなくて……それに私達は付き合ってるとかじゃ……ううん、今は何も考えない方が良さそう、だよね。

 





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Black Coffee

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 ことりに連れられて中に入ると、いきなりことりの母親、雛乃さんに遭遇した。

「あら、あなたは……」

「お邪魔してます」

「この前はありがとう。いきなり泊まる事になって大変だったでしょう?」

「いえ、そんな事は……」

「この子、こう見えて家事とかあまりできないから」

「お、お母さん!私だって少しはできるよ!お菓子作りとか……」

「ふふっ、そうね。じゃあ私は出かけてくるから、比企谷君。ゆっくりしていってね」

「あ、はい……」

「あれ、お母さん出かけるの?」

「夕方には戻ってくるわ。帰ったら皆で食事に行きましょう」

 雛乃さんはそのままスタスタと玄関へ歩いていった。スーツを着ているので、これから仕事なのかもしれない。

 玄関の扉が閉まる音がすると静寂が訪れ、二人きりになったのだと気づく。

 ことりもそれに気づいたのか、少しだけキョロキョロしてから動き出した。

「じゃあ、私……飲み物持ってくるね!コーヒーでいい?」

「ああ」

「砂糖とミルクも、だよね?」

「そっちは……いや、いい」

「あれ、ブラックに変えたの?」

「たまにはいいかな、なんて……」

 とりあえず苦いのを飲んで頭をすっきりさせておかないと、女子の家で二人きりという事実に耐えられそうもない。お互いがお互いを意識しているとわかっている以上、なおさらだ。

「じゃあ、ちょっと待っててね」

「ああ……」

 

 苦いコーヒーを胃に流し込んでからは、自然と頭が冴えたのか、無駄な緊張は解けていった。

 小さなテーブルを挟んで向かい合うように座り、お互いが最近の出来事を話すだけの時間。ことりはコーヒーカップを両手で包み込むように持ち、やわらかな微笑みを浮かべた。白く細い、しなやかな指先を見ていると、ひんやりとした感触が思い出され、胸が甘く締めつけられた。

「どうかした?」

「いや……指細いな」

 普段なら何でもないと済ませる所だが、あえて口に出す。

「あー、確かによく言われるかも。穂乃果ちゃんとかに」

 彼女はじっと自分の指を見つめた後、こちらに向け、掌を突き出した。

「……生命線長いな」

「違うよ!そうじゃなくて……」

「?」

「手、八幡君も……」

 ことりの意図がわかり、ゆっくりと掌を合わせる。

 そこには、先程イメージしたひんやりとした感触があった。

 ことりは不思議そうな笑みを浮かべ、必死に自分の指を伸ばそうとしている。彼女の手は思ったよりかなり小さく思えた。

「意外と大きいね」

「そうか?」

「…………」

「…………」

 お互いにどのタイミングで手を離せばいいかわからず、しばらく見つめ合いながら、掌から伝わる温もりを交換していた。

 




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おでかけしましょ


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 うぅ……いきなり大胆な事しちゃったなぁ……。

 ちょっと、このまま二人きりで家にいるのはまずいかもなぁ……何がまずいのかもわからないけど……。

「ねえ、八幡君」

「……どした?」

「ちょっと、お外に行かない?」

「……ああ、いってらっしゃい。俺はしっかり家を守っといてやる」

 彼はそっぽを向いたままにべもない返事をする。でも、顔が赤いのは横顔からもわかるから、多分彼も気にしているみたい。ううん、それよりも……

「そ、それって……」

「?」

「お婿さん、的な?」

「っ!」

 彼はソファーから滑り落ちそうになった。

「あぁ、ごめん!ごめんね?今のは聞かなかった事にして!」

 ちょっとした悪戯心が、余計に気まずい空気を生み出しそうになる。私は少し浮かれているのかもしれない。

 彼は態勢を立て直し、深呼吸をして気分を落ち着けた。

「ごめんね?」

「大丈夫だ。よし、行こう」

「……うん!」

 

 行き先は歩きながら考える事にしました。お母さんが帰ってくるまで結構時間はあるので、行こうと思えば色々と行けるんだけど……。

「どうする?街に出るか?」

「そうだね……一旦、周りに人がいる所で落ち着かないと……」

「うん?」

「あ、何でもない何でもないのよ。あはは……」

「……そういうことにしとく」

 誤魔化せなかったけれど、何故だか二人共考えている事は同じな気がした。

 街に着くまでの少しの間、私達は静かでふわふわした空気を感じながら、並んで歩いた。

 

 春の秋葉原の街は、いつも通りの賑やかさで私達を迎えてくれた。これだけ人が溢れていればさっきの気まずさも……

「あ、歩きづらいね……」

「なんかイベントがあるらしい……」

 何かのイベント中の街はお祭り騒ぎ状態で、ライブ会場並の人口密度に達していた。うっかりしてたらはぐれてしまいそうなくらい……

「八幡君、大丈夫?」

「あ、ああ……むしろ、お前の方が……」

「うん、私は……きゃっ!」

 うっかり誰かと肩がぶつかり、こけそうになる……けど。

「大丈夫か?」

「あ、ありがとう……」

 こちらに気づいた彼、がしっかりと受け止めてくれていた。

 密着する体温と、意外な体の大きさに、とくんと胸が高鳴った。一瞬だけ至近距離で合わせられた目は、すぐに逸らされる。

「……行くか」

「うん……あ」

 八幡君の手が自分の手を握っている。

 歩きながら、その事を正しく理解するのにちょっと時間がかかった。

 私の手を優しく包み込んでくれる、少しだけ大きな手は、さっき掌を合わせた時よりも温かかった。

 それと、少し緊張が伝わってきて、思わず頬が緩んでしまう。

 私は手を握る力をほんの少しだけ強くした。

「八幡君……ありがと♪」

「…………」

「ふふっ、ありがと♪」

「…………」

 私は聞こえないふりをしている彼に振り向いて欲しくて、しばらくからかってみた。もしかしたら、自分は結構いじわるなのかもしれない……彼にだけ。

 そんないじわるな私は、心の中で『ごめんね』と謝り、『ありがとう』とお礼を言った。

 

 





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ハルカ

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 満面の笑みのことりが手をぎゅっと握り、とある場所に自分を引っ張っていこうとする。

「さ、行こ♪」

「……行かない」

「行こ♪」

「い、行かない……」

 俺はその場に踏みとどまり、何とかそれを阻止しようとする。

「行こう……?」

「で、できれば他のやつで……」

「むぅ……」

 俺の態度に頬を膨らませた彼女は、胸の前で両手を合わせ、俯いた。すると、彼女の身に纏う甘やかな空気が少しずつ雰囲気を変えた。

 いかん、多分アレがくる……。

 体中の神経がアレに備え緊張し、それにつられるように拳を握り締め、奥歯を噛みしめる。

 やがて彼女は顔を上げ、濡れた瞳を向けてきた。

「……おねがぁい……!」

「ぐ……わ、わかった」

 俺はあっという間に意見を翻す。

 最初から勝ち負けなどはっきりしているのだ。

 

 ことりに手を引かれた俺は、小さな筐体の中へと導かれる。

 そう、ことりにプリクラを一緒に撮るようにせがまれたのだ。戸塚とはノリノリで撮ったくせに何故?なんてツッコミは勘弁していただきたい、こちらにも照れやら何やらがある。

 彼女はそんな思春期男子の照れなどお構いなしに、フレーム選びに興じていた。

「う~ん、どのフレームがいいかな?」

「いや、シンプルなやつでいいだろ……」

「ダメだよー、せっかくの記念なんだし」

「何の記念だっけ?初耳なんだけど……」

「え?ん~……進級記念だよ♪」

「…………」

 絶対に今思いついただろ、なんて言えなかった。

 その優しい笑顔が、思わず見とれてしまうくらいに魅力的だったから。

 

「じゃあ、撮るよ?」

「お、おう……」

 端っこに星やらが散らばり、少し賑やかなフレームを選び、ようやく撮影に入る。あとは撮るだけだと思うと、安堵の息が漏れた。

「もっとこっちに寄ってよってくれないかな?」

「…………」

 ことりの指示に従い、ミリ単位の精密機械ばりの動きで、僅かにずれる。

 さっきから、彼女の甘い香りがふわふわと筐体内に充満し、ひどく落ち着かない。しかも、つけすぎた香水のような不快さはなく、ずっと包まれていたいような程良い甘さなのがいけない。

「どうかしたの?」

「いや……なんか緊張してるだけだ」

「ふふっ、大丈夫♪素敵な一枚になるから」

 その無邪気な笑顔を見ていると、甘く心を満たしていく幸福感以外に、一つの現実を突きつけられる。

 お互いの進む道は確実に違っていること。

 それだけで、こんなにも近い彼女を遥か遠くの星のように感じられた。

 そして、それはひどく悲しいことに思えた。




 今からB'zのライブに行ってきます!
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Purple Pink Orange

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 筐体から出てきた写真に写っていたのは、少し緊張したようなぎこちない笑顔の二人。

 吹き出しそうになるのを堪え、前向きな感想を口にしてみた。

 

「うん、よく撮れてる♪」

「……だな」

「ほら、八幡君の濁りがちな目もしっかりと!」

「いや、心は綺麗だからいいんだよ」

「ふふっ、じゃあもう一回撮って、今度は目の辺りを可愛く……」

「それは止めてくれ」

「残念」

 

 私は見逃さなかった。

 彼の表情が一瞬、寂しそうに歪んだのを。

 でも、それが何なのかまではわからなかった。

 ただ、自分が漠然と抱いている不安と、彼のあの一瞬見せた感情が、どこか似ている気がしてならない。今はただそれだけ……。

 そんな事を考えている内に、青空が顔を覗かせているのに気がついた。天気予報は外れたらしい。

 それと同時にある風景を思い出した。

 

「ねえ、八幡君」

「?」

「もう少し付き合ってくれない?」

「……わかった」

 

 *******

 

「ここだよ♪」

「公園、か……」

 

 私は小さい頃から何度も何度も、数えきれないくらい遊んだ公園に八幡君を連れてきていた。

 公園の片隅には、高校生から見ればどこにでもある大きさの、幼い子供から見れば、世界の果てまで見渡せそうなくらい高く見える木がぽつんと立っていた。

 彼はその木をじいっと見つめていた。

 

「…………」

「登ってみたい?」

「いや、遠慮しとく」

「昔ね。よくこの木を登ってたんだよ」

「……意外だな」

「穂乃果ちゃんが登るって聞かなくて」

「ああ、会った事ないのに何故か想像つくな……」

「ふふっ、海未ちゃんが木にしがみついたまま泣き出しちゃったり、私も途中で滑り落ちそうになったり」

「…………」

「最後は3人が座った枝が折れちゃったりして……」

「お、おう……」

 

 その時の事を自分なりに想像してくれているのか、八幡君は苦笑しながら、そっと右手を木に添えた。

 私はそれに倣い、すぐ隣に左手を添える。

 長年、私達を見守ってくれている木の優しい鼓動が掌に伝わってくる気がした。

 そして、上着越しに触れ合う肩と肩からも、優しい鼓動が伝わってくる気がした。

 

「なんか、不思議な感じだ」

「?」

「いや、自分でも何が言いたいのかよくわからないんだが……」

 

 彼は木から手を離し、すっかり夕焼け色に染まった空に目を向けた。その横顔に胸がとくんと高鳴り、沈黙を縫うように吹き抜けた風が涼しく思えた。今、心の奥に募る感情を切なさと呼ぶのかもしれない。

 

「昔は……ことりがここで泥だらけになって遊んでて、今はこうして……悪い。やっぱり何を言いたいか自分でもわからん」

「ふふっ、変なの。でも……わかる気がする」

 

 私も夕焼け色の空を仰ぎ、暮れゆく街並みを思う。

 あの時みたいに高い所から街を見下ろしたりはしていないけど、太陽は昇る時だけでなく、沈む時でさえ、街の色を変えていくことを改めて思い知らされた。

 

 

 

 

 

 




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Homebound

 Hugっとプリキュアが始まりました!
 こっちのことりちゃんも可愛いです!

 それでは今回もよろしくお願いします。


 夕陽も殆ど沈んだ頃に雛乃さんと合流し、鍋料理店に連れていかれた。

 そこでは、進路や勉強についての堅苦しい話は一切なく、食べ物の好き嫌いや、読書や、何故か小町やカマクラについての話をした。

 そして、急に雛乃さんの目が悪戯っぽく細められた。

 唇も同じような質の微笑みが作られ、その妖艶さについ目を奪われてしまう。

 

「ねえ、あなた達って……もう、キスはすませたの?」

「っ!?」

「はわっ!?」

 

 いきなりすぎる質問に飲んでた水を吹き出しそうになる。ことりも手をわたわたさせて、自分の母親に抗議した。

 

「お母さん!いきなり何言い出すの?」

「あらあら、だって気になるじゃない?これだけ可愛いのに、今まで色恋沙汰の一つもなかった愛娘が、急に離れた所に住んでる男の子と仲良くなって、お泊まりまでしちゃうんだもの」

「そ、それは……お母さん、もしかして酔ってる?」

「そんなことないわよ~♪」

 

 確かに雛乃さんは一杯も飲んでいないはずだ。それに、酒臭さもなければ、顔が赤くもなっていない。

 つまり……ガチで聞いているということだ。

 

「比企谷君」

「は、はい……」

「大事なことを言っておくわね」

 

 雛乃さんがずいっと顔を寄せてくる。年上の色気を纏った唇が耳元まで来て、甘い吐息をかけてくる。決して今から『捻くれた少年と美しき未亡人』が始まるわけではない。

 

「むぅ……」

 

 ことりがじとーっと鋭い眼差しを向けてくるが、正直俺にはどうしようもない。

 娘のそのような視線は意に介さず、雛乃さんは話を続ける。

 

「この子、あなたが思うよりずっと奥手だからリードしてあげてね?」

「……え?あ、はい」

「お母さん!?」

 

 *******

 

「もう……お母さんったら……」

 

 帰り道、ことりはまだぷんすか怒っていた。

 もうすっかり夜で、まだ冷たい夜風が火照った体を冷ますように優しく首筋を撫でていく。

 ちなみに雛乃さんは、今から『ママライブ!』という特別な集まりがあるらしい。何その本家並に太オタできそうな集まり。少し見てみたいんですけど。

 

「八幡君もお母さんにデレデレしちゃうし」

 

 おっと、こちらに矛先が向いてきましたよ?

 しかし、事実無根である。

 

「記憶にございません……」

「一番疑わしい否定の仕方だね」

 

 頬を膨らませたことりは数歩先を歩き出し、ぽそっと呟いた。

 

「私以外……見ちゃいや……」

「…………」

 

 今、何て……?

 切り返しできずに突っ立っていると、彼女は振り返りざまにこちらに踏み込み、上目遣いで微笑んだ。

 

「なんて言ったらどうする?」

「おまっ……」

「ふふっ♪きゃっ!」

 

 急に脚をもつれさせ、ふらついた南の手を取る。

 

「ご、ごめんね?」

「あ、ああ……」

 

 しばしの間、繋がれた手を見つめる。

 

「……は、早く帰ろっか」

「……ああ」

 

 二つの手は解かれることはなく、そのまま俺達は帰り道を歩いた。

 最初はひんやりしていたが、やがて互いの体温が混じり合い、一つの温もりになっていた。

 そんな二人を月明かりがうっすらと照らしていた。

 雛乃さん……多分、俺の方がずっと奥手です。

 そんな呟きを心の中で漏らした。

 隣を歩く横顔は、やわらかく微笑んでいた。

 

 




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流星マスク

 活動報告更新しました!


 あわわわわ!!!

 わ、わ、私どうしちゃったんだろう!?

 何で普通に八幡君と手を繋いじゃってるのぉ!?

 花陽ちゃんみたいに「ぴゃあああ……」と声を上げそうになるのを必死に押さえながら、俯きがちに歩き、自分の行動について、何故か自分で驚いている。

 隣にいる八幡君の様子をこっそり窺うと、彼は俯いたり顔を上げたりを繰り返しながら、私の歩幅に合わせて、ゆっくり歩いてくれていた。

 

「…………」

「…………」

 

 沈黙の時が一歩一歩刻まれていく。

 穏やかな夜の空気を突っ切っていく。

 ずっとこのまま、時折他愛ないお喋りをしながら歩き続けていられたら、どんなに楽だろう?

 それとも彼の横顔に向けて、この秘密を打ち明けるのが一番いいことなのかな?

 そこで、聞き慣れた声が飛んできた。

 

「あれ~?ミナリンスキーさんだ」

 

 はっと顔を上げると、そこには後輩メイドのマユミちゃんがいた。彼女はバイト上がりらしく、見慣れた私服姿に、いつものリュックサックを背負っていて、メイドをしている時からは、あまり想像できないくらい、スポーティーな装いをしていた。

 彼女がこちらに駆け寄ってくるに従い、繋いだ手に力が籠もる。

 

「お久しぶりです~。元気でしたか?……あれ?」

 

 何かに気づいたような彼女の視線は、私から八幡君に移り、やがて繋がれた手に……

 

「あ~、ごめんなさい。デート中でしたか~、失礼しま~す」

「あ、違うの!これはね……これは……!」

「またまた~、照れなくてもいいですよ~。そんなにしっかり手を繋いじゃって♪」

「そ、そうなの!これは……手を繋いでるだけなの!」

「……そ、それをデートと言うのでは?あ、そうだ!」

 

 マユミちゃんは八幡君の方に向き直り、途端に頬を紅く染め、もじもじとしながら喋り始めた。

 あれ?何だろう……胸の奥で何かがチクチクと疼いてるような……

 

「あの……剣豪将軍さんは、最近お元気ですか?」

 

 あ、収まっちゃった。

 八幡君は少し考える素振りを見せ、意を決したように話し始めた。

 

「……ああ、無駄に元気だ……そんで、まだ声優と結婚とか無謀な夢見てる」

「…………」

 

 剣豪将軍さん、そんな夢を見てたんだ……でも、夢は大きい方がいいよね……うん……。

 すると彼女は……その瞳に確かな火を……真っ直ぐな輝きを灯して、自分に言い聞かせるように呟いた。

 

「私……その夢叶えてあげたいな」

「「…………」」

 

 その呟きは、私達の耳を通り抜け、夜空へと吸い込まれていった。

 ただ私は彼女の火照った顔に、羨望に似た眼差しを向けていた。

 



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ルーフトップ

 

 南家に到着して、ひと息吐いてから、一人で思索に耽る。はて……材木座に何があった。ていうか、あのメイドさんは奴の夢をどう叶えると言うのだろうか……もしや……まさかな……。

 そこでガチャッとドアが開いたので、材木座に関する思考を全て遮断する……はて、材木座って誰だっけ?

 顔を見せたのは、勿論ことりだ。

 いつものサイドポニーは解かれ、ほこほこと湯気を立て、顔は火照っている。その淡い色香が立ちこめる姿のまま、彼女は微笑んだ。

 

「八幡君、お風呂どうぞ」

「あ、ああ……」

「…………」

「…………」

 

 体が動かず、真っ直ぐに見つめ合う。今さらながら、どうしてこんなに自然な流れで女子の家に泊まることを受け入れたのかとか、自然と手を繋いで帰ったとか、そんなあれこれが思い浮かぶ。それは、中学時代とは違い、この状況をあっさり喜べるほどの安直さがないからかもしれない。

 ことりはそんな俺を見透かしているかのように微笑み、距離を詰めてきた。

 

「ねぇ、八幡君……屋根裏部屋、行かない?」

 

 *******

 

「おお……」

「ふふっ、気に入ってくれた?」

 

 南家の屋根裏部屋は程良く狭いスペースで、低い天井に拵えられた天窓からは星空が見え、月明かりが射し込む、少年心をくすぐる秘密基地めいた造りになっていた。

 ことりは二人がけのソファーの隣をポンポン叩き、座るよう促してくる。

 それに従い、隣に座ると肩と肩が触れ合い、甘い香りが鼻腔を突き、胸の鼓動を加速させた。

 

「どうかしたの?」

「……いや、今日は、その……ありがとな……楽しかった」

「ふふっ、どういたしまして。私も楽しかったよ」

 

 そのまま二人して、天窓から見える星空を見上げる。彼女と出会ってから、こんな風に夜空を見る回数が増えた気がする。理由はわからないが、千葉にいる時もついそうしてしまうのだ。

 考えている内に、一筋の光が夜空をすぅーっと撫でていき、まばゆい星の光に彩られながら、どこかへ行った。

 

「流れ星……」

 

 ことりが小さく囀るように呟き、目を細め、見えなくなった流れ星の行方を目で追う。その横顔は抑えきれない憧憬を滲ませていた。

 

「私ね……さっきマユミちゃんと話した時……少し羨ましく思えたの……」

「…………」

「あんな真っ直ぐな瞳が……私はいつも迷子になるから……」

 

 彼女の心の奥までは見通せない。

 肩と肩が触れ合っているのに、そこへは届かない。

 もどかしい気持ちを誤魔化すように、俺は初めて自分から彼女の小さな手を握り締めた。



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星降る夜に騒ごう

「……!」

 

 八幡君の大きな手が、私の手をぎゅっと包み込む。

 彼の方からこうしてくるのは、初めてだったと思う。

 隣を窺うと、彼は天窓の向こうに目を向けたままだった。

 そして、その横顔はどこか寂しげに見えて、胸が締めつけられるような感覚がした。

 私は……

 

「ことり」

 

 彼が夜空を見上げたまま、名前を呼んでくる。その声にはさっきとは違う響きがあった。

 

「お前の夢、叶うといいな」

「……うん」

 

 私は頷くことしかできなかった。

 お互いに自分の気持ちは自覚してしまっている。

 その上で彼は……私の背中を押してくれた。

 ここで頷けないわけがない。

 じゃあ、私に今できることは……

 

「八幡君……」

「?」

「もうしばらく……このままでいさせて?」

「……ああ」

 

 私は彼の手を両手で包み込み、その肩に頭を預け、星の降る夜をただただ眺めていた。

 

 *******

 

「それじゃあ……おやすみ」

「……おやすみ」

 

 お互いに部屋の前で挨拶をして、ドアを開ける。さっきまでぴったりとくっついていたせいか、気恥ずかしさがあって、あまり目を合わせられないけど、甘やかな感触が離れがたい空気にさせていた。

 

「……それじゃあ」

 

 動いたのは彼の方からだった。

 八幡君は最後にほんの数秒間目を合わせ、ほとんど音を立てずにドアを閉めた。

 私はその見慣れたドアを見つめ、同じようにドアを閉めた。

 ベッドに体を横たえ、目を瞑ると、今日あった出来事がチカチカと、さっきまで見ていた星のように煌めいている。

 何でこんなに……眩しいの?

 胸がまた、とくん、とくん、と切ない高鳴りを見せ、目を閉じても、日付が変わりそうになっても、眠気はやってこない。

 再び目を開け、部屋を見渡すと、さっきまでと同じ景色なのに、何かが違う。

 もう……何もかもが違うのかも……。

 私は起き上がり、さっきの動作を巻き戻すように、ゆっくりと音をほとんど立てずにドアを開ける。

 すると、単なる偶然か、ちょっとした奇跡か、八幡君が同じタイミングでドアを開けていた。

 

「「…………」」

 

 お互い驚きに目を見開き、じっと見つめ合う。

 心が奮えて、この衝動に従うように告げてくる。

 私は一歩踏み出し……

 

「……ことり……」

「っ……」

 

 彼の方がわたしに一歩分多く踏み込み、私は抱きしめられていた。

 決して力任せではなく、そっといたわるように。二つの体温がこれまでになく密着していた。

 

「その……いきなり、すまん」

「もう、遅いよ」

「そ、そうか……」

「ふふっ、そうだよ。だって……私だって……こうしていたい」

 

 私もそっと抱きしめ返す。思ったより大きな体は抱きしめると、不思議な安心感があった。

 ふわふわした感覚に包まれ、私は彼の胸元に話しかける。

 

「……いいの?私……3月に、遠くに行っちゃうよ?」

「ああ、その……このままだと、自分の気持ちにケリがつけられそうもない。だから……」

「?」

「……クリスマスまでの時間……俺に……分けて、欲しいんだぎゃ……」

 

 あ、噛んだ。

 

「「…………」」

 

 つい吹き出してしまう。でも、八幡君のせいだよ?

 彼は気まずそうに目を逸らしている。

 

「もう、どうしてそこで噛んじゃうかなぁ」

「……悪い」

「こっち……向いて……」

「…………」

 

 彼の胸から顔を離し、至近距離で見つめ合う。流れ星すら止まるような、密やかな甘い衝動。

 今なら何もかも飛び越えられそう……。

 私は目を閉じ、来るべき瞬間を待った……。

 

「たっだいま~!!」 



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夜よ明けないで

 

 数分前……

 

 ベッドに寝転がり、瞑目し、今日あった出来事に思いを馳せると、それだけで心の奥から温かい何かが湧き起こる。

 手に残る彼女の手のひんやりした感触も、まだはっきり残っていた。多分、こういう気分を夢見心地というのだろう。

 気がつけば、自分から彼女の手に触れていた。

 きっと俺は恐れていたのだ。

 あと約一年後に来る彼女との別れを。

 その背中に手が届かないことを。

 俺はことりの事が……

 

「…………」

 

 起き上がり、深呼吸して、ぐちゃぐちゃになった気持ちを落ち着ける。

 しかし、気休め程度にしかならない。

 これまでずっと逃げてきたから。

 ないものだと思おうとしてきたから。

 誰かの気持ちをぶつけられることや、自分の本当の気持ち……誰かを本当に欲しいと思う心……色んな事に対して斜に構え、目を逸らしてきた。

 しかし、このままではいられなかった。

 例えずっと隣にいられなくても、俺が変われば……

 意を決して立ち上がり、扉を開ける。

 するとそこには……同じように扉を開けたことりがいた。彼女は驚きに満ちた表情を浮かべた後、やわらかく微笑んだ。

 

 そして今に至る……

 

「へ~、この子がことりちゃんの彼氏!?」

「う~ん、どうかしら?お婿さん候補、かしらね……私の♪」

「そんなこと言って……彼も困ってますよ?でも、よく見ると可愛い顔をしてますね」

「私にも見せるにゃ~」

「あらあら、酔っ払っちゃうとすぐに語尾が戻るんだから……私も見たいわ」

「あ、あの……」

「うちの娘も恋人いないのよね……」

「ほら、にっこにっこに~してごらん?」

 

 はい。ほろ酔い美淑女に囲まれて抜け出せません。

 何がやばいって、とにかくやばい。体の密着具合がハンパない。酔っ払っているからか、遠慮なく身体をくっつけてくるせいで、豊かな膨らみが肘や後頭部やらにぐいぐいむにゅむにゅと押しつけられている。

 さらに甘い香りが、理性を溶かすような勢いで、鼻腔を刺激する。香りの性質が、同年代から香る甘く爽やかなものではなく、甘さの中に濃厚な色香が混ざった甘さだ。マッ缶の数倍はあるだろう。

 ちなみに、ことりは近くのソファーに座り、ニッコリと笑顔を向けてくる。というか、アイコンタクトで何が言いたいか、わかってしまった。目~と~目~で~通じ合う~というやつだ。

 

(嬉しそうだね、八幡君♪)

(いや、助けて欲しいんだが……)

(そんなに鼻の下が伸びてるのに~?)

(断じて違う。やましいことは……っ!)

(そっかぁ、花陽ちゃんのお母さんが好きなんだね~お胸おっきいもんね~)

(ち、違……っ!)

(そっかぁ、凛ちゃんのお母さんが好きなんだね~脚綺麗だもんね~)

(待ってくれ……)

(真姫ちゃんのお母さんも美人だよね~)

(うぐぅ……)

 

 ことりはさらに笑みを深め、それでも目は笑わないまま、アイコンタクトを飛ばしてきた。

 

(いいんだよ~八幡君のこと、信じてるから~……とりあえず、後でお説教かな♪)



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BE THERE

「……なんつーか、申し訳ない……」

「うん、いいよ♪」

 

 何とかママライブの拘束から逃れた八幡君を連れ、私の部屋に逃げ込むなり、彼は頭を下げてきた。

 そこまでしなくてもいいんだけどなぁ……悪いのはお母さんなんだから。本当にママライブ、恐るべし……だなぁ。

 自分の母親の色んな意味での凄さを思い知った私は、ベッドに腰を下ろし、隣をぽんぽん叩き、彼に隣に座るよう促した。

 

「…………」

「どうかしたの?……あ」

 

 彼は躊躇う素振りを見せ……そこで私も気づいてしまう。

 ……ど、どうしよう。ここ……私の部屋だよぅ……。

 つい勢いで連れて来ちゃったけど……ち、散らかってないよね?普段からこまめに掃除はしているけど、何でだろう……普段は気にならないような些細な事が気になって仕方ない。

 

「八幡君」

「?」

「その……ちょっとの間でいいから、目瞑っててくれない?」

「……どうかしたのか?」

「どうしても、だよ?」

「お、おう……」

 

 比企谷君が目を瞑ると同時に、私は室内を見回す。

 洗濯物は……うん、大丈夫。

 机の上は……作業の途中で、ちょっと散らかってるけど大丈夫。

 床は……ローラーはどこだっけ?

 押し入れは……ちょっとまずいかも。μ'sの衣装に使った生地の余りでごちゃごちゃしてるから。

 

「なあ、ことり……」

「ダ、ダメだよ八幡君!目を開けたら……大変なことになっちゃうよ!」

「……どんなだよ」

「え~と……二度とMAXコーヒーが飲めない体になっちゃうよ!」

「お、おぉう……」

「あと……二度とラーメンが食べられなくなっちゃうよ!」

「……ま、まじか……」

「それと……留年して、妹の小町ちゃんが先輩になっちゃうよ!」

「想像を絶することばかりじゃねえか……え、何?今そんなに非常事態なの?」

「そ、そうだよ!だから絶対に目開けちゃダメだよ!」

「……了解」

 

 *******

 

 ふう……やっと綺麗になった……。

 つい片付ける予定のなかった机の上まで片付けていたら、30分くらい経ってしまいました。普段はきちんと片付けているんだけど……。

 八幡君は、その間ずっと律儀に目を瞑って待ってくれていて、今も微動だにせず、じっと堪えている。

 

「…………」

「…………」

 

 目を瞑るだけで、幼いというか何と言うか……ちょっと可愛いかも。あの目つきも好きだけど、これはこれで……。

 何となく顔を近づけてみる。1センチ、2センチ……。

 気がつけば、彼と吐息が混ざり合うくらいに近づいてしまっていた。

 わわわ……さ、さすがにこれ以上は……

 

「…………」

「…………」

 

 彼が目を開けた。あ、当たり前だよね……。

 キョトンとしていて、目をぱちくりさせている。

 そして、すぐに状況に気づいた。

 

「……こ、こ……」

「え?あ、え、その……」

 

 目の前の八幡君の顔がみるみるうちに真っ赤になる。彼は口をパクパクさせ、何か言おうとしていたけど、言えずにいた。

 私も途端に胸が高鳴り始め、自分の顔が熱くなるのを感じた。

 

「ご、ごめんなさいっ」

 

 慌てて顔を離し、飛び退いて距離をとる。

 彼も真っ赤な頬をかき、気まずそうにあさっての方向を向いて、立ち上がった。

 

「いや、その……もう今日はもう寝るわ」

「……待って」

 

 私は彼の袖をつまみ、その場にとどめた。

 手じゃなくて袖にしたのは、直接触れたら何かが抑えられそうにないから。そして、それでも手を伸ばしてしまうくらいに、私は……もう……。

 彼はゆっくり振り向き、優しく尋ねてくる。

 

「……どした?」

「ここにいて……もう少し、あと少し、お話し、しよ?」

 

 静まりかえった部屋の中に、チクタクと時間を刻む音が響いていたけど、その音はやがて、私の耳から遠ざかっていった。



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MVP

「八幡君って、小さい頃はどんな感じだったの?」

「滅茶苦茶可愛いぞ。ビビるくらいに」

「ふふっ、じゃあ今度は写真見に行こうかな」

「……お前が来たけりゃ、いつでも……」

「八幡君のお父さん、お母さんにも会ってみたいなぁ」

「……多分、俺がお前みたいな……いのと交流あるって事実に泡吹いて倒れる可能性があるから止めとく」

「え?なんて言ったの?」

「泡吹いて倒れる」

「もうちょっと前かな」

「ミナミンスキー」

「戻りすぎだよ……京都で言ってたよね」

「ニアピンだったな。そういや、京都って……」

「誤魔化さないの。私みたいな……何?」

「…………可愛い」

「う、うん……ありがとう……」

「お前、わかっててやってるだろ……」

「ふふっ、だってちゃんと聞きたかったんだもん♪」

「……いや、別にいいんだけど」

「じゃあ、何回でも聞かせてくれる?」

「……こ、今度な」

「楽しみだなぁ♪」

「……そっか」

「それと、八幡君も可愛いよ?」

「いや、それ全然嬉しくないから」

「そう?さっき顔真っ赤なになった時は……あ」

「……気まずそうにこっちを見るな。色々思い出しちゃうから」

「あはは……」

「…………」

 

 *******

 

「…………ん?」

 

 目を開くと、部屋の中はうっすらと明るく、朝の気配を感じる。

 どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 

「すぅ……すぅ……」

「…………」

 

 隣でことりが寝息を立てている。無防備に目を閉じ、小さく開いた薄紅色の唇をこちらに晒しているその姿は、まるで天使のようだ。

 ……ちょっと待て。状況を整理しよう。いや、する必要もないか。ママライブの突然の御帰宅でHappy lessonが始まりそうだったが、何とか逃げ出して、そのままことりの部屋に入って、色々あって部屋から出ようとして、もう少しだけって話し込んで、寝落ちして……うん、何もしてないよ?

 俺達の関係を何と呼べばいいのかはわからないが、清く正しい男女交際をする俺としては、隣でどんな美少女が眠っていようと、やすやすと手を出すような……

 

「むにゅ……八幡君……いいよ……」

「…………」

 

 何がいいのでしょうか、この子は……。

 据え膳ですか、そうですか。これはそういう……

 

「おかわりなら……沢山あるからね……MAX……ラーメン……」

「……どんな組み合わせだよ」

 

 想像しただけで胃がもたれそうだ。あと単純に不味そう……。

 ぼーっと眺めていると、やがて彼女は目を覚ました。

 

「んん……」

 

 むくりと起き上がり、髪がさらさら揺れた。そこをカーテンの隙間から射し込む光が彩り、カラフルな粒子が弾けるような幻想をそこに見つけた。

 そのはっと息を呑むような美しさは、俺の心を鷲掴みにし、これまでにない鮮やかな風景として、焼き付いた。

 そして、そんなことに無自覚な彼女はふわふわした笑みを向けてくる。

 

「おはよ~、八幡くぅん……」



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GUITAR KIDS RHAPSODY

「じゃあ、お母さん。行ってきます」

「あら、デート?」

「……うん、そうだよ♪」

「そう、楽しんできなさい。八幡君にもよろしくね」

「は~い」

 

 あの約束の日から早くも一ヶ月が経ちました。

 あれから私達は、毎日のように電話やメールでやりとりをして、それぞれの時間を共有し、お互いの過去を少しずつ分かち合い、それまで以上に深く繋がるようになりました。

 私達は不器用ながらも、恋をしています。

 そして、ゴールデンウィーク中盤の今日、彼と一ヶ月ぶりに会えます。

 ……ちょっと緊張するなぁ。

 でも、空は快晴だし、幸先はいいはずだよね!

 手鏡を出し、髪の確認をする。うん、大丈夫!

 すると、どこかから歌が聞こえてきた。

 そのよく通る、それでいて切なさの滲む歌声は、不思議と私の心を引きつけた。

 

「まだ、時間あるよね」

 

 私はその歌声に導かれるように歩き出した。

 

 *******

 

 普段はひっそりとしているその場所は、既に人だかりができていて、かなり見づらくなっている。

 ちょっとだけでも……とジャンプしてみると、赤みがかった髪が印象的な、小柄な女の子がギターで弾き語りをしていた。

 姿が見えたのはその一瞬だけだけど、彼女が乾いたギターの音に乗せて紡ぐ歌は、人だかりをかき分け、私の耳まで届いていた。

 いい歌だなぁ……。

 季節が巡って、出会いや別れの波を流れて、忙しすぎる時が流れて……その中にμ'sとしての大事な時間が……彼との出会いから今に至るまでのことが鮮明に浮かんできて、切なく胸をつついた。

 曲を聴き終えると、私は待ち合わせ場所に移動した。

 

 *******

 

 私が歌を聴いている間に、彼は先に到着してたみたい。

 いつも通りの猫背も、携帯を弄る姿も、気怠げな横顔も、一ヶ月ぶりなのにはっきりと覚えていて、でもやっぱり久しぶりで……。

 私はさっき感じた切なさや、真っ直ぐな気持ちと共に、こっちに気づいた彼の胸に思いきり飛び込んだ。

 

「っと……どした?」

「こうしたかっただけ、だよ?」

「……そ、そっか」

 

 彼の鼓動を全身で感じていると、その腕が背中に回され、何もかもを忘れてしまいそうな感覚になる。周りに人がいるのに、世界中に二人だけみたいな不思議な感覚。

 

「な、なあ、ことり。そろそろ……」

「ダメだよ~。ふふっ、八幡君も、どう?」

「どう……って?」

「私のこと……ギュッとしたくなった?」

「…………」

 

 至近距離から見上げる瞳は、いつもの憂いを帯びた優しい瞳で、つい踏み込みたくなる。その先にある未知の何かを見てみたい。

 ……なんて、実は私もすごく緊張してるんだけどなぁ。

 彼がそっと腕を移動させるのを、高鳴る鼓動と共に待っていると、聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

「ことり、ちゃん?」

「こ、こ、ことり?」

「ハラ……ショー……」

 

 振り向くと、穂乃果ちゃんと海未ちゃん。あと近くの大学に進学した絵里ちゃんが目を見開き、口をぱくぱくさせていた。絵里ちゃんに至っては、何故か顔がやけに紅い。どうしたのかなぁ?……言うまでもないよね。

 

「ことり、そちらの方は……」

 

 海未ちゃんが動揺しながら八幡君の方を向いた瞬間、私は自然と身体が動いた。

 

 

「ヒミツ、だよ?」

 

 私は彼の手を取り、呆気にとられている3人にウインクをして、いつもより速く駆けだした。

 

 



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ヒミツなふたり

 

「な、なあ、ことり……」

「なぁに?」

「何で、逃げ出したんだ?」

「何となく、だよ?」

 

 μ'sのメンバーに遭遇して、突然駆けだしたことりに手を引かれながら「チカァ!」、秋葉原の街を当てもなく走る。そこまで大した速度でもないので、頬をきる風は緩やかだった。

 そして、彼女の長い髪が揺れる度に、甘い香りが初夏の匂いと共に、鼻腔をくすぐっていく。

 やがて、足を運ぶ速度は緩やかになり、自然と並んで歩き出した。

 

「あはは……いきなりごめんね?」

「いや……大丈夫だ。そういや、今日はどこに行くんだ?」

「どこにしよっかなぁ」

 

 ことりは唇に人差し指を当て、考え始める。何故お互いに考えてなかったかというと、一ヶ月ぶりに会えるということで頭がいっぱいだったからだ。無計画すぎるが、久々に顔を直接見れただけで、胸の奥から満たされていくのを感じた。心音が彼女に聞こえそうなくらい高鳴っても構わなかった。

 

「あ、そうだ!」

 

 ことりは何か閃いたと言わんばかりに手をたたく。

 

「思いついた場所にどんどん行かない?」

「あ、ああ、別にいいけど……」

「その……色んな思い出、作りたいから」

「……わかった」

 

 寂しげに伏せられた目を見て、さっきまで胸の奥が今度はチクリと痛む。

 そのことを気づかないふりしながら、自分から彼女の手を強く握ってみた。

 

「じゃあ……甘い物でも食べに行くか。なんつーか……勉強疲れもあるだろ」

「うん、そうだね!行こっか♪」

 

 ことりも手をしっかりと握り返してくれ、確かな熱が手を通して、また心を温めてくれた。

 白い雲がまばらに漂う青空は、この前よりも色濃く見えた。

 

 *******

 

「へえ、チーズケーキか……」

「うん。私ね、チーズケーキ好きなんだぁ♪」

 

 ことりがμ'sのメンバーとよく利用している喫茶店に入り、チョコレートケーキとチーズケーキをそれぞれ注文した。

 店内は決して広くはないが、女子から好まれそうなお洒落なインテリアで彩られ、聴いたことあるような、ないような、よくわからないジャズが控え目に流れていた。要約すると、俺のようなボッチには、縁のない店だということだ。ことりとデートしている俺に、ボッチとか噴飯ものの称号に思えるかもしれないが、学校では大して変化はないので、引き続き名乗っている。

 

「どうかしたの?」

「いや、ケーキの甘さが染みただけだ」

「うん、まだ食べてないよね。ふふっ……はい」

「……は?」

 

 ことりはフォークで削ったチーズケーキの一部を突き刺し、こちらに差し出している。

 

「……いい断面図だな」

「はい♪」

「……いい匂いだ」

「はい♪」

「…………」

 

 観念した俺は、チーズケーキを頬張る。

 程よい甘さが口の中にふわりと広がり、本当に勉強疲れが癒やされていく気がした。これ、滅茶苦茶うまい。

 そんな俺の様子を見ながら、ことりは満足げに微笑んでいた。

 

「私の好きな味、覚えてくれた?」

「……あ、ああ」

 

 昔、何の作品かは忘れたが、『秘密は女を女にする』とか言ってた気がする。

 きっと目の前の少女は、甘くほろ苦い素敵な秘密を沢山隠し持っているのだろう。

 それは、俺がどんなに漁っても、暴ききれないに違いない。

 目の前のとろけるような笑顔は、それを告げていた。

 

「今度は……八幡君の好きな味が知りたいなぁ」

 

 しかし、俺の方はそんなに持ち合わせがないのだが。



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ひとしずくのアナタ

 喫茶店を出た私達は、次に行く場所を歩きながら考えることにした。

 さっきみたいにμ'sのメンバーや、他のお友達に会う可能性も決して低くはないけれど、今はこの並んで歩く時間も、かけがえのない大事な時間だった。

 

「あら?あなたは……」

「え?ツ、ツバサさん?」

 

 またいきなり声をかけられ、振り向くと、今度はA-RISEのリーダー・綺羅ツバサさんがいた。にこちゃんと同じくらいに小柄な身体からは、圧倒的なオーラが出ていて、その表情は自信に満ちて……

 

「え?あ、そ、その……そちらの男性は……」

 

 いなかった。

 ツバサさんは何故か足を震わせ、私と八幡君を交互に見ている。言葉もどこか覚束ない。

 

「あっ、そうよね!たしか南さん、兄弟いたもんね!やだ、私ったら……」

「ち、違いますよ!」

 

 一体誰からの情報なのかなぁ?

 

「う゛ぇえ!?じゃ、じゃあ、まさか……」

 

 どこかで見たことあるようなリアクションだなぁ。

 私は八幡君の方を見て、手を繋ぎ、合図を送った。

 

「ヒミツです♪」

「え?あ、ちょっ……あ、で、でも、そうよね!ヒミツってことは恋人とかじゃないわよね!だって高校生で恋愛とか早すぎるし!」

 

 ……ツバサさんの意外な一面を見てしまった気がする。この事は私の心の中に、そっと仕舞っておこう。

 

 *******

 

 結局私達は、秋葉原を少し離れることにしました。

 今は電車の中で……

 

「……なあ、ことり」

「なぁに?は、八幡君」

「東京に住んでる奴らは……いつも、このラッシュに耐えているのか……」

「あ、朝は、もっと、ひどいらしいよ……」

 

 やはりゴールデンウィークで、そこかしこでイベントが行われていることもあり、電車内は満員で、彼は身じろぎをするのも難しいくらいだった。

 私は彼が端っこで庇ってくれたから、そこまできつくはないけれど……

 

(近い……)

 

 向かい合っているから、お互いの鼻先に吐息がかかり、どうにも落ち着かない。身体も胸の辺りや、足が絡まるように密着して、かなり恥ずかしい。彼が頑張っていなければ、もっと気まずいことになっていただろうなぁ……。

 八幡君は顔を背けながら、話を続ける。

 

「あ、あれだ……俺はとてもじゃないが、家から徒歩か自転車で通える範囲じゃないと、東京じゃ働けそうもない」

「あはは……」

 

 彼の言葉に私は苦笑いしかできなかった。この辺りは全然変わらないね。

 私が潰されないように、必死になっている彼を見て、何かできることはないかと考えてみたけど……何も思いつかない。降りた後で何か……

 そこで変化が訪れた。

 突然電車がガタンと揺れ、後ろから押された彼の身体が、私の方へ傾いてきた。

 

「「っ!」」

 

 今、確かに唇に熱を感じた。

 お互いに顔を離し、一瞬だけ目を合わせ、すぐに俯く。

 周りの音が遠くなり、顔がだんだん熱くなっていく。

 高鳴る鼓動は止められそうもない。

 私の唇は、彼の頬の、彼の唇に近い部分に一瞬だけ触れた。



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National Holiday

「…………」

「…………」

 

 電車を降り、駅を出て、人混みの中で並んで立ち止まる。

 思考回路がある一つのことに囚われて、それ以外の考え事を遮断してしまっている。

 今さっきの……もう少しずれてたら……。

 彼女の柔らかな唇の感触が、じんじんと胸に焼き付いて、鼓動を加速させていく。いつもの冷静さを取り戻したいところだが、自分の惚れた女と……なんて考えると、舞い上がるなという方が無理だ。

 何とか首を動かし、隣を見ると、ちょうどバッチリ目が合った。

 慌てて前を向こうとするが、男としてはこのままではいけないと思い、声を絞り出した。

 

「……だ、大丈夫……だったか」

「え?あ、うん……」

「その……悪かった」

「……あ、その……だ、大丈夫だよ!むしろ、ずっと守ってくれて、ありがとう!きつくなかった?」

「別に、大したことじゃ……ないから」

「…………」

「…………」

 

 ことりのほんのり紅い頬を見ながら、恐る恐る手を差し出す。

 差し出された手を見て、しばらく彼女はキョトンとしていたが、やがて微笑みと共に、また手を繋ぎ合った。

 

「八幡君」

「?」

「さっきのも……忘れないでね」

「…………ああ」

 

 *******

 

 歩いている内に、徐々に気持ちも落ち着いたので、何か閃いたことりの案内に従い、ぽつぽつ会話をしながら目的地へと進む。

 5分ほどしてから、俺達は少し古びて見える建物の前に辿り着いた。

 

「映画、か」

「うん。最近全然観れなかったから」

「そういや……俺も観てない」

 

 多分、葉山や折本達について行った時以来だろうか。最近はDVDを借りてもいない。小町が受験だったので、自然と遠慮してしまい、そのままだったのだろう。

 

「ここ、そんなに混まないから、前はよく来てたんだぁ」

「へえ……つーか、お前って結構、一人で行動すること多いんだな」

「う~ん、そうかなぁ?」

「もしかしたら、お前もボッチの才能が「ないよ」お、おう……」

 

 今、スカウターが壊れんばかりの圧力を感じたのだが……。

 ことりはすぐにいつものやわらかな笑顔を向けてきた。

 

「八幡君はどんな映画が好き?」

「特にジャンルの選り好みはせんが、あまり音がでかいと、周りが引くぐらいに驚いてるらしい」

「そ、そうなんだ……」

「つーか、今はどんなのが公開されてんだ?」

 

 わくわくしながら、壁を華やかに彩るポスターに目を向けてみる。

 

『スミレスマイル』

『ぼっちフレンズ』

『アイスクリームガール』

『ぼっちキャンプ』

 

 とりあえず……何も言うまい。

 映画のチョイスはことりに任せることにした。

 何を観たかは想像にお任せする。

 

 *******

 

「……やべ。意外と涙腺が」

「う、うん……ハンカチ、いる?」

「……いや、大丈夫だ。何とか、こらえた」

「面白かったね~」

 

 ぶっちゃけ物語の中に入り込みすぎて、映画館で手を繋ぐとか、そんなお約束を二人して忘れてしまった。い、いや、別に狙ってたわけじゃないけどね?

 ことりはハンカチで目元を拭い、俺の前に立ち、上目遣いを向けてきた。

 

「八幡君、次はどうしよっか?」

「……ちょっと待ってくれ。まだ頭の中の切り替えが……」

 

 深呼吸をして、気持ちを静める。

 そこで、またまた聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「くぅ~……泣ける!泣けるなぁ!別に休日に一人だからとかじゃなく、泣ける映画ばかりだなぁ……」

「…………」

 

 ええと、あの方は……うん、そうですよね。独神と呼ばれるあの方ですよね。

 『なんでここに先生が!?』という疑問がより前に、またことりの指に自分の指を絡める。

 

「……悪い、ことり。また走るぞ」

「ふふっ、大丈夫だよ♪」

 

 俺とことりは、映画館から駆け出し、また気の向くままに

 先生……くっ……誰か、早くもらってやってくれよぉ~……。



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OFF THE LOCK

 

 彼の手を繋ぎ、人目も気にせず街を駆け抜けていると、二人して目印みたいな『ある物』を見つけ、そこを目指した。何だか、探検をしているような気分になって、心は幼く弾んでいた。

 

「次はここでいいか?」

「うん!」

 

 色んな人の声や、ジェットコースターがレールを疾走する、あの独特の音。胸に沸き上がる高揚感。

 私達は遊園地に到着した。

 

 *******

 

「わぁ、やっぱり混んでるね」

「まあ、あれだ。このぐらい混んでた方が、知り合いに会わずにすむんじゃねえの?」

「あはは、そうだね。そういえば、さっきの人って八幡君とはどんな関係なの?」

「ん?ああ、前に所属してた部活の顧問だ。今は転勤して別の学校に行ったけどな」

「そっか……声、かけなくてよかったの?」

「今声かけたら、絶対にからかわれる。あと、たまに電話してくるから、別に今話さなくてもいい」

「ふふっ、仲良いんだね」

「そんなんじゃねえよ。ほら、あれだ。馬鹿な子ほど……ってやつだろ」

「じ、自分で言っちゃうんだね……でも、八幡君に構いたくなる気持ちはわかるかも」

「そっか」

「そうだよ」

「……そろそろ腹減ってきたから、飯もここですますか。どっか空いてる場所もあるかもしれんし」

「そだねー」

 

 照れくさそうにそっぽを向く彼が可愛らしく思えて、私はついその腕にしがみついた。

 すると、その腕がビクンと跳ねた。こういうところ、かなぁ……構いたくなるのは。

 

「ど、どした?」

「ご飯もいいけど、まずは遊んでから!ねっ?」

 

 私達はそのまま幸せに満ちた賑わいの中に混じっていきました。

 

 *******

 

「メリーゴーランドは……」

「い、いや、それはさすがに……」

「ふふっ、言うと思った。じゃあ……ジェットコースターにチャレンジしてみよっか?」

「……俺はいいけど、そっちは大丈夫なのか?」

「ちょっと怖いかな。でも……乗ってみたい、かな」

「わかった。じゃあ、並ぶか」

「うん♪」

 

 ジェットコースターには、カップルや同年代のグループが、そこそこ長い行列を作っていた。

 そういえば……遊園地もμ'sの皆と行った時以来だなぁ。

 

「ゆのっち、早く早く~!」

「みやちゃん、待ってよ~!」

「そ、そうだよ!別に、ジェットコースターは逃げないし!何なら後回しでも……」

「あら、紗英ったら、怖いの?」

「ち、違う違う!そんなんじゃ……」

 

 私達の後ろにも女の子のグループが並び、期待や不安の入り交じった表情を見せる。多分、私も同じような表情をしてるのかなぁ……。

 彼はレールを駆け抜けていくコースターをじっと見ながら、時折私に目を向けてきた。

 

「もしかして、八幡君も怖いのかな?」

「いや、違う。何つーか、その……」

「?」

 

 彼は頬を紅くしながら、ぼそぼそ呟く。

 

「……少し、照れくさいと言いますか……はい」

「え?……あ」

 

 多分、彼は私が腕にしがみついていることを言っていると思う。

 私も口に出して言われると、改めて恥ずかしくなり、そっと腕を解放した。

 

「…………」

 

 彼はそっぽを向いたまま、手を握ってきた。

 

「……こっちなら……少しは慣れた」

「……うん!」

 

 お互いの温もりや感触になれていくのを嬉しく思いながら、私は彼の横顔を、自分達の順番が来るまで眺めていた。

 

「こ、高校生でデート?え、何?それ、どこの世界?」

「「…………」」

「紗英?」



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なんという幸せ

 

「だ、大丈夫?」

「ああ……大丈夫、だ……」

 

 何だ、あの急転直下の恐ろしいアトラクション……想像以上すぎてダメージでかすぎだわ……どのくらいかと言うと、材木座の小説を夜通し読んだ時くらいのダメージ。

 ことりの方はずっとはしゃぎっぱなしで、コースターを降りてからも平然とした足取りで、「もう一回乗ろっ♪」とか言いかねないくらい元気だった。まあ、言ってこなかったけど。

 

「あっちのベンチで休む?」

「いや、ちょっと歩けばそのうち回復するだろ」

「ダ~メ!」

 

 ことりは有無を言わさず俺の腕を引っ張り、ベンチに座らせる。

 そして、わざと怒ったような表情を作ってみせた。

 

「今日はとにかく楽しむんだから、休む時は休まないと……ねっ♪」

「……ああ」

「じゃあ、その……はいっ」

「?」

 

 ことりは急に赤くなり、自分の膝を指さす。

 

「……脚、細いな」

「あ、ありがと……じゃなくて!」

「いや、さすがにそれは……」

 

 ことりの言わんとすることは何となくわかるのだが、こんな人で溢れかえった場所でそれをするのは、俺のポリシーに反すると言いますか、ほら、海外じゃ色々オープンらしいけど、あまりにグローバリゼーションを意識するあまり、パブリックな場でオープンになりすぎるのは、奥ゆかしい日本人のマインドを損なうと言いますか……あーあ、うっかり玉縄君出て来ちゃったよ。

 

「……嫌だった?」

「…………」

 

 そこで上目遣いがきますか……いや、いいんだけど。

 観念した俺は、ベンチに寝転がり、その太ももに頭をゆっくりと乗せる。

 

「ふふっ、素直でよろしい♪」

「…………」

 

 甘やかな温もりと柔らかさが脳髄を刺激し、ぶっちゃけ意識がガンガンに覚醒して、休むどころじゃない。

 

「……うらやましい」

「わぁ……きれいな子」

「BEAUTIFUL!」

「ぼっちのくせに……ぼっちのくせに!」

 

 ……こりゃリラックスするのは絶対に無理ですね。あと誰だボッチとか言ったの。

 しばらくの間、俺は背中にナイフの切っ先を向けられるような緊張感を味わいながら、ぎゅっと目を瞑った。

 ただ、胸の片隅には、この場所にこうしていられる言い様のない幸福が溢れ出していた。

 

 *******

 

 調子を戻してからは、あちこち動き回り、めぼしいアトラクションに乗り尽くしてから、最後は観覧車で締めることにした。

 まだ夕方と呼ぶには早い時刻で、列もさほど無く、すぐに乗ることができた。

 

「わぁ……音ノ木坂はあの辺だよね」

「多分、な」

 

 さっきまで走り回った街を見下ろしていると、何だか不思議な心持ちになる。

 こいつといると、本当にこんな出来事ばっかりだ。

 ことりに目を向けると、彼女の外を見つめる横顔は、いつもより無邪気に見え、その無防備さから目を逸らすように、俺も再び街を見下ろした。

 あの街のどこかで彼女と再会して、同じ時間を過ごすようになって……

 そこで、頬に柔らかな衝撃がきた。

 

「っ!?」

 

 慌てて正面を向くと、ことりが急いで腰を下ろしていた。

 ことりが何をしたかは明白で、体中の神経が頬に集中し、鼓動が高鳴る。

 彼女はそのまま俯いて、ぼそぼそと喋りだした。

 

「こ、これは……お礼、だよ?」

「……な、何の?」

「さっき……電車で守ってくれたから」

「いや、礼とか……」

「私が、そうしたいだけだから……」

「……そうか……」

 

 観覧車が、胸の高鳴りと反比例してのろのろと一周回り終えるまで、俺達は無言のまま、外を眺め続けた。

 

  

 



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OCEAN

「誰もいないね」

「まあ、この時期じゃな。少し早いだろ」

 

 遊園地を出た私達は、今度は千葉の海に来ていた。

 五月の砂浜に人の影はなくて、波音が微かに聞こえるだけだった。

 

「そうだね。でも、ちょうどいいかも」

「……ことり?」

 

 彼の視線を背に受けながら、靴を脱いで駆けだした私は海面を踏みしめた。

 彼は目を丸くしながら、慌てて追ってきた。

 

「あはっ♪冷たいよ!八幡君もはやく!」

「……いや、風邪ひくぞ」

「大丈夫……きゃっ!」

「っ!」

 

 うっかりに滑ってしまい、そのまま全身を海に浸してしまう。

 私を支えようとした彼も足を滑らせていた。 

 

「…………」

「あはは……ごめんね?」

「別に……一人だけ濡れるよりましだろ」

「ふふっ、それっ♪」

 

 私は八幡君の顔を目がけ、思いきり海水を掬い上げた。

 その塊は、的確に彼の顔全体に命中し、「わぷっ」と彼の声が漏れ聞こえた。

 

「お、おい、いきなり……」

「だってもう私達濡れてるから関係ないよ」

「…………」

 

 彼は無言のまま、微かに笑みを見せ、私に何度も水をかけてきた。

 

「きゃっ!もう、何するのっ」

「そっちが先にしたんだろっ……と!」

「わぁ!むぅ……えいっ!えいっ!」

 

 二人して、水をかけ合い、ずぶ濡れになった髪が貼りつく顔を見て笑う。

 しかし、彼は急に顔を夕陽みたいに染め、そっぽを向いた。

 

「どうしたの?」

「いや、何つーか、服……」

「え?……!」

 

 彼の言葉で、自分の服が透けてしまっている事に気づく。

 慌てて胸元を隠し、彼の方を見た。

 

「あの、八幡君……」

「見てない」

「…………」

「見てない」

 

 絶対に嘘だけど、今回は特別に許します。

 おもむろに彼は自分のジャケットを脱ぎ、私に差し出してきた。

 

「とりあえず、着とけ」

「え?でも、八幡君が……」

「俺は別に着てても着てなくても変わらん。それに…………だよ」

「え?今、何て……」

「いや、何でもない。ほら、早く……」

「あ、うん……ありがとう!」

 

 彼はジャケットを手渡すと、ゆっくりと砂浜に向けて歩き出した。

 ……さっき、私は聞き返したけど、本当は聞こえてたんだよ?

『他の奴に見せたくないんだよ』

 照れてるのが可愛くて、つい聞き返したけど、あと……もう一回言っていた欲しくて……

 

「……どうした。ニヤニヤして」

「し、してないよ!」

 

 私はその言葉が心に残した熱に任せ、彼に背中から抱きついていた。

 

「……どした?」

「もう少し……このまま」

 

 風が私達のずぶ濡れの身体を撫で、冷やしていく。

 波音はさっきよりはっきりと響き、足元を拭っていく。

 彼の体温と自分の体温が混ざり合い、心音さえ重なりそうな気がした。

 ふと見上げた空はすっかり朱く染まっていた。



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太陽のkomachi angel

 二人共ずぶ濡れになったので、歩いて俺の家まで帰ることになった。少し距離はあるが、今日あった出来事について話していたら、いつの間にか家の前に到着していて、濡れた足跡はどこかで途切れていた。

 門の前で、ことりが感慨深そうな顔をする。

 

「ここに来るの久しぶりだなぁ」

「あー……確か、二月に来て以来だっけ?」

「うん、あの時はまさかお泊まりになるなんて思ってなかったなぁ」

「……そうだな。じゃ、入るぞ」

 

 ドアを開けると、ほぼ同時にぱたぱたと駆け寄ってくる音が聞こえてきた。

 

「お兄ちゃん、おかえ……り……」

 

 出迎えに来たのは勿論、麗しのマイシスター小町だが、あれ?様子がおかしい……進化すんのか?大天使になっちゃうのか?

 

「お、お、お兄ちゃん……その人は……」

 

 小町が目をぱっちりと見開き、ことりを凝視している。

 ことりの方は小町の表情に戸惑いながらも、ぺこりと頭を下げた。

 

「こ、こんにちは……」

「コンニチハ……」

「…………」

 

 ことりが恐る恐る挨拶すると、何故かカタコトで返す我が妹。よく見れば、体全体が小刻みに震えていた。

 ……いや、まあ気持ちはわかる。

 とはいえ、ここで長話をするわけにもいかないので、とりあえず話を進めよう。

 

「小町、後で話すから。とりあえずシャワー使うわ。ことり」

「え?あ、お邪魔します」

「わ、私が案内するから!こっちです!え~と、ことりさん!」

「うん、ありがとう。小町ちゃん」

 

 浴室へと向かう二人を見送りながら、俺は式台に腰を下ろした。

 一息つくと、二人と入れ替わるように、カマクラがとことこ歩いてきた。

 

 *******

 

 この前と同じように、俺のシャツとジャージを着て出てきたことりと入れ替わり、シャワーを浴びてからリビングに行くと、二人は早くも意気投合したのか、談笑していた。コミュ力高いね、君達。

 俺に気づいた二人は笑顔を向けてきた。

 

「あ、お兄ちゃん来た!」

「八幡君。小町ちゃんってこんなに可愛かったんだね!八幡君が可愛がる理由もわかるなぁ♪」

「そ、そうか……」

「いえいえ、そんな……でもお兄ちゃん。奇跡って起こるんだね……」

「何がだ?」

「お兄ちゃんがこんなに美人で可愛くて、スタイル抜群なお義姉ちゃん候補を連れてくるなんて……」

「「…………」」

 

 そこに関しては、二人して苦笑いでやり過ごした。まだ周りに説明する言葉が見つからなかった。

 そこで小町は、少し大人びた微笑みを見せた。

 

「うん……なんか、ほっとした」

「そっか」

 

 小町は小町で奉仕部を辞めた俺を心配してくれていたのだろう。二人とも繋がりのある小町には、奉仕部の仲が険悪になったのではなく、疎遠になっただけだと話しておいたが、何というか……不出来な兄ですまん。

 心中で謝りながら、小町の頭を撫でる。

 

「な、何いきなり……もう、そういうのは二人っきりの時にしてよ……」

「別にいいだろ。たまには」

「…………」

 

 隣から視線を感じる気がするが、というか視界に徐々にことりが入ってきている気が……

 

「ほら、お兄ちゃん」

 

 小町は俺の手をことりの頭へと移動させる。ことりの濡れた髪の感触が、やけに艶めかしく肌に貼りつき、体温が心をくすぐった。

 

「あはは……」

 

 ことりは照れくさそうに目を細め、俺の手に自分の手を重ねた。

 

「ご飯できたら呼ぶから、いちゃついてていいよ。でもキスとかは自分の部屋でしてね」

「っ!?」

「キ、キ、キス……」

 

 小町の発言に、俺は自分の顔が熱くなるのを感じ、ことりはわたわたと手を振り回し、顔を真っ赤にした。

 

「あ、ごめん。その反応だとまだみたいだね。じゃ、じゃあ、ごゆっくり~♪」

 

 最後にとんでもない爆弾が投下され、急に緊張が高まる。意識しすぎと言ってしまえばそれだけかもしれないが、今二人の間に流れる空気が、それを許してはくれなかった。

 ことりは一度俯き、ゆっくりと顔を上げた。

 

「あ、あの……」

「おう……」

「は、八幡君の部屋……行かない?」



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なりふりかまわず抱きしめて

「…………」

「…………」

 

 部屋に入るなり、何故か二人して正座をして向かい合う私達。端から見れば、重い話でも始めるみたいだなぁ。

 静寂に包まれた部屋には、心地良いリズムでカチカチと時計の音が刻まれて、いつまでも聞いていられそうだった。

 

「「あの……」」

 

 ……重なっちゃった。部屋には二人しかいないのに恥ずかしいです。

 

「……俺からいいか」

「あ、うん」

 

 珍しく自分から話し始める彼に、もう一度居住まいを正すと、彼は頬をかきながら、小さな声で話し始めた。

 

「あぁ、さっきのは、あんまり気にしないでくれ……その……」

「八幡君」

「?」

「もう一回、頭を撫でて欲しいなぁ」

 

 何故か私は自然と自分のして欲しいことを、わがままを言っていた。

 彼は一瞬ポカンとしていたけど、すぐに私の頭に手を置き、ゆっくりと労るように頭を撫でてきた。

 

「ふふっ、何だか落ち着くなぁ♪」

「……こっちは緊張するんだが」

「じゃあ……はい!」

 

 私は彼の頭に手を置き、彼の動きをなぞるように、その頭を撫でた。

 少しクセのある彼の髪は、不思議な触り心地で、何だかワシャワシャしたくなってくる。

 

「な、何故?」

「ふふっ、これで落ち着いた?」

「……ああ、そういうことにしとく」

 

 彼は曖昧な返事をして、小さな笑みを見せた。

 しばらくの間、お互いに頭を撫で合う不思議な時間が過ぎる。

 どちらも目を離さず、言葉を交わさずにいた。

 いえ、目を離せず、言葉を交わせずにいた。 

 でも、そんな時間はやがて途切れた。

 

「っ!」

「あ……」

 

 私は八幡君に抱きしめられていた。

 さっきとは違う感覚に、胸が熱く高鳴り、彼のことしか考えられなくなる。その目も、匂いも、感触も、まるで自分のもののようにじわじわ馴染んでいく。その背中に腕を回すと、一つになるということの意味を僅かに理解した気がした。

 

「えっと……八幡、君……」

 

 彼は耳元で、搾り出すように呟いた。

 

「……わ、悪い。自分で自分が止められなかった」

「いいの。八幡君……」

「?」

「は、八幡君がしたいなら、私は……い、いつでも……いいんだよ?だから……」

 

 私は少し離れ、彼の目をしっかりと見つめた。

 その瞳はいつもより優しく思えた。

 

「忘れないでね」

「……ああ」

「何を喋ったとか、何を食べたとか些細なことでもいいの。ただ、二人でいたことを覚えていて欲しいの。そのために素敵な瞬間を、沢山重ねたい、かな」

「忘れるわけない。初めてだから……」

「初めて?」

「こんなに長く誰かと過ごしたのが、だよ。何せボッチ生活が長くてな」

「私、八幡君の初めてになれてたんだね」

「ああ」

「じゃあ、また……抱きしめて……あ」

「どした?」

 

 私はふと思い出したことを口にした。

 

「……お母さんに、今日泊まっていくって伝えなきゃ」

 



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CAT

 ことりが泊まっていく旨を母親に伝える為、電話をかけている横で、黙って天井を仰いだ。

 腕の中にまだいるように思えるくらい彼女の感触や温もりが焼き付いている。

 さらに、頭の中は靄がかかったようにぼんやりして、身体はドクンドクン疼いている。

 こんなに誰かを欲しいと思ったのは、生まれて初めてだった。

 

「うん、それじゃあ……もう、な、何言ってるの?切るからね!……ふう、お待たせ」

「……ことり」

「?」

「ちょっと立ってもらっていいか?」

「どうかしたの?」

「……さっき、座ったままだったから……今度は、しっかり立って、向かい合って……その……抱きしめたい」

 

 我ながら歯の浮くようなことを言い、挙動不審になりかけるが、彼女の微笑みがそれを押しとどめた。

 

「……う、うん、いいよ」

 

 頷いたことりは俺の前に立ち、胸の前で両手を合わせ、目を閉じる。その曇りのない美しさに、触れるのさえ躊躇われるが、俺はゆっくりとその身体を抱きしめた。

 じんわりと優しい体温が、何もかも忘れさせてくれる。

 

「ん…………あったかいなぁ」

「……そっか」

「ねえ、八幡君」

「どした?」

「私達……」

「ニャー」

「「っ!?」」

 

 足をするりと撫でていく毛むくじゃらな何かと、可愛らしい鳴き声に、二人してビクッと身体が反応し、バランスが崩れてベッドに倒れ込んだ。

 

「わ、悪い……」

「あはは、大丈夫、だ……よ……」

 

 苦笑いなことりの声が次第に途切れていく。

 どうしたのだろうかと体を起こそうとすると、右手にやわらかな感触を感じた。

 ……まさかな。

 右手が握りしめているものに対して、確信にも近い推測がつくが、まさかそんなTo LOVEるが……なんて気持ちもあり、指を動かしてみる。

 

「んぁっ……」

 

 ことりの口から、ぞくぞくするような甘く艶やかな吐息が漏れ、耳元を刺激する。ああ、これはもう完全にクロですね。

 ゆっくりと顔を上げると、俺の右手はことりの胸を掴んでいた。

 事実確認が済んだところで、さっきまでの呼吸をするのも躊躇われるような静謐な空気は雲散霧消してしまった。

 

「あわわわ……」

「わ、悪い……」

 

 真っ赤に染まることりの顔を見て、手を離そうとするが、体が動かない。動いてくれない。さっきとは違う意味で心臓がばくばく鳴り、やばい。やばいったらやばい。

 

「お兄ちゃ~ん、ことりさ~ん。なんかすごい音……が……」

「「…………」」

「失礼しました~♪」

 

 ドアが閉められる。というか、開けられたのにも気づかなかった。小町のことだからノックはしたのだろうが、気づかないくらいに頭の中がこんがらがっていたらしい。

 火照った頭の中が急速に冷えていくのを感じ、溜息を吐く。あのままだったら……

 

「あの……八幡君……」

「?」

「そろそろ、手をどけてもらえないかな?」

「わ、悪い!」

 

 すぐに手をどかし、土下座の態勢をとる。

 隣にはカマクラが座り、「ニャ~」と気持ちよさげに鳴いていた。おい、半分はお前のせいだからな。

 体を起こしたことりは胸元を押さえ、恥ずかしそうに口を開いた。

 

「も、もう……八幡君のエッチ…………意気地なし」

 

 最後の方はあまりに声が小さくて聞こえなかったが、まずは謝るのが先だった。



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いつかまたここで

 

 八幡君から何度も謝られて食事をした後も、身体は不思議な熱を保っていました。それは、μ'sの皆とハグをした時とは違う何かがあり、その何かに私も彼も、心のどこかで気づいていました。

 今は二人で彼のベッドに腰を下ろし、特に何をするでもなく、手を繋いで、夜になった街の音に耳を澄ませていて、時折思い出したように会話をして、また夜の音に耳を澄ませる。

 ……あっという間、だったなぁ。

 もう日付は変わりかけていて、あとは眠るだけだと考えると、やっぱり大事な人と過ごす時間は早く過ぎていくなぁ、と思える。

 ……さっきの事故は恥ずかしいけど。

 

「……まだ、怒ってるか?」

 

 手を通して彼に考えが伝わったのか、不安そうに聞いてくる。

 怒ってはいないんだけど、赤くなってるのが可愛いから、ついからかいたくなっちゃうなぁ……。

 

「う~ん、どうかなぁ~?私、初めてだったもんなぁ~」

「あー、その……本当に悪かった」

「ふふっ、冗談だよ。びっくりしちゃったけど、わざとじゃないのはわかってるから。それに……」

「?」

「な、何でもない!何でもないのよ!うん、何でもない!」

 

 さすがに今の空気でその先を口にするのは恥ずかしかった。

 代わりに窓の外見て、別の話題を見つけた。

 

「ねえ、八幡君。千葉っていい所だよね」

「だよな!」

「そ、即答したね……あまり街とか行けてないから、いつか色んな場所に案内して欲しいな」

「……ああ、いつでも」

「海未ちゃんが言ってた鋸山に登ってみるのもいいかも」

「…………いつかまた、そのうちな」

「今、絶対に登りたくないって思ってたよね」

「いや、それなら東京に行って高尾山とかに行った方が……いや、登るんなら東京タワーとかスカイツリーとかでも……」

「もう登山じゃなくなってるね……ふふっ、じゃあ夏になったら海に行くのはどうかな?」

「……まあ、いいんじゃねえの」

「あ、でも行くなら、新しい水着買わなきゃ」

「…………」

「もしかして、私に似合う水着を考えてくれてた?」

「……で、できるだけ泳ぎやしゅくて、派手すぎず、かつ潮の流れに強いやつをだな……」

「ふ~ん」

 

 噛んでたなぁ。

 彼は頬をかき、気を取り直した。

 

「あの……あれだ、祭りとかも、いいと思う」

「あ、いいかも♪花火見たいなぁ。どっちのお祭りに行こっか?あ、どっちもはどう?」

「いや二回も人混みに揉まれるとか……」

「え~」

 

 彼は面倒くさそうに言いながらも、口元には僅かに笑みができていた。

 そのことが嬉しくて、私はまた手を繋ぐ力を強めた。

 

「……明日からも楽しみだなぁ」

「……ああ」



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愛しい人よGoodNight…

 

 うっすらと目を開けると、薄暗い天井が見える。

 どうやらいつの間にか眠っていたようだ。

 手を繋いだまま、会話の途中で寝落ちをしていたようで、言葉の断片が頭の中にちらついている。

 

「ん……八幡君……」

 

 名前を呼ばれ、ことりの方に目をやると、目は閉じられ、安らかな寝息を立てていた。

 その頬をそっと撫で、時計を確認すると、もう朝の5時になっていた。起きる時間としては早すぎるが、眠っていた時間にもっと話ができたんじゃないかという小さな後悔もある。

 窓の外は朝の気配を滲ませ、あと少ししたら、朝陽が顔を出すのだろう。

 そこで、外から車が通り過ぎていく音が響き、室内の静寂を強調した。

 ことりが無意識に俺の手を握り、僅かに爪が食い込む。

 俺は車が去って行く音を聞きながら、また寝転がり、目を閉じた。

 

 *******

 

「送ってくれてありがと♪」

「いや、別に……帰り、気をつけてな」

 

 結局、二人して朝9時まで眠ってしまい、起きてからは小町が作ってくれた朝食を食べ、すぐに家を出た。

 青空の下、もう街は動き始めていて、平日とは違う休日特有の慌ただしさを見せていた。

 その人波に混じり、俺とことりは向かい合っている。

 

「ねえ、八幡君」

「どした?」

「昨日も言ったけど……また、色んな所に行こうね」

「ああ」

「絶対に行こうね……」

「……ああ、その……約束、する」

「……うん、約束したよ!」

 

 どちらも自然な流れで小指を絡め、指きりをする。

 けれど、どこかで俺もことりも気づいていた。

 二人が直接会える機会が、これから少なくなることに。

 二つの道が徐々に離れていってることに。

 やがて、小指は離れ、彼女は小さく手を振った。

 

「じゃあ……また、ね」

「……ああ」

 

 行き交う人波に遮られても、俺は遠ざかる背中をずっと眺めていた。

 彼女が改札を通り過ぎ、見えなくなっても眺めていた。

 

 *******

 

 駅でことりを見送ってからは、しばらく会えずにいた。

 俺は明確な目標はなくとも、受験勉強に本腰を入れ、ことりはフランス語の教室に通い出し、お互いにやるべきことに力を注いでいた。

 それでも、毎日のように電話をして、他愛ない話で笑い合っていた。多分、話題など何でもよかったのだ。

 ただ声が聞きたかった。

 そうすれば心が繋がって、一緒にいる気分になれた。

 そんな毎日を繰り返している内に、いつの間にか夏休みも半分を過ぎていた。

 約三ヶ月前にした、夏祭りに一緒に行く約束を思い出しながら、俺は準備を済ませて家を出た。



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Blue Sunshine

 

 今日は三ヶ月ぶりぐらいに八幡君と会える日です。

 お互いに忙しくて、中々会える日が作れなかったけど、今はそのことを忘れさせるくらいに胸が高鳴り、ここ最近の勉強疲れも吹き飛んでいた。

 夏真っ盛りの午前中。私は千葉駅の改札を通り抜け、彼の姿を探した。

 少し時間がかかるかも……なんて思っていたら、すぐにその姿は見つかった。

 彼は柱の近くに立ち、携帯を扱っていた。

 私は彼を驚かせたくなり、いつもより大きな声で名前を呼んでみた。

 

「八幡君!」

「……おう」

 

 彼はこの前と変わらない仕草で、でもどこか大人びた表情でこちらに軽く手を挙げた。少しくらい驚いてくれてもいいのになぁ。

 

「どした?」

「ううん、別に。ただ……八幡君だなぁ~って」

「……よくわからんが、わかった」

 

 そう言って立ち止まり、しばらく見つめ合うと、どちらからともなく笑いが溢れる。

 夏の暑さがほんの一瞬遠ざかった気がした。

 

「……久しぶり、だね」

「まあ、あれだ。毎日声聞いてたから、あまりそんな気はしないけど……」

「もう、そういうこと言わないの。雰囲気こわれちゃうでしょう?」

「あ、ああ、すまん……」

 

 彼は頬をかきながら、私に手を差し出した。

 

「……行くか」

「はい♪」

 

 私は彼の手を握りしめた。

 彼は繋いだ手を見た後、俯きがちに呟いた。

 

「……その、今日の服、いい感じだ」

「あ、ありがとう……」

 

 来ると思っていなかった褒め言葉に胸が高鳴り、口元が緩んでしまう。

 ふ、不意打ちなんてずるいよぅ……。

 

 *******

 

 私達は電車に揺られ、ある場所に向かっています。

 休日ということもあり、少し混んでいるけれど、この人の多さが休日の雰囲気を盛り上げてくれます。

 彼と二人で外の景色が変わっていくのを見ながら、知っているはずの彼の近況についての話題をふってみた。

 

「最近、本当に忙しそうだね」

「お前ほどじゃねえよ。こっちは周りとやってること変わらんからな。そっちは結構喋れるようになったんだろ?」

「うん。でも、まだ日常会話で精一杯だから、覚えることは沢山あるよ」

「それでも十分凄いんだが……こっちは日本語でも噛むくらいだからな」

「あはは……それは八幡君があまり人と話さないからじゃないかな?」

「あ、見えてきたよ!」

 

 窓の外に目を向けると目的地が見え、既に沢山の人が行き交っていた。

 

 *******

 

「やっぱり、この前来た時より多いね」

「そりゃあ、本来この時期に来る場所だからな」

 

 私達は人で溢れかえる砂浜を見て、目を丸くしていた。多分、普段の私達ならあまり行かない場所だと思う。

 人の多い場所を選んだのは、別れを意識しなくていいから。

 そんな気がしていた……。

 寄せては返す波を見ていると、ふわりと潮風に髪が舞い、そっとかき分ける。

 すると、八幡君がこっちをじぃっと見ていた。

 

「どうかしたの?」

「い、いや……何でもない」

 

 彼はぷいっとそっぽを向いてしまった。

 その頬は紅く染まって見えて、そのことが心のどこかで嬉しかった。



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UBU

 ……思わず見とれてしまっていた。

 それほどまでに魅力的だった。

 夏の陽射しに照らされ、風に舞う髪をかき分ける姿は、この前見た彼女よりずっと大人びて見え、息の詰まるような美しさを惜しげもなく晒していた。

 そして今度は……

 

「お、お待たせ……」

「ああ……」

 

 エメラルドグリーンの水着に着替えてきたことりは恥ずかしそうに俯き、腰に巻かれたパレオをいじりながらも、こちらの反応を窺っている。

 そのあまりの可愛らしさに言葉を失いかけるが、何とか口を開いた。

 

「その…………すごく、いい」

「ありがと……やっぱり、男の子の前だと、恥ずかしいね。でも……八幡君が見てくれるなら……嬉しいな」

「そ、そうか……」

「「…………」」

 

 やばい。

 水着になっただけなのに、こうまで緊張するとか……やばすぎてやばい。ほら、もう語彙力低下しちゃってるし……。

 ひとまず気持ちを落ち着けるべく、レンタルしておいたパラソルの下に二人で座る。もしかしたら、この陽射しのせいかもしれない。

 

「ね、ねえ、八幡君……」

「どした?」

「日焼け止め、背中に塗ってくれない?自分じゃ塗れなくて……」

「わかった。何買ってくればいい?」

「に、逃げないでよぅ……私だって、お願いするの恥ずかしかったんだから」

 

 突然すぎるお願い。

 中学時代に何度も妄想したシチュエーションではあるが、いざ遭遇すると逃げ出そうとするヘタレっぷり。我ながら天晴れである。

 それでも、仕方ないことはある。

 

「いや、さすがに……」

「八幡君……」

 

 ことりは胸の前で両手を合わせ、上目遣いを向けてきた。あ、これは例のやつがくる前触れですね……

 

「……おねがぁい……!」

「…………」

 

 久しぶりに胸を撃ち抜かれる音を聞いた。

 こうかはばつぐんだ!どころではない。

 まさに一撃必殺。

 抗いようがない。

 

「……わかった」

 

 俺は手渡された日焼け止めクリームを片手に、顔を赤らめることりの方を向いた。

 

 *******

 

「……んっ……あぁ……」

「……塗りづらいんだが」

「あはは……何だか勝手に声が出ちゃって……」

 

 ことりの陶器のように滑らかな白い肌に触れる度に、甘くとろけるような声が耳朶を撫でてきて、落ち着かない。というか変な気持ちになるんですが、これは僕のせいじゃないと思うんですよ。

 あとは腰の辺りを塗り終えれば……

 

「ひゃうっ」

「っ!」

 

 やめて!あまり動かないで!色々と危ないから!

 うっかり起き上がっちゃったら、大変なことになるから!

 ことりも自分の過剰な反応には自覚があるのか、申し訳なさそうに口を開く。

 

「ご、ごめんね?」

「……大丈夫だ。も、問題ないから」

「八幡君、その……塗り終わったら、この前の続きやろ?」

「おう……とりあえず、まだ動くなよ」

「うん♪」

 

 白い肌の甘い誘惑と格闘しながら、俺は何とか日焼け止めクリームを塗り終えた。

 



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恋のサマーセッション

「八幡君、はやくはやく!」

「お、おう……」

 

 八幡君の手を引き、海へと駆け出す。声が弾んでいるのは、さっきまでの恥ずかしさを誤魔化したいのもあるけど……。

 足が海水に入ると、予想していたよりも冷たく感じた。

 

「……結構気持ちいいな」

「うん……えいっ♪」

「っ!」

 

 腰ぐらいの深さになったところで、彼に真正面から思いきり抱きつく。予想外だったのか、彼は仰向けに倒れた。

 起き上がると、彼はお風呂に入るみたいに肩まで浸かったまま、こちらを見上げてきた。

 

「……いきなりだな」

「いきなりだよ?」

「……なんか、このまま沈んでいきたい気分だ」

「私ごと?」

「それも悪くない、かもな」

「う~ん、どうしよっかなぁ~。私まだやりたいこと沢山あるし」

「例えば?」

「この後、お祭りで綿菓子を食べたり、たこ焼きを食べたり……」

「さり気なく食べたい物リクエストしてきたな」

「ふふっ、ばれちゃった?」

「ああ、これ以上ないくらいに」

「まだあるよ。射的や金魚すくいとかしてみたいかも」

「結構アクティブだな」

「スクールアイドルですから」

「……確かに」

「それに……やっぱり花火も見たいなぁ。できるだけたくさん」

「…………」

「それでね、一回限りの瞬間を何度でも胸に刻み込むの。そして、どこまでも持って行くの。この瞬間はずっと残るんだって……大事な温もりと一緒に……」

「……そっか、そりゃあ全部やっとかないとな。まずは……」

 

 彼は立ち上がり、私を正面からしっかり抱きしめた。

 その胸元から、彼の鼓動を確かに感じることができた。

 

「さっきのお返しに、この瞬間も刻んどいてくれ」

 

 彼は私を抱きしめたまま、何かを決心したように息を吐き、私の額に口づけた。

 彼の言葉も温もりも僅かな水しぶきも、私はまたしっかり刻みつけた。

 

 *******

 

 海をあとにした私達は、夏祭りに向かう前に、一旦彼の家に立ち寄った。

 

「あ、ことりさんいらっしゃ~い♪」

「こんにちは、小町ちゃん。カマクラちゃんも♪」

 

 ついつい小町ちゃんの頭を撫でていると、カマクラちゃんも足元にすり寄ってきたので、喉元をころころ撫でてみる。すると「ニャ~」という可愛らしい鳴き声を披露してくれた。

 

「カー君もことりさんに会えて嬉しいって」

「ふふっ、ありがとう♪」

「今日はお兄ちゃんをよろしくお願いします」

「いや、俺は子供かよ」

「うん、任せて」

「お願いされちゃってるし。じゃあ、俺の部屋使っていいから」

「うん、お邪魔します」

 

 私達がここに来たのは、夏祭りということで、浴衣に着替えるためだ。八幡君、どんな反応してくれるかなぁ。

 階段を上がり、彼の部屋に入ると、窓の外の風景がとても切なく思えた。

 ……もう、陽が傾いてる。

 その何のことはないありふれた風景は、でもこの場所からしか観れない風景は、秋の予感を早くも感じさせた。



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HEAT

「…………」

「八幡君、もしかして帰ろうとか思ってない?」

「……んなわけあるか。上手く人混みに飲まれずにやり過ごす方法を考えてただけだ」

「あはは……無理じゃないかな?」

 

 今年も大盛況の花火大会は、うっかり回れ右したくなるくらいに人で溢れかえっているが、ことりの手を握っていると、不思議とそんな気持ちも薄らいでいく。

 すっかり日は沈み、あとは花火が上がるのを待つだけだが、その前に海で約束したことを果たしておきたい。

 予定を詰めすぎかもしれないが、今の二人に大事なことは、思い残しのないようにすることであり、それが精一杯でもあった。

 

「んっ……あま~い♪」

 

 ぼーっと考えていたら、ことりが俺の持っている綿菓子に、はむっとぱくついた。

 ……何この可愛い生き物。

 

「なあ、ことり……」

「何かな?」

「……いや、何つーか、今の……すごい、可愛かった」

「えっ?あ、そう……かな?……ありがとう」

 

 思ったことも一つ残らず全て口にしたかった。

 でも、それは……本当に言いたいことを隠そうとしているだけのように思えてしまった。

 

「八幡君、そんな顔しないの」

「え?」

「楽しもう?」

 

 その後、金魚すくいや射的をしたり、適当に歩いたりして、祭りの空気に溶け込んでいたが、胸の中に湧いた不安のような感情を押しとどめることはできなかった。

 

『楽しもう?』

 

 そう言った彼女の瞳が、寂しげに揺れていたから。

 

 *******

 

 そうこうしている内に花火が上がり始めた。

 色とりどりのそれが、夜空で幾つも咲き乱れ、誰もが一様にその輝きに見とれている。

 俺はことりの後ろに立ち、ぼんやりと見上げていた。

 

「何でかなぁ……」

「?」

「これまで見た花火とどこがどう違うかはわからないけど……これまで見たどの花火より、綺麗で、輝いてるよ」

 

 夏の生温い夜風が吹き抜ける中、彼女はゆっくり振り向いた。

 長い髪が揺れ、甘い香りがふわりと運ばれてきて、灰色の粒子がきらきらと明滅する幻想を見た。

 多分俺は、夢と現実が混ざり合う瞬間の中にいる。

 そのぐらい彼女の笑顔が綺麗すぎた。

 そして、儚すぎた。

 気がつけば、俺はことりを抱きしめていた。

 

「は、八幡君……」

「…………」

 

 戸惑いの声も、やがて落ち着いた吐息に変わっていく。

 それだけで不安が拭われていく気がした。

 そして、最後にひときわ大きな花火が夜空に咲き、ちらほら歓声が上がる。

 それと同時に、どちらからともなく口づけていた。

 

「…………ん」

「…………」

 

 これまでに感じたことのない甘い感触で頭の中が満たされる。

 目を閉じていても、彼女のことが手に取るようにわかる。

 胸の高鳴りや周りの喧騒すらも心地良い。 

 恋人じゃない二人が初めて交わしたキスは、止めどなく溢れる涙の味がした。



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You Pray,I Stay

「…………」

「…………」

 

 駅に行く途中も、電車の中も、のんびり歩くこの時間も、二人は黙ったままだった。

 街のそこかしこに祭りの賑わいの

 唇はまだほんのり温かく、しっかりと感触が残っていた。

 ……本当に、キス……しちゃったんだ……。

 少しだけ前を歩く彼の背中を見つめながら、自分の唇をそっと指で撫でてみる。

 どっちから、だったかなぁ?

 何度思い出してもはっきりしない。

 というより……感触だけしっかり残っているのに、キスしたという事実がはっきりしない。

 …………何だか、顔が熱くなってきちゃった。

 このままじゃいられないと思ってしまった。

 私は湧き上がる感情のまま、八幡君の服の袖をつまみ、立ち止まる。

 彼は驚いた素振りも見せず、黙ったまま、いつもの瞳を向けてきた。

 何を言おうか考えてなかったから、頭の中に浮かんだことをそのまま口にする。

 

「キス……しちゃったね……」

「……ああ」

「…………」

「…………」

 

 やがて、真正面に向かい合う。彼の家はすぐ傍にあった。

 でも、それすらも気にせずに、じぃっと見つめ合う。

 揺れる感情の波が瞳に伝わっている気がした。

 それを見られたくなくて、目を閉じ、彼を待つ。

 

「…………」

「…………ん」

 

 再び私達の唇は重なった。

 一回目とは違うはっきりした感触。さっきより少しだけ馴染んだ感触。

 ずっとこのままでいたい……なんて思ってしまう。

 いつからか、私はずっとこの瞬間を待っていたのだから。

 もちろん永遠なんてなく、キスはゆっくりほどけていき、また揺れる瞳を見つめ合った。

 

「は、八幡君……」

「?」

「もう一回……いい?」

「……で、できれば……中に入ってからの方が助かる」

 

 彼はそっぽを向いて、頬をかいた。

 

「あはは……そう、だよね。ごめ……ん」

「…………」

 

 今度は強めに抱き寄せてからの強引なキス。

 私の後頭部に添えられた彼の手が、やけに熱かった。

 

「……ことり」

「なぁに?」

「……何でもない。ただ……小町も母ちゃんも親父もいなくて、二人きりだから……」

「……うん」

 

 *******

 

 シャワーから降り注ぐ、少し熱めのお湯に打たれながら、これから起こる何かについて考える。

 穂乃果ちゃんや海未ちゃんとも話したことのない何か。

 そう考えると、やっぱり私も含め、μ'sってかなりピュアだったのかも。

 ……もっと……ずっと先のことだと思ってた。

 自分がこんなにも早く誰かに強く惹かれるなんて……。

 

「……八幡君」

 

 彼になら、今あげれるものは全部あげたい。私自身でさえも。

 でも、これ以上……私の中で彼の存在が大きくなっちゃったら……。

 それだけが……気がかりだった。



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となりでねむらせて

 一人ぼっちの部屋で、深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着かせる。

 何度も自分に問いかけた。

 後悔しないか。

 彼女を諦めきれなくなるんじゃないか。

 これまでに何度もしてきた自問自答が倍速で頭の中を駆け巡った。それくらいに、この一線を越えることは、二人にとって大きな意味を持つ。

 俺は……

 そこで思考を断ち切るようにドアがゆっくりと開く。

 

「お待たせ……」

「あ、ああ……」

 

 パジャマ姿のことりが、おそるおそる顔を出し、強がるような笑みを向けてきた。

 そして、確かめるように一歩一歩足を踏み入れ、やがて隣に腰を下ろす。ベッドの軋む音がいつもより大きく二人きりの部屋に響いた。

 

「えと……あの……」

「…………」

「わ、私……今日初めてキスして……それで……こういうことも初めてで……だから……」

「…………」

「優しく、してね?」

「……ああ」

 

 短く頷き、ことりの肩に触れる。

 少しビクッと震えたのに気づいたが、そのままキスをした。

 回数を重ねる毎に、彼女の唇がどんどん馴染んでいく。

 そこで俺は、他の部分の感触を確かめたくなり、口づける場所を頬やおでこに変えた。

 

「な、なんか恥ずかしいよ」

「普段はそっちの方が大胆なんだが……」

「むぅ……あれは結構頑張ってたんだよ?八幡君、私に興味ないと思ってたし」

「……いや、そんなことはない。まあ、あれだ……少しシャイなだけだろ」

「少し……かなあ?……っ」

 

 首筋にキスをすると、ことりの鼓動が伝わってくる気がした。

 

「少し……だよ。それに、お前に興味ないわけない」

「ふふっ、ありがと……ん」

 

 今度はことりの唇が首筋に押しつけられる。柔らかな感触に意識を集中させていると、今度は湿ったざらついたものが首筋をのろのろ這い始めた。

 

「……びっくりした?」

「ああ……最高すぎて」

 

 右手でことりの頭を撫で回し、やがて空いた左手で、上着のファスナーを下ろす。

 心臓がバクバク高鳴るのを必死に宥めながら、丁寧に下ろし、淡い緑色の下着に目を奪われる。

 

「……エッチ」

「え?この状況でそれ言う?」

「し、仕方ないよぅ……初めてなんだし……そろそろ、電気消して欲しいな」

「ああ……」

 

 こういう時のスマートな立ち振る舞いなど初めから無理だとわかっていたので、せめて気持ちだけは落ち着け、彼女を優しく受け止めるべく、深呼吸して明かりを落とした。

 

「……じゃあ……ことり」

「ニャ~」

「いや、ニャ~って……」

「私じゃないよ?」

「…………」

 

 もしやと思い、再び明かりをつける。

 

「ニャ~!」

「ニャ~」

「……カマクラと……何だ、もう一匹は……」

「カマクラちゃんの恋人、かな?」

「……お前らはいつからいたんだよ」

 

 カマクラと何処から来たかもわからない猫の頭を順番に撫で、ことりに目をやる。

 最初はポカンとしていた彼女も、やがて笑い始めた。

 

「ふふっ、何だかなぁ……」

「……まったくだ……ことり」

「なぁに?」

「……その……リビングで、コーヒーでも飲むか?」

「うん、この子達の邪魔しちゃ悪いもんね」

 

 ことりは立ち上がりながら、上着のファスナーを上げた。それと同時に、何かが断ち切られた気がした。

 俺はそれを誤魔化すように何とか口を開いた。

 

「……ソファーで並んで眠るのも、たまにはいいだろ」

 

 ことりは振り返って、やわらかな微笑みを見せてくれた。



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It's Raining…

 ソファーに並んで、お互いの肩にもたれ合いながら眠った夜。

 私達はずっと手を握り合っていました。

 明かり一つ点けず、時折聞こえてくる誰かの歩く音や、車の音を聞き流しながら。

 気が向いた時に、手探りでお互いの輪郭を確かめ合い、キスを交わしながら。

 そして、気がつけば眠りについていました。

 夢の中では、二人は並んで歩いていました。

 懐かしい寂れた街並みを。

 見覚えのある賑やかな街並みを。

 少し広い公園を。

 誰もいない砂浜を。

 雪の降り積もった細長い道を。

 どこまでも、どこまでも歩いていました。

 

 *******

 

 外はどしゃ降りの雨がざあざあと絶え間なく音を立て、窓の外はまだ夕方なのに、深夜のような暗闇だった。

 ぼーっとしていたけど、携帯が震え、画面を確認してからの自分の動作は驚くほど速かった。

 

「久しぶり」

「……おう」

「どうしたの?」

「いや、声がちょっと怖いんだが……」

 

 季節は秋になり、10月もあと少しで終わりを迎える頃、私は八幡君と1週間ぶりに電話で話していた。

 理由は、単純に忙しかったから。

 この時期になると仕方ないと頭で理解していても、やはり声すら聞けないことは不満で、ついついワガママになってしまう。あぁ、ダメだなぁ……。

 

「寂しかったんだよ?」

 

 それでも、つい言葉にしてしまう。

 すると、彼は途切れがちに口を開いた。

 

「……俺も、その……寂しかった……むしろ、俺の方が……寂しいまである」

「……ふふっ、それはどうかなぁ?」

「何だよ。何ならどんだけ寂しかったか、今から5時間みっちり語ってもいいんだが」

「そ、それは遠慮しとこうかな……」

「まあ、そっちは元気そうだな」

「八幡君も。1週間連絡取らなかっただけで、こんなに相手がどうしてるか気になるって、何だかおかしいね」

「……そうかもな」

「…………」

「…………」

 

 二人の間に沈黙が降りてきた。

 彼の吐息が、電話越しに耳をくすぐり、次の話題を催促しているように思える。

 そして、きっと彼も同じ事を考えている。

 決して居心地の悪い沈黙じゃなかったけど、私は素直な気持ちを口にした。

 

「……会いたいな」

 

 心からの本音。

 嘘では飾れなかった。

 今すぐにその温もりに包まれたかった。

 それだけでよかった。

 

「……俺も、そう思ってる」

「あはは……ごめんね?変なワガママ言っちゃって」

「いや、別に……ああ、悪い。誰か来たから、また後で連絡する」

「うん、じゃあまたね」

 

 通話はすぐに途切れ、私はしばらく画面を見つめていた。

 雨はまだ止みそうになかった。



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闇の雨

「はっ……はっ……」

 

 秋葉原駅の改札を駆け抜け、真っ暗闇のどしゃ降りの中、俺は全力で走る。

 道がここで合ってるのかすらわからなくなり、不安が胸を掠めるが、自分で傘も持たずに来た自分の用意の足らなさを責める時間すら惜しかった。

 時折すれ違う帰宅途中のサラリーマンや、男女の二人組とかに、驚きの目を向けられたが、それすらもどうでもいい。

 ことりに会いたい。

 ただそれだけだった。

 この雨を、夜を、あと少しだけ走り抜ければ、きっと会えるから。

 やがて、見覚えのある家が見えてきた。

 ポケットからスマホを取り出し、ことりを呼び出してみる。

 彼女はすぐに出た。

 

「あ、八幡君?用事は済んだの?」

「……今、家の前にいる」

「えっ?」

 

 二階のカーテンが開き、彼女が姿を見せた。

 そして、またすぐに俺の姿を見つけ、驚いた表情を見せる。

 

「ま、待ってて!」

 

 そこで通話は途切れたが、すぐに傘とタオルを持って出てきた。

 

「八幡君!」

「……おう……っ」

 

 真っ黒な傘の下で、顔面にタオルを押しつけられる。

 

「……どした」

「それはこっちのセリフだよ!何やってるの?風邪ひいちゃうでしょ!?」

 

 ことりの瞳は潤み、俺の髪をゴシゴシ乱暴に拭き始めた。その手の温かさに、彼女の優しさを感じ、走ってきた疲れなど、雨と共に流れていった。

 そのまま瞳をしっかりと見て、おもいつくまま口を開く。

 

「……悪い。どうしても会いたかった」

「それは……私もだよぅ……ごめんね?私がワガママ言ったから」

「いや、別に気にすることじゃない……多分、お前が言わなくても、勝手に来てた」

「ふふっ……じゃあ……ん」

 

 ことりの唇が、優しく自分の唇と重なり合う。

 夏祭り以来のキスは、不思議とすぐに体に馴染んだ。

 それは甘く優しく、雨で冷えた体を温めてくれているようだった。

 互いの唇が離れると、ことりはあたふたと慌てだした。

 

 

「は、はやくシャワー浴びないと!」

 

 しばらくそのままでいたかったが、俺はすぐに南家の浴室へと通された。

 

 *******

 

 熱いシャワーで体を温め、用意されていたジャージを着て、リビングに行くと、ことりが湯気の立ち上るカップ二つを手に、笑顔を見せてくれた。

 

「何つーか……いきなり来て、悪いな」

「もう謝らないで。その……私、嬉しいんだよ。ね?」

「……そっか。そういや雛乃さんは?」

「今日はお仕事で遅くなるの。だから大丈夫。それに八幡君ならいつ来ても大丈夫だよ」

「あ、ああ、ならいいんだが……」

 

 渡されたカップに口をつける。

 俺には少し苦めだが、程良い温かさが体に沁みた。

 

「…………あの」

「?」

「落ち着いたら、ちょっとお出かけしない?雨も小降りになってきたし……」

「別にいいけど……どこに行くんだ?」

「ついてくればわかるよ♪」

 



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今夜月の見える丘に

 外に出ると、雨はすっかり上がっていて、少し冷たく感じるくらいの風が吹いていました。

 彼は前を向いたまま、少しだけ顔を顰めている。

 

「……結構冷えるな」

「そうだね」

「さっきまで、ずぶ濡れになって走ってたのが嘘みたいなんだが。我ながら無理したな……」

「ふふっ、そうだね。無理しすぎだよ」

 

 並んで歩きながら、二人して雨雲の通り過ぎた夜空を見上げる。

 そこには、いつか見たような星空と、まんまるいお月様が輝いていて、私達の……いつか歩くそれぞれの道を照らしてくれている気がしました。

 

 *******

 

 しばらく人通りもまばらな夜道を歩き、最後に長い階段を昇ると、目的地に到着しました。

 

「着いたよ」

「ここは……」

 

 彼は目の前にそびえ立つ、古い建物を不思議そうに見ていた。

 その建物の名前は、音ノ木坂学院。

 私にとって大事な場所の一つ。

 多分、ここに通っていなかったら、彼とも出会っていなかったと思う。

 だからこそ、彼をここに連れてきたかった。

 

「どう、かな?」

 

 私の問いかけに、彼は眉一つ動かさずに答える。

 

「……なんか出てきそうだな」

「もう、そういうこと言わないの!」

 

 イジワルなんだから……。

 確かに、この時間に一人じゃ絶対に来ないけど……。

 

「さ、早く行こ!」

「は?大丈夫か?」

「うん!誰もいないし、鍵は持ってるから♪」

「お、おう……」

 

 お母さん、ごめんなさい。今度、美味しいケーキ買って帰るからね。

 私は苦笑している八幡君の手を引き、校舎へと忍び込んだ。

 

 *******

 

 夜の校舎は、当たり前だけど真っ暗で、のっぺりとした暗闇が、どこまでも続いてる気がした。これは、絵里ちゃんじゃなくても恐いよね……。

 八幡君も気が進まないのか、キョロキョロと辺りを見回すだけで、その場から動こうとしなかった。

 

「どこ行く?そろそろ帰る?」

「さり気なく帰ろうとしてない?」

「…………」

 

 あっ、図星だ。

 こういうところは出会って1年以上経った今も、全然変わらない。

 ここはエスコートする場面じゃないかなあ?

 まあ、こっちの方が八幡君らしいんだけど。

 

「もう……ダメだよ?」

 

 私は彼の腕に自分の腕を絡ませる。

 

「……ここで私を一人にするの?」

「ぐっ……」

 

 ここで、彼の瞳をじっと見つめ、気持ちを込める。

 

「……八幡くぅん……」

「わ、わかった。わかったから……」

 

 観念してくれた♪

 ここまで来て引き返す心配もあまりないと思うけど。

 

「ふふっ、こっちだよ」

「腕は組んだままなのかよ……」

「もちろん♪」

 

 彼はそう言いながらも、決して振りほどこうとはしなかった。

 むしろ、夜風に冷やされた私の体を温めてくれている気がした。

 

 *******

 

「はいっ、ここがアイドル研究部の練習場だよ♪」

「……結構広いな」

「うん。だから、それぞれに別れて練習できるんだよ」

「そっか」

 

 彼と一緒に、音ノ木坂の屋上を踏みしめる。男の人がここに来たのは初めてかも。

 そんな事を考えながら、私は塔屋の梯子を登り、八幡君を手招きした。

 

「八幡君、はやくはやく!!」

「ちょっ、お前、大声出すなっての……」

 

 意外なくらい慌てた彼は、急いで梯子を登り、私の隣に座る。

 

「「…………」」

 

 二人で眺める景色は、濡れた宝石のように、光があちこちに滲んで、いつもとは違う彩りを見せていた。

 彼の肩にもたれかかると、彼も同じように、自分の頬を当ててくる。

 それだけで、体温以上に心が温かくなる。

 この夜風の冷たさも、二つの体が寄り添う口実になるのなら、とても素敵なものに思えた。

 

「なあ、ことり……」

「なぁに?」

「……いや、何でもない」

「ふふっ、どうしたの?ん……」

 

 彼から不意打ちのキスをされる。

 最初は驚いたけど、次は私から唇を重ねてみた。

 今夜はしばらくこうしていると思う。

 唇も、影も、心も、全て一つにしていたいから。

 そう、今夜だけ……今夜だけでいいから……。



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SKY ROCKET

 ことりの家に戻った俺達は、シャワーを浴び、そのまま同じベッドで眠った。特に何をするでもなく、家に帰り着いたら、そのままベッドに寝転がり、他愛ない話をしている内に眠りに落ち、二人で朝を迎えていた。

 今までのどんな朝の陽射しよりやわらかかったが、風は少し冷たく、寝起きの頭の中はあっという間に覚めてしまった。

 

「……朝、か」

 

 隣に目を落とすと、ことりはすやすやと安らかな寝息を立てていた。

 その柔らかな頬に手を触れると、気持ちよさそうに頬を緩めた。

 こんな朝も……いや、今は考えなくてもいいだろう。

 しばらくそうしていると、ことりが頬をもごもごさせ、うっすらと瞼を開いた。

 

「ん…………はちまん君?」

「……おう」

 

 彼女はゆっくりと起き上がり、女の子座りになり、とろけるような笑顔を向けてきた。まだ意識が半分くらい夢の中にいるみたいだ。

 

「ん~……ふふっ、おはよ~♪」

「おはよう……」

 

 さらさらの髪をわしゃわしゃ撫でてやると、気持ちよさそうに目を細め、されるがままになっていた。この子、また寝ちゃいそうなんですけど……。

 

「ねえ、八幡く~ん……」

「どした?」

「…………ん」

 

 ことりは目を閉じ、ヒナ鳥のように唇をこちらに向け、何かを待っている。

 その何かはすぐにわかったので、そっと彼女に近づき、唇を重ねる。

 それだけで、幸福の色をした朝の光に、そのまま溶けていきそうだった。

 

 *******

 

 身支度を整えて部屋を出ると、リビングのテーブルには、メモが1枚置かれていた。

 

『昨日はお楽しみだった?』

 

「「…………」」

 

 差出人は言うまでもない。

 二人して苦笑しながらメモを見つめる。

 

「もう、お母さんったら……!」

「……もしかして、学校に忍び込んだのも知ってるかもな」

「うん……そんな気がしてきた」

「まあ、いいんじゃねえの?たまには羽目を外せってことだろ」

「そうなのかなぁ?」

「ああ。うちの家族が俺が遅刻しそうでも起こさないのとか、きっとそういうメッセージが込められてんだろうし」

「それは違うと思うけどなぁ」

 

 話している内に、今日やりたい事が頭の中にふわふわ浮かんできた。  

 

「なあ、ことり。その……一応聞くが今日は空いてるか?」

「うん、もちろん!」

「じゃあ…………行くか」

「うん……」

 

 *******

 

 今日は特に行き先を決めずに、思いついた場所を散策してみることにした。

 思い出をなぞるように、見覚えのある道を歩き続けた。

 

「……ここ、結構歩いてるよな」

「二人で手を繋いで走った事もあるよね」

「ああ、何でかわからんけど……あっちの方賑やかだな」

「じゃあ、行ってみる?」

「……ああ」

 

 秋葉原の中心地では、何やらイベントが行われているらしかった。 

 街は色とりどりの飾りつけで華やかに彩られ、コスプレをした人々があちこちにいた。 

 

「ベル君、ベル君!あっちの建物に入ってみようぜ!」

「か、神様、危ないですよ!ここがどこかもわからないのに!」

「はあ……ヘスティア様の様子からして、多分心配ないというか、あの方が何か知ってる気がするのですが」

「まあ、そう言うなリリスケ。主神様がああいってるんだから、俺達も付き合うしかないだろう」

「何故でしょうか。この街には懐かしい感覚が……」

「私も同じですわ……」

 

 やたら気合い入ったコスプレイヤーを横目に、いつもと違う秋葉原の街を2人で並んで歩く。

 そこで、ことりが何か思い出したように、「あっ」と言いながら手を叩いた。

 

「そういえば、今日はμ'sのメンバーがイベントに参加してるよ」

「多分、あれじゃないのか?」

「あっ、本当だ!」

 

 路上のステージでは、μ'sの1年生……今は2年生か……メンバーが、ハロウィンっぽい小悪魔や天使のコスプレをして、歌い踊っていた。

 

「皆、可愛い♪」

「出なくてよかったのか?」

 

 俺の言葉に応えるように、ことりはぎゅっと手を握り返してきた。

 

「今は……ここにいたいかな」

「そっか」

 

 普段なら顰め面で通り過ぎるような賑わいも、彼女と一緒なら、ゆっくり観ていられる。自分の中で知らず知らずの内に作り上げていた壁も飛び越えていける。

 パレードは陽が傾くまで続き、空の向こう、遥か彼方まで、祭りの音を響かせていた。

 

 *******

 

 空が朱く染まり始めた頃、俺達は駅の改札にいた。

 

「来てくれてありがとう」

「いや、俺が来たかっただけだから」

「ふふっ、八幡君からそんな言葉聞ける日が来るなんて思わなかったよ」

「……それに関しては否定しない。まあ、こういうこと言う相手がいるからだろ」

「……ありがと。私も一緒だよ」

「…………」

「…………」

 

 訪れた沈黙は別れの合図のように思えた。

 

「じゃあ、また……」

「うん、またね……」

 

 改札を通り抜け、エスカレーターに乗り、彼女を振り返る。

 彼女はさっきと同じように、真っ直ぐに俺を見ていた。

 どちらもずっと見つめ合っていた。

 お互いに見えなくなるまで見つめ合っていた。

 見送るのは、これで最後だから。

 こんな風に笑顔で別れられるのは、これが最後だと心のどこかで気づいていたから。



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HOLY NIGHTにくちづけを

 冬が深まるにつれ、街の色は変わり始め、教室の中はどことなく慌ただしくなりました。私の通う学校も、この時ばかりは楽しいだけじゃなくなります。

 クラスの殆どは進学希望なので、普段は談笑している空き時間も、ノートや参考書と向かい合っています。

 穂乃果ちゃんは、海未ちゃんのつきっきりの勉強会のおかげで、成績もぐんと上がり、目標の大学まで手が届く範囲になりました。昔っからやれば出来るんだよね。

 そんな頑張り屋な穂乃果ちゃんは、机に突っ伏して、大きな溜息を吐き、疲れた声でぼやく。

 

「はあ……そろそろクリスマスだねぇ」

「何を言っているのですか。受験生にクリスマスなどありません」

 

 にべもない海未ちゃんの言葉に、穂乃果ちゃんはがばっと体を起こした。

 

「ええ~!じゃあ、クリスマスパーティーは!?クリスマスプレゼント!は?クリスマスケーキは!?」

「ありません。成績が上がったからといって油断は禁物です。あなたはまだ合格ラインギリギリなんですよ?」

「うぅ……海未ちゃんの意地悪~……」

 

 クリスマス……かぁ。

 私の胸の中には、何とも形容しがたい感情が渦を巻いていました。

 長かったような、短かったような時間……。

 もうじきそれが終わりを告げようとしています。

 私は……

 

「ことりちゃん?」

「どうかしたのですか?

「え?あ、何でもないよ。あはは……」

「「…………」」

 

 いつの間にか2人からじっと見つめられいて、つい言葉に詰まってしまう……もしかして、バレちゃってるのかなぁ?

 

「ことり」

「ことりちゃん」

「な、なぁに?」

「……いえ、今はやめておきます」

「だね」

「……もう」

 

 やっぱり、バレてる……。

 私の考えている事なんかお見通しな二人に苦笑しながらも、頭の中にはただ一人がずっと浮かんでいた。

 

 *******

 

 その日の夜、彼から電話がかかってきた。

 

「……もしもし」

「今、大丈夫か?」

「うん、大丈夫だよ」

「その…………」

「…………」

「クリスマス、空いてるか?」

「ふふっ……その確認、昨日もしたよ。大丈夫」

「あ、ああ、悪い……つい、な」

「あの……」

「?」

「クリスマスイブに私の方からそっちに行っていいかな?」

「別にいいけど、どうかしたのか?」

「うん。出来るだけ、全部見て回りたいから」

「……そっか」

「じゃあ、また明日も電話するね」

 

 短い通話が終わり、ぽっかりと穴が空いたような沈黙が、彼の忙しさを伝えてくる。

 彼に倣い、私も当日に最後まで楽しめるよう、フランス語の勉強を再開した。

 

 *******

 

 クリスマスイブ当日。

 駅の改札を抜けると、すぐそこに彼は立っていた。

 いつもなら携帯を眺め、気怠げに待っている彼が、真っ直ぐにこっちを見ていた。

 そのことが何だか嬉しくて、私はすぐに駆け寄り、その胸に飛び込む。彼は驚きながらもしっかり受け止めてくれた。

 

「っと…………元気だったか?いや、まあ、電話してたから、知ってるんだけど……」

 

 こういうのにいつまでも慣れない、彼しいぎこちなさに、ついつい頬が緩んでしまい、背中に回した腕にも力が入る。しばらくこうしていたかった。

 

「……もしもし、ことりさん?そろそろ動きたいんですが」

「あったかいから、もう少しこのままで……」

「……そっか」

 

 八幡君も私の背中に腕を回し、しばらくの間、周りの目も気にせずに、そのままでいた。

 

 *******

 

 やがて歩き出し、まず向かったのは、彼の通う総武高校だ。

 去年の9月、私と彼が初めて出会った場所。

 ほんのちょっとの気まぐれが生んだ、忘れられない大切な出会い。

 

「懐かしいね。あの時以来、かな?」

「まあ、二人で来る機会なんてなかったからな。それに、この前みたいなのがないかぎり、デートで学校に行こうとは思わんからな」

「ふふっ、そうかも。でも、放課後に校門の前で待ち合わせとか、一回くらいしてみたかったなぁ♪」

「いや、家にいてくれたほうが真っ直ぐ帰れるから楽でいい」

「あー、八幡君らしい答えだね」

「まあ、何つーか、ほら……すれ違ったりしたら困るだろ?」

「はいはい。そういうことにしておくね」

「……入ってみるか」

「え、大丈夫なの?」

「まあ、こっそり入るくらいなら」

「ふふっ、まあ八幡君がそう言うなら信じるよ」

 

 彼の後をついて行き、裏庭側の壊れた門を開けて中に入ると、そのまま人目につくことなく、校舎へと侵入できた。

 

「ほ、本当に見つからなかったね……」

「まあ、ボッチ生活慣れるとこういう技が身につくからな、お互いに」

「……今、さり気なく私までボッチ扱いされたような気が……しかもあんまり関係ないよね」

「こっちだ」

「あ、うん!」

 

 *******

 

「わぁ、こんな眺めだったんだね」

 

 あの時は景色を見る余裕なんて全然なかったからなぁ。

 まだ夏の名残が残っていたあの時とは違う、冷たい風が頬を撫で、改めて彼との出会いから時間が経った事実を思い知らされる。

 総武高校の屋上から見下ろす千葉の街並みは、どこかクリスマスの賑わいに染まっている気がした。

 そして、八幡君の方から口を開く。

 

「……ありがとな」

「え?」

「いや、何つーか……お前が声かけてくれなかったら、今こうして一緒にいないし……」

「ど、どうしたの?ふふっ、今日の八幡君……なんだか可愛い♪」

「…………ほっとけ」

 

 彼はぷいっとそっぽを向いたけど、耳まで真っ赤になってるから、あまり意味はないみたい。

 

「八幡君」

「?」

「こっちこそ……ありがと」

「……別に、俺は何もしてない。座ってただけだし」

「照れてる?」

「つ、次行くぞ」

「ふふっ、はいはい♪」

 

 こうして、私達はじっくりと千葉での思い出を辿り、新しい思い出を刻んでいった。

 

 *******

 

 彼の家に着く頃には、もうすっかり暗くなっていた。

 小町ちゃんが気を利かせてくれて誰もいない状態の家は、ひっそりと静謐な空気が流れていて、そこに入り交じるように、何かが起こる前兆のような雰囲気があった。

 私は彼と手を繋いだまま、二階へと一歩一歩上がっていく。

 久しぶりに見た部屋は、記憶の中のままだった。 

 胸に宿る決意に身を任せた私は、ゆっくりとコートを脱ぎ、ペンダントを外し、彼に向き直る。

 

「……本当にいいのか?」

「うん。最初から決めてたから」

「……わかった」

 

 彼は切ない目で頷き、私をゆっくりとベッドに横たえ、灯りを消す。真っ暗な部屋の中にベッドの軋む音がやけに大きく響き、世界に二人だけしかいないような、甘くほろ苦い気分になる。

 

「八幡君」

「?」

「……キスして」

 

 火照りに身を任せ、彼と少し乱暴に唇を絡ませる。

 つぅっと糸を引くくらいに、互いの温もりを押し付け合い、熱い眼差しをぶつけ合う。

 窓の外、星も月も見えない夜空は、いつからか窓の外に雪を降らせ続けていた。

 そんな清らかな夜に、二人はただ口づけ合い、やがて一つになった。



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いつかのメリークリスマス

 目が覚めると、見慣れた天井が何故かいつもと違って見えた。

 窓の外はうっすら雲がかかっていたけど、雪はもう止んでいた。

 積もらなかった事に、ほっと安堵の息を吐く。電車が止まったら、今日の予定が全て崩れるところだった。

 隣に目を向けると、昨晩の事が嘘のように、ことりは可愛らしい寝顔ですやすや眠ったままだ。

 そっと、その陶器のように滑らかな白い頬を撫でる。

 そこには昨日の熱が、まだじんと残っているような気がした。

 そこで、彼女の瞼が微かに震える。

 

「……ん」

「悪い、起こしたか?」

「ん~?……ふふっ、大丈夫だよ。おはよ~」

 

 まだ寝ぼけ眼のことりは、とろけるような甘い声で、朝のぼんやりした部屋を彩る。

 俺は頬に添えた手を、彼女の頭の上に移動させ、さらさらと柔らかな髪を撫でる。

 

「……おはよう」

「ねえ……」

 

 彼女の眠たげな瞳に、誘惑するような挑発的な色が宿った。

 薄紅色の小さな唇は、何かを欲しがるようにこちらへ向けられる。

 

「キス、して?」

「……ああ」

 

 まだ明けきれない空の鈍い色みたいにゆったりしたキス。

 どちらも離れるタイミングがわからず、しばらくそのままでいた。

 

「ふふっ、八幡君……昨日より積極的だね」

「……昨日はお前の方が積極的だったから、な」

「も、もう!恥ずかしいから止めて!」

「恥ずかしくねえよ……可愛かった」

「……ありがとう」

 

 その春の陽射しのような笑顔に心が温かくなるのを感じながら、しばらくぼんやりした幸せに、二人で笑い合った。

 

 *******

 

 秋葉原の街に着いた途端、再び雪が降り始めた。積もるかどうかは分からないが、今はどうでもいい。こうして、ことりの手を握って歩いていられるのなら。

 

「海に行くのもよかったかも」

「……人がいないからな」

「そうじゃなくて。でも、またずぶ濡れになっちゃいそう」

「この時期にあんなことしたら凍死するぞ……」

「その時は温めあえばいいんじゃないかな。人肌で」

「……聞こえなかったから、もう一回言ってくれ。頼む。お願いします」

「言~わない♪」

「…………」

「そこまで切なそうな顔しなくても……」

「いきなりそんなこと言うからだろうが……」

「ふふっ、じゃあそろそろ御飯食べよ」

 

 そう言って、彼女は俺の手を引き、歩き出した。

 

 *******

 

 ことりが同級生から聞いたカフェに入ると、聞き覚えのある声で「いらっしゃいませ!」と声をかけられる。

 

「あれっ、ミナリンスキーさんだ!」

「マユミちゃん!どうしたの?」

 

 そこには、ことりがメイド喫茶に務めていた時の同僚のマユミさんがいた。

 彼女はこの店の制服に身を包んでいる。

 

「あー、実は私……メイド止めたんですよ」

「どうして?」

「メイドは大切な人のためだけにすることにしたんです」

「え?」

「じ、実は私……義輝く……剣豪将軍さんとお付き合いしていまして……」

「「…………」」

 

 何……だと……。

 あ、あいつ……そんなこと一言も……いや、別に興味ないし、言っても信じないけどね。

 とりあえず頬をつねってみる。うん、誠に遺憾ながら現実だ。

 俺達は、幸せそうに働くマユミさんを横目に、のんびりと食事した。

 

 *******

 

「あー、びっくりした。結局、ドッキリの札持った奴出てこなかったな」

「そ、それは仕方ないよ。ずっと前から好きだったんだし」

「ああ、そういやそうだったな……」

「そう言いながらも、八幡君嬉しそうだよ。やっぱり友達の幸せなニュースだもんね」

「いや、友達とかじゃないから止めてくんない?」

「ふふっ、私に嘘ついても無駄だと思うよ?」

「……かもな」

 

 お互いに全て曝け出したわけだし……。

 ことりは悪戯っぽく笑いながら、何か思いついたように掌をポンと打った。

 

「ねえ八幡君、クリスマスプレゼント交換しない?」

「別にいいけど、どんなのがいいんだ?」

「……ん~、今から決めよ?」

 

 一瞬だけ……。

 ほんの一瞬だけ彼女の笑顔が曇ったのに気づいてしまった。

 きっと気のせいなんかじゃない。

 でも、今は……今だけは……。

 

「どうかしたの、八幡君?」

「……いや、行こう」

 

 *******

 

 そうこうしている内に、やがて夜の帳が下り、街はクリスマスの灯りに満たされていく。

 俺とことりは、昨晩からライトアップされている大きなクリスマスツリーの前にいた。

 

「わあ……」

「…………」

 

 その大きなクリスマスツリーは、色とりどりの灯りで周囲を彩っていた。

 幾つもの幸せそうな笑顔も、寂しそうな横顔も、疲れた背中も、等しく照らし出し、この街をクリスマスに染め上げていた。

 ことりの横顔にちらりと目を向けると、儚げな微笑みが、これまでのどの彼女よりも切なく、哀しく、美しく彼女を飾っていた。

 ただ、その横顔に涙はなかった。そのことに、少しだけほっとする。

 彼女はツリーの頂点の星を見上げたまま、ゆっくりと口を開く。

 

「ねえ、どうだった?」

「……何がだ?」

「この1年くらいのこと」

「……俺らしくない言い方かもしれんが、魔法みたいだった。まあ、その……楽しかった……」

「ふふっ、本当に八幡君らしくないね。でも、そう思ってくれて嬉しいよ」

「……そっか」

「私達、友達に戻れるのかなぁ」

「……さあ、な」

「受験結果くらいは教えてね」

「ああ、当たり前だろ……友達になるんだから」

「そう、だね。大丈夫……だよね」

 

 自然と向かい合い、じっと見つめ合う。

 二人の間に流れる空気が変わるのを感じた。

 彼女の瞳は僅かに潤み、俺の心の奥の方を濡らした。

 

「ねえ、八幡君…………思いきり、抱きしめて……」

「ああ……」

 

 彼女の体をそっと抱き寄せる。

 甘い香りが冬の冷たい風と絡み合い、ふわふわと俺達を包み込む。

 そして、ゆっくりと唇を重ねた。

 

「…………」

「…………ん」

 

 最後のキスは、甘やかな熱を心に灯し、あとはそのまま抱きしめ合った。

 一つになりそうなくらいに抱きしめ合うと、やわらかな感触が胸を締めつけた。

 やがて、お互いの温もりを心にしっかりと焼き付けながら、まだ足りぬという想いを何とか引き剥がし、二人の体は離れていった。

 そのまま二人は振り返らなかった。

 一歩一歩彼女の足音が遠ざかる。

 その音は人混みの中でもはっきり聞き分けられた。

 振り返るな。

 約束したから……。

 俺は歯を食いしばり、視線を前に固定する。行き交う人波も、白く染まる街並みも、さっきとは別物に見えた。

 それでも俺は進む。ただ前へと。

 やがて、彼女の足音は聞こえなくなった。

 

 *******

 

 立ち止まり、辺りを見回す。駅に向かう筈が、何も考えずに歩いていたら、知らない場所まで来てしまったみたいだ。

 さっきよりどんよりした夜空を見上げ、はらはら舞い落ちる雪を眺めていると、誰かが足早に傍を通り過ぎた。

 その顔は、溢れる喜びを堪えきれないようだった。

 今から大切な誰かに会うのかもしれない。

 多分、俺もさっきまで似たような表情をしていたはずなのだ。

 だからこそ涙は流さない。

 今日までのことをずっと忘れない。

 俺は……俺達は間違いなく幸せだったのだから……。

 



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泣いて泣いて泣きやんだら

「……ん」

 

 目が覚めると、やっぱりまだ自分の体が自分じゃないような感覚がする。具合が悪いとかじゃないのに……。

 あの日から早くも一ヶ月が経ちました。

 彼とは……八幡君とは、年末年始に挨拶のメールを交わしただけで、電話はかけていません。

 ……まだ早いよね。

 自分によくわからない言い訳をしながら、私は彼の温もりを思い出す。

 唇を指で撫でると、そこにはまだ確かな感触が残っていた。最後に見た彼の小さな笑みも頭の中に焼き付いて、心をひりひりさせる。

 

「……もう、終わっちゃったんだよね」

 

 私は振り返らなかった。

 それは彼も同じ。

 涙を流さなかった。

 それもきっと同じ。

 だから……彼と同じように私も前を向かなくちゃ。

 そこで、コンコンとドアがノックされる。

 返事をすると、お母さんがひょこっと顔を出した。

 

「おはよ、今起きたのね。お客さんが来てるわよ」

「え?」

 

 お母さんの言葉のすぐ後に、穂乃果ちゃんと海未ちゃんが現れる。

 

「おっはよ~!ことりちゃん!」

「おはようございます。珍しいですね。こんな時間まで寝ているなんて。そろそろ卒業だからといって、あまりだらだらしていはいけませんよ」

「ふ、二人共、どうしたの?今日は勉強してるんじゃ……」

 

 私の言葉に、二人は顔を見合わせ、微笑みを向けてきた。

 

「ここのところ、勉強してばかりでしたかりね。たまには休憩を挟まないと、捗るものも捗りません」

「うんうん。さすが海未ちゃん、良いこと言うね!」

「穂乃果は明日からさらに勉強してもらいますけど」

「え~!?」

「当たり前です!いくら成績が上がったからといって、油断していると泣きをみますよ!」

「は~い……鬼軍曹」

「何か言いましたか?」

「あはは……海未ちゃん、もうそのくらいで……ほら、穂乃果ちゃんも毎日頑張ってるし……」

「まったく、ことりは穂乃果に甘いんですから……」

「じゃあ、ことりちゃん。早く着替えて。久しぶりに三人で出かけよ?」

「え?出かけるって、何処に?」

 

 私がポカンとしながら聞き返すと、海未ちゃんは優しく笑いながら、私の肩にそっと手を置いた。

 

「目的地は特にありませんよ。三人で出かけるのが目的なんですから」

「うん、たまにはぱーっと息抜きをしないとね♪」

「え?でも……」

「ことり」

「え?」

「私にはことりのような経験はないので、気の利いたことは言えませんが、それでも……あなたを元気づけたいのですよ」

「……海未、ちゃん」

「ことりちゃん……もう、素直になっていいんじゃないかな?」

 

 海未ちゃんと穂乃果ちゃんの言葉が、じんわりと胸の中に染みこんでくる。

 そして、頬に何か温もりを感じた。

 それが涙だと気づくのに時間はかからなかった。

 

「ことりちゃん……」

「ことり……」

「ごめんね。少しだけ……」

「少しだけじゃダメだよ。思いっきり泣いていいから」

「ええ。今日は一日中傍にいますから、遠慮しないでください」

「うん……うん……うっ……うっ……うわあああああん!!!」

 

 私は、涙の向こう側に見える愛しい背中を見つめながら、久しぶりに声を上げて泣いた。

 一ヶ月ずっと溜め込んだ分だけ泣いた。

 ごめんね、二人共。

 ごめんね、八幡君。

 これで、泣くのは最後だから……。



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恋じゃなくなる日

「八幡……八幡……?」

「…………」

「八幡ってば!」

「……え?あ、ああ、悪い……どうかしたか?」

 

 いかん。どうやらぼーっとしていたようだ。

 何度か瞬きをして、目の前を見ると、天使のような怒り顔の戸塚が目の前にいる。笑ってても怒っても天使とか、戸塚マジ天使。

 そんな何度目になるかわからない当たり前の事実を確認していると、戸塚は心配そうな表情を見せ、俺の前の席に腰を下ろした。

 

「どうかしたか、じゃないよ。八幡ってば最近ぼーっとしてばっかだよ?もしかして具合悪い?」

「……いや、大丈夫だ。まあ、あれだ……正月ボケというか……」

「もう新年始まって一ヶ月だよ。センター試験も終わったし」

「……ああ、まあ大丈夫だ。戸塚、今度テニスやろうぜ」

「や、やっぱり八幡がおかしい」

 

 確かに。自分からスポーツやろうとか言い出すあたり、全然俺らしくない。

 まあ、何が原因かなんて、考えるまでもないのだが。

 

「…………」

「……どした?」

 

 じっと俺を見ている戸塚に尋ねると、数秒だけ目を伏せ、やたら真剣な瞳を見せた。

 

「八幡……何かあったら言ってね?」

「……ああ。てか、この時期に心配させてすまん」

「ううん、大丈夫。でも、本当に何かあったら言ってね」

 

 ……周りから見ておかしいのは昔からかもしれないが、今は方向性が違うらしい。いいか悪いかはわからんが。いや、どっちもよくねえよ。

 ……小町にも、ここ最近心配かけてたな。

 ふと窓の外に目を向けると、いつの間にか千葉の街が雪に白く染められているのに気づいた。 

 

 *******

 

 家に帰り、ベッドにごろりと寝転がる。

 ここ最近勉強している時以外は、ずっとこうしている気がする。

 何かを考えることもなく、音楽も流さずに、ただ天井を見つめるだけの空虚な時間。

 いや、本当は逃げているだけだと気づいている。

 瞼を閉じれば、暗闇の中に彼女の笑顔が浮かんでくるから。

 だから俺は真っ白な天井を見つめているのだ。

 

『私達、友達に戻れるかな……』

 

 ……しかし、いつまでも逃げてばかりもいられない。

 この一ヶ月、このタイミングをずっと掴めずにいた。

 まだ早い気がしたのも事実だ。

 だが、小町や戸塚に気を遣わせるのも違う。

 ……あいつと約束したから……。

 俺はゆっくりと通話を押し、彼女の声を待つ。

 

「……もしもし、八幡君?」

「……おう」

「…………」

「…………」

 

 お互いに言葉を探す沈黙。

 不思議と居心地の悪さはなく、ただ声を聞けたことに、俺は心の底から安堵していた。

 それまで抱えていた不安は、あっという間に溶けてなくなった。

 

「……あー、その、元気か?」

「うん。そっちは?」

「まあ、ぼちぼちだ……」

「ぼっち?」

「ああ、相変わらずぼっちで……おい」

「ふふっ。ごめんね。久しぶりにからかいたくなっちゃった」

「いや、いいんだけどね……」

「センター試験、どうだったの?」

「自己採点の結果はまあ大丈夫だ」

「そっか」

「……そっちはどうだ?」

「こっちはもうフランスに行くだけって感じかな」

「……そっか」

「…………」

「…………」

 

 また沈黙が訪れる。

 微かな吐息の音が聞こえ、お互いの何かを確かめるような気配。

 もしかして、まだ早かったということだろうか。 

 

「…………ふふっ」

「?」

 

 突然吹き出したことりに、ついポカンとなってしまう。

 

「もう、八幡君硬すぎ……私達、友達、でしょう?」

「あ、ああ……」

「だから、その……あんまり考えずに、もっと普通にお話しよ?何でもない話でいいから」

「……そう、だな」

 

 その声の向こうの微笑みが見えた気がした。

 そして、その空想につられるように、こちらも頬が緩む。

 

「……じゃ、じゃあ、昨日……何食べた、とかは?」

「ふふっ、大丈夫だよ。昨日は……」

 

 *******

 

 気がつけば一時間ほど話し込んでしまい、どちらからともなく、自然な流れで会話を終えた。

 

「……じゃあな」

「うん…………またね」

 

 通話が途切れても、俺はしばらくスマホを耳に当てたままでいた。

 もしも……いつか、この感情を、この胸の高鳴りを恋と呼ばなくなる日が来るとしたら、その日は心の底から彼女と笑い合えるのだろうか。

 少なくとも、今は想像できなかった。したくなかった。

 しばらくすると、俺は約一ヶ月ぶりに深い眠りにしずんでいった。



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もう一度キスしたかった

 2月に入り、周りが受験で慌ただしくなると、いよいよ出発が近づいてきたことを実感します。春の訪れもすぐそこまで来ているようです。

 ちなみに、穂乃果ちゃん、海未ちゃん、クラスの皆……そして八幡君は試験を終え、あとは合格発表を待つだけみたいです。

 私は何ともいえない気持ちで、ごろりとベッドに寝転がり、真っ白な天井を見つめた。

 時計を見ると、すっかり11時を過ぎているのに、目を閉じる気にはならなかった。

 

「皆、合格してるといいわねぇ」

「うん、そうだね」

「皆とは最近連絡を取ったの?」

「この前、久しぶりに電話……お、お母さん!?」

 

 いつの間にか、お母さんが私の隣に腰を下ろしていた。

 

「やっと気づいたわね。ノックをしても全然気づかないんだもの」

「あはは……ご、ごめんね」

「いいわ。もうすぐパリに行くんだもの。色々思うところがあるのは当然よ」

 

 お母さんがさらさらと私の頭を撫でてくれる。

 子供の頃から馴染んだ感触に気持ちは落ち着くけど、流石にこの歳になると恥ずかしくもある。

 

「も、もう……お母さん、私、子供じゃないんだよ」

「私にとってはいつまでも子供だもの。パリに行ったら、こういうことが中々できなくなるから、ね?」

「…………うん」

 

 お母さんは何もかもお見通しな気がした。私の……私達の事も……。

 それでいて私の決断を温かく見守ってくれている。

 いつも優しい手の温もりは、それを伝えてくれていた。

 

 *******

 

 翌日、私はデパート内の本屋に来ていた。そのついでにウィンドウショッピングをしながら、いつもよりのんびり歩いていると、普段はない特設コーナーが目に入る。

 よく見ると、バレンタインデーに向け、可愛らしくラッピングされたチョコや、手作りのためのデコレーションや、大勢に配るための大きな箱に入ったチョコなどが置かれていた。

 そこを女子高生やカップルが家族連れが、楽しげに品比べをしている。

 ……そういえば、もうバレンタインデーなんだよね。

 自然と足が動き、目についた物を手に取る。

 

「あっ、このデコレーション可愛い……これも……」

 

 μ'sの皆やクラスメートに手作りを配りたいけど、これだけあると、目移りしてしまう。

 そこて、近くにいるカップルの会話が聞こえてきて、彼の顔を思い出した。

 バレンタインデーチョコ、かあ……ダメ、かなあ?

 でも、穂乃果ちゃん達に渡して、彼に渡さないのも不自然……だよね?うん、不自然だと思う!

 ……友チョコなら、渡してもいいよね。

 

 *******

 

 試験が終わり、まだまだ気は抜けないが、少しゆったりとした気分の今日この頃。このままソファーで寝転がり、一日中惰眠を……いや、さすがにもう……

 自問自答を始めかけたところで呼び鈴が鳴る。

 ……居留守……いや、出よう。

 のろのろと立ち上がり、モニターを確認してみると、そこには信じられない人物が映っていた。

 

「っ!」

 

 一気に意識が覚醒し、しかし現実と思えなくて、頭を振り、目をこすり、もう一度しっかり確認する。

 間違いない。

 何故?どうして?と疑問は尽きないが、急いで玄関へ行き、扉を開けた。

 するとそこには、いつものサイドポニーを風に揺らしながら、南ことりが立っていた。

 

「…………」

「…………」

 

 久しぶりとか、とりあえず寒いから中に入ればとか、色々言うべき言葉はあるのだが、頭の中がこんがらがって何も言えずにいると、彼女から先に口を開いた。

 

「……久しぶりだね」

「お、おう……」

「えっと……元気?」

「……ああ。そっちはどうだ?」

「わ、私は元気だよ。うん」

 

 少し前に電話で話したばかりなのに、1年ぶりに会ったかのようなぎこちなさに、お互い苦笑してしまう。

 

「あー……それで、今日はどうしたんだ、いきなり……」

「あっ……ほら、今日、バレンタインデーでしょ?だから……はい、友チョコ」

 

 友チョコという単語に心の中がチクリと反応したが、全力で無視して、普段の表情を心がけた。

 

「……そっか、何つーか、わざわざありがとな」

「どういたしまして。じゃあ、私はこれで……」

「……それなら……送る」

「え?だ、大丈夫だよ」

「いや、どうせ本屋に行くから。そのついでだ」

「ふふっ、じゃあ一緒に行こ?」

「ああ」

 

 心の焦りを悟られぬよう、でも少し急いで、丁寧に靴を履く。

 必死に搾り出した言い訳は、何のためだったのだろうか。

 そんな言い訳も、もうじき春の陽射しが温かく溶かしてくれるのだろうか。

 

 *******

 

 外は思っていたよりも風が強く、マフラーに口元を埋め、それでも時折彼女と会話をした。

 

「八幡君、少し痩せた?ちゃんとご飯食べてる?」

「ん?……ああ、あれだ。普段人と話さない省エネ生活してるからいいんじゃね?」

「大学生になってから心配だなぁ……しっかり食べなきゃダメだよ?」

「……了解。てか心配なのはそっちだろ。色々と」

「あはは……まあそうなんだけど」

「もし寂しくなったら、MAXコーヒー送ってやるよ」

「遠慮します」

「そっか」

「ふふっ、でも向こうに行く前に飲んでおこうかな」

「おう、飲んどけ」

「は~い」

 

 何てことのない話。

 しかし、たったそれだけで二人に自然な笑顔が戻った気がした。

 

 *******

 

 駅に到着し、改札の近くまで行ったところで、夢が覚めたみたいに周りの喧騒が耳に飛び込んできた。

 ことりは俺と正面から向き合い、穏やかな笑顔を見せた。 

 

「じゃあ、受験結果が出たら教えてね」

「……ああ。帰り、気をつけてな」

「うん、ありがと。じゃあ……ばいばい」

 

 その時、何を考えていたのだろう。

 彼女の言葉の間に、いつもと違う響きに、体が勝手に動いていた。

 俺は……彼女の細い腕を掴んでいた。

 振り返った彼女の目が、驚きに見開かれる。

 

「……こと、り」

「八幡君……」

 

 黙ったまま二人して見つめ合う。

 久しぶり触れた彼女の体温が、鼓動を激しく高鳴らせた。

 出会いの瞬間や、京都の風景、クリスマスの雪景色なんかが、頭の中をよぎった。

 だが……それ以上は何かに塞がれた。

 

「わ、悪い……」

 

 すぐに我に返り、手を離す。

 彼女は驚いた目を一瞬伏した後、再び穏やかな笑顔を見せた。

 

「大丈夫だよ……それじゃあ」

「……ああ」

 

 彼女は改札をくぐり抜け、エスカレーターに乗る。

 これまでだったら、背中が見えなくなってもしばらく見送っていただろう。

 しかし俺は、何かを振り払うように、すぐにその場を離れた。



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ゆうべのCrying~This is my truth~

 その日の夜、私は湯船の中で何度も彼の姿を思い浮かべました。

 

「八幡君……」

 

 彼に掴まれた腕には、じんじんと温もりが残っている。

 そこにそっと手を触れると、胸が締めつけられた。

 ……もう忘れなきゃいけないのに……でも……。

 あの瞬間、驚きと共に、微かな感情が湧いていた。

 喜び?期待?

 名前のつけようのない前向きな感情が生まれていた。

 あの場で違う言葉をかけられていたら……抱きしめられていたら……きっと私は……。

 私は頭をぶんぶん振って、甘い空想を振り払う。水滴が辺りに飛び散り、髪が額に貼りつく。

 そして、勢いのまま湯船に体中を沈めた。

 

 *******

 

 火照った体を冷ますように、窓を開け、夜風を浴びると、ようやく色々と現実味を帯びてきた。

 そして、一つの事実に思い至る。

 ……全然忘れられてないなぁ。

 あの時、本当はどんな瞬間が訪れて欲しかったんだろう?

 答えなんてわかりきっている。私だって……私だって……!

 

「八幡君の……ばか」

 

 何かを八幡君のせいにしながら、私は俯き、声を静かに涙を零した。

 このくらいは許してくれるよね?

 

 *******

 

「はあ……」

 

 頭を抱え、ベッドにうつぶせに倒れ込む。

 ……何をしてんだ、俺は。馬鹿じゃねえのか……。

 右手には、まだ彼女の体温や柔らかさが残っていた。最後の抱擁と同じくらい鮮明に。

 最早言い訳のしようもない。

 危うく約束を破るところだったのだ。

 彼女の儚げな笑顔を見ていたら……仮に今から時間を巻き戻しても、さっきみたいになっていたと思う。

 時間を巻き戻せたら、なんて考える日が来るなんて思わなかった。

 これまでは、自分なりに最善を選んできて、後悔などなかったはずだ。

 誤魔化しようのない気持ちは、理屈で押さえ込むこともできずに、ぐんぐん膨らんで頭の中を埋め尽くす。

 結局のところ、やっぱり俺は……

 そこで、思い出したように彼女から貰ったチョコレートの入った箱を手に取る。

 お洒落な包装を解いて、中を見ると、手作りのクッキーが入っていた。丸いシンプルなクッキーは、いつか見た満月に似ていた。

 一つだけ取り出し、しばらく見つめてから口に含むと、やたらと甘く感じた。

 

 *******

 

「ねえ、最近八幡……元気ないよね。何か理由があるのかな?」

「ふむ……我も人づてに聞いた話なのだが…実は斯々然々で……」

「……そっか……そうだったんだね……」

「我も詳細まではわからんが……」

「うん。教えてくれてありがとう。ていうか材木座君、彼女できたんだね。おめでとう」

「……けぷこん、けぷこん。では我はもう行くとしよう……」

 



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HURRY UP!

 また少し時間が経つと、受験生にとっては少し早い桜の時期。桜の咲いた俺は、その日の夜に彼女に電話した。

 

「……もしもし、八幡君。この前はいきなりごめんね」

「いや、大丈夫だ……その……クッキー、ありがとな。美味しかった」

「あ、うん。どういたしまして……ふふっ、八幡君にしては素直だね」

「俺はいつでも素直だが……自分に対しては。それよか、報告がある」

「どうしたの?」

「……その……言ってただろ。受験結果聞かせろって。受かったから連絡したんだよ」

「あっさり言っちゃうんだ……全然溜めないあたりが八幡君らしいね……おめでと」

「……ありがとう……それと、この前の事なんだが……」

「八幡君」

「?」

「私ね、あっちに行く日が決まったよ」

「……そっか。いつだ?」

「八幡君の卒業式の日と同じ……」

「…………」

「あっ、その……ごめんね?」

「……謝らなくていい。てか、謝ることなんか何もないだろ」

「あはは……」

「……こういう時、何て言えばいいんだろうな。俺が人に対して頑張れって言うのも違う気がするし……」

「そんなことないよ。八幡君からなら嬉しいな」

「……じゃあ……頑張れ」

「うん。八幡君も……頑張れ」

 

 どちらも慣れない響きに笑い合い、「じゃあ」と通話を終える。

 ……見送りいけないのは……いや、俺は行かないほうがいいだろう……どうせ、音ノ木坂の友達が沢山来るだろうし。

 俺は心の中でもう一度「頑張れ」と念じて、読書を始めた。

 そのまま文字列を追っている内に、何の感動もなく一冊を読み終えてしまった。

 

 *******

 

 三月になり、総武高校は卒業式の日を迎えた。

 アニメやゲームの世界のような満開の桜の演出はないが、人生の一つの分岐点だと考えれば、少し感傷的な空気に浸れる。

 ベストプレイスにて、ぼんやりと青空を見上げながら色々と考えていると、誰かの足音が聞こえた。

 

「あっ、いたいた!八幡!」

「……戸塚?」

 

 戸塚がいつになく真剣な表情で駆け寄ってくる。ちょっと早めの第二ボタンのおねだりだろうか。ブレザーだけど。

 起き上がり、制服を整え、心の準備をすると、その瞳から感じた何かに、頭のスイッチが切り替わった。

 

「……どうかしたのか?」

「八幡……卒業証書は代わりに受け取るから、行ってきていいよ」

「行くって……どこに?」

「言わなくてもわかるでしょ?」

「…………」

 

 いきなりすぎるが、すぐに何の事を言っているのか理解した。

 戸塚が何故知っているかなんて容易に想像がつく。

 俺は頭の中に、瞼の裏に彼女の顔が浮かびそうになるのを堪えた。

 

「……もういいんだよ。ちゃんと終わらせたから」

「本当に?」

「……嘘ついてどうすんだよ」

「そんなに、哀しそうなのに?」

「っ!」

 

 つい自分の頬に触れ、できもしないのに確認しようとしてしまう。

 

「八幡よ。行くがいい」

「……材木座」

 

 無駄にいい声で登場した中二病は、普段……いや、初めて見せるようなシリアスな空気を醸し出している。

 

「お前までどうしたんだよ」

「いいから聞くがいい。マユミから連絡があったのだが、搭乗時間を考えると今から出てもギリギリなのだ」

「いや、だから……っ!?」

 

 戸塚がいきなりバチンと俺の顔を両手で挟み込み、じっと目を合わせてくる。

 

「八幡、本当にそれでいいの!?」

「…………」

「小町ちゃんもずっと心配してたんだよ?由比ヶ浜さんや雪ノ下さんだってそうだ!八幡、全然大丈夫じゃない!」

「…………」

「僕がしてるのは余計なお世話かもしれないし……その……恋愛とか全然わからないけど、八幡が今のままなのは絶対に嫌だ!」

「っ!!」

 

 真っ直ぐな言葉が心に突き刺さる。

 俺は瞑目し、彼女の……ことりの姿をはっきり思い浮かべる。

 …………伝えてないこと、あったな。

 

「戸塚……」

「?」

「……卒業証書、代わりに受け取っといてくれ」

「うん。じゃあ、早く車に……」

「車?」

「ほら、あれ!」 

 

 戸塚が裏口の門の方を指さす。

 そちらに目を向けると、赤いアストンマーチンが泊まっていた。

 

「あれは……」

「雪ノ下さんに頼んだんだ。連絡先知ってたから」

「…………」

 

 わざわざここまで……。

 胸の奥に、じんと温かいものを感じていると、戸塚は俺の背中をバシンと叩いた。

 

「さ、早く!」

「……ありがとな」

 

 全力で裏口の門までダッシュすると、背後から声が飛んできた。

 

「八幡よ!さらに向こうへ!プルスウルトラだ!」

 

 ……やっぱり材木座は材木座だった。さっきまでのシリアスが台無しである。

 俺は苦笑いしながら、助手席のドアを開け、挨拶しながら乗り込む。

 

「……お久しぶりです」

「お客さん、どちらまで?」

 

 こういう場面の定番の台詞に何故か胸が熱くなりながら、俺は一呼吸置いて、はっきりと告げた。

 

「……空港まで」



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New Message

「まさか、君があの時の女の子とそんな関係になってるとはな」

「……まあ、色々偶然が重なったんですよ」

 

 約一年ぶりに再会した平塚先生は、相変わらずの長い黒髪にスーツ姿だった。そして、多分ど……

 

「歩くか?まだ高速出てないが」

「いえ、遠慮します……」

 

 読心術の達人である。決して独身だなんて考えてないからね!

 先生は俺の方を一瞬チラリと見て、どこか嬉しそうに微笑んだ。

 

「いい顔つきだ。初めて君を見た時と見違えるようだ」

「そりゃあ、時間が経てば嫌でも変わりますよ」

「誰もがいい変わり方をするとは限らない。彼女との出会いは君にいい変化をもたらしたんだな」

「……そうですが、それだけじゃないですよ」

「?」

「先生や奉仕部……それに依頼で関わった奴等もいます。まあ、本当にいい変わり方してんのかは今はよくわかりませんけど」

「……そうか。そう言ってもらえて嬉しいよ」

 

 結局、今の自分は過去の積み重ねなのだ。先生が俺の変化をいい方向へ受け取ってくれたのなら、それはそれまで出会った全てが関わっているのだろう。

 窓の外に目を向けると、既に空港が見えてきた。

 俺は、積み重なった過去のど真ん中にいる特別な人の姿を思い浮かべた。

 

 *******

 

 高速を降り、空港まであと少しだが、何か事故でも起こっているのか、渋滞が発生していた。

 平塚先生も舌打ちしながら遠くを見るが、状況が改善する気配はない。

 

「……ここにきて渋滞か。すまんな」

「いえ、先生のせいじゃないんで……あの、ここからは走ります」

 

 ドアを開け外に出た俺に、先生は驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔で頷いた。

 

「先生、本当にありがとうございました」

「ああ、行ってこい!」

 

 礼を言い、ドアを閉め、全力で駆け出す。

 これはこれで俺らしい展開だ。

 全力で走るのは久しぶりだが、少しの不安もない。

 すぐそこに彼女がいることを考えれば、足は驚くほど軽く思えた。

 

「はっ……はっ……ことり……!」

 

 思わず彼女の名前を口にする。

 ずっと目を逸らしていた。

 肝心な事から逃げていた。

 諦めるのに慣れていた。

 それが当たり前の事に思えていたから……。

 だが、今は違う。

 今だけ手を伸ばせば、声を上げれば、何かが変わる気がする。

 俺は歯を食いしばり、必死に脚を動かした。

 

 *******

 

「ことりちゃん、元気でね!」

「手紙送りますから。それと、体には気をつけてください」

「はい、お守り。皆応援しとるからね」

「うん、ありがとう!」

 

 皆からの励ましの言葉が胸に沁みるのを感じながら、私はこの前の電話を思い出した。

 

『……頑張れ』

 

 不器用な応援の言葉。ぶっきらぼうでも温かい声。

 直接聞く事はできないけど、私は……それで十分だから。

 二人で過ごした時間の中で、彼の優しさを……温もりを心に刻んだから。

 私は……

 

 *******

 

「ことり!!!!!」

「えっ?」

 

 大声を出すのが久しぶりすぎて、自分の声に驚いたが、どうにか届いたようだ。もちろん、周りの目も一斉にこちらに向けられるが知ったこっちゃない。

 俺は、驚きに目をぱちくりさせている彼女の前に立った。どうやら、まだ俺が目の前にいるのが信じられないようだ。

 

「え?は、八幡、君?……どうして?」

「はぁ……はぁ……わ、悪い。言い忘れた事が……あった……」

「言い忘れた事?」

 

 息を整えながら、何とか彼女と向かい合う。

 今だけは周りの視線も騒音も気にならなかった。

 不安げに揺れる瞳を見据え、はっきりと一文字一文字噛みしめるように、彼女に届くように、俺は想いを口にした。

 

「……ことり…………お前の事が好きだ」

「っ!」

 

 ことりは驚きに目を見開き、口元を手で覆う。

 周りにいるμ'sのメンバーからも何やら声が上がるのが聞こえる中、ことりはふるふると首を左右に振り、こちらに一歩踏み込んできた。

 

「……何で?……どうして?……私、今からパリに行くんだよ?」

「ああ、もちろん応援してる。それは変わらない」

「じゃあ……何で……」

「……待ってなくていいから」

「え?」

「別に待ってなくていい。必ず……俺も、お前みたいに夢見つけて、叶えるから。お前の隣に立てるように頑張るから……それだけ伝えたかった……」

「……………………か」

「?」

「八幡君のばかっ!」

 

 ことりは初めて怒った顔を見せ、ぽかぽかと胸元を叩いてくる。

 その瞳は、今にも溢れ出しそうな涙で濡れていた。

 

「ばかっ!ばかっ!私の気持ち、考えてよっ!」

「……悪い」

 

 やがて涙は音もなく頬を伝いだす。

 俺の制服の袖を掴んだ彼女は濡れた瞳で見上げてきた。

 頬は紅潮し、薄紅色の唇は震えている。

 その綺麗さに目を奪われていると、やがて言葉が紡がれていった。

 

「私だって……私だって……八幡君が好きだよぉっ!」

 

 飾らない真っ直ぐな言葉。

 その響きは、不思議なほど優しく心を貫いた。

 そして、彼女は勢いよく抱きついてくる。

 久しぶりに鼻腔をくすぐった甘い香りは、あのクリスマスの日と変わらなかった。

 俺はそっと彼女を抱きしめる。ずっと欠けていたパズルのピースが見つかったような気がした。

 

「……ことり」

「八幡君……好きっ……大好きぃ……」

「……言うのが遅れて悪かった」

「ううん……私も言わなかったから……怖かったから……八幡君と離れられなくなるのが……好きになりすぎちゃうのが……」

「そっか……それは、まあ……俺もそうだ。好きな分、怖かったよ」

「でも……大丈夫だよね。また、会えるよね。会えるんだよね。私も……八幡君の隣に立てるように頑張るから」

「ああ……だから……行ってこい」

「うん」

 

 ことりの体が甘やかな感触と体温を残してゆっくりと離れる。

 見つめ合うと、そこにはいつもの笑顔があった。

 

「……あの、八幡君。ボタンちょうだい?」

「あ、ああ。学ランじゃないけど……」

 

 一番上のボタンを外し、彼女に手渡すと、それを大事そうに抱きしめた後、そのまま唇を重ねてきた。

 俺もそれに応え、お互いを刻みつけ合う。

 

「…………」

「…………ん」

 

 一つに溶け合うような深い口づけも、やがて離れていく。

 ことりは自分で涙を拭い、さっきよりも力強い笑顔を見せた。

 

「そろそろ行かなきゃ。またね、八幡君」

「……ああ、またな。ことり」

 

 そして、搭乗口へと颯爽と歩いて行く。

 彼女は振り返らなかったが、そこに迷いも不安もなかった。

 きっとまた逢えるから。逢ってみせるから。

 その時に最高の笑顔を交わせるように、今日という日を心の奥深くに焼き付けるように、その背中を見送った。

 見えなくなっても、しばらくそのままでいた。

 

 *******

 

 離陸した飛行機の中。私の心の中は、驚くほど穏やかで、そして前向きだった。

 

「八幡君……」

 

 掌には彼のくれたボタンがある。その小さなボタンには、まだ温もりが確かにある。

 それをペンダントに仕舞い、遠ざかる日本を見下ろした。

 私も待っててなんて言わない。

 絶対にあなたの元へ行くから。

 ……大好きだよ。八幡君。

 

 



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いつかのメリークリスマス(Reprise)

 あれから少しだけ時間が過ぎた。

 俺はあの約束の日から、ほんの少し大人になった。

 色んな出会いと別れを繰り返し、今もまだ夢の中にいる。

 変わったことばかりだが、それを寂しいとか思う暇もなく今日この日を迎えた。

 街は白く染まり、クリスマスムード一色に染まっている。この街に引っ越してきてから何度か見た光景だが、毎年新鮮に思えるのは変わらない。

 そんなことを考えながら、少しだけ積もった雪をしっかり踏みしめて歩くと、クリスマスツリーの下に辿り着いた。

 去年とは違う彩りを添えられたツリーは、温かな光を放ち、訪れた人々を等しく照らしている。キラキラと輝いた光が雪の白さと混ざり合い、聖夜に魔法をかけていた。

 そして、そこには毎年、幸せそうな人も、頬を染める二人組も、疲れた背中も、無関心な通りすがりもいた。

 俺もそこに加わり、ぼんやりとツリーのてっぺんを見上げる。

 

「……こんばんは」

 

 様々な音の隙間をくぐり抜け、背後から明らかに自分に向けられた声が届く。

 

「……こんばんは」

 

 同じ挨拶を返すと、その声の主は隣に並んだ。

 

 

「あなたも誰かを待ってるんですか?」

「……ああ」

「その人はあなたにとってどんな人ですか?」

「……世界一大事な人」

「それは照れますね~」

 

 二人して吹き出し、向かい合う。

 そこには、穏やかな笑顔の南ことりがいた。

 特徴的なサイドポニーは、冷たい風にそよそよと揺れ、そこに過去の面影を見いだしてしまう。

 だが、今見るべきは過去じゃない。この瞬間、目の前のことりだ。

 

「……おかえり」

「ただいま」

「そのサイドポニー、久々だな」

「うん。たまにはいいかなって……どう?」

「相変わらず似合ってる」

「八幡君もそういう事が言えるようになったんだね♪」

「割と電話とかで言ってた気がするんだが……」

「ふふっ、八幡君の事だから、直接は照れて言ってくれないかなって思ったの」

「あー、その可能性は高かったな」

「じゃあ、何で?」

「……やっぱり伝えたいことは伝えるべきだからな。あの日……空港でのお前がそれを教えてくれたから」

「八幡君……あ」

 

 俺はことりを抱きしめた。

 少し大人びた甘い香りが弾けると共に、背中に彼女の腕が回される。

 

「ことり……ずっと一緒にいて欲しい」

「私もだよ。だから……はなさないで」

 

 どちらからともなく唇を重ね、心を一つにする。

 会えなかった時間を空白とは思わない。

 二人がこうして一緒にいるために重ねてきた時間だから。

 これから新しい時間を重ねていけばいい。

 唇を離し、見つめ合うと、彼女の目を一筋の涙が伝った。

 

「八幡君」

「どした?」

「はい」

 

 ことりは手を差し出してくる。白く細い指先は、あの頃とあまり変わっていない。こういうものもある。

 

「……ああ」

 

 俺は頷き、その手を握る。空いた手で、涙を拭っておいた。この日の涙の温もりも、きっと忘れることはないだろう。

 そして、そのまま二人は歩き出した。

 あの頃離れた場所から、今度は並んで歩き出した。

 

「……ことり」

「はい……」

「出会ってくれて……ありがとう」

「私も……ありがとう」

 

 それからは他愛ない会話が始まり、息を白く染める冷たさに身を寄せ合う。

 不揃いの足跡を雪に刻むように、お互いの温もりを分け合う。

 たとえ雪が足跡を白く埋めてしまっても、二人で過ごした時間は消えはしないから。

 そのことを俺達はもう知っている。

 

「ねえ、八幡君。どっちの家に帰ろっか」

「そうだな……歩きながら決めるか」

「……うん♪じゃあ、二人の行きたい場所に行ってから決めよう?」

「ああ、じゃあ行くか」

 

 こうして新しい二人の時間を重ねていく。この二人で重ねていける幸せを抱きしめながら。

 

 



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