虎眼転生-異世界行っても無双する- (男どすこい♥♥♡♡♡)
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幼年編 第一景『転生(てんせい)

 

 三重──美しゅうなった(のう)──

 

 愛娘である岩本三重を見つめるのは、掛川藩剣術指南役である“濃尾無双虎眼流開祖”──岩本虎眼。

 かつての弟子であり、盲目となって更にその怪物性が増した美麗の剣士、伊良子清玄との様々な因縁の果てに行われた立合いは、虎眼流の奥義“流れ星”が清玄の秘剣“無明逆流れ”に敗れる形となり、その決着が着いた。

 

 顔面の半分を切り落とされた(・・・・・・・・・・・・・)虎眼は、立合いの場に現れた娘、三重の白無垢姿を見つめると、それまでの歪な親子の関係が洗い流されていくかのように、慈愛に満ちた表情をその半分となった顔に浮かべる。

 

 大刀が肉を貫く、生々しい音が響く。

 

 顔面の半分を切り落とされても尚、未だに両の足で立つ剣虎に対し、盲龍は止めの一撃を加えた。

 清玄の大刀が、虎眼の腹を貫く。倒れ伏す際、虎眼の大脳はうどん玉のごとく娘の眼前にこぼれ落ちた。

 

 無念、悔恨、増悪、情愛……

 様々な感情が虎眼の心の中を過ぎていく。しかし、虎眼の意識はやがて無へと達していくのであった──

 

 

 

 

 人を超えた怪物(モンスター)、亜人が跋扈する異世界

 

 

 六面世界最後に残された“人の世界”で生きるのは、魔術と闘気という異能を手にした人々

 

 

 そして、無職のニートが今生こそ本気を出すと誓い、転生した世界

 

 

 そこに、濃尾無双と呼ばれた剣鬼が迷いこんだら?

 

 

 いかな常人を圧倒する身体能力、無双と呼ばれた剣技を持ってしても異世界でそれが通用するのであろうか?

 

 

 強大な人外や、異世界の達人を相手に、虎眼流の神技は果たして太刀打ちが出来るのであろうか?

 

 

 

 出来る!

 

 

 

 出来るのだ!

 

 

 

 

 かくして剣鬼の魂は六面世界、人の世界へと──

 

 

 

 

『虎眼転生-異世界行っても無双する-』

 

 

 

 

 

 

 

 


 

(──こは如何なる事ぞ)

 

 突然現れた朧気な視界に岩本虎眼は困惑する。

 伊良子清玄との壮絶な秘剣の応酬の果て、虎眼は確かに己の命運が尽きたことを悟っていた。

 一人娘の三重の目前で、確かに自分は事切れたはずである。

 しかし、気がつけば寝台(ベッド)に寝かされた我が身。

 

 朧気な視界の中、自身を覗き込む南蛮人と思しき女性が見える。

 何かを語りかけているが、日ノ本言葉しか知り得ぬ虎眼にとっては何を言っているのか全く理解が出来なかった。

 

(黄泉路では南蛮人が出迎えてくれるのであろうか……)

 

 ふと、虎眼は既に元和の御世では禁教令が発せられた切支丹信仰の話を思い出す。

 

 人は死ぬとパライソ(極楽)へと送られ、そこでは楽園に誘われた死者の魂が安らかに過ごしているという。

 ならば自分の魂はパライソとやらへ送られたのだろうか。

 

 しかし切支丹でもない自分がなぜパライソへと送られたのだろうか。

 ぼんやりとした思考の中、虎眼はふと違和感を感じる。

 

 妙に、この南蛮人の女性が大きく見えるのだ。

 

 生前の虎眼の身長は当時の日本人の平均身長をやや超える4尺2寸(約160cm)

 どうみても目の前の女性はそれよりも遥かに大きく、まるで仏門の神々の一柱である仁王の如き体躯だ。

 伝え聞いた南蛮人の大きさを考えても、それは虎眼を困惑させるに十分だった。

 

 困惑する虎眼は唐突にその女性に持ち上げられ(・・・・・・)、腕に抱かれた。

 突然の出来事に驚いた虎眼は腕に抱かれた事でようやく自身の身体の異常に気付く。

 

(わらし)……いや、これではまるで乳児(ちご)ではないか!)

 

 鋼の如く鍛え上げられ素手での人体破壊を容易にせしめた以前の肉体は、いまや虫も殺せるかどうかという程小さく、柔らかく、頼りない物となっていた。

 驚愕と困惑の最中、女性は変わらず虎眼に何事かを囁いている。

 

 それはまるで、母親が我が子をあやすかの様に。

 

 言葉はわからずとも虎眼は悟る。

 自分はこの女性の子として生まれ変わったのだと──

 

 心地よい女性の囁きは、正しく子守唄として虎眼の意識を微睡みへと誘う。

 薄れ行く意識の中、剣鬼と称された剣豪は久しく経験していなかった安らぎを覚えていた。

 

 

 

「……あら、寝ちゃったかしら」

 

 ゼニス・グレイラットは腕に抱いた我が子を見つめ、穏やかな微笑を浮かべる。

 そのすぐ足元には、二年前に産んだ、第一子(・・・)ルーデウスが赤子の存在に興味を向けるかのように見つめていた。

 

「かあさま、ウィルは寝ちゃったんですか?」

「ルディ、起こしちゃだめよ?」

 

 ゼニスは愛おしそうに腕に抱いた赤子を見つめた後、やさしくベッドに戻した。

 

 ルーデウスはベッドに乗り出して赤子を見つめる。

 眠る赤子の柔らかい頬をつんつんと突きながら、興味深そうに見つめていた。

 そして赤子の一本多い右手の指(・・・・・・・・)を撫でる。

 

「かあさま、なぜウィルは指が一本多いのですか?」

 

 ルーデウスはウィルと呼ばれた赤子の指を弄りながらゼニスに素朴な疑問を投げかける。

 ゼニスは、少し困ったような微笑を浮かべ、ルーデウスに答える。

 

「そうねぇ……なぜって聞かれても、私にも分からないわ」

 

 でもね、ルディ。と、ゼニスはルーデウスを抱きかかえながら言葉を続ける。

 

普通(・・)とは少し違っててもウィルはルディと同じ。私達の大切な子供で、ルディのたった一人の()なのよ。もしウィルがこの指の事でいじめられる事があったら、ちゃんとお兄ちゃんとしてルディが守ってあげなきゃね?」

「はい! ウィルは僕が守ってあげます!」

「ああ! もうッ! ルディは本当に良い子ねぇ!」

 

 抱えたルーデウスに頬ずりし、くるくると回り始めるゼニス。

 母親の過剰なスキンシップにやや引きつった笑顔を浮かべるルーデウス。

 とても二児の母とは思えない程の瑞々しい肌を惜しみなくルーデウスに押し付けるゼニスは、この全く手がかからない我が子を溺愛していた。

 

「さあ、ルディ! パウロを呼んで御飯にしましょう! 今日はリーリャが作ってくれた美味しいスープがあるからね!」

「はい。かあさま」

 

 抱えられたルーデウスはベットに眠る弟を見つつ、母親には聞こえない程度にこの世界では絶対に使われていないであろう日本語(・・・)を呟いた。

 

『多指症ってこの世界でも普通じゃ無くて珍しいんだな……しかし弟じゃなくて妹が欲しかったのになぁー……まぁパウロとゼニスには今後も頑張ってもらうか』

 

「なにか言った? ルディ?」

「いえ、なんでもないですよかあさま」

 

 母と子の穏やかな一時。

 眠る赤子の秘めおきし修羅の気質を、母と兄は気づくことは無かった。

 

 

 パウロ・グレイラットとゼニス・グレイラットの第二子、ウィリアム・グレイラットは2歳年上の兄、ルーデウス・グレイラットと同じく異世界の魂を宿した転生者である。

 前世は奇しくも同じ日本人。ただし、大きく違うのはそれぞれが生きた時代が全く異なった事であろう。

 

 ルーデウス・グレイラットは平成日本で所謂穀潰し(ニート)として無為無策な日々を過ごしていた。

 

 片やウィリアム・グレイラットは戦国末期から江戸初期にかけて濃尾一帯にその名を轟かせた剣豪。

 

 生きる時代も違えばその境遇、立場、思想、価値観に至るまで全く異なる二人。

 

 なんの因果が働いたのか、本来は生まれるはずでは無かった一つの命に剣豪の魂が宿ったのは、神の悪戯か……あるいは、剣豪の最後を憐れんだ神の慈悲が働いたのか。

 また、その転生先が同じく転生した魂を持つ兄がいる子とは。

 

 この何もかも違う転生者の兄弟が異世界で何を見て、何を成していくのだろうか。

 

 秘めおきし修羅の虎子は、ただ安らかに眠り続けていた……

 

 

 

 

 

 

 

 




虎眼先生が異世界でも無双できる根拠として

シグルイ世界の宮本武蔵≒刃牙道の武蔵(≒範馬勇次郎)≒魔界転生の武蔵。

最強格の武蔵ですら一大名の剣術指南なので将軍家剣術指南の柳生一族は武蔵と同格以上。

その柳生一族史上最強と言われた柳生三厳(十兵衛)。

山田風太郎先生の『魔界転生』で作中では珍しくタイマンで武蔵を倒した十兵衛。

転生衆として生前より性能をブーストした武蔵より強い十兵衛の師匠は親父の宗矩。

魔界転生で宗矩を倒した十兵衛だけど実際は宗矩の凡ミスによる勝利。
ガチでやりあってたら互角かそれ以上。

その宗矩の全盛期(多分)を実質完封していた虎眼先生。

虎眼先生≧サニー千葉with村正enchant魔除けの梵字≧武蔵≒勇次郎。

虎眼先生超強え!

というガバガバ理論に基いてお送り致します。
伊良子に負けたとかは気にしねえでください。


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第二景『目覚(めざ)め』

 

(ウィリアム坊ちゃまは不気味だ──)

 

 岩本虎眼がウィリアム・グレイラットとして生を受け早4年の歳月が経った。

 

 兄のルーデウスと同じく殆ど泣きもせずに手がかからない子として育って来たウィリアム。

 ウィリアムの育児に携わって来たグレイラット家のメイド、リーリャはパウロとゼニスの子供は何か常人には測れない不可解な事があるのでは? と、人知れず不気味さを覚えていた。

 

 しかし兄のルーデウスについては成長するにつれて顕在化して来た知性と、類稀なる魔術の才能……そして何より、パウロと不貞を働いた自分を助けてくれた恩がある。

 

 自分を本当の意味で家族として迎え入れるように、ゼニスを説得してくれた。

 

 ルーデウスに感じていた生理的な不快感と、子供らしくない行動による不気味さはその一件以来、すっかり鳴りを潜め、ルーデウスには感謝と深い尊敬の念を抱くようになったのだ。

 

 

 でもウィリアムは──

 

 

 ルーデウス以上に物静か、言い方を良くすれば大人しい子供。

 また、抱きかかえた時もルーデウスが見せていた厭らしく下卑た表情は無く。

 右手の指が一本多い事以外は、見かけは、大人しい“良い子供”だった。

 

 しかしその“眼”に見つめられると──

 

 どうしようもなく不安に駆られるのだ。

 

 ウィリアムの容姿は母親似であるルーデウスとは違い、父であるパウロに似ていた。

 幼くともどことなく精悍な顔つきを見せ、静かな微笑みを浮かべるウィリアムに、パウロは将来はルーデウスや自分以上の女誑しになるかも──と無邪気にはしゃいでいる。

 

 しかし、リーリャに向ける眼差しは情愛等は一切無い、冷たい視線。

 

 いや、冷たいというより全く省みていないと言える。

 

 ウィリアムの視線を感じる度、リーリャは以前勤めていたアスラ王国後宮付き近衛侍女時代を思い起こす。

 王族や貴族から向けられていた視線とウィリアムのそれは、同じ物であった。

 

 あの時はそれが当然ではあった為、リーリャ自身もさして気にはしていなかった。

 しかしグレイラット家に奉公するようになってから、家族の一員として扱われるようになり、以前感じていた厳格な身分制度を忘れるには十分な扱いをされた。

 特にパウロの子を宿した時からは、ゼニスも以前より親しく接してくれるようになった。

 

 しかしウィリアムだけは、それ以降も変わらず“家に仕える奉公人”という一線を厳格に引いているように感じた。

 

 グレイラット家の侍女として家政を卒なくこなしているリーリャを、まるで一切の手抜かりは許さぬとばかりに自分を見つめる。

 それでいて、身分が上の者が下の者に見せる親愛の眼差しというものは一切無い。

 せいぜいそれまでの“奉公人”から“当主のお手つきの下女”という変化しか感じれられなかった。

 

 ある意味ではそれが普通なのだが──

 

 実際、ウィリアムがリーリャに対して使う言葉や態度は、兄ルーデウスと変わらず丁寧な物だ。

 それ故に、パウロやゼニスはウィリアムに対して何ら違和感を覚えず、ルーデウスと同じようにその愛情を注いでいた。

 

 でもリーリャは、パウロやゼニスのような愛情は持てなかった。

 

 ルーデウスも何かを感じているのか、初めて出来た弟であるウィリアムに対して、どこか余所余所しい。

 

 一応は兄として弟の面倒を見ているのだろうが──

 一緒に遊ぶ事もままあるが、ウィリアムのどことなく冷めた態度にルーデウスもどう接していいのか分からなくなっていた。

 

 ロキシー・ミグルディアがルーデウスの魔術の家庭教師として招かれ、師事していた期間は、ウィリアムから逃げるように魔術の授業とパウロとの剣術の稽古に打ち込むようになった。

 

 もっともルーデウスが弟に対して距離を置いている理由は、前世の家族関係もあったが……もちろんリーリャはその様な理由を知る術は無い。

 

 当のウィリアムはというと、一流の魔術師でもあるロキシーが見せる魔術に最初は興味を持っていたようだが、自身が魔術を全く使えない(・・・・・・・・・・・・)事が判明すると、魔術を行使する事について途端に興味を失った様子である。

 しかし魔術自体に興味を失ったわけではなさそうで、時折ロキシーに対して他にどのような魔術があるのか──人を簡単に殺めるような魔術は他にあるのかと、聞いてる様子が見られた。

 

 またパウロの稽古も、兄ルーデウスと共に受けるようにはなったが、これも兄とは違い熱心に受けている様子には見えない。

 パウロが会得している剣術三大流派上級の業前を見ても、最初こそは興味深そうに見ていたが、しばらくすると冷めた目で稽古を受けるようになった。

 

 とはいえ稽古自体はきちんと続けている。

 

 パウロはルーデウスが魔術の道を志しているのを知って、代わりにウィリアムを本格的に鍛えようとしている。

 ウィリアムの年齢を考え、まだ本腰を入れてはいないが、元々男子が生まれたら剣士として育てる事をゼニスと約束していた。

 それ故、ウィリアムにルーデウス以上の熱意を持って指導していたのだ。

 

 しかし、リーリャから見ればウィリアムが剣術の稽古を受けている様子は、どうみても義務的に受けている様にしか見えなかった。

 

 

 それ以外にも、リーリャが感じていたウィリアムの違和感がある。

 時折、幼児とは思えない程の憤怒の形相を見せる瞬間があったのだ。

 

 リーリャは最初は何事かと慌て、どこか怪我をした際の痛みに耐えているかと思い、ウィリアムの元へと駆け寄ったが──

 

 駆け寄ったリーリャが見たのは、どこも怪我をしていないウィリアムがまだ生え揃ってもいない歯を軋ませ、何かを増悪するかのように怒りの表情であった。

 

 リーリャが駆け寄った直後にはその表情は消え失せ、いつもの薄い笑みを浮かべた表情に戻っていたが……

 

 元々あまり感情表現が豊かでない子供が、時折見せるこの異様な様相が、リーリャの疑心に拍車をかける結果となっていた。

 

 さすがにこの事についてはゼニスに相談したが、いざゼニスがその事をウィリアムに問い詰めても穏やかな笑みを浮かべて、『なんでもない』という答えしか返してこなかった。

 

 

 リーリャは生まれてくる我が子をルーデウスに仕えさせる事で、受けた恩を返そうとしていた。

 グレイラット家には多大な恩がある。

 

 特にルーデウスに対しては。

 

 ただウィリアムに対しては、恩義も忠節も無く、使用人としての分別を越えるような接し方をする気にはなれなかった。

 

 

 そこまで考えて、リーリャはウィリアムがなぜここまでルーデウスと違うのだろうかと考える。

 

 あの家族に育てられ、接していればもう少し自分に対しても心を開いてくれるのだろうと思うのだが。

 ルーデウスとは違った意味で、老成したウィリアムの胸中を察する事は、リーリャにとって砂漠で胡麻を見つけるくらい難しかった。

 

(普通の使用人を雇うような家ではウィリアム坊ちゃまが“普通”なのだけど──)

 

 リーリャはいつもの様に、そう結論付けて家事の続きを始める。

 ウィリアムの事をこれ以上考えないように、リーリャは普段と同じように、黙々と家事を続けるのであった。

 

 

 

 

 


 

 リーリャにとってウィリアムは目に見えない隔たりを感じる存在ではあったが、当のウィリアムはそこまでリーリャに対して無下に扱うといった意識は無かった。

 

 晩年の虎眼を知る者、特に曖昧な状態を発するようになってからの虎眼しか知らぬ者には考えられない事だが、掛川藩兵法指南役として禄を食むようになり、屋敷を構えた時から忠節を尽くしてくれている奉公人には存外な優しさを見せる時もあった。

 女中のさね(・・)や中間の茂助等には、その忠節に対して時折労る事もあったのだ。

 

 もっとも心の平衡を失ってからは、虎眼が相対する人間全てが等しくその狂気を当てられ、恐々としていたが。

 

 リーリャがウィリアムに感じた一切の感情は、未知の世界のあらゆる理に、困惑と驚愕を感じた事で、リーリャに対して関心を持つ余裕が無かっただけに過ぎない。

 

 それがリーリャが無言のプレッシャーのように感じていたのは、ウィリアムにとって心外な事ではあった。

 が、使用人が自分をどう思っていようが今のウィリアムにとって全く問題ではなかった。

 

 

 ウィリアム……虎眼は、当初は南蛮のどこかの国に転生したと思っていた。

 しかし、母や兄が使う“魔術”なる摩訶不思議な現象を目の当たりにし、ここは以前とは理が全く異なる──異世界に転生した事を否応なしに認識させられた。

 

 そして年甲斐もなく──いや、年相応に興奮したのだ。

 

 かつて京にいた陰陽師が使う眉唾物の呪いではなく、確かに存在する奇跡の御業の数々──

 負った傷をあっさり治し、何もない所で火や水、風を起こす奇跡に感動した。

 

 それらを自分も思うがままに使ってみたい、と思うのは虎眼だけでなく、魔術が無い異世界からの転生者は皆同じ事を考える物なのだろう。

 

 しかし、虎眼に魔術の才が一切無い事が判明すると、急に魔術を使う事に関しての興味は一切無くなった。

 それからは、魔術師に対してどのように戦っていくか(・・・・・・・・・・・)を考えるようになった。

 

 虎眼は転生してからしばらくの間、己が転生した意義をただひたすら考えていた時期がある。

 

 伊良子との死闘の際、奥義『流れ星』をも上まる剣速を見せた伊良子の斬撃──

 

 あの瞬間を鮮明に思い出す度に、かつて自分を殺した相手に対して増悪の念に駆られた。

 憤怒の表情を浮かべる幼子は、運が良いのかリーリャ以外には見られていない。

 

 そして、その内伊良子の“逆流れ”に対し、どのような技であれば対抗できるかを考えるようになった。

 

 この世界に伊良子はいない。

 しかし伊良子に負けた事実からくる怨念は、虎眼の中で年々大きくなっている。

 復讐を遂げる相手がいない苛立ちが、虎眼の今生の生きる意味を段々と形作っていく。

 

(つまりは、己の“虎眼流”を前世より練り上げる事――)

 

 己を葬った怨敵に対する感情からこのような発想に至ったのは、ルーデウスが5歳の誕生日を祝われた時であった。

 虎眼にとってルーデウスの5歳の記念日は、己の新しい人生の目標が定まった日でもあったのだ。

 

(で、あればこの世界の兵法を学ばねばならぬ)

 

 この世界のあらゆる兵法──以前の世界には無かった魔術について学び、虎眼流の技に組み込もうと考えた。

 

 だが、自身がまったく魔術が行使できない事が分かると、今度は魔術に対して虎眼流がどのようにして抗していくのかをひたすら考えるようになった。

 

 ロキシー・ミグルディアがルーデウスの魔術教師としてグレイラット家に滞在していた事は虎眼にとって都合が良く、ロキシーが手すきの折りに魔術には他にどのような“技”があるのかを熱心に聞いた。

 

 最初ロキシーは、兄に対抗心を燃やした可愛げのある子供と思って、それこそ教本に書いてあるような差し障りない内容しか話をしていなかったが……

 子供が尋ねるにはあまりにも殺伐とした内容になっていくにつれ、その狂気的な執念ともいえる内容に恐怖と戦慄を覚えていった。

 

 今や愛弟子といっても差し支えないルーデウスの事も考えて、答えていいのだろうかと思い悩んだ。

 

 が、結局は虎眼の執念に根負けする形になり、自身が知りうるあらゆる魔術を教え、実践できる魔術に関しては実演して見せる事もあった。

 

 ウィリアムとして、自身が兄になんら異心を持っておらず、単純に自分は魔術を使えないから魔術に相対する心構えを教えて欲しいと言われた事も、ロキシーが魔術の知識を伝授した理由でもあった。

 

 こうしてロキシーによるルーデウスの魔術の修行が終わりに近づいていた短い期間ではあったが、虎眼が魔術師に対抗する為の知識を身に着けていった。

 後の人生で虎眼が魔術師との立会いに対して有利に運べたのは、このロキシーの“授業”が効いていた事は確かであろう。

 

 

 肝心の剣法については、父パウロから剣術の稽古を受けるようになった時に異世界の剣法を取り入れ、虎眼流を更なる高みに練り上げようと考えていた。

 しかしパウロの三大流派上級の腕前では、濃尾無双とまで謳われた剣豪をうならせる事は無かった。

 

 剣神流の剣速は、いくらパウロが上級止まりの腕前とはいえ、かつての虎眼流高弟達とは比べ物に無く。

 水神流の受け技は学ぶ所もあったが、“刀剣は容易く折れる”、“最小の斬撃を最速で打ち込む”という虎眼流の信条に反していた為に結局はそれ程鍛錬に費やす事は無かった。

 北神流に関しては、パウロ自身がそれ程好んで使う事は無かった為、技自体にあまり触れる事は無かった。

 

 もっともパウロが三大流派をそれぞれ上級まで習得するのは並大抵の才気では成し得ない事ではあるが、そのような事は虎眼にとってはどうでもよく。

 

 虎眼がパウロとの稽古で一番興味を持ったのは“闘気”と言われる魔術とは対をなす不思議な力の事であった。

 

 今生の虎眼──ウィリアムは何故か魔術を使えなかったが、内包する魔力は兄ルーデウスと遜色の無いレベルだった。

 とある理由でルーデウス兄弟は内包魔力を常人を遥かに超えるレベルで保有している。

 闘気とは、魔力を魔術で放出する代わりに体内に循環させ、身体能力を強化する術であった。

 ルーデウスは闘気を纏えない代わりに、魔術の行使に関して稀有の才能を持っていたが、相対するかのようにウィリアムは自身の魔力を闘気として発揮する才能を持っていた。

 

 故に、パウロの指南によって闘気を発現してからのウィリアムの鍛錬は、徐々に常軌を逸する様相を見せ始めたのは、正気にては大道を成せない剣豪の宿業なのかもしれない。

 

 それはウィリアムが5歳の誕生日を迎え、ルーデウスがボレアス家に強制送致される1週間前の出来事であった──

 



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第三景『()(かえ)し』

 

 ルーデウス・グレイラットが7歳になり、弟のウィリアムが5歳になった時分。

 

 昨年に生まれた彼らの妹達──ノルンとアイシャも健やかに育っている。

 当たり前だが、妹達は普通の赤子らしく真っ当に(・・・・)手がかかる子供等であった。

 ルーデウスとウィリアムという異質な子供に慣れていたせいか夜泣き、朝泣きはもちろん、事あるごとに泣くノルンとアイシャにパウロとゼニスは今更ながら育児ノイローゼになってしまっている。

 もっともリーリャだけが

 

『これこそが子育てですよ! ルーデウス様とウィリアム坊ちゃまはイージー(おかし)すぎました! これが普通です!』

 

 と、一人元気良く育児に勤しんでいる。

 

 ルーデウスも時折おしめを変えたりする等の世話を焼いていたが、ウィリアムは生まれた赤子が女だと知るやいなや一切の興味を失った様子を見せていた。

 

 むしろ、おしめを変える兄を見て僅かに困惑の表情を見せている始末である。

 

 ウィリアムの前世の価値観では、武家での赤子の世話は乳母に任せる物で男──ましてや兄自らが世話を焼く等考えられない事であった。

 時折妹達の相手を仕方なしにする程度しか、妹達との接触は無かった。

 それが逆に“兄弟で妹達の世話を甲斐甲斐しく焼いている”と見られたのは皮肉という他ないだろう。

 

 

 もっとも妹が生まれようが弟が生まれようが、ウィリアムは虎眼流を練り上げ、此度こそ濃尾……いや、“異界天下無双”の剣士となるべく己の業を磨き上げる事しか頭になかった。

 前世ではなかった闘気の存在が、剣鬼の魂を大いに滾らせていたのだ。

 

 

 正気にては大道は成せず──

 

 

 5歳の誕生日が祝われた後、ウィリアムの日常はそれまでの周囲の認識を一変させるに十分であり、虎眼流をより練り上げ“最強“へと達する為に行われた狂気の行動は、正しく正気にては成し得ぬ事であった。

 

 ある日の事。

 

 いつものパウロとの“生温(ぬる)い”稽古の後、ウィリアムは『少し遊びに行ってまいります』と一人で出かけて行った。

 折しのパウロと、猟師であるハーフエルフのロールズにより行われた魔物討伐により、ブエナ村付近の安全がより確立されていたのもあってか、ルーデウス含め家族の誰もがウィリアムのこの行動に不審を持たなかった。

 むしろリーリャはようやく年相応に野原を駆け回るウィリアムを想像し、逆に安心してしまう始末である。

 

 ゆえに日が傾き、夜になっても帰ってこないウィリアムを家人や村の若衆総出で捜索するという騒ぎになってしまったのは、誰が悪いという話では無いのかもしれない。

 

 そして漆黒の夜天が白み始めた頃……ウィリアムを発見したルーデウスとその幼馴染、シルフィエットは“剣鬼”の一端を垣間見る事となる。

 

 


 

 割りとシャレにならない事が起こってしまった。

 念願の妹が生まれて、男だと思ってた幼馴染のシルフィエット……シルフィが、実は女の子だと発覚し、異世界光源氏計画を粛々と進めている矢先。

 

 弟のウィリアムが失踪したのだ。

 

 

 思えばウィリアムはどこか変な所がある子供だった。

 

 一緒に遊んでも、作ったかのような笑顔を浮かべるばかりでまるで楽しそうにしている様子はない。

 

 パウロの稽古も一緒に受けるようになったけど、恐ろしく義務的にこなしている印象しかなかった。

 

 ロキシーにはやたら殺伐とした魔術の話をせがんていた。

 

 ロキシーに相談された時は、こいつマジでサイコパスの気があるんじゃないかと恐ろしくなったもんだ……

 

 でも表面上? は俺に対して慇懃に接しているし、毎日大人しく過ごしている。

 逆にそれがなんか不気味であり──

 

 ぶっちゃけ苦手である。

 

 前世の弟とはまた違った意味で接し辛い……いや、子供の頃は前世の弟とはうまくやっていた気がする。

 それだけにウィリアムはマジで何を考えているのかよくわからん……

 可愛がっても、突き放してもリアクション薄いからなぁ。

 もっとも俺以上に溺愛しているパウロやゼニスはウィリアムの異様さに全く気づいている様子がない。

 

 ていうか気づけよパウロ。

 端から見たらウィリアムはおまえさんの稽古“仕方なく付き合ってやってる感”すごいぞ。

 

 パウロはこの世界基準で言ってもすごい達人なんだけどなぁ。

 三大流派上級の腕前だって、一つの流派の上級取得するのに才能ある者が10年ぐらいかかると言われているんだぞ。

 パウロはまだ20代半ばで、それぞれの流派の上級を取得している。

 上級で辞めてしまったというだけで、聖級……下手したらどれかの流派で王級までいってたかもしれない逸材なのだ。

 普通はそんな才能ある人間が見たらウィリアムのやる気が無い事に気づけそうなもんだけどなぁ……

 

 リーリャはなんとなくウィリアムの異様さに気づいている節があるけど、俺や家族に遠慮してかせいぜいゼニスにそれとなく相談するに止めているっぽい。

 

 そんなよくわからない所があるが、普段は大人しいウィリアムが突然失踪したからこりゃ大変な騒ぎになる。

 

 ゼニスが呑気に『ウィルは遅いわねぇ……どこまで遊びにいってるのかしら』なんて言ってたのが

 日が完全に沈む頃には発狂寸前まで取り乱していた。

 パウロはパウロで剣を片手に家を飛び出していくし……せめてどこらへんを探してくるかとか言ってくれ……

 

 ただでさえゼニスが育児ノイローゼになっている所にこの騒ぎだ。

 ゼニスは取り乱すばかりで捜索を手伝う事は出来無さそうだ。

 俺はゼニスと妹達をリーリャに任せてシルフィの家へ向かい、シルフィの親父で村一番の猟師でもあるロールズさんに事情を説明した。

 

 話を聞いたロールズさんはすぐに村の中心部へ向かい、若い衆を集めて付近を捜索する段取りを取り付け、俺とシルフィも捜索隊に加わる事になった。

 

 

 

「ウィールッ! ウィリアムーッ! どこだー! 返事しろ-ッ!」

「ウィルくーん! いたら返事してー!」

 

 普段めったに大声出さないシルフィ。

 シルフィこんなに大きな声を出せたんだな……とそんな事を思ってしまったり。

 

 いやいや!

 それよりもウィルを探さないと!

 

 俺とシルフィは大人達とは別行動でウィリアムを探していた。

 ロールズさんは、俺達がミイラ取りがミイラにならないかと心配していたが……こちとら伊達に水聖級魔術師を名乗っていない。

 シルフィも最近は俺に負けず劣らずの魔術の実力がある。

 パウロとロールズさんがブエナ村近辺の危険な魔物を粗方討伐してくれたし、仮に魔物と遭遇しても危なげなく戦える自信はある。

 

 パウロにくっついて実戦の空気を体験しておいてよかった……

 それにウィリアムとは違い真面目に剣術の稽古も受けているし、パウロから散々俺の話(自慢話)を聞かされていたのもあってかローデスさんは、結局は俺たちの別行動を許してくれた。

 

 そんなこんなで村から少し離れた林を捜索しているのだが……

 

 全然見つからない。

 

 こりゃマジで魔物に食われているんじゃないだろうな……

 嫌な想像ばかり頭によぎる。

 

 

 もし……もし仮に、ウィリアムが死んでしまっていたら。

 パウロやゼニス、そしてリーリャも相当悲しんでしまうだろう。

 ゼニスなんかは立ち直れないかもしれない。

 妹達も、物心付く前に兄と死別するなんて経験をさせたくない。

 シルフィも『ウィルくんウィルくん』って実の弟のように可愛がってくれている。

 

 そして何より、俺もウィリアムには死んでほしくない。

 

 いくら苦手だからといっても、たったひとりの弟である事は変わりない。

 絶対に、絶対に見つけてやるからな。

 お兄ちゃんが、絶対にお前を守ってやるからな。

 だから早く出てきてくれ。頼むから。

 

 

 

 そんな思いを込めて、再び大声でウィリアムを呼ぶ。

 

「ルディ! あそこ見て!」

 

 シルフィが松明をかざした先に、やたら開けた場所が見える。

 やたらと倒木が多い(・・・・・・・・・)その場所は、人為的に開けた場所と見てとれる。

 

「あそこ! ほら!」

 

 ぐいぐい服を引っ張るシルフィが指し示す方向に、何かを振り回す人影が見えた。

 一体なんだろう……まさかゴブリンとかじゃないだろうな……

 いや、ゼニスから教えてもらったがゴブリンはこの中央大陸には生息しておらず、ミリス大陸の森の奥に生息していたはずだ。

 万が一に備えて、ロキシーからもらった杖を握りしめる。

 ごくり、と唾を飲み込み、シルフィと共にその影に近づいていく。

 朝日が僅かに顔を出し、白んで来た事で段々とその影が明るみになっていく。

 

「なんだアレ……」

 

 近づいていくにつれ、何か棒のようなものを一心不乱に木々に打ち付ける人影が見えた。

 

 ガッ、ゴッ、と木々を打ち据える音が聞こえる。

 

 

 そして、打ち付ける人影を、見てしまった。

 

 

 

「ウィル……なのか……」

 

 

 

 それは、紛れもなくウィリアムだった。

 

 裸の上半身は、5歳の少年の物とは思えない程筋骨が隆起していた。

 そして、棒と思っていたのが、2メートルはあろうかという長さ、そしてやたら太い木剣……

 まるでカジキマグロのような木剣を、狂ったように打ち付けるウィリアムだった。

 

 よく見れば、手の皮は破れ血を滲ませている。

 全身を軋ませながら、5歳児とは思えない剣速で木剣を打ち込んでいる。

 

 でも、ウィリアムの目は

 

 異常な程爛々と輝いていた。

 

 まるで、子供が夢中になって遊ぶ対象を見つけたような……

 

 口角が上がり、異様な雰囲気のウィリアムに、俺とシルフィは打ち付けられた木が倒れるまで、その場でただ立ちすくむ事しかできなかった……

 

 

 

 

 

 




年甲斐もなく(年相応に)はしゃいでしまった虎眼先生。


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第四景『産声(うぶごえ)

 

 結局ウィリアムは闘気の過剰放出による疲労で気絶するまで“切り返し”を止めなかった。

 糸が切れた人形のように倒れ伏すウィリアムに慌てて駆けつけたルーデウスとシルフィは、その血にまみれた手を治療魔法で治癒しつつ、改めて辺りを見回す。

 

「これ……ウィルくんがやったんだよね……」

 

 未だに信じられないかのように、シルフィは呟く。

 周囲はまるで大型の魔獣が暴れまわったかの如く、木々が無残な姿で横たわっていた。

 ルーデウスは、ウィリアムが振り回していた大型の木剣を見つめる。

 柄はウィリアムの血にまみれ、いかに激しく振り抜いていたのかを物語っていた。

 

「ウィルくんはどうしちゃったのかな……なんでこんな事を突然始めたのかな……」

 

 シルフィエットが横たわるウィリアムを介抱しながら呟く。

 闘気を限界まで放出し、極限まで己をいじめ抜いたその肉体は、一晩で痛ましい程消耗していた。

 見れば、鋼の如く隆起していた肉体は元々のウィリアムが備えていた体に戻っていた。

 

「……分からない」

 

 分かるわけがない。

 なにせ、昨日まで大人しい“普通の子供”だったのだ。

 何がウィリアムをここまでさせたのか。

 悪いものに取り憑かれたのか。

 それともウィリアムがひた隠しにして来た“本性”が具現したのか。

 

 ふと、ルーデウスは以前転生者と疑って日本語で話しかけた(・・・・・・・・・・・・・・・・)事を思い出す。

 

 

 ルーデウスは己が転生者であるように、他者も異界の魂を宿した転生者だと疑っていた時期がある。

 その疑惑は、ウィリアムが成長するにつれて大きく膨らんでいた。

 誰からも教わっていないのに食事をする前に手を合わせる、双鉤法による筆記用具の持ち方、要所で見られる妙に時代がかった所作……

 それらの全ては平成日本人から見ても、同じ日本人としての魂を宿した転生者だと疑いようもなかった。

 転生してから郷里を恋しく思った事は一度も無いルーデウスだったが、弟が同じ日本人の魂を持つ者となれば、腹を割って話したい、日本の事を話したいと思うのは当然かもしれない。

 そして、兄弟でこの異世界を共に生き、冒険し、助け合って生きていきたい……そんな純粋な心からルーデウスは話しかけたのだ。

 

『もしかして、ウィルの前世は日本人だったりするのか?』

『……』

 

 二人きりになる時を見計らい、意を決して問うたルーデウスに対してのウィリアムの応えは沈黙。

 

 否定とも肯定とも取れないウィリアムの態度に、ルーデウスはそれ以上問い詰める事が出来なかった。

 それ以上問えば、それまでのただ苦手だった弟が、得体の知れない怪物に豹変する危険性を感じとったのだ。

 太平の世に慣れ切った平成日本人には計り知れないナニカを感じてしまったのだ。

 

 黙して語らぬウィリアムの表情は、いつもの薄い笑みは見られず、ただ無表情。

 戸惑うルーデウスを見つめるその目は、ルーデウスの臓腑まで透かしているかの如く、ただただ無色の瞳。

 ルーデウスは、その瞳に見つめられ言い知れぬ恐怖を感じてしまっていた。

 

 やがて、いつもの薄い笑みを浮かべながら

 

「兄上、ウィリアムは兄上が今なにを申したのかとんと検討がつきませぬ。一体何の言葉遊びでしょう?」

 

 と、このこの世界の言葉(・・・・・・・)でルーデウスに話しかけた。

 

 

 それ以来、ルーデウスは弟に対して日本語で話しかけてる事はしていない。

 あの時感じた得体のしれぬ恐怖は、大人しい弟の日常と、兄を敬うその姿により徐々にルーデウスの中から消え去りつつあった。

 

 

 それが今、またルーデウスの中で大きく膨らみ始めていたのだ。

 

(ウィル……お前は一体“誰”なんだ……)

 

 意識を失うウィリアムを見つめるルーデウス。

 この弟のやすらかな寝顔が別人に見えたのは、夜も明け切らぬ薄暗さゆえ。

 ルーデウスはそう自分に言い聞かせる事で恐怖を中和しようとした。

 

 意識を手放したウィリアムを背負い、ルーデウスはブエナ村へと歩を進める。

 後からついてくるシルフィエットとも一言も喋らずに、ただ無言で歩き続けていた……

 

 

 

 この日生まれ()でた怪物は一匹

 

 

 異世界に、剣虎の魂が再び燃え上がった日である。

 

 

 

 


 

 

 ウィリアムを連れ、家に戻ったルーデウスとシルフィエット。

 丁度一時捜索を切り上げたパウロやローデスら村の若衆達もグレイラット邸に集まっていた。

 

「……ルーデウス! ウィルは見つかったか!?」

「はい父様、ウィルは無事ですよ」

 

 ルーデウスに背負われたウィルを一目見るや、即座にルーデウス達に駆け寄り、まるで奪い取るかのようにウィリアムを抱き抱えるパウロ。

 その表情は、見つかった事による安堵と一晩中捜索していた疲労からくしゃくしゃに泣き濡れた表情であった。

 

「ウィル……! ウィル! 心配かけやがって……!」

 

 ぎゅうぎゅうとウィリアムを抱きしめるパウロ。

 ルーデウスはその姿を見て、ふぅっと安堵のため息を漏らした。

 シルフィエットも、ルーデウス同様に安堵の表情を浮かべている。

 パウロの腕の中で眠るウィリアムの表情は、年相応の無垢な寝顔であった。

 その表情を見つめ、シルフィはあの異様な光景は夢だったのかな……と、益体もない考えを巡らせていた。

 

 やがて同じく疲労の色が濃い表情を浮かべたゼニスも、リーリャを伴ってグレイラット邸から姿を現す。

 

「ああ……! ウィル! よかった! 本当によかった!」

 

 駆け寄ったゼニスはパウロと同じく、奪い取るようにウィリアムを抱きしめる。

 力強く抱きしめるゼニスを、パウロは包み込むようにやさしく包容し、共に涙を流した。

 

 

「いやいや、無事に見つかってよかったですよ」

 

 パウロ達の様子を優しい表情で見守っていたルーデウスに、捜索に加わっていたシルフィエットの父、ロールズが声をかける。

 その表情は、同じように安堵の表情を浮かべていた。

 

「ロールズさん、皆さん。本当にありがとうございました。父様と母様に代わってお礼します」

「私からもお礼を申し上げます。ウィル坊ちゃまを探してくださって本当にありがとうございました」

 

 ロールズらに、ルーデウスとリーリャはぺこりと頭を下げる。

 

「いや、パウロさんは普段から我々村の人間を守ってくれているからね。今回でちょっとでもその恩を返す事が出来てよかったよ」

「そうそう、だからルーデウス君やリーリャさんもそんなに気にすんなって!」

「しかしルーデウス君はその年で親に代わってお礼が言えるなんて、マジ偉いわー」

「うちの息子にも見習わせたいよほんと」

「出来ておる喃……ルーデウスは……」

「ルーデウス半端()ねぇ、ガチ半端()ねぇ」

 

 若衆達に褒めちぎられるルーデウスは、苦笑しながらパウロ達を見やる。

 見るとパウロ、そしてウィリアムを抱いたままのゼニスがこちらへ向かってきた。

 

「皆さん……本当にありがとうございました」

「俺からも改めて礼を言わせてくれ。ありがとう」

 

 同じように気にするな、と声をかける若衆達。

 既に朝日は上り切り、爽やかな朝の空気が場を満たしていた。

 

「さあ、そろそろ解散しましょう。夜通しの捜索、お疲れ様でした」

 

 パンパン、と手を叩き、解散の号令をするロールズ。

 若衆達は挨拶もそこそこに、三々五々にそれぞれの家へと帰宅していった。

 やがてグレイラットの家族以外でこの場に残ったのはロールズとシルフィエットのみとなった。

 

「さて、ルーデウス君、シルフィ。帰る前に一つ聞きたい事がある」

 

 ロールズは改めてルーデウスの方を向き、恐らくこの場の誰もが気にかけている事をルーデウスに問いかけた。

 

「……はい。ウィリアムの事ですよね」

「……」

 

 ルーデウスはその疑問を先読みして応える。

 シルフィエットは、先程までの安堵の表情からやや陰鬱な表情を浮かべていた。

 

「ウィリアムは村から少し離れた林で見つかりました……」

 

 ぽつぽつと、ルーデウスは語り始める。

 

 木立に一心不乱に木剣を振るうウィリアム。

 その表情は何かに取り憑かれたかのよう。

 ただ、その眼だけは妖しく輝いていた。

 シルフィエットが『まるで猫みたいな目をしていた』と補足する。

 

 ルーデウス達の話を聞くにつれ、困惑の表情を浮かべるパウロ達。

 まさかウィリアムがそんな事を……困惑するパウロ達で、リーリャだけがどこか納得をしている表情を浮かべていた。

 

「……ウィルは何か悪いモノに取り憑かれているのか?」

「それは……わかりません。母様から見てどうですか?」

 

 ルーデウスはゼニスに話を向けた。

 ゼニスは元S級冒険者で治療術士として治療魔術、解毒魔術をそれぞれ中級まで習得していた。

 現在も村の診療所の手伝いを行っている為、その治療術には衰え無く発揮されている。

 

「……私は神撃魔術を修めてないから何かに取り憑かれているかは分からない」

 

 所謂悪魔憑き、呪いの類は様々な形でこの世界に現出している。

 大抵は魔力の異常により引き起こされる物で、利益のある能力を持つ人間を神子、不利益のある能力を持った人間を呪子と区別されていた。

 それ以外で悪意のある呪いが他者からかけられる事もあるが、その呪いは術師が解除、死亡する事で解呪される。

 呪いの解呪法は古代から研究されていたが、術師に直接的な行動を取る以外でこれらを解呪する手段は未だ見つかっていない。

 

「でも、ウィルには何か憑いているようには思えないわ……」

 

 それでもゼニスは長年の治療師としての勘か、または母親としての勘からなのか。

 やさしくウィリアムの頭を撫でながら、ウィリアムには憑物が無い事を断言する。

 その言葉にルーデウス達は頷くしかなかった。

 

「父様、どちらにせよウィルにはしばらく目を離さないようにしたほうが」

「ああ、言われるまでもないさ」

 

 起きたらまず話を聞いてあげないとな、とパウロはルーデウスに片目を瞑りながら囁く。

 ルーデウスは、以前のパウロとのやり取りを思い出し、再び苦笑を浮かべていた。

 

 

 

 

──────────────

 

 ウィリアムが目を覚ましたのは更に日付が変わり、翌日の日中の事であった。

 ノルンとアイシャの世話をしつつ、ゼニスやパウロと交代でウィリアムの様子を見ていたリーリャが、ウィリアムの体を拭こうとしていた時である。

 丸一日以上眠っていたウィリアムは、覚醒するやいなや飛び上がるようにして外を向かおうとした。

 文字通り突然飛び上がったウィリアムに慌てて声をかける。

 

「ウィ、ウィリアム坊ちゃま!無理をなさってはいけません!まだ横になって……」

リーリャか(・・・・・)

 

 リーリャの言葉を遮るように言葉を発するウィリアム。

 それまでのリーリャに対する慇懃な対応とは違う力強い言葉。

 リーリャを呼ぶ時はかならず敬称をつけていたそれまでとは違い、ウィリアムの豹変ぶりにリーリャはただ戸惑う事しか出来なかった。

 覚醒した虎の眼は、猛禽を思わせる鋭い眼光を放っていた。

 

『湯』

「え…?」

「……風呂だ」

 

 ウィリアムは、前世の感覚で日ノ本言葉(・・・・・)を使ってしまった事を密かに恥じた。

 しかし、反射的に対応していたリーリャにはこの言葉に気付くはずも無し。

 ちなみに風呂はこの世界、ブエナ村でも備えている家はほとんどない。

 グレイラット家は、ルーデウスの趣味と前世の風呂好き日本人の魂が震えたのか、得意の土魔法で風呂場が増設されていた。

 

「すぐにご用意致します。だから、ウィリアム坊ちゃまはまだ横になっていてくださいませ」

「大事無い」

 

 リーリャの気遣いにも素っ気なく対応するウィリアム。

 何はさておき、リーリャパウロ達にウィリアムが起きた事を伝えるがてら風呂の準備をしに部屋から退出する。

 

 テーブルに置いてあった果物をおもむろに齧りつつ、ベットの上にあぐらをかき瞑目するウィリアム。

 先程つい日本語を使用した事で、兄から日本語で語りかけられた事を思い起こした。

 

(同じ、日ノ本の民か──)

 

 あの時、兄ルーデウスは確かに日本語で同じ日本人である事を打ち明けた。

 おそらく自分の所作から当たりをつけたのだろう。

 

 最初は、同郷の念から日本語で応えようとはした。

 しかし、ウィリアムは──虎眼は、それをよしとしなかった。

 

(虎眼流の秘奥……何が切欠で漏れるか分からぬ)

 

 ウィリアムは虎眼流を前世より練り上げる為、徹底した術理の秘匿を決意している。

 天下無双に至るまで、それまでに幾度にも及ぶべくであろう強者との立合いをより有利に進めるため、今しばらくは虎眼流の秘奥を秘匿する必要があったのだ。

 術理を再確認する為の奥義の伝書も日本語で認めていた。

 

 故にルーデウスに話しかけられたその日の内に、密かに記してあった虎眼流の伝書の全てを焼却している。

 同じ日本語を解する者から虎眼流の秘奥が流出するのを避ける為であった。

 もっとも旧字体の達筆で書かれたそれにひきこもりニートでしかなかったルーデウスに解読できるはずもなかったので、端から見ればこのウィリアムの行動は無駄であったが。

 

(闘気とは……虎眼流を更なる高みへと達せられる)

 

 ウィリアムは一度全力で闘気を放出し、今の時点での限界を見極めようと森中への稽古へ出かけた。

 当初家人に伝えた通り、それ程時間を掛けるつもりは無かった。

 稽古用の木剣を構え、闘気を練り上げた渾身の一撃は木剣を破砕すると共に、打ち込んだ樹木を4割近くへし折っていた。

 

 そして夢中になった。

 

 最初に用いた木剣は、やがて使い物にならなくなった。

 数刻後には、かつて愛用した“かじき”を模した大型の素振り用木剣を削り出し、猛然と“切り返し”を行った。

 限界を超えても切り返しを止めなかった前世の忠弟を思い起こすかの如く、切り返しを続けたのだ。

 

 その手応えを確かに感じたウィリアム。

 着々と、虎の牙は研がれつつあった。

 

 しばし瞑目した後、バタバタと床を鳴らしながらパウロ、ゼニスが部屋へ入ってきた。

 

「ウィル!」

 

 一目散にウィリアムへしがみつくゼニス。

 ぎゅうぎゅうと締め付ける母の包容に、ウィリアムは穏やかな表情を浮かべた。

 が、それも直ぐに収まり虎を思わせる眼に再び戻る。

 それを見たパウロは、一流剣士にしか伝わらない何かをウィリアムから感じ取っていた。

 

「父上……母上……。ご心配をおかけして、真に申し訳ない」

「ウィル……いいの。あなたが無事でいてくれた……それだけで十分よ……」

「……どうして、あんな無茶な事をやったんだ?」

 

 パウロは、しっかりと虎の眼を見据えて問いかける。

 虎は、作ったかのような笑みを浮かべながら答えた。

 

「稽古するのが、つい楽しくて」

「……解った。それ以上は聞かない」

 

 パウロはそれ以上の追求をしなかった。

 ウィリアムが発見された現場をパウロも自身の目で検めている。

 いかに闘気を発現させたとはいえ、その凄惨ともいえる現場は5才の子供が成せる所業ではなかった。

 

 どうやってそこまで

 

 何故あそこまで

 

 様々な疑念が沸く。

 しかし、ウィリアムはそれ以上答えてはくれないだろう。

 下手に聞き出しては、ルーデウスと同じような失敗をするかもしれないとパウロは考えた。

 

「でも、今度から長い時間稽古するならその事をちゃんと言ってくれよな……とりあえず腹減ったろ? リーリャが風呂沸かしてるから飯の前に先に浴びてさっぱりしてこい」

「はい、父上。母上も」

 

 変わらず抱きすくめる母を気遣いつつ、しっかりとした足取りで風呂へ向かうウィリアム。

 言葉使いは変わらねど、それまでとは別人と思える“気”を発するウィリアムを見つめるパウロの表情は、得体の知れない恐怖を僅かに滲ませていた。

 

 

 

「ウィル! お風呂入るなら久しぶりにお母さんと一緒に入りましょ! 洗ってあげる!」

「……一人で入れます」

 

 だが、ゼニスはお構いなしにその愛をウィリアムに向ける。

 後ろ姿からは表情は伺えないが、首筋から耳まで羞恥に染まるウィリアムの姿を見て、先程感じていた恐怖が霧散していった。

 

「まだまだ子供だなぁ……」

 

 ほっと一息ついたパウロは、息子がまだ自分が知らない何かに変わってしまっていないのだと一人安堵していた。

 しかし自分との稽古ではあのような凄まじい姿を全く見せていなかったウィリアムには、相変わらず何か底が知れない物を感じていた。

 

 

「……丁度良いから例の件、ウィリアムにも一枚噛んでもらうかな」

 

 故に、パウロは画策する。

 生き急ぐ兄を、力づくで説き伏せる為の一計を、ウィリアムにも噛ませて見極めようと──

 

 

 

 虎の今生での“実戦”の時が近づいていた──



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第五景『(なが)れ』

 

 ウィリアムの失踪騒ぎから5日後──

 事はいつも通り行われているパウロとルーデウスの剣術の稽古の最中に起こった。

 

「なあ、ルディよ」

「はい、なんでしょう父様」

 

 パウロの言葉にルーデウスは表情を引き締めて耳を傾ける。

 以前にパウロに願ったバイトの話……シルフィエットと共に学校へ通うための資金捻出の為に行うバイトの話と思い込んでいるルーデウスは、前世も含めて初めての“仕事”に気合を入れている。

 

「お前……さ。シルフィと別れろって言われたら、どう思う?」

 

 しかし、パウロの口からは放たれたのは、ルーデウスの予想だにしない言葉であった。

 

「は? 嫌に決まってるじゃないですか」

「だよなあ」

「なんなんですか?」

「いや、なんでもない。話をしたって、どうせ言いくるめられるだけだしな」

 

 そうパウロが言った直後。

 豹変したパウロはルーデウスに強烈な殺気を向ける。

 

「えっ!?」

 

 膨大な殺気を出し、パウロが踏み込む。

 ルーデウスは刹那の時に、明確に“死”をイメージした。

 

 しかし瞬時に魔力を全開にしてパウロを迎え撃つ。

 得意の魔術でパウロとの間に爆風を発生させ、自身も大きく後ろへ飛び距離を取る。

 

(なになに!? なんなの!? 俺がちょっとワガママ言ったから怒ってるの!? ねえパパン!?)

 

 ルーデウスはパウロとの稽古で、日々対パウロとの立ち合いをシミュレート想定していた。

 シミュレート通り、魔術で対抗する為に距離を取る。

 

(何にせよパウロはやる気だ……応戦しなきゃやられる。思い出せ、何度もシミュレートした対パウロ戦を)

 

 しかし、パウロは爆風を全く気にせずにルーデウスに突っ込んで来た。

 反射的にルーデウスは自身の真横に衝撃波を発生させる。

 衝撃波でパウロの猛追を躱し、ようやく距離を取る事が出来た。

 瞬時に最も得意とする土魔法で足元の土を操作し、更に踏み込もうとしたパウロの足を止める。

 

 が、パウロは即座に逆足で踏み込み、またもルーデウスに肉薄する。

 

(両足を止めないとだめなのかよ……!?)

 

 再び足元に“泥沼”を作り出し、パウロの足を止める。

 だが、それすらも刹那のタイミングで沼の縁に足を掛け、三度ルーデウスに肉薄するパウロ。

 

 しまった! と、ルーデウスが思った時には、既にパウロはルーデウスの眼の前に存在した。

 

「う、うああああ!」

 

 慌てて剣で迎撃するルーデウス。

 型も何もない無様な一撃は、“ぬるり”とした感触しか返ってこなかった。

 

(水神流! 受け流された!)

 

 水神流の技で流された直後に来るカウンターの一撃。

 スローモーションのように、パウロの剣がルーデウスの首筋へと伸びる。

 

(ああ、だめだ。……真剣じゃなくてよかった)

 

 来るべき衝撃にルーデウスは目をつむる。

 しかし、いつまでたっても己の意識を刈り取る一撃はやって来なかった。

 

「……?」

 

 恐る恐る目を開けば、パウロの木剣はルーデウスの首筋の寸前で止められていた。

 パウロは木剣を引き、やおら家の方を向く。

 

 

「ウィル、いいぞ」

 

 いつからそこにいたのか、実弟ウィリアムが木剣を手にルーデウスを見つめていた。

 

 

 


 

「と、父様! 一体何なんですか! いきなり本気で……」

「ルディ。次はウィルと立ち合え」

 

 俺の抗議の言葉を遮り、パウロはウィルとの立ち合いを指示する。

 いきなりシャレにならん殺気を出して襲いかかったと思ったら、今度はウィルと立ち合えだって?

 ワケも分からず混乱する俺にかまわず、ウィルは俺へと歩を進める。

 

 一体何なんだこれは……

 

 ウィルと俺を立ち合わせる意図は何だ?

 ていうかそもそもパウロは何で俺に襲いかかって来たんだ?

 

 ふつふつと、理不尽なこの状況に怒りが湧いてくる。

 

 ああー……もう。

 パウロ。

 

 お前さんが何を考えてこの状況を仕組んだかはさっぱりだ。

 だけど、お前さんが立ち合えっていうなら、望み通りウィルとやり合ってやるよ。

 この何考えてるのかよくわからんヒ○カみたいな弟に兄の威厳を思い知らせてやる!

 

 ……ヒソ○は言いすぎたな。ゴメン、ウィル。

 せめて愛○惣右介みたいだと言っておこう。あまり変わらんか。

 

 そんな下らない事を考えていると、ウィルが歩みを止めて木剣をゆっくりと構えた。

 

「……いざ参る」

 

 ウィルは、そう言うと木剣を担ぐように(・・・・・・・・)構え直した。

 

「一太刀……一太刀にて、終わらせまする」

 

「な……!」

 

 ──パウロと俺の差はまだまだ大きい。

 今さっきの戦いで、それが十分身にしみた。

 でも振り返ればそこまで悪い戦いじゃなかったと思う。

 結果的には惨敗したけど……

 

 そんな俺に一太刀で終わらせるだって?

 

 舐めすぎだろ、俺を。

 

 転生してから、俺は毎日毎日体を鍛え、魔術を磨いてきた。

 もう後悔したくない──そんな思いで、毎日努力してきた俺を舐めすぎだろ。

 

 いいぜ、見せてやるよ。

 お前の兄貴が、どれだけ強いかを見せてやる!

 

 ……とはいえ、熱くなったらダメだ。

 一回深呼吸をし──よし。落ち着いた。

 

 先程のパウロとの一戦での反省点は、十分に距離が取れなかった事だ。

 相手が魔術を使ってこないなら、アウトレンジで一方的に魔術を使って戦うのが鉄則──

 十分に距離を取る為、数歩、後ろへ後ずさる。

 

 ウィルは木剣を担いだまま動こうとしない。

 ていうかその構えは、剣神流や水神流にも無い構えだ。

 視線の隅に見えるパウロも、ウィルの構えを眉を顰めながら見ている。

 

 遠い。遠すぎる。これなら掠りもしない。

 

 でも、まさか北神流みたいに剣を投げるんじゃないだろうな……

 

 北神流は、なんていうか型という型が存在しない剣術だ。

 一応北神流の中でも奇抜派、実戦派、魔王派等いくつも門派があるから一概にはそう言えない所もあるけど……。

 ちなみにパウロは奇抜派を習得している。

 

 だけど、どれだけ早く投げつけようが、この距離なら余裕で躱せる!

 

 十分に距離を取った。

 お前が一撃で終わらせるつもりなら、こっちも一撃で終わらせてやる。

 多少強めに魔力を練り──狙いはウィルの頭。

 

 致命傷には至らないように、ある程度抑える必要があるけど、狙い所さえ外さなければ一撃で意識を刈り取れる。

 無詠唱魔法なら、相手の初動がいかに早かろうがおかまいなしに初撃を叩き込む事が出来るのだ。

 

 相変わらず剣を担いだまま静かに動こうとしないウィルに向けて、必殺の一撃を見舞うべく指先を向けた。

 

 

「ストーンキャノ……」

 

 

 

 カッ

 

 

 

 そんな音がしたと思ったら、目の前に壁が現れた。

 

 

 なんだ!? なにが起こった!

 

 

 意識が混濁する。

 目に映る壁が、ひどくドロドロに見えた。

 

 ……ああ、これ、俺が地面に倒れているんだ。

 

 壁だと思っていたのは地面だ。

 つまり、俺が、ウィルの一撃を食らって、倒れたんだ。

 

「ぐっ……ぎ!」

 

 気合で立ち上がる。

 頭がくらくら、ガンガンする。

 景色がドロドロする。

 

 でも、このままじゃ終われない。

 

 そう思い前を向くと、木剣を咥えた虎(・・・・・・・)が目の前に──

 

 首筋に、衝撃を覚え、意識が暗い闇へと落ちていった──

 

 

 


 

 ウィリアムが放った“流れ”という虎眼流の剣技がある。

 

 虎眼流中目録以上にのみ伝授される秘伝の技で、剣を片手で背後に担ぎ、柄の鍔元から柄尻まで横滑りさせながら剣を振る事で、相手の目測を超える射程距離で斬撃を叩き込む必殺の技だ。

 

 通常の間合いでは、この流れを躱すのは至難の業。

 精密な握力の調整が出来なければ、剣はあらぬ方向に飛んで行ってしまうだろう。

 

 ──流れ一閃

 

 ウィリアムが放った“流れ”は、ルーデウスの顎先を掠め、地を這わせた。

 神速の斬撃を目の当たりにしたパウロは、全身から冷や汗が吹き出していた。

 

(もし──俺があの技を受けていたら──)

 

 剣神流に“無音の太刀”という奥義がある。

 上級以上の使い手が習得しているその技は、闘気を乗せ、文字通り風切り音さえ残さない速度の斬撃を見舞う。

 並の使い手では躱せないその技を思い起こすパウロは、ウィリアムが放った斬撃がそれと何ら遜色もない……いや、それ以上の速度で叩き出されたウィリアムの斬撃を、果たして自分でも躱しきれるか──

 水神流の受け流しも間に合わない、その最小の斬撃で放たれた“実戦的な技”に驚愕を覚えていた。

 

(一体いつのまにそんな事ができるようになったんだ?)

 

 パウロとの稽古では全くもって基本通りの稽古しかせず、闘気の使い方を教えた事以外はとりたてて特別な事はしていない。

 なのに、どこの流派にも見られない剣筋を放つウィリアム。

 

 ルーデウスは、毎日の剣の稽古やロキシーとの魔術の修行を見ていたので成長具合がよく見えていた。

 先程の戦いでは危うく一本取られるかと密かに安堵のため息をついたくらいだ。

 

 時間にしてみれば一瞬だったが、完全な奇襲であったにも関わらず、三歩もルーデウスに使った。

 特に最後の一歩を少しでも躊躇すれば、足を取られ一気にやられていただろう。

 

 ルーデウスとパウロの戦いは、内容的には完璧にパウロの負けであった。

 

 我が子ながら末恐ろしい。

 だが、嬉しい。

 パウロは、自分の息子がその才能の片鱗を見せつけた事を、素直に喜んでいた。

 

 そんなルーデウスをただの一振りで打ち負かしたウィリアム。

 自分があずかり知らぬ所で兄以上の実力を身に着けていたウィリアムは、一体何をしてそこまでに至ったのか。

 

 パウロは、ウィリアムが隠しているポテンシャルを見る為だけに、ルーデウスとの立ち合いを画策した。

 

 思えば最初に立ち合って『さすが俺の子』、と思わせる程戦いのセンスを見せたルーデウス。

 しかし、けしかけたは良いがルーデウスに対しウィリアムがまともに戦えるのか……今更ながら立ち合いを仕向けた事を悔やんでいた。

 

 でも、底が見えないウィリアムならそこそこいい勝負をしてくれるのでは──

 そんな淡い期待を込めつつ、ハラハラと子供達の立ち合いを見守っていた。

 

 それが、一撃で葬ると不敵に宣言するウィリアム。

 

 その宣言通りに、見慣れぬ構えから放たれた斬撃でルーデウスは沈んだ。

 

(つーかあの間合いから届くなんて……ありえねえだろ!)

 

 ひと目見ただけではその術理は解明できない。

 僅かに木剣の柄を滑らせたようにも見えたが、どんな稽古をすればそれが出来るのか……

 

 この得体の知れぬ次男坊は、パウロの想像をあらゆる意味で超えていた。

 

「……」

 

 無言で兄を見下ろすウィリアム。

 その瞳はただただ無色──

 

「ぐっ……ぎ!」

 

 必殺の流れを受けたというのに立ち上がろうとするルーデウス。

 その様子を見たウィリアムは、意外にも根性を見せる兄を僅かに驚愕の眼差しで見やる。

 しかし、剣虎は、即座に止めの一撃を加えるべく木剣を振るった。

 

「ッ!」

 

 鋭い一撃を首筋に叩き込むウィリアム。

 今度こそ、ルーデウスの意識は完全に途絶えた。

 

 

 そして虎は、更に一撃を加えんとしたのか、大上段に木剣を構えた。

 

 

「あぶねえ!」

 

 振り下ろそうとする瞬間、即座に割って入り、ウィリアムの木剣を掴むパウロ。

 そのまま木剣を奪い取ったパウロは、ウィリアムの頬を叩いた。

 

「加減しろ莫迦!」

 

 パウロに頬を叩かれたウィリアムは、変わらず無表情に父を見つめる。

 

「兄弟だぞ!」

 

 そんなウィリアムに構わず、ルーデウスを抱き抱くパウロ。

 叩かれた頬を抑え、しばし瞑目したウィリアムはそのまま無言で頭を下げた。

 

 

「そいつらがお前の子供か」

「ギレーヌ! もう来ていたのか」

 

 パウロが頭を上げると、よく鍛えられた肉体、露出度の高いレザーの服、全身傷だらけで猫耳を生やした女戦士が立っていた。

 片目は眼帯を装着している。

 その豊満な体つきは、歴戦の剣士が持つ“凄味”と女性としての“色気”を備えていた。

 

 ギレーヌと呼ばれた女戦士は、パウロに抱かれたルーデウスと、その隣に佇むウィリアムを交互に見やった。

 

「その子が例の子で……こっちは……」

 

 ギレーヌはその隻眼の瞳で、ウィリアムの瞳を見つめる。

 ウィリアムはいつも通りの色が無い瞳でギレーヌを見つめ返していた。

 

「パウロ・グレイラットが二子、ウィリアム・グレイラットと申します」

 

 ウィリアムはギレーヌにぺこりとおじぎをする。

 端から見れば礼儀正しく挨拶する子供。

 先程まで容赦なく兄を打擲しようとしていた空気は、いずこかへと消えていた。

 

「ほう、パウロの息子にしては礼儀正しいんだな。あたしはギレーヌだ」

 

 ギレーヌはウィリアムをまじまじと見て声をかける。

 この見慣れぬ剣術を使う子供に、剣王級まで上り詰めた獣人剣士は関心を高めていた。

 

「先程から見ていたが……随分変わった剣を使うんだな。パウロ、お前はいつから三大流を止めて無手勝流になったんだ?」

「いや……ウィルのは……」

 

 ギレーヌはこの見たこともない太刀筋をパウロが仕込んだ物と思い込んでいた。

 パウロはギレーヌの問いかけに言い淀む。

 自身が全く教えていないウィリアムの剣筋は、一体いつ覚えたのか。

 むしろパウロの方が聞きたいくらいであった。

 

「まあいい。例の件がなかったら、あたしはこの子に剣術を教え……いや、立ち合ってみたかったがな」

「ギレーヌ……」

 

 剣王級剣士としての性か、僅か5歳の童子にまで闘争本能を滲ませるギレーヌにパウロは何とも言えない表情を浮かべる。

 

 当のウィリアムは己の虎眼流を“無手勝流”などと言われ、むっと表情を膨らませかけたが……初めて見る獣人族の容貌に、怒りより興味が勝っていた。

 マジマジと、ギレーヌの猫のように揺れる尻尾を見て、(猫又?)と、場違いな疑問さえ覚えていた。

 

 

「久しぶりねギレーヌ」

「ゼニスか」

 

 ゼニスがリーリャを伴って家から出て来る。

 ゼニスは、以前自身が所属していた冒険者パーティ“黒狼の牙”元メンバーであるギレーヌと、久方ぶりの再会に言葉を弾ませていた。

 

「ウィル」

 

 そして、ゼニスはウィリアムの目の高さまで屈んでその瞳を見つめる。

 かける言葉は、先程のルーデウスを打擲せんとしていたのを、責める様子は一切感じられず……ただ優しかった。

 

「ウィルは、ちゃんと手加減してた(・・・・・・・・・・)よね。お母さんには分かるよ」

「な……母さん!」

 

 パウロはゼニスの言葉を理解できなかった。

 気絶させたまでは良いとしよう。

 たが、その後更に追撃を加えんと大上段に木剣を振るおうとしていたのを見ていなかったのか。

 

 その事を言おうとしたら、ギレーヌが追従するかのように言葉を添えた。

 

「ああ、それはあたしから見ても感じたな。この子は、まだ本気(・・)で打ちかかってはいなかった」

「なん……」

 

 パウロは女達から次々発せられる言葉に、ただ驚愕するばかりだ。

 

 

 事実、ウィリアムはルーデウスに手心を加えていた。

 前世での弟子達に対してもある程度の手心(・・・・・・・)を加えられるくらいの“優しさ”は持っている。

 今回の事も、“兄と立ち合え”“ただし怪我はお互い無いように”という父の言いつけを忠実に守っただけにすぎない。

 

 ルーデウスを昏倒させた二撃目の打ち込みも、本気であったらルーデウスの首と胴体は綺麗に離れていただろう。

 木剣で畳表を切断する技量を持つ虎眼流剣士は、真剣でなくても──否、例え素手であっても容易に人命を奪える殺傷能力を備えているのだ。

 最後の大上段に木剣を構えた事についても、単純にルーデウスが再び起き上がって来た時に備えていただけに過ぎない。

 

 それを叱責され、頬を叩かれた事については……ウィリアムはさもありなん、と甘んじて受け止めていた。

 どのような言いがかりであれ、父親に歯向かう事はウィリアムの前世での価値観が許さなかった。

 ルーデウスが以前、同様にパウロの“誤解”から叱責され、理路整然と父の誤りを正したのとは正逆の事である。

 

 ここでも平成と戦国末期の価値観の相違が現れていた。

 

 

「ウィルは、ちゃんと手加減して打っていたよね。お父さんは心配性だから、許してあげてね?」

 

 そう言いながら、ゼニスはそっと叩かれたウィリアムの頬を撫でる。

 ウィリアムは、あくまで父の面目を保つため、沈黙を続けた。

 

「しかしそんな事まで見抜けないとは……パウロ。冒険者を引退してから随分と鈍ってしまっているようだな」

「……剣王サマにそう言われちゃあ、なーんも言い返せねーよ」

 

 自身の上級剣士としての目利きは、剣王級には及ぶべくもなく。

 ましてや母親の目にすら劣っていた事に、パウロはまた“間違えた”事を深く反省した。

 

「すまん、ウィル。お前は、ちゃんと俺の言いつけ通りにルディを怪我させないように気をつけていたんだな」

「……」

 

 パウロの謝罪に、ウィリアムは再び頭を下げる。

 間違っていようがいまいが、父親には従うのが武家……それも次男坊としてはあるべき姿であった。

 もっともパウロはそのような仕来りに反発し、“ノトス”という家名を捨ててまで庶民的な家庭を築いたのだが──

 

 

「パウロ、そろそろいいか」

 

 父子の様子を黙って見ていたギレーヌが、痺れを切らすかのようにパウロに声をかける。

 

「ああ、すまん。ギレーヌ」

「しかし、弟に比べて剣術に難があるな」

「まぁな……でも、今回の件はそれも含めて丁度いいんだ」

 

 パウロはシルフィエットの父、ロールズから以前から相談されていた事を語る。

 

 初めて出来た友達のルーデウス。

 最初は仲睦まじく、健やかに過ごしていたが……

 徐々に、シルフィエットのルーデウスに対しての依存度が高まっていった。

 それにつれ、親の言うことも効かなくなり始めている。

 

 またルーデウス自身も、シルフィエットに依存し始めていた。

 

 このままでは互いの成長に宜しくない……

 

 そのような事から、パウロは縁戚のボアレス家に5年間、ルーデウスを預け

 強制的にシルフィエットと離そうとしたのだ。

 

 もっともルーデウス自身もそこを自覚し、だからこそ学校に通うための資金捻出、及びその為のバイトを申し出ていたのだが……

 肝心のシルフィエットと一緒では意味がない。

 

 だからこその、今回の強制送致。

 丁度、ルーデウスに合った仕事がボアレス家に用意されている。

 5年間、手紙や帰宅を禁じ、まったく新しい環境で様々な事を学び、飛躍する事を祈って。

 

 シルフィエットの事を考えれば、痛ましい事ではあるが、息子の成長を思えばこその行動だった。

 

 

「ああ……ルディ!」

 

 一段落し、ゼニスはパウロに抱えられたルーデウスに抱きつく。

 気絶しているルーデウスの顔に、名残惜しそうに口づけをした。

 

「まだまだ軽いよなぁ……」

 

 パウロはルーデウスの成長ぶりに頼もしさを覚えると同時に、まだまだ成長途中の我が子の軽さに表情を崩した。

 

「それじゃあギレーヌ。宜しく頼む」

「ああ。任された」

 

 ギレーヌが乗っていた馬車にルーデウスを押し込んだパウロは、認めた手紙と共にルーデウスをギレーヌに託した。

 挨拶をそこそこに、ギレーヌは馬車を走らせるよう御者に指示を出す。

 

 遠ざかる馬車を、残された家族は様々な思いを込めて見送っていた。

 

「あぁ、私の可愛いルディが行ってしまう」

「奥様。これも試練でございます」

「わかっているわ、リーリャ。ああ、ルーデウス! 旅立つ息子! そして二人息子の一人を奪われて可哀想なわたし!」

「奥様。もう二人じゃありません」

「そうだったわね。妹が二人(・・)生まれたわね」

「二人……! お、奥様!」

「いいのよリーリャ。私はあなたの子供でも愛して見せるわ! だって、私は、あなたを、愛しているのだもの!」

「ああ! 奥様! わたくしもです!」

 

 ゼニスとリーリャはやたらと芝居がかった口調で馬車を見送っている。

 もっとも、ルーデウスは他人から見ても優秀な子供なので、この二人もそこまで心配しているわけでは無いが。

 

(それにしてもこの二人、仲がいいなー)

 

 もはや馬車をそっちのけで熱い抱擁を交わすゼニスとリーリャ。

 そんな二人を見て、パウロは呆れながら馬車を見送る。

 

 下の子供達が物心付いた時にはルーデウスはいない。

 その時、このウィリアムが果たしてきちんと“兄”として振る舞えるのか。

 

(ま、どちらにせよ可愛い娘からの愛情は、父親で独占することになりそうだけどな!)

 

 そんな下らない事を考えつつ、横に並ぶウィリアムの頭をポンポン、と撫でる。

 

「ルディの……兄ちゃんの代わりに、お前も妹達の面倒を見るんだぞ」

「……父上のご希望とならば」

 

「そうじゃない」

 

 パウロは、先程のゼニスと同じようにウィリアムの目線の高さまで屈んだ。

 

「お前が、お前が心から、ちゃんとルーデウスの分まで妹達を“愛して”あげるんだ」

「愛する……」

「俺達は“家族”なんだ。正直、俺はお前が何考えているか分からない。こんな事でしか、お前を計る機会もなかった。でもな、ウィリアム」

 

 パウロはウィリアムを抱きしめながら言葉を続ける。

 

「お前が何者であれ……俺の大事な息子には変わりないんだ。俺達の、愛する家族なんだ。だから、ウィル。お前も俺達を愛してくれよな」

 

「……」

 

 

 ウィリアムは、前世ではなかった感情が湧き上がってくるのを感じていた。

 真っ直ぐな家族愛を向けられるのは、前の人生では無かった。

 

 ふと、目を閉じると、前世の一人娘……“三重”の姿が浮かび上がっていた。

 

 その表情は──

 

 

 

「ついでに仲良くオレをイジメるのをやめてくれると嬉しいって、母さんとリーリャにお前からも言ってくれないかなー……」

 

 そんなパウロのつぶやきに、ウィリアムは──笑顔を覗かせた。

 

「フフッ……」

 

 人生(・・)で初めて声を上げて笑ったウィリアム。

 前世では“嗤う”ばかりであったウィリアムだが、今、初めて味わうその感覚は、虎の心に爽やかな風を吹かせていた。

 

 

「か、母さん! リーリャ! ウィルが笑ってくれた! 笑ってくれたぞ!」

「まぁ! ウィル! そんな天使のような笑顔を見せてくれるなんて!」

「ウィリアム坊ちゃま……やっと、そんな表情を見せてくれるようになったんですね……」

 

 

(……かの家族は、日ノ本の“武家”とは違うようだ)

 

 

 過剰なまでの家族の反応に、ウィリアムは、再びその表情を崩した。

 

──────────────

 

 ルーデウス……こんなやり方は、オレだって好きじゃない。

 

 けど、お前は言っても聞かないだろうし、オレも言って聞かせられる自信はない。

 かといって、何もせずに見ているのも親として失格だ。

 力不足で他力本願だが、こういう事をさせてもらった。

 強引かもしれないが、賢いお前ならわかってくれるだろう……。

 

 いや、わかってくれなくてもいい。

 お前の行く先で起こる出来事は、きっとこの村では味わえないものだ。

 わからずとも、目の前の物事に対処していけば、きっとお前の力になる。

 

 だから恨め。

 オレを恨み、オレに逆らえなかった自分の無力さを呪え。

 オレだって父親に押さえつけられて育ってきたんだ。

 それを跳ねのけられなくて、飛び出した。

 その事には後悔もある、反省もある。

 お前に同じ思いはさせたくない。

 

 けどな

 オレは飛び出したことで力を手に入れたぞ。 

 父親に勝てる力かどうかはわからないが

 欲しい女を手に入れて、守りたいものを守って、

 幼い息子を押さえつけられるぐらいの力はな。

 

 反発したけりゃするといい。

 そして力を付けて戻ってこい。

 せめて父親の横暴に負けない程度の力をな。

 

 そして、ウィリアムも……

 お前に負けないくらい強くなって、

 生涯切磋琢磨できる関係になってくれれば、

 俺は嬉しい。

 

 

 

 ウィリアムを抱えくるくる回るゼニス、それをハンカチで目元を拭いながら見つめるリーリャ。

 その傍らで、パウロはルーデウスの乗った馬車が見えなくなるまで、息子の事を想っていた。

 

 

 

 

 時に甲龍歴414年

 

 

 ルーデウス7歳、ウィリアム5歳

 

 

 運命の事件より、3年前の出来事──

 

 

 

 

 




ルーデウス「ウィリアムが太刀を担いだら用心せい」


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第六景『転移(てんい)

沢山の評価、お気に入り登録、感想ありがとうございます。
頑張って続きを書いていきますので、変わらぬご愛顧の程、宜しくお願い致します。


 

 甲龍歴417年

 ルーデウス・グレイラットが縁戚のボレアス家に預けられてから3年の年月が経った。

 

 

 ウィリアム・グレイラットは8歳となり、健やかに──その牙を研いでいた。

 

 背丈はこの世界の一般的な子供とあまり変わらないが、その密度は着々と生前(・・)のそれを取り戻しつつあった。

 母ゼニス譲りの美しく伸びた金髪はルーデウスの様に短く整えられる事はせず、専らゼニスが(ゆわ)いて整えていた。

 成長しつつあるウィリアムの容姿は父パウロの子供の頃と見紛う程によく似ていた。

 だが、パウロの様な快活とした雰囲気は全く見られず……代わりに研ぎ澄まされた刀剣を思わせる“冷たさ”を備えていた。

 

 ルーデウスが強制送致された日以来、ウィリアムのリーリャを含めた家族に対する接し方は、幾分かやわらかい物にはなってはいた。

 

 が、失踪騒ぎで行っていた尋常では無い“一人稽古”は相変わらず。

 

 朝、起床しパウロと朝の稽古を行い、その後家族と食事。

 パウロが村の警邏に出かけるまで再び稽古をした後、日が暮れるまで一人で鍛錬。

 

 その“密度”は、パウロとの稽古とは比べ物に無らない程濃い物であった。

 

 

 虎眼流に“練り”と呼ばれる鍛錬法がある。

 素振り用の大型木剣を小半刻(約30分)かけ、素振りの一挙動を行う。

 力んだ際に奥歯が粉砕するのを防ぐため、手拭を口に咥えて行わねばならぬ程の過酷な修練。

 

 ウィリアムが行う鍛錬はこの“練り”から始まる。

 大の大人でも持ち上げるのに一苦労する程の素振り用木剣で鍛錬を行うウィリアムは、とても8歳の子供とは思えない有様を見せていた。

 もっとも以前の失踪騒ぎを反省しているのか、その鍛錬は専ら庭先で行っている。

 

 家族は最初こそは、この無茶な鍛錬を行うウィリアムを心配し、諌めてはいたが……

 構わず黙々と鍛錬を行うその姿に次第に慣れていったのか、やがてウィリアムの行動に口を出すことは無くなった。

 

 そんなウィリアムにパウロは一度ウィリアムが“神子”或いは“呪子”では?と疑った事もあった。

 

 魔力の異常により持って生まれた特殊能力が当人にとって利益のある能力を持つ人間を神子……不利益のある能力を持った人間を呪子と言う。

 特殊能力については様々な形で現れるが、特に知られているのは超人的な怪力だろう。

 シーローン王国の第三王子は『怪力の神子』として知られ、幼少時に弟の首を素手で引き千切った(・・・・・・・・・)逸話があり、時折来る行商人によってその逸話はこのアスラ王国内でも広く周知されていた。

 

 しかしウィリアムは大人顔負けの腕力を発揮する事はあるがその力を持て余す事無く己の物としているようである。

 一時はその力で家族を害してしまう事を恐れたパウロであったが……その心配は杞憂に終わっていた。

 鍛錬の時以外のウィリアムは至って大人しく、その力を家族に向ける事は無かったのである。

 

 

 “練り”の後は、ひたすら型稽古を行い虎眼流の太刀筋を確認する。

 もっとも中目録以上に伝授される秘太刀の型は以前決めた術理の秘匿という観点から、夜半に家族が寝静まった時に密かに行う程度に留めていた。

 

 かつてルーデウスが魔術の修行を行った庭で、黙々と虎眼流の型を振るうウィリアム。

 元“アスラ後宮近衛侍女”として剣術の心得があるリーリャがそれを目にする事もあったが、パウロとの稽古で学んだ剣術を自己流にアレンジしていると勘違いし……“練り”という尋常ではない光景に慣れた頃には、ウィリアムのその勤勉な姿勢に感心さえするようになっていた。

 

 もっと注意深く見れば、この世界に存在しないであろう太刀筋を振るっていた事に気づけたかもしれない。

 だが、リーリャは態度を軟化させたウィリアムをなるべく好意的に見るようになったので、結局は“虎眼流”という異世界(・・・)の剣術を感知する事は無かった。

 

 

 

 

 鍛錬が終わり家族と夕食をとった後、ウィリアムはさっさと家の中の過ごしやすい場所を選び、体を休める。

 

 一時は本を読む等して過ごしている時もあったが、グレイラット家にある書物はたった5冊しかない。

 早々に読み切ってしまったウィリアムは体を休めている時は座禅を組み、就寝の時間まで瞑想している事が多くなった。

 パウロやゼニス、リーリャは日々の猛稽古という“奇行”に慣れてしまいウィリアムのこの習慣を特に気にせず、日常の光景として受け止めていた。

 

 もっとも幼い妹達はそのようなウィリアムの習慣等おかまい無しにじゃれついてくる。

 ゼニスの子ノルンはウィリアムの膝の上で丸くなる事が多く、時折顔をぺちぺちと叩いては瞑想の邪魔をしている。

 リーリャの子アイシャはより活発な行動を取る事が多く、最近ではウィリアムの大きいとは言えない背中を登坂する事がお気に入りのようで、結わえられた下げ髪を容赦無く引っ張っては登頂を繰り返していた。

 

「うぃーにい、うぃーにい」と、辿々しい言葉で甘えるノルンとアイシャ。

 そんな妹達を邪険に扱う事は無く、黙ってされるがままのウィリアム。

 その姿に、家族は日々の苛烈な姿を忘れ微笑ましく見守るのが日課となっていた。

 

 偶にその光景に興奮したゼニスが乱入する事もあったが。

 

 パウロは娘の愛情を独占出来ると思っていただけに、やたらと懐かれるウィリアムに嫉妬を隠そうともしなかった。

 だが、それが逆に家族の“団欒”の一助にもなっていた。

 

 

(……邪魔じゃ)

 

 そう思いつつも、ウィリアムは家族達のスキンシップにそこまで悪感情を抱いてはいなかった。

 

 思い起こすは前世の娘、“三重”

 

 このような家族との触れ合いは、当然無く。

 

 三重が可愛がっていた燕の親子を斬り殺した事もあった。

 妻が自害した際も、悲しむ三重を一顧だせず、勝手に死んだ事を謗るだけであった。

 

 全ては掛川藩剣術指南役の家に生まれた“武家の娘”として育てる為

 優秀な種を迎え、お家の為に尽くす事を強いるように“愛娘”を育てた為

 

 

 だが、もし──もしもう一度、三重が小さき時分に戻れるとしたら──

 

 

(少しは構ってやれたやも知れぬな……)

 

 後悔も未練もある。

 だが、最早それは思っても詮無きこと。

 

「うぃーにい、おなかいたいの?」

 

 悔恨を思わせる表情を、膝の上に乗っていたノルンが心配そうに見つめていた。

 フッと微笑んだウィリアムは、ノルンを抱えながらやさしく語りかける。

 

「昔を、想っていた」

「むかしー?」

左様(さよ)。昔の話よ……昔のな」

 

 兄妹の会話は、余人には聞こえぬ程の小さな声で行われていた。

 幼いノルンは、この兄の言葉を理解する事は出来無い。

 だが、この大好きな兄が、何かを後悔しているのを感じる事は出来た。

 

「よしよし。うぃーにいはわるくないです」

 

 ノルンは、ウィリアムの頭を辿々しい手つきで撫でる。

 

 虎は、この幼い妹の優しさを、どう受け止めていいのか分からなかった。

 

 

 力を持て余す事は無いが、この感情は持て余す事しか出来ない。

 虎は、持て余した感情を打ち消すかのように、猛然と鍛錬を繰り返していた。

 

 

 

 


 

 失踪騒ぎ以来殆ど外出する事は無いウィリアムであったが、時折近所の野原に出かける事があった。

 

 ただし、その際は必ずシルフィエットが同行していた。

 これは大人達がウィリアムの無茶な行動を警戒し、お目付け役としてシルフィエットを同行させる事で、以前のような失踪騒ぎの再発を防ぐ意味合いがあった。

 

「ねえ、ウィルくん。今日は何をするのかな?」

 

 小さめの籠を抱え歩くウィリアムの隣で、シルフィエットは声をかける。

 最近では、ウィリアムの身長はシルフィエットと変わらぬ程の高さとなっていた。

 

「……野草を摘みに」

 

 嘘ではない。

 

 前世……戦国の世においてウィリアム──虎眼は、一兵卒として戦場を駆け巡った時があった。

 その際、陣中食の素材として野草を摘み、調理して食していた。

 天正十二年(1584年)“小牧・長久手の戦い”において徳川方で参陣した際も、共に参戦した伊賀者から“巻き菱”なる携帯保存食の作成法を学んでいる。

 “巻き菱”とは“撒菱”の語源であり、鉄製の忍具のイメージが強い代物であったが、元々は水草である“ヒシの実”を乾かした物である。

 これを追手を撒く際に使用するのが本来の使い方であったが、伊賀者は携帯保存食として食す事もあった。

 

 尚、余談ではあるがこの時の虎眼は中入り策で長久手に布陣した羽柴秀次、森長可、池田恒興らの軍勢を迎撃すべく出陣した徳川方、安藤直次隊に所属していた。

 その際、実に五十もの首級を上げ徳川方の武将榊原康政より

『かの者の働き、正に濃尾無双也』と評されている。

 またこの時の縁で、後に掛川城主となった安藤直次に兵法指南役として召し抱えられている。

 

 ウィリアムは今生に置いても武者修行の旅に出る腹づもりであった。

 しかしこの世界は、前世の日ノ本に比べいささか(・・・・)旅人に優しく無い。

 野盗はもちろん、魔物の存在が特に大きいせいか、街と街をつなぐ道中には旅籠のような気の利いた存在は無い。

 必然的に商人や冒険者は道中分の食料を抱え、旅をする事になるのだが……

 

 道中安全に旅が出来るとは限らない。

 何かの拍子に所持していた食料を失うとも限らない。

 故に食える野草の知識を積む事も、“異界天下無双”に至るまでの準備として必要であった。

 

 もっとも当初は上述の理由で食用野草を選別する為に採集を行ってはいたが、段々とこの異世界の野草の味が気に入ってしまい、単純に“食べたいから集める”ようにもなったのだが。

 

 

「また野草摘み? 好きだなぁウィルくんは……」

 

 シルフィエットは大好きなルーデウスの弟を、自分の弟のように可愛がっていた。

 失踪騒ぎに見せた尋常ではない姿から、一時はウィリアムに恐怖を感じていた事もあった。

 だが、ルーデウスがボレアス家に送致されて以来、それまでのそっけない態度から幾分かは自分に柔らかい態度で接してくれるようになった事もあり、ウィリアムを自身の弟としてそれまで以上に思うようになった。

 

 ただ、ルーデウスの弟だから可愛がる、というだけでは無く。

 

 以前……ある事が切欠でウィリアムに深い感謝の念を抱くようになったのだ。

 

 

 

 シルフィエットは元々村の子供達にひどいいじめを受けていた。

 その理由は、髪の色。

 エメラルドグリーンの美しい髪を備えたシルフィエットであったが、その緑色の髪は“スペルド族”を連想させた。

 

 約500年前に起きた歴史上最も新しい人族と魔族の戦争、“ラプラス戦役”

 “スペルド族”は、魔族側の尖兵として高い敏捷性と、額の宝石の索敵能力という一族の特能を活かし、奇襲の達人集団として人、そして魔族双方から恐れられた。

 ラプラス戦役中のある日、魔族側の総大将である“魔神”ラプラスがスペルド族の戦士団を訪問し、槍を下賜した。

 

 しかしラプラスが持ってきたのは呪いの槍であった。

 

 精神を狂わす事で戦闘力を跳ね上げるその呪いは、人族の敵を殺し、魔族の仲間さえも殺し、同じスペルド族の家族をも殺し……

 やがてスペルド族は味方の魔族から裏切り者として扱われ、戦後も迫害を受け続け魔大陸を追われた。

 この呪いの槍による暴走の恐怖から、世界全土で子供を躾けるのに“スペルド族が来て食べられてしまう”と教えるのが定番になっている。

 

 緑髪の魔族、亜人はこれらの理由で謂れのない迫害を受けるようになった。

 シルフィエットも多分に漏れず、村の子供達からいじめを受けていた。

 しかし、ルーデウスがその地獄の様な日々を過ごすシルフィエットを救い出した。

 それから、魔術や勉強を教えてもらうようになり……いつしかシルフィエットはルーデウスにひどく依存するようになった。

 

 “いつまでもルーデウスが守ってくれる”

 

 そんな“甘え”がシルフィエットの心の大部分を占めるようになった。

 それを懸念した父ロールズやパウロによってルーデウスと引き離されたシルフィエット。

 突然の別れにシルフィエットはひどく取り乱し……そして決意したのだ。

 

 自身も成長し、ルーデウスに傍にいるのに相応しい“女”になる事を決意した。

 

 いつしか守ってもらうだけで無く、自分もルーデウスを守れる存在になる事を誓って。

 

 守って、守りあって……そんな関係になったら、きっと、ずっと一緒に入られると信じて。

 

 その為に日々努力を怠らなかったシルフィエット。

 

 しかしルーデウスがいなくなるや、それまで鳴りを潜めていた子供達のいじめも燻り始めていた。

 

 丁度、初めてウィリアムと野草を積んでいた時。

 村の子供達と遭遇したシルフィエットは、またも謂れのない言葉の暴力を受けた。

 

『見ろよ! 魔族が草をとってるぜ!』

『魔族だから草が主食なんだな!』

『牛や馬みたいヨ! ギャハハハハ!』

『ヤツケル。魔族。ヤツケル。』

 

 容赦の無い中傷を浴びせる子供達。

 以前のシルフィエットならば泣きながら耐え忍ぶ事しか出来なかったが、この時は毅然と言い返すべく言葉を紡ごうとした。

 

 しかしウィリアムがシルフィエットの前に出た。

 

 

『人は姿にあらず』

 

 

 たった一言。

 

 その一言が、シルフィエットの心をどれだけ洗っただろう。

 

 虎の強烈な“睨み”と共にその言葉を受け、怯えた村の子供達は捨て台詞をそこそこに早々に退散した。

 シルフィエットはそれ以来人間の価値は、姿形では無く、何を成すかで決まるのだと教えられたのだ。

 

 

 もっともウィリアムはそのような高尚を垂れたつもりは一切無く、単純に前世の価値観で物を言っただけに過ぎない。

 その価値観では、どのような容姿の者であれ、その価値は全て“権威”で決められる。

 故に、何ら権威も持たない村の子供達がいずれは(・・・・)兄、ルーデウスの嫁になるであろうシルフィエットを中傷した事がひどく癇に障ったのだ。

 微妙にシルフィエットの事を想っていないのが、この歪な思想……封建社会の価値観を漠然と表していた。

 “武士道”という封建社会の完成形は、少数のサディストと多数のマゾヒストで構成されるのだ。

 道理や道徳など、権威の前では塵に等しい。

 たとえ蟷螂(かまきり)を思わせるような醜女でも、権威の為なら嫁にしなければならぬのだ。

 

 

「シルフィ殿。あちらの川べりで摘んでまいります」

「……ウィルくん。いい加減その他人行儀な呼び方止めてくれないかなぁ」

 

 いつもの採集場所の小川へたどり着いた二人。

 常に慇懃な態度を崩さないウィリアムに、シルフィエットはもっと気さくな関係を望んでいた。

 

「兄上の大事な人ですので」

 

 そんなシルフィエットに、ウィリアムは態度を改める様子は無い。

 あくまで“他人行儀”に、丁寧な言葉使いを崩そうとしなかった。

 

「だ、大事な人だなんてそんな……それ、もしかしてルディが言ってたの?」

「はい。兄上はよくシルフィ殿を嫁にするとも申しておりました」

「おおおお嫁さんだなんて……! ま、まいったなぁ、えへ、えへへへ」

 

 だらしなく表情を緩めるシルフィエット。

 その様子を冷めた目で見つめるウィリアム。

 どうも、このクオーターエルフの娘はルーデウスの話になると呆けてしまう事が多かった。

 

 ひとしきり照れたシルフィエットは、前々からウィリアムに伝えようと思っていた事を口に出す。

 

 

「あ、あのさ、ウィルくん。もし、もしよかったらだけど……私の事、“おねえちゃん”って呼んでもいいんだよ?」

 

 

 呆けているどころか、無意識に外堀を埋めようとするこのクオーターエルフの娘は、存外に冴えているのかもしれない。

 

 


 

 小川の近くに座って、ウィルくんを見つめる。

 ウィルくんは、せっせと籠に野草を摘んでいた。

 

 ウィルくんは、不思議な子だ。

 

 ルディとは、全然違うけど……たまにおじいちゃんみたいな雰囲気を出している。

 今だって、あんな渋くて食べづらい野草を、嬉しそうに摘んでいる。

 ぱっと見、あまり表情は変わらないけど、私にはわかるんだ。

 たぶん、今日のお夕飯で食べるんだろうなぁ……“おひたし”にするって言ってたけど。

 

「ルディとはなればなれになって、もう三年かぁ……」

 

 野草を摘むウィルくんを見つめながら、そんな独り言を、ついつぶやいてしまう。

 ルディは今ごろ、どこでなにをしているんだろう。

 すっごい魔術おぼえたり、お友だちもたくさんできてたりするのかな……

 

 お友だちって、女の子もいる……のかな……

 

 いやだな……そんなの……

 

 

 寝る前に、お父さんたちが聞かせてくれた大好きなおとぎ話を思い出す。

 

 “むかしむかし”

 

 “悪い魔女にいじめられていたお姫様は”

 

 “白馬に乗って颯爽と現れた王子様に助けられました”

 

 “そしてふたりは結婚し”

 

 “68歳まで生きながらえたとさ”

 

 ……そういえばなんで68歳なんだろう。あとでお父さんに聞いてみよう。

 

 

 ルディは、そのおとぎ話の王子様そのものだった。

 

 だから──私は、ルディと結婚して、ずっと守ってもらえると

 

 ──勝手に思い込んでいた。

 

 もし、ルディにその気がなかったら

 

 もし、ルディに他の女の子ができていたら

 

 

 もし、ルディが、私のことを忘れていたら──

 

 

「そんなこと……ないよね……」

 

 

 ……ねえ、ルディ。

 私ね、ウィルくんに一つ教えてもらった事があるんだ。

 

 人は、姿で決められる物じゃない。

 だから、人は努力する。

 人の価値は、その人の努力で決まるんだ。

 

 当たり前のことかもしれないけど、ウィルくんに言われると不思議と心の中に広がっていく。

 

 だから、私も努力する。

 

 だって私は、おとぎ話のお姫様じゃないもの。

 

 ただ守られるだけじゃ、ダメなんだよね。

 

 ルディの事も守ってあげられるくらい、強くなるからね。

 

 もっと魅力的になれるように、がんばるからね……

 

 

 

「……よし! ウィルくん、私も摘むのてつだ──」

 

 

 

 突然、光が津波のように迫ってきた

 

 

 樹木や、草を飲み込みながら、迫ってきた

 

 

 ウィルくんが、光に飲み込まれた

 

 

 私も、光に──

 

 

 

 

 ねぇ

 

 

 

 ルディ

 

 

 

 私もっと頑張るから

 

 

 

 次に会えたら

 

 

 

 今度こそ

 

 

 

 今度こそ

 

 

 

 

 

 ずっと一緒に──

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 “フィットア領転移事件”

 

 後にそう呼ばれた大規模魔力災害は、フィットア領に住まう人々を“世界各地へと転移させる”という前代未聞の被害をもたらした。

 

 同じアスラ王国内に飛ばされたのならまだマシな方であり

 小国家が乱立し紛争地帯となっている“中央大陸南部”

 砂漠地帯と強力な魔物が跋扈する迷宮群を擁する“ベガリット大陸”

 ベガリット大陸と双璧を成す危険地帯“魔大陸”

 魔神ラプラスが人族を分断する為に放った赤竜が住まう“赤竜山脈”

 獰猛な海の魔物と亜人が蔓延る“リングス海”

 

 過酷な地へと転移した者も多く、悲惨な運命に見舞われたフィットア領の住民は枚挙にいとまが無い。

 

 転移した先で即死した住民は数知れず、運良く生き延びた者もその過酷な環境で命を落とす事が多かった。

 やっとの事で帰還した住民も、家族や財産の何もかもが失われた故郷の姿に絶望した。

 

 帰る家を失い、愛する家族まで失った者の絶望感はいかほどであろうか。

 ギルドの依頼で各地より集まった支援者ですら途方に暮れる程のこの災害。

 老若貴賤問わず、この災害はフィットア領に棲まう全ての人間に不幸を撒き散らしていた。

 

 

 ルーデウス・グレイラットがエリス・ボレアス・グレイラットと共に魔大陸に転移し、転移後様々な人と出会い痛快な冒険を繰り広げていた事は、 後の世に実妹ノルン・スペルディアが記した『大魔術師ルーデウスの冒険』でも広く伝えられている。

 

 しかしウィリアム・グレイラットがこの転移事件の後、どこに転移し、何をしていたのかは全く伝えられていない。

 

 

 ウィリアム・グレイラットの名が再び歴史の表舞台に登場するのは

 

 

 

 甲龍歴423年

 

 

 

 剣術三大流派“剣神流”総本山

 

 

 

 “剣の聖地”からである

 

 

 

 

 

 




ノルン「何だかかなしいね」

※転移前のシルフィの一人称はコミックス版準拠です。


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幕間『駿河城御前試合(するがじょうごぜんじあい)

 

 全て、奪われた

 

 

 寛永六年(1629年)九月二十四日

 この日、駿府城南広場にて真剣(・・)を用いた武芸上覧試合が行われた。

 通常の武芸上覧試合では木剣を用い、直接身体に打突する事は許されない。

 御前試合に選ばれる程の一能の士を損失する事は、全くの無益だからである。

 しかし、尋常ならざる(・・・・・・)領主のひととき喜ばせる為に、この前代未聞の真剣試合が取り行われた。

 

 駿府藩主“駿河大納言”徳川忠長は増悪(ぞうお)していた。

 

 兄、徳川家光に将軍職を奪われた自身の境遇を。

 祖父、徳川家康が最も愛したこの駿府城を。

 当代将軍家光を傾けんが為、連判を問い、それを拒否した諸大名を。

 天下への野望の為に集められたはずの剣士達の渺渺たる有様を。

 

 出場剣士十一組二十二名。

 

 城内南広場に敷きつめられた白砂の庭で、様々な運命、恩讐、因縁にて集った剣士達が

 この魔王の激情を鎮める為その命を散らしたのだ。

 

 凄惨な真剣試合の結末は、手島竹一郎氏家伝『駿河大納言秘記』にて伺える。

 

 敗北による死者八名

 相打ちによる死者六名

 射殺二名

 生還六名、内二名重傷

 

 魔王の生贄となった剣士達の戦いで白砂は血の海と化し、死臭があたりに漂い、見物した侍ですら嘔吐する者もあった。

 しかし忠長は終わりまで平然とその試合を見届けた。

 

 あまりにも無惨な結末を迎えたこの饗宴は、後に公儀により厳しい詮議がかかり、その追求は忠長に招かれた大名家の重鎮らにも及んだ。

 藩主自ら陪観した肥後熊本藩主、加藤忠広などは領国を没収されている。

 

 そして駿河駿府藩も改易となり、駿河大納言家は取り潰し。

 忠長は将軍家光の命により自刃を申し付けられ、その驕暴な生涯に幕を閉じる事となる。

 

 

 真剣試合に全てを賭して戦った者達の悲哀。

 勝利し、生き残った者が得た物は何だったのだろうか。

 

 そして、その生き残りも後に因果な運命に翻弄されるとは。

 御前試合の出場剣士達に穏やかな終わりなど無かったのだ。

 

 

 “武士道とは死狂ひ(シグルイ)也”

 

 

 残酷な御前試合が残したのは、強烈な階級社会の元で生まれた狂気と悲劇のみであった。

 

 

 


 

 隻腕の剣士藤木源之助は父であり師である岩本虎眼の仇敵、伊良子清玄との真剣試合に臨んだ。

 御前試合第一試合で組まれたその一番へ向かう源之助と虎眼の一人娘、岩本三重。

 伊良子に勝利した後、三重と“重なり合う”という神聖な約束を交わした若き男女の姿は、龍門に挑む鯉の如く美しく、尊いものだった。

 

 白砂の庭で再び宿敵を見つめる源之助。

 桜吹雪の中でやっと……やっと三重と心をつなぎ合わせた源之助が、乙女の胸の内に潜みし魔を断ち、永久の契りを交わすべく運命の妖刀を引き抜く。

 

 “虎殺し七丁念仏”

 

 岩本虎眼が主君である安藤直次から拝領したこの刀は、田宮流の祖、田宮対馬守長勝が辻切りにて斬り試しをしている。

 斬ったはずの乞食坊主が血の一滴も垂らさず、念仏を唱えながら七丁(約700m)も歩いた後、血を噴き出した事から“七丁念仏”と名付けられた。

 拝領の際、虎眼はこの刀を名刀業物では無く所持した者に災いを振りまく妖刀と断じている。

 そしてそれを証明するかのように岩本家は廃れた。

 それまで“七丁念仏”と言われていたこの妖剣は、虎眼の死からは“虎殺し”の名前が付け加えられた。

 

 相対する清玄も自身の愛刀“備前長船光忠(いちのじ)”を抜く。

 

「一」を得て天は清く──

「一」を得て地は安く──

「一」を得て神は霊となり──

「一」を得て王は万民の規範となる──

「一」とは即ち天下人の剣──

 

 己の野心をも映すこの青白い刃の芳香を吸い込み、盲目の怪物は“必勝”の型を取る。

 

 伊良子清玄の奥義“無明逆流れ”

 

 みしり、と、清玄の全身から異常な程の力みが発せられる。

 自身の裂けた足の指で剣先を万力が如く締め付け、体を限界まで捻りながら柄を握り、渾身の力を込める。

 この異様な構えから発射される逆流れの剣速は、術理の元となった虎眼流奥義“流れ星”をも上回った。

 “無明逆流れ”とは、かつて己の双眸を裂いた岩本虎眼ら虎眼流一門に復讐をする為、清玄の怨念が編み出した魔性の技であるのだ。

 

 虎眼流の剣士達は次々とこの逆流れという魔剣の餌食になる。

 牛股権左衛門、近藤涼之助、宗像進八郎、山崎九郎右衛門……そして岩本虎眼。

 手練である虎眼流高弟達、そして岩本虎眼すら一撃で葬り去った逆流れに、唯一源之助だけが“生還”している。

 

 寛永二年(1625年)

 三重が藩庁に届け出た父虎眼の“仇討ち願い”により、源之助は清玄と立ち合った。

 その際、逆流れに対抗すべく繰り出したのは虎眼流新奥義“簾牙(すだれきば)

 兄弟子牛股権左衛門と逆流れ対策で編み出した簾牙は、片手に構えた小刀にて下段から来る高速の逆流れを受け止め、もう片方に手にする大刀にて相手を打ち倒す対逆流れ必勝の技である。

 しかし、伊良子の逆流れは受けた小刀ごと(・・・・・・・)源之助の左腕を切断した。

 左腕からの多量の出血により倒れる源之助に代わり助太刀に入った権左衛門をも逆流れにて葬り、三重の仇討ちは阻止された。

 相対するもの全てを一太刀で葬り去っている逆流れ。

 まさしく、必勝の剣技である。

 

 四年が経った今、源之助は再びこの魔性の剣と対峙する。

 

 白砂の庭にて対峙する二匹の龍。

 片腕を失う事で、その若い命を燃やす虎龍。

 両目を失う事で、その野心を燃やす盲龍。

 

 二匹の龍が再び噛み合ったその戦いは、終わってみればあっけない結末であった。

 

 源之助は振り上げた七丁念仏を試合を見守るいく……かつての虎眼の愛妾で、現在は清玄の“おんな”であるいく(・・)の眼前へ投げることで、“無明逆流れ”に空を斬らせる。

 源之助の魂が込められた七丁念仏の投擲は、盲龍の間合いを見誤らせた(・・・・・)のだ。

 間髪入れず、脇差を抜いて伊良子の懐に飛び込み、かつて伊良子に打破された自身の得意技“鍔迫り”にてその胴を“(いちのじ)”ごと両断した。

 

 端から見ればこの試合は隻腕の剣士が刀の重量を支えきれず、刀を宙空に投げ出し……盲目の剣士はやはりあらぬ間合いで刀を振るったように見えた。

 しかし、実際には壮絶な秘剣の応酬があった事は確かであった。

 

 

 

 眩しすぎた──

 

 

 源之助は、清玄に対しある種の友情を抱いていた。

 かつては虎眼流後継者争いに敗れ、嫉妬心を抱いた事もあった。

 一方で、決して武家社会という“身分の檻”に屈することなく自らの道を突き進み、登りつめていった清玄を誇りにさえ思えた。

 

 憎しみを超え、屈折した友情は清玄も感じていた。

 清玄は、過去に虎眼流高弟達が自身の知る“身分だけの侍”とは違うと気づき、仲間意識を抱いた事がある。

 しかし、源之助のある一言により自身の生い立ちをまざまざと実感し、屈辱を味わう。

 それから特に源之助には強い恨みを持っていた。

 だが、源之助の実力は誰よりも高く評価しており、忠長や駿府藩重臣の前で源之助を侮辱された時は毅然と言い返しもした。

 

 清玄の何者にも操られぬ自我は、あまりにも眩しすぎた──

 眩しすぎたがゆえ、源之助は斬らねばならなかった。

 清玄と出会った誰もがその輝きに心を奪われ、羨望が悪意に変わって清玄の双眸を斬り裂いたのではあるまいか。

 源之助は斃れ伏す清玄を見つめ、そう想っていた。

 

 投げつけられた七丁念仏を自身の喉に当て、菩薩(いく)も清玄の後を追った。

 その表情は、自身のむざんな宿業から開放されたのか、穏やかなものであった。

 

 三重は──源之助が勝利した姿を見て、自身の深部に潜みし“魔”が跡形もなく消滅していくのを感じ……両の眼から涙を流していた。

 全てが終わった事で、乙女は本来の清らかな心を取り戻していたのだ。

 

 

 

「藤木源之助!」

 

 試合を観戦していた忠長に何事かを囁かれた家老、三枝伊豆守が源之助へ声を掛ける。

 

「よくぞ清玄を成敗致した! 当道者の分際で神聖なる駿府の城へと踏み入れたる無礼! 近々御殿自らお手打ちになさる所存であった!」

 

 そして、源之助は伊豆守が次に発した言葉に我が耳を疑った。

 

 

「獄門(晒し首)に処すゆえ……直ちに清玄の首を切り落とせ!!!」

 

 

 源之助は伊豆守の言葉が理解できなかった。

 

 清玄は……伊良子清玄は、源之助の“誇り”だ。

 決して他者が踏みにじる事は許されない、源之助の“誇り”そのものだ。

 なのに、何故、清玄がそのような恥辱を受けねばならぬのか。

 

 ドクン、ドクン、と、源之助の鼓動が高鳴る。

 伊豆守の言葉受けても、源之助は動くことが出来なかった。

 

「藤木源之助! 合戦の場で敵の首級(みしるし)を奪いたるは武士の習いぞ!」

 

 伊豆守が言葉を続ける。

 

(さむらい)ならば……士ならば、士の本分を全うすべし!!!」

 

(さむらい)……)

 

 その後も伊豆守が何事かを叫んではいたが、源之助の耳には入って来なかった。

 ただ、士という言葉だけが、源之助の体内で反芻されていた。

 

『藤木源之助は生まれついての士で御座る。士は貝殻の如きもの──士の家に生まれたる者の成すべき事は──』

 

『お家を守る。これに尽き申す』

 

 かつて清玄に言い放ったこの一言。

 清玄に屈辱を与えたその言霊は、源之助の心の奥底へと埋伏していた。

 そして再び源之助の心に現れ、“身分の檻”へと捕らえていた。

 

 緩々と、納めた脇差しを再び抜く。

 

 そして、清玄の首に刀を当てた。

 

 源之助は片腕で鉈を圧し当て薪を切る程の剛力を持っていたが、この時は赤子の如く僅かな力しか発揮出来なかった。

 

 蒼白となって震え、鋸のように刀を押し当てる事しか出来なかった。

 

 自分の細胞が、大事な感情が次々と死滅していくのを感じた。

 

 バキュッっと、生々しい音が白砂の庭に響き渡った。

 胴体と離れた清玄の首を、源之助は忠長らの前に掲げた。

 その表情は、幽鬼の如く生気を感じさせない。

 

 “身分の檻”が、源之助の心を壊していた。

 

「計らえ」

 

 忠長はただ一言、そう呟く。

 それを受け、伊豆守は再び源之助に言葉をかけた。

 

「藤木源之助! 此度の働きにより、御殿より有り難き御仰(おお)せを賜った!」

 

 伊豆守が手にした扇子を源之助に指しながら言葉を続ける。

 

「格別の計らいを持ってその方を駿府家中に召し抱えて遣わす! この大恩をゆめ忘れる事無く、本日只今より御殿に命を奉るべし!」

 

 源之助は、平伏しつつ、嘔吐した。

 

 

 

 全て奪われた──

 

 

 源之助に残ったものは、約束だけだ。

 

 乙女との、神聖な約束が──

 

 幽鬼の様なおぼつかない足取りで、三重が控える虎口の間へと向かう。

 

 

「三重様……」

 

 

 三重は源之助の貝殻が再び“権威”という魔に染まったのを見て──

 

 懐剣を自身の喉に突き立て、果てていた。

 

 

 

 武士道は、士とは。

 

 かくも如くこのような悲劇しか生まないのであろうか。

 

 散らさずともよい、若い命を捧げてまで、士とはお家の為に尽くさねばならぬのであろうか。

 

 お家を守る為ならば、己の何もかもを捧げなくてはならないのだろうか。

 

 

 

 源之助は倒れ伏す三重の亡骸を、その一つしかない腕で抱いた。

 

 ふと、顔を上げると、源之助は薄っすらと……虎眼の姿を幻視した。

 

 虎眼は哀しみに満ちた眼差しで源之助を見つめていた。

 

 

「虎眼先生……」

 

 

 源之助は、しばらくそこから動く事は出来なかった。

 

 乙女と、師匠の想いを感じ、動く事が出来なかった。

 

 

 

 

 


 

 駿府藩士、七星(ナナホシ)静十郎は伊良子清玄の後を追ったいく(・・)の亡骸を城内の安置所へと移すべく、清玄側の虎口の間へと入った。

 

 美菩薩は“虎殺し七丁念仏”の剣先を抱え、自分の喉を切っていた。

 静十郎はその不憫な姿を憐れんで静かに手を合わす。

 

「なんとも……憐れな結末になったものじゃ」

 

 反対側の虎口では、藤木源之助の許嫁である岩本三重までも自刃して果てていたという。

 仇を討った。

 だが将来の妻をも失った若い士の胸中は、察するにあまりある。

 

 しかし、この悲劇は文字通りまだ序の口に過ぎない。

 この後控える十組の剣士達も、忠長の為にその命を散らす事になっているのだ。

 静十郎は沈鬱な気持ちを払うように、菩薩の亡骸を見やる。

 七丁念仏にて深々と切り裂かれた菩薩の喉を見て、静十郎は増々気分を沈ませた。

 

「せめて、綺麗なまま弔ってやらねばなるまい」

 

 静十郎は菩薩の亡骸をそれ以上傷つけないよう、丁寧な手つきで七丁念仏を手につかむ。

 

 しかし……

 

 

「な、なんと!?」

 

 

 柄を掴んだと思ったら、突然薄い光を発した(・・・・・・・・・)七丁念仏が徐々に……徐々に透けていった(・・・・・・)のだ。

 

「な、なんとしたことじゃ! かように面妖な事が起りえるのか!?」

 

 やがて、七丁念仏は静十郎の目の前から消え去った。

 ありえない事象を前に静十郎は蒼白となり、恐怖から一歩も動けずにいた。

 もし静十郎がその場で顔を空へと向けていたら、空中に赤い珠(・・・)が浮いていた事を確認出来ただろう。

 しかし、目の前の現実を受け止めきれない静十郎にはその赤い珠を見ることはかなわず。

 また、忠長以外の駿府城にいる誰もが御前試合による凄惨な結末に気分を沈ませ、顔を上げようとはしなかった。

 故に空中の赤い珠には誰一人気付く事は無かった。

 

 そして、七丁念仏が消えた後、追いかけるかのように赤い珠も静かに消え去った。

 

 

 妖刀“虎殺し七丁念仏”

 

 

 まるで、この世界では満足した(・・・・・・・・・・)かのように姿を消した妖刀。

 

 

 その妖しき刃に更なる血を吸わせる為

 

 

 妖刀は、異世界へと時空を越えて飛ぶ。

 

 

 かつての主人の元へ引き寄せられるかのように──

 

 

 

 




次回から青少年編になり申す。

※忘れた頃に作品を読み直して、なんやこれ!って思った箇所を修正していますので、お時間があれば再度読み直していただけると有り難いです。大した修正はしていませんが。
誤字報告して頂いている方にも感謝致します。


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若年編 第七景『無双(むそう)(ゆる)虎参(とらまい)り』

 

 他流試合心得

 

 稽古磨きの為の試みとして立合申候上(たちあいもうしそうろううえ)

 勝負の善悪(よしあし)によって意趣遺恨(いしゅいこん)の儀

 決して有之(これある)まじく(そうろう)

 他流のもの丁重に扱うべし

 (たお)す(殺す)ことまかりならぬ

 伊達(派手、ハンサム、男前)にして帰すべし

 かかる者の姿は『虎眼流強し』を世に知らしめ

 道場の名声を高むるに至れり

 

 “虎眼流道場訓”より抜粋

 

 

 

 

 

 甲龍歴423年

 

 “剣の聖地”

 一年中雪に覆われたこの過酷な大地は、初代“剣神”が“剣神流”を起こし、道場を構えた事からそう呼ばれるようになった。

 中央大陸最北西端の岬にある剣神流の総本山。

 流派を問わず、剣士であるなら誰もが一度は訪れたいと思う場所。

 

 剣神流総本山として栄えた剣の聖地であったが、一度水神流にこの地を奪われている。

 百年程前に当時の“水神流”総帥である“水神”が同じく当時の剣神と決闘、勝利してこの地を奪い取ったのだ。

 しかしその水神も次代の剣神に敗れ、聖地は再び剣神流の手に戻った。

 

 それ以降、当代最強の流派がこの聖地に居座って剣を教える場となった。

 最強の剣士に剣を教わり、あわよくばその最強の剣士を倒し、自分が最強となる。

 そんな野望を持つ剣士たちも“剣の聖地”を訪れるようになる。

 

 しかし当代剣神ガル・ファリオンが剣神の称号を継いで以来、挑んできた剣士達を片っ端から斬り伏せた事でその野望をぶつけてくる者はいなくなった。

 現在は将来有望な剣士の卵が各地より集まり、若き才能達が日夜猛稽古に明け暮れる場所となっている。

 

 

 

 

 エリス・グレイラットの朝は早い。

 

 剣の聖地にて日々稽古する剣神流の内弟子達は専用の宿舎で寝泊まりしている。

 誰よりも早く起きて朝の一人稽古に向かうエリスは、道場から一時間程歩いた所にある岬にて剣を振るっていた。

 

 ボレアスの名を捨て、剣の聖地に来て以来欠かさず行っている朝の一人稽古。

 無心に剣を振る。

 型も何もない、ただ無心に剣を振る。

 余計な雑念が無いその素振りは、薄皮を一枚一枚貼り重ねるように乙女を強くしていた。

 

「……ちっ」

 

 エリスは舌打ちを一つした。

 無心に振りつつも、雑念は隙を見てはエリスの中に入り込んでいた。

 

 

 3年前──15の時にルーデウスに“初めて”を捧げた後、“剣王”ギレーヌ・デドルディアに連れられ剣の聖地に来て以来、エリスはルーデウスを思わない日はなかった。

 

 6年前の転移事件の後、共に魔大陸に転移し、スペルド族のルイジェルドに出会い、3人で共に冒険の旅をしたあの日々──

 魔大陸から始まったエリスの冒険の日々は、転移事件から3年後……フィットア領へと帰還した事で、その長い旅路を終える。

 

 フィットア領へ帰還したエリスはそこで両親や祖父を失った事を知った。

 一人ぼっちになってしまった事を知ってしまった。

 共に旅をしたルイジェルドや、フィットア領で再会したギレーヌやボレアス家執事アルフォンスも他人にしか見えなかった。

 でも、ルーデウスだけは違った。

 エリスは冒険の日々で大きな存在になっていったルーデウスを愛していた。

 泥にまみれつつ、常に一生懸命で、困難な事に出会っても決して諦めずに向かっていったルーデウスを愛していた。

 エリスにはもうルーデウスしかいなかった。

 

 だから、エリスはルーデウスと家族になろうとした。

 本当の意味で家族になり、寂しさと悲しみを忘れようとした。

 

 フィットア領に帰還した夜、強引に誘い、初めて“重なり合った”時にエリスは気づいた。

 ルーデウスは、小さかった。

 己を貫く帆柱(・・)こそは逞しいものであったが、ルーデウスの体はエリスより小さかった。

 エリスはそこで初めて大きな存在だったルーデウスが自分よりも年下なのだと理解した。

 行為の途中から、か細く、折れそうになっていったルーデウスが自分より幼かった事を理解した。

 こんなにも幼かったルーデウスが、ずっと守ってくれていた事を理解した。

 

 そして、エリスは自分がルーデウスに相応しくない女だと気づいた。

 このままの自分ではルーデウスの負担にしかならないと感じてしまった。

 自分よりも幼いルーデウスに、家族を失った不安と自分の欲望をぶつけてしまった事を恥じた。

 

 家族にはなれたかもしれない。

 でも、それ以上の関係にはなれない。

 夫婦になりたかった。

 釣り合いが取れる、本当の意味で対等な関係になり、守って守り合える関係になりたかった。

 

 “強くなろう──ルーデウスと肩を並べられるようになるまで”

 

 ルーデウスに勝てなくてもいい。

 でもせめて、釣り合える女になりたい──

 そう思ったエリスは、重なり合った次の日にはルーデウスに黙って姿を消した。

 そしてギレーヌの勧めに従い、この剣の聖地へと赴いた。

 強靭な剣士となるべく、狂気ともいえる鍛錬を己に課すようになった。

 

 剣士(エリス)魔術師(ルーデウス)

 一般的なそれとは男女が逆だが、エリスはそれで良いと思っていた。

 

 成長し、強くなり、もう一度会えたら。

 

 そして、二人であの“龍神”を倒したら。

 

 その時こそ、家族の一歩上、夫婦となるのだ。

 ルーデウスの子供を産んで、幸せに暮らすのだ。

 

 そんな想いが、日々エリスの中で脈打っていた。

 

 

「ふぅ……」

 

 素振りを終え、一息つくエリス。

 入門してからの日々は、この“狂犬”とも言えるエリスの性質()を着々と研いでいた。

 しかし、エリスは己の成長に全く満足していない。

 

 入門し、師匠である剣神ガル・ファリオンから言われた事を思い出す。

 

『ただ無心で剣を振れ。無心で剣を振って、疲れたら座って休んで考えろ』

 

『考えるのに疲れたら、また立ち上がって剣を振れ』

 

 剣神に命じられたそれをエリスは愚直に守って剣を振っていた。

 そして振っていく内にそれまで感じていなかった“剣を振る事の難しさ”を感じるようになった。

 

 小さな頃は、勉強なんかより剣を振る事の方がずっと簡単で自分に向いていると思っていた。

 その考えは今でもそう変わっていない。

 自分には勉強より、剣を振る方が性に合っている。

 

 だが、剣を振る事は勉強より簡単ではなかった。

 思えば人に教えられる分だけ、勉強の方が簡単なのかもしれない。

 

 もっと速く振れるはず

 もっと強く振れるはず

 それが、どうしても上手く出来ない。

 

 3年前の自分よりは、きっと速くなった。

 でも、ギレーヌはもっと速い。

 ルイジェルドはもっと速い。

 剣神はもっともっと速い。

 そして、“龍神”はそれ以上に速い。

 

 エリスは座って考える。

 何十回、何百回、何千回も剣を振っては座って考える。

 己が打倒を誓った強大な存在に届くまで後どれくらい剣を振ればいいのだろう。

 

 疲れた時に、ルーデウスの事が頭にちらついた。

 

「……ちっ」

 

 また舌打ちをする。

 見れば、もう何度目か分からなかったが、手の豆が潰れていた。

 懐から布を取り出し、無造作に巻いた。

 

 エリスは日々の修行を辛いとは思わない。

 3年前、“赤竜の下顎”での事はいつだって思い出せた。

 あれに比べれば、なんでも耐えられる気がした。

 ルーデウスが死にかけ、龍神に手も足も出なかった事で感じたあの時の無念に比べれば。

 

 エリスは冒険の日々で、自分達が死とは無縁だと考えていた。

 ルーデウスは強い。ルイジェルドも強い。

 彼らがいれば、自分も死なない。

 そう考えていた。

 シーローン王国でルーデウスの妹、アイシャ・グレイラットとその母リーリャを助けた後、アスラ王国領へ入る際に通った“赤竜の下顎”で龍神と出会うまでは。

 

 龍神はいきなり自分達を攻撃してきた。

 そしてルーデウスは死にかけた。

 もし、あの龍神の連れの少女が気まぐれをおこしていなければ。

 あるいは龍神が治癒魔術を使えなければ。

 ルーデウスはいなくなっていただろう。

 

 怖かった。

 自分は足手まといで、ルーデウスの荷物になっている。

 エリスはその時、そう感じていた。

 

 それでも尚、エリスはルーデウスを神格化していた。

 殺されかけても、ケロッとしてまたあの龍神と戦う事を想定していたルーデウス。

 

 エリスはそれが理解できなかった。

 理解できず、とにかく怖くなってルーデウスの傍にいた。

 傍にいなければ、この大きな存在となったルーデウスがいなくなってしまう気がした。

 ルーデウスに、置いて行かれてしまう気がした。

 置いて行かれてしまう事を想像し、ひどく辛い思いを感じていた。

 

 だから今の修行は辛くはない。

 痛みも、辛さも、もどかしさも。

 そして今、一人でいることも、傍に彼がいない事も。

 あの時感じた辛さに比べれば、この修業の日々はなんと“生温(ぬる)い”事だろう。

 

 

「ルーデウス……」

 

 ぽつり、とエリスは呟く。

 それ以上は、ルーデウスの事を考えないようにした。

 エリスは考えるのが苦手だからだ。

 深く考えてしまえば、自分が容易く“折れる”であろう事を無意識に理解していた。

 ルーデウスと深く繋がったこの“赤い縄”を手繰り寄せようとすると、エリスは心地良い至福に包まれる。

 しかし、今のエリスにその縄を全て手繰る事は許されなかった。

 

 エリスはまた立ち上がり、剣を振りはじめた。

 強くなる、ただそれだけの為に。

 一切の雑念を、振り払いながら、剣を振っていた。

 

 

 

 

 しばらく剣を振った後、エリスは道場へ戻ろうとした。

 呼吸を落ち着け、汗を拭う。

 手拭いに顔を埋め、しっかりと汗を吸い込ませる。

 

 顔を上げたら、遠くから一人の少年がこちらへ近づいてくるのが見えた。

 徐々にはっきりと見えてくるその少年の姿に、エリスは固まった。

 

 少年は白髪(・・)の総髪を結え、一本のショートソード、そして一本の()を腰に差していた。

 背はエリスよりもやや高く、その所作は鍛え込まれた肉体を感じさせていた。

 よく見れば、右手の指は常より一本多い6本の指(・・・・)をしていた。

 少年の装いはよくある冒険者風ではあったが、一つ大きな違いがあった。

 少年が羽織っていた“羽織”は、エリスが見たこともない装束だった。

 そして羽織りの後ろには、決してこの世界の人間が読めぬであろう未知の言語(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)が書かれていた。

 

 

 “異界天下無双”

 

 

 力強い筆跡で書かれていたこの六文字は、もしこの人の世界で日本語を解する者がいたらそう読めただろう。

 

 しかしエリスにとって羽織りに書かれた文字はどうでも良かった。

 その少年はエリスを固まらせる程の顔立ち(・・・)をしていた。

 

 少年は虎を思わせる冷たい視線でエリスを見つめていた。

 愛する男によく似た少年が発する怜悧な視線に、燃える“狂犬”は凍りついたように動く事が出来なかった。

 

 赤い縄が、エリスに絡みついていた。

 

 

 

 

 


 

 剣神流道場では朝の稽古を行うべく、剣聖の認可を受けた剣神流高弟達が集まっていた。

 当主である剣神がまだ道場に見えてない間、剣聖達は各々稽古前の準備をしている。

 黙想する者、木剣を振り準備運動をする者、仲の良い同門と剣術について語らう者……

 道場の入り口では、その剣聖達の様子を見つめる一人の“ド派手”な装いの男がいた。

 

 北神流“北帝”級剣士“孔雀剣”オーベール・コルベット。

 数週間前、この北帝級剣士は剣神の求めに応じ剣の聖地へと赴いている。

 北帝が剣の聖地へと訪れたその理由は、エリス・グレイラットに北神流剣術を叩き込む為。

 

 七大列強第二位“龍神”オルステッドを倒す──

 入門初日にそう言い放ったエリス。

 剣神は己がかつて屈辱を味わった龍神に打倒を掲げたエリスの心意気を気に入っていた。

 そして龍神打倒という目的を助ける為、あらゆる手段でエリスを鍛えていた。

 剣神流の合理的ともいえる術理はあえて教えずに単純な鍛錬のみを言い付け、その“野生”を極限まで高め、“合理の外にいる存在”を打倒する為の手段を講じていた。

 

 龍神オルステッドは何故だか分からないが、この世界に存在する全ての剣技、魔術を使用する事ができる。

 その全ての技を使える龍神に対し、剣神流のみで太刀打ち向かうには圧倒的に不利。

 ゆえに、剣神はまず北神流に対しての対処法を学ばせる為、北帝オーベールを呼び寄せていた。

 

 エリス一人の為に態々他流の帝級剣士を呼び寄せた事は、他の剣神流門弟達にとって不満を感じさせる事もあった。

 だが、元々北神流とは三大剣術の中ではやや異端扱いされており、中でも“奇抜派”と呼ばれる者達は正当な剣術を扱う剣神流の人間からは見下される事が多かった。

 “孔雀剣”オーベールはその奇抜派筆頭剣士であった為、2日もしない内に門弟達はその不満を感じる事は無くなり、淡々と自身の稽古に打ち込むようになった。

 もっともエリスは道場の中では“浮いた”存在であった為、やっかみは感じさせる事はあっても仲間として見られる事は無いエリスに誰が稽古をつけようと門弟達は知った事では無かった。

 

 

「……戻ってきたな」

 

 オーベールは道場の外を見やる。

 エリスが岬から戻ってくるのが見えた。

 そして、見慣れぬ一人の少年がエリスについてくるのも見て取れた。

 

「ふむ。エリス、そちらの御仁は一体どなたかな?」

 

 挨拶もせず、道場へ入ろうとしたエリスにオーベールは声をかける。

 この不遜な“狂犬”の態度に、オーベールは出会ってから3日で慣れてしまっていた。

 

「道場破りよ」

 

「は?」

 

 しかしエリスが放った一言はオーベールを固まらせた。

 稽古前の準備をしていた剣聖達も、その一言で一斉に空気を張り詰める。

 剣呑な空気が漂う中、エリスはお構いなしに道場へ入る。

 自身の木剣を手に取り、道場の端に座って黙想を始めた。

 道場の入り口に取り残された白髪の少年とオーベールに、門弟達の視線が集まる。

 

「エリスじゃ話にならないわね」

 

 そう言いながら道場の入り口へと進む一人の女剣士がいた。

 “剣聖”ニナ・ファリオン。

 当代剣神ガル・ファリオンの一人娘であるこの可憐な乙女は、現在エリスよりも一つ年上の19歳。

 16にしてすでに並ぶ者のない才を持つと言われた剣聖であり、20歳になる頃には剣王と呼ばれ、25歳になる前に剣帝になるであろうことは間違いないと言われていた。

 

 エリスが来るその日までは。

 

 ニナはエリスが剣の聖地へと赴いた初日、父である剣神から立合いを命じられ、エリスの冒険者仕込みの“野蛮”な戦法に屈辱的な敗北を味わっている。

 エリスの強烈な拳を受け、腹を蹴られ、馬乗りにされ、容赦の無い殴打を受けた。

 小便を漏らし失神し、不様な姿を晒したその日以来、ニナはエリスを憎み、一方的にライバル視していた。

 もっともエリスはニナの事など全く眼中になかったのだが。

 

「御用のおもむきは?」

 

 ニナは入り口に佇む白髪の少年に声をかける。

 その言葉尻は、やや熱いものを滲ませていた。

 

「……剣神ガル・ファリオン殿に、一手御指南つかまつりたく候」

「ッ!」

 

 道場にいる誰もが、白髪の少年が発した言葉に凍りつく。

 少年の透き通るような声色が道場に響いた直後、門弟達が発していた剣呑な空気は猛烈な殺気へと変わり、白髪の少年に突き刺さっていた。

 エリスだけが、我関せずと黙想を続けていた。

 

「へぇ……それで、いつやるのかしら?」

「本日この場──」

 

 少年が言い終える瞬間──

 ニナの拳が少年の顎先へと伸びた。

 刹那の瞬間、無様に伸びる少年の姿を想像したニナはほくそ笑む。

 

 

 だが──

 

 

(え?)

 

 

 次の瞬間、ストン、と腰を落としたのはニナの方であった。

 この状況に戸惑うニナが、自分の拳を上回る速度(・・・・・)で抜き放たれた“虎拳”が己の顎先を掠めたのだと気付いたのは、腰を落としてから数秒経ってからであった。

 この神速の“虎拳”は傍で見ていたオーベールの目をもってしても鮮明ではなかった。

 

「ハァッハッハッハー! ニナ! お前寝ぼけてんのか! 自分から不意打ち仕掛けて尻もちつくとは!」

 

 羞恥で真っ赤に染まったニナを、快活な声で笑う一人の男が道場に入って来た。

 当代剣神ガル・ファリオン。

 ニナの父であり、天衣無縫ともいえるこの剣神は“剣王”ギレーヌ、“剣帝”ティモシー・ブリッツを引き連れズカズカと道場の正面へと設けられた剣神流当主が座る席へ向かう。

 ドカっと腰を下ろした剣神は、その視線を白髪の少年へと向けた。

 

「立合いが望みか」

 

 直後、その快活な空気はガラリと変わり、発せられた言葉は先程まで高弟達が発していた道場の空気をより危険な物に変えた。

 剣神は口元に笑みを浮かべながら、射殺さんばかりに少年を睨みつける。

 少年は道場の入り口にて依然として静かな佇まいを見せていた。

 傍に腰を落とすニナには目もくれず。

 

「久しく道場破りなんて来ていなかったからなぁ……エリスが来てから、剣の聖地も賑わうようになったもんだ」

 

 剣神はくつくつと喉を鳴らし、言葉を続ける。

 少年はただ黙って剣神を見据えていた。

 

「間抜けな娘を一人のしただけじゃ腕前は見れねえし、もう2、3人、相手してもらうぜ」

 

 そんな少年の姿を見てますます口角が上がった剣神は、相変わらず尻もちをついている“一人娘”に視線を向けた。

 

「どいてろニナ」

「……はい」

 

 冷たく、容赦ない言葉。

 道場では親子の情など一切無く、そこにあるのは厳格な師弟関係のみ。

 父の言葉に娘は消え入りそうな声で応えていた。

 

 “剣帝”ティモシー・ブリッツの次男、“剣聖”ジノ・ブリッツが木剣を手に、白髪の少年の元へと向かう。

 やや剣呑な顔つきで少年を見つめた後、少年に木剣を差し出した。

 白髪の少年はジノから木剣を受け取った後、腰の大刀をジノに預ける。

 丁寧な手つきでそれを受け取ったジノは、道場の入り口ある剣立てに大刀を置いた。

 その後、従姉弟でもあるニナの元へ向かい、手を貸す。

 羞恥と悔しさで顔を歪め、涙を浮かべるニナにジノは黙って肩を貸していた。

 

「エリス」

 

 ニナがジノに連れられ道場の隅へと腰を下ろしたのを見て、剣神は黙想を続けるエリスに声をかける。

 声をかけられたエリスは、ゆっくりとその瞼を開いていった。

 

「お前がこの小僧の腕前を確かめてみろ。よーいドンで始めろよ。不意打ちもいいが、ちゃんとした剣の実力も見てみたい」

「……ふん」

 

 剣神の言葉を受け、木剣を手に取りゆっくりと道場の中央へ向かうエリス。

 その表情は、朝方見せていた悩ましげな様子は一切感じられず、ただ目の前の“敵”を倒すべくその獰猛な視線を向けていた。

 白髪の少年は泰然とその視線を流し、木剣を手に道場中央へと向かった。

 オーベールやギレーヌ、ティモシーはそれぞれ剣神の左右に座り、この尋常ではない空気を出している少年をじっと見つめる。

 

「出来ますなぁ……この少年は」

 

 オーベールは少年の中央へ向かう“只者ではない”足さばきを見て、そう呟く。

 横に座るティモシーもそれを受け黙って頷いていた。

 しかし剣王ギレーヌは、道場に来た瞬間からその少年の風貌に驚きを隠しきれないでいた。

 

(似ている……)

 

 9年前。

 あの時、ルーデウスを一撃で昏倒させたあの幼子……

 昔の仲間であったパウロの若い頃の面影を良く見せるこの少年に、ギレーヌは記憶に鮮明に残るあの幼子を思い出していた。

 しかし、記憶にあるあの子の髪の色はゼニス譲りの美しい金髪だったはずだ。

 道場の中央に佇むこの少年は、ギレーヌの記憶に残る金髪の幼子とは違い、真っ白な白髪であった。

 混乱するギレーヌに構わず、少年とエリスの立合いは始まろうとしていた。

 

「そういや流派と名前を聞いてなかったな」

 

 剣神が道場に向かい合う少年とエリスを見ながら言った。

 少年は、木剣を構えながら剣神の言葉に応える。

 

「“無双虎眼流”……ウィリアム・アダムス(・・・・・・・・・・)

「無双……こがん流……?聞いたこと無いな。北神の一派か?」

 

 ウィリアム・アダムスと名乗った少年が言った聞きなれぬ流派に、剣神は北神の門派の一つだと思いオーベールに問いかける。

 

「北神流にそのような門派はありませんな」

 

 しかしオーベールも、“虎眼流”などという流派は聞いたこともなかった。

 虎眼流とは一体どのような剣を使うのか……。

 オーベールのその瞳は、ウィリアムに対する興味で溢れていた。

 

「歳は?」

「14で御座る」

「若いな。いや、俺がお前さんくらいの歳にはもう剣王くらいにはなっていたか」

 

 剣神は見た目より若いウィリアムに増々興味が沸いていた。

 

「ま、歳や流派なんて本当はどうでもいいんだけどな。それじゃ、ウィリアムとやら」

 

 剣神は合理的な発想で物事を進める。

 オーベールと同じように、未知の術理を使うかもしれないウィリアムを楽しげに見つめていた。

 

「その“虎眼流”とやらを見せてくれ……始めっ!」

 

「うらああぁぁぁぁッッ!!」

 

 剣神の号令の直後、弾かれたように猛然と突進したエリス。

 ドガッと、凄まじい音が道場に鳴り響いた。

 

「……ッ!」

 

 しかし突進したエリスに、数歩だけ前に出たウィリアムはその振り下ろし切る前のエリスの猛撃に木剣を合わせる。

 ギリッギリッと、互いの木剣が軋む音が道場に響いていた。

 

(初撃を合わせられたが……エリス! そのまま押し切ってしまえ!)

 

 鍔迫り合いとなった状況に、ギレーヌはエリスの好機を見出す。

 この狂暴な“狂犬”は剣の聖地へと来て剣聖の称号を得て以来、その腕力は同じ剣聖達と比べ物になく。

 単純な力だけでいえばギレーヌと遜色ないレベルにまで来ていた。

 

(潰すッ!)

 

 エリスは木剣ごとウィリアムを倒すべく、渾身の“闘気”を乗せる。

 

「ッ!?……ぐぅッ!?」

 

 しかし、エリスは闘気を乗せようと力んだ瞬間、背骨から煮えた鉛を流し込まれた(・・・・・・・・・・・・・・・)かのような激痛に襲われ、全く動く事が出来なかった。

 

(どうしたエリス! 何故動かない!?)

 

 ギレーヌは突然硬直したエリスに戸惑う。

 剣を合わせながら、脂汗をかき、苦悶の表情を浮かべるエリスは尋常の様子では無かった。

 

(まさか、魔術を使われたのか!?)

 

 ギレーヌは自身の右目を塞いでいる眼帯を外した。

 ギレーヌの右目は『魔力眼』という魔力を直接眼で見ることが出来る魔眼である。

 その瞳は巧妙に隠蔽された魔術の行使もひと目で感知する事が出来た。

 しかし、いくら魔力眼を行使してもウィリアムが何かしらの魔術を使っている様子は一切感じられない。

 増々混乱するギレーヌと同様に、オーベールや剣帝以下の門人達もエリスの様子に戸惑っていた。

 剣神だけが、冷静にウィリアムの指先を見ていた。

 

 この時──木剣を握りしめ、剣を合わせているエリスの拳に、ウィリアムの指先が絡みついていた。

 ウィリアムの指先が抑えているのはエリスの右手の僅か二箇所(・・・・・)に過ぎない。

 しかし、何故かその程度の所作でエリスの動きは完璧に封じられていた。

 

 “骨子術”の一つ“指溺(ゆびがら)み”

 

 異世界の人間には到底考えられぬであろう、日本武道(・・・・)の真髄ともいえる柔の業。

 人体の経路を利用し、指先一つで容易に人を制圧できるこの技術は、剣神でさえ見ただけではその理を解明する事は出来無かった。

 

「ガァッ!!」

 

 バシンッと鋭い音と共に、エリスの人差し指と中指を握ったまま強烈な足払いをしかけるウィリアム。

 エリスの身体は一回転し、道場の床に激しく叩きつけられる。

 ボキッボキっと、生々しい音を立て、エリスの指はへし折られていた。

 

 

「それまで!」

 

 剣神の止めの言葉が道場に響く。

 構わず立上がろうとし、闘争本能を滲ませるエリスだが、ウィリアムはエリスの二本指を掴んだまま、その動きを封じていた。

 

「グッ……ウゥゥゥッ!」

 

 獣のようなうめき声を上げながら這いつくばり、必死に立ち上がろうとしていたエリスであったが、もはや誰が見ても“詰み”であった。

 

「エリス。勝負ありだ」

「……ッ!!」

 

 剣神の言葉を受け、ウィリアムはエリスの手を離した。

 エリスの折れた指は、骨が露出していた。

 

 ウィリアムは悠然とエリスに黙礼する。

 エリスはそれを無視し、血を滴らせながら、道場の端へと向かった。

 同じく道場の端にいたニナの隣に、乱暴に腰を下ろした。

 

「エリス……指の治療を」

 

 ニナはあまりにも痛々しいエリスの指を見て、普段よく思わないこの“狂犬”を思わず労る。

 しかし、エリスはニナすら無視し、歯を食いしばらせてウィリアムを睨んでいた。

 

「エリス……」

 

 ニナは、エリスが涙を流しているのを見てしまった。

 その涙は、決して指の痛みから来るものではないと解ってしまった。

 

 エリスは冒険の旅をしていた頃、何度もルーデウスと模擬戦をしている。

 勝ったり負けたりしていたが、ルーデウスが“予知眼”を取得してからめっきり勝てなくなってしまった。

 エリスはあの時感じた悔しく、辛い思いを、このルーデウスによく似た少年に負けた事で再び催してしまった。

 

 エリスは剣の聖地に来て、初めて涙を流したのだ。

 

 

「いやー強いなぁお前さん」

 

 剣神は未知の体術を行使するウィリアムを見て、増々楽しそうに体を揺らす。

 

「どうだった? その娘っ子は」

 

 涙を流すエリスに構うこと無く言葉を続ける剣神。

 ウィリアムは顔を上げ、ただ一言言葉を紡いだ。

 

 

「縄に繋がれた狂犬(いぬ)に、遅れは取らぬ」

 

 

 エリスは愕然とした。

 何故……何故、この少年は私の“赤い縄”が見えたのか。

 他の剣神流の剣士達、オーベールやギレーヌでさえこのウィリアムの言葉には首をかしげた。

 しかし、エリスだけはその言葉の意味を解っていた。

 だれにも言ったことがない、あの“赤い縄”を……どうしてこの少年は、見えてしまったのか。

 

 エリスは涙で滲む目で、ウィリアムを見る。

 視界が滲んでよく見えなかったせいか、その姿はルーデウスに似ていた。

 愛する男から、エリスは自分の大切な感情を否定されたような気がした。

 

 エリスはやがて俯き、嗚咽を噛み殺すように泣いた。

 ニナやジノ……周りの剣聖達も、エリスの様子をただ黙って見ているしかなかった。

 

 

「おもしれえなぁ。ひと目でエリスの“縄”を看破したか」

 

 剣神だけが、楽しそうにウィリアムに話しかけた。

 エリスの突進を外した体捌き、見慣れぬ体術……剣神はこの未知の術理を使う少年剣士が楽しくて仕方がなかった。

 

「よし! んじゃ、そろそろ俺が相手に」

「師匠。ここは私が」

 

 意気揚々と木剣を掴み、立ち上がろうとした剣神に横に座る“剣帝”が待ったをかける。

 

「ティモシー……おまえな、師匠が出るって言ったら黙って見送るのが弟子の努めだぞ」

「弟子である前に義弟ですので」

 

 剣帝ティモシー・ブリッツは剣神ガル・ファリオンの妹を娶っている。

 弟子であり義弟でもあるティモシーは、剣の聖地で唯一剣神に直接意見を言える存在であった。

 

「偶には弟子(おとうと)に譲ってみてはどうです?」

 

 歯に衣着せぬ物言いに剣神はむすっとした表情で浮かせた腰を下ろした。

 

「……ま、おまえさんがやられたら俺が出ればいいだけの話だしな」

「ご冗談を。今日は師匠(義兄上)の出番はありません」

 

 木剣を掴み、剣帝ティモシーが立ち上がる。

 ギレーヌは剣神に勝るとも劣らない程の不満の表情を浮かべていた。

 

「ギレーヌ、ここは私に」

 

 ティモシーはギレーヌを見て笑みを浮かべながら話しかける。

 ギレーヌは妹弟子の仇を取りたくて堪らなかったが、この兄弟子の笑顔に絶大な信頼を寄せていた。

 

「……剣帝殿。不様な姿は見せないでくれよ」

「承知している」

 

 ティモシーは道場の中央へと進む。

 向かい合った両者の間は、歪みが発生するかのように空気が渦を巻いていた。

 

「剣帝ティモシー・ブリッツと申す」

「虎眼流、ウィリアム・アダムス」

 

 短い言葉を交わし、両者は距離を取り木剣を構えた。

 開始の合図は無い。

 言葉を交わした時点で、既に勝負は始まっていた。

 

「いざ!」

「……」

 

 裂帛の気合と共に剣を上段に構えるティモシー。

 それを見たウィリアムは、木剣の握りを僅かに変えた。

 その握りは、右手の人差し指と一本多い(・・・・)中指の間で剣の柄を挟み、まるで猫科の動物が爪を立てるかのような異様な掴みであった。

 

「シッ!」

 

 凄まじい速度の袈裟斬りがウィリアムに放たれる。

 身体を倒し、その袈裟斬りを躱したウィリアムは、即座に反撃の横薙ぎを見舞った。

 その横薙ぎを見切っていたティモシーは剣の柄でそれを受ける。

 ガッっと柄に木剣が当たる鈍い音が響く。

 響いた次の瞬間には、ウィリアムは次なる斬撃を見舞う。

 再び放たれた横薙ぎは、剣の柄を滑らせながら放たれた(・・・・・・・・・・)事でティモシーの目測を上回る伸びを見せていた。

 

「ッッ!」

 

 しかし、ティモシーの尋常ではない身体能力はその横薙ぎを倒れ込む事で当たる寸前に躱す。

 更に、倒れ込みながらウィリアムの伸びきった右手を狙い剣を振る。

 ウィリアムは即座に右手を引き、その流れ斬りを躱した。

 

 

 体勢を立て直し、再び距離を取る両者。

 この神速の攻防を目視出来たのは、剣神、北帝、剣王の3名のみである。

 ニナやジノら剣聖達……そして顔を上げ、試合を見つめていたエリスにはその攻防を満足に“視る”事は出来なかった。

 

「は、速すぎる……」

 

 ジノは剣帝である父と伍する程の剣速を見せたウィリアムに驚愕の表情を浮かべていた。

 剣神を除けば、父ティモシーは剣の聖地で最も速く剣を振る事が出来る。

 その父と互角の攻防を繰り広げたのは、自分より年下の14歳。

 父に命じられ、特に目標も無く剣術を続けていたジノであったが、自分もそこそこの才気がある事を自覚していた。

 しかしジノはそれまで培ってきた自信が音を立てて崩れるのを感じていた。

 

(あの妙な掴み……速き上に伸び来たる。間合いに入るのは危険か……)

 

 ティモシーは距離を取った事で冷静にウィリアムの戦力を分析する。

 ウィリアムの掴みは全くの未知の術理であったが、百戦錬磨の剣帝は即座に対抗策を導き出した。

 

(狙うは拳……我を打たんと伸び来るあの拳を、奴を上回る速度で断つ!)

 

 ティモシーは木剣を腰に当て、闘気を練る。

 

 剣神流奥義“光の太刀”

 

 剣神流剣聖以上に伝授されるこの奥義は、闘気を乗せる事により文字通り光速の抜き打ちを実現していた。

 そして、剣帝が使う光の太刀の“速さ”は剣聖達が使うそれとは比べ物にならない。

 剣帝より上回る速度で光の太刀を放てるのは、全剣神流剣士の中で剣神のみであった。

 

 

左様(さよ)か」

 

 ウィリアムはティモシーの構えを見て、木剣の構えを変える。

 右手の掴みをそのままに、左手をやや持ち上げ……人差し指と中指で木剣の剣先を挟む。

 

 みしり

 

 左の指で挟んだ木剣が、異様な音を立て軋む。

 ウィリアムのこの構えは、道場の空気を凍りつかせる。

 その場にいる誰もがこの構えに圧倒され……呼吸を忘れるかのごとく引き寄せられていた。

 常人を遥かに超える闘気が練られていく。

 尋常ではないその誘引力は、剣神ですら逃れられなかった。

 

 

「虎眼流“流れ星”」

 

 

(こ、これは……ッ)

 

 この手を見たティモシーは、みるみるその顔に死相を浮かべた。

 脂汗を大量にかき、呼吸が乱れる。

 

 流れ星とは、ティモシーにとっての“死の流星”──

 

 ティモシーは、剣士の本能でそれを感じ取っていた。

 

 

 剣神流の極意を悉く身につけた剣帝級剣士の全細胞が

 

 

 これ以上の戦闘を拒否していた。

 

 

 

 

()……」

 

引き分けで御座る(・・・・・・・・)

 

 

 虎が剣帝の言葉を遮った。

 薄い笑みを浮かべ、剣帝の面目を保ったのは

 いかなる魂胆があってか。

 

 

 虎の不気味な思惑に、道場は水を打ったように静まりかえっていた。

 

 

 

 

 




ストンて

※剣の聖地に常駐している剣帝は二人いるのですが、ジノの親父じゃないもう一人の剣帝は名無しキャラで本編でも空気だったのでいなかった事にしました。


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第八景『怨剣若虎仕置ノ段(おんけんわかとらしおきのだん)

 

「ルーデウスはズルいわよ」

 

 

 甲龍歴418年、魔大陸最南端の唯一の港町ウェンポート。

 ルーデウス・グレイラットとエリス・ボレアス・グレイラットが魔大陸に転移した後、ルイジェルド・スペディアと出会い冒険者パーティー『デッドエンド』を結成し……ここウェンポートで魔大陸での冒険は終着を迎えた。

 ここからミリス大陸へと渡り……大陸を横断し、ミリス大陸最西端のウェストポートから更に船に乗り、中央大陸へと戻る為の第一歩。

 

 この場所でルーデウスは“魔界大帝”キシリカ・キシリスから“予見眼”なる魔眼を与えられた。ルーデウスはこの数瞬先の未来が見える魔眼を駆使し、それまで“魔術無し”では叶わなかったエリスとの模擬戦による勝利を得た。

 エリスの悪辣なフェイントを織り交ぜた猛撃を悉く完封せしめたルーデウス。

 魔術無しの模擬戦ではルーデウスに負けた事がなかったエリスであったが、近接戦闘でもいいようにルーデウスにあしらわれた事は、エリスにとって己の自信を喪失させるに十分であった。

 肩を震わせ、「帰る!」と大声で言った後、足早に宿へと戻るエリス。ルーデウスはその様子に苦笑しつつ、苦手としていた近接戦闘での確かな手応えを感じると共に漸く『殴られずにエリスの成長具合を確かめる事が出来る』と鼻の下を伸ばしていた。

 

 しかし宿に戻った後、落ち込んだエリスの姿を見てルーデウスは頭を冷やした。

 

「ルーデウスは、ズルいわよ。一人で魔眼なんて手に入れて……私は一生懸命頑張ったのに……」

 

 ズルい。

 

 その一言に、ルーデウスは己が何も努力せずに得た力に“慢心”していたのだと気づいた。ルーデウスはエリスのこの言葉に何も言い返す事が出来なかった。何を浮かれていたのだろう、と己の浅慮な考えを恥じていた。

 エリスはずっと努力していたのだ。ルーデウスが見ていない所で、ルイジェルドと数え切れない稽古を積んでいた。その努力を、何も苦労せずにたまたま得た“力”で打ち負かしてしまった。汗だくになって努力したエリスに勝って、ただ無邪気に喜んだ。

 

 なんという慢心、なんという緩慢。

 

 ルーデウスはこの魔眼を己の成長を妨げるものとはっきり自覚した。いざという時以外は魔眼を使用せず、己をしっかりと戒める。

 大切なのは魔眼の使い道を考える事ではなく、あくまで己の戦闘力を高める事だと改めて意識した。

 

 ルーデウスは重たい口を開き、エリスに謝罪の言葉を述べた。

 

「……すいません」

「謝らないでよ……」

「……」

 

 エリスはそれから言葉を発せず、ただ黙っていた。ベットの上に膝を抱え、隣に座ったルーデウスに黙って体重を預けていた。

 普段のルーデウスなら、エリスの体温や匂いを感じ……邪な感情が湧き上がってくるところだった。だが、この時ばかりはそのような感情にはなれなかった。

 エリスの高い体温と、仄かに香る汗の匂いがルーデウスを批難しているように感じられた。

 

 重い空気の中、エリスが口を開く。

 

「……ねえ、ルーデウス。ルーデウスは、勝てない相手っているの?」

 

 何気ない問いかけ。

 この重い空気に耐えられなかったのはエリスも同じなのか、大して意味のない問いかけを呟く。ルーデウスは少し間を空けて、エリスの問いかけに応えた。

 

「……そうですね。僕にも勝てない相手は沢山いますよ」

 

 微笑みのような、憂いを帯びた表情でルーデウスは言葉を紡ぐ。

 

「まず、ルイジェルド。彼には“魔眼”を使っても勝てなかった。凄いんですよ? 見える未来が“ブレる”んです。次の一手が見えても、素人が達人に勝てる道理は無いと思い知らされました」

 

 エリスとの模擬戦の後、ルーデウスはルイジェルドとも模擬戦を行っている。その際ルーデウスの未来予知をも上回る速度で攻撃を繰り出し、何もさせずにルーデウスを完封した。

 たかが数瞬先の未来が見える程度では、戦いの圧倒的な経験値の差を埋める事は叶わなかった。

 

「それから、パウロ父様。今戦ったら、そこそこいい勝負は出来ると思います。魔術や魔眼を使えば、もしかしたら勝てるかも。でも、やっぱり父様には勝てないかもしれません」

 

 ルイジェルドの次に思い浮かべたのは実の父、パウロ・グレイラット。三大流派上級という腕前は、冒険者となって場数を踏んでいく内に並大抵の才能ではないことをルーデウスは理解していた。

 あの時の模擬戦……7歳の時、ボレアス家に行く切欠となったあの模擬戦の記憶は、ルーデウスにとって未だに鮮明に残る記憶であった。あの時はまだパウロの“本気”を引き出せたとは到底思えなかった。

 

 

「……でも、一番勝てないのは……ウィリアムかもしれません」

 

 

 そして思い出す。

 あの“弟”の姿を。

 

 無詠唱魔法はあの時よりも磨きがかかっていた。この1年で様々な魔物と戦い、場数もそれなりに踏んでいた。ルイジェルドやエリスとの稽古も、確かに自分の戦力を高めていた。

 

 しかし、どうしてもイメージ出来ないのだ。

 あの“虎”のような弟の苛烈な圧力を、どうやったら跳ね除ける事が出来るのか。己をただの一撃で打ち負かしたあの神速の打ち込みを、どうすれば躱す事が出来るのか。

 

 最後に見たあのイメージ……弟は……ウィリアムは、とても尋常ではない“気”を発していた。そのイメージを覆す程の実力は、一体いつになったら身につける事が出来るのだろうか。

 いくら魔眼を得たとは言え、それが果たしてウィリアムに対してどこまで通用するのだろうか。

 

 両手を組み、そのまま押し黙ったルーデウス。

 エリスは押し黙ってしまったルーデウスに心配そうに声をかける。

 

「ルーデウス……ウィリアムって、ルーデウスの弟よね?」

「……はい。自慢(・・)の弟ですよ」

 

 やや薄い笑みを浮かべ、エリスに応えるルーデウス。

 

「……そういえば、ルーデウスの弟の話はあまり聞いてなかったわね」

「そうですね……あまり話をする程、ウィリアムの事を知ってるわけじゃないですから」

「どうして? 弟なんでしょう?」

「そう……ですね。……なんていうか、ウィリアムは……」

 

 エリスはじっとルーデウスを見つめる。他の家族を語る時はもっと饒舌なルーデウスであったが、なぜかこの時ばかりは言葉を濁すばかりであった。

 

「……“虎”」

「虎?」

「はい。ウィリアムは、僕なんかより全然大人しい子供でした。でも、虎のような凄みがありました」

「なんだか変わった子ね……」

 

 弟に一撃で倒されたあの立合い。あの立合いの最後に見えたあの木剣を咥えた虎が、ルーデウスの胸の奥に鮮明に刻みつけられていた。

 かつて弟が己の胸の奥に刺した、強烈な(イメージ)──

 

 ルーデウスははっきりと、その棘を認識した。

 

「とりあえずブエナ村に帰ったら、今度こそウィリアムに“兄貴らしい所”を見せたいんですよね。ほら、兄より優れた弟は存在しねえ!って言うじゃないですか」

「なにそれ……」

 

 ルーデウスはやがていつもの笑みを浮かべてエリスを見つめる。

 

 エリスはルーデウスの笑顔を見て……僅かに感知した。

 ルーデウスのその瞳は“虎”に対する畏れが、僅かに現れていた。それを見たエリスは、それ以上ウィリアムの事を聞くことはできなかった。

 

 エリスはルーデウスに体重を預け、自分も離れ離れになった家族に思いを馳せた。

 お祖父様、お父様、お母様、ギレーヌ……

 エリスはボレアスの家族と剣の師匠に思いを馳せ、増々ルーデウスに体を預けた。

 

 

 二人がいる宿の一室は、故郷や家族に思いを寄せる静かな時間が流れていた。

 

 

 

 ルーデウスは知らない

 転移の範囲がロアの街だけではなく、フィットア領全体で発生していた事を

 

 ルーデウスは知らない

 ブエナ村の家族が、シルフィエットが、大切な人達が転移に巻き込まれていた事を

 

 ルーデウスは知らない

 父が家族を探し、フィットア領の住民を救う為に“必死”になって各地を駆けずり回っていた事を

 

 

 ルーデウスは知らない

 

 

 弟が、たった一人で修羅の大地へと転移していた事を

 

 

 背中を預ける仲間もおらず、ただの一人でその孤剣を振るっていた事を

 

 

 グレイラットの名を捨て、不退転の“覚悟”を持たねば生き抜く事が難しかったその過酷な日々を

 

 

 “異界天下無双”となるべく、狂気の日々に身を任せた剣鬼の宿業を

 

 

 

 

 これは、エリスが剣の聖地へと赴く2年前の出来事──

 

 

 

 

 

 虎が、剣の聖地へと参る5年前の出来事──

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

「引き分けで御座る」

 

 

 ウィリアムが流れ星の構えを解き、よく通る声で勝負の中断を申し出る。対峙する剣帝はもとより、道場にいる誰もがこの言葉を理解出来なかった。

 

「……どういう事だ?」

 

 剣帝ティモシー・ブリッツが声を絞り出す。

 あの時点で、自身の敗北は確定的に明らかであった。ティモシーの敗北とは、即ち“死”。死を明確に意識し、生の本能から降参を言いかけた。それを途中で遮り“引き分け”などと抜かすウィリアムの魂胆が、この剣帝には全く想像がつかなかった。

 

「……漸くまことの剣に出会え申した」

 

 ウィリアムは木剣を置き、その場にて膝を折る。

 

「剣帝殿の剣技……それがし、真っ事感服仕りました」

 

 両手を床につき、平伏しつつ言葉を述べるウィリアム。その表情は、へつらう(・・・・)ような笑みを浮かべていた。道場にやって来た時の寡黙な様子とはうって変わり、雄弁と口上を述べるその態度に門弟達は得体の知れぬ怖気(おぞけ)を感じていた。

 

「剣帝殿の太刀筋、いや、それがしの小剣とはまったく比べ物になく──」

 

「うそこけ」

 

 

 いつのまにか、木剣を手にした剣神がウィリアムの前に立っていた。

 尋常ではない怒気を滲ませた剣神の腰には、剣神七本剣が一つ魔剣“喉笛”が差されている。瞬間、ウィリアムのへつらいの笑みは消え失せ、剣神に対し懐疑(・・)の視線を向けた。

 

「小僧。何企んでやがる」

 

 怒気を通り越し、殺気を滲ませた剣神の言葉に道場にいる全ての人間が息を飲む。

 

「道場は芝居をする所じゃねえ……なんで勝負を止めた?」

「……へぇ」

 

 へつらいの笑みはなかった。

剣神の強烈な覇気を受け、言葉を詰まらせるウィリアム。その様子は、端から見れば剣神の怒りに恐縮する“少年”に見えた。

 だが、この時のウィリアムは予定していた段取りとは違う(・・・・・・・・・・・・・)事態に、動揺を隠し切れずにいた。

 

「……剣神流に、尊信の念を感じますれば」

 

 動揺を抑え、やっとの思いで言葉を発するウィリアム。その様子を黙って見つめていた剣神であったが──

 

「……フ、フハハ、ハーッハッハッハ!!」

 

 唐突に、道場に入ってきた時と同じように快活な笑いを上げる剣神ガル・ファリオン。剣神の笑い声と共に、張り詰めた空気は徐々に緩んでいった。

 

「ハッハッハッハー……いや、そう来るとは思わなかったぜ」

 

 

 

 そして剣神は、平伏するウィリアムの背中に木剣を突き立てた(・・・・・・・・)

 

 

 

「ガァッッ!!!」

 

 ズンッと重い音が響く。

 剣神の突然のこの行動に、道場にいる誰もが凍りついた。

 

「ぐうううッッ!!」

 

 道場の床に這いつくばるウィリアム。

 剣神は無表情にその様子を見ていた。

 

 そして、ウィリアムの背中から木剣を引き抜く。木剣を突き立てられた背中の肉は爆ぜ、真珠のような白い胸椎を覗かせていた。

 

「ッッッ!!!」

 

 瞬間

 

 ウィリアムは腰に差していたショートソードを引き抜く。

 虎眼流の骨子である“掴み”による抜き打ちは、ただの居合にはあらず。神速の抜き打ちは、正確無比に剣神の首を狙って放たれた。

 

「ッ!?」

 

 しかしその神速の抜き打ちは、“ぬるり”とした感触しか返って来なかった。

 刹那の瞬間に剣を抜いていたのは剣神も同様──

 ウィリアムの切っ先が、剣神によって受け流される。

 

 水神流奥義“流”

 

 水神流上級以上が取得するこの技は、水神流全ての技に通じ、極めれば魔術による攻撃も受け流す事が出来る。水神流にとって基本にして最も重要な技。

 故に、水神流では奥義の一つとして数えられていた。剣神ガル・ファリオンはこの水神流を水聖級まで取得していた。

 

 キンッと、剣が弾かれる音が響く。

 ウィリアムのショートソードは道場の端へと飛ばされ、返す刀で“喉笛”はウィリアムの胴を薙いだ。

 

「ぐうッ!」

 

 刹那の瞬間に身を引き、致命傷を逃れるウィリアム。しかし剣神の斬撃は、致命傷とまではいかずともウィリアムを行動不能に貶めるには十分な威力であった。

 斬られた胸を押さえ、片膝を付いたウィリアムは剣神を強烈な視線で睨みつけた。

 

何故じゃッ(・・・・・)!!!」

 

 決して浅くは無い胸の傷、そして背中の深手にも拘らず大音声でウィリアムが叫ぶ。その様相は、正に“手負いの虎”を想起させた。

 

「気に入らねえからだ」

 

 剣神は“喉笛”を下段に構え、ゆるりと間合いを詰める。

 

「てめえは誰の為に剣を振ってるんだ?」

 

 じりじりと、ウィリアムとの間合いを縮める。

 

「てめえの剣は、誰かに言われて容易く矛先を変えるような、つまらん剣なのか?」

 

 ぴたっと、“喉笛”の剣先をウィリアムの喉元に突きつける。ウィリアムは食いしばった歯を軋ませ、鬼の形相を浮かべ剣神を睨み続けていた。

 

「フン…‥いい面構え(ツラ)してるぜ小僧。道場に来た時とは比べもんにならねぇな」

「~~~ッッ!!!」

 

 

 やがて剣神は“喉笛”を引き、ウィリアムを冷たい視線で見据える。

 

「とっとと剣の聖地から()ね。今のてめえは斬るに値しねえ」

「……ッ!」

 

 剣神がウィリアムに僅かに視線を逸らす。顎をしゃくり、道場の入り口を示した。

 

 よろよろと、傷を抑え、ゆっくりと立ち上がるウィリアム。

 おびただしい血が、道場の床を濡らしていた。

 

 

「……(たわ)け」

 

 ダンッ! と、道場の床を踏み抜き、ウィリアムが跳躍する。相応の深手を負った筈の肉体は、剣神ですら驚愕する程存外に力を残していた。跳躍し、駆け出したその先は、道場の入り口に立てかけられた自身の愛刀。

 妖気が漂うその刀を掴むべく、虎は猛然と剣立ての元へ向かう。

 

 しかし──

 

 

「そうはいかんぞ!」

 

 虹色の上着、膝までの下履き、腰には剣を4本差し、頬に孔雀の刺青を入れ、髪型はパラボラアンテナのように開き、柑橘系の香水の匂いを漂わせているド派手な男……

 北帝“孔雀剣”オーベール・コルベットがウィリアムの前に立ちはだかった。

 

退()けッ!」

「んん! まだまだ元気一杯とみた!」

 

 ウィリアムが渾身の虎拳をオーベールに繰り出す。しかし既に剣を抜いていたオーベールは、即座に剣に魔力を込める。

 

「『剣よ、燈火を!』」

 

 オーベールの魔術が発動し、剣が炎に包まれる。そして剣に向かい、予め口に含んでいた油を噴射した。

 

「ブゥゥゥ!」

「ぬぅッ!」

 

 正面からまともに炎を浴びるウィリアム。羽織っていた羽織に引火し、その体は炎に包まれた。

 

「おのれぇッ!!」

 

 即座に羽織を破り捨て、炎を鎮火すべくその場で転がる。ウィリアムの顔や髪、身体のあちこちが燻っていた。肉が焼ける、不快な臭気が辺りに立ち込める。

 

「まだ動けるか! いや実に天晴! しかし!」

 

 オーベールの刺突がウィリアムを襲う。

 もはやそれを躱せる程の体力はウィリアムに残されてはいなかった。

 

「ぐあッ!」

 

 両の太腿に深々と剣を突き刺す。ウィリアムは膝を尽き、どうっと前のめりになって倒れた。

 

「……おのれ……おのれ……」

 

 床に這いつくばり、尚も呪詛を吐きながら北帝を睨むウィリアム。その視線を流しつつ、オーベールは虎に止めを刺すべく剣を上段に構えた。

 

 

「オーベール」

 

 剣神の声が、オーベールの動きを止めた。

 

「剣神様。こやつ、生かしておくと後々の禍根になりかねませんぞ」

オーベール(・・・・・)

「……まぁ、某が手を下さずとも良い事ではありますがな」

 

 剣神の睨みで、北帝は剣を収めた。

 剣神はこの尋常ではない事態に凍りついていた剣聖達を見やる。

 

「おまえら、こいつを簀巻にして捨ててこい」

 

 非情な命令を下す剣神。

 剣聖達は数瞬躊躇したが、やがて一人、二人とウィリアムの元へと駆け出した。

 

「こいつ!」

「剣神流に歯向かう不届き者め!」

「地獄に堕ちる覚悟も無しに剣神様に同等口(ためぐち)叩くまいぞ!」

「剣神様! やってよろしかですか!?」

「剣神様に是非を問うなッ!!」

 

 ウィリアムに群がった剣聖達は、手にした木剣で容赦の無い打擲を加える。

 既に剣神と北帝に相応の深手を負わされたウィリアムに、抵抗できるだけの力は全く残されていなかった。ニナ、ジノも逡巡していたが、剣聖達がウィリアムに打擲し、縄で縛るのをおずおずと手を貸していた。

 エリスだけが、その場から動かずに剣神を睨んでいた。

 

 

「……おのれ……おのれ……」

 

 殴打され、簀巻にされながら呻くウィリアム。確かな自信を持って剣の聖地へと赴いたウィリアムであった。

 しかしその挑戦は、ウィリアムに今生での最大の屈辱を植え付けた結果となった。

 

 

 

 虎は、敗北したのだ。

 

 

 

 

 


 

 剣神流本道場『当座の間』

 ウィリアムを“仕置き”終え、剣神ガル・ファリオン、剣帝ティモシー・ブリッツ、そして剣王ギレーヌ・ディドルディアがこの当座の間に集まっていた。

 

「師匠ッ! 一体アレはどういうつもりなんだッ!」

 

 ギレーヌが剣神に噛み付く。

 エリスを打ち倒したウィリアムに対し、確かに思う所はあった。しかしこの誇り高い剣王は、大勢で寄ってたかってウィリアムを嬲り者にしたこの仕打ちを、到底許せる事は出来なかった。

 

「おまえは、ほんと頭が筋肉で出来てるよな」

「今はそんな話をしているんじゃないッ!」

 

 剣神の気怠げな物言いに、ギレーヌは増々語気を荒らげる。

 めんどくさそうに剣神はギレーヌを見やる。ポリポリと、耳を掻きながら一つ溜息をついた。

 

「はぁ……ほんと、お前の教育を間違えたよ俺は」

「……」

「あの飢えた虎みてえだったギレーヌが、牙の抜けた子猫ちゃんになっちまって。こんなお小言をいうようになっちまった」

 

 剣神はギレーヌと出会った頃を思い出す。

 あの時のギレーヌは正しく野生の“牙”を持っていた。しかし剣神流の理合を教えていくにつれ、その野生は徐々に失われていた。もし余計な理を教えず、ただひたすらその野生を伸ばすように教えていたら……

 

「今頃剣帝くらいにはなってたのにな」

「師匠ッ! そんな事よりなぜあんな仕打ちをしたんだッ!」

「あんなて……そりゃあ、なぁ」

 

 剣神は横に座るティモシーを見やる。

 ティモシーは、ややあってギレーヌに言葉をかけた。

 

「ギレーヌ。あのまま師匠と、かの少年が戦っていたらどうなっていたと思う?」

「何?」

「……師匠が負ける事は無い。だが、恐らくはあの少年は無事では済まなかっただろう」

 

 ティモシーは能面のような表情でギレーヌに語りかけていた。

 ギレーヌは兄弟子の言葉を聞いて、やや落ち着いた口調になる。

 

「どういう事だ?」

「加減するのが難しい相手……下手をすれば、師匠も不覚を取るやもしれぬ。まともに当たれば確実に死人が出ていた」

「……」

「故に、あの場はああする事でしか少年を守護(まも)る手段はなかった、そうでしょう? 師匠」

「半分正解だな」

 

 剣神は頬杖をつきながらティモシーに応える。

 ギレーヌは増々困惑の表情を浮かべた。そんなギレーヌに、剣神はニヤニヤとした表情を向けていた。

 

「ギレーヌ。剣神になってしまうとな、技を比べる相手がいなくて、そりゃ寂しいもんなんだ」

「……?」

「ま、お前らじゃわからんよ。この領域(レベル)の話は」

「……」

「レイダの婆さんや、カールマンの(せがれ)も、技を比べるには良い相手かもしれねえ。だがお互い立場ってのがある。それに、そこまで付け狙う理由も互いに無え」

 

 剣神は滔々とギレーヌに語りかける。

 圧倒的な強者が感じる一抹の寂寥感が、そこに現れていた。

 

「なんのしがらみもなく、己をただ付け狙う孤高の相手……油断したら、あっという間に食い殺されかねない。そんな、虎みてえな奴がいたら、最高だとは思わねえか?」

 

 剣神の眼は爛々と輝き、口角がつり上がっていた。

 

「次にあの小僧が俺の前に現れた時は……一体どうなっちまうんだろうな」

 

 楽しそうに、剣神は体を揺らす。

 ギレーヌは全くこの剣神の考えが理解できなかった。

 

 

「いやいや、あのウィリアムという少年。中々の暴れっぷりで」

 

 剣神の言葉に続くように、オーベールが当座の間へとやってきた。手にはウィリアムの太刀が握られている。

 剣神の正面に座ったオーベールは、その太刀を剣神の前に差し出した。

 

「お納めくだされ。中々の業物と見ましたぞ」

「……フン」

 

 やや乱暴に太刀を掴む剣神。

 鞘に収められた刀の拵えを、まじまじと見つめた。

 

「ヒルト(鍔、柄)の拵えが独特でしてな。それだけでも美術品としての価値がありますぞ」

 

 オーベールは喜々と語る。この男は剣に対してもある種の“美意識”を追求していた。

 

 

 そして剣神は、ゆっくりと……その刀を鞘から引き抜いた。

 

「これは……」

「なんと妖しい輝き……」

「吸い込まれそうですなぁ……」

 

 ギレーヌ、ティモシー、オーベールの三人は刃の妖しい輝きに陶然と見とれていた。

 一見、この世界でも珍しくは無い片刃の剣に見えた。しかしその焼き、鍛え、研ぎは、この世界には存在しないであろう至高の技術が注ぎ込まれていた。

 刀匠でなくても分かる常軌を逸するその刀身は、異世界の剣豪達を魅了していた。

 

「むうー……これほどの業物、ユリアンですら作れますまい。シシトーや龍皇、鉱神ならあるいは……いや、かの名匠達でも難しいでしょうな」

 

 オーベールは名匠ユリアン・ハリスコや名だたる名匠達が拵えた名剣をいくつも知っている。しかしこの妖しい“気”を発している剣は、そのどの名剣にも無い凄味が感じられた。

 

 ややあって、剣神は刀を鞘に収める。

 剣神は嫌忌の表情を浮かべていた。

 

「これは、名剣業物なんてもんじゃねえよ」

 

 鞘に収めた刀を、ギレーヌに放り投げた。

 

「っと」

「ギレーヌ。そいつも捨ててこい」

 

 剣神は冷然と言い放つ。

 オーベールは、この躊躇ない剣神の行動が理解出来なかった。

 

「剣神様。これ程の剣、世界中探しても中々見つかりませんぞ。“剣神七本剣”でもこれ程の物は……」

「オーベール。これはな、そんな上等な代物じゃねえよ。いうなりゃ妖剣だな」

「妖剣? 呪いがあるとでも?」

「呪いなんて“甘っちょろい”代物じゃねえ……もっと(おぞ)ましい“ナニカ”だ」

 

 剣神が忌避する程の妖剣。一体どれ程の“業”を背負っているというのか。

 オーベールは剣神の言葉を受け、息を飲む。

 

「俺もいろんな剣を見てきたからな。剣を見たらその剣がどんな風に、何を斬ってきたのか……大体“視えて”くるもんだ」

「それでは……一体何が視えたと?」

 

 剣神は一呼吸置き、言葉を続ける。

 

「残酷すぎる、その剣は」

「残酷?」

「斬った相手、使い手……その周囲まで尽く不幸のどん底に落としていやがる。とてもじゃねえが、俺はそんなモン手元に置きたくねえよ」

 

 剣神の言を受け、ギレーヌはギョッとした目つきで刀を見る。震えをごまかすように、剣をギュッと握りしめた。

 

「それはそれは。確かに手元に置けば剣神流に災いが起こるかもしれませんなぁ」

「ケッ。てめえはその方が良いと思ってんだろうが」

「いやいや、そのような事、露ほども思っておりませぬぞ」

 

 剣神と北帝は歯に衣着せぬ物言いを交わす。剣術三大流派は互いの事を決して良く思っているわけではなく。

 剣神と北帝は個人的な友誼があったが、基本的には他の流派がどうなろうが知った事では無かった。

 

「ああギレーヌ殿。捨てるなら街の外れに捨てるのが良いですぞ」

 

 立ち上がり、当座の間を出ようとするギレーヌにオーベールが声をかけた。

 

「丁度先程の若虎もそこに捨てて来ましたからな……おおそういえば」

 

 そしてやや芝居がかった仕草で懐を弄る。懐から取り出した袋をギレーヌに手渡した。

 

「これもついでにそこに捨ててくれるとありがたいですな。いや、それは北神流に伝わる一級品の治療薬なのですがな。ちと古くなってしまって、もはや効能があるかどうか怪しい物でしてな」

「オーベール殿……」

「不要な物はまとめて捨てるに限りますな。ハッハッハッハッ」

 

 快活に笑うオーベール。その様子を白けた顔で見つめる剣神、瞑目する剣帝。

 

 

 ギレーヌはオーベールに一礼し、当座の間を後にした。

 

 

 

 

 

「ギレーヌ」

 

 当座の間を出たら、エリスがそこに立っていた。

 へし折られた指に巻かれた包帯は、僅かに血が滲んでいた。

 

「あの……あいつの所へ行くの?」

「ああ」

「そう……なら、私も行くわ」

「そうか」

 

 姉妹弟子は短い言葉を交わす。

 多くを語らないギレーヌに、エリスは感謝していた。

 

 ウィリアムに何も出来ずに無様に負け、悔しかった。

 大好きなルーデウスによく似ている男に負けて、悲しかった。

 赤い縄を看破され、恥ずかしかった。

 

 しかしその後の剣神のやり方は許せなかった。

 今更綺麗事は言うつもりは無い。自分だって勝利の為ならあらゆる手段を取る事もある。不意打ち、騙し討、多対一など何でもやる。

 

 しかしそれでも、あの孤高の白髪の剣士は、たったひとりでこの地に乗り込んできたのだ。

 その勇気に対し、あの仕打ちは……

 

 

「早くいきましょう」

「ああ」

 

 雪が舞い散る剣の聖地で、姉妹は駆け出した。

 

 

 

 

 


 

 

 

「……おのれ……おのれ……」

 

 剣の聖地にほど近い街の外れにある雪原。

 そこにウィリアムは手足を縛られ、無残な姿で転がされていた。

 

 羽織っていた立派な羽織は既に無く、上半身はボロボロの状態の衣類しか身に纏っていなかった。剣聖達による打擲は、顔や体を腫らし、剣神や北帝に付けられた傷を更に酷い状態へと変えていた。

 真っ白な雪原であったが、ウィリアムの周りだけが赤く染まっていた。

 

 

「ウィリアム!」

 

 白い息を吐き、ギレーヌとエリスがウィリアムの前に辿り着く。

 ギレーヌはウィリアムに駆け寄り、縛っている縄を切ろうとした。

 

「触るなッ!」

 

 突然、大声を出すウィリアム。ギレーヌはこの状態になっても尚、そのような咆哮を上げる虎に内心舌を巻いていた。

 

「……あたしらはもうお前に対して危害は加えない」

「……」

「だからそんなに警戒しないでくれ」

 

 ギレーヌは落ち着いた声色でウィリアムに声をかける。手負いの虎が、目に映る何もかもを警戒する事は、かつて自身も“虎”と呼ばれていたギレーヌはよく知っていた。

 

 

「ウィリアム・グレイラット」

 

「ッ!」

 

 エリスが唐突に言った。

 その言葉を聞いたウィリアムは瞠目し、驚きの表情を露わにした。

 

「あんたは、ウィリアム・グレイラット。ルーデウスの弟なんでしょう?」

「……」

 

 エリスはウィリアムの前に膝を着き、ウィリアムの目を覗き込む。

 

「私はエリス・グレイラット。あんたの親戚ね」

「……」

「ルーデウスから聞いていたわ。虎の様な弟がいるって」

 

 エリスは手にしたナイフで、ウィリアムの拘束を解く。

 丁寧な手つきでウィリアムの体を起こした。

 

「でも、今のあんたはただの負け犬ね」

「ッッ!!」

 

 腫らした顔で、ウィリアムは強烈な視線をエリスに向ける。しかしエリスはどこ吹く風で、その視線を流していた。ウィリアムは歯を食いしばり、血を流しながら俯いた。

 

 ギレーヌが、持っていた刀をウィリアムに手渡す。

 

「これはお前のだ。しっかり持っていろ」

 

 ギレーヌから刀を受け取ったウィリアムは、その刀をしっかりと……抱え込むように握りしめた。

 ギレーヌは北帝から受け取った治療薬を取り出す。エリスと手分けして、ウィリアムの傷を治療し始めた。

 ウィリアムはずっと俯いたまま、されるがままに治療を受けていた。

 

「しかし、何故勝負を止めた?あのままいけばお前が剣帝殿を倒していたはずだ」

 

 ギレーヌが治療しながら、気になっていたことを尋ねる。治療の為に手を動かしていたエリスも、その事は気にはなっていた。

 結局、あの行動は剣神を怒らせただけで何の意味があったというのか。

 たったひとりで剣の聖地に乗り込んできた者にしては、あまりにも迂闊すぎる行動──

 

 

 その何気ない問いかけが、ウィリアムの様子を一変させた。

 

 

「……あの……り……」

「ん?」

 

 俯いたウィリアムの表情はよく見えない。

 丁度、ウィリアムの胸の傷を治療しようと正面に回ったエリスが、その表情を見てしまった。

 

「ッッ!!」

 

 

 ウィリアムは、血の涙を流していた。

 

 全身を軋ませ、鬼の形相で無念の血涙を流していた。

 

 

 そして怨嗟に満ち溢れた声が、辺りに響いた。

 

 

 

「あの折、儂が頭垂れたるはヒトガミが指図(・・・・・・・)ッ!はかった喃……はかってくれた喃ッ!!」

 

 

 

 みしり、と、握った剣が軋んだ。

 

 尋常ではない怒気が、エリスとギレーヌを包んだ。

 

「やってくれた喃、剣神ッ!……はかってくれた喃、人神ッッ!!」

 

 阿修羅を思わせる形相に、エリス達は動くことができなかった。治療の手を止め、ウィリアムから視線を外すことができなかった。

 

「……く、くふふ……くふふふふ……」

 

 やがてウィリアムは俯き、力のない笑い声をあげた。

 エリス達はこの尋常では無い“狂気”と“凶気”に当てられ、心臓を鷲掴みにされたかの如く、全身が竦み上がっていた。

 

 

「む、宗矩に……宗矩に続きヒトガミにまで……やるせ無き(かな)、我が(うつ)け振りよ……」

 

 力なく呟いたウィリアムは、そのまま気を失った。

 

 握りしめた刀から、怨念に満ちた気が溢れていた。

 

 エリスとギレーヌはウィリアムが発する気に飲まれ、しばし呆然と佇んでいた。

 

 

 

 

 雪が、深深と降り積もる

 

 

 虎の怨念を鎮めるかのように

 

 

 剣鬼の魂を慰撫するかのように……

 

 

 

 

 

 

 

 

 


<????視点>

 

 

 やぁ。元気そうだね。

 

 ああ、そんなに怒らないでよ。って、すごい迫力だね……

 

 とにかく、一端落ち着いて話を聞いてくれないかな?

 

 いや、別に騙すつもりなんてなかったさ。

 

 だってあのまま剣帝をやっつけてたら、その後君は剣神に殺されていたよ?

 

 彼はすごいよー。人族じゃ現状最強じゃないかな?なんてったって七大列強六位なんだから。

 

 あの奥義、流れ星だっけ?あの技じゃ、まだ剣神には届かないよ。

 

 え? 奥義はあれじゃない?

 

 まだ隠し玉もってたんだ。へぇー。

 

 でもそれ、まだ完成していないんでしょ? それじゃぁ、どの道剣神には勝てないよ。

 

 いや、普通に言っても聞かないでしょ君は。

 

 ああいう言い方になってしまったのはしょうがないじゃないか。

 

 でもまぁよかったじゃない。命あっての物種って言うしさ。

 

 失ったのが剣一本(・・・)でよかったじゃないか。

 

 

 ……あれ? まだその剣持ってたの?

 

 ……ふーん。まぁいいか。

 

 ああ、なんでもないよ。気にしないで。

 

 とりあえず、今回の助言は君にとって悪い結果を生んだワケじゃなかったんだよ。

 

 それだけは信じてほしいな。

 

 君の目標は最強の剣士になることだろう? だからこんな所で死んじゃだめだよ。

 

 え? 僕の目的?

 

 そんな大層なものはないよ。君のおもしろい人生を見てて、気に入ったから力を貸してみたくなっただけさ。

 

 君の異界天下無双? だっけ? それを応援したくなっただけだよ。

 

 

 というわけで、また助言を授けましょう。

 

 

 え? もう聞かない?

 

 そんな事言わずにさ、お兄さんの居場所だって分かったんだし、ぜひ聞いてくれないかな?

 

 妹達にも会いたいだろう?……そんな事ない?

 

 またまた、強がっちゃってもー。

 

 

 ……さすがの僕も怖くなるからそんなに凄まないでよ。もう。

 

 まったく……。最初はあんなにへつらってた癖に……。

 

 え? 禍津日神(まがつひのかみ)? 誰だいそれは?

 

 まぁいいや。とにかく、君にとって悪い話じゃないから聞いてみなよ。

 

 

 

 おほん。それじゃあウィリアムよ、よくお聞きなさい。

 

 傷が癒え次第、直ぐにシャリーアへ行きなさい。

 

 そこで、兄のルーデウスに会いなさい。

 

 ルーデウスに会って、決してルーデウスがシャリーアから出ないようにしなさい。

 

 どんな手段を使ってでも(・・・・・・・・・・・)、ルーデウスを止めるのです。

 

 そうすれば、家族全員揃って、きっと幸せになることでしょう。

 

 そしてあなたは更に強くなるでしょう……

 

 でしょう……でしょう……でしょう……

 

 ……

 

 ……

 

 ……

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……

 

 

 ……

 

 

 ……

 

 

 ……あ……剣……して……でも……

 

 

 

 

 

 

 




中馬どんのお陰で衛府の七忍が流行ってきているようで何よりでごわす



以下原作ネタバレ含むガバガバ解説。
苦手な方は読み飛ばし推奨です。

・魔剣
無職転生世界の魔剣は文字通り魔力が付与されているマジックアイテムとして扱われている。
ちなみに剣神様は珍しい剣の収集癖があるので魔剣もがっつり集めている。特に集めた剣の中でレアモノは『剣神七本剣』と言われている。
でも割りと簡単に人にあげちゃうのでお気にの剣以外はそこまで愛着もっているワケではなさそう。


・七大列強
無職転生世界で上位7人の実力者の事。だたし列強5位~序列外15位くらいまでは戦えばどちらが勝つかわからない。
FIFAランキングみたいなもん。


・柳生宗矩(シグルイ)
若い頃の虎眼先生と立ち合って引き分けにしてもらった名門柳生の極意を悉く身につけた人。
引き分けにしてもらったお礼に徳川家に推挙するが、その時六本ある指の一本を隠すようにすると無礼にならないよってアドバイスする。
虎眼先生がアドバイス通りにしたら面接した本多正純に『太閤様(秀吉)と同じ指の本数なのに無礼すぎんだろ』と怒られて就職失敗する。
宗矩はその後まんまと将軍家剣術指南役になりましたとさ。
ちなみに虎眼先生は全然関係無い時に思い出しちゃうくらいこの事をずっと恨んでた。
本当の柳生宗矩についてはWikipediaを参照されたし。


・ルイジェルド・スペルディア
スペルド族。魔大陸でルーデウス達を保護する。
その後、ルーデウス達と共に冒険者パーティ『デッドエンド』を結成し、フィットア領で別れるまでずっと一緒にいた。
デッドエンドとは元々ルイジェルドの二つ名。
昔ラプラスに騙されて家族や仲間を誤チェストしてしまった事からそう呼ばれるようになった。


・剣王ギレーヌ・ディドルディア
獣族(デドルディア族)の族長の家系に生まれる。脳筋。
子供時代は村一番の悪童で、割りとシャレにならなかったので剣神様に預けられた。
その後冒険者パーティー“黒狼の牙”に参加。
パーティー解散後は詐欺に合い、餓死寸前だった所をサウロスとエリスに拾われボレアス家の食客となった。
ちなみにソロで迷宮に篭っていた際、消化日数をちゃんと計算してなかったせいで食料が尽きてしまう。
仕方ないので魔物のう○こ食ってしのいでいた。無職転生のベア・リグルス。
おっぱいはでかいがお尻は固い。


・北帝オーベール・コルベット
通称“孔雀剣”。ニンジャ。奇抜派剣法という名の忍法を使ってくる。
見た目は剣持った岸田メル。だと良かったけどガイル少佐だった……




・ヒトガミ(人神)
作中一のガチ外道。ラスボス。どす汚れた心の持ち主。
普段は六面世界の中心『無の世界』にひきこもってる。
ウォッチ対象者の未来が見えるので、対象者の夢の中に出てきてアレコレお告げしてくる(ヒトガミ使徒化)
人を信用させる呪いを持ち、信頼される呪いの通じる相手だと神聖なる気配と神々しさを感じるらしい。
ルーデウスのような呪いの通じない相手だと白いモジモジくんみたいになる。
びっくりするくらい自分の都合の良い未来に誘導する事しか考えてないので結構嘘ついてくる。
でも強い運命を持っている人間の未来を誘導するのは割りと難しいらしい。
たまに愉悦に浸りたいだけで特に意味なく相手を破滅させる未来に誘導することもある。
コミック版ではおふざけキャラが増してて余計ムカついた(小並感)

眷属ウォッチは同時に3人までしか出来ない。一定期間でウォッチ対象者を入れ替え可能。


・龍神オルステッド
七大列強第二位。二位だけど一位より強い。無職転生世界の範馬勇次郎。哀川潤。江田島平八。
通称社長。ヒトガミ絶対ころすマン。
200年周期でタイムリープしてる。ループ回数は100から先は覚えておらぬ。
子ども大好き。クリスマスにはサンタになって良い子にプレゼントを配るのが趣味。
ラストバトルで超絶パワーアップした北神を瞬殺した。加減しろ莫迦!


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第九景『若虎快復聞書(わかとらかいふくききがき)

 

「……ここは」

 

 剣神流道場にて手酷い“仕置き”を受けたウィリアム。

 雪原に放り出され、その後駆けつけたギレーヌとエリスの治療を受けた。その後、怨みのこもった独白を吐き、眠るように気絶した。

 

 目を覚ましたウィリアムは、自身がベットに寝かされていた事に気付いた。やや煤けた天井を見つめる。

 

「ぐっ……」

 

 傷んだ体を起こす。周りを見ると、くたびれた調度品が並んでおり、お世辞にもあまり良い等級とはいえない宿の一室である事が伺えた。

 己の体を確認すると、剣神や北帝に受けた傷は包帯が巻かれていた。包帯の上からは確認出来ないが、傷はほぼ塞がっているように思えた。服は着ておらず、下履きしか履いていない。包帯は丁寧に巻かれていた。

 

「……ッ」

 

 立ち上がろうと力を入れる。が、重い体に引きずられ、ベットに倒れ込んでしまった。

 傷は塞がっていたが、肉体が失った血は存外に多かった。

 

 再び煤けた天井を見つめる。

 自然と、涙が溢れて来た。

 その涙はただの悔し涙ではない。怨恨に満ちた、暗い感情が込められた涙であった。

 

「おのれヒトガミ……おのれ剣神……」

 

 先程まで見ていた“夢”の内容を思い出す。

 思えば、あの訝しすぎる(・・・・・)神は最初に夢に現れた時から思う所はあった。

 あの時はあまりにも唐突な事態であった為、ヒトガミの助言に唯々諾々と従ってしまった。

 

 ウィリアムが受けたヒトガミの助言は、今回のを含め都合四回。

 一回目は素直に従い、実際に助けになった。

 二回目も、一回目が上手くいった事で素直に聞いた。

 

 そして三回目。

 今までの助言に比べて、妙にぼかした言い様だった。訝しみながらも、その助言の通りに事を進めた。

 

 そして、屈辱を味わった。

 

 このような結果になるくらいなら、従わずに剣帝を打ち倒し、そのまま剣神と仕合えばよかった。

 五分の状態で剣神と立ち合えるならば、己の虎眼流が遅れを取ったとは思えなかった。

 

 あの不意打ちさえなければ──

 

「……やってくれた喃」

 

 自身の背に木剣を突き立てた剣神は、完璧にその“意”を消していた。

 剣神の不意打ちにも腹が立ったが、それを察知出来なかった己の未熟さにも腹が立った。

 

 何が異界天下無双か──

 

 反撃の抜き打ちも水神流の技で受け流された。その後、あの“奇抜な”剣士にも遅れを取った。為す術もなく、剣神流の門弟に袋叩きにされた。

 

 結果だけ見たら、己は負けたのだ。

 

 転移してからウィリアムは苛烈な日々を過ごしていた。培った自信と、より練り上げた虎眼流をぶつけんが為、挑んだ剣神流であった。だが、結局剣神には届かなかった。

 まだ挑むのには早かったのだろうか。

 そう思うと、こうして命がある事は僥倖なのでは……

 

 ウィリアムはそこまで考え、かぶりを振った。

 あの助言が正しかったかどうかはもはやどうでもよかった。どちらにせよ、今後はあの怪しい“人神”の言うことは真に受けない方がいい。シャリーアに兄がいるというのも怪しいものだ。

 先程の夢にて告げられたあの助言をまともに聞いて、果たして己の為になるものか。

 そもそもが、兵法者として己が信仰していたのは鹿島香取の神兵、軍神武甕槌神(たけみかづちのかみ)であって、あのような怪しい詐欺師紛いの自称“神”ではない。

 助言を聞く必要は全く無かったのだ。

 

「……うむ」

 

 しばらく横になっていたおかげか、漸く体を起こすことが出来た。なにはともあれ、まずは腹に何か入れたかった。

 虎が本能で“餌”を求めるかのように、ヨロヨロとベッドから這い出る。

 若干の肌寒さを感じた。ふと、ベッドの近くに備え付けられているテーブルを見ると、綺麗に折り畳まれた衣服と自身の“妖刀”がそこにあった。

 衣服を掴み、もそもそと服を着る。

 そして、妖刀を手に取った。

 

「……」

 

 スラリと鞘から刀身を抜く。

 妖しく輝く刃の刃紋を見て、前世でどのような経緯を辿ってきたのかおおよそ(・・・・)察する事が出来た。

 ウィリアムはスゥっと、刃の芳香を嗅ぎ取る。刀身からは、僅かに女人の血の匂いが感じられた。

 いくら手入れをしても落ちぬその無惨な芳香は、剣鬼の魂を鎮撫するのに役立っていた。

 

『藤木……』

 

 この世界の言葉ではなく、日ノ本言葉で呟くウィリアム。

 前世での忠弟が見事に仇を取ってくれたであろう事が容易に見て取れた。

 

 でかした! よう伊良子を成敗いたした!

 

 そう、喝采を上げたくなる程の高揚感がウィリアムの中で湧き上がる。

 しかしその後の残酷な結末までは想像出来たのだろうか。

 濃尾無双とまで言われた無双虎眼流本流が、岩本家嫡流が潰えてしまった事は、剣鬼がいくら刃を見つめても知る事は出来なかった。

 

 クゥ、と、ウィリアムの腹が鳴った。

 存外にこの体は空腹を覚えていたようだと、ウィリアムはやや顔を赤らめる。

 剣を鞘に収め、杖代わりにして部屋から出た。

 

 思えば、この妖刀を再び入手した経緯も人智を越えた“怪異”としか思えないような出来事であった。

 もしかしたら、虎子が“親”を想って、この妖剣を異界へと送り届けてくれたのだろうか……己の窮地を幾度も救ってくれた、この妖剣を見つめウィリアムはそう思考する。

 そう思えば、この妖剣が自身の手に舞い戻ってきた意味が見えて来るのだ。

 

 虎眼流は異界においても“最強”であれ──

 

 弟子からの時空を超えた後押しを感じた若虎は、力強く歩を進めた。

 

『見ておれ……この世界でも、虎眼流は天下無双。無駄にはせぬぞ……』

 

 忠弟の“手柄”に報いるかのように、ウィリアムは呟く。

 虎は一度の敗北では決して折れない。

 

 “異界天下無双”に至るまで、虎は決して歩みを止める事は無いのだ。

 

 

 

 


 

 

 

「もう起きていたのか……」

 

 ウィリアムが起き上がってから小半刻が経った頃、“剣王”ギレーヌ・デドルディアが部屋に入って来た。

 つい先程まで寝ていたはずのウィリアムの姿が無い事で、ギレーヌは虎が思ったより早く回復していた事に驚きを感じていた。

 

 傷ついたウィリアムをここまで運んだのはギレーヌであった。

 剣の聖地に程近い街にあるこの宿屋は、ギレーヌが剣神流に入門したての若い時分に厳しい稽古から“逃げる”為によく利用していた。剣神流の若い門下生が厳しい稽古から逃げる為の一時の逃げ場になるようにと、宿の主は創業時の理念としていたのだ。

 もっとも宿の主自身が剣神流の猛稽古から“こぼれ落ちた”一人であった事から、そのような理念に至ったのだが。

 ギレーヌにとって古くから馴染みのある宿でもあった為、ボロボロのウィリアムを見ても何も言わず、粛々と迎え入れるくらいは気を利かせてくれた。

 

「まだ満足に動ける体ではないのに……無茶をする」

 

 そっとウィリアムが眠っていたベッドに腰をかけ、体温が残るシーツを撫でる。

 ギレーヌはシーツを撫でながらウィリアムとエリスとの立ち合いを思い起こしていた。

 エリスの指がへし折られ、不様を晒したあの試合。エリスの悔しさに満ちたあの表情を見たあの瞬間は、ギレーヌは己のはらわたが煮えくり返る思いを感じていた。

しかしこうしてウィリアムを宿屋に運び入れた頃には、既にギレーヌはウィリアムに対し何ら遺恨を感じる事は無かった。

 

 あれはエリスの未熟が招いた事──

 

 姉弟子であり、かつてはボレアス家でエリスに剣を教えていた師匠としての立場から見ても、ウィリアムの立合いは堂に入っていた。

 正々堂々と剣神流に乗り込み、剣帝までも圧倒した。

 その姿を見てギレーヌは胸が熱くなる思いを感じた。獣族の本能からか、“強い雄”を見ると気持ちが高ぶるのだ。

 

 もっともウィリアムがパウロの息子だと知り、9年前に見たあの才気溢れる少年だと気付いてから、遺恨など持ちようが無かったのだが。

 

「一体どんな修練を積めばあそこまで到れるのだろうか……」

 

 ギレーヌはウィリアムの残り香を感じつつ、そう呟く。

 転移してからパウロが必死になって家族を探していた事は、各地に残されたギルドの“伝言”を見て知る事が出来た。

 その必死な探索網に全く引っかからずに、あまつさえあのような実力を身に着けていたとは。

 名前を変えた理由、ウィリアム自身が家族を探そうとはしなかったのか、そして剣神流に向かって来た理由とは……

 

 とにかく、ウィリアムには色んな事を聞きたかった。

 ギレーヌはルーデウスから読み書きや算術を教えてもらい、昔に比べて頭は回るようにはなってはいたが、ウィリアムが転移後どのような心境の変化、そしてどのような日々を過ごしていたのかは全く想像する事は出来なかった。

 

「パウロか……」

 

 ふと、ギレーヌは冒険者パーティー“黒狼の牙”時代を思い出す。

 僅か数年でS級へと駆け上がり、中央大陸ではその名を知らぬほどの冒険者パーティーと成った“黒狼の牙”

 リーダーのパウロとメンバーのゼニスが結婚するまで中央大陸で大いに暴れまわったものだと回想する。

 

 エリナリーゼ、タルハンド、ギース……

 

 かつての仲間達は今どこで、何をしているのだろうか。

 あのパウロの伝言を見て、パウロの家族を探しているのだろうか。

 自分も、パウロの家族を探しに出た方がいいのだろうか。

 

 そこまで思考し、ギレーヌは僅かに頭を振る。

 自分にはエリスを一人前の剣士として育てる使命があるのだ。

 そして、大恩あるサウロス様、フィリップ様、ヒルダ様の“仇”を取らなければならぬのだ。

 

 ぎゅっとベッドのシーツを握りしめる。

 転移に巻き込まれ、中央大陸南部の紛争地帯で感じた無念は未だにギレーヌの中で燻っていた。

 フィリップとヒルダの死を確認した時の、あのどうしようもない空虚な思い。その空虚な思いは、フィリップ達を殺した下手人を斬り殺しても晴れなかった。

 フィットア領に帰還した後も、サウロスがアスラ王国上級大臣とノトス家当主によって転移事件の全責任を押し付けられ、処刑された事を知り口惜しさを感じた。

 

 エリスがルーデウスに相応しくなるよう決意した時、ギレーヌもまたボレアス家の人々の無念を晴らすことを決意したのだ。

 パウロには悪いが、この事はギレーヌにとって何よりも代えがたい使命であった。

 

 ボフっと、音を立ててベッドに倒れ込む。

 寂寥感と、申し訳無さがギレーヌの心で広がっていた。

 いつになったら、この心の虚無は埋まってくれるのだろう。

 

 ウィリアムが使っていた枕に、顔を埋める。

 ギレーヌがいくら考えても、陰鬱な思いが晴れる事は無かった。

 

 

「スン……」

 

 ふと、枕に残った匂いを嗅ぐ。

 雄々しくも、どこか懐かしい匂いが感じられた。

 

「パウロの匂いがするな……」

 

 ギレーヌはかつて“黒狼の牙”でパウロとただならぬ(・・・・・)関係を持っていた事があった。

 

 元々無頼の女好きであるパウロが、ギレーヌが発情期になった時をつけ込んで半ば無理やり関係を持ったのだ。

 それからある理由で淫蕩な性格を持っていたエリナリーゼを交え、3人で爛れた生活を送っていた時期があった。

 パウロがゼニスを孕ませてからは指一本、自分やエリナリーゼに手を出してくる事も無くなったが、今にして思えばあれは恥ずかしい淫猥な日々であった。

 快楽に身を任せ、ただ溺れていた自分が情けなく、どうしようもなく恥ずかしかった。剣王として、己の欲を律する事が出来なかったのが許せなかった。

 

 パーティーが解散してから、ギレーヌは発情期になると猛稽古を課すことでその滾った情欲を発散させていた。

 剣の聖地に来てからもそれは変わらず、周りの門弟達は獣族の発情期が近づくとギレーヌの猛稽古に付き合わされる事を想像し、陰鬱な表情を浮かべるようになった。

 もっともギレーヌの猛稽古に付き合わされるのはもっぱらエリスだけであったので、門弟達にはなんら“被害”は無かったのだが。

 

「スン……スン……」

 

 枕に顔を埋め、ウィリアムの芳香を嗅ぎ続ける。

 思えば、既に今年の発情期は始まっていた。どうしようもなく高ぶった感情を鎮めようと道場へ向かった矢先、ウィリアムが来てしまった。

 稽古で発散する事が出来なかった獣慾が、ギレーヌの中で大きく膨らんでいった。

 

「スーッ……ハァー……」

 

 大きく吸い込み、熱い吐息を吐き出す。

 ギレーヌは発情期で高ぶった獣慾を、自分で慰めて鎮める事は殆どしなかった。

 そのような事をする必要が無く、ただ獣の様に剣を振る事で欲を発散することが出来たのだ。

 でも何故か今だけは、この高ぶった感情を剣を振る事以外で鎮めたくなった。

 

「……ンッ……ハァ……」

 

 自然と、下腹部に手が伸びる。

 熱い吐息は、徐々にその熱を高めていった。

 

 ウィリアムの“匂い”は、パウロとの爛れた日々を思い起こすだけでなく、パウロには無かった雄々しい“獣性”が感じられた。

 その匂いは、獣族の“雌”にとって抵抗し難い悩ましい引力を発生させていた。

 

 ギレーヌは下腹部に伸ばした手を動かし、ウィリアムの体を思い起こす。治療をしていた時に見たウィリアムの肉体は、年齢に似つかわしくない程歴戦の古傷が浮かんでいた。

 その肉体は獣族の女にとってどうしようもなく逞しく、美しく、そして淫靡な肉体であった。

 ギレーヌはウィリアムの肉体が発していた残り香に包まれ、増々その獣慾を滾らせていった。

 

「アッ……クゥッ……」

 

 最低限しか肉体を隠していなかったその面積の少ない衣服ごしに、己の乳房を掴む。ギレーヌの悩ましい声が、湿った水音と共に部屋に響いた。

 剣の聖地は常に雪が降り積もる程の寒さであったが、部屋は艶めかしく、淫靡な温度が保たれていた。

 

 もはや、そこにいるのは“黒狼”の二つ名を持ち、剣王の称号を抱く女剣士では無く、欲に負けてしまった一匹の“雌”がいるのみであった。

 

 

 

「……」

 

 

 

 ふと入り口に目を向けると、食事が入った籠を抱えたウィリアムが白い目でギレーヌを見ていた。

 

 

 

「フッッ!!!」

 

 

 ギレーヌは驚きのあまり、全身が硬直する。尻尾はピンッと立って、その毛は逆だっていた。驚愕と羞恥が織り交ざった事で、その顔は一瞬にして朱に染まる。

 行為に夢中になるあまりに、ギレーヌはウィリアムの存在を全く感知することが出来なかった。

 

「……」

「……」

 

 しばし見つめ合う二人。

 立合いとはまた違った、妙な緊張感が辺りに漂った。

 

 

「……ごゆるりと」

 

 

 パタン、とドアを締める。

 ギレーヌは人生で最も速い俊敏さで扉に向かった。

 

「待てッ! 待ってくれッ! 今のはッ! 今のは違うんだッ!!」

 

 何が違うというのか。

 ギレーヌの顔はゆでダコの様に真っ赤に染まり、先程の行為のせいもあって全身から汗を噴き出していた。ドアノブを掴み、全力で扉を開けようとしたが、向こう側でウィリアムが押さえているのかドアはびくともしなかった。

 

「それがしにお構い召されるな」

「構うわ! ていうか開けろ!」

「存分に戯れ(・・)よ」

「戯れんわ! クソッ! 凄い力だな!」

 

 万力のように締め付けられたドアノブが、音を立てて軋む。

 あれ程の傷を負っていたウィリアムのどこにこのような力が残っていたのだろうか。

 そんなどうでも良い事を思いつつ、半ば錯乱したギレーヌはドアを猛然と叩いた。

 

「あっ!」

 

 破砕音と共に、ドアが縦に割れた。

 剣王と剣虎の剛力に耐えられるドアは、この世界の宿屋には存在しなかった。

 

「……」

「……」

 

 再び気まずい沈黙が流れる。

 互いに、目を合わせようとはしなかった。

 

「……まぁなんだ。ウィリアム。今のくだり、無しな」

「……」

 

 

 破壊されたドアから吹き込む外の風により、宿の一室は適度な温度が保たれていた。

 

 

 


 

 

「そうか、シャリーアに行くのか」

 

 テーブルに備えられた椅子に座り、ギレーヌは言葉をかける。

 ウィリアムはベッドに腰掛け、もくもくとパンを頬張っていた。

 

「確か、以前ウチのニナがラノア魔法大学にいるルーデウスを見に行った事があったな。あの時何があったのか知らんが、ひどく打ちのめされていたようだったが……」

 

 先程の醜態を見られたせいか、やたらと饒舌なギレーヌ。それを尻目に、ウィリアムは調達した食料をただ黙々と喰らっていた。

 ギレーヌもギレーヌでお構いなしに、ルーデウスとの手紙のやり取りで知り得た今のグレイラット家の現状を喋る。

 妹達の名前を聞いても、ウィリアムは表情を変える事無く、黙々と食事に手を付けていた。

 

 最後のひとかけらとなったパンを口に放り込み、水差しを直接口をつけ、喉を鳴らす。

 そこに、一匹のノミ(・・)がウィリアムの目の前を跳ねた。

 

 パチッ

 

 宙空のノミを一瞬にして二本の指が仕留めていた。

 

「見事だな」

 

 ギレーヌはほぅ、と、感嘆のため息をつく。

 復活したウィリアムの肉体は、瑞々しい生命力を放出していた。

 

 やがて人心地が付いたウィリアムは、その場で深々と一礼をする。

 

「遅れ申したが、それがしを()けて頂き真っ事感謝に耐えませぬ。この恩は、いずれ必ずや……」

「ああ、その事は気にするな。あたしも師匠のやり様は気に入らなかったんだ」

 

 深々と腰を折るウィリアムに、ギレーヌはひらひらと手を振る。

 事実、不意打ちをしたあげく嬲りものにした剣神がどのような思惑を持っていたとしても、ギレーヌはそれを許すことは出来なかった。

 

 静かな時間が流れる。

 尚も頭を下げるウィリアムに、ギレーヌは一番聞きたかった事を問いかけた。

 

「ウィリアム……おまえは、ウィリアム・グレイラットで間違いないんだな?」

「……」

「どうして、パウロ達を……家族を探そうとしなかったんだ……?」

 

 白髪の総髪が僅かに揺れる。

 何故、名前を変えたのか。

 何故、家族に会いにいこうとしなかったのか。

 詰問するわけではなかったが、ギレーヌはこの何を考えているのか分からない少年に、真っ直ぐその疑問をぶつけていた。

 

 沈黙が続く。

 やがて顔を上げたウィリアムは、何かに耐えるように僅かに表情を歪めていた。

 

「……ウィリアム・グレイラットは、あの転移で死に申した」

「ウィリアム……」

「ここにいるのはウィリアム・アダムス。それに尽き申す」

 

 ウィリアムの決意を携えた眼差しをじっと見つめるギレーヌ。

 余人には計り知れない思い、くぐり抜けてきた修羅場がウィリアムの眼に現れていた。

 

 やがてため息を一つついたギレーヌは、それ以上の詮索を諦めた。

 

「……わかった。お前が何を思って名前を変えたのかは、もう聞かない。ただ、シャリーアへ行くという事はルーデウスに会いにいくんだろう?」

「……はい」

「ふむ……」

 

 顎に手を当て、ギレーヌはしばし思案する。

 しばらく瞑目していたが、よしっと、意を決してウィリアムを見つめた。

 

「あたしがネリス公国の国境まで送ってやろう」

「え」

 

 ウィリアムは全く予想してなかったギレーヌの言葉に、眼を丸くして固まった。

 

「なに、徒歩でもそれ程かかる距離ではない。少しばかり剣の聖地を留守にしても、何も咎めは無いさ」

「いや……」

「何だ? あたしの心配は無用だぞ。帰りは駆けていけば一月で帰れるしな」

「そういうわけでなく……」

「ああ、これは恩返しとか考えなくていいぞ。気遣い無用だ」

「だから……」

「よし! そうと決まれば善は急げだ! さっさと支度しろ! あたしも支度してくる!」

「……」

 

 強引にウィリアムの旅についていく事を宣言し、部屋を後にするギレーヌ。ネリス公国の国境までの短い旅路ではあるが、ウィリアムは何故ギレーヌがついてくる事になったのか、ただ困惑した表情を浮かべるのみであった。

 というか、復活したとはいえまだ傷は完全に癒えているわけでなく、そもそもシャリーアへ行くといっても真っ直ぐ向かうつもりは毛頭無かったわけであるが。

 

「……」

 

 嘆息を一つ吐き、ウィリアムはふと運命の妖刀を見やる。

 妖刀“七丁念仏”──

 ウィリアムはこの妖刀に“虎殺し”の名前が付け加えられた事を知らない。

 だが、“七丁念仏”が招く数奇な運命を感じ取る事は出来た。

 果たしてこの妖刀は、自身の助ける文字通り“助太刀”となるのか。

 或いは、以前と同じように持ち手に仇なす“悪剣”なのだろうか。

 

 シャリーアにいる兄に会い、ヒトガミの思惑に乗って良いのだろうか。

 それとも、真っ向から歯向かい、兄の出立を止めない方がいいのだろうか。

 

 ギレーヌが出立の準備を整える為、部屋を出た後……一人残されたウィリアムは瞑目し、思考する。

 

 いくら考えても、どちらが正しいのか見当もつかなかった。

 逆を張る事が、かえってあの悪神の思惑通りになる事も考えられた。

 素直に従えば、それはそれであの悪神を喜ばせる事になりかねなかった。

 

「已んぬる哉……」

 

 そう呟きながら思考を続ける。

 シャリーアにはルーデウスの他に、ノルンとアイシャ、リーリャがいるという。

 しかし今更どの面を下げて会えばいいのだろうか。

 

 転移した後、しばらくはあの場所(・・・・)で留まっていた為、家族がどうなっていたか皆目見当が付かなかった。

 後にフィットア領へ赴いた際、父パウロが必死になって自分達を探していた事を知った。

 しかし、その時のウィリアムは家族は既に亡き者と思い、苛烈な環境に身を置くことで“異界天下無双”に至る為の日々を過ごしていた。

 何もかもを捨て、一廉の人物となったあの異国の迷い人に倣い、グレイラットの姓を捨てアダムスと改めた。

 それゆえに、今更家族に対して想いを抱く事は“異界天下無双”を目指す虎にはあってはならない事なのだ。

 

 無双の剣士に至るまで己のあらゆるものを捧げなければ、かつて縄で縛られた“牛”に対して背信する事になってしまう。

 前世での忠弟に不誠実な事はしたくなかった。

 

 そのような想いから、ウィリアムはパウロが残した“伝言”を無視した。

 かつては建前で『己の多くを捧げる事で剣の(ひじり)が宿る』という事を宣っていた。しかし今生ではそれがウィリアムの中で確かな真実となって、心に根付いていたのだ。

 転移での様々な“経験”が、虎の前世での価値観を僅かに変えていた。

 

 やがて大きく息を吐き、ウィリアムは決意する。

 

 どちらにせよ、自分は歩みを止める事は無いのだ。

 “異界天下無双”に至るまでに、足りない所は補う必要がある。

 聞けば、ラノア魔法大学にはこの世界でも屈指の強者と言われる“魔王”が逗留しているという。

 また、ラノア魔法大学には魔術だけでなく、軍学や兵法を教えることもあるという。

 ならば、魔王を打ち倒し、更に己の虎眼流を高みに達する為にシャリーアへ赴くのも一興。

 

 そこで兄に会って、どうするかはその時に考えれば良い。

 いや、剣の聖地へと至るまでに伝え聞いた“泥沼”の強さも体感してみたかった。

 強い魔術師ですら、“異界天下無双”の糧となるしかないのだ。

 

 己の使命は、虎眼流を最強の頂きに持っていくことのみ。

 そして、頂きに立つ為には再びあの剣神と刃を交えなくてはならない。

 

『その時は、出鱈目に刻んで盛ってくれるわ……』

 

 怨みがこもった日ノ本言葉を呟くウィリアム。剣虎は地獄の業火ともいえる熱く、そして暗い感情を高ぶらせた。

 決して折れることのないその熱を受け、妖刀もまた妖しく刃を輝かせる。

 

 先程までとは比べ物にならない“熱”が、部屋の中を充満していた。

 

 

「ウィリアム! そういえば路銀は持っているのか!? あたしは生憎持ち合わせが少なくてな! 少しばかり貸してくれると助かるんだが!」

 

 旅装を整えたギレーヌの間が抜けた言葉に、ウィリアムは思わずがくっと頭を垂れる。

 短い間ではあるが、この締まりのない“黒狼”との旅路に待ち受ける“困難”を想像し、ウィリアムは力のない笑みを浮かべるしかなかった。

 

 

 

 

 かくして復活した剣虎と黒狼は剣の聖地を旅立つ。

 シャリーアにて待ち受けるは、虎にどのような運命をもたらすのか。

 まだ見ぬ強者と、断ち切った家族の絆を思い、虎は力強く歩を進める。

 

 

 シャリーアへと続く道は、深々と雪が降り積もっていた。

 

 

 

 

 

 

 




ちゅぱーヌのこのような行為を、見てみぬ振りをする情けが虎眼流剣士に存在した。
ドラマCDのキャストが発表されて増々盛り上がってまいりました。無職転生は今後今以上に面白くなる、備えよう。



以下ネタバレ含むガバガバ解説。苦手な方は読み飛ばし推奨です。

・ラノア王国
ネリス公国、バシェラント公国と併せて魔法三大国と呼ばれる。中央大陸北部最大の国で魔法三大国の盟主。
国境沿いにある魔法都市シャリーアには魔術の教育機関であるラノア魔法大学と魔術ギルド本部、ネリス魔道具工房があり、人の世界における魔術の叡智が集まっている。
信長の野望でいうところの朝倉家(姉川以降)くらいの国力。魔法三大国合わせたら全盛期の上杉家くらい。

・魔法都市シャリーア
国境線に存在する魔法三大国の中枢で、魔術に関するありとあらゆるものが詰め込まれた魔法都市。
魔法三大国と魔術ギルドが合同で管理しているため領主が不在。
魔術ギルド本部をが街の中心にあり、東にはラノア魔法大学を中心とした学生街。西にはネリス魔道具工房を中心とした工房街。北には商業ギルドを中心とした商業街。南には外から来る者や冒険者を迎え入れる宿場街がある。
ラノア魔法大学がどんな種族でも拒むことなく迎えていることから様々な種族が暮らしている。
無職転生世界の筑波研究学園都市。

・ラノア魔法大学
シャリーアにある魔術学校。
魔法三大国と魔術ギルドがスポンサー。魔術の研究が盛ん。あらゆる種族、人種、身分を問わず入学する事ができる。生徒数は大人から子供まで一万人。無職転生世界一のマンモス校。
魔術以外にも通常の教養コースもあり、商人向けの算術課や軍人向けの軍学課など手広く教えている。
通常は入学金や学費を払って入学するが、魔術に優れた人物に率先して声掛けているため特待生としての推薦状を貰い入学する者もいる。
ある人物の提案で甲龍歴422年から女子はブレザーにスカート、男子は某魔法科高校のお兄様が着てそうな制服が導入されている。制服フェチにはたまらん状況になる。なった。
各地から学生が集まっているので寮が備えられている。地元から通う学生もいるので全ての学生が寮に住んでいるわけではない。
女子寮には防犯や獣族の発情期に配慮し、生徒間で日没後に男子は女子寮の前を通ってはならないルールが出来ている。
食堂はマナーの違いによる諍いが起きないようフロアごとに分けられていて一階は魔族や冒険者、二階は人族の平民や獣族、三階が貴族や王族である。
ルーデウスはエリスのせいで患ったEDを治療するために大学に入学した。

・獣族の発情
故郷の大森林の雨季が終わる時期に発情期になる。大変そう。


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第十景『虎狼剣客恋唄(ころうけんかくこいうた)

 

 寛永三年(1626年)

 薩摩国川辺郡坊津

 

「ちぇすとおおおおおおッッ!!!」

「きえぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!!!」

「うりゃりゃりゃりゃーーッッ!!!」

 

 道場では(ゆす)の木剣が軋む音と共に、門弟達の裂帛の気合が轟いている。そこには上級武士も下級武士も無く、ただただ己を鍛える為に剣を振るう男達の姿しかない。

 道場内は板張りの床では無く、桜島の黒砂が敷き詰められている。その上で門弟達が激しく乱取りを行っていた。

 道場の外では蜻蛉と呼ばれる構えから立木に向かい、渾身の力を込めて木剣を左右に激しく打ち込み、猿叫(えんきょう)とも言われた雄叫びを上げ立木打ちを繰り返す門弟達の姿も見られる。

 

 薩南“示現流”道場

 

 ここでは日々薩摩の武家人(ぼっけもん)達による激しい稽古が繰り広げられていた。

 実戦と変わらぬ激しさで行われる猛稽古。(ゆす)の木剣は互いの体に当たる寸前に留めるようにするのが道場での約定ではあったが、当然の事ながら留めきれず当たる事もままあった。

 稽古着を脱ぐと、門弟達の肌には幾つもの黒々とした痣が走っている。しかし誰一人それを気にする者はおらず、昨日より速く、昨日より強くなる為苛烈な修練を繰り返していた。

 

 

「よか! 本日の稽古はいまずい(これまで)ござんで」

 

 師範代の号令と共に道場内外から門弟達が集まる。門弟達は整列、正座し、黙想を始めた。

 先程までの狂騒とも言える騒がしさとは打って変わり、道場は厳粛な静寂に包まれる。

 

「神前に礼!」

「お師匠どんに礼!」

 

 整列した門弟達が道場上座に座する師範の男に礼をする。

 門弟達の礼を受けた男は穏やかな笑みを携えていた。

 

「皆さぁご苦労さぁでごわした。明日もまた元気ゆうと(元気よく)稽古しもんそ」

 

 男は身分が遥か下の士分に対しても丁寧な言葉で語りかける。粗暴な者が多いとされる薩摩者の中で、珍しくこの男は誰にでも礼儀正しく、穏やかな性格の人格者として知られていた。

 

 東郷“肥前守”重位(ちゅうい)

 

 若き頃体捨流を学んだ重位は京の天寧寺僧侶、善吉から“天真正自顕流”を伝授され、その自顕流を薩摩の地にて練り上げていた。

 体捨流と天真正自顕流を組み合わせ、臨済宗の僧南浦文之より“示現流”という流派名を命名された頃には、示現流は島津家家中で大勢の門人を抱え薩摩一の剣法として完成していた。

 数多の体捨流の手練と果し合い、悉く勝利を掴んだ重位はやがて島津家兵法師範となり、主君島津“中納言”忠恒よりここ坊津の地頭に命じられる。それ以降、坊津は薩南示現流本拠地として栄える事となった。

 

 重位が練り上げた示現流は『一の太刀を疑わず、二の太刀要らず』の信念で剣を振り、初太刀から勝負の全てを掛けて斬りつける『先手必勝』の鋭い斬撃が特徴である。

 その初太刀の威力は受けた刀身ごと対象を真っ二つに叩き斬り、後の世に“新撰組局長”近藤勇が『薩摩の芋侍共の初太刀は何がなんでも外し、決して剣で受けてはならぬ』と隊士達に厳命するほどであった。

 正に一撃必殺の示現流。初太刀のイメージが強すぎてあまり知られてはいないが、初太刀からの連続技も伝えられており、外された場合に対応する技法もある。

 熟練した示現流の使い手は他流の剣術家とは比べ物にならぬ程の強さを誇り、島津家の勇壮な武家者と併せ“薩摩隼人”の伝説を彩っていた。

 

 

「お師匠どん、江戸から文が来ておいもす」

「文か。江戸からとは珍しか」

 

 三々五々に帰宅した門弟達を見送り、幾人かの内弟子達と道場の清掃を一緒に行っていた重位に弟子の一人が声をかける。

 この謙虚な剣聖は常に弟子と共に道場の雑事を率先して行っていた。

 弟子から一通の手紙を受け取った重位はその場で胡座をかき、手紙を広げ読み始めた。

 

「誰でん文でごわすか?」

「……」

 

 読み進めていく内に、先程までの穏やかな表情とは打って変わり沈鬱な表情を浮かべる重位。その様子を不審がった内弟子の一人が心配そうに声をかけた。

 

「お師匠どん、良くん事(良くない事)が書いてあったでごわ?」

 

 重位はやがて悲しみを堪えるかのように眉間に皺を寄せ、ため息を一つつくとぽつりと呟いた。

 

「虎眼殿(どん)が逝きもうした」

「虎眼どん?」

左様(さよ)(おい)が京で友誼を交わした、虎のごつお人でごわした」

 

 手紙を懐に仕舞い、黙祷を捧げる重位。道場の清掃をしていた弟子達も手を止め、師に倣い黙祷を捧げた。

 

「合掌ばい」

 

 静かに手を合わせ、友の冥福を祈る。先程とはまた違った静けさが道場を包んでいた。

 

 

「……左近どん。示現流の極意とは何でごつ?」

「極意でごわすか?」

 

 しばし黙祷を捧げた後、重位は左近と呼ばれた弟子の一人に問いかける。左近はうむむっと、腕を組み、しばし黙考する。やがてうぉっほんと、わざとらしい咳を一つ吐いた後、示現流の極意を滔々と語り始めた。

 

「一呼吸を“分”と呼び、それを八つに割ったものを“秒”という。秒を十に割ったものを“()”と呼び、絲の十分の一の速さが“(こつ)”、忽の十分の一の速さが“(ごう)”、毫の十分の一が“雲耀(うんよう)”。雲耀とは稲妻のこと。即ち、示現流の極意とは打ち込む太刀の速さが雲耀に達すること──」

 

 一呼吸で語り終えた左近に、重位は満足そうに頷く。

 

「うむ。それこそが示現流の極意でごわす」

 

 重位の満足げな言葉に、左近は得意げとなって胸を張った。

 

「左近どん! おはんにしてはまともな答えをしちょるばい!」

 

 そこに左近をからかうように弟子達が囃し立てた。

 

「参りもした!」

「てへぺろでごわす!」

「おはんは講釈が得意な“ふれんず”なんでごわすな!」

「なにぃ!?」

 

 額に青筋を浮かべた左近は、木剣を手にし、囃し立てた弟子達を睨みつける。

 

「なんじゃぁその眼はぁ!!」

「そういう眼をしたッ!!」

「チェスト関ヶ原!!」

「ようごわすとも!!」

 

 売り言葉に買い言葉。怒髪天をついた左近達は手にした木剣を構え互いに睨み合い、一触即発の空気が道場に漂う。ちなみに“チェスト関ヶ原”とは島津家の隠語で“ぶち殺せ”という意味である。

 そして、木剣を上段に構えた左近が吠えた。

 

「このガンタレ(馬鹿者)共がッ! そけなおれッ! 叩っ殺しちゃるどッ!」

「ガンタレはおはんじゃ」

「イテッ!」

 

 パシっと、重位は手にした扇子で左近の額を打った。弟子達はこの重位の神速の抜き打ちを全く知覚する事が出来なかった。

 正しく雲耀の速さで、重位は左近の額を打ち抜いたのだ。

 

「全く……そげんに粗忽な振る舞いをしておっては、いつまでたっても剣の悟りはやってくうこたあんよ」

「お、おそれいりもす……」

 

 打たれた額を押さえ、左近は恐縮しながら頭を下げる。重位はやれやれとため息をつき、周りの弟子達を見やった。

 

「おはんらも左近どんをからかいすぎじゃ。そげん事は日新大菩薩(さぁ)(島津日新斎)が(あら)せられた二才(にせ)魂とは言えんと知りやんせ」

 

 重位はやんわりと弟子達を窘める。

 かつて島津忠良(島津日新斎)が唱えた『強固な武士魂を鍛える事以外は一切厳禁』の薩摩式教育、“二才教育”を引き合いにし、同輩をからかう事の愚かしさを穏便に伝えた。二才とは『青二才』『若者』『青年』の意味であるが、薩摩では『質実剛健』『武辺強固な若武士』を意味し、その教育は着実に薩摩の若者達の愛国心と勇壮な武者魂を育んでいた。

 

「ま、参りもした……」

「てへぺろでごわす……」

「左近どん、笑ろうた事許せ……」

「おはんら……」

 

 眼に涙を浮かべた左近は、手にした木剣を収め、囃し立てた弟子達と熱い抱擁を交わした。

 二才教育のもとで育んだお互いを傷つけ合わない“野郎同士の友情”が、確かにそこには存在した。

 

「してお師匠どん。虎眼どんとは一体いかな御仁でごわすか?それと、いけんいう(どういう)意味で左近どんに極意を語らせたんで?」

 

 その様子を重位と共に微笑みながら見つめていた師範代の男が重位に問いかける。抱擁を交わしていた左近達も重位に注目し、その言葉を待った。

 

「そうさなぁ……先も言ったが、(おい)が龍伯(さぁ)(島津義久)が豊太閤どん(豊臣秀吉)の命で京へ上られたるに同道した折、丁度廻国修行中の虎眼殿(どん)と知りおうたんよ」

 

 天正十五年(1587年)

 若き日の重位は、折りしの豊臣秀吉による九州征伐により敗れた島津当主、島津義久の上洛に同行していた。

 そこで天寧寺の僧・善吉に出会い、天真正自顕流に開眼するのだが、剣術修行で諸国を巡っていた若き日の岩本虎眼とも出会っていた。

 

「虎眼殿(どん)はその名の通り虎のごつ空気を纏っていてなぁ……あの頃の(おい)じゃ、全く敵わんと思ったもんよ」

「お師匠どんが敵わんとは……強かお人だったんで?」

「強か。技比べする機会はついぞなかったが、虎眼殿(どん)が開眼した虎眼流剣法を見せてくれた事があったんよ。すごか抜き打ちでごわした……」

 

 重位の実直な人柄は、修羅の如き若虎とも友好を交わす事が出来た。

 奥義こそは見せなかったものの、互いの技を教え合い、充実した剣談を楽しんだ。

 島津勢が薩摩へ帰国する僅かな一時ではあったが、薩摩の剣士と流浪の若虎の間には心を許せた友人としての関係が出来上がっていた。

 

 重位は昔を懐かしむように言葉を続けた。

 

「雲耀の速さとは、(おい)が善吉師父どんから学んだ示現流の極意じゃっどん……実際の“速さ”は虎眼殿(どん)の速さを目指したものでごわした……」

「そうだったんでごわすか……」

「あれから会う機会はついぞなかったが、文のやい取りだけは続けてきもんした。惜しい人を亡くしたもんでごつ……」

 

 国元に戻った重位と虎眼はその後会う機会は無かったが、手紙のやり取りだけは続けていた。

 虎眼が掛川にて仕官した後も文通は続き、他家の家臣同士との手紙のやり取りを公儀があらぬ疑いをかけぬ為、態々江戸にいる島津家縁の商家を介してまでその交流は続いていた。

 虎眼が曖昧な状態になるまで両者は頻繁に文を交わす間柄であったのだ。

 

 そして江戸にいる商家からもたらされた手紙には、虎眼が乱心し、元弟子に討たれた事が記されていた。

 あの鬼神の如き強さを誇った剣士が討たれた事実は、重位にはにわかには信じられぬ事ではあった。

 だが、それと同時にあの剣鬼と称された虎眼の危うさ(・・・)も僅かに感じてはいた。

 どちらにせよ何かしら人知れぬ事情、真実があったのだろう。友の無念を感じ、重位は再び瞑目し黙祷を捧げた。

 

「ま、湿っぽい話はここまででごつ。おはんらも切磋琢磨できる友を得て、日々精進しもんせ」

「あい!」

 

 互いに肩を組み、元気一杯に返事をする示現流内弟子衆。重位はその様子を見て微笑を浮かべた。

 

 

「あ! 忘れてもした!」

 

 道場の清掃が終わりかけた頃、何かを思い出したかのように左近が声を上げた。

 

「お師匠どん! おいはちと出かけていきもす!」

 

 左近の唐突な申し出に、重位は首をかしげながら問いかけた。

 

「なんぞあったんか?」

「いや、浪花から尻小姓が来とっとで、数馬どんと鹿太郎どんとちっと挨拶をしてまいりもす」

 

 そういえばさるやんごとなきお方とそのお供が薩摩にいらしていたな……と、重位は思い起こす。

 

「左様か。あまり失礼の無いんごつよ」

「わかい()した!」

 

 重位の言葉を受け、左近は道場から駆け出していった。

 駆けていく左近の後ろ姿を見ながら、重位は虎眼の魂に思いを馳せる。

 

(虎眼殿(どん)……いずれは(おい)もそちらへ参ろうが……その時はゆるりと積もる話を、したかなぁ……)

 

 東郷重位は空を見上げ、亡き友に思いを馳せる。友の魂が極楽へと向かうよう、静かに手を合わせた。

 剣虎の魂が常世の国へと誘われたと信じていた重位は、まさかこの世とは異なる異界へと転生を果たしていたとはついぞ思いつくはずもなく、ただただ友の冥福を祈るばかりであった。

 

 

 

 桜島から噴く煙が、空を僅かに曇らせていた。

 

 

 

 

 


 

 

 剣の大地を含む中央大陸北部は通称“北方大地”とも言われ、その大地は厳しい自然環境に包まれている。

 一年の三分の一が雪に埋もれるこの大地は農作物の実りが少なく、小国が割拠し少ない食料や資源を奪い合っていた。

 魔物の数も多く、アスラ王国にはいない強力な魔物も多く生息している。故に武者修行者や魔物の討伐を専業とする熟練冒険者が多くがこの北方大地で力を振るっていた。

 そのような北方大地ではあるが、魔法三大国と言われるラノア王国、ネリス公国、バシェラント公国の三ヶ国だけはそれなりの国力を保持していた。三ヶ国は互いに同盟を結び、それぞれ得意な魔術に関わる分野を発展させて国力を高めており、そこに住まう人々は他国に比べて幾分か豊かな暮らしを維持していた。

 

 

「ウィリアム! そっちへ一頭行ったぞ!」

 

 剣王ギレーヌ・デドルディアが剣を振りかざし、総髪の少年剣士ウィリアム・アダムスへと警告を飛ばす。ギレーヌの前には北方大地に生息する魔物“ラスターグリズリー”の死体の山が出来上がっていた。

 ラスターグリズリーとはランクB級の魔物で、熟練の冒険者ならば単体では不覚を取ることはないポピュラーな魔物として知られている。

 白い毛皮を持ち、背骨に沿って黒い線を持つ大型の熊の魔物。普通の熊と違うのが群れで行動をする事、そして冬場は食料を蓄える為人里や街道に出没し、人間を襲う事が多い事だろう。

 

 ギレーヌとウィリアムが剣の大地を出立し一ヶ月の時が経っていた。

 当初は徒歩での移動、そして復活を果たしたとはいえ深手を負ったウィリアムの歩みは遅々としたものであったが、北帝オーベール・コルベットの傷薬の効能は高く、旅をしながらでも一週間も経てばウィリアムの肉体は全快していた。

 

 そこからは高い身体能力を持つ剣豪二人。歩むペースを上げ、途中で立ち寄った街から商隊の護衛に混じり、魔法三大国の西端にあるネリス公国に程近い街道付近にまで到達していた。

 この辺りはネリス公国の依頼を受け、定期的に冒険者による魔物の討伐が行われているので比較的安全ではあった。

 だが、夏場に行われるラスターグリズリーの駆除が芳しくない結果に終わっていた為、冬場の今は例年に比べ多くのラスターグリズリーが出没していた。

 故にこの辺りを通る商人は手練の冒険者を雇い、隊商を組んで目的地に向かうのだ。

 ウィリアム・アダムスはギルドにて冒険者登録を行ってはいなかったが、同行したギレーヌがSランク冒険者、そして“剣王”という絶大なネームバリューを持っていたのですんなり隊商の護衛に混ざる事が出来た。

 

「グオォォォォッッ!!」

 

 口から唾液を滴らせ、ラスターグリズリーがウィリアムに向け突進する。狂暴な魔物を前にしてもウィリアムは泰然とした佇まいを崩さず、ゆるりと七丁念仏を肩に担いだ。

 

 次の瞬間、ウィリアムの“流れ”が一閃した。

 

 神速の流れは8年前、兄ルーデウス・グレイラットに放った流れと比べ物にならぬ程の速さで放たれていた。

 額を僅かに斬られたラスターグリズリーは、その勢いのままウィリアムの前に倒れ伏し、絶命する。

 見ればウィリアムの周りには最小(・・)の斬撃で倒されたラスターグリズリーの死体が散乱していた。

 

(流石だな)

 

 ギレーヌはラスターグリズリーの群れに躍りかかり、次々とその豪剣で斬り伏せながらウィリアムの様子を見やる。

 ウィリアムは隊商の馬車の前から一歩も動かずに(・・・・・・・)、間合いに入ったラスターグリズリーを斬り伏せていた。

 必要最小限の斬撃で仕留めるその業前は、剣王級剣士であるギレーヌから見ても“合理的”且つ“美しい”手並みであった。

 

(綺麗だな──)

 

 新たに襲いかかるラスターグリズリーの一体をまたも瞬時に斬り伏せたウィリアムに、ギレーヌはしばし見とれる。

 胸の奥から熱い何かが、ウィリアムの姿を見て沸き上がった。

 獣人の習性か、それとも剣士としての本能か。

 

 それとも、それまで感じていなかった“女”としての感情か。

 

 旅を始めてから徐々に大きくなるこの感情は、ギレーヌにとって初めて味わうものであり、戸惑いを感じさせるに十分であった。

 

「っと!」

 

 余所見をしていたギレーヌを格好の獲物と見たラスターグリズリーの一体が襲いかかる。しかしギレーヌは即座に反応し、これを難なく斬り倒した。

 

(今は、そんな事思ってる場合じゃない!)

 

 戸惑いを振り払うかのように、再びラスターグリズリーの群れに飛びかかる。

 

 剣王の豪剣は、心の惑いを感じさせない鋭さで振り抜かれていた。

 

 

 

「……ふぅ」

 

 やがて襲いかかってきたラスターグリズリーの群れを全て斬り伏せたギレーヌとウィリアム。ギレーヌは一息つき、剣を振って血糊を落とした。

 ウィリアムも懐から懐紙を取り出し、丁寧な手つきで妖刀に付いた血糊を落とす。

 

「3人もやられてしまったか……」

 

 馬車二台の小さな隊商の護衛は、その規模に合った少人数で構成されていた。ギレーヌとウィリアムを含め、この隊商の護衛は5人しかいなく、先の戦闘でウィリアム達以外の護衛は全員ラスターグリズリーの狂爪にかかり死亡した。

 目的地が近い為の油断。それに加え、ラスターグリズリーの数の多さが3名の冒険者の命を落とす原因となった。

 二人の剣豪が斬り伏せたラスターグリズリーの数は30を越えていた。

 

「せ、先生方……魔物はもういないんで?」

 

 馬車の影に隠れていた依頼主の若い商人が、おずおずと顔を出す。

 まだ駆け出しの商人であるこの若者は、今更ながら護衛を雇う資金を惜しんだ事を後悔していた。

 

「安心しろ。もう魔物はいない」

 

 ギレーヌが剣を納めながら辺りを見回す。周囲はラスターグリズリーの死骸が散乱し、濃厚な血の匂いが漂っていた。

 商人はも同じように辺りを見回し、実質二人だけでこの死体の山を築いた剣士二名に畏怖の念を覚えていた。

 

「早くここから移動した方がいいな。血の匂いで魔物が寄ってくる」

「へ、へい。でも、他の冒険者さん方の遺体は……」

「放置していくしかないだろうな……」

 

 ギレーヌが諦め気味にそう言いかけた時、いつのまにかウィリアムが冒険者の遺体の傍で屈んでいた。

 手を合わせしばし黙祷を捧げた後、遺体の装備品をいくつか回収し、ギレーヌ達の前に戻る。

 

「遺体の回収は諦めよ。ここで埋葬するも時が惜しい」

 

 3人の冒険者の遺品を抱え、足早に馬車の前に移動する。魔物の襲撃で気が立っていた馬を宥め、早々に出立の準備を整えていた。

 

「そういうことだな。そろそろ日が暮れるし、あたしらがいるとはいえ死体を抱えながらの旅は危険だぞ」

「へ、へい……剣王様と、若先生がそうおっしゃるなら……」

 

 死体が発する匂いは魔物を引き寄せる。まだ若輩とはいえ行商を生業とする商人はようやっとその事実を思い出し、慌てて出立の支度を整えた。

 馬に鞭を入れ、馬車が動き出す。ウィリアムとギレーヌは後続の馬車の御者台に座り、同じように馬車を走らせた。

 

 やや駆け足気味で馬車を走らせるウィリアム。その横顔を見つつ、ギレーヌが声をかけた。

 

「ウィリアム。先程手を合わせていたが、あれはどういう意味なんだ?」

「……死者の魂を弔っておりますれば」

 

 ウィリアムは前を向き、手綱を操りながら応える。

 共に過ごした日々は短いなれど、共に戦った(つわもの)の魂を弔わずに行く事は、戦国の武者としての価値観が許さなかった。

 

「遺体はあそこで朽ち果てなれど、魂はこれらに宿っておりまする。以後はそれに手を合わせ、死者の御霊を慰めるが宜しかろう」

 

 馬車に積まれた冒険者の遺品を差しながらウィリアムは言葉を紡ぐ。

 ギレーヌはふむ、と顎に手をつける。

 

「そういうものか……」

 

 ギレーヌは獣族や人族では聞いたことの無いこの習慣に疑問を覚える。

 

「ミリス教……ゼニスの教えか?」

「……」

 

 ゼニスの名前が出た瞬間、ウィリアムは僅かに眉を顰めた。

 暫し忘れていた母の温もりが、若き剣虎の心を少しばかり乱していた。

 

「あ、す、すまん……詮索はなしだったな」

 

 押し黙ってしまったウィリアムに、ギレーヌは慌てて言葉を取り繕う。

 どうも、この若き虎の前では普段の調子を出せずにいた。

 普段はピンっと立っていたその耳は、今は力なく垂れていた。

 

 夕日が差し込み、ウィリアムの姿が逆光に重なる。ギレーヌは目を細めながら、ウィリアムの表情を見ようとしたが、やがて前を向き、口をつぐんだ。

 

 

 冬の大地を、二台の馬車が駆けていった。

 

 

 

 

 

──────────────

 

 

 ウィリアム達は日が暮れるまで馬車を走らせていたが、やがて辺りは一面の夜の闇に包まれた。

 夜間の移動は昼間以上に危険を伴う為、一行は野営の支度を整える。

 襲撃地点からそれなりには距離を稼ぎ、街まではあと少しの距離であった為、この辺りは野営をするには幾分か安全ではあった。

 

「やれやれ……あそこで襲われなければ日が暮れるまでには街へ着いたのだがな」

 

 薪を抱えながらギレーヌが呟く。ウィリアムは石を並べ、焚き火の支度を始めていた。

 ギレーヌはウィリアムの隣に座り、薪をくべる。そして焚付の藁を取り出し、ボソボソと魔術の詠唱を始めた。

 

『汝の求める所に大いなる炎の加護あらん……勇猛なる灯火の熱さを今ここに』

 

 詠唱が終わり、小さな火の玉がギレーヌの手から放たれる。着火した火が勢い良く燃えだした。

 

「魔術の心得が?」

 

 その様子を見てやや驚きの声をあげるウィリアム。この脳みそまで筋肉がつまっていそうな獣人剣士が魔術を行使するとは、ウィリアムにとっては思い掛け無い出来事であった。

 

「フフン。昔、ルーデウスに教わってな。簡単な魔術なら使えるぞ」

 

 焚付を焚き火に放り込み、ふんす、と得意げになるギレーヌ。外套に隠れても分かる大きな胸を張るその様子は、昼間の修羅の様な剣士とは一変し、まるで褒めてと言わんばかりに尻尾を振る子犬のようであった。

 実際にその尻尾はふりふりと揺れ動いていた。

 ウィリアムはそんなギレーヌをやや羨望の眼差しで見つめていた。

 

 

「先生方、大したもんは用意できやせんでしたがこれを」

 

 焚き火を囲むウィリアム達に、食料を抱えた商人が声をかける。そのまま干し肉とパンをウィリアム達に手渡した。

 

「かたじけなし……」

 

 ウィリアムは受け取った干し肉を頬張る。肉は硬かったが、存分に塩が効いており、疲れた体に染み渡った。

 

「それじゃ、先生方。申し訳ねえですが、あっしは先に休ませてもらいます」

「わかった。見張りはあたしらに任せてゆっくり休むといい」

「へぇ……ほんと、申し訳ねえです」

 

 いそいそと馬車に戻る商人。その表情は魔物の襲撃で存外に消耗していたのか、疲れを滲ませていた。

 

 

「ギレーヌ殿も休まれよ」

 

 ウィリアムはギレーヌを気遣い、先に馬車で休むように促す。

 だが、ギレーヌはそのままウィリアムの隣から動こうとはしなかった。

 

「いや、あたしもここにいるよ」

「……左様か」

 

 パチパチと薪が爆ぜる音がする。日が暮れた冬の大地は、ひっそりと静まり返っていた。

 静寂と共に、夜の冬の大地の寒さが二人を包んだ。

 

 

「少し、冷えるな」

 

 僅かに身震いしたギレーヌが呟く。凍てついた空気の中、やや熱く、白い息を吐き出す。

 

「馬車から毛布を」

 

 ウィリアムは馬車に積んである毛布を取りに腰を浮かせる。

 

「いや、それには及ばないさ」

 

 ウィリアムを制したギレーヌは徐ろに立ち上がり、ウィリアムの後ろへ周る。そしてウィリアムを自身の外套で包み、抱えこむようにして座った。

 

「こうすれば、暖が取れるだろ?」

 

 ギレーヌの熱を持った吐息と体が密着し、互いの体は熱を帯びた。

 いきなりの出来事にウィリアムはやや驚きの表情を浮かべたが、直ぐに常住の表情に戻る。

  

「お戯れを……」

「……嫌か?」

 

 ウィリアムの一言に、切なげな声でギレーヌは返した。

 

「……嫌、というわけでは」

 

 少しばかり困った表情を浮かべたウィリアムは嘆息と共にギレーヌに応えた。

 身じろぎ一つ取らず、獣が暖を取るが如く、不動の姿勢を続けていた。 

 

「じゃあこのままだ」

 

 ギレーヌはニッコリと満足そうな表情を浮かべ、更にウィリアムに体を密着させた。

 再び嘆息を吐いたウィリアムはやがて諦めの表情を浮かべ、ギレーヌのされるがままに体を預けた。

 豊満なギレーヌの肉体を背に感じる剣虎は、己の体温が上昇してくるのを感じていた。

 

 思えば、この獣人剣士は旅をするにつれ、自分との距離を詰めて来たように思える。

 ギレーヌをまったくそのような対象として見ていなかったウィリアムは、今更ながらこの状況に至った理由を考える。

 が、前世でも異性からの率直な好意を寄せられた事がなかったウィリアムには、ついぞその理由を推し量る事は出来なかった。

 

 パチパチと薪が爆ぜる。

 

 静かな夜──

 

 周囲からは魔物の気配はなく、害の無い動物しかいないように思えた。

 ホゥホゥと、フクロウらしき動物の声が聞こえる。

 久方ぶりに風情を感じたウィリアムは、暖かな空気と共に閑静な異世界の自然に包まれ、しばし瞑目した。

 

 と同時に、フゥフゥと頭上からなにやら悩ましげな吐息も聞こえてきた。

 

「……ギレーヌ殿」

 

 嫌な予感がしたウィリアムは目を開き、おずおずと後ろの様子を伺おうとした。

 しかしギレーヌが頭に顔を埋めているせいで後ろを振り向く事は出来ない。

 

「フーッ……フーッ……」

 

 一心不乱にウィリアムの芳香を吸い込むギレーヌの様子は、尋常の様子ではなかった。

 まさかとは思ったが、この様子では未だに発情が収まってない(・・・・・・・・・)のだとウィリアムは察した。

 旅立ってからそのような様子は見られなかったので、ギレーヌがその実、滾った獣慾を鉄の精神で抑え続けていた事は気付きようが無く。

 昼間の戦闘で血の匂いを嗅いだからか、とうとう獣人としての本能が鉄の精神を破り、その滾った獣慾を顕にしていた。

 段々とウィリアムを抱え込むギレーヌの力は強まり、その体をギュウギュウと締め付けていく。

 

(獣かこのおなごは……)

 

 身じろぎも出来ずにウィリアムは黙考する。

 以前、父パウロから教えを受けた獣族の発情について思い起こす。

 といっても、ひどく下世話な話しか聞いていなかったのでこの場合では何も役に立たぬと即座に気付いたが。

 

「ウィ、ウィリアム……すごく……切ないんだ……」

 

 蠱惑的な吐息を吐き、上気した表情でギレーヌは言葉を発した。ウィリアムを抱きしめるその力は、増々強くなっていく。

 やや痛みを感じ始めたウィリアムは、ギレーヌの表情に反し、少し困った表情を浮かべ考えあぐねていた。

 

 このまま相手(・・)をしてやっても良いものか──

 

 ウィリアムは思案を続ける。

 転生してから、この肉体は“女を知らぬ”というわけではなく。また、前世でも散々いく(・・)の体を弄んでいた為、情を発した女人の扱いは十分心得ていた。

 

 だが、恩人に対してそのような行いをしても良いものなのか。

 いや、恩人が困っているからこそ手を出すべきなのか。

 そもそも恩人以前にこのような場所で女を抱くというのはいささか気が緩み過ぎているのでは。

 

 遅疑逡巡と思考を続けるウィリアムにはこの状況を打開出来ず、不動の姿勢を取り続けるしかなかった。

 

「……ウィリアム。あ、あたしは誰にでもこんな事する女じゃないぞ」

 

 吐息と共に、ギレーヌはなにやら言い訳じみた事を宣い始める。

 潤んだ瞳を、ウィリアムに向けて言葉を続けた。

 

「あたしは……最初は、剣神流に喧嘩を売ってきた、威勢の良い奴だなとしか思っていなかった」

 

 ぎゅっとウィリアムの体を掴み、言葉を続ける。

 

「でも、パウロの息子だと分かって……いや、パウロは関係ない」

 

 ウィリアムの体を抱きしめる力は常人では耐えられぬほどに強まっていた。

 それでもウィリアムは身じろぎ一つせず、ギレーヌの言葉を聞いていた。

 

「お前と旅していく内に、お前の強さと、お前の気質がわかって来たんだ……それから、お前の事が段々と……」

 

 やがて意を決したかのように、ギレーヌは言葉を続けた。

 

「お前に……惹かれたんだ」

 

 ギレーヌの熱が篭った告白に、ウィリアムは沈黙を続ける。

 ただ黙って、ギレーヌの言葉を聞き続けていた。

 

「誰かを……好きになった事なんて無かった……だから、この場合はどうしていいのかわからないんだ……」

 

 ギレーヌも男を知らぬ生娘というわけではない。以前の人としての心を持つ前……獣の心を持っていたギレーヌなら、そのままウィリアムを押し倒し、欲望に任せてむしゃぶりついていただろう。

 だが、初めて“好きになった男”にそのような乱暴を働く程、ギレーヌは人の心を忘れたつもりはなかった。

 いや、人の心を持っていたからこそ、以前のような強引さで事を進めることは出来なかったのだ。

 

 やがて押し黙ったギレーヌは、ウィリアムの頭に顔を埋めた。呼吸は熱かったが、先程のようにウィリアムの芳香を吸う事はしなかった。

 

 再び静寂が、二人を包む。

 

 厳つい体躯に似合わぬ可憐な獣人乙女の告白に、剣虎はどう応えるのか──

 

 

(寄残花恋か……)

 

 

 剣虎はかつて前世で西行法師が遺した歌を思い出す。

 武士道での色恋の至極は忍ぶ恋──

 かつての価値観が未だ己の大部分を占めているウィリアムにとって、この獣人乙女の直接的な情愛は理解し難い物であった。

 

(発情したギレーヌ殿は常の判断が出来ぬ)

 

 結局はそう結論付けたウィリアム。素面(・・)に戻れば、この懸想は勘違いであったと気付くだろう。

 それに、ギレーヌは剣神流の高弟だ。下手に男女の関係を持ってしまえば、いずれ片を付けるべき剣神との一番で迷いが出るやも──

 

 そこまで思い至った剣虎は一ヶ月前のあの剣神流道場での出来事を思い出す。

 不様に這い蹲った己の姿──

 それを見下ろす剣神ガル・ファリオン。

 

 ウィリアムはギリッと、歯を軋ませ憤怒の形相を浮かべる。だが、その表情は直ぐに常の表情に戻った。

 

(今は、それどころではなかったわ)

 

 己が置かれた状況を改めて考える。

 ギレーヌは確かに美しかった。健康な男子であれば劣情を催す容姿ではあったが、“異界天下無双”を志す剣虎にとってその程度(・・・・)では己の情欲が揺れ動く事は無かった。

 

 兎に角どうするべきか……この状況を打破するべき手段に考えを巡らす。

 憎むべき剣神の直弟子とはいえ、恩人にはあまり手荒事はしたくない。

 ウィリアムはこのジレンマを打開するべく更に深い思考の海に沈んだ。

 

 

 ふと、前世で友誼を結んだあの薩摩の剣豪の姿が思い浮かんだ。

 

 数瞬瞑目した後、意を決したウィリアムは自身を締め付けているギレーヌの腕にそっと手をかけた。

 

「ウィ、ウィリアム……?」

 

 そのまま腕を掴み、骨子術を用いて容易くギレーヌの締め付けを解いた。

 

「ッ!」

 

 ギレーヌと向き合ったウィリアムは、ドンっとギレーヌを押す。

 ギレーヌは、地面に倒れながらこの突然のウィリアムの行動に顔を上気させた。

 

「な、なるほど。ゆ、床ドンってやつだな!」

 

 ウィリアムが己の告白を受け入れたと思い、ギレーヌはモジモジと体を揺らした。

 

「久しぶりだから、その、や、優しくしてくれるとありがたいんだが……」

「ギレーヌ殿」

 

 そんなギレーヌに構わず、いつのまにか棒きれを持ったウィリアムはその棒きれを手渡しながら言葉を紡いだ。

 

「我らは剣士で御座る。故に、滾ったその情欲は剣で発散するのがよろしかろう」

「……ッ」

 

 ウィリアムの言葉に、ギレーヌは棒きれをぎゅっと握りしめ立ち上がる。

 その表情は、ひどく沈んだものであった。

 

「そう……か。そうだよな。そうなるよな……」

「ギレーヌ殿……」

 

 上気した顔は見る影も無く沈みきっており、その目は悲しそうに半開きの状態であった。耳は元気なく倒れ、首をうなだれ、がっくり肩を落として猫背になったギレーヌ。

 その力のない様相を見たウィリアムは、ふぅっと息を吐き、目を細めながらギレーヌに声をかけた。

 

「その返事、今しばらくお待ち頂くよう」

 

 ウィリアムは存外に優しい声色になった自身の言葉に、内心僅かながら戸惑う。

 剣虎の内心、その深い所で自身の思惑とはまた違った新たな感情が生まれ出ようとしていたのを、剣虎は気付くだろうか。

 

「何故だ……?」

「今はまだ、情に現を抜かす身では無く」

 

 ウィリアムは少しばかり辛そうな表情でギレーヌに思いを受けられぬ理由を説く。

 剣士として、無双の剣豪になるべくして思いを拒絶するウィリアムの表情を見て、ギレーヌもまた剣士としての表情を取り戻していた。

 

 

「……わかった」

 

 しばしの沈黙の後、ギレーヌは顔を上げしっかりとその片目でウィリアムを見つめる。

 先程までの獣人乙女としての顔は既に無く、そこには“黒狼”ギレーヌ・デドルディアが存在した。

 

「で、この棒きれで何をするんだ? 模擬戦でもするのか?」

 

 ギレーヌの精悍な表情を見てウィリアムもまた剣虎としての表情を浮かべていた。

 ウィリアムは近くにある樹木の前に立ち、その手で指し示す。

 

「この木に向い渾身の力で棒を振り抜くが宜しかろう」

 

 やや首をかしげつつ、ギレーヌは言われた通り立木の前に立ち、気迫と共に棒を振りかぶった。

 

「でぇいッ!」

 

 ゴッっと鈍い音を立て、樹木が揺れる。たった一撃で樹皮が無惨に剥がれ落ちていた。

 

「……気合が足りませぬ」

 

 ウィリアムの発破に、ギレーヌはむっとした表情を浮かべるが、直ぐに立木に向かって咆哮を上げた。

 

「でやああぁぁぁぁッ!!」

「まだまだ気合が足りませぬ」

「チェストォォォォォォォォォッッ!!!」

 

 (ましら)のような叫び声を上げ、ギレーヌは更に強烈な一撃を叩き込む。

 轟音を立てたその打ち込みで棒きれはへし折れていた。

 

「うむ! 気迫を込めた立木打ちも中々いいな!」

 

 額に汗を浮かべ、満足げにギレーヌは息を吐く。

 ウィリアムもまた満足気に頷いた。

 

「かように“気”を込めれば太刀筋に粘りが出まする。不動不抜の腰が固められるよう打ち込みを続ければ、何事にも動ずる事はない“不動心”を得ることが出来ましょう」

 

 ウィリアムの講釈を真剣な眼差しで聞き入っていたギレーヌ。瞳の奥にはまだ“熱い”感情を宿らせ、明星を仰ぎ見るようにウィリアムを見つめた。

 

「なるほど、不動の心か……」

 

 ギレーヌは棒きれ新たに拾い、再度立木の前に立つ。

 羽織っていた外套を脱ぎ捨て、その黒肌を外気に晒した。

 

「よし! もう一丁いくか!」

 

 裂帛の気合を込め、立木打ちを続ける。

 黒肌に滴る汗を散らせ、湯気を立ち上らせたその肉体は正しく野生の美しさを備えていた。

 

(綺麗じゃ喃──)

 

 ギレーヌの様子を見つめていたウィリアムは、強き者が発する美しさにしばし陶然と見とれていた。

 やがてはっとして頭を振り、焚き火の前に戻る。

 

(初心な青二才じゃあるまいに……)

 

 ざわざわと、揺れる心を落ち着かせる為座禅を組んだ。

 ギレーヌの猿叫を聞きながら、じっと瞑目し、雑念を除く。

 しかしいくら瞑想してもこの雑念は払う事は出来なかった。

 

 

「せ、先生方……うるさくて寝られないんですけど……」

 

 

 

 馬車から顔を出した商人を、ウィリアムは努めて無視し、瞑想を続けていた。

 

 

 


 

 

 ネリス公国第三都市ドウム。

 国境付近にあるこの街に今朝方たどり着いたウィリアム一行は、早々にギルドに向かい護衛の謝礼を受け取る。その際に死亡した冒険者達の遺品を託した。

 煩雑なやり取りを終え、人心地がついた頃には既に日は中天に差し掛かかろうとしていた。

 

「先生方、ありがとうございやした。これでブルーノのオジキに顔が立ちますわ」

 

 ぺこぺこと頭を下げる商人の若者。想定外の出来事が起きていたが、なんとか荷を運び終えた彼の表情は一睡もしておらず(・・・・・・・・)、疲れた表情を浮かべていた。目の下にはくっきりと隈が浮かび、端から見れば実に辛気臭い表情であった。

 同じように薄っすらと隈を浮かべ、やや青い表情のウィリアムが力なく手を振り、それに応えた。

 

「おまえさんも達者でな。今度は護衛代をケチるなよ」

 

 陰気な表情を浮かべた二人とは対照的に、つやつやと晴れやかな表情のギレーヌが応える。

 この獣人剣士は一晩中剣を振っていたくせに全く疲れを感じさせない表情を浮かべていた。

 

「じゃあ剣王様。若先生。お達者で……」

 

 ヨロヨロと立ち去る商人。彼はこの後荷を恩義ある商人の元へ捌きにいくのだが、果たしてしっかりと商談が出来るのか……

 ウィリアムはその後姿を見つつ、いらぬ心配をしていた。

 

 

「ここまでだな」

 

 ギレーヌはウィリアムに向き合った。

 しっかりとウィリアムを見つめる。

 ウィリアムもまた、ギレーヌの一つしかないその瞳を見つめていた。

 

「あの時の返事は、今は言わなくていい」

「……」

 

 努めて平静に言葉を紡ぐギレーヌ。しかし、注意して聞いてみればややその言葉尻は震えていた。

 

「次に会った時に……聞かせてくれるか?」

 

 淡い微笑を浮かべるギレーヌ。ウィリアムはゆっくりと頷き、やがて浅めに腰を折った。

 

「……かしこまって御座る」

 

 顔を上げ、再会を約束し合う剣虎と黒狼。

 雑踏の中、二人の間だけ静かな空間が出来上がっていた。

 

 やがてウィリアムはその場から立ち去るべく、別れの挨拶を告げた。

 

「ギレーヌ殿。次見えるまで、健やかに──」

「ウィリアム!」

「?」

 

 突然大きめの声を上げるギレーヌ。つかつかとウィリアムの目の前に立った。

 

 

 そして、ぐいとやや乱暴にウィリアムの顔を引き寄せ、口づけを交わした。

 

 

「ッ!?」

 

 不意を突かれたウィリアムは不覚にも硬直してしまう。

 衆目を気にせず、ギレーヌはしっかりとウィリアムの顔を掴み、口を続けていた。

 ウィリアムはみるみる青かったその表情を朱に染めていった。

 

 というか、ギレーヌの強引な口づけで呼吸が困難になっていた。

 

「ぶはっ!」

 

 ようやっと解放されるウィリアム。ゲホゲホとむせるその様子を、満足気にギレーヌは見つめていた。

 

「またな!」

 

 そして踵を返し、ギレーヌは駆け出していった。

 その様子を呆然と見送るウィリアム。

 あっという間にその姿は雑踏の中に消え、見えなくなってしまった。

 

『なんとも……虎のようなおなごよの……』

 

 思わず日ノ本言葉で呟くウィリアム。

 しばらく立ち尽くしていたが、やがて息を一つ吐くと、ギレーヌが駆けていった方角とは逆に歩み出した。

 

 力強く歩みを進める。

 黒狼との一会は、虎に何を残したのだろうか。

 虎は、この異界で前世には無かった新たな感情を芽吹かせていた事に気付いているのだろうか。

 

 

 太陽の光が、ウィリアムを包む。

 異界天下無双を目指す若き虎の表情は、太陽の光に負けないくらい晴れやかなものとなっていた。

 

 

 

 

「いいなぁ若先生……青春だなぁ……」

 

「お、お主、まだおったのか……」

 

 

 

 いつの間にか隣を歩いていた商人に、不覚にも狼狽してしまった虎であった。

 

 

 

 

 

 

 

 




バビーーーン!



以下ネタバレ含むガバガバ解説。苦手な方は読み飛ばし推奨です。

・アスラ王国(無職転生)
中央大陸西部全域を支配する人の世界で最も大きく力のある国。その歴史は長く、少なくとも約7000年程前から存在していた。
肥沃な土地は河等の水源も豊富で高低差も少ない。魔物も少なく安全な為多くの人間が集っている。世界各国との貿易で文化水準も高く、正に世界の中心を成している。
歴史が長いことに加えて税を搾り取っても餓えることのない土地柄から政治の腐敗が進み、フィットア領転移事件においても被害者の家族が行い国としては資金援助をするだけにとどまっている。
国力が強く魔大陸からも遠いためラプラス戦役でもミリス神聖国と共に人族反攻の中心となった。
逸脱した趣味を持つのがステータスとされて王族貴族は変態的な趣味趣向を持つものが多い。
ちなみにルーデウスもアスラ貴族の血を引いているせいか、シルフィエットの破瓜の血を神棚に飾る等、他者から見ればドン引きする性癖を持っている。
極まっているアスラ貴族の性癖は某所の特殊性癖スレでも割りといい勝負しそう。

・ラスターグリズリー(無職転生)
B級の熊型の魔物。単体ではそれほど強くないが、熊なのに群れを成すことで熟練冒険者以外では驚異となっている。
ちなみにドラクエの色違いモンスターばりに世界各地に亜種がいる。
ルーデウスは冒険者PTの依頼に同行した際、単独で群れ(20体程)を焼き殺した。
夏場は大人しい為、よく冒険者によって乱獲される。

・東郷重位(史実、薩南示現流)
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、剣豪。島津家臣。示現流剣術の流祖。
最初は島津義久の近習として仕えていたが、後に初代薩摩藩主島津忠恒に兵法師範として召し抱えられる。
忠恒に無理やり体捨流師範の東新之丞との立ち合いを命じられ、これに見事勝利する。この事を逆切れした忠恒に不意打ちで斬りかかられるも、逆にボコボコにした後、馬鹿殿呼ばわりして精神的にもフルボッコにする。
主君相手に無茶苦茶やったけど強すぎるので誰もその事を咎めることは出来なかった。
割りと同僚も殺しまくったりしてるので、あくまで薩摩基準での人格者。
詳細はとみ新蔵先生の『薩南示現流』かWikipediaを参照されたし。

・島津忠恒(史実、薩南示現流)
島津義弘の息子で初代薩摩藩藩主。戦国を代表するDQNの一人。別名家久。よく悪い方の家久と言われている。
甘やかされて育った為、割りとドン引きする逸話ばかり残っている。癇癪起こして近習をぶった斬るのは日常茶飯事。
大阪の陣で捕縛され雨に濡れて冷え切った長宗我部盛親に自分の傘をあげる等、たまに良い事もする。ちなみに大阪の陣での『真田日本一の兵』という有名な言葉は忠恒が残した言葉であるが、忠恒自身は大阪の陣には参戦していない。真田の活躍を見ていないのにどういう心境でこの言葉を残したのかは謎。
政治力は普通に名君といっても差し支えなかったが、あまりにも素行が悪すぎた為、重位にシメられた。その後は素行の悪さも落ち着き名実共に薩摩の名君主となる。
詳細はWikipediaを参照されたし。

・島津義久(史実)
島津家第16代当主。戦国最強の引きこもり。薩摩の自宅警備員。
島津家の全盛期を築いた島津四兄弟(義久、義弘、歳久、家久(良い?方))の長男。チート揃いの弟達と島津家臣団を率いて九州統一一歩手前まで島津家の勢力拡大を導いた。
でも本人は殆ど薩摩から出ることはなかったので戦闘力は未知数。引きこもれば引きこもるほど薩摩が強くなっていく不思議な兄者。なんだかんだ薩摩のトランスフォーマー(デストロン)とまで言われた弟達が言うこと聞いてたので兄弟仲は悪くなさそう。
後年は豊臣秀吉の島津分離策により義弘と険悪になるが、実際には島津家棟梁として最後まで家政を取り仕切っていた。
詳細はWikipediaか平野耕太先生がアワーズで描いた島津四兄弟まとめを参照されたし。

・島津日新斎(史実)
島津氏の分家・伊作家の出身。島津四兄弟のお祖父ちゃん。宗家筋のごたごたを薩摩もんお得意の力技で制して息子の貴久を島津宗家当主に据えた。
いろは歌の作者で有名。また二才教育の提唱者で、よく薩摩もんが頭おかしいと言われるのは大体この人のせい。
晩年は孫の島津四兄弟を全員チート武将に育てあげる事で薩摩式教育者としての本領を発揮した。孫達に子犬を与えるのが趣味(意味深)
詳細はWikipediaを参照されたし。

・蜷尻左近(衛府の七忍)
島津家臣。薩摩に落ち延びてきた犬養幻之助をからかいに来た。キレた幻之助にぼてくりを喰らって尻もちをつき、恥ずかしくって生きていけないと思った左近どんはその場の勢いで割腹自殺。

・入来鹿太郎(衛府の七忍)
島津家臣。左近どんと一緒に幻之助をからかいに来た。切腹した左近どんを流れるように介錯した。興津三十郎っぽいモブを誤チェストする。その後合体(そのまんまの意味)したタケルとゲンノスキにモブ薩摩もんと一緒くたにチェストされた。

・樋脇数馬(衛府の七忍)
島津家臣。左近どんと鹿太郎どんと一緒に幻之助をからかいに来た。大勢の前で左近どんが尻小姓のぼてくりで尻もちをついた事をバラした。その後鹿太郎どんと一緒に合体(そのまんまの意味)した(ry

ちなみに左近どんと数馬どんと鹿太郎どんの名前の一部を並べると『蜷馬鹿(みんなバカ)』になる。


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第十一景『剣獣魔都合戦(けんじゅうまとがっせん)

 

「母親の方はベガリット大陸、迷宮都市ラパンじゃな」

 

 甲龍歴420年

 魔大陸北西部クラスマの町にある酒場

 

 ロキシー・ミグルディアはグレイラットの家族を捜索する為、パウロ・グレイラットがかつて立ち上げた冒険者パーティー“黒狼の牙”の元メンバー、長耳族のエリナリーゼ・ドラゴンロードと炭鉱族のタルハンドと共に中央大陸から遠く離れたこの地へと辿り着いた。

 そして酒場で偶然出会った魔界大帝キシリカ・キシリスの酒代を立て替えた事で、キシリカの“万里眼”によるグレイラット家捜索を依頼する事となった。

 

 ルーデウス・グレイラットは中央大陸北部で冒険者稼業をしながら家族を捜索している。

 パウロ・グレイラットとリーリャ・グレイラット、パウロの娘二人はミリス王国首都ミシリオンにいる事が確認された。

 ゼニス・グレイラットの所在もこうして確認する事が出来た。

 ロキシーは一人か二人は死んでいてもおかしくないと思っていたが、さすがグレイラット家と改めて一家の運の強さに感心をしていた。

 

「じゃが……ちとおかしいのう」

 

 端から見れば魔族の幼女にしか見えないキシリカは、顔をしかめながらくりくりと目を動かす。

 

「何か問題が?」

「いや、よく見えん」

 

 しかめっ面でくりくりと目を動かすキシリカの様子は、実年齢にそぐわぬ程愛らしい姿ではあった。だが、ロキシーは魔界大帝の魔眼を持ってしても見えない大事に巻き込まれているのかと思い、鬼気迫る表情でキシリカに問い質した。

 

「それでは困ります! 何か問題があるなら詳細を!」

「なんじゃ……そんな事言われても、見えんものは見えんのじゃ。まぁ案外迷宮の中におるのかもしれんぞ。迷宮都市じゃし。妾は行ったことないけど」

「迷宮の中は見えないのですか?」

「うむ。ベガリットの迷宮は高濃度の魔力で満ちておるからのう」

 

 ロキシーはキシリカの言を受け、深く考える。

 ゼニスはかつて、パウロやエリナリーゼ、タルハンドと共に迷宮探索をしていたと聞く。彼らと旅をしていたのなら、迷宮にも潜れるだろう。

 しかし、転移事件からもう三年も経つというのになぜ今まで連絡もせずにいたのか。

 

「とにかく、生きてはいるんですね?」

「うむ。それは間違いない」

 

 ロキシーはその言葉を信じることしにした。何らかの理由があって、迷宮に潜り続けなければならない事になっているのだろう。

 そう考えたロキシーは頭を下げた。

 

「わかりました。ありがとうございます」

「よいよい。さて、最後はルーデウスの弟じゃな」

 

 ふんす、とその小さな体を張り、気合を入れたキシリカは再び万里眼を発動させる。

 最後に捜索するのは、ルーデウスの実弟ウィリアム・グレイラット。

 ロキシーはグレイラット家に家庭教師として滞在していた時、ウィリアムがやたらと魔術について質問をしていた事を思い出した。

 と同時に、こんな事なら魔術以外にも生き残る術を教えるべきだったと今更ながら後悔をしていた。

 

 

「うむむ……母親以上に……むぅ……」

 

 先程より深く眉間に皺を寄せ、顔を顰めながらキシリカは魔眼を操作する。

 ロキシーはその様子を心配そうに見つめていた。

 

「う……う……ち……」

「キシリカ様……?」

 

 それまでの魔眼の行使とは打って変わり、額に脂汗を滴らせ、苦悶の表情を浮かべるキシリカ。

 ただならぬその様相に、ロキシーは増々緊張した面持ちでキシリカを見守っていた。

 

 

「ち……ちぇ……チェ……」

 

「チェ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「チィェストォォォォッッッ!!!」

 

 突如大音声の奇声を発したキシリカは盛大に目血(めぢ)を噴出させ、大量の鼻血を撒き散らしながら白目を剥いて倒れた。

 

「ええええええ!?」

 

 行き成り発生したこの凄惨な出来事に、ロキシーは素っ頓狂な叫び声を上げる。

 慌ててキシリカの元に駆け寄り治療魔術を行使すべく魔力を練り始めた。

 血海に沈むキシリカは、悲惨且つ無惨な姿を見せていた。

 

「キ、キシリカ様!? ち、治療を! ああご主人! 水を! 水をください!」

 

 ロキシーの緊迫した様子に、酒場の主人は慌てて水差しとコップを手に駆けつける。

 治療魔術をキシリカにかけながら、ロキシーは酒場の主人を見やった。

 

「コップじゃないです! バケツでください!」

 

 ロキシーの言葉を受け、踵を返して厨房へ向かう酒場の主人。

 ロキシーは混乱の極みに陥っていたが、もう少し冷静であれば自ら水魔術でバケツ一杯分の水を用意する事が出来たことに気づけただろう。

 しかしあまりの出来事に普段は聡明である筈のこの水王級魔術師は治療魔術に専念する事しか出来なかった。

 

 再び駆けつけた酒場の主人からバケツをひったくるように取ったロキシーは、その勢いのままキシリカにバケツの水をぶちまけた。

 

「えいっ!」

「はぅぁ!」

 

 大量の水を乱暴にぶっかけられたキシリカは即座に覚醒する。

 呼吸は乱れていたが命に別状は無さそうなのを確認し、ロキシーは安堵の溜息をついた。

 

「し、死ぬかと思った……」

 

 ゼイゼイと息を吐きながら、キシリカは青い顔で呟く。

 一体何を見て、このような事態に陥ったというのか。ロキシーは再び緊迫した面持ちでキシリカに問いかけた。

 

「キシリカ様……一体何が見えたんです?」

「い、いや……その……」

 

 呼吸が落ち着くにつれ、キシリカの顔色は赤みのある常の状態に戻りつつあった。

 やがてキシリカは2,3回深呼吸をすると、顔を上げ真剣な表情でロキシーを見つめた。

 

「全然わからん」

 

 キシリカの言に、ロキシーは思わず床に突っ伏した。

 即座に起き上がり、キシリカに再び問い詰める。

 

「わからんじゃないですよ! 明らかに異常でしたよ!」

「そんな事言われても全然わからんもん。なんでこんな事になったんじゃろ……」

 

 腕を組み、ウンウンと唸るキシリカ。

 ぶつぶつと何事かをつぶやき、やがてロキシーにおずおずと説明を始めた。

 

「うーん……なんかでかい蛇(・・・・)が邪魔で見えんかったというか……いや、あれは竜か? でもあんな変な竜(・・・・・・)見たことないし……とにかく全然、何されたのかもわからんかった……」

 

 キシリカの予想外の言葉に、ロキシーは凍りつく。

 せっかく……せっかくウィリアム以外の家族の無事が確認できたのに。それなのに、ウィリアムだけが安否不明とは……。

 

 ロキシーは魔族であるにも拘らず、暖かく自分を迎え入れてくれたグレイラット家の家族を愛していた。

 分け隔てなく接してくれたグレイラット家の家族に深い感謝の念を抱いていた。

 まるで自分も家族の一員であるかのように接してくれたあの家族は、全員が揃っていなければ駄目なのだ。

 一人でも欠けていれば、あの家族は、あの暖かい一家は壊れてしまう。

 最悪の事態を想像し、俯いたロキシーは絶望が入り混じった声で言葉を紡いだ。

 

「そ、それじゃあウィリアム君は……」

「いや、多分生きてるじゃろ」

 

 鼻をほじりながらキリシカは呑気な声を上げる。

 その様子を見たロキシーは顔を上げ、キシリカに鬼気迫る表情で迫った。

 

「多分じゃ駄目なんです! あの家族は……あの家族は全員が揃っていないと駄目なんです!」

「んなこといわれても……」

 

 再び腕を組み、唸りながら熟考するキシリカ。

 目に涙を浮かべるロキシーを見つめ、溜息を一つ吐いた後、再び言葉をかけた。

 

「ていうかな。死んでるならそもそも存在自体が感知できんからな。魔眼が効かない者も見えないだけで存在は感じる事はできる。弟の方は存在は確かに感じる事はできたぞ」

「じゃ、じゃあウィリアム君は……!」

「生きとる。と、思う。ただ覗こうとするとじゃな……ほんとなんじゃあれ。神とかそういうの通り越してよくわからんかったぞ」

 

 あやふやな表現を続けるキシリカに、これ以上問い詰めても意味がないと判断したロキシーは再びキシリカに向かい、深々と頭を下げた。

 

「……わかりました。ありがとうございます」

「よいよい。助けてもらった礼じゃからな。ではまた会おう」

 

 やがてフラフラと覚束ない足取りでキシリカは酒場を出て行く。

 ブツブツと何事かをつぶやきながら歩く後ろ姿に、ロキシーは再び深く頭を下げていた。

 

「しかし、長く生きているがこんな事は初めてじゃのう……ほんとルーデウスといい変な兄弟じゃのう……つーかありえぬじゃろ……妾の魔眼に干渉してくるとか………」

 

 

 

 翌日、盛大に血を出して倒れたとは思えぬ程元気一杯な様子で再びロキシー達の前に現れたキシリカと、その婚約者魔王バーディーガーディ。

 大陸を渡る為の段取りを取り付けた魔王の助力を受け、ゼニスとウィリアムの安否を伝える為一行は二手に分かれてそれぞれの目的地を目指す事となる。

 ロキシーはパウロ達にゼニス……そしてウィリアムの事を伝える為、タルハンドと共にミシリオンを目指す。

 エリナリーゼはバーディーガーディと共にルーデウスにゼニス達の安否を伝える為、中央大陸北部を目指す事になった。

 

 ミリス大陸行きの船に揺られながら、ロキシーはグレイラット家の家族に想いを馳せる。

 ゼニスは本当に無事でいるのか……そしてウィリアムは……。

 

 

 

 ミグルド族の水王級魔術師の乙女は、あの暖かい家族が全員揃って再会出来るよう……静かに祈りを捧げていた。

 

 

 


 

 甲龍歴423年

 ラノア王国シャリーア

 

 “泥沼”ルーデウス・グレイラットは、前年にここシャリーアに移り住んでから順風満帆な生活を送っていた。

 元々北方大地にて転移事件以降、依然として行方知れずとなっていた母ゼニス・グレイラット、そして弟ウィリアム・グレイラットを捜索する傍ら、冒険者としての名声を得て行方知れずの家族に気付いてもらえるよう名を広めていたルーデウス。数年の冒険者活動により“泥沼”の二つ名は冒険者を中心に広く知られていた。

 だがここシャリーアにあるラノア魔法大学に特別生として入学し、魔王バーディガーディ来襲を切欠に更にその名を広める事となる。

 

 シャリーア居住区の隅にあるこの一軒家は、ルーデウスがラノア魔法大学で漸く再会を果たした幼馴染シルフィエットとの結婚の際に購入した。

 ルーデウスはヒトガミのお告げにより、失った己の“自信”を取り戻す為ラノア魔法大学へと入学をしたが、当初は腰を据えるつもりは毛頭なかった。

 しかしシルフィエットとの再会、結婚によりここシャリーアを終の棲家と定め、離れ離れになった家族を迎え入れるべく家を購入した。

 

 幼い頃の“夢”であったルーデウスとの結婚を果たしたシルフィエットは、“無言のフィッツ”として男装し、アスラ王国での政争に敗れたアリエル・アモネイ・アスラ王女の護衛としてラノア魔法大学に入学していた。

 再会したルーデウスに当初は全く気付かれる事は無かったが、1年程の学生生活、そしてルーデウスとの交流で徐々に親密度を上げ……アリエル王女の後押しもあり自身の本当の姿を長年の想いと共に告白した。

 ルーデウスはこれにより失ったはずの男としての“自信”を取り戻し、晴れて二人は結ばれる事となった。

 

 その後は順調な結婚生活、学生生活を営んでいたルーデウス。

 折りしのパウロからの手紙で託された妹達……ノルン・グレイラットとアイシャ・グレイラットの二人の妹達とも再会し、家に迎え入れる事が出来た。

 ノルンとアイシャの確執、アイシャがミリスで妾腹として肩身が狭い思いをしていた事や、ルーデウスやアイシャと比べられ続けた事でノルンが引きこもりを起こした事件等があったが、概ねそれらはルーデウスの尽力により解決している。

 また、シルフィエットがルーデウスの子を懐妊した事もあり、ルーデウスは正にそれまでの“人生”で一番の幸せを感じていた。

 

 ところが、パウロの元仲間でありミリス大陸にて冒険を共にしたギース・ヌーカディアの手紙が、ルーデウスを深く悩ませる事となった。

 

 

 “ゼニス救出困難、救援を求む”

 

 

 同じくパウロの元仲間であり、同じラノア魔法大学に通うS級冒険者エリナリーゼ・ドラゴンロードから母ゼニスの所在はルーデウスにも伝えられていた。

 ゼニスはベガリット大陸の迷宮になんらかの理由で囚われているという。

 それを救出せんが為、パウロとその仲間達は迷宮に挑み続けている。

 しかし、ギースがもたらした知らせはその救出が困難という事であった。

 

 更に、狙いすましたかのように“夢”にヒトガミが現れる。

 “ベガリット大陸に行けば後悔する事になる”

 ヒトガミのお告げはルーデウスを更に悩ませた。

 

 行くべきか、行かぬべきか。

 

 シャリーアからベガリット大陸の目的地までどんなに早く移動するとしても往復2年はかかる。

 どう考えてもシルフィエットの初産には間に合わない。

 その事が、ルーデウスを懊悩させる。

 

 しかしノルンが健気にも一人でパウロ達の元へ向かおうとしていたのを見て、ルーデウスはゼニスの救出に向かう事を決意する。

 先に一人でパウロ達の救援に向かう事となっていたエリナリーゼに自身も向かう事を伝えるルーデウス。

 シルフィエットの“祖母”でもあるエリナリーゼは、最初は生まれてくる曾孫の事を想いルーデウスに残るよう説得をしていた。

 しかしながらルーデウスの決意は固く……エリナリーゼはしばし悩んだ後、ルーデウスと二人で行くことを決めた。

 

 そしてラノア魔法大学で出会った同じ異界の迷い人であるナナホシ・シズカの望外な協力が、ルーデウス達に希望をもたらした。

 

 転移魔法陣。

 ナナホシが絶対の秘匿を条件に、ルーデウスに教えたこの禁術は、遠隔地を僅かな時間で繋ぐ移動法。

 2年はかかるとされたベガリット大陸との往復を、僅か半年で可能としていた。

 

 これならば、シルフィエットの出産に間に合う。

 また、恋人であるクリフ・グリモルとの“別れの情事”を激しく行い「やっぱり二年もクリフと離れ離れになるなんて耐えられませんわ! 不義理とわかっていても、(わたくし)は行きませんことよ!」と、今更女々しくヘタれていたエリナリーゼも、これにより改めてルーデウスと共にゼニス救助に向かう事を約束した。

 憂いを無くしたルーデウスはシルフィエット、ノルン、アイシャにベガリット大陸へ向かう事を告げる。

 

「父さんと母さんを助けに行こうと思う」

 

 転移魔法陣の存在を知ったその日、シルフィエット達にそう告げたルーデウス。

 シルフィエット達はルーデウスの決意を受け、それを後押しした。

 

 自分の事なら気にするな、家の事は任せて心置きなく行って欲しいと健気に言うシルフィエット。

 自信なさげではあったが、シルフィエットの事は任せて欲しいと胸を張るアイシャ。

 自分も及ばずながら力を貸し、シルフィエットとアイシャを支えると誓うノルン。

 

 家族の後押しを受けたルーデウスのその後の行動は早かった。

 ベガリット大陸へ向かうための馬の手配、装備の準備、食料の確保、休学の手続き……

 出発前日の夜、全ての準備を整えたルーデウスは一人寝室のベットに腰掛けながら未だ見つからぬ“家族”に想いを馳せる。

 

 必ずやゼニスを救い出す。そしてその後は……

 

 

「ウィリアム……」

 

 ルーデウスは弟、ウィリアムの事を想う。

 エリナリーゼから聞いていたキシリカの魔眼による家族の捜索は、ウィリアムだけが不明という結果だったという。

 生きてはいる。しかしどこにいるのか分からない。

 あの虎の様な凄味を備えていた弟がどうしても死んでいるとは思えなかったが、キシリカの魔眼を持ってしても所在が掴めないとはどういう事なのだろう。

 ルーデウスは弟に植え付けられた“棘”を思い出し、自身の顎を触る。

 

「あの時は、見事に完敗したなぁ……」

 

 ロアの街へ向かう馬車の中、虎の一撃から覚醒したルーデウスは、その虎の強烈な剣気に恐怖した。

 そして転移事件を経て、徐々に己の実力が上がっていくにつれ今度こそ“兄”としての威厳を見せつけるべく再戦を誓うも、得体のしれぬ弟に依然として恐怖を覚えていた。

 

 そんな弟がどこにいようが、正直知ったことではない。

 

 生きているならそれでいいし、死んでいても墓でも立てて線香の一つでも上げてやればいい。

 薄情と思われようと、ルーデウスはウィリアムに対しては情よりも得体の知れぬ怖気の方が勝っていた。

 

 しかしシルフィエットと結婚し、自身の“家族”を持つ身になった時から、徐々にその考えは変わっていった。

 

 “家族”とは、誰一人欠けていてはならない。

 

 一緒にいられる事が、どんなに幸せか。

 

 例えどんな“弟”であれ、自分達……グレイラットの家族は、全員揃っていなければならない。

 

 ルーデウス、パウロ、ゼニス、リーリャ、ノルン、アイシャ、シルフィエット……そしてウィリアム。

 

 全員が揃って、初めて“家族”として本当の幸せが始まるのだ。

 

 

 シルフィエットとの甘く、優しい生活を経て、気づけばルーデウスに刺さっていた“棘”は跡形も無く消えていた。

 

 

「母さんの次は絶対にお前を見つけてやるからな……お兄ちゃんが、絶対にお前を見つけてやるからな……だから早く出てきてくれよな……頼むから……」

 

 

 ベッドに横になり、微睡みながら母と弟を想うグレイラットの長男は、家族全員の再会を誓っていた。

 

 

 

 

 


 

 いよいよ今日、ルーデウスお兄ちゃんがベガリット大陸へ向かう。

 昨日まで忙しそうに準備をしていたお兄ちゃんは、朝食の時間になっても起きずに“泥沼”の名の通り、泥のように眠っていた。

 

「アイシャちゃん。ルディは自分で起きてくるまで寝かせておこうね」

「そうだねシルフィ姉。エリナリーゼさんとノルン姉もお昼前に来るって言ってたし。……ていうか、シルフィ姉も休んでいなよ」

「朝ごはんの準備くらいで大げさだよ。これくらいは手伝わせて」

 

 シルフィ姉と朝食の準備をしながらお兄ちゃんの事を話す。

 朝食の準備くらい私一人でもできるし、そもそも私の仕事だし、もっと言えばシルフィ姉は今は大事な体だ。

 休んでてほしいのにこうやって手伝ってくれるシルフィ姉は、ほんとお兄ちゃんにはもったいないくらい良いお嫁さんだ。

 

「ゼニスさん、無事だといいね」

「うん……」

「ルディなら、きっとゼニスさんを助けられるよ」

「そうだね……」

 

 シルフィ姉と、サンドイッチに挟む野菜を切り分けながら会話を続ける。

 ゼニス様……ゼニスお母さんは、私の本当のお母さんではない。

 私の本当のお母さんは、グレイラット家のメイド、リーリャお母さんだ。

 ノルン姉とは腹違いの姉妹ってやつだ。

 

 でも、ゼニスお母さんは私の事も本当の娘として扱ってくれた。

 小さかったころ、ノルン姉と一緒にだっこしてもらった思い出はいつまでも忘れられない。

 

 甘くて、良い匂いがしたゼニスお母さんの温もり……。

 今でもはっきり思い出せるあの温もりは、私の大切な思いで。

 ノルン姉は、きっと私以上に温かい思いを感じているだろうな。

 

 

 そして、私とノルン姉にはもうひとつの大切な思いでがある。

 

 

「ウィル兄ぃ……」

 

 思わず、ウィル兄ぃの名前をつぶやく。

 小さかったころ、ウィル兄ぃはいつも私達姉妹の面倒を見てくれていた。

 といっても、いっしょに遊ぶとかじゃなくて私達がウィル兄ぃで遊んでただけなんだけど。

 

 でも、ウィル兄ぃは嫌な顔をひとつせず私達にかまってくれた。

 ノルン姉といっしょに、ウィル兄ぃの膝の上で眠ったこともあった。

 ウィル兄ぃの髪をひっぱって、背中も登ったこともあった。

 それでもウィル兄ぃは、小さく笑って私達の頭をなでてくれた。

 お母さんが大事に育てていた植木を折った時も、怒られて泣いていた私の頭をずっとなでてくれた。

 

 ウィル兄ぃは、お日様の匂いがした。

 とても安心する匂いがした。

 ウィル兄ぃになでられると、いつもそのまま寝ちゃったっけ……。

 なんていうか、お兄ちゃんというかおじいちゃんに近いかも。

 ちょっと失礼かな……でもあのやさしい感じはミシリオンにいたおじいちゃんには感じなかった。

 

 お父さんが言うには、ウィル兄ぃは生きてはいるけどどこにいるのかはわからないらしい。

 ウィル兄ぃは、いま、どこにいるのかな……。

 

 また、あの手で私の頭をなでてほしいな……

 また、ウィル兄ぃの膝の上でお昼寝したいな……

 

「ウィル兄ぃはいまどこにいるのかな……」

「アイシャちゃん……」

「ウィル兄ぃに、また会いたいな……」

 

 野菜を切る手が止まる。

 

 まな板の上の野菜が、だんだんぼやけてきた。

 

 

 会いたいな……

 

 ウィルにぃに、あいたいな……

 

 

「あいたいよ……ウィルにぃに、あいたいよぉ……」

 

 気づいたら、涙がポロポロこぼれていた。

 

 涙で、前がみえなくなった。

 

 涙が、とまらなくなった。

 

 

「アイシャちゃん……」

 

 シルフィ姉が、私を抱きしめてくれた。

 ウィル兄ぃと同じくらいやさしい手つきで、私の頭をなでてくれた。

 しばらく、そのまま私の頭をなでてくれた。

 ぐすっと、鼻をすすり、シルフィ姉の方を向く。

 

「……ごめんね、シルフィ姉」

「いいんだよ。泣きたいときは、思いっ切り泣いてもいいんだよ」

 

 ウィル兄ぃと同じくらい安心できる笑顔で、シルフィ姉は私に微笑んでくれた。

 気付いたら、涙は止まっていた。

 

「ありがとう、シルフィ姉。もう大丈夫」

 

 そう言って涙を拭う。

 シルフィ姉はにっこりと笑って、私の頭から手を離した。

 

「大丈夫だよアイシャちゃん。ウィル君も、きっと見つかって、また会えるから」

 

 そう言いながら、シルフィ姉は私が切った野菜を手際よくパンに挟んでいく。

 

「それにね、ボクには一個目標があるんだ」

 

 シルフィ姉はサンドイッチを作る手を止めて、少し恥ずかしそうに頬をかいた。

 

「今度こそ、ウィル君に“おねえちゃん”って呼んでもらうんだ。だからそれまでは、絶対にウィル君に会わなきゃいけないんだ」

「そう、なんだ」

 

 少し笑いながら返事すると、シルフィ姉もはにかんだ笑顔を見せてくれた。

 

「ウィル君は、ボクに大切な事を教えてくれたんだ……。ルディと一緒になれたのも、ウィル君のおかげって言ってもいいくらい。だから、そのお礼も言わなきゃだめなんだ」

「大切な事?」

「そう。とても大切な事だよ」

 

 シルフィ姉は人差し指を立てながら話を続けた。

 

「“人は姿にあらず”」

「人は、姿にあらず……」

「その人の価値は、その人の努力で決まる……生まれや、姿形は関係無いって事だよ」

 

 そんな事を、シルフィ姉はウィル兄ぃから教えてもらったらしい。

 努力次第でその人の価値は決まる……。 

 当たり前のようなことかもしれないけど、ウィル兄ぃが言ってたと思うとすごく心に響く。

 

「さぁ、朝ごはんの準備終わらせちゃおう。ルディもそろそろ起きてくるかもしれないし」

「そうだねシルフィ姉」

 

 今の私をみて、ウィル兄ぃはほめてくれるかな……

 私も、けっこう頑張ったんだよ……頑張ったなってなでてくれないかな……

 そんな事を思いながらシルフィ姉と朝食の準備を続けた。

 

 

 

 

 その後は、起きてきたルーデウスお兄ちゃんと一緒に朝食を取り、お兄ちゃんの出発の準備を手伝う。

 準備が終わった頃、ラノア魔法大学の寮からエリナリーゼさんとノルン姉がやってきた。

 エリナリーゼさんも準備万端みたいだ。

 

 玄関で、お兄ちゃんとエリナリーゼさんを見送る。

 

「アイシャとノルンも。頼む」

 

 シルフィ姉と抱き合って別れを惜しんでいたお兄ちゃんが、私とノルン姉に声をかけた。

 言われなくても、シルフィ姉と家のことはまかせて。お兄ちゃん。

 

「兄さん。何も心配しないでください、頑張りますから」

「わかった。お兄ちゃんもご武運を!」

 

 私とノルン姉は神妙な顔で、お兄ちゃんに頷く。

 お兄ちゃんも私たちの言葉を聞いて静かに頷いていた。

 

 その後、エリナリーゼさんが乗ってきた馬の後ろに乗ったお兄ちゃんがちょっとだらしない顔をしていたのは、ご愛嬌ってやつだろう。

 お兄ちゃん、シルフィ姉がかなしむから浮気はだめだよ?

 

 

 

「ノルンちゃん、せっかくだからこのままウチに泊まっていきなよ」

「そうですね……今日は授業お休みしましたし、お言葉に甘えますね」

 

 お兄ちゃん達を見送った後、シルフィ姉はノルン姉にウチに泊まるよう勧めていた。

 ノルン姉が泊まるとなると、ちょっと食材の買い置きが心もとないかな。

 

「私、まだ時間あるから一回市場に行ってくるね。お夕飯の材料とかいろいろ買ってこなきゃ」

「アイシャちゃん、ごめんね。頼めるかな」

「いいよ。私の仕事だし。ノルン姉は、シルフィ姉を見ててね」

「わかった。アイシャも気をつけて」

 

 

 手早く支度をして、市場に向かう。

 なんとなく、家族が揃う予感がした。

 

 ドキドキと高鳴る胸を抑えて、私は市場へ向かった。

 

 

 

 


 

 魔法都市シャーリアでは嘗てより多くの獣族が集うようになっていた。

 元々人族以外の様々な種族が集まる都市ではあったが、獣族の発情期を切欠により多くの獣族の若者が集まっていた。

 その理由がラノア魔法大学に在籍する獣族の姫、リニアーナ・デドルディアとプルセナ・アドルディアの“ボス”であるルーデウスを打倒し、彼女らの番になること。

 血気盛んな若い獣人達が続々と故郷の大森林を離れ、ここシャリーアへ集まっていた。

 

 しかし彼らの殆どはルーデウスに挑む事は出来なかった。

 前年にラノア魔法大学に特別生として入学した魔王バーディー・ガーディがルーデウスと決闘をせんが為、獣族の若者達をその剛腕で蹴散らしたのだ。

 

 それ以降、獣族の若者達はシャリーアに滞在する事となる。故郷の大森林へそのまま帰る者もいたが、大半の若者達は大見栄切って出発した事もあり、そのままシャリーアにて冒険者稼業や傭兵業に勤しむ者が多かった。

 

 

 しかし、数日前にやって来た8人連れの獣族は、上述した若者達とは一線を画する存在であった。

 街から街へ、村から村へ。流浪を繰り返す8人連れの中には顔に生々しい疵跡が残る者もおり、正しく歴戦の強者の風格が漂っていた。

 しかしながらこの8人は人目無くば辻斬り、追い剥ぎも平気で行う不逞の輩共であった。

 中央大陸南部王竜王国にて手配された8人は、騎士団の追求を逃れる為ここシャリーアへと辿り着いていた。

 

 そしてこの8人の不逞者を率いるのは、“凶獣王”タンバー・アドルディア。

 大森林にて数々の掟を破り、同族を殺して里を追われた極悪の徒であった。

 里を追われて以降、同じように里を追われた若者達を率いて各地で悪行三昧を働いていた。

 体中に刻まれた二十数箇所の疵跡は、悪行をし続け尚も生き残っているタンバーの高い戦闘力を表していた。

 

 

「獣人さん方。待ちなよ。勘定がまだだぜ」

 

 酒場の前にて8人の無銭飲食を咎めたのは、この辺りの飲食店で用心棒を務めているタックス・ヘッケラーという元A級冒険者。

 S級冒険者の凄腕の兄を持つこのタックスは、魔物討伐で負った怪我が原因で冒険者稼業を引退せざるを得ない身持ちであった。が、自身の戦闘力は兄にそれほど引けを取らず。引退した今でも鍛錬はかかさずにいた。

 とはいえギルドを介さずに元冒険者がありつける仕事といえば、このような場末の酒場の用心棒が関の山であったが、本人は存外にこの仕事を気に入っていた。

 

「おお、忘れておったわ」

「シモン、支払ってやれ」

 

 シモンと呼ばれた獣人族の若者は懐に手を入れる。

 一悶着あるかと身構えていたタックスは、存外に素直に応じる獣人の姿を見ていくらか気を緩めた。

 

 次の瞬間、タックスの頭蓋が鈍い音を立てて割れた。

 

 

 鉄 爪 会 計

 

 

 シモンが支払ったのは鉄爪であった。

 タックスが全く反応することが出来ぬほどの速度で抜き撃たれた鉄爪は、シモンがただのゴロツキでない事を証明していた。

 脳漿を撒き散らし倒れ伏すタックスを尻目に、8人は悠々と歩き始める。

 場末の酒場の用心棒如きを手討ちにした程度では治安を預かる三国騎士団は動かぬ。

 よしんば動いたとしても、捕縛される前にシャリーアからさっさと姿をくらませばいい。

 

 この獣人族の不逞の輩共は、そう自惚れていた。

 

 

 

 河岸を変えた8人はシャリーアにある居住区近くの市場にある酒場にて再び酒盛りを始めた。当然の事ながら代金は支払う積りは一切無い。

 酒場の主人は顔をしかめつつも、厄介事に巻き込まれたくない一心で獣人達に酒や料理を給仕していた。

 

「この辺りじゃ“泥沼”ってのが有名らしいな」

 

 我が物顔で酒場の大半に陣取り酒を喰らい、大声で話す8人以外の客は少し離れたカウンターに座る一人の若者のみ。

 若者は粛々とカウンターにて食事を取っていた。

 

「どんな奴よ“泥沼”ってのは」

「なんでも水聖級魔術師でAランク冒険者で、雨の森一帯を凍りつかせたとか赤竜を単騎にて仕留めたとか。あとは魔王をぶっ殺したって話もあるらしい」

「ケッ。うそくせえ」

「そんな話ってのは尾ヒレが付くのが相場ってもんだ」

「赤竜なら俺らでも仕留める事が出来る」

「所詮聖級止まりの魔術師程度じゃんよ」

 

 まるで聖級魔術師を歯牙にもかけぬ物言いであるが、この獣人達にはそれを言わしめる程の実力は十分に備えていた。

 

「リニア、プルセナのお姫様達も“泥沼”にかしずいているらしいわねぇ」

 

 タンバーの隣でしなを作りながら寄りかかるのは、8人の中で唯一の獣人女“愛姫”リンプー・ミルデット。リンプーは蠱惑的な表情でグラスを傾けていた。

 

「眼の前で主人と定めた男が嬲り殺しになる様子を見せたら、一体どんな顔をするんだろうねぇ……想像するだけで心が洗われるよ。ウフフフ」

「さすが“凶獣王”タンバー・アドルディアの“愛姫”リンプー・ミルデットだぜ。底意地が悪ぃや」

「どういたしまして」

 

 周りからの囃し立てを不敵な面で流すリンプー。それまで黙って杯を仰いでいたタンバーが声を発した。

 

「つまり、“泥沼”をぶっ殺せば大森林に晴れて族長として舞い戻れるってわけか」

 

 その言に、手下の無頼者共が色めき立つ。

 

「マジっすか!」

「“泥沼”様々じゃんよ。やっと糞騎士団共から逃げ回る生活とはおさらばってわけじゃんよ」

「ちょっと! その場合はあたいはどうなるのさ?」

「そりゃ、今まで通り俺の“女”だぜ? お姫様達は族長になったら用済みさぁ」

 

 タンバーはリンプーを抱き寄せ、舐めつけるようにその体を弄ぶ。

 やがてグラスを高く掲げ、来たるべく洋々とした未来に乾杯の声を上げた。

 

「“泥沼”ルーデウス・グレイラットに乾杯!」

 

 

 “ルーデウス・グレイラット”

 その名を聞いた途端、カウンターを立った白髪の剣士……ウィリアム・アダムスは、ゆるりと獣人達の前に歩を進めた。

 

「なんだぁ小僧」

 

 8人の内、大柄な獣人がウィリアムを睨めつける。

 グラスを片手に、フラフラとその前に立った。

 

「よく見りゃ、可愛い面してるじゃねえか」

 

 この暴虐無道な獣人の男は、仲間内からは衆道家としても知られている。

 発情期を過ぎてもただ己の享楽を満たす為だけに同性を嬲る外道であった。

 

(つぼみ)見してみいや」

 

下卑た表情を浮かべ、そう言い放った獣人に虎の牙が襲いかかった。

 パキッっと乾いた音が鳴った次の瞬間には、大柄の獣人の首が180度回転していた(・・・・・・・・・・)

 

 ウィリアムが放ったのは、虎眼流の当て技“虎拳”

 手首を用いたこの当て技は、“虎眼流剣士”の拳ならば無刀であろうとも凶器その物であった。

 

 下卑た表情を浮かべたまま絶命した獣人が倒れ伏す事で、固まっていた7名はやっと状況を理解した。

 

「うぇ!?」

「てめぇ!」

 

 倒れ伏す獣人を見て即座にウィリアムを取り囲むよう席を立つ無頼者共。

 殺さんばかりに睨みつける数多の視線を、白髪の剣士は泰然とした佇まいでそれを流していた。

 

「ここじゃ狭え。表に出な」

 

 タンバーがゆるりと立ち上がり、ウィリアムに向けそう言い放つ。

 

 突き刺さる殺気の中、その言を受けたウィリアムは……薄く、口角を釣り上げ“嗤って”いた。

 

 

 タンバーら獣人族の若者達はこの時気付くべきであった。

 

 笑うという行為は、本来攻撃的なものであり

 

 獣が牙を剥く行為が“原点”であるという事を──

 

 

 

 


 

 買い出しに出かけたアイシャは丁度市場へと到着した際、二人の獣人乙女と出会っていた。

 

「リニアさん、プルセナさん、おはようございます」

「お、ボスの妹ちゃんじゃニャいか」

「おはようなの」

 

 リニアーナ・デドルディア、プルセナ・アドルディアの二人の獣人乙女は、ルーデウスと同じラノア魔法大学生であり、大森林にて獣族を束ねるドルディア族の族長の一族である。

 しかし族長一族としての品格や知性が足りないと判断した現族長ギュスターヴにより、ラノア大学の特別生として放り込まれる。入学してからの二人は日々の勉学に……それなりに励んでいた。

 ちなみに以前ルーデウスの怒りを買った二人は手痛い“仕置き”を受け、以後ルーデウスの事を“ボス”と呼び頭を垂れつつ友人関係を築いていた。

 

「お二人は、何をしに市場へ?」

「素行の悪い獣人族の連中がいるからニャんとかしてくれって学校から依頼があったんニャ」

「ファックなの。クソめんどいの。速攻でシメにいくの」

 

 頭の後ろに両の手を組み、気だるげな物言いのリニア。その隣でもくもくと干し肉を食べているプルセナは、二人を知る者から見ればいつも通りの姿であった。

 獣族として高い実力を持つ二人は、こうして獣人族絡みのトラブルの解決を学校を通したギルドから時折依頼されていた。

 

 年相応に何事にも興味深々のアイシャは、二人がこれからゴロツキを相手に大立ち回りをする姿を想像し、目を輝かせながらリニア達に同行を申し出た。

 

「私もついていっていい?」

「あぶねーニャ。アイシャにニャにかあったらあちしらがボスに殺されるニャ」

「でも、私もそれなりに心得があるよ」

 

 アイシャはルーデウスやウィリアムと同じく、剣術や魔術の才気に溢れる少女であった。

 9才にして剣術は水神流の初級を習得。魔術の方は基礎六種を初級まで習得していた。

 

「うーん……まぁ、ゴロツキ共ぶちのめしに行くだけだからそこまで危なくニャいか」

「自己責任でいいならついてきてもいいの。でも危なくなったらすぐトンズラかますの」

 

 日頃から適当な考えを持つ獣人乙女達は、深く考えもせずアイシャの同行を許した。

 彼女らにとって所詮、ゴロツキを誅罰する事はその程度の事なのだ。

 

 とりとめの無い雑談を交わしつつ、3人は目的の酒場の前へと歩を進める。

 

 すると、にわかに人混みが出来ているのが見て取れた。

 

「ム。もしかしてもうおっ始めやがったかニャ」

「ファックなの。私達が来るまで大人しくしててやがれなの」

 

 騒然とする人混みに向け、駆け足で向かうリニアとプルセナ。

 それを慌ててアイシャは追いかける。

 

 

 そして、3人は凄惨な現場を目撃した。

 

 

「マジかニャ……」

半端()ないの……鬼半端()ないの……」

「うっ……」

 

 濃厚な“血の臭い”が辺りに漂う。

 人混みをかき分け、見える位置まで辿り着いたアイシャ達が目撃したのは、無惨な姿で地に倒れ伏す6人の獣人達であった。

 

 デンキ・アドルディア

 右顔面陥没による脳裂傷

 

 シモン・デドルディア

 鼻骨陥没による脳裂傷

 

 スィクル・デドルディア

 肋骨粉砕による両肺破裂

 

 レフティ・アドルディア

 顎部が咽頭に詰まり窒息死

 

 アーミ・デドルディア

 頚椎骨折

 

 リンプー・ミルデット

 顎部破損

 

 悠然と拳に刺さった獣人達の歯牙を抜く一人の白髪の剣士……ウィリアム・アダムス。

 アイシャ達はその後ろ姿しか見えなかったが、明らかにこの凄惨な状況は白髪の剣士が“素手”で成し遂げた事をひと目で理解した。

 

 

「シャリーアに竜……いや、虎が潜んでいやがるとは」

 

 一人残ったタンバーは己の背に抱えた一振りの戦斧を取り出す。

 多くの血を吸ってきたこの戦斧は、かつて水王級の剣士を一撃で葬り去った事もあり、タンバーの破壊力ある一撃が受け流し困難である事を証明していた。

 

 戦斧を構えるタンバーに対し、依然腰に差した刀を抜く気配が無いウィリアム。

 その左手は、右手に蓋をするかの如く(・・・・・・・・・・・)重ねられていた。

 血海の中対峙する二匹の獣の間は、獰猛な殺気が充満していた。

 

「あ! アイツ“凶獣王”じゃニャいか!」

 

 唐突にリニアが声を上げる。それを見たプルセナもまた、忌々しげに声を上げた。

 

「ファックなの。よく見たらアイツ“凶獣王”なの。ボスを呼んでぶち殺してもらうの」

「“凶獣王”?」

 

 声を上げるリニア達に、アイシャは疑問の声を上げる。

 

「里を追われたドルディア族の恥さらしニャ。どす汚れたクソ外道ニャ。あちしらも里を出る時に“凶獣王”見つけたら何が何でもぶっ殺せって言われてるニャ」

「ファックなの。ど許せぬなの」

「でもめちゃ強いニャ。正直あちしらでも勝てるか分からないニャ」

「ファックなの。だからボスにぶち殺してもらうの。当方に迎撃の準備有りなの」

 

 忌々しげに“凶獣王”を睨みつけながら嘯くリニアーナとプルセナ。しかしながらこの二人は自分達で戦う覚悟は全く完了していなかった。

 

「お兄ちゃんもうベガリット大陸に行っちゃったけど……」

「あ」

「あ」

 

 ルーデウスが既にシャリーアにいない事を完全に失念していた二人は固まる。そもそも先日別れの挨拶をしたばかりであった。

 

「ま、まぁあの白髪の小僧がなんとかしてくれる事を期待するニャ!」

「とびこむよりも、とどまるほうが勇気がいるなの。勇気を持って様子を見るなの」

 

 あくまで日和見を決め込む二人をみてやや呆れつつ、アイシャもまた凶獣王と白髪の剣士の立合いを見守る。

 白髪の剣士の後ろ姿に、なぜかアイシャの鼓動は高まりつつあった。

 何かが溢れそうで、何かが千切れそうな想いが、アイシャの中で大きく膨らんでいた。

 

 

 やがて、“凶獣王”が吠えた。

 

「ガアァァァァァッ!」

「ニャッ!?」

「ファッ!?」

「ッ!」

 

 “吠魔術”

 獣人族固有の魔術であるこの技は、特殊な声帯操作により周囲の人間を一時的な行動不能に陥れる獣の咆哮。

 その威は、離れた場所で見守るアイシャ達見物人にも容赦無く降りかかり、辺りは騒然とする。

 

 吠魔術により動きを止め、即座に戦斧による渾身の一撃を叩き込む。

 これこそが、タンバーの必勝の戦法であった。

 

 ウィリアムを両断すべく、タンバーは弾丸の如き速さで飛びかかる。

 

()った!)

 

 まともに吠魔術を浴び、動きを止めていたウィリアムに肉薄するタンバー。獣王が脳裏に浮かべるは、両断された白髪の剣士の躯の上に立つ自身の勝利の姿。

 

 しかし、タンバーはもう少し躊躇するべきであった。

 蓋をした神速の虎拳が、いかに数瞬動きを止めたとはいえ自身の戦斧より“速い”事に、気付くべきであった。

 

 もし奪わんと欲すれば、まずは与えるべし

 

 もし弱めんと欲すれば、まずは強めるべし

 

 もし縮めんと欲すれば、まずは伸ばすべし

 

 (しこう)して

 

 もし開かんと欲すれば

 

 

 まずは、蓋をすべし──

 

 

 戦斧がウィリアムの頭に触れる刹那、神速の“虎拳”がタンバーの下顎目掛け抜き放たれる。

 虎の一撃は、タンバーの下顎を骨ごと削ぎ落とした。

 

「ギィァッ!!」

 

 戦斧を落とし、顔面を押さえるタンバーにウィリアムは即座に追撃を加える。

 闘気を乗せた肘打ちに、タンバーの胸骨は破砕され、砕けた骨は心臓に突き刺さった。

 

 ゴポッと、大量の血を吐き、タンバーは絶命し果てた。

 

 

「野良犬相手に、表道具は用いぬ」

 

 ウィリアムが拳に力を込めると、突き刺さっていたタンバーの牙が生々しい音を立てて抜け落ちる。

 血海に沈むタンバーを、その色のない瞳で見下ろしていた。

 

 その様子を見ていた周囲の人間は、壮絶な殺され方をしたタンバーを見て失神する者もいた。

 

「も、漏れそうニャ……」

「リニア濡れ濡れなの……こっち来んななの……」

「ざ、ざけんニャ! プルセナこそびびって濡れてるニャ!」

「びびってねーし濡れてねーなの!」

 

 キャンキャンと罵り合いを始めたリニア達。

 アイシャは無惨に破壊された獣王の様子を見て、まるで自分は未だ眠りから覚めず、悪夢を見ているのだと恐怖で全身を硬直させていた。

 

 

「ひ、ひぃぃぃぃ」

 

 やがて覚醒したリンプーが、周囲の惨状を見て悲鳴を上げる。

 その様子を、穏やかな笑みを浮かべ見つめるウィリアム。

 リンプーは獣族の本能で漸く気付いたのだ。

 餌を前にした獣は決して唸り声を上げる事無く、穏やかな顔をすることを。

 

 やがてウィリアムはタンバーの死体の前にかがむと、その飛び出た眼球を千切り取った。

 それを己の口に放り込み、リンプーの目の前で咀嚼を始める。

 

 そして、空に向かい口中の眼球を血飛沫と共に噴霧した。

 

 リンプーは恐怖に慄き、失禁して咽び泣きながら気を失った。

 また、かろうじて気を保ちつつ獣王の惨状を見物していた周囲の者も、同様に恐怖に怯えていた。

 リニアとプルセナもまた、この異常な光景に口喧嘩を止め、ぽかんと口を空けながら呆然とその様子を見ていた。

 

 

「え……」

 

 そして、アイシャは見てしまった。

 

 血海の上に佇む、ウィリアムの顔を。

 

 

「待てッ!」

「往来での乱闘騒ぎは厳罰である! 神妙に縛につけぃ!」

 

 おっとり刀でかけつけた騎士団がウィリアムを囲む。

 ウィリアムは全く抵抗する素振りを見せず、大人しく騎士団に捕縛された。

 前世で“魔人”とも言われたウィリアムではあったが、今生においてもある程度の社会性は無視する事は出来なかったのか。

 

 気絶したリンプーと共に連行されるウィリアムの姿を、アイシャは胸に手を当てて見つめていた。

 

 

 

「ウィル兄ぃ、なの……?」

 

 

 

 

 

 

 人か魔か、ウィリアム・アダムス

 

 

 

 (けだもの)か、それ以下か

 

 

 

 

 

 

 鬼か、それ以上か──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





以下ネタバレ含むガバガバ解説。苦手な方は読み飛ばし推奨です。また考察wikiからの引用を多用しております。


・吠魔術(無職転生)
獣族の固有魔術。声の魔術とも呼ばれる。
特殊な声に魔力を乗せて相手の平衡感覚を奪う。遠吠えを利用して相手に位置を探る。
本来ドルディア族の特殊な声帯がなければ使えないが、原理を理解すれば他の種族でも使用可能。
ガイアの鼓膜破りみたいなもん。


・獣族(無職転生)
哺乳動物の特徴を体の一部に残している種族。高い敏捷性と筋力、鋭敏な五感を持つ。
獣族の主家は獣神ギーガーの末裔であるドルディア族。ライガーとは関係ない。
上下関係に拘る性質で、格上からの誘いは絶対に断らないらしい。謝罪する時仰向けになり相手に腹を見せる。これは人族で言う所の土下座に当る。
「冷水を浴びせられる」、「全裸にされる」、「鎖につながれる」ことを屈辱と感じそれらの辱めを受けたならそれを忘れない。
ルイジェルどん曰く数百年前は誇り高い種族だったらしい。


・アリエル・アネモイ・アスラ(無職転生)
アスラ王国内の政争に敗れ都落ちした王女様。ラノア魔法大学ではルーデウスの三学年上で生徒会長。一般生徒に交じる事で後々の手駒を増やせるように他生徒たちとの交流を得ている。なので特別生としての扱いを断っている。
元々王位には興味はなかったが、フィットア領転移事件で転移してきた魔物に自分の代わりに殺されたデリック・レッドバットの遺志を受け取り王を目指す。またその際同時に転移して来たシルフィエットに一命を救われる。以後シルフィエットは“無言のフィッツ”としてアリエルの従者として付き従う事になる。
第一王子派の暗殺者に命を狙われてラノア王国に留学することになる。
加虐性癖と、被虐性癖の両方を持っているデビルガンダムみたいな万能なお方。


・リニアーナ・デドルディア(無職転生)
獣族の姫でプルセナとは幼馴染。ラノア魔法大学特別生。ルーデウスの四学年上。魔法大学では攻撃魔術を専攻。
前世代の王子・王女があまりにも不出来であり、また次世代である彼女も頭が悪かったので族長ギュスターヴによりプルセナ共々ラノア魔法大学に留学という名目で放り出される。
ドルディア族に伝わる吠魔術と、高い敏捷性、筋力、種族特性による喧嘩の強さがある。
デドルディア族(猫族)らしく語尾は「ニャ」。やたらエロい体つきもあって色々あざとい。 
ザノバが所有していたロキシーフィギュアをぶっ壊してルーデウスの怒りを買い、ルーデウスの部屋に丸一日監禁された。それ以来、ルーデウスを「ボス」と呼ぶようになる。
ちなみにギレーヌはリニアーナの叔母さん。


・プルセナ・アドルディア(無職転生)
獣族の姫でリニアーナとは幼馴染。ラノア魔法大学特別生。ルーデウスの四学年上。魔法大学では治癒魔術を専攻。
前世代の王子・王女があまりにも不出来であり、また次世代である彼女も頭が悪かったので族長ギュスターヴによりリニアーナ共々ラノア魔法大学に留学という名目で放り出される。
ドルディア族に伝わる吠魔術と、高い敏捷性、筋力、種族特性による喧嘩の強さがある。
アドルディア族(犬族)で常に肉を食べている食いしん坊。語尾は「なの」で「ファック」が口癖。リニアーナより乳がでかいのでやっぱりあざとい。 
ザノバが所有していたロキシーフィギュアをぶっ壊してルーデウスの怒りを買い、ルーデウスの部屋に丸一日監禁された。それ以来、ルーデウスを「ボス」と呼ぶようになる。
食い意地は悪い。

ちなみにリニアーナとプルセナに「どっちが強いの?」って言ったら完璧始祖が降臨する、という事は残念ながら無い。


・七星静香(無職転生)
プロローグで初登場した現代日本の女子高生。サイレント・セブンスターと名乗ることもある。作中での表記はナナホシ。
フィットア領転移事件により人の世界に召喚されそこで龍神オルステッドに拾われる。
人の世界では食事や排泄はするが、成長はせず召喚時の姿のまま人の世界で過ごしている。ただし不老であっても不死ではなく、怪我をすることもあれば病気になることもある。体に一切魔力が無い。
メンタルは強くなく、追い詰められやすい性格。来たばかりの頃は剣と魔法の世界にワクワクする事もあったらしいが、物理法則を無視した現象や生活習慣の違いに適応できず、他者と距離を置くようになった。
ルーデウスと協力するようになってからは態度が軟化。
赤竜の下顎で龍神オルステッドに殺されかけたルーデウスが異世界人だとなんとなく察し、進言してルーデウスを生き残らせてもらう。
アニソンを歌ったりしてるので割りかしサブカルに造詣があると思われる。でも音痴。


・ギース・ヌーカディア(無職転生)
CV.千葉繁。冒険者パーティ“黒狼の牙“の元メンバー。猿顔が特徴のヌカ族最後の生き残り。
バーティーでは雑務を担当したシーフで、戦闘能力はないが情報収集、進行方向の設定、食料の管理、素材の選別・剥ぎ取り、撤収の判断などの細かい雑務を高水準で行える。
大のギャンブル好きでパーティーの資金を使ってギャンブルをすることもあったが、増やして帰ってくることも多かったのでメンバーからは大目に見られていた。
ただし、増やすのは金のないときだけらしい。
フィットア領転移事件の際は大森林を中心に被災者を探した。各族長達に被災者を見つけたらミリシオンまで送って欲しいと頼んでいる途中ドルディア族の村で人族の子供が捕まっていると知り、助けるため自分も牢屋に入った所、捕まっていたルーデウスと出会う。この際「新入り」というあだ名が付けられた。
ルーデウス達と別れた後はベガリット大陸で捜索活動を続け、魔界大帝キシリカ・キシリスからの情報でゼニスを探しにきたパウロ達と合流。転移の迷宮の攻略が困難だと悟りパウロに無断でルーデウスとエリナリーゼに救援依頼を送った。

ちなみにヒトガミの使徒であり、本編の実質的なラスボス。


・エリナリーゼ・ドラゴンロード(無職転生)
CV.桑島法子。冒険者パーティ“黒狼の牙”の元メンバー。
パーティでは細剣使いの戦士として前衛をつとめた。敵のヘイト管理は極めて上手い。
『定期的に男と交尾しないと死ぬ』という呪いに犯されており、フリーの男を見境なく食い漁るビッチ。
種族柄子供は滅多にできないが、子供や孫から出会い頭に罵倒される事もあった。そのため、子供に自分の名前は明かさず一人前に成長するまで面倒をみたら縁を切るようにしている。
ロールズもそんな子供の一人で、シルフィを一目見て自分の孫だと気づくも隠していたが、結婚式で幸せそうなシルフィを見て感極まって涙を流し関係が明らかになる。
フィットア領転移事件にパウロの家族が巻き込まれたことを知り元仲間のタルハンド、水王級術師ロキシーと共に捜索の旅に出る。
魔大陸を中心に捜索を続けていた折、魔界大帝キシリカ・キシリスの知遇を得てパウロ一家全員の所在を突き止めるに至る。その際中央大陸北部に孤立していたルーデウスに家族の無事を伝えるため、魔王バーディガーディと共に海を渡って中央大陸北部へ向かう。
ルーデウスとの合流後は彼についてラノア王国シャリーアの魔法大学へ入学。学園でも男を漁っていたところ、一目ぼれしたクリフ・グリモルに告白され、その情熱に絆される形で交際を始める。

外伝『古龍の昔話』では無職転生の根幹に関わる重要キャラだった事が判明。ああドラゴンロードってそういう……


・クリフ・グリモル(無職転生)
ミリス教団教皇の孫。人族と小人族のハーフの父と人族の母を持つクォーター。ラノア魔法大学特別生。
最初すげー嫌なヤツっだったが、回を追う毎にめっちゃ良いヤツになった。無職転生で友達にしたいキャラクターNo.1。
ルーデウスは『クリフ先輩になら掘られてもいい』と思ったくらい友情を感じていた。ちなみにクリフは敬虔なミリス教徒なのでノンケである。
エリナリーゼとの昼夜を問わない営みで毎回ミイラになるまで絞られている。ルーデウスはその有様を『性と死の狭間』と名付けた。
個人的にはドラコ・マルフォイっぽい見た目だったらパーフェクトだったが別にそんな事は無かった。


・魔王バーディガーディ(無職転生)
魔大陸のビエゴヤ地方を統べる魔王。魔界大帝キシリカ・キシリスの婚約者。知を与える魔王とも呼ばれている。
ラプラス戦役の当時は穏健派であり魔神ラプラスには付かなかった。
寿命が永いせいかとても時間にルーズで奔放な性格をしている。お酒大好き。
婚約者であるキシリカからラプラス以上の魔力を持つ人族がいると聞き、そのルーデウスに会うため友人である魔王バグラーハグラーのツテで海を渡りエリナリーゼと共に中央大陸北部へ向かった。
ラノア魔法大学にたどり着き、同じくルーデウスと決闘しようとする獣族達とニナ・ファリオンを蹴散らしてルーデウスと決闘し、ルーデウスの魔術で木っ端微塵になる。
その後ルーデウスと友人になり魔法大学の生徒となった。しかし翌年ラプラス戦役で敵対していたルイジェルドと再会した時を境に姿を眩ます。
笑えと言われて素直に笑った者には名前を呼ぶことを許している。
見た目はロン毛にしたサムソンティーチャー。

ちなみにバーディも本編のラスボスであったりする。


・魔界大帝キシリカ・キシリス(無職転生)
人魔大戦において魔族の旗頭となった人物。しかしバカにターボがかかっている。
長生きしているだけあって7000年前の病気であるドライン病について知っているなど知識量は豊富。
体内に12の魔眼を持ち、気に入った相手に魔眼を授けることから「魔眼大帝」と言われている。その能力で人魔大戦では配下を増やしていたが、戦闘能力自体は大したことない。
また死んでも1000年ほど経てば蘇ることから「復活の魔帝」とも言われている。
復活して500年たたないと全盛期の力を取り戻すことはできず、現在は幼女の姿でランクの低い魔眼しか与えられない。
魔神ではなく魔界大帝と呼ばれているのは実力不足だからとのこと。
復活するごとにフィアンセを決めるらしい。現在のフィアンセはバーディガーディ
約300年前に復活したが、魔神ラプラスの存在で影が薄くなったことに加え、魔族が権利を得た平和な時代のため相手にされず、魔大陸を放浪しながらご飯を食べさせてくれる相手に魔眼を渡している。
ルーデウスに出会った際は予見眼を渡している。万年欠食児童。
何らかの理由で魔大陸からは出られない。

『古龍の昔話』でそれっぽい赤子がいたがキシリカかどうかはまだ不明。もしキシリカだとしたら数万年生きていることになる。


・虎拳(シグルイ、衛府の七忍)
手首のスナップを用いた当身技。無刀であろうとも虎眼流は凶器そのもの。
打撃のみで頸椎を捻り、頭蓋を陥没させ、顎を骨ごと吹き飛ばす。
衛府の七忍では犬養幻之介が乳房引っ千切って野郎の仲間入りしたおチカどんがタケルのひえもんをぶっこ抜いた事に腹を立てて渾身の虎拳で撲殺した。ついでに左近どんも尻もちつかせた。
その後幻之介はタケルと合体(そのまんまの意味)して身分の檻から解放された。


・蕾見してみいやの人(シグルイ)
虎眼流をdisった後スズチユにア○ル見せてって言ったら速攻で首と胴体がお別れした。
最後まですごく良い笑顔だった。


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第十二景『幻惑剣死神演戯(げんわくけんしにがみえんぎ)

 

 魔法都市シャリーア郊外

 

 雪が溶け、春の足音が聞こえ始めたシャリーアでは人々の活気が郊外からも漏れ聞こえている。

 そこに、旅装を纏い騎乗した二名の剣士が残雪残るシャリーア郊外に立っていた。

 

 剣士の一人は体躯こそはしっかりしているものの、その佇まいは平凡な剣士としか見えない。

 年齢も40程に見え、そこだけを見れば巷によく見かける壮年の剣士であった。

 しかしその顔は頬骨が突き出ており、陰気な気配を漂わせている。

 眼帯を付けた右目、生気の無い落ち窪んだ左目……生きる屍の如き頬の陰。

 それは、一言で言い表わせば“骸骨のような顔をした男”であった。

 

 もう一人はフードを深く被り、その風体は窺い知る事は出来ない。

 僅かに見える深い皺は歴戦の剣士の風格を携えていた。

 とはいえ老人という程ではなく、年齢は50程に見えた。

 

「いやいや、漸く凶獣王を捉える事が出来ましたなぁ……」

 

 骸骨のような剣士が気だるげに呟く。さもこの世の全てを憂いているかのような、陰気な空気を吐き出していた。

 

「そうだな。しかし奴を生きたまま捕縛せよとは、中々難しい任務を申し付けられたものだな」

 

 応える壮年の剣士はその陰気な空気を中和するかの如く、春の陽気を感じさせる空気を放っていた。

 黄金の風ともいえる空気を纏う男と、それに対極するかの如く陰鬱な空気を纏うこの二人は、端から見たらひどく対極的な二人組であった。

 

「だからこそアナタに助力を願ったのですよ。私一人じゃ生かしたまま(・・・・・・)捕らえるなんて難しいですからねぇ……お祖父様(・・・・)

 

 壮年の剣士が、同じく壮年の剣士を“お祖父様”などとと呼ぶ。

 他者が聞けばこの二人の会話は奇妙なものであった。

 しかし見た目は同じ壮年ではあったが、この二人は間違いなく“祖父と孫”の関係にあった。

 

「お前の風体で“お祖父様”なんて呼ばれると、何だか色々と複雑な気持ちになるな」

「“可愛い孫の為に一肌脱ぐ優しいお祖父様”とでも言い直しましょうか?」

「やめてくれ。私が悪かった」

 

 そう言いつつフードを脱ぐ壮年の剣士。

 この世界では珍しい黒髪を生やしていた壮年の剣士は、骸骨の剣士を呆れながら見つめた。

 

「そういう妙な所で私をからかうのは、シャイナにそっくりだ」

「おや、お祖母様は意外とお茶目な性格をしていたのですねぇ」

「お茶目というか強かというか。もう300年も前の事だし、私も若かったからな。弄り甲斐があったのだろうよ」

 

 ゆっくりと馬を歩かせながら語らう黒髪の剣士。

 その様子は、見た目からは想像出来ぬ程の“長い時”を生きてきたのだと伺わせていた。

 

「まぁ今回の件は王竜王に比べたら大した事はないと思いますがねぇ」

「だといいがな」

「腐ってもこの七大列強5位と、()7位に勝てる者などそういないでしょう」

 

 骸骨の剣士の言葉は、歴戦の強者としての自身が僅かに感じられた。

 事実、この男の言う通り“七大列強”とはこの世界で最強の称号として知られていた。

 その列強5位を自称する骸骨の男に、黒髪の壮年は胡乱げな視線を送る。

 

「お前はどうかわからんが、私はまだ腐ったつもりはないのだがな」

「おやおや、不死魔族でも腐ったりするのでしょうかねぇ。クフフフ」

「……もう帰っていいか?」

「ああ、すみませんねぇ。お祖父様との二人旅で存外にはしゃいでいるのですよ、これでも」

 

 骸骨の剣士はイヒヒ、と不気味な笑みを浮かべる。

 それを見た黒髪の剣士はこの旅で何度吐いたか分からない溜息を吐き出した。

 構わず骸骨の剣士は言葉を続ける。

 

「まぁ、私はパックス様とベネディクト様に新作料理を振る舞わねばなりませんからね。サッと行ってパッと終わらせましょう」

「気楽に言うなお前は……」

「いやいや。あの“大英雄”アレックス・カールマン・ライバックとならどんな難敵も容易く打ち払えるでしょう。凶獣王如き何するものぞ、ですよ」

 

 骸骨の剣士が放ったアレックス・カールマン・ライバックという名は、この世界で知らぬものはおらぬ程の英雄の名である。

 嘗て王竜山に住まう王竜王を討伐し、その骨を名匠ユリアン・ハリスコに託し48本の魔剣を拵えさせた、三大流派“北神流”の二代目当主の名。

 数多の英雄譚にて語られるその勇名は、ラプラス戦役において“魔神殺しの三英雄”として名を馳せた初代北神に勝るとも劣らない程であった。

 

「私はもう名を変えている」

「ああ、そうでしたねぇ。シャンデリアでしたっけ?」

「シャンドルだ。シャンドル・フォン・グランドール。何回言わせるのだ」

「すみませんねぇ。歳を取ると物覚えが悪くなって」

「私から見ればお前はまだまだ若造だ」

「お祖父様から見れば殆どの人間が若造になるでしょうに」

 

 会話をしている内にシャリーア門外へと辿り着いた二人。

 シャンドルと自称した黒髪の元英雄は、街内から僅かに漏れる“虎の如き獣臭”を感じ取り、緩めていた気を引き締めた。

 

「用心せいよ、ランドルフ」

 

 シャンドルは傍らに立つ骸骨の剣士に声をかける。

 ランドルフと呼ばれた骸骨の剣士は、ニヤニヤとした薄気味悪い笑みを浮かべたままそれに応えた。

 

「いやいや、最大限に用心していますよ私は。もう先程から緊張しっぱなしで」

 

 先程とは真逆の事を嘯く骸骨──否、“死神”ランドルフ・マリーアン。

 七大列強5位にして“北神二世”アレックス・カールマン・ライバックと“死神騎士”シャイナ・マリーアンの実孫。

 北神流は帝級、水神流では王級の腕前を持ち、独自の剣法を駆使する列強の一人。

 この死神は所属する王竜王国の王命により、王国内で暴虐の限りを尽くした“凶獣王”を断頭台の前へと立たせるべく、このシャリーアの地へと赴いていたのだ。

 

 ランドルフのそれまでの陰気な空気が一変し、濃厚な殺気を放出するのを感じたシャンドルはまたも溜息を一つ吐いた。

 

「お前は実の祖父にまで“幻惑剣”を使うつもりか」

「フフフ……油断しつつ、用心しつつ……これこそが“幻惑剣”の妙髄ですから」

 

 “幻惑剣”

 

 これこそが“死神”の代名詞であると、剣に生きる者達は言うだろう。

 三大流派のどれにも属さない独自の剣法であるその幻惑なる剣技は、列強5位に挑戦し続けた数多の剣士を屠ってきた正しく死神の技であった。

 

「ま、私の手の内を知り尽くしているお祖父様に、仮に“幻惑剣”を使ったとしても物の役にも立たないとは思いますがね」

 

 そう言った途端にランドルフが纏わせた殺気は霧散する。

 先程までと同様に陰気な空気をその身に纏わせていた。

 

「……前言を撤回するよ。お前はシャイナに似ていない」

「ひどいですねぇ。クフフフフ」

 

 

 “死神”と“大英雄”

 

 

 相反する性質を持つ祖父と孫は、標的が潜む魔都の門をくぐった。

 

 

 

 獣王の代わりに、剣鬼と称された虎が待つ魔都の門を。

 

 

 

 


 

 

 魔法大都市の治安を預かる三国騎士団は都市の各所に屯所を配し、都市の治安に目を光らせていた。

 市場にて不逞の獣人達と大立回りを演じたウィリアム・アダムスは、遅れて参じてきた騎士団に捕縛され市場に近い屯所へと連行されていた。

 

 一切抵抗する素振りを見せず大人しく連行されたウィリアムは一通りの取り調べを受けた後、夕暮れ時には釈放された。

 自身のウィリアム・アダムスという名、市場にて狼藉を働く無頼者を成敗した事を簡潔に述べただけであるが、同時に捕縛された不逞の輩の一人であるリンプー・ミルデットが覚醒し、役人に対し洗いざらいの顛末を吐き出した事で、ウィリアムをこれ以上屯所に留めておく必要がなかったのである。

 冒険者登録をしておらず、何ら身分を証明する物を持っていなかったウィリアムに対し異例の措置ではあったが、取り調べを行った街の役人がウィリアムの剣気に当てられ、恐怖心からそれ以上の取り調べを行えなかったという事もあった。

 

 夕暮れ時のシャリーアは日中の活気から打って変わり、人気が感じられない静謐な様相を見せていた。

 その中、一人屯所から歩み出すウィリアム・アダムス。

 力強く歩を進めるウィリアムの瞳は、未だ見ぬ強者への渇望が燃えていた。

 

 この街に来たウィリアムの目的はヒトガミによるお告げというのもあったが、シャリーアに逗留している“不死魔王”バーディー・ガーディに挑戦する為でもあった。

 

 剣の聖地にて不覚を取ったウィリアムは剣神に報復せんが為、己の業を更に磨くべく行動していた。

 と同時に、この異界ではなんら偉業を達成していない己の剣名が全く知られていない事も理解していた。

 

 虎眼流に“箔”をつけ、それを提げて再び剣の聖地へと赴く。

 

 有象無象の輩に相対するよりかは、名の知れた剣士として剣神流は己を扱うだろう。故に、あのような無礼な(・・・)不意打ちは行わないはずだ。

 正々堂々と、五分の勝負が出来る。まずは同じ土俵に剣神を引きずりこまなければならない。

 その第一歩として、まずは魔王をその魔剣の餌食にするのだ。

 強者と戦い、勝利し、更に虎眼流の剣名を轟かせた後に剣の聖地へと再び赴くのだ。

 この異界の地では“魔王”を討伐した者は“勇者”としてその名を轟かせる事になるという。

 ならば、“不死魔王”を討ち果たせば虎眼流は三大流派に勝るとも劣らない程の名声を得る事が出来るだろう。

 

 そのような思惑からシャリーアの門をくぐったウィリアム。

 もはやヒトガミによるお告げや、生き別れた“家族”がこの地にいるという事実は、虎の頭の中に存在しなかった。

 

 もっとも当代剣神は歴代きっての現実主義者であり、ウィリアムが考えているような“権威”は全く通用しない男ではあったのだが。

 

 

 

 

「あ、あの……!」

 

 朱を含んだ紫陽花色の夕空の下、歩を進めるウィリアムに声をかける朱い髪の少女が一人。

 ウィリアムが屯所から出てくるのをずっと待っていたのだろうか、その手にはやや活きが悪くなった野菜が入った籠が握られていた。

 

 おずおずとウィリアムに近づく少女。その朱い髪の芳香は、ウィリアムが嘗て嗅いだ甘く、暖かな香りを放っていた。

 そしてその顔は、己が安らぎを感じていた家族を思わせる顔立ちであった。

 

(アイシャ……)

 

 虎の恐るべき瞳は少女の美しい内臓までを見透かし、その正体を一目で看破した。

 紛うこと無くこの少女は自身の妹……アイシャ・グレイラット。

 アイシャを見た瞬間から、ウィリアムの心の貝殻がざわざわと波を立てていた。

 

「何用か」

 

 ざわめく心を抑え、冷然たる態度で応えるウィリアム。

 アイシャは予想もしなかった冷たい声色に怯えるも、健気に言葉を続けた。

 

「お、お名前を伺いたくて」

 

 私はいきなり何を言っているんだろうと、アイシャは思う。

 

 獣人共を素手にて血海に沈めた白髪の剣士の顔を見たアイシャは、その精悍な顔つきに自身の父、そしてもう一人の兄の面影を重ねていた。

 記憶に残る兄の髪は、おとぎ話に出てくる王子様のような美しい金髪だった。

 しかしこの剣士は白髪であり、顔が似ているというだけだったのかと、アイシャは早々に見切りをつけていたのかもしれない。

 記憶に残るあの優しい“ウィル兄ぃ”が、あのような修羅の如き様相を見せる事など、アイシャには考えられなかったのだ。

 

 しかし、その右手が常より多い六本の指(・・・・・・・・・)をしていた事に気付いた時、アイシャはリニアとプルセナを置いてウィリアムを連行した騎士団の屯所に向かっていた。

 そして日が沈みかけるこの時まで、ウィリアムを待ち続けていたのだ。

 最初は確認の為に待ち続けていた。

 よく似た他人なのだろうか。それとも、あの大好きなウィル兄ぃなのか。

 しかし、六本の指を持つ人などそういるものなのだろうか。

 

 待ち続けている間にアイシャの中で白髪の剣士がウィリアム・グレイラットなのだと断じてしまった事は、少女の家族と再会したい“願い”を考えれば仕方の無い事なのかもしれない。

 

 会った時になんて言おう。

 待ち続ける間、アイシャはどう声をかければいいかずっと悩んでいた。

 普段は聡明な知性を持つアイシャであったが、この時ばかりは年相応の少女らしく、思い悩んでいた。

 

 ずっと会いたかったよ、ウィル兄ぃ!

 

 見て、私こんなに大きくなったんだよ!

 

 がんばって、立派なグレイラットのメイドになったんだよ!

 

 ルーデウスお兄ちゃんにも、シルフィ姉にも褒めてもらったんだ!

 

 だから、ウィル兄ぃも、昔みたいにまた私の頭を撫でてほしいな!

 

 そのような事を思い、言葉を紡ごうとしたアイシャ。

 しかし記憶に残る大好きな兄とはかけ離れた冷たい声色に、それまでに思い描いていた再会の言葉が全て吹き飛んでしまった。

 

「ウィリアム・アダムス(・・・・)

 

 アイシャの問いかけに、冷然とそう言い放つウィリアム。

 アイシャはアダムスという姓を聞き困惑の表情を浮かべた。

 ウィリアムという名前は同じ。しかし、アダムスという姓は一体……。

 

 困惑するアイシャに構わず、ウィリアムは再び歩を進めようとした。

 

「あ、待って! 待ってください!」

 

 再び歩みを止めたウィリアムは、変わらず冷たい眼差しでアイシャを見る。

 アイシャは数年前、シーローン王国にてルーデウスと再会した際に、何故だかルーデウスが正体を隠していた事を思い出していた。

 もしやグレイラットの兄弟は生き別れた姉妹と会う際は、自身の正体を隠すのが決まりごとなのだろうか。

 そのような見当違いの考えが、一瞬アイシャの中を過ぎる。

 しかしルーデウスは初めて会ったのにも拘らず、アイシャを妹として見てくれた。

 兄として、妹を助ける為にその身を挺して力を尽くしてくれた。

 名を隠していても、兄妹の情は隠しきれていなかった。

 

 では目の前にいるウィリアムの名を語るこの白髪の剣士は、どのようなつもりでアイシャに対し冷たく当たるのだろうか。

 いや、冷たいというより一切の興味がないというのか。

 

 嘗て自身の母親と同じ扱い(・・・・)を受けていた事を知らぬアイシャは、記憶に残る優しい兄の幻影を追い求めていた。

 

 ここで別れたら、もう二度と会えないかもしれない──

 そんな予感に囚われたアイシャは、必死になって言葉を紡いだ。

 

「私は、アイシャ! アイシャ・グレイラット──」

 

 

 そう言った次の瞬間、ウィリアムの刀がアイシャの喉元に突きつけられていた。

 

 

「えっ──」

 

「くどい」

 

 情が一切感じられぬその一言。

 突きつけられたのは剣だけでなく、親愛の情を否定する“拒絶”

 

 アイシャは自身の大事な感情が音を立てて崩れ去っていくのを感じていた。

 もうあの優しいウィル兄ぃはどこにもいないのだろうか。

 

 剣を突きつけられた事が、悲しくて、辛くて、怖くて……アイシャはその可憐な両目から、涙をポロポロと零した。

 涙を流す度に、少女の瞳の光は消えていった。

 

 涙を流す“妹”を見て、ウィリアムは心の奥底の貝殻がちくりと痛むのを感じた。

 しかし6年前、前世での娘“三重”の事を想い、その反省から家族と穏やかな触れ合いを心がけた虎は、この涙を見ても刀を収めようとはしなかった。

 

 “異界天下無双”に至るまで、家族の情などいらぬなり──

 

 転移してからの6年間で、虎はその苛烈な価値観を再び魂の貝殻に刻みつけていた。

 

 ふと、ウィリアムの瞳の奥に前世での忠弟の姿が浮かぶ。

 その忠弟の表情は、アイシャと同じように静かに涙を流し、哀しみの表情を浮かべていた。

 

 “牛”が何故哀しんでいるのか。虎には理解出来(わから)なかった。

 

 

「ッ!」

 

 突然、ウィリアムの拳を目掛けナイフが飛ぶ。

 寸前で手を引き、それを躱したウィリアムはナイフが投げられた方向に目を向けた。

 

 次の瞬間、自身に猛然と斬りかかる“骸骨”の姿があった。

 

「何奴ッ!」

 

 迎撃すべく神速の抜き打ちを放つウィリアム。

 虎眼流の“掴み”から放たれた抜き打ちは、正しく雲耀の速度をもって骸骨を首を切断した。

 しかし確かに切断したと思われた骸骨の首は、甲高い金属音と共に両断された一本のショートソードへと変わった。

 足元に転がるショートソードの残骸を、ウィリアムは苦々しげに見つめる。

 

「“(くら)まし”……だと……!」

 

 一流の剣士の執念が吹き込まれたであろう得物は、虎の目をも欺いたのだ。

 それは、嘗ての虎眼流の──

 

 

「いたいけな少女を泣かすとは、これはいただけませんねぇ」

 

 一体いつからそこにいたのか。

 出現したのか、始めからそこにいたのか。

 眼帯を付けた骸骨が、そこにいた。

 見れば、同じくいつのまにかアイシャを抱きかかえ、ウィリアムから距離を取る剣士の姿もあった。

 

「もう心配いらぬぞ」

「……」

「可哀想に、余程怖い目にあったのだな」

 

 努めて穏やかにアイシャに語りかけるのは黄金の風を纏う黒髪の剣士。

 アイシャは突然の出来事に加え、先程感じた強い喪失感からやや自失状態に陥っていた。

 

(これは夢なのかな……そうだよね……ウィル兄ぃがあんなひどいことするわけないもんね……)

 

 ウィリアムと骸骨が対峙する様子は、アイシャにとってひどく現実感が無い光景であった。

 

 

「変わった剣の握りですねぇ……三大流派じゃなく、独自の流派ですか」

 

 骸骨がニタニタと不気味な笑みを浮かべる。

 ウィリアムは突然現れ攻撃を仕掛けて来たこの乱入者を、七丁念仏を構えたまま射抜くような視線を送った。

 骸骨の剣士は泰然とその視線を流しつつ名乗りを上げる。

 

「私は“死神”……“死神”ランドルフ・マリーアン。以後お見知りおきを」

 

 “死神”──!

 その名を聞いた瞬間、ウィリアムの瞳は爛として輝いた。

 

「七大列強“死神”か」

「はい。列強5位の“死神”とは私の事です」

 

 ウィリアムはこの望外な出来事に、思わず神仏に感謝をした。

 京の都にて吉岡一門を討ち果たし、その剣名を天下に轟かせた宮本武蔵。

 薩摩御留流である体捨流の使い手、東新九郎に打ち勝ち、その武名を九州一円に広げた東郷重位。

 同じ14歳で三島神社にて富田一放と試合して勝ち、その最強の伝説が始まった伊東一刀斎──

 

 嘗て自身が生きた戦国の世で名を馳せた剣豪達も、強者に挑戦し、それに打ち勝って名声を勝ち得ていたのだ。

 それは、濃尾無双と謳われた己も同じ。

 魔王も強者の証を立てるには良い相手。だが、七大列強5位の名は“勇者”の称号より価値があった。

 

 思いも掛けない好機に、ウィリアムは全身の毛を逆立て、闘気を溢れんばかりに放出する。

 さながら、獲物を前にした飢えた虎の如く。

 

「虎眼流、ウィリアム・アダムス……一手御指南仕りたく候」

 

 もはや、ウィリアムの頭の中にアイシャの存在は無かった。

 己が剣名を上げるまたとない好機である。

 妾腹(・・)の妹など、構っている場合ではないのだ。

 

 ゆるりと、ウィリアムは七丁念仏を“担いだ”

 

「ランドルフ、加勢するぞ」

 

 黒髪の剣士、シャンドルが背負っていた棍を構えた。

 この世界では珍しい棍術を駆使するシャンドルの業前は、息子(当代北神)に譲ったかの“王竜剣”が無くとも一流。

 元列強7位の肩書は伊達では無かった。

 

「お祖父様はその娘を見ててください。この狂虎は私が成敗いたしましょう」

「しかし──」

 

 

 そうシャンドルが言いかけた刹那、ウィリアムの“流れ”が放たれた。

 

 

 


 

 時は少しばかり遡り、アイシャが市場でリニア達と別れた時。

 白髪の剣士、ウィリアムを見たアイシャは意を決したかのような表情を浮かべ、リニア達に家族への伝言を頼んでいた。

 

『リニアさん、プルセナさん。私はあの人に会いに騎士団の屯所へ行きます。シルフィ姉と、ノルン姉に伝えてください』

『“ウィル兄ぃが見つかったかもしれない”って!』

 

 そう言い残し屯所へと駆けるアイシャの後ろ姿を呆然と見送るリニアとプルセナ。

 血海に沈む獣人達の無惨な骸を見た後では、この二人が再起動するのにやや時がかかったのは仕方のなき事。

 しばしの間、アイシャの姿が見えなくなるまで獣人乙女達は佇んでいたが、やがてとぼとぼと歩き出した。

 

「とりあえずボスんちに行くかニャ」

「なんだか知らんが、とにかくよしなの」

 

 何はともあれ、一族の宿敵である“凶獣王”は死んだのだ。

 全く何もしていなかったので何ら達成感も感じていなかった二人ではあったが。

 

「しかしあの白髪の小僧とアイシャは知り合いなのかニャ? えらい慌てて行っちゃったけど」

「わかんないなの。でもちょっとボスに似てたかもなの」

「えー、ボスに似てたかニャ?」

「リニアはくそびびりまくってたから気付かなかったなの。リニアのパンツはきっと濡れ濡れなの」

「だから濡れてねーし! つーかプルセナもびびってたニャ!」

「あ」

「なんニャ?」

「私のパンツも濡れ濡れなの……履き替えたいの……」

「はやく言えニャ!」

 

 無駄口を叩きつつ歩く獣人乙女達。端から見れば漫才にしか見えなかったが、これが彼女達の平常運転である。

 

 

 しばらく歩いた後、二人は同じくルーデウス邸へと向かう一人の黒髪の少女を見つけた。

 少女は仮面を付けておりその顔は見えない。

 しかしラノア魔法大学に在籍する獣人乙女達にとって、それはよく見知った()であった。

 

「お、ナナホシじゃニャいか」

「こんにちはなの。パンツよこせなの」

「……いきなり何言ってんのよ」

 

 ナナホシ・シズカ。

 サイレント・セブンスターという名も持つこの少女は、リニア、プルセナと同じ魔法大学の生徒であり、一部の人間の前以外では常に白い能面のような仮面を着けている。

 

 その正体は、ルーデウス・グレイラットと同じく平成日本からの迷い人。

 

 数奇な運命によって“フィットア領転移事件”を機に六面世界へと転移したナナホシの正体は、ルーデウスと“龍神”オルステッド以外は知る者はいなかった。

 ナナホシはルーデウスとは違い転生ではなく転移した人間であった。

 転移直後に出会った龍神の助けがあったとはいえ、“普通の”女子高生でしかなかったナナホシがこの何もかもが違う異世界で生きていくには、素性を隠し、他者との関わりを極力断たねばならぬ程過酷な物であったのは想像に難くないであろう。

 

 そんなナナホシであったが、ルーデウスが結婚し家を構えてからは度々ルーデウス邸へと訪れていた。

 その理由はルーデウス邸に設けられた日本式の風呂。

 平成日本への郷愁からか、同じ日本人であったルーデウスが拵えたこの風呂をナナホシは随分と気に入り、こうして風呂に浸かる為だけにルーデウス邸へと訪れる事があった。

 

「ナナホシもボスんちに行くのかニャ? あちしらも丁度ボスんちに行くところニャ」

「パンツをゲットするなの。ついでにアイシャの伝言を伝えるなの」

「だから何でパンツが必要なのよ……」

「いやーそれがニャー」

 

 リニアは先程の白髪の剣士の大立回りを饒舌に語り始める。

 素手にて屈強な獣人共を撲殺し、あげく目玉を食した件を聞いてナナホシは眉を顰める。

 もっとも『ずぶぶっ』だの『ぬふぅ!』等、難解な擬音を多用していた為いまいちナナホシには伝わっていなかったが。

 

「喰われる感半端ニャかったニャ」

「あんなの見たら天国でアッハーンなの」

 

 とにかく獣人乙女達が言うには凄惨な状況だったのだろう。

 それ故に恐怖で股間を濡らしたのでパンツが必要なのだろう。

 

 そう理解したナナホシは、後半は適当に相槌を打ちながら聞き流していたが……やがて、包みを抱えた一人の商人風の男がこちらへ近づいてくるのが見て取れた。

 

「あの、そこなお嬢さん方」

 

 包みを大事そうに抱えた商人が声をかける。

 獣人乙女と仮面の少女は、いきなり話しかけてきたこの商人の男を怪訝な表情で見やった。

 

「なんニャァ? てめェ……」

「ファックなの。ナンパならお断りなの。半死するか全死するか選べなの」

「な、ナンパじゃないですよぉ……」

 

 知らない人間には辛辣な言葉を投げる獣人乙女達。

 ナナホシに至ってはこの商人を無視して、ルーデウス邸へと歩き出した。

 ひでぇなこのガキ共……と、内心不満を感じていた商人であったが、努めてその不満を表情に出さずに腰を低くして言葉を続けた。

 

「あのぉ、この辺に白髪の若い剣士を見なかったですかね? 変わった剣を差してて目つきが鋭くて……」

「おもっくそ見たニャ」

「忘れようにも忘れらんねーなの」

 

 商人が語る白髪の剣士の風貌に、獣人乙女達は即座に応える。

 商人はそれを見て安堵の表情を浮かべた。

 

「ああ! その人です! よかったぁ……やっと見つかったよ。若先生ったら『シャリーアにいる』としか言ってくれなかったもんなぁ」

 

 で、今どこにいるんです?、と問う商人にリニアが騎士団の屯所の場所を伝える。

 プルセナは先程から大事そうに抱えている商人の包みを興味深そうに見つめていた。

 

「教えたんだから何でそんな事聞いてきたのか聞かせるなの。ついでにその包みの中身も教えるなの。パンツだったらよこせなの」

「パンツじゃないですよ……これをお渡しする為に、態々ネリスから追いかけて来たんですよ」

 

 商人は包みから一着の“羽織”を取り出し、獣人乙女達の前に広げた。

 新品の羽織の背には、とある文言が刻まれていた。

 

「お、なんニャこれ?」

「変わった服なの。おポンチな模様なの」

「ちょ、ちょっと。これ人に渡すもんなんですけど……」

 

 商人が広げる“羽織”をクンクンと嗅ぐリニア。ペタペタと触るプルセナ。

 その二人を苦笑いを浮かべて対応する商人。

 何気なく振り返ったナナホシは、その様子を呆れた顔で見た後、再び歩き出そうとした。

 

「ッ!?」

 

 しかし“羽織”に描かれてある文言を見た瞬間、ナナホシの体は電流が流れたかの如くその場で立ち竦んでしまう。

 

 “羽織”に描かれていた文言──

 それは、ナナホシが良く知る……否、ナナホシの魂に刻まれた言語にて描かれていた。

 

「あなたッ! それは!」

 

 勢い良く商人に詰めかけるナナホシ。

 先程とは打って変わったナナホシの様子を、リニアとプルセナは目を丸くして見ていた。

 

「え、いや、これは」

 

 しどろもどろに応える商人。

 その様子を見たナナホシは少しばかり逡巡していたが、やがて意を決するとこの世界では未知の言語で問いかけた。

 

『篠原秋人、黒木誠司。この名前に聞き覚えは?』

 

「え……?」

 

 日本語(・・・)にて問いかけられた商人は何を言われたのか全く理解していない様子であった。

 それを見たナナホシは仮面の下に困惑の表情を浮かべる。

 

(どういう事……転生じゃない……? でも、これって……)

 

 訝しげに“羽織”を見つめたまま思考するナナホシ。

 一連のこの行動に、リニアとプルセナは可哀想な物を見る目つきで商人を見やった。

 

「オイオイオイ。さっきのは何かの呪いの詠唱ニャ」

「死ぬわアイツなの。やっぱ半端ねぇなサイレント・セブンスターなの」

「えぇ!? の、呪い死にとか勘弁してくださいよぉ!」

「あきらめろニャ。全死しても骨は拾ってやるニャ」

「鞄に入れておくなの。英霊となって末永く暮らすなの」

「鞄!? 英霊!?」

 

 慌てふためく商人にやや憐憫の眼差しを向ける獣人乙女達。

 ナナホシはその様子を見て、商人が本当に“日本語”を解していないことを悟った。

 

(隠しているわけじゃない……つまり)

 

 商人はこの“羽織”を誰かに届けるつもりなのだと言った。

 ということは、この“羽織”を拵えた人間が文言について何かを知っているという事なのだろう。

 あるいは、この“羽織り”を頼んだ人間なのか。

 

「別に呪いじゃないわよ……あれはただの確認。それより、その文様は誰が描いたの?」

 

 ナナホシは尚も狼狽する商人にこの世界で使われている人間語にて話しかける。

 商人はナナホシの“日本語”が何らかの呪いではないと知り、再び安堵の表情を浮かべた。

 

「ええっと、これ描いたのはネリスにいる裁縫職人なんですけど、これ自体は若先生に言われて描いたんでさぁ」

「若先生?」

「これをお渡しする人ですよ。ウィリアム・アダムスって人なんですけどね」

 

 聞けば、商人はアスラ王国からネリス王国へと向かう途中、ウィリアム・アダムスという剣士に護衛を依頼していた。

 道中ウィリアムともう一人の護衛以外は壊滅したらしいが、無事ネリスへと辿り着けた為、この商人は存外に感謝の念を抱いていたのだという。

 報酬以外に出来る事があるかと問うと、ウィリアムはやたらと細かくデザインを指定した“羽織”を拵えるよう依頼した。

 急ぎシャリーアへと届けるように伝え、さっさとネリスを立ったウィリアムに、腕の良い裁縫職人と繋がりがあったとはいえ短い期間で一から“羽織”を拵えた商人の努力は推して知るべしであろう。

 

 ナナホシは商人の話を聞きながら、ウィリアム・アダムスという名前を反芻していた。

 この世界ではさして珍しくもない名前かもしれない。

 しかし、平成日本でとあるアプリゲームにハマっていたナナホシは、所謂“歴女”といっても差し支えない程、日本史……特に、戦国時代の日本史、そして刀剣類を良く知っていた。

 

 そしてこの“羽織”に描かれた文言が、明らかに自身が知る“日本語”にて描かれていた事で、ある歴史上の人物を思い浮かべていた。

 

(ウィリアム・アダムス……三浦按針……まさかね)

 

 偶然にしては気にかかる事が多すぎる。

 ナナホシはやがて商人の方に、その仮面を向けた。

 

「私も一緒に行く」

 

 商人に同行し、“羽織”の依頼主を確かめなくてはならない。

 ナナホシは決意の表情を、その白面の仮面の下に浮かべていた。

 

 

 

 “異界天下無双”

 

 

 

 “羽織”にはサイレント・セブンスター……七星静香の魂を震わせる“言霊”が刻まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




以下ガバガバ解説。苦手な方はスルー推奨。


・ランドルフ・マリーアン(無職転生)
王竜王国黒竜騎士団所属の騎士。北神二世と死神騎士シャイナの孫。七大列強五位“死神”
骸骨のような顔で右目に空絶眼を持つ。戦闘技術の一環なのかやる気のなさそうな態度を取り強そうには見えない。
北神流帝級相当、水神流王級相当の我流の戦士で得意技は幻惑剣。
七大列強五位で下位列強では最も序列が高いが、現在は腕が衰えていて三大流派の長には遠く及ばないと自覚しているので実質七大列強最弱。
北神二世の元で修行をしていたが成人する頃に北神二世と仲違いし家を飛び出し独自に技を磨いた。
魔大陸で当時の七大列強五位「死神」ラクサスを倒し七大列強入りしたが、称号を欲する者達と10年ほど戦い嫌気が差して故郷へ帰る。
イーストポートで創業から250年続く親戚の定食屋を継いだが、料理の才能は無く経営難で首が回らなくなって来たところをルーデウスに料理のダメ出しをされて定食屋として止めを刺された。その後常連だった大将軍シャガール・ガルガンティスに拾われ王竜王国の騎士になる。
シーローン王国から半ば追放の形で留学してきたパックスと王竜王国王女ベネディクトはランドルフの料理を美味しいと褒めている。ちょろいランドルフどんはこの事からパックスとベネディクトに永遠の忠誠を誓っている。
キシリカにはいろいろ貸しがあり、すぐ借りを返そうとするキシリカに「ンフフフ。いつか返してください。いつかね……」とすぐ受け取らず、田村正和みたいな厭らしい感じでキシリカを精神的に追い込んでいる。


・アレックス・カールマン・ライバック(無職転生)
二代目“北神”。魔神殺しの三英雄の一人“北神”カールマン・ライバックと“不死魔王”アトーフェラトーフェ・ライバックの息子。
無職転生のプロトタイプでもある六面世界の物語シリーズ第一弾『王竜王討伐-最終章にして序章-』の主人公。
初代北神の技の模倣と言われる不治瑕北神流の使い手。
魔族と人族のハーフで産まれたときは魔族の特徴が強く出ていたが、成長すると人族の特徴が色濃く表れた。
王竜王国北西にある王竜山に住む王竜王カジャクトを倒し、迷宮都市ラパンに訪れた際に砂漠で暴れまわる大ベヒーモスを仲間と共に退治するなど各地で数々の武功を打ちたて、七大列強七位にまでなった。
カールマンの名前が有名なので、ライバックがミドルネームだと勘違いしている者が多い。
現在は七大列強七位の座を息子のアレクサンダーに譲りシャンドル・フォン・グランドールと名乗って世界各地で剣を教えている。
個人的にはライバックって名字を見ると某元特殊部隊のコックを思い出してというか黒髪な所とかモデルは関西弁を操る合気道有段者のハリウッド俳優じゃねえの?って思った。


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第十三景『若虎開腸鬼哭秘剣(わかとらかいちょうきこくひけん)

 

 寛永六年(1629年)一月

 駿河国駿府城

 

「御前試合を真剣もってせしめるの儀、お取り止めくだされい」

 

 この日、駿府城大広間にて御附家老鳥居土佐守成次が主君徳川大納言忠長へ“真剣仕合”を取り止めるよう諫言を行っていた。

 

 この時、成次は“陰腹”を切っていた。

 事前に一寸(約3cm)程腹部を真一文字に切り、さらしを巻いて大広間に赴いていた成次。その(かみしも)の腹部は朱く染まっている。

 朝倉筑後守宣正ら駿府藩の重臣達が見守る中、成次の生命を懸けた諫言がこの駿府城大広間にて凄絶に行われていたのだ。

 

「うぶっ!」

 

 腹中から込み上げる血を必死で飲み込む成次。

 ごくり、と血の塊を飲み込みながら、成次は決死の諫言を続けた。

 

「天下は、既に泰平……! かかる御時世に、東照大権現様(徳川家康)ゆかりの駿府城を血で汚せば、御公儀への叛意と受け取られましょう……!」

 

 口元から夥しい血を滴らせながら成次の諫言は続く。

 諫言を受ける忠長の瞳は黒く濁っており、虚空を見つめるその表情は只ならぬ様相を呈していた。

 

「さすれば、お家の、一大事ッ!」

 

 やがて居住まいを正し、成次は忠長を真正面に見据えた。

 

「されば、御前試合の剣士に成り代わり……それがしがお見せつかまつる」

 

 裃を脱ぎ捨て、熨斗目(のしめ)(はだ)け己の腹部を晒す成次。

 巻きつけられていた真っ白なさらしは、赤黒く変色していた。

 

「真剣仕合のもたらすものは、つまるところ」

 

 そして成次はさらしの隙間へ己の両手を突き入れた(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「このようなものッ!」

 

 血を吐きながら両手にて己の(はらわた)を引きずり出し、血走った双眸を忠長に向ける成次。

 大広間は瞬く間に血の臭いで溢れかえり、畳は成次から溢れる血液で赤黒く染まっていった。

 

「それでも殿は、駿河五十五万石を引き換えに、このようなものが御覧になりたいと仰せられるかッ!?」

 

 腸を掴み血の海に沈みながら諫言を行う成次の凄絶な姿は、見守っていた重臣達ですら息を飲む程であった。

 中には成次の壮絶な士魂に感動し、薄っすらと涙を流す者もいた。

 このような身命を賭した(さむらい)の忠義に、心を動かされない者はいない。

 

 そう、誰もが思っていた。

 

 

「──ッ!?」

 

 

 しかし、忠長は成次が血海の中で掴むその腸を見て──

 

 

 満足そうに、薄い笑みを浮かべていた(・・・・・・・・・・・)

 

 

「暗君……」

 

 怨みがこもった呪詛を吐き、成次は絶命した。

 

 

 

「こやつ、主君である余の前で無念腹を切りくさった」

 

 伏せ果てた成次を薄い笑みを浮かべながら一瞥し、忠長は大広間を後にする。

 

「御前試合、真剣をもってせしむべし」

 

 去り際の忠長の一言に、重臣達は一斉に平伏する。

 平伏する重臣達は一様に沈痛な空気を纏い、その表情は弔辞のそれであった。

 

 

 このような忠長の理不尽な暴虐を、もはや何者も止め得ず。

 

 かくして様々な悲劇を生んだ“駿河城御前試合”は忠長の意向通りに執り行われる事となる。

 

 

 士の命は、士の命ならず

 

 主君のものなれば

 

 主君の為に死に場所を得ることこそ

 

 武門の誉れ

 

 

 “武士道”という封建社会の完成形が、少数のサディストと多数のマゾヒストで構成されるという典型的な光景であり

 

 士が持つ“武士道”という本能が、まさに“死狂ひ(シグルイ)”ということを如実に現していた。

 

 

 

 

 

 


 

 

 古来より剣豪の歴史を語る上で、“至高の一戦”とはどの戦いの事であるか、という論争がしばしば行われている。

 

 舟島(巌流島)における宮本武蔵、佐々木小次郎の決闘か。

 あるいは、歌舞伎の題材にもなった“鍵屋の辻の決闘”の河合又五郎一派に対する渡辺数馬、荒木又右衛門の仇討ち仕合か。

 仇討ち仕合なら、討人仇人両人が生き残った掛川における藤木源之助、伊良子清玄の戦いこそが至高の一戦と見る者もいる。

 いやいや、幕末の維新志士の多くを屠った“新撰組”隊士達の闘争こそが至高、という意見もある。

 

 数多の剣談に登場する剣士達の戦いで、至高の一戦を決めるというのは現代になっても難題である事は確かであろう。

 

 

 では異世界──六面世界“人の世界”においての至高の一戦とは、一体どの戦いになるのか。

 

 “北神二世”アレックス・カールマン・ライバックによる王竜王討伐か。

 ラプラス戦役において“魔神”ラプラスと対峙した“七英雄”の戦いか。

 第二次人魔大戦における“黄金騎士”アルデバランと“魔界大帝”との一騎打ちか。

 いや、第一次人魔大戦まで遡り“勇者”アルスの物語における数多の戦いを推す者もいるかもしれない。

 

 吟遊詩人や演劇によって語られる英雄達の戦いは、事実とは異なって(・・・・・・・・)人々に伝わる事も多々あった。だが伝承される英雄譚というのは、偽りはあれ華やかな一面があるからこそ多くの人々の心に残る物なのだろう。

 

 それ故に、英雄達の華やかな戦いの影に隠れた“究極の一戦”というのも数多く存在した。

 

 

 甲龍歴423年

 魔法都市シャリーアにて人知れず行われた“死神”ランドルフ・マリーアンと若き虎、ウィリアム・アダムスの一戦。

 これもまた、上記の様な歴史の影に隠れた究極の──否、“秘剣の応酬”であった。

 

 

 

 

 

 

「しかし──」

 

 シャンドルがそう言いかけた刹那、ウィリアムの“流れ”が放たれた。

 

 虎眼流必勝形ともいえる“流れ”

 その神速にして最小の斬撃は、死神の頭部目掛けて一直線に放たれる。

 

「ッ!」

 

 しかし死神の恐るべき身体能力は、地を這うように身体を折り曲げる事でその神速の斬撃を躱した。

 

 振り切った“流れ”の握りは、二の太刀を生み出せない──

 

 無防備となったウィリアムの姿を見て“死神”がこの好機を逃すはずもなく。

 即座に無防備な虎に斬撃を見舞うべく距離を詰める。

 

「っと──」

 

 しかし“死神”は寸前で立ち止まり、即座にウィリアムから距離を取った。

 

「危ない危ない、ですねぇ」

 

 後方へと引いた“死神”を見てウィリアムはギリっと歯を軋ませる。

 その左手にはいつの間にか拾ったのか、先程投擲されたナイフが握られていた。

 

(距離を詰めていれば隠し持っていたナイフで抉られていたか……)

 

 シャンドルは虎の狡猾な牙から寸前に逃れた“孫”を見て安堵する。

 と同時に、この少年ともいえる風貌のウィリアムが持つ技量に舌を巻いていた。

 

(あの斬撃は明らかに射程距離が伸びてましたねぇ……一体誰に教わったのやら)

 

 “死神”ランドルフ・マリーアンもまたウィリアムの業前に感心をしていた。

 この世界で三大流派以外で名の知れた剣士は、恐らく自分以外は殆どいないであろう。

 しかしウィリアムの一手を見て、これほどの技量を持つ“流派”が人知れず存在していた事に驚くとともに、その若き才能にもまた感心をしていた。

 

 対峙するウィリアムを“死神”は改めてその窪んだ眼窩で見つめる。

 

(若いですねぇ。出来れば斬らずに済ましたい所ですが……)

 

 “死神”は少年ともいえるウィリアムの年齢を見透かしつつ、そう思考する。

 虎眼流を前にして斬られる事より斬る事を恐れてしまうのは、いかに七大列強5位とはいえこの世界では“死神”ランドルフ・マリーアンのみであろう。

 もっともウィリアムの前世に於いて同様に虎眼流の使い手に対し、斬ることを恐れた“戸田流印可”月岡雪乃介の“峰打ち不殺剣”のような活人剣は、この死神は持ち合わせていなかった。

 

(ランドルフ、手心を加えられるような相手ではないぞ!)

 

 虎の恐るべき技量をひと目で看破したシャンドルは“死神”に警戒を促すよう視線を送る。

 それを受けた“死神”は相変わらずニタニタとした表情を浮かべていた。

 

「……」

 

 “死神”が泰然と構える様子を見て、ウィリアムはナイフを放り捨て七丁念仏に親指を押し当てた。そのまま、血に染まった親指で自身の唇をなぞる。

 紅を差した唇は、文字通り血の如く赤き熱を纏っていた。

 これは、取られた首が見苦しくならぬよう薄化粧を施す“武士の作法”

 

 死して尚も桜色──

 

 強敵と対峙するウィリアムの不退転の覚悟が伺えた。

 “剣神”と対峙した時は、ヒトガミめの余計なお告げの所為でその覚悟を持つ事が出来なかった。

 故に、あのようなつまらない不覚を取ったのだ。

 

 此度は違う。

 これはヒトガミのお告げにも無い事であり、“剣の聖地”の時とは違い強者に対し決死の覚悟を持って望んでいるのだ。

 決死の覚悟で必死を回避し、確かな勝利を掴むのだ。

 

 “剣神”と“人神”に対する怨み、そして“死神”に対する覚悟からウィリアムはみしり、と歯を軋ませた。

 

 当然ながら異世界ではこの作法を知る者はいない。

 しかしながらウィリアムの異様ともいえるこの行動に何かしらの執念を感じ取った“死神”はニタニタとした表情を消し、口を真一文字に引き締めた。

 

「少女に狼藉を働く不逞者を懲らしめるだけと思っていましたが、これは予想外な展開ですねぇ……」

 

 “死神”はちらりとシャンドルの傍に佇むアイシャを見やる。

 アイシャの表情からは生気が消え失せており、その光の無い瞳は只々ウィリアムを見つめ続けていた。

 吐息を一つ吐いた“死神”は、その窪んだ眼窩を再びウィリアムへ向ける。

 

「“幻惑剣”……御覧にいれましょう」

 

 “死神”は剣を正眼に構えると、ゆるりと上段に剣を運ぶ。

 それは死神が鎌を構えるかの如く、幽世に迷い込んだかのような幻惑なる威容。

 

 しかし“死神”が剣を最上段に構えると、途端に屹立した剣から殺気が消え失せた。

 

「ランドルフ……!」

 

 見守っていたシャンドルが思わず声を上げる。

 

 隙だらけだ──

 

 “死神”は上段に剣を構えただけ(・・・・・)であり、その両脇には大きな隙が生じている。まるで木こりが薪を切るかのような、凡そ列強剣士にあるまじき所作であった。

 

 

 しかしこれこそが死神の代名詞である“幻惑剣”

 

 

 “幻惑剣”には“誘剣”と“迷剣”の二種類の型があり、誘剣は相手に好機だと思わせ誘導し、攻撃を誘うもの。

 迷剣は敵に攻めるべきではないと思わせ誘導し、窮地を逃れるもの。

 虚実を折り混ぜた幻妙なる“死神”の絶技であり、数多の剣士達を屠ってきた“死神の鎌”であった。

 

 ウィリアムはそれを見て再び七丁念仏をゆるりと担ぐ。

 但し、此度のウィリアムは担ぐだけにとどまらなかった。

 

「なっ!?」

 

 シャンドルは驚愕の声を上げる。

 同様に“死神”もその表情を一変させた。

 

 みりり、とウィリアムは担ぐ姿勢から更に身体をひねった(・・・・・・・・・)

 完全に“死神”に後頭部──急所をさらけ出し、その瞳はあらぬ方向を見据える。

 

「あり得ぬ……!」

 

 

 これは“決闘の光景”ではない──

 

 

 科人(とがびと)が斬首を待つ、“土壇場(どたんば)の光景”だ!

 

 

 シャンドルはウィリアムの異様な構えに驚愕の表情を浮かべる。

 “死神”の無防な構えに対するウィリアムの無謀な構えは、どう見ても自殺行為であった。

 

「この私と“幻惑合戦”ですか……」

 

 “死神”の首筋に一筋の汗が流れる。

 ウィリアムの奇怪な姿を、その窪んだ眼窩で凝視した。

 対峙する“死神”にしか解らぬ事であったが、“死神”はウィリアムが急所をさらけ出した途端、左半身にヒリヒリと強烈な殺気を感じていた。

 

(左から斬撃が来る……と、見せかけて(・・・・・・・)右から……いや、やはり左……?)

 

 “死神”はウィリアムの意図を読むべく必死になってその窪んだ眼で若虎を凝視し続けた。

 敵に対し後ろを向くウィリアムにその困惑する様子は見えないと思われたが、ウィリアムには確かに“死神”の様子をその眼で視ていた(・・・・・・・・)

 

 

 虎眼流“紐鏡(ひもかがみ)

 

 

 (ひも)氷面(ひも)であり、ウィリアムは七丁念仏の刀身を鏡にし“死神”の様子を視ていたのだ。

 

 幻惑剣による誘剣に対し、虎眼流による紐鏡。

 

 “死神”と“剣虎”による虚実を交えた秘剣の応酬を、シャンドルは固唾を呑んで見つめていた。

 傍らに佇む朱髪の少女は、依然その瞳に光は宿らず。

 

「ランド──」

 

 シャンドルが“死神”に声をかけたその瞬間──

 ウィリアムの神速の“横流れ”が、“死神”の右半身(・・・)へと放たれた。

 

 闘気と共に身体を半回転させ放たれた“横流れ”の速度は、通常の“流れ”を凌駕する。

 飛燕の速度で放たれた“横流れ”は、“死神”の半身を両断するべくそのガラ空きの脇腹へと吸い込まれた。

 刃が届く刹那、ウィリアムは死神の両断された半身を幻視し、僅かに口角を上げる。

 

 しかし──

 

「ッ!?」

 

 突如ウィリアムの目の前に現れた壁(・・・・・・・・・・・・・・・・)が轟雷ともいえる金属音と共に“横流れ”の斬撃を阻害した。

 戸惑うウィリアムに対し、容赦無く“死神”の袈裟斬りが襲いかかる。

 

「ヌゥッ!」

 

 しかしウィリアムは咄嗟に構え直した七丁念仏にて真正面からその斬撃を受け止めた。

 七丁念仏の腹を向け、刀身に掌底を添えて“死神”の剣を凌ぐその様子は、さながら念仏を唱える僧侶が如く。

 

 

 虎眼流“片手念仏(しのぎ)受け”

 

 

 虎眼流の数少ない太刀にて相手の斬撃を受けるこの技は、刀身と峰の間にある小高い窪み“(しのぎ)”と言われる部位に掌底を添えて斬撃を防ぐ堅牢なる肉と刃の防御の型。

 刀身にて迎撃していれば“死神”の剛剣は七丁念仏を巻き込みながらウィリアムの頭部を十文字に斬り裂いていただろう。

 ウィリアムはそのまま“死神”を押し倒さんと渾身の闘気を掌底に込める。

 

「ぐぅッ!?」

 

 しかし“死神”の恐るべき膂力は、逆にウィリアムを地面へと縫い付けた。

 馬乗りとなった“死神”は剣をウィリアムへと圧し当てる。

 

「“詰み”です。潔く降参なさい」

「~~ッッ!!」

 

 “死神”に組み伏せられたウィリアムは歯を軋ませ全力で抗うも、“死神”の剛力は虎を起き上がらせる事は許さず。

 この時のウィリアムは知るべくも無かった事だが、“死神”ランドルフ・マリーアンの膂力は“怪力の神子”として知られるシーローン王国第三王子よりも強く、単純な腕力だけでいえば七大列強の中でもトップクラスを誇っていた。

 鍔迫り合いとなった状況から刀身ごと“死神”を地面に圧し当てようとしていたウィリアムであったが、この骸骨の様な男がまさか虎眼流剣士の膂力を上回るとは。

 七大列強の力を決して甘く見積もった訳ではなかったが、この事態を招いたのは完璧に虎の誤算であった。

 

(奇なッ!)

 

 ウィリアムはこの状況下の中、先程の奇怪な現象を思い起こしていた。

 突如現出した“壁”に阻まれた必滅の“横流れ”

 “横流れ”は確かに“死神”の反応を凌駕し、その胴を薙いだはずである。

 しかし現実には“死神”に縫い止められた我が身。足掻けば足掻くほど、己の鳩尾に乗せられた“死神”の膝が重く突き刺さる。

 “死神”が圧し当てる剣を七丁念仏で必死に支える状態で、ウィリアムは焦りと共に増々困惑の表情を深くした。

 

 困惑する最中、ウィリアムは“死神”の顔に違和感を覚える。

 “死神”は先程まで装着していた“眼帯”をいつの間にか外していた。

 瞳には六芒星のような文様が浮かんでおり、怪しげに赤く光るその瞳をウィリアムに向けていた。

 

「“空絶眼”か……」

 

 端から視ていたシャンドルが“死神”の絡繰を見破っていた。

 

 

 “空絶眼”

 

 

 “死神”ランドルフ・マリーアンが備えている魔眼であり、その瞳を向けられた者は突如発生した“壁”を幻視し、自身の行動を阻害される事となる。

 実際には“壁”など発生していないのであるが、幻出した“壁”を本物の“壁”と誤認させることにより、対象は何もない空間(・・・・・・)で虚構を相手に動きを止められるのだ。

 十分に魔力を練った状態ならば、遠距離から大軍の行動をも阻害する事が出来る正に列強に相応しい空絶なる魔眼。

 対象が一人であり、かつ至近距離からならば僅かな時間でも十分に対象の行動を阻害する事が出来た。

 

 シャンドルから見れば、ウィリアムの“横流れ”は“死神”に触れる寸前で、ウィリアム自身の手によりその斬撃が止められていたのだ。

 

(ああまで深く極まれば最早返す事は出来まい……)

 

 シャンドルはウィリアムの“死に体”を見て安堵の息を吐く。

 “孫”の勝利は疑いようもなかった。

 

 ふと、シャンドルはこの勝負の原因となった朱い髪の少女の存在を思い出した。

 勝負が決まり、もはやあの暴虐なる若者は無力化したと言葉をかけるべく、横に佇むアイシャを見やる。

 

「ッ!?」

 

 しかし、シャンドルはアイシャに言葉をかける事は出来なかった。

 

 

 アイシャは幽鬼のような虚ろな表情を浮かべており、元が快活な少女とは思えぬ程“呆けた”空気を纏っていた。

 だらしなく開かれた口から僅かに涎を垂らし、変わらず光の無い瞳で“死神”が“剣虎”を制圧する様子を眺めている。

 芯の抜けたその立ち姿に、シャンドルは見てはいけない物を見たと思い視線を“死神”に戻した。

 

 そしてシャンドルが視線を戻したその瞬間

 

 “死神”の身体が跳ねた(・・・・・・)

 

「ゲボォッ!!」

 

 “死神”は血反吐を噴射し、ウィリアムから人形の如く跳ね上がる。

 

 

 虎眼流“土雷(つちらい)

 

 

 “土雷”は組み伏せられた状態から渾身の踏み込みと全身の反りを用いて瞬時に拳を内蔵にめり込ませる柔の技だが、ウィリアムは七丁念仏の柄頭にて“土雷”を放ち、“死神”の内臓をその牙で食い破っていた。

 “死神”の楔から解放されたウィリアムは“土雷”を喰らい、転がる“死神”に止めを差すべく七丁念仏を担ぐ。

 “空絶眼”はウィリアムの姿を捉える事は叶わず、死に体となった“死神”に虎の牙が襲いかからんとした。

 

 しかし、七丁念仏を振り切る寸前にウィリアムはピタリと動きを止める。

 

 ウィリアムは、この絶好の勝機を見送った。

 

 見送らねば、ならなかった。

 

 

(アイシャ──)

 

 “死神”が“土雷”を受け転がり込んだ先は、呆然と佇む一人の朱い少女の前であった。

 ウィリアムは“死神”の真後ろに佇むアイシャを見つめる。

 

 アイシャの姿を視認した瞬間、ウィリアムはそのままアイシャごと(・・・・・・)“死神”を斬るつもりで七丁念仏を振ろうとした。

 グレイラットの性を捨てた自分には、家族などもう関係ない。

 ましてや妾腹の妹など、己の大望の為ならばいくらでも犠牲にしても構わない。

 

 致し方なし──

 

 一瞬でそう判断したウィリアムは、七丁念仏を振ろうとした。

 

 ところがウィリアムの肉体は脳髄の命令に反抗し、その動きを止めた。

 心の貝殻の奥底の、淡く、暖かな“火”が、ウィリアムの動きを止めたのだ。

 

 

 白髪の剣虎と、朱髪の少女の視線が交差する。

 ウィリアムはアイシャの瞳の中に家族と過ごした暖かなひと時を幻視した。

 

 “ウィル……偶には父さんとも遊んでくれよー……”

 

 “まぁウィルったら! こんなところで寝てちゃ風邪引いちゃうわよ?”

 

 “ウィリアム坊ちゃま。今日はウィリアム坊ちゃまが好きな野草のスープですよ”

 

 “うぃーにぃ、ご本よんで?”

 

 “うぃーにぃ! うぃーにぃ!”

 

 パウロ、ゼニス、リーリャ、ノルン……そしてアイシャ。

 穏やかなひと時を過ごした、あの時の光景がアイシャの瞳の中に映し出されていた。

 

 

「ウィル……にぃ……」

 

 ウィリアムの視線を受け、アイシャはその瞳に光を取り戻し始めていた。

 その可憐な朱い瞳で、白い若虎を見つめていた。

 涙で濡らした跡が残るその表情に、徐々に熱が戻り始めていた。

 アイシャを見つめる虎の眼は、先程まで“死神”と死闘を繰り広げていたのが嘘のような穏やかな眼をしていた。

 

 アイシャは拒絶され、失った“大好きなウィル兄ぃ”が少しだけ戻ってきたように感じた。

 

 

 やがてアイシャから視線を外したウィリアムは、自身の心の奥底で湧いた感情の揺らぎを悟られまいと後方へ跳躍し“死神”と距離を取る。

 

「参れ! “死神”!」

 

 ウィリアムの凛とした声が辺りに響く。

 自身に生じた“迷い”を断ち切らんが如く、鋭い声を放っていた。

 

「ゲホッ……」

 

 血反吐を一つ吐き、“死神”はゆらりと立ち上がる。

 シャンドルが手を貸そうと駆け寄るが、“死神”はそれを手で制した。

 

「大事ありません……お構いなく」

「ランドルフ、私も加勢するぞ」

「お祖父様は、その少女を連れて離れていてください」

「ランドルフ! らしくないぞ!」

 

 シャンドルはあくまで一人で戦おうとする“死神”に声を荒らげる。

 “死神”ランドルフ・マリーアンは七大列強入りした当初は修羅の如く、向かってくる剣士達を片っ端から斬り伏せて己の剣名を高めていた。

 だがやがて戦う事に疲れを感じ、自身の腕前の衰えを自覚した頃には列強5位の名にさして拘りを持てなくなっていた。

 王竜王国にて親戚の定食屋を継いで、剣の代わりに包丁を持つ日々に満足していた。

 

 そんな“死神”が“北神二世”の助力を頑なに拒む。

 以前の“死神”なら二つ返事でシャンドルの申し出を受け入れ、二人掛がりで虎退治に望んでいただろう。

 いや、むしろ自分からシャンドルに助勢を申し入れていたのかもしれない。

 もはや自身の腕前は列強5位に相応しく無く、三大流派の長にすら及ばないと自覚していた。

 “死神”の剣士としての闘志は、萎えて久しかった。

 

 しかし窪んだ“死神”の眼からは、久しく現れていなかった闘志が燃えていた。

 

「お祖父様……どうか、私にお任せください」

「ランドルフ……」

「包丁以外の刃物を持って“楽しい”と思ったのは、本当に久しぶりです」

 

 “死神”は滴る血を舐め、その口角を上げる。

 得も言われぬ凄味が“死神”の全身から噴き出ていた。

 そのまま幽鬼のような足取りで、ウィリアムの方へ向かう。

 シャンドルはそれを黙って見送っていた。

 

「お待たせしました」

 

 再び“死神”は剣を上段に構える。

 先程とは打って変わり、剣先から噴出する殺気は見ていたシャンドルですら怯む程のものであった。

 

 もはや、“幻惑剣”など使用せず。

 渾身の“死神の鎌”を振り下ろすのみ。

 

 地獄の獄卒が如き猛烈な殺気を、“死神”はウィリアムにぶつけていた。

 

 

(つかまつ)る……!」

 

 それを受けたウィリアムは、右手の掴みをそのままに左手を持ち上げ、人差し指と中指で七丁念仏の剣先を挟んだ。

 

 

 みしり

 

 

 虎はその秘めおきし魔剣を、再びこの異界にて解き放たんとしていた。

 

 

 

 

 

──────────────

 

 

 ナナホシ・シズカはネリスの商人と共に騎士団の屯所へと赴いていた。

 しかし土地勘の無い商人と魔法大学の研究室に篭り滅多に出歩かないナナホシの組み合わせでは、禄に縁が無い騎士団の屯所へと容易に辿り着けるはずもなく。

 リニア、プルセナのいい加減な案内の仕方もあり、散々迷った末ようやっと辿り着いた頃には日は既に傾きかけていた。

 

「しかも肝心のウィリアム・アダムスはもういないって……」

「さーせん! あっしが道に迷わなければぁ!」

 

 ナナホシ達が屯所へと赴いた時には、既に件の白髪の剣士は放免された後であり、全くの無駄足を踏んだナナホシは商人へ呪詛が篭った呟きを吐く。

 なぜか商人は己の股間を抑えており、涙ながらにナナホシへ謝罪していた。

 

(今日はもう帰ろう……)

 

 何もしていないのに勝手に股間を抑えて蹲る商人をゴミを見るかのような目つきで……実際には仮面をつけているのでその目つきは分からないが、ナナホシは商人を一瞥し、魔法大学の寮へと帰宅するべく歩み始めた。

 

「あ、あの、おいてかないで……」

「……」

「無視ィ!?」

 

 喧しい商人をつとめて無視し、ナナホシは歩みを早める。

 傾いた太陽は紫陽花色に染まり、辺りは薄闇に包まれていた。

 散々歩き回った疲労、ウィリアム・アダムスに会えずに終わった徒労、そして商人への倦怠からナナホシの白面の下の表情は三日三晩荒野を彷徨った旅人の如くやつれていた。

 

 

 

 

 しばらく人気の無いシャリーア郊外を歩いていると、商人が唐突に声を上げた。

 

「あ! 若先生ってヴェェッ!?」

「ふぁ!?」

 

 商人の素っ頓狂な声に不意を打たれたナナホシは、同様に頓狂な声を上げる。

 苛立ちもあってか、猛然と商人に詰め寄った。

 

「何よいきなり!?」

「い、いや、若先生がいたんですけど……」

 

 そう言いながら商人はおずおずと指を差す。

 ナナホシは仮面の下に怪訝な表情を浮かべ、商人が指を差す方向に視線を向けた。

 

「ッ!」

 

 そしてナナホシは見た。

 白髪の剣士と、骸骨の剣士が、禍々しい程朱く染まった空の元で剣を構えているのを。

 

「け、決闘!?」

「……!」

 

 商人が驚愕の声を上げる中、ナナホシもまたある事実に気づき、その内心は大きな波が立っていた。

 

 白髪の剣士が持つ得物。

 それはまさしく──

 

(日本刀──!)

 

 ナナホシは白髪の剣士の剣を凝視する。

 反り返った片刃の刃、刀身と峰の間にある鎬、柄巻きが巻かれた柄、切羽にて挟まれた木瓜型の鍔……

 ナナホシが良く知るそれは、日本刀と呼ばれるこの世界では決して存在し得ない異世界(・・・)の業物であった。

 

 ナナホシは自身の心臓が早鐘の如く鳴るのを自覚する。

 とうとうあの転生者以外で……それも平成日本への帰還の手掛かりが得られるかもしれないその刀の妖しい輝きに、ナナホシはしばし我を忘れて見とれていた。

 

「わ、若先生が骸骨……ってあれ七大列強“死神”じゃないっすかぁ!? どゆこと!?」

 

 再び頓狂な声を上げる商人により、ナナホシはハッと我に返る。

 七大列強“死神”

 ナナホシはこの世界の大抵の事柄は、共に旅をした龍神から十分に教えを受けていた。

 七大列強とは即ち、この世界でトップクラスの強者の称号。

 その強者と探し求めていた白髪の剣士……ウィリアム・アダムスが真剣にて立合いを行っている。

 

 一体これはどういう事なのか。

 困惑するナナホシは、ふと“死神”とウィリアムが対峙するのを見つめる黒髪の壮年と朱髪の少女に気がついた。

 そして朱い少女は、ナナホシが良く知るあの転生者(ルーデウス)の妹であった。

 

「アイシャちゃん!」

「ナナホシさん……?」

 

 駆け寄りながら声をかけるナナホシ。

 アイシャはナナホシを見留めると、くしゃりと表情を歪めた。

 

「ウィルにぃが……ウィルにぃの……!」

 

 ポロポロと涙を流し、ナナホシに縋るアイシャ。

 ナナホシは依然この状況を掴めず困惑していたが、自身の腕の中で震え涙を流す少女を優しく抱きしめた。

 

「大丈夫……大丈夫だから……」

 

 変わらず“ウィルにぃ”と繰り返し呟くアイシャの背中を擦りながら、ナナホシは傍らに立つ黒髪の剣士を見やる。

 何はともあれ、まずはあの決闘を止めねば。

 アイシャがここまで狼狽するという事は、あの白髪の剣士はアイシャと何かしらの関係があるという事だろう。

 骸骨の方が“ウィルにぃ”と思えなかったナナホシは、何かしらの事情を知るであろう黒髪の剣士へと声をかける。

 

「今すぐあの決闘を止めてちょうだい」

 

 黒髪の剣士、シャンドルは先程からナナホシ達の存在に気付いているものの、その眼は“死神”と“剣虎”から外そうとしなかった。

 視線を前に向けたまま、ナナホシに応えた。

 

「……無理だ。もう、誰にも止める事は出来ん」

「そんな……なんで!?」

「もはや余人が関与する事は……」

 

 シャンドルは最後まで言葉を発する事はなく、“死神”とウィリアムの立ち合いを凝視し続ける。

 ナナホシもつられて見ると、丁度ウィリアムが刀の切っ先を左手で掴んでいた。

 

「ッ!」

 

 尋常ではない闘気が発せられる。

 平成日本ではただの女子高生に過ぎなかったナナホシでは到底耐えられぬ程の剣圧。

 全身の震えをごまかす為、腕に抱くアイシャをぎゅっと抱きしめる。

 

「ウィル、にぃ……」

 

 抱きすくめられるアイシャもウィリアムの様子をその眼で見つめる。

 先程までの虚ろな瞳では無く、光を宿したその濡れた瞳は確りとウィリアムを見つめ続けていた。

 

 

『……しく』

 

「えっ──」

 

 地獄の底から呻くような声が、辺りに響いた。

 ナナホシやシャンドル、そしてアイシャはその声に本能的な恐怖を覚える。

 

 そしてナナホシは聞いた。

 

 

 呻くような声で発せられる、“日ノ本言葉”を。

 

 

 狂ほしく

 

 血のごとき

 

 月はのぼれり

 

 秘めおきし魔剣

 

 いずこぞや──

 

 

 みしり、と重々しい音が辺りに響く。

 憤怒の形相を浮かべ無念の涙を流しながら(・・・・・・・・・・)刀を構える剣虎……いや、剣鬼。

 尋常では無いその様子に、ナナホシは息を飲む。

 とてもではないが、ルーデウスのような平成日本の転生者(・・・・・・・・)とは思えなかった。

 

『“剣神”……! 貴様の流派、いずれ根絶やしにしてくれん……!』

 

『“人神(ヒトガミ)”! 貴様にかかされた恥、忘れようとて忘れられぬわ……!』

 

 このような怨みが篭った怨念を、目の前の“死神”に向けるウィリアムは果たして正常だろうか。

 そして無念の涙を流す剣鬼は、最大限に怨みが篭った怨嗟を吐いた。

 

 

『清玄ッ!!!』

 

 

 ピシリ、と軋ませた歯にヒビが入る。吐き気を催す程の憎悪を込め、吐かれた日ノ本言葉。

 先程までウィリアムの心の貝殻に灯っていた甘く、馨しい火は、瞬く間にその怨嗟の業火により打ち消されていた。

 

 

 “死神”は死の流星の間合いに入り、猛然と虎へ向かい突進する。

 

 

 向かってくる“死神”に、虎眼流奥義“流れ星”は放たれた。

 

 

 

 

 ──一閃

 

 

 

 

 閃光と共に肉と鉄がぶつり合う重低音が辺りに響き渡る。

 

 眩しさで目が眩んだナナホシ達は流星が“死神”に直撃する瞬間を見る事は敵わず。

 しかし目を開いた瞬間、ナナホシ達は信じられぬ光景を目にする事になる。

 

 

「ウィル兄ぃッ!!!」

 

 アイシャの叫び声が響く。

 ナナホシが抱きすくめるその腕から必死にもがき、朱い髪の少女はウィリアムの元へ駆け出した。

 

 ウィリアムは“死神”の剣により肩口から心臓にかけて斬り込まれていた(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 と同時に、“流れ星”は“死神”の頸部をニ寸程斬り込んでいた(・・・・・・・・・・・・・)

 剣によって結ばれた二人の剣士は、やがて同時に地に倒れ伏した。

 

「馬鹿な……」

 

 倒れ伏す間際、ウィリアムは“流れ星”が“死神”の頸部を切断し得なかった現実を受け入れる事が出来なかった。

 “()”を出現させる間も無く、死の流星は“死神”に襲いかかったはずである。

 闘気によって高められたその速度、その威力は前世においての“流れ星”とは比べ物になく。

 

 困惑と無念、そして己から大量に流れる血で何も考えられなくなった虎は、やがて意識を手放した。

 

「ウィル兄ぃ! ウィルにぃ!!」

 

 アイシャがウィリアムに駆け寄る。その可憐な手で、ウィリアムの肩口を押さえた。

 

「やだよ、やだよぉ、ウィルにぃが、しんじゃうよぉ」

 

 流れる血を必死で押さえ、治療魔術をかけるべく震える声で詠唱を始めるアイシャ。

 しかし初級魔術しか修めていないアイシャの治療魔術では、深手を負ったウィリアムを完治することは出来ず。

 必死に傷口を押さえるアイシャの手は、ウィリアムから流れる大量の血液で痛々しい程朱に染まっていった。

 

 

「ランドルフ!」

 

 シャンドルもまた“孫”に駆け寄っていた。

 “死神”は頸部に斬り込まれた七丁念仏を抜き、溢れる血を手で押さえていた。

 “死神”はシャンドルに力なく微笑む。

 

「大事、ありません……」

「莫迦いうな!」

 

 シャンドルは懐を探り“北神の秘薬”を取り出す。

 北神流高弟以上でしか持ち得ぬこの秘薬は、初代北神が魔大陸にて発見した治癒効果が非常に高い薬草から作られている。

 門外不出の製法にて作られる秘薬の効力は、例え胴体が千切れても有効な代物であった。

 

 シャンドルは秘薬を“死神”の頸部に充てがう。

 大量に血を失った“死神”は元々の暗い人相を更に青白く変化させ、まさしく幽鬼がこの世に現出したかのような様相を見せていた。

 

「相討ちとはな……」

 

 シャンドルがウィリアムの方を見やりつつ、“死神”の手当を続ける。

 治療を受ける“死神”もまたウィリアムを見つつ、シャンドルに言葉をかけた。

 

「お祖父様。秘薬はまだありますか?」

「あるが、何故?」

「あのウィリアムとやらも治療してください。今ならまだ……」

 

 力なくウィリアムを指差す“死神”。

 アイシャが必死に治療する様子は、見る者の胸を打つ痛ましい光景であった。

 

「いいのか……?」

「あの才能、死なすには惜しい。それに……」

 

 “死神”は震える手を必死に上げ、シャンドルに見せつけた。

 

「お祖父様。これを、見てください」

「うむ?」

 

 “死神”の両手の指にはそれぞれの人差し指、中指に指輪が嵌められていた。

 その指輪はシャンドルが良く知る希少な魔力付与品(マジックアイテム)であった。

 

「ッ!?」

 

 そしてシャンドルは戦慄する。

 “死神”が嵌めていた指輪は“斬撃を軽減する”非常に希少な魔力付与品(マジックアイテム)であり、その効果は帝級剣士の一撃すら無効にする。

 使用者が魔力を込めれば発動するその指輪が、“死神”が手を上げた瞬間みるみる砕け散っていった。

 

「ゆ、指輪4つ分とは……」

 

 帝級の攻撃を4回分、それでも尚防ぎ切れなかった虎の流星の威力を目の当たりにし、シャンドルの背筋は凍りついた。

 

「指輪が無ければ、私の首は即座に胴体と離れていた事でしょう……あの若者は、剣一本で私と戦っていた」

 

 力なく呟いた“死神”は、やがてゆっくりと瞼を閉じ、天を仰いだ。

 

 

 

「私の、負けです」

 

 

 

 “死神”ランドルフ・マリーアン。

 

 

 七大列強5位の座を、若い虎に譲り渡した瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 ウィリアムは夢を見ていた。

 

 ブエナ村で家族と過ごす暖かい夢を。

 その夢の中で、成長したノルンとアイシャ……妹達がいた。

 

 幼き日と変わらず、己を慕う妹達。

 そんな妹達を邪険にせず、ウィリアムは黙って妹達の頭を撫でる。

 ニコニコと微笑む妹達を見て、自然とウィリアムの表情も緩んだ。

 

 穏やかで、優しい日々……。

 いつからだろう。こんなにも、穏やかな日常が遠い物になってしまったのは。

 

 転移してから、様々な出来事があった。

 たった一人で、苛酷な日々を過ごしていた。

 その苛酷な日々が、穏やかな日常を忘れさせる程の修羅に、己を変えてしまったのだろうか。

 

 いや、元々が濃尾無双と称された剣の修羅ではなかったのか。

 いつから、己はこんなにも“腑抜け”てしまったのだろうか。

 

 

 気がつけば、妹達の姿はなかった。

 代わりに前世での娘……三重の姿が、そこにあった。

 

『三重……』

 

 ウィリアム……虎眼は、三重の頬を優しく撫でる。

 三重の表情は、薄く……そして、儚い微笑みを浮かべていた。

 

『お父上……』

 

 三重は微笑みを浮かべながら言葉を紡いだ。

 

『今の家族を、大切になさりませ』

 

『三重……!』

 

 三重の姿は、やがて徐々に透けていった。

 三重が消えていく最中、虎眼は三重の後ろに立つ大きな体躯に気付いた。

 

『権左……』

 

 前世の忠弟、牛股権左衛門がそこにいた。

 権左衛門はゆっくりと頷くと、三重と同じように微笑みを浮かべその姿を消していった。

 

 

 

 

 

「ウィリアム兄さん……!」

 

 目を開けると、ベットに寝かされた我が身。

 痛々しく肩口に巻かれた包帯は、僅かに血が滲んていた。

 傍らにて目に涙を溜め、心配そうにノルンが見つめていた。

 

「ノルン、か……」

 

 ウィリアムは、力なくその右手上げ、ノルンの頬を撫でた。

 ゆっくりと、優しくノルンの頬に手を当てる。

 ノルンはポロポロと涙を流しながら、ウィリアムのその手をぎゅっと握っていた。

 

 ノルンの対面……ウィリアムの左側にて、同様にウィリアムを見つめていたアイシャは、その瞳に涙を浮かべる。

 しかし、ノルンが浮かべた涙とは違う意味で、その少女は涙を溜めていた。

 

(また、ノルン姉だけ……)

 

 ミシリオンにて散々に味わったノルンと自分との扱いの差。

 妾腹の子と、実の祖母に言われたあの時の悲しさ、やるせなさ。

 再び味わうあの哀しみを、アイシャは実の兄にまで感じて、その瞳は光を失いつつあった。

 

 

「……アイシャ(・・・・)

「!」

 

 失意に沈むアイシャに、ウィリアムはその名を優しげに呼んだ。

 ゆっくりと、慈しみを込めた眼を、アイシャに向けた。

 

「美くしゅう、なった喃……」

 

「……っ!」

 

 アイシャは、それまで感じていた哀しみが全て消え去るのを感じていた。

 

 その瞳から涙が溢れた。

 

 嬉しさと、愛しさで、涙が溢れ出てきた。

 

 

「うわあああああああん!!」

 

 

 アイシャは泣いた。

 

 生まれたばかりの、赤子のように。

 

「ウィルにぃ! ウィルにぃ!! ウィルにぃ!!!」

 

 横になるウィリアムに飛びつくアイシャ。

 大好きな兄の胸元に顔を埋め、ぎゅうぎゅうとその体にしがみついていた。

 

 左手にて、ゆっくりとアイシャの頭を撫でるウィリアム。

 アイシャが泣き止むまで、ずっとウィリアムはその朱い髪を撫で続けていた。

 

 

 

 失われたと思われた兄妹の絆を確かめるように、優しく、穏やかな時間が過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 中央大陸某所

 

「何だ……この紋様は……」

 

 銀色の髪、金色の瞳、何かの皮で作られた無骨な白いコートを身に着けた一人の男が、道端にある石碑の前で立ち止まっていた。

 男はその鋭い三白眼で石碑を睨みつけるように見つめている。

 

 魔力が濃い場所に置かれているこの石碑は、嘗て“技神”が世界各地へと設置した七大列強を示す物であり、石碑の中心部に闘神語で描かれた“7”を現す字の周りを現在の七大列強を表す紋様が囲んでいる。

 そして、“死神”の紋様が刻まれていた箇所に、新たに剣五つ桜に六菱(・・・・・・・)の紋様が刻まれていた。

 

「七大列強が入れ替わっただと……?」

 

 男は訝しげに呟く。

 この男の数多の人生(・・・・・)で、このタイミングで七大列強が入れ替わるのは初めての事であった。

 

「こんな事は今までには無かった……ルーデウス・グレイラットといい、今回は何かがあるな」

 

 やがて男は石碑から視線を外すと、再びその足を動かす。

 男には、全てをかけて果たさねばならない使命があった。

 その使命を果たすべく、今回(・・)もまた様々な“勝利”への布石を積む必要があった。

 それ故、イレギュラーが一度発生すると“勝利”への布石が揺らぎかねない。

 万が一今回が失敗したとしても、その失敗を次回(・・)につなげる為に、この新たな七大列強の正体を探らねばならなかった。

 

 

 もし、新たな七大列強があの悪神の使徒であったら──

 

 

「生かしてはおけぬ」

 

 

 

 悪神打倒を掲げた若き龍神は、その足を止める事無く目的の場所へと歩み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※冒頭の鳥居成次の陰腹シーンですが、史実ではそもそも陰腹云々した人は多分いなかったと思います。成次さんは忠長が徳川家光に自刃を申し付けられた際、忠長の助命嘆願で走り回った過労で亡くなってます(心労ともいう)
ていうか駿府城での真剣仕合自体無かった。
ちなみに忠長の乱行の数々はかなりの部分が事実で、ザ・暴君といわれている松平忠直ですら擁護論があるのに忠長には全くそういう擁護論が無い上『自分病気っすから家臣に無茶振りしすぎましたわ。マジ後悔してるっす』て感じのお手紙を南光坊天海に送ってるくらい確信犯でした。

※ランドルフどんの空絶眼は無職本編を読んでも私のうどん玉ではどんな能力なのかよくわからなかったので、字面から刃牙のドリアンっぽいアレな感じに捏造しもした。原作準拠ほいならんぜ。


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幕間『凶剣異界転移奇譚(まがつるぎいかいてんいきたん)

 

「さぁさ。そこ行く皆々様。おひとつ歌を聞いていかないかい?」

 

 人々の生活の活気が満ち溢れる街の中、一人の吟遊詩人が往来の人々に語りかける。

 噴水の縁に腰をかけ人々に声をかける吟遊詩人の様子は、その細指から奏でられる美しい竪琴の音と相まって人魚が船乗りを誘引するかのような光景であった。

 美しい音につられ、あっという間に人だかりが出来上がる。

 

 やがて集まった人々の前で吟遊詩人は本日の演目を高らかに謡い上げた。

 

「さて、今日の物語は運命の出会いを果たしながらも別れを余儀なくされた、緑髪の少女の歌を──」

「詩人のおねいさん! それ昨日も聞いたよ!」

「あり?」

 

 吟遊詩人の前に座っていた少年の言葉に周囲は苦笑いを浮かべる。既に昨日謡った内容を指摘された吟遊詩人も、やや羞恥で顔を赤らめながら居住まいを正した。

 

「ん、おっほん。それじゃあ、今日の物語は恋に恋する少女、運命の出会いを夢みた純白にして蒼穹の魔法少女の──」

「それはおととい聞いたよー」

「あ、あらぁ?」

 

 今度は少年の隣に座る少女が指摘する。周囲に集まっていた大人達も子供達の無邪気な指摘にたまらず笑い声を上げた。

 

「じ、じゃあ、今日の物語は情炎の契りを果たしながらも己の弱さと向き合い、孤高の試練に臨んだ朱色の乙女の──」

「それは三日前にきいたよ」

「ぉ、ぉぅ」

 

 少女の前に座る幼女にまでダメ出しが入る。子供達の容赦の無い指摘に、吟遊詩人は出だしの壮麗な様子から一変し滑稽な様子でまごついていた。その様子を見て周囲は増々笑い声を大きくする。

 

「くそう……ガキんちょだからって中2日程度じゃ誤魔化しきれなかったか……!」

「全部聞こえてんだけど!」

「もっとほかのお話ないのー?」

「しってるよ。こういうのネタ切れっていうんでしょ?」

「ぐぬぬ……」

 

 もはや当初の詩吟とは打って変わり、噴水の前は吟遊詩人と子供達の漫才の会場と化していた。

 ひとしきり周囲の笑い声が落ち着いたのを見計らい、吟遊詩人は再びその居住まいを正す。

 

「はぁー……仕方ないなぁ。あまり子供向けじゃないんだけれど、今日はとっておきの物語を聞かせてあげましょうか」

 

 竪琴を持ち直し、それまでの穏やかな音色から音調を変える。

 その音色は、過剰にして無謬、猥褻にして純潔な音色を奏でていた。

 

 竪琴の音色に併せ、吟遊詩人の謡声が辺りに満ちていく。

 その謡声は、聞く者全てを現し世とは異なる幻想なる世界へと誘うかのような……まるで、超常の者が放つ霊威に満ちたかのような謡声であった。

 

 

 

 

 

 

 

 さてさて……今日の物語は世界を超越し、怨々たる業を持ちながら不退転の“火”を鮮やかに燃やす、散華の(かすみ)の歌を歌おうじゃないか──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

「愉快じゃ!」

 

 宿場街を哄笑を上げ闊歩する一人の美女……否、美漢。

 その顔立ちは傾城の麗人とも眉目秀麗な美丈夫にも見てとれる。真紅の総髪を美麗に靡かせ、身に纏う綺羅びやかな陣羽織を揺らし、力強い足取りを見せていた。

 

「狂ほしく愉快じゃ!」

 

 元和二年(1616年)三月

 この日、信州松本城下にて一人の“現人鬼(あらひとおに)が“治国平天下大君”徳川家康が統べる覇府に叛逆を(きざ)しめさせる出来事があった。

 

(流石真田の隠し姫、稀に見る胆力よの!)

 

 上機嫌に体を揺らし歩を進める男女の垣根を超越したこの超人は、先程の博労宿での出来事を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

「現人鬼殿」

 

 “現人鬼様御宿”と看板に記された博労宿の一室。徳利が散乱し、酔い潰れた一人の若者の傍らで一人の乙女が現人鬼と対峙していた。

 乙女はしこたま酒を呑んでおり、その顔は朱に染まっている。しかしその瞳は酩酊したそれではなく、確りとした不屈の意志が宿っていた。

 乙女は仰いでいた酒碗を置き、その懐から紐で括られた六枚の永楽銭を取り出す。

 

(六文銭──!)

 

 現人鬼は六枚の永楽銭──六文銭を眼にした瞬間、その美しい瞳を鋭く光せる。

 三途の川の渡し賃であるこの六文銭を、戦国の世に生きる者達はいつ死んでも良いようにその懐に忍ばせていた。

 いつ果てるとも解らぬ刹那の人生。故に、今を全身全霊を懸けて生き抜く。

 この生き様を旗印にしたのが、かの有名な信州真田家である。

 

 そしてその六文銭を懐から取り出したる乙女は、かの名将真田左衛門佐(さえもんのすけ)信繁(真田幸村)の隠し姫、兵藤伊織。

 大阪の陣にて、負けると分かっていた戦に臨み討ち死にし果てた真田衆の義と無念。

 それらを一身に背負い、日ノ本を統べる“覇府”に対し一矢報いんが為怨身忍者“零鬼(れいき)”こと葉隠谷の化外者カクゴと共にたった二人で孤高の戦いを続けていた。

 

 伊織は六文銭を現人鬼の前に差し出す。

 

 その意味は、命を省みぬ共闘の要請──!

 

「無理スか」

「姫!」

 

 六文銭が差し出された瞬間、現人鬼の空気が一変する。

 手にした盃に殺気を込め、伊織を睨みつけた。

 

「家康の棲まう駿府城を見物したが笑うたわ! 豊臣の残党を掻き集めたところで焼け石に水!」

 

 治国平天下大君の居城駿府城は、覇府の都に永遠の安寧をもたらしむ為、日ノ本各地に燻る不穏分子の掃滅を目的として建造された“大虐殺要塞”

 六重七階の天守閣は有事の際東西に分裂展開し、巨具足(おおぐそく)金陀美(きんだみ)”を発進せしめた。

 また、本丸御殿の地下には大怪鳥“(ちん)”が飼育されており、採取される猛毒は一国を(ほろぼ)す程。

 覇府の強大な力を前に、この真田の姫の共闘要請は現人鬼からみて余りにも無謀な行いであった。

 

 現人鬼が手にする盃中の酒が渦を巻く。

 この現人鬼の神妙なる魔技は、ただの液体でも人体を殺傷せしめる鋭利な刃に変える事が出来た。

 

「派手に死に花咲かせたいなら、この酒で首を撥ねてやるぞ!」

 

 猛烈な殺気が伊織を包む。

 しかしこの可憐な真田の姫は全くそれに怯むことなく、現人鬼に言葉を返した。

 

「違うス」

「どう違う!?」

 

 伊織はその瞳を爛と光らせ現人鬼に胸の内を開陳する。

 

 “金陀美”に抗し得る武田信玄公由来の巨具足“舞六剣(ぶろっけん)”が諏訪湖にて眠っている事。

 祖父、真田昌幸と父、真田幸村が徹底的に鍛え上げた異能軍団“真田十勇士”が日ノ本各地に潜み居る事。

 そして零鬼を始めとした一騎当千の怨身忍者達が各地に現出し始め、その牙を覇府に対し剥いている事。

 

 全くの勝算が無かった訳では無い事に、現人鬼の目もまた爛々と輝きはじめていた。

 

「民草は治国平天下大君にひれ伏しおろがむその鬱憤を、身分無き者を踏みにじる事で晴らしています」

 

 現人鬼を真っ直ぐ見据え、伊織は言葉を紡ぐ。

 

「徳川の天下が続くなら、このおぞましき営みも終わらない……!」

「……」

 

 乙女の真摯な瞳を受け、現人鬼は黙考する。

 

 身分なき者──

 

 この言葉が、現人鬼の胸の中で波を打っていた。

 

 現人鬼の母親は石鏡港(いじか)の漁民が不漁の鬱憤を晴らす為、無惨に打ち殺ろした身分無き者。

 その際、破れた腹の中から骨の無い水蛭子(ひるこ)……未熟児が這い出ていた。

 不吉な物を見た漁民達はその水蛭子を突き殺さんと銛を立てると、たちまち銛は水蛭子へと吸い込まれ玉の如き赤子へと変わる。

 生え揃ったばかりの歯を剥き出しにし、飛びかかった赤子は漁民達を皆殺しにした。

 

 これが現人鬼の出生の逸話である。

 

 当時の漁民達の様子を鮮やかに記憶している現人鬼は、身分なき母の姿もまた鮮やかに記憶していた。

 必死になって己の腹を抱え、最後まで腹の中の現人鬼を庇い続けた母。

 現人鬼は腹の中で見た母の無念を、この乙女の瞳の中に視ていた。

 

 現人鬼は再び黙考する。

 一度は覇府に忠誠を誓ったこの身。己の享楽な振る舞いを許容する覇府の居心地、そして強者との戦いに飢え、その飢えを満たしてくれる覇府に“叛意”を持つ意義はあるのか。

 この現人鬼と民草を同じ扱いにする愚昧な衛府に転ぶ意義は。

 いや、そもそも己はその身分なき者の腹胎から産まれたのではなかったのか。

 

 現人鬼は乙女の瞳を見据える。

 乙女の瞳の中には、覇府に対する浅薄な忠義を遥かに越えた悠久不滅の大義が燃えていた。

 

「……!」

 

 現人鬼は盃の中に光り輝く“龍神”を幻視する。

 光輝を放つ天龍の姿を見つめ、現人鬼は不敵な笑みを浮かべた。

 

「愉快じゃ……!」

 

 

「狂ほしく愉快じゃ!」

 

 

 この日以降、志摩国の現人鬼は覇府に叛意ありと見做され第四の“怨身忍者”として認定される。

 博労宿を立つ現人鬼は真田の隠し姫の魂を懸けた要請を受諾したのであった。

 

 

 

 

 

 

「まずは覇府の都、江戸見物とでも参ろうかの!」

 

 共闘の要請を受諾した現人鬼は零鬼達とは別行動を取る。

 しかるべき時に備え、少しでも“敵”の全貌を把握しておかねばならない。

 

 松本城下から数里離れた人気の無い山道。朝露に濡れた木々の葉が、朝日を反射して綺羅びやかに現人鬼の進む道を彩る。

 強大な覇府に挑むその足取りは、一歩歩く毎に現人鬼の自信が満ち溢れるかのような極美な姿であった。

 

「……うむ?」

 

 やがて現人鬼は上空に一点の赤い珠(・・・)が浮かんでいるのに気付いた。

 現人鬼が足を止め、上空を見つめているとにわかに辺りに乳白色の霧(・・・・・)が立ち込め始めた。

 

「面妖な……物の怪の出る刻限ではあるまいし」

 

 薄ら温かい霧が立ち込める中、現人鬼は突如発生した奇怪な現象に対し全く動じずに辺りを見回す。

 この自信に満ち溢れた現人鬼にとって、たかが妖怪如きではその身に傷をつける事は敵わず。

 乳の味がする霧を舐め、現人鬼はこの現象の正体を探るべく周囲の気配を探る。

 

 周囲は白い濃霧に完全に包まれ、白い闇の中に現人鬼はただ一人佇んでいた。

 

 

 “現人鬼よ!”

 

「ッ!?」

 

 突如、厳威に満ちた竜声と共にに一頭の天龍が現人鬼の目前に現出する。

 光輝くその龍は、先程現人鬼が幻視したまさしく──

 

「衛府の龍神……!」

 

 妖魔の類を警戒していた現人鬼だったが、まさか衛府の龍神が目前に現れるとは想定しておらず。

 動揺を隠し切れない現人鬼に構わず、龍神の竜声が辺りに響いた。

 

 “志摩の現人鬼よ!”

 

 鎌首をもたげる龍神が発する威光に、志摩の凶剣(まがつるぎ)と恐れられた現人鬼でさえ、その威を平常の心で受け流す事は難しく。

 その美しい首筋に汗を一つ垂らした現人鬼は、龍神に視線を向け続けていた。

 

 現人鬼が凝視し続ける中、龍神はその神命を現人鬼に下した。

 

 

 “人神を僭称する悪神を討つ為、この敷島では無くしばし(・・・)異界にてその蛮勇を奮うべし!”

 

 

「なに!?」

 

 龍神の声が響いた直後、現人鬼の体は光に包まれる。

 困惑する現人鬼は為す術もなく光に包まれ、やがてその意識を手放していった。

 

 

 しばしの時が経ち、乳白色の霧が晴れると現人鬼と龍神の姿はどこにも存在していなかった。

 まるで始めから存在していなかったかのように、現人鬼の姿は敷島……この世界から消え失せたのだ。

 

 乳白色の霧が消え去ると同時に、空中に浮かんでいた赤い珠はその役目を終えたかのように静かに消え去った。

 

 

 

 かくして、最凶の怨身忍者は現し世とは異なる異世界へと赴く事となる。

 

 その美瞳(ひとみ)で、何を写すのか。

 

 その美脚(あし)で、どこへ向かうのか。

 

 その美胸(むね)で、誰を包むのか。

 

 その美掌()で、何を掴むのか。

 

 

 

 志摩の凶剣、現人鬼波裸羅(はらら)

 

 

 またの名を、怨身忍者“霞鬼(げき)

 

 

 

 

 

 衛府の龍神の神命を受け、六面世界“人の世界”に現出す──!

 

 

 

 

 

 


 

 

 甲龍歴420年

 魔大陸ガスロー地方ネクロス要塞

 

 世界屈指の危険地帯“魔大陸”でも一、ニを争う苛酷な地ガスロー地方。その中心部に建造されたネクロス要塞は、山間部に五層に区切られ築城された魔大陸屈指の戦闘城塞である。

 下層の三層に分厚い城壁に守られた城下町が形成されており、上層二層は魔大陸最強と謳われる“不死魔王”の親衛隊が駐屯する軍事施設が形成されていた。

 

 その最強の親衛隊を率いるのがガスロー地方を治める魔王“不死魔王”アトーフェラトーフェ・ライバックである。

 

 かつて第一次人魔大戦で大いに暴れまわった“五大魔王”不死のネクロスラクロスの娘であり、受け継がれた不死魔族の不死性とその剛力をもってアトーフェ自身も第二次人魔大戦において存分にその戦闘力を発揮した。その絶大な暴力は、魔神殺しの三英雄“初代北神”カールマン・ライバックに敗れるまで人族に大きな損害をもたらしめた。

 “初代北神”に敗れた後、北神の妻となったアトーフェはそれまでの剛力に加え、北神直伝の“不治瑕北神流”を修めている。アトーフェは自身の親衛隊にもその不治瑕北神流を伝授し、いつしか“不死魔王”アトーフェラトーフェ・ライバックとアトーフェ親衛隊は魔大陸随一の戦闘力を誇るようになったのであった。

 

 

「立てお前らッ! 今日の稽古はまだ終わりじゃないぞ!」

 

 ネクロス要塞上層“練兵場”

 一人の女魔族が地に伏せる“親衛隊”の黒装備に身を包んだ若者達を見下ろし気炎を吐く。

 青色の肌、白い髪、赤い目、コウモリのような翼……。額から突き出る一本の太い角を生やす女魔族の名は“不死魔王”アトーフェラトーフェ・ライバック。

 地を舐める親衛隊と同じ黒鎧を身に纏っており、その鎧は傷だらけで歴戦の風格が漂っていた。

 

「オラァッ! ペルギウスの使い魔共はこんなもんじゃないぞ!!」

 

 アトーフェは剣を肩に担ぎ、倒れ伏す親衛隊に活を入れる。

 自身の宿敵であり、かつてラプラス戦役において“魔神殺しの三英雄”と謳われた甲龍王ペルギウスを打倒するべく、アトーフェは親衛隊に日が暮れるまで容赦のない訓練を加えていた。

 ボロボロになった親衛隊の若者達は、アトーフェの一喝を受けヨロヨロと立ち上がる。アーメットによりその表情は伺えないが、ボソボソと不満の声を上げる若者達は疲労困憊した様相を呈していた。

 

「使い魔達はこんなもんじゃないって、アトーフェ様ペルギウスの使い魔と戦った事ないよな……」

「ていうか昨日はこの時間に終わってたよな。その日の気分で終了時間ころころ変えるのホントやめてほしい」

「治癒スクロールもってる?」

「ありもうはん!」

 

 ぶつくさと文句を垂れつつも、武器を構え直し再びアトーフェの前に整列する親衛隊。

 この不死の女魔王は、たかが疲労如きで訓練を中断する程甘くはなかった。

 

「よっしゃ! もう一丁いくぞ! お前、来い!」

「は!」

 

 整列した親衛隊を無作為に指名したアトーフェは自身の得物を構え、親衛隊の若者と対峙する。

 アトーフェの訓練は北神流の技を仕込む為の物であったが、基本的にはかかり稽古が主であり、もっと言えば『体で覚えろ』を地で実践していた。

 

「であああああッ!」

「ふんッ!」

「ガッ!?」

 

 親衛隊の若者が放つ渾身の袈裟斬りをアトーフェは片手で難なく弾く。勢い良く弾かれた自身の剣で痛烈に頭部を打った親衛隊の若者は、その勢いのまま気絶した。

 “剛力魔王”の異名も持つアトーフェの力は、ただの振り打ちですら必殺の威力を備えているのだ。

 

「次!」

「ごわす!」

 

 続けて大柄な親衛隊隊員がアトーフェに躍りかかる。体格差は倍以上あろう巨漢の隊員は、アトーフェに指名されると重戦車の如き勢いで突進していった。

 アトーフェはその重爆を真っ向から迎え撃つ。

 

「チェストオオオオッ!」

「オラァッ!」

「もす!?」

 

 倍以上の体格差にも拘らず、アトーフェは巨漢隊員の勢い以上のぶちかましを喰らわせた。吹き飛ばされ、地面を転がる巨漢隊員はがっくりと脱力し、そのまま気絶した。

 

「次ぃッ!」

「アトーフェ様」

 

 いつの間にかそこにいたのか、同じ親衛隊の鎧を身に着けた老魔族がアトーフェに声をかける。

 

「ムーアか! オレは忙しい! 手短に済ませろ!」

 

 老魔族……親衛隊隊長ムーアはアトーフェに見えないように溜息を一つ吐く。

 親衛隊の中では最古参であったムーアは、このジャジャ馬のような主君の態度を一時は改めるべく奮闘した時もあった。が、結局のところ“力こそが正義”である魔大陸の習わしを鑑みてその性格を矯正することは千年前に諦めていた。

 

「お忙しい所申し訳ありませんが、バクラーバクラー様からアトーフェ様に御進物が届いております」

「バクラーだと?」

 

 見ると、ムーアの後ろには布で覆われた物が鎮座していた。大きさはアトーフェの身長と変わりなく、中身がどのような物なのかアトーフェは興味深そうに見る。

 

「酒か? 食い物か?」

「いえ、どうやら石像のようですな」

 

 魔大陸北西部を治める魔王バクラーバクラーは、ラプラス戦役においてアトーフェと共に魔族側の急先鋒を務めた武闘派魔王であり、人族の領地から大量の食料を奪い取った事から“略奪魔王”と呼ばれていた。

 魔族では珍しい美食家であり、時折交易や自領で取れた数々の酒や珍味をアトーフェに届けていた。その逸品の数々はアトーフェを唸らせる物ばかりであり、アトーフェはバクラーからの進物を密かな楽しみとしていた。

 

「そんなもんいらん。酒か食い物に換えろと伝えろ」

「アトーフェ様……」

 

 ムーアはまた一つ溜息をつく。

 この老魔族は親衛隊を束ねる隊長ではあったが、どちらかというとアトーフェの政務全般を補佐する傅役としての側面が強かった。傍若無人、傲岸不遜、無知蒙昧なアトーフェの補佐は並々ならぬ神経では務まらず、第二次人魔大戦以降から仕えているムーア以外には、この役目を担う事は出来なかった。

 

「ともあれ、まずはひと目御覧になってからでも遅くはありますまい」

「ふん」

 

 つかつかと像の前に立ったアトーフェは、被せられていた布を乱暴に取っ払う。

 布の下に現れたのは、アトーフェを模した精巧な石像であった。

 いつもの黒装備姿ではなく、大きく胸元が開かれたドレス姿のアトーフェを模したその石像は、普段の勇壮な姿と相まって官能的に美しい姿であった。

 

「おお……」

「なんと素晴らしい……」

 

 周りの親衛隊から感嘆の溜息が出る。

 素人目から見ても、アトーフェの勇猛さ、妖艶さを良く表した名作といっても過言ではない出来に、ムーアもまたほぅ、と感嘆を新たにした。

 

「バクラーめ、駄作を送りやがったな!」

 

 しかし不死魔王はその石像をひと目みるや“駄作”と斬って捨てる。

 ムーアは主君のあまりにも不遜なこの言い様に諫言を制する事は出来なかった。

 

「アトーフェ様! いくら気に入らぬからといってそのような言い草はあまりにも礼を欠きますぞ!」

「うるせぇムーア!」

「アトーフェ様!」

 

 諌めるムーアは、ふとアトーフェの視線が一点に注がれているのに気付く。

 アトーフェはセクシーに開かれた石像の胸部を親の仇の如く睨みつけていた。

 

「オレの乳はもっとでかい!」

 

「えぇ……」と、周りから呆れた声が上がる。ムーアを始めこの傲岸な女魔王の複雑な乙女心を理解する者は、この場に誰もいなかった。

 

 

「む……?」

 

 ふと、ムーアは石像の頭部にヒビが走っているのに気付く。

 石工職人の完璧な仕事と思っていただけに、それは不自然なヒビの入り方であった。

 

 ムーアが訝しげにヒビを見つめていると、突然ビシリっと音を立て、石像の頭部に深い亀裂が走った。

 

「なっ!?」

 

 ビシ、ビシっと亀裂が縱橫に走る。瞬く間に石像はヒビだらけになり、異様な石像の様子に周囲は息を呑んだ。

 

 

 そして、石像が爆ぜた(・・・)

 

 

「なぁッ!?」

「なんごっしょ!?」

「女!?」

 

 破砕された石像の中から、一人の()が躍り出る。

 真紅の総髪を靡かせ、一糸纏わぬ姿で悠然とアトーフェの前に舞い降りたその女は、己の美しい乳房を惜しみなく周囲に曝け出していた。

 

「刺客か!?」

「ムム! 全裸!」

「ヘンタイか貴様ーッ!」

 

 ムーアを始め親衛隊がアトーフェと闖入者の間に入る。

 アトーフェを討伐し、“勇者”の称号を得ようとする者は未だに後を断たず、大抵の者は正面から正々堂々と挑むのが常であった。だが、稀にこのような奇を衒ったやり方でアトーフェの首を狙う者も存在した。

 

「うふふふ」

 

 石像の中より出た闖入者は自身の股間を妖しい手つきで撫でる。

 そこには、女が持ち得ぬはずの凶剣(・・)が雄渾なる威容で屹立していた。

 

「い、イチモツ……!?」

 

 ムーアは闖入者の股間を凝視する。長い時を生きるムーアは半陰陽の者を見る事は初めてでは無かったが、まさか石像の中から出てくるとは。

 困惑する周囲に構わず、闖入者は雄弁とその美口上を述べる。

 

「魔界に温羅(うら)の雌魔王が居ると聞いて」

 

 流暢な魔神語(・・・・・・)で語る半陰陽者は己の凶剣をひと撫でし、蠱惑的な瞳でアトーフェを見つめた。

 

「犯しに参った」

 

 この一言に、親衛隊が纏う空気が一変した。

 半ば強引に親衛隊として引き入れられた者が大半ではあったが、長くアトーフェと同じ時を過ごす内にその忠誠心は確実に親衛隊に根付いていた。

 自身の主君を汚そうとする不届きな半陰陽者に向け、獰猛な殺気を放つ。

 その殺気を受け、半陰陽者はにやりと不敵な笑みを浮かべていた。

 

「アハハハハッ! お前面白いな!」

 

 半陰陽者の不敵な態度に、アトーフェは快活な笑いを上げる。

 己を倒し名声を得ようとする者は後を断たなかったが、己を犯すなどと宣う輩は長き時を生きているアトーフェにとって初めての事であった。

 ともあれ、こいつはオレと戦いたがっている、と解釈したアトーフェは即座に戦闘体勢に入る。

 

「下がれ! こいつはオレがやる!」

 

 間に入る親衛隊を下がらせ、半陰陽者と対峙する。

 両者の間はヒリヒリとした殺気で渦巻いていた。

 見守る親衛隊はアトーフェのいつもの名乗り口上に備え、剣を前に掲げアトーフェと半陰陽者を挟むように整列した。

 

「オレが“不死魔王”アトーフェラトーフェ・ライバックだ! オレに勝てれば勇者の称号をやろう! 負ければ我が傀儡(くぐつ)として息絶えるまで使ってやろう!」

「うふふふふ」

 

 アトーフェの名乗りを受け、半陰陽者……否、“現人鬼”はお返しとばかりにその美声にて名乗りを上げた。

 

「我が名は波裸羅……人は呼ぶ“現人鬼”!」

 

 “現人鬼”波裸羅は悠然とアトーフェに名乗りを上げる。形の整った美しい乳房とイキり立つ凶剣を併せ持ち、その猥褻にして純潔な姿から発せられる妖艶な空気は周囲の者を陶然と惹き付けていた。

 だが、アトーフェにはそのような現人鬼の妖艶な姿に惑わされる程純粋でも無く、ましてや惑わされない程不純でも無かった。

 

「あらひとおに? なんだそれは! 鬼族の新種か!?」

 

 ムーアを始め親衛隊は斜め上のアトーフェの返答に頭を抱えた。「今そこ気にする所じゃないでしょ……いや気になりますけど」と、親衛隊の誰かが言った言葉にムーアは無言で同意の意を示した。

 

「温羅の雌魔王に鬼と呼ばれる筋合いはない喃」

「さっきから『うら』とかわけわからん事言いやがって! 馬鹿にしてんのか!?」

「この異界に転移してから実に三年……雑魚を喰い散らかすのは些か飽きが来おってな」

「ああ!? オレが雑魚だって言うのか!?」

「温羅の雌魔王は“不死魔王”として魔界屈指の実力者らしいの。そんな雌魔王が糞尿撒き散らして身悶えする様は、狂おしくも愛おしいぞ」

「ふざけんな! オレはちゃんと便所でウンコするぞ!」

 

 ムーアを始め親衛隊は現人鬼と主君の会話を聞き、強烈な目眩に襲われる。

 アトーフェも大概人の話を聞かないが、この半陰陽の闖入者はそれに輪をかけて自分のペースでしか物事を言わない。

 会話が成り立っているようで全く成り立っていないこの状況に、頭痛まで覚えたムーアと親衛隊はやがて考えるのを止めた。

 

「おい! お前素っ裸じゃないか! そんなんでオレとやろうってのか!?」

「身に何も纏う事なければ雌魔王と互角! 度し難き退屈よりの解放よ!」

「あああああん!?」

 

 波裸羅の挑発に、アトーフェの青い肌はみるみる朱が浮かぶ。

 先程から渦を巻いていた殺気は、常人なら心臓が止まる程濃く変容していた。

 

「はよ参れ! 阿呆(・・)魔王! その蕾の奥を掻き出してやろうぞ!」

 

 ブチっと、何かが切れる音がする。

 怒髪天を衝いたアトーフェが、猛烈な勢いで腰から剣を抜き放った。

 

「ぶっ殺す!!」

 

 地を抉る程の踏み込みで波裸羅に突進するアトーフェ。

 激烈たる横薙ぎが、波裸羅の脇腹へと吸い込まれた。

 

 ドムッ! と重たい音が練兵場に響く。

 アトーフェの剛剣は波裸羅の脇腹に直撃していたが、その高密度な肉体はアトーフェの剣をギリリと咥え込んでいた。

 

「ッ!? 抜けねぇ!?」

「いかに雌魔王! 波裸羅の締め付け!」

 

 ギリギリと肉が刃を軋ませる音が響く。苦悶の表情を一切浮かべず、余裕に満ちた表情を浮かべる現人鬼。

 アトーフェの剛力すら咥え込む尋常ではない肉体に、周囲は再び息を飲んだ。

 

「今度はこちらが参るぞ!」

 

 尚も剣を握りしめるアトーフェに、波裸羅は勢い良く腕を振りかぶる。

 そのまま、アトーフェの腹部を平手にて打ち抜いた。

 パアンッ!、と乾いた音が鳴り響く。鎧越しにただ平手を打たれただけのアトーフェは、ニ、三歩後ずさるも何らダメージの無いその攻撃に拍子抜けした表情を浮かべた。

 

「なんだその気の抜けた張り手は! 舐めてん──」

 

 そう言った刹那、アトーフェの口内から臓物が勢いよく飛び出した(・・・・・・・・・・・・)

 

「うぶぅッ!」

「アトーフェ様!?」

 

「忍法“渦貝(うずがい)”! その美しい臓物(モツ)、悶えさせてみせよ!」

 

 忍法“渦貝”

 

 大地からの反作用を拇指裏より捻りを加えつつ掌へと伝達させ、臨界寸前の大地力を余す所無く目標へと浸透させる現人鬼の絶技。その威力は鎧越しでも十分にアトーフェへと届いていた。

 

「ゴァアッ!」

 

 しかしアトーフェは口中からまろび出る己の臓物を両手にて掴み、そのまま自身の剛力にて強引に臓物を腹中へと押し戻す。

 

「剛力で臓物(モツ)を引っ込めたか! だが我が螺旋は未だ胎内(なか)で渦を巻いておるぞ!」

「ぐぐ……ギ……!」

 

 苦悶の表情を浮かべるアトーフェ。その体内では現人鬼が放った渦貝が大蛇の如くのたうち回り、アトーフェの内臓をかき回していた。

 

「どう凌ぐ! 雌魔王!」

 

 歯を軋ませ、螺旋に耐えるアトーフェ。その姿を見て波裸羅は愉悦に満ちた表情を浮かべる。

 苦悶の表情を浮かべるアトーフェは、着装していた胸甲を剥ぎ取り、身につけていた襯衣を勢い良く破り捨てた。

 波裸羅に負けずとも劣らない程の美しく、大きな乳房を晒し、片膝を突いたアトーフェは歯を食いしばらせ、己の腹部に手刀を添える。

 

「ガアァァァァァッ!!」

 

 そして、裂帛の咆哮と共に、アトーフェは手刀にて自らの腹を真一文字に斬り裂く(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 魔 界 で 割 腹 !

 

 

 自ら腹を掻っ捌いたアトーフェは己の腸を引き千切り、その鮮血に濡れた腸を床に打ち捨てる。床に打ち捨てられたアトーフェの腸は、体外に排出されても未だ大蛇の如くのたうち回っていた。

 アトーフェはそれを一瞥し、不敵な笑みを波裸羅に向ける。

 

「成功だ!」

「重傷です!」

 

 不敵に笑うアトーフェにムーアは思わず声を上げた。

 不死魔族の中で特に強力な再生能力を持つアトーフェ。四肢がバラバラになり、上半身を強力な魔術で吹き飛ばされても即座に再生する程の回復力を誇っていたが、流石に臓物を全て抜き出す凄惨な光景は、ムーアにその異常な再生能力を忘れさせる程の衝撃を与えていた。

 

「臓物がまろび出ても死なぬとは! ガチで不死身じゃの!」

「ハッ! お前の技がオレの中に入って、臓物出して帳消しにしただけだ!」

 

 アトーフェの腹部からシュウシュウと煙が上がる。尋常では無いその再生能力は、瞬く間にアトーフェの臓器を再生せしめ、やがてその美しい肢体は常の姿を取り戻していた。

 

「痛くねえ! ものすげえ痛くねえ!」

 

 両手を大きく広げ、大見得を切るアトーフェ。

 

「オレは“不死魔王”アトーフェラトーフェ・ライバックだ! この程度じゃ死なん!」

 

 その威容を受け、波裸羅は静かに瞑目し、不気味な嗤いを浮かべた。

 

「うふ、うふふふふ」

「何がおかしい!?」

「“端麗人(きらぎらびと)”と同じく永遠の命を持つ者か……うふふふふ」

 

 波裸羅はその両眼をかっと見開く。

 不死魔王に負けず劣らずの大美得を切った。

 

「よっく聞け! 不死魔王!」

 

 

「地獄に落ちる“覚悟”も無しに、この波裸羅と同等口(ためぐち)叩くまいぞ!」

 

 

「ッ!」

 

 波裸羅の芯を突いた美声が響く。

 不死に胡座をかくアトーフェにとって、その言葉は今まで受けたどの攻撃よりも鋭い一撃であった。

 

「クソがぁッ!」

 

 激高したアトーフェは波裸羅に躍りかかる。その猪突進を波裸羅はひらりと躱し、後方へと跳躍した。

 

「逃げんなこのヤロウ!」

「うふふふ。とはいえ、確かにこのままでは不死を殺すのはちと難しいの」

 

 波裸羅は自身の腹部に埋まるアトーフェの剛剣を引き抜く。鮮血に濡れた刀身をひと撫でし、その切っ先を自身の腹部に押し当てた(・・・・・・・・・・・)

 

「ふむっ!」

「なにッ!?」

 

 ずぶり、と波裸羅は腹腔内に剛剣を埋める。

 ずぶずぶと剣が埋まるにつれ、波裸羅の肉体が徐々に……徐々に異様な様相へと変質を遂げていく。

 尋常ではない波裸羅の姿を、この場にいる全ての者が呼吸を忘れるかの如く見入っていた。

 

「うふふふふ……これは、切腹にあらず……!」

 

 

「無双化身忍法の儀式なり!」

 

 

 アトーフェを始め周囲が困惑する中、波裸羅は構わず己の肉体に剣を埋めていった。

 剣が完全に波裸羅の体内へと吸収される。

 現人鬼に埋まりし刃は、熱血に溶融(まじわ)りその肉体を玉鋼(はがね)へと変えていったのだ。

 

 怨々たる日ノ本言葉(・・・・・)が辺りに響く。

 地獄の底から呻くようなその声色に、魔族達は久しく感じていなかった“恐怖”に苛まれた。

 

 

 忌々しきかな

 

 世に類なき見目形(みためかたち)

 

 百鬼夜行の頂に

 

 魔界に咲く黒薔薇(くろそうび)

 

 おぞましき異界の化外者ども

 

 一日に万頭括り殺さむ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「怨身忍者“霞鬼”見参!」

 

 

 

 突如現出した霞鬼の“睨み”一閃にて、ムーアを含めた親衛隊全員の金玉が縮み上がる!

 それは捕食者に子種を取られまいとする、凡そ全ての生物が持つ防御本能であった。

 

 捕食者(霞鬼)が放つ猛烈な殺気の中、ただ一人血気盛んなのは“不死魔王(アトーフェ)”のみ。

 

「アハ」

 

「アハハハハーッ!」

 

 霞鬼の異形なる姿を見て、快活に笑うアトーフェ。

 その瞳は青白い炎の如く燃え上がっていた。

 

「おもしれえ! 変身するヤツと戦うのは初めてだ!」

 

 アトーフェはムーアから替えの剣を奪い取る。

 正眼に構えたアトーフェは、不治瑕北神流の極意の全てをこの鬼へとぶつけんが為、闘気を全力で解放した。

 

 不死魔王が放つ圧力を悠然と受ける霞鬼。

 いつの間にか現出していた胴田貫を抜き放ち、同じく正眼に構える。

 

 鬼と魔王。

 二匹の怪物はその牙を剥き出しにし、まさに互いの喉笛を喰い千切らんとしていた。

 

「参れ! 雌魔王!」

「応ッ!」

 

 重爆音が鳴り響く。

 

 怪物同士の噛み合いは、地獄が現出したかのような惨憺たる有様を見せていた。

 

 

 

 この日、ネクロス要塞上層部は鬼と魔王の戦いで無惨な姿へと変わり果てた。

 戦闘要塞としての機能が失われる程の激しい戦いは、目撃した下層部に住まう住民が“天地が覆る天災に襲われた”と誤認する程であった。

 

 

 そして、住民達はやがて仰天の事実を耳にする事となる。

 

 

 

 甲龍歴420年

 魔大陸ガスロー地方を統べる“不死魔王”アトーフェラトーフェ・ライバックは、異界からの来訪者“現人鬼”波裸羅の軍門に下ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

「というお話だったのさ……ってあれ?」

 

 詩吟を終えた吟遊詩人がふと顔を上げると、それまでの人だかりが嘘のように消え去っていた。

 一心不乱に歌う詩人には気づけぬ事であったが、臓物がまろび出たあたりから徐々に聴衆は散ってしまっていたのだった。

 

「トホホ……まぁあの御方の話は万人受けする話じゃないよねぇ」

 

 おひねりを入れる為の容器が空なのを見て、詩人はがっくりと項垂れる。

 今日は砂糖水で凌ぐか……と、消沈する詩人。不死者(アンデッド)のような暗い表情を浮かべながら撤収作業を行っていると、ふと自身を見上げる幼い少女に気付いた。

 

「おもしろかった!」

 

 詩人を見上げる幼女は目をキラキラと輝かせる。

 大人でさえ顔しかめる無惨な内容を、この幼女は純粋に楽しんでいた。

 やがて幼女はポケットの中からいそいそと一枚のアスラ銅貨を詩人に手渡した。

 

「あれま。何ていうか、変わった子だね」

 

 ありがとう、と言って詩人は幼女から丁寧な手つきで銅貨を受け取る。

 幼い手から渡された拙い報酬であったが、詩人は真心を込めて感謝の意を伝えていた。

 

 銅貨を手渡した幼女は、詩人の隣にちょこんと座る。

 変わらずキラキラと目を輝かせ、詩人に物語の“後日談”をせがんだ。

 

「詩人さん、はらら様はいまなにしてるの?」

 

 幼女の無垢な様子を微笑みながら見つめる詩人。

 柔らかい髪をひと撫でし、魔大陸がある方向へと顔を向けた。

 

「そりゃあ、そのまま魔大陸でぶいぶい言わせて──」

 

 

 視線の先に、過剰にして無謬、猥褻にして純潔な姿を持つ一人の若者がいた。

 真紅の総髪を美麗に靡かせ、身に纏う綺羅びやかな陣羽織を揺らし、力強く立つその人物は、どうみても詩人が知る“現人鬼”その人であった。

 

「久しいの! 詩人の!」

「は、はら、はらららら」

 

 パクパクと口を開け閉めし、震える指で現人鬼を指し示す詩人。

 先程までの壮麗な詩吟姿とは打って変わり、滑稽な様相を見せていた。

 

 現人鬼の姿を見留めた幼女は、その足元にトコトコと駆け寄る。

 無垢な瞳で、現人鬼の美しい顔を見上げた。

 

「あなたがはらら様?」

「然り!」

 

 現人鬼は流暢な人間語で幼女に応える。

 足元に駆け寄る幼女を、勢いよく抱き上げた。

 

「わぁ!」

 

 抱えられた幼女はその美しい髪に顔を埋める。

 花や果実を絞り出したかのようなみずみずしい芳香に、幼女の鼻はくすぐられた。

 

「はらら様、いいにおい!」

「当然じゃ! “えちけっと”は大事じゃから喃!」

 

 肩に幼女を乗せ、その柔い頬を撫でる現人鬼。

 微笑ましいその様子を、詩人は恐ろしい物を見るかのような目つきで見つめる。現人鬼の本性を知る詩人にとってこの状況は全く微笑ましくなく。

 おずおずと、死人の口から出るようなか細い声で現人鬼に話しかけた。

 

「あの、波裸羅様……いたいけな幼女を食べちゃうのは流石にどうかと……」

「戯け!」

「ぎゃふん!」

 

 現人鬼の手刀が詩人の頭に落ちる。

 本気ならば熟した瓜のように詩人の頭は苛まれていたであろうが、この日の現人鬼は多少の戯言で機嫌を損ねるような事は無かった。

 

「ていうかなんでここにいるんですか!? 魔大陸にいるんじゃなかったんですか!?」

「うふふふふ」

 

 頭を擦りながら声を荒らげる詩人に対し、現人鬼は幼女を抱えながら不敵な笑みを浮かべる。

 

「波裸羅は統治はせん。ただひたすら強者と享楽を追い求めるのみ!」

 

 現人鬼の美声が辺りに響く。先程の詩人の謡声とはまた違った誘引力を放っていた。

 

「魔界は温羅の雌魔王にそのまま任せたわ!」

「は、はぁ……」

 

 そういえばこの御方はこういう人だったな……と、詩人は疲れた表情を浮かべる。

 六年前に出会って以来、奔放な生き様を見せ続ける現人鬼にはいつまでたっても慣れる事は出来なかった。

 

「詩人の!」

「は、はい!」

 

 はっと顔を上げる吟遊詩人。

 “現人鬼”波裸羅の美しい横顔は、蒼天の空の元でさらにその壮麗さを増しており、吟遊詩人はしばしその美顔に見とれていた。

 

 

 やがて現人鬼は美笑を浮かべ、この素晴らしい異世界を祝福するかのように空を見上げた。

 

 

 

 

「呑みに参るぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
散様のお美胸に包まれたいだけの人生だった……

※今更ですが当作品は以下の3つの世界がリンクしたクロス作品となりもす。なりもした。
・六面世界(無職転生の異世界)
・現実世界(シグルイ時空含む現実世界)
・衛府の七忍世界(スーパー山口貴由ワールド)

次回から列強編になりもす。



以下ガバガバ解説。苦手な方はスルー推奨です。


・アトーフェラトーフェ・ライバック(無職転生)
魔大陸のガスロー地方を統べる不死魔族の魔王。
“五大魔王”ネクロスラクロスの娘で“初代北神”カールマン・ライバックの妻で“不死魔王”バーディガーディの姉で“北神二世”アレックス・カールマン・ライバックの母で“北神”アレクサンダー・カールマン・ライバックの祖母で“死神”ランドルフ・マリーアンの曾祖母。不死魔族の血縁関係はたまに頭がフットーしそうになる。
武闘派魔王としてぶいぶい言わせてるが、知能が低くキシリカ様にすら「魔王の中でも随一のアホウ」と評される。頭が悪いことを気にして馬鹿にされていると思うとすぐに激昂する。
カールマンから不治瑕北神流を教わり、その北神流の技を息子のアレックスや自らの親衛隊にも教えている。実力は七大列強下位レベル。
第二次人魔大戦では魔族側の急先鋒を務めた。しかし知能が低いゆえに人族の計略にあっさり嵌り封印される。
その後はラプラス戦役時に魔神ラプラスの手によって復活、即敗北。ラプラスの軍門に下る。戦役中にまだ弱かった頃の甲龍王ペルギウスをボコボコにしてものすごい怨まれる。
ラプラス戦役中にペ様の兄貴分であるカールマンに敗北しカールマンの妻となる。そしてカールマンのペ様と殺し合いしちゃダメという遺言をしぶしぶ守りペ様と盟約を結んだ。その後ぺ様は盟約を拡大解釈してアトーフェ様を前と後ろからフルボッコにし積年の怨みを晴らした(甲龍王の風格)
「アトーフェはかしこい(棒)」というカールマンの社交辞令を真に受けている様子はちょっと可愛い。


・アトーフェラトーフェ親衛隊の皆さん(無職転生)
魔術を軽減する魔大陸最高の黒い鎧を装備する魔大陸最強と名高い親衛隊。全員が北神流を習っている。
アトーフェから褒美を受け取ることを了承してしまうと入隊を強制され、アトーフェに死ぬまで服従する契約をさせられる。
10年に1度、2年間の休暇を与えられる。年次で均すと約70日くらいなので全員が36協定を結んでいると思われる。この2年間でバックレた奴絶対いそう。
アトーフェ様がペ様とタイマンを張る為にペ様の愉快な使い魔戦を想定して訓練を積んでいるので特に集団戦には強い。


・ムーア(無職転生)
アトーフェラトーフェ親衛隊隊長。アトーフェへの忠誠はカンストしているが、割りと雑な対応をする。
アトーフェ陣営で屈指の良識人であり、多分この人がいなかったら色々破綻するんじゃないかというくらい影の宰相といっても過言ではないくらい頑張っている人。
前述の通りアトーフェへの忠誠はカンストしている為、相手を騙してでもアトーフェに有利に働くように仕向ける事もある。
アトーフェと同じ不死魔族。魔術も相当な使い手であり、その実力はルーデウスの無詠唱魔術に詠唱有りの状態で五分に渡り合う程。
書籍版では残念ながらムーアを描いた挿絵は無かったので容姿は不明だが、FF11のエルヴァーンF8Aみたいな感じなのは確定的に明らか。



・“現人鬼”波裸羅(衛府の七忍)
言わずと知れた山口貴由作品屈指の人気キャラ葉隠散が元ネタの性別を超越した超人。元ネタより元気いっぱいで楽しそう。
『覚悟のススメ』『エクゾスカル零』で見せた最強っぷりは健在というか3割くらい増してる気がする。その強さは怨身忍者“零鬼”を素っ裸のノーマル波裸羅様で圧倒する程。ていうか衣服を着ているシーンがあんまりない。
初登場時に仏像の中から全裸で登場し、せっかく悟りを開きかけた玄奘尼をいきなり犯しに参ったあとイキり立った男根で刺客の頭を真っ二つにした。本当の意味で全身が凶器。
その後吉備津彦命(桃太郎卿)が拵えた累の美形衆(イケメン衆)をアドリブにしか見えない忍法で皆殺しにした。というか常に誰かしら殺している。
覇府の尖兵として零鬼達と戦うも、伊織っスの六文銭を懸けた共闘の要請を受諾し第四の怨身忍者“霞鬼”として覇府との闘争に身を投じる事となる。栗の皮は食さない主義。
個人的に薩摩もんが出てくるまではこの人の登場シーンが一番強烈だった。


・兵藤伊織(衛府の七忍)
真田幸村の隠し姫。最近は出番が無い上、中馬どんにその座を奪われつつあるが一応衛府の七忍メインヒロイン。
覇府の落人狩りから逃れるべく真田家鉄砲足軽兵藤十郎太の娘、兵藤伊織を名乗る。
性格は武家の子女らしく真面目で義理堅いが、根はやんちゃなのか感情が高ぶるとヤンキー口調になり過激な言動や行動を取る。
お付きの従者貝蔵と共に覇府の落人狩りを逃れてカクゴらの住む葉隠谷へと落ち延びる。しかし落人狩りの浪人者と民兵に嗅ぎ付けられ、葉隠衆と貝蔵を殺されてしまう。その後怨身忍者となったカクゴと共に復讐の旅に出る。後に身分無き者に対する覇府の非道を目にし、身分無き世を作る為に覇府打倒を掲げた闘争を開始した。
元ネタの『エクゾスカル零』の兵藤伊織に比べてかなり感情が豊かになっており、たまに見せるデフォ顔はとても可愛い。昔こんなタヌキ煮て食うた。
あと「伊織にも一匹斬らせてくれーい!」と嬉しそうに民兵をぶっ殺そうとする様子はとても愛らしい。こんな娘だけは嫁にもらいたくないのう。


・“葉隠谷”のカクゴ(衛府の七忍)
衛府の七忍の主人公。最近は出番がない上、さっしーに(ry
葉隠谷という山奥に住む化外の民(大和民族に追い立てられたまつろわぬ民の末裔)の少年。性格は素直で情に厚いが、山育ち故にぶっきらぼうで若干無神経。
徳川の残党狩りに巻き込まれて葉隠谷の一族を滅ぼされ、自身も浪人者に打ち倒されたが怨身忍者“零鬼”となって復活し、治国平天下大君徳川家康に大鉈を食らわせるべく立ち上がった。
まじツルミてぇ為に伊織っスに遠回しに告白するもにべなく振られる。その後「昨日ゴメンな!」と素直に謝って無かったことにするくらいほんと素直。ちなみに告白された時の伊織っスは実はまんざらでもない感じだった。
元ネタの『覚悟のススメ』『エクゾスカル零』の主人公葉隠覚悟に比べて大幅に性格が変わっており、また零鬼のモデルである強化外骨格“零”や“零式防衛術”の強力な技の数々も今のところ一切受け継がれていない。
なので元ネタに比べてかなりデチューンされている印象があるが、主人公なのでこれからの成長に期待しましょう。


・衛府の龍神(衛府の七忍)
まつろわぬ民の粛清を目論む時代の支配者に敵対する“衛府”と呼ばれる異界の住人。
無念を残して死に往く者達に怨身忍者の現し身を授け、覇府に対し終わりなき闘争を続けている。波裸羅様と対峙していた伊織っスに宿り一時の霊力を与え波裸羅様を石化させたこともあった。
たぶん中身は由比正雪。蛮勇引力のラストはびっくりした(こなみかん)


・吟遊詩人さん(コミック版無職転生)
名無し。ルーデウスが絡まない間話で登場している。
いわゆる狂言回し的な役割を担っており、ロキシーがグレイラット家の家庭教師を辞めた後からシーローン王国でパックス王子の家庭教師になるまでの間に行った迷宮探索で初登場した。
戦闘能力皆無っぽいのに中堅冒険者PTの迷宮探索に付いていけるくらいにはバイタリティは高い。ロキシーと出会った事で「こんな体験めったにできるもんじゃないよ」と岸辺露伴ばりに創作意欲が刺激された模様。
ロキシーと別れた後転移事件直前のブエナ村に滞在し、シルフィエットの成長ぶりを見届ける。ルーデウスと同じくロキシーのパンツを神聖視している。
フードで顔の上部を隠しており、メカクレキャラが個人的にツボ。あとそこそこのパイオツカイデーである。フジカワ先生のパーフェクトな仕事を皆で讃えましょう。


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列強編 第十四景『仰天愚息泥沼湯殿(ぎょうてんぐそくどろぬまのゆどの)

誤字報告をしてくれた方々に感謝を致しもす。




 虎と死神の死闘から一週間が経った。

 深手を負ったウィリアムは一度は覚醒するも、その後は野生動物が傷を癒やすかの如く昏々と眠り続けていた。

 

 中々目を覚まさない若虎に、グレイラットの家族はどうしようもなく不安な日々を過ごす事となる。

 特にアイシャは毎日つきっきりで昏睡状態のウィリアムの世話をしていた為、シルフィエットやノルンが逆にアイシャの心配をするほど心身共に擦り減っていた。

 だが、数年ぶりに安らぎを得た虎の寝顔は穏やかな物であり、北神流の秘薬の効果もあってその肉体は徐々に瑞々しい生命力を取り戻しつつあった。

 

 

「ウィル兄ぃ、おはよう」

 

 朝。水を張った桶と手拭を手にしたアイシャが、ウィリアムが眠る部屋へと入る。

 リーリャから仕込まれたアイシャのメイドとしての佇まいは、10歳の少女とは思えないほど落ち着いた物であり、その姿は瀟洒なメイドのそれであった。

 静かな足取りでウィリアムが眠るベッドへと向かう。巣で眠る虎はアイシャが近づいても規則正しい寝息を立て続けていた。

 

「ウィル兄ぃ、ちょっとごめんね」

 

 アイシャはウィリアムにかけられた毛布をそっとめくった。包帯が巻かれた上半身と共に無数の疵痕が露わになる。死神に深々と抉られた箇所以外にも残る疵に、虎の歴戦の痕が見て取れた。

 縱橫に走る疵痕を、アイシャはそのか細い指でそっと撫でる。

 

「何度みても、凄い傷だね……」

 

 湿った手拭でウィリアムの体を丁寧な手つきで拭いながら、アイシャは切なげな表情を浮かべた。

 転移してからの虎の壮絶な生き様を匂わせるその痕と、記憶とは違う抜け殻のような白髪を見て、アイシャの胸に様々な感情が湧き上がる。

 

 どうして、ウィル兄ぃだけこんな酷い目に会うの

 どうして、ウィル兄ぃだけひとりぼっちだったの

 どうして、ウィル兄ぃだけこんなにも変わってしまったの

 

 どうして、ウィル兄ぃは、あの時あたしに──

 

 胸を締め付けるような悲しみが、アイシャの胸に湧き上がる。

 ウィリアムに七丁念仏を突きつけられた際に感じた辛さ、悲しさ、怖さを思い出したアイシャは、ウィリアムの体を拭う手を止めてその可憐な唇をきゅっと結んだ。

 

 目の前に横たわるウィリアムを見つめる。

 その寝顔はもうひとりの兄、ルーデウスより父パウロによく似ていた。だが、ルーデウスやパウロが見せる陽気さは一切感じられない。

 穏やかな顔つきで眠る虎であったが、纏う空気は刀剣を思わせる怜悧さを放っており、獰猛な肉食獣のような近づき難い雰囲気を漂わせていた。

 

(でも──)

 

 アイシャは思い起こす。

 

 アイシャ、と名前を呼んでくれた。

 美しくなったな、と慈しんでくれた。

 泣き喚く自分の頭を、小さかったあの頃のように優しく撫でてくれた。

 

「もう、あんなひどい事しちゃ嫌だよ……」

 

 責めるように、少しばかり力を込めて虎の肉体を磨くアイシャ。

 

 自分に剣を突きつけ、死神と血みどろの死闘を演じたウィリアム。

 自分とノルンを、優しく包んでくれたウィリアム。

 

 どちらが本当の兄の姿なのだろうか。

 いくら考えても、アイシャにその答えを見つける事はできなかった。

 

 

「……よし! 今日も綺麗になったよ!」

 

 やがて虎の肉体を磨き終えたアイシャは、毛布を掛け直しつつそれまでの沈んだ空気を吹き飛ばすような快活さでウィリアムに語りかける。

 アイシャの活気を受けても尚、虎は眠り続けていた。

 

「もう。いい加減起きなきゃダメだよ、ウィル兄ぃ」

 

 朝寝坊する兄を起こすかのように優しく声をかけるアイシャ。

 虎の返事は無い。しかし、アイシャは目を覚まさなくても大好きな兄がそこにいるだけで、どこか満たされるような気持ちになった。

 

 虎の眠るベッドに腰掛け、まじまじとその寝顔を見つめる。

 傷を癒やす虎は少女がいくら見つめてもまったく起きる気配を見せなかった。

 

「……ちょっとだけ」

 

 アイシャはウィリアムに掛けられた毛布の中におずおずと潜り込む。

 親猫の元で子猫が丸まるように、ウィリアムの腕枕に収まった。

 

「えへへ」

 

 アイシャはウィリアムが発するあたたかい匂いを胸いっぱい吸い込む。

 安心感と、多幸感に包まれたアイシャはそのまま目を瞑り、ウィリアムの体温を感じ続けてた。

 

(ウィル兄ぃの匂い、昔と変わらないな……)

 

 傍で眠るウィリアムの横顔を見つめながら、アイシャは物心がついたばかりの幼い頃を思い出す。

 こうしてウィリアムにじゃれつき、腕の中に収まっていた時はそのまま眠ってしまう事が多々あった。

 悪戯がバレた時や、ノルンと喧嘩して母リーリャに叱られた時も、こうしてウィリアムに包まれ、慰められていた。

 穏やかな笑みを浮かべ、ただ黙って自分の頭を撫でてくれるウィリアムに目一杯甘えていた。

 

 優しくて、幸せな時間──

 

 そんなアイシャの幸せな時間は、転移事件を機に唐突に終わりを告げた。

 

 

 アイシャはシーローン王国にリーリャと共に転移し、パックス王子の元で軟禁状態にあった時はひどく落ち着かない日々を過ごしていた。

 王宮の侍女達はアイシャの境遇に幾分か同情し、決して無碍に扱う事はしなかったが、常に張り詰めたリーリャにメイドとしての立ち振舞いを厳しく躾けらていた。

 

 やがて、ルーデウスが颯爽とアイシャの前に現れる。

 一時はルーデウス自身もパックスに囚われる事もあったが、パックス王子の兄であるザノバ王子の協力を得たルーデウスは、逆にパックスをシーローン国外追放に追い込み、無事アイシャ達をパックスの手から救い出した。

 初めて出会ったもう一人の兄は、憧れを抱かせる程頼りがいのあるまさにアイシャにとってヒーローだったのだ。

 

 その後は、ザノバ王子の親衛隊であるジンジャー・ヨークの護衛を受けて父パウロが待つミリスへと向かう。

 行きの馬車の中でそれまでの不安から解放されたリーリャに抱きしめられ、母の愛情を再確認したアイシャはすっかりシーローンでの日々を忘れ、家族が揃う明るい未来に思いを馳せる。

 大好きな兄達にメイドとして仕え、幸せな時間をまた過ごしたいと思いながら馬車に揺られていた。

 

 ミリスでの日々はシーローンよりも辛かった。

 

 自身より明らかに劣るノルンを優遇し続けるラトレイア家の人々。

 リーリャも自分の娘よりもノルンを優先するように、再びアイシャに厳しい態度で接していた。

 パウロは公平にその愛情を注いでくれたが、転移事件の不明者捜索の活動に忙殺されたのもあってか、何かにつけて卒なくこなすアイシャよりノルンに構う事が多かった。

 

 それでもアイシャは粛々とメイドとしてのスキル、そして剣術と魔術、勉学と己を磨き続けた。

 いつかまた、ルーデウス……そして、ウィリアムに褒めてもらうために。

 少女の切なる思いと、優秀な兄に引けを取らない才能がアイシャを辛い日々を支えていたのだ。

 

 そして、ルーデウスを頼ってノルンと共にシャリーアへ来た。

 アイシャにとってノルンはひどく不公平な存在であり、自分よりも遥かに劣るこの腹違いの姉妹が何事も自分より優先されるのが嫌で堪らなかった。

 だから、そんな不公平なミリスからシャリーアへ移った事でアイシャは本当に自分の実力が評価され、兄に仕えながら好きに生きていけると信じていた。

 

 アイシャは優秀だった。

 一を聞き十を知る賢い少女だった。

 そんな少女が、転移事件から芽生え始めた人を評価する時の差別が、シャリーアに来て増々増長したのは仕方ない事なのかもしれなかった。

 

 アイシャは必ず能力で人を判断した。

 そんな他人に対して絶対評価を下すようになった事が、アイシャに“理屈抜きで人を好きになる”という気持ちをわからなくさせた。

 愛がわからなかった。

 だから、ノルンが抱いていたルイジェルドに対する淡い恋心も理解できなかったし、ルーデウスとシルフィエットが一緒になったのも表面的な事実としてしか受け入れられなかった。

 

 ルーデウスは優秀だ。とてもじゃないが、アイシャでは敵わない。

 だから好意を持って接する事ができた。シルフィエットもそう。

 でも、ノルンは優秀じゃない。

 剣術も、魔術も、勉学も何もかもが自分より劣るノルンが、ルーデウス達に“愛されている”という事が理解できなかった。

 

「ウィルにぃ……」

 

 アイシャはウィリアムの顔をそっと触れる。

 ウィリアムは……優秀なのだろう。

 とてつもなく、強い人なのだろう。

 でも、ルーデウスとは全く異なる……いや、自分がシーローンやミリスで出会ってきた人達とは全く違う異質な空気を纏わせていた。

 

 まるで、何かに対して狂気を孕んだ忠誠を誓っているかのような──

 

 死神との一戦を思い出す。あの時のウィリアムは、アイシャを自失させる程の狂気的な価値観を見せつけていた。

 だから、アイシャの絶対評価では測る事は出来なかった。

 あれだけ焦がれていたウィリアムと再会し、そのウィリアムが自分とは異なる物差しを持っていた事に気付いたアイシャは、ウィリアムにどんな気持ちを持てばいいのかわからなくなっていた。

 ウィリアムを見つめ続けていく内に、この“大好きなウィル兄ぃ”の事が好きなのか、それとも嫌いなのか。

 アイシャはわからなくなっていた。

 

 でも、心に宿るこの安らかな気持ちは何なのだろう。

 

 人を好きになる、誰かを愛する……。

 そんな、ふんわりとした物を越えた暖かい“火”が、ウィリアムの体から感じられた。

 

(好きになるって、こういう事なのかな……)

 

 アイシャはルーデウスやノルンの気持ちが、ほんの少しだけ理解出来たような気がした。

 

 やがて、安心しきったアイシャは日々の疲れが溜まっていたのだろうか。

 そのままウィリアムの腕の中で、穏やかな寝息を立てていた……。

 

 

 

 

 

 

「アイシャちゃん、ここにいるのかな?」

 

 ウィリアムの部屋へ行ったきり中々戻らないアイシャを心配し、シルフィエットが部屋へ顔を出す。

 何か不測の事態が起こったかと思い、やや表情を強張らせていたシルフィエットであったが、スヤスヤとウィリアムに寄り添って眠るアイシャの穏やかな寝顔を見て、たまらなく愛しい物を見るかのように表情を緩めた。

 

「ふふ……安心しちゃったんだね」

 

 シルフィエットは起こさないように静かに兄妹が眠るベッドへ近寄る。

 このままこの幸せな光景を見つめ続けたい衝動に駆られたが、今日は生憎と朝から来客が来ているので流石にアイシャの力を借りねばならぬ状況だった。

 

 静かに、アイシャを起こすべくその柔らかい朱髪に手を伸ばす。

 シルフィエットの細い指が、アイシャの髪に触れようとした、その瞬間──

 

 

 みしり

 

 

「ぃッ!?」

 

 シルフィエットの細い腕に、虎の爪が食い込んでいた。

 まるで親猫が子猫を守らんとするかのように、シルフィエットの腕を万力の如き力で掴んでいた。

 

「い、痛いよッ! ウィル君ッ!!」

 

 みりり、と己の腕が軋む音に、シルフィエットは恐怖と驚愕が混ざった悲鳴を上げる。

 アイシャを庇うように体を起こし、シルフィエットの腕を掴むウィリアムの瞳に光は宿っておらず。

 野生の虎が本能で虎子を守るかのようなこの行動に、シルフィエットは痛みと恐怖で狼狽し続けるしかなかった。

 

「ん……シルフィ姉……?」

 

 シルフィエットの喚く声に反応したのか、アイシャがのそりと目を覚ます。

 直後に目に飛び込んで来た光景に、朱色の少女は目を白黒させ大慌てでウィリアムの腕に縋った。

 

「ウィ、ウィル兄ぃ! おはよう! じゃなくて! 手を放して!」

「痛いよ! ウィル君!」

 

 アイシャがウィリアムの腕に縋り、必死になってシルフィエットから剥がそうとするにつれ、徐々に虎の瞳に光が宿り始める。

 やがて、虎ははっとした表情で締め付けていた手を放した。

 

「お、おはようウィル君……寝ぼけちゃったのかな?」

「ウィル兄ぃ……」

 

 自身の腕に治療魔術をかけながらやや引き攣った笑みを浮かべるシルフィエット。

 心根の優しいクオーターエルフの乙女は目に涙を溜めるも、虎の理不尽な暴力に全く憤るような事はしなかった。

 その様子を見つめていたウィリアムは、自身が仕出かした事に気づき、深々と頭を垂れた。

 

「申し訳ありませぬ……シルフィ殿(・・・・・)

「アハハ……ちょっと痛かったけど、もう治ったから平気……って」

 

 掠れた声でシルフィエットに謝罪するウィリアム。シルフィエットは腕を擦りつつウィリアムに苦笑を向けていた。

 義姉に大事が無かった事に安堵したアイシャはホッとした表情を浮かべ、寝台の傍らに置いてあった水差しからコップに水を注ぎウィリアムに手渡す。

 

「ウィル君。よくボクがシルフィだって気づいたね?」

 

 あの頃……ブエナ村でウィリアムと一緒にいた頃は、シルフィエットの髪は緑色であった。

 悪名高いスペルド族を連想させた、あの緑髪。

 それが、転移事件の際にアスラ王宮へと転移しモンスターとの遭遇戦で限界まで魔力を行使した結果、今のシルフィエットの髪色はウィリアムと同じく真っ白な白髪へと変質していた。

 

 アイシャから受け取った水をゆっくりと飲みながら、ウィリアムはシルフィエットの髪に視線を向ける。

 

「……視れば、解りまする」

「ウィル君……」

 

 シルフィエットはあの頃のブエナ村で感じたウィリアムに対するあの想いが、再び沸き上がるのを自覚する。

 本当の意味で自分の事を視てくれたのは、父と母、ルーデウス以外ではウィリアムだけだった。

 心の深い所で繋がった絆を感じたシルフィエットは、慈しむような眼差しでウィリアムを見つめる。

 変質してしまった自分をひと目で気付いてくれたことがたまらなく嬉しく、ウィリアムに乱暴に掴まれた腕の事など最早どうでもよくなっていた。

 

 しかしウィリアムが目の前の白髪の乙女をブエナ村で共に過ごした緑髪の少女だと気づけたのは、そのような感傷的な理由では無く全く別の理由からであった。

 

 骨子術の達人は“透かし”を用いる事が出来る。

 虎眼流はこの骨子術の術理を取り入れ、その剣術を無双の域にまで練り上げていた。

 当然ながらウィリアムの眼力は骨子術の達人のそれと引けを取らず、その慧眼はシルフィエットの髪の色がどう変質しようが関係なくその正体を捉える事が出来た。

 その美しい内臓までも見透かし、シルフィエットが妊娠している事もひと目で見抜いた。

 また、シルフィエットがアイシャと共にいる事で、その子が誰との子なのかも容易に想像がついた。

 

「ウィル兄ぃとシルフィ姉、ほんとの姉弟みたい」

 

 乙女と若虎の白髪を見比べ、アイシャはやや嫉妬が混ざった声色で呟く。

 余人が見れば血の繋がりはアイシャではなく、シルフィエットにあると誤解しかねない程、両者の髪の色は透き通るような白色をしていた。

 髪の色等気にしたこともなかったアイシャだったが、この時ばかりは自身の朱い髪を真っ白に染め上げたくなる衝動に駆られていた。

 

「ここは……兄上の家処で?」

「そうだよ。ルディとボクの家。そして、ウィル君達の家でもあるんだよ」

「それがしの……?」

「うん。ルディが、グレイラットの家族を迎える為に用意した家なんだよ」

 

 慈しみを込めた眼差しでウィリアムを見つめるシルフィエット。

 ゆっくりと、転移事件からの経緯をかいつまんでウィリアムに語りかける。

 ルーデウスと再会し、結婚し、家を買い……そして、ルーデウスがゼニスを救いにベガリット大陸へと旅立った事を。

 シルフィエットの話を無表情で聞いていた虎であったが、母の話が出てきた時は僅かに表情を歪めていた。

 

 しかし、虎は即座に表情を元に戻し、瞑目する。

 瞳の奥に、母……ゼニスの甘く、馨しい温もりを思い出したウィリアムであったが、心の貝殻の深層に燻る“増悪の種火”が即座にその馨しい温もりをかき消していた。

 

「それがしはどうしてここへ……?」

「えっと、それは……」

 

 シルフィエットは死神との果し合い後の顛末を、慎重に言葉を選びながらウィリアムに語る。

 話を聞く内に、ウィリアムはみしりと拳を握りしめていた。

 

(情けをかけられた、だと……!)

 

 またしても己の不甲斐なさ、そして死神を仕果たせなかった事がウィリアムの増悪の種火を瞬く間に憤怒の業火へと変えていった。

 憎しみが、ウィリアムの中で渦を巻いていく。転生してからの増悪の対象達が、虎の心を蝕んでいた。

 

 最大流派の長としてあるまじき卑劣な手を使った剣神。

 憎き柳生と同じように卑劣な諫言で己を嵌めた人神。

 流れ星を封じ己に致命傷を負わせた死神。

 

 憎い、憎いあやつらを、何が何でも妖刀の餌食にせねば気が済まぬ。

 

 死神が負けを認めていた事を知らないウィリアムであったが、一度勝った相手にも吐き気を催す程の増悪をぶつけていた歪な思想が今生でも消える事は無く。

 増悪の対象が生きているだけでも、到底許す事は出来なかった。

 妹と触れ合った事で人として大切な感情を取り戻したかのように見えた剣虎であったが、深層では未だ仇敵を掃滅せんが為にその狂気の炎を燃やし続けていた。

 帰る家があるという事も、復讐の鬼と化した虎にとってはどうでも良いことであった。

 段々と心の貝殻の奥底で沸き上がる増悪の業火が、ウィリアムの表情にも現れ始めていた。

 

「ウィル兄ぃ、怖い顔してる……」

 

 ふと、傍らで泣きそうな顔で自身を見つめるアイシャに気付く。その可憐な手を、ウィリアムの手に重ねていた。

 

「嫌だよ……」

 

 アイシャはポツリと切なげな声を上げる。

 その姿を見て、ウィリアムは己に再び燃え上がった増悪の業火が、みるみる鎮火されていくのを感じた。

 家族の“愛情”を否定しきれない虎の歪な“矛盾”

 前世の負の感情に囚われていた虎の中で、今生で芽生えた新たな気持ちがせめぎ合っていた。

 

 ウィリアムはアイシャの可憐な顔をその鋭い眼差しで見つめる。

 アイシャの顔が、前世の娘“三重”の面影と重なっていた。

 

 

 やがてウィリアムはせめぎ合う二つの感情から逃れるように、のそりとベッドから起き上がった。

 

「ウィル兄ぃ、まだ無理しちゃ! 傷口だって……」

「大事ない」

 

 心配するアイシャを制し、力強い足取りで立つウィリアム。

 深手を負ったとは思えない程、精強な生命力を発する虎の姿にアイシャとシルフィエットは静かに圧倒されていた。

 

「湯」

 

 ウィリアムはボソリと呟く。

 優秀なアイシャはその一言で、兄が何を求めているのかを瞬時に理解した。

 

「お湯……? お風呂のこと?」

「左様」

 

 アイシャの言葉にウィリアムは首肯する。

 それを見たアイシャは沈んでいた表情を打ち消し、喜々とした表情を浮かべた。

 早速ウィリアムの為に働く時が来たと、嬉しそうにウィリアムの手を掴んだ。

 

「ウィル兄ぃ、あたしが案内してあげる! お背中も流してあげるね!」

「いらぬ」

「えっ……」

 

 即座に否定を突きつけられたアイシャはまたも表情を一変させる。

 ころころと忙しく表情を変える妹を見て、ウィリアムは思わず笑みを漏らした。

 

「アイシャ。飯を用意してくれぬか」

 

 優しげにアイシャに話しかけるウィリアム。

 アイシャは再びその愛くるしい表情をパッと輝かせ、元気良くウィリアムに応えた。

 

「うん! 美味しい朝ごはん用意してるね!」

 

 パタパタと台所へと向かうアイシャを、穏やかな眼差しで見つめるウィリアム。

 その様子を、シルフィエットもまた慈愛に満ちた眼差しで見つめていた。

 

「ウィル君、お風呂はあっちだよ」

 

 シルフィエットから風呂場の場所を教えてもらったウィリアムは一つ目礼し、確りとした足取りでルーデウス邸の風呂場へと向かった。

 

 

 一人残されたシルフィエットは一息つくと、ウィリアムが眠っていたベッドに腰掛け、体温が残るシーツを撫でた。

 

「まだまだ話たい事は沢山あるんだ……お礼もまだ言ってないしね」

 

 転移してから必死になって頑張ってこれたのも、ルーデウスと一緒になれたのも幼少期のあの一言がシルフィエットの原動力となっていたのは疑いようもなく。

 また、ウィリアムが転移してから今まで何をしていたのかも聞きたかった。

 そして、ウィリアムが自分と本当の家族になれた事も話したかった。

 

「ふふ……叔父さんになっちゃったね、ウィル君……」

 

 まさか既に妊娠している事を見抜かれていたとは露知らず、幸せそうな顔で自身の腹を撫でるシルフィエット。

 近い未来の幸せな家族とのひと時を想像し、増々その顔を緩めていた。

 

 

 しばらく時を忘れて幸せな情景を思い浮かべていたシルフィエット。

 ふと、何かを忘れている事に気付いた。

 

「あ!」

 

 突然、シルフィエットは素っ頓狂な声を上げる。

 ウィリアムは風呂場へ向かった(・・・・・・・・・・・・・・)

 そして、来客も朝風呂に浸かりに来ていた(・・・・・・・・・・・・・・・)

 来客が風呂に浸かっている間に、来客分の食事もアイシャと共に用意するはずではなかったのか。

 

 みるみる青ざめたシルフィエットは、既に惨劇が幕を開けていたことに気づけぬまま、風呂場にいる黒髪の少女の名前を呟いた。

 

 

「ナナホシ……!」

 

 

 

 

 

 


 

 サイレント・セブンスターことナナホシ・シズカは、ルーデウス邸の風呂へ浸かりに来る事が多々あったが、稀にこうして朝風呂も浸かりに来る事があった。

 朝っぱらから風呂に浸かりに来る事は流石に家人の迷惑になるだろうかと思っていたが、以前ルーデウスにそれとなく朝風呂を浸かりたい旨を話したところ快く許しを得た事から、一週間に一度はこうして朝風呂へと浸かりに来ていた。

 

 あの衝撃的な決闘の日から一週間。

 ルーデウス邸に赴くのは風呂に浸かりに来る事が主たる理由ではあったが、あの日以来転生者と疑わしきウィリアム・アダムスの様子を伺いに来る事が目的の一つとなっていた。

 中々覚醒しないウィリアムにやきもきしていたのはナナホシも同じであり、ウィリアムが本当に日本人転生者なのか、またあの日本刀はどのような経緯で手に入れたのかを早く聞き出したかった。

 

 ともあれ本日もウィリアムは覚醒めてはおらず。

 気長に待つしかないと悟ったナナホシは目的の一つである朝風呂を堪能する為、こうして心地よく湯船に浸かっていた。

 

「で、なんであんた達もここにいるのよ……」

「つれない事言うニャよ」

「ボスから教わったの。“裸の付き合い”はめちゃ大事なの」

 

 何故かリニア、プルセナの獣人乙女達もナナホシと一緒に湯船に浸かっていた。

 湯から覗くドルディア族特有の猫のような尻尾、犬のような尻尾をふりふりと揺らし、横に寝かせた獣耳はリラックスした様子を伺わせていた。

 

 ルーデウス邸の風呂はルーデウス自身の拘りもあり、購入してからの大規模改装でもっとも力が入れられた箇所である。

 ルーデウスがこの屋敷を購入した際は、もともと石窯もないただの洗濯兼厨房部屋と非常に殺風景な間取りであった。

 それが、改装を依頼したバシェラント公国の魔術ギルドに所属する一流建築士“大空洞”バルダの尽力により広く、趣のある風呂場へと作り変えられた。

 床にはタイルが敷かれ、風呂場の端にはたっぷりとお湯の蓄えられた大きな湯船、傾斜の付けられた溝からサラサラとお湯が流れていく。湯船は5、6人が浸かっても尚十分な余裕がある程の大きさであった。

 

 そんな大きな湯船に、何故獣人乙女達と一緒に浸かっているのか。

 リニアとプルセナは偶々授業が休講になった事を良いことに朝っぱらから街へ繰り出さんと魔法大学女子寮から元気よく出てきた。

 丁度その時に、ルーデウス邸へ向かうナナホシを目撃した。

 元々あまり絡みが無いどころか、ルーデウスが来るまでは全くといっていいほど交流がなかったリニア、プルセナとナナホシ。

 ルーデウスを中心に出来た人間関係の輪を獣人乙女達なりに大事にしようとナナホシに声をかけたのか、あるいは単に面白そうだからついていっただけなのか。

 十中八九後者だと思ったナナホシはうんざりとした表情で湯船に体を沈めた。

 

「いやー大きなお風呂ってのもなかなかオツなもんだニャ」

「大森林だと川とか湖で行水してたの。それはそれで解放的だったの」

「あっそう……」

 

 獣人乙女達の呑気な言葉に、ナナホシはじっとりとした眼を向ける。

 リニア、プルセナはお世辞にもお行儀が良いとはいえず、大きく足を伸ばして湯船の縁に体を預けていた。

 そして、ナナホシに見せつけるかのようにその大きなバストを湯に浮かべていた。

 先程から圧倒的な存在感を放つリニア、プルセナの大玉に、自身の貧相なそれと見比べてナナホシは増々表情を暗くしていた。

 

「ナナホシ~。さっきから暗い顔してどうしたんだニャ?」

「リラックスするなの。暗い顔してちゃ寛げないなの」

(あんた達のせいで寛げないのよ!)

 

 獣人乙女達の空気の読めない一言に、ナナホシの心は更にささくれる。

 元々一人でのびのびと湯に浸かりに来ていただけに、自身のコンプレックスをガンガン刺激してくるこの獣人乙女達との入浴は、ナナホシにとって全くリラックス出来る状態ではなかった。

 

 チラチラと自分の胸と獣人乙女達の胸を見比べるナナホシを見て、リニアとプルセナはニヤリと厭らしい笑みを浮かべる。

 まるで、存分に嬲れる玩具を見つけた子猫のような、無邪気且つ邪悪な笑みであった。

 

「そんなにあちし達のおっぱいが気になるかニャ~?」

「ボスも悩殺したダイナマイトボデーなの。存分にその眼に焼き付けるといいの」

「な、なによ……」

 

 ナナホシの左右を挟む込むように、邪悪な笑みを浮かべながらじりじりとにじり寄るリニアとプルセナ。

 自分が捕食者に狙われた獲物と気づいたナナホシは、とっさに湯船から上がろうと立ち上がろうとするも、俊敏な獣人乙女達に瞬く間に体を掴まれた。

 

 ちなみにルーデウスが獣人乙女達の豊満な肢体に悩殺されたという事実はない。シルフィエットと結ばれるまで不能だったルーデウスには、乙女達の肉体で劣情を催す事は出来ないという悲しい過去があったのだ。

 

「ちょ、ちょっと!」

「まあまあ。あちし達と楽しくお風呂を堪能しようじゃニャいか」

「スキンシップは大事なの。激流に身を任せるなの」

 

 ニッタリと厭らしい笑みを浮かべ、リニアはナナホシの背後に回り肩を掴む。プルセナは自身の大玉をナナホシの眼前に突きつけ、その細い脚を押さえていた。

 リニアはナナホシの慎ましい胸にスルリと手を滑らせ、思うがままに蹂躙を開始する。

 

「ナナホシはちっちゃいお胸をしてるニャー」

「い、いや! やめて!」

「ほれほれ。ここがええんかニャ?」

「アッ! どこ触ってッ!? あん!」

「感度が良いなの。リニアのガバガバおっぱいとは大違いなの」

「なんニャプルセナ。あちしと戦争したいのかニャ?」

 

 前後から己の肉体を弄ぶ獣人乙女達に、平成日本女子の平均的な体力しか持たぬナナホシでは抵抗しようもなく。

 リニアが背後から胸を蹂躙してくるのを身を捩らせて耐え忍ぶしかなかった。

 

「大人しくするニャ。これもスキンシップの一貫ニャ」

「長いものにはマカロニなの。力抜くなの」

「だ、だめっ! そこだけは!」

 

 プルセナがナナホシの両脚に手をかける。

 強引に、その股を開かせようと力を入れた。

 

「チェック重点ニャ!」

「実際御開帳なの」

「や、やめ……!」

 

 羞恥と湯当たりからか、ナナホシは顔を真っ赤にさせて力の限り抵抗する。

 しかし抵抗むなしく、獣人乙女達の無邪気なスキンシップの前に乙女の蜜壺が露わにされようとしていた。

 

 邪悪な獣達により乙女の秘所が暴かれようとしたその瞬間──

 

 ガラリと、風呂場の引き戸が開け放たれた。

 

「ニャ?」

「なの?」

「ふぇ?」

 

 乙女達は突然開け放たれた引き戸に視線を向ける。

 

 

 そこには、一糸まとわぬ傷だらけの虎が手拭を片手に佇んでいた。

 

 

 突然の出来事に固まる乙女達に構うことなく、パアンッパアンッと、小気味良い音を立て手拭を己の体に打ち付けるウィリアム。

 手慣れた手つきで桶に湯を溜め、勢い良くかかり湯を浴びる。

 全く乙女達を眼中に入れてないウィリアムのその姿は、実に堂に入った立ち振舞いを見せてた。

 

 そして、乙女達の金切り声が浴室に響いた。

 

「ギニャアアアアアッ!! なんで入ってくるニャ!!!」

「ファックなの!! アタマがスットコドッコイなの!!!」

 

 ウィリアムは悲鳴を上げる乙女達に、ギロリとその怜悧な視線を向ける。

 

「静かにせい」

「はいニャ」

「はいなの」

 

 虎の射殺さんばかりのひと睨みを受け、獣人乙女達は即座に口を噤む。

 野生の獣が持つ本能からか、絶対強者による睨み一閃は乙女達に反抗する気概を削ぎ、さながら蛇に睨まれた蛙……もとい、虎に睨まれた犬猫が如くであった。

 

 大股で湯船の縁を跨ぎ、ざぶんと大波を立て勢い良く湯船に浸かった虎は己の股間を隠そうともせず、湯船の縁に体を預けのびのびと寛いでいた。

 

「と、虎のキンタマ……!」

「ごったましかなの……!」

 

 リニアとプルセナは顔を真っ赤にしながら虎の股間を凝視する。

 獣人乙女達は男根を見るのは初めてでは無かったが、虎の凶刃は乙女達を恐れ慄かせるには十分な業物であり、男女の情欲は未だ知らぬ乙女達にとってその剛槍はあまりにも禍々しく。魔法大学のアウトローな番長を初心な生娘へと変えていた。

 

「こんなに黒くて硬そうなのは見たことねーニャ……!」

「ピッカピカのガッチガチなの……!」

 

 虎の剛槍を血走った眼で見つめる獣人乙女達。

 異様な緊張感が辺りに漂う。先程までリラックスしていた乙女達は、さながら処刑場で刑の執行を待つ科人のように震えていた。

 温かい筈の湯は、彼女達を心から暖める事は出来なかった。

 

 ふと、リニアは先程から一言も発していないナナホシに視線を向ける。

 ナナホシは……ウィリアムの肉体を見つめたまま、石像の如く固まっていた。

 

「やべーニャ。ナナホシまばたきしてねーニャ」

「ファックなの。戻って来いなの」

 

 ぺちぺちとナナホシの頬を叩くリニアとプルセナ。

 獣人乙女達の雑な献身により、ナナホシの眼に徐々に生気が宿り始める。

 

 そして、息を大きく吸い全力で叫ばんと口を開こうとした。

 

「しーっ! 大声で喚くと虎にぶっ殺されるニャ!」

「乳首もがれたくなければ静かにやり過ごすなの!」

「~~ッ! ~~ッッ!!」

 

 獣人乙女達が必死になってナナホシの口を押さえる。

 先程のなぶり殺しとは打って変わったこの三人の乙女達の関係は、もはや運命共同体といっても過言ではなかった。

 

「ナナホシ、落ち着いてよく聞くなの」

 

 ナナホシの正面から、その華奢な肩を掴むプルセナ。

 その眼はやや狂気を孕んでおり、ぐるぐると渦を巻いていた。

 

「リニアを生贄に捧げて私達だけでも生き残るなの。クレバーに生きるなの。一言“捧げる”って言うだけの簡単なおしごとなの」

「あのさぁ。あちしそろそろキレていいかニャほんと」

 

 抑揚の無い声で呟くリニア、狂気を孕んだ眼を浮かべるプルセナ、羞恥と恐怖と混乱で再び石化するナナホシ。

 乙女達のみずみずしく、青い花園だったルーデウス邸の風呂場は、今や地獄の釜茹で場と化していた。

 

 ウィリアムはちらりとリニア、プルセナに視線を向ける。

 恐怖でピンと立った耳と、湯船から出ている獣人族特有の尻尾を見てぼそりと呟いた。

 

「犬と、猫か」

 

 ウィリアムの呟きに獣人乙女達は即座に反応する。ぴしりと背筋を伸ばし、虎の尾を踏まないよう最大限に行儀良く言葉を返した。

 

「犬猫じゃないス。リニアっス」

「プルセナっス」

「リニアッス、プルセナッスか……」

 

 リニアとプルセナはウィリアムが何か間違ってるような気がしてならなかったが、虎に対する恐怖心が勝り結局は何も言えず仕舞いであった。

 

 再び沈黙と共に尋常ならざる緊張感が漂う。

 虎と湯船に共にする乙女達の精神はもはや限界に達しており、自身に待ち受ける悲惨な未来を嘆く事しか出来なかった。

 

「あちし達、このまま虎にてごめにされちゃうのかニャ……」

「きっと今夜から不眠不休(寝る暇無し)乱痴気二毛作(ずっこんばっこん)なの……」

「どうして美少女ってひどい目に合わされるのかニャ……」

「うう……うなれ2メートル……とばせ5リットルなの……」

「あちし男性不信になりそうニャ……プルセナ?」

(フォー)(スリー)(ツー)、わん、うっふんなの……」

「プルセナがどっか逝ったニャ」

 

 恐怖と緊張で耐えきれなくなったのか、被虐の妄想の世界へと旅立ったプルセナ。完全に光を失った眼でぶつぶつと意味不明な事を呟き続ける親友の無惨な姿に、リニアはこの世の全ての悲劇を見せつけられたかのような絶望に苛まれた。

 

 心という器は、ひとたび……ひとたびヒビが入れば、二度とは……

 

「って! しっかりいたせニャー!」

「なの!?」

 

 バチイインッ!と、両手でプルセナの頬を挟むリニア。

 親友の健気な精神注入掌に、プルセナは現世へと無事帰還を果たした。

 

「リ、リニア……?」

「プルセナ、戻ってこれたかニャ!? 良かった! 良かったニャ……!」

 

 プルセナを抱きしめながらにゃあにゃあとむせび泣くリニア。

 親友に救われたプルセナもまたリニアを抱きしめ、心を繋ぎ合わせた同胞の腕の中でわんわんとむせび泣く。にゃあにゃあ、わんわんと鳴く獣人乙女達の傍らで、大和撫子は依然石化したままであった。

 

 

「喧しい」

「さーせんニャ!」

「さーせんなの!」

 

 

 

 

 地獄の釜茹では、シルフィエットが大慌てで駆けつけるまで乙女達をぐつぐつと煮込み続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




本当にちんこでけえ奴ぁ
ちんこでけえ


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第十五景『神君威光封入済(しんくんいこうふうにゅうすまし)女子高生(じょしこうせい)

 

「「ぬふぅ!!」」

 

 双子の北神流剣士、ナクル・ミルデットとガド・ミルデットは、その日も同時に達した。

 

 

「ナクル兄ちゃん。オーベールさんに言われてシャリーアまで来たけど、こんな事してていいのかな?」

「ちょっとくらいはいいじゃないかガド。……そういえば何でシャリーアまで来たんだっけ?」

「オーベールさんが『ぜひ北神流に欲しい逸材がいるから勧誘して来い』って。ちょうど僕らがネリスにいたから手紙が届いたんだよ」

「そっかぁ。ガドはかしこいな」

「へへへ。最近は文字の勉強もしているからね」

 

 淫売宿のベッドの上で、身に何も纏わず和やかに語らう双子の剣士。その傍らには、それぞれの相手を勤めた娼婦達が息も絶え絶えな様子でベッドに横たわっていた。

 娼婦達の身体にはいくつも痣が残り骨を折られた者もいる……事はないが、双子の底知れぬ精力を受け、全身に疲労を滲ませながらベッドに突っ伏していた。

 

「ガド、勧誘する相手ってどんな奴だ?」

 

 (ミルデット)族特有の長い兎耳を揺らしながら兄、ナクルが弟であるガドへとぼんやりとした調子で話しかける。

 それを受けたガドも長い兎耳をぴこぴこと揺らしながら応えた。

 

「ええっと、名前はウィリアム・アダムス。ムソーコガン流って流派を使うらしいよ」

「聞いたことないなぁ」

「でも、オーベールさんの手紙だと剣の聖地に一人で乗り込んで、剣帝の一人を圧倒したらしいよ」

「へぇ……!」

 

 ガドの言葉を受け、ナクルはそれまでののんびりとした調子を一変させ、全身から凍りつくような殺気を滲ませる。

 殺気をまともに浴びた娼婦達はそのまま声も立てずに失神し果てた。

 そのような刺すような殺気の中、ガドは平然とした様子でナクルに声をかける。

 

「ナクル兄ちゃん。僕らは戦いに来たんじゃなくて勧誘に来たんだよ」

「それもそっかぁ。でも、わざわざ僕らが勧誘するくらいなんだから、少しくらいは実力を確かめてみてもいいんじゃないか?」

「それもそうだね。“北王”である僕らがわざわざ勧誘しに来るくらいだもんね」

 

 ナクル・ミルデットとガド・ミルデットの兄弟は“双剣”ナックルガードという通り名で知られており、北神流王級の業前を持つ剣士達であった。が、兄弟一人一人の実力は“北聖”止まりであった。

 だが、二人揃う事で抜群のコンビネーションを見せ、聖級以上の実力を見せていた事で北神三世から“北王”として伝位を授けられた異色の剣士達であった。

 

 “北帝”オーベール・コルベット、“北王”ウィ・ター、そして“北王”ナックルガードの“北神三剣士”は、北神流屈指の実力を誇る実力者としてその剣名を広くこの世界に轟かせていた。

 

「楽しみだねナクル兄ちゃん」

「そうだな。楽しみだなガド」

 

 見た目にそぐわぬ程獰猛な気質を持つ兎達は、虎を捉えるべくその妖しい瞳をゆらゆらと光らせていた。

 

 しかし、この兎達は虎が既に神級の一人を斃していたとは露知らず。

 

 

 無邪気に笑い合う兎達は、どこまでいっても兎でしかなく、肉食獣に捕食される憐れな贄でしか無いのだ。

 

 

 

 


 

 ラノア魔法大学生徒会室

 

 ウィリアムがルーデウス邸で覚醒し、乙女達の入浴に乱入した時からニ日前の事。

 ラノア魔法大学生徒会室では四人の若者が密談めいた話し合いを行っていた。

 

「……では、ウィリアム・アダムスがルーデウス様の御兄弟という事で間違いないのですね?」

 

 生徒会長の椅子に座る一人の女性が言葉を発する。

 机を挟んで立つ二人の女性がその言葉に首肯した。

 

「はい。フィッツ……シルフィも断言していました。ルーデウス・グレイラットの弟、ウィリアム・グレイラットで間違いありません」

「それと、ウィリアムはどうやらあの“死神”を倒したとの事です。今は死神との戦いで深手を負ったらしく、意識は戻っていないようですが」

「それは……凄いですね。七大列強を打ち倒すとは」

 

 美しい金髪を靡かせ、高貴な空気を纏わせながら自身の顎に手を添えるこの女性の名は、アリエル・アネモイ・アスラ。

 アスラ王国王位継承権第二位であり、第一王子派と王宮での権力闘争に敗れ、このラノア大学に“留学”という名目で半ば都落ちをした悲運の王女である。

 

 しかし、その胸中に王位に対する野望の火は消えず。

 虎視眈々と、アスラ王国から遠く離れたこのラノアの地にて捲土重来を誓い、いずれは王位に就く為の“手勢”を集めるべく活動していた。

 

 ルーデウス・グレイラットもアリエルの目に留まった一人であり、元々の“泥沼”としての勇名に加え、学内での数々の武勇伝、そしてあの“不死魔王”バーディー・ガーディーを一時的とはいえ瀕死に追い込んだ高い戦闘力は、是が非でも自身の“手駒”として引き込みたいとアリエルは考えていた。

 だが、自身の護衛であり、命の恩人でもある友人のシルフィエットの想い人である事が判明してからはルーデウスを自身の陣営に引き込む事は考えなくなった。

 シルフィエットが無事ルーデウスと結ばれるよう、陰ながら尽力した事もあった。

 

 シルフィエットがルーデウスと結ばれた事はアリエルにとっても大変に喜ばしい事であり、主従関係を超えた友人として素直に祝福をした。

 そして、シルフィエットの境遇に深く同情をしていたアリエルは、これ以上王家の権力闘争に彼女を巻き込む事をよしとせず、結婚を機にシルフィエットの“枷”を解き放っていた。

 

 純粋に、シルフィエットには幸せな人生を歩んで欲しい。

 

 アリエルのこの心情は、為政者としては失格かもしれない。

 だが、この友人を想う気持ちは人として称賛されるべきであろう事を、シルフィエット以外に残った古参の従者達は強く感じていた。

 彼らもまた、シルフィエットの幸せを自身の事のように喜んでいたのだ。

 

 アリエルは机の前に立つ二人の女性をその高貴な瞳で見やる。

 エルモア・ブルーウルフ、クリーネ・エルロンド。

 この二人の乙女はアリエルがアスラから“落ち延びた”際に同行していた従者であり、第一王子派が放った刺客の襲撃からも生き延びた者達であった。

 

 彼女達は普段は一般生徒として魔法大学に通っていたが、本来の任務は情報収集である。

 在校生徒の個人情報、アスラ王国の現在状況、周辺の有力冒険者の情報等を逐一アリエルへと届けていた。

 

「ルーデウスの弟ですか……」

 

 アリエルの傍らに立つ一人の美丈夫が顎に手をやりながら訝しげな表情を浮かべている。

 彼の名はルーク・ノトス・グレイラット。

 アスラ王国ミルボッツ領を治める有力な貴族であるノトス家現当主の次男であり、ノトス家がアリエル王女派の筆頭貴族である為にこうして落ち延びたアリエル王女に付き従っていた。

 

 とはいえ、ノトス家現当主ピレモン・ノトス・グレイラットは転移事件を切欠に第一王子派筆頭でもあるダリウス・シルバ・ガニウスにも取り入り、その立場をどちらに転んでもいいように抜け目なく転換させていた。

 ルークをアリエルに付き従わせたのもピレモンにとって保険でしかなかったが、ルーク自身はアリエルに絶対の忠誠を誓っており、どのような事があってもアリエルの為に身命を賭す覚悟を固めていた。

 

「とにかく、一度お会いしてみたいですね。七大列強の肩書を持つお方とはぜひとも友好な関係を結びたいと思います」

 

 アリエルの言葉に、ルークは静かに頷く。

 エルモアやクリーネもその言葉に確りと頷いていた。

 

「シルフィの事を思うと少し複雑ですが、アダムスという姓を名乗っている事からグレイラット家とは一線を引いているかもしれません。なら、ルーデウスやシルフィに気遣う事なく、ウィリアム・アダムスとは積極的に繋がりを持つべきだと思います。こちらの陣営に引き込む事も……」

 

 ルークがアリエルの内心を代弁するかのようにその口を動かす。

 第1王子派を打倒する為にあらゆる手段を用いる腹黒さを、この主従はシャリーアに至るまでにしっかりと備えていた。

 

「ルーク。私はあくまでウィリアム様と個人的な友誼を持てればそれで良いと思っています。ルーデウス様、なによりシルフィに迷惑がかかる話にするつもりは全く無いのですよ?」

 

 ルークの言葉をやんわりと否定するアリエル。

 その言葉を受け、ルークは苦笑しながら腰を折った。

 

「出過ぎた事を言いました。姫様がそれで良いと仰るならば、私もウィリアムとはあくまで従兄弟として友好を図りたいと思います」

「ええ。そういう事です」

 

 微笑みを浮かべてルークに頷くアリエル。

 確かにウィリアムがこちらの陣営に与する事で、アリエルが王権を得る為の強力な戦力を得る事は間違いないのだが、“七大列強”と“友好関係”にあるだけでも第一王子派を十分牽制する事は出来るのだ。

 

「どちらにせよシルフィの義弟が臥せっているのです。近々お見舞いに行くとしましょう」

 

 そう締めくくるアリエルの表情は、捲土重来を誓う王族としての決意が僅かに浮かんでいた。

 かつて転移事件の際に、己を庇って殺された守護術師の遺志を受け継いだ流浪の王女。守護術師以外にも、己の為に命を散らした者達に報いる為、アリエルは王になるべく静かにその若い血潮を燃やしていた。

 

 

 

 


 

(ウィル兄ぃ、あたしが作ったごはん一生懸命食べてる。うれしいなぁ……)

 

 ルーデウス邸のダイニングにて、はむっはむっと一心不乱にパンを頬張るウィリアムを、アイシャは頬杖をつきながら幸せそうに見つめていた。ニコニコと微笑むアイシャの隣に座るシルフィエットは、少しばかり疲れた表情を浮かべながらウィリアムを見つめている。

 あの阿鼻叫喚の風呂場からなんとかウィリアムを連れ出したシルフィエットは、さながら大型の魔物を討伐したかのような疲労感を全身に感じていた。

 

 シルフィエットによって無理やり風呂場から連れ出されたウィリアムは不満げな表情を隠そうともしなかったが、兄の嫁であるシルフィエットの面目を一応保つため、大人しくこの義姉の指示に従っていた。

 ちなみにウィリアムの乱入により消耗し果てたリニア、プルセナの二人は早々にルーデウス邸から退散している。「リニア……今何時(なんどき)なの……?」「しっかりいたせニャー!」と、虎によって心を蝕まれたプルセナを抱えながらルーデウス邸を後にするリニアの姿は、まるで戦地にて負傷した戦友を担ぐ兵士の如き悲壮感が漂っていた。

 

 そんな獣人乙女達を省みる事なく、ウィリアムは覚醒後初めて食する固形物を存分に噛み締めながら自身の胃に収める。

 妹のアイシャが用意した食事。その中の、焼き立てのパンを一目見た瞬間から、ウィリアムの腹腔は熱を帯び、その胸は高鳴っていたのだ。

 

 噛むべし。存分に噛むべし。

 旨し! パン、旨し!

 

 ウィリアムのこのような食べっぷりを見つめる内に、シルフィエットは疲れた表情を徐々に和らげていた。

 

「ウィル君、今度からお風呂に入る前に誰か入っていないかちゃんと確認してから入ってね。ボク達ならまだいいけど、ナナホシはこれからもウチのお風呂に入る事もあるんだし……」

「……畏まってございます」

 

 シルフィエットの言葉にボソリと呟きながら応えるウィリアム。そんなウィリアムを見てシルフィエットはやれやれと苦笑が混じった笑みを浮かべていた。

 なにはともあれ、こうしてグレイラットの家族……弟のように可愛がっていたウィリアムと再会できた事が、シルフィエットにとって心底喜ばしい事であるのは変わりなかった。

 

 

「……」

 

 そんなアイシャやシルフィエットとは対称的に、じっとりとした暗い感情を浮かべてウィリアムを見つめる一人の少女がいた。ウィリアムの対面に座りながら、もそもそと朝食を食すその少女の名は、サイレント・セブンスターことナナホシ・シズカ。

 風呂場で裸を見られた、そしてウィリアムの逞しい内槍をまざまざと見せつけられた乙女の心境は察するにあまりある状態であった。

 加えて、ウィリアムが風呂場での一件を全く悪びれる様子も無い事が、乙女の怒りを誘っていた。

 

(なんなのよ! 本当に! 普通は誰か入っているか確認するべきじゃないの!)

 

 平成日本では、いやこの異世界においてもウィリアムが取った行動はナナホシにとってあまりにも非常識であった。

 シルフィエットに連れ出され、こうしてリビングで朝食を共にしてもウィリアムからの謝罪も無く、まるでナナホシの事は眼中にない振る舞いを見せるウィリアムに、ナナホシは増々苛立ちを募らせていた。

 

 とはいえ、ウィリアムの感覚ではあのような振る舞いはさして非常識な物ではなく。

 寛政三年(1791年)、“老中”松平定信が江戸での大衆浴場における混浴禁止令を布告するまでは男女混浴が一般的であった。だが、この布告はどちらかと言うと“湯女”が行う売春を取り締まる為の物であり、都市部で男女別浴の習慣が根付くのは明治中頃から終わり頃になってからであった。そして、全国で男女別浴が根付くのは昭和三十年頃まで待たねばならなかった。

 

 ただし上記は銭湯等の大衆浴場での話であり、ウィリアムの前世における岩本家では武士階級でも珍しく屋敷に風呂が造設されており、家長でもあるウィリアム……虎眼はそれこそ家人を気にせず好きなように入浴をしていたが。

 

 またウィリアムがナナホシの事をこの“異世界の人間”と認識していた事も、ナナホシを全く気遣う事無く風呂場へ乱入せしめた一因でもあった。

 長い耳や明らかに人外めいた肌色を持つ人、あげくには犬耳や猫耳を生やした亜人が跋扈する異世界では、日本人のような黄色人種の特徴を持つ人間がいてもおかしくはない。また、ナナホシが現代日本人である事で、ウィリアムが良く知る戦国末期から江戸初期の日本人に比べ西洋的な骨格を持つナナホシが同じ日ノ本の民であろうなどとは露ほども思っていなかった。

 

 もっとも同じ日ノ本の民だからとてウィリアムは遠慮する事は無いのだが。

 

(はぁ……とりあえず、このウィリアム・アダムスが何者かを突き止めないとね)

 

 ナナホシは心中で嘆息すると、改めてウィリアムの顔をまじまじと見つめる。

 ナナホシの視線に気付いているウィリアムであったが、全く意に介さずに黙々と食事を胃袋へと収めていた。

 

 ナナホシはチラリとアイシャ、シルフィエットへと視線を向ける。

 できればウィリアムと二人きりで諸々の事を問い詰めたかったが、風呂場での一件でウィリアムと二人きりになる勇気をナナホシは持つ事が出来ず。

 しばらく黙考していたが、中々ウィリアムへ話かけるタイミングが掴めなかった。

 

(ていうか、本当に同じ“日本人”なのかしら……?)

 

 ナナホシはこの転生者と思わしき白髪の剣士が、果たして本当に“自分が知る日本人転生者”なのか。ナナホシは増々眉間に皺を寄せながら考える。

 もしかしたら日本被れの外国人かもしれない。いや、しかしあの死神戦での一閃を放つ前に呻いた“日本語”は、古風なイントネーションではあったが明らかにネイティブの日本人の発音であった。

 幼少の頃、ルーデウスから日本語を教えてもらった可能性も考えていたナナホシであったが、そもそもルーデウスは自身が転生者である事実を余人に隠していた。

 幼馴染であったシルフィエットや、アイシャやノルンら妹達にすら隠していた事実を、実弟であるウィリアムにだけ教えている可能性は考えにくく。よしんば教えているのなら、ルーデウスはラノア大学で再会した際にその話を自分にしているはずだ。

 ルーデウスからは行方不明の弟がいるとしか聞いておらず、日本人転生者の疑いがあるのなら必ず自分にその存在を共有するはずである。

 もっともルーデウスは当時ウィリアムに対し、得体のしれない恐怖心しか抱いていなかったので、それ以上余人にウィリアムの事を話すのが憚られたのもあったのだが。

 

(やっぱり……私達とは別のタイミングでこの世界に転生した可能性が高いわね)

 

 しばらく考えていたナナホシは、ウィリアムがナナホシやルーデウスが転移、転生した切欠となったあのトラック事故とは別の要因で転生した魂を持つ可能性を思いつく。

 別の場所……そして、別の時代(・・・・)から転生した魂となれば、ウィリアムの言動やネリスの商人に依頼していた“羽織”に描かれた家紋や文言等に一応の辻褄が合う。

 

(でも、あの刀は転生した時にはなかったみたいだし……)

 

 ナナホシはウィリアムが所持していた日本刀、七丁念仏の妖しい輝きを思い出す。

 ウィリアムが臥せっていた際、ナナホシはアイシャやシルフィエットに、ウィリアムが以前からあの刀を所持していたのか、またはブエナ村にてあのような刀が生産されていたのかを確認していた。

 当然ながら二人共ウィリアムが持つ刀は初めて見る物で、ウィリアムの転生の際に同時に転移して来たわけでは無い事が判明していたが。

 

(となれば、あの刀はウィリアム・アダムスがこの世界で拵えた物なのか……もしくは転移(・・)した物なのかはっきりさせる必要があるわね)

 

 この世界にも刀剣類の名匠は幾人も存在し、それこそファンタジーな業物が何本も存在する。だが、七丁念仏の刀身が放つ怨念めいた凄まじい剣気は、この世界の材質で果たして再現可能なのか。

 刀身部分を構成する玉鋼に加え、柄や鍔等の拵え部分を構成する素材はこの異世界の素材で果たして作れる物なのか。

 

 もし……もし、七丁念仏が日本から転移してきた物体であったのなら。

 

(転移した状況を詳しく聞く必要があるわ。そうすれば、転移魔法陣の確度を上げる事が出来る!)

 

 ナナホシは平成日本への帰還手段である転移魔法陣の研究を、日々ラノア大学にある自身の研究室にて行っていた。

 第二次人魔大戦以降禁術となった転移魔法陣。現在は限られた者でしか知り得ぬその技術を、ナナホシはとある龍族から教えを受けその研究を行っていた。一度は手酷い失敗をし、ナナホシは錯乱する程深い絶望を味わった事もあった。

 だが、ルーデウスやその級友であるクリフ・グリモルらの協力得て、魔法陣に“プラスティック製のペットボトル”の召喚に成功する事ができた。

 

 平成日本との繋がり。その取っ掛かりが出来た事で、ナナホシの帰還に一筋の光明が差す。

 既に平成日本から無機物を召喚する事に成功していたナナホシであったが、今のところ召喚出来る物体の材質は限られた者でしかなく、複雑な素材を組み合わせた物体の召喚には未だに成功していなかった。

 無機物から有機物を、有機物から生物を、そしてその生物を元の場所へと送還する実験を経る事で、ようやくナナホシの帰還が現実味を帯びてくるのである。

 

 もし、ウィリアムが持つ刀が日本から召喚された物であったのなら。

 自身が進めている転移魔法陣の研究以外で、日本との繋がりが存在するのならば。

 ナナホシは是が非でもその刀の入手手段、そしてウィリアムが何故転生したのかを突き止め、自身の帰還手段の確度を上げる必要があった。

 

(とはいえ……話かけるタイミングがつかめないわ……)

 

 ナナホシはアイシャが調理した温かいスープを啜りながら思い悩む。

 風呂場での一件以外にも、あの死神との一戦で見せたウィリアムの狂気的な感情を目の当たりにしたナナホシは、どうもウィリアムがルーデウスのようにおいそれと日本語で話しかけていいものなのか躊躇していた。

 死神戦でのあの光景。

 あの狂気的な、まさに“死狂い”ともいえるウィリアムが見せた壮絶な光景は、ナナホシの人生においてまるで時代劇に出てくる武士の如き(・・・・・・・・・・・・・)様相を呈していた。

 

(そう、時代劇。時代劇なのよ)

 

 ナナホシはウィリアムがネリスの商人に依頼していた羽織に描かれた文言を思い起こす。

 とてもじゃないが、平成日本人のセンスにしてはケレン味がありすぎる。また、羽織りの正面には明らかに“剣五つ桜に六菱”の家紋が刻まれている。

 ナナホシには見覚えの無い家紋ではあったが、それなりの家格を匂わせる由緒正しい代物に見えた。

 

 故に、ルーデウスに行ったような日本語のコミュニケーションを取る事が、果たしてウィリアムには通用するかどうか。

 もし迂闊に話しかけ、それがウィリアムの逆鱗に触れる事となったら。

 ナナホシはあの流星の如き恐怖の一閃を思い出し、背筋に冷たい汗が流れるのを感じていた。

 

 

「あ、ウィル兄ぃ。そういえばウィル兄ぃに渡す物があったんだよ」

 

 眉間に皺を寄せながら思い悩むナナホシだったが、ふとアイシャが何かを思い出したかのようにその可憐な口を開く。

 席を立ったアイシャはリビングへとパタパタと可愛らしい足音を響かせながら向かう。そして、間もなくその手にウィリアムがネリスの商人へと依頼した羽織りを抱えながらウィリアムの傍へと駆け寄った。

 

「はい。これ、ウィル兄ぃのでしょ? ナナホシさんがネリスの商人さんから預かってたんだよ」

 

 そう言いながらアイシャが手渡す羽織を、ウィリアムは目を細めながら確りと受け取る。

 鋭い視線を浮かべながら、紋付羽織をゆっくりと広げ、その出来栄えを確かめていた。

 刻まれた“剣五つ桜に六菱”の家紋は、自身が生きた証でもある岩本家の家紋であり、羽織の背面には自身の今生においての生き様が確りと刻まれていた。

 

 “異界天下無双”

 

 力強いその言葉を、ウィリアムは瞳を爛と輝かせながら見つめる。

 僅かの間にウィリアムの要望通り、完璧に羽織を仕立て上げたネリスの商人の仕事に、ウィリアムは満足げに吐息を漏らした。

 

『出来ておる喃……あ奴めは……』

「!?」

 

 思わず、といった風に呟かれた日ノ本言葉。

 もしウィリアムがナナホシが同じ日本語を解する人間だと断じていたのならば、決して吐き出される事はなかったその言葉。

 ナナホシは驚愕を目に表しながらウィリアムを見やる。

 数瞬、躊躇ったナナホシであったが、やがて意を決してその可憐な唇を開いた。

 

『やはり……貴方の前世は日本人なのですね』

『!?』

 

 今度はウィリアムが目を見開いてナナホシへと顔を向ける。

 予想だにしなかった人物から放たれた日ノ本言葉に、ウィリアムは驚愕を露わにしながら黒髪の乙女へその鋭い視線を向けていた。

 

『え、えっと、そんな怖い顔で睨まないで欲しいのだけれども……』

『……』

 

 ナナホシはウィリアムの殺視線に怯むも、勇気を奮い立たせて日本語にて話しかける。

 そんなナナホシに対し、ウィリアムは沈黙を返していた。

 

(ここで殺すか……?)

 

 ウィリアムは静かに殺気を滲ませながら、そう思考する。

 日ノ本言葉を理解する人間に、奥義“流れ星”を見られている。異世界人ではあの術理を解明できるまでに時間がかかるであろうが、同じ日ノ本の人間ならば異世界人より早く虎眼流の術理を解明してしまうかもしれない。

 もっとも“流れ星”以上の奥義(・・・・・・・・・・)を開眼せしめていたウィリアムは、今更“流れ星”を切り札にするつもりはなかったのだが。

 どちらかと言えば、日ノ本言葉を解する人間によってウィリアムが会得する虎眼流の術理流出を防ぐ必要があった。

 

 ウィリアムはいずれはこの世界でも虎眼流の看板を立て、弟子を取りその術理を伝承する腹積もりではあったが、今はその時ではなく、術理が明らかになっていない“有利な状況”の内にこの異世界にて“天下無双”の頂に立とうとしていた。

 この異世界にて全く知られていない日本剣術は、術理が全く知られていないというだけで異世界の剣士達と対するには十分なアドバンテージとなりうるのだ。

 

 ウィリアムは右手を構えナナホシの細い首に視線を向ける。

 虎眼流剣士にとって、たとえ素手であっても人体破壊を容易く行えるのは今更言うまでも無い事であり、ましてや平成日本の一般的な女子高生でしかないナナホシの命を奪うことは、ウィリアムにとってまさに“朝飯前”であった。

 

「ナナホシ。その言葉ってルディも使ってた言葉だよね? ウィル君も知ってるの?」

「あ、いえ、これは、その……」

 

 シルフィエットが唐突に発した言葉に、ナナホシはしどろもどろになりながら応える。シルフィエットの言葉を聞いたウィリアムは、咄嗟に滲ませていた殺気を消し、右手を下ろしていた。

 

「ルディには“同郷”って言ってたよね? 結局あの後ははぐらかされたけど、ルディとナナホシは本当はどういう関係なの? ナナホシが転移する前の世界と関係があるの? それとも龍神が関係しているの?」

「えっと、これは……なんていったらいいのかしら……」

 

 言葉を濁しながら、ナナホシは慌ててポケットから3つの指輪を取り出そうとする。だが、素早くテーブルに身を乗り出したシルフィエットによって、ナナホシはその手を掴まれた。

 

「ッ!」

「ナナホシ。なんで魔道具を出すのかな? 別にボクはナナホシに対して危害を加えるつもりはないよ?」

 

 乱暴に掴まれた事で、ナナホシの指輪がテーブルの上に落ちる。同時に、ナナホシのポケットからとある紋様が描かれた(・・・・・・・・・・)小さなポーチが床に落ちた。

 そのポーチはナナホシが転移前から所持していた物であり、同級生からはややセンスを疑われる程の“渋い”代物であった。

 

 僅かに怯えた表情でシルフィエットに目を向けるナナホシ。抑揚の無い声でナナホシを問い詰めるシルフィエットの表情は固く、その心の奥底ではナナホシがフィットア領転移事件の原因である事を未だに“恨んで”いた。

 ルーデウスと結婚し、披露宴にも呼び、こうして風呂を貸し朝食を共にするようになってから、ナナホシにはそのわだかまりは解けたかのように思えていた。だが、離れ離れになり、やっと再会した“義弟”が殺気めいた警戒心を露わにしていたのを察知したシルフィエットは、再びナナホシに対し怜悧な敵意を向けていた。

 

「シ、シルフィ姉……」

 

 突然発生したこの修羅場に、アイシャはあたふたと狼狽えながらナナホシとシルフィエットを交互に見やる。

 救いを求めるかのようにウィリアムへと視線を向けると、ウィリアムは先程とは比較にならぬ程の驚愕を露わにし(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)、床に落ちたポーチを目を剥いて見つめていた。

 

「ウィル兄ぃ……?」

 

 アイシャの言葉が聞こえていないのか、ウィリアムは大量の脂汗を浮かべ全身を震えさせていた。尋常ではないその様子に、アイシャもまたそのポーチに目を向けた。

 

 ポーチには、“丸に三つ葉葵(・・・・・・)”の紋が描かれていた。

 

「シルフィエットッ!! その手を離せぃ!!!」

「ひぇッ!?」

 

 突如大音声を発したウィリアムに、シルフィエットはビクリと身体を硬直させ、掴んでいたナナホシの手を離す。

 同様にアイシャや、ナナホシまでも雷に打たれたが如く硬直し、ウィリアムが放つ猛烈な怒気にその身体を震わせていた。

 

 ウィリアムは椅子から転げ落ちるように床に這いつくばると、そのまま勢いよく頭を打ち付けナナホシに向け日ノ本言葉を発した。

 

 

『恐れ多くも東照大権現様ゆかりのお方(・・・・・・・・・・・・)とは露知らず! 平に! 平に御容赦をッ!!』

(ええええぇぇぇ!!!???)

 

 

 “丸に三つ葉葵”

 

 通称“徳川葵”が放つ時空を超えた威光に、ウィリアムの前世における魂が強烈な反応を引き起こしていた。

 

 呆然とその光景を見つめるシルフィエットとアイシャに構わず、ウィリアムはひたすらに床に頭をこすり続けている。

 突然シルフィエットに手を掴まれたショックと、いきなりのウィリアムのこの行動で思考停止状態に陥ったナナホシは、やがてバタリと仰向けになって気絶し果てた。

 

 

 半狂乱で謎の言語で許しを請い続けるウィリアム、いきなり倒れたナナホシ、ウィリアムの怒気をまともに浴びて茫然自失となったシルフィエット、それらを見て大混乱に陥るアイシャ。

 ルーデウス邸のリビングはノルンを伴ったアリエル王女一行が訪れるまでカオスな状況が続くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十六景『鬼島津残酷夢想絵巻(おにしまづざんこくむそうえまき)

  

「姫、静香姫!」

「う……うーん……」

 

 顔面に大きな刀傷が残る精悍な顔付きの老武士が、ナナホシの肩を揺さぶる。

 やや乱暴に揺り起こされたナナホシは朧気な表情でその老武士を見つめた。

 

「やっと起きもしたな姫!」

「え、あ、はい。ていうか姫って。あの、ここはどこですか? たしか私はルーデウスの家で……」

 

 困惑しつつ辺りを見回すナナホシ。

 ルーデウス邸にて徳川葵紋がプリントされたポーチを見たウィリアム・アダムスは、ナナホシが神君家康公ゆかりの者であると盛大に勘違いをし、平身低頭して風呂場での一件を詫びた。

 その自身を奉る過剰な反応により、精神的な負荷に耐えきれなくなったナナホシは失神し果てた。

 だが、覚醒してみれば自身が居るのはルーデウス邸ではなく純和風の座敷であった。

 

 座敷の襖は開け放たれており、そこから見える白砂の庭には(かみしも)を纏った若い侍達が控えている。若侍達と、自身の隣で豪放な気を放つ老武士が纏う裃には“丸に十文字”の紋が繕われていた。

 

(丸に十文字ってたしか島津氏の……それに、この格好は……?)

 

 不可解な現状に困惑しつつ、ふとナナホシは自身が纏う服装がいつものセーラー服とは違う事に気付く。

 見れば、ナナホシは豪華な打掛型の小袖を纏っていた。安土桃山期に武家の女がよく身につけいた“桃山小袖”と呼ばれるそれは、色鮮やかな柄で彩られており、不思議とナナホシに良く合っていた。

 

 しかしながら覚醒した直後のこの行き成りの状況に増々困惑するナナホシ。老武士はそんなナナホシにお構いなく、合戦さながらの勢いで言葉をかけた。

 

「ささ、姫! 姫が待ちに待った“ひえもんとり”がおっ始まるでごわす!」

「ひえもんとり?」

 

 聞きなれぬ、しかしどこか不穏な言葉にナナホシは眉を顰めて老武士を見やる。

 ぐふ、ぐふと不気味な笑いを浮かべる老武士の視線の先に目を向けると、白砂の庭に見知った若武者が褌一丁で鎮座していた。

 

「ウィリアム・アダムス!?」

 

 褌一丁で沈鬱な表情を浮かべながら座しているのはウィリアム・アダムス。

 何がどうしてこのような状況に至ってしまったのか、ナナホシは理解が追いつかずただただ困惑するばかりである。

 

「んでは戦心(いくさごころ)を養う薩摩の軍法“ひえもんとり”をば御覧くいやい!」

「え」

 

 困惑するナナホシに構うこと無く、老武士は“ひえもんとり”の開始を宣言する。その一声を合図に、控えていた若侍達が一斉に立ち上がると裃を脱ぎ放ち、褌一丁となって猿叫を上げながらウィリアムに殺到した。

 

「チェストオオオオオ!」

「ぬわあぁぁぁぁぁぁ!」

 

 血気勇猛な若侍達が生虜(ウィリアム)めがけて突進し、剛力のみでその生き肝を奪い合う!

 多勢に無勢か、ウィリアムはさして抵抗も出来ず薩摩の若侍達の手によりその肉体を四散せしめた。

 彼らが得物を持たぬ理由は、野郎同士が傷つけ合わないようにする為。

 “ひえもんとり”とは“生臭いもの(肝臓)を取る”という薩摩の方言であり、人体の生肝は当時妙薬として売買されていた。ひえもんとりを始めとした様々な薩摩式武練で、若者達は比類なき“武家者(ぼっけもん)”としてその武魂を育むのだ!

 

「ウゲェッ!」

 

 突如現出した凄惨な人体解体の現場に、ナナホシは花も恥じらう可憐な女子高生らしからぬ汚い吐瀉声を発しながら口を押さえる。

 血海に沈むウィリアムの残骸を見て、ナナホシはその顔をみるみる青白く変化させた。蒼白となり必死になって口を押さえていると、若侍の中から両胸に大きな傷跡が残る美麗の若者がウィリアムの生肝を握りしめながら歩み出で来た。

 

「武市千加太郎、ひえもんとりもした!」

 

 血が滴る生肝を、得意げな表情でナナホシと老武士の前に掲げる千加太郎と名乗る若者。

 その異常ともいえる光景にナナホシはまたも卒倒しかけるが、何故かナナホシの肉体は気絶を拒否していた。

 存分に返り血を浴びた千加太郎に老武士は目に涙を溜めながらその勇猛さを讃える。

 

「流石は怪力のお千加! 乳房ひっ千切って野郎の仲間入りしただけのこたぁあう!」

「え!? あの人女性なの!?」

「ひえもんとりもした!」

 

 老武士が言い放つ驚愕の事実に、ナナホシは凄惨な光景を忘れてその姿を見やる。

 言われてみれば、千加太郎はどこか女性的な腰つきをしており、褌に隠された股間は他の若侍達とは違い内槍による盛り上りは一切見受けられなかった。傷跡が残る胸元は、剛力にて己の乳房を引き千切った痕なのだろう。

 

 趣向を凝らした白砂の庭が瞬時に血の海と化した異常な光景に、ナナホシは恐れ慄くばかりであった。が、ふと白砂の庭がざわめき始めたのに気付いた。

 

「ル、ルーデウス!?」

 

 白砂の庭に唐突に現れたのは、これまた武家の裃装束を纏ったルーデウス・グレイラットであった。

 裃には三本の槍を組み合わせたミグルド族の守護紋様が繕われている。

 茶髪に西洋人の顔付きを持つルーデウスが裃を纏う姿は、どうみても日本被れのおのぼり外国人がコスプレをしている姿にしか見えず。

 ナナホシは先程からの怒涛の展開に思考が追いつかず、コスプレ姿のルーデウスをただ呆然と見つめ続ける事しか出来なかった。

 

「それがしの弟の“ひえもん”獲りたるは貴殿でござるか?」

「いかにもおいどんでごわす!」

 

 ゆるりと千加の前に歩み出たルーデウスは、裃をはだけながら殺気を込めた視線を送る。

 その視線を受けても尚、千加太郎は不敵な笑みを絶やすことはなかった。

 

「“泥沼”ルーデウス・グレイラットと申す。素手にてお手合わせ願おうか」

「いやあなたそんなキャラじゃないでしょ」

 

 冷静にツッコミを入れるナナホシを無視するかのように裃を脱ぎ捨て、褌一丁になるルーデウス。

 逞しく割れた腹筋をどこか誇らしげに見せつけるルーデウスに、千加太郎は獰猛な肉食獣の如き笑みを浮かべる。そのまま、ナナナホシの横に座る老武士に顔を向けた。

 

「殿! やってしまってもよかですか!?」

 

 殿と呼ばれた老武士が不敵な笑みを浮かべながら、ぐっと親指を立て力強い薩摩言葉を放った。

 

「チェスト関ヶ原!」

「ようごわすとも!」

「なにが!?」

 

 改めて説明するが、『チェスト関ヶ原』とは島津家の隠語で『ぶち殺せ!』という意である!

 尚余談ではあるが、後に島津家中及び薩摩における『チェスト関ヶ原』は若干の変質を遂げており、関ヶ原の戦いにおける島津義弘の無念の心中を思いながら「チェースト関ヶ原!」もしくは「チェスト行け! 関ヶ原!」と叫ぶ事で諸々の理不尽に耐える薩摩隼人の習慣となっていった。

 また現代においても関ヶ原の戦いがあった九月十四日に島津義弘が祀られた徳重神社で「チェスト関ヶ原!」と叫びながら武者姿で練り歩く“妙円寺詣り”なる催事が毎年行われており、鹿児島市内の小学校でも『チェストいけ!』と書かれた鉢巻を締めた児童達が市内から約30km離れた徳重神社へ行軍する学校行事が毎年行われている。

 

 狼狽するナナホシの横で、ふと聞き覚えのある獣人乙女達の声が聞こえた。

 

「ボスは不死魔王どんを木っ端微塵にしたっちょニャ」

「あれはバーディどんが油断しちょったなの。でもこれはチェスト関ヶ原でごわすからなの」

「だから何であんた達もいるのよ!!」

 

 何故か裃を纏ったリニア、プルセナが怪しげな薩摩言葉を使いつつルーデウス達の立ち合いを分析していた。可愛らしくデフォルメされた犬と猫の紋が入った裃を纏い、ぴこぴこと揺れる獣耳と尻尾が武家装束と併せて中々の趣きを見せている。

 そんな獣人乙女達に思わずツッコミを入れたナナホシであったが、白砂の庭では既にルーデウスと千加太郎の立ち合いが始まっていた。

 

「うおおおおおおおお!」

 

 猛然と千加太郎に向け突進するルーデウス。魔術師らしからぬ肉体言語を駆使するルーデウスに、千加太郎はウィリアムの肝を自身の褌に収納しながら迎撃体勢を整えた。

 血に濡れた両手を広げる千加太郎にルーデウスの拳が襲いかかる。千加太郎はその拳に合わせ鋭い貫手をルーデウスに見舞った。

 

「チィェストオオオオ!」

「ぎゃあああああああ!」

 

 否、これは貫手にあらず。単純な暴力なり。

 千加太郎の強烈な突きを受けたルーデウスは、盛大に肉片を飛び散らせ(はらわた)を破られながら生き肝を奪い取られた。

 ちなみにルーデウスの渾身の拳は千加太郎の顔面を掠める事なく、豪快に空を切っていた。

 

「ひえもんとりもした!」

 

 右手にウィリアムの肝、左手にルーデウスの肝を掴みながら誇らしげにグレイラット兄弟の肝を掲げる千加太郎。

 アヘ顔ダブルピースならぬドヤ顔ダブルレバーである。

 そんな怪電波を受信する程、ナナホシの脳髄は混乱の極地に達していた。

 

()っちくれたごつな千加(ちっかー)!」

 

 はらはらと感激の涙を流しながら千加太郎を褒め讃える老武士。

 褒められたのが嬉しいのか、増々獰猛な笑みを深めながらナナホシへ近づく千加太郎。

 全身を返り血で真っ赤に染めながら近寄る千加太郎に、ナナホシは恐怖の表情を浮かべながら後ずさった。

 

「ひえもんとりもした!」

「い、いやぁ! 近寄らないで!!」

 

 生肝を掴みながらナナホシへにじり寄る千加太郎。その後ろではいつの間にか白砂の庭に降り立ったのか、リニアとプルセナがルーデウスの破られた腹腔内にせっせと生米を詰め込んでいた。

 

「ごったましかチェストニャ!」

「今宵は“泥ころめし”で飲み明かすなの!」

「チェストぐれいらっと!」

「ひえもんとりもした!」

「リニアーナ・デドルディア、炊き上がるまで目瞬(まばた)きせぬニャ!」

「ざまたれなの!」

「よか燃え頃にごつ!」

「琉球ぬ獅子(シーサー)腹空かせと〜ん」

「ひえもんとりもした!」

 

 両手に生肝を掴みながらにじり寄る千加太郎、涙を流しながらサムズアップする老武士、喜々として米を詰め込まれたルーデウスを燃え盛る炎に放り込む獣人乙女達。

 

 (けだもの)の如き薩摩者(さつまもん)が織り成すエキセントリックなこの状況に、ナナホシの自我はついに崩壊の時を迎えた。

 

 

「も、もういやあああああああああああ!!!」

 

 

 絹を切り裂くような叫び声と共に、平成日本乙女の視界は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああああああああぁぁぁ!!!」

 

 絶叫と共にがばりと起き上がるナナホシ。

 ぜぇぜぇと荒い息を吐き、全身に汗をかきながらしっとりと濡れた髪をかき上げ、恐る恐る辺りを見回す。

 ナナホシが居る場所はあの血塗れた白砂の薩人現場、もとい殺人現場ではなく、見知ったルーデウス邸の客間であった。

 

『ゆ、夢……?』

 

 深い安堵の溜息を吐きながらナナホシは日本語をぽつりと漏らした。自身が横になっていたソファに体重を預けつつ、客間室に差し込む日の光を目を細めて見つめる。

 見ると、既に日は中天に差し掛かっており、随分と長く意識を失っていたのだと気づいた。

 それにつけても、あの夢は無い。ナナホシはこの異界の地にて、それなりには修羅場を経験して来たつもりではあった。

 絶対強者の龍神の庇護の元ではあったが、異界の地を旅する過程で少なくない血を見てきたつもりである。

 

 だが、素手にて人体を解体し、あまつさえ人間の腹腔内に米を詰めて食そうとする凄惨な光景は、夢とはいえ流石のナナホシもどん引きする内容であった。

 

『御目覚めでござりましょうや』

「ひゃああぁぁぁぁぁ!?」

 

 傍らに、太刀を抱えたウィリアム・アダムスがへつらいの笑みを浮かべながら日ノ本言葉にてナナホシに声をかける。

 不意をつかれたナナホシは素っ頓狂な声を上げるも、ウィリアムは泰然としてそれを受け流していた。

 

『痛ましや……さぞやこの異界の地にて御心労が絶えなかったのでござりましょう』

 

 へつらいの笑みを一変させ、今度はひどく沈鬱な表情を浮かべるウィリアム。

 若干芝居がかった様子ではあったが、困惑するナナホシにそれを見抜くことは出来なかった。

 

『お拾いしておきました』

『あ、ありがとうございます……』

 

 ウィリアムは懐から丁重に葵紋がプリントされたポーチを取り出す。

 丁寧な手つきで差し出すそれを、ナナホシは憔悴しつつ受け取った。

 

(いや、それハンズで500円で買ったものなんですけど……)

 

 などと口が裂けても言えない。

 ナナホシは卒倒前に目にしたウィリアムの葵紋に対する過大な反応から、その前世は同じ日本人であると改めて確信していた。

 ただし、どのような不可思議な現象が働いたのか検討もつかなかったが、恐らく……いや、間違いなくウィリアムは自身とは異なる時代に生きた日本人、少なくとも徳川家の威光が通じる江戸時代辺りに生きていた日本人である事は疑いようもなかった。

 故に、ナナホシはウィリアムのこの強烈な勘違いを是正するべきか否か、起き抜けにして頭を抱える羽目になった。

 

 不逞の獣人共を圧倒的な暴力で叩きのめし、あの死神と壮絶な秘剣の応酬を演じたウィリアム・アダムス。そんな鬼神の如き相手に“自分は徳川家とは一切関係無いただの一庶民です”などと宣うものなら、ナナホシの首と胴体は瞬時に別れる事となるだろう。

 この平成日本女子高生は、本能でそれを感じ取っていた。

 

 頭を悩ますナナホシに、ウィリアムは深々と平伏しながら言葉を述べる。

 

『畏くも東照大権現様に連なる御方とは露知らず……湯殿での御無礼、本来ならば腹を斬って詫びねばならぬ所業でござります』

『え、いや、それは』

 

 沈鬱な表情で頭を垂れるウィリアムに、ナナホシは狼狽える。

 (さむらい)の本能が見せる徳川葵への畏れ抱く様子に、平成日本のごく平凡な乙女は慄くばかりであった。だが、目の前で割腹自殺をされるのは流石にやめてほしかった。というより人間の(はらわた)をこれ以上目にしたくなかった。

 ナナホシはウィリアムの割腹を止めようと懸命に言葉を絞り出そうとした。

 

『えっと、その』

『しかしながら』

 

 しかしナナホシの言葉を遮るように、虎の鋭い声が響いた。

 

『腹を切る前に、仕置きつかまつりまする』

『え?』

 

 ぞっとする程冷えた声色に、ナナホシは思わず身を竦める。

 

『御方をかかる異界の蛮地へと至らしめた元凶めを、仕置きつかまつりまする』

 

 色のない瞳でそうナナホシに宣言するウィリアム。刀を抱えたままナナホシを異界転移せしめた元凶を成敗せんが為、静かな殺気を纏っていた。

 

 ナナホシはその怜悧な殺気を受け息を呑むが──

 

 

(ていうかお風呂の事誤魔化そうとしてるだけじゃないの)

 

 

 その通りであった。

 怜悧な殺気を受けてかえって冷静になったナナホシはまじまじとウィリアムを見つめる。ウィリアムの頬は僅かにひくついており、まるで悪事を働いた子供が親に叱られないよう懸命に話題を逸している印象が見て取れた。

 ナナホシは深い溜息をつくと、ウィリアムに努めて言葉を選びながら口を開いた。

 

『あの、とりあえずお風呂の事は水に流します……』

 

 ぴくりとウィリアムの眉が動く。発していた殺気が霧散し、みるみる安堵の空気が虎の全身から発せられた。

 ナナホシの言葉を受け、ウィリアムは再び平身低頭してへつらいの笑みを浮かべた。

 

『へへぇ』

 

 深々とへつらいの笑みを浮かべながら平伏するウィリアム。

 グレイラットの家族には決してみせぬこの表情は、ウィリアムが前世にて培ってきた上役への処世術であった。

 

 とはいえ、ウィリアムがこの異界の女子高生にここまでへりくだるのは単に徳川葵の権威にひれ伏しただけではなく。

 

 この異界の地に自身の魂が転移せしめ、また兄のルーデウスまでもが同じ日ノ本の民の魂を宿している事、さらにいえば前世の愛刀七丁念仏までもが転移した事実から、日ノ本の民が“そのままの姿で転移”しうる事はあり得ぬ話ではない。

 ナナホシもまたそのような異界転移に巻き込まれたのだろうと、ウィリアムは当たりをつけていた。

 

 だが、その転移人(てんいびと)がまさか“三つ葉葵”の印紋を持ちうるとは予想だにせず。

 葵紋を目にした瞬間、本能的に頭を垂れたウィリアムであったが、直後には冷静にその頭脳を働かせていた。

 

 貴人の、それも絶大な権威を誇る徳川家の子女に対してのあのような無礼な振る舞い。

 当然ながらウィリアムはもとより、ナナホシが無事日ノ本へと帰還を果たした場合、前世での御家、岩本家になんらかの処罰が下る事は疑いようもなく。

 

 この異界の地では徳川家の威光は全くと言っていい程通用しない事はウィリアムも十分承知していた。故に、一時はナナホシを人知れず葬り去って事無きを得ようかとも考えた。

 しかし、卒倒し、うなされながら眠るナナホシの寝顔を見つめていく内に、この異界に女子がたったひとりで生き抜いて来れたのには何れかの強者の後ろ盾があるのではと思い至る。

 それに加え、仮にナナホシの口を封じたとしても万が一己の所業が“あちら”へと伝わってしまったのなら意味がない。

 それどころか貴人を弑逆せしめん事が更に罪を深くするのは想像に難くない。

 ならば、転生前と同じく徳川家へと忠義を尽くし忠功を立てる事で己の所業を帳消しにし、ひいては御家を守る手は他に無いのではなかろうかと。

 

 あわよくば前世では成し遂げれなかった“徳川家直臣”の地位を得て、岩本家を大盤石の重きに導く事が出来れば……。

 ウィリアムはナナホシの寝顔を見つめながらそこまで思い至り、抜きかけた七丁念仏を鞘に納め乙女の覚醒を座して待ち続けた。

 

 前世にて岩本家の行く末を見守る事が叶わなかったウィリアムは、転生しても尚、御家を守らんとする(さむらい)の本能から逃れる事は出来なかったのだ。

 

 

 だが、ウィリアムは知らない。

 

 岩本家が、一人娘の三重が子を成す前に自害し果て、その家名を断絶させていた事を。

 虎眼流も相伝した藤木源之助が“駿河藩槍術指南役”笹原修三郎と御前試合後に様々な因縁の元で立ち合い、その秘奥を他者に伝える事なく絶命し果てた事を。

 免許皆伝者で唯一生き残った金岡雲竜斉が立ち上げた江戸虎眼流も、ナナホシが生きる現代ではその秘奥は失伝して久しかった。

 諸行無常とはまさにこの事であるが、ウィリアムは岩本家や虎眼流の何もかもが途絶えた事実を知る事は叶わなかった。

 

 だからであろうか。

 ウィリアムが此度の人生でこそ虎眼流を天下無双の剣術に押し上げるべく“異界天下無双”を目指していたのは、日ノ本で失われた虎眼流を異界の地へと根付かせ、断絶した岩本家の無念を晴らす為なのだと本能的に察していたからなのではなかろうか。

 

 深々と頭を垂れる若虎は、前世での宿業と悲願を滲ませながら懸命にへつらいの笑みを浮かべていたのだ。

 

 

 頭を垂れ続けるウィリアムを見て、ナナホシは再度深い溜息をつきながら思い悩む。

 この勘違いを如何にして穏便に(・・・)是正するには、一体どのような話術を持ってあたれば良いのだろうかと。

 

(うん、ルーデウスがいないと無理ね)

 

 しばらく悩み抜いた平成日本女子高生は、結局は己一人ではこの強烈な“勘違い”を是正する事は不可能だと結論付けた。

 少なくとも事情を知り得るであろうルーデウスと一緒ならば、穏便に自身が徳川家ゆかりの者でないと説明が付くのではと。よしんばウィリアムが事を荒立てようとしても、ルーデウスがいるならなんとかなるのではと。

 

 ならばしばらくはこの勘違いを利用すれば、気になっていたあれこれを聞き出すには都合が良いのではないかと、この平成日本女子校生は強かにその頭脳を働かせていた。

 もっともルーデウスはウィリアムの前世を知っているわけではなく、またその実力がウィリアムより上であるという保障はどこにも無いが。

 目の前で七代列強“死神”を相討ち同然とはいえ仕果たした若虎の実力を、この平成日本女子はすっかり忘れていた。強烈な“夢”から醒めた衝撃がまだ抜けていなかった為、仕方のない事なのかもしれないが。

 

(そうとなれば、まずはその正体を聞き出さなきゃね……)

 

 居住まいを正し、ウィリアムに頭を上げるよう促したナナホシはぐっと腹に力を込めて日ノ本言葉を発する。

 腹をくくった女子高生に、虎は神妙な顔付きでその顔を上げた。

 

『貴方の……前世でのお名前を、聞いても宜しいでしょうか?』

 

 努めて丁寧な言葉で話しかけるナナホシ。腹をくくったとはいえ、あの恐ろしい立ち合いを見た後ではあからさまに尊大な態度を取る事は、平凡な女子高生でしかなかったナナホシには到底出来る事では無かった。

 ナナホシの丁寧な問いかけに、虎もまた丹田に力を込めて日ノ本言葉を返した。

 

『掛川藩兵法指南役、岩本虎眼』

 

 虎は今生で初めてその前世での正体を余人に明かす。

 それを受けたナナホシは、その偏った日本史知識を総動員してウィリアムの前世での境遇を察知せんとした。

 

(掛川藩って事は少なくとも幕藩体制が始まったって事だから……)

 

 ナナホシの知識は戦国時代から江戸初期、そして幕末から明治初期に偏ってはいたが、“掛川藩”という名称を聞いた事でウィリアムがやはり江戸時代の人間であった事は判明した。

 更に情報の確度を上げるべく、ナナホシは質問を重ねる。

 

『藩主はどなたでしょうか?』

『安藤帯刀先生(たちはきせんじょう)(直次)様であらせますれば』

 

(ええと、安藤って安藤直次でいいのよね。直次が掛川藩主だった時代は江戸初期だから……岩本虎眼?)

 

 ふと、ナナホシは“岩本虎眼”という名に引っかかりを覚える。

 日本で某刀剣擬人化ゲームに嵌っていたナナホシは、影のある美麗の若者に擬人化していた刀剣の由来を思い出し、やや興奮気味にウィリアムへと言葉をかけた。

 

『もしかして、その刀って“虎殺し七丁念仏”ですか!?』

『左様で……』

 

 ウィリアムは丁寧な声色でナナホシに言葉を返したが、直後に呻くような日ノ本言葉を発した。

 

『“虎殺し”と申されましたか』

『ひっ!』

 

 再びウィリアムから怜悧な殺気が発せられる。

 ナナホシは瞬時に己が“失言”した事を理解し、その身を再び竦ませた。

 

(馬鹿! 私の馬鹿! そうよ! 岩本虎眼が亡くなったから“虎殺し”の名前が付いたんじゃない!)

 

 貴人に対し質問を返す事は無礼極まりなく、本来ならばこのような返しは到底許されるものではなかったが、ウィリアムは自身が持つ“七丁念仏”に“虎殺し”なる異名が付いた覚えは無かった。

 鋭い視線で訝しげにナナホシを見やるウィリアムに、乙女は全身に冷たい汗を流しながら必死で言葉を紡ごうとした。

 

『えっと、それは、ええっと』

『……』

 

 虎の射抜くような視線に、乙女はしどろもどろになりながら言葉を紡ぐ。

 もし、この事から自身が徳川家ゆかりの者ではないとバレたら。

 先程想像した己の残酷な未来を思い浮かべたナナホシは、増々その舌をもつれさせていた。

 

 

「アダムス様。サイレント様の意識は戻りましたか?」

 

 訝しげな視線を送るウィリアムに怯えるナナホシであったが、ふとノック音と共に扉越しから響く貴人の声を聞いた。

 

「目覚めましてござりまする」

「それは結構。では、入ってもよろしいですね?」

 

 扉が開かれ、気品な佇まいで客間に入ってきたのはナナホシも良く知るラノア大学生徒会長、アリエル・アネモイ・アスラであった。

 

「あ、アリエル王女!?」

「ご機嫌ようサイレント様。こうして会うのはルーデウス様の披露宴以来ですね」

 

 微笑を浮かべつつナナホシを見やるアリエル。思いもかけない人物の登場に、ナナホシは違う意味で再び狼狽していた。

 アリエルに続き、シルフィエット、アイシャ、ノルンも客室に入る。最後に入ってきたのは何故か大きく腫らした顔を押さえるアリエルの従者、ルーク・ノトス・グレイラットであった。

 何故ここにアリエルがいるのか、また何故ルークは痛そうに顔を腫らしているのか。

 再び現出した不可解な現実に、ナナホシの思考は停止寸前であった。

 

「ナナホシ、その、ひどい事してごめんなさい……」

「え?」

 

 シルフィエットが沈鬱な面持ちでナナホシに言葉をかける。困惑するナナホシに、恐らくこの状況に至った理由を知るウィリアムに目を向けるも、虎は澄まし顔でその様子を見るばかりであった。

 

「それにしても、まさかサイレント様が神の血筋(・・・・)を引く御方だとは思いませんでした。知らなかったとはいえ、今までの非礼をお許しくださいませ」

「は?」

 

 突然アリエルが放った爆弾に、ナナホシは再び固まる。

 虎はどこか誇らしげであった。

 

「あたしも知らなかったよ。ナナホシさんがそんな凄い血筋の人だったなんて」

「セブンスター先輩もお姫様だったんですね」

「ナナホシ、ほんとにごめんなさい……」

 

 アイシャとノルンもナナホシへ向けどこか敬いの念がこもった瞳で見つめている。

 その隣で鬱々とした表情を浮かべるシルフィエットも、自身がしでかした事を反省しっぱなしという面持ちであった。

 

(ウィリアム・アダムス!!!)

 

 きっとウィリアムを睨みつけるナナホシ。この若虎は、自らの勘違いを余人にまで広げていたのだ。

 乙女の責めるような視線を受けても尚、虎は泰然としていた。

 

「しかし神の血筋とは一体どの神の事なのでしょう? 詳しく知りたいところですね」

 

 追い打ちをかけるようにアリエルがナナホシへと言葉を向ける。残酷な夢から覚め、その直後に虎と危険な綱渡りを演じていた乙女の精神は、もはや限界であった。

 

「今はまだ、覚めてから御心が覚束ない御様子。暫し時を置かれるよう……」

「それもそうですね。セブンスター様、いずれまた詳しくお話をお聞きしたいと思います。ではアダムス様、お話の続きを」

「承知つかまつりました」

 

 しかし限界を迎えた乙女を気遣うようにウィリアムがアリエルへ言葉を返す。

 それを受けたアリエル達は、挨拶もそこそこにルーデウス邸のリビングへ向かうべく客間を離れる。

 立ち上がったウィリアムは呆然とソファに座るナナホシに一礼し、アリエル王女達に続いた。

 

 一人残されたナナホシは、魂が抜け落ちたような白い顔で日本語を呟いた。

 

 

『ルーデウス、はやくもどってきて』

 

 

 この瞬間、グレイラット家の誰よりもルーデウスの帰還を待ち望んでいたのは、虎の強烈な勘違いを受けたナナホシ・シズカのみであった。

 

 

 

「あの、ウィルくん……。ナナホシとウィルくん、それにルディって結局どういう関係なの……?」

「“秘”です」

「えぇ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・えのころめし
薩摩地方で江戸時代ごろに食されていたとされる料理。内臓を抜いた仔犬の腹に米を詰め炊き上げたもの。
薩摩では身分の貴賎を問わず食されていたイメージがあるが、実際は上流階級しか食せなかった高級料理である。薩摩の地が稲作に不向きなシラス台地なので米が貴重品であるのが理由の一つだが、それ以前に薩摩では乱獲によって野犬がほぼ絶滅していた。徳川綱吉が『生類憐れみの令』を発布してからも薩摩では野犬の生息数が増える事はなかった。
『犬の仔→えのころ』というように訛ったのが名称由来の定説で『犬を殺ろす』が訛ったというのは実のところ誤りである。

参考
とみ新蔵『薩南示現流』
津本陽『夢のまた夢』
大田南畝『一話一言 (日本随筆大成) 』
知り合いの鹿児島県民


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第十七景『異界転移甲州超鋼(いかいてんいこうしゅうちょうこう)

 

 永禄四年(1561年)

 信濃国北部

 川中島八幡原

 

「え、越後勢じゃあ!!」

 

 日が登りきらぬ払暁時。

 白色の濃霧に紛れ、“毘”の旗印と共に黒色の軍勢が現出する。

 

 上杉弾正少弼政虎……後に“軍神”とまで謳われた越後の龍、不識院謙信によって率いられた精鋭軍団が、粛々と千曲川を渡っていた。

 対岸にて陣取る赤色の軍団、甲州武田軍は、濃霧に紛れ突如現れた上杉軍に動揺の色を隠せない。

 

 唵 吠室囉 縛拏野 莎賀(オン ベイシラ マンダヤ ソワカ)

 

 唵 吠室囉 縛拏野 莎賀(オン ベイシラ マンダヤ ソワカ)

 

 唵 吠室囉 縛拏野 莎賀(オン ベイシラ マンダヤ ソワカ)

 

 “軍神”毘沙門天の真言が、川中島一帯におどろおどろしく木霊する。

 万を越す上杉の軍勢が一心に真言を唱え、粛々と渡河を進める。馬の嘶きさえ聞こえない、その異様にして不気味な光景。

 精強無比で知られた甲州兵ですら得体の知れない恐怖を感じずにはいられず、身に付けた甲冑を震わせるしかなかった。

 

「御館様、申し訳ありませぬ。政虎めに裏をかかれ申した……」

「策士策に溺れるとは。大笑(おおわら)(のう)、勘助」

「面目次第もござりませぬ……」

「是非も無し。事に至っては、もはや正面から戦い抜くまでよ」

「ははっ!」

 

 軍扇を手にし、陣中にて備えられた床几に腰を下ろしながら黒色の軍勢を睨みつけるは甲斐の虎、武田徳栄軒信玄。

 脇に控えるは信玄無二の軍師、山本勘助晴幸。出家してからは“道鬼斎”と号していたが、主君である信玄からは出会った当初から勘助と呼ばれ続けていた。

 勘助もまた、真言を唱えながら進軍を続ける上杉軍をその隻眼にて見やる。

 自身の秘策が謙信の慧眼によって破られた事で、勘助は渋面を浮かべていた。

 

 北信濃の覇権を巡り、川中島の地にて四度目の激突と相成った甲越両軍。

 武田の智将、山本勘助が献策した上杉軍撃滅の秘策“啄木鳥戦法”は、高坂昌信、馬場信房らが率いる武田軍別働隊が妻女山に陣を敷く上杉軍を背後から奇襲し、追い立てられた上杉軍を信玄率いる武田軍本隊が挟撃、包囲殲滅せしめる必勝の策であった。

 まるで啄木鳥が樹木内に潜む獲物を捕獲するかの如き巧妙な作戦。だが、事前に別働隊の動きを察知した上杉軍が先手を打って信玄率いる本隊を強襲する事で、勘助必勝の“啄木鳥戦法”は失敗に終わる。

 上杉軍を掃滅するどころか、逆に主君を窮地に陥いれる事態となり、勘助は増々渋面を強めていた。

 

「勘助。妻女山へ向かった昌信らが戻ってくるまで、(みな)には守りを固めるように伝えよ」

「ははっ!」

 

 使い番を呼び寄せ各将へと下知を飛ばす勘助。

 武田軍本隊八千に対し、上杉軍一万三千。

 妻女山へ向かった武田軍別働隊一万二千が到着するまで、数に勝る上杉軍の猛攻を耐え凌ぐ事が出来るか。

 

 信玄は軍扇を握りしめ、再び上杉軍へと視線を向ける。

 上杉軍は真言を唱えるのを止め、獣の如き喊声を上げながら武田軍前衛へと襲い掛かった。

 武田軍本隊は別働隊との挟撃を効果的に行うため、包囲殲滅陣となり得る“鶴翼の陣”を敷いていた。それに対し、上杉軍は“車懸りの陣”にて薄く広がった武田軍前線へと波状攻撃を仕掛ける。

 たちまち戦場では甲越両軍により弓、槍、鉄砲が入り乱れ、前線では足の踏み場も無い程の混沌が生まれた。

 

 武田軍本陣ではその混沌とした戦場を信玄、勘助主従が険しい表情で見つめていた。

 

「せめて、“人間城(にんげんじょう)”が落成しておれば……」

「言うな勘助。あれは上洛し、武田が天下一統を成し遂げる為の切り札よ。政虎如きに使う代物では無いわ」

 

 山本勘助が拵えし武田軍の切り札、巨具足(おおぐそく)舞六剣(ぶろっけん)

 人間城とも称されたその巨大人型機動兵器は、信州諏訪の地にて諏訪神党が建造に従事していたが、完成は元亀三年(1573年)まで待たねばならなかった。

 

 川中島全体を包んでいた濃霧が晴れる。日が中天に差し掛かるにつれ、戦況は徐々に武田軍不利へと傾いていった。

 時が経つ程、信玄の元へは味方の苦戦、将帥の戦死報告が舞い込む。

 

「初鹿野源五郎様、諸角豊後守様、討ち死に!」

典厩(てんきゅう)信繁様、討ち死に!」

「太郎義信様、前線にて孤立!」

 

 次々と舞い込む使い番からの戦況報告。“風林火山”の旗印の元、信玄は瞑目しながらそれを受けていた。

 実弟武田信繁の戦死、嫡男武田義信の窮地を聞いても尚、甲斐の虎は不動の姿勢を貫く。

 さながら、不動(うご)かざること山の如し。

 

 信玄の傍らにて同様にその報告を受けていた勘助は、やがて何かを決意したかのように信玄へとその隻眼を向けた。

 

「御館様。某は一隊を率い太郎様の助太刀に参りまする」

「勘助……」

「上手く運べば、そのまま政虎めの本陣をつけるやもしれませぬ」

 

 一礼し、不具と成った片足を引きずりながら自身の馬へと跨る。馬上にて、再度その隻眼を信玄に向ける勘助。その瞳は、僅かに潤んでいた。

 

「御館……いえ、晴信様。永らく、お世話になり申した。しからば、御免」

「……」

 

 馬首を翻し、戦場へ向け駆ける勘助。その様子を信玄は黙って見送っていた。

 勘助が生きて戻るつもりが無い事を、信玄は理解していた。しかし、決死の覚悟で戦場へ向かう隻眼の軍師を止める事は、甲斐の虎には出来なかった。

 

(すまぬ……勘助……)

 

 瞑目し、軍扇を握りしめる信玄。天下統一の為の西上作戦を成功させるには、後顧の憂いを絶つべく北信濃における上杉の勢力を打ち払わねばならない。

 だが、それを成し得る為の犠牲はあまりにも大きく。

 甲越両軍の兵士達の屍が積み上げられていった戦場へ、隻眼の軍師は主君の大義を背負い馬を走らせていった。

 

 

「拡充具足を持てい!」

 

 付き従う配下の士に向け大音声を発する勘助。それを受けた従士は驚愕の眼差しを勘助へと向ける。

 

「道鬼斎様! 拡充具足はひとたび着装すれば寿命が五年縮む武具! 左様なお体で着装すればもはや二度とは……!」

「戯け! ここが勘助の死に場所と心得よ!」

 

 従士の忠告を一蹴する勘助。拡充具足は戦場に於いて強力な兵器となり得ていたが、その着装者には身体を蝕む程の過負荷を強いる事になる。

 勘助の肉体で再び拡充具足を纏う事は、即ち死を意味していた。

 

「越後の者共よ! 道鬼勘助の威容しかと拝め! 石火着装!」

 

 勘助の後方にて追従する打込式鎧櫃の砲口から具足の各部位が射出される。

 撃ち出された具足は勘助の身体へと“瞬着”し、馬上には神武の超鋼を纏った鎧武者が現出した。

 その威容は、正に鬼神の如く。

 全身を鋼で覆われた勘助の大音声が、戦場へと響き渡った。

 

「閃獄拡充具足“不動”! 皆の者! 此度の勘助の武勇、夢忘るる事なかれ!」

 

 

 超鋼を纏いし鬼武者を先頭に、上杉軍へ向け赤色の軍勢が突貫する。

 

 軍師山本勘助晴幸、最期の奉公であった。

 

 

 この山本隊の突撃により前線にて孤立した武田信玄が嫡男、武田義信は窮地を脱し、逆に上杉軍本陣を強襲せしめる事となる。

 また、妻女山へ向かった高坂昌信らの別働隊が川中島へと到着した事で、それまで劣勢だった武田軍は息を吹き返し、形勢不利となった上杉軍は川中島北部に位置する善光寺へと撤退していった。

 撤退する最中、武田軍本陣へと直接切り込みをかけた謙信は信玄に手傷を負わす事に成功するも、結局は戦局を打開するまでには至らなかった。

 

 甲越両軍による壮絶な死闘となった“第四次川中島の合戦”にて、武田信玄は多くの優秀な将を失う事となる。

 特に実弟武田信繁、軍師山本勘助を失った事は、その後の信玄の西上作戦にも大きな影響を与え、上洛する為の遠征軍の編成は当初の計画より大幅に遅れる事となった。

 

 武田義信を救出し、上杉軍本陣へと逆襲を果たし、川中島の地にて討ち死にし果てた山本勘助。だが、その遺体は誰にも見つかっていない。

 一説には勘助は生き延びて武田信玄の影となり、様々な諜報活動に従事したとも伝えられている。また、元和元年(1615年)に現出した怨身忍者“霧鬼”が巨具足“舞六剣”を得る為の手助けをした、との伝説も残っている。

 

 しかし、勘助が川中島の合戦にて着装した拡充具足“不動”は、後の世になっても終ぞ発見される事は無かった。

 

 合戦の後、戦場清掃に駆り出された付近の農民達は、勘助が討ち死にしたと思われる場所に乳白色の霧(・・・・・)が立ち込めるのを目撃した。

 

 

 また、その上空には、妖しく煌めく赤い珠(・・・)が──

 

 

 

 

 


 

 甲龍歴423年

 ベガリット大陸南部

 転移の迷宮

 

「パウロ! 今回はもうだめだ! 引き返そうぜ!」

 

 撹乱用の煙幕弾を放りながら猿顔の冒険者が鬼気迫った表情を一人の剣士へと向ける。

 通路から無数に湧き出る魔物の群れを剣で薙ぎ払いながら、パウロと喚ばれた剣士が猿顔の冒険者へと応えた。

 

「クソッ! ギース! お前なんでマッドスカルがいるのに気づかなかったんだ!」

「んなこと言われてもよぉ!」

 

 剣士──元S級冒険者パーティー“黒狼の牙”のリーダーであり、ルーデウス・グレイラット、そしてウィリアム・アダムスら転生者兄弟の父パウロ・グレイラットが、悪態をつきながら目前の魔物アイアンクロウラーへと渾身の剣撃を放つ。

 

「おらぁ!」

 

 生々しい音と共にアイアンクロウラーはその重戦車のような体躯から黄土色の体液を噴出させ息絶えた。

 

「パウロ! まだまだ出てくるぜ! 気をつけろ!」

 

 ギースと呼ばれた猿顔の冒険者──魔大陸の魔族、ヌカ族最後の生き残りであるギース・ヌーカディアが、通路奥から新手のアイアンクロウラーが湧き出るのを見て警告を発する。

 アイアンクロウラーの後方では泥で覆われた人型の魔物、マッドスカルが魔物の群れを統率する様子が見て取れた。

 マッドスカルは非常に知能が高い魔物で、周囲の魔物を呼び寄せ統率するという習性を持っており、泥の怪物に率いられた無数の魔物の軍団が迷宮の深部から現出していた。

 

「パウロさん! ギースさん! 伏せてください!」

 

 パウロ達の後方から蒼髪の魔法少女、水王級魔術師ロキシー・ミグルディアが杖を振りかざし、その可憐な唇から魔術の詠唱が唱えられた。

 

「落ちる雫を散らしめし、世界は水で覆われん。『水蒸(ウォータースプラッシュ)』!」

 

 ロキシーの周囲に無数の水玉が浮かび、弾丸の如く魔物の群れへと飛散する。水弾の威力は魔物を仕留めるまでには至らなかったが、怯んだ魔物達はその足を止めた。

 

「タルハンドさん!」

 

 間髪入れず横に立つ炭鉱族(ドワーフ)の男へと合図する。

 炭鉱族、元“黒狼の牙”のメンバー、厳しき大峰のタルハンドが杖を振りながら、その厳つい声を張り上げた。

 

「大地の精霊よ! 我が呼び声に応え堅甲なる壁となれ!『土壁(アースウォール)』!」

 

 パウロ達の目前に魔術により形成された土の壁が現出する。

 通路内から湧き出る無数の魔物はこの土壁に阻まれ、パウロ一行の追撃を困難にせしめた。

 

「今の内じゃ! とっとと退くぞ!」

 

 タルハンドの号令により、一行は即座に撤退を開始する。

 パウロは暫し土壁を睨みつけていたが、やがて踵を返して迷宮上層へ続く道を駆けていった。

 

(クソッ! また失敗か……! ゼニス……!)

 

 苦杯をなめるかのように唇を噛み締めながら迷宮内を駆けるパウロ。忸怩たる思いを抱えながら、またも迷宮攻略に失敗し、愛する伴侶を救い出せなかった事がパウロの心を蝕んでいた。

 

 迷宮深部にて囚われた伴侶、ゼニス・グレイラットを救い出すべく、転生者兄弟の父親は1年以上この転移迷宮に挑み続けていた。

 が、ベガリット大陸でも屈指の難易度であるこの“転移の迷宮”は、迷宮攻略で名を馳せた“黒狼の牙”元メンバーが3名揃っても尚、その深部へと到達する事は叶わず。

 水王級魔術師であるロキシーの助力を得ても、迷宮攻略を成し得るまでには至らなかった。

 

「クソオォォォォッッ!!!」

 

 咆哮と共に、無念の表情を浮かべ、転生者兄弟の父親は迷宮を脱出せんと駆け抜けていく。

 愛する伴侶と、家族と再び再会するまで、転生者兄弟の父親はその脚を止める事は無かった。

 

 

 

 

「やれやれ……これで何度目の失敗かのう」

 

 迷宮都市ラパン

 

 “転移の迷宮”から脱出し、迷宮攻略の拠点である迷宮都市へと帰還した一行は、根城にしている宿屋へと辿り着くと、装具をそのままに各々休息を取り始めた。

 どっかりと宿屋食堂に設けられた椅子に腰を降ろすタルハンド。ロキシーもまた疲れた表情を浮かべながら腰を下ろした。

 

「予想以上に迷宮の魔物が強力ですね……そもそも転移魔法陣があれだけあると、どの魔法陣が深部につながっているかわかりません……」

「ギースのマッピングも芳しく無いしのう……困ったことじゃ」

 

 転移の迷宮は迷宮内部に無数の転移魔法陣が設置されており、その魔法陣を潜らねば迷宮深部へと到達する事は叶わず。

 また、迷宮内部の魔物はこの転移魔法陣を熟知しているのか、転移魔法陣の先には魔物が群れを成している事も多々あった。

 巧妙に偽装された転移魔法陣も存在し、罠にかかった冒険者達は魔物の群れに囲まれ、その贄となる。

 嘗て高名な冒険者、アニマス・マケドニアスがこの転移迷宮に挑んだ際も、迷宮深部まで到達する事なく転移魔法陣の罠にかかり、仲間を失った事で攻略を断念した事はあまりにも有名な逸話であった。

 

「旦那様、ご無事で……」

「リーリャ……。すまない、また失敗した」

「いえ、旦那様がこうして無事に戻ってきた事がなによりです。きっと、奥様も無事に救い出せると思います」

「ああ……そうだな……」

 

 パウロ・グレイラットの第二夫人、グレイラット家のメイド、リーリャ・グレイラットが、同じく憔悴したパウロを気遣いながら言葉をかける。

 転移事件の後、実子アイシャ・グレイラットと共にシーローン王国へと転移したリーリャ。シーローン王国第七王子パックス・シーローンの策略により軟禁生活を強いられていたが、フィットア領へ帰還途中のルーデウス・グレイラットにより救出され、そのままパウロが待つミリス王国王都ミシリオンへと向かう事となる。

 実子アイシャ、ゼニスの子ノルンを世話をしつつ夫であるパウロに献身し続けたリーリャであったが、ギースがベガリット大陸の迷宮にてゼニスが囚われているとの情報を得た事でパウロ一行はゼニス救出の為の行動を起こすこととなる。

 

 ルーデウスが居を構えるシャリーアへ護衛であるジンジャー・ヨーク、ルイジェルド・スペルディアと共にアイシャとノルンを送り出し、夫を支えるべく救出行に同行したリーリャであったが、ゼニス救出に失敗し続けるこの1年はパウロと同様にリーリャもまた相応に疲れ果てていた。

 

 転移事件が発生してから6年。リーリャにとって主であり、親友と言っても差し支えないゼニスは、生存が確認されているとはいえ未だ迷宮深部に囚われたままであった。

 

「旦那様。奥様を救い出した後は、ウィリアム坊ちゃまも見つけなければなりません。気をしっかり持ってください」

「ああ、そうだな……ウィルも、見つけなきゃだな……」

 

 リーリャの言葉に力なく応えるパウロ。伴侶を救い出した後、愛する次男も見つけねばならない。

 だが、居場所が判明しているゼニスはともかく、ウィリアムの居場所は転移してから6年経った今でも不明のままであった。

 ゼニス救出に失敗し続けるパウロにとって、ウィリアムの捜索は後回しにせざるを得ない。その事が、パウロの心を蝕む一因にもなっていた。

 

「ウィル……ウィルかぁ。あいつは今、どこで何しているんだろうな」

「旦那様……」

「きっと、俺に似て、イイ男になっているんだろうなぁ」

「……そうですね。きっと、旦那様に似て素敵な殿方になっていますよ」

 

 薄く笑みを浮かべながら優しげに応えるリーリャ。リーリャの笑顔を見て、パウロは僅かながらに気力を復活せしめた。

 パウロは幼少の時分に見せたウィリアムの精強さを思い浮かべる。

 兄、ルーデウスを一撃で打ち負かしたあの斬撃。また、常軌を逸した鍛錬を課していた武の権化ともいえる次男坊が、生半可な事では絶命しない事は想像に難くない。ロキシーがもたらした“魔界大帝”の情報でも、その生存が確認されている。

 この世界のどこかにいるであろう次男坊の成長した姿を想像する事が、迷宮攻略に失敗し続け憔悴したパウロの数少ない慰みにもなっていた。

 

 

「ところで、ギースの奴めはどこへ行ったんじゃ?」

 

 パウロ達の様子を見やりつつ、タルハンドは食堂にギースの姿が無い事に気づき怪訝な声を上げる。パウロの傍らに寄り添っていたリーリャが、その疑問に応えた。

 

「ギース様は『軍資金の調達に向かう』と仰っていましたが……」

「なんじゃ、もう賭場に行ったのかあやつは。元気が良いのう」

 

 ギースは不足しがちな資金を調達する為、迷宮で得た魔物の素材や迷宮内部の情報をラパンにて売却していた。しかし、それらよりも手っ取り早く稼げる賭博での資金調達を行う事が多く、黒狼の牙時代からのギースの資金調達法であった。

 もっとも苦しい時は確実に資金を増やしていたが、平時におけるギースの博打の勝率は暗澹たる有様であった。

 

「物資を購入するにも、攻略メンバーを雇う為にも、お金は必要ですからね」

 

 続けてロキシーが言葉を発する。迷宮攻略は数日、長い時は数週間は迷宮に潜り続けなければならず、必然的に食料等の物資を抱えて迷宮攻略に挑む必要があった。

 それらの消耗品に加え、パウロ一行は現地にて冒険者を雇い入れて迷宮攻略を行っていた。

 だが、転移の迷宮は難易度の高い迷宮で知られ、命を惜しんだ現地の冒険者達は中々パウロ達の攻略メンバーに参加する事は無く。

 中には命知らずな冒険者達が参加する事もあったが、そもそも一攫千金を狙うそれら冒険者達にとって、人命救助目的で迷宮攻略に挑むパウロ達と目的が一致しないというのもあり、参加しても直ぐにメンバーから外れる事が多々あった。

 パウロ達にとって、攻略メンバー集めは当初からの難題であったのだ。

 

「そうじゃな。今のままでは迷宮攻略の戦力が足りん。せめて、ロキシー並みの魔術師と、それなりに腕の立つ前衛がそれぞれもう一人欲しいとこじゃのう」

「もう私達に協力してくれる冒険者はラパンにはいませんからね……」

「悩ましいのう。暫くは攻略を控えたほうがいいかもしれん」

 

 深々と溜息を吐くタルハンド。ロキシーは俯きながらもそれに頷こうとしたが、少しばかり逡巡した後、自身の胸の内を明かした。

 

「いえ、近いうちにもう一度迷宮へ向かいましょう」

 

 ロキシーの言にタルハンドは目を丸くしてその可憐な瞳を覗く。

 離れたテーブルでその言葉を聞いたパウロもまた、蒼穹の魔法少女の瞳を胡乱げに見つめた。

 

「何じゃ。何ぞ気になる事でもあったか?」

「はい。実は、迷宮内部に白いモヤ(・・・・)が出ているのを見かけました」

「白いモヤ? パウロ、モヤなど迷宮内に出てたかのう?」

「俺はそんなのは見てないな」

 

 訝しげにパウロに尋ねるタルハンド。攻略パーティー前衛として常に最前線に居続けたパウロであったが、迷宮内部にてそのような不審な現象は目撃していなかった。

 

「三層の転移魔法陣の近くで発生していました。丁度、皆さんが休憩を終えて出発する時です。すぐに消えてしまったので、私もしっかり確認したわけじゃないのですが……」

「ふーむ……。じゃが、今までそのような現象は発生しておらんかったからのう。何か、重要な物があるのかもしれぬな」

「迷宮攻略の糸口になるかもしれません。それに、時間が経つと迷宮内部の構造も変化してしまうかもしれません」

「というわけじゃ。どうするパウロ?」

 

 タルハンドの言葉を受け、パウロはしばらく考え込むように瞑目していたが、やがてしっかりとした口調で方針を述べた。

 

「わかった。一応ギースの意見も聞きたい所だが、4、5日くらい休息を取ったら迷宮に行くとしよう。どのみち行くとしてもまた準備しなきゃならねえし」

「そうじゃな。ロキシーもそれでいいか?」

「はい。それでいいかと思います」

 

 パウロの方針に頷くロキシーとタルハンド。

 攻略失敗し続ける一行であったが、その闘志に陰りが差す事は無かった。

 

(ルディが来るまでにゼニスさんを救い出さないといけませんしね……来るかどうかはわかりませんけど)

 

 ロキシーは愛弟子であるルーデウスを思い浮かべる。

 シャリーアに居を構えるルーデウスへ向け、ギースが勝手に救援要請を出した事はパウロを始め迷宮攻略メンバーにとって既知の事実ではあった。

 だが、ルーデウスがその救援要請に応え向かってくるかどうかは不明であり、よしんば向かったとしてもシャリーアからここベガリット大陸まで1年以上はかかる。

 

 されど、長く攻略に失敗し続ける一行にとって、1年という時間は決して長いものではなく。

 ルーデウスが到着するまでには、ゼニス救出は成し遂げなければならなかった。

 

(ルディはどんな風に成長しているんでしょうかねえ……)

 

 ルーデウスが5歳の時に別れてからそれきりであったが、成長した愛弟子の姿を想像した蒼穹の魔法少女は、その表情を僅かに緩める。

 別れてから11年。人族の成長は早い。きっと、凄腕の魔術師になっている事だろう。

 

(それに、ウィリアム君も……)

 

 ロキシーはルーデウスの姿と共に、寡黙な幼子の姿も思い浮かべる。

 成長した虎子の姿は、一体どのような……

 

 そのような事を思いながら、ロキシーはぎゅっと拳を握りしめた。

 

 

(ゼニスさんも、ウィリアム君も、きっと無事に見つかります……きっと……)

 

 

 ロキシーは、幾度となく繰り返されたグレイラット家族の無事を静かに祈る。

 祈りながら、迷宮に囚われしゼニスの救出を固く誓うのであった。

 

 

 蒼穹の魔法少女を待ち受けるは迷宮の無数の怪物

 

 深部には魔力結晶から生まれし異界の大蛇が鎌首をもたげる

 

 囚われし菩薩は、救い手を導く事は叶わず

 

 

 そして、甲斐の鬼軍師の武魂が封入されし鎧もまた、迷宮にて異界における着装者を待ち続けていた……

 

 

 

 




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第十八景『王国崩学徒姫(おうこくくずれがくとのひめ)

前話の誤字報告に感謝致します。


 

 世評と実態の乖離については往々にして発生しがちなものであり、世界が違えど人の営みが続けられている以上避けられぬ事象である。

 

 例えば、幕末の維新志士と凄絶な死闘を繰り広げた“新撰組”

 彼らが隊内で処刑した朋輩の人数は、誅戮した維新志士達よりも多いという実態があり、商人を強請って活動資金を調達したり、証拠もなく疑わしき者を連行し拷問するなど、凡そ“誠忠”とは程遠い醜悪な一面を持っていた。

 実態を知らぬ者は新撰組浪士達が尊皇敬幕を掲げ、新たなる時代の胎動に逆走し、滅びゆく徳川幕府に殉じた清廉な義士集団と映るだろうが、現実には悪辣な行動を平然と行う物騒な集団であった事は確かである。

 

 六面世界においてもそれは同様で、アスラ王国第二王女アリエル・アネモイ・アスラは、ラノア大学留学時代貞淑な乙女として生徒達から慕われる人物で知られていた。

 だが、アリエルがアスラ貴族が持つ倒錯的な性的嗜好を持ち得ていたのは周囲のごく親しい人間にしか知り得ぬ事実であり、大半の人間はアリエルがそのような悍ましい性癖を持っていた事は終ぞ知る事は無かった。

 

 ある種の二面性を持っていたアリエルの人間性であったが、それとは別に王族が持つべき強かな腹黒さも、ラノア大学留学時代に培われていた事はごく親しい人間の中でも限られた者でしか知り得ぬ事であった。

 

 アスラ王都に“王”として舞い戻るべく、己の“大望”を燻らせていたアリエル。

 嘗て都落ちをせざるを得なかったのは、権謀を知らぬ己の無知と、自身が掌握していた武力が足りなかった為。

 身を挺して己の為に殉じた守護術士の無念を抱え、アリエルは日々強者との繋がりを求めていた。

 

 もう二度と、己を慕う忠臣を失わない為に。

 己の為に、命を落とした者達の悲願に報いる為に。

 落ち延びたアスラの姫君は、世間での印象とは真逆の苛烈な想いを胸に、着々とその牙を研いでいた。

 

 

 

 

 魔法都市シャリーア

 ルーデウス・グレイラット邸

 

 ウィリアムとナナホシとの奇妙な邂逅があった後、見舞いに訪れたアリエル・アネモイ・アスラとルーク・ノトス・グレイラット主従はウィリアムとルーデウス邸のリビングにて対座していた。

 アイシャが用意した来客用の茶を王族らしい優雅な手つきで口をつけたアリエルは、人心地ついた後ウィリアムへ向け嫋やかな笑みを向けた。

 

「さて。改めてご挨拶致します。私はラノア大学生徒会長、アリエル・アモネイ・アスラと申します。こちらは同じ生徒会のルーク・ノトス・グレイラットです。私共々お見知りおきを」

「ルークだ。宜しく頼む」

「……ウィリアム・アダムスと申す」

 

 ウィリアムはアリエル達へ向け一言、言葉を返す。

 あえてアスラ王国王族である事を名乗らずにラノア大学の一学徒である事を述べるアリエル王女であったが、虎は敏感に“アスラ”という姓に反応し、慇懃に言葉を返す。

 だが、同席していたシルフィエット、アイシャは、ウィリアムがグレイラットの姓を名乗らなかった事にやや悲しそうな表情を浮かべる。同席しているノルンも困惑した表情をウィリアムへと向けていた。

 そんなグレイラットの家族達の表情をちらりと見たアリエルであったが、構わず虎との会話を続けた。

 

「ルークはアダムス様の従兄弟に当たります。宜しくしてやってくださいな」

「そういう事だ。仲良くしてくれると嬉しい」

 

 柔らかに接するアリエル主従に対し、ウィリアムは変わらず無表情に言葉を返した。

 

「アスラ王家の御方とノトスの御子息に(まみ)える事が出来、光悦至極……」

 

 形式通りの言葉を返すウィリアム。大国アスラ、大貴族ノトスの名を聞いても虎は必要以上にへりくだる姿勢を見せなかった。

 もし、虎が神君の血筋を引く異界の女子高生と出会っていなかったら、また違った反応が見られたかもしれない。

 そのような事情は知らぬアリエルは、ウィリアムの反応を目敏く察知し、ほんの少し目を細めた。

 

「アダムス様。そのように格式張らなくても構いません。私達には普段通りに接してください」

「はっ……」

 

 アリエルの気遣いを受けても虎は変わらぬ態度を保ち続ける。

 慇懃な態度を保ち続ける虎に対し、アスラの王女はやや困ったような微笑を浮かべていた。

 

「今日はアダムス様の御見舞に伺ったのですが、お元気なご様子で安心しました」

 

 気を取り直し、紅茶に口を付けつつ気品のある表情を向けるアリエル。ルークは先程から頬を擦りながら、虎へやや固い表情を向けていた。

 

「あの、アリエル様。ちょっといいですか?」

「どうしましたシルフィ」

 

 ウィリアムとアリエル主従との会談を黙って見ていたシルフィエットであったが、堪りかねたかのようにその口を開いた。

 

「なんでルークは顔を腫らしているの?」

 

 ルークの顔を指差しながら怪訝な声を上げるシルフィエット。ルーデウス邸に来た時からルークの顔は何者かに殴打されたのか、痛々しく腫れていた。

 

「いや、まあそれはだな……」

「ほっとくと後引くよ。治してあげるよ」

「いや、これは戒めとして……」

「いいからいいから。アリエル様の手を煩わせたくなかっただけでしょ?」

 

 シルフィエットはルークの傍へ行くと、その腫れた頬に手を当て治療魔術を行使した。

 無詠唱魔術により即座に発揮された治癒効果により、ルークの頬の腫れは瞬く間に引いていく。

 ルークは完治した自分の頬を擦ると、シルフィエットに深々と頭を下げた。

 

「すまん……」

「いいよ別に。で、なんでそんな事になっちゃったの?」

 

 ひらひらと手を振りながら、シルフィエットはルークの怪我の原因を尋ねる。

 相変わらず逡巡し続けるルークであったが、アリエルが従者の代わりに口を開いた。

 

「実は、ここに来る途中二人組の獣族に絡まれまして。というか、絡まれたのはルークだけでしたが」

 

 アリエルはラノア大学からルーデウス邸へ向かう途中、二人組のミルデット族に因縁を付けられた事を簡潔に語る。

 丁度絡まれた場所は人の往来が少なく、二人組のミルデット族はルークの姿を見てしつこく絡んでいた。

 

「『お前はこがん流か?』と、しきりに言われてな。違うと言ったのだが、あまりにもしつこいし、アリエル様にも害があってはいけないと思って追い払おうとしたのだが……」

 

 力なく語るルークを見て、その後の顛末を何となく察したシルフィエットは微妙な表情を浮かべる。

 アリエルの守護騎士として常にアリエルの傍らに控えるルークであったが、ゴロツキ相手に不覚を取るのもどうかと思い訝しげにルークに視線を向けていた。

 

「ルーク。そういう時は穏便に済ませる物ですよ。相手の実力が分からないのに下手に強気に出たら、痛い目に会うのは分かってたでしょうに」

「申し訳ありません……」

 

 アリエルはルークをやんわりと窘めるように言葉をかける。幸いミルデット族の二人組はルークを殴打した後、そそくさと退散したが、一つ間違えればアリエルの身にも危害が及ぶ事態であった。

 ことアリエルが絡むと向こう見ずな行動を取りがちなルークに、シルフィエットは窘めるような目つきで見続けていたが、一つ溜息を吐くとアリエルと同じように労りの言葉をかけた。

 

「最近は物騒な獣族の人が増えたもんね。災難だったねルーク」

「そうだな……不甲斐ない事だが」

 

 共にアリエルに忠誠を誓うシルフィエットは、ルークの行動を徒に謗る事は出来ず。もし同じ状況なら自分も不逞な獣族に真っ向から立ち向かっていただろう。

 もっとも、単騎で強力な魔物を滅しうるシルフィエットと、あくまで凡庸な戦士でしかないルークとの実力の差は雲泥であった事は確かであるのだが。

 

 ウィリアムはアリエル主従とシルフィエットのやり取りをさも興味が無さそうな様子で聞いていたが、“虎眼流”の名がルークから出た事でピクリとその鋭い眼尻をひくつかせた。

 

「ところでアダムス様。“こがん流”とはアダムス様の流儀ではありませんか?」

 

 そのようなウィリアムの様子に目ざとく反応するアリエル。無双虎眼流の名は、徐々にこの異世界に浸透しつつあった。

 

「……左様で」

「やはりそうでしたのね。三大流派以外で七大列強に叙されたのは、とても凄い事です」

 

 ウィリアムは虎眼流の名を聞いた以上に“七大列強”という言に反応する。啜ろうとしていた茶を置き、鋭い視線をアリエルへと向けた。

 

「それがしが七大列強と?」

「ええ。アダムス様は“死神”に代わり新たな七大列強に叙されています。この紋様に見覚えはありませんか?」

 

 アリエルは懐から一枚の紙を差し出す。

 そこに刻まれていたのは、剣五つ桜に六菱の紋様。

 前世の家、岩本家の家紋を眼にした虎は、驚きの表情を隠せないでいた。

 

「ご存知かもしれませんが、七大列強の碑石は列強に叙された御方のシンボルが刻まれています。アダムス様のお召し物にも同じ紋様が描かれていたのでもしやと思いましたが、その御様子ではやはりアダムス様縁のシンボルのようですね」

 

 虎はテーブルの上に置かれた岩本家の家紋を凝視し続けていたが、やがてゆっくりと瞼を閉じ、深く瞑目する。

 アリエルは変わらずウィリアムへ向け言葉をかけていたが、虎の耳にはアスラ王女の言葉は耳に入ってこなかった。

 

 あの死神との一戦。

 相討ちしたばかりか、相手に情けをかけられ命を繋いだ虎にとって、己が死神に代わり新たな七大列強に除された事は正しく寝耳に水であり……それ以上に、虎の中である種の寂寥感が広がっていた。

 

(これしきか……)

 

 完勝とは言い難いあの戦いで得た称号は、虎にとって価値がある物では無かった。

 みしり、と拳を握り瞑目するウィリアムに、周囲はやや困惑した表情を浮かべていた。

 

 アリエルもまた沈黙し続けるウィリアムにやや困ったような表情を浮かべるが、やがて居住まいを正し、ルーデウス邸から退去するべくルークへと声をかけた。

 ウィリアムの様子伺いという目的を達した以上、これ以上グレイラットの家族の団欒を邪魔する程アリエルは不粋では無かった。

 

「……そろそろお暇しましょうか、ルーク」

「はい、アリエル様」

 

 ルークもまた同じ気持ちだったのか、アリエルへ頷くと立ち上がり、主君の椅子を引く。

 ルーデウスとはまた違った意味で距離が測り辛いウィリアムは、ルークにとってやや苦手な部類の人間であった。

 

「ではまたお会いしましょう。アダムス様。シルフィも体調には気をつけてくださいね」

 

 アリエルはルーデウス邸玄関へと向かうべく立ち上がると、優雅な一礼をウィリアムへ向けた。

 ウィリアムは僅かに頭を下げ、それに応える。

 

「ノルンさんやアイシャさんもまたお会いしましょう。サイレント様にも宜しくお伝えください。それでは」

 

 見送るグレイラットの家族に一礼し、落人の姫君はルーデウス邸を後にした。

 

 

 

 

「ルーク。貴方から見て、アダムス様はどのような御方と見ましたか?」

 

 ルーデウス邸を出たアリエル主従は無言でラノア大学学生寮へ歩いていたが、おもむろに後ろに控えるルークへアリエルが声をかける。

 ルークはしばらく考えるような素振りを見せた後、しっかりとした口調でアリエルに応えた。

 

「アリエル様。私はこのシャリーアへ来てから様々な人間と出会ってきました。ルーデウスも変わった男でしたが、ウィリアムは特に余人と一線を画する男かと思います」

 

 良く言えば寡黙。悪く言えば不遜な若者。ルークがウィリアムに対し抱いた印象は概ねそのような物であった。

 

「ただ……我々に対して興味が無いように見えました。権力や権威が通用しない相手かと」

「私は違う印象を受けました」

 

 ルークのウィリアムへの印象を聞き、アリエルは即座にその意見を否定する。

 アリエルはアリエルでウィリアムの一挙一動をつぶさに観察し、虎が隠し持つ本質をある程度見抜いていた。

 

「ルークはあまり知らない事かもしれませんが、王宮で似たような御方が何人かいたのを覚えています」

 

 嘗てアスラ王宮にて自儘に振るっていた時分、宮廷政治の舞台において海千山千の輩がいた事を思い出すアリエル。王位継承を争った第一王子派の貴族達……特に、己をこのような境遇に陥れた元凶であるダリウス大臣の顔を思い起こしたアリエルは、僅かに顔を顰めていた。

 第二王女派の旗頭として擁立されたアリエルに、リストン卿を始めアリエルに忠誠を誓っていた貴族も多くいたが、それらの貴族はダリウス大臣の狡猾な奸計によって権力の座から叩き落されている。

 転移事件が発生した際、転移した魔物から身を挺してアリエルを守った守護術士デリック・レッドバットの遺志と、アリエルに賭けて没落した貴族達の無念を、落人の姫君はそのか細い肩に背負っていたのだ。

 

「仕えるべき主人に対し、狂信的な忠誠を誓える御方……権勢を求めていて、その権勢を認める者にしか忠誠を誓わない……絶対的な強者にして、被虐的な従者の気質……例えるならそのような感じでしょうか。ルークやデリックとは違ったタイプですが、本質的には同じですね」

「はあ……」

 

 滔々と語るアリエルにやや気の抜けた返事を返すルーク。自分とあの不遜な若者が同じ扱いをされるのに納得がいかない様子であった。

 

「確かに、あの御方は今の(・・)私には露ほども興味が無いでしょう」

 

 歩きながらルーデウス邸でのウィリアムの様子を思い起こすアリエル。権力闘争に敗れた弱者であるアリエルに、虎は一切の興味を抱かなかった。

 虎が興味を示すのは、強者のみ。

 

「ですので、今はそれとなく友誼を図るだけでいいのです。わかりましたね、ルーク」

「はい。アリエル様」

 

 アリエルの言葉にしっかりと頷くルーク。どのみち、あの虎を“こちら側”に引きずり込むにしても、しばらくの時がかかりそうであった。

 

(終始“アダムス”というお名前で呼び続けるのに拒否感を見せなかった……やはりルーデウス様達とは距離を置いていますね……)

 

 アリエルはウィリアムがシルフィエット、ノルン、アイシャに対して見せていた態度も目ざとく観察していた。

 ルーデウスは、おそらくシルフィエットの為にある程度は協力をしてくれるだろう。

 だが、出来ればルーデウスとシルフィエットにはアスラの政争に拘らず穏やかな人生を過ごして欲しい……そのような想いがあったアリエルは、グレイラット家と一線を引くウィリアムという強者がいる事は、ひどく都合の良い事であり。

 虎を配下に収める事は、ルーデウスに比べて何ら抵抗感を抱かなかった。

 

(欲しい……なんとしても……)

 

 “しかるべき日”の為に、流浪の強者を配下に収めるべく、捲土重来を誓うアスラの姫君は強かにその頭脳を働かせていた。

 

 

 

 

 


 

 一流の剣術者は常日頃から刀の手入れを怠らない。

 戦国の世に生きる侍達は想像以上に己の刀を大切に扱っていたものである。

 

 アリエル達との対面を終えたウィリアムはしばし瞑目していたが、やおら立ち上がると“七丁念仏”が置かれている客間へと向かった。

 シルフィエットら家族の者達へは簡潔に刀の手入れをするとだけ伝え、さっさと客間へ篭り刀の手入れを始めるウィリアム。

 アイシャが置いたのか、七丁念仏はウィリアムの荷物と共に丁重に安置されていた。

 

 ウィリアムは床に胡座をかき、鞘に納められた七丁念仏をゆっくりと引き抜く。死神戦で付着した血糊を落とすべく、水に濡らした布にて刀身を拭う。

 本来は即座に血脂を取り除かなければ鞘の中が生臭くなってしまうものだが、不思議と七丁念仏からは生臭い臭いは発しておらず。

 代わりに、濃厚な鮮血の香りが漂っていた。

 

 ウィリアムは乾いた布で水気を良く拭った後、荷物から“打ち粉棒”を取り出す。そのまま丁寧な手つきでポンポンと七丁念仏の刀身へ粉を軽く振りかけた。

 振りかけられているのは砥石を砂状に砕いた粒であり、この細かな粒子が刀身に残る古い油を除去する上で必要な代物であった。

 打ち粉にて古い油を除去した後、和紙に似た材質の紙を取り出し、ゆっくりと刀身を拭う。完全に油が除去された後、再び紙を用い、椿油によく似た性質の油をたっぷりと染み込ませ刀身に塗布する。

 常に新しい油を塗布しておくのも、鋭利な切れ味を保つための必要な条件であった。

 

 これら刀の手入れ道具をウィリアムは転移してからの旅路の途中、似たような素材から自らの手で作り出している。

 一流の剣術者であり兵法家でもあったウィリアムは刀工の知識も十分に持っており、異世界においても刀の手入れ道具を調達するのは難しくなかった。

 だが、七丁念仏は以前から大した手入れをせずともその妖しい輝きを保ち続けていた。妖気が漂う七丁念仏は、明らかに前世の時に比べ異様な変質を遂げていたのだ。

 

 一通りの手入れを終えたウィリアムは、七丁念仏の刀身をじっと見つめる。妖光を放つ七丁念仏の刀身は、前世を含め長い時を共に過ごしたウィリアムでさえ吸い込まれそうな程の魔力(まりき)を放っていた。

 

(七大列強……)

 

 刀身に映る自身の顔を見つつ、アリエルによりもたらされた七大列強に叙されたという事実を深く反芻していた。

 シャリーアへ来た当初の目的を見事に達成したウィリアムであったが、その心の貝殻は空虚な想いで満たされていた。

 

(あの死神の剣境は、明らかに剣神より劣っていた……)

 

 七大列強五位“死神”。普通に考えれば、列強六位の“剣神”と同格かそれ以上であろう。

 だが、両者と対峙したウィリアムは、死神の業前が明らかに剣神より劣っていた事を明確に感じ取っていた。

 ウィリアムは知るべくもなかったが、死神は長らく剣から遠ざかった生活を送っており、ウィリアムと立ち会った時は久方ぶりの“実戦”であった。

 全盛期にくらべ遥かに劣った実力であった死神と相討ち紛いの勝利しか掴めなかったウィリアムは、果たして己が本当に列強に相応しい実力なのかと自問する。

 少なくとも、剣神と同格以上になったとはとても思う事は出来なかった。

 

(己の業を、更に練り上げねばならぬ……)

 

 七丁念仏を鞘に納めながら、虎は再度己の業を磨く事を誓う。

 名を得ても、己の力は向上した事にはならず。

 もっと疾く。もっと強く。

 さもなくば、到底剣神とは渡り合えぬ。

 

『剣神……首を洗うて待っておれ……いずれ出鱈目に斬り刻んでくれるわ……!』

 

 怨嗟の日ノ本言葉を吐きながら宿敵との再戦を誓うウィリアム。あわよくば死神とも再戦し、完全勝利せしめて名実共に列強五位となり、剣の聖地へと赴き剣神流の何もかもを根絶やしにしたい怨嗟の衝動に駆られていた。

 

 

「……」

 

 だが、剣神流への怨嗟の激情にかられたウィリアムの心に、ふと黒き狼の姿がよぎる。

 僅かな間ではあったが、共に旅をしたあの女剣士は、真っ直ぐな恋慕を己にぶつけて来た。

 何故あそこまで慕われたのか皆目見当もつかないウィリアムであったが、口づけを交わした時、清々しい風が己の心に吹いた事は確かであった。

 

「あんな女子(おなご)だけは嫁にしたくないのだが喃……」

 

 優れた剣技と身体能力を持ち得ているにも関わらず、どこか抜けた様子があった剣王の姿を思い浮かべていく内に、ウィリアムは己の中の怨嗟の炎が鎮火していくのを感じていた。

 

「……うむ」

 

 平静となったウィリアムは改めて己が七大列強入りした事実を受け入れる。

 何はともあれ、列強入りした事によって己を狙う強者が増える事が想像に難くなく。

 その強者を片っ端から斬り伏せ、虎眼流を更なる高みに引き上げるのは、剣神を打倒し異界天下無双を目指す若虎にとって望ましい状況ではあった。

 

 

 七丁念仏を床に置き、静かに瞑目するウィリアム。瞑想するうちに先程まで対面していたアスラの姫君の姿を思い起こした。

 転移してからのウィリアムはとある事情(・・・・・)で暫くは一箇所に留まり続けていたが、こうしてシャリーアへ至る途上でそれなりに世の中の情勢を見聞きする機会はあった。

 アリエルはアスラ王国内の政争に敗れ、このシャリーアへと落ち延びた身分であり、列強入りしたウィリアムが必死になって売り込むべき相手ではない。

 とはいえ、今後あの姫君がどうなるのかは予想できる物では無かったが。

 

 ウィリアムの前世の日ノ本に於いて、没落した状況から再起を図り、天下に号令をかける例は室町の世の足利尊氏、鎌倉の源頼朝など枚挙にいとまがない。

 もっとも、それらは確かな実力と強力な運、そして支えてくれる優秀な家臣に恵まれていたから成し遂げられたのであって、大抵の没落者はそのまま歴史の影へと消え去っていったのも十分理解していた。

 

(いずれはあのアスラの姫君に己を高く売りつけるのも悪くない……が)

 

 王都へ舞い戻り、見事王権を奪取するか。それとも、このまま歴史の影に埋没していくのか。

 どちらにせよ、ウィリアムにとって今のアリエルへ仕官するという選択は現時点では全く考えられなかった。

 それよりも先に、虎には宿敵を滅するという宿命があるのだ。

 ウィリアムはそこまで思考した後、アリエルの一切を脳内から排除した。従兄弟と名乗ったルークについては、端から虎の脳内には存在していなかった。

 

 

 しばらく座して思考していたウィリアムであったが、ふとドアの向こうに人の気配を感じ取る。

 ドアの向こうから僅かに香る少女の匂いを嗅ぎ取った虎は、実妹である少女の名前を呼んだ。

 

「ノルンか」

「は、はい」

 

 ドアの向こうから、妹のノルンの上ずった声が上がる。

 緊張した声色で応えるノルンに、ウィリアムは少しばかり眼を細めていた。

 

「あの、入ってもいいですか……?」

 

 恐る恐る尋ねるノルンの声を聞いたウィリアムは、やや身体の力を抜いてそれに応えた。

 

「良い」

「あ、ありがとうございます……」

 

 ゆっくりとドアを開き、おずおずと半身を覗かせながら部屋へ入るノルン。

 ウィリアムは七丁念仏を自身の背後に置き、敵意が無い事を無意識に示していた。

 

「あの、ウィリアム兄さんに、ちゃんとご挨拶してなかったから……」

 

 モジモジと手を組みながら呟くノルンに、ウィリアムはそういえばそうだなと思い実妹の顔をまじまじと見つめる。

 成長したノルンはまだ幼さを残しているものの、記憶に残る幼女とは違いしっかりと乙女としての器が出来つつあった。

 うつむきながら尚も逡巡している少女に、虎は優しげに言葉をかける。

 

「近う寄れ」

「は、はい!」

 

 ウィリアムの言葉を受け、パッと顔を輝かせた少女はとてとてと小走り気味にウィリアムへ近付く。

 胡座をかくウィリアムの隣へと座ったノルンは、また手をこまねいてチラチラとウィリアムの顔へ視線を向けていたが、やがて意を決したように可憐な唇を動かした。

 

「あの、ウィリアム兄さん……」

 

 おずおずと言葉を紡ぐノルンに、ウィリアムは黙って少女の言葉を受けていた。

 

「あの、その、えっと……」

 

 尚もモジモジと手をこねながら言葉を濁すノルンに、ウィリアムはちらりと視線を向ける。

 少女の頬は朱を差しており、親猫に甘えようとする子猫のような仕草を見せていた。

 

「えっと、その……」

 

 うつむきながらチラチラとウィリアムを見やりつつ、か細い声を上がるノルン。だが、やがて勇気を振り絞って自身の願望を虎へぶつけた。

 

「お、お膝の上に乗っても、よろしいでしょうか……?」

 

 後半は蚊の鳴くような声でしか紡がれなかった言葉であったが、ウィリアムの耳は最後まで少女の願いを聞く事が出来た。

 ノルンは顔を真っ赤にしながら俯いてしまい、ぎゅっと自身のスカートの裾を握りしめる。

 

 ウィリアムはそんな妹の様子を眼を細めて見つめていたが、ひとつ溜息を吐くと短い言葉を発した。

 

「良い」

 

 ウィリアムの言葉を受け、再びパッと顔を輝かせながら笑顔を浮かべるノルン。

 再会した時は、血に塗れた修羅のような様相を見せていた兄であったが、今共に過ごすこの兄は記憶に残る優しい兄であった事を再確認し、ノルンは花が咲いたかのような可憐な笑顔を浮かべていた。

 

「じゃ、じゃあ、しつれいします……」

 

 内心、きゃーっと小躍りしながらおずおずとウィリアムの膝の上へと腰を下ろすノルン。

 妹の温かい体温を感じた虎は、久方ぶりに感じたあの優しい時間を思い出し表情を緩めていた。

 

「重くなった」

 

 ノルンが小さき時分に、同じように膝の上に乗っていた事を思い出したウィリアムは、あの時とは違い少女が成長していた事を密かに喜ぶ。

 死神との一戦から、虎は再び家族を慈しむ心を取り戻していた。

 

「……ウィリアム兄さん。女の子にその言葉はデリカシーが欠けてます」

「む……」

 

 そんなウィリアムの言葉に、ノルンは僅かに頬を膨らませながらウィリアムへと顔を向ける。

 少女の咎めるような視線を受け、虎は誤魔化すかのようにノルンの頭を撫でた。

 

「母上に似ておる」

「……お父さんにも、言われました」

 

 ウィリアムの手から伝わる温かい体温を感じ、ノルンは気持ちよさそうに目を細める。

 昔と同じように甘えさせてくれるウィリアムの身体に、少女はゆっくりと体重を預けていた。

 

 母ゼニスと同じ、美しい金髪を持つ少女の柔らかい髪を撫でるウィリアムは、ブエナ村での温かい営みを思い出し、再び瞑目する。

 己はあの時と同じような温かい時間を、果たして過ごす事は出来るのだろうか。

 ノルンの髪を撫でながら、虎は自身の中で己の野望と家族の慈愛がせめぎ合っているのを感じていた。

 

「ウィリアム兄さんと、こうしてまた会うことが出来て、嬉しいです」

 

 ウィリアムに体重を預けながら、ノルンは無垢な喜びを見せていた。

 転移してから六年。長兄ルーデウスと初めて会った時は、父パウロに対して暴力を振るった事もあり、潜在的にルーデウスという兄へ恐怖を覚えていた時期もあった。

 だが、次兄ウィリアムは幼い頃さんざん甘えていた事もあり、ゼニスと同じくらい再会を焦がれる存在であった。

 

「これも、聖ミリス様の……神様のお導きだと思います」

 

 両手を組み、静かに聖ミリスへと祈りを捧げるノルン。

 母ゼニスが嘗てそうであったように、ノルンもまたミシリオンで過ごす内に人の世界で一大宗教であるミリス教へと深く傾倒していった。

 こうして敬愛する兄と再会した事は、ノルンにとって神の導きによるものである事は疑いようもなかった。

 

「ノルン」

 

 そんなノルンにウィリアムはやや硬い声を上げる。

 その声は、ミシリオンにいた祖母クレア・ラトレイアがノルンを“叱る”時のような、厳しい声色であった。

 

神仏(かみさま)は尊びこそすれ、祈り願うべきものではない」

 

 だが、その言葉は祖母クレアが信ずる信仰と真逆の思想が現れていた。

 

 神罰など存在せぬ。あるのは人と人との摩擦から生ずる“災い”だけであり、“天災”とは自然の摂理也。

 

 言外にそのような思想を見せつけた若虎に、少女は僅かに慄きながら押し黙る。

 優しかった兄が、唐突に見せたその強烈な価値観は、ミシリオンで育んだ少女の清廉な価値観を根底から揺るがす物であった。

 ルーデウスや、パウロは少女のこの価値観に入り込んだ教育はしておらず。敬虔なミリス教徒の祖母による熱心な教育を受け続けたノルンにとって、ウィリアムの一言は素直に肯定出来るものではなかった。

 

 あまりにも現実主義者的な価値観であったが、当のウィリアムにとってそれはさほど異常なものではなく、戦国の世に生きる者達が普遍的に持つ価値観の一つであった。

 

 そもそも、神道の成立や仏教の伝来等、日ノ本の宗教は時の為政者達の“都合”によって根付いた性格が強い。

 戦国の世に瞬く間に日本中に広まったキリスト教も、高山ユスト右近、小西アウグスティヌス行長、細川ガラシャ珠、明石ジュスト全登ら狂信者達を除けば、支配者層が入信する理由は南蛮人との交易目的が殆どであった。

 布教活動を行っていた伴天連宣教師達も、本国からの密命を受け日ノ本を宗教侵略し、その隷下に治めるのを主目的としていた為、侵略行為を察知した豊臣秀吉、徳川家康によってキリスト教は“禁教”として弾圧の対象となる。

 

 このような神罰を恐れぬ行為を平然と行っていた戦国の武士達が、本心で神罰の類を信じているのならば、元亀二年(1571年)織田信長の手によって行われた比叡山延暦寺の大虐殺は起こり得ないはずである。

 信長はその11年後、本能寺にて明智光秀によって弑逆される運命にあるが、当時からしてそれを仏罰だと断じる者はいれど信じる者は皆無であった。

 もっとも延暦寺の仏僧達は仏法に外れた生臭坊主達であったという世評があり、信長が堕落に塗れた教団に鉄槌を下したという側面もある。

 比叡山の主は正親町天皇の弟である覚恕法親王であったが、この延暦寺の焼き討ちについて正親町天皇や朝廷勢力からの抗議は一切上がっていない。

 神罰を心から信じる者は、当時からしても少数派であったのだ。

 

 ウィリアムがヒトガミによる思想侵略から逃れる事が出来たのも、この前世における価値観が功を奏したのは言うまでもない。

 ウィリアムに言わせれば、ヒトガミとは端から盲信出来る相手では無かった。

 それだけに、己がまんまとヒトガミの術中に嵌っていた事が許せぬ事ではあったのだが。

 

 

 ノルンはしばらく押し黙っていたが、やがて躊躇いがちにその可憐な口を開く。

 兄の宗教的価値観に思う所はあったが、それだけにウィリアムが何を信じ、何を大事にしているのかが気になっていた。

 

「……じゃあ、ウィリアム兄さんが信じるものは何ですか?」

 

 ノルンの言葉を受け、ウィリアムはその胸の内を妹へと明かした。

 

「己が力と、“家族”のみよ」

「自分の実力と、家族……」

 

 ノルンはウィリアムの言葉をゆっくりと咀嚼する。

 信仰を否定された事はショックではあったが、やはりウィリアムは……大好きなウィリアム兄さんは、私達家族を大切に想ってくれている。

 その事を再確認したノルンは、片膝に置かれたウィリアムの手にそっと自身の手を重ねた。

 虎の手からは、嘗て覚えたあの温かいぬくもりが感じられた。

 

 だが、ここでも虎はあくまで前世での価値観から物を言ったまでに過ぎない。

 戦国の世において、主君、家臣、盟友といった“他者”は服従こそすれ信ずるに値する物では無く、数少ない心を許せる“他者”は血を分けた肉親のみであった。

 もっとも前述の織田信長や、武田信玄、斎藤義龍のように親兄弟に手をかけてまで己が覇道を突き進む者もいたが、当時の価値観からしてもそれは修羅の道といっても過言ではなかった。

 

 前世において忠弟の忠誠心すら疑ったウィリアムの苛烈な猜疑心は、今生においてもいまだ心の奥底に燻り続けていた。

 転移してから六年。あの地獄の様な日々の中、己の心の隙間に巧妙に入り込んだヒトガミを、一時とは言え全く疑っていなかった事が、却って虎の前世で培われた“猜疑心”を増大させていた事に、ウィリアム自身も気付いていなかった。

 

 現に、妹を膝の上に乗せている虎は、突然の襲撃が発生した際、そのまま妹を盾にしうる(・・・・・・・・・・・)姿勢を無意識の内にとってしまっている。

 本人ですら自覚していない、嘗ての乱世の覇王達と何ら変わらぬ修羅の如き気質は、前世の娘の幻影を見ても尚、虎の心の奥底に埋伏し続けていた。

 妹を慈しみながら、妹を盾にせんとする虎の歪な矛盾を、少女は察する事は出来なかった。

 

 

「ウィリアム兄さん」

 

 しばらく兄妹の間に沈黙が漂っていたが、やがてノルンがしっかりとした口調でウィリアムへと言葉をかける。

 ノルンには、ウィリアムと再会してからずっと疑問に思っていた事があった。この疑問は、ノルンだけではなくシルフィエットやアイシャまでも感じていた。

 

 その事を、迂闊に聞いてしまうと、大好きだったウィリアム兄さんがいなくなってしまうかもしれない。

 

 少女は本能的にそう思っていたが、ウィリアムが家族を想う気持ちを見せてくれた事で、少女の中でその心配は杞憂に終わっていた。

 

「兄さんは、何でグレイラットの名前を名乗らないんですか……? 転移してから、何があったのですか……?」

 

 きゅっとウィリアムの手を握りながら、ノルンはウィリアムが転移してからの経緯を尋ねる。

 転移した前と後で、兄は異様な変質を遂げてしまっている。自身と同じ、母譲りの美しい金髪が、空虚な程白く染まってしまった兄の変化は、転移した先が余程の苛酷な環境であった事は想像に難くなく。

 

 兄のそれまでを気遣う痛ましいまでの妹の想い。

 虎は、それを受け、ただ一言。

 

「地獄」

「えっ……」

 

 

「あれは、この世の“地獄”よ……」

 

 

 感情の一切が死滅したかのような虚ろな声色。

 ウィリアムの膝の上に座るノルンからはその表情は見えないが、グレイラットの家族が持つある種の感性が、兄が持つ本質を見抜いていた。

 ノルンの背筋に、ぞわりと悪寒が走る。

 急に、それまでの日向のような甘く馨しい温もりが失せ、極寒の地に裸で投げ出されたかのような不安が、ノルンの全身を貫いていた。

 

「ウィ、ウィリアム兄さん……」

 

 言葉を震わせながら、ゆっくりとノルンはウィリアムへと顔を向ける。

 ノルンは、今日初めてウィリアムの“眼”を見た。

 

 その瞳は──

 

 

 

「あっ! ノルン姉ずるい!」

 

 突然、朱髪の少女の快活な声が響いた。

 はっと振り向いたノルンの視線の先に、先程のノルンと同じように頬を膨らませ腰に手を当てたアイシャの姿があった。

 

「あたしもウィル兄のお膝の上に乗りたい!」

「え……」

 

 おずおずと入室したノルンとは打って変わり、ずんずんとウィリアム達の元へ向かうアイシャ。

 アイシャが入室した瞬間、ノルンは背中に感じていた悪寒が霧散し、再びウィリアムに温かい空気が戻っているのを感じていた。

 

「ウィル兄! あたしもお膝の上に乗せて!」

 

 子犬がじゃれつくようにウィリアムの首に抱きつくアイシャ。そんな妹を邪険に扱う事もなく、されるがままのウィリアム。

 ぐいぐいと抱きつくアイシャに、ウィリアムの膝の上からやや押しのけられたノルンは“怨み”の篭った呟きを吐いた。

 

「アイシャは添い寝してたじゃん……」

「えっ!? どこでそれを!?」

 

 驚きながらノルンへ振り向くアイシャ。

 昏昏と眠り続けたウィリアムへ密かに甘えていた事を、ノルンに知られていた事はアイシャにとって完全に予想外であった。

 

「シルフィさんから聞いたもん。アイシャの方がずるいよ」

「ぐぬぬ……でも、あたしまだウィル兄のお膝の上に乗ってない!」

 

 無抵抗な虎を良いことに、アイシャは強引にノルンを押しのけてウィリアムの膝の上に座る。

 両膝に妹達を乗せた虎は窮屈そうに身を捩らせていたが、さり気なく膝からこぼれ落ちそうなノルンをしっかりと抱きとめていた。

 

「ウィリアム兄さん……」

 

 ノルンは腰に感じる兄の温かい手を感じ、再びその瞳を覗く。

 困ったような表情を浮かべていたウィリアムの瞳は、ノルンの記憶に残る温かい火を宿していた。

 

(あれは、見間違いなのかな……)

 

 ノルンは先程垣間見えた孤高の憤怒とも言うべき業火と、目の前の穏やかな火を宿す兄が同一の存在である事が信じられず、やがて先のウィリアムの瞳を記憶から消した。

 

 あれは、白昼に見た夢。

 少女は自己防衛本能から、そう思う事にした。

 

「えへへ。久しぶりのウィル兄のお膝だ!」

 

 そんな思いを抱くノルンにお構いなく、アイシャは全力でウィリアムへじゃれつく。

 ぐりぐりとウィリアムの胸に自身の頭をこすりつけ、ぐいぐいとノルンを押しのけようと占領地を広げていた。

 

「ちょっとアイシャ! ウィリアム兄さんから離れなさいよ!」

 

 思わず抗議の言葉を上げるノルン。アイシャは不満げに口を尖らつつ反撃の狼煙を上げた。

 

「ノルン姉が離れなよ!」

 

 口撃を飛ばしつつ、見せつけるかのようにウィリアムにくっつくアイシャ。

 それを見たノルンも対抗すべく、ぐいとウィリアムへと密着する。

 虎の土俵の上で繰り広げられる少女達の苛烈な闘争は、激しさを増していった。

 

「アイシャがくっつきすぎなんだよ!」

「ノルン姉だってベタベタしすぎだよ!」

「アイシャの方がベタベタしてるじゃん!」

「ノルン姉だって!」

「アイシャだって!」

 

 膝の上でぎゃあぎゃあと喚く妹達を、やや疲れた表情で見つめるウィリアム。

 だが、不思議と不快ではなく、どこか懐かしさを感じる安らぎが、ウィリアムの中に広がっていた。

 

 栄達の為でも無く。

 ましてや求道の為でも無く。

 異界天下無双に至る為、孤高の憤怒に身を任せる若虎。

 そのような“魔剣豪”ともいうべき宿業を、無垢な姉妹が穏やかに鎮めていた。

 

 ルーデウス邸にて、六年ぶりに兄妹の穏やかな時間が流れていく

 

 虎のこれまでを、労るかのように

 

 

 虎のこれからを、慈しむかのように……

 

 

 

 

「あ、いいなあ。ノルンちゃんとアイシャちゃん。ボクもご相伴に、なーんて」

「駄目っス」

「駄目っスか……ていうかウィル君、ボクにだけなんか厳しくない……?」

 

 

 

 

 

 




新撰組の悪評はだいたい芹沢鴨のせい


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第十九景『奇抜派剣法双子兎(きばつはけんぽうふたごのうさぎ)

多量の誤字報告に感謝致します。大変勉強になりました。


 

 “瞬間移動”という手品がある。

 マジシャンが姿を消すやいなや、ありえない速度で舞台上の別の地点に出現するのだ。

 

 これら瞬間移動手品の種明かしをすれば、実はマジシャンが“双子”である事が往々にしてある。彼らは双子であることを決して他者に気付かれないよう、日々の生活からトリックを仕込む必要があった。

 

 このように相手を欺くことが重要なのは剣術にとっても同様で、決闘の場に於いて相手の予想外の事態を引き起こし、これを出しぬくのが“秘剣”の骨子である。

 

 魔法都市シャリーアにて虎が遭遇せし奇抜なる双子の兎剣士。

 

 この兎剣士達もまた、相手を出し抜く為に奇々怪々な剣法を多様せし“魔剣豪”の素質を備えていた。

 後に“異界虎眼流四天狗”に名を連ねる双子の獣人剣士ナクル・ミルデッド、ガド・ミルデッドの二人と、若き虎ウィリアム・アダムスとの邂逅は、決して穏やかなものではなく……。

 それは、魔剣豪同士による血腥(ちなまぐさ)きものであった。

 

 

 栄達の為でなく

 

 まして求道(ぐどう)の為でなく

 

 ひたすら孤高の憤怒(ふんぬ)を晴らす為に剣を磨きし者共

 

 

 魔剣豪(まけんごう)と呼ぶべし──

 

 

 

 

 

 

 

(なんだか……イメージが変わったわね……)

 

 ルーデウス邸からラノア大学学生寮へと続く街路。

 ナナホシはウィリアムとノルンが手を繋いで歩いている姿を見て、それまでのウィリアムが見せていた苛烈な印象とは真逆の姿に困惑しつつ、グレイラット兄妹の後ろを歩いていた。

 武芸者の足取りは得てして常人のそれより速いものであるが、この時のウィリアムは妹に歩調を合わせるべくゆるりと歩を進めている。

 

 手を繋ぎながらはにかんだ笑顔を見せるノルンの手を、そっと握り返すウィリアム。ウィリアムの表情はナナホシがそれまで目にしていた峻険なそれとは一変しており、無表情ではあったが柔らかい空気を纏わせていた。

 そんなウィリアムの様子を見たナナホシは、まるで“孫娘と手をつなぎ散歩をする祖父”のようだと、その白い仮面の下で密かに表情を崩していた。

 

(まぁ、妹さんだけに甘いのかもしれないけれど)

 

 妹に対し存外な優しさを見せるウィリアム。だが、あくまでそれは例外中の例外であり、この虎は余人に対し滅多に心を開くような事はしないだろうとも断じていた。

 溜息を一つ吐いたナナホシは、ルーデウス邸からこれまでの顛末に思いを巡らしていた。

 

 

 ウィリアムとの奇妙な邂逅により、心身共に消耗し果てたナナホシ。

 異界の地にてこびりついた疲れを癒やすはずの入浴は、虎と獣人乙女達によって無残に蹂躙されており、それに加えてウィリアムの過剰なまでの“葵紋”への反応、ドドメと言わんばかりの薩摩者共による血塗れた狂宴、おまけのアリエル王女達の訪問で、ナナホシは胃は短時間で荒れ果てていた。

 

 まさかアリエル王女までウィリアムに会いに来ていたとは予想だにしていなかったナナホシは、痛む胃を押さえつつ虎を取り巻く各人の思惑に思考を巡らす。

 おそらくアリエル王女は七大列強と成ったウィリアムを配下に納めんが為、態々ルーデウス邸まで足を運んだのだろう。

 それは別に良い。というより、平成日本への帰還を目指すナナホシにとって、この異世界の政争は何ら興味も無く、自身には全く関係ない事であった。

 

 だが、問題はウィリアムがナナホシを徳川家縁の者だと断じ、敬い奉っている事であった。

 

(ほんと、面倒臭いことになったわね……)

 

 ウィリアムが七丁念仏を手にした経緯を詳しく聞き出し、平成日本への帰還の手掛かりにしたいナナホシであったが、ウィリアムへこれ以上関わるとややこしい事には巻き込まれる事は必然であった。おそらくは、アリエル王女からの接触も増えるだろう。

 そこまで思ったナナホシは、一旦ウィリアムから距離を置くことを決め、ラノア大学の寮へ戻りしばらくは引き篭もる腹積もりでいた。

 

 シルフィエットら家人に帰宅を告げるべくリビングへ顔を出したナナホシであったが、何故かノルンとアイシャを両腕にぶら下げながら現れたウィリアムに面喰らい、変わらず謝り倒すシルフィエットをなんとか宥め、慌ただしくルーデウス邸を後にしようとした。

 

「御逗留場所へとお送り致しまする」

 

 間髪入れずナナホシに追従するウィリアム。有無を言わせない虎の迫力に気圧され、断る事が出来なかったナナホシは早くも己の意図が破綻したことに諦観の表情を浮かべていた。

 これ幸いと自身も学生寮へと帰宅するべく引っ付いてきたノルン。そんなノルンへ恨みがましい視線を送るアイシャと、尚も申し訳なさそうにするシルフィエットに見送られ、こうして転生武士とその妹、そして転移女子高校生の奇妙な組み合わせはラノア大学学生寮へと向かう事になったのだ。

 

 

「あの……ウィリアム兄さん」

 

 しばらく穏やかに歩んでいた兄妹と女子高生であったが、ふとノルンがおずおずとウィリアムへと視線を向ける。

 

「ウィリアム兄さんは、ずっとシャリーアにいるんですか……?」

 

 妹の無垢な視線を受け、ウィリアムはしばし考えるような素振りを見せる。

 ちらりとナナホシへ視線を向け、やがてしっかりとノルンの瞳へ視線を返した。

 

「静香姫の御帰還の目処が立つまでは」

 

 ウィリアムの言葉に、ノルンは悲しげに俯いた。

 

「そう、ですか……」

 

 ナナホシの帰還の目処が立つまでは。つまり、それ以降は一緒にいられない。

 言外にそう伝えたウィリアムに、ノルンは一抹の寂寥感を感じてしまう。

 

 “ずっと、一緒に、シャリーアにいてください”

 

 喉元まで出かかったその言葉を、ノルンはぐっと飲み込んだ。

 甘く、馨しいその想いを飲み込み、少女は兄に言わねばならぬことがあった。

 

 ノルンはウィリアムが七大列強に叙された事を知り、ある思いが胸の中から湧き上がっていた。

 そのことを言う資格は、自分には無いことも理解していた。

 そのことを言えば、アイシャから顰蹙を買うことも理解していた。

 だから、こうしてウィリアム以外の家族がいないタイミングで、言う必要があった。

 

 意を決したように表情を引き締めたノルンは、ウィリアムへ再びその可憐な瞳を向けた。

 

「ウィリアム兄さんは……ルーデウス兄さんと、お父さんを……お母さんを、助けに行かないんですか?」

 

 少女の切なる思い。

 それは、“家族全員”が再び揃って、穏やかに、幸せに暮らすこと。

 

 痛ましいまでの少女の願いに、虎は無表情に言葉を返した。

 

「父上と兄上がいるなら、問題なかろう」

 

 短く言葉を返すウィリアム。その言葉を受け、ノルンは再び押し黙ってしまう。

 後ろで見ていたナナホシは、その薄情とも言えるウィリアムを見て眉を顰めていた。だが、ナナホシには思い至らない事であったが、このウィリアムの言葉はあながち間違っているわけではなかった。

 

 ウィリアムの父であるパウロは、確かにウィリアムに比べ剣術の業前に雲泥の差があった。しかし、事は単純な戦闘力がものを言う世界ではない。

 特に、“迷宮”という厄介な場所をよく知っていた(・・・・・・・)ウィリアムは、パウロが迷宮探索を専門としていた冒険者であった事実も知っており、自分が態々加勢せずともパウロならばゼニス救出はいずれは果たすであろうと思っていた。それに、一角の冒険者となったルーデウスがいるのならばゼニス救出の確度はより上がるというもの。

 

 シャリーアに来るまでは“泥沼”が兄ルーデウスであったことを知らなかったウィリアムであったが、“泥沼”の評判、そしてその強さを聞いたウィリアムは、余程の事がない限りあの父子がゼニス救出を問題なく果たすであろうと断じていた。

 

「……ウィリアム兄さんがいたら、お母さんを助けるのにもっと力になると思います」

 

 ノルンはきゅっとウィリアムの手を握る力を強める。

 

 パウロお父さんや、ルーデウス兄さんの力は信じている。きっと、お父さん達なら、お母さんを助けることができる。

 

 でも、万が一……万が一、失敗してしまったら。

 お母さんが、お父さんが、ルーデウス兄さんが……死んでしまったら。

 

 そのような最悪の想像に囚われたノルンは、ルーデウスが旅立った今でも自分が駆けつけ、ゼニス救出の一助になりたいと思っていた。

 だが、ノルンは無力である。

 剣術も、魔術も、体力も年相応の少女のそれでしかない。

 自分がベガリットに行くことで、逆にパウロ達の足を引っ張るのが容易に想像することが出来た。

 

「お願いします。お母さんと、お父さんを……ルーデウス兄さんを、助けてあげてください……」

 

 だから、ノルンは懇願する。

 自分の不甲斐なさと、やっと出会えた次兄への慕情。そして父や、母、長兄への憂慮。

 様々な感情が少女の中で混じり合い、どうしようもない思いに囚われた少女が“七大列強”という大強者と成った兄に縋るのは、誰が責められるのであろうか。

 

(ノルンちゃん……)

 

 少女の切なる想いは、平成日本女子高生の胸を打つ。

 己の無力を棚上げしても尚、いじらしく懇願するノルンの姿は、この異世界に一線を引くナナホシですら心を動かされる光景であった。

 

『あの、岩本さん』

 

 ナナホシから発せられた日ノ本言葉に、ウィリアムは少しばかりの驚きを浮かべ、その白い仮面を見る。

 仮面の下で、ナナホシはきりりと表情を引き締めていた。

 グレイラット家の者には少なからず恩がある。特にルーデウスには。ならば、その妹の苦悶を少しでも和らげてあげるのが人情ではなかろうか。

 

『もし……もし、ベガリット大陸に行くのなら……後で、私の研究室へ来てください』

 

 ルーデウスへ伝えたあの転移魔法陣の在処を、ナナホシはウィリアムにも伝えようとしていた。

 通常の手段でベガリット大陸へ至るには、片道で一年以上の時がかかる。

 だが、龍神が使用し、その存在を秘匿していた転移魔法陣を使用すれば、半年でシャリーアとベガリット大陸の往復を可能たらしめていた。

 

『それは、将軍家御連枝様からの御指図でありましょうや』

 

 ウィリアムはナナホシの白い仮面を色の無い瞳で見やる。虎の怜悧な瞳に気圧されたナナホシは身を竦ませるも、絞り出すように言葉を返した。

 

『……いいえ。私、個人の、助言みたいなものです』

 

 仮面の下で冷えた汗を垂らしながら、ナナホシはウィリアムの瞳を真っ直ぐ見据えていた。

 変わらずウィリアムの手を握っていたノルンは、突然不可解な言語で話し出したウィリアムとナナホシへ困惑とした表情を浮かべている。

 

 ウィリアムは目を閉じ、黙考する。

 不安げにウィリアムを見つめるノルンとナナホシ。

 妙な沈黙が、虎と少女達を包んでいた。

 

 やがて、ウィリアムはゆっくりと瞼を開くと、ノルンへと視線を向けた。

 

「母上に、会いたいか?」

「……はい!」

 

 ノルンはウィリアムの言葉に確りと頷く。

 少女の可憐な瞳を見て、虎は小さな溜息を一つ吐くと、ナナホシへ深々と頭を下げた。

 

「御助言、承りたく……」

 

 ノルンは兄のこの言葉に相好を崩し、思わずその腰へと抱きついた。

 

「ウィリアム兄さん!」

 

 ぎゅっと抱きついてくるノルンへ、ウィリアムはやや嘆息混じりにその頭を撫でる。

 妹にはどうも甘くなってしまったと、虎は自身の心境の変化に戸惑いを覚えていた。だが、ノルンが放つ日向のような暖かさを感じていく内に、ウィリアムは気乗りしないベガリット大陸行きにそれなりの意義を見出し始めていた。

 

(ベガリットは魔大陸と双璧を成す強者が集う地……己の業を磨くには、丁度良き哉)

 

 あくまでゼニス救出は二の次であり、優先すべきは己の修行。

 虎は、ノルンの柔らかい髪を撫でつつ、そう自分に言い聞かせていた。

 

 

 

 

 

 


 

 ラノア魔法大学は中央大陸北部に位置する魔法三大国と魔術師ギルドが共同で出資し、魔術を志す者が世界中から学びに来る、まさに魔術のメッカともいえる教育機関である。

 人種や国籍問わず広くその門戸は開かれており、世界中から集まった在籍学生の人数は一万人を超える。

 

 魔法大学では魔術だけではなく、軍学や商学も科目に取り入れており、異世界の総合大学といっても差し支えない教師陣を擁していた。

 また、出資しているのは魔法三大国だけでなく、アスラ王国やミリス神聖国、王竜王国などの列強各国も出資しており、各国の有力貴族の子弟もこの大学へ通っている。

 故に、貴族子弟達による学生外交も水面下では活発に行われているのが、この大学の暗黙知となっていた。

 

 学内を囲む高い塀は全て対魔レンガで建てられており、有事の際は要塞として稼働できるほどの威容を誇っている。もっとも、そのような剣呑とした思想を学校運営側は持っているわけではなく、単純に危険度の高い魔術を実習で使用する為、学外へ魔術の被害が及ばないようにする為の内向きの措置であった。

 

 学生達は先述の通り世界中から集まっており、大抵の学生は学内に併設された学生寮で暮らしている。

 中にはシャリーア出身の者で自宅から通学する者や、シャリーアの知己を頼り下宿先から通う者もいたが、通学に圧倒的な利便性がある学生寮以外を選択する者はごく少数に留まっていた。

 

 既に日は中天に差し掛かっていたが、大学構内は次の授業を受けるべく校舎間を移動する学生達の活気に満ちあふれている。

 学生達は前年にナナホシによって提案された共通の学生服を身に着けており、その意匠はナナホシが平成日本で着ていた高校の制服を模したものとなっている。男子は詰め襟の学生服、女子はスカートとブレザータイプの制服だ。

 

 そのラノア大学の構内で、二人の男子学生、二人の女子学生、そして一人の幼女が連れ立って歩いている。

 二人の女子学生は猫耳、犬耳を生やしており、スカートの隙間から獣族特有の尻尾をふりふりと揺らしている。

 

 男子学生の方は、一人は痩身でありながら大柄な体躯を持っており、面長で丸眼鏡を着用している。傍ら小人族用のサイズの制服を纏った幼女を付き従わせている姿は、やや犯罪的な光景ではあったが事情を知る者にとっては見慣れた光景であった。

 ちなみに幼女はちんまりと可愛らしい人形のようで、彼女が男子学生の奴隷である事実を忘れさせる程の愛嬌を持っていた。

 

 もう一人の男子学生は小人族の血が混じっているのか、大柄な学生に比べてその低身長が目立っている。

 だが、気の強そうな面持ちはプライドの高さが滲み出ており、彼が気難しい性格を持っていることを伺わせていた。

 もっとも最近出来た淫靡な伴侶や、ルーデウス・グレイラットとの出会いを経て、彼の性格はラノア大学に入学した当初より穏やかなものへと変化している。元々、彼が持っていた性格に戻ったというのが正しいのかもしれないが。

 

 ルーデウスの同窓であり、友人達である獣族の姫君リニアーナ・デドルディア、プルセナ・アドルディア、大柄な学生のシーローン王国第三王子ザノバ・シーローンとその奴隷である炭鉱族の少女ジュリエット、そしてミリス教団教皇の孫であるクリフ・グリモルは、次の授業が行われる魔法大学内の校舎へと連れ立って歩いていた。

 

 

「それにしても、ルーデウスに弟がいたなんてな」

 

 何気なしに呟くクリフ。

 この二人の獣人乙女達が、午前の授業が休講だったことでルーデウス邸に遊びに行っていたことはクリフも知るところであったが、ルーデウスに弟がいて、尚且つこのシャリーアに来ていることは初耳であった。

 その弟……ウィリアムと一悶着あった獣人乙女達は、尻尾と獣耳を逆立てながら憤慨する。

 

「ボスの弟はとんだスケベ小僧だったニャ!」

「ファックなの。乙女の入浴中にキンタマ見せつけるドブぬめりクソ野郎なの」

「キンタマて」

 

 虎がこの場にいないのをいいことに、獣人乙女達は思う存分悪態をつく。

 乙女達の口汚さには慣れているクリフであったが、いきなり男性器が話に出てきたことで戸惑いを隠せなかった。

 

「ますた。キンタマとはいかなるものなのでしょうか?」

「おお、ジュリ。あれだ、キンタマというのはだな……」

 

 ジュリエットがザノバの制服の裾を引きながら無垢な瞳を浮かべてその顔を見上げる。獣人乙女の口から聞き慣れぬ言葉が出てきたことで、その意味をいじらしく覚えようとするジュリエットの姿は大変愛らしいものであった。

 そんなジュリエットに、ザノバは懇切丁寧に男性器について教える。未だ人間語に慣れぬジュリエットの為、身振り手振りを交えての説明だ。

 これは自身の奴隷である前に、共にルーデウスを師匠に抱く妹弟子への惜しみない愛情の一つであり、懸命に諸々の知識を得ようとするジュリエットに快く応えるザノバの優しさでもあった。

 

 獣人乙女達がギャアギャアと喚き散らす為、この小さな惨劇をクリフが察知することは無かった。

 

「まじありえんからニャ! 助平なボスですらもっと紳士的だったニャ!」

「ファックなの。ボスに全然似てないなの。出歯亀ドブ虫ゴミ助平丸なの」

「まぁ、本当ならひどい奴だな……」

 

 既に獣人乙女達に付き合いきれなくなっていたクリフは溜息混じりに適当な相槌を打つ。

 本当ならさっさと授業が行われる校舎へと向かいたいところであったが、ルーデウス抜きでの学内ヒエラルキーでは獣人乙女達より下であるクリフが、このワガママな乙女達を置いて一人で行くことは許されなかった。

 

「ところで、師匠の弟殿はどのような御容姿だったのですかな?」

 

 唐突に、ザノバが乙女達に割って入る。クリフとしても似ていないと断じられたルーデウスの弟の容姿についてはそれなりに興味があった。

 ザノバの後ろで顔を真っ赤に染めながら俯いているジュリエットへ若干訝しんだ視線を向けるも、クリフはザノバと同じように乙女達を促す。

 

「爺みたいな白髪だったニャ! ドスケベ白髪小僧ニャ! あとまうで虎のごつ雰囲気だったニャ!」

「ファックなの。きっと白髪になるまで助平根性発揮してたの。えげつん精力なの」

 

 ほぼ悪態しか言わない獣人乙女達に、クリフはやや目眩がしつつも我慢する。

 何故か得心がいったという風のザノバは深く頷きながら、やおら正門の方向へ指差した。

 

「ふーむ。なるほど。丁度、あのような感じですかな?」

 

 ザノバが指差した先に、白面の女子生徒、そして見慣れた泥沼の妹の姿があり

 

「そうそう。あんな感じのセクハラタイガー……ニャ」

「あんな感じの助平虎なの。まじファック……なの」

 

 

 その傍らには、獣人乙女達が先程まで悪態をついていた虎……ウィリアム・アダムスが、憮然とした表情で佇んでいた。

 

 

「助平と申したか」

 

 

 抑揚の無い声が、暖かな日差しに包まれた魔法大学構内を絶対零度まで引き下げる。

 そこからのリニアは、後日ジュリエットがいたく感心してザノバの従士であるジンジャー・ヨークに語る程、飛燕の如き素早い動きを見せた。

 

「ギニャアアアアアアアアア!! あ、あちし達、さようなつもりはぁ!!」

 

 どのようなつもりだったのだろうか。

 ひぃー! と、一瞬で腹を曝け出すように仰向けになるリニア。これは獣族が強者に対し絶対服従を誓う姿勢であると同時に最大限の謝意を表す、いわゆる獣族版の土下座である。仰向けになった際、スカートから覗くリニアのパンティはしめやかに濡れ塗れていた。

 さーせん! さーせん! と、涙目になりながら必死になって謝り出すリニアに、ザノバ達は呆気に取られた表情を浮かべている。

 

「プ、プルセナ! 何してんニャ! プルセナも早く謝って……」

 

 リニアは顔と股間を濡らしつつ、仰向けになりながら未だ棒立ちのプルセナへと視線を向ける。

 視線を向けた瞬間、リニアはプルセナの下半身から聞きたくなかった水音を聞いてしまった。

 

「ミギャァッ!?」

 

 じょぼぼぼぼぼぼぼぼぼ。

 盛大にスカートを濡らし、止めどなく尿を漏らすプルセナ。リニアは同胞(はらから)の無残な姿を見て素っ頓狂な叫び声を上げる。

 突如現出した凄惨且つ衝撃的な光景に、ザノバ達はただ呆然とその光景を見つめていた。

 

「まずは黄色のご挨拶なの……思わずおもらしでございますなの……」

「プルセナー!?」

 

 目のハイライトが消え去ったプルセナの無残な姿に、リニアは悲壮感を溢れさせながら同胞の名を叫ぶ。

 

「赤は目出度たい目出度い日には金色おおきになの……お兄さんお代ちょうだいなの……」

「プルセナー! しっかりいたせー!」

 

 色の無い瞳……否、残酷色の瞳を浮かべ、再び被虐の妄想へと旅立ったプルセナ。リニアは勢い良く立ち上がり同胞の肩をゆさゆさと揺するも、プルセナの意識は滅法の世界へと誘われたままであった。

 

「めっぽううまいめっぽうそば」

「洒落にニャらんわコレ!」

 

 相変わらず意味不明なことを呟くプルセナ。リニアは覚醒を促すべくバシーン! バシーン! と乱暴に往復ビンタをかましていたが、いくら頬を叩かれてもプルセナは現世へと帰還することは叶わなかった。

 

 棒立ちになり、失禁しながら被虐の世界に囚われたプルセナ。

 そのプルセナを、失禁しながら往復ビンタをし続けるリニア。

 

 控えめにいっても大惨事となったこの状況に、ウィリアムを除く全員が思考を停止させていた。

 

 

「……」

「ウィ、ウィリアム兄さん?」

 

 惨劇の最中にある失禁乙女達に構わず、ウィリアムは鋭い視線で構内のある一点を睨む。

 ウィリアムが僅かに殺気を纏わせ始めたことで、ノルンが不安げにその裾を掴んだ。

 乱痴気騒ぎに捕らわれていたザノバ達、そしてナナホシも、ウィリアムが放つ怜悧な空気で一瞬にして素面に戻り、その視線の先へと目を向けていた。

 

「何奴」

 

 出現したのか。

 始めからそこに居たのか。

 虎の視線の先に、兎耳を生やした一人(・・)の獣人剣士が、不敵な笑顔を浮かべて佇んでいた。

 

「北神三剣士が一人、“双剣”ナックルガード」

 

 邪気を感じさせない声色が、逆に剣士の異様さを際立たせている。その黄ばんだ眼球は内臓の不調からではなく、獣人剣士が孕む精気の漲りによるもの。

 蓬髪から覗く兎耳は、強者を求め、その存在を感知する野性の器官なり。

 

 構内ではザノバ達以外にも学生達がいたが、現出した異様な光景に皆足を止めて見入っている。

 たちまち人だかりが出来上がり、渦中の虎はそっと七丁念仏の鯉口を切っていた。

 

「“双剣”ナックルガード……」

「知っているのかザノバ?」

「余も名前くらいしか知り得ぬ者ですが、たしか北王の伝位を授けられた北神流高弟の一人と聞いております」

「なんだってそんな奴が魔法大学に……?」

 

 緊張した面持ちで語るザノバに、クリフもまた現出した“双剣”の姿を見て固唾を呑む。

 人だかりが出来上がっていたが、辺りは妙な静寂に包まれており、リニアもまたプルセナの胸ぐらを掴んだまま身を固くしてその姿を見つめる。

 ちなみにプルセナはリニアの張り手が良い所に入ったのか、白目を剥いて気絶し果てていた。

 

「……!」

 

 “双剣”の姿を見るウィリアムの瞳孔が、猫科動物の如く拡大する。

 その虎眼で、“双剣”の正体をいともたやすく看破していた。

 

「双子か」

 

 ウィリアムの一言に、ナックルガードは僅かに驚いた表情をするも、直ぐに獰猛な笑みを浮かべた。

 

「すごいや。先生達以外で最初に僕達が双子だって気づいたのは、キミが初めてだよ」

 

 そう言うないなや、ナックルガードの肉体が二つに別れた(・・・・・・)

 幻術めいた光景を見てざわめく周囲の人間とは対照的に、ウィリアムは冷静に双子の剣士の様子を見ていた。

 

 双子の剣士。

 嘗て己が下した舟木一伝斎の息子達、日坂最強の剣士であった舟木兄弟を連想したウィリアムは、一伝斎への憎悪が再び燻るのを感じ、ぎりりと歯を食いしばらせていた。

 

「ナクル兄ちゃん。やっぱり魔法大学で探してよかったでしょ?」

「そうだなガド。ていうかちょっとやりすぎだな。もうお尋ね者スレスレになってないか俺達」

「だって、オーベールさんが描いた人相書きが下手くそすぎるんだもん」

「そうだなガド。だいたいオーベールさんのせいだな」

 

 兎耳をぴくぴくと揺らしつつ、双子の獣人剣士達はウィリアムへ粘ついた視線を送る。

 

「それに、人相書きなんか見なくても一発で理解(わか)るしな」

 

 獰猛な兎達は虎が纏う怜悧な剣気を感じ取り、目当ての剣士であることを本能で感じ取っていた。

 ウィリアムは兎達の粘ついた殺気を受け、眉を顰めながら言葉を返す。

 

「あらかじめ時と場所を告げずに立ち会うのが、北神流の作法か」

 

 七丁念仏の柄に手をかけ、双子へ強烈な殺気を飛ばすウィリアム。

 常人なら気絶するほどの殺気を受けても尚、双子の剣士は笑みを浮かべていた。

 

「我ら一人は半人前!」

「二人で一人の一人前!」

「二対一にてその実力!」

「検分成就つかまつる!」

 

 大音声を張り上げた双子の剣士達は抜刀し、ウィリアムと間合いを詰める。

 ウィリアムは傍らにて不安げに己を見つめるノルンへ、静かに声をかけた。

 

「下がれ」

「で、でも……!」

 

 不安げに声を震わせながらも、ウィリアムから離れようとしないノルン。

 無頼の兎剣士に二体一で挑まれたウィリアムの助太刀になろうと、健気に己を奮い立たせていた。

 

 ウィリアムは妹の気概に微笑を浮かべつつ、くしゃりとその柔い髪を撫でた。

 

「これは、戯れよ」

 

 頭の上で兄の暖かい体温を感じ、ノルンは自身の不安が霧散していくのを感じていた。

 ウィリアムはナナホシへ視線を送る。視線を受けたナナホシは戸惑いながらも頷き、ノルンの手を引いた。

 

「ノルンちゃん。こっちへ」

「……」

 

 ナナホシに手を引かれつつ、ノルンは尚も兄の顔を見つめている。

 既に虎は臨戦態勢を取っており、その肉体に濃厚な闘気を纏わせていた。

 

「ナクル兄ちゃん。一応名前聞いておいたほうがいいんじゃないかな?」

「そうだなガド。一応名前聞いておいたほうがいいな」

 

 臨戦態勢を取った虎を見て、双子の剣士はウィリアムがまだ名乗りを上げていない事に気付く。

 北神流に勧誘する目的でウィリアム・アダムスを探していた双子であったが、剣士としての本能からか単純に立ち合うのが目的となってしまったことに、双子自身も気づいていなかった。

 

「お前の名は!」

「名を言え!」

 

 剣を構えつつ、双子の兎剣士達はウィリアムへと蛮声を浴びせる。

 虎は、七丁念仏を悠然と引き抜くことでそれに応えた。

 

「「もう言わなくていい!!」」

 

 

 脱兎の如く、双子の北王級剣士達は虎へ襲い掛かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 




以下ガバガバ人物紹介。
読み飛ばし推奨です。

■“双剣”ナックルガード(無職転生)
兄のナクル、弟のガドの二人合わせて北王ナックルガードというヤンマーみたいな双子キャラ。
当代北神の弟子でオーベール・コルベット、ウィ・ターの二名と合わせて“北神三剣士”に名を連ねる。四人だけど三剣士という龍造寺四天王みたいな野郎共。
双子ならではのコンビネーションを駆使するので“双剣”の異名を持つ。七英雄の“双神”とは多分無関係。
無職劇中ではエリスの覚悟撃破であっさり斬殺される。
というかそれくらいしか露出が無いので大幅にキャラクターを捏造するんは女々か?

■ノルン・グレイラット(無職転生)
パウロとゼニスの娘でルーデウスの妹。アイシャとは異母姉妹。
優秀な兄妹に比べ剣術や魔術の才能は凡才といっても差し支えない程度。
なので一時その事にコンプレックスを感じ、パウロをぶん殴ったルーデウスに対しても拗れた感情を持つ。
アイシャに関してもわだかまりがあったが、ルーデウスの取り成しもあり徐々にその拗れは緩和していった。
後にルイジェルどんのお嫁さんになりルーデウスや自身に関した様々な著書を発表し後世に残している。

■ザノバ・シーローン(無職転生)
シーローン王国の第三王子。
重度の人形フェチで人形以外の一切に興味はなく、人間を自分を不自由にする存在と嫌っていたがルーデウスの作った人形に心奪われて弟子入りしてからはそれなりに社交性を持つようになる。
『怪力の神子』として生まれ人間の首を簡単に引き抜ける怪力とほとんどの物理攻撃を無効化する頑丈な肉体を持つが、魔術に対する防御力は低い。また、身体に負荷をかけることができないので体力を鍛えることは出来ず、敏捷性も低い。
幼少時に力の加減が出来ず赤ん坊だった弟の首を引き抜いて殺害した経緯から「首取り王子」の異名を持つ。ラブやんのカズフサがミスタースポックみたいな髪型にした見た目。
氷点下のシャリーアで金属製の人形に裸で抱き着き氷結人形ニーを敢行するなど、特殊性癖が多い無職キャラの中でも上位の変態。

■ジュリエット(無職転生)
ザノバが自分の代わりに人形造りをさせようと購入した炭鉱族の奴隷少女。
奴隷だがザノバに肉親並の愛情を注がれ伸び伸びと育つ。
最初は色々絶望してて暗い子供だったが、徐々に年相応に明るい子供になっていく様は見ててほっこりする。

■クリフ・グリモル(無職転生)
ドスケベエルフにミイラになるまで絞られても普通に生きてるすごいやつ。

■舟木一伝斎(シグルイ)
慶長以来の名人と謳われる舟木流開祖。
賤ヶ岳の戦いでフル装備の鎧武者を一刀両断した事で舟木流奥義“兜割り”を開眼する。
虎眼先生と御前試合(真剣ではなく木剣)で立ち合った際、寸止めが御前試合の作法のはずなのに容赦なくガチで当てに来た虎眼先生に下顎を吹き飛ばされる。
当然虎眼先生は勝ったにも関わらず上役から不調法を咎められて怒られる。虎眼先生はこの事をずっと逆恨みしていた。
乱世を生き抜いた剣豪にしては慈悲深い性格で、孤児だった屈木頑乃助を不憫に思い拾って養育する。結果、娘婿を尽く惨殺されおまけに娘も道連れに殺される等散々な目にあった。
シグルイ原作『駿河城御前試合』では笹原権八郎に全てを託した後に亡くなったので若干マシな扱いになっている。

■舟木兄弟(シグルイ)
ぬふぅ!
舟木一伝斉の息子の数馬と兵馬。ある意味シグルイのエキセントリックさを代表する日坂最強の双子剣士。
陰核肥大症の妹お千加ちゃんと共に舟木一族が持つ怪力の遺伝子を受け継ぎ、その腕力は宙空に投げた鉄兜を一刀両断する程。ちなみにこの舟木流奥義“兜割り”を披露するシーンが双子の初登場シーンであり、強キャラ感を滲ませる程のカッコイイシーンであったのだが、次に出てきた時が男娼を掘ってる姿だったのが色々ひどい。
正気なのに正気じゃない虎眼先生の闇討ち指令を受けた藤木源之助、伊良子清玄により斬殺される。
妹に夜の営みの手順を教えるシーンがシュールすぎてだめだった


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第二十景『不惜身命一虎双兎(ふしゃくしんみょういっこそうう)

前話の誤字報告ありがとうございもす。


 

 早速お(ひけ)えくだすって誠に有難うごぜえやす。

 手前、生国は遠州の森町、姓名の儀、石松と発しやす。

 見苦しい一眼(かため)は気にしねえでくだせえ。初めから一つだったと思えばどうってことはありやせん。

 

 さて、金刀比羅宮(こんぴらさん)から清水港(しみずのみなと)へ戻る途上、縁があって居合わせたこの旅籠(はたご)堅気(かたぎ)(みなさま)による賑やかな武芸談義。この石松、先ほどから押鮓(おしずし)喰いながら黙って聞いておりやした。

 

 ほうほう、なんでも海道一の大剣豪を決めようってぇのは、なるほど、日ノ本一を決めるにゃキリがありやせんから、まずはここらで一番強えお武士(さむれえ)を決めるってぇのは道理がいった話だと思いやす。

 

 本多忠勝に北畠具教、中条長秀に柳生兵庫助、岩本虎眼に舟木一伝斎。

 どいつもこいつも随分と昔の奴なのに名前が挙がるんだから(てぇ)したもんだ。偉くて強えお武士(さむれえ)なんだろうよ。

 

 でもね、堅気衆(あんた)

 要は斬った張ったの修羅場の話。だったら(わっし)博奕打(ばくちうち)の名前が一人も挙がらねえのはおかしくねえかい?

 

 駿河国は清水港に一家を構える山本長五郎、人呼んで“清水の次郎長(じろちょう)

 この親分に喧嘩で敵う奴はいねえよ。

 

 ひとまず(わっし)武士(さむれえ)とやり合った話を聞いてくんねえ。

 相手は二人、元は講武所の師範だったってんだから決して弱くはねえ。これが商売敵の用心棒になって(わっし)らの縄張りを荒らしやがるから謝るわけにもいかねえ。

 

 川に呼びつけて向かい合ったところで(わっし)に斬りかかる武士(さむれえ)二人。

 左右同時に斬りかかるんだから並の奴はイチコロだろうよ。

 

 だから(わっし)はつんのめるように倒れ込んで片方の武士(さむれえ)の脛を長脇差(ながどす)でぶった斬った!

 武士(さむれえ)の切り株からビューっと赤いのが出て地面が泥濘(ぬかる)む。

 

 もう片方が(わっし)の顔にガツンと刀をぶつけてきたが、折れたのは向こう。

 これが木樵(きこり)だったお()っつぁんの斧だったら流石の(わっし)もお陀仏だったろうぜ。

 

 脛をぶった斬った武士(さむれえ)頭震(ずしん)と頭突きをかまし、うどん玉を撒き散らせながらそいつはおっ()んだ。

 (わっし)の顔に刀をぶつけた武士(さむれえ)は脇差抜いて来やがったから、空いた片手で思い切り握りしめて使えなくしてやった。

 

 武士(さむれえ)ってのは不思議なもんで、どんなに(やべ)えことになっても決して刀を手放そうとはしねえ。

 だからそのまま、片方の手に持った長脇差(ながどす)柄頭(つかがしら)武士(さむれえ)の頭を思い切りぶっ叩いてやった。花火みてえに武士(さむれえ)の頭は()ぜたよ。

 

 要は肝っ玉よ。何があっても浮足立たないように、下腹にでっけえイチモツをぶら下げてるかどうかよ。

 

 ん? いつ次郎長が出て来るかって?

 

 

 篦棒(べらぼう)めッ!

 

 

 喧嘩の始まりから終わりまで、石松さまの腹ん中で次郎長親分が不動明王みてえにじっと睨んでくださるのが分からねえのか!

 

 おっと、大きな声を出して悪かったな。

 ささ、堅気(かたぎ)(しゅう)

 

 

 飲みねえ、飲みねえ、(すし)食いねえ。

 

 

 

 

 


 

「ウィリアム兄さん!」

 

 ノルンの叫び声が響くと同時に、抜刀したナックルガードがウィリアムへと襲いかかる。

 闘気により高められた身体能力は、脆弱であるはずのミルデッド族のそれを遥かに上回り、双子の魔剣豪が並々ならぬ鍛錬を積んでいたことを伺わせていた。

 

 飛燕の如き疾さで、ウィリアムの上下左右から斬りかかる双子。

 瞬速の双兎を前に、虎は七丁念仏をゆるりと目の前に掲げ、まるで祈るような姿勢を取った。

 

「疾ッ!」

「噴ッ!」

 

 闘気を十分込めた高速の剣撃が、全く同じタイミングでウィリアムへ放たれる。

 兄ナクルの剣はウィリアムの頸部へと流れ打たれる。

 弟ガドの剣はウィリアムの心臓部へと突き打たれた。

 見守る観衆は、直後に現出するであろう虎の無残な姿を幻視し、ノルンはぎゅっと身体を硬直させ目を瞑った。

 

「「ッ!?」」

 

 重金属音が鳴り響き、辺りが閃光に包まれる。

 刹那の時間の後、観衆の目に飛び込んできたのは、三名の剣士が刃と肉で結ばれた姿であった。

 

「なんと……!」

「け、剣の柄で受けてる……!」

「脇で咥え込んでるニャ!」

 

 ザノバとクリフ、そしてリニアが驚愕の眼差しで虎の姿を見やる。

 

 ウィリアムはナクルの高速の斬撃を七丁念仏の柄頭で受け止めていた。

 そしてガドの高速の刺突を、身体を僅かにずらし、その刀身ごと脇にて挟み込んでいた。

 

「く……ッ!?」

「抜けない……ッ!?」

 

 みしり、と鋼の軋む音が響く。

 双子の剣士は自らの得物を引き抜こうと力を込めるも、万力の如き虎の剛力により兎の牙はびくともしなかった。

 

「柄で受け止めるとか、半端()ねえニャ……虎半端()ねぇニャ……」

 

 リニアは剣の柄にてナクルの斬撃を受け止めたウィリアムの技量に戦慄し、首筋に冷えた汗を一つ垂らす。

 

 虎眼流“(なかご)受け”

 

 (なかご)とは刀身下部の柄で覆われている部分の名称であり、木剣稽古で突きを払う際に柄頭を用いるのことがあるが、真剣の斬撃を受け止める為にこれを用いるのは虎眼流剣士のみである。

 高速の一閃に柄頭を合わせるのは、飛来する弾丸を弾丸で撃ち落とすに等しき無謀であったが、ウィリアムはそれを恐ろしいまでの胆力、そして技量を持ってそれを実行していた。

 

 七丁念仏の茎はナクルの剣を一寸程めり込ませており、まるで獲物を咥えた肉食獣のようにナクルの剣を固定していた。

 

「このぉッ!」

 

 必殺の刺突を虎に捕獲されたガドが、裂帛の気合と共に剣に力を込める。

 しかし、ガドがいくら闘気と力を込めても剣は微動だにせず。

 みしり、と肉が刃を咥え込む音が響くのみであった。

 

「くッ!」

「くそッ!」

 

 埒が明かないと思ったのか、双子は剣を持ったままウィリアムへと蹴撃を放つべく僅かに身を引く。

 だが、双子が身を引いた瞬間、拘束の力が緩んだ。

 

 ウィリアムは七丁念仏を躊躇いも無く手放し(・・・・・・・・・)、素早くナクルの懐へと入る。

 

「なッ!? ギャッ!!」

「ナクル兄ぃッ!? ぐぇッ!!」

 

 ウィリアムはそのままナクルの頭部へ肘鉄槌を叩き込むと同時に、ガドへ強烈な横蹴りを見舞う。

 生々しい肉弾音と共に、ガドは血反吐を吐きながら弾丸のようにウィリアムから吹き飛んだ。

 

「ギッ……!」

「ゲボッ……!」

 

 地を這う双子の兎。兄のナクルは虎の足元で呻きながら這いつくばっており、その頭部は常の倍以上膨らんでいる。片目は潰れており、白濁とした液体をその眼窩から垂れ流していた。

 また、弟のガドも肋骨が粉砕しており、砕けた骨が片肺に突き刺さったのかぼたぼたと口から血を吐き出していた。

 

「戯れなれば、当て身にて……」

 

 ナナホシ達に向け、薄い笑みを向けるウィリアム。

 圧倒的な暴力を前に、周囲の学生達はその暴虐を恐れただ息を飲んで虎を見つめていた。

 悠然と七丁念仏を拾い上げ、鞘に収める虎の様子を、ノルンもまた怯えながら兄を見つめる。

 

「む……?」

 

 どん引きした妹達の様子を見て、ウィリアムはややきょとんとした表情を浮かべていた。

 この時のウィリアムの心境を推し測れる者は残念ながらこの場にはいなかったが、ウィリアムはこれでも大分加減(・・)して双子と相対していた。

 仮にも主君筋であるナナホシが通う神聖な学舎を、獣人共の血で汚すつもりは毛頭なく。

 故に、斬り合いを避け打撃にて双子を無力化しようとしていた。

 

 もっとも虎眼流剣士の素手による殴打は真剣さながらの威力である為、その気遣いは何ら意味を成していなかったが。

 

「……シュゥゥゥゥ」

「ッ!?」

 

 不意に、ウィリアムの足元で蹲るナクルが深く息を吸い込む。ひくひくと長い兎耳を蠢かせ、潰れていない片方の瞳には確たる闘志を宿らせていた。

 未だ闘志が萎えていない兎の剣士の様子に、ウィリアムは僅かに悪寒を感じ、即座に止めとなる虎拳をナクルへ放つ。

 

「──────ッッッ!!!」

 

 だが、ウィリアムの拳が届く寸前に、ナクルの空気を切り裂く咆哮がウィリアムへと放たれた。

 

「ガハッ!」

 

 咆哮をまともに浴びたウィリアムは目と耳から鮮血を噴出し、吐血した。

 

 吠魔術“兎歌七生撃”

 

 魔力を込めた咆撃を放ち、対象を行動不能たらしめるのが吠魔術であり、本来は獣族でもドルディア族のみが備える特殊な声帯がなければ使用出来ない特殊な魔術である。が、その原理を解し、訓練を施せば他種族でも使用することが出来た。

 ミルデッド族であるナクルはこの吠魔術を独自の技として練り上げており、特殊な呼吸にて大気力を体内に取り込み、長い兎耳を操作することで咆哮に指向性をもたせ、本来は無差別に放たれるその音撃を特定の対象にのみ叩き込むことを可能としていた。

 対象は体内に兎の咆哮が反響し、凄まじい激痛に苛まれ行動不可能となる。

 

「ガドッ!」

(ゴロ)っしゃッ!!」

 

 ナクルの声を受け、ガドが全身をしならせながら跳躍する。

 動きを止めた虎を仕留めるべく、背後からその腕を虎の頸部へと這わせた。

 

「ぐうッ!?」

「“ガド固め”だ! 容易には外れぬぞ!」

 

 倒れ込みながらウィリアムの片腕を巻き込み、頸部を圧迫させるガド。いわゆる現代柔道における“肩固め”を極めたガドは渾身の力を持って虎を絞め上げていた。

 北神流剣士は得物を持たずとも対手を仕留めるべく、様々な武錬を己に施している。特に“奇抜派”と呼ばれる門派は剣に拘らず多種多様な戦技を会得しており、徒手による戦闘もまた得意としていた。

 

 人とも獣ともつかぬ凶暴な攻めに、ウィリアムはその呪縛から逃れんと全身に力を込める。

 しかしガドはその細腕からは考えられぬ程の剛力でウィリアムを絞め上げ、その抵抗を封じていた。

 虎と兎の二匹の獣は膠着状態に陥り、血泥に塗れながらもつれ合っていた。

 

「いいぞガド! 首(しぼ)い効いている! そのまま絞め殺──」

 

 めりっ

 

 ナクルがガドに声をかけた瞬間、生々しい音と共に絞め上げていたガドの肘が柘榴の如く割れた。

 

「うぇッ!?」

 

 ガドは己の肘から肉片と共に鮮血が噴き出る様を見て短い悲鳴を上げる。

 尋常ならざる鍛錬により虎眼流剣士の握力は常人より遥かに強力である。それに加え、今生におけるウィリアムの握力は闘気により生前のそれより更に強力になっており、締め上げるガドの肘をウィリアムは“握撃”により破砕せしめていた。

 虎の爪が、兎の肉を削ぎ落としていたのだ。

 

「おのれッ!!」

 

 己の腕が爆ぜのたうち回るガドを見て、ナクルは激高しながら自身の剣を拾い、ウィリアムへ斬りかかる。

 吠魔術とガドの絞め技により酩酊状態にあったウィリアムであったが、即座に傍でのたうち回るガドの腕を掴みその剛力にて引き起こした。

 

「ギャッ!?」

「やっべ!?」

 

 ガドの肉体を盾にし、ナクルの斬撃を防ぐウィリアム。ナクルは寸前に剣を引くも、ガドの肩口にはニ寸程剣が埋まっていた。

 

「うぬらの技量(うで)、中の上」

「ッ!?」

 

 弟に“誤爆”し戸惑うナクルの脛を蹴り上げ、体勢を崩した兎を捕獲する虎。

 ナクルの頭部を腕に抱え込み、そのまま頸部を絞め上げた。

 

「ウィリアムを試すには、稽古が足らぬ」

「カッ……!」

 

 いわゆるフロントチョークの姿勢となり、虎は万力の如き力でナクルの首を締め上げる。

 みし、みしと兎の脛骨が軋む音が響き、ナクルは血を吐きながら顔面を青白く変化させていった。

 

「ウィリアム兄さん……」

 

 ノルンは阿修羅の如く血涙を流し、血に塗れた兄の姿を見て恐怖で顔を強張らせていた。

 先程までの日向のような柔和さを見せたウィリアムと、今目にする修羅の如き異形を見せるウィリアム。

 ノルンはアイシャと同じように、兄の変貌に戸惑いと恐怖を隠せず、ナナホシの制服の裾をぎゅっと握りしめていた。

 

 少女の戸惑いに構わず、虎は兎の首をへし折るべく腕に闘気を込めた。

 

(つかまつ)る──!」

 

 

 

「そこまで!」

 

 虎が兎を斬首せんとしたその瞬間、張りのある明朗な声が響いた。

 

「その試合、そこまでだ!」

「貴殿は……」

 

 一人の壮年の剣士が学生達をかき分けて現れる。ウィリアムはその剣士を見て、ナクルの拘束を解いた。

 

「お、大先生(おおせんせい)……?」

「先代様……?」

 

 地を這う双子の兎が、壮年の剣士を見て弱々しい声で驚きを露わにする。

 壮年の剣士は驚く双子に構わずウィリアムの前に出た。

 剣士の名は、北神二世アレックス・カールマン・ライバック。今はシャンドル・フォン・グランドールと名乗っていた。

 

「門人達が粗相をしたようだが、ここは前途有望な学徒達が通う学び舎。殺生沙汰は控えてもらえないだろうか」

 

 深々とウィリアムへ向け頭を下げるシャンドル。ウィリアムは血にまみれた顔を拭いつつ、鷹揚にそれを受けた。

 

「……承知仕った」

 

 短く言葉を返すウィリアムを見て、シャンドルは安堵の溜息を一つ吐く。

 そして、満身創痍の双子の姿を見て嘆息を吐いた。

 

「シャリーアを発つ前に久々にフラウの学校を見物しようかと思って来てみれば……一体何をしておるのだお前達は」

「いや……」

「その……」

 

 シャンドルは血泥に沈む双子達へ呆れたような声を上げる。ナクルとガドはそれを受け心底バツが悪そうな表情を浮かべこれまでの経緯を話す。血塗れとなり重傷を負った双子の兎であったが、会話は可能な程余力は残っていた。

 

「そうか、オーベールが……。あ奴め、もう少し穏便な方法を伝えられなかったのか……」

 

 シャンドルは双子の前に屈みこみ、傷付いたその身体を治療をしながら呆れた声を上げる。双子も双子だが、あの奇抜な男の考えもシャンドルには理解に苦むことであった。

 シャンドルは双子の治療を進めていたが、先の虎と死神の死闘で手持ちの治癒薬を使い切っており、治癒魔術もそれなりにしか使えないシャンドルは、困った表情を浮かべ見守っている学生達へと声をかけた。

 

「申し訳ないが、治癒魔術が使える者は手伝ってもらえないだろうか?」

「あ、じゃあ、僕が手伝います」

「わ、私も」

 

 シャンドルの声を受け、見守っていた学生達がおずおずと前に出る。シャンドルと共に双子の治療を始めた。

 

「ウィ、ウィリアム兄さん。大丈夫ですか……?」

 

 尚も恐怖で顔を歪めつつも、未だ血で顔を汚しているウィリアムに心配そうに駆け寄るノルン。

 

「大事無い」

 

 そんな妹を短い言葉で制するウィリアム。事実、吠魔術によるダメージは虎の体内に残っていたものの、行動に支障が出る程のものではなかった。

 ウィリアムはシャンドルへ向け改めてその鋭い視線を向ける。

 アイシャとシルフィエットに死神戦のその後を聞いていたウィリアムは、この壮年の剣士が己の命を救っていたことを理解していた。

 故に、シャンドルの制止する言葉を素直に聞いていたのだ。

 

「シャンドル殿」

 

 ウィリアムがシャンドルへ声をかける。

 北神二世は孫弟子の治療の手を止め、ウィリアムへと視線を返した。

 

「これで、貸し借り無しで御座る」

「……左様か」

 

 ウィリアムの言に、シャンドルは短く頷いた。

 シャンドルにとってウィリアムを治療した事は“貸し”にしたつもりは毛頭無かったのだが、虎が尚も兎を仕留めんと再び牙を剥くことも想定していたシャンドルは、虎のこの申し出に密かに安堵していた。

 

「ウィリアム兄さん……」

 

 尚も心配そうに傍らに寄り添うノルン。

 ウィリアムは健気な妹の様子に目を細め、その柔い髪を撫でようと手を伸ばした。

 

「……っ」

 

 だが、ウィリアムは一瞬逡巡し、伸ばしかけた手を引いた。

 虎の手は、兎の血と自身の血で朱く染まっていた。

 

 やはり己には、情愛は似合わぬらしい──

 

 自嘲気味な笑みを浮かべ、ウィリアムはノルンから目を逸し、僅かに瞑目する。

 目を閉じると、前世最後の光景である白無垢姿の三重の姿が浮かんだ。

 血海の上で三つ指をつく三重の白無垢は、朱く染まっていた。

 

 せめて、この無垢で穏やかな妹は、血で汚したくない。

 その様な不器用で、歪な情が、虎の心をかき回していた。

 

 木漏れ日の中、手を繋いで歩いた妹との一時。

 甘やかな兄妹の情は、虎兎の一戦にて脆くも霧散していた。

 

 武士の心は闇を孕めり。

 

 惨たらしくも艶めいた剣の魔物に愛されし若虎は、妹達の愛情に触れても尚、憎み合い、斬り合い、殺し合う宿業の螺旋に囚われたままであった。

 

 

「静香姫。件の魔法陣の在処、御教示頂きたく」

「え? あ、はい」

 

 急にウィリアムに話しかけられたナナホシはまごつきながらも頷いた。

 

「えっと、じゃあ、そういうことだから……」

 

 そそくさとその場を後にしようとするナナホシ。それに黙して追従するウィリアム。

 残されたザノバ達は呆気にとられてその後ろ姿を見ているしかなかった。

 

「ウィリアム兄さん!」

 

 兄の心の変化を僅かながらに感じていたノルンは、切なげな声を上げウィリアムへと縋る。

 だが、ウィリアムはそれを一顧だにしなかった。

 

「……待っておれ」

 

 ただ、一言だけ、妹に言葉を残すウィリアム。

 母を、父を、そして長兄を助けよう。だが、全てが終わったその時は、そこに己はいないだろう。

 妹の、家族の幸せを、遥けき彼方より見守らんとする虎の不器用な情愛。

 ノルンは恐怖と、親愛と、哀しみが混ざった表情を浮かべ兄の後ろ姿を見続けるしかなかった。

 

「……いいのかしら」

「……」

 

 歩きながら、ナナホシはウィリアムへと言葉を向ける。

 虎はただ黙ってナナホシの後を歩くのみであった。

 

 

 

「ふむ……妙なところで、心に澱を抱えておるな」

 

 双子の治療をしながらシャンドルがウィリアムの後ろ姿をみてそう呟く。

 そして、ある程度回復した双子へ改めて呆れた顔を浮かべた。

 

「しかしお前達。いくら二人がかりとはいえ、七大列強に挑むとは無謀がすぎるぞ」

「えっ!?」

「な、七大列強!?」

 

 シャンドルの言葉に双子は驚きの声を上げる。

 

「なんだ知らんのか。あの御仁……ウィリアム・アダムス殿は、先日“死神”ランドルフ・マーリアンを下し列強入りしておる。私も見届けたが、アダムス殿の剣境はお前達よりも遥かに高みにいるぞ」

 

 双子はオーベールから目当ての剣士が剣神流と渡り合った猛者とは聞いていたが、まさか七大列強に叙されていた絶対強者とは露程も思わず。

 自分達が死地から生還していたことに気付いた双子の兎達は、ぶるりとその身を震わせていた。

 

「ううむ。師匠の弟殿が七大列強とは……」

「ルーデウスも凄い奴だが、弟も大概だな……」

 

 傍で聞いていたザノバとクリフも、虎が七大列強だと知り驚きを露わにしていた。

 特にリニアは顎が外れんばかりの驚愕を露わにし、ただでさえ凶獣王を素手で撲殺したウィリアムが想像以上の強者だと知り、悪態をついていた事を死ぬほど後悔していた。

「やべえニャ……やべえニャ……」とブツブツと呟きながら、虎の報復を恐れ恐怖に打ち震えるリニア。震えをごまかす為、未だ気絶し果てているプルセナを強く胸に抱き締めていた。

 ちなみにプルセナはリニアの豊満な乳房に顔面を圧迫され「うぅ……両巨乳重爆(ダブルゼットカップボンバー)なの……」と苦しげに呻いていた。

 

「ますた」

「む? どうしたのだジュリよ?」

 

 ザノバの制服の裾をぎゅっと掴み、不安げな表情を向けるジュリエット。ジュリエットもまた虎の剣気に当てられ、その柔い頬を青ざめさせていた。

 

「ぐらんどますたの弟さん、とてもこわいです……」

「……」

 

 多感な炭鉱族(ドワーフ)の幼女は、虎の血塗れた外面の内に秘めた修羅の性質を敏感に感じ取っていた。

 ザノバもまた薄々であるがウィリアムの異常性を感じ取っており、怯えるジュリエットに対し何も言うことが出来なかった。

 

 

「し、しかし大先生。大先生と死神様は……」

 

 ナクルがシャンドルへと疑問の声を上げる。

 北神流の剣士達の間では有名な話であったが、当代北神と共に北神二世の元で修行していた“死神”ランドルフ・マリーアンは、剣術の方向性の違いや当代北神との軋轢により北神二世、シャンドル・フォン・グランドールことアレックス・カールマン・ライバックにより破門されている。

 その破門されたランドルフの名前がシャンドルの口から出るとは思わず。ガドも痛めた胸を擦りながら、同様に疑問の表情を浮かべていた。

 

「……不死魔族の寿命は長い。わだかまりも、時間が経てば解けるものだ」

 

 シャンドルはかつて己の元で修行した息子と孫の姿を思い浮かべる。

 自分と孫は和解する事はできた。だが、あの息子が孫と分かり合える日は来るのだろうか。

 

(あれも私に似て頑固なところがある。ランドルフと和解する日はまだまだ先であろうな……)

 

 息子であり、王竜剣を受け継ぎし無双の剣士は、父を超える英雄となるべく苛烈な修練を己に施している。

 その生き方は己が認めた他者以外の存在を許さない、強者にありがちな偏屈な生き方であった。

 

(人は誰でも英雄になれる素質を備えていると、確かにアレクに教えた。だが、英雄とは成るべくして成るものだと、肝心なところを教えていなかったな……あの若虎は、どうなのだろうか)

 

 シャンドルがそう思っていると、回復した双子が互いに顔を寄せ合い何事かを呟き合っている。

 シャンドルと学生達の治療の甲斐あってか、ナクルとガドは相応に快復していた。だが、虎に潰されたナクルの片目は痛々しく潰れたままであり、それを完治せしめる程の治療魔術の使い手はこの場にはいなかった。

 

「ガド」

「うん」

 

 やがて双子は改めてシャンドルを見据え、その決意を開陳した。

 

「大先生」

「我ら本日より“北王”の伝位を返上致しまする」

「なに?」

 

 いきなりの双子の申し出に、シャンドルは怪訝な表情を浮かべる。

 双子がシャンドルを見る視線の先は、立去ったウィリアムの方へと向けられていた。虎の剣気に当てられた双子の兎は、この僅かの間に自分達が真の剣に出会えたことを、本能で理解していた。

 シャンドルは双子の表情を見て、その胸の内を察する。

 

「アダムス殿に師事するつもりか?」

「はっ……」

「どうか、お許しを……」

 

 神妙な顔つきの双子に、シャンドルは再び大きな溜息を吐く。

 

「ならば、それはアレクに許可を得るべきだろう。私はもう北神流のあれこれに口を出せる立場ではない。というより、アレクとはもう何十年も会っていないし、私は死んだ扱いになっているだろうしな」

 

 シャンドルは当代北神、アレクサンダー・カールマン・ライバックの名を出す。北神流の当主であるアレクサンダーが北王級剣士の伝位返上を知らぬ事は流石にはばかられる事であった。

 

「先生は、我らのことをお認めになっておりません……」

「それに、僕達の実際の師匠は先代様です」

 

 そう言ったシャンドルに対し、双子は沈鬱な表情を浮かべ言葉を返す。

 当代北神のアレクサンダーは、祖父であり開祖のカールマン・ライバックが興した不治瑕北神流以外を認めておらず、数ある北神流門派の中で特に奇抜派と呼ばれる者達を唾棄していた。

 双子は北神流に入門し、当初は実戦派ともいわれる不治瑕北神流を学んでいたが、その後シャンドルの教えを受け奇抜派に傾倒、北王の伝位を受ける程の使い手になった経緯がある。

 

「ううむ。そういうことならお前達の申し出を受けるが……本当に良いのか?」

 

 シャンドルの言葉に、双子は確りと頷く。その瞳には固い決意が浮かんでいた。

 双子の決意を見て、シャンドルは何度目になるかわからない溜息を吐いた。

 

「致し方ないか……しかし、アレクのことは良いとして、オーベールには何と伝えるのだ?」

「オーベールさんはほっといていいです」

「あの人も本気じゃないでしょうし」

「そ、そうか」

 

 双子のドライな対応にやや戸惑うシャンドル。実際、北神三剣士は奇抜派の業を練り上げんと互いに切磋琢磨する間柄であったが、だからといって相応に仲が良いというわけではなかった。

 

「まったく……ああ、学生諸君。お騒がせして申し訳ない。治療を手伝ってくれた方は、後日何らかの礼をさせてもらうよ」

 

 シャンドルの声を受け、尚もたむろしていた学生達が三々五々に散っていく。彼らには受けるべき講義があり、突然の乱闘騒ぎで休講するほど不真面目ではなく。

 ザノバ達もまた、次ぎの講義を受けるべく虎と兎の死闘の余韻が抜け切らぬまま移動しようとしていた。

 

 

「ウィリアム兄さん……」

 

 一人残ったノルンが、ウィリアムの名前を寂しそうに呟く。

 少女はウィリアムが家族の救助へ向かうことを決断し、それを頼もしく思っていた。

 と同時に、もう二度と、ウィリアムと暖かい日向のような時間を過ごすことが出来ないのではと。

 

 そんな、不安な思いが、少女の中で大きく膨らんでいった。

 

「ウィリアム兄さん……」

 

 不安な思いを打ち消すように、少女は兄の名を再び呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




僕は無職転生第17巻をAmazonプライムで注文し、まだかな、まだかな、と、万年雪にクラスチェンジした庭の氷雪を叩き割りながら全裸待機しておりました。
もちろんお目当ては王国編最大の盛り上がり(当社比)を見せたエリスVSナックルガード戦。
Web版より大幅に加筆され、双子のバニーボーイちゃん達が活躍しているシーンをがっつり読めると、そう思って僕はとても楽しみに全裸待機しておりました。
そして冷えた身体を温めるべくお風呂に入っている間に無職転生17巻とドロヘドロ22巻とゴールデンカムイ12巻が無事到着しました。
僕は逸る気持ちを抑えてまずはゴルカムとドロヘドロ(名作)を読み進めました。ゴルカム、ドロヘドロ(名作)、ラッコ鍋。何も起きないはずがなく……。
とりあえずニカイドウの時間遡行の説明に「これもうわかんねえな……」ってなりました。
僕はおなかいっぱいになったのでその日はそのまま床につきました。
そして2、3日してから思い出したかのようにその辺に積まれていた無職転生17巻を手に取り、あいかわらずのオーベールさんのコレジャナイ姿のイラストを眺めつつ件のナックルガード戦の大幅加筆に胸をキュンキュンさせながらページをめくりました。


びっくりするくらいWeb版と同じでした(チィェストオオオオオオオオッッ!)


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第二十一景『現人鬼残酷忍法帖(あらひとおにざんこくにんぽうちょう)

 

 この(もの)

 

 ちから強くして自儘を極め

 

 勢い大盤石を覆すがごとし

 

 男女の垣根を超えし天衣無縫、唯我独尊の超人なり

 

 怪異六畜を爪裂く現人鬼(あらひとおに)といふもの

 

 

 名よりも、見るはおそろし──

 

 

 ブラッディ・カント著

『世界の偉人・英雄別巻』より抜粋

 

 

 

 

 


 

 

 最初は、イライラした。

 

 

 会う度に、ヘラヘラして、意味のない作り笑いばかり浮かべて。

 苗字を持ってる、貴族のボンボン息子が、何も苦労もせずに豊かな暮らしが出来る権利を放り出して、半端な気持ちで冒険者になったと思って。

 それでいて、実力だけはあるから、余計癇に障って。 

 

 貴族は嫌いだった。父も母も、貴族の怠慢と足の引っ張り合いで死んでしまった。

 だから、グレイラットの苗字を持っているアイツ……ルーデウスのことが、大嫌いだった。

 

 でも、会う度に、彼のことがそんなに嫌いになれなくなっていた。

 

 ラスターグリズリーの群れを、一人で倒してしまった時。

 ガルガウ遺跡で、スノウドレイクを一人で足止めしてくれた時。

 

 そして、トリーアの森で、アイスフォールトゥレントに捕まって、死にかけていた私を助けてくれた時。

 

 目を開けたら、おとぎ話の王子様のように、ルーデウスは私を助けてくれた。

 大切な物を扱うように、傷ついた私を治してくれた。

 

 それから、ルーデウスと良く話すようになった。

 一緒に冒険をして、一緒に打ち上げして。ルーデウスのことが、どんどん好きになっていった。

 ルーデウスも、一緒に過ごしていく内に、私の事を好きなっていったんじゃないかなって思った。

 

 だから、あの時精一杯のオシャレをして、デートに誘って、お酒の力も借りて。ルーデウスを誘った。

 直接告白するのが怖かったから、助けてくれた時のお礼の形をとって。

 それで、結ばれたら、本当の自分の気持ちを伝えようと思って。

 

 

 それからは、最悪だった。

 

 

 最初は、ルーデウスが私の身体に全く魅力を感じてなくて、出来ないものだと思って。

 ルーデウスが自分の事を、好きじゃないんだって思って。

 自分の初めてを台無しにされたと思って、ルーデウスにひどい嘘をついて。

 ルーデウスが、あの後娼婦とキスをしているのを見て、最低な奴だと思って。

 

 でも、それは、全部私の勘違いだった。

 

 あの後……娼婦の、エリーゼさんに全てを聞いて。

 ルーデウスが、私の為に、自分の病気をなんとかしようとしてたのを知って。

 

 そんなルーデウスを、私は拒絶してしまった。

 こんな私を、ルーデウスは拒絶してしまった。

 

 悲しかった。

 辛かった。

 一晩中泣いた。

 

 そして、私の初恋は終わったのだと気付いた。

 それからは、ただルーデウスに謝りたかった。

 ルーデウスだって傷ついていたのに、私だけが被害者だと勘違いして、怒って、喚いたことを。

 

 今でも、その気持は変わらない。

 スザンヌ達と別れて、こうして冒険者を続けていても、その気持は変わらない。

 

 ルーデウス……

 もし、またルーデウスに会って、それで、心から謝って。

 

 許してもらえたら、また……

 

 

 私達、また、やり直せるのかな?

 

 

 

 

 

 

 北方大地

 ネリス王国第三都市ドウム郊外

 

 

「ふぅ。これで、採集完了っと」

 

 透明度の高い泉の辺りで、A級冒険者、弓使いのサラは、依頼品である薬草を採取していた。

 かつて所属していた冒険者パーティ“カウンターアロー”は、リーダーのティモシーと副リーダーのスザンヌが結婚したことで解散し、今はあちこちの冒険者パーティに参加しながらソロで活動していた。

 だが、都合良く既存のパーティに臨時参加する機会はそうあるものではなく、こうしてランクフリーの低難度な採集依頼をソロで請け負うことも多々あった。

 小遣い稼ぎの、簡単な依頼。低級冒険者御用達の依頼であったが、サラは選り好みをせず淡々と依頼をこなす日々を過ごしていた。

 

 

「はあー……」

 

 深く、長い溜息を吐く。

 あれから、二年の歳月が経っていた。

 カウンターアローを解散する前。ルーデウス・グレイラットと共に冒険した日々から、二年。

 ルーデウスとひどい別れ方をした乙女は、この二年間、時折狂おしい程のもどかしい思いを感じ、鬱々とした日を過ごすことがあった。

 

 ルーデウスと、一線を越えようとしたあの日。

 ルーデウスが不能だった事を、乙女は気付く事が出来なかった。

 それが原因で、好きだったルーデウスとひどい別れ方をしてしまったのを、乙女はずっと後悔していた。

 

「流石に引きずりすぎかなぁ……」

 

 サラは鬱屈した空気を纏わせながら、透明度のある泉をまんじりと眺める。

 既に採集ノルマは達成しており、あとはギルドに採集品を納品するだけ。

 だが、美しい泉を見ている内に、もう少しこの自然を見ていたい気持ちが沸き上っていた。

 

「きれいな泉……」

 

 泉の縁で、しゃがみ込んで水の中を見る。

 滋養のあるこの水源では様々な生物の活気が見て取れ、サラはしばしその生命の輝きをぼんやりと見ていた。

 こうして、何も考えずに自然を見ているのが、ルーデウスを忘れられるひと時であるのをサラは自覚していた。

 時刻は昼過ぎ。生命の輝きが、もっとも輝いて見える時間帯であった。

 

「いい加減、前向きにならなきゃだめだよね」

 

 そう独り言を呟くサラ。

 最近、とあるパーティと共に依頼をこなし、その功績を認められてA級に昇格したサラ。そのパーティ“アマゾネスエース”から熱心な勧誘を受けるようになったサラは、これを機に再び固定のパーティに参加しようかなと、ぼんやりと思考する。

 アマゾネスエースは女だけのパーティで、もう二度と、あのような辛い思いを感じる事がないだろうと思ったのも、参加に前向きな理由のひとつでもあった。

 スザンヌ、ティモシー、パトリス、ミミル……そして、ルーデウス。

 かつての仲間達のような関係は、もう二度と築く事は出来ないだろう。

 

 そう、自嘲しながらの考えでもあった。

 

 

 

「よし。帰ったらティーナとメラニィに話を……」

 

 立ち上がり、採集品が入ったずた袋を担ぎ直したその時。

 美しい自然が広がるサラの視界に、不自然な光景が現れた。

 

「……?」

 

 サラが泉に目を向けると、こぽこぽと水面に奇妙な水泡が沸き立っていた。

 サラは不自然なその現象に訝しみつつ、目を凝らしてそれを見つめる。

 

(魔物……? でも、この辺に水棲の魔物なんていないはずだし……)

 

 自然と警戒体制に入る。

 A級冒険者と成ったサラは、どんな些細な違和感も見逃さない。たとえ絶対に安全と思われる場所でも、簡単に命を落とすのがこの北方大地の常である。

 背負っていた弓を構え、いつでも射てるべく弓弦に矢を当てた。

 静かに水泡へと狙いを定め、その弦を引き絞る。

 

 

 そして、水柱と共に水中から一人の若者が現れた。

 

 

「うっひゃあ!?」

 

 突然、真紅の総髪を濡らした全裸の美丈婦が激しい水音を立てて現れる。

 あまりにも突然の出来事に、サラは思わず警戒体制を解き尻もちをついた。

 

「ああ、よく寝た……」

 

 そんなサラに構うことなく、紅髪の若者は濡れた髪を掻き上げて気持ち良さそうに身体を伸ばす。

 その美しい乳房を惜しみなく晒し、水滴がその美肌をつたう。

 正しく泉の水虎、もとい精霊の如き美麗かつ壮麗なその姿に、サラは驚愕と共に目を奪われた。

 

「え、女の人……」

 

 サラは突如現出した若者の過剰にして無謬、猥褻にして純潔な姿にしばし見惚れる。

 

「はぅ!?」

 

 が、直ぐにその下腹部にある雄渾なる逸物に気付く。

 その剛槍は大自然の精気を存分に吸ったのか、天を貫かんばかりに屹立していた。

 つまるところ、寝起きの朝勃ちである。

 

「ななななななんで? その、お、おっぱいあるのに、その、アレ、お、おち、おちん……!」

 

 若者の真紅の総髪のように顔を真っ赤に染め、震えた声で若者を指差すサラ。指の先には、筋肉質ではあるが均整の取れた美麗な肉体に相応しからぬ剛槍が屹立していた。

 サラの18年の人生で半陰陽の者はこれまで目にした事が無く。またルーデウスの機能欠落したアレとは違い、このような凶悪な逸物を目にするのも初めての事であった。

 いや、そもそもこの人はずっと水の中にいたの? いつから? 息続くの? 私結構前からここにいたよね? などの当たり前の疑問が全て吹き飛ぶ程の衝撃。サラの脳内は混乱の極致にあった。

 

「拙者、雄にあらず」

 

 自身の濡れた乳房を蠱惑的に撫で回し、紅髪の若者はゆっくりとサラへ近付く。

 慄くサラはショックで腰が抜けたのか微動だに出来ず。

 

「まして牝にあらず」

 

 バチイイン! と、灼熱の熱棒がサラの頬を叩く。

 サラは自身の頬に伝わる艶めかしく熱い温度を感じ硬直状態になるも、数瞬してから若者の肉棒が自身の頬に押し付けられたのに気付いた。

 

「ギャアアッ!?」

「うふふふふ」

 

 乙女らしからぬ汚い悲鳴を上げたサラの悲惨な反応を、愉悦に満ちた表情で見やる紅髪の若者。

 乙女のあんまりな反応に満足したのか、満を持して名乗りを上げた。

 

 

「我が名は波裸羅(はらら)! 人は呼ぶ、“現人鬼”!」

 

 

 現人鬼波裸羅が発するその苛烈な威勢に、弓兵の乙女は完全に腰が抜けてしまっていた。

 

「小娘、冒険者か?」

「ひぃ!?」

 

 相も変わらず乙女の顔面にゴリゴリと熱棒を押し当てる現人鬼。

 涙目となったサラは抵抗する気力がごっそりと抜け落ち、ただ震えて現人鬼の美声を聞くだけであった。

 

「男女あらば情欲あり。男女交合の愉悦は真理からの賜物なり」

 

 慄くサラを増々愉悦に満ちた表情で見やる現人鬼。

 その雄渾なる剛槍も、増々硬くイキり立っていった。

 

「冒険者ならばこのイキった刃、鞘に入れて鎮める“冒険”でもしてみせろ」

 

 そんな冒険なんてしたくない。

 そう抗議をあげようとしたサラであったが、現人鬼の剛直が発する熱気の所為でまともに口を動かす事が出来なかった。

 

 ああ、私の初めて、こんなトンデモない状況で失われるんだ。

 ごめんなさいルーデウス。なんだかしらんけどわたしが全面的にわるかったです。

 

 そんな虚無感に満ちた謝罪を、この場にいないルーデウスに向けるサラの心情は、見るもの全てが胸を打つ凄惨な情景ではあったが、現人鬼はそんなのお構いなしで乙女に肉薄する。

 

 

 サラが全てを観念して、目を瞑ったその瞬間──

 

 

「ふんッ!」

「ウゲェッ!!」

 

 肉を貫く音と、何者かの悲鳴が聞こえ、サラの顔面に鮮血が飛び散った。

 

「え……」

 

 目を開けると、陽炎のような半透明の人型を、その手刀で刺し貫く現人鬼の姿があった。

 

「ガハッ……! ど、どうやって見破った……!」

 

 血を吐きながら徐々に実体化する人型。

 黒装束に身を包み、面布で顔を隠した魔族の男が現出していた。

 男は手首に“身体を不可視化”する魔道具を装着しており、隠形による不意打ちを仕掛けるべく現人鬼の背後に忍び寄っていた。

 しかし、その企みはあっさりと現人鬼の手刀により打ち砕かれていた。

 

「そ、そうか、水面(みなも)に仕掛けが……」

「勘。」

 

「勘て」と呟きながら、襲撃者は絶命した。

 

 

「現人鬼!」

「主命により(うぬ)首級(みしるし)、貰い受ける!」

 

 隠形の襲撃者が絶命すると同時に、周囲から次々と新手の刺客が出現する。全員覆面で顔を隠していたが、牛頭、馬頭、豚頭……人族ならざる異形異類の特徴が良く現れた集団が、瞬く間に現人鬼を囲んだ。その数は三十は超える。

 

「囲め!」

「逃さんど!」

 

 剣や斧、魔杖など様々な得物を構え、己に突きつける刺客の集団に囲まれても尚、現人鬼は不敵な笑みを崩さなかった。

 

「うふふふ……貴様ら、バクラーの手の者か? それともケブラーか? 心当たりが多すぎて分からぬわ」

 

 分からぬと言いつつ、刺客の正体に大凡の当たりを付けた現人鬼はゆっくりと己の乳房を弄ぶ。

 己の命を狙う刺客を前にしてもこの扇情的な態度を崩さない現人鬼に、刺客達は面布の下で憎々しげに表情を歪めていた。

 

「大名ばりの波裸羅の路銀供出に苦しくなったか。ケチな主君を抱えて難儀な事よ喃」

 

 煽る現人鬼に業を煮やした刺客達は、口々に現人鬼へ罵声を浴びせ襲い掛かった。

 

「ええい! 問答無用!」

「お命頂戴!」

「ていうか一日緑鉱銭200枚とか普通に財政破綻するわ!」

「加減しろ莫迦!」

 

 最前線にいた刺客十数名が一斉に現人鬼へと襲いかかる。

 華麗に跳躍し、刺客の凶刃を躱した現人鬼は即座に反撃の一撃を見舞った。

 

「ヴェッ!?」

 

 足刀が刺客を頭から真っ二つに断ち割る。

 刹那の瞬間、現人鬼は独楽の様に己の身体を回し、その足刀で次々と刺客を裁断し始めた。

 刺客が放つ必殺の剣撃を美麗に躱し、刺客が持つ剣ごとその足刀で胴を断つ。

 現人鬼を滅するべく魔術を詠唱中の刺客に、一瞬で間合いを詰めその足刀で首を断つ。

 

 これぞ現人鬼の絶技、旋風美脚“熟瓜(ほそぢ)

 

 熟した瓜の如く人体を苛む脚技に、刺客の五体はたちまち断裂せしめる。

 美麗に回転しながら人体を細切れにする様は、一種の倒錯的な美しさがあった。

 

「あ、ありえない……!」

 

 現人鬼が舞う度に、返り血がサラにも降りかかる。サラの目からみても刺客達の実力は相応に高いものであり、少なくとも剣術、そして魔術で聖級以上の実力を持つ者が何人かいた。

 だが、それらを難なく殺害しうる現人鬼の絶大な戦闘力。

 血海に沈む実力者達の無残な姿を見て、サラは恐怖と驚愕に苛まれるも、その残酷美麗な光景を見ていく内にある種の憧憬的な感情が沸き上がっていた。

 

(凄い……!)

 

 圧倒的な強さ、そしてその美しさに、弓兵の乙女はしばしその惨劇に魅入っていた。

 

 

「ゴッツァン!」

 

 

 興が乗った現人鬼が、自身の肉棒で襲撃者の頭部を一刀両断せしめた光景には流石にドン引きしたが。

 

「嘘でしょ」

 

 この時、サラは悟った。

 現人鬼波裸羅。この凶剣(まがつるぎ)を収める鞘など、この世(・・・)には存在し得ぬ!

 また、自分が知らなかっただけで男性器とはこのような凶器に成り得る事があり、ルーデウスは本当の意味で自身の身体を気遣ってあえて不能の振りをしていたのでは? と、見当違いな方向に思い至ったのは、混乱の極みに達した乙女であるからして、サラは普段はこのような残念な思考を持っていないことをここに記しておく。

 

「イチモツでゴッツァンしやがった!」

「聞いてねーぜ困難(こんなの)!」

 

 困惑するのは乙女だけでなく刺客達も同様。

 刺客の中には魔族では無く人族の刺客も紛れており、これらは現人鬼討伐の為、魔族達が現地で雇った暗殺者であった。

 だが、雇われた暗殺者達はここまで非常識な強さを持つ標的だとは聞かされておらず、その戦意をみるみる萎えさせていった。

 

「ぬぅ! 退け! 退け! 出直しじゃ!」

 

 形勢不利と見た刺客達の長が撤退の号令をかける。

 三十以上いた刺客の数は、既に十を割っていた。

 

「こげなくそ! おいは退かんぞ!」

「現人鬼のタマ取るまで死ぬまでゴッツァンするぜよ!」

「おいはここで鬼に喰われうー!」

「ええい! いいから退くぞ!」

 

 尚も戦意旺盛な一部の魔族達を宥め、散開した刺客達は苛まれた同胞の遺体を担ぎ、現れた時と同様に瞬く間に姿を消した。もっとも、細切れにされた遺体も多かった為、大部分の臓器(パーツ)はそのまま置き去りであったが。

 

 後に残されたのは、返り血を存分に浴びた現人鬼と弓兵の乙女、そして刺客達の血と残骸で無残な状態に変わり果てた大自然の姿だけであった。

 

 

「ふん、毒面(ブス)共。(ワタ)もきっちり持って帰らんか」

 

 美しく括れた腰に手をあて、仁王立ちしながら遁走する刺客を眺める現人鬼。

 返り血にまみれても尚、その美麗な立ち姿は一種の美術品の如き気品を漂わせていた。

 ショッキングな光景を見せられ続けた弓兵の乙女は、魂が抜け落ちたかのように呆然とその美姿を見つめている。

 ちなみに戦闘中も現人鬼の剛直は立派に屹立し続けており、今も圧倒的な存在感を放っていた。

 

「さて、小娘。ぼちぼち波裸羅の情けをくれて──」

 

 そう言いかけた現人鬼は、ある方向を見つめるとピタリとその動きを止めた。

 

「……ふむ。中々に強烈な“龍気”が立ち込めておる。カントめが言ってたのは、あれのことか……」

 

 顎に手を当て、何やらぶつぶつと独り言を呟く現人鬼。

 現人鬼の視線の先には、魔法都市シャリーアが存在していた。

 

「うっふっふっふ。凶剣がイキる時が来たようじゃ……!」

 

 現人鬼は舌舐めずりをした後、サラへと顔を向けた。

 

「小娘。波裸羅は急用が出来た。ケツ(・・)拾いした喃」

 

 サラへ残虐な笑みをひとつ向け、血にまみれたまま現人鬼は踵を返す。

 尚も呆然とするサラに構わず、現人鬼は自身の美尻を豪快に叩いた。

 

「あば!」

 

 バチイイイイインッ! と快音を響かせ、現人鬼は跳躍し忽然とサラの前から消え去った。全裸で。

 

 

 

「……」

 

 一人残され、地べたにへたりこんだサラが再起動するのは、もうしばらく後のことであり。

 美しかった自然の営みは、現人鬼と刺客達の戦闘により地獄の光景へと変わり果てており。

 透明度がある美しい泉は、刺客達の血液により血の池と化し。

 大自然の活力を感じさせた瑞々しい木々は、刺客達の四肢や(はらわた)などの残骸によって無残な装飾が施され。

 柔らかで太陽の香りを感じさせた草々には、刺客達の指や臓物などが散らばり、臓物から発せられる悪臭が漂っていた。

 

 そして、失恋の哀しみにいじらしく悶える乙女の可憐な姿は、血泥に塗れた無残な姿へと変わり果てていた。

 

 

 サラが虚ろな瞳で冒険者ギルドに帰還し、全身血まみれのその姿にギルド内が騒然としたのは、また別のお話。

 

 

 

 

 

 


 

 魔法都市シャリーア

 ルーデウス・グレイラット邸

 

 ラノア魔法大学にて双子の獣人剣士の襲撃を受けたウィリアムは、難なく双子を蹴散らし、目当ての転移魔法陣の在処をナナホシから教示されると足早にルーデウス邸へと戻っていた。

 

「あ、ウィル兄! おかえりなさい!」

 

 アイシャが喜々とした表情を浮かべウィリアムを出迎える。直ぐに大好きな兄に飛びつこうとするも、手に包丁と馬鈴薯を持ったままなのに気付いたアイシャは慌てて台所へと踵を返した。

 

「飯を、作っておるのか」

 

 そんな慌てたアイシャに目を細めつつ、ウィリアムは優しげに声をかける。

 不自然な程柔らかいその声色に、アイシャは一瞬だけ違和感を覚えるも、直ぐに明るい笑顔を返した。

 

「うん! 今日は、お芋さんが安かったから!」

 

 快活な笑顔を次兄へと向けるアイシャ。その陽だまりのような暖かさに、ウィリアムは僅かに表情を崩していた。

 ウィリアムは台所へと足を向けると、そのまま籠に積まれた馬鈴薯の前へと立つ。

 

「ウィル兄……?」

 

 台所へと入ったウィリアムを不思議そうに見つめるアイシャ。

 ウィル兄は何をしようとしているのかな? もしかしてつまみ食いでもしに来たのかな? と、ほのぼのとその様子を見つめる。

 ウィリアムが包丁と馬鈴薯を手に取った時は、慌ててその横に駆け寄ったが。

 

「あ、いいよウィル兄! お料理はあたしが──」

 

 そう言った刹那。

 風を切るような音と共に、一瞬にして皮が剥けた馬鈴薯がウィリアムの手の中にあった。

 

「わっ! すごい!」

 

 感嘆の声を上げるアイシャに構わず、次々と馬鈴薯の皮を剥くウィリアム。

 精密機械の如き正確さで包丁を操り、飛燕の如き疾さで馬鈴薯の皮を剥く。その姿は、料理に慣れたアイシャの目からしてもまさに“料理の鉄人”といった風格を漂わせていた。

 アイシャは綺麗に繋がった馬鈴薯の皮を手に取り、「おぉ……」と目を輝かせそれを見る。

 僅かの間に、籠に積まれた馬鈴薯は全て皮が剥かれていた。

 

「次は」

 

 ウィリアムは興奮気味のアイシャに優しく語りかける。

 妹の料理を手伝う次兄の優しさに、アイシャは今日一番の笑顔を浮かべていた。

 

「えへへ! じゃあ、次はー……」

 

 望外なところで兄に甘えることができた少女は、そのまま最後まで料理を手伝ってもらい、ホクホク顔で夕餉の支度を整えていった。

 

 大量の芋料理を持て余すシルフィエットの苦笑と共に、グレイラット家では家族の暖かい団欒が営まれていった。

 

 

 

 

 深夜。

 グレイラット邸にて穏やかな一時を過ごしたウィリアムは、旅支度(・・・)を整えアイシャが眠る部屋の前に立っていた。

 家人が完全に寝静まってからの支度であったが、元々大した荷物を持たないウィリアムの旅支度にはなんら支障もなく。

 

「……」

 

 ウィリアムはそっとアイシャの部屋のドアを開ける。

 少女を起こさないよう、静かにそのベッドの前へと歩み寄った。

 

「うーん……」

 

 むにゃむにゃと寝返りを打つアイシャ。

 その様子を穏やかな表情で見つめるウィリアムは、この天真爛漫な少女が健やかに成長しているのを改めて感じていた。

 

「アイシャ……」

 

 そっと、その朱髪に触れようと手を伸ばすウィリアム。

 

「……」

 

 だが、寸前でウィリアムはその手を引いた。

 血塗れた己の手で、少女の無垢な寝姿を汚さまいとする兄の心情。それでも、その成長をその手で感じ取りたい兄の心情。

 二つの心が、ウィリアムの中で狂おしい程の葛藤を見せていた。

 

「ん……」

 

 眠るアイシャが身じろぎする。

 切なそうに表情を歪めるアイシャの寝顔は、虎の心を更にかき乱した。

 

「おかあ……さん……」

 

 だが、アイシャがふと発した寝言に、ウィリアムは心の葛藤が鎮静していくのを感じた。

 

「……」

 

 一筋の涙が、アイシャの頬をつたう。

 ウィリアムはその涙をそっと指で拭い、丁寧な手付きで少女に毛布をかけ直した。

 

「……待っておれ」

 

 小さく、しかしはっきりとした口調で、虎は少女へと声をかける。

 母、リーリャを想い涙を流すアイシャは、年相応に母の情を求める幼い少女でしかなく。毎晩、こうして母を、そして家族を想い、涙を流していたのだろうか。

 今生の虎は、その姿を不憫と思わない程、薄情ではなかった。

 

 ウィリアムは入ってきた時と同様に、静かにアイシャの部屋から退出する。

 そのまま、廊下に置かれていた自身の荷物を担ぐと、玄関へと足を運んだ。

 

 

「ウィル君」

 

 忍ぶように家から出ようとしたウィリアムに、寝間着姿のシルフィエットが声をかけた。

 どこかで、泥沼の嫁は義弟の不自然な態度に違和感を感じていたのだろう。ウィリアムがそれとなく自身の荷物を気にしていたのを、目敏く察知していたシルフィエットは、予想通り黙って家を出るウィリアムを悲しげな瞳で見つめる。

 

「ルディのとこに行くの?」

「……」

 

 義姉の問いかけに、沈黙を返すウィリアム。

 暗に肯定を示す義弟の不器用なその姿を、心優しいクオーターエルフの乙女は溜息を一つ吐いて諦めの表情を浮かべた。

 

「何言っても行くのは止めないのだろうけど、ひとつだけ言わせて」

 

 シルフィエットはウィリアムの前に立ち、その右手を優しく包んだ。

 

「絶対、必ず、この家に帰ってきて。そのままいなくなったら、絶対にだめだからね。ノルンちゃんや、アイシャちゃんに、悲しい思いをさせないで」

 

 瞳を潤ませながら、両手でウィリアムの右手包むシルフィエット。

 真っ直ぐで、純粋に己を想う義姉の気持ちに、虎は少しだけ表情を歪ませた。

 

「……」

「あ……」

 

 ウィリアムはシルフィエットの手を尊い物を扱うように退ける。シルフィエットは、それが虎の“拒否”だと感じ、増々悲しげな表情を浮かべた。

 

 ウィリアムはそのまま玄関の扉を開けると、振り返る事なく歩を進める。

 辺りは夜の帳が下りており、グレイラット家の玄関先は悲哀を感じさせる程の静寂に包まれていた。

 

「ウィル君……」

 

 シルフィエットは悲しげに義弟の後ろ姿を見つめる。本来ならば、ルーデウスの、愛する夫の助太刀に向かう頼もしき義弟の旅立ち。

 だが、永遠の別れを思わせるウィリアムの立ち振舞に、シルフィエットはどうしようもなく不安な思いに囚われる。

 

 せっかく会えた、義弟。

 せっかく会えた、家族。

 それなのに、再び離散してしまうかもしれない。

 どうしようもない哀しみが、クオーターエルフの乙女を苛んでいた。

 

 

「……義姉上(・・・)

「ッ!」

 

 ウィリアムが立ち止まる。

 ゆっくりと、その顔をシルフィエットへと向けた。

 

「どこにも、行き申さぬ」

「ウィル君……!」

 

 そう言うと、ウィリアムは再び歩み始める。

 その背中は、様々な宿業を背負った剣士の悲哀、そして不器用な優しさが滲んていた。

 シルフィエットは泣き出しそうな、それでいて嬉しそうな笑顔を浮かべながら、ウィリアムの後ろ姿が見えなくなるまで見つめていた。

 

 やがて虎の姿が完全に見えなくなると、シルフィエットは静かに玄関の扉を閉める。

 哀しくも、優しい義弟の言葉を、シルフィエットは静かに反芻していた。

 

「……おねえちゃんって、呼んで欲しかったな」

 

 寂しげに呟くシルフィエットの言葉が、静まり返ったグレイラット邸に響いていた。

 

 

 

 

 

 ウィリアムがグレイラット邸から出立してしばらくして。

 徐々に白み始めた空のもと、魔法都市シャリーアの外門をくぐった虎は、ラノア大学にて蹴散らした双子の姿を目撃した。

 双剣ナックルガード。

 兄ナクルの片目は虎に潰されたままで、巻かれた包帯は痛々しい様を見せている。弟ガドの片腕も包帯で吊られており、その布下では虎の爪痕が生々しく残っていた。

 

「お主らは……」

 

 意趣返しか、と僅かに怒気を滲ませるウィリアム。武芸者同士の尋常な仕合にて遺恨を残すとは、北神流の剣士とは呆れ果てた輩。虎は、殺気と共に腰に差した七丁念仏の柄に手をかけた。

 

 だが、双子の兎はウィリアムの姿を見留めると、即座に膝を付き頭を垂れる。

 神妙な顔付きの双子の兎は、その胸中を虎へ明かした。

 

「アダムス殿……いや、若先生」

「どうか我らを弟子に」

「見込みがなければ」

「この場にてお手討ちを」

 

 平伏する双子の兎を、冷めた目で見つめる虎。どれだけ言葉で飾ろうと、双子の魂胆は己の虎眼流を盗むつもりなのだ。そう断じだ虎は、望み通りその肉体を妖剣の餌食にせんべく、ズズッと七丁念仏を引き抜く。そのまま、頭を垂れる双子へ剣先を突きつけた。

 

「……」

 

 だが、七丁念仏の刀身が怪しく煌めくと、ウィリアムの脳裏に前世での忠弟達の姿が浮かんだ。

 己の為に、虎眼流の為にその若い生命を燃やした虎子達。その儚く、瑞々しいまでの生命の輝きが、虎の脳裏に浮かんでいた。

 

 しばしの間、虎と兎の間で沈黙が漂う。

 尚も頭を下げ続ける兎達に、虎は深い溜息をひとつ吐いた。

 

「……ッ!」

 

 そして、神速の斬撃が双子の頭上に放たれる。

 音を、そして光を置き去りにするその斬撃の余波で、双子は思わず顔を上げた。

 

「え……」

「なんだ……」

 

 ひらりと、一本の“毛”が双子の手のひらに落ちる。

 双子は、それが自身らの兎耳に生える“毛”であることを視認し、訝しげにそれを見つめた。

 

「「ッ!」」

 

 見つめていると、兎の毛が十文字(・・・)に割れた。

 超極細の獣毛を、刀剣にて縦に割る(・・・・)ウィリアムの技量。

 それはまさしく、前世にて行われた虎眼流入門儀式を遥かに越える、神技への扉。

 

 

 異界虎眼流入門の儀“紡ぎ綿毛”

 

 

 後にそう呼ばれる事となる異界(六面世界)敷島(日ノ本)紡ぐ(ツムグ)この神聖な儀式に、双子は戦慄、憧憬、そして歓喜の声が混ざった獣声を上げた。

 

「お美事!」

「お美事にござりまする!」

 

 双子の心からの賞賛を受けるウィリアム。そのまま歩みながら、双子へと声をかけた。

 

「ついてまいれ」

「ッ! は、はい!」

「どこまでもついていきまする!」

 

 白んでいた空に、僅かに朝日の光が覗く。

 力強く歩む異界虎眼流の剣士達を、その儚い光で照らしていた。

 

 

 かくして、虎と双子の兎は砂漠の大地、ベガリット大陸へと赴く事となる。

 若き虎の、父と、母。そして、兄を助ける為に。

 その道中に、様々な困難が待ち受けるとは知らずに。

 確りとした足取りの武芸者達は、その困難に打ち勝つ事が、果たして出来るのだろうか。

 

 

 

 転移魔法陣の前で、鬼と、龍が待ち受けているのを、虎は気づくことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ワオ!ニンジャ!エロ!グロ!



以下ネタバレ含むガバガバ人物紹介読み飛ばし推奨。


■サラ(無職転生)
書籍版追加キャラ。B級冒険者パーティ『カウンターアロー』のメンバーで中馬大蔵と同じく弓使いの乙女。エリスと同い年くらい。平民の生まれなので苗字は無い。
魔剣豪奇譚でメインヒロインを張った中馬どんと同じく、書籍7巻でのメインヒロインとなる。
アスラ王国ミルボッツ領の西端にある村の出身。村の付近にある森から魔物が大量に出没した際、領主貴族が最後まで騎士団派遣を渋ったせいで両親共々故郷が滅びる。ミルボッツ領がノトス・グレイラット家が治める土地なのもあってグレイラット姓を持つルーデウスを当初は非常に嫌った。薩摩もんは違う!戦場に出てめいめい一人以上の敵を殺さなにゃならん!もし殺さなんだら本人は死罪!父子親族と伍の仲間も切腹!
また、エリスに捨てられたと勘違いし、傷心状態のルーデウスの心持ちも当初は嫌うも、一緒に冒険したり窮地を救ってくれたりといろいろあってルーデウスに惚れる。薩摩もんは違う!婦女は絶対に避けその姿を見ただけで組頭は自殺を命じる!腹いっぱいに酒を飲ませ、眠らせたところで枕を蹴って脛骨を折る!
その後なんだかんだでルーデウスと宿でBまでいくも、残念ながらEDだったルーデウスと一線を越える事は叶わず、サラは初体験を台無しにされたと思い込みルーデウスを罵倒し宿から離れる。消沈するルーデウスを冒険者パーティステップなんとかのリーダーであるゾルダードさんが慰め、ルーデウスのEDを治してあげようと娼館に連れていくも、手練手管の娼婦のねーちゃん(源氏名エリーゼ)が頑張ったにも関わらず結局はルーデウスのEDは治らなかった。娼婦の名前がエリスを想起させたのが主な敗因。
EDが治らず、ヤケになったルーデウスが娼館で浴びるほど酒をかっくらい、道端でサラに対する悪態を散々吐き、それを直で聞いてしまったサラはルーデウスに零式積極ビンタ。そんなこんなでサラとルーデウスは喧嘩別れとなってしまい、ルーデウスはエリスの件に続き苦い青春を味わう事となった。サラもまたルーデウスの悪態が自身の誤解であった事、そしてルーデウスがEDに苦しんでいた事に気づき、素直になれない自分を責め、黙って街を出たルーデウスが自分を拒絶したと思い込み枕を濡らした。泣きはらしたサラは自身の恋が終わった事を悟り、ルーデウスと再会した時は今度こそ素直になり、真心を込めて謝ろうと決意するのであった。
では女冒険者殿。おなごに振られた薩摩もんの根性根性と玉砕覚悟、見てもらおうかの(火属性付与(エンチャント・ファイア)

ちなみにサラは後にルーデウスとさわやかに和解した(書籍13巻)ユウジョウ!


■スザンヌ(無職転生)
カウンターアローの副リーダー。前衛の女剣士。ドレッドヘアーのアマゾネス。
北方大地に来た傷心ルーデウスを気遣い何かと世話を焼くようになる。共に冒険をする内にルーデウスを仲間として認め、その実力を高く評価していた。
サラが勘違いした際は最初はルーデウスに失望するも、直ぐにサラの勘違いなのでは?と大人な対応を見せる。正直この人がいなかったらサラとルーデウスの関係は永遠に拗れたままだった。
冒険者を引退した後、カウンターアローのリーダーで剣帝じゃない方のティモシーさんと結婚する。結婚を機にティモシーさんの実家方のシャリーアへと移り住み、グレイラット家御用達の乳母さんになった。


■ティモシー(無職転生)
カウンターアローのリーダー。後衛の魔術師。剣帝じゃない方のティモシーさん。
ルーデウス程ではないが魔術師としての実力は高く、また慇懃なその態度でパーティを良く纏め、対外交渉も卒なくこなしていた。
後にスザンヌと結婚しニ男をもうける。


■パトリス(無職転生)
カウンターアローのメンバー。前衛の魔法戦士。魔法戦士だが風魔法を初級までしか使えず、実際は物理メインの前衛アタッカー。
パーティ解散後はどこかで冒険者をやっているらしい。


■ミミル(無職転生)
カウンターアローのメンバー。後衛の治療術師。
特に目立ったエピソードも無くトリーアの森で死亡。


■ブラッディ・カント(無職転生)
冒険家。アスラ王国の海沿いにある小さな村で育つ。親が魔術師なのもあり幼少期から魔術の修行を行い、広い世界に憧れを持つようになった頃には村を飛び出していた。世界中を旅しており、その記録を纏めた本を出版している。
中でも『世界を歩く』はまさに異世界ガイドブックともいえる出来で、幼少期のルーデウスはこの本で六面世界“人の世界”についての基礎知識を身に着けた。
無職本編では名前だけ登場のキャラクターだったが、無職転生スピンオフ『無職転生~ロキシーだって本気です~(石見翔子先生著)』で登場し、女性の魔術師、魔大陸をソロで旅する程の実力者、メガネ、そばかすなどのキャラクターが掘り下げられた。
ロキシーの魔術の師匠だが、喧嘩別れした師匠(ジーナス教頭)とは別人。師匠ではなく先生と呼ばせるなど、後のロキシーの性格に大きな影響を与えた。


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幕間『常州魔剣豪戯劇(じょうしゅうまけんごうぎげき)

 

 

 

 

 剣聖、老いたり──

 

 

 

 

 

 天正十八年(1590年)

 常陸国筑波山

 

 廻国修行中の若き日の岩本虎眼が、ここ常陸国筑波山へ至ったのは山中での修行の為にあらず。

 獣道を押し進む若き虎の目的は、筑波山にて隠遁生活を送る一人の老剣聖を訪ねる為であった。

 

猿飛陰流(さるとびかげりゅう)の秘奥、尽く我が虎眼流の糧にすべし!)

 

 虎の目当ては、剣術“猿飛陰流”の開祖、愛洲(あいす)小七郎宗通。

 隠居してからは“元香斎”と号している老剣聖は、父である愛洲移香斎久忠が興した剣術三大源流である“陰流”を相伝し、猿飛陰流と名を改めた頃には陰流を無双の流派へと練り上げていた。

 元香斎の弟子にはあの戦国最強の剣聖、上泉伊勢守信綱がおり、その信綱が猿飛陰流や様々な流派を組み合わせ“新陰流”を興したのはあまりにも有名である。その新陰流を柳生一族が天下の一大流派まで押し上げたのは言うまでもない。

 

 その猿飛陰流の秘奥を盗み、上泉信綱と同じように己の虎眼流の糧にせんが為、この若き虎は野心を隠そうともせず筑波山へと赴いていた。

 

 

(いくさ)の場を踏むこと三十九度、一度も不覚を取らず。真剣の仕合二十度も尽く勝利を収めた、か……」

 

 虎眼は山中を歩きながら元香斎の逸話をぼそりと呟く。虎はこの無比の逸話を微塵も恐れてはいなかった。

 

「佐竹の家臣である元香斎は身分高き者。雑兵の槍が届く場所に配されなかったから手傷を負わなかっただけ」

 

 常陸の金山から得られる潤沢な資金を背景に強大な軍事国家を築き上げ、後北条氏と関東の覇権を巡って争った“坂東太郎”こと佐竹義重。その佐竹義重に臣従していた元香斎は、当然のことながら佐竹家における兵法指南役として任じられており、戦場での役割は専ら主君の身辺警護に留まっていた。

 故に、前線に配置されていない元香斎が一度も手傷を負わなかったのは万人が納得する理由であろう。

 

 だが、一対一の真剣仕合に二十度も勝利し続けたという逸話だけは一笑に付す事は出来なかった。

 

「一対一の仕合に勝ち続けたのは術理の賜物。己の虎眼流を更に練り上げる為には、それを盗まねばならぬ」

 

 虎は己の目的を改めて呟くと、粛々と元香斎が隠遁する山中の庵を目指して歩き続けた。

 

 

 

 しばらく虎眼が山中を歩いていると、茨に覆われた侘しい庵が見えた。

 周囲に人はおらず、虎眼は元香斎が本当にこの庵にいるのかと、少しばかり不安な思いに囚われる。だが、庵から炊事の煙が上がっていたことから少なくとも人がいる気配はあった。

 

 虎眼は無遠慮にその庵の中へと押し入る。

 すると、一人の老人が囲炉裏の前で座していた。老人の白髪は碌に手入れがされていないのか所々黄ばんでおり、口元は無精髭を生え散らかしている。

 老人は入ってきた虎眼を見やるも、直ぐに興味を失せたかのように囲炉裏の灰をかき混ぜていた。

 

「愛洲元香斎殿とお見受け致す」