『小夜啼鳥が血を流す時』 (歌場ゆき)
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「Is she crazy?」




「ナイチンゲールは
 ただの貴族出身の奉仕者じゃありません。
 百三十年前、完全な男性社会だった軍隊で、
 看護師の地位を確立した大変な戦略家です」
              
────浦沢直樹『MASTERキートン』より




 フローレンス・ナイチンゲールという女性が現れてからおよそ150年という歳月が経ち、”看護婦”という職業を表す言葉が男女平等の観点から”看護師”に変更された。

 容れ物の名称が変更されようと、知識・技術・道具がいくら発展しようと、いまだ不変にして普遍──威風堂々と横たわる看護医療の基本理念を生み出した母。

 不撓不屈の精神を以て、理不尽に抗い、世界と戦い続けた女性。



 その生涯をかけた闘争に、
 ありったけの敬意となけなしの憧憬を込めて────




 では、どぞどぞ。







 

 

 

 私が愛したのは軍人でした。

 おそらく記録には残っていないでしょう。

 

 ”クリミアの天使”の業績には必要のない情報ですから。そんなものは付随しようがない。雑菌、ウイルスのようなものです。仮に私に伴侶のような人がいたのだと伝えられていても、それは私の名の影響力と浸透力をより高めるための装飾にすぎません。

 

 

 

 ────本来ならば。

 

 ────これ(この話)もそうあるべきなのです。

 

 

 

 この身は神に捧げたものであり、その所有物なのですから。当時、あの環境において必要な道具として、時代に使い潰されるだけの消耗品でなければなりません。ですから、()ってはならない感情なのです。

 

 

 

 この恋慕は────

 

 この愛情は────

 

 

 

 フローレンス・ナイチンゲールが個人に対して、抱くことは許されない。

 そのはずでした。

 

 ただ、今から思えば、その気負いこそがきっと癌細胞にも似た病魔だったのです。気がつけばそこに生じていて、痛みも苦しみもなく。けれど、知らず知らずのうちに私を蝕んでいたもの。

 

 そういうお話なのですが……。

 

 

 

 

 

 え? なに?

 

 ”どうして自分は診察台に乗せられて手首と足首を固定されているのか”ですって?

 

 ”カチャカチャと音を立てているのはなんなのか”

 

 ”キュイーンキュイーンとなにかが超高速回転しているように聞こえるのはなんなのか”

 

 ───マスターはそれを訊ねているのですか?

 

 いえ、特にどうということはありません。私がこのカルデアに召喚されてから、医療部門の婦長を任せていただいているのはきっとご存知でしょう。それに先立って、ドクターよりこれらの器具の紹介をいただきまして。

 

 

「銃弾が当たれば切断切除、火傷を負ったら切断切除、傷が化膿しても切断切除。あの時はそれしか方法がなかったものですが……。生前にこれだけの医療器具があればと思わずにはいられませんね。しかも麻酔というものが普及していませんでしたから、患者は恐怖と激痛により施術中に気を失ってしまうことがほとんどでした。気をやって患者が大人しくなるのはこちらとしても助かるのですが意識レベルが低いと危険な場合もありますし、そのときは多少殴打を──────こう、そこらへんの硬いもので」

 

 

 ……というようなお話をしている最中にも関わらず、なにかのメンテナンス作業を思い出したのだとか。余程急いでいたのでしょう。

 

「ちゃんとメンテしないと、フォウくんが走り回るんだよ~~~」

 

 などと言って、ドクターは脱兎の如く駆けていかれました。発話内容についてはよくわかりませんが。

 

 そんなところにマスターがいらっしゃったものですから。

 

 私の昔話にお付き合いしていただく間、ただじっとしているというのも手持ち無沙汰でしょう? せっかくなので、施術の被験体になっていただこうかと。本当はそのままドクターにお願いしようと思っていたのですが────。

 

 

 

 まぁ、彼はまた今度ということで。

 

 

 

 大丈夫です、それほど怯える必要はありません。ドクターによる器具の説明は半端なところで終わってしまいましたが、医療系のサーヴァントとして知識は備わっています。腕に自信はありますし、痛みを感じるようなことをするつもりはありませんよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───────────────麻酔もあることですし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あら? …マスター?

 

 ふむ、気絶してしまいましたか。

 

 

 

 では─────ちょうどいいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 術式を開始しましょう。

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 その男との初対面は私が従軍する前。

 既に軍人であった彼と私が出会う時期としては奇妙だと思われるかもしれないが、私たちは出会うべくして

 ────その時、その場所で出会った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────フローレンス・ナイチンゲール?」

 

 

 専門書の閲覧のために訪れていたある館で。

 周囲を背の高い本棚に囲まれているために採光量は少なく、この場所が持つ機能を考えればいささか不適当と思える明るさの中。

 少し距離もあるせいか、声を掛けてきた男の顔をはっきりと捉えることはできなかった。

 

 こちらより長身。声の様子からすると若年ではないが年老いてもいない。年の頃は同じか、幾分か下か。はっきりとした特徴と言えば、軍服を着用していること。

 

 ───軍人がこんなところへ?

 ───いや、それよりも、なぜ私の名前を?

 

 胸のうちに生じた疑問はそのままに。話しかけられてなにも反応しないわけにはいかない。

 

 

「……以前、どこかでお会いしたでしょうか?」

 

 

 あくまでも親しみをベースとして、礼節を欠くことのない態度を表に、腹の底の不信感を気取られぬように心掛ける。軍人相手に失礼を働いて愉快なことになった例は聞いたことがない。

 

 ましてや、こちらは女なのだ。

 

 軍属という偏向的なまでの男性社会において、女性とは常に存在を許してもらう側の人種だ。この国は戦争をしている国家であり、たとえ一般市民であろうとも軍と無関係ではいられない。そんな状況で女性が軍人に楯つくようなことがあっては決してならない。そればかりか、”楯ついた”と思われるだけで致命的なのである。そこに事実は介在せずとも、所感によっていくらでも処罰されてしまう。

 

 だから、いくら警戒しすぎたところで、しすぎということはない。しかし、逆にその警戒心があからさまに出てしまうと、これまた下手に藪をつつくことになりかねない。

 

 要はそのバランス感覚がわからない者から消えることになる、そういうことだ。

 

 

 

 

 

 

  ()()()()()()()()()()()()()()()()

  ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 そんな心のうちを知ってか知らずか、目の前の男は軽い調子で

 

 

「そんなに畏まられると、なんだか具合が悪いよ」

 

 

 と言い放ち、おどけるようにして両の手を上げてみせる。

 

 元々が静かな場所である。人目もないから声量を気にする必要はない。しかし、話をするにはやはりいささか距離を感じさせる。男は特に気にすることもないのか、その間合いのまま話し続ける。

 

 

「うーん、それにしてもここは暗いね。資料を読む環境としては不適切だ。そうは思わないかい?」

 

「…はぁ。それに関しては同意ですが」

 

「だろう? ここは────どうしてこんなに薄暗いんだろう」

 

「……保管の観点からだそうです。書類はどうしても陽で焼けて痛んでしまいますから」

 

「そうかい。でも、それにしたってもう少し方法があるだろうに。ここまでだと別の問題がありそうだけれど。湿気だとか、虫食いだとか」

 

「ええ、ですから管理者のかたには何度も環境の改善を要請させていただいて…」

 

「そうだね。そこまで場所がないというわけでもないんだし、窓を塞ぐ一部分の棚を撤去して思い切ってそこを閲覧スペースにするなんてだけでも、かなり違うんじゃないかな」

 

「はい、そう思います」

 

「では、なぜそうしないんだろう?」

 

「えっと、管理者のかたはご年配でして」

 

「なるほど問題はそこか。”腰が重い”わけだね、物理的にも精神的にも」

 

 

 なんなのだろう、この人は。

 得体が知れない。

 本当に軍人なんだろうか。

 

 不信感が拭えない。

 

 

「───あの、恐れながら。いくつか質問をよろしいでしょうか」

 

「どうぞ」

 

「軍人のかたがどうしてこのようなところへいらしたのですか。そして、私への一連の質問はどういった意味があるのでしょうか」

 

「できれば質問はひとつずつお願いしたいんだけど、その質問にはひとつの回答で済むし、なにより、奥ゆかしくも最も聞きたいであろう質問を後回しにしたことに好感が持てるから、素直に答えるとしよう。

 ────ずばり、これが僕の仕事なんだ」

 

「…………」

 

 

 もし、この人物が本当に軍人なのだとしたら。こういう軍人がいるからこの国はダメなのだ。

 責任ある立場の者が責任を果たさないから、いつまで経っても弱者ばかりが傷つけられる、弱者ばかりが虐げられる。

 

 不信感が募る一方。

 

 

「あらら、信じてない? まあ、それも仕方ないか。軍人と言えばドンパチしてるイメージでやたらめたらに威張り散らすのが仕事みたいなところあるし。良い印象はないよね」

 

「いえ、そういうわけでは……」

 

「いやいや、いいんだよ。そう顔に書いてある。こんなところで陽の高いうちから油を売りやがってろくなやつじゃないなこいつ、って思ってるでしょ」

 

「そんな…、滅相もありません」

 

「ま、顔に書いてあるって言っても、暗くてよく見えないんだけどね。でも、

 ────嘘はよくない」

 

「え?」

 

「仕事柄そういう機微に敏くてね。言語化するのは難しいんだが、なんとなく空気感みたいなもので相手の考えていることがおよそ読めてしまうんだ。余計なことまで知ってうんざりすることも多いけれど、おかげで出世が早くて早くて」

 

「……」

 

「きっと君は聡明なのだろう。自らがどう振舞えば、相手にどう思ってもらえるかを知っている。生き抜くためだ、媚びへつらうことをまるで苦にも思っていない。家柄が良いせいかな、言葉遣いもしっかりとしているし、あくまで謙虚さを失うことなくそれでいて軍人相手にも自らの意見を臆さず言える───それは美徳と言っていい」

 

「…………」

 

「でもね、

 そういう世渡りのうまさというやつを気に食わない人種もいるってことを忘れちゃいけない。

 そして、君の場合は────」

 

 

 ───────”したたかさ”が表に出過ぎだ。

 

 

 男の言葉が重く私にのしかかる。

 

 ちょっと待て。

 私がいったいなにをしたと言うの。

 こんなもの言いがかりもいいところ。

 

 

  ≪そんな状況で女性が軍人に楯つくような

  ことがあっては決してならない≫

 

 

 いや、楯つくだなんて、そんな……。

 

 

  ≪そればかりか、”楯ついた”と

  思われるだけで致命的なのである≫

 

 

 ああ、そうだ。

 そうだった。

 わかっていたのに。

 この男の飄々とした構えに調子を崩された。

 こんなにも簡単に。

 

 

 

 そう────本来なら軍人相手に話しかけられた瞬間になにかとそれらしい理由をつけて私のような”女”は現場からの逃走を試みるべきなのだ。逃げられるかどうかは、この場合には関係がなく、”逃げようともしなかったこと”が問題になる。ポーズであろうと怯えた様子を私は見せるべきだったのだ。

 

 

 

 

 ああ、もう────。

 

 

 ─────────────失敗した。

 

 

 

 

 

 こうなったら仕方がない。

 

 

 

 

 内なる不信感が─────不快感へと変貌する。

 

 

 

 

 

 

 こうなってしまえば、”後は早い”。

 

 

 

 

 

 

 仕方がない。

 仕方がないから────、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、そうそう、後ろ手に隠しているものはどうかそのままにしておいてほしいな。この視界にこの距離だ、しかも劣悪な性能で悪名高いその銃の弾丸が僕に命中することは、まずないよ。なにより、それをこちらに向けられたら、僕は軍人として不本意な仕事をしなくてはいけなくなる」

 

 

 ──────それは、お互いに望むところじゃないだろう?

 

 

 また軽口を叩くようにして、そう話す。こちらのタネを指摘したからか、男は歩を進めて距離を詰める。私の歩幅にして五歩ぐらいの間を空けて立ち止まった。

 

 

 ───心を火種として燃え上がった炎が急速に冷えていく。

 

 

 近づいたことで輪郭が見えてきた男の姿。背丈はあるものの、胸板が薄いからか体格の良さはあまり感じられない。精悍な顔つきというには凄みに欠ける顔立ち。軍人特有の古色蒼然とした厳粛さは皆無と言ってもいい。

 

 ただ一貫して、どうにも緊張感に欠ける捉えどころのなさだけが印象に残る。

 

 

「……それはつまり、そちらに私をどうこうする気はないという意味で間違いないですか?」

 

「もとよりそのつもりだよ。君、話を聞かないってよく言われるだろ。挑発するような文句を口にしたのは悪かったと思うけれど、そこからの展開が急過ぎやしないか。生き急ぐにもほどがあるだろう。長生きはしたくないのかい?」

 

「……」

 

 

 んー、いやでも、案外君のようなタイプの人間が長生きしたりするんだろうか……などとぶつぶつ呟くこの男はまだ自己紹介すらしていない馬鹿者である。

 

 

「…そういう貴方は、早死にしそうですね」

 

「ははは、酷いな。仮にも看護婦にそんなことを言われるだなんて」

 

「───今、死ねばいいのに」

 

「死んだら助けてくれるのかな?」

 

「死んだら助けられませんし、貴方のような人には死こそが救いなのでは」

 

「その心は?」

 

「”馬鹿は死なないと治らない”」

 

「……いくら意趣返しにしたって、その罵倒はちょっと引くよ…」

 

 

 私も私でこんなふざけたやりとりに真面目に付き合うのだから、大概なのだろうけれど。

 

 

「さてと、挨拶も済んだところで───」

 

「私は貴方の名前すら知りませんが」

 

「え? 知りたかったの?」

 

「いえ、特には」

 

「僕の名は────ジョン・スミス。いつか世界を大いに盛り上げてやろうと思っている」

 

「……とりあえず、縫合しましょうか?」

 

「いきなり物騒な。ちなみに聞くけどどこを?」

 

「口です。冗談しか言えない口なら開かなくても構わないでしょう」

 

「おっと、これは医療に携わる者としては痛恨のミスが出たね。口は発話を行うだけでなく、食物を経口摂取するという非常に重要な役割もあるし、その上───えっと、無言で針を取り出すのはやめてくれないか、ミス・ナイチンゲール。そんなものどこから取り出したんだ。……あと、ジョン・スミスは本名だからな」

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

「君はさ」

 

 

「どうして僕が自分の名前を知っているんだろう、と思っただろう?」

 

 

「見も知らぬ人間、それも男に自分の情報を一部であろうと握られているというのは、女性からすれば気味が悪いことこの上ないだろうからね」

 

 

「本当はなによりも最初に聞きたかったんじゃないか?」

 

 

「それが君の”したたかさ”だというんだ」

 

 

「”軍人のかたがどうしてこのようなところへいらしたのですか”

 ”そして、私への一連の質問はどういった意味があるのでしょうか”」

 

 

「こんな質問じゃなくて」

 

 

「”なぜ、私の名前を知っているのか?”って」

 

 

「恐怖心をあらわに初めから君がそう聞いてきてくれたら、ややこしいことにはならなかったのに」

 

 

「───睨むなよ、責めているわけじゃない」

 

 

「むしろ逆だ。君が噂通りの素晴らしい女性で、つい愉しくなってしまった僕に責任がある」

 

 

「なんの噂かって? 知らないのかい? 自分のことなのに?」

 

 

「ナイチンゲールはいい女だって、巷では有名な話だ」

 

 

「嘘じゃないとも。僕はその噂の人物を目の前にして、そう確信しているよ」

 

 

「男性顔負けの気の強さは証明されたしね」

 

 

「あと惜しむらくは、その美貌がはっきりとは見えないことだ」

 

 

「やはり、ここは暗いよ」

 

 

 

 そう言って、五歩分あった距離を男はぐっと縮める。

 

 

 

 残り半歩分ほどの間を空けて、歩みを止める。

 

 

 

 顔を覗き込むようにして、こちらの右腕が掴まれた。

 

 

 

 握手をするような形で見つめ合う至近距離。

 

 

 

 不思議と危機感はなかった。

 

 

 

 きっと、それは。

 

 

 

 これから起こることへの予感めいたものがあったからだろう。

 

 

 

「うん、噂は本当だったね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────僕は君に会いに来たんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「仕事でね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────フローレンス・ナイチンゲール。

 

 

 

 

 

 

 ───────ハーバート戦時大臣より命が下りている。

 

 

 

 

 

 ──────────ようこそ、地獄へ。

 

 

 

 

 

 

 ────────────クリミアへの従軍依頼だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その男との初対面は私が従軍する前。

 

 既に軍人であった彼と私が出会う時期としては奇妙だと思われるかもしれないが、私たちは出会うべくして

 

 

 ────その時、その場所で

 

 ─────互いの運命と出会った。

 

 

 彼の第一印象は、考え得る限り───最悪。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けれど────、

 

 

 ────彼の運んできた報せは私が切望していた”朗報”だった。

 

 

 

 

 彼が取った私の右手には、()()()()が確かに握られている。

 

 

 

 

 








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 恋人のキャラクター性は迷ったんですよね。
 ナイチンゲールよりも堅物でいくか、びっくりするほどちゃらついたやつでいくか。

 結果、後者になったのはひっかき回してくれるだろうっていう期待とこういう人間が意外とね…っていう。


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「He is not a hero」





 罪無き者のみ読んでみるべし──────







 

 

 

 

 ───────半年。

 

 

 

 

 

 それがフローレンス・ナイチンゲールに与えられたクリミア従軍までの猶予であった。猶予とは言ったものの、その言葉が想起させる時間的ゆとりや余裕などとはまるで無縁である。これより戦地にて身を粉にして働くため──そのために前段階から身を粉にして準備する必要があるのだ。

 

 …無論、言を弄しているわけではない。

 

 具体的には、

 ナイチンゲールの下でその手足の如く働く人材の獲得。医療ツールを含む救援物資の安定したライン確立。軍から下りる雀の涙ほどの資金では到底支えられない自らの活動のための金策も必須事項。その他、階級は高くなくとも軍隊の中においてできる限りの影響力を築いておくこと……など。

 

 半年という時間のうち、いったいどこまで整えられるかというのはかなりの疑問であった。ナイチンゲール自身もかねてから懸念事項と捉え、従軍依頼が下される前から事に当たっていたものの、途中経過は決して芳しくなく。

 

 ───そんな折の大臣よりの命。

 

 看護婦としてクリミアでの活動を希望していた彼女にとってそれが喜びの報せであることは疑いようもないが、タイミングのみを考慮すれば”まだ早い”というのが正直なところであり、半年という猶予は───”非常に短い”と感じざるを得ない状況である。

 

 しかし、戦争が一個人の都合を勘案するわけもなく。今、この時にも戦端は開かれ、時を追うごとに助けを乞う患者が増えていく。その残酷なまでの現実が強迫観念として彼女を責め立て、ただただ焦燥感を煽る。

 

 準備が整おうが整うまいが、たとえ自分ひとりであろうと苦しむ患者のいるところへ向かいたい、そんな衝動とも言える熱い気持ちが常に胸を焦がす。

 けれども。

 冷静な頭ではそれではいけない、今のままでは軍隊という場所では相手にされない。彼女にもそれはわかっていた。

 

 そういう意味で彼女の戦争は既に始まっていた。

 そして、苦戦を強いられることは火を見るよりも明らかだった。

 

 

 

 

 だから、地道であろうとも足元の地盤を固めていくことこそが今できる最善なのだ、と信じて。

 

 人脈という人脈を辿り、コネクションというコネクションを広げ─────、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────そして、半年後。

 

 

 

 

 

 

 結論から言えば──────────”望外”と言える結果を収めた。

 

 

 誰もがありえないと口にするに違いない。あるいは逆に驚きのあまり言葉を失う者がいるかもしれない。

 

 苦戦を強いられることが定められていたはずの彼女の初陣───その時点でこれほどまでの成果を出したからこそ、今現在のナイチンゲールの評価があるとも推察できる。

 

 

 ナイチンゲールを支援するという複数の有力者と話をつけ。

 

 最終的には専門知識を会得したシスター24名、職業看護婦14名、合計にして38名を率いてクリミアへ。

 

 

 そして、なにより。

 時の最高権力者───

 ハノーヴァー朝第6代女王ヴィクトリアをも彼女は味方につけたのである。

 

 

 一介の看護婦が上げた功績としては完全に出来過ぎの類であろう。

 そう───出来過ぎなのである。

そのためこれをきっかけとして、彼女への逆風はまたより一層強く……なるわけではなかった。これが本当に一介の看護婦が上げた功績であれば、その彼女の”したたかさ”故にクリミア軍内部ですぐさま潰されていたかもしれない。

 

 

 

 だから、これは。

 ナイチンゲール個人の功ではないのである。

 それどころか、半年間で彼女個人が成し遂げたことは全体から見れば微々たるものであり、残りのほとんど全ての功は水面下で───彼女の認知の外で結実していた。クリミアへ発つ前の彼女は自らの周囲でなにが起こっているのかを知らない────まさかヴィクトリア女王とのパイプがいつの間にかできあがっているとは思ってもいない。

 

 そのため、軍内部からの彼女への圧力は非常に軽いものになったのだ。想定していたものからすれば、心地の良い春風のように思えるほど。

 完全なる男社会において、ただひとりの看護婦など取るに足らないものだと、所詮は女であると()()()()()()()()()()()()()()

 それが後の────

 

 ”クリミアの天使”

 ”ランプの貴婦人”

 ”血濡れの聖女”

 

 これらの伝説を作り上げることになった礎であるとは、この時点でまだ誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

 いずれ彼女がそのような人物になるであろうことを確信していた、ある男を除いて。

 

 

 

 

 

 

 ここまで語れば、いわゆる水面下の功績をどこの誰が打ち立てたのかは言うまでもないだろう。そのどこかの誰かの活躍無しには”クリミアの天使”、”ランプの貴婦人”、”血濡れの聖女”は誕生しなかったと言っても過言ではないのだ。

 しかし────、どこまでもったいつけたところで、偉人・天才・英雄と呼ばれ後世にまで賞賛されるようになったのはフローレンス・ナイチンゲールという女傑、ただひとりである。

 彼女を彼女たらしめる所以になった男の存在など、初めから無かったことになっている。

 したがって、本質的にこの者についての物語は詳らかにする必要が全くない。

 

 

 

 5世紀のブリテン島、円卓の騎士に纏わる物語を紐解くまでもなく─────。

 かのキングメイカーのような脇役にスポットが当たってろくなお話になるわけがないのだから。

 

 ただ……、本筋と離れてしまうけれど。

 補足的に述べるとするならば、花の魔術師と例の男は根底の部分に似たところがある。

 

 まさかただの人間が“世界を見通す眼”を同じく所有しているなどということはないが、ナイチンゲールも初対面時に看破していた緊張感や責任感が欠片も見出せないところ───どことない胡散臭さが同一のそれと言っていい。

 

 さらに言葉を選ばず表現するならば、

 ────両者ともに”馬鹿者”だ。

 片や自分がしでかしたことに対して罪の意識も持たぬくせ幽閉生活に甘んじる引きこもりの馬鹿者であり、もう片方は……。

 

 

 

 もし仮に──これらのことをその男に明かしてみたとすれば、以下のようなことを言いかねない。

 

「”馬鹿者”とは随分だなぁ。でも馬鹿と天才はなんとやらと言うし、もし馬鹿だったとしても僕はきっと天才寄りの馬鹿に違いない。……それにしても僕に似ている───そんなやつがいるのかい? それは是非とも会ってみたいものだね。本当に“世界を見通す眼”なんて持っているんだとしたら、話を聞かずにはいられないし。なんだか純粋に羨ましいとは言えなさそうな代物だけれど、その一方で愉快そうでもある。

 ま、僕には────”女性を見る眼”があるからべつにいいんだけど」

 

 この通り、言動から窺い知れる女癖の悪さも完全に一致。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて────、

 

 こんな”馬鹿者”にスポットが当たった話に興味のある者が果たしてどれほどいるのだろうか。

 

 

 

 

 もし自分が人知れず立てた功績を自分の意図しないところでこれから暴露されようしていることを知れば、

 

 

「こんなものはただの裏工作で、それほど大したことじゃないよー」

 

 

 と、男は(うそぶ)くに違いない。

 

 

 

 その通り──これから始まるは馬鹿な男のろくでもない物語だ。

 

 くれぐれも期待はしないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、これは─────

 惚れた女のために男が格好をつけた、

 たったそれだけのことなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ではでは─────、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────英雄になれなかった男の話をするとしよう。

 

 

 

 

 彼は最初から、英雄になるつもりなんてなかったけれどね。

 

 

 

 

 

 

 







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「Two of a kind」




「同じく風雨にさらされども
 汝は甘く我は酸し
 汝は赤く我は黄なり
 人汝を賛美すれど
 又我を捨てず」

──────武者小路実篤『柿と柚』より






 

 

 

「この、大馬鹿者が───────────!」

 

 

 品を損なうことはなく、されど高価なものだと一目で識別できる調度品が並んでいる書斎。その空間を揺らすように響いた怒号は残念なことに僕に向けられたものだった。というか──この部屋には男がふたりしかいない。自分が怒号を発したわけではないのだから、消去法的にどうしたってそうなる。

 そんなことを回りくどく再確認しなければやっていられない精神状態であることをどうか察してもらえるとありがたい。

 

 いい歳の男がこれまたいい歳の男に怒鳴られているのである。非は完全にこちらにあるときた。その上、向こうが心配をして怒ってくれているとありありと伝わってくる。情けないことにまるで立つ瀬がない。そりゃあ、現実逃避でもしないことにはやってられないだろう。

 

 据えられた椅子に向き合って座る男ふたり。

 対面の男は、僕より年かさが10ほど上で名をシドニー・ハーバート。エリート中のエリートであり、現在イギリスの庶民院議員を務める。この書斎は彼が持つ屋敷の一室である。

 

 そして、僕の名はジョン・()()()()()

 

 故あって、怒られている。

 

 

「あの、閣下」

 

「…閣下はやめろと言っておるだろうが。()()に言われてもくすぐったいだけだ」

 

「───そういうわけにはいきませんよ、ハーバート戦時大臣。ハーバート家の末席を汚す者として──いえ、末席を汚していた者として家名そのものに泥を塗る愚行だけは絶対に避けなければならないと思ったからこそ決断したのです。その決意を確固たるものにするためにも今後貴方を義兄と呼ぶことはできません」

 

「……他に道はないのか?」

 

「ええ、ありません。彼女には最短距離を行ってほしいもので」

 

「はぁ…、どうしてこうなってしまったんだ」

 

 

 そう言って、義兄は右手に持った煙草の火を灰皿で揉み消したかと思うと、皺が寄った眉間を親指と人差し指でほぐすようにする。

 ────困ったときの義兄の仕草だ。

 幼いときから変わらないなと滲み出してくるような懐古の念とともに、緩みそうになる口元と気持ちを引き締める。

 

 

 

 本日、このハーバート家には

 ────縁を切りに来たのである。

 

 

 

 申し入れが容易に受け入れられないであろうことは想像できた。幼少から兄弟同然に育ってきた片割れがいきなりそんなことを言い出したら誰でも面を食らうだろうし、いくら独立した大人が言い出したことであろうと必死になって引き留めるだろう。僕が義兄の立場でもそうする。

 

 おまけに義兄のこのお人好し具合。かれこれ数時間は似たような問答の繰り返し。こんなことに時間を割いていられる身分でもないだろうに。

 どれだけ育ちがいいというのか───きっと正しい親の下で正しい愛情を真っ直ぐに受けたに違いない。義兄は中年の男と言って差し支えない年齢であるが、まったくこちらが恥ずかしくなるほどの実直さである。

 

 いや、赤の他人のような言い方をしたけれど、義兄と呼んでいるように僕も同じ家庭で育てられた。素晴らしい義父と義母だったし、もちろん僕もその薫陶を受けた身である。それを考えると絶縁を申し出るなど、とんだ親不孝もあったものだ。彼らが存命だったならば間違いなく今の義兄と同じ顔をしていたことだろう。

 

 ────とはいえ決心を翻すつもりは毛頭ないのだが。

 

 

「なにを言われようとも聞き届けていただくまではこの場を動きませんので、どうかそのおつもりで──閣下」

 

「…………」

 

 

 義兄は口を一文字に結び、腕を組む。

 

 

 

 ────場を支配する沈黙。

 

 

 

 伊達や酔狂で言っているのではない。男が男に真剣に頭を下げている。ただ、この議論の結末が()()()()()()()をわかっているから義兄は反対しているのだ。そして、それでもなおと絶縁を申し出る義弟の想いを理解しているからこそ、迷っているのだろう。

 ───ひとりの男としては義弟の願いを叶えてやりたい。

 ───ひとりの義兄としては義弟の願いを一蹴してしまいたい。

 そんな二律背反がひとりの男の中で蠢いているのが見て取れる。

 

 長い静寂────。

 腕を組み、目をつぶったまま微動だにしない義兄。

 部屋の隅に据えてある柱時計だけが今もなお時間が動いていることを思い出させる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、答えが出たのか否か───義兄は固く閉じていた瞼を開き、腕組みを解く。都合何本目になるのかわからない真新しい煙草に火をつけ、紫煙を吐き出す。いつも苦虫を噛み潰したようような表情で煙草を吸っている義兄ではあるが、今回のそれは一層苦いらしい。

 自らの中に溜まった澱みを煙とともに外に出す作業をゆったりと数回。不意に、灰皿から口元に煙草を運ぶ手が止まる。

 

 

「私が、なにを言ったところで……、お前は考えを改める気はないのだろうが、これだけは聞いてほしい────」

 

 

 敗北が確定したチェスプレイヤーのような声色で義兄はとつとつと話す。

 

 

 義兄としてもその言葉を口にしたくはないのだろう”言いたくはないが”と前置きした上で今回の件の核心に触れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前とフローレンス・ナイチンゲールを引き会わせたこと、私はひどく後悔しているよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう────つまりはこういうこと。

 

 あの日、あの薄暗い資料館でナイチンゲールと出会ったことをきっかけとして、既に自分なりに描いていた夢───それを僕は大きく修正することにした。そして、その夢の実現にはハーバート姓が邪魔になったので、さっぱり家を捨てようという心づもりなのである。

 

 

 

 

 ね? 非は完全にこちらにあるだろう?

 

 

 

 

 ────まぁ、そんな単純な話だけならばよかったのだけれど。

 

 

 

 

 ─────────────────。

 

 

 ────────────────。

 

 

 ───────────────。

 

 

 ──────────────。

 

 

 ─────────────。

 

 

 ────────────。

 

 

 ───────────。

 

 

 

 

 義兄はそれからも半刻に渡って話し続けた。

 それは僕の心変わりを祈ったもの…というよりは、ここではないどこかへ旅立つ者に対しての手向けの言葉のようで───いわゆる今まで義兄が語ることのなかった義弟への本心といった類のもの。

 

 浮ついた僕を義兄として時に咎め、時に叱りつけてきたものの、やはり義兄弟の情がいつも勝っていた、と。自分の結婚に伴って屋敷を出た僕のことが心配で仕方がなかった、と。その一方、ハーバート家の名を巧みに使って軍部で立身出世しているらしいことを風の便りから聞いて小賢しいやつだと思いながらもとても誇らしかったのだ、と。

 

 こうして改めて自分のことについて聞かされると、なんだか照れくさくて仕方がない。僕の性格上──茶々を入れずに聞くのは拷問にも等しい責め苦であったけれど、それが許されない時と場合があることぐらいはわかる。

 

 

 

 あの義兄が涙とともに語っているのだから────。

 今が───その時と場合であろう。

 

 

 

 義兄の思いの丈を聞いて───、思えばこの人には不義理を働いてばかりであり、世話になりっぱなしだったことを痛感する。義父と義母が亡くなっても、変わらず本当の兄妹のように接し続けてくれた。僕が勝手に屋敷を飛び出したにも関わらず、政治畑から手を回し知らず知らずのうちに何度も助けられた。

 果たして、僕のような馬鹿者にこれほどまで目をかけてくれる人が他にいるのだろうか。

 

 優しい人だ。優しすぎる人だ。議員だとか、軍人だとか…、とかく人の上に立つのにはとてもじゃないが向いていないだろう、この人は。────きっと気苦労も多いに違いない。そういえば、顔の皺や白髪の面積も増えた。腰が曲がってきているからか、昔より身長も縮んだように感じる。

 それを指摘しようものなら、

 

 

「一番苦労をかけてくれる当人が馬鹿を言え」

 

 

 と笑うかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───そうして、義兄の言葉は不意に途切れる。

 

 

 まだなにか言葉を探しださなければならないといった様子でしばらく俯いて目を伏せるものの、結局は適当なものが見つからなかったようで、深い息をついた義兄は脱力し背もたれに自重を預け天を仰ぐ。

 

 そして、その姿勢でこちらに目線を合せないまま───おそらくそうしていなければ、これから言葉にしようとするものの重さに耐えられないのだろう───義兄は口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────死ぬぞ、お前は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともすると、これが本当の最後通牒だったのかもしれない。義兄が義弟の翻意を願ったラストメッセージだったかもしれない。

 けれど───それにしてはどこか全てを悟ってしまっている口調だった。対する僕の返答をあたかも最初から知っているかのような。

 

 

 だから、ここで僕は僕の意思を提示しなければならない。精一杯の見栄を張って。

 

 

 義兄の()()()()()()義弟でなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────ええ、承知の上です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────────僕はフローレンス・ナイチンゲールのために死にたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その時がきたら────どうか彼女のことを支えてあげてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕の言葉を聞いた義兄は年季の入った天井を睨みつけながら、

 歯を食いしばり、しばらく肩を震わせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからまた時間が経ち、絶縁の申し入れを呑むための条件が二つあると義兄は言った。

 まずは、

 

 

 

 ────どうか今日一日ぐらいは義兄弟として過ごそう、と。

 

 

 

 己の決心を曲げないためにも二度と義兄と呼んではならないと思っていたが、そういうことならばと了承した。

 

 それ以降は、本当に他愛のない世間話を。

 生きていたころの義父や義母のこと、義兄が昔好きだったという女性のその後、僕の女性問題ついての”武勇伝”、義兄の政治家としての愚痴、義弟の軍人としての愚痴、途中でお茶のおかわりを注ぎに来てくれた義兄の奥さん───義姉とまだ幼い長男と次男が登場して大騒ぎ。まだ陽が高いうちから話し始めたというのにすっかりと陽が暮れてしまい、夕食まで御馳走になることに。

 

 

 

 

 

 ──夕食が済み、夜が更けていく。

 部屋はあるのだから泊まっていけばいいと言ってくれる義姉にやんわりとした断りを入れ、屋敷を去る準備を整える。

 

 エントランスまで見送りにやってきた義兄と───義兄弟として最後の会話をする。

 

 

「…義姉さんを泣かせてしまうかな」

 

「ああ───、私から口を割る気は一切ないが、あれはあれで頭が回る。お前にもしものことがあれば今日の出来事などを思い返して、私をなじるに違いない。なだめるこちらの身にもなってほしいものだな」

 

「すみません」

 

「ふん、言ってみただけだ、気にするな。……除名手続きや諸々のことは任せておけ、抜かりなく済ませておこう」

 

「え? いや、義兄さんにそこまでお手数をおかけしては…」

 

「馬鹿を言うな、()()()()()()()()()()。よそ者に任せておけるわけがなかろう」

 

 

 それを言われては───弱い。

 

 

「今後は断りなくこの屋敷の敷居を跨げるとは思わんことだな」

 

「…断りがあればいいのですか? というか、そもそも一人立ちをしてこの家を出て以来、アポなしで僕が訪ねたことはないでしょう」

 

「そうだったな───、家族なのだからいちいちアポイントなぞ取る必要はないと言っていたにも関わらず。……まぁ、今後は客としてもてなしてやろう」

 

「ははは……」

 

 

 いったいなんなのだろう、これは。世に聞く絶縁とは大違いだ。もっと寂しくて辛くて凍えそうになるものだと思っていたのに。こんなにも暖かい絶縁というものもあるのだろうか。

 

 そんなだから今の今まで必死でこらえていたのに、膝から崩れ落ちて泣いてしまいそうになる。

 

 

 

 

 僕だって痛いのは嫌だし、傷付けるのも嫌だ。殺したくないし、殺されたくもない。

 死にたくはないのだ。

 

 

 

 

 

 ─────そこで、彼女の顔が頭をよぎる。

 

 

 

 

 

 そう、自分のこと以上に優先したいものができた。叶えたい夢が生まれた。だからこの道を行こうと決めた。

 ここで立ち止まることはできない。ましてやこんなところで泣き崩れるなんて。

 

 僕の心情を義兄は察したのか───、

 

 

 

 

「しっかりやれよ、()()()()()()()!」

 

 

 

 

 と僕の本名を呼び、背中を痛いほど強く叩いてくれる。

 

 その勢いに促されるようにして扉の外に出ると、そこはすっかり夜のとばりが下りており───明るい屋内と違ってここならば少し涙をこぼしてもばれないのではないか、そんな馬鹿なことを考えた。

 …とは言っても、僕はやはりただの馬鹿ではなかったらしい。最後の最後で”あること”を思い出した。義兄に振り向き”それ”を問いかける。

 

 

 

 

「そう言えば、()()

 

 

 

 

 義兄に倣って呼びかたを戻しつつ。

 

 

「二つの条件のうち、あとのもうひとつはなんだったのですか────」

 

「…あぁ、なんだ気付きおったのか。お前が気付かなかったなら、それを理由に除名の約束を反故にしてやろうかと思っていたのだが」

 

「ここまできて、そんなことになってしまったら笑えませんよ」

 

「そうさなぁ、どうしたものか…」

 

「え、考えていなかったのですか」

 

「…なんせお前との約束を破るためだけに言ったからな」

 

「────今すぐ閣下の妻の寝所に潜り込んで”お隣は空いていますか”と囁いて来てもいいんですよ、僕は」

 

「はっはっは。冗談だよ、ジョン。そして───お前のそれは冗談に聞こえんからやめてくれ」

 

 

 こんなやりとりを今後はできなくなるのかと思うと、やはり物悲しくはあって。

 

 そんな僕に義兄は餞別の言葉をくれる。

 

 

 

 

 

「困ったことがあれば、ハーバート家を頼れ」

 

 

 

 

 

 それが二つ目の条件だ、その時は───あくまで他人として力を貸してやらんこともない、だからあまり生き急ぐな、と。

 まったく、この義兄は無茶苦茶を言う……。そんなことを繰り返していては除名の意味がないと言うのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────あまりにもでたらめなことを言うものだから、

 

 

 

 

 

 

「では閣下」

 

 

 

 

 

 

 ────こちらもまたでたらめを言いたくなってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「陛下に会えるよう、取り次いでもらえませんか」

 

 

 

「は─────?」

 

 

 

「はは、聞こえませんでしたか───?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「現、女王のヴィクトリア国王陛下とお会いしたいと言ったのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この、大馬鹿者が───────────!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜の街に響く義兄の怒号を歩き出した背中で聞きながら、ほっと心地の良いため息をひとつ。

 

 

 

 

 あの様子だ。

 

 

 

 

 きっと義兄は僕の声が震えた鼻声であったことに気付かなかっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 =========================================

 

 

 

 

 

 

 

 義兄シドニー・ハーバートはこの義兄弟の別れとも言えないような別れの日から10年も経たないうちに病に伏し、この世を去る。

 やはり、心労が祟ったのだろう。義弟が指摘したように決して政治家に向いているような性質ではなかったのだ。

 

 

 

 

 ただし、彼がいつまでも義弟を想い続けた良き義兄であったことをここに記さないわけにはいかない。()()()()()()()()()ではあるものの、できる限りの無茶苦茶をした結果───義弟からの無理難題に義兄は見事応えたのだから。

 

 

 

 

 なんと、この数週間後にジョン・スミスと女王ヴィクトリアの対面は果たされる。

 

 

 

 

 その働きかけによりフローレンス・ナイチンゲールと女王ヴィクトリアの直通ラインが誕生。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから、この次はジョン・スミスと女王ヴィクトリア──その()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────ああ、ちなみに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 義兄シドニー・ハーバートと義弟ジョン・スミスがこれ以降、直接言葉を交わすことはない。

 

 

 

 なぜなら、

 ジョン・スミスはナイチンゲールに与えられた半年の猶予期間が終わると、看護婦団に遅れる形ではあるもののクリミアへ向かい───それからほどなくして彼は殉死を遂げることになるためである。

 

 

 

 

 







 誤字脱字、ここの文意がワケワカメ、展開に対する苦情等ありましたら、気軽にご連絡いただけますと幸いです(反映するかはこちら次第だがな!
 ハーメルンからでもTwitterからでも構いません。作品をよりよくするためにご協力のほどお願いいたします。




 物騒なことを言って終わりましたが、宣言した通り──次は馬鹿野郎と女王に再会してもらいますよー。ただ、ふたりの間に妙な因縁等を期待していると、アッパーカットを食らう恐れアリです。いや、ある意味では妙な因縁なのですけれども。うーむ、1話だけにR-18タグってつけられないのかな。。。(オヤ



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「Blinded by love」




「この世界は
 前を向けば“未来”
 振り向けば“思い出”
 どこか一部を切り取れば“物語”となる。
 これはそんな物語の一部に過ぎない」

────フロントウィング
    『グリザイアの果実』”みちる√”より







 

 

 

「あーっ、あーっ、あーっ!」

 

 絹糸もかくやというサラサラした亜麻色の髪をなびかせ───女がひとり、自らの寝室にて声を上げている。寝室という場所もさることながら、その小さな唇から発せられている声が声なので、第三者がこの状況を覗いていたとすれば、いったいナニをしているのだろうかと首を捻るに違いない。

 

 でも、どうか安心してほしい。この部屋の主は現在ひとりきりなのである───いや、ひとりであればそれはそれでデキルことがあるだろうとお思いかもしれないが、それも大丈夫。彼女にそのような知識はない。なぜなら彼女はただ単にこの寝室の主というだけではなく、”一国の主”でもあるのだから。故に、そういった非生産的なワザを覚えるといったことを彼女の周囲が許さないのだ。

 

 ある一定より上の家柄を持つ者はなにをおいてもまず世継ぎを残すことが求められる。いわゆる「早く孫の顔が見たい」などというレベルの話ではなく。不浄の血が混じることは考えられない、血を途絶えさせることは許されない───より深く、より濃く、次の世代へ次の世代へと掛け合された清廉な血を繋いでいく。その連綿と続く流れこそがそれぞれの時代を生きてきた先祖の証となる。そう信じて疑わないのが貴族と呼ばれる者たちであり────この国において、そのトップに君臨する女性が彼女なのである。

 

 残念なことにこの時点で本人にそこまでの気負いというか、責任感があるとは到底言えない。本来ならば全国民からのプレッシャーを一身に受け、常にナイーブになってしかるべき。それなのにも関わらず、当の彼女はどこ吹く風の様子で実にのほほんとしたもの。

 

 

「コホン、あーっ、あーっ、あーっ!!」

 

 

 だから、今もひとり寝室で奇声を上げている。

 あぁ、おいたわしや。

 

 

 しかし───生まれながらにして女王に()()()()()()()()()という彼女の生まれについての問題があるため、彼女だけを責めるのはお門違いというもの。

 本筋から外れるため、その諸々にまつわることをこの物語で詳しく触れることはないが、そういった独特な人間味を持っていた彼女だったから「イギリスはこのころ最も栄えていた」と後の世の人に言われるようになったのかもしれない。

 在位は63年と7か月、国内歴代二位の長さを誇る治世を今後担っていくことになる────

 

 

 

 

 ────そんな彼女の謎の奇声が止んだ。かと思うと、

 

 

 

 

「───ウォーミングアップ終わり。じゃ次…」

 

 

 スーッと息を大きく吸い、自身の豊かな胸をさらに膨らませた後、

 

 

「Peter Piper picked a peck of pickled peppers.

(ピーター・パイパーは1ペックの酢漬けの唐辛子をつまんだ)

 A peck of pickled peppers Peter Piper picked.

(ピーター・パイパーがつまんだ1ペックの酢漬けの唐辛子)

 If Peter Piper picked a peck of pickled peppers,

(もしピーター・パイパーが1ペックの酢漬けの唐辛子をつまんだら)

 Where's the peck of pickled peppers that Peter Piper picked?

(ピーター・パイパーがつまんだ酢漬けの唐辛子はどこにあるか?)」

 

 

 一気呵成にとある文言を懸命に言い放った。

 

 ……一応注釈しておくと、誰かを呪おうとしているとか、そういったことではない。むしろ、事の本質は逆に近い。

 

 

「よしっ、一息で言えた、いいぞわたし!」

 

 

 誰も見ていないことをいいことに寝室でいきなり訳のわからないことを言って、ひとりガッツポーズを決める女王。サラサラの髪がふわりと揺れ、まだ発達段階ながら整った容姿も手伝って美しく見えなくもない。しかし、やはり行動が意味不明である。

 

 見る人が見れば────たとえば、彼女お抱えの女官がこのシチュエーションに遭遇しようものなら、驚きのあまり腰を抜かしてしまうだろう。もしや気でもふれたのか、と医者を呼ぶ騒ぎになりかねない。

 

 ただし、繰り返すようだが彼女は今ひとりなのである。他人に迷惑かけるでもなし、これぐらいの挙動不審はどうか大目に見てやってほしい。

 そして、まだこの茶番が続くことも許してやってほしい。

 

 

「”わたしの言うことが聞けないって言うの?”」

 

 

「うーん」

 

 

「…なんか違うな…こんなんじゃ全然駄目だ…」

 

 

 

 

 そうひとりごちるが、それでもめげずに─────、

 

 

 

 

「”貴方のためにやってるんじゃないんだからねっ!”」

 

 

「”す、好きなんて言ってないじゃない! ち、調子に乗らないでよね、バカ!”」

 

 

「”別に怖くなんかないわよ! …でも、どうしても貴方が一緒に行きたいって言うなら…付き合ってあげなくもないわ”」

 

 

「”お家に、だだだだだっ、誰もいないって聞いてないんだけどっ!?”」

 

 

「──────────────」

 

 

「”嫌いだったら、そもそも相手になんかしないわよ!”」

 

 

「”あ、あああ、明日は私、偶然、予定がないだけだからねっ”」

 

 

「”さ、寒くなってきたから、仕方ないじゃない”」

 

 

「”べつに貴方の心配なんてしてないんだからっ!!”」

 

 

「……………………」

 

 

 最初の()()()()()()()()を終えてから続けているのは、持てる権力を使ってとある情報筋に彼女が極秘裏に調べさせた”男性を虜にする台詞”の練習である。

 中にはそもそもどういう状況に使うのか彼女にはよくわからないものも含まれているが、言い方や間の取り方に加えてイントネーションにも気を配って取り組む様子は必死そのもの。

 場合によっては少しどもったりするのがいいらしいということも聞いているので、そのあたりのニュアンスも要所要所で手元のカンニングペーパーを見ながらぬかりなく。

 

 

 

 

 

 

 さて、賢明な者ならば、もうお気づきかもしれないが。

 

 彼女は”既に”女王なのである。

 

 王女ではなく───女王。

 一国の主。

 

 先王であるウィリアム4世が崩御してから、18歳の若さで女王に。

 それからさほど間を空けることなく、彼女は自らの煌びやかな寝室で人払いを行ってまでこのようなことをしている。

 

 幸か不幸か──今の彼女にはまだ伴侶と呼ばれる存在がいなかった。けれど、それに準ずる候補はもう既に列挙されていたし、対面も済ませてある。彼女はそういう人種なのだ。それなのに─────。

 

 箱入りも箱入り、マトリョーシカもびっくりな箱入り娘にありがちな、周囲の大人に勝手に決められたレールの上を走りたくないという可愛げのある願望と見れば、まだ救いもあるが─────。

 

 

 

 

 

 

 先述させてもらったが、彼女の女官がこの様子を見ていたとして、いの一番に心配しなければならないのは奇妙な言動でもその内容でもなく─────今の彼女の顔である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────その顔は完全に恋する乙女のそれなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハノーヴァー朝第6代女王ヴィクトリアが浮かべていい部類の表情ではない。

 

 

 

 

 ───────────────────────────────────────

 

 

 

 

 戦時大臣を任ぜられるようなハーバート家は当然の如く名家と呼ばれるに相応しい家柄を持ち、ヴィクトリア女王の先王のその前の前の前の……といった具合にその時々の国王から信頼が厚い家系であった。

 

 ハーバート家は国王が催すパーティーに毎回のように呼ばれ、養子としてハーバート家に迎えられてからジョンはその家族の一員としてパーティーに出席していた。つまり、ジョンは幼少期からヴィクトリアと面識があった───どころか、持ち前の女好きな性格が幼少のころより発揮されており、パーティーの度に王位継承権を所持している王女ヴィクトリアに声を掛けるという不敬を働いていた。

 

 子どものすることだと周囲の大人は捉えた上、信用の置けるハーバート家の子であること、そしてジョンとヴィクトリアそれぞれの歳が近いこともあり、ふたりの距離が近づくのにさほど時間は必要なかった。

 

 ただ、ふたりがそのあと数年に渡り、幾度となく秘密裏に会っていることを知ればそのときの大人たちはどのように思うだろうか。彼女が国王になってから警備がより厳重になったこともまるで関係ないかのように。

 

 ふたりの密会が成立するのはジョン・ハーバート個人の手練手管によるものが大きいのだが、ヴィクトリアも自身を特別扱いすることのないジョンを好ましく思い、その協力を喜んで行っていた。

 

 

 

 

 

 

 今日も彼と彼女は会う手筈となっており、今はそのときのための()()()()を実施している最中であり───それが寝室での奇行の真相。

 

 

 

 そして、それは突然に──────

 

 

 

「”言葉に気をつけなさい、わたしは───”」

 

「どうも、女王陛下。貴女のジョン・ハーバートが参上いたしました」

 

「うわああああああっ!!!」

 

 

 

 とても一国の王とは思えない悲鳴を上げるとともに、3メートルほど後ずさる女王。

 そして、寝室の外からニヤニヤした顔を覗かせる青年。

 

 

 

「ぃつ、つつつ……から、いい、いたの?」

 

「───たった今来たところですよ」

 

「…本当に?」

 

「本当ですとも、僕が貴女に嘘をついたことがありますか? ───失礼しますね、陛下」

 

 

 そう言って男はするりと部屋の中へ歩を進める。その所作はいかにも勝手知ったるといった具合で、唐突な男の登場に慌てる女王もそれを咎めるといったことはない。そんな雰囲気からもふたりの関係の深さをうかがい知ることができると言っていい。

 

 

「いや、でもっ。それならそれでノックぐらいしてくれたらいいじゃない。…えと、あと、その、ふたりきりのときに敬語は───」

 

「ああ、そうでした…じゃなくて、そうだったね。ノックはしたよ。なにやら忙しそうで全然気づく様子はなかったけれど───”あーっ、あーっ、あーっ!”と叫んでいるときなんかいったいなにをしているのかと」

 

「……それって、ほとんど最初からいたんじゃないのぅっ─────!!」

 

 

 キメ顔で『僕が貴女に嘘をついたことがありますか?』なんて言うから騙されたけど、そう言えば貴方は嘘ばっかりじゃない! と羞恥を混じらせて憤る女王に対し、男は追い打ちをかける。

 

 

「えー、なんだったか───そう、”わたしの言うことが聞けないって言うの?”だったかな」

 

「あぁぁぁああああああああああ」

 

「あとは、”お家に、だだだだだっ、誰もいないって聞いてないんだけどっ!?”とか」

 

「うぇぇぇぇええええええええええええええ」

 

「”あ、あああ、明日は私、偶然、予定がないだけだからねっ”」

 

「やめてよぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 

 

 と叫ぶと同時に女王は傍らのベッドにへたり込むように背中から倒れ、朱く染まった顔を両手で覆う。

 

 

「ヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイ」

 

「ごめんごめん。君に対してこんな物言いは失礼かもしれないけど───あまりにも可愛らしかったので。しばらくの間、入室を控えてしまったよ」

 

「うあー。……あれ、ちょっと待って、そうよ。そもそも今日はここに貴方が来るの、軍の用向きでもう少し時間がかかる予定だったじゃない? だから、わたしは……練習を、その、ひとりで…」

 

「────軍務のほうは可能な限り速やかに終わらせて駆けつけさせていただきましたよっと。少しでも早く───()()()()()()に会いたかったから」

 

「はうっ」

 

 

 ”男性を虜にする台詞”を練習していた自分のほうが”女性を虜にする台詞”にやられてしまうなんて。ああもう、ジョンがまたいかにも純粋な感じで、決して狙って言ってるわけじゃないのが、すごくいい…。

 ─────というのは垣間見るまでもない乙女の心情。

 

 

「それにしてもヴィクトリアが僕のいないところであんなことをしているなんて、ちょっと嬉しいね」

 

 

 ベッドの上に身を投げ出している女王に音もなく近づいている男。男の声の発生源が存外近かったことに驚きつつ、言葉を返す。

 

 

「べ、べつに貴方のためってわけじゃないわよ」

 

「あー、もしかして──”それ”も練習の成果?」

 

「ちがっ、いや、違ってはないけど……、これはそういうのではなくて…」

 

「ん? じゃあ、本当に僕以外のために練習していたのかな───なんだか嫉妬してしまうな」

 

「ひぁ、いえっ、そういうことではないの、ええ違うのよ」

 

 

 言葉の応酬の最中(さなか)、羞恥心がそうさせるのか男から離れるようにして女王は広いベッドの奥へ奥へと後ずさっていき、その姿を視界に捉えている男は逃がすまいとベッドに上り膝立ちで彼女を追う。

 

綺麗に整えられたシーツがふたりの移動に伴って歪んでいく。

 

 それまで顔に注がれていた男の視線が手足、胸部、首筋、唇、腰回りといった体の部位へと移っていることを女王は感じ───途端、自らの着衣が乱れていないか気になり始め、身につけたネグリジェの表面を体のラインに合わせて指を這わせる。

 

そうしていると少々薄着だったかもしれないと後悔の念も滲み出す。ただ、それは男に対する恐怖や嫌悪感を基礎とする感情ではなく、はしたない女だと思われたくないという憂いからくるものだった。

 

 互いの体温が上昇しているのがわかったときには、もう男は女王の頭を挟むようにして手を置き、片膝を彼女の脚の間に滑り込ませる形で覆い被さっていた。

 

こういった空気はいくら回数を重ねても慣れることはない────いや、もしかするといつの日か慣れてしまうときがくるのかもしれないけれど。今、漏れ出てしまいそうになる声を生唾とともにコクンと飲み込んだ女王には関係のないことだった。

 

 

 

 

()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 この期に及んでそんなことを口にする男が女王は小憎らしくて仕方がなかった。だって、女王のほうに選択権はない。かといって、男にも選択権はないのだが。

 

 ふたりとも既に止まれるような状態にはないのである。

 

 

 ────だから、男の台詞は演出の一環。

 

 

 シチュエーションを盛り上げるためだけに存在する舞台装置。

 女王を辱しめて男は悦び、男に辱しめられて女王は悦ぶ。ただそれだけの戯れ。

 

 そう、たったそれだけのことのはずなのに……、なかなか声が出ない。

 

 そこにぶら下がっている紐があるのに、押すだけのスイッチがあるのに。それに手を伸ばして引くだけで、力を込めて押すだけで────それだけで今ほしいものがすぐに手に入るのに。

 

 身体はこんなにも熱く熟れて火照っているにも関わらず、己の喉のみが凍ったように固まって言葉が出てこなかった。

 

 

 ───こういうのは勝ち負けじゃないし、理屈じゃない。

 

 

 それを口に出したからどうということはないのだから、さっさと口にして楽になってしまえと己の欲望が騒ぎ立てる。そんなことはわかっているけど、なんとなく────本当になんとなく相手の言いなりにはなりたくないとちっぽけプライドが女王の理性をすんでのところで支えていた。

 

 そのせめぎ合いが女王の胸の中で小さな種火となって、ちりちりと胸を焦がす。

 痒いような、

 甘いような、

 苦しいような、

 切ないような、

 痛いような、

 こういうのを──たしかなんて言うのだっただろうか。

 

 身じろぎすれば鼻と鼻がぶつかってしまいそうな距離で互いの目を睨むようにして見つめ合いながら、瞬きも忘れてそのことを考えていた。

 できるだけ早くこの時間が過ぎ去って激しい濁流の中に呑み込まれてしまえばいい、そう思う一方でいつまでもいつまでもこの場所に揺蕩(たゆた)っていたいと感じる。

 

 

 ─────早く早く、一秒でも早く触れて欲しいのに、それが”終わりの始まり”を告げるベルであることを知っているから……まだもう少し、このままで。

 

 

 今まで必至に保っていた自分が溶けて駄目になっていく感覚をずるずると引き延ばしていたくなる、この感覚の名前は────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とは言え、もう身体のほうが我慢の限界だと言わんばかりに───女王の片方の瞳からコントロールしようのない涙が溢れ出してくる。

 

 それを目にした男はそれまでと打って変わって、不意にゆったりとした優しい顔になり、ルール違反ではあるものの”合図無しに”手を動かそうとする。

 

 それが女王には()()()()()()()

 

 自分に触れようとしている男の手をぐっと掴んで止める。

 一旦止めてから───放す。

 

 

 

 はぁはぁはぁと熱のある吐息を吐きながら、一度うめくように喉を鳴らす。

 

 

 

 

 それから────、

 

 

 ようやく──────、

 

 

 遅きに失したスタートの合図を口にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「好きにしなさいよ、…ばか」

 

「…………了解」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────コンコンコン、とノックの音が室内に響く。

 

 

「申し訳ありません、陛下。ジョン・ハーバートです。軍務のほうにかなり時間がとられてしまい、駆けつけるのが遅くなってしまいました。執務室のほうにいらっしゃいませんでしたから、もしやこちらに─────」

 

 

 いつものように何の気なしにガチャリと開けた男がそこで見たものを事細かに描写するのは、情け容赦がなさすぎるので、端的に一言だけ。

 

 

 

 

 ────あられもない姿の女王がそこに。

 

 

 

 

 今回の件から得るべき教訓は、聖書にだって書かれてあるのだから、非生産的なワザなど教えられずとも習得していて当然だということである。

 

 

 

 

 







 誤字脱字、ここの文意がワケワカメ、展開に対する苦情等ありましたら、気軽にご連絡いただけますと幸いです(反映するかはこちら次第だがな!
 ハーメルンからでもTwitterからでも構いません。作品をよりよくするためにご協力のほどお願いいたします。


【みんな大好きハッピージョブシーンについて】
 仮にも女王なので、そこまでアクロバットなことしていたとは想定しておりません。精々がまたぐらに片腕を挟みこんで、妄想に耽って(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♡唸ってるぐらいのレベル。本格的なことは流石にひとりじゃできないという感じ。
 ほんとはもっとぇろくしてやろうと心情描写だけではなく「色の付いた吐息を吐くとともに、ぴくぴくと小刻みに肩を震わせる女王は~」「濡れた細い指先がきらきらと輝き、その指をさらに~」「それを舐めとった舌を伸ばし、また絡めとりながらゆっくりと味わうように口の中で転がした」みたいなピンク色物理的描写も濃くしてやろうかと思ってたのですが、それをやるとまた文字数増えるし趣旨がぶれると思ったので、あえなくカット。

 それは、あれだ。女子校で先生をやってからしばらくして、気が向いたら教師モノで書くよ(ナニ

 あと、全人類、グリザイアはやってくださいね。必修です。


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FGOのことを主体に、アニメ、マンガ、ゲームについて雑多に呟いてます。




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「Love wants nothing return」




「私が王位につくのが
 神の思し召しなら
 私は全力を挙げて国に対する
 義務を果たすだろう。
 私は若いし、多くの点で未経験者である。
 だが正しいことをしようという
 善意・欲望においては
 誰にも負けないと信じている」

────女王即位の日、ヴィクトリアの日記より






 

 

 

「…などということもありましたね────陛下」

 

「…うるさいわね、いつの話よ」

 

「いつとは、また異なことを仰る。僕はあの日のことを昨日のことのように感じているというのに。あのとき、慌てふためいた陛下は”国王命令”だなんだと言って、妄想の再現をなされたじゃないですか。いやはや───陛下の肌の感触がまだこの手に残っているようで…」

 

「…………」

 

 

 玉座の前に跪きながら手をワキワキとさせる僕に対し、額に手を添えてあ”ぁ”ーといった嘆きの表情を隠そうともしない女王。

 かつてと異なるのは、彼女がその頬を朱く染めたりすることはないということ。このウィンザー城にて、それだけの年月を過ごし、経験を積んできたのだろう────彼女の顔は久しく見ていなかったが、元気そうでなにより。

 

 あまりの懐かしさに口元や目元のあたりの皺が増えたような…などと要らぬ口を叩こうものなら、今度という今度こそ首を落とされかねないのでやめておく。

 

 

「で? ハーバートの家の威光まで借りて、今さらのこのこ現れた貴方はなにをしに来たと言うの?」

 

「おや、陛下ともあろうかたがこちらの用向きをご存知ではない、と?」

 

「────言葉に気をつけなさい、雑兵。以前のわたしと貴方と…その関係性のままではないということ理解していないわけでもないでしょうに」

 

「はっはっは、それもいつしかの秘密特訓の成果ですか、陛下。声を震わせて少々どもることをお忘れのようですが」

 

「この男は……、本当に殺されたいのかしら」

 

 

 なにを隠そう───彼女との再会は十数年ぶりである。

 

 

 ある日────、

 たとえ婚姻はかなわなくとも直属の近衛(このえ)としてそばに仕えてほしいと直々に懇願され────忘れもしない、同じベッドで長い夜を共に過ごした翌朝のことだった────いろいろと思うところ、考えるところがあり、結果として僕はそのあと女王の前から姿を消すことにした。

 

 こちらの真意が彼女に伝わっているかどうかはわからないが、近衛になるとしても自分の実力──軍内部から成り上がることで彼女の支えとなりたかったのだ。

 

 そうしなければ、僕は彼女の荷物にしかならないと思ったから。ろくな力も持たず、なにも考えずに生きるだけの木偶の坊になってしまうと思ったから。彼女はそれでいいと言ってくれるかもしれないが、ただそばにいるだけの男でいることが僕にはきっと耐えられない。

 

 

 

 そして、なによりも────、

 

 ────それでは僕の目論見は果たされないから。

 

 

 

 理由を口にすることなく彼女から離れることに心が痛まないでもなかったが、自分の不甲斐なさを恥じて一からやり直すなどと今さら彼女に言うことはできなかった。今まで散々権力に笠を着て、やりたい放題だったのだ。

 

 それを性根から叩き直そうと自分なりにあがいてみようと思った。それでこそ───いつか彼女の隣に立つに相応しい男になれるはずだ、と。

 

 まさか、その道半ばで───女王は結婚し、子どもが産まれ、伴侶とともにうまく(まつりごと)を取り仕切るようになるとは思いもよらなかったが。まさか自分以外にこの()()()()()を乗りこなす者が出てこようとは…。

 幾度か拝謁したこともあるけれど、さすがはアルバート殿下というか。

 

 これにて────安全、安心、安泰の後方勤務と国の中心から革命を起こしてやろう大作戦は露と消えたわけだ。

 

 

 

 ……そんな過ぎたことを馬鹿馬鹿しくも考えていたから、少し油断した。女王の”取り扱い”には慣れていたつもりだったのに、ご無沙汰だとこうも勝手が違うのかと僕はこのあと悔いることになる。

 

 

 

 

 

 

「……裏切られたと思ったでしょう?」

 

 

 

 

 

 

 それはにわか雨のごとく。

 不穏な空気は一際トーンダウンした一言とともに突然やってきた─────

 

 

 

 

 

 

「……」

 

「当然よね、貴方を近衛に誘っておいて、舌の根の乾かぬうちに結婚してしまったんだもの───」

 

「…………」

 

「でも、貴方だって悪いのよ!? だって急にいなくなるんだもの、なにも言わずに連絡を寄越さなくなるんだもの。ハーバート家にも使いをやったのに、家を出て軍属になってから足取りが掴めないと言われたわ。わたしがどれだけ寂しくて、苦しんで、涙を流したか───貴方にわかって?」

 

「………………」

 

「そんなわたしにアルバートは優しくしてくれたのよ。最初は傷心につけこむ気なのかと警戒もしたけれど、そもそも──彼はわたしと貴方の関係を知らないし、誠実な人なんだってすぐにわかった。…どこかの誰かとは違って」

 

「……………………」

 

「後からきちんとゆっくり考えてみたら、なにも言わずに去ったのは貴方なりのけじめだったのかもしれないって、本来必要な手続きを踏んでいないズルを嫌っただけのことなのかもしれないって、そうも思えるようになったけれど────そんなの言ってくれないとわかんないわよっ!」

 

「…………………………」

 

「アルバートと一緒になったことは後悔してない。彼はわたしを愛してくれているし、わたしは彼のことを愛している。子どもたちもとても可愛い。周りの人にも支えられて、政務もしっかりとこなしてる。そう、なにも困ってないの、わたしは幸せ。だから─────」

 

「………………………………」

 

「だから…、だからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだから……そうっ、なの───だから」

 

「……………………………………」

 

 

 

 

「─────貴方はもう必要ない」

 

 

 

 

 言いたくないことを無理やり口にするかのような──苦悶の色を浮かべた女王の相貌を直視することはできなかった。

 

 

 …ああ、結局はこうなってしまうのか。こういう展開になることは避けたかったから、軽薄な感じを装って要点だけ伝えて帰ろうかと思っていたのに───そうこちらが思っていても、もともと土台無理な話だったのかもしれない。彼女は

 

 ”以前のわたしと貴方と……その関係のままではない”

 

 と言ったけれど。

 では、”この状況”はなんなのだろうか。

 

 

 

 

 

 この玉座の間には────近衛もいないどころか、女中もいない。

 

 人払いを完全に、完璧に済ませてある。

 

 こちらに信頼を置いているというよりは、僕になら殺されても構わないとでも思っているようで。

 

 

 

 それはまるで、()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんとか言いなさいよ! ジョン・ハーバート!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────であれば、その楔はここで断ち切らなければ。

 

 

 

 

 

 

 ────()にはそれができないというのなら。

 

 

 

 

 

 

 ────僕がやるしかないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「陛下、”その名”は捨てたのです。今の僕の名は────ジョン・スミス」

 

 

 

「は──────?」

 

 

 

「そして、勘違いは正されなければなりません。かつての僕は……陛下を利用しようとしていたのです。陛下はご存知なかったかもしれませんが、僕はハーバート家の”養子”なのです。元々、この身は────()()()()でした」

 

 

 

「…………………………」

 

 

 

 

 

 

「そして僕は、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 なんでも結論先述型というのがプレゼンテーションの基本であるらしいが、こんなにも口が重く、そして気の重たくなるプレゼンテーションが他にあるだろうか。

 

 これでは被告人による意見陳述のようだ。

 

 しかし───、あながち間違ってもいまい。

 

 

 

 これから、

 

 自分に好意を寄せてくれる女性を袖にしようというのだ。

 

 被告人とも呼ばれても言い返せまい。

 

 

 

 

 

 

 気分としては一世一代の告白を断るときと同じ。

 

 

 

 決して、慣れるものではない。

 

 

 

 無論、慣れたくもないけれど。

 

 

 

 

 

 

 ───そうして既に終わっていたはずの関係に、改めてとどめを刺すのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう。

 告白をお断りするときの常套句のひとつに便利なものがあるんだけれど、それがなんだか世の人は知っているかな。

 

 

 

 

 後学のために覚えておくといい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────他に好きな人がいます、って言うんだ。

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────。

 

 

 ────────────────。

 

 

 ───────────────。

 

 

 ──────────────。

 

 

 ─────────────。

 

 

 ────────────。

 

 

 ───────────。

 

 

 

 

 

 

「────なによ、それ。くだらない」

 

 

 すべてを語り終えた僕にかけられたのは、そんな言葉だった。文字面とは裏腹に温かな響きを持ったそれに、そっと胸をなでおろす。

 

 

「くだらないくだらないくだらない……ほんと、くだらない」

 

 

 …いいかい? 文字面とは裏腹なんだ、それは間違いないから。

 

 

()()()()()()()()()、貴方が…。そうよ、べつにそこまでしなくたって……」

 

「陛下、これが疑いようのない一番の近道なのです」

 

「……誰もそれを望んでなんてないじゃない。当のナイチンゲールだってそんなことは────」

 

「僕がそれを望んでいます──僕の目的のためです。ひとりよがりだと言われても構いません」

 

「───わたしが軍部に圧力をかけて貴方を止めれば…」

 

「ハーバート家に僕が属していたころならばいざ知らず、この戦時下において、ただの一兵卒のレベルにまで陛下の影響力が及ぶとは考えにくいですね」

 

 

 あくまで王家は王家、軍隊は軍隊。繋がりがあると言っても、その隔たりの深さは陛下だからこそ感じ入るところもあるだろう。カビの生えたしがらみや手垢にまみれた慣例だってどれほどあることか。僕から具体的に反駁されるまでもなく、その点では手の打ちようもないことを痛感した様子の陛下は溜息をこぼした。

 

 

「はぁ。…なんでよ、どうしてそういうことになるのよ───シドニーは? シドニー・ハーバートは貴方を止めなかったの?」

 

「大馬鹿者と怒鳴られて、止められましたよ。……でも、最後には背中を押してもらいました」

 

「なによそれ。義兄弟揃って馬鹿じゃないの?」

 

「ええ、そう思います」

 

「軽々しく肯定してるんじゃないわよ。そもそも貴方は────」

 

 

 それからというもの、女王は必死に僕を止めようとした。僕のやろうとしていることがいかに馬鹿馬鹿しくどれほど愚かであるかを論理的に説明した上、それでは足りないと思ったのかところどころで感情論を持ち出して情に訴えかけることもした。

 

 対する僕は、論理には論理を以てそれを否定し、感情論には頑として頷かなかった。それでは今日この場に来た意味がないのだという意思を堅く貫く。

 

 

 

 義兄のときと同様にこの話し合いの結末は最初から決められていること。筋書きはどうあっても変わらない。それでもなお、言葉を尽くして説得してくれようとする女王には感謝しかないし、僕も最大限の謝意を以て返事を並べていく。なにも変わらないからといって、互いに言葉の積み重ねの放棄はしない。

 

 これはふたりにとって必要な工程だから。

 

 

 

 

 

 

 窓から顔を覗かせる太陽の角度を見るに、謁見終了の時間が迫っているらしい。

 

 言葉が途切れた女王に差し出がましくも願望を挟み込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────最後にひとつ、お願いだけ。

 

 

 

 ──────ナイチンゲールをどうか()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───もう、ほんと貴方がなにが言いたいのか、さっぱりだわ。よろしくってなんなのよ…」

 

 

 

「どう捉えていただいても結構です」

 

 

 

「あぁ、そう。じゃあ────よろしくした末に、わたしが彼女を潰すって言っても?」

 

 

 

「構いません。僕は信じてますから」

 

 

 

「…ふ~ん、えらく信頼しているみたいね」

 

 

 

「ええ。もちろんです。ナイチンゲールのことも──陛下のことも」

 

 

 

「…………」

 

 

 

「陛下は国益を損なうようなことをするかたではないでしょうから」

 

 

 

「…本気で彼女がそこまでの人物だと?」

 

 

 

「────間違いありません」

 

 

 

「……約束は───しないわ。彼女の噂はかねてより聞いているし、クリミア従軍の件も既に知ってる。その上であくまで公正に、必要だと判断すれば惜しみなく援助を行うし、彼女にとっての障害を取り除く協力もさせてもらいましょう。けれど、それに値しなければ放っておくし、邪魔だと思えば遠慮なく潰す」

 

 

 

「そう言葉にしてもらえただけで結構です」

 

 

 

「…………なーによ、馬鹿みたい。……貴方がわたしに、会いに来るって言うから、近衛になるために───ようやくようやくようやくようやくようやく!! 頭を下げに来たのかと思ったら…。思い違いもいいところじゃない」

 

 

 

 

 

 ────もういいわ、十分よ。下がりなさい

 

 

 

 

 彼女はそう口にして、ぷらぷらと疲れたように手を振る。

 その仕草は悲しげで、寂しげで。それでいてどこか憐れむようでもあった。

 

 

 これがジョン・スミスと女王ヴィクトリアの再会の顛末であり、最後の会話─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────となるはずだったが、退出しようと踵を返した僕の背に女王は言葉を投げかけた。

 

 

 

 

 

 

 

「───ねぇ、()()()。振り向かなくていい。そのまま聞いて、そのまま答えて」

 

 

 

「根拠は? そこまでナイチンゲールを貴方が評価する…その拠り所は─────」

 

 

 

 

 

 

 

 ─────貴方はナイチンゲールのことをどう思っているの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうか、女王はそれを尋ねるのか。

 

 

 言うまでもなく伝わっていると…互いに認め合っていても、それをきちんと形として聞いておきたい、と。

 

 

 そうしてなにも思い残すことなく、僕と訣別しようとしてくれるのか。

 

 

 

 

 ”────そんなの言ってくれないとわかんないわよっ!”

 

 

 

 

 そう言えば、そうだ。

 

 

 女王は僕の言葉足らずに苦しめられたと言っていた。

 

 

 同じ過ちは繰り返せない。

 

 

 きっと僕は正しい形で彼女の思い出にならなくてはいけないのだろう。

 

 

 ならば、ここに残る不義理を破り捨てよう。

 

 

 事実は胸に抱えたまま墓場まで持っていくつもりだったが、誠意とともにそれを提示するとしよう。

 

 

 やはり、それはふたりのために。

 

 

 

 

 

 

 

 ───互いの背中を未来へ押し合うとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もしかすると、()は知らなかったかもしれないけれど。僕にはね”女性を見る眼”があるんだ。こいつには少しばかり自信がある。これが彼女を評価する一番の根拠だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────僕はフローレンスに恋をしているし、彼女を愛しているから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで…たぶん、これは君も知っていたと思うんだけど───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君は僕の初恋だったよ、ヴィクトリア」

 

 

 

 

 

 

 ───────────────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 そう言い残し、振り返ることなく玉座の間を退出すると、そこには人払いによりあるはずのない人影があった。

 

 

 

 ────ヴィクトリア女王陛下の夫であるアルバート殿下。

 

 

 

 扉を完全に閉め切ったところで、こちらから声をかける。

 

 

()()()、おいででしたか────アルバート殿下」

 

「───ああ、ヴィクトリアの命であろうとこればかりはな。今日の人払いの件について周囲の者にその詳細は明かされなかったが、彼女の顔を見ればそれとわかるさ。貴様が来るのだろうと思ったよ」

 

 

 それでこちらに控えていたというわけか。

 

 ───正しい判断だ。殿下と同じ立場であれば、僕もきっと同じようにする。…僕のような、言わば間男がやってくるというのだから。女王が結婚してから関係を持ったことはないが、そんなことは勘案のうちには入らないだろう。

 

 といったようなことを言葉にしてしまうのは、さすがに憚られるのでこの場は沈黙を以て同意を表明する。

 

 

「───私は有無を言わせず、貴様を殴りつけるべきなのだろうな」

 

「…殿下にはその権利がおありかと存じます」

 

「そうだっ! そしてそれは、ヴィクトリアの伴侶である私の義務でもある!! 先ほどのやりとりを聞いておきながら、ただ黙して行動を起こさない夫は舌を噛んで死ぬべきだとさえ思うよ。しかし────」

 

「しかし?」

 

 

 そこで彼は一度言葉を区切る。この場で口にすべき表現を吟味することで、己の冷静さの手綱を手放さないようにしているのだろう。そうして自らの怒りを頭から押さえつけてコントロールしている様が見て取れる。

 

 

「───しかし、私は暴力によってこの場で貴様を屈服させようとは思わない。そんな小さな、くだらない男の矜持などというものには唾棄しよう。我を忘れてしまいそうになる憤りに身を任せることで、この身を衝き動かさんとする本能に従うことで──私は幾分か気を晴らすことができるとしても。……そうはしない理由がわかるかね?」

 

「…………」

 

「わからんだろうな──ああ、わかってたまるものか! 貴様は知るよしもないだろう。私がヴィクトリアと一緒になって以来────彼女の唇から貴様の名がどれだけこぼれ落ちたかっ! そのことに自ら気がついた居心地の悪そうな彼女の顔を何度見たかっ! 来訪予定のない玉座の間に浮かない表情を浮かべて彼女が幾度座していたかっ……!!!」

 

 

 

 

 ────それらを聞いて、見て、感じて、私が──私がどんな気持ちであったか……。

 

 

 

 

 殺意さえ込められたような憎しみに満ちた瞳を携えながらも、やはり殿下は拳を振り上げようとはしなかった。苛立ちにわなわなと肩を震わせようと、直接的な暴力行使をしなかった。それはおそらく────

 

 

「ヴィクトリアはこの扉の向こうで泣いている。私にはそれを慰める権利と義務がある。そちらのほうが私にとっては大切だ───それをこそ切にしたいと思っている。だから、貴様を殴りつけた手で彼女の涙を拭うような真似は絶対にできない」

 

「───陛下が泣いている…?」

 

 

 僕がそう呟いた瞬間────、胸倉をつかまれて壁際に追いやられ、勢いそのままに壁に叩きつけられる。

 

 

「貴様にはっ、反吐が出そうだよ! そんなこともわからない男に我が妻は心奪われていたのかと思うと!! あまり舐めてくれるな───貴様がっ……貴様の口から、身の上話を聞かされ、直接別れを告げられ、他の女を優先したいと言われ…………心より慕った男から戦場に、それも──────」

 

 

 

 

 

 

 ─────最前線に行くと伝えられてっ!!!!!

 

 

 

 

 

 

「それでヴィクトリアがなんとも思わない女だと、そんな薄情な女だと本気で思っているのか────────!?」

 

「…………」

 

「なぜなんだ、どうして彼女の手を振り払える? どうしてナイチンゲールを選んだ? どうして自ら死に進んで行こうとする? 貴様はそこまで馬鹿な男だったのか!? よもや私に気を遣っているわけでもあるまい────答えろ、ジョン・スミス!! 答えろっっ!!!」

 

「……」

 

 

 気道を絞め上げる力は強くなる一方で呼吸すらも苦しくなってくるが、女王の件に関してこちらは語るべきものを持たない。それについては先ほどの謁見で直接言葉を尽くした。

 

なので、この場では別の筋を通すべきだろう。

 

 

 

 

 

 

 ─────殿下は、人が死んだらどうなると思いますか?

 

 

 

 

 

 

 壁に押さえつけられながら抵抗せずされるがまま彼の目を真っ直ぐに見据え、質問を遮って質問を述べる。非礼は承知の上で、こちらの真摯な想いを相手にぶつける。それこそが殿下に対して示せる誠意の形だと信じて。

 

 それが伝わったのか、非礼を咎めることもなく殿下はこちらの問いに答えてくれる。

 

 

 

「…………死ねば、そこで終わりだ。なにも残らない。あるとしても───それは”無”だよ。であるからこそ、ヴィクトリアは今を生きるこの国の民の幸せを願ってやまない。彼ら彼女らの憂いのひとつでも多くを取り除きたいと労を惜しまず政務にあたっている。……また、そんなヴィクトリアを私は幸せにしてやりたいと思っている」

 

 

 

 やはり、この人は善良な人だ。

 語る言葉に虚飾の色は見えないし、自分には女王を幸せにできると確信している。そこには驕りも慢心もない。

 

 ならば、僕はこのままこちら側の話をするまで。

 

 

 

「───”無”ですか。なるほど、その通りですね。きっとそれが真理であり、間違いのない確かさというものなのだと思います。僕もそうだと思っていました」

 

 

 

 深呼吸をひとつ。

 自分でも愚かだとわかっているが、もう決めたこと。だから、自信を持って朗らかに所信を表明するとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────ただ、そうじゃないとフローレンスは言うのですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 ────命には続きがあるのだと豪語するのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───僕はそれに騙されてみたいと思いまして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───彼女の言う、命の果ての続きにはなにがあるのか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…だから、殿下。どうか僕には────貴方がたとは違う道を行かせてください」

 

 

 

 

 城外へ繋がる廊下に目をやりつつそう言って、胸倉を掴んでいる殿下の指をほどく。対面の男の怒気を物ともせずにやわらかく優しく丁寧に目前の人間と対峙し、血の通った言葉を送る。それまでの緊張感が嘘だったかのように、この場の空気が弛緩していく。

 

 貴族ならではの気位の高さを備えているが、人として、男として、夫として、なにが大切なのかを心底から理解し、それを体現されようとしている。であればこそ──彼に敬意を。

 たとえ、彼が怒りに囚われることがあろうともそれは愛する妻のためなのだから。

 

 そして───力の籠った拳はついに振るわれることはなかった。

 

 

 

「陛下には貴方が必要です。……彼女が悲嘆していると確信しているのであれば、やはり殿下がいるべきなのはここではないでしょう」

 

 

 

 ハッとした表情を浮かべて少し逡巡しながらも玉座の間の扉へと向かう殿下。

 

 扉の前で立ち止まり、開こうと手を掛けたところで

 

 

 

「…ふん、いいだろう。納得したことにしてやる。私は貴様の生い立ちに同情などしないし、貴様の思惑などまるで興味がない。ナイチンゲールの元へなり、クリミアの最前線なり、どこへなりとも好きに行くがいいさ。そして、私たちとは無関係のところで死んでくれ……二度とその顔を我が妻の前へ晒してくれるな────」

 

 

 

 背中を向けたままそう言った。

 

 扉が閉まり殿下の姿が見えなくなった後、玉座の間に背を向けて城外への道を歩み出す。

 

 

 全く酷い言われようではあるが、ここにはない思いやりが正しい人に向けられるのであれば、それはきっと喜ばしいことだろう。僕がナイチンゲールを優先したように、殿下は女王を優先しているということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────それに、君が泣いていると気がつける男なら心配はないね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 余計なお世話かもしれないけれど。

 僕はね、少し心配していたんだ。

 僕のような大馬鹿者を好きになるような女性だから、

 もしかすると”男性を見る眼”がないのでは、と。

 

 

 

 ────でも、そんなことはなかったね。

 

 

 

 

 

 

 

 ボタンが外れ、妙な形に歪んでしまった軍服の襟を軽く整えながら、少し微笑(わら)った。

 

 

 

 

 

 




 


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 ジョン・スミスの”終活”の一環には、ハーバート家とはまた違うこういうお別れも含まれていたよ、という例。


 言わずもがな、4話と5話では「LOVE」の訳が違いますのよ、奥さん。



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「Every Jack has his Jill」




「愛するということは、
 お互いに顔を見あうことではなくて、
 いっしょに同じ方向を見ることだと」

───アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
   『人間の土地』より






 

 

 

「病識」という言葉をご存知だろうか。

 

 読んで字の如く、病を()ること。辞書的な意味で言えば”自らの身体が抱える苦痛や困難に対し「これは病気である」という意識を持つこと”を指す。また「頭が痛い、腰がしんどい」と部分部分で苦痛を感じるのではなく、「もしかするとこれはひとつの病気から派生している症状なのかもしれない」と、系統的・複合的にその疾患に対処する姿勢を持つことも意味する。

 

 この言葉はなにも病にのみ当てはまるものではなく────直面した困難な現状を打破するために現在悪さをしている事象はなにか、どうすればそれを排除できるかといったことを正しく認識する際にも使用できる概念である。

 そして本来、自分が病的状態であるにも関わらず病的状態であることを認めようとしない患者に対して「この患者は病識がない」と表現するように、”病識がない”場合に際して用いられることが一般的ではあるが─────。

 

 

 

 そういった意味で、クリミア従軍前──半年間の猶予のうちにあるナイチンゲールには()()()()()()と言える。

 

 現在、自分に与えられた状況を俯瞰の視点をもって正確に捉え、どこが問題点でありなにが解決策なのかを速やかに判断し行動に移す。仮に十全の成果が得られないのであれば妥協できるポイントはあるのか否かを探る。今よりも現況を改善する───そのためにしなくてはならないこと、してはならないことを常に思考する。

 

 ────()()と言っていいほどに徹底されたマネージメントによる同時多発的並行処置(自己犠牲の極み)

 

 

 

 あらゆる点を線で結び、面を描き、立体を構築していく。そうして浮かび上がる物事の全体像をクリアにしていけばいくほど、あまり直視したくはない現実がそこにあることに気づかされる。

 

 

 

 

 はっきり言って、非常にまずい。

 

 

 

 

 問題を解決したかと思えば、すぐさま別の問題が生じ───それを解決するためにはまた別の問題が……。といった具合にやらなければならないことが多すぎる上、妥協できるところがほとんど存在しない。なにしろ最前線の兵舎病院に向かうための準備──人の生き死にに関わることなのだから用意周到にしていて、し過ぎるということがないのだ。

 とは言え、時間が限られた状態ではなにからなにまで完璧に、と言っていられないのもまた事実。

 

 絶望する他ない見通しだろう。

 

 ようやく掴んだチャンスなのに。ようやく私の力で───看護婦の力で専門的医療知識がいかに重要であるかということを世界に訴えることのできる場を与えられたと思ったのに。

 この有様ではクリミアへ行ったところで、ろくに力を発揮できずにとんぼ返りさせられるのがオチだ。どうにかひとつ大きな手を打たなければ、なにかこの状況をひっくり返すような……。

 

 

 

 しかし、そんな一手が打たれることはなく、時間を消費するほどに降り積もるのは徐々に詰まされていく実感だけ。それを少しでも遅らせることぐらいしかできない自分に悔しさを滲ませながら。それでもできることを限界までやり尽くす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 なにかを得るためにはなにかを諦めて殺さなければならない場合が必ず出てくる─────、

 

 

 

 

 

 

 

 

 ならば、私は少しでも多くのものをこの手に残すために、

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───躊躇いなく自分を殺す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それがひとりでも多くの命を救うことに繋がるのであれば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 半年という時間で尽くせる最善を尽くすために─────殺せる自分を殺し尽くす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現地でともに働くスタッフ・救援物資の用意・人と物の運搬ライン・活動を裏から支えるパトロン的存在・なにをするにしろ根本のところで必要になる資金……。これらのもの───埋まらない絶対的な不足を前に。

 粉骨砕身の思いで、文字通り身を削りながら必死に駆けずり回るナイチンゲールの様子は界隈にてすぐさま噂となり───彼女の力になりたいと立ち上がる者もいれば、そのあまりにあまりな気勢に立ち去る者もいた。

 

 常人であればとうに諦め、すべて投げ出すような窮地に立たされていても、己を奮い立たせ、ただ為すべきことを為し続ける。

 

 

 

 

 そのひたむきな祈りにも似た献身を神が見ていた─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────かどうかはいざ知らず。

 

 

 

 

 

 

 ───────それでもあの男はしかと見届けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…あなたに付き合っていられる時間は皆無です」

 

 

 彼女は氷のような女だと思う。いついかなるときも冷静で、目的のために必要なことを過不足なく遂行する。一瞬の油断が致命的になることをよく知っているからか、なにかに情けをかけるといった隙を見せることがない。物事に厳しく、他人に厳しく────なによりも自分に厳しい。

 

 おそらく、それが一般的な彼女の評価であるように思う。

 

 しかし、それはあくまでも上っ面に過ぎない外側の彼女の評。無慈悲・冷徹・不愛想の三大元素で構成された外皮装甲で覆われている肝心要の内側では──常に熱風と灼熱が渦巻いている。さながら今にも飛び出さんとする凶器を思わせる焔がそこには(たぎ)っているのだ。それこそが彼女を衝き動かす原動力なのだろう。

 

 冷気と熱気。

 相反するそれらを併せ持ちながらも瓦解することなくバランスを保ち、まるで機械の如く駆動し続ける───それがフローレンス・ナイチンゲールという女性。

 

 

 

 

 その彼女に疲労の色が見えてきたのはハーバート戦時大臣からの辞令を知らせてから、二ヶ月が過ぎたころ。

 大通りでばったりと出会い”やあ、ナイチンゲール。今日も綺麗だね、少し時間をもらえるかい”と話しかけた僕に対して、やはり彼女はにべもなかった。

 

 

「まあまあ、そう言わないでくれ」

 

 

 しかし、である。

 今まで僕が声を掛けたとしても愛想がないどころか、一瞥をくれて足早に去って行くか、気づかないフリをして去って行くか、本当に気づかずに去って行くか───そのどれかだったのに、今回は立ち止まってくれるとは。

 …どうやら本当に疲れているらしい。

 

 

「ご用件があるなら、手短にお願いします」

 

 

「うん、用件はあるよ」

 

 

「だからそれはなんな、んむぐぅ─────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はい、突然ですが─────

 ここで僕のとった行動はなんでしょう!

 ヒントは彼女の後半の言動だね。

 選択肢は以下の三つだ。

 

 

 1.キス

 

 2.ベーゼ

 

 3.チュウ

 

 

 さあ、どれ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………。

 

 

 ………。

 

 

 ……いや、まあ。

 言いたいことはわかる。

 

 けど、どうやらそれは目の前の彼女が代表して言ってくれるらしいから、どうかここはぐっとこらえてもらいたい。

 

 

「───馬鹿じゃないですか?」

 

 

 汚物を見るような目で(物理的には見上げてるのに)見下げてくる彼女は、彼女の頬を包むようにしてぎゅむっと挟み込んだ僕の両の掌を瞬時に叩き落とした。うん、顔が少し赤いのもポイントが高いね。

 あ、もちろんキスもベーゼもチュウもしてないから。乙女の柔肌にそれはそれは紳士的にタッチしただけだから。

 

 

 ───なんて、冗談は置いておこう。

 

 

「場所を移そうか」

 

 

 そう言った僕は彼女の腕を取り、引っ張ろうとするが───もちろん、素直に引っ張らせてくれるわけもなく、

 

 

「…あの、本当にいい加減にしてください。連日、視界に入ったかと思ったら毎回声を掛けてくるので、今日はいよいよ仕方なく、用件を短くに伺ったのに────。貴方も私の事情はわかっているはずでしょう!? こんなことをしている場合ではないとっ」

 

「だから、用件を伝えに来たんだ────君は少し休むべきだって」

 

「そんなこと…、ああ、もう、本当になにを言って……。休んでいるような暇がないことは誰が見たってわかるではありませんか!」

 

「まあまあ、カリカリするなよ。ただでさえ”高熱”があるというのに、君はそのまま倒れるつもりかい?」

 

「───は、なんで貴方が……知って…?」

 

「……」

 

「…あ、先ほどのはそういう──」

 

「そういうこと。素直に聞いたって君は強がるだけだろうからね。荒療治というか──荒触診? まあ、そんなものだから、他意はない。うん、ない」

 

「熱がなんだと言うのですか、これぐらいのことで…」

 

「ふーん、君がそれを言うのか───看護婦の君が」

 

「…………」

 

「まあ、いいさ。看護婦の心得やらを今ここで説いたところで仕方がない。それこそ釈迦に説法とやらだろうしね。───それに、自分の不調を押してでも君にはやらなければならないことがあるというのは、ある程度理解するし…」

 

「だったら────!」

 

「それはそれ、これはこれだよ。毎日のように君の様子を伺っていたのはなんのためだと思う? 今日のような日のためだ。僕は医者ではなく軍人だが、君が限界のときは医者に代わってドクターストップをかけようと思ってね」

 

「私が、限界だ…と?」

 

「──ああ、その通りだよ。とにかく、このままだと埒が明かないから───よいしょっと」

 

 

 掛け声とともに、それまでずっと掴んでいた彼女の腕を利用する形で背中に彼女をおぶる。体調不良に重ねて僕との言い合いでへろへろだった彼女は大した抵抗をすることなくおぶられる────

 

 

「な、ちょ、まって…く、ださいっ」

 

 

 ───まではよかったけれど、背中に登るとさすがに少し暴れる。女性の年齢に関してとやかく言うのはご法度だ、そこを詳しく言うつもりはないが成人して数年どころではない歳月を経た大人が誰かにおぶられるというのは、かなり気恥ずかしいものらしい。

 

 

 いや、そりゃあそうか。

 

 

 ───いや、それでも。

 

 

「うるさい、黙れ、病人。両腕で荷物を抱えるようにして──無理やりに運んでもいいんだぞ」

 

 

 途端、彼女は大人しくなる。いわゆる”お姫様だっこ”はお気に召さないようで。ならば、このぐらいの羞恥心は我慢してもらおう。なんせ緊急事態なのだ。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「とりあえず、君の自宅で構わないかな? ───ああ、大丈夫、家までの道のりは正しく僕の頭の中に入っているよ。大通りを行くよりもそこの細い路地を入ったほうが近道だという補足情報もね。日々のストーカーの賜物だ。道案内は不要だから、君は安心して背中で休んでいるといい」

 

「…今の発言のどのあたりに安心できる要素があったのか、まず教えてもらってもいいですか」

 

 

 と言いながら、歩き出した僕の頭を数発小突く背中の彼女。

 

 

「あいてっ、いたたたた」

 

 

 それほど力は入っていないはずなのに彼女は人体の急所を知り尽くしているとでもいうのか、そこそこ痛い。

 

 うん、なかなか良い拳をお持ちだ。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 殴り続けるのも疲れたらしく、不意に背中に体重を預けてくる。

 

 

「───重くはないですか」

 

「全然だよ。今みたいに体重を預けてもらえるとこちらとしても負荷が軽くなって助かるしね。あと、もっと言うなら、君の腕を僕の体の前で組んで体制を固定してもらえると、よりありがたいかな」

 

「えっと、こうでしょうか」

 

「あぁ──、そう。それでおーけー」

 

 

 より密着して荷重が軽くなったように感じられる。

 

 惜しいのは、この体勢では今の彼女がいったいどんな顔をしているのかがわからないといったことだけれど。

 それはやむを得ない。

 彼女の顔を見ることができるというのは、すなわち僕の顔も見られてもしまうということだから。

 これでよかったのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───ふむ、なかなか良いモノをお持ちだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この状況でそれを口にしなかった僕は叙勲モノの働きをしたと言っていいのではないだろうか。

 

 

 

 







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 ふたりの絡みについて。
 要はお約束の様式美をやりたかっただけとも言う。



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「Forgotten backseat player」




「一等星はあのでかい星だ
 六等星はほとんど見えないくらい
 かすかな星のことだ
 だがちっちゃな星に見えるけど
 あれは遠くにあるからだよ
 じっさいは一等星よりももっと
 何十倍も大きな星かもしれないんだ」

────手塚治虫『ブラック・ジャック』
     ”六等星”より






 

 

 

「軍の中にはいくつかことわざのようなものがあってね────“料理が上手い軍人は信用するな。”これもそのひとつなんだ。それはそうさ、僕らは訓練の中で、自分の履いている軍用ブーツのゴム底でもなんとか食べられるんじゃないかと思えてくるような経験を強制的にさせられる。保存用容器に穴が空いて腐りかけてる水と、ガッチガチの堅パンがご馳走に見えてくるみたいな経験をね。そうだ、その堅パンがなんと呼ばれているか君は知っているかい───”アイアンプレート”だよ。そんなものがご馳走に見えてくるんだから、恐ろしいったらない。堅パンよりも柔らかくて食べやすい乾パンをかけて乱闘が起きて、死人が出そうになるなんてこともあったなぁ。───つまりは、僕らは食べられればそれでいいのだから、料理に凝るやつなんかいるわけがない、という話だね」

 

「いえ、それは”つまり”になっていません。状況に即して、正しい言い直しを要求します」

 

「……あー、えー、うんと…、その、つまり──僕、料理はあまり得意じゃないんだ、ごめんね」

 

 

 病人用に作られたポリッジ(オートミール)を挟んで言い訳をさせられる男と暖かい部屋着に着替えてそれを口にした女。

 

 

「作ってもらっておいてこのようなことを言いたくはありませんが、これは────()()

 

「…まさか君が敬語を忘れるほどとは」

 

「表現するのもおぞましい味です。いったい、なにをどうしたらこんな味になるのですか。いくつか用意してある調味料はまだ切らしてなかったはずでしょう?」

 

「そうだよ、調味料は入れた。僕は、味のしないポリッジというのがこの世で最も苦手でね。てきと~に煮込んだそれにてきと~に調味料を放り込んだらそうなったんだ」

 

「なにをどれぐらい入れたのかは聞かないほうがいいのでしょうね…。それで、こんな味になるのですから────。これならば、まだ無味のほうがおいしかったのでは?」

 

「無味がおいしいって、いったいどういうことなんだろう……」

 

「良薬口に苦しとは言いますが、苦いのか甘いのか酸っぱいのか渋いのかよくわかりませんよ、これ。まあ、でも、もともとイギリス人は食物に頓着しないと言われていますから貴方だけが悪いというだけではないのでしょうが……」

 

 

 という会話の最中にも五度ほど彼女の手は皿から口許へ動かされている。その動作から、ひょっとしておいしいのではないかと思いそうにもなるが、食す彼女のなんとも言えない表情を見ればそれが思い違いであることは歴然であるし、そもそも僕は自分で味見している。

 

 人様に出せるような代物ではないと思ったから廃棄しようと思ったのだが、”食べられないものが入っているわけではないのでしょう?”と言われて、提供することに。

 

 結局、案の定の結果になってしまったことは大変遺憾であるが、栄養価はそれなりにあるものだ。しっかり食べてしっかり休息を取れば、身体も良くなるだろう。

 

 

「───それを食べ終えたら、ゆっくり休むといい」

 

「…………」

 

「ははは、そんな顔をしても駄目だよ。大人しく───かどうかはさておいても、自宅まで僕に担ぎ込まれた上に料理まで作ってもらった体たらく。君だって、今の自分がどういう状態なのかわかっているはずだ」

 

「しかし、やはり私が今やるべきことをやらねば────」

 

 

 …そこで食べる手を止めて、片手で顔を覆うようにして考え込む彼女。

 

 彼女の言うように、今できる限りの準備をしておかなければクリミアで彼女が力を発揮することは難しい。だからと言って、無茶をして肝心なときに動けないのであれば、それは本末転倒。

 

 あちらを立てればこちらが立たず───などというものはどの組織の営みにおいてもありがちなものだと言ってしまうと、そこまでのことではあるが。

 こうして現実問題として目の前に突きつけられるとなかなかに堪える。

 

 しかし。

 

 それらは往々にしてワンマンプレイのキャパオーバーが原因であると決まっている。事態を事態として成立させているだけ十分だとは言え、今のナイチンゲールの状況もそう言って差し支えない。

 

 たとえば、今のこの困難な状況をよく理解し、問題はなにか、最優先課題とそうでないものの区分、そういった諸々の人間関係までもを織り込んで対処できる人間が彼女の他にもいれば問題ない────

 

 

 

 と、言ったものの、そんな人間がいるわけがない。仮にいたとして、彼女に手を差し伸べる謂れがどこにもない。だからこそ、彼女は困っている。

 

 

 

 

 

 

 

 そこで────僕の出番というわけだ。

 

 

「───あとは任せてくれればいい」

 

「…はい?」

 

「本当はもっと早く手助けに入るつもりだったんだけれどもね。下準備に意外と時間を取られてしまって…。いやはや、情けない───が、ようやく目途がついた。縁の下の力持ちのターンを終えて、表立って君の力になるとしよう」

 

 

 椅子に座りながらではあるが、手を広げてオーバーパフォーマンス気味にコミュニケーションを取る。

 

 

「え、なにを言っているのか、意味が────」

 

「わからないかい? 要するに、君に協力しようという話だよ」

 

「?? ──貴方は軍事令状の伝達に来ただけではないのですか」

 

「ああ、違うよ。僕の仕事の範囲には君に対する惜しみない支援も含まれるんだ。その内容は──日々の執拗なまでの身辺警護から体調不良により倒れそうになった際に自宅までかつぎこむ、さらには君に代わって調理を行うなど、多岐にわたり────」

 

「……冗談に深く突っ込みを入れる気はありませんが、もし今のこちらの状況に関してご協力をいただけるとして────それは、お気持ちだけで結構です。こちらの事情や専門分野に明るくないかたに力をお貸しいただいたところで、持て余してしまうというのが正直なところですから」

 

「へぇ、”持て余してしまう”ときたか。……物言いについて、遠慮をすることはない、頭のおかしい軍人連中の中でももうひとつ頭がおかしいんだ、僕は。つまるところは──外野に余計なことをされても”邪魔”ということかな?」

 

「───有体に言えば、そういうことです」

 

 

 ふむ、否定しないか。遠慮するなと前置きしたものの、やはり肝要なところではきっちりと本音をぶつけるだけの胆力がある、と。たとえ身分が上の者からの好意的な申し出であろうと、必要ないと判断すれば必要ないと言える。

 

 その場では話を合わせておき、てきとうな仕事でも振っておけば波風が立たないだろうに、そうしないのは──長期的な目で見たときにそれが良い影響を及ぼさないことを知っているからだろう。

 

 

 彼女はおそらく──この準備期間はおろか、クリミアと()()()のことまで考えて立ち振舞っている。

 

 

 知識に裏打ちされた知恵を持ち、行動に移せるだけの能力がある。そうして自分の意志を貫き、それを周りに伝播させるだけの強さを持ち合わせている。

 

 

 

 

 本当に、なかなかどうして大した女性だ。

 

 こんな人物は軍の中でもそうそういない。

 

 

 

 

 

 

 

「───だから、賭ける価値があるわけだが…」

 

 

 

 

 

 

 食卓に両肘を載せ、組んだ自分の両手で口許を隠すようにしてそう呟いた。その僕を文字通り熱に浮かされた瞳で見つめながら彼女が小首を傾げる。

 

 

「えっと、なにか…?」

 

「いや、こちらの話だよ。それよりも僕が外野なのかどうか──論より証拠で話をするとしようか」

 

「論より証拠───?」

 

「──例をあげよう。先週と三日前、それぞれ君の元に君の活動を支援したいと名乗り出る名家と貴族の使者が来たね、間違いないかな?」

 

「ええ」

 

「──では、昨日と今日に立て続けて兵舎病院への従軍志願者が五人ほど面接に来たことは?」

 

「そう、その通りです。…でも、どうしてそれを? そのときもどこかで私を見ていたのですか? いや、だとしても細かい人数までは…」

 

「うん。残念ながらその時間帯はまた別件で離れたところにいたから、さっきの通りでふらふらの君に会うまでは今日の君の動向をこちらでは感知してないよ────よし、食べ終えたね」

 

 

 話の途中ではあるが椅子から腰を上げ───、例のポリッジを会話中に器用に平らげたナイチンゲールに近づいて片手をすっと取る。

 

 

「寝室に行くとしようか、病人さん」

 

「…まだ話の途中ですが」

 

 

 そう言いながらも、抵抗するだけ無駄だと早くも悟ったらしく、もう一方の手をテーブルつき、そこに体重をかけつつ気だるげに立ち上がる。

 

 

「横になりながらでも話はできるだろう? おまけで子守唄を歌ってもいいし」

 

「うなされそうなので結構ですよ……」

 

 

 取った片手を自然な動作でこちらの肩に回し、肩を貸しながら彼女の寝室へとゆっくり進む。

 

 

 寝室の扉を開けて中に入ると──そこは余分なものがなにもない無機質な簡易ベッドが据えられているだけの真っ白な部屋だった。塵や埃がこの世から消失したのかと勘違いしそうになるぐらいの潔癖具合。

 

 いかにも彼女らしいと言えば彼女らしいが、仮にも男性が女性の寝室に入室しているのだから、もう少しなにかしらを感じさせるものであってほしいと思うのはこちらのエゴか……。

 

 唯一の救いは、ナイチンゲール宅に入ったときから漂っている彼女自身の生活臭がここでは少し強まっているような気がすること───ではあるが、その匂い自体もどこか消毒液を彷彿とさせるような匂いなので、決して大きなプラスにはならない。

 

 

 

 ────そんな話をこの場で彼女に対してする気は決してないので、ベッドに彼女を横たえると、傍らの壁に背中を預けつつ話を早々に再開させる。

 

 

「途中で寝てくれても一向に構わないから──そのまま聞いてくれ。先ほどの続きだ。君も既に予想している通りだろうけども、名家と貴族からの支援の使者、立て続けの兵舎病院への志願は僕の手回しだよ。これが、僕がただの外野ではないという論より証拠」

 

 

 わりと重要な事実をさらっと口走ったが、彼女の健康状態もあるしあまり長話はしたくない。それに、おそらく彼女は気がついているだろう。

 

 

「───でしょうね。思えば…、あまりに脈絡のないことでしたし、これまでの話を統合すればそういうことになるでしょう」

 

 

 僕に対する彼女の警戒レベルの低さ──という響きはあまり嬉しくないのでここでは信頼度の高さ、と置き換えよう──はきっとそこに起因している。僕が彼女にとっての味方寄りの人間であることはどうやら認識してもらっているらしい。

 

 

「率直な感想はどうだろう? 余計な”邪魔”だったかな?」

 

「…いいえ、とんでもないです。正直な話をすれば、私ひとりではもう打つ手がないというほどに追い込まれている状態でしたので、非常に助かりました。特に、名家と貴族のかたからのご融資の話は本当にありがたく…。ただ────」

 

 

 そこで、こほこほと少しむせるように咳をしたナイチンゲールに「すまない気が利かなかったね、水を持ってこよう」と断って一度退室する。

 

 グラスに入れた水を持って改めて寝室に入ったときには、彼女は上体を起こしており、水を受け取ると口に含むようにしてそれを飲んだ。

 

 再び彼女は横になって、少し落ち着いてから───

 

 

「すみません、話を遮りました。ただ、やはり、有能な人材は集まらない…、のです」

 

 

 貴方が推薦して寄越してくださった人物がどうとかそういった話ではなく、集まってくれた者たちの絶対的な知識と能力不足が…。と、そのように付け加える。

 

 言いにくそうにではあるが、それでも言うべき事実を彼女は率直に述べる。

 

 

「また、救援物資の用意とその運搬ライン確立もそうなのですが、資金的援助の面もまだまだで─────」

 

 

 そこからといもの、のべつ幕無しに現状に対する問題点が彼女の口から列挙されていく。

 

 僕が懸念していたことで見解を同じくする事案もあれば、考えの異なるポイントもあり。こちらからでは思いもよらなかった指摘を彼女が上げることもあり。

 軍人と看護婦それぞれの立場だから把握できていることを垣根を越えて擦り合わせていく。

 

 ベッドに寝たままの状態のナイチンゲールと視線がぶつかることはないが、それでも互いにとって大切なものが積み上げられていく感覚がここにある。

 

 そうすることで濃霧に包まれていたような思考回路が徐々に明瞭になっていき、がんじがらめになっている現状に対する解決の糸口────さしあたっては”今できること”を改めて見つけられたことが収穫だろうか。

 

 

「───こんなところだろうね。君は、現地で働くに相応しいスタッフの募集に尽力してくれ。僕はそれ以外すべてを担当しよう」

 

「!? それ以外すべてって、正気ですか? 貴方のほうの負担が…」

 

「蛇の道は蛇ってね。コネクションやらの方面はこちらに全面的に任せてくれればいい。こんなことを言ってはなんだが、君が体調を崩した理由は、慣れもしない政治的活動を信じられない速度で強行したからだと思ってるんだよ。看護・医療方面はそうすることで今までやってきたのかもしれないが───、こと政治においては時間をかけないとどうにもならないことがあるし、君自身も同時並行で様々なことをやりすぎて潰れかけている」

 

 

 

 ───自己犠牲も大概にしておけよ。

 

 

 ───君は君の立ち位置でできることを最大限やってくれれば問題ないんだから。

 

 

 

 そう言って、強めの説得を試みるものの苦悶の表情で彼女はまだ食い下がる。

 

 

「しかし──、仮にそうだとしても私の担当する仕事があまりに少なすぎるのでは…」

 

 

 常になにかをギリギリまで自分がやっておかなければ落ち着かない、というのはわかる。しかし、彼女にはそこを()()()もらわなければ。

 

 それに、彼女の担当範囲が狭いとはとても思わないし────。

 

 

「僕は現地で働くに()()()()スタッフを集めろと言ったね。そして、君は集まってくれた者たちの絶対的な知識と能力不足が懸念だと、さっき言っていた。果たして、この目標と現状の乖離はどう埋めるべきかな?」

 

「──より多くの募集の中から、より有能な人材を見つけてくる…?」

 

「それも方法のひとつだろう────ただ、君も承知しているようにロンドン市内の教会のシスター、病舎の看護婦はすべてあたったと言っていいし、今現在で従軍志願者は30を超える。前線の兵舎病院のキャパシティを考慮して、増員が望めたとしてもあと10人ほどが限界だ。以上のことを考えれば、積極的に従軍志願者を募集するよりももっと効率よく有能な人材を用意すべきだね」

 

「もっと効率よく……」

 

 

 ───ナイチンゲールならば、すぐに思い至るだろう。

 

 イギリス各地の病院の状況を調べに調べ、専門的教育を施した看護婦の必要性を訴えた彼女の論文を僕は目にしている。

 

 病舎で病人の世話をする単なる召使いのようにしか捉えられていない、専門知識の必要がないと考えられている看護婦という職業に革命を起こすために彼女が立ち上がったのならば、スタートラインはなにもクリミアである必要はない────

 

 

 

 

 

「私が、今集まっている彼女らを教育すれば───?」

 

 

 

 

 

 ────その準備段階から助走を始めてもなにも不都合はあるまい。

 

 

「ご明察だね、ナイチンゲール先生。なんと言っても、そちらのほうが君も最大限に力を発揮できるだろうしね──大いに期待しているよ?」

 

 

 僕の言葉を聞いた彼女は横になったまま天井を見つめていた。

 

 ふと気になって、彼女の視線の先を辿るものの白く染められた壁面になにか浮かび上がっているでもなく。

 

 こちらは彼女の返答を待つ他なかった。

 

 

「……少し、少しだけで構いません。貴方を信頼してもいいかを含めて、考える時間をいただいてもいいですか」

 

「まぁ、そうだね。日を改めてまた考えたほうが───」

 

「いえ、それには及びません。この場で決断しますから、数分だけ時間をください」

 

 

 そう口にすると同時に横になっていたナイチンゲールは瞼を閉じた。

 

 上気し仄かに朱に染まる頬と、呼吸とともにゆっくりと上下に揺れる彼女の体が目に入る。

 

 

 そんな様子を見ていると”貴方を信頼してもいいか”という言葉は、今さらすぎるようにも感じるが、こういうことは思っても口にしないほうがいいと相場は決まっているのだった。

 

 

 

 余計なことを言わずに男が大人しく黙っていれば、

 

 

 

 

 

「是非とも、ご協力をお願いできますか────ジョン・スミス」

 

 

 

 

 

 一番欲しい言葉を女性は口にしてくれることを経験上知っている。

 

 

 

 

 

 改めて、上体をベッドの上に起こそうとするナイチンゲールを支えながら、

 

 

 

 彼女が差し出す右手を固く──優しく握る。

 

 

 

 初対面時の握手とはまるで違う。

 

 

 

 彼女の瞳から氷のような不信感は取り除かれており、

 

 

 

 彼女の掌は太陽のように温かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 いや───、それは間違いなく彼女に熱があるせいなのだけれども。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、ナイチンゲール?」

 

 

 

「はい、なんでしょう?」

 

 

 

「…汗、拭くの手伝おうか?」

 

 

 

 

 彼女の肩を支えている僕の左手が多量の発汗を伝えてくるものだから、最後の最後で馬鹿なことを言ってしまったのはご愛嬌ということで。

 

 

 

 

 その後、

 

 

 

 

 

「馬鹿ですか! 貴方はっ────!!」

 

 

 

 

 

 と罵倒され、彼女の自宅から叩き出されたことは言うまでもない─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────かと思いきや。

 

 

 

 

 

 

 

「あっ…、すみません。では、お言葉に甘えて。背中のほうだけお願いできますか」

 

 

「…マジでか」

 

 

 

 

 

 よくよく考えてみれば、看護婦である彼女が患者の汗を拭くことなど日常茶飯事であるからして、その立場が逆転しようと彼女にとってなんら特別なものではないのである。

 

 

 ただ───。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、最後まで紳士的であり続けた僕は二階級特進ぐらいの働きをしたと言ってもいいのではないだろうか。

 

 

 

 無論、まだ死ぬわけにはいかないけれど。

 

 

 

 







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 ジョンの名誉のために言っておきますが、彼はヤるときはヤる男です。



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「That is not all」




「猫って何考えてるかわかんないじゃないですか
 私はそこが好きなんです
 言葉が通じないから考えさせてくれるというか
 想像の余地を与えてくれるのがとても
 …いいですね」

────大今良時『聲の形』より







 

 

 

 それから、従軍までの期間において────

 

 ジョン・スミスとフローレンス・ナイチンゲールはほとんど毎日会っていた。

 

 ジョンが”他の軍務がある”と言って、ロンドンを離れていた数日間を除いた毎日。

 

 互いにやるべきことを抱えていながらも報告・連絡・相談の時間を作った。

 

 どれほど些細なことでも欠かさず、正直な所感ととともに相手へ伝達する。

 

 互いに尊重し合い、互いの助けとなるように。

 

 必要であれば、対立もした。

 

 時に意見がぶつかり認められないポイントが現れようとも時間をかけて話し合い、意見を交換しあった。

 

 いや────より正確に事の次第を記すのであれば、そこには感情の交換もたしかに含まれていたと言っていい。

 

 ふたりでいる時間は、まさに心と心を通い合わせるような邂逅だったのである。

 

 そう、一から十まで全てが従軍の準備についての話であったわけではなく─────

 

 ───たとえば、

 

 それは、出産予定日より大幅に遅れて心配していたアレシアの子どもがようやく産まれて、母子ともに元気で本当によかったという話題。

 アレシアの夫のジョージは軍人であり、仲間内の誰もが認める冗談のひとつも言わない無口で厳格な性格の持ち主。

 いざ仕事をやらせれば、迅速かつ丁寧に事を為し、文句のつけようのない完璧な結果を残すことで有名。

 そのジョージが妻の出産の報せを受けてからというものミスが目立つようになり、作戦中も上の空、仕事がまるで手につかなくなってしまった。

 その件で上官に「それでも貴様は一児の父親か」と叱責され「一刻も早く、妻の待つロンドンへ急行せよ」との命令を受けたジョージ。

 実家のロンドン郊外に急行し、子と妻をその手で抱いたジョージが病室で男泣きして医者と看護婦たちを困らせた。

 どうやら赤ん坊よりよっぽど泣いていたらしいという話は忙しない軍部にちょっとした温かい笑いと涙をもたらしたのだとか。

 

 ───たとえば、

 

 それは、ナイチンゲールのところに面接に来た従軍志願者の中にジョンのことを知っている女性がいたという話題。

 彼の女癖の悪さについての噂に尾ひれがついた形でナイチンゲールの耳に入った日のこと。

 最初こそ舌鋒鋭くジョンを問い詰めるものの、ジョンはのらりくらりといつもの調子な上に、そもそもからしてなぜ自分が憤る必要があるのかと急に冷静になったナイチンゲールは、現在誠実に生きているのであればそれでよしと不問に付した。

 噂が広まりに広まった──手広い女性関係の相手の中には、かのヴィクトリア女王の名前も出てきて、”いやいや、それはないだろう”と噂全体の信憑性を著しく低下させたこともジョンを攻めるナイチンゲールの気勢を削ぐことに一役買っていた。

 

 ───たとえば、

 

 それは、以前からの忙しい看護婦生活の中で飼っているような飼っていないような状態の一匹の猫がナイチンゲールの家の戸を叩くことがあった。

 毎日ではなく、週に一度二度、玄関の戸をカリカリと引っ掻きに来たときだけ小さな訪問者を家に招いてはご飯をご馳走する。

 そんな一匹の猫とのやりとりに癒されていたナイチンゲールであったのだが、ある日、一週間ほど姿が見えなくなった。

 今までの来訪でそんなに日を置くことはなかったのにも関わらず。

 慌ただしい従軍準備の日々の中でも頭の片隅でずっと気にかけていたが、それが二週間、三週間、果ては一ヶ月を越えたとなると「あぁ…、あの子は自分で死期を悟ったのですね」と諦めもする。

 それから数日後、昼下がり。ナイチンゲールが自宅で名家からの献金に対してのお礼状をしたためていると、いつものようにジョンが訪ねてきた────その両手に例の猫を抱えて。

 しかも、件の一匹のみではなくもう一匹おまけつき。

 「玄関のところで二匹して、戸を叩くようにしていたから思わずそのまま抱えてきてしまったけれど、まずかったかな?」そう言ったジョンも含めて、その日は温かい夕食を囲んだ。

 ご飯を食べるや否や、あいさつもそこそこにナイチンゲール家を後にする二匹を尻目に「新たに連れてきたのはオス猫でしょうね、あの子に連れ添う存在ができたのは喜ばしいことです」と微笑むナイチンゲールと「まるで僕らのようだね」とニヤつくジョン。

 いつも通りの馬鹿な軽口にいつも通り小突きはするものの、近頃完全に手心の加えられたそれは痛みよりも甘酸っぱい空気を生むことが多いようで。

 

 

 

 

 

 ジョンとナイチンゲールの打ち合わせの中には、以上のような──とりとめもないやりとりも含まれていた。

 

 初めのうち、ナイチンゲールはやはり必要最小限の接触で済ませようとしていたけれど。

 

 そこはジョンのペースに引きずられるようにして──ずるずるずるずると。

 

 最初に設定した彼女の中の線引きを何度となく飛び越えてやってくる男に辟易しながらも。

 

 いつの間にか──、知らず知らずのうちに──、彼女もそんな時間を楽しむようになっていた。

 

 驚くべきことに、ナイチンゲールから世間話を持ちかけるまでになっていたのである。

 

 たとえ、そんなことをしている場合ではないとしても。

 

 ───互いを知るために必要な過程だったから。

 

 ───互いにわかり合うために必要な工程だったから。

 

 決してそれを意識していたわけではないけれど。

 

 そういった余分に思える時間が言外の信頼関係を築き上げ、ふたりの間に生じるはずだった諸問題の芽をあらかじめ摘み取っていったのだった。

 

 それだけではなく────

 

「彼ならきっとこう考える」「彼女なら絶対にこうする」

 

 信用し信頼しているからこそ、互いの思考を推量・予測することができ、その結果、作業の能率を飛躍的に向上させていた。

 

 そうして。

 

 ナイチンゲールひとりきりでは、到底為し得るはずのなかった数々の勲功。

 

 それが────この半年間でたしかに結実している。

 

 遠くない将来、ナイチンゲールという人物が世の人に語り継がれる女傑となる地盤は整えられていた。

 

 

 

 

 

 

 ナイチンゲールからすれば、初めこそ”最悪”の印象であった男。

 

 軽薄な調子でなにを考えているのかさっぱり読み取れない。

 

 こちらが従軍準備に奔走しているというのに毎日のように声をかけてくる。

 

 声をかけてくるだけならまだしも、内容が完全に軟派のそれなのである。

 

 『軽佻浮薄』を人型にかたどり、軍服を着せたら丁度こんな男になるのではないか。

 

 ────全く信用が置けない。

 

 そんなジョンの評価ではあったものの、彼は重要なところでナイチンゲールの支えになったし、宣言通り──結果で自らの有用性を証明していった。

 

 彼と同じ時間を過ごせば嫌でも思い知らされるミスディレクションという技術の凄み。

 

 彼は自らの本質を隠すために取るに足らない男をあえて演出している。

 

 初見で油断させ、主導権を握り、盤面を掌の上でコントロールし、”この男はもしや”と気がついたときにはもう遅い。

 

 絶妙のタイミングで考え得る限り最悪のカードを突きつけてくる。

 

 できれば相手取りたくない、敵に回すと厄介だという印象を植え付ける。

 

 それは、勝つ技術というよりも負けない技術。

 

 権力、政治力、資金力…そういったもの全ての力で劣っていたとしても、終わってみればイーブンで取引を着地させるだけの手腕。

 

 驚愕し、舌を巻く他なかった。

 

 

 

 そうして次から次へと舞い込んでくるジョンの働きによる朗報に面食らいつつも、おのずと彼に対する感謝の念が徐々に徐々に深くなっていく。

 

 この調子であれば、準備のほうは確実にうまくいく。

 

 クリミアでの活動もおそらく問題なくこなせるはずだ。

 

 そんな安堵感が生まれてきたと同時に─────、ナイチンゲールの胸に芽生え始めたジョン・スミスへの特別な()()

 

 そう、それはたしかにそこにあったのである。

 

 疑いようもなく。

 

 ただし、その感情に丁寧に名前をつけるには────彼女は少し忙しすぎた。

 

 彼女の元に集まった従軍志願者に対する教育とジョンの働きによって発生する諸々の作業を順次こなしていくことで精一杯だった。

 

 後から振り返れば、そんな仕事の数々も彼が成し遂げたことのごく一部にすぎないのだが。

 

 ナイチンゲールはそのことをまだ知らない。

 

 それに加えて────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事の全てを知ったときにはもう彼に感謝を伝えることができないということも知らなかった。

 

 

 

 

 

 ====================================

 

 

 

 

 

 これも────、そんなたとえばの日のことだった。

 

 

 

 

 従軍準備に明け暮れながらも、本来の通常業務──ロンドン病舎での看護のほうにも変わらず力を注いでいた。こちらのほうも最後までやれるだけのことはやっておきたいし、なにしろ、もうすぐ私はここから去ることになるのである。周囲への申し送りはもちろんのこと、受け持ちの患者の方々にも挨拶をしておかなければならない。

 

 

「───ご子息のケアを最後まで私が行うことができず、申し訳ありません」

 

「なにを言うんだ、ミス・ナイチンゲール。貴女は息子のために本当に…本当によくしてくれた。高名な医師のかたでも手の付けられなかった病の原因を特定し、治療のできる先生も見つけてもらった。ここまで尽力してくれた貴女にどう感謝を述べていいか……。息子の命があるのは貴女のおかげだよ」

 

「そうですよ、この人の言う通りです。どこの病院へ行こうとも匙を投げられる形でたらい回しにされ、諦めるしかないのかと悲嘆に暮れていた私たち家族を救ってくださったのは貴女なのですから。もちろん、退院まで貴女に見守ってもらえるのなら、それ以上のことはないけれど──前線の病舎ほうへ行かれるのでしょう? 立派なことだと思います」

 

 

 こうした挨拶も従軍前の業務のひとつ────

 

 病室にて担当していた患者と近親者に事情の説明を行い、どうにか納得をしてもらう。

 本来、こういった患者とその周囲に不安を与えかねない急な異動は激しく責められてもおかしくないことなのだけれど、なぜかこのように受け入れられてしまう。これまでに挨拶をさせていただいたところも全て同じだった。

 

 今回であれば、こちらが頭を下げていたはずなのに、いつの間にかその両親に揃って頭を下げられてしまっている。

 

 こちらとしては目の前の患者に対して当然のことをしたまでであるし、従軍という理由があるにしろその経過を最後まで見届けることができないのだから、あまり過大評価してもらっても恐縮するばかりというのが正直なところ。

 

 この違和感は───、今は気にしたって仕方がない。胸のうちにしまっておこう。

 

 

「私は、ただロイドくんが元気になるお手伝いをさせていただいたにすぎません。それほど大袈裟なことではないのです。───従軍の件は前線に行くと言っても、病舎があるのはもちろん前線と呼ばれる範囲の中でも後方にあたりますから…」

 

 

 一応、従軍に危険はないということを情報として付加しておく。

 そうしなければならないという決まりがあるわけではないが、事実最前線に病舎があるわけではないし、取り除くことのできる気がかりは取り除いておいたほうがいいだろう。

 

 

「本日のオペが無事に終われば一週間ほど安静にした後に、退院できるというお話を担当医師のほうから伺っています。私の後にケアにつく看護婦もベテランのかたですから、どうか安心してください」

 

「貴女が保証してくれるのなら、なにも心配はないさ」

 

「ええ、そうね──ああ、そうそう、ロイドからもナイチンゲール先生にお礼を言いなさい」

 

 

 ベッドに横たわる息子の頭を撫でながら、母親がそう声をかける。

 親譲りである栗色のくせっ毛が母親の手に撫でつけれられる度、くすぐったそうに目を細めていたロイドは母親の声に応じるように私に視線を送る。

 

 呼吸器をつけ、点滴を左腕に刺した状態のため、大きく身動きを取ることができないものの、彼はその表情と首の動きで精一杯の感謝を伝えてくれる。彼は病気の影響でうまく発声することができないものの、それ以外の方法で意思表示をしっかりすることができるのである。

 

 それから───、彼は震える右腕を必死に持ち上げてこちらに手を差し出す。

 

 ああ、もしかすると、私が退院する患者に対して最後に必ず握手をするようにしているという話をこの子は知っているのかもしれない。今回の場合は──、私のほうが先にこの病院を退く形になるのだけれど。嬉しいことだ。

 

 彼の小さな手を支えるようにして両手で取り、優しく握る。

 

 

「ロイドくんも今のお話を聞いていたとは思いますけれども。最後まで側にいることができず…、ごめんなさい」

 

 

 というこちらの言葉に対し、気にしないでと彼は目を閉じて首を振る。やはり、この子も離れていく私を責めるようなことはしない。

 

 まだ幼いにも関わらず、とても我慢強い少年だと思う。

 遊びたい盛りに、屋内に四六時中閉じ込められ、いったい彼はどんな気持ちだっただろうか。

 

 言葉を発せない彼のためにごく簡単な手話をいくつか教え、それを用い──時には筆談でコミュニケーションを取ってきた。

 苦しくないですか、痛くないですかと尋ねる度に”大丈夫”と手話で答えてくれていたが、今まで同じ症例の患者を見てきた経験から言えば、そんなことは()()()()()。大の大人でも泣き言を漏らすほどの想像を絶する苦痛が彼の体を蝕んでいるはずなのだ。

 

 本人は”小さいころからのことだから、苦しいのも痛いのも慣れたよ。だから平気”と書いて教えてくれたが、その苦痛は本来耐える必要のないものなのだ。健康でさえあれば、そんなものに侵されることはないのだから。

 

 苦しい、痛いに違いないのに、周りに心配をかけたくないがため、決して弱音を吐かずにこれまでの入院生活を耐えてきた。そのつらさを多少緩和する程度のことしかできない自分が歯痒くて仕方がなく。

 

 ”元気になったら、お父さんとお母さんと一緒に外で散歩をしてみたい”、筆談でそんなささやかな願いを明かしてくれたときには胸が張り裂けそうになった。

 

 それが、いよいよ────

 今日の手術が無事に成功すれば、彼はこの生活からようやく解放される。

 傍らで彼を見守ってきた者として、その瞬間に立ち会うことができないのはとても残念に思うけれど、今それを惜しむべきではない。引き継ぎが終わるまでは私が彼の担当看護婦なのだから、彼にかける言葉は励ましと応援であるべき。

 

 

「今日の手術、頑張ってくださいね。あともう少し、ほんの少しだけ頑張れば、すぐに元気になりますから」

 

 

 私の言葉に力強い頷きで応える彼にこちらが元気をもらっているような心地でいると──、

 

 ───同僚の看護婦が病室にやって来た。

 

 

「そろそろオペの時間ですが、お話のほうは…まだ?」

 

「───いえ、問題ありません。では向かいましょうか」

 

 

 彼に声をかけ、移動の準備を整える。

 

 同室である周囲の患者に「頑張れよ」「きっと、大丈夫だ」「泣くなよ~、坊主」と声を掛けられる彼をストレッチャーに乗せ、病室を後にする。

 

 

「いつもの通り、先生に任せておけば安心だ。寝ている間に終わるからな」

 

「ロイドは強い子よ、なんにも心配いらないわ」

 

 

 オペ室までの移動の間、彼の手を取った両親が声をかけ続ける。

 

 その様はどちらかと言えば両親のほうが緊張しているような印象であり、当人のほうはもう慣れたものなのだろう時折微笑んで頷き返すなどしていて、とてもリラックスしているようだった。

 

 ここまで、長かった。本当に、長かった。

 こんな幼い少年が手術に慣れてしまうほどに。

 今日を乗り越えれば、彼の長い病との闘いもようやく幕を閉じるのだ。

 

 

「ご家族のかたはここまでになります」

 

 

 オペ室の前に立っていた医療スタッフがそう伝え、ロイドくんを乗せたストレッチャーが扉の向こうへと運搬されていく。

 

 最後の手術を前にしてどんな心持ちでいるのだろう、そんなことを思いながら彼を見送っていると、扉が閉められる前に──彼は私に向けて”とある手話”を送って、ニッコリと笑ってからバイバイと手を振ってくれた。

 

 

 

 それを目撃した両親は、

 

 

「───まぁ、あの子ったら」

 

 

 そう言いながら朗らかに笑った。煩雑とした思いを抱えていた私もつられるようにして笑みがこぼれてしまう。

 

 

 ロイドくんは─────本当に強い。

 

 誰だって不安なはずの手術前にあそこまで気丈に振る舞えるなんて。

 

 最後のあの手話には、そして手話を送ってくれた彼の瞳には──私へのエールが込められていたように感じた。

 

 手話の意味自体は、簡単で、おませな子どものしそうなそれであったけれど。

 

 

 ”ボクも頑張るから、ナイチンゲール先生も頑張って”

 

 

 言葉にせずとも伝わってくるそんな彼の気持ちを確かに受け取った。

 

 自分ではなく他人を慮ることのできるあの心優しい男の子が──命を落とすことがなくて本当によかったと感じる。

 

 あれほどの生きる力があれば、たとえどのような手術であろうと必ず乗り越えるに違いない。

 

 やはり、

 最後までこの病院に残って、私に与えられた務めを完遂したいという気持ちがあるけれど。

 彼の退院を見届けて、本来の意味できちんと握手を交わしたいという思いがあるけれど。

 

 

 ────それでも、私は次の患者の元(クリミア)へ。

 

 

 そうしなければ、救えない人たちがいるから。

 

 私は、私の目的のために、私の戦場に向かうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな感慨に浸りつつ──オペ室を背にして後ろを振り返ると、廊下の先の角からこちらの様子を伺っているあの男の姿が見て取れる。

 

 ロイドくんの両親と私の後の引継ぎとなる担当看護婦に改めて挨拶をし、その場を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう時間でしたか───、こちらの都合でお待たせすることになってしまいまして、すみません」

 

 

 近づいたジョンにそうして声をかけながら、謝罪を入れる。

 どのような事情であろうと時間は時間だ。

 

 

「今、来たところさ…と言いたいところだけれど、鉄道の時間もあるから、とりあえずは移動しながらでいいかい?」

 

「わかりました」

 

 

 ジョンはこの後、このままハーバート戦時大臣の元へ現状の報告に戻るようで、今日はそのための最終打ち合わせをする予定になっていた。

 

 手紙で詳細を連絡すればいいのでは、という話もしてみたのだが、どうやら今回は直接会って話さなければいけない内容もあるのだとか──────

 

 

「さて、話は──、うまくまとまった?」

 

「───ええ、こちらが驚いてしまうほどすんなりと。どの患者も私のクリミア従軍の話を快く受け入れてくださいました。……他の人の前でこのようなことは言えませんが、なんだか私は必要とされていないのではないかと、複雑な気持ちが…、ないとは言えません」

 

「おやおや、弱気じゃないか。患者やその周囲の人たちと対面した君がそんなことはないと一番わかっているだろうに」

 

 

 先ほどまでは心の底に隠していた思いが口をついて出てしまう。

 

 ジョンの言う通り、そんなことはない。どの患者も本心からこちらの試みを励まし、応援してくれていた。それは理解している。

 

 理解はしているが、納得には至らない。

 

 そんなこちらの様子を感じ取ったのか、

 

 

「君はさ、前に話してくれたよね。医療レベルの水準──その底上げをしなければならない、現場で働く医療スタッフにはもっともっと専門知識が必要なんだ、と」

 

「はい、そうですが…今、その話が関係ありますか?」

 

「あるよ。大アリだ。半年前と比較して、この病院の医療レベルは数段上がっている。もはや別物と言ってもいいぐらいに。無論、従軍する人たちと一緒にここのスタッフが君の英才教育を受けたというのも大きいだろうけれど、もうすぐ君がいなくなるという危機感はここで働く者たちの意識を変革させた」

 

「…………」

 

「これは、非常に大きな意味を持つことだ。医療レベルの水準が上がることは、救う命の数が増えるのはもちろん──イコールで患者とその周囲に安心感を与えることになるからね。君がいなくてもこの病院であれば大丈夫と誰もが思っている、だから君は快くみんなに送り出してもらえたんだろう。これこそ、君の目指していたことのひとつだ、違うかい?」

 

「────」

 

「この病院ではそれが体現されている。そして、君は──国単位、世界規模で()()()最低ラインにしてやろうと画策しているんだろう? そのためにクリミアへ行き、自らの方法論が間違っていないと世界に証明するんだろう? だったら胸を張れよ、フローレンス。君はなにも間違ってない、僕が保証する」

 

 

 ああ、この男は。

 

 いつだって知ったような口ぶりで、どこまで行っても上から目線で。

 

 普段はまるで頼りなくて、いつ見ても油を売っていて。

 

 それなのに、やるべきことはすべてつつがなくこなしている。

 

 それでいて、欲しいときに欲しい言葉をくれる。私がふらつくときは支えてくれる。

 

 この男がそばにいれば、私はなんだってやれる、そんな錯覚を起こしてしまいそうになる。

 

 

 

 

 ───なんだか、ちょっと悔しい。

 

 

 

 

「ぃ痛って、ちょ、なんで殴るの!? 脇腹のっ、肋骨の…あい、でっ、間を──的確に、殴らないで! いたぁ!?」

 

「うるさいです、照れ隠しです」

 

「えぇ? これって、んぐ、そんなかわぁい、ぉお……らしい痛みじゃないんだぁ、けどぅふ!?」

 

 

 

 

 脚を止め、こうして戯れているのも悪くないけれど時間があるし、病院内で怪我人を出すのはまずい。

 

 行きますよ、と声をかけ、うずくまるジョンの手を引っ張り無理矢理歩かせる。

 

 もう片方の手で脇腹をさする彼とともに屋外へ。

 

 あぁ、もちろん追撃するために病院の敷地外に出たわけではない。実際に時間が押しているのにも関わらず余計なことをしてしまった…。

 

 

「…やれやれ、そろそろ本題に入らないと……いや、待てよ、その前に───ひとついいかな? 少し気になって」

 

「はい、なんでしょう?」

 

「さっき、手術室に入っていく少年…かな? その子が扉の向こうで君に向かってなにか手話のようなものを送っていた気がするんだが、あれはなんだい? その後にそばにいたご両親ともなにやら話していたようだけれど」

 

「ああ──、さきほどの……。子どものすることではありますが、不覚にも少し…ときめいてしまいましたね」

 

「……へぇ、そう言われると俄然気になってくるね。あいにくと手話のほうは不勉強で。遠目だったし、手の動きもよく見えなかったんだ」

 

「ふふ…、知りたいですか?」

 

「なんだよ、君がそんな顔をしてもったいぶるなんて珍しいな…」

 

「───いつもなんだかんだで貴方には主導権を握られてばかりですからね。たまにはいいではありませんか。教えてほしいと言うのなら、教えて差し上げますし」

 

 

 

 

 

 

 ───まず、空いているほうの手を広げ、

 

 

 ───中指と薬指の二本のみを

 

 

 ───内側に折りたたむ。

 

 

 

 

 

 

 そうして自らの手で先ほどのロイドくんの手話を再現しながら。

 

 

 

 いたずらを思いついた猫のような仕草で身を寄せて、

 

 

 

 長身の彼の耳元で──その意味を囁く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「という意味です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十二分に間を置いてから、付け足した台詞を発するころ。

 軽く取り乱し、照れたような表情のジョンの横顔を眺めた私は────なぜだか、すこぶる気分がよかった。

 

 

 

 

 

 いつも、してやられてばかりな彼にやっと一矢報いることができたからだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ええ──、きっと、そうに違いない。

 

 

 

 

 

 







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 今回ばかりはタイトルがいい感じに決まったな(ニヤリ




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「Good luck with your first job in hell」




「雌伏もまた静かなる戦いなのである」

────早乙女貢「風雲児列伝」より






 

 

 

 誰もがやりたくない、誰もがやりたがらない仕事というものがある。

 

 

 ───汲んできた水をできる限り無駄にしないよう効率的にまく。

 

 

 誰かがその仕事をやらなければ皆が困ることになるのに、そこから目を背けて自分以外の誰かがやってくれるのを待つ。

悲しい話だ。

それは往々にして「キツイ・危険・汚い」といった烙印が押されがちな仕事であり、世の中の厳しさを感じざるを得ない。

 

 

 ───ブラシと称するのもお粗末な、捨てられていた棒と布切れで作成した混合物を用い、床面をこする。

 

 

 私が現在従事している仕事が「危険」かどうかはさておくとして「キツイ」と「汚い」は、なるほどその通りだった。これは、ザ・肉体労働と言って差し支えないだろうし、目に見える汚さはもちろんのこと、特有の刺激臭が鼻につく。不意に深く息を吸ってしまったときなどには、えづきそうにもなる。

 こんなことを進んでやりたいとかと言えば、やりたくはない。が、そうして誰もが忌避する仕事であり、誰もやらないことで皆が不利益を被るのであれば、私がやろうという気にもなる。外圧的要因による動機ではあるが、こうして胸のうちにふつふつと生じるものがある。

 

 

 ───汚れがこそげ落ち、水と伴って自分の意のままに床面を移動していく。

 

 

 ただし、あまりにあんまりな仕事内容に「逃げない精神を養う訓練なのだ」「自分を成長させるチャンスかもしれない」「ともするとこれは心の掃除なのかもしれない」などといった精神衛生をなんとか保つ方便も脳裏に浮かんでくるようにもなってくるのもまた人の(さが)。さもなければやっていられない。

 

 

 ───手にした混合物で汚れと水を誘導し、追い込むようにして所定のところへと流し込む。

 

 

 けれど、人間は不思議なもので、このようにしてやりだしてしまえば──初速が生まれてしまえば、何事もある程度の要領を得てこなせるようになるし、作業自体に執心を抱いて取り組めるようになる。以前は発見できなかった汚れに気づいたり、以前よりも早く作業を完了できたりすると、それがどんなことであろうとも自信に繋がるもの。

 

 

 ───最後に自分のこなした仕事内容に不備がないかを抜かりなくチェックを行い、その場を辞する。

 

 

 この時間であれば、上官は二階南側の作業にあたっているはずなので、終了報告のために二階への階段を探す。

 当該の場所に向かう間にも幾人もの慌ただしい様子の人々とすれ違ったり、追い抜かされたり。

 自分もそんな周囲の人に混ざって、()()に来た本分を果たさなければならないはずなのだが、今は邪魔にならないように通路の隅をゆっくり歩くことで精一杯。

 

 

 

 こんなことを自信に繋げている場合ではないというか、そもそもこんなことをやっている場合ではないというのは、従軍してきた看護婦団メンバーの全員の共通認識であろうが、今はこんなことをする他ないし、なによりこれは上官の意向なのだ。それに従っておけば、まず間違いはない。それだけのことを私は従軍前に学んだのだ。身をもって。心の底から。

 

 

 

 

 そうした思考を巡らせながら辿り着いた場所に目的の人物の姿はなかった。

 

 

 

 

 おや? と思う。

 

 

 

 

 今日の自分の作業はなかなかに早かったはずだ。対して、上官のほうは他の人への伝達事項があって、作業開始がかなり遅かった。この場を終えて、もう次の場所へ行っているなんてことがあるわけはない。

 

 そう疑いつつ、まさかと思って向かった次の作業場所にも上官はいない。やはり、いない。

 

 

 ただ────おかしい。そんなことがあっていいのか。

 

 

 あまりに作業が早すぎる。

 もしかすると、記憶違いで上官の担当箇所を間違って覚えているのかもしれない。そう考えたほうがまだ自然……いや、でも、これは────。

 

 次に使用して、また汚してしまうことが躊躇われるほどの清掃具合である”便所”を覗き込みながら、思う。

 これほど行き届いた清掃を行える人物はひとりしか心当たりがない。

 

 

 

 

 

 ある種の諦念の気持ちを抱いて最後に私が向かったのは、私たちの控え室で───正式名称を物置部屋。この病舎において不必要なものを室内に入るだけ詰め込んだ足の踏み場もない空間…のはずだったのだが。

 

 絶望的に立て付けの悪くなっていた扉は最早邪魔だと考えたのか外されており、なにも遮るもののなくなった入口から入室すると、室内は今朝がた見かけたときとは比べ物にならないほどの整理整頓と清潔清掃が徹底された場所になっていた。

 

 散乱していた資料と書類は使用可能な壁際の棚に綺麗に並べられ、医薬品の数々はまだ使えるものがあったらしくいくつか()り分けてあり、廃棄せざるを得ない物品は端の方にひとまとまりに。そうして、足の踏み場がきちんと確保されている。

 

 この状態ならば、ここにやってきた看護婦団も全員が入室し、ミーティングも行うことが可能だろう。

 

 そんな部屋に────果たして、上官はいた。

 

 従軍前からわかっていたことではあるが、こうなると改めて思ってしまう。

 

 

 

 誰よりも早くかつ人よりも数倍多い担当ノルマの清掃作業を終え、この物置部屋の整理までこなしてしまうのだから、この人はいよいよおかしい。

 

 

 

 

 

 

 いや、おかしいと言うならば──────、

 

 これほど有能な人物に便所掃除と物置掃除なんかをさせている現状がなによりおかしいのだけれども。

 

 

 

 

 

 

 立ったまま、なにかの資料に目を通しながら集中している様子の上官に声をかける。

 

 

()()、探しましたよ」

 

「…? あぁ、メリッサですか。作業が終わりましたか、早かったですね」

 

「──あの、婦長にそう言われましても…」

 

 

 …最早、お世辞にも聞こえない。

 

 

「他の皆さんの中で一番早かったですから、十分優秀です。貴女のことですから、清掃のほうも抜かりはないでしょうし。問題は……ミランダですね。彼女はやること為すこと全て丁寧で正確なのですが、いささか時間を掛け過ぎるきらいがあります。後で様子を見てきたほうがよいかもしれませんね」

 

「ミランダの様子は私が見てきますので、婦長は…その、続きをどうぞ。ちなみにそれは──どういった内容の?」

 

 

 先ほどまで上官が目を通していた資料を指して尋ねる。埃の被りかたからして、おそらくはこの部屋に埋もれていた資料ではあろうが、この人がそんなものから真剣に学ぶことなどあるのだろうか、と疑問から生じた問い────

 

 ────ではあるのだが、それは本当に訊きたいことを訊くための前振りのようなものだった。

 

 

「───こちらですか。さすがは最前線の病舎ということもあって、なかなか貴重な医療論文があるようで、少し拝見していました。しかし、それがこのようなところにこんな状態で放置されているのは大変嘆かわしい…という他ないですね。大方、不意に生じてしまった余剰予算を使い切るためにもっともらしく論文を請求したのでしょうけれど」

 

「…なるほど」

 

「こちらに記載された知識は役立ちますから、後ほど、内容を共有することにしましょう。…では、ミランダのほうをよろしくお願いできますか? 私は次の場所の清掃に向かいます」

 

「了解いたしました…………ところで────婦長、()()でいいのでしょうか?」

 

 

 そこまで口にしたところで、唇が固まった。

 

 

 

 

「──────────」

 

 

 

 

 対面の人物の色素を感じさせない白磁の肌が一層冷気を増す。

 

 周囲の空間を凍てつかせるかのようなピンと張った冷たい空気。

 

 こちらを覗く双眸が(うろ)を思わせる深いものへと変貌する。

 

 ああ、これは。

 まずい。

 

 理性で認知するよりも早く、本能が理解を強制させる。

 

 

 

 

「メリッサ。()()とはなにを指し、貴女はどうすべきだと────?」

 

 

 

 

 ぐしゃぐしゃぐしゃ、と。

 上官の手に握られた論文が込められた力によって形を変える。

 

 おそらく、本人は拳にそれほどの力が入っているとはわかっていない。

 知らずにわなわなと肩が震えるほどの力が拳にかかっている。

 

 

 こちらにぶつけられているのは単純明快、純粋な殺気である。

 

 

 いわゆる、地雷を踏んでしまったというやつで。

 目の前の上官はブチ切れている。

 

 それがわかれば、しなければならないことはひとつ。

 プロセスを誤らずにこなすだけ。

 それだけなのだが、本気で殺されかねないという質の殺気を向けられると人は本当になにもできなくなってしまう。

所詮、弱い物は強い者に屈するしかないのだという動物としての危機本能が作動し、身体が恐怖に支配される。

 

 

「ぁ、っっ…あ、ぅぅう───ぜぜ、前言を、てっ撤回させてくだ、ふぁい」

 

 

 状況を動かすための思考を再起動させるのに数秒、そこから固くなった唾を飲み込んで口を開くまで数秒。

 かなりの間ができてしまった上に嚙み倒してしまったが、これでも早かったし、よく口が回ったほうだと自分で自分を褒めてやりたい。

 

 

「─────はあ、いいでしょう。…ミランダのところへ」

 

「し、失礼いたっしました」

 

 

 以上のやりとりを終え、物置部屋────ではなく、看護婦団待機部屋を後にする。

 

 はぁはぁ、と肩で息をしながら廊下の壁に背を預け、胸を押さえて呼吸を整える。

 ガタガタと震える膝で今にも腰が抜けそうな下半身に力を込め、壁を支えにしてなんとか立っている状態。

 

 ()()上官を従軍前に何度か見たことがあるけれど、そのどれもが自分と関わりのないところだった。それでも十分に肝を冷やしたものだったが、直面するとその比ではないことがよくわかる。

 

 

 

 ”子を失う親のような気持ちで、患者に接することのできない、そのような共感性のない人がいるとしたら、今すぐこの場から去りなさい”

 

 

 

 過去にそう言って、看護婦団の中からひとりの看護婦を追い出している。

 

 終始やる気を感じさせない酷い勤務態度であり、お世辞にも看護スキルや医療知識に秀でている人ではなかった。おそらく箔をつけるために従軍志望したのだと専らの噂で、名家からの奉公人であるがゆえに誰もなにも言えなかったという女性。

 

 その女の胸倉をつかんで、上官は激怒した。

 

 彼女がなにをしたのかはよく知らない。担当患者に対して礼を失する物言いをしたのだとか、医療器具をぞんざいに扱った上に破損させたのだとか噂されているが、そんなことは当時どうでもよかった。

 

 いつか上官の雷が落ちるのではないかと周囲が危ぶんでいたなかで、とうとう例の女が地雷を踏んでしまったことに他のメンバーは身を縮めていたのだが、それは上官が怒ったことに対してではなく、名家からの圧力で看護婦団が解散させられてしまうのではないかという危惧に対してだった。

 

 その後ろ盾があったからこそ彼女は周囲に対して大きな態度を取っていたわけで、人手が少しでも欲しい上官も今まで怒りを抑えていたのだろうけれど、ついに事態は起こってしまった。

 

 案の定、

 ”実家のほうにこのことを報告させてもらう”と喚き散らし始めた女と上官の間を割るような形で、どこからか登場した軍服を着ているのに馬鹿みたいに軽薄な謎の男が二言三言話すと────、喚いていた女は顔を真っ赤にして走り去って行き、男がその場に残った上官をなだめつつも叱っていたのだとか。

 

 その事件の顛末を知る者は皆一様にスッとしたと話し、そのときの上官を目撃した者は誰かに怒られている上官は可愛らしかったと、本人には絶対に言えない見解を表明しており─────

 

 ────ともあれ。

 

その男の活躍によってなのかは定かではなないが、看護婦団が解散に追い込まれることもなく、無事にクリミアへやってきた。

 

 患者の命に関連することで私たちが誤った判断を下すと、上官は我を忘れて、ああなってしまうことがある。

 今回の私の質問もそれに類する、または準ずることだったのだろう。

 

 しかし、だとすると、やはり腑に落ちないことがあるのだが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病舎の中でも隅の隅に追いやられたこの部屋から、ミランダの担当作業箇所は少し遠い。また縦横無尽に動き回っている医療スタッフや兵隊の邪魔にならないように端のほうを移動しつつ、進まなければならない。

 

 

 

 ────どこか遠くのほうから子どもの泣き叫ぶ声が聞こえてきた。

 

 

 

 ……本当に、この状況はなんなのだろう。

 

 ロンドンからクリミアへやってきた。

 噂に違わぬ劣悪な環境のなか、負傷した兵隊が次々に運ばれてくる。

 人手はどれだけあっても足りないはずなのにも関わらず、私たちに与えられた命は待機。

 助けを乞う人がいる、痛みに苦しむ人がいる。

 そんな人々を救うために私たち看護婦団はやってきたはずなのだ。

 それなのに、便所掃除に勤しむことが今できる最善だとは。

 こんなのはおかしい、間違っている。

 

 ───今すぐ、そう叫んで周囲の医療行為に介入したい

 

 それを最も強く思っているはずの上官──フローレンス・ナイチンゲールが歯を噛み締めて耐えている。

 今は忍耐のときなのだと、看護婦団を統率している。

 

 一体、どうして。

 今もなお死に逝く生命がそこにあるのに。

 あれほどの憤怒を抱えていながら、彼女が目前の患者に対して動かないのはなぜなのか。

 

 ───それがわからない。

 

 

 

 複雑な思いを抱えながらもミランダのところへ向かうために、私は廊下の端を歩く。

 

 

 

 

 







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 ナイチンゲール率いる看護婦団のクリミアでの初仕事は便所掃除だったんですよ、マジで。



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「Is this hell?」




「怪物と闘う者は、
 その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ」

────フリードリヒ・ニーチェ
    『善悪の彼岸』より







 

 

 

 ────ここは、まさしく地獄だった。

 

 

「こちら、胸を強打しており、喀血(かっけつ)が見られ」「ストレッチャーはまだか!? 早くしろ」「ごほっ、ごほごほ…」「マシューは、マシュー・アーノルドはいませんか?」「傷は深くありませんが、倒れた際に頭から」「───んぐっ、はぁはぁはぁ…」「先生! 助けてくれよっ、頼むよっ!! アーロンは故郷に家族もいるんだ…こんなところで」「こちらはメスが足りません」「そっちの患者は後でいい、こっちが先だ」「左の鎖骨と肋骨の数本が骨折してまして」「…もうあきらめろ」「がぁぁぁぁあ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"、痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたい」「ふむ、出血が全く止まらんな」「通ります、道をあけて!!」「おいおい、死んじまったんじゃねぇのか、そいつ」「状況を教えてください、彼はいつから───」「ぉぉおおおお、ぐぅぁあ、おおぅおぅおお」「大丈夫ですか! 聞こえますか!」「おい、ここにあったメッツェンバームはどこにやった!?」「あ~あ、駄目だな、こりゃあ」「右腕の切断が──」「タイミング合わせて、頭部は動かさないように注意して──1、2、3」「馬鹿野郎! こちら側を優先しろと何度言わせたら」「ぐあうああぁぁぁあああ────」「意識レベルが低くなってきている。緊急でオペの」「──なんだこれは……さっぱりわからん」「包帯、あるだけ持って来い!」「イヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ、シニタクナイシニタクナイシニタクナイシニタク……」「────認識票すらも…、持ち帰ることが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クリミア戦争時────イギリス軍の後方基地と野戦病院が設置されていたスクタリ。

 従軍依頼を受けたフローレンス・ナイチンゲール率いる看護婦団が現地へ到着したのは11月。

 

 陽光の盛りはとうに過ぎ去り、肌を撫でる空気が冷たいものを含むようになって久しい。

 

 ”霧の街”とも称されるロンドンを代表として──当時、イギリスはその気候と環境ゆえに霧が発生しやすい条件下にあり、看護婦団がやって来たその日のスクタリでも霧が発生していた。

 

 イギリス全土の霧をこの地に集中させたのではないかと錯覚しそうになるような濃霧であり、「せめて天候ぐらいは私たちを歓迎してくれないものか」と淡い期待を寄せていた看護婦団メンバーの心中を暗く染めた。

 

 それもそのはずで────前線の病舎がどれほど悲惨で惨憺たる状況にあるのか、彼女らは事前情報としてしっかりと認知していた。

 

 無論、その程度を苦と感じるような柔な精神を持ち合わせる者など、ナイチンゲールが選抜したメンバーのうちに存在するはずもないのだが、彼女らもひとりの人間だ。間違いなく過酷な役務を強いられることが確定している将来の幸先において”できることならば、こうなってほしい”という希望を持つぐらいのことは許されてもいいだろう。

 

 

 

 

 しかし、

 そのささやかな希望が粉々に打ち砕かれたばかりか───

 

 スクタリにて出迎えた濃霧は、まるで看護婦団のその後を暗示していたかのようで────

 

 

 

 

 

「あ、そう言えば、皆さん、知っていますかー?」

 

 

 

 

 ───スクタリに着いた際のミランダによる唐突な投げかけも、その予兆と言えば予兆と言えた。

 

 

 

 

「突然どうしました? ミランダ」

 

「いえー、婦長。スクタリは霧が凄いなと思いましてー。…ここで、ひとつ蘊蓄(うんちく)を披露しようかと」

 

「……それは今、言う必要がある事柄ですか? 移動中とは言え、我々は作戦行動の最中なのですが」

 

「はい、今すぐに言わないといけません。だって、もしかしたら霧はすぐに消えてしまうかもしれないじゃないですか」

 

「えっと、申し訳ありません、婦長。今、黙らせますから──」

 

「構いませんよ、メリッサ。実際に患者と相対したときに為すべきことを滞りなく遂行することができるのなら、なにも今から緊張感を持っている必要はありません。各々が各々の気持ちの切り替えかたを用意していてよいのですから。ミランダ、発言を許可します。続きをどうぞ」

 

 

 とは言った婦長ではあるが、いくらミランダでもこの緊張感の中で本当に不必要なことを言うとは考えていなかった。

 

 そして、残念なことにその見通しは全く甘かったと言わざるを得ない。

 

 その点、ナイチンゲールはミランダを過大評価し過ぎであったし、彼女のスケール感を過小評価し過ぎであった。

 

 

「やたー、ありがとうございます。婦長」

 

 

 きっと、みんな、驚きますよー、と言ってミランダが発した次の言葉は、たしかにそれを聞いた皆を驚かせた。

 

 ───言うまでもなく、ミランダが狙った通りの驚きではないのであるが。

 

 

 

 

 

 

「霧って、空にぷかぷか浮かんでる雲と同じものなんですよー! 知ってましたー? 知らなかったでしょー!?」

 

 

 

 

 

 

 …………。

 

 ……………………。

 

 ………………………………。

 

 …………………………………………。

 

 

 ………………ナゼイマソンナコトヲ?

 

 

 看護婦団の護衛にあたっている憲兵をも巻き込んで、なんとも言えない空気が集団を支配する。

 

 …”あぁ、ミランダはそう言えばそうだった”という空気が新たに流れ込んできたところで、「病舎に着いたら少しお話をしましょうね、ミランダ」という、響きはあくまで優しげなお説教の予告が婦長から下される。

 

 

「え? あれー? どうして?」

 

 

 周囲の空気からなにかを悟ったらしいミランダがしきりに首を捻る。

 

 いいから、もう黙りなさいとメリッサに告げられ、しょぼくれた様子のミランダ。

 

 しかし───、

 

 思えばこの時───彼女こそが、この濃霧のメッセージを最も繊細に感じ取っていたのかもしれない。

 

 

 看護婦団メンバーの微かな期待を見事に裏切る形で出現した濃霧を”雲”であると声高に発表したミランダ。

 

 

 ──こんなものは後からのこじつけに過ぎないのではあるが。

 

 

 ───ただ、予兆とは得てして些細なことに端を発するもの。

 

 

 

 だから、ついに始まった従軍期間の中で───

 

 

 看護婦団メンバーの誰もがふとした瞬間にこの日のことを思い出すことになる。

 

 

 

 

 

 

 私たち看護婦団の先行きには───、

 

 

 

 

 

 

 

 ────濃い霧(暗雲)が最初から立ち込めていたのだ、と。

 

 

 

 

 =========================================

 

 

 

 

 ”現地のコネクションは現地で築くこと”

 

 

 これは、従軍前にジョンから再三聞かされていたことではあったのだけれど、私はあまり深く考えていなかった。

 

 いや、頭の片隅で私は期待していたのだと思う。

 病害を消し去る、患者を助ける、命を救う───医療を志す者であれば誰しもがこれらの目的の前に立ち各人に与えられた使命を十全に果たすはずである、と。

 

 だから、

 

 

「──仕事ねぇ…………。君たちの仕事はないな」

 

 

 スクタリ戦時病舎の総責任者である──ホール軍医長官の口からそう発せられたときには耳を疑った。

 

 病舎内に据えられている長官室の中、責任者に取り急ぎ挨拶を済ませ、看護師団への指示を仰ごうとしたところ……思わぬ状況に陥った。

 

 

「今、なんと…?」

 

「ふむ、わからないか。君たち看護師団の仕事はここにはない、そう言ったつもりだが?」

 

 

 部屋に私が入室して以来、こちらに一瞥をくれることもなく、窓の傍に立ち外を眺めるようにしてまた同じ言葉を繰り返す軍医長官。

 

 ……そんなわけはないだろう。

 

 事実、最前線とも言える病舎にこうして私たちが派遣されているのは現場の人材不足という問題があるからこそ。

 

 今、ここで問答をしている間にも、しなければならない処置がいくつもあるはずだ。患者の容体によっては手遅れになってしまうことも十分に考えられる。

 

 悠長に話している場合ではないからと挨拶を簡略化したために相手の機嫌を損ねてしまったのだろうか。

 

 ──その程度のことで? 本当に?

 

 

「私たちはハーバート戦時大臣からの命を受けて参りました。令状もここに」

 

 

 慌てて敬礼の姿勢を解き、懐から令状を取り出す。

 

 が、そんなものはけっこうだとでも言わんばかりに男は首を横にふる。

 

「上からの命令だ、と急に人を寄越されてもねぇ。こちらはこちらの事情というものがあるわけで…」

 

「なにか失礼を働いてしまったのであれば謝罪いたします。いったい、なにが────?」

 

 

 原因がわからないのに謝罪をすることが誠実だとは思えないが、それがこの場での最適な行動だとこのときの私は考えた。おそらくはなにか気に障ることをこちらがしてしまったのだ。

 

 それ以外に対面の男がそんなことを言う理由が思いつかない。

 

 だから───、

 

 

「困るのだよ。現場の受け入れ態勢も整っていないのに人だけを寄越されても。管轄の事情もある、それぞれの役割分担だって既に決定している……」

 

 

 軍医長官に接近し誠意を込めて頭を下げてから、今一度指示を仰ごうと先ほどよりも近距離から相手を見て、

 

 

 

「まったく上は勝手が過ぎる。君の噂は伝え聞いているがね…、ミス・ナイチンゲール──君もどうせ振り回されているくちだろう? ……ああ、いや、そうか君の立場からは言いにくいものがあるな。くくっ、これは失礼」

 

 

 

 そして、悟った。

 

 

 

 

「……わざわざこんな辺境の地まで看護婦団にご足労いただいたことは誠にありがたいことだがね。()()()()()()()()()()()()()()()。面倒事は御免こうむる」

 

 

 

 

 ああ、この方は。

 

 否───、()()()は。

 

 患者を救う気がまるでないのだ。

 

 

 

 

「わたしの仕事は────戦争が終わるまでこの長官室の椅子にただ座っておくこと、この一点のみ。それ以上でも以下でもない。その間はできる限り波風を立てたくないのだよ」

 

 

 

 

 思えば───、

 この病棟内に足を踏み入れたときに流れていた鬱屈とした空気はこのことを予感させていたのかもしれない。

 

 あの動物然とした感覚でミランダが”ここ、なんか気持ち悪くありません?”と言葉を発したときには”口を慎みなさい、ミランダ”とたしなめたものだが、たしかに正しい評価だった。

 

 周囲の壁や床にこびりついたようにして決して取り除くことのできない古い血の匂いと、今もなお止まることなく患者の傷口から流れ出る鮮血の匂い。

 

 清潔な状態に体を保たなければどうしたって溜まっていく人の垢が積層された甘ったるい香りと、外傷を負った体が膿んでいく過程で漂う人体が腐敗したときの鼻を刺す刺激臭。

 

 それらの隙間を縫うように、あるいは覆い隠すようにして鼻腔を刺激するガーゼや包帯、消毒液などの人工的な匂い。

 

 いいや、()()()()()はさしたる問題ではない。

 

 こういった病舎に流れている独特の臭気は──言わば慣れきっている。今さらその程度のことで顔をしかめることはない……ないのだが、ミランダの”なんか気持ち悪くありません?”という言葉に代表されるこの場に流れる空気の異常が自らのアンテナに引っ掛かってはいた。

 

 先ほどはその引っ掛かりを脳内で言語化することがかなわなかったが、今ここでそれがなんなのかようやく理解した。

 

 

 この男は───

 

 

 

 

「君たちも苦しくてただ辛いだけの仕事などしたくはないだろう? 院外に場所を用意させるから、そこでしばらく大人しくしていてもらえないかね。看護婦団は頃合いをみて本部に戻り”問題なし”と上層部に報告してもらえれば、それで構わない」

 

 

 

 

 

 ───決して野心があるわけではない。

 

 

 

 心ここにあらずといった顔つき、

 人を抱えたこともないと容易にわかる体躯、

 覇気のない曲がった背骨、

 

 こちらの姿を捉える双眸は魂の抜けたような様相で。

 

 身体から心と精神が腐り堕ちている。

 

 

 それを隠そうともせず、私の目の前に立っている。

 

 

 

「手を尽くそうが、尽くさまいが───どちらにせよ人は山のように死んでいく。ならば、わたしたちが汗を流す必要は皆無だ」

 

 

 

 なるほど────トップがこのような有様では病舎全体の空気も悪くなるというもの。

 

 ──であれば、ここにいる必要は微塵もない。

 ──速やかに患者への処置を開始しなければ。

 

 即刻そう断じて、踵を返そうと思ったが、

 

 

 

 

 ”現地のコネクションは現地で築くこと”

 

 

 

 

 という言葉が胸のうちに蘇る。それに付随するように───

 

 

 ”君も想像してごらんよ。どこの誰ともわからない人間が自分の管轄する現場へいきなりやって来て、好き勝手に仕事をされたら腹が立つだろう? 外部から人が送り込まれている時点で、その人物にとっては能力不足の烙印を押されているようなものだ。きっと内心穏やかじゃいられないだろうね。ただでさえ肉体と精神を摩耗する現場なのにそういった政治的要因も絡んでくるとなれば、そこにいるトップは十中八九───メンドウクサイヤツだと相場は決まっているんだ。そこで君が気を付けるべきは、そいつと仲良しこよしになること…………ではないよ? たぶんそれは君の性格的に無理だし、相手が男だった場合は僕が嫉妬するのでやめてくれ。合言葉はそう……「仲良くやらなくていいから、上手くやれ」ってところかな。今までのようなワンマンプレイ&パワープレイではすぐに立ち行かなくなると肝に銘じておくべきだね。なぜなら、君は看護婦団の長なのだから──ひとつの組織の代表だということを忘れないように”

 

 

 思い出されるあの男の台詞。

 

 あらかじめ見ていたかのように、知ったようなことを語る。全く癪に障ること、この上ない。

 

 その言葉を聞いていた際の私は──きっと今現在の気持ちと同じものを抱え、不服そうな顔をしていたことだろう。

 

 それを察したかのように、あのときの彼はさらに言葉を重ねた。

 

 

 ”()()()()()()()()。もし看護婦団がクリミアからすぐさま追い出されるようなことになってしまったら───全てはパーだ。違うかい?”

 

 

 正論だ。反駁のしようもない。

 

 ここで、こんなところで

全てを棒に振るわけにはいかない────

 

 

 

 

 

 

 

 ───ただ、これは。

 

 ───これは許されてもいいのか。

 

 ────私が……この私がこれを許してしまってもいいのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「───非礼をお詫び申し上げます、軍医長官。委細、承知致しました」

 

 

 

 

 

 そうして気が付けば、再度敬礼しそう口にしていた───そう口にしてしまっていた。

 

 左腕の拳が固く握り締められ、小刻みに揺れている肩に気が付かれなかったのは幸運か。

 

 

「──結構。下がって構わないよ、ミス・ナイチンゲール。君は噂で聞いていたよりも賢明な人物らしい。今後も互いによろしくやっていこうじゃないか」

 

「…………」

 

「滞在場所へは憲兵に案内をさせるとしよう。あまり綺麗な場所ではないがなにせ時代が時代だ、そのあたりは辛抱してくれ。さて、伝達事項は以上だ。…なにか質問は?」

 

 

 リアクションをせず俯き加減になっていた私を不審に思ったのか、こちらへの問いかけに低音の響きが深くなる。

 

 

「───ひとつ、よろしいでしょうか?」

 

 

 怒りで蒸発しそうな頭をどうにか落ち着かせ、正常な発話が可能な状態にまで理性を手繰り寄せる。

 

 

「役割分担が決まっているという、話でしたが。差し支えなければ、分担についての資料を、確認させてはいただけないでしょうか」

 

「…ミス、余計な口出しも───」

 

「──いえ、当病舎の内部状況について、直接触れるつもりは……。ただ、ただ今後の、参考にさせてはもらえないかと」

 

「ふん、なるほど……。勉強熱心なのは良いことだな。いいだろう──ここに何部か予備がある。持っていくといい」

 

「ありがとう、ございます。拝見させていただきます」

 

 

 いかにも面倒臭そうな様子で引き出しから資料を取り出す軍医長官に対して、奥歯を砕きそうなほどの力で噛みしめながらなんとか礼を口にする。

 

 資料に目を通すと、あらかじめ睨んでいたようにおかしな点がいくつも見られた。

 

 本来は必要ないはずの部署の存在、意味のわからない人数比、医師と看護婦の担当割り振りも滅茶苦茶。

 

 それらを糾弾することはしない。

 

 ──その代わりに、

 

 

「ホール軍医長官、”この箇所”を担当する部署はあるのでしょうか?」

 

 

 ────そう訊ねた。

 

 

 

 

 

 

 終始あくまでなにもわからない、なにも気づかない、取るに足らない───馬鹿な看護婦のフリをして。

 

 長官室を退出し、看護婦団メンバーが待つ控え室へ足を向ける。

 

 どのように控え室まで戻ったのかは記憶が曖昧。なぜなら意識的に外部の情報はシャットアウトしていたから。さもなければ────、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちら、胸を強打しており、喀血(かっけつ)が見られ」「ストレッチャーはまだか!? 早くしろ」「ごほっ、ごほごほ…」「マシューは、マシュー・アーノルドはいませんか?」「傷は深くありませんが、倒れた際に頭から」「───んぐっ、はぁはぁはぁ…」「先生! 助けてくれよっ、頼むよっ!! アーロンは故郷に家族もいるんだ…こんなところで」「こちらはメスが足りません」「そっちの患者は後でいい、こっちが先だ」「左の鎖骨と肋骨の数本が骨折してまして」「…もうあきらめろ」「がぁぁぁぁあ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"、痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたい」「ふむ、出血が全く止まらんな」「通ります、道をあけて!!」「おいおい、死んじまったんじゃねぇのか、そいつ」「状況を教えてください、彼はいつから───」「ぉぉおおおお、ぐぅぁあ、おおぅおぅおお」「大丈夫ですか! 聞こえますか!」「おい、ここにあったメッツェンバームはどこにやった!?」「あ~あ、駄目だな、こりゃあ」「右腕の切断が──」「タイミング合わせて、頭部は動かさないように注意して──1、2、3」「馬鹿野郎! こちら側を優先しろと何度言わせたら」「ぐあうああぁぁぁあああ────」「意識レベルが低くなってきている。緊急でオペの」「──なんだこれは……さっぱりわからん」「包帯、あるだけ持って来い!」「イヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ、シニタクナイシニタクナイシニタクナイシニタク……」「────認識票すらも…、持ち帰ることが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さもなければ、きっと私は私でいられなくなる。

 

 

 

 ────ここは、まさしく地獄だった。

 

 

 

 

 

 







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 さてはて、ほんとにそこが──地獄の底かな?



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「Remember death」




「犠牲を無駄にしないのは当然だ。
 しかし例え元凶を断とうと、
 死者の怨念は救えない。
 救ったと思い込むことはできる。
 だがそれは生者の妄想に過ぎないのだ。
 妄想への逃避を良しとせぬのであれば、
 怨念を背に負い続けるほかはない」

────ニトロプラス『装甲悪鬼村正』より







 

 

 

 ()()を聞いた瞬間────私は私でなくなった。

 

 

 

 全身の血液が沸騰し、自分の意思ではないなにかが身体を突き動かす。

 

 

 

 息をするたび、意識が途切れそうになるほどの激情が全身を覆う。

 

 

 

 干からびた喉と、痙攣する眼球が煩わしい。

 

 

 

 はらわたが火をくべたように燃える。

 

 

 

 とぐろを巻いている黒い炎が溢れ出し、五臓六腑を焦がしていく感覚。

 

 

 

 今の今まで必死の思いで築き上げていた理性の壁がとうとう崩れ落ちていく。

 

 

 

 制止の声もどこか遠くから響いてくる異国の言葉のように思えて。

 

 

 

 ぱしん、と空気の軋む音だけが鈍痛のように響く。

 

 

 

 体はこんなにも熱いのに、皮膚に触れる温度はあまりにも冷たい。

 

 

 

 捻じられたかのように視界が歪み、窓から差し込む日差しは灰色に転じて。

 

 

 

 思考はとうに放棄され、本能のみが叫びを上げていた。

 

 

 

 ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ─────────────────!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ばしっと。

 

 何者かに不意に腕を掴まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そのへんでやめておきなよ────でないと死ぬよ? そいつ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広がった視界と正常に戻ってきた色彩が周囲の状況を私に伝える。

 

 

 

 私の右腕を掴んで止めたのは一週間ぶりに顔を見るジョン・スミスという男で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────掴まれた拳は赤黒く濡れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───相変わらず、君は無茶苦茶だね」

 

「…………」

 

「いや、それとも”よくぞ一週間も”我慢したと褒めるべきかな。…まったく、僕が来なかったらどうなっていたか。君にはわかっているだろう?」

 

「……………………」

 

「従軍前にあれだけ忠告したのに、まさかあれだけのことをやらかすなんて……。流石というかなんというか」

 

「………………………………」

 

「えーっと…あの軍医はたしか──ハイザー、ハイウェル、ハイジャック、…うーん、どれもピンとこないな。────なんだっけ、君が胸倉を掴んで引きずり倒してマウントを取り顔の形が変形するほどタコ殴りにした全治三か月の哀れな軍医の名前は?」

 

「…ハワード軍医です」

 

「そう、それだ! ハワードだ、ハワード。気を失っているときのうわ言で”…頼む頼む、やめろっ、やめてくれぇ”と何度もこぼしていたそうだよ。ひびの入った頬骨が痛むからか、妙な発音だったというのもまた不憫な話だ」

 

「……それをくどくどと言うために私を連れ出したのですか? ならばまた次回にお願いしてもよいでしょうか。残っている作業があります。戻らなければ」

 

「まあまあ。そう言わないでくれよ、フローレンス。せっかく久しぶりにふたりきりで話せたんだ。もう少し、ゆっくりしようじゃないか」

 

「……そのせっかく久しぶりに話せる機会とやらに、いきなりお説教を始める人がそれを言いますか────少し会わない間にジョークのセンスが随分と上がったようで」

 

「はっはっは。そう言う君は皮肉のパンチ力が少し落ちたんじゃないか? 前はご自慢の腕っぷしにも負けず劣らずもっとビシバシガンガンきていたのに」

 

「──嫌味ですか…?」

 

「まさか嫌味じゃないとでも?」

 

 

 

 

 

 

 さて。

 ここで情報を整理しておくとしよう。

 

 丸一日時間が経ち、各所一応の冷静さを取り戻したようには見える。

 

 看護婦団のトップ──フローレンス・ナイチンゲールが昨日しでかしたこと。

 

 端的に言えば。

 

 正面から軍医の胸倉を掴んだかと思えば引き倒して馬乗りになり気絶するまでひたすらに顔面を殴り続けた──言葉のみを聞けば釈明の余地もない重罪なのだけれど。

 

 僕はリアルタイムで今回の事態に接していたわけじゃない。

 スクタリ病院に到着して早々に目撃したのが怒り狂って暴れている彼女とその下で流血し殴られ続けている白衣を着た男性、あまりの出来事に固まっている周囲の人間。

 

 正直、異様な光景だった。

 

 ───なぜそんなことになったのか。まずは5W1Hを明確にしなければならない。

 

 人づてに聞いた話には個人の所感がノイズとして混じってしまうが、それもやむなし。さしあたっての公平性を期すために看護婦団メンバー、元々スクタリにいるスタッフ、そこらに転がっている負傷した兵を中心に──可能な限り分母を広げて今回の顛末について、フローレンスに問い質す前に尋ねて回った。

 

 

 

 クエスチョンはもちろん「フローレンス・ナイチンゲールの暴力沙汰について知っていることは?」

 

 

 看護婦団メンバーは婦長のためにと、もちろん親身になって受け答えしてくれたものの、どうやら多くの者が清掃や片づけ等の事務作業にあたっていたらしく、直接現場を目撃した者はいないとのことだった。

 

 となると、事が起こった病室に収容されていた兵士とそこを担当していた現地スタッフをあてにする他ないわけだが。

 

 

 

 ────よくわからない、自分は関係ない。

 

 

 

 いかにもな厄介事を避けたがる事なかれ主義者たちからのありがたい回答にうんざりしながらも根気よく訊いて回った。

 

 あれだけの大事になったのだ。知らぬ存ぜぬがまかり通るわけがない。

 

 立場や人間関係を含め様々事情はあるだろうが、人の口には戸が立てられない──喋る者は放っておいても喋りだす。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()流れにいち早く気が付いた者の口から徐々に──事実が語られ始めた。

 

 ポイントはやはりフローレンスがなぜそのような行動を起こすことになったのか、そのきっかけにあるようで────

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「ま、今回の件を不問とまではいかないけど、上からのお咎め無しにまで持ち込んだ僕の手腕に免じてもう少し話を聞いてくれよ、フローレンス。いや、もう()()()()()()()()()()と呼ぶべきかな?」

 

「…………そこが一番得心のいかないところです。なにがどういう経緯を辿ると昨日の今日で私が長官代理になるのですか」

 

「それは我が国の政治的最高権力者であらせられる女王陛下からの勅令だとしか言いようがない。僕はその命を伝達する役割しか負ってないし。ま、どうやら君の動向に女王が注目しているようでね。君からの報告は直接自身に届けるようにとのお達しも下っている────君に対する期待の表れと捉えればいいさ。あー、あと、『代理』というのもすぐ取れるよ」

 

「……? どうして一市民に過ぎない私などにそのような───」

 

「さぁてね。そんなことを一軍人の僕に聞かれても。君の発表した論文が女王の目に触れる機会でもあったか、はたまた君のことを推薦する人間が女王の近くにいたのか。世の中はなんとも不思議がいっぱいだとしか……。そうだな不思議と言えば、あの娘も相当に不思議というか、奇妙というか。名前は──あの栗色のくせっ毛で、えくぼが非常にチャーミングな…………いやいやいやいや、どうか言わないでくれ。看護婦団メンバー38名の名前と特徴はたしかに頭に入っているともさ。女性の名前が思い出せないとあってはこのジョン・スミスの名折れもいいところ…ああ、そうだ、ミランダだね! ミランダ・ヌー。あの娘は本当に不思議だ」

 

「…ハワード軍医の名前は忘れていたのに、女性の名前は覚えているのですね。この短期間で。フルネームを。それこそ私には不思議でなりませんよ────あの娘が変わっているというのは同感ですが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────そう。今回の暴力事件のきっかけは看護婦団メンバーのひとり、ミランダ・ヌー。

 

『彼女がハワード軍医に殴られた』

 

 これが引き金となり、一連の騒ぎに繋がったようで。

 

 

 

 となると、話は早い。

 その当事者──ミランダにも話を聞きに行けばいいと彼女を探しに行くと……。

 

 

 

 

 

 

 

「なんとびっくり。寝台で寝ている件のハワード軍医に付き添って彼を看護しているのだから、驚愕だ」

 

「…………」

 

「ハワード軍医がいる病室で彼女を発見して”なにをしているの?”と訊いたら、”看護です”と返されてね……。思わず”なんで?”って重ねて質問するのを忘れるところだった。ちなみに、その問いには”あたしのやるべきことがようやくできますからー”って満面の笑みで答えられたよ。…たぶんハワードのやつに殴られた場所かな、左の頬を真っ赤に腫らしながらの笑顔にはこう────軽く恐怖を覚えた」

 

 

 聞けば、彼女が殴られた原因は──ハワード軍医の医療ミスを指摘したことによるものだそうで。

 

 フローレンスから団のメンバーに下されていた”患者への直接的医療行為を禁じる”という命令。それを破ることになるかもしれない、いや──現地のスタッフと揉め事を起こさないことを目的とした上官命令なのだから、彼女のやったことは紛れもなく命令違反。

 

 そうだとわかっていてもミランダは口を挟まずにはいられなかった。

 

 

 

 ”ちょっと、待ってくださいっ! それじゃあ、その人が余計に苦しいだけです!!”

 

 

 

 ───そう叫んで、彼女はその病室へ踏み込んだらしい。

 

 自分の担当する清掃場所から次の清掃場所へと移動する道中でたまたま目に入ったハワード軍医の担当病室へと。

 

 

 

 そして、事件は起こり、今に至る。

 

 

 

 僕は彼女に聞いた。

 

 ”命令違反だとわかっていたのに、どうしてそんなことを?”

 

 彼女は答えた。

 

 ”後で婦長にすごーく怒られるだろうなとは思ったんです。でも、あたし、痛いのとかつらいのとか嫌で。みんなも、そういうの嫌だろうなと思うんです。できたらそんなのをなくしたり、癒したりしてあげたくて。だから看護婦になりたいと思って志願して…。えーっと、それで、そう! 婦長から怒られるとは思ったんです。もしかしたらぶたれるかもしれないとも。……わかってはいたんですけど、もう苦しんでいる人がそれ以上苦しむ必要ないって思ったら勝手に身体が────。気が付いたら自分でも驚くぐらいに「その処置は違う、患者さんが余計に苦しむだけです!」って男の人にまくし立てて怒鳴ってて。そのときには婦長がどうとか男の人がどうとかすっかり忘れちゃってました。結果、その男の人のにぶん殴られたんだから世話ないですよね、あはははー。あたし、馬鹿だから。”

 

 

 

 そう言って自らを卑下していたが、彼女は強い女性だ。

 

 ──ミランダにはミランダなりの憤りと矜持があったのだろう。

 

 自分は間違ったことをしていないのに殴られた。だったら、その仕返しをしてやるというのが彼女の不可思議な行動理念の根本にあるのかもしれない。

 

 目覚めたときに自分が殴った女の顔が目の前にあったらどうだ、その女に甲斐甲斐しく世話をされたらどうだ、と。

 

 そして…、そんなミランダ・ヌーの個人的思惑とは全く別のところで、彼女の行動は功を奏していた。

 

 

「──まったく彼女には感謝しないと。ミランダのフォローは、彼女がまるで意図を持っていないことすら含めて本当に完璧だ。…これを利用しない手はないからね、そもそも彼女が第一の被害者であるという話が院内に広まるよう手を打った。それだけでは君の暴力沙汰の印象を薄める効果が弱くとも、被害者である彼女がハワード軍医の看護を買って出ていることを付加すれば、新たな話題での上書きは時間の問題だ。なによりハワード軍医に文句を言わせないという点がすばらしい。自分が殴った女に頼る他ないというのはかなりこたえるだろうし」

 

「それは…、たしかにその通りかもしれません」

 

「これから、君がこの病舎のトップとしてやっていくことになる。その上で大の男を外から来た女がボコボコにしたなんていうのはセンセーショナルを通り越して、不快感を持たれても仕方ない。恐怖政治を敷くってのも場合とやりかたによってはありなのかもしれないが、こと病院という場でそれはいただけない──それだけはない。フローレンス、約束してくれ。軍属となって君の目的を果たすためには、常に冷静でいることだ。牙を磨くことを怠ってはならないが、牙は己の内に隠し通せ。君の”したたかさ”を気取られるな。頼むよ。

 ────また同じようなことはないと思っていいね?」

 

「…………わかりました、約束します」

 

「…よし、じゃあ、お説教は終わりだ」

 

 

 僕の言葉がフローレンスの胸にどれほど響いたのかはわからないが、彼女は約束すると言ってくれた。今はそれでいいし、このことが意味を持つとするならばもっと先のことになるだろう。

 

 そして、僕がその結果を知ることはきっとない。

 

 …それでも僕は、僕の目的のためにフローレンスの背中を押し続けよう。

 

 彼女が望まないとしても。

 そのことを僕が誰よりも深く理解していたとしても。

 

 

 

 ─────そして、なにを犠牲にしたとしても。

 

 

 

 

 僕は───ー、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。

 

 また新たなスタートを切るつもりでスクタリでの活動を開始するとしよう。

 

 

 

 ああ、いや、その前に。

 

 スタートラインに立つためにやるべきことをやらないと。

 

 

「──ちょっと出られるかい、ナイチンゲール長官代理」

 

 

「…あの、話が終わったのならいい加減に──長官代理としての事務作業を可能な限り速やかにこなして、患者の処置に移りたいのですが」

 

 

「んー、違うね。間違っているよ、長官代理。優先順位はそうじゃないんだ。君がまずやるべきことは他にある」

 

 

「他に、ですか……?」

 

 

「ああ、なによりも先にわだかまりは取り除いておかなければならないから。──ハワード軍医の件についてだ」

 

 

「ハワード軍医の? それなら先ほどまでに話していたこととなにが────」

 

 

「全然別の話さ。…………きちんと謝らなくちゃね」

 

 

「彼への謝罪なら、もちろん彼が目を覚まされたときにいたしましたが」

 

 

「いいや、”死んだ人たちに”だよ」

 

 

「────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────」

 

 

「考えないようにしていただけで、君もわかっているだろう? ハワード軍医のことなんか、そのまま八つ当たりじゃないか」

 

 

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 

 

    ”どのように控え室まで戻ったのかは

    記憶が曖昧。

    なぜなら意識的に外部の情報は

    シャットアウトしていたから。

    さもなければ────、”

 

 

 

「君にも僕にも負い目がある。だから今から一緒に行こう。無論、今だって死に瀕している兵士たちがそこらじゅうに転がっているのはわかっているさ。けれど、話を聞くに君の看護婦団メンバーはようやく十全に機能できるようになったんだろう? しばらくは彼女らに任せよう。さすがは君が選抜した人たちだ、よくやっているよ」

 

 

「            」

 

 

 

    ”さもなければ、

    きっと私は私でいられなくなる。”

 

 

 

「────これは僕たちの咎であり、負うべき責だ。目をそらしたければそらしてもいいし、逃げたければ逃げたっていい。怒りに我を忘れてあの男を殴りつけるまでは、君はそうしてギリギリ正気を保ってきたのだろう。ただし、目をそらし()()()ことはできないし、逃げ()()()こともできない。いつか向き合わないといけない。でないと、またどこかに歪みが生まれる」

 

 

 …そして、その向き合わなければならない時が今日のいまこれからなんだ。

 

 

 

 ────墓地に行こう。

 

 

 

 みんな、待ってるだろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生者に向き合う前に、死者に謝罪を。

 

 

 

 

 







 誤字脱字、ここの文意がワケワカメ、展開に対する苦情等ありましたら、気軽にご連絡いただけますと幸いです(反映するかはこちら次第だがな!
 ハーメルンからでもTwitterからでも構いません。作品をよりよくするためにご協力のほどお願いいたします。



 大変嘆かわしいことに風呂敷が広がりすぎて、どう畳んだものかと頭を悩ませているポンコツ野郎がいるわけですが、そういった取捨選択の楽しみも執筆の醍醐味のひとつかしらと思ったり。
 なんて書いたら、待たせている身分で偉そうだと石が飛んできそうですね。でも、きっときのこウイルスにやられているであろう読者諸兄は1年や2年なぞナンノソノ、10年待ってからがホンバンダ……と構えてくれているはず(マホヨノツヅキガヨミタイナァ!!
いくら時間をかけてでも自分が好きなものをという心意気でおります。
 
 ――そうですねぇ、なんというのか。私がなぜssを書き始めたのかというお話をば。

 FGOはもちろん好きだけれど、なんかピントがずれているという感覚が私の中にはありまして。スマホゲームの中ではもしかしたら随一のシナリオで、たしかにぐっと読ませる部分があるのかもしれない。けれど、そこのインパクトはいまいち弱くて、引きずり込まれる気が全くしないのですね、FGOのシナリオは。繰り返しますが悪いわけじゃないのです。
 ただ、どうしても比較してしまうのですよね。
 PCの前に座って──セイバーに「愛している」と言われたとき、英霊エミヤの正体を知ったとき、士郎が今までの全てを翻して桜の味方になったとき。…本当に運命と出会ったと思った。あの日あのときに受けた衝撃が忘れられなくて、今までシナリオ厨をやってきたのに。もうあの体験をすることはないのかと思うと悲しくて悲しくて。今でもまだ諦めきれずに活字の海を泳いで渡っているのです。
 そして、そういう人ってけっこう多いと思うのですよね。特にわざわざこんな素人が書く二次創作にまで潜ってくる人って、それがデフォルトなんじゃないかと。だから、そういう人にはどうか最後まで見届けてもらいたい。そういう人にこそ、この物語は響くだろうと信じて書いてる。
 


 だって、
 ここにいる私は、そこにいるあなたで。
 そこにいるあなたは、ここにいる私なんだから。
 
 生まれや育ち、与えられた環境に違いはあれど、あの日あのとき『Fate/stay night』という作品に出会って、刻まれた病はたぶん一緒で。きっと一生治らない。



 少なくとも私は、こういうものが読みたかったんだと思うものを自分が納得するレベルで投稿しているつもりなので、最後まで読んでもらえたら「なるほど、お前はそこに行きたかったのか」と理解してもらえるはず(おそらく時間はかかるけれども、Twitterで他作品のこととか呟きまくるけれども





 どうか、今後ともジョン・スミスの願った夢の行方を見守っていただければ幸いです。





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「Stay close to me」




「僕がいつもそばにいて
 助けてあげられるとは限らないんだよ」

───チャールズ・M・シュルツ
   『ピーナッツ』より







 

 

 

「こんな詩を耳にしたことはあるかい?」

 

 

 ジョン・スミスは道中──院内の廊下を歩きながらそう切り出して、語り始めた。

 

 

 

 

  ある夜、私は夢を見た。

 

  私は主とともに、なぎさを歩いていた。

 

  暗い夜空に、

 

  これまでの私の人生が映し出された。

 

  どの光景にも、

 

  砂の上に二人のあしあとが残されていた。

 

  一つは私のあしあと、

 

  もう一つは主のあしあとであった。

 

  これまでの人生の

 

  最後の光景が映し出されたとき、

 

  私は砂の上のあしあとに目を留めた。

 

  そこには一つのあしあとしかなかった。

 

  私の人生でいちばんつらく、

 

  悲しいときだった。

 

  このことがいつも私の心を乱していたので、

 

  私はその悩みについて主にお尋ねした。

 

 「主よ。私があなたに従うと決心したとき、

 

  あなたはすべての道において私とともに歩み、

 

  私と語り合ってくださると約束されました。

 

  それなのに、私の人生の一番つらいとき、

 

  ひとりのあしあとしかなかったのです。

 

  一番あなたを必要としたときに、

 

  あなたがなぜ私を捨てられたのか、

 

  私にはわかりません」

 

 

 

 

 自嘲するような、それでいて言葉のひとつひとつに親しみの込められた朗らかな語り口は──どこか聞く者の横やりをやんわりと押し留めるもので。

 

 彼と再会して以降、こちらから訊きたいことが山ほどあったはずなのに、その熱をすっかり奪い取ってしまった。

 

 いいや、それ以前に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ”ハワード軍医のことなんか、

 そのまま八つ当たりじゃないか”

 

 ”────墓地に行こう”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……私が必死の思いで向き合わずにいたこと。

 

 ──どうにか忘れたフリをして、現状でできる精一杯のことはやっていると自分を誤魔化して、騙し騙しやってきたことを。

 

 後からやって来た彼にピンポイントで指摘されてしまったら、もう私に為す術はない。

 ……そもそも誰のせいでこんなことになっていると──────────────!

 などとは口が裂けても言えない。

 そこまでの恥知らずでありたくはない。

 

 駄目だ。うまく思考が回らない。

 余計なことばかり考えてしまう。

 

 口を閉ざしたまま彼の後ろをただ歩き続けていると、

 ふと、うずくまって顔を伏せた負傷兵を見たとき、汗と血の匂いが作る臭気が胸に迫るものを感じた。

 

 ────黙りこくっている私に気を留めることなく、彼は続いて口を開く。

 

 

「────この詩はさ、数年前にとある親友に戦地で聞いたんだよ。初めて出会ったのは軍の訓練時代かな。敬虔なクリスチャンの家庭に育った善良な人物だった。この世に八方美人なんていないと言うけれど、自慢の我が友に限っては違ってね──本当にいいやつだったよ。誰も彼もがやつを好きになったし、僕もその例に漏れずさ。軍学校のころからの腐れ縁がなんの因果か同じ部隊に配属され、僕が部隊長になったときも同じ班だった。いつしか互いに背を預けるような仲になって……どれほど過酷な戦場だろうと、文字通り泥水をすすりながらでも協力して生き残った。そんなだから”ブーメラン”なんてだっさいあだ名をつけられたりしてね。僕たちを煙たがっていた上官には『どんな酷い戦場に何度放っても、ふたりして必ず帰ってきよる』とお褒めの言葉をいただいたものさ」

 

 

 いつもの減らず口だと思うには状況がそぐわず。

 

『褒められた』という言葉とは裏腹に、そこに一瞬だけ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 ……ジョンは以前から軍内部に関することをあまり話題にしたがらなかった。露骨に話をそらすような真似はしないものの、必要最低限に留めているといった印象があった。もちろん機密情報があることは承知しているし、人の生き死ににも関わること──口が重くなるのも当然。

 

 その彼が今こうしてその話しているのは、いったいどういう意味が────

 

 ふと湧いた疑問は、それを口にすることを留めるかのように続けられた彼の言葉によって途端に掻き消えた。

 そして、私はそれまでの思考の一切を放棄することになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「フローレンス……。君の辿る道行に光があらんことを──主の恵み、神の愛、精霊の交わりが君とともにありますように。そして、どうか君自身にもそれを強く信じてほしい。()()()()()()()()()()()()()()────」

 

 

「────────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば。

 

 

 

 

 

 既に私たちは”その”入り口に立っていて。

 

 

 

 

 

 そこからの光景を見下ろして。

 

 

 

 

 ──私はようやく思い出す。

 

 

 

 

 暗幕のなかに入り込んだような黒く暗い気配。

 目視できそうなほどの腐乱した臭気と。

 思わず肌をざわつかせるベタッとした水気。

 

 墓碑もなく、病舎の横の──位置的に少し低くなった土地に大きく穴を掘っただけで。

 戦時下において、仕方がないこととはいえ。

 ろくに弔いのできていない、荒廃した無秩序な場所。

 

 文字通り──人間の残骸が無数に転がされている。

 

 そんな”墓地”にやって来て。

 

 

 

 

 

 自分がどれだけ愚かなことをしでかしたのか──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ここは、私が救えなかった者たちの眠るところ。

 

 

 

 ────いや、違う、そうじゃない。

 

 

 

 ────私は救”わ”なかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ”申し訳ございませんでした”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気をつけの体勢でそう言ったジョンは、軍人としての染みついた所作で最敬礼を行った。

 

 それから大きく息を吐き、その場に彼は膝をつく。

 軍服が汚れることを厭うことなく、真摯に祈りを捧げ始める。

 儀礼的な文句を口にして取り繕うことなどもなく。

 ただ黙々と、おそらくは名も知らぬ同胞に向けて祈っていた。

 下唇を噛みしめて苦悶の表情を浮かべながらも、姿勢だけは正して。

 

 それは、まるで自傷行為──自分で自分を呪っているかのような様子で。

 

 

 

 

 彼に倣うようにして私も同じような体勢を取った。

 ……というのはいささか誇張した表現だったかもしれない。

 

 その時の私は、自分自身のことであるのにどこか距離を隔てた場所にいる他者を見ているかのようで。

 

 脚が自らの機能を忘却したように、膝が笑って力が抜け落ち、すとんと重力にまかせて腰を地面に落としただけだ。

 あとは彼の姿を真似るように漫然と手を組んでいるだけ。

 なにも思考がまとまらず、湧き出た感情が端から霧散していく。

 

 

「……あ」

 

 

 意味のないうわ言が────

 

 

「…………あ、ァァァアア」

 

 

 自分の口から漏れているものだと気がつくのには、

 

 

「……………………あああああああああああああァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ」

 

 

 かなりの時間を要して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沈黙を縫うようにして語られていたジョンの言葉が途切れたときから。

 

 周囲の音を。

 私の耳はひとつひとつ確実に拾っていた。

 

 ……もうとっくにわかっている。

 

 辺り一帯にこだましている────

 

 咽ぶ、泣く、狂う、叫ぶ、声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。声。

 

 

 

 軍に特別に許可を得た家族か恋人か、または戦友を亡くした兵士か──大切な人を失った者たちが誰はばかることなく感情を露わにして、(くずお)れている。

 

 余人にはどうすることもできない慟哭がそこかしこに広がっている。

 

「嘘だと言ってくれ──」「─────────」「─────────」「お願い、いかないで──」「神よ、どうして──」「─────────」「─────────」「─────────」「なんで俺だけ助かって──」「─────────」「もどってきてよ──」「─────────」「─────────」「わたしを置いていかないで──」「─────────」「─────────」「─────────」

 

 

 

 きりきりきりきりと。

 みるみるうちに心が音を立てて軋み、その心の内は黒々とした自己嫌悪に犯されていく。

 

 胸の奥を万力で潰されているような感覚、痙攣を起こしたように暴れまわる内臓。

 身体中の毛穴が一気に開いたようにドロリと吹き出す脂汗。

 燃え上がりそうなほど熱いのに、寒気を感じてたまらなくなる。

 そんな身体異常をきたし────がくがくと震え、その場から動けなくなってしまった。

 

 一秒でも早くこの場から立ち去りたい。

 いなくなりたい、消えてしまいたい。

 

 それができないのであれば、

 地面に頭をこすりつけて「あなたがたの大事な人は私が殺したも同然だ」とふれまわりたい。

 そうして────

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 誰かに非難され、蔑まれ、否定されたい。

 

 ────罪に相応しい罰が欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分──、数十分────、

 あるいはもっと長い時間、震えたまま、うずくまっていた。

 

 ずっと逃げていたものに捕まってしまった。

 ずっと目を背けていたものと目が合ってしまった。

 

 現実が突きつけられてしまった。

 

 背中を撫でまわしていただけの薄ら寒い感覚が輪郭を結び──罪悪感というたしかな形をもって目の前に出現した。

 

 もう逃げられない。私は駄目だ。

 前に進めない──どころか立ち上がる気力すら湧かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だって。

 

 私が私の意志で見殺しにした者やその遺族に対して、

 私にどんな償いができると─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まず、これだけは言っておく」

 

 

 

 

 低く、歯切れの良い声。

 自然と聞く者の意識を集中させる。

 

 ぴしゃりと。

 

 弾かれたように横にいるジョンを見る。

 

 

 

 

 

「本来、その十字架は君のものじゃない」

 

 

 

 

 

 言葉そのものは静か。けれどその実、力強い。

 視線は前に向けたまま、謹厳な表情を一切崩すことなく彼は話す。

 そこに迷いのない鋭い意思が垣間見える。

 

「我々の国は戦争をしているんだ」

 

「だから、大前提として」

 

「傷病兵の全員を救うなんてことはできない……」

 

「ただ、彼らの中には────」

 

「もしかすると救えたかもしれない人たちがいる」

 

「事実として────」

 

「看護婦団が、君が」

 

「見て見ぬフリをした人たち」

 

「そんな人たちがあそこには確実にいる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「痛かっただろう」

 

「つらかっただろう」

 

「苦しかっただろう」

 

「惨めだっただろう」

 

「心細かっただろう」

 

「────死にたくなかっただろう」

 

「──絶対に、死にたくなんてなかったはずだ」

 

「どれほど絶望的な状況であろうと」

 

「生きて、生きて、生きて、生きて────」

 

「生きて、幸せになりたかったはずだ」

 

「……そんな彼らの思いを踏みにじった」

 

「見逃して、無かったことにした」

 

「決して認められない」

 

「ありえてはならないことを君はした」

 

「救う能力、技能を持つ者として」

 

「許されざることを君はした」

 

「──けれど、忘れるな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう指示をしたのは……この僕だ」

 

「もし看護婦団が現地の上官命令に逆らい」

 

「スクタリから追い出されたとして」

 

「一度追い出されてしまえば」

 

「二度の従軍の話はまずない」

 

「なにより従軍先で評価されることが必要だ」

 

「──ゆえに、僕は君に大人しくしていろと」

 

「物わかりのいい人物であれと」

 

「したたかさを隠せと」

 

「……そう言った」

 

()()()()()()()()と」

 

「言わば人質を取って」

 

「大事の前の小事だと言わんばかりの口振りで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから、彼らは──」

 

「これ以上なく直接的に……」

 

「────僕が命じて、僕が殺したも同然だ」

 

「────君に、見殺しにさせたようなものだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……正直、どんな気持ちで」

 

「この場に立てばいいのかもわからない」

 

「だとしても」

 

「どの面を下げてとなじられたしても」

 

「ここに来ないわけにはいかないと思った」

 

 

 

 

「物言わぬ彼らに────」

 

「……許されるはずがない」

 

「そう誰よりも知っているこの僕が許しを乞うて」

 

「彼らの魂が安らかに眠らんことを」

 

「祈らないわけにはいかないと思った」

 

 

 

 

「これは元来」

 

「僕の咎、僕の罪だよ──フローレンス」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と言って、話が済んだら────」

 

「ラクなんだけれどね」

 

「……そりゃ、そうもいかないか」

 

 

 

 

 

「こう言葉にしたとしても」

 

「君は全てを僕のせいにはできない」

 

「君は理屈を理解したとしても、納得はできない」

 

「わかってる」

 

「皆まで言うことはない」

 

「現場にいたのは他でもない君だ」

 

「──責任の一切合切全部を放り投げる」

 

「そんな器用なこと、君にはできない」

 

「どう言葉を選びとったところで」

 

「君は自分を責めるだろう」

 

「そんな優しい女性だということを」

 

「──僕が世界で一番知っている」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──目の前で」

 

「救えたはずの命があった……」

 

「もっとできることがあった……」

 

「他にやりようはなかったのか────」

 

「患者のために動けない自分に価値があるのか────」

 

「その絶望と苦悩は君にしかわからないだろう」

 

「僕には想像することしかかなわない」

 

「ましてやそれを取り除いてあげることなんてできない」

 

「……僕は無力だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも」

 

「それでもこれからは」

 

「僕が横にいることはできるから」

 

「君に寄り添うことはできるから」

 

「だから……」

 

「はんぶんにしよう」

 

「この咎はふたりで抱えていこう」

 

「君も僕も同罪だ」

 

「一緒に彼らの命を背負って歩こう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「罪に対する正しい罰がほしいというなら」

 

「僕が君に与えよう」

 

「そして君にも僕をしっかりみていてほしい」

 

「彼らの死に相応しい──生きかたができているかどうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから」

 

「──どうか、ここで歩みを止めないでほしい」

 

「重い身を引きずりながらでもいい」

 

「一歩でも前へ」

 

「僕たちは神に遣わされた天使とは違う」

 

「奇跡を成す力なんてない」

 

「背中に羽がないなら自らの脚で地道に進むしかない」

 

「そうだろう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……きっとこれからだって」

 

「救えない人は数多くいるはずだ」

 

「いくら手を伸ばしても手が届かない人たちは必ずいる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「純然たる事実として、君はこれまで多くの人を救ってきたじゃないか」

 

「そして、これからも救い続ける」

 

「積み重ねてきたことに間違いはないよ」

 

「────失われた命の数よりも」

 

「────救われる命の数を多くするために」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ようく思い出すんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君はいったいなんのためにここにやってきた? 非力を嘆くためか?」

 

「他の誰かがなんとかしてくれるのを待っているつもりか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────違うだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「神に願いを叶えてほしいわけじゃない」

 

「そもそも他の誰かに期待なんてできない」

 

「他の誰かに期待した結果がこの惨状だ」

 

「自分にできることもせず」

 

「安全圏から他者の不幸を嘆くだけ」

 

「そんなクズにはなりたくないからここに来たんだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たしかに僕たちは許されないことをしてしまった」

 

「でも、ここはまぎれもなく僕たちの信じた道の上」

 

「そう、今、ここは────」

 

何人(なんぴと)も歩んでこなかった道だ」

 

「今はもしかすると後ろ指を指されることがあるかもしれない」

 

「けれど、これが正しい道なら──僕たちの選択が間違っていないと証明されたなら」

 

「────あとからついてくる者だって、必ずいる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……生きたいと願いながら」

 

「死んでいった彼らのためにも」

 

「────死と闘うことを諦めないこと」

 

「それが救う手を持つ者としての責任で」

 

「それが君にとっての戦争だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 看護婦団がスクタリで自由に動ける手筈を整えるのに、

 時間がかかってしまった。

 そのために失われる必要のなかった命が失われてしまった。

 それが変えようのない事実だ。

 申し開きのしようもない。

 だが。

 僕が言えた義理でも立場でもないことは重々承知の上で。

 あなたたちに言わなければならないことがある。

 恥の上塗りであろうとも。

 あなたたちに宣言しておきたい。

 僕には。

 いや、僕たちには夢があるんだ。

 兵士だから覚悟していただろう……だなんて。

 未来のための礎、尊い犠牲だなんて言うつもりはない。

 人の”死”は。

 人の”死”だ。

 良くも悪くも、それ以上でも以下でもない。

 ただし、それは現時点での話。

 僕はここに誓う。

 あなたたちの”死”は無駄ではなかった、と。

 あなたたちの”生”には確固たる意味があった、と。

 後の世に必ず証明してみせる。

 なによりも、あなたたちがそう胸を張れるような世界を築く。

 絶対に。

 この命に代えてでも

 約束する。

 こんな一方的な、身勝手な約束で申し訳ない。

 だけど、死者(あなたたち)の想いと

 意志は生者(ぼくたち)が引き継ぐ。

 少し、そちらで辛抱をしていてくれ。

 不平不満はきっとまたそっちに行ったときに聞くから。

 今の不義理を許してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───────────────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、と」

 

 

 

「ここまで格好をつけておいて……なんだけど」

 

 

 

 

 ジョン・スミスはそう前置きした上で、元も子もないことをこの後に及んで言い出す。

 

 

 平時であれば、殴りかかってしまいそうなことを。

 

 

 

 

 でも……、

 

 

 彼の言葉を聞いていて、

 

 

 いつの間にか顔を覆うようにして、とどめらない嗚咽を漏らしながら

 

 

 涙を流していた私にそんなことはできず。

 

 

 

 

 口調はそれまでの真剣なものとは打って変わって、飄々とした調子で────

 

 

 いつもの彼が口にする軽口と同じ穏やかな響きで────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フローレンス・ナイチンゲールが生涯にわたって──否、()()()()()()()()()()()忘却のできない台詞をジョン・スミスは口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どれだけ盤石の態勢を整えても」

 

 

 

「兵士は死に」

 

 

 

「病人は発生する」

 

 

 

「これはもうどうしようもない」

 

 

 

「対して、僕たちは笑えるほど無力だ」

 

 

 

「ほんとどうしようもない」

 

 

 

「神が決めたのかも知れないし……」

 

 

 

「ほんとむかつくけどさ」

 

 

 

「それがこちらに与えられた条件と配られた手札なんだ」

 

 

 

「だから、それで勝負するしかないんだよ」

 

 

 

「……君はひとりで多くを抱えすぎだ」

 

 

 

「もっと他人のせいにしてもいい」

 

 

 

「もっとまわりのせいにしてもいい」

 

 

 

「もっと気楽に決めてもいい」

 

 

 

「気楽に、そして誠実に──」

 

 

 

「そうすれば」

 

 

 

「君はきっと大丈夫」

 

 

 

 

 

 

 

 そこでジョンは私の手を取った。

 泣き顔を隠せなくなって少し困ってしまうが、べつにいいか──とも思う。

 今更、彼に対して取り繕っても仕方がない。

 

 外気に冷やされた彼の手はとても冷たかったけれど、こうして彼に触れられて────彼に触れることが心地よい。体温以上の温もりを私に伝えてくれた。

 

 私の手を取ったまま立ち上がる彼につられて、私も立ち上がる。

 

 やはり涙はまだ止まっていなかったけれど、

 体の震えはとうに止まっていた。

 

 

 

 

 

「付け加えるとさ……」

 

 

 

「もし────」

 

 

 

「────僕が死んだとしても」

 

 

 

「それは、たかが一兵卒が死んだだけのことだから……」

 

 

 

「あまり思い詰めないでほしい」

 

 

 

「そんなことより君は君の夢に向かって邁進しなくてはいけないよ?」

 

 

 

「僕は君の()()()()()()を誰よりも願っているんだ」

 

 

 

「それは僕にとって」

 

 

 

「──なによりの”救い”になるんだから」

 

 

 

「君のためなら死んでもいいと思ってるくらいに……」

 

 

 

「だから、仮にそんな時が来たら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「”君は僕を殺してでも”────」

 

 

 

「─────────”僕を救ってほしい”」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……べつにそこまでシリアスな話でもないんだけれどもね」

 

 

 

「……重苦しい話で、変に身構えさせたいわけでもない」

 

 

 

「そうなる、かも、しれない、ってだけで」

 

 

 

「ただ……、こうして”死”を目の前にすると────」

 

 

 

「改めて、言っておかないと、って」

 

 

 

「言えるうちに、言っておかないと、って」

 

 

 

 言葉がなるべく重たく聞こえないように──それでも実直に彼は思いの丈を述べた。

 こちらが声を発したら壊れてしまいそうな儚さを伴って。

 

 論点はいつからかズレていき存在すら怪しく。

 理路整然としていないどころか、矛盾を感じる部分もあるけれど。

 けれど。

 私を困らせないように、不安にさせないように……そういった配慮が彼の何気ない語気の節々から伝わってきて。

 

 そうして、ようやく。

 繋がれた彼の手が震えていることに気がついた。

 いくら軍人とはいえ。

 これほど多くの死を前にして、なにも感じない人間などいない。

 なんとか平静を装って、いつものごとく茶化してはいるけれど、彼だって怖いのだ。

 その事実が──ひどく切なく、身もだえしているようでもあり、胸が痛んだ。

 

 今一度、眼下の墓地を見据えなおす。

 

 こうしていると。

 今、私たちが生きていることのほうが異常なような。

 

 

 

 ──なんの前触れもなく。

 ──死は突然、目の前に現れる。

 

 

 

 昨日と今日はたまたま繋がっていただけのことで、そして明日の保証はどこにもない。

 

 

 

 自らの恐怖を押し隠してジョンは私を懸命に励まし、寄り添ってくれた。

 愚直に誠実に私と向き合ってくれた。

 

 ────今、改めて。

 ────その、純粋なひたむきさを、心より愛おしく思う。

 ────また前を向いてみようと思える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ」

 

 

「馬鹿ですか、貴方は」

 

 

「殺したって、死にはしないでしょう──貴方のような人」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ”おいおい、場所を考えて言ってくれよ──?”なんて、やはり肩をすくめて話す。

 

 あまり真剣みのなさそうな、それでいてこちらのことをきっちりと考えてくれいることがわかる、ジョン特有の声色。

 そんな彼の思いやりに応えるために、いつもの軽口を返すことしかできない自分が歯がゆいけれど。

 悔恨の念に落ち込んでしまいそうな自分を空元気で、多少無理にでも鼓舞する。

 それが彼に対する──私なりの誠意の示しかた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジョン、冗談でも言って良いことと悪いことがあります!!」

 

「ぁいでっ────! 今、君がそれを言うかな」

 

「やかましい──もちろん、軍人なのですから。危険な状況に遭遇することもあるでしょう……でも死んだら、許しません。絶対に許しませんから」

 

「……心配してくれるのかい?」

 

「っつ……それはっ! ─────それは、心配するに決まっています」

 

「──ははは、ありがとう」

 

「笑いごとじゃないです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 私たちはこれでよいのだろう。

 互いが互いの支えとなるように。

 今までこうしてやってきたし、これからもこうしてやっていく。

 

 目的地は既に定まって。

 時には、遠回りもあるかもしれない。

 けれど地面にふたりのあしあとが増えていくほどに。

 私たちの絆は強くなって。

 

 ジョン・スミスがいてくれるなら、フローレンス・ナイチンゲールは大丈夫。

 そう、思える。

 

 

 

 

 

 もし……、なんて。

 

 本当に笑いごとではない。

 

 彼がいなくなるなんて。

 

 そんなこと考えたくないし、

 

 ────考えられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギュッと強く力を込めて、ジョン。スミスの手を握ってからその手を離す。

 

 ここから、またリスタート。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ”申し訳ございませんでした”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先ほどのジョンにならうようにして、最敬礼をして。

 

 すぐに身を翻し──墓地を背にして歩き出す。

 

 こんなもの、自己満足と言わば言え。

 決して開きなおったわけではない。やはり罪の意識はどうしても消えない。

 それでも、目をそらして逃げて────忘れたフリをしていたものに向き合ったうえで、飲み込んで。

 

 ジョンが私にくれた言葉の通りに。

 ジョンの語った──ふたりの夢を現実にするために。

 今はただ前を向いて、進んでいく。

 

 

 それが背を向けた者たちへのせめてもの弔いに、罪滅ぼしになると信じて。

 

 私を待つ者のところへ─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一緒に────行きましょう、患者が待っています」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、そういえば、ジョン……?」

 

 

 

「ん、なんだい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当なら、なによりもまず先に伺うべきことで────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私が長官代理というのは、承知したのですが────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そもそものホール軍医長官はどちらへ? あの……、私が騒動を起こしてしまった前後からお見かけしていないのですが────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ああ、元軍医長官殿なら────既に遠くへ行ってしまったよ」

 

 

 

 

 

 

 







 誤字脱字、ここの文意がワケワカメ、展開に対する苦情等ありましたら、気軽にご連絡いただけますと幸いです(反映するかはこちら次第だがな!
 ハーメルンからでもTwitterからでも構いません。作品をよりよくするためにご協力のほどお願いいたします。



大変、長らくお待たせいたしました。
どうぞ、またお付き合いください。

実は、この後の話が個人的お気に入りです。
お時間が許せば、続けてお読みください。


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FGOのことを主体に、アニメ、マンガ、ゲームについて雑多に呟いてます。






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「Crime and Punishment」




『何やら急いでる様だな、お前さん?』

「…」

『なぁ、一つだけ質問させてくれ。』

『どうしようもないクズでも変われると思うか…?』

『誰でもその気にさえなれば良い奴になれると思うか?』
 

────Toby Fox
『Undertale』(非公式翻訳)より








 

 

 

 薄暗い部屋。

 

 見る者が見れば、ここは牢獄のようにも感じるかもしれない。

 決して広くはないスペースに腐食した書類や粗悪で手入れのされていない家具や食器、そのほか──暗がりではおよそ判別のつかない物体がところ狭しと散乱している。塗料のはげた床板には黒ずんだ染みが多く目についた。

 まるで肌にまとわりつくようなじめじめとして淀んだ空気────

 息の詰まる室内で鼻腔を満たすのはカビの臭い…だけではなく()えた鉄の匂いが混じる。

 常人であればその嫌悪と不快感に数秒と経たず退去するであろう──そんな室内において。

 

 男がふたり、小さなテーブルを挟み向かい合う形で座っていた。

 

 距離を考えれば、病舎の喧騒が響いてきてもおかしくないところに存在するこの場には、ただ静寂だけが転がっている。

 ともすれば耳鳴りが聞こえてきそうにもなる無音だけが今この空間を満たしている。

 

 ふたりはまるで微動だにしない。

 ──それもそのはず。

 

 男のうちのひとりには意識がなかった。

 両の手は後ろ手を組まされており、縛られたうえで椅子に固定されていた。

 猿ぐつわをかませられていたり麻袋をかぶせられているわけではないが、正しく──男は拘束されていた。

 

 そして、

 

 もう一方の男は腰かけた椅子の上で腕を組み、考えている。

 ぴたりと両の瞳が閉じられているために傍目からは眠っているようにも見えるが、男はその目蓋の裏に彼の半生を映し、また同時にこの先の筋道について思いを巡らせていた。

 

 

 

 自分が用意した歯車は既に噛み合い、回り始めている。

 大局的な情勢に影響を及ぼすほどではないものの、今はそれでいい。

 むしろ、()()それがいい。

 

 表で物事を動かす必要はないのだから。

 もう誰にも動かしようのないほどに裏側の趨勢が決まりきったとき…そのときに初めて盤面をひっくり返す──それこそが最善。

 

 万事が万事ではないが、現状は机上に描いた絵の通りの流れで事が運んでいる。

 

 かつて──それは理想論であるかもしれないが今や空論などではない。

 まだ理想であるというならばそれを地に引きずり下ろし、必ずや現実のものとしてみせる。

 そのためにこれまでを費やして。

 

 また、これからも同様に……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それらを踏まえた上で─────

 

 

 

 

 ──今、ここで。

 

 ──”自分はどうするべきなのか”。

 

 ──否、問いと答えはもっと単純明快で…。

 

 ────”()()()()正しい判断なのか”。

 

 ────ただの二者択一が眼前にあるのみ。

 

 しかし────、

 

 男は迷っていたし考えていた。

 脈動とともに脳髄をガンガン叩く懊悩と葛藤。

 

 はたして自分の心の置きどころはどこにあるのか。

 白と黒の両方の間で揺れる針の向く先を座して見極め続けていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局────、

 

 針の行方が定まる以前に物理的な動きが表れた。

 男の内なる問答は中断を余儀なくされる。

 

 

 

 

 

 

「ぅぅう…ぐっ」

 

 

 

 

 

 

 拘束された男がくぐもった声を上げる。

 

 ──どうやら意識が戻ったらしい。

 それほど強く殴ったわけでもないのに、存外覚醒に時間がかかっているからこれは、もしや”やってしまったか?”と思ったものだが…。

 

 

 

 まぁ、とりあえず、よかった。

 

 

 

 そんなことを思いながら、あらかじめ用意していた言葉を目覚めたばかりの男にかける。

 

 

「お目覚めですか、長官殿────」

 

「ぅん? …なんだね、君は? それにここは……!?」

 

「僕ですか、僕の名前は”ジョン”。スクタリに派遣されたしがない一兵卒です。そして、この場所については僕などよりも長官殿のほうがよくご存知でしょう。なんとも素敵な部屋ではありませんか」

 

 

 ぬ? なんだ──ぉ、おい、この拘束は貴様の仕業か──! という喚きを遮る形でそんな答えを返す。

 

 

「───────」

 

 

 長官殿と呼ばれた男──スクタリ病舎最高責任者であるホール軍医長官は絶句する。

 

 

 

 対面する男と自分との間に位置されたテーブルの上にペッパーボックスピストルと呼ばれる拳銃が置かれていることに気がついた。

 

 

 

 拳銃…、

 凶器……。

 人を殺傷するための道具。

 簡単に人の命を奪ってしまえるもの。

 そんなものが嫌でも視界に入るところに無造作に置かれている────。

 

 そして、拘束され十分な身動きが取れないという自らの状態。

 

 そこに加えて、()()()()は─────────!

 

 なんなんだ、これは。

 いったいどういう状況なんだ。

 

 額から流れる汗を拭おうにも、腕が縛られていてはそれもかなわない。

 

 混乱するホールの頭にある気絶する前の記憶は──長官室で酒を飲みながら行っていた傷病者や死者の記録の改ざんと国から寄越される支給品と経費をいかにちょろまかすかを画策する…という”いたって普段通りのこと”。

 

 あとは、そうだ…。看護婦団のことをどうしたものかと考えていた。

 どうやら便所掃除を皮切りにして、いらんお節介を病舎の各所で焼いているようだが、これ以上つまらん火種を増やしてもおもしろくない。また、あのナイチンゲールとかいうのが余計なことに気がつかないとも限らない。

 反乱分子は早めに潰しておくに限る。場合によっては”事故死”してもらう必要もあるかもしれん。

 

 なんせ今は戦争中だ──死体の十や二十、珍しくもなんともない。

 

 ほくそ笑みながら、そんなことを考えていたためにいつもより酒量がほんの少し増えていたかもしれない。

 

 そういえば、

 

 長官室にある

 秘密の保管庫に

 入れた覚えのない酒があったことも

 深酒の原因に────────

 

 そうして、そこからの記憶がまるでない…。

 

 

 

 

 

 

 

 今、ホールの中に浮かぶ疑念は大きくふたつ。

 

 …なぜわたしは拘束されている?

 …この男はどこまで知っている?

 

 重要なのは言うまでもなく後者。

 ここはいわゆる都合の悪いモノの始末部屋で──カギはわたししか持っていないはずの()()()()()()に連れてこられ、拘束されている時点で──目前の男に、都合の悪い情報が握られていると覚悟するべきだ。

 もし、もしもの話──このジョンと名乗った男がわたしの行いについての一から十を知っているというのならば…。

 まずい、まずいまずいまずい、まずいまずいまずいまずいまずいまずい────

 申し開きのしようもなく、ここでわたしの全ては終わる。

 

 しかし、身動きが封じられてはいるものの、見たところ相対したジョンからの敵意は感じられない。

 軍服を着ているところから、軍人であることは間違いない────軍部からの監査か?

 

 場にそぐわない飄然とした雰囲気から伝わる得体の知れなさは不気味だが、言ってしまえばそれだけだ。

 加えて、わたしを断罪しにやって来たというのなら、ひとりだけというのはどうにもおかしい。

 事情が漏れているならば、いきなり囲まれてリンチにあう…といった目に合っても今更文句は言えない。

 

 そもそも──わたしを気絶させておきながら、目を覚ますまで待っている必要はないはずだ。

 ……なんならその隙に殺してしまえばいいのだから。

 

 

 

 ホールはそっと、

 眼前の人物から目線を外し、机上の拳銃にピントを合わせた────。

 

 

 

 だが、そうはなっていない。

 つまり、怨恨や正義感に駆られたゆえの行動ではないわけだ。

 

 ならば……と。

 ふと思い当たる節がなくも──ない。

 

 そこで、ホールは自分がジョンの立場であればと考えた。

 

 なるほど、そうか、わかったぞ──!

 考えてみれば難しいことはなにもない、ごくごく単純なことだったのだ。

 

 

 それが最もこの場において最も合理的だ。

 ならば違いない。そうに決まっている。

 

 

 単なる脅しにしては演出過多のきらいがあるが、こういう人間は使えば化ける。

 

 要は、こいつも”こちら側”の人間なのだ。

 

 楽をして甘い汁を吸いたいわけだ。

 

 

 事実、こういった手合いが今までにもいたじゃないか。

 ここまで手荒とはいかずとも、こちらの弱みにつけこむ形で──言い寄ってきた者が数人存在した。

 

 この場ではうまく話を合わせて、使えるだけ使ってやろう。

 なにかあれば、後から()()()()()()()()すればいい。

 今までそうしてきたし、それで面倒な問題はクリアしてきた。

 

 多少ハラハラさせられたが、今回も同じこと。

 よく知った展開だ。

 そうだ、そう判断できる。

 それなら、わたしが拘束されているだけで危害を加えられていないことにも説明がつく────!

 

 

 

 

 …加えて。

 

 たとえ不測の事態が起こったとしても、この状況を一気に好転させる、”あること”に気がついた。

 身じろぎをしている際に、よもやとは思ったが……。

 やはり…わたしの悪運はまだまだ尽きていないようだ。

 さぁ、まずは一勝負─────────

 

 

 

 

 落ち着いて考えることとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────と、そのような。

 

 

 

 

 ────そのような思考に一度辿り着くと、彼のような人間にはもう手放せなくなってしまう。

 

 ────既得権益を守り膨らませることに執着し、欲望のまま貪る輩に成り下がった虫と言うべきか。

 

 ────自らにとってはなによりも都合がいいから、それに縋りつくほかない。

 

 ────それがどこまでも甘やかに(ただ)れた幻想だったとしても。

 

 ────味をしめた虫はそれの甘さを忘れられず、より甘美なものを求めて。

 

 ────丸々と肥えた腹をさすり。

 

 ────下り坂を転がっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────長考の末。

 

 先ほどまでの焦りを忘れたかのように。

 完全に落ち着きを取り戻したホールは、場の主導権を握ろうと切り返す。

 

 

「貴様、なにが望みだ────?」

 

 

 拘束のため、不自由な体躯──それを少しでも大きく見せようと、胸を反らしながら放たれた低い声。

 虚勢やはったりなどではなく確たる自信を持ち、薄く笑みすら浮かべて言葉を続ける。

 

 

「わたしの()()()()に一枚噛ませろ…と言いたいのだろう?」

 

 

 皆まで言うなと言わんばかりの表情で──────

 

 

 

 

 しかし。

 傍から見ると、これほど滑稽なこともない。

 自らの理屈のみで、自らの世界のなかだけで動き回っている哀れな男。

 

 存外、虫かごのなかの虫というものは自分が囚われの身であることに気がついていないのかもしれない。

 

 

「まったく、ここまで脅迫まがいのことをするまでもないだろうに。貴様と同じような思惑で、わたしに近づいてきた者は他にもいたのだよ。どうやら、なかでも貴様は余程の心配性のようだ」

 

 

 こんなことは子どもの遊び──児戯にも等しい。

 出口とは反対の方向に羽ばたく虫が壁にぶつかってその身を傷つける様を──外部から眺めているような。

 

 

 

 

 ただし。

 

 やはりまだジョンは見極められてはいないのだ。

 

 ────”()()()()正しい判断なのか”。

 

 ホールのやったことを考えれば…、否──軍医長官としてやるべきであるのに()()()()()()()()を考えれば。

 ホールは問答無用で即刻、処分すべきである。

 生かしておく価値がない。

 

 同胞の無念を、遺された者の慟哭を思えば。

 

 であるのに。

 事と次第によっては、ホールを逃がしてもいいとさえジョンは考えていた。

 もちろん看護婦団の邪魔にだけはならないように首輪はつける…という条件付きではあるが。

 

 

「いくつか確認させていただいても構いませんか?」

 

「構わんが…先に拘束を解いてもらえんかね。窮屈でかなわん」

 

「すみません、念には念をということで。そちらは話がまとまってからということにさせてください」

 

「…ふん」

 

 

 全ては、フローレンス・ナイチンゲールに関係してのこと。

 彼女の存在こそが、

 単純なはずの問いをがんじがらめに──答えを複雑にさせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───たとえば、こんな疑問。

 

 ───彼女が人を救う一方で、

 ───自分が人を殺めるというのは許されることなのだろうか。

 ───彼女のために誓った身で。

 ───それは酷い矛盾ではないのだろうか。

 

 ────といった、疑問。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場に駆り出されている兵士がいまさら綺麗事を…と思われるかもしれない。

 彼自身、くだらないこだわりだとはわかっている。

 

 けれど、それはそれこれはこれだと簡単に割り切れるような者にフローレンス・ナイチンゲールの隣を歩む資格はあるのか。

 

 

 

 

 また、今なおスクタリ病舎で苦しんでいる同胞──果ては尊き命を散らした同胞に思いを馳せる。

 もしかすると、彼らは救えるかもしれないし、救えたかもしれない。

 人の身で、救う命を選択する傲慢さ……。

 それは────────────────

 

 

 

 

 ……どちらにせよ、思考放棄はできないと────

 彼は考えていた。

 

 

「まずはそうですね。長官殿が立場を利用して──いや、ここに至っておべんちゃらも必要ないでしょう──言わば、スクタリ病舎の長官として横領を行い、得られる利益はどれほどのものなのでしょう?」

 

「……ほう? こちらも話が短くて済むのは助かるが、いきなりそこからか」

 

「仮に長官殿の話に乗ったとして、分け前がいかほどのものになるのかを明確にしたいもので」

 

「なるほどなぁ。はっはっはっ…いやいや、欲望に素直な人間は嫌いじゃないぞ。仲良くやっていけそうじゃないか──君の名はたしかジョンだったね。安心してくれたまえ、ジョン君。この()()()はわたし以外誰も知らんよ。つまり、分け前はきっかり半分にできるということだ。無論、君にもがんばってもらわねばならん。元のわたしの取り分をふたりで分けたのでは、わたしだけが貧乏くじだからな。ふたりで”うまみ”を倍々にしていこうじゃないか」

 

「そうですか、それは重畳なことで。ただ…、僕のほかにも無心を迫った人が過去にいるという話でしたが、その方々は?」

 

「…………それは、あれだ。わたしは頭の足りん人間を信用しない性質でね。有象無象の者どもは適当にあしらったのだよ。ここまで手の込んだことを計画し、実行に移す貴様のような人物であるならばまだしも」

 

「ということは──、僕は長官殿のお眼鏡にかなったと考えても?」

 

「ああ…、もちろん。そうだとも」

 

「…感謝、申し上げます」

 

 

 そこから、ジョンはひとつずつ確認を行っていった。

 ホールの協力者は誰か、誰がどこまで知っているのか、軍部の監査にはどう対処しているのか────

 加えて、前線の状況とそれに伴う患者数の変動、病舎内の情報掌握の具合など……。

 

 聞けば聞くほど、叩けば叩くほど──この男からはほこりが出てくる。

 

 ────それもそのはず。

 

 ホールには切り札があった。

 故に──本来は隠しておくべきようなことでも洗いざらい喋った。

 

 さも自らが罪状を読み上げる検察官であるかのように。悪事の数々を並び立てていく。

 仮にも軍医長官にまで登り詰めた者である。

 それなりの警戒心を持ち合わせており、ジョンを完全に信用しているわけではない。信用を伴って共犯者に語りかけているわけではない。

 

 それでも、やはりホールの口はよく回った。なにがどう転がろうとも、この場を切り抜けられるという確信が彼の口を軽くさせている。

 

 

 

 

 

 

 

 ────彼は検察官などではなく、被告人であるのに。

 

 

 

 

 

 

 

「ジョン君。わかるかね、戦争というものは金のなる木なんだよ。勝つか負けるかのハイリスク・ハイリターンに出し惜しみはありえない。物資、人材、技術、情報に金────あらゆるものが尋常ならざる速度で動いていく。その動きのなかに犠牲はつきものだが、一方で大きな利益を手にする者がいることもまた事実。上官の命令には絶対服従の挙句、そこらに転がることになる死体(負け犬)の仲間はいやだろう? この戦争が終わるまでとても快適な秘密基地に立てこもり、尻で革張りの椅子をせっせと磨くことに従事していたいとは思わんか? 祭りが終われば……自ずと人は減っており、昇進と栄誉が待っているだろうさ。少し”退屈”なのが玉に瑕ではあるものの、慰安婦やそれに準ずる女も流れてくるし、緊急時の医療用という名目でアルコールにも事欠かんよ。なにしろ──くくくっ、”退屈”で人は死なんしな」

 

「しかも今回は宗教が絡んだ上での国をあげた一大事業(戦争)だ。宗教はいいぞ! 戦って死ねば神の下に行けると信じて疑わない狂信者どもは死を恐れん…どころか死を望んでいる。命令されたことにいちいち悩まない連中は国にとっても実に使い勝手がいい駒と言えよう。そいつがごまんといるきた。そして、なによりおいしいのは奴らの(いさか)いでは火種が残るということだ。この戦争がどのように決着しようとそこら中に火種はくすぶり続け、その火が燃え上がればまたそこに野戦病院が敷設される。となれば、必然的に有識者としての意見を求められ──クリミアで名を上げたわたしに取り入ろうと躍起になる者どもの姿が目に浮かぶというものよ…………こうして、功を称えられ見事出世を果たしたわたしのもとにはその都度、うまい話が転がりこんでくるという仕組みだ」

 

「…それはそれは、これからが楽しみだ」

 

 

 どうしてこんな男が生きていて、かつての仲間や同胞は死んでしまったのか。

 こいつが前線病舎にいなければ、どれほどの命が失われずにすんだだろう。

 生きたくても生きられなかった人間が大勢いて、その中には助けられるはずの人間もいた。

 その事実に、こいつは気を向けようともしていない────どころか、そこにメリットを見出している。

 

 人の命と尊厳を、こいつは…………。

 

 

 

 

 

 

 ────”()()()()正しい判断なのか”。

 

 

 

 

 

 

 やり切れない思いを胸に抱えつつも、それをおくびにも出すことなく丁寧な聞き取りを続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フローレンス・ナイチンゲールについては、どうお考えですか?」

 

 

 そんな一言とともに荒唐無稽な事情聴取は、突如として終わりを告げる。

 

 

「────ほう! ここでその名前が出てくるのか!! いやはや…、わたしの仕事によもやベビーシッターも含まれているとは思わなんだ。余計な真似をするなと言いつけてあるんだが、なにやらチョロチョロと動き回っているようで。まったく困ったものだ──これは、その分の給金も軍部に弾んでもらわなければ割に合わないな」

 

 

 見る者を不快にさせるホールの下卑たにやけ面。

 が、打って変わって思案顔に。

 

 

 

 

 

 む、待てよ……。

 

 よし、こうしようじゃないか。

 これこそ、使い時というもの。

 

 この男には看護婦団の弱みを探ってもらおう。

 頭痛の種は早めに取り除いておくに限る。

 もしも面倒なら、頭を潰せばいい。

 フローレンス・ナイチンゲールだ。

 あいつさえいなければ、あんな集団はすぐに立ち行かなくなるさ。

()()()()()()()()()使()()()()()()()()

 

 

 そう考えて──ホールが口を開こうとした瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───────────────反転。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕にはね、夢があるんです。フローレンス・ナイチンゲールを”英雄”にするという夢が」

 

 

 

 

 

 ────音のない部屋のなか。

 

 ────鼻うたでも歌うような気安さで。

 

 ────または血反吐を吐くような苛烈さで。

 

 

 

 

 ────正しく終わりを迎えるために。

 

 ────始まった。

 

 

 

 

 

「数年前に彼女の論文を読んだことがあるんです」

 

 

 

 

 

「そして、こいつは馬鹿だと思いました」

 

「本物の馬鹿だ、と」

 

「看護婦なんてものは──ろくに仕事もできない人間が最後も最後、仕方なしにやるものです」

 

「扱いは、下僕や家畜と変わらない。下手をするとそれ以下かもしれない」

 

「……少なくとも、それがこの時代を生きる人間の評価」

 

 

 

 

「それを彼女は覆そうと画策していました」

 

「べつにその論文に明言してあったわけじゃない」

 

「意識か、無意識か…、そんなことをはっきり書けばどうなるかを察したんでしょう」

 

「しかし、僕にはわかった」

 

「そして、どうしてこんな人間が放置されているのかがわからなかった。良くも悪くもね」

 

「手前味噌ですが──昔からすぐにわかるんですよ、物事の本質ってやつが」

 

 

 

 

 

「暗闇のなか。けれどそこにはたしかに獣の双眸が浮かんでいたんです」

 

「それから、彼女が執筆した文献の他、彼女に関する資料を可能な限り集めました」

 

「爪が、牙が────そこら中に獣の匂いの痕跡があった」

 

「人の命が次から次へと投げ捨てられていくこの時代に────」

 

「知識や教育の欠乏ゆえに、それが当たり前のこととして受け入れらているこの時代に────」

 

「たった一人で嚙みついて、食い下がっていたんです」

 

「周囲の誰に理解されずとも」

 

「彼女だけは虎視眈々と人命の未来を見据えていたんですよ」

 

 

 

 

 

「疑うべくもなく、時代を進める人間だと確信しました」

 

 

 

 

 

 徐々に熱を帯びていくジョンの語り口とは対照的に。

 地下の湿った空気がぱきりと停止し凍り付く。

 

 時ここに至れば、誰でもわかる。

 ジョンとホール──ふたりの今までのやりとりは無価値に。

 どころか全てが裏返り、反転したと。

 

 ただ、これは未だ定められた流れの上。

 それと同時にまだ下り坂の途中。

 勢いを増して、状況は転がっていく。

 

 

 

 

 

 

「おっと。夢を語る、というか────自分語りをする前に今一度、名乗っておくべきでしたね。僕の名前は”ジョン・ハーバート”。フローレンス・ナイチンゲールと彼女の目的のため、この地へと参りました。…長官殿にお話ししましょう、僕の計画とその展望を。まずは、そうだな……僕が”ブーメラン”なんて呼ばれてた時代の話からでも…」

 

 

 

 

 ─────────────────。

 

 

 ────────────────。

 

 

 ───────────────。

 

 

 ──────────────。

 

 

 ─────────────。

 

 

 ────────────。

 

 

 ───────────。

 

 

 

 

 

 …今まで出逢った人間となにも変わらない。…取るに足らない人畜無害。

 そんな評価は総じて、戦慄と共に覆った。

 

 

 

 

 

 ─────転覆した裏側、

 ─────昏闇の天蓋から這い出た影法師、

 ─────混沌をも呑み込む混沌、

 ─────暗黒あるいは只々の黒、

 ─────黒黒黒黒、黒黒黒黒黒黒、黒黒黒黒、

 ─────黒黒、黒黒黒黒、黒黒黒黒黒黒黒、黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒、

 ─────黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒

 

 ─────そこに、

 

 ─────不条理にも棲んでいた、

 ─────取り返しのつかない、

 ─────理不尽な”それ”が、

 

 ─────”それ”とは、なにか、

 ─────言い表しようのないものだ、

 ─────それでも、強いて形容するならば、

 

 

 

 ─────”恐怖”

 

 

 

 ─────恐怖である、

 ─────恐怖そのもの、

 ─────そう表現する他ない、もの、

 

 

 

 

 

 唖然として、呆然として──もはや茫然とでも言うべきか。

 

この場の空気の不安定さに、現実が変なふうにずれていく。

 

 そこにいるはずの人間をうまく目で捉えられない。そこにいるのに、どこにいるのかがわからない。

 自らの身体ですら、少しの確からしさも感じられない。

 距離感をも狂わせるほどの仄暗い闇のなか。

 ホールは考える。

 出し抜けとも言えるジョンの変貌について。脈絡なく始まったジョンの自分語りについて。

 無理にでも思考を巡らせることで、身体に入り込もうとするなにかに必死で抗う。

 

 

 ……─────!

 …………───────??

 ………………──────────!?

 …………………………───────────!!??

 ”ジョン・ハーバート”…? あのハーバートか…!?

 名家の人間が()()()()()()()()()()

 そんなことのために命を張ろうというのか…?

 ”フローレンス・ナイチンゲールを英雄にする”……?

 ”世界を変える”だなんて馬鹿げた目的で

 こんな綱渡りをしているのか…?

 

 そして、まさかこれからも──────?

 

 

 

 

 

 そのようなホールの様子を知ってか知らずか──ジョンはなおも泰然として語りを継続する。

 

 

 

 

 

 目の前でのことがうまく処理できず、思わず息を呑む。

 目眩を起こすほどの不可解。

 常軌を逸している、異常どころか───これ以上ない極限の異質と称するのが相応しい。そもそもの常識の骨格がおかしな方向に捻じ曲がっており。

 ”狂人だ、頭がおかしい”と一笑に付すには……………………文字通り、()()()()が過ぎている。

 

 ────心と身体が流血に塗れ過ぎている。

 

 瞬間、吐き気を催す不快感に襲われる。背筋が割れそうなほどの悪寒が走る。

 理性を越えて──本能が認識を強制させる。

 ……駄目だ、コレは。関わっていいものではない。

 

 得体の知れない歪んだ異物。

 唐突に、何者かに入れ代わったわけではない。

 元来そうであったものが、ただ表層に浮かび上がっただけのこと。

 

 なにも見えないはずの暗黒に蠢く影のなか──思惑すべてを見透かす瞳がはっきりとこちらを覗き込んでいるように感じられる。

 さきほどまで茫洋として捉えどころのなかった(もや)のようなものが輪郭を形どり、奇怪な意志をもってそこに座っていた。

 

 憤怒、侮蔑、憎悪、哀惜、感傷、激情、怨恨、我執…、そういったものではなく。

 蠢動する”恐怖”が影法師から止め処なく溢れ、空間をキチキチと()んで蝕み。

 それがホールに辿り着き、目に見えないムカデやゲジゲジが肌の上を這い回る感覚を産み付けていく。

 

 

 

 

 

 ドウシテ。

 ドウシテ。ドウシテ。

 ドウシテ。ドウシテ。ドウシテ。ドウシテ。

 ドウシテ。ドウシテ。ドウシテ。ドウシテ。ドウシテ。ドウシテ。

 ドウシテ。ドウシテ。ドウシテ。ドウシテ。ドウシテ。ドウシテ。ドウシテ。ドウシテ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ────きみがわるい。

 

 

 

 

 

 粘りつく恐怖がホールの心臓を両手で撫で回している。

 

 いわく、人は未知に恐怖するものらしい。

 知らないから怖いし、経験がないから恐ろしい。

 

 異様な、あまりにも異様過ぎる──生物。

 こんなモノ────見たことも聞いたこともない。

 遭遇すること自体、天変地異に見舞わるようなもの。

 

 ホールにとって──言葉が通じ意思の疎通がなまじできるだけ、一層わけのわからないものだった。

 ましてジョンの語る内容は、大言壮語や虚言の類ではないと嫌でも察せられる。その点については安心感を覚えるほどに。

 ただ、そのチグハグさにこそおぞましい性質の悪さが装飾されており。

 徹底した合理性と効率化を謳い、整然とした理屈を並べるわりに────論理の根本に孕む狂躁が尋常でないバグを生じさせている。

 

 一所(ひとところ)に、相反するものが不気味なぐらい自然に同居している。破滅的と言えるアンバランスさ。

 それが──恐ろしく、怖い。

 

 そうして、ホールの身体に侵入した恐怖はその体内で増殖を続け、正常な心身に誤作動を誘起させる。

 距離感の歪んだ視界はついにぼやけていき、思考が黒く黒く染まっていく。

 言っていることはわかるのに、意味としての把握を頭が忌避している。

 

 酷く出来の悪い戯曲の只中に放り込まれた気が起こり──そこで唯一頼るほかないジョンの声を聞けば聞くほど、不安を煽られ、落ち着かなくなる。

 どくどくと心臓は高く脈打ちながらも、心拍数を下げていく。まるでこちらの生命力を奪っていくかのように。

 

 ジョンの語りは、かなりの時間に及んだはずだが、現状を忘れ────────時が飛んだようにも感じられる。

 

 こいつは、一体全体なんなんだ。

 

 間違って別世界からやってきた────人の形をしたナニカに思える。非人間。ありえてはならない非存在。

 我々と同じようなナリをして、これまでを過ごしてきたのだろう。

 けれど、どこかが決定的にズレている。狂信者などとは比べるべくもない、ルールの埒外にいる破綻者。

 認知している次元がまるで違うし、立っている土俵も全く異なる。

 

 どうしてこんなモノとわたしは話をしているんだ。

 どうしてこんなモノを利用できるかもしれないなどとわたしは考えたんだ。

 なにより、どうして目の前の影法師は今もなお笑っているんだ。

 

 

 

 

 

 ワカラナイ。

 ワカラナイ。ワカラナイ。

 ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。

 ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。

 ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。

 

()()()()()()()()()

 

 

 

 

 ────キミガワルイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで。彼女の邪魔をしないでもらいたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場を支配し滞留する恐怖がホールの精神と思考を飲み込み侵し、もはや自己喪失と呼ばれるレベルの錯乱状態に彼は陥っていた。

 発せられたジョンの言葉も頭に浮かびはするが、文脈としてもう結びつかない。

 ホールの脳髄は──次々とエラーを出し、そのエラーがまた次のエラーを生み出し、エラーを吐き続けることにのみ注力するような状態である。

 

 拘束されていることなど気にならなくなるほどの──圧倒的な閉塞感。まるで空気が粘性を伴う飴細工かのようで。喉がひきつり、意識しなければ呼吸ができなくなりそうな。

 

 もうなにも考えたくない。考えるだけ無為だ。答えなど知りたくない。こんな状況、こんなモノ、こんな感情に今まで遭遇したことがない。

 極度の緊張により平衡感覚が麻痺していき、座っているにも関わらず倒れそうな錯覚に襲われる。

 

 

 

「っ────、───あぁ」

 

 

 つんのめるように上体を崩したことでホールは気づく。

 

 ────忘れていた。

 ────忘れるほどのキミノワルサ(きょうふ)だった。

 

 しかし、ここで──改めて気がついた。

()()()()()()()()()()、と。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 そう発起してからの行動は素早く、

 

 背もたれに縛られた縄から右腕を抜き、

 

 机上にある拳銃を無造作に掴み、

 

 目前の男の頭に、構える。

 

 逡巡もせず。

 

 この間─────実に、二秒弱。

 

 

 

 ジョンはリアクションというリアクションを取ることはせず、ただ銃口を見つめるのみ。

 

 

 

 ホールは勝利を確信し、た、

 、、、、、、、、、、、、、、、、

 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、あ、れ、、、?

 

 

 

 ホールは思った。

 

 わたしはなにをしているんだ。

 はたして、ここまでわたしは追い込まれていただろうか。

 

 いま、冷静に考えれば。

 

 ジョンの経歴と、

 フローレンス・ナイチンゲールの目的と。

 世界を変えるなどとの具体案と実績、今後の課題と解決の見通し。

 …などの種々様々を聞いて。

 

  ”というわけで。

  彼女の邪魔をしないでもらいたい”

 

 そう言ってから、ジョンは一言も発していない。

 そのように提言して、あとは──人を食ったようなキミノワルイ笑みをこちらに向けていただけだ。

 特段、ホールが生命の危機に瀕していたわけではない。言ってしまえば、そう思わされてしまうほどの恐怖があった()()のこと。

 

 なのに、これはいったい──────────?

 

 本当に自分が経験していることなのだろうか。自分ではない誰かの記憶を追体験させられているような。

 化かされている、夢を見ている感覚すら残り──いまだに現実へと戻ってこられていない。

 恐怖が恐怖を上書きしていく果てのなさに追いやられ、滑り落ちていく思いだった。

 深く深く、どこまでもどこまでもどこまでも…………………………………………────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 カタカタカタカタと音を聞いてから自らの腕が震えていることに気がついて。

 ようやく現実感を取り戻す。

 それと連動するように奥歯がガチガチと鳴り出す。

 震えは止めようにも自らの意思では止まらない。どころか波は徐々に徐々に大きくなっていく。

 

 体の震えは、拳銃の重さに起因するものではなく。

 べつに重いわけじゃない、拳銃が。

 重いわけではないのだ。

 

 むしろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 拳銃はいやに軽かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 弾丸が込められているとはまるで思えないくらいに。

 

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────────

 

 

 

 

 

 問いより先に答えは出ていた。

 

 切り札がある…と信じきっていたホールだったけれども。

 勝負のテーブルについていたのは初めから彼ひとりだけ。

 どうしても勝ち負けで言うのなら、彼は(はな)から負けていた。

 

 

 

 

 

「よく、考えたほうがいいですよ」

 

「戦場では、引き金を引けばその弾丸は自分に返ってくると言われています」

 

 

 

 

 

 それをジョンが言い終わるか否か、というときに──────ガヂャリッと。ガヂャリッ、ガヂャリッ、ガヂャリッと数度。

 

 

「──────────ッヅ!!」

 

 

 はたして、銃身から弾丸が発射されることは一度もなく、苦し紛れに放り投げられたピストルは明後日の方向へ飛んでいく。

 

 

 

 ガッギギッ

 

 

 

 ゾッとするほど冷たく、絶望的な音が昏い室内に響いた。

 あっけのない幕引き。

しかし、きっと彼の人生はそういう人生だったのだ。

 もうなにも頼れるものはなく、よろめいた末にホールが踏み抜いた地面は()()()()()()()()

 

 

 

 事ここに至るまで、やはりホールの命運がどうなるかは真にわからなかった。

 首輪つきとはいえ、逃げおおせる可能性も十分にあったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──たとえば、こんな視点で考えた場合。

 

 ──”手に入れたいもののために、それ以外のものを犠牲にする”という視点。

 ──ジョンとホールにいかほどの違いがあるだろう。

 ──突き詰めれば同じ穴のむじな、二者は同じ列に並んでいると言えないだろうか。

 ──これからの世界のためなのだ、と。

 ──美辞麗句を並べ立てて、そこに差異を設けることは可能かもしれない。

 ──だがそれで、犠牲になった人たちやその親族はどのように思うのか。

 ──自分が彼らの立場だったとして、”ああ、そうか。ならば仕方ない”と腑に落ちるのか。

 

 ──そんなふうに考えたとき、本当にジョンがホールを糾弾する資格は、はたして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天秤は様々な局面に据えられている。

 

 フローレンス・ナイチンゲールの隣を歩む者としての責務と意識。

 自分の利のために、苦しむ人たちを見捨てる選択をしたという事実。

 

 楽しいこと、悲しいこと。幸せ、不幸。善、悪。

 

 人生において、目の前に選択肢を提示されること数あれど。

 この世に最初から二者択一であるものはなく。

 絶対なんてものは絶対にない。すべては流動的で視点によってものの見方はいくらでも変わる。

 ────人による。

 ────場合による。

 ジョンにジョンなりの事情があるように、ホールにはホールなりの事情があるのかもしれない。

 こんな人間であろうともホールが大切に想う人もいるだろうし、ホールを大切に想う人もいるだろう。

 

 万事が万事──グレーゾーンであり、グラデーションで世界は彩色されている。

 だからこそ、人は迷うし、悩むのだ。

 

 だが。

しかして、最後には──

 

 

 

 

 ────”()()()()正しい判断なのか”。

 

 

 

 

 傲慢であろうとも容赦なく、決めなければならないタイミングというものは確実に存在する。

 

 そして、情けない話────いや、この場合は()()()()()とでも言うのか。

 結末を決めるのはホール自身というのがジョンの描いた絵であった。

 この状況を作り上げたときに決めていた着地点はその一点。

 ホールが卓上にある弾丸の込められていない銃を手に取り、ジョンに向けて引き金を引いたなら────それでおしまい。

 一種、なげやりのようではあるが、明確な線引きだ。

 

 そこまでの馬鹿はここで見逃したとしても想定外の動きをする可能性がある。

 フローレンス・ナイチンゲールにとって、後々の障害になることだけは避けなければならない。

 

 

 

よく、考えたほうがいいですよ、と言われるまでもなく。

やはり。

 ホールは深く考えるべきだったのだ。

 たとえば、これを見よと言わんばかりに銃が目の前に置いてあったことについて。

 たとえば、腕力程度で緩んでしまうような拘束だったことについて。

 たとえば、最初から最後まで──銃口を向けられたときでさえ、ジョンが態度を崩さずにいたことについて。

 

 重ねて言えば、

これまでいったいなにをしてきたのか。

これからいったいなにをしていくのか────これまでの人生とこれからの人生について。

 ──そうして、人の命について。

彼は懸命に考えるべきだった。懸命に。

 

 考える時間はあった。立ち止まって顧みるタイミングもあった。

 

 ホールがもっと賢いか、あるいはもっと臆病だったなら。

 こう転がることはなかったのである。

 

 

 

 

 

 ふっと軽く息を吐き、ジョンは椅子から立ち上がる。

 

 そのときの彼の表情が示すのは安堵か寂寞か。

 もしかすると、こうなることを期待していたのかもしれないし。

 またどこかでは、無念に思う部分もあったのかもしれない。

 

 それでも彼は結局──────

 

 薄暗い部屋のなか。

 見る者が見れば、牢獄のようにも感じる部屋のなか。

 決して広くはないスペースに腐食した書類や粗悪で手入れのされていない家具や食器、そのほか──暗がりではおよそ判別のつかない物体がところ狭しと散乱している部屋なかから。

 

 ────先ほど、ホールが放り投げたものとは明らかに違う場所からペッパーボックスピストルを拾い上げた。

 

 

「ぃ、いや、まま待て、待て待て待て─────! わかったから、じ、邪魔をしない。それでっ、いい、だろう?」

 

 

 恐怖でもつれる舌をなんとか駆使して、ホールは命乞いをする。

 

 

「っつ、君は、ここっ殺さないさ。ぅ、わたしにはわかるよ。ぜ善良な、人間だっ君は。ぅわたしを撃てばば…、き、きっと後悔す、する」

 

「後悔か────」

 

 

 “善良”などという言葉に、思わず失笑をこぼしそうになりながらそう呟いたジョンは──すっ、と。

 拳銃を握った腕を上げる。

 狙いは言うまでもない。

 そのままホールへと歩を進める。

 

 ひぃっっ────!!

 素っ頓狂な叫び声を上げるのが早いか、足がくくられた椅子ごと横に倒れて距離を取ろうとする。

 のたうち回りながらも自由になった腕で足の拘束を外そうと試みるも意味がないことを瞬時に悟り、不恰好なままジョンから離れようともがく。

 

 

「ぃやめ、ってくれ、撃たた、ないでくれっ! し、しし、し死にたくない、死にたくない死にたくないししし死にたくない……」

 

 

 どれほど必死に逃れようとしても、数メートルも進めばすぐに壁際へとたどり着いてしまう。

 

 その間────ジョンは取り立ててなにをするでもなく、ホールを無機質に眺めていた。

 対象がさほど動いたところで的を外しようのない距離。

 射線はホールから動かさず。

 

 くしゃみでもすれば殺してしまうななどと、剣呑なことを頭の片隅で考えつつ言葉をまとめる。

 

 

「今から質問をするので、答えてください」

 

 

 ガクガク震えて、頭を腕で覆ったホールが首肯を返す。

 

 もう彼の魂は憔悴しきり、心は完全に折れている。咄嗟に口からでまかせなど、思いつきもしないだろう。

 それが手に取るようにわかった。わかった上で。

 ジョンは────

 

 

「では」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長官殿がスクタリに着任されてからの死者数は把握されていらっしゃいますか?

 

 

 

 

 

…なるほど。

意識したことはない、と。

 

 

 

 

 

──では、話を変えましょう。

 この部屋は長官殿が()()()()

 されていたみたいですが。

 

 

 

 

 

 今の長官殿のように、ここで命乞いをしていた

 人の数を覚えていますか?

 

 

 

 

 

5人、10人、はたまたそれ以上でしょうか。

 

 

 

 

 

どうです、男か、女か、子どももいましたか?

 

 

 

 

 

 ん──、男はもちろん、女、子どもも複数いた、と。

その正確な数は? 覚えていませんか?

 

 

 

 

 

そうですか。わかりませんか。

 ──じゃあ、これはどうかな。

 

 

 

 

 

 長官殿はどうやら忘れっぽいみたいだから、

 覚えてないかもしれませんが。

 

 

 

 

 

 さっきよりはきっと簡単です。

 

 

 

 

 

 答えられますよ、大丈夫です。

 

 

 

 

 

 答えがわかったら、

 僕のような馬鹿にもわかるように

 きちんと教えてもらえると助かるんですけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────そう言って、ここで命乞いをした人間はどうなりましたか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次が、最期の質問です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はたして、僕はどちらを後悔するでしょう。

 長官殿を生かすのと、殺すのと。

 

 

 

 

 教えてください。

 

 

 

 

 ────”()()()()正しい判断なのか”。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ねぇ、フローレンス。

 君は聡明な人だから。

 夢の道半ばで気がつくかもしれないね。

 目指す世界の実現には犠牲が必要不可欠だと。

 血の流れることのない未来を目指すために、

 流血が必要だなんて酷い矛盾だとは思うけれど。

 実際、そういうものなんだ。

 世界を変えるというのは、そういうことだ。

 代償のない革命なんてのはありえない。

 かの無血革命にしたって、

小競り合いはそこかしこにあったんだから。

 でもね、なにも君が──その手を汚す必要はない。

 君の手は真っ白で、無垢で。

 どこまでも人を救う手であってほしい。

 最後の最後まで。

 これは僕のどうしようもないエゴで。

 もし君が知ったら怒るだろうね。

 そんなことは望んでいないと言うかもしれない。

 おそらく君が僕の秘密を知るときには、

 僕はこの世にいないだろうから、君の罵声は聞けないかな。

 きっと、たくさん苦しめる。

 あまりの悲嘆に狂ってしまう可能性だってあるだろう。

 ただ、君は逆境に正しく意味を見出すことのできる人間だ。

 転んでも、立ち上がりまた前に進むことのできる人間だ。

 足が折れても、腕を使って前へ。

 腕が折れても、胴体と頭のみで前へ。

 そういう精神と矜持を君は備えている。

 

 

 

 

 なによりも、君は僕を裏切ることができないだろうしね。

 

 

 

 このようにして────

 君の気持ちですら計算式の一部として僕は勘案している。

 僕はこういう生きかたしかできない。

 真正の人でなしだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでもね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は君のためにすべてを捧げようと誓った。

 神なんかではなく、君に誓った。

 君のためなら喜んで泥を啜って。

 君のためなら進んで汚名を着よう。

 だから、平気で君に嘘もつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 別の世界に生きているはずだった僕と君。

 どこまでいっても重なることはないはずだった僕と君。

 それを捻じ曲げた。

 だから。

 穢れているのは僕だけで十分。

 本当は、君に触れることすらはばかられる身ではあるけれど、

 

 

 それでもね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも、僕は──────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そのへんでやめておきなよ────でないと死ぬよ? そいつ」

 

 

 ばしっと。

 彼女の腕を取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

====================================

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ある夜、私は夢を見た。

 

  私は、主とともに、なぎさを歩いていた。

 

  暗い夜空に、

 

  これまでの私の人生が映し出された。

 

  どの光景にも、

 

  砂の上に二人のあしあとが残されていた。

 

  一つは私のあしあと、

 

  もう一つは主のあしあとであった。

 

  これまでの人生の

 

  最後の光景が映し出されたとき、

 

  私は砂の上のあしあとに目を留めた。

 

  そこには一つのあしあとしかなかった。

 

  私の人生でいちばんつらく、

 

  悲しいときだった。

 

  このことがいつも私の心を乱していたので、

 

  私はその悩みについて主にお尋ねした。

 

  「主よ。私があなたに従うと決心したとき、

 

  あなたはすべての道において私とともに歩み、

 

  私と語り合ってくださると約束されました。

 

  それなのに、私の人生の一番つらいとき、

 

  ひとりのあしあとしかなかったのです。

 

  一番あなたを必要としたときに、

 

  あなたがなぜ私を捨てられたのか、

 

  私にはわかりません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  主はささやかれた。

 

  「私の大切な子よ。

 

  私はあなたを愛している。

 

  あなたを決して捨てたりはしない。

 

  ましてや、苦しみや試みのときに。

 

  あしあとが一つだったとき、

 

  私はあなたを背負って歩いていた」

 

 

 

 

 

 

 

 







 誤字脱字、ここの文意がワケワカメ、展開に対する苦情等ありましたら、気軽にご連絡いただけますと幸いです(反映するかはこちら次第だがな!
 ハーメルンからでもTwitterからでも構いません。作品をよりよくするためにご協力のほどお願いいたします。



 ようやく、ここにたどり着いたぜ。

 執筆当初から一応は決まっていた山のひとつがこちらです。
 正直、書く予定はなく自分の頭のなかにあるだけで、ひとりで勝手にジーンとしていたのみなのですが、形にしてみるとこの子はこんな出で立ちだったのかー、と。

 長かった、本当に長かった。
 お待たせして、申し訳ない。
 待った甲斐のあるものになっていれば幸いなのですが…。
 いかんせん、最終更新からもう3年近くになるんですねぇ……。

 FGOくんのシナリオがつまらなくてssを書き始めた身ではありますが、最近はおもしろいし。
 なにより二次創作なのに、本編が先に終わるかもしれない危険性がががが。
 そんなことにならないようにしたいとは思いますが、終わってもたぶん書き続けるんだろうなという感覚もあるので。時間がかかろうとカリカリ書いているでしょう。
 ……危険性はあっても危機感がないとは。



 あと、実は大変言いにくいのですが、他のものも書きたくなっておりまして。
 重ねて言いにくいのですが、オリジナルです。教師モノのやーつ。
 そんな奇特なかたがいらっしゃるかは謎ですが、歌場の文章が好きだというかたはどうか期待していてください。こちらは反省を活かして、1話完結型にしようと思っております。またTwitterとかでお知らせします。

 他のものが書きたいというモチベーションから、ナイチンさんも相乗効果でやる気が出たのもあるので、どうか怒らないでくだせぇ。




 “ある夜、私は夢を見た。”という一節から始まる詩はマーガレット・F・パワーズ『Foot prints』というものです。ナイチンゲールの生きた時代にはありません。その原型というか似たようなものが当時のイギリス軍人のなかで語られていたというような解釈で、あしからず。


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Twitterをやっています。

@katatukiNISIO
@SSkakikaki(更新専用)

FGOのことを主体に、アニメ、マンガ、ゲームについて雑多に呟いてます。






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